第二次大戦時、君の父や祖父は何をしていた

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歴史板の先祖自慢の様な不毛な争いをしてみよう。
2名無し三等兵 :01/10/25 03:27 ID:pcOZ5zuR
特高
3名無し三等兵:01/10/25 03:28 ID:gR/+MKH/
がいしゅつ

じいちゃんや親父は日本軍の何部隊に所属していた?
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/army/994732967/

ただ、ちょうど二代目スレにいいかも
4名無し三等兵:01/10/25 03:28 ID:rAmlI6Fy
5名無し三等兵:01/10/25 03:34 ID:i+EsXyLM
満鉄の社員してた
62:01/10/25 03:35 ID:pcOZ5zuR
祖父なんですけど 特高から戦後 炭坑の現場監督みたいなのを やっていたと聞いた
特高時代の 話は 聞いた事がない。
7名無し三等兵:01/10/25 03:39 ID:YB2LJA3A
農民
丙種合格
両方とも
ダメDNA
8名無し三等兵:01/10/25 03:42 ID:5T4V7mQB
曽祖父は餓島で戦死(餓死?)。
祖父は満州から無事生還・・・って生還してくれてないと、
私が産まれなかったんですけどね。
9名無し三等兵:01/10/25 04:27 ID:SzxKaEl3
 大伯母の連れ合いは、南方軍総司令官寺内寿一でした。
 祖父はその関係で、徴兵逃れして、南洋協会で気楽な暮らしをしてました。

 一般兵士の皆様には、ご迷惑をおかけしました。
10名無し三等兵:01/10/25 04:35 ID:wxh6NkDX
父方祖父は中島飛行機で軍用機の設計、祖父は関東軍で満州で戦車乗り
やっていました。

満州の皆様には、ご迷惑おかけしました。
11名無し三等兵:01/10/25 04:47 ID:MMGupaLO
きんぽさんの将校だったと聞いた。
226、その後しんがぽーるへ。
セピア色になったパーシバル将軍の写真があった。
最後はシベリアにつれていかれて、何年かして帰ってきたそうだ。
その後根津で商売をやって一財産築いた。
12名無し三等兵:01/10/25 05:33 ID:Vu7i+ysm
祖父は海軍(国内)で主計下士官だった。
付け届けが多く、自分のカネでものを買ったことが無かったそうだ。
祖母も買い物に行く必要がなく、全部自宅に届けられたとのこと。
戦後、それが全部ひっくり返り、大変だったそうだ。
13名無し三等兵:01/10/25 05:36 ID:qpUg9tL7
広島・呉で対空砲撃ってた、って言ってた。
1413:01/10/25 05:37 ID:qpUg9tL7
高射砲か
15名無し三等兵:01/10/25 07:43 ID:2zoqOdam
大西瀧二郎は親戚。あまり人前で言えないんだけどな。
16名無し三等兵:01/10/25 07:55 ID:U41zryse
父方の爺さんの家に戦車の写真が飾ってあったなー
健在なうちに色々聞いておけば良かった。
17かおる:01/10/25 08:16 ID:bVSGwiWo
父は、工場で砲弾の鋳物を作っていたそうだ。祖父は、満州へ出兵。
18うちの爺様は割と平凡で:01/10/25 08:33 ID:XT+zflAK
最初は満州で高射砲部隊。後に飯係に回されたとか。
だから生きて帰ってこれたンだろう。

ついでに、
ある友人の爺様は大和に乗っていて共に海底へ。
別の友人の爺様は偉いサンだったらしく、
服にいろいろ付けて馬に乗っていたそうな。
満州にいたらしく、隣で戦車が吹っ飛んだとか。
19名無し三等兵:01/10/25 09:28 ID:CSCf08Sn
爺様の兄は中国で疾風乗ってたらしいけど戦死したよー
曾爺様は海軍士官だった
20名無し三等兵:01/10/26 03:07 ID:VRrn6a2V
ウチの爺様は名古屋で航空関係の技術者
新技術の開発に成功してすき焼きを軍のお偉いさんにごちそうして
もらった事を自慢してた

しかもドイツ降伏後の時勢に
ていうかあるとこにはあったんだな>物資
21名無し三等兵:01/10/26 03:36 ID:tIl0zvM/
うちのじいちゃんは満州で司令官の運転手をやってたそうだ
ばあちゃんの話だからよくわからんが、志願兵だったらしい。
何年かシベリアにいたそうだ。
じいちゃんが死んだとき、それ関係の手紙が届き、チラッと見たとき
最終階級大尉と書いてあったけど、あれはなんだったのだろう?

ちなみにばあちゃんは原爆投下のときに広島の因島で魚を売っていたそうで、
チカッと光ったのを見たと言っていた。
市内から因島は相当距離があるのだが、本当なんだろうか?
22名無し三等兵:01/10/26 03:45 ID:W0d7D0rk
母方の爺さんはロシア語を学んでたそうだ。
戦時中は満州でロシア人捕虜を反共思想に再教育して
スパイにする仕事をしてたらしい。それで戦後は大学でロシア語
を教えたりしてたんだが学生が赤ばっかなんですぐやめて自衛隊
父方の方は瀬戸内海の島にいたことしか知らない。
23名無し三等兵:01/10/26 03:45 ID:vmTywdOB
父方のじいちゃんは肺結核で軍隊行かずにすんでいまだ健全。
じいちゃんの兄が徴兵されて死亡。

ついでに母方のじいちゃんは海軍の整備士。
撃沈かなにかされたけど生き延びたらしい。
今度詳しく聞いとこ・・・。
24名無し三等兵:01/10/26 03:48 ID:+mAVvo9G
うちの爺様は近くの海軍工廠で働いていたらしい。
ちょうど爆撃にあった日に休みかなにかで死なずにすんだみたい。
25名無し三等兵:01/10/26 04:44 ID:1UoUdNwF
父は厚木飛行場でタコツボを掘っていた。
双発機に大砲載せて木製の戦車を撃つ実験をしていたらしい。
開発していた将校がプロペラで首をはねられたのを見たと言っていた。
グラマンの機銃掃射に追い回されたとも。

家では中島飛行機の工場をそれて藁ぶき屋根を破って落ちてくる焼夷弾を
庭に投げ捨てていたそうだ。

あと畑に落ちた不発弾を分解して花火にするのが流行っていたとか。
26名無し三等兵:01/10/26 07:42 ID:iLnY3PJU
父方の爺さんはフィリピン侵攻の時に戦死、母方の爺さんはビルマで戦ってました、
銃弾を二発背中に食らったらしく、銃創が痛々しい・・。
27名無し三等兵:01/10/26 07:50 ID:VRrn6a2V
空襲のサイレンが鳴るたび、おやじと防空壕の中に隠れていた。
そんときもう30越していたから徴兵されなかったんだろう。
ちなみに、おやじは今でも消防車などのサイレンにビクッと反応してしまう。
28名無し三等兵:01/10/26 08:02 ID:KmQ6aDcE
爺さんは空母加賀の機関士だったそうな。
仏壇に戦地からの電報が奉ってある。

親父は海上保安庁で巡視艇乗組員、叔父は太平洋フェリーの船医。
オレ、地元漁協で延縄漁船乗ってる。兄は防大2年で海自志望。
代々船乗り一家です。
オレが一番ショボいけど。
29名無し三等兵:01/10/26 09:40 ID:3+VnjQL9
父方の祖父は浦賀で艦艇の修理や整備をしていた。グラマンには恨み数々だそうだ。
母方は国民学校の訓導。戦争末期は生徒を引き連れて御殿場に疎開。
ミカンを食い過ぎると体が黄色くなるというのを、身を以て実証したとのこと。

母方は昭和初年に甲種合格で兵隊になっているけど、
父方は兵役にすら就いていない。
30名無し三等兵:01/10/26 12:01 ID:6JwF2k9U
飛行予備学生出身で海軍中尉で戦闘機に乗っていた。
飛行機を守るため、敵と戦わず、空中退避ばっかだった。
31名無し三等兵:01/10/26 12:26 ID:I29PJEUu
父方の祖父は尉官で経理を担当していたらしい。
フィリピンにいたらしいがアメリカが攻めてくる前に
内地勤務になって無事、乗り切ったとのこと。
母方の祖父は均整法を始めた人だかなんだかで
旧満州にいたみたいです。詳しくは
linkclub.or.jp/~jingyuu/kinsei/sihan.html
に書いてあってビクーリしたよ。親戚も知らなかったので(苦笑)。
32名無し三等兵:01/10/28 09:23 ID:FuECtTLJ
親父小学生。太田市生まれで、家は代々中島勤め。
終戦の年の正月、B29に特攻する戦闘機を見たそうだ。
ちなみに二式単戦に尊称をつけて「鐘軌さま」と呼んでた。

母方の爺ちゃんは満州で土建屋、後召集されシベリア送り。無事帰った。
33名無し三等兵:01/10/28 09:46 ID:X7LxIWTE
母方の祖父は参謀本部付けで陸軍情報技術参謀をやっていた。
 東芝にいってブラウン管をみて感動したそうな。
 母方の曾祖父は日露戦争に従軍、乃木大将に文句を言いに言った。

 父方の親戚は張作霖の爆破スイッチを押したとのたまっていたが、
真実はわからず。(南満州鉄道の副総裁)
 
34            :01/10/28 15:08 ID:x7zKD03i
祖父は香港で憲兵隊をやっていた。密偵を雇って
中国軍の情報を探っていたらしい。
あと八路軍やテロリスト、犯罪者の取締り。
そんな祖父も今回のアフガン戦争を見て
「殺されたって二度と戦争には行かん」
といっております。
まあ長いこと戦争に行って危ないめにも
あったらしいし仕方ないかも。
35名無し三等兵:01/10/28 15:10 ID:kw9hCiQj
同じ内容のスレがガイシュツです。
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/army/994732967/
36眠い人 ◆ikaJHtf2 :01/10/28 15:12 ID:ARrTRDDz
>35
そのPart2と言う位置づけです。
このスレは。

>34
そう言えば、うちの隣の爺さんが憲兵隊の将校だったそうで、うちの婆さん
は蛇蝎の如く嫌ってたなぁ。
37名無し三等兵:01/10/28 15:15 ID:acidLOfo
母の従兄弟の父(なんていうんだ?)は学徒動員で飛行機を作っていた。
ジュラルミンを切ったり、旋盤で鉄棒を切ったりしていたそうだ。
特攻隊のニュースがラジオで流れたとき、
「この飛行機に乗る兵隊さんも帰ってこんのか。」と言って、班の人達は
大人も子供も泣きながら仕事をしたそうだよ。
38名無し三等兵:01/10/28 15:16 ID:kw9hCiQj
>>36
スレ名にその旨入れましょう。
つか、同じようなネタばっかりでデジャブ。
39眠い人 ◆ikaJHtf2 :01/10/28 15:20 ID:ARrTRDDz
>38
先行で立てられてしまった、駄スレの有効活用ですよ。
4037:01/10/28 15:21 ID:acidLOfo
>>38
俺はこのことを初めて書き込んだのであって、デジャブと言われるの
は本意ではありません。不愉快にさせてしまったのであれば申し訳な
いが、別に嘘も付いていないし、内容もかぶっていないと思う。イヤ
なら見ないでください。
41名無し三等兵:01/10/28 15:23 ID:iLhuALZZ
>>40
キミは放置できないのかね?
42名無し三等兵:01/10/28 15:26 ID:PYYPPOIb
呑龍の整備兵
43名無し三等兵:01/10/28 15:28 ID:4iaUOM3E
うちの爺さんは結核で兵役に取られていません。
家族はみんなわりと肩身の狭い思いをしたそうです。で、防空壕掘りの
音頭をとったり、水利組合の顔役をしたりしていたそうです。
母方の爺さんは兵隊に行っていました。広島で焼け跡の後始末をして復員した
そうですが、帰るべき原隊が燃え尽きて消えてしまっていたので、内地にいた
割に復員にえらく手間取ったり、恩給を受けるまでにえらく面倒な手続きが必
要だったそうです。
44日本鬼子:01/10/28 15:38 ID:rh/FF6Ky
12月1日から渋谷のイメージフォーラムで「日本鬼子」という映画が上映される。
14人の元皇軍兵士が自分が何をしたかを独白する。観た方がいい。
45名無し三等兵:01/10/28 15:44 ID:fk2IkGtY
満州。
46名無し三等兵:01/10/28 15:45 ID:DOXsFMlx
羽田空港にて飛行機工場で勤務。
戦争の初めは仕事が多かったそうだが、昭和17年中頃に入ると仕事はガタ減り。
工場では、その頃すでに、日本が負ける噂が飛び交っていたそうだ。
47名無し三等兵:01/10/28 15:52 ID:RwS/B4yw
家は微妙な時期だったんだよな、祖父さんは歳で兵役免れてるし
親父は7人兄弟の末の方で小学校低学年の時終戦だし、上の兄弟は
みんな姉ばっかだったから戦争には行ってないし・・・
48名無し三等兵:01/10/28 16:04 ID:oqQiLUTK
祖父A:陸軍の歩兵か?中国で負傷、熊本へ後送、戦病死。
祖父B:海軍の看護兵?樺太、トラック諸島など。生存。
祖父C:?台湾にいたらしい。仏間に中華民国の国旗が書いてある賞状みたいなものがある。(何なんだろ?)20年前に死去。
49名無し三等兵:01/10/28 16:04 ID:odAMQfx4
日本軍の南方進駐につれてビルマへ騎兵隊として送り込まれました。
ラングーン制圧したときの当時の写真が歴史資料に載っていてビクーリしました。
(↑その写真に若かりし頃のうちのじいちゃんが軍刀掲げて叫んで写ってた・・・)
50名無し三等兵:01/10/28 16:20 ID:0gn98/XZ
母方の祖母(戦中に亡くなったので面識はない)は、開戦の報を聞いて、
母親に一言「この戦争は負ける」と断定したそうだ。もちろん、周囲の
人間には何も話さなかったようだけど。
51名無し三等兵:01/10/28 16:41 ID:jEP5B4J8
>>48

珍しいな
52名無し三等兵:01/10/28 16:46 ID:p3TLpBHW
何とかって空母でご飯作ってたって聞いた。
53名無し三等兵:01/10/28 17:34 ID:4iaUOM3E
いつぞや乗ったタクシーの運転手は、戦後復員せずに国民党の軍隊に混じって
国共内戦を戦い、台湾から帰国したそうだ。長屋のような兵営に寝泊まりしてい
たら敵襲にあって、手榴弾がほうりこまれたとき、その人だけ伏せないで立って
いたら、他の人間はみんな死んだのに、自分だけ助かった、と話していた。
いろんな人がいるな、と思った。
54名無し三等兵:01/10/28 17:52 ID:RJozz9G+
父は旧制中学一年生 祖父は終戦時九十九里浜で塹壕掘り
55名無し三等兵:01/10/28 17:53 ID:XfwZaV6C
父はその時、おかんの腹の中にいたとか。
56名無し三等兵:01/10/28 18:00 ID:gNtzSBiq
父方の祖父は病弱で兵役免除。同窓生はほとんど出征してる年代なのだが、
同窓会は一回目から男が半減ぐらいの消耗率だったらしい。
父は三歳の時近所であった機銃掃射が一番古い記憶だと言っていた。

母方の祖父は頑健で体格も良く、十五年に陸軍甲種合格。
すぐに満州に出征。十八年の暮れから太平洋を転戦。
最後は転進(退却)中の輸送船が魚雷にやられて沈没。
駆逐艦に救助され九死に一生を得、九州で終戦。
原隊が無事なら沖縄配属の予定だったらしい(怖)。

その祖父の弟が航空予科。最後は特攻隊だったが飛べる飛行機が無かった。
終戦の年に栄養失調から結核を患い、身体が治ってから大学に入り直した
苦労人。戦争中の話は主にその大叔父から聞いた。

祖父の方は満州の話も太平洋の話もしたがらなかった。戦後に結婚した祖母
もほとんど聞いてなく、同郷で同隊配属だった人から聞いた話の方が多かっ
たらしい。どちらかと言うと気の小さい人で、仕事は神主だった。
縁側で榊を作りながら、ちびちび酒を呑むうちに、しみじみと駆逐艦に救助
されるまで海に浮かんでいた話をしてくれたのが最初で最後の戦争体験談。
一緒に浮いていたのにボートが足らず、二度目に探しに行った時はもう浮い
ていなかった戦友多数との事。力尽きたか鱶に喰われたか・・・。
榊を折る時はいつもその事が思い出されると言っていた。
合掌。
57あびき:01/10/28 18:14 ID:Ac/+PccR
父、昭和15年台湾生まれ。
父の父(すなわち俺の祖父)は現地の警察の署長だった。
でもって使用人が何人もいた結構いい家に住んでいたようだ。
戦争体験といえば米軍機に機銃掃射受けたことがあったようで。
しかし敗戦で着の身着のままで日本本土に引き揚げざるを得なくなり
全財産を失う羽目に。
ちなみにその祖父は父が幼い頃に病死。
(なので俺は写真でしか知らない)
その父も昨年、癌で死去。・・・もっといろいろ詳しい話を聞きたかった。

母方の祖父。齢90。
何か体が弱く徴兵検査で落とされたらしいので軍隊経験なし。
・・孫の俺がこんな事言うのも何だが、もしかして何らかの
徴兵逃れをしたのではないだろうか?
あの時代、別に体に障害とかあるわけでもなかったのに
全く軍隊を経験した事がないというのは何とも・・。
さすがにこんなこと本人に問いただすこともできないし。
もし仮にそうだとして祖父は墓場までこの事を持って行くつもりだろうか?
58名無し軍属:01/10/29 12:41 ID:On8Eh/di
 金沢人の爺さんは対米開戦後に陸軍に召集されて徐州だか蘇州を転戦。
1年ちょっとで腕を負傷して本国送還になって、そのまま終戦を迎えたそうな。
 金沢はほとんど空襲もなかったし、あの時代にしちゃ呑気な生活を送れたとか。
59名無し三等兵:01/10/29 19:48 ID:uzktB8o5
自分の父は旧制中学生で、松山の海軍飛行場で掩体構築に動員されたり、
芋畑で食料増産に励んだりしていたらしい。
海軍の戦闘機のプロペラ後流に吹かれて、吹き飛ばされるかと思った
ことがあるそうだ。戦闘機の機種は不明。

>21
遅レスだが、たしか愛媛県でも広島原爆の閃光の目撃談があったと思う。
自分の父は目撃していないが。
60ななしさん:01/10/31 01:12 ID:DuxaJqP7
父方の祖父も母方の祖父(一人っ子)も長男だったので戦争に行ってません。
父方祖父の弟は特攻で帰ってこなかったそうです。
このスレを見て思ったことがあります。
おじいさんたちはみんなたいへんな思いをして私たちを守ろうとしてたのに、
全然恩に着せてないところが、なんかすごいな、って。
老人はやっぱり大切にしよう。
61名無し三等兵:01/10/31 01:16 ID:HoZ1qJ+l
大陸で少女を強姦しまくってたそうな
62名無し三等兵:01/10/31 20:03 ID:qo1CCSWI
軍属で砲艦にのってトラック島で艦と共に海に沈みました(祖母談)
6362:01/10/31 20:04 ID:qo1CCSWI
>>62
祖母が祖父のことでこんな事言っていた
64名無し三等兵:01/10/31 20:45 ID:EntJGOzN
ルイジアナでクソ掘りをしていた。
65名無し三等兵:01/10/31 21:11 ID:fziC+O7A
母方の祖父はビルマで橋とかの設計をしてたそうな。
マラリアか何かを患って、内地に送還されてからまもなく病死。

どうりでかあちゃん、戦場に架ける橋を熱心に見てるわけだ。
66名無し三等兵:01/10/31 21:24 ID:lCcWCyyO
父方の祖父は高知で”当たらない高射砲撃っていた”と言っていました。

大伯父は海軍の信号員として戦争初期から南方やミッドウェー、キスカ脱出支援、レイテ等
の作戦に参加したそうです。
一番悲惨な話は41年のクリスマスにボルネオ(?)で乗っていた掃海艇が爆撃を受け、
沈没したときの話ですが、書くのも憚れるほど悲惨でした。
67いまる:01/10/31 21:35 ID:XmDufT2K
父方の祖父は強度の近視で兵役免除。村の役場で徴兵事務を担当してたんだと。
戦後は農地解放の事務をやったあとで休職に。以後、ずーーーーと休職手当(?)
と何かの年金で遊んで暮らしてたらしい。
母方の曽祖父は終戦時は長門に乗ってたらしい。毎日、何にもすることがなくて
港の倉庫の雨漏り直しとか残骸の後片付けの手伝いとか、そんなことばっかりし
てたらしい。
68名無し三等兵:01/10/31 22:09 ID:I2UU/pO/
ばあちゃんの弟(つまり俺にとっては何?)。山城の一等水兵。
ばあちゃんも昨夏天に召される。レイテに沈んだ弟と今頃楽しく
やっているだろう。

合掌
69名無し三等兵:01/10/31 22:14 ID:dyiKMR3X
統制品の闇屋。運び屋は随分捕まったけどうちは幸い大丈夫だったらしい。
まぁ、中間集積所みたいなもんだったので大して儲けた訳ではないらしいが。
70名無し三等兵:01/11/01 00:23 ID:QWLBvZtz
うちのじいさんは昭和20年5月に一家全員連れて
満州に行きました。
71名無し三等兵:01/11/01 13:57 ID:taPJbJ9Z
俺の祖父は一式陸攻で雷撃隊として出撃したそうだ。
話しによると巡洋艦クラスを撃沈との事。その時は凄い対空砲火で
ガン!ガン!カン!カン!と被弾する中を突撃して魚雷を投下したそうだ。
72名無し三等兵:01/11/01 14:23 ID:mWJgOza4
私の祖父は地図をかいていました。
73名無し三等兵:01/11/01 14:38 ID:RYPoMiI7
祖父地図か・・・
74名無し三等兵:01/11/01 14:52 ID:U0lI9E1D
うちの爺ちゃん中野学校(だったっけ?)出身で満州の方へ行ってたらしい
バーちゃんに教えて貰ったのはそれだけ
本人は聞いても絶対に戦争のことは喋ってくれなかった
ただ、毎朝仏壇に手作りらしい木仏を10本並べて拝んでたのを覚えてる
10年前、爺ちゃんが事故で死んで火葬する時バーちゃんが
棺桶の中にいっしょに木仏を入れてたのが、凄い印象的だった
人に言えないこともやってたんだろうな。無口だったけど良い爺ちゃんだった
75名無し三等兵:01/11/01 14:52 ID:acdEepn+
祖父の兄弟は捕虜としてアメリカに行ったらしい。
終戦後帰ってきたときには背嚢一杯に缶詰を積めて帰ってきたそうです。
76名無し三等兵:01/11/02 05:59 ID:7Cv9bqSE
この前亡くなった爺様は南方で軍医だったらしい
一度敵弾が頭をかすめたと言っていた、確かに横一文字に傷跡があった。
それ意外これと言って何も無く元気に復員して来たのに・・・、
戦後麦畑で麦の穂が目に刺さって片目失明(w
77名無し三等兵:01/11/02 06:15 ID:7/+TaTa7
うちのじいさんは終戦近くに内地から満州にいってシベリア送りになった
そのせいかロシア人がTVに出るとロスケはうそつきだ!ばかり言っていたよ
かわりに中国人は正直者だと言っていたんだが・・・
なじみの女でもいたんだろうか?
戦争のことはいつか話してもらおうと思ってたんだけど・・・
今週末には久しぶりに墓参りでもしようかな?
78ROG:01/11/02 12:59 ID:nP0iuBvw
>44
反日イベントか・・・下らんな。
79:01/11/02 17:29 ID:wuuQq0JG
友達の祖父は空母瑞鵬乗組の機関兵でエンガノ沖で艦が沈んだ後何日か漂流した。
仲間が力尽きたり、鱶に食われたりして死んでいく中、奇跡的に味方の駆逐艦に救助
され九死に一生を得る。今でも軽トラ乗り回してかなり元気。
80名無し三等兵:01/11/02 17:31 ID:nKl1C3Qo
44は虫狂の犬、よって無視に限る。
81名無し三等兵:01/11/02 19:07 ID:J/DjPYG+
父方の祖父は体が弱かったので工場勤めをしていたそうだ。
爆弾が工場に落ちたときに鉄兜を背中に背負っていてそれで助かったと言っていた。
他の人はみんな死んでしまったらしい。
そのあと桐生だったかの方の地下工場で働いていたらしい。
何か採石場後に造った工場だとか言っていた。

母方の曾祖父は大陸にいて終戦後はシベリアから戻ってきた。
結構偉かったらしく勲章とかも沢山もらっていたそうだ。

友達の祖父は広島で原爆にあったという話だ。
B29が飛んできたときに嫌な予感がして木の板を持って川に飛びこんだらしい。
で、無傷だったと言っていた。
82ふっふっふ。:01/11/02 19:14 ID:/x3G0jns
我が祖父を凌ぐヘタレはそうはいないに違いない。

旧制中学受験のため猛勉強につぐ猛勉強
(眠気覚ましにサロメチールを瞼に塗ったりしたらしい。無茶やなぁ。)
を重ねた我が祖父は、おかげですっかりド近眼、徴兵検査はどうにか丙種で、
最後までお呼びがかからなかったとさ。
田舎だったので空襲もなく、防空演習とかで活躍する機会もなかった。

いかにも体面が悪いので、いつでも応招できるよう、
新品の陸軍二等兵の軍服を床の間に掛けていたらしいけど。

まぁ、ヘタレだったおかげで自分がいるんだから、感謝せんとね。
戦時中はさぞ肩身が狭かったことだろうと思います。
83名無し三等兵:01/11/02 19:20 ID:HQ5b+Ubk
うちの祖父は陸軍二等兵で満州に行っていたらしいです。
後方勤務で、ある日上司に「700人分のカレーを作れ」と
言われたのを「7000人分」と勘違いしてカレーを作りました。
おかげでその部隊は何日もカレー三昧。
勿論上司に「貴様のせいでカレー三昧・・」と大目玉を食らったそう。

今では笑い話だけど当時は笑えなかっただろうなぁ。
ちなみにすべての数値はうろ覚えです。
84     :01/11/02 19:40 ID:Y481eGB8
満州に行った人多いな。うちもそうだけど。
85名無し三等兵:01/11/02 21:04 ID:FMQ+ndMg
わしの祖父は紫電改のパイロットでを米軍機をバタバタ落としたそうだ。
特にムスタングがカモで容易に落とせると言っていた。
86仕様書なし:01/11/02 21:07 ID:sQ9MUm+p
 母方の祖父は肝臓が悪く徴兵免除。
マレーに渡ってガッポリ儲けたらしい。
「ジパング」で草加が物資買い付けで応対した
民間人みたいな感じだったのだろうか。
 終戦間際の台湾では、航路を米潜水艦が押さえ、
軍民船籍は片っ端から沈められ、日本に帰るのは
超バクチだったらしい。物資も内地ほど不足せず、
案外マターリしてたとのこと。

 餓鬼の時分父方の本家に行ったときは
仏間にズラリと軍服姿の遺影。親父の兄姉、
祖父の兄弟も10人に届くほどの大家族で、
「このおじさんは戦艦に乗って何処何処で〜」
「おじいさんの弟は飛行機に乗って〜」
なんて話を訊かされたが、罰当たりなことに
途中でややこしくなって忘れてしまった、、合掌。

>>57
 母からの話ですが、なんでも当時(関西だけ?)の
ハヤリは醤油一升イッキだったらしいです。
これで腎臓直撃。これ最強。・・・らしいが
マジかなぁ、、と思ったら結構出てきた。
http://www.google.com/search?hl=ja&q=%92%A5%95%BA%93%A6%82%EA+%8F%DD%96%FB&lr=
87名無し三等兵:01/11/02 21:13 ID:ct//Fvlk
ウチのジーちゃん。

大学院のドクターコースを終えて、実家に戻るのが嫌で研究室でダラダラしてたら
教授に「君は満州に行け」と言われ、満鉄の嘱託で路線敷設の地質調査とかしてたらしい。

まあ、これも戦争協力だよね。
兵隊には行ってない。
88名無し三等兵:01/11/02 21:22 ID:d8Z2tbQt
うちは、
一度目の徴兵で満州
    ↓
二度目は台湾
    ↓
最後はニューギニア

らしいです。
ちなみに最終的な階級は准尉だそうです(戦死した報告は戦後にきたので死後昇進は無いと思う?)。
職業軍人でないので、この階級は結構いい方だと思います。
でも、本当に准尉だったかどうかは知りません。どうなんでしょうかね、この階級?

良くわからないんですが、こんなに何度も徴兵されるものなんですかね?
89名無し三等兵:01/11/02 21:30 ID:8tKXqJh3
>89
されます。普通は3年でおさらばだったと思いますが、
特技があったり、戦局が悪化したりすれば、当然もう
一働きさせられるわけです。途中で除隊しているなら
まだ幸運なわけで、うちの爺さんなどは日華事変以来
15年出征しっぱなしでした。
休暇で帰省するたびに子供がきっちり増えているあた
りがなんとも(笑)
9088:01/11/02 21:36 ID:d8Z2tbQt
>>89
お答え、ありがとうございます。
91名無し三等兵:01/11/02 22:41 ID:A/0pD4xo
母方の祖父は工場勤務で戦後は仕出し屋やっていた
今年の春に永眠
父方の祖母の弟は終戦5日前に戦病死
92眠い人 ◆ikaJHtf2 :01/11/02 23:31 ID:Av+qiDU5
>88
うちの爺さんも、一度目に中国大陸、二度目にグアム、ラバウル、
最後は本土で穴掘りだったよ。
ちなみに最終階級は兵長だったそうな。
93 :01/11/02 23:36 ID:dA13DQIz
我が家のじい様は戦中には珍しく車の免許を持っていたため、
司令部付きの運転手で青島〜大連あたりでトラックを運転していたそうです。
じい様曰く後方部隊だったからヤヴァイ目に遭ったことはなかったそうだ。
94名無し三等兵:01/11/02 23:42 ID:oy9J9HD2
家の父方の爺さんはモスクワだかどっかで捕まってたそうだ。
母方の爺さんはインパール作戦に参加して戦車に追われたらしい。

あと、遠い親戚でこんな人が居たよ。
赤紙がきたんで急いで恋人と結婚して一夜を楽しく過ごして、その次の日に徴集されていった。
その人は落下傘部隊でパレンバンの方に行ったらしい。
そして、そのまま帰らぬ人となった。
戦争が終わってから、奥さんは再婚して東京の方に行ったらしい。
95名無し三等兵:01/11/03 01:15 ID:Y1lLx2My
今60歳の母親は世田谷に住んでいたんだけど、爆弾は全然落ちてこなかったらしい。
でも、空襲サイレンの音と爆撃機の編隊の姿は死ぬまで忘れられない、と言っている。
96名無し三等兵:01/11/03 01:30 ID:KFnEphH0
>>86

しょう油の一気飲みってほんとにほんとなのかw
おれはこれで徴兵のがれした、って告白してるのがいなくて、
なんか都市伝説ぽくない?
97名無し三等兵:01/11/03 01:33 ID:IHdEEgoJ
うちのじーちゃんは、中島で飛行機作ってた。20代前半だったにも関わらず、
20年夏まで戦争に行かずにすんだのはそのためだそうだ。
よって母は昭和20年生まれ!
いよいよ戦争に取られた時には完全に敗戦と理解し、帰ってくるつもりは
なかったとのこと。もうボケ始めているけれど、枕もとの引き出しに軍隊手帳が
今でもしまってある。

上司の父上は、近衛の将校だったそうで、戦犯になったが、部下の嘆願書が多数でて
命拾いしたんだって。母上はずっと獄中の婚約者を待ち続け、レッドパージのころ、
晴れて結婚がかなったそうだ。(それがなかったら、俺生まれてなかったんだよなーと
飲んだ席でぼそっと話してくれた)
98名無し:01/11/03 01:34 ID:kyaU2t64
東京、練馬在住だった父(終戦時6才)はB29が撒いたチャフや伝単を拾ったり陸軍の施設を
狙った爆弾が風で流れて民家を吹き飛ばした後、人間だったものが高い木の枝に張り付いている
のを見たと。
空中で分裂し燃えながら落下して来る焼夷弾は花火のように美しかったと述懐してました。
99名無し三等兵:01/11/03 01:52 ID:wywgN4XL
人殺ししてました
100 :01/11/03 02:12 ID:T8P0Dcpy
うちの祖父は東部ニューギニアで戦ってました。
当時大尉です。
たしか四千人ぐらいの連隊に所属だったそうなんですが
記録によるとそのうち生き残ったのはわずか五十人にも満たなかったとか・・・。
さすが激戦地だっただけありますが、じいちゃん、凄い強運だな・・・。
101名無し三等兵:01/11/03 03:08 ID:GFEdRTHF
祖父
家が漁師なので昭和11年に海軍へ。
「磐手」でパスポート無しでヨーロッパ旅行。
当時を知っている人によると、善行章付けておっかなかったとの事だ。
除隊したときに酒保のソロバン(5玉)や、セーラー持ち帰ってきた(後者は実家にしっかり保管している)。

開戦で再度徴兵、横須賀海兵団に入隊後、館山から南方へ。マラリアにしっかり罹ったのち、クワゼリン環礁で通信傍受に従事したらしい。
ご存じの通り玉砕。
バーさんの葬式で遺品整理した際、手紙や写真(南方でテニスしている)が出てきたときにはマジでグっときてしまった。

ちなみに玉砕(とされている)の数日後、父が生まれた。運命的なものを感じると同時に、果たしてホントの子なのかなぁ・・・といった事も不謹慎ながらもオレは感じている(苦笑)
102名無し三等兵:01/11/03 03:26 ID:wywgN4XL








人殺し!!!!
103名無しの笛:01/11/03 03:54 ID:5BGv8/Oo
 家の父方の祖父ですが、放送局(NHKの前身)に勤めていてマニラに赴任。
そのまま帰って来ませんでした。仏壇には軍帽っぽい星のついた帽子をかぶった
写真がありますが、軍に所属した経歴は無かったはずです。軍属?みたいな
軍人に近い身分の人もいたのでしょうか?どなたか詳しい人情報キボン。
(祖母が先頃死んだので思い出した。生きているうちにもっと色々聞いとけば
良かったな・・・)
104名無し三等兵:01/11/03 04:14 ID:8tDRS/5+
家の祖父は三菱の長崎造船所に勤めていたそうで
戦争が左前の頃には徴兵の対象外の年齢になったため
結局戦争にいかなかったと父が言っていた。
105名無し三等兵:01/11/03 04:34 ID:KSZkaj/g
俺の祖父は商船の船長だったが、アメリカの潜水艦に船を攻撃され乗組員を非難させた後、自分は自ら船と運命を共にした。
106名無し三等兵:01/11/03 04:59 ID:t8L0pNTY
今年の夏実家帰ったとき、頭のレントゲン写真見ながらいろいろ語ってくれた。
徴集され、大卒だったので幹部候補として満州から中国北部へ行き、そこで訓練を受けた。
人望があったそうだが、なついた中国人捕虜を殺す話など、つらそうだった。
昭和17年に渡河作戦中被弾して、意識不明のまま内地に戻ってきたそうだ。
まだ頭に当時の銃弾の破片がいくつか残っている。
運がいいのか悪いのか。幸い私まで命はつながっている。
107名無し三等兵:01/11/03 06:21 ID:zgq5dHTi
家の爺さんは中国の南方の飛行場に居たらしく、そこでの話を良くしてました。

アメリカの戦闘機にワニやら鮫の絵が描いてあってかなりびっくりしたそうです。
なかでも一番嫌な相手はロッキードP−38とか…
そいつが来ると、蛸壺に入ってやり過ごすしか仕方が無かったらしいです。

あと、食べ物の話も良くしてくれて。
野豚を捕まえて食べたら肉が硬くて不味かったとか。
すいか等、南国産の果物を嫌になるぐらい毎日食べてたそうな…
あとは、中国人は日本の塩を喜んで買いとってくれるとかも言ってました。
酒やらなんやらと交換してもらっていたそうです。

最後は、飛行場で終戦を迎えて中国の少年兵に身包み剥がれて日本に帰ってきたそうです。
108名無し三等兵:01/11/03 06:32 ID:LDWlQnfi
本土で家業→地獄のインパール。
葬式の戦友さんの弔辞で泣いた。
109名無し三等兵:01/11/03 06:44 ID:mIdIT9m/
自分の祖父は戦時中は思想犯だか何かで刑務所に入れられていたらしい。

戦後まで刑務所に入っていたから、軍人の経験がなかったそうだ。
110名無し三等兵:01/11/03 06:56 ID:3htzQ14Y
>>109
共産党員ハケーン!
111官僚のバカ:01/11/03 08:36 ID:owXByP9B
満州いた。4人いた兄弟も2人なくなった。相当な苦労したそうだ。はっきり言って国の関わる計画はロクなものじゃない
112名無し三等兵:01/11/03 09:14 ID:9iC8I7O0
> 110

頭悪いね。共産党以外にも思想犯はたくさんいたよ。

> 111

賛成。
113名無し三等兵:01/11/03 09:44 ID:kSAPXcux
父方の爺さん、満州の開拓団で軍属をしてた
開拓団の中で副団長をやってた関係で、
地元の中国人を良く面倒見てたらしい、
家族の病気の面倒とかタバコあげたりとか
そのおかげで終戦時、地元の大人(日本で言うところの顔役)
に助けて貰って引き揚げ港まで護衛付きで、
一族や仲間達を帰らせてくれた
同じ開拓団で一緒に帰れなかった人達の大部分は、悲惨な目にあったらしい
帰り道の途中、道の横に無数の死体と、道の要所ごとに青龍刀を持った
農民が居て、本当に生きて帰れるのか不安だったそうだ
114名無し三等兵:01/11/03 11:04 ID:/ZAFRIyD
>>110
吉田茂ですら刑務所に入っていたことがあるの知らんのかね。

で、うちの祖父の話。

大戦当時すでに40近かったので徴兵されなかったんだけど、本土
決戦に備えた動員で徴兵されて広島に。そこで訓練していたらしい
のだけど、腹痛か何かの病気を起こして1945年の8月4日に故郷の
広島県東部に自宅に帰されたそうな。そして、そのまま敗戦を迎え、
そのあと80過ぎまで生きて大往生でした。
115名無し三等兵:01/11/03 11:40 ID:e/3quT8M
うちの祖父の弟はガダルカナルで戦死したとか
116名無し三等兵:01/11/03 11:44 ID:KPxXyv9J
祖父は陸軍大尉で中国で軍刀で14人殺したそうです
117名無し三等兵:01/11/03 12:38 ID:1ISduzMe
爺さんは陸軍中野学校で通信兵をやっていたそうです。
何を通信してたのやら。
118名無し三等兵:01/11/03 13:55 ID:8mYWFILm
うちのおじいちゃんは 101空挺師団にいたのですが???
どういうことでしょう
119官僚のバカ:01/11/03 15:30 ID:n+x+Dkfn
祖父は地上の楽園ということで満州に行った。移民政策でも同じ事言ってた。でも結果は楽園どころか死にそうなメにあった全ての元凶は政策の失敗にある。
120柿子:01/11/03 15:37 ID:n2RWlu60
巡洋艦古鷹に乗ってたよ 現在77ちゃい。
121名無し:01/11/03 19:41 ID:EiIw80+1
樺太で通信を管理していた。日本の高官が国境を見に行くと必ずソ連の守備隊が
いるので、不審に思い、通信システムを点検。傍受されていたことを発見。
改良したと言っていた。
敗戦前に内地帰還した。同僚はソ連に抑留されたり、悲惨な目に会った人が多い。
122名無し三等兵:01/11/03 19:45 ID:g1NaH6cD
母方の祖父は空軍に、父方の祖父は技術者として働いていたらしい。
123名無し三等兵:01/11/03 19:47 ID:JrKUNh2t
けっ!どーせ俺の祖父は体格不良で兵隊に逝けませんでしたよ!
勿論俺も身長が低いので戦になったら役立たずです。
124名無し三等兵:01/11/03 21:02 ID:Y09iyyw+
>119
戦後、昭和30年代にボリビアだかどこかへ集団で入植していった日本人農民は
そっくり同じ目にあっている。食い詰め者が一旗揚げるのを目当てにばくちを打ちに行ったのではない。ひとかどの百姓達が、当時珍しいくらいだったトラ
クターや種籾、肥料、家畜、それなりの蓄えを持参して参入したのだが、塩
害、虫害にやられ、機械はいったん故障したら修理もままならず、病院も、学校もない状態で、次々に入植地を捨てて離散していった。日本国大使館からの
助けは全くといっていいほどなかった。
農業雑誌や農協を通じて、幾度も入植者を募集していたそうだが、末期には植
民者の実態が知られており、相手をする者もなくなったという。
後先省みない無計画な入植計画だ、という批判は表に出ることもなく、今は歴
史の狭間に消えてしまっている。一方で、開拓団とはそもそもそうしたもの
で、一国の農業の捨て石なのだ、という人もいる。ちょっと無責任だとも思
う。軍事スレとは無関係な話でした。何卒ご容赦。
125110:01/11/04 09:39 ID:2ZS0YJ9I
>>109
共産党員ではないです。宗教関係だと聞いてましたが、あまりそこら辺
の話は聞けないまま他界したので真相は分からないのですが(^^;)
126名無し三等兵:01/11/04 10:05 ID:VSXI/+kS
父方の祖父は広島で原爆が落ちたとき呉にいた。(何してたかは不明)
ピカッと光ったのを見て陸軍が何かへまをしたと思ったらしい。
聞いたときはどんなへまなんだと一瞬思ったがまあ突っ込まなかった。4年前に他界。
母方の祖母は17歳の頃陸軍省に勤めていた。現在76歳でまだ元気。
父方の祖母の兄はソロモン諸島で戦死。
127名無し三等兵:01/11/04 10:27 ID:gq2McZDp
赤坂の山脇学園に高射砲兵として駐屯。
山の手大空襲では辺り一面の火の海の中逃げ回った。
トラックに乗り逃げ場を探していたが、もうオーブン状態で頭髪・眉は焼け落ちる
ほどの熱射地獄。ガス欠でトラックが止まりそうになった時、覚悟したそうだが、
運良く紀尾井坂に差し掛かり、一気に弁慶掘まで下ることが出来た。
堀に飛び込んでからも、水面を走る炎で水に潜り難を逃れたとの事。

じい様長生きしてくれよ!
128眠い人 ◆ikaJHtf2 :01/11/04 10:42 ID:nKbiE99D
>124
Dominica共和国ですな。

>125
基督教の各派(特にプロテスタント)とか阿含宗、大本教、天理教辺りが
弾圧の対象になったらしい。
創価学会はどあうだったんだろ。

関係ないのでsage
129名無し三等兵:01/11/04 11:21 ID:F3P7xrEg
創価学会はもちろん弾圧対象だYO

当時と今の信者数考えると、おどろくほど巨大化したな
130__:01/11/04 18:03 ID:N+1zN/iP
嫁さんの祖父は朝鮮半島で開業医をしていたらしい。
赤ヒゲのような医者だったらしく、敗戦の混乱時は
近所の住民がいろいろ助けてくれたそうな。
その後、対馬にたどり着きそこで再び開業しようと
したところ東京の実家と連絡が取れて、東京に戻って
開業。80で亡くなった。
それに比べて、俺の祖父は年齢的には徴兵されてるはずなんだが
どうも裏で手を回してたらしい。そのあたりの事について
今度親父を小一時間問い詰めてみようと思う。
131名無し三等兵:01/11/05 01:57 ID:g5hMBVzo
俺のジーチャン。
20歳で招集。
満州に2年。ネイハー(?←ジーチャン滑舌悪くてワカラン)に2年。
24歳で敗戦。
上官に「重大な話がある」って呼び出された時
てっきりソ連とも戦争始めるんだと思って
「キツイのー」と思いつつ「やったらー」ってハラくくったら
負けたとのこと。
部隊のツレと泣きじゃくる。
そこから帰る迄の8ヶ月、ジーチャンは口を濁すけど
相当キツイ日々だったみたい。
中国の子供の物売りに
「向こう行け!」って追い払ったツレが
翌日その親と仲間に「息子が死んだ」とワケのわからない難癖を
付けられて連れて行かれてそのまま帰って来なかったらしい。

最後に「戦争は絶対に負けたらアカンのや」って言われた。
132名無し三等兵:01/11/05 01:57 ID:JCFBsNCh
>>129
神風の由来を考えるとちと皮肉ですな。スレ違いなのでsageます。
133名無し三等兵:01/11/05 03:02 ID:OfcolF6K
特高ににらまれ休職。
近衛兵。
菊水作戦の生き残り。
満蒙開拓団。
台湾で為すすべもなく敗戦。

以上が私の親族です。
134名無し三等兵:01/11/05 07:39 ID:trDlDuLb
>>125
もしかして大本教じゃないの?
確か戦時中に弾圧されたはずじゃ無かったかな?
知ってる人フォローきぼん
135名無し三等兵:01/11/05 08:41 ID:RI04BT65
>>133
なぜにらまれたかきぼん
136名無し三等兵:01/11/05 09:08 ID:0sNk1hpj
>135
イギリスには勝ててもアメリカには勝てない。
日ソ不可侵条約など結んだ政府は愚か。ソ連は国際条約破りに長けている。

などなど講義で言ったらしい。左翼とか言う訳じゃなかったらしいんだけど
アメリカと事を構えるならもっと利口なやり方がある、と考えてたらしい。
137名無し三等兵:01/11/05 09:14 ID:RI04BT65
>>136
講義をすると言う事はかなり偉い人だったんすね
138名無し三等兵:01/11/05 09:18 ID:JVavjjJb
昔の写真に、消城県 と書かれているのですが現在の中国の地図には見あたりません。
どのあたりが知ってたら教えて。
139ぴかりんぐ:01/11/05 10:17 ID:Jz5Mjpfk
父方の祖父は不明
親父の兄貴がフィリピンで戦死
戦車兵(泣)
幼い頃はかっこいいなーと思っていたが
その頃の日本の戦車の事がわかってくると
なんともいたたまれなくなってきた
母方の祖父は九電?で戦争に行ってない
140名無し三等兵:01/11/05 20:53 ID:QS9F8YbF
>131
>ネイハー(?←ジーチャン滑舌悪くてワカラン)に2年。

寧波と思われ。
141名無し三等兵:01/11/06 07:44 ID:BZMVa6gO
>137
うんにゃ。
美濃部達吉の足元にも及ばない。
142名無し三等兵:01/11/06 10:05 ID:Jy9uffUP
徴兵されそうになる
 ↓
かくまう
 ↓
軍部が怒って家に乗り込んでくる
 ↓
ここで基地外のふりをする
 ↓
判断能力が無かったという事で徴兵されない
 ↓
(゚д゚)ウマー  ...らしい
143USS Virginia SSN774:01/11/06 11:02 ID:CzKzFQK9
>>135
大本教の教祖が日本の敗戦を予言してたからだよ。
いわゆるお筆先(自動筆記)というやつね。
144名無し三等兵:01/11/06 23:56 ID:+MNMicJV
うちのじいさんは南方で輜重兵してたらしい。
敗戦後も定年まで日通に勤めてて今も健在。

もう一人のじいさんは満州にいて、満州事変の直前に病気で内地に帰ってきたとか。
あと一日でも遅かったら関東軍→シベリア送りは間違いなかったらしい。
戻ってからは、丙種で終戦まで徴兵されなかったらしいが
空襲警報の鳴る中、釣りをしていたり(京都なのでほとんど被害が無かった)
敗戦時は玉音すら聞いていなくて周りの人に何があったのか聞いたらしい。

ヘタレ具合は>>82のじいさんに少しは対抗できるかと思う(w
帰ってからも要領よくやってて喰うに困る事もなくマターリしてたようだ。
満州時代には支那人にキツイ事してたそうだが殺しはしてないぞ。
145名無し三等兵:01/11/07 13:04 ID:OnYF7bvo
>>144
うちのじいさんは関東軍にいにて満州事変→大東亜→シベリア送りされました。
6年ぐらい帰ってこなく、じいさんの戦友の80%は留置所で亡くなったそうです。
その話を聞いてからシベリア鉄道嫌いになりました。
146名無し三等兵:01/11/07 15:05 ID:MwQsa6T+
満州は火の玉がよく出るらしい。・・・・
147名無し三等兵:01/11/07 15:24 ID:Qw8ptZQy
漏れのじいちゃんは、原子力潜水艦むつの部品を作っていたらしい。
148名無し三等兵:01/11/07 15:53 ID:S7nc6xWr
漏れのじいちゃんは、あかとんぼの整備してたらしい。
149名無し三等兵:01/11/07 16:10 ID:7PCxLU49
「酸」と関係ないのになぜ「酸素」?
http://nara.cool.ne.jp/mituto
150名無し三等兵:01/11/07 19:21 ID:rroeGInk
父の兄は都内で高射砲射ち。自分で機械部品屋経営してたのでネジなどを取りに
よく戻ってたらしい。そのたんび家で酒飲んでたとのこと。
上等兵か伍長くらいだったと思うが態度がでかいので家族は「こんなんでいい
のか?」と思ったらしい。
隊のほうも部品が結構潤沢にあったので結構お目こぼしがあったそうだ。
おやじは当時小学生。グラマンに撃たれるは、B29で家が焼けるはろくなこと
がなかったそうだ。家が5月に焼けて6月になってから縁故疎開、そこでのいじめ
もきつかったみたい(本人話したがらないけど…)。
151名無し三等兵:01/11/07 19:21 ID:2zffn0cG
152名無し三等兵:01/11/07 19:47 ID:yI8hy7D8
じいいさんが特攻隊員だったが、終戦のおかげで体当たりせずに済んだ。


…こいいう話って多くない?
153名無し三等兵:01/11/07 19:52 ID:TDlOdfhd
私の父方の祖父は、徴兵でニューギニア方面に行ったそうです。
職業が医師だったのでそのまま軍医として仕事を与えられ主に後方勤務だった為
生きて祖国の土を踏むことが叶った様です。

いろいろ話は聞きましたが、中でも印象に残っていたのが負傷兵の中にたまたま
既知の方がおり、治療後は前線復帰可能な程度な傷だったらしいですが、
戦闘不可の診断で本国に送還したみたいです。(戦後、色々お礼してくれた模様)

あと母方の大叔父が、空母、瑞鶴の乗組員だったみたいですがレイテ突入作戦の直前に
結核を患いそのまま終戦まで入院していたそうです。
154眠い人 ◆ikaJHtf2 :01/11/07 21:06 ID:G9Z7TKMv
>>153
まさか郵船にお勤めだったんじゃないですよね。
漏れの爺さんは台湾でそう言う状況になったもので…。
155ぽりかるこふ:01/11/08 07:27 ID:cTG6O2cG
祖父16で満州に入植。祖父の叔父は陸軍の士官で、その伝手なのだそう。
その方は、東条との同期であり、虚構橋事件で陸軍の航空機部隊の指揮をとっていたそうな。
後に、東条と意見の相異から軍を追われ、帰国。
(貴様呼ばわりできるほどの地位にいたそうな。)
戦後戦争責任をまぬかれたのは、そのおかげでもあったらしい。
祖父はそのまま残満州に残留。
1945、ソヴィエト軍と放火を交えるも惨敗。
捕虜になってシベリアへ。
数年の抑留生活の後、祖国の土を踏む。

なにぶん、ずっと前に聞いた話なので叔父の詳しい経歴や名前等は知らないのですが。
もしも、この叔父の名前に心当たりがありましたら、ぜひ教えてくださいまし。
156名無し三等兵:01/11/08 19:37 ID:KJ8fhJrn
母方の爺さんは戦争行かなかったらしい
ズルかも、なんちって、あははー

父方の爺さんは戦車バリバリ

戦争こえーーー
157名無し三等兵:01/11/08 22:21 ID:LY1vLqxA
爺さんは、昭和二十年に徴収され満州へ。
ソ軍進攻時に足を負傷し、だだっぴろい平原の岩石の影で小銃持って死守したらしい。
戦友が後日、その地を探索したが(攻勢かけたのか?不明)骨も無かったらしい。

餓鬼の時分に、後味の苦い感想を持ったのを覚えている。
158テリ造:01/11/09 01:54 ID:fjhQg21a
爺さん達かぁ・・・。

父方・・
長男:早稲田大学商学部卒業後、教員、現東京都江東区月島にて
小型船舶製造の管理部門に徴用。その後疎開。
次男:昭和17年3月に結核で死去。

母方・・
長男:明治大学商学部卒業後。海軍に志願。97式艦上攻撃機パイロットになる。戦死。
次男:商業高等学校卒業後、結婚するも直ぐに徴兵。陸軍輜重部隊に編入され
   台湾からベトナム、ビルマ、マレーシア、を経てシンガポールで除隊。
三男:日本大学商学部在学中志願。巡洋艦乗りになるも機銃掃射で戦傷。
159名無し三等兵:01/11/09 11:32 ID:nmesNxel
父方のじいさん、最強ヘタレ。
当時東京に居たにも関わらず、集団疎開に便乗、田舎の福島へ>農夫
よくバレなかったよな。結構こういう人居るんじゃなかろうか。
最大の謎は、軍役してない筈なのに、田舎には軍刀が。兄弟の物だろうか。
160名無し三等兵:01/11/09 12:48 ID:vgith85b
爺さんのお兄さんが陸軍で戦後のドサクサに紛れて
軍用犬だったシェパードを家に連れて帰ってきた。
お利口で泳ぐのが大好きだったらしい
161名無し三等兵:01/11/09 13:05 ID:Lj8kXNVn
うちは結構複雑だぜ・・・。

うちの祖父さんは満州へ行っていたそうだ。
詳しい話は今度帰ったときに聞こうかな、と思ってるんだが、
実は祖父さんには兄がいたんだが、
その兄は南国で戦死したらしい。
どこの島で戦死したかは詳しくは聞いてないんだが。

んで、その兄にはすでに奥さんがいたんだな。
若くして(?)未亡人となってしまったわけだが、
そんな奥さんと再婚したのが俺の祖父さんなわけだ。

しかも、うちの祖父さんは歯医者になるために通っていた大学を辞めて家を継いだ。
そのせいもあってか、俺の母は一人っ子。
父親は入り婿。

どうだ、びみょ〜だろ。
まあ、今度実家に帰ったときに、詳しく聞いてみようかな。
母親に。
162名無し三等兵:01/11/09 13:08 ID:jhYm0YSY
>>158
スゲェ あの当時大学出か!!
うちの場合

父方
祖父…猟師(半農)だったが太平洋戦争の開戦前に猟銃の暴発で死亡
長男から三男までいずれも南方で戦死または戦病死、詳細は忘れた。

母方
祖父…満州事変のとき満州に出兵、その後除隊して戦争中に徴兵、北海道防衛にそこで終戦を迎える。
母は小学生、長女だったので兄弟は全員戦争にいってない
近くの近鉄電車の鉄橋に向けて機銃掃射するグラマンを目撃した。と言っていた。
163(・∀・):01/11/09 13:09 ID:EOBx0dq9
俺の祖父さんは軍医だったよ。
内地勤務だったらしい。
164名無し三等兵:01/11/09 13:35 ID:rUasLLu2
うちのおじいさんは歩兵で満州に行ってたみたいです。
なんか、大大砲とか言う、敵の機関銃を黙らせるための武器が担当だったそうです。
部品をバラして背負って運ぶのがキツかったという話を聞きました。
165タタタタ・アテヨイカヌ:01/11/09 16:37 ID:ZBIKdMHA
母方のじい様ばあ様は長野県・某市の専売公社関係で、けっこう名士だったと聞いた。
もう今はないけれども、四角い、中庭のついた、大きな家だった。
ばあ様がいうには、昔、その大きな家を半分下宿屋にしていて(なぜか)海軍さんたちがよく泊まりにきていたらしい。
「真っ白い制服の、とても若い、凛々しい男たち」だったそうな。
じい様は大東亜のときになにをしていたかは不明でございます。
166K機関:01/11/09 16:41 ID:v1L//c8H
軍用隠匿物資で財を成しました。
167バーチャバカ一代:01/11/09 16:47 ID:sPFIdBSG
うちの親戚のじいさんは硫黄島の生き残り
捕虜になって口惜しかったのと死んだ仲間に申し訳ない、って語ってくれた

あと捕虜になってアメリカに連れて行かれたが、「お前は何処で捕まったんだ?」ってニヤニヤしながら聞いてきた
アメ公に「硫黄島だ」って答えたら青くなって逃げていった。って教えてくれたよ。
今の日本人の腑抜ぶりを見ててどうおもってるのか・・・

あ、うちのじいさんは鹿児島で終戦。
168 :01/11/09 16:52 ID:XB7noX/h
塩川財務大臣も学徒出陣で中国へ行ったからな。
169名無し小尉:01/11/09 16:59 ID:54sdUPFa
母方の親父様は、終戦時陸軍大将で、功ニ級金鳩勲章、勲一等旭日大授章、従 三位。
170名無し四等兵:01/11/09 17:01 ID:z77LqaJG

 俺の親父は航空予科。もうちょっと戦争が長引けば特攻に行っていたはずだ。
親父は四人兄弟だが親父を除く三人が出征。二人戦死した。
 親父は戦争に行けなくて悔しかったに違いない。
171名無し三等兵:01/11/09 17:01 ID:rIcfPR+t
父方は中国と南方に二度召集されて生還。
衛生兵として現地人にいいかげんな治療をしていたそうな。
母方は本土の部隊で見張りをやっていたため戦わずにすんだらしい。

ついでに
ある友人の祖父は大和の機関将校で生還したそうだ。本当かよ?
172名無し三等兵:01/11/09 17:02 ID:V6kSUEzK
私の親族で、零戦の補助燃料タンク?を設計した人がいた。
当時小学生の漏れに、揚力がどうのこうの...軽量化がうんぬん...と超専門的な事を話してくれた。
話の内容、1/10もわからんかった。もったいない...
173えーちゃん@:01/11/09 19:11 ID:KSj9dBev
父親はまだ尋常小学校へ通ってたが、叔父達は福井の某鉱山で働いてた。
「強制連行」されて「強制労働」されてたって言う朝鮮人達といっしょにね。
当時の彼らの実情を良く知ってる叔父達は最近の賠償問題のニュースを聞いて
「お前ら怠けて仕事してなかっただろうが」って、よく怒ってた。
でも田舎の近所には朝鮮から移住してきた人達が結構、住んでいるけど
彼らとは仲が良かった(今でも付き合いがある)。彼らは向こうじゃいわれなき差別を
受けていたので、日韓併合は喜んでいたんだそうだ。で、真っ先に移住してきた。
もちろん、今では立派な「日本人」です。
174名無し三等兵:01/11/09 21:01 ID:LpnS0R0Z
俺の祖父は胸の病気で徴兵検査に落ちて、出征することなく終戦に。
肺が悪かったらしい。
175名無し三等兵:01/11/09 21:07 ID:w9qK2Udj
そういえば内のおばーちゃんは、死ぬ前によく太刀洗飛行場爆撃の
話をしていた。田舎とわ離れているのだが結構すごかったらしい。
ちなみにその日は、仕事をさっさと切り上げて帰ったそうです。
176名無し三等兵:01/11/10 04:03 ID:pa8Et0f8
>172
むちゃむちゃもったいない!
177名無し三等兵:01/11/10 06:45 ID:zWVaHH3/
でも、戦争をしなければ、やらなくてはいけない、事情が有ったのだから、我々の先輩方に感謝の気持ちをはらわなくては、ならないのでは。そして、大日本帝国万歳!
178二号一型:01/11/10 07:44 ID:SDjhgBKo
うちの亡くなった祖父ちゃんは・・
大東亜戦争が始まるの中国大陸にちゃっかり衛生兵として従軍してたらしい。
しかも部隊の移動も少なかったらしく当時のアルバムを見ると綺麗な中国娘チャンと
も仲良くなっていたらしい?(堂々とアルバムに貼ってあった!)

「ちゃっかり衛生兵として・・」というのは戦後に町内のダグラスマッカーサーと
皆から呼ばれていたエピソードからも容易に想像できるのであった・・。
179名無し三等兵:01/11/10 17:22 ID:TqESNnEJ
>>131 ネイハー

寧波? を適当に読んでいるのでは。 たしか にんぽー、と読む。
場所は 上海の南側、杭州湾をはさんで対岸にある。 
180名無し三等兵:01/11/10 17:51 ID:z7vs4aub
戦争時、何をしていたかは不明
ただし、真珠湾攻撃前にアメリカから帰国したそうだ。
金を掘りにアメリカに渡ったんだって
従兄弟の人は、日本人収容所で暮らしたそうな
181名無し三等兵:01/11/10 17:55 ID:DSMzkPse
俺の親父は疾風に乗っていてムスタングを3機撃墜して表彰された。
182 :01/11/10 18:03 ID:cP1SwDek
祖父は学校の先生でした。
時代ゆえに軍事教練とかもしたし教え子も沢山戦場へ行った
こともあり、戦争ネタはタブーでした。戦後180度思考が
回転した組じゃないのかな?
機銃掃射中のP51を遠くに見ながら平然と自転車で帰宅した
という逸話あり。

もう一方の祖父が・・・米国移民帰り。開戦の寸前に帰国。
だから祖父の家はド田舎にありながら超ハイカラ。三角屋根
に色つき窓ガラスに風見鶏。それでいて中は畳に仏壇(W

ウチの親、なんで知り合えたのかが謎だ・・・
そういえば祖父同士が会話しているのを一度も見ることなく
他界したような。
183なな:01/11/10 18:17 ID:q0PyLNIb
中国戦線の兵
中国戦線後、内地で教官の将校
ニューギニアの兵、終戦二日前に死亡(戦死か戦病死かは不明)

以上知る限りの従軍した親族
184 :01/11/10 18:40 ID:iBoKvBqJ
マレーシアで通信兵をやってたって言っていた。学徒動員で。
もう一方の祖父は憲兵。
185なーなーし:01/11/10 18:49 ID:fwE1Y5P8
父方の祖父は海軍に召集されてボルネオ(多分)で英軍相手に大砲撃ってたそうです。
186名無し三等兵:01/11/10 19:43 ID:0zWNe6Gt
>>179
適当に読んでいるのではなく、日本語読みしただけでは。

寧波 中国語読み→ニンポ(Ning-Po)
   日本語読み→ネイハ
187名無し三等兵:01/11/10 20:56 ID:4mPHirfY
父親はプロペラの部品を削ってたそうな。
母方の祖父は天津→ハルピンから
支那事変の拡大に伴って北支→中支
最終的に漢口に落ち着き薬屋などをしつつ
岩塩鉱山の権利を手に入れたのを手始めに
兵站輸送を請け負ったりしてぶいぶい言わせておったそうな。
188名無し三等兵:01/11/11 22:43 ID:egSIAJzI
父方の祖父は和歌山のほうで防空監視をしていたそうだ。
魚の豊富なところだったらしくて、2キロほど太ったとか(w
189じっちゃん!:01/11/11 22:50 ID:KgFY3SAQ
わしゃ、中国人を殺してきてやったんじゃーあ。
そりゃー首をはねた事もあるし、村を襲った事もあったー。

そりゃ戦争じゃけん仕方ないが・・・(この後泣き出す)

酒を飲むといつもこんな感じです。戦争がやさしいお
じいちゃんを一時的にですが変えてしまったことは残
念でなりません。
190名無し三等兵:01/11/11 23:33 ID:A2ZuLp99
ウチの爺ちゃん達は父方がガ島、母方が中国に行っていた。
当然、父方の爺ちゃんはガ島玉砕で行方不明。(戦死?餓死かも・・・)

母方は中国で終戦、(階級は軍曹。)その報を聞き自決しようとした
陸大卒の5つ年下のエリート将校から短銃と軍刀を取り上げて部下と共に
軟禁して本土まで送り返したらしい。
この将校は部下に優しく傲慢なところがなく、とても人気があったので、
むざむざ死なせたくなかったと爺ちゃんは言っていた。

後にこの将校は5つの病院を経営する人物になり、はるばる九州のド田舎
までウチの爺ちゃんを訪ねてきて「あなたは命の恩人だ」と礼を言いに
来られた。
それに比べてウチの爺ちゃんは戦後のヤミ市でMPに追いかけ回されたり
いろんなトラブル起こしながら結局田舎の鉄工所の社長に落ち着いた。

今でも南京大虐殺は「ありえないし、起こり得ない」と言っている
191名無し三等兵:01/11/11 23:42 ID:N+jMhycn
母さん方のじいちゃんは、大戦当時は従軍して南の島で
無線の係りみたいなことをしてたそうです。
交代だか休憩だかで洞窟みたいなとこから出てきたら、
今まで居た所に爆弾を落とされて、中に残っていた人は
みんな生き埋めになって、亡くなってしまったそうです。
その後は旗色が悪くなったので、島から撤退するさいに、
海の上で輸送船が魚雷を受けて沈没。
海に投げ出されて漂っているところを敵兵に見つかって
捕虜になったそうです。
送られた先はフィリピンのどこかだそうで、そこでは
「バナナ」
がたらふく食えた(それしかなかった)と、
未だにバナナを食べる時に言っております。

因みにじいさんの好きな果物は、「バナナ」です。
未だに飽きてないのがちょっと不思議です。
192名無しさん:01/11/11 23:45 ID:X5V5Rl/c
>>190
>その報を聞き自決しようとした
>陸大卒の5つ年下のエリート将校から短銃と軍刀を取り上げて部下と共に
>軟禁して本土まで送り返したらしい。

>むざむざ死なせたくなかったと爺ちゃんは言っていた

エエ話しや…。
さすが最前線の現場指揮官(軍曹)やね。

「それに比べて」って言い方は可愛そうだよ(藁
193名無し三等兵:01/11/12 00:35 ID:dHjnzYyT
父方の爺ちゃん終戦時、海軍航空隊の零戦乗り。階級は中尉らしい。しぶとく生き残った
母方の爺ちゃん、マリアナ沖海戦において、彗星艦爆にのり出撃するも戦死。階級は、大尉。
なんか、飛行機乗り多いな・・・・
194名無し三等兵:01/11/12 02:13 ID:QJIXh086
母方 職業軍人 海軍 巡洋鑑「陽炎」 中尉で終戦をむかえる
舞鶴港より 帰還
典型的タタキアゲ
父方 東洋大学→巣鴨区役所?→退職→自発的に大陸へ→貿易関係の仕事(出兵したかどうかは不明) 生還

二人とも他界したから、もう話は聞けないけど生いたちも、性格も対照的な二人だった。
195名無し三等兵:01/11/12 04:20 ID:5Otcxnhk
陽炎って駆逐艦じゃ・・・・
しかも終戦まで生き残ってないような・・・・
196名無し三等兵:01/11/12 04:38 ID:aGpxTpne
>>195
 なにをおっしゃる、確かに「陽炎」は駆逐艦どぇすが!

 武運長久、終戦まで奮闘大活躍した後は中華民国海軍に引き渡され旗艦となり

 中共海軍相手に大活躍、その後も練習艦等になり60年代後半まで現存したけれど

 最後は台風の被害により船底を破損着底し解体されその波乱の生涯を閉じたのであった・・

 ちなみに「陽炎」の錨は日本に返還されているよ。
197名無し三等兵:01/11/12 05:20 ID:2gBXxlqV
父方 満州で後方支援してたらしい。爆撃機の写真とかがいっぱい家から出てきた。
朝鮮籍の兵隊が「国に帰りたいよう」と泣いていたのを隣で笑っていたらしい(藁
二度目の出征の時にフィリピン、ビルマなんかに行って上官に「今夜が最後かもしれ
ないから」と言われ夜な夜な女遊びをしていたらし。「婆さんには内緒だぞ」と目の
前で言っていた。
試験は(昇級試験か何かはわからん)いつも白紙でだしてやったと自慢していた。
198名無し三等兵:01/11/12 05:38 ID:LZK4l9DJ
父方…大陸で大工仕事
母方…本土で研究職(科学者のはしくれだったらしい)
どっちも兵役にはついていなかったとのこと。
199195:01/11/12 08:11 ID:JZKmz3n3
>196
いや、その経歴は陽炎型の雪風だと思われる。
調べてみたら陽炎は1943にクラ湾で沈んでる。
200名無し三等兵:01/11/12 09:47 ID:wD5tT3mY
祖父さんは砲兵だったかな?
中国で戦っていたと言ってた。
戦後、ソ連につかまってシベリア送りに・・・
シベリアではロシア女を抱いたりして何とか生きて日本に帰ってきたらしい。
201名無し三等兵:01/11/12 10:16 ID:cMbyXsoK
母方の爺さんの兄さん(わしからみると大伯父か?)は雪風に乗って
いて大和の沖縄特攻について行ったんだと。
アメリカの飛行機は、みんな大和の方に向かっていって駆逐艦とかは
あまり襲われずに、それほど怖くなかったといってた。
大和が沈んで、乗組員を救助してるとき「救助作業終了」の号令が
かかっても、まだたくさんの人間が生きて波間に浮いてたって。
駆逐艦が現場を離れるときも、しばらくはプカプカ浮きながら手を
振って助けを呼んでる人が見えてたってよ。
202名無し三等兵:01/11/12 10:21 ID:MWC3l6eJ
うちの親父方のじいちゃんの兄弟が大和に乗ってたらしく、
沖縄特攻で死んだらしい。
203名無し三等兵:01/11/12 15:22 ID:TDg5y2gh
>>199
あっそう言えばそのような気が・・確認せずにごめんね。
204199:01/11/12 15:52 ID:j4vjHHSH
結局、雪風の生き残り?それとも巡洋艦って酒匂?
どっちにしろかなりレアな感じがするんだけど。
205名無し三等兵 :01/11/12 16:01 ID:MyTo0eEQ
じいさんは大陸で情報将校だったらしい。
階級は中尉で機密文書をもって日本に帰国中に終戦を迎えた
と本人は曰く。その後、英語の教師になり最後は小学校の校長になった。
まあ英語ができたのは事実だから、まんざら嘘でもないような気が
するが・・・
206名無し三等兵:01/11/12 21:34 ID:QzYHct7E
父方の祖父
農民。上等兵。満州にわたり砲兵をやっていた。
ご飯を炊くと赤いものが。ボウフラだった。

母方の祖父。
国鉄職員。一等兵。内地で訓練を受けたあと出陣の予定だったが、
優秀なので後輩の指導に当たるようにと命令されて、実戦には行かずに済んだ。
同じ部隊だった連中は前線へ行く途中、輸送艦を沈められ全員死んだ。

あと、仙台が原爆の標的になってたのってホントですか?
207名無し三等兵:01/11/12 22:29 ID:GlC8uCbC
うちのじじいは、満州で輜重兵でした。部隊の兵隊が米ばっかり食って、足りなくなるので
伍長を使って、見張りの軍曹の気をそらせ、他所の部隊の米をかっぱらってきたそうです。

ちなみに、カレー粉は残って仕方なかったので、ばれないように、ドブにすててたとか・・・。

満州に送られたときに、知り合いの中隊長に”おまえ、何がしたい?”と聞かれて、”わしゃ
訓練がないところがええの。”と答えた、アメリカ帰りのファンキーなじじい。ナイスだぜ。
208名無し三等兵:01/11/12 22:57 ID:EvZSOQRA
祖父は農家の三男。よってまっ先に戦場に行っ
たらしィ。満州→スマトラ→ガダルカナル(途
中省略)最後は軍曹だったかな?

ガ島にてアメリカ軍の上陸前に負傷し、国内に
戻れたとのこと。確かにこめかみにかなり深い
傷跡(窪み)が。上の経歴はホントかな?わか
る方いますか?記憶では新潟の村松か新発田の
連隊とか言ってました。

ちなみに口癖は「敵を見つけても絶対にこっち
から撃ってはいけない、銃の性能が違い過ぎる
のだからな。」←こんなのバッカリだったから
負けたのか(笑
209雪風搭乗員:01/11/12 23:23 ID:2VmNUzho
>>201
あっそう言えばそのような気が・・確認せずにごめんね。
210名無し三等兵:01/11/13 05:03 ID:IB1//XsR
大正三年生まれの祖父は、
支那戦線をへて、ビルマで終戦を迎えた。
機関銃部隊に所属、最終的にはポツダム軍曹。

陣地の構築をしている最中、敵の銃撃を受け
隣にいた親友の腹部を弾が貫通し、祖父の目の前で
腹から腸が飛び出だして死んだ事が一番ショッキングだったと語っていた。
戦闘終了後に形見として親友の死体から指を3本切り取っているときが
一番情けなかったとか。
211名無し三等兵:01/11/13 05:12 ID:IB1//XsR
>>206
>あと、仙台が原爆の標的になってたのってホントですか?

原爆投下目標選定委員会が選定したのは、京都・広島・小倉・新潟
(最終的には京都をはずして長崎)だが。

ちなみに、8月9日、私の父方の祖母は満州に、母方の祖母は小倉にいた。
どちらも危ないところだった。
212179:01/11/13 12:49 ID:R7XhLwTr
>>186
いやだからつまり貴君のおっしゃるようなことを「適当」と私は言っているわけで・・・
う、粘着しちまった。回線切って首つって死んでくるよ・・・
213194:01/11/14 01:00 ID:lGMIJSSe
>195 >196
すんません、あやふやな記憶なもので・・・。でも、「陽炎」という船名の船に大戦中のっていたこことは間違いないとおもいます。
白黒の写真を額に入れてかざってあったし(本人もかげろうだと言っていたし)なんか、船が沈んだときの話もしていたから。

砲の弾道の軌道計算?標的までの、距離から角度を割り出して・・・なんでも、こんなことをしていたそうです(本人談)
巡洋艦は多分自分の記憶違いだとおもいます。なにぶんにも、話しを聞いたときは厨房時代で、全く興味がない話だったからもう
忘れちゃいました。もっと聞いときゃよかったよ。
214名無し三等兵:01/11/14 01:35 ID:/Z5AsV8d
私の父は当時海軍で暗号などを作ったり、読んだりしていたそうです。
それもトンネルの中で働いていたそうです。
現在の米軍横須賀基地のある所です。
今でもそのトンネルはあるようです。(塞がれているけど)
当時は鎮守府??とかなんとか呼ばれる所だったようです。
海軍にいた時には当時の俳優もいたと言っていました。
加藤ヨシ(?うろ覚え)とか木村功とか。
船には乗らなかったの?と聞くと、乗ってたら今ここには
居ないよ。って言ってました。
215名無し三等兵:01/11/14 02:01 ID:d2fyUsEP
主計将校(中尉)、ナンでも地下大本営の設計図引いてたとかなんとか……(詳しくは聞くな! 話を聞く前に亡くなった!)。
戦後は、その技術を生かしてダム作りに没頭、んな訳だから、田中康夫は嫌いだ(苦藁
216名無し三等兵:01/11/14 04:39 ID:QsDACuBl
>213
墓場からたたき起こしてきてくれ!
話ききてえよおおお。
俺のじいさん達、その兄弟は陸軍ばっかだもん。海軍経験者の話聞きたいぞお。
217名無し三等兵:01/11/14 06:18 ID:H/jM9IAL
曽祖父が日露戦争に第三師団所属陸軍中尉で出征し、沙河会戦にて戦死。
祖父が海軍少尉で輸送船警護任務中、バシー海峡にて米潜水艦に撃沈され
戦死。
叔父が海軍兵学校にて終戦を迎えるが、戦後すぐ事故死。
その他我が家系の男子の生存率はかなり低い・・・
218名無し三等兵:01/11/18 22:42 ID:K/9X9jju
まさか>217さんはJ隊の方ですか?
219名無し三等兵:01/11/18 22:57 ID:ZFpVWs3y
うちの満州にいってた祖父は3回ぐらい死に掛けたとか。
満州では、中国民間人による夜襲があったらしく、
たまたま拾った仏像を抱いて寝てたら、自分だけ無事だったとか
輸送車に載ってたら、前の車が電車にひかれて結構人死んだとか
上官から気に入られていてらしく、激戦地に送り込まれる時、同姓の奴がいて
助かったとか。
祖父は戦争で運を使い果たしたらしく、それからはあまりいいこと無かった。
220名無し三等兵:01/11/19 00:50 ID:eBDmCLjL
知り合いに整備兵として加賀に乗り組み真珠湾攻撃に参加し
後に銀河の整備で終戦を迎えた方
輸送船乗組員として二度撃沈され救助、トラック島で大和の主砲が動くところを
見たと話してくれた方
ニューギニヤで敵前上陸、大発の操舵をしたが敵が自分に向けて
撃ってくるので覗き窓から顔を出す事が出来ずに外を見ずに
操舵を続けながらも突進を続けた方
肉親ではありませんが以上私が聞いた戦時中の話です。
221名無し:01/11/26 22:55
ハワイ攻撃
機動艦隊 60年前の11月26日出港
222名無し三等兵:01/11/26 23:02
俺のじいさんは満鉄にいたよ。通信関係。
守備隊と一緒に設備の保守に出て、馬賊と銃撃戦になったことがあるとか。
終戦時にはロスケと交渉しつつ無事に脱出。
223マケイン:01/11/26 23:11
おれの爺さん満州で軍のトラック運転してた。
当然の事ながら逃げ切れずに捕まってシベリア
に送られたけど病気にかかって日本に送りかえさ
れて8年前まで無事に生きてたよ。
224名無し:01/11/26 23:12
うろ覚えなのだが、友人のじいさんは飛竜の生き残りだと聞いたことが
ある。加賀だったかな?おエライさんだったらしい。
225名無し三等兵:01/11/26 23:22
うちの父方の爺さまは陸軍の書記みたいのをやってたらしい。
どうやら体よく生き延びて帰ってこれたらしいが孫(俺)の顔を見ずに死んじまった。
親父の話だと爺さまは家にルガーみたいな銃を持ってきたとか。
多分南部だと思うんだが…本当か?
知ってる人真偽の程を教えて下さい
226名無し三等兵:01/11/26 23:35
私の爺様は、漁師だったが、招集されて陸軍の一ツ星、満州に送られたそうな
(防寒具着て三八式かまえてる写真が残ってる)
でも、南方送られる途中魚雷でやられたそうだ
227名無し三等兵:01/11/26 23:39
じい様はラバウルに行っていたらしい、亡くなったときに
「ラバウル戦友会」の名前で弔電がきていた。

親父は昭和20年生まれだから、どうにか無事に帰還したじい様が
昭和19年頃にばあ様と励んだものと思われ。
228名無し三等兵:01/11/27 00:00
うちのじいさん(父方)は病気でも無いのに痩せすぎかなんかで不合格(藁
当時は相当カッコ悪かっただろうなー。
229名無し三等兵:01/11/27 00:13
うちの爺さんは占守島で通信技師の仕事をしてたらしい。
ソ連戦車は強かったそうだ。
日本の戦車隊が全滅して、工事用の爆雷と軍刀のみで抵抗したとか。すぐつかまったようだけど。
230霧島文鶴:01/11/27 00:31
>>229
全滅!?
231名無し三等兵:01/11/27 01:22
うちの爺さんは、51師、歩兵66連隊の生き残り。
ニューギニア、ボイシ高地で負傷し後送。療養後転属、茨城の久慈浜にて、
中隊長で終戦。久慈浜では、バリバリの前線帰りってことで、
陣地配置について師団長とさえやりあったあげく
「文句があるなら(師団演習を)実弾でこい」とまで豪語したらしい。
いくらなんでも・・・と話半分で聞いてたら、本当だったと元部下の人が
教えてくれた。 その時聞いたもうひとつの話、件の師団長が爺様の守備地区で
昼間から女遊びをしてたもんだから、爺様、兵隊集めて、その建物を取り囲み
軍歌演習させたそうな。師団長もそそくさと撤退、兵隊も内心ムカついてたんで
大いに溜飲が下がったとその人は言ってました。
232 ◆H8TSTRiA :01/11/27 03:15
>>231
イカス
233名無し三等兵:01/11/27 03:51
家の父親は、米軍が上陸してきたとき赤子だった。

すぐに泣くので、友軍に壕から出て行くようにいわれたらしく
父親の姉が、艦砲射撃の中さ迷い歩いたと、親戚一同集まるた
びに愚痴る。
父親を背負いながら、もうおしまいだと思っていたとのこと。

爺さんは、兵隊だったらしいが、よく分からない。
戦後、この話を聞いて、怒り狂ったとのこと。
234 :01/11/27 05:39
死んだ爺さんが兵役検査では下のほうだったので、ずーと役人をやっていたのだが、
終戦直前に召集。なんと長崎におくられる。
しかし、運良く原爆投下の何日か前に帰っていて無事でした。
戦後母親が生まれたので、タイタニックで助かったという細野氏祖父の話を
聞いたときこの話を思い出しました。
YMO細野氏の父もタイタニック後に生まれたそうです
235名無し三等兵:01/11/27 05:43
俺のじーちゃんは南の方で戦犯として処刑されたんだってさ。
中佐だったらしいけどどこで吊るし首になったのやら。
236 :01/11/27 05:44
あと父方の祖父は、中国戦線で馬にのって写真をとりまくっていたという話を
聞きました。何をやっていたのかは不明
写真は戦後燃やしたらしいという話を父に聞きました
237名無し三等兵:01/11/28 01:16
俺の父方のじいさんは通信兵として満州にいて
戦後シベリアに捕虜として行ったらしい。
でも少しロシア語が話せたらしく、ほかの人達よりも優遇されてたらしい。
母方は田無の食料長官やってて戦争も終わりに近づいたとき、
補充兵で召集されたけどそこで終戦。
戦後の復興に結構貢献したらしい。
238名無し三等兵:01/11/28 01:53
 ビルマで鉄道引いている最中に戦死したよ。
おかげで、婆さんと一番上の叔父さんとオヤジ
は苦労したみたいだ。
239名無し三等兵:01/11/28 13:17
家の母方のじいちゃんは少年志願兵で満州にいって
終戦のころになるとT-34から逃げて帰ってきたYO!
父方のじいちゃんの方はティモールで終戦まで農作業やってマターリ過ごしたとさ。
240名無し三等兵:01/11/29 01:45
大伯父の話ですが、かなり悲惨な話がひとつ。

41年のクリスマスイブ、ボルネオ沖で掃海艇の補給中に大伯父が距離1000に潜航中の
潜水艦を発見(潜行してても、シルエットが確認できたそうです)したそうです。
で、すぐに回避しようとも補給中でどうにもならず魚雷攻撃を受けました。
が、補給中でほとんど燃料が空で重量が軽く、その為に魚雷は船の下を通りぬけただけだったそうです。

で、次の日のクリスマス。
イギリス(と本人は言っていた)の哨戒機の攻撃を受け、甲板にいた人間は機銃やらで応戦したが当たる
わけもなく、爆弾の破片で戦死。大伯父の隣にいた19歳の通信兵にも破片が当たり、わき腹をえぐられ、
「天皇陛下万歳」と叫んで即死。
今でもよく言われることで、果たして死の間際にいる人間が「万歳」を叫ぶかと疑問視する声ありますが、
当時、大伯父自身も万歳を叫ぶ人間がいるとは思わず、実際に目にして驚いたとか。
この時、大伯父の頭にも小さい破片が命中して出血してたそうですが、しばらく気づかなかったそうです。
掃海艇はすでに傾いていて、甲板に出たときには甲板上の死体の血が傾斜のために流れを作って
海に注ぎこんで悲惨な状況に。
乗員は海に飛び込みましたが、艇長は責任を感じてか艇と運命を共に。
大伯父は海を漂っていましたが、沈んだ艇からの一つの救命胴衣(?)に数人でつかまり救助を待っていた。

無事に救助された大伯父は、いったん帰国し、駆逐艦”風雲”の儀装員になり、そのまま乗組員に。
ミッドウェーの敗北では、魚雷処分される蒼龍(?)を見て、悔しさで他の乗組員達と泣いたそうです。

他にもいくつかの作戦に参加していますが、無事に今も生き長らえております。
が、今でもクリスマスは嫌いだそうです。
241名無し三等兵:01/11/29 02:43
229>
終戦になっても国際法を違反して占守島の侵略をしたソヴィエット連邦軍。
占守島守備隊は勇敢に戦い、甚大なる被害を敵軍に与えたそうです。
この被害を知りスターリンは北海道侵略が容易ではない事を知ったそうです。
結果、占守島守備隊の方々が本土の捨石になられたおかげで
国家分断の悲劇は避けられました。
今も占守島には残された守備隊の戦車が宙を睨んだままだそうです
242:01/11/30 01:33
うちのおばあちゃんは小学生の時、修学旅行で佐世保にいって軍艦を見学したそうな。
艦種まではわからんが、そのとき地元出身の士官が全員にキャラメルをあげたそうな。
さすが帝国海軍、切符がいい。
243名無し三等兵:01/11/30 02:47
母方のじーちゃんが天皇の警護をしていたらしいんだが詳細不明。
たぶん遠くから見守る程度だったと思われる。
ちなみに母方の実家の隣の家は戦艦大和最後の艦長 有賀幸作氏の実家でした。
って前にもどっかのスレに書いた。
244名無し三等兵:01/11/30 12:14




大陸で 人殺し





 
245名無し三等兵:01/11/30 14:02
アメリカ出稼ぎ中に拉致されて
強制収容所にイタヨー
父ブッシュから詫び状と2萬ドルもらったヨー

伯父は八丈島守備隊で終戦
イオージマでなくてヨカタネー

おやぢに軍歴あるやつは
都道府県庁の援護担当課に申請すれば
軍歴証明してもらえるヨー
246名無し三等兵:01/12/02 20:22
ところで、スレとはちょっと趣旨が違いますが。
朝鮮戦争の時、米軍に電子部品を納入してた。
とナショナル(松下)社員だった祖父が言っていましたがこれ、本当でしょうかねえ?
ほら吹きなもんで。
247名無し三等兵:01/12/04 23:58
うちのおじいちゃんは海軍で戦闘機のりをやってたらしいです
零戦とか紫電改とかに乗って真珠湾とかいろんなところに行ってたらしい
戦争のことはあまり話さない人だったけど、所属していた隊のエースパイロット
だって聞きました。大空の侍を書いた人もおじいちゃんの家に来たらしい
248名無し三等兵:01/12/05 00:00
http://quino-lilo.hoops.ne.jp/jikken2.html

廃墟でこれはねーだろ。
249名無し三等兵:01/12/05 03:29
大正元年生まれ。
満州に行ったそうだけど、実戦経験はないと思われ。
仮病使って読書してすごしてたら上官に誉められたそうで。
列車のなかでだされた赤飯が偽者だったとぶーたれてます。

ばあさまの方は上海にいたそうです。
中華料理が偽者だったとか言ってます。

戦争の悲惨さとか武勇伝を聞いたためしがありません。
ちなみに現役です。
250名無し三等兵:01/12/05 23:15
特攻隊に居たらしいけど、戦闘機が無くてそのまま終戦。
最近はボケ気味。
251名無し三等兵:01/12/06 00:06
じいちゃんの弟が大和で戦死した。じいちゃんは中国で砲兵をやってた。じいちゃんの兄は金鵄勲章をもらった。
252名無し三等兵:01/12/06 00:39
百姓やって、子供造ってた。ずっぽしずっぽし
253名無し三等兵:01/12/06 01:00
 父方の祖父は中国戦線→ビルマ方面。砲兵だったとのこと、インパールには何とか参加せずにすんで
いったん徴兵解除されて実家に戻る。それで、実家に戻ったちょうどその日が曾祖父の一周忌で親戚が
集まっていたとか。その後もう一度徴兵されて金沢で終戦を迎えたそうです。


 母方の祖父は通信兵だったと聞いたことが有るけど詳細は不明。聞いとくんだったなあ。
254名無し三等兵:01/12/06 01:27
祖父は南方の部隊で軍医をやっていたらしい。
自身もマラリヤで戦病死したが戦後当時を知る人達が毎年命日に祖父の墓に訪れていた。
その人たちも年を追うごとに徐々に数が減りついには去年最後の一人が亡くなった。
255名無し三等兵:01/12/06 01:43
うちの爺ちゃん士官学校在学中に終戦
256名無し三等兵:01/12/06 03:12
 軍に入ったときは戦争は始まっておらず、実家が地主で
他に曽祖父が何かの商売しており収入はあったらしく、祖
父は長男ではあったが除隊せずに軍に残る。その後、上官
に推薦されて少尉になり、終戦時は大尉。どんどん物資が
なくなってくのが書類などから読み取れてかなり早くから
日本が負けるのがわかったそう。戦後は多少英語ができた
ため、GHQの下でしばらく働いた後地方公務員になった。
 あと、祖父の下に二人弟がいたが、一人は最初の学徒出
陣で出征して戦死。何かの勲章(金鵄勲章?)と感謝状が届
けられたそうです。もう一人の弟は曽祖父の知り合いの会
社社長に気に入られ、その会社で働きながら(バイト?)勉
強していた(夜学?)が、旅行先の広島で原爆にて死亡。し
ばらくの間死んだことが家に伝わらなかったようだ。
257256:01/12/06 03:15
コピペミス。一行目に以下の文が入ります

祖父は陸軍の主計畑の人でずっと内地勤務だったようだ。
258 :01/12/06 10:30
祖父は田んぼ耕してました。
祖母も田んぼ耕してました。

実家の蔵にはまだ消火弾とかあります。
259gz:01/12/08 02:48
>>254さん
ワシの祖父も同じ感じ。
幼い母を残して。
レイテで軍医をしていたということだけど、詳細は不明。
祖母もそういった話しを聞く前に亡くなったからなあ・・・
母にも聞き難し。
260名無し三等兵:01/12/09 00:29
>>253
>インパールには何とか参加せずにすんで
漏れの祖父もビルマ戦線だった。インパール作戦に参加しなくてよかったと
心から思う。
261名無し三等兵:01/12/09 00:39
>260
家の母親の叔父さんはインパールに参加して帰ってきましたが、何か?
262名無し三等兵:01/12/09 00:55
>260
うちの爺さんは生還しました。そのおかげで漏れがいる。
263253:01/12/09 01:27
>261-262
 気に障ったらならすまん。
 祖父に聞いた話なんだけど「ワシは何とか参加せずに済んだがインパール方面に参戦した知り合いの
多くは死んでしまった」と言う意味の話をだいぶ前に聞いたんでそのまま書いてしまった。
264 :01/12/09 01:53
つらいなあ、このスレ。
つぎ、戦争するときは絶対勝つゾ〜!
265名無し三等兵:01/12/09 02:01
母方のじいさんは、背が小さすぎて徴兵されなかった。

父方のじいさんは、練兵を行うところ(名前は不明)で教える立場にいた。
戦争に負けたとき、「こんなもの!」と言って、それまで
もらった勲章とか投げ捨てた。
※あとで婆さんが拾った(w

・・・去年死んだ。
266名無し三等兵:01/12/09 02:06
じいさんは家の跡取りだったが戦争にいきたかったらしく海軍兵学校いいったらしい。
詳しくしらんが。
267sage:01/12/09 02:18
じいさんが第六師団の砲兵連隊の一員としてブーゲンビル島へ。
砲弾もなくなり何度も切り込みをかけたらしい。
268名無し三等兵:01/12/11 00:23
おれのじいさんは日本陸軍の砲兵隊の軍曹だった。
一番おっかなかったことは敵機の機銃掃射だったと言っていた。
中国大陸は歩いても歩いても果てしなかったという。
夕暮刻は地平線まで影が伸びたそうだ。
ゲリラが多くて農民が畑仕事をしていて通りすぎると撃ってくる。
応戦するとすぐ死んだ振りをしたそうだ。
また中国では火事が多いと言っていた。なんでも敵が撤退するときに
町や村に火をつけるらしい。
そのときなぜか同じ民族であるはずの村人たちを虐待していることも
結構あったらしい。
 じいさんは医術の心得があったので、よく手当てをしてあげて
喜ばれたといっていた。
 
269名無し三等兵:01/12/11 00:25
270名無し三等兵:01/12/11 00:42
うちの父方のじいさんは軍関係で、戦前は家族と樺太に住んでいた。
なぜか敗戦の1年前に、家族を北海道に帰させて、自分も敗戦まえに
北海道に帰ってきていたので、特に悲惨な思いもしていないそうだ。
(その後じいさんはすぐに病気で死んだそうだが)
いったいどんな地位にいて、どんな情報をつかんでいたのかはわからない
のだが・・・・
271名無し三等兵:01/12/11 00:52
ってゆーか


人殺しだろ?なに難しく言ってるの?バカか?それとも心のどっかにどーよ?見たい
なもんがあんのか?テメーのことならまだしも殺人爺の自慢してんじゃねーよ!



もういちど言うぞ?戦争に行ってたじい様は殺人をやってきました。ベトナムに
おける米・韓軍みたいに民間人を殺したりレイプもドサクサ紛れにやってたろーな。
他国のそれと比べても、そんな事がなかったと考えるほうが難しーや。
まあなによりも敵の兵隊を殺ってるんだから民間人うんぬんいわんでもいいがな。
272名無し三等兵:01/12/11 00:53
戦争に言ってたじじい=殺人サイコ爺

OKね?
273名無し三等兵:01/12/11 01:01
俺の叔父は戦争中鹿屋と大村で整備兵をやってた。
特攻隊隊員達が出撃前ヒロポンを打ちながら出撃して
いたって聞いたことが有る。
274名無し三等兵:01/12/11 01:03
>>272
 それでも君のおじいさんがそういうことをしていなかったら
今の君はココに存在していなかったと思うんだが?
275名無し三等兵:01/12/11 01:04
うちの息子の(271、272)が30歳になるというのに
定職に就こうとしないんです。それどころかアルバイト
も1〜2週間でやめる始末。
まあ、その前というか今というか、精神病になっている
んですが、どうも病気はもう治ってるみたいなんです。
医者に通ってるんで、やっぱり病気かなと思うんですけど、毎日ネット三昧なんです。
朝から深夜までネット漬けといった感じで、時には映画に行ったり、同人誌を買いに
行こうとしたりと遊んでばかりなのです。
将来が心配で仕方ありません。
そんな息子に、どなたかアドバイスをご教授ください。
お願いします。
276名無し三等兵:01/12/11 01:06
>>271=272
随分レベルの低い煽りだな
277名無し三等兵:01/12/11 01:07
>>276
期末テストがうまくいかなかったんだろう(w
278名無し三等兵:01/12/11 01:09
うちの爺チャン翔鶴の整備員だった。
真珠湾攻撃にも参加してるよ!
279名無し三等兵:01/12/12 00:02
>>274
それはどういう意味。そんなじい様の子孫だって事か?それともじい様の大陸での大立ち回りのおかげで
今の日本があるとでも言うのか?まさかな(w
>>276
飾りを取っ払い本質をダイレクトに解りやすく語ったまでよ。間違ってはないだろうが。おまえばかか?
何も言わないお前の方こそ、低脳な煽りじゃい。
いいですか?じい様は印パールでとか大陸でとかなんだかんだいって勲章がどうのとか行っても、やった
事は殺人だろ?戦争だから許されたとか仕方なかったとか言うんだろうけど殺人!
ひ・と・ご・ろ・し
俺が小学生のときじいちゃんから敵の中国人の首をはねた話や銃撃戦の話を聞いたよ。これはマジ。
もし君がおれだったとして、君はそれを聞いてじいチャンの事どう思う?

英霊とかなんとか飾った事言うのも勝手だけどさ、本質や真実てってもんを君達わかってんの?
280名無し三等兵:01/12/12 00:05
279
覚えたての言葉だからってそんなに一生懸命に使うなよ
子供が使いたくてしょうがないのは分かるけどさ
>279
貴殿こそ、おそらくこの場にいる人間全ての中で一番、この場の雰囲気を読めて無かろう。
そんな人間が物事の本質を語るなど百年早いわ。濃硫酸で顔洗って出直して参れ(藁
282名無し三等兵:01/12/12 00:06
海軍の購買部門だよ
283名無し三等兵:01/12/12 00:10
>279
よく言った! 感動した!! 279マンセー!!!
ところで、君の脳味噌の中の神様は元気かい?
たまにはお日様の下で新鮮な空気を吸わせて上げないと駄目だよ。
ほら、もうお迎えが来てる。早く車に乗って病院に帰った方がいいよ。
じゃ、また次の外出日に。いっぱい、お話しようね。
284名無し三等兵:01/12/12 00:13
わが大叔父。
海軍経理学校を出て、羽黒の主計士官をやって、艦と共に亡くなりま
した。そうそうたる軍歴の皆様から見れば、ほんのささやかな経歴で
でしたが、長らく地方都市に住んだ、大したこともないわが一族に
とっては、誉れ高い人であったそうです。
285名無し三等兵:01/12/12 00:15
>>279
>もし君がおれだったとして、君はそれを聞いてじいチャンの事どう思う?
俺は立派だと思うね
君の爺さんはそんなことまでして俺たちの国をまもろうとしてくれたんだぜ
君は人殺し人殺し、爺さんは犯罪者だというが
君はもし自分の親父が君の為に犯罪を犯したらそれを糾弾するのか?
俺はそのほうがおかしいと思うが
ま、人それぞれ好き好きだから別にかまわんがね
286名無し三等兵:01/12/12 00:42
>君の爺さんはそんなことまでして俺たちの国をまもろうとしてくれたんだぜ
ふーん。日本を野蛮な中国の侵略から守るために首を跳ねたりしたのか。
そう考えると俺のじい様は正義の執行者か。なるほどなー。
>>281
戦争にいった兵隊の行いを単純かつ明快に語ると人殺し。取り繕ったり飾
りたてたりするなって。みっともねーなー。
首を跳ねたのも、村を襲ったのも、略奪やレイプも国を守るためだったん
だろ?でも殺人は殺人。胸を張って語るもんじゃねーよ!
287名無し三等兵:01/12/12 00:45
殺人のどこがいけない?
自分が死なない限りOKだと思うが。

普通の人間ができないことができるのはすばらしいことだ。

感動すら覚える。
288名無し三等兵:01/12/12 00:45
無理に自己レス繰り返して荒らすというのも見慣れた荒らし技法だ。
なんなら仲間とふたりで示し合わせて煽り合っているかもしれん。
289名無し三等兵:01/12/12 00:50
>>288
引きこもりだから友達はいないと思われ
290名無し三等兵:01/12/12 00:53
祖父は、元々新潟で石油を採掘する会社に勤務してて、
徴兵されたけど、また新潟で石油掘れっていわれて、
舞い戻り、そのまま終戦となったそうです。
だから銃を持って戦ったことはないそうです。
石油ってことは国策会社勤務だったのかな?
291名無し三等兵:01/12/12 00:55
>この場の雰囲気を読めて無かろう
オナニーの邪魔するなって事か?がははは〜
イスラム原理主義者がジハードとかなんだかんだいってもやってる事は人殺し。
これと同じ。てめーのじい様だから客観的に見れないってか?
>>287
ほー。君は正直もんだ。国益とか安全保障とか言い訳しながら戦争する奴らは糞。
戦争は人殺し。
292名無し三等兵:01/12/12 00:56
>>288
おーい。お前推理するセンスないよ。むりするなってw
293名無し三等兵:01/12/12 00:56

ぼくたちに いま ひつようなのは ほうちする ゆうき
294名無し三等兵:01/12/12 01:01
>>293
カコイイ!
295名無し三等兵:01/12/12 01:17
>>287 とは逆に、
普通の人のいやなことをする、というのは大したことじゃないか?
296名無し三等兵:01/12/12 01:22
>>295
もう冬厨はほっときなyo!
祭りにしたいんなら止めないけど(w
297名無し三等兵:01/12/12 01:23
もうすぐ冬休みかぁ…
うちの爺さんじゃないが
爺さんの従兄弟は二世部隊に居たらしいです。
298名無し三等兵:01/12/12 01:23
>>297
アメリカのね
299名無し三等兵:01/12/12 01:54
つーか、じい様が中国人の首はねたそうだけど、そのいきさつを知りたいんだが。
暇つぶしで首はねたんなら、そりゃひどい話だな。犯罪だ。
ただし、糞味噌いっしょにするなとだけ言いたい。
300名無し三等兵:01/12/12 03:46
うちの爺さんは満鉄で将校の運転手をやっていたって聞いた。
ただ、ソ連軍侵攻の後婆さんと離ればなれになって、日本でようやく再開することができたそうだ。
301名無し三等兵:01/12/12 03:48
シベリア抑留
302名無し三等兵:01/12/12 13:39
>>ALL
祭りにできるもんならやってみろよ。俺の言ってることは間違ってねーぞ。
じい様のやった事は人殺しじゃねーか。
正直なところ、俺にきてほしくないんだろ?だったら「オナニーの邪魔しないでください」
って一人ずつ言ってみろや。おい296!おめーは3回言え。出来ねーんならまた来るからな。
それが嫌なら、俺のじい様がやった事が本質的にそして単純に言って人殺しじゃないってこと
証明してみろや。ビルに突っ込むのも空爆も口実や飾りものを取れば人殺しじゃねーか。
>>299
そん時はじいちゃんに詳しく聞かなかったからわかんねーけど、戦友会かなんかについていっ
た時にも同じこと聞いた。そん時はそこにいるみんな酒を飲んで自慢げだったから戦争に言っ
た連中はいかれてんだよ。サイコだな。岡山の雰囲気がじいちゃんの真実の姿とか暴走を押さ
えてるんだろうな。
飯食ってる横でヤクザ同士がレイプや人を殺した自慢話をしてるのと本質的には変わりはねー。
ヤクザはロクでもねー奴、じいちゃんも同じな。

おめーら、俺に来てほしくねーなら上のセリフいえや。もしくは俺のシンプルにして究極の理
論を論破してみろや。煽るだけなら俺でもできるよ!

それからなー、放置でもしてみろや、スレごとおじゃんだからな。おめーらもそんなスレ何度か
見たことあんだろ?
303名無し三等兵:01/12/12 13:49
ほうち

はい。

http://www.2ch.net/accuse2.html
304名無し三等兵:01/12/12 13:50
商社マンとして日本をはじめ満州や上海、朝鮮や樺太などを忙しく回っていたらしい。
305名無し三等兵:01/12/12 15:11
戦争に行ったじい様=人殺し。

おめーらがいくらどうこう言っても事実だよじ・じ・つ 取り繕ったり物語風に飾りたてても
かえることはできねーよ。軍事板の住人ならきれい事だけじゃねー戦争の現場とかも知ってん
だろうが。東欧の民族浄化で人間が何をやった?ベトナムで韓国軍は?中国で日本軍は?
戦争=人殺しだよ!戦争に行った奴、命令出した奴、煽った奴、止めようともしなかった日和見、
全部ひっくるめて片棒を担いでるんだよ!英霊のミタマだかキンタマだかしらねーが妄想に浸
ったり現実を客観視出来ねーやつ方がアブねーよ。

じいちゃんたちは殺人鬼 それもかなりクレイジーな部類のな。
まあ、靖国が罪人神社とまではいわねーけどなw

>>303
俺の言い分は事実だ。絶対的な事実の前に何も言い返せないからホーチとかホザいってんの
か?俺は荒らしてんじゃねーよ。事実を言ってるだけ。負けたからとか勝てばよかったとか言
ってんじゃーねーよ。戦争は人殺しですね。じいちゃんは人殺しですね。
306名無し三等兵:01/12/12 15:19
>>305
がんばれよ!
応援してるぞ(w
307軍事素人:01/12/12 15:47
家のじいさんは、飛行機の整備兵として
先の戦争で半島の平嬢に配属され、シベリア帰りです。
召集されるまでは三菱航空機名古屋工場で雷電の製造に携わっていた
らしいです。
整備兵時代の話として
隼の始動はハンドルでまわしながらエンジンをかけるが
疾風の始動は始動機がついているので大変楽だったと聞いたことがあります。
終戦末期はガソリンが大変貴重になったのでタンクを特定の場所に
隠していたようです。同じ基地に同郷の新司偵?のパイロットがおり
連絡飛行でよく乗せてもらったようです。(1週間に一回東京に暗号文をとりに
行っていた。)
10年ぐらい前に総理大臣から詫び状?みたいなものが送られてきました。
308名無し三等兵:01/12/12 16:11
>>307
そーいやうちのじいさんとこにはシベリア抑留の時の慰労の銀杯が来てたな
309名無し三等兵:01/12/12 16:15
>308
うちにもある。じいさんは海軍だったけど。
310軍事素人:01/12/12 16:17
終戦末期×→戦争末期○
はずかし(^^;
311軍事素人:01/12/12 16:22
うちにもさがせばあるのかな?

家のじいさんは戦傷病手当て?が下りていて
JRを利用するときも証明書(定期みたいなやつ)を提示すればただで乗れたりします。
312名無し三等兵:01/12/12 16:31
>>311
それでは、戦時中に負傷されたんですか?>おじいさま
313名無し三等兵:01/12/12 16:43
264 : :01/12/09 01:53
つらいなあ、このスレ。
つぎ、戦争するときは絶対勝つゾ〜!

いるんだよなー こういう馬鹿
314名無し三等兵:01/12/12 16:45
>>305
貴官のご意見に最高(ワラ
あんたはナンダ? 誰の息子だ? サルの子?
315名無し三等兵:01/12/12 16:52
>>314
はあ?人間の子供にきまってんじゃねーか?お前、さるが文章まで書けると思ってンの?
ワラタとかどうでも言いから じいちゃんのやった事=人殺し が間違ってるかどうか言って
みろよ。お国のためとか天皇陛下のためとかの口実や言い訳をとっぱらったら人殺しだろう
がよ。まちがってる?これがおもしろいお前は文章が読めてねーな。お前の親はアイちゃんか?
316空の新兵:01/12/12 17:03
自分の爺は、セレベスで機銃掃射に遊ばれてたそうだ。
衛生兵をやってたらしいっす。
317軍事素人:01/12/12 17:06
左手の人差し指、中指、薬指を凍傷で失っています。
列車の連結作業中に連結器で指を挟み凍傷になったために切断したようです。

それでも約25年前まで船に乗っていました。今はへたっていますが。
(もうすぐ80代)
318軍事素人:01/12/12 17:08
シベリア抑留のときの話です。
319空の新兵:01/12/12 17:11
>>315
戦場と日常は違うぞ
320名無し三等兵:01/12/12 17:22
やった行為の本質は変わりはしない。まして民間人にも手を出してたかもしれないんだ。
そうなったら戦争も糞もねーよ。
命令され銃で撃とうが、怨恨で毒を盛ろうが本質的には人殺し。
321名無し三等兵:01/12/12 17:25
忘れた頃にやってくるいずみちゃん一派の刺客と見た。
322名無し三等兵:01/12/12 17:31
>>317
レスありがとうございます。
おじいさま、おいたわしや。これからもお大事に。
323名無し三等兵:01/12/12 17:46
結核わずらって、自宅療養でした。
324名無し三等兵:01/12/12 17:47
>>321
俺が刺客? おれは、被害者感情とか英雄化の妄想に浸りたがる馬鹿どもを
現実に引き戻すために書いてるだけだよ!なに人だったっけ?一瞬で10万人
ぶっ殺した奴がいたよな。殺された奴らはせっせと殺人の用意と応援してた
っけ?
そんな事より俺は間違ってねーだろうが。
もう来てほしくないか?じゃあ、「オナニーの邪魔しないでください」って言いな。
296!おめーは3回プラス「かんべんしてください」も付けろ!



戦争は、本質的には人殺しだ! 戦争に行って戦った奴は、人殺し。
325名無し三等兵:01/12/12 17:53
ずっと いても いいよ
だって ここは 2ちゃんねる だもの
326名無し三等兵:01/12/12 18:50
>>324
戦争で人を殺して何が悪い?戦争なんて人を殺しに行くことなんて
ここの住人はみんな知ってるぞ。そんなの当然の前提として話をしてるの。
おまえはその前提をさも偉そうに言ってるだけ、だから放置されるんだよ。
まあ、別にこのスレにいてもいいけどさ、当然の礼儀として
「俺のオナニーをみてください」と3回くらいは言ってくれ。
327名無し三等兵:01/12/12 18:51
冬だね〜、でも煽りに切れが無いや。
どーせなら、皆が楽しめるように固ハンでやっとくれよ。>Love&Peaceマンセー君
328名無し三等兵:01/12/12 19:15
>>326
おめーは放置しきれてねーだろ!

>285 :名無し三等兵 :01/12/12 00:15
>>279
>>もし君がおれだったとして、君はそれを聞いてじいチャンの事どう思う?俺は立派だと思うね
>君の爺さんはそんなことまでして俺たちの国をまもろうとしてくれたんだぜ
>君は人殺し人殺し、爺さんは犯罪者だというが
>君はもし自分の親父が君の為に犯罪を犯したらそれを糾弾するのか?
>俺はそのほうがおかしいと思うが
>ま、人それぞれ好き好きだから別にかまわんがね

こういう被害妄想馬鹿が戦争を歪めるんだよ。何を守るために中国で首をはねたんだ?
イヤイヤやったのか?中国が日本の本土に侵略してきたのか?ホントに日本は被害者か?
いいか、中国にいったじい様達は被害者である以前に加害者だ!戦争は人殺しだ!
本質を見ようとしないから勝敗うんぬんや酒を飲んで自慢話をするんだ!
329名無し三等兵:01/12/12 19:18
>>328
いそみたん観察スレにも遊びに来ておくれ♪
330名無し三等兵:01/12/12 19:21
冬が来ると煽りまでレベルダウンするなあ。
つまらん上に長文で読みにくい。読まないけど。

もっとじいさんたちの体験談、きぼん。
331軍事素人:01/12/12 19:56
家のじいさんの話:
よくB29が飛んでいくのを見たが高射砲はとどかないので撃たなかった。
一度だけ戦闘機を機関銃で落としたことがある。仲間内ではその戦闘機をベルとよんでたらしい。
むかつく上官に飯をもっていくときは頭をぼりぼりかいてふけをかけていたらしいなど。
332名無し三等兵:01/12/12 20:00
学徒出陣のぬかるみを行く足のうちの一組が上の伯父さん。
別撮りまるわかりのど晴天の下、帽子を振る学童の一人が親父。
333名無し三等兵:01/12/12 20:36
うちのじじいは名もない漁船サイズの船でトラックへ。じじいのはなしでは機関砲はあたらん。小銃が一番だったとほざいてる。ちなみに海軍で支給されるらしいピーナッツの菓子をかけてたらしい。下士官でもないのになぜか家に軍刀がある
334名無し三等兵:01/12/12 21:30
>>330
レベルの低い煽りはお・ま・え!
せんそう=人殺し 戦争に行って戦った奴=殺人鬼
事実じゃねーか!煽ってんじゃねーよ!
335名無し三等兵:01/12/12 21:33
>>334人を殺して何か悪い?殺らなきゃ殺られる。お前みたいなかっこいいきれい事ほざくアホは真っ先にテポドンに当たってサヨウナラだね
336名無し三等兵:01/12/12 21:35
>>334
じゃあお前は黙って殺されてろ(笑
337名無し三等兵:01/12/12 21:40
>334
↓みんな君を待ってるよん♪
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/army/1006357592/
338名無し三等兵:01/12/12 21:53
じいちゃんは八年間戦闘機乗ってました。
結構撃墜したみたいです。でも昭和35年だったかな、そのくらいに死んだみたい。
撃墜数はかなりだったみたい。200?くらいは撃墜したらしい
339名無し三等兵:01/12/12 21:58
>>338
じいさんドイツ人なんか?
340>>339:01/12/12 21:59
日本人
341名無し三等兵:01/12/12 22:01
200機位撃墜して昭和35年に逝去とくれば
岩本徹三氏しかおるまい

マジ?
342名無し三等兵:01/12/12 22:02
>341
なんで名前してっるのだ
343名無し三等兵:01/12/12 22:05
>342
列機を務めていたんじゃよ・・・・って言いたいところだけど

有名だよ、岩本氏
344名無し三等兵:01/12/12 22:30
>>335
はあ?きれい事なんかいってねーよ。殺人鬼の行為を称えたり殺人を物語風に
する事とかをきれい事って言うんだよ!
>>336
やだね!まるで戦争が天災のようにおきるとでもおもってんのかよ?天災のよう
に起きるんなら、俺は殺人なんていわねーよ!
345名無し三等兵:01/12/12 22:31
俺は戦争ってのは天災に近いと思ってるがな。
346名無し三等兵:01/12/12 22:34
漏れのじいちゃんは近衛師団にいたらしい。

生前近衛師団は華族の子息だの,血筋のよい連中が集まるところで,楽チン
だったといっていた(うちのじじいは痔主だったので,当時の日本では血筋
がいい部類にはいっていたのだろう。)

結果的には気楽なところだったらしいけど,もしも本土決戦にでもなってたら,
まちがいなく全員バンザイアタックで玉砕してたろうな・・・
347名無し三等兵:01/12/12 22:40
>>345
やりだしっぺは人間だ。例えば外交や差別、領土欲。その他もろもろ。
戦争は月の満ち欠けやプレートの挙動で起きるんじゃない。
そして戦争は殺人。戦争に行った奴は殺人鬼。
お前らホント馬鹿だな。いくら説いてもわかんねーみたいだからもうこねーよ!!
AAひろってくるからなー!!
348名無し三等兵:01/12/12 22:41
>>344
戦争はじいさん達の意思に関係なく起きてる
天災みたいなもんだ
もしあんたが自分の力で戦争を起こしたり止めたりできるんなら
天災じゃないというのはわかるがね(w
349名無し三等兵:01/12/12 22:45
>>347
バカ丸出し
戦場で戦った人が戦争始める権限あるわけがない
戦争始めた奴を殺人者と非難するならまだしも末端の人間を非難するなど
能無しもいいとこだ(笑
350名無し三等兵:01/12/12 22:48
>>348
じいさんたちの誰かが対中戦争と対米戦争を仕掛けた。
関東軍のじいさんか大本営のじいさんか外国のじいさんか
ヒロヒトじいさんか誰かだ。全員かもしれんがやりだしっぺは
どのみち人間だ!スギ花粉とかじゃねーよ!
351名無し三等兵:01/12/12 22:50
>>350
それを煽った銃後の連中や朝日新聞もちゃんと批判しろよ。
352名無し三等兵:01/12/12 22:50
>>349
とめようともしなかったじいさん。煽ったじいさん、ばあさんもひっくるめ
殺人鬼だ!
353名無し三等兵:01/12/12 22:51
>>ALL
オメーら早えーヨ!
354名無し三等兵:01/12/12 22:52
言われたから書いたみたいになっちまったじゃねーか!
355名無し三等兵:01/12/12 22:53
>>352
へぇじゃあ今不景気なんは俺らにも責任があるんだ?(藁
あんたが言ってるのは事故って人が死んだ時に
運転手が悪いって言うのみならず車が殺したんだから車が悪い
車を世の中からなくせって言うくらい無茶苦茶な暴論だぞ(w
356名無し三等兵:01/12/12 22:58
>>347
庶民とか一兵卒にとっては天災以外のなにものでもない
>>336は言っているのだと思うが?(違ってたらスマン)

戦争を起こす権力者はその庶民が選んだんだろ、とか言うつもりなら
あんた本物のバカだからね。


んで、うちの父ちゃんは三菱名古屋工場の近くに住んでたので、空襲の時
山に避難して飛燕が上がっては落とされるのを見てたそうな。
近い親戚では婆ちゃんの弟が沖縄戦で戦死したらしい。
357名無し三等兵:01/12/12 23:05
>>355
はぁ?
>あんたが言ってるのは事故って人が死んだ時に
>運転手が悪いって言うのみならず車が殺したんだから車が悪い
>車を世の中からなくせって言うくらい無茶苦茶な暴論だぞ(w
これと
戦争=殺人 戦争=天災ではなく人間の行為
が同じになるわけ?
わかってねーなー。戦争は殺人なんだよ。で、戦争は、しかも当時の総力戦だよ?
戦争にもし左翼の言う責任みたいなもんがあれば参加者全員に責任が及ぶにきまっ
てんじゃねーか。あるとすれば、だけどな。
上層部の一存だけであんなでかい事できるかよ!何人死んだか知ってるか?モンゴル
の世界制覇の時より多いんだぞ?煽った奴、空気みたいなもんを作った奴、止めよう
ともしなかった奴、片棒を担いだ事に違いはねーじゃねーか。
だからこそ、寝た子を起こすなに始まり、自虐史観、日本の蛮行はでっち上げまで 一
貫してまともに語ろうとしないんじゃねーか。 どっかにそんな気がするってのがあ
んだろうよ。


戦争は殺人!
358名無し三等兵:01/12/12 23:07
>>356
>戦争を起こす権力者はその庶民が選んだんだろ、とか言うつもりなら
>あんた本物のバカだからね。
いわねーよ!
359名無し三等兵:01/12/12 23:11
>>358
似たようなことは上で言ってるね。

本物のバカに決定!
360名無し三等兵:01/12/12 23:14
>>357,358
桑港講和条約で仲間はずれにされた国人決定!
361名無し三等兵:01/12/12 23:15
>>359
どこで選挙で選んだ奴の責任て言ってんだよ!軍部や天皇は選挙で選ばれてんのか?
もしそんな事言ってんなら訂正だ!
362名無し三等兵:01/12/12 23:17
>>360
俺は日本人だよ!じいちゃんは岡山て書いてんだろうが。
おっと、弥生人の時代の事とか持ち出すなよ。彫りは浅いからな!
363名無し三等兵:01/12/12 23:18
お!今日はここで祭りか?(w
364名無し三等兵:01/12/12 23:20
>>362
つうか、「何だ、岡山かよ。DQN決定だな」とかのレスを誘ってんだろうが。
お国自慢から流れてきた嫌岡山厨決定。
365名無し三等兵:01/12/12 23:21
なに祭りだ?!戦争=殺人 を論破しよう祭りか?

戦争=殺人

いったいどこにそんなにムキになるような矛盾があるんだ?
本質を語ったずばりだろ?
366名無し三等兵:01/12/12 23:22
総力戦だから総懺悔ってか?
バカ丸出しだな(w
367名無し三等兵:01/12/12 23:23
真剣な話し、俺のじーちゃんは
インパール前線にいきました。
もしそこでじいちゃんが死んでいたなら
たまたま興味本意で眺めてこの掲示板
に書きこしてなかったでしょう。
作家の武者一雄さんと同じですね。
368名無し三等兵:01/12/12 23:24
>>364
俺は岡山嫌いじゃねーよ。お前俺が日本人じゃないって書いた奴か?
とことんよむセンスねーなー。そろそろ差別用語連呼するんだろうな。
するなよ!荒れるから!
369名無し三等兵:01/12/12 23:28
>>368
すでに君のレスで荒れてるよ・・・
370名無し三等兵:01/12/12 23:29
>>366
誰がそうざんげなんていったよ。戦争は殺人これが俺の前提。
あのね、一億が火の玉になって進んだんだよ?知ってる?何に
進んだの?こういえば解ってこない?あの総力戦がどういう状
態だったか、狂信的・熱狂的な応援の向こうで何をやったか。
煽った連中は?後ろめたいもんがあるから寝た子を起こすなっ
て言ったんだろうなー。当時の国内の映像とか見たことある?
無関係でしたって難しくないか?まして被害者ですとかもな。
371名無し三等兵:01/12/12 23:30
>>368
もういいから回線切ってパソコン破壊してくれ
372名無し三等兵:01/12/12 23:31
>>370
ふーん、そりゃすごいや
それで彼らに他になにか方法があったとでも?
373名無し三等兵:01/12/12 23:31
もう疲れた。頑ななお前らに説いてると、まるで俺の言ってること
が間違ってるみたいじゃねーか。
374名無し三等兵:01/12/12 23:33
>>372
彼らとは、国内で煽ってた連中か?
375名無し三等兵:01/12/12 23:33
>>370
うそつきちょん(^.^)
376名無し三等兵:01/12/12 23:33
>そん時はじいちゃんに詳しく聞かなかったからわかんねーけど、戦友会かなんかについていっ
>た時にも同じこと聞いた。そん時はそこにいるみんな酒を飲んで自慢げだったから戦争に言っ
>た連中はいかれてんだよ。サイコだな。岡山の雰囲気がじいちゃんの真実の姿とか暴走を押さ
>えてるんだろうな。

どうとでも取れる書き方だな。何だよ、「岡山の雰囲気」って。
377名無し三等兵:01/12/12 23:35
>>373
じゃやめれば?
別に誰も君にやれとも言ってないみたいだし
378名無し:01/12/12 23:35
諸君!!私は浅草が好きだ!!

冗談はさておき、ばっかじゃねえの。漏れたちのじいさんが人殺し?
よくそんなことが言えるな。
じゃあスターリンや毛沢東のやったことって何よ。民間人(非戦闘員)の虐殺だよ。
ルメイも戦争に協力する民間人は戦闘員と同じとかいっておれらのじいちゃんやばあちゃんの頭上に
爆弾降らせたんだぜ。
ひょっとしてお前教科書に書いてあること全部ほんとだと思ってんの?
あんなもん日教組に媚びうってつくったもんだよ。
お前ねえ死人に唾かけるようなことすんなよ。じいさんたちは銃後を守るために闘ったの。共産主義の南下を食い止めるとか
いろいろあるけど、何もしなけりゃいまごろおれらシナの奴隷だ。
379名無し三等兵:01/12/12 23:36
誰が誰やらさっぱり分からんぞ
やっぱりIDは要るなあ

バカは一人だよね?
380名無し三等兵:01/12/12 23:37
>>375
お!ついに来たな。
>>376
津山市ってとこだ。嘘じゃねーよ!
381名無し三等兵:01/12/12 23:39
>>370

>>誰がそうざんげなんていったよ。戦争は殺人これが俺の前提。
この地点で君はもう議論する権利なんてない。
自分の考え方を変える覚悟もなしに一方的に言いたいことを言うだけなら、それは罵倒になるだけだろ。
382名無し三等兵:01/12/12 23:39
>>379
煽りが混じって誰がなんやら・・・
うーん多分バカは一人のはずなんだけど?
もうわかりません
383376:01/12/12 23:40
>>380
答えになってないぞえ。「岡山の雰囲気」とは何ぞや?
ちなみに俺は岡山県人ではないが、祖父母をはじめ親戚はほとんど岡山だ。
384名無し三等兵:01/12/12 23:40
何か持論を熱く語ってる方がいるが。

どうやら持論のベースの知識が薄っぺらすぎるらしい。
385名無し三等兵:01/12/12 23:40
>お前ねえ死人に唾かけるようなことすんなよ。
ああこれね、思考停止の元ね。
戦争=殺人 わかんねーかなー
386ごっぐ ◆Cs6PCFec :01/12/12 23:40
兵役拒否する根性のある奴を除けば、戦争に行けば大抵の人は仕方なく人殺しをするわけだが、
侵略戦争と防衛戦争で人殺しの意味は違うし、非戦闘員の虐殺があったりした場合は戦争犯罪と
言ってまた扱いが違うから、なんでもいっしょくたにしたらただの反戦バカだわな。
だいいち煽りにしてもつまらんし。

つか殺人は戦争のごく一部だろ。何が本質なんだか。
イコールで結ぶなんて幼稚な事をしてる奴が居ちゃいかんなあ。
平和とは秩序の事に他ならないといった馬鹿漫画家と同レベルだな。
387名無し三等兵:01/12/12 23:43
>>385
戦争が殺人だってことは、みんなわかってるんだよね。かなり既出だけど。
でも、ここは趣味の板。
目の前で人死にが出ない限り、戦争ですら趣味で語れる板。


だから、君がいくらといても、住人の意見は変わらないし、スレは荒れるだけ。
388名無し三等兵:01/12/12 23:50
>>383
お前が言おうとした事が俺が外国人てことだろ?だから俺は日本人で
じいちゃんは岡山出身うの岡山在住っていってるんだよ。津山ってとこ
だ。津山の市民プールとかその前のしゅうらく園とかプールの横のセ
スナと大きな滑り台のある公園とか証拠出せって言われてもどうしょ
うもないから、とりあえず嘘じゃねーよ。
そんで、酒飲んだら自慢げに始めるんだよ。中国でやった事とかはなし
始めてえれーひでーんだよ。はっきり言って親戚も言ってたが異常だな。
そんでそんなじいちゃんのそんな部分の暴走をくい止めてるのが岡山の
雰囲気じゃないかってことだ。まあ、これは半分冗句だよ。かなりブラ
ックのな。
>>384
戦争=殺人
こんな誰でもわかる薄っぺらな事を理解できない?
国益とか安全保障とか飾りを取れば本質的には人殺しだよ?
389名無し三等兵:01/12/12 23:52
うちの父方の祖父は,戦争中は某大手商社の青島(中国ね)支社に勤めていた。
で,戦争が終わって,連合軍が進駐してくる前日にばあちゃんと親父を含む子供
は脱出したんだけど,なぜかじいちゃんは連合軍につかまってしまったそうな。

その後,なぜかじいちゃんは戦犯扱いで捕虜収容所に入れられ,1年後に
捕虜交換で帰ってきたそうな。

消防のころ話を聞いたときは,「人に歴史あり」って思ったけど,
そもそもなぜ仮にも民間人の祖父が捕らえられたのかなど,不自然な点が多い。
今思えばじじいのフカしだったのか。あるいは情報関係のようなヤヴァイ仕事
をしていたのか・・・
390名無し三等兵:01/12/12 23:54
>>388
つまりてめーはてめーのじいさんの酒の語りが我慢ならんつーんだな
酔っ払いの相手はつらいわな、うんうん
でもチミの愚痴でスレを荒らさないでね
391名無し三等兵:01/12/12 23:56
>>386
>侵略戦争と防衛戦争で人殺しの意味は違うし
これは十分承知している。
ところで、俺のじい様が中国にいったのはどっちの目的だ?中国軍?は
日本を狙ってたのか?
392名無し三等兵:01/12/12 23:57
>>388
漏れは鳥取県在住だが、津山は岡山に遊びに行くときよくとおるぞ。
市街地の真ん中を大きな川が流れてるよな。
津山駅の近くにあるトマトアンドオニオンというファミレスには、ツーリングの
途中よくメシを食いにいく。
あと、津山市のはずれ(鳥取県より)にある国道沿いの満州楼(だったかな?)は
なかなかうまい。一度いってみることをすすめる。
393ごっぐ ◆Cs6PCFec :01/12/12 23:58
日中戦争の意義についてだったらもう完全にスレ違いだから質問スレにGO!
394名無し三等兵:01/12/12 23:59
>>390
そうじゃない。本質的には戦争=殺人ってことだ。侵略戦争なら言うことなし。
395名無し三等兵:01/12/12 23:59
何のスレだかさっぱりわからなくなってきたな
396名無し三等兵:01/12/13 00:00
>>394
はいはいスレ違いだから他所に行ってね
397名無し三等兵:01/12/13 00:05
アメリカ移民帰りの俺のジイサンは、満州に出兵して"お前何がやりたい?”
と個人的に友達だった中隊長に言われて、
”わしゃ訓練がないとこがええの。”
と一言。輜重兵でトラック転がしてた二等兵です。奇しくも同じ岡山県人
です。当時の雰囲気を考えると・・・ある意味不敵なジジイです。

まあ、そういう生き方も選べたってことで、文句は自分のジイサンにどう
ぞ。
398376:01/12/13 00:05
>>388
で、結局「岡山の雰囲気」ってなんだ? 答えてないぞい。
「サイコがストレスの溜まらないDQN」な雰囲気なのか
「サイコに暴走を許さない厳粛」な雰囲気なのか?ジョヲクで良いから聞かせてくれ。
あと、人を嫌韓厨みたいに言うなや。まあ取り敢えず君は俺の従兄弟じゃないようだな。
399名無し三等兵:01/12/13 00:07
>>ALL
じゃあ、もうこねーよ!でもおめーら、勝利宣言は俺だからな!
俺を論破できてねーしな。
それからな、あとで俺のこと晒し上げとかチョンとか言うなよ。
差別用語は禁止だ!バカサヨとかもなしだ。
戦争は殺人だ!
そんな戦争に行く勇気はあるか?そんな戦争を止める勇気はあるか?
そんな戦争を深く考察する事はできるのか?煽る奴はなぜ煽るのか?
なぜ反対する奴がいるか?
布団の中でよく考えるこった。
あと戦争は本質的に殺人ってこともな
400名無し三等兵:01/12/13 00:09
>>399

おめでたいヴァカ?
401名無し三等兵:01/12/13 00:09
>>399
なぁに?
キノーの人をゼロセン厨よばわりしてたやつ?
402ごっぐ ◆Cs6PCFec :01/12/13 00:10
じゃあ何でもいっしょくたにしてるからただの反戦馬鹿じゃんよ。
自己宣告ご苦労様。取り消し不可ね。もう来るなよ。
403名無し三等兵:01/12/13 00:10
>>398
かぐらおのゴーカートや津山城の桜、みやがわの柳通り、聚楽園、心和む雰囲気ってことだ。
404:01/12/13 00:11
やれやれ・・・
405名無し三等兵:01/12/13 00:11
>>388
どっちにしろあの時代では戦争を避けることはできんし、
「参加したくありません」なんて言えるか?
それに虐殺はともかく国を守ろうとした人々が多くいたのも
事実。お前のじーさんみたいな馬鹿ばっかりじゃないんだよ。

俺のじーさんは職業軍人で名古屋の師団。まずは中国へ行って
新兵の訓練を行った後、フィリピンのミンダナオ島へ。
そこで終戦を迎えたらしい。今も親父の実家にはジャングルの
指令部で軍刀を持った姿で写っている。じーさんはハイカラ
(古いが)な人で、スーツを着こなしたモボだったらしい。
趣味はバイオリン。ヨーロッパ文化が好きだったから、欧米とは
戦争したくなかったって。でも国を守る為なら仕方がない。

身長が高い人で当時180センチクラス。ミンダナオで夜に畑で
米兵とばったりはち合わせしたが、身長のせいで味方と勘違い
されてそのまま引き返したそうだ。あと、虐殺は本当にあった
らしい。親父には「戦争は正気と狂気が紙一重の世界。
正気を保つには強い精神力がいる」って言ってたらしい。

で、終戦真際に一緒にいた民間人に子供が生まれたらしい。
みんなは「邪魔だから殺せ」って言ったらしいけど、じいさんは
「子に罪はない」と軍刀でへその緒を切り、軍服を裂いて産着を
作ったそうだ。そんなじいさんは俺の誇りだ。
晩年よくうなされ、部下の夢を見ていたそうだ。何でも
助からない部下に空気注射をしたそうで、みんな感謝して死んだ
とか。でもじいさんはそれをすごく悔やんでいたみたい。

これらの戦争の話は親父にも一、二度しかしなかったらしい。
じいさんも20年前に亡くなったから、聞けないし。
じいさんが親父に言ったことらしいが
「本当に辛い経験をしてきた連中は戦争の話をしたがらない。
酒の席で楽しそうにする奴は、内地勤務の人か虐殺をしてた
馬鹿だけ」と。つまり悪いがお前のじいさんは馬鹿の部類だよ。
だが、他の連中と一緒にするな!
406名無し三等兵:01/12/13 00:12
逝ったか。
まぁ煽らずに、スレの本題に戻そうや。
407名無し三等兵:01/12/13 00:12
>>403
しかし、かの有名な32人殺しも津山だな。
環境がよくてもサイコはいるよ。目立たないだけで。
408名無し三等兵:01/12/13 00:12
>>399
じゃあなぁ〜もうくるなよ〜(w
409名無し三等兵:01/12/13 00:15
なんか勝手に勝利宣言したおめでたいキチガイが去っていった・・・
平和はいいなあ
410名無し三等兵:01/12/13 00:17
>>400
>>401
>>402
つれたつれた。卑怯者のあとだし煽り厨。
反戦馬鹿じゃねーよ!ゼロ戦厨呼ばわりもしてねーよ!おめでたいヴァか
でもねーよ!
オメーら結局 戦争は殺人って言ってる俺のことを説き伏せる事ができな
かったもんな。あとだしでごちゃごちゃ言ってんじゃねーよ!
殺人の善悪はお前が決めろや!
でも戦争=殺人だ!じゃーな!
411名無し三等兵:01/12/13 00:17
>>405
なんとなくだけど分かるなぁ
うちの死んじまった爺さんもシベリア帰りで
死ぬまでロシア人嫌いだったけど
戦争ネタは話したがらなかったし
つっこんだこと聞ける雰囲気でもなかったよ
412名無し三等兵:01/12/13 00:18
>>410
帰ってくるなよ、嘘つき
413376:01/12/13 00:19
>>403
良さげなところですな。来年の盆にでも寄ってみるか。
414名無し三等兵:01/12/13 00:19
>>410
つれた?
釣れたのはお前じゃね〜か(w
415名無し三等兵:01/12/13 00:22
・・・戦争が殺人・・・なに当たり前の事をいってんだ?

自分のジイサンをサイコ扱いしてるけど、こいつの文書みてたら
自分も十分に分裂症の化があるじゃないか。

早めに病院いけよ、マジで。
416名無し三等兵:01/12/13 00:24
また彼は帰ってくるに100ペリカ。
もうそっとしといてやれ。こないって言ってるんだから。

で、スレの本題。
うちのじいさんは若い頃電気系の技術者だったそうな。
戦争中は内地で近畿の田舎の高射砲部隊にいたとかで、
実質何もしないで戦争が終わったとのこと。
北アフリカでの、ロンメルの話なんかも漏れ聞こえてきたそうで、同僚と
「本土決戦になったらアメリカの戦車をこの75ミリで叩き潰す」
とかいきまいてたそうな。
「今にして思えば、気楽なもんだったよ」とさ。
417名無し三等兵:01/12/13 00:38
うちのばあさんの兄弟も沖縄か南方辺りで戦死したらしいんだけど
ばあさん戦争の話一切しなかった。

親父は家族で疎開。その疎開先の近くが今の実家。
418名無し三等兵:01/12/13 00:43
うちのかあちゃん小学校の帰りに戦闘機に攻撃されたらしいよ
419名無し三等兵:01/12/13 00:46
帰ってくるのかな?
なんか、あいつの持論ってヒステリックで客観的な視点に欠けてるんだよな。
確信犯なんだから、放置が鉄則なんだろけどスレが荒れるとおもしろくないし
つい、ムカッときてマジレスしてしまう。
一億火の玉でとか、当時の映像見たかとか、恥ずかしげも無く言える神経が、
うらやましいと言えなくもないが。

さて、うちの「もう一人の爺さん」は、レイテ作戦で飛行機の整備兵として
作戦に参加し、乗艦が沈没した後に駆逐艦に救助され、後に台湾辺りから
潜水艦で内地に帰還したのだと生きてる頃に言っていたな。
どの船に乗ってたんだろね、聞いとけば良かったよ。
420名無し三等兵:01/12/13 00:54
母方の祖父、満州で兵站にいたらしい。
やっぱり露と強酸大嫌いだった。
421名無し三等兵:01/12/13 01:14
祖父1は大阪で左翼活動してました。
祖父2は中国沿岸都市で憲兵してました。

祖父2の仕事はわりにやばい内容だったらしく、生前
ほとんど語ろうとしませんでしたが、朝鮮の王族を
列車で送る役目をしたことなどポロッと漏らした
ことがあります。
422名無し三等兵:01/12/13 01:39
>>415
分裂症ってどういう症状かしってんのか?俺の言ってることは一貫してるぞ?
こういうのは分裂症とはいわねーよ。
>>419
>一億火の玉でとか、当時の映像見たかとか、恥ずかしげも無く言える神経が、
>うらやましいと言えなくもないが。
一億火の玉ののぼりを出したり竹やりの練習したり言ったりしていたのはじい
ちゃんたちだぞ?恥ずかしいってのはじいちゃんたちがか?
だって俺見たもん。ほんとにやってたんだよな?十字架にかけられた奴に銃剣も
って走ってる映像も見た。これは左翼が戦後作ったインチキ物なのか、なるほどな。
でっち上映像をまに受けてんなら恥ずかしいわな。
そっれとも、まさかおまえ自分の国の歴史を恥じてるんじゃなかろうな?
もう来るなってのが本音なんだろ?オナニーさせてくださいも言わなくていいや。
その代わりあとでごちゃごちゃ言うなって。日本男児らしくねーなー。ただの煽
りみたいな事なら俺でもいえるわ!言うなら「戦争は本質的には人殺し」について
間違いを指摘してみろや。

また俺個人の事をどうこう言う卑怯な奴がいたらもうこねーは無効になるかもな。
何もオナニーをするなとはいってねーんだ。じゃあな!
423名無し三等兵:01/12/13 01:42
この芸風は水みみずに違いない
424名無し三等兵:01/12/13 01:46
べつによばれなきゃこねーよ!俺の理論ではなく、俺のことどうこういうのは
呼んでるのと一緒だ!それに水ミミズじゃねーよ!
425名無し三等兵:01/12/13 01:47
>>423
誰それ?
426名無し三等兵:01/12/13 01:50
でさ、何が言いたいの?>>422
此処は軍事板で、父や祖父が前大戦で何やってたか?
ってスレだよね…
427名無し三等兵:01/12/13 01:51
>>422
だれも君をお呼び出ない
仮にも日本男児が来ないと自分で言い切ったからには来るなっ!
428名無し三等兵:01/12/13 01:52
↓諸君、これが水みみずたんだ。
http://yasai.2ch.net/army/kako/988/988360763.html

もしかしたら888getのデビューもこれかも知れない。
429425:01/12/13 01:57
>>428
サンクス・・・良く解ったよ・・・
430425:01/12/13 01:58
あと、そこのスレに
>戦争で相手を殺すのは愚という常識が判ってないだろう?
>戦争において敵国に一番負担をかけさせるのは虐殺する事ではなく
>如何に敵兵を傷つけ後送させるかである。死んだ兵士は誰も相手に
>しないが、負傷兵を後送するには最低2名の兵士が必要となる。
>つまり一人負傷させると敵は3名失う事になる。
>虐殺やって敗戦したら報復を受けるの…
こんなレスも・・・
431名無し三等兵:01/12/13 02:07
>>428
水みみずってすげーな
ここまで悲惨な奴はそうそういねーぞ
432名無し三等兵:01/12/13 02:10
>>430
実際対人地雷がそういうコンセプトで出来てますわな
戦争ってコスト競争でもありますからねぇ
433 :01/12/13 05:18
俺の親戚は航空機の武装の開発をしていたらしい。
じいちゃんは中国に出兵した。具体的な場所は忘れた。
434名無し三等兵:01/12/13 05:29
>>428
そのスレ、1000越えても書き込みされてるんだな。
それもみずみみずの威力か?
435名無し三等兵:01/12/13 11:28
母方の祖父、故人。秋田県出身で、満州に居たそうです。
昭和19年に内地に戻り、祖母と見合いして婿養子に入りました。内地に戻ってからは、兵役に就いていなかったとか。
祖母が言うには、『酒もタバコも賭け事もやらない人だったけど、満州でおぼえた珈琲だけは、最期までやめられなかったわねぇ』・・・・満州で兵隊やってて、コーヒー?
一度くらい、話を聞いておけばよかったと思います。
436名無し三等兵:01/12/13 11:53
爺さんは北支。爺さんの長兄はラバウル。次兄が宮古島。弟が学徒出身士官で
北海道。なんと全員生き残って帰ってきました。全員陸軍で、終戦後に兄弟間で
「オイ中尉殿、ビール持って来い」と、階級だけは一番上の末っ子をからかうのが
流行りだったとか
しかし、不確定名水みみずMK.2も>1の意思には従っているのだよな………。
ふつう、これくらい不毛な言い争いは無いぞ……。

母方の祖父は馬丁をやっていたらしい。蹴られて大怪我、内地に帰ってきていて、
運良く南方に行かずに済んで、大陸に戻ったらシベリア送り(笑)
ちなみに「奴ら(→馬)は性格が悪い。絶対に可愛いと等とは思ってならん。」
とかなりきつい口調で幼稚園時代言われた事がある(笑)
多分、露西亜人に対する恨みよりも馬に対する恨みのほうが深かろう………。
フェイントを入れてから攻撃してきたりするんだそうな。髪の毛食われたりとかも。
438名無し三等兵:01/12/13 13:11
母方の祖父は、台湾に送られたらしい。
主計(食料調達?)担当だったらしくかなり美味しい目して帰ってきた。
台湾では、食料が豊富だったらしい。
439名無し三等兵:01/12/13 13:50
母方の祖父は中国戦線のどこかで衛生兵やっていたそうです。
一度部隊が全滅したときも運良く帰還できたらしいです。
でも部隊再建された後沖縄戦が激しくなったので沖縄へ
移動することになったんだけど、輸送船で移動中に潜水艦に
やられてあえなく戦死してしまったそうです。
戦後シベリア送りと沖縄戦で戦死のどっちが良かったのか
悩むところです。

ところで、つい最近祖父の陸軍服姿の写真がでてきたんだけど、
顔が異常に自分そっくり。
どおりで、健在の祖母に会うとじいさんにそっくりになったと
いわれるわけだ。
440名無し三等兵:01/12/13 13:54
うちの死んだ爺様は、露戦線へ送られる筈だったのに、
行きの艦の中で重度の感染性肺炎を起こして、向こうに着く頃には
カナーリな重症になってて、現地で手術をして片肺ともう片方の4/3切除して、
役たたずの称号をもらって凱旋してきたとのこと・・・はずい・・・
441ロボ三等兵:01/12/13 14:17
父方の伯父(長兄)はインパール作戦に参加、本当に悲惨な戦い
だったらしい。背が低かったから(155CM程)助かったと伯父は
語っていた。なまじっか体が大きいばかりに機関銃担がされた
連中は本当に可哀相だったと。昼間は頭上をホーカ・ハリケーン
が飛び回りほとんど行軍できなかったそうだ。
道の其処此処で餓死した兵士の腐乱死体を見たとのこと。
水島上等兵については「知らん!」と言っていた。(藁
同じく父方の伯父(次兄)は乗っていた船が台湾沖で潜水艦に
アボーン、軍隊の逸話は語られること無く靖国神社に祀られている
442名無し三等兵:01/12/13 14:55
近所に住んでいたお爺さんが先日、亡くなった。
そのお爺さんは、毎日、どんな日も朝早くから墓地に出かけて、
そこで墓地全部を掃除したり、草をむしったり、無縁仏さんにも
お参りしたりしていて、変わり者あつかいされていたお爺さんだった。
それからしばらくして母が話してくれたのだが、そのお爺さんは
戦時中、海軍の潜水艦乗りだったそうだ。
その潜水艦が敵の攻撃で静められた時、そのお爺さんは奇跡的に
一人だけ、助かって生きながらえたという事だった。
そのお爺さんの気持ちは、今となっては分からないが・・・・
果たして、もっと早くその話を聞いて、そのお爺さんに色々と
聞いておくべきだったのかもしれないが・・・・だが、私はその
お爺さんに、面と向かって当時のことを話してくれ、と頼めたか
どうかは解らない。
今は、そのお爺さんと同胞たちのご冥福をただ、お祈りするだけだ。
443名無し三等兵:01/12/13 16:17
おじいちゃん達は、様々な人生を歩んできたんだねぇー
444名無し三等兵:01/12/13 16:21
なんかここに戦争ダメダヨって左翼がいますな。戦争しますか?日本人やめますか?
445名無し三等兵:01/12/13 17:05
先祖を尊ぶことを忘れてはいけません。
彼らがいなければ私たちは、いない。
446名無し三等兵:01/12/13 17:13
祖父を、人殺しとしか見ていない人がこのような板にくるのが残念です。
そのような人は、自分をどう見ているんでしょう?
447新兵:01/12/13 17:25
>446
同感です。自分ばっかりいい子ちゃんぶるのはやめて貰いたいな。
現在、日本の学校で使用されている歴史教科書には、歴史の上っ面のみしか記載されていない。
その上面だけで、全てを知ったかのように振舞うのは、愚の骨頂。
世の中には裏と表があるように、歴史にも裏も表もある。
そのことを理解して欲しいな。
448名無し三等兵:01/12/13 17:31
満州国境にいて、終戦間近のソ連軍と戦ったとか。
ソ連が侵攻してきた日はそれはもう大変だったそうで、
「上からは敵の飛行機がやってきて、前からは地平線いっぱいに戦車がやってきて、
 急いで逃げたんだ」
とかいってました。
終戦後、シベリアへ行ったそうです。
シベリアでは、まず縦に一列に並べられて、「いち!に!いち!に!」
といった具合で番号をつけられたそうで、一は右へ、二は左へ行かされたそうです。
一は山で木を切る仕事を、二は将校の世話をやらされて、うちのじいちゃんは運良く
二へ言って、ロシア将校の世話をしたそうです。爺曰く、
「木を切った奴らは飯があんまりもらえなくて、餓死者がいっぱいでた。
 だけど、ウチらは兵隊と一緒にいたから、飯がたくさんもらえた。」
等と言っておりました。
449名無し三等兵:01/12/13 17:34
父方の祖父は運輸省勤務の工学博士で、徴兵されませんでした。
戦中は中国などで港湾施設の設計をやっていたとか。
戦後は破壊された日本の港の再建に携わったらしい。

母方の祖父は九州帝国大学在籍中に学徒動員され、海軍士官に。
乗り組む軍艦が無かったので、本土決戦九州防衛の陸戦隊にまわされましたが
実戦を経験しないまま終戦。
戦後は大学に戻りました。

母方の曽祖父は農民だったけど、借金がかさんで台湾に夜逃げ。
台湾では警察官になって、いい暮らしができたとか。
徴兵されず。
450名無し三等兵:01/12/13 17:41
>>443-447
(・∀・)「イジョウ、ジサクジエンデシタ!!」ダトイインダケドナー マッタク
     センソーロン ヨミカジッタダケノオコチャマガ ワカッタヨウナツラヲシテ… ブツブツ
451名無し三等兵:01/12/13 17:45
>>450
戦争論しか読んでない?
教科書しか知らないやつが言うな
452名無し三等兵:01/12/13 17:47
>>450
カタカナは、読みにくいんだよ!
453名無し三等兵:01/12/13 17:54
「きゃーたすけてー」
たいへんです。こっきょうをこえてソビエトのせんしゃがせめてきました。
かんとうぐんはおおあわてです。
「そうだ、はしをこわそう」
あたまのいいへいたいが、いいました。
かわをわたれなくなったそびえとぐんは、
にげおくれたにほんじんをれいぷしました。

たすかったかんとうぐんは、にほんにかえって
えらいひとになりました。めでたし めでたし。
454ロボット当番兵:01/12/13 20:26
つい先週のこと、義父と呑んでいて近い先祖の話になったのですが、その時の会話。

義父:「祖母の従兄弟は昔の陸軍の軍人で、満州事変の時に関東軍で参謀をやっていたんだ。
たいそう頭の良い人で、将軍にまではなったんだけど、結局上とケンカしてクビになって、戦後すぐガンで亡くなったんだよ。
でも満州事変の関係者ってことで、東京裁判に証人として呼ばれたりしたそうだ。」

私:「・・・ちょっと待って下さい。もしかしてイシハラって人じゃないですか?」

義父:「おぉ!そうだよ。若いのによくそんな古い人知ってるねぇ。」

私:「いや前にどっかで読んだような・・・(軍オタだと義父に知れるとまずいような気がしてごまかす漏れ)」


私の義理の曾祖母にあたる人(もちろん故人)は、郷土の誉れ高き秀才で、救国の英雄になり損ねた従兄弟の「カンちゃん」を、終生自慢にしていたそうです。
455名無し三等兵:01/12/13 20:31
父方の爺さんは明治生まれの為、軍隊経験は
「一遍、兵営へ行っただけ」
母方の爺さんは大正14年生まれなんだが
北海道で炭鉱坑夫してたので昭和20年5月まで
徴兵されず、千葉で南方行きの船待ち中に終戦。
でも、母方の大叔父さんは20年9月か10月に
白頭山で戦死したらしい。「戦争終ってたのにな」母方爺さん
#満鮮国境で戦闘?多少調べたが真偽不明。でも厚生省認定。
456名無し三等兵:01/12/13 20:39
>453
そのときにね、ふしょうしたへいたいさんもみんな
おきざりになったんだ。さんぱちとしゅりゅうだんをもたせてね。
ひきつけるだけひきつけて、じばくしたんだってさ。
ばーさんのもとにおとずれた、せんゆうというひとが
おしえてくれたんだってさ。
だから、ばーさんは、いこつしゅーしゅーだんには、
ぜったいに、いかない……。
457ロボット当番兵:01/12/13 20:49
>>455
ソ満国境には9月末まで戦闘してた要塞とかもあるから、
別に認定されてもおかしくはないんじゃないかな。

そういえば小野田少尉の部下で昭和48年に戦死した人はどういう扱いなのかなぁ?
458名無し三等兵:01/12/13 21:03
満州ネタ多いな。海軍の人はおらんの?マリアナ沖の逝き残りとか。
俺の祖父は体格不良で徴兵されなかったので、あいかわらずの大学生活をエンジョイしてたそうだが、
本土決戰に備えて竹槍訓練や消火訓練なんかはしてたそうです。
459名無し三等兵:01/12/13 21:10
>>457
小塚金七一等兵ですね。
どうなんだろう。
「最後の戦死者・小塚金七」
って本があるけどその辺は言及されているんでしょうか。
持っている方いらっしゃればレスキボンヌ
460名無し三等兵:01/12/13 23:20
母方の祖父は、鼓膜が破れていたので、兵役を免除されたそうです
さらに、そのせいで軍医に殴られたとか・・・

もう亡くなってしまいました
もっといろいろ聞きたかったなぁ
461名無し三等兵:01/12/13 23:45
大日本帝国万歳。

帝国の復活を。今すぐでなくてもよい。
我々の世代で出来なくてもよい。次の世代に
その可能性を残す下準備をするまで。
462名無し三等兵:01/12/14 10:06
父方の祖父は占領下のフィリピンで行商やってた。
だから親父はフィリピン生まれ。
景気のいい時は使用人が5人ぐらいいたらしい。
で、戦況が悪くなって日本に引き揚げた直後、召集がかかり、
行かされた場所が硫黄島…
一応戦後に遺骨らしいもんが届いたらしいが、骨きれが何個か入ってた
だけだったそうな。
463462:01/12/14 10:15
スマソ、行商じゃないや、雑貨屋だ。
で、一番のお得意さんは、印僑だったらしい。おそるべしインド人…
464名無し三等兵:01/12/14 10:28
オヤジのほうの爺さんは、満洲の警察学校の主事(教頭?)だったそうな。
んで、ソ同盟に連れて行かれてシベリアじゃないところに
連れて行かれたみたい。
んで、帰ってきてすぐに交通事故で召されたそうな。
この間、おじさんが、爺さんの抑留日記をまとめて製本して、
兄弟に配ってた。(帰ってきてから書いたんだったけかな‥忘れた)
オヤジに送られてきたの見たけど、なかなかに興味深かった。

母ちゃんのほうの爺さんは、医者で40近かったせいもあるのか、
兵隊にとられたのは昭和20年。ずっと内地にいたみたい。
465ロボット当番兵:01/12/14 23:59
>>459
そうそう。私が読んだのもその本でした。図書館だったので手元にないなぁ。

まぁ冷静に考えると、とっくの昔に家族(居れば)が、死亡の申し立てを出しててもおかしくないですね。
戦地に行ったきりなんだから、よほどの事情がない限り遺族にも認定されたのではないでしょうか?
「生きてたんだから年金返せ!」なんて、当時の厚生官僚は言わないでしょう。
昭和48年なら、戦争経験者があちこちで現役だったでしょうし。
466名無し三等兵:01/12/15 01:09
父方の祖父(故人
満州で警察官してました。
親父はそこで生まれて、伯父とか、祖父母と一緒に
黒龍江のほとりで撮った写真がじいさんの家に有りました。
467名無し三等兵:01/12/15 01:33
うちの母方の爺さんは、満州国境で警備兵として兵役に着いてたそうです。
ただ、中国との国境だったらしく、そのまま終戦を迎え無事帰ってきたらしいです。

しかし、爺さんの親友だった方がシベリアに抑留され亡くなったらしく、
爺さんは死ぬまで自分だけが生きて帰ってきた事を悔やんでいました。
468名無し三等兵:01/12/15 03:02
www.mirukiku.com/midi/nhk/paris_88.zip
尉官だったと思う。
470名無し三等兵:01/12/15 09:15
友達のじいさんは、明野の飛行隊やらなんやらで自転車で青野ヶ原に通ってたそうだ。
隼の整備してたそうだ
471名無し三等兵:01/12/15 13:49
親戚のことはもう書いてしまったのでスレ違いかもしれませんが、

小学校の時の校長は偵察機に乗っていた、担任が病欠したときに
自身の戦争体験を語ってくれた。
乗っていた機体は「彩雲」のような専用偵察機ではなく武装を外
した戦闘機、プラモデル少年で米軍戦闘機の最高速度を知っていた
消防時代の漏れは生意気にも「速度が劣る飛行機で偵察活動が出
来るのか?」と質問したら、校長は自信たっぷりに「太陽や雲の
死角から不意打ちを食らわない限りは大丈夫!武装を外した戦闘機
は最高速度も旋回性能も通常の戦闘機より上、絶対逃げきれる!!」
と答えてくれた。そりゃー逃げ切れなかったら教壇に立ってる訳
ないもんな〜。
その校長は漏れが卒業した翌年に校長在任のままガンで死亡
もっと話を聞きたかった。
472名無し三等兵:01/12/15 15:01
陸士卒、皇道派、昭和11年の粛軍で退役・・・16年再召集(大佐)
終戦後即満州で病死アボーン。
473ななし:01/12/15 17:22
昭和5年生。陸軍幼年航空兵?
グライダー乗ったところで終戦。
朝鮮人が大嫌いで、悪口しか言わなかった。
そのときは「そんなに言わなくても」と思ってたが、
2chに来て父の正しさを再確認。
474名無し三等兵:01/12/15 17:54
昭和2年生まれ。戦争末期、海軍に志願。
終戦後も治安維持のため武装解除されず警察隊に編入。
終戦直後、実際に三国人(朝鮮人)が「戦勝国民だあ!」とか言って
武器庫を襲ったりして大暴れしたので、やつらと銃撃戦やったそうです。
475名無し三等兵:01/12/15 17:58
>>5
これまた奇遇だな。うちの母方のじいちゃんも満鉄勤務から徴兵で和歌山の軍隊、そこで戦争終結。
476名無し三等兵:01/12/15 18:58
満州「国」の外務省勤務。
477名無し三等兵:01/12/16 11:29
祖父 大正5年生満州にいた。戦車の運転兵。車外で拳銃構えてるカッコつけ写真
有り。生存。「ごみを燃やしていて子供の足がでてきた。」とか言ってた。
祖父の兄(長男)昭和20年4月フィリピンにて戦死。海軍少尉。
祖父の兄(次男)昭和19年?月中国福建省にて(字あってる?)戦死。陸軍上等兵。
 関係ないけど先月退職した80歳元大工の人は、松代に防空壕掘りに行ってたそうだ。 
478名無し三等兵:01/12/16 11:40
電信管?作ってたらしい
479名無し三等兵:01/12/16 11:43
【速報】阪神・カツノリ退団【退団】
だそうだ。カツノリヲタは残念(藁
↓関連スレ(有力ソース付き)
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/sky/1008325770/l50
480名無し三等兵:01/12/16 11:54
>>85
そうそううちの爺さんもムスタングはたいした事ないといっていた。
うちの爺さん陸軍で五式戦と三式戦に乗ってたらしい。
p公(P-38)がいちばん嫌だといってた。
グラマンはムスタングよりは全然いい飛行機だとも言っていた。
481名無し三等兵:01/12/16 22:53
父の従兄弟にあたる人は、
終戦の日に宇垣中将と最後の特攻に行った大尉。
城山三郎の本に出てくる人。
482名無し三等兵:01/12/17 00:01
日華事変〜終戦まで本土と満州を行ったり来たり。
だいぶ前のレスでも誰か書いてたけど帰ってくる度に子供が増えてる(親父は9人兄弟)

最終的な階級は軍曹(親父からの伝聞)で軍刀と38式騎兵銃を持った写真が今も残ってる。

それから爺ちゃんが上等兵の頃営舎の門限が守れず、遅れて帰る度に衛兵にドヤされるのがウザかったので
階級章の三ツ星に道端に落ちてるワラを差し込んで曹長に化けて帰るという事をやってたらしい。
最初は軍法会議モノかとヒヤヒヤしたそうだが今までエラそうなヤツらが敬礼で迎えてくれる様子が
非常に愉快だったようでその部隊で一時期流行ったんだそうだ。

それと叔父(当時9歳)が空襲の時柿の木に登って爆撃機に向かって石投げてると前方から
低空飛行してきた二機のP−38(本人談)の風防が開いて野球のグローブとキラキラした金属片を落した後
旋回してニヤっと笑いながら敬礼して去っていったそうだ。
本人は命の危険というより初めて見た白人の風貌にビビったそうだ。
483myu−:01/12/17 06:37
私の祖父は徴兵されて南方輸送の際潜水艦にやられたそうな

厨房時代の部活の顧問がシベリア帰りで過去の事は聞かないようになりました
何故かって?
 ある日社会科の先生が生き証人であるR先生(シベリア帰り技術担当)を歴史の時間に
招いて講演してもらう事になりました。
 社会科の先生にしてみれば戦争の悲惨さ現実を教えて欲しかったのでしょうが...

R先生の話が始まり当時の戦況.人々の暮らし等々で2〜3分が過ぎ終戦>シベリアに
話が移ると私と部員は(来たぞ...苦笑)
 シベリアでの生活を話すうちに零下41℃で作業中止零下40℃だと作業しなければならない
たったの1℃でも40℃は40℃41℃とは天国と地獄とにかく1℃しか違わなくても零下40℃では
作業しなければならない......延々と壊れたレコードの様に40℃と41℃を繰り返す(藁

もうかなり昔の話なので42℃と43℃だったかもしれませんが、彼人には同僚が次々倒れていく中での
温度計の非情さ?がトラウマとして重く圧し掛かっていた様です。
484.:01/12/17 07:33
>>483
『シベリア超特急』は零下何度?
485myu−:01/12/17 08:28
>484
すみません解りません

関係ないですが以前職場の顧問(様は天下り)将校として大陸にいたらしく
酒席になるとあの時は中国娘を強姦しまくって最高に楽しかったと言われてました。
 目上の人、一助兵衛親父として羨み、人として情けなくなった覚えが...

あ?母方の祖父はなんで戦争行かなかったんだろう?ただの百姓のはずだが?
486名無し三等兵:01/12/17 12:18
うちのじじいは、二水戦の生き残り
487 ◆YjtUz8MU :01/12/17 12:21
>>479
お前、バカ?
詩ねよ。
488486:01/12/17 12:31
あ、二水戦→レイテ沖でボコボコに→どこかの特根→終戦ね。
主計局なんとか?発行の、お買い物券(のようなもの?)が残ってるが、見ると
「キャラメル 15個」「キャラメル 10個」と、書いてある。大の甘党
489名無し三等兵:01/12/17 12:43
>>486さん
二水戦で生き残りって事は、もしかしておじいさんは元雪風の乗組員とか?
単細胞質問スマンです……
490名無し三等兵:01/12/18 12:37
長期化が予想されていたアフガニスタンの戦争も、
どうやらゴールが見えてきたようだネェ。
それにしても、外国の援助無しで世界中と戦うのがいかに困難なことか、
3年9ヶ月も戦い続けた偉大なおじいちゃん達をたたえ、age
491名無し三等兵:01/12/18 23:43
身はたとへ武蔵の野辺に朽ちぬとも
       留め置かまし 大和魂

英霊の方々の誠は今も尚、胸を打ちます
       頑張ります
492:01/12/25 11:48
何かのお役に立てれば。既出だったらスマソ
「帝国陸海軍現存兵器リスト」
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/list.html#nakat
493名無し三等兵:01/12/25 11:54
うちの爺さんは運転免許を持ってたから舞鶴港でトラックの運転してたらしい。
494名無し三等兵:01/12/25 11:56
家のじいちゃんはシベリア抑留から脱走して日本に帰ってきた
豪傑です。その脱走時に腹に撃たれた痕が残ってます。
今80才ぐらいですが、元気で生きてます。
495名無し三等兵:01/12/25 12:31
うちのじーさんは、黄河のあたりから長江まで、鉄砲担いであるいた
そうだ。鉄道ぞいに。
多分、日中戦争のころ。
ボケてしまったんだけど、今でもその時の話をしますが、ボケてて話が
まとまらん・・・・・
途中で、撃たれて右腕切断寸前の怪我をして、途中で送り返されたそうな。
496名無し三等兵:01/12/25 13:07
>>493
地味だが(・∀・)カコイイ!
>>494
カコイイ━━━━━━━━━(・∀・)━━━━━━━━━!!!!!
497名無し三等兵:01/12/25 14:53
慰安婦抱いてた
498名無し三等兵:01/12/25 15:19
内地勤務。仙台で”偽装砲台”を作ってたそうな(笑)
言ってはいけないことだが「日本、負けるな。」と思ったそうな(S19年の話)
499コウジ:01/12/25 15:26
国鉄の車掌やってた。
痔だったため(w、兵隊に取られずにすんだらしい。
もっとも、当時40くらいだったんだが・・・
(15年前他界)
500名無し三等兵:01/12/25 15:31
南太平洋戦線に行き。
病気にかかり、撤退時に手榴弾を渡され自決する
はずだったのですが、ある医者に潜水艦の席にのせてもらい
本土に帰国できました。数年前に無くなりましたが、いまだに
命の恩人である、そのお医者さんとは連絡がとれてません・・・
501名無し三等兵:01/12/25 15:31
親父は中学生で広島の軍需工場で勤労奉仕していた
そして爆心地2kmで被曝
B29が落とした落下傘を見てから友達に知らせようと地下室に降りたところでピカッときたそうだ
よく助かったもんだよ
502名無し三等兵:01/12/25 15:40
>>500
奇跡だな。
503名無し三等兵:01/12/25 15:45
じいさんが大陸で伍長をやってたらしい。もう死んじまったけど。

昔は戦争のことを聞くってなんかダメみたいな風潮があったから
結局聞かず仕舞い。もっと詳しい話を聞いとけばよかった…
5040332:01/12/25 15:46
郡山の空襲の時、炭やいてたそうだ。
505名無し三等兵:01/12/25 16:17
祖父 工場で働いてた。
曾祖父は日露戦争に行ったらしい。
506名無し三等兵:01/12/25 16:32
 祖父は東南アジア(インドネシア?)に行って何をするでもなく終戦。
帰還後にマラリアにかかって死にました。当然年金は出ません。
507名無し三等兵:01/12/25 16:36
内地勤務。「寒いときに水でずぶぬれになっても煙草を吸えば風邪をひかない」
と上官に教えられたらしい。
508名無し三等兵:01/12/25 17:10
海軍の機関銃手でニューギニア。
陸上配置みたいだけどそれ以上は不明。
509名無し三等兵 :01/12/25 19:49
友達の爺様は戦艦比叡の機関兵だったらしい。
ソロモンで比叡が自沈した際の事、金剛型が
一番日本戦艦で活躍した事なんかを話してくれたなぁ。
510名無し三等兵:01/12/25 19:51
うちのじじい大和のカッターのったとかいっとったなぁ
511名無し三等兵:01/12/25 20:06
母方は航空隊の整備兵でタイまで行ったが、英軍に捕まった。
待遇は紳士的で良かったらしい。
が、レンバン島(無人島)へ流された(汗
父方は関東軍だったよ・・・
512U-名無しさん:01/12/25 20:10
衛生兵だったらしい、ってことしか知らない。話したがらなかったし。
最早故人ゆえ、聞くにも聞けず。むむ。

ただ、中・高の技術教師がシベリア抑留経験者で、よく話聞きに行った。
そのせいか、大したことしてないはずの技術の評点、良かったな〜。
513名無し三等兵:01/12/25 20:47
 父方は陸軍省の役人で、かつ年いってたんで軍隊行ってない
オヤジの兄はフィリピンで九死に一生(マラリヤにヤラレタ)
 母方は満州電電公社。一応社宅の世話役やってたけど、戦争
直後、関東軍が一気に引き上げるのに、将校と談判して38式
10丁と弾1000発置いてかせて、押し寄せてくる暴徒を
迎うったといってた。その後ソ連がやってきて一応収まったが
、ソ連から「軍隊に行ったことのある人は駅に出頭すること」
という通知を受け取ったが、「戦争終わったのに正直にいくこたない」
といっって行かないよう周りを説得。正直に駅に行った人はすべて
シベリア送り。
514名無し三等兵:01/12/25 21:08
このスレ、冬厨こなくなったね。

さて、爺さんの弟は住職でしたが従軍して大陸で戦死しました。
坊さんでも最前線に立たされるんですね、知らなかった<厨房
515名無し三等兵:01/12/25 21:43
うちのじいさん(故人)は終戦時、小笠原にいました。

関係ないけど、近所の米屋のじいさんは大和に乗ってて戦死しました。
516名無し三等兵:01/12/25 21:44
叔父その1‥中国で軽機を撃ってたらしい。沢山人を殺したと言っていた。
もう亡くなったので詳しいことは聞いていない。

叔父その2‥海軍士官。任官したのが終戦の少し前だったので、乗る船が無く
本土決戦用の陣地を千葉で作っていて終戦。

近所のじいさん‥軍属としてトラック島に赴任。戦争に勝っている時は楽しかったが
輸送船が途絶えてくると、食べ物に困ったそうだ。武蔵を見たと言っていた。
米軍の艦砲射撃は凄まじかったそうだ。
517名無し三等兵 :01/12/25 22:41
叔父は特攻隊の教官をしていたらしいです。今でも健在でたまに講演とかしています。
しかし親戚の集まりなどでは、よほどつらい思い出だったのか、戦争の話をすると白い
目で見られると考えているのか、戦争の話はしようとしてくれません。

一言ぼそっとつぶやいた「負ける戦争はやるもんじゃない」という言葉が印象的でした。
518名無し三等兵:01/12/25 22:50
2回徴兵され中国大陸で山砲の部隊を指揮していたそうな。
でもコミュニストだったりする・・・。
戦争から帰って大阪で夜中にビラを貼って回っていたらしい。
その後、やばくなって中国に逃亡。
そこでなぜか信号機会社つくってブルジョワに(w
で、終戦で全てパー。日本に送った金目のものはガトー級に沈められたとさ。
519名無し三等兵:01/12/25 23:01
母方の祖父は丙種で戦争に行かず。

父方の祖父も何でか知らんけど戦争に行かず。
御先祖さんのことは悪く言いたくはないが・・・
この父方の祖父がまたヘタレというか何というか。
(当時滋賀の田舎在住、運送会社経営、会社は戦後アボーン)
相当の遊び人やったみたいやけど、昭和10年代は麻雀にこってたらしい。
麻雀は晩にすることが多い?けど、当時の晩は灯火管制。
ほんでどうしたかいうと、
電球放り込んだ炬燵の中に頭突っ込んでまで、やってたらしい。
昭和18か19年には岡山(岡山の出やから)へ家族旅行。
当時のこと故、ゲートル巻いて出掛けたとのこと。
その頃の様子を婆さんが面白可笑しく話してたのを想い出す。
田舎でカナーリマターリしとったみたい。
因みにこの人の弟は比島で戦死。
520名無し三等兵:01/12/26 00:03
うちの祖父(1920年生まれ)ははじめ満州に駐屯していたそうだけど、
そのうち輸送船に乗っけられて内地に還れるとおもったが、
本土に上陸せずにそのまま一路ソロモンへ。どこの島かしらないが・・・。
そこで戦っているうちにマラリアにかかって一足先に病院船で本土に帰還。
もといた部隊はその直後その島で玉砕したそうだ。ホントかどうかしらないが・・・。
本人からきいた訳じゃないけど(祖母から聞いた)、あまりこっちから切り出せない。
今もまだ聞けないでいる。くわしく聞きたいけど・・・。
521名無し三等兵:01/12/26 00:28
伯父は京大卒で、死んだ婆さんに言わせれば
さっさと志願して軍関係の学校にでも入学していれば士官で
入隊できたのに、オリバー・ストーンみたいなエリートの理屈をこねて
二等兵で徴兵されたらしい。

4隻の輸送船に分乗して中国大陸へ送られる途中、3隻が沈められた。
戦後は抑留。帰国したら身体壊していて1年療養したそうだ。
抑留中は戦友がクビ吊ったりして、悲惨だったらしい。
522名無し三等兵:01/12/26 00:36
祖父さんは、当時すでに徴兵免除の年齢で農民、親父は7人兄弟の
5番目で小学校低学年、兄弟の上の方は女なので結局誰も戦争には
行ってない。むしろ、曾お祖父さんが侠客(ヤクザ)だったので
親父も叔父さんも武士道というよりかは侠道精神にうるさい・・・
523 :01/12/26 01:03
酒流弾の投げすぎで耳が悪くなった伯父機。同胞がミンチのようになる
中で良く生き残ったものだ..。あと人間魚雷として突撃命令を受けて
いたが運良く終戦となって生き延びたおじさん..。嘘みたいなホンと
の話。あと都内は爆撃で死体の山だったって。腐るからまだしにかけで
ピクピク動いてた女の子でもまぐろのように扱われ、死体の山こしらえ
て何千人ってあちこちで連日ガソリンまいて焼きまくってた。
荒川は死体で埋め尽くされまくり..お腹を風船のようにして何万体の
屍が漂流。くさいのなんのって。伯父機が愚痴ってた。
524名無し三等兵:01/12/26 01:09
うちのじいさんは厚木飛行場の海軍にいた。当時の厚木基地は地下に
縦横無尽に壕が掘り巡らされていたそうな。うちのおじいさんは当時と
しては優秀だったそうで事務系についていたために特攻隊等に入らずに
すんだらしい。厚木からも何機も飛び立ったそうだ。平成に入ってから
日テレから取材申し込みがあったそうだが何故かうちの母親が断っていた
525名無し三等兵:01/12/26 01:14
俺の祖父は伍長で終戦だったが、いつも自慢していたのが北支戦線で
胸に受けた銃弾らしい。
これが名誉の傷でキンシ??勲章をもらって摘出手術さえ拒み遂に
棺桶まで胸の銃弾を持っていったよ。
そんで、戦後はキンシ??会なる在郷軍人会に所属してたらしいけど
誰か知ってるかな?その会で作ったネクタイピンは俺が毎日身に
付けて会社に行ってるよ。
526 :01/12/26 01:27
ゼロ戦特攻隊もヒロポンずけで恐怖を麻痺していたんだね..
あと、母艦から突撃してる様子を上官達が双眼鏡で見ていて命中するか
どうかを金賭けて楽しんでいたそう。「あいつはずしやがった。」
とか、「よっしゃ命中。」とか戦いそっちのけ。
海軍情報部だった祖父はまだ若造だったからなにも言えなかった。
527名無し三等兵:01/12/26 01:32
>>526
頭悪い煽りするな。空母機は特攻してねえっての。
特攻が始まった頃には空母が戦力になってねえ。
528名無し三等兵:01/12/26 01:55
>526
ほー、双眼鏡で観察できる距離にまで接近していたのか。
十分に最前線だな、賭けなんてやってる場いいじゃないと思うぞ

とりあえず氏んどけ
529 :01/12/26 02:01
わるいがよくあった話だよ。悲しい話ではあるが..
530名無し三等兵:01/12/26 02:05
あるわけないじゃん・・・大体カミカゼがたけなわの頃って
空母がまともに残って無いじゃん・・・
531名無し三等兵:01/12/26 02:58
冬厨警報発令!各自黙殺に努めるべし、以後厨からの通信を絶つ
532内務調査官:01/12/26 23:57
当家の祖父は憲兵大佐として国に御奉仕していたそうです。
詳しくはわかりませんが当時かなり恐れられていた人物のようです。
国賊の射殺、危険分子の排除などやっていたそうです。
 ちなみに私の父は警視庁の公安官として国に従事しております。
私は政府機関の研究施設等の内務調査官として極秘調査をしています。
533名無し三等兵:01/12/27 00:01
父方祖父は村に唯一の医者だったので招集されず。
母方は、権力者だったのでなかなか招集されず、満州で
事業をしていたが、最後の最後に現地応召。
シベリアで死んだ。
534名無し三等兵:01/12/27 00:09
じいさんは空母に乗っていたと聞いたことがある。
ただ、どの空母でいつ乗っていたかは不明。
535534:01/12/27 00:10
意味なくsageてしまった。
536名無し三等兵:01/12/27 00:13
>526

 双眼鏡で見える距離ってのは弾が届く距離なんだよ。
君の常識では「戦争」ってのは10m単位の距離でやるも
んなんだろうけどね。
537名無し三等兵 :01/12/27 00:27
戦争に召集されずに炭鉱で働かされたのってどういうこと?おせーて
538名無し三等兵:01/12/27 00:33
>526
疲れてるんだね。
知覧で静養するといいよ。
539名無し三等兵:01/12/27 00:57
ウチのじい様は15年まで満州で従軍>帰国して結婚>新婚二ヵ月後に出兵
>スマトラ、ビルマを転戦。最終階級は特務曹長(特務ってなんですか?)
だったそうな>ビルマで収容所二年。

復員すると、ヨメは結核で死んでいた。墓に丸二日へばり付いて泣いたそうだ。
後妻であるウチのばあ様は「あの人はいまでも先妻が好きじゃて。かまやしまへんけど」。

ちなみに「収容所のイギリス兵は皆紳士じゃた。居心地良かった」そうな。
後、「撃たれた!と思ったら水筒にカラカラと敵の小銃弾が入ってた。
あの水筒がなかったらお前はこの世におらん」といっていたが、
そういう事ってあるんでしょうか?
540名無し三等兵:01/12/27 01:02
強制連行で日本で奴隷扱いされていた
541こんな人が学校に来た:01/12/27 01:20
第二次広東攻撃?参加

兵役が終って帰ってくる
↓8ヶ月後
再招集命令。広島へ

原爆投下。布団にもぐって助かる←爆心から離れてたらしい

終戦。神奈川に帰る。

話しは早口でよく分からなかったが、イメージしてたとうりの戦争体験者だった。
542名無し三等兵:01/12/27 01:43
俺の爺さんは
アメ公の捕虜になってたが
ナイフ使って木でケースとか作って
アメ公共に気に入られてたらしい
ミルク粥もそこで覚えたと言っていたぞ
543名無し三等兵:01/12/27 01:45

満州でのことだそうだ
544名無し三等兵:01/12/27 01:56
>>541
>原爆投下。布団にもぐって助かる←爆心から離れてたらしい
これはピカっと光ってから衝撃が来るまでの間に
隠れたってこと?
545名無し三等兵:01/12/27 03:46
職業軍人でした。
最初は飛行機乗りだったのですが、事故で鼓膜を破ってからは
九州で教官をしていました。
終戦間際には特攻隊の教官をしていたそうで、家に出撃間際の特攻隊員を
呼んでは食事をふるまっていたそうです。
家に賞状などはありますが、本人は見るのもいやがり、孫の私にはほとんど
戦争の話をせずに亡くなりました。
夜中に時々うなされては隊員の名前を呼んでいたのを子供心ながら恐ろしさと
悲しさとともに覚えています。
546名無し三等兵:01/12/27 04:21
俺の親父は満州で、民間人として働いていた。
民間人なのに、終戦とともにシベリアに抑留され、厳しい強制労働の末
何とか帰還できた。しかしその時の無理がたたったのか、腎臓を患い
長い闘病生活の末、つい先日亡くなった。ロ助は許さん!
547 :01/12/27 05:06
祖父 満州で戦車に乗っていました。
敵が来ると歩兵が戦車の回りに集まってくるらしく
標的にならないように「あっち行け」と歩兵を怒鳴ってたと言ってました。
アメリカ(って言ってたと思う)の戦車が来ると逃げてたらしい。
敵戦車に弾が当たってもびくともしないってぼやいてた。
その時、日本は負けると思ったらしい。

ある日戦車がやられて、弾も切れたのでその場にいた
その場にいた人達で突撃して軍刀で敵を切ったらしい。
その時の刃こぼれした軍刀を見せてもらってゾッとした。
548名無し三等兵:01/12/27 09:26
母方の祖父は憲兵やってた。
26年式に手拭い巻いて枕にした話とかしてたな。
父方の祖父は教員だったので戦地へは行かず。
凄まじいのは祖母の兄弟で、
二人陸軍、一人海軍で全員未帰還。
海軍の方は山城の砲塔旋回手やってた。
よっておのずと彼だけはいつどこで戦死したのか見当がつく。
549名無し三等兵:01/12/27 09:34
父も母も当時小学生でした。
田舎(水戸&佐賀)だったか近くにはいくらでも軍の施設&工場
があったので落とし忘れた(?)爆弾を近くに落とされたり
機銃照射された事があったそうです。
550名無し三等兵:01/12/27 09:47
父は,大分県佐伯市で旧制中学の学生。
典型的な軍国少年だったようで,B29と日本軍機の空中戦を
目撃したことや佐伯湾に連合艦隊が停泊していたことを話して
くれました。ただ,戦後の記憶によるデフォルメも少しあるよ
うな気もしています。
豊後水道はB29の通り道だったらしく,その大編隊は当時の
日本人の常識を覆すものだったとも言っていました。
551w:01/12/27 10:15
所沢の航空管制塔守ってたらしい。
552 :01/12/27 10:48
学徒出陣で工兵。
話によると終戦時731の施設を爆破する任務に就いたらしい。
その後シベリア抑留です
今も元気
553名無し三等兵:01/12/27 11:07
木場の店を番頭にまかせて、京都に帰って芸者遊びしてたそうです。
戦後は材木ブームで大儲け。
554名無し三等兵:01/12/27 11:14
初詣客を集めるために
靖国神社がTVコマーシャルをしていたぞ!

物乞いみたいな、みっともないことをさせるな!!
国で面倒見てやれ!!

スレ違いでスマソ
555552:01/12/27 11:46
シベリア抑留の時の話でソ連兵は「お守り」というものが
理解できなかったらしく
「これがパンになるのか? これがおまえを助けてくれるのか?」
って拳銃を突きつけられて詰問されたらしい。
556音がした時ってもう遅い?:01/12/27 14:01
>>544
その日はゴロゴロしてて、凄い音がして、とっさに布団に潜ったとか。
557名無し三等兵:01/12/27 14:38
父方のじいさんはパプアニューギニア配属の砲兵隊に
所属していたらしい。中尉だったらしい(と墓石に刻んである)。
そこで戦死したとのことで、遺品は一切無しとのこと。
その時父親は名古屋近郊の町に疎開していたらしい。
十数キロ離れた辺りに飛行場があったらしく、そこから
B29への迎撃に向かう戦闘機を眺めていたらしい。
その飛行場も格好の的となって凄い爆撃を喰らってらしい。
558名無し三等兵:01/12/27 16:43
>557
没後昇進してるんじゃない? うちの田舎にも出征先で亡くなった方の墓があるけど
昇進後の階級が彫られてるよ。
559名無し三等兵:01/12/27 19:38
俺のばあちゃんは
山口の屋代島ってところにすんでて
15のときにキノコ雲をみたと
言っていた
560 :01/12/27 19:49
久我山の高射砲陣地の近くにパラシュート
降下した米兵を見に行ったことがあると
言っていた。父は6歳、祖父は40で最期に動員されて
2ヶ月目で終戦。
561名無し三等兵:01/12/27 19:51
562名無し三等兵:01/12/27 20:02
>シベリア抑留の時の話でソ連兵は「お守り」というものが
>理解できなかったらしく

 理解できたんだよ。だから

>「これがパンになるのか? これがおまえを助けてくれるのか?」
>って拳銃を突きつけられて詰問されたらしい。

 となった。「宗教は精神のアヘンである」ってのが
、マルクス教の教えだからね。「人はパンのみにて生き
る」と政治将校(と書いて牧師と読む)様はおっしゃ
ってるの。
563名無し大佐:01/12/27 20:32
小学校のときの教頭の名前に
「すま、とらお」という人がいた。
スマトラ島を奪取したころ生まれたそうだ。
564名無し三等兵:01/12/27 20:51
母方の祖父は、陸軍第一挺身団所属でパレンバン飛行場に降下し戦死、
父方の祖父は、海軍鹿屋航空隊所属でマレー沖海戦に一式陸攻で参戦し
プリンスオブウェールズに命中弾を与えるも撃墜され戦死。

いずれも真っ赤なウソ。
565名無し三等兵:01/12/27 21:02
大阪から南方(本人は行く先を知らなかったらしい)に向かう輸送船に
乗ってるときに、和歌山沖で潜水艦の雷撃を受けて船は沈没。
総員退避のときに、うちの爺さんはさっさと荷物と38式を捨て海に飛び
込んで助かったらしいが、陛下から預かった小銃を捨てるわけにはいかん
と、38式を背負ったまま海に飛び込んだ仲間は、その重みに耐えかねて
次々と海の中へ沈んでいったらしい。
566名無し三等兵:01/12/28 21:11
じいさんは、駆逐艦「朝霧」に乗っててガダルカナル方面で魚雷
(潜水艦か航空機かは不明)に撃沈されて漂流したそうだ。
魚雷の破片が今でも足に食い込んだままだ。今でも存命。元気

て優香、朝霧ってどこで沈んだの?ほんとにガダルカナル?
わしのじいさんはインドネシアかどこかで捕虜になって、
終戦後一年たって帰ってきたらしい。
ちなみに階級は軍曹。
568名無し三等兵:01/12/28 21:33
ばあちゃんは南方で慰安婦だった。
569名無し三等兵:01/12/28 21:50
>>556
朝霧は昭和17年8月28日、ガ島輸送作戦従事中にラモス近海で
アメリカ軍の空襲によって沈没した。史実と符合しているな。
570ヘル:01/12/28 21:52
技師の祖父さんは飛行場(格納庫等)の設計で後方
大叔父は陸軍士官学校出で大陸の米軍飛行場を攻撃作戦(打通作戦
と思われる)の最左翼部隊の将校だったそうだ
富山大空襲(延焼率95%!)にあいながらも家族に死者なし(病死除く)
571名無し三等兵:01/12/28 22:01
じいちゃんは内地で慰安夫だった。
572いさく:01/12/28 22:25
漏れの祖父は石川のあたりをテスト航海してたそうです。
陸軍所属だったらしいけど、
「陸軍より海軍の方が厳しいわい」
って言ってました。
573名無し三等兵:01/12/29 00:17
親父は中国戦線に。鯖江の36連隊の山砲部隊に配属。
相手が国民軍が主だったので、全体的にはマターリしてたらしいよ。
なんか疑われそうなので言っとくけど。私は36歳で6人兄弟の末。
親父は今年82歳になるよ...。ちなみに最終的には兵長に。
574名無し三等兵:01/12/29 01:21
>>572
船のでかさによってマチマチだったそうです>海軍の厳しさ
575名無し三等兵:01/12/31 03:37
じいさんは大学を早期卒業させられ陸軍飛行隊(航空隊?)に。
ビルマで戦ってたが終戦間際に特攻隊に編入された。
出撃の前日、マラリアにかかり意識不明のまま終戦。
内地に戻ってからは漁師として暮らしていた。
階級は中尉。
もう死んでしまったから話が聞けないのが残念。
乗機は隼だったのかな?詳しい人、誰か教えてください。

あと、よく機上でバナナを食ってたらしい。
さらに、戦火が激しくなると率先して逃げるよう
命令されていたそうな。とにかく飛行機を大事にしろと。
撃墜とかしたのかな?
576名無し三等兵:01/12/31 14:36
今年89歳、昭和初期の不況期の徴兵検査のため丙種、
おかげで軍隊経験無し、銀行に籍を置いたまま、
昭和19年から横須賀海軍工廠で徴用

丙種なのに、今もとても元気
2bの脚立に登り庭木の剪定をする。
見ているこちらの寿命が縮みそうだ。
577 :01/12/31 14:52
漏れの爺さんは陸軍少尉で広島にいた。
8月6日は前の日から福山に出張(?)していて直接被爆しなかったけど、
2日後に救援部隊に入って広島に行ったっきり帰ってこなかったって。
戦死どころか殉職にもならず、戦後、遺族年金もらえるもらえないで相当
もめたらしい。
578名無し三等兵:01/12/31 14:59
じい様は
満州の方に行ってたらしい
そのあたりの 交友会みたいので 作った
分厚い本がある。 仏壇の中にしまってあるが
まだ読んでない。
既に没
579名無し三等兵:01/12/31 14:59
俺の父ちゃん、爺ちゃんじゃないんだけどさ、学生時代建設のバイトしていた時
現場監督の棟梁は男ばかりの6人兄弟の末っ子で兄貴5人を全員戦争で無くしていたんだって。
それを聞いた時は考えちゃったよ。
580名無し三等兵:02/01/01 22:08
んなもんア、適当にセックスして子供つくってたんだろが。
581名無し三等兵:02/01/01 22:27
俺の父は、後妻のいる家庭がいやで、また陸士・海兵の職業軍人もいやで、
一人で満州に渡り奉天の大学に行った。
戦争半ばに満州で徴兵され、下士官試験を受けて軍曹として南方の島に送られた。
行き先も伝えられず、仲間の船が多数沈む中で着いた島はポナペ島。
アメリカ軍の数え切れないくらいの船に囲まれたが、
地形が複雑なことが幸いして、アメリカ軍はこの島をパスし、どんどん先へと進んだ。
結局、父は1度も鉄砲を敵に向かって撃つことなく、戦後日本に帰還した。
同じ部隊の中には、将棋の舛田がいたという。
582奈々氏:02/01/01 23:00
俺の父方のじいちゃんスゲーヘタレ
賢蔵壊して兵役逃れ。(醤油飲んだんだろうか?)母から聞いた。
大阪の中心部にのうのうと住んでいた。
583永楽町:02/01/02 14:15
うちのジイチャンは衛生兵で、南の島へ行ったそうだ。
たまにケガした兵隊を助けたりする程度で、よく
「南の島はほんと綺麗だったぞー」とか言っていた。

>>579
プライベート・ライアンみたいな話だ。
584名無し三等兵:02/01/02 14:28
父方の爺ちゃんは、長男だったから兵役免れたって。
なんか賄賂で兵役逃れしたって説もあるけど。
母方は軍医。
満州に行ったとか。
585名無し三等兵:02/01/02 14:57
親父は戦時中東芝のマツダ研究所(後の総研)で働いてた。
時々「隣の部屋では熱伝対センサを開発してた。終戦近いころに
浜名湖で実験をしたが失敗したらしい」なんていうギョッとする
ことを言ったりする(ケ号爆弾のことか?)
親父自身は蛍光灯屋なので、軍ヲタ的にはあまり面白くない。
潜水艦の艦内照明なんかを納入してたらしいが。
586名無し三等兵:02/01/02 15:59
このレス読んでいてツクヅク思うんだが
俺達の爺ちゃん達は凄かったんだよな。
カキコしている人達、「俺の爺チャンは
こうだった!」って自慢しているもんね。

俺達も孫の世代から同じように自慢されるように
頑張らないと。 たった一言「サラリーマンだったよ」じゃ、
哀しいもんな。 
587名無し三等兵 :02/01/02 16:36
俺のじいちゃんは北朝鮮に行ってたそうだ。
何かの工事をやってたらしい。
588名無し三等兵:02/01/02 16:53
俺の爺様は海軍少尉で昭和18〜19年にかけて横須賀の対潜学校にいたらしいが、その間に大和と武蔵を見たと言ってたがマジだろうか?

この間に大和と武蔵が横須賀の側を通ったという史実があるか詳しい人教えてくれ。

ボロボロにになった士官用短剣がまだ残ってる、刀身に刃は付いてなかったが。
589名無し三等兵:02/01/02 17:36

血みどろの闘いをした人は一部で実は583のようなケースがほとんど
だったんじゃないのか?
590加山(マジ):02/01/02 18:17
家の母方のじっちゃんは 電気関係の技術者で
北海道かその辺に技術者を集めるということで
そこに行ったらしい。
そこで 原爆関係の部品の開発に関わったらしい。
この話は最初嘘だとおもっていたが・・、少し興味をもったんでいろいろ調べてみたら
日本は間違いなく、原爆を完成させていたらしい。
ただそのような大量殺戮兵器を
使っていいのか?ということでそれらは封印されたらしい。
これは終戦間近の話
話を元に戻して・・・・、
その後間違って届けられた赤紙で中国戦線へ
そこで部隊が全滅しさまよっている所を別の部隊に拾われてそこで伝令を請負って
出かけて戻ってくるとまた全滅したそうな・・
そのおかげか、そこにいた技術者たちはみな戦犯にかけられてしまったそうな・・
じっちゃんはこの件に関しては口をふさいでる。
終戦後、自宅を留守して出かけてかえってくると家の中が荒らされていたらしい。
591 :02/01/02 18:25
>>589
俺もそう思う。なんか後方勤務者と前線の兵隊の比率が全然あってないよーな。
592名無し三等兵:02/01/02 18:28
>>589

ウチのオヤジの兄は(オレのオジサン)三人兵隊に取られてるけど
そのうち二人は内地勤務で危険ナシ。
一人だけ沖縄に行かされて食料不足でカタツムリを食べるような目に遭いながらもなんとか生還。
南方に配属され、飢えに苦しんで戦死や病死した人は本当に可哀想だなと思います。
593名無し三等兵:02/01/02 22:00
祖父は戦時中は満州にて7●1部隊の軍属でした。
一度詳しく話を聞いて見たかったのですが、
恐ろしくて聞けませんでした。
594名無し三等兵:02/01/02 22:24
うちの爺ちゃんは三重県の海軍の飛行学校で勉強していた。
二十二期だったかな・・・二つぐらい上の人はみんな特攻隊へ行ったらしい。
でも最後は爆雷を持たされて突撃するよう訓練させられたとか言ってたな。
595名無し三等兵:02/01/02 23:22
588>>
武蔵については、昭和十八年に山本長官の遺骨を内地※まで運んでいるので、お祖
父さんがご覧になった可能性は大きいのでは?(※確か東京港だったはず)
大和はどうかなぁ?(呉には時折帰港していましたが)
今実家にいるので、資料の持ち合わせがなく、記憶のみです。スマソ。
596名無し三等兵:02/01/03 01:13
父は台湾へ疎開、母は四国へ疎開
父方の祖母は佐世保空襲と、郊外の山で長崎原爆の閃光とキノコ雲を目撃したそうです。
母方の祖父はビルマ方面へ出征、戦死したものと思っていた終戦数年後のある日、軍服姿の男が玄関先に現れました。
得体の知れない訪問者に怯える幼い母に「お父さんだよ」と祖母から説明されたそうです。
ドラマの1シーンを想わせる再会でした。祖父は昭和54年に69歳で亡くなりました。
597 :02/01/03 01:35
 父方祖父は教員のため徴兵免除
その弟は開戦直後にマレーあたりの降下時かなんかに戦死。
唯一の戦死者。祖母も教員。
 母方祖父は理系学生の為徴兵されなかったとか。(数年前死去、よく知らん)
この人の親父、つまり曽祖父は満州でホテル経営。
金ばら撒いて引き上げ成功。
そのホテルは今は図書館かなんかになってるらしい。
 母方祖母は勤労奉仕かなんかしてたらしいが語ろうとせず。
 母方祖母の親父、曽祖父は徴兵逃れに成功も農地改革で無一文。
598名無し三等兵:02/01/03 02:06
漏れの爺さんは、近衛の将校(中尉だったような?)だったらしい。
満州で片足なくなって、帰国。
義足で隠居生活していたらしいが、漏れが生まれる前に大往生。
で、漏れが物心つくころ、婆さんの部屋で義足ハケーン!!
足の根元から切断したらしく、まさに、足そのもの・・・
何も知らなかった漏れは、義足の、足を入れる穴にひろがる闇?
にものすごい恐怖を感じた。(TT)

で、軍ヲタとしてスクスク育った(w高校のとき、親父が一本の刀を、
どこからか出してきた。その刀はとても重く、大根を切ってみたら、
シュパっと見事に切れた。(爺ちゃんごめんYO!)
その軍刀も、親父の死と共に行方知れずに・・・
ウツダヨー!!
599名無し三等兵:02/01/03 02:19
>598
ウチも爺さんの長持から軍刀出てきたから、警察に引き取って
もらったよ(多分)
600999:02/01/03 02:24
母から聞いた話だが、フィリピンでうちのじいちゃんが夜、見張り台で
見張っていると、人間の匂いをかぎつけたトラが、ドスッドスと
見張り台の周りを回っていたらしい(フィリピンにトラっているんですか?)
あとぜんぜん関係ないが、うちの近所に弾薬をしまっていた兵舎まだあります
コンクリ分厚いです
601名無し三等軍曹:02/01/03 02:30
漏れのじーさんは房総で海軍の整備兵やってた。
機銃とプロペラピッチをあわせる仕事らしい。
倉庫から酒と間違えて醤油盗んできたって言ってた。
602名無し三等兵:02/01/03 06:04
俺の爺さんは海軍だったそうな。母曰く戦争に行く前に終戦を迎えたそうで
今も若かりし頃の写真と乗ってたと思われる軍艦の写真が有る

階級は不明ですが、右袖に底辺の無い三角形が一つだけあります。
603588:02/01/03 17:42
>>
595
レスさんきゅーです。

この話を聞いたとき爺ちゃんまさかボケたのか?と一瞬不安になったがそうではなかったらしい、よかった。
しかしこういう話はしっかり爺様方から聞いておき語り継ぐべきなのだと思う、今の日本での戦争の生き証人なんだし。

偉大なる爺様方の長寿および不幸にも亡くなられた方達の冥福を祈って敬礼!
604名無し三等兵:02/01/03 19:59
>>595
当時は東京港という港は無かったんじゃないかな。
ガキの頃、横浜市営バスが横腹に「東京港開港反対」という横断幕を付けて
走ってたのを見た記憶がある。
605名無し三等兵:02/01/03 20:17
当時は生めよ増やせよの時代だった。
だから一生懸命セックスしていたんじゃないの。
おいっちに、おいっちにって。
そのたんびにばあさん あーひー いってたんだろな。
でもその孫 優秀だったな。
まあ俺のことだけどさ。
606 :02/01/03 20:21
俺のじいさんは南洋のちっこい島で戦ってたらしい
引き揚げ船に何とか乗れて帰ってきた
弟さんは小隊長かなんかで米軍に手榴弾持って特攻かけて
自爆したらしいよ
弟さんも聞いたことないような南洋の島でなくなったそうだ
607宮田中佐:02/01/03 22:03
俺のオヤジは、八共(パーロ)とチェコの機関銃で撃ち合い、
日本の軽機が回ってきたら戦死を覚悟したらしい。
後は、赤、白と毒ガス弾を撃っていた。
大隊指揮班所属
終戦は、ニューギニア
中隊長が偵察に出し、引き揚げ船に乗せまいとした。
和歌山県田辺につき、400円もらう。
中国のナンネイで堀江中隊長に申告する。(参議院議員 ホリエマサオ)
608名無し三等兵:02/01/03 22:08
南の島で原住民と仲良く漁をしていたそうです(手榴弾で)。
609名無し三等兵:02/01/03 22:31
うちのじいさんは 潜水艦乗りだったらしい
でも 仕事はコックだったらしい
じいさん おれにウソついてるのだろうか?
610609:02/01/03 22:42
609ですが少し 話しの付け足し
乗ってた潜水艦は伊号第27潜水艦だったらしい。
ただ この潜水艦の事 調べたらモルジブ諸島で英駆逐艦パラディン
って軍艦に沈められてるんだけど どうやって帰ってきたのか不思議だ。
いちおう おじいさんの書斎飾ってる潜水艦の写真は
波号第102潜水艦だった。
611598:02/01/04 01:42
>599即レスいただいたのに、遅レスでゴメソ。
な、なんかもったいない&ほんのりと親不孝(爺不幸?)のかほりが・・・
失くしてる漏れのほうが、だめ孫ケテーイ!!か?
登録しなきゃなんないし、手入れも必要だし、危ないしね、貴方正解。
612名無し三等兵:02/01/04 01:55
>610
>波102ってそれアナタ……かなり貴重な写真だと思うですよ。
613名無し三等兵:02/01/04 02:27
うちの祖父は軍艦の機関士をしていたらしい。
なんでも乗艦が三度撃沈されたがどれも自力で泳いで助かったそうだ。
614名無し三等兵:02/01/04 07:21
じいさんじゃないけど。
習字の先生が海防艦国後に乗っていたそうな。その時真珠湾攻撃に向かう
艦船とすれ違ったと言っていたのですが(その時はわからず後になって知ったらしい)
その真偽がわかる人おられます?
単冠湾に集結ということで自分の艦の名前とひっかけた法螺かなあと
思っているんですが。
615名無し三等兵:02/01/04 07:38
祖父は電気工事会社に勤務していて隠岐に行って仲間と
せっせと電線を繋いだり電信柱を立てたりしていたが、何らかの理由で給料がさっ
ぱり支給されず、島で数週間過ごす内に金もなくなっていたので帰るにも船賃すら払えず
何とか島で働かせてもらって寒い冬の盛りに夏服一枚で帰って来たという。
戦時中にあるまじき、いや戦時中だからこそか?という何とものんびりした話をしてくれた。
何となく激戦地で戦っておられた方々に申し訳無いような・・・。
616595:02/01/04 09:07
>>603
お役にたてて何よりです。本当にそうですね。敬礼!(^^ゞ
>>604
実家より帰還したら資料で確認してみます。武蔵はどこに入港したのかなぁ?
>>614
本当ですよ!機動部隊入港前に警戒艦として単冠湾で警泊しています。
すごいですね。詳しい内容を聞かれることをお勧めします。
617ここは埼玉だな。:02/01/04 09:09
ここは埼玉だな。
618名無し三等兵:02/01/04 09:15
>614
あの12月にヒトカップ湾の事前警備を担当したのは
海防艦「国後」だったと思いますよ。
619名無し三等兵:02/01/04 14:04
俺のじいさんは、満州にいっていたらしい。
そこで負傷して、終戦までは、病院を
転々としていたんだとか。。。

 今も生きているので、いろいろと語ってくれる
締めの言葉は必ず、平和っていいなぁ〜
だったりする。
620名無し三等軍曹:02/01/04 22:32
親戚の人零戦乗りだったんだけど、戦闘から帰ってきたら翼が片方なかったらしい。
それに気づかず飛んでたらしいし。
本当だよ。
621名無し三等兵:02/01/04 22:44
祖母がよく話してくれるのだが、
お兄さんが当時結構有名な戦闘機乗りなんだそうだ。

終戦直前に北海道の方へ輸送機で移動する時、撃墜されて死んだらしい。
当時、既に偉くなってたので、自分で操縦はしてなかったそうなんだが、
もし自分で操縦してたら絶対に撃墜されてることはなかったと言い張っている。

結局、機体は島に墜落したんだけど、
そのお兄さんの遺体は軍刀を抱えて死んでたというのを、
いつも自慢げに話してくれたんだけど……。
誰のことだか分かる人いない?
有名というのは身贔屓が入ってるかもしれないから当てにならないかも。
622名無し三等兵:02/01/04 22:46
>>620
そりゃ、零戦じゃなくて96式艦戦
しかも日中戦争の時ね
623名無し三等兵:02/01/04 22:46
うちのじーちゃん徳山かどっかで日向(?)が沈んでるのを
見たことあると言ってた。
それと九州の折尾でゼロ戦がB29に体当たりして
落としてるのを見たとも言ってたな。
ちなみに学徒出陣前に終戦したので
じーちゃん自は身戦地には行っていない。
624名無し三等軍曹:02/01/04 22:49
あとよ、俺の友達の親戚の人はだまされてチュコクジン食ったんだって。
かなりうまかったらしい。
625名無し三等兵:02/01/04 22:50
うちの爺さんはなんとガダルカナルの生き残りだそうだ。
弟は戦死。爺さん自体は顔の半分を吹っ飛ばされ、今でも耳がない。
兄弟9人のうち7人が先の大戦で戦死。村から出征した若者の8割が戦死。
終戦時は本土にて病気療養中であった。
ここまで言うと、どの地域の人間か分かってしまうかな。

その後国鉄に入り、自分の兄弟や村の若者の復讐のために左翼活動へ。
個人的に昭和40年代とかの左翼活動家は嫌いだが、戦争を経験した
上での活動は決死のものであり、凄みや厚味を感じる。
あれだけ悲惨な経験をしたら、天皇に責任取らせようとするのはしょうがないと思ってしまう。

その後某町の旧社会党系の町会議員になり、町の発展に尽力した。

「俺が死んだら、火葬で体の中に入っている弾丸を取り出し、それを
家宝として、この国への復讐を忘れるな」
と言っていた剛の者だったが、今では軍人年金、国鉄年金、議員年金
と、月に30万円を国に支給され、孫20名以上に囲まれた平和な
生活を享受している。
彼を「左翼の矛盾人間」などと一蹴する気は毛頭ない。
彼はあの戦争で瀕死の重傷を負いながらも、その後も50年にわたり
戦ってきたのであり、平和と豊かな生活を享受する権利があると思うからだ。
今でも半分ボケているにもかかわらず、戦争の夢を見てうなされるのを
見ると胸が痛む。
626名無し三等軍曹:02/01/04 22:50
>>622
いや、二次大戦だって言ってた。
627工房兵:02/01/04 22:56
私のひい爺さんは陸軍の軍人さんでした。
中国戦線で曹長として戦い負傷して戻ってきました。
今でも彼がもらった勲七等瑞宝章(旧字体でちと不明)は家宝もんです。
628名無し三等兵:02/01/04 22:56
うちの爺様は南方帰り、よく生きてました。今日墓参りいってきたよ。
私の武道のお師匠様は特攻隊の訓練を受けるも、飛行機の生産が遅れて
待っているうちに終戦。道場の先輩で78か79歳の方
(今でも現役で稽古している)は、中国で人刺し殺して帰ってきました。
時々、稽古付けてもらってます。
629名無し三等兵:02/01/04 22:59
>>626
そりゃ、その親戚に騙されたんでしょうね
だいた主翼が片方なくなったらキリモミだよ、
航空力学を語るまでもなく、想像がつくでしょう
630629晒しあげ:02/01/04 23:05
さて皆様。
このアイタタタな629をどう料理いたしましょうか。
631たか:02/01/04 23:11
うちの母方の祖父は貨物船の一等航海士で、南方からドイツのハンブルクまでいろいろなところにいったらしいです。
戦争中は船を沈められこそしなかったが潜水艦や航空機の攻撃を受けたことがあるそうです。
戦後は護衛艦の艦長に推されたそうですが断って公務員やってました。
創立期に艦長やってれば後々どうなったか、私的にはもったいない気がしました。
632名無し三等兵:02/01/04 23:27
629よりも630の方がよっぽど痛い。
関係無いのでsage。
633名無し三等兵:02/01/04 23:46
じいちゃん、何処の部隊かは知らんけど近衛兵長だったとかなんとか
正月に行った時そんなこと言ってたな・・・
数年前は元気だったのに、癌だってヽ(`Д´)ノウワァァァァン
634名無し三等兵:02/01/04 23:49
>>632
泣くなよ。sage
635kilroy was here!:02/01/05 00:11
>>634
ずれてる。sage
>>633
孝行しろ。sage
636名無し三等兵:02/01/05 02:25
うちの死んだ爺さんは沖縄戦に参加したが、なんとか生き延びて帰ってきた
だけど人格が変わってしまったらしい。戦いに行く前は明朗な人だったそうだが
戦後は無口な気難しい人間になってしまったとのこと(親父談)

俺がどんなにその時の事を聞いても決して教えてはくれなかった。
ただ親父だけは爺さんが泥酔したときに話を聞いたことがあるそうで
なんでも山道を敗走中二手に分かれた道があって新任の部隊長は右の道を、
爺さん達古参の隊員は左側の道を行くことを主張し、結局二手に分かれて
進軍したが右の道を進んだ隊員は全滅したそうだ。
637名無し三等兵:02/01/06 01:05
つい先日亡くなった祖父は、サラリーマンを経て徴兵されて陸軍所属で上海へ。
リーマン時代から経理を経験していたことで、軍に入っても経理。
その時の働きぶりが良かったのかどうか、上官に気に入られていろいろと
目をかけていただいて、終戦当時の早い時期に帰国させてもらったそうです。
「あの頃にしては、ちゃんと自分の荷物を持って帰ってこれた」とか。
人の世話をやくのが好きな人でした。
ずっと「もう一度上海に行きたい」と言っていたので、いつか代わりに
行ってこようと思います。
638名無し三等兵:02/01/06 03:00
祖父が中国で撃たれたけど無事生還。
ただひいじいちゃんは原爆で行方不明。うちのばあちゃんは山口に住んでたけど、
音がすごくて、きのこ雲が見えたので憲兵に聞いたところ新型爆弾が落ちたらしいといわれたそう。
相当ショックだったらしくて、いまでも憲兵の言葉一字一句覚えてる。
639名無し三等兵:02/01/06 03:42
父方のじいちゃんは結構早期に徴兵されて731部隊の近くで兵站(飯炊き)
をやってたそうだ。たまに731にも行っていたらしく白衣の人と一緒の
写真もあったらしい(祖母から聞いた)
列車事故で膝を砕いて本国に後送、故人だが膝に円形のワイヤーが残っていて生々しかった
祖母から聞いたが結婚したのはなんかの大会で見初められて出征の時無理矢理
家族の世話を任せられたからだとか 強引だったんだね
母方は若くして死んだので聞いた事無い ただ母方のおじさんは戦車乗りで負傷して指がなかったそうだ
640名無し三等兵:02/01/06 04:30
俺のじいちゃんは内地で衛生兵だったらしいよ。戦争終って太って家帰って来ったって、
ばあちゃんが言ってた。色々話聞いたけど、陸軍病院で看護婦とやりまくって飯も食い
まくって仕事はさぼりまくりの・・・。戦争中が一番楽しかったって自分で言ってたよ!
戦争終ってからのほうが辛くて、家族養って生きてくのに精一杯だったとよ。
641名無し三等兵:02/01/06 04:33
>>362
モノによりけりな事を一般化するなよ(藁
642641:02/01/06 04:35
およ!?
誤爆スマソ
643その他:02/01/06 10:17
父方の爺さんは戦中40過ぎで出征していない。
父親は小学校のグラウンドを耕して芋を作っていたそうだ。

母方の爺さんは結婚後すぐに出征して南方に行ったらしい。
夜間突撃?中に戦友と2人原隊からはぐれてジャングルを
さまよっているうちに、飢えで気絶してた所を、米軍に発見
されて捕虜になったそうな。捕虜生活がよっぽど良かったのか
復員時太って帰ってきたので、婆さんは恥ずかしかったと
言っていた。
644名無し三等兵:02/01/07 12:30
あげ!
645正月の親戚の集まりで永遠と聞かされましたヨパライに:02/01/07 14:45
あの戦艦なんだっけ・・・ハ・・ハハルナ・・榛名に乗ってたんじゃ
将校が上等な毛布をだな・・・
6461:02/01/07 14:49
朝鮮美人にちんぽ入れてたが、何か?
647609&610:02/01/07 18:34
>>612
遅レスで すみません。
波102の写真が貴重とのことですが 何でも鑑定団に出してたら
高値で取引されるぐらい貴重なものなんでしょうか?
そうだったら 形見分けと称してもらっておこうかな。
648ななしさんとうへい:02/01/07 22:37
父方のじいさまは海軍へ招集される。南の島に飛ばされて守りにつくが、
米軍はその島を飛び越えていったため、戦闘経験なし、とか。小学校
2年の時に亡くなったから詳しい話は直接は聞いていないが、やたらと
バナナが好きだったのが印象的。南の島で食べてたのか...?

母方のじいさまは召集されて呉にいた。結局外地には行かなかった
らしいが、そのかわり広島の原爆を見た(聞いただったかも?)
って話をしてた。大学生の時に226事件があって、表通りが
軍隊に封鎖されていたため、裏通りを歩いたって話を聞かされた
ことがあるが、呉で何してたのやら.....

おまけで、高校生のときの校長が宗教の時間(仏教学校(東海高校ね)
だったので、そういう時間があったのさ(笑))の時に何でだか戦争中
海軍にいて、トラックだかどっかで武蔵に乗ったことがある、って話を
したことがあった。ものすごく大きかった、って言ってたなぁ。
649.:02/01/07 23:10
祖父と祖母は満州でくらしていたそうな。

祖父は現地召集で、後にシベリア送り、未帰還。

祖母は、祖父の留守中、女手ひとつで娘(つまり自分の母)
を育てたそうな。

そんな中、ソ連参戦。女と見れば、片っ端からレイプする
ソ連兵の目を逃れるため、髪の毛を切って丸坊主になり、
顔に墨をぬって男の振りをしたそうだ。

ソ連兵は、日本人から略奪した腕時計を珍しそうに、
両腕に10個もつけて喜んでいたという。

祖母は死ぬまで心底ロシア人を憎んでいた。

そんな祖母もなくなって、もう10年。。。
650名無し三等兵:02/01/07 23:26
>>649
ヲヲ…、この文章読んでて露助のことが一層ムカついてきたYO
651名無し三等兵:02/01/07 23:42
当時満州いた人ならロシア人が好きな人の方が少ないのでは?
うちの祖父もシベリア帰りでやっぱり死ぬまでロシア人嫌いだった
652名無し三等兵:02/01/07 23:49
うちの爺さんと婆さんは満州に居た。爺さんは現地召集→シベリア→永久凍土の肥やし。
婆さんは幼い親父を連れてどうにか引き上げてきたが身寄りが無くてパンパンで生計を立てていたそうだ。
653名無し三等兵:02/01/08 23:28
>>651
同意。うちの肉親じゃないが、友人の祖父もシベリアに送られた
1人だったが、いまだに「露助」呼ばわり。しかも吐き捨てる様に
言い放つよ。よっぽど憎んでるんだろうねえ・・・・。
654名無し三等兵:02/01/09 00:45
私の祖父は仙台第2師団でかのインパールに
行かされたらしい。
 祖父は生きてビルマの捕虜収容所で
何年か過ごしたらしい。
 祖母からのまた聞きなのであまり詳しくは聞いて
いませんが
 
655名無し三等兵:02/01/09 03:00
大正14年生まれの父はバリバリの軍国少年だったので予科練に行きたかったら
しいが、養母が長男ということもあり裏に手を回し徴兵されないようにしたう
えで医学部に行かされたそうだ(医学部に行けば徴兵されなかったらしい?)
。同級生の半分位が戦死したそうだが、同窓会に行くと軍に行った人達に合う
と凄く悔しかったらしくて母にいつもこぼしてたらしい。
そのせいか子供の頃軍歌のレコードが沢山有った。
母方の祖父は当時10人の子持ちの50歳前の年寄りで兵隊に行かず質屋を長崎
でしてた。その他調べても両方共軍人が全然いない一族だ。
656名無し三等兵:02/01/09 04:43
私の祖父は薬学専門大学を繰上げ卒業した
予備役少尉でしたが、目と運動神経が
良かったそうで、衛生学校に入る前は
狙撃兵だったそうです。
尤も・・・・祖父の銃にはスコープが
無かったそうですが、それで当たるか?
と聞いたら
「三八で外す方がどうかしてる、あれは良く当たる」
との答えが返ってきました(藁)
657名無し三等兵:02/01/11 00:59
>621
それはひょっとしたら板谷少佐では?  
658:02/01/11 01:11
うちの祖父は台湾から招集された九州出身の日本人。
祖母は満州帰りの日本人。
大戦直後は南方でオランダの捕虜となりながらも、
食糧不足で餓死寸前の仲間のためにオランダ軍から食料を強奪して
玉砕しようとしていた強者。
と聞かされている。現在、健康な日々を過ごしている。
659名無しさん:02/01/11 01:37
660地方人:02/01/20 23:33

そっちが陸軍ならこっちは海軍でいこう
http://www.amitaj.or.jp/~shibata/page/book_top.html
661名無し三等兵:02/01/22 04:10
>>659 >>660
どちらも力作ですね
そういう訳でage
662 :02/01/22 04:50
祖父は満州にいっていた。銃の撃ち方をよく教わった。
バァ〜ンとかいってふざけていたら、そんな撃ち方じゃ
当たらないといわれたことがある。

祖父の弟は特攻隊の隊長だった。第?御楯隊と書いた
辞世の句と正面むいて飛行服をきた写真がある。

バーバリアンのような20代前半の若者だ。
彼がオレをにらんでいた。
663名無し三等兵:02/01/22 05:14
マリアナ沖海戦で偵察任務。
664名無し三等兵:02/01/22 05:16
俺の祖父は戦前戦後も学校の先生だったが(体が弱かったので
召集されなかった)、戦後転向することも無く歴代天皇の名前を
教え、よく覚えてないが、「またも負けたか○連隊」とか、なんか
連隊早覚えの替え歌のような物とかを広告の裏に書いてまで
色々幼稚園児の俺に教えた。
嬉々として暗記してたり歌ってた。

どういうつもりだったのか!と問いたい。
白い目で見られるし、役立ってないぞー(笑)
665名無し三等兵:02/01/23 18:00
>655
亀レスだが、ウチも軍人がいない一族。
ちなみに鉄道一家でした。

・父方
 祖父(某駅助役、病死のため召集されず)
 おじ1(国鉄某建設局)
 おじ2(国鉄某工場)

・母方
 祖父(身長不足で徴兵されず)
 おじ1(前述おじ2と同じ国鉄某工場)
666国後その後 614:02/01/24 08:30
実家に帰ったついでに聞いて参りましたがやっぱり、後になって知ったので
大したことは憶えてないとのこと。箝口令がひかれたかどうかも憶えてないそうで。
艦種は「重巡か巡戦かな?南方作戦が噂されていたのにこんなところで
何をやってるんだろ?と思っただけ。」だそうです。

あと、海防艦、特設砲艦などでは、船団護衛の際に相手の艦船の攻撃を
最優先するのか、船団護衛を優先するのか意思統一が成されてなかったそうです。
667名無し三等兵:02/01/24 09:11
祖父は東京墨田区の消防隊員。
学徒出陣を免れるためだとか・・・・・
祖父の兄が、市ヶ谷にいたらしい・・・
海軍省
668名無し三等兵:02/01/24 09:22
じっちゃが家宝のヤリでロ助を突きまくった
669名無し三等兵:02/01/24 09:23
アッ!第二次大戦か 日露戦争と間違った
670名無し三等兵:02/01/24 17:09
>667
市ヶ谷って陸軍省じゃなかったっけ?
あれ?海軍省も市ヶ谷?どこ?
671655:02/01/24 17:13
>>665
肩身が狭いね・・。
672名無し三等兵:02/01/24 17:43
>>655, >>665
医学も鉄道も、国家の根幹を支えていたのだから
むしろ誇りに思っても良いと思うのだが…。
673名無し三等兵:02/01/24 18:36
ラバウルで山本五十六の乗った機体を地上で援護(対空砲?)してたらしい。
んでラバウルでそのまま終戦だとさ。
674名無し三等兵の祖父:02/01/25 02:52
税金集めてました(藁
675俺の爺:02/01/25 03:00
なんでも新潟にできた郵政(運輸省??)省管轄
の飛行学校に貧乏で中学校逝けなかったから逝っ
て。そのまま飛行士養成コースに生き残れて(な
んでも結構な数が整備員にまわされたそうな)。
終戦間際に特攻隊にほぼ無理矢理志願させられ、
松戸の飛行場で終戦。終戦直後、米軍が日本男児
狩りの(なんでも金玉を抜いて奴隷化とかいう御
粗末な)噂聞いて。終戦のどさくさに紛れて汽車
をただ乗りして実家に帰ってきたそうな。
676名無し三等兵:02/01/25 03:08

つーか、ハーフとかクォーターの住人が
一人か二人ぐらいいてもいいような。

祖父さんがP-51乗ってったとか。
677名無し三等兵:02/01/25 05:22
>>670
霞ヶ関でした・・・・
678*:02/01/25 06:13
>>665
うちの祖父も国鉄機関士で戦地には行かず
天皇の御召し列車を運転したと誇らしげだった
679眠い人 ◆ikaJHtf2 :02/01/25 08:17
>676
遠い親戚にいたよ。
WB-29乗ってたのが。
朝鮮戦争でたたき落とされて戦死したけどね。
680名無し三等兵:02/01/25 09:48
徴兵検査で醤油のんで熱出して受けたがバレテ
ボコボコになるまで殴られて実家は村八分 (じじ)
681へまむし入道:02/01/25 09:56
ほんとにやった人いたのか・・・、醤油飲んで徴兵検査。
682名無し三等兵:02/01/25 09:59
おやじは、陸軍の浜松航空隊で終戦をむかえたと言っていた。
683名無し三等兵:02/01/25 10:04
父方のじーさまは田舎の小学校の校長で、ずーっと内地。
どんな教育をしていたのかは聞いていないが、とりあえず戦後も地元の町で
教育長とかやる程度には慕われていた。ボケたけど。
母方は中国戦線で通信兵やっていたとか。戦争のことは何一つ話さなかったけど、
東京マルイの14年式を見たときには複雑な顔をしていたのを覚えてる。
684655:02/01/25 11:15
>671
つーか、鉄道関係者だから優遇なんてこともあるのでしょうか?
祖父を除き、みんな健康体だったし・・・

>672
戦記モノを読んでいると、ずいぶん鉄道関係は狙われたようなので
鉄道員も命を張ったんだ、と言い訳してみます。
(東北、しかも内陸だったので、実際はマターリしていたようですが。)

どこで見たかは忘れましたが、機銃掃射時のガンカメラにとらえられた
貨物列車の映像は悲しかった・・・

>678
それ、めっちゃスゴいことなんですけど。
地域ナンバーワン機関士ですぜマジで。
ちなみに、門司だと思ったが
回送中の御召し列車の車両を脱線させた鉄道員が
割腹自殺したことがあったそうです(合掌

スレ違いにつきsage
鉄道板に帰ります。
685 :02/01/25 12:17
零戦作ってましたが 何か?
686名無し三等兵:02/01/25 12:23
>>685
三菱?中島?
687名無しさん:02/01/26 01:25
>660の地方人さん
お父様が自費出版されたとの事、良かったですね。
うちの父も自費出版を考えていたのですが、
その前に亡くなってしまいました。
父の書いた原稿は分からない文字だらけでしたので
生きているうちに、もっと詳細を聞き出してHPを作りたかったです。
後で、ゆっくり読まさせて頂きますね。

>661さん
他、つたないHPを読んで下さった方ありがとう。

688猛牛フェルナンドス:02/01/26 02:01
どっかに書いたけど、
父方祖父・日清戦争で出征(尉官?)。前大戦中爆撃で死亡。
母方祖父・前大戦中は国鉄の機関区で関西方面をたらい回し。
>>684
優遇と言うよりは、「鉄道関係からは削れ難かった」というところじゃあ?
(専門職ですから・・・)
689名無し三等兵:02/01/26 03:55
祖父の武勇伝です。
召集を受けてフィリピン戦線へ。
中隊の留守を一個小隊で守備中、敵ゲリラ一個大隊に包囲され、
士官と機関銃手が残らず撃たれた後、爺さんが重機腰ダメで撃ちながら
指揮を代行し、10日持ちこたえて本隊の援軍に間に合わせたとか。
方面軍司令(だっけか?)の視察では「ここには援軍は無い」と
クギを刺されていて、要請した航空援護は僅か1機が2回来ただけで
しかもジャングルに阻まれて有効弾を得られず、という感じだったらしい。

その中隊はダバオで艦砲に一撃でやられて、生き残りは爺さんと
ほか数名のみだったそうな。
690非国民なーのだ:02/01/28 23:27
徴兵逃れに醤油飲むって良く聞くけど
うちの親父南方送りを逃れるため灯油を
微量皮下注射したって言ってたけど
ほんとかなあ
ガキの頃聞いた話でうる覚えなんだけど
仮病使いの方法で
他にこれはっていう手口あるんだろうか?

レンジャー訓練に逝くやつらが食料隠し持っていく
手口なんかにも興味あるなあ
あ!こりゃスレ違いスマソ
691名無し三等兵:02/01/31 01:40
科学者で海軍からの依頼で真水精製機を造ったり 新素材の研究をしていた。
692名無し三等兵:02/01/31 04:19
祖父は関西のどこかの軍需工場で働いているときに
米軍の空爆を受けて亡くなったそうです。

ちなみに祖母は今も健在ですがアメリカ嫌いです。
693_:02/01/31 04:53
父方の爺さんの持ってた支那事変従軍記章を見た事がある。
あと、騎兵としてタイやビルマにも行ったって言ってたな。
馬に乗った写真も残ってた。ビルマの竪琴の映画を見ながら
インパール作戦の直前に除隊になったから自分は生き残れた
としみじみ語ってたっけ。その後長崎で被爆したが79歳くらい
まで生きた。婆さんは50過ぎで死んだが、多少被爆の影響が
あったようだ。親父は胎内で被爆。戦後生まれの被爆者だ。
おかげで俺は20代半ばで被爆2世。

母方の祖父は朝鮮で教師をやってたらしい。
母は終戦の半年前に生まれ、戦後引き揚げてきたらしい。
694名無し三等兵:02/01/31 05:01
父方の爺さんはマレーで戦死。 極度の若ハゲ。
母方の方は地元で消防団、存命。

父方の血が濃いらしい漏れは
はえ際戦線の維持に全力を尽くす所存。
695名無しさん@三等兵:02/01/31 05:17
親父は特別幹部候補生、通称、特幹。出征する前に終戦で助かった。
三人の伯父は、北支、サイパン、および南太平洋上で戦死。
一族の男が任官する時、総本家の当主が蔵の刀を軍刀に直し、持たせた
のだが、親父の時には出し尽くし、関市で刀身を購入したとのこと。
はなむけ、および守刀としての思いがあったらしい……。
696名無し三等兵:02/01/31 12:52
うちの友人のじいさんは、隼鷹で対空砲の指揮官だったそうだ。
ア号作戦に参加したそうだが、配置は艦橋の後ろの対空砲だそうだ 
隼鷹は艦橋に直撃弾をうけているので大丈夫だったのかな?
697名無し三等兵:02/01/31 13:02
うちの爺さんは民間でも大手鉄鋼外車の技師だったので、
満鉄の事業で満州へ、敗戦後、本土帰還は言語を絶するほど大変だったらしい、
唯一残ってる叔父の記憶でも資金捻出のため子供ながら奔走したらしい。
なおオカンも生まれていたが当時幼少(17年生まれ)のため、
記憶が全くないとのこと。

なお、兄弟が現地で一人なくなっている。
TAITOさん爺さんの満鉄、ゲームで再現キボンヌ
698名無し三等兵:02/01/31 13:09
日本人男性ってそんなに魅力無いかね?確かに気の聞いた会話は出来ないし、歯の浮
くようなセリフは言えないし、外見では白人男性に劣っているかもしれないけど、
まともな人間が多いような気がするけどね。あっち(特にアメリカ)の男性って変
な奴、おかしな奴が多くない?


699あぼーん:あぼーん
あぼーん
700あぼーん:あぼーん
あぼーん
701名無し三等兵:02/01/31 13:24
父方、海軍航空隊の整備兵。最後は少尉。
母方、憲兵。最後は曹長。

特に手柄話なども無く、いまいちパッとせん。
702あぼーん:あぼーん
あぼーん
703名無し三等兵:02/01/31 13:25
母方の祖父=海軍所属 戦艦長門3番主砲砲撃手。今も元気。
父方の祖父=同  上 戦艦武蔵乗り組み。当然帰ってきていない。
704あぼーん:あぼーん
あぼーん
705名無し三等兵:02/01/31 13:39
>>703
君の祖父君お二人はひょっとして顔見知りだったということない?
706あぼーん:あぼーん
あぼーん
707名無し三等兵:02/01/31 14:18
こういう低脳も今時珍しいな・・

家の爺さんはシベリア帰りだけどよく「露助からよくマッカリーって
いう酒をもらって体を温めた」ていってるよ。
708名無し三等兵:02/01/31 14:22
温暖化でキチガイ発生時期が早まったのかな。
でも、からかえなくてつまんない荒らしだな。
709名無し三等兵:02/01/31 14:26
>706
【ロビーのお約束】 削除の要件(禁止されること)

荒らし依頼・ブラクラの張付け等第3者に迷惑がかかる行為
アダルト広告・勧誘・悪質な掲示板宣伝などのアドレス等張りつけ
煽り・煽りに対する返答・叩き・誹謗中傷等(差別発言等含む)
コピペ・アスキーアート等必要以上の張り付け
または第3者に迷惑が掛かる行為や発言であった場合は削除対象にします
710名無し三等兵:02/01/31 14:56
ウチのじいちゃんは戦闘機乗りだったそうな。
戦果は知らない・・・
711名無し三等兵:02/01/31 15:06
母方の祖父は終戦間際の根こそぎ動員で准尉として満州へ。そして捕まり5年間
中央アジアで強制労働(シベリアじゃないよ!)そのときの無理がたたり齢70も
行かずに逝った。父方は南方で大発の艇長さん。毎日真水で艇を洗うのに現地人
を雇っていたが、彼らはその仕事が終わるとただじーっと艇洗いを見つずけ
日が暗くなると家に帰る。そんなのんきな生活が羨ましかったとよく語ってくれた。
昨年90歳大往生。
712名無し三等兵:02/01/31 15:14
>>694
そ、その戦線は激戦になりそうだな。。。

父方祖父:教師であったため戦前の徴兵は半年でよかったらしい。伍長。
戦時中に応召されるも名古屋あたりで穴掘りしてたら終戦になったらしい。

母方祖父:そのころ名古屋の航空機工場(詳しく知らん)で技師を。
旧理科大(これも詳しくないのでわからん)出なので待遇は良かったらしい。
713712:02/01/31 15:16
大学じゃなくて高等学校ね。
714軍事情報将校:02/02/03 02:16
 じーさんたちは両方とも、体が悪くて兵役免除。
 その代わり、軍需工場の徴用でこき使われたらしい。戦後は早死にした。
 今時の韓国・朝鮮人の戦後保障要求を聞くと、「俺のじいさんは、何もしてもらえずに死んだのだゾ。何でお前等だけ貰えるんだ」
と張り倒したい。
715名無し三等兵:02/02/03 02:24
俺のひいじいさんは狙撃が上手かったらしい
敵兵を3人連続で仕留めた!とか言ってたが
ほんとかよ〜みたいな事いったら
怒られちった。
716名無し三等兵:02/02/03 08:23
内の爺さんは、海軍主計で良い思いをしたらしい。
自分の金でものを買ったことは一度もなかったと言っていた。
婆さんの買い物にも必ず業者が付き添うっていたとのこと。
日常の食料品などは毎日届けられたと。
それが、敗戦ですべてパーになり苦労したらしい。
親父の教育費などは敗戦時、軍からもちだした物を売って捻出したとのこと。
おかげで、大学までだしてもらい、現在では、付け届けの無い生活ですが
まあまあです。
717名無し三等兵:02/02/03 09:03
うちのじいさんも戦車兵だった。「97式け?」と聞いても「は?」と言っているので
何に乗っていたか分かりません。運転兵だったので、戦後カエツノのバスの運転手
になれたと言っていた。そんなもんなの?もう80越えてるが運転好きでスピード
だしまくり。心配でたまらん。
露助!とか平気で言うなあ(俺もだが。
718名無し三等兵:02/02/03 09:46
チハ車とかTK車とかいわないとわからんかも。
719名無し三等兵:02/02/03 22:24
716より良い思いした人、知ってる?
720名無し三等兵:02/02/03 22:33
>>717
ただ「耳が遠くなっていた。」というオチじゃないだろうな。
721名無し三等兵:02/02/03 22:51
うちのおいじいちゃんは
101空挺師団という師団にいたらしいですが
アメリカ軍と戦っていたのかなあ。
どういう師団がご存知の方いらっしゃいませんか〜?
722初心者:02/02/03 23:15
うちの伯父さんは戦時中ハルマヘラにいて、
マッカサー軍が上陸してきた隣のモロタイ島に斬り込みにも行ったらしいけど、
伯父のこの部隊は何師団だったか教えてください。
ちなみに南方に行く前は満州に駐屯していたらしいです。
723名無し三等兵:02/02/04 01:13
>>721
101空挺師団はやんき-の部隊と思われ
鷲の部隊章(?)つけたとこかな
724名無し三等兵:02/02/04 02:18
曽祖父だけれど・・・
機動部隊や大本営で参謀してた。
被爆直後の広島にも調査に立ち入ったらしい。
90過ぎて、なお健在です。
725名無し三等兵:02/02/04 03:05
>724
む!名を名乗られい。
726名無し三等兵:02/02/04 03:20
>721はネタです。
727名無し三等兵:02/02/05 00:19
爺さんは鋳物工場の職人で戦争には行かず。
親父は子供だったが、電車に乗っているときにグラマンに機銃掃射を受けたことが自慢。
俺が小学生低学年の頃、F6Fのプラモデルを作ってくれて、これに撃たれたんだと言っていた。
そのプラモデルは接着剤だらけで、不細工だと職人肌の爺さんに馬鹿にされ、爺さんと親父はけんかしていた。
728名無し三等兵:02/02/05 00:45
俺の祖父はスターリンとヒトラーのパイプ役を買って出たらしい
729名無し三等兵:02/02/10 21:24
爺さん
丙種→従軍せず→今も元気
徴兵逃れかどうかは怖くて聞けない
730名無し三等兵:02/02/10 21:48
母方の祖父は、10代の中頃過ぎに志願兵として出兵したそうです。
幸い若かったので、前線ではなく後方(本国ではなく大陸の方の
後方)で整備兵をやっていたらしいです。

父方の祖父は少佐だったらしく、大陸の方の最前線で戦ったらしいです。
もっとも、あまり戦争時の話をしたがらないため詳しいことは分かりません。
ただ、汽車で移動中、たまたま自分と友人の席を交換していたときに、
汽車が爆破され、友人は死んだが自分は助かったという話は聞いたことがあります。


また、どちらの祖父も兄弟の半分以上が戦争で戦死、または病死したそうです。
731名無し三等兵:02/02/10 22:40
>>728
凄えな。何やってた人なんだよ?教えれ。
732名無し三等兵:02/02/11 07:47
母方の祖父は、途中まで特高警察にいたはず。終戦間際では出兵してたっけかな。
特高警察時代に何をしていたかは、なんとなく聞きづらいんで聞けなかった。
733名無し三等兵:02/02/12 14:50
うちの父は後楽園の高射砲部隊にいたらしい。
東京大空襲では母(私の祖母)を亡くしており、無念だったろうと思い当時の話はあまり聞けなかった。

その父もつい先日、亡くなってしまった。もっと話聞いておけばよかったYO!!
734名無し三等兵:02/02/13 08:42
ちくり板にこんなのがありました。

564 :>563 :02/02/12 17:13 ID:/vx/yuhK
俺の叔父は終戦後三日目に道を歩いていて、グラマン戦闘機に機銃掃射くらったそうだ。
戦争はとっくに終わっているのに、だ。
叔父は走って防空壕に飛び込んで助かったが、二,三メートル後ろを走ってたヤツは
ボロ雑巾みたいに撃ち殺されていたと。
終戦後しばらく偵察飛行の名目で戦闘機による“日本人狩り”が公然と行われていたんだと。

占領下における米軍の悪行を教えてください。
735名無し三等兵:02/02/14 01:46
俺の爺ちゃんは満州で教師をやっていたそうだ。
物心ついたときはもう死んでいたので話は聞けなかった。
そして俺のおやじは小学生でグラマン戦闘機に機銃掃射をよく受けたといっていた。
グラマンはよく見たが零戦なんて見たことが無いともいっていた。
それと終戦間近には超低空から撃たれ同級生が何人も殺されたといって怒ってた。
爆弾は落とされなかったが学校とか機銃掃射は受けていたらしい。
まぁそれ以上に日本に帰ってくる途中のほうが一番つらかったといっていた。
残留孤児にならなくてよっかった
736名無し三等兵:02/02/16 04:22
父は軍需工場。墨田川に死体が浮いてたと。
叔父は真珠湾攻撃に参加し名誉の戦死・・・
だった・・・けど・・・。
737名無し三等兵:02/02/19 21:02
父系じーさんは痔のため兵役免除。運送屋だったため、物資の輸送を軍から請け負っていたらしい。
ガソリンの配給がどんどん少なくなっていき、ついには木炭車で走らなければならなかったそうな。
「兵役不適格」と書かれた証書を笑いながら見せてくれたよ。
母系じーさんは体格が小柄すぎて兵役免除。工員だったため、工場で軍需物資を作るのに従事して
いたようだ。こちらは戦争の話を聞く暇もなく、60代で永眠。
というわけで、私の親戚には従軍経験者がただの一人もいない。

そうそう、大学のころ、学徒動員の話をしながら教壇で泣き出しちゃった老教授がいたなぁ。
738名無し三等兵:02/02/19 21:34
>>737
痔で免除ワラタ。木炭社ワラタ。木炭車ってイタリーなんかでも使われたらしいけど、
ちゃんと走ったのかな。
ウチの爺さんは153pの超小柄だったので体格不良で駄目だった。体は頗る健康だったのだが。
母形の祖父も一緒。よって俺の身長は155p(19歳)(ワロ。
739名無し三等兵:02/02/22 04:03
ビルマで戦死。
740名無し三等兵:02/02/22 04:06
オヤジの兄貴は硫黄島で戦死。
飛行場守備隊だったそうな。

オヤジは士官候補生内地でやってるうちに終戦。
終戦間際は、鹿屋の飛行場で、草をわっか状に結んでたそうだ。
(本土に上陸した米兵が脚を引っかける事を期待した作業らしい)
741名無し三等兵:02/02/22 04:08
俺の親父は、昭和20年8月16日生まれ。
つまり俺の爺さんは、日本が苦しんでる時にセクースしてたって事になる。
742 :02/02/22 04:18
>>707
マッコリーなら韓国の焼酎みたいな濁り酒みたいなので今でも呑めるよ。
口当たりが凄く良い。
743名無し三等兵:02/02/22 06:56
>>741
うちの母方の爺さんなんか、輸送船に乗っていて、何度も沈められているが、
乗船が帰ってきたり、助け出されて帰ってきたりするたびに子供をこさえて
いたよ。母は長女だが、男女合わせて5人姉弟だ。
744名無し三等兵:02/02/22 07:08
>>741 いいの!当時は国策で「産めよ、増やせよ」って言ってたんだから。
745名無し三等兵:02/02/22 08:13
家の爺チャン
真珠湾攻撃の空母のどれかに航空機の整備員で乗ってます!
746名無し三等兵:02/02/22 08:48
父方の祖父母は満州開拓団時代に結婚。満州東部の龍頭?という所にいたそうだ。
やがて祖父が応召して朝鮮へ移動した所で日ソ開戦となり、やがて終戦。
祖父はすべなく香川に引き揚げ、親戚に「嫁を残して一人だけ・・・」と散々怒られたとか。
祖母の方は開拓団の仲間達と逃避行に入ったが、生後まもない長男は亡くなり、やがて追い詰められ捕まったそうだ。

「青年団の人から鉄砲は一人一丁渡されたが、爆弾(手榴弾?)は渡してくれなかった。
爆弾があれば、辛さのあまり自殺していただろう」

これが、一番印象に残っている言葉。
747名無し三等兵:02/02/22 10:17
台湾守備隊
沖縄上陸で台湾では戦闘まったくなし。
弾薬使って浜辺の魚採ってたなんて話きいた。
748名無し三等兵:02/02/22 12:01
親父は終戦間際に兵役についたんで、前線へ送られることは無かったそう
だ。

駐屯地に着いてすぐの大仕事はピカドン(広島)の処理で、これが終わったと
思ったら次は長崎に移動してまた処理。そして終わったらもう終戦というか
んじ。

それ以外は飯の話ばかりだったなぁ。
「自分のいた部隊には飯と砂糖なら沢山あった。飯に砂糖をこれでもかと振
りかけてお茶をかけて食った」とか言っていたし、実際にそうやってよく飯
を食べていた。本人曰く「忘れられない味。うまい」なのだそうだ。漏れは
見ていて気味悪かったけども、まぁ良くも悪くも青春の味なんだろうね。
「忘れられない味」という事だけはよく理解できた。

あと何故か上官にえらく気に入られたらしく、食事の時によく上官に呼ば
れて飯をご馳走になったそうだ。「用時は無いが今は飯時だろう。だからし
ばらく帰るな。ここでうまい飯でも食っていけ」といった具合。上官は肉な
どを食べていたそうだ。

あるところにはあったんだねえ。>肉とか。
749名無し三等兵:02/02/22 20:32
大叔父は、雷電のパイロットだった。戦記物を読んでいたら、奮闘記があった。
このまえ心臓手術の失敗で死んだが、戒名には「飛」がちゃんと付けてあった。
750名無し三等兵:02/02/22 20:44
>>747
うちのじいも台湾にいた。その連隊はほんとは沖縄に送られるはずだったんだけど、
急遽台湾に変更になった。沖縄行きだったら多分生きてなかったと思う
751名無し三等兵:02/02/22 21:22
うちは父方が3人戦争に行った。母方は無し。
叔父1:戦車第二師団の戦車兵。M4と戦車戦を行うが、愛車は被弾。
    後、歩兵の仲間入り。山に立てこもる。終戦当日は、切り込みに行っていたとか。
叔父2:外航船の機関士。大戦中、敵潜や爆撃機に3度撃沈されるも生還。
叔父3:潜水艦乗り。大戦後期は特殊潜航艇へ。瀬戸内で終戦を迎える。

結構、武運に恵まれた家系の気がする(^^)
752コヴァ:02/02/22 21:26
>>751
叔父さんの1、良く生きておれたもんじゃのー。師団長以下、ことごとく愛車と共に玉砕したのに……
753751:02/02/22 22:02
↑それは叔父1も氏ねってこと?それとも、玉砕した部隊なのに、生存者が
いるのはおかしいってこと?
機会があったら叔父1を問い詰めてみます。(叔父のはったりか?)


754コヴァ:02/02/22 22:53
叔父御の強運なことに関心したの。
戦場の生死は運だから、批判できるわけはない。
755名無し三等兵:02/02/22 23:16
爺ちゃん:特攻隊志願し、訓練受けてるときに終戦。上官と空兵の仲が悪かったらしく
     戦後の集まりでは上官は肩身が狭そうだったらしい。

婆ちゃんの知人:零戦乗りで曹長。重慶爆撃、アリューシャン攻撃や空母瑞鶴の艦載機(零戦?)
        のパイロットだったそうな。一回中国で機体不良で不時着、陸軍に助けられ
        太平洋でも機体不良で不時着浮遊物につかまりひたすら漂っていたら運良く
        日本の船に助けられる。その後内地で飛行教官になったそうだ。
        婆ちゃんはその人の運転する車に同乗してて運転を誤り崖から落ちそうになった
        そうな。やはり歳とると歴戦の猛者でも運転感覚は鈍るんですな・・・
756名無し三等兵:02/02/23 00:09
父方の祖父・・・どうやら捷号作戦時に戦艦<伊勢>か<日向>機銃員をして
        いたらしい。「機銃でグラマンを墜とした」が口癖でした。
        呉大空襲で手首を切断。
父方の祖母・・・男達が徴兵で引っ張られたため、女だてらに漁師。
母方の祖父・・・蒸気機関車の機関士。戦闘機の機銃掃射を受けたことを
        話していた記憶があります。
母方の祖母・・・室蘭の製鉄所で働いていたらしい。
        米軍の艦砲射撃に遭遇したそうです。
757名無し三等兵:02/02/23 00:32
父方の祖父…教員だったためギリギリまで徴兵されなかった。
      戦車に匍匐前進で迫り、地雷を叩きつける(!)
      訓練を内地で受けているうちに終戦。

父方の祖父の兄…比島で戦病死。迫撃砲を撃っていたらしい。
        空腹と病に斃れ、終戦後に現地で散華。
        日本の土をあと少しというところで踏めなかった
        無念さを考えると、涙が出てくる。
        
758名無し三等兵:02/02/23 00:33
米軍の機銃掃射について昔聞いた話では
地上の人間に気付かれないようにエンジンを停止させて
狙いを定めていたらしいです。

最近、ふと考えてみるとこれはうそを教え込まされてたかな、と思っています。
759人生色々:02/02/24 03:22
このスレさ
「茶髪が聞いた戦争体験」(茶髪じゃない人も多いと思うけど)
とかいって出版とかなんかしたら変な市民団体の戦争体験を
語り継ぐ会みたいなのよりよっぽど良いと思うんだけど。
760名無し三等兵:02/02/24 03:35
>>758
家の母は小学生の頃グラマンの機銃掃射にあったらしいです。
妹を背負って買い物に出ていた時空襲警報と同時に上空に戦闘機の編隊が飛来して
近くの近鉄の陸橋下に避難するとその戦闘機群は線路を狙っていたらしくすぐ近くに
弾が飛んできたとか。数年前まで(今も?)当時の被弾したコンクリートが残されており
田舎に帰るたびにここで機銃掃射されて..と話をしていました。
761名無し三等兵:02/02/24 07:26
軍事板に来るのには茶髪は少ないように思うが?
762名無し三等兵 :02/02/24 07:47
母方の祖父は、奉天にある満州銀行で金融政策を担っていた。終戦後もしばらく、現地ですぐに紙屑にならずに貨
幣として流通していたのが、感慨深いと言っている。ソ連軍の進駐にも立ち会ったそうな。戦後、某大手文具メーカー
の社長となった。

父方の祖父は、帝大卒業後、青森の陸軍士官学校を出て、旭川師団に配属。結婚後、連隊長の好意で旧制函館
中学の配属将校で軍事教練を担当。原隊はその後、アッツで玉砕したそうな。1945年には大尉として九十九里浜
で終戦を迎えた。その後、地元の信用組合の理事になった。

 
763名無し三等兵:02/02/24 08:30
祖父は台湾にいた。陸軍中尉。自転車に乗っているときに機銃掃射を受けた。
詳しくは聞かなかったが、当たらなかったのは確かだ。

父も台湾にいた。バナナ食ってた。
764名無し三等兵:02/02/25 11:50
>>762
青森に陸軍士官学校なんてあったっけ?
765名無し三等兵:02/02/25 13:36
親戚のお叔父さん、海軍で特攻だったらしい、なんでも魚雷を歩いて引っ張って
敵の戦艦にぶち当てる予定だったらしいが、そのまま終戦。
戦争が終わって帰る時に1000円貰ったて。
陸軍にいた叔父さんは100円もらったってよ。海軍はイイナーって言ってた。
        

766:02/02/25 13:55
おれのじいちゃんは戦艦霧島に乗ってたそうな、でも機雷敷設艦に配属が
変わって、命拾いしたミタイ。

友達のじいちゃんは一式陸攻に乗ってて、被弾して不時着、生還したそうな。
767名無し三等兵:02/02/25 19:53
うちのかーちゃんは学校の帰りにP51の機銃掃射を受けたといってた。
家は世田谷にあり、近所は将校様だらけだったそうな。
戦前まではあちらこちらからクラッシックが聞こえてくるようなとこ
ろだったらしい。戦中は隠れて聞いていたそうだ。

ところで識者の方教えてください。
P51ってムスタングだから艦載機じゃないですよね(陸軍の戦闘機だった
よね?)。一体どこから飛んできてたんでしょうか?

B29と同じくサイパンくんだりからかな?
768名無し三等兵:02/02/25 20:47
満州で中国軍に捕まった。
769愚考:02/02/25 20:52
>>767
東京都 硫黄島からのものでしょう。
770名無し三等兵:02/02/26 22:56
小学校の裏山でサツマイモ作ったり、
配給に並んで買えなくて親父に殴られたり、
戦争ごっこしたり、
竹やりの練習したり、
玉音放送のあと山の武器備蓄倉庫から鉄砲盗んでうちまくって山火事生かせたりしてたらしい。
771770:02/02/26 22:58
ばあちゃんは食糧難でサツマイモしか食うものが無く、
弁当のサツマイモを早弁してて喉につまらせ先生に怒られたりしていたらしい。
772770:02/02/26 22:59
いかがわしい酒しかなくて近所で3人死んだと言っていた。
773770:02/02/26 23:06
爺はそのへんにあるものでもうまいものはあると言っていた。
野草…腹を壊す。
川魚…ほとんどの種類を食べたらしいが、お勧めは台湾ドジョウとナマズだと言っていた。
獣…サルがうまかった。ネコもうまかった。親父がスキヤキだといっていた肉は赤犬の幼犬だったらしい。
カエル…これを上回る肉は人生でも食ったことが無いらしい。
ザリガニ…最高らしい。
昆虫…喉にひっかかるらしい。
竹の実…うまいし山ほど手に入るが50年に一回しかならないとか。
メチル…飲みすぎると死ぬらしい。
小麦粉…石の粉とか妙な混ぜ者がしてあるので注意。
774名無し三等兵:02/02/26 23:16
ウチの爺さん近衛兵 だったが戦後は船大工なにかがおかしい
775 :02/02/26 23:21
曽祖父=B級であぼーん
776コーン:02/02/26 23:24
うちのじいちゃんは小学校のころ、教室から
飛行機が100mぐらい離れたとこにある軍人が泊まるとこ??に爆撃してるのを
見たと言ってた。
うちの中学の社会科の先生は小学1年のころ飛行機で機関銃で襲撃されたんだって。
(弾はあたらなかったけど)足がすくんで動けなくて飛行機が去ったあとわんわん泣いたって。
しかも襲撃されてるときのパイロットのにやけた顔を今でも覚えてるんだって。
今日先生が授業で話してたYO!
777名無し三等兵:02/02/26 23:24
>>775
君の曽祖父と俺の父親は20歳も変わらないと言う事か・・・(涙)
778名無し三等兵:02/02/26 23:30
ウチの爺は教師として小国民をお国の為に知覧に送っていた。
戦後は民主的な教師として「国民を騙した軍閥政府」の教科書の墨塗りを指導していた。
779名無し三等兵:02/02/26 23:38
俺の父は満州で鉄道の警備をしていた。
何人か死にそうになった中国人を
助けてことあるってさ。
780名無し三等兵:02/02/27 18:06
>>779
その事を是非出版して中国で販売してくれ。
781名無し三等兵:02/02/27 22:05
歴史歪曲のため発禁処分。
782名無し三等兵:02/02/28 00:41
幕府軍に居て五稜郭で戦ったらしい
783名無し三等兵:02/02/28 00:55
中国で野戦砲の着弾観測をやってたとか。
満州じゃなかったから抑留もされずに無事に帰ってきた。
784名無し三等兵:02/02/28 01:26
祖父はまだ存命しているのだが 
小学生のとき戦争中のことをそれとなく聞いたことがある
太平洋側の海上で漁船に乗ってたらしい(何してたかは知らない)
アメリカのパイロットを海上で引き上げたって言ってた記憶がある。
それ以上のことを教えてくれなかったよう。
今からでも聞いとくべきであろうか・・・・・・?聞くのが怖い気もする。
785名無し三等兵:02/02/28 01:27


ボクには祖父も父もいませんでした

捨て子です
786名無し三等兵:02/02/28 01:29
>>784
「聞いとけば良かった・・・」と後で後悔する事が多いので、勇気を出して
聞く事をお薦めします。
787784:02/02/28 01:32
>>786
そうですね
今度 祖父尋ねてみまっす
788名無し三等兵:02/02/28 01:35
母方の婆様
朝鮮総督府で秘書やっていた。
秘書課は各方面からの盆暮れの付届けが集中するため
ウハウハ(死語)だったらしい。
8/15には玉音放送直後に街中に朝鮮人の民族服着た集団が
行進していて怖かったらしい。
ヒトラーを生で見れてラッキーとか言っていたけど何で京城に奴が現れるのさ。
もう13年前に死んじゃったから真偽の程は確認できないけど。
789名無し三等兵:02/02/28 01:57
俺の父方の爺さんが上等兵でインパール作戦に参加。
ここから先はオヤジに聞いた話。
爺さんは迫撃砲?(なんか筒みたいので、上から弾入れて”シュコンッ”って発射されるやつ)
を撃ってたそうな。戦地はとにかく酷かったらしい。爺さん曰く、
まず最初に捨てた物は『小銃』
理由は弾が無くなってただの鉄の塊になったから。
あと、「突撃ー!」と叫んだ小隊長だか中隊長だかが次の瞬間
敵の迫撃砲の破片により立って軍刀振り上げたまま首が無くなっていたってさ。
それと、行軍中、親友が倒れても助け上げるだけの気力(体力も)が無いくらいに
疲弊しきっていたんだと。「あいつにはスマンことをした」って涙浮かべてたらしい。
それから、もう最後の最後は迫撃砲(としておこう)を敵戦車に向かって
水平発射していたとも言っていた。
かなり昔に他界してしまったけど、酔うといつも泣きながらこの話をしていたって
親父も泣きながら話してくれた。
「戦争だけは二度としちゃいかん…。」と言った爺さんの涙声が忘れられない…って
オヤジが言ってた。
790名無し三等兵:02/02/28 02:22
母方の祖父がノモハンでソ連軍と戦ったそうです。
片目を失って帰国し、天皇陛下から義眼をもらったそうです。
サイズが合わなくてつけてなかったらしいですが。
私が生まれる前に亡くなっているので詳しくは知りません。
791名無し三等兵:02/02/28 03:04
親戚に特攻機で出撃する直前、腹痛になり
搭乗中止で、そのまま終戦となった人がいた。
その後、当の本人は、死んで逝った
戦友を思ってか、その話をめったに
しなかったそうだ。
792名無し三等兵:02/02/28 03:40
曾祖父は徴兵保険の代理店やってたとのこと。
村中に広めたが、敗戦であぼーん。おかげで今でも有名人(苦笑)。
昔、家の大掃除してるときに安田生命代理店の看板が出てきた。

祖父は開戦前に除隊して教員か何かやってたらしい。
勝ってるうちしか戦争に行ってなかったから、景気のいい話ばかりしてた。
突撃の時に歩兵が立たないから、機関銃担いで突撃したとか。

父方の方は全然不明(入り婿だった)。
祖父は赤旗に訃報が乗るくらい真っ赤っかだった。
ちなみに父も少し赤い。昔は深紅の活動家だったらしいが。
死ぬまで大東亜共栄圏の大義を信じていた母方の祖父とどう折り合いをつけていたのだろうか……。
793愚考:02/02/28 03:52
>>789
> 迫撃砲?(なんか筒みたいので、上から弾入れて”シュコンッ”って発射されるやつ)
おそらく、「擲弾筒」(てきだんとう)だと思います。
794名無し三等兵:02/02/28 06:52
父方の祖父は少年戦車兵だった。
…オーストラリアかどこかに逝く為に乗る予定だった潜水艦が沈み、
結局そのまま終戦だったらしい。

…うろ覚えスマソ。
当時の日記も残っているので実家に帰ったら読んでみます。
#母方の祖父は海軍だったらしいが詳しい事を聞きそびれた(T_T)
795名無し三等兵:02/02/28 12:12
父は当時、阪大の造船にいた
東大の航空力学か阪大の造船か迷ったあげく
漢はやはり戦艦だ、という結論に達したらしいw
796名無し三等兵:02/02/28 12:21
母方の爺さんの兄さん
パプアニューギニア戦線に送られる。ラエで亡くなったらしい。
郷土の連隊はほぼ全滅。二列に整然と並んだお墓の真ん中くらいに眠っている。
爺さんは合格できずに自分が今ここにいる。

父方の爺さんの兄弟
戦艦陸奥に乗艦していた。父方の親類とはあまり親密でないので詳しくは
知らないが、爆沈したときに一緒に沈んだらしい。陸奥から届いた軍事郵便を
子供のころ見せてもらったことがある。
爺さんは病弱で・・・以下略。

うちの親父の知人
関東軍にいてノモハンで戦った。その後中国各地を転戦して
南京に進駐(一番乗りじゃないけど)。
時局の悪化で南方に送られることになって輸送船に乗船していたが
潜水艦にやられ沈没。漂っているところを戦闘機が襲ってきて
水飛沫と血飛沫が上がる中なんとか生き延びる。
その後も強運で終戦まで生き残った。部隊はほとんど全滅で生きているのが
申し訳ないが、生き延びたからにはやるべきことがあるが口癖だった。
797名無し三等兵:02/03/03 03:48
叔父一 海軍中尉 開戦前から飛行教官
経緯不明なるも終戦直前に朝鮮より九州へ飛行中、行方不明。
戦後に戦死と認定。

叔父ニ 海軍上等飛行兵曹 陸攻(96式?)搭乗員
昭和15年中国大陸にて行方不明(単機行動中だったらしく詳細不明)

叔父三 昭和14年 海軍主計中尉
海軍志願するが体力・視力で不合格。しかし叔父一の奨めで大学進学し、
(不明だが海軍が奨学金くれたらしい)卒業後再度志願で、昭和18年海軍
入隊し主計隊配属。戦後大学院へ進み、弁護士となるが昭和45年没。

叔父四 陸軍准尉 一式戦、二式戦乗り
兄弟の中でも変わり者だった?せいで陸軍へ入隊。ビルマで一式、本土で
二式に乗っていたそう。今も矍鑠たるもので中古車販売店を経営する。
私が初めての車を叔父のところから買うとき、何にしようか迷っていると
「ぱっと踏んだらぱっと出るヤツじゃなきゃヤラレるぞ」と。
加速力重視なところは、さすが二式乗り?

おやじ 終戦時は餓鬼 叔父四の10歳下。じぃさまはがんばった。

おれ  空自飛行学生 学科であぼん 航空大学 三次試験であぼん
    普通の大学行って就職、その後事業用ヘリの免許取得。食えなくて
    サラリーマンに逆戻りのへたれ。
    だが一級船舶を取ったので、叔父一叔父ニ同様、戒名には空と海の
    字を入れてもらうつもり。嫁にはそう言っている。


798うまいよ:02/03/03 03:54
じいちゃんは、鉄道の車掌をしていて、兵役検査では体が貧弱だから戦争にはいかなかった。
799名無し三等兵:02/03/03 04:25
家のじいさん(父方)は船大工だったから戦争には行かなくてすんだ
終戦間際、特攻艇をベニヤで作れと命令を受け船体が完成する直前で終戦
このじいさんの兄が中国戦線で戦死、列車で移動中、谷の上から攻撃を受け
戦友を救おうと出たところを撃たれたらしいです。
もう一人のじいさん(母方)も満州で戦ったらしいです。ただ自分が生まれる前に
病気で亡くなりました
あと身内じゃないですが偵察司令部にいたおじさんを知ってます、一式陸功で
偵察をしていました。
よく「敵機が蚊ほどの大きさに見えるなら逃げ切れる、ハエほどの大きさになると
逃げ切れない」と言ってます。
800名無し三等兵:02/03/03 05:32
私の父方のおじいちゃんは真珠湾攻撃のとき飛び立つ飛行機の援護射撃をしてたそうです。
終戦後沖縄に配属されてうちのばあちゃんとケコーンしたんだけど当事も今も非難されっぱなしでス。
孫のちょっと前にパールハーバーって映画あったじゃないですか。あれ見て考えさせられました。
どっちが悪いとか言い始めたらきりがないけど平和って難しいですね。
板違いですみません。
801名無し三等兵:02/03/03 05:34
↑ちょっと変な分になっちゃいなした。ごめんチャイ
802名無し三等兵:02/03/03 08:48
私の祖父は昭和十八年に出所しましたが、公民権停止のために召集されませんでした。
祖父は当時三十代でしたが、その年代で戦争にも行かず働いてもいない男に対する
世間の風当たりは大変なものだったようです。
803 :02/03/03 09:01
うちの祖母は、甲府大空襲の時焼夷弾を紙一重でかわしてたと、
マトリックス見てから言ってた。
804名無し三等兵:02/03/03 09:35
沖縄戦で一番怖かったのは砲弾さぁ〜、ドーンと砲弾の着弾音がしたら
さっきまで話していた人が消えちゃうからね。
と祖父が申しておりました。
805名無し三等兵:02/03/03 10:03
おやじは100式司偵の整備兵で下志津とか八街の
関東方面の基地におったそうだ。
朝、飛行機が訓練で上がった後は暇で風呂に入ったことも。
(当然、飯も特に不自由はなし)
グラマンがロケット弾で竹で組んだ囮の飛行機を必死こいで
攻撃してわらたとも言っていた。
復員も終戦後すぐに東京から大阪まで満員の急行列車で座って帰った
そうで殆どボーイスカウト状態。
他のご苦労された方には申し訳ない気分です。






806名無し三等兵:02/03/03 11:10
栃木の南部で農民してて
赤紙が来たけど南方への船に乗る寸前で終戦
一番の被害は終戦後に小作の農地を取られたこと
807名無し三等兵:02/03/06 00:05
父方
祖父は松山で予科練習生だったそうです。祖父の家に零戦が形どられた青銅の皿
があります。(同窓会みたいなので配られたそうです)
祖母は工場で飛行機の木製プロペラを作っていたそうです。

母方
祖父は目が悪すぎて軍に入れなかったそうです。
祖母は呉で空襲にあい、姉と妹を亡くしたそうです。



808名無し三等兵:02/03/06 00:11
教員。20年に46才で赤紙。
九州の大分の通信基地で終戦。
809名無し三等兵:02/03/06 01:14
父方
整備兵として硫黄島へ、米軍の総攻撃の直前に
内地へ転属となり生還。

母方
陸軍守備隊として支那大陸を転戦、上海まで
行ったそうです。幸運にも無傷で生還。
810名無し三等兵:02/03/06 04:49
私の曽祖父は当時長崎造船所に勤めており、武蔵の建造にも携わったんだとか。
下っ端工員だった曽祖父には何を建造しているのか知らされるわけもなく、
かなり大きなフネらしい、ということ以外は何も分からなかったそうです。


811名無し三等兵:02/03/06 05:21
爺様が死んだ時に形見分けしようと倉をあさったら三八式と銃剣と軍刀が油漬けの状態で出てきたと母から聞いた。
その後それをどうしたかは聞いてない…。
812陽炎:02/03/06 05:28
うちのお爺さんは軍医だったそうで、ふりだしは海南島だったそうだ。
そのときに日本ではもう皆耐性がついてきかなかった薬がそこの住人にはよく効いたのでびっくりしたとのこと。
で、転属になっていった先がトラック島。
いいなと思った君は甘い。
よりにもよってトラック島空襲の直後。
爆撃を食らったカンズメ庫からはいつまでも悪臭がただよっていたらしい。
それでお決まりの米軍の空襲のとき、整備班がつぎはぎで作った零戦に斜め銃をつけて迎撃させたら一発で撃墜され、その時その零戦が道連れにした爆撃機のパイロットをみんなでボコボコにしたらしい。
また隣の島にどうにかして25ミリを持ち込んで我が物顔に飛んでいるBー24にくらわせたら見事撃墜。
そのBー24の乗員から「どうして俺たちは落とされたんだ、ここには豆鉄砲しかなかったはずなのに」といわれて25ミリを見せたら相手は激しく納得していたらしい。
813陽炎@続き:02/03/06 05:42
それから食料不足も窮まってきたころ、折角作った畑に虫が大発生。
刈り入れ前の穂を全部食われてしまった。
それでどうしたかというと虫を集めてドラム缶で空煎りして食べたそうだ。
その時の理論「これは草の穂しか食わん奴だから毒はナイ!」だそうな(汗
それから終戦後、苦労して福岡は小倉に帰ってきたのだが家は全焼。
海南島で住民から感謝の気持ちとして送られた銀の杯も燃えてしまって、それだけは惜しかったと僕に語ってくれた。
今も元気に一人で暮らしているお爺さんに今度会いに行こうと思う次第。
長文&二回投稿スマソ。
814あぼーん:あぼーん
あぼーん
815sage:02/03/06 08:00
父方祖父
関東軍の根こそぎ動員→シベリア送り
母方祖父
同上
父方祖母
満州から命からがら帰還
母方祖母
同上

同上

同上

ひとつ間違えりゃ俺は残留孤児2世
816名無し三等兵:02/03/06 10:37
漏れの祖父さんは戦争中はまだ10代半ばの少年で、
愛知県某市の軍需工場で働いていた。
んで戦争も終わりが近くなると当然アメ軍の爆撃機が飛んできて
爆撃していくわけだ。
その時に一面焼け野原になった町と、
転がっている黒焦げの死体を見て
激しくアメ人への殺意を覚えたそうな。
で、「鬼畜米英」をやっつける為に出征できる年齢になるのを心待ちにしていたが終戦。

去年の暮れに死んじゃったけど、
生前、アメ人には挨拶代わりに罵倒をし、
黒人に面と向かって平気で「黒んぼ」と呼んだりはするが、
決して呼び方以外の差別はしない良い祖父さんだった。

あまり派手な話じゃなくてスマソ。
817名無し三等兵:02/03/06 20:41
役場が作成した戦没者の資料をみて、不思議に思ったことがある。
陸軍は、戦没場所が「中国何とか省何とかの民家にて、戦病死」等くわしくかいているのに
海軍のそれは、「太平洋上にて、戦没」と簡潔にかいており、所属部隊名すら書かれていなかった。
この差は、なんだろう。。よくわからない。
818名無し三等兵:02/03/06 21:02
漏れの父方祖父、シンガポール上陸作戦で、ジョホールバル水道で戦死。
帰ってきたのは、腕時計と親指くらいの大きさの木だけだったらしい。
819  :02/03/06 21:41
爺さんは関東軍の軍曹
正月、帰郷したとき乾燥させた中国人の脳みそを
「百薬の長だ」といって煎じて飲んでたそうだ
オヤジから聞いた
戦争は人を狂わせるね



良スレだなここは

820しなちく:02/03/06 22:03
スレたてよーと思ったけど
今週日曜日嫁さんの実家から祖父
の古写真がザックザックと出てきた。
海軍の教官だったらしい、96式陸攻前の写真が
ちょーかっこいい、うぷしましょうか?
821名無し三等兵:02/03/06 22:07
うぷしていただきたい。
822名無し三等兵:02/03/06 22:10
父方の祖父→帝大出のキャリア官僚
母方の祖父→田舎の豪農で村長
823しなちく:02/03/06 22:16
ルソルソじゃなくてよかったね
はいまじもんです
http://bekkan.omosiro.com/cgi-bin/ingboard.cgi
824 :02/03/06 22:28
俺のオヤジは東京の王子で風船爆弾を作っていたそうな
825しなちく:02/03/06 22:32
826名無し三等兵:02/03/06 22:33
私の母方の祖父は、予備士官あがりの主計課の少尉で、東京大空襲の時はたまたま
満州に出張中で難を逃れ、終戦時には本土決戦用の物資の管理のために日光にいた
無茶苦茶ラッキーな人です。
しかも、戦後はその物資をトラック一台分家に持ち帰りしばら食うには困らなかったそうです。
827しなちく:02/03/06 22:36
これに乗っていたそうだ
この次に零観が着水している写真がある。
衣笠か?違っていたらレスして
828名無し三等兵:02/03/06 22:50
どちらも生まれてません
829名無し三等兵:02/03/06 22:58
私の親父は立川基地で爆撃を食らったそうな
830名無し三等兵:02/03/06 23:53
ブーゲンビル島の守備隊だったとのこと。
通信手兼高射砲手だったそう。
高射砲弾を飯盒にして飯を炊いていたんだって。
イカス。
山本五十六がブーゲンビルに来て話をしたというんだが、
本当かしら?
詳しい人教えて!

831三流参謀:02/03/07 00:14
オレのじーさんは脱走だよ。
肺病であるとの診断書を偽造し、徴用工場からエスケープ。
832名無し三等兵:02/03/07 00:23
>>830
山本はブーゲンビルに着く前に死にました
833名無し三等兵:02/03/07 00:24
父方はパプアニューギニアだとか聞いたがあんまり多くを語らんかったな。
悲惨だったのか・・・。
徴用時は偉そうにしてたヤクザが戦場に行くとびびって
使い物にならんかったというのと
狭い塹壕に居たら上官が来てお前は出て行けとか言われて
しばらくして迫撃砲がちょうどその中に突っ込んで
そいつが重傷負ったのには笑ったとかいうのは記憶に残ってる。
母方は病弱で東南でマターリ将校運転手やってたそうです。
でもかえって強襲される恐怖は大きかったらしい。
834名無し三等兵:02/03/07 00:35
母方祖父 ラバウルの根拠地隊司令部にて海軍陸戦隊の主計兵曹。戦争終盤は
     畑耕してたそうな。爆撃で吹っ飛ばされ鉄条網に突っ込んで頭に負傷。
     軍医がわざと包帯をグルグル巻きにして笑ってたそうな。
父方祖父 終戦時17歳なので軍歴は無し。空襲時焼夷弾が頭に直撃して鉄兜が
     つぶれた死体の話をしてた。
祖母の兄 戦死広報が届いて悲嘆に暮れていた家族のもとに戦後ひょっこり帰還。
     祖母の家は戦後クリーニング屋をやっていたので進駐軍の米兵が代金
     代わりにおいていったOD色の毛布が今も家にある。
     
835THE MAX:02/03/07 00:39
ウチの親父は、爆弾に見立てた土嚢をだいて戦車にもぐる練習をさせられてたらしい。
836名無し三等兵:02/03/07 09:23
>>817
多分の陸軍のは看取ってくれる戦友多かったろうからそれだけ詳細が書ける。
末期になると「●●島において」とか「●●海において」っていう簡潔な
文章になる。ちなみにうちの爺さんのは
「ルソン島プログ山中において戦病死」って書いてあったはず。
海軍のは、多分艦がどこにいるかというのは軍機にあたるのかも
しれないのと、あとポカチン食らうと生存者が少なかったりするから
詳細が書けないってのがあるのだと思う。

日本語が不自由で申し訳ない
837名無し三等兵:02/03/07 14:11
父方の祖父が航空機の整備士をやってた。
ある時、基地がグラマンの機銃掃射に遭ったそうだ。
当時はもう武装が無く、迎撃もほとんど無し。
そのため、アメリカも脅し半分で飛んできていたそうだ。
祖父は戦闘機を整備するために操縦席にのりこんでおり、自分は間違いなく死ぬと覚悟したらしい。
しかしグラマンは撃ってこず、操縦席のわきを何度もかすめて飛んでいってしまった。
祖父はそのとき目が合ったグラマンのパイロットの笑顔が忘れられないと言っている。
祖父が言うには、
「もう反撃なんてする余裕がないころだったし、
 目が合ったのが明らかに整備兵だってわかったから撃たなかったんじゃないのかな。
 思えば、そんな余裕のある相手とよく戦争なんて始めたもんだよ。」
だそうだ。

ちなみに兄は南方で戦い、帰国後戦病死。
父方の祖母の兄は特攻隊で死亡。
838名無し三等兵:02/03/07 14:20
大東亜戦争末期、祖母はモンペのコギャルだった。

自慢じゃないが
南部十四年式自動拳銃初期型で
B−29を狙ったが
弾がもったいないから撃たなかったらしい。
839名無し三等兵:02/03/07 15:54
>>838
君の祖母と俺の母親はそんなに年が変わらんないということか・・・(涙
840名無しさん:02/03/07 15:57
父方祖父
国鉄だか、満鉄の技術者。
母方祖父
終戦時満州にいてソ連に引っ張られていったが、ロシア語話せたので公使かなんかの小間使いやって生き延びたらしい。
841名無し三等兵:02/03/07 16:50
うちの親父(祖父)は特攻隊員だったが、終戦のおかげで死なずにすんだ。

何人からこのセリフを聞いたことかっ!
842名無し三等兵:02/03/09 22:57
じいさんは満州で獣医。軍馬の世話をしたらしい。
843名無し三等兵:02/03/09 23:49
うちのじーさんは
戦争末期に空母の甲板員だったらしい。
あるときグラマンの機銃掃射を食らったというが・・・
これだけでどの空母か分かる?おれ、空母の名前なんて聞かなかったよ。
844名無し三等兵:02/03/10 00:53
>>797
昭和15年に上飛曹ですか?
845名無し三等兵:02/03/10 06:43
祖父は、せっせと、父や叔父、伯母を作っていた。
親父、1941年生まれ、叔父=1943年生まれ、伯母=1945年生まれ。
主計担当の下士官だった。もちろん、国内にいた。
846山本五十六:02/03/10 06:48
うちの爺さんは肥溜めに落ちていてそれで終戦を
迎えたと言っていた。
847名無し三等兵:02/03/10 09:05
父方
陸軍で満州にいたらしい。
母方
海軍で軽巡の鬼怒に乗ってたらしい。
呉に見学で大和に乗ったって自慢してた。
848名無し三等兵:02/03/10 11:44
>>843
戦争末期(レイテ沖海戦以降)で残ってる空母なら、鳳翔、龍鳳、天城、葛城
位だね。空襲受けた場所は分る?
849名無し三等兵:02/03/10 12:29
私の祖父は、昭和16年徴兵で、海軍入隊。
航空母艦「翔鶴」乗り組みの整備兵として南太平洋海戦に従軍したとのこと。
その後負傷し内地に帰還。終戦時は「震洋」の訓練していたそうだよ。
850名無し三等兵:02/03/10 13:05
友達の親戚の話でもいいかな?
海軍将校なんだけど。
851843:02/03/10 20:22
>>848
わざわざありがとう。
でも、もうこれ以上はおれ自身、覚えていない。
今度会ったら聞いておきます
852名無し三等兵:02/03/10 21:22
昨年96で往生したうちの父方の爺様は、
生粋の軍人(海軍)で支那事変、太平洋戦争を戦い抜いた。
詳しい話はついぞ聞けず仕舞いだったが、
負傷して内地に戻る際、輸送船に乗る予定だったが、
なぜか二式大艇に乗って帰ってきたそうだ。
乗る予定だった輸送船はアメ公の潜水艦にあぼーんされたらしい。
つくづく運のいい人だなぁと思った。
実家には昭和天皇からの賞状がかなりあった。
軍服姿の写真や、勲章もかなりあるらしい。
父や親戚から詳しい話を聞こうかと思ってます。
あと質問なのですが爺様の戦歴、階級や所属部隊とかっていうのは
どこで調べれるんですか?教えてください。
853名無し三等兵:02/03/10 22:06
友達の母方の爺さんの兄を調べてくれといわれて
その結果をおおまかに書くと、
12年駐仏武官(中佐)
15年瑞穂艦長(大佐)
17年飛鷹艦長
19年1月第四艦隊参謀長(少将)
   2月第22航戦司令
   8月第四艦隊参謀長
という経歴。
854名無し三等兵:02/03/10 22:16
母はあまり語りたがらないが、母の叔父は佐世保勤務の海軍少佐で
戦後進駐してきた米海軍将校から「海軍よしみ」ということで
衣食住とかなり援助してもらってたらしい。

あんまりイイ話じゃないね。
855名無し三等兵:02/03/10 23:31
じいさんは満州で鉄道警護軍(これ、正式名称?)にいて、
おやじは昭和12年満州生まれなので、終戦時には8歳。
終戦後1、2年して九州に引き上げてきた。
終戦時には満州の治安は急激に悪化したらしく、中国人が
略奪にくるとかで、ときどきじいさんは拳銃を持って近所の
男達と出かけていたりしたみたい。
856名無し三等兵:02/03/10 23:39
父方の祖父が中国戦線で狙撃兵をやってたらしい。
かなりの名手で、だいぶお陀仏になった中国人はいるんじゃないかな。
戦争後は趣味で猟をしてたんだけど、いわゆる「飛ぶ鳥落とす」くらい上手かった。
散弾銃じゃなく、いわゆるライフル銃で飛んでるカモを仕留めてたからなあ。
857名無し三等兵:02/03/13 01:14
一昨年前亡くなった母方の爺様は、南方で転戦しながら偵察機に乗っていた。
健在の頃に聞いた話で、自分の乗っていた97司偵は、普通の戦闘機(たぶん隼)に比べ離陸時の滑走距離が長かったと言っていた。
当時機密だった97重爆の後部や、編隊の写真と共に、若かりし頃の爺様の写真等を何十枚か見せてくれた。
さらに、軍隊手帳や、従軍徽章数種等を見せてくれた。
除隊するときは伍長だったと言っていた。

婆様の兄さんは、健在だけど、転戦中輸送船が雷撃に会い、一個中隊500人のうちのただ一人の生き残りと言ってた。〔婆様談〕
惨状のことは、恐ろしくて本人には直接聞いていません。
根性なしでスマソ
婆様が病院に見舞いに行ったとき、空中戦を見たといっていた。

家の爺様(父方)は、所属は聞いてないけど2回戦役についたとのことで、弾丸が頭上をかすめる中飯を食べたといっていた。
父がよくその話を聞かされたみたいだけど相手にしなかったらしく、戦争の話をしてくれない。
ただ、中国の方に友達がいて、よく遊びに行ってた。
今までに食べたもので一番まずかったものは、配給品で緑色の昆布餅と呼ばれた謎の物体だと言っていた。

聞いた話はこれくらいです。



858名無し:02/03/15 01:44
爺さんは、造船所勤務で佐世保にて武蔵を見たと言っていた。
46cm砲身が装着直前で間近でみて、とてもでかくてビックリしたそうだ。
859名無し三等兵:02/03/15 08:15
母方の爺さんは陸軍のどっかの師団の参謀長やってた。
で、ビルマへの行軍中にやられたそうだ。
父方は中国戦線で一等兵だったと聞いた。敗戦後、重慶に連行され強制労働に就かされたと聞いた
860名無し三等兵:02/03/15 10:35
祖父は乙種。大陸で通信兵。上官にピストルの柄の部分で左手の小指を殴られた。
殴られた仕返しに、上官の食事に自分と同僚のフケを大量に入れたところ、その上官
が酷い下痢をしたそうで、それが祖父の唯一の戦果だと言ってた。ダメ祖父でソマソ
結局、殴られた傷害は死ぬまで残って、左手の小指は全く動かなかった。
大した遺品はないんだけど、陸−昭一七(17か-7か良くわからん)の刻印がある飯盒は
まだ現役で使ってるよ。最近のアルミ製の飯盒はすぐダメになるけど。

関係ないけど祖母は大阪大空襲の時、地下鉄大国町の駅に逃げ込んだそうだ。駅員が
規則を破って、夜中なのに駅構内に入れてくれたから助かった、と言って感謝し続けて
るよ。
861名無し三等兵:02/03/19 16:33
爺さん海軍少佐だったとは親父から聞いたことがあるけど、
具体的に何をしてたまでは教えてくれないなぁ。
今度帰省したときにでも聞いてみるか……
862名無し三等兵:02/03/20 00:12
age
863名無し三等兵:02/03/20 00:22
もう故人なので確認を取る術がないのですが、
「中国と満州の国境を守っていた」
それ以外のことを話してくれた記憶がありません。
多分、関東軍あたりかと。
なんでも、暇で暇でしょうがなかったとか……

師範学校の教師だったので上官の部下暴行を言葉だけで止める事が出来たらしい……
864名無し三等兵:02/03/20 00:39
>>853
澄川提督だな。
865`ddd:02/03/20 00:43
小学校の校長先生
866名無し三等兵:02/03/20 00:59
靖国神社の人間魚雷を見たじいちゃんは、魚雷を見た後静かに言った。
「これに乗って俺の兄貴は死んだんだ。」って。
小学生だった俺とじいちゃん二人でその場でしばらく泣いたよ・・・。
867名無し三等兵:02/03/20 01:03
友人の祖父が回天の設計に携わっていたらしい……
868名無し三等兵:02/03/20 01:17
漏れの爺さんは戦中、あの悪名高き大本営の海軍参謀をしておったと。
呉海軍基地司令、マレー方面海軍司令などを歴任した後、敗戦で公職追放
になり、マレー半島でお世話した小津安二郎の映画制作所で清掃員をして
息絶えました…。
婆さんが最近無くなって爺さんの形見を見る機会があったのだが、想像を
絶する波乱万丈な人生だよ。
869名無し三等兵:02/03/20 01:36
やっぱエンジンはパワーより信頼性!特に単発は事故をおこさないのが
大事。となると改といってもあまりいじるトコはない。
870名無し三等兵:02/03/20 01:43
僕の、おじいちゃんは、ゼロ戦の飛行気乗りでした。おじいちゃんの弟は、特攻隊で、沖縄の海に、散りました。おじいちゃんは
南方から、台湾、ラバウル、横須賀と空で戦ってました。おじいちゃんと、おじいちゃんの弟は、海軍でした。
そんな二人を、僕は、誇りに思ってます。

871名無し三等兵:02/03/20 02:08
満州に出兵するがじいさんのいた部隊が中国軍の奇襲を受け反撃するが数で負けて
じいさんを含めてほんの一握りしか生存せずその上捕虜になる。
捕虜の次はシベリアの収容所に連れていかれ11年の懲役を課せられる
過酷な労働や厳寒少ない飯により地獄をみるが終戦にともない収容所を3年で釈放される。
家に帰るも2年後に病死する。じいさんと戦争に出兵し死んだ兵士の冥福を祈る。



872名無し三等兵:02/03/20 03:51
>>870
うんうん、おじいちゃん達はホント日本の誇りだよん
873 :02/03/20 04:06
母方の祖父は砲兵として中国にいたそうだ。長生きしたが多くを語らなかった。

父方の祖父はやはり中国に軍医としていっていた田舎のインテリ。
当時としては大柄で、馬を担いだという伝説も残っている豪傑。
細菌の研究などもしていたと伝え聞いているが…。
シベリアに抑留され帰ってきたときには衰弱してスイカも自力で食えず、
頭もすっかりおかしくなってしまっていたそうだ。
874名無し三等兵:02/03/20 11:45
私の知り合いは、当時帝大生だったが、
海軍主計学校(?)を出ていたので、
海軍主計少尉として任官されたそうだ。
当時の日本国内は、ご存知の通り物不足だった訳だけど、
軍の中は物が豊富にあったようで、
食事などはかなり豪華だったそうだ。
因みにその人は、某有名企業の社長の息子で、
戦後も順調に出世し、「その道」を極め、
日本国政府及び某欧州の政府より勲章を貰っているが、
それでも、戦時中よりも美味い飯は食べたことがないそうだ。
一体、海軍ってどんな世界なんだ?
風呂に入るときなどは、御付きの人が2名付いて、
身体を洗ってくれるそうだ。
875名無し三等兵:02/03/23 15:38
ahe
876名無し三等兵:02/03/23 16:01
祖父、上海事変出兵。
その時「サクマ式ドロップ」の缶に宝石を入れ密輸したそうです。
宝石の出所は全く不明・・・。
877名無し三等兵:02/03/23 16:31
祖父は年が行っていたため徴兵されず終い。
祖父の弟は関東軍参謀本部でなにかやってたらしい。
迫撃砲の成績抜群云々ということだった。

祖母の弟は大陸で捕虜になりシベリア抑留。
ガリガリに痩せこけて生還するも、数週間後に
栄養失調で死亡。死ぬ前の日は妙に元気でスッキリ
したような感じだったそうだ。

父は小学生。甘いものを腹一杯食べたかったそうだ。
878名無し三等兵:02/03/24 11:51
マレー半島で蛇食ったって言ってた
879名無し三等兵:02/03/24 11:53
ラバウルで敵グラマンを撃滅したんだけど
そのグラマンの操縦桿を持ち帰った
880名無し三等兵:02/03/29 17:19
あげましょう
881名無し三等兵:02/03/29 17:33
詳しくは聞いてないが、俺のじいちゃんは水兵でラッパ吹いてたらしい。
どんな船に乗ってたかは知らないが、
ケツに鉄砲喰らった痕があったから、結構前線まで出てたみたい。
でも、特に後遺症も無く元気だったな。
882名無し三等兵:02/03/30 23:03
「ワシゃ、グラマンに追いかけられて近くにあった小川に飛び込んで助かったんじゃ」
という話が、ベストセラーじゃないかと思う今日この頃。
883名無し三等兵:02/03/30 23:18
母方の祖父は上海に言ったらしいが友人にビルマに行くと
言い残したまま帰ってこなかった。
884名無し三等兵:02/03/30 23:57
呉の海軍工廠で戦艦大和を作ってました。希少鉱物のプラチナを少し
ちょろまかし、祖母への結婚指輪を自作しました。今でも祖母の
指に収まってます。
885名無し三等兵:02/04/03 15:53
父かたの祖父は満州からシベリヤに抑留後病死。
886名無し二等兵:02/04/03 19:13
母方のじーちゃん、赤紙で陸軍にとられた。
南方に行ったらしい(詳細不明)。
無事に生還してきたよ(さすがにもう故人だけど)。
なんか「騎兵隊に居た」なんて言ってたから、
捜索連隊にでも配属されたのかなぁ?
あんまり戦争の事は話してくれなかったよ。
887名無し三等兵:02/04/04 18:45
人の嫌がる軍隊に志願で出ていく馬鹿がいる〜再役までする馬鹿もいる〜♪

うちの爺さんはその馬鹿だったわけですが、
再役してるうちに准尉にまで昇進して、フィリピンに行ったきり。
なのでうちの婆さんは今でも爺さんのことを馬鹿と呼ぶ。
888q:02/04/05 00:47
かみさんの祖父はサイパンで戦死。
お櫃の中には石ころが入っていたとか。
自分の祖父は戦争に行かず、戦後釣り行く途中進駐軍のジープに跳ねられ他界。
親父は当時中学生で昼間は勤労動員?
当時は東京の港区に住んでおりまして、毎夜の空襲で叩きおこされ‘死んでも
いいから寝かせてくれ’と言ったそうな、で防空壕に入る直前に焼夷弾が落ちて
ケツに火が付いたとか。
食料不足により飼っていたニワトリの首はねたら10m位、首なしで走ったって。
祖父だけが‘うまい、うまい’と食べてその他家族は手をつけなかった。
そんな祖父も下町へ焼死体の処理に行ったときは飯は食えなかったみたい、
夜になるとあちこちで燐光が見えたと言ってたそうです。
889名無し三等兵:02/04/05 00:53
中国に通信兵として出兵したらしい

とある都市での大虐殺の跡に進駐したとき、
ひざ下まで血の池状態だったとか〜

あとは、終戦の年、田舎の港から豊後水道を通るでっかい戦艦が見えたとか
890名無し三等兵:02/04/05 01:03
母方の祖父は徴兵されましたが、玉音放送だけ聴いて帰って来た
そうです(当時18歳)。ちなみに、その1月ちょっと前には、
たまたま所用で実家に帰ったその晩に空襲で下宿が丸焼けになっ
たと言ってました。
891名無し三等兵:02/04/13 14:53
ウチの父は(当時旧制中学生)沿岸警備隊と酒盛りしてました
志願で出て行くバカもあると言う歌を歌っていたそうで
上陸されたらいちころだと思ったそうです。
892名無し三等兵:02/04/14 13:29
消防・厨房・孝行・職場と我が人生の全ての場が旧陸軍駐屯地跡。
ちなみに久留米(福岡)です。
893名無し三等兵:02/04/14 13:33
ウチの曽祖父はペリリュー島の土となりました
894名無しの三等兵:02/04/14 16:08
ウチの母方の爺様は徴兵されて満州に行ってました。昭和19年に除隊して内地に戻った。
余り詳しくは語らなかったけど、戦闘後血で染まった雪原の雪を溶かして飯盒を炊いた事を
聞いて子供ながらに怖かった。

形見分けの時、出征時に軍服を着た爺様が俺と激似で親族で驚いていた。
遺伝子だけは立派に引き継いでいるのに、ほとんどヒッキーで2chばかり。
爺ちゃん、ヘタレな孫ですまん……。
895名無し三等兵:02/04/14 17:00
うちのじいちゃんは岐阜からの徴収兵で陸軍名古屋第68部隊
所属、その後、呉守備隊になりました。
空襲の時朝鮮兵の人が母国語で騒いでいたのがなんともこっけい
だっやそうです。
896あんさー:02/04/14 17:34
父方の祖父:飛行機工場で尾翼部分を作成。
   祖母:学校の校庭で、芋作りに励む。

母方の祖父:学徒動員。九州の守備隊にいたらしい。
   祖母:工場で働いてたらしい。
897海の人:02/04/14 17:47
@
            ____
          /\      \
        / |  \      \
      /   |    \      \            (´ー` ) 現地幼女
    /     |      \      \          ノ(    )\('-')
ヽ./       |        \/     \/        ノωヽ   只ヽ....
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


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ヽ./       |        \/     \/     ▽ ノω ヽ    /⌒\
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898大元帥☆☆☆☆:02/04/15 19:37
私の父は,終戦時陸軍士官学校生徒で,常陸教導飛行師団所属.
同師団からは特攻隊も送り出していたし,米軍空襲時には迎撃も
行っている.水戸飛行場から群馬県の新田飛行場に移ったところで
終戦を迎えた.機銃掃射で逃げ回ったこともあったらしい.
隼,鍾馗,飛燕,疾風等の実機をさわっているらしいので,
模型ファンの私としては,その場面だけ代わってほしかった(藁
戦後は学校に戻り,定年まで会社勤めをし,定年後の現在も働いて
いるが,とても元軍人とは思えません.
899名無し三等兵:02/04/23 03:20
東京本所で金儲け戦争は儲かる
戦時中でも温泉三昧のヒコクミーン
でも3/10は東京にいたのでエライ目に・・・
900名無し三等兵:02/04/23 03:30
最近、昔満州に住んでいた祖父のために
「蘇州夜曲」をフルートで演奏しました。
901名無し三等兵:02/04/23 03:42
>>893
おお!
うちの爺さんもぺリリュー島で戦没した。
902名無し三等兵:02/04/23 07:08
祖父は内地でぽっぽやしてたらしぞ
軍人だった頃、金剛受領しにイギリス逝ったとか
写真見せてもらったことがある。

まぁ、漏れはその祖父にはあった事はない
生まれる前には死んでいた
親も漏れも、親が歳食ってからの子だったからな。
903飲めよ:02/04/23 10:08
入院中のおじいちゃん薬が嫌いらしく看護婦の前で飲まされてるが
看護婦が去った後ベットから薬を取り出した、飲んだんじゃないの?
と聞くと、飲む振りをして捨てる訓練を受けてたと言ってた。
カコイイじじいb(゚▽゚)イイ
904名無し三等兵:02/04/23 10:41
北京の予備師団に配備され、治安維持にかり出されたらしい
遊撃隊(ゲリラ?)との交戦中に同郷の仲間が、テキダン筒で攻撃するつもりが
点火した手榴弾を逆さに装填してしまいテキダン筒ごと・・・
905Na:02/04/23 15:12
お爺様がご健在な方も多いようですが、大切にされて下さい。亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
父方の祖父‥刑務官から徴兵されて海軍へ(今年の2月末に他界)
母方の祖父‥徴兵されて陸軍へ終戦時は軍曹?
母方の祖母‥戦時中は仙台市電の女車掌、機銃掃射を受けて時、腰を抜かした運転手を背負って逃げたそう。

母方の祖父が負傷した時、同郷の上官が手当てをしてくれたそうですが、その時流れ弾を受け戦死…俺の代わりに死んだと泣いてたなぁ。
906名無し三等兵:02/04/23 16:31
うちの爺ちゃん戦艦長門で弾道計算だかなんだかやってたらしい
907名無し三等兵:02/04/23 18:27
私のひい爺ちゃんは海軍の整備兵、階級は兵曹長
空母に乗っていたが乗艦は撃沈された。
この前墓参りに行ったら墓石にこう彫ってあった
「昭和十七年七月 ニューギニヤ南方海上において壮烈死
 この書 元帥閣下の恩情にて絶筆なり」
ひい婆の話によると元帥閣下とは山本元帥の事だと言っていたが
一准仕官のために書いてくれるものなのだろうか?かなり疑問。
なお死因は爆弾の直撃と聞いています。
あと この時期に空母が沈むような海戦は起きたのでしょうか?
良ければお教えください。
908海の人:02/04/23 19:24
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ヽ./       |        \/     \/        ノωヽ   只ヽ....
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909名無し三等兵:02/04/24 04:52
俺のひい爺ちゃんはドイツの独裁者の影武者してますた。
910名無し三等兵:02/04/27 01:30
>>889

膝下まで・・・  
ちょいと図面を書いてどれぐらいの血がどれくらいの広さ深さの場所にの場所に
どのようにたまってる状態なのか、またそれが
どのくらいの人間から流れ出た血に相当するのか
また流れる血が地面に吸われるのか吸われないのか、
更にそのような場所を歩兵がわざわざ通るのはどのようなときか、

を具体的に想像してみてください・・・

お爺さまには申し訳ないが「兵隊の間のおおげさなうわさ話」の類である
可能性はかなり高いと思う・・・
911名無し三等兵:02/04/27 01:39
>膝下まで
池にでも、血の流れてる死体を流せば可能かと
912名無し三等兵:02/05/03 13:21
>>907
5月なら珊瑚海海戦があります。
祥鳳にでも乗っていたのでは?
913名無し三等兵:02/05/03 18:34
死んだじいさんは「鈴谷」に乗ってたみたいだ!
914名無し三等兵:02/05/03 18:43
うちの母方の爺ちゃんは戦時中。
八幡製鉄所で品質検査の仕事をしてた。
母によると、製鉄所は体力使う仕事だそうで、家族も食料には困らなかったそうな。

父方の爺ちゃんは、国内で衛生兵として勤務。
何事も無く終戦を迎えたらしい。
今でも、俺が料理しててけがしたときに手当てしてくれる(笑
915名無し三等兵:02/05/03 20:10
俺の母親の弟は大和に乗って戦死だって。
916名無し三等兵:02/05/07 23:27
祖父は海軍飛行隊の3期生。開戦時は加賀の整備分隊長、特務大尉。真珠港から帰ると
中国の基地航空隊へ。真珠湾攻撃で金鵄勲章。終戦時、海軍少佐。兵隊上がりとしては
最高位を極めた。父は三菱で魚雷の設計。長崎での原爆投下時地下2階の研究室におり
九死に一生を得たそうな。三菱の技師であったため、昭和18年頃の海軍の召集は即日解除されたそうな。
後で、祖父が裏で手を回したことを知ったらしい。
原爆で負傷し長崎近郊の親戚宅に身を寄せていた父を、久留米の部隊にいた父の弟(陸士出身)
が見つけ、特権で陸軍病院に入院させたらしい。
917名無し三等兵:02/05/09 00:07
>>911
だからどの程度の深さと大きさのいけに何体の、
どの程度の状態の死体を放り込めば(以下略)
918名無し三等兵:02/05/09 01:52
k関係ないがうちの学校元陸軍の馬とかいるところだったらしい
919名無し三等兵:02/05/09 01:57
親父は消防だった。
近所に中島飛行機の工場があったせいで
結構戦闘機とかが来ていたらしい。

機関銃で撃たれて、どぶに身を入れてしのいだ
なんて話しも聞いた。
920名無しさん:02/05/09 02:21
私の父方の祖父は原爆が落ちた次の日、現地救援のため広島に送られました。
郵便関係の仕事についていたので、国内にて通信関係の仕事を任され
海外に送られなかったのが不幸中の幸いでした。

広島での死体処理は壮絶そのものだったそうです。
当時現地でとった写真を見せてもらったことがありましたが
白黒の上、ピンぼけでよく分かりませんでした。
それでも異様な雰囲気だけは伝わってきました。

当然被爆者手帳を持っています。そろそろ80になるがまだ一人で歩けます。
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