254 :
249 :
2006/04/11(火) 22:39:13 ID:NrtzoYqa
255 :
249 :2006/04/11(火) 23:07:03 ID:NrtzoYqa
なぜ、天空から見たと断言できるのか? とお思いでしょう。 次に証拠をお見せします。
256 :
249 :2006/04/12(水) 19:06:43 ID:XtS79v1l
257 :
249 :2006/04/12(水) 19:56:10 ID:XtS79v1l
そして古墳ですが、スメール世界観から説明できます。 円墳は有頂天を表そうとした。 方墳は基部を表し、 そして四隅突出墳は四天王に比重を置き、 何かの祭祀が行われてたのかもしれません。 前方後円墳ですが、前方部をスメール山、後円部を有頂天だとすれば、 高さを表現するために、水平軸にしたのだと考えられるし、 より高さを表現したいがために、造り出し、つまり月と太陽を表したのでしょう。
258 :
249 :2006/04/12(水) 19:59:15 ID:XtS79v1l
259 :
249 :2006/04/12(水) 22:38:50 ID:XtS79v1l
以上、銅鐸・鏡・古墳をスメール山世界観で解いたのですが、 銅鐸とは目線で見たスメール山・国つ神であり、 鏡とは天空から見たスメール山・天つ神であったのかもしれません。 つまり時代遅れになった神・銅鐸をどう処理したのかを考えると、 謎が解けるような気がします。
260 :
249 :2006/04/12(水) 22:58:45 ID:XtS79v1l
今まで、銅鐸とは何か?が言われず、 何に使われたか?ばかりが言われてきましたが、 私の意見は、銅鐸とは弥生人が崇めたスメール山であり、 銅鐸とは彼らにとっての神であり、 冠婚葬祭すべてが銅鐸・神の神前において行われたと思います。 反論がある方は、まず銅鐸とは何かについて、 自説を言ってから反論をお願いします。
261 :
249 :2006/04/13(木) 20:22:48 ID:kIhQRQnV
よく、山の上に小さな祠や神社がありますが、 その下に銅鐸が埋葬されてる可能性が高いと思います。 かつての神を偲ぶためです。 じゃ、発見されたのは何だ?と言われそうですが、 全部を埋葬できないため、 依代(よりしろ)し、埋葬した銅鐸の上に祠を作り、 それが今では神社になってると思います。 また地鎮祭というのも、銅鐸を埋葬した事から始まったのかも? などと考えたりします。
262 :
249 :2006/04/13(木) 22:51:24 ID:kIhQRQnV
銅鐸は、錆びる前は黄金色だったし、 てっぺんの穴から太陽を拝んだ時には、 ヒンドゥーが言うところの黄金の山メール(スメール)そのままだったでしょう。 どれほど神々しい事だったでしょうか。
263 :
mafoid :2006/04/13(木) 22:54:54 ID:7IpSX5Ys
264 :
出土地不明 :2006/04/13(木) 23:36:15 ID:8elACKjs
test
265 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/14(金) 17:07:45 ID:gRuzqv6g
鬼束ちひろスレや街BBSと同じトリップつけます。 ご意見・反論を期待してアゲます。
266 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/14(金) 21:54:57 ID:gRuzqv6g
●銅鐸は、つねに、人目につかない谷問の斜面や、山腹などに、とくべつな施設もなく埋められた状態で、発見される。 ●銅鐸は、弥生式時代の住居のあとから、出土した例がない。 ●古い型式の銅鐸は、磨滅した状態がみられ、長年伝世されたあとに埋められたようにみえる。 ●新形式のものには、鋳造してから、すぐ埋められたようなものもある。 ●新旧の銅鐸が、いっしょに埋められている例も多い。 ●銅鐸は、祭器であったといわれている。しかし、他の祭器といっしょにみいだされることはほとんどない。 ●徳島県麻植郡牛島村出土の銅鐸のように、ことさらにうちこわされたとみられるものもある。 ●銅鐸の発見は、予測は困難である。これまで出土した銅鐸のほとんどは、農耕などのさいに、偶然みいだされている。 一応、私の説で説明できてると思います。
267 :
出土地不明 :2006/04/14(金) 22:15:43 ID:/dXS1bv/
前を読まずにカキコ >●銅鐸は、弥生式時代の住居のあとから、出土した例がない。 一つあったような・・・・・ >●新形式のものには、鋳造してから、すぐ埋められたようなものもある。 これって、加茂岩倉の話でしょ? 新形式って言ってもいわゆる「見る」銅鐸の最後の段階。紀元前後。 >●新旧の銅鐸が、いっしょに埋められている例も多い。 新旧の中身が問題だが、見る銅鐸と聞く銅鐸が一緒に見つかるケースはない。 少なくとも記憶にない。 >●銅鐸は、祭器であったといわれている。しかし、他の祭器といっしょにみいだされることはほとんどない。 荒神谷わぁ
268 :
出土地不明 :2006/04/14(金) 22:16:40 ID:/dXS1bv/
>>267 >新形式って言ってもいわゆる「見る」銅鐸の最後の段階。紀元前後。
間違い。「聞く」銅鐸、が正解。訂正しまつ。
269 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/14(金) 22:22:44 ID:gRuzqv6g
270 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/14(金) 23:14:04 ID:gRuzqv6g
考古学者の人は、前方後円墳の造り出しの「意味」が分からないから、 つい「機能」を考えてしまい、船着場と言った人もいました。 力が抜けてしまいます… 意味としては月と太陽の方が、 よっぽどスメラノミコトの墳墓にふさわしいと思いませんか? 銅鐸も同じで、意味が分からず、機能ばかり考えておられるようです。 銅鐸の意味は「スメール山」です。 ちなみにスメールのスメの意味は「皇」です。
271 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/15(土) 08:33:03 ID:M8TJl+Dn
銅鐸の形状で、見る者を混乱させる要因が、 山の周りをとり囲む紐?というのですか、ヒレのようなあれです。 早い話がサンバイザーです。 太陽を見る時、眩しいので手をかざして光線をさえぎりますね。 あれと同じ事です。 だからヒレ自体には意味がありません。 こちらは機能の問題でしょう。
272 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/15(土) 09:36:27 ID:M8TJl+Dn
>>267 私が>259で言った「古い神をどう処理したか?」に帰納する話です。
どう処理したかは人それぞれでしょう。
価値観が変わり、古い神を叩き壊した人もいたでしょうし、
きちんと埋葬した人もいたでしょうね。
273 :
出土地不明 :2006/04/15(土) 10:34:52 ID:26Ip8vfI
スメル山って東南アジアのどこかの島にあったよね。 あの山のこと?
274 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/15(土) 11:35:47 ID:M8TJl+Dn
>>273 はい、インドネシアです。
今でも信仰されてます。
チベット人は聖山カイラスを須弥山(スメール山)に見立て、
五体投地 しながら巡礼してます。
275 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/15(土) 11:59:42 ID:M8TJl+Dn
>>273 誤解があってはいけないので言いますが、
弥生人がインドネシアの山を崇めてたというのではありませんw
共通に持ってた世界観という意味です。
早い話が、西洋人から地球儀を見せられる前のアジア全般の世界観です。
縄文時代から山信仰があったそうですから、
かなり早くから伝わってたかもしれません。
276 :
がいやまん :2006/04/15(土) 12:34:03 ID:1QmjNXxy
はじめまして。以前モンゴルの考古学的出土品の展示会でミルク容器のような のを見たのですが、これが銅鐸そっくりなのには驚きました。しかし銅鐸というのは 日本では朝鮮・吉野ヶ里・大阪の朝鮮小銅鐸から発展させたものということで、 また出土状態も長江流域の青銅器埋納同様に丘のすそといったような場所のようで すね。また、風景のいい山の見えるところにも多いようなきがします。山頂、そして、 水源、村落そうしたものを管理するシステムがあり、それが鏡、古墳に吸収される。 銅鐸に描かれていた蚩尤のようなシャーマン、アメノヒボコの兵主神、この辺に渡来系が 同族であったのかなとの感じも受けます。カグツチの負わされた原罪ともなにか。
277 :
がいやまん :2006/04/15(土) 12:43:51 ID:1QmjNXxy
失礼、時々茶々が入りまして。 ところで、「サナギ」は諏訪、二荒山の鉄鐸、鉄鈴関係で探鉱に関連するのでは ないか、銅鐸は「イスズ」ではなかったのかという疑念を持つものです。明智の 足助の方でしたか、猿投げという地名がありますが、これは銅鐸終焉と関係が あるのではとも思われるのですが。
278 :
がいやまん :2006/04/15(土) 13:08:09 ID:1QmjNXxy
環境ロビーストがいて、青銅器国産による膨大な森林伐採、農地汚染に 敢然と鉄の剣を振り払って立ち向かう農民の友、なんだか、田中正三翁 でしたか、スサノオでしたか、そうした政治家というお方はいつの時代にも いらっしゃるが、実は、公孫という漢鏡の輸出拡大を画策するものの回し者 であったりして・・・こんなことがあったことかもしれません。
279 :
がいやまん :2006/04/15(土) 13:40:41 ID:1QmjNXxy
280 :
がいやまん :2006/04/15(土) 14:03:15 ID:ETQ5uSpb
この1000本の銅剣又はホウ製三角縁神獣鏡の原料インゴット等は出土しない。 国庫備蓄はホウ製三角縁神獣鏡に改鋳された可能性もあろう。
281 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/15(土) 14:58:19 ID:M8TJl+Dn
がいやまんさん、はじめまして。 以前、どこかのスレで前方後円墳は須弥山であると書いたら、 あなたがあっさり納得してくれてたのを覚えてます。 同じ事を某スレで言うと、あるコテハンさんが、 須弥山世界観=仏教とかたくなに主張し、 何で仏教渡来以前に前方後円墳が出来るのだ?と言い張り、 何度言っても納得してもらえなかったのですがねw
282 :
がいやまん :2006/04/15(土) 18:03:50 ID:ETQ5uSpb
そういう時、↓これを見ると安堵します。
http://www.sysken.or.jp/Ushijima/Den-buzen.html#anchor461769 英彦山
「伝説によると、まだ日本に仏教が伝来しない時代、人皇10代崇神天皇
(一説では西暦紀元元年の弥生時代中期)の御代、すでに日子山権現
(権現とは仏の仮の姿)の霊神が、天竺から東に向って五つの霊剣を投
げだといわれ、また26代継体天皇の御代に、大唐(いまの中国で異説で
は魏国)から善正和尚という僧が飄然として海を渡って大宰府につき、
豊州(豊前国)の高岳(英彦山)の聖なる地に「彦山霊仙寺」という一寺を
建立して、釈迦如来、阿弥陀如来、観世音菩薩を本地(仏)にしたという。」
私はこのHPは最も史実に近いのではと思っているんです。
283 :
がいやまん :2006/04/15(土) 18:28:15 ID:ETQ5uSpb
須弥山は仏教よりもはるかに広く、グローバルな人間の宇宙像を表現するものだと 思います。二次元においてはチベットの曼陀羅、中国の銅鏡にも表現されています。 また、二次元でもこれを三重丸、三ツ星、等各種の表現方法があり、神社の神紋などに よく現われます。なんといっても最終的には三重塔となり、それが五重塔に発展するの でしょう。仏教はお釈迦さまでもごぞんじないようなお経、宗派がありますので全てを 含有するのでしょうが、だからといってアステカ、インカのピラミッドまでもお釈迦様には できないと思います。古墳は三重塔と祭壇のセットですね。
284 :
mafoid :2006/04/15(土) 19:07:39 ID:dcgqduVD
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285 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/15(土) 19:24:57 ID:M8TJl+Dn
>>283 私は、須弥山思想は、死が現代よりはるかに身近だった古代に、
何人であれ、自然発生的に生まれてきた思想なんじゃないかと思ったりします。
例えば、子供から「死んだらどうなるの?」と聞かれた時、
大人は子供が安心する説話を用意しなければなりません。
その時、太陽や月や星に魂が行くと言うと、子供は不安がるわけです。
子供にしたら、自分がいる土地でお友達や家族とずっと暮らしたいから。
じゃ、見た事もない高山という話を用意し、死後、そこに行くんだと言ってやれば、
その土地に一応つながってるし、子供は安心したのだと思いますね。
だからアステカやインカの人達も、同じ事だったんじゃないかとも思いますね。
286 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/15(土) 20:37:13 ID:M8TJl+Dn
銅鐸は山の頂上から少し下に、 必ずと言ってよいほど、穴があいてます。 4つありますね。 やはり須弥山に住む四天王でしょう。
287 :
273 :2006/04/15(土) 21:43:52 ID:0NKjp/2f
288 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/15(土) 22:52:14 ID:M8TJl+Dn
289 :
273 :2006/04/15(土) 23:30:26 ID:0NKjp/2f
>>288 私は正確に正置する方法も考えました。
銅鐸を地面に置いて、その周囲に土で土手を作って水を溜めるんです。
銅鐸には何本か横線が描いてありますよね、その線と水面が一致するようにすると、水平が出るわけです。
そして、薄いヒレを銃の照星のように使って、なにか真東の目標物に合わせて向きを調整すると、東西方向に正置できるわけです。
そして、夏至または冬至の日、太陽光が子穴を貫いて覗けた時に、何かの儀式を行ったのではないかなと・・・。
太陽の運行が今年も正しく行われている事の確認とともに、日の出位置のターンニングポイントを祝うような儀式。
現代の土木工学で使う、レベル器のような使い方ですよ。
でも、水溜りの中に置かれた銅鐸って、絶海にそびえ立つ須弥山そのものですよね。(笑
290 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/15(土) 23:42:30 ID:M8TJl+Dn
発泡酒のアルミ缶で実験しましたw 一応、光る「感じ」がします。 287さんの紹介してくれたHPでは、方位器という事ですが、 そういう機能があったかもしれませんね。 いや、あったでしょうね。 ただ、それだけなら巨大化せず、 もっと簡素化しても良かったんじゃないかとも思います。
291 :
273 :2006/04/15(土) 23:47:30 ID:0NKjp/2f
銅鐸って、須弥山なんでしょうか?
292 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/16(日) 00:14:34 ID:y8kWudJ6
>>291 そう思います、私は。
やはり何ほどかの宗教的意味があると思います。
意味と機能を分けて考えるべきだと思います。
機能としては方位器があったでしょう。
意味については誰も言わないので仮説を立てました。
293 :
273 :2006/04/16(日) 00:28:50 ID:6gTJo9Jv
方位器による太陽の測量そのものが、信仰に伴う儀式であった可能性があります。 太陽信仰ですね。 太陽の運行を「知る」のが、稲作を指揮する者の勤めであり権威の源であったかも。 アステカなどは、太陽の運行を維持するために生贄を捧げたり、実に細かい暦を作ったりしてますね。
294 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/16(日) 00:37:24 ID:y8kWudJ6
>>293 はい。
ただ、それだけじゃ、銅鐸の形の意味は解けないですね。
やはり、あの意味は絶壁状の高山だと思います。
スメール山しかありません。
295 :
273 :2006/04/16(日) 00:52:50 ID:6gTJo9Jv
インドネシアのスメル山ないしはチベットのカイラス山の地方では、太陽信仰の形跡はどうなんでしょう? 私は銅鐸は太陽信仰の祭器だと思うんですが。 あの形は鐘が形骸化し 皇尊(スメラミコト)は
296 :
273 :2006/04/16(日) 01:00:19 ID:6gTJo9Jv
↑すみません、何故か書いてる途中でUPされてしまいました。 書き直します。 インドネシアのスメル山ないしはチベットのカイラス山の地方では、太陽信仰の形跡はどうなんでしょう? 私は銅鐸は太陽信仰の祭器だと思うんですが。 あの形は鐘であり、時代が下って「見る銅鐸」へと形骸化したと言われていますね。 私の方位器の考えでも、鐘とは符合しませんから悩んでたんです。 製鉄技術を携えてやって来た、同じく太陽信仰系の皇尊(スメラミコト)が鏡を頒布する前の、 ひとつ古い時代(青銅文化)の太陽信仰の祭器だと思います。
297 :
出土地不明 :2006/04/16(日) 01:17:13 ID:BUX3F9Ge
銅鐸を再現するのはいいけど、ヤフオクに出すのはやめてくれw
298 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/16(日) 01:23:51 ID:y8kWudJ6
銅鐸を見て「鐘」というのは、当然、連想しますね。 でも巨大化し、叩いた痕跡もない、そして仰ぎ見る… ここはテレビ番組の「サルヂエ」の世界ですねw 固定観念を変えないといけない思いました。 銅鐸を「山」と見れば、神獣鏡の中心にも、仏像(須弥壇に乗ってる)にも、 そして現在、各家庭にある仏壇にも通じてて、何も死生観の変遷はないと思いました。
299 :
273 :2006/04/16(日) 01:40:18 ID:6gTJo9Jv
300 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/16(日) 01:50:24 ID:y8kWudJ6
銅鐸に描かれてる絵は分からないけど、 スメール山(銅鐸)を中心にした世界が三角縁神獣鏡だと思います。 銅鐸の横線で区切られた構図は、カバラ… これはやめましょうw
301 :
273 :2006/04/16(日) 01:50:49 ID:6gTJo9Jv
302 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/16(日) 02:06:39 ID:y8kWudJ6
>>273 金輪・水輪・風輪と言えば、
三角縁神獣鏡も分かりやすくなるのに…と思います。
仁徳天皇陵の3重の堀と同じ意味だし。
あなたは面白い…おやすみなさい。
303 :
273 :2006/04/16(日) 02:26:35 ID:6gTJo9Jv
>302 この場合もそうですが、何で鏡という実用品の裏側なんですかね? 古代人の心理は複雑です。(笑 では、おやすみなさい。
304 :
がいやまん :2006/04/16(日) 10:06:23 ID:LtRPOyZX
寺沢さんは銅剣(矛)、銅鐸埋納を対立する勢力圏境界付近における呪詛と みているが、青銅器にはこの呪詛という一面もあるかと。それと水源、蛇の神 に対する何らかのまじないもあるかと思います。つまり山、岡は水源に絡みます。 山を巡って下りてくる水脈は蛇を連想させます。金色の輝きが太陽と関係している こともありましょうが、地中に埋納するのは水との関係を捨てきれない。しかし、これは 銅鐸だけであって、利器の方には水とつながるものはないのかもしれない。 さて、邪馬台国論争で出てくるクナ国ですが、現在は壬申の乱のような構図で みられる傾向にあるが、銅鐸v銅矛の闘いとした方が仲哀をピークにした熊襲 との闘い、後のイワイの乱との関連からも面白いと思うんです。銅鐸圏を制圧した 邪馬台国を中心とする倭国連合と西郷さんのように九州南部にこもったオシホミミ 神武系というのも面白い。そして、応神は九州男児。
305 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/16(日) 18:40:15 ID:y8kWudJ6
>>299 飛鳥の須弥山石の説明では、上段が世界の中心にあると言われる須弥山を表わし、
中段がそれを取り巻く山々、下段は水波紋という事だから、
それと関係あるかも。
306 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/16(日) 20:22:23 ID:y8kWudJ6
>>303 現代人が実用品としてる鏡も、
古代の人からすれば、驚いただろうし、
神器にしたのでしょうね。
姿形を写すと同時に、裏面では思想を写してきたと思います。
307 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/16(日) 22:07:35 ID:y8kWudJ6
308 :
273 :2006/04/16(日) 22:32:12 ID:6gTJo9Jv
上面にも2つの型持ち穴があるでしょう。 あれは意味無いんですかね?
309 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/16(日) 22:45:55 ID:y8kWudJ6
上面とはてっぺん(有頂天)の事ですね。 分からないのでゆっくり考えましょうw
310 :
がいやまん :2006/04/17(月) 10:36:42 ID:wgTuFihA
311 :
出土地不明 :2006/04/17(月) 16:23:53 ID:Mhus+9Xp
325 名前:名無しって何ですか?:2005/12/27(火) 07:14:19 ID:YevwbuuZ ________ /:.'`::::\/:::::\ /:: \ /::. /""" """\ ヽ |::〉 ●" ●" | (⌒ヽ |) ( __ ( ∩∩ ) | | 、_____ / ヽ \____/ / \ / \____/ 竹石 圭佑 (1986〜 愛知県名古屋市) 在日中国人の両親を持つ為か、日本語のアクセントがおかしい時が多々ある。 小学生の時に万引きで補導されたらしく、その頃から既に歪んだ性格であった考えられる。 中学・高校時代…意中の女子には露骨にちょっかいを出して気を引こうとし、また、その時の言動は挙動不審で相手に好意があることがミエミエな為、非常に痛々しい。 でしゃばりで、なぜか偉そうな態度をとっていたが、不良学生相手にはビクビクしながら機嫌をとっていたという不可解な面も併せ持つ。 また特に自分より力の弱い女性教員や女子生徒等を格好の的としていたので、その様な人間には異常に高圧的な態度をとり、馬鹿にし、いつも幼稚な悪口や悪質な嫌がらせを考えて楽しんでいた。 相当な目立ちたがり屋で「地球は自分を中心に回ってる」という性格。しかし、何の能力・才能の欠片もなく、ヘラヘラしていただけなので精神が不安定だったとも考えられる。あだ名はダメ石(何をやってもダメなくせに口八丁なので)→デメ石(非常に出目金に似た顔なので)。 愛知県の底辺の大学に通ってるが、名古屋大学医学部を目指しているらしく、医学生になった自分を日々妄想している。 余談だが、KAT-TUNの田中聖をライバル視しているらしい。 ※注 これは自分の知っている範囲の竹石圭佑の情報であり、全てではないと思われ。
312 :
出土地不明 :2006/04/17(月) 18:06:42 ID:9C7MsqQq
↑プノンペンチャンコロwwww
313 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/17(月) 18:49:54 ID:OznBymfM
>>308 見る銅鐸、仰ぎ見る銅鐸から言えば、
見えない部分なんで意味ないかも…
あの穴が本当の型持ち穴かもしれません。
314 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/17(月) 19:16:52 ID:OznBymfM
>>がいやまんさん 四隅突出墳とジグラットってまじで関係あるかもね。 メソポタミアでのスメール山世界観がどんなのかは知らないけど。 もし四天王のような存在が、すでに考えられてたのなら、 同じ意味かもしれませんね。
315 :
がいやまん :2006/04/17(月) 19:34:57 ID:BOzMm6Jq
妻木晩田で四隅に上るとき横綱になったような気がしました。御柱、地鎮祭 等もそうですが方向性はあるでしょう。ピラミッドは北極星を意識しているそうですね。 ジッグラトについては勉強不足でわかりません。いずれにせよ仏典なんていうのは こうしたものよりはるかに時代が下るわけですから、たとえば山海経にある記述も 西アジアあるいはエジプトかもしれません。
316 :
がいやまん :2006/04/17(月) 19:46:28 ID:BOzMm6Jq
「 『山海経』の大荒西経では、”西海の南、流砂のほとりに、赤水を前にし 黒水を後にした大山崑崙の丘がある”とされている。海内西経では”崑崙 の城に九井九門があり、開明獣がその門を守り、人面虎身、東に嚮(む) かって崑崙上に立ち、鸞鳳(らんほう)などがその盾の上にいる”とされている。」 この西海は地中海、流砂はサハラ、赤水は紅海、とするとスフィンクス、グリフォン らしきものもいるようです。黒水は黒海となりましょうか。既にシルクロードはあった のでしょうか。この場合崑崙の岡とはピラミッドでしょうね。
317 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/17(月) 22:54:10 ID:OznBymfM
318 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/17(月) 23:16:37 ID:OznBymfM
特に、右側の小さいのは、 有頂天を横線でくっきり表し、 紐の中の帝釈天(インドラ)を見るだけの、 シンプルなものです。
319 :
273 :2006/04/18(火) 00:16:33 ID:Nle0kq3Z
中に舌(打ち棒)のある物もありますね。 やはり鐘という疑念も残ります。 ガムラン音楽が残っているし、何かそういう、 音に感応して続いて太陽を拝むという儀式だったかもしれません。
320 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/18(火) 08:49:20 ID:Jtt11tnN
初期は鐘だったらしいですね。 太陽を拝むという儀式ですが、 銅鐸を何に見立てたのかという話です。
321 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/18(火) 21:48:14 ID:Jtt11tnN
安本美典. 銅鐸祭祀を、早急に廃止し、銅鐸をいっしょに埋めなければならないような事情が生じた。 そのような事情とは、外部勢力による征服であろうと考える。 銅鐸は、銅剣や銅鉾に匹敵するほど、はっきりとした、そして、宗教的な意味をもつ製作物である。 それが、古伝承に、痕跡をとどめていない。 これは、古伝承が、銅鐸中心の文化圏、すなわち、畿内において発生したものではないことを物語る。 それとともに、銅鐸をもつ大和の先住民が、三世紀の後半に、 九州からきた神武天皇によって減ぼされたのであろうとする推測を、支持するものと思われる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 違う。征服ではない。 三輪族の神(銅鐸)が、 次元の高い神(鏡)に変わっただけ。
322 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/18(火) 22:20:41 ID:Jtt11tnN
>>がいやまんさん アルタイって黄金の山々って意味らしいですね。 なんだか関係あるかもね?
323 :
273 :2006/04/18(火) 22:39:07 ID:Nle0kq3Z
>三輪族の神(銅鐸)が、 >次元の高い神(鏡)に変わっただけ。 スメール山を眺める視点の変化、麓→上空、と捉えて良いんですかね?
324 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/18(火) 22:42:11 ID:Jtt11tnN
>>323 上空から「↓」を見た視点だと思います。
鏡は天つ神だと思います。
325 :
273 :2006/04/18(火) 22:53:54 ID:Nle0kq3Z
スメール山自体は、人間を超越した神の世界なんでしょ? さらに上から眺めるって、思想的にはどういうこと?
326 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/18(火) 23:01:12 ID:Jtt11tnN
327 :
273 :2006/04/18(火) 23:31:56 ID:Nle0kq3Z
天孫をアピールする道具が三角縁をはじめとする鏡ですかね。
328 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/19(水) 06:48:45 ID:NLVNfjUH
329 :
出土地不明 :2006/04/20(木) 02:02:53 ID:nLpiuoo3
どこから来たその人達天孫は?
330 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/20(木) 06:54:01 ID:lFIzE/Oq
どこから来たかというより、 鏡を神器とした時点で、天孫になったと思います。
331 :
がいやまん :2006/04/20(木) 10:24:12 ID:paw5Daz9
>>322 249さん
アルタイとはトルコ語で黄金の山々を意味するそうです。
332 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/20(木) 20:01:52 ID:F3Mu31uy
>>331 やはりそうでしたか。
銅鐸=スメール山説、どんなもんでしょうか?
素人なりに面白い仮説だと思うのですが。
333 :
出土地不明 :2006/04/21(金) 00:28:38 ID:+TCEQMtL
>>330 それは後付けの理屈です。
あなたがアメリカ国旗を振り回したらアメリカ人か。そうではないでしょう。
そういうことです。
334 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/21(金) 00:34:34 ID:j5A26MEQ
>>333 私は銅鐸は何かと言ってるだけで、天孫族に興味ありません。
335 :
273 :2006/04/21(金) 00:46:46 ID:5OwvOzx6
>328 >天空からの視点を持つ鏡を神器にした人達が、 >自らを天孫と名乗り始めたのだと思います。 その人達は、もとは銅鐸を神器にしていたのでしょうか? 少なくとも、スメール山を遥拝するという思想はあったのですね。 というか、古代の共通思想か。
336 :
がいやまん :2006/04/21(金) 07:28:44 ID:JA2IgnIJ
スメール山信仰の一環と見たいですね。ただ、スメールというのはインドに 南下した北方アーリヤ系等の持ち込んだものであり、アララト等が心中にあり、 インド人としては近くにあるチベット・カイラスが心中にあったのかもしれません。 崑崙というのは西方から中国に流入してくる一切の神話を平均したものではない かと思うのですが。 話は変わりますが、型持ち穴を天体、山岳観測用に転用する発送は朝鮮小銅鐸 時代にはないはずであり、矛・鏡文化の影響を受けて、見る銅鐸時代とその普及した 近江から三遠方面に広がった、つまり、前方後方墳地域と重なるのではないかと思う のですが。
337 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/21(金) 19:06:44 ID:j5A26MEQ
http://www.mainichi.co.jp/hanbai/nie/nazo_nihon6.html 考古学者、藤森栄一の『かもしかみち』(学生社)に、八ケ岳を縦走中に黒曜石製のやじりを拾うシーンが出てくる。
場所は、標高約2400メートルの地点。縄文時代の石器がなぜ、そんなに高いところにあったのだろうか。
動物を追い、深山にまで踏み込んだ誰かが落としたのか。
縄文時代の中期ごろ(4000〜5000年前)、八ケ岳山ろくはシカ、イノシシなどの動物や木の実などが豊富で、
日本列島全体でももっとも住みやすい地域だったと考えられている。
だが、遺跡が分布するのは800〜1200メートルの一帯だ。
その周辺だけで食糧は十分調達できたであろうし、
第一、ハイマツ帯直下の森林限界に近いあたりに狩りの対象となる獲物はいない。
狩りに出た縄文人が落としたとは考えられないものが見つかったのだ。
しかも、縦走路がある現在とは違い、当時はまさに原生林だった。
けもの道はあったにしろ、立ち木や倒木に覆われた場所を金属の道具を持たない縄文人が
石器の力だけで切り開き、問題の高さにまで達したのである。
「その驚くべき忍耐と努力とは、当然、登山史の第一頁(ページ)にあがなわれてしかるべきものに違いない」と
藤森は驚嘆と尊敬を込めて記している。
338 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/21(金) 19:24:29 ID:j5A26MEQ
339 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/21(金) 23:20:29 ID:j5A26MEQ
>>335 >その人達は、もとは銅鐸を神器にしていたのでしょうか?
三輪や加茂系の地域に銅鐸が多く出るらしいので、
多分そうでしょうね。
340 :
がいやまん :2006/04/22(土) 08:41:51 ID:MMsbIKb0
>>338 249さん
>面倒くさいので、私は、
気が短いお方のようですね。私は気短がいいと思います。ただ、ご忠告したいことと
しては、それを世界観としないで、相対性を持たせ、連続ドラマ的に仕上げることです。
そうすると、その続きが書けるからです。えらそうなことを申し上げ失礼しました。
341 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/22(土) 15:24:24 ID:dDSnW6SR
いえいえ、いいんですよ。
私は全く素人だし。
ドラマ的なことは、歴史を知らないし苦手ですね。
邪馬台国論争なんかにしても、どっちでもいいじゃいかと思いますね。
ただ銅鐸に関しては、考古学界もはっきりした見解出せてないし、
素人でも、あれが何なのか考えても良い分野ですしね。
「銅鐸=高山説」は
>>337 で紹介した縄文人の山への想いからしても、
間違いないと思います。
342 :
出土地不明 :2006/04/24(月) 23:23:22 ID:88XGA0bT
アゲ
343 :
出土地不明 :2006/04/25(火) 20:30:48 ID:7jOYTzoR
学研6年の学習S52年5月号付録「銅鐸・銅剣セット」
344 :
出土地不明 :2006/04/26(水) 11:03:53 ID:D9oaKI6o
銅鐸は「玉」のかわり。
345 :
出土地不明 :2006/04/27(木) 01:20:24 ID:fkxyKgQc
違う。玉と対立するもの。 玉と銅鐸でワンセット。
346 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/28(金) 22:13:28 ID:xux9vao/
347 :
273 :2006/04/29(土) 00:37:22 ID:fpl79rMO
なんで鋳造技術は後退したんでしょうね? 三角縁なんて鋳上がりが悪くて彫りも浅いでしょ 直径2〜30cmの鏡より、薄くて大型の銅鐸の方が遥かに難しい
348 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/29(土) 00:58:38 ID:MEKBXseZ
>>347 技術的な事は、ちょっとわかりませんね。
銅鐸であれ、神獣鏡であれ、私が興味あるのは意味です。
349 :
273 :2006/04/29(土) 01:15:47 ID:fpl79rMO
でも、神とも見立てる対象ですよ。銅鐸も鏡も。 銅鐸は、一品一品、それこそ神に捧げる至高のものとして、 民族・集団のもてる最高の技術を傾けて作った感があるんです。 ところが、鏡は量産品ぽい。 2種類の青銅器のもつ意味は同じであっても、なんか、主観→客観 への変化tが見受けられますね。 地面に置いてその前でひれ伏して見上げるスメール山と、手の内にとって俯瞰するスメール山。 視点の変化も物語っていやしませんか?
350 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/29(土) 01:53:12 ID:MEKBXseZ
はい、銅鐸から鏡への変化について、 私は視点の変化を言ってます。 鏡は量産品ぽいというのは、 あなたの主観ですね。 私には分かりません。
351 :
出土地不明 :2006/04/29(土) 17:24:28 ID:Yw9cCJMa
鏡餅、銅鐸=鈴 鈴木(穂積、尼子亀井)
352 :
出土地不明 :2006/04/29(土) 17:27:48 ID:Yw9cCJMa
銅鐸と呼ばず鈴と呼ぼう、鈴は本州東部の重要な古代祭器 彼らはその祭祀をやめた後も苗字として残した。 鈴木:鈴も木からぶら下げる人の意味。 五十鈴、五十猛もその系統でしょうよー
353 :
出土地不明 :2006/04/29(土) 17:58:56 ID:Xzf8ngTP
このスレに来ている連中は超スーパーウルトラ級にレヴェルが低い。 だって、このスレができてもう2年以上も経つのに、銅鐸の最も大切な 特徴の一つである文様の名前の一つさえ出てこない馬鹿ばかりなんだから。 頭が弱い! 脳弱! 知恵遅れ! 知的障害者!
354 :
出土地不明 :2006/04/29(土) 19:27:36 ID:MEKBXseZ
>>351 >>352 鈴と言う事ですが、初期は叩いたり、舌で鳴らしたりしたのでしょうね。
ただ後半は仰ぎ見てたんでしょう?
鈴を何故、仰ぎ見てたのでしょう?
鈴というのは機能であって、意味ではなかったからだと思います。
意味は「山」だったからだと思います。
355 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/29(土) 19:57:30 ID:MEKBXseZ
356 :
出土地不明 :2006/04/29(土) 20:07:19 ID:Yw9cCJMa
大辞泉では さなき【×鐸】 鉄製の大きな鈴。上代、祭式に用いられた。ぬりて。ぬて。 もともと銅鐸は「鈴」と呼ばれていた可能性は極めて高い。
357 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/29(土) 20:12:07 ID:MEKBXseZ
>>356 銅鐸と呼んだのは現代人ですから、
鐸の説明は意味がないと思います。
私はスメヤマと呼んでたのかも?と思います。
358 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/29(土) 23:00:01 ID:MEKBXseZ
359 :
273 :2006/04/29(土) 23:56:28 ID:fpl79rMO
滋賀県の多賀神社はイザナギの尊が鎮まった場所とされていますが、 イザナギ=さなき=銅鐸 と考えれば、湖東に銅鐸が多数出土している事と一致しますね。
360 :
出土地不明 :2006/04/30(日) 00:02:41 ID:hkzinPW7
もしかするとそうかもしれん。 さなき=鈴、銅鐸 名称は時が経っても必ず何らかの形で残っているもの。 クサナギ氏は朝鮮から小銅鐸と一緒に移りすんだのかな? 249さんのスメヤマってのは何が根拠かわかりませんが
361 :
出土地不明 :2006/04/30(日) 00:05:42 ID:hTH9KtoL
大辞泉 しゃかい‐の‐ぼくたく【社会の木×鐸】シヤクワイ‐ 社会の人々を指導する人。 物部、ニニギのことか
362 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/30(日) 00:14:42 ID:QzmlOmoZ
363 :
出土地不明 :2006/04/30(日) 00:19:52 ID:hTH9KtoL
世界大百科事典 鐸 たく ⇒関連項目 青銅製の〈かね〉の一種。中国では有柄有舌の〈かね〉をさす。 すなわち,筒状の身(かねの本体)の閉じた方の端に長い柄が直立し, 他端は開いたまま終わる。身の内側につるした発音用の棒(舌(ぜつ)) を振り鳴らす。周代に出現し,〈鐸〉の銘をもつ実例もある。一方, 中国では有鈕有舌のかね,つまりつり手(鈕(ちゆう))をそなえた 揺れ鳴るかねを鈴と呼んだが,日本では7〜8世紀以来,これを鐸の文字 で表現し,〈さなぎ〉〈ぬりて〉〈ぬで〉と訓じた。正倉院には 聖武天皇の一周忌(757)に使った幡(ばん)につるした有鈕有舌の かねが伝存し,〈東大寺枚幡鎮鐸……〉の銘をもつ。今日, 風鐸と呼ばれるものは,堂塔の軒あるいは相輪に垂下し, 舌が風に揺れ身に触れて鳴るかねで,《西大寺資財流記帳》は, 奈良西大寺薬師院薬師金堂,弥勒金堂の風鐸を〈鐸〉〈銅鐸〉と表す。 また薬師金堂の鴟尾(しび)の上に飾られた金銅製の鳳凰が, 口に〈銅鐸〉をくわえていたとも記している。7〜8世紀に発見された 弥生時代の銅鐸は,すでにその用途や名称が伝えられていなかったが, 当時知られていたかねのうち,鐘ではなく鐸と判定され, その名を得たのであった。⇒鈴‖
364 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/30(日) 00:22:36 ID:QzmlOmoZ
なんだか腹たってきました。
>>359 ー361
ゴチャゴチャ言っても意味ないでそ。
銅鐸の形の意味を言えよ。
君たちのなかに小心者のペギラがいるのだろうけどwww
365 :
出土地不明 :2006/04/30(日) 00:28:20 ID:hTH9KtoL
金属加工技術が進歩して銅の鐸は鉄や鈴になり 形状も末端が閉じたものになった。 やはり銅鐸は鈴と同じである。
366 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/30(日) 00:31:35 ID:QzmlOmoZ
銅鐸が「鐘」なら穴があいてるのも変ですね。 音響効果を考えてもね。 音響効果を考えたのなら、穴もなく、てっぺんも丸くなったでしょうしね。 だいたい銅鐸が鐘なら巨大化した意味が分かりませんね。 ペギラくん、どうよ?wwwwww
367 :
273 :2006/04/30(日) 00:39:14 ID:QBEZKFoG
>249 たしかに、銅鐸の変遷を通して、形が一定なのは意味あるでしょうね。 方もち穴が、同じ位置で角度的にもほぼ一定というのは、穴に意味があるからでしょう。
368 :
出土地不明 :2006/04/30(日) 00:41:35 ID:XZfrYzuE
私はペギラという者ではありませんが、手前勝手に思いついた仮定として 子供をひり出す女性(器)の象徴だとしたらどうでしょう。 だとすると、穴にこそ意味があると思えます。 叩きも鳴らしもせず、単に愛でたり崇めたりするシンボルとすれば、 後世になって偶像崇拝の意味として巨大化したのもわかるような気がします。
369 :
出土地不明 :2006/04/30(日) 00:42:26 ID:QzmlOmoZ
>>367 273氏。
そうでしょう。
ところで、ペギラは私の説にキチガイみたいに反論し、
まったく受け付けないのです。
273氏、あなたはどう思いますか?
370 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/30(日) 00:44:49 ID:QzmlOmoZ
ごめんなさい。 なんで消えるのかな、369は私です。
371 :
出土地不明 :2006/04/30(日) 00:48:42 ID:hTH9KtoL
>>368 深く考えすぎ、あれは鈴、鐘。
土に埋めたのは生前死者がその鈴を使って
情報を伝達していたから
蓑虫のさなぎ(鐸)のようにぶら下げて
村の情報を伝達していたのでしょう。
372 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/30(日) 00:49:14 ID:QzmlOmoZ
373 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/30(日) 00:53:10 ID:QzmlOmoZ
ペギちゃん。 泣いてるのかい?www
374 :
出土地不明 :2006/04/30(日) 20:36:53 ID:QzmlOmoZ
>>371 鈴や鐘なら、後期には、何で眺めてたのかという話だ。
375 :
出土地不明 :2006/04/30(日) 20:42:34 ID:RnoCY39Q
>>374 えー、初心者ですが、眺めていたという証拠はあるのですか?
376 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/30(日) 20:55:33 ID:QzmlOmoZ
>>375 初心者?w
まぁいいけど。
そんなもん、あっちこっちのサイトに書かれてますやん。
377 :
出土地不明 :2006/04/30(日) 20:56:59 ID:RyIh628D
>375 初期の銅鐸には中に舌(ぜつ)という鳴らし棒が入ってるのもある。 ハンドベルみたいに本体ごと振って鳴らしたのだろう。 でも、むしろ舌が発見されないのが普通。舌が木で腐ったという考え方もあるにはあるが。 後半に巨大化してからは揺すって鳴らすどころか、吊り下げるのも容易でなかったと思われる。 吊り下げられた形跡が無いもしくは、つり穴部分の作りが薄すぎて不可能という意見らしい。
378 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/30(日) 21:06:38 ID:QzmlOmoZ
>>377 そうですよね。
じゃぁ、そのでかい銅鐸は何なんでしょう。
スメール山だと思いませんか?
私の説に乗りませんか?W
379 :
出土地不明 :2006/04/30(日) 21:55:53 ID:RnoCY39Q
スメール山? なんすかそれw それはともかく、銅鐸を眺める意味ってなんだべ? それがわからないとそんなものを眺めてたといわれても 俄に信じがたい。
380 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/04/30(日) 22:15:33 ID:QzmlOmoZ
381 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/05/01(月) 17:38:51 ID:6YZSUlmI
あ〜ぁ… ペギラは俺の投稿を消した。 銅鐸掲示板で、銅鐸に対しての仮説を、 「はじめまして、よろしく」と言いながら述べただけやのに… いきなり妄説とかわめき散らかして、 弾き飛ばそうとしたよね、ペギラ。 一度も謝罪する事もなく… 最低の小心者だな。
382 :
出土地不明 :2006/05/02(火) 01:09:35 ID:4tQuh/QL
つうか誰かの気に入らない書き込みをしたらそれは全部ペギラ
383 :
出土地不明 :2006/05/02(火) 03:31:42 ID:aKw8H/hC
で、そのペギラってなんなの?
384 :
うーーん :2006/05/02(火) 03:54:31 ID:Qqb4M/jN
だいぶ前に読んだ本で銅鐸は昔、鐘みたいに使用 していたと考えられたがつり穴部分の強度がもたない と判明してからは祭祀用のものと考えられるように 使用用途が判らないと何でかんでも 祭祀用にって結論ずけるとか
385 :
sage :2006/05/04(木) 08:54:11 ID:k+Eo7qCI
200ちょっと辺りからの青銅についての話に補足してみる 続日本記によると、和銅改元以前、文武天皇の二年に 因幡などで銅は出てるよ。10年ぐらいしか変わらないけど。 ちなみに、翌年「始めて鋳銭司を置く」って記述がある。 ってことは多分この数年前から山師みたいな連中が 一種の国家事業として国内の銅山を探してたのかもしれない。 銅鉱石には大体錫も含まれてるんで、 (インゴットの状態だとこの比率で大体産地が特定できる) 青銅自体を取り出すのには大して手間はかからない。 錫が多いと硬く脆く白い(百円玉っぽい色)感じで、 錫が少ない(銅が多い)と柔らかく粘りがあって 金色っぽく(新しい十円玉っぽい色に)なる。 ついでに、鋳造で文様等をきれいに出すよう加工するには 微量(1%弱)でいいんだが、鉛を配合しないと文様がはっきりでない。 青銅が溶ける温度まで上げちゃうと鉛は蒸発しちゃうから、 スクラップを使うにしても固まる前に再度鉛を足さないと、 多分銅鐸に書いてあるような細い文字や刻線はぼやける。 大体同時代の後漢時代、董卓が長安に遷都した時、 市中で流通する銅貨が不足したんでインフラも整わないうちに 始皇帝の銅人を鋳つぶしてまで銅貨を作ろうとするんだが、 文字が潰れていたので信用が落ち悪質なインフレが起きたって話がある。 多分配合費、銅鐸とかだと銅:錫:鉛=75:24:1 ぐらいだと思うんだよね。
386 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/05/04(木) 12:34:06 ID:v3aKwW91
387 :
がいやまん :2006/05/04(木) 12:49:24 ID:ALV85AWG
これはすごい写真だ。右の遺構は夏至の日の出ではないかな。大体当っておれば 天文ソフトを使って建築年代が求められるんだけどナー。
388 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/05/04(木) 13:09:45 ID:v3aKwW91
やぁ、がいやまんさん。 他スレでマダラ神の写真貼ったのは私です。w
389 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/05/04(木) 13:13:33 ID:v3aKwW91
390 :
がいやまん :2006/05/04(木) 13:33:33 ID:ALV85AWG
391 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/05/04(木) 13:38:27 ID:v3aKwW91
なるほど! ヘアースタイル自体が須弥山ですねw 何故、彼らがこんなに高く髪を飾るのかを考えれば、 同じ意味でしょうね。
392 :
出土地不明 :2006/05/04(木) 17:26:56 ID:DO1G0J+e
銅鐸は錫は14%前後だな。 銅鐸の薄いところでは厚さ1〜2mmしかないから 24%では硬すぎて脆いはずだ。
393 :
出土地不明 :2006/05/04(木) 22:42:44 ID:LlZqv3Mr
鋳物の場合 冷却時の収縮による空隙や肉薄の発生、つまり引け巣の問題と、 細かい凹凸への充てん性、つまり湯流れの問題への配慮が重要となる。 不純物の添加量によってそれが変わってくるから、 鉛と錫の含有量は意図的に調整していたと思うよ。 一般的に大型で薄い物ほど、鋳込みにくいんだよ。 後期の銅鐸ってすごい技術だと思うよ。
394 :
がいやまん :2006/05/05(金) 07:05:43 ID:MWRvwyU+
>>391 つまり、信仰の対象のようなものだと思うんです。もちろん後世の仏像のオーラ
のようなものかもしれません。話は変わりますが、こうした銅鐸が一斉に消滅こと、
天孫と地祇の明確な区別ができること、巻向に巨大古墳の建設が始まることには
関係があろうかと思われます。銅鐸が物語るのは銅鐸時代の終末期に銅鐸を
巨大化、美化する技術的集団の渡来があり、その後に古墳、埴輪、須恵器、鏡、
鉄刀などの文化に移るということかなと思います。
395 :
がいやまん :2006/05/05(金) 08:24:52 ID:MWRvwyU+
然し、この銅鐸文化の中心において、革命的に鏡文化への転換を起こした勢力、 それは天孫というのでしょうか、恐るべきパワーだと思います。その内容としては 北部九州の鏡文化と出雲・吉備方面から来た、相撲などの強いモンゴル系の感じ のするものとが連合したものであったのかなと思うのですがはっきりしません。 倭人伝、記紀神代などを基に考えてみると琵琶湖の野洲川付近、つまり、伊勢遺跡 の辺りで九州、出雲、烏丸(烏桓)、東海、播州・北四国、摂津河内などの豪族が 談合し、女王共立に向かい、出雲を中心として銅鐸廃止、つまり、国譲りを行うことの 誓約を取り付け、播州・北四国に勢力を持っていた豪族が中心となって邪馬台国が 成立したのではないかと思います。烏桓を中心とする流民が発生したのは、曹操による 烏桓征伐の結果、公孫支配下の楽浪経由大量の流民の南下が始まり、伽耶地方の ものも一緒になってアメノヒボコとして流入したのでないかと思います。渡来系は三上山、 比叡山方面から南下して大和盆地に入るのでしょう。
396 :
がいやまん :2006/05/05(金) 08:31:43 ID:MWRvwyU+
なぜ銅鐸が一瞬にして消えたのかというと、後期銅鐸は渡来系の技術オンリーで 宗教心のない製作者集団によって作られたことで、彼らとしては簡単に偽ブランド 三角縁神獣鏡の生産に入れたのだと思います。OEMの専門家だったんじゃないで しょうか。
397 :
がいやまん :2006/05/05(金) 09:19:08 ID:MWRvwyU+
垂仁は新羅アメノヒボコに播磨、淡路のいずれかを上げようと即答しているが、 逆にこれは垂仁の出身が播磨・淡路であり、その辺にしか権限がなかったのだ ろうと思われる。つまり、邪馬台国の四官の一人であったと思う。
398 :
がいやまん :2006/05/05(金) 11:17:45 ID:MWRvwyU+
野洲=夜須=湯臼、つまり、青銅改鋳工場だろうが、問題は鉛であり、どこから 入手したかということになる。弁韓には鉛御津とも読める国があるが、これは 富山の滑川(鉛川)の租界であり、高山の鉛を取って三韓に輸出していたので あろう。野洲銅鐸工場での発注者は尾張、海部などの系列。これは伊勢湾の S字甕土器集団とか、京都の方面とも連帯して、狗奴国同盟を結成していたの ではないか。狗奴国のクガチヒコのクガKUGというのはトルコ語、シュメール語 では金属を意味するらしい。そういわれれば、キンという言葉は古代になく、 クガネという言葉がある。クガツチ、クガミミノツカサというのも京都北部と関係する ようだ。諏訪大社、二荒神社の鉄鐸、後年の秩父神社の和同開珎、東北の鉄、金 の開発を考えると一部の鉱山関係渡来人が日本国内においても流民となって移動 した感がある。どうも孝霊帝辺りで派遣が播磨に移った感じがあり、黒田の庵とは 播磨の黒田ではないかという感じがする。イワレビコもイワ大神の関係かもしれない。
399 :
出土地不明 :2006/05/05(金) 14:02:52 ID:5dpOQ33M
400 :
出土地不明 :2006/05/05(金) 16:40:42 ID:9a9JwXBN
こないだ、NHKで明代の南方進出の話をしてたが アフリカ人の当時の有力者が墓に中国の皿を 埋め込んでいた。彼らが中国系渡来人の末裔と いうことはないだろう。 舶来品を権力の象徴として世間に誇示するのは 世界共通の一般的な権力者の行動でしょう。 そう考えると、銅鐸も鏡もそれにピッタリ一致する。
401 :
出土地不明 :2006/05/05(金) 17:31:21 ID:xoDn3Hwq
渡来人がやって来た頃に日本に青銅器が伝わるが、 弥生前期のBC7C頃に伝わったものと弥生後期に伝わったもの では全く違う。 銅鐸も鏡も後期に伝わっていて、衛氏朝鮮や楽浪郡を通じた 中国青銅器の影響が見られるが、前期に伝わったものは 中国青銅器の影響がさっぱり見られない。 つまり青銅器はBC7C頃にやって来た渡来人が中国からやって来た のではないという最も重要な証拠なのである。
402 :
出土地不明 :2006/05/05(金) 17:44:16 ID:xoDn3Hwq
人が渡来して定着すれば文化は確実に伝わるが、 単に交易だけでも伝わるし、 交易しなくても、時間が数千年もあれば、 非常に緩慢な速度で、文化は世界中に広がっていく。
403 :
出土地不明 :2006/05/06(土) 00:35:27 ID:OvsHStg8
本州における巨大都市が出雲にあったのは確か、 この都市は本州の首都であったと考える。 ここは高麗(高句麗)と密接なつながりを持ち 高麗棄民の本州受け入れ入国センターになった。 他方、九州では中国に朝貢をする倭人国家があった。 北慮南倭というくらい、倭とは九州を指し、倭は北にはない。 倭とは九州以外の何者でもないのであろう。 日本(日(天)を崇拝する国家、民族)は 本州や新羅にあり その首都が出雲であった可能性が高い。
404 :
出土地不明 :2006/05/06(土) 02:07:55 ID:CmXxJFPX
銅鐸の製造がOEMだったとすれば、それを委託した主な地域があるはずですな。
405 :
がいやまん :2006/05/06(土) 08:01:09 ID:6AzgpfYU
>>404 施主は尾張、三河、伊勢、遠州かなと思います。ヤマトタケルに対してしぶとく
抵抗した熱田神宮を中心とする勢力、後生、天武が頼った政治勢力ですね。
彼らは邪馬台国建設に大きな力を貸した挙句に銅鐸、前方後方墳文化を失い
天孫には深い恨みを抱きながら遠州方面に後退したものもあったはずです。
406 :
がいやまん :2006/05/06(土) 08:13:18 ID:6AzgpfYU
更に後には信長、秀吉、家康がおこり、更に後には薩長土肥が起こる。こうした 対立軸の初期のものは琵琶湖の瀬田川あたりを中心に発生してのかなーと 思ったりするんですが。
407 :
がいやまん :2006/05/06(土) 11:20:11 ID:6AzgpfYU
>>405 後世、後の世、とうとうとするといつも間違えて後生が出てきております。失礼しました。
408 :
出土地不明 :2006/05/06(土) 13:45:33 ID:DpEAs2rz
>ここは高麗(高句麗)と密接なつながりを持ち >高麗棄民の本州受け入れ入国センターになった。 在日の願望妄想がよく現れている(嘲笑
409 :
出土地不明 :2006/05/06(土) 22:02:22 ID:028ojmpv
>398 伊賀の国は鉛の産地でっせ、丹生という地名おおい。
410 :
がいやまん :2006/05/07(日) 07:43:11 ID:uuateQMJ
丹生とは重金属の意味でしたか。壬生というのもあり混同します。こちらが水銀で したか。いずれにせよ伊賀という言葉は古代人名に多くなにか金属製品とか貴重品 と関係するのでしょうね。甲賀、加賀、久我などの意味も何かつながりがあるので しょうか。諏訪にある甲賀の三郎伝説と何らかのつながりがあるのかとか。次から 次へと疑問がわいてきます。伊賀に鉛が出るというのは非常に貴重な情報です。
411 :
がいやまん :2006/05/07(日) 11:25:48 ID:uuateQMJ
>>408 壱岐・対馬から親潮に乗ればバイパスで大和に到着できるがその航路の重要な
船着場というだけだろう。ところで北方のスサノオは朝鮮を通過するとき持参した
樹木の種苗を朝鮮人は渡さなかったとされる。これは彼らには日本人のように盆栽、
植林という習慣がなかったことであろう。l現在も日本人はボランティアで中国の砂漠化
防止のために私財を投げ打って働いているが、指導部の先導による愛国無罪の
スローガンによる日本人襲撃を続けている。反抗期の長男次男を抱えたようなもんだなー。
412 :
出土地不明 :2006/05/07(日) 21:10:21 ID:Nmj9DP+5
>385 >銅鉱石には大体錫も含まれてるんで、 >(インゴットの状態だとこの比率で大体産地が特定できる) んなこたーない。 基本的に銅と錫は一緒に産しない。 インゴットにしたときに青銅になるほど錫を含む銅鉱石なんて、 その存在自体が猛烈に希少でつ。 もちろん、銅鉱石は微量の錫を伴うものもあるが、 その比で産地が分かるなんて乱暴すぎ。。。 >409 伊賀で鉛が産出するなんて寡聞にして聞いたこと無いが・・・ 少なくとも大きな鉱山は皆無だな。 ごく小規模なやつならあるかも知らんが。 個人的には丹生はやっぱり水銀と関連した知名だと考えてる。 鉛もそうですが、日本には錫を産する鉱山って少ないんだよな〜 銅鐸にしろ、銅銭にしろ、大仏にしろ、どっから錫を手に入れてたのか、不思議でつ。
413 :
249 ◆GPDV33Riho :2006/05/07(日) 22:53:17 ID:1d/Q4ZPA
俺が
>>389 で紹介したようなデカイ銅鐸は何よ?
だいたいあの形は何よ?
配合率がどうだ、チンコがくさいだなんてどうでもいいよ。
モウ寝るから明日までに答えろ。
おまえらのフナムシ並みの脳みそで答えろ。
おーい、ペギラ。
おまえも答えろよ!
414 :
がいやまん :2006/05/08(月) 09:23:10 ID:VpaHN6oZ
415 :
出土地不明 :2006/05/18(木) 02:39:36 ID:qnLqb6ro
416 :
出土地不明 :2006/05/18(木) 02:42:37 ID:qnLqb6ro
銅鐸はシュメール神話のロケットで、土偶はシュメール神話の宇宙飛行士ってことで、 ファイナルアンサーw
417 :
シュリーマン :2006/05/20(土) 20:06:23 ID:TNEaSNr2
最近、出雲東部での弥生遺跡がたくさん発掘されているらしいですね。大集落や製鉄遺跡がたくさん出ているようですが、出雲風土記や古事記にも安来の話はのっていた。しかし、歴史学者は神話であって歴史ではないといい続けていた。 こりゃひょっとすると日本版ダビンチコードってことになるのでしょうか。
418 :
出土地不明 :2006/05/21(日) 00:32:33 ID:p+oaRWMo
1)出雲風土記や古事記にも安来の話はのっていた。 2)出雲東部での弥生遺跡がたくさん発掘されているらしいですね。大集落や製鉄遺跡がたくさん出ている 2が1の何かを証明するものであるかないかは、1の記述内容によるだろうね。
419 :
出土地不明 :2006/05/22(月) 23:04:40 ID:4YkfMt9w
>412 鉛もそうですが、日本には錫を産する鉱山って少ないんだよな〜 銅鐸にしろ、銅銭にしろ、大仏にしろ、どっから錫を手に入れてたのか、不思議でつ。 別に不思議でもないだろう。 輸入青銅器自体に入っていたわけだ。 荒神谷の400本ちかい 銅剣も錫含んでいるわけだ。
420 :
出土地不明 :2006/05/23(火) 13:26:33 ID:LWC/Rv5G
おーやん(ブラックバス太郎・指並太郎)◆GPDV33Rihoが自分で晒した個人情報 年齢40〜45歳 2004年12月中旬 10年以上前(1995年あたりに買った)に和泉中央から光明池間の分譲マンションを売却 2005年2月初旬 光明台の賃貸マンションに引越し マンション購入価格4000万弱 売却価格1500万前後 5年前に嫁に逃げられ子供と一緒に捨てられる 子供は小学生の娘2人息子1人 そのうち2人は泉北の竹山産婦人科にて誕生 子供は光明台北小 父子家庭を理由にPTA役員をやらない卑怯者 元嫁(30代後半〜40代前半)は宮崎県日南出身、日南に居る義理の甥っ子も失業 鬼塚ちひろに御執心(指並太郎◆GPDV33Rihoとして鬼塚ちひろスレに貼りつき大変嫌われている) 仕事は自営業 女鹿坂の三輪歯科にとても強いこだわり 創価学会・在日韓国朝鮮人が嫌い サンエー・マンダイに早朝などによく現れる
421 :
出土地不明 :2006/05/24(水) 22:51:46 ID:xCGO3+eU
畿内と四国、三河と遠州では銅鐸の作りが違うらしいね。
422 :
出土地不明 :2006/05/26(金) 23:14:19 ID:9FFbyAUx
423 :
出土地不明 :2006/05/29(月) 01:09:24 ID:wdsJITfz
424 :
出土地不明 :2006/05/30(火) 00:55:43 ID:alAStTeH
銅鐸や土偶って他の国で出てないの? 朝鮮半島は?
425 :
がいやまん :2006/05/30(火) 07:32:21 ID:T0KXOKPG
銅鐸は朝鮮から日本に伝えられたもの。中国にもよく似たものがあるようだ。 祀り方は中国の長江のあたりと似ているといわれている。漏れはモンゴルの 考古学的展示会でミルク容器で日本の後期銅鐸とそっくりなものがあるので びっくりしたことがある。なんか関係あるのかなー。
426 :
出土地不明 :2006/06/02(金) 15:52:44 ID:QeyPZyeV
奈良だけど銅鐸出たって看板があるんだけど 他にもなにか埋まってそうで 看板の周辺掘りたい気分になる時がある
427 :
出土地不明 :2006/06/03(土) 02:47:37 ID:kPs27w7x
看板の場所そのものは違うんでないかい?w
428 :
出土地不明 :2006/06/03(土) 16:09:44 ID:QCz9wCau
銅鐸を検索してたら銅鐸サイトで音色を聞けて結構幸せ 郷愁感じちゃったよ
429 :
出土地不明 :2006/06/04(日) 02:04:02 ID:ETA/XjyN
銅鐸て鳴らすもんなのかい?
430 :
出土地不明 :2006/06/04(日) 13:44:49 ID:vp6upexS
よくわかんないけどさ、鹿の角かなんかで銅鐸を叩いてみた音だと思うよ
431 :
出土地不明 :2006/06/04(日) 13:48:58 ID:A0eWKkV7
>>424 どこにでもあるが、問題は、日本の銅鐸の「でかさ」なんだよ。
あのでかい銅鐸は日本にしかないだろ。
432 :
健太 :2006/06/07(水) 13:37:09 ID:d+FnY87S
銅鐸のことがよくわかりません何のために作られたか教えてください
433 :
出土地不明 :2006/06/08(木) 21:41:36 ID:WqT1BapE
>>401 早く私の質問に答えてくだされ。
やはりあなたは、韓国の方だったようですね。
434 :
出土地不明 :2006/06/09(金) 11:07:22 ID:IiDjObeB
やっぱ作りたてだとキラキラしてるの? 頭にかぶるのかなと思ったけど、意味はよくわかんないよね。 重そうだし。 冠?もっと後の時代の烏帽子ってなんでかぶるの?
435 :
がいやまん :2006/06/10(土) 21:55:16 ID:x+9OU7bu
鹿児島県の解釈では古代カゴというのは金を意味しており、鹿児島県は 全国一の産金量を誇っている。鹿児島というのは金山という意味だという。 日本の記紀、神話には天の香具山とか、かぐや姫、カグツチ等が金に関係する ようだ。金峰山、金剛山とかいう名も良く効く。また、アルタイ山というのも金山の 意味だが、その近所には天山もある。アルタイ地方はユーラシア有数の金属資源、 石炭などの地下資源の多いところだ。アルタイには高地性遺跡が多く、山上で タンバリンを使って宗教儀式が行われたことがあるらしい。日本に伝えられる青銅器 文化はどうもアルタイからオルドス、遼寧、新羅を経由してきているようだ。銅鐸と 山岳崇拝には何か関係がありそうな気がする。
436 :
出土地不明 :2006/06/10(土) 22:22:44 ID:qPzHGUW2
電波で有名ながいやまんも随分と知識を上げてきたなw そう、弥生期の渡来人は北方系青銅器文化を持ち込んだ人々。 渡来人骨と青銅器は弥生前期の中頃(BC7C頃)に同時に現れる。 青銅器を知る事はつまり、渡来人を知る事である。 ただし銅鐸と銅鏡はBC2C頃に伝わったらしい。 ともに中国系青銅器文化。 楽浪経由だろう。
437 :
出土地不明 :2006/06/11(日) 00:06:44 ID:KL2TE+zK
銅鏡が伝わったのは3Cだった。スマソ
438 :
出土地不明 :2006/06/11(日) 00:12:47 ID:KL2TE+zK
銅鐸は楽浪より前のBC3〜BC4C頃に満州から半島に伝わったもの らしい。またまたスマソ
439 :
がいやまん :2006/06/11(日) 08:49:25 ID:bD3+gv5p
>>436 銅剣、銅矛ってことですね。漏れなんざー、寺沢先生の王権誕生の感覚でそんなに早
いとは思っていなかった。目からうろこです。しかし、生産技術が渡来するのは前2世紀
頃、スクだの吉野ヶ里の頃ってことですか。
ちょっと変なことなんだが、BC2000年の小河墓遺跡では何で木を削ったのかなー。
440 :
出土地不明 :2006/06/11(日) 19:07:03 ID:KL2TE+zK
旧式弥生時代開始4C末だと、確かに日本に青銅器製法が伝わったのが
堅田遺跡のBC3C末頃なのだが、更新弥生時代開始BC10Cで換算すると
日本に青銅器製法が伝わったのはだいたいBC8〜7C頃だろう。
ちなみに日本最古の青銅器は縄文晩期の三崎山遺跡の青銅刀子だが、
他に青銅器が出土しないところや器形が他に見られないところから
満州南東部あたりとの交流で招来した輸入物と見ていいだろう。
中国青銅器
http://www2s.biglobe.ne.jp/~karasawa/futagawa/id01/ 小河墓遺跡の時代だと、まだ鉄器ではないだろう。
タリムやトルキスタンには古代に進んだ青銅器文化があったとの事。
青銅の鑿を使っていたのかもしれない。
ちなみに日本には中国の青銅武器にある銅刀、銅鉞、銅戟が
伝わっていない。
441 :
出土地不明 :2006/06/11(日) 20:49:47 ID:KL2TE+zK
442 :
出土地不明 :2006/06/15(木) 11:19:46 ID:/6P3ywOP
銅鐸は瓶棺と同じように南インドから渡ってきた説 即ちシュメールのヴィマーナ信仰の伝播
443 :
がいやまん :2006/06/15(木) 19:12:28 ID:RMAZTNvK
小河墓遺跡の胡楊の柱は六角、八角の鋭いエッジが突いており、製材工場の ようなフレームに掛けた感じ。あれだけのカットは細石刃のような黒曜石石器 がないと、無理かなと思う。ヒッタイトは黒曜石資源を握り、シリア方面の鉄を 入手していたという最近の説があるがそういう背景かな。そうした石器の出土はなく 銅製ブローチの使われ方を見てもまだ貴重品の扱いであった。 胡楊の表面は荒削りであったのが砂塵によるサンドペーパー効果が出たのかも 知れない。
444 :
がいやまん :2006/06/15(木) 19:21:54 ID:RMAZTNvK
小河墓の裏返し舟形ないしは箱舟型木棺は製作後直ちに血まみれの 生の牛皮で巻いてあり、これには砂塵による影響はないものと見られるが きわめて美しい精密な仕上げであった。全体に丸みが出ており砂か何かで 磨いたのかもしれない。
445 :
出土地不明 :2006/06/16(金) 01:08:10 ID:WB/moldW
銅鐸を埋めるのは地鎮祭みたいなもんじゃないかって個人的には昔から思ってるけど。どう?
446 :
がいやまん :2006/06/16(金) 14:51:43 ID:KUPzd7WA
447 :
がいやまん :2006/06/16(金) 15:41:16 ID:N3rrZZ2b
日本青銅器文化はタガール、オルドス、遼寧、朝鮮半島経由伝来したもので タガール(アルタイ地方)との関係があっておかしくはない。ただ、銅鐸の文様 には後世の埴輪、古墳輪郭(立体化されたもの)、ずっと世を経て絵馬に通ずる 日本独自の人間と神のかかわり方を示すものが感じられる。他方、オークニェフ 文化は仏教の思想芸術に少なからぬ影響を与えたと考えられる。もちろん時代的に 日本よりもインドへの影響のほうが早かったことは言うに及ばないが中央ユーラシア 文化が南、東と別の方向に流れたことはありえよう。
448 :
がいやまん :2006/06/18(日) 06:17:58 ID:CXZV/4zL
449 :
がいやまん :2006/06/18(日) 06:29:07 ID:CXZV/4zL
オークニェフ文化の画像を見ていて気付くことは特殊器台の思想が人の頭上を 天に昇るものとして描かれているということで、これは人間の魂が多くの世界を経て 上に上るとも、あるいは、宇宙にある神仏の世界がこの世に下りてくるとも捉える ことができるのだが、人類が竹とか、節足動物の住む南方から北上してきたという 過去を示すのではないかともかんぐっているんだが。
450 :
がいやまん :2006/06/18(日) 06:47:27 ID:CXZV/4zL
451 :
がいやまん :2006/06/18(日) 08:37:51 ID:CXZV/4zL
性というものは旧石器時代にあってはさほど重要視されるものではなかったようだが、 氷河期を経た後、狩猟・採集のその日暮しができなくなり、保存食からやがては植樹 のような森林共生、照葉樹林型文化へと発展、それが大地に穀類・豆類を撒種する という発展をしたのであろう。農業の起源についてはレバントの砂漠で忽然と派生した ように言われているが、これはサハラから中央アジア・地中海沿岸、特に、アルジェリア 近辺に豊かな草原、森林があったことを想定していないからおかしい。チベット・日本系 パプログループDと同じYAPプラスの子孫にE型があるのだが、これのアナトリアから 西欧への移動を新石器直前とする説もあり、Y染色体ハプログループYAPの起源を 頭から旧石器と決め付ける遺伝学会の方向付けには警戒が必要と感じている。
452 :
がいやまん :2006/06/18(日) 08:40:43 ID:CXZV/4zL
つまり、YAPのアフリカから欧州、アジアへの拡大は新石器時代の初めの森林共生 に伴う人的な移動ではないのかと疑っているのだがね。
453 :
出土地不明 :2006/06/18(日) 11:13:19 ID:iluqPaDx
454 :
出土地不明 :2006/06/18(日) 11:22:23 ID:e3EM60lR
>>453 上のヤツは朝鮮式銅鐸よりも日本の初期型に似てる気がする
455 :
出土地不明 :2006/06/18(日) 13:05:17 ID:72eqZoeW
YAP+の発祥はアフリカじゃなくて中央アジア周辺が定説。 この頃の人類はまだオーストラロイドしか居なかっただろう。 中央アジア周辺からアフリカに出戻りしたYAP+集団も あったという事も忘れるな。
456 :
出土地不明 :2006/06/18(日) 14:14:01 ID:72eqZoeW
457 :
がいやまん :2006/06/18(日) 15:07:25 ID:NURtFj/q
458 :
がいやまん :2006/06/18(日) 15:54:24 ID:NURtFj/q
459 :
出土地不明 :2006/06/18(日) 16:12:29 ID:5oDCyjme
それ逝け!でむぱまん!
460 :
がいやまん :2006/06/18(日) 16:32:25 ID:NURtFj/q
>>458 M174という突然変異は中央アジアではなくスリランカあたりで発生したのではないかな。
461 :
がいやまん :2006/06/19(月) 10:34:58 ID:6TT0tqZO
要するに、YAPというのは大別してEとDというパプログループがあり、アフリカ、欧州、 アジアにおいてはどういった歴史的状況において、どういった社会的出現をしており、 日本のYAPはそうした世界的枠組みの中で時代的にどこに位置づけるかというのが われわれ2CHの人間ならばきわめて常識的なやり方だと思う。それを戦前の皇国史観 のやり方で上意下達で指し示すから日本どころか国際的に引っ込みのつかないことに なる恐れがあるという警鐘を鳴らしているのであり、方法論批判の一つである。だから この電波で何かを扇動する意図はまったくないことは理解してほしい。単なる外野の 傍観者なのだ。
462 :
がいやまん :2006/06/20(火) 09:43:17 ID:FHWu4T2d
インド筋の情報 インド、中近東、アフリカ、アジアYAP 北インドシーア派回教徒E 11.30% 南インド・シッディーE/D不明 38.40%(南西部らしい) 中近東E イラク12.2% レバノン25.8% トルコ16.6% シリア20.0% パレスチナ19.0% サウジアラビア5.0% アフリカE ズールー81% ピグミー79% コイサン46% 東南アジアD アイヌ87.5% 本州36.6% 九州27.9% 沖縄55.6% タイ2.9%
463 :
がいやまん :2006/06/21(水) 10:08:17 ID:uzYEBDhw
464 :
がいやまん :2006/06/21(水) 10:11:16 ID:uzYEBDhw
465 :
出土地不明 :2006/06/23(金) 12:37:18 ID:9iXIjpaw
銅鐸レプリカいりまヘンカ? 安うしときまっせ by京○科学
466 :
がいやまん :2006/06/24(土) 15:18:54 ID:gPPcVx6h
>>450 この情報は銅鐸は殷文明印で生まれ、オルドス文明に吸収され、朝鮮半島、九州北部に
多分銅剣・銅矛文化と共に南下したものという説を成立さすことになるかもしれませんね。
467 :
出土地不明 :2006/06/24(土) 19:02:08 ID:5cwS7FwK
いや、銅鐸は満州を経ている。 商周の青銅器文化がまず内蒙古の赤峰の夏家店下層文化に吸収されて 満州南部一帯に広がり、BC3〜BC4C頃に朝鮮半島に伝わり、 BC2C頃に九州北部に伝わったのだろう。
468 :
がいやまん :2006/06/24(土) 21:25:37 ID:eWLWKAb5
http://www.rekihaku.ac.jp/koohoo/journal/no121/rekishi.html 「銅鈴から銅鐸へ
中国では、銅鈴は3900年前(龍山文化末)に純銅製品が現れ、3700年前(夏代、
二里頭文化)から青銅製品が普及する。世界最古の青銅鈴は高さ8cmほどの
小型品で、人の腰につけて使っていた。3500年前(殷代)には、人のほか、犬・
馬の頸や馬車に銅鈴をつける。朝鮮半島には前6世紀ごろ銅鈴が伝来する。
司祭者が身体に着け、神懸かりの状態になるのを助けていたようである。
前4世紀ごろ海を渡った銅鈴は、近畿地方で高さが20cmをこす大型品に
変わった。そして、鈕にも身にも文様を施した。 」
これが途中で「赤峰の夏家店下層文化に吸収された」
>>453 地下伏流水のような付帯文化が近畿地方で開花するということか。
469 :
出土地不明 :2006/06/25(日) 02:32:00 ID:coNshMul
>>385 のレスを見て、ここまで金属の知識があるのなら、奈良時代以前に銅の精錬くらい
できたのではと思うのだが、日本列島はそれこそあちこちから銅が出るからな。
今いまだに銅の鉱石は四国の山の中だとごろごろ転がっている。ただ採算に
会うだけの量がないだけだ。あの縄文人でさえ、黒曜石を捜し求めて伊豆諸島や
信州の山の中を探検したくらいだから、銅の鉱石だって必死になった探しまくると
思うのだが。
470 :
出土地不明 :2006/06/25(日) 02:37:50 ID:XF424kZN
>>496 同位元素の含有率比較で、弥生時代終わりごろまでは半島産の銅を使い、
後に、中国産のものをつかっている、ということで決着しているんだが。
471 :
出土地不明 :2006/06/25(日) 02:54:05 ID:coNshMul
あの時代の人もコスト意識があったのかな。ww どう見ても、銅鐸を作れる技術力があるなら、銅の鉱石を精錬すること くらいわけないとしか考えられない。また銅の鉱石くらいは本気で 探せば見つけることができたと思うのだが。ww 中国の漢代の銅銭はコイン商で見たけど、一枚100円だったからなぁ。 いまだに一枚100円だから、漢代だとそれこそものすごい数の銅銭が 流通していたのだろうな。それくらい銅銭が流通していたのだから 日本国内で手間隙をかけて銅の鉱石を探して、精錬するのがあほらしいと 考えたのだろうな。
472 :
出土地不明 :2006/06/25(日) 03:00:04 ID:XF424kZN
>>471 朝鮮半島では日本の弥生時代は銅器の時代から鉄器の時代にうつりつつ
あり、その段階で、スクラップ銅が安く日本に輸入できたんだよ。
対馬の人たちはそれを日本に運んで儲けていた。魏志倭人伝にあるとおり
だな。それで、日本国内で、銅の精錬をする必要もなかった。
日本で銅が必要になったのは、結局、白村江で半島との交流、あるいは
中国との交流が本気で途絶えたとき以降のことだ。だから、和銅になる。
で、和銅開宝ってわけだ。
473 :
がいやまん :2006/06/25(日) 07:39:48 ID:OHmYBLgF
銅、鉛の鉱石を日本から大陸に輸出し、インゴットを輸入する形態もあるよなー。
474 :
がいやまん :2006/06/25(日) 12:04:10 ID:bidM2b98
475 :
出土地不明 :2006/06/25(日) 13:52:52 ID:qMSP1DC9
>>473 もちろん、弥生時代から古墳時代まではそれはあり得ないだろ。
っていうか、日本から大陸に輸出したものの同位体比が大陸産のそれに
なるはずないし。
476 :
がいやまん :2006/06/25(日) 14:14:48 ID:qREAV5Qv
弁辰にナメリミトという国があるがこれは富山湾の滑川河口、上流に神岡鉱山があるん だが、これの租界地ではないだろうか。神岡の鉛を出していたと思うんだけど。
477 :
がいやまん :2006/06/25(日) 14:17:33 ID:qREAV5Qv
富山というところは信州の黒曜石、ヒスイなどで縄文時代からの国際港であったは ずだがなー。
478 :
出土地不明 :2006/06/29(木) 23:57:45 ID:WbkwRuOR
>>472 なるほど、面白い。
>>473 ないないw
古墳時代ところか現代にいたるまでありえんw
つーか、このスレの住人は仮にも金属製品について語ってるんだから、
「製錬」と「精錬」は別物だときづいてほすぃ・・・
479 :
出土地不明 :2006/06/30(金) 14:30:02 ID:evqCxxsD
480 :
出土地不明 :2006/07/01(土) 01:17:06 ID:hlr6O5ex
>>479 コストを考えたから硫化水素から酸素に鞍替えしたんだよな.
481 :
高二 :2006/07/22(土) 23:26:02 ID:ftcxlAW3
那須大社にある鉄鐸を知ってますか?名前はサナキの鐘と言います。
482 :
出土地不明 :2006/07/23(日) 19:35:51 ID:EK/yA4Jy
銅鐸は実は風呂。日本人は昔から清潔好きだった。
483 :
出土地不明 :2006/07/27(木) 07:41:07 ID:vnssr3eL
484 :
出土地不明 :2006/07/27(木) 07:43:31 ID:vnssr3eL
上の絵図は江戸時代のものだった。スマソ
485 :
がいやまん :2006/08/02(水) 18:36:59 ID:VR7wYLB6
山車は鉾との関係が強いかと。一方、銅鐸は破砕する点で鏡、そして、 それ以前は玉、勾玉などの系統であろう。武器系、玉系とでもしようか。 そして玉系にはアマテラス・スサノオにも登場する生命生産の意味がある。 それに対して武器系は見てのとおり防衛、護身である。鉾とか山車も どちらかといえば防衛的なものといえようか。テポドンよりは少子化対策 の必要なわが国としては刀剣類よりネックレスのほうがいいのだろうか。
486 :
がいやまん :2006/08/02(水) 18:41:31 ID:VR7wYLB6
ただし、鉾とか剣も男性のシンボルとすれば、少子化対策には 重要なものともいえる。割られないで刺すだけでは平等ではない という声も出てくるかもしれないが。
487 :
出土地不明 :2006/08/02(水) 22:31:56 ID:PXwNkZVg
488 :
出土地不明 :2006/08/02(水) 22:40:13 ID:jQ24UGM9
489 :
がいやまん :2006/08/04(金) 15:33:16 ID:MFsu9Yqo
祇園の山車は全国の模範のようなものだ。全く違うがネプタ、ネブタもよく似た 行事。祇園の地車の鉦の鐘の音が銅鐸の鐘の音の伝統を継承したというのは よく理解できる。京都の暑い夏に鐘の音はよくマッチしている。古代人も銅鐸は 夏に鳴らしたのであろうか。
490 :
出土地不明 :2006/08/05(土) 19:58:08 ID:h/DHZTZq
スサノオもオロチも出雲神話で 八幡とは関係ないのになんで八幡が 出てくるのだろう?もしかして日鉄?
491 :
出土地不明 :2006/08/11(金) 01:51:44 ID:dRUF7bVs
製鉄がらみの歴史だからだろ。
492 :
がいやまん :2006/08/21(月) 17:20:33 ID:7Omgz6ZA
493 :
がいやまん :2006/08/21(月) 17:31:29 ID:7Omgz6ZA
494 :
月光仮面 :2006/09/20(水) 09:58:04 ID:GflMlTzA
銅鐸は珍彦(椎根津彦)の世代、神武の前の世代までは存在した。神武は 葛城のアカガネのヤソタケルを討っているので、銅鐸を駆逐し、鏡を導入しようとする 九州文化の継承者であった。しかし、近畿における銅鐸の駆逐は神武が開始した ものの、神武の死後、その子、タギシミミは殺され、銅鐸勢力は盛り返し、尾張 ヨソタオ姫の頃までは続いたものの、孝霊の頃、吉備の勢力と共に鏡が最終的に 銅鐸を駆逐、同時に、東海土器も伊勢湾西岸を離れる。
495 :
月光仮面 :2006/09/20(水) 10:22:11 ID:GflMlTzA
邪馬台国は最終倭国乱、国譲りを含んでいる。であるから、初代卑弥呼はイスケ ヨリヒメであり、ホト+タタラとは宝鐸+祟り(霊)であり、銅鐸を祀っていたのに、最終 卑弥呼であるヤマトトトヒモモソヒメは既に鏡に変わっていたということになる。 ヒメがホト(宝鐸)を刺して崩御したことは銅鐸の残党、狗奴国への呪詛であったのかも しれない。
496 :
月光仮面 :2006/09/20(水) 10:25:08 ID:GflMlTzA
>>494 紀州の銅鐸祭祀の一時的中断はこの頃の動きに連動するものかもしれない。
497 :
月光仮面 :2006/09/20(水) 18:34:25 ID:pAR83Aaz
498 :
月光仮面 :2006/09/20(水) 18:59:40 ID:pAR83Aaz
イスズヒメが崩御し、国のシンボルが銅鐸から銅鏡に変わり、公孫に使節が派遣される 頃に、モモソヒメが卑弥呼となったものの、10年足らずで崩御したことになる。こうすると、 箸墓はイスズヒメのために作られたが出来上がるとちょうどモモソヒメがなくなったので モモソヒメの墓としたということなのだろうか。
499 :
月光仮面 :2006/09/21(木) 10:18:58 ID:gADB1aao
衝撃的なことではあるが、この三島出身のイスズヒメが活躍したのは大和ではなく 伊都国であり、その墓は平原にあった可能性もある。平原遺跡は九州北部に庄内 土器が押し寄せた頃のものである上に、平原遺跡は弥生時代前期後半の大阪府池 上遺跡・同府四ッ池遺跡・同府東奈良遺跡など大阪府下で始まるものである。一方、 この時期に纒向遺跡から国産大型鏡などは全く発見されない。逆に纒向では 布留時代に入って突如箸墓ができるのだから、倭国全体で捉えると河内から平原へ、 そして平原から纒向へと何らかの移動があったと考えられる。
500 :
月光仮面 :2006/09/21(木) 10:46:06 ID:gADB1aao
501 :
月光仮面 :2006/09/21(木) 10:55:04 ID:gADB1aao
漢が三国志時代に入る頃に、倭国も三国志時代に突入した。それは平原の鏡、 荒神谷の剣、矛、そして加茂岩倉の銅鐸のそれぞれの集団の激突であり、結果 全てを土中に秘めたまま、倭国は三種の神器に象徴される3つの文化の統合 されたものとして誕生したのではなかろうか。アマテラスはこうして生まれたので あろう。
502 :
月光仮面 :2006/09/21(木) 11:28:12 ID:gADB1aao
物部の方は天下統一の暁には流通神器を銅剣にしようとするシステム構想と 更には物的な銅剣まで準備していた。一方、天孫は大量に同権を配布する構想、 これは、九州では旧伊都国にはあった構想ではあるが、その準備はなく、纒向 建設時には生産が追いつかず、急遽公孫に銅鏡を求めた。これは河内庄内政権 と言うものは本来システム構築構想を持たず、ニギハヤヒ、ウマシマジ、長髄彦 に対してリベラルであったが、彼らの野心に気付いたはじめて神器の重要性、 論功行賞の重要性に気付いたのだろう。それがAD238年頃の公孫への遣使であった のか、あるいは銅鐸産業を鏡作りに転換しようとして失敗したのか。
503 :
月光仮面 :2006/09/21(木) 11:59:52 ID:gADB1aao
しかし、倭国の使節が帯方に行くと公孫が魏に殺され、生まれたばかりの倭国に対し、 生まれたばかりの魏が世界史上異常な一方的経済援助を行というのはいかなる出会 いよりも不自然であり、こんな外交は現在の米英でもできないであろう。魏から受け取る 銅鏡には銅出徐州ということばがあり、倭人伝は倭人が呉の太白の末裔ではとする。 この辺に時空を超えた銅製品崇拝の風習を共有するつながりがあるのではないかと思う。 この点で気になるのは生口であり、これも殷の時代からの交易のプロトコールであるの かもしれない。
504 :
月光仮面 :2006/09/21(木) 12:24:29 ID:gADB1aao
505 :
出土地不明 :2006/09/21(木) 17:19:38 ID:AZoBswUF
いや、けっこう、けっこう。 けっこう仮面。
506 :
月光仮面 :2006/09/22(金) 10:11:08 ID:TZZ4W6rx
507 :
月光仮面 :2006/09/22(金) 10:46:01 ID:TZZ4W6rx
倭面土国帥升であるが、官職は大宰府権のソチのソチを帥升といい、出身は豊(豊前)、 葦原瑞穂国(豊前と東方周防、長門、安芸)を領地とする大元/御許国、倭面土国国王 で、この子孫が多分ニニギとか、神武、そして邪馬台国時代には石塚山古墳に埋葬さ れた有力者であったのではないかと思っている。
508 :
月光仮面 :2006/09/22(金) 10:56:00 ID:TZZ4W6rx
さらに、その東方出雲、伯耆、因幡、吉備が投馬国で、更にその東部には 阿讃播があった。投馬国は豊前の伽耶系渡来人、秦氏系の冶金・鉱山関係者が 多く、巨大古墳とか、特殊器台、埴輪の技術を持ったものがいたが、内乱を起こし 阿讃播に制圧され、同様にして制圧された東海の技術者共々纒向に連れられ 巨大古墳、布留式土器をはじめるのであろう。
509 :
月光仮面 :2006/09/22(金) 15:31:37 ID:Ag+DBpe4
>>506 ブリャート考古学会情報ではヒモロギ部と祭壇部に分かれる祭祀遺跡を
結合する部分は「橋」と呼ばれるが、牛馬のごとき役蓄をも意味するとのこと。
箸墓周濠からは世界最古の木製鐙が出土しているが破損している。これは
ブリャート同様、広隆寺牛祭りに見られるような牛に司祭者がのって後円部
に向かうと言うアクロバチックなことを行い、途中で事故が発生、卑弥呼が
神器の鉄剣によって誤って身を傷つけ事故死したと言うことも考えられる。
510 :
出土地不明 :2006/10/27(金) 07:28:00 ID:QAfGmN+Z
ドータクン
511 :
出土地不明 :2006/11/12(日) 00:57:40 ID:NCBn14Dj
>>500 これ面白いな
そういえば高槻(三島)で卑弥呼の時代っぽい鏡がみつかったもんな
512 :
出土地不明 :2006/11/15(水) 05:15:52 ID:MKdwIg18
513 :
月光仮面 :2006/11/19(日) 12:44:05 ID:+6vI3b2i
銅器の埋蔵について、長江下流域とか日本では岡の中腹に多いと聞くが、これは銅鐸 のような形状の銅器と山岳風景、更には、山岳風景による日月星辰崇拝宗教の一環と して、またはその祭具として銅鐸が使用されたと考えられる。たとえば、諏訪大社の湛神事 には鉄鐸がしようされ、日光二荒神社、二荒山、男体山山頂への鉄鈴献納などに見る ことができるが、加茂岩倉の銅鐸埋納にもこうした背景があるのだろう。埋納される神器 としては銅鐸から、鏡、矛、剣と金属製のものが多いようであり、金属の神、金神(コンジン) への供献とも考えられる。
514 :
月光仮面 :2006/11/19(日) 13:21:39 ID:+6vI3b2i
だが、鏡池となると話は異なる。例えば御来光を池に移して拝むと言うこともありえ ようし、平安鎌倉時代には羽黒山で鏡を奉納する池が出現している。これは古代で はなく中世となる。しかし、この背後には古代の金属器を山に奉納すると言うドクトリン が働いているのかもしれない。
515 :
月光仮面 :2006/11/19(日) 13:29:19 ID:+6vI3b2i
山岳信仰と金属の関係を考察して見ると、古代の初期において金属と言うものは、 コーカサス、カルパチア、アルタイ、タイ北部、アンデス等の特に山岳部で産出され た事によるものかもしれない。中国でも山岳信仰と共に銅緑山、無錫方面に西方 から入ってきて殷の青銅器文化を作り出したのであろう。
516 :
出土地不明 :2006/11/21(火) 03:48:20 ID:f+E/8uc6
>>492 八幡は八秦(ヤハタ)
秦氏が作った神社
517 :
出土地不明 :2006/11/21(火) 22:52:37 ID:oycq1Qn/
八幡は「八・波・多」=海
518 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/30(木) 12:39:21 ID:MQZ8VLZB
519 :
出土地不明 :2006/12/11(月) 13:33:52 ID:y6pxMb+a
銅鐸の形ってどうして前方後円墳に似ているのだろう 表面の模様は抜きにして外郭だけで見ると 同時期にこんなに似通ったもの2つはほかには見当たらないんだがね
520 :
出土地不明 :2006/12/12(火) 00:32:09 ID:gbkXlxKA
似てない
521 :
月光仮面 :2006/12/12(火) 17:07:44 ID:y8fcN9hL
>>519 上方、つまり、天の方向に向かう角度につき何らかの宗教上の根拠に基づく
共通の角度を適用したと言うことでしょうか。たとえば、時代は飛鳥時代に
なりますが来朝するトカラ人が須弥山を構築する能力を朝廷に売り込んで
います。百済方面の石造五重塔とか、法輪とかも入ってくる。こうしたことの
背後には何らかのノウハウがあるとも考えられますね。
522 :
出土地不明 :2006/12/12(火) 23:53:05 ID:Ph7L8s15
銅鐸のコップ形状というか、その勾配の比率は大体共通してるように見えるな
523 :
月光仮面 :2006/12/16(土) 08:22:25 ID:f+/tbWyF
>>514 現在のアルタイ地方で行われる夏至の太陽光線を氏子集団
の集団祖神山山頂に置いたタンバリンを通して拝む風習、
これが内蒙綏遠山戎文化において江南から伝わった銅鈴を
改良した銅鐸にと変化したものとも考えられる。勿論、
後漢書・魏志韓伝にあるような木に銅鈴を吊るす風習も
あったことであろうが、朝鮮小銅鐸が日本に入ってから
特化、重量化してゆくのは、江南的な祭り方と並行して、
上記のアルタイ風習が、特に中部地方を中心とする特定の
場所において三遠式銅鐸として特化することの原因になった、
そしてその起源は琵琶湖南岸の三上山を信仰する渡来集団
にあったのではなかろうか。
524 :
出土地不明 :2006/12/17(日) 00:22:28 ID:AtSx310/
>523 それって、もろですな
525 :
出土地不明 :2006/12/17(日) 00:23:23 ID:AtSx310/
>523 ちなみに、タンバリンをどの様に使って太陽を拝むのですか?
526 :
月光仮面 :2006/12/18(月) 07:55:32 ID:rdnk/Pnb
>>525 透かすのだそうです。曇りガラスによる日食観測みたいですね。銅鐸との共通点は
音響効果ということになります。日光男体山山頂の鉄鐸遺跡等に何らかの鍵がある、
赤城山の蜈蚣、つまり、鉱業関係集団との戦闘伝承もあり、鉱山関係集団の信仰
対象であったこともあるのかなと思います。
527 :
出土地不明 :2006/12/18(月) 09:02:18 ID:/KrcONH8
>>523 朝鮮銅鐸は日本最古の銅鐸より3世紀も新しいんだが
528 :
月光仮面 :2006/12/18(月) 10:56:36 ID:rdnk/Pnb
朝日遺跡のものよりはその程度新しいということでしょうね。逆に朝日遺跡の 方が朝鮮銅鐸よりも3世紀も古いということでしょうね。吉野ヶ里方面にもあるし 逆コースもありかな。今後の発掘に期待します。
529 :
月光仮面 :2006/12/18(月) 11:20:45 ID:rdnk/Pnb
530 :
月光仮面 :2006/12/18(月) 11:39:29 ID:rdnk/Pnb
刺青で倶梨伽羅紋というのがあるそうだが、ブリャートにはクダラ(避難地の意)地名 とかクリカンという古代部族がいる。倶梨伽羅峠もこの点から見直す必要があろう。
531 :
月光仮面 :2006/12/18(月) 12:03:32 ID:rdnk/Pnb
欧州に入ったクマン(カザフスタンのキプチャク、ロシアのポロベツ、これって幌別郡 (ほろべつぐん)は胆振国にかつて存在した郡に似ているが)はヤクート人の先祖である クリカン族というが、これが富山に入りクリカラ峠になったのかもしれない。さもないと スイスと秋田のナマハゲがつながらない。
532 :
月光仮面 :2006/12/18(月) 12:23:59 ID:rdnk/Pnb
アルタイで指摘されているのはカザフスタンにスイトン料理が入っていることで あるが、日本には稲庭うどん、むぎきり、きりたんぽなどが入っている。讃岐うどん の南には阿波の大滝山があり馬の首切り伝説がある。熊本も馬肉が有名。
533 :
月光仮面 :2006/12/18(月) 12:29:07 ID:rdnk/Pnb
また、闘牛、闘犬、月山神社、裸祭りもこれら文化のキーワードだろう。東テイ人 の話には土佐犬のようなものが出てくる。チベタンマスチフのような系統が飼われ ていたのであろうか
534 :
月光仮面 :2006/12/18(月) 12:32:05 ID:rdnk/Pnb
>>529 古墳にも飾り耳のようなものが付くことは、銅鐸と古墳の外形の類似が信仰対象である
神の姿を意味しているのかもしれない。
535 :
月光仮面 :2006/12/18(月) 13:49:33 ID:rdnk/Pnb
536 :
月光仮面 :2006/12/20(水) 15:18:13 ID:hRJ2ENBs
>>529 >>534 日本列島に入ってきたのは満蒙・朝鮮半島の多彩な民族の中でも、特に、金神
(香具土神、天香具山)と言うテクノクラートとそれを支配するスキタイ系シャーマン
・物部などであり、いわば鉱山関係の選民たちで、彼らは歴史的にシナイ半島で
史上初めて同様の経験を持つユダヤ人と似たところがあるのであろう。古代人金属
関係は探鉱、開発、生産、製品販売を一手に握る現在で言えばダイヤモンドとか
貴金属のシンジケートのようなものであったのではなかろうか。弥生日本と言うのは
文化的に何でもいいから吸収して成長して行ったのだろう。だからと言ってわれらごと
きが日本の天皇家の出自を憶測することはできないが、稲作社会、土地を持つもの
強さと言う保守性を考えると渡来人が天皇になれるような環境でなかったことは想像に
難くないのではないかと思う。
537 :
出土地不明 :2006/12/21(木) 12:15:00 ID:DmxvjgSM
結婚を迷っている若き独身男性諸君、結婚ほど馬鹿馬鹿しいものはない。 今の20代、30代の女は「どうやって男にたかるか」を必死に考えている。だまされるんじゃないぞ。 「結婚は1億円の無駄遣い」 実際は1億どころじゃ済まないけどな。子供ひとりで4000万の出費だ。宝くじでも当たったら、考えてくれよ。 結婚した瞬間に、30年間の強制労働が約束される。 どんなにがんばって稼いでも、自分で使える金額は1日数百円程度になるぞ。 どうしても買い物がしたければ、妻に頭を下げて「お願い」するんだ。 そして「無い袖は振れません」と、あっさり却下される。 残りはすべて、ガキと女が「当たり前のように、何の感謝もなく」吸い尽くす。 家事は極めて軽労働になった。 さらに、コンビニやインターネット、AVや風俗関係も、ますます「嫁いらず」に拍車をかける 昔は男にとって結婚も妻も「必要」だった。今は「人生の不良債権」にすぎない。 社会的に男女は対等で平等です。男性が女を養う必要はありません。 女は社会的優遇、過剰な法的保護、仕事と家庭の二束のわらじを得て、もはや女尊男卑〜結婚しようとするあなたを彼女は陰で小馬鹿にしている事でしょう〜 ★☆★よほどの事が無い限り結婚は保留し、たくさんの女性と自由に恋愛(セックス)を楽しもう♪★☆★ 避妊(ピル等)は忘れずにねd(^−^ ★☆★捨てた女は何も知らない真面目な馬鹿男が結婚(残飯処理)してくれるさwww★☆★ ■〜それでも結婚するあなたへ〜■ [夫婦財産契約登記] これはある意味では男性の『究極の護身法』と言えるかも知れません。 夫婦の財産についての法律です。 夫婦財産契約により契約財産制となり、自分の稼いだ財産はすべて自分のものとなります。 離婚時に財産の半分を配偶者に持って行かれることはありません。
538 :
出土地不明 :2006/12/29(金) 13:24:04 ID:2mWB2Sl6
銅鐸のルーツは中国雲南省周辺から出土する銅鼓だと言ってる学者が多い。 銅鼓、てん王などで検索すれいろいろ出てくる。 雲南省の古墓から出土した銅鼓に描かれた、まるっきり伊勢神宮のような千木を有す建物、 2100年前に雲南のテン王に漢から贈られた金印と、倭に漢から贈られた金印の類似性などから 神社建築や銅鐸を持ち込んだ人々は確実に雲南省のほうから来ているか、あるいは 中国の長江下流域辺りから2つに分かれてしまったのだと思われる。
539 :
出土地不明 :2006/12/29(金) 23:28:44 ID:TiYKBk3y
あほだろおまえ。 何で銅鐸が銅鼓(ドラム)なんだよ。 器形がさーっぱり違っているだろが。 銅鐸のルーツは銅鈴。 銅鈴が遼東・朝鮮経由で大型化してBC4C頃に日本に伝わり、 さらに日本で大型化したのが銅鐸。 銅鼓も銅鉦も弥生期に伝わってませんから。 残念でした(嘲笑)
540 :
出土地不明 :2007/01/26(金) 13:07:54 ID:sX76Wl6L
神武東征と、銅鐸祭祀集団消滅が関連付けられてるが、 日本武尊が死ぬ間際に残した言葉は、熱でうなされていたせいなのかなんなのか、 かなり九州言葉が入り混じってると感じる。 神武東征で中央に九州言葉が入り込んだのだろうか。
541 :
出土地不明 :2007/01/28(日) 19:30:40 ID:jbwxl1gf
銅鐸のルーツはカウベルらしいけど。 蛇よけの銅の鈴。 鈴の音が重要だったようだ。 音に魔よけ・「へき邪」の力があった。 蛇よけが発展して邪悪なものを払うものとなり激しく鳴らして魔よけにしたのだろう。 そしてだんだん大型化。40センチくらいまでは 持ったりひもを紐にかけて樹からつるしてならしたりしたのだろう。 古段階のものには「目」の模様が鋳込まれていたこともある。眉目秀麗の が。吉野ヶ里出土のものとか、福田銅鐸とか。 流水紋・渦巻き紋は目なのかもしれない。 鋸歯紋は魔よけの模様といわれる。中国では同じ模様が竜の鱗らしい。 そして魔よけからさらに発展して仏教で言うところの輪廻・弱肉強食の自然の摂理 を表現し目に見えぬ神に豊穣・安全を願うものになったのだろう 模様には毒虫のムカデ、蛙をくわえた蛇、魚、魚を食べているサギ、 亀、トンボ、アメンボ(本には蜘蛛と書いてあるが、あの4本足は絶対アメンボだ。アメンボも 水面に落ちた虫を食べる肉食昆虫。水面に浮いたアメンボは4本足に見える。蜘蛛で4本足に 見えるのは黄金蜘蛛くらいだが、田圃には普通いないだろう))など田圃で蹴り広げられる 生命の連鎖、再生、弱肉強食を思わせるものが多い。サギと鹿は魂の移動と再生の象徴だろう。 そしてさらに発展しそれを持つ者は冨と権力を得られるということになり、より大型化した。もはや 鳴らすことが出来なくなった。銅鐸の音ではなく銅鐸そのものが神となった。 銅鐸の埋納は、普段から行われており、祀りの時に掘り起こされて使用したと考える。 地中において銅鐸は大地のエネルギーを吸収すると考えたと思う。もともと銅鐸の材料は地中にあった。 ゆえにエネルギーの吸収も地中から行うと考えても不思議ではない。そして、神としての力を失い 不要になった銅鐸はまた地中に返される。時に破壊され、逆立ちにされ・・・・ 銅鐸祭祀が終わったのはやはりアマテラスによる天壌無窮の神勅がなされ、太陽と魔よけ、農耕の 神が銅鏡に移り変わり、機能がダブる銅鐸は廃棄されたのであろう。生まれ故郷の山中に・・・ 同じ材料の銅矛・銅剣も不要になると山中に返された。しかし太陽の象徴の銅鏡は山中に埋納される ことはなかった。返す先は空であるから・・・
542 :
出土地不明 :2007/01/30(火) 22:27:05 ID:r0GJ0MTu
講談社の日本史概説書にも半島から渡ってきたばっかの頃の銅鐸が載ってた。 なんか、風鈴モンたいな感じだった。
543 :
出土地不明 :2007/01/31(水) 06:28:31 ID:y/Pa9DUE
銅鐸とは中国の華南地方から稲作と同時に日本に渡ってきたもの。 当初より祭祀や実用の品ではなく、日本列島に多い、『地震(地の神)』 を鎮める目的で製作さた。 現在の科学では地震発生のメカニズムは小学生の子でも認知しているが、 その太古の人々にとって、突然に訪れる「地震」の恐怖は相当であったろう。 恐れおののき、タブー視される「鎮魂」の意味をこめて、ひそかに 山間地などに埋められたとさ。と村の長老がいっていました。
544 :
出土地不明 :2007/01/31(水) 10:56:48 ID:B7I5udJr
545 :
出土地不明 :2007/01/31(水) 11:21:34 ID:B7I5udJr
546 :
出土地不明 :2007/01/31(水) 12:35:53 ID:UWuZlQBs
倭人の移動 河北(燕)→馬韓→百済→任那 ↑ ↓ シュメール?・・・・→河南→江蘇→九州(天孫?)→ 倭国(蛇の金印) ↓ ↑ 広西壮族← → 雲南(蛇の金印)→→沖縄
547 :
出土地不明 :2007/01/31(水) 12:43:04 ID:B7I5udJr
止めどもない笑いが込み上げてくるのを禁じえませんなw
548 :
出土地不明 :2007/02/02(金) 22:11:21 ID:ZLrSha+P
何で無文土器時代の韓国に中国系の遺跡も遺物(特に炊飯器の三足土器)も 一切出てこないのかな?w 江蘇→九州なら、何で九州から炊飯器の鬲が一切出ないのかな?w 雲南→沖縄なら、何で沖縄から水田遺跡も炊飯器の鼎や釜も一切出ないのかな?w ♪何でやろぉ〜〜 何でやろぉ〜〜 何でや 何でや 何でや 何でやろぉ〜〜〜〜(嘲笑)
549 :
出土地不明 :2007/02/05(月) 12:08:41 ID:6ERAyhvP
修善寺の益山寺の銅鐸知ってるやついるか
550 :
出土地不明 :2007/02/09(金) 14:46:34 ID:VwEs1HRy
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
551 :
出土地不明 :2007/02/12(月) 13:19:09 ID:xk572JVc
炊飯器チガイこんなとこにも来てたのねw
552 :
月光仮面 :2007/05/27(日) 15:40:36 ID:2ipHy5S0
雨乞い・龍・蛇 雲を出す・引っ掛けて蜘蛛 道成寺は銅鐸の本場・鐘には蛇が巻き付いたり、入り込んだりする 銅鐸文明をだました山伏、僧安珍に対する怨念 3セットでランドスケープ的に埋納するのは鴨神話との習合か いずれにせよ銅鐸ユーザー王国紀州の話が多い。
553 :
消毒太子 :2007/05/28(月) 22:45:31 ID:oLwHlpdJ
植物はー地面に埋めるとーまた増えて生えてくるからあ、きっと銅鐸も 増えるんじゃなかろうかーって思って埋めたんだよう。 「産む」と「埋む」って共通してるしー。
554 :
出土地不明 :2007/05/29(火) 01:03:04 ID:5nNXTHKB
紀元前2世紀のローマ遺跡から銅鐸そのものが出土するんだが お前らはそんな遠く離れた場所が起源だなんて信じる? お馬鹿な学者は似て非なるものといいたがるだろうが 用途もまるっきり銅鐸と一緒
555 :
出土地不明 :2007/05/29(火) 01:47:27 ID:MvqL2kkJ
画像くれ
556 :
出土地不明 :2007/05/30(水) 19:30:35 ID:wSnw9DVT
ancient roman holy bell でぐぐれ
557 :
月光仮面 :2007/06/01(金) 06:53:28 ID:ZWp1Q4E3
558 :
月光仮面 :2007/06/18(月) 11:18:07 ID:cDHRagWM
559 :
月光仮面 :2007/06/18(月) 11:50:16 ID:cDHRagWM
560 :
月光仮面 :2007/06/18(月) 11:56:52 ID:cDHRagWM
「神原神社の東側に加茂神社が鎮座、風土記記載の屋代社の後裔社とか。事代主を
祀る。摂社に上賀茂神社があり、味耜高彦根神を祭神としています。これらはどうも後
から持ち込まれた気がしてなりません。同町には貴船神も山城から勧請されています。
神原神社の神原は神宝の訛のような説明ですが、カモのタカラからの変化かも知れ
ません。この神社が星と関係がありそうな磐裂・根裂神の子の磐筒男、磐筒女を祭神
としているのは、埋められた神宝への祭祀を思わせる所。 (ミトラス ウロボロス)
この遺跡の北側に、磐座を神体とする矢櫃神社が鎮座しており、地名の岩倉の元と
なったようです。南側には赤秦神社が鎮座、神体は石で、徐々に大きくなると言われ、
あたかも常陸の甕星神社に居た天津甕星を彷彿とさせます。」
http://www.pref.shimane.jp/section/bunkazai/fudoki/fudokif/kamot.html
561 :
月光仮面 :2007/06/18(月) 12:08:25 ID:cDHRagWM
562 :
月光仮面 :2007/06/18(月) 12:15:17 ID:cDHRagWM
「「託宣集」によると、八幡大神は小倉山にいた先住の地主神である北辰神に、一緒に
住んで法界衆生利益の願を発そうと持ちかけたところ、北辰神は彦山に権現がいて、
一切衆生を済渡していると云った。香春大明神も八幡大神にむかって同じようなことを
云った、とある。北極星を神格化した北辰神を、妙見菩薩といって鉱山に関係がある。
北極星の信仰はもともと道教から出発したもので、渡来人が持ち込んだものである。
香春には妙見金鉱山がある。この妙見金鉱山の近傍には比口羊神が祀られている。
比口羊神が鉱山技術者の神であることから、香春では北辰信仰と比口羊神への信仰
が一対として伝えられ、それがそのまま宇佐神宮の二の御殿の比売大神とその脇殿の
北辰神との関係に置き換えられたと思われるふしがある。それでは北辰神と比口羊神
とを宇佐の小倉山で斎祀したのは誰か、ということになるが、それは渡来氏族で、宇佐
地方に誕生した辛嶋氏以外にない。大神氏は大和国中の近傍からの移住者と
思われる。また宇佐氏は土着の氏族であって北極星の信仰を持たない。総じて日本
には星に対する信仰は育たなかった。 」
http://www.sysken.or.jp/Ushijima/Den-buzen.html#anchor846664
563 :
出土地不明 :2007/07/10(火) 14:46:26 ID:pMsbcQ8g
俺も一回で良いから弥生時代の銅鐸を叩いてみたい
564 :
月光仮面 :2007/07/10(火) 16:33:28 ID:fV/rNQ87
565 :
出土地不明 :2007/07/11(水) 12:27:17 ID:0S03dfke
↑ありがとう、あなたは神です。
566 :
出土地不明 :2007/07/12(木) 15:37:24 ID:RJn9WRVq
567 :
出土地不明 :2007/07/24(火) 17:09:09 ID:siFGmn0Q
銅鐸には錫合金が使われたと習ったんですがそれはなんのためにですか??
568 :
出土地不明 :2007/07/25(水) 01:00:16 ID:w241I6zC
鋳込むときに流動性を良くする為
569 :
出土地不明 :2007/07/25(水) 12:15:37 ID:DPQrp+3A
博多銅鐸
570 :
出土地不明 :2007/07/26(木) 02:32:19 ID:gblVUUqq
ちょっと面白かった
571 :
出土地不明 :2007/07/26(木) 12:02:20 ID:ENqIyApy
弥生時代の銅鐸って貴重なんでしょうね。
572 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 01:20:10 ID:zBynsMfU
なぜ巨大化したんですか?
>572 ゴシック建築がなぜ巨大化したのか?という問いと同じ答えかと Q=神への捧げ物だから 信仰の為に持てる技術を尽くすという行為
574 :
出土地不明 :2008/02/01(金) 13:43:35 ID:chfldiHI
DT
575 :
月光仮面 :2008/02/03(日) 16:53:03 ID:+bgyMMoH
576 :
出土地不明 :2008/04/19(土) 20:28:01 ID:GTUgVKn2
>572 巨大化=権力の象徴 ピラミッドしかり、万里の長城しかり、奈良の大仏しかり、戦艦大和しかり。これは人間という生き物の本性みたいなもの。 当時の1メートルをこえる銅鐸の製作は、今では1億円を超える(はるかにそれ以上か?)事業に値いするのではないかと思う。
577 :
出土地不明 :2008/04/20(日) 04:33:58 ID:1+/+reew
銅鐸文化が消えたのは、廃仏毀釈みたいなもんだったんですかね?
578 :
月光仮面 :2008/04/20(日) 09:18:44 ID:ImWp1x/h
↑旧銅鐸圏にとっては廃仏毀釈的要素が強く、その他の地域では御一新的だったの では。山間部で銅鐸祭祀に専従するシャーマンとか、琵琶湖南部の銅鐸生産地とかは リストラのようなことでしょう。名草姫が神武に八つ裂きにされたりするのは単に銅鐸を 破砕して埋納したことかもしれません。伊勢湾西岸方面から信州・関東方向に向けて 土器製作者等の移動が起こっていますし、尾張方面では墳墓形式が前方後円墳と前 方後方墳の2種類に分かれるようになります。西南の役のような過激なことはなかったよ うですが。
579 :
月光仮面 :2008/04/20(日) 09:28:21 ID:ImWp1x/h
崇神のオオタタネコ登用、出雲神宝検校、垂仁朝の天日矛渡来などが表面的な 動きであり、その裏に隠れて銅鐸から三角縁神獣鏡への移行が進行していたのだと 思います。
580 :
出土地不明 :2008/04/20(日) 21:20:25 ID:SLT1xhim
銅鐸に描かれている絵が、原日本語を表すという説を以前聞いたが、信憑性は?
581 :
出土地不明 :2008/04/21(月) 19:32:34 ID:V3RPKH6O
582 :
出土地不明 :2008/04/26(土) 17:16:09 ID:ZhEiMyRr
583 :
出土地不明 :2008/04/26(土) 17:24:01 ID:ZhEiMyRr
584 :
出土地不明 :2008/04/28(月) 20:05:34 ID:6A10nqgj
あれっ、知らぬ間に!
585 :
出土地不明 :2008/08/25(月) 02:32:55 ID:H/Wr7mCv
586 :
出土地不明 :2008/08/25(月) 02:36:09 ID:H/Wr7mCv
じゃ瓜二つの紋様は鳥がくわえて飛んで来たのかね??答えてみろ。 一部を取り上げて否定しても駄目だぞ、全体的に一致点が多すぎるだろ これらは偶然の一致か?鋸歯紋、鋸歯紋の内部の斜線、流水紋、波紋、 窓枠様の構成等々、頭に羽の羽人像、太陽、船先の鳥(イビス神) これらは誰が伝えたって言うんだよ。答えてみろ!
587 :
出土地不明 :2008/08/25(月) 02:42:22 ID:k8Q1HXy2
588 :
出土地不明 :2008/08/25(月) 02:51:47 ID:k8Q1HXy2
589 :
出土地不明 :2008/09/01(月) 20:50:04 ID:8k1YbeSC
銅鐸と岩手南部の鉄風鈴は関係ないの? 形状が似てない? 物部氏が散らされて東北に行ったというけど。
590 :
出土地不明 :2008/09/05(金) 13:19:29 ID:Li5L3OnJ
>皆さん三足土器は東北,九州地方を中心に、数多く出土してるよ土器人に騙されないでね。 北方沿海州だの九州から出てこないだのとワメキ騒ぐので要注意!!! 1. PDF] 縄文土器は、多種多様で彫り刻む文様が組み合わさり、世界的にみても ... ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat 漆塗り皿形土器〔大洞式土器〕/. 青森県重宝. 024. /注口形土器〔大洞式土器〕 /風韻堂コレクション. /鬲状三足土器〔大洞式土器〕. /漆塗り壺形土器〔大洞式土器〕 /重要文化財. /漆塗り壺形土器〔大洞式土器〕/重要文化財 ... 1. [PDF] 青森県虚空蔵遺跡出土土器の共同研究 ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン 六ヶ所村富ノ沢遺跡と、相次いで縄文晩期の大洞式に伴って三足土器が発見されることになる。 いずれも青森県埋蔵文化財センターの正式調査による出土であり、ことに今津例はポジの雲形文 ’. とネガの工字文からなる大洞C2式ないしは聖山式特有の文様を ...
591 :
出土地不明 :2008/09/05(金) 13:20:56 ID:Li5L3OnJ
1. [PDF] 岩手県川目遺跡調査概報 草間俊一 ... ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン にほ縄文式晩期の大洞式のものが多く,第1区にほ晩期のものが僅か混入する程度で, 後期のもの .... この類の土器では図版第2図の2の如き三足土器が. 損土している. この土器の文様ほ,胴部全体を縦に六つに区劃し,その区劃は2条の沈腺によって ... 1. [PDF] 青森県虚空蔵遺跡出土土器の共同研究ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン 九州の一部で発見される三足土器について、賀川光夫氏はそれらが黒陶類似の黒色土器. と共伴することに注目し、大陸との交渉を肯定的にとらえた(賀川 1961)。この説を 支持した. のは、梅原末治氏で、瑛状耳飾りや大分県秋葉遺跡の有足土器をもとに、 ... dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/8557/1/80466_42.pdf
592 :
出土地不明 :2008/09/05(金) 13:22:21 ID:Li5L3OnJ
一九七〇年、大分県の国東半島にある重藤遺跡から鉄製の剣が木炭とともに出土した。 これをC14年代測定法で分析したところ「紀元前六九五年プラスマイナス四〇年」 という結果が出た。しかし考古学界はこれをほとんど黙殺。「鉄は弥生時代」との通説 と合わなかったからだ。 縄文式とも弥生式とも異なっていて、中国大陸最古の王朝「殷(いん)」のものと よく似たトウテツ紋様の土器片が数多く出土している。 伊木力遺跡からは、瀬戸内海沿岸特有の船元 U 式土器が出土した。 それによって、 そこの住民が瀬戸内海沿岸まで交易に出かけたありさまが伝わってくる。 大分県豊後大野市「秋葉遺跡」で、中国の青銅器そっくりによく似た三足土器が出土し ...
593 :
出土地不明 :2008/09/05(金) 13:24:54 ID:Li5L3OnJ
594 :
出土地不明 :2008/09/05(金) 16:47:42 ID:tVjiQelq
595 :
大和島根 :2008/10/30(木) 22:10:33 ID:OiSNW7tM
いま、薮田絃一郎著「ヤマト王権の誕生」が密かなブームになっていますが、 それによると大和にヤマト王権が出来た当初は鉄器をもった出雲族により興さ れたとの説になっています。 そうすると、がぜんあの有名な山陰の青銅器時代がおわり日本海沿岸には四隅突出墳丘墓が 作られ鉄器の製造が行われたあたりに感心が行きます。当時は、西谷と 安来-妻木晩田の2大勢力が形成され、そのどちらかがヤマト王権となったと 考えられるのですがどちらなんだろうと思ったりもします。 同じ出雲でもちょうど、西谷は出雲大社の近く、安来は伊邪那美尊の神陵地の近くなので神話とのかかわりにも興味が出ます。
596 :
月光仮面 :2008/11/05(水) 14:58:21 ID:UBeROv0V
597 :
出土地不明 :2008/11/05(水) 16:33:50 ID:RGAMh67B
自分の田んぼや畑を耕していたら偶然、銅鐸が出土して 自宅に持ち帰って飾っても犯罪にはならないよね?
598 :
出土地不明 :2008/11/05(水) 23:51:38 ID:d1iLNPKy
>>597 法律上は出土遺物も「落とし物」扱いなので
勝手に持ち帰って占有すると犯罪になります
599 :
出土地不明 :2008/11/06(木) 09:05:50 ID:uQ8jTbgk
>>598 サンクス
(´・ω・`)犯罪になるんだね
貴重な銅鐸だったら重要文化財として行政機関に強制的に徴集されちゃうんだろうな〜
600 :
出土地不明 :2008/11/10(月) 20:06:37 ID:GFZKLB3P
オマエラ何にもしらないんだなぁ、 銅鐸は測量機器だよ。 北斗七星を観測しながら 日本地図をせっせと造ってたんだよ! ただそれを使いこなせルテクノロジー集団が勢力争いで駆逐されて、 銅鐸諸とも、あるとき突然消えちまったんですよ。
601 :
出土地不明 :2008/11/10(月) 21:03:49 ID:9u0qCcRd
だから銅鐸は炊飯器だって
602 :
出土地不明 :2008/11/12(水) 12:16:56 ID:a3QPfFtk
銅鐸は罪人の頭に被せて外から叩いて苦痛を与える拷問器具だよ
603 :
出土地不明 :2008/11/13(木) 22:23:52 ID:KxnzM1Kp
>600 型持ち穴を兼ねている穴がヒレを挟んで30°ずつの方向に開いているから それぞれ夏至と冬至の太陽の登る方向に一致する ヒレを東西ラインに一致させて置くと、夏至と当時の日には穴から太陽が観察できる 今年も無事太陽の運行が規則正しく行われている事を喜び神に感謝する祭
604 :
出土地不明 :2008/11/16(日) 17:37:03 ID:2MUrHHCI
天体観測 宇宙観 こうした確固たる理念を持つ宗教が銅鐸圏で成立していた。つまり、それは仏教、 道教の背後にある須弥山思想と同根。銅鐸圏の人々は仏教が成立するのと同時期から同じような 生い立ちの宗教をもっていた。603さんのお話では季節を読み取るカレンダーのような役割も持っていた らしいですね。当時中国大陸は春秋・戦国の乱世。日本は太平の銅鐸時代を謳歌していた。・・・ いまさらながらわれわれのご先祖の偉大さがわかる。
605 :
出土地不明 :2008/11/16(日) 17:40:33 ID:2MUrHHCI
春秋戦国ではなく後漢・前漢の時代であったか。春秋戦国の乱世を嫌って東海の平和の島に移り住 んだ大陸の工人もいたことでしょう。
606 :
出土地不明 :2008/11/18(火) 16:02:15 ID:pCk/kMvU
607 :
出土地不明 :2008/11/18(火) 21:49:20 ID:hEmK2o+D
銅鐸は冠です。むかしウルトラマン=篠田三郎=タロウが頭にかぶっていました。
608 :
出土地不明 :2008/11/19(水) 14:43:43 ID:TYtkQhms
俺は銅鐸を王冠か兜の一種だと思っている 異議は認める
609 :
出土地不明 :2008/11/20(木) 16:32:53 ID:f9ygKH3W
X形、すなわち、斜め十文字はカラコリ-オークネフ動物図案の主要分別用シンボル、この解釈には太陽
説と黄泉の世界説があるが、雄牛の胴体部、オークネフ想像的猛獣に描かれる。
http://sibirfilm.narod.ru/RUS/proekt-bronz.files/image010.gif 「アルタイ・カラコリ文化ベショゼクの異種動物融合図案は描き方がオークネフ猛獣に近いが魔術的斜
め十字が付されている。X形はオークネフ文化石像の主要仮面・仮装図案であり、カラコリ文化において
は唯一の素朴な仮面・仮装形式である。太陽を表象するX形はハカス共和国から搬出されるオークネフ
石像に描かれ、ロシア・アルタイの丸石においても検出された。バガ・オイグル大石にあるこの図案はア
ルジャン-マイエミール期初頭、前12-9世紀のものとされる。最近エニセイ中流域カラスク遺跡のC14デ
ータからはこの年代を繰り上げ前14-15世紀とする必要がある。更にロシア・アルタイ、クルマンタウ山
クルガク及びウコク孝元ではいくつかのこれより古い前2000年紀初頭とされる象徴的異種動物融合
図案が発見されている。」
http://sibirfilm.narod.ru/RUS/proekt-bronz.files/image008.gif 上記オークネフ神像Бの頭上のX形は太陽であるからそれを90度回転したXY座標と見て太陽の天体運行、黄道と赤道の交差と四季を表現する者と見ると日本古墳時代の直弧文の起源に迫るものであり、荒神谷銅剣に残るX形は黄泉の世界、地下の世界を意味するものといえる。
610 :
出土地不明 :2008/11/20(木) 16:38:20 ID:f9ygKH3W
611 :
出土地不明 :2008/11/22(土) 15:20:34 ID:lWhS9jYa
アルタイ・ハカス・トゥーヴァ・ブリャート/ジュンガル・タリム・甘粛・青海方面と日本には 遺伝子的及び分化的関係があるが、銅鐸時代から古墳時代の長期にわたり、文化的な 連続性を維持するには新羅、高句麗、前秦のような、日本の仲介的存在、さらに、秦氏 のようにそれ自体が仲介的存在であるものが介在したのだろう。
612 :
出土地不明 :2008/11/22(土) 16:35:05 ID:lWhS9jYa
連続渦文に見られるS字、これは巴、巴形銅器などにも見られるが、石器時代の動物肩甲骨、大たい骨 から勾玉がたに転じ、隼人紋に見られる非対称渦巻き紋などにもなる。スキタイ動物文様の基本。 神戸市神岡4号銅鐸連続渦文での世界の区切り、これは宇宙樹から巴となり結界的に領域を表すもの。 日本では次第に原意は薄れる傾向にあるようだ。
613 :
出土地不明 :2008/11/23(日) 15:54:47 ID:mvLv4GOQ
オークニェフって、大国主を連想させるな
614 :
出土地不明 :2008/11/27(木) 12:02:36 ID:lY1/Wyin
銅鐸の意味を知るには、現代の観念を削いで、島根の出土先を、時間をかけて、くまなく歩いてみることですね。 ここでは、だれも報告してませんが、きっとある重要なことが、いくつかわかるはずです。 今なら、まだ出土地はそれなりの原風景が残っていますから、その意味と秘密がわかっていただけるかと思います。 どんな崇高な先生が書いた本よりも、まず直接自分の目で見て、行動することが銅鐸の意味を探る早道かもしれませんね。
615 :
出土地不明 :2008/11/27(木) 15:43:25 ID:S8t4Gmdx
出雲市東材木町青木遺跡、銅鐸が古墳に変身する頃、大国主命は出雲大社に引退せざるを得なくなる
という記紀の国譲りの記述に即したことはここで行われた。銅鐸を墓に埋めることは神様扱い。
>>609 X形は黄泉の王、素盞嗚命、それは同時に青銅器文化の象徴であった。美談社の前身であった
青木遺跡においてこれが実行され、細目は荒神谷、賀茂岩倉にて執行された。それは、銅鐸の前方
後円墳への転身であった。崇神はこの間の実情に疎く、皇太子とされる垂仁の方が出雲の事情に
詳しかった。彼らはミマカキ、イキマとして倭人伝に登場する卑弥呼の事務次官クラスなんであろう。
616 :
出土地不明 :2008/11/27(木) 15:57:57 ID:S8t4Gmdx
いかなる組織にも上納金、お布施、お賽銭、シノギといった収入があってこそシステムは働く。近畿、 三遠の銅鐸圏にそれがなかったといえば、ヤマトタケルも税収不足で息吹山で不自然に白鳥に化け る必要も、草薙の剣を熱田神宮に残す必要もなかった。大地の神、黄泉の世界を治めるスサノオへの お賽銭に変わり、銅鏡の配布を受けた主張は大和朝廷に納税の義務を負う筈であったが、ヤマトタケルは 駒ヶ根では娘の提供を受けたり、各地で鬼達と戦ったりしている。
617 :
出土地不明 :2008/11/27(木) 16:01:35 ID:S8t4Gmdx
古代は天皇といえども手元に贈答品を持ち合わせない場合、芸を見せないと渡し舟にも乗船を 拒否された。銭金にはそれほど厳しかったのである。
618 :
出土地不明 :2008/11/27(木) 17:31:23 ID:S8t4Gmdx
スキタイを初めとするユーラシア動物文様におけるX形には、大地、黄泉の国の意味と共に、太陽の 意味があるが、後者は日本においては木曾の「サルボボ」に如実な形を見ることが出来るとともに、 猿田彦の意味もサダルと言う解釈の他に太陽神の解釈を許す。
619 :
出土地不明 :2008/11/30(日) 21:16:11 ID:mCwqeRsG
銅鐸は、夏至と冬至の祭りの時しか出してはいけなかった 夏至は太陽が最も力強くなる日、つまり陽 冬至は最も弱くなる日、つまり陰 夏至の祭りには水を捧げ、冬至の祭りには生贄を捧げた 祭りが終わると神官は銅鐸を山に埋めに行き、埋めた場所を明かしてはならなかった
620 :
出土地不明 :2008/12/01(月) 08:41:24 ID:OKv4meFk
山の峰の位置、夜の星の位置、日の出の太陽の位置、自然界の移り変わりから季節を読み、 前回埋納の場所を思い出す。その行為自体が神がかったことであったのだろう。
621 :
出土地不明 :2008/12/03(水) 21:01:58 ID:KH8u/OT/
夏至と冬至の日、銅鐸を出してきて日の出の太陽が拝める場所で祭りを行った 銅鐸は、神官の手によってヒレを正確に東西の線に一致させて置かれ、日の出を待った いよいよ日の出の瞬間、神官に促された首長は銅鐸に顔を寄せて型持ち穴を覗き込む この特別な日の太陽光線は、ヒレから30度の角度を持って設けられた小さな型持ち穴を、真っ直ぐに射抜くのだ 首長は型持ち穴を通して太陽を遥拝すると、この日この瞬間、昨年と同じ位置に今年も太陽が来た事を居並ぶ皆に告げる 太陽の運行が今年も異変無く行われていると、日の光は今年も人に有益に働くであろうと、その確認が行われたのである 夏至は太陽の力がいちばん強まった日である、だから旱魃を引き起こさないように、太陽には水が捧げられた 冬至は逆にいちばん力が弱まる日である、この日を境に太陽の勢いが回復するようにと、動物の生贄が捧げられた このように銅鐸は太陽の運行を見守る祭器であり、首長は太陽の動きを己が目で確認するという神事を行っていたのだ
622 :
中腹埋蔵 :2009/02/16(月) 23:05:14 ID:gJEMgPHG
初めまして。鳩摩羅童子という人が次の様に言っていますので、紹介します。 @ 日本の銅鐸とは、 A 女性器【下の開口部は、大陰唇[だいいんしん]、上の先細筒部は、膣[ちつ]・産道に対応】をシンボル化したもの。 B また、真上に乗っている半ドーナッツの取っ手は、実は子宮を模している、のカモ。小さめな子宮。 C 安産・多産・収穫(海/山/畑/豊年満作)の祈願のための道具。 膣(ちつ)は、土(つち)に返し、山の中腹に埋める。あえて言うなら、 山道(さんどう)に産道(さんどう)を埋める。 何故、山の中腹か ---それは、女性器は、横たえた身体の、またぐらの、恥骨(山頂)と、尻部(山の下)の真ん中ほどに位置するから。 D 日本の古代人の美的センスの抽象度は、低くない。 文明が進むと、真意を知った時の権力者は、その卑猥な形を拒否した。 (公衆の面前でそうゆう物を飾ってもらっては、困る[=公序良俗、風俗法に反す]、と。 --- その代わり、もっと大きくして、皆に見えるようにして、神社への渡り道を参道[さんどう]、と呼ぶようにしてあげるから、 「それで勘弁してチョ」と交渉したら賛同(さんどう)を得た、とさ?。 めでたし・めでたし。 ウッソー??。 あるいは、「その意を前方後円墳で代替するから、勘弁してチョ」と言った。--- 銅鐸の巨大化は、違う形で受け継がれた(be inherited)、ことになります。) ..... 新政府は、知恵者ですネ。 E また、内側面には、中の舌(ぜつ、と発音)と呼ぶ(風鈴)棒のぶつけ先としての先突起腺状の出っ張りが水平についている (当初は1本。後期になると3本というのも現われた、そうな)。 →銅鐸作者は、これを、クリトリス、あるいは、小陰唇[しょういんしん]ですヨ、というかも知れない。
623 :
出土地不明 :2009/02/17(火) 10:39:31 ID:TwqbXLnY
鐘には道成寺にあるように女性の情念といったものを連想さすところはある。しかし、銅鐸の埋納は 広義において中国東北・朝鮮半島にも見られる青銅器埋納の一貫であり、しいて女性的といえば 製造工程で出現する液相金属と水等に見られるなよなよとした蛇のような特徴に水の神を見ようとした ことによると考えるのがいいのではないか。
624 :
出土地不明 :2009/02/18(水) 15:18:47 ID:SegijuW1
全くの素人の意見なので御伽噺と思って読んで下さい。 銅鐸は各集落に設置され(家屋などに紐で吊るす?)、叩いて音を鳴らすための ものだと思う。山に埋められたのは、敵対勢力に没収され歴史から消し去ろうと されたから。鐘の音で人々の心を綺麗にし、より一層宇宙の真理と共鳴しやすくする もの。銅鐸自体が大事ではなくて、その音を媒体として万物森羅万象と共生して、その 中での人間の役割や尊い生き方を忘れない為、心を研ぎ澄まし万物創世の神と自然に 感謝する事、愛を忘れない為に使われた。天皇はそういう精神を体現し人々を導くもので、 宇宙や自然との交信者。そういう社会に秦氏など大陸勢力が侵入し、権力と物欲に重きを 置くシステムを持ち込み、天皇は形だけの存在に成り、神との交信のかわりに軍事力と富 の頂点に立つものとなった。 秦氏は、自然と調和した足るを知る豊かさ、澄んだ心から来る神との交信こそが人間にとっての 真の幸せであり、無限の可能性をもたらすと考える時代から、自然を征服し、物質的な力の ある物が恐れと渇望感で人を支配するように、人間の力の方向性を変えた。
625 :
出土地不明 :2009/02/18(水) 15:43:05 ID:kjL7l52Y
626 :
出土地不明 :2009/02/21(土) 14:20:40 ID:mFmEmdjA
>621 お馬鹿な机上の空論。 日本の天候は雲や雨や雪が多いので、都合よく日の出を見られるとは限らない。 引きこもってないで、早起きして本物の日の出ぐらいみたらどうだ。 夏至・冬至・春分・秋分など、日本ではプラスマイナス何日かの余裕の中で観測せざるを得ず、あまり厳密な意味を持たないことがわかるだろう。 これらは暦そのものを作るようになってからの後付の節目に過ぎない。
627 :
出土地不明 :2009/02/21(土) 23:12:58 ID:+7CAFAV1
>626 アメノウズメを呼んで来たらいいだけの事だろ クズ!
628 :
出土地不明 :2009/02/21(土) 23:17:43 ID:+7CAFAV1
>日本の天候は雲や雨や雪が多いので・・・ >日本ではプラスマイナス何日かの余裕の中で観測せざるを得ず・・・・ 踊って飲み明かしているうちに天候が回復する、それまでアメノウズメが銅鐸の上で踊ったのさ
629 :
出土地不明 :2009/05/04(月) 15:43:29 ID:wKqj6Adn
つまりテルテル坊主の起源は銅鐸なのですね
630 :
出土地不明 :2009/08/31(月) 02:14:41 ID:JdW2R4Ez
手頃なレプリカが欲しくて、ググったら売ってる情報とかは見つかったけど ネット販売じゃないから詳しいデザインとか材質とか値段とか分かんないな レプリカ持ってる人いたら、大体どんな感じの銅鐸を何処で買ったか参考にしたいので教えてくれませんか お願いします。
631 :
出土地不明 :2009/09/04(金) 16:14:42 ID:pQh0ETl5
632 :
出土地不明 :2009/09/10(木) 09:57:00 ID:mUZ8VuGF
古代人の見分け方 ヽ ヽ 8(^ω^)8┐ 8(^ω^)8┐ ┗-ヽ ノ ┗-ヽ ノ ┏┘ ┏┘ (1)脚を開かせよう ヽ / ヽ / 8(^ω^)8 8(^ω^)8 ┗-ヽ ノ-┛ ┗-ヽ ノ-┛ (2)股間をよく観察しよう ヽ / ヽ / 8(^ω^)8 8(^ω^)8 ┗-ヽ ノ-┛ ┗-ヽ ノ-┛ (3)性器の様子で男か女か分かる ヽ / ヽ / 8(^ω^)8 8(^ω^)8 ┗-ヽ ノ-┛ ┗-ヽ ノ-┛ 男 男 この場合はどっちも男。簡単だね。
633 :
出土地不明 :2009/12/07(月) 14:19:26 ID:g5Q0BEu3
銅鐸のぬいぐるみがあったら欲しいな
634 :
出土地不明 :2009/12/08(火) 09:48:33 ID:dNRCCj0V
ドータクンのぬいぐるみならあるらしい
635 :
出土地不明 :2010/01/14(木) 12:32:57 ID:B387OA/4
鈍いの銅鐸ってあるんですか?
636 :
出土地不明 :2010/05/02(日) 22:36:09 ID:DogSbwQF
銅鐸の模様に、「餅つき」と「鶴と亀」があって驚いた。 鶴亀は健康と長寿の象徴だろうか? 銅鐸は作られなくなっても、そこに描かれた風習は今も残ってるって、 すごいよね。
637 :
出土地不明 :2010/05/25(火) 19:44:59 ID:vUu3V6S7
>>636 逆に、三角縁神獣鏡の模様は、実生活とは関係ない精神世界を描いているから訳解らない
638 :
出土地不明 :2010/06/29(火) 20:02:11 ID:i8moNc3Q
三角縁神獣鏡の仙人が被る「三山冠」って ヨーロッパの王冠に似てるね?
639 :
出土地不明 :
2010/07/01(木) 10:08:10 ID:XvF/hLpw 朝鮮半島南部、かつて縄文人が交易コロニーを作っていた東三洞(今の釜山)は 縄文時代より日本列島人のテリトリー。そこが弥生時代と古墳時代にも 倭人のテリトリーだったのは(魏志倭人伝に記述)、当たり前田のクラッカー。