扶余族

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140出土地不明
銅鐸と神獣鏡は村の祭りから首長墳副葬品へと、その環境、目的が異なるが、動物を象徴する
ものを大地に埋葬し、死者の現世から冥界への旅に随伴し、冥界において使者の周辺に生まれ変わり、
死者を葬送したものには魔力を付与するという考えは、バイカルから中国東北(満州)に伝わり、やが
ては半島南部での青銅器埋納儀式につながり、それは、銅剣銅矛・銅鐸青銅器の埋納として列島で
開花する
141出土地不明:2008/11/18(火) 15:26:40 ID:pCk/kMvU
満州にあった農耕民族・文化が無文土器として半島に南下する以前、その文化はバイカルの遊牧・
牧畜文化と共通する動物埋納儀式を持っていた。それが満州においては青銅器文化の影響の下に
象徴的青銅器埋納にと変化した。銅鐸は単なる埋納物であった無文小銅鐸をハードとしてそれに
宇宙観等を袈裟襷文、結界を連続S:字帯等で表す有文の祭器として、鹿石の前身であるエニセイ
オークネフの三眼神像(これはアーリアが仏教に入るようにチベット・アフガニスタンを経由ヒンドゥー
文化に入り、その移動の後はパキスタンのチラスに残る)と関係する。
142出土地不明:2008/11/18(火) 15:35:13 ID:pCk/kMvU
オークネフ文化は高地性集落、山城建設、青銅器、馬を持つ文化であり、ユーラシアの三界宇宙観、
第三の目に表される観自在菩薩の基となる思想と天体観測により前後数万年の天体位置を計算し、
画像化して表現する能力を持っていた。銅鐸のソフトウェアーとして袈裟襷文様の中に描かれる
内容はオークネフメンヒル、鹿石から続くもので現在も地蔵、馬頭観音、賽の神として生き続けている。