【知名度ゼロ】スレも立たないマイナーな地名in札幌【その十五】

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地名を聞いてもいまいちピンとこない札幌市の地名をあげましょう。
知名度ゼロ、名所ゼロの土地へ実地調査へ行き、見所を見つける良スレです。

「その一」から「その十四」までの過去ログはこちらでご覧になれます。
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/ 

      Special thanks!! Mr.161

【前スレ】
【知名度ゼロ】スレも立たないマイナーな地名in札幌【その十四】
http://hokkaido.machi.to/bbs/read.pl?BBS=hokkaidou&KEY=1082972996
2なまら名無し:2004/07/13(火) 20:05:51 ID:Ovq6SJ66 [ p4254-ip02sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]

長文レス、自粛しようよ。
3牛鍋蝸牛 ◆1lr/tj5942:2004/07/13(火) 22:11:04 ID:PRe3Ul6I [ U123224.ppp.dion.ne.jp ]
>>2さん。
前スレが残っておりますので、そちらを使い切ってから新スレを使用していただきい。
よろしくお願いします。
4k:2004/07/14(水) 16:53:44 ID:lkle5hbo [ customer71-242.mni.ne.jp ]
馬鉄の軌間の件
「札石」の1372mmというのはどこから出てきたのですか。危なくとんでもない「定説」
が生まれてしまうところでした。この方面で最も確かだと思われる資料としては、和
久田康雄著「私鉄史ハンドブック」がありますが、ここでも馬鉄時代は軌間762mm、
1918年電化及び改軌1067mmとなっています。
1372mm軌間というのは、実は東京周辺に特有な軌間であり、東京都電、旧横浜市電など
がありますが、北海道ではどういうわけか、函館市電がこの軌間を採用しています。
>>前スレ287 元東月寒人様
鉄道関係の趣味雑誌はいくつかありますが、私は「鉄道ピクトリアル」がやはり一番よい
と思います。
5k:2004/07/14(水) 17:03:08 ID:lkle5hbo [ customer71-242.mni.ne.jp ]
再度元東月寒人様
前レスよく読まないで書き込み、たいへん失礼しました。「鉄道ピクトリアル」
の報告は89年3月号ですので、昭和60年からはだいぶたっていますが、おそらく
そうだと思います。
6真駒内川:2004/07/14(水) 17:42:44 ID:odvJr0Gg [ pdd2fe1.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
以下のサイトは既出でしょうか。(過去レス探し切れません<m(__)m>)
http://white.freespace.jp/layla/
7牛鍋蝸牛 ◆1lr/tj5942:2004/07/14(水) 20:21:50 ID:PR6j6Bro [ y065246.ppp.dion.ne.jp ]
ということで、改めまして新スレに突入。
前スレからの流れも含め、順番に整理しましょう。

前スレの299.
毘沙門天さん、お初でございます。
「その九」まで読まれたわけですね。
早めの参加をお待ちしております。

>>2さんへ。
「長文レスはサーバーに負担を掛ける」という理由でしょうね。
確かに本スレは、他スレよりレスが長文になる傾向があります。
が、本スレの、地名を調べ、史実を扱うという性格上、必要な情報を書き込めないのであれば、レスの意味がありません。
無理に短文にしても、レス数が増え、すぐにスレが満杯になってしまうのではないでしょうか。

ワシの場合、引用文はなるべく要約をするよう心がけ、関連サイトはリンクを利用、レスの小分けをするなどの努力はしているつもりでおります。
レスはWordで下書き、推敲してからOpen Janeにコピペして、再度推敲してから書き込んでいます。
ということで、実は実際のレスよりかなりの量を書いております。

ちなみにローカルルールを改めて確認してみましたが、長文レスに関する規制はありませんでした。
要は意味のないレスが問題なのであって、長文がすべていけないとは認識しておりません。
ご理解いただきたいと思います。
8牛鍋蝸牛 ◆1lr/tj5942:2004/07/14(水) 22:48:37 ID:PR6j6Bro [ y065246.ppp.dion.ne.jp ]
そうそう、真駒内川さん、ワシも訊きたかったのです。
「札石」の1372mmって、出所はどこなんでしょう?
後学のために教えてください。

>>6
「絵葉書の世界」は「その四」、「五」、「六」で既出でした(w
ただ、さっき確認したら、「四」で貼ったリンクはいつの間にか、コスプレ小説のサイトに変わっていました。
以前にご紹介しましたが、過去スレの検索には、
https://sw.vector.co.jp/swreg/detail.info?srno=SR019702 
「WideGrep」を使うと非常に便利です。
ワシもこれ愛用しています。

懐かしい。SIMCITY2000、よくやったなぁ。
で、今日SIMCITY4買っちゃったよ。
9真駒内川:2004/07/15(木) 00:27:00 ID:9zlecW1c [ p624189.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
これでんがなぁ〜、
http://www2s.biglobe.ne.jp/~kk-nishi/
九州の鉄オタのサイトが書いてたのを鵜呑みにしてもうたがな。
えろうすんまへんでした。
10真駒内川:2004/07/15(木) 12:50:50 ID:71KXJ806 [ pdd74e5.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
「絵葉書の世界」の札幌#120は帝国製麻の写真のようですが、
左側に写っているのは台車状のモノはもしかして札北の終点「帝国製麻前駅」?。
線路っぽいモノも見えるし、遠くには客車らしき影も...。
それともまた勘違いかしら。(鬱..._| ̄|○
11牛鍋蝸牛 ◆1lr/tj5942:2004/07/15(木) 22:34:40 ID:upTkRCeU [ U125109.ppp.dion.ne.jp ]
>>10
確かにそう見えます。
でも、線路が手前で左(創成川方面)へ曲がっていっていますね。
道路の幅とか問題だけど、どうなんでしょうねぇ。
同社は、建物の形も時代でどんどん変わっているので、なんとも判断が難しい…。

話しはものすごく遡りますが、「札北馬鉄 川端駅」のこと。
この駅は茨戸川(旧石狩川)の舟運との連絡のための駅でありましょうから、ワシとしてはその船着場の正体をどうしても知りたかったのです。
で、「いしかり暦第9号 創立35周年記念特集号 いしかり渡船場物語」(石狩町郷土研究会 1990年3月)に出てくる「茨戸渡船場」がどうやらそいつらしい…。

体調も良くなったのですが、今日はもう寝ます。
また、明日にでも。
12元東月寒人@琴似:2004/07/16(金) 01:09:27 ID:GFuiVL1M [ snjk015k031.ppp.infoweb.ne.jp ]
>>10
この写真とほぼ同じ構図のが、札幌歴史写真集(大正編)にあります。(川側の部分は写っていませんが。)
木の成長や植栽の場所と塀の状態から見て、若干、撮影時期が古い様です。
また、レールが建物正面をまっすぐ通っており、「絵葉書の世界」の写真と異なっています。
13真駒内川:2004/07/16(金) 09:51:38 ID:ACdScKLE [ pdd2fed.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
14牛鍋蝸牛 ◆1lr/tj5942:2004/07/16(金) 21:22:23 ID:HOxbVxsM [ U124041.ppp.dion.ne.jp ]
ttp://ambitious.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/title.cgi?capital=te 
"アンビシャス"に「帝国製麻」の写真が数枚あります。
でも、昨日もかなり時間をかけて見たのですが、どうもイマイチ分からない。
>>13
あ、これも見たのですが、やっぱり分かりませんでした。手ごわいでんな。

ほぃでもって…。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1073 
「札北馬鉄 川端駅」と連絡したであろう「茨戸渡船場」の位置です。
「いしかり暦第9号 創立35周年記念特集号 いしかり渡船場物語」(石狩町郷土研究会 1990年3月)より。

先日、大雨で新潟県地方が大きな被害を受けましたが、奇しくも同書に茨戸川氾濫時の渡船の運行状況が描かれています。
渡船場の仕事をなすっておられた井利元氏のお話しです。

「(略)しかし茨戸側が大変だ。あたりは一面の大海原、年によって差があるが大体三番通あたりで止まるのが普通だが、最もひどかった記憶としては札沼線の陸橋(当時はなかった)を越え、今の中央バス北営業所の処まで漕ぎつけた。エンジン付きの馬船は浅瀬があるとスクリュウ破損の心配があるので使はず、三人こぎの舟で二時間半もかゝって到着する。こうして荷物や人をガソリン軌道に移し、用足し帰りの人を何時間か待ってからの帰航となる」
こいつも興味深いエピソードですなぁ…。

またまた奇しくもなのですが。
ここ数日で、市電運行の民間委託が取りざたされていますね。
前スレでもご紹介いたしました通り、「札石馬鉄」が市に営業を譲渡したのは昭和2年。
それから早80年…。
軌道は民間の手に戻るのでしょうか。
15女奈仁川:2004/07/16(金) 22:26:26 ID:OSSWIsTU [ p7149-ip04sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
よう司
16横丁:2004/07/17(土) 02:18:01 ID:XOmz25UA [ p47-dna18toyohira.hokkaido.ocn.ne.jp ]
皆様お久しぶりです、横丁です。
札石馬鉄といえば、「助川貞次郎(貞ニ郎?)」が思い出されます。
『市電の父』とか呼ばれてる人のようですが、以前読んだ「物語・薄野百年史」では
結構ボロクソにかかれていたような・・・。でも図書館で借りた本だからよく思い出せません。
札北馬鉄は帝麻関係の停留所が2つあるのは、やっぱりそれだけ物量や人の乗降が多かったんだなぁ、
と思わせられます(ちょっと関係があるもので)。

前スレ239の
ttp://www.sakaekita-e.sapporo-c.ed.jp/04machi/keiba.htm
ですが、「平田船」というのが気になります。単純になんで「平田」なのかしら?というところで。

最近の気がかりは「東札幌市」です。コテハン‘横丁’としては複雑な気分です(笑)。
ttp://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20040709&j=0023&k=200407092393
やりかけのままの横丁/横町問題もいつの日か解明します(書物は色々あたってます)。
前スレ198 とろんとろんさんの情報も参考にしつつ・・・。

あと、ジャスコの東苗穂に行ったら「雁木街道 路地裏横丁」という、いくつかの店が集まった
スペースがあって、そのネーミングをみてニヤっとしてしまいました(笑)。
17牛鍋蝸牛 ◆1lr/tj5942:2004/07/17(土) 22:08:53 ID:QgYYLTKE [ y065045.ppp.dion.ne.jp ]
横丁さん。
横丁/横町問題の解明、期待しております。

「ひがしさっぽろ市」問題は、ワシも「どうなることやら」と、多少気をもんでいます。
近辺の大都市に倣った自治体名は全国にいくつかありますが、その名称が明確なアイデンティティを持つのかというと、それは疑問です。
あまつさえ、その本家である自治体(札幌市)ですでに使われている名称と同一であるわけです。
しかも、所謂「平成の大合併」は政府の都合で推し進められている事業です。
これは地名の正常進化とは無縁なのですから、もうちょっと冷静に考えて欲しいものです。
関係各位には、何でも経済効率で決めると判断を誤りかねませんよ、と申し上げたいね。

あ、さて、なぜ「平田舟」か?というご質問ですが、推測ですが聞いてもらえますか?と言いつつ、勝手に書きますけど。
「平田舟」は帆のついた底の平たい船のことを言うそうです。
つまり「平板舟」が転じて、「平田舟」と。
「創成川」は既出の通り、パナマ運河方式(実はその前に出来ていた)で、閘門を開けたり閉じたりして、水深を調節したくらいですから当然、水量は少なかったと思われます。
そこで、浅い水深でも運行できる平田舟の出番ですがな。
こいつなら、多少の浅瀬でも引っ掛からずに進めますもん。
どうでしょう?この水も漏らさぬ、鉄壁な論理。
18牛鍋蝸牛 ◆1lr/tj5942:2004/07/17(土) 22:26:40 ID:QgYYLTKE [ y065045.ppp.dion.ne.jp ]
>>16の横丁さんのレスにインスパイアされました。
「札北馬鉄各駅」の設置場所には、それなりの理由があると思います。

横丁さん仰せの通り、帝国製麻関連駅が二つというのは、やはりその時代背景が感じられます。
旧石狩川(茨戸川)舟運との連絡には「川端駅」が必要だったのでしょう。
琴似方面との交通の要衝である地理的な利点で、「中島駅」は設置されたと思いますし。

では、皆さん、その他の駅に設置理由も知りたいとは思いませんか?
いや、この件、何にも調べていないので、今思いつきで書いただけですけど。
1918丁目:2004/07/19(月) 11:39:14 ID:tvq3ZlHw [ p4236-adsau04sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
牛さん「さっぽろ公園事始」執筆お疲れ様でした。

かなり濃厚な内容でしたね、とっても良かったと思います。

従来の歴史書などで偕楽園や清華亭について言及しているものより、数段分りやすいですね。
荒井氏の東皐園の章も良かったです。
早くも次号が待ち遠しい18丁目です。
20とろんとろん:2004/07/19(月) 17:14:15 ID:ppqbJkHw [ p4102-ipad202sapodori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
またもごぶさたしております。とろんとろんです。

で、牛鍋さんも間違えた、「札幌飛行場」関連の話で
私も少し、間違えてたんだな。といふことで「札歩路」の
2004年7月15日号の「わいわい界隈」から
記事を起こして訂正します。
以前私はhttp://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/8_log.html#112 で、
>ブロンズ像は現在正門の奥に住んでおられる坂さん、
>といふ彫刻家の方によるもの
と書いていましたが、坂氏は既に故人であり、
札幌飛行場門柱の奥にある「陶工房空」の現在のオーナーで
陶芸教室の講師でもある加藤和何子さんはなんでも
最後の札幌飛行場長のお孫さんにあたる方なのだとか、
といふことで。申し訳ない。

それで「ひがしさっぽろ市」問題ですか。
まあ南幌は飛び地状態で積極的に参加する意志がなさそうなのだけど、
単に栗山と由仁だけなら「ひがしさっぽろ」にこだわる必要がない
(もしそこにだけ執着して決定してしまうなら、よほどの
熱狂的で奇特なコンサファンでもないかぎり、栗山・由仁方面に
近寄りたくはないな、といふ印象を受ける)ように思えますがねえ。

んで栗山・由仁方面に絡めて最近ここで話題の「札北馬鉄」とも
絡めそうな、ホテルやクワハウスは順調だけど「お菓子のテーマパーク」
構想は曲がり角なところにシャトレーゼがあるとは思いますが、
「お菓子のテーマパーク」は似たような発想を持ち、またサッカーの
スポンサー同士でもある(シャトレーゼは「ヴァンフォーレ甲府」の
背中のゼッケンスポンサー。テンコーに替わってゼッケンスポンサーに)
石屋製菓とてだも折り合いをつけて、折角近くにこの「札北馬鉄」ゆかりの
土地を持ちかけてはいるのだから、この近辺の交通機関を所持する
構想なりなんなりすりゃあいいとも思うのだけど。

 あと、「札北馬鉄」関連でちと気になっているのは、元帝国製麻の
あったすぐ北の位置になんで札幌駅の駅弁で知られる弁菜亭が存在するのか、
そのあたりの奈辺にもなんかヒントがありそうな気がしますけど。
21牛鍋蝸牛 ◆1lr/tj5942:2004/07/19(月) 21:44:36 ID:9miKbYR2 [ N045177.ppp.dion.ne.jp ]
>>19
「季刊札幌人」(夏号)、出版されたようですね。
まだ、完成品見ていないんです。

今回は「公園特集」ということで、編集主幹より「偕楽園で書いてたも…」と、依頼を受けました。
本スレで勉強させていただきましたことを元に、新ネタも豊富に付け加えておりますのよ。
ほほほ。
2218丁目:2004/07/20(火) 01:23:58 ID:qeSCL8A. [ p13071-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
このスレでは馬鉄、札幌人では市電と来た日にゃ、バスの立場は?
ということで、鉄道も含めた全ての路線の沿革が分ると、私が前スレ(その14)
で言っていたような、SIMCITY的な札幌の歴史総合鳥瞰図が描けるのではないかな
なんて思っています。

市内バスでとっても気を惹かれるのは、昭和20年4月〜8月までの決戦非常措置残存路線です。

札幌市営
札幌駅(北8東1)北16東1
同(北5東2)本村線
同(北8) 大覚寺
大通西19(北1)琴似駅前

北海道中央乗合自動車株式会社
豊平(月寒)二里塚 (豊平月寒間は折返し運行、月寒二里塚は2往復のみ)
札幌 石狩 (札幌茨戸間5往復運行、札幌石狩間9往復運行。連行共)

たったの5路線に縮小運行されていたのですよ。
この決戦非常措置残存路線とは、内閣の閣議決定された要綱に基づき北海道警察部
と北海道乗合自動車運送事業組合が緊密に検討を繰り返し、バスの運行が真に必要
な路線のみを選定し、運行回数を最小必要限度に止め、その他の路線は全面休止と
いう文字どおりの非常措置だったようです。
上記5路線の起点、経過地、終点の様子を思い描いた時、現在とは異なる地域特性
が見えてくる気がしませんか?
23横丁:2004/07/20(火) 20:19:09 ID:oBO0vE3Y [ K098058.ppp.dion.ne.jp ]
>牛鍋さん
平田舟の件、ありがとうございます。
「札幌人」読みました。そして偕楽園へ行ってみましたが日曜ということもあり、
某家電量販店では駐車待ちの車がズラーッと並んでいたので、諦めて周辺をぐる
ぐる周って帰ってきました。

あと、偕楽園へ行く前に
ttp://www.city.sapporo.jp/kitaku/rekishi/88sen-2.html#44
のアカマツを見に行ってきて疑問に思ったのですが、過去レスの停車場地図
をみると北41東1側に「製線所前」停車場がありますよね?。
これに対して製線所があったのは現在の麻生町側。
札北馬鉄の引込線は「製線所前」から川を渡って設けられていたということ
なのでしょうか。
24横丁:2004/07/20(火) 20:23:05 ID:oBO0vE3Y [ K098058.ppp.dion.ne.jp ]
>とろんとろん さん
気になったのでちょっと調べてみたのですが、

弁菜亭を経営している札幌駅立売商会は確かに「北8東2」で、
現・テイセンの近くであることがわかります。
ttp://www.ekiben.to/kaisyagaiyou.htm

ところが、北区役所HPによると
ttp://www.city.sapporo.jp/kitaku/rekishi/epi2-34.html
調理場が「北6西5」にあり、昭和59年に東区へ移転とあります。
この「北6西5」というのは今でいう某家電量販店の位置であり、
文中の「東区へ移転」の移転先がおそらく現在の弁菜亭の辺りと推測できます。
これだけをみると、札北馬鉄と弁菜亭は関連が薄いような気がします。
しかし、北6西5にあったのは「調理場」とあるのでなんらかの拠点が
現所在地(北8東2)にあったのかもしれません。

以下余談ですが、
弁菜亭HPの駅弁資料館によると、「札幌」の駅弁発祥は明治23年、
営業人は高田文蔵さん。
ttp://www.ekiben.to/siryoukan.htm
・明治23年 「高田文蔵」他6名により駅弁誕生
・明治32年 「高田文蔵」に変わり、比護与三吉(比護屋)が営業人になる。
とあります。
ちなみに弁菜亭(札幌駅立売商会)の現在の代表者は「比護了造」さん
ttp://www.ekiben.or.jp/hokkaido/sapporoeki_m.html

しかし、またまた北区役所HPによると
・「札幌駅」の駅弁は明治23年「比護与三吉」らによって始められたとあり、
同じ文中に2代目・比護政与さんのコメントが載っています。

さて、さっぽろ駅弁事始は一体どちらの手によるものなのでしょうか。
比護さんが「他6名」のうちの一人ということも考えられますが・・・う〜む。
25k:2004/07/21(水) 09:49:54 ID:HAq7.57Q [ customer71-242.mni.ne.jp ]
>>23 横丁さま
札北馬鉄の製線工場引き込み線の件。当然橋がなくてはならないわけですね。
しかし、馬鉄の場合、レールの間を馬が歩くわけですから、鉄道の橋のように
なんというか、はしご状の橋ではだめで、道路として馬が歩けなければなりま
せん。それでおそらく、馬鉄の専用の橋ではなく、既設の道路橋の上に引き込
み線が設置されていたものと考えられます。
26牛鍋蝸牛 ◆1lr/tj5942:2004/07/21(水) 10:38:52 ID:Iw7FdK2A [ N046236.ppp.dion.ne.jp ]
>>23
「偕楽園」は普段あまり人もこないので、駐車スペースがあれば路駐できます。
でも、違反には間違いないので、その辺よろしく。

「帝国製麻琴似製線工場」への馬鉄引込み線問題(問題でもないけど)は、まさに>>18で書きましたように、馬鉄駅の設置理由に関係してくると思います。
あ、もしかしてご存じない方もいらっしゃるかもしれません。
「麻生(あさぶ)」という地名は、この「帝国製麻琴似製線工場」にちなんで付けられた名称です。
したがって、決して「あざぶ」などと呼んではいけません。
「あさぶ」です。
地下鉄でも「あさ〜ぶ!あさ〜ぶ!」と言っていますよね。

で、根本的な疑問なのですが、はたして、「札北馬鉄」で製線の原料や完成品の輸送はされたのでしょうか?
もしかして、駅の名前だけ「製線所前」だったってことはないのでしょうか?
というか、「製線」ってナニ?
「帝国製麻札幌支店」は現在の「テイセンホール」にちゃんとあったわけで、「製線」という工程の工場がなぜ、後に「麻生」と呼ばれる土地に出来たのか?
さっき調べてわかったこともあれば、わからないこともある。

とりあえず「札幌人」もらいに行ってこよう。
27k:2004/07/21(水) 11:39:46 ID:HAq7.57Q [ customer71-242.mni.ne.jp ]
>>26 牛鍋蝸牛様

「製線」とは、くわしくはよくわからないのですが、乾燥された亜麻の茎から
繊維を分離する工程であり、その工場がここにあったというわけです。そして、
ここで製造された繊維が北7東1一帯の帝国製麻の工場へ運ばれ、ここで布や糸
となっていました。この原材料や製品の輸送に馬鉄が用いられたかどうかは私
もわかりません。
なお、亜麻の布や糸を製造する工場はここだけでしたが、「製線工場」は道内
にほかにいくつかあったようで、それて゜「琴似」製線工場といっいるものと
思います。
それから帝国製麻がテイセンになったのは、戦時中の企業整備で「帝国繊維」
という社名の会社となり、その略称としてテイセンとなったものです。
28牛鍋蝸牛:2004/07/22(木) 21:03:13 ID:SScW/I1k [ y065005.ppp.dion.ne.jp ]
え〜、ノートパソコン購入したのですが、LANへの接続がうまくいかず、そのうちに元々の自作PCまでドツボにはまってしまいました。
復旧までしばらくかかりそうな雰囲気です(泣
ということで、みなさんよろしく。
とほほ。
29なまら名無し:2004/07/23(金) 11:48:21 ID:w8oFysqg [ EATcf-426p33.ppp15.odn.ne.jp ]
>>28
え〜、報告しなくていいです。
30横丁:2004/07/24(土) 12:59:47 ID:EAEW8w5I [ H016249.ppp.dion.ne.jp ]
7/24北海道新聞に以下のような記事が出ていました。
「東さっぽろ市」問題に絡んで、札幌の「東札幌」の地名の由来についての記事で
町内会長さんの話によると、という引用符つきではありますが・・・。

「同地区に「東札幌」の名が付いたのは一九六一年。それまで横町・北町という
二つの町内会があったが、人口急増に伴う区画整理で一つになった。最終的に
札幌市議会に持ち込まれて「東札幌」に決まった。近くにJR千歳線「東札幌駅」
があったことなどが決め手となったと言う」

な〜んか、違うような・・・。
31牛鍋蝸牛:2004/07/25(日) 23:45:32 ID:khih.2k2 [ N047068.ppp.dion.ne.jp ]
暑い日が続いています。
ネットワークの復旧までは行っていませんが、なんとかPCを以前の状況まで戻しつつあります。

先日、「札北馬鉄」と「帝国製麻製線工場」の関係を調べるために、「麻生」に実地調査へ行ってきました。
地下鉄麻生駅はかなりメジャーですが、一歩中へ入るとなかなか「麻生」って面白い街です。
これは発見でした。
画像のアップ、近日中にします。
ざっと、文献を調べたところ「製線工場」と「札北馬鉄」は、直接の関係はないような気がしています。
32牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/07/27(火) 22:27:33 ID:Q7HHE44M [ U125191.ppp.dion.ne.jp ]
というわけで、遅まきながら「札北馬鉄」で「麻生」にたどり着きました。
「地下鉄麻生駅」といえば、数ある地下鉄駅の中でもかなりメジャーな駅でしょう。
ここから北区や近郊の街(石狩や当別)へ、バスやJRで連絡しているわけです。
しかし、これが「麻生町」となると、実際に中小路へ入り込んだ方は少ないのではないでしょうか。

「麻生町」は既出の通り、「帝国製麻琴似製線工場」のあった跡地ということで名づけられた街で、もとは「新琴似町」であります。
今は思い出せないのですが、札幌の中で、企業の名称から付けられた地名は他にあったかな、と…。
ワシも今回改めて確認したのですが、現在の「麻生町」と呼ばれる区域は全部、製線工場および従業員住居があった工場の敷地だったのですねぇ。
http://www.city.sapporo.jp/kitaku/rekishi/epi1-27.html
やはり、札幌の地名の中でも珍しい地区だと思うのです。

さて、「札北馬鉄は帝国製麻のロジスティックをサポートしたのか」という問題ですが、おいおいと解明したいと思います。
ただ、先日実地調査で「北区歴史と文化の八十八選 帝国製麻琴似製線工場」のプレートを見ますと、「工場は現在の麻生球場付近にあったと言われている」と書いてありました。
札北馬鉄の「製線所前駅」は「北41東1」。
後で当時の地図をアップしますが、工場は麻生球場の南側だったのではと思います。
とすると、かなり離れていることになります。
「製線工場」の製品運送が何を使って行われていたのか、直接のデータがあればいいのですが、歴史の長かった会社の割には謎が多いのです。
ということで、リハビリでした。
33牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/07/29(木) 10:29:14 ID:H1A90mk. [ L066016.ppp.dion.ne.jp ]
「麻生町」は、もとは「新琴似町」の一部であったので、新琴似関連の資料を仕入れてきました。
「新琴似町」(現・新琴似。"町"が番地表示)は町史の出版に熱心なのでしょうか、「新琴似町七十年の歩み」、「同 八十年の歩み」、「同 九十年の歩み」、そして、「新琴似百年史」(昭和61年)と十年単位で発行されております。
その後続けているのかちょっとわかりませんが、「新琴似百年史」は一区域の地域資料としては破格のボリュームです。

ここに、謎の多い「帝国製麻製線所」のことが、「北海道製麻株式会社琴似製線工場」という項で詳細に書かれていました。
例によって名称がころころと変わっています。
「新琴似工場のあゆみ」より要約。

「明治二十三年、道庁より製麻機械の無償下付を受けて起工、同四十年、北海道亜麻、日本製麻の両社が合併して帝国製麻株式会社となり、新琴似の工場は琴似製線工場と改称した。大正十五年、機構改革により琴似製線所と改称。
昭和十四年、札幌研究所琴似試験工場が新設され、翌年機構改革により琴似亜麻工場と改称した。
同十六年、太陽レーロン会社と合併し、帝国繊維株式会社琴似亜麻工場と改称した。同二十三年、研究試験工場が焼失のため閉鎖にいたり、その跡地に反毛試験工場を新設した。
同二十九年、自動製線機が備え付けられるが、合理化のため工員の希望退職者を募集、同三十二年工場閉鎖となる」
34牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/07/31(土) 23:12:03 ID:Sf/C1Sds [ L066158.ppp.dion.ne.jp ]
月末月初は忙しい。
しかも今年はめちゃ暑く、難しいことを考えたくない。
でもって、毎日のようにサッカーの国際試合がある。
(今日の試合はすごかった…)
ということで、ここんとこ、ご無沙汰しています。

「麻生町ネタ」勝手にやっています。
なんと言っても「帝国製麻株式会社琴似製線工場」の跡地がそのまま「麻生」になったわけで、その証拠をお見せしなければならない。

こちら大正5年頃の地図です。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1074 
そして現在の麻生町の全体図。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1075 
工場のマークは「麻生球場」より南に位置しているようです。
ということで、もう少し詳しい地図。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1076
「麻生町6丁目」辺りが工場かと。 

大正時代には「古川」という川があったようですし、それが現在の「創生川下水処理場」や「麻生球場」の建設地にも影響を与えているみたいです。
また、人工的な水路が走っていて水を引き込んでいる施設が三つ見えます。
かなり調べ応えがありそうです。
35元東月寒人@琴似:2004/08/01(日) 01:11:56 ID:Gq5CtBjA [ snjk033k001.ppp.infoweb.ne.jp ]
札幌人を読んでいて思いだし、偕楽園の「井頭龍神」に昨日行ってきました。
現地に住む人3人に聞いた「井頭龍神」の読み方の報告です。

男性A「読み方は知らないが、円山の入り口から移したもののようだ。8月に祭りがあるようだ」
女性B「“いずりゅうじん”と呼んでいるみたい」
女性C「読み方は知らないが、夏に祭りをやっているみたい」

いずれもすぐ近くに住む、年配の方に聞いてみました。
みなさん、夜の7時過ぎという時間にありがとうございました。

ちなみに、以前清華亭の警備員の方に聞いたときは呼び方は知らないという事で、北区役所のホームページに問い合わせたら、「さっぽろ文庫」の読み方の通り「いのかみりゅうじん」との回答がきました。

という事で、思い出したらまた現地調査してみます。結果はいつかそのうちに。
36元東月寒人@琴似:2004/08/01(日) 08:48:41 ID:Vz4lWTHw [ snjk036k082.ppp.infoweb.ne.jp ]
札北馬鉄沿線を流してきました。

太平会館の脇にも五角柱の地神碑がありました。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1077
「太平開基百年史」にでている、学田地区神碑か、岩井農場地神宮のどちらかを移転して設置したようです。

この五角柱、北区のページや「シノロ 140年のあゆみ」によると他にも何ヶ所かあるようです。
http://www.city.sapporo.jp/kitaku/rekishi/epi2-21.html

函館行き客車「NORTE」号が国道沿いに。レストランなのか?営業していませんでした。発車時刻は不明
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1078

さなえ橋の国道側にはピエロが3人。太平神社の痕跡は確認できず。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1079

太平南小学校前には、太平さんかくけい公園という小さな公園が。調べてませんが、市内でも面積が最小の公園の一つではないでしょうか。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1080
3718丁目:2004/08/01(日) 18:23:53 ID:uvapw8yk [ p10251-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/9_log.html#088
札苗線さんの疑問「あと質問ですが、誰か「琴似川」について知っている方
いらっしゃらないでしょうか。新川から百合が原まで、途切れてますよね? 」

この途切れた区間が>>34牛鍋さんが掲示した大正5年地図の古川ですよね。

帝国製麻札幌工場は当時押しも押されもせぬ、国内最大の製麻会社の最大の
工場でした。(以前このスレで紹介した)
当時の世界の産業構成からすると、世界一かも知れませんね。
大戦後の「過度経済力集中排除法」という名のもと、繊維産業中唯一の財閥解体
対象となった企業ですね。
38元東月寒人@琴似:2004/08/01(日) 18:28:48 ID:rdyOVk4Q [ snjk038k007.ppp.infoweb.ne.jp ]
36の続き
創成川の屯田側は遊歩道になっており、ラベンダーの花壇があったり鴨に会えます。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1081
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1082
創成川を渡る札沼線ですが、橋梁の名称を調べるの忘れました。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1084

石狩街道の麻生球場側歩道に妙な石を見つけました。写真の標識の近くにあります。何かいわくがあるのかと考えさせられるものでした。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1083

北大第三農場があったという北34東1の民家には、私設の記念塔・記念碑がありました。(写真はなし)

場所を忘れましたが、北30条から20条の1丁目あたりに、こんな機具が放置されてました。牧場などで見かけるものに似てます。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1085
39元東月寒人@琴似:2004/08/01(日) 18:32:04 ID:i.9S5FCs [ snjk040k039.ppp.infoweb.ne.jp ]
38の続き
札北馬鉄の札幌駅近く、北11条の創成川と石狩街道の間に三角点の基線表示があります。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1086
その近くのなぞの鉄柱。パイプ状になっており、上部に鍵が。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1087

北11条で見つけた料理とジャズの店、ペテパンナ。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1088
北11条東5には、屋号と思われる、丸の中に「上」の字が書かれた蔵がありました。(写真なし)

テイセン付近は夜となってしまったため、実施調査はまたの機会という事で。
40牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/02(月) 09:21:25 ID:hRSaRJV6 [ U125251.ppp.dion.ne.jp ]
月琴さん、お疲れ様です。
「札北馬鉄沿線実地調査」は構想としてはあったのですが、なかなか大変なので躊躇していました。
後はテイセンホール付近ですね。
そういえば、馬鉄に「東皐園駅」がありましたね。
「東皐園」は本スレでも扱いましたが、「季刊 札幌人」(2004年夏号)に特集があります。
あ、18丁目さんがこの件については触れておられました。

>>37
なるほど、まだ詳しくは見ていませんが、「古川」は「琴似川」に関連している…。
暗渠になってこの流れは残っているのかな、と思っています。
「下水道科学館」が「創生川処理場」に隣接しているそうなので、そこで話を聞いてみると分かるかもしれません。
ttp://www.city.sapporo.jp/gesui/05kagakukan/0501kagakukan.html 
質問事項は科学ではないけど(w

ワシには夏休みなんてないのですが、夏休み特別企画とし別メニューを並行調査しています。
以前、gtmさんからご質問もあり、本スレでもたびたび名前の出ている、「スカンジナビア館(スカンジナビアン・パビリオン)」です。
その昔、石狩市花川南にあった施設ですが、その実態はあまり知られていません。
gtmさんは神奈川県在住の方なので、ワシが変わって調査をしているのです。

当時、「内外緑地」(後のユー・アンド・アイ・マツザカ)に勤務され、管財処理まで携わった方を石狩市より紹介していただきまして、後日資料を持って我庵にまでご足労願う段取りがつきました。
興味深いお話が聞けそうです。
もし、これらの件でお伺いしたいことがあれば、メールでも。
41真駒内川:2004/08/02(月) 17:34:33 ID:ph3MVq7M [ pdddb4c.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
ふぅ...やっと「札幌人」買えますた。
売り切れ寸前、あぶなかったー。
42牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/02(月) 22:30:00 ID:iDv9UZcU [ U232182.ppp.dion.ne.jp ]
「札幌人」は市内中心部の有名書店で販売しているようですが、郊外では入手しづらいかもしれません。
もしなんであれば、http://www.hsc.or.jp/sapporojin/#nenkan で直接購入できます。
バックナンバーもあるようです。

さて、先にkさんよりご説明がありましたが、「製線工程」のことです。
「新琴似百年史」の「工業編 北海道製麻株式会社琴似製線工場 二、アマ工場」の「五部門」を紹介しますので、参考にしてください。

耕作係 良質の原料の増収をはかる(作付契約・栽培技術全般、収穫―抜取、乾燥、品質別梱包)の指導と買茎。
浸水係 茎を水に浸して発酵させ、天日乾燥後、倉庫に格納する。
製線係 乾燥茎から繊維を製造し、紡績工場に送る。
試験場 浸水、製線の両試験場があった。
管理運営部門 会計部門。事務部門。

その後、部門ごとのもうちょっと詳しい説明が続くのですが、「札北馬鉄流れネタ」という点から見て、原料・製品の運搬について書きます。
「買茎」では「積込係」という人がいて、
「現地農民を指揮して麻を貨車に積み込む(人夫)」作業をしていたようです。
「貨車」…。
う〜ん、どうやら汽車らしい。
となると、札沼線か…。

「従業員の生活」というところに、「労働のきびしさ」に「運搬」と記述がありますので、これも合わせてご参照ください。
「浸水後の濡れアマと、乾燥後の干アマは最初は「しょいこ」で運搬された。人夫は背負える限度以上に背負うので、辛うじて一歩一歩前進する足どりとなる。従って膝関節が屈曲したまま伸びなくなったり、跨間接に異常を生じる者がいた」
また、「農家から馬橇で運ばれる亜麻」というキャプションの写真が載っていました。
馬橇って当然、冬ですよね。

ま、いろいろと書き出しましたが、どれもどの時代のことなのかの表示がないのが残念なんだよなぁ〜。
43元東月寒人@琴似:2004/08/02(月) 23:07:48 ID:VuTwXuCE [ snjk035k028.ppp.infoweb.ne.jp ]
麻生の「下水道科学館」は面白いです。
立体視メガネで見る下水の仕組みの映画や、地下にある実際の下水管など、見所いっぱいで夏休みは子供たちで賑わっているのでは。

篠路村側の話ではありませんが、琴似町と札幌区の境界は琴似川だったので、現在北24条西13丁目あたりから北は道路が斜めになってます。
13丁目あたりから西は、元は「新川」と称していて、その後北○条西×丁目となったのではなかったかと。
(明治時代に、琴似町と札幌区の境界変更がありましたが、その位置がどっかのページに載ってます。)

その昔、琴似の地酒に「琴似川」というのがあったと、琴似町誌で読んだ記憶が。
以上、不確かな記憶のなかの話なので違っていたらあしからず。
44牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/03(火) 09:21:36 ID:2x6XYUdQ [ U232182.ppp.dion.ne.jp ]
木工団地さんよりメールで、「スカンジナビア館」に付きまして、元内外緑地(ユー・アンド・アイ・マツザカ)の社員であられたUさんへの質問をお受けしました。
gtmさんからの質問事項と重複するところもあるので、ざっとまとめました。

1.何故スカンジナビア館が選ばれたのか?
2.スカンジナビア館の最大の特徴であった+−が
刻まれた柱は建物と、いっしょに移築されたのか?
3.万博会場から石狩までの運搬の経緯,移築の費用
4.実際、どの様に使用されていたのか?
5.レストランとして使用されていたとの話もあるが、どの様な料理が出されていたのか?料金は?
6.集客力はどうだったのか?
7.パビリオン以外で運んできた物(展示品等)はあったのか?
8.新札幌団地の分譲と内外レジャーランドとの関係は?
9.取り壊しの際、全ての部材が消失したのか?

Uさんがお見えになるのは明日午後の予定ですので、追加質問があればそれまでにメールでお寄せください。
ただし、Uさんが直接「スカンジナビア館」の運営に当たったかは不明ですので、全部の疑問に答えていただけるかは分かりませんので、その点はご容赦を。
45なまら名無し:2004/08/03(火) 09:34:55 ID:VTGnGUsU [ t161247.ap.plala.or.jp ]
琴似川で思い出したのですがサクシュコトニ川ってのを昔の地図で見たような・・・
もちろんアイヌ語でしょうがサクシュが搾取に通じるようで記憶にのこってます。
どんな意味なのか教えて下さい。
あと羊ヶ丘近辺にラウネナイ、ウラウチナイという川があるのを発見しました。
多分月寒川に合流しているのでしょう。北海道のどこかにはヤリキレナイという川も
あるそうですね。
46BHI:2004/08/03(火) 11:43:53 ID:7A3yqguQ [ p2203-ipad33sapodori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
こんにちは、以前ちょっとだけ書き込みさせていただいた茨戸在住の者です。
先日家の中から茨戸の歴史が載っている小学校の時の冊子を見つけました。
そのなかで馬鉄の駅の場所が書いてありました。

茨戸駅...現在の茨戸中央橋の南(「伏古川」の看板があるところ)
川岸駅...昔の茨戸園の入り口(現在は(もうないかもしれないけど)公衆電話が何台かある(あった)ところで最近道路の改修工事が行われたところ)

です。

あとは油田やら天然ガスやらア亜麻のことやらがかいてありました。

既出だったらごめんなさい。
47牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/03(火) 22:45:21 ID:xcVLBUKY [ y064048.ppp.dion.ne.jp ]
今日のサッカーもすごかった…。
はぁ〜、心臓に悪い。

え〜、「サクシュコトニ川」ですが、本スレでも何度か登場しました。
この川は北5西8の伊藤邸のメム(湧水)が源で、「偕楽園」を通り、北大構内を流れていた川です。
今年になって、北大創基125周年を記念して一部復活しました。
「札幌人」の夏号の「特集 さっぽろ公園事始」の不肖・牛鍋蝸牛のコラム「偕楽園の謎に迫る」にも書いてあるので、読んでね♪

もちろんアイヌ語なのですが、これはそのまま「さっぽろ文庫1 札幌地名考」を引用しましょう。
「サクシュ・コトイネ=前を流れる低川の儀」
「サ・クシ・コトニ=浜の方・を通る・コトニ川」
アイヌ語地名の解釈は、ひとつの単語に関してもいろいろと(激しい)論議があるようでして、あまり触れたくない、ってのが正直なところです。
48元東月寒人@琴似:2004/08/03(火) 23:21:00 ID:a9PM9XoM [ snjk032k020.ppp.infoweb.ne.jp ]
「杓子琴似川」と書いてあるのを見たことあります。
最近、資料にあたる気力がないので何で見たか忘れましたが。
他にも、○○コトニ川という琴似川の支流が、北大周辺や桑園から円山あたりにいくつかあるようです。
49元東月寒人@琴似:2004/08/03(火) 23:34:10 ID:04QWaQPc [ snjk032k076.ppp.infoweb.ne.jp ]
>>45
ラウネナイ川は子供の頃遊びましたがはっきり言ってドブ川でした。今はきれいになってるかもしれませんが。
意味はなんかで読みましたが、なんだったか?

ヤリキレナイ川は由仁にありますが、アイヌ語ではなく日本語だというのを何かで読みました。
(最近そんなの続いてますが、資料を思い出したらそのうちソースを書きます。)
50真駒内川:2004/08/04(水) 13:49:00 ID:O17QN84M [ pd33894.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
こちらにもお立ち寄り下さい。(by元住人)
ttp://www.asabu.net/
51Q:2004/08/04(水) 21:14:35 ID:ow7hmph2 [ proxy302.docomo.ne.jp ]
>45,49さん
ヤリキレナイ川
元々、アイヌ語ではイヤルキナイ川若しくはヤンケナイ川
と呼ばれていたらしいです。

もっとも、大雨の度に氾濫して開拓時代から
本当に「ヤリキレナイ」と入植者から言われていたらしいとか。
最近では、S41年,S55年にも氾濫しているし。

参考HP
http://www.google.co.jp/search?q=cache:k12j5U0Gix0J:www.town.yuni.lg.jp/pub_yunioasobou_05.html
52牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/05(木) 12:01:15 ID:cGTSK93M [ N045214.ppp.dion.ne.jp ]
「麻生町」をやっていますが、「とても暑いゾ夏休み特別企画」として、現在の石狩市花川南にあったという、「スカンジナビア館」(スカンジナビアン・パビリオン)の調査をしていました。
(長期休暇期間には特別ネタをやるのが恒例化してきたw)

これは神奈川県在住のgtmさんからの前スレ#221
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/14_log.html#221
のレスが発端でした。
しかし、札幌近郊の話としては珍しく何度も本スレに登場してきた同館です。
ま、なんだか何だで一ヶ月半かかりましたが、とても興味深い事実が分かりました。
現在、まとめておりますので出来次第発表いたします。
5318丁目:2004/08/06(金) 07:49:22 ID:1dCK96HI [ p8200-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
♪スカンジナビアパビリオン〜♪と歌いながら、父のコロナで向かった記憶が蘇りました。
当時スポットCM放映されていたんでしょうかね?
それとも、ガキ(私)が勝手に作曲したのかな?
54牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/06(金) 22:14:54 ID:NJNPBTho [ x087005.ppp.dion.ne.jp ]
考えてみますと、この二年間皆様と同時進行でマイナー地名調査をやってきたわけです。
スレを離れて一人でシコシコと調べてきた成果を、一気にここに書くということは初めてです。
そう気負ってやった調査ではないのですが、まとめて発表するとなると、かなりの量になることに改めて気が付きました。

さて何はともあれ、「"スカンジナビア館"とは」との命題からお話しなければなりますまい。
それは今を去る三十余年前、西暦1970年、大阪の地において世界万国博覧会が開かれたことに端を発します。
半年間に渡る開催期間を終えるに際し、その間多くの人々が訪れた「パビリオン(展示館)」も取り壊される運命にあったのですが、デンマーク、アイスランド、フィンランド、ノルウェー、スウェーデンの5カ国が共同出展した「スカンジナビア館」は、なぜかはるか遠く北海道は石狩町(当時)に移転されることになったのであります。

スカンジナビア館を移設するという計画を打ち出したのが、当時、大々的に石狩町花川地区を札幌のベッドタウンとして大規模にデベロップメントしていた、「内外緑地株式会社」の松坂有祐社長でありました。
花川南地区に移設された「スカンジナビア館(スカンジナビアン・パビリオン)」は、数年後、同社(後に「ユー&アイ・マツザカ」と社名変更)の倒産とともに人々の記憶から消え去りました。
今となっては、その実態を知る人は少なくなり、語る人もいない状況になってしまったのです。
かく言うワシは、1970年当時は睾丸の、もとい!厚顔の、再びもとい!紅顔の美少年であらせられたわけでありまして、スカンジナビア館なんて行った事もなく、平々凡々と日々の暮らしをすごしていたわけで…。

18丁目さんのお父様がコロナに乗っておられたということですが、うちの父は確か会社のコロナマークUのバンに乗っていたはずです。
放火されたっけなぁ〜。
関係ないけど。 <きっと、かなり続く>
55牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/06(金) 22:39:13 ID:NJNPBTho [ x087005.ppp.dion.ne.jp ]
その忘れ去られたスカンジナビア館。
札幌ネタを扱う本スレにも、何度か登場しておりましたが、神奈川県在住のgtmさんからのレスで、改めて調べてみることにしてみました。
ワシの手元にある資料としては、某チェーン店にて100円で購入しました「石狩百話」だけ。
まずは、gtmさんにこのコピーを送りました。
ということで、ご紹介しましょう。

『番屋の湯』前史―二つの温泉レジャーランド始末記
「花川南団地に内外レジャーランド、花畔地区に茨戸ハワイレジャーランドの二つのレジャー施設が民間企業の手で開設されたのは、昭和四十四年(1969年)のことである。
一月にオープンした内外レジャーランド(松坂有祐社長、資本金一億五千万円。会社設立は四十三年一月)は、花川南七条五丁目で現在の花川病院あたりにあった。地下をボーリングした結果、摂氏二十九度の温泉が湧出したためパイプでひき、レジャーランドの施設で一度沸かしてから各浴室に給湯した。
館内には、男女別でガラス張りの二十九・五坪(九十七・三五u)の浴室が二つ。一階に六畳四室と、二階に八畳と六畳、四・五畳の宿泊ができる和室が十四室あり、ほかに五十五坪(百八十・五u)の大広間とレストランやバーがあった。
内外レジャーランドは三年後の昭和四十七年に、日本バンコク記念館"スカンジナビアンパビリオン"を現在の藤学園セミナーハウス付近に、また同じ年に五十二レーンのボウリング場"ボウリングニューサッポロ"をオープンしている」 <こりゃ、まだまだつづく>
56あぼーん:あぼーん
あぼーん
57てんてん:2004/08/06(金) 23:41:42 ID:hfcsG0Dw [ 50.45.215.220.ap.yournet.ne.jp ]
石狩市の最近できたスナックってあります?
58名無しさん:2004/08/07(土) 12:28:06 ID:xVUpcpJQ [ p8107-ip03sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
暑いですねぇ。
59牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/07(土) 20:34:01 ID:OE7xPyw2 [ U232184.ppp.dion.ne.jp ]
>>55 「石狩百話」の続き。
「(略)客は石狩町民よりもむしろ、親会社で不動産業の内外緑地が売り出す土地を目当ての客が多かった。炭鉱の離職者や公務員の定年退職者など、地方の客が"札幌に近いし温泉レジャーランドもある。いまは家のない原っぱだけど、ま、将来の投資と思って土地を買っておくか"と思わせるためにも、親会社は大いにこの場所を利用していたようだ。
大広間の舞台では、こまどり姉妹などの芸能人が三味線を弾きながら歌い、踊り子は一日三回、休みなしにフラダンスを踊るというぐあい。単純温泉なので神経痛やリュウマチ性疾患、骨折や外傷の療養や静養に効果があるというのが親会社の触れ込みだった。客は風呂からあがったあとに、大広間で酒を飲みながらショーを見物し一泊する。オープンしたばかりの一年は毎日のように浴室から大広間、離れの広間をふくめて館内は満員状態が続いた」
(中略)
「内外レジャーランドは土地ブームで景気もよく、松坂社長は所得番付で何度も北海道一になるほど。四十九年に、親会社の内外緑地はユー・アンド・アイ・マツザカと名称を変え、東京に本社を移して事業を拡大した。しかし、前の年のオイルショックのおありを受けて五十一年十一月、これも経営がゆきづまり多額の不渡手形を出して事実上倒産。十一月二日付の北海道新聞は、負債総額を七十五億円から八十億円にのぼると報道した。
系列会社の内外レジャーランドも経営は起動に乗っていたが、余波を逃れられず営業を停止した」

「石狩百話」には、この温泉の杜撰な運営についても書かれています。
従業員の人手不足のため管理が行き届かないため、飲食代を払わないで飲み食いする客が多かったとか、水道も赤い水が出て調理に使うのに苦労したとか、ガスの火力不足のこととか…。
札幌グランドホテルで勤務して東京へも行ったことのある佐藤さんという調理長は、結局一年でここを辞めたそうです。

>>55の訂正。
>日本バンコク記念館 は「日本万博記念館」の転記間違いです。訂正します。

サッカーあるのでまた明日!
60牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/08(日) 12:29:34 ID:0JUG/MKo [ U120081.ppp.dion.ne.jp ]
「石狩百話」に書かれた内容はほとんど「内外レジャーランド」の温泉施設に関してであって、「花川移設後のスカンジナビア館」に関してはその輪郭さえもはっきりしません。
ワシは先に、レジャーランド温泉施設とボウリング場について調べました。
同書に載っていた「内外レジャーランド」の写真をアップします。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1096 

ボウリング場はこの近くにあったと思われたのですが、gtmさんから、
「石狩の掲示板に二年くらい前の記述として、花川コミセンの隣の倉庫がボウリング場の跡との書込みを見付けたのですが」とのメールを頂き、現地へ行ってみました。
「花川コミセン」は正しくは「花川南コミュニティーセンター」のことで、隣の倉庫とは「北通産」という会社のことのようです。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1098
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1099
確かに「北通産」の東側の壁を見ると、かつてボウリング場であったと思わせる黄・赤・青のラインが走っています。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1097

なんとなく、感動してしまったのですが、その後、gtmさんから送っていただいた76年当時の航空写真を見ますと、確かに「内外レジャーランド」とボウリング場(名称は「ボウルニューサッポロ」)が写っています。
温泉はhttp://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1096 の建物であることが、独特なギャザー形状の屋根で確認できると思います。
ちょっと見づらいと思いますが、これが現在の「南コミセン」あたりです。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1101
温泉は花川南病院の西側の共同住宅あたりにあったようです。

しかし、これらを比較してみると、「ボウルニューサッポロ」のサイズと現在の「北通産」の建物のサイズが違うことに気が付きました。
どうやら、「北通産」は「ボウル〜」の建物を四分の一にカットして使用しているようなのです。
なるほど、どうりで西側には黄・赤・青の3本線が入っていないわけだ。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1099
61牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/08(日) 13:11:44 ID:0JUG/MKo [ U120081.ppp.dion.ne.jp ]
「大阪万博開催中のスカンジナビア館」がどのような建物であったのかということは>>54で簡単に触れましたが、この件についてもう少し詳しくわかりました。
最近になってgtmさんからご提示いただきました愛知万博のサイトです。
ttp://www.maing.co.jp/maimai/expo/expo_040520.htm

要約
「デンマーク、アイスランド、フィンランド、ノルウェー、スウェーデンの5カ国が共同出展したスカンジナビア館。コンパニオンを務める外国女性が真剣な表情で来場者たちに入館を呼びかけていた。
『ショーのテーマは環境の保護です。スライドで公害を取り上げています。中に入ると、左側は産業のプラス面、右側はマイナス面。とても、とても、まじめな館です』
70年大阪万博の参加国は、日本を含め77カ国。このほか国際機関や地方政府、国内外の企業を加え、パビリオンは計116館に上った。多くが科学技術の素晴らしさを誇示する中、ただ一つ、スカンジナビア館は公害という産業発展の負の側面に警鐘を鳴らし、異彩を放った」

思ったよりもかなり硬派な展示内容であったようです。
この様な建物が、なぜ遠くはなれた北海道の分譲住宅地の一角に移設されたのか…。
謎は多いですなぁ。

同館の石狩町(当時)への移設場所ですが、既出の「石狩百話」には「"スカンジナビアンパビリオン"を現在の藤学園セミナーハウス付近に」とあります。
もっとピンポイントで知りたいと思っていましたら、gtmさんが昨年はるばると神奈川県より実地調査に来られ、その場所を特定されていたそうです。
そこは、「石狩市花川南4条5丁目」の現・藤学園(藤女子大)内のテニスコート。
これもgtmさんからご提示のありました1976年当時の航空写真画像。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1090 
画像の右側に写っています、四角い大きな建物がスカンジナビア館。
こちら、現在の藤学園付近。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1092
まさにテニスコートがそのまま「スカンジナビア館」だったわけで、これもちょっと感動モノです。
62木工団地:2004/08/08(日) 22:29:58 ID:siekIOUc [ ZF000050.ppp.dion.ne.jp ]
牛鍋さま、現地調査ご苦労さまです。
思い付いてすぐに調査に出向いてしまうって言う行動力、
脱帽です。

「特別企画」とは言え、隣街まで…。

「スカンジナビア館」と「内外レジャーランド」って結構離れていたんですね。
幼少の頃はレジャーランドへ行く道沿いの防風林の中に、突然在ったと思って
ました。

レジャーランドと一緒に写っているクルマも時代を感じさせますね。
「セドリック?」や「コロナ」「スタウトピックアップorジュニア」
「クラウン」なんかが写ってますけど…。
63牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/08(日) 23:14:34 ID:lgQWgSlg [ ZF160036.ppp.dion.ne.jp ]
木工団地さん、なんといっても実地調査は面白いんですよ。
ちょっと今は暑いけど…。
ワシは大汗っかきなので、大変なんです。
今度、かき氷でもおごってくださいね。

「スカンジナビア館」と「ボウルニューサッポロ」と「内外レジャーランド」の位置関係はご覧のとおりです。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1089 
これらの施設は、防風林をはさんで両側にあったわけです。

石狩市民図書館でそうたいした情報が得られなかったワシは、聞き込みしかないなと思いまして、日を改めて石狩市役所へ出向きました。
一階で案内のお嬢さんに趣旨を説明して、市役所でスカンジナビア館について詳しい方がおられないか尋ねました。
結局、別の中年の女性が出てこられ、「企画財政部企画調整課」へ行って見て下さいとのことでしたので、そこへお邪魔しましてS課長と面談。
ワシのプロフィールとgtmさんのこと、今までのいきさつをお話しました。
でもね、「スカンジナビア館は民間施設なので資料が残っていない」とおっしゃる。
唯一、資料ロッカーから大事そうに出してこられたのは、なんと例の「石狩百話」だったりして…(w

S課長御自身は、藤女子大が石狩にできると決まった際、一度だけ現地へ行ってみたことがおありとのこと。
しかし、すでにそこには残骸しかなかったそうです。
で、役所内で当時のことを知っている人を探してももらったのですが、とどのつまり、これはやはり教育委員会だろうということになりました。
しかし、折り悪く、担当者が夏休みでつかまらないとのこと。
後日、連絡をもらうことになりました。
64牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/09(月) 10:11:56 ID:jjXIYLvQ [ U122084.ppp.dion.ne.jp ]
その日、石狩市企画財政部企画調整課よりメールをいただきました。

「ユー・アンド・アイマツザカ(内外緑地)に勤務され、事情に詳しい方がいることがわかりました。
不動産関係の会社を経営されており、数年前に、昭和40年代当時の会社のパンフレットなどを、市に恵贈いただいた経緯があるとのことで…」

翌日、石狩市に電話して再確認。
ユー&アイ・マツザカの管財処理まで行ったというU氏がその方がその方で、連絡を取りましたところ、我庵まで足を運んでいただけることになりました。
そうそう、石狩市の担当の方は、春頃にgtmさんからメールでスカンジナビア館について問い合わせがありましたと言っておられましたな。
あまりたいした資料がなかった、と恐縮していましたけどね。

さて、数日後…。
このとっても"クソ"暑い中、Uさんがお出でになられました。
とても物静かな雰囲気の方でして、いろいろな質問にお答えいただきました。
また、内外緑地関係のパンフなども見せていただき、これはその場でスキャンしました。
これらにより、とても興味深い事実が明らかになって行ったのであります。

おしまい…。(嘘)
65牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/10(火) 21:41:44 ID:uHsml0XU [ ZF160108.ppp.dion.ne.jp ]
では、「スカンジナビア館」につきまして、Uさんから伺った話をご報告いたします。
ワシの見解も混ぜますが、そこは(注)を入れ、分かるようにいたします。
尚、別に調べましたところ、「ユー・アンド・アイ・マツザカ」と表記しまた「内外緑地株式会社」の新社名は、「株式会社 ユー&アイ・マツザカ」が正しいようです。

数ある大阪万博(昭和45年3月15日〜同年9月13日開催)のパビリオンの中で、なぜスカンジナビア館が選ばれたかははっきりしないが、決定したのは松坂社長であった。
松坂社長は文化教育方面にも熱心で、「松坂科学文化振興財団」という組織を二億円拠出して創設していた。
同社倒産後も同財団は別法人として扱われ、法的に残された。
現在も存続してはいるようだが、数年前から休眠状態ではないかと思う。

(注)
ワシが思うには、北海道と同じ北方文化圏の国々ということでスカンジナビアを選んだのではないかと。
「松坂科学文化振興財団」については、現在「財団法人 北海道青少年文化科学財団」と名称を変え、活動しているようです。
http://www.saturn.dti.ne.jp/~h-fin/zaidan.html  

もちろん移転費用その他はすべて内外緑地が持った。
実際の移設費用・運搬方法は不明。
ただし、運搬してきたときそのまま札幌市内を大パレードして回り、それから石狩へ搬入した。
万博会場でスカンジナビア館として建築・展示されたものは、すべて運搬された。
「+−の柱」も運んできたが、建築上何らかの問題点があったのか、実際には建築されなかった。

(注)
「+−の柱」は「スカンジナビア館」のシンボル的な建造物で、万博ではパビリオンの正面に設置されていた。<明日へつづく>
66369:2004/08/11(水) 20:11:32 ID:akqiRfdc [ p82-dna11sapporoki.hokkaido.ocn.ne.jp ]
過去のスレの話題について
スレ11の>>88 札幌の街づくりには「風水」の影響はあったのだらうか・・・?

風水ではないものですが札幌も京都や江戸などと同じように
ある法則によって街が作られているようです。
スレ11>>91で西創成さんが言われているようにそこにヒントがあります。
もう少しヒントを。
手稲山−五天山−藻岩山のラインと距離。
藻岩山−北海道神宮−琴似神社−発寒神社。
五天山−北海道神宮−頓宮。
一点を見るだけでは点でしかないですが、点と点は線で結ばれます。
本州の各地で同じような規則がみられます。夏至、冬至、春・秋分ラインなど。
「脈」です。
神社の拝殿の向きは何かの理由がない限り基本的に南〜東です。
スレ違いですし内容が内容だけにここまでにしておきます。
67牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/11(水) 21:55:18 ID:RL7ltdls [ y064037.ppp.dion.ne.jp ]
>>65の続き。Uさんのお話より。

展示物その他も万博と同じように展示された。
つまり、万博開催中そのままに、スカンジナビア館は再現されたのである。
万博では館内でレストランの営業がされたようであるが、ならば当然石狩でもレストランはあったと思う。
が、これに関しては覚えていない。
一年間、フォンランドから女性5〜6人を呼び、コンパニオンとして雇い、その寮として、現在の「つぼ八 花川店」の建物に住まわせた。
建物はそのために建てたのではなく、もともとそこにあったもので、現在、花川地区では一番古い建物になると思う。

新札幌団地では、土地の購入希望者をまずスカンジナビア館へ連れて行き、それから現地を案内する販売方法がとられた。
つまりあくまでも、土地の販売促進が同館の目的であった。
当初は物珍しさでお客も来たが、すぐに飽きられてしまい来客もなくなった。

「内外レジャーランド」のボウリング場は、現在の「花川南コミセン」と「北通産」の土地にあった。
「北通産」の建物はそのとおり、ボウリング場を四分の一だけ残したものである。
温泉施設は、南コミセンの向かい「花川南7条5丁目」にあったが、たいした温泉ではなかった。
軽食程度の食事は出来た。
源泉は「南6条5丁目」の防風林の発寒川寄りに沸き、それをパイプラインで引いて使用した。

「内外緑地」(倒産時はユー&アイ・マツザカ)が会社更生法による管財処理には7〜8年かかったが、大量の土地を持っていたため、そのほとんどを債権者に返却することができた。
倒産した会社が負債を返却するということは当時としては画期的なことで、管財人も鼻高々で全国的にも「札幌方式」と呼ばれ、話題になった。
スカンジナビア館を含む一体の土地は「藤学園」に売却され、建物は藤学園側で解体された。
68牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/11(水) 22:15:10 ID:RL7ltdls [ y064037.ppp.dion.ne.jp ]
以上がU氏のインタビューをまとめたものです。
U氏は「内外緑地」に関して当然のことながらある感慨をお持ちでしたが、あえてここでは触れますまい。
同社は絶頂期に本社を東京に移したのですが、その任を担った方がU氏でありまして、お葉には重みがありました。

今ではまさに、姿さえも幻となってしまった「スカンジナビア館」。
その幻を、しかもカラーで(いやマジな話、モノクロはあっても、カラー写真は公にはなっていません)をアップします。
また、貴重な「内外緑地」のパンフレットも。
他に実地調査で撮影した「スカンジナビア館跡地」、「フォンランド人コンパニオン寮」、「内外レジャーランド」の写真もね。

ただね、我が家の冷蔵庫が壊れてしまして、明日仕事終了後ヨドバシカメラに買いに行かなきゃならないんです。
てなわけで、アップは明後日あたりかな?
ビールがぬるくて辛抱たまらんのだわ…。
6918丁目:2004/08/11(水) 23:00:58 ID:KbfXzMOc [ p5020-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
フォンランド人とはフィンランド人の事ですか?
フォンランドの方がより正しい表記の仕方なのでしょうか?
それにしても、つぼ八花川店が北欧美女達の寮だったとですか。
驚いたとです。
70牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/12(木) 09:13:48 ID:NIrCZXqE [ y064037.ppp.dion.ne.jp ]
えっえ〜!
フォンランド人をご存じない!
歌にもあるじゃないですか。

♪ おどまぼんぎりぼんぎり 盆から先ゃぁ フォンランドぉ〜…。


すみません。
打ち間違いです。
もちろんフィンランド人ですがな…。
71なまら名無し:2004/08/12(木) 11:12:08 ID:GRWSHPKQ [ p8079-ip03sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
たぶん電話の国の人のことでしょう、フォンランド。
72あぼーん:あぼーん
あぼーん
73牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/13(金) 22:10:38 ID:GlhmWHck [ U232077.ppp.dion.ne.jp ]
>>72
“フォンランド”出身の有名人ならタイムリーだったのにねぇ。
いないか、そんなヤツ…。

さて、お約束の画像アップですが、ワシ、因果な商売のため、お盆が忙しかったりするわけです。
で、今日のところはこれでご勘弁を願います。
まだご紹介していませんでしたよね?
よね、よね??

「広報いしかり」(昭和46年)から、「スカンジナビア館移設起工式」。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1093
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1094

実地調査で。
フィンランド人コンパニオンの寮だった、「現・つぼ八花川店」。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1103
74なまら名無し:2004/08/15(日) 16:27:52 ID:mXmQK2/o [ cap002-209.kcn.ne.jp ]
こんにちは。
皆様お盆休み、或いはお盆は多忙でいらっしゃるようで
寂しいので不肖ながら・・・

ttp://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20040814&j=0022&k=200408143566
月寒送信所の建物が解体されるようですね。
75牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/15(日) 19:30:55 ID:U.2t2WCs [ x087100.ppp.dion.ne.jp ]
>>74さん。
お気遣い痛み入ります。
ワシの場合、仕事で体力的につらい状態です。
右足内腿に湿布しながら業務に勤しんでおります。

ついにですか、陸上自衛隊札幌駐屯地月寒送信所の解体。
では、以前に念写しました、同送信所の画像を再度御覧ください。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=533
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=534
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=529
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=530
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=531
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=532

2003年度で民間に払い下げられるような話があったのですが、いまだ現存していたのですね。
この施設、ぜひ残していただきたいし、なんとか中を見てみたいです。
76牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/15(日) 20:11:45 ID:U.2t2WCs [ x087100.ppp.dion.ne.jp ]
では、「内外緑地」に勤務されましたUさんからご提供いただきました、同社の資料を御覧ください。
作成年代に関しては後ほど触れます。
尚、これらすべての画像データはワシがレタッチ、修正させていただいております。

「新札幌団地全景」
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1114
北から札幌方面を望む航空写真です。
石狩市内の南の防風林が中央に写っております。
「スカンジナビア館」はこの防風林の先端、五差路の左側です。

きれいに区画された中に建っている家々は、この時点ではまさに数えるほど。
それに北地区が、まだ手付かずの更地状態であるのが非常に興味深いです。
実際の画像データは1.2Mほどありまして、詳細なところまで見ることが出来ます。
77牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/15(日) 20:12:46 ID:U.2t2WCs [ x087100.ppp.dion.ne.jp ]
「内外緑地梶vのパンフレット。
「リトルさっぽろ 新札幌温泉郷」とのタイトルが付けられています。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1106 
「温泉のでるベッドタウン 東洋一を誇る内外レジャーコンビナート」とのサブタイトルが…。
「新札幌団地」の呼び名は、この時点では出てきていません。
これも、なかなか重要な資料ではないでしょうか。
当初よりここは、「温泉」が売り物の分譲地であったのです。
温泉付き分譲地ってぇのんは、最近になってからのブームだと思っていのですが、「内外緑地」侮りがたし…(汗

このパンフレットの作成年度なのですが、記述がありませんでしたのでなんとか調べようとがんばってみました。
よ〜く、御覧いただけると分かると思うのですが、画面左(大通公園南側)に建設中のビルディングがありますね。
鉄骨が組みあがっているようですが、まだクレーンが載ったままです。
このビル、位置関係から推測しますに「札幌三越」ではないかと…。

この状態が何年何月だったかがわかれば、おのずとこのパンフが作られた年代が推測できるわけです。
早速ワシは、札幌三越さんに電話をしてみました。
7818丁目:2004/08/15(日) 21:45:26 ID:DyeQmqHg [ p1095-adsau04sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
いやー、久々にこれは入魂の大作となる予感がします。
ユー&アイ・マツザカの倒産がなければ、或いは石狩軌道の実現の可能性も
高かったと思わされますね。
国防大学とは、まるっきりの夢物語だったのでしょうか、それともある程度
招致の話は進んでいたんでしょうか。とても興味深いものがあります。
79真駒内川:2004/08/15(日) 22:14:30 ID:Kg1/a3ME [ p29d8c5.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
>>75
ある関係者から伺ったお話によりますと、
月寒送信所では「でるぞ」と言われているそうです。
そんなわけで、勤務者でも入りたくない場所があるそうです。
季節柄ナイスなお話でした。
80牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/15(日) 22:42:06 ID:U.2t2WCs [ x087100.ppp.dion.ne.jp ]
>>78
まあまあ、そう先を急がずに(w

建設中の「札幌三越」。
しかも、鉄骨はほぼ組み上がった状態。
先週の月曜日、三越さんに電話しましたところ分かる人がお休みということでして、折り返し電話をいただくことになりました。

そして翌日…。
女性の社員さんからの電話が来まして、
「昭和45年の10月か11月だと思います」との回答を得られました。
ただし、「何のために調べているのか、どのように利用するのか」
と不審がられましたけどね。
当然ですわな〜。
理由を話したら納得していただけました(w

さて、パンフの後のページには「日本万国博展示館 スカンジナビア館移設決定!」とあります。
つまり、昭和45年の年末から移設工事起工式の昭和46年の夏(7月11日)までの間のごく短い期間に使われた物であることが分かってまいりました。
時代の特定は出来たので、後は中身の検証です。
81なまら名無し:2004/08/17(火) 12:30:10 ID:wB1Ro6Eo [ N019106.ppp.dion.ne.jp ]
牛鍋蝸牛様。札幌人を読ませて頂きました。
昨日の夕刻に近くに行く用事があったので偕楽園を散歩してきました。
ちょうど井頭龍神さんにお参りされている近所の方がいらっしゃったので、
龍神さんについてお話をうかがうことができました。
その方はあまり詳しい事を存じていなかったのですが、
井頭龍神さんのお祭りが明後日19日にあるそうです。
出店が多少出て質素で厳かなお祭りだそうです。
82牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/17(火) 21:52:39 ID:QB6G28EM [ y065005.ppp.dion.ne.jp ]
>>81さん、レスありがとうございます。
それと拙文を読んでくださいまして、恐縮です。
「札幌人」からは次の原稿依頼が来ているのですが、仕事も忙しく(疲労の局地)未着手です。
締め切りまでには時間があるけど、早めに書かなきゃ。

そうですか。井頭竜神さまのお祭りですか。
何かの縁でもありますし、是非行って見たいのですが、仕事だなぁ。
夜8時過ぎでもやっているのでしょうかねぇ。

さて、「スカンジナビア館」です。
なんだかんだで、おそらくは昭和45年末から46年前期までだけに使われたであろう、「内外緑地株式会社」のパンフレット。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1106
このパンフからはいろんなことが分かったり、分からなかったりします(w

ま、本スレは「地名スレ」なわけでして、ワシが気になるのは基本的には"地名(の類)"です。
パンフでは、「新札幌団地」という名称が一切使われていません。
ツーと言えばカー、山と言えば川、乃木将軍と言えばステッセル…。
「内外緑地」と言えば「新札幌団地」なのにね。

ってことで、「新札幌団地」なる名称が使用され始めたのは、昭和46年以降だったのではないか、と言うことがこのパンフから推測できるのです。
83牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/17(火) 22:02:35 ID:QB6G28EM [ y065005.ppp.dion.ne.jp ]
パンフ表紙には、
「総面積 120万坪 雄大なる規模を誇る リトルさっぽろ 新札幌温泉郷 温泉のでるベットタウン 東洋一を誇る 内外レジャーコンビナート」とあります。
「内外レジャーコンビナート」ってなんじゃろ?と思いつつも、中を開きますと、
「石狩平野に築くニュータウン新札幌温泉郷 "リトル札幌"の輝かしい夜明け」ってタイトルが。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1107 
長いけど、この中身を引用いたします。

「新札幌温泉郷は、札幌市の北部から石狩町の南部にまたがる札幌市と石狩町との接点にあたり、直線距離では、札幌駅から僅か9kmのところにある大平坦地であります。
当社は道央新産業都市の心臓部である札幌が、これからも逞しく発展していくためには、どうしても広大な面積を有するベッドタウンが必要であるとの観点から、石狩町南部の花畔から樽川にまたがる南線地区に白羽の矢をたて、この地に総面積120万坪、第2の札幌ともいうべき《リトル札幌》すなわち、日本一の民間団地《新札幌温泉郷》を建設することになったのであります」

眠いので、後は明日にさせてくらはい。
84なまら名無し:2004/08/18(水) 14:13:36 ID:M/nbHy6o [ p3209-ipbf10sapodori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
川北とか川下とかってどの川を基準としてるの?
85なまら名無し:2004/08/18(水) 17:48:00 ID:1zuoWs7I [ U124045.ppp.dion.ne.jp ]
軍艦岬って覚えてる?
86牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/18(水) 21:05:31 ID:WaWANX0w [ y065092.ppp.dion.ne.jp ]
>>84
「厚別川」だそうですよ。
>>85
ツーと言えばカー、山と言えば川、乃木将軍と言えばステッセル、「軍艦岬」と言えば「割栗岬」ですね。

>>83の続き。
「本団地は、従来の土地の切り売り的な単純分譲から、大きくステップアップした有機的な総合分譲方式をとり入れることになり、充分なる公共用地(病院、幼稚園、役場出張所、交番、消防署、ショッピングセンター用地など)とレクレーション用地(公園、児童交通公園、プロナード、ゴルフ場。レジャー施設、貸庭園用地など)を確保し、いつでもそれらを誘致できる態勢をとっているほか、道路に面している分譲地のサイドに幅1.8メートルで芝生を植え、公害のない清潔にして潤うおいのある、町づくりにポイントをおいています。
また、41年秋には南線簡易郵便局の開局、中央バス新札幌線の開通、住宅金融公庫貸付建売住宅の完成など、住民の便利が着々整備されたほか、天の恵みともいうべき定山渓温泉と同質の温泉が湧出、44年1月には内外レジャーランド第1次施設がオープンし、ユニークな温泉街が着々と形成されつつあります」
(その下に、位置、面積などが書かれていますが、割愛します)
87牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/18(水) 21:06:48 ID:WaWANX0w [ y065092.ppp.dion.ne.jp ]
ということで、「花川南地区」、当初は「新札幌温泉郷」というなんだかとってもなんだなぁ〜という名称だったわけです。
「リトル札幌」はともかく、「新札幌温泉郷」つ〜のはこりゃ、えらいネーミングです。

「新札幌温泉郷全体計画図 恵まれた環境 雄大なスケール」
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1108

「温泉の湧出に伴って、大レジャーセンターをめざす温泉街建設の計画が、斯界の権威者を動員して進められております。このため、当初計画していたリゾートマンション・共通フロア・ボーリング場・室内プール・カリビアンドーム・ナイトレジャーゾーン・スポーツゾーン・レストゾーン・大運河・動物ゾーン・聖域・スカンジナビア舘・ビラとフインランドサウナ・英語村・ミュージックキャンプなどなどは、すべて温泉街特別計画地内に包含されることになっております。
また、団地建設の推移によって、この計画が多少変更することもあります」

どうです。
ずんごいでしょう!
もうなんだか意味不明で不気味だけど、一度は行って見たい施設ばかりでしょう!?

(注・源泉の位置ですが、>>67では「花川南6条5丁目の防風林の発寒川寄り」としましたが、この地図では「同南4条5丁目」(藤学園内)に1号井と2号井があることになっています)
88牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/20(金) 22:33:08 ID:kH1nU5BM [ y065076.ppp.dion.ne.jp ]
今日は札幌市資料館にこもって、いくつかの資料のPC打ち込みしていました。
図書館じゃないから借りるわけにもいかないので…。
でも、持込ならPCはOKだし、他にお客も少ないのでなかなか快適でした。
駐車も出来るしね。
「軍艦岬」と「割栗岬」、「十万坪」関連のネタも仕入れてきました。
そのうちにご紹介することもあるかも知れません。

え〜、スカンジナビア館ネタから石狩市花川ネタになっています。
どうやら少なくとも、昭和46年までは「新札幌温泉郷」という名称で呼ばれていた「花川南地区」。
「新札幌団地」という旧称は結構知られているかと思いますが、この地名はかなりマイナーでしょう。
まだ、三十年ほどしか経っていないのに、消えていく地名というのはこんなもんなのかもしれませんね。

「内外緑地」の「新札幌温泉郷パンフレット」はまだ続きます。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1109
の左下の建物は、浄水場だそうでして、次のようなキャプションが付いています。

「民営団地としてわが国屈指のスケールを誇る新札幌団地の浄水場」
あれ?
こんなところに「新札幌団地」という名称が小さく出ていました。
上のほうには「新札幌温泉郷」とでっかく書かれているのに…。
ということは、もともと「新札幌団地」が通称だったのを、温泉が出たのを契機に「新札幌温泉郷」という名前を新たに作り出し、それを普及させようと躍起になって使っていた…、ということだったのでしょうか。

次ページ
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1110
には、
「新札幌温泉郷の建設は、着実にして迅速に進められている。この写真のような道路や住宅がつくられた。このテンポは、加速度的に倍加されている。皆様の注目と期待の中に…」
とあります。
毎ページ毎ページ、しつこいくらいに「新札幌温泉郷」なのに、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1109
ではついつい、「新札幌団地」と書いてしまったのかな?
89なまら名無し:2004/08/23(月) 11:32:41 ID:AQaWNs32 [ H016090.ppp.dion.ne.jp ]
>>81です。
先週の19日に偕楽園のお祭りを覗いてきました。
地元の方々にとっては夏の楽しみのひとつとなっているようで、
芝生にビニールシートを敷いて沢山の人でした。
自治会でテントの出店を出してビール(¥300)、綿菓子(¥50)、
焼きそば、焼き鳥等を販売してました。
龍神さまの祠の扉も開かれお賽銭箱も置かれていました。
祠の前で太鼓を叩いていたオジさんに龍神さんについてお聞きしたところ、
「これは【いのかしらりゅうじん】と言って約80年前からここに祀られている」
とのことでした。
盆踊りをするわけでもなくただ食べたり呑んだりしながらですが、
とてもアットホームでどこか懐かしさを感じる、そんなお祭りでした。

スレ1から読み始めやっと追いつきました(汗
90牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/23(月) 22:07:01 ID:h9YjdxQA [ N046086.ppp.dion.ne.jp ]
二日ほどサボりました。
>>89
「井頭竜神」はいろいろな呼び方をされていますね。
「いのかみ」あるいは「いがしら」、「いのかしら」かしら…、なんちって。

以前にも書いたかもしれませんが、「井頭」は日本全国にある名称で、通常は「いがしら」と読むことが多いようです。
また、「いのかしら」は東京の「いのかしら公園」で有名ですが、表記では「井の頭」となります。
(尚、「井の頭恩賜公園」が正式名称だそうです)
いずれにしても「井」は「水の湧き出るところ」という意味でしょう。
「井頭竜神」も時代を経て、その呼び名が変わっていったとも考えられますね。

「スカンジナビア館」につきましてはまだまだ書きたいことがありますが、お盆期間中の連続9日出勤の影響か、各種スポーツ観戦疲れの為か、あるいは「札幌人」の原稿執筆に行き詰まっているせいか、筆が進みません。
ということで、今日は寝ましょう。

あ、女子レスリングあるなぁ。
91牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/24(火) 21:59:52 ID:k2x.0QTg [ ZF160070.ppp.dion.ne.jp ]
ここ数週間にはなかった気力が満ち溢れております!
人間、インターバルってのは必要ですね。
でも、いつまで持つのでしょう?

http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1111
「内外レジャーコンビナート」。
死語でしょ、今時"コンビナート"って…。
しかも、"レジャー"と来たもんだ。

「コンビナート」(ロシア) kombinat
生産工程の密接に関連する近接の工場や企業を物理的に結合し、生産の効率化を図る企業集団。
石油化学コンビナートなど。元来は、旧ソ連での鉄・石炭を中心とした結合企業集団をさす」
三省堂「大辞林 第二版」より。
「内外レジャーコンビナート」のコンセプトは不明ですが、上記を参考に"レジャー"を念頭に置いて慮(おもんばか)っていただければと思います。

同コンビナートは"ゾーン別"に分類されており、次にその項目と内容が羅列されております。
第一に「ホテルゾーン」。
"項目"として、「リゾートマンション」と「共通フロア」があり、"内容"として「別荘の大衆化・会社の厚生施設」となっております。
次よりおのおのその順番で…。
92牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/24(火) 22:01:17 ID:k2x.0QTg [ ZF160070.ppp.dion.ne.jp ]
その2 「都市感覚のレジャーゾーン」
「ボウリング場 東洋一の120レーン・フランチャイズ方式」
「室内プール 50メートル公認の競泳プール」
「カリビアンドーム 常夏の国の気象を再現するビッグドーム」
「ナイトレジャーゾーン ナイトレジャー50業種」
「スポーツレジャーゾーン 冬〜家族づれスキー・夏〜ゴルフ場」
「レストゾーン(ヘルスゾーン) 大宴会場・貸室・社交場 2階はギャンブルフロアー」

その3 「自然の魅力を一堂に集めた自然的感覚のゾーン」
「大運河ゾーン 貸船・激流とゆるやかな流れ・中島」
「動物ゾーン 熊のダイビング・トド島・馬の牧場」
「聖域 神聖さと伝説」

その4 「コミニュテイゾーン」
「スカンジナビア館 公害・民族展・国際親善」
「ビラとフインランドサウナ カップルとグループ・ユニット化」
「英語村 教育・海外交流・エリート」
「ミュージックキャンプ 教育・タレントとの交流・社交の場」

その5 「国防大学のゾーン」
これに関しては「項目」、内容とも記述なし。

あ〜、これらが実際に出来ていたら、行って見たいような、絶対行きたくないような…。
意味わからんのだらけだぁ。
93牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/25(水) 21:26:59 ID:2i36GTVA [ U232242.ppp.dion.ne.jp ]
奇妙キテレツ、摩訶不思議といっては失礼かな、「内外レジャーコンビナート」。
その目的といい、内容といい、分類・説明といい。

夢があるといってはまさにそうなのですが、住宅地分譲を生業とする企業のパンフとしてはかなり異質なのではないでしょうか。
用語の使い方にも一種独特なものを感じます。
全体の文章から推測するに、どうも一貫性が感じられないのです。
複数の人間が、寄ってたかって作ったように思えるのです。
ま、それはそれでいいのですが、ワシが思うにもしかして全体をプロデュースする人が居なかったのではないかなと。
否、あるいはたった一人の人が作ったのかも知れません。
何しろ、みょうちきりんです。

「ホテルゾーン」にあるのはホテルではなく、「リゾートマンション」であり、別に「共通フロア」(?)ってぇのを設けているわけです。
で、その"内容"はといいますと、これがとってもフツーなんですね。
「別荘の大衆化・会社の厚生施設」。
う〜ん…。

「都市感覚のレジャーゾーン」には「東洋一の120レーンのボウリング場」があるのですが、この「フランチャイズ方式」ってなんなのでしょう?
年間契約とか?
あるいはゴルフ場のように会員券を買うのかな?
それもレーンごとに?
う〜ん(汗

50メートルの公認「室内プール」も出来るそうです。
この「公認」とは誰が"公認したのか"は不明ですが、通常は「日本水泳連盟」が公認しなければそうは言えないはずです。
でも、この時点でプールは出来ていない。
出来てもいないプールを日本水泳連盟が"公認"するのでしょうか?
うぅ〜〜ん(泣
94牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/28(土) 20:58:08 ID:eRZGdCQc [ U121122.ppp.dion.ne.jp ]
そのまましばらくお待ちください。
95白石本通:2004/08/29(日) 00:02:51 ID:du2xPHbw [ EATcf-511p120.ppp15.odn.ne.jp ]
初めまして、2ヶ月かかって、やっと読み終えました。皆さんすごいですね。
『偕楽園』のあたりを読んでいた頃、ふと、泉のごとく疑問が湧いてきたのです。
北大植物園の南側 住所で言いますと、北4西10あたり。
民有地(?)が植物園に食い込んでいるのはなぜなんでしょう?
あと、植物園東側の境界が直線ではないことも気になります。
なぜそうなったのか?誰か御存じでしたら教えて下さい〜。
96牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/29(日) 20:50:38 ID:SWj.tth. [ U121152.ppp.dion.ne.jp ]
「札幌人 秋号」の原稿を書いたりなんだりで、忙しかったワシです。
原稿の場合、参考にした文献の考証をしつつ書かなければいけんので、なかなか大変な作業になります。

>>95
白石本通さん、お疲れ様でございます。
最近、オリンピックのせいか、夏休みのせいか、ネタのせいか、ワシが悪ぃのか、レスが付かない状態が続いておりまして、寂しい限りです(w
今後ともよろしくお願いします。
植物園に民有地(?)が食い込んでいるのは、「北2条西10丁目」ですね。
さてはて、なぜなんでしょう?
そして、確かに東側の道路が微妙に歪曲していますね。
なんでんだろう?
今回はちょっと、検証の暇がないもので、どなたかにお任せいたします。

さて、>>93の続きです。
「都市感覚のレジャーゾーン」ですね。
ま、これ自体、よく分からないキャッチフレーズなんですけど、それはそれとして…。
「カリビアンドーム」は「常夏の国の気象を再現するビッグドーム」なのです。
「気候」じゃなく、あくまでも「気象を再現」なんです。
大きく出たものです。

「ナイトレジャーゾーン」に至りましては、その内容は「ナイトレジャー50業種」であります。
「ナイトレジャー」というのは、そそられるものがございますね、ご同輩。
し、しかもですぜ、50業種となりますと、これはかなりの数です。
何を指して「ナイトレジャー」かと言う問題もございますけど、何はともあれ50業種です。
「業種」ですぜ、旦那。

「スポーツレジャーゾーン」は、冬はスキー(しかも"家族連れ"限定らしい)、夏はゴルフです。
そりゃま、かまわないのですが、スキーと言っても花川地区は平坦地でありまして、アルペンスキーは不可能と思われます。
人工スキー場もこの時代、その概念さえなかったと思われますに、こいつは…。
「レストゾーン」はすなわち、「ヘルスゾーン」らしく(?)、2階は「ギャンブルフロアー」なのです。
石原東京都知事がぶち上げた「東京でカジノを」という構想さえ、未だままならぬのに、三十年前に大胆に「ギャンブルフロアー」とは、これもずんごくないっすか?

あ、F1始まるな。
97真駒内川:2004/08/31(火) 17:35:03 ID:Hcx0JMaI [ pdd2e54.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
「スカンジナビア館」は一企業のよくある破綻物語でほじくり甲斐がないから、
ついて行く意欲が全く湧きません。m(__)m
98牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/08/31(火) 20:59:47 ID:O.LM5MHY [ y064051.ppp.dion.ne.jp ]
>>97
スカンジナビア館に関して思い入れのある方もいれば、全くない方もおられます。
そりゃ、当然です。

ただ、札北馬鉄の後半からスレが閑散としてきた雰囲気だったので、気分転換になればと取り上げてみました。
最初に書きましたが、これはレスを離れて一ヵ月半、ワシ一人でやっていた調査の事後報告ですので、あくまで番外編と見てください。
しかしながら、レスが付かなきゃスレにはなりません。
書いてナンボってのもありだと思うのです。

是非、新ネタご提示いただければと思います。
>>95の白石本通さんの質問に関しては、何か情報ありませんか。
99木工団地:2004/09/01(水) 00:50:51 ID:ZOEDwS46 [ ZF000050.ppp.dion.ne.jp ]
植物園のあたりですよねぇ。
このスレで拾ったか、他で拾ったか不明なんですが、
『大正7年』の『北海道帝国大学植物園及博物館平面図』なる
地図を見ています。
南西側の私有地、東側の曲がった道路も当時から、そのようです。
私有地との境には小川らしき物が有って、東側の曲線部は更に東側、
つまり7丁目側に突き出た丘のような物があるようです。
この写真、出所が不明+誰のものか不明なので、公開して良いのやら悪いのやら…。
そのうえ、写真のアップの仕方も良く解らず…。
100木工団地:2004/09/01(水) 01:03:41 ID:ZOEDwS46 [ ZF000050.ppp.dion.ne.jp ]
先ほどの件、出所が解りました!
『北海道建築士会札幌支部ホームページ』の「札幌古地名考その18・大学の川」
のところに出てました。
http://members4.tsukaeru.net/hks-sapporo/mati/sono18.htm
南西の私有地の件は不明ですが、東側の曲線部について、少しだけ
触れられています。
『道路をおかしく曲がっているがあのあたりにも大きな
「メム」があって、植物園の正門への小径はメムの中央を
埋めたてて作られたものであり、両側は池であったことを
知る人は少ないだろう。』
との事です。

後は、南西側の私有地ですねぇ。
101なまら名無し:2004/09/01(水) 17:45:18 ID:bnNTGCOk [ p3232-ipad64marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp ]
ふと不思議に思ったんだけど
稚内のノシャップ岬

根室のノサップ岬

元のアイヌ語は何?
同じ語源?
それとノシャップとノサップの違いは?

詳しいかたがた
よろしく
102牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/01(水) 21:44:25 ID:wab0RUqA [ U120097.ppp.dion.ne.jp ]
「スカンジナビア館」、続けましょう。
内外緑地パンフレットの別バージョンに、こんなページがあります。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1104  

ここに石狩市移転後のスカンジナビア館のカラー写真があります。
実はこの写真、かなり貴重なものではないかと思うのです。
石狩市教育委員会が発行した同市の写真集にもモノクロのものがあるだけですし、石狩市民図書館でもカラー写真が載った資料の存在は確認できませんでした。
おそらくはカラーでの画像公開というのは、(近年に限ってですが)ないと思います。
こちらがそのアップ画像です。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1115

ではこの写真、はたして本当に石狩市に移転後のものなのでしょうか?
これに関しては実は決定的な証拠というものがありまして、それが>>44で書きました、「+−の柱」の有無なのです。
周囲の風景の違いはともかくも、万博公開時には正面にこの象徴的な柱が建っていました。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1116 
(gtmさん提供)

文明のプラス面とマイナス面を現したこの柱(ちょっと類型的過ぎるけど)、石狩市移転の際には、建築上の問題があって再建されなかったらしいのです。
さて、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1104 
の中段のボウリングをする外国人女性ですが、この人が一年間、現・つぼ八花川店
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1103
である寮に住み込んだフォンランド人コンパニオンである可能性は、かなり高い…。
103木工団地:2004/09/01(水) 22:52:22 ID:ZOEDwS46 [ ZF000050.ppp.dion.ne.jp ]
≫101さま、
http://hokkaido.machibbs.com/bbs/read.pl?BBS=hokkaidou&KEY=1040201295
で聞いてみて下さい。
『北海道の地名』に詳しい方がいらっしゃいます。ご参考までに…。
104牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/02(木) 21:20:36 ID:gAGvCvCA [ U232204.ppp.dion.ne.jp ]
ということで、「牛鍋のヤツしつこいな」とお思いの方も多いかと思います。
>>102で書きました「フォンランド人」。
わざとだと思います?
へっへ〜、ほんとにまちがえました。
モチロン、フィンランド人ですがな。

んなわけで、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1105
を御覧ください。
このパンフはまた別バージョンなのですが、ここでは「新札幌団地」は「旧称」とされ、「ニュー・サッポロ・シティ」なる名称が登場します。
ことほど左様に、現在の「石狩市花川南」は、コロコロと名前を変えてきたのです。
ここらの変遷も調べ甲斐があると、ワシは思うとります。
この検証、誰もやっていないから、絶対面白いよ。

さて、アテネオリンピック日本選手団大活躍、駒大苫小牧校甲子園優勝、イチローは一段とトンでもなく、シューマッハはチャンピオンシップを獲得しましてスポーツ三昧の夏も過ぎました。
賛否の渦巻く中、夏休み特別企画としてお送りしてまいりました「スカンジナビア館と新札幌団地」ネタですが、本日を持ちましてひとまず終了とさせていただきます。
最後に、現在のスカンジナビア館跡地の画像を御覧ください。
この地は、前出でご案内いたしましたとおり、藤学園のテニスコートとなっております。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1117
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1118
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1119

注意事項。
藤学園テニスコートは私有地であります。
ワシこと牛鍋蝸牛は藤学園さんの許可を得て、今回の実地調査および写真撮影をいたしました。
くれぐれも勝手に敷地内に入り込まないでちょ〜だいね!
105gtm:2004/09/02(木) 21:51:59 ID:ne6AWW8. [ i60-34-153-139.s02.a014.ap.plala.or.jp ]
スカンジナビア館、最終回で寂しいです。
レジャー施設として移築されたとしか情報の無かった
幻のスカンジナビア館。その全てが明らかになった訳
ではありませんが、これ程掘り下げて語られた事は
なかった事でしょう。大阪万博閉幕後、各地に移築
されていった、幾つかのパビリオン。それぞれに
物語があって興味深いです。どうもありがとうございました。
10684:2004/09/03(金) 19:25:27 ID:jsjQrhFo [ p2015-ipbf07sapodori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
>>86
亀だけどサンクス!
107真駒内川:2004/09/04(土) 22:43:12 ID:jS.Fu3Ys [ p624097.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
−−お知らせ−−
明日、9月5日午後1時より真駒内竜神祭があります。
縁日もありますので、ぜひお越し下さい。
御輿も出るそうです。
場所は真駒内南町1丁目、真駒内川河畔です。
なお駐車場はありませんので、公共交通機関(地下鉄、バス、馬、籠など)を
ご利用下さい。
−−−−−−−−
で、この竜神について色々と書きたいことがあったのですが、
スレ違いなのでやめときます。
108新川番地:2004/09/04(土) 23:25:02 ID:F3t7VY12 [ YahooBB219041108053.bbtec.net ]
>>107 真駒内川さん

いーんじゃないですか 多少のスレ違いは
興味あるんですけどー
109牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/04(土) 23:46:21 ID:vgoF9nzk [ L066251.ppp.dion.ne.jp ]
いっやぁ〜、もう大好評のうちに終わりましたね、スカンジナビア館。
gtmさんのサイト更新、楽しみにしております。

さて、ワシからもご報告。
先日、北区の小学校で先生をされている方からメールいただきました。
「札幌飛行場」を授業で扱いたいので、会って教えてもらえないだろうかとのこと。

ワシは専門家でもなく忘れていることも多いので復習をしたい由、また、「札幌人」の原稿を書いている最中であること(苦戦中)、それと本業が月末月初は忙しいなどの理由で、あと10日ほど、お時間をいただきたい旨お返事を差し上げましたが、授業まで日にちがないそうで、スレを元にしていただくということで今回は落ち着きました。
本来は会ってお力になれるものならなりたかったのですが、体は人一倍でかいものの、やはり一つしかないのはいたしかたなく、誠に残念ではありました。
ともあれ、子供たちの勉強に役立てるとは、えっへん!なかなか光栄であります。

さて、植物園問題、もうひとつの方が残っていますね。
まずは、現地へ行くしかないかもね。
110牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/05(日) 21:45:49 ID:yzLpHatY [ U232051.ppp.dion.ne.jp ]
スレネタとは離れて恐縮ですが、「石山」の実地調査へ行ってきました。
札北馬鉄よりはメジャーな、市電になった方の馬鉄の調査です。
「石山緑地」とか、割といい感じの写真なんか撮れました。
しかし、先ほど当時の地図を見てみますと、文献頼りに行った馬鉄駅跡、実際には微妙にズレていたのです。
きゃは!

いや、笑っている場合ではない、こりゃえらいこっちゃ。
原稿締め切りの10日まで休みがないので、当日写真撮ってその足で原稿を収めなければなりません。
いつも行ってから後悔するのですが、実地調査は下調べが大事です。
段取り八割ってヤツです。
111真駒内川:2004/09/06(月) 00:34:49 ID:eMUPGmJs [ p624097.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
本日竜神祭に行ってきました。
結構な賑わいで、まだ14回目とは思えない盛況ぶりでした。
(でも焼きそば、味薄かった。景品のクラッカー、賞味期限切れ..._| ̄|○ )
で、107で私は「御輿」と書きましたが「神輿」の間違いでござます。
アホなIMEに頼るとこういう間違いで恥をさらします。
しかしこの神輿、子供神輿だったのですがリヤカーに乗っけて曳き歩いてました。
「曳き歩くのは山車だよなぁ、神輿はやっぱり担いで振らなくちゃなぁ。」と思いつつ帰ってまいりました。
でもこの竜神塚の祭神ですけど、神輿が似合うようなお方じゃないんですよ。
これ以上はハゲしくスレ違いなので止めときますが、気になる方は各自でご確認下さい。
過去レスを記憶してる方でしたら「こ、これは!」と思うはずです。
112あぼーん:あぼーん
あぼーん
113三角山:2004/09/06(月) 16:21:03 ID:/W31N.9Y [ K097131.ppp.dion.ne.jp ]
>>111真駒内川さん。
本題がスレタイに合致しているので、
多少のすれ違いは大いに結構だと私も思います。
お祭りの様子など含め詳しくご報告下さいませ。
お持ちしております。
114牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/06(月) 20:31:46 ID:llUTVoDM [ U125037.ppp.dion.ne.jp ]
>>112
レースに参加していないのによくコースに乱入する、元司祭ニール・ホラン(57)さんですね。

>>113
三角山さん、お初ですね。
よろしくお願いします。
そのとおりですね。
ま、あえて言うなら、札幌の森羅万象を扱っている本スレですから、「スレ違い」なんて言葉、自体大した意味は持ちません。
レスした人がへりくだって使っている、謙遜語です。
日本人の美しい習慣です(w

北大植物園に住宅地が入り込んでいる(あるいはその逆)問題ですが、
http://www.hokudai.ac.jp/fsc/bg/history/history.html 
を見ますと、植物園の敷地は最初から今のような形ではなかったようです。
段々と面積を広げていったのではないかと思いますが、今後の調査が必要です。

さて、申し訳ないのですが(へりくだっている)、古いネタを…。
実は以前やりました「南区六万坪・九万坪・十万坪」の件について。
もう一年以上前になりますけど、新川番地さんよりご提示のありましたネタです。

先日、札幌資料館に行きまして、「郷土誌藻岩下」(札幌市南区藻岩下連合会 兵線15年3月)を調べていましたら、「第二章藻岩下の夜明け」に「九万坪を開いた」との項がありました。
ここに書かれている住民の方の指す、「六万坪」、「九万坪」は今までに調べたものとはちょっと違っていました。
で、「十万坪」は出てこないのです。
なかなか難解です。
115Q:2004/09/06(月) 21:28:07 ID:agv/3Bsk [ proxy303.docomo.ne.jp ]
思わず「十万坪」に反応してしまいました。

当別青山や桂岡にもありますし、まだ他にも、あるやもしれませんね。
当方の先祖は、北海道の開拓入植者ではありませんが
よく「十万坪」・・・入植開拓すれば十万坪まで提供する
このイメージがあります。

ところで皆さん、札幌市に海はあるとおもいますか?
(新川番地氏が詳しそうですがw)
116真駒内川:2004/09/07(火) 00:09:03 ID:qfDKIEtw [ p624097.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
まずはこの写真をご覧下さい。これは先日の竜神祭の時に撮影した物です。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1123
奥にあるのが竜神塚です。祠より目立つステンレス製の賽銭箱が特徴です。
つぎの写真は、別の日に撮影した物ですが竜神塚のご神体のアップです。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1122
(逆光だったので思い切りストロボたいてしまいました。大変バチ当たりです)
よく見ますと雲か渦巻く水の上に女性が座っているように見えます。
そしてその下には口を開けた竜らしき物があるように見えます。
ここで感のいい方は解ったと思いますが、これは七面天女ではないかと私は考えています。
以前「その十参」で取り上げられた七面宮で出てきました七面天女のことです。
この七面天女は日蓮宗の守護神ですから祭事は仏式かと思いきや、
神主さん(どちらの神社からの派遣でしょう?)がいらっしゃって祝詞をあげられ、
榊を奉納して2礼2柏手1礼の神式であります。おまけに神輿まであるではないですか。実に奇妙な感じです。
つづく...
117真駒内川:2004/09/07(火) 00:14:02 ID:qfDKIEtw [ p624097.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
「奇妙な感じ」の続きについては後ほどやりたいと思います。
さて、いわゆる神祀りをするにはその場所に必然性がないといけないわけで、
当然この竜神塚にもそれはあるわけです。調べますとその創立について南区のHPやいくつかの文献に取り上げられてました。
その一つに「まく・おまない」(真駒内あすなろ会/編)に記述がありますのでご紹介します。
(南区のHPにも同様の内容があります。)
***
竜神塚
真駒内南町1丁目の真駒内川河川敷地にある小祠内に石像がおまつりされています。
 1879(明治12)年、真駒内牧牛場で真駒内用水路を開削した当時、
この辺は原始林におおわれ、真駒内川が蛇行した辺りに、大きな淵があり、蛇塚があったと言われています。
 明治の後半、平岸、豊平、上白石、白石にも水田が普及し、この水を利用する農家が水利組合を結成しました。
この人々の間に竜神信仰があり、雨ごいの風習もあったと言われています。
 1915(大正4)年5月、蛇塚に竜神の碑と祠を建立し竜神塚として春の水開きと秋の水落としに、お祭が行われていました。
真駒内が住宅地化されてきた1972(昭和47)年、駒岡の吉川沢美さんが野ざらしになっていたものを引き取り、
自宅の虹鱒養魚他の一角に移し毎年6月に竜神祭りを行なっていました。
1990(平成2)年8月に真駒内の有志発起人の手でゆかりの地に戻り、
祠を新しく建立し「真駒内竜神塚をお守りする会」が発足、9月に竜神祭りを復活しました。
***
つづく...
118真駒内川:2004/09/07(火) 00:20:41 ID:qfDKIEtw [ p624097.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
このなかで、「真駒内用水路」というのが出てきますが、これは後の「豊平・白石・上白石・平岸四箇村連合用水路」の
一部になっているようです。
これは以前にちょっと話が盛り上がった「精進川」に関係したお話に関連しています。
この精進川より分岐し平岸街道を通って白石米里方面に延びた用水路が有ったことはご存じだと思います。
つまり「豊平・白石・上白石・平岸四箇村連合用水路」のことです。
「さなぶり」(東裏親交会/編)にこの用水路工事についての記述がありますので一部をご紹介します。
***
竜神さま
平岸本村は、入植早々に水がなくて困るのに、東裏には、小さいが天然の川があったほか、
今の東山の麓あたりには湧水もあって、はじめの間は水で困ることはなかった。
だが、それが水田造りとなると、とてもそれでは間に合うわけがなかった。
用水路は、明治25年、豊平村、平岸村(本村・東裏)白石村、上白石村の四か村有志総代により開さくすることになったが、
道庁による補助奨励金の支出、工事の許可を数回にわたって陳情したのにその都度却下される。
27年、やむなく四か村連合用水組合をつくる。四か村の農民の総力によって、まず真駒内川と精進川との水を平岸本村用水路に引き、
あと、平岸東部、東裏、美園、豊平、白石、上白石を通って東米里で望月寒川に注ぐ水路を開さくする。
 この時も、重延久太郎、卯平の父子は、進んで用水組合長、阿部仁太郎をたすけ、工事の完成に力を尽した。
用水路は水田化をうながし、水田化は東裏への入地をうながした。
水田が増えると、日照りつづきには水不足で、水不足は水争いにつながった。
********中略*********
119真駒内川:2004/09/07(火) 00:24:23 ID:qfDKIEtw [ p624097.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
 昭和5年、四か村連合用水組合総会は、そのことで精進川水門わきに「竜神山祠」を勧進するの件を提案、
いわゆる「雨乞い」をすることになる。
精進川をさかのぼること、およそ二十キロメートル、そこに一二五一bの空沼岳を見る。水不足のもとをただせば、
そこに雨が降らないのが原因である。人々は水門わきもさることながら、水源の山に直接祈ろうと考える。
まず、四か村からえらばれた五十人の男達が、揃いの白い装束をつけ、一様に修験者になったような気になる。
毎年、それは雪融け水がなくなる6月になって行う真剣な年中行事であった。
つぎに、屈強の男達によってご神体が背負われる。ご神体、実は竜神をまつる軟石で、目方はおよそ四十キログラム。
そうして、他の男達は、御神酒をはじめ、供物を背負う。
空沼岳に達して真簾沼に至ると、うやうやしくご神体をおろす。供物を神前に供える。一緒に行った神官とともに、「今年もまた、どうぞ水不足のおきませんように」と祈る。
 川上の東裏の者はもちろん、川下の上白石の者に至るまで白装束の男達は、いとも敬虔なそぶりで祈る。
********中略*********
いま、ご神体の石は、石山常盤の桐越家によって小さな祠をたてられ、大切にまつられている。
***
この「竜神山祠」ですが、ここで精進川水門わきと書かれていますけど、実は「真駒内用水路」の取水門の事のようです。
「真駒内用水路」を取り込んでいたので取水の水門は真駒内川河畔にありました。現在、真駒内用水路は一部真駒内駐屯地内を通り精進川に注いでいます。
これらの話に具体的な年月が含まれていますし、用水の開削についても正確な裏がとれますのでほとんど信じていい内容のようです。
つづく...
120真駒内川:2004/09/07(火) 00:42:54 ID:qfDKIEtw [ p624097.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
この二つの文献から読み取ると、真駒内用水路を明治12年に開削した後の大正4年に「竜神塚」を建立し、
さらにそこへ昭和5年に4箇所村連合用水組合が「竜神山祠」を勧進されたと考えられるのですが
どうでしょう、皆さんのご意見をお願いします。
しかし、これらの文献を調べているうちにまさか「東裏」まで関係してくるとは正直思いませんでした。
さて石山常盤の桐越家によってまつられたとされているもうひとつのご神体ですが現在違う所にあるようです。
こちらで紹介されています。(現地は確認しておりません)
ttp://tokyo.cool.ne.jp/sunpillar/soranuma/soranuma05.htm
この左上の写真を見ますと真駒内竜神塚のご神体と非常によく似ています。
ただ、彫刻のタッチがかなり違うので同時期に作られたものではないことがわかります。

ところでこの「豊平・白石・上白石・平岸四箇村連合用水路」は当時用水路があった地域にとってまさに生命線であったことが
これらからも判りますが、豊園小学校の校歌の中にそれを象徴的に表している部分がありますので紹介します。
(1番)
「みはるかす石狩の野
拡がるごとく 豊園に
集える児らよ
学び鍛えて きり拓け
おのが行くてを
空沼の 水めぐり来て
ささやき かくる」
この中歌詞の中に「空沼の 水めぐり来て」という部分があります。
用水は直接には精進川から取水してるのですが、あえて真駒内川の源流である空沼を歌うのは
それだけ水不足が切実だったと言う証拠ではないかと思います。
つづく...(本日はこれまで、もう寝るぞ!)
121三角山:2004/09/07(火) 10:54:26 ID:DyKWdz1g [ N017213.ppp.dion.ne.jp ]
私は>>81&89です。新参者ですが宜しくです!

真駒内川さんお疲れさまです。
続きを楽しみにしております。

北大植物園の一部が民有地になっている件ですが、
何かの理由で民間に払い下げになったのでは?と推測していましたが、
どうやらその逆のようですね。
植物園史を読む限りでは、“あの一角だけ寄贈されなかった”
と言うのが濃厚かもしれませんね。
122真駒内川:2004/09/07(火) 19:50:11 ID:qfDKIEtw [ p624097.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
では昨日のつづきから、
ちょっと余談になりますが、真駒内にエドウィン・ダン記念館がありまして
真駒内地区の開拓当時から現在に至る資料が展示されています。
公開されている資料の中に米軍が駐留していたキャンプクロフォードの航空写真があり、
そこには真駒内用水路が写っています。
おもしろいのは地図に残る種畜場時代に開削したルートと航空写真に写っているルートが
非常によく似ていると言うことです。
これは米軍はキャンプ建設の際に、下流での水利を認識していた事と思われます。
現在の真駒内駐屯地内は米軍キャンプ時代の道路配置がほとんど変更されておらず(まだ現存する建物が多数あります)、
用水もほとんどそのまま残されているようです。(池などはなくなっています)
つづく...
123真駒内川:2004/09/07(火) 20:00:54 ID:qfDKIEtw [ p624097.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
話を元に戻しまして、ここまでは四か村連合用水の重要性はよく判ったのですけど、
雨乞いをするに当たってなぜ「竜神山祠」として七面天女(?)を祭ったのかという疑問が残ります。
水神ならば他にも色々あったはずです。
たとえば京都の貴船神社の龍神・高龗神(たかおかみのかみ)の様な性格(?)の神でも良かったと思えます。
調べを進めるうちに今はもう無くなった厚別の白竜神祠のことが書かれた文献を見つけました。
以下に「白石歴史ものがたり」(札幌市白石区老人クラブ連合会編)からの要約を書きます。
***
厚別に金沢農場がありました。その農場主の金沢彦吉さんが後妻に迎えたモトさんは農場の一角に
馬頭観音を祀るなど大変な信心家でした。
このモトさんと親交のあった札幌の「修験者」中川某氏が、「農場のある池の白竜が住んでいる。手厚く祀れ」
と龍神様のお告げがあったと言った。
龍は水中に住み、自由に空を飛行して雲をおこして雨を降らすという。
龍神は雨や水中の動物を支配する神様である。
農家にとって恐ろしいものの一つに霜害があり、水害がある。一度これに見舞われると収穫が皆無になることさえあります。
このため、農家は龍神を崇め、日照り続きの時は、供物をして雨乞いをした。
敬神の念のあついモトさんは家内安全、商売繁盛、五穀豊穣を祈って昭和14年池のそばの小高い所に白竜神祠を建て、
翌15年に神殿と拝殿を建立して、神主(修験者)坊さんを招いて神式仏式の入魂式が行われた。
***
ここも四か村連合用水と同じような理由で龍神を祭っていたことが判ります。
「札幌の修験者」が出てきますが、宗派を特定する決め手がないのですけど、
「龍神」を口にする所を見ると日蓮宗の疑いが強いと思われます。
少し見方を変えてみて、修験者の修行と言えば水(滝)行。札幌の水行と言えば、平和の滝です。(かなり強引でした)
昭和7年に神道禊教の添田正が、ここに「白竜明神」を奉ったと言われています。
その後日蓮宗日登寺がここに法華修行の場とする運動を始め、昭和12年に付近の国有地の払い下げ許可を得ています。
戦後は日蓮宗経王寺が昭和26年に日登寺から移譲を受け道場を建立しています。
その経王寺は昭和30年に本山の久遠寺より「北海身延」の称号を受けています。
このあたりは時間的には合ってるかなと言った感じですが、修験者が日蓮宗という決定的証拠というところにはほど遠い感じです。
つづく...
124真駒内川:2004/09/07(火) 20:09:10 ID:qfDKIEtw [ p624097.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
かなり話が複雑化してきましたので少し整理します。
前述した事例を見較べると入植当時の民間信仰が少し見えてきます。
見えてくると言うより当然行き着く所なのでしょう。
元々日本人は、神が「もの」によりつくものだと考えていました。そのためいろいろな神が存在すると考えていました。
それは、火や水、山、石、太陽、倉、さらに動物など様々です。人々は自分たちの生活に影響を与える「もの」に脅威を感じ恐れたからです。
その「もの」が人間に危害を及ぼすと考えたとき、それを神の「祟り」と考えました。
つまり神が「祟る」ので「鎮める」ために「祭る」ことをするわけです。
そのため日本の神は「祟る神」といわれるのです。外国の神が起こすような「奇跡」など本来はないのです。
人々は祟りが起きないように常日頃から祀ることをするようになるわけです。
我々は神社へ行ってお願い事をすることがあります。
その時に「病気や事故にあいませんように」と祈るのは正解ですけど、「金が儲かりますように」と祈るのはバチ当たりというわけです。逆に祟られます。
農家の人たちが稲作や畑作をする上で恐れるものに水害や日照りがあります。
ですからそのようなことが起きないことを祈って、水(川)の神の化身としての龍神を祀ることになるのは当然といえます。
雨乞いや晴れ乞いは逆に「水神の怒りだ」として供物をして一層祈ることをします。
ただ、逆ギレ的にご神体を川に投げ込んだりする例もありますが..。
札幌に入植した人々にも同じ感覚で水神を祀ることがあったに違いありません。
水の流れる所、湧き出る所、使う所などそこの人々にとって大切だと感じた所に祀って行ったのでしょう。
ただ原始時代ではありませんから、最初は小さな祠で水神を祀っていたものが、いつの間にか祭神が入れ替わって神社になって行ったり、
仏教徒が圧倒的に多かったため天女を奉る形になっていったのではないでしょうか。
つまり、厚別の白竜神祠の場合にはいきなりお告げにより神仏混合で始まってしまいましたが、
真駒内竜神塚の場合は真駒内用水路の取水口を造った際に蛇退治をしたため(又は川を神格化し神使とした蛇?)に
その祟りを恐れて蛇塚を建て祭っていたのではないかと私は考えています。
その当時は大きな石にしめ縄をつけた程度の極簡単な物だったのではないでしょうか。
その後に四か村連合用水組合があらためて竜神塚を建てる際に
「ご神体が石っころじゃあ失礼ぶっこくってもんだろぅ、どうするべぇ」となったのでしょう。
出身の違うそれぞれの各村が崇拝する水神は違ったはずですからまとまらず、共通する信仰である仏教で
地域の中心にあって札幌における日蓮宗の最初の寺院であり活発に布教活動を行っていた経王寺の影響で水神を祭るなら七面天女に汁!
というわけであのようなご神体になったと考えております。
かなり強引で最後に栓抜き攻撃の反則技連発の推測ですので、皆様のご意見をお願いいたします。
つづく...?
12518丁目:2004/09/07(火) 21:00:37 ID:85Ta9Npc [ p23102-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
真駒内川様お疲れ様です。
真駒内、平岸(本村、東裏)、美園、豊平、白石、上白石の地域的連続性がよーく
わかるレポートで面白いですね。
経王寺や七面さんとの絡みも、過去スレからの繋がりがあって興味深いです。

特に新ネタはないですが、今日開通の平和大橋さっそく通行してきました。
便利になりましたよ。
126なまら名無し:2004/09/07(火) 23:29:17 ID:X7epcPMM [ ppp0741.va-spk.my-users.ne.jp ]
>>115
>ところで皆さん、札幌市に海はあるとおもいますか?
ある。
以前、海水浴場まで「札幌市営バス」の季節路線があったし
新川の先は海w
127真駒内川:2004/09/08(水) 00:15:30 ID:8rzkr3.k [ p624097.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
ツッコミがないようなので先に進みます。
ここまでの話でもかなり異論反論があると思いますが、
私は例の「難得神社」にも似たような事が言えるのではないかと考えています。
真駒内竜神祭での「奇妙な感じ」と共通する感覚なのです。
以前に私は難得神社と七面宮が重なって見えるというというレスをしていますが、
これは外見上のことではなくて根底にある信仰にあると言う意味です。
難得神社には日蓮宗経王寺が関わっていたことは皆さんの調査によって判ってきましたが、
その中で「・・・難得大龍神をお授かり、豊平地区の大地主より水車町の現在地を購入、庵を構えた・・・」という部分があります。
しかしよく考えてみますと、難得大龍神とは即ち七面天女のことであって、水神であるわけです。
先に水神を授かってから奉る土地を購入するというのは話の順序がちょっと変です。まあ文章の書き方の問題だと言えばそうなのでしょうけどね。
さらには、修行をしたからと言ってその者にいきなり水神を授けるか?と言うことです。これには必然性が全く感じられません。
もっと疑問なのは経王寺から難得大龍神を授かったのならなぜ神仏習合様式なのかということです。

元々難得神社の前身は荒れ狂う豊平川を鎮めようと祭っていた水神ではないかと私は考えています。
明治や大正の地図でこの地域は一時期中の島と同様に中州状態だったことが判ります。
(中州と言えば福岡!烏骨鶏ラーメンがとってもまいうー)
ここの対岸近くにある鴨々川水門は明治時代に幾度も流失し付近が浸水の被害に遭っています。
ですから自然の破壊力に神威を感じ恐れ、これを鎮めようと思う住人が出るのは自然だと思います。
どなたかがレスで書かれてましたが、切り株なのか石ころなのかイワシの頭なのかわかりませんけど、
何か神の寄り付く物を置いて祭っていたのではないかと考えております。
ところで現在、近くには水神を祭っている豊平川神社があります。
こちらは明治20年創祀で昭和48年に現在地に移されたとされています。
しかし豊平川神社の元の位置が現在地付近にあったとして明治20年当時の地図を見ると、
その位置は豊平川から離れていて水神を祭るような関係には見えません。
本州各地で川の水神の多くは堤防のすぐ外側にあって、中には内側にある祠というのも見られます。
その例から見るとやはり難得神社の位置のほうが豊平川により近く、ほとんど川縁で水車川の取水口付近という状態で、
非常に相応しい場所だと言えると思います。
ちなみに私は豊平川神社が実はここから分祠されたのではないかと疑っております。

つぎに、この場所に難得大龍神を祭るようになった経緯の不自然な点です。
元のここの地主が経王寺の檀家総代だったという記録がありますが、これはおそらく信用して良い内容だと思います。
すると難得神社の創始者の方が修行をされている間に地主と接点があったと考えられます。
その中で難得大龍神や土地の水神の話のやりとりがあったのではないでしょうか。
たとえば、
(地主)「うちの土地に川の水神様が祭っておるんじゃが守る人がおらんけん困っとるんよ」
(住職)「ほう、ここで修行しとるご婦人がおるけぇ、頼んでみたらどうじゃろ。ついでに龍神さんを授けるけ。
     なぁええやろ?」
(創始者)「ええよぉ、ほなーそこの土地を売ってくれへんやろか。」
と言う会話(いったい何県人だ!ごちゃ混ぜじゃん)だったかどうか誰が言い出しっぺだったのかハッキリしないので判りませんが、
近いやりとりがあったのではないかとかんがえています。(非常に失礼ぶっこいております)
そんなわけで結果的に、神式で祭っていた所へ日蓮宗が乗っかったために神仏習合様式になったのではないかと考えております。
(もうつづかないかも...)
128なまら名無し:2004/09/08(水) 19:38:44 ID:WlWxBuu6 [ ppp0624.va-spk.my-users.ne.jp ]
>>126
新川の先は小樽市です。

>以前、海水浴場まで「札幌市営バス」の季節路線があったし
十線浜(ドリームビーチ?)
市外なので貸切じゃなかったですか?
129牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/08(水) 22:49:55 ID:W5Q1yBpE [ U124137.ppp.dion.ne.jp ]
>>127
突っ込みたくても、台風18号並みの怒涛のレスのため、ワシ自身消化できていませんねん(w
「北大植物園」の件、「十万坪」の補足の件など宿題が残されていますし、例の締め切りも迫っていますので、「難得神社」のことに限ってレスします。

これに関しては、
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/13_log.html#178 と#179で、すでに真駒内川さんと意見が違っているのですが、ワシの解釈では「難得神社」の起源はあくまでも「中西みゆき」さんが開いた「講」である、ということに重きを置いています。
宗教うんぬんよりも、地域に根ざした講という側面が圧倒的に大きいと思っているのです。
実際、現在でも神社の祠の中はそういう設定です。
サイドボードもテーブルも置いてあって、お菓子もたくさんあって…。

では、なぜ、ここで龍神様かと言いますと、これは推測になりますが、みゆきさんが四国から持ってこられ、その後、難得神社のご神体になった"それ"が龍の形をしていたからではないかとも思っています。
ネットで発表することでもないので"それ"が何かは書きませんけど、間違いなく龍の(ような)形をしているそうです。
ということで、治水とは直接は関連がないのではないと思います。
その昔、講以外、地元以外の人でよくお参りに来られたのは、ススキノの水商売の女性たちと、消防関係の方々であったということですしね。

それと、補足ですが、http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/13_log.html#155 で書いてそのままにしてしまいましたが、「廃仏毀釈」と「神仏混交」に関して。
我々は「神仏混交」ということを特別なことと思いがちなのですが、よく調べてみますと、こいつは古来より日本では当たり前のことであったようなのです。
王政復古をめざす明治政府の国策のため、神仏分離政策が行われ、廃仏毀釈が横行するまではね。
もともと、日本では、仏様も神様も一緒に仲良く暮らしておられたわけです。
神仏混交であることは、ごくごく当たり前なことと受け取るのがよろしいのではないかと、ワシは最近そう思っています。
130真駒内川:2004/09/08(水) 23:55:15 ID:s4UqJzWI [ p29d806.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
>>129
色々と解釈なりがあって良いと思っておりますので特にコメントする事はございません。
ひとつだけ、「中西みゆきさんが開いた...」という処にこだわると、日蓮宗から派生した
単なる新興宗教といった捉え方になってしまうのではないかと思っております。
停電の中で過去レスを読み返していた私としては「本籍水車町」さんの感じ方に近いのかなと思っております。
まあ、私としてはそんなちっちゃなことをつついてピーピー言うつもりは無い訳でして、
開拓当時の札幌にはこう言った仏教に根ざした民間信仰が各所にあって、その中でも日蓮宗の影響が大きいのだと
言いたいがために延々と述べさせてもらったのです。
そこんとこよろしく!!!!
=追伸=
本日の台風通過により、真駒内竜神塚の周囲の樹木が強風により根本から倒れ、悲惨な状態になっています。
数日前にはお祭りで大変な賑わいを見せていたのが嘘のようです。
しかし木は竜神塚を避けるように倒れていまして、すこし角度が違えば直撃という状況の中で
これも神威といえるのではないかと感心しています。
以上、現場からのレポートでした。
131牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/09(木) 20:36:47 ID:xPSu7s4k [ U124080.ppp.dion.ne.jp ]
遅くなりましたがQさん、「十万坪」って東京や茨城にもあるみたいですね。
この響き(ジュウマンツボ)って、なんだか時代劇がかった響きがありませんか?

では、なぜか「十万坪」は出てこない、資料館で見つけた「第二章藻岩下の夜明け 九万坪を開いた」からの抜粋。
地元の高橋さんと言う方のお話です。
「一万坪減っちまったじゃね〜か!の巻き」(嘘)

「私の祖父高橋三郎次は、山形県人で博徒として明治二十五年頃当別に入植しました。その後、明治三十四年頃山鼻九万坪に、小作人として入植し、開墾に努めたと聞き及んでいます。当時の地主は、豊平の¬ヨ「かねよ」と呼ばれる屋号の人だったという話です。
明治四十二、三年頃、郷里から次男であった私の父丑蔵を呼び農業を引き継いだそうですが、当時の九万坪は鬱蒼とした森林で、道は細いけもの道で、二、三戸の開拓農家がおがみ小屋を建てて生活していたようです。
山鼻川右岸は、当時九万坪と呼ばれ、左岸は、地主が大場木工場で、佐々木、関井の二戸が小作として入植していましたが、後に二戸共川沿方面に引越し、その後伊藤茂雄が地主となったようです。また、今のスキー場のあたりは、六万坪といっていまいたが、地主は札幌農園で、後にスキー場建設のため札幌市に売却したそうです。
かつては、現在の兎平の下方に湯殿山神社(蛇を祀っていたといわれている)があって、その上方を奥の院と呼んでいました。以下略」

御用とお急ぎでない方は、過去ログの「六万坪or九万坪to十万坪」と比較検討してみてチョウダイ。
なんだか、以前の調査と整合しないような気がしませんか?
ちなみに、この地域のランドマークである「ゆとろぎ」潰れたそうです。

明日は写真撮影やり直しのため、「石山」に行っております。
彼の地で腹の出た大男が写真を撮っていたら、間違いなくそいつはワシですわいな。
132なまら名無し:2004/09/10(金) 09:46:10 ID:5LJ6D2LM [ YahooBB219003162167.bbtec.net ]
ゆとろぎは近所の銭湯に負けたのさ
133牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/12(日) 11:55:56 ID:58Riviro [ U120143.ppp.dion.ne.jp ]
南区の「六万坪、九万坪、十万坪」は、思えば昨年の7月に話題に上った地域です。
大まかに言いますと、現在の「南区藻岩下」地区のことを言った名前です。
しかし、ほぼ同じ地域に三つの名称がありまして、ワシも未だ混乱しています。
整理しましょう。

まず、新川番地さんが、十年くらい前に仕事で調査したところ。
つい先日潰れました、「ゆとろぎ」の裏手でその調査資料は、「九万坪」となっている。

次、西創成の当時のレスを要約。
みなみ区ふるさと小百科(平9・南区役所市民部総務課発行)には、
「藻岩下の地名。山鼻川の右岸地区は、明治30年に払い下げられ、六万坪と呼ばれていた。
昭和33年に市民スキー場が開設され、その隣接地区が九万坪と呼ばれ、桂の木が多かったことから桂ヶ岡とも呼ばれた」とあった。
小百科の九万坪の欄には、『参>札幌地名孝・214P 山鼻川』とあった。

で、ワシの手持ちの資料。
「さっぽろ歴史散歩」(山崎長吉著)の「藻岩下中継地」から。
「軍艦岬を過ぎるところは、藻岩山の裏手、すなわち南側の傾斜地で、栗割までの豊平川と藻岩山にはさまれた狭い地域である。藻岩下の地名が定着しているが、別に上山鼻と言った時期もあった。古くは十万坪と呼ばれていたこともある。(中略)
さて、藻岩下のこじんまりとしたところを区切って景観を考えると、ここは明治三年の南山鼻の入植で、世にいう十万坪の開墾が始められた。しかしそれは正確には場所を示すものがない。十万坪は広さをいうことから地名化したものである。つまり本願寺開墾のことである。開拓使当初から軍艦岬と称するのは、今の割栗の岬をさし、のちに現在の尾根の端しをいうように変わった。つまり砥石山の岬から藻岩山の岬に変わった」
134牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/12(日) 12:01:31 ID:58Riviro [ U120143.ppp.dion.ne.jp ]
で、ワシの手持ちの資料。
「さっぽろ歴史散歩」(山崎長吉著)の「藻岩下中継地」から。
「軍艦岬を過ぎるところは、藻岩山の裏手、すなわち南側の傾斜地で、栗割までの豊平川と藻岩山にはさまれた狭い地域である。藻岩下の地名が定着しているが、別に上山鼻と言った時期もあった。古くは十万坪と呼ばれていたこともある。(中略)
さて、藻岩下のこじんまりとしたところを区切って景観を考えると、ここは明治三年の南山鼻の入植で、世にいう十万坪の開墾が始められた。しかしそれは正確には場所を示すものがない。十万坪は広さをいうことから地名化したものである。つまり本願寺開墾のことである。開拓使当初から軍艦岬と称するのは、今の割栗の岬をさし、のちに現在の尾根の端しをいうように変わった。つまり砥石山の岬から藻岩山の岬に変わった」

「さっぽろ文庫 札幌収穫物語」には、
「ところでここ山鼻は、札幌扇状地の扇央にあたり、豊平川の乱流による地形の凸凹と石ころごろごろ、しかもユクニクリ(シカの多い所)、とてもとても入植すべきところではなかった。
しかし明治二年、東本願寺は八垂別まで一里、道路を開削し、上山鼻に十万坪を開墾、伊勢国桑名から農家二戸を移住させた。これが山鼻入植のはじまりである」

「山鼻創基八十一周年記念誌」(昭和三十二年)
「この本願寺の事業中、最も大きなものは、札幌と西長流間の道路開墾である。延長実に二十七里、橋梁百十三、谷間の板敷き十七、これに要した費用一萬八千五十七両、完成日子一年半と称されている。
なお現如上人巡錫来札の砌り、管刹所から八垂別に至る巾三尺延長一里の新道を切開き、上山鼻に本願寺開墾地として十萬坪の下附を受け、伊勢国桑名から、農家二戸を移したのが、山鼻地区に於ける農家移住の始めである」

で、>>131
「第二章藻岩下の夜明け 九万坪を開いた」の記述ですね。
「山鼻川右岸は、当時九万坪と呼ばれ、左岸は地主が大場木工場で、今のスキー場のあたりは、六万坪といっていた」
135牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/12(日) 12:27:15 ID:58Riviro [ U120143.ppp.dion.ne.jp ]
どこがどこだか、何がなんだか分かりづらいでしょう?
地域は「藻岩下」ですが、どうやら「山鼻川」がヒントになりそうです。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1124
「藻岩下」地図をアップします。
山鼻川、分かりますよね。
しかし、「南区藻岩下」ってのも、古い地名の割にはあまり知られていないでしょうね。

「みなみ区ふるさと小百科」は「さっぽろ文庫1 札幌地名考」が元だそうですので、こちらを見てみましたら、確かに「山鼻川」の項に同じ記述がありました。
「明治三十年に払い下げられた山鼻川右岸が、六万坪」、「市民スキー場の隣接地が九万坪」。
山鼻川右岸と言ってもかなり広いんですよね。
スキー場隣接地と言っても、どこまでなんだかわからないし。

また、同書の「藻岩下」を見ると、
「旧札幌郡山鼻村字上山鼻である。明治三年(1870)東本願寺現如上人が山鼻村から八垂別までの新道を開発したのが開基といわれ、同六年、東本願寺が10万坪の土地を政府から下付され、伊勢、桑名(三重県)の農家二戸を入植させたところから、東本願寺開墾とも呼ばれた」ということで、六万坪、九万坪は出てきませんねん。
う〜ん…。
136なまら名無し:2004/09/13(月) 20:06:07 ID:I0cRehCE [ p3176-ipad86marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp ]
>101

なにげにスルーされてるな
ここは議長が出す議題
以外は禁止かい

>>103

そこ行ってみたけど
読み方
の話なんだよね
137牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/13(月) 21:47:41 ID:aCFagGvo [ x086003.ppp.dion.ne.jp ]
いずれにしましても、山鼻川の右岸が問題の地であるようです。
左岸は…、と言いますと「藻岩下1丁目」だけ。
あとの「藻岩下2〜5丁目」はすべて右岸です。
スキー場に「隣接している地域」というのは、現在「番地表示」のようです。

「札幌地名考」の「山鼻川」では、「山鼻川右岸が六万坪で、スキー場隣接地が九万坪」となっていて、
「郷土誌藻岩下」(札幌市南区藻岩下連合会 平成15年3月)の「「第二章藻岩下の夜明け 九万坪を開いた」では、
「山鼻川右岸が九万坪、スキー場が六万坪」となっています。
位置が違うのと、「スキー場隣接地」と「スキー場」と言うのも微妙に違うしね。
( >>131で「郷土史藻岩下」の書名が抜けていましたことをお詫びします)

ここで注釈。
「札幌札幌地名考」の「藻岩下」と、山崎長吉さんの「さっぽろ歴史散歩」では「十万坪」というのが出てきています。
今は場所の特定と混同するとややこしいので、とりあえず置いておきます。

さて、条丁目と番地で表記されているところの面積を比較してみましょう。
すると、圧倒的に条丁目の方の面積が大きいのです。
で、単純に条丁目が「九万坪」で番地地域が「六万坪」かな?とも思ったのですが、面積として9対6とはならない。
ど〜も番地の方が小さい。
でも、スキー場を番地地域に入れると、かな〜りいい勝負。
ここで、「山鼻川右岸」とは現在の「藻岩下」だけでいいのか?という疑問が沸いてきました。
「ハッタリベツ街道」(現・石山通)から山麓側は「山鼻川右岸」なのではないか?と。
南36西11〜南39西11まで入れたらその比率は9対6くらいになるんだけど、ご都合主義ですかいな、これは。
でも、「ハッタリベツ街道」自体、東本願寺が開いたわけですよ。
…と、妄想を抱いてしまいました。

あ…。
昨日、藻岩下の実地調査行ってきました。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1127 から御覧ください。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1149 まで。

>>136
禁止事項ってことは一切ありません。
もちろん、ここには議長も裁判官もおりません。
ただ、今のところは札幌周辺ネタでやっておりますので、今回はワシも含め、そっち方面には詳しい方がいらっしゃらなかったってことでしょう。
こっちだって、スルーなんざ日常茶飯事なんですから(w
138真駒内川:2004/09/13(月) 23:30:03 ID:MCMeO3dE [ p6240d7.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
南30条から39条も地元では「藻岩下」と呼んでるんですけどねぇ。
現に、ここの国道沿いとみゆき通りは「藻岩下商店街」だもんね。
139なまら名無し:2004/09/14(火) 00:19:38 ID:XogjYm/2 [ KHP222000011015.ppp-bb.dion.ne.jp ]
>>136
スレタイをお読みください。札幌の知名についての話題です。
一部石狩市の話題も出ていましたが、レス少なかったでしょ。
140牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/14(火) 20:09:34 ID:JczSlLdk [ y064048.ppp.dion.ne.jp ]
>>138
なるほど。そう、こなくっちゃね。(これが伏線。へっへっへ)

ワシとしては「郷土誌藻岩下」の「山鼻川右岸が九万坪、スキー場が六万坪」というのが正しいのではないかと思っています。
地元の高橋さんの証言である、というのが大きな理由。
また、地形(面積)としてもその方がしっくりくると思うのです。
資料の古い新しいは関係ないのかもしれませんが、「郷土誌藻岩下」は去年発行されたもので、発行人は当然27年前に発行された「さっぽろ文庫 札幌地名考」も読んでいるでしょう。
つまり、裏も取っておられると思うのです。

ワシ自身、以前この辺りに来たのは20年以上前だと思います。
当時、スキーで何度か来ました。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1127 
は夏の藻岩市民スキー場です。
あまり見ない風景かと思います。この手前が駐車場となっております。
その下に「神霊教札幌教会」の立派な建物がありまして、向かい側にかなり広い空き地があります。
どうやらここが「藻岩下番地地区」のようです。
ここが「六万坪」の一角なのでしょうか。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1145 
ま、空き地というより、ワシが子供の頃よくあった"原っぱ"というほうが、正しいかも知れません。
赤爪草が群生していまして、それも懐かしかったです。
画面に右に小さく見えますが、若者がキャッチボールをしておりました。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1147 
実際は結構な斜面ですので、真駒内の団地でしょうか、よ〜く見えてなかなかの絶景でありました。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1132 
写真では傾斜を表現するのは難しいのですが、これなんか見ていただけるとそのナナメ具合がお分かりいただけるかと思います。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1134 

さて、北大植物園の敷地の件なのですが、これは直接、植物園に聞いてみなけりゃわかんないなと思っていましたら、台風18号の影響で現在閉園中。
開園以来の危機という事態なので、そんなノンキな質問をしている場合ではないでしょう。
今のところ遠慮しています。
141新川番地:2004/09/14(火) 23:03:56 ID:Ce218cY6 [ YahooBB219041108142.bbtec.net ]
お久しぶりでございます。最近なかなか読めず,今やっと追い付きました。
このネタを掘り下げてたんですね

ちなみに,私は10年くらい前に「九万坪」の調査を札幌市南区土木事業所(現在は土木センター)に依頼されたのですが「調査当該地」を文書上どう表記すれば良いのかについて公園緑化係長にお尋ねした所,「九万坪」と表記する様指示されたというのが事実です。
隣接している無許可開発行為地の復旧についても非公式に意見を求められました。
とは言っても予算が付かなかったらしく,その後私が知る限りはそこは手を付けていない様でした。

その場所は親水護岸のある河川の上に有る砕石採取跡の法面ですので,山鼻川?の左岸に当たると思います。無許可の開発地はスキー場からやや下った所ですので,これも左岸と言う事になると思います。
これは,ここを調査した時にそう聞いたというだけで文献等に基づく説ではありませんが,少なくとも当該地域を担当する行政の部署でそう呼んでいるということなので,あながちハズレとも言いがたいと私には思われます。

札幌市の住居表示の変遷をとりまとめ,現在の住居表示と対比できる「札幌市の住居表示」には,何か記載が有るかもしれないので,機会があれば調べてみようと思います。
142なまら名無し:2004/09/14(火) 23:29:34 ID:ckYPK1Y. [ proxy320.docomo.ne.jp ]
レス違いかもしれませんが
スキー場への道路名が
「市道九萬坪線」
と、「萬」だったと記憶してます(確か…ですけど)
143牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/15(水) 10:04:26 ID:VlprXPuQ [ U121129.ppp.dion.ne.jp ]
>>141
やはり…。
「その九」の#267 http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/9_log.html#267 で、
新川番地さんが「ゆとろぎの裏手」と言っておられたので、「もしや…」と思っておったのです。
「親水護岸のある河川の上に有る砕石採取跡の法面」というのは、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1149 
の右側の斜面のことでしょう。
ここらの写真も撮ってきたのですが、そこが無許可開発地域かどうか分かりませんので、アップしません。
不用意にアップして、もしそこがリーガルなエリアだったら関係各位にご迷惑をかけちゃいますので…。

右岸は「九万坪」と呼ばれていたことは間違いないと思うのですが、左岸も便宜上そう呼ばれるようになったのかもしれませんね。
左岸は住所表示としては「藻岩1丁目」しかありませんし、他の「藻岩下」から比しても鬱蒼とした印象の地域です。
おそらくは、右岸よりも開発は遅かったのではないでしょうか。

>>142さん。
ほぉ、「市道九萬坪線」。
これですね。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1135
わざわざ「萬」と書かれていると…。
残念ながら、案内板にはその名称出ていませんでした。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1137
144なまら名無し:2004/09/15(水) 12:31:55 ID:H1aYOlqA [ p8180-ipad511marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp ]
>139


これ
札幌限定スレなの?

じゃ
次回からは
Details板だね
145なまら名無し:2004/09/15(水) 12:52:09 ID:utZQSnt. [ pae2d7c.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
ま、内地から見れば北海道なんて「あそこは日本じゃねぇ」くらいの感覚だし。
特にどこかの総理大臣なんかはね。(w
146真駒内川:2004/09/15(水) 12:53:20 ID:utZQSnt. [ pae2d7c.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
↑これ、私です。(ぐはっ
147真駒内川:2004/09/15(水) 19:07:54 ID:utZQSnt. [ pae2d7c.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
山鼻川って、豊平川合流部分はほとんど変わってないみたいだけど
その上流は今とおなじ所を流れてたんですかねぇ。

ところで、ぶっつぶれた「ゆとろぎ」の横の道は昔はなかったよなぁ〜っと思い出す今日この頃。
148牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/15(水) 20:59:27 ID:jIBZfviU [ U120228.ppp.dion.ne.jp ]
なぜなんでしょうね、自分でも不思議なのですが、こんなことを思い出しました。
「禁止事項一切なし」と>>137で書きましたが、本スレでは気を付けて頂きたいエチケットがあったんです。

ワシ、トリップ使ってます。
こんな無粋なものは付けたくないのですが、前にコテハンを詐称され、勝手に別館にスレを立てられたことがあるので、その対策です。
新川番地さんも名をカタられてレスされたことがありました。
ワシは、カタった人に新川番地さんに謝罪するように言ったのですが、残念ながらその、カタッた人からは無しのつぶてです。
ということで、人のコテハンは名乗らないように!!
これ当然のエチケットです(w

実は今日、新事実が判明しました。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1145 
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1147 
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1132
の「原っぱ」ですが、こいつはなんと「藻岩市民スキー場」の「第二駐車場」であることが分かりました。
はっはっは〜♪ 
なんだそ〜だったのかぁ〜♪
  
さて、「六万、九万、十万坪」、多少は整理してきたつもりでいましたら、トンでもないものを発見してしまいましたぜ。
余計なものを調べるものではございませんなぁ。
「さっぽろ文庫12 藻岩・円山」、208ページ「第三章 その利用 藻岩スキー場」を御覧ください。
(手元にない方は、http://www.sapporobunko.jp/ ここから行ってね)

なんとそこには、こんな記述がっ!
「(略)右岸地区は明治三十年(1897)に払い下げられ、三万坪と呼ばれていた」
…おいおい、またかよ。
149なまら名無し:2004/09/15(水) 22:26:39 ID:C1JFYiXI [ p7127-ip02sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]

このスレのような、過度の馴れ合いスレは、別板でお願いしたいですね。
15018丁目:2004/09/15(水) 22:33:14 ID:lnHyc8tk [ p10093-adsau04sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
アルプス一万尺とか、千尺スキー場とかって乗りなのかな?
151元東月寒人@琴似:2004/09/15(水) 22:36:35 ID:c6s.Aq4c [ snjk035k056.ppp.infoweb.ne.jp ]
円山町が札幌市と合併した後の地名の変遷です。(角川地名大辞典)

藻岩下(昭和16年)
↓ 
藻岩下の一部が南29条〜南39条になる(昭和45年)

藻岩下の一部が藻岩下1〜5丁目になる(昭和55年)

それ以前には、上山鼻や馬頭といった地名が見られます。(地形図)

さて、「さっぽろ文庫 札幌地名考」の該当個所「山鼻川の右岸地区は明治三十年に払い下げられ、六万坪と呼ばれていたが、昭和三十三年に市民スキー場が開設され、その隣接地区は九万坪と呼ばれていた。」を最初に読んだ時は、
「右岸地区が六万坪」でその後市民スキー場になり、「六万坪の隣接地が九万坪」(同じく右岸地区)と取りましたが、この元になった資料が知りたいところです。

十万坪については、時代が六万坪や九万坪と異なり明治初めであり、微妙に違う場所という事は考えられないでしょうか。
152真駒内川:2004/09/16(木) 00:26:19 ID:lpWd.WRQ [ p29d920.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
んー、馬頭...大正13年と昭和12年の地図には確かにありますねー。
たしか明治24年に馬霊奇神社碑を建てたとかで、それが由来でしたっけ。
馬頭...バトー...攻殻機動隊...やっちまった、逝ってきます...。
153牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/16(木) 21:57:42 ID:FMeca1oo [ y065194.ppp.dion.ne.jp ]
>>149さんへ。
「馴れ合い」を一度、辞書で引いてみると面白いですよ。
出来っこないですよ、ここでそんなこと(w

さて、元東月寒人@琴似(月琴)さん、お久しぶりです。
「角川地名大辞典」。
これって、角川書店の「北海道地名大辞典」のことですよね?
そういや、ワシも持っていました。ブックオフで見つけたやつ。

ということは、元来の「藻岩下」はもっと広かった…。
それも、先に真駒内川さんからご指摘のありました地域よりも、北端がもう一条北に上がるということですね。
「軍艦岬」よりもまだ北だな、こりゃ。
で、いよいよワシの予想に近くなってくると(ふっふっふ)

「札幌地名考」の文章、そういえば、どっちとも取れる書き方ですね。
多いんですよね、この本にはそういう悪文が…。
なんだかんだでこうなると、やはり「郷土誌藻岩下」の「山鼻川右岸が九万坪、スキー場が六万坪」が正しいのでは、と思えてくるのです。

で、「十万坪」に関しましては、ワシも3日ほど前から思い始めておったのです。
「九万坪」や「六万坪」とは、実は別物ではないかと…。
この件につきましては、明日にでも触れられればと思っています。
解析はまだですが、それらしい記述を見つけたのです。
あ、「三万坪」ですか?
「三万坪」は…。
これはな〜んだか、論外のような気がします。

>>152
真駒内川さんへ。
「上山鼻神社」画像。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1156 
同神社内にあります、「馬霊奇神社の碑」(確かに、側面に明治二十四年と書いてありました)
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1155
154牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/17(金) 21:30:14 ID:88Y4y81o [ L066012.ppp.dion.ne.jp ]
すみません。
予告していましたが、今日はちょっと疲れていてレス無理です。
しかし、新ネタは仕入れてきています。
後はよろしく。
155真駒内川:2004/09/17(金) 22:50:39 ID:ILKvhBoM [ pdda09f.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
え”ーっ南29条からですかぁ?
おっそらくは山鼻川の合流部東側部分のことですかねぇ。
156真駒内川:2004/09/17(金) 22:55:31 ID:ILKvhBoM [ pdda09f.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
んー、札幌市の町名変更の条例が見つかりません。
誰か教えてください。

とりあえずageときます。
157牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/18(土) 11:46:51 ID:zZiF/Nw6 [ L066012.ppp.dion.ne.jp ]
新事実発見。
「さっぽろ文庫1 札幌地名考」の記述、どうやら、>>151月琴さんが最初に解釈されたのが正しいようです。
>右岸地区が六万坪」でその後市民スキー場になり、「六万坪の隣接地が九万坪」(同じく右岸地区)

というのも、昨日、札幌資料館で再度見てきた「みなみ区ふるさと小百科」(区制施行25周年記念平成9年6月)に、
「「六万坪 藻岩下の山鼻川上流の右岸地区の通称。明治30(1897)年に払い下げられ、六万坪と呼ばれていた。現在は藻岩山スキー場になっている」
参)札文1地名考214P

とあったからです。
>>131に書きました、同書の高橋さんの証言と合致します。
原点に戻って、「札幌地名考」の記述をそのまま書きます。
「山鼻川の右岸地区は明治三十年(1897)に払い下げられ、六万坪と呼ばれていたが、昭和三十三年(1958)に市民スキー場が開設され、その隣接地区は九万坪と呼ばれていた」
どの説明にもあまりに「山鼻川右岸地区」が強調されすぎて、スキー場より右岸地区に囚われていました。

「六万坪と九万坪」の結論です。
山鼻川右岸地区の、スキー場付近は「六万坪」、その隣接地(下方面。左岸の藻岩下1丁目以外)は「九万坪」であると。
これでどうでしょうか?
158牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/18(土) 12:00:15 ID:zZiF/Nw6 [ L066012.ppp.dion.ne.jp ]
が、世の中そうは甘くない…。
その結論と同じ、高橋さんの証言の載った「郷土誌藻岩下」の別項、「第二章藻岩下の夜明け 二 上山鼻の開発」にこんなことが書かれていて、びっくり仰天(死語に近いな)。

「山鼻川右岸地帯は明治三十年に払い下げられ六万坪と呼ばれ、左岸(スキー場方面)は九万坪と呼ばれていた」

またまた混乱する記事です。
スキー場って左岸じゃいと思うし。
「三万坪」と同じく、見なかったことにしましょうか(w
159牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/18(土) 17:55:04 ID:zZiF/Nw6 [ L066012.ppp.dion.ne.jp ]
>>156
真駒内川さん、これでしょうか?
http://www.city.sapporo.jp/reiki/honbun/aa00200091.html 
「その1」で紹介しましたものですが、アドレスが変わっていました。
160牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/19(日) 21:49:29 ID:/wGi7LPo [ N046047.ppp.dion.ne.jp ]
ここで「十万坪」です。
ご指摘がありましたとおり、「本願寺開墾」と言われているのは明治6年のことらしく、「六万坪」、「九万坪」という地名が登場するのは明治30年のことのようですので明らかに年代が違います。
では、場所も全く違ったのかと言いますと、やはり「十万坪」は藻岩下地区らしいのです。
そして、ここが「上山鼻」の開拓の原点であったとのこと。

思いますに「十万坪」は、当初明らかにその面積(33ha)を示すものであったものがいつしか地名へと偏移し、同じ土地でその後二十余年を経て、「…万坪」という呼び名だけが残り、新たに開かれた土地に、「六万坪」、「九万坪」という地名ができたのではないでしょうか。
「万坪」…。
「万坪」だけが残ったのでありますねぇ。

牛鍋蝸牛、以前、こんな商売を考えてみたのです。
専門店を開こうかと。
なんの専門店かと言いますと、「痰壷」(たんつぼ)の専門店。
もう、店に並んでいるのは世界各国の痰壷ばかり。

「お客さん、お目が高い! 実はこの痰壷は、古伊万里の痰壷でしてな…」
な〜んてね。
161元東月寒人@琴似:2004/09/19(日) 23:19:13 ID:ymkKUgUk [ snjk034k080.ppp.infoweb.ne.jp ]
>>155
南29条も変わっています。(角川日本地名大辞典・北海道上巻から)

南29条(大正14年、もとは山鼻町の一部)
↓ 
藻岩下の一部を南29条に編入(昭和45年)

南29条の一部を南30条に編入(昭和47年)

南28条・南30条・山元町の各一部を南29条に編入(昭和48年)

という事で、現在の南29条に藻岩下の部分が残っているかは不明です。
162Q:2004/09/19(日) 23:22:29 ID:qRzuEYxA [ proxy312.docomo.ne.jp ]
レスとは無関係ですが、ご容赦下さい。
年初めの頃に、下野幌 立花の話題がありましたが
最近、勤務でその近辺の測量と、趣味の伝説、昔話しの編集に
出向いています。

それ故、数軒のお宅や地主に御協力を頂いておりますが
某御老人とで、立花での日用品の買い物や、飲食の話題に
なりました。
そこで、以前の元東月寒人@琴似が、作られました
開拓期の立花想像図を、プリントし当時の様子を伺いたいのですが
ご承諾いただけますでしょうか?
163Q:2004/09/19(日) 23:27:02 ID:GVo9WrYo [ proxy318.docomo.ne.jp ]
すみません、
>そこで、以前の元東月寒人@琴似が、作られました
元東月寒人@琴似様、失礼いたしました。
164真駒内川:2004/09/20(月) 09:23:11 ID:D8pgFZvc [ p624046.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
>>159
そうなんですけど、これ以前の町名ってこの条例じゃ判らないんですよね。
165真駒内川:2004/09/20(月) 09:41:13 ID:D8pgFZvc [ p624046.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
>>160
(>O<) ( -.-) 、  か〜っっぺッッ

>>149さんよ〜
こういうのを馴れ合いっていうんだよ(w
166牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/20(月) 20:54:02 ID:8fGm4Rpw [ L066017.ppp.dion.ne.jp ]
>>164
うん、そう…。

いろいろとございました。
ま、状況証拠もありますが、こう結論してよいかと思います。

現・南区藻岩下地区周辺(山鼻川右岸)において、明治6年の「本願寺開墾」に伴う地名が「十万坪」であり、その後二十余年を経て同地区で使われ始めたのが、藻岩市民スキー場付近の「六万坪」であり、その下方地区の「九万坪」である。

どないだす?
167元東月寒人@琴似:2004/09/20(月) 22:02:12 ID:KY6epgvk [ snjk036k030.ppp.infoweb.ne.jp ]
>>162
>開拓期の立花想像図
あれは「上野幌百年のあゆみ」の図に手を入れただけで、私が作ったというほどのものではありません。
この本には詳しい図が他にもありますので、一度読んでみると良いです。
厚別図書館など大きな図書館で借りられるはずです。

>>166
こんなのを見つけました。
「藻岩山の南東側斜面にあって、豊平川を距てて真駒内と相対している沢は、近年市民スキー場と呼ばれて青年等の遊び場である。そのゲレンデの北側に小川がある。土地でいう昔流の地名は、小川の北が「六万坪」、南側が「九万坪」で、川の事は「六万坪の川」ともいったそうだ。」
(昭和40年発行「札幌のアイヌ地名を尋ねて」の「上山鼻川」に関しての記述から)
168真駒内川:2004/09/20(月) 23:28:51 ID:rkqtG.Ek [ p29d8a3.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
そろそろ新ネタ希望です。
169牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/21(火) 21:07:02 ID:PnbE0DeM [ x086135.ppp.dion.ne.jp ]
>>167
「札幌のアイヌ地名を尋ねて」の記述ではやや分かりにくいのですが、やはり「スキー場付近六万坪、下方地区九万坪」と解釈していいのではないでしょうか。
「ゲレンデの北側の小川」とは「山鼻川」の上流部のことを言っているようです。
きれいに東西に流れている川ではないので、北側、南側という表現が適当とは思えないのですが、この川は「ゆとろぎ」辺りの平坦部から北上しているので、そこを基点に南北に分けることができるかもしれません。
と解釈して読み直してみると、スキー場付近(北)が「六万坪」、その下方(南)が「九万坪」ということになります。
170元東月寒人@琴似:2004/09/21(火) 22:44:38 ID:Kyif/wrU [ snjk038k028.ppp.infoweb.ne.jp ]
>>169
私もそう思っています。

ただ、大正5年ごろの地形図では山鼻川の両岸に何かの境界があります。
その境界の面積は、ざっとですが、左岸は3万坪くらい、右岸は8万坪くらいなのです。
また、軍艦岬あたりの豊平川の氾濫原に果樹園のような部分や荒地があります。ここの平地部分は8万坪くらいです。(面積はかなり誤差があると思いますが。)

そこで、藻岩下の平地部分が十万坪で、山鼻川の左岸が六万坪、右岸が九万坪という可能性も否定できないのではと思い、他の資料にあたってみようと考えています。
171牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/23(木) 13:06:04 ID:fk/QlCjY [ U122178.ppp.dion.ne.jp ]
「十万坪」を改めて調べ直してみました。
「藻岩下」の規定が曖昧なままで、ワシは現在の「藻岩下」に囚われていたかもしれません。
「山鼻川右岸」同様、最近、よく囚われます。
上記の結論はちょっと保留。

「山鼻創基八十一周年記念誌」(昭和三十二年)には、
「最初に山鼻地区に入植したのは明治三年本願寺の山鼻管刹所が上山鼻に十万坪の農耕地の貸下げを受け、伊勢国桑名から二戸移住させた。これが和人居住のはじめである」とあり、必ずしも「藻岩下」とは書かれていません。
ただ、書名は忘れたのですが、札幌資料館でみた本には「十万坪(藻岩下)」とあったのです。
でも、これとて現在の住所表示の「藻岩下」であるのかは分かりません。
地区名としての「藻岩下」は、豊平川までの平坦地を含むわけですしねェ…。
172小百科:2004/09/23(木) 21:30:53 ID:IrgVhglE [ pae2d83.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
竜神については、豊平川のそばにあるだけではない。南沢の奥に祠があったと思う。
出自は同じと思うが。上山鼻について、現地を歩いてほしいと思います。屯田兵への追加給与地であった可能性を含め、いろいろな研究があっていいと思います。
南区ふるさと小百科は引用だけではなく現地も探索したつもりです。しかし、全てではありません。
皆さんの批判を期待します。南区は札幌市の原点ですから。
173真駒内川:2004/09/23(木) 23:23:44 ID:P4kNVUJg [ pdddbf6.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
>>172
えーと、すいません。
わたし頭悪いんで、もうすこし説明してください。
いきなりここで竜神ですか。
小百科批判って誰かしてましたっけ。
原点ってどういう事でしょう。
174牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/24(金) 21:02:07 ID:CQlRtRCc [ y065040.ppp.dion.ne.jp ]
小百科さん、お初でございます。
よろしくお願いいたします。
え〜、ワシからもお願いです。
せっかくのレスなので、もう少しだけ分かりやすく、ご説明いただけたらと思います。
「みなみ区ふるさと小百科」の関係者の方なのでしょうか?

「○万坪」ネタが一段落したら、「上山鼻」のことをもう少しやってみたいと個人的には思っていました。
実地調査も、何度か行って見ているのですよ。
実は、こんなのがありましてね。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1159 
「藻岩犠牲者の碑」であります。
「軍艦岬」、「石山通」のすぐ脇にこんな碑があることは、ワシ知りませんでした。
175なまら名無し:2004/09/24(金) 21:59:50 ID:ZAq4U0Pk [ p4195-ipad52marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp ]
次の話題は
納沙布と野寒布だな
176なまら名無し:2004/09/24(金) 22:01:11 ID:ZAq4U0Pk [ p4195-ipad52marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp ]
>>174

ここは午鍋さん一人のスレじゃないだろ
他の人に話題出すの譲ったら
177牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/24(金) 22:35:35 ID:CQlRtRCc [ y065040.ppp.dion.ne.jp ]
>>176
>>174で書きましたとおり、
あくまで、"もう少しやってみたいと個人的には思っていた"だけです。

他の方からのネタに関しましても、いろいろと調査もしてきたつもりでおりますし、ましてや妨害をした覚えもありません。
過去ログ、全部読んでいただいておりますでしょうか?

それとワシは「午鍋」ではなく、「牛鍋」ですのでよろしくお願いします。
178真駒内川:2004/09/25(土) 00:18:13 ID:UEmB/BJc [ p6242ed.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
丸の内さん股ですか。
牛さん、放置プレイで、そこんとこよろしく!
179真駒内川:2004/09/25(土) 00:49:01 ID:UEmB/BJc [ p6242ed.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
>>174
藻岩犠牲者とはいわゆる「タコ労働者」のことですね。
非常に悲惨で、現代にまでしこりを残す日本の産業発展の恥部でもありますね。
元をただせば伊藤博文が思いついた「囚人労働」の延長線上にあったわけです。
伊藤博文については現代での尺度で言えば「鬼畜」とも言える事をしていたので、
間違っても偉人ではありませんね。
180なまら名無し:2004/09/25(土) 01:59:34 ID:4Nl0JO/s [ EATcf-368p82.ppp15.odn.ne.jp ]
どうもこいつがでてくると馴れ合いの始まりだな。
181牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/25(土) 22:58:00 ID:69oVP3QQ [ ZF160167.ppp.dion.ne.jp ]
>>180さんへ。
建設的な意見をお願いします。

文句、あるいはなにか相談があるならワシに直接メールください。
せっかくメルアド晒しているんですから(w
182真駒内川:2004/09/26(日) 01:47:49 ID:y3RIrogA [ pd33865.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
>>181
180は7月に私を試したつもりになって悦に入っている「天狗橋」さんではないでしょうか。
どうせ釣りなので放置プレイにしましょう。
183牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/27(月) 21:59:40 ID:JJ6lztJw [ U123005.ppp.dion.ne.jp ]
さて、スレは厳かに進みます。
ちょっとここで一息つきまして…。

「偕楽園ネタ」の際に登場し、その後、いく度か顔を出しました「割烹 いく代」の追加情報です。
「夜の赤レンガ」、「いく代道政」とまで言われた料亭でありますが、昭和五十二年、中島公園の近く(南十三条西一)に新割烹を建てたものの、四代目にしてその伝統は途切れてしまいました。
このような結果になる危険性を孕んでいることは予想できたでしょうに、なぜ実質的な創業の地である「南三西四」からいく代が離れたのかが、ワシには分かりませんでした。

先日、古書店にて「サッポロの街角」(西條正人 昭和61年)という本を発見しました。450円。
それには、
「東京"いく代"(割烹)」とありまして、
「サッポロの開拓とともに、歴史をきざんできた"いく代"は百年の歴史をもっている。それが戦後も有名をはせていたのだが、家庭の事情で分離し、姉さんの方が東京は銀座六丁目に、東京「いく代」をオープンした。もうかなりの月日がたったが、さすがに隆々たる繁盛ぶりを示していた。
それが、もとのいく代のあと、南三条西四丁目に、もう一つ店を持ったのだから感慨がわく人もあろう。(略)
分離したいく代は中島公園に面して料亭を構えたが、時代の流れは厳しいもので、評判は良いものの昔のようにはいかない。(略)」

"家の事情"つまり、お家騒動と解釈してよさそうです。
しかも、姉と妹の争いだったようですね。
「いく代」の流れを汲む店が現在あるのかないのかは分かりませんが、「いく代」という名の店は札幌には一つだけ。
以前ご紹介しましたが、「行啓通」にあります、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=656

東京の「いく代」は…。
タウンページで検索しただけですが、残念ながら銀座には見受けられないようであります。
184牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/30(木) 00:17:31 ID:5GULqbes [ U120102.ppp.dion.ne.jp ]
その昔、呉服屋さんのCMで「大蔵ざらい」などという言葉が使われておりましたが、今回も過去ネタ大蔵ざらいです。
今年の春先にやりました「金山・星置」の資料を新たに発見しました。
例の「さっぽろの昔話」(みやま書房)にありました、「滝の沢にも遊覧地」という記述です。
いっや〜、見落としておりました。

「滝の沢温泉−手稲鉱山病院−手稲ルカ病院」という変遷で、現・「手稲ロイヤル病院」はあるのですが、この「滝の沢温泉」というのが一体どういうものかまでは調べが付かなかったはずです。
この温泉と、「星置の滝」付近(つまり、金山)の昭和初期の状況がこれでわかります。
どうやら、「星置の滝」はその昔は「日月の滝」と呼ばれていたようです。
もう寝るので明日、書きますです。

あ、「季刊 札幌人」秋号の特集に関連して、発行人A氏が本日のNHK「ほくほくテレビ」に出演、「知られざる市電物語」を語るはずでしたが、台風中継のためコーナーぶっ飛びました。
ワシも「市電前史」としてコラムを書きましたので、楽しみにしていたのですが…。
ちなみに「札幌人」秋号は、10月5日発売予定だそうです。
今回から取次店扱いになりましたので、どこの書店でも買えるそうですよ。
185真駒内川:2004/09/30(木) 13:43:33 ID:a4Bz5Tm. [ pae2dea.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
えーと、新ネタというわけではないのですけど、

先日サンポをしてますと、こんな石柱を見つけました。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1162
「見返坂」と書いてありまして、坂の途中の歩道にでん!と立っております。
これと同じような石柱で「観音坂」と書いてあります。
場所は、ここです。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1161
この名前のいわれについての説明板などはありませんでした。

この石柱について何かご存じの方がいらっしゃいましたらご披露をお願いします。
186牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/30(木) 19:25:44 ID:5GULqbes [ U120102.ppp.dion.ne.jp ]
>>185
ほっほ〜「見返坂」とな。で、「観音坂」とな…。
う〜ん、ごめん。
意味が…、ちと分からないんですけど。

「中央区界川」の坂にも、「なんだか坂」という石柱が建っていたと思います。
ホーマック、ロイヤルホスト、モダン交番の近くです。
ただ、国産メルセデスで通りかかった時にチラと見かけただけなので、いまいち定かではありません。
ワシはあそこが地元だけど、四十年ほど前にはそんな名前はなかったと記憶しております。
最近名づけられたような気もしないでもありません。

では、>>184の続きを。
「札幌の昔話 大正編上」("上"しかないですけど、この本)。
「滝の沢にも遊覧地 光風館、手稲山が大遊覧地になると共に、一方軽川のさき銭函寄りの星置方面、俗にいう滝の沢附近にも新たに温泉宿が出来て、遊覧地になるという。つまり軽川は、東西方面に遊覧地を持つことになる。
そこは軽川駅から約一里の道程で、銭函市街との丁度中間に当たり、滝をなして居る清川を以って小樽間との境界をなしている。やっぱり一帯の丘で、眺望の佳いところは、あえて東部のリリーが丘にも劣らぬ程である。ことに銭函の海が近くに見え、張碓の神威岬をかすめて小樽港の一部、手宮から高島の燈台、トド島なんぞがよく見える。小樽港への出船入船も、勿論居ながらにして見える。またこの頃の秋晴の日には、はるかに白く、石狩の燈台も印象的に見え、厚田、浜益、増毛の連峰が、その崖々たる沿岸と共にのどかに見える」

明日に続く。
187牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/30(木) 19:45:56 ID:5GULqbes [ U120102.ppp.dion.ne.jp ]
>>185
あ、今、分かりました。
「見返坂」と「観音坂」があるのですね。
おのおの石柱があるということで。

この道路はワシ、知っているような気がします。
間違っていなければ、「西岡」の火山灰地の丘を住宅地開発のために切り開いた、割と新しい道だと思います。
とは言っても、30年くらい経つかな?
後から、名づけたような気がやはりしますけど、全然確証はありません。
188なまら名無し:2004/09/30(木) 19:46:52 ID:ev0ODURQ [ p4139-ip04sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]

一言。改行しような。
189なまら名無し:2004/09/30(木) 20:45:09 ID:1.sptW2A [ YahooBB219041108142.bbtec.net ]
それは油沢の石碑とは違います?
190牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/30(木) 20:51:51 ID:5GULqbes [ U120102.ppp.dion.ne.jp ]
>>189
あ、ワシへのレスですね。
そうそう、「油沢の石碑」だったような気がします。
うん、だんだんそう思えてきた。
ありゃなんなんでしょう?

>>188
引用文なので、なるべく原文に近い形で書いております。
改行は段落でしております。
原文の雰囲気が崩れますので、そうさせていただいております。
191なまら名無し:2004/09/30(木) 21:00:33 ID:7jmVXByc [ p0250-ip03sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]

BBSに書き込むのであれば、利用者が見やすいように配慮すべきでは。
192牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/09/30(木) 21:46:57 ID:5GULqbes [ U120102.ppp.dion.ne.jp ]
>>191
単なる改行よりも、段落で一行空けるほうが見やすくなるとも思うのですが、引用する文によってはやたら段落が多いものもあり、これはこれで読みづらいのです。
で、もうひとつ理由がありましてね。

改行が多いと空白部分が増え、容量が大きくなるのでは…ということで、ただでさえ長くなりがちな引用文の場合は気を使っている、という理由もあるのです。
実際、この点はどうなのかわかりませんが、メールの場合なんかはそうですよね。

もし、2ちゃんブラウザをご利用でしたら、レスの表示幅を狭くしていただけると読みやすくなると思います。
結構苦労しておりますが、なるべく読みやすくしていく所存でございます。
193なまら名無し:2004/10/01(金) 07:13:07 ID:M7XtoX3w [ i220-99-174-249.s02.a001.ap.plala.or.jp ]
あるアウトドアの冊子に藻岩山登山道の絵地図があり、軍艦岬のあたりに
『割栗』(わりくり?ぐり?)という聞きなれない地名を発見。
語源の由来を。
194真駒内川:2004/10/01(金) 18:05:14 ID:RtJfIvJ2 [ pdd2ea0.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
わっかんないんですよねー、見返坂と観音坂。

その昔、西岡に観音堂が置かれたことが西岡部落誌に書かれてあるので
観音坂と関係があるのかと調べを進めても、それがどこにあったのか、
その後どうなったのか、手掛かりがないんですよね。
もしかするとその後に観照寺になったのかも。坂から近いし。

見返坂は昭和12年の都市計画図によるとこの頃すでにあったようです。
かなり急勾配で舗装もしてないはずですから
やっとこさ登り切ったところで来た道を振り返って見たから「見返坂」
と言うのかなと勝手に想像しましたが、やっぱり本当のところを知りたいです。
だれかおせーて。
195牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/01(金) 21:01:30 ID:agBftMYw [ N045004.ppp.dion.ne.jp ]
>>193
「割栗」(わりぐり)ですね。
ま、正しくは、「割栗岬」と言いましてね。
過去ログhttp://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/ を読んでいただけると出てくるのですが、出血大サービス(死語だな)、拙僧がねんごろに教えて進ぜよう。

「みなみくってどんなとこ」
http://www.city.sapporo.jp/minami/01about/ab03tiku.htm 
「藻岩山を頂点に、北は軍艦岬、南は栗割岬、そして豊平川に囲まれた三角地帯。
明治4年、東本願寺により山鼻から八垂別間の新道が開削され、同13年には岩手県人の本宮要助が入植」。

「さっぽろ文庫1 札幌地名考」では「北ノ沢」で出てきます。
「北ノ沢の割栗(ワレグレ・ワリグリ)も忘れられない地名である。
この地名は融雪期になると崖から石が落ちてくるところからついたという。札幌方面から来て旧道に入り、観光道路入口附近の藻岩山下の峰の流れが豊平川に落ちるところの坂道は割栗道と呼ばれ、豊平川の深い淵になっていた。
明治十二年に、「円山から割栗石を運搬した…」という記録や、同三十八年に「山鼻村の灌漑用水路の導入口として水門が設けられた」という記録が残っている。

「割栗岬」…。
名前は知られてはおりませんが、実は札幌市民ならほとんどの方が通ったことのあるところ。
札幌中心部から「石山通」を南下していきますと、「南39条西11」に藻岩山の斜面をコンクリートで固めた部分がありますよね。
二股に道が分かれ、右の旧道を進みますと藻岩山観光道路とか「川沿」の市街地へ行く、あの部分の藻岩山のでっぱり。
あれが「割栗岬」です。

「割栗石」とは世界的にも貴重な石でして…、というのは嘘です。
でかめの砕石のことであります。
これは現在の「軍艦岬」の山肌ですが、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1164 
その昔、コンクリートで固められる前は「割栗岬」もこのような状況であったのではと想像されます。
こういう所から転がり落ちたのが「割栗石」。
ttp://www.mbird.ne.jp/QQQ/yogo/saiseki/n23y0243.htm 

「さっぽろ歴史散歩」(山崎長吉著)の「藻岩下中継地」には興味深いことが書かれています。
「軍艦岬を過ぎるところは、藻岩山の裏手、すなわち南側の傾斜地で、割栗までの豊平川と藻岩山にはさまれた狭い地域である。藻岩下の地名が定着しているが、別に上山鼻と言った時期もあった。古くは十万坪と呼ばれていたこともある。(中略)
さて、藻岩下のこじんまりとしたところを区切って景観を考えると、ここは明治三年の南山鼻の入植で、世にいう十万坪の開墾が始められた。
しかしそれは正確には場所を示すものがない。十万坪は広さをいうことから地名化したものである。つまり本願寺開墾のことである。開拓使当初から軍艦岬と称するのは、今の割栗の岬をさし、のちに現在の尾根の端をいうように変わった。つまり砥石山の岬から藻岩山の岬に変わった」
つまり、今の「割栗岬」が昔は「軍艦岬」と呼ばれていたそうです。
196牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/01(金) 21:30:28 ID:agBftMYw [ N045004.ppp.dion.ne.jp ]
では、少しは見やすくと工夫しながら、>>186「札幌の昔話 大正編上」の「滝の沢にも遊覧地」の続きです。

「そうして、海からは潮風が爽やかに匂うて来て、潮の香が鼻を打つ。この潮風を吸うだけでも、心持いきいきとして来る。健康地であろう。

好い住宅地である。海は、山裾を洗いつつ流れ下る清流が、山を切れてこの陸へ出る処へ来て、急に深い沢をなしている。その沢へどッと落ち込んでいる。しかも、平凡な一本滝ではなない。二段に折れて来ている処が全く人工を加えたようによく出来ている。さる漢詩人は、これに「日月の滝」と名づけたそうだ。上の滝は三十七尺、下の滝は二十六尺とある。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=944 (参照してね)

滝壺からはヤマベやイワナが釣れ、又この滝は葡萄とコクワの名所であって、釣りの人や秋をあさる人々でいつも賑わっている。昨年札幌の人、停車場通りのショーウインドに、麗やかな丸髷の美人を出して道行く人の目を惹いておる。油屋の小野平次郎さんが、この滝を中心に、丘から沢にかけ十八町歩を買収したとかで、滝の上にはいま瀟洒なあずま屋も出来ている」

段落で一行空けてみました。
ちょっと変でしょ?
「昨年札幌の人〜目を惹いておる」というくだりがいまいち意味不明なのですが、それはさておき、なんだか今よりも人出があったようなことが書かれています。
今の「星置の滝」も秋はそうなのでしょうか?
ワシ行った時、まだ雪残っていたからなぁ。
まだ、つづくかも。
197牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/02(土) 22:53:18 ID:z3vxKxFM [ L066210.ppp.dion.ne.jp ]
イチローすごい。
では、>>196の続き。

「沢を登って来て一服するには丁度いい。温泉宿は、そこから更に一丁ほども登った処で、清川の畔である。
そこから千二百間ほどの奥の、沢からラジウム鉱泉が出るそうで、北大の試験によると、1リットルに対して1.65の含有である。
一昼夜に二百四十四石の湧出、酸類線であるそうな。
小野さんは、この?泉とこの滝を世に出したいという念願から、温泉宿を建て、遊覧地をつくるというのだ。すでにこじんまりとした別荘風の建物が出来ている。そうして、明年雪解け早々、温泉宿の建設に着手するという事である。宿の側には葡萄園もあり、下の方には池もあって、ここに鯉を養って遊覧客に思い思いに釣らせようとある。いずで、これも電車でもついたら賑わうことであろう」

「さっぽろの昔話」(郊外繁昌記)が書かれたのが昭和2年。
同地区で手稲鉱山が本格的に創業を始めたのが昭和7年のこと。
鉱山として発展するちょっと前まで、現在の「金山地区」は実はリゾート地としての開発されようとしていたのです。
どうです。興味深いでしょう。
これはあまり語られていない事実ですぜ。
ところで、なんでこの開発はうまくいかなかったのでしょうね。
198なまら名無し:2004/10/03(日) 01:54:43 ID:3GWcSXi. [ i232104.ppp.asahi-net.or.jp ]
>>197
リゾート地としての計画も在ったのですかー。なるほど。

温泉自体は今でも湧き出ているらしいですし、あのあたりは眺めも良いです。
鉱山の素晴らしい歴史を忘れられない様に、リゾート地とまでは行かなくとも、
今からでも温泉旅館のひとつでもできれば。と淡い期待を持ってしまいます。

ところで昨日だか今日だったかの道新に近所の小学生が手稲鉱山を見学しに行った
という様な記事が載っていました。鉱山入り口と思われる写真も掲載されておりました。
ただ、病院の待合室でそれを読んでいたので、名前呼ばれて途中までしか読めなかったのですが、、、。

 確か、普段は手稲鉱山には行けない様に、唯一のルートがゲートで閉ざされていたはず。
一般人も参加できたのなら、小学生と一緒に見学したかったなぁ。としみじみ思いました。
しかし、あの手稲鉱山跡は現在誰の所有になっているのでしょうかねー。
199牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/03(日) 21:48:59 ID:bg4sLhD. [ U232111.ppp.dion.ne.jp ]
>>198
そうですか。
温泉、今でも出ますか。
眺望いいですね、あそこ。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=861 

温泉があった場所は「手稲ロイヤル病院」のあたりだと思います。
と言いますか、その「滝の沢温泉」が同病院の前身であったわけなので当然です。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=862
北大の「北方資料データベース」(当スレでは"アンビシャス"と呼んでいますです)にも。
「軽川滝の沢温泉観瀾閣よりの眺望」
http://ambitious.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/photo/doc/0B061970000017.html
(画像のアップはされていないようですが、そのうちにされるのかな?)

余談になります。
ワシの勤務先のあるパートさんのお父さんが元炭鉱マンだそうでして、ご多分に漏れずといっては失礼ですが、塵肺になってしまいましてな。
当初は、手稲でかなり勇名を派す某病院に入院されたそうですが、そこでは塵肺は専門外だそうで、結局そこの勧めで「手稲ロイヤル病院」に転院されたそうです。
ここは塵肺ではなかなかのモノだそうですが、それもやはり「手稲鉱山」の付属施設という経歴だからこそでしょう。

手稲鉱山の所有者かどうかは分かりませんが、管理に関しては「下川鉱業梶vが行っているようです。 
ttp://www.city.sapporo.jp/teine/kawaraban/980820/inaho.htm
(前に仕入れていたネタが役に立った…)
20018丁目:2004/10/03(日) 23:45:24 ID:/e/2qwLY [ p10177-adsau04sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
金山、滝ノ沢温泉も興味はありますが、既出ですし何か目新しい話が出るのを期待しつつ
ROMっていきたいと思っています。
私は本日、こんな風流な茶店に行ってきましたが、札幌人の皆様
は一度は訪れたことがある場所でしょうか?
私は初めて行ってきました。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1166
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1165
ん?地名と関係ない?そうかも知れないし、深いものがあるかも知れないし、と
まあ無責任ですが、これ巨大な私的庭園の中の施設でして、調べてみる面白いのかもと
思った次第です。
201牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/04(月) 23:20:51 ID:glwKuYrY [ y065090.ppp.dion.ne.jp ]
18丁目さん、そこわかりません。
早くも紅葉しているように見えますが、高地でしょうか。
新ネタとしてやるのでしたら、ぜひ情報ととっかっかりの調査をお願いしたいと思います。

西岡の二つの坂と、双子山の坂も気になります。
これは並行してやっていきたいと思いますが、前からワシの気になっているマイナー地名は「天神山」なんです。
地名の由来ははっきりしていますが、早い話が行ってみたいとろなんだけどね。
202牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/05(火) 00:16:18 ID:TJ2hwcX6 [ y065090.ppp.dion.ne.jp ]
こんなサイトがあります。
ttp://cyberjapan.jp/index.html 
「電子国土ポータル」で各地の地図を見ることが出来ますが、正直に言って、あまり使いやすいものではありません。
ワシはMapFan.netを年契しておりますので、参考程度には使えるかな、と思っております。
紹介しておいてこんなことを言うのは、あきませんな(w
20318丁目:2004/10/05(火) 01:39:55 ID:Ei3cmKO6 [ p10177-adsau04sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
天神山...
風致地区にして、緑地保全地区である。
なんてことはどーでもいいくらい色々話が聞けそうな物件ですね。
私は大昔あすこでフィールドアスレッチックをした記憶ばかりが残っております。

200の書き込みの場所は紅桜公園です。
住所は札幌市南区澄川4条13丁目389−6でして、園内には色々な碑や
滝や巨大灯篭、果ては開拓神社まで(かなり立派!)あるんですよ。
しかし、私の持っている札幌市公園緑地地図には掲載なしです。
気になるんだけど、今のところ有力資料にぶち当たっていないのが実情。
20418丁目:2004/10/05(火) 01:59:14 ID:Ei3cmKO6 [ p10177-adsau04sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
札幌市公園検索システムの天神山緑地の説明で以下の一文を発見しました。

林檎園が多かった平岸界隈を石川啄木は「石狩の都の外の君が家林檎の花の
散りてやあらむ」と歌っています。
いわく付き物件ですね。
205牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/05(火) 07:23:00 ID:TJ2hwcX6 [ y065090.ppp.dion.ne.jp ]
>>203
あ、「紅桜公園」、先日テレビで中継していましたね。
出先でチラと観ただけですが、あんなとこ札幌のどこにあるのだろう?と思っていました。
割と地域的に近いし雰囲気も似て居そうだし、「天神山」とネタとして一緒にやるってのも面白いかも知れない、と思いはじめました。
時候のせいでしょうか、緑の多いところへ行ってみたい今日この頃です。

本日「季刊 札幌人」秋号、発売日のはずです。
今回から取次店経由になったので、基本的には近所の本屋さんでも買えるはずです。
ワシもコラム書いていますので、読んでね♪
206牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/05(火) 07:53:21 ID:TJ2hwcX6 [ y065090.ppp.dion.ne.jp ]
>>204
去年の5月に札幌市環境局緑化推進部公園管理課に連絡して、サイトの間違いを指摘して直してもらったはずなのに、またこれですか…。

http://www2.wagamachi-guide.com/sapporo_koen/apps/list.asp?PURPOSE=13&mode=1
『林檎園が多かった平岸界隈を石川啄木は「石狩の都の外の君が家林檎の花の散りてやあらむ」と歌っています』
前のアドレスから変更した際に、またやっちまったようですね。
全然、わかっていないようです。

過去ログにもありますが、啄木が歌ったのは「元村」の「橘智恵子」ことで、平岸を詠ったわけではありません。
橘智恵子の実家の画像。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=600 から3枚。
207真駒内川:2004/10/05(火) 08:30:07 ID:kJh3ulSc [ pdd3001.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
市はいつもそうですからほっとけばいいんじゃないですか。
(市の苦情処理フロー)
市民からの苦情→窓口担当者→広報部→苦情処理(シュレッダ)→処理完了
208牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/06(水) 04:47:00 ID:N/gF4ZB. [ y064137.ppp.dion.ne.jp ]
「天神山緑地VS紅桜公園」 
天神山緑地、紅桜公園に噛み付くも、甘噛み(天神)だったため紅桜公園の勝ち…。
ま、これがワシの戦前の予想です(w

たまたまですが、似たような雰囲気の両者がネタとして挙がってきました。
二つを比較しながら調査をするという、新趣向でいきましょうかね。
まずは、住所です。
「天神山緑地」は「豊平区平岸1条18丁目,2条16〜17丁目」

対する「紅桜公園」は…。
ここで面白いことに気がつきました。
18丁目さんが>>203で提示されました、「南区澄川4条13丁目389-6」という住所、これ実際にはない住所のようなのです。
確かに、ネット検索では、
ttp://sap.ath.cx/sa/zfood1/takikawa/sabeni.htm
ttp://www.mates-publishing.co.jp/asobiba/hokkaido/hokkaido_09.html
ttp://www.stv.ne.jp/tv/dosanko/chukei/041001/main.html
「澄川4条13丁目」あるいは「同389-6」となっております。
でも、「澄川4条」は「12丁目」で終了なのではないでしょうか?

http://www.city.sapporo.jp/kikakuchosa/statdata/
「札幌市の地域別人口(住民基本台帳人口)」からたどって行った、平成16年7月1日現在の「町名・条丁目別世帯数及び人口」にも「13丁目」は出てこないのです。
MapFan.netの住所検索でもこの住所は表示されませんで、単に「南区澄川389番地」としますと、「紅桜公園」を見事に示します。

番地表示だと分かりづらいし、「澄川4条12丁目」の南方だからということで、同公園側で"勝手に"付けた住所ではないかと…。
それともごくごく最近、住所表示が変わったのでしょうか?
実際に行ってみなけりゃこいつはナンとも言えませんが、住所の怪しさからして、まずは「紅桜公園」の勝ちかな(w

ちなみに、こちらでは「札幌市南区澄川389番地6」(04年5月19日現在)となっております。
ttp://www5b.biglobe.ne.jp/~megu45/bensakurakoen.htm
20918丁目:2004/10/06(水) 08:58:51 ID:8EeJeD76 [ p10177-adsau04sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
怪しすぎますね「紅桜公園」。
昔から知っていた公園ですし、その前の道は何十回と通ってはいましたが。
地図を眺め、現地に行ってみて、沿革などを調べようと思ってみて、あらためて
その怪しい雰囲気に誘われてしまいました。

公園の中の小高い丘陵地に威風堂々とそびえたつお屋敷がありました。
あきらかにどなたかがお住まいの様子で、♪ポロ〜ンポロ〜ンとピアノの調べ
が聞こえてきます。ここが「紅桜公園」のオーナーである××さんのお宅でしょうか?
(残念ながら写真はありませんので、興味のある方は足を運んで見てください)
210なまら名無し:2004/10/06(水) 19:45:01 ID:OuZxXdqc [ i60-35-43-247.s02.a001.ap.plala.or.jp ]
天神山昔よくあそんでました。ゴルフ練習場も在りました。アスレチックもありました。
ちょっと地面ほると縄文土器がごろごろ出たり。かわればかわるもんだ。
ついにきましたか紅桜公園。ここは7−8年前までサントリービール園があり
撤退後はワンニャン村に2−3年でまた撤退。いまは釣り堀と茶室くらいしかないのでは。
211なまら名無し:2004/10/06(水) 20:20:16 ID:Y/DIG6vE [ EATcf-365p140.ppp15.odn.ne.jp ]
秋号も牛鍋大活躍だな。片方はボリュームかなりあるし。すごいな
212牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/07(木) 20:50:48 ID:kUoJpHxU [ N046191.ppp.dion.ne.jp ]
>>211さん。
「季刊 札幌人」秋号、見ていただけましたか。
今回は大きいのと小さいのと二つ書きました。
今号より皆さんのご自宅の最寄の書店でも、置いてある可能性はかなり高いと思います。
前まで置いていなかったうちの近くの二つの書店に置いてありましたし、昨日行ったコーチャンフォーミュンヘン橋店では、カウンター前に平積みしてありました。
市内と近郊で100店舗に納入したそうです。
3号目にして、かなり雑誌らしさが出てきましたね。

さてワシも、昨日釣られて「紅桜公園」に行ってきました。
画像は後ほどアップしますけど、とにかく住所表示、あそこは絶対に「条丁目」じゃないね。
だって、完全な森林地帯だもんね。
つまりは「南区澄川4条13丁目」ってのは、営業戦略でしょう。
正しくは「澄川389番地」(辺り)だと思います。

>>210さん。
「ワンニャン村」というのは、駐車場脇の今は廃墟となっているあの建物ですね。
えらく立派な建物でしたが、犬猫用だったのですか。
その隣の池はなかなか風情がありました。
ロケーションはなかなかいいです。
紅葉も始まっておりましたが、もうちょっとですね。

18丁目さんが書いておられるピアノが聞こえるお屋敷ですが、ワシも私邸かと思い、上まで上がりませんでした。
確かにピアノの音が、♪ピロピロ〜ンと鳴っておりました。
でも今、地図で確認しましたら「紅桜記念邸」となっておりました。
あれ?
私邸じゃなかったのかな?

「天神山緑地」は帰りに横を通ったのですが、夕方になっておりまして今回はパスしました。
ワシも幼少の砌に、「百景園」には何度か行った記憶があります。
ただ、天神山自体には登ったことはないと思うのです。
今度行きますよ。何十年ぶりだろ。
213牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/08(金) 22:14:52 ID:9k9SgZK6 [ y064134.ppp.dion.ne.jp ]
そうそう、忘れておりました。
「紅桜公園」のレポートの前に、触れておかなければなりますまい。

>>186で書きました「中央区界川の坂の石柱」ですが、写真を撮ってきました。
んでですね、ご案内のような「何とか坂の碑」ではなく、実は「大阪の並木」という碑でありました。
謹んでお詫び申し上げます。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1169 
クルマの窓からチラと見ただけだったのと、寄る年波でございましょうか、記憶が曖昧でしてにゃ。

で、もうひとつ反省しなければならないと思うところがありまして。
こちらをご覧ください。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1170 

「大阪の並木」という、どうもよく分からない碑の正体は…と思い、横を見ますとその送り主の名が刻まれておりました。
左側の「関西有名商社」というのは読めたのですが、右側がよく読めなくてね。
「北海道○○株式会社」…。
現場でもよく分からなかったのですが、「うちで画像見れわかるダロ〜」と高をくくっていました。
でもね、写真でも判読不明でありました。トホホ。
そもそも、「関西有名商社」ってなんだ?
自分で"有名"っていうか?

この碑はなぜか正面が道路側を向いていまして、ドライバーを意識しているように思えます。
しゃれた並木でもあるのかなぁ、と思いましたが、特段取り立ててスンバラシイと思えるものでもないようです。
あるものだって、向かいは西友だし、こっちはロイホとホーマックだもんね。
ナンじゃろ、これ。
214牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/09(土) 22:08:30 ID:Rs3hK7cA [ x086190.ppp.dion.ne.jp ]
なんとなく思い出しました、「中央区界川の坂の石柱」の銘。
な〜んとなく思い出しましたが、「だったような…」と言う程度です。
でも、書いちゃいます。
「贈」の右側にあった「北海道○○株式会社」という名称…。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1170
「○○」の中身、「放送」だった、"よ〜な"。

「紅桜公園」。
画像を何枚かアップしました。
最初は、18丁目さんが上げられたアングル、その反対側から撮ったものです。
「寿光庵・木乃実茶屋」入り口。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1171

で、茶屋内部から庭を望む。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1172 
お池。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1173 
開拓神社。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1174 
(例のお屋敷の写真も撮りましたが、私邸らしいので、アップしません)

今日は眠いので、この辺でご勘弁を。
また、明日から2〜3日忙しいので、その間よろしくお願いします。

そうそう。
新らたな資材を発注しました。
13日には入荷予定ですので、次回からの実地調査の際には強力な武器となるかと思います。
今まで表現できなかった画像も、白日の下となる日も近いのであります。
ttp://www.nikon-image.com/jpn/products/camera/digital/coolpix/8400/index.htm
215なまら名無し:2004/10/11(月) 01:48:22 ID:0FxVkAEQ [ t012043.ipgw.phs.yoyogi.mopera.ne.jp ]
紅桜公園って、昔サントリーのビヤホール「紅桜庭園」(名前うろ覚え)がありましたよねー
なつかしい。
216牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/11(月) 22:46:08 ID:Qy8g95Xs [ x086190.ppp.dion.ne.jp ]
>>215
レス、ありがとうございます。
調べてみましたら、「サントリービール紅桜庭園」というのが正式名称のようです。
これが現在の「紅桜公園」そのものだったのか、それともその一部だったのでしょうか。

ジンギスカンは現在でもいただけるようですし、他にラムシャブ、合ガモ鍋、肉ロース鉄板焼き、ニジマス料理、バーベキューなども。
特別、ビールは前面に押し出してはいないですね。
「米桜本館」。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1176 

「紅桜公園」の駐車場横に、こんな建物がありました。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1175
すでに廃墟となっておりまして、かなり痛んだ状態でした。
もともとは結構なってものでありますのにねぇ。
 
この建物が「ワンニャン村」という、犬猫のテーマパーク兼販売施設だったのです。
ttp://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/3080/zoo/wan-nyan-mura.htm(拝借しました)
どうやら、2000年の秋までは間違いなく営業していたようでして、大人が1.300円、子供700円という入場料。
180種、300匹の犬猫と触れ合えるという趣向だったようです。
たった4年で荒れ果てるものです。
217なまら名無し:2004/10/11(月) 23:07:58 ID:S5PnTOmM [ YahooBB221023211026.bbtec.net ]
はじめまして。
今過去スレを全てバーッと読ませていただきました。とても面白かったです。
ところで知名度ゼロといえば、私は福移を思い出すのですがどうでしょう?あそこは札幌っぽくないですしね。
21818丁目:2004/10/12(火) 01:51:17 ID:5O9JaR1o [ p24232-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
219牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/12(火) 11:29:12 ID:p3YbHMS. [ U124242.ppp.dion.ne.jp ]
今日明日は休みなので「天神山緑地VS紅桜公園」の調査へ行きたいところですが、新機材(>>214では"資材"と書いたけど間違いね)が入ってからにしたい気もあります。
ただ、その後の休みは法事でオホーツク海側へ行かなければならないので、予定が取れない…。

http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1167 
「紅桜公園」の地図(MapFan.net)で、各施設の位置関係をご説明します。
施設はすべて赤い表示になっています。

北側が入り口で、すぐに大きな駐車場があります。
この地図ではその下に「ワンニャン村」とありますが、それがこれ。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1167
先にご案内の通り、「ワンニャン村」は現在営業しておりません。

駐車場から坂を登りますと、「紅桜記念邸」。
これが例の、♪ピロロ〜ンとピアノが鳴るお屋敷です。 
病弱な美少女が弾いているのでありまでしょうや。
それとも、案外雰囲気つくりなのかな〜、なんてね。

奥に進みますと、L字型に見えます、
「寿光庵・木乃実茶屋」
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1171
営業時間 10.00〜19.00
屋根の造りは、「神明造り」(伊勢神宮の正殿と同形式)の茅葺き
丸太材 は先代が植樹した「トド松」「唐松」「秋田杉」を伐採して、10年間乾燥させて使用
名水 「長寿水」単なる地下からの湧水ではなく、樹木が吸い上げた水であり 「木」の甘味がある。

…だ、そうです。
抹茶やコーヒー、ジュースなど和風喫茶の趣の茶屋ですが、お値段はリーズナブルです。
和服と洋服の従業員さんが、各一名おられました。
サイドボードが場違いに置いてあったりします。
ワシは"場違いなサイドボード"で「水車町」の「難得神社」を思い出してしまいました(w
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=299 
茶店の奥が茶室になっておりまして、少々お高くなりますが、ここで抹茶をいただくことも出来るそうでございます。
和服の方がおられるのはこの為なんでしょう。
220牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/12(火) 11:30:13 ID:p3YbHMS. [ U124242.ppp.dion.ne.jp ]
道を挟んだ向かい側が低くなっております。
ワンニャン村のあった建物の裏です。
ここに大小の池がありまして、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1173 
そのひとつがニジマスの釣堀のようです。

上に上がりますと「紅桜本館」がありまして、(>>216で「米桜本館」と書いたけど、タイプミスです。すみません)
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1176 
中には入らなかったので、レポートは、なしです。

また一段高くなったところに、日本庭園が広がっております。
「開拓神社」があります。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1174 
「由来 昭和五十九年 当地開拓七十周年記念祭を迎え紅桜公園に開拓の功労者十四柱を御祭神として祀った
昭和六十二年 澄川389番地に建立の造林 採石の安全祈願碑 石切場山の神碑を移設し開拓神社に合祀した
昭和六十年には記念事業として社務所並びに開拓資料室を造営した
神社の尊厳を護持し先人の偉大な開拓の足跡を偲ぶ各種の資料が展示されている」(ママ)
ということで、祀られている方の名前が列挙されていますが、通常の神社とは違い、すべて実在の人物ですね。
221なまら名無し:2004/10/12(火) 20:05:52 ID:D3VrtWSo [ i218-47-151-115.s02.a001.ap.plala.or.jp ]
ワンニャン村ってサントリービール園だったとこだろう。職場でよく行ったなー。
螺旋階段があって洒落てて目の前に池があってビールとジンギスカンうまかったな。
犬猫のあとじゃにおいがついて買い手もつかないのかなー。
222牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/12(火) 20:36:58 ID:.Vh1LUIg [ U232220.ppp.dion.ne.jp ]
い、いかんッ!
また間違えた…。
>>219でリンク張り間違いました、トホホ。
いまさらながらですが訂正します。

「この地図ではその下に「ワンニャン村」とありますが、それがこれ。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1175 
先にご案内の通り、「ワンニャン村」は現在営業しておりません」

>>221
そうですか、あの建物でビール園をやっていたのですね。
納得しました。
螺旋かどうかは確認できませんでしたが、「風と共に去りぬ」ばりの階段は確かにありました。
ガラス越しに見えましたよ。
建物の状態としては、池に面しているところの軒先に壊れて抜けているところがありまして、それをとってみただけでも辛いものがあります。
初めは先日の台風の影響で壊れたのかと思いましたが、そういう壊れ方ではなかったようです。
ということは、かえってヤバッちぃですね。

今日、「季刊 札幌人」の秋号(さっぽろの市電)がNHKの「ほくほくテレビ」で紹介され、発行人A氏が二度の出演をしました。
ま、こんなことを言ってはA氏に怒られますが、かなり緊張されておられたようです。
目加田、森本両アナウンサーはさすがにうま〜く、和やかに進行されていたのですけどね(w
市電の前身として、「馬鉄」の話が出ました。
今回、ワシが書いた記事です。
で、ワシが撮った「北海道開拓の村」の馬鉄の写真が、森本アナによって、大きなフリップで紹介されました。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1062 
著作権料よこせ〜!NHK

で、内緒だけどさ。
「紅桜公園」だけど、明日また別の民放で中継されるそうですぜ…。
223牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/12(火) 20:49:04 ID:VZwn3glk [ x087249.ppp.dion.ne.jp ]
追伸です。
小さいことですが、>>222で書きました、"発行人A氏は二度の出演"。
これ、「二度目」でありました。
またまた、訂正いたします。
それと、上記、「ほくほくテレビ」のことで追加レスです。

♪さすがぁ〜、天下のNHK〜(なぎらけんいち "悲惨な戦い"より)。
「季刊 札幌人」とは一切、画面でも音声上でも紹介しませんで、あくまで、「地域文化誌」という紹介で押し通しておりました。
商品名の「札幌人」じゃ、宣伝になっちゃいますもんね。
ま、「地域文化誌」の方がなんだか重みがあっていいかもね〜(w

で、「紅桜公園」だけど、新たなキーワードを提示しましょう。
「桜山」。
("頭山"じゃないよ)

どっかで、聞いたことあるよなぁ〜。
224牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/12(火) 22:24:42 ID:VZwn3glk [ x087249.ppp.dion.ne.jp ]
ぎゃ、またやっちまったぜ。
「ほくほくテレビ」の件ですが、
>「季刊 札幌人」とは一切、画面でも音声上でも紹介しませんで…
と書きましたが、も一度ビデオを見直しましたら、「"札幌人"という地域情報誌…」って森本アナが言っていました。

ほんでもって、「紅桜公園」。
これって、本スレでも何度か登場しました「桜山」の隣接地だったのですよ。(過去ログへは後日リンクします)
昨日、気がつきました。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1177

昭和10年頃の「桜山」ですが、この写真いいですね。
向こうに山が見えますので、手前の白い線が定山渓鉄道ではないでしょうか。

それになんだかこの写真、向田邦子の世界って感じでしょ?
家族で花見だけど、お父さんがいない。
当時、家長であるお父さんはとっても偉かったので、たとえ家族と言えども婦女子らとはほいほいと花見になんか来なかったのかもしれませんなぁ。
225木工団地:2004/10/12(火) 22:43:16 ID:C0Nk4NAA [ ZF000050.ppp.dion.ne.jp ]
>>224
>家族で花見だけど、お父さんがいない。
当時、家長であるお父さんはとっても偉かったので、
たとえ家族と言えども婦女子らとはほいほいと花見になんか来なかった
のかもしれませんなぁ。

当時はまだ高嶺の花だったであろう、「カメラ」を持っているハイカラなお父さんが、
景色と共に家族の後ろ姿を撮影した!と思います…思いたい。なぁ〜。
226なまら名無し:2004/10/12(火) 22:46:39 ID:wkfXnkZk [ i220-220-149-34.s02.a001.ap.plala.or.jp ]
その写真たしか真駒内物語(北海道新聞社)にも載っていましたよね。
私も長閑でいい写真だと思ってました。現在の桜山は保安林とかで
木がうっそうと茂り眺望もきかないし花見すらできません。
どのあたりから撮影したものでしょうかね。
227牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/12(火) 23:56:40 ID:VZwn3glk [ x087249.ppp.dion.ne.jp ]
>>225
あ、そうですね。
撮影した人がいたはずだった!
そうか、お父さんが撮ったのかな。
だとしたら、カメラはライカだろうな。
ライカであってほしいな。1935年だからLマウントかなぁ〜。

>>226
正解です。
「真駒内物語」です(w
現在の「桜山」は眺望ききませんか。
残念ですねぇ。
ワシもどこから撮ったか知りたいです。

一年位前にテレビで、西欧の森と日本の森の違いを放送していまして、「なる〜」と思いました。
ま、ワシくらいの年齢の方だったら、あれだね、往年のTVドラマ「コンバット」を思い出してほしいんですけどね。
「コンバット」の舞台って、フランスあたりでしょ。
丘に、"ぽっぽ"と木が生えているところでナチスドイツと交戦するわけだけど、西欧ではあれが森なんですよね。
西欧の森は、地面に太陽の光が当たるところだそうです。

日本の森は(これは最近、山を守る人が少なくなってきているせいもありますが)、鬱蒼とした場所です。
光が通らない。
極端な例だけど、富士の樹海、行ったことあります?
あそこ、昼でもホントに真っ暗です。
228牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/12(火) 23:58:16 ID:VZwn3glk [ x087249.ppp.dion.ne.jp ]
昭和10年の桜山は、なんとなく日本離れした光景です。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1177
なんだか、「チェックメイトキング2!チェックメイトキング2!こちらホワイトロック!応答せよ」って、
聞こえてきても不思議じゃない感じしませんか?
サンダース軍曹とかリトル・ジョンとか出てきそうな感じしませんか?

実は、真駒内に米軍基地である「キャンプ・クロフォード」が作られた理由として、基地建設に当たった
スィング少将の第十一空挺師団の出身者がノース・カロライナ出身で構成されていたので、故郷の田園に似た
当地が選ばれたのでは…、と「真駒内物語」には書かれています。

札幌を離れ、たまには世界に目を向けましょう。
「ノース・カロライナ州」についてちょっと書きます。
「州全体は性格の異なる三つの地域から成っている。東西にのびた州で、西から貧しいアパラチア山岳地帯、
中間の平坦なピートモント台地、そして湿度のある海岸平野である」(「アメリカ50州を読む地図」 浅井信雄 新潮文庫)。

ということは、ノース・カロライナの中部地区と「真駒内」は似ていたのかな?
229真駒内川:2004/10/13(水) 11:44:51 ID:avcS/mgI [ pd33870.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
見返坂、観音坂。
拙者、手掛かりなしで消耗してしまったので切腹〜!!

全然話変わるんですが、
例の金玉横町に異変が起きています。なんと、ひょうたん小路が消滅していました。
バブル崩壊で止まっていた再開発が進み出したと言うことなので、悪いことではないのでしょう。
景気が上向いてきた証拠なのですから、老朽家屋を取り壊して土地の利用効率を上げようとする動機は否定するべきではないでしょう。
防災面でも好ましくない状態であったことは間違いありません。
しかし一方で中心部からどんどん昭和が消えて行っています。
こうしている間にも街から次々と「歴史」が消えていくという事実を見ると、
無くなってしまった物をほじるより先に、消えようとしている物を記録して行かなければと言う焦りを覚えるのは私だけでしょうか。
そして何年か経ち、このスレの様に「どこにあったの?」と少ない資料を手探りする繰り返しになるのでしょう。
230牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/13(水) 21:41:57 ID:GpOeZxwM [ y064212.ppp.dion.ne.jp ]
>>229
ワシも、札幌が都市としての正常進化を遂げていくことに関してはなんら苦言を呈するつもりはありません。
いくばくかたりとも、自分もその恩恵には与っておるはずです。
ただね、日々過ごされていく(平々凡々かもしれないけど)人々の暮らしが感じられる町並みがなくなっていくというのはどうも、なんといいますか…。
残念〜〜!!
もちろん、我々にそれらの動きを止めることは出来ません。
できませんので、せめて今の記録を、と思います。

ワシは本スレをお借りしまして、皆様のご尽力を賜りまして札幌の地名・歴史・風俗・出来事・なんじゃかじゃを調べてきておりますが、これを単なるノスタルジアで終わらすのだけは避けようと、そう思ってやっております。
普段の暮らしなんてそう変化のあるものではないし、自分の住んでいる土地だってその平凡な日常に溶け込んでしまっています。
だけど、ちょっと昔を調べてみたり、故あって名付けられたはずである地名を調べてみたりすると、普段見てきたものとは違った風景が見えてくるものなのです。

てな訳で、ワシが実地調査へ行くのは、過去だけを調べに行っているわけではありません。
そこが今どうなっているのかを見に行っているのです。
で、将来のために記録を…、とも思っておるのです。

皆さんも現地へ行ってみましょうよ。
どんなとこでも行ってみると、結構それなりに面白いもんですぜぇ(w


…と、えらそうにレスしておいた、と今日の日記には書いておこう。
231牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/15(金) 21:11:48 ID:.dABR13Y [ y065003.ppp.dion.ne.jp ]
「紅桜公園」から話しがそれますけど(天神山緑地は何処へ?)、
例の、謎の「中央区南10条西22丁目」のロイヤルホスト前にあります、「大阪の並木の碑」。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1169 
贈ったのは「北海道○○株式会社」と「関西有名商社」となっておりましたが、その○○がわからなかった。
先日、ちゃんと調べてきましたとも。

やはり、>>214で書きましたように、「北海道放送株式会社」と読めました。
しかし、なんとかやっとです。
この字、全く力がない。
よ〜く見なけりゃわからない。
書いた書家が悪いのか、彫った石屋のせいなのか。
(ワシね、昔、円山墓地近くの石屋でバイトしていましたんにゃわ)

ま、そんなことはいいのだけど。
「大阪の並木」ってなんだろう?
それと、「北海道放送株式会社」の関係。
また、「関西有名商社」というのはどこのことなのか。
なぜ、ちゃんと社名を書かなかったのか。
不思議な碑なんです。

新機材入荷しました。
好いです!
期間限定画像。
http://www.forum-jp.net/upload/3/img/172.jpg
http://www.forum-jp.net/upload/3/img/176.jpg
http://www.forum-jp.net/upload/3/img/188.jpg

明日から紋別経由で、興部行って来ます。
じゃ!
232なまら名無し:2004/10/18(月) 18:07:56 ID:4QltgnIE [ YahooBB218127114052.bbtec.net ]
>231の画像
前田森林公園
川下公園
モエレ沼公園
のうちのどれかと思うのですが・・・
233なまら名無し:2004/10/18(月) 18:12:48 ID:UoZMSxO2 [ p3250-ipad203sapodori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
道新札幌版で、「札幌人」の紹介記事が中々載らなかったのは、
このスレについての記述があるからかな?
234牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/18(月) 22:16:45 ID:LSWS4CUQ [ U120117.ppp.dion.ne.jp ]
>>232さんへ。
「前田森林公園」でございます。
ご多分に漏れず、ここも例の台風で木々に被害が出ております。
特にポプラなんぞは枝が折れてしまい、カッコ悪くなってしまったものが目につきます。

>>233
それは関係ないと思いとは思いますが…。
ま、確かにネット掲示板ってのは、新聞では扱いにくいネタかもしれません。
でも、ワシのホームはあくまでここ(w

昨日、オホーツク海方面から帰ってきまして、疲れがまだ取れていません。
体制を整え、今度の日曜あたりにでも「天神山緑地」へ行きたいと思っていますけど、日曜日は混むでしょかね。
235なまら名無し:2004/10/18(月) 22:28:53 ID:VRv.FQvw [ YahooBB219168126018.bbtec.net ]
どうでしょう?
236なまら名無し:2004/10/19(火) 01:38:11 ID:.KPRjRQc [ EATcf-350p186.ppp15.odn.ne.jp ]
混みません。
237233:2004/10/19(火) 20:10:27 ID:GZEHlW3I [ p1115-ipad24sapodori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
>>234
わかりにくかったと思いますが、私が言ってるのは、ここでも以前から話題になっていた同紙上の不定期連載「ま○か○探見」のことです。
(今日からまた始まりましたが・・・)
「札幌人」が店頭に出回っても、中々紹介記事が載らなかったので、やっぱり「パ○リ疑惑」は事実だったのかなあ・・・とか思ったもので。

あと、今はどうなっているか知りませんが、
当スレでも再三引用されている「札幌地名考」と「北緯43度・札幌という街」の中には、
地名の説明に誤った記述があったと思います。
確か両書の中では、昭和36年に札幌市に合併された豊平町の町域について、
現在の豊平区全域が含まれていた、というような書き方がされていたと思うのですが、
言うまでもなく、現在の豊平区豊平・中の島地区は明治後期に札幌市に編入されているので、
豊平区全域が昭和36年に合併されたわけではありません。
ひょっとすると、昭和36年以降に生まれたり、市外から転入してきた人の中には、
あれらの本を読んで、地名について誤った知識を持ってしまった人が結構いるのではないでしょうか?
この2冊の資料的価値については疑いの余地はないのですが、
誤りは誤りとしてここではっきりとさせた方が良いのではないでしょうか?
238牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/19(火) 21:59:22 ID:R5BWsNqQ [ L066199.ppp.dion.ne.jp ]
>>237
233さんへ。
実は「札幌人」春号の「私的博物館特集」と酷似した記事が、同誌発売直後の道新の「Oh!さっぽろ」に載ったことがあります。
あえて言うなら、そっちの方がナニかな?という気もしないではありません。
でも、その後に道新が同誌の紹介記事(発行人A氏写真入り)を掲載しました。
持ちつ持たれつって感じでしょうか。

もし、物書きのプロで本スレをパクっている輩がいたとしたら、その人は牛鍋蝸牛の呪いから逃れることは出来ないでありましょう。
その呪いとは、今後、足の小指をタンスの角にぶつける確立が2倍になるという、恐ろしいものです。


「札幌地名考」には、♪大きなものから小さなものまで、まるでヤンマーディーゼルのCMソングのごとく、多くの間違いがあったりします。
また、その他の資料にも、いや本スレにも多くの錯誤が含まれていることでしょう。
なにはともあれ、大人気ない、めんどくさいと言わないで、お互いに間違いは指摘してあげるのが親切であると思います。
「さっぽろ文庫」インターネット版にも「異説・新事実」というサイトがありますしね。
http://www.sapporobunko.jp/isetsu/isetsu.html 

個人的には、アラ捜し(…と言っては、語弊がありますが)、大好きだったりします(w
239牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/21(木) 11:18:24 ID:6shFHCfM [ N044042.ppp.dion.ne.jp ]
さぁて、「天神山緑地VS紅桜公園」というネタですが、いまだ「天神山」に関してはなんの調査もしていないというテイタラクです。
じょじょにではありますが、動き出しましょう。

「紅桜公園」…。
この公園、"公園"とはいえ、"私有地の公園"というちょっと変わった形式であることが判明しました。
個人の方の所有ということで、あまり丸裸にするわけにもいきません。
(情報も少ないんだけど)

商業施設も中にはありますが、基本的には好意で公開している部分もあるかと思います。
茶屋の飲み物の料金なんかは大変お安い設定になっておりますしね。
また、今は保安林となって立ち入りが難しい「桜山」の延長にあるようなところなので、それはそれで貴重かと思います。
一説によりますと、面積8万2500uとのこと。

一方、「天神山緑地」は、札幌市の正真正銘の公園であります。
こちらにも日本庭園や茶屋がありまして、その他さまざまな施設があるそうで。
面積は6万4千178uということなのですが、これだと「紅桜公園」よりも狭いことになります。
でも、地図で見ます限りは「天神山緑地」の方が広いと思えるのです。
もしかすると、地図で見る「紅桜公園」はその全容ではないのかも知れません。
240なまら名無し:2004/10/21(木) 12:15:47 ID:5njejFJI [ p3148-ipad508marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp ]
>>238
>もし、物書きのプロで本スレをパクっている輩がいたとしたら、その人は牛鍋蝸牛の呪いから逃れることは出来ないでありましょう。

こういうことを書くと、やっぱりこのスレは午鍋氏個人のものかと思われてしまいますぞ。
241なまら名無し:2004/10/21(木) 12:18:52 ID:5njejFJI [ p3148-ipad508marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp ]
>>237
>現在の豊平区豊平・中の島地区は明治後期に札幌市に編入されているので、

これは間違いでしょう。明治後期に札幌「区」に編入されたのは、現在の豊平、旭町、水車町です。
同時期に編入されたのは他に、苗穂、菊水、山鼻などだけど。
中の島は豊平町の一部として戦後の編入です。
242牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/21(木) 20:42:52 ID:wiJWhHFE [ x087215.ppp.dion.ne.jp ]
>>240
あ、内緒ですよ…。
内緒なんですけど、ワシ本当は、呪いなんてかけられないんですよ。
なのにね、なぜか、そのこと、皆知っているらしいのです…(汗

というわけで、そういう理由でそんなこと思っている人は、いないと思うのですけどねぇ〜。
ま、スレで話せることには限界もありますので、是非、メールでも下さいな(w

で、しつこいようですけど、午鍋じゃなく、牛鍋です。
牛・鍋・蝸・牛(ぎ・ゅ・う・な・べ・か・た・つ・む・り)。
243業務連絡:2004/10/22(金) 12:36:23 ID:.HlT3VH2 [ 235.107.111.219.dy.bbexcite.jp ]
233氏、及び牛鍋氏へ

事実誤認があるのでやや補足で説明しますが、まず、
>「札幌人」が店頭に出回っても、中々紹介記事が載らなかったので、やっぱり「パ○リ疑惑」は事実だったのかなあ・・・とか思ったもので。

これは札幌人発刊当時、読売、毎日、朝日などが続々と取材、紹介したのに対し、
道新は出遅れてしまい二の足を踏んだ為と思われます。
さらに、道新が創刊当初の札幌人を紹介しなかったのはもっと大きな理由があります。

>実は「札幌人」春号の「私的博物館特集」と酷似した記事が、同誌発売直後の道新の「Oh!さっぽろ」に載ったことがあります。
あえて言うなら、そっちの方がナニかな?という気もしないではありません。
でも、その後に道新が同誌の紹介記事(発行人A氏写真入り)を掲載しました。
持ちつ持たれつって感じでしょうか。

まず札幌人発売が4月末、「Oh!さっぽろ」の記事は6月末で、直後ではありません。
この事からも、4月に札幌人からネタを拾い、6月に取材して記事にした事が伺われます。
で、この件をA氏がすぐに道新に談判に行き、「今まで紹介しなかったのは初めからパクろうという意図があったのでしょう」
と、問い詰めたところ、道新のデスクのアホンダラが「お詫びというわけではありませんが、今からでも紹介させてください」
と、急に下手に出てきて、翌々日の道新に雑誌の紹介記事が出たのです。ですから持ちつ持たれつではなく、道新の一方的な
パクろうという意図によって4月からずっと紹介されなかったのです。そんな紹介の仕方で結局出すくらいならパクるな道新!という気分です。
244牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/22(金) 22:00:36 ID:ukLFg/zs [ y065172.ppp.dion.ne.jp ]
>>243
業務連絡さんへ。
確かに道新が「札幌人」の紹介をしたのは、創刊後かなり時間が経過してからでしたね。
その間にそのような出来事があったことは全く知りませんでした。
ただ、「Oh!さっぽろ」の「博物館特集」が、道新の「札幌人」紹介記事になんらかの関係しているのでは…、とワシが睨んだのは、あながち間違いではなかったわけですね。

なお、「発売直後」というのは「札幌人の後」という意味で、厳密な時間経過を示したものではありませんので、ご理解いただきたいと思います。
いずれにせよ、あの件に関してはワシも、「道新、やりやがったな」と思ったのは事実であります。

クリエートを生業とするプロがパクリをするということは、魂を売り渡すことに等しいかと思います。
陥りやすい罠であることは間違いないですが、それ故、その誘惑に負けたら最期です。

こらっ!パクった人〜!
足の小指をタンスの角にぶつける確率を、この際2.5倍にしちゃいますよ。
245牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/22(金) 22:04:43 ID:ukLFg/zs [ y065172.ppp.dion.ne.jp ]
ちょっと、地名から離れてしまいました。

「天神山緑地」に関しましてですが、その実態に関しては案外知られていないと思います。
あそこになんで、あの小山がポコっと出来たのか。
ワシはとっても気になっていました。
「角川日本地名大辞典」より引用します。

「天神山 札幌市豊平区南部にある山。標高84.5m。平岸開道沿いに位置する。豊平川扇状地の隆起面である平岸面上の西側末端部にある丘陵性の山で、洪積世末期の支笏湖軽石流堆積物で構成される。
かつて月寒台地と陸続きであったが侵食され、現在は札幌市高速軌道(地下鉄)南北線のシェルターが通る谷で分離され、比高約40mの山となった」
この後、まだ続きますが、明日にしましょう。
246業務連絡:2004/10/22(金) 23:04:45 ID:tUG9inx6 [ 136.63.111.219.dy.bbexcite.jp ]
牛鍋様
横槍失礼しました。
>厳密な時間経過を示したものではありませんので、ご理解いただきたいと思います。

ご理解しました。あと、僕も以前雑誌に載せた記事を道新にパクられたことがありますので、
僕の分の呪いも含めて60倍にしといてください。
 では、天神山緑地の件、静聴します。
247なまら名無し:2004/10/23(土) 11:20:04 ID:TmfFWdpo [ p1052-ipad505marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp ]
>243

うちは日経なんだけど夕刊のコラムの著者がある日突然降板した
理由は著書に他人の著作の一部を盗用したから

北海道新聞のこともここでああだこうだじゃなくて
きちんと司法手続きを取ったほうがいいんじゃない
再発を防いで北海道新聞自身のためにもなるんだから

これはずっと前のことだけど
某都市銀行で配賦していた拡販用の冊子にサイクリングの紹介があった
でこれは日本のブルーバックスだったっけ
旅行本のシリーズの一冊からかなりそのままの引用があって
ひでえなあと思ったよ二十年ちょい前

北海道は著作権の意識が弱いんじゃないかな
と思う

ついでだけどこのスレ自体の著作権は
まちBBSに所属するじゃなかったっけ
だからこのスレを主催しているような午鍋氏と言えども
ここで得た知識を他の雑誌とかに発表するときは注意してね
他人のレスならなおさらだよ
248247:2004/10/23(土) 11:24:02 ID:TmfFWdpo [ p1052-ipad505marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp ]
一応念の為だけど
北海道新聞が剽窃を行なったと言うわけではない

ここに書いてある事実だけからすれば疑わしいけど
北海道新聞にはまた別な意見もあるだろうということ

だからきちんと両者の意見を述べ合って
事実関係をはっきりさせたほうがいいんじゃないかということ

このままだと逆に
北海道新聞に対する名誉毀損とならないともかぎらないから
249業務連絡:2004/10/23(土) 13:43:58 ID:FVa4BOxg [ 78.135.210.220.dy.bbexcite.jp ]
一応念の為だけど
北海道新聞が剽窃を行なったと言うわけではない

>それは1つの意見です。事実は、北海道新聞は剽窃を行ないました。
 司法手続き云々も、一意見として聞いておきます。

北海道新聞にはまた別な意見もあるだろうということ

>道新の意見は、「お詫びというわけではありませんが、今からでも紹介させてください」という
ナアナアな対応以外に聞いてません。他に道新からの意見があるなら聞きたいモノですが、
その前にこちらから言いたい事があります。この件ではありませんが、以前言おうと思って電話して、
居留守を使われました。折り返しの電話が来ません。
「両者の意見を述べ合っ」た結果です。
250C型台風:2004/10/23(土) 18:01:47 ID:kS3O5EuU [ ppp1213.va-osa.my-users.ne.jp ]
>231 牛鍋蝸牛さん
初めまして。
おお、ニコンの8400ですね。
天神山緑地、楽しみにしています。

紅桜公園・・札幌にいた頃わりと近くでした。
在主の「O」さんは、気さくな御仁ですので
話されると、開拓資料室の奥の部屋までも案内して頂けます。
251牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/23(土) 22:19:07 ID:29UGNQv6 [ y065088.ppp.dion.ne.jp ]
さて、どちらさんも、そろそろよろしいでしょうか?
…よろしいようですね。

>>250
C型台風さん、お初でございます。
なんだか、HNは二重の意味で怖そうなんですけど(w
現在は札幌以外にお住まいのようですね。
本スレをごらんの方はそういう方も多いようです。

そうそう、「紅桜公園」には「開拓資料館」という建物もありました。
天候次第なんですが、明日、「天神山緑地」へ行きたいと思っています。
で、出来ればですが、足を伸ばして、もう一度「紅桜公園」へとも…。

「角川日本地名大辞典」の「「天神山」記述、>>245の続きです。
「明治42年、地域の守護神相馬神社が建立された。この山の周辺は平岸りんご園があったが、昭和35年頃から宅地化が進み、現在は住宅地域となり、天神山は風致地区に指定されている。りんご園を記念して、『石狩の都の外の君が家林檎の花の散りてやあらむ』の啄木の歌碑がある」

「月寒台地」って、そういえば小学校のときだったかに習ったような記憶があります。
しかし、その記憶、すでにかなり漠然としていまして、間違っていたら許していただきたいのですが、確かに「西岡」あたりも火山灰地でして、このことは>>187でも触れました。
「紅桜公園」もご紹介の通り緑に覆われているのですが、実は火山灰地であることをワシは見逃しておりません。
改めて、「月寒台地」を調べてみたいと思い始めましたりしましたりして。
252牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/24(日) 22:05:22 ID:o8eaR4Ro [ L066084.ppp.dion.ne.jp ]
「天神山緑地」行って来ました。
ちょうど紅葉の真っ最中です。
お勧めです!
きれいです!
皆さん、是非ここ数日中に行って見たらいかがでしょう。
詳しいレポートは明日(できれば)したいと思います。
253なまら名無し:2004/10/25(月) 12:37:04 ID:LalUhTMM [ p8025-ipad72marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp ]
>>251
>さて、どちらさんも、そろそろよろしいでしょうか?
>…よろしいようですね。

午鍋氏はここの管理人のつもり?
なんか勘違いしているような気がするよ
254なまら名無し:2004/10/25(月) 12:49:20 ID:LalUhTMM [ p8025-ipad72marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp ]
>>249

248に書いた
>北海道新聞が剽窃を行なったと言うわけではない

「北海道新聞が剽窃を行なった」と言っているわけではない
の意味

ついでに書くと
「北海道新聞が剽窃を行なっていない」とも言ってはいない
けど

ここでああだこうだをいってもしょうがない
どこかでお互いの正式な意見を聞きたいよね
255牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/25(月) 19:32:56 ID:BVAOMijA [ L066070.ppp.dion.ne.jp ]
え〜っと、「天神山緑地」のレポートを書いて、画像をアップしようとしたのですが、あかんのですわ。
何べんやってもうまく、上がらない。
たまにあるんですけどね。
ということで、とりあえず、先に書いたレポートだけ読んでください。

「天神山緑地」のレポートです。
で、本来はそう大きな"山"ではないので、まず外観の写真を撮っておけばよかったのですが、今回はありません。
ちょっと失敗です。
ということで、いきなり緑地内部の写真からということになります。

アクセスですが、ここの駐車場は国道453号沿いにあります。
札幌の大規模公園の駐車場としては小さい方でしょうから、地下鉄で来られる方がいいかも知れません。
最寄の駅は地下鉄澄川駅ですが、こちらは国道とは反対側の平岸通沿いになります。

駐車場脇の平地に、リンゴの木が何本かありました。
実がなっていなかったのですが、もう終わってしまったのでしょうか?
農作物に関して知識がないもので、よく分かりません。
それとも、実はならない木なのかな。

標高84.5mとはいえ、一応は山なので登らねばなりません。
今の時期は最高ですねぇ。
街中にあるので、紅葉もまだ楽しめました。
基本的には360度眺望がきくので、自然と都会のコントラストも面白いです。
藻岩山方向はこんな感じですね。
どっかの犬も気持ちよさそうじゃないですか。

へっへ〜。
わかり辛いでしょ(w
256牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/26(火) 22:18:49 ID:o2fofP8o [ y064175.ppp.dion.ne.jp ]
じゃ、も一度。

「天神山緑地」のレポートです。
で、本来はそう大きな"山"ではないので、まず外観の写真を撮っておけばよかったのですが、今回はありません。
ちょっと失敗です。
ということで、いきなり緑地内部の写真からということになります。

アクセスですが、ここの駐車場は国道453号沿いにあります。
札幌の大規模公園の駐車場としては小さい方でしょうから、地下鉄で来られる方がいいかも知れません。
最寄の駅は地下鉄澄川駅ですが、こちらは国道とは反対側の平岸通沿いになります。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1184 
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1185 

国道側の駐車場脇の平地に、リンゴの木が何本かありました。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1178 
実がなっていなかったのですが、もう終わってしまったのでしょうか?
農作物に関して知識がないもので、よく分かりません。
それとも、実はならない木なのかな。

標高84.5mとはいえ、一応は山なので登らねばなりません。
今の時期は最高ですねぇ。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1179 
街中にあるので、紅葉もまだ楽しめました。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1180 
基本的には360度眺望がきくので、自然と都会のコントラストも面白いです。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1181 
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1183 
藻岩山方向はこんな感じですね。
どっかの犬も気持ちよさそうじゃないですか。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1182
257真駒内川:2004/10/27(水) 17:58:58 ID:HuIta0XM [ p29d986.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
え〜ん、牛鍋氏の呪いがナゼかこっちに来たみたい...
本日足の小指を思いっきり強打!ヽ(UoU;)ノ
もう即死でした。
258牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/27(水) 21:36:05 ID:6ExcYhJQ [ U123222.ppp.dion.ne.jp ]
>>257
ど〜も、すみません。
狙った方向性狂ったようです(w

>>245で書きました、
>かつて月寒台地と陸続きであったが侵食され、現在は札幌市高速軌道(地下鉄)南北線のシェルターが通る谷で分離され、比高約40mの山となった。

その"谷"がこのあたりだったわけですね。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1184 

「天神山」から東(地下鉄シェルター側)を望みますと、ごらんのような風景が広がります。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1187 
奥に見えるのが「月寒台地」なんでしょうね。
この間が侵食され、「天神山」は"山"になったわけです。
いや〜、勉強になるなぁ。
259牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/29(金) 21:09:48 ID:wkX10XOs [ U124061.ppp.dion.ne.jp ]
「天神山」は「洪積世末期の支笏湖軽石流堆積物で構成される」(角川日本地名大辞典)わけですから、どっかにその痕跡があるはず…。
そう信じて探し回ってみたところ、あっけなく、ありました。

天神山緑地の北東の一角に、こんな所があったのです。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1188 
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1189 
もう、完全な火山灰地でありました。
絵に描いたような光景でした。
昔はこれだけでもご飯を三杯お代わりできた牛鍋蝸牛でありますが、すっかりスレてしまったようで、
「やっぱりね〜」てな具合でした。

いけません、いけません。
人間、感謝の気持ちと感動の心を失ってはいけません。
反省しきりのワシでありました。
260牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/30(土) 17:53:54 ID:0csA/zTI [ y064175.ppp.dion.ne.jp ]
そんな調子ですけど、実はこの「天神山緑地」と同じ組成の火山灰が、札幌の産業と関わっていたことが分かりました。
「天神山」から北東へ1qほど行ったところ、陵陽中の東に、「坊主山」(現・平岸ぼうす山公園)てところがありまして…。
「平岸百拾年」(昭和56年)、「第一章平岸の自然 火山灰台地」によります。

「澄川・天神山・平岸台地・月寒など南東地区に広く分布している火山灰台地がある。この火山灰台地は今から約三万二千年前支笏火山の噴火で、噴出物が泥流となって水中に押し出され、ほぼ水平に堆積してできたものとされている。
この台地の一部である通称坊主山(平岸4、5条11丁目)附近の火山灰が、昭和9年から約10年間、大日本麦酒株式会社壜工場の主原料として採掘出荷された。(中略)

下層の火山灰は、色は灰白色、場所によっては淡黄色を呈し、硅酸を多く含んだ良質の火山灰であったので、ビール壜の主原料となった」
(注・牛鍋蝸牛 「硅酸」は、「珪酸」が正しいと思われる。過去ログHPを運営してくれている、161さんが詳しいかもしれない)

へぇ〜。
そう思うと、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1188 
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1189 
なんかも、なんとなくありがたくも感じられるわけです。

「紅桜公園」にはかつて「サントリービール園」があり、「天神山」には「アサヒビール園 百景園」
http://www.asahibeer.co.jp/restaurant/garden/hyakkei/ 
があり〜ので、ここで「サッポロビール」の前身が登場してきたわけです。
あとは、なんだな、麒麟だけだな。
キリン、キリンと…。
「天神山動物園」ってなかったけ?

あ、ありゃ、「天王寺動物園」だった(w
26118丁目:2004/10/30(土) 18:07:12 ID:hqZH6UWc [ p9023-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
本日晴天なので天神山行ってきました
私は大人から、お釈迦様のお墓と教えられていました。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1191
うちのかみさんは、「天皇のお墓」やら「あそこから鬼が見ているよ」などと、トンデモ
なことをいわれていたそうです。
26218丁目:2004/10/30(土) 18:14:31 ID:hqZH6UWc [ p9023-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
あ、261の写真は、天神山から眺めた藻岩山平和記念塔ってことです。
263なまら名無し:2004/10/30(土) 22:17:06 ID:ao9rmySM [ i220-108-7-212.s02.a001.ap.plala.or.jp ]
>>260
なつかしい。小学校の頃スキーかついでここでスキー学習してました。
264牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/30(土) 22:55:46 ID:MfjEAWXw [ y065072.ppp.dion.ne.jp ]
ご夫婦で天神山散策、羨ましいです、18丁目さん。
ワシが行ったのは10月24日で、紅葉はまだまだいけそうだったのですが、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1192 
今日辺りはどうだったでしょう。

実はワシも再度、調査へ行こうと思っていたのです。
が、買ったばかり(と言うか10月1日発売だった…)2台目のデジカメに不具合がありそうなことがわかりまして、先日、修理に出しました。
初代デジカメでは広角の写真(大好き!)が撮れないので、久々に図書館へ行きました。

「さっぽろ文庫64 公園と緑地」によりますと、「天神山」が「公園緑地」として整備されたのは、平成2年からとのこと。
もちろん、緑地自体の歴史はもっと、ず〜っと古いわけで、「天神山」という名前の由来は「平岸天満宮」(天神様)から。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1193 

菅原道真公が祭られているわけですが、同公についてやたら詳しいサイト
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/ymkg/index.shtml によりますと、この方、お酒が弱かったらしい。
ビール飲めないじゃん。

>>263
「坊主山」ですね。
なんかいい響きですね〜、「ぼうずやま」。
26518丁目:2004/10/31(日) 03:14:24 ID:L6F3CYX. [ p9023-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
自分なんとなく平岸のこと知らなさ過ぎだと思わされました。
天神様があるから天神山だったとですね。
よさこいチームの平岸天神もそこから名づけたのか。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1194
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1195
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1196
266なまら名無し:2004/10/31(日) 09:49:54 ID:DfVcXEnA [ i60-35-36-243.s02.a001.ap.plala.or.jp ]
>>264
地元の人は「ぼうずやま」ではなく「ぼんずやま」っていってたような・・・
川沿にもありましたね。たしか。
平岸は平岸小が使っていました。旧体育館にぼんずやまでスキー学習してる
巨大な卒業制作の絵がはってあった記憶が。
267真駒内川:2004/10/31(日) 10:19:50 ID:HxG.j2rg [ pdddb6a.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
268牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/31(日) 20:55:50 ID:cXUSyeFM [ U125053.ppp.dion.ne.jp ]
>>266
皆さんにお尋ねしたいのですが、「ぼんず」って「ぼうず」の方言ですよね?
ワシ、東京で10年ほど暮らしていたことがあるので、北海道の方言についてはわりと敏感な方だと思っていのですが、最近になってとても気になり始めていたのです。

卒業制作の壁画で思い出しました。
緑丘小学校の体育館には新幹線の絵があったのですが、デッサンが狂っていて、鼻先が右向いてしました。
いざ、ああ描くのも案外難しい。
で、前にも書きましたが、スキー学習は「温泉山」(現・旭山記念公園)でした。

…今日は、sage だな。
269牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/10/31(日) 20:56:54 ID:cXUSyeFM [ U125053.ppp.dion.ne.jp ]
あ、ageちゃった!
270牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/11/01(月) 22:29:59 ID:JC.dUK6g [ N044122.ppp.dion.ne.jp ]
さて、この「天神山緑地」には、ユニークな施設があります。
「札幌天神山国際ハウス」というもの。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1198
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1199
なかなかモダーンな建物ですが、どういうものか言いますと、その実態は札幌市民にも案外知られていないのではないかと思います。

オフィシャルサイト ttp://www.plaza-sapporo.or.jp/sgh/ はこちらなので、見ていただければと思いますが、要は、来札する国内外の"研究者"用の素泊まり宿泊施設らしいのです。
31日宿泊した場合、13万2500円という料金だそうです。
観光旅行には使えないそうですので、お間違えのなきように。
管理規則はこちらに詳しいので、ご参照ください。
ttp://www.city.sapporo.jp/reiki/honbun/a0020496001.html 

ま、ワシには使う資格がないようだし、お呼びじゃないなぁ。
271牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/11/02(火) 22:13:03 ID:q8mwpURk [ N044122.ppp.dion.ne.jp ]
「天神山」に関しまして調べていきましたら、結構面白いネタが出始めてきております。
その生い立ちも少しですが、わかってきました。
どうやら、「天神山」の周りにある"あれ"とか、"これ"とか、やっぱり関係あるようです。
また消化しきっていないので、少々お待ちください。

とりあえずですが、こんなのを発見しました。
「平岸天満宮」
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1193 には、「舞殿」があります。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1201 

ここでは、こんなことが行われているようなのです。
ttp://media.city.sapporo.jp/sorairo/ringo_star/ 
「第18回 平岸天満宮 舞楽奉納」の動画をご覧いただきたい。
272牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/11/03(水) 17:36:21 ID:mR7Yc3CM [ N044122.ppp.dion.ne.jp ]
上記URLの「そら色ステーション」、「第18回:平岸天満宮 舞楽奉納」に、こうあります。

「平岸天満宮は明治36年5月、札幌の豪商三国屋南部源蔵氏(ロサンゼルスオリンピック3段跳び金メダリスト南部忠平の父)が
九州福岡から平岸に移住する際、故郷の太宰府天満宮より御分霊を奉斎し、天神山に祭ったことが始まり」

「平岸百拾年」(昭和56年)の「第十二章 生活の中で 太宰府天満宮」では、ちょっとニュアンスが違っています。

「天満宮は、明治三十六年、札幌の豪商三国屋南部源蔵(旧姓大社)が、一条八丁目(現百景園山際廣昭所有)の
現土地を入手したおり、山上に石を積んで祀っていたものをみて、ここに故郷福岡県太宰府天満宮の分霊を
うつして祭ったことにはじまる(源蔵息、ロスアンゼルスオリンピック優勝者南部忠平氏談)。(中略)
地形的に独立した山塊で、公通上の一目標ともなったが、地図上に天神山の名が現れるのは大正五年調査、
大正六年製作によるものからである」

すこ〜しですが、「天神山」の生い立ちがわかってきたようです。
あの、南部忠平さんが天神山と関わっておられたのですねぇ。
273牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/11/03(水) 21:18:01 ID:mR7Yc3CM [ N044122.ppp.dion.ne.jp ]
「平岸百拾年」のつづき。

「祭礼は例年五月二十五日に行われ、南部源蔵は、一族子弟、店員などを加えて、山麓広場で運動会を行い、春の喜びとした(遊楽館主九島勝太郎氏談)。
駅前ニシムラ店故西村信吉も幼時この運動会に走行したことを語っている。
大正時、北海中学に学んだ南部忠平は、父の所有するこの山へむかってひた走ったことから、陸上競技の選手としての素地をかためたという」

どうです。
「天神山」は、ただ単に南部忠平さんとつながりがあっただけではなく、まさにその後の運命を決めた山だったのかもしれません。
知らなかった…。
274とろんとろん:2004/11/03(水) 23:06:42 ID:TecFmyVg [ p2249-ipad13sapodori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
またもごぶさたしております。とろんとろんです。
しかも今回は4ヶ月近くもごぶさたしてしまいましたか。
その間に私のHNに関してのエピソードに関して出てきた
川崎洋は亡くなるわ、「ノブナガ」のワッキーはゴールするわ、
近場にあった「D’s shop(ディーズ ショップ)」は
また閉店するわ、と巷でもいろいろあったようで。

まあこっちもいろいろあったのですが、なかなかまとまって
コメントを書く機会も(余裕も)なかったもので。
これからもどうかよろしゅうに。

それでまあまたこちらに書くきっかけになったのは、「ノブナガ」で
ゴールまでの道のりの話が出たの(真駒内公園のくだりも多少映像で
出ましたね)と、「季刊札幌人」の秋号を買ったからでもあったり。
このスレ的にはメインの市電の話もさながら牛鍋蝸牛 ◆1lr/tj5942氏の
「札幌温泉」や「札幌温泉電気軌道」の記事やはたまた幻のフリントコーン
「札幌八行」の写真などを抑えてあり、資料として手元に置くのにも
丁度いいものが手に入った、といったふうで自身かなり喜んでおります。

で、話はだいぶ前の話に遅レスをつけることから始まるのですが。
>>24 >横丁さん
>北区役所HPによると
ttp://www.city.sapporo.jp/kitaku/rekishi/epi2-34.html
>調理場が「北6西5」にあり、昭和59年に東区へ移転とあります。
>この「北6西5」というのは今でいう某家電量販店の位置であり、
>文中の「東区へ移転」の移転先がおそらく現在の弁菜亭の辺りと推測できます。
確かにこの調理場は「北6西5」にあって、ちょうど市電(鉄北線)も
通っていた「おかはし」のたもとにあったとか言う話は親から聞いたことがあったけど。
(多分この調理場のあったあたりの写真は「季刊札幌人」の秋号にも写真の
あった参考資料「札幌市電が走った街 今昔北の都の路面電車定点対比」
あたりに載っていたかもしれない)
275なまら名無し:2004/11/04(木) 19:13:21 ID:GOs0htaQ [ i220-221-183-210.s02.a001.ap.plala.or.jp ]
平岸天満宮ばかり話題になってるけど隣にある『相馬神社』を忘れてませんか。
あそこの境内に巨大な栗の木があったような。神社の由来をお聞きしたい。
276牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/11/04(木) 22:10:27 ID:iO14fJUY [ N044122.ppp.dion.ne.jp ]
「相馬神社」は元々あそこにあったものではないようですね。
現在の「平岸2条15丁目」辺りが元来の所在地だと思います。
で、とどうやら「東裏」ネタで登場した、「水沢藩」と深い関係があるようですね。

また、境内にある栗の木は、直径120pくらいあり、市内でも有数の大きさだそうです。
(このネタだけ「札幌文庫64 公園と緑地」から拝借)


…すみません。
ワシはまだ、「相馬神社」の調査には着手していませんのですわ。
どなたか、こっち側から攻めていただければと思っています。
ワシは、もうちょい「南部家と天神山」、また「南部家以後の天神山」をやりたいと思っています。
277牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/11/05(金) 23:29:46 ID:4rWjT5AE [ ZF160241.ppp.dion.ne.jp ]
>>276では、ちょっと言い足りなかったので補足。

ワシ個人としては、まず「天神山」がどういう成り立ちをしたのか知りたいのです。
現在の「天神山緑地」って不思議ですよね。
通常なら敷地内と言ってもおかしくないところに、「北海道交通」(タクシー会社)、「アサヒビール園 百景園」、
複数のマンション、個人の住宅などがあるのです。
札幌市の所有地であるはずなのに、食い込むように民間の建物が建っている…。
不思議でしょ〜?

で、この山の所有者は元々誰だったか、その後どういういきさつで札幌市の物になったのか、知りたい…。
そういうことなのです。
278牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/11/06(土) 22:26:17 ID:yOXM3wt2 [ L066083.ppp.dion.ne.jp ]
「天神山」が、南部忠平氏のご尊父、南部源蔵氏の所有であったことはわかりました。
そのままであったなら、今現在も「天神山」は、南部家の所有地であるわけです。
しかし、それは違うわけで。

…いや、この場合、関西弁の「チャウ」の方がしっくりくる。
もと〜い。
しかし、それはチャウ…。

特別企画 関西弁講座。
次の文章を標準語に翻訳せよ。
「チャウチャウ、チャウ?」
「チャウ、チャウ!チャウチャウ、チャウ」

正解。
「あれはチャウチャウ犬ではないか?」
「違う、違う!あれはチャウチャウ犬ではない」

ま、そんなことはど〜でもいいのですが、「南部忠平 南部忠平自伝」(日本図書センター 1999年)、
「栄光の三段飛び 南部忠平物語」(川嶋康男昭和56年 北海道新聞社)などを参考に、その経緯をたどってみましょう。
(どの経緯だ? …と、一人突っ込み)

南部忠平の父、南部源蔵は嘉永5年、福岡県は宗像郡津屋崎村に生まれた。
その後、養子に入ったため「南部」の名を名乗ったものの、元来は「大社」という姓であった。
渡道の経緯を忠平氏は詳しくは知らないそうだが、源蔵氏はかな〜り、進歩的な考えを持った人のようであったことのこと。
福岡を発つ際に、石油一缶を買い求め、これを売りさばいて資本にして店を構え、酒、醤油、味噌などの醸造販売に成功した、わらしべ長者のような人だったらしい。

あ、さて、源蔵氏が札幌で生業としたのが、酒・醤油・雑貨商だったわけだが、他にも手広く商売をするため壜詰製造業も商っていたようだ。。
その屋号を、「三国屋」といい、ま、これがなかなかの「大店」(おおだな)って呼ばれる店で、資産は数百万円といわれていたらしいんだな、お立会い。
「三国屋」の所在地は、当初現在の「中央区南1条西3丁目」の現・三越札幌店、その後、「同南3条西1丁目」に移転したという。

ところで、「天神山」を南部源蔵氏が手に入れたのが、明治36年。
忠平氏が、同家三男として生まれたのが翌年の37年5月24日と、こうなるわけで、ま、後は明日へのお楽しみ。
じゃぁねぇ〜。
279なまら名無し:2004/11/07(日) 05:50:45 ID:GqKqLPK. [ YahooBB219041108061.bbtec.net ]
すすきの角地にむかし「三国屋」ってペットショップありましたなー
280なまら名無し:2004/11/07(日) 07:17:58 ID:ppu49/4. [ i219-164-21-82.s02.a001.ap.plala.or.jp ]
「ありましたなー」ここに来る方はわりと年令層高めですね。
天神山が南部忠平さんとゆかりがあるとは。たしか北海中(現高校)出身ですよね。
小学校は山鼻小学校ではなかったでしょうか。山鼻小百周年の式典で講演されてたのを
25年位前に聴いたことがあるもので。スレタイとは関係なくて失礼。
あそこに「行啓通り」というスレタイにぴったりの地名ありますがいうまでもなく
当然ガイシュツでしょうね、きっと。聞くだけ野暮でした。
281牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/11/07(日) 21:39:17 ID:ZAQv30sQ [ x086132.ppp.dion.ne.jp ]
>>279
「三国屋」でしたね、そういえば。
あの店は確かに長年、ススキノの風景のひとつでありましたなぁ…。

>>280
忠平氏は北海中出身であらせられますね。
ただ、同中に入学するには三年ほどの猶予があって、まずは東京の中学校へ行かれたそうです。
幼稚園は「若葉幼稚園」ということなのですが、小学校に関しては記述がありませんでした。

「行啓通」に関してはこれといった本格的な調査は行っておりませんが、何度か登場しております。
たとえば、http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/4_log.html#094 
「火星堂」で盛り上がりました。
ご存知でしょうか、「火星堂」。

「天神山」につきまして、忠平氏のエピソードが「南部忠平物語」にありました。
当時の写真もあってなかなか面白いんですが、今日も仕事でして、ちょっと疲れちゃいました。
ご紹介は、明日(か、明後日)にしたいと思います。
282なまら名無し:2004/11/08(月) 05:18:53 ID:FtZPohkg [ i218-47-81-117.s02.a014.ap.plala.or.jp ]
現在、「行啓通り」はそんなにマイナーな地名なんでしょうか?
札幌を離れて40年近くたつ者なのですが、私にとって「行啓通」は
映画館もあるとてもにぎやかでメジャーな場所だったもので。
283なまら名無し:2004/11/08(月) 14:22:46 ID:lpozEhbE [ EATcf-373p196.ppp15.odn.ne.jp ]
>>282
詳しく。
284あぼーん:あぼーん
あぼーん
285あぼーん:あぼーん
あぼーん
286横丁:2004/11/08(月) 22:25:07 ID:tPGuzdlQ [ N018202.ppp.dion.ne.jp ]
お久しぶりです、横丁です。

>274 とろんとろん さん

「札幌市電が走った街」見てみたいものです。
しかし、今の弁菜亭のあるあたりは「繊維会館(?)」
とかいう建物があったりして、時代を偲ばされます。

行啓通に関してですが、数年前とあるフィールドワークで
毎日のようにうろうろしていた時期があるのですが、
マンションがズラーっと並んでいるイメージが強いです。
確か映画館は無くなってパチンコかゲーセンになっていたような・・・。
あとアレでしたっけ、たしか「いく代」の流れを汲むお店があるって
過去スレにあったような気がします。

古い感じの店は弁当の「はちわか」ぐらいでしょうか。
あと面白い話として「柏木呉服店」の命名の由来がありますが、
既出だったかもしれないし有名かもしれないのでやめときます。
地名といっしょでお店の名前(屋号)も奥が深いですな。

ちなみに山鼻公園の道路はさんで向かい当たりにある雪印の
料理教室かなんかの建物がありますが、そのなかに山鼻地区の
歴史資料館なぞあってそこそこ楽しめた気がします。
287牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/11/08(月) 23:30:35 ID:3sjtXrXo [ U122231.ppp.dion.ne.jp ]
>>282
本スレで扱われているからと言って、マイナーかというとそんなことはありません。
もう、その辺はごちゃごちゃですんでね(w

ただ、「行啓通」(注・固有名詞の"通り"につきまして、ワシは"通"で表記しております)関しては、その名称はものすごくメジャーなのですが、現在、札幌市民でどのくらいの方が実際の「行啓通」に行かれたことがあるのか、そしてご存知なのか、ということはありますよね。
札幌が巨大化するにしたがって、かえってマイナーな地名が増える…というパラドックスです。


>>286
横丁さんがおっしゃるのは、このお店ですね。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=656 
補足ですが、このお店、「割烹 いく代」の流れを汲むかどうかはわかりません。

で、ついでですので、「行啓通」付近を、去年の7月に撮った写真をアップします。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1202 
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1203 
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1205 
で・で、「札幌市電が走った街 今昔北の都の路面電車定点対比」、持ってます。
で・で・で、ナニを調べればいいんでしたっけ?

「天神山」です。
南部忠平氏のご尊父、源蔵氏が「天神山」を手に入れられたのは、壜詰製造業も手がけられていたことと関連があるのかもしれません。
果樹園であった「天神山」のリンゴをビン詰にされていたのではないでしょうか。
「南部忠平物語」でも、「実家の農場があった平岸天神山」との記述があります。
明治37年生まれの氏が小学生の頃、弟らを連れ出し、自分の家の山である「平岸天神山」で馬橇を使ってそり遊びをして、命を落としかけた話。

既出のように、「平岸百拾年」には「地図上に天神山の名が現れるのは大正五年調査、大正六年製作によるものからである」とありますが、大正5年頃と言いますと、忠平少年のそり遊びから数年経っていますので、やはり「天神山」の呼び名はそれより古いと思われます。
288牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/11/09(火) 09:06:48 ID:q0epVT1E [ U122231.ppp.dion.ne.jp ]
南部源蔵氏が商っていた「三国屋」の写真です。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1206 

話はそれますが、「北海道開拓の村」へ行かれたことのある方は多いと思います。
多くの人は、あそこに再建されている商店の大きさから当時の商いの規模を想像するわけですが、
「開拓の村」の建物はほとんどが札幌以外の地域にあったもので、明治期札幌にあった所謂「大店」の規模は、
あんなもんじゃなかったのです。
ワシは開発の著しかった札幌には古い建物が残っていず、結果的に地方にあった建物が多くなったのではと思っていますけど。
でも、模型でもいいからそこらをちゃんと説明してもらえたらなぁ。
289k:2004/11/10(水) 11:44:11 ID:fFcIPG0I [ customer71-242.mni.ne.jp ]
お久しぶりです。kです。
「相馬神社」について、豊平の小学校の裏手、豊平6条7丁目のあたりも「相馬神社」
がありましたね。この両社が関係あるのかないのかも気になるところです。いずれにし
ても「相馬神社」はおそらく現在の福島県の相馬地方からの移住者が建立したものと考
えられます。
それから、「三国屋・南部商店」についてですが、かつて桑園の北5条の市電通りに面
して同名の酒店がありました。今もあるでしょうか。この店も何か関係があるかも知れ
ません。
290西創成:2004/11/10(水) 18:01:58 ID:PlRtsMUQ [ YahooBB218127212002.bbtec.net ]
おひさしぶりです。
まもなく復活する予定です。
291新川番地:2004/11/10(水) 18:16:18 ID:56eH3sQE [ YahooBB219041108061.bbtec.net ]
おひさしぶりです。
当分ROMってます。
292牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/11/10(水) 19:00:30 ID:laGJMt1E [ U120211.ppp.dion.ne.jp ]
おっおお〜〜!?
最近のレスが少なく、少々思うところがあったのですが、これなら本スレも大丈夫かな(w
293あぼーん:あぼーん
あぼーん
294牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/11/11(木) 22:34:59 ID:4Pb1h30. [ y065216.ppp.dion.ne.jp ]
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1207
当時の「三国屋農場」(天神山)の写真です。

>>289
桑園の「三国屋・南部商店」。
もしかしたら南部忠平さんのなんらかの流れを汲まれるお店かもしれませんが、実は南部さんの実家の三国屋は、大正末期に破産してしまいました。
破産のいきさつは、「南部忠平 南部忠平自伝」(日本図書センター)と「栄光の三段跳び 南部忠平物語」(北海道新聞社)とでは、食い違いがあります。
両方とも南部忠平氏の語りによるものという形式でありますが、源蔵氏の死と三国屋破産の時期が全く逆に書かれています。
ワシの心証としては、「南部忠平自伝」の方が実態に近いように思えます。
実際、こちらの方がその顛末を詳しく記述しておりますしね。

これによりますと、源蔵氏が故郷の福岡に錦を飾りに帰っていた間に、留守をあずかった支配人が手形を裏書し、それが不渡りとなり、源蔵氏は本支店の屋敷、牧場、山林をも処分しすべて債務にあることにしたとあります。
大正13年2月、源蔵氏は他界されました。
忠平氏はその時まだ、中学生であったそうであります。

「天神山」はその後どうなったか。
「平岸百拾年」から再び「太宰府天満宮」の項を見てみることにしてみましょう。

「大正十四年に天神山の所有者は山際孫四郎にかわり、戦後には、主に山際家が祭祀の中心となり、祭礼は桜、梅の開花期にあわせて日を繰上げ五日としている」
295西創成:2004/11/12(金) 02:10:31 ID:DbpE4iYI [ YahooBB218127212002.bbtec.net ]
>>289 天神山の相馬神社、昭和39年に豊平6-9,現豊平児童会館敷地から天神山に移転したとききました。

それと、天神山と北交との関係もまとめておかないといけないと思うのですが、いい資料ないですか?
296k:2004/11/12(金) 08:59:17 ID:F5vP0Ysw [ customer71-242.mni.ne.jp ]
>>296 相馬神社の件。天神山の相馬神社はそれ以前からありました。少なくとも
昭和20年代後半に私は見ています。つまり、この時期には豊平、天神山両方に相
馬神社があったのです。
297KIT:2004/11/12(金) 09:42:27 ID:9UPrJBjw [ i219-164-162-85.s02.a001.ap.plala.or.jp ]
>>289
桑園の「三国屋・南部商店」。

札幌文庫43「大正の話」より
『荘園のハイカラ雑貨屋さん』
「私は、旭川で生まれましたが、明治44年両親と札幌に移りました。父は、南3条狸小路にあった雑貨商三国屋の息子でしたので、大正2年桑園(北5西12)に分店を出して貰い、そこで雑貨店を開きました。」

と、いうことだそうです。

大学の先生のために、輸入したハム・ベーコンなども扱っていたようです。
298牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/11/12(金) 21:48:21 ID:dPtZroSI [ U121092.ppp.dion.ne.jp ]
>>295
>それと、天神山と北交との関係もまとめておかないといけないと思うのですが、いい資料ないですか?

交通関係といえば西創成さんです。
「平岸百拾年」の「第十一章 交通機関の移り変わり ハイヤー、タクシー」にほんの少しの記述があります。
ついでなので、平岸地区のタクシー事業について引用します。

「(略)時代の動向と平岸地区将来の発展を察知した神代質は、昭和三十三年(1958)、逸早く株式会社平岸ハイヤーを設立し営業を始めた。昭和四十一年は業界全道第一を誇る北海道交通株式会社(北交ハイヤー)が、同四十三年には東交通株式会社(東交ハイヤー)がそれぞれ本社を平岸に移転し、事業を拡張、発展を続けている」

相馬神社に関しましても、沿革が同書に詳細に書かれています。

「明治三十五年一月福島県磐城国相馬郡太田村鎮座太田神社より三橋国吉が分霊を奉遷して、現札幌市豊平区豊平三条一丁目吉田三蔵種苗店の敷地に仮に招神殿を設けて奉社創立の機運がもりあがり、明治四十年八月二日、三国国吉、吉田三蔵、狭間権七郎の三名が北海道庁に神社創立を出願した。
同四十一年十月二十七日許可がおり、同四十二年、北海道石狩国札幌郡豊平町大字平岸四七番地、(現、札幌市豊平区平岸二条十四丁目牧野実敷地)に建設着工し、同年十一月二十六日落成して遷宮式を行う。(略)

無格社相馬神社の創建がこの日をもってなったわけである。またこれまで相馬妙見(たみえ)神社と称した名称を、神仏交淆を避けてこの日から妙見の名をはずした。
これよりさき、現相馬神社位置には明治二十七年より大国魂神を祭る札幌神社の遥拝所があり、七反五畝四歩の境内地は共有財産であった。そこで考えたのであろう。次のような共有地附与願いを出して、相馬神社の移転をはかったのである」(続く)

>>297 
KITさん。初めましてではないですね(w
よく、見つけられましたね、この資料。
どうやら、南部忠平さんとは関係ないみたいです、桑園の「三国屋・南部商店」。

次スレ依頼しました。
299牛鍋蝸牛 ◆cmiAdUn8YQ:2004/11/13(土) 09:33:56 ID:CuOncj8I [ U121092.ppp.dion.ne.jp ]
札幌限定であることが問題だとして、スレ立て保留となりました。
以前より自治スレで論議されていたことは承知しておりましたので、この際、全道に輪を広げることにいたしました。
事後報告で申し訳ありませんが、広く仲間を募る意味もありますので、ご了承願いたいと思います。

申請中の新スレタイ。
【知名度ゼロ】スレも立たないマイナーな地名in札幌改め北海道【その十六】

本スレもそこそこの歴史がありますので、連番は生かさせてもらうつもりです(w
300なまら名無し:2004/11/13(土) 16:41:24 ID:XKjtzebs [ p6181-ip01hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp ]

このスレはいろいろ勉強になります。