【知名度ゼロ】スレも立たないマイナーな地名in札幌【その十】

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1牛鍋蝸牛
前スレ
【知名度ゼロ】スレも立たないマイナーな地名in札幌【その九】
http://hokkaido.machibbs.com/bbs/read.pl?BBS=hokkaidou&KEY=1054071344 

地名を聞いてもいまいちピンとこない札幌市の地名をあげましょう。
知名度ゼロ、名所ゼロの土地へ実地調査へ行き、見所を見つける良スレです。

一年前から始まった本スレですが、「その一」から「その九」までの過去ログはこちらでご覧になれます。
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/

      Special thanks!! Mr.161
2なまら名無し:2003/07/29(火) 19:57:31 ID:kBU4XEFE [ pc147154.octv.ne.jp ]
スープカリー!
3菊水上町:2003/07/29(火) 21:13:12 ID:Bf8YqMFA [ h009.p184.iij4u.or.jp ]
>>1さん、新スレ立てZでありました。
当スレも10本目、ついに二桁世代となりましたが
新たな地名・名所のデビューはあるんだべかなあ。

>ふる狸
移転したとは聞いていたのですが、場所までは存じ上げませんでした。
いまは美園にあるのかあ。。移転情報どうもありがとうございました〜。
4牛鍋蝸牛:2003/07/29(火) 22:05:09 ID:C4VQqtjw [ N044072.ppp.dion.ne.jp ]
前スレの#297、伏古さん。
う〜ん、確かあなたは…(w

実はワシも、来月の9日あたりまで休みがありません。
したがって、それまで実地調査は不可能なので、みなさま、ひとつよろしくお願いします。
東区在住さんにおかれましては、お子さんのお具合良くなられたらデジカメ持って是非、出かけていただきたい。
他の皆さんへも「現場百篇」、「犯人は現場へ戻る」、「真心の現場主義」で現地へ赴くことをお勧めします。
納得いく調査が出来るかどうかは別にして、一時でも日常を離れ五感を働かすことは、明日のあなたにとって幾ばくかの生活の糧になると、ワシは言い切っちゃいます。
5伏古:2003/07/29(火) 22:13:53 ID:MpMeGPaw [ i149021.ap.plala.or.jp ]
>>3
ふる狸は美園の住宅街にあり、奥さんと娘さんでやっているはずです。
ニセコ(漢字の表記でしたか?)酒造のお酒ですな。

>>2
私は単なる通りすがりのようなものですから…。
6伏古:2003/07/29(火) 22:15:09 ID:MpMeGPaw [ i149021.ap.plala.or.jp ]
牛鍋蝸牛さんは>>4だった…。
7伏古:2003/07/30(水) 07:51:56 ID:krJJifUw [ s105088.ap.plala.or.jp ]
東区役所で「ひがしく再発見 まちの歴史講座2」(君先生執筆)を配布するそうです。ソースは本日の道新朝刊札幌面。
8牛鍋蝸牛:2003/07/30(水) 09:43:55 ID:lI.7Aaa2 [ N044072.ppp.dion.ne.jp ]
「清華亭」と「いく代」のこと、
http://www.city.sapporo.jp/kitaku/episode/epi-new/04seika.html
「新・北区エピソード史」に出ていますので、新川番地さんはじめ、興味のある方はどうぞ。
>>5
伏古さん、通りすがりの方こそ実はドラマの主人公だったりします(W

前スレ#295のkさんのレス
>旧円山村合併以前だと思いますが、市電の一条線の「西20丁目」と「琴似街道」
>の間にに「円山三丁目」という停留所があったのを思い出しました。合併後ここ
>は西23丁目となり、その後廃止されました。

それは「札幌温泉電気軌道株式会社」の「札幌温泉」へ続く路線の始発の停留所で、市電のものではありませんね。
円山三丁目(南1西23)〜温泉下(界川)間を走っていたそうです。
自レスで恐縮ですが、ご参照ください。
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/3_log.html#133
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/3_log.html#142
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/3_log.html#158 
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/3_log.html#269
(この路線図のリンク、あぽ〜んです…)
9牛鍋蝸牛:2003/07/30(水) 10:29:14 ID:lI.7Aaa2 [ N044072.ppp.dion.ne.jp ]
現在の地図を見ていたら気が付いたことが…。
「宮ヶ丘1〜3丁目」及び「条丁目」と「宮の森」の境界線って道々西野白石線(山の手通)から北は道路に沿って引かれているのに、それより南(円山方面)は区画の中を無理やり通っていますね。
「北3条西30丁目5番地」なんか、んもう、これでもか!って感じで、一軒の建物を回りこむように引かれている(W
これが札幌市と「琴似村」の旧境界線の名残りなのですね。
なんか、妙に生臭い感じがしますね〜。
10k:2003/07/30(水) 21:24:53 ID:0TdX89Fg [ customer71-242.mni.ne.jp ]
>>8 牛鍋蝸牛様
「円山三丁目」についての記憶は昭和15-16年、旧円山村合併直前のことで、私
ここで、電車を降りた記憶があります。札幌温泉電軌が廃止されて以後のことで
す。
11k:2003/07/30(水) 22:27:43 ID:0TdX89Fg [ customer71-242.mni.ne.jp ]
前レスの続き
市電一条線の開業は琴似街道までは1923年、札幌温泉電軌の開業は1929年、市電
「円山三丁目」に接続するかたちでした。両者は軌道はつながっていなかったと
記録されています。逆にこの接続のために「円山三丁目」停留所ができたのかも
知れません。いずれにせよ、「円山三丁目」が札幌温泉電軌閉業後もあったこと
は間違いありません。
参照:濱田啓一ほか/鉄道ピクトリアルNo.426(1981.1)p70-75
この雑誌のバックナンバーを所蔵している図書館はあまり多くはないと思います。
12牛鍋蝸牛:2003/07/31(木) 22:27:51 ID:NUFsIru. [ N044033.ppp.dion.ne.jp ]
>>11
なんとも悩ましい問題です(w

ワシも手元にある札幌の市電関係の本(たった2冊)で懸命に調べたのですが、「円山三丁目」、「西20丁目」が出てこないのです…。
で、ネット検索しましたら、
ttp://www.h5.dion.ne.jp/~hayato-n/rore1.htm というサイトを発見しました。
ここに歴代の市電路線図がありまして、昭和2年(営業キロ16.25Km)のものに、「西20丁目」と「円山2丁目」の文字が見えます。
あくまで「3丁目」ではなく、「2丁目」なのですが、確かに「琴似街道」と「西20丁目」の間に「円山○丁目」という停留場があったようです。
しかし、次の昭和6年(営業キロ23.35Km)の地図からは「円山2丁目」は消えてしまっているのです…。
う〜ん、分かりません。
今後の調査が必要かもね。
13k:2003/08/01(金) 09:31:08 ID:W1FuHEws [ dhcp17.niche.tohoku.ac.jp ]
>>12
市電一条線と札幌温泉電軌との接続についてですが、温泉電軌のターミナルが3丁目
にあったとすると、少なくともその近くに乗り換えのための停留所があったのではな
いでしょうか。札幌温泉としては、当然市電から乗り換えて来る客を想定しているわ
けですから。しかし、温泉がなくなってしまうと、当然その存在理由がなくなってし
まうわけ、隣接停留所との間が近すぎるなどのために廃止されたものと思われます。
14西創成:2003/08/01(金) 13:03:56 ID:lEAW29nQ [ i221224.ap.plala.or.jp ]
新スレおめでとうございます。

先程から「円山3丁目」電停のお話しが出ているようですが、
確か、のちに停留所の見直しで、「琴似街道」?と統合したはずです。
JTB発行の市電の本(題名忘れてしまいました。現在発売中)に、そんなようなことが書いてあったです。「西20丁目」も載っていたはずです。(ごめんなさい。本が手元にないので)

そういえば、札幌電気軌道さんの所有車両、3両(電車2両・ガソリンカー1両)は、どこかに売却されたのでしょうか。
ガソリンカーは、変電所焼失後入ったようですが、元々ある電車の車体の改造車かもしれませんが。
15東区在住:2003/08/01(金) 13:47:40 ID:Hyp4DEzU [ m61-125-18-116.megafit.me-h.ne.jp ]
新スレ立て乙です。

牛鍋蝸牛さん>
まずはどちらへ赴けばいいでしょう?
古いものが好きなので
見かけ次第写真を、と言った感じでよろしいでしょうか?

個人的には南14条西8丁目辺り。
古い町並みを発見しました。
砂利道に木造家屋が密集しています。
ちょっと時代を感じます。

伏古さん>
それはいついただけるのでしょう?
うち新聞取ってないんで(−−;
教えていただけるとありがたいです。
16とろんとろん:2003/08/01(金) 21:06:47 ID:Glw9VSnM [ p3244-ipbf01sapodori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
さて、こないだ地元の出版社亜璃西社が
以前出していた(まだシリーズは続いて
いるかもしれないが……)「札幌青春街図」
(プロジェクトハウス亜璃西編著・1988.07)
といふ本を手に入れた。
ここにはまだ手稲・厚別両区が分区しておらず
大赤字の元凶東豊線も開通していない頃の
札幌7区それぞれの歴史なんかも載っているの
だが、そこでちょっと気になったところが、
ちょっとだけここの4スレ目で書かれていた
こととつながるので書いておこうかなと。

ちょっと前なら「宝来」へ至るルートには、
「テアトル24」のポルノ映画の看板を横目で
見ながら進むというパターンがあったものだ。
そのテアトル24も閉館し、(後略)

確か以前啓タさんや18丁目さんがいっていた
テアトル23もしくはシアター23、といふのは
この「テアトル24」なのでしょうか。
(確か「その4」の8や26、89でそのあたりを
一度話していた筈なのだけれど)

なお、蛇足ついでにここで紹介されている「宝来」
のチャン大は今はもう残念ながら出していないとか。

あと北区役所が編纂した「新・北区エピソード史」も
手に入れました(北区役所や篠路出張所、北区内の
連絡所などでもらえます)。市電鉄北線幻の延長路線
の話や北区歴史と文化の八十八選の八十八箇所全写真
などなかなか魅せどころのある冊子ですので、
気になる方は一度手にしてみるのもよろしいかと。
17牛鍋蝸牛:2003/08/01(金) 21:17:50 ID:RoV7OE2U [ N044033.ppp.dion.ne.jp ]
>>15
そうねぇ…。
どこへ行けとか、何を調べろとか、ワシは決められません。
あくまでも"自主的"にというしかないのですよ。
「ふん…、冷たい人」、なんて言わないでね(W
なぜなら、
「地名を聞いてもいまいちピンとこない札幌市の地名をあげましょう。
知名度ゼロ、名所ゼロの土地へ実地調査へ行き、見所を見つける良スレです」

…という「スレッド憲章」あるいは、「スレッド理念」もしくは、「健スレの精神」によってのみ、ここの住民の方は拘束されるわけで、たかがワシごときが人様の奥様に「どこいけ!」なぁ〜んて…。
ま、そうは申しましても、札幌の地から遠く離れた方々も参加して戴いております、本スレですので、お住まいが遠隔地で、
「ダメだよ〜。どうしても実地調査が出来ないよ〜」
とおっしゃる方のリクエストにお答えするってのも、妙案かとも思います。
幸いにも、ワシはこの界隈に生息しておりますんで、休みさえあればなんとか自力で調査できます。
で、ひとつそういう線で、お願いしたい。
いかがでしょうか?
18牛鍋蝸牛:2003/08/01(金) 21:34:02 ID:RoV7OE2U [ N044033.ppp.dion.ne.jp ]
>>16
とろんとろんさん、先日「あび」へ行かれたとのこと。
マスターより聞きましたぜ。

で、「新・北区エピソード史」でしょ。
ダメだよ〜、黙っていなけりゃ。
3,000部限定なんだからぁ〜。
ワシ、しばらく休み無いんで貰いにいけないんですよ〜。
ネット版、公開されています。
ttp://www.city.sapporo.jp/kitaku/episode/index.html 

で、>>7伏古さんの情報、
>東区役所で「ひがしく再発見 まちの歴史講座2」(君先生執筆)を配布するそうです。

…なのですが、「君先生」とはワシ、1年前にお会いしています。
「あび」の裏にございます、「さっぽろ村コミュニティ工房」(現・さっぽろ村ラジオ)にて。
「雁来町研究」の時。
その顛末は「その弐」#99
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/2_log.html#99 のにて。
ま、どこにでも顔を出しているな、と我ながら感心す。
19牛鍋蝸牛:2003/08/01(金) 21:58:16 ID:RoV7OE2U [ N044033.ppp.dion.ne.jp ]
>>13-14
「札幌温泉電気軌道」の路線図が「さっぽろ文庫 札幌事件簿」に出ていたはず…。
数日前まで手元にあったのですが、図書館に返してしもうた。
…で、ですね、市電の停留所に関しては、ワシとしては今資料がこれ以上ないもので、とりあえず小休止したいと思っています。
新たな資料が見つかりましたら逐次報告いたしたいと、かように…。

じゃ、おやすみ〜。
20なまら名無し:2003/08/01(金) 21:59:38 ID:oxa1hjAw [ sdi05.rheon.co.jp ]
いい
21伏古:2003/08/01(金) 22:10:39 ID:ujFNBnmo [ m197228.ap.plala.or.jp ]
>>15
すでに区役所・連絡所等で配布しています。私はついでに「1」もゲットしました。

>>18
君先生はスーツを着ていないとただのお○じにしか見えませんが。
2218丁目:2003/08/01(金) 23:12:18 ID:hHbuxVeA [ YahooBB218127084230.bbtec.net ]
>>18
はー、牛鍋さんあのときお会いした人が、君先生だったとですか。
私、早速「ひがしく再発見 まちの歴史講座2」を手に入れました。
1もついでに頂いてきました。
以上!
2318丁目:2003/08/01(金) 23:45:44 ID:hHbuxVeA [ YahooBB218127084230.bbtec.net ]
>>16
とろんとろんさん
「札幌青春街図」(プロジェクトハウス亜璃西編著・1988.07)
 私、もっと以前の版、持っていました。
悲しいかな、どっかに捨てられてしまいました。
とってもいい本だったのにー
24西創成:2003/08/02(土) 00:45:01 ID:P98.lGoY [ i097120.ap.plala.or.jp ]
>>16
とろんとろんさん.

24条の映画館は、「テアトル24」です。
子供の頃、ヤマトの映画がかかっていました。
普段は、ポルノが多かったようです。



ところで、謎の札幌電気鉄道さんなんですが、疑問なところがあります。
この当時の地方のガソリンカーは、自動車の様に、運転席が片方にしかなくて、おまけにギアが、前進1速2速3速、バックとなっているので、終点につくと、回転台で回さないといけないのですが、「円山3丁目」にそんなものがあったのだろうかと。
まさか、帰りはバックで運行したのだろうか。
25牛鍋蝸牛:2003/08/02(土) 09:23:08 ID:yW/azWsI [ N044033.ppp.dion.ne.jp ]
>>24
札幌温泉電気軌道の、ガソリンカーの転回の件ですが、「その参」の#158 
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/3_log.html#158
に「新札幌市史 第四巻通史四」からの抜粋があります。
(自分でも忘れていたけど…)
で、ここにヒントがあるような気がします。
「変電所焼失のため、4月ガソリン客車で営業を継続しようとして認可申請をし、8月認可された。
しかし、動力車は一台だけでそれも故障続きで営業成績は良くなかった」

動力車は一台…。
ということならば、客車を連結させるタイプのものではないかと思えるのです。
なら、引込み線さえあれば、客車を切り離し引込み線に入れるなりして、動力車を動かして反対側に連結させれば回転台なしでもOKかと…。
26なまら名無し:2003/08/02(土) 11:43:51 ID:ynCi6g9M [ q132067.ap.plala.or.jp ]
今朝の道新「札幌」版、「環境広場さっぽろ2003」のタイトル
「興味深々」とあるのは「興味津々」の誤りでは?
すれちがいですまん。道新関係者見てるらしいので。
27西創成:2003/08/02(土) 13:25:55 ID:hb1iOhT6 [ i095224.ap.plala.or.jp ]
>>25
たしか、新札幌市史の資料編?に、電車2両、ガソリンカー1両とあったはずです。
もし、ガソリン機関車だったとしても、転車台やループ線がないと、復路はバック運行になると思います。
でも、SLなんかバックで走っているから、牛鍋さんのおっしゃる方法でもよいかも知れないです。(ただ、バックギアがダメになりそうですが)
28k:2003/08/02(土) 16:15:31 ID:lS5kgx.Y [ customer71-242.mni.ne.jp ]
札幌温泉電軌のガソリンカーの件
ここで使用されていたガソリンカーは、みなさんが想定されているような車では
なく、普通の電車などと同じ両端に運転台のあるタイプでした。#011で私が引用
しました文献には簡単な図面が掲載されています。確かにガソリンカーのごく草
創期には片方にしか運転台がないタイプの車両があり、1960年代の前半このまで
は形骸をとどめており、私も見た記憶がありますが、札幌温泉の車両は残念なが
らそのようなものではなかったようです。
次に、ここで使用された車両たちの「その後」について
2両の電車も1両のガソリンカーも新車でした。電車は使用開始後わずか1年余
りで変電所火災という事故で失職してしまったわけでが、その後6年以上も車庫
ですごしたことになります。同社閉業後の消息は全く不明のようです。おそらく
はそのままスクラップ化されたのではないかと見られます。
ガソリンカーの方は、北見鉄道(網走管内小清水町)に譲渡され、同鉄道の閉業後
は、福島県の小名浜臨港鉄道に再譲渡され、ここで客車として使用されました。
昭和36年頃には既に廃車となり、車体が車庫の物置として小名浜に残っていたと
の報告があります。以上少し長くなりましたが、。
29牛鍋蝸牛:2003/08/02(土) 20:26:40 ID:yW/azWsI [ N044033.ppp.dion.ne.jp ]
>>27
おお、そうです。
ワシの考え、中途半端でした。
引込み線ではなく、ループ線じゃなきゃ、ちょいと無理がありますよね〜。
>>28
ということで、話が最初に戻ったわけですね。
両側に運転席があるガソリンカーであったということでOKということで…。

>>26
「興味津々」の「津津」はお漬物の会社のことではありませんで、「絶え間なく溢れ出る」とのことだそうです。
勉強になります。
でですね、道新関係の方が本スレをご覧になっていてもなんの不思議もありゃしませんが、26さんがなぜ、そのことをご存知なのかが興味津々…(w
3018丁目@本村:2003/08/02(土) 21:01:39 ID:EYSI6S.U [ p7254-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
察歩呂、札糸晃(IME変換できず)、札幌

1869(明治2)年8月15日に定められた太政官日誌によると、「札糸晃」が正式な
郡名らしい。そのご「札幌」と改正した法規はみあたらないようで、札幌地名の七
不思議のひとつといえるようです。
例の「ひがしく再発見 まちの歴史講座1」より。
31牛鍋蝸牛:2003/08/02(土) 21:52:40 ID:yW/azWsI [ N044033.ppp.dion.ne.jp ]
>>30
関係ないんだけど、「札歩路」なんてのも最近ありますねぇ。
道新に折り込まれてるミニコミ紙なのですが、この前、東区の「斜め通り」の正式名称が間違って書かれていたので「札歩路」の編集部へメールしましたら、見事に無視されました(w
道新関係者、読んでいらっしゃるとのことですので、書いちゃいましたよ〜ん。
(そうそう、東区在住さん、新聞は読んだほうがよろしいかと…)

で、話は戻りますが、
>1869(明治2)年8月15日に定められた太政官日誌 …というのは「太政官公文録」のことかなぁ?
「太政官公文録」には明治二年8月15日「蝦夷地を北海道と改称し、11国86郡を画定した」と記載されているようです。
また、「法令全書」にはこの月に、
「開拓使の直轄する郡を、札幌・上川・厚田・忍路・余市・古平・美園・積丹・古宇・岩内・寿都・上磯・茅部・亀田・三石・幌泉の各郡とする」とあるとのこと。
またまた、「北海道史」の附録(管轄略譜・年表・統計表)には同月に、
「北蝦夷地を樺太と改称」とあるんですと。

ま、そんなこんなで明治二年は、郡等の画定が一斉に行われた年として記録されているようです。
「札糸晃」の文字、たしか「新札幌市史」の資料編の資料にあったような気が…。
(全くのあやふや)
じゃ、そんなわけで、「糸晃 了」しても、いや「糸冬 了」しても良いかな?
3226:2003/08/02(土) 22:38:02 ID:6L7Tl.g2 [ s104106.ap.plala.or.jp ]
しつこくてすまん。
道新関係のかたへ。
朝刊では「興味深々」なのに夕刊の一面網走の「数学の遊園地」の記事では
なぜか「興味津々」とある。なぜ?あきらかに誤字では。
33牛鍋蝸牛:2003/08/02(土) 22:52:42 ID:yW/azWsI [ N044033.ppp.dion.ne.jp ]
「宮の森」、「宮ヶ丘」、「十二軒」ネタに戻りましょう。
ワシ、先日じ〜っと「宮の森」附近の地図を見ておったんですわ。
なんで、この辺りに"十二軒"が入植したのか?という疑問がありましてな。
("十二軒"がどこから来たか、なぜどのように来たかは「その四」をご覧戴きたい)

そしたらね、なんとなく分かってきたのです。
それは、「川」じゃないかと。
「琴似川」の川べりに集落を作ったのじゃないか?と思えてきたのです。
で、改めて賛否渦まく「さっぽろ文庫1 札幌地名考」の「宮の森」を見てみたのです。
すると、そこには案の定、川の名前が…。
「宮の森はかつて琴似村大字琴似村字十二軒と呼ばれ、十二軒川を含む一帯の総称で、明治四年(1871)山鼻に入った本願寺開拓の農民十二戸をここに移したことに由来する」
(牛鍋蝸牛注・十二軒への移民が本願寺開拓農民であったというのは間違い。それも「その四」を参照願いたい)

ほ〜ら、やっぱり「川」だぁ!
水の確保のために川のそばに入植したんだぁ!
ね、「十二軒川」でしょ?
ん?「琴似川」じゃなくって?
「ジュウニケンガワァ」〜?

一人芝居してごめんなさい。
そう、結論から言いますと「琴似川」は「十二軒川」と昔呼ばれたようです。
同書の「琴似川」には、
「旧称はアイヌ語の「ケネ・ウシ・ぺッ」(ハンノキの多い川)であったが、十二軒沢を流れることから十二軒川と呼ばれたこともあった」
とちゃんと書いてあるがな。
なら「宮の森」でもそのように書けば良さそうなものを、書いていないのは不親切。
ま、実際にはこの二つ著者が違うんだろうな、とは想像がつきますけど。

いずれにせよ、なぜか「十二軒」という地名は、土地からも、川の名前からも徹底的に消されてしまった地名のようです。
34西創成:2003/08/02(土) 23:33:06 ID:iqqLYjUc [ i107070.ap.plala.or.jp ]
>>28 kさん
ガソリンカーと電車の様式と末路の件、ありがとうございました。
両運転台付きガソリンカーなんですね。

そういえば、手持ちの『大日本職業別明細図・札幌市(昭和11年5月30日東京交通社発行)』に、「西20丁目」「円山3丁目」の電停の表記がありました。


>>31
最初の天皇行幸のとき、札幌住民某氏は「札」の字が良くないので天皇に失礼なので「幸幌=さっぽろ」と改名してほしいと役所に嘆願書をだしたとか。
3518丁目@本村:2003/08/02(土) 23:42:10 ID:EYSI6S.U [ p7254-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
>>34
「幸幌=さっぽろ」
みーんな当て字ですもんね。
天皇といえば、恩賜の煙草。だれかが下賜されたもの、1本だけ巡りめぐって手に入れました。
1本だけなので、吸わないでとってあります。
36新住人:2003/08/03(日) 08:04:54 ID:4MfcGa9s [ pl1002.nas921.sapporo.nttpc.ne.jp ]
8月号の広報さっぽろ東区版の東区すとーりー 東区地名考は
烈々布と伏古です。
特集として、たまねぎを通して歴史が書かれています。
3718丁目@本村:2003/08/03(日) 10:46:47 ID:pKrxIZSA [ p7254-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
十二軒について
初めて札幌で取れた米を、ちゃんと炊いて江戸城の将軍の前に差し出したのが、この
十二軒で水田を作った早山清太郎だそうです。
3年に渡る水田事業は、安政五年に幕をおろし、安政六年に篠路開墾に切り替わったようです。
早山清太郎は「ケネウシベツ川」(コトニ川の支流)の水を使って札幌最初の米を作ったと伝えられて
いるようです。

どうもこの早山清太郎さんというお方は、いろんなところで出てくるんですよね。
大友亀太郎の御手作場〜札幌村というコミュニティーの成立については、ある一定の評価がなされて
いますが、安政以来の在住制がらみと、この早山さんのご活躍は意外と縁の下の力持ち的な印象に
なっている気がします。
琴似、円山と明確なコミュニティーが成立して、そこにはさまれた形となった十二軒地名の場所が、
やがて宮の森と変更され、消えざるを得なかった地名だったのでしょうね。
38k:2003/08/03(日) 16:45:58 ID:aC8poJFY [ customer71-242.mni.ne.jp ]
>>33 牛鍋蝸牛様
十二軒川について、
さきに札幌温泉電気軌道についての濱田氏の報告を紹介しましたが、ここで使用
されていた地図(昭和10年修正版)には、琴似川上流に十二軒沢の注記があります。
琴似川の本流は宮の森シャンツェのあたりから荒井山の麓をめぐって流れ下って
いますが、この川の十二軒川(沢)と呼ばれていたのかも知れませんね。
スキー場関係の地名が出てきたついでですが、「げんちゃんスロープ」とか「寺
内山」(寺口山かも知れない)といった地名をお聞きになったことは無いでしょうか。
私は「げんちゃん」は荒井山から小別沢のトンネルへ向かう途中の右側の山、今
聖心女子学院の裏手あたり、「寺内山」は三角山の北側と理解しているのですが、
それでいいのでしょうか。「げんちゃん」「寺内」といった人名との関係なども
興味が持たれるところです。
3918丁目@本村:2003/08/03(日) 20:12:33 ID:pKrxIZSA [ p7254-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
>>38
kさん
荒井山スキー場には初心者向けのスキーゲレンデに、当時としては珍しい夜間照明
設備まで付いていた。冬のスポーツとしてのスキーが普及するにつれ、学校遠足か
ら競技会まで広く行われるようになり、冬の郊外地の丘陵はにわかスキー場に変わ
った。こうした中で、スキーの先達を勤めた国村源太郎にちなむ“源ちゃんスロープ”
が円山西町にあって広く利用された。
・・・だそうです。
40牛鍋蝸牛:2003/08/03(日) 20:50:55 ID:IJcKCRBs [ N044033.ppp.dion.ne.jp ]
18丁目さん、ナイス!
ワシはといえば、月末上旬はいっそがしいので疲れ果てました。
明日も早いため、今日はこ辺で、おいとまをいただきます。
41牛鍋蝸牛:2003/08/03(日) 21:03:34 ID:IJcKCRBs [ N044033.ppp.dion.ne.jp ]
あ、すみません。
全然関係ないけど、「十万坪」なのですが、「さっぽろ文庫 札幌収穫物語」に記述がありました。
忘れちゃうので、ご報告しときますです。

「ところでここ山鼻は、札幌扇状地の扇央にあたり、豊平川の乱流による地形の凸凹と石ころごろごろ、しかもユクニクリ(シカの多い所)、とてもとても入植すべきところではなかった。
しかし明治二年、東本願寺は八垂別まで一里、道路を開削し、上山鼻に十万坪を開墾、伊勢国桑名から農家二戸を移住させた。これが山鼻入植のはじまりである」
42牛鍋蝸牛:2003/08/04(月) 11:15:22 ID:IcMIQfCA [ N044033.ppp.dion.ne.jp ]
「寺内山」…。
これは「寺内山」で正解のようです。
しかし、中には「寺口山」と言っていた人もあるかもしれません。(口述伝承のため)
そんな記述を発見しました。

国立療養所西札幌病院の裏手の「北一条宮の沢通」に隣接している山だそうです。
つまり住所は「山の手」。
すでに一部は住宅街としてめでたく開発(自然破壊)され「山の手5条10丁目」となっております。
当時は手前と奥で、初級者上級者が分かれて滑ったようですね。

つい先日、「北一条宮の沢通」を車で通りましたが、しげしげとも見もしませんでどうもピンときません。
あ、そうそう、思い出した。
数年前にワシの叔父がγ-GTPの異常値で緊急入院したのが、立派とは到底言えない「国立療養所西札幌病院」で、面会室の窓からこの「寺内山」が見えました。
「山があるんだなぁ…」とアホのように、なんとなく薄らぼんやりと眺めていた記憶が…。

しかし、「寺内山」の名前の由来は今のところ分かりません。
住宅地として分譲されている現状を見ますと、個人所有の山なのかとも思えますが、果たして持ち主の方のお名前なのか。
法務局へ行けば分かると思いますけど、300円だか取られます。



あ…、その後の叔父ですか?
毎日酒飲んでます。
43牛鍋蝸牛:2003/08/04(月) 11:43:06 ID:IcMIQfCA [ N044033.ppp.dion.ne.jp ]
さて、広い「円山」の中で今回は「十二軒」(宮の森)、「宮ヶ丘」をやっておるわけですが、ちょいと一息ついたとところで、
「そろそろ、この土地の"キーマン"が欲しいなぁ〜」と思っておった昨日、18丁目さんが良いヒントをくれました。

「早山清太郎」(そうやませいたろう)。
たしかにあちこちに顔を出す人でして、そしてなにより、「札幌神社」(現・北海道神宮)の場所を実質的に決めた人なんですってね〜。
ttp://www5.ocn.ne.jp/~doshinmy/story/story.html
に、「島判官に現在所在地宮ヶ丘474番地の円山を宮地に最適だと推薦した」とあります。
へぇ〜。へぇ〜。へぇ〜。
「そうなんだぁ〜」と信じたあなた、いい人。

実はこれ、ちょっと事実と違っておりましてねぇ。
最近、「あび」のマスターに"クレーマー"呼ばわりされているワシですが、それでもやっぱり、事実関係は明らかにせねばっ!
(あ、ツバ、飛んだ?)

ワシ、そろそろお仕事なので、分かった方は書き込むように…。
じゃ ♪
44k:2003/08/04(月) 16:03:18 ID:nDQ3rr4c [ customer71-242.mni.ne.jp ]
>>39 18丁目様
「げんちゃんスロープ」の件ありがとうございました。円山西町だとすると、私が
想像していた小別沢のトンネルとか、聖心女子学院の裏手とかといったところでは
なかったわけですね。このあたりは「宮の森」であって、円山西町ではないですも
のね。円山西町といってもかなり広いので、さらに詳しくわかればお願いいたしま
す。

>>42 牛鍋蝸牛様
「寺内山」の件、まことにありがとうございました。こっちの方は私が考えていた
ところと大きくは違っていなかったようです。三角山の北側にモコモコとのびる丘
稜のひとつのようですね。この山の名前は、かつての持ち主の名前によると考えて
まずまちがいないようです。しかし、この「寺内氏」がどのような人なのかは知り
ませんが。
45牛鍋蝸牛:2003/08/04(月) 21:40:24 ID:gDH/Yoh2 [ U121193.ppp.dion.ne.jp ]
ttp://www5.ocn.ne.jp/~doshinmy/story/story.html
「島判官に現在所在地宮ヶ丘474番地の円山を宮地に最適だと推薦した」。
この記述は微妙に、びみょ〜なんです。
>>43では「ちょと事実と違う」と書きましたが、ま、いや、間違いではないんですよ、でもね…。

でも、この記述、はしょった感がありまして、これだと島が「札幌神社」を「円山」(宮ヶ丘)に建てたように解釈しちゃいますが、実際に「宮ヶ丘」に「札幌神社」を奉ったのは、島判官ではなく、次の岩村判官でありました。(明治4年9月14日)
確かに島に、「開拓三神の社地は円山に…」と推薦したのは、早山清太郎氏だったのですけど、当初はその早山清太郎自身が「北6条東1丁目」これらの神さまを小祠に奉っていたそうでして、明治4年の円山遷座は岩村の手で行われたと、こういうことらしいのです。
ちょっとややこしいけど、よろしいでしょうか?


よろしいでしょうか? ← 正しいと思う
よろかしかったでしょうか? ← 変だと思う
46k:2003/08/06(水) 16:48:39 ID:mQdKo0aQ [ customer71-242.mni.ne.jp ]
>>「よろしかったでしょか」 ちっともよろしくない。
  なぜ「よろしいでしょうか。」といえないのでしょうか。

さて、十二軒についてはかなりわかって来たようですが、札幌市と旧琴似町との
境界線、なんであんなに幾何学的な直線になったでしょうかね。このことと関連
して境界線の東側、かつて「円山北町」とよばれていましたが、昭和50年頃の地
図では、北5条通り、例の境界線と旧R5とに囲まれた三角地帯にそのような註
記がなされています。かつて昭和30年頃、私の友人が日新小学校のすぐ近くに住
んでおり、住所が「円山北町〇〇番地」となっていました。とすると円山北町は
旧R5の北側も含まれていたことになります。一体、「円山北町」はどのような
広がりをもっていたのでしょうか。この辺りの旧円山村と札幌市の境界は西20丁
目だったおもいますが、西20丁目より西で、北5条よりも北の旧円山村域は全部
「円山北町」だつたとも考えにくいのです。旧円山村の北端は今、中央卸売市場
のあるあたりまでありましたが、ここまで含めて「円山北町」だったのでしょう
か。そしてそれが、いつ間にか(少なくとも私にとって)上記の「三角地帯」に縮
小化され、さらに姿を消すにいたったのでしょうか。その辺ご存知の方はいらっ
しゃいませんか。
47牛鍋蝸牛:2003/08/06(水) 21:22:17 ID:3L9RHCSo [ x086076.ppp.dion.ne.jp ]
昨日はお休み(レスの)を戴きました、牛鍋蝸牛です。
いっや〜、なにしろ先月下旬からの連続勤務でして、もう、気力がねぇ…、ナイ。
もう、今週の土曜日まで休みがありませんので、実地調査も図書館通いもままならずってカンジです。

また、明日も早いので、誠に申し訳ありませんが寝させてください、お願いします。
あ、東区在住さん。
その後、いかがでしょう?

あ、あかん。
ワシ、ねるヮ…。
4818丁目@本村:2003/08/07(木) 01:10:40 ID:mRXR24AA [ p7254-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
あー、十万坪なる地名は、今の東区にもあったらしいですよ。
北栄さんあたり知っているネタじゃないかなー?と思ってみたり。
49とろんとろん:2003/08/08(金) 01:48:38 ID:lo1S2alU [ 211.121.159.96 ]
ええとまた「十二軒」近辺の話をしたいのですが、
ちょっと聞き書き的な伝聞系が多いので二つ三つよれた
話になるかも。

まずうちの亡くなった祖父は札幌市で区画整理系統の
仕事に就いていたらしく、向陵中近くの山の手通りは
昔は西28丁目の駅からまっすぐ宮の森方面へ抜ける
道がなく、そこには崖があり、下の方は水田になって
いたそうです。その崖を削り付近の区画を整理し、
水廻りを今の琴似川に集約して、現在の道路状況に
なったのだとか。

で、前スレを見返すとkさんはどうやらウチの母方の
姉弟と同窓生、といふことになるのか。うちの母も、
また弟達もみな円山小→向陵中で、その後大体西高へ
進む、といふルートだったらしいですが(で、母親が
言うには西高が今の場所に来る前には火事で校舎が
焼けたらしく、以前西高は今の龍谷学園高のあたりに
あった、といふのは事実なんでしょうか……)。

あとは、あ、話いきなり飛びますが、「居酒屋きよた」。
どこに移転したの?ちょっと気になってる。
50k:2003/08/08(金) 13:46:14 ID:QOdckvIc [ dhcp17.niche.tohoku.ac.jp ]
>>49 とろんとろん様
私が向陵中へ通っていた頃は、北5条通は西28丁目でおしまい。そこから西には道路
はなかったように記憶しています。まわりには広く水田があり、西28丁目通には恐ら
くは界川から分流してきたと思われる用水路が平行していました。

西高は以前は北4条西19丁目にありました。昭和35年頃火災で全焼して、現在の場所
へ移ったものです。私は小学校は円山ではなく桑園でした。そして中学の途中で豊平
地区に転居したのですが、学校は転校せず、(昔はこんなことができたのですねー)向
陵中を卒業しました。中学時代の友人には西高へ進学した人は少なくありません。何
しろ西高には200人以上行った時代でした。私はそんなわけで、西高ではなく、転居先
の学区に従って南高に行ったわけです。
51東区在住:2003/08/08(金) 14:29:06 ID:mAIkrTSQ [ m205.218-225-215.megafit.me-h.ne.jp ]
台風ワクワク(w
子の熱がようやく収まったのですが
ブツブツが出てきますた。どうやら突発性発疹の模様。
早くデジカメ片手に調査に行きたいです。

>牛鍋蝸牛様
レスどもです。
どこへいったらいいか、と思ったのは
私自身きっと調査不足で
あまりレスに見合った物件を知らない、というのが実情です。
というわけでもうちょっとお勉強してみます。
歴史(特に地元)が好きなので
札幌市内をくまなくうろうろしたいです。
もちろん、遠隔地の方々のための出動も大歓迎です。

> 伏古 様
せっかく教えていただいたのですが、子が熱を出し
引きこもりをしていたので。。。もう無いかも、ですよね。
一応区役所に電話してみます。
52北栄:2003/08/08(金) 23:19:04 ID:3SoOB3uw [ EATcf-547p87.ppp15.odn.ne.jp ]
>>48
>十万坪なる地名は、今の東区にもあったらしいですよ。

それは知らなんだ・・・
私の知ってる十万坪は対雁の旧地名「十万坪」くらいなもんです。
それだと札幌から脱線してしまうので      (つ´∀`)つオイトイテ

>>46
>旧円山村の北端は今、中央卸売市場
>のあるあたりまでありましたが、ここまで含めて「円山北町」

ですね。「円山北町」については、段階的に条丁目化されていってます。
昭和40年に北5〜15条西、昭和52年に北5〜6条西と宮の森1条になってますね。
現在でもマンション名や保育所の名前にその名残を見ることができます。
53牛鍋蝸牛:2003/08/09(土) 07:45:55 ID:TVenLHpY [ N044102.ppp.dion.ne.jp ]
やっと休みになりました。
12日連続勤務ご苦労様でした。
いえいえ…。

リハビリ中なので「十万坪」ってどのくらいの広さなんだろ〜と、アホなことを考えました。
今度、エリック・クラプトンがやってきます札幌ドームの面積が、
敷地面積:305,230u
建築面積:55,168u
延床面積:98,181u
アリーナ面積:
クローズドアリーナ 14,460u
オープンアリーナ  18,800u
インターセクション 3,319u

…ってことです。
十万坪は330、000uですので、札幌ドーム全体の敷地面積よりやや広い(108%)わけですね。
一区画50坪で分譲したら、2000軒も家が建つんだよな〜。
あ、でもこれじゃ道路ないから、ほとんどの家の出入りは人の庭通らなきゃならんか。
あっはっは!

ダメだ、こわれてる…。
54なまら名無し:2003/08/09(土) 08:09:53 ID:CQe5rXqc [ P061198172086.ppp.prin.ne.jp ]
北8条西7丁目にある公園は、日本で初めて造成された公園なんですね。
近くに清華亭や、駅近くなのに古い町並みも残っていて、ちょっとうれしかった
でつ。(ほんとは北大を見に行ったあと、近くで迷子になっただけなんでつが)
また札幌行きたいな〜。札幌大好きでつ。
55西創成:2003/08/09(土) 13:37:16 ID:838nZ.pg [ m077012.ap.plala.or.jp ]
いま見たんですが、豊平川河川敷の北日本自動車学校のコース、壊していましたけど、とうとうなくなっちゃうのでしょうか。

河川敷の自動車学校、札幌自動車学校につづいて、消えちゃうんですかねぇ。

ここは、河川敷利用権をめぐって治水行政と裁判になってはいたんですがねぇ。
56牛鍋蝸牛:2003/08/09(土) 14:52:38 ID:TVenLHpY [ N044102.ppp.dion.ne.jp ]
東区在住さん。
お子さん小さいと大変ですね。
実地調査なかなか参加してくれる方がいないので(ここだけの話)、是非お願いしますね。

>>54さんは、どちらの方でしょう?
また、札幌来てくださいね。
考えてみれば、「偕楽園跡」、それと「北大の石臼」の調査には行っていませんでした。
車では横を良く通るのでが…。
あ、「土場」、「豊羽鉱山」も。
なかなか一人では手が廻りません。

西創成さん。
「北日本自動車学校」はワシも通った学校です。
決着ついたんでしょうかね。
問題になったのはえらい昔のことですよね。

でね、今日はまだリハビリ中なので難しいこと考えたくないのよ。
この程度のレスで精一杯でしゅ…。
57なまら名無し:2003/08/09(土) 17:26:41 ID:FpvRjEV. [ m174048.ap.plala.or.jp ]
>>56
最高裁まで行って北日本が敗訴した。
5818丁目@本村:2003/08/09(土) 17:33:13 ID:USAvLEdE [ p7254-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
今日は、昨日買って来た「月寒あんぱん」を1個食べますた。
お昼は近所のスープカリー屋で、骨付きラムのカリーを食べますた。

さてお次の「十万坪」はどこじゃらほい。
59なまら名無し:2003/08/09(土) 18:28:40 ID:Ni4f0Czo [ s100214.ap.plala.or.jp ]
ガイシュツかもしれませんが西岡のあたりは昔「焼山」とよんでたそうですね。
「やけやまこうえん」というのがいまでものこってるそうです。
藤野にも同じ名前の山が存在しますね。やけやまの由来はなんでしょう。
60牛鍋蝸牛:2003/08/09(土) 18:45:44 ID:TVenLHpY [ N044102.ppp.dion.ne.jp ]
18丁目さん、スープカリーでっか。
おしゃれですな。
ワシ、昨日の夜、貰ったギョウジャニンニクの漬けたヤツ食したら、まだ口の中がクサイ感じ…。

さて、円山関係ちょと置いておいて、先に「十万坪」の情報をお伝えします。
久しぶりに図書館へ行ってきました。
閉館まで時間がなく、コイツはクサイ(ワシの口か?)と思い借りてきた「山鼻創基八十一周年記念誌」(昭和三十二年)にやはり出ていました。
あ、「八十周年」じゃなく、「八十一周年」ね。
これ、間違いじゃないよ。

「山鼻○万坪」は「六」でもなく「九」でもなく、やはり「十万坪」だったようです。
そして、「本願寺開墾」であったのも間違いなさそうです。
では…。

「この本願寺の事業中、最も大きなものは、札幌と西長流間の道路開墾である。延長実に二十七里、橋梁百十三、谷間の板敷き十七、これに要した費用一萬八千五十七両、完成日子一年半と称されている。
なお現如上人巡錫来札の砌り、管刹所から八垂別に至る巾三尺延長一里の新道を切開き、上山鼻に本願寺開墾地として十萬坪の下附を受け、伊勢国桑名から、農家二戸を移したのが、山鼻地区に於ける農家移住の始めである」

あ、飯だ!
またあとでね。
61新川番地:2003/08/09(土) 19:09:30 ID:qTZqMIc2 [ YahooBB219041109038.bbtec.net ]
なるほど・・・10万が正解ですか
嘘八百とか八百万(やおよろず)とか良く言うので、すげーたくさんっていうか広い土地なんだぞー意味なんですかね
と、思っていたわけですが どうやら牛鍋さんのレスみると下附された土地の数量の様ですね
ツボにはまった解答ありがとーございます

ときに、今日「あび」では入れ替わりだったようですね。18丁目さん
いつか会いましょう
62牛鍋蝸牛:2003/08/09(土) 20:38:40 ID:TVenLHpY [ N044102.ppp.dion.ne.jp ]
>>59さんへ。
ふたつの「焼山」に関しましては、最近、"賛否両論の"と形容詞の付く、「さっぽろ文庫1 札幌地名考」に出ております。
ワシ、今日はリハビリちゅーのため、あえてしばらく様子を見ましょう。
きっと明日までに、親切な誰かさんが書きこんでくださることを夢見ながら…。

「十万坪」と「本願寺開墾」に関しては、明日にしましょう。
「東本願寺」といえば、「十二軒」とも関連があるような、ないような…。
過去ログを読んでおさらいしておくようにね。
63なまら名無し:2003/08/09(土) 20:45:41 ID:kWhC9sqg [ O174119.ppp.dion.ne.jp ]
ミスマイの奥のトヨタキ
6418丁目@本村:2003/08/09(土) 23:18:03 ID:Re99/X0. [ p24172-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
新川番地さん、「あび」満席であきらめたです。
新川番地さんは、食べられたんですか?私は後で来るといいつつ、カリーにしてしまいました。

焼山、豊滝・・・・   十万坪(何だか頭にこびりついてしまった)

近所のカフェで一杯やってきまつ
6518丁目@本村:2003/08/09(土) 23:21:03 ID:Re99/X0. [ p24172-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
あー、既出かもしれませんが、「月寒」←はIMEでは「つきさむ」では変換できず、
「つきさっぷ」で一発変換だ!
「つきさむ」はマイナーなんでつね。
6618丁目@本村:2003/08/09(土) 23:22:00 ID:Re99/X0. [ p24172-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
あー、既出かもしれませんが、「月寒」←はIMEでは「つきさむ」では変換できず、
「つきさっぷ」で一発変換だ!
「つきさむ」はマイナーなんでつね。
67なまら名無し:2003/08/09(土) 23:43:04 ID:s93.zDO2 [ p3052-ipadfx01maru.tokyo.ocn.ne.jp ]
>>66  本村さま

IMEは住居表示で入っていますので「つきさむ」では変換しませんが「つきさむにし」「つきさむちゅうおう」など
と入れると見事に変換します。
つきさっぷが変換するのは国鉄千歳線の名残では。あの駅は最後までつきさむにはなりませんでしたから。


kさまみたいに生き字引のかたがいらっしゃると俄然このスレ面白くなってきましたね。
ドンドン書き込んでくださいませ。
68東区在住:2003/08/10(日) 15:42:24 ID:b6AWfdFg [ m205.218-225-215.megafit.me-h.ne.jp ]
「つきさむ」→「つきサム」になってしまいました
つきさっぷ→月寒 感動です!

えー、いきなり地域が飛びますが
東篠路という旧国鉄の駅をご存知でしょうか?
(現在は拓北駅になっています)
父方の祖父祖母の家がすぐ近くにあり、
なぜか家の前に鳥居と祠があったのですが
今は取り壊されてしまいました。

一般住宅の敷地内に鳥居と祠。
近所を見回してもどこにもありません。
一体何の為に?と思ったのですが祖父祖母も亡くなってしまい
父は寝たきりで植物状態なので誰にも聞けません。

子連れなので図書館などが不可能な為、
ご存知の方がいらっしゃいましたら情報宜しくお願いします。

>牛鍋様
お子はおかげさまで元気になりました。
まだ突発性発疹が消えていないので
消え次第容赦なくデジカメ片手に出掛けます。
69牛鍋蝸牛:2003/08/10(日) 16:49:42 ID:WXRcMx9g [ N044102.ppp.dion.ne.jp ]
「焼山」については昨日申し上げたように、「さっぽろ文庫1 札幌地名考」に出ています。
今はこれ以上"店"を広げる訳には行きませんので、簡単に引用させていただきます。
本来は、抜粋なり要約なりするのですが、2ヶ所ありますので、その違いを定かにするためあえて全文引用します。

「焼山 261.8m 西岡と羊ヶ丘の境にあり、水源地の東方に位置する。西岡の地名も明治四十二年(1909)に西山と改められるまでは、焼山といわれていた。
『開墾のために火入れをして、ササやぶや、木の根っこをあつめて、毎日、毎日焼きました。それが飛び火して山火事になったりして、このあたり一帯は年がら年中焼けていたので、札幌の人たちからは"焼山"といわれていたのが、いつのまにか名称になってしまったのようです』と古老は開拓当時を回想している」

「焼山 662.7m 簾舞川の右岸、東御料に位置する。昔、開拓のため入植した人達は、火入れを行って山焼きをして開墾にあたり、火防線をきって火を入れたが、飛火や、原因不明の山火事がひん発してその都度、消火には非常に労力を費やした。男達は毎日延々と燃え続ける山火事の消火にあたり、女達は炊き出しをするといったこともしばしばであったといわれている。
明治三十九年(1906)一の沢から出火して西御料、東御料まで延焼し、その被害面積は二千余町歩にも達した(『簾舞沿革史考』)。その後、同年四十四年には千五百町歩を焼き、その他、小山火事は数え切れないほどだった。こうした、たびたびの山火事で焼けたとことから焼山と呼ぶようになった。
山火事防止のために、林野局では特に監視を厳重にし、小作人組合では自主的に注意を守った結果、次第に減少した」
70牛鍋蝸牛:2003/08/10(日) 19:35:48 ID:WXRcMx9g [ N044102.ppp.dion.ne.jp ]
さて、「十万坪」と「十二軒」の関連はあるのか?という昨日からの御題。

「山鼻十万坪」で出てきます、「本願寺」とは「東本願寺」のこと。
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/4_log.html#258 (18丁目さん)と同#260(牛鍋蝸牛)をご参照いただければ、当時「東本願寺」が本道開削にいかに関わることになったかは、思い出していただけると思います。
では、「十二軒」はどう「東本願寺」と関わるのか、と言いますと、これも以前にやりました「御用火事と八軒、十二軒、二十四軒」を思い出していただきたい。

忘れた?
だよね、ワシも今回おさらいです。
お付き合い願いたい。
どうせ、ヒマでしょ?

「八軒、二十四軒という地名は入植した農家の軒数である」ことは、今でも学校で教えているのでしょうか。
ワシは小学校で習いましたが、その時、ションベン臭い鼻たれ小僧に浮かんだ疑問は、「八軒、二十四軒の人達は一体、どこから来たのじゃ?」ということ。
先生には聞きませなんだ。
「到底、答えられないだろ」という、子ども心の親心じゃった。

実は、当初「御用火事」を取上げた時、この事件が地名に直接関係するとは思っていなかったのです。
でも調べているうちに「本願寺移民」(本願寺百姓)といわれた人たちが現在の「東本願寺札幌別院」周辺にいて、岩村判官の「御用火事」で焼け出され、現在の「八軒」、「十二軒」、「二十四軒」に移転した、という説と出会いました。
この説は長いこと、疑うことのない事実とされていたわけです。
実際に「札幌地名考」でもこの説が「二十四軒」の項で取上げられています。

「なるほど〜。そうだたのかぁ…」と積年の思いが溶解したと収束に向け調べを進めて行きますと、実は各々の「○軒」に入植したのは「本願寺移民」ではなく、「辛未一の村」と呼ばれた村の農民であったという説が浮上して参りました。
しかも、「御用火事」があったのは「辛未一の村」の良民五十戸が「○軒」に移転した翌年であることも…。
つまり、「○軒」に入植したのは「本願寺移民(百姓)」が「御用火事」で焼け出されたから…、というのは二重の間違いであったと言うことだったのです。

「辛未一の村」は、それ以前の入植農民が補助に慣れてしまい自助努力を行わなかったため、開拓使が戸数限定で道外や札幌より"良民"を募った、いわばエリート集団でした。
それが東本願寺周辺に入植したものの、「琴似村」の開墾が優先され、すぐにそちらへ移されたのです。
五十戸は現在の「八軒」、「宮の森」(十二軒)、「二十四軒」へと移転しました。
え?「六軒」足りない?
あ、その六軒は円山村へ入植したそうです。
合計五十戸ですね。
合ってますね?
その翌年、東本願寺周辺の草葺きの空小屋(無断で住み着くものもあったよう)に岩村判官が「御用火事」として火をつけて回ったわけで、この辺りの事実が長年ごっちゃになっていたわけです。

ま、そんなわけで、決着のついた「○軒問題」なのですが、今回、「十万坪」調査のため借りてきた「山鼻創基八十一周年記念誌」(昭和三十二年)には、この件についてこのように書かれていました。
「東本願寺が新潟県から移民四十戸を招き、開拓使が札幌附近で募集した農家をを合わせて、山鼻本願寺の南裏の辺り約四町歩の地に、開拓使の事業として、草盧五十戸を建て、これを『辛未一の村』と称したが、札幌市街に近く、野火類焼のおそれから、後これを琴似村の二十四軒及び十二軒に移し、跡の草盧は所謂岩村判官の御用火事で焼き尽くし、辛未一の村は無くなったのである」

う〜ん、今までの説が妙にうまく調和して、また微妙に違うニュアンスの話になっている(汗
「羅生門」の世界だ…。
71なまら名無し:2003/08/10(日) 20:02:31 ID:9xQCv5Wg [ p5104-ipad12sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
ここは普通にマイナーな地名を挙げるスレじゃないのかしら・・・
地名の歴史スレじゃん。
というわけで現存の地名で厚別区山本。
そこまでマイナーでもないけど。
72牛鍋蝸牛:2003/08/10(日) 20:17:56 ID:WXRcMx9g [ N044102.ppp.dion.ne.jp ]
>>71
なるほど。
でもね、地名に歴史ありなんですよ。
子どもの名前は親が付けますから名付けられた時に履歴なんてないけど、普通の地名にはなんらかの歴史があるものです。

でね、このスレで大事なのは"実地調査"なんですよ。
その土地の現在の姿も重要なのです。
だから、明日「宮の森」(十二軒)辺りに行きます!
7371:2003/08/11(月) 07:18:52 ID:flgrHwJg [ p8030-ipad12sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
うーむ、確かに。
自分が興味あるのは地図にない地名。
地元の人だけが呼ぶ地名かな。
74牛鍋蝸牛:2003/08/11(月) 07:25:46 ID:jHCSKlXA [ N044102.ppp.dion.ne.jp ]
71さんへ。
ご理解いただけてうれしい!

で、実地調査と思ったら、雨だよ〜(泣
とりあえず、ご飯食べよ。
75とろんとろん:2003/08/11(月) 12:08:08 ID:l6af4kJQ [ SODfa-02p3-49.ppp11.odn.ad.jp ]
牛鍋さんが、「新・北区エピソード史」取りに行けない、
といふので取りに行って来たよ。
てえことでこれから「あび」へ行って預けてきます。

あ、引き続き「居酒屋きよた」移転情報わかる方が
いましたら。
76牛鍋蝸牛:2003/08/11(月) 20:55:13 ID:jHCSKlXA [ N044102.ppp.dion.ne.jp ]
とろんとろんさん、「あび」で「新・北区エピソード史」貰ってきました。
わざわざ、ありがとうございます。
しかも、3,000部限定なのに二冊も。
お盆なので、一冊は墓前に供えます。

この冊子、A4版なので読み易いし、内容も充実しています。
今後、活用いたしますよ。
で、今日はもう一冊手に入れたんだなモ。

実地調査して「あび」に寄った帰り、かの全国チェーン大型古書店によりまして、「さっぽろ文庫45 札幌の碑」(美本)を600円という超お安いお値段で。
(「さっぽろ文庫」は独特の青のカバーなので、古書店でも発見しやすい)
そういえば、「新・北区エピソード史」にも北区の碑が出ていますね。
まだ見比べていないけど、こういう資料は複数あるにこしたことはありません。

「十二軒」実地調査。
既に述べたように行って来ました。
この辺り、もうすでに完全な住宅街になっておりますもので、遥か遠くの痕跡を発見というわけには行きませんでした。
でも、現在の「琴似川」(十二軒川)の姿はお見せできます。

実はワシ、「さっぽろの昔話」に出ていた「琴似村」と「札幌」の境界上の「池」の跡へも行ってみたかったんです。
うちのインターネット地図では鋭角の土地の角にそこそこの大きさの建物が建っているのがわります。
しかし、これには名前が書いてないのです。
その他のマンションなどにはちゃんと名前が振ってあるのですが…。

詳しくは明日にでも報告しますが、それは"ある廃墟"だったのです。
7718丁目@本村:2003/08/11(月) 22:40:48 ID:D0ietktU [ p23112-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
うーん、"ある廃墟"ってなんじゃろ?

私は昨日、東区の「十万坪」の件が載っている「元町北」(元町北小学校が発行した
地域史の資料)を、再度場所の確認の為に元町図書館へと出向いたんですが、残念ながら
置いていなかったんですよ。確かある古書店で立ち読みしたとき(値段が2,500円もするので
買うのを躊躇ったのでつ)の記憶だと、現在の元町ジャスコのあたり一帯のことを示す
という内容の、地元古老の証言があったと思います。
んで、古書店でゲットしたのは、昭和58年編集の「札幌市公園緑地図 縮尺三万分の一」です。
これで私は、公園緑地名に関してはオーソリティーじや、ははは。
78なまら名無し:2003/08/12(火) 00:55:13 ID:xcrzGNA6 [ m205.218-225-215.megafit.me-h.ne.jp ]
ある廃墟・・・それはとある金融機関の寮跡でしょうか?
違ったらすみません。
79牛鍋蝸牛:2003/08/12(火) 20:52:04 ID:QeCbh0/o [ N044102.ppp.dion.ne.jp ]
>>77
古書の2,500円は躊躇して当然であ〜る。
ワシのモットーは、ノーリスクノータリーンなのであ〜る。
これでいいのだ!

昨日行った、全国ネットの大規模古書店はとにかくうるさかったにゃ〜。
全国で3,000店を目指すとかなんとか店内アナウンスしておったが、ワシ、おそらくは全国3,000店も行くヒマはありませんので、たいていのお客にとってそんなことはど〜でもいいことなんです…。
ま、「さっぽろ文庫」が600円だから今回は許す。

>>78さん。
遠慮がちにどうもです。
間違いなんてそんなこと本スレではOKです。
ワシも本スレでは幾度の過ちを犯し、その都度おのれの人生を反省し、滝に打たれ、髪の色を変え、重労働に耐えながらも、現場から立ち去った片腕の男を…(略)

そうです。
あの1999年に破綻したあの金融機関の家族寮が、あの「琴似村」と「札幌」の境界線上に存在した「池」(名称不詳)の跡地に建っておったのです。
そして今は既に住む人もなく…。
80牛鍋蝸牛:2003/08/12(火) 21:22:30 ID:QeCbh0/o [ N044102.ppp.dion.ne.jp ]
えへん…。
ワシとしたことが、取り乱しました。

その"廃墟" とは>>78さんのおっしゃるとおりであります。
まずは物件をご覧ください。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=675 
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=669 

北海道神宮のそぐそば、「宮ヶ丘」のこの一等地に存在するこの建物こそ、1997年に廃業した「山一證券円山家族寮」でありました。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=670

ワシがネット地図「MapFan.Net」で確認した"名前の無い建物"はこれだったのあります。
思えば、この年は北海道にとってもツライ試練の始まりとして記憶される年であります。
「北海道拓殖銀行」の破綻の年でもあったからです。
大正から昭和にかけての新聞記事を追っているうちにワシは、今そこにある現実と向かい合うことになっちまっただよ。

では、また明日…。
81牛鍋蝸牛:2003/08/12(火) 21:27:06 ID:QeCbh0/o [ N044102.ppp.dion.ne.jp ]
>>79
「1999年に破綻した」は間違いでした。
>>80の通り、1997年です。

ね、>>78さん。
こんなもんだって!
8218丁目:2003/08/13(水) 20:21:30 ID:23ikYrR6 [ YahooBB218127084028.bbtec.net ]
何と昨日から私のPC調子悪く、ネット繋げず・・・・・。
近くのカフェからです。
今日は会社いったら、あらゆるユーザからヘルプのコール。
新聞でもニュースでもコンピュータウイルスの件で大騒ぎですね。
8318丁目@本村:2003/08/13(水) 22:38:41 ID:NxQJEC.. [ p5120-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
PC修復終了。
84牛鍋蝸牛:2003/08/14(木) 07:31:22 ID:OOW34mwY [ N044058.ppp.dion.ne.jp ]
昨日もレス書き込むつもりでしたが、お盆はお盆で仕事が忙しく、その疲労と飲酒のため潰れました。
PCウィルスですが、アップデートの実行とアンチウィルスソフトの導入をしていない方、企業が残念ながら多いようですねぇ。
それが万全ではないにしろ、できることはしておかなければならないと思います。
というか、ワシの周りなんかも意識が低い人だらけ…。

閑話休題(本題に入ります)。
先日の「十二軒」(宮の森)、「宮ヶ丘」実地調査の続きです。
時系列逆転で申し訳ありませんが、まずは「宮の森」へ向かいました。
先日アップしました大正5年頃の地図で「十二軒」と記載された、場所へ。
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0044.jpg 参照。
ここは現在の「宮の森2条10丁目」に当たります。
「北一条宮の沢通」で言いますと、「ケンタッキー」や「宮の森郵便局」があるところです。
その向かいは「暖中」という中華屋さんがあります。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=674 
我国産フェラーリで行ったのですが、道路(?)工事が行われていて、すんなり中に入れない状況でした。
というのも、何しろ道が狭いのです。
そして、慣れないワシには迷路状態でもありました。
一角にある会社から出てきたワゴン車がワシの国産フェラーリの後ろに付きました。
横に寄ってやり過ごそうと思っても出来ませんで、なるべくマイナーらしき枝道に入って"まこう"としたのですが、ワシの行く道行く道が実はそこでは本通に出るマイナーな道らしくしばらくカーチェイス状態が続きました。
あ、わき道から左右を確認しないでのほほ〜んと出てきて、ワシに急ブレーキをかけさてそのことにさえ気が付かない君(カップルの男)。
地球の平和のため、君はこういう所では運転しないほうがいいな〜。

再び、閑話休題(それはさておき)。
「十二軒」への入植は「琴似川」(当時の十二軒川、あるいは十二軒沢)沿いに行われたわけですので、まずは「琴似川」を見てみようと思いました。
月並みな表現で恐縮ですが、まさに住宅街を縫うように流れる「琴似川」。
入植当時は沢であったということも、なんとなく想像が出来ましたね。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=673
「宮の森2条」と「3条」の境界から、急に川幅が広くなっておりましたが、これには何か理由があるのでしょうか。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=672
85牛鍋蝸牛:2003/08/14(木) 09:27:30 ID:OOW34mwY [ N044058.ppp.dion.ne.jp ]
「旧・十二軒」は現在、瀟洒な住宅やマンションが立ち並ぶ地域になりましたが、今でもかなりの傾斜地であるこは間違いありません。
明治の初期の入植時は当然、未開拓の地であり、その開削・開墾はさぞかし大変であったことは思いが及びます。
同時期に入植した「八軒」、「二十四軒」は平地でありますし、なぜこの地に?との疑問も湧いてきますね。
「新札幌市史」には「開拓使の意向で琴似村開墾を優先した」、との記述がありました。
十二軒の開拓民は、自ら進んでこの地に赴いた訳では無いのでしょうね。

さて、今日も仕事だし…。
8618丁目@本村:2003/08/15(金) 08:01:03 ID:f/MLVPlI [ p5120-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
星置〜発寒〜十二軒〜篠路
大体こんな流れではないでしょうか?
で、現在琴似という地区は昔の発寒で、明治初期までは琴似というとこの十二軒あたり
から、新琴似(屯田地区含む)までだったと。
87牛鍋蝸牛:2003/08/15(金) 11:28:14 ID:vUIJSVwU [ N046187.ppp.dion.ne.jp ]
その昔の「琴似村」と「札幌」の境界線が、そのまま現在の「宮ヶ丘」と「宮の森」の境界になっているようです。
既出の通り、「山の手通」から南西側は、道路や地形に関係なくほぼ一直線ともいえるように境界線が引かれております。
なぜ、ここまできちっとした境界になっておるのか?
これはKさんの疑問でもありワシの疑問でもありまして、時間の無い中ちょこっとではありますが調べてみました。

結論は、今の所、わからない…。
ま、想像できるのは、"行政上の理由"ですよね。
開拓初期の頃だし、特別深く考えないで「ハイ、こうしましょ」程度であったのではないか?と。
同じ「碁盤の目」ではあっても、区画割の方角においては屯田兵村間で統一性がないのと同じように、いわば「適当」に設定したと。

でも、今となってはこの斜めの境界線のために、ここはちょいと不自由な状況になっておるのではないかと思われますね。
道路も斜めに交差していたりしておまけに狭く、一方通行もありで、その上住所表示が複雑となるとワシのように初めて行った人間は往生しますがな。

で、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=671
「だから建物もこんな斜めにカットされたようなものになるんだよなぁ」と思い写真を撮りました。
「お、いい物撮れたわ」と思って家に帰って改めてよ〜く地図を確認しましたら、これは境界線とは関係なく、採光を考えてのデザインのようでした。
思い込みはいけませんね(w

さて、今日も、仕事だー。
88k:2003/08/15(金) 17:33:32 ID:iknvK.2A [ customer71-242.mni.ne.jp ]
十二軒(宮の森)に関連してまた、新たな疑問が出てきました。旧琴似町と札幌市
の間の幾何学的な境界線については、結局よくわからないということで、一応、
納得せざるをえないようですが、それに関連して、ではなぜこの宮の森地区は旧
琴似町にもかかわらず中央区になったのか?という疑問です。盤渓地区も中央区
に入っていますが、札幌市が政令都市となったときにこの部分だけ旧市界によら
なかったのでしょうか。この点について何かご存知の方はいらっしゃらないでし
ょうか。
89牛鍋蝸牛:2003/08/15(金) 20:44:43 ID:vUIJSVwU [ N046187.ppp.dion.ne.jp ]
>>88
kさんが以前から提起されていた疑問ですね。
まだ、未解決でした。
そう言われれば、そうだよね。
「十二軒」は「琴似村」だったのに何で「宮の森」として中央区に編入されたんだろ?
隣の「山の手」は西区になったのに…。
改めて、「さっぽろ文庫1 札幌地名考」の「宮の森」を参照してみましょ。

「(略)昭和三年に秩父宮、翌四年に高松宮が来道され、三角山・荒井山を中心にスキーを楽しまれたことを記念し、昭和五年から宮様スキー大会が開催されるようになって以来、宮ノ森と呼ばれるようになり、昭和十八年(1943)五月に十二軒から琴似町宮ノ森と改正された。
この琴似町も昭和三十年には札幌市と合併し、その後札幌市の政令指定都市移行と同時に琴似町の冠称が削除され中央区宮の森となった」

ふ〜ん、「琴似町」の時は「宮ノ森」だったんだ。
それが「中央区」になったときに「宮の森」となった…。
ま、それはそれ、わかったけど…。

ここでは一旦、「琴似村」に目を移さねばなりますまい。
今は「琴似」と言いますと、かなり狭い地域名ではありますが、そもそも明治三十九年発寒村と併合され二級町村制が施行された「琴似村」と言いますれば、かなり広大な土地であったようです。
「大字は琴似村、発寒村、篠路村からなり、村内の行政区として二四部が設置された。ただ、それらの正確な部名が伝えられていないために、推定すると以下の二四部であったようである。
〔大字琴似村〕川添、二十四軒、山手、十二軒、小別沢、盤ノ沢、中ノ沢、八軒、牧場、新琴似南一番通、同二番通、同三番通、同四番通、同五番通、同六番通、部有地。
〔大字発寒村〕南発寒、北発寒、西発寒。
〔大字篠路村〕北一番通、北二番通、北三番通、北四番通、北後番通」
(新札幌市史 第三巻 通史三 第二章 諸町村の近代化と行財政 第七編近代都市札幌の形成 三 琴似村より)

これだけ広大であった「琴似村」からなじょして、なじょして「十二軒」(宮の森)だけが中央区に…。
90k:2003/08/16(土) 16:35:28 ID:FZHnolJA [ customer71-242.mni.ne.jp ]
旧琴似町=現西区、ここに早合点があったようです。ほかにも現在新琴似〇条
〇丁目となっているところは、今は北区ですが、旧琴似町でした。ですから、
旧琴似町は、札幌市の政令都市化によって中央、西、北の三区に分割されたこ
とになったわけでした。
北区と西区の境界線は現在は新川運河の線となっていますが、篠路村と琴似町
の境界はどうだったのでしょうか。屯田地区は旧篠路村であると思われますの
で、現在新琴似と屯田の境になっている防風林の線が境界だったのでしょうか。
91k:2003/08/16(土) 16:50:50 ID:FZHnolJA [ customer71-242.mni.ne.jp ]
前レスで書いたことと関連して篠路についての手持ちの資料をみていたところ
「早山清太郎氏」についての記載がありましたので、報告しておきます。
過去のレスを全部みたわけではないので、あるいは重複するかも知れませんが
「さっぽろ文庫/78/老舗と界隈」p.135-136です。全文を引用すると長くなる
ので、私なりにようやくすると、次のようになります。
 早山清太郎は福島県の出身、若くから渡道し、各地を放浪し、種々の職業
を転々としていたが、万延元年(1860)現在の篠路に定着し、開墾に従事した。
その後多くの農家が離村する中で、一貫して篠路にとどまり、地元の発展に
貢献した。昭和50年には6代めが誕生した。
とあります。ここで注目に値するのは、万延元年という時期です。島判官に
よる札幌本府建設に先行するするものであり、大友亀太郎や志村鉄一となら
んで、札幌の「有史以前」の定住者であったわけです。
以上、甚だ簡単ながら。
9218丁目@本村:2003/08/16(土) 22:13:42 ID:ZvYNuQfc [ p5120-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
実地調査予告
明日、豊羽鉱山に行ってきます。
晴れるといいな。
93東区在住:2003/08/17(日) 01:18:14 ID:rF2HgmTg [ m205.218-225-215.megafit.me-h.ne.jp ]
先日大友公園(大友堀の跡?)へ行って参りました。
子供が多くてなにも出来ませんでした。
再調査してきます。

それはさておき・・・
街の中にある廃墟は撮影してもいいものかどうか悩みます。
皆様はどうされていますか?

東区のナナメ通りにツタに囲われた廃墟っぽい建物があって、
その横になにか書かれた看板があるのですが
撮影してよいものかどうか悩んでしまい断念しました。

>>92
お気をつけて。
レポお待ちしておりますm(__)m
9418丁目@本村:2003/08/17(日) 01:52:51 ID:Wg9QXHCo [ p5120-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
牛鍋さんのページに貼っておきました
札幌元町の知られざる旧道の地図ですが、どーもうまくJPG化できなくて・・・
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=676
9518丁目@本村:2003/08/17(日) 02:12:10 ID:Wg9QXHCo [ p5120-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
東区在住様
以前、牛鍋さんがいかれたここのことでしょうか?
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=600
その8の↓からのレスの流れをご一読ください。
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/8_log.html#220
あすこは、高名な石川啄木が一目惚れした女性の実家なんですね。
それで、啄木が函館大火をきかっけに、札幌に出てきた際にこの女性の実家を訪ねたんです。
しかしこのとき既に“女性”は北村の牧場主のところに嫁いでいったあとだったんですよ。
啄木の札幌滞在のエピソードは、北大の近くで居候していたということぐらいしか語られないので、
この元村訪問の件はかなりマイナーエピソードです。
96牛鍋蝸牛:2003/08/17(日) 08:15:01 ID:wB1Ro6Eo [ N044106.ppp.dion.ne.jp ]
現在、再び長期連続出勤中のため、文献および実地の調査が出来ません。
なんたってかんたって、知力はもともと優秀なので問題ないのですが、体力的にはツライ状態です…。
阪神と同じく、「死のロード」中ってことですなぁ。

てなわけで、「政令指定都市移行時の"宮の森"中央区編入問題」に関して今は、じみ〜にシコシコと調べるしかないわけ。
でも、ネット検索ごときでは何も出てこないようです。
どなたか助っ人願えればと…。

東区在住様。
「街中の建物写真撮影問題」(次々問題が…)ですが、これは街を撮影しようとする心ある方、どなたも悩む所でしょう。
法的に言えば、一般の通行可能な道路から見える建物を写真撮影しても一向に差し支えないようです。
もちろん、以前に取上げられましたように、自衛隊等の施設に関しては注意が必要ですが、自衛隊の施設であっても演習場などのように「立ち入り禁止」であっても撮影がダメとは言っていない所もあるようですし。
逆に言えばですね、そう言う所にわざわざ「撮影禁止」と書いてあるということは、普通のところはOKってことでしょう?
変にせせこましくしないで、堂々として、ヤバイところで人に会ったら機先を制して、こちらから挨拶する…、これでしょう。
ワシ、今まで問題起こしたことありません。
(でも、保証は出来ませんし〜)

18丁目さん、まあまあのお天気じゃない?
97牛鍋蝸牛:2003/08/17(日) 08:51:12 ID:wB1Ro6Eo [ N044106.ppp.dion.ne.jp ]
>>93
そうそう、「大友公園」。
実はご報告していなかったのですが、先日(7月21日)、ここへ何度目かの実地調査に行ってきたのです。
というか、「あび」へ行ったら満席だったので、時間つぶしを兼ねてね。

以前、ご紹介しました「東区今昔3 東区開拓史」の附録、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=659 
の「伏籠川」の「揚水場」がどこにあるのか気になっていたのです。
この地図ではどうも今の「大友公園」あたりがくさいと…。
(でも「大友掘」は描かれていない)

「大友公園」には解説のステンレス版がありまして、ここは「大友掘」と「伏籠川」の合流地点であったそうです。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=677 
「大友公園」の東側の道路は附近と比べ低くなっておりますが、「伏篭川」が流れていた跡なのですね。
そういわれれば、そういう地形なのですよ。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=678
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=679 
で、やはり「揚水場」もここだったようです。

どうです?
皆さんにご報告していない、こういう地味な実地調査もワシやっておるんですよ。
なんかおごってくださいね。
98なまら名無し:2003/08/17(日) 10:06:43 ID:4JY33J.M [ o095088.ap.plala.or.jp ]
古地図にある北海高女って現大谷のこと?光星はないね。
なんと知りあいのご先祖の家まである。
99牛鍋蝸牛:2003/08/17(日) 11:53:31 ID:wB1Ro6Eo [ N044106.ppp.dion.ne.jp ]
>>98さま。
その通り、「北海高女」は「現・大谷短期大学」。
ttp://www.sapporo-otani.ac.jp/guide/history.html 
「光星高校」の沿革を見ますと、昭和9年(1934)に出来た高校とのことです。
ttp://www.sapporokosei.ac.jp/enkaku.htm

じゃ、また仕事に行ってきます(泣
100東区在住:2003/08/17(日) 14:34:38 ID:rF2HgmTg [ m205.218-225-215.megafit.me-h.ne.jp ]
18丁目@本村様
レスありがとうございます。
あの家はやはり私有地だったのですね。入るの躊躇してよかったです。
子連れだとどうしてもうるさくなってご迷惑になってしまうので(汗
過去ログよく読んでなくてすみません。これからまた読み漁ってきます。

牛鍋蝸牛様
大友堀の調査レポありがとうございます。
もし差し支えなければ宮の森方面ご協力いたします。
とはいえなにぶん子連れなので自由が利かず
ご迷惑をおかけしたりもするとは思いますが
メアド晒しますので何かありましたらメールしてくださいませ。

これから子連れで公園へ行って来ます(行き先未定)
10118丁目@本村:2003/08/17(日) 17:58:54 ID:Wg9QXHCo [ p5120-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
行ってきました豊羽本山
昨年より行きたいと騒いでいましたが、やっとのことで行ってきました。
本山は大体こんなふうになっています。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=680
10218丁目@本村:2003/08/17(日) 18:02:41 ID:Wg9QXHCo [ p5120-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
10318丁目@本村:2003/08/17(日) 18:05:28 ID:Wg9QXHCo [ p5120-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
ここが鉱山事務所です。郵便ポストが印象的ですね。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=684
実はここ、簡易郵便局なんです。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=685
10418丁目@本村:2003/08/18(月) 02:37:11 ID:y9MR3Q0Q [ p5120-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
>>97
牛鍋さん、大正15年には大友堀は全て埋めたてられていたはずです。
105牛鍋蝸牛:2003/08/18(月) 22:15:01 ID:lEKCy0zY [ L066087.ppp.dion.ne.jp ]
18丁目さん、実地調査お疲れ様でした。
遠方でしたし、大変だったと思います。
昨日あたり、道、混みませんでしたか?

>>104の件、分かってますですよ。
>>97書いたとき、誤解される表現かな?とは思いましたが、もう疲れちまってさ、書き直すのもメンドーでさ、そのままアップしたということでご理解いただきたい。
確かに大正15年には「大友掘」は存在しておりませんので、あの地図に出てるわけないっす。
そうそう、「豊羽鉱山」の件、テキストにてのレポートも読みたいなっと。
で、メール、サンクスです。

東区在住様、メルアド晒し、ありがとうございます。
ただいま、「死のロード」中のため、これと言って気の利いたお願いが出来ません。
あいや、暫く…、暫くお待ち願いたい。
でね。「林檎の碑」は私有地ですが、ワシ中まで入りましたです。
別に問題なかったですよ。

本日、某大型古書店にて「石狩百話」(共同文化社)を100円にてゲット、ついでに隣の新書店にて「バカの壁」(新潮新書)を定価で購入しました。

今日は大した話もないのでsageておきます。
106なまら名無し:2003/08/20(水) 17:33:08 ID:ZC8RgxsQ [ p2129-ipad02sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
age
107牛鍋蝸牛:2003/08/20(水) 18:17:36 ID:YfpCR0gg [ N045016.ppp.dion.ne.jp ]
どなたかがageられました。
つられてレスします。
とにかく、仕事がキツイ状況でしてレスする体力も知力もありませんでした。
今日からやっと三連休です。

え〜、実は明日、以前にお邪魔しました「さっぽろ村コミュニティ工房」さんに行って参ります。
こちらは「さっぽろ村ラジオ」というコミュニティFMラジオをこの春からやっておられまして、その番組にちょっと顔を出すことになりました。
例の「あび」のマスターの陰謀です。
一応、本スレとマイナー地名のお話をするというコンセプトなのですけど、どんななるやら。

だって、先方さんとは打ち合わせ等一切やってないのです。
テキトーといえばテキトーなんですよ(w
ネタとしては「札幌温泉」を持っていこうと思っておりますが、四方山話が九割がたの番組ということなので、世間話で終わることも考えられるしね。

「向こう三軒両隣」という午後一時からの番組ですので、電波の届く範囲の方は聞いてみるのも一興かもね〜。
ただし、責任は取らんぞ!ワシは!

さ、ネタの仕上げをしなければ…。
108東区在住:2003/08/20(水) 18:23:30 ID:Kkox4UbY [ m205.218-225-215.megafit.me-h.ne.jp ]
18丁目様
調査&レポ乙でした。
とても興味深く、また訪れる気力が沸いてきました。
(実は6月に行ってきましたがデジカメ忘れで何も撮影できませんでした)
熊は出ませんでしたか?

牛鍋蝸牛様
死のロード、大変そうですが頑張ってくださいm(__)m
林檎の碑は折を見て見学させていただきます。楽しみ☆
ラジオ出演ですか!!!ぜひ聞きます。
その時間に子供が泣かなければ(−−;

今日は何もしなかったのでsage
10918丁目@本村:2003/08/21(木) 08:11:24 ID:o2q0NKqI [ p5120-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
牛さん、牡蠣鍋の手タレ以来のメディア露出ですね。
がんばってください。
どなたか、録音してくれないかな?
110牛鍋蝸牛:2003/08/21(木) 10:32:28 ID:n4U8Us8Y [ N045016.ppp.dion.ne.jp ]
今日はちょっと暑くなりそうですね。
いや〜、正直言って、ネタをまとめるのはなかなか面倒です。
脈略のある文章を要約するのでも大変なのに、なんたって、ネット掲示板のレスですからね。
ひとネタ二時間程度でまとめられればいいけど、そうは行きませんね。
お疲れの身にはツライです。

ということで、今回のラジオ出演(?)に関しまして、皆様からのレスを利用させていただくことをお許し願いたいと思います。
いろいろな方からの情報や、助言をまとめたものですもんね。
その点、仁義をわきまえているつもりの牛鍋蝸牛です。
あ、このHNでは出ませんので…。
却下されました(w
いい名前なんだけどな〜。(今となっては…)

ところで、どのくらいの時間出るのかさえもはっきりしていないんだけど、いいのか?
ワシとしは、最後はキレイにオチをつけたい性質なので、気になる…。
「ガチョ〜ン!」で終わるか、「これまた失礼いたしました!」か。
う〜ん。
111なまら名無し:2003/08/21(木) 19:02:28 ID:vKvzfEjQ [ r031035.ap.plala.or.jp ]
かねてよりかたつぶりさんの隠れファンです。
いよいよデビューですか。やはりただものではなかったんですね。
応援してます。特に札幌温泉は劇的ビフォアーアフターですたよね。
がんばれかたつぶりさん。応援しています。
112牛鍋蝸牛:2003/08/21(木) 19:42:43 ID:n4U8Us8Y [ N045016.ppp.dion.ne.jp ]
>>111さん、サンクスです。
隠れFANなんて言ってもらっちゃって、涙が〜。

行ってきましたぜ、「さっぽろ村ラジオ」。
事前の打ち合わせなしで望んだんだから、ま、あんなもんだろー。
前半、違和感を覚えた方も居られたとは思いますが、ワシは「東区ネタにはこだわらなくとも良い」と"上層部"にはちゃ〜んと話てOKを取っておったので、問題ナシなのだ。

放送終了後、「あび」に行きまして、
「おわったよ〜」と言いましたら、あのシニカルな、あの皮肉屋の、"あの"マスターが、
「いや〜、良かった! ケチつけようと思って聞いていたけど、贔屓目なしに内容も、話し方も100%だ!
良かった〜!」と言ったのには驚きましたけどね。
ま、マスターは他の部分にえらく怒っておりましたけど、ここではあえて語りますまい…。
それが何か知りたい方は、「らーめん あび」へ…。(宣伝)

ま、ワシとしてはちょいと(かな〜り)心残りなのが用意していった「札幌温泉ネタ」が時間切れのため、最後まで語れなかったことです。
あれから本番だったのに〜。
「裏焼き事件」から「札幌温泉」があった場所が特定される展開だったのに〜!

「十二軒(宮の森)」に関して新しい(古いけど)資料を探してきました。
期待しないで待て!
113とろんとろん:2003/08/21(木) 22:31:48 ID:RWfpLteM [ 211.121.159.96 ]
お久しぶりになるかと思います。とろんとろんです。

そんなワケで話題も少し懐かし9スレ目で
また少し話をした「Sタウン」関連のちょっとした
裏付けフィールドワーク。
といふことで近場なのですが「Sタウン」のショップ
「D’s shop(ディーズ ショップ)」の店員
さんにちょいと聞き込み。

やはりかつてホップ畑だったのは本当のもよう。
それよりも野球のグラウンドだった印象が強かったらしく
「サッポロビールの」と何度も連呼されてたとおり
「サッポロビールの」野球グラウンド、といふ
イメージが今も根強いようだ。まあこのところ
プロ野球選手を何人も輩出している、札幌地下鉄の
職員が監督をやっているとも伝えられる新琴似
リトルシニアなどの少年野球が盛んな背景には
こうした幻影がまだ影響として残っているから、
と言えるのかも。

なおディーズショップの店内はベーカリー敷設の
購買ショップといった感じで、一度閑散として
長い間沈黙していた以降はファミリー的な路線を
行こうとしている様子。なんか奥の方はレストラン
もどきの空間もあったような。まあパン屋と購買は
まま使えるところとしてたまに寄るくらいですが。
114東区在住:2003/08/22(金) 07:00:19 ID:e2X8TW.Y [ m205.218-225-215.megafit.me-h.ne.jp ]
録音失敗したよぅヽ(`Д´)/ウワァァァァァァン
牛鍋蝸牛さんの勇姿を拝聴できなかったのでsage
11518丁目@本村:2003/08/22(金) 07:51:15 ID:QEMwpKw. [ p5120-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
誰かweb上でオンエアしてくれないかなー。
音源はなくても、ねー牛鍋さん。
116牛鍋蝸牛:2003/08/22(金) 08:30:09 ID:PLV9XXCQ [ N045016.ppp.dion.ne.jp ]
東区在住さん、録音失敗の巻ですか(w
「あび」でもボロラジカセのため、録音は出来なかったそうです。
ワシ自身も録音する努力はしておりませんでして、一日経った時点で既に「伝説の放送」となってしまったことが判明しました。
こうなったら「らーめん あび」に行って、マスターの口からその概要をお聞きください。(また宣伝)
18丁目さん、Web上で?
音源ナシで?

次はやるかどうか分かりません。
先方の上の人には、"札幌全体の地名"の話ということで話を通しておったのですが、司会の方は"東区の地名"にこだわっておられるようです。
そこがこちらの意図するところとは違うのです。
東区のみにこだわるなら、ワシはやるつもりはありません。
「また来てください」とは言われましたが…。

実はその辺りのバトルがオンエア中にありましてね。(ま、ワシの仕切りで上手く乗り切ったけど)
「あびマス」はその辺りも怒っておるのです。
だから「打ち合わせしてくれ〜」と事前に何度も何度も言ったのに、って訳。

さて、十二軒(宮の森)問題なのですが、大変遅くなりました。
特にkさん、お待ちでしょう。
恐縮しております。
次レスにて。
117牛鍋蝸牛:2003/08/22(金) 11:07:00 ID:PLV9XXCQ [ N045016.ppp.dion.ne.jp ]
昨日、「琴似町史」(昭和31年)と「札幌市史」(昭和33年)を借りてきました。
あ、「新札幌市史」ではなく、「札幌市史」です、念のため。
政令指定都市に移行の際、なぜ「宮の森」が中央区に編入されたのかに関しては、年代が違いますので当然これらには出ていません。
他にもこの件について探したのですが、見つけられませんでした。
それでも、限られた資料から仮説を立ててみたのですが…。

「十二軒」(宮の森)という地域、本来は「琴似町」です。
なのに、「琴似町」では扱いが悪かった、あるいはあまり相手にされていなかったのではないかと思われるのです。
いや、言葉は悪いのですが、ご勘弁願いたい。
「琴似町史」には入植当時の「十二軒」の記述はありますが、なぜか「宮ノ森」に関してはほとんどない。
他の地域に関してはかなりの紙面を割いているのですがね。
なにしろ「琴似町」ってぇーのんが、以前にKさんもおっしゃっておられたようにとても広かったわけでして。
まずは、こちらをご覧戴きたい。
(161さんとこ借ります。元気〜?)
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0046.jpg 
広いんだよねぇ〜。
「篠路」、「新琴似」、「発寒」から「盤渓」まで「琴似町」だったんです。<つづく>
118牛鍋蝸牛:2003/08/22(金) 11:08:00 ID:PLV9XXCQ [ N045016.ppp.dion.ne.jp ]
「宮の森」(宮ノ森)は、今でこそあ〜ですが、言ってしまえば山際にへばりついた狭い地域です。
その後ろは「三角山」であり、「小別沢」であり、「盤渓」であり「硬石山」であり…。
「宮の森(十二軒)」は「スレも立たないマイナーな地名in琴似」だったのかも。

前スレの#271 http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/9_log.html#271 でKさんが、「札幌の向陵中に当時『琴似町』であった『十二軒地区』(昭和18年から"宮ノ森")から通っていた」と述べられておられましたが、なぜ「琴似町」の子ども達が札幌市立の向陵中に越境していたのか?
「琴似町史」の「教育」の項を読みますと、これもなんとなく分かって来たような気になります。
その「中学校教育」の「琴似中学校」には、
「占領軍統治下ではその政策に批評や意見を加える事は許されないだろうという無定見な執政家の安易な考えから、推しつけられるままに新学制六三制は命令一本で、実施機関の全国町村は、敗戦下の不自由な経済状態の中で大きな負担を負わなければならなかった。新琴似中学校とてその例にはもれるものではなかった」とあります。

以下、要約。
「琴似町は苦しい財政の中で旧青年学校を仮校舎とし、不足教室は小学校の一部に割り込んで、琴似、発寒、新川の一部を通学区域として新教育の発足をみたが、二年で教室が不足、二十四軒東を第一候補としたが、この地は重要な農耕地であったため、地元農民の猛烈な反対にあい現在の位置に決定した」
やっとこ出来た「琴似中学校」は、現在の「西区山の手4条2丁目」。
「琴似町」は、もうひとつ「新琴似中学校」を同じ理由で、苦労して建てました。
これで町内の中学校はめでたく二校と…。<つづく>
119牛鍋蝸牛:2003/08/22(金) 11:10:51 ID:PLV9XXCQ [ N045016.ppp.dion.ne.jp ]
んにゃ。
あまり、めでたくない。
そもそも、とんでもなくひろ〜い「琴似町」に中学校がふたつしかない!
たったふたつ…。
通学大変だよなぁ。
特に困ったのが、「盤渓地区」。
元来、ここは「琴似中」の校区なのですが、ここからの通学はこりゃ大変。
ということで、「盤渓小学校」の中に「琴似中学校盤渓分校」を開くわけです。
通学区域は小学校と同じく、「琴似町字盤渓」、「小別沢」、そして「十二軒」の一部。

ん!?
「十二軒」の一部?
ってことは、「十二軒」の一部以外の子どもはどこに行ったのでしょう?
やはり、「琴似中」だったのでしょうか?
でも、もっと近い所に中学校があるじゃないか。
そう、それが「向陵中」だったのはないでしょうか?
しょうがなく、例外的に認めたのでは?
それと収容人員の問題もあったのかもしれません。<まだ、つづくっと…>
120牛鍋蝸牛:2003/08/22(金) 11:13:06 ID:PLV9XXCQ [ N045016.ppp.dion.ne.jp ]
急遽"押し付けられた"六三制のため、財政はどこの自治体も苦しかったと思われますが、札幌市では、
「昭和二十三年五月札幌市立中学校新築期成会が発足し、市長を会長とし約三千五百名の委員を以って組織され、市内各出張所区域毎に分会を設け、その寄附金募集し、目標額二千万円を三期に分つて募集するもので、これが新中校舎の建築費にあてられた」そうです。
それに、昭和30年頃、札幌市には公立中学校だけで16校、私立中学校も7校ありあました。
(以上、『札幌市史 文化社会編』より)
円山周辺には他にもわが母校である「啓明中」がありましたし、妄想ですが、「向陵中」には余裕があったのかもしれません。

これが、「十二軒」から札幌への越境通学の理由ではないか、と思われるのですが、いかがでしょう?
ところで、Kさんはなぜにして「豊平」から「向陵中」へ通われていたのでしょう?
「札幌市史」(昭和33年)の「中学校一覧」には「豊平」の住所では「豊平八の十三」の「八条中学校」しか載っておりません。
しかも、同校は昭和30年に出来たようです。
「豊平」も中学校不足だったのでしょうか?
もしそうなら、やはり「向陵中」には余裕があったと、こうなるのですが。<ごめん、まだつづくんだよね>
121牛鍋蝸牛:2003/08/22(金) 11:20:11 ID:PLV9XXCQ [ N045016.ppp.dion.ne.jp ]
さて、「琴似町中心部」からちょいと離れた「十二軒」。
あまり面倒見てもらえなかった「十二軒」。
学校も札幌ですし、友達は札幌市民がほとんど。
住民にとっては「琴似町」よりも「札幌市」に愛着を感じても不思議ではない。

これからものすごく、はしょっちゃいます。
え〜、政令指定都市移行の際、広すぎる「旧琴似町」をそのまま区とするのには問題がありました。
で、校区も「琴似町」とは縁がなかった「十二軒」(宮の森)は、札幌の会社のお偉いさんも多く住み、「琴似町民」としてよりも、「札幌市民」としての意識が強かったのではないでしょうか?
故に、住民としても区制定の際に、「中央区」への編入を歓迎し、「旧琴似町」も強くは反対しなかった。

どうだろな〜、こんな妄想…。
反証に耐えうるかな〜?

そうそう、「琴似町」と「札幌市」境界線の一部が妙に幾何学的だ、ということについて、また妄想しちゃいましたので、あとでね。
(ふ〜、やっと、クラプトンのチケット取れたよ〜)
122k:2003/08/22(金) 14:25:54 ID:xAuquDQQ [ customer71-242.mni.ne.jp ]
>>120 牛鍋蝸牛様
私が「豊平」から向陵中へ通った理由。 向陵に在学中に桑園から豊平に転居
したのです。そのとき、転校の手続きをしなかったからです。
その当時、豊平地区にはまだ八条中はなく、この地域の中学生は幌東中へ通っ
ていました。
それにしても涼しい夏が、ここへきてやっと暑くなりましたね。
123東区在住:2003/08/22(金) 21:35:18 ID:e2X8TW.Y [ m205.218-225-215.megafit.me-h.ne.jp ]
牛鍋蝸牛様
あうう。私の操作ミスが録音ミスの原因です。大変申し訳なく思います。
聞きたかったです。
あび、とはどちらでしょう?過去ログに載っていますでしょうか?
12軒レポ乙です。
目を皿のようにして読ませていただきますm(__)m
余談ですがうちの母も向陵中卒で、当時は大通西16丁目に住んでおりました。
今年で50歳です。

今日林檎の碑を見学に行きました。
その裏手(公園側)に謎の建物があって思わず激写してしまいました。
木造のちょっと土に埋まった感じの建物です。
田舎に行くとよく見るのですが、あれは何に使うのでしょうか。
そしてなぜ土中に埋まっているのか・・・謎です。

スレ名と関連が薄いのでsage
124なまら名無し:2003/08/22(金) 23:06:53 ID:bv4MA/zI [ EATcf-510p245.ppp15.odn.ne.jp ]
琴似村の地図萌えー。
他の現札幌市の町村の地図とかネット上にないのかな。
探しても見つからない・゚・(ノД`)・゚・。
125西創成:2003/08/23(土) 00:32:54 ID:DGj26wBA [ i101083.ap.plala.or.jp ]
いやはや、不肖西創成。
甲状腺肥大による、ホルモン過剰により、体の諸症状悪化(特に脈が、朝晩かまわず100前後もある)により、ここのところROMすらしておりませんでした。

牛鍋さんの放送も知ってたら、こちら南区ながら「さっぽろ村ラジオ」さん、感度ばっちりなので聞けたのに…残念。

おいおいレスについてゆきます。
126ヘリトンボ:2003/08/23(土) 00:51:21 ID:p.ht5i6Q [ m020079.ap.plala.or.jp ]
あぁ・・・、おらも牛鍋蝸牛さんのラジオ聞きたかった (;´д⊂ヽ
127牛鍋蝸牛:2003/08/23(土) 07:41:16 ID:wwd6YEzk [ N047236.ppp.dion.ne.jp ]
…ということで、本スレの住民の方でアノ放送を聞いたかたはおられないようです(w
聴取人口って何人くらいだったんだろ〜?
いいとこ、全市で100人くらいかな?
本スレの閲覧人口の方が多かったりして…。

Kさん。
ワシも小学校の時、越境して通学していました。
Kさんと全く同じ理由です。

東区在住さん。
「らーめん あび」は「林檎の碑」のすぐ近くです。
http://ramen.dip.jp/shop_info.php?702 をごらんください。
なお、この写真もワシが撮りました。
>>123「田舎に行くとよく見るのですが、あれは何に使うのでしょうか。そしてなぜ土中に埋まっているのか・・・謎です」
あれは、肥溜めじゃないのかな?
土中に埋まっているんじゃなくって、雨水が入ると"中身"が薄まるので、屋根だけのせているのだと思います。
さすがに今は使っていないだろうけど。

>>124
札幌の昔の地図ってのはネット上ではないと思います。
町村ではなく札幌全図ですが、最近入手したものが数種類ありますので、後ほど161さんの所をお借りしましてアップします。
「開拓使札幌県時代の懐古図」他、明治26年から昭和11年までのもの等。
気長にお待ちください。

西創成さん。
浅学のため、ご病状詳しくは分かりませんが、大事になすってください。
このところ、気候の変化も大きいですしね。
128なまら名無し:2003/08/23(土) 10:42:11 ID:zeqiHuLY [ r006132.ap.plala.or.jp ]
かたつぶりさんがどんな経緯でラジオ出演になったのかそっちのほうが興味あるな。
129新川番地:2003/08/23(土) 11:47:28 ID:XGKTQgCA [ p7232-ipad13sapodori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
録音してなかったのですかー
聴きたかったのになぁ

あびでマスターに聞いてみますね
13018丁目@本村:2003/08/23(土) 19:19:49 ID:9GGGGaBw [ p5120-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
あびの夫婦揃ってべた褒めでしたよ。
牛さん、ネット上で会話を再現してくれないかなと思ったんです。
でも、かなりめんどくさいでしょうから、どうしてもとは言いません。
気が向いたらで良いです。
なんか暑い日が続きますね、カフェーで飲んできます。

十二軒の話、学区からの考察は意外と斬新で面白いなと思いました。
そう言えば、以前桑園関係調べたときに、向陵中が出来る前は桑園地区の人は
北辰中(現北区)に通っていたとあって、昔は学校通うのも遠くて大変だなと
感じていました。
サムライ部落の時の、一条中学校の話もありましたし、昔石山高校ってのもあったん
だな、とか啓明、開成、光星なんかは準地名的扱いになっていたり。
学校と地名についての考察は結構面白いと思います。
131m:2003/08/23(土) 19:34:12 ID:ee5YYmGA [ p8184-ipad26sapodori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
>>130
ご無沙汰してます。最近はROMってました。
桑園には中学校が無いですからね。ちなみに私は西区の陵北中へ
越境してました。距離が結構あって大変でしたね。
桑園小卒業同期はその陵北と向陵、それと西13丁目以東は中央と
バラバラになりました。
うちの親父はまだ陵北が無かったので向陵に行ってたようですが
その妹(叔母)は今は無き陵雲(今の大通小)に通ってたそうです。
この陵雲中っていつからいつ頃まであったんでしょうかね?
132牛鍋蝸牛:2003/08/23(土) 22:20:32 ID:0aZpDpT2 [ N045117.ppp.dion.ne.jp ]
常連さん続々登場ですね。
たまには変わったことするのも一興ですねぇ〜。

>>128
いえ、大した経緯ではありませんです。
「さっぽろ村ラジオ」は「あび」の裏にあって、そこの代表とか労働者諸君がラーメンを食べに来ていた。
「あびマス」は代表者のS氏から、何か面白い企画は無いかと常々言われていた。
あびマスと20年来の付き合いのワシは、実地調査の後同店に立ち寄り、厄除けのためラーメンを食しながら(毒をもって毒を制す)、本スレ、実地調査のこと等を話していた。
あびマスはS氏にこういうヤツがおるのでどうだろ〜?と話をして、ワシとしてはあびマスの顔を立てる意味もあり、とりあえず出演するということになった。
こんな具合です。
(ワシとあびマスの知人の娘さんが同局でレギュラーを持っておるということもあるけど、これはほとんど関係ない)

さきほど、「さっぽろ村ラジオ」のパーソナリティより電話ありました。
9月の予定の件でした。
放送するとしたら木曜日なのですが、9月は休みが無いので無理と言っておきました。(冷たい対応)
えー、今後放送をやるとしても、最低限のすり合わせが必要とワシは思っております。
でも、きっと、それすらやらせてもらえないんだろうな〜。
この前の放送はどうやら上手くいったようだけど、実は先方との温度差を激しく感じておるワシなのです…。
133牛鍋蝸牛:2003/08/23(土) 22:22:55 ID:0aZpDpT2 [ N045117.ppp.dion.ne.jp ]
閑話休題(さて、本題に戻りましょう)。
「旧琴似町」と「札幌市」の境界線の件です。
現在の「北4条30丁目」、「北3条西20丁目」、「宮ヶ丘3丁目」と「宮の森」が接するところが地形や道路を無視した形で幾何学的に引かれているという、ま、このスレじゃなきゃ誰も気にしないような、とっても重大な問題。
でですね、実に遅まきながら元を正せば、ここは「琴似村」と「円山村」との境界線であることになんと、先ほどやっとこ気がつきました。
このことに何で今まで気がつかなかったのでしょうや。トホホ。

「琴似町全図」http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0046.jpg によりますと、現在の「山の手通」より北は、自然に「琴似川」を境界としています。
そしてその南西側が、丘陵地帯まで直線になっておるのです。
ここが問題の部分なのですが、この丘陵地帯は「円山動物園」の西側の丘です。
「円山西町」側から見た丘の画像です。(ワシの後ろが円山動物園)
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=686 

境界は丘の頂上を貫き、「幌見峠」を通過します。
どうもこう見ていくと、「幌見峠」から「円山西町―宮の森丘陵頂上」を結ぶ線と、「琴似川」から降りてきた線をただ、単純に直線的に結んだ線が、問題の境界線ではないかと思えるのです。
実はこの境界線、明治29年頃の地図で、すでに引かれているんですねぇ。
ということは、
「琴似村と円山村の境界? どうせ大した人もいないんだから、こことここ結んじゃえ〜」ってな感じで引かれた境界線だったのではないかな、と思うのですがいかがでしょうか?
いずれにせよ、100年以上も前に引かれた、あまり現実にマッチしているとはいえない境界線がいまだに生き延びていているというのは、興味深いものがあります。
こういうものにワシは感動する(うるうる)。

…と、ここまで考えてきて、なぜ政令指定都市移行の際に「宮の森」が中央区に組み入れられたかに関して、また新たな妄想がむくむくと湧いて出てきたのですが、それはまた後日ということで…。
134牛鍋蝸牛:2003/08/23(土) 22:32:52 ID:0aZpDpT2 [ N045117.ppp.dion.ne.jp ]
もう寝なきゃいけないんだけど…。
>>131 mさん。
「陵雲中」の設立は昭和29年4月とのことです。(札幌市史 文化社会編)
無くなったのは〜、ちょっと調べるヒマありません。
じゃ〜。
135:2003/08/24(日) 14:10:46 ID:bI2vgjTE [ YahooBB218121236119.bbtec.net ]
みなさんはじめまして。普段はROMってばかりのsと申します。

陵雲中は昭和40年にはまだありましたから、消えたのはそんなに昔ではないようです。
136k:2003/08/24(日) 17:32:43 ID:loJgCa22 [ customer71-242.mni.ne.jp ]
終戦後の新学制は、昭和22年からはじまりました。そして、その年の3月に桑園
小学校を卒業した人ちたが、北辰中へ進学したわけです。向陵中はその翌年の
昭和23年4月に開校したので、桑園地区から北辰へ通っていたのは1年だけです。
同じく円山小を卒業した人たちは一条中へ通っていました。
昭和23年度のはじめから向陵中は発足したとはいえ、桑園、円山の両小学校での
二部授業(小学校の低学年のこどもたちがかえったあとの午後からの授業)であり、
校舎の落成はその年の秋になってからでした。私がこの向陵に入学したのは、実
は、この翌年、昭和24年であり、向陵でははじめから現在の場所での独立校舎で
した。
とにかく、昭和22年に独立校舎をもっていた中学は市内には、北辰、柏、一条の
三校しかなく、旧制の中等学校から市立校であった、中島と啓明と併せて5校で
スタートしています。
当時中学は市内にこれしかないわけで、各地に中学校へき地ができてしまったわ
けです。円山・桑園地区がその一つでした。
何か大変とりとめがなくなってしまいましたが、新学制発足当時の事情について
私の承知している範囲で、記してみました。
137なまら名無し:2003/08/24(日) 18:08:42 ID:jucdbgOs [ 12.2.244.43.ap.livedoor.jp ]
陵雲中事件 詳しく知っている方 教えて下さい。
138牛鍋蝸牛:2003/08/24(日) 22:10:07 ID:GZSs1j5I [ N045117.ppp.dion.ne.jp ]
「陵雲中」に関しては、http://www.odori-e.sapporo-c.ed.jp/ayumi.htm 
の昭和44年のところにその名が…。
「大通小学校」になっちゃたんだね。(ここも今度は資生館小)
>>135のSさん(初めまして)のレスから推測しますと、昭和41年から同44年頃までの間に「陵雲中」は廃校になったということらしい。
都心部の小中学校って、決して短いスパンではないにしろ、なんだかんだの改変が多いですなぁ。

さて、>>133での「宮の森中央区編入にまつわる新たな妄想」。
これから述べる妄想は、校区(学区)からの考察に付け加えるものです。

この件、こうも言えないでしょうか。
もしかして、札幌市が政令指定都市に移行する、つまりは区を設定しなければならなくなった時、昔の「琴似村」と「円山村」の境界線まで遡るあの住所区分線は、ちょいと問題になったのではないか?
地形によってでも道路によってでもない、図面上でしか確認できないあの線で「西区」と「中央区」の境界を区切ったとして、はたしてそれでいいもんだろうか、と…。

悩みに悩んだ(かどうかは知らないが)その結果、
「この際、もっと分かりやすいところで区切ろうよ」
「そうだよな。いまさら琴似村だ、円山村だもないもんだしなぁ」と、こうなったのではないか、と…。
「なら、旧町村の境界にこだわらずに、現櫃的に面積や地域性、住民の意識や生活習慣、学区割などを重視して区切ろうや」、と。
で、西に寄った現在の境界(宮の森−山の手ライン)と相成った、と。
めでたし、めでたし、と。
どう?これ?

旧市街図のアップは少々お時間を…。
139東区在住:2003/08/25(月) 09:27:44 ID:JTugFZZA [ m205.218-225-215.megafit.me-h.ne.jp ]
牛鍋蝸牛様
らーめんあびの詳細ありがとうございます
子がもうちょっと大きくなったら行きます。
まだラーメン食べれないので・・・

あの建物は肥溜めですか・・・
写真撮っちゃったのですがなんか悪い事をした気分です(w
ちなみに画像はこちら→http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/2814/rekisi/ringo.htm
草に埋まってしまってて何がなんだかよくわからない画像ですみません。

もうひとつ、私、ウソを言っていました(反省
母に中学のことをたずねると
向陵ではなく陵雲だ、と指摘されました。
昔の写真などを今度見せてもらう予定です。
ちなみに母の弟(41歳)母の妹(43?才)は啓明中卒でした。

西創成様
もしかして・・・女性がよく罹る目が出る病気でしょうか?
お大事にして下さいm(__)m
140k:2003/08/25(月) 15:30:37 ID:0AR5UDqY [ customer71-242.mni.ne.jp ]
>>133 牛鍋蝸牛様
遅くなりましたが、琴似町の地図、まことにありがとうございました。このところ
急に気になりはじめていた旧琴似町の北端がどうなっていたかという課題、一応解
決ということになりました。新琴似はもちろん、現在の屯田の一部も琴似町だった
のですね。
さて、この地図ですが、山の手の香蘭女子高が記されおり、昭和30年以降、札幌市
との合併寸前のころのものと推測されます。
ほんとうにありがとうございました。
141牛鍋蝸牛:2003/08/25(月) 22:15:38 ID:iLjqs6Kc [ N045117.ppp.dion.ne.jp ]
おい、ちょっと待てよ。
東区在住さんのおじさま、おばさまは「啓明中」の卒業生であらせられるわけだよね。
お年を拝見するとワシの後輩になられるわけである。
で、お二人は東区在住さんのご母堂の弟さん、妹さんに当たられるんだよね〜。
ちゅ〜ことは、東区在住さんのお母様って、もしかして、ワシと同じくらいのお年なのかいな!?
で、東区在住さんには、まだラーメンを食することが出来ないにいしろお子さんがおられるわけだ。
ちゅ、ちゅ〜ことは…。
ワシって、お爺さんになっていても不思議では年齢なのきゃ!?
(見た目は三十代のはずなのだが…)

>>140
Kさん。
先だって書き込みましたように、他の年代の札幌を描いた地図をアップする予定です。
明日から3日間休みなので、おそらくは明日辺りにでも。
>>124さんも、明日ですよ〜。

今日は疲れたので寝ます。
左耳見に水入って三日目の牛鍋蝸牛でした〜。
142東区在住:2003/08/26(火) 08:28:56 ID:uYDYKc6o [ m205.218-225-215.megafit.me-h.ne.jp ]
牛鍋蝸牛さま
お休みとの事でゆっくりお休みくださいませm(__)m
耳の水は放置すると内耳炎になりますので
ティッシュをちぎって極細の紙縒りを作ってそっと差し込むと水が紙縒りに染みて
耳の水が取れると思います。くれぐれも「そっと」お願いします。

ええと、母は50歳です。
昭和28年生まれ(早生まれなので同級生はみな27年生まれだそうです)
でも見た目と本人のこだわりは38歳だそうです。
ばーちゃんとは呼ばせてくれないです。
父は64歳です。正真正銘じーちゃんです。

ではこれから牛乳を買いに行ってきます。
143牛鍋蝸牛:2003/08/26(火) 10:15:16 ID:fUj./F6c [ N045117.ppp.dion.ne.jp ]
札幌の歴代地図(札幌市史より)アップします。
161さんの"うPろだ"お借りします。(アップ順、しくじったのでご了承願います)

開拓使札幌県時代の懐古図http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0047.jpg
明治26年http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0050.jpg 
明治44年http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0051.jpg 
大正15年http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0052.jpg 
昭和11年http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0048.jpg
144ああ:2003/08/26(火) 10:21:25 ID:fF.GrRys [ FLA1Aaa063.hkd.mesh.ad.jp ]
北広島のすれないな
145k:2003/08/27(水) 16:10:27 ID:pNvFFmwk [ customer71-242.mni.ne.jp ]
牛鍋蝸牛様
札幌の歴代地図をご提供いただき、まことにまみとにありがとうございました。
特に昭和11年版、私の記憶の原点ともいうべき内容、ほとんうになつかしく拝
見しました。これを見て気づいたこと、札幌市と旧円山村との境界、西20丁目
の線、などという単純なものではなかったのですね。まあ、この方が、例の十
二軒と札幌市との間の「幾何学的」な境界よりも自然だと思うのですが。
それから明治44年版、石山と札幌を結んでいた馬車軌道、札幌側の終点がよく
わからなかったのですが、札幌駅前までのびていたことが、これで確認された
ことも、私にとっては大きな収穫でした。南一条の西11丁目が終点だったとも
聞いていたのですが、もしかしたらそういう時期もあったのかも知れません。
いずれにせよ。ほんとうにありがとうございました。
146ヘリトンボ:2003/08/27(水) 22:46:03 ID:lP5M.Kpw [ i151027.ap.plala.or.jp ]
>>143 牛鍋蝸牛さん
おおお・・・。
これは素晴らしい。
うPお疲れサマです。

昔の札幌萌え!!
147牛鍋蝸牛:2003/08/27(水) 23:05:41 ID:3YA9wvCM [ N045150.ppp.dion.ne.jp ]
>>145-146
歴代の地図ですが、スキャナーでの取り込み設定とPhotoshop Elements2でのレタッチがヘタクソでした。
細かい文字が見えにくいと思いますでの、現在、改めてアップするべく努力中です。
"うPろだ"の容量の問題もありますので、どこら辺りが適当か探りながらですが。
何れにせよ、もっと見やすい資料にしたいと思いますのでお待ちください。

その前にちょっと外に行って火星を探してみます。
双眼鏡、双眼鏡…。
148牛鍋蝸牛:2003/08/28(木) 03:17:28 ID:nWpEV23Y [ N045150.ppp.dion.ne.jp ]
う〜ん、PC画面で"資料として使える地図"を目指し、色々試しました。
しかしながら、スキャナーの解像度(容量)とアップの関係で壁に…。
鑑賞に耐えるサイズとしては、一枚当たり1MB程度は必要なことが分かりました。
それ以下だと、表示自体を大きくしても文字や線がきれいに出ません。
A4に印刷して使用するにも1MBは必要。
(紙のサイズが小さいから、ディテール見るにはルーペは要るけどこれならOK)

161さんの"うPろだ"はもう5MBの容量を越えているようですし、Web上ではツライ。
記録メディアでの受け渡しって手もありますが、大事になるので…。
ま、疑問があれば、こちらでお教えしますので言ってきて下さい。
149牛鍋蝸牛:2003/08/28(木) 10:55:36 ID:nWpEV23Y [ N045150.ppp.dion.ne.jp ]
皆さん、161さんから朗報です。
161さんが他にレンタルサーバーをお持ちとのことですので、歴代の札幌の地図(詳細版)アップできそうです。
でもちょっと、問題が…。

161さん、こちらの返信メール届いていますでしょうか?
二度送ったのですが
"This Message was undeliverable due to the following reason:"
のエラー通知がきております。
(なお、このメールには地図データ添付しておりません)
レスいただきいのですが。
150牛鍋蝸牛:2003/08/28(木) 21:58:44 ID:nWpEV23Y [ N045150.ppp.dion.ne.jp ]
161さんからのレスはまだのようですが、さっぽろ歴代地図の準備は完了いたしております。
レス来次第、161さんにデータ送信する予定です。
モノクロの地図ですのでファイル形式をJPEGからGIFに変更しましたら、かなり容量も少なく出来ましたが、それでも全部で3.79MBもあります。
分割しておくるつもりです。
試しに、自分のところに送ってみたら分割された11のメールが"合体"するのを目撃できました。
感動しました。

スキャンの際、裏写りの防止のため白い厚紙を挿入したり、四十余年の皺を伸ばしたり、5枚の取り込み条件を揃えたり、取り込んだ画像の明るさやコントラストを修正したり…。
ただでさえ面倒なことを5回繰り返さないければならないのでなかなか大変でしたが、勉強になりました。
では、おやすみなさい。
151牛鍋蝸牛:2003/08/30(土) 09:10:39 ID:qvuGQYqw [ N045150.ppp.dion.ne.jp ]
マイナー地名好きのみなさま、おはようごぜぇやす。
レス付かず、かなり下がりましたねぇ〜。
アンド、161さんへのメール、昨日もハネられました。
ま、ジタバタせずに気長にお待ちするとします。
"うPろだ"の方は整理がついているようですし…。

とりあえず解像度の低い画像で見ていただくしかないのですが、
「開拓使札幌県時代の懐古図」 http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0047.jpg 
で、「円山地区」に「重兵エ沼」というのが見えるでしょうか?
「界川」が「琴似川」へと続く途中にあります。
その後の「円山北町」に当たるところです。
現在はKさんが述べられておられたように、「円山北町」は条丁目になってしまっておりますが。

先日「円山北町」に実地調査に行ってきました。
別に特別、目的があってのことではないのですが、現状を見たいと思いまして。
その時、ワシは「重兵エ沼」は「開成中」の辺りにあったと思っておったのですが、一昨日、地図上に作図してみたところ「北3〜2条西26丁目」辺りのような気がしてきました。
「宮の森スポーツクラブ」の東側ですね。
先日の調査ではここをスルーしてしまいました。
失敗です。
で、ここの道路は妙な形をしているのですよ。
これははたして?
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=688
152なまら名無し:2003/08/30(土) 11:55:25 ID:/VaKq9vc [ m205.218-225-215.megafit.me-h.ne.jp ]
牛鍋蝸牛様
地図Upありがとうございます。
宮の森にはまだまだ謎がいっぱいですね。

地名に関してこんなページを見つけました。ガイシュツでしょうか。
ttp://homepage2.nifty.com/folk/bunko/001.htm
153牛鍋蝸牛:2003/08/30(土) 12:45:49 ID:qvuGQYqw [ N045150.ppp.dion.ne.jp ]
>>152さん。
あれ? もしかして、東区在住さんかな?

ttp://homepage2.nifty.com/folk/bunko/001.htm 
「札幌浪漫堂」ですね。
ここは以前、「★札幌フォークロア・シティ」のサイトだったはずですが、どうやら名前が変わったらしいです。
ttp://homepage2.nifty.com/folk/ が入口です。

生意気な言い方ですが、ここ、暫く見ないうちにかなり充実してきておりますです。
前に、ここの管理人さんに連絡とって本スレのことをご紹介したいな、と思っておったのですが、当時はまだまだここの充実度も低かったので、遠慮しておりました。
最近はかなり内容が濃くなった(なり過ぎ?)ので、「札幌浪漫堂さん」にもご連絡差し上げても失礼ではないかな?とも思います。
出来れば参加していただきたい。
ワシからというのは、おこがましいのでどなた様か、奇特な方がいらしたらお願いしたい所ですね。
(と、ふっちゃう…)
 
さて、先ほど161さんからメール来ました。
携帯からなのですが、161さんがお宅を空けられた木曜日、家人の方がPC使用中に、突然ネットにつながらなくなる状況に陥ったそうです。
で、現在も復旧していないとのこと。
ワシも調べてみたのですが、「ぷらら」の障害ではないようですね。
ということで、「さっぽろ歴代地図5枚シリーズ 詳細版」のアップには暫くお時間がかかるようです。
期待を持たせるようですが、PC上でこの地図見るとそりゃ〜もう、タイムスリップしたような気分になりますこと請け合い!
あの当時のあんなものや、こんなものがぁ…。
なんたって、原版よりも見易いし、大きいんだから〜。
あ〜、早く直らないかなぁ。

あ、今またメールが…。
スタンドアローンPCの悲哀を感じながら、161さん奮闘中とのこと!
154なまら名無し:2003/08/30(土) 12:53:49 ID:kQ49grbk [ nthkid036060.hkid.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp ]
>>151
それにしても、この地図見ていると、そこに描かれているメムや河川を生かす
街づくりがされたなら、どんなに潤いある都会になっていたか想像して、
残念な思いが強くなってきます。
155なまら名無し:2003/08/31(日) 07:29:47 ID:3cNqqxiw [ i111076.ap.plala.or.jp ]
突然ですが、何かの本でわたしのふるさと浦河の名のついた通りが
あったそうですがどの辺にあったかわかります?
ほかにも岩内通りとか江差通りとかあったのでしょうか。
156k:2003/08/31(日) 11:25:48 ID:hqrxsRAk [ customer71-242.mni.ne.jp ]
浦河通りとは、東2丁目通りのことです。明治の昔にはほかにもいろいろあった
ようですが、昭和20年代まで残っており、私がリアルタイムで聞いたことがある
のは、この浦河通りだけです。北の方についてそのように呼ばれたかどうかはわ
かりませんが、南一条から南五条にかけては浦川通りと呼ばれていました。
157k:2003/08/31(日) 19:10:47 ID:hqrxsRAk [ customer71-242.mni.ne.jp ]
#156 四行目
浦川通りは浦河通りの誤り。お詫びして訂正します。
158牛鍋蝸牛:2003/08/31(日) 21:06:31 ID:/CnlbKUM [ N045150.ppp.dion.ne.jp ]
>>154
最近、水辺の重要さに気がついて、海岸線を含め、景観を元の自然な形(のよう)に戻す計画が全国各地で立ち上がっているようです。
しかし、札幌において完全に消えてしまった川などはもういかんともしがたいわけで、ひたすら想像を豊かにするしか道はありません。
各々の方の、パラレルワールドならぬ、"パラレルサッポロ"を思い浮かべて今夜も夢路へと…。
(+.+)(-.-)(_ _) ..zzZZ



おっとっとっと!!
>>155-156
このこと、実は以前に出ております。
つまりは既出ということで。
「その四」の#153-154
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/4_log.html#153
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/4_log.html#154
で、18丁目さんとワシが述べております。
では、改めて、「星霜1北海道史」(北海道新聞社)から拝借した画像を…。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=289 
(え〜各出版元の皆さん、ここで紹介しますと、間違いなく本売れますから大目に見てやってください。皆も買うようにね!)
159東区在住:2003/09/01(月) 20:22:41 ID:AO8nG4mE [ m205.218-225-215.megafit.me-h.ne.jp ]
牛鍋様
152=東区在住です。
間違って名無しにしてしまいました。
すみませんです。
入り口教えていただいてありがとうございました☆

まったく話は飛びますが、狸工事の調査はもうお済みでしょうか?
10丁目にある「ひょうたん小路」の由来を知りたいですが
Webで検索しても出てきませんでした。
謎が多い狸小路。実は先ほどひょうたん小路に行ってまいりましたが・・・
画像が無いのでsage
160牛鍋蝸牛:2003/09/01(月) 22:11:41 ID:O1TxIDuc [ N045150.ppp.dion.ne.jp ]
「重兵ェ沼」跡には近々に行って見ようと思っています。
しかしながら明治26年の地図ではすでにその姿がない"沼の跡"ですので、たとえば亀が頭をもたげて自慢げにのたくっているとか、サギが翼を休めて「私は鶴よ」な〜んて言っているとか、そんなわけもないのですが、最近この附近に引っ越してきた友人(人妻)によりますと、ここにもカモメは来るようですな。
カモメの鳴き声聞いていると、気分はリゾートで、カンパリソーダなんか飲みたくなるそうですよ。

閑話休題(アホ話はこのへんで…)
なにはともあれ、「重兵ェ沼」の跡の奇妙な道路に関しては、実地調査の結果を待っていただきたい。
なんであ〜なのか、沼と関係あるのかないのか…。
あ、もしなんであれば、この調査権をどなたかにお譲り、もとい、差し上げてもよろしゅうございます。
もしか、我こそはとおっしゃる方がいらっしゃれば、調査していただきたいと思います。
でも、アアスファルトで固められ、マンションなんぞが林立するこの辺り、なかなか難しい調査であることは否めませんな。

そして、関連ではありますが、札幌の湖沼に関して、
開拓使札幌県時代の懐古図http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0047.jpg
明治26年http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0050.jpg 
明治44年http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0051.jpg 
大正15年http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0052.jpg 
昭和11年http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0048.jpg

の歴代地図(おおまか版)を見ますと、円山地区にもう一ヶ所、まるでアメリカの五大湖のように点在する水辺がございますな。
ま、実際には四つしかないみたいだけど…。

この水辺のうち、ブーメランような形をした一番南側の池(沼)は、昭和11年の地図を見ますと「三井クラブ」の敷地に取りこまれたようです。
実は「三井クラブ」って何度も「さっぽろの昔話」(郊外繁盛記)に出てくるところでして、ワシ、ずっと今のどこら辺に当たるのかと思っておりましたところ、なんとなんとこれは…。

さ、「三井クラブ」は一体、今のどこに当たるのでしょうかっ!
…って、昔、故・逸見アナがやっていたテレビ番組を思い出しつつ…。
16118丁目@本村:2003/09/01(月) 22:51:28 ID:V4sAHo2Q [ p5120-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
うん、三井クラブはこうらしいです。
http://www.city.sapporo.jp/chuo/profile/shisetsu/chiji.html
162牛鍋蝸牛:2003/09/02(火) 04:07:30 ID:T/nEpvLE [ N045150.ppp.dion.ne.jp ]
>>161
そうそう。
「三井クラブ」って、「現・知事公館」なんですね。
こんなサイトもありまして…。
http://www.pref.hokkaido.jp/soumu/sm-thsho/koukan/gkoukan.html 
「構内は、昭和47年3月、北海道自然保護条例(現北海道自然環境等保全条例)により、敷地のうち27,700uが『環境緑地保護地区』に指定され保護されています」。
なるほど…。
そして、
http://www.pref.hokkaido.jp/soumu/sm-thsho/koukan/pic.html では敷地内に池があることが分かります。
地図で見ると明らかに「ブーメラン池」の名残が…。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=689 
この池は現在も湧き水(メム)が水源なのでしょうか?

「公開区」(キムタクの本じゃないよ)というのがあるらしいので一度行って見たいもんです。
「道立近代美術館」から知事公館構内の「三岸好太郎美術館」へ抜けるって手もあるようですよ。
「三岸好太郎美術館」の駐車場は3台まで可で、なんと無料とのこと!
「近代美術館駐車場」(北1西18)もご利用いただけますよ。
ただし有料。
この際、芸術の秋(古くさい常套句)を気取って、美術館めぐり&メム探訪なんかいかがでしょう?
163牛鍋蝸牛:2003/09/02(火) 22:12:47 ID:T/nEpvLE [ N045150.ppp.dion.ne.jp ]
DNS障害中とのことで、ここにたどり着くのはなかなか面倒でありました。
やっと161さんのPCが復旧し、歴代地図のデータを送信したというのに、今度はこれだもんな〜。
今日は寝ます。
また明日。
164牛鍋蝸牛:2003/09/03(水) 02:57:41 ID:VxHrH7C6 [ N045150.ppp.dion.ne.jp ]
あいも変わらず、調子が悪い「まちB」。
それでもワシらは、ただひたすらおのれの仕事をこなすのみ…。

161さんが「さっぽろ歴代地図 詳細版」を協力サーバーにアップしてくださいました。
皆さん、161さんに拍手!!

こちらからどうぞ。
http://pernoi.chu.jp/chimei/chizu.html
165牛鍋蝸牛:2003/09/03(水) 20:35:57 ID:VxHrH7C6 [ N045150.ppp.dion.ne.jp ]
「まちB」不調の合い間を縫って欲しい本をネット検索していましたら、なんとなんと。
「新札幌市史 第一巻〜第七巻 (第五巻上下欠。つまりは6冊) 寄贈本受領者ゴム印有」を25,000円で売っているとの情報をゲット!
我旧軍もシャッポを脱ぐという、これぞ「災い転じて福となす作戦」じゃ!
早速、ブツを押さえておいて、「豊平区美園」の「文楽館」さんへ。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=691 

店のご主人、開口一番、
「安くてびっくりしたでしょう?」
ワシ、
「う〜ん、マンダム…」
とは言わなかったけど、そのとおりです。
確かに市価の三分の一というお値段です。
しかも、これ、古書店でも新本を置いて、定価で売ってたりするのですよ。

出所は受領者の印を見て(しかも受領証まで付いていたりするもんだ)、市内の某大学であることが判明しました。
札幌市から貰ったものを売っちゃった訳だ、これが。
なんたって、ゴム印等さえなけれれば、まっさらの美本なんだから。
おそらくは一度もまともには、つまりは読書するという意思を持っては、開かれたことがないのでしょうね。
6冊の本の声がワシには聞こえますよ。
…そうかい、そうかい、そんなにワシのところに来たかったのかい。
引越しかい、サカイだよ。

ワシが購入を決めた後に、別の方から電話があったそうです。
しかもその方、昨日一度電話をかけてきたのだそうですが、ゴム印の件と函が無いことに躊躇して返事を今日にずらしたらしい…。
そのスキにワシがいただいたって寸法だ。
まぁね、ワシは資料として使うつもりなので、ゴム印くらいは別になんともないのです。
というか、そういう曰くのあるものの方がスキだ!

ということで、強力な武器を手に入れた牛鍋蝸牛、今後もがんがりやす!
これ、証拠写真です。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=690
166菊水スレの人:2003/09/03(水) 23:42:48 ID:5iLrl.yk [ P136093.ppp.dion.ne.jp ]
>>164
昔の地図の件 引用させてもらいました
http://203.192.159.251/bbs/read.pl?BBS=hokkaidou&KEY=1054613927
167新川番地:2003/09/05(金) 20:12:06 ID:dV9yjLCs [ YahooBB219041108247.bbtec.net ]
あー忙しいっ
まちBBSはつながンないし

ぎゅうさん、12/7札幌ドームで会いましょうっ 私は1塁側よっ
俺は今猛烈に感動しているゥッ ECは神じゃあ〜

あ スレが違うな
失礼ブッこきました
168牛鍋蝸牛:2003/09/05(金) 21:15:34 ID:Vvxfn9BI [ N044170.ppp.dion.ne.jp ]
イチローの不調も気になりますが、「まちB」も相変わらず不調でして…。
なにやらドメインの割り当てが“浸透“するまで数日かかるそうです。

ま、全体に書き込みも少ないし、ごらんの方も少ないと思います。
ワシもこれはこれでいい機会と、地名調査研究をさぼっています。
この1年、ちょいと走りすぎたからね。
じゃ、今日もサボって寝よ〜っと。
(新川番地さん、ワシも一塁側です。実はチケットが一枚余っているのだけど…)
169なまら名無し:2003/09/05(金) 21:16:51 ID:ndquMdKw [ p15016-adsah09honb5-acca.tokyo.ocn.ne.jp ]
test
17018丁目:2003/09/05(金) 23:49:06 ID:H2Y9ad0k [ p8164-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
牛さん
そうドメインが浸透するまでですね。私また適当のこと言っちゃいましたねすみません。
171牛鍋蝸牛:2003/09/06(土) 00:01:54 ID:AxjM1HpU [ N044170.ppp.dion.ne.jp ]
>>170
いえ、メールで教えていただいた件、参考になりました。
“浸透”は他のレスでみつけた表現です。

なかなかドメインって浸透しないもんですね。
何日待てばいいのやら…。
普段使っている「Open Jane」が役に立たないので閲覧・書き込み自体が不自由ですし、住民の方が全員ごらんになっておられるのか分からないので、レスするにもなんともやりづらい。
とうことで、この際休養しようと思っているんですけど、気になってまた覗くだけ覗いちゃうという悪循環。
172牛鍋蝸牛:2003/09/06(土) 21:28:46 ID:AxjM1HpU [ N044170.ppp.dion.ne.jp ]
2chの初心者FAQを参考にさせていただき、ファイルの編集をしまして、「Open Jane」で再びブラウジングできるようになりました。
あ〜、これ快適…。
皆様の環境においての「まちB」閲覧の状況はどうでしょうねぇ。

さて、仕切り直しと行きましょう。
ちょっと興をそがれた間も否めませんが、これにめげずマイナーな地名の真実を探るのだ!

毎度の事ながら、161さんのご協力に感謝しまして、http://pernoi.chu.jp/chimei/chizu.html にアップ済みの「さっぽろ歴代地図 詳細版」についての反響はいかがかな?などと思っておりましたら、>>166菊水スレの住民さんが先に反応してくれました(W

えまぁ、この地図からまた新しいネタも発掘できることを願っておりますが、明後日、翌明後日休みなので、とりあえずは「重兵ェ沼」の実地(現地か)調査へ行ってきます。
というか、あのループになった変な道路の正体を探りたいのだ。

そうそう、「新札幌市史」はまだ全然手付かずの状態ですが、持っているだけでなんとなく満足〜♪
173伏古 ◆Dg0ESYv6y2:2003/09/06(土) 21:56:34 ID:AvTmH.m6 [ k121218.ap.plala.or.jp ]
蝸牛さん、新川さん、英会話教室に行かれるのですか。
くだらないのでさげ。
174東区在住:2003/09/07(日) 07:46:14 ID:6S26wn02 [ m205.218-225-215.megafit.me-h.ne.jp ]
金曜日から天人峡へ行ってました。
旭岳はもう冬の気温です。寒かったです。

牛鍋様
地図Upありがとうございました。
目を皿のようにしてあちこち見てみましたが
自分の実家のあたりの地図なのですごーく興味深く、
山鼻地区ってすごく広かったんだ、などと感銘しています。
牛鍋様と161様のお陰で貴重な地図を拝見できて光栄です。

まちBのURLが暫定的に↓こちらに変わるそうです。(2chメルマガより)
http://hokkaido.machi.to/hokkaidou/
175牛鍋蝸牛:2003/09/07(日) 21:38:50 ID:U69N3bVs [ N044170.ppp.dion.ne.jp ]
伏古さんのギャグに誰かぁ〜、ザブトン一枚。

さて、本格的に書き込みましょう。
もう皆さんお忘れでしょうが、実は今やっているネタは「円山」なんですよ。
「宮の森」の札幌志向に関して、中学校校区からの勝手な考察を展開いたしましたが、ホントのところの「円山町」の住民の意識はいかがなものだったのか、気になる所ではあります。
そこで、早速、新兵器の登場。
「新札幌市史 第四巻 通史四」より「 第八篇 転換期の札幌 第二章 市制施行と行財政 第六節 諸町村の行財政と町村会 一 諸町村の行政 円山町の札幌市への合併」より、大正末期より昭和初期のころのお話をお時間まで…。

「藻岩村(昭13.4より円山町)は、札幌市に接近しているだけに大字円山村を中心にして宅地化の波が押し寄せるのが最も早かった。たとえば円山村の戸数・人口及び市街地の連坦戸数・戸口の推移をみると、表14のようになっており、人口は毎年1000人規模で増え続けていた。連坦戸数、戸口は円山の市街地しての発展を示すものであり、円山村の人口増加はすべて市街地に集中していたといえるのである」
(ここでは表14てぇ〜のは割愛したします)

「藻岩村では住宅の増加に対応し、さらには新たな宅地の造成をめざし、大正十一年から円山地区の道路網整備事業が推進されていた。この事業計画は、東西に走る道路は札幌市の既存道路に合わせ南北は五十五間、六十間間隔で設定されており、札幌市と同じ碁盤の目状の施工であった。(中略)
この結果、円山町と札幌市との市街区画は接続することになったのである。両者はまったく一体化した"地続き"の街並みとなり、住宅地化の促進をもたらすことになると同時に、将来的な札幌との合併論議を惹起することになるのである。この道路網整備事業は、宅地分譲化が一方では目的にされていたので、大正十四年五月に土地所有者が中心となって円山振興会も組織されて、住宅地の宣伝、賃借地の斡旋などにもつとめられるなっていった」

出ました!
「円山振興会」!
「札幌温泉」の時で既出の「円山十勝」ですな〜。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=395 

<きっとつづく>
176牛鍋蝸牛:2003/09/07(日) 22:15:43 ID:U69N3bVs [ N044170.ppp.dion.ne.jp ]
では>>175の続きです。

「新住民の増加は社会構造も大きく変えていく。たとえば昭和二年と十一年の職業別戸数を比較すると、公務・自由業は423戸から1219戸へ、商業は220戸から495戸へ、工業は158戸から265戸へ、農業は364戸から368戸へとなっており(藻岩村勢一班)、農業が変わっていないのに対して公務・自由業、商業、工業は大幅に伸びており、特に官公使、会社員で占める公務・自由業が三倍ほどとなっている。これも円山が札幌市に通勤するサラリーマンのベッドタウン化していたことを示すものであった。そうなると、勢い彼ら新住民の意向が村政にも大きく反映するようになり、札幌市との合併を強く推進する声ともなっていく。特に藻岩村、円山町は財政不足で都市基盤事業が停滞していただけに"札幌市並み"を求める新住民は積極的に合併論を主張し、こうした声が札幌市への合併を導いていくことになるのであった」

やはり、元々「円山地区」の住民は札幌志向が強かったのだ。
「宮の森」(十二軒)は当時「琴似村」だったけど、「円山」とは隣接していたし、やはりその傾向というのは強かったのではないでしょうか。
177牛鍋蝸牛:2003/09/08(月) 10:43:36 ID:2dHi.JSs [ N044170.ppp.dion.ne.jp ]
ちょっと話が広がってしまって恐縮なのですが、「円山村」と「札幌市」の関係については分かって来ました。
「さっぽろの昔話 大正編上」(郊外繁昌記)を読んでみますと、この両者の関係と「宮の森・宮ヶ丘」辺りがなぜ高級住宅地になったのかということのヒントが書かれています。

同書の「札幌市から疎外」より、多少編集しました。
「大体円山がこう迅速に繁昌するとは、札幌市としても思っていなかったらしい。従って幾分疎外された傾きがある。明治四十三年の四月一日、行政区域を変更して、近き将来に於て札幌市と接続し発展する見込のある郡部は、ことごとく市に編入した。
その際札幌市は、円山まではまァ手が出ないが―といった形で之を疎外し、南方の山鼻村だけを編入したものである。当時円山は、山鼻村とおんなし行政区にある二級町村制で、役場は山鼻(今の山鼻小学校の東隣だったかと思う)にあった。つまりその本村を札幌市に取られた訳である。で、役場は早速円山に移庁してしまった。それが今の藻岩村役場である。そうして円山村はその大字になっている。(中略)
(円山村は)西二十丁目から以西札幌神社に至り、南北は藻岩山の山麓から鉄道線路近くまで行っている。そうして山の手を除く、下の平地は大半市街をなす様になったが、しかし札幌市が行政区を変更した当時の円山は、全く山の下にポッキリ、ひとむらの屯をなしている村落に過ぎなかった。従って市の行政区域から除外しても少しも自然ではなかった」
(牛鍋蝸牛注・最後の部分は"不自然ではなかった"の誤りと思われます)

そんな「円山村」がなぜその後の"隆盛を極めた"のかは次項「ブルジョア円山」に…。
178牛鍋蝸牛:2003/09/09(火) 13:23:18 ID:Z.8Y.Wn2 [ N044170.ppp.dion.ne.jp ]
「ブルジョア円山」の続きを書く前に、皆さんにお知らせしたいことが…。

今日、新しく「タブブラウザ」というソフトを導入しました。
「DonutP」というフリーソフトなのですが、こいつがなかなかイイ!
で、調子こいて遊んでいて、ネット検索しまくってみて、ついでに「牛鍋蝸牛」と入力したところ、
「牛鍋蝸牛/2ちゃんねるに札幌を教えてもらう」てぇのがヒット。
頭の上に「???」と?マークは百個くらい点灯し、さっそく覗いてみると…。

http://www3.ocn.ne.jp/~swan2001/swanindex1.html
http://www3.ocn.ne.jp/~swan2001/page2.html 
http://www3.ocn.ne.jp/~swan2001/tg030817.html
これが小樽の「スワン社」さんのサイトでして、本スレの紹介をして戴いておりました!

上のサイトの一番下をご覧戴きたい。
なんと、"紙の本"「図書館ネットワーク・マガジンSWAN 2003年8月号」にも、
「内容:牛鍋蝸牛−2ちゃんねるに札幌を教えてもらう/受付嬢日誌《2003年7月〜8月》/ほか」と!
内容はゆっくりご覧戴くとして、本スレのこと、なにはともあれホメテいただいておりますことよ(w

失礼ながら、浅学にて承知しておりませんでしたが、社長のNさんは図書館関係では名の知られた方のようです。
今日もご覧戴いておりますでしょうか?
179SWAN:2003/09/09(火) 16:25:15 ID:IElsGrts [ p8231-ip02sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
牛鍋さん、はじめまして。スワン社です。
仕事に追われて毎日読んでいる良い読者ではないのですが、でも、
パソコン作業の合間に少しでも時間ができれば、このスレッドに
駆けつけるようにしています。(161さんにも感謝です!)
牛鍋さんの提示した、「頭」の総動員に加えて、「足」でも負け
ないくらい稼ぐ!というスタイル、画期的に思います。ある種、
私の理想とする「図書館」に具体的な形を示してくれたような、
そんな気がしています。ありがとうございます。

先ほどから書き込みしているのですが、私のパソコンからでは
「大規模ホスト規制中」の表示になってしまい書き込めません。
今、別のパソコンから送ってみますが、もしこの書き込みでも
駄目でしたら、挨拶なしの無礼、お許しください。
180牛鍋蝸牛:2003/09/09(火) 19:34:09 ID:Z.8Y.Wn2 [ N044170.ppp.dion.ne.jp ]
SWANさん、初めまして。
>>178の件、ちょっと驚きました(w
ああ言っていただけると、張り合いが出ます。
人一倍おだてに弱い性質なもんで…。
小樽が専門のようでらっしゃいますが、お仕事場は札幌に近いので、是非今後もご参加願いたいと思います。

おほめ戴きました本スレの「手法」ですが、これはあくまで「その壱」の「1さん」(どこでどうしてらっしゃるやら。レス欲しい)が提起されたもので、ワシはただそれを"めんめん"と受け継いでいるだけです。
本スレの「建スレの精神」、
「地名を聞いてもいまいちピンとこない札幌市の地名をあげましょう。知名度ゼロ、名所ゼロの土地へ実地調査へ行き、見所を見つける良スレです」は、端的にして味わい深く、誠に示唆に富んだ名文ですよねぇ。

え〜、寄り道ばかりで申し訳ない。
「さっぽろの昔話 大正編上」より「ブルジョア円山」の一節。
(最近の若い方は"ブルジョア"なんて言葉知らないんじゃないか?と思っちゃうんだけど、どうなんでしょ?ブルガリア・ヨーグルト入りのヤクルトジョアじゃないよ〜)

「円山の異常な発展は、何といっても電車のおかげだという。勿論電車のおもかげもあろう。けれどもそれと相まって、見のがすことの出来ないことが一つある。それは、今上陛下がまだ東宮に在わす頃、本道に行啓遊ばされた。その行啓記念行事として、時の村長吉田新也氏が、円山発展の大計画を樹てたことである。そうしたその計画実現のため、まず資金を造る事となり、今桑園停車場前になっている十二万坪の村有地を売払うことに決定したのである」
ふむふむ…。たぶん、<つづく>な。
181牛鍋蝸牛:2003/09/10(水) 09:15:57 ID:uNY0R0ws [ N044170.ppp.dion.ne.jp ]
>>180
「めんめん」?
失礼しました。
「連綿」の間違いです。
中華料理屋じゃないんだから…。

「桑園停車場前の円山町(藻岩村大字)所有の十二万坪」。
この件につきましては、同書の「桑園」に記述があったので、後日機会があれば書きます。
ご存知のように「桑園」はもともと札幌市です。
これから仕事ですので、「ブルジョア円山」はまたあとで。

ご報告。
「円山北町」の「重兵ェ沼」跡の実地調査の件は先日予告しました。
で、一昨日、家を出たのですが、雨とあまりの寒さのため意気地なく断念。
昨日は昨日とて天気はOKだったのですが、こんな暇人であるワシでも家の用事と言うものもありまして…。
ま、そうは言いましても文章だけでは退屈でしょうから、「宮の森・宮ヶ丘」の画像をアップいたします。
皆様にはご報告していなくても、実地調査(とまでは行かないケド)を行っているワシなのです。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=692 
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=693 
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=694 

なんとなく、傾斜していることがお分かりでしょうか?
"坂"ってのぇは写真では案外表現しにくいんですよね。
まさに「円山」にへばりつくように開拓された町なのですねぇ。
182牛鍋蝸牛:2003/09/10(水) 21:12:13 ID:uNY0R0ws [ N044170.ppp.dion.ne.jp ]
最近の若い方なんかは、「ノックの音が」なんて言っても何のことだか分からないでしょうが、「星新一」てぇ言えば、そりゃもう知る人ぞ知る"SFショートショート"の神さまみたいな人(だった)でして…。
で、彼の作品に出てくる主人公が決まって「エヌ氏」だったりするわけです。

そんなわけだかどうか(んなぁ訳ない)、ワシはSWAN社さんの社長さんを>>178において「Nさん」 呼ばわりしましたが、ド勘違いしておりましたことに先ほど気が付きました。

も〜しわけございません。
何をトチ狂ったか、イニシャルを間違えてしまいました。
SWANさんは「A」あるいは、「Sさん」です。
ま、無理くり読めば「N」とも言えなくはないなのですが…。

自分では、なぜ勘違いしたが分かっておりますが、ここでそれを解説してもしょ〜もありません。
SWANさん、なんで自分が「N」なのかと悩まれたかと思いますが、ま、こんなアホもおるんだな、ということでお許し願いたいと存じます。
ところで、SWANさん、「Aさん」でしょうか「Sさん」でしょうか?
183牛鍋蝸牛:2003/09/10(水) 22:00:23 ID:uNY0R0ws [ N044170.ppp.dion.ne.jp ]
「ブルジョア円山」の続きです。
「それが大正十一年四月のことで、即ち日の丸の松本菊次郎氏に三十五万円をもって売却した。これでまァ金が出来た。思い存分やれるという事になって、第一番に着手したのが道路網の計画である。札幌市の西二十丁目を基点としてそれから西に一丁、二丁と、札幌同様の区画をなし、更に南北も何条何条と割った。この延長実に九里二十丁とあり、工費十五万八千円を計上してある。
そうして早速その年から着手し、畑の中へ縦盤の目を造った。しかして今日までに完成した道路が既にごりに達しているそうである。円山でははばかりながら此の点は、札幌市内になっている山鼻がちゃんちゃらおかしいと自慢している」

このほか「さっぽろの昔話 大正編上」では、「円山村」の誇るものとして、「消防設備」、「小学校の大改築」、「
公会堂の新築」、「円山自治会の基本金」、を挙げています。
("公会堂"ってどこにあったのだろ〜? "円山自治会"って"円山振興会"のことかな?)

「いちいちその内情を聞いていると、自然に『ブルジョア円山』という感が湧いて来る。寄附も他の村のようにうるさくなく、税金も至極安いというのは如何にももっともである。小ブル階級が競うて円山に流れ込んでいくのは、成程故あるかなと思えた」

現在「宮の森辺り」は札幌の高級分譲地として名をはせております。
で、なぜそうなったのか!という疑問にお答えすべく、長々と引用をしてまいりました。
え?
ちっとも疑問じゃなかった?
いいんです。
ワシ、疑問と思ったことを勝手に調べる、勝手に書く。
これ、基本アルネ。

現在のように、「宮の森附近はお金持ちがいる、え〜ところや」と言われるようになった背景にはなんと、「桑園」の存在があったのですねぇ。
(裏取らないといけないけど)

あ、「日の丸の松本菊次郎」とはどんな人物だったのでしょう。
実は以前この人の関係者がちょっとだけ本スレに顔、出していたりして。
ホレ、も〜、調べることいっぱいだァ。
184牛鍋蝸牛:2003/09/10(水) 22:11:27 ID:uNY0R0ws [ N044170.ppp.dion.ne.jp ]
い、いかん、sageちゃった。

そういえば、西創成さん、お加減いかがでしょう?
185k:2003/09/11(木) 17:24:27 ID:0cxGOf56 [ customer71-242.mni.ne.jp ]
まちBBSが全くつながらず、たいへんごぶさたしました。
「日の丸の松本菊次郎」ですが、日の丸とは、「日の丸産業社」のことで、肥料、
農機具、石油など広く取り扱う「総合商社」のような会社であり、今もあるはず
です。かつては北5条の東の方、西1丁目あたりに本社がありました。「松本氏」
はその創業者で、その直系の子孫の方が今も社長となっていものと思われます。
186牛鍋蝸牛:2003/09/11(木) 22:20:12 ID:4f1pM/gE [ N044170.ppp.dion.ne.jp ]
Kさん、お待ちしておりました。
「まちB」不調のため、書き込みがないのだろうな、とは思っておりました。

そ〜なんです、「さっぽろの昔話」で述べられています、「日の丸の松本菊次郎氏」とは「現・鞄の丸産業社」("流通センター"にあるそうです)の創始者でらっしゃる方です。
「さっぽろ文庫66 札幌人名辞典」によりますと、
「慶応3.8〜昭和4.9 三重県生まれ。大阪新聞外事部記者などをした後、明治23年函館の北海道共同商会に入社。日清戦争で農事振興の重要性に注目。札幌月寒の牧場主吉田善太郎に身を寄せ、本道農業振興方法を模索。火山灰が多い土壌が燐酸分不足傾向にあることを知り、肥料販売の可能性の着目し、日の丸産業を北1条東3丁目に創設した。
さらに機械力を導入した楽しい営農を提唱。大正7年米国からトラクターを輸入、烈々布(東区栄町)に実践農場などで活用した。同農場跡の森林は札幌市に寄贈され、現在『日の丸公園』として市民の憩いの場になっている」
(要約です)

さ〜、18丁目さん出番でっせ!
「日の丸公園」。
>>77
「これで私は、公園緑地名に関してはオーソリティーじや、ははは」と言ったのをワシは見のがさないッ!
187牛鍋蝸牛:2003/09/11(木) 22:29:29 ID:4f1pM/gE [ N044170.ppp.dion.ne.jp ]
でまァ、話があっちこっち行って申し訳ないのですが。(何度こういう言い訳をしただらう…)
>>186
「吉田善太郎に身を寄せ…」でピンときた方も多いと思います。
そうなんですね、あの「吉田山」。

このネタを振ったのも18丁目さん、あぁ〜たです(w
「その六」の#152、http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/6_log.html#152 
ちゅ〜ことで、責任とってよ〜。
18818丁目@本村:2003/09/12(金) 00:39:05 ID:Ssx4avyA [ p8164-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
「日の丸公園」は私が保育園児だったころのお散歩コースでした。
今のうように整備度合いが大きくなく、原生林っぽい部分が残っていた。
「吉田善太郎」を知った直後に、例の社台ファームのオーナーが長者番付け
上位陣だと知って、仕事で取引できるコネを探していました。

ちょっとここ1ヶ月、仕事以外のことでハードな日々が続いているので、こんなところで
ご勘弁を、あしからず。
189k:2003/09/12(金) 16:47:39 ID:F5vP0Ysw [ customer71-242.mni.ne.jp ]
桑園と「日の丸の松本氏」との関係について。
全くの偶然かも知れませんが、松本氏の自宅は桑園の北7条西13丁目、幼稚園の
裏手にありました。大きな窓のある瀟洒な洋館で、今もあると思います。
190牛鍋蝸牛:2003/09/12(金) 20:25:01 ID:7Qmi.RA2 [ N046177.ppp.dion.ne.jp ]
ここらでちょっと整理した方がイイと思います。
現在話題になっている(極身内で…)、「なぜ『円山』(宮の森・宮ヶ丘)は札幌の高級住宅地となり得たのか?」という疑問の答えとして、

「その昔、『藻岩村大字円山村』が所有していた『桑園』の共有地、十二万坪を天皇行啓記念事業として『日の丸産業』の創始者『松本菊次郎氏』に売却した資金三十五万円を元手に、それを円山村が札幌市と連結する区画工事、消防設備、小学校の改築、公会堂の新築、円山自治会の基本金に充当したところ、『寄附もうるさくなく、税金も安い』と札幌のブルジョア階級がこぞって円山に流れ込んだため」であると、ここまではよろしいか?
で、その「松本菊次郎」に関してのレスがここニ、三日のものです。

…あ、すみません。
昨日今日、ちょっと仕事きつかったもので(厚別区にて研修)、今日はこのへんで失礼したいと思います。
ビールとウヰスキー飲んで、もう、眠りに付きたい気分ですし。

>>189
菊次郎氏が「円山村」から買った土地の場所は資料が残っていますので、そうねぇ、明日にはなんとかレスできるかと思いますです。
じゃ、お休みなさい。
そうそう…。
18丁目さん、お忙しいのは例の「結社」ですか?
191k:2003/09/13(土) 16:55:31 ID:nUHfS8Vs [ customer71-242.mni.ne.jp ]
旧円山村が売却したという12万坪にも及ぶ広大な所有地、桑園にはいささか
かかわりのある私も初めて聞きました。大いに興味があるところです。
若干あげ足をとるようで恐縮ですが、「天皇行啓記念」とはいいません。天皇
の場合は「行幸」といい、皇太子殿下などの皇族については「行啓」というよ
うです。この場合は#180の記載を受けてのことですから、事情はわかるのです
が。
192牛鍋蝸牛:2003/09/13(土) 22:25:03 ID:cWalwEYU [ N046177.ppp.dion.ne.jp ]
>>191
「行啓」と「行幸」ですね。
これは「さっぽろの昔話」の記述が間違っているわけではなく、>>190のワシの書き方がまずかったんですね。

ええっと、>>180で引用しました「さっぽろの昔話」では、「今上天皇がまだ東宮に在わす頃」となっております。
「東宮」とは「東宮御所」のことであり、「東宮御所」には誰が住むかといいますと、皇太子が住むのがしきたりのようです。
よって、「東宮に在わした頃の今上天皇」はその頃まだ「皇太子」であったということでありまして、「行幸」ではく「行啓された」のが正しい訳です。
>>190で「天皇行啓」と書いたワシ、反省!

ちなみにその当時の「東宮御所」、今は「迎賓館 赤坂離宮」です(のはず)。
ワシ、昔、東京に住んでいまして、迎賓館の正面の門のすきまに顔を突っ込みまして、その建物の偉容に、
「すんげ〜〜〜!」と感嘆したものであります。
ちなみにその頃、SB食品の瀬古選手がその附近をランニングするのをよく見かけました。
で、皇室の方、もし、本スレをご覧になっておられて、これは事実と違うだろ〜って場合は遠慮なくレスください。

「桑園の十二万坪」に関しても書かなければならないようです。
では、明日にでも書かせていただくとして、今日はとりあえず、寝る。
193牛鍋蝸牛:2003/09/13(土) 22:26:56 ID:cWalwEYU [ N046177.ppp.dion.ne.jp ]

かなり日本語がヘンだ。
194牛鍋蝸牛:2003/09/14(日) 03:56:26 ID:U7l2m2MY [ N046177.ppp.dion.ne.jp ]
「桑園」の「円山村」の土地に関して、「新札幌市史 第四巻通史四」に記述がありました。
188P「藻岩村・円山町」。
「村民の集会施設として円山公会堂が大正十三年に造られ、十五年からは村議会場としても利用された。円山公会堂はブロック造り二階建て、建坪110坪で約五万円の工費を要していた。建築費は桑園にあった円山部落共有地三十六町八反歩が、十一年に村に寄付されたのを受けて売却した益金が充当されたものである(円山百年史)」

「共有地」ってのは以前にも出ましたが、「屯田兵村」の土地であったと思われます。
「新札幌市史 第二巻通史二」から復習しますと、
「兵村に関わる土地は(略)いずれも札幌の歴史とともに変遷し今日の市民生活の土台となっている」
共有地に関しては、
「兵村という団体に下付された土地、給与地ではあるが第一の土地(後に完全な私有権設定地となるもの)と区別して公有地と呼ぶことにする。規則上は共有財産の一部をなす土地で、共有地と呼ばれることもある」とあります。

既出ですが「円山公会堂」のことは「さっぽろの昔話」にも。
「次に第四は公会堂の新築で、これには三万円かかっているコンクリートの瀟洒な建物で、村としては贅沢過ぎる位のものである。これだって札幌市に自慢してよかろうと―」
こっちでは三万円ということになっていますね。

ついでに書きますと、公会堂は立派でも役場庁舎はひどかったらしく、"ボロ庁舎"と酷評されていたそうです。
「ま、どうせ札幌市と合併するのだから」ということで新築は見送られていたようです。
この建物は旧・養樹園(円山公園)の事務所を明治四十三年に現在の中央区南1条西24丁目に移設して使われていたもので、老朽化が相当に進んでいたらしい。
「採光、通風悪しく衛生上憂慮に堪へないばかりでなく、執務上の不便は甚大である」と言われていたそうで…。
(新札幌市史より)
19518丁目@本村:2003/09/14(日) 11:12:59 ID:SNLqPrbw [ p8164-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
昨日、ちょっとした書類整理等の必要があり休日出勤しました。
何気なしに、何かあったら吸おうと思っていた恩賜の煙草吸ってしまいました。

>18丁目さん、お忙しいのは例の「結社」ですか?
ちなみに、私の入団は10月からなので、それが理由で忙しいのではありません。
あくまで私生活上の理由です。
196なまら名無し:2003/09/14(日) 19:38:27 ID:LselxayQ [ p21145-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
姿美千子さんって知ってます?
私の母の中学高校の同級生だったそうです。。
19718丁目@本村:2003/09/15(月) 16:01:57 ID:EDFU1P/6 [ p8164-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
>>196さん、そのこころは?

ところでお母上の出身校はどちらですか?
ちなみに↓
姿美千子
1945年5月28日/北海道
本名 橘郁子 日大二高在学中の71年橋幸夫主演「すっとび仁義」
の相手役募集に合格、幸運なデビューを飾った。目はパッチリと
色白で、お人形さん的ムードで売り出した可愛い子チャンスターである。

だそうですが。
198196:2003/09/15(月) 18:29:29 ID:0Re5dNuY [ p2091-ipbf06sapodori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
>>197
その姿さんです。
彼女は南8西3(うろ覚え)にあった老舗の染物屋の娘さんで、
昔その界隈には同種の店が沢山あったそうです。
皆さん昔のことに結構詳しそうなので、姿さんの名を出したらピンと来る人がいるかな?
と思って書き込んでみました・・・。

因みに母は西創成地区の生まれ育ちで、中島中→静修高です
(姿さんは高校1年でデビューが決まり東京に転校)
199牛鍋蝸牛:2003/09/15(月) 18:32:40 ID:wdyNydt2 [ U121163.ppp.dion.ne.jp ]
>>196さん。
話の腰をサバ折りするようで申し訳ありません。
「桑園」にあったという「円山村の共有地」。

どうやら、これが「円山」がブルジョア階級にこのまれる土地柄になるのに大きく貢献したというのは、本当らしい。
…ってなわけで、Kさんも興味を持たれたようですが、それが具体的にどこだったのか気になるところです。
実は、「さっぽろの昔話 大正編上」(郊外繁昌記)に「桑園駅の設置」て記述があるのです。
ここに「日の丸の松本菊次郎氏」がなぜ、「藻岩町大字円山町」が持っていた共有地を購入したのか、という理由が載っていました。
実はこの一件、「円山」の発展だけでなく、「桑園」の発展のためにも大きな出来事だったようです。
ワシは「日の丸産業」(日の丸商会)は、共有地を農地で使用する目的で購入したのだとばかり思っていました。
「日の丸産業」は肥料の会社ですし、機械化農業を取り入れたのも松本菊次郎氏であったわけですから…。
ところが…。
200牛鍋蝸牛:2003/09/15(月) 20:14:33 ID:wdyNydt2 [ U121163.ppp.dion.ne.jp ]
「旧札幌中開発のもっとも遅れた桑園が、非常な勢いを以って曙光を認めしむるに至ったものは、何といっても大正十三年六月、桑園停車場が設けられた事だ。桑園駅が設けられるにいたる迄の桑園の住民は勿論、桑園に関係を有する人々の運動といったら、すさまじいものであった。
あらゆる犠牲を払ってようやく得た、尊い所産である。桑園は旧札幌中発達のもっとも遅れたばかりでなく、新札幌、苗穂、豊平といったような所よりも開けなかった。それには東の方は大学、道庁、植物園、南には三井倶楽部、学校等の障壁が置かれたという理由があった。この発展障壁をジャンプする唯一の方法はまずは停車場を設ける事であった」
「さっぽろの昔話」、「桑園駅の設置」より。

「現・桑園駅」附近の三十万坪は当初、
「西十七丁目通を境界とした東にある十万坪が、藻岩村共有地、その西鉄道線路を劃線(かくせん)とし南十万坪が調所広丈の所有地、北は十万坪谷七太郎の所有地といった様に、大地主が控えていた…」のが、谷氏の土地が「斉藤甚之助氏」、ついで「札幌競馬場倶楽部」が競馬場を「桑園」へ移すことになり調所氏所有地は「炭鉱汽船住宅組合」へと、そして「藻岩村(円山村)共有地」が日の丸商会松本菊次郎氏へ売却され、その結果として「持田謹也」、松本、斉藤の諸氏、「炭鉱組合」が住民と協力し駅の設置運動を繰り広げることになったのだそうで。

でも、「桑園駅」の設置はこの運動だけによるものではなく、札幌市全体の発展にも寄与するという理由付けがあったから成功したらしい。
「ブルジョア円山」が「桑園」に端を発し、そして札幌自体の発展にまで影響しているとは…。
「"この問題"ってこの当時から叫ばれていたんだなぁ〜」というお噂は、次のレスまでのお楽しみ。

そうそう、「重兵ェ沼」の跡、昨日行って参りました。
そこで、妙なモノを発見したのですが、こいつも後ほどってことで…。
201牛鍋蝸牛:2003/09/16(火) 10:19:01 ID:nlSwgxxg [ U121163.ppp.dion.ne.jp ]
文章の引用だけでは退屈しますので、画像をアップしましょう。
「円山北町」に開拓使当時あったといわれる「重兵ェ沼」が現在どんな状況か。
とは言いましても、明治初期にすでに埋め立てられたらしい沼の跡など残っていると思う方がどうかしていると…。
ま、「現場百篇」(ここ初めてだけど)、行って見なけりゃ分からない。
白を黒とでも言いくるめるぞと…。(あ、聞かなかったことにして)

「重兵ェ沼」は「札幌市史」による地図 http://pernoi.chu.jp/chimei/kaitakushi.gif 
を見ますと、人の足跡のような形をしていて、そこそこの大きさを持っていたことが分かります。
この地図では正確な位置や大きさが分からないのですが、「宮の森スポーツクラブ」辺りがその中心地かな?と目星をつけて実地調査に赴きました。
「南3条西25〜26丁目」にループ状の道路があり、これはと思ったのです。
その道路、地図でみると太く見えましたが実際は"生活道路"でありまして、子どものころ「釘刺し」なんかをやって遊んだちょっと湿った感じの近所の路地を思い出しました。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=701 

この道路で妙なモノを発見しました。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=697 
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=698
「なんだ、苔も知らねぇ〜のか」とはおっしゃらないでください。
こんな排水溝の脇とか民家の壁にそって、苔。
(「のり」じゃないよ。コケ)

常にある一定の湿度がなければ苔なんぞ生えないと思うのですが、いかがでしょう?
水が壁に沿って染み出ているようにも見えますしね。
やはりこの下は沼の跡地のために、今でも湿地帯なのでしょうか?
202k:2003/09/16(火) 18:02:28 ID:FZHnolJA [ customer71-242.mni.ne.jp ]
#200の持田謹也氏について補足。
同氏は「札幌競馬倶楽部」の実質上の代表者だったようです。どのような経過で
財をなしたのかは知りませんが、かつて北4条の西12丁目に豪邸がありました。
高い塀の中はのぞいてみるべくもなかったのですが、メムに由来すると思われる
池もあったようです。そして、現在中島公園にある重要文化財の茶室「八窓庵」
がここにありました。持田氏の死後に遺族から市に寄贈されたと聞いています。

次に「重兵ェ沼」跡の件、地図で見ると向陵中のすぐそこなんですね。残念なが
らあのあたりについて、全く記憶がないのです。
203名無しさん:2003/09/16(火) 18:17:18 ID:k1hLCyBs [ YahooBB219024020197.bbtec.net ]
奈井江町
204名無しさん:2003/09/16(火) 18:20:36 ID:k1hLCyBs [ YahooBB219024020197.bbtec.net ]
スマソ、札幌市内か。
それなら、自衛隊前駅(南北線)
205丸惣旅館:2003/09/16(火) 19:08:25 ID:D1q9XhV6 [ t066028.ipgw.phs.yoyogi.mopera.ne.jp ]
>>198
川べりに染物屋が多いのは別に札幌に限ったことではない
206なまら名無し:2003/09/17(水) 09:05:19 ID:Af1co45o [ J020185.ppp.dion.ne.jp ]
>>200
> 新札幌、苗穂、豊平といったような所

この時代(桑園が開けなかったと言われた時代であって、この文章が書かれた時代ではない、念のため)に新札幌というのはちょっと変な感じがする。国鉄や私鉄の駅を言っていると仮定して東札幌では?
207牛鍋蝸牛:2003/09/17(水) 11:51:17 ID:w4RFAaZ6 [ N045036.ppp.dion.ne.jp ]
>>206さん、ナイスなツッコミです。
ワシのこの「新札幌」って気になっていたのですが、話があまりにあちこち行ってしまうので知らん振りするつもりでした(w
あ、「現・新札幌」の画像アップします。
あまりいい写真じゃないけど、先日たまたま撮りましたので、ついでなんで。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=702 

「新札幌」と確かに「さっぽろの昔話」には書かれています。
文脈から、ここでいう「新札幌」は「駅のあるところ」のはずですよね。
「苗穂」、「豊平」と並んで書かれているわけですから。
>>206さんのおっしゃるように、当時すでに「東札幌駅」は「白石村」にありました。
http://pernoi.chu.jp/chimei/t_15.gif 

同書の「白石村」の「横町部落の今昔」に次のような記事があります…。
「白石には鉄道線路が多い。まず省線がある。定山渓鉄道がある。さらに苗穂から沼の端へ通ずる北海道鉄道がある。しかして停車場は白石駅と東札幌駅と二つある」
でも、白石駅附近の住民は鉄道を喜んではいず、この恩恵を蒙ってはいないとあります。
そして、
「もっとも東札幌駅附近だけは、この駅一つのおかげで、著しい発展ぶりを示しているようだが、それさへ本村の白石人は冷視しているらしい」とも…。
(ここらの詳しい事情はそのうちにまた書くこともあるでしょうが、今日の所はひとまずこの辺にしてきます)

これらのことから「新札幌」とはおそらくは「東札幌」のことだとワシも思うのですが、当時「東札幌」を「新札幌」とも呼んだのかは今後の調査を待つことにしましょう。(誰がする?)
まぁ、「郊外繁昌記」から「さっぽろの昔話」に復刻される際の誤植とも考えられなくもないのですけど…。
208k:2003/09/17(水) 20:21:01 ID:obfJh/9M [ customer71-242.mni.ne.jp ]
>>207 牛鍋蝸牛様
ここで新札幌=東札幌とするには若干の抵抗があります。
桑園駅の開業は大正13年6月ですが、東札幌の駅は定鉄開業時にはなく、大正15年
8月の開業と記録されています。(「国鉄歴史事典」日本国有鉄道編/1973)つまり東
札幌駅の開業は桑園駅のそれよりも後なのです。
ご引用されました「さっぽろ昔話」がいつ頃のことを書いているのかさだかではあ
りませんが、私がリアルタイムで見ている東札幌は昭和20年代後半での「発展」の
状況はとても豊平、苗穂と並列できるものではありませんでした。これは先日upし
ていただきました地図からも容易にうかがうことができると思います。
じゃぁー「新札幌」ってどこ?といわれるとすぐには答えがでないところが弱みで
はありますが。
それよりも、桑園の「発展」は円山がそうであったように、市電(この場合は北5条
線)の開通がもたらしたところが多かったと思いますが。
209206:2003/09/17(水) 23:02:53 ID:6tTT6tIk [ J012025.ppp.dion.ne.jp ]
後で思い直したけれど、新札幌=東札幌説は間違いっぽい
旧区内である桑園と明治43年以降の新区内である苗穂、豊平をこの文章は対比させているわけで、本文通りで正しいと思う
210206:2003/09/17(水) 23:04:15 ID:6tTT6tIk [ J012025.ppp.dion.ne.jp ]
旧区内=旧札幌
新区内=新札幌
新札幌は苗穂、豊平にかかる
211:2003/09/18(木) 00:01:32 ID:ANcSOGwU [ YahooBB218122022129.bbtec.net ]
“新札幌”で思い出しましたが、現在の駅では新札幌といえば当然
厚別区(旧白石区)のアレですが、
国鉄時代に札幌貨物ターミナルが新札幌駅と呼ばれていたことがありました。
まだ千歳線が大谷地を通っていた頃ですが。
212なまら名無し:2003/09/18(木) 06:51:01 ID:fRKOk71k [ i223061.ap.plala.or.jp ]
旧「つきさっぷ駅」はアサヒビール工場敷地脇にモニュメントが建ってるね。
昔、子供心になんで「つきさむ」じゃないのか不思議だった。
213牛鍋蝸牛:2003/09/18(木) 09:32:52 ID:eQZ5Wqp6 [ N044031.ppp.dion.ne.jp ]
>>209-210
なるほど…。
「新札幌」の前に「旧札幌中」とありますものね。
206さんの説によって>>200を書き直すと、
「桑園は旧札幌中発達のもっとも遅れたばかりでなく、新札幌と呼ばれる苗穂、豊平といったような所よりも開けなかった」となるわけですね。
これならすんなりと受け入れられますね。
ここでいう「新札幌」は「新札幌駅」ではなく、「新札幌地区」であったということですね。
そっか、そっか〜。
でも、駅名の「新札幌」って具体性に欠ける地名だよなぁ。

>>208
Kさん、ご指摘、ありがとうございます。
なんたってKさんのレスは、リアルタイムでの経験に基く書き込みですので説得力が違います。
ついでなんで改めて「さっぽろの昔話」についてご説明したいと思います。
再々度「あとがき」から引用いたします。
「本書『さっぽろの昔話・大正編上』は、昭和二年八月十二日から同年十月二十八日にかけて、その頃の"北海タイムス"紙(現在の"北海道新聞")に『郊外繁昌記』として六十二回掲載されていたものを、その表題を変えて一冊にまとめたのものである」
つまりこれは昭和2年当時に書かれた文章です。
「郊外繁昌記」は札幌市の出版物である「札幌市史」や「新札幌市史」、また、その他の郷土史資料にもよく引用されておりますので、信頼性は高いと思われます。

で、「桑園」市電の話なのですが、同書にも書かれております。
ただ、昭和2年の段階ではまだ開通していず、
「五上橋から駅迄の電車軌道の敷設も近いうちであろうから、その発展も近いうちだ」と書かれています。
ということで、"電車が通る前の「桑園」の状況"については今日中に書き込みますので少々お待ちください。
214牛鍋蝸牛:2003/09/18(木) 14:29:32 ID:eQZ5Wqp6 [ N044031.ppp.dion.ne.jp ]
>>213
あ、なんか違うな。
まずは「五上橋」はワシのタイピング間違いで、「五条線」です。
全然違う…。

「北五条線」は開通済みだったようです。
訂正いたします。
215k:2003/09/18(木) 16:14:31 ID:V8c8CwFs [ customer71-242.mni.ne.jp ]
>>214 そうですね。先日upしていただした地図の大正15年版には、市電北5条線
は西20丁目まで、停留所でいえばのちの「二中裏」まで開通しているようです。
ただこの地図には昭和3年に開校した桑園小学校も記載されていますから、実現が
決定的なものについてはすでに織り込み済みなのかもしれませんが。
216なまら名無し:2003/09/18(木) 16:52:37 ID:dFQh8m.E [ q177074.ap.plala.or.jp ]
石狩に「新札幌団地」ってありましたよね。
関係ないですか。すいません。

>>213
市営バス「北桑園線」は札幌駅直通路線では最後までツーマンの旧式車が使われていた、とか
本家のご先祖様は昭和30年代まで桑園で牧畜をやっていたとか
桑園の田舎っぷりを示すエピソードを母から聞いたことがあります。
217なまら名無し:2003/09/18(木) 16:56:22 ID:66p.K7M6 [ p1171-ip03sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
札幌の人口200万都市になれそうですか?
218牛鍋蝸牛:2003/09/18(木) 21:54:01 ID:eQZ5Wqp6 [ N044031.ppp.dion.ne.jp ]
>>215
先日、「重兵ェ沼調査」で「円山」へ行きましてた時に、以前ご紹介しました古本屋へ立ち寄りました。
そこで、"こんなこと"もあろうかと、「さっぽろ文庫46 札幌の小学校」を500円というお値段で購入しました。(他に『啄木の札幌放浪』という本も)
で、さっそく「桑園小学校」を引いてみますと、設立年月日は「昭和二年四月二日」と記述されております。
これは昭和63年4月10日現在の「学校教育法」に基く札幌市内192校へのアンケートによるものです。
詳しいことは分かりませんが、Kさんのおっしゃる昭和3年とはちょいと齟齬が…。

同書が正しいと仮定しますと、「さっぽろの昔話 大正編上」には、
「(略)それに北八条西十七丁目に桑園小学校も建築中で、明年度が生徒を収容する事になっているから…」とありますので、「明年度」が昭和2年度であるとするなら、この「桑園」の記述は「前年度」つまりは昭和元年(大正15年)度となります。(よね?)
昭和元年?
昭和元年って12月26日からだから、5日しかなかったんだよなぁ。
昭和元年度(?)にしたって、明けて3月31日までだったわけだよね。
そもそも、「さっぽろの昔話」の「あとがき」では「昭和二年八月十二日から同年十月二十八日にかけて北海タイムス紙(現在の北海道新聞)に連載」とあります。
なんか変だな…。
やはりKさんの昭和3年設立が正しいような気がします。

「桑園小学校」のHPってないみたいだし、よく分からないので、「桑園小学校」の画像をアップしておきます。(意味ワカラン)
どうやら「桑園」の子どもたちは「桑っ子」と呼ばれているらしい(w
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=704 
しかも輝いているらしい…。

あ、こんなことに気を取られていたら時間がなくなってしまった!
いや、時間はないことはないのだけど、さっき飲んだワイルドターキーが効いてきて、眠くなってきました…。
明日こそ…。

ソ〜いえば、明日は「札幌サンプラザ」に行かなければならない。
「サンプラザ」といえば、「市電幌北車庫」、遡ると「札幌飛行場」ですよねぇ〜。

レス戴いている皆さん、ひとつひとつにお答えできない状況もありますけど、許してねん。
一言だけ…。
札幌は200万人にもならないほうが、北海道全体のためにもいいと思います。
219なまら名無し:2003/09/18(木) 22:12:29 ID:V47Y.dTE [ J019240.ppp.dion.ne.jp ]
>>208
ここでいう「発展」というのは商店街が出来たり大きな建物が建ったり
ということではなくて
今まで畑や林だったところに家が建った
ということを言うのでしょう
東札幌の駅前も街では無かったけれど
町ではあった
桑園も駅が出来てそこで働く人が近くに住み始めて
それまでの桑畑が開けた
ということでしょうね
220牛鍋蝸牛:2003/09/18(木) 22:18:43 ID:eQZ5Wqp6 [ N044031.ppp.dion.ne.jp ]
>>219
そうそう、ワシもそれは言いたかった。
「発展の度合い」って時代によって違うと思います。
221なまら名無し:2003/09/18(木) 23:26:39 ID:.XtZA3Pk [ P142011.ppp.dion.ne.jp ]
札幌神社の祭典区
菊水が第十五で桑園が第十六
たしか豊平が第八で苗穂が第十三

開けるの遅かったんだね
菊水と桑園
222東区在住:2003/09/19(金) 12:58:08 ID:OA9r2QyU [ m205.218-225-215.megafit.me-h.ne.jp ]
>>218 牛鍋蝸牛様
ご無沙汰しております。
日々の実地調査お疲れ様ですm(__)m

本日サンプラザにいらしたんですか?
私も10時頃サンプラザに居ました(w
札幌飛行場跡とはどちらにあるのでしょう?
毎日のようにサンプラザに行っているので
見に行きたいです。子連れでも可でしょうか・・・
223牛鍋蝸牛:2003/09/19(金) 21:10:01 ID:SH7KA.wk [ N044031.ppp.dion.ne.jp ]
>>222
あらま、ワシも10時から12時過ぎまでいたんですよ。
「札幌飛行場」は「その四」でやったんですね。
その位置は、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=275
「サンプラザ」がまさにその広大な敷地の一角に当たります。
「札幌飛行場正門」だけが今、残っています。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=260 
ここはサンプラザからすぐですね。
ちょっと探してみてください。
尚、プレートは最近取り付けられたものだということを、つい最近(10日ほど前)に知りました。
ど〜りでね、なんかモッダーンなプレートだとは思っていたんだよね。

話を戻しまして、「桑園」に関しての「さっぽろの昔話」の続き。
つまり、>>200の続きです。
「元来札幌は札幌駅により南北両断され、鉄北の発達を阻害している。もし、札幌駅が単に客車駅となす事が出来れば現構内を開放することが出来る。
従って鉄北もすこぶる容易となる訳であり、桑園駅を貨物駅として物資を供給する事になれば、桑園の発達は勿論、大札幌建設に到達し得べき理由による事もあずかって力あり、というべきである」
七十年以上も前から、こんなことが言われていたのだ…。
224牛鍋蝸牛:2003/09/19(金) 21:10:47 ID:SH7KA.wk [ N044031.ppp.dion.ne.jp ]
確かに「桑園駅」はそれなりの役割を果たしてきたのでしょうが、線路による南北の分断・格差(南北問題)は解決されぬままに七十年ほど時は過ぎたようです。
今現在は解決した、と言っていいのでしょうか?
ワシには判断つかない…。

でもね、「鉄北地区」が「駅前通」や「大通」の賑わいを見せなければいけないものでもないでしょうし、ましてや「JRタワー」なんぞが出来ちゃったりして、そりゃ比較される方が可哀想だ。
「鉄北」だって昭和の始めのままでいるわけじゃなんだよ。
ちゃんとそれなりに発展してきているんだよ〜。

さてしかし、それは後年のワシ等であるから言えることでありまして、「藻岩村大字円山村の共有地」を購入しました「日の丸産業(商会)の松本菊次郎」氏は、
「桑園は札幌市の関門とせねばならぬ。自分が約四十万の金を出してこの土地を求めた理由は、この理想を実現したい為だ。まだ理想と実現と一致せぬうらみはあるが、あくまで初志を貫徹したいと」言っておられたそうであります。
225牛鍋蝸牛:2003/09/19(金) 22:10:41 ID:SH7KA.wk [ N044031.ppp.dion.ne.jp ]
え〜、Kさんから「市電北五条線」の話が出ましたので、調べていたらなんと「陵雲中学校」のことが分かりました!
>>131のmさん、 >>135のsさん。
そして >>137さん。
お待たせしました。
では、「札幌市電が走った街 今昔(北の都の路線電車 定点対比)」(札幌LRTの会・編)よりの一節!
「北五条線 『魔の踏み切り』も今は昔」
「植物園の北西角にあたる場所に、『北五条十一丁目』停留所があった。とはいえ、この名前は意外になじみが薄いかもしれない。もとは『陵雲中学校通』と呼ばれていたが、学校統合に伴い昭和43年(1968)9月に改称された。この際、陵雲・一条の両中学校が統合されて現在の中央中学校となり、陵雲の旧校舎には大通小学校が移転して現在に至る。その昔、ここは現在の札幌北高校の前身にあたる北海道庁立札幌高等女子校(庁立高女)が設けられていた場所である」
どや!?
226なまら名無し:2003/09/20(土) 11:29:18 ID:rsPVSjJI [ J024243.ppp.dion.ne.jp ]
>>224
> でもね、「鉄北地区」が「駅前通」や「大通」の賑わいを見せなければいけないものでもない

昔函館本線による南北格差が言われていたころ、旭新聞の記事で、北三条辺りと北八条辺りの土地を比べて、こんなに値段が違うというのがあった。かなり恣意的にデータを選んでる感じがした。まあ、東京の郊外なんかだと駅が出来てから街が出来ているから、どっちが駅前ってこともない。その記者はそういう感覚で育った人かとも、あとで思い直した。とはいえ、新聞の記事なんかのデータってのは、記者の主張に都合の良いのを選んでもってくるってことがけっこうあるかもしれない。
227なまら名無し:2003/09/20(土) 11:36:32 ID:NqtAaeHo [ t135159.ap.plala.or.jp ]
鉄路より北は未だにケーブルTVって未開通なのですか?
228牛鍋蝸牛:2003/09/20(土) 15:17:26 ID:M.bS1xiM [ N047036.ppp.dion.ne.jp ]
>>226
昨日の新聞に今年の「基準地価」が出ていました。
うちの周りは純粋な住宅街なのですが、すぐ近所の土地同士で倍も違ったりしてましたよ。
バス停が近いとか角地とかで全然違うんでしょうけどね。
住んでいる方としては土地の値段が安くても、かけられる税金が少ない方がいいですね。
と、的外れなレスをしてみる…。

数日間に渡りまして書き込んできましたが、ここでとりあえず"まとめ"を…。
「円山村」は皇太子行啓記念に円山発展の大計画を立案し、「桑園」にあった共有地を売って得た資金で、札幌市のとの境界の道路を同市と同じく碁盤の目に区割りし、整備をした。
また、消防設備の充実のため冬はそりに乗る最新式のポンプ車を二台フランスより輸入、円山小学校を改築し、コンクリートブロック製の公会堂を新築、財団法人を目指す円山自治会の資金にも充当した。
そのため、寄附もうるさくなく、税金も安いということで札幌のブルジョア階級は競って「円山」に流入した。

一方、地理的条件のため札幌の中でも開発が遅れていた「桑園」では、複数の土地所有者と住民が鉄道駅の誘致運動を起こし、大正13年6月に「桑園停車場」が設置された。
「桑園駅」の設置は「桑園」の発展のみならず、線路で両断されている札幌市の南北間の格差解消、大札幌建設に寄与することになると信じた有志には「日の丸商会」の「松本菊次郎」の名もあった。

とこういうことらしいです。
kさんからの書き込みでありましたように市電の「北五条線」が「桑園」の発展には不可欠であったのも事実でありましょう。
ワシも見落としていたのですが、>>180同書からの引用を見ていただきたい。
「円山の異常な発展は、何といっても電車のおかげだという。勿論電車のおもかげもあろう。けれどもそれと相まって、見のがすことの出来ないことが一つある」と一番最初に書いてあった!

同文後半には、
「本年電車が敷設されて、この土地にポツポツ家屋が建設されている」とあります。
そして最後に、
「五条線から駅迄の電車軌道の敷設も近い事であろうから、その発達も近いうちだ」と締めくくっております。
229牛鍋蝸牛:2003/09/20(土) 15:46:00 ID:M.bS1xiM [ N047036.ppp.dion.ne.jp ]
え〜、余談ですが、先日HBCラジオの特番を仕事の車の中で聞いていました。
小橋アキが司会、ゲストはデーモン小暮閣下。
例の東区「ファイターズ通り商店街」(旧・斜め通り商店街)の会長さん(だったと思う)が電話出演。
その紹介の際、閣下が「斜め通り」にびにょーに反応なされたのをワシは聞き逃しませんでした。

日本ハムファイターズを応援するために商店街の名称を変えたという話になったとき、閣下は、
「"斜め通り"残そ〜よぉ〜。由緒ある名前なんだろ〜」とおっしゃってくださいました。
いや、さすが悪魔とはいえ、年の功。
十万…、え〜と幾つだっけ?
230なまら名無し:2003/09/20(土) 16:23:25 ID:3XQ9lHK. [ proxy306.docomo.ne.jp ]
雁来という地名はもうないが、公園、バス停に名残がみられますねぇ。高速の雁来も正確には東雁来東苗穂ICなんだけど長くて言いづらいか・・
231k:2003/09/20(土) 16:32:01 ID:/2w9OHZ2 [ customer71-242.mni.ne.jp ]
桑園小学校の開校の件、実は私の在学中に開校20周年の記念行事があったのです。
それから逆算して昭和3年かなと思ったわけで、それがどうも私の記憶ぢがいであ
ったようです。
それから桑園が宅地化して行った過程のひとつとして、北6西12などのいわゆる
「博士街」は、明治の末年から大正の初年にかけて建設されています。この辺り
は比較的宅地化が早かったものと考えられるのですが、小学校の北側に国鉄官舎
が立ち並んだのは昭和10年代も中ごろになってからでした。駅の周辺は石炭の販
売業者の貯炭場が多く、冬にはここでスキーをやったものです。
なお、駅前の東側、最近ジャスコが開業したとかというあたりは、メムに由来す
る沼地となっていました。
ですから桑園の宅地化は円山地区のそれよりもかなり遅れたものと考えていいよ
うですね。
232なまら名無し:2003/09/20(土) 16:38:48 ID:n/8hCRk6 [ proxy302.docomo.ne.jp ]

馴れ合い禁止。
233牛鍋蝸牛:2003/09/20(土) 19:31:39 ID:M.bS1xiM [ N047036.ppp.dion.ne.jp ]
>>230さん。
「雁来町」は本スレの原点ですね。
すべてはここから始まったのです。
スレの方向性は「雁来町研究」で決定付けられました。

>>231
桑園小学校開校の年に関しましては今後の調査が必要かと…。
「さっぽろ文庫」の記述に関しましても間違いは多々見受けられます。
「さっぽろの昔話」で「本年電車が敷設されて」とありますが、「北五条線」の開通月は昭和2年6月〜昭和4年11月(「札幌市電の走る街」札幌LRTの会編)だそうですので、書かれたのは少なくと昭和2年6月以降でして、しかも文脈によると年末のようであります。
となると、「翌年度」とはどう考えても「昭和3年度」であるわけでして、「さっぽろ文庫46 札幌の小学校」に書かれている「昭和二年四月二日」というのは???

え〜さて、ワシとては「円山地区にはなんで古くからブルジョア層が住んでいるのか?」という疑問の答えを探すために長々と書いてきたのですが、「円山村」に建てられた「文化住宅」の間取り図を見つけました。
後ほどアップする予定です。
これ見るとね、やっぱりブルジョアだぁ。
234牛鍋蝸牛:2003/09/20(土) 21:14:37 ID:M.bS1xiM [ N047036.ppp.dion.ne.jp ]
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=705
これが「新札幌市史 第四巻通史四」P730に出ていた、「円山村」の「文化住宅」。

「図2は、昭和初期円山村に建てられたO家の文化住宅である。寒地用のペチカ、サンルームを備え、ガラスを多用したハイカラな住宅で、母屋の南端には廊下でつないだ隠居所があって老夫婦が住み、『女中』部屋があるとおり、『女中』一人と家族八人といった構成で暮らしていた」 
どうです?
立派なお宅でしょう?
235東区在住:2003/09/20(土) 23:59:25 ID:Kkox4UbY [ m205.218-225-215.megafit.me-h.ne.jp ]
札幌飛行場の詳細ありがとうございます。
檻を見て見学に参ります。
ちなみにサンプラではもしやプールにいらっしゃいましたか?
違ったらすみません。

円山村の文化住宅、女中部屋や隠居場があり驚きです。
1軒屋に暖房(しかもペチカ)2つ・・・ブルジョアですね。
現在の界川、旭ケ丘、伏見の辺りにありそうな雰囲気だったのでしょうか。
もし文化住宅の跡(現存するものでも)があればぜひ拝見してみたいものです。
暇を見て該当地区をうろついてみます(不審者と間違われないように気をつけます)

>>232に馴れ合い禁止と書いてあったのでsage
236牛鍋蝸牛:2003/09/21(日) 05:28:04 ID:lDAjH92g [ N047036.ppp.dion.ne.jp ]
>>235
そう言えばプールなんて、何十年も入ったことないな〜(W
サンプラザで初めて、「FBIバッジ型」の本物の警察手帳を見ましたよ。

「文化住宅」ですが、ちゃんと現存しています。
去年の文化の日に、18丁目さんが取り上げられたことをご記憶の方いらっしゃるでしょうか?
「その四」#192です。
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/4_log.html#192
それに反応して#194でまたワシが、くだらぬ事を書いていますけど(W

この「文化住宅」が現存する街としてSTVテレビ「北のなるほ堂」が紹介したのが、「博士町」。
「博士町」といえば、あ〜た、そりゃ当然「北区桑園」…?
STVはそう放送しちゃったんだよね。
先日フジTVが「とくダネ!」の中で、「町村農場」を「ちょうそうのうじょう」とやって、翌日訂正していたけど、在札の放送局としてはSTVちとはずかちい。

閑話休題。
で、奇しくも「桑園」がまた登場しました。
既出ですが、文化住宅を改めてご覧ください。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=405 
から5枚。
ちなみに関西で「文化住宅」といいますと、全く別モノになりますのでご注意を。
237なまら名無し:2003/09/21(日) 11:08:41 ID:1s.cARK2 [ P136026.ppp.dion.ne.jp ]
桑園小の開校にかんしては
「札幌の小学校」の10ページと100ページを読まれよ
他人のことは言えぬが
買った本はたまには開いてみたい
238牛鍋蝸牛:2003/09/21(日) 11:47:44 ID:lDAjH92g [ N047036.ppp.dion.ne.jp ]
>>237
おお!朝寝から覚めると、天の声。
「札幌の小学校」のP10といえば、一番最初のページですがな…。
ね、最初のページくらい読めってね(w
「さらに昭和に入ると二年に東橋小が東小、苗穂小、豊平小から、翌年には桑園小が北九条小、大通小、円山小から(略)それぞれ生徒を迎え開校した」
P100には、
「桑園尋常小学校(昭3.4.1)―桑園尋常高等小学校(昭5.4.1)―桑園尋常小学校(昭6.4.1)―」
と、記述されておりました。
>>237さん、ありがと〜。
ということで、「桑園小学校」はKさんのお説のとおり、「昭和3年開校」です。
同書巻末の各小学校に行ったというアンケート結果を元に書かれた「札幌の小学校のすべて」はどうやら間違っているようです。
239なまら名無し:2003/09/21(日) 13:10:32 ID:qenOaKF. [ P136011.ppp.dion.ne.jp ]
>>238
その部分の記述に一校だけ札幌市外の小学校が登場している 円山町の円山小学校
これは札幌市の児童の一部が円山町の小学校に通っていたのか
円山町の児童の一部を札幌市の小学校に迎えたのか
札幌と周辺町村の関係を考える上で興味深い

ちなみに昭和24年開校の幌東中学校は
当時の札幌市と白石村の境から道を一本へだてた白石村内に建っている
市内幌東地区に適当な土地が無かった札幌市が白石村に頼んで
生徒を受け入れる条件で敷地を貸与(寄贈?)されたらしい
240なまら名無し:2003/09/21(日) 13:14:08 ID:qenOaKF. [ P136011.ppp.dion.ne.jp ]
ちょっと話題がずれるが
10ページと100ページで
我が母校の東橋小学校の開校年が違っている
どうも学校の設立認可の年を100ページでは開校年にしているようだ
http://www.azumabashi-e.sapporo-c.ed.jp/his.htm
241牛鍋蝸牛:2003/09/21(日) 14:54:32 ID:lDAjH92g [ N047036.ppp.dion.ne.jp ]
>>240
認可年月日と実際の開校年月日と二つあるわけですね。
「札幌の小学校」のP96「小学校の発生と系統」を見ると、確かに、
「学校の設置認可年月日と開校年月日とを全部にわたって明らかにすることは不可能なのでどちらかに処理した」
と、なっていますな。
ということは、巻末の「札幌の小学校のすべて」にある「桑園小」の"創立年月日"は設置認可年月日なのかも…。
あ、この前「桑園小のHPはない」と書きましたが、よく探したらありました。
訂正してお詫び申し上げます。
なお、"開校(創立)年月日"は出ておりませんでした。
>>239についての考察、ただ今しております。
う〜ん、ヒントはつかんだのだけど…。
242牛鍋蝸牛:2003/09/22(月) 21:26:42 ID:6CtZFLWs [ L066190.ppp.dion.ne.jp ]
>>239
初期教育における札幌市と周辺町村の関係。
結構悩んでいろいろ考えてみたんだけど、ま、これを読んでもらうのが一番だと思いますので読んでね。

「新札幌市史」(四)のP148「札幌村域の札幌市編入」
「札幌村では明治四十三年にも村の一部が札幌区に編入となっていたが、その際に札幌市では新川添の編入を希望していたものの、札幌区では時期尚早として編入を見送っていた経緯があった。将来を見越して新川添の学齢児童に関しては、札幌区では無償にて受託教育をおこなっていた」

尚、「新川添」とは創成川流域の地区のことだそうです。
札幌に編入予定のところの子どもは、札幌区が無償でお勉強を教えてくれていたんですね。
「円山小」と札幌市の関係がこういう関係だったかはわかりませんけど。
243牛鍋蝸牛:2003/09/23(火) 21:07:56 ID:oOpBZzzI [ L066180.ppp.dion.ne.jp ]
今回は元々は「円山」の「宮の森・宮ヶ丘」ネタだったんだけど、「桑園」もからんで歴史に偏った感がありました。
ちょっとだけ軌道修正します。

「荒井山町」ってご存知でしょうか?
「宮の森」は「旧琴似町十二軒」だけがその前身であったと今まで理解していたのですが、なにやら「荒井山町」というのも一枚噛んでいたというのです。
もちろん「荒井山」はよく知っているのですが、住所として「荒井山町」というのがあったとは…。

「北緯43度 札幌というまち」(札幌地理サークル編 昭和55年)より、
「昭和18(1943)年に琴似が町政をしいた際に、平坦地の十二軒と山側の荒井山町とが宮の森と改められた」(沼田武氏)
「さっぽろ文庫1 札幌地名考」では「荒井山町」の項目はありません。

「円山物語」http://www5.ocn.ne.jp/~doshinmy/story/story.html には、「荒井山」に関してこうあります。
「荒井山は古くからの土地所有者の姓名にちなむ。戦後の農地改革で5人の耕作者に分けられた後、札幌市が土地を買い取って公園化した。このため、周辺部の宅地化の波に呑まれず、永く市民スキー場として残った」
確かに現在、「荒井山」の住所は「宮の森」です。
244なまら名無し:2003/09/24(水) 06:32:55 ID:QKQU/SDw [ s110144.ap.plala.or.jp ]
テレビで市バスのDRが速度違反で逮捕,そのバスに「水揚場」って書いてありました。
こんな地名あるの?
あと小林峠手前に「山水団地」というのがありますがあれも地名?
24518丁目@本村:2003/09/24(水) 06:48:45 ID:pTtW99lk [ p17026-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
水揚場はやや詳しくやりましたね、特に↓の実地レポートがお勧め。
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/9_log.html#171

山水団地については私も実はずーっと気になっていましたです。
246牛鍋蝸牛:2003/09/24(水) 22:43:28 ID:KkK20My6 [ L066180.ppp.dion.ne.jp ]
あそこら辺を「山水団地」というのですか。
「トモエ幼稚園」とかの向かい側ですね。

団地の名前ってなかなか興味深いです。
そこの開発会社によって付けられた名前なんかもありますから、必ずしも地名ではなかったりします。
たとえば以前にやりました西茨戸の「北商団地」。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=420 

で、「山水団地」ですが、全然わからないな〜。
(うちにある「サンスイ」といえばオーディオアンプだけ)
24718丁目@本村:2003/09/24(水) 22:51:12 ID:pTtW99lk [ p17026-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
雁来街道路地裏横丁に札幌村の沿革が張られていましたよ。
248なまら名無し:2003/09/24(水) 23:01:24 ID:gLnXlU/g [ r030178.ap.plala.or.jp ]
>246
ごっつ遠くまで見える・・・
249なまら名無し:2003/09/26(金) 04:30:01 ID:jcZ8nQ3k [ p1089-ipad11niigatani.niigata.ocn.ne.jp ]
ご無沙汰しております。
ISMという雑誌の10月号の編集後記でこのスレが紹介されているのに気がつきました。
(ぶ)さん、申し訳ないけど全文引用させていただきますね。

匿名参加のローカル掲示板「まちBBS北海道版」(http://hokkaido.machi.to/hokkaidou/>に
「スレも立たないマイナーな地名in札幌」というスレッドがある。
札幌の地図や地名から歴史をたどり、今に残る見所を見つけるという趣旨で1年ほど前に始まった。
文献を漁り、現地調査に赴くことで新たな事実が浮かび上がってくる。
身近な歴史を発掘する醍醐味を味わえる良スレだ。
参加者が過去ログをまとめたサイト<http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/>も登場した。
圧巻は札幌温泉。調査の過程で公的資料に掲載された写真の裏焼きが明らかになる場面などは、
読むだけである種の感動と興奮を禁じ得ない。
白石遊郭やサムライ村、りんご園と石川啄木など興味深いテーマも多い。
変わったところでは、河川敷しかない雁来町の謎というのもある。
地図を眺めているだけで、ちょっとした疑問がわく。関連する文献を読む。現地調査で現状を確かめる。
新たな疑問が浮かぶ。とにかく面白い。目下、一押しのオススメスレである。
250牛鍋蝸牛:2003/09/26(金) 07:18:29 ID:xuJZH4CM [ L066180.ppp.dion.ne.jp ]
みなさん、先ほどの地震、「あ、びっくり…」でしたね。
「♪ げっげっ月桂冠」のCMみたいに揺れました…。
冗談はともかく、被害に遭われた方にはお見舞い申し上げます。

>>249
serinagyさんですよね?
ご報告ありがとうございます。
「月刊ISM」さんに誉められました。
ワシ、単純なので嬉しいです〜。
今日買ってこよう!
今後も興味深いネタを探して、みなさんとシコシコやっていきたいですね。

余震には注意しましょう。
251牛鍋蝸牛:2003/09/26(金) 21:07:38 ID:daCDhBx. [ N045194.ppp.dion.ne.jp ]
今回の地震、情報が集まるにつれ被害の大きさも明らかになっていますね。
ウチも一時、断水しました。
他に被害といえば、休みだったのに早朝に起こされて一日中寝不足で辛かったくらいですけど。

さて、皆さん覚えていらっしゃいますでしょうか?
あのトウキビ、「札幌八行」…。
ひんかもさんのサイト「札幌村史」http://sapporo.cool.ne.jp/hinkamo/ の附録、1957年発行の「岩波写真文庫236 札幌」のP46-P47に写っているトウキビです。
「その九」http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/9_log.html でちょっとだけ盛り上がりました。
一回り八列しか粒のない(つまりは粒が大きい)、細長いトウキビです。
大きいものでは長さ30cmあります。

これは明治の初めに、開拓使が米国から北海道に導入された「北方フリント種」と呼ばれる品種の一種で今では幻なんですが、ネットで見つけまして注文していたものです。
ちょうど二ヶ月経ちまして、本日我が家に到着しました。
味も香りもお届けできません。
画像をどうぞ…。
とりあえず茹でてみたけど、こいつを焼いたらもっと美味いだろうなぁ。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=707 
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=708 
一本、440円。
252東区在住:2003/09/27(土) 01:36:57 ID:gekVNy7w [ m205.218-225-215.megafit.me-h.ne.jp ]
遅ればせながら・・・皆様無事でしょうか?
東区は地盤が悪いのでめちゃくちゃに揺れました。
冷蔵庫が倒れそうでした。
まだまだ余震がありそうなので怖いです。
皆様もお気をつけ下さいませm(__)m
253真駒内川:2003/09/27(土) 08:23:19 ID:qIrcbnE2 [ p6eddcf.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
古い話を蒸し返します。
吉田山なのですが、現在地名自体はありませんが古い地形図を見ると
山らしきものがあったようなので調査してまいりました。(暇だったのでー)
付近は小高い丘のようになっていて、現在道営白樺団地付近が該当するものと思われます。
(違うかなぁ、自信ないし・・)
その団地の中の公園に唐突に存在する小山を発見しました。
まぁ人工山でしょうがね。
取り合えず吉田山頂上と勝手に命名してみました。
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0053.jpg
254牛鍋蝸牛:2003/09/27(土) 09:49:59 ID:UdB2uK3. [ N046102.ppp.dion.ne.jp ]
真駒内川さん、お久しぶりです。
半年振りくらいかな?
実地調査お疲れ様でした。
「その六」で登場しました「吉田山」ですね。

「大正5年頃の地図」にその名が残っていましたが、最終的な位置の確認をしたような、しなかったような。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=484  
で、まぁ、実地調査行っていないので大きなことは言えないのですが、この地図からワシが判断する所によりますと「道営白樺団地付近」より東側ではないかと思うのですけど…。

実は「吉田山」の名にちなんだ公園が二つばかりあるようです。
「南郷通20丁目南」の「吉田山公園」と「同19丁目南」の「吉田山第2公園」。
大正5年頃の地図でもここいらが「吉田山」と記載されています。
すんません、も一度、実地調査行っていただけますでしょうか?(w

え〜、昨日今日休みなのですが、結構忙しく活動休止状態です。
昨日は家でネットを手がかりに抵当権抹消手続の書類を作成(苦労した)、それを法務局に持っていきました。
相談コーナーへ提出してみてもらいましたら、2ヶ所ばかり直されましたが、「勉強の成果あったね。合格!」と10分で終了。
今日は病院へ行かねばならない。(病弱。ゴホゴホ…。あわせて10歩)
忙しい!!
255なまら名無し:2003/09/27(土) 11:35:15 ID:g4TOBNYQ [ Y058052.ppp.dion.ne.jp ]
「札幌師範附属尋常小学校(現・北海道教育大学附属札幌小学校)開校五十周年記念誌」(昭和11年刊)より抜粋。
143に少し関連しますが、明治二十年頃の札幌で少年期を過ごした人の文章はちょっと珍しいのでは?(文語体で少し読みにくいですが・・・)
それにしても創成川に鮭が上っていたとは・・・


「思ひ出」
明治二十四年卒業生  荒城二郎(注1)

明治十三年札幌産の一半白老に候、御校に入学したるは多分明治二十年かと存候。
其後引続き同二十五年高等二年の秋札幌を去るまで御厄介に相成候。
爾来年を経る事実に四十五年、此間東奔西走相当変化多き生活を為し、且つ東洋は勿論欧米南洋豪州等をも旅行はし候得共、
顧みて遂に札幌に優る地なく札幌時代程懐しき時代は無之候。
其頃は市中の小学校としては創成小学校と二校のみにて、少しく離れて山鼻小学校等ありしが、
附属小学校は農学校に次ぐ高等学府師範学校を背景として、一段上の学校なりとの自矜を有し一般に上品なりし様に記憶致候。
何分当時の札幌は現今とは大に趣を異にし野趣満々たるものあり、特に入学地獄等申す事は夢想だもせざる所にて予習もなければ宿題もなく、
随而日曜日や休暇中に本を読む等申す事は絶対になく、真に暢々と文字通りに能く遊び能く学びたるものにて、
今日の少年を見ると誠に気の毒に堪えざると共に、之で宜しきやと折々首を傾けしめられ候。
当時の学科は大体今日も同様にて、尋常科にては修身読方作文(毛筆の候文多し)算術習字体操実業の七科目(唱歌は確かにありしも正科にあらず)、
高等科にては是に地理歴史理科図画英語を加えたる事に候。
要するに今日の進歩したる教育は当時巳に立派に備はり居候。
尤も教科書としては読方と習字手本の外殆ど全部筆記したる様に覚え、先生方の御苦心は容易ならざりしかと今日深く感謝致居候。
先生の内に一人アイヌの習字の先生あり非常に立派な字を書かれたるを記憶致居候。
先の内実業といふは農業の事にて、当時吾々は農業立国論を深く肝銘せしめられたるもの候。
而して正科として、主に北海道に適する蔬菜穀物の栽培を教へられ、就中面白かりしは近くの空地に一坪余の土地を貸与せられ、
春夏秋毎週一回位先生引率の下に鍬を担いで実習したる事にて、秋に至り自作の小豆五升薯(注2)等を袋に入れ家に持ち帰りたる愉快さは今尚忘れ難きもの有之候。
爾来深く農に趣味を持ち、職業は農に非ざれ共終生この道に親しみを持ち申候。
此の農業科のありし他学問の方は大体今日と大差なかりしも、遊ぶ方面自然に親しむ方面は実に恵まれたるものにて、
幼時の事故誇大的に感じ居るかも知れず候得共、天下無類の感あり候。
登山昆虫植物採取魚捕兎狩葡萄コクワ採り雪上そり等々枚挙に暇なく、之が悉く尋常小学生が勝手に行き得る道程の所にて為し得たる当時の札幌は、
誠に自然に恵まれたるものに候。
小生など自然に親しむ趣味は全部当時培はれたるものに候。
尤も其頃は折々創成川に鮭上り来り、偕楽園池畔にてカハセミを巣窟内に捕へ、春は大抵鳥の雛を巣諸共持帰り居り、
秋の遠足には熊を怖れてラッパを携帯すといふ次第にて多少今日とは異り候得共、山河依旧千古変らず此の美しき大自然に恵まれたる札幌の我母校の諸君は、
良く之に親しみ徒に東京等を夢見ずに、高潔に雄大に成人せられん事を切望致居候。
以上母校を去りてより五十年近くも龍宮ならぬ浮世の荒波に揉まれ来りし浦島太郎が、懐郷の気分宜しく自分独りだけは思ひ出すだに面白く珍らしげにも書き記し候得共、
最近の五十年は其前の五十年程の大変化なく、小生は現状詳知不致候得共、或は案外現状も似たものかも知れず唯御要望に応じ追憶の一端を記し候。


(注1)荒城二郎(1880〜1952)海軍中将。札幌市生まれ。ドイツ駐在武官・第一遣外艦隊司令官・横須賀工廠長などを歴任。
退役後は日本製鉄(現新日鉄)取締役、北樺太石油社長などを務めた。
(注2)ジャガイモ
256255:2003/09/27(土) 11:39:37 ID:g4TOBNYQ [ Y058052.ppp.dion.ne.jp ]
あ、文中に出てくる「偕楽園」については、これを参照。
http://www.city.sapporo.jp/kitaku/episode/epi/05tenka.html
25718丁目@本村:2003/09/27(土) 16:19:21 ID:z6QKUQ12 [ p17026-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
なんだか活況を呈してきましたね。
牛鍋さん八行いいですね。
私も購入検討したんですが、買わなかったのです。
で、どこかで売っていないかなと調べたところ、岩見沢の商店街に、
今でも八行を露店で出している婆ちゃんが居るそうで、近々にチャレンジ
してみようと思っています。

あそれから、今日テレビで「ファイターズ通り」紹介していましたね。

>>255さん
創成川に鮭ですね。 最近もまた鮭は創成川に上がってくるみたいですよ。
何でも水温が排水のおかげで温かいのがいいんだとか。
258なまら名無し:2003/09/27(土) 16:24:46 ID:Ee5nKB86 [ n00058.com201.phs.yoyogi.mopera.ne.jp ]
>>255
よく見つけたな・・・
259牛鍋蝸牛:2003/09/27(土) 16:33:56 ID:UdB2uK3. [ N046102.ppp.dion.ne.jp ]
「割烹 いく代」がらみでやりましたね、「偕楽園」。
「その五」#112
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/5_log.html#112で、発寒1条1丁目さんが書きこんでおられますように、「偕楽園」を流れていた「サクシュコトニ川」の池を利用してサケの孵化場があったくらいですので、当時の札幌のではあちこちでサケが遡上していたのでしょう。
ワシ、何年か前に「余市川」で見たことあります。
あそこも孵化場あるんですよね。
あれ、そういえば数年前から「創成川」にサケ上ってきていませんでしたっけ?
(…って、書いたら18丁目さんに先に書かれた)

「札幌師範附属尋常小学校」。
なんとなくいいネタのオイニ〜(香り)が…。
これも引き続き「円山ネタ」だし。
明治19年に札幌と函館の師範学校が統合され「北海道師範学校」になってます。
「歴代の地図」http://pernoi.chu.jp/chimei/chizu.html ではもともと開拓使以来「練兵場」であったところが「師範学校」となったようです。
この地図では「付属小」は、大正15年にならないと表記されていません。
そして、昭和11年の地図では「師範学校」自体は今で言う、「旧・教育大」(現・札幌中央図書館附近)に移転していますね。

で、肝心かなめの「北海道師範学校」は現在の「札幌医科大学、および付属病院」にあった…。
しかも用地はまるのまんまです。
「さっぽろの昔話」にはよく「師範学校」が出てくるのに、今の今までそれがどこにあったのか確認しておりませんでした。
反省。
「札幌八行」今日焼いたのを食します。
そのためわざわざホーマックで醤油塗る刷毛、買ってきたんじゃ!
グルメレポート、刮目して待て!
260真駒内川:2003/09/27(土) 16:45:16 ID:5Ww9A7PA [ pae2d8d.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
えー吉田山は白樺団地の東側ではご指摘ですが、そこは東側に向かって坂地で
「山」という地形ではありませんでした。
大正5年頃の地図にある「吉田山」と書かれた部分の左側にある道は
現在のJICAの横の通りで栄通16交差点から国道12号線に抜ける道路
に当たります。
また、「吉田山」の文字の右側に学校に記号があります。これは大谷地小学校です。
昭和23年頃の航空写真でもこのあたりに山らしきものが写っています。
これらのことから「吉田山」は白樺団地付近でまず間違いないと思われます。
ちなみに、この周辺の地形は札幌南部の焼山・羊ケ丘から続く台地で、函館本線を超えて
東川下まで延びています。
吉田山公園は吉田用水に接していた関係で名が付いたのではないかと思います。
といっても先日の調査では、吉田山公園を探すつもりがド勘違いしてとんでもないところを
歩いていたので、後日再調査に行ってまいります。(ToT)
261牛鍋蝸牛:2003/09/27(土) 17:38:21 ID:UdB2uK3. [ N046102.ppp.dion.ne.jp ]
真駒内川さん、失礼しました。
もいちど、よ〜く現在の地図と見比べましたら、真駒内川さんのおっしゃっている通りだと理解できました。
「白石神社」からの距離を読み間違えていたようです。
「東白石小」、「東白石中」と「大谷地小」の位置関係を見比べましたら分かりました。
昭和23年の航空写真って、
ttp://www.city.sapporo.jp/shiroishi/rekishi/pdf/reki40_41.pdf ですね。

となると、二つの「吉田山公園」ってちょっと離れた位置にあることになりますね。
いわば山の麓みたいな。
262真駒内川:2003/09/28(日) 16:28:47 ID:0G2Za4FI [ p29b3f6.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
吉田山公園と吉田山第2公園の現地調査に行ってまいりました。
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0054.jpg
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0055.jpg
何の変哲もないただの公園であります。
名前の由来も何もなくちと寂しい気がします。
吉田用水は無くなって道路の線形にその名残を留めるのみのようです。
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0056.jpg
ところでこの現地調査の下準備で道路地図を見ていると白樺団地横の
向ヶ丘通りの、旧千歳線との交差部分に不自然な線形の道路があるのに気づきました。
車で現地調査に向かう途中に通り掛りましたが詳しく見ることが出来ずに帰ってきてしまいました。
昭和23年頃の航空写真では千歳線の交差部で丘の縁を回りこむ形で道路が存在するのがわかります。
その部分に柵で囲われた建物があるように見えます。
どなたかこの場所のことがわかる方がいらっしゃいましたら教えてください。
263なまら名無し:2003/09/28(日) 19:37:12 ID:dbiM12WU [ YahooBB219042180196.bbtec.net ]
ふぅ、やっと追いついた・・・w
ところで、古い話題で申し訳ありませんが、市営バスの硬石山の呼び方ですが、
ずっと「こうせきやま」だったのが、ある日急に「かたいしやま」になって、
半年か1年くらいでいつの間にか「こうせきやま」に戻ったと言う記憶があるんですが・・・・・.
264牛鍋蝸牛:2003/09/28(日) 21:33:05 ID:/ObTdonc [ L066104.ppp.dion.ne.jp ]
いろいろ面白いネタが出てきました。
い〜感じです♪
ということなのですが、今日はワシお休みします。
仕事持って帰ってきているので…。
265牛鍋蝸牛:2003/09/29(月) 20:59:57 ID:2sgBrdUI [ N046236.ppp.dion.ne.jp ]
>>263
「こうせきやま」と「かたいしやま」に関しては、本スレが立ってから何度か話題になったと記憶しております。
いずれはやらねばならないネタと認識していますが、未だ到達できぬ状態です。
志のおありの方は、是非レスを戴きたいですね。

「吉田山」。
真駒内川さんが挙げられた「不自然な線形の道路」って、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=709
ですよね。
吉田善太郎氏が亡くなったのが大正5年。
奇しくもその年の地図が既出である、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=484 
です。
Web上では不鮮明で見づらいと思いますけど、「不自然な線形の道路」の辺りには「集落」があったようです。
この集落って(だとして)、用水が出来てからのものか、それとも集落があったから用水を通したのか…?
う〜ん…。
あ、「師範学校」も気になるし〜。
266牛鍋蝸牛:2003/09/30(火) 21:06:36 ID:mQzfSCRQ [ N044249.ppp.dion.ne.jp ]
いまや幻のトウキビとなりました、「札幌八行」のレポートです。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=707  
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=708 

我が家に到着しました「札幌八行」は10本。
長さはまちまちでして、長いもので30cmというところ。
実のなり方も野性味万点でして、かなり不ぞろいです。

一周に粒が8個しかないので「八行」とか「八列」とか言われるのですが、いくら芯が細くて粒が大きいとしても"造作"としてはかなり無理があります。
来るまでそれがとっても不思議だったのですけど、現物を見て「なるほど」と…。
それは二列ずつペアになり、4つの塊となって芯に取り巻いているのでした。
つまり、ペア間は結構隙間が開いた状態になっているのです。
しかるに、その隙間に歯を入れることが出来、なかなか食べやすい。
最近のトウモロコシは粒がびっちりと詰まっていて、歯が立たないでしょ?
その癖、粒が柔らかくって、キレイに食べるのが難しいよね?
「札幌八行」は粒が固めですし、取れやすいので美しく食べきるにはいいかも。
味は、甘味は少なく、モチモチした食感ですが、冷えると固くてボソボソとなりますね。
茹でただけより、焼いた方が香ばしいかもしれません。

以上、つたないグルメレポートで申し訳ありません。
267(ぶ):2003/10/02(木) 16:18:20 ID:gxbWYZ5w [ p9131-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
皆様、はじめまして、こんにちは。

〉〉249さん(serinagyさん?)にご紹介いただきました、
ISMという雑誌の(ぶ)という者です。
今年の春くらいからROMしていました。
編集後記のネタがなかったので♪
使わせていただきました。

牛鍋蝸牛さん、お買い上げありがとうございます♪♪

ところで 〉〉249さんが取り上げていただいた
この機会を利用して、ご相談したいことがあります。
皆様のご了解が得られれば、
『月刊ISM』でこのスレのネタを取り上げてみたいと、
不埒なことを考えているのですが、
いかがでしょうか。
企画料・アイデア料・原稿料その他、
ギャランティーはお支払いできませんが(^^;

ご意見を承りたく存じます。
よろしくお願いします。

メアドさらしますので、メールでも結構ですよ。
268新川番地:2003/10/02(木) 20:36:23 ID:9C.LNB/w [ YahooBB219041108017.bbtec.net ]
牛さん、どー思います?

雨なので(なんせ建設業界なので)久しぶりにざーっと読んでました
そーいえば牛さん他スレでお会いしました?いや、それはともかく

(ぶ)さん、初めまして。自称このスレの句読点もしくはお囃子要員の新川番地です
まずはネタとか何とか言わずここに居着いてはいかがですか
269真駒内川:2003/10/03(金) 00:12:40 ID:P/bXNg9w [ p6241c2.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
スレ紹介までなら許せるけど、どぉーかなぁ。
各参加者の個人的趣味みたいな進行だし、
必ずといっていいほど荒らしみたいなのが乱入してきて、以前のように掻き回して行くから
あんまり賛成できないなぁ。っと思ったりして、
・・はい次の方どうぞ!
270牛鍋蝸牛:2003/10/03(金) 05:59:07 ID:nQ6YzJEo [ N045039.ppp.dion.ne.jp ]
新川番地さんへ。
「あび」のホルモンは豚!

>>267
(ぶ)さん、初めまして。
いっやぁ〜、実は結構探したのですが(ホントですよ)、残念ながら「月刊ISM」発見できませんでした。
ワシ、「図書館ネットワークマガジン SWAN」も欲しいし、「月刊ISM」も欲しい…。

本スレの「ISM」さん転載の件。
う〜ん、悩ましいですね。
スレの宣伝には格好なのですけど…。

ま、不特定多数の皆さんのレスがあって成り立っているのがネット掲示板です。
また、書き込みしてる方だけではなく、ROM会員の方も参加者とワシは考えています。
全員の意見を伺うわけにもいきません。
少なくとも、営利目的ではない利用なら皆さんのご理解も得られ易いとは思うのですがねぇ。
271(ぶ):2003/10/03(金) 11:29:44 ID:dYHGYKMc [ p9131-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
新川番地さん、真駒内川さん、牛鍋蝸牛さん、
レスありがとうございます。

初カキコでいきなりの「ネタ使わせろ」ですから、
不躾かなと思いつつ、活字の形で残しておきたい、
という気持ちから、投稿しました。

新川番地さんのおっしゃるように
まずはここに居着くことが先決かもしれませんね。

真駒内川さん、
荒らし乱入を完全に防ぐことはできないかも。
しかし、極力乱入を招かない工夫はできるかも。
雑誌に掲載する記事の書き方次第でしょうか。

牛鍋蝸牛さん、
ここだけの話ですが、ISMはあまり売れてません(泣)
2大取次の片方には見放され・・・・・
それはともかく、
「営利目的ではない利用なら」とのこと。
小誌は商業誌ですから、記事掲載による
売上増が仮にあれば、営利になってしまいますね。
う〜ん、ホントに悩ましい。

掲載の仕方など、皆様のご理解を得られるような案が
浮かんだら、再びこの場を借りてご提案したく存じます。
基本的にはそのまま転載ではなく、
ここで展開された足跡をたどる(再取材する)という
過程を踏みたいと考えています。

それから、小誌は中央図書館に置いてますので
よろしければどうぞ。
本物を入手したいということでしたら、
カラで結構ですのでメール下さい。
272SWAN:2003/10/03(金) 14:56:41 ID:KndO40n2 [ p4003-ip02sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
牛鍋さん、お久しぶりです。
私のパソコンは業務兼用なので、「大規模ホスト規制中」の壁に
ぶつかってしまい、うまく書き込めないのです。2階にある妻の
パソコンから書き込まなくてはならず、不便です。
(なんとかしたい…私もここに参加したいです…)
『SWAN』は先月から牛鍋蝸牛様宛の封筒につめて、いつも私の車に
置いてあります。お礼の意味で小社発行の『啄木カレンダー』も同封
しました。よろしかったら使ってみてください。問題はお渡しする
方法なのですが、よくここに登場する「あび」の方にお預けするのは
どうだろうかと考えています。お店の方の迷惑にならなければ、その
ような方法でお届けしたいと思っています。

さて、現在進行中の「円山〜師範学校」話題、たいへん興味深く読ませて
もらっています。というのは、私も今、大正末期から昭和4〜5年頃まで
師範学校の(たぶん)向かい側にあった「札幌第一農園」について調べて
いるところなのです。
宮沢賢治が設計した花壇に「テアフル・アイ(涙ぐむ目)」という有名な
作品があるのですが、それを実際に自分の花壇で作ってみようとしている
HPの方がいまして、その人からいただいたメールがきっかけです。
宮沢賢治は、その花壇に植える花の苗(種)を、この「札幌第一農園」に
発注しているのです。また、この「札幌第一農園」は、別の意味でも有名
です。それは、建物が、あの「札幌モダン」田上義也の設計になる建物
なのです。
ひょんなところから、宮沢賢治と田上義也という二大巨匠がつながって、
たいへん興奮しています。ただ、この「札幌第一農園」は非常に短命で、
道立図書館所蔵の『札幌商工人名録』で見る限りは、「昭和4年度版」に
ただ一度きり社長の「安部信明」の名と社の広告が載っているだけで、
その前後の「大正14年度版」にも「昭和12年度版」にも、もうその
名前は出てきません。
文書館、札幌市立図書館は、まだ行っていません。ここの流儀で言えば、
その「札幌第一農園」があった「南2條西13丁目」の現場(!)にも
足を運んでいません。

まことにだらしない調査で相済みません。もうちょっと、やることを
やってから書き込むべきかとも思ったのですが、なにかしら、ひとりで
動いているよりも、こちらのスレッドにあげた方が画期的な情報に行き
当たるのではないかという気がしまして、つい書いてしまいました。
スレットちがいならば、お許しください。
273牛鍋蝸牛:2003/10/03(金) 16:01:08 ID:nQ6YzJEo [ N045039.ppp.dion.ne.jp ]
>>271
(ぶ)さん、今の所はそんな感じで…(w
時期が熟せば、また状況も変わるかもしれません。
ワシも8月に「あびマス」の紹介で「さっぽろ村ラジオ」というFM局に出演しましたが、この件、実は悩みました。
どう悩んだかと言いますと、皆さん参加のスレの話題を勝手にラジオで喋っていいものかどうかと言うことと、真駒内川さんが心配されてるのと同じく、煽りの対象になりゃしないかと言う点ですね。
結果的には皆さんからの反応は良かったので安心しましたけど。
(今後の出演に関しては、こちらの思惑とちょっと違っているので、現段階ではその気持ちはありません)

>>272
SWANさん、どうも。
そうですか、いただけます?「SWAN」。
「あび」にはSAWNさんのことはとっくに話してありますので、言ってもらえればOKです。
ただ申し訳ありませんが、行ったらラーメン食べてやってくれますでしょうか?
でも、SWANさん小樽でしょう?
そのために札幌来るようでありありましたら申し訳ないので、こちらからでもお伺いいたします。
ついでがあって、ラーメン食べたいなら「あび」で(w

「札幌第一農園」なんとなく興味をそそられます。
「師範学校」も絡めていっちょ、やってみますか?

え〜、最後に言い訳の常套句で、月末上旬は忙しい…。
ここのところちょっとサボり気味なんですけど、そういうことでお許し願いたい。
今日は休みだったのですが、6時から「かに将軍」に蟹食わねばならないし。
かにたべいこう〜♪ はにかんでいこお〜♪ (季節はずれ)
274k:2003/10/03(金) 16:22:20 ID:aC8poJFY [ customer71-242.mni.ne.jp ]
私のパソコンがやや不調で、書き込みができず、またまたごぶさたしてしまいました。
ま、ROMだけならできたのですが。
「師範学校」の件
南22条にあった旧校舎の落成は、昭和4年9月と記録されています。「日本近代建築総
覧」(技報堂出版/1980初版)による。ですから師範学校はこの時期に南22条へ移転した
と考えてよいと思います。しかし、付属小学校の移転はこれより20年近くもあとの戦
後になってからです。現在の二条小学校はこの付属小の校地と校舎を市が引き継いだ
ものです。それ以前はこの辺りには市立の小学校はありませんでした。
27518丁目@本村:2003/10/04(土) 19:59:48 ID:iaQ3CgsA [ p16235-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
k様お久しぶりです
円山近辺について私としては珍しく触手が動いています。
以前のk様のこの書き込み↓
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/9_log.html#110
円山の斜め通りについてです。

明治43年に移転した円山村役場の住所は南2西24ですが、私はここ数年来
この付近の「電気食堂」が好きで、たまに食べに行っています。
確かに大きな斜め通りがあり、後から区画された碁盤の目状の通りとの狭間で
小さく三角の遊休地が出来ていたりします。
古地図「札幌郡藻岩村大字圓山道路網図<大正12年>」を眺めてみますと、多数
の小川と旧農道?が、碁盤の目の新区画によってまるっきり覆い被されてしまっ
ているのが見て取れます。

27618丁目@本村:2003/10/04(土) 20:11:17 ID:iaQ3CgsA [ p16235-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
興味深い記述があったのでご紹介します。

大正初期の円山の道路といえば、今の南一条通りを西二十五丁目まで来て北へ折れる
小樽街道、同じ所から南へ南十四条の村界まで行く路の二つが主要なもの。
南一条通りを延長した裏参道(円山公園通)、南二条の墓地道路、円山公園を貫通し
滝ノ沢部落(円山西町)に通ずる連絡路といったものがそれに続く。
北一条通西二十丁目から第一鳥居までの裏参道が開削されたのは大正九年である。

「さっぽろ歴史地図<大正編>」大正の円山より抜粋
27718丁目@本村:2003/10/04(土) 20:22:49 ID:iaQ3CgsA [ p16235-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
村内には小川が多かった。幾筋もの流れを集めた主流二筋が並行しながら北流、
北三、四条西二十五、六丁目の重兵衛沼と呼ばれる沼沢地に注ぎ、さらにそこから
北へ、村界のコトニ川支流ヨコスベツ川に合流していた。
この静かなたたずまいの農村を住宅地へと急変させたのは、大正十二年の電車開通
と、それと前後して進められた道路網整備事業である。
この事業は、村界まで延びていた札幌の条丁目道路に接続させて村内に碁盤目道路
を開削しようとするもので、村を挙げて取り組んだ大規模なものだった。
桑園地区にあった円山村民共有財産の土地三十四町歩を藻岩村に指定寄付、その売却
金の中から十五万八千円を事業費にあてた。大正十一年計画案をまとめ翌年着工。
建物の移転は補償したが、道路用地はすべて無償寄付であった。
<一休み>
27818丁目@本村:2003/10/04(土) 20:34:02 ID:iaQ3CgsA [ p16235-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
279牛鍋蝸牛:2003/10/04(土) 21:24:03 ID:qB82ICWk [ N045039.ppp.dion.ne.jp ]
Kさん、PC不調でしたか。
ワシは不測の事態を回避すべく、後継機の導入を考えています。
今度は自作してみようかなと、ただいま勉強中。

さて、SWANさん。
現在の「二条小」をはさんで「師範学校」の東側が「南2条西13丁目」。
ここに「札幌第一農園」というモダーンな建築物があったというのですね。
http://homepage3.nifty.com/field1/subg21.htm がSWANさんのおっしゃる宮沢賢治の花壇の復元を試みておられる方のサイトだと思います。
う〜ん、大正浪漫満載ですねぇ。
「田上義也(たのうえ よしや)」設計といえば、現存しているものとして有名なのは、札幌では「旧小熊邸」(ろいず珈琲館)でしょうか。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=710 
ただ、これは後ほど述べますが、いわば"原寸大模型"だそうで…。

18丁目さん、途中で割り込み申し訳ありません。
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/9_log.html#110 の件、ワシ言っていなかったでしたっけ?
あれはね「山根通り」というんですよ。
「円山」で最も古い道路です。
先月撮った画像をとりあえずご覧ください。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=712 
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=713 
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=714
実はワシ、このちょっと東に、小学校から中学校の間住んでいました。

今日は今日とてちょっと時間がないので、というか、もう眠りたいので各々に関しての詳細レスは後日ということで。
じゃ!
28018丁目@本村:2003/10/04(土) 21:27:37 ID:iaQ3CgsA [ p16235-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
28118丁目@本村:2003/10/04(土) 21:37:06 ID:iaQ3CgsA [ p16235-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
ああ、山根通りの件はこれでしたか↓
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/6_log.html#043
あいすみません。
282真駒内川:2003/10/05(日) 00:20:30 ID:ob98P0vQ [ p6242de.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
本日、札幌文庫別冊 札幌歴史地図「明治」「大正」「昭和」
3冊まとめてゲトー!(ふぅ、疲れた
283牛鍋蝸牛:2003/10/05(日) 08:28:43 ID:KQ46nKkw [ N045039.ppp.dion.ne.jp ]
>>282
あ、いいなぁ。
ワシは一昨日、蟹喰いに行ったついでに南4条4丁目の石川書店にて、「さっぽろ歴史なんでも探見」(北海道新聞社 1993年)をゲットです。
同店にも、「札幌文庫別冊 札幌歴史地図 明治・大正・昭和」のセットがありましたが、高かったにゃ〜。
ワシは図書館にあるやつで我慢します。
284牛鍋蝸牛:2003/10/05(日) 08:58:25 ID:KQ46nKkw [ N045039.ppp.dion.ne.jp ]
これからまた寝ます。
でね、「山根通り」("山根通"と書くと、なぜか座りが悪いので)に関して余談というか、なんというか…。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=712 
の二股部分ですが、ワシが小学校〜中学校の間はこの三角地帯がもっと広くとってありました。
ちょっとした公園といっても良いくらいの広さがあって、ベンチとか公衆電話なんかもあったのですが、えらく狭くなったもんです。
長年この三角地帯(子供だったワシは、道路が斜めなのには気が付かず、三角形の公園ばかりが気になっていた)は一体なんだったんだ?と思い悩んでおりました。
この年になって、本スレを始めてやっと疑問が解けたわけです。
ま、その他のことでも何かことがあるたびにここの風景が思い浮かぶのですけど…。
とっても個人的なことなのですが、ボディビルとかその他のスポーツで筋肉増強剤(アナボリックステロイド等)や人成長ホルモン等の話題が出ると、なぜかこの近くにあった(ような気がする)肉屋さんか、お菓子屋さんの風景が…。
理由は聞かないでね(w

画面左側の二階建ての店舗が見えますが、その当時、確かそこには北海道拓殖銀行の支店か出張所があったと記憶しています。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=713
の道路向こう、グレーの建物があります。
この左隣あたりに、二階の物干し台がある家がありました。
そこは床屋さんだったような気もするのですが、ある日その物干し台になぜかウルトラマンに出てきた「レッドキング」の着ぐるみが干してあったのでした。
ありゃ、一体なんだったんだ?
28518丁目@本村:2003/10/05(日) 10:02:08 ID:Yww4uxys [ p17053-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
牛鍋さんの源風景ですね、277の続きやります。

当時の円山の宅地価格は役場付近で二銭から五銭程度であった。野菜作りの反当り
収入よりはるかに有利である。
地主貸地宣伝ポスターまで作って住宅誘致に乗り出した。一方、電車の円山公園
までの延長で札幌への通勤が便利になったので、村の人口は急ピッチでふえた。
大正十四年四、一九三人。昭和四年八、六一七人そして同六年には一万人を超えた。
茅ぶき農家は柾屋根の住宅になったが、まだ二階建住宅というのはほとんど見られなかった。
大正十三年、札幌温泉土地株式会社が界川地区に広大な土地を買い、温泉娯楽場を経営すると
同時に宅地分譲をはじめ、円山から(市電円山線分岐)直通電車を運行して客を運んだ。
この会社は数年で解散したが、しかし、これが引き金になって、円山右斜面に近郊唯一の
双子山スキー場が開設され、ブドウ・イチゴの特産地だった界川、旭ケ丘一帯は急速に
住宅地への転換の途を歩みはじめた。
<おわり>
286牛鍋蝸牛:2003/10/05(日) 21:15:22 ID:KQ46nKkw [ N045039.ppp.dion.ne.jp ]
>>277
「重兵ェ沼」があったところ、「北三、四条西二十五、六丁目の重兵衛沼と呼ばれる沼沢地に注ぎ…」とのこと。
思っていたとおりでしたので納得。
このあたりは元が沢とか沼だったせいか、現在も道路のうねり(アンジュレーション)が激しいように思えます。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=699 
そして、「重兵ェ沼」跡地にはこんな鬱蒼とした一角があります。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=696 
画像では明るく写っていますが、実際には昼尚暗く、奥のほうまでは見通せません。
当時、この辺りもこうだったのかも、等と勝手に思っていました。

「北4条西26」に「共栄公園」という公園がありまして、この公園、ちょっと面白い形をしています。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=700 
地図ではそうも思えないのですが、実際に行ってみると楕円形なのです。
なんとなく沼の中心地の窪みのように見えなくもないのですが、きっとワシの妄想でしょう。
でも、怪しいんだよな…。
287真駒内川:2003/10/06(月) 00:43:00 ID:R4E3o0Yo [ p62421c.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
本日、ヒマに任せて旧界川跡の探索に行ってまいりました。
18丁目さんが先に参照しています「札幌郡藻岩村大字圓山道路網図<大正12年>」
にある、南4〜5条西24丁目付近に支流の痕跡と思われる箇所が見られました。
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0058.jpg
は南5条西24丁目中通りのくぼ地、
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0060.jpg
は南4条西24丁目のアパートの前が周囲よりくぼんでいます。
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0061.jpg
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0062.jpg
旧境川遊歩道でした。
途中、円山クリニック周辺で途切れていましたが、北一条通りまで辿る事が出来ました。
(うpろだのコメント書き間違えたし、ごみ残しちゃった。だれか削除して・・しくしく)
288真駒内川:2003/10/06(月) 01:36:20 ID:R4E3o0Yo [ p62421c.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
また間違った、「界川」でした。(うぅ
ところで牛鍋さん
「北三、四条西二十五、六丁目の重兵ェ沼」とありますけれど
「札幌郡藻岩村大字圓山道路網図<大正12年>」で蛇行した界川の一部が通っている様に
書いてあるだけで池状のものは書かれていません。
札幌公区連合公区図<昭和15年>」には円山小学校の北側に池が3つ並んでいるのが見えますが、
それより北側は川しかありません。
大正の当時にはこの周辺には界川や琴似川の支流が集まり、又湧水が多かったので
この辺一帯全部は「沼沢地」と述べているように、
池のように境界のはっきりしない沼地だった可能性があるように思えます。
ですので、沼の中心部というハッキリとしたものはなかったのではと思われますが
んー、ドーデショー(長島茂雄調で