厭うべき羅列

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1厭きラヴ
何か文を書き写すことにでもしようかと思う。
なんでも良い。何でも良いんだ。
2厭きラヴ:2001/04/27(金) 16:58
やっぱりsageで立てても出てきちゃうんだね。
まぁいいか。
とりあえず昨日と今日の分を。
3厭きラヴ:2001/04/27(金) 17:00
マラルメ―――ハリスン・ロウドゥズ氏への手紙

 たまさかに集う例の火曜会の一夜、
貴方が私の家でわが友人たちの語らいに耳をお傾け下すったとき、
ふいにアルチュ−ル・ランボーの名前が、数本の煙草のけむりにのって
ゆらりゆらりと揺らめき出でたと云う様なことがあったのかもしれない、
そして、貴方の好奇心によって、茫たる面影が一座に席を加えたのであったろうかと、想像いたします。
 貴方はお訊ねになっていらっしゃる。
それはどんな人物なのか、しかしそれにしてもその人は、『地獄の一季節』、
『イリュミナシオン』、そして最近まとめて出版された『詩集』、という題名の本によって、
その名がほのめかされるや、たとえば人々が不可解にも口をつぐみ、あるいは、
一挙に押し寄せる大量の沈黙と夢想とにつきせぬ賞賛の念いとに身動きならず考え込んでしまう、
というほどの特別な影響を近頃の詩の結果にあたえているのですねと。
 親愛なる客人よ、その人のために楽弓を挙げた偉大なる兄、ヴェルレーヌを、
おそらく奇しき例外として、今日、屈折の革新的詩人たちのうちに、一人でもどれほどかの理解をもって、
ためらうことなくその人アルチュ−ル・ランボーを受け容れる者がいたなどとお思い込みにならないでいただきたい。
それにまた、詩句にあたえられる、というよりは、詩句に奇跡のようにほとばしる自由が、
出来のわるい作品のたどたどしさを一切考慮しなければ、というかあるいは、そのたどたどしい段階を脱するや、
古来の韻律の遊戯の厳密な遵奉者となった者を、自らの証人として喚問することなどおこるはずはありません。
高踏派よりも、ロマン主義よりも以前の世界、というか非常にクラシックな世界を敵として、精神的に異国のものとしか
いいようのない情熱の豪華な錯乱によって生み出された、自由の、この上もない魔術的効果をとくと御鑑賞ください。
その人こそ、流星の輝き、おのれの現存のみを根拠として燃え上がり、ひとりほとばしり出て、消えてゆく。
この有力な通行人が通りすぎなかったとしたら、すべては、以後も、必ずそのまま存続したことでしょう。
いかなる文学的状況もそれを準備したのではなかったのだから。個人的状況が力ずくでいすわっているのです。
4厭きラヴ:2001/04/27(金) 17:01
 今から、この偉大なる人についての私の思い出、というよりはむしろ、私の考えを随所にもりこんで、
さしむかいで貴方におしゃべりするように、打ち解けたお話をすることにいたしましょう。

 私はその人を知りはしませんでしたが、一度だけみかけたことがあります。戦後ただちにつくられた文学者たちの食事の会の一つ、
「醜いが気のよい男たち」の席上でした。ヴェルレーヌが、この食者にささげている肖像にかんがみれば、この会の名はまさに反語です。

 「その人は背が高く、がっしりとして、運動選手といってもよいくらいだった。完全に卵形の流鼠の天使の願貌、
もじゃもじゃの明るい栗色の髪、眼は、人を不安にさせる、淡いブルーだった」。
何かわけのわからぬものに駆り立てられて、思いあがってというか、育ちの悪い娘のように意地悪くつけくわえるならば、
その人は、洗濯女のようでした。熱さから冷たさに移り変わる時、霜焼けで真赤になる大きな手のせいです。
それが一人の青年のものであることを考えると、その手はもっと凄まじい職業をものがたっているようでもありました。
私は知ったのです、その手が、美しい詩をすでに書いていたことを。すねた、嘲笑的なひだを結んだ口は、その一行をも朗読して
きかせてはくれませんでした。
5厭きラヴ:2001/04/27(金) 17:01
  おれが非情の大河をくだっていたとき、
  おれを導く船曳の綱の覚えはもうなかった、
  かしましい赤肌の蛮人どもが船曳を的にと捕え、
  色とりどりの棒杭に身ぐるみぬがして釘づけていた。

という詩も、そして

  子供たちには酸い林檎の肉よりももっと甘い
  緑の水が、樫材のおれの身体にしみわたり、
  安酒のしみ、へどのあとを洗いおとし、
  舵も錨も、ちりぢりに流し去った

そしてまた、

  おれは夢をみた、目くるめく雪の拭き舞う緑の夜、
  ゆるやかに海の眼へのぼる口づけ、
  めぐり流れる未聞の精気を、
  歌うたう燐光が、黄に青に目覚めるのを!

そして、

  時おりは、世の涯を諸地帯をめぐり疲れた殉教者、
  海はすすり泣きながら、静かにおれをゆすってくれた、
  黄の吸玉のある影の花をおれに向かってかざしてくれた、
  おれはそのままじっとしていた、膝まづく女のように……

それから、

  おれは見た、きらめく星の群島を、
  乱れ騒ぐその空を海ゆく者に委ねた島を
  ――この底知れ夜のなかに、おまえは眠り潜むのか、
  数知れぬ黄金の鳥たちよ、おお、未来の生気よ!
6厭きラヴ:2001/04/27(金) 17:01
 そして、この傑作には、天才の目覚めが、原始的な姿で伸びをしているのですから全体の展開をみなくてはならないでしょうが、
その全体がこの新人のうちで口をつぐんでいたのです!
つまり「酔いどれ船」はすでに、あのとき、作られていたというわけです。
わずかの間に人々の記憶に叩きこまれ、人が詩句を口ずさみつづけるかぎり、人の口から湧き出でつづけるであろうものすべてが
口をつぐんでいたのです。同じころか、あるいは、よこしまにして壮大な思春期の頃の作品、
「椅子に坐った人々」
「虱をさがす女たち」
「最初の聖体拝受」と同様に。
公の災禍をまぬがれたばかりの、親しい人々との交わりのなかで、私たちの好奇心が、やや、この青年への注目を
怠っているうちに、この青年に関して一八七二年に行われた、十七歳の彼の第四回目の旅行のことが噂となりました。
このときも、それ以前の旅行と同じく、徒歩で。いや、それらのうちの一度の、彼の生誕の地アルデンヌ県のシャルルヴィル市から
パリに趣いた旅行は、高等中学生だった彼が、修辞学級での賞品をことごとく売り払い、先ずは、豪勢にとりおこなわれたもの
なのですが。何度かよび戻され、そこで、家族、つまり、退役将校の父と別居している田舎出の母と、
仲間たち、クロス兄弟やフォラン、そしてやがては、もっぱら、いかんともしがたいほどに、ヴェルレーヌとの間に、
心ひきさかれ、結局、いったり来たりを繰返すこととなり、夜の目もねむらず、河から石炭船にのって出かけてゆき、
戻ってくると、コミューヌの兵士たちか戦闘員らかの前哨にひっかかり、窮地の立往生におちいった大きな小僧は、
巧みに党の義勇兵となるすまし、自らのために義損金募集の善行を鼓吹したりもしました。
その後の雑多な小事件、それらは、結局最悪の混乱、文学によって暴力的に害われた人に特有のものです。
それから、ベンチの上や図書館で、勤勉な時間をゆっくりと過ごしたのち、今度は、早熟にして強烈な表現をほしいままに
するに到り、それが彼を未聞の主題にかり立ててゆきました――直ちに《未知の》《新しい感覚》の探求を主張し、
そして、それらの感覚は、あちこちの都会の幻想安売り市場で手に入ると得意になっていたのです。
その市場は、卑俗であっても、ある夜、この青春の悪魔に、何らかの雄大にして人口的なヴィジョンをゆずり渡し、
そのあと、このヴィジョンは酒の酔いによってのみつづけられるというのでした。
7厭きラヴ:2001/04/27(金) 17:02
 逸話はいくらでも手に入ります。急激な変化によって生活の糸が切られ、こまごました話が刊行物の上に散らばり落ちたのです。
だが、これらのこまごました話を、粗野な硝子玉のように糸でつないで、やがては詩人を未知の未開人種としてえがく冗談となった、
黒人の王様の首飾りを造る逸話まで、人々に尻馬にのって、ひけらかしたとしても一体なんの役に立つのでしょう。
貴方は、人の一生のあらすじを、私が受けとっているように、それらの出来るかぎりの確かさを注ぎこんで、
意味をはなつ一つの運命のあらすじとして、たどってみたいとお考えになるでしょう。
運命は、外見的にはそのわき道とみえるところにも、一人の歌びとのものであるリズムを、
ある不思議な単一性をとどめているにちがいありません。しかし、それはそうとして、
ご質問のおかげで、自分自身の為に、はじめて、この貴方の心をひきつける全体像として喚起することが
できましたことをお礼申し上げて、話の筋からそれますが、一つの笑い話を、思い出してみたいのです。
それは、テオルドル・ド・バンヴィルが、にこやかに、魅惑的な語り方で、私に話てくれたもので、
この巨匠が親切心が救いの手をさしのべたはなしなのです。
ランボーが彼に会いにやってきました。私たちの仲間の一人の意向で。そして、偉大な作品を書きたいのですがと、
なまりの多い言葉で、明確につげました。パンヴィルは意見をのべて、まずそのためには、才能は副次的なものとなり、
住むべき部屋をもつことが第一であると語り、ビィシィ街の彼の家の屋根裏部屋を貸しあたえたのです。
しれに一つのテーブルと、付属品としてインクとペンと紙、また、立ったままや椅子にすわって夢をみるのではないときの
ために清潔なベッドも。さまよえる若者が定住の地をえたのです。だが、この方法的贈与主は、どんなに仰天したことか。
中庭が、芳香をつうじて各戸の晩餐をひとつにする時刻に、各階からはなたれる叫び声を耳にし、直ちに、
てっぺんの屋根窓の枠の中に裸の誰かをみとめたとき。その男は気が狂ったように、着物のぼろをふりまわし、
それらを太陽のさいごの光と共に消えゆくというようにというつもりであろうか、屋根瓦の上に投げ捨てていたのです。
彼が、この、とどのつまりは、神話的な姿をし、神にかけて気づかうと、アルチュ―ル・ランボーは答えたものでした。
「つまり、ぼくは、このように清潔で純白の部屋に、虱だらけの古着で出入りすることはできないのです」。
この抗弁によって、『追放者』の作者は、そこに確かに含まれている正しさを認め、おのれの側の不明を責めなければ
なりませんでした。
この家主は、自分の衣服を着替えに提供し、夜の食事に招待した後はじめて、自分が論理的に正しいと判断しました。
なぜなら
「注目すべき詩をうみだしたいのなら、住居のほかに、着るものが必要だし、めしもまた一刻も早く喰わなければならない」
から。
8厭きラヴ:2001/04/27(金) 17:02
 パリの魅力もいろ褪せてきました。そこで、結婚生活への生来的な不調和と、コミューヌ下の有能な官史として、
官憲の追跡の恐怖とになやまされていたヴェルレーヌと、ランボーは、ロンドンを訪れることに、はっきりと
心を決めました。ロンドンで二人は、石炭の自由の煙をすいながら、相互の泥酔による、酒と乱闘の悲惨な生活を
おくりました。
まもなく、フランスからの一通の手紙が、逃亡者の一人に呼びかけて、その相棒をすてるならば、
罪を許すといってきました。若い妻は、面会の約束の場所で、母と姑とにかこまれて、和解のときを待っていました。
私は、べリション氏によって見事にえがかれた本当のことだと思います。
 そこで私は彼にしたがって、世にも悲痛な喧嘩のことをかきます。その手のつけようのない不幸におちいった
二人に詩人の、傷をうけた方も錯乱した方も、その悲劇の物語の主人公とみなされるので世にも悲痛なのです。
三人の婦人たちから声を合わせて懇願されて、ヴェルレーヌは友達をあきらめました。
だが、ホテルの部屋の入口で偶然にもその友をみかけ、その腕の中にとびこみすがった、
彼に心も冷めはてた人は《二人の関係は、永遠に終わったはずだと断言し》そんなことをするなと非難しました。
ヴェルレーヌはききいれませんでした。――するとその人は帰国するための金を援助してもらいたいばかりに
ブリュッセルにとどまっていたのではあるが、《一文無しでも》《出発してしまうのだ》といいました。
激しく拒絶する態度にヴェルレーヌは、取り乱して、このつれない人をピストルで撃ち、そして、
この人の前で涙にかきくれたのです。これから申し述べますとおり、この事態が内輪ですまないことは
わかりきったことです。ランボーは、病院から包帯をして戻って来ました。そして往来で、
何としても出発するのだといいはって、もう一発の弾丸を受け、そこで事件は公けのものとなりました。
このようにも貞節をつくした友は二年間、モンスの監獄で罪ほろぼしをしたのです。
ランボーは孤独になり、決定的な危機にみまわれましたが、この悲劇的事件ののちには彼の心を読むことが
できるような何ものもないといってよいでしょう。この危機は、彼が一切の文学を、その仲間も書くことも
断念してしまったがゆえに、まさに関心をそそるものなのですが。
行動について、一八七五年前に、何かの目的をいだいて再びイギリスに行ったはずですが、
こんなことはとるに足りません。それから、ドイツに渡って教職と、彼固有の言語をかなぐりすてて収集した
数ヶ国語の才能とを身につけ、ついで、サン・ゴタールまで汽車にのり、アルプスを徒歩でこえて
イタリーに到着、数ヶ月滞在したのち、シクラド諸島に足をのばし、日射病にたおれて、
公式に本国帰還となります。
 地中海東部沿岸から渡ってくる微風に軽くなぶられてからのことです。
9厭きラヴ:2001/04/27(金) 17:03
 この後に、謎の時代がやってきます。だが、自分自身のせいでかそれとも夢そのものの咎でか、
夢を投げうつ人、生身のまま詩に手術される人が、そのあとで新しい職業をみいだそうとすれば、
遠くはなれた土地にさがしにゆくほかないことを認めるならば、なぞであるのは当然といえましょう。
忘却は、砂漠と海の広さを内包しています。そこで、数度の熱帯地方への遁走が行われたのだが、
これはそのめずらしさや背景の方はあまり問題ではなかったのかもしれません。
一八七六年のそれは、オランダ軍との契約でスマトラにゆく募集志願兵としてであり数週間後には脱走して、
このときには、人買いとなる図太さを発揮しないうちに、もらった契約金をはたいてイギリス船にのりこみ、
その船で金を貯め、デンマークとスウェーデンでその小金の貯金をなくしてそこから本国に送還されたのですから。
一八七九年には、サイプラス島の大理石石切現場の親方となり、それからエジプトに向かってアレキサンドリアに到り、
――その余の日々は《黒人売買業者》としての彼がみられることとなります。
ヨーロッパへの、耐えがたい風土や習慣への決定的な別れが行えわれるのも、
アビシニア(軍事事件紛糾する昨今の劇場)の近くのハラルへの旅行によってです。
ここでのこの追放者の全行動にかんしては、砂のような沈黙がひろがっています。
彼は、沿岸のアデンで象牙、砂金、香料などの取引を行いました。――それにしても、この正反対の地点にあっても
なお、かつてその手で本のページにそっとふれた人として、貴重な品々にかこまれてお伽噺の世界にいるような
彼にめぐりあえたであろうか。
――おそらくは、千夜一夜の東洋趣味や地方色に汚れた、おのれの安商品のまれなる美質に心うごかされていたのでは
なくして、広漠さと独立不羈とへのかわきによって飲む風景に感動を覚えたであろうが、それでも、
詩の天分が否認され詩なしですますようになると、すべてはどうでもよくなってしまうものです。
個人のうちがわに文明がその最後の足跡までもあとをとどめていないとき、
それがせめて、男らしく、野性的に生きることであろうと、それさえどうでもよくなってしまうものです。
10厭きラヴ:2001/04/27(金) 17:03
 一八九二年に、思いがけないニュースが、新聞によって流れました。
私たちによってかつて詩人であり、今なお詩人でありつづけている人が、財産を持ってマルセイユに上陸し、
関節炎の手術を受けて、ここで亡くなったばかりなのでした。彼の柩は、シャルルビルにむかい、
かつて、あらゆる喧騒の避難所であったこのまちに、
一人の妹の篤い信仰によってむかえられたのです。

 無償性が、容易に良心の代替物となることぐらい、私にもわかっています。
良心ならばその必要があるときには、孤立無援の状態で、自分自身のことを、大声で語ったにちがいありません。
他人の人生を、理解しやすい、確からしい断片に整理して表現してみせるなどということは全く不作法なことなのです。
そして、私はただもう、この犯罪に類することをとことんまで押し進めています。
ひたすら調べをつづけているのです。ランボーの同郷人で、高等中学の仲間であったドラエ氏の思い出によると、
かつて、一八七五年ごろ、ランボーが何度かの出発と帰省をくりかえしているそのあいだに、彼は、
ランボーの昔の志望について、ひかえ目に、わずかの言葉で訊ねてみました。
私のきいているところだと、「で、文学?」はといったぐあいにです。
ランボーは聞こえないふりをしましたが、ついに、
「いや、あんなものはもうやらない」と簡単に答えました。
そこには、後悔のあとも自慢らしい調子もありませんでした。
「ヴェルレーヌは?」この人について会話したいという気持が氏をかりたてたのです。
答えはありませんでした。避けたのではないとすれば、むしろ、
極端な行動の記憶を不愉快におもっていたのだろうという氏の意見です。
11厭きラヴ:2001/04/27(金) 17:04
 放置されている宝、または、架空の宝の話という俗受けにとりいる出版物のなかで、
数人の人々が想像力をもやして、いく篇かの詩が彼の地でつくられて、未刊のままになっているかもしれないと
いう奇跡を語っていました。
彼らのインスピレイションのなんという幅のひろさ、そして、その口調のなんという無邪気さ!
まるで、存在していても不思議はないものについて考えるように、未刊の詩を夢みています。
もちろん、形あるもののめぐりに飛びかう可能性のいかなるものも、ないがしろにしてよい理窟は
なりたちませんから、その可能性は現物とかかわっているのです、
どんなに真実らしさに反しているとしても。
そしてそれが雲散霧消するまでは、そこに束の間の伝説の基礎をすえるのです。
しかしながら私は、成年時代の作品に対する所から考えをすすめていって、それをそのまま芸術の歴史における
唯一無二の冒険についての適確な判断とすることが大切なのだと思います。
余にも若くして、文学の翼に、激烈にうたれ、ほとんど生活がはじまらないうちに、嵐のように激しい、
大威張の宿命によって、その生命を汲みつくされ、未来にたよることも出来なかった一人の子供の冒険についてです。

 この運命にそそがれる烱眼によって否認された、原稿についてのそれとはまた別の関心をひくべき強力な、
放浪生活に関する推論が、執拗に行われています。もしも、青春の華々しい産物を意思を持って
放棄しさったあの人が、戻ってきて、それらの産物が花開き、彼方のオアシスとまさるともおとらぬ、
そして、栄光への往年の好みに関連して考えればそれらにまさる豪華な果実をみのらせているのをしったとしたら、
彼は、その果実を否認しただろうか、摘みとっただろうか。
人間に、その役割がおわったことをつげる運命の神は、おそらく、彼があまりの当惑によろめかぬように、
事情のわからぬうちに生誕の地におかれたその足を断ち切ったのだ。
そしてその上にすぐさま、この患者と、彼にしばしば呼びかけるさまざまの声、とりわけ偉大なるヴェルレーヌの
声との間を、病院の壁とカーテンの沈黙でしきって、終止符をうったのだ。
 自分の名声という思いがけない贈物を満喫して直ちにそれをしりぞけるか、反対に、その贈物を否認して、
不在のあいだに大きくなったこの過去に羨望の眼差をなげるかという結果になるからこそ、
舌の上にころがしてみると、新たな意味を生ずるアルチュ―ル・ランボーの数音綴の方に彼がふりかえることを禁じたのだ。
二者択一のこの試練は、二者とも同じ過酷さを含んでいたのだから、これが実際に行われなかったことはしあわせでした。
しかしながら、結局は気高く、そして妥協のなかった――精神的に、アナキストの――この生涯を、
そこに、発言することが可能でなくはなかった美しさをかがよいださせてみるために、仮説的に考究するならば、
この当事者は、かつて彼であり、もはやいかようにも彼ではない誰かにかんすることのように、誇りたかい
無関心さで名声の結果をうけいれたかもしれぬという推測がなりたつにちがいありません。ただし、
非人称の幽霊が、もちこまれたいお金に著作権を結びつけようと、ひたすら著者の権利を求めて、パリを
歩きまわるというところまで、その軽やかさをつのらせるのでなければのことですが。
12厭きラヴ:2001/04/27(金) 21:47
見直すと間違ってるところもあるな。
13厭きラヴ:2001/04/27(金) 21:49
ハーモニー・コリン クラックアップ 最後のページ

かれがなろうとしたのは、傍観者だった。心を落ち着けて待った。
かれにとって人生は大したものではなかったから、それが終わることを
考えても、たじろぎはしなかった。自分自身の死滅にさえおれは無関心なんだ、と自分に言った。
この無関心という状態は、人間の尊厳が獲得し得る最上のもので
あるように思えた。そしてさしあたり自分が迷ったことを忘れ、午後にかろうじて
逃れたときのことさえ忘れて、それを達成したような気がした。
何も感じないでいるのは、安らかだった。
14厭きラヴ:2001/04/27(金) 21:50
サルトル マラルメ論 マラルメの現実参加 抜き書き

現実界の出現は、希望の目眩めく消滅である。<全体>の絶対的現前性は、
ある一人の人間の至るところにおける不在としてある。
個別の物体の突然の出現は、失望の最終的な到着点であり、夢の炎上の後に残る灰であり
燃え滓である。すべての物体は、等しく無意味である。そしてそれらの普遍的等価性は、
それらが共通の否定を基盤にして出現することから生じる。つまりすべては、
望まれた物ではないという、同じ形式上の性質を持つのだ。<存在>への期待も渇望もない以上、
現実界の充満は、充満それ自体に立ち戻るかはない。
それは何かを満たすことはできないのだ。
実証できるものばかり無限にあるというのは、〔本質的な〕不充分の裏返しである。
これが<全体>だ、勿論そうだが、それでどうなのだ。<全体>とは、こんなものにすぎないのか。
垣間見られた<全体性>とは、それが、無限に、常に、至るところで、あるとおりのものである。
子どもは翻訳して、こう考える、それは、それがそうであるところのものでしかないと。
何者によらずすべては、人がそれを考察する情況において、
それがそうであり得るところのすべてなのである。
子どもは翻訳して、こう考える、それは、それ以外のものではあり得ないと。
彼はこの悲しい自明の理を叫ぶ、「何者も、存在するもの以外は存在しない」と。
<存在>を<虚無>によって限るための空しい努力だ。勿論、<存在>のそとには何もありはしない。
しかし、まさにこの<無>こそが、すべてに異議申し立てをしている。
直接的な直観に差し出されるどころか、<存在>は<非‐在>の崩壊から突如出現する。
この間接的な生成は、まずは不在の破壊であり、要するに、否定の否定だ。
彼の母は絶えず死に続けており、絶えずに繰り返されるこの分散した生贄は、<宇宙>の啓示者に
他ならない。しかし彼は、<存在>に対して、非難の矛先を向けるのを避けることはできない。
子供が必死になって、あの自然で甘美な混淆を<虚無>から奪いかえして復元しようとするとき、
彼は自分の挫折を、自分の亡霊たちの頼りなさで説明しようとは思わない。
彼は、世界の慎みを欠く現前に対して、実存の可能なすべての発言を奪い去ったと非難するし、
<全体>の浸透不可能な充満に対しては、死者に逆らって自らを再編成したことを、
宇宙の地肌に対しては、余に目がつんでいて、すべての浸透作用を拒否していることを非難する。
苛立った子供は、自分自身に引き篭もる、すると自分の空しい欲望だけが、
唯一の真理のように思えてくるのだ。<存在>に対して、彼は<可-在>の無限の優越性を主張する。
一瞬ごとに立ちはだかる否認に対しては、死せる女を生きかえらせるという絶望的な意思を確保する。
世界が、彼の挫折の地平に、無言の、不安をあたえるものとして輪郭を現わす以上、
この絶えざる挫折のほうが、現実界の勝利よりもよいと考えることにするのだ。
彼の深い底におけるこの裂け目、この極度に活性化された空無、
これが唯一の存在理由なのである。そうなると、<存在>は縮こまる。
庭園も、彫像も、通行人も、滑るように背後に去って行く。
不動かつ陰鬱なものとなった世界は、<虚無>の色褪せた湖に漂うばかりである。
存在の大きな塊であるこれらの骨董品は、うつろに響き、密かな非-在がそれらを凍てつかせている。
<宇宙>から身を引いた何者かが、<宇宙>を容赦なく断罪したのだ。
六歳のときから、すでにこの子供は、世界内存在を一つの流謫と受けとっており、
彼の人生は、挫折の癒し難い経験へと開かれる。
15厭きラヴ:2001/04/27(金) 21:51
ブルトン ナジャ 抜き書き

ぼくはもうかなり前からナジャと理解し合えなくなっていた。
本当は、それまでだって一度も理解しあえたことなどなかったのかもしれない。
少なくとも、生活上のこまごまとした問題の考え方についてはそうだった。
彼女はそうした問題に対し、まるっきり関心を払わなくなり、時間には無頓着になり、
ときどき自分からしかける無駄話と、ぼくにとっていたって重要な話との間に、
何ら区別がつけられなくなり、ぼくのそのときどきの気持についても、
彼女がいかに不注意であっても、何とか多めにみてやろうとしてぼくがはらう骨折りにも、
まるで気をつかわなくなっていた。
前にも言ったように、
彼女は生活の移り変わりを、それがどんなにみじめなことであっても細大ももらさずぼくに話して聞かせたり、
場所がらもわきまえずにあちこちで媚態をふりまいたり、彼女があたり前の女になることなどは問題外なので、
せめて自分で別のことをしようと思いたつまで眉をひそめているぼくを待たせて、
別に悪いとも思わなくなっていた。そうしたことに耐えられず、また彼女に彼女自身の価値を
思い返させてやるということにも絶望して、何度逃げ出そうと思ったことか?
それなのに翌日にはまた彼女に会ってしまう、と、彼女のほうも絶望していて、
ぼくの冷酷さを責めたり、ぼくに謝罪を求めたりという気持にはなれないようなのだった。
こうした嘆かわしい事態に関連して、告白すれば、彼女がぼくのことをないがしろにするにつれて、
ことあるたびに激しい口論を交わさなくては済まなくなり、
おまけに彼女がへたな理屈をつけるものだから、話は余計やっかいなものになるおいう具合だった。
ある人の生につき従って、その人が与えてくれる以上のものは決して手に入れようとせずに
生きようとすること、その人が動いたり、じっとしていたり、しゃべったり、黙りこんだり、目ざめていたり、
眠ったりするのをただ見ているだけで満足して生きること、
そんな生き方を可能にさせるような力はもうぼくの方にはなかったし、
これまでもあったためしはなかった。
これはあまりにも明らかなことであった。
ナジャの世界であったあの世界、何もかもがたちまちにして上昇か下降かの様相を呈してしまう
あの世界のことを考えると、まずはこのようにしかありようがなかったのだろう。
とはいえぼくは後になってこう判断しているのであって、
決してほかにありようはなかったと言い切ってしまっては危険をおかすことになる。
たとえばぼくがどんなに望んだとしても、またはどんなに幻想をいだいたとしても、
彼女がぼくを提示していたものの高みにまでぼくが達するということはあり得なかっただろう。
しかし一体彼女はぼくに何を提示していたというのか?
いやそんなことはどうでもよい。
ぼくが理解している意味での愛――神秘的で、ありうべからざるただ一つの、
心を惑わすような、確実な愛――だけがあらゆる試練を経てのみ存在し得る愛だけが、
ここにおいてひとつの奇跡の実現を可能にしたにちがいないのだ。
16夢見る名無しさん:2001/04/28(土) 08:33
俺もそう思います。
17厭きラヴ:2001/04/29(日) 05:36
ランボー 地獄の季節 錯乱T 狂気の処女 地獄の夫 小林秀雄訳

 地獄の道連れの懺悔を聞こう、
 「天に在すわが『夫』よ、わが主よ、あなた様の下部たちのうちでも一番惨めな妾の懺悔です、
なにとぞお容れ下さい。妾はもう駄目です、何もかも飽き飽きしてしまいました。
なにもかも穢れてしまいました。なんと言う生活でしょう。
 お赦し下さい、天に在す『主』よ、お赦し下さい。お赦し下さいお願いです。
涙が出て仕方がありません。ああこののちも、もっともっと涙を流すことができますように。
 ゆくゆくは、妾も天に在す『夫』の事を悟らせて戴きます。妾は『あの人』に
身を委ねるように生れ落ちた。――今は夫が妾をぶっても仕方がないのです。
 妾は今どん底にいます、妾の友達、……いえいえ、友達などありはしない……こんな気違い、
こんな責苦がまたとあるでしょうか。……愚かな事です。
 ああ、妾は苦しい、妾はわめきます、妾はほんとに苦しいのです。でも、
世間で一番さもしい人達の侮蔑を、背負いきれぬほど背負ったこの妾に、もう何も怖がる事はない筈です。
 では私の打ち明け話です、と申しても、この先同じように意味もなく、悲しげな事を何遍も何遍も御耳に
入れる事でしょうが。
 妾は、狂気の処女達を傷つけたあの地獄の『夫』の奴隷です。
確かにあの悪魔めなんです。幽霊でもありません、幻でもありません。思慮も失い、浮ぶ瀬もなく、
生きながら死人となったのはこの妾なのでございます、――この上殺されようにも殺される気違いはありません。
――あなた様にどうお話したらよいやら、妾にはもう話す術すらわかりません。
妾はさんざんな姿で泣いて居ります、慄えています。ああ、本の少しのすず風を、『主』を、
みこころにかないますなら、みこころにかないますならば。
18厭きラヴ:2001/04/29(日) 05:36
 妾は寡婦です、……――妾は寡婦でした、……――昔は妾も真面目でした。
妾は髑髏になるために生まれて来たのではないのです、……――あれはほんの子供でした、
……あれの何とも言えない品の好さが妾を惑わしてしまったのです。
妾は人の務めも忘れ果て、あれについて行ったのです。何という生活でしょう。
まことの生活というものがないのです。私たちのいるのはこの世ではありません。
あれの行くところへ妾も行くより仕方がないのです。それに、あれは何遍となくつらく当たるのです、
この妾に、この哀れな心に。
『悪魔』ですとも。――あなた様も御承知です、あれは『悪魔』です、
人間ではありません。
 あれは申します、『俺は女なんか愛してはいない。恋愛というものは、承知だろうが、でっち上げるものなんだ。
身のきまりがつけがたいと思うだけで、女どもには精々だ。きまりがつけば、美も心もあったものじゃない。
今日となっては、唯一つ残った冷たい侮蔑が、結婚の糧だというわけだ。
それがいやなら、俺は、この俺ならばいい友達にしてやることが出来ただろうと思いながら、
それぞれ幸福そうな様子をした女どもが、薪小屋みたいに燃えつき易い獣たちに、
まず頭からぽりぽりやられるところを、拝見しているまでの事だ、……』

 汚辱も誇りと思い、冷酷も嬉しく思い、妾はあれの言葉に聞き入るのです、
『俺は遠い国の部族の生れだ、俺の先祖はスカンジナヴィヤの人々だ、奴らはお互の脇腹を刺違えては血を
啜りあったものだ。――俺は身体一面切傷だらけにしてやるんだ、文身をするんだ、俺はモンゴルみたいに
ふた目と見られぬ姿になりたいんだ、みていろ、今に往来を喚き歩いてやるから。
怒りにわれを忘れたいのだ。俺に宝石などをみせてはならぬ。
俺は敷物の上にはらばってのたうち廻ってやる。
俺の財貨は血だらけに染まっていてほしいものだ。俺はどうあっても働かない、……』
幾夜となく荒れの鬼は妾を捉えて、妾はころげ廻りながらあれと掴み合ったものです。
――泥酔した夜は夜で、あれは家のや往来で妾を張っていては死ぬほどこわい目にあわせるのです。――
『ほんとに、この首が、すっぱりやられちまうんだぜ、厭な事だろうよ』
ああ、あれが罪の風にのって歩こうとする日の事を思いますと。
19厭きラヴ:2001/04/29(日) 05:37
 時にはあれは、聞くも切ない片言のような言葉で、人々の悔悟をそそる死の事や、
何処かにきっと生きている薄命な人々の事や、つらい稼ぎの事や、身を切られるような別れの事を話します。
私たちが酔い痴れて過したあばら屋で、あれは私たちを取巻く惨めな家畜の群れの身を思っては泣きました。
あれは幼い子供たちを迎える根性曲がりの母親の情を持っていたのです。
暗い街々に仆れた酔っぱらいたちを起してやった事もありました。――あれはカテシスムを習いに通う小娘のような
優しい心を持って流れて行きました。――あれは何事にも明るいふりをしておりました。
商売の事にも、芸術の事にも、医学の事にも。
――妾はあれについて行きました、外に道はないのです。

 あれの身の回りの飾り物は、みんなの心の裡に描いてみました、着物だとか、敷物だとか、家具だとか。
それは結局、あれの鎧を着せてみたようなものでした、別の姿にしてみたようなものでした。
あれの手に触れたものは何でもあれが多分必要あって創り出したものだろうと思って私は眺めていたのです。
あれの気がめいっているような時は時で、善いにしろ悪いにしろ、わけもわからぬ、
入りくんだ及びももつかないような様々な行いを、妾は進んで、あれと共にしたのです。
妾は、たった一度でもあれの世界に入った事はないと信じています。
どうしてこの人はあんなにこの世からさまよい出ようとするのかと考えながら、
妾は眠っているあれの恋しい身体の傍らで、幾度となく長い眠られぬ夜を過しました。
こんな祈願をもった男は今までありません。――あれの身にどうこうという事は別として、
――兎も角、あれは社会にとっては大変な危険人物に違いない、と考えました。
――この人は多分人の世を変える秘密をいろいろともっているんじゃないかしら、
いやいやただそれを捜しているだけだ、と妾は考え直しました。
何と申しましても、あれの愛には魔法がかかっているのです。
妾は俘虜となっているのです、――妾は、彼に愛され、守られて、じっとこらえているのです。
――誰もこんな力を、自暴自棄な力ををもっているものはありますまい。
それに、妾は他人と一緒にいるあれの姿を眼に書いてみた事はなかったのです、
妾にはあれの『天使』が見えるのです、決して他人の『天使』ではありません、――と、
妾は信じているのです。私があれの心の中におりますのは、まるで宮殿の中に、
あなたのようにあまり品のよくない人には誰にも出会う事がないようにと空っぽにしてしまった
宮殿の中にいるようなものなのです、
それだけの事でございます。
ああ、妾は全くあれの意のままになっておりました。
と言ってあれは弱々しい臆病な妾のいのちをどうしようというのでしょう。
結局、妾が殺されずにいたとすれば、あれは妾を少しでもましな女にしてくれたわけではないのです。
悲しいやら口惜しいやらで、ときどき妾はあれに申します、『妾にはあなたが解ります』
すると、あれは冗談じゃないって身振りをするのです。
20厭きラヴ:2001/04/29(日) 05:37
 こうして、妾の苦しみが休む間もなく繰返されるにつれて、自分の眼にもこの妾がだんだん
気違いじみて映って来ました。――誰からも永久に顧みられないのがこの身の定めだったら別のこと、
妾をみようとした人々の眼にも妾がまともに映った筈はありません。――妾はだんだんあれの優しい情に
飢えて来ました。あれに接吻されて優しい手に抱かれながら、妾の入って行ったところは空でした、
悲しげな空でした。そしてそこに、耳も聞えず目も見えず、口もきけない哀れな姿で、
とり残されるならとり残されても構わない、と妾は思いました。
妾はもう慣れてしまいました。
妾は、悲しみの『天国』を自由に歩き廻る優しい子供のように私たちが思われました。
二人は心を合せました。
二人はひどく感動して一緒に働きました。でも、身に滲みるほど優しくしてくれた後で、
あれはこんな事を言うのです。
『俺がいなくなったら、こんなふうに暮して来たお前はどんなに滑稽に見えるだろう、
お前の頸に俺の手が、お前の休んでいる俺の胸が、お前の眼の上のこの口が、
みんな無くなってしまったその時には。
なぜって俺はいつか遠いところに行っちまうんだからな。他の奴らだって行かしてやらなくちゃならない、
それが俺の義務なんだ。あんまりぞっとしない仕事には違いないんだが、……解ったな……』
たちまち、妾はあれがいなくなって死というとっても恐ろしい影の中に投げ落とされて立ちぐらみした、
自分の姿を目に浮かべました。妾はあれに妾を捨てないようにと約束させました。
あれはこの情人の約束を幾度も幾度も誓ったのです。
こんなものは妾があれに『妾にはあなたが解ります』と同様にあやふやなものでした。
21厭きラヴ:2001/04/29(日) 05:37
 ああ、妾は決してあの人を嫉妬した事などありません。あれは妾から離れはしません、
妾は信じています。どうなる事でしょう。あれには、一人の知人もありません。
決して働こうとはしますまい。夢遊病者のように暮らして行きたいのです。
あれの気立てのよさと愛情だけで、世間に通るでしょうか。
時々妾はこの身の浅ましさを忘れてしまうのです、あれは妾を強くしてくれるのだ、
二人は旅をしよう、無人の境に狩をしよう、見知らぬ街々の鋪石の上にも、
なげやりに苦もなく寝てしまおう。眼が覚めてみれば、――あれの魔法のお蔭で、
――世の掟も習わしも、きっと変わっているだろう、この世は変っていなくても、
妾の希いや、歓びや、暢気さの邪魔するものはあるまい。
ああ、子供の本に書いてあるあの様々冒険が、こんなに悩んだ御褒美に、
妾のものにならないものでしょうか。あれには出来ない事です。
妾にはあれの理想がわからないのです。
あれは自分の悔恨や希望を妾に話してきかせませました。
妾の知った事ではありません。
あれは『神様』に話をしているのでしょうか。
妾の方でも。『神様』にお話しなければなりますまい。
妾は奈落のどん底にいます。もうお祈りする術も知りません。
 あれが自分の悲しみを、妾に明かしたとしてみましても、
妾にはあれの冗談以上には解ろう筈はないのです。
あれは妾を責めます。およそこの世で妾の心を動かしたものはことごとに、
長い間かかって責めるのです、泣けば腹を立てるのです。
22厭きラヴ:2001/04/29(日) 05:38
 『――さて、ここにやさしい若者があって、美しい静かな家に入って来るとする、
そいつの名前がデュヴァルだろうが、デュフールだろうが、アルマンだろうが、モーリスだろうが、
俺の知った事じゃない。
ある女が身も心も投げ出してこの根性曲がりの馬鹿者を愛してしまう、
やがて女は死んで、今は確かに天上の聖女となる。
この男がこの女を殺しちまったように、お前は俺を殺しちまうだろうよ。
これが俺たちの定めなのだ、俺たちのような情深い心を持った者の定めなのだ……』
ああ、蠢いているすべての人間たちが、あれには奇怪な気違いの玩具に見えたひと頃もあったのです。
あれは長い間恐ろしいくらい笑っておりました。――そうしてまた若い母親のような、
愛された姉のようないつもの物ごしに返るのでした。あれの荒々しい性質がとれていてくれれば、
私たちは救われていたでしょうに。
と申してもあれの優しさもやっぱり妾には死ぬ思いです。妾はあれの思いのままです。
――ああ、妾は気が違ってしまいます。
 何時かはきっとあれは奇跡のように姿を消してしまうことでしょう、
だけど、もしあれが何処かの空へ帰って行かなければならない身なのなら、妾は、
妾の可愛い人の昇天の事をちらりと見るということを知っていなくてはならないのです」

おかしな夫婦もあったものだ。
23厭きラヴ:2001/04/29(日) 05:38
ランボー H

あらゆる非道が、オルタンスの残虐な姿態を発く。
彼女の孤独は色情の機械学、
その倦怠は恋愛の力学だ。
幼年時の監視の下に、幾多の世紀を通じて、
彼女は諸々の人種の熱烈な衛生学であった。
その扉は悲惨に向かって開かれ、そこに、この世の人間どもの道徳は、
彼女の情熱か行動の裡に解体を行う。
――血だらけになった土の上に、清澄な水素による、まだ穢れを知らぬ、
様々な愛の恐ろしい戦慄。
オルタンスを捜せ。
24厭きラヴ:2001/04/29(日) 05:40
メモ帳に書いてコピペ コピペ
25厭きラヴ:2001/04/29(日) 23:39
見沢知廉 蒼白の馬上 U

 煉獄。
 本文へ昇る、最後の階段を用意しよう。
 二十世紀――近代エピステーメーの台詞と記述の骸の中に点在する。
新しい時代から降下した隕石で。――「そんな色のついたものは……」と、
よく見もしない偏見で食わず嫌いされ、
地中に埋もれ忘れさられた黙示録を並べ組むことで――。

            ★

『雪晴れの朝、雪に包まれた丘は銀にかがやき、木々は喜ばしい滴を落し、
力強い笹は雪の下から身を起し、われらは兵を率いて、
奸賊を屠った血刀を提げて立っている。(――)そのときだ。
丘の麓からただ一騎、白馬の人がしずしずと進んでくるのは。(――)
同じ丘。しかし空は晴れず、雪は止んでいるが、灰色の雲が低く垂れ込めている。
そのかなたから、白雪の一部がたちまち翼を得て、飛び来ったように、
一騎の白馬の人、(――)白馬は首を立てて嘶き、その鼻息は白く凍り、
雪を蹴立てて丘をのぼり、われらの前に、なおなお乱れた足掻きを踏みしめて止る。
(――)この日本をめぐる海には、なお血が経めぐっている。
かつて無数の若者の流した血が海の潮の核心をなしている。
それを見たことがあるか。
月夜の海上に、われらはありありと見る。
徒に流された血がそのとき黒潮を血の色に変え、赤い潮は唸り、喚び、猛き獣のごとく
この小さい島国のまわりを彷徨し、悲しげに吼える(――)
あそこには一億の民が寝息を立て、あるいはわれらの知らなかった、
冷たい飽き果てた快楽に褥を濡らしている。――あれが見えるか、
われらがその真姿を顕現しようとした国体はすでに踏みにじられ、
国体なき日本は、かしこに浮標のように心もよなげに沈んでいる――』(英霊の聲)

『死と云ふ事は日本人にとって大した問題ではない。
その場に直面すると誰もがそこに飛び込んでゆけるものだ。
――神の大きい御恵み――子供の無邪気さ、それは知らない無邪気さである。
哲人の無邪気さ、それは悟りきった無邪気さである。
――死ぬために指揮所から出て行く(神風攻撃隊)搭乗員、それは実際神の無邪気さである。』
(神風別攻撃隊・海軍少佐・二十四歳戦死・遺書)
26厭きラヴ:2001/04/29(日) 23:40
『僕は信ずる。わが祖国の民は神の民であり、
彼らには愛があり、神は彼らと共にあると。
我々は子供のように弱いから剣をとる。
強い明日の人々が来る前に、
僕らは神の福音のために殺し、死ぬのだ。
僕らは死の瞬間の為に生きている。
神よ、愛の為にわれらを死なしめたまえ。
今僕は殺人の為にのみ生きる。
殺さぬ訳にはいかない、
人々を愛しているが故に。
罪が大きいから、それをひきうけるのだ。
――多くのものを、そして真に愛すなら、
そのとき殺人も許される。
いつの時代でも許されている訳ではない。
同胞の為に自分の命を捨てる時、
民族の十字架を引き受ける時代、
愛から出て愛のためにはただ殺さねばならないのだ。
――キリストの復活を信じる者、
社会主義や自由の天国を信じるものは幸いだ。
だが僕はこんな古い伽話はもう信じない。
僕の信仰は、昨日殺した、今日も殺す、明日も必ず殺すだろうという事だ。
「第三の天使、その鉢を河と水の源の上に傾けたれば、それは皆血となれり」』
(『蒼ざめた馬』)
27厭きラヴ:2001/04/29(日) 23:40
『現時敵英米機爆撃の為大都市等にて家は焼かれ、父母を失ひし少年少女数限りなし。
之を思へば心痛極りなし。――父は攻撃隊長となり、隊員、年端僅か二十歳に足らぬ若桜と共に
決戦の先駆となる。
死せずとも戦に勝つ術あらんと考ふるは常人の浅はかなる思慮にして、
必ず死すと定まりてこそ、それにて完全軍敵米英に総体当たりを行い壮絶に死してこそ、
日の本の悠久の大義に生きれり。父は死にても死せず。
――この栄の任べからず、父恋しと思はば、空を視よ、大空に浮ぶ白雲が父の微笑なり――』
(神風攻撃隊・陸軍少佐・三十歳戦死・遺書)

『遂に特別攻撃隊神風特攻隊員となる。
――死ぬるための訓練が待ってゐる。美しく死ぬる為の猛訓練が。
悲壮なる祖国の姿を眺めつつ余は行く。
人生――駆け足に入る。我らは偉大な祖国、美しい故郷、強い日本女性、美しい友情のみ
在する日本の為敵米艦に粉砕する。――ただ若し万一今の日本がその姿でただちに戦に勝ったら、
それは民族にとって致命的な不幸といはねばならない。生易しい試練では足りぬ……』
(神風特攻隊・海軍大尉・二十二歳戦死)
28厭きラヴ:2001/04/29(日) 23:41
『私は彼には無関心だ。だが、私は彼を殺す。殺す必要があるのだ。
もしできうるなら、私は政府高官と支配者の全員を殺すだろう。
私は奴隷でありたくない。――殺してはならぬと言う人達。
どうして殺人がいけないのか、私には判らぬ。
――初めて狩猟に言った時、畑は赤く、森は静まり、白樺はささやき――突然、
草むらがざわめき兎が飛び出した。
私は顫えながら銃を撃ち放った。近寄ると、血の色に染まった草の上で、
傷ついた兎が子供の泣くような声で苦しく叫んでいた。
私は心痛み、その憐れな兎を撃った。静かになった。
――家に帰り、私はもう兎のことを忘れていた。
なぜ、金切り声をあげた時私の心は痛み、それを殺した時には全く心が痛まなかったのか?
――ラスコーリニコフは金貸しばばあを殺し、自分が流した老婆の血にむせって窒息した。
一方我々は殺したあとで幸福になり、聖なる、神の祝福を得る。――殺せ、殺させないために。
殺せ、人々が神の意思によって生き、愛が世界を浄めるために。
――私には出口がない。鎖が断ち切れない。
逃げ道がない。
福音を信じ神に祈りつつ、ただひたすら、人を殺し続けるだけである――』
(同・ロープシン)
29厭きラヴ:2001/04/29(日) 23:41
『312・8 行為障害 Conduct Disorder(反社会的人格障害の十七歳未満)
以下の基準のうち三つ以上が存在――
@他人の苛め脅迫、威嚇――
A組あいの喧嘩――
B他人に身体危害を与えられる武器の使用(バット・小刀等)――
C人の身体に残酷――
D動物に残酷――
E強奪、ひったくり等――
F性的強要――
G故意に放火――
H他人の物の破壊――
I他人の住居進入――
J物や好意を得たり義務逃れのために嘘をつく――
K万引き等――
Lしばし夜遅く外出――
M一晩中家を空ける――
Nしばし学校を怠ける――』
――反社会的行為障害 Antisocial Personality Disorder
A 他人の権利を無視し侵害する広範な様式で以下のうち三つ以上。――
@法に適用せず逮捕される行為を繰り返す。――
A嘘、自分の利益や快楽のために。偽名を使う――
B衝動的。将来の計画をたてられない。――
C易怒性と攻撃性、暴力の反復――
D自分や他人の安全を考えない向こう見ず――
E一貫した無責任、仕事を続けられぬ――
F良心の呵責や欠如。傷つけた盗み。時にそれを正当化する。』
(DSM―W)

『これで我が人生を終わらせようと思う。
――皆殺しにしてやる!殺してやる!一人でも多くの人間を殺さねば!
それこそ我が使命。
スベテノチツジョヲホウカイサセル。
――我、革命を実行する!
貧穢なる愚者に死を。我は死を恐れず。我に栄光あれ!
ハハハ――僕の肉体は滅んでも精神だけは滅ばない!
貴様らに楽しい連休などさせるものか。
恐怖と絶望に埋めてやる!
楽しい旅行?デート?ふざけるな!
全ての生命は我が敵だ!
殺してやる! 殺してやる! 殺してやる!』
(十七歳バスジャッカー日記)
30厭きラヴ:2001/04/29(日) 23:42
『悪は見つけ次第に討つ可きだとの考へが青年志士の中心の考へでなければいけない。
志士が若いうちから老成して政治活動をしているのは見られたものではない、
だから私は、今後刺客専門の修養をするつもりだ、大きな事を云って居ても、
いざとなると人を切るのはむつかしいよ――』
(右翼長老)

『――首相官邸の板を上る。その時俄然、官邸内に数発の銃声をきく。
いよいよハジまった。
秋季演習の聯隊対抗の第一遭遇戦のトッ始めの感じだ。
勇躍する、歓喜する、感慨たとへ人にものなしだ
(同士諸君、余の筆ではこの時の感じはとても表し得ない。
とに角云ふに云へぬ程面白い、一度やってみるといい。余はもう一度やりたい、
あの快感は恐らく人生至上のものであらふ―)
(二・二十六事件・磯部あ浅一・獄中秘密手記)

 ぼくは長期入獄でスギ花粉症が治った代わりに、牛乳が飲めなくなった。
これも出てからある学者に教わり、納得した。
つまり人間だけでなく広く哺乳類一般に見られる反応で、
例えば成人したオス猿が、本来生れたばかりの赤ん坊猿に飲ませるための母ザルのお乳を、
横取りして飲み続けたら、赤ん坊猿は栄養不足で死んでしまう。
そうならぬよう、一定長期間、乳を飲ませなかった動物は
(ただ、人間のようにずっと持続して牛乳を飲み続けると体内拒否反応が生じない)
もう体内にアレルギー・システムが出来て、乳や牛乳を消化することが出来なくなって下痢をする――と。
 同じように、食人行為が広く禁忌とされたのは、余りにも人の肉が美味しいからだという。

 ――殺人者は殺人者にしか――まして当局サイドの心理や病理学者などに――
殺人行為の本音や真のリアリティを教えない。
 磯部手記は<負け惜しみ>ではない。武装蜂起は、それもテロルを伴う決起は、
大化の革命(改新)の、よくある例でテロ失脚突撃隊が臆して進めず、
革命は「六日では早すぎる、八日では遅すぎる」繊細なナマモノであり、
日にちはむろん、一分一秒の遅れで流産する。
――晴海追悼のぼくは、臆して動けず全身が硬直した部下たちを除て、
自ら破邪顕正の剣を手にテロルの先陣をきった――まさに神々への神事そのままの――
(天智天皇を想起してそれに倣ったのだ……)

すめらのみこと、いやさか!
31厭きラヴ:2001/04/29(日) 23:43
順番間違えたが如何でもよいな。
最高の駄スレ制作中。
32夢見る名無しさん:2001/05/02(水) 02:23
おもしろいじゃん。がんばれ。
33厭きラヴ:2001/05/02(水) 10:57
>>32
レスがついてるとドキッとするよ。ありがと・・・

・・・大分サボったな。
34厭きラヴ:2001/05/02(水) 10:57
バタイユ 眼球譚 抜き書き

 こうした夢想のあとでは、シモーヌは水洗便器のそばに毛布を敷かせ、
その上に身を横たえ、便器のふちに両肱をもたせ、
上から覗き込むようにして、
玉子の上に大きく見開いた眼玉を注ぐのだった。
私自身も、二人の頬と額が互いに触れ合うように彼女のそばに席を占め。
ながいこと見つめているうちにシモーヌは気持ちが静まるのだった。
放水のゴクゴクいう音を面白がり、執念から解放され、
最後には上機嫌を取り戻し。

 ついに或る日のこと、夕暮れの日射しが浴室の中の明々と照らし出す時刻に、
半ばからにされた玉子のうちの一個がとつぜん浸水し、奇妙な物音に満たされ私たちの眼前で
沈没していた。この出来事はシモーヌにとって意味深長だった。
身をこわばらせ。私の左眼玉をいうなれば口でしゃぶりつづけながら、
いつまでもオルガスムに浸り込んでいた。
やがて、こんなふうに乳房同然にしゃぶられる眼玉からなおも視線をそらさずに、
私の顔を力いっぱい引き寄せると彼女は、便器の上に跨がり、充実した勢いと満足感をもって、
浮んだ玉子の群の上に音高く小便をひっかけるのだった。

 このときを境に彼女は恢復したとみてよいようだ。
その悦びを表明するために彼女は内密の事柄をあれやこれや喋りまくるのだった。
日頃は自分のこともけっして話題に取り上げはしなかったのに。
顔をほころばせて彼女はさきほどの腹の中のものをすっかり放出してしまいたい
猛烈な欲求に駆られたことを打ち明けるのだった。
だけど楽しみをいっそう長引かせるために我慢したのだと。
なるほど欲求は彼女の下腹を張り出させ、
とりわけ尻の穴をまるで熟した果物のように膨らませていた。
おまけに、シーツの中へもぐり込ませた私の片手を尻たぶでしっかり締めつけながら
彼女が教えてくれたところでは、先ほどからこの状態をつづけているが、
たまらなくいい気持ちなのだそうだ。
そして《排尿する》という言葉から何を連想するかと尋ねてみると、
《剔り出すこと》と答えるのだった、剃刀で眼玉を、なにか赤いものを、太陽を剔り出すこと。
じゃ、玉子からは何を連想するのか?
仔牛の眼玉。頭(仔牛の頭)の色のせいで、
それに言わせれば玉子の白身は眼玉の白身で、君は瞳孔だから。
眼玉のかたちもまた彼女に言わせれば玉子のかたちをしている。
二人で外出できるようになれば、日光のきらめく玉子を空中にほおり上げ、
それをピストルで撃ちこわしてほしいと彼女は頼むのだった、
そして私がそれは無理な注文だと答えると、さまざまな理屈を並べ立てて説得につとめるのだった。
言葉の遊戯に興じ、たとえばときには《眼玉を割る》と言ったり、
ときには《玉子を割る》と言ったりして、ほかにもいろいろ支離滅裂な理屈を
こねくりまわすのだった。
35厭きラヴ:2001/05/02(水) 11:02
君じゃなく黄身だな。
3632:2001/05/03(木) 01:02
ここ、たのしみにすることにするよ。笑
これからもたまに覗かせてもらってもいいかな。
37厭きラヴ:2001/05/03(木) 22:16
>>36
うん。それは勿論だよ・・・。
いつでも。好きなとき。
38厭きラヴ:2001/05/03(木) 22:17
リルケ ドゥイノの悲歌 第八の悲歌

すべての眼で生き物たちは
開かれた世界を見ている。われわれ人間の眼だけが
いわば反対の方向をさしている。そして罠として、生きものたちを、
かれらの自由な出口を、十重二十重にかこんでいる。
その出口のそとにあるものをわれらは
動物のおももちから知るばかりだ、おさない子供をさえも
わたしたちはこちらに向きにさせて
形態の世界を見るように強いる。動物の眼に
あれほど深くたたえられた開かれた世界を見せようとはしない、死からその自由の世界を。
死をみるのはわれわれだけだ。動物は自由な存在として
けっして没落に追いつかれることがなく、
おのれの前には神をのぞんでいる。あゆむとき、
それは永遠のなかへとあゆむ、湧き出る泉がそうであるように。
われわれはかつて一度も、一日も、
ひらきゆく花々を限りなくひろく迎え取る
純粋な空間にむきあったことはない。われわれが向きあっているのはいつも世界だ、
けっして「否定のないどこでもないところ」――たとえば空気のように呼吸され無限と知られ、
それゆえに欲望の対象とはならぬ純粋なもの、
見張りされぬものであったことはない。幼いころ
ひとはときにひそかにそのほとりへ迷いこむ、と手荒に
揺すぶり覚まされる。
また、ある人は死ぬときそれになりきっている。
なぜなら死に臨んでひとの見るのはもはや死ではなく、
その眼はずっと遥かを見つめているのだから。おそらくはつぶらな動物の眼で。
愛の人々も、もしその視線をさえぎる愛の相手がいなければ
それにちかづく、そして驚歎の眼をみはる・・・・・・
ふとしたあやまちからのようにそれがその人々にひらかれるのだ、
愛の相手の背後に・・・・・・。しかしその相手を
乗り越えてすすむものはない。そして閉ざされた世界がふたたびかれらの前に立ちふさがる。
わたしたちはいつも被造の世界に向いていて、
ただそこに自由な世界の反映を見るだけだ、
しかもわたしたち自身の影でうすぐらくなっている反映を。または、物いわぬ動物が
わたしたちを見あげるとき、その眼は静かにわたしたちをつらぬいている。
運命とはこういうことだ、向きあっていること、
それ以外のなにものでもない、いつもただ向きあっていること。
39厭きラヴ:2001/05/03(木) 22:18
もしも、わたしたちにあるような意識が
わたしたちとはまったく反対の方向からやって来る
足取りたしかな動物にあるとすれば、かれらはかれらの進路へ
わたしたちを拉し去るであろう。けれどもかれらの存在は
かれらにとって無限であり、
意識の枠がなく、おのが状態に
向ける眼をもたない。それはかなたへ注がれているかれらの眼差に等しく純粋なのだ。
われらが未来をみるとき、かれらはいっさいを見る。
そしていっさいのうちに自己を、永遠にまったき存在である自己を見ているのだ。

けれど動物も、その身はつねに警戒にほてり、かれらのなかには
大きい優秀をはらんだ重さと不安がひそんでいる。
つまりかれらにも常にまといついているものがある、それは
われわれをしばしば圧倒するもの、――想い出だ。
いま激しい追求の対象になっているもの、それが、かつては
もっと手のとどくところにあり、もっと従順で、それとのつながりが
かぎりない情愛にみたされていたかのような想い出だ。いまはすべてが距たりだ、
かつてはすべてが呼吸であったのに。最初の故郷とわかれてから、
第二の故郷は、まやかしもので吹きさらしだ。
おお、ちいさい生きものの至福さよ。
かれらはいつも胎内にある、かれらを時満つるまで懐妊していた母胎のなかに。
おお、蚊の幸福よ、かれらは婚礼の祝祭のときでさえ
なお母胎の内部で踊っている、なぜなら一切が母胎なのだから。
だが、鳥たちになれば、みよ、かれらは安定した落着きをもうなかば失っている。
その出生のしかたから鳥たちはほとんど双方の世界を知っている。
譬えるなら、その魂は天翔けるというエトルリアの死者だ。
むくろは柩のなかにおさめられたが
その蓋にはやすらう姿をとどめている。
40厭きラヴ:2001/05/03(木) 22:18
さらに母の胎から生れ出ながら空飛ぶさだめをもった生きものは
いかにおどろき周章することだろう、おのれみずからにおびえるかのように
それは空中をかけりとぶ。焼物に
亀裂のはしるに似て。そのように蝙蝠は
薄暮の陶器に傷を入れるのだ。

そしてわれわれは。いつのとき、いかなる場合にも観るものであるわれわれは、
すべてのものに向きあっていて、けっしてひろいかなたに出ることはない!
それはわれわれを一ぱいに満たす。われわれはそれらを整理する。それらは崩れる。
ふたたびわれわれは整理する、と、われわれ自身が崩れ去る。

故里を去りゆくものは、いくたびもいくたびもあとをふりかえる。
何ごとをしようと、いつもわれわれはその姿態にもどるのだ。そうせずにはいられぬように
だれがわれわれを故里から遠ざけるのか。いま
最後の丘に立てば、もう一度はその谷の全貌は足元にひろがる、
去りゆくものは顧み、歩をとめ、低徊する。――
そのようにわれわれは生き、いつも別離をつげている。
41厭きラヴ:2001/05/03(木) 22:18
デニス・クーパー クローサー デイヴィッド 書き抜き

 これは、ボクがどんなにカッコいいかっていう歌だ。
まず髪。茶色で、きちんと切り揃えられ、植物性シャンプーのほのかな香り(後でチェックしよう)。
芳香は野外の感じ。腫れぼったい青い目は母親から受け継いだもの。
いつか整形手術するつもりだ。
いまのところは、ちょっと寂しげな印象を与える。
鼻は小さいけど、唇と同じ長さってことは、誰も気にも留めやしない。
唇の大きさときたら、かなりのもので(皮膚をはいだ小ぶりのお尻ってところかな)、
だけど、そんなに垂れてはいない。もちろん、顔は卵形。
やせっぽっちでチビだけど、いたって健康。
清潔なレオタードのように両肩から垂れさがってて、とりあえずシャンと立っている。
ジ・エンド。

 オーケイ、最後に、きわめつけのナンバーに移ろうかな。
セックスの曲だから、若い子たちは耳をふさいでほしい。
大手レコード会社のディレクターが主役だ。ある日、
かれがダウンタウンを歩いていると、
ブツブツ独り言を言ってる純真な少年に出会う。
ディレクターはハッとして、少年をまじまじ見る。
少年は考える。
「ボクに目をつけるなんて、こいつなかなかじゃん」
かれらは車で男の家まで行く。
ビールをニ、三本飲んだ後、かれは少年に服を脱ぐように命じる。
それから、少年の躰をなめまわすように見入る。
かれは、それをかき乱したり、新たに作りなおしたり、
自分でかれの躰を身にまとってやろうとは思わない。
ただ、あの純真無垢な声を発したと思われる部分はどこなのかについては、
知りたいと思う。
その声は完璧なデザインから出た。
シ・エンド。
42厭きラヴ:2001/05/03(木) 22:19
ちょうどいいタイミングで、ボクは正気に戻る。
あるいは、みんなが望むとおりの外見になる。
写真家はカメラを置いて、ボクに近づき、ポケットからハンド・ミラーを
取り出してコカインを二列、切りわけた。
ボクは一発キメ、それからカメラのレンズにまた笑いかけ、
ボクの目は恍惚のあまりギラつき、まるで百万人の子どもの目が映しだされているよう。
そのあと何枚か写真を撮って、さらにもう一発コカインをキメ、
するとボクは売れ行きバツグンのガキ向け雑誌の編集者とテーブルをはさんで向かいあい、
せっせとサインしてる何枚かの八インチ×十インチのボクの写真は次号掲載予定。
ボクは書く。
「さあ逃げ出そう、ラヴ、デイヴィッド」
「キミこそボクのすべて、愛してる、デイヴィッド」
「キミのことを考えて、キス、デイヴィッド」
と、
何度も何度も。どれも本気じゃない。
 ボクがウラオモテのない人間でいられるのは、自分が何者なのかを忘れているときだけ。
そんなときには、立ったり横になったり自分の好きな格好になり、
部屋を巨大なマイクに見立てて歌を歌って、アメリカの若者の代弁者であるボクは
ロマンチックな詩をがなりたてる。
ボクの人生はますます複雑に入り組んで、手に負えないものとなっていき、
それでもやっぱり執拗に同じでありつづけようとする。
ボクは、家、学校、写真家、マイク、学校、写真家、マイク、家、などなどの間を
跳びまわる。
人生のある限定された一面についてならいろいろ叩きこまれたけれど、
二流のアーティストの常として、
ボクのテーマ(念のために言っとけば、ナイーブさ)が興味を引くのは、
ボクがそのすべてを語りつくすまでのこと。
もうほんの少しで、残らず話をすませるつもり。
だから、ちょっと待って。
できるだけ控えるようにしてるんだけど、未来の自分を予測すると、
思い浮かぶのはフェイビアンのような人。
かれは、一九五〇年代におけるボクの等価物で、
古い映画のなかだとこの世の天国みたいなんだけど、
今日、実物を目にしたら、猫背のショボくれたガキにすぎない。
かれはこの世に出没し、
おかげでママみたいな人たち(本人の話によれば、ママはかれのことを考えただけで失神したとか)
ときたら、青春時代を回顧したあげく、その退屈さをまざまざと意識させられて、
顔面蒼白になる。
明るい面ってことで言えば、それは、ボクがセイレーンだってこと。
ボクは、「愛してる」、ホントの意味は「オマエはいつか死ぬ」
ボクって、邪悪さの塊かも。ガキどもなんか、みんな死にゃいいんだ・・・・・・いや、
マジで言ってるんじゃないけど。
43厭きラヴ:2001/05/04(金) 02:40
しかし俺もろくに本読まんからなぁー
4432:2001/05/04(金) 03:19
そうなの?(笑
というか、ここにあげてる本は全部読んだものなの?すごいね。
で、ここに載せてるのはお気に入りの箇所なんだ?
45厭きラヴ:2001/05/04(金) 04:50
まだ全部は読んでないのもある・・・
そう。挙げてるのは
お気に入りの部分って感じ。
46厭きラヴ:2001/05/07(月) 22:52
あ゛〜
最近寝てばっか。
47:2001/05/11(金) 03:01
>>1
>>1
>>1
>>1
>>1
>>1
>>1

壺飛び職人
48厭きラヴ:2001/05/11(金) 03:07
こんなとこにもくるとは・・・・・・・
4932:2001/05/11(金) 03:32
そっちにも来たんだ?
50厭きラヴ:2001/05/11(金) 03:33
うん・・。ラウンジね・・・。
5132:2001/05/11(金) 19:26
ラウンジなの?(イマイチヨクワカテナイヒト

なんか、私目付けられたかも・・・・
52厭きラヴ:2001/05/12(土) 00:42
僕はラウンジクソ固定だょ
32さんも遊びに来てヽ(´ー`)ノ
目付けられたってなんだい??
5332:2001/05/12(土) 01:08
>僕はラウンジクソ固定だょ

思いっきり2ch初心者なんだけど、ロビーやラウンジっておっかないとこだって聞いたよ??
まだいったことないけど。
厭きラヴさんもおっかない人なの? (ヒ〜・・・ナンツテネ。笑

目付けられたっていうのは、自分のスレに何度も荒らしが入ってるってこと。
中身に目付けられたかも。しょうがないから投げちゃった。
5432:2001/05/12(土) 01:12
どれ、なんかわかんないからラウンジとやらにいってみるか。
LB君もよく行ってるでしょ?
5532:2001/05/12(土) 01:20
行ってみたけど、何が何やらサパーリ・・・・汗
つか、どれを見たらいいのか判断に迷うようなスレ名ばかりで・・・・
笑点っていうのは見てきた。地味にワラテキタヨ?
56厭きラヴ:2001/05/12(土) 01:35
そかそか初心者でしたか
怖がることは無いさ(´ー`)ノ"

LB君て誰かな。
僕もこの夢板はまともに見てないから良く知らないな…
5732:2001/05/12(土) 02:25
私もここの板に来たのは最近なんだよ。
もともと、オカルト板(ヒー;)が主だもん。
LB君は純情板で知りあった人気のあるマジレス固定さん。
近頃ラウンジに行ってること多いっていってたから知ってるかと思って。
58厭きラヴ:2001/05/12(土) 02:30
全く知らないね。
ラウンジでは名無しなんじゃない?
あなたもラウンジ固定になっちゃえ
5932:2001/05/12(土) 04:00
えーーー?!
むりだよぉ。(汗
でも、たまにあっちものぞいてみることにしよかな。(笑
60厭きラヴ:2001/05/12(土) 04:34
是非そうしてください。
僕を見つけたら声をかけてください。
あと、ラウンジ固定だらけだし全く問題ないと思うな。
61厭きラヴ:2001/05/13(日) 01:03
やる気ねー。
こんな単純な作業すら、ね。
6232:2001/05/13(日) 01:12
だって義務じゃないでしょうに?(笑
63厭きラヴ:2001/05/13(日) 02:34
まぁ独り言だからなぁ・・・。
ところでここは馴れ合いカテゴリに分類されているね。
人呼んで来ようかな・・・・とか思うんだけれどもね・・・。
何か雑談でも、とね。
ちょっと投げかけてるしね・・
64厭きラヴ:2001/05/13(日) 03:32
作家の言葉なんて信じてないからな・・。
だからこそ自分なりに繋がりのあるものとして
羅列させてみようとも思ったんだが・・。
6532:2001/05/13(日) 04:03
作家の言葉は紡ぎ出された瞬間からもう、作家のものでは
ないと私は思うんだよ。(私見
作者が何を言いたいのかを拾い出すのは学校のテストだけで@お腹いっぱい。(ニガワラ

「羅列(w」の中から自分の中にある問いの答えを「自分の言葉で読みこなす」
ことが出来ればそれでおっけなのでは。なんて個人的には思ってたりする。
6632@カキコくどいねスマソ:2001/05/13(日) 04:11
なんか、かき方わかりずらいね。
要するに作者の言葉を作者の言葉で理解(?)したとしても、
自分という人間との一体感がもてるかどうかということ。
作者の言葉にヒントをもらっても、自分の体内に取り込むためには
自分の体にあったカタチに翻訳したほうが自分的には良いなと思う。
要するに筋がね入りの自己流ってことです。w
67厭きラヴ:2001/05/13(日) 06:03
そりゃまあ異論はないさ。
つか俺はもっと本を読まなければね。

なんかダラダラ書くよ。
6832:2001/05/13(日) 10:12
ごめんね、なんかヤパーリくどい。(汗
つか、さっぱりしたカキコできなくって・・・
6932:2001/05/13(日) 10:13
あ〜ぁ、理屈っぽいカキコはしないって決めてたのに・・・・ハア
70厭きラヴ:2001/05/13(日) 23:03
ん?
別に気にならないけど、、、?
思う事を好きに書けばいいじゃん。
元は僕の単なる独り言からなんだし。
71厭きラヴ:2001/05/13(日) 23:04
オスカーワイルド 獄中記

……苦悩とはいとも永い一つの瞬間である。
それは季節によって分かち得ない。
ただその気分を書きしるし、その繰り返しを記録しうるのみである。
われわれ囚人にあっては、時それ自身は進行することなく、
回転するのみである。
あたかも苦痛という中心の周りを廻っているかのように見える。
人を麻痺させるこの動きのとれない生活にあっては、
生活の一つひとつの事柄が一定不動の型式に従って規定されている。
だからわれわれが食い、
飲み、臥し、祈るにも、もしくは祈るためにせめて型ばかりに跪くにしても、
すべてこの鉄のような定則のまげることのできない掟に従うのである。
一日一日の恐ろしい日を、その細かい端々に至るまでも、
さながら兄弟のように似通うものにするこの不動性が、
おわりなき変動そのものを本質とする外界の力にまで自らを移し伝えていくように
思われる。
種蒔きの時期あるいは収穫の季節、
身を屈めつつ小麦刈る人たち、葡萄の樹の間を縫いつつ実を摘みとる人々、
落下で白くなり、あるいは落ちこぼれた果実で散り敷かれた果樹園の草、
――こうしたものは全く一つとしてわれわれの知るところではない。
また知り得ないのである。
 我々にとっては、ただ一つの季節、悲哀の季節があるだけである。
太陽や月さえも奪い去られたかのように見える。
外では空は青く、光は黄金色に見えるかもしれないが、
鉄格子の小窓の下に腰を下ろしていると、
厚く蔽われたガラス戸を通じて這い落つる光は灰色でほんの僅かである。
囚人の心の中が常に薄暗いように、獄房の中は薄暗い。
そして時の世界におけると同様に、思惟の世界にも動きが無い。
君自身がとうの昔に忘れ果てた事、または容易に忘れてしまえることが、
今の私の心に目覚めつつあり、そして明日も目覚めることであろう。
このことを記憶に留めておいてくれるなら、なぜ私がこんなことを書いてるか、
そしてこんなふうに書いてるかが、幾分なりと分かってくるであろう。
72厭きラヴ:2001/05/13(日) 23:05
 その後一週間して私はここへ移された。
三ヶ月たつと、私の母は帰らぬ人となった。
私が母をどんなに深く敬愛していたかは誰も知らない。
母の死は私にとって恐ろしい事だったのだ。
かつては言葉の王者をもって任じた私が、自分の苦痛と恥辱とを表すべき言葉を
見出し得ない。この母と父とは両人で築き上げた気高い名誉ある名を、
私に遺し伝えてくれたのであった。それは単に文学、芸術、考古学、科学だけの
範囲にとどまらず、一個の国民として発展してきたわが国の公の歴史の上にも
誉れ高いものとした名であった。
その名を私は永遠に汚してしまったのである。
はしたなき人たちのはしたなき笑い種としてしまったである。
まさに泥沼の中を曳きずりまわしたのである。
私はそれを下賎の輩が極めて野卑なものとするように、
また、たわけ者どもにはそれを愚劣ということと同じ意味に通じさせるように手渡してしまった。
当時私のうけた悩みはもとより、今もなお絶えやらぬこの悩みは、
到底、筆が書き、あるいは紙が記し得ぬことである。
いつも親切で優しかった私の妻は、縁も無き人々の口からこの不幸な報告を
私が耳にせんよりはと、自ら病をおしてはるばるジェノバから英国まで、
いまさら取り返しも償いもつかないこの訃報を打ち明けにやってきてくれた。
同情ある言伝が、相も変らぬ愛情を私に対してもってくれたあらゆる人から届けられた。
直接には私と面識の無い人たちでさえ、私に伝えられるようにと、依頼してきた……
 三ヶ月が過ぎた。獄房の戸の外側にかかっている私の名と刑とを記載した服役日課表は、
もう季節は五月であることを告げる……
 繁栄、快楽及び成功は、いずれも肌理のあらい、繊維のような月並みなものであろう。
しかし悲哀はありとあらゆる創造物の中で、最も感受性の鋭いものである。
思惟の全野に動くいかなるものに対しても、悲哀がそれに応じて激しい繊細な脈動において
震えないものが一つとしてない。
あの薄く打ち延ばされた金箔は眼に見えぬ力の方向を記録はしようが、
悲哀に比すれば粗笨たるを免れない。
悲哀は愛以外のいかなる手が触れても血が噴く痛手であり、また、愛の手が触れるときでさえ、
痛みこそしないものの、同じように血を噴くものである。
 悲哀のあるところには聖地がある。いつか人々はこの意味を身にしみて悟ることであろう。
73厭きラヴ:2001/05/13(日) 23:06
それを悟らないかぎり、人生については何も知ることができない。
××君やそういった性質の人ならこの意味がよく分かるはずだ。
私が獄中から引き出され、二名の警官にはさまれて、破産裁判所に行った時、
××君はあの長い陰気くさい廊下で待っていてくれた。
それは私が手錠をかけられ、うなだれたまま彼の傍を通りすがるとき、
寄ってたかった群集の前で、彼は厳かに帽子を取って私に挨拶をせんがためであった。
その愛らしい飾り気のない行為に群集は鳴りを鎮めてしまった。
これよりももっとたわいのないことで天国に行ったものはいくらでもいる。
聖者が貧しい者の前に跪いてその足を洗ってやったのも、あるいは、
身をかがめて癩者の頬に接吻したのも、こうした精神においてであり、
また、こうしたたぐいの愛をもってやったのである。
彼のなした行為については、ただの一言も当人にいったことはない。
彼の行為を私が気づいていたことを彼が知っているかどうかすらも、
いまのいままで私は知らずにいる。
こうしたことは、形式的な感謝を示すべき事柄ではない。
私はこれを心の宝庫にしまいこんでおくだけである。
とても返済など覚束ない
――そう思うと嬉しさがこみ上がってくるのだが――
秘められた負債だと思って、しまっておくだけなのである。
それは多くの涙という没薬と肉桂とで防腐され、いつまでも薫り高く保たれる。
智慧も私には役に立たず、哲学も無益であり、
せめてもの慰めを与えようと努めた人たちの与えた箴言や名句は、
私の口にのぼせると、塵か灰のようにしか感ぜられないようなとき、
このささやかながらも美しい無言の愛の行為の想い出が、
私にあらゆる憐れみの泉を開いてくれたのである。
沙漠を薔薇さながらの花と薫らせ、独りさびしく世を追われしものの苦渋から
私を遁れさせて、この世の木傷つき破れた偉大なる心と調和させてくれたのである。
××君の行為がいかに美しかったかということだけでなく、
それがなぜこうも自分にとって深く感ぜられたか、また、
この後いつまでも意味深く身に沁みて感ぜられるかを
世の人に諒解することができて初めて恐らく彼らは、いかようにして、
またいかなる魂において私に歩み寄るべきかを、如実にさとることであろう……
74夢見る名無しさん:2001/05/14(月) 04:48
>>1
地下のどっかでリンク張られてたから来てみたよ。
18歳にして卓越した言語感覚と高い国語力持ってるから
以前から何でだろ?って、不思議に思ってたんだよね。
でも、このスレ見て納得。相当文章読んでるんだろうね。

>>43
嘘つき(笑)
でも本気でそう感じるてるなら凄いね。

あ、蛇足。

>そういえばさっき地下スレ探索中に
>名前が☆☆で
>;だっけかな?
>見つけたよ(笑)

多分違うねぇ。
俺は「騙りテスト」とかって書いた気がする。

>って550もういないのか?

あそこにいないだけで2ちゃんには来てるみたいよ。
こことか(笑)


ここは馴れ合いOKだったよね?だからこういうのも(・∀・)イイ!!かな?
マニアックな内輪ネタスマソ(特に>>32さん)
75厭きラヴ:2001/05/14(月) 05:41
>>74
やぁやぁ
リンク貼ったのは
なんでもありのリフのスレだね・・・。

>>43に関しては本気でそう思っているさ。
同い年でももっと読んでる人なんていくらでもいるのでは。
>18歳にして卓越した言語感覚と高い国語力持ってるから
ワラタ
そんなことは断じて無い。

ぶっちゃけると
中卒半ヒキーだから本くらい少しは読んでいようと
してるだけさ。
76厭きラヴ:2001/05/14(月) 16:00
コクトー 僕自身あるいは困難な存在 読書について

 ぼくはものの書き方も読み方も知らない。
だから国勢調査の書類がその能力を訊ねていると
「無し」と答えたくなる。
 だれがものの書き方を知っているだろう?
書くことは自分の考えを理解してもらうためインクと闘うことなのだ。
 人は自分の仕事に多くの気を使いすぎるか、それとも
その仕事に充分に気を配らないかのどちらかだ。
優雅に跛足をひきつつその中道を行く者を見ることはめったに無い。
読むことは、また別の問題だ。ぼくは読む。
読んでいると思い込んでいる。
読み返すたびに、きまってぼくは読んでいなかったことに気付く。
これは手紙の場合厄介なことになる。
自分が探し求めていたものが書いてあればそれで満足し、
どこかにしまいこむ。
何かでその手紙が見つかり、読み返してみると以前読んだことのなかった
別の手紙を読むことになるのだ。
 書物も同じ遣り方でぼくらを翻弄する。
書物がそのときのぼくらの気分に一致しなければ、
ぼくらはそれらを良い書物とは思わない。
書物がぼくらを混乱させると、
ぼくらは書物を批評する。
するとその批評はその上に積み重なり、
ぼくらが忠実に読み直すとき邪魔をするのだ。
 読者の望み、それは自分を読むことだ。
自分がよしとするものを読み、これなら自分にも書けたのになどと考える。
また彼は、その本が自分の場を奪った事や、
自分では語るすべも知らなかったことを語ったとして恨む。
自分ならもっと巧みに語れるのにと思いさえもする。
77厭きラヴ:2001/05/14(月) 16:01
 本というものはぼくらにとって重要になればなるほど、
その読み方はむずかしくなる。
ぼくらの本質はその中に滑り込み、ぼくらの用途に合わせてその本を考えてしまうからだ。
だから本が読みたくなったり、
本の読み方がわかっていると自分に納得させたくなると、
ぼくは、ぼくの本質が浸透してゆきそうもない本を読む。
長い期間を過した療養所の中で読んでいたのは、看護人が持って来てくれたか、
偶然ぼくの所に舞い込んできたかした本だった。
それらはポール・フェヴァルやモーリス・ルブラン、クザヴィエ・ルルーのもの、
それに、ぼくを注意深く慎み深い読者とした数多くの冒険者や探偵小説のたぐいだった。
ロカンボール、ルコック氏、オルシヴァルの犯罪、ファントマ、シェリ=ビビ、
そうしたすべてが、
「きみには本の読み方がよくわかっているじゃないか」
とぼくに語りかけてくれた。
それらはあまりにぼくの言葉で語りかけるからぼくの精神が
それらに合わせて変形したり、また、
知らないうちにぼくが何ものかに捕らえられてしまうにはいたらないのだ。
それはたとえば。トーマス・マンの『魔の山』という本について。
結核患者から
「これは結核に罹ったものでなければ理解できない本です。」
と何度となく聞かされるのと同じくらい真実のことだ。
ちなみに、結核患者でないトーマス・マンがその本を書いたのだし、
しかもそれは結核がどんなものかを結核というものを知らない人々に
理解させるためだったのだ。
78厭きラヴ:2001/05/14(月) 16:01
 ぼくらは誰もが病人で、
しかもぼくらの病気を扱った本しか読むすべを知らない。
それが恋愛を扱った本の成功となる。
だれでも自分だけが恋愛を経験する唯一の人間だと思っているからだ。
彼はこう考える
「この本はぼくに宛てて書かれている。他の誰にこれが理解できるだろう。」
複数の男性が一人の女性を愛しており、
自分たちもそれぞれ彼女から愛されていると信じこんでいる。
そして皆がその本を彼女に読ませようとあせる。
はたして彼女は「この本はなんて素敵なの。」と言う。
だが、彼女は別の男を愛していてそう言っているのだ。
 さてこんどは本の役割について考える番だ。
本というものは読者を納得させるためあらゆることがらを
語るはずだが、ことによるとその役割は、むしろぼくらに耳を傾け、
ぼくらに対しうなずいて賛成することではないかということだ。
読者はバルザックの中に自分の心の糧を見出す。
彼はこう考える。
「これはぼくの叔父だ。これはぼくの叔母。これはぼくの祖父。
 これはX……夫人。これはぼくの生まれた町だ。」
ドストエフスキーでは、
かれはどう考えるだろうか?
「これはぼくの興奮、ぼくの暴力だ。ぼくの周囲の人間は信じないだろうが。」
 そして読者は読んでいると思い込んでいる。
裏箔の無い鏡が忠実な鏡のふりをしている。
彼は、その背後で演じられている情景に気づく。
さてその情景はなんと彼の考えに酷似していることか!
その鏡はそのイメージをなんと巧みに反映することか!
その鏡と彼とはどれほど巧みに作用し合うことか。
どれだけ巧みに反映しあうことか。
 物議をかもすような絵画、ぼくが言うのは、
さまざまな悶着を起こし、他の絵などは嫌悪の念を抱いてそれらを見守っているに
違いないという事だが、そんな絵が美術館に陳列されていることを
ぼくは知っている。
(『モナ・リザ』、『無関心』、ミレーの『晩鐘』等々)。
これと同様、いくつかの本は騒動を起す為に存在している。
たとえそれらが他も本より百倍美しくても、
そうした本の運命は他の本の運命とは違ったものなのだ。
『モーヌの大将』はそうした本の一つの典型だ。
そしてぼくの作品の一つ、
『恐るべき子供たち』もこの奇妙な特権を分布されている。
この本を読み、またそこに自分を読み取った人たちは、
ぼくのインクが生きていると思い込んでしまったため、
本来なら彼らが堅持すべきであった相似関係の犠牲となってしまったのだ。
その結果、人工的な混乱と、無意識を口実にするしかない様々の事態を
意識的に実践していくというようなことが生まれた。
「私はあなたの本のままです」とか
「私たちはあなたの本そのままです」などと書いて
ぼくに寄せられた手紙は数知れない。
戦時中も戦後も、一見ある生活スタイルを不可能にさせたかに見える
自由の欠如も、彼らの気力をくじいてはいない。
79厭きラヴ:2001/05/14(月) 16:01
 サン・クルーの療養所であの本を書いていたときは、
親しくなったある姉と弟がぼくに少しばかりインスピレーションを与えてくれたのだ。
ぼくは二人をあのように生きる唯一の人間であると思っていた。
ぼくが暴露している原則のおかげで、
結果にはそれほど期待を持っていなかった。
ぼくは、そもそも誰がその中に自分を読み取るのだろうと考えていた。
いずれにせよ、それらの人々は、ぼくが題材にとりあげた当の彼らではない。
彼らの魅力は、自分たちが何であるかを知らないという点にあるからだ。
実際ぼくの知るかぎり、彼らは自分というものを認識しない唯一の存在だった。
だからもし存在するとしても、彼らと似たような人々からは、
ぼくはけっして何も学びはしないだろう。
あの本は嘘言症患者たちの、そして立ったまま夢をみたい人々の愛読書となった。
『山師トマ』は一つの物語だが、それはまた、騒動を惹き起こさない本でもある。
解放されていく期間に、この本は『恐るべき子供たち』のリズムをとりそうになった。
多くの若い嘘言症患者が分別を失い、変装し、名を変え、英雄になったつもりでいた。
仲間たちは彼らのことを『山師トマ』と呼んでいて、
本人たちがひきうけないときは、かわりにぼくに彼らの手柄話を語ってくれたものだった。
だが自分のおとぎ話と一体になってしまう嘘言症患者はごく稀だった。
ほかの人間なら自分の仮面が剥ぎ取られるのは好まない。
それに、これはまったく単純なのだ。
本というものは、すぐさま色々の騒ぎをまきおこすか、
それとも全然そうしないかなのだ。
『山師トマ』が『恐るべき子供たち』のような運命を辿ることはけっしてないだろう。
では嘘言症患者は嘘言症患者をどう扱うのだろうか?
それはイギリス人の役を演じるイギリス人のようだ。
 トマ・ド・フォントノワの死は神話的だ。子供は馬遊びをすると馬になる。
一人の嘘言症患者が『恐るべき子供たち』を読む。
彼は馬遊びをし、自分を馬だと思い込むのだ。
80厭きラヴ:2001/05/14(月) 16:02
コクトー 恐るべき子供たち

 エリザべートは夢の世界に遊ぼうとした。
それは不可能だった。彼女の胸は高鳴っていた。
雪合戦の結果は、ジェラールのとってそうであったように、
彼女にとっても、もはや彼らの夢の世界に属するものではなかった。
医者は彼女を厳粛な世界に引き戻した。
そこには恐怖が存在し、人々は熱に悩まされ、死に脅かされる。
一瞬、彼女は中風に罹った母親、
死にかかっている弟、隣の女が持ってきてくれたスープや、コールド・ミートや、
バナナや、ビスケット、そんなものを時間かまわず食べている自分の姿、
女中もいなければ愛もない家などを思いうかべた。
 ポールとエリザべートはよく麦飴菓子を食べた。
寝床のなかで、悪口を云い合ったり、
本を貸したり借りたりしながら、その飴をしゃぶるのである。
彼らはほんの数冊しか持っておらず、
いつもきまったそれらの本を、
うんざりするほど読み返したものだ。
このうんざりした気持は儀式の一部分を成しており、
それはまずベッドの綿密な点検からはじまり、
パン屑を払いのけ、シーツのしわを伸ばす。
それから恐ろしい混乱がつづき、
最後に夢想にふけるのだが、
そうした状態に入って行くには、
このうんざりした気持が何よりも都合がいいのであった。
8132:2001/05/15(火) 03:46
>>74さん
こんにちは。
っていうか、私は勝手に、厭きラヴさんに読書案内(爆)してもらってる
気になっているだけ。
ここ読んで、面白そうなのを本屋さんであさってみたりしてるの。

>>厭きラヴさん
・・・・・・・じ、じ、じゅうはち。(大量発汗

>>76-79
これ、なんか面白い。(こんど読んでみる
私、読書論はショウペンハウエルしか読んだことないや。
あんまりにも、当たり前なことばかりだったけど。
(自慢じゃないぞー、一応言っとく。
あれ読むと、2chのクレクレ厨房君達のこと思い出すのは自分だけかな・・・笑。
82夢見る名無しさん:2001/05/17(木) 19:41
厭きラヴ遅すぎ。立て逃げか?
まさかとは思うが、一応保守。

>>81
萌え〜♥
8332:2001/05/17(木) 22:32
>>82>>74さんなの?

まさか、彼はたて逃げなんてしないのでは?
なんとなくそう思ってみたり・・・・まぁ、気長に待ちましょ。

黒いハートで萌えられてもねぇ。(苦ワラ
でも、光栄です。サンクス!
84厭きラヴ:2001/05/18(金) 01:25
ああああああああああああいるいる
保守なんて必要ねーよこんな夢板ごとき
でもありがとう

期待しないで

おもしろいのか?

雑誌とかインタヴューからも抜こうかなと思ったり
8532@くすッ:2001/05/18(金) 01:43
来た来た・・・・(ワラ
86夢見る名無しさん:2001/05/18(金) 02:23
来たなキリ番厨房(w

>>84
期待してるからビシッとやってくれ。
俺スレもレスして行ってくれ。

>>83
74=82=86ですよ。
女性ですか?
だったらとりあえず結婚を申し込みますが(w
8732:2001/05/19(土) 00:21
>>86
いちおう、周囲は女性という目で見てくれております。
ですから多分女性という分類にはいるのでしょうね。(謎

そうですね。
とりあえず、結婚してみましょう。w
88厭きラヴ:2001/05/19(土) 06:37
マルタン・モレスティエ ハエ全書 第6章 ハエの高尚化 彼らはハエが飛ぶのを見ていた

アリストテレス
「(…)交尾中のハエを引き離して見ると、よく分かる。
しかし、彼らはなかなか離れない。実際、こういう虫の
交接は長い時間かかるのである」。
(『動物誌』島崎三郎訳 岩波文庫)

レオン・バッティスタ・アルベルティ
「ハエの生き方ほど誇り高いものがあるだろうか。彼ら
はみなで集まってゆっくりと食事をし、頭を寄せ合って
水を飲む。これは愛情のしるしである。学者によると宴会は
友情の所産だからだ。(・・・)その上、彼らは心の
平安を持っている。ハエが剣や毒や蠅、あるいはその
他の方法で人を殺した話や、狡猾に立ち回って人を裏切った話など
聞いたこともない。ハチと違って、ハエは内戦をしない(・・・)」
(『ムスカエ・エンコミウム』、一四五〇年頃)

ジャン・アントワーヌ・ド・バイフ
「ハエがやってくるのは、やせた馬のほうだ」。
(『無言劇』、一五七五年)

シャルル・ボードレール
「青蠅は、腐つた腹の上で唸りを立ててゐた。/その
腹から 蛆蟲の 黒い塊が/這ひ出して この
襤褸の生肉の上をつたうて/どろどろと 濃い液汁の
やうに流れた」。
(「腐れ肉」『悪の華』鈴木信太郎訳 岩波文庫)

アンドレ・ベイ
「死を予感し、腐敗物でわが身を、いや正確にはウジを
養うハエたちは、たいてい何らかの形で死と腐敗物とに
関わっている。よって、ハエたちは汚染反対派の擁護者だ」。
(『ハエと人間』、Editions Denoel)
89厭きラヴ:2001/05/19(土) 06:37
ニコラ・ボワロー
「その批判精神に気をつけろ、と人は言うだろう。多くの
場合、どんなハエに刺されるかはわからない」。

ディーノ・ブッツァーティ
「ハエがわたしにつきまとう。なぜだろう?… わが友、
ハエよ、ハエの女神よ、お願いだ、王女様、きみが私と
ここにいるのは…つまり、知らせにきたのか(…)きみ
は本当に死を運んでくるのか、呪われたハエよ」。
(『ディーノ・ブッツァーティのノート』、Editions Robert Laffont)

ドニ・ディドロ
「顕微鏡なしにはほとんど想像することのできないような美を
備えているのは、ありふれたハエだけだ」。

ヨハネス・エックハルト
「どんなに知識がある者だろうと、神はハエの中にさえあることを
知る者はパリには一人としていない。私はパリで説教をしたときにこう言ったが、
今でもそう思っている」。
(『ボニファテウス八世への手紙』、一二九八年)

ソフィストのクラウディウス・アイリアノス
「死んだハエの上に灰を少しかけると、すぐに生き返る。
ハエは再び生まれ、新しい命を得る」。
(『動物誌』、二世紀)

デシデリウス・エラスムス
「なにごとも過小評価してはいけない。
ハエにさえ脾臓があるのだ」。
(『格言集』、一五〇八年)

ジャン=アンリ・ファーブル
「大地を死のけがれから祓い浄め、死んだ動物の残骸を
生の宝庫に還元するためには、無数の残飯屋がいるものだ。
我々の地方のくろばえCalliphora vomitariaと、
にくばえSarcophagea Carnariaもその仲間だ」。
(一九〇七年、「肉のくろばえ」『ファーブル昆虫記』山田吉彦・林達夫訳 岩波文庫)

ジャン・マリ・ゲーラディジン
「私はハエが飛ぶのを見ていた。よくよく観察した。
そして私は確信した。飛ぶなんて簡単なことだ!」。
(『アトリエ340』、一九九五年)
90厭きラヴ:2001/05/19(土) 06:38
ジャン・ジオノ
「観察したあとでも、それを望むといえるだろうか?
否。中を横切るように発射物を投げると、それは
頑丈な補助翼に支えられながら、軌道を描く。砲弾と帆が一つ
になる。(…)鳥と比べることさえできない。ハエとは、
争っても勝ち目がない…」。
(『誇り』)

ヨハン・ヴォルガング・フォン・ゲーテ
「茎と茎との間に行われる小さな生き物の世界のうごめき、
這っている小虫や羽虫などの究めつくせぬ無数の姿を、
胸に抱きとるように感ずるのだ。そしてさらにぼくは感ずる、
われわれを自分の姿にかたどって想像された全能者の存在を。
われわれを永遠の歓喜のなかにただよわせながら支えている
至高の慈愛者のいぶきを」。
(一七七四年『若きウェルテルの悩み』手塚富雄訳 河出書房新社)

P・J・エリアス
「羽のある虫が、ぶんぶんと羽音をたてながら、わらの中から
むっくりと立ち上がる(…)黒く毛深い腹をひきずっている。
それは七つの大罪よりも醜い。(…)父は手の甲のすばやい一撃で虫を
たたき落とし、木靴ののかかとで押しつぶした」。
(『自慢の馬』、一九七五年)

アヤトッラー・ホメイニ
「一匹のハエがまず何か汚れて湿ったものにとまり、
その後、きれいで湿ったものにとまると、今度はそれが
汚れる。ただし、それは最初のものが汚いとわれわれが知って
いるならである。知らなければ、それはきれいなままである」。
(『政治・哲学・社会・宗教の原理』、一九八〇年)

ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ
「行ってしまえ、つまらぬ虫、大地の滓め」。
(「ライオンとブヨ」『寓話』今野一雄訳 岩波文庫)
「天井にいます方がたにとっては、ハエであろうと、
ゾウであろうとそれがどうだというのだろう」。
(「ライオンとジュピテルのサル」前掲書)

アンリ・ラヴダン
「どんなに飼い馴らされても、ハエは無表情で恩知らずのままである…。
ハエを愛することが難しいのは、その並外れた量のせいでもある…。
ハエは愚かだ。ハエは何も考えず、役立たずで、目的もなく飛んでいるように見える。
その行動は観念と卑俗との距離に位置するといってよいだろう。
ある時は、きらめく太陽の下で幾何学のパラドックスに悩み、
ある時は、糞や死骸の上に堂々と居座って、自ら悪趣味と黴と
瘴気の女王を名乗る」。
(パリ、一九一〇年)
91厭きラヴ:2001/05/19(土) 06:38
ルキアノス
「(ハエは)闇の中では、すでに話したように、なにもしない。
何かこっそり隠れてしようとすることもなく、
昼間したら恥ずかしくなるような卑しいことをしようという気を起すこともない」
(二世紀、「蠅の賛美」『ルキアノス選集』内田次信訳 国文社)

ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ
「世界は平坦で静かだった。ハエはそこにとまっていた。
まるで何年も前からそこにいたように、この部屋で、
わたしの背後で、ちょうどその時間に。
永遠の存在としては生まれついていないのだが」。
「ああ、多くのハエについて語らねばならない。
彼らのすばらしさのすべてを、彼らの緻密で正確な形を、
彼らの生命の短さとはかなさを、彼らの繊細な習性を。
彼らが飛ぶのを長い間見なければならない…」。
(『地上の未知のもの』)

ジャック・リゼーヌ
「人間の困った状態は、ある人々から見ればおそろしい
サイクルを映し出したものだ。
ぶん、腐った肉と、ぶん、臭い糞につく虫。
ぶん、奇妙な音をたてて、ぶん、絶えずさまよう。
ぶーんぶーんぶーん」。
(『ほとんど、ゼロ』、一九九三年)

クルツィオ・マラパルテ
「ナーポリでも、蠅をやっつける戦争をしたら
よさそうなものですが? わたしの国では、北イタリアだが、
ローマでも、全市を挙げて蠅退治に取り組んだ。
われわれの街にはもう一匹の蠅もいませんよ」。(…)
「なるほど、しかしナーポリでもわれわれは蠅退治を
やりました。というより、われわれは蠅を向こうにまわして
ほんとうの戦争をやった。
蠅と戦争に入ってもう三年になります」。
「それでは、どうしてこんなに蠅が多いのですか、
ナーポリには」。
「まあ、それがなんと、旦那さん、蠅が勝ったんですよ!」
(一九五一年、『壊れたヨーロッパ』古賀弘人訳 晶文社)

アンドレ・マルロー
「私はしばしばハエの立場に立ってみることがある。
ハエたちは何年もの間変わらずそこにいる…。
人間は次々とやってきては血みどろの戦いをする…愚かだ。
ハエは戦いのあとに死んだ戦士と、眠りこける勝利者の上
にとまる。彼らは死者の方をより好む。蝶もハエのように死体を
あさるのを好む。ハエの目から見ると人間のうち本当に
信頼できるのは、女だけだ。女たちは殺しあわないから…」。
(アンドレ・ベイ『シャルル・ド・ゴールとの対話』より)
92厭きラヴ:2001/05/19(土) 06:39
シャルル・マンジャン将軍
「ハエを絶滅させることなど期待できない。
しかし、できる限り殺すことはできるし、
またそうすべきだ。ただ気晴らしのためだけであっても、
ハエをつかまえなければならない」。
(ヴェルダン 一九一九年)

キャサリン・マンスフィールド
「助けてくれ! 助けてくれ!」ともがいている
その脚がいっているようである。しかし、
インクびんの内側はぬれて、すべりやすい。
蠅はまた落ちこんで泳ぎはじめた。(…)
とうとうやりとげた。そこで、蠅はしゃがみこんで、
子猫のように顔のお化粧をはじめた」。
(一九二三年、「蠅」『マンスフィールド短編集』崎山毅訳 岩波文庫)

ミシェル・モンテーニュ
「わたしの精神は集中していて、今にも飛翔しそうだ。
これを妨げるなら、どんな小さな羽音を立てても、
そのハエは殺される」。
(『エセー』、一五八八年)

アンリ・ミショー
「わたしがあんなに沢山の、あんなに沢山の、蠅を見た年はなかった、
と祖父が言う。彼は本当のことを言っている。
彼は確かにそう言ったのだ…笑うがいい、笑うがいい、
小さな馬鹿ども、わたしはひとつひとつの言葉のために
鳴咽が必要なんだということを、決してわかってほしく
ないんじゃ」。
(「緩慢な女」『アンリ・ミショー詩集』小海永二訳 土用美術社)

ジュール・ミシュレ
「卵をはらんでいるのだとしても、ハエのこの小ささは
奇妙さの要因であり、人間側に怯えに満ちた拒否の態度をとらせる。
仮にもわれわれを不安にさせるものならば、
それを殺す!」。

プロスペル・メリメ
「閉じたる口に、はえはいらず」。
(『カルメン』、一八八四年)(『世界文学全集12』杉捷夫訳 河出書房新社)
93厭きラヴ:2001/05/19(土) 06:39
ヴェルナー・モロン
「第一段階ではいたずらをする。笑いが必要だし、
他の段階は人間の体とキャスターつき椅子の夢からなり、
ハエに対峙することになるからである。我々を飲み込むものの
周りには金をおく。金銅の合金とビロードでできた柩のために、
ハエを殺す」。
(エスタール、一九九六年)

アルフレッド・ド・ミュッセ
「わたしはあまり批判を気にかけない。
ハエがいても刺すのはまれだ」。
(『杯と唇』)

フリードリヒ・ニーチェ
「そうだ、わが友よ、あなたはあなたの隣人にとって、
良心の痛みなのだ。かれらはあなたに価いしない存在なのだから。
それゆえ、かれらはあなたを憎み、あなたの血を吸いたがるのだ。
あなたの隣人たちはつねに毒蠅になるだろう。
あなたの持っている偉大なもの、――それが、
かえってかれらをいっそう毒々しく、いっそう蠅らしくしてしまう。
わが友よ、のがれなさい、あなたの孤独のなかへ!
かなたの、荒々しく雄々しい風の吹くところへ!
蠅たたきとなるのはあなたの運命ではない」。
(一八八五年、『ツァラトゥストラはこう言った』氷上英廣訳 岩波文庫)

シャルル・ノディエ
「創造神は人間に嫌気がさした。
もっともなことだ。
そして次には『虫』がやって来るの違いない」。
(ジェリーへの手紙』、一八〇三年)蠅

ブレーズ・パスカル
「この世の最高の裁判をおこなう人の精神も、
あたりで騒ぎがおこなわれてすぐに掻き乱されはしないというほどに
悠然としていられるものではない。彼の思考を妨げようとするには、
大砲の音はいらない。(…)。
彼が今よく考を運ぶことができないとしても、あやしんではならぬ、
一匹の蠅が耳もとで唸っているのだ。
正しい決断がつかなくなるのには、それだけで十分である。
もし彼をして真理を見出させようと君が望むなら、
彼の理性を妨げるところのそうしてもろもろの都と国の支配者なる
この強い知力を掻き乱すところの、この動物を追い払うがよい。(…)
「蠅の力。蠅はたたかいに勝ち、我々の心の働きをさまたげ、我々の体を食う」。
(一六七〇年、『パンセ』津田穣訳 新潮文庫)
94厭きラヴ:2001/05/19(土) 06:40
レーモン・クノー
「ハエを見れば『あれはウジ虫だった』と思えばよい。
人間を見れば、『あれはウジ虫になる』と思えばよい」。
(つまらないこと)

アンドレ・ロスタン
「遺伝の法則を研究するにはある虫に頼るのがよい。
この虫はここ二〇年で、それまで他の動物がしたよりも大きく
生物学を発展させた。黒い腹をした、酢のハエこと
ショウジョウバエだ」。
(『ハエから人へ』)

ジャン・ポール・サルトル
「蠅の奴ら、あいつの眼に、まるでお菓子かなんぞにたかるみたいに、
じーっと静かにたかってます。しかもあの男は、どうです、あいつはうっとりと
笑っている。まるで自分の眼から甘い汁を吸われるのを喜んでいるようじゃありませんか。
どうやらこの様子じゃ、あの眼から凝乳のような白い分泌液を出すんですな」。
(一九四二年、『蠅』加藤道夫訳 人文書院)

アンドレ・シガノス
「人の思索の過程が、現実の昆虫の動き方に一致
するかを考えるとおもしろい。(…)いい加減な論理に
従う筋の通らない思考。途中で目的を失い、思い出しては、
また忘れる。この混乱した思索は、ハエがジグザグに飛び回るのと同じだ。
最後には、詭弁という窓ガラスに頭をぶつける」。
(『昆虫の神話』。一九八五年)

アイザック・バシェヴィス・シンガー
いずれにせよ、どういう理由からかわからないが、
時々このハエについてこんなばかげたことを考えることがある。
いつかまたこのハエに会うだろう。
この世でか、あるいはたぶん、あの世で。
そこでは、ハエと人間は完全に同じものなのだ」。
(一九八二年、アンドレ・ベイ『ハエ』より)

ウィリアム・シェイクスピア
「いわば気紛れな悪戯児の日に留まった夏の虫、
それこそ神々の目に映じた我輩の姿であろう、
神々はただ天上の退屈凌ぎに、人を殺してみるだけのことだ」。
(『リア王』福田恆存訳 新潮文庫)

カール・フォン・フリッシュ
「ハエには、上品さも、明らかな清潔さへの気遣いも
ある。いずれにせよ、彼らがどれほど敏捷に、どれほど
丁寧に顔や脚を洗うかは観察することができる。
そういう見方をすると、ハエにむしろ親しみがわいてくるだろう」。
(『家の一〇の小さなお客』一九五七年)
95厭きラヴ:2001/05/19(土) 06:41
この世界は蠅の卵。
96厭きラヴ:2001/05/19(土) 11:08
マルタン・モネスティエでした。知るか
97厭きラヴ:2001/05/19(土) 11:08
マーク・トウェイン 不思議な少年

「そうさ、なんにも存在などしちゃいない。
全ては夢なんだ。
神も、人間も、世界も、太陽も、月も、
それからあの無数の星だって、全ては夢にすぎん。
実在なんかしてやしない。
ただあるものは空虚な空間、
そして君だけなんだよ」
98厭きラヴ:2001/05/21(月) 22:38
立てる寸前に思いついたタイトルだけれど、
いつ見ても痛いな。
9932:2001/05/22(火) 00:11
でも、コッテリした漢字使ってるから、
ビジュアル的に探しやすいよ。(爆!
100ふんにゃか ふんにゃか:2001/05/22(火) 01:38
ふんにゃか ふんにゃか
101ふんにゃか ふんにゃか:2001/05/22(火) 01:38
ハンドルも変えてみた。
102ふんにゃか ふんにゃか:2001/05/22(火) 02:15
ららら羅列君
103ふんにゃか ふんにゃか:2001/05/22(火) 02:16
104ふんにゃか ふんにゃか:2001/05/22(火) 02:17
おまけ

ふんにゃか ふんにゃか
http://corn.2ch.net/test/read.cgi?bbs=entrance&key=985788595
10532:2001/05/22(火) 02:27
果たして見て良かったのか、悪かったのか
どうして私はいつも・・・・
106夢見る名無しさん:2001/05/22(火) 02:28
荒れてるのかな?

>>105
ん?何が??
107ふんにゃか ふんにゃか:2001/05/22(火) 02:29
>>105
曖昧です。
具体的にどうぞ。
10832:2001/05/22(火) 02:36
日記を読ませてもらったよ。
読んでみてと書いてあったのでね。
読んだことを少し後悔している。

お門違いだが、自分の痛みを思い出す。
それは埃をかぶるほど昔にあったことで、今も自分を痛めつける。
いや、日記というものはもともとそういうものか。(笑
「日記」とかいてあるものを不用意にのぞいた自分がわるいのだな。
109ふんにゃか ふんにゃか:2001/05/22(火) 02:37
あぁ、読んだんだ、多田由美の。
あれは凄いよね。
11032:2001/05/22(火) 02:43
私も競争が苦手なんだ。
だが、気は強いけど。(ニガワラ
(まぁ、気が弱い女などこの世に存在しないといってもいいだろうね。)
そして、いつも自分をそっとしておいて欲しいと願っている。

今日はもう寝るよ。
11132:2001/05/22(火) 02:49
そういえば、それでもここには来ているな。(笑
112魘されない夢:2001/05/22(火) 12:40
 ∩ ∩
 | ∪ |
 |  〜
 | ∧ ∧⊃ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 | i ,,゚Д゚) <  しぃ〜〜そぉ〜げぇぇむ♪
 U     \___________
113魘されない夢:2001/05/22(火) 12:40
ジョン・バニヤン 巡礼者の旅

私は世界の荒野を歩み続けている途中で、ふと、ある場所に逝きついた。
そこは窪みになっていて、私は眠るためにそこに自分の身体を横たえた。
そして眠りながら、夢を夢見た。
夢の中では、ボロをまとったひとりの男がある場所に立っていた。
先祖から受け継いだ顔に、手には一冊の本、背中には大きな荷物。
そして彼はそれを読みながら、悲しみ、わなないた。
そして押さえきれずに、嘆かわしい泣き声を上げはじめた。
「どうすればいいのだろう?」と。
114魘されない夢:2001/05/22(火) 12:41
↑の本は持っていないので注文しよう。
きっとこの本だろう。

コピペ

天路歴程(正)
ジョン・バニヤン
池谷敏雄 訳
新教出版社

p253
 このとき私が夢で見ていると、有望者が振り返って、
二人が後に残してきた無知者がやって来るのを見た。彼
は基督者に言った、ご覧なさい。あの若者がずっと後の
方でぐずついていることと言ったら。
基督者 そうそう、私にも見えます。彼は私たちの仲間
入りをしたくないのです。
有望者 ですが、今まで私たちといっしょに歩いてきた
ら、ためにならないこともなかったでしょうに。
基督者 それは本当です。しかし確かに彼はそうは思っ
ていないでしょう。
有望者 私もそうだと思います。とは言え、彼が来るの
を待ってやりましょう。
 二人は彼を待った。
115魘されない夢:2001/05/24(木) 04:02
なんだか激しくつまらんな!!
俺のやってることがYO!

たまに気が向いた時に大量に打つのが
いいんだろうナ
116夢見る名無しさん:2001/05/24(木) 04:19
厭きラヴ放棄か?
117魘されない夢:2001/05/24(木) 09:08
徒手
徒労
徒食
逍遥
怯懦
晦渋
蒐集
流麗
遡る所
輾転反側
諧謔の徒
分裂嗜虐
敵打つ心
仇なき徒
錯覚麻酔
剥脱の近影図
包括の学び舎
優れた急斜面
無くならない話

健忘の徒。
そして憎悪対象無き今
可逆の徒。
魘されない夢。
歪み腐り爛れているが
魘されない夢。

燃えゆく炎はとても優しく
微睡む姿には夢踊る。
それは魂のようだとあなたは言うでしょう
そして僕が許せるのはその時の涙だけなのです。
118魘されない夢:2001/05/24(木) 22:26
ランボー 拾遺 第三部 正義の人
断片

正義の人は、しっかりと腰を据えて、まっすぐ立っている。
光が来て、その肩を金粉で染める。
僕は汗みどろになって叫ぶ。
『流星が緋に閃くのを見たくないかね?
また、こしけのような銀河や、小惑星の蜜蜂の群れが羽音うならせるのを、
 きいてみたくはないかね?
 夜の茶番劇で、君の額ははねられているよ。
おお、正義の人よ。肝心なことは眠るべき屋根あることだ。
せいぜい祈りたまえ。
君の寝床の敷布のなかの、やさしい祈で償いをうることだよ。
もし、どっかの迷い児が君の骨にぶつかったら、言ってやんな。
同胞よ、も少しあっちへ行ってもらおう。身体不具なんだから! とな』

正義の人は、太陽の落ちたあとの青ざめた芝生の上に、
びっくりして立ちつくしている。
『さあ。君の鎧の脛当を売りに出したまえ。
御老人。聖地の巡拝者どの。アルモルの吟遊詩人どの。
オリヴィエ山で泣いたお方! 同情の手袋をはめた手!

 一家のお髭。町のなかのにぎり拳。
ああ、花の蕚に落ち込んだ心。
尊厳や、徳行、愛や盲目についてやさしく考える
正義の人よ。牝の猟犬よりも、もっと忌々しい、嫌悪にみちた塊が君なんだ!
僕?僕は、ただ、苦しみ、反逆した人間だ!

 君は僕を腹這いにして泣かせる。馬鹿の骨頂さ。
その上お笑い草にも君が僕をゆるしてくれるという特性の希望もあるんだ!
知ってるだろ!僕は、君の望んでいることごとに、あきはてうんざりして、
血の気までなくなってしまうんだ。
だが、君は寝にゆくがいい。そして、
正義の人よ。僕には、君のしびれた脳髄なんかにはなんの用もないんだよ。

君が正義の人なんだ。たしかに、それはまちがいない。それでいいじゃないか。
君の慈悲と、悩みを知らぬ常理とが、
夜更けて、鯨のように鼻を啜っているということも本当だ。
ぶちこわされた怖るべき柑子の上で、君は、
おのれを死刑に墜しておいて、哀悼の千万篇をわめきちらすと同じ愚をやっている!
119魘されない夢:2001/05/24(木) 22:26
 つまりそれが神の眼なんだ! 陋劣千万な!
僕の首の上に、ミサの道具の冷たい木の肌ざわりがふれた。
まったく君の、いやしさときたら! 蝨の卵でうようよしているその額!
口にもしたくないような君の名は、ソクラテスとイエス。聖人と賢人なのだ。
血まみれな夜な夜な、最も呪われたものを尊敬するんだ』

 僕は、そう言って地上から叫び続けていた。
しずかな、しらじらとした夜が、この煩悶のあいだ、空を占めていた。
僕は、額をあげた。僕の唇から残忍な皮肉を摘みとったまま
亡霊は立ち去った。……

──夜風よ。呪われたもののところへ吹け。そして話してやれ。

しかし、天柱のもとで、黙々として、
宇宙の交点と、彗星との、宏大な運行を
破綻なくうごかしながら、『大秩序』は、
永遠に眼ざめているものは、
輝く空にかかる手で、炎の網を投げては、星々をひろげるがままに
させているのだった!

一八七一年七月
12032:2001/05/28(月) 07:53
おはよー!

たまには朝ものぞいてみたりする。w
121ゆきのふ*`σ゚)ノ:2001/05/28(月) 09:21
来て見たよ。奥深し夢・独り言…。
122魘されない夢:2001/05/28(月) 20:57
人類の日々の営みその全て
これほど息が詰まるものはない
孤独こそは
きみが生き延びるために必要な酸素マスク
123☆天邪鬼☆:2001/06/03(日) 11:50
 |  // /
 |// /
  / ̄
  |_∧ スゴイネ(●´ー`●)
  |ー゚●)
  ⊂|
  | 〜
  |∪
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
12422世紀を目指す名無しさん:2001/06/03(日) 12:14
>>123
スゴイョ(*´ー`*)
12522世紀を目指す名無しさん:2001/06/13(水) 21:39
うわぁ、まだ生きてるのか。
凄い板だな。
12622世紀を目指す名無しさん:2001/06/15(金) 04:08
放棄か?
いやがらせでageちゃうよ??
127魘されない夢:2001/06/15(金) 07:04
死ぬ
死ね
死ぬべき
死ぬさ
死ぬんだ
死んだ
死ぬか
死にたい
死ねば
死ぬとも
死にます
死ねない
死ぬこと
死なず
死んだら
死す
死なん
死ぬね
死ぬよ
死にそう
死にゆく
死ぬため
死んで
死ねる
死ぬわ
死んでも
死んだか
死んだから
死ぬの
死ぬから
死んでる
死んだって
死んだの

普通の事。
ごく単純な事。
君の魂。
僕の魂。
12822世紀を目指す名無しさん:2001/06/15(金) 07:10
お前ネガティブ過ぎだ。
どうしたの?
12922世紀を目指す名無しさん:2001/06/18(月) 02:34
嫌がらせ保守。
130平伏すべきモノ:2001/06/20(水) 07:18
「どーせ、人は自分を破滅に導くようにできている。」
131平伏すべきモノ:2001/06/20(水) 07:18
時たま、ベランダに出て飛び降りることを考える。
他のことについてあまりにも無感覚で、
これこそ最後のスリルかもしれないと思うんだ。
132平伏すべきモノ:2001/06/20(水) 07:20
Q何が一番怖い??
「たぶん、自分。自分をコントロールできなくなるのが一番こわい。それが俺の一番の恐怖だろうね。俺は弱い人は嫌いだ。いつも俺は自分の人生をコントロールできるように頑張っている。俺に一番の恐怖は弱くなることだ。」
133平伏すべきモノ:2001/06/20(水) 07:20
「孤独な人は自分の想像力が一番の友なのだろう。だとすると、俺の子供時代のほとんどは、想像してたんだろう。」
134平伏すべきモノ:2001/06/20(水) 07:22
「進化する過程の中で、人類が(思想では)逆をいってることには驚く。」
135平伏すべきモノ:2001/06/20(水) 07:22
「社会はいつも、その問題に対してスケープゴートを見つけようとがんばる。」
136平伏すべきモノ:2001/06/20(水) 07:25
Q小さい時、神に祈った??
「ある時期まではね。でもいつも恥ずかしかったんだ。まるで神以外の誰かが、その祈りを聞いてるようで。また、悪魔に自分が怖がってることを悟られちゃいけないとも教わった。なぜなら、悪魔も自分の祈りを聞くことができるから。その事実は同時に恐怖と興奮を与えてくれた。」
13733:2001/06/23(土) 04:51
ハハハ・・・・ムカーシノワタシトニテル。
138平伏すべきモノ:2001/06/23(土) 05:24
マリリン・マンソンでっせ?
13933:2001/06/23(土) 18:16
ほう?
マリリンマンソンってこういう歌詞なんだ〜?
んじゃ、私もオカルトカリスマ歌手になれるかも。(ワラ
140平伏すべきモノ:2001/06/23(土) 18:56
マンソンマンセー
141魘されない夢:2001/06/23(土) 18:57
マンソンマンセー
142厭きラヴ:2001/06/23(土) 18:57
マンソンマンセー
143adam:2001/06/30(土) 05:07
大人の娯楽は我々の子供を殺す事か?あるいは我々の子供を殺す事が大人の娯楽なのか?

我々の新しいアルバムのタイトルは"In the Shadow of the Valley of Death"となる。私の映画"Holy Wood"で語られる話についての100以上の曲を書いた。我々はデス・バリーや他の場所でレコーディングを行っている。バンドは影響力のあるBon Harris (Nitzer Ebb)とDave Sardy (Bark Market, Slayer)と作業を行っている。私がこのアルバムをプロデュースする事になる。Dave Sardyが副プロデューサーとミキシングを担当する。

このレコードは"Antichrist Superstar"が始めた物を終わらせるレコードになり、今までのどのアルバムとも全く違った音になる。しかし最も暴力的だが、最も美しいものになると言うことはできる。錬金術、私とO.T.Oとの関連、JFK、そして聖書からインスピレーションを得ている。このアルバムは子供相手に売り払われそしてその子供達によって破壊された世界の為のサウンドトラックとなる。しかしたぶんそれがこの世界の価値なのかもしれない。

私は新しく強い人類に希望を持っている。啓発の世代、ホルス(エジプトの太陽神)の世代。我々がひざまずくからこそ、偉大な人物は偉大なのだ。何かを育て作り出す時が来た。

今我々は両親に警戒するようにと言われた様な人間になった。彼らは世間知らずだった。我々はそうなるべきなのだ。我々は本当に死の影 (shadow of death)の中に、あるいはそれを宣伝するビルボードの上に座っている。我々は皆死を迎える。そしてその時たくさんの人が写真を撮ってくれていれば、我々は英雄になるだろう。

しかし今全ては人気コンテストになってしまった。

どの様に死ぬか。

何人を道連れにするか。

理由はなんだったのか。

サウンドバイトはどのくらい良いのか。

人々が平等に残酷に殺人を犯しているその場所で、我々は殉教者さえ作り上げる。

殺人は金になる、悲しみも金になる、しかしジーザス・クライストももちろん金になる。「彼女は神の為に死んだ。なぜならもし彼女が自分の信仰を否定したならば、今でも生きているだろうから。」



もちろんだ。



もしこの学校襲撃事件(コロンバイン高校)の犠牲者が「助けてくれ、神を憎んでいるんだ。」と言ったとしたら、この狂った殺人者は彼自身の「キリスト教の価値」に従い、他のにきび面を狙っただろう。たぶんWB(ワーナーブラザーズ)ネットワークのテレビの為に作られたようなものではそんな事を言う。哀しい事だが、その哀れな少女と彼女のクラスメート達はキリストの為に死んだわけではないし、他の誰の為に死んだわけではない。Dylan Kleboldがライフルを向けた所に彼女の頭があったから彼女は死んだだけだ。

我々はこれらの死は不必要であったという事で合意できる。それは私の祖父の死も、あなたの兄弟、父親、あるいはJFK、キリストの死も同じ事だ。しかし殉教を現金や罪、恐怖に基づいた人気コンテストにする事はやめよう。我々がこの様な悲しい出来事に対して流した涙を全て瓶に受ける事ができたなら、彼らはそれをボトルウォーターとして我々に売り返してくるだろう。キリストが十字架に磔られた像は人類史上、世界中で最も大量に売られている大量生産の商品になっている。

我々はどこへ行くのか?芸術だと私は思う。それが我々が生きている事を価値のあるものにしてくれる。芸術は決して我々を死に駆り立てるものではない。全ての芸術家は2面性を持っている。片手には人間の感情を持ち、もう片方でその芸術家は非人間的な機械となる。しかし誰も彼の心を理解する事はできない。彼の創造的な芸術作品を理解する事ができるだけだ。私は乗り物だ。芸術家が我々の為に何をしているかを解釈する事を期待できない。しかしそれは我々を変化させなくてはならないし、その変化の中で我々がその解釈となる。その答えに。

精神異常と創造は細い線で区切られているだけだ。狂気が純粋な啓発だと誰が言えるだろうか?

ただやれるだけだ。

やる事全てはこの可哀想な死にゆく地球へ垂直に墜落していく飛行機の一部でしかない。しかし芸術は、あなたが作り上げるものは、燃える翼の上に立ち上がり、一時的な生や死の様な愚かな事を忘れるだろう。灰になって消えていく直前の瞬間の美しさを堪能する為だけに。



マリリン・マンソン
3番目のそして最後の獣
144adam:2001/06/30(土) 05:09
"THE LAMB OF GOD"

この自画像は"The Lamb of God"(神の子羊)と言うタイトルがつけられている。この写真を銃による暴力の是認や負の力への提案であると捉える人もいるかもしれない。私はそう考える人達に同情する。彼らは毎日ひびの入った鏡を覗き込まなければならないし、燃えた本の灰を両手に抱えているからだ。この写真はあなたであり、マリリン・マンソンであり、アメリカの若者である。

この写真は進化の表像だ。私は正義をこの手に抱えている。創造と破壊、神と悪魔、動物と機械。我々は罰と罪そして後悔のサイクルに閉じ込められている。破壊なくして創造はありえないという事を我々は理解しなければならない。暴力の本当の性質を、進化の法則を否定する事はできない。細胞でさえ他の細胞を破壊する。ライオンが子供達の食事の為に他の動物を殺すからといって、ライオンが悪魔なわけではない。それが神の所存なのだ。

美しいりんごの木を切リ倒さずに鉛筆を作る事ができるだろうか?ギターを作る事ができるだろうか、槍を切り出す事ができるだろうか?あるいはその木を使って私の父親が偽の戦争でベトコンから奪ってきたこのライフル銃を作る事ができるだろうか?天国に一本だけのこの罪のない木はキリストを吊るした十字架になる。The Holy Wood(神々しい木)だ。その枝はキャメロットの王を切ったオズワルドの武器であり、子供達に毒りんごと恐怖を売る為に作られた教会の木材となった。

そして不安定な状態で吊るされているのは子羊だ。生きているのか死んでいるのか?その子羊は私だ。神に見捨てられた神の子だ。それはJFK(ジョン・F・ケネディ)であり、搾取大国であるアメリカ合衆国だ。それは偽の涙をふき取るティッシュペーパーとして使われた殉教死したあなたのドル紙幣だ。それはあなたが赤ん坊にバブルガムを与える為に馬を殺したその場所だ。我々は子供達がエイブラハム・リンカーン、マーチン・ルーサー、JFK、ジョン・レノンそしてマリリン・モンローのように死んでしまいたくなる様に育てている。

アメリカ文化はその子供達の血で酔っている。

しかし我々は手を握りキスをすべきではないのか?それは明らかに子供っぽい事だ。個人的な意見では、平和と協調は使い古されたレトリックであり、世間知らずの理想でしかない。調和は不条理で、我々が作り上げなかった進化のタイヤにあるスパナだ。しかし人類の生まれながらの破壊、競争、戦いに対する必要性はより力強い方法によって解決できる。その考え方はもっとも偉大な爆弾だ。

我々は知識の戦争、芸術の戦争そして経済の戦争を起こさなければならない。もしかしたらこれが我々が生まれながらの他人に対する悪意を満足させられるかもしれない。まっすぐに立ちあがり、サルのように生きるのをやめる時が来た。我々の手にかかっている。

創世記の中で神はノアに「全ての肉体の終わりは私の目の前にやって来た。地は暴力で満たされている。見よ。私は地と共に彼らを破滅させる。」と伝えている。

人類は神を必要としているが、神は人類を必要としていない。



マリリン・マンソン
3番目のそして最後の獣
145adam:2001/06/30(土) 05:09
イロモノ・イロモノ
146adam:2001/06/30(土) 05:14
「真実の美や愛は、自分自身のもっとも醜く冷徹な部分とも最初の遭遇からのみ得ることができる」
147adam:2001/06/30(土) 05:18
Manson Post - 11/16/99 11:27:59

掲示板に書かれたものはスペースを作るために消された。
新しいアイディア
新しい考え方
それだけだ。

「文明」から離れる間何も掲示する事はできないかもしれない。
その間にこのサイトは日に日にゆっくりと様変わりしてゆく。
オメガとそのシンボルは死ぬ事になる。

TLTOE(The Last Tour On Earth)に参加してくれた全ての人にお礼を言いたい。
あなた達が自分の声を聞けるようになる事を望んでいる。
もしあなたがそこにいないのなら、CDがそこにいる様な気分にさせる事を望んでいる。

我々は天使として産まれる。そして両親は神だ。
彼らは我々を彼らのイメージの中に存在させる。
我々は彼らの指示に従う。
我々が分別の着く年齢に達した時、我々がホルス(古代エジプトの太陽神)の年齢に達した時、我々は「両親」「神」「社会」から独立する事ができる。
成熟、感受性、反抗期、15。
これが我々の落ちる時だ。
これがルシファーだ。
自分がなりたいものでいる事は間違っていない。
この話はいつも誰か他人の視点から書かれている。
今、我々は自分達で書かなくてはならない、ここで棘に囲まれて。

次回私が戻ってきた時はアルバムのタイトルを発表し、レコーディングの様子を紹介する。

3番目のそして最後の獣
MM=20001/5/69
148V:2001/06/30(土) 05:19
3 7 144
15
666
149一段階:2001/06/30(土) 05:20
11 22 33
150夢見る名無しさん:2001/06/30(土) 05:24
http://www.thelambofgod.com/bg.jpg

 しかし神はこの世界のなかでは未知であって、世界から出発してそれを発見することはできない。それゆえ救済のためには、光の世界からの使者(超越的救済者)による啓示が必要となる。救済の知識(グノーシス)は「外部から」与えられる。この救済の過程は、神性が自らの全体性を回復する過程の一部をなすものである。
151夢見の中の匿名性:2001/06/30(土) 05:30
再生 13 DEATH
ざらざらした表面
上辺の汚泥
身空の空ららら
ああああ
152午前8時50分 :2001/06/30(土) 05:33
件名:憎むには多すぎて、愛するには少なすぎて
1531+5:2001/07/01(日) 20:21
這いずり回り低俗な笑いも我が物とし心ゆくまで妥協と辛酸を夢に抱きつつ時には何かを壊すもそれは徹底的な保守手段であり
またグロテスクなものにも馴れた頃の君の虚栄心を満足させるものも段々と減っていくがネット上の誰とも知らぬ人々をこころ
ない虚脱感溢れる言葉をもって侮辱した気にもなったりするがそれにも次第には笑い飽き所詮は平面だけの表装仲良し気取りご
っこといっていいだろうか曖昧な関係を演じる人にもなってみたりして誰もお前なんかを人間とは思っちゃいないのに心から嘲
笑っているうちに見えてくる軽薄で心許ないとうとう理性の剥脱を吐き用意周到と意思の透徹の無さ自分の無力さを諦めらしい
感傷だけで認めつつ否応無しに襲い来るここまでが君のありのままの姿だと少なくとも客観的なことを言っておこう無責任だけ
れどね棚にあげたり適当に振舞ってみてそれは一種の暴虐と判断か周囲の眺めはいつも陰惨だ非現実な夢世界とその人間関係で
も特にそうで常に孤独感疎外感は感じざるを得ない歎息の日々に残るものは羽ばたく鳥と季節とその空気や何年経っても変わら
ない何も変わらないが流れる川はいつも美しいし遊ぶ子供の無邪気な笑い声もかわらない夜風の心地良さは気持を落ち着かせて
くれる何が君のなかに残っているだろう変わらないものなどあるだろうか廻りをみわたせば変わっているものなどなにもありは
しないが確かに自分は変わっていく変化をその変化を実感する時には苦痛を伴うだろうかそんなものはその実ありはしなくて自
分は何を求めるのか魂か魂の経つ路とその行く末流れ行くものは誰にも止められない畢竟行くべきところなどは一つで最後の結
果その経路止め処ないものが流れゆく君のの明日へその日々へ心が落ち着くのがわかるその他のことは何ら重要ではなくただ一
人今日も過ぎ去っていくことを伝えたい何が君を変えるだろう何が君を次へと導くだろう頼れるものはあるだろうかまるで君は
ひとりのよう君はいつまでも一人独り1人それは常に思っていること君の隣にはいつも誰もいないどこにいてもね自分で選んだ
事さ君はいつだって二人であったことすらないんだからだから心配はいらないさ今までずっとそうしてきたしそしてきっとこれ
からもね一体何に気をかけるだろう何に構う必要があるだろう何に向かって声を出そうとするんだろうそんなのは無意味さやが
て崩れ行く君のそれが君のなかにあるもの君の全て何処にいても何処へ行ってもこれからもずっともしかすると永遠にねそんな
気がするんだなんて書き連ねる事が何かの癒しになるのかい君は眠っているでもいつだってそう君はニコニコしながら隣にいる
目の前に坐る後ろについてくる馬鹿面を心の底では早く死んでくれたらいいのにと願うばっかりさ何も与えられず何もしてあげ
ることはないさあ一緒にいこう歩くんだ共にとどまることはできない誰の目も気にしないさ向かうんだいつだっていつだって本
音は隠し通す君の態度は素敵素敵さあれ踊りたまえ永久の元素たち泣くべき時は既に過ぎ去りし泡沫の迷い半ば赦しを請うとこ
ろ事無きを得んと逆らいし一時の宥めは一瞬の瞬き罹り狂う姿の哀れ元の心を歪み表し時は相克の迷い確かめよ肉の塊撃ち殺せ
蠅の仔達向かう所敵無しなどと満ち足りた雨の滴りに身を任せるようななんて懐かしい温もりの連続だろうか速さが先を行くで
もわかってるわかってるさこの一瞬が世界の終わりにも似た風景であると君は認識するとそしてまた何かになったつもりかい所
構わず好きな事を喋りだすだろう膨らんだ瞼は見苦しい感覚を目覚めさせ飽くまで他人の肌に触れようとはせずに机の上には病
んだ滴りの如何ともしがたい証拠があり君はまた歪み出す心をとめられない攻撃先を誇りつつ荒らんだ故に響く白痴に説く性欲
1541+5:2001/07/01(日) 20:22
のまどろみと傍観により卓越したところ眩い照射の醜い素顔の汚れた売女を咎めることを知らない幼かった頃は只管に光源を追
う意味を考えはしない他に術もないのだと云う事をも思うしかし足掻くことをする恥ずかしい心は同情と畏怖をもっており歎く
ことをも見渡せば決し許せない存在ではない蒙昧さを種にのさばろうとする澱みは蒼白の高みへと抱く思いを投げ捨てるべきで
はない存在論的浮遊を有すると今ある思いはもう二度と成すべき必衰の逞しさから歓迎され慟哭の律する処と逃げ場まで走ろう
ここにいては駄目だからなんてことはない一言も錯覚しそうになるそれは発露だからね見事な出来心から生まれた想念だやがて
来るべきと感じていた砂利石を投げ放棄されっ放しのタイヤを橋の上から川へ落とし鋭利な刃物で雑居ビルと用済みの生ゴミを
切り裂き処構わず叫ぶものの片割かガラスの破片の啄ばみと血管の道標と眼球の道標血は生臭いかと問い否もう逆らいし夕方の
服にこびり付く汚れは水では落ちないのとその血と泥に塗れた褐色の素肌青白い顔面抜け落ちた頭髪死に逝く老人の悔恨の言葉
と正常な神経を失っている子供たちと黴に立食されていく果物の形を君は求めていて脈打つ心臓のリズムにもあわせて宙を回転
し続けるさて少しは慰めになっただろうか僕はまともだ至って憂愁を感じている根拠は立ち止まっているからだただ立秋の時を
待ちながらな煩いぞお前黙れ糞野郎糞糞死ねばいいのにお前なんか消えてくれ俺は消えようとしているんだこの世界に必要なも
のなど何一つあるものかこのこの世と世の全て甦るもの魂とか云ってる奴はうざい肉体は醜いし吐瀉物の散乱する光景は美しい
この世で最も美しい神は腐食の神だ僕にとってはそれだけが絶対的価値観この宇宙のあらゆるものは腐り落ちるがそれは懐かし
い気分と思い出される音楽一度も聴いた事がないものが懐かしいと感じられるあの瞬間と同時に虫けらや小動物を殺したり潰し
たり分解したり燃やしたりして遊んだ懐かしい日々の匂い香り空気の香り桜の木と木の中の死体穴を掘り進めやがてたどり着く
白骨の錯乱だ大人しくするがいいそして沈黙するがいいそれが語らない奇形児口を閉ざした教師黙り込む親というものだ残りの
マッチに火をつけよう灰を遺し痛む心はほんのちょっとの我慢もともと穴は空いたままだから折れ曲がるような感覚が占領する
15533:2001/07/03(火) 02:12
ひーー読むのたいへ〜ん;;
カキコも大変だったでしょう?
1561+5:2001/07/03(火) 08:33
全然。
つか読むな
157Beelzebub:2001/07/03(火) 11:04
いや言葉が悪い。。
だーーっと書いてればね。
全く読むに価しない独り言
夢の活悟は現の死語
15833:2001/07/03(火) 12:21

そのハンドルってヤヴァくない?(アセ
15933:2001/07/03(火) 12:23
私は蝿の王よりも地獄の公爵のほうがいいな。カコイイから

私って根がマジメ(ワラ)だから読んじゃうの。
っていうか、何かの一節かなと思うと読みたくなっちゃうんだ。
16033:2001/07/03(火) 12:29
一つシツモンしてイイ?
無限に高い空に上っていくのと無限に深い海に沈んでいくのと
あなただったらどっち選ぶ?っていうか、どっちがよりコワイ?
(ヘンナシツモンデゴメン)
161Beelzebub:2001/07/04(水) 02:15
その質問の真意わなんぞや?
空と海ってのがなぁ
天国と地獄は連想させますか?
なんにしろどっちも等価だわなぁ我侭を言ってどっちの状態でもいたいね。
深海だとミスチルはやっぱいいなぁと最近思った
16233:2001/07/04(水) 02:44
真意ってものでもないのだけどね。(笑
ただ、、、、私は明るい青空ってなんか違和感ある。(ドラキラジャナイヨw
視線がどこまでも届かないのも気分が悪い、、、、ただそれだけ。スマソ
ワスレテクレ。
163Beelzebub:2001/07/04(水) 04:52
どうでもいいけどなんで33なのかわかった
16422世紀を目指す名無しさん:2001/07/04(水) 08:15
どうでもいいけどなんで33なのかわからない
16522世紀を目指す名無しさん:2001/07/04(水) 08:16
いや、マジで。
33は、>>32さんじゃねぇの?
それとも、コテハン??
166へ?:2001/07/04(水) 10:16
あ!まちがった。(赤
16733訂正@32:2001/07/09(月) 23:08
”ふんにゃかさん”と”ふんにゃかふんにゃかさん”って同じ人なの?
16822世紀を目指す名無しさん:2001/07/10(火) 01:59
>ハエキング
つうか、結局お前は何が分かったんだYO!
169Beelzebub:2001/07/10(火) 08:00
>>167
いやいみわかんねーし
上のふんにゃかふんにゃかは俺だけど
>>168
もっと夢板のスレ回ろうや
170Beelzebub:2001/07/10(火) 08:10
ふんにゃかふんにゃかと
チャカポコチャカポコは近いものが無きにしも非ず
17132@汗:2001/07/10(火) 08:44
>>169
なーんだ。
ガカーリした。
いえね、チガウ板の知合いのところでふんにゃかさんっていう人
みたのだけど。てっきり厭きさんかと。

アブネー マチガッテ コエカケソウニナッタゼ(アセ
17222世紀を目指す名無しさん:2001/07/18(水) 13:13
ん?
17332:2001/07/18(水) 19:54

ん??
174ヘレル・ベン・サハル:2001/07/18(水) 21:34
──ところで、タイトルの111という数が気になるのですが、
どのような意味がこめられているのでしょうか?

「111は個人的に意味のある数なのです。20歳の時、ニーナという女性が出てくる夢を
見ました。ニーナの姿は火の玉のような白い光で、私はその光に触れ、死んでしまい、
そして再生する。そんな夢を見たのです。でも、ニーナという名前の女性は、
個人的に思いあたるふしがなくて、ずっと気になっていました。それで、
カバラ(数秘術)の本を読んでみました。カバラには、文字を置き換える体系があるのですが、
面白い事に、ニーナという名を数に置き換えると111になるのです。
そして、カバラの本を読んでいるうちに、ライプニッツの哲学にも興味をもつようになったのです。」

──ライプニッツといえば、モナトロジー(単子論)については、どう思われますか。

「私はライプニッツが大好きなんです。はるか昔の17世紀に、インターネットのようなビジョンを抱き、
すべての事象を数学的なデータベースに還元することを考えました。
 ライプニッツは中国の陰陽のシステムにたいへん感銘を受けたそうです。
キリスト教徒であり、神を信じていたライプニッツは、聖なる7という数を2進法で表した111を、
3つのモナドの統一と見なしたのです。
 このことに感銘したライプニッツは、意味を伝達するための最良の方法であり、
未来のコードとして2進法を考えただけでなく、この発見は、神を信じない人たちを救うことが
できるかもしれない、という内容の手紙を中国の皇帝に書いたという話もあります。
 ゲノタイプ(遺伝子型)とフェノタイプ(表現型)も、モナドの統一だと思います。
くだらないオンと、オフのシステムにすべてが還元される、というのではなく、
この2進法の中にすべてが存在するのです。

──一般に現実と仮想は二元論的に対立したものと考えられていますが、『R1』のサブタイトル
「仮想から現実へ」が示すように、両者が対立的でないところが面白いと思いました。

「現実と仮想は一体となっていると思います。仮想とは、すでに現在に到達しつつある
潜在的未来なのです。人類の進化における現在の段階では、仮想はとても強力なものになり、
私たちにある方向性を与えています。
 たとえば、アメリカ全体で消費されているエネルギーに対して、インターネットは約20%の割合を
占めています。このことは、仮想がすでに物質に多大な影響を与えていることを意味します。
電力を生産するには、石油を採掘し、発電し、送電する必要があります。
仮想はすでに、物質に接続されているのです。
 仮想という概念は、厳密に使用しなければいけません。なぜなら、コンピュータおよびインターネットは、
もはや人間がコントロール可能な限界を超えてしまい、それ自体があたかも有機生命体のように
自己繁殖しているように思います。
 バナー広告や、eコマースといったものだけが未来なのではなく、未来には別の側面もあり、
それは私たちの過去にも関連しています。
インターネットは、地球の化石の層を燃焼することによって成立しているのです。
 化石の層には、遠い過去における生命、動物、植物、光といったものたちの記憶が圧縮されています。
まるでハードディスクのように。私たちは、これを燃焼し、そしてまた新しいハードディスクを生産します。
だから、fossil(化石)ではなく、infossil(情報化石)なのです。
 infossilの燃焼は、ドラゴンに喩えることもできます。ドラゴンは火のエネルギーを変換する存在であり、
過去から未来を作り出す存在なのです。そこには死があると同時に、私たちは過去からの恩恵も受けているのです」
175厭きラヴ:2001/07/27(金) 10:39
孤児の少年と打ちのめされたような顔をして路を歩くような少女たちに。
嗚呼、厭わしいと云うことが僕には解からないのです。
霊に感じた人とは狂った者だ。
あなたは何を与えられますか。
流産の胎と、かわいた乳房を
奪いとれ。
176厭きラヴ:2001/08/07(火) 10:17
偉大な作品がそうであるように、深い感情というものは、みずからにこう語っていると意識している以上のものを、
つねに意味しているものだ。魂のなかにはなにかひとつの運動なり反撥なりが恒常的に存在すれば、
同じ運動や反撥は、行為や思考のさまざまな習慣のなかにも見つかるものだし、
魂自身のほうでは知らないさまざまな帰結のなかにまで続いてゆくものである。
偉大な感情は、その宇宙を、壮麗なものにせよ悲惨なものにせよとにかくその宇宙をともに引連れている。
この感情は、その熱っぽい輝きによってひとつの排他的な世界を照らしだし、そこにみずからに適した風土を見いだす。
嫉妬の宇宙というものがあるし、また、野望の、エゴイズムの、あるいは高邁な心の宇宙がある。
ひとつの宇宙といったが、すなわち、ひとつの形而上学、ひとつの精神態度だ。
嫉妬とか野望というようにすでに特殊化した感情について真実であることは、
そうした感情の基底にある情動、──美がぼくらにあたえる情動や不条理が惹き起こす情動と同じように
不確定で、錯雑としながらしかも同時に《確実で》、はるかに遠くにありながらしかも同時に《現前している》情動
──については、いっそう真実なのである。
不条理性の感情〔感覚〕はどこの街の曲がり角でも、どんな人間にでも真っ向から襲いかかって
くことがありうる。この感情を、ありのままに、その荒涼とした裸形の姿で、しかも
いささかももたぬその光のなかで捉えることはできない。だが、
この困難自体が熟考に値する。
自分以外のだれかあるひとりの人間というものは、ぼくらにとっていつまでも
未知の人間のままであり、その人間のなかには、僕らの理解から滑り落ちてしまう還元不能の
なにかがつねにあるということは、おそらく真実だ。だが実際的には、ぼくはいろいろな人間を知っているし、
かれらの挙措動作、行為の全体、かれらの生活がこの世の生に惹き起こすいろいろな結果によって、
かれらを認知している。それと同じように、分析を受けつけないあの非合理的な感情にしても、
知力で捉えうる次元内でのそのさまざまな帰結を総計し、その表情のすべてを捉え記述し、
その宇宙の全貌を描きあげることによって、実際的にはそれを限定することができる、
実際的にはそれを評価することができるのだ。たしかに、表面的には、同じ俳優を百回も見たからといって、
ぼくがその俳優をそれだけ親しく知るようになるわけではない。とはいえ、
もそぼくがかれの扮したその主人公たちの総和を求めて、
かれの演じた百番目の人物をそれまでの人物とくらべてみるとこの俳優のことが
以前よりもすこしよく解るようになるといえば、ひとはその言葉にはいくばくかの真実があるだろうと
感じるのである。
これは一見したところ逆説に思えるかもしれないが、同時にまた寓話でもあるのだ。
ここには教訓がある。ひとりの人間は、その真摯な飛躍によってと同じく、
その演ずる喜劇によっても限定されるということを教えてくれる教訓だ。
これは感情という、いわば低音部に属するものについても同じである。
感情は心の内部でそれに接近することはできなくても、
感情が原動力となる行為や感情の前提となる精神態度によって、
部分的に露呈されてくるものであるからだ。
いまぼくが、こうやってひとつの方法を限定しているのだということが、
読者にははっきり感じとっていただけよう。
しかしまた、その方法が分析の方法であり認識の方法ではないということも感じられるだろう。
なぜなら方法とは形而上学を含むものであり、ときには結論をまだ認識していないと主張したりするくせに、
じつは知らずしらずのうちに結論を明かしてしまっているようなものなのだ。
こうして、一冊の書物の終りの数ページは、はじめの数ページのなかにすでにある。
この絡み合いは避けがたい。
ここに限定した方法は、真の認識はすべて不可能だという感情を告白している。
ただ外見だけが教えあげられるだけであり、
そして風土が感じられるようになるのだ。

とすれば、不条理性のあの捉えがたい感情にしても、おそらくぼくらは、知力、生き方、
あるいは芸術というような、それぞれに異なってはいるが兄弟の関係にある世界のなかで
それに手を届かせることができるであろう。不条理性の風土がまず始めにある。
終りにあるのは、不条理な宇宙であり、また、独特の光線を当てて世界を照らしだし、
まぎれもない自分が認知した、他に類を見ないような、世界に仮借ない相貌を輝きださせる精神態度である。
17722世紀を目指す名無しさん
放棄かい?