1 :
◆kQOyJA.DgI :
■概要
「気付き」を全体で共有し、よりたくさんの「気付き」を得る事に特化したスレです。
議論や口論に時間を浪費したくない方、歓迎します。
自分の言葉・思念を深く読んで欲しいという方、歓迎します。
■ルール
・長文は歓迎です。
・「間違ってるかもしれない」と思っても、できるだけ書いてください。(※1)
・一切の「議論・口論」を禁じます。(※2)
・一切の「雑談・慣れ合い」を禁じます。
・魅かれた言葉があれば自分の中に取り入れていってください。(※3)
・「荒らし」も受け入れ、荒らしの言葉にさえも気付きを観とめてください。(※4)
・「疑問」を投げかける事は良いです。(※5)
・既成概念・常識をとことん破壊してください。
※以上の点をご理解いただけた方のみのご参加でお願いします。
※当スレは「アセンションは既に始まっている」スレより派生しました。
■ルール補足
※1
自分の思った事、言いたい事をありのままに語る事が大切だと考えます。
※2
異論は当然出てくると思いますが「レス番号をつけて反論する」のはやめましょう。
特定の意見を否定しようとするのではなく、単に自分の観点から述べるだけにします。
「それは違う、あなたは○○と言うが…」ではなく「私は○○で、○○だと考える」というように自然に被せて述べてください。
「否定」でも「慣れ合い」でも無い、ただ黙々と自分の気付きを書いてください。
お互いの観点を見せあう事で各々の中で合一してください。
どうしても「分裂」したければ、別スレでよろしくお願いします。
※3
ここには「独占」は存在しません。
ここに降ろされた「宝」は皆のものになります。
欲しい人は好きなだけ持っていけばいいのです。
誰かが遣った言葉は自分でも遣っていけば「自」と「他」がより混ざるでしょう。
すると連鎖が起こり、宝はさらに増えていくでしょう。
※4
あなたにとっての「荒らし」が書く言葉にさえも意味があると考えます。
あなたにとっての「荒らしが現れた」という事象を拒否・否定せずに、ただただ観る。
そして受け入れてください。
※5
疑問が生じる事もあると思います。
レス番号をつけずに「○○とは何か?」「○○とは何だろう?」という風に疑問を書いてください。
そして、それに対する答えを持つ人がどんどん答えていってください。
回答する場合は「対象となる疑問のレス番」をアンカーで指し示してください。
回答に対するお礼は書きこまず、手を合わせて心の中で「ありがとうございます」です。
■その他
・個々の「違い」を無くしてゆくと「意識の融合」に向かってゆきます。
するとシンクロが起きてくると思います。
それはお互いの「違い」(反発する力)を無くせば無くすほど増えていくでしょう。
例えば「自分の書こうとしていた事が書きだされる」という出来事であり、
「自分が疑問に思っていた事がちょうど書きだされる」という出来事など様々でしょう。
「わたし」と「あなた」の「意識を融合させるイメージ」を念頭において取り組んでください。
・ルール変更の必要が出てくる事を考慮して、私は最初だけトリップをつけます。
あとは常に名無しで参加させていただきます。
・あなたの心の中で起きている事がこの場で「再現」されるでしょう。
そして、あなたは「再確認」するでしょう。
・心寂しくなったら日月神示をお読みください。
http://13.pro.tok2.com/~space-age/sunmoon/index.htm (順番に最初から読むのもいいですが、タロットカードのようにランダムで「巻」を選び、
そこから順番に読むのも良いと思います。
また、日月神示は「数霊」を理解するとかなり読めるようになります。)
万物万象は表裏一体で実体となります。
文字にも表裏があるのです。
「表の意味」と「裏の意味」があり、合一して初めて「真言」となるのです。
「神の実言」と言ってもいいでしょう。
表読み、裏読み、が成って初めて「真実」なのです。
表読みは「この世」の事を、裏読みは「あの世」の事を、あなたに伝えるのです。
人間は「字」を読んで「意」を観る事ができます。
「海」という文字から、あなたは「匂い」「景色」「音」「記憶」様々なものを展開できるのを知っているでしょう。
「文字」とは「意」という「箱」を開ける「鍵」のようなものなのです。
では、こう言いましょう。
「意i」とは「五i」であると。「囲」「井」「異」「入」などと読んでも良いでしょう。
「五i」とは所謂「五次元」を指しています。
文字の中に「五i」の世界が、「文字」という「柩」の中に「収納」されているのです。
あなたが「文字を読む」(鍵を開ける)と、五次元において「意」が展開されます。
「字」を読んで「意」を観る事を、日月神示では「字開き」と表現しています。
また、インターネットは「字の言座」(ジノコトクラ)と表現されています。
何が言いたいかと言いますと「文字を読む」という行為は、計り知れないほど重要な意味を持っているという事です。
ここに至り、あなたが身の回りにある文字に目をやれば、
「音(発音・読み方)」「映像」「臭い」「感触」「記憶」様々なものが展開される事を「再確認」するでしょう。
こういった事はあまりにも「身近過ぎるが故」に気付かないのです。
近くに引き寄せて「見る」のではなく、遠くに離れて「観る」のです。
すると「気付き」ます。
「観る」とは、「たくさんの木」を「森」と観る観点です。
「観る」とは、「赤、橙、黄、緑、青、藍、紫」を「虹色」と観る観点です。
「観る」とは、「難解な迷路」を「上」から見て「模様」「図形」と観る観点です。
「分けて見る」のではなく「合わせて観る」のです。
「横から見る」だけでなく「上からも観る」のです。
そして、ここに集う「わたし」と「あなた」も「合わせて観る」のです。
万物万象は表裏一体で実体だと言いました。
では「人」の対極は何でしょうか?
「人」の裏側には何が隠れているのでしょうか?
このように回答します。
「人」の対極は「神」です。
「死」においては「神」
「生」においては「人」
「融合」しようとするのが「神」
「分裂」しようとするのが「人」
「合わせて観る」のが「神」
「分けて見る」のが「人」
「人間」は「あの世」と「この世」の間に在ります。
今の世は「神と人」です。
次の世は「神人」です。
「神と人」の間に「戸to」があるから「神戸人」なのです。
「戸」を外す事で「神人」と成り、「岩戸開き」と成るのです。
これを「ただの偶然を利用した言葉遊び」とするか「意味があってそのように御膳立てされている」と受け取るかが重要な分岐点です。
私はこれらには全て「意」が込められている、と言います。
「字」を開く事で「意」を展開する事ができるのです。
「神人」には神と人の差はありません「どこからが自分でどこからが神なのか」分かりません。
なぜなら「戸」を開き「融合」しているからです。
あなたが「自我」を手放し、主導権を半分「譲る」事で、自動筆記は起こります。
半分は阿呆になってください。ア法、あ放、でも良いでしょう。
「阿呆」と「賢者」で「調和」です。
神と聞くと拒否反応を示す人がいます。
それはなぜでしょうか?
カルト教団やテロを起こす宗教団体に対するイメージが悪いからでしょうか?
本来であれば「神を信じる事」自体は誰の迷惑にもならない事なのです。
それどころか、神とは自分の道先を照らす唯一の明光なのです。
人間は自分の足元しか見えません、しかし神は道先をも照らすのです。
しかし、目先(自分の足元)の事ばかりを見続けた人間は、だんだんと自分の世界から「神をアンインストール」していきました。
あなたは「神を再インストール」してください。(岩戸(言答)開いてください)
すると「神のいる世界」が少しずつ開け、混ざっていくでしょう。
目に見えるモノは表です、目に見えないモノは裏です。
「意」の表と裏を観てください、そこに「真意」があります。「神意」でも良いでしょう。
考える事は神返る事、感じる事は神知る事、常に忘れないでください。
あなたの当たり前の「孝行koukou」の中に「神々kougou」があるのです。
決して苦しい道ではありません。
これは楽の道なのです。
あなたは「知りたい」と思っているのでしょう。
だから「ココ」にいて私の言葉に耳を傾けてくださるのでしょう。
「知りたい事」が「分かった時」その喜びをあなたは知っている。
あなたは「あなたの世界が広がる事」の喜びを知っている。
「自分は今世では一合目でいい」それは苦の考え方でしょう。
この道は、時間のかかる「地道」な山登りとは違うのです。
気付けば一瞬で昇るのが「天道」の山登りです。
天は全てが一瞬です、地は全てが遅いのです。
天はデジタルの「数」、地はアナログの「いろは」です。(いろはとは「意」を「露出」させる「波」です)
あなたを「臆病」に「矮小」に抑え込もうとする言葉に気をつけてください。
あなたを「束縛」し「精神の自由を奪う」言葉に気をつけてください。
あなたが「あなた」という「柩・箱・空」に「矮小」という「意」を込めてどうしますか?
あなたは「自由にあなたに「意」を込める事」ができるのです。
万物は相反する極が合一して「調和」しています。
人間も同様に、肉体と精神が調和する事で存在しています。
ですから、
「男性の肉体」には「女性の精神」があります。
「女性の肉体」には「男性の精神」があります。
これから世が反転すると、男性は女性らしく、女性は男性らしくなってきます。
それを象徴するのが、「草食男子」であり「肉食女子」なのです。
内側がだんだんと外に出てくるのです。
ですから、「性同一性障害」とは「異性の精神」が優勢な状態であると言えるでしょう。
また、同性愛は自分の中の「異性の精神」が「同性の肉体」に魅かれる状態であると言えるでしょう。
世の反転が進むと、男性は女性の気持ちが分かり、女性は男性の気持ちが分かるようになります。
そうして築かれるのが「調和の世界(社会)」です。(鳩山氏曰く友愛、融合(ゆうあい)の世界(社会)でしょう)
そのもの自体に「成る」事が「究極の理解」なのです。
百聞は一見に如かず、百見は一触に如かず、百触は一成に如かず、です。
あなたが「おいしい」と思わない限り、そのリンゴは「おいしく」ならない。
あなたが「愛しい」と思わない限り、その人は「愛しく」ならない。
あなたが「苦しい」と思わない限り、その道は「苦しく」ならない。
あなたが「楽しい」と思わない限り、その世界は「楽しく」ならない。
あなたが「美しい」と思わない限り、その景色は「美しく」ならない。
あなたが「不足だ」と思うから、あなたの心は「満ち足りず」
あなたが「満足だ」と思うから、あなたの心は「満ち足りる」
「奇跡」を観ようとするから、「奇跡」が観える。魂が澄む。
「偶然」を見ようとするから、「偶然」が見える。魂が曇る。
あなたが「神を認めない」限り、あなたは「神を観とめない」のです。
「分けては見えず、合わせて観えるものなーんだ?」
大事なお届け物です。
このスレを立てる準備の際に頂いたものです。
お受け取りください。
【日月神示】
問ひ問ひ文も(トひトひフミも) 解くなる始め(トくなるハジめ)、
天のはじめのみひかりなり(アメのはじめのみひかりなり)。
早う光の文路知らせたり(ハヨうコのフミジシらせたり)。
急ぐ心ぞ(イソぐココロぞ)。
読字(黄泉)弥栄に光り文成るぞ(ヨミジヤサカにヒカりフミナるぞ)。
神の実言(命)聞く身々(カミのミコトキくミミ)
早う掃除一番ぞ(ハヨうソージイチバンぞ)。
祝詞の心(ノリトのココロ)、はじめの開き字に現はるぞ(はじめのヒラきジにアラはるぞ)。
真心響く誠ぞ(マゴコロヒビくマコトぞ)。言ざぞ(コトざぞ)。
細工隆隆(サイクリュウリュウ)読の極み立つ世ぞ(ヨミのキワみタつヨぞ)。
何(ど)の身魂も我(が)の強い身魂ばかり、よく集まったものぢゃと思ふであろが、
その我の強い者がお互に我を折りて、解け合って物事成就するのぢゃぞ。
旧九月八日迄にすっくりとまつりかへてくれよ。
たくさんの『気づき』があった。
誰かが花を見て「美しい」と思う時、本当に美しいのはその人の心だと気付いた。
『肉体』とは自分の所有物ではなく、『自然』からの借り物だと気付いた。
自分と宇宙とは表裏一体であることに気づいた。
自分は何も知らない、『知れない』、と気づいた。
『気づき』とは『来づき』であり、『帰づき』だ、と気づいた。
だが『何』が『どこから』来るのだろう?
『何』が『どこへ』帰るのだろう?
今、自分はそれを考えている。
少し訂正。
>自分は何も知らない、『知れない』、と気づいた。
これは、まだ恐らく自分の中で『半分気づき』『半分思い込み』の状態だ。
もう少し進んでみよう。
『本当に確実なもの』を手に入れるまで。
とりあえず1乙
斬新なルールだと思うけど、個人的にはレス番、議論、雑談の禁止はどうかと思う。
2chの面白さが損なわれるような。
>>11 分かりました。
そういう「観点」もありますからね。
議論はアリにしましょう。
レス番、議論、雑談をアリで良いです。
14 :
夢見る名無しさん:2010/02/05(金) 22:21:38 0
精神とは神の意味が細かく分裂したものです。
我々の「魂」は神の精子(種)なのです。
「精神seisin」と「精子seisi」、神→子、神の子があなたです。(精子と魂の描写は似ていますね)
そして、「天の神」の「精子」は「大地の神」に芽生え(着床)して、「人間」という子供が産まれるのです。
あなたの肉体が死ぬと「あなた」という意味(精神)は天に帰っていきます。
「自立すると親の元に帰る」という事です。
この世とは全く逆なのです。
「地の法」は、子供が自立したら「手放す」
「天の法」は、子供が自立したら「受け入れる」
「地の法」では、子供を受け入れるとその分の富を「失う」が、
「天の法」では、子供を受け入れるとその分の富を「得る」。
受け入れると「意味」が増えるからです。
「意味」とは天の宝。天に溢れ、天に満ちるもの。
「神」とは「意味」そのもの「究極の意味の集合体」
神の「名」とはこの世の「全ての名」を集めたもの。
神の「姿」とはこの世の「全ての姿」を集めたもの。
神の「色」とはこの世の「全ての色」を集めたもの。
あなたという「意味」が増えて「神」はより大きくなります。
「宇宙」は成長していきます。
意見を受け入れて頂き、ありがとうございます。
>>13 〜近頃の試み〜
アセスレで色々な人の色々な書き込みを見て、面白いと思った。
自分が長年考えてきたことに近いことを考えている人がいると。
そして思いも寄らない言葉の展開によって新たなことに気付かされる。
アセスレで暴れていた(笑)人たちは是非こちらでの活躍も期待したい。
物事を考え抜くことはある状況を変える上で大きな力を持つと思う。
しかし一方で、ある人(考えることが習慣になっている人、思考過多な人)
にとっては考えない為のメソッドというのも必要になってくるのではないだろうか、
心身のバランスを取り戻す為に。
以前、物事を考えすぎる傾向にある俺の性質を見抜いてか、義父がある新聞の
一面を見せてくれた。(たしか読者の投稿だったと思う)
そこにこんなことが書いてあった。
「ある種の人は人生に対して非常に多くの問いかけをするものだ。
それは有意義な面もあるだろう。でも実際は人間は人生のほうから問いかけられている
存在でもあるのではないか?」
というものだった。タイミングもあったのかもしれない、ハッとさせられる言葉だった。
これを少し変えて最近次のような試みをしている。
「人間はあらゆる瞬間に、自己の本質から沈黙によって問いかけられている存在
なのではないか?そしてこれに答えるには沈黙によってするしかないのではないか?」
といった考えを心に設定するというものだ。これは只の方便で、真実であるなどというつもりはない。
でも自分には役に立っているようだ。マインドは設定に従った動き方をする。
それは対立する2つの視点から同時に見ることが苦手だ。
だから、「自分は問いかけられている存在だ」と設定することで、問いかけることをやめてくれる。
そして問いかけたい時に自分の意思で問いかけることが出来る。
思考過多を防ごうとする苦し紛れの試みだが。。
16 :
夢見る名無しさん:2010/02/05(金) 23:49:28 0
スレ主さん、お疲れ様。参加します。
一粒の雫が海に入って全容となれるよう。
意味は分裂した神の表情。人は分裂する神の願望。
太陽は地に生きる肉体の王。肉体は心を純化さす神の経路。
その神の経路は神経と呼ばれ、常に苦しみを以って励ます。
神経の在りようは必然。神の心へと近づける一への仕組み。
太地母神は母性の繁殖。女性が運ぶ包容力は、
男の自我を発奮させ、子宮へと懐かしめる。
母性と父性、地上と天井、男が口説く女性の裏に
乳房への擦り寄りが残っている事を悟らなければ、
永久に母性が勝ってしまう。なのに、射精の後の飽和感と
母親からの逃亡は全く同列だと言う事を。
全ての人が悟りを得る時、男は自らに母性を観る。
皆さん考えるのが好きみたいですが、
何について考えているんですか?
人は常に何かを考えているものですが、
思考の仕方によっては本質を覆い隠す余計な思考ばかり生み出して、
本質(答え、なんでもいいですが)の周りをぐるぐる回るだけで、
なんか慢心してしまう。
そのことで、頭の中が「不要な思考」だけでうまってしまい、
思考や人格が洗練されることを妨げるように思います。
見方を変えると、それは「過程」と言えるかもしれませんが、
碇をしっかり下ろさないと、ずっと漂流状態で、
波や夜の星を見ながらなんとなく満足してしまうように思います。
それが楽だからです。
18 :
◆rfvLewovkA :2010/02/06(土) 00:40:09 0
>>1 スレ主さん、トリップは付けていいかい。
敢えて対峙を強める事で、自分の自我を向き合えると思うのですが。
>>17 私の場合はこうだよ。
心とは何か?どうして怒りが生まれるのか?
どうして安心が生まれるのか?どうして罪悪感が生まれるのか?
私は答えは出ている。自分が居るからだと。
自分とは自らを分ける事。善悪を知る木とは自分の事。
このスレの記念すべき初議論をしよう。
>本質(答え、なんでもいいですが)の周りをぐるぐる回るだけで
このあなたの文章すらも、あなたが持っている善悪を知る木だ。
あなたが本来「無い」ものに向かって、心配をしているだけなんだ。
これらは、あなたの中で生まれた心配だ。
19 :
◆rfvLewovkA :2010/02/06(土) 00:59:42 0
>>17 続けてあなたに問うよ。あなたはどうしてその心配をしてしまうと思う?
こうあらねばならないという「定型」をあなたは持っていると思うのだが。
その心配は無用だよ。人は自我が強いだけ、我が身をぶつけて傷をつくる。
傷は血の出る傷だけでない。傷を作ったら人は作らないように心がける。
人を傷つけても同じだ。如何に鈍感な心であっても、鈍感から卒業出来るべく
自我は必然のようにまた傷を作る。死ぬほどの傷を作って胸に手を当てない者は居ない。
これが神のサービスだと思うよ。何も不足している事は無い。
自我は、自我そのものを無くす役割を担ってる。それに人は何度でも生まれ変わる。
もし、その人が一度きりの人生ならば、私も焦るだろう。
その人生のうちに色々考えて貰わなければならないという風にね。
でも、道の途中で亡くなっても、またそこからやり直せる。だったら
心配なんて要らないだろう。全ての不足は心が解ってる。たとえ、
自分が気付いていなくても、それに従って自我は動いてしまう。
見えていなかった隙間を埋めてゆく遍路。私自身もそれが何度目か知らない。
ただ、生まれてくる前の記憶は思い出したよ。生まれてくる直前までは、
前世のままの姿だったようで、全く別の顔、体つきをしていた、でも、
基本的なベースとなる性格は同じだったようだよ。
20 :
夢見る名無しさん:2010/02/06(土) 01:06:32 0
思考もたくさん たんさん 自由にいたしましょう。
楽しみましょう。
楽になりましょう。楽しみましょう。
楽になると楽しむことができます。楽しみは楽です。
そしてその自由は洗練を必ずもたらします。
洗練される事を妨げますのは思考ではなくX氏の思考の癖の傾向にあるのでありまして
例えば無意識の劣等感と憎悪と嫉妬などの癖にX氏の思考の志向性を支配させてしまっているのです。
自由がございませんと思考という言葉にさっそく自分の窮屈を乗せてしまうのでしょう。
なにもしていない夜 星をながめて ふっと思ったの 君の母性を
僕は自由だってきこえたの。
なにか君に嫌な事をしたかな 嫌なことしたならいってほしい
いじめられたの だからといっていじめたら大人になればなるほどうまく目にみえないいじめを快楽とするよ
そんな女性は子供を愛せない。
そんな男性は女性を愛せない。
さみしくくらいれんさ。
だからねっ君も楽しみましょうよ。
21 :
◆rfvLewovkA :2010/02/06(土) 01:20:23 0
>>20 いいね。思考の癖はそのままその人だと云えるね。
逆に出来得る思考を網羅せんとあらゆる角度から問い続ける事は、
個人から抜ける早道だと思う。その度に自分への失望もある。
けれど、自らへの失望は、言葉通り、それまでの自分像を失う事。
何故、サディスティックになるのか、何故、マゾヒスティックになるのか。
行動の中に見受けられる情緒的な大きな振れや傾向は、隙間そのものだと思う。
他の空間において、その人が完遂出来なかった矛盾を埋める為に振れるもの。
例えば、男性的な情緒起因となるアニムスを以って、
オラオラ、ガツガツと云った感じの攻めのセックスをする者は、
逆に女性性に怯えていると思うよ。その女性性に対する意識は
そのまま深層心理に刷り込まれた母性の支配から主導権を奪おうと
する欲求だと思う。ライバル同士の握手に似ているよ。
強く握り締め多くの領域を支配した手に対し、更にそれを上回らんとする反抗。
22 :
夢見る名無しさん:2010/02/06(土) 01:33:26 0
20の薺です。遅くなりましたがスレ立て有難うございました。
お言葉に甘えて書かせていただくことといたします。
男性は肉体構造からしましても攻めですし、本能的にはそういうことなのでしょう。
草食男子が本能をつぶすなら精神的去勢でしょう。怯え。
愛する事に攻めれば去勢されないと思うのです。
17です。
えーと。なにか抽象画のような世界で、私にはこのスレは難しいですね笑
スレ違いでした。
24 :
◆rfvLewovkA :2010/02/06(土) 02:15:53 0
>>22 また、意見がわかれたね。愛する事に攻めればと言うのはつまり、
女性を異性として口説くのを忘れなければと云う意味?
それとも女性も男性も限らず、愛する事を忘れなければと言う意味?
もし前者なら、永久に人は地上から消えないだろうし、殴り合いも消えないだろうと思う。
そして、その大元に原因には、自己保存の精神が根っこを張ってる。それに人に傾くのは
振れを生む事だよ。勿論、振れが悪いと思ってない。精神的なジェットコースターに乗りたい気持ちも解る。
男性が攻めなのは、肉体としての本能。精神的にではない。
どちらが優しい性質かと言われたら、間違いなく男性が思いやりがあると思うよ。
女性は自分を守る為の優しさはあっても、そこから先の優しさは男性には負けるよ。
だから、ある意味、男性が女性だよ。
女性から見たら、セックスを願望にしてでも、男性に口説かれ結婚に至るのが
生活を繋ぐ糸口だから必要だろうし、私の意見は真理とは思いたくないかもしれない。
でも、生まれてくる自我の数だけ、後からそれを神に帰らす説教が必要。
でも、私の中で違った考えがある。
輪廻という循環が永遠なのがいいのか、それともいつかは全員が輪廻を終わらすのがいいのか、
私はどちらとも言えない。人は生まれてくる時、記憶が消されるならば、楽しみを
永遠にさせる為に輪廻を永遠に存続させる仕組みを神は作ったのかもしれない。
例えば、今、俺が35歳でくたびれたおっさんを演じていても、来世で新たな赤子として
生まれてくるならば、何かの感情を感じると言う喜びが続くと言うのは、嬉しい事かもなぁと思う。
精神に性別があるのだろうか?
ない、というのが現段階での自分の答え。
何故か?
自分が考えているその現場では、ただ『あちら』に至ろうとする『純粋な行為』があるだけで、
そこには性別のようなものは感じない。
言い変えれば、人は『神性』に近づく程、『性別』から遠ざかる。
『性別』とは神(存在)自身の遊びの一種だと思う。
人が生きている間は『便宜的に』性別はあるが、『真の姿』においては、男も女もいないのではないだろうか?
つまり、自分としては『精神』に『女性の』とか『男性の』といった形容詞をつけることに違和感を感じる。
26 :
夢見る名無しさん:2010/02/06(土) 08:19:30 0
肉体が求めることに応じる精神が病むと肉体も去勢される
心が働いている時肉体は解放され心が愛しているように同時に肉体も愛する
男性の肉体構造、本能の攻めは去勢されることなく愛する
27 :
夢見る名無しさん:2010/02/06(土) 08:31:02 0
愛する事において男女のどちらが優れているのかわからないでしょう
生きる事は能動性。何もしなければ死ぬ。
受け身はなにもしないことではない。受け身という能動性は保身とは別。
28 :
夢見る名無しさん:2010/02/06(土) 09:15:39 0
抽象化することは分裂ではない。
リンゴやみかんを足したり引いたりする数字は抽象化であっても分裂ではない。
抽象化できれば分裂しない。
分裂は閉じる事。意味を抽象化できないこと。
29 :
◆rfvLewovkA :2010/02/06(土) 09:21:27 0
>>25 精神に性別は無いと言うのは、同意。
>>1 スレ主さん、あなた、以前、コテハンだった日月の騎士かい?
だとしたら、かなり試行錯誤したんですね。今のあなたと昔のあなたとは全くの別人ですよ。
昨日、就寝前に少し半クラッチに入った。あなたは以前から私とアセスレにおいて絡もうとしてたね。
その人があなただった事を思い出した。
出来れば、こんなコンセプトのスレを心と宗教板、人間相談板、哲学板、心理学板にも作ってゆけたら、
多くの池の水面に石を沢山投げれるような気がするね。同時進行だとキツイけど順々にさ。
30 :
◆rfvLewovkA :2010/02/06(土) 09:29:14 0
>>27 普段の感情量と言うものにおいて、男性は女性に譲るしかないね。
男性が、女性にセックスを求めるのは、男性に求めたところで無愛想で詰まらないからだよ。
男性は自分にない女性の「よがり」と「あえぎ」を新鮮に思うんだ。普段、見ないものだから、
興奮するんだ。だが、それは結局、忘我でしかない。自分のうちにもあったものだと気付くまでの
遠回りでしかない。
一般的な男と一般的な女では、女の方が圧倒的に頭が良いと思うよ。
女は男のように枝ではない。しなる葦草のように生き延びてゆく。
精神に性別はない。
だが確かに『男』や『女』はある次元では存在する。
『男』を『男』たらしめるのは『女』であり、
『女』を『女』たらしめるのは『男』。
『男』と『女』は相互に相寄りあって成り立つ。
『男』は『男』それ自身の『自性』を持って存在するのではなく、
『女』は『女』それ自身の『自性』を持って存在しない。
それ故に、『男性的な性質』と『女性的な性質』は混じり合い、お互いに流れる。
『男』『女』という形式は変わらないが、その『中身』(男らしさ・女らしさ)は流転する。
>>5 >あなたが「自我」を手放し、主導権を半分「譲る」事で、自動筆記は起こります。
>半分は阿呆になってください。ア法、あ放、でも良いでしょう。
これを指して、自分は『狂気』と呼ぶ。
あるいは『狂気』を呼び込む。
>>15 >「人間はあらゆる瞬間に、自己の本質から沈黙によって問いかけられている存在
>なのではないか?そしてこれに答えるには沈黙によってするしかないのではないか?」
確かにそうかもしれない。
問いかけるものは『自分』であり、答えるのもまた『自分』。
沈黙からの問いかけには、『言葉』を持ってしては返答できない。
だけど、自分はそれでも進んでみようと思う。
『これ以上は絶対に言葉で表現できない』という境地に立つまでは。
34 :
夢見る名無しさん:2010/02/06(土) 12:11:31 0
愛する事ができるのは肉体の本能とともに働く精神ではなく心です。
1.天においては全てのものが「融合」し、
2.地においては全てのものが「分裂」する。
「精神」とは天にあるものですから「性別」は融合する=性別は無い、という観点には納得がいきます。
1.「本質的な観点」では性別は「無く」、
2.「現象的な観点」では性別は「有る」。
「精神」とは本質的な部分ですから「性別」は無いという観点には納得がいきます。
1.「精神」に性別は「無く」、
2.「肉体」に性別は「有る」。
対極に並べてみても、やはり納得がいきます。
「精神にはあらかじめ設定された性別」は無い、その考えに同調します。
私は宝を拾いました。
>>18 十理立て自由です。
私はあなたが「やりたい」という自由意思を妨げる事は無いでしょう。
(あなたとはあなたに該当するあなた)
>>29 日月の騎士という人ではありませんね。
水面に「石(意思)」を投げる。
放り投げた「石」は飛沫を跳ねあげ、数多の飛沫は水面に落ち、また数多の波紋を起こします。
私の「意図」を遥かに超越して影響は拡がっていきます。
しかし、私は外から「石(意思)」を投げるのではなく「水から跳ねあがる魚」という観方もあります。
外から石(意思)を投げるのは「人」ではなく「神」かもしれません。
そして、私達はそれを感じる「魚」かもしれません。
流れに身を任せるとは、
得る事を「良し」とし、失う事を「良し」とする。
何が起ころうとそれは「最善である」と受け止める事。
今の人は目の前で起きた事が悪い方向に向かっていくのように見えるから、
リキんで自然の流れを変えようとする。
未来をコントロールしようとするから、コントロールできなくなる。
老子曰く「無為自然」ありのまま、なすがまま。
確かに。
「無為」は「有為」より優れているかもしれない。
39 :
◆rfvLewovkA :2010/02/06(土) 14:21:02 0
>>36 ありがとうございます。
あなたのインスピレーションを受けて。
イエスはペテロに「人を釣る漁師にしてあげよう」と言った。
意識の海水は塩に満ち、それまでの間(魔)はその距離を無くす。
何かの差を取る事、誰かの差を感じない事。それは海から空へと引上げる鏡。
海は産みの地、空は器の気。空即是色。
海は空を写し、空は海を映している。天にあるもの地に潜む。
外にあるもの内にある。鬼は外に居るのではなく、自らの鬼を福に転じる。
サタンに見えた顔つきが、微笑みに変われば、この世は楽園に戻る。
楽園は一人の内から見えるもの。
※スレ主さんは、もう読まれてるかと思いますが、火水伝文も拾うものがあるかと思いますので、
リンクを張っておきます。それとこのブログ作者に感謝します。
http://d.hatena.ne.jp/fuzi22/20051030
良いスレだから聞いてみたい。
自分自身は宇宙であると、自分自身が宇宙であると
気付いた、思い出した瞬間、全ては完璧であると感じ安心感に満たされたのを覚えている。
どれ程遠く離れた所でも、たとえ人類でなくても、これだけは絶対だと思えたのだけれど・・・
皆はどうなの?やっぱり同じなのかな?キチガイっぽくて御免w
>>40 決してキチガイではないよ。
『あの世』の真実に気づいた者は、『この世』の視点のみで生きている人から見れば、狂人に見えるかもしれない。
だがそれはあくまでそういった人からそう見えるだけ、というだけ。
あなたの気づきは、至極『真っ当な』気づきだよ。
>>40 そういった体験をする人は凄く稀だと思います。うらやましいですね。
体験していないから、完全に同感で、共有できるとは言えないけど、
「わかります」ということかな。
それっぽく言うと、
「おめでとう。それが私たちの故郷です。現実は幻にすぎない。
いずれはそこへ帰っていく。だからなにも心配することはないんだよ」
なんてなるのかな。でも頭と心でしか理解してないですし、上っ面な言葉です。
アクションゲームやシューティングゲームで、一回死んだらゲームオーバーになるのと、
何回でも復活できるのでは安心感が全然違う。
「宇宙との合一」で得られる「絶対の平穏」とは、そういう類のものではないかと考える。
「1個しかないケーキ」を人に盗られると悲しいが、
「無限にあるケーキ」を1個盗られたても何とも思わない。
一個しかないケーキをとらてれも悲しいとは限らないんじゃないかな?
45 :
夢見る名無しさん:2010/02/06(土) 16:29:32 0
愛する事ができるのは肉体の本能とともに働く精神ではなく心です。
<つづきです>
心が働く時肉体は心に沿いますね。
心が働かない恋愛はどこまでも満たされず浮気をし続けます。
肉体の働きに自動につられ働く精神は肉のあるがままという本能です。
心が働き始めたあるがままと違いますね。
あるがまま、あるがまま 魅力的な言葉なので欲望を刺激します。
言葉は同じで違うのです。
言葉に関門がございます。
精神、精妙なる神の働きによりそいますならばあるがままは心で解放です。
心と申します。
46 :
夢見る名無しさん:2010/02/06(土) 16:41:55 0
どの人にも良いところがあるのですぐに愛してしまうのです。
そうですね、けれどそれではなぜ満足しないので浮気して悲しませるのでしょう。
人に満足を求めるからです。
その好きは思いやりのある人の入口では誰にでもできる事です。
浮気が誰にでもできるように。
それは間違いやすいのです。大いなる愛だと自分ですり替え興奮しても一時的なものです。
出口のないダッチロールです。
もともと人は神ではないのでそのようなことができません。
けれど愛する事はできます。神に似た者、神を通すことでできます。
人(相手)は自分もそうであるように人だけでは完璧ではないからです。
いつまでも自由になれず浮気するのです。
人は神を通さなければどこまでも満足せず浮気するのです。
そしてこれは相手も神を通しているという条件がございます。
一方通行ではいつか落ちていきます。回転しません。
その時 離婚しましょう。別れましょう。浮気と離婚は違います。
無限にあるケーキカット。
二人は誓います。相手に誓うのではなく神を通して誓います。それが結婚です。
「肉体」と「精神」の「間」にあるのが「心sin」=「真sin」「神sin」
「0」は無、「1」は有。
「0」と「1」の間には「0・5」。
「0・5」は「0」でも「1」でも無い。
この「0・5」を「心」と観る。
「0」では無いから「無」に非ず。
「1」では無いから「有」に非ず。
肉体の性質は『個』
精神の性質は『全』
心はその間にあるもの。
つまり『個』と『全』両方の性質を備えている。
これが自分の感触。
>>47に似ている気がする。
>>39 ブログまだ読んでる途中ですが。
『過ち』は『あやま知』か。確かにそうですね。
紹介してくれてありがとう。
肉体・精神・心(霊体?) この三つの調和がとれている時
その人間の持つ神性も最大限に発揮される
>>36 やはりトリップは棄てます。自分でトリップを付けると言っておいて、
まるでコップの水の中に石ころが混じっているように感じてしまいましたョ。
名は意識を固く重く出来る事を実感。
>>40 私もそう感じます。その宇宙とは決して惑星が浮いている宇宙を指してない。
だが、宇宙とされているものの本体が心の体系を象っているとも感じる。
そして、その宇宙とは決して大地と空を指してる訳でもない。自分が既知としたものと
自分が未知と感じているもの。見てきたものとまだ見ていないもの。そして未知と感じ、
まだ見ていないと感ずる幻影も含めた何かを感慨と感じている意識の全て。
>>46 薺さん。今までのあなたの言葉の中では一番しっくり来るね。
自分が宇宙である。をひっくり返す。
宇宙が自分である。
宇宙の全てが神である
全てのもの、全ての存在が神の一部である
様々な光を放つ星雲、生まれては消える星達。多様な姿形で自身を表現する銀河。
それは何万光年も離れた所で起きていることかもしれない。
だが同時に『今』『ここで』起こっていることでもある。
人は宇宙を探索するのに、わざわざスペースシャトルに乗って地球を出ていくことはない。
宇宙の全てがここにあるからだ。
『自分』という存在の底を掘っていくと、ぽっこりと宇宙に出る。
そこでは宇宙が自分であり、自分が宇宙である。
宇宙が宇宙自身を探索し、自分が自分自身を探索する。
>>40ですが、お返事ありがとうございます。
皆さん同じように感じておられる事を知り、不思議な気持ちになりました。
喜び、というよりも歓喜と言ったほうが適切かもしれません。
この感情は、ソレを感じた時の気持ちと酷似しています、ありがとう。
>>42私は稀だとは思わないのです、全ての人が感じることの出来る事だと思うのです。
例えば、自分の目で自分の背中を見る感じ、矛盾したようなモヤモヤした感じ。
このモヤモヤに埒を明ける感じだと思います、そうすると勝手に自分自身にも埒が明いて・・
といった具合だと思います、自分とは何か?の方が良いのかもしれません。
嬉しいからちょっと小躍りしてくる!
「プラシーボ効果」は効果の無い薬でも、効果が有ると思って服用する事で、実際の効果が現れるという。
人間が効果の無い薬に「効果が有る」という「意」を展開する事で、
本当に効果が現れるのならば「病は気から」という言葉は物凄く深い意味があるように思える。
「有る」と信じると「有る」
>>55 確かに、原理的には人は誰でも『宇宙が自分である』という『気づき』に達する可能性を秘めている。
人であるところの『精神』は、その本性上『知ること』を求めるからだ。
そして人は決して偽物の『知』は求めない。ただ本物の『知』を求める。
そして、『知』を求めるには何が必要か。
『疑問』を持つことだ。『?』だ。
世の人は往々にして、自分というものを『作り上げて』しまう。『自分という幻想』を作りあげる、と言ってもいい。
だがある種の人々は、それに対し『自分』という『前提』を疑う。つまり土台を壊してしまう。
この『前提』を疑うこと、これが即ち『気づき』に繋がる。そして『歓喜』に繋がる。
これは精神が感じる『歓喜』だ。『知る』喜びだ。
自分が君の言うような『気づき』に達した時も、同じような『喜び』を感じたものだった。
世界が一気に広くなったような感覚と、圧倒的な解放感。
それまで味わったことのない精神的快楽だった。
病の原因は神秘。
私は病を生む気は、闘争心だと感じている。
あやま知とはなんだろう。あやま知とは、謝を知る。
感謝を知ると云う事かなと感じている。
知っているとは、知らない事に等しい。
既知としたもの、未知とした道、
そのいずれもそのように納得してしまった幻。
だが、その気を宇宙と云う。ミクロはマクロ、外の宇宙の拡大は、私の心の拡大となる。
幾多の気がある宙は、心に付く気によって吾が心を神の気へと近づける。
神の気へと近付く運命は、全ての心の運命。全ての心が一つになる宿命は、神の宿命。
神の意識は罪を覚えず、人の意識は罪を感じる。
人が神に移るとき、人を罪と見ないだろう。
(
>>57の続き)
だが、それはゴールではなかった。
宇宙であるところの自分、それは結局何なのか分からない。
等式で表すならこうだ
宇宙=自分=???
『分からない』と知ってる故に、自分は今も考え続けている。
『決して言葉では表せないだろう』という確信もある。だけど『考えずにはいられない』。
そして、それが苦しいのかと言うとそうでもない。
それもまた喜びなのだ。
『訳の分からないもの』を『訳が分からない』と知る喜びだ。
『謎』を『謎』と知る喜びだ。
結局人は、『どういう風にそれが不可解なのか』を探っていくことしかできないのかもしれない。
目を閉じれば消え去るものは「実体」に非ず。
「実体」は目を閉じても消えないもの。
一種のトラウマは目を閉じても現れ、目を開けても現れる。
トラウマは物質でないが、物質よりも存在感がある。
この世は「悪を滅せば平和が訪れる」というような勧善懲悪の教えが蔓延してますが、
果たしてそれは本当に「善」だと言えるでしょうか?
「正義を掲げたヒーロー」が「悪事を働く怪人」を倒して平和に。
「その存在が自分と違って居心地が悪いから殺した」や「あいつが気に入らないから殺す」という考えとどこが違うのか。
勧善懲悪のストーリーは「善」だろうと「悪」だろうとやってる事の本質的な違いは無いように思えます。
善悪双方ともに自分の我儘を貫くために、相手側の自由を叩き壊して屈服させているだけなのですから。
「善」は度がすぎると結局は「悪」になるのです。
勧善懲悪の考え方から抜け出すには「善悪を超えた認識」を得るしかありません。
「善」でも「悪」でもなく、「全」があるのみだという事。
しかし、「全」となった社会とはどんな事を言うのだろう。
「不足」が存在する以上、奪い合いが起こるのは必然。
「無限の資源」が無い限り世には平和は訪れないようにも思える。
『善悪』も『男女』と同じ。
その内容は時代や文化によって如何様にも変化する。
『善』は『悪』によって『善』となり、
『悪』は『善』によって『悪』になる。
相互関係。表裏一体。
『善』『悪』という形式は変わることなく、ただその『中身』だけが変転する。
>「無限の資源」が無い限り世には平和は訪れないようにも思える。
一人一人が『物質を得ることは価値ではない』と知り、必要最低限の物資で暮らし、
限りある資源を公平に分け合えば、平和は実現すると私は考える。
それが実現するのは、一度徹底的に世界が崩壊した後か、
もしくはその一歩手前で人が『気づけるか』、そのどちらかだと思う。
気づいた者は未だ気づいていない者より責任があります
>>60それ私も考えた事あります、今も考えてます。
結局分からないけど、宇宙と自分まとめて一つとして分けて、というか
凄く曖昧で申し訳ないけど、つまるところの○というか
宇宙としての自分、自分としての宇宙、どちらも正解で不正解
その間の曖昧な部分、真ん中、それらをまとめたもの
元の一つ、それは何か?と考えました。
結局分からないのでどうしようも無いのですが、私の考えとして。
神、愛、名前を付けるならこんな所かな?なんて思いましたw
駄文御免なさい。
>>64 確かにそうだね。
一人の人間の運命は人類全体の運命に拡大され、人類全体の運命は一人の人間の運命に凝縮される。
個人と全体は一蓮托生。
だから『自利』だけでは不足。『自利=他利』に至って、『真の自利』に至る。
『気づき』はあくまで自発的なもの。
だが自分の言葉が誰かの『気づき』のきっかけになるかもしれない。
(そしてここに人類が『言葉』を共有する意義がある。)
だから自分はなるべく疑問を投げかけるようにしている。
人は『教え』を受けるより、質問をされた方が自分で考え出す。
といって上からになってはいけない
驕ってはいけない
では、皆で考えてみるのはどうだろう?
まだ気付いてない、我々の家族とも言える兄弟姉妹達が
気付きやすくなるような方法、思考、環境そういった事を。
中には拒絶反応を起こす者もいると思うのだけれど
求める者を手助けできれば我々も幸せではないだろうか?
>>65 決して駄文ではないよ。
あなたが書いたことが駄文だとしたら、世に溢れている言葉のほとんどは文章ですらないだろう。
そう、つまる所、その『???』を無理やり名づけるとしたら、『神』や『愛』といったものか、
もしくは『それ』とか『あれ』と呼ぶしかない。
それらのもので納得するかしないかは人それぞれだと思う。
そこはもう自分が『心地よい』と思うところに行くしかない。
自分に限って言えば、『それ』が『何なのか』問い続けていくだろう、と思う。
それが心地よいし、喜びだからだ。
そう思います。
私がよく肝に銘じている言葉は「何を言うかより、何をするかが大事」
です。
しかしとても幸せな事だ
この事に関して人と話ができるというのは、さっきから嬉しくてたまらないw
皆ありがとう、感謝してもしきれないほど嬉しいです。
>>67 自分の言葉が足りなかったかもしれない。
>人は『教え』を受けるより、質問をされた方が自分で考え出す。
これはあくまで一般論を述べただけです。
自分は自分の『無知』をよく知っている。人の間に優劣もないことを。
ただ人に沿った段階があるだけ。
でもさ、世の中全体が精神世界に目を向けてる傾向はあると思うんだよね。
たぶん精神世界が一気に世の中で開けてくるとしたら、
科学の世界と精神の世界のツジツマがあった時だと思う。
例えば、「あの世の存在が科学的に証明された」というような事。
結局さぁ「科学者」とか「有名人のお墨付き」っていうハクがあるだけで、大衆は突然肯定的な見方に変わったりするんだよね。
大衆にとっての根拠は「多数派の評価」であって「自分の感じた内容」じゃないわけ。
それが結構厄介な問題だと思う。
「自分で考える」んじゃなくて、「誰かに考えてもらった結果だけを見て決める」という癖っていうか。
でもある意味流行に流される大衆ってのはもっとも自然な在り方なのかもしれない。
ほら、それこそ、あるがまま、なすがままって言葉に沿ってる。
流行に流されて生きるのも楽で悪くないかもしれない、なんてね。
流行の行き着く先はいつも「飽和」。
そんで、また新しい流行見つけて「飽和」、それの繰り返し。
要するにそれって数年(早ければ数カ月)で「飽和」しちゃう程度の浅いものだったって事。
じゃ、精神の世界はどうかっていうと、深すぎると言っていいくらい深い。
しかも、ところどころに危険なトラップが仕掛けられてて、うっかりハマると犯罪犯したり、カルトに入っちゃったりする。
意外と言われてないけど、オカルトって追求するとけっこう危ない分野だと思う。
まあ、そういう意味でもホント「バランス感覚」は重要だよね。
身体と違って心はどっちに傾いてるか分かりにくいんだよねぇ…。
気付きやすくって考えてみたけど、
心を真ん中に置いて日常を過ごしてみる、というのはどうだろう?
全ての事柄、現象、それら全てを受け入れて過ごしてみるとか。
例えば私は一昨日お皿を割ったけど、これに自分の感情を入れないようにする
この事は 皿が割れた という事でそれ以外に無い、またそれが起こった経緯
割れた時の自分の状態、それ以外にも、バチが当たったとかいうけど、
そういったこともふまえて考えてみるとか、
そうするといろいろ気付かされる所が多くなって来ると思います、
自分の体験談で書いてみたけど、参考になれば幸いです。
76 :
夢見る名無しさん:2010/02/07(日) 01:50:54 0
既にの汗スレ12^^;で、人の料理に不満があり満足しなければ自分で作ればいいのではと書かれた方おられました。 私はそれへレスというよりそこから浮かんだことをこのように書きました。
・・・・・・
テーブルに並べられた料理の味がよくならないのはなぜでしょう。
料理を食べるチャンスをテーブルと呼びますのに。
チャンスはテーブル。
神の御心のテーブル、あなたも自分の味覚も楽しくはずみます。神遊び。
チャンスとは神の御心のテーブル。
味がよくならないのは作り手と集う人々に覚えがないからです。
自分で選んで座り、料理は座った人と作られる。
神の御心に沿った神遊びのテーブルと本能のテーブルに分かれます。
・・・・・・・
するとコテハンではないのではっきりとはわからないのですが、他の人がレスされました。
それもいいかと思っておりましたら、レスは今度は逃がさないという具合に(#^.^#)何が何やらでしたが そもそも私と話がかみ合わないで私がイライラさせていたのかも知れません。
汗スレで 薺みっけ今度は何を腹黒くたくらんでいるのだ的な方もおられました。(うんなあほな^^;)
この方は同じ人かもしれませんね(大汗)。
77 :
夢見る名無しさん:2010/02/07(日) 01:59:39 0
料理の話ですが、これは例えで話されたのですね。
短い文ですからその方がどこまで考えてそう言われましたのか解りません。
ですから番号でレスせず、そこから感じた事を書いたのでした。
「わたしのお料理がまずいなら、あなたご自分でお作りなったら」
家庭内別居夫婦喧嘩(^◇^)。
そんな事はございませんね、神のテーブルは一緒に座り、料理します。
じゃあ自分で作れば じゃあ自分で作るよ、だけではきっと
一つのテーブルに本能的精神のテーブルと神のテーブルの二つができてしまいます。
また応用的に発展させて考えますと精神世界、スピなども細分化され一人一人になるのは個性があってよいのですが
バランスが取れておらず独立するに早すぎると似非リーダーとなってしまいます。
私は似非リーダーがよくないとだけ思っていないのです。
世の中のあり方が個、個と煽りたての病理が色々なところで表面化し魔道まで突き動かす事件もあります。
ここのスレが立てられたのは分裂ではありませんし、反発でじゃあ自分で作るよ、で出来たものではないと感じ 来させていただきました。
78 :
夢見る名無しさん:2010/02/07(日) 02:23:47 0
>味がよくならないのは作り手と集う人々に覚えがないからです。
と言う言葉は読む人で解釈が変わります。
私はどのようなテーブルでも作り手と集う人々に覚えがなければ、いくつ作っても同じでしょう。
アセンションですからその覚えは必要だと考えています。
この私の解釈を解れ、と先に言っているのではなくどなたかが例をあげ返されましたがそれはお互い様です。
神遊びは、言葉の向こうを遊びます。
取りあえずこういう解説をすると少しは解りやすいとは思うのですが、
(ではここからは表現をかえてみますよ)
↓
しやけどあては、やんごとなきそだちでっしゃろやんごとなき狭き門の都はきびしゅうてあきまへんな(*_*;
小さい頃は何回も家出しましたがな。そやけどちょとまえからその狭き門の大切さがわかってきよりましたんやで。
ああそうでっか、そうでっしゃろ そうかいな。
ごめんやっしゃ。<m(__)m>
独り言ぼちぼちいきますきによろしゅうに。
(このような話し方は美しい女性にふさわしくございませんので損です^^;覚悟のない方はまねされませんよう)
79 :
夢見る名無しさん:2010/02/07(日) 03:42:59 0
ここ数年、息を吸って吐くこと
歩くこと 日常の当たり前なことすべてが
うれしい
毎日が奇跡のように感じる瞬間が 日に日に増えていってる
あるとき漠然と、いままでのものが終わってしまった それがはじまりだった
過去がすごくあいまいになっていて、以前の自分がたにんのよう
この杉の木はここに在ってこれでいい、別の場所など考えられない
向こうの杉のあれでいい、あの杉はあそこに在ってあの杉だ
庭のツツジは雨が降っても傘をささないし、石ころの配置も完璧だ
でもあの杉は杉では無いし、ツツジというものもない
雨も雨であるのか分からないし、風だってそうだ
なら自分は自分であるのか?自分とは何を指すのか?
自分と思うものは自分が認識している自分であって自分という現象は何なのか?
自分というのは無いのではないか?だがここに在る者は何だろう?
コレが自分であるのだろうか?
他が認識する自分が自分だろうか?他は自分が認識しているから他であるのか?
では他を認識しているのはなんだろうか?自分とはなんだろうか?
自分の胸に穴を開けて、背中まで通したら何か見えたりするのだろうか?
↑のレスだけど、自、他、自他、的な事を書きたかったんだけど
俺才能無かった御免w
自分と他、自分と風、みたいな第三の視点っぽいことを書きたかったのです
スレ汚し申し訳ない!本当に申し訳ない!
>>81 すぐにレスポンスが無かったからと言って、その文章が価値のないものだとは限らないよ。
君の言葉は種だ。それは誰かの心に根付いて、成長するかもしれないし、枯れてしまうかもしれない。
すぐに芽が出る人もいるだろうし、何年もかかって芽が出ることもあるだろう。
君はもう少し自分に自信を持ってもいい。
『自分とは何か?』という所まで行きついた君なら尚更だ。
>>82ありがとう、何とかしたいんです、皆に見て欲しい
皆で分け合いたいんです、ソレを皆で分かち合いたいと思うんです。
道の途中の人には分かり易くしたいし、自分自身も向上したい
こういうスレだから書けるというのもあります
とりあえずソレを見て欲しい、求める人皆に見て欲しい
ソレを見つけてからがスタートだと思うのです
愛しい皆愛しい、皆で共有出来れば幸せだと思うんです。
皆で共有出来れば未来も変わると思うんです。
君の気持も分かるよ。
でも焦っちゃいけない。
もちろん君の言うような事を、みんなが『実感』できたら世界は今よりも格段に良くなると思う。
だけど、自分は思うのだけれども、人の『気づき』にはその人にふさわしい『時期』があると思う。
だから焦っちゃいけない。
大事なのは諦めないことだ。
例え人に分かってもらえなくても、語ることをやめないこと。
そして『謎』を『謎』として持ち続けること。
君のように『気づき』を得ながら、それでも周囲の人間に理解してもらえない人がいた。
その人はある本の中でこう語っていた。
「分かってもらおう、なんて思っちゃいけません。諦めなければいいのです」と。
気付きの時期という点で、確かにそうだと思いました
どうやら一人で先走っていたようです。
諦めないこと、大事な事だと思いました。ありがとう
言葉が届いてよかった。
また何か閃いたら遠慮なく書いて下さい。
>>73 大丈夫です大丈夫です
こちらこそいきなりお邪魔してしまって恐縮です
>>72 嬉しいのはこちらもですよ
>>81なんだけど、何が言いたかったかって言うと
自と他そういった合わせて見た視点、というのが
一番ソレに近く分かりやすいかな?と思い書きました。
今冷静に考えてみると不思議なんだけど、
大きい自分、愛、神、何でも良いけどソレを思い考えて書いてたら
止まらなくなったんだ、愛がw気持ち悪いけどw皆愛しくてたまらなくなって
取り乱し先走った感じがあるw
>>84には感謝しています。
地獄絵図を見ると、釜ゆでも、地の池も、針の山も、全部この世にあるなって思う。
それと同時に天国のような場所もこの世にある。
どっちもある。
じゃあ、どっち?って言われても、どっちだろう?
この世界にはまだまだ自分が見ていない綺麗な場所があるのに、自分はそれを見ることなく死んでいくのか。
と、考えると少しさびしくなる。
もし、あの世に全てがあるのなら、世界中を旅して回りたい。
そして、旅先で出会った人と、笑いながら話して、セックスしたり、ご飯を食べたり、そんな事をして過ごしたい。
でも、1000年もそんな事を続けるうちに飽きるかもしれない。
そしたらどうすればいい?
どこに向かえばいい?
神様は飽きるなんて事ないのかな。
10億年も100億年も存在してるのに、未だに何かやる事があるんだ。
神様はどんな仕事してんだろうか。
何百億年やっても終わらない仕事ってなんだろう?
あー神様。
なんだろう。
神様は信じていないけど、お賽銭盗むのは怖いという気持ち。
お葬式はあげてもらわないとなんだか不安という気持ち
みんなどこかで目に見えない存在を信じてる。
神様は信じないけど、暗闇の中に現れる幽霊を信じる。
そんな人もいる。
幽霊がいるってことは、神様もいるって事じゃないの。
もう一つ世界があるって事じゃない。
もう一つの世界は夢の世界だよね。
あそこがあの世ならいいなぁ。
いろんなところに行けるし、何でも思い通りにいくようで思い通りにいかない。
楽しいようで怖い世界。
なかなか飽きない。
神様、なんで返事してくれないの。
してるけど気付いてないんだって?
そうかもしれない。
でも、どうがんばっても、神様の返事分からないよ。
今、家の柱がミシっていったの、神様?
そういう事でいいの?
うーん、最近ね、水の音を聴いてると音楽が聴こえてくる。
不思議。
水道の水をジャバジャバ流していると、本当に音楽が聴こえてくる。
水の出る量を調整すると、また違う感じで聴こえてくる。
お風呂のお湯を抜いた後、髪を拭いていると、人の話し声が聞こえてくる。
水の流れる音には、何か秘密があるような気がしてきた。
しかもさ、その音楽とか話声ってのは耳で聞いてるんだけど、耳で聞いてないんだよね。
なんかいつもと違う意味で耳を澄ますと聴こえてくる。
不思議。
でも、今日は聴こえなかった。
神様〜死んだら会えるの。
それとも、死んでも会えないの。
別に神様に会ったからどうって事も無いんだけどさ。
でも、自分の親に会ってみたいって思うのは普通でしょ。
神様は親なんだからさ。
人生は神ゲーだ。
本気でがんばるとぎりぎり倒せるように絶妙のバランス調節がされた敵。
単純作業じゃ効率が悪いけど、工夫次第でどんどん効率を上げられる経験値システム。
リセット不可の緊張感。でもシレンとかよりずっと死ににくいからあんま気にする必要なし。
つーか普通のゲームでもリセットなんて邪道じゃん。
全てのキャラが深い人間性と歴史を持って登場する、圧倒的リアリティ。
グラフィックが綺麗すぎ。多分、無限×無限ピクセルで、毎秒無限フレームで動いてる。
色も多分無限色使える。夕焼けとかマジありえねー美しさ。
BGMの種類がほぼ無限。選曲も自由。自分で作った曲を流すこともできる。
人間が作ったとは思えない、とんでもなく複雑で洗練されたシナリオ。
リアル出産システム採用。自分と、自分よりも大切に思える相手の遺伝子を半分ずつ受け継いだ、奇跡のようなキャラを生み出して、そいつに自由に色々教えて育てることができる。
すごく嬉しいし、ちょー楽しい。
ネコっつー生き物が登場するんだけど、これがちょーかわいい。
食いきれねーほどの種類の料理があって、超うまいものが時々食える。
説明書が無く、仕様が明かされてないから、自分でデータとって仕様を推測するしかない。
これがまたとんでもなく高度に洗練された仕様になってるっぽくて、なかなか正確には分からん。
だから、とりあえず大雑把に推定し、それに基づいて行動して、データを取りつつ徐々に予測値を修正していく必要がある。
これがまた楽しい。徐々に明らかになっていく世界観。
未だに明らかになってない謎が山盛り。
友達と一緒に協力して遊べる。
無料。
本気で自分を愛してくれるキャラがいたりする。
ゲーム内で別なゲームやったりアニメ見たり出来る。
登場キャラと本当に心を 通わせることが出来る。
信じがたいほど深い感動を味わえるイベントが結構ある。
もちろん本気でやらないとフラグを無駄にするだけだが。
こんなとてつもない神ゲーを糞ゲーとか言ってる奴は、本気でこのゲームをやったことがない奴だけ。
まあ、一切がんばらずにクリアできるようなヌルゲーばかりやってる奴には、このゲームはちょいとハードかもしれんがな。
でも一端ハマった奴はみんな、このゲームを辞めたくないって言ってるぜ
愛=自己犠牲ってのはおかしいよね。
だって、誰かの利益のためには犠牲が必要だって言ってるのと同じじゃないの。
キリスト教って微妙。
良い事言ってる部分とそうでない部分が多い。
改竄されてる可能性も高いけどさ。
なんだかんだ言って、知識人には仏教徒が多いイメージがある。
仏教は宗教とは違うし。
アセンション後は仏教徒がエリートなんかなぁ。
セーブ・ロード機能つけてほしかった。
自分が一番嫌いな人を好きになる事ができる人。
それがアセンションできる人。
98 :
夢見る名無しさん:2010/02/08(月) 01:04:09 0
愛は自己犠牲というのは翻訳の問題があるように思います。
少し前の日本人なら特に違和感があることではなかったでしょう。
ですからもう少し私たちにわかりやすくするとすれば、
大切にする心=自己を律すると言い直した方が良いかもしれませんね。
自己を調律することからはじめましょう、でどうでしょうか。
99 :
夢見る名無しさん:2010/02/08(月) 11:04:17 0
好き嫌いは食べ物がそうであるように心身の発達とともに変化いたします。
嫌いなものを好きになるには方法があります。
好きになろうとして嫌いなものを集中して食べることではなくならないのです。
その他の偏らないで色々なものを食べる事で舌の感覚が発達し味覚幅が拡大されます。
そうすれば嫌いであった食べ物のおいしさをある時拾える舌ができあがります。
気持ちで嫌いなものは他の経験的視野が広がることで何をあの時嫌っていたんでしょうとなるのと同じです。
幼いころの豊かな環境は大切です。味覚の発達だけでなく嫌いなものを好きなる方法も同時に習得していくからです。
大人(環境が)が未発達ならば愛の前提さえ連鎖できなくなります。
嫌いなものは変化し好きになりますから愛の前提にはなりますが愛かといえばそうではないでしょう。
自己犠牲は愛(の一つ)いうことじゃないかな。
それとも愛とは自己犠牲(のみ)であるとどこかで定義しているのかな?
キリストが十字架に掛けられたことを考えると誇張させても不思議はないけど。
http://ja.wikipedia.org/wiki/愛 「アガペー」 というのがキリスト教で一般的な愛を指す言葉らしい。意味は
無条件の愛。万人に平等な愛。神が私達に与える愛。見返りを求めない愛。
何れにしても情報というのは自分たちの内面を書き換えることができる危険なものでもあるね。
そうかんがえると、情報(教えなども含まれか)に左右されず、
自分で考えることの重要性かなと思う。
101 :
夢見る名無しさん:2010/02/08(月) 11:38:39 0
食べ物で好き嫌いがなくなりますと、次には質的な転換がございます。
表層の刺激に快楽をあるがままに選びとったり、
反対に頑なに観念的に食べ物に抑圧的な段階は好き嫌いに拍車をかけるだけという点で似ております。
このままでありますと差別や偏見、憎悪や嫉妬も保持されたままです。
次の質的な転換は愛しむというおいしさへむかう転換です。
この質のおいしいかおいしくないかは差別ではなく差異であり事実でありますから好き嫌いではありません。
オノヨーコがジョンレノンが殺された事実を今もゆるさないと話しておられました。
これは好き嫌いではなく差異による事実の見分けからきています。
102 :
夢見る名無しさん:2010/02/08(月) 12:17:20 0
オノヨーコは愛しているからゆるさないのでしょう。
命を愛しているからであって犯人憎悪という憎しみを連鎖させる狭いものではなく。
バランスの欠け過ぎた状態にある欲望の本能をあるがままに暴走させ、
命を奪っていく事に対して見分けてゆるさないのでしょう。
愛は赦すことです、キリストにならいて赦すことです。
矛盾しないと感じます。
そのキリストの赦しとゆるさないという見分けは矛盾しない命への愛という同質性を持っているからです。
103 :
夢見る名無しさん:2010/02/08(月) 12:30:15 0
スレ主さん、ここを作ってくれてありがとう。
この気付きって結構凄い事だよな、
こんな不安定であやふやなのに、共有出来ている
自分じゃない他人が、同じように同じ事を感じてる
本当に世界が変わる、宇宙が変わるそれくらい凄いんじゃないか?
そこで聞いて見たいことがある、
自分の場合だけど、
気付く→深める→大きい気付き?→実践して生きる→忘れる?当たり前になる
大まかだけどこんな感じなんだ、大きい気付きの時の歓喜、精神的快楽は
いつでも思い出せる、っていうかチャンネル切り替える感じ?でまた会えるわけだけど
この忘れてる状態、当たり前すぎてあることも忘れる状態?ココを聞いてみたい
良いか悪いかとかでは無く、それぞれの意見、思い、状態、感情、そういったことを聞いてみたい。
オノヨーコさんはジョンレノンがCIAにやられたことをわかってるでしょ。
リンカーンやケネディと同じです。
そういったことが許されない、許せないことだと言っているんだと思います。
赦せなくても心は穏やかに感じますね。(本人ではないのでわかりませんが)
現実では様々なことが起こります。
ただすべては深く考えていけば理解できることではないでしょうか。
それは自分のなかにあるものだから、理解できるということです。
だから赦すこともできる。
しかし、無知であると、それが難しいものになる。
様々なことを立体的に理解できないと分裂し、今日のようになる。
ここで止め
106 :
夢見る名無しさん:2010/02/08(月) 13:13:07 0
命に対する愛>(大なり)でしょう。
CIAが犯人としても同じ事です。
次は自分の中にあるについて述べたいと思います。
107 :
夢見る名無しさん:2010/02/08(月) 13:19:33 0
人を試みるようなことをしてはいけません。
表現を多彩に用いる事は心の自由を現わしているのであって不真面目な試みを人に対してするのではありません。
覚悟とは人をを試みる事ではございません。
>>104 >気付く→深める→大きい気付き?→実践して生きる→忘れる?当たり前になる
また、改めてレスするかもだけど。
自分の世界観の変化って、久し振りに故郷(祖父の家とか)や実家に帰った時に強く実感する。
前と同じものでも全く違って見えるんだよね。
心は間違いなく変化してる。
問題は心はどのような変化をするのか。
心は色が変わるのか?大きくなるのか?曲がったり捻ったり、形を変えるのか?
心が変わるとは心がどうなる事なんだろう?
>>107 >心の自由を現わしているのであって
そですね。失礼しました。
しかし、不真面目でも試みでもなかったことはご理解ください。
世界って相対的だと思うんだけど、例えば自分と花
まったく違わないけど、全然違うと思う、そこで思ったんだけど
その、気付きという存在、ソレって一つだと思うんです、
だとするとソレは在るのか無いのか分からなくなってしまう
という感じで考えたわけです、私なりの思いとして
ソレは全ての関係性、存在全てを包む○として在る
だから絶対、普遍的なのかな?だからソレは共有しうるのではないかと。
それと、気付きによって生死の概念、命の概念も変わってくると思うんです
精神、魂として見る場合、肉体、物質として見る場合でも違ってきます
私にはどちらが真実なのか知れないけれど、現実的に考えると前の記憶が無いので
死んだら終わりとなってしまいますが、ソレの存在があるので言い切れないのです、
ソレ、には意思があるのではないか?と思うんです、髪の毛一本の動きまで完璧にするほどの意思、
大きすぎて知れないのか、私の思い過ごしなのか。 ということを感じたので書きました。
それともう一つ、気付き、あるいはソレといった存在は本当に在るのか?
とも思います、救いを求めてたどり着いたツジツマあわせではないのか?
とも考えたりします、どちらかに偏り過ぎず、バランスを取って考えたりもしています。
でもソレはあると思うんです、宇宙の中に私が在って、私の中に宇宙が在って
無限ループって怖くね?みたいな感じになるのがお腹あたりなので、
人体でいうとお腹にあるのかな?頭じゃないのかな?分かりません。
自分のなかに宇宙や神があるというのは、
アカシックレコードと言われる個々の潜在意識とつながった
集合意識のことを指すのかもしれません。
人間は意識は顕在意識と潜在意識から成りますが、
通常の状態では顕在意識から潜在意識へアクセスできません。
瞑想などで特殊な意識状態を作り潜在意識へアクセスし、
そこからアカシックレコードにアクセスし情報を得ることは可能だと思います。
その集合意識が大本で神といわれるもののひとつでだと考えられす。
そこは文字通り全ての意識が繋がった場所で宇宙の全ての情報があると考えられています。
もうひとつ神と飛ばれている存在が、
人類が太古から神と呼んできた存在で、人間を遺伝子操作で作った宇宙人です。
上で述べた集合意識にアクセスすれば宇宙人(神)と交信することも可能です。
気付きというのは、なにかの拍子で潜在意識から顕在意識に上ってきた、
なんらかの情報といえるかもしれません。
本来の自分の意識だけでは得られない情報なので、
自分で驚き「気付き」と表現するのでしょうか。
「発明」などもここからの情報であることも多いとと考えられます。
以上なにかの足しになればと思い書きました。
イエスに関しては、実在しましたが人間とは遺伝子の違う存在だったということです。
おそらく、動物的な人間を矯正するために、意図して作られたものだと私は思います。
仏陀などに関しては勉強不足でわかりません。
スレの意図と違う書き込みですみません。
>>108心の変化、確かに私自身も変わって来ていると思います、
例えばここに在る肉体が何らかの振動、電子レンジ的な蓋を開けたら暖かいみたいな
それのもっと小さい感じ、そういった要因で存在していると考えて、
だとすると自分は現象といっていいかも知れません、だったら
心は変化するのでは無くて、在り方が変わるのではないだろうか?
なんて考えて見ました。
>>112頑張ってみましたが私には交信できないようです、
ですが新しい視点を頂きました。ありがとう
115 :
夢見る名無しさん:2010/02/08(月) 19:28:17 0
>>109 了解いたしました。ありがとうございます。m(__)m
レイブで遭遇した神に言われた言葉、
「神はここに居るのでは無く、ここに華開いている」
人間も神も華。華。華。
万物は流転する
だが流転する万物を認識する『主体』は不変のはずである。
もしその『主体』まで変転していたら、『万物は流転する』とも言えなくなる。
流転する万物を見据える、不動の『絶対的主観』があるはずである。
それを指してある人は理(ロゴス)と呼び、別の人は神と呼ぶかもしれない。
だが結局『それ』が何のかは、よく分かっていない。
118 :
夢見る名無しさん:2010/02/08(月) 21:40:29 0
今ふっと気がついたんだけど、このスレってIDが全て「0」に
なってるね。スレ主さんが操作したのか偶然なのかはわからないけど。
でもなんだか多くの人が語ってるのに全て一つの「何か」が語ってる
ようにも見える。まるでスレッド自身に意思があるみたいで不思議だね。
掲示板でのやり取りも、他人との会話も、あるレベルから見れば全て壮大な『独りごと』
思われなければ対象はない。
思う対象が無ければ、『思う』という行為もない。
なんという不思議!
確かに。
インターネットとは神(万物万象の情報的集合体)の独り言だと言える。
大体、この文字の大本に人間が本当に座っているのかどうかも怪しい。
とんでもない化け物が書きこんでいたとしても、我々に知るすべはない。
ちなみに、俺は犬。
飼い主に内緒でインターネットをしている。
自分と同一(元を辿っていけば男女は同じ)の存在であるはずの異性に恋をする事は不思議だ。
どんな異性に恋をしようとも、それはナルシズム(自己愛)に過ぎないのでは無かろうか。
しかし、それでいいとも思う。
なぜなら、それは我々の本質は「自分以外の何物にも依存していない」自己完結した完全な存在だという証明なのだから。
人生とは、自分自身の『完全性』を思いだしていく過程なのだろうか?
この世は、自身の『完全性』に退屈した『何か』が、遊びの為に作ったのだろか?
この世で最大のオカルトは『自分が存在すること』だ。
何を今さらUFOだの宇宙人だの幽霊だので騒ぐことがあろうか。
万物の『始源』とは、万物の『思源』ということ。
思われなければ万物はない。
そして『思源』は生まれもせず、消滅もしない。
何故なら『思源』は生みだすものだから。
126 :
夢見る名無しさん:2010/02/08(月) 22:46:23 0
みんなで意識を拡大して行こう!
などとこの場で意識を高揚させても
明日の朝会社へ行けばまたいつもの
矮小な意識に戻ってしまうんだろうな。
127 :
夢見る名無しさん:2010/02/08(月) 22:47:06 0
IDの話が出ましたが、0というのは他の数字には無い、独特の印象を受ける。
持っているわけでもなければ、失われてもいない。
一つ気づいたのは、『悟った』という境地はなく、人は『悟りつつゆく』事しかできないという事だ。
言い変えれば、全ての人は『悟りつつ』ある段階にいる。ただどの段階にいるかの違いだけだ。
ゼロというのは不思議な数字だね。『無』という言葉も同じだけれど。
『そこに何も無い』はずなのに、何故か言葉だけはある。
言葉は『ある』のに、それを指し示すものは『無い』。
130 :
夢見る名無しさん:2010/02/08(月) 23:10:17 0
>>129 「霊」も同じだね。訓読みすればこれも「0」だ。
「0」とは「空」を囲ったもの。
または「純粋」「透明」である事も示す。
「霊」ともつながるかもしれない。
「 REI 」という言霊には、とても澄み切った印象を受ける。
「空」という概念を生みだしたインド人が、「0」を発見したのもあながち偶然ではないだろうね。
それ知らなかった。
今調べてみたけど、「0」ってすごい発明だったんだね。
134 :
夢見る名無しさん:2010/02/08(月) 23:47:11 0
みんな自分の中に「0」を囲ってるのか、あるいは
「0」に囲われているのかもしれない。
0は何回掛けても0だけど無限に掛け合わせると「1」と成る。
1÷0=∞(無限大)⇒0×∞=1
1は有限の数字であればどんなものでも成り立つのでこの計算は
意味を成さないものとして数学では禁則となっているが...。
このスレに集う皆さんならこの数式が意味を持って感じられないか?
直感的には、
「0」が男性的、「∞」が女性的なイメージを受ける。
その両者が欠け合わさって「1」(世界)が産まれる。
というイメージ。
1の部分は神か。
0は細分化された神、つまり私たちを含む万物。
それは∞の経験を経て神へと戻る、か。
137 :
夢見る名無しさん:2010/02/09(火) 01:42:33 0
そういえば、人間や生命に母性と言うものが無かったら、
その種は絶滅しているかもしれないんだよな。
精神的な意味でも内なる父性は意見を発信するのに対し、
母性は相手への理解と言う効果があるように思える。
アニムスとアニマ。
138 :
夢見る名無しさん:2010/02/09(火) 03:39:33 0
私には0が神、人やその被造物、動物や植物の生命が1に思える。
無限大の∞は、幾らでもバリエーションや数を増やす事も可能であれば、
逆に全てを帳消しに出来るという不可能の無さにも思える。
それを言うなら、思考や思いも1だと言えるじゃないかな。
怒りや驚きを引き摺る事はあっても、一時的な感情を持ち続けるのは難しい。
思考や思いとは何だろう。ただ、通過してゆくものかも。
自分と言うのは結局、不確定。結局、曖昧。
自分を持ってしまう肉体の恐れと本能。そして、それに釣られる感情。
まず最初に無限(∞)の無(0)があった。
そこに仕切りは一切無く、また最果て、先端に当たる部分も存在しなかった。
ある時ソレは自分を囲った(制限・限定した)
すると「0」が現れた。
「0」は増えても減っても、「0」のままだった。
ある時「0」はこれまでと違う方向に力を働かせた。
その力の働きは「捻り」のようなものだった。
すると「0」は「∞」になった。
その瞬間、「∞」は「0」の中に展開され、宇宙が広がった。
という、イメージ。
宇宙=有中、と読むならば、
宇宙を超えた次元も「有」であり、
宇宙は「有」の中にある、とも読める。
要約すると、
有の中に無があり、無の中に有がある。
または、
有の中に「制限された空間」があり、その中に有と無がある。
とも考えられる。
このようにも言う事ができる。
最初に表れたのは「0」という「意味」だった。
「何も無い」という意味が最初に現れた、と考える。
しかし、厳密に言えば「何かが有る」から「何も無い」が存在できると言える。
「何も無い」場所には「何も無い」という「意味」さえ存在できない。
以前にも言った、
制限の無い世界(∞)は、制限の有る世界(0)を内包できるが、
制限の有る世界(0)は、制限の無い世界(∞)を内包できない。
「0」を制限が有る、と捉えるかどうかは意見の分かれるところであるが、
「0」という表記そのものが「空間を区切って制限している」ように私には観える。
思うに、宇宙と言うものはまだ「∞」には到達していない。
今「0」を埋めている最中なのだと考える。
では、最終的にどうなるかというと、一番外側、根底にある「絶対の有」(神)と融合する、と考える。
もしくは、破裂してまた「無」になる、とも考えられる。
できれば、融合したいもの。
大元の神には「膜」というものが存在しない、と考える。
「膜」とは壁であり、皮膚であり、字の輪郭であり、国境であり、存在の境目、である。
「膜」とは「分けるもの」である。
大元の神は「混沌」そのものである、と考える。
例えば、卵には「黄身」と「白身」がある。
黄身をウ(有)、白身を(ム)、と観る。
大元の神とはこの二つを箸でかき混ぜて、黄身と白身が混じり合った状態を指す。
そして、そこには砂糖やしょうゆなども混ざる事ができる。
すると、また意識は膨らむ。
こうも考えられる。
大元の神とはウ(有)そのものであり、混沌ではない。
自分と違う性質を産み出すためにム(無)を成し、ウとムを合わせて混沌を「生む」のかもしれない。
「混沌」とはまさに我々の意識が濃く投影されているこの世界の事かもしれない。
何にしろ、意識は膨らむ。
147 :
夢見る名無しさん:2010/02/09(火) 11:05:26 0
>>24 その後の文章の中で答えているのですが、それでもかなり飛ばしていますので改めてお返事いたします。
生きているという事はどうであれ能動的です。その活性化を抑え込むと男女とも命を産む事ができなくなります。
性同一性障害と言われます方よりも男性の女性化、女性の男性化は抑圧と関係しており去勢的です。
フェミニズムや女性解放といった社会的な不公平を是正する為に生じた歴史的概念は貴重で、男性にも理性的に理解していただかなければなりません。
けれどもそれは各男女自身の持つ内性を変形させて軋轢を加える「ねばならない」ではないでしょう。
攻めというのは開拓する性質がありますが、霊的な意味合いもあります。
守りというのは保持する性質がありますが、霊的な意味合いもあります。
男らしい男、女らしい女とは自分の性を抑圧せずに大切にし、たどりついた行き先の霊性と各自の性の一致が起こった姿です。
そこでは男女が自分の中で出会います。
男らしい男は女と出会い、女らしい女が男と出会うのは、自分の中でも同じことが起こる原理のハタラキを示しています。
男性と女性の統合化と申しますのは霊化であって去勢ではありませんから愛に攻めるとは、男性の攻めを健康に活かすことにもなる霊的原理を述べたのです。
男はこうあらねばならない、女はこうあらねばならないからの解放が新種のこうあらねばならないにとってかわっただけでしたら
同じ抑圧の中です。
よき男女 おのおのがた 自分の性を誇り、歌うかのように真っ直ぐにつきすすみましょう。
「0」(何も無い)=「∞」(全てがある)
のような気もする。
混沌とは言葉が生まれる前の世界ではないだろうか。
言葉によって事物を「分ける」ことができない、「AはBである」と言えない世界。
男女の事で童貞の私が語っても説得力無いけどw思った事書きます
現実的にセックスは今必要なのか?と思います、確認のための性行為なら
キス、スキンシップだって性行為といえるし、確認のためならそれだけで十分だと思うんです
子供を作るという点で、自分の子供に遺伝子、血、外見的特長を求める事に意味を感じないのです
男親、女親、子供、コレで家族とすれば、親の居ない子供を引き取れば事足りると思うんです
まあねぇ、命を生み出す、繁栄するってのは地球上の動植物が関わってる一種の本能的お約束(?)
ではあるけれど、人間だけはそれを選択できますわなぁ。
今後、なんらかの形で童貞卒業した時、また考え変わるかもしらんし、そのままかもしらんし。
ただ、体験によって認識が変わることも多々あるでしょうなぁ。
今、必要ないんならそれでいいんじゃね?
151 :
夢見る名無しさん:2010/02/09(火) 14:28:04 0
命を産むというは子供を産む事だけではありませんね。
創造的なことを命を産むと呼びます。
ですから肉体に使われるのではなく肉体を活かすのです。
肉体と精神が互いを否定しあうのではなく、活かすのです。
その為には肉体に霊を従属させ枝葉に狭く快楽暴走しないように、肉体が向かう行き先を教えるのです。
霊主体従。
体は借り物であって死ねば滅びますが創造は形ですから軽蔑して否定してはいけないのです。
肉体はもともと霊主のもとに創造されましたから、生きていくために罪を背負うといたしましても
霊的な真実が礎の原理となって肉体も創造されているということに発想を逆転させるのです。
その時歓喜すればよいでしょう。
神と出会い直すというのは、もともと神霊的霊主の基にあったことを思い出し認めるということです。
君は霊、霊といってさわいでいますが、それは神霊からですか、神を忘れ人間の肉の都合に隷属させた諸霊ですか。も同じ意味です。
産むとは創造性、想像性のことですから男女の活力を去勢することではありませんね。
古く、非常に強烈な本能だから、
(強烈にしないと種の保存に関わるってゆうことね)
様々な感情・思考が性欲にまとわりついて複雑になる。
それでいろいろ認識できなくなるのは確かだろうね。
特に若いうちは。それが青春の正体で
なんでもかんでも性的エネルギーが介入して優位になっている時期。
だと思う。
神だってそうだよね。
古く昔からある概念だから、
自分たちのいろんな思考に介入する。
どちらも冷静にとらえれば一つの機能にすぎない、とも言えるかもね。
「気付き」だって必要以上に美化されてしまうけれど、
「自分の持っていたくない感情」を捨てるためのツールにすぎない。といえる鴨ね。
実際それ以上ではない気がする。
ただしっ!ただしだよ
人間はそういった自分の心地よい世界を
自分の中に構築することができる。。。
う〜ん いいや、以上。
神だろうが気付きだろうが、それ以上にするもしないも全て本人次第だと思うな。
面白い事に、そう設定すると本当にそうなるんだから。
たぶん、心に上限は無いし、下限も無い。
自分がそこまでだと思ったらそこまでになるんだよきっと。
うわぁ!ありがとう凄く勉強になる!
どうやら自分の物差しだけで計っていたようです、皆頭良いな。
この男と女についてですが、天と地、上の歯と下の歯、右手と左手などにも
噛み合わせとか言いますが、そんな感じで、天地にも、歯にも、手にも
そういった事が言えるのではないかと思うんです、
私の上の歯に合うものは私の下の歯以外無いように、男と女といいましょうか?
個人個人の精神的な部分にもあると思うんです、本来一つであったものが分かれ
例えば私が右の精神だったとしますが、すると左に惹かれる、何処かに
完全に一致するものがある様な気がしてなりません、
我々を永遠として、元への合一を目指す精神、魂であれば
この私としての本来の精神、右と左合わせたものに何時かは戻るのかな?なんて
そんな気がする程度の書き込みで申し訳ない。
>>155 該当のスレはもうdat落ちしてるけど、君が言ってる事にピッタリの内容を転載するとこれかな。
本当はもっとあるんだけど、かなり長いからとりあえずこんだけ。
二点観測とは、文字通り二点から観測する事。
いろいろな形態があるが一つの形態を用いて、
まず人が説く「教え」と「道」について観測する。
「道」は「向かわせる事」
「教」は「連れて行く事」
「道」は無限の道筋、迷いやすい
「教」は一本の道筋、迷いにくい
「道」は全ての観点から得る事
「教」は一つの観点から得る事
「道」は忘れる事
「教」は覚える事
「道」は広い視野を持つ。
「教」は深い視野を持つ。
「解放」は創造的である
「束縛」は模倣的である
「解放」は柔
「束縛」は堅
「解放」は全部
「束縛」は部分
「解放」は形を成さない
「束縛」は形を成す
「解放」は万能に近づく
「束縛」は無能に近づく
それぞれはさらに分離し、分離し、分離し続ける。
これでもかというくらい細かくなると、やがて集合し始める。
>>155 あとこれも、君の言ってる事に似てる気がする。
この言葉、上顎と下顎でよく噛んで、飲み込んでください。
この思念、天と地でよく神kanで、受け取ってください。
158 :
134:2010/02/09(火) 16:18:58 0
0×∞=1を書いた者です。
みんな色んなイメージで解釈してくれてありがとう。
ずいぶん勉強になりました。
自分的な解釈では、お釈迦様が悟りを開いた瞬間がこんな感じ
だったんではとイメージしました。
もともと「1人」であった自分を滅して滅して滅し切って後に
0となった。その瞬間に無限大∞とつながって大いなる「1」
に回帰した。といったストーリーです。
159 :
134:2010/02/09(火) 16:21:59 0
今、もうひとつの数式が閃きました。
高校で習った「虚数i」にまつわるものです。
何かイメージが湧きましたら教えてください。
-i×i=1
率直に陰陽と太極の構図が浮かんだ。
>>156おお!凄げぇ!ありがとう!それで検索してみます。
いろいろこのスレで書いて見たけど、私なりの結論といいますか、
そういったのを書いて見ようと思います
世界なんて無くて、宇宙なんて無くて、他も無くて、自分以外何も無い
自分だけだった、あぁ自分しか居ねぇと思ったときは、全て愛しくて愛しくてたまらなかった
便器にだってキスできそうなほど、全部俺なんだ、俺しかいねえ!
世界は凄まじく単純だった、何をいままで思ってたんだ、みたいな事です
この時は本当に小躍りしました。
世界は自分で単純だったって結論だったんだけど、各自に置き換えてほしい
また書くかもしれないけど、私には凄いことは書けないので、見る事に徹しようと思いました。
また書いて。わかちあってください。
君が悟りとかいうものに一番近い鴨
>>161 凄い事を書く必要は無いよ。
それに自分が凄いと思わない君は謙虚な証拠じゃないの。
どんどん共有してほしいね。
>>161つけくわえです、御免ね
世界は宇宙は自分は他は天は地は海は山は
全てコレでしかない、見たまんまのコレソレアレ
山が崩れ落ちるのもソレ煙草の灰が落ちるのもコレ
鳥が飛ぶのも魚が泳ぐのも同じこと、コレ
実に単純、俺もコレ、ソレもコレ、アレもコレ
俺が今年ジャガイモ植えるのもコレ、大統領が政治的決断を下すのもソレ
俺が童貞なのもコレ、誰かが飽きるほど性行為してるのもコレ
単純、でも繊細、かつ漏れなく、全てを包む、ソレだって同じ事コレ
いっぱい書いちゃったけどこんな感じです。
165 :
夢見る名無しさん:2010/02/09(火) 17:03:45 0
この世の最後はいつか分からないけれど、
よく語られる、善人が幸福になり悪人が不幸になる、というエンディングがどうも納得いかない。
神ってそんな人間レベルの事しかしないだろうか?
地獄は刑務所と同じ発想であって、神がそんな低レベルな方向に世界をもっていくかねぇ?
善人も悪人も笑顔で暮らす世界にならんもんか。
すげー仕掛けがあるんだと期待してるぜ、神。
俺の事は好きに使ってくれよ。
単純だが奥が深い
それが真理
>>164 なるほど、つまり君が童貞なのは大統領が悪い、と、そういう事だね?
そのシンプルな世界を見渡すフィルター俺もつけてみるよ。
いや、外すとシンプルになるのかな?
試してみる。
例えば、「鉛筆」という道具を人間が100年間、ただそれのみを追求し続けたら、
100年後にはどんな「鉛筆」が誕生してると思う?
100年現役の鉛筆作り、改造の達人が作った「鉛筆」はどんなものだろう?
おそらく、とてもシンプルな鉛筆だろう。
いや、「シャープペンシル」に次元上昇しているかもしれないな。
どんな悪人でもその内部には愛を持ってる。
それがキッカケが無くて出てこれないだけでさ。
例えばMDMAなんかを摂取すると、もう何もかもが愛しくて愛しくて、困っている人がいたらすぐに助けてしまう。
どんなにケンカを売られても笑顔で許してしまう。
ドラッグというキッカケさえあれば、どんな人間でもそうなる。
ってことは、人間のそういう部分を引きだせば世の中は一瞬で平和になる。
俺が神なら、世界の最後は人間のそういう愛の部分を引きだして平和にもっていく。
それには試練があるのか?無いのか?
試練はいらんよ。
なんで選別しようとすんの。
みんな一緒でいいじゃない?
なんでみんな一緒じゃダメなんだい?
自分は我慢して善い行いしてきたから、悪人と一緒じゃ納得いきませんって事?
すざけんな!
試練がなければ、魂は目覚めません。
楽に手に入るものには、然して価値はありません。
一般的に善い人、悪い人、という概念は無いと思うんです
個人個人その人が決断決定して生きていると思うんです
だとすれば、善、悪、そういったモノは無いという事になります
全てその人の思いのままに起こっていることだと思えるんです
その個人個人の行動を他が見た時に、勝手に判断しているのであって
本質的には無いと思うんです、
だからといって人を殺してもいいか、盗んでもいいかといったら違うと思います
世界の最後があるとすれば、皆一緒にまとめてドーンの方が気持ちいいですね
それか皆まとめて平和になるか、善い人だけ生き残れます、悪い人は死んでね!
みたいな世界なら俺は神を信じない
『判断』というのはやっかいなものだよね。
人が善悪の物差しを持ちだしてくるから、『俺が正しい。お前が悪い』の争いの基本構造が生まれる。
それが口論から戦争まで発展する。
何が起きても『まあ、それはそれでいいじゃないか』で済ませられるようになれば、
世界はもっと穏やかになるんだろうけどね。なかなか・・・
>>171 俺は楽に手に入ったものでも、それに「満足できるなら」価値はあるんじゃないかって思うかな。
地球の人口が60億人としたら、60億の判断基準が存在するという事になるよね。
ある程度グループ分けはできるけど。
例えば宗教とかで。
そのどれもが絶対的な基準にはなりえないから、各々の基準の違いで争いが起きる事がある。
もし、統一して基準を設ける事ができればあるいは…。
でも、そうなると陰謀論でささやかれる世界統一政府みたいな考え方になっちゃうんだよね。
誰もが納得する基準があればなぁ。
それとも、基準を設けるという考え方自体をやめた方がいいかな。
うーむ…とりあえず早く世界平和なってほしい。
176 :
夢見る名無しさん:2010/02/09(火) 18:41:06 0
平和とは判断しないことでしょうか。いま世界が平和でないことはみんな知っている。
この地球にはどれほどの人間が暮らしているでしょう。
一歩外に出ればまったく違った考えを持つ人々がいます。
どうすれば平和になるのかを尋ねるのに命を奪っていくものを大げさでなくとも見ておくことは
まちがっているのかな。
人類、動物、草木、そういったモノを大きく見て流れとするなら
ほっとくのが一番いいんじゃないかと思ったりします、したら勝手に収まるんじゃないかと
どうこうしてやろう、なんて考えると無理が生じる、でそれがだんだん大きくなって
何だか大変なことになる、川に流れる木の葉みたいに自由自在であれば
落ち着く所へ落ち着いていくんじゃないかな?と思います
落ち着いてから始めるというのも一つの手ではないかとおもうんです
そのとき自分が思っていることが自分にとって正しいことなのだから・・ね
川は自分の行き先を決めない。ただ岩の形や地形に沿って流れ、
ある時は分かれてある時は別の川と合流する。
『水』というのはある意味究極の存在だと思う。
それ自身の形を持たず、器次第でどんな形にもなる。
気温が上がれば蒸発し姿を変え、下がれば氷になる。
青い絵の具を溶かせば青くなり、赤い絵の具を溶かせば赤くなる。
それでいて水という本質を失わず、変幻自在。
一人一人が『水の意思』を持てれば、平和になるんじゃないのかな
紛らわしくてすみません。
>>171は
>>170を受けて書いたものでした。
私は「楽に手に入るものには全く価値が無い」と言いたかったのではありません。
170さんの書き込みを受けて、
「より良い世界を実現させる為には、楽な道は無いのですよ」ということを
示唆したかっただけです、、
楽に手に入る物よりも、苦を経て得られるものの方が価値のあるものだから、
困難に直面しても、勇気を持って立ち向かえばいい、そう言いたかったのです。
自分には何が出来るか、全ての隣人を愛すにはどうしたらいいか、
それぞれが考えましょ。
そして時には意見交換をしましょう。
181 :
夢見る名無しさん:2010/02/09(火) 18:58:56 0
川は高いところから低いところへ流れる。
アンカー忘れましたorz
180は
>>174さんへ
>>181 そういうことですよね。
当たり前のことがもっとも大切なこと・・ですよね。
私もここで言ってるだけにはならないようにしようと思います。
当たり前のことがもっとも不思議なこと。
奥が深いからね。
でも奥が深くて複雑なことは、実は単純なことでもある。
なんで俺息してんの?
なんで空気あんの?
なんで心臓動いてんの?
不思議。
『何故?』と問い出すと、何もかも分からなくなる。
そう?
色んなことが分かってくるから面白いけどなあ。
分かることもあるんだけど、結局分かんなくなる。
例えば空気がある、なぜ?、なに?と考える
すると分からなくなる、分からないと、答えを探す
でも空気は在る、今も在る、常に在る
分からないってのは一つの答えなんじゃないかな?なんて
思ったりして見ました。
192 :
夢見る名無しさん:2010/02/09(火) 19:50:27 0
川は高いところから低いところへ流れるというのは法則があること、
自由自在でありながら理(ことわり)があることも現わしています。
神霊的方向を目指すと言うのはその理を覚えるというような意味合いです。
>191
「人間」にはこの宇宙の全てが分かるわけはない、が答えですよね、恐らく。
人間は不完全で、どこまで行っても神にはなれないですから。
しかし完全(神)に近づくために努力することはできます。
分からないから考える。調べる。考える。答えを得る。
疑問を抱いた時点でその答えを得るための道を歩き出している。
>>192 確かにそうですね。
水は自由自在であるけれど、川はある法則に則って流れる。
人が我欲に囚われずに、もっと大きなものに意思を委ねれば、それは理に従うことになる。
自分だってそうだと思います、自分とは何?なぜ在るのか?
考えて見る、分からない、でも今ココに在る、なぜか?分からない
大きく見ての自分、小さく見ての自分、今ココの自分、それと自分以外のこと
分からなくても在る、知らなくても在る、知れなくても在る、なぜ俺が分からないのに在るのか?
たとえ分かったとしても在り続けるだろう、俺は何を分からないのか、何が分からないのか分からない
自分とは何か?そうか!自分を見て無かったから分からなかったんだ、俺の自分は自分じゃなかったんだ
見たいな事を考えたことがありました、よく分からなくて御免
>>197 いえいえ、わかりますよ。
それで、自分がなぜ存在しているかも自分で分からないのに、
自分は存在している、ということ、それ自体が神の思し召しなんだなあと
私は気づきました。
>>193そうです、そういう事が書きたかったのです、ありがとう
俺文才無いから、なるほど、そういう風に書けばいいのか。
>>199 いえいえいえ、とんでもないです*'ー`*
一つの事を表すのにも、人それぞれの表現がある。だから面白い。
ですね。
言い忘れましたが>< こちらこそありがとう。
マジで文才無いとかしょうもないとか気にしなくていいと思うぜ!!
でも、そういう謙虚な奴、嫌いじゃないぜ!
ふぅ・・・ さて、男女の事について学ぼうと、エロいものをたくさん見てきました
霊主体従、勉強になりました、どのエロも性的な快楽を主としているように見えました
性的な快楽のみを求める状態は、体主霊従になるんだと思いました
この霊主体従、つまり精神、魂が求め合い行為におよぶ、これはとても美しい事のように感じました
どうやら性行為というものに偏見があったようです、昼間の皆さんありがとう。
海外ではボランティアとして介護の一環のように仕事があるらしく、
お年寄りや異性に触れる時間を持てない人達にとっては、精神的な喜びも
大きいのではと感じます。
大晦日の石井が言ってたじゃない。「実戦は全然違う」と。
実戦と言っても行為だけじゃなくメンタルもだな。
男女に限らないか。
実際の生身の人間と言うのは、どんなに知っていると思っている相手でも
些細な想定外があるから、それが面白い。誰と会う約束をして予定を立てても、
当日の会話の流れで遊びに行く変えたり。
大人しいと思っていた人がすごく熱い性格だったり、冷たそうな人が細かい事に
気を遣ってくれたりとかも言うケースでも同じ事が言える。
自分の視界以外の事をされると言うのが、対面する最大の楽しみでもあるね。
精神面や肉体面それぞれに相性があると言うのは興味深いよ。
例えば、精神的にはすごく合うのに、営みが噛み合わなくて不満が続くとかは夫婦とか恋人とかでもよく聞く話。
肝心な相性だって片方が満足していて、実は独り善がりだったと言う場合も沢山あるはず。
身も心も両面相性が合えば、それに越した事は無いんだろうけど。
よく考えたら、「他人に心があるのかないのか」っていうのは実際は分からないんだよね。
確かめようがない。でも「そうとしか思えない反応」があるから、
「他人にも心はある」と『仮定』して生きてる訳で。
その仮定の上に他者との関係は成り立っている訳だから、
社会(という幻想)も決してしっかりとした土台に立ってる訳ではないよね。。
そうだよね。本当は自分ひとりぼっちで、
周りは自分が生み出した幻想、例えば夢みたいなもんかもしれないね。
もしそうなら、寂しくて自分を分割してどうにかしたいよね。
まぁそうだね。一応、感情や心があるように見えるし、それに対して
こちらも何気なく応対している。もっとも究極的に言うと動物とかも
確かに居るんだろうけど、何故にそこに見えて地球の上で共同生活しているの?とか。
考えるとキリがない。
平均年齢80年という一時的な自分の目線を持たされているのかもしれないし。
もしかしたら、地球や宇宙という実体もなくて肉体を有してる時だけ、自分からの
視点を見せられてるのかも。相手役の心の変化も含めて。
>もしかしたら、地球や宇宙という実体もなくて肉体を有してる時だけ、自分からの
>視点を見せられてるのかも。相手役の心の変化も含めて。
これ、自分が感じてる事に近い。
肉体を持った一人の人間として生きているのはあくまで一時的で、『仮の姿』。
つまり一個人として生きている事が、ある『宇宙的実験』ではないかと。
『仮の姿』である個人として生きる中で、どうやって『本来の自分』を思い出していくのか。
それを思い出す過程は十人十色で、その過程の中には『輪廻』もあり『因果』もあり、
でも結局高い視点から見ればみな『そこ』に向かっていて・・・。
その実験を企画したのも自分で、体験しているのも自分で。つまりは壮大な自演であるわけで・・・。
まあ妄想です。
214 :
夢見る名無しさん:2010/02/09(火) 23:28:17 0
>>120 そうですね。
思考は劣等感や憎悪や嫉妬という無意識の癖に志向され易いとしても人間の持つ思考能力そのものが嫌われる理由などないでしょう。
という風な事をかきましたが、これは日本人の一般的な感想ではないかと考えます。
辞書に思考についてこうありました。
1 考えること。経験や知識をもとにあれこれと頭を働かせること。「―を巡らす」「―力が鈍る」
2 哲学で、広義には、人間の知的精神作用の総称。狭義には、感覚や表象の内容を概念化し、判断し、推理する知性の働きをいう。
3 心理学で、感覚や表象の内容を概念化し、判断し、推理する心の働きや機能をいう。
J・クリシュナムルティは思考と恐怖心の解明に貢献されています。
けれど思うのです。自己犠牲という言葉も私たちには取ってつけたように感じるのは正直な感想だと思い、
私は翻訳の問題かもしれないと言いました。
私たちは例えば 間 和 という言葉を取ってつけたように感じないとすればそこに何かあると思っても良いでしょう。
>>215お!ありがとうございます!!
>>172これなんだけど、世界の最後それを神様的な存在が下すとして
この場合死ぬことは必ずしも悪い事、もしくは排除された事にはならないんじゃないかと思いました
人間が考えれば分からない事なだけかもしれない、実際神様的には救いだったりするかもしれない
そうせざるを得なかったのかもしれない、人間には知れない大きい事だったするのかな?って思いました
明日自分が死ぬとしても、次の瞬間死ぬにしても、どうって事は無いんだと思います
ただ死ぬだけ、それだけだと思うんです、我々が永遠の存在であれば扉を開いて閉じるようなことだと思うし
永遠で無いとしても、結局皆死にます、死なない生き物は居ないんじゃないかと思うんです
死に対しての恐れ、不安、そういったものは自身の未練、執着そういった事からだと思います
私にも家族があります、私が死ねば悲しむでしょう、だけど私が死ぬのと悲しむのは
別問題だと思います、世界は自由だと思うんです、個人個人の世界がそこにあって
個人個人の常識がそこにある、私が死ぬのも蚊が死ぬのも差して変わらないものだと思うんです
217 :
夢見る名無しさん:2010/02/09(火) 23:57:28 0
間道か魔道かとも申しましたが、間や和は稚拙な言葉ではなく深く豊かです。
日本人的感性においては、思考と言う言葉も自由に使い、なるべく広義に使おうではありませんか。
そして面白い事に辞書ではやはり思考と言う言葉はそれほど安っぽい意味を指していないことがわかります。
知識もそうだと思います。
私は学問も知識も記憶力もないのですが、(謙遜でなく本当です)
逃げを肯定するために思考や知識を攻撃しているのならばその貧しさにクリシュナムルティも苦笑されるのではないかと思うのです。
そしてもっとすごい言葉を知っている。
私たちは 間や和を知っていると。
眠れないので、愛について考えた事を書きます。
愛って言うのは感情の根本だと思います、怒り、憎しみ、喜び、愛
この根本の愛と一般的な愛は別物だと思います、一般的な愛は
執着心に寄った愛であると思います、また根本の愛は何処にも寄らない普遍的なものだと思います
とすれば、人の根本は善となります、人は愛があるから罪を犯してしまうのかも知れません
それと、上に隣人を愛す、といった事がありましたが、これは一般的な愛ではなく
根本的な愛の方で在ると思います、根本的な愛は平坦だと思うんです
平坦だから無理なく敷ける、無理なく敷ければ広く行き渡る、そしてそこに自身としての主観はありません
根本的な愛は光に似ていると思います、パーって感じで広がっていきます、愛そうとせずに愛せます
無理が無い、ココが良いんだと思います、もしくは本質的に人間は愛だから無理が無いのかもしれません
善を行おうと思って行った善と、善と思わず行った善、本質を表すのは後者であると思います
こんな感じで考えてみた事があったので書きました。
>>218に付け加えします
根本にある愛を表面化、基本にするためには負の感情に埒を明ける事が必要だと思います
例えば怒り、怒りを感じたときに後でいいので振り返って見てください、何に対して怒りを感じたか
その時の自分、相手の反応、そういった事を振り返って見て、自分を理解してあげてください
そして肯定してあげて下さい、怒りを感じて良かったでは無く、怒りを感じた事によって得た物を肯定してあげて下さい
それと同時に怒りを感じた事に対する自分の概念、価値観の押し付け、そういった面も合わせて考えて見てください
これは怒りだけでなく、さまざまな場面でそういった照らし合わせをしていく必要があると思います
そして、一つ埒が明いたら自分を愛してあげてください、自分を愛せない人が他を愛せるとは思えないのです
自分で自分を切り刻むような苦痛に合う時もあるかも知れません、その時は休んでいいんです、無理はしない
苦痛に合う時に乗り越えたいと思ったとき、その時は愛して下さい自分自身を深く愛してください
それでも駄目な時はすぐに休んでください、途中で投げ出していいです、また後で拾えば良いだけのことです
私には大きい事は分かりません、なので自分の経験と方法をチョコチョコ書いていこうと思います
もしかしたら何かの役に立つかもしれない、分かって貰おうと思わずに諦めない事に決めました。
>>219御免ね最後、このスレには優しい人多そうだから一応書き足しておきます
分かって貰おうと思わないと書きましたが、私のことを分かろうとしないでください
私の事より自分の事を分かってあげてください、私の考えが間違っているかもしれないし
曲がっている可能性もあります、間違っているのなら正して欲しいと思うんです
私は一人で考えて来ました、だけど此処には沢山の素晴らしい方々がおられる
こんな機会はめったにないと思うんです、なので分かって上げようとする優しい方は
私のことは分からないで放置しておいてください、それは私にとっても嬉しい事です
他人の行動・思考を制御、コントロールし、
自分だけの(自分たちだけの)居心地のいい場所を作りたい。
誰でも「無意識に」そう思う。
ただ、世の中にある争いは身近なことでもマクロな視点でそういうことから始まるんじゃないかな。
つまり、そこから苦しみが生まれるといえる。鴨
独り言です。
愛と言う物を感情的に見ないで、
エネルギーとして見たとき、
これはアメーバのように触手を伸ばしていくようなもので、
他の触手を伸ばしたアメーバとつながっていくだろう。
それは、どんどん四方八方につながっていくから、とても安定してくるね。
一方、愛ではないものは、拒絶、否定、憎しみ悲しみetc。。。。
これらは、アメーバが手を伸ばさない状態。
或は、あるグループのみでつながっている状態。
これは愛でつながった大きな「愛のアメーバ」の中にいるけど、
繋がっていなから非常に安定していないので、
周りの「愛のアメーバ」にぶつかりまくり、傷つけ、その拍子に吸収することもある。
しかし、「愛のアメーバ」は互いに手を伸ばし、くっつくからどんどんおおきくなる存在だから、
いずれは「愛でないアメーバ」もそこに吸収させる。のかな。
何が言いたいかというと、
漠然とした物を明確にすることで、
それをツールとして使い、よい世の中をつくることに
参加しやすくなる。
>>218-220 あなたも手を伸ばしてつながっていけばいいんだよ!そこに愛があるんだから。
(これは自分への手紙です。失礼しましたw)
気付き、大いなる存在を根底に置いた自分、現実社会、肉体に重きをおいた自分
どちらも大切だと思います、今此処は精神世界では無いし
かといって物質だけというのも違う気がします、どちらも大切にし、深め、愛して、過ごす
どちらかに傾く、偏るそういった事は、多分いろんなものを見失ってしまうと思います
あと暇なときに思考を手放して、素直になってみる、というのも面白いと思います
自分は本来、こんなにも色々な事を感じ過ごしているんだなーって感じると思います
それと、何もせずに何かをする、ってのも面白いです、そこには無理がない
とても素直で、調和が取れていると思います、無理があるとそこに主観や思い込みが入り易くなると思います
しかし、現実的には無理です、でも時々出来る事があるのでそこを振り返る際、何か気付きのようなものが
あったりするのかもしれません。 雨の日は働かない怠け者農家が言った所で真実味が無いですがw
225 :
夢見る名無しさん:2010/02/10(水) 15:02:27 0
想像性、創造性は特殊なことではありませんね。
私たちはだれもが能動的ですからその能動性を神霊的に調律できれば、自動で誰もが創造的です。
一人のわかりやすい役割として偉業を成し遂げた人物の陰には1000人のそれ以上の無数の目立たない偉業者がいます。
ですから固定観念の表面に現れる「何をなしたか」が創造的人物の特徴ではないですね。
一人の偉業者を讃えるのはその為です。
>>222エネルギーという事ですが、確かにエネルギー的なものかもしれない
怒り、悲しみ、喜びそういったエネルギー、それを物理的に肉体で表すと
感情になるのかもしれないと思いました、だとするとやはり
そういった精神的、霊的なものと肉体は連動しているのだと思いました
感情、思考、霊、肉体。大きな括りではすべてエネルギーだと私は思うんですが、
怒りや悲しみ喜びetc..そういったものの性質をマクロな視点で見た場合ということです。
例えば海を上空高くから見た場合と、(極端にいえば)海水を顕微鏡で見た場合、
まったく違いますけど、同じ海の水だと言うことです。
説明になってないかもしれませんが。
>>224 大変そうですね、農家のお仕事。確かにこの世での嬉しさ、あの世を見据えた嬉しさ、
どちらも大切だろうなと思います。ですが、此処は精神世界では無いと言ってしまうより、
むしろ現在、意識して感じてる思いや何気なく通り過ぎる日常のありようがそのまま、
人が持つ精神世界の手強さだと言う事も出来ると思います。
お子さんを学校に行かせる必要性と言葉が存在している事への疑問。
一週間のスケジュールの把握と計画自体を発生させる時間と言うものへの疑問。
全てじゃないかもしれないですが、この世で生きていく為に必要だと思える事が
あの世の視点で想像した場合、姿を消す。面白いです。
生まれたばかりの赤ちゃんは植え付けられた印象を持っていない。
見るもの全ての形がはじめての形、触るもの全てがはじめての触感、
出会う人全てが、美しい人でも醜い人でもない人。
その赤ちゃんが成長し、ある時一輪の花を見たとする。
彼女はその花を見て「美しい」と思う。
誰に教えられた訳でもないのに。
「美しさ」は彼女の心の中にずっとあった。
いつから?きっと、生まれるずっと前から。
もっとみんなで遊ぼう、遊びとして何かやってると
驚くほどの効率、速さ、楽しさで事が終わる事があります
もっともっとみんなで遊べばもっともっと向上できると思うんです
知ること、考えること、分かること、とても楽しい遊びだと思うんです
そうだね、全ては遊びだ。
真剣な、神聖な遊びだ。
結局僕ら、『何が』生きてるのか『何故』生きてるのか、ちんぷんかんぷん。
もっと遊ぼう。
これは宇宙的かくれんぼ。
こっそりと隠れているもう一人の自分を探そう。
大丈夫、まだ夕暮れにはもう少し時間があるみたいだ。
探して、探して、探して、探して、
探してももう一人の自分はどこにもいない。
おかしいな、と思ってふと後ろを振り返る。
すると、どうだ。
もう一人の自分は、自分の背中に寄り添って、くっついていたのだ!
しかも、そいつの顔は、のっぺらぼうだった!
>>227なるほど、肉体の元、一番小さい所がエネルギー的なものであるとして
肉体を形成する一番小さい存在、それが振動?していると思うんです
私の思いなので見当はずれな事を書くと思いますが、私には分からないので思いとして
宇宙、またはこの瞬間という全ての元、一番小さいところ、それは普遍的な物で
場所、位置そういった所の振動?の変化で星があり、肉体があり、感情もあり
突拍子も無い事ですがw私なりの考えもありまして
一番大きく見た視点、一番小さく見た視点、これは同じなんじゃないかと思うんです
大きく見れば神、愛、ソレ、といったようになります、なので今は神とします凄そうに聞こえるので
我々は神の体の一部なのではないかと思うんです、感情、肉体、星、宇宙、空、海、全部
だとすれば皆同じ、大きく見ても小さく見ても同じ存在といえると思います、だけど違うんです
例えば神の髪の毛と足の指、目と口、そういう感じで全て別々であると思います
分かりにくくて申し訳ない、一番高い所、一番低いところとすれば分かり易いかもですが
一番高い所なんて無いんです、低いところも無い、だとすればそれらは同じであるのではないか?といった具合です
>>235ですが結局
>>227さんと同じこと書いてしまったようです
御免なさい、反省がてらヨエコ聞いてくる!!
いいえ、なんとなく同じでよかったです。
うまく言えませんが「違うこうなんだよ、もう!」ってゆうのはありますよね、どうしても笑
上で言いたかったのは、手ををつなぎましょうということでした。
そのことに今自分で気づきました。
そしてあなたとの手と繋がったようで嬉しいです。
>>234 かごめの唄の最後の一節もそういう事を言っているかのように思えるよ。
後ろの正面だあれと。。一歩引いたところから自分の事を第三者的に見ると、
あれ、自分なんて人は居なかった。
酒に馴れれば、酒を好きなのが自分だと思い、
誰かを憎めば、それが自分と言う位置になる。
点が二つ、その真中の少し下に点が一つ、
更にその下に線があれば、顔に見まちがえる。
人が今まで見た視界から連想させてしまう不思議。
明日を案じると自分になり、今の宇宙に委ねるとその姿は隠れる。
一瞬から万年まで包括する今に在っても、肉体を延ばす天秤にかかれば、
また労働者の日々が現れる。
労働を労働とせず遊びのように楽しむ。
一瞬と万年を含む今の内に自分が溶け込んでゆく。
243 :
夢見る名無しさん:2010/02/11(木) 08:24:22 0
サタンは狡猾です。
肉体を持ち原罪があるとしてもお前は罪人だと知れ、といって罪人の内に閉じ込めようとするのがサタンの誘惑です。
悪意に満ちた行為が実際にこの世にあるということを客観的に知る能力と、どのような悪意にも自己と境目のない感情移入ができるかは別です。
個人で違います。個人でも変容していきます。体主から霊主へ。
>>79さんを見て下さい。
感情の一致も驚くほど変容します。可能性。
みんなそうでしょう。舞台を見てもそうでしょう。
わざと怒らすようなくだらないためしをして、ほらほら怒った怒ったと卑猥な言葉を使い、
許容できない悟りのない人だと言われたら
心は乱されないで見境のない乱発射しないで、冷静にここはの時は思いっきり見分けの一喝致しましょう。
どこかのネットで遭遇したならば顔は笑って、怒りましょう。
そのような怒りは議論や口論ではありません。戦争でもありません。
普通のことです。怒りも霊主で用いましょう。
サタンは巧妙に心を育てないように無気力に導いていることにきづかなければならないでしょう。
決して虚無に導かれてはなりません。虚無の霊は魔道にエネルギー奉仕させます。
簡単なつまらぬ事柄まで勧善懲悪云々と心理抑圧するサタンの都合の良い言葉に利用されてはなりません。
悪霊よ立ち去れとキリストもおっしゃいます。
そのことが愛と矛盾していないことにきづきましょう。
ふとどきもののもののけには、心優しいみんなを守る神成りおやじは必要です。
乙女は一輪の華をさし出し神成りを支えましょう。
質の転換・・・使う鎧兜、剣は保身ではなく美です。意識を研ぎ澄ますものです。
ありゃりゃ。あなたがサタン(表すもの)を呼び込むことになるのではないかな。
ちょっと精神寄りで書いて見ます、もっと曖昧になるけど御免ね
風が吹いているのか、シーツが動いているのか、山が動いているのか、私が動いているのか
それは前提、それは原則、それは根本、それは存在
それは愛、それは意思、それは最大、それは最小
それは光、それは合掌、それは元の気、それは善
ちょっと気付きという点での、言葉に出来ない部分の輪郭的な感じを書いて見たんですが
どうでしょう?違うゼ!おかしいゼ!って所があれば教えてください
この言葉に出来ない部分、皆さんもだと思うけど言葉に出来ないと思うんです
ここをサクッっとそれぞれが感じ、理解出来るようになれば、ツールとして役立つかな?なんて思いました
246 :
夢見る名無しさん:2010/02/11(木) 11:53:09 0
>>243 方向は自我を強めるとオモ。
推奨は自分を持たせるとオモ。
展望や希望は、絶望の後姿。
ある意味では、何も動いてない。が、全てが動いている。
今雨見てて思ったんだけど、雨って自分がどう在ろうとか
どうしようとか、どう在らねばならないとかそういったのは無いと思うんだ
もちろん山も木も葉も川も石も、自分は何である、どういう風な物であるって事は
思ってない、だから自然、自然だから自由自在、ほっときゃ勝手に収まる所に収まる
人間だってそうなんじゃないかな?自然になれば収まる所に収まるんじゃないかな?
すでに自然なのに自分を縛ってるんだ、こうでなければならない!これはこうだ!人間はドMだな
信じてるもの、大事なもの、そんなもん無い、気付きも無い、世界には何にも無い、宇宙も無い
気付きだ金だ神だ知識だ何だって、そんな物無い、世界も無い何にも無い何処にも無い
全てが在るだけたったそれだけだと思うんです、ただ在る、在るだけ
寄らなきゃ分からないこともあると思う、ただ定期的に自分の立ち位置を確認した方がいいと思う
真ん中じゃなきゃ分からないこともある、これだって立ち位置の確認が大事だと思う
せっかく自分がいて他人がいるのにもったいない、世界は楽しい美しいわーいわーい
ちょっと俺書きすぎなので自粛しようと思います、いっぱい書いてごめんなさい。
風が吹き、桜の花びらが舞う。
その時動いているのは、心。
だがその動いている心を観ている「私」は、全く動いてない。
>>248 書きすぎとか気にしなくていいと思うよ。
ここは長文歓迎のスレなんだから。
御免、もう一個書きたいことあったの忘れてたw判断について考えたこと書いて見ます
人間って無意識に判断していると思うんです、良い悪いとかいろいろ
その事、起こった事については其れでしかないと思うんです
見方によって良くもなり悪くもなり、世界中が正義の戦争しているようなもんだと思います
出来事に関しての判断は意味が無いと思います、出来事は出来事ですから其れでしかないのです
だから其れに対処すればいいだけ、良いか悪いかなんてどうだっていいことだと思うんです
あと目を瞑って心を真ん中に置いて、考えを野放しにして寄れば切って
こういうのもいいと思うんです、ニュータイプ的な閃き?といいましょか
これは歩きながらでも、空を見ながらでも、寝ながらでも良いと思います
こういった閃き?も大事だったりするのかな?って思ったので書きました。
>>250そうかな?そうします、ウザくなったら叩かれるだろうし
それまでは書いて見ます、ありがとう!カーペンターズ聞いてくる!!
>>251 書きたい時は書けばいいんだよ。
抑え込んでいたものを全部解放するんだっちゃ。
>>253解放しました、試しに全裸で書いて見る
気付きとかそういった存在を追ってると、普通じゃない経験をしちゃったりすると思うんです
パーってなったり、こみ上げるような感覚だったり、声が聞こえたりするのかもしれない、でもそれに酔っちゃいけない
それは不思議なことでも何でもない、たとえ奇跡を経験したとして、不思議体験をしたとして、それはどうだっていいこと
思い出くらいにはなりますが、特殊な体験をしたとして今の自分が変わるわけじゃない、特別な存在になるわけじゃない
価値観の変化、視点の変化そういった変化はあると思いますが、そんなの今に始まったことじゃないと思います
5歳の自分と27歳の自分では全然違う、初めて異性を感じたのがラムちゃんだったけど今はホロが好きなように
何が言いたいかっていうと寒い!!ってこと
全裸で書いてみる・・・って面白いな
俺も今度やってみるか
唐突だけれど、
人間の脳は一般的に3%くらいしか使ってないって言われてる。
(これには、温暖化と同様に科学的根拠は無くて、1%かもしれないし0.1%かもしれない。
何れにしてもチョビットしか使っていない)
だとすると、それは神とか宇宙とかと同様に、未知の世界と言えるね。
どれも認識できない世界だからごっちゃになりやすいかもしれない。
つまり、不思議なこと=神的・宇宙的なこと
ではなくて、不思議なこと=神的・宇宙的なこと or 脳の機能
と言う事ができる。鴨
脳は物理的な領域から出ないからなぁ。
それでも不思議過ぎる物体だっていうのは変わらんけど。
考え方を変えて見ても面白いかも、脳、手、胃とか分けずに
全部で一つとして、人間も不思議物体だなーって思った
そしたら心臓に記憶とか残っても不思議じゃなくなったりして
そしたら人間って神的、宇宙的になる夢広がりまくりw
実際、心臓の移植で前の人(ドナー?)の趣味嗜好が移ったという例はあるよね。
明確な記憶とまでは言わないけど、なんらかの情報は細胞のどこかにに刷り込まれてるんじゃないかな。
そうだ!そういった考え方、思考、思いそういった事について思ったこと
自分が知ってる世界、其れが個人個人の世界、って事は知らない事は無い事になってると思うんです
でも知らないだけで其れは在る、そんな感じで思ったんです、私が思うのは受け入れること、肯定する事
地底人がいる、恐竜が生きている、ufoに乗った、とか
こういった事を「そうなのかもしれない」と思うようにしています、分からなければ分からないで良いと思うんです
でも全力で釣られるわけにもいかない、だから「そうなのかもしれない」と思うようにしています
気付き、という点でその大きな存在は普遍的で、全て内包していると思うんです、其れは全ての肯定、受け入れだと思います
なので、自分が考える際、知る際、全て肯定から入ろうと思っているんです、その上で考える
それは知識や物だけで無く、それぞれの感情、価値観、そういったものも含めてです
ある人には貴重な宝石も、ある人にはただの石、こういった双方の価値観、それはその人のその人たりうる理由です
いきなり否定から入っては学びも無い、肯定し双方学びあえば、宝石でもなく石でもない
二人にとって綺麗な石になるんじゃないか?なんて思いました。
でも記憶が格納されていると言う脳って不思議だよね。
仮に霊が居るとして、霊は自身の記憶を暫く引っ張る。
この世に置いてゆく家族との記憶とか、仕事の記憶とか。
霊になった場合の記憶って何処にあるんだろう、と考えると、
必ずしも脳だけに記憶がある訳じゃないよね。そこで考えられるのが、
エーテルとかアストラル。それらの肉体に近い膜のようなものに個人的な
記憶が染み込んでいるんじゃないと想像したりする。
に
そうだねそう考えるのが自然だね。
そうすると脳はPCで言うRAMメモリみたいなもんかなあ。
物質世界で作業する為の。
でHDは別にあると。
個人的には脳は記憶領域ではなく、記憶のある領域に接続するための仲介を果たしているんじゃないかと考えてる。
そもそも、情報そのものは物質としての形状も重さも無いんだから、物質である脳で保持する事自体無理がある気がする。
科学はあくまで客観的な観測に過ぎない。
自分の内側が一番よく観えるのは主観を持つ自分以外に無いのではないかな。
例えば、嘘発券機は「嘘の発想」を見抜くのでは無く、発汗や心拍数という客観的な観点から判定する。
最近のはもっと高度になってるだろうけど、心をストレートに読み取る技術は無いと思われる。
そうだね。おれは半々だと思うな。
脳は記憶だけじゃなく、感覚・感触(5感か)を処理することが多いから、
その処理に物質世界用に変換された記憶が使われる。
まあ生命維持用だね。
脳は精神活動を物理的に表現するデバイス。
思考自体は精神がしており、脳はしていない。
だから精神(非物質)と肉体(物質)という全く異なる性質を持つ存在が何故か繋がっている、
というのが謎。
そういうあなたがたは苫米地センセのご本をお読みなさいw 賛否両論の人だけどw
>>267これはいけない、火種になる可能性がある、
良い本であるのかもしれない、でもそれをどういう意図で薦めるのか、
どういうふうに良いのか、あなたの言葉が知りたかった、
これではあなたの愛を感じられない。
一人一人の記憶って俗に言うアカシックレコードだといえるよね。
もし、未来と言うものが、過去の記憶からそれぞれが判断を促す事により、
生成されてゆくとするなら、一人一人の記憶が一人一人の未来と形作るともいえる。
それら、みんなの記憶や未来への夢を自分の心のように眺めてる意識ってどんなだろう。
色んな人の気持ちに追体験のように入ってゆけるのかな。もし、そんな広大な意識があるなら、
まちがいなく神様と言える。でも裏を返せば、一人一人の意識の集まりが神様と言える。
それってユングの集合的無意識みたいだね。
つまり、未来は過去がある為、発生するとも言える。
もし、美しい風景、感動的な出来事、希少価値の高いものという
思いが心の中に既成事実として無ければ、更にもっといいものを見たい、
または、手にしたいという欲求が膨らむ事も無いのかもしれない。
272 :
夢見る名無しさん:2010/02/12(金) 02:00:03 0
>>246 少し詳しくお聞きしたいのですが、それぞれのアセンションイメージがあるのは良いと思うのですが、
アセンションは方向性があるものだと思うのです。
もし少しでも伝える事が可能でしたら方向性を持たないアセンションイメージを教えて頂きたいかなと。
>268ちゃんと理由も書いていませんでした、申し訳ない、
読みなさい、と書かれていますが、これは他への強制ともとれます
他意はなくとも判断するのは別の人間である事から、
良くも悪くも取れる文章といえます、だからあなたの言葉が欲しかったのです、
私の書き込みで気分を害されたのなら、大変申し訳ないことです
>>272 起きてて良かった。恐らくですが、真理には時間、形、位置、場所がありません。
つまり過去から未来への比較、見た目の比較、ステータスの比較等がありません。
でも人間はそれらを求めてしまいます。
私もまだ自分の中に生きる分だけ方向が僅かでも発生してしまいますが、
端的に言い表すなら「自分」を滅する事かなと思います。
自分を意識してしまうから妬みを覚え、希望を持続しようとするから感情が落ちる。
基本は赤ちゃんマインドだと思います。
赤ちゃんには比較して優劣をつける自分が居ません。
赤ちゃんの前ではどんな人も差別の無い人。神様に一番近いマインドだと思います。
芥川龍之介は亡くなる前、誰が怒っててもどんな光景を見ても
目に映る全てのものが、美しく見えたらしいです。
自分を無くす話をして自分の感想を言うのも何ですがブッダがいいと思います。
あとクリシュナムルティの「生と出会う」は好きです。
ブッダ関連の本は「ブッダの心理実践学」が個人的に共感を覚えました。
スレチになりましたが本の紹介ですみません。参考まで。
275 :
夢見る名無しさん:2010/02/12(金) 02:30:53 0
善悪という言葉は嫌われやすいですね。
善悪といってしまうと大きすぎてわかり難いのですが具体で細分化し対象に位置するような物事を統合させるというのは鍵になるのでしょう。
ここで語られている気付きというのは気付かない状態があると誰もが何故か気付いています。
嬉しく楽しい心でいられることを互いに願っています。赤ん坊の笑顔は素晴らしい。
万人それぞれの正義が喧嘩し合うのではなく本当は不義が一方にでもあれば喧嘩となります。誤解は誤解なので時間をかければ解けます。
本当に正義同士なら気付きに向き合い美に昇華され和になるはずですが、両者そろって同じ態度のやはりそういった方向に向き合っていないと成り立ちませんね。
自分にも嘘をつき正義という言葉を欲に利用してしまい言葉を虚しくするような実際の戦争もあります。
正義は正義の他に意味などないはずですが一つの物に一つの言葉に例えば二種類使われるのは
正義という言葉の責任ではないのでしょう。それを使う人間がおおまかには二種類いるから生じてくるのでしょう。
>>272 すいません。
「ブッダの実践心理学」の間違いでした。たくさん巻は出てますが私が一番共感したのは
5巻の神々についての記述でした。人が感じ取ってしまう幻影としての
神々の像について上手く表現されていたので。
クリシュナムルティの「生と出会う」は愛についての記述の部分が素晴らしかったです。
真我に至ってる人はこのような言動をするのかと感じました。
人から借りてまだ買ってないので今度買ったら、その中の一節を
ここに貼り付けたいと思います。
>>272私は246さんではないのですが、246さんが感じたのは何々しましょう、とか
そういった事かと思います、少なからず強制しているとも取れる言葉です、
アセンションの方向性については私にはまったく分かりません
余計なお世話で御免なさい、ただ言葉というのはとても難しいと思います。
278 :
夢見る名無しさん:2010/02/12(金) 03:43:20 0
神々の像、楽しみに待っております。
例えば全ては一つと外部者がいないところで一人神秘体験できましても関係性で成り立つ
肉体三次元社会ではと、実際いろいろと難しいですね。
善悪はないが主流のように現在なっているのですが、善悪という言葉も感覚的に嫌う事は簡単な訳ですが実際はどうかなと。
対極に位置するような言葉ももう一度見直す作業を目を逸らせず
していかなければならないと私は考えています。
他にも起こっているある程度の事実が見えませんと現実に即したものになっていかないかなと。
きっと逆に全てはひとつや統合を目指すのであればと思うのです。
>>274の先のコメントはほぼ同時で目を通さないまま
>>275を書きました。
偶然赤ちゃんの事を同時に書いていたのだなと思いました^^
お返事参考にさせていただきます。ありがとうございました。
>>277 そうでしたか、私はそういう強制のつもりはありませんでした。
基本独り言スレでもありますから言葉のリズムのようなものでした。
267さんの読みなさい、もそれが特定の方に向かっての会話ではありませんので強制には感じませんでした。
少し照れておられるような感じが致しました。
仰ることを参考にさせていただきます。ありがとうございました。
280 :
夢見る名無しさん:2010/02/12(金) 10:21:16 0
インドの歴史、気候、資源、風土、生活、食べていく為の仕事
イギリスの歴史、気候、資源、風土、生活、食べなければ生きられない現実
日本の歴史、気候、資源、風土、生活、家族を養い何があっても逃げられない現実
社長、上司、中間管理職は部下に気にいられる事が仕事ならどれほど楽だろう
281 :
夢見る名無しさん:2010/02/12(金) 10:31:05 0
■概要
「気付き」を全体で共有し、よりたくさんの「気付き」を得る事に特化したスレです。
議論や口論に時間を浪費したくない方、歓迎します。
自分の言葉・思念を深く読んで欲しいという方、歓迎します。
■ルール
・長文は歓迎です。
・「間違ってるかもしれない」と思っても、できるだけ書いてください。(※1)
・一切の「議論・口論」を禁じます。(※2)
・一切の「雑談・慣れ合い」を禁じます。
・魅かれた言葉があれば自分の中に取り入れていってください。(※3)
・「荒らし」も受け入れ、荒らしの言葉にさえも気付きを観とめてください。(※4)
・「疑問」を投げかける事は良いです。(※5)
・既成概念・常識をとことん破壊してください。
※以上の点をご理解いただけた方のみのご参加でお願いします。
※当スレは「アセンションは既に始まっている」スレより派生しました。
〜しなければならない事もないよね。飢えるのを待てばいい。
養う事も結婚しなければいいよね。人を見初めなきゃいいよね。
結局は〜しなければならかったのではなく、自分がそうしたかったんでしょ。
最初の決断をする時点でそういう目標を設定しただけだよね。
まるで体を動かす事がしたいとその仕事を選んだ人が
体の負担が半端ないと嘆いてるようなもの。
まるでアイドルに憧れた人が私生活が無いと嘆いてるようなもの。
自分でそうしたかったんでしょ。現実主義者がいつまでも悟れない点。
極論としては全部嫌なら止めればいい。
283 :
夢見る名無しさん:2010/02/12(金) 10:58:09 0
神様ならできるよね。
私たちは人間。
赤ちゃんが面倒みてもらえず死にました。
虐待され死にました。
戦火の中で子供たちが飢え、死にます。
自分がそうしたかったの。
>>283 いやいや、片方しか受け取ってないよ、またなずなかい。
感情を刺激されると女性面がまだ前面に出てきてしまうね。
その可愛そうな子供さえ「助けたい」という願望を持つ者が助ける。
その者も人間だと思うよ。君は恐れを持ちすぎる。自分で自分の感情を
知らないうちに刺激しているんだ、そしてそれがあなたの心のパターンであり、癖。
文章中に「飢え」と言う言葉があるだけで過敏に反応してしまう。
胃袋としての「飢え」に向かって願う者だって居るよ。
でも、それは恐れじゃないし、心はいたって穏やかかもしれない。
いい加減、「やさしさ」と言うトラップを忘れよう。忘れる事なら方向じゃない。
あなたの中で人の世界はこうあって欲しい。でないと、さびしい、悲しいと言うのがあるんだろ。
>>280 最近、さとり世代と言う言葉が持て囃されてるね。
このスレで第一号の愚痴をこぼしてしまった「上司」や「社長」のはずの
あなたに伝言。
そんなものさえ棄てるんだと思います。もし、怖くなかったら
辞めてみたらどうでしょうか。生活をする手段を得る事は他でも見つかりますよね。
他にやりたい人は沢山居るだろうし、あなたが居なくても、
まとめてくれる人は必ず出て来ますし、新任者に不足があれば、
周りに叩かれ励まされ、しっかりしてゆくようになると思います。
余るものは初めから持たない。
でも、持つ人が居る。
余るものを必要だと思い続け、「重たい」と言いながらその荷物を運ぶ。
286 :
夢見る名無しさん:2010/02/12(金) 13:28:11 0
>>284 赤ちゃんが自分でそうしたかったの?と言っているのだと思いますが。
今思ったんだけど気付きって何も考えてない時のほうが多いと思う
やっぱり感覚的なことなのかな、今日朝から客観的に自分観察してたんだけど
普段って考えて行動してないって事に気付いた、朝ごはん作るときとかも
たまねぎ取りに行くときの た でもう終わってるんだ、深く考えるときも
焦点を絞って瞑想する感じだった事に気付いた、
考えてないときって結構考えてるんじゃないかな?
それともアカシックレコードっていうのから神社製脳PCにダウンロードしてんのかな?
ワイヤレスってすばらしい!
結果から言うと、その現実を引き起こす原因となるエネルギー(意識や思考)が生まれ
それが現実なったということです。
赤ちゃんや小さいこどもは、自立した意志や思考が出来るようになるまでは、
生存本能に即した感情が優位にある状態と言えます。
それらは、怖い、嬉しい、不快だ、というようなものです。
(親とのコミュニケーションもそういった少ない「信号」で行われますね)
上のような例は、親が持ってしまった(負の)エネルギーに対して、赤ちゃんや小さな子供は
「怖い」や「不快」というような感情をもって応じるわけです。
そのことで、それに則した現実が創られたというこになります。
。。しかし、こういったことや、現実が幻であることがわかっていても、
直面する現実に私たちの心が揺れるのは確かですね。
それなければ、人間として生きていることに意味はありませんし、それが人間と言えるでしょう。
輪廻転生があるとして、その赤ちゃんである魂が
最初からソレを望んで生まれたって事なのかな?
>>286 うん、そうだね。ちゃんと読み取ってるよ。そのニュアンスも。
あなたは赤ちゃんの心境がわかる?わからないよね。
可哀想な気持ちになってると想像してるだけだよね。
それと愛憎の中で死んでゆくより、下手に人間に成ってゆく前に
訳もわからないまま死ぬ方が霊としては余計なものをつけなくて済むと思う。
赤ちゃんにとってみれば何か外界で騒音と打撃が起こり、亡くなった後は居場所が変えられただけだろう。
それに心は必ずバランスが調整される。あなたが心配しなくとも
悲しい心境の魂にはその子の世界の中で天使が何万でも現れて傷が癒えるまで慰めを受ける。
それが幻だとしてもね。
>>283 私の心が氷と言う訳じゃないよ。私もよく知らないおじいちゃんにパンを買ってあげたり、
捨てられた猫にツナ缶をあげたりするけどね。一番安心してるのは相手ではなく、
自分じゃないかと思えるんだよね。ヒントになったかな?
それとこれだけは言いたい。あなたはまだ少し馬鹿だ。
神のことが抜けましたが、
神は望めば、幸せを与えてくれます。
逆に(望んでしまえば)不幸も与えます。
簡単に言うと、幸せになるには、自分の内面を見つめ、
不幸の元を取り除き、幸せの種をまくことです。
これが、理解できないと、自分に降り掛かる(ように見える)現実を、
他人やその場の責任にしてしまい、悪循環の輪を創りかねません。
まずは全て自分の責任と思うことが必要でしょう。
残念ながら神は、困った人、不幸な人をみつけ、助けるような存在ではありませんが、
助けてくれる存在は多くあります。私たちもそのひとつでありたいと思っています。
そして私たちも幸せになりたいと思っています。
292 :
夢見る名無しさん:2010/02/12(金) 14:42:31 0
恐らく自分がそうしたかったんでしょ。の話に対して赤ん坊がそうしたくて面倒見てもらえなかったり
戦争で飢えたり、殺されたりは子供や赤ちゃんがそうしたかったのか?
と聞いている。
大人がしていることに巻き込まれる立場のものもいる。
だったら「自分がそうしたかったんでしょ」は自分の世界だけでは自己責任をとり自律しているように見えるが
関係性の社会の中ではその言葉だけなら自己責任を取っていないことになる。
>君は恐れを持ちすぎる。自分で自分の感情を知らないうちに刺激しているんだ、そしてそれがあなたの心のパターンであり、癖。
だからこの話、コメした人の恐れとか関係ない話じゃないかな。
このスレの特徴を大事にできればいいね。
気付きとは愛であると考える、宇宙は愛で満ちている
愛は唯一普遍的であると考える、愛は相対的であると考える
人から一切の概念、感情、思考を取り払ったとき残るのは愛であると考える
この二つの愛は同一のものであると考える、そして現れるのは存在である
この存在こそが愛であると考える、それは光の如く存在すると考える
そしてこの愛は愛する事によってのみ得られるものであると考える
全てを受け入れ和す事こそが愛への道と考える。
>>292 私はスレの特徴を大事にしているよ。先の書き込みで絡んでくれたから返した。
これは、自分の中で生じる問答と同じもの。そしてコメした人の恐れと関係はあるョ。
例えば、戦争や事件等の規模や場所は関係ないだろうね。
国内で起こった何も関係の無い人が殺されたと言う事件でも
同じ事が言えると思う。確かに殺された人は殺されたかった訳じゃないだろう。
でもだ。ちょっと強調して書くね。収束する上では最終的に何の問題もない。
私が何を指していっているか解る?この世に人が生きるという事、それだけでもう自我。
この世に生きる事が常識でも一人前でも何でもない。ただの我。それを収束させる為に
何の問題もない。誰が亡くなっても、私がどんな死に方をしても、そこで誰が「悲しみ」と言う
個人が持つ「感情」の幻を覚えても、最終的には問題ない。
あなたはまだ普通の常識の中に居るから、
意味が解らないかもしれない。だから、あまり強くはいえない。
あなたは生と死を分けている。だから反応をする。
あなたは個人と言うものがあると思っている。だから可愛そうだと考えたり、
または、そう本人が望んだのか?と悩んだりする。
最終的には収束する。悲しみは無くなる。
悲しみを感じる自分は居なくなる、と言った方がいいかもしれない。
あまり、感情で反応しないで読んで欲しい。
最終的な答えを言う。この世から静かに人が足を洗う時、悲しみが無くなる。
喩えて言う。映画を見て涙ぐんだりするよりも、または怖い映像を見るよりも、
みんなが熟睡して、何も見なくなれば、その時が収束だと思っている。
これがどういう事を指してるのか、想像して欲しい。
あなたもこの世に生きる人だからあまり強く言えない。
書き方上手いな感心する、俺もそう思うんだけど
その人の死、他の感情、そういったものって別々だと思う
冷たいようだけど可愛そう、酷いとかそういった感情は他の感情で
その人の死とは別だと思う、なんていうか自主性?とでもいうのかな?
それは神が居たとしても手を出していい領域じゃないと思う
それは、その人の生なわけで、この自主性?が失われれば
神によって人間の愛の部分を操作して、何てことも許されてしまう
だけどそれは許されない、だから今があるんだと思います。
>>286,
>>292 私の中には何度もフラッシュバックする不思議な映像がある。
もしかしたら前の生の映像かもしれないし、私に憑いている霊の記憶かもしれない。
それは私視点で男性二人に殺される映像。その子は小学校1.2位の年齢で、知らない男性二人に誘拐された後、
山に連れて行かれ、山小屋のようなところで首を締められて死んだ。その瞬間まで「母さん」と叫んでいたと思う。
何で自分がこんなところに居るのか?と言う不安感と
殺される前なのかもしれないという漠然とした恐怖感。
私本人の事では無いかもしれませんが、私の中に湧き上がる感情は、
幸い、死ぬ瞬間の苦しみは覚えていない。それと男性二人の事も恨んでいない。
男性二人に対しては、きっと恵まれない人生だったのだろう、と言う思いだけ。
ただ、少し知らないところで助けを求めてた寂しさはまだ覚えている。
そして母の当時の悲しみも伝わってくる。でも傷は癒えてるよ。
私の事じゃないかもしれない。誰かの意識なのかもしれない。でも本人は
傷は癒えていると感じます。一応、参考までに。
ちなみに296は 282、284、294です。
妄想の域を越えないと云われそうですが、亡くなった人の意識として
実感に心当たりがあったので、感じている事をそのまま書きました。
もし、スレッドを揺らしてしまったようでしたら、すみません。
俺もあるわwwかなりキチガイじみたのが
ドーム型の家に住んでて俺が地球に行く!っていうんだけど
もう一人が危ない事だっていうんだwでも行く!つって俺死ぬんだけどw
大丈夫だ!精神科にはもう行った!!妄想だっていわれたw
スルーして下さい、頭おかしい事は理解しています
みんなブレーキかける必要無いよ。
書きたい事を書けばいいし、現実離れした妄想だろうとなんだろうといいんだよ。
精神世界はアクセル踏みっぱなしで一旦行ける所まで行って、ヤバいと実感したら戻ってこればいい。
まあ、ヤバいと気付かずに崖の下にまっさかさまなのに、まだアクセル踏み続ける人もいるかもだけど。
それはそれで個性的だ。
>>298 そこまで自嘲しなくても、普通に霊界の記憶や
生まれてくる前の記憶を持っている人は居るらしいよ。
そういうビジョンがあっても、パニくらないで、
普通に暮らす事は幾らでも可能だと思う。
301 :
なずな:2010/02/12(金) 17:33:52 0
>・「疑問」を投げかける事は良いです。(※5)
君だけが疑問を持つのではないですね。
他者の持った疑問には疑問で答えれば良いのではないでしょうか。
怖れの問題はこんな形で語ると自己矛盾おこすと思いますよ。
汗スレも最近人を間違えてられる人がいました。
しかも愚痴りながら^^;
私の方は、人違いがあればよくありませんのでその人が誰だとは言いませんが、
その人は、最後の言葉は私だと知らずにまたもや人違いして私に感謝の言葉を知らずに述べていたのでした。
「私はあなた」で誰であってもよいのですが、
あまりに
「そんなあほな^^;」ばかりされますと、私にとっては
>時間を浪費したくない方、歓迎します。
ではなくなりますので一考をお願い致します。
そういった意味も含めてここを大切にしたいと私は思っています。
>>299 ブレーキをかける必要はないと思いますが、え〜と同じ意味で現実との接点を考える人がいても良いと思います。
^^;それにこれもう精神世界というよりも話は別かと^^;
そういえば、いたね。ずぅっと前の書き込みで。
砂漠地帯に住んでいた記憶を持っている人。
松果体が開くと前世の記憶が戻る瞬間があるってのもどこかで見た事ある。
テレビでやっていたけど、船の事故により、20代で亡くなった女性が
当時、住んでた場所や息子の名前等の記憶を覚えていて、前世で生んだ
息子と対面を果たした、って言う話があったよ。息子さんがお爺ちゃんになっていて、
女性の方が30代〜40代くらいだった。前世の女性の写真から伝わる人柄と
現世での姿から受ける面影にとても似通ってるものがあって、印象的だった。
>>266 松果体がもしかしたらデバイス間を繋げる手掛かりかも。
>>301 あのの発言はあなたじゃないの?
絶対そうだと思ってたけど。失礼しました。固定観念でした。
sageで書かないのと、格式ばった言葉遣いを見るとつい本人かと。
失礼しました。m(_ _)m
なずなオーラって奴だな。
そんな事よりサメの話しようゼ、って冗談だけど
恐怖って、二個在ると思うんです、ブレーキ的な恐怖
自身の作り上げた恐怖、前者は生命の維持、後者は
虚空でもがく、そんな感じだと思いました、
あれが前世の記憶だったら俺宇宙人怖すぎw←これは後者。
こんな感じで思いました。
>>301 本当に申し訳ない。例の発言で最初の鋭敏なイメージは自分の思い込みで、実際は
メンヘラだったのかもしれないと思い始めていたが、それすらも思い込みだった。
本当に関西弁の人はそうなの?悪かった「さん」を外してしまったが、薺さんに戻すよ。
機嫌を直してくれ。俺は絶対、始まっているスレの書き込みは男だと思ってたんだが。。
「覚悟しておく事」は成就されたね。一杯食わされたよ。参った。
さて、無駄話はこのくらいで本流に戻すよ。スレ主さんにも悪かった。
エンジンかけ初めに薺さんに疑問を投げるよ。その後、俺は風呂に入って傍観モードに入る。
会話ラリー続けてるの、本当は面倒臭いんだよ。他の奴に振るか、拾わせるかしてくれ。
勝手だけどすまん。怠けさせてくれ。
薺さんに聞きたい。
今日のテーマになりつつあった「感情」についてはどう思ってる?
個が個で居てしまう為の感情とその苦しみから解放される観念についてはどう思う?
>>305 そんな事よりやっぱり宇宙人の話かぁ。ちょっとスレを揺らしたので、
責任を負って話をしてから風呂に行きます。自分はその件について、
ある程度、着地点を出してます。自分の考えは、
宇宙人=異星人 じゃなくて、
亡くなった人の霊が見る世界=宇宙に居る時のビジョン
(地球を眺めている映像や誰かと話している映像など)
なのではないかと思っています。
>>305 で、恐怖について2種類あると云う事ですが、自分としては
その2種類は1種類にまとまるイメージです。
恐怖の内に入るのは確かにそうだと思うのですが、人の記憶の名残が
宇宙でのビジョンだと思っています。幽界から脱した未練の続きとして。
誰かと会話したり、生活しているといった霊界と思われる風景は、
自分をまだ、持ち続けたいと云う気持ちの延長だと思っています。
そういう意味で、肉体を維持する為の恐怖と残像として浮かんでしまう
ビジョンは、一括り出来るような気がします。
たとえ、夢のような空間の中だったとしても、
自分の立ち位置が残ってる事には変わらないと思いますので。
スレを揺らしたいって、壮絶否定バトル?
そんならおもしろい。
新しい発見があるかもしれない。
ちゃうやろ。
「揺らしたい」じゃなくて、「揺らした」やろ。
揺れると創造が起こる。
戦争もたくさんの発明を生む。
スレを揺らしたのは正解だ。
その全てが幻影だ
そういえば電車が揺れたり、バスが揺れたりと
振動が起きた時って、人とぶつかってしまうよね。
でも、それがあった事でいつもは第一印象が邪魔して
話そうとしなかった人とも話せるようになる事ってある。
ハプニングも似てる。普段、素知らぬ顔を決め込んでいた近所の他人でも、
状況の詳細を確かめ合ったり、その人が笑った顔を初めて知ったり。
>人とぶつかってしまうよね
人はいない すべてはあなただ
まてよ、もしかしたら、事件や災害が起こるのは
全体としての人間の精神の状態と関係あるのかもよ。
人はいる、だがすべては神だ。
火と入る、だが術手は神だ。
一灰流、だが総て墓見だ。
>>315 同意。地球上のすべての出来事は人間の集合意識、集合無意識と密接に関わる。
つまり半ば人間が創造しているとも言える。と思う。
非と排る、だが統べて和歌弥陀。
ならば、2012年にみんなが人類滅亡をイメージすれば、人類は…滅亡する!
というわけだ。
チンコ・珍古(珍=珍しい)(古=原初)
マンコ・万古(万=たくさん)
「珍」と「万」が合一すると、たくさんの珍しいものが生まれる。
たくさんの珍しい人間が生まれた。
どれもこれも宇宙に一つだけの個性を持ってる。
なんて珍しい。
そして、そんな珍しいものがたくさんたくさんある。
見渡す限りのお花畑、そこに咲く華はどれ一つとして同じ形をしていない。
どれもこれも美しい。
原初の珍個と原初の万個が出会った瞬間、愛が生まれた。
二つのソレは、愛、会、逢、相、哀、間、合、ai、i、あい、した。
そして新しく、珍新と万新が生まれた。
珍神と万神でもいい。
マンコは即ち是れチンコなり
チンコは即ち是れマンコなり
色即是空色即是空
おそらく、意図的に何かをイメージするというのは意識のごく表面の一部ではないかと。
人類滅亡をイメージしている瞬間にも、無意識の領域では滅亡せずに、より繁栄するイメージを
持っているかもしれない。
>>322 いいですね。『珍即是万』 釈迦も本音はコレが言いたかったのだと改めて思った。
セックスはエックス。
X=交差する、中心に点を成す、新生
Y=合一する、中心に流を成す、変容
珍神、万神、珍万神、弥栄増しませ。
神とは「調和した全知全能無知無能の存在」である。
全=神
神kami
「神」…一番最初の存在、究極の意味と自由、点・天。
「紙」…創造の空間、無であり有、自由に思念を映し出す。
「髪」…無数の生と死が起こる、髪の毛は「個」であり「全」である。
「守」…「破壊が攻」なら「守は創造」、「分解が攻」なら「守は結合」(融合)
「上」…「点」の集まりを「面」と観る視野・観点、上から下へと流れる(上とは源泉)
「噛み」…上顎(天)と下顎(地)が合一して成naる、相反する属性が調和して生naる。
「火水」…男と女、天と地、陰陽、+−、美醜、上下、左右、善悪、
神sin
「芯」…心の軸(しなる軸)、自我の存在。
「信」…信は人の言、「人の言葉」、「人の言葉」の対極は「神の言葉」(「いろは」と「数」)
「森」…無数の生と死が起こる、木は「個」であり「全」。
「深」…途方も無く続き、目で追っても底が見えない、人は最深部に神を観る。
「新」…相反する属性が合一し、創造が成り新生する。
「審」…自分を絶対公平に裁けるのは己の心のみ。
「親」…「親」は「子」の始まり、「親の親」は「親」の始まり、「原初の親」は全てを支えている。
「申」…田(世、四)に苗(人)を植え、田の外に立つは主。
「清」…不純物(不要物)の無い様、「美」も「醜」も「全」の内。
「心」…個々露、此処露、茲露、「今」の在り様を露出する。(表現する、具現化する)
「真」…表裏一体で真と成る。見るのは目、観るのは眼。
「新」…創造を条件に新は生る、水を飲む事、石と石がぶつかる事、風が肌に触れる事、万象は創造。万物は被創造。
>>322このスレで爆笑するとは思わなかった、よし!
そろそろ元に戻そう、このままだとわけ分からなくなってしまう
文明はたくさんの「意味」を増やした。
「意味」は、声・音によって伝えられるようになった。
「意味」は、紙に書き留められ保管されるようになった。
「意味」は、音や映像まで記録されるようになった。
「意味」は、光の円盤に膨大な量を記録されるようになった。
「意味」は、「脳力」を使ったネットワークによって全世界でお互いの情報を共有できるようになった。
「意味」は、「能力」を使ったネットワークによって全世界でお互いの情報を共有できるようになった。
「意味」の均等な分配は「格差」を消滅させた。
「意味」の均等な分配は「戦争」を消滅させた。
「意味」の均等な分配は「性差」を消滅させた。
「意味」の均等な分配は「宗教」を消滅させた。
「意味」の均等な分配は「病気」を消滅させた。
「意味」の均等な分配は「虚実」を消滅させた。
「意味」の均等な分配は「独占」を消滅させた。
「意味」の均等な分配は「天敵」を融合させた。
「意味」は人類の最高の宝であり、天と地の宝であり、宇宙を増幅するエネルギーである。
地のピラミッドの底面は地に御座る。
天のピラミッドの底面は天に御座る。
地のピラミッドは先端が天を向く。
天のピラミッドは先端が地を向く。
地は先端に近いほど豊かになる。
天は先端に近いほど貧しくなる。
地の先端は天。
天の先端は地。
天
▼
-−地上−-
▲
地
意味の有無は、存在の有無。
存在が有るものは意味が有り。
存在が無いものは意味が無い。
我々は言葉によって「仮想の無」しか指し示す事はできない。
「無」そのものを指し示す事はできない。
そこには「無い」からだ。
無いものは見えない、観えない、聞こえない、聴こえない、触れない、差和れない。
無を知るには無に「成る」
無は外部から認識できない。
無だからだ。
意味と忌み。
「忌」は「己」の「心」と書く。
「意味」とは「己」の「心」に在る。
「意」の中に「忌」
固定概念を捨てた先に「忌」がある。
「意」を展開し、「忌」を読む。
予知とは未来の「意味」を読み知る事。
予知とは未来の「忌み」を黄泉知る事。
己の心が意味を生む。
未来の意味は己の心が生む。
今の意味は己の心が生む。
過去の意味は己の心が生む。
同じ記憶も己の心によって姿を変える。
自我が芽生える。
神zinの人zinという仁zinが地に蒔かれ芽生える。
人も草木も萌える。
蒔かれ萌える。
時が明らめる。
時が流れる。
世界が流れる。
流れで満ちる。
流れは混沌を作りだす。
混沌は爆発的な創造を生む。
無差別な協力、争乱、性交。
混沌をこの世に引き降ろす、祭りが復活する。
混沌をこの世に作りだす。
祭りは融合を助長する。
祭りを行う。
混沌の祭りを。
>無を知るには無に「成る」
これは論理的に考えると不可能なんだが。
無いものに成ることはできない。
無いものを知ることはできない。
人は産まれて起き上がり、死して寝る。
人は目覚めて起き上がり、伏して寝る。
世が反転すれば、外よりも内が広いと思い。
大富豪は
1と2は数字の中で例外的に強い。
3は最弱だが、一番最初に現れる。
11・12・13は貴族だ。
革命が起こると、
2は最弱になり、貴族も落ちぶれる。
革命は4つの要素が合一して成る。
合一して成る。
合成して新しい秩序が生る。
大富豪は革命を予感し、急いでカードを捨て始める。
大争乱が起こる。
それを静観するのはジョーカー(愚者)のみである。
>>332 成らねば分からない事を、見るて知る事はできず、聞いて知る事はできず。
論理は文字と数字という論理によって構築される。
真理は真理によって構築される。
見える答えは弁論によって導かれる。
観える答えは思考によって与えられる。
見えぬ、観えぬ答えは沈黙によって成る。
思ったんだけど、こういった無に成る、とかそういった事って
経験して見ないと分からないと思うんです、だからこういった事への
方向性っていうか方法みたいなものを書いたほうがいいのかな?
自分の経験しか書けないけど、頭で分かる人もいれば、瞑想とか
そういう分野で分かる人もいるのかな?自分の事しか分からないから
どうなんでしょう?難しいことは分からないのですが教えて下さい。
物質の鎖を断ち切るには、しっかりと睨みつけ「破壊」する。
思念の鎖を断ち切るには、眼を逸らし「忘却」する。
「忘却」はミを軽くする。
固定概念の破壊は、自由を創造する。
>>336 もう自分で答えを言ってる。
>経験して見ないと分からないと思うんです
経験して見ないと分からない事を、経験せずに分かろうとしている。
それぞれの示す「道」は「教」に非ず。
歩む事でしか分からない。
私の場合こういった書き込みは頭じゃなくて
腹で、へその下で見てる感じなんです、目で見て、腹で見る感じ
頭悪いから頭じゃ分からないのですが、腹ではわかるんです
上手く書けないくてごめんなさい。
「腹の虫が治まらない」とはよく言ったもの。
承知するのは頭ではなく、腹。
腹には「玉」が入っている。
珍古は一つでも、幾万の万古と創造ができる。
珍古二つでは創造はできない。
万古二つでも創造はできない。
珍古と万古で創造が成る。
「愛」が無ければ創造は起こらない。
「愛」でなくとも、合、会、間、でも創造は起こる。
そのどれもが「愛」につながる。
キーボードを叩く指とキーボードの間では無数の「合」が起こる。
瞬きをする度に「合」が起こる。
咀嚼する度に「合」が起こる。
歩く旅に、足の裏と地で「合」が起こる。
息をする度に、肺と空気で「合」が起こる。
何かを見る度に、心と対象で「合」が起こる。
珍古と万古は「会い」「愛」を生じ、「合」う。
死して、肉体は地と合い、精神は天と合う。
私は皆に分かるようにしたい、共有したいと思っています
腹に入るまでっていうのが結構きつかったので、それを少しでも減らせれば
と思っています、結局の所それぞれが経験するしかないんでしょうけど
少しでも分かり易く、易しく分かるように出来れば良いなと思っています
やはりそれはその人の・・・何といいしょうか、存在としての価値?といいましょうか
そういったものを削ぐ形になるのではと思い、足踏み状態なのですが
どういう風にお考えかお聞きしたく思います。
すいません変なこと聞いて、スルーして下さい。
>>343 無理に腹に入れる必要は無いかと。
思った通りに解釈すればいいでしょう。
私の文字はあなたの「道程」に現れた一枚の標識や看板に過ぎません。
無視する事も、空き缶を投げつける事もできます。
現れたサインをどのように解釈するかは各々に委ねられています。
その解釈する権利を他人に譲渡し、正解か不正解かを人に定めてもらう事を私は良しとしない。
あなたが「道」ではなく「教」を望む限り、私はあなたに教えられる事は何も無いのです。
御免なさい、書き方が悪かったようです
腹に入るまでっていうのは、気付いた時という意味です
レスしてくれたのに大変申し訳ない
気付きをソレとして書きます、気付くまでの道のり
ソレを見つけソレと合一するまでの道のり、それぞれの道のりを
簡単にするという事は・・・という事でしたが自己完結しました、御免なさい
変なこと書いて御免なさい。スルーして下さい
凹…女性
凸…男性
合一すると新しい「意味」が生まれる。
凹でもない凸でもない。
□が生まれる。
地球と月は恋をしている。
満月が近づくと、地球は活性化し、破壊と創造が起こる。
「魅力」とは心を引き寄せる。
「重力」とは物を引き寄せる。
「魅力」は選択的に生じる。
「重力」は強制的に生じる。
明確な定義は思考を狭め、レッドゾーンを作りだす。
定義の曖昧な言葉にはレッドゾーンが存在しない。
限界は無く、どこまでも逝ける。
どのようにでも姿を変える。
華はたくさんの花弁を持つ。
たくさんの「個」が華という「全」を構築する。
たくさんの「私」が私という「私」を構築する。
>>343 「どういう風にお考えか」というのは気付きについてでしょうか?
もう少し狭めて頂けると、お答えしやすいと思います。
はじめに万古あり、、そこからすべては始まった。
あ、すいませんレスして頂いて、結局のところ気付きというのは
言葉では明確に表せず、表してならずなので、道標として言葉を置く
といったことで自己完結しました、でも頭悪いので難しいことは書けないのです
書きたいことは山ほどあるけど、それを言葉に出来ずにモヤモヤしていました
私は私として、もうちょっと頑張ってみようかな?という結論です
迷惑掛けてすいません、それとありがとう
結局私が言えるのは、 在る としか言えないのです
全てが在りのままに在る、全て本当に全てがありのままそこに在る
としか言えない、何の矛盾も無く、ただ在る
こんな事しか書けない、もっと小さく分かり易く書きたいけど出来ない
無力さを痛感しました、御免なさい
いえ、なんとなく伝わります。
>>354言ってしまえば単体になるんです
神、気付き、愛、それになる、全体の単体?になる
それが在る、たったこれだけ、ただ在る、私はあなた
私は山、私は海、私は空、花一厘は宇宙です
こんな事しかかけないですが、ただ在るとしか言えない。
内からの声は「音」では無く「念」で伝わる。
文字と言葉で「念」を解き解し、降ろす。
自分の内から湧きあがるモノをせき止めていた「戸」を開くと、それはサラサラと流れ出す。
「戸」は「概念」と「疑念」という鎖で封じられている。
忘却すれば鎖は消え戸が開く。
>>352>>354 自由に書けばいいんですよ。
私も自由に書いているんですから。
難しいも簡単も無い、あなたの言うとおりただ「在る」んです。
ただ「在る」ものを「どのように在るのか」決めるのがあなたです。
理解を焦る必要も義務も無いです。
無理に短くする事もないよ。
コトバはある人にとって難解で、
ある人にとっては水のように自然に入る。
思うまま感じるまま、書いてよ。
ここはどんなに長くて読みたい人が拾う場所。
どんなに長くて読みたい人が拾う場所、ね
長くて<も>読みたい人が拾う場所、ね
きっと、餅突けばいいんだと思うよ、自分は。orz
>>356だから世界は何の矛盾も無く美しい
光り輝いています、本当に美しい、本当に楽しい
落ちてるゴミまで宇宙になる愛になる神になる
なるほどやっぱりソレは共通した事で
ソレに対する認識は各自大なり小なりちがっているんですね
勉強になりました
362 :
夢見る名無しさん:2010/02/13(土) 00:14:24 0
>>306 お元気でしょうか。お元気ですよね。(*^。^*)お返事ありがとうごさいます。
感情に溺れてしまいますと、他の色々な事がバランスよく働かなくなります。
それはどんな感情でも同じです。
感情に支配させると流れなくなる。
感情は暴走します。
暴走するものに溺れて自分を支配させると良くも悪くも偏ります。
切り替えがうまいというのは悲しみだけでなく喜びからも切り替えます。
なぜなら生きているのは瞬間瞬間ですから切り替えできていないと次の悲しみも喜びもやってこない。
自由を失います。
情緒豊かであるのは切り替え、手放しがうまく機能して次々と新生しているのです。そしてその情緒は生命力を躍動させます。
感情を抑えつけ、感情は持ってはいけないなどという勘違いをしてはもったいない事なのです。
感情を去勢させようとかにはまったく興味を持っていないのですよ。
〜ドブ鼠みたいに美しくなりたい〜
この一節はある種、内的宇宙だと思う。
>>362 餅突こうかなと思っていましたが、
返答する事で小さな凹みを忘れられそうで良かったです。
感情を去勢する、と言う風には私も思っていません。
無理にちょん切るのは、逆に感情の存在性を強めるだけかなと感じています。
無感情になる事は、無理ではないかとも思っています。
どこまでいっても、情感を感じるという「意識」自体は存在すると。
目の前に現れた猫を「感情の無いもの」にするつもりはありません。
これは、含みを少し持たせています。
その猫が、ごはんが欲しいと言っているように「私が勝手に聞いてしまったら」
その自然に従って、私と言う道具は、餌をアゲる遊びの中に放り込まれるだけです。
そこに私は居ません。でも私の感情は消えていません。でも私はその時消えます。
神の流れがあるだけです。猫の叫びと私の呼応。それが溶けて眺める私が居ます。
その時、私はさっきまでは人だった自分から
神様の流れに入ったように錯覚します。
猫と私、餌にムシャブリつく猫、私も猫ももう居ません。
そういう絵になった「生命」の流れがあるだけです。
私が実感出来ないだけ、心軽く、幸せです。
でも、思い違いはときどきあります。
道端の猫が餌に見向きもしないとき、
「私のエゴで優しくしてる自分を実感したい時」
だった事を痛感します。その時、私は流れに居ません。
傲慢さの中に居ると思います。
瀕死の猫を抱く新一と彼女。
死んだ…
ガサ・・ゴトン(猫の死骸をゴミ箱に捨てる新一
新一君、何を!?
「死んだ猫は猫じゃない、猫の形をした肉だ」
by寄生獣
>>365 カフカ的ですね。
「なぜ人間は血の詰まったただの袋ではないのだろうか」
私もあの漫画は読みました。特に主人公が家に帰って
家族が寄生された後で本人じゃなかったシーンは切なかったです。
そういった虚無的感覚も同時にあるのは確かです。でも実際には肉から離れても、
意識はあるという思いから手を合わせたり、好物を置いてきたりします。
猫の気持ちと言うよりか、自分の気持ちを成仏させる為、安堵させる為、
という割り切り感はあります。
>>367 どうもです。
それを実感し、広めようした代表格はイエスですよね。
そういえば、イエス=天照大神と言う説もありますね。
でも、鞍馬寺の魔王尊がルシファー的なイメージを彷彿させるのと似ていて
恐らく状態として同一と言うニュアンスなのかなと思っています。
で、神様の呼称は、単なる状態を指す事だとも思っています。
なので、薺さんでもいつかは天照大神のマインドに重なる事があるかもしれませんし、
このスレに居る誰もがその可能性はあるとも思っています。
それでこのスレッドのタイトル。●ですが太陽を彷彿させます。
エジプトの太陽信仰、エジプトの影響を受けたキリスト教が唱えるアーメン。(アメン・ラー)
自分はまだコーランは読んでませんが、イスラムのア・ラー。
地球に住む人類にとって、太陽系の中心を見る事は自然だったのかもしれません。
そして、その象徴としての炎は私達の中にもあると思っています。
スレ主さん、タイトルは文字が無くていいですね。まるでZEPの4thのようで。
呼び名を定めない事は、万人の中で全ての呼び名を許している気がします。
まるで影を自らの身に落とさない太陽のようです。そのエネルギーの中には
全てを育むエネルギーが含まれています。つまり太陽には全てがある気がします。
太陽系の生命は太陽があるから存在し続ける。
ただ光り続けて生命を育む。条件を持たずに与え続ける。
天照大神の岩戸開き、これはユングのシャドーを彷彿させる気がします。
私が感じている事は、全ての人が心の暗闇を無くし、太陽自身になれるのでは?
というビジョンです。
>>369 ツァイトガイストにもキリストの起源は太陽神みたいな解説があったような。
そういえば、鞍馬山は日本の丹田だという話が何処かにありました。
白山道だったかな?私はあまり知りませんが。
彼は伊勢神宮がどうとか言う人ですよね。
1冊だけ読んだのですが、鞍馬山の事を魑魅魍魎の掃き溜めみたいに
言っていてそこが共感出来なかった。私は光も闇もどちらも重要だと思う。
どんなにグロくとも、見ない振りをしちゃいけない気がする。
人間の腹の黒さを掃除してゆく為に。
闇を排他するような傾向がありそうで白山道には共感出来なかった。
自分は鞍馬寺、大好きなので。
本当かどうか知りませんが、イエスとルシファーは金星人で
双子だとも言われていますね。伊勢と鞍馬、関連があるのだろうか。
いつも物質的な視点では考えないタイプなので
そういう観点から見解があれば興味はそそりますね、少し。
372 :
夢見る名無しさん:2010/02/13(土) 02:09:23 0
>>364 その連続の新生に瞬間瞬間に流れ込んでくるのは喜びです。
光り輝く生命の喜び。神と出会う。
悲しみと喜びが同時にやってくるのではなく、喜びが基本であった連続世界に入ります。
他の感情も失いませんが、瞬間にやって来て支配はされません。
>「私のエゴで優しくしてる自分を実感したい時」
だった事を痛感します。その時、私は流れに居ません。
傲慢さの中に居ると思います。
これは偽善の話ですね。偽悪も同じです。
偽善、偽善といいましても猫がいたから餌をあげたくなったのは嘘ではありません。
またこのようなこともあります。
まだ偽善しか知らないとその反動のように見境がないのです。
見境なく人を判断して偽善だと騒ぎ立てたりします。
そして、その場かぎりの緊急偽善であっても物質的には役にも立つことも具体としてあることを
知っておくと個人的には力づよいでしょうね。
生命が喜びならばとってつけたり善に依存しなくとも、善成りに流れていくことは
大自然の成り。
自分がそうであっても、他者がそうでないのならこの世は不調和です。
なのでKも講和しました。
代表格はイエスです。
偽善ではなく、ただ愛さずにはいられない。
殺されるかもしれませんのに。
>>372 駄々だけれども、Kの話はいいよ。あなたは覚醒者をいじるほどなのか。
クリシュナムルティは苦笑しているとかの発言はやはりあなただろう。
この世から去った人の感情を自分勝手に想像してそれを
さもそうであるかのように言ってしまっていいのだろうか。
あなたは情に偏りすぎる。殺されるかもしれませんのに、とは?。
悲劇性を強めたいつもりなのか。それともお涙頂戴路線なのか。
思考として、有機と無機のあいだをゆけるのも人。
今なら、あなたは私の話も感情で反応せずに飲めると思う。
昨日の段階があったから。個人的には女性はこういう話は面倒だとつくづく思う。
感情が安心したがる愛情のイメージにしか向かなくなる。虚無を相容れられない最大のネック。
あなたはやさしさをどこかで意識的に残していたいタイプ。
霊として天使を象る意識状態は、まだ個人の域を僅かに残している。
どんなに愛情深くとも、どんなにエネルギーが強くとも、
天使はまだ最後の意識状態じゃない。形があるからと言うのもその理由。
人間がそれを感知出来る分だけ、
神の中に無機は存在し、虚無は存在する。
あなたは、私が「飢えに向かえばいい」と言ったら、
過剰反応して、虐待される赤ちゃんが可愛そうと言った。
私はそれを指したつもりじゃなかったが、世界のあらゆるものから
あなたはそれを自分の心で探してきて、私に正義と見せた。
それは、あなたの中にある不安でしかない。
あなたは、格闘家に対して、殴りあうのは止めろと言うだろうか。
あなたは、殺し屋に対して、復讐の手伝いをするのは止めろと言うだろうか。
あなたは、猟奇ミステリー作家に対して、人の想像を楽しませるのは止めろと言うだろうか。
あなたは、肉屋に対して、販売するなと言うだろうか。
あなたは、ホラー映画監督に対して、心の像を表現するなと言うだろうか。
私は何も悲しくはない。これらの人達が何を作って、何を広めたとしても
寂しい気持ちには一切ならない。それはこれらが神の器にある一部分だから。
人が想像した時点で、意識の形は如何様にも許される。それは人のイメージが
どこまで言っても、神と被るから。
もし世界中の絵画をある天才が9割方書いたとするなら、
絵画の分野において、それがどんな内容であろうと、ある一人に神の絵画としての
パワーが9割分、注がれた事になる。通常はそれが細かく分散されているが。
この世に居ない人をきっとこう思ってるだろう、と言うのは止めて欲しい。
その人の生前の姿のみが誇張されず、いじられず、心に残るか、消えるのが自然。
375 :
夢見る名無しさん:2010/02/13(土) 10:07:35 0
おはようございます。
私は駄々さんを知りませんね。ですからあなたの事ではなく一般の話をします。
前に職場結婚をすすめますと書いたことがありますが、一緒に暮らしてみなければその人なりはわかりません。
机を並べた責任ある仕事を毎日する職場では一緒に暮らすと同じ以上のその人の人物があらわれます。
デートしたりのお付き合いでは出てこない面です。
ネットではなく会えば解るかと言いますと人物評価はそんなに簡単ではないということです。
ネットではかなりのあらゆる場面でどうであるのか、少しの表現同士では良くも悪くも誤解だらけです。
早くても1年以上の時間はかかりますが、精神面の魅力として信頼をもって理解できる方と知り合いになる事ができます。
人物評価はそういうものです。平板な画面から立体を少しづつ捉えるのですから。
2chを知ったのは私は長くありません。書き込んだりある種の2chの癖を体験したのも
最近です。体験の最後に女性であることがわかるコテにしてみました。
その後コテもやめ適当に2chはのぞくつもりでした。
アセスレに書いたのもコテハン前にアイヌの生活のことを書いたのが初めてでありごくごく最近です。
ネットでも人物評価にもともと私の趣味ではありませんし、あくまでも付属的に信頼できる人物に出会えるかどうかだけです。
私の人物をあなたがどう評価されましてもよいですが、
私の趣味いかんよりも今後もすれ違うと思います。
波動をみんあで上げましょう。もっと上のほうからから自分たちをみてみようよ。
377 :
夢見る名無しさん:2010/02/13(土) 10:52:42 0
例えば病気に詳しい本があるとします。
それを読んでいきますと全部自分に当てはまるといって不安になりもっと読みます。
心理学もそうです。自分だけでなく人にまで当てはめて切りとったりします。
科学というのは切り取り分析します。人間は科学だけではわかりません。
めしべ1本 おしべ○本 花びら○枚 が科学の世界です。
心は花と出会います。
科学も必要でしょう。
昨日 あなたがどう思う?と聞かれましたので感情について答えましたら、
他の方なのかうまくつないでくださいました。
家族と話す時や会社で話す時色々違いますね。
それでもその表現は違いましても中心は定まっています。
殺されるかもしれませんのにというのは、亡くなった方が必ずそうすると言う意味ではありませんが。
ここでは、落語家が
「そんなこと言うてたら、イエスさんもおこらはります」
私のイエスキリストは生きています。
それで良いんじゃないかな?あなたが生きていると言えば
あなたの世界にイエスは生きている事になる、でも私が思うことは
その死んだ人を使って人を批判したりする事は怖いことだと思うんです
その人の名を使って批判したりすると言うことは、あなたが尊敬する
偉大な人を貶める事になってしまう、それはあなたにとって怖いことだと思うんです
私は書くことが下手だから、気分を害されるかもしれないけれど
この世界には下の人など居ない、教えてあげるべき人はいない
皆完璧なんだと思うんです、あなたは素晴らしい人だから気を付けて欲しい
駄文申し訳ない、私のことを悪く言ってもいい、でもちょっとでいいから考えてみて欲しい。
379 :
夢見る名無しさん:2010/02/13(土) 12:14:46 0
その人の名を使って批判などしていませんが。
それがあなたの人物評価です。
380 :
夢見る名無しさん:2010/02/13(土) 12:21:45 0
>>378 >またこのようなこともあります。
まだ偽善しか知らないとその反動のように見境がないのです。
見境なく人を判断して偽善だと騒ぎ立てたりします。
道と教も同様にあてはめてください。
>>379そうでしたか、すみません私の読み違いでした、申し訳ない
でたなサタン!
サタンは分裂させることが彼らの勝利になることを知っている。
>>380御免ね、それを教えて欲しい、善って何なんでしょう?
私のような者が聞いた所で分からないかもしれないけど
よろしければお教えいただきたい。
愛ならどうする。
愛で繋がればサタン(的なエネルギー)は動けない。
愛で満たせば誰にでもあるサタン的な心は消えはしないが、小さくなって動けない。
>>384なるほど、それが善という事ですね、書いてくださってありがとうございます
自分なりによく考えてみようと思います、ありがとう。
いえ、384は別人ですすいません。。。
どうぞ続きを。。
あらw御免なさい、間違えてしまった。
わざわざすいません。ありがとう
>>384御免なさい書き方が悪かったです、私にはこの偽善という事と
道と教というのが腹で合致しないのです、私が未熟なのは承知しております
どうか説明していただきたい、学びたいのです、お願いします。
384ですが、ついでに。。。これは私の正直な感想です。
>>377のキリスト教の方が以前「サタンに惑わされるな」とおっしゃってまして、
第三者として見ると、ご自分がサタンを呼んでいるように思えたので書きました。
「サタンは分裂させることが彼らの勝利になることを知っている。」
これがサタンの性質で、サタンさんがニヤリとしたのが見えました。
ちなみに私はキリスト教ではなくサタンは「好ましくないエネルギー」と解釈しています。
384ですが、最後に一言だけ。。
もしかしたら
>>377さんを責めてしまったかもしれない、と心がすこし痛みました。
すみません。どうか377さんが許容して頂くことを願ってやみません。
サタンとミカエルは双子じゃなかったっけ?
悪の象徴と善の象徴が双子ってのは意味深だね。
では私としての善を書いて見ようと思います
善は神であると思います、人が判断することではなく
善は愛であると思います、人の根本は愛であると思います
善か悪かといった事の判断は、その大きな存在によってのみ
なされることだと思います、もちろん現実的な観点からの善悪
はあるのですが、私にはそれが善であるか悪であるか分からないのです
私の思う善とは愛です存在そのものです、全ての存在が今在る事が善であり
愛であると思うのです。
地球の皆オラに文才を分けてくれ・・・・・orz
>>393 俺としては、
神は善でも悪でも無い。
愛も善でも悪でも無い。
と、思う。
神や愛は間にあるものだから、善や悪に偏る事は無いと思われる。
>>394ありがとう、私もそう思います、ただどちらかと言えば
ちょっと善より?という感じだったんですが、表現し辛いのですが
全体としての感じというのか、宇宙としてというのか
根本的には真ん中なのですが、それをそれとして捉えた時に
悪意か善意かといえば善意なのではないかな?と思って書きました
自分にも分からない、表現出来ないことを書いてしまった、御免ね
>>395付け加え、全ての存在が在ることを善しとされている
そういうことなんだと思います、文字での表現が上手くいかないので
申し訳ない。
>>396付け加え、例えばライターこれは善くも悪くもない
火をつけるものでもなければ、置物でもない
このライターはライターではなくて、なんでもない
ただ火を付けたりするライター、この善くも悪くも無いものが在る
この在る事が根本的に善なのではないかな?といった思いで書きました。
>>395>>396 いや、十分伝わってるから安心して。
神が悪でも善でも無いっていうのは、まず自然界を見て思う。
肉食動物は他の動物を食い殺してるけど在るよね。
むしろ、そのように作られてる。
人間界にも悪人はいるけど、悪い事をして裕福に暮らす人もいる。
だから、どっちも神は在る事を許してる。
善でも悪でも無い、完全な「放置プレイ」が神のやり方。
完全な「法治プレイ」が人間のやり方。
というと、伝わるかな。
だから、この世が神の世に移ると法治プレイから放置プレイになって、人間は自由になるよ。
2012年は放置プレイの終了の時であると妄想してる。
まあ、別に無かったら無かったでいいんだけど。
間違えた、
2012年は法治プレイの終了、ね。
それでも法は存在するだろうけど、今よりずっと緩和されると思う。
そうすると意外な事に犯罪が減って豊かになったりしてね。
いや、十分あり得るのよ。
世界でもある法を緩和したら犯罪が減ったっていう実例があるからね。
>>398そうです、その放置こそが善だと思うのです
全て委ねられている、我々を尊重し、自主性を尊重されている
神はそれら全てを許している、この放置が善であり愛であると思うんです
在る、ただ全てが在ること、そのままに在ること、そこに矛盾は無く
善も悪も成功も失敗も、全てを許す、これが善であり愛であるという事なのではないかと思います
親の様なものでしょうか?失敗をあえて見る、子供を受け入れる感じだと思います。
伝わりにくかったら申し訳ない、私個人としては善悪といった事は無いんだと思います
常に真ん中なんです、ただ大きく見たとき在ることを許される事でちょっと善になるのかな?
って思ったんです。
よく見ると人間臭いスレだよな。
そりゃあみんな人間だもの。
>>402 確かにちょっと善かもね。
悪は基本束縛するものだし。
今分かった!ど真ん中で見ている自分がちょっと善なんじゃね?って思いました
例えばネコがネズミ殺してる時でも、見ている自分、悪意も無く善意も無く
ただ見ている自分、それはネズミをネズミであらせてネコをネコをネコであらせること
善意も無く悪意も無くただソレをソレとして受け入れる、これがちょっと善かな?と思いました
結論は「ど真ん中がちょっと善」こんな感じになるのでしょうか?分かりにくくて申し訳ない。
そういう立ち位置は善っていうか真でいいんじゃないの。
善真悪じゃないかな。
三位一体とも一致するし。
>>379 駄々です。いや、誰でもいんですよ。お釈迦様であっても、ハナ肇でも。
それと評価をしてるつもりもないよ。薺さんがそう受け取っただけ。
私が薺さんを「結局、あなたは女性だよね」とは言ったかもしれないけど。
ニュアンスが上手く伝わり切らなくてもどかしい。自分の文章の拙さです。
故人の名前を出す事に関してはダシにしないで欲しいんだよ。それだけ。
わかるでしょ。
キリスト意識のような熱いものが自分の中にこみ上げるとか、自分の中に居るイエス像は
こんな感じです。という使い方なら引っ掛からないんだ。
例えば、夫婦喧嘩をしたとして、
例えば、中学生の息子が煙草を吸い始めたとして、
「きっと、死んだお婆ちゃんが泣いてるよ。」とは言って欲しくない。
だったら、変な霊能者と変わらないじゃん。
「お婆ちゃんがお願いだから、喧嘩はしないでと目を真っ赤にして訴えています。」とか。
「お婆ちゃん関係ないだろ!」と。
勝手にお婆ちゃんを泣いてる事にして、自分達に加担させるなよって。
だったら、俺も勝手に加担させてるぞって。
「こっちにはな、二人の喧嘩を見てあの世で嗚咽しているお爺ちゃんと
怒りの波動をもろに受けて、今にも凍え死にそうなポチと、
この前、亡くなった近所の叔母さんも喧嘩を止めろと言って身震いしてる。」と。
普通に死者の冒涜、死人に口なし。だからちょっと引っ掛かった。
だったら何でも言えるじゃん。
映画でベッドシーンが出てきたら、「あぁ、今ごろ、
きっと死んだお爺ちゃん、鼻の下延ばしてるよ。」とか。
そういうのって、普通に失礼かな、と思いますぞ。
同意だな >408
しっかし美しくない例えだな
まあ、美しさより分かりやすさだからな。
413 :
夢見る名無しさん:2010/02/13(土) 17:50:11 0
私の表現がまずかったとしても利用していないと言っているのですから
まずはこねくりまわさないで了解してほしいと思います。
切り替えて意味を尋ねるとかにすればもう少しましになるでしょう。
あなたにはお爺さんと一致しても、利用していない私には一致がありません。
わたくし育ちが良いもので吐き気がしたではございませんか(笑)
揚げ足取りさんの例え話には鳥肌がたちましたわ。
おまえらおもしろすぎるから、全てはきだしなさい。
あちこちぶつかっていずれ●になるだろうし。
>>413 なずなさんかい?再び、駄々です。
次はあなたが虐待された赤ちゃんを出してきた件について。
まず、私は虐待する事を同調していない事を付け加えとく。
まず、私側の結論としては、
なずなさんは自分「なり」に見える、感じれる範囲でしか言ってない。
その程度が強い。例えば、赤ちゃんと新橋の酔っ払いリーマンは同じ人間。
なら、赤ちゃんが虐待されるのと、サラリーマンが(言葉は古いが)親父狩りに会うのと、
何処が大きな差はある?ないよね。結局、そっち(赤ちゃんの方が)可愛そうと言う事で
あなたの中でクローズアップされただけだよね。
それが、足枷なんだよ、女性の。(決め付けるのはよくないけど。そうじゃない人も居るかも)
じゃ、あなたは知らず知らずのうちに、今まで何匹の虫を靴の下で踏み殺してきた?
もしかしたら、自分よりかあなたの方が多いかもよ。殺されるあいだ、虫はもがき苦しんだかもよ。
結局、見えてるで、善悪を知る木の実を食べてるだけなんだよ。私からすれば奇麗事にしか見えない。
酒臭い、汗臭い親父が、同じように若者にカツアゲされて、鼻血を出してたら、
なずなさんは赤ちゃんを可愛そうだと感じるのと「同じだけ」同情してくれるの?
出来ないよね。少なくとも、今、こう言われて初めて盲点に気づいてるよね。
結局、なずなさんは綺麗事の人間。
自分でそういう事をしたくない、自分でそういう事を知らずにしてた事を信じたくない。
それだけなんだよね。つまり「自分への」同情なんだよ。その罠に引っ掛かってる。
脱字:結局、見えてるで、→ 結局、見えてる範囲で
うん、このまま続けてほしい。
二人の心の動きをじっくり観察しよう。
そうですね。お育ちがよろしい世間知らすのお嬢ちゃん・お坊ちゃんが
何かのきっかけで精神世界に目覚め、その手の本を生半可に読んで感動すると、
自らの言動に説得力をもたせる為、聖人、悟った人などの言葉を引用してみたり、
引き合いにだしてくるのは、よくみかける光景ですね。
ご本人は無意識、悪意なし、なのでなおさら始末悪いものです。
どなたか指摘してあげているようですが、堂々巡りで平行線でしょうね。
うふふ…素敵よ…
仏教には三途の川があるが、ギリシャにもステュクス川という同じ位置付けのものがある。
死後の世界へ行く途中にはどちらにも「川」が現れる。
この共通点は何なのか?
この世とあの世の間には川がある…川!?
何かが流れている、水?
一体何が流れるのか。
これは・・・かみ合っているのか?・・・俺の読解力がないのか・・・?
422 :
夢見る名無しさん:2010/02/13(土) 20:13:06 0
>>415 >私は虐待する事を同調していない事を付け加えとく。
ですね。
あなたはまずその理由を書くことから始めませんか。
あかちゃんの例えは助けてもらわなければ生きていけないという
人間の姿をあらわすのに最もふさわしく、
おじさんとの比較でも比較している部分が違うのです。
ここでまず止まられるとよいのでは?
止めないで同情の話にしていきます。
そして同情する君は綺麗事の人間。
この順番です。
これはね、あなたが話を聞く時に今までの何かの経験からか結論を持っているのです。
結論から入っているのです。
綺麗事を言う女(人)と会った→一つの事柄しか見えないでそのことだけに同情する→
あかちゃんとおじさんさんは違わないのに。
違っていたらすみませんが、このように慌てて進んでいるように思います。
423 :
夢見る名無しさん:2010/02/13(土) 20:13:21 0
駄々もなずなも、お互いが反面教師
よく似てる
もし、人間が家畜の立場だったら?と、思うとゾッとする。
地獄とはまさに家畜の世界そのものだ。
監禁され、殺され、食われ、まったく自由は無く、殺されるために成長する。
もし、そんな立場に人間が立たされたら?
もはや恐怖をマヒさせ、思考をマヒさせるしか無くなってくるだろう。
正常な精神ではもたない。
いつ自分の番かとビクビクしながら毎日過ごしていたら、おかしくなるのは当たり前だ。
もし、もうすぐそんな世界が訪れるとしたら…ゾッとする。
425 :
夢見る名無しさん:2010/02/13(土) 21:22:45 0
私の
>>413の補足をしておきます。
>>368以降少しイエスの面白い話が出そうになりました。
私はその少し前にイエスと日本の神の事をちらっと思ったのでした。
偶像崇拝の事などやこの前にどなたかがCIAにジョンレノンが殺されたと仰いました。
他にも
>>264など・・・・
なにかピカピカときたものですから、
偽善の話の最後に368の言葉をそのまま引用させていただき
>代表格はイエスです。
偽善ではなく、ただ愛さずにはいられない。
殺されるかもしれませんのに。
と終わりの始まりとして書きました。
Kの講和も意味があって書きました。少し前にクリシュナムルティの愛の表現が素晴らしいと仰ってる方が
また自分何か良いものを貼ってくださるとのことでしたから、そのことも頭にありました。
次へのつなぎだったのです。
誤解を与える印象があるとの指摘ですのでそれはそれとして受け止めました。
有難うございます。
426 :
夢見る名無しさん:2010/02/14(日) 01:04:53 0
>>423 そうかもしれないが、そんな君はどうなんだろう
同じであって違う
同じから違うへどうしていけないのだろう
違いはそれほど恐怖だろうか、それは分裂だろうか
分裂とは もっと他の事ではないだろうか
427 :
夢見る名無しさん:2010/02/14(日) 01:15:18 0
仏陀、クリシュナムルティ、キリストイエス、
自分と同じ、同じ、同じ、
そう何も変わらない
彼らが持っているものすべてわたしも持っている
どこかでそれを知っている
ならばなぜ60億の仏陀の世界にならない
テステス
429 :
夢見る名無しさん:2010/02/14(日) 02:09:06 0
それを知っているから共鳴し
と同時にそれを知らないから気付きがあり
知らないから癒される
同じものでありながら
差異
現実の体的差別から霊的世界に入るとは
差異を目の当たりにすること
そこに愛と恐怖のほんとうの隠れ家がある
430 :
夢見る名無しさん:2010/02/14(日) 02:29:24 0
約2000年前 その隠れ家より独り出(いずる)ものあり。
霊的世界より現実世界に立ち戻りし
受肉のままにて不可能を突破し男あり。
誰か俺と彼女は似てるって書いてた人居たけど、そうかなぁ。
始まってるスレの12の最後でも彼女は相手の言葉を読み取れず、すぐ「は?不明です」と言ったり、
結局、インスピレーションで読み取ってる風に見えるけど、自分の机から引っ張り出してるだけ。
相手の言葉から拾う事なんて滅多にない人、1から10まで言わなきゃ言葉の意味読めない人。
13での彼女の「変装」は見破れなかったけど、言葉は読み取ったでしょ、俺は。
言葉が少なくても、女性は言わなかった部分を解る人が多いのに、彼女にはそれがない。
彼女は殆ど相手の「文字」を自分の腹で変える。「文字にしなかった」部分など想像も出来ない。
反面教師かもしれないけど、自分は皮肉屋なところが残ってる。詩を見て誤解する人が居るけど。
なずなさんが喜ぶとオモってさ、ちょっと可愛い猫の話しただけ。女の子そういうの好きでしょ。
ほんとはかったるいと思ってる。でも雰囲気を良くする為にちょっと綺麗に書かなきゃと。
私の方はそういう性格ですよ、本当は。それが誰かから見て似てるという事なら仕方ないな。
1から10までと言うのは言い過ぎだったョ。
猫の解釈は正解だったから。解釈なんて自由だけどね。
例えば私が13で見破れなかった以下のなずなさんの書き込み。
396 :本当にあった怖い名無し:2010/02/10(水) 05:41:56 ID:Ehf9qbhs0
ところで駄々おじさん、あてはシュールリアリストやさけはっきりいいまっせ。
あんな装いを企てたおっさんに乗せられておだてられたらのる あほちゃいまっか。
たろすけはんをみならいなはれ。
おまはんの判断は全部反対。
406 :本当にあった怖い名無し:2010/02/10(水) 14:31:13 ID:Ehf9qbhs0
>>398 あんなおっさんは誰を指しているかわかっているか。
あんなおっさんなんていないのだよ。
覚悟の意味をどうとらえているのかな。
わかりにくいことを伝えて申し訳ない。
何か知らないが傷が深く虚無的であるからのせられる。
そういう周辺などどうでもよい。
伝えられない言葉の向こう。
だから伝えるのだよ。
新スレに感謝。何か知らないが?全部忘れて書こう愛がいっぱいの君も。自由だ。
いじめは誰かが引き受けてくれる。
------------------------------------------
正直、中性に近付いている男だと思ってた。でもなずなさんだったとの事。
けど、このスレで見せる
>>20や
>>283のようななずなさんは女だ。
私にとって、どちらかの性が滲み出る書き込みは悟りからは離れてる気がする。
それと、なずなさんはシュールリアリストにはなってない。
それは
>>283を見てもわかる。それに対する気持ちの揺れがあったから。
もしだよ、なずなさん。
あなたがその子を庇おうと「可愛そうだから止めて!」と訴えたとする。
と同時に
靴の下でバッタを踏んでいる可能性もあるんだよ。生きるとはそういう事だと思う。
生きるとはそのまま我だよ。我でしかない。生きつづけてしまうという事はだよ。
じゃ「バッタはそれを望んで生まれてきたのか?!」と逆に問いたい。
じゃ「酔っ払いは財布から札を抜かれるのを望んできたのか」と。
あなたはまだ虚無じゃない。感情でしかない。これら全ては何でも無いんだよ。
「殺されるかもしれませんのに」じゃない。そこだけクローズアップしないで欲しい。
尼崎の電車事故で無くなった人だって、相当苦しんだと思うよ。
なずなさんはイエスが肉体的に受難として死んだと言う事実に注目しすぎ。
イエスがどういう気持ちで死んだと言う事が大事。
「殺されるかもしれませんのに」は余分だよ。バッタだってね。
「殺されたのかもしれませのに」と俺は突っ込みたいね。
もっとクールに。ドライに。
信憑性はどうか知らないけど、神智学では輪廻の順序は
石→植物→虫→動物→人だってね。
もしかしたら、なずなさんが庇いたい赤ちゃんは、遥か昔にあなたが
裸足の下で踏みつけてしまった虫かもしれないんだ。これは一例だけど。
だから、「赤ちゃん」の「可愛い」&「無力」なイメージに囚われないで
もっと冷めて考えて欲しい。
テストステロン的な男性能動と、女性的な能動丸出しで争っている部分では、
野生的で似ているんじゃないかな。
↑この私の発言さえもテストステロンからくる能動とも言えなくないんだ。連続スマん
>>436 確かにその説はあるかもね。
でも自分はサディスティックになってる訳じゃないんよ。
女性性に傾いている彼女を中性のニュートラルに戻そうと刺激してるつもり。
露骨に表現した方が伝わりやすいかなと思って。
「自分で望んでそのように生まれてきたんですか」と言う言葉にはある意味、
「そう」だと思う。でもそれすらも大局的には何でもないとも思う。
人がどしゃ降りの一粒の雨を気にかけないように。
一滴の雨に深い意味はない。存在も最終的な視点で見れば同じに思う。
意味を持たせようと葛藤するから、
「自分で望んでそのように生まれてきたんですか」という悲しみが生まれる。
だから、これは余計なお世話かもしれないが、
彼女が結婚を人生の中でしようとしているの解せない。
私にはそれすらも、何でもない事だから。
わざわざ自分性を強めて、人間で居続けたいかのように思える。
もっとそういうものを「欲」だと割り切ればいいのにと思う。
男のパートナーが欲しい「欲」でしかないとね。
>>438 それがまさしくテストステロンから来る能動と言っていい。
だたそれが悪いとか良いとかという話じゃないから、
遠慮なく続けてください。
>>440 テストステロンって何だろ?と思ったら男性ホルモンの一種なんですね。
それでですが、何で私がこのように「調整」に入ってるかと言うと
ちょうど、
>>364のような融解が起こっているんではないかとも想像しています。
つまり、私でありながら、私でない。向こうは
なずなさんであるはずなのに彼女だけじゃない。
このあいだにあるもの。
そうやって人は知らず知らずのうちに
言葉を交わしたり、何かしらの「動き」が発生するのでは?
と感じています。
それも神の働きではないかと。
という事はつまり彼女が
男性的エッセンスを投与されて中性に近付き、逆に私の方が
女性的エッセンスを投与されて中性に近付く為の動きと言う事か。
ニュートラルに調整される為の干渉、私のテストステロンが本能で
女性性を得る為に発した言葉という事であるかもしれない。
いや、待てよ。落ち着いて考えるとだ。私の中にある女性性を
なずなさんに見つけてしまい、そこで私から「反応」が起こっていたと言う方が
正解だろう。これはもしかしたら、逆かもしれないな。
私の中にある増えすぎた女性性を滅ぼす為に、私の中の男性ホルモンが
「外に居る」と勘違いしていたなずなさん(像)に言葉を向けさせたと。
444 :
夢見る名無しさん:2010/02/14(日) 10:45:04 0
おはようございます。
申し訳ないですが、今までも何回かいいましたが、なにか根本的に間違っていませんか。
私はあなたに何をしましたか。
さっぱりわからないのですよ。
どうしたいのですか。教えてください。
以前のレスしあったときもあなたに何を不快なことをしましたか。
そこから話さなければもうだめなのではないでしょうか。
あなたはよく「また君と意見は違う」と「あなたは私」という言葉を使われてきましたね。
わたしに何か教えよう届かないと思って一生懸命なのかもしれませんが、
あとはもう少し自分達の気付いてきたことなどを出して
同じ疑問的に反応しあうとしても置いておくような書き方で出し合うしかないのではないでしょうか。
445 :
夢見る名無しさん:2010/02/14(日) 10:51:11 0
ここのスレ主さんの言われました、遠慮せずに自由にかきながら、口論、議論をやめるけれど疑問はいいだろうというのは、
書き方に工夫がいるということを示唆されていると思うのです。
独り言なので文章表現自体を問題視されることは無いと思います。
昨日のお爺さんの話に対しての鳥肌というのはもちろんジョーダンですし
あのような表現でももちろんかまはないと思うのですよ。
ただし、私のことも頭においてでも良いですが、おまえはこれだ!の結論の話の為に文章を考えているのでこちらもジョーダンを入れたのですよ。
一般化させた文章を考えられるとかできませんか。
だれでも自己史はあるでしょう。絡んで絡んで揚げ足のような仕方では疲弊するだけです。
部分をつついてこねくりまわすようなことをしても私は応えることができません。
急いで人物評価を下すようなことをしても何の意味があるのですか。
好き畿嫌いをなくすのに嫌いなものを食べ続けるのではなく
他の食べ物を食べて味覚を拡大するのと同じで
イエスという言葉だけをあなたが食べ続けてもダッチロールするだけでしょう。
私の中のキリストは私の個人史のなかにあって、
それも【あなたが経験した結論に基づく順序から来ているとは限りません】
440だけど、テストステロンはこういった場では
「服従させたい、服従したくない、上になりたい」というような気持ちを
無意識で起こさせるもので、ホルモンだからもちろん本能的な能動で自然なもの。
一方の女性ホルモンは、無意識に「繋がりや共感」を求めるもので、そうすることで安定する。
それができないと、いわゆるヒステリーな状態になってしまう。これも自然なこと。
なにが言いたいかというと、何かに対応するときに、これがわかっていると
本能に根ざした能動を調整することができ、
相手の言動も、調整を加えて認識することができる。
つまり、より真理に近づくことができる(ちょっと飛躍したかな?)
時間がいつか二人の距離を縮めるさ。
448 :
夢見る名無しさん:2010/02/14(日) 12:30:22 0
>>443 「わたしはあなた」
それはそうだとしても、人は違うしなぜ反応したかの理由も自分が性的な事に支配されて
反応しているとは限らないのですよ。
2ch文化のような場所では女性コテはどうなるのかわかりませんでしたよ。
でもコテは文章の責任をとらなければならないということでしたら
同じコテにするのであればそのまま女性でいっちゃおうと思ったのです。
それ以上の意味は無いのです。
そして誰かが男性であるから反応するというのではなく、書かれている事に興味があれば反応するのは
私側は名無しの時と同じです。コテは相手への自意識からのメッセージではなく自己責任だけしかないのは
実際経験されたらわかると思うのです。
また女性コテは女性からのメッセージではなく書いている側は女性だと思われることで
反応されることも受けなければならないという立場に立たされるだけであるのは同じです。
ここでなずな、なずなと呼びかけられますのはそうすることがあなたの気付きの何かになずなというより女性との統合のような
興味を持ってられるということであれば、変態的に(笑)絡まれるとわけわからなくなります。
いいですよそういう女性と男性の統合の話でも。
ただし、ご自身の経験から偏見や固定観念を取り除いて下さらなければまたもやすれ違って行くと思います。
絡むにも絡まれるにも何らかの理由があると思う
折れてから話し合えば良いんじゃないかな?
頭だけじゃなくて心も折れてから、きっと何か生まれる
そんな気がする、たぶん。
450 :
_:2010/02/14(日) 13:39:04 0
君たちはいったい何者なんだい(´p`)
気付きって極限現実主義ってことだとおもうんだ
じゃあ世界はいたってシンプルだって事になると思うんだ
クリシュナムティはお茶だと思った、テストステロンはロボットだと思った
俺が言うのもなんだけど、皆頭良すぎるんじゃないか?分かんないけど
頭じゃ分からない事もあると思うんだ
俺の頭が悪いからそうしなければならなかっただけかもしれない
でもこれじゃあ堂々巡りになってしまう、御免、怒られるかもしれないけど
思ったこと書いてみたよ!
そう、世界は単純
その単純な真理が細分化されて複雑さを織り成しているだけ
>>448 ほう、今度は女性じゃないときたか。じゃ今度は男と思って話すょ。
女性性と男性性の話は、
>>446さんに合わせてみただけだよ。本論にしたかった訳じゃない。
私が話した
>>434についてはどう思ってる。この感想が聞きたい。
454 :
*:2010/02/14(日) 14:08:33 0
すみません…なんなんすか…?これ
俺このスレでやって見たいことがあって、口調を変えて、言葉を変えて
気付きの言葉に出来ない部分を書いて見たかったんだ、口にも出せない言葉にも出来ない部分
もしかしたら誰か書いてくれないかなとも思った、でも結局無理だって分かったわけだけど
不思議なんだよ、口に出来ない言葉に出来ない、でも其れが書いてあれば分かる自身がある
其れを表す言葉が無いんだよなあ、言って皆分かればその方が早いのに、無いんだよなあ
何だろう、皆もそうだったかも知れないけど、自分の体にスコーン!って来たとき
その時からある其れが不思議だったんだ、其れを表せない事が、ここに在るのに
なんか絵みたいだなって思った、自分にしか見えない絵、でも絵は共通の絵
もう完全に独り言なんだけど、こういう書き込みも良いかな?って思って書いて見ました。失礼しました
一度、
>>422で返答があったようだ。
>あかちゃんの例えは助けてもらわなければ生きていけないという
人間の姿をあらわすのに最もふさわしく、おじさんとの比較でも比較している部分が違うのです。
まず、この点についての私の返答。
赤ちゃんとおじさんは「何も違ってないと思うよ。」
8人位の人間に絡まれてみたら解るよ、それでその人数に手と足を押さえられたら実感するよ。
赤ちゃん同然だって。そこで殺される事だって世の中にはあると思うのだが。
もし、それでも赤ちゃんとおっちゃんは違うと言うのなら、ここは私と相容れない。
だってさ、その為に「守られる為に」赤ちゃんって可愛く生まれて来るんでないの?
それと、善真悪の人ありがとう、真って言葉をありがとう
それに当てはまる言葉が私に無かったので、凄く助かりました
考え事する時も、真で表せるから良い!とても良い!!
あぁ、
>>422を見ると、女性のように見えるがなずなさんではないようだね。
sageをしない人がなずなさん以外にも居た事に私が気づいてなかったようだ。
私が彼女の書き込みだと思ったものがあなただったのなら、謝るよ。失礼しました。
>>455 わかるよ、その感覚。頭ん中にある真実の絵。
でも実際にその風景はどこの国にもないから眺めてデッサンする事も出来ない。
それを絵に出来ないばかりか、意味が分けられた言葉を併せて文章にするなんて
出来ないんじゃないかと思える。でも本能が表したいと要求する。
あ、あとバグワンも言ってた
「赤ちゃん」は悟りの状態に近いと言う内容とはまた別の話ね。
ここは単純に一人の赤ちゃんとピンチに陥ったおっちゃんを比べて
くたばる可能性はどちらが明確にある、と言い切れるかどうかという論点。
なずなさんはそのままなら、赤ちゃんが死んでしまうと言う事だよね。
>>459レスありがとう、また独り言になってしまうけど
其れを得たら何か悟ったような人間になると思ってたんだ
高尚な感じで、「そんな事をしてはいけないよ・・・」みたいな
でも何も変わらなかった俺の頭は悪いままだし、むしろドジョウとか探すようになったw
俺もシンプルになった、俺はこう在るべき、大人はこう在るべき、ってのがなくなると
俺も子供も変わらない、いつも遊んでんだ、遊びっぱなし、キャッキャしてあそぶお兄さんだ
もうおっさんかもしれないけど・・・いやお兄さんだ、そうすると周りの人も楽しそうにしてくれる
仕事してるのに皆笑ってる、俺サボって遊んでるのに笑ってる、本当は皆そうしたいんじゃないかって思う
本能的に表したいと思うように、本能的に皆求めてるんじゃないかなって思う。
気付く事をそのものより、それを文字にして伝える事の方が難しいのかもしれない。
463 :
夢見る名無しさん:2010/02/14(日) 14:51:21 0
赤ちゃんの話また同じ話になっていますね。
ここでは屁理屈をこねないで常識的な範囲で考えればいいのですよ。
産まれたばかりはすぐに死にます。
乳児は体温さえも自己調整できませんし、言いだせばきりがありません。
他の動物より自活自立に遅く保護が必要な期間が長いということです。
それはおじさんとの比較ではなくおじさんとも共通する人間の姿の例えです。
視点が違うから食い違うんだと思います
これでは堂々巡りになってしまう、余計なお世話で申し訳ない。
465 :
夢見る名無しさん:2010/02/14(日) 14:58:34 0
>>453 私は女性ですよ。また私の文章をあなたの結論から読んでいるようです。
丁寧にこの際いきます。
私の文章で私が女性でないと書いている部分を指摘してください。
>>8に書いてある言葉が真実味を増してきて面白い。
特にここ、
>> 何(ど)の身魂も我(が)の強い身魂ばかり、よく集まったものぢゃと思ふであろが、
>>その我の強い者がお互に我を折りて、解け合って物事成就するのぢゃぞ。
>>旧九月八日迄にすっくりとまつりかへてくれよ。
>>466 今、調べてきた。旧九月八日とは10月25日のようだね。
http://akaruitonari.seesaa.net/article/130450288.html それと俺は我が強い、それはわかってるんだ。
たぶん、一歩間違えれば犯罪者だろうな。
まず、事の発端だ。俺の発言が
>>232、なずなさんの発言と思われるのが
>>233。
もし、なずなさんでなく違う人だったら名乗りをあげて欲しい。
それと同情如何の件。もし、棄てられた赤ちゃんが居たとしてそれを見つけ、
市役所に連れてゆくのはなずなさんとは限らない、私かもしれない。
氷ではないからね。でも、人は石ころくらい虚無的なものだと思ってる。
石に生も死もない。人も同じ。なずなさんは誰かがどのような状態で肉体的に
「死んだ」という事に、あまりに感情を揺らされすぎ。可愛そうも何もない。
でも俺だって、普通に同情心がある。
ごめんごめん、俺のが
>>282、女性なずなさんが
>>283ね。
>同じコテにするのであればそのまま女性でいっちゃおうと思ったのです。
>>448 この部分でそう思ったよ。
>>463 あぁ、返答があったようだ。その話ならわかる、わかるよ。
そういう事務的な意味合いだったのなら、これ以上は絡まないよ。
でも、あなたが書いた本人だとしたら、
>>283の内容はそのようには見えなかっただけだ。
保護心が感情的に掻き立てられているように感じたからね。
>>465 レス番指定が無かったので、補足。
>同じコテにするのであればそのまま女性でいっちゃおうと思ったのです。
>>448の↑の部分でそう思ったよ。
470 :
夢見る名無しさん:2010/02/14(日) 15:31:38 0
>>同じコテにするのであればそのまま女性でいっちゃおうと思ったのです。
がどうして
>ほう、今度は女性じゃないときたか
になるのですか?
>>470 もし、あなたがそういう意味で言ったのでないとしたら、
単に私の読み違いだよ。ごめんね。
話は変わるが、もう犯罪者だったな、私は、ちっちゃいけど。
幼稚園の時、万引きしたり、タクシーの無賃乗車や、警官と乱闘した事があった。
温情釈放されたっけ。
なずなさんの件でも
みんなにとっては、益の無いくだらない話を続けて申し訳なかった。
472 :
夢見る名無しさん:2010/02/14(日) 16:06:50 0
>>443 まんま、そうじゃね?わかってるじゃん?w
全て出来事は起こるべくして起こっている、と思うので、これでいいんですよ。きっと。
だから、貧困も搾取も戦争も、この世界からはなくならないんだろうな。
全て出来事は起るべくして起ってる・・・・時と場合によっては便利な言葉。
『起こるべくして起こっている』というのは結果であって原因ではないよ。
出来事は本来、善でも悪でもない。
むしろ出来事をコントロールしようとする人間がいるからこそ、
戦争や貧困が無くならないと言える。
本当に善悪ってないのかなぁ
超越視点にたっちゃうと、ないのかもしんないけど
ぼくには、やっぱ善悪ってあるとおもう
てか、善悪ないってよくこの世界のひとって言ってるけど
ぼくの家族とか彼女が殺されたり、酷いことされたら
そいつは、ぼくにとっては悪だし
そいつを酷い目にあわせてやりたいって おもう
わたしの考えでは、善悪は相対的な視点においてのみ存在する。
それは必ず、「誰にとって」という言葉で限定されるからだ。
個々の人間関係においては皆それに気付くだろう。
でも例えば戦争は多くの人が死に、多くの物が破壊される。
お互いが破滅するような戦争はどちらにとっても悪といえるだろう。
しかし、人間の視点を外してそれを見たらどうだろう?
自然界にとっては、長い目で見たら人間の破滅は善とも言えるかもしれない。
もっとも自然は善悪の判断はしないが、、。
例え太陽が爆発して太陽系が消滅したとしても、それが新たな何かを生み出すことは
明らかだ。そして気の遠くなるような年月を経てそれは善と認識されるかもしれない。
このように善悪を判断するには、判断する主体、そして判断する時期(タイミング)
が必要だ。しかし、もし覚者たちの言うように、五感に映る三次元世界は幻影で、
実はすべての物質、生命のその裏に一つの本体があるとしたら、その視点で見たら
善悪はけっして成り立たない。
男性性女性性ってあったけどこれってバランスって事にも取れるよね
男に女ってのじゃなくて、個々の存在に対しての魂のバランス?っていうのかな?
物質的に男で生まれてから死ぬまでの「存在」に対してのバランス取った魂
だから男に女ってのは、この生でのバランス取れよって事なのかな?って思った
どうかなぁ?
感情を抱くことも決して善でも悪でもない。
それは自然に発生する、反射のようなもの。
悲しみや憎しみは、裏返せば喜びや愛になる。
(誰かにとっては悲しい出来事でも、
別の誰かにとっては喜ばしい事になる、 といった事ではなく)
>>479だから同じ魂でも場所や時期が違えば女だったりするのかな?
って事が書きたかった。御免
>>480 同意です。起こった感情は肯定すべき。
でも感情に操られてしまうのも好ましくない。
感情の根本にあるものに気づく人とそうでない人では、長い間にその点が変わってくると思う。
それは体と心を守りたい、愛されたい、という欲求が本能にインプットされているだけであり、
最終的には必ず敗れ去る戦いを挑んでいるとも言える。
>でも感情に操られてしまうのも好ましくない。
確かにそうですね。
ある時自分はこう思いました。
感情とは人生におけるスパイスのようなものだと。
なくても味気ないし、多すぎても味を破壊してしまう。
>感情とは人生におけるスパイスのようなもの
そうですね、同意です。
>もし覚者たちの言うように、五感に映る三次元世界は幻影で、
>実はすべての物質、生命のその裏に一つの本体があるとしたら、その視点で見たら
>善悪はけっして成り立たない。
そうなのか。でも、ぼくは覚者じゃないから、やっぱわかんないな。
理屈ではそうであっても、ぼくには実感がもてないもの。
本よんで、わかった気持ちにもなれないや。。
486 :
478:2010/02/14(日) 21:24:45 0
>>485 いや、俺も覚しゃじゃないからそんな実感はないし、善悪の判断を頼りに生活してるけどね。
478が説教臭く感じたらごめんなさい。言いたかったのは、相対的な三次元世界に生きる
人間としては善悪の概念を持つのはあたりまえで、そうでなければ生きれない。
でももし覚者の言うことが本当なら、〜ということになる。というただの理屈。
これ、つっこんでいいのかな?
>>485本読んでって書いてあるけど、本読んだだけじゃ分からないんだ
実感しないと分からない事いっぱい書いてあるよ
あなたの言う善悪と
>>478で書いてある善悪は視点が違うんだよ
もっと折れてから考えようぜ、意地張ってもそこに学びはないと思うんだ
>>485ついでに書いとくけど俺も
>>478と同じ考えなんだけど
俺金持ってないから本読んでないんだ、ずっと瞑想とか一人で考えてたりしたんだ
あなたがそう思うならそれで良い、我々はそこに重きを置かない
あなたのいう善悪はあるよ、確かにある、家族が死んだりしたら悲しいと思う
でも我々を受け入れて欲しいんだ、我々は超現実的なだけ、ただ視点が違うだけ
一回知ってしまえばもう知らなかった頃には戻れない、実際私は浮いた存在だ
書き方悪いかもしれないけど読みにくかったら御免
>>489につけたすね、例えば私の場合だと
もし家族が誰かに殺されたとする、その時の私の感情はあるよ
きっと悲しいと思う、殺した犯人にも同じ悲しいという感情を向けると思う
これはあなたのいう感情、悲しみは分裂ではない、ほかに聞きたいことあったら聞いて下さい
しばらく居ます、気の済むまで聞いてください、受け入れてもらえるよう努力します。
なんてゆうか、話してる階層が違うんだからかみ合うわけがないだろ。
階層を合わせる話をすると、
おいしいものを食べると、おいしいと感じるだろ? まずいものはマズい。
これについて「いやそうじゃない」って言う人は、まずいないよね。
これは、「うまい、不味い」っていうことを深く精神的に考える人がいないからだ。
これは例えが悪いな、美味しいか美味しくないかは人によるし
美味しいを精神的に深く追求する必要は無いんじゃないかな?
舌で判断してるわけだし、それより階層ってなんだか分からないんだけど教えて下さい。
もっと友達っぽく話そう、その方がお互いにやり易くないかな?
比喩表現じゃなくてもっと素直に来てくれていいよ
俺はあなたを嫌っている訳じゃないし、俺もこれで学べる
お互いに向上しあうってのも素敵じゃないかな?
495 :
478:2010/02/14(日) 23:42:09 0
>>491 同意です。「おいしい、まずい」という言葉は、誰が見ても主観的な好みを表すものだから、
主観を離れて絶対的においしいものがあるかどうかなど考えるまでもないのだろう。
俺は善悪もある意味それと同列に見るので、人が自分にとってこれは善だ、あれは悪だというのを
否定するつもりはない。そして心の中にある善悪の概念を離れれば善悪は存在しようがない、
ということも当たり前すぎることだと思う。
ただ、「おいしい、まずい」と善悪が異なる点は、善悪の場合は相手が心を持った生き物であり得る点かな。。
階層という言葉が、人の事を指すとすれば其れは間違いだと思うよ
人に上も下も無い、しいて言えば横だけそこには生きてりゃ仏陀もキリストもいる
悟りも真理も覚者も無いよ、ただの言葉、人の階層は無いよ、絶対無いよ
497 :
夢見る名無しさん:2010/02/15(月) 00:02:01 0
やり易い これはより善い ルールかな
いずこより やってくるのか 向上心
一つ言いたいんだけど、俺は超現実的な考えが絶対良いとは言ってないよ
選ぶのはそれぞれ、俺は超現実的なのを選んだただそれだけ
あなたは私の様な考え方が嫌いなのかもしれない、でも私はあなたの考えは好きだよ
でも上であった様に犯人を憎んではいけない、これだけは言えるんだ
憎む事はその感情を持った自身を貶める形になり易い、だから危ないんだ
あなたがここまで感情にこだわり、自身を正当化しようとするのは何故なんだろう?
今私がここで私が一切間違っていると宣言すれば、心が満たされるのか?
あなたの考え、私達のような考え、いいんじゃないかな?それぞれいいんじゃないかと思う
あなたが生きた結果そういった考えに行き着いた、私も生きた結果こういった考えに行き着いた
いいと思うんだ、いくつあっても良い、どちらが正しいなんて無いと思うんだ
あなたがそこまでこだわる理由が分からないんだ、だから受け入れて欲しいんだ
違う考えもあるって事を、違う価値観の中で生きている人もいるってことを
確かに、人は皆同じ。
仏陀もサラリーマンも犯罪者もみな人間だ。
だが、その一方で仏陀と一介のサラリーマンの間には明瞭な差がある。
仏陀は全ての人の為に働く。(教えを説く)
サラリーマンは彼の家族の為に働く。
どちらも真の人の姿。
だが両者の行いには確かに違いがある。
>>497 えっ!向上心無いの?じゃあただ批判してただけなの?
それとも私を正そうとしてくれていたの?
>>499そりゃそうだ、全部違うぜ!ってもう誰が誰のレスか分かんなくなってきたw
502 :
夢見る名無しさん:2010/02/15(月) 00:29:23 0
>いずこより やってくるのか 向上心
向上心 見えない場所より 働きて
>>499だからって仏陀が偉いわけでもないし、サラリーマンが偉いわけでもないし
それぞれは全然違うし行いも違うけど、だからってどっちが偉いって訳じゃないよね
仏陀も花もサラリーマンもウサギも全部行いは違うけど、どれが偉いって訳じゃないよね
>>502よかったあるんだね、安心した、それで
>>498なんだけれど
これが私の思いなんだけど、どうだろう?、ちょっと怒らせるように書いたんだけど
怒らせたほうが返ってくるかと思って、御免ね
ぼくらはみんな生きている〜 さて 皆さんおやすみなさい。。
>>505ということは違う考え方もあると受け入れてもらえたんだね
やったーありがとう凄く嬉しい、ただあなたに受け入れて欲しかったんだ
ありがとう本当にありがとう、凄く嬉しい凄く凄く嬉しいですありがとう。
507 :
505:2010/02/15(月) 00:48:54 0
な・・・なんだってーーー!!!www
これはもう駄目かも分からんね・・・、もういいや、さて、皆さんいっぱいレスして御免なさい
そういうスレでは無いことは十分承知しておりました、ご迷惑をお掛けして申し訳ない
画面の前でニヤニヤしていた人も、ハラハラしていた人も、イライラしていた人も寝てる人も御免なさい
本当に御免なさい、私の謝罪を持って終わりにしたいと思います、ご迷惑をお掛けしました。
510 :
夢見る名無しさん:2010/02/15(月) 01:20:51 0
そんなに 受け入れてほしいものなのか 不思議だw
駄々す。なんだよ、どうしたんだよ、続けてよ。
いい感じに掘り下げてる気がしたのに。
あまりテンションあげても持続出来なくて草臥れるし、
ゆっくり議論してゆけばいいと思うよ。
なんか、俺も
>>509も謝ってばっかりだな。自分が感じた事を素直に書いて、
走りすぎる人には、ブレーキを掛けてくれる人が必ず現れるから、それが全体だから。
その「全体」の意識に任せてみるのもいいと思うよ。
あなたのその衝動だって、全体の「先端」なのかもしれないし。
512 :
夢見る名無しさん:2010/02/15(月) 01:25:20 0
実に、ウケました w 楽しいひとときをありがとうw
貴方はおそらく大変お人がよろしいのでしょうw
その◎◎に、乾杯w
相手は何も駄目だとは言ってないのに、自分で「中折れ」してしまう
気持ちも何が原因が言及してゆくのも「恐れ」に似て面白いかも。
それにレス番した相手が人違いだったのも、
何の書き込みを見てそう思ったか、自分で話すのでもいいかもしれない。
ここはIDが無いんだし、もう一人の自分を作り出して会話を続ける事も出来るよ。
>>503 >仏陀も花もサラリーマンもウサギも全部行いは違うけど、どれが偉いって訳じゃないよね
確かに、どれが偉いって訳でもないと思うよ。
ただ、人の間ではやはり精神的成長の段階に差はあると思う。
例えば、巨大な百階建てのビルを人類が登っていて、ある者は既に99階に達してて、
ある者は未だに10階に辿り着こうとしている、といった具合に。
いずれは全ての人が百階に辿り着くだろうけど、そのタイミングはみんな同じではなく、
個人差がある。先に百階に到着して、まだビルを登ってくる人達の為に、わざわざ人の
背中を押しに下層まで戻って来る人もいる。それが仏陀やキリストだと思う。
だから、『階層の違い』というのは、ある意味ではあるし、別の意味ではない。
または、あるともないとも言えない。そういうことになるのでは、と自分は思う。
また、だからこそ、人が自身の霊性を上げる事の意味もあるのだと思う。
516 :
夢見る名無しさん:2010/02/15(月) 11:30:53 0
コテでないIDだけではわからない。
IDもないここでは尚わからない。
疑問が生じる事もあると思います。
レス番号をつけずに「○○とは何か?」「○○とは何だろう?」という風に疑問を書いてください
↓
■概要
「気付き」を全体で共有し、よりたくさんの「気付き」を得る事に特化したスレです。
議論や口論に時間を浪費したくない方、歓迎します。
自分の言葉・思念を深く読んで欲しいという方、歓迎します。
517 :
夢見る名無しさん:2010/02/15(月) 11:45:18 0
維摩経の一節にこう言う問答があった。
「菩薩の修行とは如何に?」
「菩薩の修行とは非道を往くものなり。」
つまり二元論を超越した衆生を救う立場にある菩薩にも
階層があり、指導的な菩薩とこれから研修に向かう菩薩が
いるそうです。
その数はお釈迦様の時代にあってすら数十万人でこれら菩薩は
その後衆生に身をやつして「人知れず」地球のアセンションが
完了するまで転生を重ねて終りなき修行にを行っているそうです。
この話をよく味わってみるとそれは遠い昔の話ではなく今現在の我々
に向けられた話であることに最近気づきました。
そして有名無名を問わず近年「人知れず」菩薩行を黙々と遂行している
方々が存在していることを肌で感じている次第です。
この上はさらに深く己を知り霊性を高め、手と意識の及ぶ範囲でできる
菩薩行を「人知れず」実行していきたいと考えるに至りました。
オナニーの見せ合いによる馴れ合いにはならないようにしたいです。
>>517さんと同じように思っています。
うんうんと頷きながら読んでしまいました。
>>515さんの喩えも巧いです><まさにその通りだと思います。
ああ、すごい。痒いところに手の届くようなレスを有難うございます。
頑張ろう。
>>510>>512だってそうしないと進まないだろ?
>>514俺の本意はそこじゃないんだ
>>515それはそうだと思います
正直な所実験だったわけだけど、こういった場所で解け合う?っていうのかな?
そういう事はどういうことなんだろう?と思って書いて見たんだ、受け入れて欲しいと書いたけど
相手がこちらの事を駄目だと言って無いことも承知の上だし、なにか生まれるかな?って思ったんだ
最後の方は強引だったけど、解け合った喜びみたいな物を表したかったんだ、だからあれはあれでいいんだ
解け合うって事はって考えてたら、ちょうどいい事になってたから調子にのってやってしまった御免なさい
上のレスでちょっとバカにしたように書いてあったから、これはイけるって思ったんだ
バカにしている所を受け入れてもらえるようにしてみたかったんだ、やり方が悪かったのかな?
正直俺自身としての主張見たいなのは無い、こうであったほうが良いとか、こういう考えなんだとか
押し付けるつもりもないし、もちろん受け入れてもらわなくて構わない
ただ全て在るように在ればそれでいいと思う、お騒がせしたようで申し訳ない。
他人を試すような態度で接すれば、相手もそのように接してくる
そうだろうなあ、自分で書いてて思ったけど
やっぱりありのままが一番良いんだろうなあ
最終的に、どれだけ己の我欲を滅して、人のために尽くせるか、ですよね。
生きる目的、生まれた(存在している)意味とは。
526 :
夢見る名無しさん:2010/02/15(月) 12:21:13 0
また試された振りをしながら相手の気付きを促すという
観点も菩薩行かと思います。
但し、本人は人のためだと思ってやっていることが
実際は本当に人のためになっていなければ、それなりの結果として
返ってきますが。。
>>526 まあそれはあまり言うことではないような気はしますが・・・^^;
師は弟子に合わせて教えを説く、ということですね。。
なるほど、俺は試されていたのか、ありがたいな
昨日の人ありがとう、もっと教えてください。
>>526 何言ってんのョ、それは勘違いですよ、最後は、私が譲った事も解らない?。
私は断食を匂わせて
>>282を言った。あなたはそれを虐待と受け取って
>>283。
どちらがネガティブを持っているか言わないでおいたのに、また話を戻す?
今はこちらはお昼休憩だから、またね。
トゲトゲしておますなぁ・・・
俺はもっとトゲを付けて書くべきだったかも知れないと思ったぜ
何か真意が在るのかもしれない、どちらにせよこのスレとして
在るように在るのが一番だと思う。
まあ何をするにせよ、その動機が何なのか、と自問自答することですよ。
トゲを付けるにしろ付けないにしろ、それをしようとする動機は?と
自分に問いかけることです。
534 :
夢見る名無しさん:2010/02/15(月) 12:58:19 0
思い込みが激しすぎて 意味が読めないのかな。
自分が書いた文章にも軸をもって書いていないのかな。
まず自分の書いた文章の主旨を書いてみて、
次に他者の書いた文章の軸を読み取ってみる。
断食が主旨だったのか。
相手の文は虐待がその主旨か。
ある種はトゲを好む傾向がある、もっとさ自分を折ろうぜ
先ず愛そうよ、そこから始めるんじゃないかって思うんだ。
偽善だって言われるんだろうけどさ
言ってないし、言わないよ。そんな卑屈にならないで;;
538 :
夢見る名無しさん:2010/02/15(月) 13:22:04 0
偽善であれ何であれ、そんなことよりそれを用いている主体(自分側)の軸が・・・
おっといけねえ!それ以上は言っちゃならねえ!
俺は悲しい、とっても悲しい気持ちになっているので
こんな時はヨエコを聞くのが一番だと気付きました。ごめん
自分は、全てを愛しているけれど、愛すること、愛の表現って
一筋縄ではいかない。
ということは
>>535さんも分かると思います。
愛って常に考え、自問自答・・(勿論それすら喜びなのですが)
そうなんだよなあ、難しいんだよなあ
今の俺に優しい言葉掛けたら泣いてしまうぜ
愛について書いて見たことがあるんだけど
>>218 これだとさ、無理なくいけると思うんだけど、どうだろう
何か指摘みたいなのがあれば嬉しいです。
542 :
夢見る名無しさん:2010/02/15(月) 13:38:14 0
>>536 マザーテレサのメッセージの一節です。
もしも私たちが本当に謙虚ならば、ほめられようと、
けなされようと、私たちは気にしません。
偽善かもしれないという意識は、偽善と思われてもかまわないと
腹を据えることで解消されるそうです。
マザーテレサは「肝っ玉母さん」と和訳できそうですね(笑)
>>542ありがとう、泣いてしまうわw
大丈夫、偽善だと言われてもキチガイだと言われても
べつにそれはどうだって良いこと、気にしてるようなら
俺はもう自殺でもしてるだろう、実際病院行ってるしww
544 :
夢見る名無しさん:2010/02/15(月) 14:36:43 0
神様は全ての子供たちを包んでします。
善悪はない
わたしはあなた
すべてはひとつ
その言葉に逃げ込ます、怯えから使うのではなくほんとうにそれを信じているのなら
現実の悪や差別や分裂の事実を直視することも怖れない。裁くのではなく事実を。
その直視こそ愛の行動原理。
まだ信じられないのなら人に何をするよりもまず神様に委ね神様へ自分から手を伸ばしましょう。
一人ではない。
あなた自身が本当にそれを解って言っているのかが、やや疑問です。。
547 :
夢見る名無しさん:2010/02/15(月) 15:02:51 0
大切なことは自分が神と出会うかです。
大切な事は情報を集め批判し怖れる事ではことではなく、
神と出会ったあなたならその情報を自分のものにできる。
>>546 こういう見方をする人もいるのだなぁと参考になりました。
限られた情報からによるので若干偏った見方をされているのではないかな
という印象を受けたのは否めません。
この筆者さん自体からも若干洗脳的な匂いが、、しないでもないですね(苦笑)
>>547いいこと言いますねぇ。
(ちょっと訂正)
>>548 限られた情報からによる考察だと思われるので、
若干偏った見方をされている(物事の本質を見抜けているとは限らない)
のではないかなと思いました。
>>546 全然わかってない。ブログ主は深読みして誤解している。
ガンジーはカースト制度の不可触民制のみに反対し他の部分は支持したということ。
何ら矛盾してない。
カーストのような身分制度を一概に悪と決め付けることは出来ない。
その制度の中にある人々が生まれつき決められた身分に満足し、
必要以上の差別、人権の侵害が無く、社会がそれでうまく回るならそれはそれで利点もある。
競争社会が激化しないという利点が。
>>544これだ、昨日聞きたかった言葉、昨日の人か分からないけど
私は逃げで行ってるつもりはないよ
現実の悪、差別、分裂、そういった事から逃げている訳じゃないんだ
また例えになってしまうけど、俺の家族が殺されるとする、犯人がいる訳だけど
その犯人の事を恨む事はしない、その罪を悲しむべきだと思うんだ
これは逃げている訳じゃなく、真正面からぶつかって行ってるんだ
悪にも差別にも分裂にも同じ事なんだ
552 :
550:2010/02/15(月) 15:29:29 0
〜追加〜
でもこういう身分制度はカーストでいう不可触民、士農工商でいう えたひにん
など極下位の地位を設けないとたいがいうまくいかない。
まあどっちにしても、表面だけの社会的平等を妄信している現代の先進国には
ありえない制度だけど。
553 :
550:2010/02/15(月) 15:43:13 0
追加追加でスミマセン
とは言ったけど一つの見方としては面白いと思う。
言いたかったのはカースト制度支持と不可触民解放運動の間には
そのブログに書いてあるほどの矛盾、悪意はないのではないかということ。
洗脳方法については、なるほどと新鮮に読ませてもらいました。
554 :
夢見る名無しさん:2010/02/15(月) 15:49:00 0
>>546 読んでみた。
ガンジーに関しては他の人が論じているのでマザーテレサの件を
考察してみる。
「貧しいもの同士が施しあおう」というのは仏陀も提唱していたことで、
その根底には
「物質的に豊かになるためにはまず心を豊かに
しなさい」という思想がある。
そして実際にそのような者たちが互いに施しあった結果が
戦後から奇跡の発展を遂げたこの日本であるともいえるかもしれない。
かのブログ主の思想は唯物論的に偏っているようで
>>548さんも言っているように確信犯的洗脳の匂いを感じますね。
なるほど、昨日の人はあえてああいった書き方をしていたのかもしれないな
現実的な面での善悪、それに対する其々の対応というか姿勢というか
そういうことを引き出したかったのかもしれない、私がその人から言葉を引き出したかったように
その人も私から引き出そうとしていたのかも知れないなって思った
でももしそうであるなら、アレじゃあわかりづら過ぎる、俺もだけどね
でもそうだと面白い、同じことやってたのかもしれないなw
相手は自分の鏡ですからね。
だから打算的だったり、意のままに他人の心を操ろうとするのは
良くないということです。
だね、もっと正直に書いたほうがいいね。
そうか昨日の時点で、何が言いたいのか、何を言わせたいのか
って聞けば良かったのか、それに答えてくれるか分からないけど
最初からそうすれば良かった、あぁ・・・寝ればよかったw
例えば自分の家に居るネコが車に轢かれて死んだとする、わざとぶつけられて死んだとする
ネコが死んだ事を悲しだろう、それと同時にぶつけた人
わざとネコを殺した人の動機、心情それもとても悲しいことだと思うんだ
ここに善だ悪だなんて無いんだ、善だ悪だとかどうでも良いことだ
でもわざとぶつけた人は悪だと思うんだ、悪いことだからね
だからもうこういう事をして欲しくないと思う、人を裁いても意味が無いからね
悪を裁くべきなんだ、その心を裁くべきなんだ、誰かに裁かれるのではなく自分で裁くんだ
これは逃げていることになるのだろうか?正直に書いて見たよ!!
>>559 >ここに善だ悪だなんて無いんだ、善だ悪だとかどうでも良いことだ
>でもわざとぶつけた人は悪だと思うんだ、悪いことだからね
ここが解らないのですが、「善悪を認定するのは意味が無いけどあえて言うなら悪だ」
みたいな解釈でいいのかな?
>人を裁いても意味が無いからね
>悪を裁くべきなんだ、その心を裁くべきなんだ、誰かに裁かれるのではなく自分で裁くんだ
これは自分が被害者だった場合、相手の心、行動を悲しむが裁く気は無い。
相手は自分自身で裁くべきだ。ということかな?
でも相手が自分を責めずに開き直っている場合はどう?
>>560レスありがとう、ちょっと違うんです、善悪を認定する意味が無いのではなくて
ネコが死んだ、また相手の行動についての悲しいといった感情を持ったことへのって意味です
善悪って決めないと判断できないでしょ、だから
んで開き直っているとしても同じことです、他を殺める、または迫害するといったことは分裂です
開き直っているという事は、それらを認めているってことになると思うんです
だからその心が悲しく思うんです、恐れか不安か怒りか苛立ちか、その心が悲しく寂しく思うんです
自分自身が被害者でも同じです、私を殺してもその人を許して上げて欲しい、裁きは自らが下すものだと思うんです
こんな感じです、おかしい所があったら教えてください。
>>559 私は昨日の人ではありませんが・・・
どんな信条を自分に言い聞かせるかではなく、
自分自身が、その事実をどう解釈して受け止めるかが重要ですよね。
もしその場合、本当にわざとぶつけたのなら、そのような卑劣で非人道的な人に
出会ってしまった自分の運命(自分で引き寄せたこと)について考えます。
これはきっと何かのメッセージだ、というか・・実際その時になってみないと
分かりませんが、その時になったら具体的に色々と考えると思います。
とにかく起こってしまった出来事は仕方が無い。時間は戻せない。
その人を憎んでも仕方がない。生き物は皆いつか死ぬ運命。
しばらくは悲しみに暮れても、受け止めなければならない。
悪人に見えるような人には、根本的な人格形成における問題があると思います。
自分が直接何か、その人の心を救えるようなことが出来れば良いですが、
もし出来そうになければ、貧しい心しか持てていないその人を哀れみ、
改心するような機会が訪れることを心から祈ります。
というか、そもそも、架空の わざとぶつけたとか言う人物 を想像して
話を作り上げている今この状況が、なんだか非常に心地悪いと感じるのは
私だけでしょうか・・?
いやいや今はこれで良いと思う、これはぶつかり合いではないよ
今とっても幸せな気分だ、正直に話してるからね。
付け加えると今話しているのは解釈の問題、言葉では行き違いが生まれ易い
だから例えを使ってるんだ、気分を悪くしたのなら申し訳ない、でももうちょっと待ってみて
何か生まれるかもしれないから
ぶつかり合い(・・?)
ぶつかっているつもりはありませんよ。少なくとも私には^^;
私はただ、机上の空論にはならないようにと願っているだけです。。
あっ御免wネコの事だった、間違えてしまった。
心配してくれてありがとう
>>564 何か生まれるかもってしれないから・・って、おいおいw
クレクレ状態かよ!w
あなたは自分の中で答えが出ているんでしょ・・??
>>566 いえいえ。
あ、上の前半は冗談です。すみません、ちょっと言い過ぎました。
悪というのは、例えば、自分の利益を優先して考え、
他者への思いやりに欠ける行為を行う心のことではないでしょうか?
そういう話ではないのかな?いまいち論点が見えない。。。
今話していることは善悪の居場所とでもいうのかな?
善が何であるか、悪が何であるか決めるのは最終的に自分自身だと思うんです
現実的には善悪を決める必要が在る、判断材料がいるんです
それで何が善いのか悪いのかという事が分かってくると思うんです
だから善悪を否定しているわけじゃないんです、必要なんです。
つまり、「罪を悪んで人を悪まず」や「汝、人を裁くことなかれ」
という言葉は知っているが、そのことについて十分に把握しきれて
いなかったから、今考えているということでしょうか。
>>573いや御免、答えは自分の中にあるんだ
今はこのスレで多く使われてる善悪と、現実的な善悪
これについて、明らかにしていくことを目的としています
>>561 なるほど、言ってることの意味がようやく解ったかもしれません。
つまり被害にあったとき、善悪の概念に強く引き込まれ、怒りと共に相手を裁くよりは、
分裂の事実に意識を向け、それをただ悲しむということかな。
あなたは
>>490の人ですね?「悲しみは分裂ではない」確かにそうですね。
そして怒りはより分裂を生み出すでしょう。昨日レスしなかったけど共感しました。
そこで一つ思いつきました。人間の善悪の概念は、ふつう加害・被害の観点に立って
成り立っていると思う。でももし、より神性に近い善悪というものがあるとしたら、
「分裂を和らげることが善、分裂を助長することが悪」みたいな概念もありかなと。。
我々には神から授かった理性というものがあります。
善悪は、本来、我々は知っているのだと思います。
自分の理性に照らし合わせて考えること、感じる心をよく観察すること、
良心の声に耳を傾けてよく聴くことだと思います。
愛、調和、慈悲深き心、思いやり、美、分裂を和らげること…善
エゴ、不調和、無慈悲、利己主義、醜、分裂を助長すること…悪
こんな感じでしょうか?
>>576うん確かにそう思う、本来我々は知っているんだと思うんだ
でも生きていくうちにどうしても其れが揺らいでしまうことが在ると思う
その時に現実的に照らし合わせるものが無いと混乱してしまうかもしれない
それに善悪が無いと人は不安なんだと思うんだ、明確なやって良いこと悪いこと
それを欲するから善悪といった言葉が在る、でも本来自分にある物だと私も思うよ
それとこのスレで多く使われている、気付きという視点での善悪なんだけど
これ善でも悪でもないって書くから誤解を招くと思ったんだけど
これって現実的な善でも悪でもないんだ、○としてかくと
人が殺されるこれは大きく見れば○、とでも言えばいいのかな?
分かりにくかったら御免ね。
581 :
夢見る名無しさん:2010/02/15(月) 18:45:46 0
俺思うんだけど、分裂を助長させる感情を懐きそうになった時
本来その分裂さえも愛すべきなんだと思う、でもさすがに其れは無理だから
悲しい、寂しい、こういった感情を使うんだと思うんだ、これは分裂ではないからね
まだまだなんだ本当は愛すべきなんだ全てを、でもさすがにそこまでは私には無理なんだ
そこまでわかっていれば時間の問題だと思います。
いえいえw、言葉が足りなかったですね;すみません。
レベルアップするんじゃないでしょうか、ということです。
「本当は全てを愛すべきなんだ」と分かっていたら、
そのようになる為の道を歩んでいるのだと思いますよ。
>>585 なるほどよかった、レスありがとう
長々とお話していただいてどうもありがとう。
>>586 いいえ、とんでもないです。また来ます^^
おかげでいろいろな事が分かったよ
現実的な観点からいくと、全てを愛す事は私には出来ない
目の前で殺し合いしてるのを見てそれを愛すことは出来ない
とても悲しいだろう、でも愛によって行動することは出来ると思うんだ
その行動はその場によって違うだろうけど。
同時に気付きという観点で見た自分は全てを愛しているんだ
何の矛盾も無く全てを愛している、存在全てを愛してる
それは自身の立ち位置、○としてみた時の感覚
でも現実的には殺し合いがあったら悲しいと思う、どっちも本当なんだ
どちらも本当の自分なんだ、そういうことなんだね。
>>588だけどちょっと違った、目の前で殺し合いがあったとして
それはそれとして受け止めるが正解だ、それはそれとして受け止め
愛に基づいた行動をする、が正しいかも知れない
自身は悲しい気持ちになるだろうけど、愛せないんじゃない、それをそれとして受け止める
ってのが表現として一番良いかもしれない
>>589付け足します
その現実の存在を受け入れることが愛なのであれば
殺し合いすらも愛しているといえるかもしれない
でもその事実はやっぱり悲しい事だと思うんだ
こういうことになるのかな?たぶん
591 :
夢見る名無しさん:2010/02/15(月) 20:41:14 0
>>585 人違いかもしれないが、あなたは薺さんかい。
ここでは続きは話さない。
スレが埋まる内容の流れも考えつつ、宣伝効果も兼ねる意味で。
明日か明後日あたり、下記のスレで議論のラリーを続けよう。
※まだ今までの議論を貼り付けてないんで時間が掛かる。
※連続投稿がいけないらしく、途中で規制がかかるので。
■朝まで生書き込み
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1266226919/ もちろん、その気がないならそれでも構わない。その時は私の書き込みの
>>471で一応のメドが着いた事にしようよ。
そして、どこで私が折れてあなたに譲歩したかという点も見過ごす事にしたい。
悪くないよね、それで。
現実の観点、自分の感情、他の感情、善いこと、悪いこと、これらは別々のこと
でこれらをまとめて真ん中から見た観点が気付きになるんだと思う
だからお互いに誤解が出るんだと思うんだ、私の場合普段この真ん中での視点で
生きているんだけれど、現実での出来事に対し感情が沸かないか無いかというとそうじゃない
和合には喜びを、分裂には悲しみを持つわけだけど、その和合、分裂といった出来事に対しては
それとして受け入れるわけだ、ここら辺がややこしいね。
あれから考えたんだけど愛しているから悲しいんだと思ったんだ
愛しているから嬉しいんだと思ったんだ、愛しているから寂しく感じるんだと思ったんだ
結局全部愛してるんだ、皆もそうだやっぱりみんな愛してるんだ。皆もそうなんだろ?
まとめてみたよ、どうかな?
いろいろとお騒がせしました、皆さん申し訳ない、話し合いというのが
必要だと思ったんです、その上で答えを出すということが必要だと思ったんです
結果はどうであるかは分かりませんが、善い方向に向かえば良いと思います
昨日から大変申し訳ないことです、本当に御免なさい。
594 :
夢見る名無しさん:2010/02/16(火) 00:05:03 0
なずなです。
駄々おじさん、自分の思いに合致した文章だけひろって貼っているようですね。
さて 愛を感じる事と 愛することは違うように思うのですが。
愛が一杯と愛することは同じかな。
>>594それは違うね、うえで書いたのは愛する事だよ
殺し合いから愛はかんじられないからね。
596 :
夢見る名無しさん:2010/02/16(火) 00:15:08 0
殺し合いはもちろん愛は感じないね。
けれど殺し合いをする人にも愛を感じる時があるかもしれない。
感じる事と愛することは違うのではないかな。
>>596そうだね、上で書いてあるのは私としての視点だよ
殺し合いをする人にも愛は在るはずだよ感じることも在るはずだ
598 :
夢見る名無しさん:2010/02/16(火) 00:21:40 0
なら、愛はあっても 愛することはしていないということだね。
物理的な方法でって事なの?
600 :
夢見る名無しさん:2010/02/16(火) 00:25:55 0
そうだね、物理的な方法と大きく解釈してもよいでしょう。
物理的な方法で愛することを表現するという事はなかなか難しい事だね
私が心がけているのは、日常生活において、おいしい、おはよう、おやすみ
そういった事だよ、自分から率先して出来るような金も地位もないからね
そういった意味では感じること、愛する事というのは別だね。
もしかしてもっと精神的な意味での愛の物理的方法って事?
603 :
夢見る名無しさん:2010/02/16(火) 00:39:47 0
で、感じることはあなたも言う様に
>皆もそうなんだろ?
はい そ〜で〜す。
ですね。
愛することはしているかい?
と言われたら
やっぱりはいそ〜で〜す。
が返ってくるんだね。
殺し合いする人も自分を愛を感じる人だと思っているぐらいだからそうなるよね。
ああw御免それは違う、それは他にも気付きという視点から書いていた人たちが居たから
その人たちも同じような考えなのかな?っと思って書いたんだwごめん
>>603それは偏見だ殺し合いをする人だって愛している人、親、子供
そういった人が居るかも知れない
606 :
夢見る名無しさん:2010/02/16(火) 00:49:25 0
>>604 細かいそういうことはそれでいいのですよ。
>>605 うんそう思う。むしろ家族を思って殺しに行く。
愛の物理的な行動のもう一つの方も書いて見るね、日常生活でなんだけど
目に映るもの、出来事、掛けられた言葉全てが大事だよ
自分自身に起こった事、そういった事から意味を見出すんだ
それから学んだり感じたりするんだ、そういったことなのかな?
>>606 ちょww細かいってwww
家族思って殺しにいくって、殺し合いをする人がって事?
609 :
夢見る名無しさん:2010/02/16(火) 00:58:39 0
>>605の続き
けれど殺し合いに反対して殺された人は、家族まで殺されるかもしれないことを
覚悟している。
家族愛からと愛を感じるままに行うといえば聞こえはいいけれど、行いに至る時点で変換させていないかな。
>>609なるほど、私がその立場だったら逃げるね、けれどどうしても
どうしても逃げられないと言うのであれば、家族が死んでしまうかも知れない事を
家族に告げる、その上で話し合いをするだろう、それでも駄目ならもう殺し合いをするしかないだろうね
611 :
夢見る名無しさん:2010/02/16(火) 01:05:03 0
>>607 そうもちろんそうなのだけれど、全員がもっている愛を感じる能力と
愛する能力の間にたいへん近くて遠い何かがあるように思わないかな。
あ御免勘違いだった、
>>609そうだね行いに至る時点では違うだろうね
>>611そのモヤモヤが神であるという事なのかな?
愛を感じる能力、愛する能力、その間の存在は
私の物とよく似ているんだけど、だとすると同じってことになるね
615 :
夢見る名無しさん:2010/02/16(火) 01:25:16 0
>>594 駄々です。
いや、単にここではあなたも名無しだからアゲageで書いたものを、
なずなさんだと判断して貼っているんだ。もし私が貼り付けたもの以外で
あなたの書き込みだと言うのがあるなら、幾らでも貼って欲しい。
別に私はあなたを言い負かしたいたい訳じゃなくて、互いの着地点を
見つけたいだけなんだよ。決して自分の都合でなんか文章を選んでない。
「緑色」にageている文章をなずなさんだと思って並べているだけ。
まずあなたの質問に答えるよ。あとはみんなの感覚にお任せしたい。
質問:
さて 愛を感じる事と 愛することは違うように思うのですが。
愛が一杯と愛することは同じかな。
私の回答:
私は同じだと思います。今日のこの時点では上手く表現出来ませんが、
私の境目から誰かを「愛する」事は、「束縛」や「依存」でしかないと感じます。
ですが、私の境目をなくし、「愛する」事は、「独占」や「依存」からの解放だと感じます。
それは愛を伝える事ではなく、理解してもらう事ではなく、
ただ、愛が湧き上がり、それは私から生まれているものなのか、
周りの世界から生まれているものなのか区別をつけられない状態を指すと思います。
なので「愛」を感じる事と「愛する」事は、同義だと思います。
勿論、恋愛が生む愛はその中に含まれていないとも思います。
私はそう感じはしますが、それを掴んでいる訳ではありません。
自分の中にあと少しで生まれそうなのは感じますが、難産です。
616 :
夢見る名無しさん:2010/02/16(火) 01:27:57 0
駄々です。
それとあなたの下記の文章についても、向こうのスレッドで話をしよう。
まだ全文を貼り付けてないので、議論までもう少々、待って下さい。
526 :夢見る名無しさん:2010/02/15(月) 12:21:13 0
また試された振りをしながら相手の気付きを促すという
観点も菩薩行かと思います。
534 :夢見る名無しさん:2010/02/15(月) 12:58:19 0
思い込みが激しすぎて 意味が読めないのかな。
自分が書いた文章にも軸をもって書いていないのかな。
まず自分の書いた文章の主旨を書いてみて、
次に他者の書いた文章の軸を読み取ってみる。
断食が主旨だったのか。
相手の文は虐待がその主旨か。
617 :
夢見る名無しさん:2010/02/16(火) 01:27:59 0
>>614 神人とは悟った人を指さない。
愛を感じる能力を持つ生き物と、愛する能力をもつ神との出会いを指す。
>>617いきなり難しいこと書くなあw
あなたは愛という道から、私は瞑想、知識という道から
同じ存在を得たということなのかな?だとしたら嬉しすぎるんだけど。
私の感覚だと愛を感じる、愛する、その間に在るものは
もう自分にあったよ、同じものがあったんだ、何でだろう?
620 :
夢見る名無しさん:2010/02/16(火) 01:38:36 0
>>618 ほんとだね、つまり悟ることなどできないしそもそも悟りなどあるのだろうか。
禅的ですが。
けれど私は神と出会った、
神の間に真に。
うおおおおおお!やったーーーー!!嬉しすぎるwwww
なるほど!道は違えど行き着くところは同じなんだね!
だからいろいろと行き違いみたいなのがあったんだね
悟ることは出来ないし無いと言うのはそうだろうね
俺もそこ目指してたけど無いって分かったからね
やったーー!!俺は幸せだな、同じなのかあ!!
だとするとここに居る人たちも同じってことになるね
これだ!解け合った感じなのかな?
うひょおおおお!!!寝れねええええ!!
泣いたww久しぶりに泣いたwwwこれだ、これが欲しかったんだ
うひょおおおおお!やっぱり同じだったのか、嬉しすぎて寝れないw
今思い出したけど俺も間だったな、何かの間
多分自分と他全部だったのかな?神様って間に居るのかも知れないな
やっぱりこの存在は共通だったんだ、どんな道もそうなんだろうな
科学も神にあう日がくるのかもしれないね、なんか絵みたいだよね
どんな絵かお互いが説明しあう感じ、おんなじ絵なんだけど
説明の仕方だったり感じ方が違うんだ、でもおんなじ絵
で合致した時に「そうそうそれそれ」みたいになる感じ。
これ、これ、ちゃんと寝なさいw んで、朝、起きたら、散歩なさいw
ゆっくり、深呼吸して。まるで、はじめて歩くような新鮮さを感じながら。
歩く時、からだの隅々を意識をめぐらすと、色々な感覚が一斉に立ち上がってくる。
あたりまえだと刷り込まれている日常が、意識ひとつで、日々、奇跡の時空へと。
>>624 薺、もう自演で会話を続けるのを止めたら。
誰も入って来なくなっちゃってるよ。
もし、会話を自分から発展させたい場合は、
見立てた仮想人物に自分の本音に対して「否定」を言わせるといい。
その為には、自分の中に何パターンか今までの遍歴を持ってないと見立てられない。
さすがに全部、相手が同意してたら一人でやっているとばれるサ。
そして、見立てた会話相手に何通りかの「否定」を言わせる事によって、
途中で本当に誰かが参加してくる。たとえその人が自分の意見に沿わなくても、
スレ的には話は膨らんでゆくよ。自演する時は仮想相手に自分と同意させちゃ駄目。
ましてや全部、同意、全部、賞賛はばれるから。
その見立てた「否定」の隙間から、
誰かが糸口を見つけて話を展開させてくれる時もあるからね。
627 :
夢見る名無しさん:2010/02/16(火) 12:50:17 0
>>625 >>626 は、自分がやっていることを言っているのだけれど、
それを人に被せるのはどうしてか考えるとよいね。
わたしはあなた 一人ではない 愛する
というのはそういうことではないね。
628 :
夢見る名無しさん:2010/02/16(火) 13:23:20 0
この被せるという言葉は 被害者 被だ。
そういえばオウムの被害者坂本氏や松本サリン事件で冤罪に発展し、妻を亡くした
河野氏は麻原と人物としては対極にある。
この前から騒がれている冤罪事件もそうだし、結婚詐欺の犠牲となる男性や、賢く可愛い女性が魔の標的にされ
命を奪われている事件。
犯人と対極にある。似ているからではなく。
申し訳ない、ただ照らし合わせが必要だと思ったんだ
気付きを得るという事、それに特化したスレという事なので
愛という道から、存在という道から、道は其々違い、感じ方、説明の仕方、表現の仕方
そういった事に違いがあり、少なからず誤解、行き違いが起こると言うこと
だからどちらが正しいという事ではなく、理解しあう事、学びあう事が大切だと思ったんだ
どの道を進んでも、たどり着くのは同じ存在、神、なのだから、やっぱり理解しあう事が大事だと思ったんだ
俺も皆に迷惑を掛けたし、嫌われている事だろう、だからもう書き込みはしないよ、御免なさい
でもやっぱり必要だと思ったんだ、一度理解しあう事が、これって解け合う事になるんじゃないかと思ったんだ
最後に本当に御免なさい。
なんでそう自虐的になるの。
俺個人としては迷惑とも感じて無いし、嫌ってもいない。
自由に書けばいいじゃん。
何で自分で自分を不自由にしたがる?
名前は無いんだから、また別人格でやり直せばいい。
まあ、確かにそうなんだけどね、こういった場合正直に行こうと思ったんだ
不自由にしているつもりは無いんだ、全体として、このスレとして、一端の終結を持たせようと思ったんだ
そこに誠実で在りたいと思うんだ、俺は俺ではなくて今このスレなんだ、だから俺が書く書かないは些細なこと
そしてこのスレでより多くの気付き、理解、学びが在ることを強く望むんだ、皆が解け合って行く
これは凄いエネルギーだよ、凄い和合の力、凄い愛の力、凄い意識の力、まさに統一にむかってるんだ
これはとっても嬉しいこと、とっても幸せなこと、共通の存在の元に皆集まる、そこには愛しかないよ
素晴らしい事だ、人類全体がそうなることを強く望むんだ、だからここで一先ずの終わりにしたいんだ
全部ここから始まる、肯定、理解、このスレがもっと寄り良くなることを強く望みます。
大丈夫、焦らないでもなるようになるよ。
元々、人の心は愛が流れ出る事を『心地よい』と感じるようにできてるのだから。きっとね。
>>625すまねえ、昨日の会話の相手は俺だ、童貞兄さんだ。
長々書き込みして御免。
これは全面的に俺が悪いな、吹っ掛けたの俺だし
よし!俺みたいな屑ほっといて皆書こうぜ、俺が言うのもおかしいかも知れないけど
何か流れを止めてしまったようだ、これで最後だ、御免。
でさ、存在として見た場合、行き着くのは自分とは何かって事になると思うんだ
それで愛という観点から見た場合も、愛とは何かって事になるんじゃないかなって思うんだ
でもやっぱり細分化して考えないと細かい所は分からないんじゃないかな?
仕組みを明らかにしていくっていうのも大事な事なんじゃないかって思ったんだ。
ひょっとしたら、ポジティブな願いやネガティブな保身でもなく
自分は何でも無かったと思えた時に、自然な元気が溢れて来るかもしれない。
んで、その元気が愛かと。
人が人工的に繋げようとしたり、増やそうとする愛でなく、
心から来る愛なのかもと思ったりする。
636 :
夢見る名無しさん:2010/02/17(水) 01:47:54 0
生きているということは意識しなくてポジティブなのです。
今の瞬間、自分で鼻をつまみ口をふさぎ息をとめたりなどしないのですね。
では願いとは何かですね。
そのポジティブさに気付かず妄想の中に入り分裂している状態へ
意識的なやわらかな調整をすることです。それが願いなのです。
>>636 そういうポジティブの用い方もあるだろうけど、
>>635が指すポジティブは、
自分の価値や偏差値を高めようとする「目標」を言ってるのだと思うよ。周りの人間より
自分を気に入って貰おうとしたり、守ろうとする「保身」と同義だと言う意味で。
>>635は0はポジティブだと解ったうえで、+1のポジティブは-1のネガティブと同じだと言ってる。
>>636は
>>635をそう受け取らず、ただ、+1はポジティブでなく0がポジティブだと言ってる。
>>635は確かに文中では「0を本当の意味でポジティブだ」とは明言してない。だが、それを秘めている。
639 :
夢見る名無しさん:2010/02/17(水) 13:24:50 0
人の願いとはなにでしょうか
人が意識しないでもっている願いとはなにでしょうか
心から来る愛なのでしょう
そして人は心がどこかへ行かないようにやわらかく願っているのでしょう
やっぱり誰かを生贄にして事態の終息をってのは美しくないな
まあ生贄を使ったのも、生贄になったのも俺なわけだけども
やっぱり書くよ、書きたいことあるんだ
上で愛を感じる事、愛する事、ってあるけど
分かりにくいんじゃないかと思って、これについてちょっと書いて見ます
自身の心は愛を感じる事が出来る、心地よく感じることが出来る
でも自身は愛を表そうとしているわけだけれど
この愛を表そうとしているのは心では無い、神とでも言うのかな?
愛を表そうとしている事を表現する言葉が分からないけど
肯定を愛とするなら、心で出来る愛することは唯一、肯定することなのかな?
こんな感じで思いました。
私もそう思う。
人に対してのみじゃなく
自分にとって不幸だと思える出来事や境遇でも
肯定する事により、その心境ががリセットになる。
リセットされた状態を持続する、というのが
身から出た錆びを出さない状態なのかな。
だとすると、この気付きという言葉に出来ない存在が愛とされるのが頷ける
善でも悪でも有でも無でもない存在、それは全ての存在を内包していると思う
それは全ての肯定、だからソレは愛であるとされるのかもしれない。
気の付きとは神の気が付く事かも。
常識以外の視点も意識に入る事。
昨日の自分より視点が広がる事。
自分の思いから離れてゆく事。
って事は、
愛と言われる私的な模造品から、
公的な愛へ意識がシフトする事が
気づきか。
なるほど、であれば普段から物事や存在を肯定して生活すれば
気付きやすくなるのかもしれないな。
彼女いねー奴って、あーでもねーこーでもねーって観念的になるよな。
特に「愛」についてw
じゃ、君がズバリ言ってくれ。
という私もそんなに興味無い。正直、「愛」とか率先して語りたがるのは、
その時、何か満たされてないからそういう事を考えたくなるのかなと。
でも取り敢えず、君の「愛」についてを聞かせてくれ。
私はちょっと食傷気味だけど。
「神」についての、あーでもねーこーでもねーの方が、考える幅が広がるかもな。
人によって、多種多様な神の概念が存在すると思うし。
本能に沿っている精神活動は行動の節で本能に指揮を任せます。
愛を感じたとしてもその行動の節で本能の都合に合わせた「愛」?に隷属し変節させる伏しがあります。
体主
心は体的あるがままより霊的あるがままを願っています。
霊主
その霊的というのは見境のない目に見えないものを指していませんし、
何かの体験は目に見えない領域があるとほのかに知る手掛かり以上に意味はもちません。
雪を初めて見て大喜びできても雪へのベテランでないのと同じです。
愛を感じる自分が自分の心とすきまなく働かなければ、その愛は変節し気付かずエゴに変化しています。
そしてこのエゴは、一般に知っているつもりの表面ではありません。
神との出会いがエゴを顕かにします。
形に囚われていてはエゴを知ることもありません。形を崩すのは心が要求しているのですが、思春期の反抗の崩しは霊的軸がありませんから体的に尚支配され自由がありません。
その本能に合わせた肉を主とした「愛」は
愛と言ってしまうより、別の言葉をはめた方がいいかもしれない。
肉を主としたレプリカの「愛」はまるで「喰らう」事に近い。
人は豚肉や牛肉を味わおうと舌の上に乗せる。だが、それは愛ではない。
網皿に取っておいた自分の為の肉を、他の誰かが持ってゆくと「それは私のだ」と言うかもしれない。
彼氏や彼女を誰かに奪われた時、好きな人を誰かが連れ去った時、
大事な宝石を誰かに奪われた時、大事な人を誰かにさらわれた時、
同じような気持ちにはならないだろうか。
もし他の家の子供が誘拐される度に、我が子のように本当に思えるなら、
毎日、それぞれの家は悲しみに暮れるだろう。だが、自分の家に起こらない時は、
それほどの悲しみは起こらない。
【意味】と【対価】
ある男がなけなしの5千円をパチンコにつぎ込んだ。
そして、ものの数十秒で5000円をスル。
その男は言った。「意味ないじゃないか」と。
隣の台に座る女性は言った。「5千円を注ぎ込む事に意味を求めたのはあなた」と。
その男は負けじと返した。「5千円の対価として何も貰ってない」と。
隣の台に座る女性は更に付け加えた。「パチンコだけでなく何でもそう。」
「愚痴が零れるくらいならココはあなたが来る場所じゃない。」
「その対価の中には0円から10万までの幅がある」と。
「出てくるものが全て10万円なら誰でも来る」と。
隣の台に座る女性はパチンコに関係の無い事を言った。
「給料は安定された対価、あなたが30万でいいと思った仕事なら、その中で黙々と対価を貰った方が確実だわ。」
「それでも文句があるなら、あなたが満足する対価を別の場所に求めなさいよ。苦しみ込みで30万だったんだから。」
「苦しみ込みで30万なら自分がやります!と言う人は山ほどいるわ。」
「誰かにその対価を譲る勇気が無いのなら一言も漏らす資格はないわね。」
自分の自我で生んだ子供に意味を求めてしまう。
「この子はこれを望んできた訳じゃないのに。」
望みを持っていたのは発信側。
ある者が自分が描いた箱庭を作っていた。
窓から入る突風で崩れてしまった箱庭のミニチュア。
その者が呟く。「せっかく造ったのに、意味ないじゃないか!」
造るのを見ていた者が一言。「箱庭自体に意味は無いさ。」
「途中まで楽しめたんだからそれでいいじゃないか。」
やっぱり思考ってのはやっかいだなあ
自分で固定させてしまうからなあ。
この子が声をあげた、自分はそれを望んではいない。
たとえ話ってわかった気持ちに一見なるけど、
所詮たとえ話なんだろうなぁ。
わかった気持ちにさせるところが、マジーなやぁ。
『卵』
隣の家から頂いた1個の卵、今晩は目玉焼きが食えると勇み足。
安心し過ぎて間抜けた爪先、手を滑らせて路面に叩き落す。
すれ違い様にニヤケてしまう高校生。失った方には詰まらない。
卵一個が生み出す効果。
一人が笑う事が出来、一人が恥じる事が出来て。
何十匹の蟻には、乾いた先から抱えて行くご馳走。
乾かぬ間に舌で人間を思い出す捨て犬。
落とした男は真っ赤になったが、
焦りと喜びの中に動かす神は居た。
『卵』が血を流したかは知らない。
『卵』はこれでまた、暫く眠り続ける。
チキンがその子を思ってるかは知らない。
いつも寝てる間に『卵』が盗まれていたら。
記憶を入れ替えてみる試み。
同居人を入れ替えてみる試み。
嫌いを入れ替えてみる試み。
好きを入れ替えてみる試み。
何でも繰り返された試みの中で、
その人が誰を残してゆくだろう。
誰を見つけずに居るだろう。
>>656 確かにその感覚はわかる。まずいよね、錯覚は。
実は何にも掴んで無かったんじゃないかと、テンションが下がってからこみ上げる。
でも自分で「変換」してみる事は、実感を確信に近づけさせる訓練かなとも思う。
人が言わんとした内容に共感出来るものがあったら、
酷似したニュアンスを指す為に違う言葉や言い方を使って
自分なりに言い換えてみるとか。。。
やっぱり、心からの実感が沸かないと、
自分の「変換」に腹の底からは満足出来なかったりすると思うし。;
手探り状態です。(個人的感想)
言葉から一時期はなれてみたらぁ?
言葉
すべて言葉
右手を上にあげるのは言葉
左手でだきしめるのは言葉
眉間にしわをよせるのも言葉
言葉 ことば 事の波
身体もいつも言葉を発している
人間は言葉でできているのかしら
>>660 そうなんだよね。あなたはきっと悟っているか、その辺りに居るんだろう。
か、私が書く事を良しとしないと思っているかのいずれかだろう。
でも、私も言葉は分離でしかなく、言葉を超えたところにそれがある事を嗅いでいる。
でも、それを表すには結局、言葉でしかない。一時的に言葉から離れてみる、という事なら解る。
自分は言葉以外では努力をしていないようなものだから、瞑想とか。
でも、それをしたら、料理番組の出演者が「ちょっと料理から離れてみます。」と言うようなもの。
以前書いた古い詩を投下。始まっているスレにも載せた事あるかな。
---------------------------------------------------------
言葉はロゴス。
散らされ向き合う性分。
それは神をあらわし、何ひとつ指し示す情感として
同じものはない。
はじめはそこに言葉は無かった。
たが改めて手にとって見つめ直したくなった。
そして改めてそれはどのような味わいかを
想像させやすくするため、
満足から言葉へと切り離した。
存在を拒む事を伝える言葉はあっても、
言葉自体の意味合いまでを亡き者とする言葉は存在しない。
あなたの忘れられない妻だった女性を
あなたが納得するほどの言葉で並べてみよう。
そしてそれらの行為の数々は、
同時に神の片鱗をあらわす事となる。
---------------------------------------------------------
あなたの忘れられない妻だった女性を〜の部分は雰囲気として
飾りでつけた感じだから見る度、面倒な気分に襲われる。
誕生日ケーキの名前プレートのようなもの。
誕生日ケーキの名前のように厄介なもの。
でもそれを厄介と思わなくなって可愛いと思えるのも、
また苦痛のダイスが満足に変わる時。
-----------------------------------------------
【是在れ誕生】
みな二度以上生まれて来た。
在るの世の大いなる存在より
そしてこの得たり捨て去る地上へと。
言葉と共に
善と悪とを教えられ
言葉を超えたところより
善と悪の二分から解放される。
愛と言えて
慈悲と重なる壁無き光明に沿って
是の地上を園と思えるように
【0=1 1=0】
1と言う数字は歩み出した途端、
0であった事を見つけてしまう。
だがもう1は
自分に0が無い錯覚に怯え、
0から逃げるようになった。
1を数え続ける終わらない旅。
でも本当は1でいる事それこそが0だったんです。
今居るところは何処なのか、
それが知りたくて0から1へ飛び出して
0を向こう側とした。
でも0はその在り様がそのままで1なんです。
自分も同じ事に気づいた1は、
もう何処かに隠れようとも逃げようとも思いませんでした。
外でなく内。
与えず、また取らず
人はただ自然のままにあるべし
マハムドラーはすべての容認と拒絶を越えたるがゆえに―
もとよりアラヤの生ずることあらざれば
誰もそを妨げ汚すこと能わず
不出生の境界にありて
すべてのあらわれはダルマタへと溶解し
自己意思と高慢は無の中に消滅せん
〜OSHO「存在の詩」より抜粋。
---------------------------------------------------------
アラヤ=阿頼耶識。
ダルマタ=世界を構成する五つの要素。地、水、火、風、空。これに識を加えて六つとされる。
―意識が現れるとともに、世界が現れる。―
「I AM THAT 私は在る-ニサルガダッタ・マハラジとの対話」より抜粋。
「惚れて」イブン・アラビー作。
狂おしいほど惚れぬいた男があったそうな。
男はある日、惚れた御方の家に行き、扉を叩いたんじゃと。
その方は中からこう言われた。
「どなた?」
男は答えた。
「私ですよ」
すると、その方はおっしゃったそうじゃ。
「この家は狭くて、二人でいるなんてとても無理」
男は砂漠へ出向き、うんとこさ考えたと。
一年して男は惚れた御方の家に戻り、また扉を叩いたそうじゃ。
その方がお聞きになったと。
「どなた?」
そこで男はこう言った。
「あなたですよ」
すると、扉は開いたとさ。
---------------------------------------------------------
◆智慧の手帖◆「イスラムの言葉」より。
俺思うんだけどさ、言葉、意識、現実、なんでもそうだと思うんだけど
何が良い悪いじゃないと思うんだ、折り合いっていうのかな?
ちょうど良いところ、ある時は使う、ある時は使わない、みたいな
そんな感じが大事なんじゃないかな?
そうなんでしょうね。ここでも言われていた中道とか。
自分なんてよく「あの世」寄りの発言をしてしまいがちですが。。
>>229さんが
>>224さんの事をそう言われておりますね。
結局、この世にある時の意識があの世の意識になるとしたら、この世に居るうちに
自分の世界が極楽になるような意識を持たないとならんのかもしれません。
ひふみ神示にもそんなフレーズがあったような気がします。
自分はよくは読んでないので、すぐ出てきませんが。。
猫に訪れるのは、はたして盛りか、悟りとなるか。
甘える猫は意識の一片。其の撫で声に吾が手を撫でて影を投げる。
座布団は取らないで。
>>669 それ俺が書いたんだけど
もし俺が中道だとすれば、俺はどっち付かずって訳じゃないんだ
どちらにも付いているんだ、だからどちらも正解になるんだけど
どちらかに寄っても戻ってこれるのなら全然良いんじゃないかと思うんだ
むしろ寄らないと見えないこともあると思うんだ
あくまで個人的な思いなんだけどね
>>671 dクス。そうかも。故人だからあの世のみに居場所がある訳じゃない。
肉体があるからこの世だけに居る訳じゃないんだろうね。でもついつい自分には肉体があるから、
死をゴールにした先にあの世があると云う直線的思考に陥ってしまうけど、
本当は常にどちらの世界にも属している境目が心の居場所なんだろうな。
肉体があるというだけで、油断してると自分達に都合の良い常識を持ってしまうと思う。
そういえば見つかりました。ひふみの例の箇所の部分。なんかスッキリ。
日月神示 ― 黒鉄の巻 第二十一帖
身も心も嬉し嬉しなるのがまことの神ぢや。ものの嬉しさだけではゼロぢや。
たまの嬉しさだけでもゼロぢや。よく心得なされよ。死後のみ説く宗教はゼロの宗教ぢや。
迷ふでないぞ。この世で天国に住めんもの、天国に行ける道理ないのぢやと申してあらう。
---------------------------------------------------------------------------
日月神示 ― 黒鉄の巻 第三十三帖
人間は肉体をもっている間でも、その霊は霊の国に住んでおり、
霊の霊は、霊の霊の世界に住んでいるのであるぞ。この道理よくわきまえよ。
---------------------------------------------------------------------------
日月神示 ― 黄金の巻 第五十九帖
世を捨て、肉を離れて天国近しとするは邪教であるぞ。
合わせ鏡であるから、片輪となっては天国に行かれん道理じゃ。迷信であるぞ。
---------------------------------------------------------------------------
日月神示 ― 黄金の巻 第六十帖
天国に行く人、この世でも天国にいるぞ。
こういうのもありました。同じポイントをいろんな言い方で表してるみたい。
日月神示 ― 春の巻 第六帖
喜びの本体はあの世、現はれはこの世、あの世とこの世合せて真実の世となるのぞ。
あの世ばかりでも片輪、この世ばかりでも片輪、まこと成就せんぞ。あの世とこの世と合せ鏡。
---------------------------------------------------------------------------
日月神示 ― 黄金の巻 第六十帖 ※もう一度、短くし過ぎたので再掲載。
ここはいと古い神まつりて、いと新しい道ひらくところ。天狗さん鼻折りて早う奥山に詣れよ。
この世の仕事があの世の仕事。この道理判らずに、この世の仕事すてて、神の為めぢやと申して飛廻る鼻高さん、ポキンぞ。
仕事仕へまつれよ。徳つめばこそ天国へ昇るのぢや。天国に行く人、この世でも天国にゐるぞ。キタはこの世の始めなり。
この世でも天国というのは、満足していればいいと言う事っぽいね。
ヘタに取り違いをすると、裕福な人しか行けないように思えてしまう。
これは神示読んだ方が良いかもしれないなあ
祝詞ってのは何処かに書いてあったから知ってるけど
でも長いんだろうなあ・・・
長いよ。
けど、ハマると読むのがちょっと楽しみになる。
678 :
夢見る名無しさん:2010/02/20(土) 00:51:29 0
日月神示の理解者がたくさん居て嬉しいなあ。
おいらも5年ほど前にこれにたどり着いてからは
「生きてるだけでちょっとお得」の心持ちを
自分の中でニュートラルゾーンにすることができたんだ。
いい事があって有頂天になっても、イヤなことがあって
落ち込んでもすぐに心をニュートラルに戻せるようになったよ。
この5年間で失業やら高額当選やら家庭崩壊やら色々
味わったが今はなんとか平穏な家庭生活を送っている。
他にはまったものと言えば神示系ではないが、これもなかなか
面白かったよ。良かったら皆さんも参考にしてみて下さい。
「超訳・維摩経」
http://bunchin.com/choyaku/yuima/yuima_index.html 「維摩経(ゆいまぎょう)」は、戯曲的な色彩が強くて面白いという
噂だったので読んでみたわけなのですが、イキイキとした人物描写が
実に素敵で、凡百の小説やドラマなどよりもよっぽどか楽しく読むことが
できました。
で、この面白さ・楽しさの万分の一でも、誰かと分かち合えればよいなぁ、
と思い、浅学菲才を省みず、無謀な挑戦を始めた次第です。
娯楽性を重視したため、学術的正確さを相当犠牲にしています。
仏さま、どうもすみません。m(_ _)m
>>678 ゆいまきょう読んでみる。
こういうの読むと、ほぼ間違いなく一個は気付きを得られるし。
気付きゲットだぜ!
ほうほう、これは面白そうだ
まだ6までしか読んでないけど、やっぱり人にはそれぞれ段階があって、
その段階にあった学び方というのがあるんですね。
難解な表現や一見意味不明な文も、相応の段階にいる人にとっては感動するものでも、
そうでない人にとっては何が何だかわからない。
ちょっと前にも似たような事を誰かが書いていましたが、改めて納得しました。
>>貧しい人には施しを与え、悪人は教え諭し、怠け者にはハッパをかけるなど、
>>全ての人に対して、それぞれのレベルに合った導き方をする彼の人望は、まさに天下に轟いていたのです。
やっぱりバランス、中道が大切ですね。
極端なやり方は必ずどこかで無理が出る。
相応の段階にいる人にとって感動がある
他者にはそれをあてはめる
しかしもう通り過ぎたものは不必要と感じている人がいることに気付かない
自分が感動しているものも自分の相応の段階でしかないと自分にあてはめていないと
何が何だかわからないことをしでかす
そのしでかしは感動している人がそれ相応の段階でしかないという気付きのなさを指す場合もある
この言葉が使われる時も二種類ある。
何が何だかわからない
自分が到達していないだけ
何が何だかわからない
気付きのなさを促すぎりぎりの配慮
たとえそうであったとしても、
わざわざ「到達していないだけ」と言う事は無いと思うよ。
言われた方に得るものが何もない。
言った方にも得るものが何もない。
それよりも、
到達しているなら、
何かヒントをあげる方が親切。
>わざわざ「到達していないだけ」と言う事は無いと思うよ。
は
>難解な表現や一見意味不明な文も、相応の段階にいる人にとっては感動するものでも、
の気持ちを回りくどくなく言い現わしただけで他意はない。
君は言葉尻をとらないとおさまらないのか。主旨を読まないで。
668の補足
到達していない=>難解な表現や一見意味不明な文も、相応の段階にいる人にとっては感動するものでも
と言い替えただけで、何故言い替えたかというと
>難解な表現や一見意味不明な文も、相応の段階にいる人にとっては感動するものでも
を分解するのでなく他の話に発展させるため。
すみません。686の補足に修正。
他の話というのはゆいまきょう意外に発展さすという意味ではありません。
>相応の段階にいる人にとっては感動するもの
その言葉を発展させるという意味です。
気付きについて頭おかしいんじゃねえの?って思う人も居れば
なるほど!って思う人も居れば、何となく分かるけどよく分からない
そんな感じかな?
>>690間違えた、何となく分かるけどよく分からないって人も居る
って書きたかった。
683 :夢見る名無しさん:2010/02/20(土) 13:05:54 0
相応の段階にいる人にとって感動がある
他者にはそれをあてはめる
しかしもう通り過ぎたものは不必要と感じている人がいることに気付かない
自分が感動しているものも自分の相応の段階でしかないと自分にあてはめていないと
何が何だかわからないことをしでかす
そのしでかしは感動している人がそれ相応の段階でしかないという気付きのなさを指す場合もある
693 :
夢見る名無しさん:2010/02/20(土) 16:29:54 0
>>686 言葉じりとは違うとおもうよ。
数学の成績が悪い生徒に向かって「君はまだ赤点だ」と言って何になる?
それより、解らない問題の解き方を教えた方が効率的だと思うが。
主旨が読み取りにくい文章を書くと言う事も原因ではあるよな。
打って変わって、誰が見ても殆ど誤解しなくて済む明瞭な文章を書く人はいる。
読み手の洞察の少なさという責任もあるかもしれない。でもやはり、誰もが
主旨を読み違える事の少ない、わかりやすい文章というのは存在するだろうね。
695 :
夢見る名無しさん:2010/02/20(土) 17:05:07 0
おお見ろ皆の衆生命{いのち}が帰っていく
うるせえよッ!いのちが帰っていくじゃねえよ!!
わはははは この世の終わりだあーーわはははよかったよかったw
親が子に教える構図や先輩が後輩に注意する構図って面白い。
指摘が的を得ている時もあれば、言う方が気になるから口に出し、
言われた本人は「既に了解済み」の事だったりする。
心配する事って言う方を安心させるものでもあるかも。
生徒に合わせるのが、低きに合わせるのが平等って教わったからね。
もっも日本だけらしいけど。
他者に当てはめようが、何が何だか分からない事しようが
それぞれの道だからその人にとっては完璧なはず
自分がどうであるか解決するのは自分しかいないんだから
>>698 確かにそうかも。誤解された事、理解された事、意味不明といわれた事、
外界ではどう思われたにかに拘らず、それら全てが自己完遂へ向かって
動いている事だね。
なんだぁ、今、ふと思ったんだけど、タイトルの●って日月(神示)のこと?
日の上に月を重ねると皆既日食になる。皆既日食って●こんな風に見えるよね。
上手いタイトル、思いついたなぁ。
でも「月が太陽を覆う」って何か深い意味でもあるんかいな。
自分がどうであるか解決するのは自分しかない
と解っていれば他者に当てはめ被せ、何が何だかわからないようなことはできない。
解決は依存では得られないことが、解決は自分しかないということである。
>>700 しかも、たぶん全部の板に「【2ちゃんねる十周年】携帯からお試し●を使ってみよう!」
という2chのアナウンスのスレが立ってるんだよね。
神の追い風。
まあ確かにそうなんだけどね、自分がどうであるか解決するのは自分
ってのは自分の道が完璧である事が分かった後に出たものだから。
何で完璧だって思ったのか良く分からないけど、ありがたくて泣いたのを覚えてるw
俺の人生髪の毛一本まで完璧じゃね?みたいな感じで思った、不思議!
今まで当たり前にあったものを観点を変えて見直す。
それが気付きなんだろうなぁ。
意識を変えれば毎日のように起こるよね。
>まあ確かにそうなんだけどね、自分がどうであるか解決するのは自分
ってのは自分の道が完璧である事が分かった後に出たものだから。
そういうことですね。
ですから前後があるならそこから同じ一つの言葉に見えても使い手によって2種類に分れているかもしれないと
想像を伸ばすこともできる。
太陽は肉体を持つ生命を育む。月は引き潮と満ち潮を生む。
まるで、人間を存在させる為に必要だった大きな父母みたい。
>>703 凄いなぁ。そこまでの感慨。自分も瞬間風速で感動が湧き上がる事があるけど、
自分の我欲の故か、以前の日常の鈍感さに戻ってしまう。持続できたらいいなと思うんだけど。
ですからねぇ。
自分が飲み込めたってだけの話なのに、人にそれを教えようとするする人。
始まっているスレで既に右手左手の人が言っていた事と同じ。
「俺は太陽モデルだ、ただ放射するのみ。それをいい方に受け取るのも、
悪い方に受け取るのもその人の心次第だ。」みたいな事を言ってたな。
太陽の光って暑いとウザイって思うし寒いと恋しくなる。
自分がそれを求めるかどうかによって全然変わっちゃうんだよね。
本当は年中無料で降り注いでくれるだけでも大感謝なんだけど忘れちゃうんだよね。
>>708 それだけの話なら 虫のような現れ方はしないのですよ。
まだまだ甘いな。 虫の人ではなく自分に対して。
何が太陽モデルですか。 エゴ大王。
まあ お芝居だろうけど。
取りあえず太陽モデルのエゴ大王。
そしてこのエゴ大王に認められたものは子分だ。
これを読み解けるか。
自分を太陽モデルとするものを。
何故、勿体ぶった言い方をして答えを見せないように引っ張ったり、
甘いと言って人を採点しないと気が済まないのか。きっと寂しくて来てるんだろう。
読んでるだけじゃ満足出来ない。自分の言葉を載せないと満足出来ない。
その人の振る舞いがエゴに見えるかどうかも、心次第かもしれない。
ここのスレ主は
>>710が虫の人と言ってしまっている人だよ。
その人が敷いてくれた場所で何を言ってるの。
どこまでもその人の手の上で居ながら、エゴ大王と言っていいの。
甘ったれてるね。親の家で親を笑ってるようなもん。
つまり太陽をエゴ大王としか受け取れなかったわけだ。
そう発言する自分を見ないで。
エゴ大王wwwwwwはエゴ大王
意味もわからず騒ぐなたわけもの!
虫の人はつまりバロメーターなのだよ。
あんなちんぷな芝居に子分意外だれが感動する。
子分と言うのはエゴイストのこと。
虫の人は知っているのだよ。
エゴイストを演じたのだ。
>>710 あなたはまたもや、
既に皆が通り過ぎて来てる事を言ってるよ。
もういつのナンバリングの「はじまっているスレ」か思い出せないほど
みんなが理解している通過点だよ。
>これを読み解けるか。
>自分を太陽モデルとするものを。
太陽の爆発エネルギーを
我の強さが発してる精神的な象徴と同じだ、と言う見方だろ。
ここに居る人達はそれは理解してるよ。あなたが皆に対して
「きっとわかってないだろう」と思ってるだけ。
自惚れ過ぎ。少しROMってたら?
ここに居る人はあなたが感じてるよりも、
感性も思考も早いのがわかるはずだから。
あなたがアセスレに来たのは数個前かもしれないけど、
ずっと前に同じような話は出てたよ。
「自分を主張したり、自己実現させる我の強さ」はアセンションと逆のパワーだってね。
だから芸能人や起業家は我の強さがアセンションの邪魔をするんじゃないか?と言う説が。
〜芸能人や起業家は〜の部分は、一括りにし過ぎじゃないかなとも思ったけど、
言っている内容はあなたが今、みんなに勿体ぶってなぞなぞを出してる内容と重複してる。
>感性も思考も早いのがわかるはずだから。
さあスレ主の提言も読みとれない君たちの楽園を展開するといいだろう。
早いだと、笑わすな。
恥ずかしいか、もう一度良く読め。
■概要
「気付き」を全体で共有し、よりたくさんの「気付き」を得る事に特化したスレです。
議論や口論に時間を浪費したくない方、歓迎します。
自分の言葉・思念を深く読んで欲しいという方、歓迎します。
■ルール
・長文は歓迎です。
・「間違ってるかもしれない」と思っても、できるだけ書いてください。(※1)
・一切の「議論・口論」を禁じます。(※2)
・一切の「雑談・慣れ合い」を禁じます。
・魅かれた言葉があれば自分の中に取り入れていってください。(※3)
・「荒らし」も受け入れ、荒らしの言葉にさえも気付きを観とめてください。(※4)
・「疑問」を投げかける事は良いです。(※5)
・既成概念・常識をとことん破壊してください。
※以上の点をご理解いただけた方のみのご参加でお願いします。
※当スレは「アセンションは既に始まっている」スレより派生しました。
>>718 だから、あなたが最近になってやっと、太陽が精神的な我の象徴として
語られる事がある事に気づいたんでしょ。でも逆の説も多く浸透してるよ。
太陽が我を全く無くした闇の無い精神の象徴だと。
結局、どちらも正解でそれは表裏一体だと思っているけど。
みんなが早いというより、あなたは充分、遅いよね。誰もあなたみたいに
これから気づいてない事を教えてやる、みたいに構えて「もうとっくにわかってること」を
教えようとするような勘違いした人は居ないよ。
>>717 はじまっているスレじゃなく、あるわけ?スレの方じゃなかったっけ。
確か2.3年前くらいにそういう話は出てたよ。
なんでか分からないけど、ここだとこういう議論も冷静に見れる。
いつもなら自分も参加して楽しんでしまいそうなところを静観して見られる。
不思議と人の議論を見ていても不快じゃない。
生徒:ラムサ、あなた自身はどのように神の計画に沿っているのでしょうか?
ラムサ:神の計画?存在よ、あなたはどうして神に計画があると思うのか?
生徒:それは、物事がこのような状態になっているのは、何かそれなりの理由があるに違いないからです。
ラムサ:「父」が持っている唯一の計画は、あらゆるものが「父」そのものである生命を表現できるように、
ただ在ることだ。もし「父」に計画というようなものがあったとしたら、それはあなたの内面の神を
表現する自由を奪ってしまうことだろう。そしてそれは、あなたの独自性を奪い、自分自身を進化させることによって、
神と呼ばれる生命原理を拡大する能力まで奪ってしまうことだろう。
神の計画とは、在ることなのだ。それは、あらゆるものがひとつのものとして振動している状態で、
それぞれがまずは思考から始まり、それからその思考が物質へ固まりながら振動しているのである。
-----------------------------------------------------------------------------------
ラムサ/ホワイトブックより
あなたの愛する「父」はいかなる法も創ってはいない。ただひとつを除いては。
その法とは、「自分自身の至高の意志に従って自らの生命を表現すべし」というものだ。
〜中略〜
「一の法」とは、「すべての生命の源である神は、あらゆるものが神の存在を通して、望み通りに自由に表現することを許している」というものだ。
なぜなら、自由を通してのみ、あなたは「父」のことを知り、再び彼とひとつになれるからだ。そして、あなたが「父」のもとに戻り、
彼がこの自分自身の帰宅について思い巡らすとき、それは本当に偉大な日、偉大な永遠となることだろう。なぜなら、「父」のもとに戻る過程で、
あなたは「父」のようになっているからだ。そして、あなたが「父」のようになったとき、そこには常に無限の愛、無限の喜び、存在の永遠性を
ともなった生命があることだろう。
〜中略〜
「在るものすべて」から成り立っている宇宙の中では、悪というものは存在しない。
人間の魂は邪悪であると書かれてきたが、そうではない。人間の魂は神聖なものである。
なぜなら、人間の魂、そして人間のすべては神だからだ。もしそれが神でないとしたら、
それはいったいどこからやってきたというのか?
「父」、すなわち「存在すること」の外にあるものは何もない。何もないのだ。
悪である、よくない、間違っているというように誰かが判断した思考や行為は、どんなものでも意識の中で生きている。
そして、もしそれが意識の中で存在するならば、それが神のマインドの一部であることは間違いない。そして、
あらゆるものが神の一部なのだから、もし何かひとつのものが悪だと言うなら、それは神そのものも
悪であると言っていることになるのだ。
-----------------------------------------------------------------------------------
ラムサ/ホワイトブックより
りんごの画像がホログラフィック・フィルムの上で特定の存在位置をもっていないように、
ホログラフィックに組み立てられている宇宙では、物には決まった存在位置というものがない。
あらゆるものは、究極的には非局在的な存在であり、意識も例外ではない。したがって、
私たちの意識は頭の中に位置しているように見えるが、ある条件下では、部屋の上の方にあったり、
青々とした芝生の上を浮遊したり、建物の三階にある張り出しの上に乗ったテニスシューズの
「ひもと目が合う」ところに浮かんでいたりしているように見えるのも、それと同じく可能なことなのだ。
「非局在的な意識」という考え方を把握sるのがむずかしく思えるなら、わかりやすいたとえとして、
やはり夢をあげる事が出来る。見物客でにぎわう絵の展覧会にいる夢をみているところを想像して欲しい。
人の間をぬって歩き、作品を眺めていると、あなたの意識はその夢の中の自分の頭にあるように見える。
だが、意識は本当はどこにあるのだろう。ちょっと分析してみれば、それは夢のものすべて、すなわち、
展覧会にいる他の人々にも、美術作品にも、そして夢自体の空間そのものにもあることが明らかになる。
夢においても存在位置というのは錯覚である。なぜなら、そこにあるものすべて、人々も、物も、空間も、
意識も、あらゆるものは夢をみている人の中にある深い根源的な現実から開示されてきているものだからだ。
〜中略〜
自己の限界を定めてしまう私たち自身の信念が束縛を加え、このような非物質的感覚をさらに阻害してしまう。
何人かの才能ある体外旅行者は、ひとたび自分の第二の身体にいても安心していられるようになると、
頭をまわさなくてもすべての方向が同時に「見える」ことがわかったと語っている。つまり、すべての方角が見える
というのは体外離脱状態ではごく普通のことなのにもかかわらず、目を通して見ることにしか慣れていないため、
非物質的なホログラム体の中にいるときでさえもそう思い込んでしまって、本当は三六○度の視覚があるのに、
この習慣がそのことに気づくのを邪魔していたのだ。
-------------------------------------------------------------------------------------
投影された宇宙 ホログラフィック・ユニヴァースへの招待/マイケル・タルボット著
ああ、そうだ。
何が違うか何となく思ったのは、みんなちゃんと自分の意見を載せて書いてるからだ。
単調で中身の無いテンプレ通りの挑発を繰り返すような人がいない。
だれもかれも「自分の考え」を強く乗せた言葉で書いてると感じる。
否定にしろ肯定にしろ「考えを伝えたい」という情熱が伝わってくる。
それに全体の空気を乱さないように配慮してる人が多い。(2chでは珍しい)
比較的安定したスレと言える。
パッと見ではつまらないが、よく見ると面白い。
よく見ないと見えないという事は、深いという事。
このスレは深くなっていく。
深く掘り下げるのは文字の探求者の面々。
1レスごとにスコップを入れ、広大な謎の平原を掘り進む。
あなたは砂金を探すように掘り上げた土をよく観察し始めている。
あなたはもう「観察する意識」に変容している。
意識が変わると世界が変わる。
「観察する意識」でないと気付かない、文字、現象に遭遇する。
厳密には前からあったが、今になってやっと「気付く」
「観察」とは「情報」を手に入れる事、つまり「読む」事。
「読み」とは文字に限らず、「心を読む」「先を読む」というように、様々な物を「読む」事ができる。
この「読み」こそが、次の世で重要な能力となる、と私は考える。
>>8の神示は「読み」の重要性を示唆するもの。
また、日月には「先の分かる世になる」という言葉が在るが、これも「読み」と絡めて考えて観ると面白い。
日月神示は神道と通じるもので、日本人のための預言書と言っても過言では無い。
内容も日本人でも難解な言葉で書かれている。
まさにカムフラージュ。
そのカムフラージュを破るために必要なのが「読み」という事。
日月神示はその最も重要な「読み」の力を向上させる仕組みになっている、と私は考える。
だから、読めば読むほど読めるようになってくる。
あなたが「読みの真理」の事を頭の片隅に置いて下さるなら、きっとそのアンテナに何か引っかかるでしょう。
そうしたら私にも見せてください。楽しみにしていますよ。
※あなたとは、そう、あなた。
COMOFLAUGEには見つからないようにくらます、迷彩と言った意味以外に
その風景の中に「溶け込む」という意味もあるんだね。
感じ方は人それぞれなんだろうけど、
>>8の初めの一節(1.2行目)はこんな感じだろうか。
幾多の問いかけは、問いが解ける事の始め。
その湧き上がる問いこそが神の意識の働き。
八行目から十行目まではこのように感じる。
祝う心、最初のインスピレーションが字に込められる。
真心をそのように込める事で相手に伝わるのは誠(本当)。言葉だよ。
細やかな気遣いをどこまで読めるかで立たせる事が出来、立つ事が叶う世界だよ。
何故意味というものがあるのだろう?
言葉は、確かに自分が生まれた後に、後天的に学習したものだけれど、
その言葉に対応する意味そのものは、覚えた訳でも学習した訳でもなく、元々ここにあった。
例えば、『美しい』という言葉自体は、親に教わったりして覚えたものだが、
『美しい』という意味・感情は、誰に教わったものでもなく、自然に心から湧き出てくるものだ。
言い変えれば、我々は「花を見たらきれいだと思え」と言われるまでもなく、
どこからともなく「きれいだ」という感情が芽生え、「きれいだ」と言葉で表す。
「花はきれいだ」とわざわざ口に出して言うのが野暮ったく感じられるのは、その為だ。
確かに、意味というのは言葉と同じく学ぶものでもある。
以前までは、よく意味が分からなかった言葉、文章が、経験を経てある時『はっ』と分かる時がある。
しかし、元々意味が無ければ、それを理解できるはずもない。
つまり、自分がそれを理解できる前から、必ずどこかにあったはず。
いつからあったのだろう?
我々が生まれた時、既に意味はあった。ただそれを思い出しているだけ。
ということは、生まれる前から意味は存在していたことになる。
『どこに』意味はあったのだろう?
『何故』意味はあるのだろう?
意味とは『何』だろう?
>>『どこに』意味はあったのだろう?
以下の引用が何か考える材料になるかもしれない。
「意味の実体」は「イデア」と呼ばれるもの、と私は考える。
>wikiから引用
イデアとは最高度に抽象的な完全不滅の実であり、感覚的事物はその影であるとする。
イデアが存在しているのがイデア界(本質界)で、その陰が投影されているのが
われわれ人間の住む現実界となる。
意味の本質とは「万物万象の設計図」であるとも言える。
この「陰」の大元を辿れば「どこに」意味が在るのか観えてくるかもしれない。
「陰」の話はあなたにとって因縁があるものかもしれない。
>>『何故』意味はあるのだろう?
「意味」は「無」を「有」に転じさせる。
「意味」が無ければ「無」があるのみ。
人間にいつか芽生える「自我」とは「自分に意味を与える事」
すると、自分が存在を現す。
>>意味とは『何』だろう?
>>125に書かかれた「思源」という言葉をもっと深めていくと面白い。
「資源」と「思源」を対極に据えて、
「資源」は使うと無くなるが、「思源」は使っても無くならない、と考える。
どれだけ使っても無くならないものがこの世にあるのか?
ある。
それこそが「意味」「情報」「思源」
「意味」は見たり聞いたりする事で無限に増え続ける。
また、誰でも複製する事ができる。
意味=思源=情報
そして、この無限の思源は天(精神世界・意識世界)に満ち、天の存在そのものだと考える。
魂は意味の塊。
意味は無限に複製できるため、意味の総量は日々激増していく。
インターネットのデータ転送量は増え、人間はもっと早くもっとたくさんの意味を求めるようになった。
現在の人類はあまりに多すぎる情報の海に溺れてあっぷあっぷしている。
真偽の判定ができなくなっている。
では、どうすればいいのか?
過酷な環境に置かれたら生物はどうしてきたか?
その環境に適応する能力を身につけてきたはずだ。
ならば、人間もそうなる可能性がある。
情報の海をスイスイと泳ぐためのヒレを手に入れるのだろう。
そのヒレこそが「読みの真理」なのでは無かろうか。
違う観点で観ると、意味は膨張するのではなく分解されている、と考える事もできる。
原初には「在る」という意味がたった一粒あり、それが「有る」「無し」に分解され二つに増える。
二つは創造を繰り返し、ついに人間のような「意味の分解者」を誕生させる事に成功した。
人間は意味を増やす労働者と捉える事もできるが、その労働は決して「苦」ではない。
ウンコしたくなってきたからもうやめとく。
wikiに突っ込むのもアレだけど
>イデアとは最高度に抽象的な完全不滅の実であり、感覚的事物はその影であるとする。
最高度に抽象的なものとは、言い変えれば、最高度に具体的なものではないだろうか。
我々がイスというものを認める時、視覚という働きを通じて、目というレンズに映った像をイスとして認識する。
この観点から言えば、視覚で確認した『物理的なイス』というものは具体的なものと言える。
だが、我々が『イス』そのものに考えを巡らせた時、目の前の物理的なイスは具体性を失う。
何故か?
『イス』とは言葉に他ならない。我々がイスをイスとして認識できるのは、『イス』という言葉によってである。
茶色いイス、丸いイス、高いイス、木でできたイス、金属でできたイス・・・とこの世には様々なイスがあるのに、
それらは全て『イス』という言葉で統合されている。
言い変えれば、『人が座る為に作られた物体』という『意味』によって統合されている。
この『イス』は壊れることもなく、失われることもない。
この『イス』が本当の意味での『イス』であり、最も具体的なイスだと言える。
確かに、この『イス』は見えもしないし、触れもしない。
だが地上にある全ての種々様々なイスは、この『イス』(という意味・言葉)によって存在している。
つまり、真実に在る『イス』、『イス』というイデアこそが最も具体的なものであり、
物理的に存在しているように見えているイスこそ、最も抽象的なものと言えなくもないと思う。
>「意味」は見たり聞いたりする事で無限に増え続ける。
>人間は意味を増やす労働者と捉える事もできる
確かに。
元々の『素材』は、全て、今、ここにある。
だけど、その『素材』の組み合わせのバリエーションは無限にあって、
そういった意味で、人間は意味を創造し続けている、と言えるかもしれない。
神聖なる遊び、永遠の自己確認の一環として。
>>218>>219>>220 ここの部分を是非、あなたに見せたかった。借りて読んだだけだったが、
今日、ようやく注文した本が楽天から到着したので。
-----------------------------------------------------------
そのときだけ、精神はいかなる動きもなく絶対的に静まることができます。その瞬間に二元性はありません。
なぜならその瞬間は二元性をもたないからです。それは時間の中にあるものではないからです。
時間は、その静寂を体験して「私はもっとそれをもちたい」と言う観察者がいるときだけ存在します。
だから、絶対的な静止の、動きのないその瞬間は、時間の中のものではないので、未来も過去ももたないのです。
それゆえ、その絶対的な動きのない静止は、すべての思考を超えているのです。だからその瞬間は、
無時間的なものであるがゆえに、終わりがないのです。
-----------------------------------------------------------
続く〜
〜続き
-----------------------------------------------------------------------------------------
どんな歪みからも自由な精神が、真に宗教的な精神であり、それは寺院に行ったり、神聖な書物を読んだり、
どんな美しいものであっても儀式を繰り返したり、イメージでいっぱいになっていたり、それを押しつけられたり、
自己中心的であったりする精神ではないのです。
生きることは学ぶことと別ではありません。そしてこのことの中に、素晴らしい美があるのです。というのも、
つまるところ愛がそれだからです。愛は慈悲、情熱、すべてのものに対する情熱です。愛があるとき、
観察者は存在しません。二元性は存在しません。<私>は[存在しないのです。] 愛だけがあるのです。
それが一人を愛することであっても、千人を愛することであっても、あるのは[誰が誰を、何を愛するということでなく] ただの愛だけなのです。
愛があるとき、そのときあなたには間違ったことはできません。あなたはしたいことをするのです。
しかし、愛なしに、私たちはあらゆることをしています。−月に行ったり、驚くべき科学的発見をしたり。
そして、だからこそすべてが悪くなってしまうのです。愛は観察者が存在しないときにだけやってくることができます。
それは、精神がそれ自身の中で観察する者と観察されるものとに分割されていないとき、そのときにだけ
そのような性質の愛があることを意味します。あなたがそれをもつとき、それが至高のもの the supremeなのです。
-----------------------------------------------------------------------------------------
「生と出会う」J・クリシュナムルティ著
P65〜68 第二部 質疑応答 瞑想と時間のない瞬間より抜粋。
>>735-736 >>218-220じゃないけど、いい文章だね。
><私>は[存在しないのです。]
>[誰が誰を、何を愛するということでなく]
これらのフレーズを読んだ時に、仏教で言う「諸法無我」という言葉が自然に浮かんできた。
>>735書いた本人なんだけど、ありがとう
どうやら誤解を招く書き方をしてしまったらしい、御免
俺が書きたかった愛は根本つまり自身が愛だって事が書きたかったんだ
自身が愛で愛が存在って事を書きたかったんだ、申し訳ない
過去現在未来が無いという事大変勉強になりました
時間を持たない今に立つからこそ自身の道が完璧であると思えたのかもしれません
とても勉強になります、どうもありがとう。
>>738に付けたします
私は文章が苦手で書いて下さった文章も
理解できたかどうか分かりません自分の思いと似ているのかな?
くらいな所です、ですがあなたの気持ちは大変嬉しかった、ありがとう
>>737 こちらこそ、ありがとうございます。自分は宗教で使われる専門用語等は疎いので、
そういった言葉がある事を知りませんでした。
あと、こういうのもありました。
---------------------------------------------------------------------------
これは最も難しいことの一つです。理解したなどと言わないで下さい。それとうまくやろうなどと言わないで下さい。
なぜなら、「私は・・・・・・である」という言葉に、あなた方の文化全体が基づいているからです。あなたが
「私は・・・・・・である」という感覚をもった瞬間、あなたは対立の中に、分割の中にいることになるのです。
「私は・・・・・・である」「あなたは・・・・・・である」そして「私たちと彼ら」というふうに。
分割が起きた瞬間、「自分は・・・・・・である」という主張の中に断片化が生じ、あなたはもはや
分割できないもの[個人]―すなわち、単独の、全ユニット―ではなくなるのです。
あなたは「全体whole」という言葉が何を意味するか、ご存知ですか?それは健康healthyであることを、
または神聖holyであることを意味します。だから、自分自身の中で全体として分割されていない個人が、
健康であり、神聖なのです。それは彼が葛藤の中にいないことを意味します。
「生と出会う」J・クリシュナムルティ著 P211第三部 講話「重荷を課せられていない精神」より抜粋。
---------------------------------------------------------------------------
だから、<あなた>がいないとき―ありとあらゆる問題を抱えた、不安な、自分は愛されているのか
愛されていないのかと思い煩う<あなた>がいないとき―出現するものが愛なのではありませんか?
こうした心理的な様々な不安を抱えた<あなた>がいないとき、そこに快感でも興奮でもない美があるのです。
「生と出会う」J・クリシュナムルティ著 P301第三部 講話「美、悲しみ、そして愛」より抜粋。
---------------------------------------------------------------------------
>>741 あ、なるほど
変な事書いちゃった訳じゃないんですね、よかった
「自他不二」という言葉もあるようです。
「去りゆく一切は比喩にすぎない」オスワルト・シュペングラー
いろんな言葉があるんだなあ
個人的な思いなんだけど、自分と他が一緒になるんじゃなくて
本来分けられていない、元どうりになるっていうのかな?
愛は存在で在りのままの今で、自身は愛で在りのままの今って事
やっぱり表現するのは難しいですね、結局ドーン!って事と同じ
自身にスコーン!って来た時の知識というか理解というか
あれはどこから来るものなんだろうって思いました。
>あれはどこから来るものなんだろうって思いました。
それを言葉にするのは難しいよね。
集合的無意識とか阿頼耶識とか色々表現の違いはあるけど、
結局言葉で表わされてしまった『それ』は、『それ』ではない。
自分自身の体感として、経験するしかない。
>>730 >>745 「意味」も「あれ」も、後天的ではなく「すべて」を知っていたのかもしれない。
自分が全てを受容できていたことを段々と思い出してゆくだけなのかもしれない。
感知するものに「なにも間違いはない」上で、分けられた味わいの部分を「意味」としたり、
根源からの直感ともいえそうで、自分に素直になった時、一番腑に落ちる奥底からの「あれ」。
一人の記憶に、それ迄の登場人物が居る、景色がある。
新しく生まれた今が記憶になる瞬間、自己に内在していたものを見せられていた事を思い出す。
全てとの出会いとは過去になってゆく記憶というよりか、もう既に秘めていたものへの反芻。
内にあるものを残らず追跡するかのように外に顕れてくる。
魚は痛覚がないとか、あるとか言われは様々。しかし魚は肉を腹の無くされても泳げると言う。
人は己の身体を守ろうと海面から息と言われる自分の心を吐き出し、吸い込む。
「人を釣る漁師」とは人を魚にすると言う事かもしれない。
人を陸にを引き揚げたまま、魚のような心にさせると言う事かもしれない。
魚は空の鳥に似て個であるように戯れながらも個の無い全体へ意識を拡大する。
鳥と魚の群れはまるで大きな一羽と一匹のようにまとまって意識を泳がせる。
海の魚は同じ水から呼吸する。空の鳥は同じ風から呼吸する。
誰のものでもないところを通して生きている。
最愛の者を略奪されたとき、何故、恨みが生まれるときがあるのだろう。
最愛の者が自分の所有物だと思っていたから、剥がされる思いがあるのかもしれない。
持つ物を増やすとは何だろう。奪われた時の喪失感を仕込むだけのものではないだろうか。
それがないと自分ではないのだろうか。それがないと自分が豊かにならないのだろうか。
決して、それも悪い事ではないんだろう。
自分にないと感じるものを持っている人に会う事はあるのだろう。
そして「運命だ」と思い込む事までが、仕込まれていたのかもしれない。
人と人が会うとはなんだろう。自分とは違うタイプだと新鮮に思っていても、
おそらく双方はそれぞれの感受能力によって属性を渡し合ってると言えるかもしれない。
たとえば、50年付き添った夫婦の間で、妻は夫のようになり、夫は妻のような心を
持てるように、そうなるべくして結ばれたのかもしれない。
もしかしたら、回り道なんかでなく、何事も本人にとってはそれが自然な家路。
生まれてから生きていくというのは分裂の道じゃないかと思います
思考して固めていく作業、それから元に戻ったりするんだと思います
そう考えると分裂していく事は必要なこと、そこから戻ることも必要なこと
なのかなあって思いました、回り道なんかじゃ無いのかもしれないなと思いました。
人が何かを得るという事はなく、何かを失うという事もない。
本来無一物であり、また全てを持っている。
無一物であるが故に、更に何かを失うこともなく、
全てを持っているが故に、更に何かを得るということもない。
では、何も得ず、失わずの生きる事に何の意味があるのか?
何かを得られると思うから、そこに執着と欲が生まれる。
何かを失うと思うから、そこに恐怖が生まれる。
そういった妄想から抜け出し、「得ることも失うこともない」と知ることに意味がある。
「得ることも失うこともない」と知った心は美しく、また透き通った湖のように静かである。
騒がしい人界の喜びを離れて、穏やかで豊かな天界の喜びを味わっている。
複数の人によって沢山言い換えられた正解、並べられた言い方で染み込む度合いも変わる。
私もいつかは高慢な言い方だったかもしれないし、今もそうかもしれない。
同じ内容でも語り手が違えば表現が違う。
表現が違えば受け取る人間も違う。
そして、表現が違えば内容も違う。
形式と内容は表裏一体だから。
夢のなかで刺されたとき、夢のなかでビルの屋上から落とされたとき、
かすかに痛みを覚えてしまうのは摩訶不思議。
それを思えば、体感というのはそれほど実質的と言える確証はなく、
逆に精神的な暗示も多少なりとも含まれている可能性があると言える。
763 :
夢見る名無しさん:2010/02/22(月) 23:28:22 0
>>759 ちょいと補足すると...
得ることも失うことも無いというのは
「人は元々全てを持っているから」というのが前提でありまして...
さらに言うと...
外に見えているものは全て自分の内側の投影に過ぎないという
5次元的視野に立たねばならんのです。
なぜこれが5次元的視野なのか?
そのヒントは
>>678のリンクを参照してね。
ふだん、肉眼で確認可能な地上空間と
夢での共有空間というものは同時多発的に存在すると思う。
夢だから必ずしも自分だけの空間というわけじゃなくて、
全く知らない人を夢で見るときなどは向こうの相手にも
同じ空間が見えてるのかと思えるほど、鮮明な夢を見るときがある。
ひょっとしたら、腹の底で繋がってるんじゃないかと。
夢だけに限らず、同じタイミングで同じ事を考えていたりする時とかも。
>>763 おぉ、
>>678の維摩経のお話、教えてくれてありがとう。
ちょっとこれから読んでみます。
>外に見えているものは全て自分の内側の投影に過ぎない
自分もときどき、それは感じる。でも3次元を認識できる状態って、
結局、4次元の世界から見てるから3次元を把握出来るんだってね。
という説が半田広宣の「2013:人類が神を見る日」に書かれておりました。
受け売りですが、信者じゃないです;
って事は5次元的視点から見ないといけないという事は、時間軸すら越えてみると言う事だよね。
自分の中にあるこれからの未来、これまでの過去の全体をもう、過ぎた事のように見れないと
5次元的ではないと言う事かな。少なくとも自分には無理だな。
木村 藤子さんくらいの霊能力者レベルの話のような気が。。。。
それともチャクラを開ければ、どんな凡人でもそれが普通になる日がくるのかな。
過去、現在、未来って今在るんじゃないかな?
思い描く過去は今思い描いていて、未来もそうだと思うんです
って事は過去は無いし未来も無くて今が永遠に在ると言う事に
なるんじゃないかな?って思います、そうしたら時間軸は崩れて
永遠っていう今が続く感じだと思います、そうすれば過去も未来も
肯定できるんじゃないかと思います、だから道が完璧になるのではないかと思います。
永遠の今は存在そのものだと思います、そこに自分が在るということは
自分という永遠が在ると言うこと、永遠という自分が在ることになると思います
そこに自分、他、概念、思考、一切無くその存在そのものがあると思います
それは全ての肯定、愛であると思うんです、存在が全てを内包しているということは
自身が内包しているということ、自身は存在で、存在は自身になると思います。
上に書いてあった事をヒントにして表現してみました。
右と左の間に真があるように、善と悪の間に真があるように、
過去と未来の間に現在という真がある。
つまり、現在とは過去であり未来である。
今がある事の貴重さ。
何も無かった世界にほうきが編み出され、ちりとりが編み出され、
床には埃が生きている。それらをかき集める事は「掃除」という発音で呼ばれて。
本来無かった働きや呼び名に対しての新たなる感謝。
そのあいだ、窓からは日が差してくれるだろうか。
月の絵を見せてくれるだろうか。曇りと言う性格があった事を思い出させてくれるだろうか。
何事もありがたいと思えずに過ごせるものに溢れてる。
何事もありがたいと思えて楽しめるものに溢れてる。
マジ→真字
日月神示→日継真字
本気(マジ)も遊びも見知らぬ肩が、知ったかのようにすれ違う一瞬。
どこの国の言葉かわかりゃせんコトバがあったと。
珍しがって集まる群れは、それを自国で馴らされた
有り得るだけの言葉を出しては、「きっとこうだ。」
「いや、それじゃなくあのコトバと同じだろう。」と
形象の違う文字らしき模様について「あーでもない、こーでもない。」
突然、そこに一人の博識が登場。そして解説をはじめた。
「これとこれの言葉の意味はね。。。云々。」
「そっちとあっちの言葉の解釈はね。。云々。」
群集の中でそれらの形に対する「意味」が限定された瞬間。
群集の中で無限に広がるかに思えたイメージに「枠」が出来た。
世界の言語は、何故、これほどまで格好が異なり、
初めて見る人には読み取りづらいか。
意図して分割されたエリアとエリア。初めから対向線上を見つける世界。
それしか、有効な手立ては無かったのかもしれん。
今皆がやってるのは、明確に表せない存在を
曖昧だけど表そうとしてるんじゃないかな?存在を表す事で
ソレを求める人、知りたい人に、曖昧ながら提示してるんじゃないかな?
だから皆で仲良しゴッコしてる訳じゃない、皆自分の事を置いてここに書いてるんだ
このスレを見ている人の為に書いてるんだ、そこに自分は無いんだ
幾ら書いた所で文章では分からない事を皆知っている、体験するしかない事も
だから此処に書いてるんじゃないかな?存在を提示することでそこを目指せるかもしれない
ここに書くことで誰かの切欠になるかもしれない、小さくて良いんだ、どうこうしようなんて思っていない
それに同じ事を違う形で表す事で飲み込み易くなるかもしれないから、ただ提示してるだけ。
言葉で枠を作ってしまう心配は無い
ソレは言葉では書けないし、明確に表せない
ここにソレを明確に書いてある文章なんか無い
文章だけで分かろうとか、分かったとかは嘘だと思うよ
受け取り方は自由だし制限されてる訳じゃない
でも此処に書いてある中で存在を明確に表した文章なんか無い
世界中探しても無い、出来るならもう誰かがやってるはずだ。
774 :
夢見る名無しさん:2010/02/24(水) 14:31:26 0
そうさ。
だからこそここに集う意味があるんだ。
言葉は筏に過ぎない。
使う時は使うし、あちらに辿り着いたら乗り捨てる。
あちらに辿り着いて、またこちらに戻ってくる人もいる。
だがその筏は行く時に乗っていた筏ではなく、別の筏。
其々の道、其々の個性、それらを尊重すれば
ただ提示するといった事しか出来ないね
それに存在としてというか、存在を書けといわれたら
黙って何も書かないことがソレを一番表していると思う
でも書かないと伝えられないし、難しいなあ・・・
778 :
夢見る名無しさん:2010/02/24(水) 17:52:07 0
う〜ん確かに難しいなぁ。
でもその試みを日本人は一千数百年に渡って続けて来たんだと思う。
俺たちがそのアンカーだとしたらここでもう一踏ん張りが必要だろう。
あきらめずに我ら共通の先祖の思いを伝えていこう!
日本人というか、言語というものを所有してしまった人類全体としてじゃないか?
沈黙は金 雄弁は銀
という諺は真実だと思うけれど、言葉で表現できるぎりぎりまで試みる事は無意味ではないと思う。
それを人に伝える事も。そうでなければ人が歴史を積み重ねてきた意味がない。
歴史は文字や言葉そのものだね。
文字や言葉が無ければ、過去も無い。
なぜなら記録できないから。
そして、口伝えさえも出来なくなる。文字はカタチだけれども、
今も言葉があるという事は、意識が受け継がれてきたことの何よりの証明。
何となく、スレッドって、一つの大きな意識。
前の人が書いた言葉が意識に新たな閃きを与え、リレーのように繋がれてゆく。
自他だと思っていた意識の中に肯定を見つける事で生まれる突破口。
そうだな。ただ提示するしかできない。ただ生きる事しかできない。
荒野や砂漠の中、生きようと奮い立たせる時もあれば、
生きたいとも生きなければとも思わずに自然と過ぎる瞬間もある。
出口はいつ目の前に現るかわからない。でもいついつが出口だとも、誰も知らされない。
ただ私の中に生はあり、死があるのは事実だろうが
結局は未だ現実化しない人から聞いた話のような夢。
意識って何?と思ったら、人が誕生する以前に、太陽系の惑星だけに限らず、
中心を支える太陽ですら、最初はビッグバンと言われる段階から誕生したかもなんだよな。
と考えると、普通に太陽系が生まれる前も、何かしらの銀河があったのかと想像できる。
意識って恐らくそのビッグバンの連続なのかも。継続しているように思えてても、
実は意識がその都度、生まれ続けていると。
1秒でも0.1秒でもなく、単位にはできない自己が今を見る拡散。とすると自己の意識がある事と
宇宙がある事は同義なのかもしれない。自分の写しとして世界がある。宇宙が膨張する。
フラクタル構成世界。意識は一匹の蟻を含め、宇宙をも含め、誰が何者というわけでもない。
数多ある一匹の蟻達は巨大な女王に太陽を見ているように見えるし、川原に転がる石はまるで
目も耳も口も持たず、完全に自己のみの世界を拠り所にしているようにも思える。
石が姿を変える歳月は人が表情を変えるよりも長く。様々な意識が形を成して見える世界。
一瞬は永遠だとも言われる。もしかしたら、虫が感じる一日の流れ、犬が感じる一日の流れ、
人が感じる一日の流れとその形を成す意識によって、感じ方がだいぶ違うのでは。
人が感じる一時間は、蟻にとって1分×60回に感じるのか。もしかしたらその感覚の違いは、
意識によって感じ方が違うのではないだろうか。だから神にとって千年も万年も一瞬なのではないか。
そしてその神の意識とは、石、植物、昆虫、動物、人×現存総数×今までの経過。全てからの意識。
ミクロはマクロ。感知、記憶、想像を出来得る限り、それは中にあるもの。
意識はサイズに非ず。意識は身体の中に所有しているようで、宇宙が膨張し続ける先端にも含まれる。
となると、
宇宙が広がっていった先が、
意識としての「からだの皮」だと言う表現もアリか。
786 :
夢見る名無しさん:2010/02/24(水) 20:32:21 0
意識を拡大し膨張した宇宙の先を突破してみると
そこは自分の体の細胞の一部分だったというオチ。
787 :
夢見る名無しさん:2010/02/24(水) 20:33:38 0
おそらくそれが5次元ループの一巡りの表現なんだろう。
と維摩経を読んでオモタ。
別の言い方にすれば、誰かが言い争ったりしてるのも、大いなる意識(神)が
試しに思い描いてみたイメージとしての葛藤や不安、仮病だとも。
一人一人が神の一部。
余ってる意識などないだろうし、足りない意識もない。
神はある日、自分という海を数え切れない田んぼに分けた。
その時から歴史は刻まれ、幻想の時間は始まった。
自分だと信じ込まされて、それを確認をする事で安心できていた個人という作業は、
「向こう」に見つけるものを無くしてゆく、いずれは全員が一人になる意識という遊び。
銀河鉄道999のラストのメッセージもそんな感慨を彷彿させる。
隙間を埋める為に一本のネジになるんだと告げられる鉄郎。
それまでずっと旅を共にして来た筈のメーテルという存在は、
実は鉄郎が内心で思い描き、憧れていた母性像だったという幻想。
てすと
一人になるというより、むしろ自分も含めた
誰も居なくなるという言い方が適切なのかも。
松本零士って天才だな。本人、そこまでのメッセージを込めて描いたのか。
もしかしたら、本人がそこまでのメッセージ性を込めて描いたつもりじゃなくても、
彼に神の手が乗り移って、そこまでの意味合いが隠された作品として
完成に至らされた可能性もあるよな。
793 :
夢見る名無しさん:2010/02/24(水) 21:27:49 0
誰も居なくなるっていうか、だけじゃなく、
かつ同時に誰もが居るっていうもんだろな。
色即是空、空即是色、この色即と是空のあいだには何も入ってない。
そして、色即是空、空即是色この言葉は重なって同時に存在してる。
だぶんだけど。
「時間」という言葉があるけれど、ほんとうは「あいだ(間)」には何も入ってないんだよな。
そこに人が何かを入れる。何かをしようとする。意味あるものにと。
0であり、無限大でもある、か。
言葉が頭の中で生じる一瞬。
その一瞬で生じる言葉を遡る事ができるだろうか?
「どこからくる?」という言葉はどこから来る?
目を閉じて、言葉の源泉を探る。
意識を超越した段階は認識できない。
となると、欲望にまみれるのも、禁欲しようとするのも、
人にそれを推奨したりするのは、方向が生じるという点では同じことなんだぁ。
つまり、人と接しようと意識して心がける事と、人と接しないようにしようとする事にも
方向が生じていると言う意味では同じだと言えるだろうし、肉体としての視点、霊としての視点でも
どちらかを偏って重んじてしまう事も行過ぎることなんだなろうな。
精神性のみを追い求めるのがよしとする考え方も、肉体を出来るだけ謳歌しようと貪るのも同列なのか。
>>795 おぉ、目から鱗。
閃きが生まれた瞬間、新たな意識が生まれた瞬間、
そのとき、確かに思考は同居していない。
考えていなかったのに、「それ」が生まれる。
それを爆発させるのは、「何」か。「何」と言えるものでないのか。
神
799 :
夢見る名無しさん:2010/02/24(水) 22:05:56 0
「サムシング・グレート」を直訳すると
「偉大な何か」となるな(笑)
見た事や聞いた事はありますが、全然、知りません。
―このとき、私はどこにいる?。
正解として、Aなのか、Bなのか、それ意外なのかわからない
―このとき、50%だけ私かもしれません。
もしかしたら、〜なのかもしれない。
―このとき、70%くらい、私が入っているかもしれません。
〜は〜だから、〜です。
―このとき、ようやく、私という位置が出来ました。
見た目から好きになるのは、人物に対するフェチズム。
あの顎のラインがあるから、あの腹筋があるから、あのサラサラの髪があるから、
あの切れ長な瞳があるから、あの指の細さがあるから、あの足の長さがあるから、
でも、鼻の頭に脂が浮いてるは、いつもげんなり。
そういう粘土があった、そういう粘土にハートが入っていた。
そういう粘土から声がした。そういう粘土がそういうままなら。
ある人はそれを否定的に見た。それは形への執着でしかない。ある形を理想的だと感じてしまうだけに違いないと。
ある人はそれを肯定的に見た。それは形への憧憬でしかない。ある形を眺めて元気を貰うなら、その形を保てれば、手頃に入る満足感だ。
四角は三角や円に格好良さを感じた。それを隣に置くことで、自分の知ってる世界が広がると思っていた。
四角はそのうち、形が変えられる事を知って、四角を忘れた。三角や円になったかつての四角には、目の前の三角や円は、
情けで愛するときもあれば、視界を塞ぐ障害になったときもあった。
かつての四角は色々な形を求めたが、そのうち何にでも変形できる事を知った。そして、かつての四角は、
知る、ということは、知らないことと変わらない「からっぽ」だったんだと頷いたとき、形としての姿を消した。
「情」を愛するということさえも、心のかたちを求める行為。
この人はあったかい、と感じるぬくもり、この人は理知的だ、と感じ、
自分もそれを理解できたという一時の思い。ただ「情が移る」と場合は、
また少し訳アリで、見慣れた「その人」の見慣れた「話し方」や「笑顔」という自分に蓄積されて
何ら変わりない情緒を与えてくれるという安心感に、ずっと身を置き続けるのがその人にとって、
楽になったのだろう。それを見慣れた自分は一緒に記憶されたものだから、継続されてきたかのように
見える「場面」を「無かったもの」と清算したくはないのかもしれない。
という
あれもこれも自分ありき。持つまでは好奇心や憧れ、持ち始めては、忘れ難くなる。
無いものなど無かった。そのとき、確かに有った。思い返せば、かつては確かに有ったと
言えたとしても、今はかつてですら、無かったとも言えてしまえる。
804 :
夢見る名無しさん:2010/02/25(木) 01:04:21 0
有だと言えるもの、有と思えばそうなるもの。有無の共存。
世界なんて無かったんだと感じた瞬間、
目の前に広がる光景が奇跡だらけに映る転換、
世界の再生。
普段は、見向きもしなかった道端の野草が、
今、初めて見つけられたかのような唯一無二の野草に見える。
今、初めて見つけられたかのような、「箸」という木製の道具。
今、初めて見つけられたかのような、「新聞」という文字が載った紙。
今、初めて見つけられたかのような、「ガラス窓」という風景。
普通だったものが、退屈ではなくなる瞬間。
確認したと思っている奥行き(3D)は現実か。
どの存在から見て現実か。肉眼というパーツ。物にぶつかるまでの距離。
肉眼が捉えた世界はどこに存在している。肉眼で見えるから存在しているのか。
逆に肉眼内でしか存在していないのではないか。では肉眼内で存在させているのは何故か。
肉眼で存在している世界は、肉眼を通した世界にしか存在しないとなると実在とは何なのか。
つまり、霊から見た世界は何処に存在しているのか、という謎と同じ。
夢から見た世界は何処に存在しているのか、という謎と同じ。
肉眼が世界を見つけられたから、実在だと確証出来るのは、肉眼でのみ。
夢の中で見つけた人物を「確かに居た」と言えるのは、夢の中で実在だったと言えるのみ。
この世界は、実在ではないのかもしれない。どこまでも実在が消滅する。
鉛筆があると言えるのは、肉眼が捉えた現実でしかない。
霊が見た鉛筆、夢で見た鉛筆、それらは肉眼の世界では実在しない。
転じて、肉眼の世界も実在しないと言えるのではないだろうか。
肉眼で確認できたと言う以外には。
809 :
夢見る名無しさん:2010/02/25(木) 12:45:11 0
同時複合多次元世界。
肉体-3次元。
精神(可動範囲)
2次元(奥行きだったものを一枚の絵と見立てたイメージに対する傾倒)。
〜4次元(過去への回想や未来への展望などに起きる時間軸の消滅、
または、実際には見た事のない綺麗な場所のイメージ等。)
今日、はじめて「電脳コイル」なるアニメを見た、面白い。
まるで距離の概念と時間の概念を無くした4次元〜の話をしているようで。
まんま霊や心の世界だな。DVD買ってまとめてみてみようかな。
「期待」は自分を線を濃くする。「期待」は「今」から引き離す。
「変わる」という願望。それは3m先や50m先まで走れたことに近い。
1000m先まで行けたことはもしかしたら快感になるかもしれない。興奮になるかもしれない。
でも、もしかしたら、0地点の安定は、5000m先にある刺激よりも、
知った味に振り回されることなく、発見する味覚も多いのかもしれない。
812 :
夢見る名無しさん:2010/02/25(木) 22:08:23 0
自分の幸せの為に人を食い物にする。この言葉の意味。
まず、誰が幸せになったかということが謎かも。
池の水に最初に石を投げた者が居る。本人は気づかないように
考えないようにしているかもしれない。自分の幸せの為。。。。これを
ミクロのレベルまで細かく見れば、言葉というものをなるべく的確に
なるべく的確な相手に伝わってなかった可能性も考えられる。
その「拒絶」を味わう者は、それ以上は近づかない者だろう。
「拒絶」を知っていたから、
それ以上は距離を詰めようとしないのだろう。
「距離」を持とうとするのだろう。
「対立」を持とうとするのだろう。
あなたが「逃げ」を願うなら、それが叶うことをわたしも願う。
「私」からの「逃げ」。「恐れ」からの逃げ。
実際に、これ以上は動きようがない。動いたとしても結果は見えている。
相手に「期待」することは、たいがいは「幻」に終わることが多いから。
ローゼンメイデンてアニメ見た
製作者ローゼンの思い付きで
人形達が互いの魂ローザミスティカを奪いあい戦う。
勝利者は完璧な少女アリスになり、
ローゼンに会う事ができるという設定なので
恐らく各ローザミスティカの中にローゼンの魂が混ざってるんだろな
造物主であるお父様に対しての凄い親愛の情。
アキハバラ電脳組やHACHIでもそういう描写があったけど
やっぱ刷り込みなんだなぁと思た。
少なくとも、私はあなたを食い物にしたつもりはない。
食い物になったのは、私とあなた、二人ともだ。
私が喰う側で無かったという証明は、私が何も
貰っていない事でわかるはず。あなたが何かを貰っていたか、
それとも、何か美味そうなものを噛まされていたか、
私には全く見当はつかないが。
漫画やアニメは、作る側が知ってか知らずか、
示唆的な内容を孕んだのが結構あるよね。
あなたが今回、明確な「線」をいいタイミングで引いてくれた事は、
正直、わたしの安心感となった。それはわたしがもうあなたにこれ以上は、
「情」をかけなくていいというサインに思えたから。
正直、パックリ割れた傷口を修復しようと気を遣っていた。
だが、それも今回の合図で終わる。わたしから逃げたいのだろう。
私は追わない。追ったところで実際には後ろ姿も見ることは叶わないだろう。
願いはもうとっくに諦めている。あなたには誰か大事な人が居るらしいので、
それも安心。あの人が行った伝達は、「期待」を持つ事は、わたしに
それをただ、失うだけの事だということを改めて実感させてくれた。
腹にある感情や思いは「排出する」だけでも、過ぎ去るようになる。
気持ちを過去へと流す為の作業。溜めていると思いは縛りのように続く。
「実現すること」を聞かせたのではなく、「迷い」の一部を窓を開けて入れ替えた。
「コトバ」にしていなかったら、その程度の小さな実現でなく、「恐れの実現」化が
近づいていたかもしれない。私に非はある。あなたも同じだった。あの人も同じだった。
そのうちの一人でもずば抜けて大人になれていたら、双方をなだめるか、目を瞑るかしていたろう。
もし、愛する人を殺した相手の心の流れを理解できるようになるなら、
世界は「個人」の世界ではなくなる。「所有」の世界ではなくなる。
何も持たない人は、奪われるものを持たない。
「物」の意識で財宝を持つ人は、奪われたとき、
失くした「財宝」と引き換えに「恨み」を所有する。
「個人」の証明。わたしもその範囲にまだ居る。
利己が自分を守る流れとはならない。
池の大魚が周りの魚を食い尽くしてしまったら、
そのあとは取り入れる身もなく、滅ぶのを待つだけだろう。
だが利己も利他も満足を遂行する点では同じ。
なので身が滅ぶから精神まで終わるのではないだろう。だが、
身を守ろうとすれば、その姿は「恐れるもの」に映る。
その「飢え」は、はたして利他への扉を開く利己の最後のチャンスとなるか。
もし、なるなら嬉しい。
風呂などに粗塩を入れると、魔除けになると言われている。
また、粗塩で雑巾がけしても、魔除けになると言われている。
「風呂」に塩とは。。海ではないか。
やはり海には「間」がないのか。魚と魚のあいだには、水で繋がれ、空虚はない。
さとりとは差を取る事だと誰かが言っていた。あいだをとることが魔を除くこと。
差の「比較」を無くすことが、王様と子分の距離を無くすこと。
「魔」とは尻尾の生えたデビルじゃない。そんな強面を指す代名詞でもない。
何でもない、のっぺらぼうだった0さんを、「王様」にさせる自尊心。
何でもない、のっぺらぼうだった0さんを、「卑屈」にさせる自尊心。
映画「es エス」は面白い。
「王様」の真似をしていたA、「奴隷」の真似をしていたB、
心の実験だったつもりが、そのうち、本心へと変わってゆく。
「魔」=「間」
「あなたとわたしはこんなにも離れている」。
と誰かが言って「その差を誇らしげに知らしめた」とする。
そして「魔」という「間」が生まれる。
どちらに?
どちらにも。
>>816 持論だが、メッセンジャーはメッセンジャーである事を自覚してないと思う。
多くのメッセージソングもそう。
自分の思うままに描いたソレの源泉は全て天、意識、無意識から来てる。
というよりも、ソコから与えられてるとか引きだしてると考える。
つまり、書き手に「メッセージを送る」という明確な意思が無くても、それはメッセージになる。
そういう意味では情報操作のための報道も結局のところ、認識を超越したソレの意図通りという事になる。
何らかの結果を導き出すために、万人は神の筆や導線としての役割を果たしているのだと思う。
メッセージは「我」を抑えれば抑えるほど純粋になると思われる。
毛先が乱れた筆は、直線を描いてもメッセージの本筋から逸れた線をつける。
我が強ければ強いほど毛先は乱れる。
また、筆に「癖」がついていると、やはりメッセージは乱れる。
しかし、我が全く無いのでは書く事さえしなくなる。
やはり最終的には中道という事になる。
我は無さ過ぎても、有り過ぎてもいけない。
行き着く先はいつも間の部分、ちょうどいいところ。
世論操作が不可能になる。
世論操作が不可能になる=支配者の鎖が消える、という事。
世論操作はどのようにして行われるか?
ここにつながる人々ならお察しの通り、言葉、文字、映像、音声。
これらを巧みに使って虚実を作りだして誘導してきたのが支配者であるが、
それらが通用しなくなる状況になったとしたら?
どんな状況かと言えば、言葉や文字の不完全さを補う「何か」の到来、出現。
武力でも知力でもない、ごく身近な言葉や文字に武力と知力を打ち破る秘密がある。
それが「読みの真理」であると考える。
武力や知力を「打ち破る」という表現は適切では無いかもしれない。
「すり抜ける」とか「操作できない」と表現した方がいいかもしれない。
武力や知力が他を押さえつけたり、操作したりする「力」であるのに対して、
その間にある真力、神力は押さえつけるというよりも解放する力。
解放されると思考が外にダダ漏れ状態になるのかもしれない。
そうなると困るのは嘘をつき続けている人達。
嘘をつく癖がついている人達。
言葉と思念が一致しない人達。
言葉は建前、思念は本音。
今の世は嘘をつけばつくほど豊かになる。
真を貫けば貫くほど貧しくなる。
正直者は好かれないのが今の世の中。
グルっと反転したら、あらあら、これまでと全く違う仕組みの世の中になりました。
というわけ。
今の世が乱れる根本の原因はたった一つ。
「嘘」を産み出す人々、これに尽きる。
「真」の対極に「嘘」があると捉える。
「真」はsinであるから、神、心にもつながる。
今の世は正直者が珍しいが、次の世は嘘つきが珍しくなるかもしれない。
むしろ、嘘つきは珍しいので好かれるかもしれない。
いや、もうこの場において「かもしれない」と表現するのは馬鹿馬鹿しい。
くだらない揚げ足を取る人間はいないのだから、あえて断言しよう。
「そうなる」と。
だからココは良い。
自分の世界に現れた文字をどう処理するかは「自分次第」という事が分かっている人が多いからだ。
ともかく、「嘘」はこの世を乱している根本の原因だと考える。
「嘘」ほど魅力的で危険なものは無い。
「嘘」はなぜ魅力的か?
それは成功すれば「損」を帳消しにできるからだ。
誰でも「嘘」が成功すれば得するのは知ってる。
でも、そうでない人もいる。
相手を傷つけないための「嘘」というのもあるから、全否定するのはためらわれるが、どの道そういった嘘もつけなくなるだろう。
先ほどメッセンジャーの話をしたが、次のような閃きがあったので投下する。
おや、今思うと「閃」という字は面白い。
「門」と「人」で「閃き」か。
「門」とは何か?やはり「岩戸」か。
それ意外にも「聞」、「闇」、「閏」などがある。
「闇」という字も面白い、「門」と「音」だ。
何となく何が言いたいか分かる。
脱線したので次のレスで件の閃きについて勝手に語らせてもらう。
「ドラゴンボール」というアニメは誰しも知っていると思う。
7つの玉を集めると願いが叶うというもの。
この「7つ」の「玉」とは、「7つの霊tama」、もしくは「7つの魂tama」、であると考える。
どういうタマかというと、
言霊、形霊、色霊、音霊、数霊、あと二つは知らん。
だが、おそらく7つある。
なぜなら、虹色は7色だから。
虹色は神の色だから、「全て」を表す色だから。
この7つのタマを集めると、一つの対象から「7つの意味」が表れる。
7つの意味をもって「真」とする。
換言すれば、「7つの観点」をもって「真」とする。
読みの真理に興味があれば、この点を掘り下げてみると面白いかもしれない。
話は変わるが、これまで偉大な思想や意識の段階に辿り着いた偉人は数多くいたようだが、
我々が彼らと同等の認識、もしくはそれ以上の何かを得る事は到底無理だと考えるのは弱気だ。
なぜなら、我々にはインターネットというものがあり、世界中の人間と思想のやり取りができる。
人間の性質もより多彩になり、交通手段の進歩によって、より多くのモノを観る事ができるようになった。
これほど心を豊かにする事のできる環境にありながら、過去の偉人達には到底追いつけないなどと弱音を吐くのはいかがなものか。
高慢になれと言っているのでは無く、ノンブレーキで天まで突っ走る気概を持つべきだ、と言いたい。
むしろ、普通はブレーキをかけるところでアクセルを踏むからこそ、文字通り「飛びぬける」事ができる。
お隣と歩調を合わせている内は、画一化、既成概念、柵の中から飛び出すなんて夢のまた夢。
といっても、不思議なめぐり合わせでいつの間にか飛び出してた、なんて人もいるだろうけど。
いやいや、私が言うまでも無いか、あなた達は十分飛びぬけている。
このようなところでこのような事を語っている事自体飛びぬけている。
あなた達は変態だ。
変態は次の世の天才だ。
おめでとう。
あと、言葉や文字の源泉について語りたい。
言葉の生じる一瞬があり、その一瞬がどこから生じているのか?
源泉にまで遡るという事を言ったが、私には「ココ」より前は分からない。
「ココ」とは「ココロ」。
「ココロ」より前は分からない。
その分からないところに神が在る。
「分かる」とは把握する事、分解する事、操作を可能にする事、とも言える。
つまり、神の全てが「分かる」という事は、それ即ち神を超越したと言う事。
であるから、我々の中にある「分からない領域」には神が在ると考える。
もちろん、単に経験不足や無知故に分からないと思いこんでいる可能性もある。
少なくとも言葉は何処から来るのか?という事に関して言えば、我々は「分からない」。
「あ」と言ってみる。
その「あ」の前には何がある?
1秒の間も無くソレは現れる。
科学はまさに「神を分ける」行為であると言える。
科学者は果敢な挑戦者である。
霊的な探求が「陰」であれば、科学は「陽」と言える。
そして、いつも通り、その「間」に答えはあるんだろう。
7つの玉について補足。
光は7色であるから、7つのタマを揃えると「光」となる。
「光akira」と読み解けば、「明akira」、明らかになる。
光を当てると、実像を表すのは今の世も同じ。
しかし、光を当てても実像が現れないのが「嘘」の在る場所。
そこに光が当たる。
というより、光が産まれる。
日月にはビックリ箱が開くという表現があるが、「嘘」に光が当たるとどうなると思う?
一体この世界にはどんな「大嘘」が隠れているのか?
それこそがビックリ箱であると私は勝手に思ってワクワクしている。
アメリカ、中国、朝鮮、この三国だけでも、どれほどの大嘘をついてきたのやら。
そして、その大嘘が暴かれたらどうなる事やら。
モノガタリというのは、「さあ、始めるぞ!」と言って始まらない。
モノガタリはいつも「あれ?これモノガタリじゃない?」と気付いた頃にはもう終わっている。
そう、すでにモノガタリの中に入っていても誰も気付かない。
虹色は厳密には七色ではなく無限の色を持つ。
よって
「虹色」
全色zensiki 全識zensiki ∞色nanasiki ∞識nanasiki
「無色」
零色reisiki 零識reisiki 0色 zerosiki 0識zerosiki
何が言いたいのか?
それはあなた次第だろう。
数日前、天気の良い日に屋外にスピーカーを置いてDJに音楽を流してもらい二人っきりの音楽鑑賞。
深いメッセージソングをリクエスト。
「愛している、あなたを愛してる」そんな歌詞だったか、ありふれた歌詞。
ふと空に目をやると太陽がポカポカと愛を注いでいたので、私は「ああ、太陽のメッセージか」そう捉える。
そう、ソレ。というか、コレ。
コレこそが神(自然・私全)と人がつながっているという感覚。
「素直」になるという事。
神のラブレターはイッパイある。
あなたにもラブレターは届いているのに、人々は耳を貸さない。
耳を貸さないからつながらない。
「歌手」は重要ではない。
「歌手」の「源泉」はどこか?だ。
あなたに「こんにちわ」と声をかける人、あなたが耳を貸さなければ、あなたとその人の「間」には「会い」が無い。
合が無い。愛が無い。
たまには太陽にラブレターを送ってみるといい。
嬉しい嬉しいと返ってくる。
太陽は照れくさくなって燃え上がる。
フワーっと暑くなる。
それを「ああ、太陽は照れてるな」と捉える。
そう、ソレ。というか、コレが「つながる」という事。
在ると観とめる事。
何が言いたいかって?
それはあなた次第だってば。
こうも考える。
我やら執着やら、何をどれだけ持とうがどうせ神の掌の中。
毛先の乱れた筆には、それに適した絵を描く。
欠けたナイフには、「欠けている」という味を生かした絵を描く。
どんな形だろうと、どんな性質だろうと、生かされる。
「生かす」とは生きる死ぬではなく、活用するとか、そういう意味で。
そう考えると、ありのまま、なすがまま、という言葉にまた帰る。
で、今こう考える事は私に取ってあるがままなので、善しとする。
間は魔にもなり、あいだがあるから出「会い」がある。
向こう側に「誰か」を設定できるのは「距離」と言う間を取るからなのかー。
それはまるで、甘美さや苦味のような味わいを感じる為の、間合いのよう。
光の法則は面白い。闇の中ではそこに何があるかはわからない。
でも光を当てれば、そこ「立体」が浮かび上がる。
光の法則は面白い。誰かが「立体」となって立ち上がれば、
その背後には必ず、影が出来る。何かが見える陰に、影が落ちる。
光の法則は面白い。虹が見えるのは、まさに光が当てられた結果。
空気には、七色の構成があるのだろう。逆手を取れば、
人の眼にはそれが七色にしか見えないのだろう。
その虹という現象もプレゼントのようだ。色が存在している事の不思議。
何が不思議って、無色だったはずの空気が、光を当てられ、七色に変わるんだから。
空即是色。まさに体現。
意識はメビウスの輪。収束して0になったとき、また100までの体験を求める。
統合されたと満足したとき、また分裂への欲求が生じる。積まれたジェンガは、崩されることを思い描く。
調えられた砂紋は、また調えられるまでの過程を見たくなる。永遠に続く意識の帯。
>>828 私もそれには気づきませんでした。門に人で閃きですか。問いも門に口で問いですね。
それはまるで人こそが「門を開ける存在」だという事を「隠す」と明言せずに、
こっそり隠しているかのように思えます。日本語が出来上がる時だって、メッセンジャーが
自分達で気づかないのと同じように、言葉にヒントを込めた、込めさせられたのだろうと思います。
他の言語には、ここまで複合的な意味を派生させる言葉はあるのでしょうか。
それを思うと、日本語はとても魅力的な言語だと思います。
>>829 >言霊、形霊、色霊、音霊、数霊、あと二つは知らん。
おそらく、「世界」を構成するもの、という事なんですよね。
私も少し、イメージしてみました。世界を構成するものとして在るもの、、、。
言霊、形霊、色霊、音霊、数霊のほかと謂えば、、、、、、
言葉、形象、色彩、音色、数のほかと謂えば、、、、、、あと二つかぁ。
「体感、感触、思念、、、」「思い」は入りますね、もしくは心。
あぁ、わかった。一番メジャーな「心霊」がまず、一つ。
これは確定じゃないでしょうか。
あとはもしかしたら「感霊」というものじゃないですかね。
その中に「石」を石だと触った時に解る感覚や、 水を触った時に「水」だと解る感覚があるのではと予想。
肉体で居る時に限らず、夢でも感触はありますよね。
>>832 透明(無)ということは、そこには全てがある事を顕しているかのようです。
何かを一つを持つ事や何か一つに意識させる事は、それはあるように映るだろうけど、それだけに限定される。
門に人で閃き。―まるで、霊感やインスピレーションは、
その大きな門を開け始めてる事を云っているかのよう。
つまり神秘を解くのが、神様への謎謎を解く事が、
人としての本懐なのかな。最後に残る純粋な探究心のような。
同じ門を持つ文字の「問い」も、門を開く手段の一つなんだろうなぁ。
つまり
>>829さんが言ってくれた事で心霊と、あと残り一つ。
「状態が変化してゆくこと」が「霊」として言葉にされていれば、
きっと、それなんだと思うんだけどなぁ。
固体→液体→気体
↑ここ状態変化を表す言葉で、「霊」がつくものと言えば。。。う〜ん。
あ!あれ。違う。「時間」は人が作ったもの(幻)だから、それだね。
「時霊」だ。
だって、時も数も形もみんな、人が作った「部分」でしかないから。
それをかりそめに「〜霊」と言っているだけなんだよね。
言霊、形霊、色霊、音霊、数霊、心霊、時霊。
とりあえず、自分のなかではこれですっきり。
じゃあ、状態変化って、上記の七つに含まれているという事になるのか。
でも、まだ「場所」、「位置」、「方角」(方向)も、幻のはずだから、
それを表す「〜霊」という言葉があってもいいんだけどなぁ。もしかして全部、「数」(数値)に含まれちゃうのかな。
方向や方角は絶対、幻のはずで、そもそも、北(上)、南(下)、西(左)、東(右)なんて、それを支える中心軸がない限り
無理なんだよね。仮に0がニュートラルだとしても、そこから上をどうやって表すのか、どうやって右を表すのかが、
言霊、形霊、色霊、音霊、数霊、心霊、時霊。
この中には入ってない気がする。矛盾は嫌だな。この中に上下左右の概念は入ってないよね。
それを表す「〜霊」という言葉、あるはずなんだけどな。「方角」、「方向」を表す「〜霊」が。
方角、角度、方向、向き、この四つの言葉に霊を付けてもそれらしいのは見当たらないな。
でも、絶対、これだと思う。
自分から見て心臓の無い方が「右」と表現するのに、
最初にそれを言い始めた(誰か)意識があるから、上下左右という概念が受け継がれてきたんだよね。
それは、欲しいものを指し示す為、所有したものを守る為。
何故って、自分の「目」がついてる方向を「前」とも表現しなかったはずだから。
少なくとも、人類最初の頃は。。
それを誰かが最初に言い始め、後世の人がそれを定着させた。
842 :
夢見る名無しさん:2010/02/26(金) 22:30:51 0
待てよ。玉だ。円だよ。円が角度を派生させられる。
つまり太陽だ。日光。あれが方角の発生原因じゃないか。
太陽は360度だ。バースデーケーキは円だ。
それを分けようとする。その角度で見極めようとする。
太陽かぁ。う〜ん。出そうで出ない。
何か見つかりそうで閃いてこない。
まず、人類が太陽がどの方角から日が昇り、どの方角に日が沈んでゆくかを
調べたり、決めたりしたのが「方角」「角度」の最初なのかもしれない。
そしてそれは朝、昼、夜という概念も生む。つまり「時間」を持ち込ませられる。
でも円の霊ってないよね。球や玉の霊ってないよね。日の霊?太陽の霊?わからん。
自分のなかで「円」「玉」「球」の代替語として
一番、しっくりくるのは、「魂霊」かな。
でも言われ方は「魂」と「霊」の並びを逆にした「霊魂」が多い。
そして、「霊魂」の形をイメージさせる球は、太陽の合せ鏡のよう。
もしかしたら、本当に太陽って「統合された」魂を写しなのかもしれない。
個として分けられる以前の源の元霊を投影して観ているイメージなのかもしれない。
う〜ん。でもやはり、円や球は、形霊に含まれるのかぁ。
だとすると、「方角」「角度」の概念もそこに含まれる事になる。。
位置や距離も数値で表されるから「数霊」でいいのかぁ。
時間も「数」に入るはずだから「時霊」外してもいいのかもしれん。
だとすると、言霊、形霊、色霊、音霊、数霊、心霊だけになるな。六つだ。
もう一度、整理してみよう。虹は七色あるという事だよね。
でも、聖書で7は神の数字だと言う。
もしかしたら世界を構成する「〜霊」は六つまでなのかもしれない。
それが人の住む「獣」の世界だから。獣や悪魔を表す6。自我の世界。
虹の七色は、神が常に臨んでいる事の電報みたいなもんなのかな。
「いつも見ているよ」という。
虹の七色が表す七つ目は、永久欠番だと思いたい。
神という器の。その方が納得できる。
そこには、幾多の霊のカテゴリを入れる「仕組み」があるだけ。
仕組みそのものに「呼び名」は無いというオチだったりして。
自分の認識、周りとの個別化、対比、対立=自我=6。
それらとの差異がなくなったもの、個の消滅、神意識=7。かな。
つまりは、視界に太陽が見える時点で、
「そこは二元性の対立世界ですよ。」と言われているようなもんだ。
○が見える時点で。でも、太陽に月が重なる時、●になり、闇に包まれる。
闇は立体であったものの姿を消す。おぉ、なんか新しい見解が生まれそうだ。
もし100%、漆黒の闇なら、「立体」が消滅するどころか、
「対立」させるものがなくなる。つまり「二元性」が無くなる。
そう考えると太陽は最後の砦だな。太陽は獣を育む王。アメン・ラーは肉体の王。
でも、それが悪い事じゃない。でも、光は当てた時、その背後に影を生む。
闇は影を生まないどころか、何かを見て「認識」する事も生まない。
闇とはどこだろう。光の無い場所。つまり自分が消えた場所。
そう考えるとむしろ、
光を発する太陽は広大な宇宙の中にある個であるとも言える。
闇とはなにか、つまり「闇」と言わない似たような空間とは。。。
大きな光の個も、幾万の星の光をも寛容に許しているもの。。。
「宇宙」。
神智学大要では、
輪廻としての意識の過程は、鉱物→植物→動物だと言う。
動物として、最後の個として人になったのなら、
7の門を開けるのは問い。
神の門を開けるのは閃き。
個から全体に至るまでに、あいだにある「門」は、 間という字の中に入ってる日。
つまり「太陽」。 「太陽」から抜け出す。ア・ラー、アメン(アーメン)・ラー。
これが最後の門。ブッディ意識に至る前に立ち塞がる最後の砦。
燦燦と輝く○が●になり、辺りは一瞬、「闇」(宇宙)になる。
目を瞑ったとき、イメージされる前にあるのは、「闇」。
まだ何も生み出していないとき、そこにあるのは、「闇」。
聖書の訳によって、どのような表現になっているかは様々。
私は今、持っているのは新共同訳ですが、たしか口語訳ではこのような表現があったように思う。
一語一句合っているかわかりませんが。。
創世記の最初の始まり方で、
「まず、はじめに闇があった。」、「最初に闇ありき」という訳もあったような。
意識=神だな。まるで宇宙創造の始まりが、
(自)意識の始まりと重なって表現されているかのよう。
まるで神に似せて創られたように。というよりそのもの。
そして、創造は想像。
まるっきり被さって創られている。
言葉というものが、、というより日本語が。
怖さすら感じる。なんだこの一致は。
意味のリンクの仕方っぷりは。
もしかして、ことばって、自分達で勝手に決めてるようでいて、実は
源泉からの霊感が働いてるんじゃないかと。だから発する音がリンクしてしまう。
意味合いも被さるようになってしまってる。大いなる意識からの紡ぎ。
>848
それは何かな、聖書の訳でそう言ったものがあったのかな。
訳というのは大変難しい。
それがほんとうなら探して紹介してほしい。
闇というのが 混沌としている状態を指す場合もあるから前後の文章を見なければならない。
はっきりしない混沌を間ではなく闇という単語で現わしているのかは前後の文章で。
>>851 確かに見た事はあると思うのですが、今、口語訳は持っていないので、
持っている訳をとりあえず載せてみます。口語訳や、ほかの訳に関しては今日、
書店に行って確認してみます。
まず、私の持っている新共同訳。
新共同訳は1987年、1988年、1995年に日本聖書協会より出版されてるらしいです。
また、「凡例」欄には固有名詞表記は聖書訳語委員会が作成し、共同訳聖書実行委員会が、
1984年2月にその改訂を承認した後の「日本語表記」によった。とあります。
----------------------------------------------------------------
創世記―天地の創造―1章【新共同訳】
初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、
神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。
「光あれ。」
こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
〜
----------------------------------------------------------------
次にフェデリコ・バルバロ訳を載せます。
この訳、少し高いですが、詳細に説明等が載っていて面白いです。
----------------------------------------------------------------
創世の書 第1章
神は天と地をつくられた、それが始まりであった。地はととのわず、むなしく、
やみが底知れぬふちを覆い、水の上に神の息吹が舞っていた。
神が「光あれ」と仰せられた。すると光ができた。神は光をよしと思われ、
光とやみを分けられた。神は光を昼と呼び、やみを夜と呼ばれた。
こうして、夕べとなり、朝となった。これが一日めである。
丁度、その部分を載せていたページがありましたので、貼り付けます。
----------------------------------------------------------------
(文語訳、1888年 旧字体は表示できないので、ひらがなにして赤で表記します)
元始(はじめ)に神(かみ)天地(てんち)を創造(つく)り給(たま)へり
地は定形(かたち)なくむなしくして黒暗(やみ)淵(わだ)の面(おもて)にあり神(かみ)の霊(れい)水(みづ)の面(おもて)を覆(おほ)ひたりき
神(かみ)光(ひかり)あれと言(いひ)給(たあま)ひければ光(ひかり)ありき
(口語訳、1955年)
はじめに神は天と地とを創造された。
地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
(新改訳、1970年)
初めに、神が天と地を創造した。
地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。
そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。
(新共同訳、1987年)
初めに、神は天地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
(岩波訳、1997年)
はじめに神は天と地を創造した。
地は空漠として、闇が混沌の海の面(おもて)にあり、神の霊がその水の面に働きかけていた。
神は言った、「光(ひかり)あれ」。すると光があった。
----------------------------------------------------------------
なんか、「闇が最初にあって」みたいには、載っていないようですね。
わたしの思い違いか。だとしたらすみません。
「欲しい」気持ちと「与える」気持ちが出会い、「愛」となる。
この二つのバランスが揺らぐことで世界も揺らぐ。
世界全体の「欲しい」という気持ちが強くなれば、世界には格差が生じる。
この気持ちが強ければ強いほど、人は富や名声を手に入れるのに躍起になる。
逆に「与えたい」という気持ちが強いほど、他人に譲歩するようになる。
欲しい物が足りず、譲歩する気持ちも足りなければ奪い合いになり、争乱が起こるだろう。
「欲yoku」と「与yo」を「読む」「与む」または「字開く」
「欲」は、自分の元に引き寄せる
「与」は、自分の元から解き放つ
「欲」は、「谷」+「欠」で欲、「谷」とは凹み、「欠」とは不足
「与」は、「弓」を反転させ「一」という矢をつがえる(矢は放たれるモノ)
「欲」は、受動的、穴、女性器を象徴する
「与」は、能動的、山、男性器を象徴する
欲を満たすとは、「欲」という穴を埋める行為。
しかし、欲という穴は際限無く深くなっていく。
だから「欲深い」という。
与えるとは、誰かの穴埋めを助ける行為。
次の世の仕組みは与えれば与えるほど豊かになる仕組み。
次の世の基礎として、財産贈与を廃止し「全ての財産は死後、国(世界)に返還するシステム」が構築されるだろう。
このシステムが成立するだけで世界は様変わりする。
「独占の終焉」である。
皆が与え合えば此の世は山となって高くなり、此の世は天国に近づく。
皆が奪い合えば此の世は穴となって低くなり、此の世は地獄に近づく。
個の世は単独世界。
此の世は共有世界。
唖の世は単独共有世界。
「個の在り方」が「此の在り方」を変え、「唖の在り方」に通じる。
「動の在り方」が「静の在り方」を変え、「己の在り方」に通じる。
「陽の在り方」が「陰の在り方」を変え、「太の在り方」に通じる。
日月の示す「三千世界の大掃除」とは三つの世の掃除をする事である。
「個の世」という点があり、「此の世」という○があり、合一して「唖の世」という「○+ヽ」がある。
日本語はヒの元の語、神の元の意を示す語。
此と個と唖。コとコとア。コトコト、ア(ジク、軸)。言koto事koto阿a
「阿」は「β(beta)と可」、「β波の周波数」「可on」と成る。不off、可on。
「語る」とは「言」「吾」 吾=己
「吾」とは「五i」に「口」 五=意
「意」を「口」にする「吾」
地獄とはまさに今の世である。
「地獄絵図」とは「此の世絵図」である。
「此」は「止」「ヒ」 ヒとは神。
「是」は「正」「日」 日とは神。
「ヒ」はヒ・フ・ミと数えるように「1」を表す。
「1」は唯一、絶対、点を象徴する。
「ヒト」は「ヒト」「フタ」「ミー」
「日月」を「ヒフミ」と読むのは、秘文、日文、陽文、であるから。
「秘の文」
「絶対の無限の文」である。
「日の文」
「光を当て明らかにする文」である。
「陽の文」
「陰に陽を合わせる文」である。
「ヒフミ」
「火hiと風huと水miの文」である。「土yo」は「地」、「この世yo」である。火風水から土への文。
「123」
「1」は分かれ「2」となり、「2」は合わさり「1」を生む、その様は「3」の如く。
「火風水土hihumiyo」
「水は有と無の中間」「土は有」
今の世は「土=世yo」、次の世は「火風水土=ひふみ世」となる。
土だけでなく、火、風、水の力の入る世。
「火の気」、「元の気」が入る世。
人間も4つの属性から成る。
魂という火、血液という水、呼気という風、肉体という土。
人は死ぬと、土を手放し、水と風も霧散する。
火葬によって、土(肉体)から水(血液)が抜けて風(風塵)となる。
残るは火のみ、火とは即ち魂。
「火」という字を字開けば、
「人」の両横に「ヽ」
それが「火」、「火十」、「ヒト」
魂という火と、「十」は「全」と解く。
それが「火十」
「火の国」と、「十の国」がある。
十とは星。
日月では「ホシの国」と示される。
「十」を掲げる人々の国。
十=十字架
「ヽ」は魂の国「十」の国は○、ヽに○を入れるとは即ち、火人を十人の中に入れるという事。
「十」を掲げる人々の国。
「十の国」、「自由の国」、「アメリカ」、「該当する外人」
○は世界、ヽは日本。
○にヽが入るのは、もはや決まっている。
しかし、日本人が外の世界(中国・朝鮮)を憎んだままではそれができない。
日本人は「手放す」事を迫られている。
日本はどうなるのか?
おそらく、たくさんの衝突が起こるだろうが、いずれ調和していく。
なぜなら、「ヒト」とは「火十」なのだから。
合一しなければ次の時代の幕は明けない。
この流れは止められないだろう。
現在、中国人や朝鮮人に対するイメージは悪化している。
実際に彼らと知り合えば、必ずしも友好的になれないわけではないと分かる。
お互いに分かりあう事で、中国人が日本人の味方になるという「事実」もある。
ヽと○の合一の際に生じる大難を小難に抑えるためには、日本人の持つ差別意識を改善する事である。
差別意識とは「相手と壁(差)を作ろうとする意識」の事である。
よく言われるような差別とは違う。
差別意識を持つ人達はこう反論するだろう。
「差別じゃない、奴らが迷惑な事ばかりするからだ」と。
それは事実かもしれない。
しかし「因果応報」という言葉を忘れてはいけない。
このような「結果」が現れているのは何らかの「原因」があるからだ。
そして、原因にもっとも大きく影響を与えるのは「自分」だ。
「原因」の対極に「結果」がある。
今の時代には「誇張された事実」で溢れている。
一滴の真実(100%)を、バケツいっぱいの虚実(0%)で薄めた事実を流すのがメディア。
「事実=fact」の裏にあるのは「fake」「fuck」、「事実なんてクソ喰らえ」
我々はまずアジアで結束を固めなければならない。
中国人や朝鮮人と実際に友達になってみれば分かるはずだ。
そこにあった壁など他愛も無い事だったと。
我々は「虚憎kyozou」に惑わされている。
中国人や朝鮮人に「虚憎」ばかり映している人々がいる。
「真」はいつも2つの「間」にある。
現実には、中国人、朝鮮人、日本人、どの人種にも悪い人も善い人もいる。
彼らと和解する道を選ばず、反発し合う道を選ぶとそれに応じた展開になってくる。
我々はどちらの道を歩むのか?
日本人は「選択」できる。
私は中国人・朝鮮人と友好を築くことを支持する、日本の国境、文化、精神の岩戸を開く事を支持する。
未知は一見恐ろしい、そして実際に恐ろしい事が起きる事もある。
しかし、過ぎ去ってみれば、未知に至る前と後では別人のように成長した自分に成るだろう。
岩戸開きの成った日本は世界で一番最初に国家を完全に開いた国際的な国でありながら、
安定した治安、生活を保障する国家システムを構築するだろう。
火の人、水の人、風の人、土の人が手を取り合う世。
それが「ヒフミの世」「火風水の土」
国境を無くし世界を1つにする。
これを陰謀論者が秘密結社の陰謀だと言う。
その陰謀論こそが陰謀である。
「国境に有る世界」、「国境の無い世界」それぞれに世界はどうなっていくのか?
「国境の有る世界」は、今まさにこの世界(社会)である。
この世界の居心地はどうか?
この世界が続いてほしい支配者達は、世界が一つになる事に反対するだろう。
なぜなら格差が消失し、自分たちの地位は結果的に落とされるからだ。
といっても、他の人々と同条件になるだけだが、高い所にいる彼らにしたら転落だろう。
彼らは未来においては「旧支配者」と呼ばれるだろう。
彼らは一つの時代を支えた「神」でもある。
世界は「支配の時代」から「解放の時代」へと移りゆく。
この流れを止めようと足掻けば足掻くほど、苦しい事になっていくだろう。
自分の国を守ろうとすればするほど、痛みは増していく。
自分の宝物を「手放す」と「手に入れる」だろう。
それが「諦akiraめる」と「明akiらめる」という事。
「明akiらめる」と「光akiraでる」
「支配者」は様々な形態をもって人々の上に君臨している。
「此の世の神」である。
「隷属者」は数が多く支配者を支えている。
「此の世の奴隷」である。
次の世ではこれが逆転する。
まさにカードゲーム「大富豪」である。
今の世は「大富豪」が「貧民」からカード(意味)を搾取するが、
次の世は「大富豪」は存在せず全員が平民となるように調和させる。
知的財産を独占する法律も廃止されるだろう。
知的財産は意味そのもの。
意味を独占する事は出来なくなる。
しかし、創作者は富とは違った報酬を受け取るだろう。
次の世へと人々を導くのは「文字と言葉」
インターネットによって無限に複製し、世界で閲覧できる文字と言葉によって真を説く。
そのままでは分かりにくいものを、誰にでも分かるように分かりやすくなる。
おそらく、そのような流れが起こるだろう。
真を説く文書、書物は全ての人が理解できるようになっていく。
すると、皆が次々と「気づき」だすだろう。
「真makotoの道」は「真sinの世」へ続く道。
「真sinの世」は「神sinの世」
「道標mitisirube」は至る所に溢れる。
それをあなたが「読む」ならば、道は照らされるだろう。
「万人の孝行」の中に「道標」がある。
「万象の動静」の中に「道知る術」がある。
下つ巻 第01帖 (043)
富士は晴れたり日本晴れ。
青垣山めぐれる下つ岩根に祀り呉れた、御苦労ぞ、いよいよ神も嬉しいぞ。
鳥居はいらぬぞ、鳥居とは水のことぞ、海の水ある それ鳥居ぞ。
皆の者 御苦労ぞ。
蛇(じゃ)が岳は昔から神が隠してをりた大切の山ざから、
人の登らぬ様にして、竜神となりて護りて呉れた神々様にもお礼申すぞ。
富士は晴れたり日本晴れ。いよいよ次の仕組にかかるから、
早う次の御用きいて呉れよ、神急けるぞ、山晴れ、地(くに)晴れ、
海晴れて、始めて天(てん)晴れるぞ。天晴れて神の働き いよいよ烈しくなりたら、
臣民いよいよ分らなくなるから、早う神心(かみこころ)になりて居りて下されよ。
つぎつぎに書かしておくから、よく心に留めておいて下されよ。
この道(おしへ)は宗教(をしへ)ではないぞ、教会ではないぞ、道ざから、
今までの様な教会作らせんぞ。道とは臣民に神が満ちることぞ、
神の国の中に神がみちみつることぞ。金儲けさせんぞ、欲すてて下されよ。
七月の十二日の神示(ふで)、ひつくのか三。
下つ巻 第02帖 (044)
今度 岩戸開く御用は、人の五倍も十倍も働く人でないとつとまらんぞ。
岩戸開くと申しても、それぞれの岩戸あるぞ、
大工は大工の岩戸、左官は左官の岩戸と、それぞれの岩戸あるから、
それぞれ身魂相当の岩戸開いて呉れよ。
慾が出ると分らんことに、盲になるから、神、気つけるぞ、
神の御用と申して自分の仕事休むやうな心では神の御用にならんぞ、
どんな苦しい仕事でも今の仕事十人分もして下されよ。
神は見通しざから、つぎつぎによき様にしてやるから、慾出さず、
素直に今の仕事致して居りて呉れよ、その上で神の御用して呉れよ。
役員と申しても、それで食ふたり飲んだり暮らしてはならん、
それぞれに臣民としての役目あるぞ、役員づらしたら、
その日から代りの身魂(もの)出すぞ、鼻ポキンと折れるぞ、
神で食うて行くことならんから、呉れ呉れも気をつけて置くぞ。
七月の十三日、ひつ九のか三。みなの者 御苦労であったぞ。
下つ巻 第03帖 (045)
この神のまことの姿見せてやる積りでありたが、人に見せると、
びっくりして気を失ふもしれんから、
石にほらせて見せておいたのにまだ気づかんから木の型をやったであろうがな、
それが神の或る活動の時の姿であるぞ、神の見せ物にしてはならんぞ、
お山の骨もその通りぞよ、これまで見せてもまだ分らんか、
何もかも神がさしてあるのぞ。心配いらんから慾出さずに、
素直に御用きいて下されよ、今度のお山開き まことに結構であるぞ、
神が烈しくなると、神の話より出来んことになるぞ、神の話 結構ぞ。
七月の十三日、ひつ九のかみ。
早く皆のものに知らして呉れよ、神急けるぞ。
お山の宮も五十九の岩で作らせておいたのに、まだ気が附かんか、
それを見ても神が使ってさして居ること、よく分かるであろうが、
それで素直に神の申すこと聞いて呉れて我(が)を出すなと申してゐるのぞ、
何事も神にまかせて取越し苦労するなよ、我が無くてもならず、
我があってもならず、今度の御用なかなか六ヶ敷いぞ。
五十九の石の宮出来たから五十九のイシ身魂いよいよ神が引き寄せるから、
しっかりして居りて下されよ。今度の五十九の身魂は御苦労の身魂ぞ。
人のようせん辛抱さして、
生き変り死に変り修行さして置いた昔からの因縁の身魂のみざから、
みごと御用つとめ上げて呉れよ。教会作るでないぞ、
信者作るでないぞ、無理に引張るでないぞ。
この仕組 知らさなならず、知らしてならんし神もなかなかに苦しいぞ、
世の元からの仕組ざから、いよいよ岩戸開く時来たぞ。
七月の十三日、ひつくのか三。
日月神示は凄く共感できる箇所もあるんだけど、
少し選民意識を促しそうな内容ではありますね。
時間軸を生み出してしまうかのような表現も多く見受けられる。
未来への要らぬ期待、願い、方向、待ち焦がれる感を煽るような言い回しが散見される。
まるで1999や2012に期待している人達と被っている。「今」から離れてしまう。
全て自分次第。
ここは思った事をありのままに話すスレ。
まだこれまでのように他人の評論をしたいならアセ既スレに戻った方がいい。
俺よく深呼吸するんだけど、深呼吸すると腹の下の方に
何か流れていくよね、足に意識をやっても腹に流れる
頭の天辺からも腹に流れる、そこで貯まる?
やっぱり腹には何か在るんじゃないかと思った
ただの気のせいかもしれないけど。
>>870 ある。
そこが丹田。
魂があるって説もある。
丹田を使って呼吸することが、心身の健康にとって重要だと色んな人が言ってるね。
「神気を丹田に凝らせ、生気を丹田にみたし落つけ、心を澄まし、心を静めよ」
と白隠禅師が言っている。
丹田こそが本来の面目(自己本来の姿)であり、
心の浄土であり、阿弥陀仏そのものであるとも言っている。
おぉ!感覚ってのも馬鹿に出来ないね
瞑想とかあるけど、あれって座らないと出来ないって事は無いと思う
普段も瞑想だと思うんだ、意識の置き場所が違うだけで
日常生活全てにおいて瞑想できると思う、感覚というか
客観というか、普段から囚われないことが大事なんじゃないかと思う
t
存在は真我とも言うんだね、確かにそうかも
気付き、存在は自分だからなあ
何で自分なのかとか考えると面白いかもしれないね。
879 :
夢見る名無しさん:2010/02/28(日) 21:07:35 0
かたよらない心
こだわらない心
とらわれない心
これが般若心経
空の心なり
真我とすれば、生まれても無くて死にもしない
得ることも無く得ない事も無い、在るという存在
自分とすれば、オギャアと産まれて老いて死ぬ
得る物も失う物もある、だけど本来それは無い
肉体が滅ぶだけだし自分の物なんて無い
概念は作り出したもの、だとすれば自分は存在になる
今という瞬間に永遠に在る存在、その存在が真我であれば
本来私は存在そのものであると言える、全部自分で自分じゃない
ど真ん中を行く道、どっちつかずって訳じゃない、それが自分で存在で真我
って考えたけど、結局同じ事になってしまった。
881 :
夢見る名無しさん:2010/02/28(日) 23:13:16 0
うんうん。
そんな感じで目が覚めたら
ほめられもせず、苦にもされず
デクノボーと呼ばれて生きていくことが
楽しくなってくるよ。
自分が存在になるって事は、超自分だと思う
自分が自分として在るって事、だから皆完璧になる
其々が其々として在る、存在として自分で在る
其々が本来の姿で其々として在るって事、何か楽しそうだなw
883 :
夢見る名無しさん:2010/03/03(水) 18:35:21 0
2ちゃん夢板に何かあったのか?
なるほどねー ぼくも嫌韓になったよ〜ん
分離の苦しみは、融合の喜びになる。
888 :
夢見る名無しさん:2010/03/09(火) 17:31:21 0
てすと
今回の韓国の件でも思ったけど、ネット上で健康的なやりとりが常になれば、
ネット外の世界でも、とっくに精神的に病んでる事は起こらないんだろうなと思った。
やっぱ、写し絵だね。ネットも。
逆を言えば、ネット上でのやりとりでどんな言葉にたいしてもムカッとくる事がなくなれば、
自分からは、いつの間にか、人を不快にさせないようになってるとも言えるかも。
てすと
誰も居ないようなので、長い独り言書かせてもらいます。
産まれる前から在って死後も在り続ける
それは全ての相対性、瞬間の連続、永遠であると思う
肉体、草木、全ての物はこの存在を根本に置いた現象であると思う
我々本来の精神は、この存在と深く結びついると思う
我々本来の精神は、この存在そのものといえるのかもしれない
とすれば、我々は産まれるという事も無く、死ぬという事も無く
ただ在るのみという事になる、我々は全ての相対性であってその一つだと思う
同時に全ての相対性そのものでもあると思う、そうすれば我々は
唯一普遍的な、絶対的な存在そのものであるとも言える。
愛とは存在であり、愛とは存在の一面であると思う
この愛は光のように拡がる愛、普遍的な愛であると思う
この愛は小さい所から大きい所まで広く全てに行き渡る愛だと思う
そして、この愛である存在は全ての基本にすることが出来る
存在を根底に置いて、存在として在る事、生きて行く事
この存在は生きて行く上での基本的な法の様なものにもなる、腹で分かる
全ての物事に対してどうすればいいのか自然と分かるから不思議である
そしてその出来事が善いか悪いかは別の話、それは存在が下すものである
当然自分が悪いこと、心が痛む事をしたのなら、それを見つめ改善する必要がある
この心が痛む事、これこそ裁きであると思う、我々は全て瞬間に裁かれているのだと思う
しかし概念や思考や自我などで心の痛みに気付けない事があるので、自分を見つめ
素直になること、心を開き、感じるという事が必要であると思う。
我々は存在と大きく結びついている、そのものとも言える
我々の愛は、本来の愛はこの存在であると思う
この愛を表面に出すには、自分を見つめる事が必要だと思う
自分に埒を明けていくことが必要になるのだと思う
怒る時、憎む時、自分の心が何処に向かっているのか、何に対してなのかなど
自分を見つめ反省し改善していく事が、存在に戻る一つの手段であると思う
何かに囚われやすい心を真ん中に戻す事、ど真ん中を行く道であると思う
広い静かな草原のど真ん中を一人で行く様なもの、その一人は自分であり全てである。
我々が普段、苦しみと感じている事、楽しいと感じている事は
概念、自我、思考に寄る場合が多く見受けられる、しかし概念、自我、思考などは
自身の心による創作である事が多いと思う、その自我、概念、思考を外せば
楽しいことは楽しく無く、苦しいことは苦しく無くなる事がある
喜び、怒り、悲しみ、寂しさ、楽しさ、などそれらは本来腹から来るものであると思う
そしてその喜び、怒り、悲しみ、寂しさ、などはとても静かなものである
大きいのは歓喜である、この歓喜は存在を認識し融合していく際に
とても強く感じる感覚である、歓喜と共に融合していくのだと思う
我々は本来、存在になりたいのだと思う、戻るから嬉しいのだと思う
自分の根本が嬉しいから歓喜しているのではないかと思う。
我々を存在とすれば、時間も無い、距離も無い、好きも無い、嫌いも無い
○○家の一員でも無い、○○県の住民でもない、生も無い、死も無い、人間でも無い
在るだけ、まったくの自由な存在であると思う、それを概念や思考や自我で縛っている
概念、思考、自我、などは本来ほんの些細な動きで良い
それは実生活において本人を本人で在らせる、極僅かな動きで良い
必要だから備わっているのであって、否定する事は出来ない
ただそれらを大きくしすぎた為に自由な存在から遠くなるのではないかと思う。
物事を観るとき、天と地では無く天地、善と悪で無く善悪、神と人で無く神人
生と死では無く生死、苦と楽では無く苦楽、大と小では無く大小
二つで一つ、したら苦は苦で無く、死は死で無く、生は生で無くなるように
両方を合わせた真ん中、二つを一つにする事、これで本来の動きが成ると思う
って事は人と神は合わせて一つ、この働きはどちらが上と言う事は無く
二つで一つであると思う、神だけでは成らず、人だけでも成らず
神人セットで一つであると思う、二つで一つの真ん中であると思う。
何だかんだ書いたけど、今書いた事も概念、観念、どっちでもいいけど、実際ソレが何か
分からないし知れないと思う、ただ一つ確実なのは「在る」って事、今瞬間が全てだって事
全部自分で自分じゃ無い、宇宙に一人しか存在しない、その一人は自分であり全て
永遠の存在と我々も在る、我々は存在として在る、それと同じく此処に在る
どっちがどうって訳じゃなく、どっちも在る、相対的で在り、絶対的で在る
大きく在り、小さく在る、神で在り、人で在る、やっぱり真ん中なんだと思う
そのど真ん中が、神、真我、真理、愛、存在と呼ばれるのだと思う、確かに存在する
生と死の間に、善と悪の間に、苦と楽の間に、神と人の間に、間に常に存在する
二つを足した一つに在る、全ての真ん中に、全ての1つに、偉大な何かが確かに存在する。
禅や瞑想や愛など、存在を得る方法が色々あると思う、でも存在は共通
空でも神でも何でも良い、この存在によって全ては兄弟になる、自分になる
心を真ん中に置くこと、自分を観つめる事、思考を減らす事、感じる事
自分の作り上げた自我を観る事、概念を観る事、思考を観る事、囚われない事
全ては自分なので、目に映る事、聞こえる事、感じる事、全てが言葉であると思う
一番大事なのは、誰がどうであるかでは無く、何がどうであるかでは無く
自分自身がどうであるかと言う事だと思う。
終わりです失礼しました。
何故存在が愛であると言えるのか、それは自分を観察し、良く観る事で
主観による決め付けを無くし、怒り、憎しみ、嫌悪などの強い分裂の感情の
優位性を無くして行くと、執着に寄らない愛が残るからであると思う
人の根本はこの愛であると思う、この愛は光であり宇宙であると思う
そしたら全部自分になる、愛は存在であり自身である
全ては存在を根底に置いた現象であり、存在であると思う
だから「在る」という事は愛であると思う、それは神であり自身である
この事からも、誰がどうではなく、何がどうではなく
一番大事なのは自分自身がどうであるか、という事が言えると思う。
己を滅することが出来たとき、誰やそれとは指さない
愛がただあると言えるのか。
898 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 01:38:11 0
和は輪。円は園。
宇宙の空間は我にあり。
言葉を発した時に、対象はそこに強め、
遂に対象まで抜けたとき、我に再び入らん。
899 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 01:41:30 0
見るもの、見えるものを越える。その先まで突き抜ける。
その瞬間、既に見たもの、見えたものは心の内を活き場所とする。
900 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 01:45:17 0
掴んだもの、掴もうとしたもの、それらに空っぽを見つけた瞬間、
今まで掴んでいたもの、掴もうとしたものは、肉眼上ではなく、地上ではなく、
我の心の中に住処を変える。外の宇宙が内に入る。心の中で枯れず開くつぼみ。
901 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 01:55:25 0
空洞に見えてしまうという事は即ち、見る側も空洞になったからと感じる。
肉の塊は感情を暫し持つ。それらはそれぞれの配置や大きさが異なり、
あたかも個別化が計られているかのように映る。
世の男性は、妻として傍にいてくれた女性に先立たれると、中には、
ダッチワイフを生前の妻に似せて作る人も沢山居るとか。
見た目が似ていれば、動かない人形でも幾らか気持ちは紛れるらしい。
まるで好きな「かたち」が出来てしまった囚人のように。
902 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 01:59:43 0
一切は自らが抱いてしまうイメージの投影。
恋も、推測の楽観も悲観も、愛でる対象も、可愛がる小動物も、邪推も。
903 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 02:08:09 0
恋人の双方の視点。
男から見るとその恋はどんなであったろうか。
女から見るとその恋はどんなであったろうか。
この2つの視点を考えるとき、どこにその恋は実存したのだろう。
どちらの恋が実存だったのだろう。
もしその恋についての定義が2者間で一致しない場合、
どこにその恋はあったのだろう。
結局、彼の中に彼の恋があって、彼女の中に彼女の恋があったという事だろう。
さて、それは実存か。その恋はどの空間にあったというのか。
904 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 02:19:19 0
双方の視点2
不毛な恋人達の会話。
「愛してる」の定義。
どれくらい「愛してる」か。を確かめ合う。
どんな感情のように「愛してる」か。を確かめ合う。
本当に「自分だけ」か。確かめ合う。
本当に「一生裏切らない」か。確かめ合う。
ことばだけで。何という不毛。
これらの双方の言葉のやりとりで、100%合致してると感じた
恋人は一度も見た事がない。
たとえば、「あなたの事、死ぬほど好き」。
この言葉を「死ぬほど好きってどのくらい?」と彼が聞き返したとする。
そこから、また不毛な表現合戦と納得のし合いが続く。満たされる事なく続く。
「世の中で一番の痛みを味わっている時だって、あなたの事を思い出してる。」
と興奮して言ったとしても、そんなはずがなかろう。
それで感激する方もそれでいいのだろうかと。
ならば、いっそ「過激な事を言えば」興奮し合える仲に。
その興奮が信頼とイコールになるなら。
905 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 02:23:04 0
セックスというのは、信頼を強めるというより、
裸になった事により、信頼してしまう錯覚を引き起こす一時的なヒステリーだ。
伊藤 伸
>>905 でっていう^^;
てか、そもそもセックスはなぜするかと言ったら子供を作る為だからね・・・
907 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 02:31:00 0
「とてもすっきりとした味わい」
このキャッチコピーを聞いて、10人が思い浮かべるイメージはそれぞれが違う。
「世界で一番愛してる」
この言葉を誰かから聞いて、発信者と同じように感じる事は不可能。
908 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 02:31:53 0
>>906 反応乙。
それを言い返したからと言って、何かが正されるわけでもない。
909 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 02:33:18 0
>>906 ならば、子作り以外のセックスはもうするなよ。
910 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 02:37:43 0
>>906 あなたが突っ込んでくれたおかげで一つのすれ違いが浮き彫りになりそうだ。
男から性欲をなくしたらどうなると思う?女性は声がとんと掛からなくなる。
女性にとっての話だろう。男にとって「そういうセックスもある」というニュアンスが正解だろう。
性欲をまるで取り除いた男側のセックスは自分なら、想像できない。
「子供を作る為」という大義名分は、半分は女性の人権を守る為だと思っている。
それをオブラートで包んで表現していると思っているよ。
>>907 ですね。
でも、本当に言うべきタイミングで、心から愛を込めてそう言ったら
気持ちは伝わりますからね。
912 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 02:43:07 0
>>906 色々と突っ込みどころが多い。その言葉は、裏を返せば、
もし、あなたが惚れていない異性と「セックス」可能か?という質問を
あなた自身に投げかける事になるよ。あなたの言い分は。
あなたは可能と答えるだろうか?俺はそうは思わない。
あなたはセックスに自らの恋心を持ち込みたいはずだ。
では何故、そうするか。
セックスは「興奮」するものだからだよ。いつも感情が伴っている。
そこでだ。あなたの「子作りをする為」はどこまでも貫き通す事が可能か?
否だね。
必ず、感情というものがないとあなたはその行為は、
無理なはずだ。あなた自身の言葉と矛盾してるね。
事務的作業のようにはできないはず。
913 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 02:45:43 0
>>911 確かにそのような瞬間はあると思います。それは私も解っているつもりです。
以前、感じた感慨は私の中だけにあれど、嘘ではないので。
ちなみに
>>898から全部、ageて書いてるのは自分です。
>>909-911 すみません。
ただセックスに何を期待しているのかなと思ったんです。
セックスしたことありますよね?
916 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 02:50:13 0
>>911 あなたが面白い事を言ってくれた。日常的に誰もが感じていながらも、
この●スレでは、まだ誰も突っ込んでない部分かも。
自分一人だけの思い込みで終わる場合と、
二人が同じ空間に居るように、(周波数が合ったように)、
言葉を越えた合致を互いに感じてしまう場合とあるのは
何故だろう。
その違いとなる明確な部分にヒントを得たいね。
これは多くの人が感じた事のある感覚だろうから、とても興味深い。
私が言いたかったのは、信頼し合いたいからセックスをするというわけではなくて
それより、愛し合った人との子供を生みたいという、おそらく無意識の本能があるから
セックスをすることになるのではないかなと思って。
興奮するとか、気持ちいいとかいうのは、その本能の後についてくる副産物みたいなものではないのかなと。
>>916 言葉を越えた合致、周波数が合う=だからそれが調和であり、愛でしょう
919 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 03:00:18 0
>>914 私はセックスをするときは、子供が生まれる、という意識は常にはありません。
それだけは確実です。何かあなたにとって問題でも?
そして、それを明らかにしてどうします?あなたはそう考える人ですか?
あなたは恋人とする時、生まれる子を意識しますか?
確かに私も結婚すれば、そのように意識する事もあるでしょう。
でもいつもは、そういう思いはありません。
>>917 ならば、あなたの言葉は足りない。あなたの言葉を正確に言うなら、
「愛した人の子供作りの為」と表現すべき。
そして、私も子供をもし生むなら、生んで欲しいと思うほど好きな人と
一緒になって、そうするだろうね。
でも自分は「子作りが目的ではない快楽としてのセックス」を回数多く、
相手に求めると思うよ。
920 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 03:09:07 0
でだ。話を突っ込まれたので元に戻そう。
>>906で突っ込みを入れた人が、果たして、セックスをする前と
後では感情は同じかという事だ。
少しも思い込みなどが入っていなかったかという事を自分に問い掛けてみて欲しい。
少しくらいは気持ちが高まっていなかっただろうか?
そしてその高まりは以前、単なる興奮だったと反省する事はないだろうか。
もし幻と言える一時的な単なる興奮でなかったとしたら、
相手からも冷められる事はなかった為、その相手と
現在も続いていると思うのだが、どうだろう?
つまり、私が言いたいのは、極端な表現だが、
一番最初に行為に及んだ相手と現在も続いている状態でないと、
一時的な感情でなかったと断言する事は難しいということ。
つまり童貞や処女を捧げた相手とか。
現在も続いている男女は、確かに思い込みかもしれないし、
反対に冷めた後の惰性や妥協かもしれない、だが、一時的な感情として
過去の時系列には追いやっていない。現在もその一本の線が続いている。
922 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 03:16:03 0
>>921で何故か無意識にsageを入れていた。
一応、念のため、同一人物です。
まぁセックス観なんて愛した相手と自分が合えばそれでいいんですよね。
子作りが目的ではない快楽としてのセックスを回数多く相手に求める、
いいと思います。
愛した相手をとろけさせてあげてください。
924 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 03:23:54 0
で、脱線していきそうだったので、話の要点を絞ります。
・セックスは感情を増幅させるか否か!というテーマ。
・そしてセックスは信頼(安心感)を増幅させる効果があるか!というテーマでした。
自分はこのテーマについては、どうでもいいです。
もう自分の中で答えは出ているので。
「感情を増幅させるものであり、信頼感をも増幅させるものである」
という自分なりの答えです。
でもそれで
>>906がでって反応したという事は、
それに同意している、という裏返しでもありますね。
嫌になるほど体の快楽を貪り尽くすと賢者期間に突入する…
926 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 03:25:04 0
>>924 >でもそれで
>>906がでって反応したという事は、
>それに同意している、という裏返しでもありますね。
裏は返していません、そのままです。
ごく当たり前のことをどや顔でもして言っているのかと思ったからです・・
929 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 04:15:52 0
でも確かに
>>917が指すように、その行為に刹那的なニュアンスではなく、
相思相愛の全信頼が相互にあるならば、快感は更に高まるものだとも思っています。
本当に信頼されたそのような行為が、悟りという最終的な境地において、
執着になるから、遠回りだと一蹴されるものなのか、それも含めて悟る段階への
ステップになるかは、私個人の感想では、まだ断言ができないです。
もしかしたら、愛のある行為が形を変えて、執着にならず、相手が離れても
嫉妬に変貌しない心持ちというのも、ある人にはあるのかもしれないと想像しています。
そのような心になれたら、自分の感情に縛られず、自由だろうな、とも感じています。
SEXに執着する事から逃れるのは難しいね。
イメージの刷り込みでチンコが反応しちゃうからw
>>929 >でも確かに
>>917が指すように、その行為に刹那的なニュアンスではなく、
>相思相愛の全信頼が相互にあるならば、快感は更に高まるものだとも思っています。
そうですね。当然ですね。刹那的なニュアンスは含めたつもりはありませんでしたが^^;
相思相愛の全信頼が相互にあるものと、そうでないものとでは
別次元といってもいい位ですからね。
まあ、とにかくセックスするときは、自分が気持ちよくなりたいというよりは
相手に気持ちよくなってもらいたいという思いの方が強いですね。
って勿論どちらでもありますが。・・というかどちらも同じことなんですが(笑)
>本当に信頼されたそのような行為が、悟りという最終的な境地において、
>執着になるから、遠回りだと一蹴されるものなのか、それも含めて悟る段階への
>ステップになるかは、私個人の感想では、まだ断言ができないです。
私は特にそれを断言する必要もないと思いますが・・・
でもあえて言うとしたら答えはその中間にある気がします。
>もしかしたら、愛のある行為が形を変えて、執着にならず、相手が離れても
>嫉妬に変貌しない心持ちというのも、ある人にはあるのかもしれないと想像しています。
そうですね。完璧にはなれないと思うけれど、ありますよね。
>そのような心になれたら、自分の感情に縛られず、自由だろうな、とも感じています。
そうですね。自由でないものはまだ愛とは呼べないでしょうからね。
でもだれでもそこへ至れる可能性は持っているから、我々は日々精進するのみですね。
932 :
駄々おじさん ◆rfvLewovkA :2010/03/14(日) 12:39:42 0
>>931 いやいや、そんな風に悪くとらないで下さい。あなたの事を刹那的と言ったのでなく、
私自身の言動を一般的には刹那的快楽を求めるように評されるだろうという意味です。
私に対して刹那的だと言って、あなたに対しては真逆のつもりで、むしろ私を刹那的とい言う事で、
相対的にあなたがいいニュアンスに強調されて映るように、言ったのですよ。
もう一度私の文章を読んでみてください。
>でも確かに
>>917が指すように、その行為に刹那的なニュアンスではなく、
>相思相愛の全信頼が相互にあるならば、快感は更に高まるものだとも思っています。
もっと砕いて言い換えますね。
>>917が示すように、
その行為にあるものが刹那的なニュアンスではなく、(ここは途中です。ここはその後に続く文節です。)
互いが好きだという事で「副産物としての」快感は増すと思います。と言ったつもりです。
たとえば、
あなたが言ったように、馬鹿ではなく、賢いという意味ならば、そうだと思います。
と言ったとき、
ここで、私はあなたを「馬鹿」と言ったと思いますか。それともあなたを「賢い」と言ったと思いますか。
何処に結論の重心があるか読み違えないでくださいよ。私は、すぐ人を馬鹿にしたりするような気持ちは持ちませんよ。
933 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 12:40:51 0
934 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 13:13:41 0
もっと平たくした方がわかりやすいかもしれない。
例1:
○○博士が云われた仮説のように、保守派の意見でなく、革新派の意見を聞いてみた方がいいと思われます。
例2:
鈴木さんが口にしたように、彼女を嫌いというのでなく、意識的に見ているだけなのだろう。
935 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 15:22:48 0
最近、ここで語られてるようなキーワードを別スレで発見した。
2012年に本当にアセンションあるわけ?Part44より抜粋。
-----------------------------------------------------------------
286 :本当にあった怖い名無し:2010/03/13(土) 11:49:18 ID:DSflstJ80
去年の春までは地球上に住んでいる気がしていたのだが。
なんか最近は間借りしているだけの感覚
287 :流:2010/03/13(土) 11:53:05 ID:GaS1wDN60
間借りか・・・それは面白いし妥当な表現だと思うよ。
288 :本当にあった怖い名無し:2010/03/13(土) 11:57:54 ID:GaS1wDN60
肉体というものもただ間借りしているだけだし、
個人としての自分もそうだと思うよ。
291 :本当にあった怖い名無し:2010/03/13(土) 15:58:11 ID:Zem3Otnr0
間借りとか、入れ物としての肉体とかetc
よっぽど、今の自分は本当の自分じゃないと思いたいぐらい「酷い」んだね。。。
ただ、可哀想だけど、生まれ持ったソレが真の姿であり、それ以下でもそれ以上でも無い
ある意味、肉体というハードウェアに精神というOS、気性と経験と言うアプリケーションが乗った
各々カスタマイズされた存在が個人
ハードウェア部分の交換がしたくても、今の人間の技術じゃ整形によるデコレーションが一般人に
は精々な世界で生きている事が(つまり今を生きる事が)今を生きているキミタチの存在価値なんだよ?
そこを気分だけで捻じ曲げようと不正に望んでも、世界から拒否されるだけなんじゃないかな?
-----------------------------------------------------------------
続く。
936 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 15:29:07 0
〜続き。こちらが見て欲しかった方のメインです。
-----------------------------------------------------------------
293 :本当にあった怖い名無し:2010/03/13(土) 18:17:23 ID:zTOOepiR0
>>291 >>よっぽど、今の自分は本当の自分じゃないと思いたいぐらい「酷い」んだね。。。
なんでそうやって受け取るのかな?
ID:GaS1wDN60はそういう意味で言ってるんじゃないと思うよ?
悪い方に拡大解釈して「フフン、どうだ参ったか」ってやって楽しい?
まあ、俺もそういう時あったけど、はっきし言ってそれって自分に余裕が無いだけだよ。
というと、君はまた不愉快になるんだろうけどね。
たまには君の内側から湧きあがる激しい「ソレ」に対して沈黙してみたらどうだい。
ソレを無視できないなら君はソレに囚われてるよね。
十中八九、君はソレを無視できず、抑えきれず、またいつものように論争に明け暮れるのだろうけどね。
そうじゃないところを一度見せてほしいもんだ。
-----------------------------------------------------------------
最後の293さんの発言の最後から2行目の部分の「ソレ」がここでも
何度も出てきてたなと思った。「ソレ」ってみんな違うんだよね。
ソレって自分?、、、の鏡?
ほら、ここ●スレでの
>>795や、
>>745、
>>746でも同じようなニュアンスが
語られようとしている。だが、誰もそれを鷲掴みにして眼前に見せる事はできない。
937 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 15:41:33 0
いや、せっかちに書きすぎたな。
「ソレ」が違う場合と唯一同一の場合があるというのがより偏りがないだろう。
観念としての分裂が発生していて、対として見ていた相手の姿に自分の心を見てしまった場合、(そしてそれに気づかない場合)、
「ソレ」の価値観は、存在している人の数だけ、バラバラに存在しているかもしれない。
だがここで語られていた
>>745の「ソレ」はおそらく皆が到達する同一のものであり、
一つしかない、太陽のようなものかもしれない。真理と云えるもの。言葉に出来ないもの。
誰もが、恩恵を被りながら、いつもは忘れている光。
全ての欲も憎悪も何かの姿を照らし出す光あってこそのもの。
嫉妬になった異性も、逆恨みしてきた人間も、
光で姿を確認出来なければ、縁さえも、感知さえも出来なかった。
そして、その光は照らされた原初の元を辿れば、思考の始まりがあった。
暗い夜道を照らすには、松明が必要だった。だが、松明が必要だと
想像出来たのも、「木」を見つけさせてくれた光であり、それが「折れる」事を
体験させてくれた光である。
938 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 16:13:45 0
939 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 17:02:54 0
「善悪を知る木」の真逆にあるのが
「生命の樹、セフィロトの木」なのかもしれない。
もし、そうだとするなら、
「善悪を知る木」が二元性の象徴ならば、
「生命の樹、セフィロトの木」は一元への道標といったところか。
善悪の木 善VS悪
生命の木 生=命
942 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 23:09:50 0
そうえいえば、
>>907に始まり、
>>911が正解を言い当て、
>>916がまた問題定義し、
>>918がまとめてくれた流れがあったけど、
これも、
>>937で言うところの2種類のパターンの「ソレ」なんだよな。
>>907が現す「ソレ」は我が相互に自分だけの世界に分裂した状態。(すれ違いや思い込んだ状態)
>>911が的を得た事を言ってくれて、
>>916が言及しかけ、
>>918がまとめてくれた「ソレ」が、
双方が肉体の境界線を越えて、同じ空間の場となり、統合された瞬間の「ソレ」。
そして、
>>745や
>>746でも、今、まさに触れようと手が伸ばされた「ソレ」。
真理の源泉。直感的に安堵をまとう広がり、、、「愛」、
誰の奥にも静かに眠り、「それはきっと正解だよ。」と諭す意識。
見えざる「神からの囁き」、「声なき声」、原初の私から、
元々知っていたもの。
943 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 23:29:43 0
ときどき思うことがある。
人間ってなんでこんなものまで食す必要があったのか。。
たとえば、「貝」。
「貝」の身はわずかだ。おそらく貝を食べなくても、死ぬか生きるかの局面はなかっただろう。
「貝」に行き着くまで、死ぬか生きるかだったら、むしろ「魚」を捕っただろう。
ならば、なぜ「貝」まで食べる必要があったのか。 必要があったというより、味見をしたかったのだろう。
どんなものか覗いてみたかったのだろう。 つくづく人間は欲の塊だと思う。
「貝」を食べる事、それは、一見すれば何も「狂ってない」事柄かもしれない。
でもよくよく、初めの一歩を想像すると、「狂ってる」と言わざる得ない。
必死になって閉じこもり、その身を守ろうとする「貝」に対し、
お前は一体、どんな味がするんだと、先の細かい石(意思)を持って、
「こじあけん!!」とする獰猛さ。
俺ね、いつも思うのよ。まだここにも善悪を知る木の実を食べている人が居るってね。
そして、本人はそれに全く気づく由もなく言わずに居たら、一生、気づかないで終わりそうってのが。
昨日のセックスの話ね。
>>917さんの言いたい事は解るんだ。女性が持ちやすい視点かもしれない。
でも、「貝」を食べようとする欲と一緒なのよ。そして、私と話した昨日の人も、知らずに
シーフードのパスタとかを食べて談笑している日常がある。
知らずに過ぎることの多さがいかにある事か、
それを「狂気」とせずに過ぎることがいかに多いことか。
944 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 23:32:31 0
「車」に乗っている。そしていつでも威力としては人を殺し得る。
これも、自分にとっては、狂気だよ。でもそれが当たり前に映り、
それに乗る事に、何も抵抗感を覚えない人の多さ。
俺が以前、薺さんに似たような言葉を言った事がある。
「虐待された赤ちゃんに同情しながらも、自分では、
スニーカーの裏で虫を踏み潰している事だってあるはず」と。
---自分が「意識的になれた時にだけ」それはよくないと反応すること---
---自分が「意識的になれないときは、それが常識のなかにある」と思ってしまっていること---
まるで昨日は、俺がまるで(なるべくなら近寄りたくない)セックスマシーンみたいに
言われてるようで悲しかった。というのは、ちょっと誇張過ぎだけど、
自分が気に掛ける事の出来る範囲に比べ、
自分が知らずに通り過ぎてしまってる範囲の方が圧倒的に多いのよ。
善悪を知る木---人が、それは悪だろうと反応してしまう事の狭さ。
そんなもん、はじめからないのよ。善悪はないのよ。反応してしまう自分の正義感や潔癖があるだけ。
理想を持ちたいのはわかるし、きっと自分みたいな言動をしてしまうと、
女性として、寂しい気持ちに襲われるんだろうけど。
だから、なるべく和やかなムードで「笑顔」を多く見せて、
楽しくプレイしようとは、思ってるよ。相手もなるべくなら、
楽しい気持ちであれば、いいなとは思ってるよ。
945 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 23:46:00 0
と言うほどは、全くモテナイ我輩。
今日はホワイトデー。「そんな日、知りません」と。
でも何が「正常」で何が「異常」視されているか。
これは、かなり人間側の都合によって、湾曲されていると思うし、
あまりにも自然に周りがしているから自分も、といった風に、
知らないうちに影響されていると思う。
自分が知っている毛皮反対サイト
http://www.geocities.jp/kabasannoheya/nofur.htm でも、人はこれを声を大にして「悪」とは感じないほど、麻痺している。
でも、俺がセックスの話をすると、「変態」と言う。
まぁ、半分、ネタみたいになってしまったけど、言いたい事は解るでしょ。
かなり、イメージとして、知らないうちに洗脳されてるのよ。
人が生活するという上で、「当たり前」として上書きされてきたこと。
結局、ちぐはくなのよ。何が善だとか、悪だとか。全部、人の欲。
946 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 23:47:52 0
あいかわらず、単純でお花畑な奴w
947 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 23:56:59 0
思い込みシリーズずっと続いているのですね。
どなたか知りませんがこれもまったく違う話だと思いましたよ。
それと貝についても間違っていますから、こんなものまで食す必要があったかではないw(貝塚を調べる事)
948 :
夢見る名無しさん:2010/03/14(日) 23:58:00 0
とっても人格者なAV男優が居たら、どうするの。
ベッドの上では、ガンガン突いてくるけど、それ以外は紳士。
沢山、居るでしょ。プロじゃなくても、セックスは大好きで
色んな女性を味見したいと思っている大人な素人。
自分はこのようにガツガツしていますが。
くだらない。そんな事で感情を「寂しく」させたり、
「失望」に変わったり。とってもくだらない。
自分の彼氏や旦那が「絶対行ってない」と云いながら、
「デリヘル」行ってたら、どうするの?
結局、それって、
あなたの信じてた彼氏や旦那はあなたの中にしか居なかった訳でしょ。
死ぬまで貫き通せば、どんな嘘も通る世界。ことば一つ。
壊したい訳じゃないよ。自分が信じてたものなんて、何でもない
という事を云いたかった。
話は変わりますが、そういえば、「セフィロトの樹」について、
ヌース理論の半田広宣に会議室で以前に議論されていたページを発見。
http://www.noos.ne.jp/forum3/data/noos/log/tree_292.htm
949 :
夢見る名無しさん:2010/03/15(月) 00:02:09 0
>>946、
>>947 おー。見てるんじゃねえか。居るなら、書いてくれよ。
俺、一生懸命、スレを盛り立てようとしてたんだ。
ちょっと言葉、汚かったけどね。じゃ、後は話題、頼んだよ。
>>947 貝塚の話、ありがとうね。
でも日本の事だけを指したつもりもなかったんだ。
950 :
夢見る名無しさん:2010/03/15(月) 00:20:16 0
最後にphase11で誰かが貼ってくれていた
金子みすずの作品を再度、コピペするかぁ。
ちなみに自分は寺山修司と田村 隆一と鮎川信夫も好きっす。
-------------------------------------
『わたしと小鳥とすずと』金子みすず
わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。
951 :
夢見る名無しさん:2010/03/15(月) 00:24:10 0
『蜂と神様』金子みすず
蜂はお花の中に、
お花はお庭の中に、
お庭は土塀の中に、
土塀は町の中に、
町は日本の中に、
日本は世界の中に、
世界は神様の中に,
そうして,そうして,神様は,
小ちゃな蜂の中に。
-------------------------------------
こちらに●スレが派生(分裂)する前のナンバリングである
phase11やphase12に関してはリンクを貼ってあります。
http://web2.nazca.co.jp/Ascension/ そしてこれも、アセ既スレで教えていただいた
過去スレッドの検索が出来るページ。
http://makimo.to:8000/
952 :
夢見る名無しさん:2010/03/15(月) 01:05:09 0
>>947 それといい忘れです。
勿論、「貝」は熱さにより、その蓋が開く事は知っています。
でも、私が書いた「貝」は海の貝としての表現以外にも、
比喩として女性性器の意味合いも含まれています。
そして、それを食べようと悪戦苦闘するのは、
そのままの出で立ちが、まるで自我の塊とも云える、
狩人としての男性シンボル。
そういえば、勃起した男性性器と、天狗の高い鼻ってイメージとして被るんだよね。
もしかして、世界の事象のすべては、精神を表現する為の
比喩や形容でしかないんだろうか、と思う事はある。
ウエサク祭がある鞍馬山にも、鞍馬天狗の話があるしね。
ただの伝説だとしても、その話がある事自体、ただの偶然だとは思えない。
そして、スピリチュアルの連中には、鞍馬山は、
サナートクマラが降り立った場所として云われている。
と同時に、サナートクマラは
ルシファーの別名であるとも云われている。
鞍馬山の本尊の名前は「魔王尊」。上手く出来ています。
ルシファーやそういう天使的な存在が居るとは信じていないけど、
人が持つ精神性としての個性をあらわす代名詞として、そのような
「名称」はいつの間にか、広まったのだと感じてる。
失礼しました。訂正します。
>鞍馬山の本尊の名前は「魔王尊」。
鞍馬寺の本尊の名前は「魔王尊」。
>>952 貝を強引にこじ開ける様を想像して勃起した。
956 :
夢見る名無しさん:2010/03/15(月) 01:39:22 0
日月(ひふみ)神示を書かせたのは、
国常立尊(国常立神)と言うお話だけど、
国常立尊はルシファーと同一だと言う説もあり、
また、出口ナオに憑いた艮の金神も、国常立尊と同一視されているね。
もしかして、全ては
時代を変え、姿を変え、色んな所で手を施してくれた
たった一つにして唯一の大きな意識からの働きかけかも。
ひょっとしたら、みんな
大元は同じ意識だったと言う。。。
957 :
夢見る名無しさん:2010/03/15(月) 01:56:09 0
もし、そうだとしたら、魔王やルシファーは、想像もつかないほど、
如何なる意識よりも、と言っても過言じゃないくらいの愛があると思う。
自ら、励まし役になる時もあれば、自ら、仇や敵として映らせて、
皆の心を神の意識へと引上げてくれていたのかもしれない。
地に落とそうとしていたんでなく、縛りつけようとしていたんでなく、
まるで戦場のしんがり役のように対岸に立って、人間には嫌われながらも、
避けられながらも、人の心を鼓舞してくれていたのかもしれない。
自我の強さは、神の道に取って換わる。
959 :
夢見る名無しさん:2010/03/15(月) 02:08:27 0
>>956 出口ナオについたのは違う。
もしよかったらその話はどこで聞いたのか教えてほしい。
960 :
夢見る名無しさん:2010/03/15(月) 02:13:57 0
961 :
夢見る名無しさん:2010/03/15(月) 02:21:51 0
>>959 あぁ、すまなんだ。あなたの質問を取り違えたかもしれない。
艮の金神と国常立尊が同一視されていると言い切ったのはまずかった。
そういう説もなかには、あるというだけの話。失礼しました。
艮の金神 ルシファー で検索するか、または、
艮の金神 国常立尊 で検索しても沢山ヒットするので、
そういう事を言う人が結構居るというだけの話。
「決定事項」ではないです。失礼しました。
962 :
夢見る名無しさん:2010/03/15(月) 02:40:44 0
いやそう、巫女としてとりなしをしたのはナオともいえるのだけれど、
出口オニ三郎が霊統一体現者である。
君たちは知っているかどうか知らないが伊勢白山道というブログがあって
ナオを評価している姿は、現大本が担う体的世界の継続と同じであり
そこから知識を得たのでしょう。
自らの霊性となんら関係なく色々と拝借していているのでそういった間違いは
伊勢白山道の常なのだが、おそらく君の方はそういうことが言いたいのではなく、
>>957 に話の的があるのだろう。
ついでに言っておくと伊勢白山道は鞍馬の魔王尊にたしてもほとんど理解に乏しく
批判しておりスサノヲの霊統理解とかけ離れており、大本、物質占い教を引き継いでいる。
過去記事を読めばわかるが、削除したり勝手に話を変えるが記憶しているものも多数いるはずだ。
963 :
夢見る名無しさん:2010/03/15(月) 02:57:58 0
おじさんは働いてないの?
964 :
夢見る名無しさん:2010/03/15(月) 03:09:36 0
>>962 返答ありがとうございます。
そうですね、私もその認識は一致しています。洗礼者としてヨハネのように、
初めの触れ込みをしたのが、ナオさんで出口王仁三郎が中心人物だと思ってます。
私も白山道は首をかしげています。私は霊感は乏しいですが、日本の封建社会の
礎を築く前段階として、平氏を倒す筆頭として源義経の幼少期を暖めた鞍馬山は、
日本における霊場の最高峰だと思っています。そしてエネルギーの集約地。
白山道は、初めに出した一冊だけ拝見しましたが、鞍馬山を霊的に魑魅魍魎が集まる場所と
書いていたので、この人はその部分の受信しか出来ないのかと失望しました。
確かにエネルギーとして我の集約地であるとは思いますが、それは日本最高の霊性を
併せ持った場所という裏付けであるとも思っています。我=色、転じて、色即是空。
それと話は戻りますが、「出口なお 金神」で検索してもかなりヒットしてきますね。
以前に出口なおが憑かれた時の状況を描写していたページを見た記憶があるのですが、
今、お気に入りにも入っていなくて、どこだったか思い出せません。たぶん、
その内容自体は、多くのページで貼られている事かと思いますが。
それとありがとうございます。話の的は
>>957でした。
自分なりの想像上の話をまとめるたがる性分なので。
965 :
夢見る名無しさん:2010/03/15(月) 03:11:56 0
>>963 いや、働いてるよ。でも、場所がすごい近いんだ。
家から数分くらいで行ける場所。
だから、朝、8時過ぎに起きても、間に合うんだよ。
4時間寝れれば、充分でしょ。今から寝る、おやすみ。
>>965 色々と大変そうだけど応援してます。おやすみなさい。
968 :
夢見る名無しさん:2010/03/15(月) 03:28:42 0
>>966 寝ようと思ったのに。いや、引かせたのは悪かった。
でもコテを外す事が出来たのに、何故、コテを付けて
同じ板で見つかりやすいように書いたと思う?
それも、自分の風評を下げるような事を書いて。
内容に何らかの意味があると思ったからだよ。
気分を悪くさせたなら、ごめんよ。じゃ寝るね。
969 :
夢見る名無しさん:2010/03/15(月) 03:36:20 0
おじさんの言ってること、言いたいことは分かるよ。
分かる人はたくさんいると思うよ。
けど発言せずに見守ることがほとんどだと思うよ。
なぜだかは分かると思う。
おじさんもそうだけど、自分は何がしたいのか、
自分がしたいことと、その為にはどうしたら良いか、
手段ややり方はこれで良いのか…?、をもう少し、
今一度、考えた方がいいのかなって思いました。
新スレ感謝。
海底に潜む金塊、その数は無尽蔵。誰かが掴んだから
誰かが掴めなくなる事はなく、一人目が見つけた半分を
懐ろに隠したから、二人目にも半分にしか見えないのでもなく、
故意に噛みつかせた大蛇は、その牙を天照大神の胸元深く。
目掛ける心の蔵は愛の熱に満たされ、誘き寄せられた蛇の身は、
欲の引力に比例して、陽子に取り込み、我が身を燃やす。
苦痛で始まり歓楽に変わる燃焼。
それは、いつしか、陽子が幾万の蛇の子にまどろみ映り、
大蛇自身の心の鏡となるとき。
松果体の初動は、「感謝」が引き金となる。
無理に「感謝」を唱えても、我を灰には変えず、
我を灰に出来たとき、自然と「感謝」はその思いを
心の蔵から出さずにいられなくなる。
それが神から生まれた者の本望。
それが神から生まれてきた者の自然。
ありのままの心に立ち返ったとき、
「感謝」は何も受け取らずとも溢れ出る。
そのとき「松果体」は発光する。
「在る」の感覚に戻れた時に、感謝の念がふっと湧くかな。
でも、自意識的として自分が強くなってしまっている時や、
(頑丈という意味ではなく、刺々しくなっていう感じ)、
そういった感情の流れで、焦りや不安等で苛立ちを抱え込んでしまった時なんかは、
なかなか「在る」の状態までは戻れない。
自分の感情に留まるとき、主観に留まるときは、
本来あったはずの落ち着きが、心から失われてしまっている。
その主観や自分の感情とは、何だろう。新●●スレでに出ていたテーマ。
スレ主さんは、「恐怖」であると端的に言っている。
この例が見られる日常での一コマ。
ここのスレでも、何度も通り過ぎてきた光景。
相手が受け取った自分の言葉の解釈の違いに対しての
「正そう」とする姿勢やそれに対する返答。
「正そう」とは語弊があるかもしれない。だが「そうじゃない」という。
「そうじゃない」というよりかは、「そういう見かたもあるよね」の方が、
そこに「恐怖」は見つからない。
では、何故、そのような時に、
そこに「恐怖」は見つからないか。
自分が「何者」であるかという自分像を
相手に変えられるのを「怖がっている」のでは?と解く。
「正そう」とする風潮が少しでも入れば、そこに
その人なりの「善悪を知る木」が入った事になる。
私個人としての考え方ですが、基本、「善悪」はない考え方を持っています。
ただ、現実世界で誰かを批判したりしなければ、筋が通らない局面が、
私の中では出てくるのですが、(それだけ許容範囲がまだ個人なので;;)、
批判すると、それは「善悪を知る木」になってしまう。
だからそれはしない。
表立って批判しない代わりに、
隠そうとしているのを「露見」させる手段を用います。
何故なら、批判しなくとも、本人達が気まずければ、
おのずのその身を隠そうとするからです。
アダムとイブの罪の意識のように。
表立って「批判」はしない。ですが「露呈」させる事で、
周りが批判をしてくれます。
なので、ある意味、私自身が恥を捨ててないと
「露呈」させる事が出来ない場面も出てきます。
ですが、自分に羞恥心はあまりありません。
馬鹿でしょうが、ある意味、強みでもあります。
話が脱線したので、新スレのテーマの戻すと、
つい先日の
>>931さんの返答がありました。
これは、私の羞恥心の無さが書かせた
>>929の文章に対して、
>>931さんの僅かな恐れが文節の解釈を読み誤らせた一例だと感じています。
もし、
>>931さんが
「自分は刹那的で即物的な人間に思われても一向に構わない」という
捨てっぷりであれば、スルー出来たかもしれませんし、または、
「そのように誤解される」自分への眼差しに対する恐怖心が無ければ、
何度か落ち着いて読み直して、
私自身が己の事を「刹那的」と言っているんだな、と
読解してくれたかもしれません。
でも、ただ単に私の文章が解り辛かっただけかもしれませんね。。
きっと、そうに違いない。
人の書いたテーマをパクリます。消費の為ですので、何卒ご了承ください。
新スレのレス番4の方がとても、うまい事を書いてくださった。
>怒っていても、かたい文体でも書いている側はリラックスしていたりする。
>むしろね、読んだ側の緊張が引きおこされ不安になる。
>それで怒るな、リラックスしたら?とか言うようだね。どうもそうらしい。
これには、全面的に同意です。私はここまで上手く表現出来ません。
たとえば、極端な例では、
気分は穏やかであるのに、掲示板上で
「この野郎、師ね!!」とか「ぷww情弱」とかお決まりの文句を
書き込んだとして、レス番指定で名指しされた人は、
自分の感情の引き出しに従って、
上記も「文字面」に呼応する感情を「呼び起こしてしまいます」。
これが掲示板においての「文字」のやりとりの醍醐味であり、
落とし穴であるともいえます。
続きます〜
誤字が多いです。スマソ。
>>978 誤「も」→正「の」
自分の感情の引き出しに従って、
上記の「文字面」に呼応する感情を「呼び起こしてしまいます」。
>むしろね、読んだ側の緊張が引きおこされ不安になる。
>それで怒るな、リラックスしたら?とか言うようだね。どうもそうらしい。
この2行のニュアンスの半分の解釈を残していましたので続けます。
肝は、この方が言及してくださった最後の1行。
この方に説明して貰った方が正確かとは思いますが、レス埋めなので続けます。
誰かに対して注意をする場合、世の中には2種類あると思っています。それは、
・明らかに誰が見ても怒っていて収まりがつかない場合に
相手に対して「怒るなよ」となだめるケース。
・「ムッ」としているように映ったか、または、そのように感じた為に
「怒るなよ」と口走るケース。
前者は、このケースには当てはまらず、
(まぁ相手が怒りすぎて殺されそうになった場合は
正直、恐怖が湧くと思いますけど。。)
後者の方に今回の内容が該当するかと思われます。
本人が怒ってる訳でもなく、不安なわけでもなく、
相手が「何をそんなに怖がってるの。」と口にしてしまった場合、
「そんなに怖がっているのは」。。。。
口にしてしまった側であると感じています。
もちろん、ニュアンスとして、例外は当然たくさんあると思います。
本番の舞台を直前にして、ピアノを習っている子供に
「何をそんなに怖がってるの」というケース。こういう場合は、
ただの励ましですね。。。
ですが、当てはまるケースとして、
掲示板上で凡例が多く見受けられます。
これはよく議論している時に出てくる事が多いかと。
たとえば「良心」について話していたとします。
【人に良心はあるか。
またその良心の施行はどこまでが良心か?】
などといったテーマで話されていたとします。
にしておきます。
するとだいたい、ボランティアがどうとか言う話題にもなってきたりして、
遂には、老人が目の前で餓死しそうになっていでも知らんぷりするか!!
という話になっていったとします。
この場合、どちらでもいいと思います。
老人を擁護する側が「何を怖がってるの?」と言ったとしても、
老人を見捨てる側が「何を怖がってるの?」と先に言ったとしても、
先に口走った方が、「恐れを露呈してしまった」のは明らかです。
つまり、擁護する側が「擁護出来る限界を何処かで勘付いている為の」恐れ。
つまり、見捨てる側が「見捨ててしまった時の罪の意識か、
または自分が同じ境遇になった時に対する」恐れなど。
もっと感情のニュアンス的には、多岐に渡るかもしれませんが、
理屈というか、カラクリというか、新スレの方の発言に乗らせて
頂いた形になりましたが、私も同感です。
修正。
などといったテーマで話されていたとします。
にしておきます。
→にしておきます。 (不要:削除忘れ)
また、こんな風に修正をしてしまうのも、恐れや羞恥心の名残かもしません。
すべては自分を守ろうとするが故の「恐れ」。
肉体を守ろうとする「恐れ」のときもあれば、
よく言えば、誇りが傷つけられそうになったときの
精神的な「恐れ」もあって。
どちらも「自分」を尊重する為に生じるおそれ。
もしかしたら「誇り」は、
余計な「埃」なのかもね。
なんちゃって。
>>977 私はあなたとレスを交わしたことはあまりなかったと思います。
だからあなたの考え方、価値観をよく知らなかったので、
>>929の文章がうまく読み解けなかったからです。
しかしそのあとの返答で、あなたの言わんとしたことが理解できました。
>>931を書き込む際、刹那的なニュアンス云々の一文を削るか迷いましたが
(始めは無かった)書き込む直前に迷いながら付け加えてみたんです、
そしたら案の定…という感じですね。だから少し後悔というか反省をしています;
でも、あなたもわかっているようなので通じていると思います。
ところで私はあなたには、「刹那的で即物的な人間に思われても一向に構いません」
と言えるけれど、本当に本心から
「刹那的で即物的な人間に思われても一向に構いません」なんて
思ってるとしたら・・・どうです?
なんだかちょっと卑屈っぽすぎやしませんか?
ちがうな。うーん。難しい
あなた自身は「私は刹那的で即物的な人間に思われても一向に構わない」と
開き直っている部分があるのかもしれないけれど、
私はそういうのはあまり好ましいとは思わないっていうか・・
やめた方がいいんじゃないかなって思うっていうことですね・・・すみません。
>>985 ありがとう。
1000いくまで延々と俺の一人芝居、夢芝居になるかと思ってた。
>なんだかちょっと卑屈っぽすぎやしませんか?
すいませんでした。そこは、
ちょっと極端に書いて、解りやすく伝えたかっただけピョン。
>>931を書き込む際、刹那的なニュアンス云々の一文を削るか迷いましたが
>(始めは無かった)書き込む直前に迷いながら付け加えてみたんです、
>そしたら案の定…という感じですね。だから少し後悔というか反省をしています;
あぁ、更にどうも。
これがあなたの気持ちだとすれば、寧ろ「恐れ」を抱いていたのは
私の方です。あなたが感じた通り、私は多少、自虐的になって嘲笑気味に
「刹那的で即物的な人間に思われても一向に構いません」と入れたのかも
しれない。わざと自分に泥を塗って平気な顔を見せるところがあるから。
あなたと絡んでみた感想は、「直感的」でありながら、
理性もあり、直感を優先した為の時折生じる読み違いや
僅かなすれ違いや誤解も、すぐ溶ける人だと感じました。
だめだ。ややこしくしているかもしれないです。すみません。
なんなら直に話します?
>>987 仰りたいことはわかります。改めないといけないですな。
確かにわざとあけっぴろげにして見せて、自分は「全部捨てきってるゾー」みたいなスタンスを取りますが、
反面、自分でも解ってるのですが、一つの姿を提示する上で、キャラを無理して推し進めているところもあり、
それは自虐的な面もありながら、精神的なリストカットのように「甘え」も含まれたものと言えるかもしれません。
たとえば、容姿端麗でとてもそういう言葉を口にしなさそうな淑女が、自分に貼られる優等生的な
イメージを打破しようと、汚下劣なフレーズを連発しても、誰も心地良くならないのと一緒ですね。
ただ、単に「あぁ、この人はこういう言葉も言えたんだね。」というだけ。
あなたは、とても親切な方ですね。嬉しいですよ。
>>988 >あなたと絡んでみた感想は、「直感的」でありながら、
>理性もあり、直感を優先した為の時折生じる読み違いや
>僅かなすれ違いや誤解も、すぐ溶ける人だと感じました。
いえいえ(照)、それを言ったらこちらこそですよ。あなたもそう。
なんていうか、ありがとう。褒められ慣れていないからくすぐったいですね(笑)
おやすみなさい。
>>989 照れ屋なので^^
それとあなたが女性だった場合、自分は言動のイメージよりも
女馴れしていないので、惚れてしまう危険性があるので自重します。w
たまに駄々おじさんでコテつけていますし、ブログもprincessaromとprelioで
ネット上に拡散させていますので、見つけたら名指ししてくれたら、返答しますよ。
でも、ブログは更新する予定はないので、自分のブログを注意して見直す機会もなく
何か書かれても、気づかないかもしれませんが。。
それと何より、あなたが言ってくれている事は充分、伝わっていますよ。
あと、できれば、空きスペースや新スレなどで、あなたが書いた気づきの言葉を
読んでみたいと感じます。では、そろそろ寝ますね。おやすみなさい。m(_ _)m
うめ
他人のことはよく見えるね
幸せとは、自分が心から「幸せ」と感じる瞬間のことではあると思うけれど
では、幸せと感じる瞬間とは何か?と考えたらば
それは、内から湧き出る全てのものへの感謝の気持ちで心がいっぱいに満たされる瞬間のこと、、
そういう瞬間に、最も強く幸せを感じるのではないのかなぁと思いました。
難しい言葉や、専門用語など知らなくても真理、叡智は得ることができますよね。
スピリチュアリズムを学ぶことによって知ることが出来た人はそれでよいのですが、
スピリチュアリズムに興味のない人もたくさん居ますから、そういう人に対して
なるべく専門的な語を用いずに、如何に自分の伝えたいことを伝えるかが課題だと思っています。
///
そしてストーリーは続いてゆく
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。