訂正。
>>205 > そうだぞ!俺の時計坂ちゃんに!!
⇒「私(=海王)の時計坂さん」が正解。
>>207 > 海王チャマは要は頑張りすぎて、検索人界の出る杭になってしまったのですね?
⇒検索人界…×
⇒削除人界…○
>>219 レス番を指定してくれないとスレ全部読む気にはならない。
>>220 二つあるんだが、まず「合わせて一本」という概念もある、ということ。
次に、その推測を裏付けるように、全ての単独の問題に対しては、前例があることや
論理的に反駁済みなので相手は「考えてください」的なことしかいえない状況になっている。
つまり、論理的な議論においては全て決着はついてるわけだね。ところが、その論理的帰結
とその人の希望が乖離していることが受け入れられずに、本来なら論理的な再反駁なりすれば
いいのに、それが出来ないので「さも答えがありそうな台詞」を言い出してるってところだろう。
思考停止をしてしまっているせいで本質を見ずに形式的な要件適用をすることしか思いつかない。
そこで、本質論を出すと途端に議論が出来なくなる。
一つ例をあげると、自分に向けられた批判を削除人が削除することはどうなのか、と言う問題がある。
思考停止している人はその形式=自分で自分に対する批判レスを消す、と言うことに当てはまるから
駄目、ということしか考えられない。本質的に考えれば、これがなぜいけないかと言うと、二つ理由があって
1.それによって言論封殺に繋がるからで、これが自由な論のやり取りの場である2chのポリシーに反するから。
2.その行為によって削除人が削除権を私的に使用するという、利用者と削除人との間でヒエラルキーがあるという
削除人も一般利用者も「等価」(=どっちが偉いとかの上下ではない)という2chのポリシーに反するから。
と言うもの。
で、1.に対してはその本質をみれば、削除だけではなく削除した後に転載すれば「適切な場所」での論のやり取り
は出来るわけなので、削除+転載、であればその本質を損なうことにはならない、ってことになる。
2.に対しては削除人も一般利用者も等価である(誰がしたか、ではなく何をしたかで判断する)、ということなら、
それが自分に向けられたものだから、と言ってそれを区別して扱うことは等価でない、ということになり、等価という
設定が論理的に破綻する、ってことになる。
つまり、削除したからといっても即それが悪いことと判断するのは間違いで、その本質に還って考えて善悪の判断を
しなければならない、ということ。
しかしながら、御意である「自スレのようなもの」の削除が禁止されたことで2.の前提が変化していることがあげられる。
つまり、削除人は一般利用者とは違う、という概念に表立ってシフトしていると考えられる。
以前はたもん君が自スレのようなものを削除しても不問だったことを考えると変化が生まれたとも言える。
その削除人は一般利用者とは区別して扱う⇒等価ではない、ということになると、1.の理由からは無問題であっても、
2.(の概念変化後)の理由としては自分に向けられたレスを削除することは悪い、ということになる。
これが時計坂さんのいうノーブレスオブリージェ、とも言える。
ただ、この等価ではない、ということは部分適用であって、全面適用ではないわけだが、等価ではない、ということを
はっきりと書くと全面適用と勘違いして増長する削除人とか一般利用者とか出て来る可能性があり、そういったことも
あって、書かないようにあえてしているのではないかと推察する。
で、こういった問題が出てきた場合には、上記のように論理的に思考し、問題の本質を具体的に出して、その解決の
為の方法論を提示するというのが最も効率的且つ、効果的な方法だと思うが、そういった方法を取れる、取ろうとする
人がいないということが問題だろうね。
つまり、上記のような理由があるので、1.削除人と一般利用者は等価でない部分あるので、2.自分に向けられた
レスはそれが論のやり取りを実質的に阻害するようなことがなくても禁止。とすればいいってことね。