1 :
夢見る名無しさん:
あのラストシーンの意味内容をドラマ全体との関連で
分析・検討・考察しまくる流浪のスレッド
【ガイシュツな主張】
・死後説
#朔の死後の亜紀との再会シーン
・夢説
#明希との生活を決意した緒形朔の見る夢
・お任せ説
#ドラマを見てショックを受けた人向けの鎮痛剤であり
#見た人が自由に想像してその内容を決定すべきもの
・支え説
#単なる回想でもなくまた死後のイメージでもない、
#強く生きて行くために必要な意味のある時間・瞬間
・願望説
# 夢島での
#「あの世は残された人達があって欲しいと願う世界」
#にリンクする朔があって欲しいと願う世界
・テーマ説
#ドラマのテーマを、朔と亜紀の堤防での再会
#という形で象徴的に表現したもの
【主な論点】
Q1:亜紀は死後の世界を否定していたのか?
Q2:亜紀が死後の世界を否定していた場合、
ラストシーン=死後の再会
という構成はもはやとりえないのか?
Q3:回想だとすると未練ぽくてせっかくの
明希との新生活への朔の決意がボケないか?
Q4:死後の世界だとすると、他が現実的なのに
ここだけ妙にファンタジーっぽくなって不統一?
Q5:別腹理論はこのドラマにおいて肯定できるか?
Q6:朔は別腹理論に納得したのか?
糞すれsage
【損得勘定】
死後説の長所:
死長1 朔の脳内ではなく会っている設定なので癒し効果が大きい
死長2 「走り終わったあと笑って会えるだろう」のセリフと整合的
死長3 爺ちゃんの言葉(別腹理論)ともリンクし構成として綺麗
死後説の短所:
死短1 現実路線のドラマなのにここだけファンタジーになって不統一
死短2 亜紀は死後の世界を信じていなかったことと不整合的?
夢説の長所:
夢長1 現実路線で一貫できる
夢長2 亜紀は死後の世界を信じていなかったことと整合的?
夢説の短所:
夢短1 朔の脳内出来事にとどまるので癒し効果は少ない
夢短2 「走り終わったあと笑って会えるだろう」のセリフと不整合的
★「現実の中で解決する」というドラマの解答との整合性について
・夢は現実にあるのだから夢説の方が整合的だよ説(夢派)
・死後の再会はそれで解決したわけじゃなくて、あくまでも
生きてるうちに一生懸命がんばって生きる意味を見出して、
で、そうやってがんばったからこそのご褒美の再会なんだから
別に「現実の中で解決する」とは矛盾しないよ説(死後派)
せかちゅーとかかんりゅーとかどれもつまんね
【ドラマも】セカチュー見てません【映画も】
>>7 ドラマスレに多くいる再放送デビュー組のほとんどは元々そういうタイプ。
セカチュードラマというよりセカチューブーム丸ごと一括で馬鹿にしてて。
たまたま偶然、年末にセカチューとは知らずに再放送見てて
気付いたらはまってた、みたいな。
俺のことだ。。
独り言・・
セカチュースレ、どこ行った...?
独り言
これからセカチュースレはどこへ行ってしまうんだろうか?
スレに残ってる香具師は馬鹿ばっかだな。
まあ2ちゃんねるだから仕方ないのだが。
15 2005/04/25(月) 00:14:22
ローカルルール審議中(sage)
私見
Q1:亜紀は死後の世界を否定していたのか?
不明 理由:否定の言葉はあるが、矛盾する言動も残している。
・謙太郎とサトさんの散骨にこだわったこと
・ボウズへのテープ「わらわはばっちり聞いておるぞよ」
これは天国(死後の世界)で聞いているよという意味ではないか。
もし、生きている人の願い、と言うとらえ方をすれば、
ボウズに対して嘘を言うことになるから
Q2:亜紀が死後の世界を否定していた場合、 ラストシーン=死後の再会
という構成はもはやとりえないのか?
無回答
Q3:回想だとすると未練ぽくてせっかくの
明希との新生活への朔の決意がボケないか?
YES
Q4:死後の世界だとすると、他が現実的なのに
ここだけ妙にファンタジーっぽくなって不統一?
NO 理由:第1回のリクエストのメッセージは
「ありえない」といいながら視聴者に対して
死後の世界からのメッセージととらえられるから。
このラジオからドラマ(緒形朔)の行動がスタートしているから
Q5:別腹理論はこのドラマにおいて肯定できるか?
YES
Q6:朔は別腹理論に納得したのか?
YES
結論としてお任せ説。で、死後の再会を選択。
26 2005/04/25(月) 02:37:25
ローカルルール審議中(sage)
あのさぁ、ラストシーンから色んな妄想をするのもいいんだけど、
1話から最終話までのセリフやテーマをきちんと追ってみたら?
自由な解釈をするのと、ドラマの流れを無視するのは別物な気がする。
27 2005/04/25(月) 07:10:32
ローカルルール審議中(sage)
こんだけ人の生きる意味、生き方をテーマにした話が、
ラストは天国で再会かよwww
夢オチ以下だな。
28 2005/04/25(月) 09:21:10
ローカルルール審議中(sage)
天国で再開は稚拙であまりにも少女趣味の締めくくり
29 2005/04/25(月) 09:55:29
ローカルルール審議中(sage)
Q4:死後の世界だとすると、他が現実的なのに
ここだけ妙にファンタジーっぽくなって不統一?
の問題ですね
31 2005/04/25(月) 11:18:47
ローカルルール審議中(sage)
作品のテーマとかは別にして、
朔は死んだ後の世界を信じてたよ。
「走り終わったそのときに、君に笑って会えるだろう」 って言ってるし。
だから生きてる間は明希とラブラブな生活をして、死んだ後に亜紀と会えるのを楽しみにしていた。
亜紀もあの世はないと思ってたけど、
天国ならあっていいかなぁ〜て思ってて、死ぬ直前まで悔いを残さないように生きたいように精一杯生きた。
だから天国で再会できたんだと思う。
33 2005/04/25(月) 14:30:03
ローカルルール審議中(sage)
>>31 ドラマの「笑って会えるだろう」は、人生を全うしたとき満足して
死ぬということでしょう。
ドラマでは死までは描いてるけど、その先は描いてないし描いてはいけないと思います。
このドラマは「生きる意味」または「生きてる意味」を描いてるのであって
誰も経験したことの無い死後の世界を映像にするはずがないと思う。
死後の世界は想像だけの世界だから。
天国で再開すると思うのはドラマを見た個人個人がこうであってほしいと思う
願望に過ぎないのではないですか?
勿論全員が同じように考えてるわけではないし、それぞれが好きな様に
考えいいことですが、それが只一つの正解みたいなレスを見るたびに
違うんじゃないか?と思います。
ラストシーンは朔の心の中、思い出の中にある一番安らげて幸せだったときの
シーンなんだと思いますよ。
亜紀が思い出に成りつつあるという意味のシーンだと思います。
35 2005/04/25(月) 15:59:40
ローカルルール審議中(sage)
おい!夢オチを馬鹿にするな!!
夢は実在するけれど、天国は証明できん。
だから夢オチの方が現実的。
36 2005/04/25(月) 16:08:47
ローカルルール審議中(sage)
夢オチが真実かどうかは疑問だが
本放送当時は、ラストシーンに関係なく夢オチでも良いよ。みたいな流れがあったのは事実
そのぐらい視聴者が熱かったって事ですね。
再放送、DVDが初見だと一気に見るから、この心境は理解できないだろうけどね。
38 2005/04/25(月) 17:42:33
ローカルルール審議中(sage)
わたしが思うこの作品のテーマは、
生きるということは、どんな辛い状況に置かれても、
希望や目標を持って最後まで生き続けなくてはいけない。
それが生きている証だから。
だから「走り終わったそのときに、君に笑って会えるだろう」 は希望や目標だから死後の世界はあった。
だから天国で亜紀に再会出来たんだと思う。
39 2005/04/25(月) 17:53:58
ローカルルール審議中(sage)
朔の臨終の瞬間で、最後の夢じゃないだろうか。
人生を走り終えたところに亜紀が現れ、
亜紀と一緒に死へ向かうというイメージ。
死後の世界ではなく、死の間際の夢の世界。
こうありたいと願った夢。
最後の幸せな夢。
40 2005/04/25(月) 18:07:44
ローカルルール審議中(sage)
夢か… 現か… 幻か…
今わの際に
松本朔太郎
の見た風景
41 2005/04/25(月) 18:11:32
ローカルルール審議中(sage)
あのさぁ、天国でも願望でもどっちでもいいんだけど、
「何故そう思うのか?」理由を書いてくれない?
今更「あれは天国で〜」とかラストシーンの描写を書かれても議論にならないんだけど。
言ってる意味わかるよね?
45 2005/04/25(月) 20:48:04
ローカルルール審議中(sage)
ドラマは、朔が立ち直った時点で終わってるんだよ。その後の大人になった智世とか
坊主とかラストの再会のシーンとかは、ドラマの続きじゃないんだよ。
エンディングの歌の後だろ。大体あれは誰の目線で表現しているんだよ?
朔か?亜紀か? 違うだろ。物語後のそれぞれがこうじゃないかな?こうあって欲しい。
とかいう第三者の願望や想像だろ。
..47 2005/04/25(月) 21:27:04
ローカルルール審議中(sage)
>>45 おれも近い感想。
ドラマスレのいくつか前に書き込みをした。
このラストシーンは
@過去の思い出
A今朔の夢
B走り終えた(死んだ)ときの再会
で、Bが回答として多かった。
で、なぜこういう書き込みをしたかというと
おれは、死後再会説を支持しているが
どうも納得がいかなかったのよ。
で、今の考えてるところは
本編は緒形朔の散骨で終わり、
エンディングタイトルもすべて終了してからの
1シーンだから本編のリアル路線は
終わっているのではないか?
と思っている。
..46 2005/04/25(月) 21:23:02
ローカルルール審議中(sage)
このドラマでテーマ上のポイントとなっているのは、
”絶望の位置づけ”だと思う。
確かにサクは立ち直った、でもここでいう立ち直りとは、
人としてあるべき生き方を取り戻した、といったことでは決してない。
サクは人間らしく生きてきた、17年間、誰よりも。
ただ、そのことを自分で気づかずにいたのだ。
小林明希や一樹の前で笑顔を絶やさなかったとしても、
心の底からから笑ったことはなかった。
でも、エンディングの堤防でのサクの笑みはどうだろうか。
『ソラノウタ』によって亜紀の死の意味を示されたとき、
同時にサクは、自分のその17年間の意味を知ったのだと思う。
..48 2005/04/25(月) 21:56:38
ローカルルール審議中(sage)
表面的には明るかったりコメディタッチだったりするけど
智世とスケちゃんを安易に一緒にさせたりはしないとか、
結局はこのドラマは徹底的に現実路線で辛口だよねぇ。
主題歌もメロディはすごく明るいの歌詞は切ないし。
羊の皮をかぶった狼つう感じ。w
やっぱこのドラマのテーマは
>>38さんとかぶるけど
「人生必ずしもみんな第一希望通りにはいかないけど、それぞれ
与えられた場で希望を見つけてがんばるのもけっこう(・∀・)イイ!」
みたいなモノだと思うよね。
そういうテーマや全体の流れから見ると確かに
死後の再会説はちとアレなんだよなあ。
ただ、自分は最初あれを見たときに直感的に
死後の再会だと思ったんだけど、そのときの感動は
ちょっと筆舌には尽くしがたい。人によるんだろうけど。
だからどうとでもとれるようにぼやかして撮ってくれたのはありがたい。
..49 2005/04/25(月) 22:02:08
48(sage)
あ、よく見たら
>>38さんとはテーマの捉え方微妙に違ったかも。
..50 2005/04/25(月) 22:03:08
ローカルルール審議中(sage)
小説にしろアニメにしろ映画にしろ
名作と言われる作品は
ラストシーンの感動が不可欠なんだが
このドラマはその常道をいっている。
また、いずれの名作もその解釈が
別れるというのも常道。
このドラマが名作たるゆえん。
わたしは死後の再会を
最初の直感を信じて
支持したい。
..55 2005/04/26(火) 17:08:11
ローカルルール審議中(sage)
>>50 ラストシーン初見のとき私は疑いもなく朔の夢だと思いましたよ。
..52 2005/04/26(火) 01:23:25
ローカルルール審議中(sage)
あのシーンが無かったら、結局別の相手と幸せになって亜紀が消えていく感じがして
ドラマにはまってた俺は嫌な気持ちになったと思う。
あのシーンのおかげで悲しい中にも爽やかな印象をもって番組を見終われたよ。
ちなみに俺はサク死亡後の再会と思いたい。
ファンタジーでもいいからある種のハッピーエンドみたいなのがいい。
自分でも何書いてるんだかよくわからなくて纏まり無い文章でスマンorz
..53 2005/04/26(火) 10:47:29
ローカルルール審議中(sage)
亜紀が死んで17年間苦悩したけど気持ちを整理すると結局
「亜紀と過ごした時間は幸せだったんだよ」に辿り着いた
というのがラストシーンだと思います。
。
..54 2005/04/26(火) 17:00:07
ローカルルール審議中(sage)
そもそも、天国なんて無いよ。
誰か行ったことあるの?
..56 2005/04/26(火) 18:11:13
ローカルルール審議中(sage)
天国、死後の世界がある、ないという話になるとキリがない。
朔が、「走り終わったその後に、笑って君と会えるだろう」とナレーション
を入れてる所から、自分の人生を走り終えたら、笑顔で亜紀と会いたい、という
朔の死後再会の願望(夢)を表してると思います
..58 2005/04/26(火) 19:31:15
ローカルルール審議中(sage)
亜紀は、あの世なんて無いという主張を終始一貫しているのか?
もしそうなら、息を引き取る間際の”ウルルに・・・撒いて・・・私”は
どう説明したら良いのか?
..59 2005/04/26(火) 19:41:11
ローカルルール審議中(sage)
亜紀が「あの世は無い」と思っていたら、あの世は無いの?
「あの世は有る」と思っていたら、あの世は有るの?
..60 2005/04/26(火) 20:43:25
ローカルルール審議中(sage)
>>58 あれは亜紀の最後の願い(想い)だよ。
臨終の亜紀をそこまでいじめるなよ。
..63 2005/04/26(火) 21:59:16
ローカルルール審議中(sage)
でも、ラストシーンの海を見つめる亜紀の表情って、
なんか意味あり気な感じを受ける。
朔が思い浮かべる亜紀の姿というより、
明らかに亜紀自身の主観・感情がある様に見える。
気のせい?
..61 2005/04/26(火) 21:25:32
ローカルルール審議中(sage)
あの世で亜紀に会えるというなら、小林明希はいない方がよかった
サクには一生独身を貫いてほしかったよ
..62 2005/04/26(火) 21:39:27
ローカルルール審議中(sage)
>>61 死んでみたら、あの世が無かったらど−すんのさ?
..64 2005/04/26(火) 22:04:16
ローカルルール審議中(sage)
>>61 だよね。
>>56というふうに、新婚当初からいきなり
死後の亜紀との再会を夢見てるようじゃちょっと。。
> Q3:回想だとすると未練ぽくてせっかくの
> 明希との新生活への朔の決意がボケないか?
てことだね。その点でちと夢説も弱点あり。
..65 2005/04/26(火) 22:12:09
ローカルルール審議中(sage)
>>64 あのさぁ、水を注す様で悪いんだけど、
それは単なるお節介なのでは?
..66 2005/04/26(火) 22:13:42
ローカルルール審議中(sage)
朔の最後のセリフの一部
「走り続けるぼくたちの足跡は君がいた証だから。」
この場合のぼくたち=朔と亜紀
つまり新婚の時から朔は亜紀を
忘れていないですね。
当たり前の話ですが。
..67 2005/04/26(火) 22:38:39
ローカルルール審議中(sage)
>>66 でも、その亜紀は、”恋人としての亜紀”じゃないと思う
..68 2005/04/26(火) 22:48:15
ローカルルール審議中(sage)
明希も了承済みだしな。
っておい、ラストシーンと関係ないだろ!w
..69 2005/04/26(火) 23:07:38
ローカルルール審議中(sage)
みんな、綾瀬亜紀を愛しすぎ。
だから、せめて死後には朔と亜紀が・・・
なんて、二人の幸せ祈っちゃうのでは?
でもここは飽くまで哲学スレ。
自分の願望とは少し距離をおくべきかと思ふ。。
..71 2005/04/26(火) 23:19:51
ローカルルール審議中(sage)
亜紀を愛してこそ成り立つドラマつう面もあるからな。
しかし他方で感情移入を促す徹底したリアリティあってこそのドラマでもある。
その葛藤がこのラストシーン問題とも言えるわけだが。
-- 引越し完了 --
よく頑張ったなぁ〜
【議論する上でのお約束】
●死後の世界の存在有無を議論しない。
悪い例:「そもそも、天国なんてあるの?」
●自分の願望だけでなく、
ストーリーや作品テーマ、亜紀や朔の気持ちなどから物語りに相応しいラストシーンを考えてみましょう。
悪い例:「天国で再会できたと理解した方が、見ていてハッピーになれるから」
●ラストシーンの描写だけでなく、
「何故そう思ったのか」理由を分かりやすく書きましょう。
悪い例:「ラストシーンは人生を走り終わった朔が(ry)
……亜紀と再び歩き出したのだと思う。」
>>31 > ●自分の願望だけでなく、
> ストーリーや作品テーマ、亜紀や朔の気持ちなどから物語りに相応しいラストシーンを考えてみましょう。
> 悪い例:「天国で再会できたと理解した方が、見ていてハッピーになれるから」
言いたいことはわかるけど、相手にそれを要求するよりその都度
「そうすると〜という点でテーマ等との関連で相応しくないのではないか」
と端的に指摘した方が早いと議論がわかりやすいと思う。
指摘した方が早いと議論がわかりやすい ×
指摘した方が早いし議論がわかりやすい ○
>>32 「個人の感情論に走り過ぎらない様に」ぐらいに受け止めて。
ちなみに
>>31自身の解釈はどれ?
上の過去ログにあるかな
>死後の世界が存在していないと、
「走り終わったそのあとに笑って君に会えるだろう」
のセリフが朔の勘違いということになる。
死後の世界が無くても
「あの世は残された人達があって欲しいと願う世界」にリンクして
「走り終わったそのあとに笑って君に会えるだろう」
という願いを持ち続けて生きることは勘違いではないと思う。
会える会えないの物理的な問題じゃなくて。
>走り終わったその時に笑って君に会えるだろう
生まれてきた以上人はいつか死ぬ運命にあります。
「会えるだろう」は、亜紀が死んだように僕もいつか死ぬという意味で
「走り終わったその時」は、それまでは精一杯生きるということなんだと思います。
「走り終わったその時に笑って君に会えるだろう」は
お別れの意味もあると思います。
つまり「生の世界」にいる朔は「死の世界」にいる
亜紀の灰を撒く形で「亜紀を思い出にする」ための朔なりの儀式をして
亜紀にお別れしたと解釈しました。
死後の世界が無くても
「あの世は残された人達があって欲しいと願う世界」にリンクして
「走り終わったそのあとに笑って君に会えるだろう」
という願いを持ち続けて生きることは勘違いではないと思う。
会える会えないの物理的な問題じゃなくて
であれば、朔は亜紀が言うところの
「あの世は残された人達があって欲しいと願う世界」
を納得していたのだろうか。
納得していれば
朔は「自分が願うだけの世界・存在しない世界」と解っていながら
「君に会える」と信じたことになる。自己矛盾ではないか。
納得していなければ
朔と亜紀は死ぬまで、死んでから17年たっても理解できなかったことにならないか
「走り終わったその時に笑って君会えるだろう」は
人生が終わって死を迎える、つまり「死ぬ」ということを
遠回しに表現しただけではないでしょうか。
朔は死のうともしましたが、これからも自分の人生を歩むことを決意しました。
そしていずれは朔自身にも死が訪れる。
亜紀が死んだようにいつの日か自分も死ぬという意味のような気がします。
テーマが重いだけに最後に「死」という言葉使って締めくくるわけには
いかないのと、視聴者が前向きに受け止められるような台詞を
最後に持ってきたのではないかと思います。
追いつけない速度で去っていく亜紀を
ぼくはもう、捕まえることができない。
生きている限り、君とぼくとは遠くなるばかりだろう。
だけど、ぼくは走ることをやめない。
走り続けるぼくたちの足跡は
君がいた証だから。
走り終えたその時に 笑って君に会えるだろう。
「走り終わったその時」というのが、必ずしも「死」を意味しない、
と自分は考えているが、たとえそうであったとしても、
この「死」はあくまで「生」を唱えるために生じた言葉。
「生」を「走り続ける」ことにこそ意味があり、
「死」は決してラストシーンの本質ではない。
ただ、「走り続ける」ことと「亜紀」との間には直結した何かがある、
そうサクは言いたいのだと思う。
そしてそれは、人の生き方として普遍性を持ちうるものだろう。
・走り終わったその時に・・の台詞は森下氏が初めから準備したもの
・ラストの(´∀`)σ)Д`)のシーンは追加されたカット
理由
・亜紀が不自然なヅラをかぶった映像を残したこと
・こんな議論に及ぶ程、重要なシーンと作り手が考えていたら
髪剃する前に撮影するはずだ
・完璧に近い仕事をしてきたスタッフらが、ミス(ヅラ)を犯すこと自体不自然
まとめ
1話からの流れを踏まえて、最終話は亜紀の死で悲しみが一杯だったのを
視聴者に対し和らげる、軽くする
そんな作り手の粋なはからい
死後や夢、空想、妄想・・どんな解釈でも勿論いいだろうが
この素敵なラストシーンを、肩の力を抜いて見ることができないのかと
疑問に思うのは俺だけでしょうか?
>>42 剃髪前になぜ撮影を終えていないか?
については気に掛かるところだが、
もし、シーンをあえて付け加えたとすれば、
その理由は視聴者への癒しだけなのだろうか?
むしろ物語の世界を完結するために
制作途中で決定されたような気がするし
それに、最初からこのカットはヅラで行くと決まっていたのかも。
大事なシーンだからこそ、オールアップまで残したかもしれないし。
天国での再会が実現できたのだと思う。
亜紀が海を見つめる表情には、
明らかに亜紀自身の主観・感情が込められている。
これは実際、亜紀がそこに居たということにつながる。
朔が願望で想像する亜紀の姿には決して見えない。
>>42 DVDの特典映像ってのが前提なわけで
そこでオールアップのときに映える映像・・・というと
あれしか無いっしょ!!
というわけで織り込み済み確信犯的ヅラ説
>>45 勘違いだったらスマソ。
本放送も再放送も見たことがないんだけど、
ラストシーンはDVD特典映像なんですか?
>>44 >朔が願望で想像する亜紀の姿には決して見えない
朔の願望ではないと思います。
朔が亜紀を思い出すときの朔の中にある亜紀のイメージというのはどうですか?
未来ではなく過去の亜紀。
>>44 確かに。あの満ち足りた表情はいいね。
海を見ているというより、
過去とこれからの二人の未来を見ているという印象。
>>46 じゃなくて、ラストにあのシーンを持ってくることで
セカチュークランクアップが絵になる、という
DVD編集を睨んだ構成、とゆこと。
坊主頭のままとか帽子かぶった姿でクランクアップって
しまらないじゃん。だからいずれにしろ元々ヅラは織り込み済み。
という説
天国で再会したんでしょ。
だって亜紀にイタズラされてるから。
もし朔の願望だったら、
「亜紀がいなくて一瞬焦る」
なんてシチュエーションを想定しないだろ。
192 2005/04/30(土) 01:22:17 ID:ca4sMUSi
最後のシーンを死後の再会シーンと捉らえる人が
多いのに驚き。
宗教なき現代での死生感が原作のテーマなのに
死後の世界みたいな安易な救いはありえないだろ。
もしそうなら、ドラマは原作からの大幅な劣化だ。
195 2005/04/30(土) 01:43:23 ID:GhWDxeZW
つうかさ。あの死後の再会(だと仮定して)は
救い
ってものじゃないと思うんだよね。
つまりそれに依存はしていない。
生きてる間、充実して生きていられるのは
別にその死後の再会を支えにしてたから、
というわけじゃない。
あくまでも「その与えられた場所で」
生きがいとか希望を探して人生楽しむ、
そういうことだと思うので。
だから生きてる間は亜紀に依存せず人生を楽しんで
そして死後は亜紀と再会を楽しむ。これ全然矛盾なし。
198 2005/04/30(土) 02:02:09 ID:ca4sMUSi
登場人物が依存しているかは、テーマとは別次元の話。
もちろん、死後の世界を肯定する超名作もあるから
死後の世界でもいいけどね。
永遠に会うことはないという前提と、いつか会えると
いう前提だと、死を乗り越えることの困難さ深刻さが
全然違ってくる。
この作品は単なるロマンティックなだけでなく凶暴な
現実とも向かい合った力作だと思うので、最後のシーンが
死後だってのはかなり違和感がある。
感情移入して見てる人への配慮なのかもしれんが。
>>51 「走り終わったそのときに、君に笑って会えるだろう」
というセリフがあるのだから
ラストシーンが天国での再会でないと、
朔は勘違いしたことにならないか?
>>42 &スタッフや若い役者さんに与える心理的影響も考慮していたかも知れませんね、
終始、類を見ない程に熱く重々しい現場になったようですし。
後日、主演者が当時の現場を思い起こして、鳥肌が立ってきたと仰りつつ、
大変だった、きつかった、でも「纏めて考えて、一言で言うなら楽しかった」
とのコメントを残しております。
この「楽しかった」と言う思いで仕事を終えられる効果的要素も含むシーン
であるようにも思えます。
−WEBで視聴者からリアルタイムに反響が返ってくる−
「亜紀を殺さないで!」
結構響いたでしょうねえ。
ドラマだから視聴者の生活空間に存在するロジックは崩壊させても良いけど、
脚本のロジックを崩壊させる事は致命的。
この脚本のロジックは、1987年と言う過去の出来事を含むとはいえ、現代の
生活空間に根付いたロジックを主体として視聴者を惹き込んでいるので、
脚本のロジック崩壊になり兼ねない相当難しいボーナスカットを最後に付加
したな〜っと思っております。
そして、それは諸々要件を満たしつつ、多くの人等に対して調和のとれた
不快感の残らない映像を提供したであろう事に脱帽。
小説などとちがい、ドラマは桁違いの視聴者に対して
最大公約数的な配慮もしなけりゃいけやいから大変だ。。。
ラストはぶっちゃけ妥協の産物なんだろうけど、
結果的には最高の余韻を生むことになりましたね。
曖昧だから自分に都合よく解釈できるし。
外国の映画だが、主人公が詐欺師だったというラストを
日本人向けには天使だと変えた例があるらしい。
ジャッキーチェンの映画でも主人公が失明して廃人に
なるというラストを日本向けバージョンのみカット。
他の国での公開はそのままなのに。
こう考えるとオンエアされたラストについてあれこれ
論じたり一喜一憂しても仕方がないのかもしれない。
>>54 自分に都合よく、に同意。
あの展開には精神が崩壊する様な心境だったよ自分は。
57 :
夢見る名無しさん:2005/04/30(土) 07:47:45 0
>>54,55
本スレでこの話題のループを嫌っていた人の殆どがその結論をとっくに持っていた、ってことも
理解されてはいますよね?
58 :
夢見る名無しさん:2005/04/30(土) 09:05:17 O
本スレって?
他のスレから独立して、ここはここで議論すればいいんじゃない?
いやそうじゃなくて
そんなこと最初からわかってるのに
よくも本刷れでループしやがって
いまごろやっと気付いたのか
っていう意味だと思う。
でも「どっちもありうる」って結論自体は変わらなくても
死後説と夢説それぞれにどんな良さがあるのか、
っていうのは話してみて初めてわかることではある。
だから結論自体が同じだとしても議論が無意味にはならないと思う。
ただそれも程度問題で後半はちょっとさすがにクドイかなと思ったけどね。w
60 :
夢見る名無しさん:2005/04/30(土) 11:30:40 O
つか、このスレで本スレのループうんぬんを言われてもなあ。
俺のように本スレに常駐してない新参者もいるわけだし、
もう少し生暖かい目で見てくれよ。
そもそも2ちゃんなんて400もレスがつけば、たいてい
議論出尽くしてループするもんだわな。
61 :
夢見る名無しさん:2005/04/30(土) 11:41:08 0
サクのおじいさんが「自分の死後、好きだった彼女の骨と一緒にまいてくれ」と言ったよね。そして孫のサクがその願いをかなえてやる。恋人の遺灰を手に「ただいま」と言ったおじいさん。
あれはやっぱり死後の再会を信じてのこと。「自分もそのうち逝くからしばらく待っていておくれ」という気持ち。あの仲代爺さんが40年後のサクだったとしても全く違和感がない。
亜紀の遺灰に「ただいま」と言ってるサクを想像するのは容易なこと。あの要素を考えるとやっぱり最後のシーンは「自分の人生を走り終わった死後の再会」であると信じたい。
意義を語る、という意味で、正解があるとすれば、脚本化がどういう意図でラストシーン
を書いたか、或いは、Pとの調整の結果だったとしたら、Pの意図は何であったのか、
または、Dがどういうつもりで演出をしたのか、役者がどういうつもりで演じたのか。
正解でも多数ある。でも、最大公約数的な答えは、「お約束だから」じゃないのか
劇中の人気者が死んでしまったものの終わりは、お約束として元気な姿を入れておく。
そうすれば、見ているものが勝手に余韻を増幅してくれる。
これはこのドラマのオリジナルではなく、数限りなく使われてきた手法。言わば定番。
ひねりがあったとしたら、「人気者」を亜紀と捉えたのではなく、亜紀と朔二人でつむいだ
もの、と捉えて、二人で終わらせたことくらいかな。
おいおい、おまいら勝手に人の文章を都合よく解釈するなよ。
死後説は多くの人が望んでいるが、脚本のロジックとしては破綻していると
俺は捉らえてるんだよ。
脚本家はうまいこと死後っぽく偽装したと書いたつもり。
ちなみに52さんの文章もそう読めるんだが違う?
ここは本スレじゃないから妙に馴れ合う必要はないと思うんだが。
63は面白いな。
かなり納得した。
63ではなく62の間違い。
66 :
夢見る名無しさん:2005/04/30(土) 11:56:30 0
結局モテない男がセンチメンタルに逃げてただけ。
62はすごく納得出来るんだが、このスレ終わっちゃうなw
ドラマ論理だと分かってはいても、あれは死後だいや夢だと
熱く語らせるだけの力ががあるよな。このドラマは。
しかしラストシーンが天国での再会でなければ
「走り終わったそのときに、君に笑って会えるだろう」というセリフが
朔の間違いということになり整合性がつかなくなる。
ドラマのセリフや流れからして天国で再会したと見るのが妥当。
69 :
夢見る名無しさん:2005/04/30(土) 12:04:27 O
ラスト、新説唱えてみるか。
あれは「朔が亜紀に死後に会えることを予感した」
ってことなんじゃないか?
願望や夢ではなく、予感。
これだとモノローグとの整合性もつくし、希望も持てる。
なにより宗教チックな世界観をを前提にしないですむ。
70 :
夢見る名無しさん:2005/04/30(土) 12:05:41 0
>>68 >>「走り終わったそのときに、君に笑って会えるだろう」というセリフが
>>朔の間違いということになり整合性がつかなくなる。
ソラノウタを読んだときに朔がそう確信した、というだけで十分でしょう。
71 :
夢見る名無しさん:2005/04/30(土) 12:07:02 0
>>69 心象風景って解釈はもともと予感も含んでるでしょう。
あまり新説って感じじゃない。
72 :
夢見る名無しさん:2005/04/30(土) 12:10:34 0
>>66 だな。実際は出川みたいな顔なんだろうな。
アキも森山中の村上さんみたいで。
ブサって自分を美化したがるもんな!
そうだね。
心象風景説を希望のない説だと捉らえられると困るので、
ちと言い回し変えただけです。
実際に会えたかどうかは数十年後にわかるであろう
未来は誰にも分からない。
でも朔は確信していた・・・ってニュアンスね。
新説
「亜紀は生きていた!?」
病院で死んだと思われていたが、無理ぽ。
75 :
夢見る名無しさん:2005/04/30(土) 12:14:24 O
これの原作のヒントになった実話では、女の子は
美人ではなかったそうです。
76 :
夢見る名無しさん:2005/04/30(土) 12:15:35 0
77 :
夢見る名無しさん:2005/04/30(土) 12:17:12 0
綾瀬はるかが可愛いから泣けるね。
Q3:回想だとすると未練ぽくてせっかくの明希との新生活への朔の決意がボケないか?
79 :
夢見る名無しさん:2005/04/30(土) 12:28:00 O
そもそも最後のモノローグからしてそういう内容だから
仕方がない。
>>78 だいたい男なんて生き物はそういう奴がほとんどだよ。
81 :
夢見る名無しさん:2005/04/30(土) 12:33:06 0
スキンヘッドはるかは泣けた。
82 :
夢見る名無しさん:2005/04/30(土) 12:35:43 O
これの男女逆バージョンがめぞん一刻。
ドラマなら101回目のプロポーズ。
83 :
夢見る名無しさん:2005/04/30(土) 12:39:02 O
明希は実は記憶を無くした亜紀だったという展開なら
冬のソナタになる。
84 :
夢見る名無しさん:2005/04/30(土) 12:43:54 0
>>82 ていうか良くある設定だよな。大なり小なり
85 :
夢見る名無しさん:2005/04/30(土) 12:47:12 O
ありがち設定で記憶に残っている名作は、どれも
キャラクターがめちゃめちゃ立ってるね。
もちろんセカチューも例外ではない
86 :
夢見る名無しさん:2005/04/30(土) 12:54:37 O
そういえば、ワンスアボンアンアメリカという映画の
ラストも、意図して曖昧にしたらしい。
結果、大成功
映画ヲタが、あのラストの笑みはこういう意味だ、
いやそうではないと延々と議論し続け、作品の
存在感がどんどん増して行った。
天国で再会した説が苦しくなってきたな。
がんばれ
88 :
夢見る名無しさん:2005/04/30(土) 13:03:59 O
>ワンスアボンアンアメリカ
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ の間違いでは?
本スレでラストシーンについて結論をつけたがっていたやつが
流れているかと思ったが、あまりいないのかな?
本スレではあれだけクドかった(しつこい)のにな。
考えるってのは、本来そういうことだ。
これで充分だと考え尽くされることなんて、
まずないと思っていた方がいい。
充分だと思っていても、
しばらくすると不充分な気がしてくる。
不充分なところは、また考えればいい。
そのうち少しずつ、自分の考えていることに
実感が伴ってくる。
そういうものなんだよ。
ラストシーンを朔の願望だと思ってる人は
>>50の疑問をどう解釈してるの?
92 :
夢見る名無しさん:2005/04/30(土) 13:07:34 O
>>62が世間一般の常識で判断される実態、ということは、本当はみんな理解している
んだよ。にも関わらず、延々と言い合いたいんだ。理屈じゃない。
理屈じゃないけど、理屈をぶつけ合いたい、それが真実。
94 :
夢見る名無しさん:2005/04/30(土) 13:16:56 O
単にスレの空気が違うからだろ。
ここは自己主張ウェルカムで議論を楽しんでる。
あっちは亜紀を悼む奴らが集っている。
だから似たような発言でも受け止められかたが違う。
見えるもの、形あるものがすべてだと考えると、
わしらの人生はじつに味気ないものになるんじゃないかね
何故かこっちの方が盛況だな。
アンカー知らないアホや、メール欄理解してないアホや、
sageを知らないアホ。
>>91 そういう亜紀らしい仕草も含めて亜紀を愛している。
だから願望の中でもそういうありのままの亜紀に
会いたいとしても不思議ではあるまい。
亜紀のいたずらも、朔にとって、かけがえのない
日常だったのだろう。
脚本や作品テーマとの関係性を考えれば「朔の願望」と捉らえた方が妥当。
がしかし、繰り返し主張してきたテーマを更にラストで見せるのは
あまりにもクドイし芸が無い。
それに、ドラマ自体はエンディングで終了しているので、
本編のテーマがそのまま繋がっているシーンとは捉らえにくい。
よってオマケ要素の強い「天国で再会できた」と考える。
>>99 個人的には死後説で最も説得力を感じたカキコだ。
確かにそのセンならあるかもしんない。
人生には実現することとしないことがある。
実現したことを、人はすぐに忘れてしまう。
ところが実現しなかったことを、
わしらはいつまでも大切に胸の中で育んでいく。
愛とか憧れとか言われているものは、
みんなそうしたものだ。
>>99 オマケ要素が強いならラストシーンは
朔が17年前に思いを馳せたときの
亜紀との一番幸せを感じるシーンでもいいと思う。
104 :
夢見る名無しさん:2005/04/30(土) 18:08:57 O
99は特典映像説とでも名付けよう。
つか、このスレ面白過ぎ。
最高のオマケ、最高の特典映像といえる。
おまけは時として、本商品より魅力的な場合がある。
死後もなく、生まれ変わることもなく、
死はただの空虚でしかない。
なんとも酷いことじゃないか。
死そのものは誰に対しても平等
自分は死なないと思ってる香具師が大杉。
誰だって死ぬんだよ、絶対に。
死ってそ−ゆ−もの。
ぼくもすぐに行くから
待ってる。でも、あまり早く来なくていいわよ。
ここからいなくなっても、いつも一緒にいるから
111 :
夢見る名無しさん:2005/05/01(日) 20:34:10 0
>>109 >自分は死なないと思ってる香具師が大杉。 居ね〜よww
人類の死亡率は有史以来100%。
これは揺るぎない事実です。
ただ、実感として自分の死を意識するのは
老齢か病床でもない限りありません。
だからこそ、人間は平穏に生きていけるのです。
だれかが言った言葉ですが、
30才を過ぎたら、1日1回死を考えない人間は馬鹿者。
1回以上考えるのは大馬鹿者。
114 :
夢見る名無しさん:2005/05/02(月) 21:36:08 O
なんか決着ついちゃったね。
本編の続きとしての天国での再会説はトドメを刺された
っていうか。
Q1:亜紀は死後の世界を否定していたのか?
Q2:亜紀が死後の世界を否定していた場合、
ラストシーン=死後の再会という構成はもはやとりえないのか?
まだこの2つの謎が解決していない。
ねえ。あの世って信じる?
信じられないな。
それってやっぱり、残された人たちが創った世界のような気がする。
存在してほしいと、願う世界というか。
>>116があの世(死後の世界)を否定した大きな根拠ですが
問題点は
1 これが本心だったのか?
2 死後の世界の可否は、発病・闘病の過程で変化していったのか?
だろうと思います。
亜紀は夢島の時は、死後の世界を否定していたが、闘病の段階で
変わっていったと思う。理由は
@このドラマは亜紀の周囲が、亜紀の死をどのように受け止め
心がどう変わるかという視点があるから。亜紀自体が当初と全く
違った結論になっても不思議ではないから。
Aアボリジニの本に傾倒していたから。
アボリジニが2回埋葬する意味を、アキパパは説明したが、
ドラマではカットされたが原作では「死者の血と汗は全て大地にしみこみ
地中の神聖な泉へと向かう。それを追い、魂も泉へ向かい、
そこで精霊となって暮らす」となってる。
亜紀の最後の言葉「ウルルに撒いて」は、精霊になって待つという
意味にとらえられるんだが。
人は生きてる限り煩悩を抱え
死によって全ての煩悩から解放される。
生きてる間経験する事のない死後の世界は
人が創りだした観念の世界であり119のAもまた同じ。
そしてそれもまた煩悩ではないだろうか?
ただし生きてる間の観念の世界は、
心の平安のためには必要なことであると
考えられるため否定はしないが
ドラマで死後再会を映像にしたとは考えにくい。
観念の世界だから。
>>120 このドラマのリアル路線との乖離、逸脱ということですな。
本編の続き「おまけ」の死後再会説なら無問題ではないか。
GW、しばらく留守にして帰ってきてみたら...
もう、決着しちゃったんですか?
以前こちらに書き込んだ
>>99ですが、
あれは僕の勘違いでした。
先日2回目の鑑賞をしたのですが、
ラストシーンが始まるタイミングが「エンディングが終わってから」でなく、
「エンディングの一部」ということに気がつきました。
それに、緒形サクがソラノウタを読んだときに、心の中で
最後のページの女の子の絵が亜紀にオーバーラップして、山田サクが橋の上を走る心象シーンがありますよね。
その続きがラストシーンです。
よってラストシーンは
「ソラノウタを読んだ朔の心象シーン」
と見るのが妥当と思われます。
あと、ラストシーンが終わった後に
ソラノウタの背表紙のアップがありますよね。
これも追加しときます。
シーン間のオーディオの被りは無視して
[A] 朔がグラウンドを駆けるシーン(「がんばれ」まで含む) メインエピローグ
[B] クレジット・エピソード サブエピローグ
[C] オールアップとなったシーン 付加映像
なんだ?結局どうなった?
夢説論者と死後説論者の現段階での
見解をまとめてくれ
結局
死後説:
あれは死後の再会シーン。
問題点
ドラマの現実路線とあわない
夢説:
あれは朔が亜紀に死後に会えることを期待して
心の中で描いている心象風景。
実際に会えたかどうかは数十年後にわかる。
未来は誰にも分からない。でも朔は確信していた。
問題点
あくまで朔の脳内にとどまるので癒し効果が死後説よりは少ない
って感じか。
>>127 死後説、夢説ほとんど同じにしか思えませんが。
今のところ
>>123の解釈が一番自然な気がします。
>>128 いや一応はっきり区別あるよ。
死後説は死後の世界で亜紀と朔が実際に(?)会う。
夢説はあくまで朔の脳内での出来事。
セックルとオナニくらいの違いがある。
そんな定番あるか?
たとえば他にどんなのであるそんな終わり方
私は
>>127の夢説とは全く違う解釈で夢なんだと思ったのですが
見た人が思い思いに解釈して良いという意図なら
どの解釈も間違いではないということになりますね。
しかし個人的に死後再会説だけは受け入れ難いですね。
人生甘くない
ってのがドラマの基本的トーンであり美学だったりするからね。
だけど死後再会説に立って見るとやっぱり幸せ感じる。たまらん。w
頑張れ!ピィーーー。のホイッスル吹く所、ソラノウタの絵に合わせた立ち方(姿勢)は
いいのだが、息が切れるくらい、しゃがみこむくらいもっと力強く吹いて欲しかった。
そんで姿勢立て直して、そのあとスマイルで。
他にもいろいろあるが、漏れはここだけがとても心残りである。
哲学的レスじゃなくすまそ・・・・・・。
135 :
132:2005/05/13(金) 00:18:46 0
>>133 わかってますよw
そう思ってる人達を否定してるわけではありませんから。
でも明希とこれからの人生を共に生きていくことにしたという所で
どうしても死後再会説を否定したくなるんですよね。
明希は朔の抱えてきたものも含めて朔を受け止めた思いますが
はたして朔はそこまで明希に自分を委ねて心地よく生きていく性格でしょうか?
亜紀を忘れることはないと思いますが、
明希と共に生きていくことを決心したからには
明希に対して失礼にならないよう朔なりにキチンと気持ちの整理を
する性格ではないかと思ったんですけどね。
物語の一部ではない
>>135 その点はむしろ逆だと思う。
夢説=朔の34歳の時点での心象風景
死後説=朔の死んだ時点での出来事
だから、夢説の方が確実に
「これから小林との新生活を迎える時点でもなお
死後の再会への想いを強く持っている」
ということになるはず。
死後説だと
3人乗りのシーン→小学校入学のシーン→・・・
ときて、その間は小林との生活に集中して人生謳歌して。
そして・・・
やがて迎えた臨終後、ふと昔を想い出した朔。
そしてもしやと思い約束の場所に行ってみると・・・
キタ━━━ヽ(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)ノ━━━!!!
・・・と。こういう解釈が可能。
ん?
なんかやっぱ死後説の方が整合的な気がしてきた。
このドラマのドラマの主人公は朔と亜紀、山田と綾瀬。
最後のシーンで出演するのは、必然の視聴者へのサービス・舞台挨拶。
ならば、視聴者がもっとも喜ぶラストでいいと思う。
それは、朔と亜紀と笑顔であり、その笑顔の意味は
走り終わった後の再会であり、永遠の愛だと思う。
ドラマのリアル性よりもこの方がなによりも重要だと思う。
視聴者へのサービスということであれば
幸せだった日々の二人でもいいのではありませんか?
過去の思い出の朔の心象でもいいのではありませんか?
永遠の愛は理想ではありますが普遍的なものではないと思います。
>視聴者へのサービスということであれば
幸せだった日々の二人でもいいのではありませんか?
過去の思い出の朔の心象でもいいのではありませんか?
「与えられる未来と失われゆく過去」
ラストシーンはとっておきの視聴者サービスだと思います。
過去の思い出では悲しい結末を知るものにとって癒しにはならないと思います。
>永遠の愛は理想ではありますが普遍的なものではないと思います
明希「アキは一人でいいんだな」
明希は朔が好きであっても、決して自分は亜紀にはなれない、代わりにはなれないことを
悟っていたと思います。
明希「そんな恋は二度とないよ」
朔が亜紀を生涯忘れることがないのと同じように、明希もまた一樹の父親を
好きな気持ちは変わらない。
何らかの理由で生涯を連れ添わなくとも、変わらない愛はあると思います。
>>137= Q3:回想だとすると未練ぽくてせっかくの
明希との新生活への朔の決意がボケないか?
てことなわけだが・・・
夢説派はこれはどう考えてんの
>>140 >「与えられる未来と失われゆく過去」
ラストシーンはとっておきの視聴者サービスだと思います。
過去の思い出では悲しい結末を知るものにとって癒しにはならないと思います。
視聴者サービスになりました。少なくとも私には。
亜紀の死後から17年間朔の苦悩するわけですが
17年経って辛いことだけではなかったと気が付いたとも考えています。
やっと思い出に出来る時が朔にも来たということです。
その時に幸せだったことを朔自身キチンと受け止めることが出来たと考えています。
亜紀と過ごした時間は朔の心にある宝物であると解釈出来ますから。
>>141 回想することで亜紀との過去は一つの過去として完結したと思います。
だからこそこれからの一歩を踏み出すことが出来たのではないでしょうか。
>>142 >Q3:回想だとすると未練ぽくてせっかくの
> 明希との新生活への朔の決意がボケないか?
って『回想』って表現になってるけどこれは不適切な表現だね。
回想って普通は過去を振り返るものだけど、この場合は
死後=将来の出来事を想像してるわけだから。
ということで、
> 回想することで亜紀との過去は一つの過去として完結したと思います。
> だからこそこれからの一歩を踏み出すことが出来たのではないでしょうか。
っていうのは成り立たないと思う。
あれが過去の高校時代の映像とか
だったら別だけど。あれじゃやっぱり
「これから小林との新生活を迎える時点でもなお
将来の、死後の再会への想いを強く持っている」
てことになると思う。
ラストシーンの二人の表情がポイントじゃないか?
サクとアキが見つめ合う横顔。
サクの泣き笑いの複雑な表情。
アキの意志を持った笑顔。
回想や心象風景じゃないと感じた。
このドラマの伏線てのは大体すごくわかりやすい。
ベタといえばベタ。その線で行くとこれはやはり死後と見るのが自然。
ただ死後の再会といってもそれがこのドラマのメインテーマの
「いかにして死別の苦しみから再生するか」
という問いへの解答ではない。そこはあくまでリアルに、
「残された人生の中で、与えられた環境の中で、希望を見つけること」
というのがその答え。死後の再会はそうやって戦って再生できたからこそ
与えられる御褒美みたいなもの。
、、、と。これでいいじゃないか。
↓これまでのまとめ↓
ソラノウタを見た緒方サクの心象描写。
じゅあなくて死んだ後の松本朔太郎
蒸し返して悪いが、やはり死後のサクとアキを表したものとの解釈はできない。
(各視聴者の願いとしては成り立つ解釈といえようが)
確かに制作者サイドとしては、当初、少しはそういう思いはあったかもしれない。
視聴者同様、サクとアキへの思い入れがあまりにも強かったからだ。
それで急遽撮り足したシーンかもしれない。だから綾瀬はるかはかつらで撮った。
しかし、それではテーマからずれてしまうという問題があった。
それで幅広く解釈できるように映像化し、放映したのではないか。
原作から一貫して、”忘れる”ことがこの作品のテーマの一部分以上を構成している。
それをベースとして考えると、「死後の再開」ではおかしいのだ。
ただ、このドラマは”忘れる”テーマの上にとても大きなプラスアルファを加えている。
つまり、「おまえの脚はあの子の脚」ということ。
その点に考えが至れば、このエンディングシーンは少しも無理なく、
清清しく、希望的に解釈することができると思う。
「走り終わったそのときに、君に笑って会えるだろう」
という朔の心象描写。
なぜなら、このドラマは
「叶うか叶わないかは分かんないけど、
夢や希望に向かって走ることこそが大事だよ!」
というのが大きなテーマだから。
故に、ラストシーンは
「再び走り始めた朔の希望」
である。
>>149 > つまり、「おまえの脚はあの子の脚」ということ。
> その点に考えが至れば、このエンディングシーンは少しも無理なく、
> 清清しく、希望的に解釈することができると思う。
具体的にはどういう意味?
>>150 > 故に、ラストシーンは
> 「再び走り始めた朔の希望」
> である。
そうだとしたら、
>>137の点は?
つまり死後に亜紀と再会することを希望として胸に秘め
小林との新生活を始めることが「走る」ことになるの?
それって解決になってるの?事態は変わってなくない?
ということで死後説でFA
おめでとう 正解!
心象描写がラストに出てくるのは不自然ではないか。
だって、サクの回想シーンはドラマ中何度も出てきたけど
心象描写のシーンてないじゃない?。
ラストだけ全話を通してなかった手法を使うのは変だと思う。
>>154 んだんだ。映像の流れの時系列からみても心象風景ってのは不自然。
小学校の入学風景を流しそのあとの時間の流れを意識させた後でのアレだから
やはり相当時間が経った後のもの、とみるのが普通。
>>155 そんな単純な時系列じゃないんだよ。w
防波堤に走って辿り着いた朔が、どこから走り出したのか確認することをオススメする。
またラストシーンの後に何が写っているのかも確認しる!
そんなに朔と亜紀が再会して欲しいなら映画版を見れ。
文句なしで再会してるぞ。www
>>158 156じゃないけど、
サクが走り出したのが「ソラノウタ」のがんばれから始まって
ラストの堤防のシーンが終わった後に「ソラノウタ」裏表紙が現れる。
ということでサクが「ソラノウタ」を見ているときの心象風景を
表現した、と言いたいんだろう。
>>159 お前さん優しいな。俺だったら
「そんなのセカチューファンなら常識だろ!」
で教えてやらんけど。w
あと、朔が橋の上を走ってるシーンにもソラノウタが映ってなかったか?
>>159 > サクが走り出したのが「ソラノウタ」のがんばれから始まって
> ラストの堤防のシーンが終わった後に「ソラノウタ」裏表紙が現れる。
> ということでサクが「ソラノウタ」を見ているときの心象風景を
> 表現した、と言いたいんだろう。
だとしたらあの部分は朔の主観的視点になるはずだけど、実際には
あそこは各登場人物の視点を超えた、全てを知る第三者=作者の
上から俯瞰した客観的視点による描写になってる。
>「ソラノウタ」を見ているときの心象風景
というのはその「がんばれ」で亜紀が笛を吹くイメージまで。
その前後ではその内容の差からして視点が変わっている。
その後の主題歌をバックにした映像は後日の経過を客観的に
描いたもの。そして、最後の絵本が閉じられる映像は
朔のこの世での人生が終了したことを象徴するもの
説。
確かにソラノウタが閉じられるまでを
サクの心象風景とするには無理がある。
それぞれの登場人物の日常をサクが
思い起こす必然性はあまり感じられないからね。
また、明希と一樹の三人自転車も心象風景としては
あり得ないだろう。
そこで、基本に立ち戻ると
リアル性にかける天国再会説、
手法に連続性がない、サクの心象風景説をはずしたとき
もっとも妥当なのはサクの夢説ではないだろうか。
ドラマ第1話冒頭の伏線をラストに持ってくることで、
このドラマの終始一貫したスタイルとなるのだが。
>>163 夢っていうのはどこからどこまでのこと?
>>164 サクの走り出しから
堤防で手をつないで画面左手へ消えるまでです。
エンディングの智代・ボウズ・スケ・谷田部先生・
アキ両親・サク両親・緒形朔と明希と一樹は
現在の日常(おそらく2005年春か夏)を表している。
サクが明希と結婚して亜紀のことが
「越さなければならない亀裂」から「今度は暖かな思い出」
として夢を見ることが出来るようになったんではないか?
という説です。
それだとちょっと唐突じゃないすか。
それまではずっと客観的外形的に描いていたのに
何の前触れもなくいきなり朔の夢の中に突入しちゃうのは。
それに夢ってのはある意味主観的視点からみた世界だから
>手法に連続性がない
っていうのが同様にあてはまると思う。
それにもし夢だとしたら
> ドラマ第1話冒頭の伏線をラストに持ってくることで、
> このドラマの終始一貫したスタイルとなるのだが。
ということからして冒頭のシーンとダブらせた形で
緒形朔の寝ている姿をチラッとでも見せると思う。
それがこのドラマの伏線の生かし方だから。
おっしゃるとおりです。
主要登場人物の日常と
サクの夢の明確な境が見えません。
天国再会説、心象風景説、夢説ともに
一長一短があるように思えます。
ひょっとして答えは無いんじゃないか?
とも考えますが、ラストの堤防のシーンを撮る際に
監督から二人に指示は出ていたと思います。
「このシーンは、サクが死んだ後、天国で亜紀が待っていた場面だからその感情を出してね」
とか、具体的な説明をしただろうと。
あっ再放送の時間だ!失礼
あのラストシーン、脚本にあったのかどうかも怪しいもんだ。
堤が遊びで入れただけなんじゃね?
死語説の欠点とされるもの:
1 現実路線のドラマなのにここだけファンタジーになって
表現手法として不統一
2 亜紀は死後の世界を信じていなかったことと不整合的ではないか
3 「死別の苦しみにいかに対処するか」の最後の解決が死語の再会、
というのでは子供だましであってまったく解決になってない
一番問題になるのは3だと思われる。がこれについては
>>51を参照。つまり
死後の再会は「死別の苦しみにいかに対処するか」への解答ではない
(195 2005/04/30(土) 01:43:23 ID:GhWDxeZW の見解)といえる。
ただ、これに対して
単なるロマンティックなだけでなく凶暴な現実とも向かい合った力作
(198 2005/04/30(土) 02:02:09 ID:ca4sMUSi の見解)という批判あり。
しかし
死後に再会できるからといって生き別れのつらさが減るものではない。
>>168 演出家が遊びで入れていたとしても
役者へ場面の説明はしているんじゃないか?
「サクが走ってきて振り返って
亜紀がトントンプス、笑って海を見て、
手をつないで堤防を戻る。以上。やってみよう」
ではあの二人の表情が出ないよ。
問題は
二人がどういうつもりで笑っているのか?だろう。
あの表情に答えが隠れている。
死後に再び出会えたからなのか?
辛い過去ではなく暖かい思い出となったサクの見る夢としてか?
サクの心象表現としてわらっているのか?
また、単なるカーテンコールのおまけのつもりなのか?
今の時点の朔の心象表現であるなら
山田ではなく緒形が演るべきではないか?
>>173 それはもう完全に個人の感性感覚の問題に尽きてしまって議論の余地がない
最近、「天国再会説」じゃないかと思ってます。
理由は、堤防を走りきった朔が何かを探してます。
もちろん亜紀を探してるんですけど。
心象表現だと亜紀を探す必要は無いですよ。
「天国再会説」はドラマのテーマを全く理解してないのを装う釣だとずっと思ってた。
もしかして釣られた?
>>177 テーマと矛盾しないよ。
どう矛盾するか言ってみて。
危ぶむことなかれ とどまれば道はなく 踏み出せば、その一足が道となる
テーマとの矛盾てのはつまり
>>51みたいな話なんだろう。
けど死後で会えるからといっても
>凶暴な現実
の存在には変わりはない。他の人がみんな死後も人生も好きな人と
一緒に過ごせる中で、自分らだけそれがかなわないわけだから。。
本編は朔の散骨で終わってるんじゃない?
朔の走り始めたところからは登場人物の紹介として
とらえていいんじゃないか。
ただ、山田朔と亜紀だけは現在の紹介が不可能になるので
17年前の姿になってしまう。
どういうシチュエーションかは見る人のお任せだろうけど。
振り向いた朔と遠景の横顔が、泣き笑いの複雑な表情を
しているので、「天国再会説」を支持。
本編かそれ以外かっつう区別も
どういう意味があるのかよくわからん。
本編以外だったら話半分で見といてくれよとか
そういうもんでもないと思うし。
俺は映画版が好きなんだけど、
ドラマ版のラストって、そんな意味不明なんだwww
>本編は朔の散骨で終わってるんじゃない?
終わってます、だからこそ最後のシーンに違和感を感じる人が皆無なわけで。
後から参加した人で、それを前提に議論してたことが見えてない人もいるかも。
クレジットの後に、ありがちなエンドスチルのみでは無くモーション付与ですが、
諸々都合の良いクランクアップの機会作りのために設けられたものでしょう、
オールアップシーンの中身については、物語が終えられた後に視聴者が観たいと
思われるもの、或いは
>>53のような内容を満たすものを分析し用意したのでしょう。
この9カットを本編にこじつけられるとしたら、〜であろうと語り合っているだけです。
こじつければ御覧の通り違和感を感じる人が出てくるわけです。
何とも言えぬ素晴らしい数カットに違和感の無いこじつけを求める哲学なのでしょうか?
こじつけをしたいんじゃないのです。
「この世にある全ての物に理由が存在する」
からその理由を知りたいだけなんです。
うんうん。つうか、あまり大袈裟な話じゃなくて、見てて
『このシーンってどういう意味だろ?』
って考えるのはごく普通の反応だよね。
解釈が分かれるのは別にこれに限った話じゃない。
本編にも色々あるし、本スレではそういう部分についての
話が相当部分を占めてきた。
>>185はそのあたりどう考えてんだろう。
そもそも、「本編が朔の散骨で終わってる」と言ってる時点で読解力がまるでない。
そんな見方だと、かなり損してる。
死んだ人を思うときは、何年経っても死んだそのときのままの姿ですが
思う自分自身もまたその時の姿や感覚に戻ってたりします。
ラストシーンはこのドラマの象徴とでも言うべき
一番自然な朔と亜紀の姿なのではないでしょうか?
このドラマは死後を見つめて生きることを示唆してる作品ではないと思います。
>>189 そういうことだよね。
2つの時間軸を正順に進んでいく2人の物語は散骨で終わってるんだけど
どうしても散骨の後に繋げたい人がいるみたい、もういないと思ってたけど。
天国で朔と亜紀は結ばれた
ハッピーエンドな物語り。
そう思えないクズどもは氏ね!
>>189 >このドラマは死後を見つめて生きることを示唆してる作品ではないと思います。
だから、死後説は別に「死後を見つめて生きる」ものなんかではないので。
>>51参照。
ラストシーンの答えだよ
〈未来にまた「亜紀」と出会う日まで〉
そもそも、このスレは、どうしても「死後の再開」という自説を主張して、片隅ででも
いいから、その結論で締めて終わりたいヤツの生息場所として成り立っているので、
死後説を否定するような、ごく普通の意見の人は叩かれる対象になります。
いいですか? 真っ当な意見は本スレでお願いします。ここは特殊な場所なのです。
特殊だとは思うけど、別に死後説が叩かれるというような
一方的な場所じゃないじゃない?実際途中までは
朔のイメージ説の方が主流っぽかったし。
特殊な点は、本スレと違って
・ひとつの話題について延々やってる
・理屈っぽい話が嫌ではない、むしろ好き、という人向け
てとこだけ。
>>196 ドラマ見てないでしょ。
「走り終わったそのあとに、笑って君に会えるだろう」
200 :
198:2005/06/14(火) 02:17:59 O
>>199 本スレでも偏屈王だったからね
>>196は。
本スレで結論づけようとして嫌われてここで偏屈&妄想している。
でも自分の世界で妄想するのは自由だけど。
>>201 そうなんだよ。原点に帰って素直に見るべきかもしれないね。
ラストの天国での再会は
朔と亜紀の「人は死んだら愛も死んじゃうんですか?」
というセリフが伏線になってる見事な締め括りなのである。
このスレが映画版ヲタの釣堀になってる説
205 :
1:2005/06/15(水) 01:05:24 0
どーでもいいですが
>>196とは別人ですんで
>>198 他ならともかくこれと一緒にされるのはちとキツイですw
>>205 板移動されたら?
ID出る所なら少しはマシだからさ。
天国って本当にあるの?
>>207 ご自身で身を持って確認して来て下さいよ。
「走り終わったそのときに、君に笑って会えるだろう」
という『朔の想い』をそのまま描写したもの。
と見るのが一番素直なのに
朔死去
↓
あの世は存在していた
↓
生きてたときに愛し合ってた人とはあの世で再会できる
↓
朔と亜紀再会
とまで発展させる根拠はどこにあるのでつか?
「走り終わったそのあとに、笑って君に会えるだろう」
死んだら会えると言う事ではなく単に自分にもいつの日にか
死が訪れると言うことだと思います。
美しい表現にしたに過ぎないと思います。
朔にとって亜紀を亡くしたことは辛い出来事であったのは確かですが
辛かった事だけではなかったということなんだと思います。
亜紀が入院するまでの朔は、これ以上ないくらい幸せだったのではないかと思います。
その時幸せだったと思う気持ちはこれからも色あせることなく
ずーと朔の心に残り続けるのではないでしょうか。
それがラストシーンではないかと思います。
>>210 朔の心を描写するのは、ドラマ全話を通じて
使われなかった表現方法ですが違和感は
ありませんか?
hosyu
「そろそろ亜紀のいる世界へいくことになりそうだな」
「何、気弱なことを言ってるの」
「亜紀が逝ってから、もうずいぶんになるからな」
「そうね、つい最近にも思えるけど、もう30年も経ったわ」
「俺が逝ったらおまえは一人きりになる。それが心残りだ」
「それは、亜紀を失った時からわかっていたことよ。どちらかが一人きりになるのは」
「寂しい思いをさせるね」
「ええ、でもその方がいいのかもね。あなたは一人じゃ何もできないし」
「ずいぶん苦労をかけたからね」
「あなた一人を残すより安心だわ。なんだか嬉しそうね」
「ああ、亜紀に会えると思うと不思議に怖くない」
「きっと待ちくたびれているわよ」
「おまえがいないのに亜紀とうまくやれるかな」
「また、親子げんかかしら?」
「いや、もう厳しくはしないよ」
「うん」
「今度は精一杯甘やかすんだ。親ばかになる」
「私もすぐには会えないけど、そんなには待たせないわ」
「そう、伝えるよ」
「それと朔くんのことも伝えてね」
「わかった。あいつもがんばってるって伝えるよ。それと」
「えっ?」
「亜紀の言ってたとおりいい奴だってね」
「亜紀は朔くんを待ってるかしら」
「待ってるさ。でも朔が探さないと会えないかもな」
「どういうこと?」
「今も、これからも亜紀への気持ちが変わらなければ会えると思う」
「明希さんに失礼かしら」
「それはどうかな。人の気持ちは理屈じゃない」
「そうね。朔君がその時に決めることね」
あら、雨がやんだみたい。外は青い空よ。
今日は7月2日、亜紀ちゃんの誕生日ね。
あなた、亜紀ちゃんがいくつなのか覚えてる?
あなた・・・・
そう、亜紀ちゃんに会いに行ったのね。
あなた、亜紀ちゃんは待っててくれた?
亜紀ちゃん、よかったね。これから誕生日はずっとパパと一緒だよ。
ママはまだいけないけど二人で仲良くね。
ママが行ったときは、三人でお弁当を食べようね。
そう、あの防波堤で。
二人で待っててね・・。
age得
217 :
夢見る名無しさん:2005/07/07(木) 14:15:58 O
>>214 215
神認定!
亜紀と朔が、あの世や天国を信じたかは関係無く、神様からのプレゼントだと思うから。
それはないよ
219 :
夢見る名無しさん:2005/07/11(月) 22:16:37 0
答え
特別編で使うかも知れなかったシーン
本編との繋がりはない
天国の再会。
いつか、あの場所で、出会えるんだょ。
頑張って生きたらね。。。
ラストシーンは2005年、7月2日と考えている。
2人の魂の邂逅だと思われる。。。
「走り終わったそのあとに、笑って君に会えるだろう」
これは、あの時自分の中で死んだ17歳サク魂との分離を
終えた、リアル朔が生きる事を誓った宣言だろう。
あの場所で・・・再び2人が邂逅する。2005.7.02
>>222「走り終わったそのあとに、笑って君に会えるだろう」
↑
「走り終わったその時に、君に笑って逢えるだろう」
224 :
夢見る名無しさん:2005/07/19(火) 11:11:36 0
夏!あげ
225 :
夢見る名無しさん:2005/07/20(水) 20:11:22 0
>222 あの場所で・・・再び2人が邂逅する。2005.7.02
反論も無いようですから、コレ結論でいいですね。。
夏期早期終了age
227 :
夢見る名無しさん:2005/07/24(日) 12:33:49 0
age
ほいage
231 :
夢見る名無しさん:2005/07/27(水) 20:11:24 0
さて、何を語ろうか・・
まあまあ、そんなスレが荒れるようなレスはやめましょう。
せっかく、みんな楽しんでいるのですから、
たのしい書き込みをつづけようじゃないですか。
>>235さん
拙者は234でございますが1ではありません。
ただの通りすがりの旅人でございます。フォッフォッフォッ
フォッフォッフォッ
糞スレ
フォッフォッフォッ
「財前教授の総回診です」
>>165 必ずしも、ドラマの中で朔と明希が結婚しているとは証明されてないと思う。
確かに明希親子と寄り添って生きていくようだが、、。
明希と入籍したかどうかは不明。
それより私は
「最近、「天国再会説」じゃないかと思ってます。
理由は、堤防を走りきった朔が何かを探してます。
もちろん亜紀を探してるんですけど。 」
の説に賛成。
>>222 私は、2005年、魂の邂逅説を支持します。
もともと、魂と肉体との個別の存在を感じているので
非常に私には理解しやすい説ですね。
>>244 > 死別した恋人を忘れる決意をする物語
そーなん?
>>244 強く生きる事で忘れない決心をする物語だろ。
>243の言う
>>222は死後では無いよね。
>>247 >忘れない決意
もう一度ドラマをよく見れ。
>>249 わかったよ。認めるよ。。。
辛いなぁ、この話。
>>250 どんなに辛くても、
人は生きていくために
忘れていかなくてはならんのだよ。
こんな感じだっけ?亜紀パパのセリフ。
252 :
:2005/08/07(日) 02:11:33 0
別に生きていくために忘れろといってるわけではないと思うけど?
ただ、その後の人生を精一杯生きて、死んだあと笑顔で再開できるように
てことじゃないの?
んだんだ。
死んだような人生送ったままじゃ
亜紀に合わす顔が無いもんね。
サクは人生を走り終えたのだろうか。
防波堤に辿り着くが、そこには誰もいない。
その時、後ろから肩を叩かれる。
振り返ると頬に指が当たった。目の前には微笑む亜紀がいた。
びっくりした?
したよ…
笑顔で見つめあう二人。
美しく暮れていく夕陽を見つめる。
そして手を取り、静かに歩いていく…。
最後に、絵本の背表紙が映し出される。
美しい青い空。
世界の中心で、愛をさけぶ
fin
>>254禿同
17年間引きずってしまったけど、
亜紀とのことは良い思い出というカタチで終わりにして
これからは強く生きていこうと決意した散骨シーンの後に
死んで天国で再会はナンセンス。
257 :
夢見る名無しさん:2005/08/09(火) 09:45:10 0
>良い思い出というカタチで終わりにして
終わりにしたんじゃなく、終わりにしないために強く生きるのでは?
朔は17年間ずっと亜紀を引きずってしまった。
それを自分自身の中に押さえ込むために無理して仕事に没頭した。
でもそれじゃあ身も心もボロボロになってイクナイと思った。(1話のあらすじ)
で、「引きずるのはもう止めよう。良い思い出というカタチにして心の中に留めよう。」
と思って散骨した。
引きずるのを止めることは亜紀を忘れていくことにもなる。
(散骨時の「亜紀との距離が離れていく」)
でも引きずるのは止めて強く生きていこう。
それが生きている証だから。
んでもって「引きずるのを止めて亜紀への記憶が薄れていく代わりと言っちゃなんだけど、
強く生き抜いた後に亜紀に会えたらいいね。
それくらいのご褒美があってもいいよね?
記憶は薄れても心のどこかに亜紀への想いは残っているハズだから。」
と思ったんジャマイカ。
259 :
:2005/08/09(火) 20:49:37 0
お前の脚はあの子の脚だ
つまり亜紀の分も強く生きるって言う前向きな生き方になろうと誓ったんだから
忘れることではないと思う
死んだ人にはかなわないとよく言われるけど、ほんとにそうだね
小林は朔にとって大事な人には違いないけど亜紀とは比べられないな・・
>>259 散骨した時の
亜紀との距離は離れ続けて行く。
の意味は?
261 :
:2005/08/09(火) 22:56:50 0
>>260 散骨は決別でなくて前向きに生きていくためのけじめでしょ
亜紀との距離が離れていくってのは普段の生活の中では薄れていくけど
心の真に部分では忘れないって事では?
>>261 「僕は亜紀と別れる場所を探した…」
2話で緒方サクがそう言ってるけど?
朔の行動は、
冒頭「忘れなければいけない」と帰郷した。
散骨場所をさがす。
故郷で亜紀の思い出をたどるうちに自殺未遂もおこすが、
自分は生きたいということを実感する。
明希の事故の際に瓶が割れ、散骨をあきらめたが
明希の勧めでもういちどちゃんと送るため、廣瀬家を訪問。
「ソラノウタ」を読み亜紀の気持ちを知る。
「おまえの脚はあの子の脚だ」
亜紀は死んだが、朔が生きていく中で亜紀の気持ちは
一緒に生きていくということが伝わる。
亜紀の遺言、思いをかなえるため散骨。
ということで冒頭とラストの散骨をする気持ちが変化している。
>>263 よくドラマなんかで、新しい恋人と幸せになるために、
死に別れた昔の恋人への未練を捨てようと、その人から貰った指輪なんかを
海に向かって「さよなら!」って投げ捨てる演出があるじゃん。
朔の散骨もそれと一緒だと思う。
>>264 そりはどうかなあ。
そういう「さよならっ」てのは、
亡き恋人への思いを断ち切るつうか、
リセットっつうか。
朔は亜紀を失った煉獄のような苦痛に
耐えきれず、最初は逃避の手段として
散骨しようとした。
最後の散骨は亜紀が朔に託した想いを
受け止め、今の朔にとって一番大事な
明希と一樹と共に支え合う喜びを
受け入れたんだと思う。
亜紀は朔の心にずっといるけど
苦しみ抜いた17年間に抱き続けた
執着ではなくなったんだと思う。
となりのあの子はどこへいったの
もう見えないよ
なぜなら、おまえの中にいるからさ
おまえの脚はあの子の脚だ
がんばれ(朔ちゃん)
この「ソラノウタ」の解釈は
・となりのあの子はどこへいったの
亜紀が死んでしまったことへの朔の問いかけ。
・もう見えないよ
亜紀の答え。失望と終焉を朔に答える。
・なぜなら、おまえの中にいるからさ
だが、見えないこと=死んだことは
より堅い永遠の心のつながりが生まれたということの始まり。
・おまえの脚はあの子の脚だ
を朔に伝えて、後悔や過去の思い出だけではなく
朔自身のために生きて行くことが亜紀のためになるということ。
・がんばれ(朔ちゃん)
今まで亜紀がきらいで抵抗があった「がんばれ」という言葉の意味
将来の人生設計や無理・我慢ではなく
純粋に、幸せな人生を全うするための応援の言葉
じゃないのか。
>>264 未練を断ち切るための散骨ではないと思います。
「ソラノウタ」の解釈は↑で述べましたが
「おまえの脚はあの子の脚だ」は
「走りたいだろう、亜紀」の台詞にかかると思います。
つまり、走りたいのは亜紀でもあり、朔でもあるということです。
朔は新しいスタートを亜紀とともに始めたいのです。
だから、亜紀の散骨と同時に朔も追いかけるように走り出したのではないでしょうか。
この場面で緒形朔の走り方を揶揄する人もいますが、確かに様になる走り方ではありません。
なぜでしょうか。それには意味があります。
朔は今も昔も、亜紀ほど軽やかに速く走れないということです。
ですから生きている限り距離は離れるばかりなのです。
でも、朔が人生を自分なりに一生懸命に走り終わったとき
そのゴールで亜紀が待っていてくれるのではないか?
ちょうど二人だけの公式記録の時のように、
というのがラストシーンの解釈と思っています。
268 :
:2005/08/11(木) 01:02:22 0
>>267 激しく同意
つまり王道の終わり方だよね
人生を精一杯生きて、亜紀に笑顔で再会できるようにって感じかな?
269 :
すみれ:2005/08/11(木) 01:10:21 0
すごいです!!そこまで分析なされるなんて・・・
感動の一言です。あたしは何度見ても最終話で泣いてしまいます・・・
盛り上がってるとこ悪いんだけど、
『朔はソラノウタを読む前に散骨を決意してる。』
で、骨を貰いに廣瀬家を訪れたらソラノウタが出てきた。
271 :
:2005/08/11(木) 10:28:09 0
小林アキの言葉じゃないかな?
かけがえのない17年をこんな形で終わらせていいのか?
亜紀の言葉に策は答え続けてきたのではないのか?
この問いかけで吹っ切れたのでは?
でソラノウタで確信した
散骨決意についての決め手は
>>271でしょうね。
そして骨を分けてもらうため廣瀬宅へ。
ソラノウタを貰い骨を分けてもらう。
ソラノウタが決め手になったのは散骨場所選定かと。
ソラノウタの内容解釈は
>>266みたいなのが好きだな。
ソラノウタを読んで亜紀の想いを受け止めたから散骨した。
ではないな。
もちろん、朔はソラノウタを読んで散骨を決意したのではありません。
ドラマの冒頭から散骨のために帰郷したのですから。
私は散骨という行為より、散骨への意識が以下のとおり変化していることに注目しています。
@亜紀を忘れるため
A(明希の助言により)ちゃんと送るため
B(ソラノウタを読んで)ともに走るため
このドラマは朔が17年間の苦しみから目が覚め
成長する物語だといえるのではないでしょうか。
275 :
274:2005/08/11(木) 22:57:45 0
連続書き込み申し訳ありません。
>>266でソラノウタを解釈し、
>>267で散骨のシーンの意見を述べた者です。
最後に難問であるラストの堤防のシーンの意見を述べます。
散骨の後、各登場人物の現在が紹介され、堤防のシーンとなります。
朔は堤防を走り終わると亜紀を探します。その時亜紀の姿は見えません。
なぜ、探す行為の必要があるのでしょうか?
二つの意味があると思います。
276 :
274:2005/08/11(木) 23:02:04 0
1つめは、亜紀という少女の表現です。
いたずらが好きで元気な亜紀。
それは朔の脳裏にしみこんだ病気と闘う亜紀ではなく、活発で魅力的な笑顔の亜紀です。
それを表現するため隠れて朔をびっくりさせる意味。
2つめは、朔が死を迎えるまで、小林明希・一樹と長い時を過ごしたであろうと想定して
朔は亜紀と同じように、ひょっとして亜紀以上に彼女たちを愛したかも知れないということです。
その時、朔は簡単に亜紀と再会できるでしょうか?
これについて、以前
>>214>>215で亜紀パパと亜紀ママの会話という形を借りて考えてみました。
この設定は、亜紀パパが死を迎える時が来た時、どういう会話がなされるものか、と考えたものです。
そこで思い当たったのは「好き」という感情は理屈では抑えられないということです。
生きている間はモラルや道徳や良心で、好きという感情を隠すことができます。
しかし、死んでその束縛から解き放たれたとき、好きという気持ちは抑えられなくなるのではないでしょうか。
そして朔が亜紀に再会するためには探すという、積極的な行為が求められるのではないかと思います。
ラストのこの場面は、第1話の告白のシーンを逆の立場にしています。
第1話で亜紀は朔を必死で探しました。教室を、たこ焼きパパさんを。
朔もそうやって亜紀を探したと思います。
ラストで二人は、手をつなぎのんびりと穏やかに歩いていきます。
二人はもう走る必要はありません。
永遠の時間の中にいるのですから。
長文になりました。ゴメソ。
ラストシーン後のソラノウタが閉じられるシーンに、
フイルムケースに入った亜紀の骨が
テーブルの上に置いてある件について
↓
ソラノウタ読み終わったのが
散骨前だからだろ。
>>255 個人的にあのラストシーンでの太陽は、夕日ではなく朝日だったと思う。
亜紀の「夜は必ず明けるんだよ」という言葉から繋がっていたんじゃないかな。
>>277 ラストシーンの後には、
絵本を読み終え、生きる希望に満ちた朔がいる。
Fin
Fin
の後には、1話(松本さん、大丈夫ですか?!)
がいる。
最後の最後で、散骨前の絵本を読み終える朔が出てくるんだから、
その前のシーンが「死んで天国で再会」は無いと思う。
↑つるつるに禿げ上がる位、同意!
>>282 でも散骨は、あくまで散骨シーンで終わってるんじゃないの?
286 :
夢見る名無しさん:2005/08/29(月) 01:44:38 0
ほしゅ
アメの日本ドラマ掲示板の中で見つけた、
ラストについての意見の一つに
なる程なあ、と思ったのがあった。
死後の世界での再会ではなく、
緒形サクの中の傷つき、殻を閉ざした
17歳のサクが、亜紀を受け入れ歩き始めたのではないか。
緒形サクが明希を愛する気持に受け入れ
前に進む事ができたから、17のサクも
亜紀は自分の中にいてずっと共に
いてくれたと気づいて救われたんだと。
「走り終わったその後に、笑って君に会えるだろう」
と朔が言っているのだから、
朔が死んで天国で再会したに間違いない。
↑つるつるに禿げ上がる位、同意!
290 :
夢見る名無しさん:2005/08/29(月) 18:48:21 0
>>282が確かに再会説からは説明しずらい。
けど、あの最後の本が閉まるシーンは
朔が閉じた
というのとはちょっと違うふうにも見える。
>>290 そうかなぁ?
絵本の横には、フイルムケースに入った亜紀の骨が置いてある。
確かにイメージ的なシーンではあるけど、朔が絵本を読み終えたということも写実的に描写している。
見てもらえば分かるけど。
原作でも、朔の生まれたとき、亜紀はもう生まれていた。
そして、死んだ後も亜紀が待っていてくれる。
この世界の両端には亜紀が居る。
原作でも、朔はそんな風に納得して、散骨をする気になった。
だから、死後、二人は再会したと思いたい。
それが自分的には一番、癒されるから。
>>291 絵本の横のフィルムケースは映像的な効果を狙ったものであって、必ずしも時間的な流れには忠実ではないと思う。
ま、どっちにしろ、いろんな解釈があっていいと思うが、、。
>>291 ケースがあるのは気になったけどこれって空じゃない?
入ってんのかな。あと、手が写ってないでしょ。最後は。
差を設けてる気がすんだよね。
ま確かに微妙なんだけど。
てか、確認のためにひさびさにDVD見たよw
何ヶ月ぶりだろう。やっぱ良いわ。w
絵本の朗読シーンでは涙がまた出そうになったww
>>293 骨は入ってる。
あのシーンは「終わり」の意味と
「散骨前に絵本を読み終え、生きる希望を持った朔」を意味している。
>>295 前のシーンでの横からのショットで見ると
骨が入ってるときには半分くらいの高さで
真横に走る境界線で色が変わってる。
けど、ラストのあれだと境界線が全然下で
しかも曲線になってる。要するにあれは
空のケースで、手前からのライトでできた
陰が曲線を描いてるだけだとオモワレ。
>>296 空のケースをテーブルの上に置く意味は全くない。
空になりました、というメッセージ表現ができる。
空になった=かつて依存状態からは卒業できた、
ということの象徴
絵本が閉じた=朔も死んで二人のこの世での物語は終了した、
ということの象徴
ていうふうにも見れる
空になった=かつて依存状態からは卒業できた、 ×
空になった=かつての依存状態からは朔は卒業できた、 ○
本スレ、自治厨のせいで凄い荒れっぷり。
なんでこっちの住人みたく、
落ち着いて議論できないんだ?
つうかこっちは基本的に人少ないからね。
荒れるにも人数がいる。w
ただ、廣瀬亜紀の声がする方に自然に脚が→が
一体どこかと思ったらシリトリかよ!w
確認したけど骨は入ってるな。
あと、フイルムケースの位置が絵本を読み始める時と一緒。
ほのぼの板のマターりスレで尻取りを
始めたんですが
もう僕の手を遠くに離れてしまいました。
でもセカチュースレでは一番真っ当なスレになったような気がする。
309 :
:2005/09/03(土) 01:42:00 0
セカチューの本スレ
70で終わっちゃったけどみんなどこいちゃったの?
懐かし板にもスレたってないし・・・
本スレ71建てられへんかった。
スレ建て規制厳しすぎないか?
>>305 やっぱ入ってないと思う。
空ケースに光が当たるとちょうどあんな感じ。
でしょ?
でっすよね。
だなや(´ё`)
勝負ついた?
再会ってことで決定かな?
317 :
夢見る名無しさん :2005/09/09(金) 14:50:30 0
再会だね
これは特別編で回想シーンとして使う予定で撮られたシーンでつよ
ということで再会ですね。
てなわけでやっぱり再会か
322 :
夢見る名無しさん :2005/09/24(土) 23:30:42 0
再会だね
再開
穏健派スレッドがDAT落ちした〜
325 :
夢見る名無しさん:2005/10/01(土) 02:10:35 O
結論はどうなったんかな?楽しみに待ってるけど、2ちゃんで結論もないんかな?
>>325 死後再会説に対する
>>282の批判が反論されたところ。
その他の再会説への批判待ち状態。
327 :
夢見る名無しさん:2005/10/02(日) 11:40:34 0
絵本が最後に閉じられたことを根拠に
心象風景説ということにすれば
絵本を見始めたところから心象風景になりますがな。
328 :
夢見る名無しさん:2005/10/03(月) 01:15:47 0
再会でつね
329 :
夢見る名無しさん:2005/10/04(火) 01:21:09 0
絵本が最後に閉じられるのは
朔と亜紀の思いが一つになったということの
象徴だと思う。
330 :
夢見る名無しさん:2005/10/08(土) 14:29:12 0
そろそろ結論を・・
再会ということでFA。
だからとりあえず暫定的結論が再会で
再会説への批判を募集中。
332 :
夢見る名無しさん:2005/10/09(日) 14:49:28 0
俺達の希望が見せた共同幻想
333 :
夢見る名無しさん:2005/10/09(日) 15:28:12 0
実は亜紀は天使で、別の時空を作ってサクを連れてきた。ここで永遠に
楽しく暮らす予定。
現存の時空は時間を止めて一時停止のまま保存。
この魔法を開発するのに17年かかった。
334 :
夢見る名無しさん:2005/10/09(日) 15:30:59 0
>>333 いろいろ突っ込みが入るだろうけど
・・・それでもいい。
幸せな人達しか残ってないのですね
336 :
夢見る名無しさん:2005/10/09(日) 20:42:21 O
解読のヒントは
『びっくりした?』に有り。
337 :
夢見る名無しさん:2005/10/09(日) 22:08:15 0
338 :
夢見る名無しさん:2005/10/10(月) 21:45:59 0
ぼくもサクになって亜紀が待ってる世界で永遠に楽しく暮らしたいお!
連休が終わる夜には尚更そう思う。
走り終わった時に君に会えるなんて切なすぎるよ亜紀。
だからもう一度他の誰かを乗せて走ることにするよ亜紀。
でも、それじゃあ淋しいからだから待っててくれるんだよね亜紀。
339 :
夢見る名無しさん:2005/10/13(木) 00:05:40 O
普通に死後の再会。
深読みしすぎ……。
そんな難しいドラマありえん
明希は捨てられた男とあの世で再会
そして修羅場
そこで同じくあの世に来ている朔に相談するが・・・
亜紀とやりすぎで屍のようになっていた
344 :
夢見る名無しさん :2005/10/13(木) 21:12:35 0
あの世で亜紀と明希の両手に花のウハウハ朔ちゃんw
になるはずが・・・・・
345 :
夢見る名無しさん :2005/10/13(木) 21:14:58 0
おじいちゃんに相談しようとしたが同じような状況だった・・・
亜紀に慰謝料、明希に養育費を請求されて二人とも死なねーかなと願う朔。
でも天国だからこの地獄の苦しみが永遠に続く。
ごめん、調子に乗りすぎた。 ううつ、ごめんね亜紀タン
348 :
夢見る名無しさん:2005/10/14(金) 09:50:31 O
好きよ さくちゃん
349 :
夢見る名無しさん:2005/10/15(土) 16:37:57 O
がんばれ
350 :
夢見る名無しさん:2005/10/18(火) 20:43:15 0
どっきりカメラ
351 :
夢見る名無しさん:2005/10/23(日) 19:33:18 0
命日age
久々に本スレチェックしたら面白い意見があったので
これを「発見説」(仮)と名付け登録しとく。
http://bubble4.2ch.net/test/read.cgi/natsudora/1129359630/492 >ラストの堤防のシーンは「亜紀は自分の中に居て共に生きているんだ」ってことがやっと
>理解できた朔の心の表れだと思った。
>それまで朔は、亜紀との思い出を封印し、骨の存在で亜紀の死を実感していたが、
>先生によって亜紀は皆の心で生きていること、明希によって自分の中にも亜紀は
>生きていることに気づき始め、「ソラノウタ」でそれを痛感する。
>それは最後の堤防で、白い粉ではなく元気な頃の姿で亜紀が現れたとき「ビックリしたよ」
>と嬉しそうに答えるところにつながってると思う。(「こんな所(朔の中)で生きていたんだ!
>ビックリしたよ」ってかんじ。)
>堤防で手を取り合って歩き出す姿は。これからも亜紀と共に生きていく朔の未来。(亜紀だけを
>想い続けるという意味ではなく自分の一部として)
てか
>>287が若干似てるか。これも発見説に分類しよう。
354 :
夢見る名無しさん:2005/10/24(月) 20:52:51 0
発見説の疑問点
「走り終わったそのあとに笑って君に会えるだろう」
が生きてこない。
ま長所と短所は
>>5の夢説と基本的には同じだね。
どちらも朔の心の中の出来事という点で共通するから
カブる部分が大きいのも当然といえば当然だけど。
ただ
>それは最後の堤防で、白い粉ではなく元気な頃の姿で亜紀が現れたとき「ビックリしたよ」
>と嬉しそうに答えるところにつながってると思う。(「こんな所(朔の中)で生きていたんだ!
>ビックリしたよ」ってかんじ。)
という点では夢説より発見説の方が一歩リードしてるかな。
356 :
夢見る名無しさん:2005/10/25(火) 23:44:56 O
みなさんもっとラストシーンを研究して下さい。
やだ。だって意味ないもん。
358 :
:2005/10/27(木) 00:45:56 0
単純にあの世で再会のほうが綺麗な終わりかただし、そうあってほしいな
願望も含めて、あの世説 支持するよ
突き詰めると
・現実路線
(で「死別の苦しみとの対決」というテーマに肉薄)
(=つまり映画のようにファンタジーで終わらせずに
視聴者を疑似体験に追い込みテーマを考えさせる)
・伏線貼りまくりの構造美
というこのドラマの2大特質のどちらをとるか、
つう話になるわけで。んで
現実路線からは夢ないし発見説
構造美からは死後再会説
に親和的に結びつく・・・
というのが一応の帰結だが
しかし
360 :
夢見る名無しさん:2005/10/27(木) 22:17:38 0
しかし?
必ずしも現実路線と死後説が相容れないものではない、
ということ。
すなわち「現実路線」と言っても段階・程度がある。
本当に100%現実路線でいくならたとえば白血病の
病状の描写もだいぶ違ってくるはずだし末期の姿も
あんなに綺麗ではありえない。
つまり「現実路線」とはいいつつもそこには当然
ある程度の美化やある種のファンタジー化は
ドラマに不可欠の演出として必然的に存在する。
従って、死後の再会も、このドラマの予定する
美化やファンタジー化の範囲内に収まるならば
“このドラマの採用する現実路線”には反しない。
そこで問題になるのは前半の爺さんの話のあたりで
亜紀が死後の世界の存在を否定するのは
・ドラマ自体のメッセージとして否定している
のか
・単に亜紀のその時点での私見であり視聴者への問題提起
なのかという点。
俺もラストシーンは死後の再会だと思う。人生という道を走り終わった
その時に亜紀に会えるんだと思っていたサクだったけど、いざその場所(天国)
に行ってみるとそこに亜紀の姿は無かった。生前亜紀は死後の世界を否定していた
からひょっとしてここにはいないのか?と不安になった所にツンツン・・びっくりした?
亜紀・・いないのかと思ったよの意味とやっと会えた安堵から出た「したよ・・」
読解力文章力テラヒクスでスマソ。
で、
前半の爺さんの話のあたりで
亜紀が死後の世界の存在を否定するのは
・ドラマ自体のメッセージとして否定している
のか
・単に亜紀のその時点での私見であり視聴者への問題提起
なのかという点。
を考えるにあたってはそこだけ見てもダメで、あくまで
ドラマ全体を検討しないといかん。すなわち
「このドラマ自体が死後の世界を否定している」と仮定して
それと矛盾するシーンは無いか?
をドラマ全体についてチェックするべき。
364 :
夢見る名無しさん:2005/10/28(金) 08:05:55 0
朔はどうも死後の世界を信じていたようだ。
理由:ドラマの最初の部分、ラジオのMWを聞いて、
メッセージを亜紀自身からだと思い、放送局まで駆けつけたから。
朔が死んだ亜紀を抱き抱えて白色彗星帝国に特攻をかけるところに感動した
だから死後の再会でファイナルアンサー
366 :
夢見る名無しさん:2005/10/28(金) 22:06:52 0
ちがうっ!だんじてちがうっ!!
367 :
夢見る名無しさん:2005/11/03(木) 11:51:00 O
そろそろネタぎれ
368 :
夢見る名無しさん:2005/11/03(木) 13:29:04 0
ラストシーンは亜紀パパと亜紀ママの夢の中だ
サクちゃんとずっと一緒に歩いていって欲しいという願望の現れ
却下
>>367 ネタ切れどころかこれから
>>363の観点からの
ドラマ全体の総チェックが始まるわけであって
最後の堤防のシーンは
ソラノウタの最後
なぜならおまえの中にいるからさ
おまえの脚は、あの子の脚だ
これを象徴的に映像化したものではないかと思います
アキがいなくて焦るシーンはいままでのサク
(私がサクの中にいることがわかって)「びっくりした?」
「したよ」
とのなるのではないのでしょうか?
そして、たしかに自分のなかにアキがいることを確信したサクがアキとともにこれからの
人生を(その脚)で歩んでいく
そう理解しました。
ようするに「世界の中心で、愛をさけぶ」の物語が終わったあとの「世界」ですから
現実の世界、死後の世界、はたまた夢の中の世界など超越した「世界」でのおはなし
では仮病説
アキはジュリエット役やりたくなかったじゃん
だから白血病と嘘ついて休んでたの
そして文化祭で「どす恋ロミ&ジュリ」の公演が
終了したあとに、アキがサクにじつは仮病だったことを防波堤で話して
「びっくりした?」
「したよ」
になるのです
ソラノウタは「どす恋ロミ&ジュリ」の演出がんばってね(はぁと
と思って病院でアキが描いていたもの(じつはヒマつぶし)
374 :
371:2005/11/08(火) 20:20:05 0
375 :
夢見る名無しさん:2005/11/12(土) 00:12:15 O
終了。
あのまま行ったらどこに着くんだろうね?
海から町の方に向かったの?
それとも海の方に向かって歩いていったの?
本スレに地元の地理に詳しい現地人がいたな
378 :
夢見る名無しさん:2005/11/12(土) 08:52:05 0
あの後は、たこ焼きパパさんへ行ったの。
379 :
夢見る名無しさん :2005/11/15(火) 02:37:21 0
そのまま天国へ・・・・
保守
新しくできた「宮浦プリンスホテル」に行ったんだよ
原作でもホテル行ってるし
382 :
夢見る名無しさん:2005/11/21(月) 00:48:21 O
ここ何人位見てるのかな?最近このドラマ始めて見てラストかなり気になった…
大勢見てるよ。
タマーに来る俺みたいのは多いはず
>>382 自分の場合、ラストシーンの解釈上の
謎と、それまでの悲しみが浄化される感覚が
ドラマ版にはまった理由です。
387 :
夢見る名無しさん:
がんばれ