大人しくなります宣言しちゃった後で刮目せよなんて言い出すあたりなんかどうよ
まだまだお盛んなのだよ
シャア
↓
クワトロ ←いまココ
↓
逆襲のシャア
>>901 最近は厨房色よりも娯楽色が先に来たんだろ。
子供向けアニメにジュブナイル的な厨房〜学生向けの物語性を加え、
アニメを産業として認めさせた上で、そろそろ一般も対象とした娯楽作品を作ろうとした。
三谷幸喜や北野武的な物を取り入れようとしてるんだと思うよ。
だが、富野はロボットアニメしか作れないというレッテルや自己暗示?とかで、
作った作品はキングゲイナー〜リーンの翼などロボットアニメになり、
結局はアニメヲタしか気にしない作品になってるんだろ。
ロボット物は樋口真嗣のようにヲタ要素を隠して一般に売り出す事もできない。
ロボットアニメでないものを2作ほど作ればメディアも寄ってくるよ。
ガンダムの富野で一般向け題材選べば、なんだかんだ効く。
>>905 あれはパンツはいてないの問題。
パンツを出すにしても、
・見たくて見たのか
・見えちゃったのか
・見せたかったのか
ロリコンのシュンは包み隠さずはっきりしろ。
という話。
913 :
通常の名無しさんの3倍:2006/09/24(日) 22:55:23 ID:PUivWlD+
>>911 リーンの演出見てると、その片鱗は感じるなw
つーかキキのパンパースで劣情を催す人種は怖いな
「なぜ富野が超大作の準備をしていることが分からなかったんだ!」
などという展開希望
妄想豊かな人種なくしてナウシカのノーパン伝説は生まれないだろう。
安田成美の歌がレクイエムみたいで嫌だった
ビデオ、DVDではカットされてたけどBって怖いな
>>905 ・つい見せちゃった
もうね、業が深すぎる。
あれでオナニーとかしてるんだろうなあ
>>989>>900>>903 今挙げられてるドキュメントに関して言えば、低俗だから、とは言っていない。
むしろアートに押し込めろと言ってる。
まぁアデット先生はエロいから許す。
(↑こういうのが低俗)
でも永野のそれはアートとして認めないんだろ?w
まぁ認めねーだろうなw
禿がアートとは何ぞや?てのをどう考えてるか解らんからなあ。
そもそも娯楽作品と芸術性なんて不可分な物だろう。
アートか否かなんてのは、究極的には受け手の判断に依存するもんだと、俺は思ってる。
>>876 この文章、ソースは何処?
この純富野風文章を自作したのなら
傑出した才であると言わざるをえないので
偽物と主張する気はないのだが、気になって。
ファティマを嫌悪する
富野由悠季
永野護の事についていえば、まだ基本的な記憶がボケていないと思えるので、
自分の作品資料の反古帳をひっくりかえすようなことはしない。
作品とか作者についての勘所を考えることに役に立つものではないからだ。
そんなことは、評論家と卒業論文を書く学生に任せればいいのだし、
事実関係は、本文で著作者が書いている事で、まちがいがない。むしろ、
小生が忘れている事を書いてくれていて、改めて納得している。
小生が、ファティマを嫌悪する理由については、
本文中のスノビズム的なネクロフィリア、フェテイシズム、
ナルシズム的フリークスな感覚を凝縮したものである、とも書かれているから、補足する必要もない。
そのフィロソフィ(あえてこう表現しておく)で、武装しなければならない永野護の問題は、
彼個人のものなのか、世代の問題なのかわからないのだが、基本的には、そのような武装は、
世間に見せるものではなく、個の問題として封じ込めておかなければならないものだ、
という小生の信念を逆撫でするものだから、彼の表現を嫌悪するのである。
その種のフィーリングが、アートの中に封じ込められているのは許すし、
アートとはそのような要素をト分に内在させたものであって然るべきものだから、
そのようなものを見たり触ったりする事は、嫌いではない。
しかし、アニメという世界とイラストに代表される媒体にあっては(殊にTV というマスメディアにおいては)、
そのような香りは気ほども出してはならないというタブーを自己に課しているのが、小生である。
それでも、『エルガイム』の企画が始まった時に、周囲のかなり根強い反対を押し切ってまで、
彼のキャラクターとメカニック・デザインを採用したのは、アニメのスタッフたちが、怠惰だからで、
同じ穴のムジナ同士の仕事はわかっていても、
それ以外の仕事のレべルを洞察することができないクリエーターではないからなのだ。
そんな連中の判断などは無視すると覚悟して、それが押し通せるとうぬぼれられた立場でもあったから、
永野採用ができたのである。
新しい才能を採用しないと危険なのだというのが、ソフトを提供する側の感覚なのであるが、
小生について言えば、すでに、ダンバインまでで自分のクリエイティブなものは出し切ってしまっていると感じたので、
永野護という新しい才能を採用させることを決定させたという要素もあった。
結論を先に言えば、そのような感覚を持った製作者がいなくなれば、現今のように似たような
アニメの乱立になってしまった現状が証明しているし、永野以後の新しい才能は、アニメからは出ていない。
小生のクリエイトな感覚の発露は、『 ダンバイン]で終了していたと直感しながらも、それでも、
現場の仕事に組み込んできた永野護には、慇懃無礼な奴だと感じた。
彼は、小生の『 エルガイム]のペンタゴナ・ワールドという設定にない
ファティマの原形であるキャラクターをへビーメタルのキャラクター・シートに執拗に書き込んできたからだ。
こちらは、自分の設定にとっては余分な彼の設定を、永野の初稿に否定却下する指令を出しては、
第二稿なり最終稿を描かせていった、という記憶がある。
それは、当初から続いていたことで、このことは、永野の創作のスタンスが、
ぼく(感情的になっていくので、小生という表現はやめる)のものとは根木的に違い、
彼は、一個のクリエイターであると判読もできた。
しかし、彼が提示するものは、本来、アンダーグラウンドに封じ込めておくべきもので、
マスメディアに露出させてはならないものなのである。
そこに、ソフト提供者側の倫理とでもいうべきものがあるのだ、
ということを永野にわかってもらいたかったために、
ファティマの原形が書き込まれたキャラクター・シートを否定し続けてきた。
しかし、永野は、最後まで、へビーメタルの額にファティマの原形になるキャラクターを描き込みつづけてきた。
時には、このような設定でやればおもしろいだろう、というメモが書かれていたときもあった。
そんな設定は、企画の初期の段階で言ってくれなくては困る問題だし、途中から異質の要素を採用することは、
根木的な設定を揺るがすことになるので、採用できないのが『仕事』なのである。
視聴率が低迷すれば、その底上げをするためには、新しいアイデアは必要ではあっても、
一度始めてしまった作品の根幹にかわる部分の設定変更は絶刻にしてはならない、というのが、
小生の信念であり、業でもあった… … 意地ではない。
分かりやすくいえば、少女のキャラクターを人形として扱い、へビーメタルというマシン
に組み込む趣味というか、できあがっていない男の憧れは、ギガーの例を持ち出すまでもなく、
人間の心の闇の部分(幼児性かもしれない)を公衆の面前にさらけ出すことなのである。
女の子は人形が好きですよ、というのは、実は、女性の中にある人形への同化の衝動表現
なのだが、それは、女性たちが現実に子供を生むことで、その衝動をカタルシスしているか
ら無事にすんでいるのである。そうではなく、人形遊びを通して、本能的に子育ての訓練をしている、
という考え方の方が順当かも知れないが……。
これがわからずに、男側からのドール・フェティズムは、宮崎勤的病理を増長させるだけなのである。
もっといってしまえば、オウムの男側からの働きかけを受け入れた女たちが、
いつの間にか、男たちを実行部隊として使っていくという精神構造を容認することにつながるのである。
そういった精神構造を育てていく表現が、永野の手に染まったものの全てに現れているのだ。
それが、公然と世に出れば、オウム的なものを育ててしまうということは、知っておいて欲しいのである。
それを許してしまっているのは、現代的な病理なのだが、それを増長してきたのが、第二次大戦後の男たちが営々
と築いてきた国家と経済社会構造なのである。その結果招来した破綻現象の逃げ道として残されていたものが、
この趣味の世界なのかもしれないのだ。少なくとも、永野の責任ではない。
が、男と女の関係というのは、オウム的に作動するのである。
それがわかっていない青年は、アーチストとしての才能があっても、メジャーに露出させてはいけないのである。
そうでなければ、オウム的な社会構造に組み込まれていく青年たちを応援する応援歌になっていくしかないのである。
その危険がわかっていないソフト・ビジネスに関わる大人たちのなんと多いことかー
と、絶叫したい。
これが、『 エルガイム』 の時代であっても、永野提案を拒否する最大の理由であった。
(このように明確に書くことができるのも、1995 年という時代があったからで、当時は、直感的に、
男性の女性趣昧としては危険なものだ、と感じただけだった)
その感触は、現在も続いているからこそファティマのみならず、永野キャラクターの女たちは、
男性を軟弱にさせていく危険な蜘蜂の網でしかないと見えるから、嫌悪するのである。
『エルガイム』 というシリーズも、ぼくの作品の前例に従うように視聴率は上がらず、低迷した作品で終わっていった。
しかし、ぼくの好みを除けば、彼が仕掛けようとしているアートの部分は、少なくとも、アニメという狭い世界の中で、
創作をしていると信じているスタッフに比べれば、才気を感じたし、
ロボットにファティマを組み込むアイデアの底にある彼の感覚は、ぼくの世代のものではないという脅威も感じていた。
だから、エルガイムの制作打ち上げの時にだったと思うのだが、
「ペンタゴナ・ワールドの世界は君にやるよ」と永野に伝えたのだ。そう伝えられたのも、
すでに、永野の中に、ペンタゴナという五の星の世界に、新しい血が注入されつつあると感じたからだ。
これは、偉そうにきこえようが、内心は、まったく違っていた。
永野が提案したへビーメタルにファティマを組み込んだバイオ・モーター
(ぼく流にいえば、バイオマス・スーツにでもなるのだろう)
が駆動する世界を描ける自信がなかったからであり、そのような世界は、
永野をもってしか描かれない時代が始まっているとわかっていたからで、
それは、事実そうなって現在にまで至っているのは、悔しいことだ。
『ファイブスター物語』の世界まで、ぼくの作品として確保できれば、
今頃は、バブルがはじけたローン地獄に陥らずにすんでいただろうし、なによりも、
ぼくはもう一つの成功作を手にいれて、若者たちから尊敬もされていただろうから……
(というような仮定の話は、歴史学にはない)。
が、不思議なのは、『ファイブスター物語』がペンタゴナ・ワールドを継承したからといって、
それは、継続でも延長でもないのに、エルガイムの尻尾かもしれないと言われたりした時期があって、
永野自身を悩ませていたかもしれないという世間には、呆れている。とすれば、
そのような鈍感で無責任な世問に対して、危険なものは提示してはいけないのだ、
という短絡的な結論を永野に伝えることもできるのだが、それはもう遅いことなのである。
ファティマの問題は、世代観の違いの問題なのだろうか?
ロック世代の感性の表現の在り方はこうであっていいのだと承知した世代と、ビートルズ以前のモダンジャズが正義かも
しれないという世代の違いというものなのだろうか?才能の在り方については、このような例もあるということは否定しないし、
ぼくらの世代が間違わなかったか?と言えば、ぼくらの世代のやったまちがいの総決算が噴出した
1995 年という時代の渦中にいれば、呆然自失するだけで、永野ワールドもむべなるかなと呑み込むことができる。
この反省を反省だけにするのではなく、打倒永野、永野的ものを黙らせられる力を欲しいと本当に欲望するのが、
ぼくなのである。死ぬまでには、まだ四、五年か十年はあるだろう。
十代で出てくる才能もあるのだから、この十年か五年で、若者たちにもう一泡吹かせる仕事をしたいと欲望するから、
こんなところで、永野を誉めている暇はない。それが、クリエイターというものだろう。
1995 年さるすべり猛暑負けして青まじる頃
多分これが全文。
富野長文杉。
で、最終的にブレンやってみたと
やっぱおもしれえな富野は
おまえらのスレの流れも面白いぞ
寄稿文でコレかよ
富野ツンデレにも程がない
ブレンは永野関わってるがな
まぁキャラじゃなくてメカデザだけだけど
造形的に富野は質実剛健というかある意味スーパーロボット的な
要素求める傾向あるみたいだしな
ブレンやリーンの時は
こうゆうのは嫌なんだけど若い人はこうゆうのが良いんでしょ
みたいな事言ってて
逆にキンゲの時はおもちゃとかぬいぐるみとか意識させて作らせたんだよー
みたいな事言ってノリノリだったし
抑えてもドボドボ漏れてしまう人が
抑えてないで漏らしてる人を非難してるのか
キツく縛るのが好きなのよ
で、次作は?
福井
スーパーロボット的な格好良さって、一般人の観点から見ると格好悪い(子供っぽい)んだよな。
ハリウッドSFなんかに出てくるメカは内部構造むきだしでグロテスク。四ツ足だったりして昆虫的。
しかしその方が主張がないので一般人にとっては煩くない。
巨大な人型、というものが父性や神性、強大な力の象徴だからな。
そういう子供にもわかりやすい安直でプリミティブな要素の無自覚な発露は時に、厨臭さを伴う。
イデオンなんかは正にそういうイコンそのものだったし
ガンダムでもヒゲではそういう原典回帰が意図的に行われていたと考えている。
アクチュエータ剥き出しでいかにも機械然とした物ではそういうものが薄れるな。
人型から離れれば離れるほど、それはまた別のものを象徴するだろう。
ヒゲってSFスパロボだからユニークだよな
946 :
通常の名無しさんの3倍:2006/09/25(月) 15:30:24 ID:1zUnIHbm
リーンは?
どっちもファンタジーだよ
947にとっての「ファンタジー」は、
ただの貶し言葉のようにみえる
949 :
通常の名無しさんの3倍:2006/09/25(月) 17:01:44 ID:bJfUBRFS
富野って、ほんと愛国者だよな。リーンの翼見て、なお強く確信した。
かつ右翼じゃないってのが希有。
リーンの2巻ゲット!
絵がうめーよこの漫画家
952 :
通常の名無しさんの3倍:2006/09/25(月) 17:49:10 ID:bJfUBRFS
単純な右翼でも左翼でもないな
富野は右翼や左翼等というものを超越しておられる。
つまり富野自身が、唯一富野という思想なのであって、
右翼や左翼こそが、富野的か否かで判断されるべきである。
なんつってぃ♪
富 野、は や く 逝 か な い か な あ ?
955 :
通常の名無しさんの3倍:2006/09/25(月) 18:58:10 ID:bJfUBRFS
最近のガクちゃんは音楽番組出るたびにガンダムネタ振られるな。
それだけ落ち目なんでしょw
御大は大人、父親=体制側という描写多いから左翼に見られがち