筑紫 『ポップコーン』を読んで僕が一番感心したのは、現代社会のまさしく
今を見事に切り取っているところなんですよ。テレビの仕事をしていると
今を切り取ることの難しさを痛感するんですが、作者のベン・エルトン、
アメリカという巨大なメディア社会が今このとき抱えている様々な問題を、
「自己責任とは何か」という大テーマを軸に見事に描き切って入る。
富野 稀に見る傑作、快作だと僕も思います。彼自身の才能によるところも大
きいでしょうが、世界中に植民地を持っていた大英帝国崩壊後、ヨーロッ
パの端っこからその世界を観察してきたイギリス人の視線というのは、や
っぱり素晴らしく客観的でシニカルだなあと。そんなところもあらためて
感心させられました。だからこそ模倣殺人という問題もシリアスになりす
ぎず、コメディとして描けるんでしょうね。
筑紫 外交の世界で、「オブザベーションポスト」という言葉があるんです。
その国をよく分かろうとしたら、その中にいるより、むしろあまり遠くな
い、適当な距離のところから見るのが一番だということなんですが、アメ
リカという国を知るのにもっとも適した距離にあるのがイギリスだと思い
ますね。アメリカの文化の基盤はアングロサクソンですから。
富野 実を言うと、ここ十数年、僕の中にはずっと向き合ってたテーマがあり
まして、それはつまり、我々はメディア社会と呼ばれる中でさまざまな情
報を手にいれているように見えるけれども、それを知識として身に付ける
のに肝心な根幹の部分を見失いつつあるんじゃないか、ということなんで
す。そしてインターネットまでがダーッと普及した今、明らかに根幹の部
分を捕まえていない世代がドンと出てきた。そのギャップの大きさと、バ
ブル経済にはしゃいで、根幹の部分の大切さをきちんと言葉として下の世
代に伝えなかった我々世代の責任とを実感しているところに、この『ポッ
プコーン』が出て、いやぁ困ったな、全部やられたなと(笑)。
筑紫 まさにそういう状況を背景にした作品ですね。日本には日本の社会、ア
メリカにはアメリカの社会の基本的な根幹があるはずなんだけれども、そ
れが抜け落ちているという状況がどちらにもある。
富野 僕が一番怖いなと思うのは、メディアの送り手側がビジネスとしてどん
どん消費者に与えるという姿勢です。
筑紫 情報そのものが非常に消費型になっているんですね。しかもスナック菓
子のように食べ続ける、とりあえずの消費。そのシンボルとして作品中に
出てくるのが、あの監督の作った映画ですよね。
富野 ええ。エンターテインメントというのは本来、人間が持っている喜怒哀
楽の根源に対してするはずのものが、今は「ワア凄い!」とか「キレイ!」
とか、そのときだけの刺激に対してのエンターテイメントになってしまっ
ている。たとえばゲーム業界の人たちが明らかにそうですね。新しいソフ
トを次々に消費者に提供するというビジネスであり、本来的な娯楽論はな
いんです。これは文化をも消費しちゃうということで、僕は凄く怖いこと
じゃないかと考えているわけです。
筑紫 その場限りの消費ということと、もう一つ、情報の捕らえ方が非常に断
片的になっているという一面もあると思うんです。たとえばこの『ポップ
コーン』に出てくる殺人カップルの女の子のほうが自ら教養がないと認識
しているにもかかわらず、最後のほうの場面で「アメリカの半分は地獄に
住んでいて、ほかの半分はそれを眺めて楽しんでいる」なんて言葉を吐く
のは、本当にぞっとする。つまり、根幹の部分はすっぽり抜け落ちている
けれども、自分のエゴを正当化したり、プロテクトするのに有効な断片は
情報として鋭く捕らえているわけです。
富野 まさにそういう情報の捕らえ方をしている言葉を、今の日本でもよく耳
にしますね。お前、自分の言葉でしゃべれよと(笑)。ところで、この
『ポップコーン』という作品では、無差別事件の犯人が自分たちを救済する
手立てとしてテレビを利用するわけですが、筑紫さんは実際にテレビの仕
事をされていて、しかも作品の舞台であるアメリカに住んでいらしたこと
もある。実感として僕よりもずっとリアリティを持って迫ってくるんじゃ
ないですか。
筑紫 それも、とても皮肉なリアリティなんです。現実の非現実化、非現実の
現実化というか。この作品の中に描かれているアメリカ人のある種の虚飾
性を、アメリカに住んでいるというときの僕はいやというほど見てきまし
たけど、これは実はテレビというメディアの発達と非常に関係あるんです。
それはつまり、世の中には二通りの事実があって、ひとつは現実に起き
たこと、もう一つはそれがどう見えたかということで、大事なのは後者、
どう見えたかなんです。この方向へもっともアクセルをかけて進めていっ
たのがテレビであり、それを大衆のメディアとして受け入れることで、ア
メリカ人は自分たちが見たことが現実であると認知するようになっていっ
た。いい例が湾岸戦争です。テレビゲームのような画面を通じて、爆弾を
落としたのは見えても、落とされた側の苦しみや悲惨さは見えないという
形で、多くの人がこの戦争を認知した。そして、こういう認知の仕方が人
間の振舞い方というものにものすごく影響するんですよ。
富野 テレビカメラや人々のよく目に映るように、内側はどうであれ、表向き
を装うテクニックを身につける。いわゆる外面重視の自意識というやつで
すよね。
筑紫 まさしくそうで、アメリカのテレビ界ではその手の有象無象がしのぎを
削っている。
セレブリティっていうんですけど、要するに有名人ですね。この人たち
の嫌らしさというのは、この作品の主人公のブルースがまさに体現してい
ますが、もうたまらないものがある。
富野 見ているこっちが恥ずかしくなりますよね。
筑紫 しかしアメリカに限らずメディアが広がっていく社会においては、そう
いう種類の人間がどんどん作られていく。わが国でもすでに相当作られて
いますよ。
富野 ああ、分かります分かります。それぞれ個性らしきものをアピールして
いますね。
筑紫 カメラを向けたとたんに皆それぞれの芝居を始める(笑)。まだ下手な
んだけど、みんなそれぞれ指向はあるんですよ。どう見えるかが重要だと
考えているのは、テレビの世界を職場にしている人たちだけじゃないんで
すね。政治家にしろ何にしろ、いまやテレビ写りで上手に説明できるのが
勝ちであり、テレビというメディアを使いこなせないものは敗者であると
言う構図が完全に成り立っている。いわゆるメディア作戦ですよね。『ポ
ップコーン』のなかで殺人犯ウェインが企てたメディア作戦は、現場での
テクニックに勝る監督に揺さぶられて悲惨なカタストロフィを迎えてしま
うわけだけれども、断片的な業界用語を知っていたり、視聴率で状況の操
作を試みたりするあたりには、生まれてこの方テレビを見続けてきた世代
らしいリアリティを感じますね。
富野 この作品のなかで描かれているアメリカ社会の問題が、そのまま今の日
本の問題なんだと改めて考えたとき、さっきも少し話に出ましたが、映画
にしろテレビにしろ、もちろん僕がやっているアニメにしろ、作り手側が
お金を生み出してくれるマーケットに擦り寄っていくという状況はもう続
けてはいけないんじゃないか、と思うんですね。消費型の情報、ひいては
消費型の文化というのじゃ困る。
たとえば、自動販売機で飲み物を売るというのは、どんどん与え、どん
どん消費させるビジネスの典型だと思うんですが、おかげで一般大衆はこ
れだけ汚く空き缶を捨てるようになった。この始末は誰がつけるんだとい
ったら、誰もつけてくれない。なぜなら自己責任を取るという意識が売っ
た側にも買った側にもないからという状況を一足先に露呈しているわけで
す。それなら、自動販売機をなくしちゃえ、一回で飲みきれる缶のような
容器は法律でやめさせろ、という発想が僕にあるわけです。少々不便にな
ったって、それくらいはいいじゃないかと。もちろんそれをやったら規制
です、統制です。ということになる。
筑紫 当然なるでしょうね。
富野 ええ。で、それは大衆をコントロールする方向に向かっていくことにな
るから、やっぱり自由競争はあってもいいんだとは思います。でも、われ
われはすべての物事にこれを繰り返してきた結果、問題山積の今の社会を
作ってしまったわけですから、システムを根本から考え直すなり何なりす
るべきじゃないかと思うんです。
筑紫 確かにそうなんですね。そうなんですが、作り手と受け手の間の問題と
いうのは必ず両面あるんです。それが厄介なところで、『ポップコーン』
を読む一人もそういう感想を持つ人がたくさんいるんだろうと思いますよ。
その両面というのは、一つは作り手側がビジネスとして観客や視聴者に
追従していくときの問題ですよね。もう一つは、全く矛盾する話なんだけ
れども、送り手側が消費者を操作する場合の問題。『ポップコーン』には
この両方が描かれていて、しかも誰にもコントロールできないんです。
富野 ええ、できないですね。
筑紫 それがぞっとするくらいうまく描かれているのが、犯人が視聴率モニタ
ーをチェックしながら「テレビを消せば殺さない」という、まさにあの部
分です。あのときに視聴者としてテレビを消すことは不可能ですよ。自分
をコントロールできない。じゃあメディア側がコントロールできるかとい
ったら、これもコントロールできない。あの自体を仕掛けた犯人自身さえ
コントロールできない。あの自体を仕掛けた犯人自身さえコントロールで
きなくて、結末のカタストロフィへ流れ込んでいくわけです。
自己責任というこのドラマの主題は、最後のあの部分に凝縮されている
と思うんですね。誰も自己責任をとろうとしない社会。これは、お前は無
責任だという問題ではなくて、責任がなかなかととりにくい社会になって
しまったということだと思います。
富野 日本でも、バタフライナイフを使った少年の問題に関して、ナイフを持
っていたのはテレビのドラマを真似たからで、だからテレビが悪いとか、
いろいろやってますね。
筑紫 まさにこの件は、自己責任が取りにくい社会になってしまったことを物
語っていますよ。バタフライナイフを軸にした教育の議論をずっとやって
いて、その中で一番明らかになってきたのが、誰もが誰かの責任にしたが
るということなんです。親たちは学校の責任を非難したがるし、学校の先
生は親たちについて言い立てるし、社会が悪い、教育のシステムが悪い、
いやマスコミが悪いと、責任の所在を指し示す様々な言い分があらゆる角
度に飛ぶ。自分に責任がある、もしくはあるかもしれないという自覚が、
非常に持ちにくい状況であることは確かです。それでバタフライナイフを
使った少年自身はというと、少年院に収監された後、自分がこういうこと
をしてしまったのはバタフライナイフが出てきたドラマのせいだ、弁護士
に語ったそうです。つまり誰もが自分の責任ではないといっているわけで、
これはまさに『ポップコーン』と全く同じなんですね。
富野 このドラマでは犯人自身がO・J・シンプソンの例などを持ち出して、殺
人を犯した加害者が被害者になりうる現実を語っていますよね。で、自分
の場合は監督の映画に影響されてしまった被害者であると。これはいった
いどういうことなんだと考えていくと、それはつまり殺人を犯した人間に
対して、この殺人はなかったことだ、という論法を編み出した弁護士たち
がいるということですよ。彼らが今の自己責任を取りにくい社会を作った
とはいいませんけれども、かなりの部分で責任があるように思うんですね。
それと、誰もが自分の責任ではないという状況は、そもそも自己責任と
は何なのか、というコンセンサスをきちんと手に入れていない中で生まれ
たものではないかと、僕には思えてならないんです。
筑紫 いや、根源的なテーマはまさしくそこですよ。
富野 早い話、自己がない人に自己責任が取れるわけありませんからね。僕が
しばらく前からここのところは勘違いしてもらっちゃ困るよなと感じてい
ることがありまして、それは自分は今こうしたい、これが欲しいというよ
うな欲望のエゴと、自立した人間の自意識、自己といったものを指し示す
エゴとは違うんだよ、ということなんです。今の日本の社会で横行してい
るものは、欲望としてのエゴはあるが、本来意味するところの自己はない
という状況。だから僕は自分のしたことに対して責任を取らないのは自己
がないということだよと、本来的なエゴイズムを崩壊させていることに気
がつかないで、ペラペラと薄っぺらな理屈をつけて他人に物事を押し付け
るのは不幸だし迷惑だ、と言いたいんです。
僕が『機動戦士ガンダム』でやったのはそんなやつはみんな死んじゃえ!
(笑)。現実で人は殺せないから、作品の中で正義の味方はバンバン悪者
を退治しちゃうわけです。
筑紫 富野さんがおっしゃることはそのとおりで、自己がないというのは、さ
っきのアメリカ社会も日本社会も根幹が抜け落ちているという話とつなが
っているんですね。だからバタフライナイフの件一つにしても、誰もが自
分の責任ではないといっているこの状況はどこかおかしくないかとか、そ
ういうことも含めてじっくり議論する必要があるんです。にもかかわらず
、子供の事件が多発しているんだから、すぐ少年法でワーッとやっちゃえ
と、大人自身が凄いショート・サーキットで短絡的なんですよ。それじゃ
本質的な問題解決にはならないですよと異議申し立てするたびに、猛烈な
抗議の電話がかかって来る。何でも早く決着をつけないと苛立つこういう
大人たちが、一番困るんですよ。
>筑紫 まさにそういう状況を背景にした作品ですね。日本には日本の社会、ア
> メリカにはアメリカの社会の基本的な根幹があるはずなんだけれども、そ
> れが抜け落ちているという状況がどちらにもある。
てめえチクシ・・・。
中韓の前では日本の社会の根幹など無視するくせに・・・。
富野 筑紫さんはテレビの公開討論などで若い人たちと積極的に意見を交わし
ていらっしゃいますけど、自己、あるいは自己責任というテーマを関連し
てくる内容も多いんじゃないですか。二十一世紀を担う世代ですから、や
っぱり非常に気になります。
筑紫 いろんな世代とディスカッションしてきた実感として思うのは、若い人
たちの方がその親世代の大人たちよりも、きちんと物事を考えようとして
いるというところです。大人たちはさっきも言ったようにすぐ一件落着し
たがって、しかも起承転結の「結」までのスピードが年々速くなっている。
ワイドショーなら誰々の離婚は一件落着、ハイ、誰々の不倫も一件落着で
かまわないけれどもね(笑)。その点、若者世代は物事の根本の部分をち
ゃんと納得したいという正しい欲求を持っている。で、これはそういう若
者の一人である高校生の男の子が投げかけた議論なんですが、彼は何故
「人を殺してはいけないのか」と質問したんです。
富野 なるほど。非常に根源的なテーマですね。
筑紫 このときのテーマは『彼らの戦争・僕らの戦争』というもの八月十五日
に生放送でやったディスカッションなんですね。というのは、今の子供た
ちにとっての現在というのはまさに今このときなんであって、二、三日前
のことは立派な過去なんですよ。そんなスピードで生きているうえに、今
の学校教育では現代史を教えないから第二次大戦のことなど何も知らない。
つまり、戦争について考えるというのはある意味で人間の本質を考えるこ
とでもあるのに、彼らにはその時間も機会もなかったわけですから。もち
ろんそういう生活環境や教育システムを作ったのはわれわれ大人の責任で
ありまして、これは反省させられることも多々あるだろうとは思っていた
んですね。子供の戦争というのは、子供の世界でもいじめ、暴力という戦
争が起きているわけだから、この機会にこれも基本に立ち返って考えてみ
よう、ということでセッティングしたんですけどね。
それでディスカッションを始めたら、この「なぜ人を殺してはいけない
のか」という正に本質を突いた質問が飛び出して、われわれ大人たちは説
得にてこずった。で、なぜそういうものを放映するのか等々、われわれの
番組は猛烈なバッシングを受けることになったんですけどね。
富野 それは違いますよね。「なぜ人を殺してはいけないのか」という質問を、
正にこの『ポップコーン』の中の犯人ウェインがなぜ殺すのかと聞かれて
「ただヤっちまうんだ」と答えたのと逆の方向から、自己、自己責任とい
う本質を考えるきっかけになるんだから。それはやっぱり大人がきちんと
答えて納得させないといけないんです。でも、無茶苦茶手こずるよなあ(笑)。
だって、彼らには殺す、殺されるという実感がないし、人類が初めて法を
作ったときにまず最初に「人を殺すな」と書いたことから始まって、現代
史のヒットラーはもちろん、その間も先生が教えたがらないことがいっぱ
いある殺し合いの歴史だって知らないんですから。
筑紫 そうなんですよね。その高校生は人を殺そうと思っているわけでもなん
でもなくて、こういう機会に物事を根源的に考えたいという非常にまとも
な子なんですよ。
結局、大人が説得するのに手こずったのは、ひとつにはそういう根源的
な質問に対してきちんと答えられる思考とそれを表す言葉を持っていなか
ったからなんですが、それよりもやはり、学校教育をはじめとする様々な
部分で、我々が彼らに与えなかった物事、押し付けてきた物事に対する反
省のほうが私には大きかったですね。
富野 本来果たすべきだった自己責任の重さを突きつけられた……。
筑紫 そういうところもあります。我々人間というのは喜怒哀楽の豊かな感情
を持っていて、だからこそ殺しあう動物なわけで、そういう本質を知って、
自分勝手でエゴじゃない自己を確立するには「人間とはいったい何者なの
か」ということを洞察することは重要ですが、これが難しい。特に生き死
にの極限的な実感が無い世代にとってはね。
割り込みスマソ&支援カキコ
富野 僕は、若い人たちの周りにいる大人というのも、彼らの立派な洞察の対
象だと思うんですね。そこで大人たちには、自分の言葉で話して欲しいと
いいたい。これは別に難しいことではなくて、挨拶でも、普段の会話でも、
自分にフィットしたうそっぽくない言葉で表現するということです。とい
うのは、最近特にこの自分の言葉を無くしてしまう大人たちが増えていて、
大抵は職場に埋もれてというか、無個性化してしまうんですけども、そう
いう人たちの言葉には説得力がないし、素直な喜怒哀楽も伝わってこない。
もちろん、その人らしい自己も感じられないですから。
筑紫 そうですね。それはつまり自分の言葉に自信を持つ。自信を持って発言
する、ということだと思うんですよ。その積み重ねで自分らしい言葉が身
についていくわけでね。それと言葉にするしないは別にして、人が誇大妄
想といっても自惚れと言っても、自分はこれだと思った物事に確固たる自
信を持つ。そうすると自己責任も出てくるんですね。
(1998年5〜6月公演『ポップコーン』プログラムより転載)
「ポップコーン」 1999年ベン・エルトン作 ハヤカワ文庫より抜粋
>筑紫 そうですね。それはつまり自分の言葉に自信を持つ。自信を持って発言
> する、ということだと思うんですよ。その積み重ねで自分らしい言葉が身
> についていくわけでね。それと言葉にするしないは別にして、人が誇大妄
> 想といっても自惚れと言っても、自分はこれだと思った物事に確固たる自
> 信を持つ。そうすると自己責任も出てくるんですね。
自惚れて自信を持って、責任取らないやつに言われたくない。
あーだめだ。御大の言葉が目に入りにくい。チクシ邪魔。
乙!
長文乙ですた
トニたけのギレンの自販機演説の元ネタはここだったのか(w
あと
>>637と
>>641はお願いですから空気呼んでください
以上。
「ポップコーン」のあらすじを簡単に言うと暴力過多な映画からヒントを得て
殺人を繰り返すカップルが追い詰められた挙句にその映画を撮った監督宅に押
し入り自分たちの責任を監督に押し付けようとする小説。その手段としてマスコミ
を用いるというのがこの小説のキモ。
これが∀の癒しに書かれていた筑紫さんとの対談だな?
キンゲ関係のインタビューある?
648 :
通常の名無しさんの3倍:03/06/02 20:33 ID:Ao2IXCOn
1981年3月24日の禿の講演録(劇場用アニメ映画第一作フィルムコミック巻末記載)あるけど、
既出?若しまだ出ていなかったらのっけてもいい??
オーイ、紙くれ
>>644 641は、UP者が連続カキコ判定で投稿不可能にならないように
支援してるんだと思われ。気を使ってsage1行なあたりがそう見える。
俺は筑紫好きなんだが、
富野信者は嫌いな人多いのか?
ちなみに俺も(自称)富野信者だぞ
俺も富野好きだが、筑紫はいつ氏んでくれても積極的に構わないな。
653 :
623:03/06/03 01:03 ID:???
みなもと太郎の『風雲児たち』は大好きなマンガだ・・・・青臭いけど。
>>651 2chのニュース・社会系板では筑紫は敵として設定されてるからじゃないか?
しかし敵といっても彼一人倒した所で世の中が変わるわけじゃないと思うんだが。
>>644 自分もギレンの自販機廃止論ネタを思い出した。
そういえば、F91の小説でも主人公の住むコロニーでは牛乳の販売は
人の手でビン売りする方法のみに規制されている描写があったな。
基本的に朝日新聞系の人は叩きやすいからね。
昨日の23でもキティぶりが目に余ったよ
キティだろうが何だろうがそれを受け入れるマスがいるから
そういう物が放送に乗る現実があるんだと考えるのがガンダム的ではないかい?
それと、そろそろスレ違いっぽいから筑紫話の続きは別の場所でな。
このスレで続けないのは同意。
ただ、いつも思っていたんだが、自分の意見を書いた直後に終了を宣言するヤツは汚い。
そしてこう指摘されて「それは済まなかった。今後気をつける。」というやつも汚い。
汚い人間だと自覚して、自分の”実績”に基づいて汚名を受けながら、それでも
何も書かない奴だけが、汚いなりに成長してると言える。
坊やだからさ
まあ落ち着けよ…俺の予感だと、そろそろ
富野氏の対談を中心に書き込むスレです。(略
テンプレを貼り付けて鎮火する奴が出てくる予定。
さあ、貼り付けて!
↓
君は!
富野はけっこう筑紫に好感もってるようだ
確か何かいい言葉をかけてもらったとか何とか
何処で読んだか探してくるよ
なかなかのキモさです、どうせなら虫をプチプチつぶせたらよかったのに、、、
でもまぁ、こういう意見出すときの筑紫ってのはカコイイよな…
論が妙な方向にズレてくるから嫌われてるだけで、筑紫本人はかなり頭の良い論理的なヤシだ。
嫌筑紫を積極的に謳うのって、なんだかコヴァ臭くないか?
富野氏の対談を中心に書き込むスレです。
厳密には対談でなくてもコメント等でも結構です。形式も自由。
また、富野氏でなくても関連が深い人物の発言なら何でもOKとします。
カキコしてくれる神にお任せします。
基本的に保守を除いてあまりageずにsage進行でお願いします。
筑紫話は鼬街です。
671 :
669:03/06/04 07:53 ID:???
うーんつくづくとみのっちには映画撮らせたいな
サンライズ以外で作品作っちゃ駄目って契約むすんだのかな
>>672 ガーゼィの翼はサソライズ噛んでいませんが?
昔なんか先代の社長に恩があってどうこうって話があったよね>サソライズ
文字媒体で残っているのかな。
>>672 むしろ自分でプロダクション作っちゃえよ、っていつも思ってるんだが。
集まってくるスタッフもたくさんいるだろうに。だめなのかな?
パヤオに対する鈴木Pみたいな商売上手な人がいればね……。
もう十年以上は遅きに失した感は否めないが。
そういや御大×原恵一対談ってまだ載ってなかったよね。頃合を見計らってUP希望します。
オフィスアイ
確か富野由悠季というタレントをマネージメントする会社。じゃなかったっけ?
税金対策とか、そういうやつ?
オフィスアイ、一応は法人なんだからプロダクション方面に展開すれば…
経営者もどっかに有能な人材いるんじゃないかな?
精勤滅私奉公も厭わないガンダム者で。
ガイア・ギアサウンド版のプロデューサー、高梨由美子氏もオフィスアイ所属ですね
>>680 ガンダム者じゃだめっしょよ。
御大はそーゆーヤツにいいかげん辟易していたと思ったけどな。
>>682 「有能な人材」の部分がポイントと言ってみる。
作品を理解する心は重要、愛すればもっと良し。
迂闊に愛のないヤシを入れると、着服や横領といった問題が起こる。
一昔前の業界は大変だったラスィ
富野作品のマーケットとしてのパイの大きさはパヤオと比較して小さいと思うよ。
キンゲの映画化でナウシカ、ラピュタといい勝負が出来ればいいけど。
『テレビアニメ20周年と私』特集より
『戦闘メカ・ザブングル』の最終絵コンテを描き上げ、現在は『聖戦士ダンバ
イン』の準備に忙しい。かたわら小説も手がけている。
『ヤマト』の映画化というのが、一番印象的ですね。僕自身にとっても、客観
的に見てもそうだと思います。こちらが想像していた、「アニメーションの受
け手の動向が変わってゆくな」という動きが証明された。そして、その具体的
な証明があったから、僕にとっては『ガンダム』をやる気になったわけです。
『ヤマト』がアニメの歴史の上で大きな役割を果たした――という事をきちん
と踏まえたから、『ガンダム』という形になって現れたわけですから。『ヤマ
ト』は、その刈り込み作業のようなことを春の『ファイナル』でやろうとして
いるようですが、それは違うと思いますね。アニメーション全体の流れという
ものを見て、刈り取ってしまったのは『ガンダム』だからです。それを間違う
から、失敗した映画が出来てしまうのでしょう。
そういう意味では、今『マクロス』という第3勢力が出てきました。『マク
ロス』の今の状況の是否論はあるだろうけれど、第3勢力の台頭が具体的にな
った、ということです。今までは散文的に、スタジオZ5の評価などの形では
ありましたが、作品としてグロスに行われない限り絶対に評価できないわけで
す。同人誌レベルではなく、作品として出てきたのは『マクロス』が初めてで
すよね。それを『マクロス』が刈り取れるかはまったく別の問題ですが。だか
ら個人的では『マクロス』などの勢力をどういう形で乗り越えてゆくか――と
いう“札”を出した。それが『ダンバイン』です。ただ、『ダンバイン』の企
画の時には、僕は『マクロス』のことは全く知らなかったんです。けど、アニ
メの全体的な流れを見てた時に、『ガンダム』『イデオン』『ザブングル』以
後のメカのグレードアップというものが全体にあるはずでした。それは、こち
らはやらない。何故か。それをやっていたら第3勢力に負けるから……という
ことが想定出来るからです。『ダンバイン』を持ち込んだのは、そうした大き
な流れを見ているからです。だから、『ダンバイン』は3年後まで残ります。
マンナーチェンジではない、大きな流れを持っているからです。
だから、我々は『ガンダム2』というものを具体化するには来年中にはでき
ないんです。『ガンダム2』があり得る――という構想はあったとしてもね。
それを最終回に打ち出してゆくのは、いつか? 『ガンダム2』というものが
マイナーチェンジにしか見えない時期に出すのは損だろう、というのは当然な
がら考えます。
『Z』の2年も前に、お題とまったく関係ない
聞かれもしない『ガンダム2』の企画構想をバラす御大に萌え。
マネージメントはともかく富野がやる気になれば映画を作るだけのスタッフは集まりそうだが
キンゲの終わりの方を見る限りでは
686名前:アニメック28号(1983年2月発行)(sage)投稿日:03/06/05 18:31 ID:???
『テレビアニメ20周年と私』特集より
『戦闘メカ・ザブングル』の最終絵コンテを描き上げ、現在は『聖戦士ダンバ
イン』の準備に忙しい。かたわら小説も手がけている。
『ヤマト』の映画化というのが、一番印象的ですね。僕自身にとっても、客観
的に見てもそうだと思います。こちらが想像していた、「アニメーションの受
け手の動向が変わってゆくな」という動きが証明された。そして、その具体的
な証明があったから、僕にとっては『ガンダム』をやる気になったわけです。
『ヤマト』がアニメの歴史の上で大きな役割を果たした――という事をきちん
と踏まえたから、『ガンダム』という形になって現れたわけですから。『ヤマ
ト』は、その刈り込み作業のようなことを春の『ファイナル』でやろうとして
いるようですが、それは違うと思いますね。アニメーション全体の流れという
ものを見て、刈り取ってしまったのは『ガンダム』だからです。それを間違う
から、失敗した映画が出来てしまうのでしょう。
そういう意味では、今『マクロス』という第3勢力が出てきました。『マク
ロス』の今の状況の是否論はあるだろうけれど、第3勢力の台頭が具体的にな
った、ということです。今までは散文的に、スタジオZ5の評価などの形では
ありましたが、作品としてグロスに行われない限り絶対に評価できないわけで
す。同人誌レベルではなく、作品として出てきたのは『マクロス』が初めてで
すよね。それを『マクロス』が刈り取れるかはまったく別の問題ですが。だか
ら個人的では『マクロス』などの勢力をどういう形で乗り越えてゆくか――と
いう“札”を出した。それが『ダンバイン』です。ただ、『ダンバイン』の企
画の時には、僕は『マクロス』のことは全く知らなかったんです。けど、アニ
メの全体的な流れを見てた時に、『ガンダム』『イデオン』『ザブングル』以
後のメカのグレードアップというものが全体にあるはずでした。それは、こち
らはやらない。何故か。それをやっていたら第3勢力に負けるから……という
ことが想定出来るからです。『ダンバイン』を持ち込んだのは、そうした大き
な流れを見ているからです。だから、『ダンバイン』は3年後まで残ります。
マンナーチェンジではない、大きな流れを持っているからです。
だから、我々は『ガンダム2』というものを具体化するには来年中にはでき
ないんです。『ガンダム2』があり得る――という構想はあったとしてもね。
それを最終回に打ち出してゆくのは、いつか? 『ガンダム2』というものが
マイナーチェンジにしか見えない時期に出すのは損だろう、というのは当然な
がら考えます。
最終回放送直前記念
製作現場に聞くブレンパワード秘話
キャラクター
デザイン
作画監督
●永野護氏といのまたむつみ氏がコンセプト
デザインで参加されていますが、お二人のデ
ザインをアニメーション用デザインにリファ
インされる際に、どのような点で苦労しまし
たか?
キャラに関しては、原則として「ブレンパワ
ードは“ い の ま た キ ャ ラ ”である」とし
ながらも、設定作業に入った段階ではいのま
たさんの絵は大ラフしかなく、しかも目の大
きさとか、鼻の描き方など変更を指示されつ
つ、かつ自分自身の絵で描いてもいけない
( や っ ぱ り “ い の ま た キ ャ ラ ” で す
か ら )という、なんだかとっても難しい作業
でした。おまけに設定画を上げて作画作業に
入ったあとで、いのまたさんから新たな比瑪
のラフをいただいたために、それまで使用し
ていた設定をボツにし、改めて比瑪の設定修
正版を作ったりしたおかげで作画の皆さんが
混乱してしまったり・・・・。その他のキャラに
ついても、必要最低限の設定しか出せなかっ
たので、色々と不満が残る結果となってしま
いました。
メカに関しても、準備稿が決定稿になって
しまったり、変な風に簡略化してしまったた
めによくわからなくなってしまったりと、ま
あ色々ありました。(重田敦司)
●メカニックではないブレンとグランチャー
の描写で気を使ったところはどこですか?
外見がメカメカしいのですが、 実 は 生 き
た 鉄 板 ( ? ) の 集 合 体 であるという
雰囲気が本編でもう少し出せたら良かったか
もしれません。外皮がゆがんだり、力んだ関
節のアップを見せたりとか、チャクラとブレ
ン本体との関わりも他にも色々あったかなぁ、
と今にして考えています。(重田敦司)
●『ブレンパワード』では場面が会場や日本
の田舎の風景、さらには寒冷地帯の山中など
変化が著しいですが、各場面での描写で苦労
した点はどこですか?
場面というより、エフェクトのある時が面倒
でした。(重田敦司)
演出
●オープニングで女性キャラが
全員裸体なのは何故ですか?
好 き だ か ら で す
監督 富野由悠季(直筆サイン)
●富野監督の演出意図とのギャップを感じら
れたことはありますか?
ギャップを感じる、というよりも絵コンテな
どから受けた印象が画面上にきちんと表現で
きたか、ということはいつも感じていました。
自分の仕事内容と理想とのギャップは大きか
ったようです。(渡邊哲哉)
こんな質問されると
ボ ク が リ バ イ バ ル
しちゃいます。(森邦宏)
あったら一緒に仕事しません。(西森章)
ありません。(南康弘)
●『ブレンパワード』は、一言でいうとどん
な物語だったのでしょうか?
親子、友人、恋人、他人、まったく違う生き
物とかとのコミュニケーションの話かな(よ
くわかんねーや)?(渡邊哲哉)
ヒ メ ち ゃ ん の 家 族
さ が し 日 記 。(森邦宏)
ラ ブ ラ ブ な 物 語(西森章)
それは富野監督に聞いて下さい(南康弘)
●『ブレンパワード』で目指した演出とはど
のようなことだったのでしょう?
「普通の画面」を作る。「普通」というのが、
どうも説明しずらいんですけど・・・・。「普通」
ってのが「理想」なんだと思います
( 書 い て る 自 分 も
よ く わ か ん ね ー や 、
こ り ゃ ) 。(渡邊哲哉)
乾坤一擲(森邦宏)
S M A P の 歌 が バ ッ ク に
流 せ る 様 な フ ィ ル ム 。
ちなみに第21話は『夜空ノムコウ』、最終話は
『たいせつ』です。(西森章)
あ り ま す が
ど う 書 い て い い か
解 り ま せ ん 。(南康弘)
絵コンテ
脚本
●『ブレンパワード』では、いわゆる「富野
ブシ」とも言えるセリフ回し、レイアウトな
どが見られますが、脚本、絵コンテ段階では
そういったことを意識されるのですか?
セリフ、レイアウトでは、していません。
(絵コンテ・南康宏)
意 識 し た っ て 、
他 人 な ん だ か ら
全 て マ ネ す る の は
無 理 で し ょ う 。
(絵コンテ・西森章)
「 富 野 ブ シ 」 は富野さんにしかできま
せんが、必死にマネしようとしている形跡が
コンテにもホンにもあると思います。富野さ
んチェック後のコンテに自分の足したセリフ
が残ってるとうれしいんです(絵コンテ・森
邦宏)
脚本段階では意識していません・・・・というか、
極力入れないようにしています。今回のブレ
ンは、今までの作品とは違った雰囲気にしよう
ということで 「 富 野 ブ シ 」 はやめよう
という話だったんですが・・・・なぜか入ってい
ますね(笑)。(脚本・西出明美)
特 に 意 識 し た
こ と は あ り ま せ ん 。
(脚本・浅川美也)
●『ブレンパワード』という物語を一貫して
いる「親子関係」というキーワードを、1話
の物語として絵コンテや脚本に変換する上で
苦労された点はどこですか?
苦労はありませんでした。ボクのやった第22
話では、具体的な親子は出てきませんでした
が、子供たちを元気に描くことで、ノヴィス
・ノア自体を親として存在させることができ
たかと・・・・。(絵コンテ・森邦宏)
親 子 ど ん ぶ り
(絵コンテ・西森章)
救いようがない家族関係を、いかに肯定する
か。最近は否定するだけ否定して、救いのな
い話が多すぎる。ブレンでは、登場人物もそ
してそれを見ている視聴者にも、 ど う す
れ ば 幸 せ に な れ る か 、 考えて欲
しいと思いながら書きました。(脚本・西出
明美)
勇の、親に対する気持ちを理解するのが大変
でした。「これこれ、こうだから、こう思って
いるのだよ」と、説明されて頭で理解するの
ではなく、感覚的にわかりたいと思いました
ので、色んな若い男の子の話を聞いたりして
みました。(脚本・浅川美也)
●『ブレンパワード』ではアンチボディがロ
ボット的な描かれ方をしていないのが特徴で
すが、ガンダムに代表されるロボットアニメ
的なものを捨てるのは相当大変だったのでは
ないでしょうか?
意 識 は し ま し た 。
(絵コンテ・南康宏)
キ ー ポ イ ン ト は 飛 ん で る と き
の 足 音 !!(絵コンテ・西森章)
今までのパターンを使えない分大変だったか
もしれませんが、アンチボディもヒメたちの
一員だと考えれば、自然にアンチボディのキ
ャラクターが発想されました。第22話で、勇
の代わりにブレンが働くシーンはその成果で
しょう。(絵コンテ・森邦宏)
第1話の時から、 「 こ れ は ロ ボ ッ ト ア
ニ メ で は な い 」 と思っていましたから、
戸惑いはありませんでした。戦闘がメインで
はなく、人間のドラマに重点を置いています。
(脚本・西出明美)
今回、初めてアニメシナリオを書かせてい
ただいたので、捨てるものが私にはありませ
んでした。(脚本・浅川美也)
富野分少なくてスマソ
Vガンスレより
>――・・・・そういう意味ではガンダムシリーズの中でも「Vガンダム」は特筆すべきすごい
>作品じゃないかと思いましたけど。
>富野 ぼくもそう思います。だけど、もう作っている時からわかったことがあるんです。
>つまりそういう特別な位置づけにある「Vガンダム」なんだということは、直接関係者とか
>周辺関係者、誰一人気が付かないだろうということです。ましてやアニメ雑誌の編集者も
>気が付かないだろうな、と。実際「ああ、やっぱりそうだった」と思いました。
>――さっきの黒歴史の意味と同じで、伝わってない。
>富野 そのとおり、まったく同じです。だから、そういうこと、こういうこと、いろいろ含めて
>あった後、かなり時間をおかせてもらったので、「∀」を作ることができたんだと思います。
>――ある意味では∀以上に、Vガンダムはさらに反応が鈍かったような印象がありますが?
>富野 はい。
>――あのV、ヴィクトリーというタイトルは、富野さん自身が考えてお付けになったんですか?
>富野 もちろんそうです。ぼくとしては、そのヴィクトリーという言い方も含めて「お前らね、
>ここまで当事者にコケにされてるっていうことをわかれよ!」という言葉が聞こえてくるよう
>にと・・・・。
>全員(笑)
>――見ていて、「この内容でいったいどこがヴィクトリーなんだ?」と思いました。
>富野 はい。それを出資サイドで気が付いている人はどれだけいたか、ということです。
>「富野さん、いくらなんでもあれはやめてくださいよ。あてつけもひどいじゃないですか」と
>いう発言を、本当に待ってたんです。
>――言われませんでした?
>富野 誰も言いませんでした!
>全員(笑)
>富野 そういう現世との関わりあいを持っている部分があるんで、「切ないなあ」と思って
>いました。
>――確かにそうですね。文句言われないのも切ないなあ。
>富野 だから本当に、ほとほといやになりました。
>――じゃあ「V」というのは、そういう富野さんの屈折した思いがかなり入ったタイトル
>なんですね。
>富野 屈折した思いじゃなくて、屈折そのまんまです。
御大好きだが、こういう態度はいただけないな。
やせ我慢してでも、プロであることに固執するのがかっこいいのに。
そういや、誰か新海誠との対談保存してる人いない?
この間御大が原対談でちょこっと名前出してから気になってるんだけど
Vガン終了時にあったアニメージュ1994年7月号の富野×庵野対談ってまだ書き込まれてなかった?
なかったら手元にあるんで書き込んでみたいです。
なんかだいぶ昔にどこかで書き込まれてたのをちょっと見たことがあるような気がするんだけれど。
701 :
699:03/06/06 11:43 ID:???
できましたんで書き込んでみます。
13レスくらい使う予定です。
打ち間違いがなければ漢字から句読点のつけ方に至るまで原文に忠実である筈です。(さすがに改行は見やすいようにしてあります)
アニメージュ1994年7月号より 富野×庵野"機動戦士Vガンダム対談"
「醜いものから目をそむける日本の子どもたち」
―この対談は前回、AM5月号の『Vガンダム』特集で、庵野さんに取材した折に、富野監督の熱心な
ファンである庵野さんから希望が出て、実現したものである。昨年のTVアニメでは『Vガンダム』
こそベストとする庵野さんの熱意に、独自の視点で文明観、作品観を語る富野さん。話題は多岐に
わたって続いた。
庵野 時期が遅いですよね。放映中にこの手の企画はやるべきでしょう。
富野 だけど『Vガンダム』に関してはしょうがないとも思っています。本当にごった煮
になってしまって、よくわからないシリーズになっちゃったから。手紙も少ないし、
視聴率も上がらないし……。
庵野 あの時間帯は小さい子しか、テレビを見ていませんからね。
富野 でも本当にぼくに力があれば、どんな時間でも見てもらえるハズでね。心掛けと
しては、いつもそのつもりでやってるんだけど(笑)。
庵野 でもやはり、小さい子どもにはつらかったと思いますよ。
富野 それは最初はゴールデンタイムといわれて、その予定で製作に入っちゃったから。
もちろん時間帯の変更が決まった時点で軌道修正はしましたが、やはり直しきれなかった。
ただ軌道修正自体は決して悪いことではなくて、それがあったからこそ、最初の頃の
わかりにくさから、少し抜け出せたんだと思います。
本当はもっといい形にして見せたかったんだけどできなかった。それはプロとして、とても
悔しいことだ。―――というのがありましたので、今の『Gガンダム』に関しても、確かに
『ガンダム』という名前にこだわるなら問題はあるんだけど、今後もサンライズが、夕方5時で
番組を作っていくなら、名前にとらわれないで時間帯を考えた路線変更をしていくべきだ、と
思いましたので、むしろ積極的に押しました。だから『Gガンダム』は他人の作品なんだけど、
まったくわきの作品でもない。どういう風に見えてくるか、フォローしていきたいと思って
います。
庵野 『Gガンダム』は期待してるんです。子どもには受けるんじゃないかと思って――。
だけど『Vガンダム』のようなドロドロした作品は、今の子どもは受けつけないんじゃない
かな。20歳くらいでもクリーンなものばかり好んで、汚い部分が見えるものは、嫌悪される
ようになってきていると思います。
富野 ぼくもそう思います。まさにそういうトレンドの時だと承知しているからこそ、ゴールデン
タイムでやらせてもらえるとなったときに、視聴者層の幅を想定して『Vガンダム』の初期
設定を押し切った。だから後でどれだけリメイクしようと思っても、根が深すぎて、それを
抜き取ることができなかったんです。
それは『Vガンダム』にとって不幸なことだったけれども、ぼく自身にとっては、その
リメイク作業を通して5時台のルックスを身に着けようとしたことは、ムダではなかったと
思います。その上で、もし次の機会があったときには、『Gガンダム』の成果も踏まえて、
トレンドとしての今のマーケットにどう対応して、作品を作っていくか。勉強させてもらい
たいと思っています。
ただそれは、今の視聴者がクリーンなものが好きだからといって、それに合わせて商品を
作っていけばいいのかといったら違うと思う。だってそのマーケットに合わせた作品は、既に
いっぱい出ているわけだから。そこにスタンスを置いてしまえば、ぼくが作ることの意味は
なくなってしまう。表現とかのハウツーは学ばせてもらうにしろ、コンセプトに関しては、
そうそうすり寄れないようにと。
それに今のマーケットの性癖は、さらに極端な方向へ突き進むだろうとは思うけど、それを
病的な現象として反省する時代も近々くると思うので、そのときにアニメの世界にもこういう
作品があった、という部分はあっていいんじゃないかな。
庵野 ぼくも強くそう思いますね。
富野 実は今の日本でいちばん問題なのは、企業の偉い人とか経済人、大人たちが、商売のために
若者にすり寄り過ぎてることだと思うんですよ。若者に対してアンチテーゼを示すべき大人が
いなくなってしまっていることが問題なので、実はそれは若い人の問題だとは思っていないん
です。
別にぼくは学者ではないから、どうしてかという説明はできないけれど、ぼくが具体例とし
てあげられるのは、ビートルズのことなんです。
なぜビートルズはイギリスから生まれたのか、というのはとても大事な点でね。だってイギ
リスなんて、それこそ大人の伝統だけでガチッと作られた国で、その中でもリバプールなんて、
涙が出るくらい悲しい田舎町なんだよね。そんな陰々滅々としたところで、エレキギターは
弾いてきたんだけど、パッとしない連中がいて、このまま田舎町にいてもどうしようもないん
だけど、何をどうしたらいいのかわからなくて……。結局、反発しつつも、具体的な活動を
はじめていくキッカケは、ドイツでなければつかめなかったというのがね。この問題を考え
るのに大事なことだと思う。あのイギリスという重しがあったからこそ、ビートルズが生まれ
たのであって、アメリカでは決して、彼らのような人たちは出なかったでしょうね。
ところが今の東京はどうかというとね、ちょうどぼくくらいの年齢のおじさんたちが、高校
生を集めてきて、商品企画会議をやって、彼らの好みに合うように、一生懸命、商品を作って
いる。仕事のため、会社をつぶさないため、というまさにそれだけを金科玉条にして、大人の
正義を何も見せないという部分が、いちばん今の日本を狂わせていると思う。
それが本当に正しいか正しくないかはわからないけど、齢をとってきたことの価値という
のは、そういうところにあると思うわけ。若いやつらから"古い"だの"おじさん"だのいわれた
ときに、"だけどもオレたちは、これで生きてきたんだ。それがなぜ悪い!"となぜいえない。
自分たちが生きてきた価値観を、若い人にぶつける方が正しいのではないか。おじさんたちが、
若いやつの好みにあわせた商品を作って、"わあ、おじさんすてき!"と若い子から好かれて、
おじさん気持ちいい、それで会社も繁盛するという社会は、やはり構造的におかしい。
庵野 やはりマーケティングと大量消費が原因ですかね。あと、テレビ。
富野 データ論の持っている正義が、本当の正義なのか、といったら、それはまさに効率論の正義
でしかなくて、人を育てるための正義ではないということだ。
社会差別が厳然として残っているイギリスという国で、その重圧の中から反発して出てきた
ビートルズの、そのポリシーとか価値観というのは、絶対に老人たちが参加して作ったもの
ではない。そういう社会構造がいいのか悪いのか、というのは別にして、老人と若者の関係と
いうのはまさにそうであるべきだ、ということはまちがいなくいえる。
だから、ぼくの場合、さっきいったように表現論の問題で、ぼくの下手な部分というのは、
作家として反省しなくちゃいけないし、もっと洗練させたいと思う。だけどポリシーに関し
ては、オレはいまさら変えようとは思わない。絶対間違ってないと思うもの。そうでないなら
隠居するだけだものね。
だけど、今の日本の大人たちが作った社会構造というのは、若い人たちに対してアンチテー
ゼを設定する大人というのが、もろにいなくなってしまった。ところがこの不気味さを、経済人、
企業人という人々は感じていないんじゃないか。すべて経済効率だけでできている。
アニメーションに近い例でいえば、乗用車のデザインがそうです。マーケットリサーチをして、
いちばん売れるものをとやってきたら、この10年くらいは各社とも同じようなものになってしまっ
て、2年前の大きなモデルチェンジでは、それがもっとひどい形で出てきて、みんな"オレの趣味
じゃないよね"って感じてるのにみごとにそればかりになってしまった。これだけのメーカーが
日本にはあるんだから、ほんとうはとんでもなく違うものがでてきてもいいのに、各々のデータ
ベースが全部、今の若者の指向であって、同じ基盤。それをおじさんたちが一生懸命調べてきて、
そのマーケットに合わせて作るから、みんな同じものになってしまう。
これだけの数の車が、街を走っているのに、車を見る楽しみがなくなってしまったというのは、
すさまじいことだと思いませんか?
庵野 確かにどの車を見ても今は区別がつきませんからね。
富野 楽しくないんですよね。何で今の若い人たちが、車を好きでいられるのか、ぼくにはわからない。
富野 『Vガンダム』の作品的な問題というのは確かにあって、それは制作者としてちゃんと了解し
なければならない。だけどソフトの世界というのは、自分のオピニオンをかなり露骨に出していけ
る部分もあるんだよね。それでなぜ悪いとは言わないし、言えない。結局、上手に表現できなかっ
たわけだからね。でもぼくが『Vガンダム』でやろうとしたことで、20代、30代の人間ではできな
いことが、絶対にあるはずだ。ということはいえると思う。
だけど"なぜ悪い!"という部分も含めて、気にいらなければ、おまえら徹底的にこれを否定して
くれて構わないんだ。いや、むしろ全否定してほしいのよ。庵野さんなり、あるいは他の若い人でも、
全否定するだけのパワーを持ったときに初めて、本当に新しいものがでてくる。なぜ今のアニメが
こうもボルテージが上がらないのかといえば、やはりお父さんたちのマーケティング論、今のトレ
ンドに合わせて作ろうとする部分で、その渦中にはまっちゃってるから。
庵野 そうなんですよね。
富野 バリエーションということも、"ユーザーの要求に応えて"とか、"お客様のご希望に沿うように"
とか、ということでよくいわれるんだけど、実は今いわれているバリエーションというのは、ものす
ごい幅の狭いところで、差別化しているだけで、本当のバリエーションとは違うと思える。
AM 5月号で、庵野さんにお話をうかがったときにも、多様化しかないんじゃないかとおっしゃってま
したが。
庵野 逆にいうと今のアニメ界は特殊化が進みすぎていて、もうダメになるんじゃないか、と思うんです
けどね。
富野 これはアニメに限らないんですけど、一時期、特殊化、多様化をやったの。個性が大事ってね。
それから日本語になってしまった"アイデンティティーを大切にする"ということがある。でもそれも
結局は、やはりごく狭い幅のものでしかない。もう少しみんな、外へ出て行って、違う人間が寄り集ま
っているところを知ってほしいな。話がわきへ行きすぎるねぇ……。『Vガンダム』の話をするように
努力します(笑)。
庵野 これはぼく個人の感想なんですけど、結局『Vガンダム』って、土と女の話だな、と思ったんですが。
富野 そうですよ。実はぼく自身もフィルムの試写を観るたびに、"あっ、そうか!"と思うことが何度も
あって、特に"女"の部分に関しては、今回ようやく、おれ"女"を描けるかもしれない、と思えるように
なった実感がある。
庵野 今回、ようやくですか!?
富野 ようやくです(笑)。それほど自信なかったもの。
そういう意味では、おれも捨てたもんじゃないな、という――それはアニメのレベルでいえば描けて
いるといえるかも知れないけど、やはりそんなもんじゃないからね。本当に女の性を描けるかな、と
いうところまできたというのは、ものすごくうれしかった。
庵野 自信がないというのは、それだけ女にこだわっているということですね。
富野 全くそういうことです。それで実際にやってみて、あれっと思った。かなりずけずけと(フィルムの
中に)女の気分が見えてきているんだよね。これはちょっと自信を持って、もう少し女を描いていいん
じゃないのか。初号を観て、そう思ったことが、2、3度あるの。
庵野 今回が初めてですよね。地球から出て、地球に帰ってくる『ガンダム』は。
富野 深く意識したわけではないんですけれども、最終的にカテジナの落としまえをどうつけていくか、
ということを考えていったときに、ああしました。ただ、あれで良かったのか、というと決して全面的に
いいとは思ってないし、ロボット物ということを考えた場合、あそこまでうっ屈してほしくなかったよね、
というのはちょっとあります。だけど一度やってみたかったんだよね(笑)
庵野 女に比べて『Vガンダム』では、いい男が出てきませんでしたね(笑)
富野 だから今回は女を描くことにすごく集中しちゃって、男に対する興味をほとんど持っていなかった。
庵野 なかったですね。初めてじゃないですか、全編を通して何かひとつのことに、こだわり続けたのは。
富野 今、こうやって話していてわかったことなんだけど、13歳のウッソを描くために、男を描くことへの
興味を全部ウッソに吸い取られちゃったんだね。他の男にふり向けられなかった。あの年齢の男の子を
本気で描こうというのは、ぼくの年齢ではものすごく大変だった。そうしたら他の男に全然手が回らない。
庵野 かろうじて老人くらいですね。若いのは全然だめでしたね。
富野 あの老人達はぼくの同世代でしょう。自分の気分をそのまま移せばいいだけのことだったから、実は
何も考えないでできた。いわゆる壮年を描くことができなかった。
庵野 クロノクルは今の若者をそのまま反映しているんですか?
富野 そうじゃない、本当にちゃんとしたロボット物の敵役にしたかったの。だけど、それこそワタリー・
ギラのあたりでクロノクルがすっぽぬけてしまった。ワタリーみたいなキャラクターで振りぬけちゃいけ
ない。あれを全部クロノクルに持ってこなくちゃいけなかった。それにまだあの頃、ウッソのことがよく
わかっていなかった部分があったために、ウッソに集中したまま、12、13話までいってしまったので、
クロノクルが完全に抜け落ちてしまった。
庵野 ピピニーデンも余計でしたね。本来、クロノクルに集中すべきキャラクターが分散しすぎて、結局、
若い男はどれも立ちませんでしたね。
クロノクルには期待していたので残念です。でもクロノクルがああいう男だったから、カテジナさんも
ああなってしまったのかな、とも思いますけども。
富野 それに関してはちょっと違うんです。カテジナのあのラストシーンというのは、かなり早い段階で
構想があったんです。スタッフにもまだ1話のオンエアが始まる前に、キャンセルするかもしれないけ
ども、といいながら話している。ところが、みんなかなりそのラストを気に入ってしまったのね。ちょっ
と映画っぽすぎて、いやかなとも思ったんだけれども……。それがずーっとスタッフの間に残っていて、
クロノクルはあれでいいという風になってしまった部分が、どうもあるみたい。
庵野 カテジナの、あのラストシーンのために犠牲になってしまったわけですね。
富野 それで2クールに入ってすぐ、もう最終回をどうするか、決めなくちゃいけないという時に、ぼくが
「もうカテジナは盲目にするしかないね」といったらみんなもそれだけで、「そうですね、落としどこ
ろは他にありませんね」って答えて、そのままポンといってしまった。
庵野 カテジナさんの目が見えなくなってしまった理由というのが、ぼくには今ひとつわからないのですが……。
富野 それはカテジナとクロノクルの関係が、あまり上手に描けてないのでわからなかった、ということだと
思います。その辺、もうちょっと描けていれば、それはあり得ることなんだ、ということはいえるんです
けど、結局その部分を触っていないので何をいってもしょうがない。
ただ、こういうことはあります。カテジナは何としても殺したくなかった。では殺さない代償として
どうするか、といったときに、このくらいのペナルティは負ってもらわなければ困るという、作劇上の
整理はあった。
AM そのペナルティというのは?
富野 あのカサレリアのウッソを勝たせるためのペナルティとして、うそでも敵になってしまったということ
で、カテジナだって、自分の中で疑問に思っている部分があるわけだから。それがわかるから、原作者と
しても、そう簡単に"おまえ死んでくれ"といえないシチュエーションにしちゃったんだから、殺しはしな
い。けれども敵になったんだから、申しわけないけどひとつペナルティ。だけど、それで劇としては飾ら
せてもらうから、かんべんしてくれと、そういうことです。
庵野 いやあ、いいのかなあ。
富野 「いやあ」というんだったら、教えて下さいよ。
庵野 盲目にする必要はあまり感じなかったんです。逆にそちらの方が目立ってしまって。むしろ生き残っ
た以上は手がないとか、足がないとか……。
富野 それらのことについては、すべてテレビコードに引っかかるから却下したんです。だからカテジナも
見えないかもしれない、という以上の表現はいっさいしていない。
もう少し言えば、ウッソたちの側にもペナルティはあるわけだから、ウッソだって手がなくなって
いるとか、話としては当然そうだったけども、どうせやるんだったら、きちんとした絵を作りたい。で
もそれは許されないだろう。他にもいくつかあったんだけど、どれをやっても今の視聴者には生理的に
受け入れられないだろう。
庵野 引っかかるでしょうね。
富野 だけど、本来は引っかからせたいんだよね。それがあれば、カテジナがああいう形で出てきても、お
互いがそうなら、庵野さんが感じている"カテジナだけああなの?"という違和感は……。
庵野 作為を感じるんですよ。
富野 すっと受け入れられたんだろうね。だけどそれは、きっとどれをやってもヤバイぞ、というのと、上手
にできないだろうというためらいがあって、カテジナだけで収めさせたんです。
庵野 小説ではカテジナが火傷を負いますよね。あれが好きなんです。
富野 本当はそうしたいんだけれども、でもテレビでは絶対にタブーだから。それにクリーンなことが好き
な観客に対して、そういう表現がどこまで許されるのかといったときに、ちょっとね……。
AM マスコミにおける表現のタブーとして問題になる以前に、視聴者側が生理的に、それを受け入れるか
どうかということですね。
富野 全くそういうことですね。そういう意味では、確かに折衷案でありすぎたということは事実です。
庵野 やはりそうでしたか。
富野 昨日たまたま、TVで『ロードス島戦記』ですか?やっているのを観ていたんですよ。技術的にい
えば、やっぱり"りんたろうさん、上手だなあ"と思うよ。演出以降の処理も"これでいいんだよなあ"と
思う。だけど実際に、制作者としてあれに足を踏み入れたら、その瞬間に全面否定しちゃうんだよね。
あれはどうなんですか、評価としては。
AM 絵はきれいだし、商品としては大ヒットしましたね。
庵野 あの作品が売れるというのはよくわかります。でも面白くないな、とぼくは思ってしまうんです。
AM 受け手もある種、予定調和的なものの方を、安心して受け入れていくところがありますね。
富野 それは本当に気持ちの悪い部分とか、いちばん自分が見たくないものを、なにもビデオとか、ア
ニメのレベルで突きつけられたくないもの。
庵野 代償行為ですから、金を払ってまで気持ちの悪いものを見せてほしくはないでしょうね。
『Vガンダム』でもやはり、ウッソのお母さんが死んだときに"もう見るのやめる"とか、いった子が
いましたからね。"こんなアニメは見たくない"とか。人の死に予想外に反応してるんですよ。
富野 そういう子はいるでしょうね。
AM でも今、バブルが終わって、不況になって、社会がだんだんシビアな方向に変わってきたら、また
違ってくると思うんですけどね。
庵野 いや、そうなったらますます閉じこもるだけだと思いますね。
富野 今の子どもたちには、まさにそういう時の活力がないですからね。本当の意味の自閉症の人というのは、
そうなったら生きていけないんでしょうね。でも一寸先が闇でも、死ぬまでがんばってみたいというの
がぼくの立場だから。何で生きるのかわからなくても、生きることはそう悪いことじゃないですよ、と
いうことだけは伝えていきたいなと思います。
庵野 人は生きようと思わないと、生きていけないと思うんです。口を酸っぱくして言わないと、人間って
生きていかないですから。何で宗教が、人は苦しいことがあっても生きなければならない、なんて当た
り前のことをいうのか。それは言われて自分がそう自覚しないと、多分生きていけないからだと思うん
です。
富野 全くそうです。そのぐらい世の中というのは、うまくいかないものなの。だからね、もう少し覚悟を
持ってやろうよって、単純にそれだけでね、ぼくらの伝えたいことというのは。
でも今の子たち、特に中高生にとっては学校生活そのものが、うまくいかないものなのかも知れない。
だからアニメを見るときくらい、そういう話も含めて、見せられたくないんだろうね。
でも、もうひとつ重要なのは、その程度のことを過酷に感じちゃう子どもがいる、ということなんだ
と思う。
庵野 そうなんですね。
富野 最近、お米がなかったりするでしょ。とてもいいことだなあと思ってるのね。食うものが本当になかっ
たら、どうなるか、ということをちょっと真剣に想像させてくれることができたからね。
そういったときに、ソフトを作っている人間の強いところは、そのようなシビアな部分も、申しわけな
いけど、皆さん方がお楽しみにしている、アニメの中でもやっておくよ、といえることですね。10年後、
20年後に効くように(笑)。
庵野 やはり作品には毒を混ぜておかないと(笑)。特に子どもには毒を見せるべきだと思いますね。
富野 絶対そうです。
AM わかりました。本日はどうもありがとうございました。
(新宿・中村屋にて)
716 :
699:03/06/06 11:52 ID:???
以上です。
これほんとう?双葉での書き込みですが・・・
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無念 Name としあき 03/06/06(金)13:15 No.1698507
御大がクラブのホステスにアトムとウランちゃんのセクス
絵をその場で描いてプレゼントしたらしく、その話を御大が嬉しそうに編集者に話したら、
速攻で絵は回収されたそうだ…
--------------------------------------------------------------------------
御大の絵の技術がいかほどかを知っていれば…
>>717 それは手塚治虫絡みのエピソードじゃなかった?
>719
俺もそんな話聞いた。多分手塚だと思う。
まあ手塚も御大と呼ばれているんだろうし。
>>716 乙です。読みやすくてNICEです
>庵野 カテジナさんの目が見えなくなってしまった理由〜
小説まで読んだのなら解れよ
>>719-720 おお、もうちょっとでケコーンするところだった。
たしか初代アトム放送時エピソードだったと思う。
それまでクラブとか言っても、「漫画家?ふーん」てな感じだったのが
その時はたまたまホステスの一人が、子供が毎週一生懸命見てる!
ってことで、他もまきこんで盛り上がって
手塚も嬉しくなって、そういうサービスをしたという話だと記憶してる。
今では想像もつかない、当時の手塚の知名度の低さと俗っぽい一面を語る
エピソードとしてよく出てくる話ですな。
今読み返すと「手がない、足がない」てのは庵野監督の
発言を受けてなんだな。ウッソは別のペナルティを考えてたかも。
確かにそういう不虞は分かりやすすぎる。
庵野監督がトウジの手足亡くした理由はここから来てそうだ。
へー手塚治もよっぽど気分よかったんだろうな〜(w
>>724 朝日新聞の「おやじの背中」とかいうコーナーで726が言っている
ような内容をコメントしていたよ>庵の
「自分の描くロボットなどが手足がもげたりするのは、そのせいかも」云々
乙です!
庵野 逆にいうと今のアニメ界は特殊化が進みすぎていて、もうダメになる
んじゃないか、と思うんですけどね。
↑この部分はワラタ、あんたが言うなよー
富野がエヴァに拒否反応を示すのはこの会談が
あったからかもな(w
このメージュ持ってるぞ。
対談といいつつほとんどインタビュアーじゃねーか。庵野さんよぉ。
>>730 富野信者である庵野が同レベルで話しかけるわけなかろうに。
∀のサントラで御大と菅野ようこが
手紙でやりとりするって形でお互いの事を語ってるんだけど
御大の方は、菅野の才能を褒めるだけでつまらないので
菅野が御大に返した手紙の方をうpします。
∀GUNDAMU The MOVIE SOUND TRACKS
惑星の午後、僕らはキスをした 返信より抜粋
富野さんがかつて、自分を痛めつけ過ぎて、家から一歩も出られないような
数年間を過ごされたと聞き、そんなにまで傷つくということがどういう事なのか、
想像もできませんでした。
奥様が「それでも、(コンクリートの上じゃなく)土の上だけは歩けたのよ、気持ちがいいって。」とその時のことを話して下さいました。
でも監督は、そう思ったことすら覚えてない、とおっしゃっていました。
数年間、霧の中にいたような感じだと。
傷ついた心の有り様を思いやるのは、私には難しく、それよりも、心を閉ざしていても
足の裏は土の柔らかさを覚えていたということに、人間の不思議を感じました。
ターンAという作品に関わりながら、私は、富野さんがいっとき癒された、
土を踏んだときのハダシの感覚のことを、ずいぶん長いこと考えていたように思います。
中略
私は愛されて育った記憶があり、何か大きな力に守られていると感じていて、
土の暖かさを知っている。そんな音を、富野さんに届けたかった。
私がそうである、と言うより全ての人間に、そう感じる権利があるという思いを込めて。
文章は本業ではないので・・・。
劇場版のエンディングに流れるすべての曲たちが、ラブレターへのお返事です。
また、一緒に遊びたいな。
かんの ようこ
関連が深い人のだったらOKって事でうpしました。
スレ違いだったらごめんなさい。
>>733‐734
泣ける文章だな…かんのは御大のカウンセラーのようだ。
ところで、御大が引きこもっていた数年と言うはいつ頃の事なんだろう?
>>736 お前、人に貴重な文書をアプしてもらって読む前に、
今でも手に入る(売っている)御大関連書籍を買って読んでからにしろ。
お前のせいで感動も醒めた。
>737
俺はお前のせいで感動がさめた
とりあえず、みんなオチツケ。
おじんおばんの馴れあいはサブ疣がたつ
おじんて聞いたの10年ぶりくらいかも
とりあえずここは雑談スレじゃないから、モマエら全員引越し汁。
>>736 疑問や好奇心をもつのは結構だが空気も読めず、また感動できる文章の第一声の書き込みの
タイミングに自分が中心となる書き込みするようでは、将来入学式で先輩やクラスメイトの
ワンパク君な人に呼ばれてしまいますよ。
そう俺みたいに・・・・
( ´Д⊂ヽ
俺はお前のせいで感動がさめた
↓
745 :
736:03/06/07 17:36 ID:???
>>737 気分を害されたようで申し訳ありませんでした。
言い訳はしません、単純に無知なだけです。
なお、
>>738は私じゃないので誤解なきよう。
>>737 てゆかな、スルーしてたらこんなにゴチャゴチャ雑談が伸びなかったと思わんか?
>746
Vガンダム制作終了後〜ブレンパワード制作開始前くらいらしいです
>>748 94〜97年ぐらいかな?そのころのアニメって印象にないな〜エヴァ大嫌いだし。
御大発言で無かったのが不味かったかな?
板が少し荒れてしまいましたね。
久しぶりに家で休日を過ごしているので
今度は菅野ではなく御大をうpします。
アニメージュ 1987年 10月号 逆襲のシャア プレインタビュー
昭和56年 3月発行 TV版 ストーリーブック あとがき
どちらかをうpしたいと思います。
日曜の昼にリクの多い方を採用、夕方ごろ、うpします。
過去スレで出てない本だとコレくらいで、家にある本は模型系中心なもので・・
選択肢が少なくて申し訳ないでふ
保守age
>>750 >∀GUNDAMU The MOVIE SOUND TRACKS
>惑星の午後、僕らはキスをした
そういや、それもう倉庫にあるよ
つーか、現行で売ってる物のアプはやめとけよ。。。
754 :
750:03/06/08 07:00 ID:???
>>752 倉庫にありましたね。
ごめんなさい
>>753 ごめんなさい、反省してます。
ストーリーブックは倉庫は4でしたが自分のは1です。
とりあえず、しばらく投稿は自粛してロムに戻って反省します。
しばらくしたら、またうpしますのでなまあたたかく見守って下さい。
すみませんでした。
755 :
750:03/06/08 09:32 ID:???
・現在販売中の物に対しては不可とします。
次回スレ立て人さんは自分ようなアフォが出ないようにコレを入れてください。
捕手
岡田 まんがではなく小説ですけど、
『ロードス島戦記』も向こうでは好評のよ
うですね。小説といえばショットさんも小説
版ガンダムの翻訳をなさっていて、あれはひじょうにいい仕事でした。
ショット 富野由悠季さんが書いた、ファ
ーストシリーズの『機動戦士ガンダム』小説版。残
念なことに今は絶版なんですよ。
岡田 富野さんの日本語って変でしょ(笑)、
よくあれを翻訳できましたよね。
ショット いやあ、なかなか面白いですよ。
岡田 中身は面白いんですけど、あの人の日本
語って日本人が読んでも分かりませんから(笑)。ショットさん、どうしてそんな神妙な顔するんですか(笑)。
ョット こういうときはツラい(大笑)。僕自身は富野さ
んの文章好きなんですけど、これがアメリカで出版されたときは
アニメのビデオすら出回っていなくて、売れ行きの面で
だいぶ苦戦していたんですよ。さらに『スター・ウォーズ』と比
較されてしまったりなんてこともあって、ちょっと残念でした。同じ
デルレイ社から出ていた『スター・ウォーズ』小説版の売れ行きと
比較されちゃったんですね。それでも三巻合計で75000部売れました。
岡田 え
>>757 続きが禿げしく気になる!
75000って原作より売れてる?
知らないけどそんな印象。
やっぱり富野の日本語って変なんだな。
俺だけが感じたことではないんだ。
え?アレがいいのではないのですか?
ガンダム見てて一番おもしろいのは口喧嘩
と思う初心者
あの変な日本語が富野の個性であり持ち味、
でも富野本人は実は直したいとおもってるんでないかと思ふ。
私はカレーを食べた。
カレーを食べることに戸惑えないのも私なのだ。
>>755 ・雑談は他所でやれ
も追加してください。
自分で個性だと思うような個性はハナから捨ててしまえとか言ってるしな
他人から個性的だと云われる人は、それが褒め言葉でないことを知っていて、
大いに悩んでいたりするんだがな。
NT92年1月号巻頭特集「劇場アニメは何処へ行く? 19992核のない時代へ」より
結論からまず言いますが、アニメーションに将来があるかどうか問われたら、僕は絶対に“YES!”と答えます。
確かに、アニメを取り巻く状況は、僕がガンダムを作っていた’79年と今ではかなり違ってきています。
それは、社会的、文化的な背景もありますが、なによりも人的変化に顕著です。
特に、単に技術を超えたつくり手の質の問題からいえば、今は、明らかにかつてより落ちてきているといえるでしょう。
それは、人そのもの、いわば資質の問題もありますが、
本質的には、クリエーターとしての意識のもち方、そのあり方が問題なのです。
たとえば、今、世の中はまさにAV情報過多の時代です。
それこそ、やろうと思えば、365日、ただひたすらソフトだけで過ごす事ができるほどで、
その結果、人の意識も明確に変わってくるようになってしまいました。
つまり、今は、新たに入ってくる人のほとんどが、かつて自分の見たソフトの焼き直しをやりたいだけで、
基本的にオリジナリティーのある作品をやりたがるような人が極端に減ってきたのです。
確かに、これは受け入れ側のほうにも責任があるかもしれません。
今、アニメ業界はあまりにも効率主義一辺倒に走りすぎて、たとえば一般大学の卒業生や、
もっと極端にいえば、アニメの嫌いな人をスタッフに加えられなくなってきています。
しかし実際、こと表現のオリジナリティーということに関しては、そういった人のほうがよほど面白い作品を作ることが多いのです。
それは、ひとつにはアニメに対するスタンスの違いがあるかもしれません。
アニメに首までどっぷり漬かっていないような人は、アニメを単なる表現手段のひとつぐらいとしか考えません。
しかし、だからこそなにか強烈に表現したいものをもっていないと勤まりませんし、またそれでもついてくるような人は、
強い表現意欲とともに、その意欲を支える広い背景世界をもっているのです。
実際、僕自身、映画科出身だったせいもあり、表現として稚拙に見えるアニメーションが大嫌いでしたから。
でも、それが気がついてみるともう20年以上もこの世界で飯を食っている。
しかし、その中で、嫌いだからこそ、アニメで何ができるかを追求してきたと思うのです。
僕たちがこれから入ってくる人たちに求めるのもそこなんです。
常に、アニメを使って何をするんだ、何ができるんだ、ということを考えない限りは、
たとえどんなに絵が描けても、それは単に絵が上手なだけです。
確かにある部分では、優れた、ということばを付けることのできる表現をするかもしれません。
しかし、それでは総体としてのグレードは上がってきません。
表現の幅がどんどん狭くなってきて、必ずや袋小路に陥ってしまいます。
それを防ぐのは、先ほどもいったように広いバック・グラウンドです。
特に、プランナーたる者は、絶対にそのバック・グラウンドをもたなければいけません。
そして、表現の幅が狭くならないように、いつも企画を意識的に広げつづけなければならないのです。
ところが現実はどうかというと、ほとんどの場合、受け線を狙うだけになってしまう。
これは、よほど気をつけていてもすぐにはまってしまう落とし穴です。
たとえば、今20代後半から30代前半のアニメーターにアニメ雑誌の絵を見せると、大部分が嫌いだと言います。
しかし、現実にやっていることはその逆です。
流されているんです。
捨ててしまえ、って言ってるんじゃなくて
それが才能に昇華されるまでは偉そうに掲げるんじゃねえ
って言ってるんだと俺は思ってるが
まあ、こんなこと、10年以上も「ガンダム」をつくりつづけた僕が言えることではないかもしれませんが、
しかし「F91」でも新しい表現にはチャレンジしたつもりです。
そして、この2〜3年、アニメの最も嫌な面を見つづけてきた中で、それでもまだ作っていけるんだ、と知ったとき、
これまでやってこなかった部分がたくさん見えてきたことも事実です。
今、僕は’92年にむけて、全く新しい「ガンダム」のTVシリーズの構想を考えています。
それは、もういちどアニメーションの原点に帰った作品で、言ってしまえば「コナン」のような「ガンダム」です。
これは、はっきり言って、若い人にはできない作品でしょう。
しかし、自分ならできると思いますし、また、ぜひやってみたいとも思っています。
これは、明らかにチャレンジです。
あえて難しい道を選ぶ。
果たして、僕に新しいものをつくり出す力が残っているかどうか、自分にはわかりません。
物理制約も多いと思います。
しかし、新しいものをつくるという魔力には抗し難いものがあるのです。
もう一度言いましょう。
たとえこんな状況の中でも、新しい表現は必ずあります。
それがどんなものかはわかりませんが、あるということだけは言えます。
最後にNT読者へ。
学生時代にうんと自分を広げる努力をしてください。
それはそのときが純粋に学ぶために勉強できる最後の機会だからです。
770 :
768:03/06/14 22:40 ID:???
悪い、思いっきりマズイタイミングでレスっちまった
NT 特に今回は、富野さんご自身が現在考えておられること、それはアニメについてでも、
もっと広く一般的なことでもかまわないわけですが、それについて伺いたいと思いまして・・・・・・。
そこで、まずいわゆる全体的な状況についての感想なんですが、ことしの夏の劇場アニメは何かご覧になりましたか?
富野 いや、実はまだ見てないんですよね。「紅の豚」は機会があったら見ようと思ってるんですけど。
でも忙しくて、なかなか思うように時間が取れなくて・・・・・・。
ただ、絵なんか見ていて感じるのは、たとえば角川の3作品などは、もう僕らの感覚ではわからないというか。
それがいいのか悪いのか、何処に魅力があるのか、理解できなくなってきているんです。
そんな中でも、「紅の豚」は見てみたいと思うのは、その絵とか映画の内容に興味があるというのではないんですよね。
要するに、もう我々のイメージの中に確固たる宮崎アニメのクオリティーというのがあるでしょ。
だから、少なくとも見て損はないだろうなぁ、と。
現に日航で機内上映していて、サラリーマンたちもけっこう喜んで見ているということですが、
あれなんかもそのクオリティーに対する評価であって、必ずしも「紅の豚」に対する評価ではないわけですよね。
NT そうですね。過去培ってきたものも含めて、みたいな。
富野 だから「紅の豚」が入る入らないというのは、僕らから見ると、あくまで実績論なんです。
でも角川3作品の入りのほうは、今の客―これは、本来我々がターゲットにしなければならない相手という意味での―
がどういう方向に動いているかを示すものであって、
僕なんかにとって本来基本的に考えなくてはならないのはこちらの方ですし、それだけに重要なんです。
NT あれは、いわゆるアニメ・マニアがどういうエネルギーを持っているかですものね。
富野 だから、無理にでもそれを次の仕事につなげる、ということですよね。
しかし、そのようなことがもう根底からわからなくなってきている。
それと、僕自身、もし次の作品をTVでやるなら、もう一度、TV戻りするような作品をやってみたい、というのがあるんです。
それも、次回作がたとえ“ガンダム”という名のつく作品であったとしても、
今度は、過去「F91」までやってきたような“ガンダム世界”をそのままステップ・アップしていくようなつくり方ではないものを、というのが。
それは、今仮にTVということばを使いましたが、これから、
たとえば衛星放送も含めたかなり広いスタンスで将来的にどういうソフトを提供していくかということを考えたときに、
“ガンダム”という名前を据える限り、そうしたステップ・アップしていくやり方ではもう何も新しいことはできないだろうなって、
単純に思うからなんです。
つまりどういうことかというと、ファンのつきすぎた作品というのは、
認知のされ方が宮崎アニメなんかとは恨本的に違うわけですよね。
もうこれは、作品のクオリティーとかなんとかよりも、まず第一に、
それぞれのファンの中に侵し難い“ガンダムの虚像”というのができ上がってしまっているんですよね。
NT それは言ってしまえば、作品世界がひとり歩きしてしまうという。
富野 ええ。だから、もし次の作品をTVならTVでやらせてもらえるなら、僕の頭の中にあるのは、そうした垣根を取り払ったようなものをという。
それはきっと、ある面、自分の首を絞めることにもなるだろう、とも思いますが、やはりそういったつくり方をやっていかなくてはならない。
口はばったい言い方をすれば、その、マーケットリサーチをするような気持ちでいきたいと。
そして、なによりもアニメの原点に立ち戻っていかないと、いくらメカものだ、ロボットものだと言っても、結局はジリ貧になってしまうと思うんです。
そういうストーリー・ラインをつくっていきたいなあ、と。
そこで、今僕がいちばんわからないのは、リサーチする相手の求めているものはなんなのか、なんです。
角川の3作品も含めて、何がいいのか、悪いのか、全くわからない。
でも逆に、その辺りがわからないからこそ、もうちょっと違うスタンスで何かやってみたいという。
まぁ、よく言えば冒険心みたいなものはあります。
ただ冒険とは言っても、少なくともこれまでサンライズというテリトリーの中でロボットものをつくりつづけてきた実績はありますし、
サンライズ自身も俗に言う幼児戻りしているような作品をきちんとやってきているわけですから、
それはそれで、どういう形で商売になるかな、というのは見えてはいます。
もちろん、それだけでガンダムがある部分を構築してきたマーケットをカバーするのは、やっぱり無理だと思います。
じゃあ、その部分をカバーするのが角川3作品のテリトリーなのかとなったときに、
長年アニメをやってきた人間の立場で言わせてもらうと、ちょっとマニアの方向に走りすぎているのではないかと。
むしろ、対極に宮崎アニメとかディズニーのラインがあるとするなら、その辺りを取り込んでみたい。
そんなロボットものをやってみたいというのがあるんです。
NT その、TV戻りというのは、やはり年齢も含めて・・・・・・。
富野 そうですね。実は、宮崎アニメとかディズニー・アニメは、ロボット・アニメで使う年齢を使ってないんですよね、今は。
僕自身、実は「F91」で大失敗したと思っているのは、主人公の年齢設定なんですよね。
つまり、17歳とか18歳という年齢のもっているうっとうしさや、
それがいちばん怪しい年代なんだっていう問題に気がつかずに、そこに手をつけてしまった。
その為に、作品としてはどうしても弾まなかったという感触を、これはつくり終わって抱いたんです。
だいたい、あの年齢を扱って気が済むというのは、こんなこと言ったらメカマニアの人に怒られるかもしれませんが、
あれはメカマニアのレベルで好かれるということでしかないんです。
それだって、メカマニアが本当に喜んでいるかというと、必ずしもそうは見えない。
それよりも、12〜13歳という、人間の完成がいちばん鋭敏な時期の、しかも皆が最低限の共有体験をもっている年代を描いたほうが、
よほど生き生きとしますし、見る人の共感も得られるんですよ。
だから、できるなら次はそこでやってみたい。
NT ところで、つくり手として、現在の状況自体については?
富野 今僕がやりたいこと、やろうとしていることは、ある意味でアニメに最も勢いがあった時期、
具体的には15年ぐらい前に向いているわけですが、
それは、たとえば最近特に増えている過去に向った作品づくりというのとは根本的に違うんですよね。
それは、ただ懐古で物をつくっていくか、いつの時代も同じ混乱した状況の中で、
それでも自分は正統を歩んでいるかということを意識して作っていくかの差なんです。
この差は決定的で、きちんとした意識をもっている人間は、2〜3年したらきちんとした作品をつくってくれる。
それと、こうしたグチャグチャしているときに、むしろいろんなことを積極的にやっていって、
作品づくりとか企画の立て方なんかを覚えたヤツが結局は勝つんですよ。
たとえば宮崎さんだって、なにもスルスルと今みたいな立場に立てたわけではなくて、東映やめてから一般に認められるまで、
それこそどれだけの量の仕事をどういうふうにやっていったかということを、知っておいてほしいんですよね。
NT それこそ、設定の量やレイアウトの量にしても尋常じゃないですからね。
富野 僕もはたで見てましたけど。
その果てしない労働をやりながらも、宮崎さんはどんどん吸収していくんですよ。
だから、若い人たちがやっている量のやり方は凄く問題があると思うんですよ。
それこそ、本当にクソにもゴミにもならない仕事を一生続けることになるか、10年後にスタジオを建てられるまでになっているか。
それは本当にチョットした意識のもち方の違いなんです。
じゃあその違いは何なのかというと、これは残念ながら教えられない。
それはやっぱり現場で、体を使って覚えてもらうしかない。
そういうことで言えば、宮崎さんだって勉強家だし、高畑さんだって勉強家なんですよね。
今、僕がつらいのは、そうした才能が10年おいたら出てくるのか、というと、ちょっとそれが見えなさすぎるということなんです。
だけど、僕自身としては、そうした状況はありがたいと言えばありがたいところもあって。
何せ、こうやって次のチャンスが与えられそうな気配があるんですから。
あと、僕自身、もし60歳ぐらいまで仕事をさせてもらえるなら、やはり仕事をしていきたいということはあります。
まみれるっていうのか、宮崎さんもそうだと思うけど。
単に、自分の好きな作品をつくっていきたいというようなバカなことではない。
最近やたらとフリーになる人が多いですが、もっとそのあたりを考えて欲しい。
あと、やはり現場の風に当たらないと。
現場の風は情報を運んできますから。
そのなかで自覚をもって自分を磨く。
松本清張だって、デビューは40歳を過ぎてからなんですよ。
僕は今、そのことを次の世代のつくり手たちに伝えたいんです!
(了)
※本文中の「角川の3作品」とは「サイレントメビウス2」「アルスラ―ン戦記U」「風の大陸」
言葉の端々からVガンへの流れが見えるね。
原点に帰りたいとか主人公の年齢とか。
とは言ってもVはまったく弾んだ作品にはならなかったけどな。
これだけカッコいいこと言っておいて、Vかよ・・・
F91やりたかったんじゃねーの?
庵野氏は取材中、作中において死をたやすく扱う行為について
「少しでも想像力があるならば、簡単に人を死なせることはできないはずだと思います」と話した。
でも人間なんて簡単に死んでしまうものなのよね
古い雑誌の整理をしてたら、アニメージュ2002年3月号に
トミーノ×菅野よう子 の
地球光・月光蝶の公開直前対談ってのが出てきた。
これは既出か?ていうかまだ新しいから自粛すべきもの?
1年前の雑誌に載ったきりで、現在書店流通してる刊行物に再録されてなきゃOKだろ。
とか勝手にルールを制定してみる。
一定時期が来てもバックナンバーで取り寄せ可能なものは自粛した方がいいかもしれない。
>>778が正解じゃねー?
そんで出来なかったから鬱になってVと・・・
>>784 主人公を低年齢に云々書いてあるから・・・
もしかして本命はクロボンだったのか?
とりあえずもうちょっと細かいルール決めといた方がいいな
>>784 Vガン制作発表時のコメントから(NT93年4月号)
Vガンダムをマンガチックにでき、完全に色合いの違うガンダムがつくれたならば、
かなりずうずうしいですが、F91以後のガンダムが別にあって、
ひょっとしたら来年2本立てができるかもしれません。
もちろんF91を継承した物語は当然あり、それをつくる機会を狙っているのです。
合掌。
今からでもイイから作ってくれ!
キンゲ作った今なら、ハゲ、お前の思う通りのものが作れるはず!
>>787 たしかクロボンを作る予定だったんだがG、Wが以外に好評だったからXに取って代わられたんだけっか
富野節のクロボン見てみたかった・・・・
マンガのは長谷川節が強すぎて・・・
10年放置とか絶対あり得ないもんな。
F91はかなり本気で取り組んでたんだな。
ハゲは人気取りに行こうとするほどぽしゃるからなぁ・・・
東山紀之と森光子入籍、しかも養子縁組
ロランも老け専
>>797 いや、確かにディアナ数百歳だけどさーw
ロランなんか一生おあずけ(しかも本人満足)なわけだが。
この場合、ロランの方がよっぽど理解できる
>>799 一生じゃないよ、ディアナはじき死ぬから。
ロランとディアナ様は密かにやってるよ。
ロランはアレで女好きだからな。
尻ヘチだしな。
805 :
754:03/06/24 19:43 ID:???
かなり、反省してますた。
そろそろ、うpしたいのですが宜しいでしょうか?
1987年のアニメージュ10月号から
逆襲のシャア プレインタビューです。
CCA関連の本を持っていないため現在発売中の本に載っているか不明です。
また、ガイシュツの場合も教えてください投稿を自粛したいと思います。
>>805 がんばれ。ガイシュツかどうかは確かめてないが。
807 :
通常の名無しさんの3倍:03/06/25 00:54 ID:zrsw4Pfa
わ、sage忘れすまそ
>>806-807 ありがとうございます。
一応、明日の夜まで情報を待ってうpしたいと思います。
それまで、アニメージュの同じ1987年10月号の
記事を読んでお待ちください。
富野監督ファンに語る
さる8月7日(金)水戸市民会館にて、市内の川又書店主催による
「アニメフェスティバルin水戸」が開催され、富野監督講演会もおこなわれた。
まず、ガンダム第一話「ガンダム大地に立つ」と「逆襲のシャア」の
未公開予告フィルムの上映の後、ファンとの対話という形式でおこなわれた。
質問は多数あったが、主なものとしては、
「今回の『逆襲のシャア』には、セイラは登場しないのですか」
「噂になった『実写版ガンダム』はどうなっているのですか」
など興味ある質問がとびかい、富野監督はそのひとつひとつに対して、
「セイラは声優さんが、ぼくにやさしくしてくれないから出ません(笑)」とか、
「残念ながら『実写版ガンダム』は話の折り合いがつかなかったのです」など、
あらゆる質問に対し、監督から正直な答えがかえってきて、
ファンにとっては、興味をそそられる話だったようだ。
63 通常の名無しさんの3倍 NEW!! Date:02/01/25 09:46
まず、トミーノをブチ切らせるには、頭髪ネタでしょ。
昔、エルガイムの放送開始特番(名古屋オンリー?)かなんかで、
「監督はなんで、髪の毛が少なくなったんですかぁ?」
と、質問したツワモノがいたが、
トミーノ「だからっ、ボクはっ、こういう若造が嫌いなんですヨっ!!!」
と、顔が見る見る硬直しツバを撒き散らしながら激しく力説していたのを今でもハキーリと覚えてる。
>>811 師・手塚御大は終生人前ではベレー帽を取らなかったという・・・
ところで富野って怒鳴ると声でかいんだろうか。
トップランナーでも、なじったりヒートアップして手がつけられなくなったりしたが、
声はわりと小さくてこもってたんだけど。「!」つけるような部分はあんまなかったし。
>>812 「ヒポクラテスたち」って映画でハゲ晒してる。
アニメージュ 1987年10月号 逆襲のシャア プレインタビュー
「ガンダム」という作品を語るにあたっては、
やはりシリーズの総監督である富野監督を忘れるわけにはいかない。
そこで今回はプレインタビューとして、作品世界の基本的な考えなどを語って頂いた。
――まずお聞きしたいのですが、なぜ舞台を宇宙世紀0093年に設定したのでしょうか。
「ぼくは年代設定は確定していないのです。
大雑把に言えば、企画周辺のスタッフが書いた企画書などにあるように、
30歳というあのあたりの年齢が物語の決着をつけられるギリギリの線ですね。
ぼくも、アムロたちに30歳は超えてほしくなかったです。
けれども、何なのかな・・・作り手として困っている事は、
年代設定をして、年齢をわりだして、まじめにその年齢を描こうとする人が多くて、
監督のぼくとしては困っているわけです。
816 :
通常の名無しさんの3倍:03/06/26 18:47 ID:77ycekvp
それはどういう事かと言うと、わかりやすい例としては『スーパーマン』ですね。
1作目の作品から現在に至るまで、ずっと作られ続けているけれども、
あの作品で登場人物の年齢をあげつらう人はいないでしょ。
けれども『ガンダム』では、基本設定を年代物としたわけですから、
年表を作りたくなる、というのはわかります。
しかし、物語、とくにエンターテイメントの場合は、
主人公の年齢をあいまいにしたくなることがあるのです。
それはわかってほしいと思いますね」
―そういう部分にはこだわらないということですね。
「彼らは30歳前後だけれども、基本的に主人公の理想は30歳前後までなんだよね、ということです。
でも、十何年も彼らはズルズルやっているという人もいるけれど、
ぼくは、無視してやっています。
作画を作るという点は、ショーアップのことしか考えていないからで、
なるべく若く描かせようとしているんだけれども、
このところ原画チェックをしていても、みんながキャラクターを老けて描いてくるので困っています。」
――年齢は問題ではないと・・・・・・
「もし、年齢とかのディティールを追う人がいて、
たとえばそれが正義だとするのならば、
ぼくは今回の映画をアムロとベルトーチカの物語にしましたよ。
それを、彼女を無視せざるを得なかった一番の理由は、
やはりこれは映画でしょ、という企画の骨幹があるわけです。
それをぼくは了承したし、映画とはそうであると思っていますから。
だから、その企画の基本決定の時点で、年齢は無視してやるようにしています。
これが本当の歴史学だったら、1年のズレが持つ意味というのを考えていきますけれども、
ぼくの中にはそれだけのディティールを考えていくだけのブレーンがいないから、それはできません。
だから、ぼくは年表を含めて、一切関知していない。
そして、今度の映画の画面の中にも宇宙世紀0093年という数字は出てきません。
しかし、作り手とは別のところに存在してしまっているガンダムワールドを
否定する気もないですし、あってもらって困るものでもありません。
観賞して楽しむということと、
内容を理解してフィクションの世界を造るということは
『ガンダム』では上手くいっていないということですね」
――「ガンダム」を歴史として解釈する映像にしたくないわけですね。
「ぼくも、ある程度は年代を追って作るべきではないか、
ということでアムロとベルトーチカのシナリオを書いてみました。
しかし、それは出資者集団が拒否しました。
そして、その拒否はとても正しい、ということがやってみてわかったのです。
そうなると、その瞬間から年表というものは、なくなっていきます。
つまり、アムロは結婚していたのではないのか、
みたいな話で映画を作っていったら、それこそ夫婦の痴話ゲンカを描かなければならなくなってしまいますから、
そうなったらシャアなんか登場しませんよ(笑)」
――確かに本末転倒してしまいますね。
結局、映画を作るということは、年表をつくることとはチョット違う。
ただ、ぼくがそう考えても、年代記物のフィーリングだけはとるために、
ある程度は年齢を上げることは、やらざるを得なかったのです。
それが、いまは癌となってしまっていると、
今回の「逆襲のシャア」はそういうように理解しています。」
――「ガンダム」が観る人ごとに世界観を構築できるということが、かえって、
作品自身を拘束してしまっている、と考えていらっしゃるのですか。
「しょせんは『ガンダム』はロボット物なんだ、と語ってもらいたいのだけれども、
ことが『ガンダム』になると、なぜか製作周辺部にそういってひとが全然いなくなって、
みんながまじめすぎる働きをみせてくれるのです。
でも、本当はぼくのやり方と、もうひとつ別のガンダムワールドが厳然として存在しているということは、簡単にかたづけられる問題ではないんですね。
けれども、現実に映像の部分は、走ってしまいますし、
そのことによって、ぼくが恥をかくということは『Ζ』の時にもう覚悟していますから、
それをイヤとはいいません」
途中で下げ忘れますた。
大変申し訳ないです。
>>822 お疲れです
きになさらず〜
ベルトーチカ・・・・観たかったよ俺は。・゚・(ノД`)・゚・。
俺も角川版の小説のほうが好きだったので、
ベルトーチカ・チルドレンはぜひ観たかったよ…
>それをイヤとはいいません
後に富野は語る。
「イヤでしたね。ええ、とてもイヤでした。」
「いいません」であって「思いません」でないとこがミソですな。
富野に訊け!が読みたいが、あれは単行本になるんだろうか。
>>827 あれは立ち読みしなされ
アニメ氏だから恥ずかしいかもしれんが・・・・
けっこう身につまされるというか励みになってるよおいらは
富野本スレっつーか、信者スレなくなった?
>>829 本当だ・・・、落ちちまってるね
何ということだ、ハゲ神様の天罰が下りそうだ新スレどうしよう?
劇場版イデオンパンフレット
DOBULE RELEASE
A CONECT 接触編 Be INVOKED 発動編
THE IDEON イデオン
これはがいしゅつですか?
それとも現在発売中の本に載ってますか?
もし、そのような場合うpを控えますので情報をお願いします。
ガンガンいこうぜ!
いのちをだいじに。
お金だいじに
いろいろ犯ろうぜ
お金つかうな
>>833 ガンガンいきますよ〜
>>834-837 何か、よくわからんがとりあえず
今回の「これでも読んでお待ちください」のコーナーでは
御大以外発言スレ「08劇場版」パンフをうp
これでも読んでもちつけ。
イデオンのパンフは明日の夜まで情報を待ってうpします。
>>838 パンティ脱いで待ってま〜〜〜〜〜〜〜す☆
そういや、ターンAの時にプロレス誌で富野X佐竹対談があって、
「カプコンの人に絵を頼んだけど、僕は対戦ゲームなんて物は、
嫌悪するね。だって痛めつけるだけで痛みが伝わらないなんて、
絶対間違ってるっ!」と熱く偏った主張をしてたね。
ならガノタを痛めつけないでください
>842
痛みは伝わってるから無問題。
ガノタはMだから痛めつけられるほど、ハゲを愛してしまうのです。
・・・すまん、そりゃトミノ信者だった。
DOBULE RELEASE
A CONECT 接触編 Be INVOKED 発動編
THE IDEON イデオン
MESSAGE 最終回のために
総監督 富野喜幸
映画監督という作画的行為を成す物が己の作品を公開するにあたって
言うべきことではないと承知しながらも、
やはり書かざるを得ないということは苦しい。
作り手側の事情があるからといって、
評価なり評論される対象は作品であって作品が生まれる事情ではない。
しかし、この"イデオン"については
どうしても記しておかなければならない事と思えるので、ここに記させていただく。
元来がテレビのシリーズ物であった"イデオン"はかなり膨大なストーリーを抱え込んでいて、
3時間強の分量の中に収まるものではなかった。
にもかかわらず、あえて一挙公開という暴挙に出たのに3つの理由があった。
1つは、物語の気分が全くみえないダイジェストとすることを嫌ったということ。
2つ目はテレビ版のダイジェストでしかない作品を映画版と銘打って2本、3本と上映して、
ファンたちに必要以上の出資を強要することを嫌ったということ。
特にこれについては、この数年のアニメ・ブームとかいう風潮の中、
所詮はテレビ版の改さんでしかない映画版が
大手を振って通るということへの疑問があるからである。
小生に関して言えば、それを先の"ガンダム"でやった張本人である。
張本人であるから、その痛みが分かる。
殊に、ファンに対して3度まで出資を強要したということには
申し訳ないことだと思っている。
同じ金を使うのならもっと他の良きことへ使って欲しいという思いが、
他の世の父親たちと同じにあるからだ。
しかし、"ガンダム"の時は、"ガンダム"を成立させたティーン・エイジャーの力を
大人たちに示したかったという発意があった。
だから、決して間違ったことはやってはいないという自信があった。
しかし、出資を強要したのではないかといううしろめたさは変わることなくあった。
それらを回避するためには"イデオン"は一挙公開しかないと決意していた。
そのために己が泥をかぶってすむことならば、それで良いと・・・・・・。
その結果起こる作品についてのあらゆる非難を被ることを覚悟で、
小生は針の筵に座っている。
848 :
通常の名無しさんの3倍:03/07/02 18:17 ID:LHVRkAqy
そして、第3の理由はもし、一部、二部という興業形式をとった時に、
一部の入り(作品の出来でなく)の状況によって、"イデオン"の本来の完結編が、
再び公開されること無く、終わった場合、"イデオン"は本当に未完に終わってしまう。
それを最も恐れた、といえる。
それは事情論とは別に、作り手側が最も恐れることである。
そのために、ともかく完結部分を描き、発表したいという作り手のできる
最小限度のことをやってみようとしたわけである。
我々スタッフはファンと共に、
かつてみることのなかったエピローグを見たかったのだというたった1つの点に賭けて、
今回のダブル・リリース方式を採用したのである。
そのために映画版のドラマは、ドラマとして成立することなく発端と発動を直結させた。
まとめたのではない。直結でしかない。
これは作劇を遠く離れ、そのために各スタッフから声優から「冗談じゃない」という声があがった。
矛盾に満ちて、何が物語なのかという思考さえも働かせることなく、
"イデオン"は"発動編"のラスト・アクションに入る。
どう断罪されてもそれに抗弁する術を小生は持たない。
しかし、それを承知で公開の機会を与えて下さった松竹及びに各劇場の関係者には、
心から御礼申し上げる。
そして、それを承知で観に来てくださった皆様方にも心から御礼申しあげたい。
そして、各スタッフに対しても・・・・・・。
本映画は"イデオン"の最終回でしかないと言える。
ここに至る間に我々スタッフの万感の思いが込められている事もまた事実である。
非は全て小生にある・・・・・・。
また、sage忘れた・・・
次こそ気をつけます。
髭の話題が出てたので、
Newtype 1999年 1月号
富野由悠季1999ガンダムAプロジェクト監督インタビュー
GUNDAM RISING 胎動
こちらはがいしゅつですか?
それとも、現在手に入る出版物に載っていますか?
そのような場合、うpを自粛したいと思いますので
情報を宜しくお願いします。
ガンガンいこうぜ!
髪の毛をだいじに
>>851 ガンガンいきたいんですが、土日は家に居ないので
明日の夜まで情報をまってうpしたら小休止。
自分的にはすでに恒例コーナーになった
「これを読んでお待ちください」では
Newtype 1999年 1月号
富野由悠季1999ガンダムAプロジェクトから
メッセージ部分だけを抜粋
また他監督スレに高松信司をうp
"ガンダムAプロジェクト"と富野監督へメッセージ
大河原 邦男
新たな20年に向けて、新たなガンダムがどう動くのか、大変な仕事だとは思いますが、
スタッフとしてもファンとしても楽しみにしてます(談)
北爪 宏幸
当時と現在では世相もかなり違うと思います。
ですから、また「あのガンダム」ではなく、当時のアニメを変えたように、
今度も現在のアニメを一新するような魅力のある新しい
「ガンダム」が発表されることを富野監督に期待してます。
出渕 裕
「1stガンダム」からの宇宙世紀をとことん掘り下げ、
スキ間を濃く埋めていくか(アイデアだけはあるんですけどね)、
「ガンダム」というブランド名を最大限利用してまったくの別物、
たとえばガンダムという名の宇宙船で舞台も地球圏から離れたくらいの代物に
創造しなおすか・・・くらいしかないのでは。
中途半端は却って身を滅ぼすよーな気がする。
あと、富野アニメはロードムービーがキテル!キーワードはこれですかね
美樹本 晴彦
最初のガンダムが見せてくれた新鮮さと興奮をまた期待したいですね(談)
カトキ ハジメ
監督がどんな「ガンダム」を創るつもりなのかまだわからないが、
これまでのトミノスタイルが変わるとは思えない。
それまでの若者の好みや流行なんかを意識しないで、
我流を全開にしてやって欲しいです。
煮詰めた挙句ににじみ出るトミノ演出に期待しています。
佐野 浩敏
わがままいっぱいにやって欲しい。
何から何まで冨野さんの「匂い」がプンプンするものが見たいです(談)
川元 利浩
新しいスタッフがつくる流れと、
富野監督の演出スタイルが融合してつくられる新しいガンダムに期待しています。
逢坂 浩司
悶絶、絶頂、虚脱の中から生み出されたドラマの上に、
キャラクターたちがどういう人間性を見せ、なによりも富野由悠季という男でもあり、
親でもある人がフィルムを通じて今度は何を我々に問いかけてくるのか。
ワクワクしながら見届けたいと思います。
がんばってください
村瀬 修功
ガンダムというよりもディレクションのもとで仕事したときに得たものが、
現在、ものをつくる上での基礎になっていると思います。
サンライズのプロデュースに期待します。
石垣 純哉
安田朗さんの新キャラ、シド・ミードさんの新メカが動くのを見たい。
その魅力を存分に伝えてくれるのを楽しみにしています(談)
そして破綻。
そして公的資金導入
破綻戦死りそなガソダム
富野由悠季1999ガンダムAプロジェクト監督インタビュー
GUNDAM RISING 胎動
実は"Aプロジェクト"の話は、すでに'96年の春に出ていたんです。
そして、僕がそのとき一生懸命に考えたのは
『ファーストから始まったガンダムのシリーズを、個々の作品の内容だけでなく、
それを取り巻く状況もひっくるめて、全肯定するようなものにできないか』ということでした。
そのための世界観や物語のアウトラインができたところで、
次のガンダムは僕にとって本当の意味での新作になるだろうから、
そのための準備として「ブレンパワード」を監督させてもらって、
シリーズ創りの練習をしました。
そうして「ブレンパワード」の練習をやりながら、
'97年から'98年にかけて「タイタニック」が大ブームになり、
アニメでいえば「エヴァンゲリオン」と「もののけ姫」がそれぞれのスタンスで成功した
――という経緯を見てきたわけですが、
そのなかで僕は「タイタニック」以後、映画の作り方は完全に変わるだろうと実感しました。
そして、自分がAプロジェクトに関して考えていたことが、
決して間違ってはいないという確信をもちました。
と同時に、Aプロジェクトを実際にオンエアさせていただくことができれば、
これまでのガンダムとは違うものができるだろうという確信もまた生まれたんです。
これについて僕は、先月号のカトキハジメくんとの対談のなかで映像作品を
つくる立場から自分の考えを述べましたが、
直接のテーマからはずれているということで、その部分は活字にはなりませんでした。
ここで改めてお話しておくと、こういうことです。
まず「タイタニック」という映画は、これまで主にSFXを駆使した
アクションものを撮ってきたジェームス・キャメロン監督が、
脚本まで自分でタッチして《物語》をつくろうとした
――つまりストーリーテリングに重点を置いている点で監督の姿勢が変わったと思いました。
それだけでなく、キャメロンがあえて巨費を投じてチープなラブストーリーを
つくったということには大きな意味があって、
映画とはこういうものでいいんだということを、
彼は実際の作品として、提示してみせてくれました。
つまり、これだけ日常的にCGがあふれているいま、
もはや映像的なセンス・オブ・ワンダー(驚きの感覚)だけでは映画は成り立たない。
SFXでいくら刺激的な映像をつくっても、すぐ飽きられてしまいます。
そんな時代に、なおかつ映画をつくっていかなくてはいけない立場として、
何を目指せばいいかなと考えてキャメロンと彼の周囲にいる、
とてもいいインテリジェンスをもった人たちが、ああいう映画をつくったのです。
それはどういうことかというと、
みんながおもしろがれる、みんなが泣ける、みんながサスペンスを感じられる、
そういうわかりやすいところに話を落としたんです。
要するにキャメロングループのスタッフたちは、映画とか物語の原理原則に立ち返ったわけです。
ヒロインが絶世の美女でなく、親しみを持てる程度の美人であることも含めて、
みんながとっつきやすい映画にしたから、あれだけヒットしたんでしょう。
「タイタニック」には、高尚なテーマやメッセージはありません。
ですが、映画というのは本来《活動写真》だし、
なによりもまずエンターテイメントであり、芸能であるわけですから、それでいいんです。
最近の日本でインド映画のコメディーが受けているのも
同じようにみんなが楽しめるオープン・エンターテイメントだからこそです。
そういう映画状況を考えた時に、僕は確実に"「タイタニック」以後"
という言い方ができるとおもいました。
映画は、ついにSFXやCGの技術を使いこなしながら、
そういう刺激だけに頼らない原理原則のお楽しみという部分を手に入れてきた、と。
だは、アニメはどうなんだと考えたときに、
アニメの場合は実写と違ってすべてを嘘八百のところから積み上げていく世界ですから、
その根もとを支える設定がなければならない。
ガンダムの場合、それは人型ロボット=モビルスーツなんだから、
それを組み込んだ活動代写真をつくればいいんじゃないかと思ったんです。
そういう意味で、これまでのシリーズを全肯定しながら新しい世界をつくっていくという
Aプロジェクトの方向性は、僕はそれほど間違っていないと思うし、
映像作品として、「タイタニック」以後に発表するガンダムとして、
とてもあっけらかんとしていていいなという作品にしたいのです。
その上でいうと、今度のガンダムはみんながわかるような話で、
ちょっとだけミステリアスな部分がある。そういうものになります。
それがドラマ上のサスペンスを生むだろうし、技術論でいえば、
人と巨大なモビルスーツが物語のうえでどう絡みうるのか、
その点も改めて考えて製作に入っています。
また、内容的には「ブレンパワード」の後半で試みたように、
敵味方が入り乱れた話になるでしょう。
ですが、それはとても複雑な話になるのかといったら、
決してそうではないんです。構造としてはすごくシンプルです。
ひとつヒントになることをお話すると、
昔からあるチェンジリング(取り替えっ子)の話も出てくれば、
かぐや姫やシンデレラのような要素もある。
つまり、おとぎ話とか童話がもっている原理原則が物語のベーシックな部分、
これを全部、今度のガンダムには入れました。
こういえば、すごくわかりやすいでしょう?(笑)
実はこれが、いまお話できる範囲での嘘偽りのないAストーリーの骨子、
ということになりますね。
以上です。
土日はうpはお休みさせて頂きます。
申し訳ないです
タイタニックについてはアニマックスの特番でも言ってたな
録画しとけばよかった
パイパニック
>>866 話自体は確かに限りなくチープだが、なにか世界に奥行きがある
名前のない脇役一人一人の演出に手を抜いていないというか
まあとにかく見て損は無い