500 :
保守:
パンチラでいいのです。が、条件はあります。画描きも演出家もですが、
最近のアニメ(雑誌の画も含めて)、ただの裸みせ、下着みせの画とか
演出論は作り手の欲求不満のあらわれでしかなく、ムセッソーのそしり
を免れません。表現に節度が必要です。らしく描かれないのならば、裸
画なぞは欲求不満の表現でしかないのです。上手に描けないのは、下
品になりますからやめましょう。熟練が見えない時は全てカットします。
上手に、節度をもって! すっ裸がいいと思う人は女の子を全然知らな
いということになります。ビニ本ではなくアニメですから!
(#1C21・岩場を転げ落ちるアム)
501 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/05/25 06:27 ID:InCJD5HW
>>500 なんじゃこりゃ?
あと保守なら上げた方いいのでは。
>>500はエルガイムの時の富野メモだね、たしか。
ZとVガンは”作り手の欲求不満のあらわれでしかなく、ムセッソーのそしり ”でしかなかった訳だが。
Aセリフ展開はシナリオに準じるよりもこういったメカに関するものから発展させていって
下さい。特に1クールぐらいは! これがメカ物らしくさせるコツでしょう。
(#1C60・アム、エルガイムを見て、「いやだ! このヘビーメタル、半完成品じゃない
の?!」)
Bニャンニャンに迎合しない男の表現とはこうなる。いいかね、年の差、オジンというのも
結構だが、本来、男ってこういう風にキゼンとしていなければ、いい女には惚れられない
んだよ。どこかの番組のように、ニャンニャン男が、女にひっつくなんてのは、その女も、
ニャンニャン以下なのだと承知すべきなのだよ。男、女の性の差というのは、こういうとこ
ろにあり、これがあるから性差があるのであって、そうでなけりゃ男も女もいらんのだ、と
いうことを演出だけでなく、現実生活の中にもカクゴして求め、男は男になること!
(#1C121・アムを初めて見たダバ、ムッ!! と眉ぴくりしただけで)
>>501 書きこみがあればageなくても構わないんじゃなかったっけ?
別のスレでそう言われたことがある。
>>502 そう、それ。
C本来、このブリッコポーズはとてもよくない。人間の描写がこれひとつで
終わってしまって豊かな表現を手に入れることができないからだ。よくよく
気をつけて描かないと貧相な演出家とかアニメーターになってしまうという
ことを忘れないようにしてやること。
(#3C230・ミスったアム、照れて思わずブリッコポーズ)
Dバカというセリフを気楽に使うようですが、いけません。児童のみるもの
です。使わないように、気をつけるべきです。
(#3C321・キャオ、邪魔するリリスをしかって「邪魔する気か」)
Eリリスはいつも戦いたくないという本能が働いている。
(#4C77・思わず頭取をキックしたリリス、「あっ…あたし…人をけと
ばして……)
Fこれは物理的なストーリー描写という演出でなくて、レッシィの肌合いを
感じさせるということなのだよ。これがフィルムにボリュームをつける。
(#6C366・砲撃を邪魔したリリスを砲座の下にもぐりこみ、あられも
ないカッコで追いかけるレッシィ)
G各演出へ──シナリオになくともエルガイムが主人公のストーリーなら
(エルガイムを)目立たせてやろうというような精神を持てないというのは
不思議なのです(シナリオではエルガイムは出てないのですが前後のつなが
りで不都合なければこのくらい創作すること。本来演出家というのは創作者
ということを忘れているのですねー、みなさんは)。
(#11C28・ぺティ村を正規軍から取り戻す戦いで活躍するエルガイム)
H各演出へ──以上のメモをつけたのはなぜだか分かりますか? 我々は仕
事をもらっているのです。その発注者の要求に応えられなければ仕事はなく
なりますし、なにより各員が対外的な部分に立てば、これ以上にひどい言い
方で要求を受けます。むしろトミノ・バリアーのため、楽に仕事をしている
と自戒して下さい。しかし大人はいつかひとり立ちしないと本当の大人には
なれない。使用人になって終るのです。慣れて、自分のものを出すという方
向へ向かって下さい。
(#11C28・絵コンテの頭から細かくチェックを入れて)
I各演出へ──フィルムは動きで現わされるものです。ということは「動き
=時間の流れ→テンポ・リズム」(←音楽と同じ物です)、「視覚的=目で
見て分かるもの・分からせるもの」(←レイアウト、画のディテール、踊り
の振りつけみたいなもの)が、根本的な表現であるということが分かってい
ないようです。流動するものが、フィルム、ビデオfらるのです。
(#13トビラ)
J上品さとか、規律正しい言葉遣いを知って下さい。いわゆる芸術的な香り
のするものを見、読んで教養の幅をひろげるしかありませんが、大丈夫、今
から気をつけてゆく努力をすれば30までには身につきます。気をつけずに身
につけない人々よりよほど良い結果が出ます。ただ育ちから出たものではな
いので所詮つけ焼き刃です。そこをいつも気をつけて謙虚な姿勢を忘れなけ
れば、メジャーになれます。
(#17トビラ)
K礼を失する、礼を維持するということの違いが他人に自分を認めさせるこ
となのさ。こうしないとダバはマンガなのだよ。分かれ!
(#18C77・フル・フラットにわびるダバ)
Lお姉様のキスっていうのはこういうのさ、分かれ! 若者たち!!
(#18C82・ダバにキスするフル)
M感動を生む、感情を作るというのが演出家なのだよ。
(#19C126・グルグル内にとり残されたキャオをレッシィのディザード
が救いにきて)
Nセリフの間、とかセリフの作りを学ぶために落語全集のようなものを読み
なさい。よく分かるよ。できたらカセットで聞くなり、TVで落語を見るこ
と! 但し名人、真打ちクラスを!
○小説を読め! 文章の書き方を習え! とくにセリフを!
○一度決めた目線とか方向性を途中で買えてはいけない。
○動く画というのは大変やわらかいものである。が、やわらかい故に、や
わらかさを感じさせるためには、それを支える技術があるということ!
(#17トビラ)
O予備知識のない観客にショックを与え(面白がらせる)分からせてゆくと
いう基本テクニックが未だ分かってないようですね。
(#24C12・冒頭からいきなりエルガイムと子パードナ戦闘開始して)
Pどうもギャグというものをムゲに笑いを生むものと理解しているようです
ね。全体の流れの中で、許される時、許されない時、シリアスさが逆にギャ
グとなることを分かっていませんね。
(#24C20アム・ニッコリと笑うをここでは笑わないとして)
Q自分が面白がり、自分が作りあげてやるという欲望が演出家を鍛えます。
(#25トビラ)
以上、おしまい。
出典
ザテレビジョン別冊・重戦機エルガイム-1
昭和59年12月5日発行
>>500の冒頭は
とみのごろく【富野語録】
@パンチラで〜
に差し替えてください(掲載誌ではそうなっているので)。
509 :
508:03/05/25 12:35 ID:???
訂正
>>506のIの文末
× フィルム、ビデオfらるのです
○ フィルム、ビデオであるのです
機種依存文字
>>504 A=(2) ・ B=(3)
>>505 C=(4) ・ D=(5) ・ E=(6) ・ F=(7) ・ G=(8)
>>506 H=(9) ・ I=(10) ・ J=(11)
>>507 K=(12) ・ L=(13) ・ M=(14) ・ N=(15) ・ O=(16)
>>508 P=(17) ・ Q=(18)
sageでもカキコがあれば保守できる。以上。
やっぱりとみのっちは生粋の演出家やね
515 :
514:03/05/25 20:04 ID:???
ゴメン富野語録にあったね
しかも直リンしてるし・・
いつの時代を切っても富野は富野だなぁ。
パンチラは書き手の欲求不満ではなくて、
視聴者の興味を繋ぐ最も安易な方法なわけで……
テレビアニメ「Z.O.E Doroles, i」の同人誌での渡邉哲哉監督へのインタビューより、御大についての発言の抜粋
(Vガン・ブレン・∀にスタッフとして参加されてます)
(宇:インタビュアー T:渡邉監督)
-------------------------------------------------------------------------------------------------------
宇:「Z.O.E」に影響を与えた作品は他にもありますか?
T:一番オレ的に近づけたいなって思ってたのは「ブレンパワード」だから。ロボットと人間の交流みたいなものを描きたかったし。
宇:「ブレン」は未見なもんで、どの辺を…。
T:見ろ!あのロボットはしゃべらないけど明らかに意思が通じ合っているし、気持ちの悪い顔も後半はいい顔に見えるんだよ。
キャラの後でロボットが遊んでたりとか、もろにドロレス(転載者注:「Z.O.E」の主役ロボの名前)でやってます。
宇:やっぱり富野さんの扱うものは一味違う?
T:富野監督の凄いところは定番からはずれようはずれようと常に試行錯誤しているところだから。そして、恐ろしいことに
あの人のはずれたほうがやがて定番になっていく事だよ。
-------------------------------------------------------------------------------------------------------
インタビュアーと渡邉監督は高校時代からの友人だそうで、かなりくだけた口調になってます。
>そして、恐ろしいことに あの人のはずれたほうがやがて定番になっていく事だよ。
ワロタ。まあ、そうなんだけど。
マイルス・デイヴィスみたいだよな。
>>504 (3)あたりの演出方針はキンゲにいたるまで受け継がれてるね。
それにしても単なるメモなのに富野口調全開で笑った。乙です。
(12)、(13)の口調が笑える。シャアというかギャブレーというか。
KAWADEムック 文藝別冊 手塚治虫総特集より
----------------------------------------------------------------------------
虫プロ時代の四年間、先生との間に特別なことはなかった。
虫プロ一期生ともいうべき先輩のバリア、アニメーターにあらずんば人にあらずの気風、
マンガ絵を描けない僕などは近づけもしなかった。ぼくら大学出も先生を社長とは呼ん
でも、口が曲がっても先生とは呼ばず、日本のディズニーになるのなら経営者に徹してくれ
と組合員として要求もした。
当時、先生が漫画家としてもっとも低迷していて、クリエーターとして悩みぬいてい
たのだが、そんな苦しみなど想像することは一切なかった。ひどいことを口にしたのでは
ないかと、今になって恐れている。
とはいえ、ぼくが演出家になれたのは、すべて先生のおかげである。生まれてはじめて書
いたぼくの絵コンテにOKを出して下さったのは先生であり、その直後、喫茶店で「トミ
ノ氏は製作志望らしいけど、演出部にいってくれないか」と言ってくれたのも先生である。
ふつうの能力したもたない先輩製作マンには、人の才能を見抜く力も決定権もない、と
そのとき思い知った。
ぼくのアトムの最後のフィルムチェックして下さったのは先生で、なぜかそのとき、
一人の役員が同席していただけで、バリアとなっていた先輩諸氏はいなかった。そのとき
退出なさる先生の背中とお尻が寒々としていたからというのが直接の理由ではないのだが、
手塚時代がおわるなら虫プロはつぶれるだろうとかんじて、ぼくは虫プロをやめた。
その後も先生は雲の上の人でありつづけて『トリトン』や『メルモ』のアニメをやって
いるときにも深くお会いしたという記憶はない。
『ガンダム』以後、外でお会いできるようになってから、あの「トミノ氏」という口癖と
ともに優しくニコニコなさる笑顔とあのブ厚くもやわらかい握手に、神技が宿ると感じ
るようになった。ぼくが四十代になってからである。
オリジナル作品をやるようになってはじめてぼくは、午前三時にスタジオにいらっしゃ
った先生が、翌朝九時には朝食をすませて原稿を手にしていらっしゃったり、ピアノを弾
いていらっしゃる先生の記憶が逆流するようになった。五十才になるころ、先生の全集百
巻を通読したあとでは、さらにあの握手をして下さった手の凄さ、熱がよみがえってしまう。
先生が亡くなられたと聞いた翌朝、失礼をかえりみず先生のお宅にあがりこんで、死に
顔を拝見できなくとも近くにいたいと願った。その行為は今も恥じていない。
師のエキスの万分の一も真似することはできないだろうけど、ここに従うものがいると
知ってほしいと思うのは、生きている者の欲である。
523 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/05/27 00:55 ID:5lNFRoWK
和光大学 表現文化学科 連続レクチャー
「アニメの帝国」
??アニメの帝国から/へ、エクソダス(脱出)するのは誰か???
http://www.wako.ac.jp/whats_new/event_X_20030526_01.html 日時:2003年6月11日(水)15:00〜17:00 開場14:30
場所:和光大学J棟401教室(Jホール)
入場無料
講師(パネリスト)
富野由悠季、大塚英志、村井紀、上野俊哉
かつてロラン・バルトは日本を「記号の帝国」と呼び、
風呂敷からパチンコ、料理まで幅広く論じながら、
日本をめぐる幻想と現実を浮かび上がらせた。
今日、日本はフジヤマ/ゲイシャの国としてよりも
「アニメの帝国」として知られている。
そして、その「帝国」は現実の世界の戦争や政治状況とも
微妙に絡み合っている。
またこの「帝国」は巧妙に分散して配置した
ネットワークのような権力のあり方に対応している?
2001年の9/11以後、世界の政治的、軍事的状況と
アニメやサブカルチャーとの連関をとりあげるべく、
本学教員・上野俊哉と兼任講師である大塚英志は
富野由悠季へのロングインタビューを試みた
(『戦争と平和』、徳間書店、2002)。
このインタビューから一年余、今回のパネルセッションでは、
イラク戦「終結」、北朝鮮「危機」などの情勢をふまえ、
この世界の戦争と平和を左右する「帝国」のありようを
「アニメ」から考える。
>>523 えーと、和光大学に行っている人には悪いけど、どこだよ?そこ
わからないことがあったらgoogleで調べる癖をつけましょう。
>>524 リンク先クリックすればいいだけじゃないか。
ちゃんと交通アクセスも載ってるよ、大学のHPなんだから
>524
書き込んでおけば誰かが答えるだろう、そういう気分、非常に嫌ですね
そういう身体性を欠いた受動的な気分で祭りなんて出来るわけがない、
祭りなんてハナっから(手をヒラヒラさせながら)これだもの
>527 ワラタ。それ違うスレだろ。
529 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/05/27 03:04 ID:I8P30XMr
>>524
俺卒業生・・・・゚・(ノД`)・゚・
またオーツカか……
531 :
sage:03/05/27 09:08 ID:hxNzyQ6C
すんまそん、星山博之氏が当時放送中だった「Zガンダム」について語ってる
いんたびうを発掘したのですが、どこでうPすべきでしょう?
532 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/05/27 09:35 ID:CpVqpp7y
手塚と富野の話、ちょっと泣けた。
師匠の悪口をいいまくってるどこかのロリコンとはエライ違いだ。
533 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/05/27 09:53 ID:6u0I30tk
>>532 宮崎は東映出身で手塚プロに在籍したことは無いから手塚は師匠でもなんでもないよ。
漫画家としては尊敬してたみたいだが。
>>531 あー、ここはちょっと違うか。どこがいいもんか……
個人的には気になる話なので、ぜひうpしてもらいたいもんだ
1には富野監督に関連が深ければOKとあるのでここでも良いかと思う。
ということでリクエスト一票。
536 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/05/27 18:29 ID:CpVqpp7y
>>533 俺の勘違いでした。
でも、あの人、よく手塚の悪口いってるよ
批判=悪口 と思ってないか?
いや、アリャ悪口に近いぞ。
明らかに悪意がある。
悪意は持ってるだろ。
手塚がアトムを身銭切って(当初は)ビジネス度外視して始めなきゃ
いまのローコストの量産低品質アニメは存在しなかったんだから。
東映で金と手間の掛かったアニメ作ってた宮崎から見れば
日本のアニメを俗悪化させたA級戦犯でしょ。
540 :
531:03/05/27 22:20 ID:???
sageをしくじった531でつ。
>>534さんと
>>535さんの需要にお応えして
星山氏のインタビューの抜粋をうpりますです。
(サンライズ作品に関わったきっかけ―『ザンボット3』の脚本を鈴
木良武氏に見せてもらい、自分にもこういうのをやらせてくれと言っ
たこと―や、当時放送中の『レイズナー』、終了したばかりの『バイ
ファム』が13人に決まったいきさつ等の話題があって)
星山 アニメの場合、キャラクターを生かすってのは、面倒でも、
ダサイ事でも、それなりの事をやって芝居を作らないと、見ている
人に訴えられないというのはありますね。それは痛切に感じてます。
『バイファム』で言うとそういう話をかったるいと言われるぐらい
6〜7話使わないと、キャラクターってのは出せないんですよね。
特にオリジナルの場合は。その代わり出来ちゃうと後は楽だと思う
んです。やっぱり、あそこまでやっとかないとスコットのエロ本の
話なんかもやったときに笑えないんですよ。まだ誰も見てないキャ
ラクターに、初めて感情移入させていくってのは難しい。ある程度
作らないと。この無駄がもう少しすっきり見せられれば本当はいい
んでしょうけどね。
実は、スコットというのは完全にブライトの逆をやったわけなん
です。ロディは、アムロから暗さを抜いて健康少年にしたかったん
で…
――カイがいませんね(笑)。
星山 最初は、カイがバーツだったんだけど、もう時代が変わって
きていて、かえってそういうはっきりわかったアンチってのはあん
まり魅力もないから。カッコよく、偉そうなこと言ってもイヤミに
ならないようにね。
――いわゆるリアルロボットものの始まりみたいな『ガンダム』を
おやりになったわけですが、いかがですか?
星山 『ガンダム』って、今改めて見てみると結構まだ巨大ロボッ
トものなんですよね。それでなんだかんだとミノフスキーとか出て
くるけど、個々の具体的なコンピュータの性能とか、燃料は何かと
か、そういうことは脚本ではさほど気にしなかった。そういう意味
では最近ロボットものがメカ設定にリアルになり過ぎているようで。
そのリアルっていうのは、もっともらしいって意味ではあるけど、
それがハートに返ってくるリアルとはなんか違うような気がするん
ですよね。だから僕の言うリアルはかなりテレビという媒体を意識
したリアルなんです。見ている人が「あっ、こういう奴っているん
だよな」って言ったときに、僕はそれはかなりリアルになったのか
なって思いますけど。
――そうしますと、今のロボットもののリアルと『ガンダム』がや
ったリアルとはニュアンスが違うという?
星山 リアルっていうところでは同じだと思うんだけど、とにかく
人間の方をよりリアルに描こうと思ってたから、わりとロボットと
かなんとか気にならなかったですね。例えばアムロなんか出すとき
第1話からこいつは内向的だっていう芝居を入れといてね。そうし
ないとやっぱり後の内向的ってのが出ないんですよ。家でコツコツ
やってるとこで、まず視聴者に「どっか俺に似てるな」ってところ
から接点をもっていかないとね。
――『ガンダム』の頃はそういう芝居が新鮮だったんですけど、今
『Zガンダム』なんか見てますと、そういう芝居が入っているにも
かかわらず、どうも、いまいちって気がして…。
星山 それは、キャラクターに積み重ねを置いていないからじゃな
いかな。何か言う時、その前に、そいつがどんなキャラクターかを
描いていないんですよ。
――でも、富野さんはそういう事を知っている人のハズだから…と
考えると、わからなくなるんですよね。
星山 僕は、彼の中で、小説を書いたって事が大きく関わってると
思うんです。フィルム作ってからガンダムの小説書きましたよね。
そうすると一つ一つの人間のひだってのが、逆に、もう、うっとお
しくなるんですよ。言葉でこういう風に言えば、全部説明できるん
だっていうふうにね。時間で追ってく手続きをもう踏まなくなっち
ゃったんじゃないかな。
――星山さんの『Zガンダム』評みたいなものはいかがでしょうか?
星山 第1話見て、ちょっとついていけそうにないかなって、予感
はしましたけどね。『ガンダム』の時っていうのはまだ“虫”の視
点で、ものを作ってるようなところがあったけど、最近、黒澤明が
『乱』作ったみたく、俯瞰になってきちゃってるのが、ちょっと富
野さんにもあるような気がするね。こう、神様が見てるみたく…。
絵はちゃんとしてるんだけど、いまいち面白くない。人物をよりど
ころにして、ものを作っていくはずが、『Z』見てると、動かして
る人物に愛着を持ってないんじゃないかって気がしてくるんですよ。
例えば「もうお前はいらん」って平気で言えるようなね。
――最終的に、富野さんは『Zガンダム』で何をしようとしている
のか、どうお考えになりますか?
星山 一つには、人間はこういうものであると、習性、あるいは生
物学的なものからの考え方があって、それを『ガンダム』というフ
ィクションの中で語っている気がしますけど。
――ということは、『Zガンダム』は物語というよりむしろ富野由
悠季の“論”であるということでしょうか?
星山 ええ。そんな気がしますね。全部見てから言わなきゃいけな
いんだけど。
――そういう意味では、星山さん御自身の方法論では『Z』みたい
な作り方はできない?
星山 そうですね。『ガンダム』の7年後が富野さんにとって『Z
ガンダム』だとしたら、僕の場合は『バイファム』って形で出てき
たんじゃないでしょうかね。『ガンダム』から、ニュータイプを通
過して『バイファム』へと。
(後略)
545 :
531:03/05/27 22:32 ID:???
つーか、この当時のOUTのインタビューは本当にオモシロイ。
スレ違い承知で『Z』当時『アリオン』準備中だった安彦良和氏の
インタビューも発掘してきましたんで続けてどうぞ。
(製作中の『アリオン』と、『クラッシャージョウ』『巨神ゴーグ』
との製作コンセプトにおける対比等の話題があって)
――『ゴーグ』でひとつ吹っ切れて、次の『アリオン』をターニング
ポイントにという気持ちはありますか?
安彦 そうですね。どこでターンするのかはわからないけど、『アリオ
ン』でターニングポイントといってしまってもいいんだろうと思います。
本当は『ゴーグ』で吹っ切って、そこをターニングポイントにしたか
ったんだけれども、『アリオン』は行きがかり上からいっても、どうし
てもやらなきゃならなかったし。そう言うとすごく消極的に聞こえるけ
ど、これまでにも『アリオン』を映像化したいという話は何度かあって
、それを自分でも本来は映像化したいと思いつつも断ってきたので、そ
のまましないで済ませてしまうのはシャクだな、と思う気持ちが頭をも
たげてきてね。よし、なんとか『アリオン』までもっていって、そこを
ターニングポイントにしようという感じなんです。
――『アリオン』という作品のテーマに関することですけれども、これ
は『ガンダム』のアムロや『ゴーグ』の悠宇についても言えることだと
思うんですが、主人公のアリオンに託しての“少年の成長”を描く物語
であるという印象を、原作で強く受けたのですが。
安彦 それはありますね、強くこだわってしまったというか、さっきの
ターニングポイントということで言うと、やっぱり少年テーマというの
を『アリオン』で総決算したいという気持ちです。ただし、大きな意味
での少年テーマはまだ後に残るかもしれないけど。
すごいキザな言い方しちゃうと、少年が自己のアイデンティティを模
索するという(笑)。そういうテーマをね。
(中略)
――そういう事をアニメの中で意識して描き始めたのは、やはり『ガン
ダム』あたりからですか?
安彦 そう、『ガンダム』のころからね。なんとなく、アニメでもこう
いうものを素材にして、表現で深入りできるなという感じがしたんです
ね。アムロという性格的に問題のある、三白眼の男の子で、赤毛の―。
彼にものすごい親近感持ったというのが、きっかけだったような気がす
るんです。その時のこだわりが何か根っこにあるという感じで。
だから7年後という形で『Zガンダム』が出て来たりすると、ちょっ
とつらいですね。あれは残酷だという気がして。アムロにしてもシャア
にしても。『Zガンダム』は絵コンテでずっと読ませてもらってるんで
すが、非常に場違いな状況にアムロが置かれて、彼が醜く戸惑うという
ところがいっぱい描かれているんですね。そうならざるを得ないだろう
とは思っても、ちょっとこれは残酷だなと。設定がそうなっているにし
ても、なんでこういうフォローの仕方をしなければいけないんだろうと
いうね。で、出来ることならやめときたかったなぁという感じがしちゃ
うんですよね。
カミーユにしても、最初キャラクター設定見たときに、これはちょっ
と救われないんじゃないかという事で、心配だなとは思ったんです。
プロデューサーにも「これだと、同世代ドラマができないけど、いい
の?」って聞いたりしてね。家庭環境に問題があったりとか、ああいう
ところに子供を入れておいたら、やっぱり性格悪くなりますよ(笑)。
未だにそういう気がするし、主人公がかわいければかわいいほど、何
とかしてやりたいと思うんですよね。
――安彦さんなりに、また少年テーマとしてとらえているわけですね。
安彦 自分の世界を切り開いていくというか、世界を獲得していくとい
うか、そういう事に血まなこになるわけですよね、少年の時代っていう
のは。いろんな意味での仲間が欲しい。と同時に敵を探すんですよね。
それは両親であったり先生であったり、社会一般であったりするんだけ
そ、その時に自分の周りに仲間がいてくれればいうことないと思うんで
すよ。でもカミーユの場合には、あんたも俺の事わかってくれないと、
ひたすらあんたも敵だあんたも敵なんだと。ああいうとんがり方という
のは一面真実だと思うんですけど、その時彼の周りに誰も仲間がいない
というのは、非常に吹こうな状況の誇張なんでね。物語の対象としては
ちょっと、という気が僕にはするんです。
『アリオン』の場合もその辺似てるんだけども、この敵に勝てば人生の
幸せは約束されてるぞみたいな事をアリオンが他人から吹き込まれて、
でもそれで敵をやっつけようとする過程でどうも話が違うというので右
往左往する。しかもその中で確実に仲間を得ていくという事で、一方的
に注入された敵味方の図式が崩れて行くわけです、そういう両方のアプ
ローチがないと、少年の物語はとてもつらいという感じがしますね。
実際に、俺の敵はこいつとこいつで、こいつら何とかすれば世の中何
とかなるという偏見に陥った青少年っていっぱいいるんだけれども、そ
れは非常にやばい状態ですよ。わかりやすい図式だからかえって問題だ
と思うんだけど。肯定的にとらえちゃいけない。それで、今回『アリオ
ン』で、ここは区切りなんだってわりと機械的に切らないと、なかなか
視点が広がっていかないような感じがしてね。先細りはまずいけれど、
これが自分のこだわりなんだっていうのを深めていくのと先細りとでは
似ているようでやはり違うと思っていますから。
――こだわりの成果に期待しています。本日はありがとうございました。
549 :
531:03/05/27 22:40 ID:???
以上、スレ違いなら御容赦。やり逃げ。
550 :
531:03/05/27 22:47 ID:???
一緒に発掘したOUT1985年9月号の富野御大の『Z』いんたびうが
某種夫妻に読ませたい超傑作!長いんでちょっと待って下さい。
やべえ。OUTって宝の山だったんだな
御大が「∀の癒し」で1st以来星山氏と仕事をする機会がなかったと
書いてたけど、その空白期間の一部分が見られて嬉しい。
乙。
OUTってOガンダムや芦田コーナーみたいなバカネタが印象に残ってるけど、
その一方でこういうインタビューや批評もきわめて充実していたんですよね。
ていうか星山氏今何やってるんだ?
∀以外名前聞かないんだけど。別名で別の仕事してるのか、
もう隠居しちゃったのかな。
555 :
山崎渉:03/05/28 17:16 ID:???
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
一応保守っておこうと思うんです。
OUTで思い出したけど、例えば今の映画秘宝みたいな馬鹿雑誌ってアニメじゃ出来ないもんかね?
アニメのユーザー層が極端に狭すぎるから無理かな?
>>557 採算を取るのが…
OUTも結局、趣味に走りすぎてスポンサーが離れて終わったラスィ
ちゃんとマンセー記事も書かないと制作会社が設定やらなんやらの
資料をくれなくなったりするみたいだからね。
アニメージュの対談では、
富野氏と原氏は最後にのアニメ誌はマンセー記事ばかりだって
批判してたね
>>559 OUTやらアニメックやらはカラー原稿のスチール(セルかもしれん)が、メ−ジュとかの
メジャー誌がもらった後の残り物しかなくて悲惨なのが多いと、当時の編集者が言ってたよ。
>>554 >ていうか星山氏今何やってるんだ?
>∀以外名前聞かないんだけど。別名で別の仕事してるのか、
>もう隠居しちゃったのかな。
星山氏も、来年には60歳だしなあ…。
雑誌とかネットで調べたけど、今年はやってないみたいですね。
>>562 すれ違いみたいなのがあったのかもしれないが
それでも∀でまたタッグ組んでいいの作るってのはたいしたもんだよね
そういえば星山氏の∀に対するコメント載ってるものある?
>>563 「∀ガンダム全記録集1」に脚本家座談会があるよ
富野氏の対談を中心に書き込むスレです。
厳密には対談でなくてもコメント等でも結構です。形式も自由。
また、富野氏でなくても関連が深い人物の発言なら何でもOKとします。
カキコしてくれる神にお任せします。
基本的に保守を除いてあまりageずにsage進行でお願いします。
御大萌え話は
>>364のスレへ。
>>564 おおサンクス
星山氏のトミノ評価がどうなってるか気になったもので
さっそく探しに行ってみますわ
どなたか、VガンダムのLDに入っている
解説書みたいなヤツ(ライナーノートっていうのか?)を
持ってませんか?
それにトミーノのインタビューやコメントがのってたら
ぜひアップしてください。
当時、学生でLD買えんかった……。
>>541-549 当時工房でOUT読者だったんで、このインタビュー読んだ記憶があるんだが
やっぱ当時は理解してなかったんだね。改めて読むといいこと言ってるねえ。
ほっしゅ
>>563 NEWTYPE100%コレクションのVol2に
星山さんのインタビューが載ってるよ。
落ち防止age
572 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/05/31 01:51 ID:qGC1yE94
星山インタビュー懐かしい。
誰のインタビューだったかは忘れていたけど、
「小説を書いたって事が大きく関わってると」
「俯瞰になってきちゃってる」
この二つのコメントは、とても印象深くて、しっかり憶えてたよ。
Z辺りから数作の富野アニメに対する違和感を
こんなに的確に表現してくれた発言は他に無かった。
富野氏の対談を中心に書き込むスレです。
厳密には対談でなくてもコメント等でも結構です。形式も自由。
また、富野氏でなくても関連が深い人物の発言なら何でもOKとします。
カキコしてくれる神にお任せします。
基本的に保守を除いてあまりageずにsage進行でお願いします。
御大萌え話は
>>364のスレへ。
,.-、
/.n l /⌒ヽ
| l l | ,' /7 ,'
, '' ` ー ' '-' /
/ ≡、 :==≡ `ヽ
l|・==|=f・==- | l
| ,⊂__)、`ー' | いっぱい(コンテ)切って〜♪
|三: : : : 三 | いっぱい否定する〜♪
ヽ_;===.、; / (TOMIなら)
ヽ ̄____,/ いっぱい切って〜♪
/ ,. - 、 ) いっぱいキャラ殺す〜♪
(( ( n ([T],ハ_う (TOMIなら)
ゝ)ノ  ̄ ヽ
/ _ l ))
〈__ノ´ `(_ノ
>>560 キャラクター商品には、批判は付きません。
>>531 今更ながら乙。
そーか、バイファムやZの頃はガキだったからここまで読めなかったよ。
やっぱりZは星山さんにも安彦さんにも評判悪かったんだね…
今読んでみると一々、言ってる事は頷ける。そーか星山さん。
本当に爺だけど最後になんか仕事して欲しいよね。TVシリーズの構成か、監修とか
>>560 映画雑誌みたいに「けなすところはけなす、誉めるところは誉める」という風にしないと、若いスタッフは図に乗る、とか言ってたね。
メカと美少女でてりゃいいのか、とか。
まさにその通りだけど、その対談が載っているアニメージュの現状ときたら。
もうアニメ−ジュも引くに引けない所に来てるだろうから。
ここで引いたら間違いなく廃刊に…
徳間は売れん雑誌はことごとく消し去ったから。
>>574 うん。
トミノはコンテいっぱい切ってたらふく稼いだ。
試写室の憂鬱
Vガンダムは、ぼくにとって、何年ぶりかのTVの仕事であったために、方に力が入りすぎたという反省がある。
それに、自分の年齢を隠したいという意識が直結して、ますます厄介なものを抱え込んでしまったと自覚している。
こう書いてしまうのも、このVTRが発売されている現在も、作品の制作とオンエアは続行しているから、直接的な
痛みをともなう反省となっているのだ。
だから、毎週、フィルムの最終チェックと納品チェックをかねた試写は、憂鬱な行事になっている。
来週か、再来週にオンエアをされるフィルムを見ながら、そのとき、並行的に進めている三ヶ月後にオンエアされる
フィルムのプランとか、コンテをチェックしている作品では、どうTVシリーズらしくするかということを、考えてしまう
からだ。
さらには、試写されているフィルムの中に、現在は忘れてしまっている設定事項を発見すれば、それが、現在、
作画におわれている作品では、ちゃんと受け継がれた物語になっているのか、撮影をしている話数(これは業界用語)
ではどうなっているのか?
それを考えながらも、見ているフィルム用の物理的な問題点は無いか、ストーリーはうまく表現されているのか、
まずいなら、それは、どういう作劇上、演出上の判断ミスがあって生まれたのかも、考えなければならない。
それでいて、自分が監督したフィルムでありながら、ぼくは自分のフィルムを感動してみるのが好きなために、
楽しんでしまう。
それでいて、楽しめない要素(構成、演出、策が、彩色プラン、美術設定等の問題があったとき。音響設定とその演出。
効果音の効果!役者の声と演技!!何よりも、各カットの秒数の基本設定のミスは、僕にとって致命傷に感じる)が
あったときには、当然、楽しめないわけだから、オチコム!!
それでも、楽しめる要素を発見して、最後まで楽しもうとするヤジ根性にもとらわれつづけて観おわるのである。
が、僕にとって面白いと感じる作品が、Vガンダムを見てもらえる視聴者にとって、ほんとうに面白いものなの
だろうか、という疑問と不安にさいなまれてしまうのは、この試写がおわった直後なのだが、自分が面白くないと
感じるものをオンエアするのは、視聴者を馬鹿にすることなのではないかとも思っているから、唸るのである。
「いいのだろうか?」と考えながら、試写のおわったフィルムの大変な仕事をこなしてくれたスタッフにニコニコした
顔をみせて、お礼をいう。これも仕事だし、その上で、スタッフの何人かには、問題点も指摘しておかなければならない。
そして、極のプロデューサーという納品を受ける立場の方からの意見も聞いて、それを今後にどう反映させて
いくかも考えなければならない。
しかし、そこでの大問題は、やはり、僕は、十歳の子供ではないという事実と、何をどう考えようとも、噛み砕いて
表現することができないぼくにとっては、ともかく、このシリーズは、君たちにとって、絶対にいいんだよ、というしか
ないのだ。
このフィルムが、きょう現在の最低のレベルだ、といってしまうために、結局、ぼくの指揮する作品は、みんなに
好かれるまでの作品には仕上がらず、主義主張という観念が先走ってしまうものになってしまう。
それが、作品としての感動を足らないものにしているのだ。
だから、結局、試写室で、えらいゴツイものを作っちゃってるんだよねぇー、と嘆息するのである。
これが、冒頭に書いた問題点なのである。
でもね、こうやって、ビデオになったりすることを考えちゃうと、何度となく見てくれる人にたいして、隙のないものを
作りたいと考えてしまうのだ。
その強迫観念が、ぼくに、ロボットものというより、別の何かを見せたい見せたいと思いすぎる感覚をつきまとわせて
しまうのだろう。
その別の何かというものが、なにか、は、わからないから、もっと面倒なのだが…。
その気分が、フィルムに出てしまうのだろうなーとは感じる。
いいことではない。
どうせ見てもらうなら、気持ち好く見てもらえるものにしておきたい、というのが理想なんだ。
本当にそう思って、ガンバッテいるんだけど、ぼくには、これしかできない…。
だから、試写室で唸りながらも、ともかく、最終回まで、どういうストーリーになるかもわからないけれど、ともかく、
全力投球させて欲しい、というのが、現在の心境。
ガンダムがシリーズとしてどうの、なんて、考えている暇がないんだよね。
1983年8月15日 つまり、20話オンエアのあとの日曜日。
ほぅ、83年にVガンダムが。
休日で時間があったんで打ち込んで見ました。
10年経った今の時点で読み直してみると、当時感じた味とは別の味が判ってくる文章ですね。
最後の一行、今の時点で見ると非常によく判る。
「バイク戦艦まで出したのに、お前らまだシリーズ続けるつもりかー!」
「俺はもう関わらんぞー!!」
たぶん、このころバンダイやサンライズの人間と、こういう話ばっかしてたんだろうなぁ(^^;
そういやサンライズがバンダイの完全子会社になったのは、Vガンの終わった直後だったな。
>>583 うわぁ、スミマセン…。
もちろん原文では「1993年8月15日」になってます。
こちらのタイプミスです…。
586 :
531:03/05/31 14:39 ID:???
すすすすみませぇ〜ん!
星山氏インタビューは1986年“2月号”の間違いでしたぁ〜!
お詫びして訂正をば。
つー訳で、待っていた人がいるかどうかわかりませんが
月刊OUT1985年9月号・Zガンダム特集より
トミーノVSアウトシャイダー編集長のぶっちゃけガチンコ対決!
大徳
『機動戦士Zガンダム』の富野さんの最初のメッセージというのは、ニュータ
イプっていうものの実体がかなりわかってくるような物語になるんじゃないか
なっていうふうに感じたんですけども。
富野
僕は現状認知の話という、過渡期だっていう言い方をしたと思うんですけど。
ニュータイプのことに関して言えば、それは最初からわかるわけがない、でも
言ってしまうと最初からわかってることでもあるんです。問題なのは一人一人
の人間がニュータイプとして現れるか現れないかでしかないわけで、それが結
局、ドラマの骨格になるんじゃないかなってことは言えますよね。現れるって
ことはどういう意味かと言うと、ニュータイプを一つの能力論として考えてい
った場合、その意味はいつまで経ってもわかりません。現れ方としてエスパー
になっていっちゃうわけですから。
では、エスパーがニュータイプかというと、それだけは極度に避けてますよ
ね。でも『Zガンダム』の一番初めにエスパーかも知れないっていう言い方を
一度したので、特に『Z』が好きな人から「そうじゃないでしょ!」っていう
セリフが出てくるんです。すべからく、そういう言葉の持っている意味は実は
とても危険で、じゃ、テレパシーが出来たからといって、その人にとってそれ
はいったい何なんです?って言った場合、その後のことが具体的に見えてこな
い限り、本当の意味でのニュータイプになんかなれるわけがないんですね。だ
から、ニュータイプって何なんだろう?ってことをロボットもので説明しきれ
るはずがないんです。
本来、「みなさん、悟りなさい」という話を宗教家たちが延々と言い続けて、
2千年、3千年にもなるんだけど、悟るハウツーと悟った形と悟った結果は誰
も教えてくれてませんよね。そう簡単に言えるわけがない。ただ、そういうも
のを目指すべきではあるという意味で、『Z』をやっていく以外にないんじゃ
ないのかなって思います。
大徳
ニュータイプって言うものがどういうものなのか、ニュータイプの意味自体
には、追求する程の意味があるとも思ってませんし、また、富野さん自身、最
初の『ガンダム』を作った時は、ニュータイプというものに深い考察があって
打ち出したものではないんじゃないかなって気がするんです。ただニュータイ
プのイメージみたいなものが、すごく受け入れられたというのはなんか、それ
なりの理由があるように思うんですけど。
富野
間違いなくあります
大徳
ニュータイプというのは、おそらく希望というもののイメージじゃないかな
って気がするんですよね。というのは、ひと昔前だったら、例えば革命を起こ
して新しい社会を作るとか、幻想であるにしてもそういった理想あったわけで
すが、今の時代って、人類がおよそどういうふうに行ったらいいのか、という
イメージが国家にしても社会にしても全然無いでしょ。一時期はマルクス主義
とかに理想のイメージがあったけれども、現実の共産主義国家とか見てるとす
ごく裏切られた部分があるわけで、じゃあ資本主義かっていうとそうでもない。
ただ一方的に科学だとかそういったものが発達してきちゃって、それに人間
のメンタルな部分がついて来なくなっちゃってるところがあるでしょ。そこに
パッと人間の革新というものが出てきて、それにすごく今の若い人たちが反応
する部分があったんじゃないかなって気がするんです。
富野
全くそうです。
大徳
僕がすごくニュータイプを好きなのは、社会とか国家というイメージじゃな
いからなんですよね。人間そのものをどうにかしなくちゃいけないっていう、
個人の問題という部分で入ってきてるから、それがすごく面白いなって気がす
るんです。
富野
旧『ガンダム』の第1回目は、子供をロボットに乗せてから操縦させなきゃ
いけない。そのためには何か方法がなくちゃいけないからってことが、ニュー
タイプを生み出した一番のキッカケなんです。ニュータイプという言葉を生み
出して以後、自分を含めてずっとニュータイプというものを考えるんじゃなく
て、そうなりたいと思ってるんです。つまり、ニュータイプたらしめなくちゃ
いけないと思ってます。ですが、では、それは一体何なのかって言った場合、
宗教的なもの、政治的宗教的な主義主張の一切合財を含めて、それら全部を包
含していくようなわかり方をしない限り、絶対ニュータイプにはなれないと思
います。
富野
卑近な例でとてもわかりやすい言い方をしますと、こういうテーマというの
は、日本にこそ突き付けられているんです。少なくとも日本という国だけを取
った時に、これほどの老人国家というものを、有史以来、人類は持ったことが
ないんですよね。それを維持していくのか乗り越えて行くのかはわからないん
だけども、やっぱり人間が生き死にを続けていく中での一番いい形で、一つの
体制を認知しなくてはいけない時に、実は人間は1億の人間が80歳になった時、
みんな幸せに生きられるという強さを絶対持っていないと思います。だけど、
もし人が死んではいけないということを大前提にするなら、その80歳の時にみ
んながハッピーでいられるような図式というか体制を、そのメンタルな部分も
含めて持っていない限り、福祉政策だけならば、1億の人間がハッピーでいら
れるわけがないんです。だから、その問題を抜きにして福祉論だけで話を進め
るのは困るし、そういった問題の一切合財を包含しているのが、やはりとても
現実的な部分でのニュータイプ論じゃないのかなって思ってるんです。
大徳
ただそういう意味でいうと、ニュータイプの概念ってそれこそ大人とか老人
の人たちにわかってもらいたいっていうのが……。
富野
そうです。むしろ、こういうテーマがあるからターゲットは20代ではないん
です。コレから父親母親になろうとする人や30代中頃の人たちですね。自己改
革っていうと白けるんですが、本当に今自分たちの生命というものを、社会人
としての立場を一番用心深く配慮しなくちゃいけない時代が来てしまったので
はないのか?って思うんです。それなのに、戦争中あたりのイデオロギー論と
か感性論が未だに残ってて一つの国家が運営されていくっていうのはとてもヤ
バイなって、今はとにかくそういうことしか思いつかないんです。
ただ、あくまでも『Zガンダム』はショーでドラマなんだから、ニュータイ
プは完結してないわけ。何だかんだ言っても。だからこそニュータイプの世界
を作りたい。こうやって現実の裏側の部分でニュータイプ論を考え始めている
から『Z』ではなくて『ガンダム』という物語は、単純に言っちゃうと10年や
20年で終わりようがない。だから現実認知の物語にならざるを得ない部分があ
る、って最初に言ったんですよ。で、それは最初『Z』だけの問題だと迂闊に
も思ってたんですが、これは死ぬまで考えてもいい問題だ、もっと拡大して行
かなければならない問題だと思ったんですよね。ひょっとしたら、40代をもタ
ーゲットにしなくてはいけない時代が来てしまったのじゃないかって……。本
当の意味で過酷な時代が来たなっていう認識だけがあります。
富野
ただ番組としては、やはり受けたいと思ってる部分があるから、ロボットも
のとして見やすいものにしたいなとも思いますよ。その辺で裏腹になってる部
分が出てきて困ってはいますが……。例えば先週オンエアしたホンコンシティ
でのサイコガンダムの話なんかを見てると「うん、番組としてはこうなんじゃ
ないのかな」とは思うんですが、例えそれが現実認知の物語であったとしても、
じゃ、どこまで触われるのかなっていう点で、フォウ・ムラサメというキャラ
クターは大事にしたいとは思うわけです。フォウのまえではロザミアなんです
けど、その辺のキャラクターを含めて、もう一度再考はしてみたいとは思って
います。ただ、今言ったような気持ちでのニュータイプ論があるから、『Z』
の中でロザミアやフォウが再登場したらどうなるかというふうな話のプロット
は一切持ってません。持てないんですよ。キャラクターの生き死にを見ていく
中で、ニュータイプというものがちょっとでも見えればいいなぁとか、ニュー
タイプの本当の理想はこういうもんじゃないのかなっていうのが、前の『ガン
ダム』以上に見えてくれればいいなぁとは思いますけど、やっぱり僕には出来
ません(笑)。だって僕、悟っていませんから(笑)。
大徳
その現実認知の物語という点で、例えばカミーユの両親が殺されるといった
重苦しいシーン、つまり過酷な部分を子供たちに見せるということがあります
よね。
富野
あるから人気がパッとしないんですが、それも承知してます。ただ、あまり
にも現実認知にこだわりすぎたために、現実との対比論としてのニュータイプ
論を浮かび上がらせることで、企画の当初の段階でその過酷な物語を作り過ぎ
てしまったと言う反省はあります。でも、もう現実から逃げたくないと言うか、
現実から逃げてニュータイプの話をして、みんながニュータイプになるという
ハッピーな話を『Z』ではする必要もないんじゃないかという理解も僕の中に
あったんで、カミーユがああいった、いわゆる地下鉄暴力少年だというふうに
描いていこうと思ったんです。だから、そこの部分に偏りすぎたために重苦し
い話になってしまって、スポンサーに迷惑をかけたり、見ている人ももうひと
つ楽しめなかったり、それは申し訳ないなぁと思いますけどね。
大徳
『Z』は息抜き的な部分とか笑いの部分が非常に少ないですよね。そこら
辺がいまいちファン達が感情移入しにくいんじゃないかと思うんですが。
富野
それはわかります。とても自覚しております。初めはそういうつもりでわか
っててやりました。やった上で「ああ、あまりにもひどいかな」って。だから
いろいろとやって行ったけれど、やはりベースにこだわってる部分がありすぎ
るから一つ吹っ切れない。巨大ロボットものにしちゃえ!ってまだ思ったりも
するけど、なかなかそうはならない。ニュータイプ論に掛かる部分が鬱陶しい
んですよね。かと言って放棄することも出来ない。20代〜30代の人に対して突
きつけなきゃいけないっていうテーゼになってるってことが具体的にわかって
しまったからです。ホントにどうしたもんでしょうねぇ(笑)。『Z』は言っ
てしまえば、これ以上にもこれ以下にもならないんでしょうね。「期待してく
ださい」とも「応援してください」とも言えないし。ひたすら、やるしかない
っていう。マズイですねぇ。とってもマズイ話ですねぇ。
大徳
例えば『ヤマト』以後のアニメブームの中で、若い人の支持を受けてる作品
の共通点を考えたんですけど、『ヤマト』にしても『ガンダム』『イデオン』
あるいは『バイファム』『マクロス』にしても、ロボットものというより、宇
宙をみんなで漂流する話なんですよね、基本的に。どうしてそういう話に今の
若い子たちが惹かれるのかなぁって考えた時に、子供たちは今の時間や空間と
いうものに、すごく抑圧されてて、そこから解放されたいっていう気持ちが見
えてくるんですよね。
富野
そうですね。だから『Z』が人気があるっていう言い方は間違いで、人気は
無いんですよ。何故って、その漂流感みたいなものがなさ過ぎるからでしょう
ね。視聴率もそれほどないという点、正直言って悔しいと思いますけど、やっ
ぱり僕自身、言っちゃえばアニメファンじゃないんでしょうね。溺れてないん
でしょう。昔以上にリアリストになっちゃったし。元々そういう人間だったか
ら、地が出ちゃったんだなっていう納得もしてます。
大徳
読者の投稿や反応を見てて、まずいなぁと思うのは、『Z』をクールに見ら
れないで、今までの作品はこうだったのに、と言った個人攻撃のような形が出
てきた部分がありますよね。そうなると「キミたち、富野さんの存在を一体どう
考えてんの?」って逆に聞きたくなっちゃうんですよ。
富野
それに関して言うと、OUTの8月号の投稿を見ましたけど、僕はやはり、
アレは良くないと思う。ああいうふうに編集側が僕のことを弁護しちゃいけな
いんですよ(笑)。絶対ダメです。全部、判断は彼らに任せるべきなんです。
それでいいんじゃないですか。批難の手紙ってとっても苦痛で、僕なんかそれ
こそ2〜3日仕事が出来なくなっちゃうけど、やはりそれはそれでいいと思う。
中間媒体のところで弁護する必要は一切無いと思います。
富野
今年は個人攻撃されていいんです。何故って、そうされるようなことを僕自
身が言ってますし、僕が現場に対して個人攻撃をしたのを挙げつらってる声が
意外に多いんです。ホントだったら、もっと大人になって優しくしていいんじ
ゃないっていう言われ方もされますが、それもよくわかってます。特に若い人
にはその辺が鬱陶しく見えて、「あの人は今頃何を言ってるんだろう」って、
要するに責任転嫁してるんじゃないかっていう言われ方をされるのはしょうが
ないと思ってるんです。事実がそうならば、僕は構わないと……。
だから、問題はむしろその後なんですよ。やっぱり、もうひとつ間違えない
舞台と言うものが、きっとあると思うし、それをもし見ていくことが出来るな
らば、見ていくだけの力があるならば、それでいいと思ってるんです。だから、
今のこの当面の僕への攻撃は、ファン達にとっても一つの訓練になるし、いい
と思いますよ。これが他の人への個人攻撃だったら困りますけど。
大徳
僕は決して弁護するつもりじゃないんですよね。ただ、富野さんはすごく損
しちゃってるなって思うんです。これだけ実績があるんだったら、例えば一つ
富のさんにオリジナルの映画を撮ってもらおうとかって形があってもよかった
んじゃないかと思うし……。
富野
僕にはそれだけの力がまだないから、そういう話が来ないだけですよ。本当
にそういう力が見えてくれば、話はあります。
大徳
でも、テレビシリーズにおいて、富野さんに頼らざるを得ない部分が業界に
はあるのでは……。
富野
それはあるでしょうね。自慢ではなく、そういう現実を生きているし、そう
いう意味ではそれなりに力があるんでしょうけど、でも、だからって実績があ
るのかって言った場合、ただ作品を作ってるだけで実績を示したとは思えない
し、過大評価していただく必要はないような気がしますね。
大徳
僕は映画でオリジナルものをやって欲しいなと思うんですよね。
富野
そりゃ僕だってやりたいですよ。でも個人に出来るようなものじゃないでし
ょ、映画って。僕は20億の金を集められませんよ。そういう風になってみたい
とは思いますよ。ただ、それは時の運を待つって言うのかな。だからこの1年
ぐらい個人攻撃があって構わないんです。全部ハッピーに生きられて、何でも
かんでもやれて運のいいヤツだって見方よりも、叩かれたりして苦痛があって、
そうやって年を取っていった時に、実は人間ってようやく何かをやれるんじゃ
ないか、力がつくんじゃないかって思いたいんですよ。だからそういった個人
攻撃も全部乗り越えたいとまだ思ってるんですね。ある意味ではとても有り難
い事かもしれませんね。だって個人攻撃も“富野”という名前がある程度定着
してるから出てくるんですよね。そういう意味では大したもんだ思いますよ。
同時に何だかんだ言われてるうちは華だって……。だから、僕は「おまえら、
若造が何を言うか!」と言う気はありません。ただ、目の前で言われたならば
殴りますよ(笑)。相手を罵るっていう事は、相手から殴られるという事を覚
悟して言うわけでしょ。そうでなければいけないと思うんです(笑)。
僕が残念だなと思うのは雑誌に投稿するんじゃなくて自分でやって見せて欲
しいなって事なんです。僕のやっていることが気に入らなければ、貴方がたが
自分でおやりって。でもやるためには10年かかる。だから10年後にやって見せ
てくれれば、それでいいんです。もし誹謗するだけで終わるなら、それはしな
い方がいいなってね。雑誌に投稿するっていうのは既に僕とのあいだにフィル
ターがあるわけで、それで気が済むんだったら、それはとても安易な方法だか
らやめていただきたいって気はします。悔しければ僕をつぶせばいいんです。
つぶすためのものを作ればいいんです。「アニメの歴史の中に、最後に残るの
はオレの作品なんだ!」っていうふうに、自分自身を持っていくことが大事な
んであって、投稿してもし1週間ぐらいの痛みが薄らぐんだったら、その程度
の痛みだったら人を誹謗してはいけないような気がしますね。
大徳
ファンに関して言えば、先日の『Zガンダムファンの集い』にしてもかなり
ひどかったっていうふうに受け取ったんですが。
富野
もっとひどい話も聞いてますよ。でも、今の形でのアニメというものがある
ならば、もうアニメはない方がいいんじゃないのかなんて極端に言えば思うこ
とがあるくらいなんです。
大徳
富野さんへの質問でも、年収がいくらかとか、別荘を建てたって本当かとか、
ちょっと今までに想像つかなかったようなものが出てたでしょ。
富野
僕だってビックリしましたよ。アニメが俗悪の極みだって言うのは、作品自
体がそうなのではなく、あまりにも当たり前の媒体になり過ぎちゃったために、
受けた側が求めるものが、自分の問題として作品を見ず、一つの寄せ木として
の総監督、あるいは職業としてだけのアニメ監督というだけで、とても世俗的、
現実的な興味を持ってるファンが出来すぎちゃったんじゃないかって事なんで
す。ああ。時代だな、と今になって思うのは、『ヤマト』の頃までのアニメフ
ァンって、やはり志がありましたよね。アニメやってみよう程度の志じゃなく
て、媒体やジャンル、その他色々なものに対して「アニメもこうなったのか、
じゃあ、オレはああしたい」みたいな志が何かひとつあったような気がするし、
それは現にファンジンに現れてましたよね。そういう志を持った人たちがアニ
メから離れていったってことは間違い無く言えますよね。だからアニメが普通
のものになっちゃったんです。アニメファンも。となったら、ああいった質問
が出るのは当たり前で、自分が30〜40歳になった時に、どの程度の収入がある
のかが気になるのは、とても現実的な風潮の中で育ってしまった人たちにとっ
て一番重要な問題だからです。でもここまで来てしまったのは、メディアとい
うものを提供している大人側の問題がとても深刻だって事なんですよ。だから
僕は、鬱陶しくなろうが、ここから始めなくちゃいけないんだって言う部分で、
ニュータイプにしても対比論から始めて、カミーユならカミーユでああ言った
環境にしたんです。
つまり、今の我々の現実の中で、カミーユの状況っていうのは『Z』を見る
子供たちの現実だとして見ていった時、あんなものは当たり前だろう、当たり
前に近い状況であるはずだ。だから少なくともその対極論みたいなところから
始めていって、それで10年前のあっけらかんとした巨大ロボットものになるの
なら、番組としてはそういうふうにやっていきたいと。そのほうが人畜無害だ
からです。問題の所在は少なくともアニメを見ているファン達にあるのではな
く、我々アニメというものを媒体にしている人間、アニメ専門誌といった送り
手側が、本当の意味で過渡期に来ちゃったんじゃないか。だから、雑誌側も今
年と言う時間の中で言えば僕への批判とかを掲載せざるを得ないし、数量比率
から言っても掲載していった方がいいんじゃないかと思うのは、確かな判断だ
と思うから、それを批難しようとかって気はさらさらない。重要なのはそれを
僕がどう受け止めるかってことだけなんです。だから、それを掲載した側が、
ああいう弁明論じゃない部分でクリアにしなくちゃいけない問題があるんじゃ
ないのかな、って気がします
大徳
そうですね。
富野
それこそ、「そんな投書で気晴らしになると思っちゃいけないよ。そこまで
気がついたんなら、落とし前つけるのはあなたでしょ、富野なんか捨てちゃ
え!」ってなぜ編集者側がいえないのか(笑)。あるいは、「我々もあなた方
の言うことに共感するから富野のコメントなんかもう一切載っけない」(笑)
とかね。そういう編集方針でもいいんじゃないですか。ただ、投書に応える形
で言うなら、誰が見ても失敗作なのに成功作だって言う顔だけはしたくない。
かと言って作ってる段階で失敗作を作ろうなんて僕でさえ思わない。その辺の
ところはわかってほしいな、って気がしますけど、それはもう余分のことでし
ょうね。
大徳
最初の『ガンダム』ファンが、引き続いて歳を取ってきちゃってる部分があ
りますよね。
富野
あり過ぎます
大徳
そうなると、とても辛いんじゃないかなと思うのは、そういう人たちも作品
を作る上で想定して、また新しい人たちも対象にしなくちゃいけない部分が当
然出てくると思うんですよね。そうなってくると、巨大ロボットものはそれな
りにあっていいし、でもそれとは違う高い年齢層の人たちを対象にしたものと
いう区分けというか、そういったものが、今、出来てませんよね。
富野
出来るはずがない。その部分に視点を置いて考えると辛いからもしれないけ
ど、僕は今、辛くないんです(笑)。そういうふうに辛がることも既に僕は無
視してるんです。『ガンダム』のようなもの――でしかない、というように切
らなければ『Z』からは降りる以外ないんですから。個人の感情論で降りるの
は簡単だけど、降りられないんですよ。それはオールドタイプの現実なんです
(笑)。こうなったら、かくだけ恥をかいて正面きってやったほうがいいでは
ないですか。そうでどうなるかわからないけれど、一つだけ言えるのは、恥を
わかっててかいていれば、少しは何かを手に入れられるような気がするんです
よね。そうでも思わなかったら、とっくにキチガイになっています。こんな仕
事から逃げてますよ。逃げないで『Z』をやるのも、そういう確信があるから
です。人っていうのはそういう意味でのポテンシャル、つまり力というものを
持っているんじゃないですか。でも今までのスタッフ、関係者というのは
「恥」と言う言葉さえ言わないでパート2をやりましたよね。それはいけない
と思う。僕は本当に恥をかいているつもりでやってます。その分、何で捕って
るかというと、それなりの報酬をいただいているからです。けれども、僕にだ
ってプライドがありますから、反面十分だとは思ってません。いや僕はそんな
に安いものだとは思ってません。だから、その未知の恥をかき続けて行った時
に、手に入れられるものが、現金なのか、よくやったというお褒めの言葉なの
か、自分が次に何かを作るための全く新しい自分自身なのかはよくわかりませ
んが、でも何らかの収穫はあるだろうと信じてます。
富野
そうじゃなかったら、とてもやっていけませんよね。みっともなくてやって
られません(笑)。『ヤマト』の二番煎じですから。だからそう見せないよう
にするにはどうするかということを最初の企画書に書いたわけで、でも厳然と
したパート2になることは間違いない。でも、わかってくれる人は抗議する人
と同じくらいいると信じてます。だって、僕への個人攻撃だけが正しかったら
視聴率は1パーセントにも行きませんもの(笑)。大人が清廉潔白であるわけ
がないし、個人攻撃される総監督がいてもいいんじゃないですか。今まで、そ
ういうものがあまりにもないところでアニメのスタッフが育ちすぎた気がする。
だからいいんですよ(笑)。
大徳
なんか心情論になっちゃうんですけど、雑誌もいい時だけ持ち上げておいて、
少し落ちて来ると足を引っぱるみたいな……。そういう感じにはしたくないん
ですよね。
富野
していいんですよ。当たり前の事ですから(笑)。していいんです! 悔し
かったら足を引っぱられるようなものを作らなければいいんです。作らないか
ら足を引っぱられるんです。僕は足を引っぱられないようになりたいと思いま
すよ。だからやってるんです。足は引っぱられてもまだやっているんです
(笑)。大人の理(ことわり)はとにかくそれで進んでいるんですよ。でも、
それが一番問題だって話がきっとあるはずなんです。だけどそれだって。それ
こそみんながニュータイプにならなければ出来ないんだから、やっぱり頑張る
しかないって、それでいいんじゃないですか(笑)。そういうのを大徳さんが
気にするのはおかしいし、ひょっとして自己不信が働きすぎるんじゃないです
か(笑)。
大徳
でも、少なくてもアニメ雑誌は、富野さんに対して恩義があるんです。
富野
ありがとう(笑)。でも利用価値が無くなったら黙殺して結構(笑)。恩情
が厚ければ厚いほど、人間というのは堕落しますよ。よほどピュアな精神を持
っていない限り。僕はピュアな精神を持ちたいと思ってるし、どんな恩情をか
けてもらっても、自惚れないような人間になりたいと思ってますよ。本当に利
用価値のある人間に恩義をかけられます? そんな事だったら、僕はもっとみ
んなに貸しを与えたい(笑)。そのためには、やっぱり自分を高める以外には
無いんじゃないですか。ありあわせの優しさっていうのは人を堕落させるから
止めてください。こちらの波長にだけ合わせてくる人って、僕はインタビュア
ーとして無視しますよ(笑)。お互いに切磋琢磨にならないんだから、それは
必要ありません。そういう意味での無駄な時間は使いたくないんです。だから
大徳さんがむしろ何でヘンに揺らいでるのかわかりません(笑)。だってまだ
お若いんですから(笑)。
大徳
なんかちょっと逆になっちゃったなぁ(笑)。
富野
時にはいいですよね。でも今の日本っていう国を考えたら、やらなくちゃい
けない事が山ほどあるんですよね。この歳になってようやくわかったんですが、
何で学生時代に「ああ、もう日本には夢も希望も無い、いい職業が無い」と思
ったのかが、とても悔しいのよね。それぐらい世界を知らなかったんだなぁっ
て。そういう意味での日本のインテリゲンチャの在り方とかアカデミックな思
考の在り方とかに、そろそろとっかかる時代が来なくちゃいけないんじゃない
ですか。かと言って、それをアニメ雑誌でやってもしょうがないんですがね
(笑)。本当の若さっていうのは、メンタルな部分で自分のどこに価値付けを
して、向上心を持てるか持てないかが勝負だと思ってますから。とりあえず、
丁と出るか半と出るかわからないけれど、でもやっているんだったら『Zガン
ダム』については、どんどんやればいいんですよ。それでいいと思います。僕
もやるしかないんですから。
大徳
わかりました。やります。いや、だから今月号でダーーーッとやるんじゃな
いですかぁ(笑)。ただね富野さん、ホントは今日、富野さんを弁護しような
んて思ってここに来たんじゃないんです、逆なんです。イチャモンつけてケン
カしようと思って来たんです(笑)。僕だってファンや読者に対してだけでな
く、製作者側に対して甘えの構造的なところで雑誌を作りたくはないぐらい、
ちゃんとわかってます。ただ今はアニメの製作者もファンも作品の価値判断を
求めてはいないんです。ファンが欲し、製作者が提供したがってるのは情報な
んです。だから、一つの価値判断で雑誌を突っ走らせると、間違い無く雑誌は
売れなくなってつぶれます。現状で富野由悠季の監督作品するOUTが全く無
視したら、OUTはつぶれるんです(笑)。気に入らなきゃ無視するぐらいで
なきゃいかん、というのは全くの正論だけど、それで雑誌をつぶしちゃったら
僕は多くの人々を路頭に迷わせた無責任編集長ってことになるんです(笑)。
ホント、どうにかしてください。今日はいったいどうしちゃったんだろう?
まいりましたよ。もうこの辺で勘弁してください。では本日はどうもありがと
うございました(笑)。
インタビュー後記
『Zガンダム』を見ていて僕の心の中に次々と湧いてくる疑問。そして、『Z
ガンダム』に対する批判的な読者投稿の多さ。さらにファンや業界の間でささ
やかれ、しばしば耳にする富野氏に対する個人攻撃的な言辞。
このインタビューのキッカケとなったのは、そうした疑問点や批判を富野監督
自身に正々堂々とダイレクトにぶつけてみるべきではないか、と考えたからで
ある。正直なところ、今回のインタビューはケンカになるだろう、とそのぐら
いの覚悟でインタビューに臨んだのであった。
が、実際は以上のとおりである。
つまり、富野氏自身、全部わかっていらっしゃるのだ。完全に肩すかしを食ら
った僕は内心動揺してしまい、仕舞いにはケンカどころか逆に富野氏を弁護す
るような形になり、「僕の弁護をなんかするようじゃダメだ」とお説教をたれ
てしまうという体たらく。
今から思えば、富野氏に対するんだったらそれぐらいは見抜いていなければな
らなかったと反省はしても後の祭り。やはり、役者が二枚も三枚も違うのだ。
“修行がまだまだ足りん”とつくづく実感したマンダラの哲であった。
599 :
531:03/05/31 14:53 ID:???
以上です。長いです。トミーノもアウトシャイダーもぶっちゃけまくりです。
打ち直してて、なんか、泣けてきました(笑)。アニメ者として、イチ社会人
として、バイトで孫受けライターの手伝いやってる身としても。
更に、たぶん今のアニメ誌じゃあ、いろんな意味でこんな記事読めねぇんだろ
うなぁとか思うと余計泣けてきます。まぁ、当時としてもOUTかアニメック
ぐらいしかなかったんだけれども。
お待たせしたお詫び&口直しに、OUT1987年5月号のOUT10周年記念時の
黒トミノのコメントもオマケにつけときます。
エエッ! じゅうねぇん〜!? 怒りの富野ソー監督
編集長氏が「OUT十年なんですよね」と言った時、ボクは言葉が出なかった。
呆れた、情けなかった。ショックで膝が震えた。「アンタねぇ……!」
ボクはガンダム以前のOUTは知らないんだ。ボソボソと暗くやってる雑誌
は嫌いだ嫌いだって言っていたのに、あんたはズーッと送りつけて来て、それ
でガンダムが始まったら遠慮しないでさ、ガンダムのパロディ載っけてくれてサ。
そりゃ、載っけていいよ。読者がいなければ、買っくれないわけだし、買って
くれなければ、あんたらの給料なんかビタ一文出ないんだから、そりゃいいん
ですよ。読者にコビ売るのはさ。だけど、なんだい! 読者にコビを売るに
かこつけて、ボクのハゲは出すしさ。イイカイ? 読者の投書があってもさ、
大人の付き合いってもんがあるんだから、読者に内緒で髪の毛を描き足して掲
載するくらいの気配りというものがあったっていいだろうに、それがないんだ
よな。若いモンの顔色ばかりうかがって、十年なんて冗談じゃないよ。ボクは
ズーッと恨み持ってOUTを見てるんだぞ。ズーッとだよ。それでもボクのこ
とはいいよ。なんだい! あのセイラさんのオールヌードの嫌らしさ。オジサ
ンは裸は好きですよ。だけどね、程度ってもんがあってね、オジサンは気持ち
Eーィ裸でなけりゃボッ、キーしないんだよね。若いのには裸ならなんだって
いいんだ。裸の男でも女でもいいんだ。けどね、ボクは趣味がいいのよ。とっ
てもいいんだよ。編集長よりいい趣味持っているんだ。なのにさ、なにさ、こ
ともあろうにさ、セイラさんだよ、アルテイシアさんだよ。ソープランドの女
の子だって、もっときれいなヌード見せてくれる子知ってんだ。自慢するけど
さ、この子はいい子なんだから、この恨みは十年間じゃないけど、ボクにとっ
ちゃあ、十年以上の重さを持っているんだよ!! なのにさ、もう十年だっ
て? 本当に十年だって? そりゃ疲れるな。そりゃ、こっちは歳取るよ。カ
ラーページのアルテイシアさんは、全然歳取ってないもんな。ズーッと嫌らし
いマンマだもんな。
この恨み、さあ、あんたがた、一体、これからナン十年も続けるつもりなの!?
601 :
531:03/05/31 15:10 ID:???
急いだんで誤字脱字等あったらご容赦。
>>600 おつ。凄く面白い。OUTってもう廃刊になったんだっけ?
>>531さん乙
なんか泣けてきた、Zは辛かったのね
好きなさくひんだけど
∀、キンゲを手に入れられてよかったねトミノ。・゚・(ノД`)・゚・。
VガンLDのコメントうぷ、ありがとう!
見たくて見たくて、たまらなかったんだ。
コメントは20話OA時だから、まだ監督の神経も
それほどささくれ立っていないように感じました。
2巻3巻のコメントから、だんだんヒートアップしてくるんだろうな。
バイク戦艦のグチとかも出てくるんだろうか……。
俺、ライターとか編集とかの人ってあんまし知らないんだけど、大徳編集長ってどういう人なの?
ツボを押えた良いインタビューをするなあと思った。
乙です。いやあ、面白かった>OUTインタビュー
やっぱインタビューって、聞く側の力量が大切なんだなあ。
>>605 どこかの哲学科か何かを出てみのり書房に入社。
当時はドラえもんすら知らんかったそうな。
最初に配属されたのがエロ劇画誌。
その後OUTの編集に。はっきり言ってOUTの全盛期=大徳編集長時代。
紙面にも「灰皿の哲」「宇宙編集者アウトシャイダー」等のキャラで登場。
特にアウトシャイダーは馬鹿企画の極北。
その後、みのり書房を退社して樹想社を設立。講談社の∀全記録集とか
旭屋出版のガンダムフィルムコミックなんかを編集してたり。
俺の知ってるのはこのくらい。
>>607 Oガンダムの時は大富野哲悠季もやってたな。
>>605 ガンダム神話の編集したのがこの人だったような
俺が持っていたのはZの方だが
OUT大徳氏とアニメック小牧氏のインタビューが双璧。
氷川なんぞはカス。
樹想社さん∀全記録集の3巻マダー?
つうか講談社(出版社)が出してくれないんだろうな…
御大とOUT(というか大徳編集長)の関係がなんかうらやますぃと思った。
>>614 ∀が流行らないのは模型厨が悪いんだーってやつね
こんな風には書いてないけど
>>599 乙!
しかし、本当に痛々しい。
作品以上にプロジェクトの不成功がダメージだったんだろうな。
数字も取れなかったし。
ブレン放映直前のコメントです。
(編集部コメント) ===========================================================================
'98年、新たな決意をこめて富野由悠季が語る!
'98年、期待の新作「ブレンパワード」、そして次作がウワサされる新時代「ガンダム」に向けて、富野監督が
抱負と今後の展望を熱く語ってくれたぞ!
*********************************************
*「ロボット物」ではないロボット物を創りたい!!
「機動戦士ガンダム」から20年経って思うことは、当時はロボットアニメを作っているつもりだったんですけど、
あれは「ロボット物」じゃなかったんですよ。ロボット物じゃなかったからこそ、低視聴率の中での女の子のお客さんの
占める割合が凄く多かった。アフレコのときもファンがかなり来てましたよ。一番、多いときは女の子ばっかりのファンが
7,80人いました。そこで彼女たちに僕はロボットじゃなくて、人なんだって言うことを教えてもらいましたね。女の子の
間ではロボットだのMSだのって話はありませんでしたよ。その後、TVのオンエアが終わって、映画になってプラモデルが
発売して、そこで男の子に移行して行ったんです。それから、男の子を対象として全体のマーケットが動いてしまったので、
女の子のことは忘れられてしまった。その部分は不幸なことだったな、と思っています。
今年、僕は乗るかそるかの仕事を15年振りにやらせてもらうことになりました。WOWOWでオリジナルアニメとして
オンエア予定の「ブレンパワード」という作品によって、「アニメ番組」とか「ロボット物」が今までと違う見え方をしてくると
思っています。何故そう思うかと言うと、ファーストガンダムと呼ばれる「機動戦士ガンダム」も地方局から出てきた物、
という事で違う見え方がしてきてたんですよ。そういった部分ではファーストガンダムと同じ出発点だと思っています。
この作品は、女の子の目線で見たら…という部分をすごく意識してます。それは女性の感覚で言うと”何”が動いてる
じゃなくて、”誰”が動いてるかってことなんですよね。そのポイントは僕なりにはずしてないつもりです。そういう意味では、
「ブレンパワード」はロボット物にはならないと思います。ロボットは出てくるけど、「メカ物」ではない、やさしいフィルムを
作ろうと思ってます。苦労している点は、僕もスタッフもそうですけど物語を作る、コンテ、演出…全ての段階で「メカ物」
の作り手の手が入ってるんですよ。それを消すのに、ものすごく苦労してます。習い性で身につけてしまった技術って、
実は作品を作るための技術ではないんです。作品という物はいつも新しい物でなくてはならない。ただ、サンライズは
ずっと「メカ物」を創ってきたので、何をやっても「メカ物」になってしまうし、その匂いが残ってるんですよ。フィルムの硬さ
みたいなものがね。だから、最近ようやくスタジオにもそれを無くそうという部分が定着し始めています。誤解を生んで
しまう表現かも知れないけど、「大きな人形」を作ろうと思ってます。キャラクターがいないと「ブレンパワード」という大きな
人形は動かないんです。それは、近い将来に「ガンダム」のような「メカ物」を創る時のためにもメカ物ではないメカ物を
創らなくちゃならない。今までと変わらないなら、「ガンダム」は新しい作品にならない。行ってしまえは、今まで手に入れた
技術を全部捨て去る必要性があるんです。
今、その作業をしていますが、5年程前に「Vガンダム」をやったときにはその方法に気付かなくて、
結局は創れなかったんですよ。それでここ数年”違うんだろうな…”と思い始めたんです。出来るか
どうかはわかりませんけど、やってみせる気持ちはあります。だから、結果的に今スタッフをいじめて
ますね(笑)。”この描き方ではダメなんだ”っていうリテイクが出るから。あとは、見てくださる方の
評価ですね。ロボットが出てくるから”ロボット物じゃないか”というはんこが押されるのも覚悟でやってます。
ただ、フィルムを見て”あれ、何か違うな”と感じてもらうために、56歳のおじいさんが(笑)、ほとんど
命をかけてます。だから、今後「ガンダム」を創る機会が来たら、今までの物とは違う自信がありますね。
「ブレンパワード」を創ってそこから次の「ガンダム」が見えてくる。’97年はそういった方向性を見つける
段階で辛かった1年でしたが、’98年は走れると思います。実は僕、公開前にこういう風に言ったことが
無かったんですが、今年は言えます。楽しみにしてて下さい!
******************************************
(編集部コメント)
…と、今年の意欲を熱く語る富野監督だった。「ブレンパワード」、そこから生まれる新「ガンダム」。
’98年、新たに展開される富野ワールドに期待せずにはいられない。
ダ・ヴィンチ’02年6月号の富野由愁季が選ぶ「面倒な」10冊ってもう上がってたっけ?
みなもとたろうの個人詩買ったら風雲児たちのところが採録されてたんで
まだなら打つけど
一緒に載ってる禿の自画像がなんとも言えん
遅レスながら、OUT対談乙です。
こっちの対談は記憶に残ってるなあ。
筑紫 『ポップコーン』を読んで僕が一番感心したのは、現代社会のまさしく
今を見事に切り取っているところなんですよ。テレビの仕事をしていると
今を切り取ることの難しさを痛感するんですが、作者のベン・エルトン、
アメリカという巨大なメディア社会が今このとき抱えている様々な問題を、
「自己責任とは何か」という大テーマを軸に見事に描き切って入る。
富野 稀に見る傑作、快作だと僕も思います。彼自身の才能によるところも大
きいでしょうが、世界中に植民地を持っていた大英帝国崩壊後、ヨーロッ
パの端っこからその世界を観察してきたイギリス人の視線というのは、や
っぱり素晴らしく客観的でシニカルだなあと。そんなところもあらためて
感心させられました。だからこそ模倣殺人という問題もシリアスになりす
ぎず、コメディとして描けるんでしょうね。
筑紫 外交の世界で、「オブザベーションポスト」という言葉があるんです。
その国をよく分かろうとしたら、その中にいるより、むしろあまり遠くな
い、適当な距離のところから見るのが一番だということなんですが、アメ
リカという国を知るのにもっとも適した距離にあるのがイギリスだと思い
ますね。アメリカの文化の基盤はアングロサクソンですから。
富野 実を言うと、ここ十数年、僕の中にはずっと向き合ってたテーマがあり
まして、それはつまり、我々はメディア社会と呼ばれる中でさまざまな情
報を手にいれているように見えるけれども、それを知識として身に付ける
のに肝心な根幹の部分を見失いつつあるんじゃないか、ということなんで
す。そしてインターネットまでがダーッと普及した今、明らかに根幹の部
分を捕まえていない世代がドンと出てきた。そのギャップの大きさと、バ
ブル経済にはしゃいで、根幹の部分の大切さをきちんと言葉として下の世
代に伝えなかった我々世代の責任とを実感しているところに、この『ポッ
プコーン』が出て、いやぁ困ったな、全部やられたなと(笑)。
筑紫 まさにそういう状況を背景にした作品ですね。日本には日本の社会、ア
メリカにはアメリカの社会の基本的な根幹があるはずなんだけれども、そ
れが抜け落ちているという状況がどちらにもある。
富野 僕が一番怖いなと思うのは、メディアの送り手側がビジネスとしてどん
どん消費者に与えるという姿勢です。
筑紫 情報そのものが非常に消費型になっているんですね。しかもスナック菓
子のように食べ続ける、とりあえずの消費。そのシンボルとして作品中に
出てくるのが、あの監督の作った映画ですよね。
富野 ええ。エンターテインメントというのは本来、人間が持っている喜怒哀
楽の根源に対してするはずのものが、今は「ワア凄い!」とか「キレイ!」
とか、そのときだけの刺激に対してのエンターテイメントになってしまっ
ている。たとえばゲーム業界の人たちが明らかにそうですね。新しいソフ
トを次々に消費者に提供するというビジネスであり、本来的な娯楽論はな
いんです。これは文化をも消費しちゃうということで、僕は凄く怖いこと
じゃないかと考えているわけです。
筑紫 その場限りの消費ということと、もう一つ、情報の捕らえ方が非常に断
片的になっているという一面もあると思うんです。たとえばこの『ポップ
コーン』に出てくる殺人カップルの女の子のほうが自ら教養がないと認識
しているにもかかわらず、最後のほうの場面で「アメリカの半分は地獄に
住んでいて、ほかの半分はそれを眺めて楽しんでいる」なんて言葉を吐く
のは、本当にぞっとする。つまり、根幹の部分はすっぽり抜け落ちている
けれども、自分のエゴを正当化したり、プロテクトするのに有効な断片は
情報として鋭く捕らえているわけです。
富野 まさにそういう情報の捕らえ方をしている言葉を、今の日本でもよく耳
にしますね。お前、自分の言葉でしゃべれよと(笑)。ところで、この
『ポップコーン』という作品では、無差別事件の犯人が自分たちを救済する
手立てとしてテレビを利用するわけですが、筑紫さんは実際にテレビの仕
事をされていて、しかも作品の舞台であるアメリカに住んでいらしたこと
もある。実感として僕よりもずっとリアリティを持って迫ってくるんじゃ
ないですか。
筑紫 それも、とても皮肉なリアリティなんです。現実の非現実化、非現実の
現実化というか。この作品の中に描かれているアメリカ人のある種の虚飾
性を、アメリカに住んでいるというときの僕はいやというほど見てきまし
たけど、これは実はテレビというメディアの発達と非常に関係あるんです。
それはつまり、世の中には二通りの事実があって、ひとつは現実に起き
たこと、もう一つはそれがどう見えたかということで、大事なのは後者、
どう見えたかなんです。この方向へもっともアクセルをかけて進めていっ
たのがテレビであり、それを大衆のメディアとして受け入れることで、ア
メリカ人は自分たちが見たことが現実であると認知するようになっていっ
た。いい例が湾岸戦争です。テレビゲームのような画面を通じて、爆弾を
落としたのは見えても、落とされた側の苦しみや悲惨さは見えないという
形で、多くの人がこの戦争を認知した。そして、こういう認知の仕方が人
間の振舞い方というものにものすごく影響するんですよ。
富野 テレビカメラや人々のよく目に映るように、内側はどうであれ、表向き
を装うテクニックを身につける。いわゆる外面重視の自意識というやつで
すよね。
筑紫 まさしくそうで、アメリカのテレビ界ではその手の有象無象がしのぎを
削っている。
セレブリティっていうんですけど、要するに有名人ですね。この人たち
の嫌らしさというのは、この作品の主人公のブルースがまさに体現してい
ますが、もうたまらないものがある。
富野 見ているこっちが恥ずかしくなりますよね。
筑紫 しかしアメリカに限らずメディアが広がっていく社会においては、そう
いう種類の人間がどんどん作られていく。わが国でもすでに相当作られて
いますよ。
富野 ああ、分かります分かります。それぞれ個性らしきものをアピールして
いますね。
筑紫 カメラを向けたとたんに皆それぞれの芝居を始める(笑)。まだ下手な
んだけど、みんなそれぞれ指向はあるんですよ。どう見えるかが重要だと
考えているのは、テレビの世界を職場にしている人たちだけじゃないんで
すね。政治家にしろ何にしろ、いまやテレビ写りで上手に説明できるのが
勝ちであり、テレビというメディアを使いこなせないものは敗者であると
言う構図が完全に成り立っている。いわゆるメディア作戦ですよね。『ポ
ップコーン』のなかで殺人犯ウェインが企てたメディア作戦は、現場での
テクニックに勝る監督に揺さぶられて悲惨なカタストロフィを迎えてしま
うわけだけれども、断片的な業界用語を知っていたり、視聴率で状況の操
作を試みたりするあたりには、生まれてこの方テレビを見続けてきた世代
らしいリアリティを感じますね。
富野 この作品のなかで描かれているアメリカ社会の問題が、そのまま今の日
本の問題なんだと改めて考えたとき、さっきも少し話に出ましたが、映画
にしろテレビにしろ、もちろん僕がやっているアニメにしろ、作り手側が
お金を生み出してくれるマーケットに擦り寄っていくという状況はもう続
けてはいけないんじゃないか、と思うんですね。消費型の情報、ひいては
消費型の文化というのじゃ困る。
たとえば、自動販売機で飲み物を売るというのは、どんどん与え、どん
どん消費させるビジネスの典型だと思うんですが、おかげで一般大衆はこ
れだけ汚く空き缶を捨てるようになった。この始末は誰がつけるんだとい
ったら、誰もつけてくれない。なぜなら自己責任を取るという意識が売っ
た側にも買った側にもないからという状況を一足先に露呈しているわけで
す。それなら、自動販売機をなくしちゃえ、一回で飲みきれる缶のような
容器は法律でやめさせろ、という発想が僕にあるわけです。少々不便にな
ったって、それくらいはいいじゃないかと。もちろんそれをやったら規制
です、統制です。ということになる。
筑紫 当然なるでしょうね。
富野 ええ。で、それは大衆をコントロールする方向に向かっていくことにな
るから、やっぱり自由競争はあってもいいんだとは思います。でも、われ
われはすべての物事にこれを繰り返してきた結果、問題山積の今の社会を
作ってしまったわけですから、システムを根本から考え直すなり何なりす
るべきじゃないかと思うんです。
筑紫 確かにそうなんですね。そうなんですが、作り手と受け手の間の問題と
いうのは必ず両面あるんです。それが厄介なところで、『ポップコーン』
を読む一人もそういう感想を持つ人がたくさんいるんだろうと思いますよ。
その両面というのは、一つは作り手側がビジネスとして観客や視聴者に
追従していくときの問題ですよね。もう一つは、全く矛盾する話なんだけ
れども、送り手側が消費者を操作する場合の問題。『ポップコーン』には
この両方が描かれていて、しかも誰にもコントロールできないんです。
富野 ええ、できないですね。
筑紫 それがぞっとするくらいうまく描かれているのが、犯人が視聴率モニタ
ーをチェックしながら「テレビを消せば殺さない」という、まさにあの部
分です。あのときに視聴者としてテレビを消すことは不可能ですよ。自分
をコントロールできない。じゃあメディア側がコントロールできるかとい
ったら、これもコントロールできない。あの自体を仕掛けた犯人自身さえ
コントロールできない。あの自体を仕掛けた犯人自身さえコントロールで
きなくて、結末のカタストロフィへ流れ込んでいくわけです。
自己責任というこのドラマの主題は、最後のあの部分に凝縮されている
と思うんですね。誰も自己責任をとろうとしない社会。これは、お前は無
責任だという問題ではなくて、責任がなかなかととりにくい社会になって
しまったということだと思います。
富野 日本でも、バタフライナイフを使った少年の問題に関して、ナイフを持
っていたのはテレビのドラマを真似たからで、だからテレビが悪いとか、
いろいろやってますね。
筑紫 まさにこの件は、自己責任が取りにくい社会になってしまったことを物
語っていますよ。バタフライナイフを軸にした教育の議論をずっとやって
いて、その中で一番明らかになってきたのが、誰もが誰かの責任にしたが
るということなんです。親たちは学校の責任を非難したがるし、学校の先
生は親たちについて言い立てるし、社会が悪い、教育のシステムが悪い、
いやマスコミが悪いと、責任の所在を指し示す様々な言い分があらゆる角
度に飛ぶ。自分に責任がある、もしくはあるかもしれないという自覚が、
非常に持ちにくい状況であることは確かです。それでバタフライナイフを
使った少年自身はというと、少年院に収監された後、自分がこういうこと
をしてしまったのはバタフライナイフが出てきたドラマのせいだ、弁護士
に語ったそうです。つまり誰もが自分の責任ではないといっているわけで、
これはまさに『ポップコーン』と全く同じなんですね。
富野 このドラマでは犯人自身がO・J・シンプソンの例などを持ち出して、殺
人を犯した加害者が被害者になりうる現実を語っていますよね。で、自分
の場合は監督の映画に影響されてしまった被害者であると。これはいった
いどういうことなんだと考えていくと、それはつまり殺人を犯した人間に
対して、この殺人はなかったことだ、という論法を編み出した弁護士たち
がいるということですよ。彼らが今の自己責任を取りにくい社会を作った
とはいいませんけれども、かなりの部分で責任があるように思うんですね。
それと、誰もが自分の責任ではないという状況は、そもそも自己責任と
は何なのか、というコンセンサスをきちんと手に入れていない中で生まれ
たものではないかと、僕には思えてならないんです。
筑紫 いや、根源的なテーマはまさしくそこですよ。
富野 早い話、自己がない人に自己責任が取れるわけありませんからね。僕が
しばらく前からここのところは勘違いしてもらっちゃ困るよなと感じてい
ることがありまして、それは自分は今こうしたい、これが欲しいというよ
うな欲望のエゴと、自立した人間の自意識、自己といったものを指し示す
エゴとは違うんだよ、ということなんです。今の日本の社会で横行してい
るものは、欲望としてのエゴはあるが、本来意味するところの自己はない
という状況。だから僕は自分のしたことに対して責任を取らないのは自己
がないということだよと、本来的なエゴイズムを崩壊させていることに気
がつかないで、ペラペラと薄っぺらな理屈をつけて他人に物事を押し付け
るのは不幸だし迷惑だ、と言いたいんです。
僕が『機動戦士ガンダム』でやったのはそんなやつはみんな死んじゃえ!
(笑)。現実で人は殺せないから、作品の中で正義の味方はバンバン悪者
を退治しちゃうわけです。
筑紫 富野さんがおっしゃることはそのとおりで、自己がないというのは、さ
っきのアメリカ社会も日本社会も根幹が抜け落ちているという話とつなが
っているんですね。だからバタフライナイフの件一つにしても、誰もが自
分の責任ではないといっているこの状況はどこかおかしくないかとか、そ
ういうことも含めてじっくり議論する必要があるんです。にもかかわらず
、子供の事件が多発しているんだから、すぐ少年法でワーッとやっちゃえ
と、大人自身が凄いショート・サーキットで短絡的なんですよ。それじゃ
本質的な問題解決にはならないですよと異議申し立てするたびに、猛烈な
抗議の電話がかかって来る。何でも早く決着をつけないと苛立つこういう
大人たちが、一番困るんですよ。
>筑紫 まさにそういう状況を背景にした作品ですね。日本には日本の社会、ア
> メリカにはアメリカの社会の基本的な根幹があるはずなんだけれども、そ
> れが抜け落ちているという状況がどちらにもある。
てめえチクシ・・・。
中韓の前では日本の社会の根幹など無視するくせに・・・。
富野 筑紫さんはテレビの公開討論などで若い人たちと積極的に意見を交わし
ていらっしゃいますけど、自己、あるいは自己責任というテーマを関連し
てくる内容も多いんじゃないですか。二十一世紀を担う世代ですから、や
っぱり非常に気になります。
筑紫 いろんな世代とディスカッションしてきた実感として思うのは、若い人
たちの方がその親世代の大人たちよりも、きちんと物事を考えようとして
いるというところです。大人たちはさっきも言ったようにすぐ一件落着し
たがって、しかも起承転結の「結」までのスピードが年々速くなっている。
ワイドショーなら誰々の離婚は一件落着、ハイ、誰々の不倫も一件落着で
かまわないけれどもね(笑)。その点、若者世代は物事の根本の部分をち
ゃんと納得したいという正しい欲求を持っている。で、これはそういう若
者の一人である高校生の男の子が投げかけた議論なんですが、彼は何故
「人を殺してはいけないのか」と質問したんです。
富野 なるほど。非常に根源的なテーマですね。
筑紫 このときのテーマは『彼らの戦争・僕らの戦争』というもの八月十五日
に生放送でやったディスカッションなんですね。というのは、今の子供た
ちにとっての現在というのはまさに今このときなんであって、二、三日前
のことは立派な過去なんですよ。そんなスピードで生きているうえに、今
の学校教育では現代史を教えないから第二次大戦のことなど何も知らない。
つまり、戦争について考えるというのはある意味で人間の本質を考えるこ
とでもあるのに、彼らにはその時間も機会もなかったわけですから。もち
ろんそういう生活環境や教育システムを作ったのはわれわれ大人の責任で
ありまして、これは反省させられることも多々あるだろうとは思っていた
んですね。子供の戦争というのは、子供の世界でもいじめ、暴力という戦
争が起きているわけだから、この機会にこれも基本に立ち返って考えてみ
よう、ということでセッティングしたんですけどね。
それでディスカッションを始めたら、この「なぜ人を殺してはいけない
のか」という正に本質を突いた質問が飛び出して、われわれ大人たちは説
得にてこずった。で、なぜそういうものを放映するのか等々、われわれの
番組は猛烈なバッシングを受けることになったんですけどね。
富野 それは違いますよね。「なぜ人を殺してはいけないのか」という質問を、
正にこの『ポップコーン』の中の犯人ウェインがなぜ殺すのかと聞かれて
「ただヤっちまうんだ」と答えたのと逆の方向から、自己、自己責任とい
う本質を考えるきっかけになるんだから。それはやっぱり大人がきちんと
答えて納得させないといけないんです。でも、無茶苦茶手こずるよなあ(笑)。
だって、彼らには殺す、殺されるという実感がないし、人類が初めて法を
作ったときにまず最初に「人を殺すな」と書いたことから始まって、現代
史のヒットラーはもちろん、その間も先生が教えたがらないことがいっぱ
いある殺し合いの歴史だって知らないんですから。
筑紫 そうなんですよね。その高校生は人を殺そうと思っているわけでもなん
でもなくて、こういう機会に物事を根源的に考えたいという非常にまとも
な子なんですよ。
結局、大人が説得するのに手こずったのは、ひとつにはそういう根源的
な質問に対してきちんと答えられる思考とそれを表す言葉を持っていなか
ったからなんですが、それよりもやはり、学校教育をはじめとする様々な
部分で、我々が彼らに与えなかった物事、押し付けてきた物事に対する反
省のほうが私には大きかったですね。
富野 本来果たすべきだった自己責任の重さを突きつけられた……。
筑紫 そういうところもあります。我々人間というのは喜怒哀楽の豊かな感情
を持っていて、だからこそ殺しあう動物なわけで、そういう本質を知って、
自分勝手でエゴじゃない自己を確立するには「人間とはいったい何者なの
か」ということを洞察することは重要ですが、これが難しい。特に生き死
にの極限的な実感が無い世代にとってはね。
割り込みスマソ&支援カキコ
富野 僕は、若い人たちの周りにいる大人というのも、彼らの立派な洞察の対
象だと思うんですね。そこで大人たちには、自分の言葉で話して欲しいと
いいたい。これは別に難しいことではなくて、挨拶でも、普段の会話でも、
自分にフィットしたうそっぽくない言葉で表現するということです。とい
うのは、最近特にこの自分の言葉を無くしてしまう大人たちが増えていて、
大抵は職場に埋もれてというか、無個性化してしまうんですけども、そう
いう人たちの言葉には説得力がないし、素直な喜怒哀楽も伝わってこない。
もちろん、その人らしい自己も感じられないですから。
筑紫 そうですね。それはつまり自分の言葉に自信を持つ。自信を持って発言
する、ということだと思うんですよ。その積み重ねで自分らしい言葉が身
についていくわけでね。それと言葉にするしないは別にして、人が誇大妄
想といっても自惚れと言っても、自分はこれだと思った物事に確固たる自
信を持つ。そうすると自己責任も出てくるんですね。
(1998年5〜6月公演『ポップコーン』プログラムより転載)
「ポップコーン」 1999年ベン・エルトン作 ハヤカワ文庫より抜粋
>筑紫 そうですね。それはつまり自分の言葉に自信を持つ。自信を持って発言
> する、ということだと思うんですよ。その積み重ねで自分らしい言葉が身
> についていくわけでね。それと言葉にするしないは別にして、人が誇大妄
> 想といっても自惚れと言っても、自分はこれだと思った物事に確固たる自
> 信を持つ。そうすると自己責任も出てくるんですね。
自惚れて自信を持って、責任取らないやつに言われたくない。
あーだめだ。御大の言葉が目に入りにくい。チクシ邪魔。
乙!
長文乙ですた
トニたけのギレンの自販機演説の元ネタはここだったのか(w
あと
>>637と
>>641はお願いですから空気呼んでください
以上。
「ポップコーン」のあらすじを簡単に言うと暴力過多な映画からヒントを得て
殺人を繰り返すカップルが追い詰められた挙句にその映画を撮った監督宅に押
し入り自分たちの責任を監督に押し付けようとする小説。その手段としてマスコミ
を用いるというのがこの小説のキモ。
これが∀の癒しに書かれていた筑紫さんとの対談だな?
キンゲ関係のインタビューある?
648 :
通常の名無しさんの3倍:03/06/02 20:33 ID:Ao2IXCOn
1981年3月24日の禿の講演録(劇場用アニメ映画第一作フィルムコミック巻末記載)あるけど、
既出?若しまだ出ていなかったらのっけてもいい??
オーイ、紙くれ
>>644 641は、UP者が連続カキコ判定で投稿不可能にならないように
支援してるんだと思われ。気を使ってsage1行なあたりがそう見える。
俺は筑紫好きなんだが、
富野信者は嫌いな人多いのか?
ちなみに俺も(自称)富野信者だぞ
俺も富野好きだが、筑紫はいつ氏んでくれても積極的に構わないな。
653 :
623:03/06/03 01:03 ID:???
みなもと太郎の『風雲児たち』は大好きなマンガだ・・・・青臭いけど。
>>651 2chのニュース・社会系板では筑紫は敵として設定されてるからじゃないか?
しかし敵といっても彼一人倒した所で世の中が変わるわけじゃないと思うんだが。
>>644 自分もギレンの自販機廃止論ネタを思い出した。
そういえば、F91の小説でも主人公の住むコロニーでは牛乳の販売は
人の手でビン売りする方法のみに規制されている描写があったな。
基本的に朝日新聞系の人は叩きやすいからね。
昨日の23でもキティぶりが目に余ったよ
キティだろうが何だろうがそれを受け入れるマスがいるから
そういう物が放送に乗る現実があるんだと考えるのがガンダム的ではないかい?
それと、そろそろスレ違いっぽいから筑紫話の続きは別の場所でな。
このスレで続けないのは同意。
ただ、いつも思っていたんだが、自分の意見を書いた直後に終了を宣言するヤツは汚い。
そしてこう指摘されて「それは済まなかった。今後気をつける。」というやつも汚い。
汚い人間だと自覚して、自分の”実績”に基づいて汚名を受けながら、それでも
何も書かない奴だけが、汚いなりに成長してると言える。
坊やだからさ
まあ落ち着けよ…俺の予感だと、そろそろ
富野氏の対談を中心に書き込むスレです。(略
テンプレを貼り付けて鎮火する奴が出てくる予定。
さあ、貼り付けて!
↓
君は!
富野はけっこう筑紫に好感もってるようだ
確か何かいい言葉をかけてもらったとか何とか
何処で読んだか探してくるよ
なかなかのキモさです、どうせなら虫をプチプチつぶせたらよかったのに、、、
でもまぁ、こういう意見出すときの筑紫ってのはカコイイよな…
論が妙な方向にズレてくるから嫌われてるだけで、筑紫本人はかなり頭の良い論理的なヤシだ。
嫌筑紫を積極的に謳うのって、なんだかコヴァ臭くないか?
富野氏の対談を中心に書き込むスレです。
厳密には対談でなくてもコメント等でも結構です。形式も自由。
また、富野氏でなくても関連が深い人物の発言なら何でもOKとします。
カキコしてくれる神にお任せします。
基本的に保守を除いてあまりageずにsage進行でお願いします。
筑紫話は鼬街です。
671 :
669:03/06/04 07:53 ID:???
うーんつくづくとみのっちには映画撮らせたいな
サンライズ以外で作品作っちゃ駄目って契約むすんだのかな
>>672 ガーゼィの翼はサソライズ噛んでいませんが?
昔なんか先代の社長に恩があってどうこうって話があったよね>サソライズ
文字媒体で残っているのかな。
>>672 むしろ自分でプロダクション作っちゃえよ、っていつも思ってるんだが。
集まってくるスタッフもたくさんいるだろうに。だめなのかな?
パヤオに対する鈴木Pみたいな商売上手な人がいればね……。
もう十年以上は遅きに失した感は否めないが。
そういや御大×原恵一対談ってまだ載ってなかったよね。頃合を見計らってUP希望します。
オフィスアイ
確か富野由悠季というタレントをマネージメントする会社。じゃなかったっけ?
税金対策とか、そういうやつ?
オフィスアイ、一応は法人なんだからプロダクション方面に展開すれば…
経営者もどっかに有能な人材いるんじゃないかな?
精勤滅私奉公も厭わないガンダム者で。
ガイア・ギアサウンド版のプロデューサー、高梨由美子氏もオフィスアイ所属ですね
>>680 ガンダム者じゃだめっしょよ。
御大はそーゆーヤツにいいかげん辟易していたと思ったけどな。
>>682 「有能な人材」の部分がポイントと言ってみる。
作品を理解する心は重要、愛すればもっと良し。
迂闊に愛のないヤシを入れると、着服や横領といった問題が起こる。
一昔前の業界は大変だったラスィ
富野作品のマーケットとしてのパイの大きさはパヤオと比較して小さいと思うよ。
キンゲの映画化でナウシカ、ラピュタといい勝負が出来ればいいけど。
『テレビアニメ20周年と私』特集より
『戦闘メカ・ザブングル』の最終絵コンテを描き上げ、現在は『聖戦士ダンバ
イン』の準備に忙しい。かたわら小説も手がけている。
『ヤマト』の映画化というのが、一番印象的ですね。僕自身にとっても、客観
的に見てもそうだと思います。こちらが想像していた、「アニメーションの受
け手の動向が変わってゆくな」という動きが証明された。そして、その具体的
な証明があったから、僕にとっては『ガンダム』をやる気になったわけです。
『ヤマト』がアニメの歴史の上で大きな役割を果たした――という事をきちん
と踏まえたから、『ガンダム』という形になって現れたわけですから。『ヤマ
ト』は、その刈り込み作業のようなことを春の『ファイナル』でやろうとして
いるようですが、それは違うと思いますね。アニメーション全体の流れという
ものを見て、刈り取ってしまったのは『ガンダム』だからです。それを間違う
から、失敗した映画が出来てしまうのでしょう。
そういう意味では、今『マクロス』という第3勢力が出てきました。『マク
ロス』の今の状況の是否論はあるだろうけれど、第3勢力の台頭が具体的にな
った、ということです。今までは散文的に、スタジオZ5の評価などの形では
ありましたが、作品としてグロスに行われない限り絶対に評価できないわけで
す。同人誌レベルではなく、作品として出てきたのは『マクロス』が初めてで
すよね。それを『マクロス』が刈り取れるかはまったく別の問題ですが。だか
ら個人的では『マクロス』などの勢力をどういう形で乗り越えてゆくか――と
いう“札”を出した。それが『ダンバイン』です。ただ、『ダンバイン』の企
画の時には、僕は『マクロス』のことは全く知らなかったんです。けど、アニ
メの全体的な流れを見てた時に、『ガンダム』『イデオン』『ザブングル』以
後のメカのグレードアップというものが全体にあるはずでした。それは、こち
らはやらない。何故か。それをやっていたら第3勢力に負けるから……という
ことが想定出来るからです。『ダンバイン』を持ち込んだのは、そうした大き
な流れを見ているからです。だから、『ダンバイン』は3年後まで残ります。
マンナーチェンジではない、大きな流れを持っているからです。
だから、我々は『ガンダム2』というものを具体化するには来年中にはでき
ないんです。『ガンダム2』があり得る――という構想はあったとしてもね。
それを最終回に打ち出してゆくのは、いつか? 『ガンダム2』というものが
マイナーチェンジにしか見えない時期に出すのは損だろう、というのは当然な
がら考えます。
『Z』の2年も前に、お題とまったく関係ない
聞かれもしない『ガンダム2』の企画構想をバラす御大に萌え。
マネージメントはともかく富野がやる気になれば映画を作るだけのスタッフは集まりそうだが
キンゲの終わりの方を見る限りでは
686名前:アニメック28号(1983年2月発行)(sage)投稿日:03/06/05 18:31 ID:???
『テレビアニメ20周年と私』特集より
『戦闘メカ・ザブングル』の最終絵コンテを描き上げ、現在は『聖戦士ダンバ
イン』の準備に忙しい。かたわら小説も手がけている。
『ヤマト』の映画化というのが、一番印象的ですね。僕自身にとっても、客観
的に見てもそうだと思います。こちらが想像していた、「アニメーションの受
け手の動向が変わってゆくな」という動きが証明された。そして、その具体的
な証明があったから、僕にとっては『ガンダム』をやる気になったわけです。
『ヤマト』がアニメの歴史の上で大きな役割を果たした――という事をきちん
と踏まえたから、『ガンダム』という形になって現れたわけですから。『ヤマ
ト』は、その刈り込み作業のようなことを春の『ファイナル』でやろうとして
いるようですが、それは違うと思いますね。アニメーション全体の流れという
ものを見て、刈り取ってしまったのは『ガンダム』だからです。それを間違う
から、失敗した映画が出来てしまうのでしょう。
そういう意味では、今『マクロス』という第3勢力が出てきました。『マク
ロス』の今の状況の是否論はあるだろうけれど、第3勢力の台頭が具体的にな
った、ということです。今までは散文的に、スタジオZ5の評価などの形では
ありましたが、作品としてグロスに行われない限り絶対に評価できないわけで
す。同人誌レベルではなく、作品として出てきたのは『マクロス』が初めてで
すよね。それを『マクロス』が刈り取れるかはまったく別の問題ですが。だか
ら個人的では『マクロス』などの勢力をどういう形で乗り越えてゆくか――と
いう“札”を出した。それが『ダンバイン』です。ただ、『ダンバイン』の企
画の時には、僕は『マクロス』のことは全く知らなかったんです。けど、アニ
メの全体的な流れを見てた時に、『ガンダム』『イデオン』『ザブングル』以
後のメカのグレードアップというものが全体にあるはずでした。それは、こち
らはやらない。何故か。それをやっていたら第3勢力に負けるから……という
ことが想定出来るからです。『ダンバイン』を持ち込んだのは、そうした大き
な流れを見ているからです。だから、『ダンバイン』は3年後まで残ります。
マンナーチェンジではない、大きな流れを持っているからです。
だから、我々は『ガンダム2』というものを具体化するには来年中にはでき
ないんです。『ガンダム2』があり得る――という構想はあったとしてもね。
それを最終回に打ち出してゆくのは、いつか? 『ガンダム2』というものが
マイナーチェンジにしか見えない時期に出すのは損だろう、というのは当然な
がら考えます。
最終回放送直前記念
製作現場に聞くブレンパワード秘話
キャラクター
デザイン
作画監督
●永野護氏といのまたむつみ氏がコンセプト
デザインで参加されていますが、お二人のデ
ザインをアニメーション用デザインにリファ
インされる際に、どのような点で苦労しまし
たか?
キャラに関しては、原則として「ブレンパワ
ードは“ い の ま た キ ャ ラ ”である」とし
ながらも、設定作業に入った段階ではいのま
たさんの絵は大ラフしかなく、しかも目の大
きさとか、鼻の描き方など変更を指示されつ
つ、かつ自分自身の絵で描いてもいけない
( や っ ぱ り “ い の ま た キ ャ ラ ” で す
か ら )という、なんだかとっても難しい作業
でした。おまけに設定画を上げて作画作業に
入ったあとで、いのまたさんから新たな比瑪
のラフをいただいたために、それまで使用し
ていた設定をボツにし、改めて比瑪の設定修
正版を作ったりしたおかげで作画の皆さんが
混乱してしまったり・・・・。その他のキャラに
ついても、必要最低限の設定しか出せなかっ
たので、色々と不満が残る結果となってしま
いました。
メカに関しても、準備稿が決定稿になって
しまったり、変な風に簡略化してしまったた
めによくわからなくなってしまったりと、ま
あ色々ありました。(重田敦司)
●メカニックではないブレンとグランチャー
の描写で気を使ったところはどこですか?
外見がメカメカしいのですが、 実 は 生 き
た 鉄 板 ( ? ) の 集 合 体 であるという
雰囲気が本編でもう少し出せたら良かったか
もしれません。外皮がゆがんだり、力んだ関
節のアップを見せたりとか、チャクラとブレ
ン本体との関わりも他にも色々あったかなぁ、
と今にして考えています。(重田敦司)
●『ブレンパワード』では場面が会場や日本
の田舎の風景、さらには寒冷地帯の山中など
変化が著しいですが、各場面での描写で苦労
した点はどこですか?
場面というより、エフェクトのある時が面倒
でした。(重田敦司)
演出
●オープニングで女性キャラが
全員裸体なのは何故ですか?
好 き だ か ら で す
監督 富野由悠季(直筆サイン)
●富野監督の演出意図とのギャップを感じら
れたことはありますか?
ギャップを感じる、というよりも絵コンテな
どから受けた印象が画面上にきちんと表現で
きたか、ということはいつも感じていました。
自分の仕事内容と理想とのギャップは大きか
ったようです。(渡邊哲哉)
こんな質問されると
ボ ク が リ バ イ バ ル
しちゃいます。(森邦宏)
あったら一緒に仕事しません。(西森章)
ありません。(南康弘)
●『ブレンパワード』は、一言でいうとどん
な物語だったのでしょうか?
親子、友人、恋人、他人、まったく違う生き
物とかとのコミュニケーションの話かな(よ
くわかんねーや)?(渡邊哲哉)
ヒ メ ち ゃ ん の 家 族
さ が し 日 記 。(森邦宏)
ラ ブ ラ ブ な 物 語(西森章)
それは富野監督に聞いて下さい(南康弘)
●『ブレンパワード』で目指した演出とはど
のようなことだったのでしょう?
「普通の画面」を作る。「普通」というのが、
どうも説明しずらいんですけど・・・・。「普通」
ってのが「理想」なんだと思います
( 書 い て る 自 分 も
よ く わ か ん ね ー や 、
こ り ゃ ) 。(渡邊哲哉)
乾坤一擲(森邦宏)
S M A P の 歌 が バ ッ ク に
流 せ る 様 な フ ィ ル ム 。
ちなみに第21話は『夜空ノムコウ』、最終話は
『たいせつ』です。(西森章)
あ り ま す が
ど う 書 い て い い か
解 り ま せ ん 。(南康弘)
絵コンテ
脚本
●『ブレンパワード』では、いわゆる「富野
ブシ」とも言えるセリフ回し、レイアウトな
どが見られますが、脚本、絵コンテ段階では
そういったことを意識されるのですか?
セリフ、レイアウトでは、していません。
(絵コンテ・南康宏)
意 識 し た っ て 、
他 人 な ん だ か ら
全 て マ ネ す る の は
無 理 で し ょ う 。
(絵コンテ・西森章)
「 富 野 ブ シ 」 は富野さんにしかできま
せんが、必死にマネしようとしている形跡が
コンテにもホンにもあると思います。富野さ
んチェック後のコンテに自分の足したセリフ
が残ってるとうれしいんです(絵コンテ・森
邦宏)
脚本段階では意識していません・・・・というか、
極力入れないようにしています。今回のブレ
ンは、今までの作品とは違った雰囲気にしよう
ということで 「 富 野 ブ シ 」 はやめよう
という話だったんですが・・・・なぜか入ってい
ますね(笑)。(脚本・西出明美)
特 に 意 識 し た
こ と は あ り ま せ ん 。
(脚本・浅川美也)
●『ブレンパワード』という物語を一貫して
いる「親子関係」というキーワードを、1話
の物語として絵コンテや脚本に変換する上で
苦労された点はどこですか?
苦労はありませんでした。ボクのやった第22
話では、具体的な親子は出てきませんでした
が、子供たちを元気に描くことで、ノヴィス
・ノア自体を親として存在させることができ
たかと・・・・。(絵コンテ・森邦宏)
親 子 ど ん ぶ り
(絵コンテ・西森章)
救いようがない家族関係を、いかに肯定する
か。最近は否定するだけ否定して、救いのな
い話が多すぎる。ブレンでは、登場人物もそ
してそれを見ている視聴者にも、 ど う す
れ ば 幸 せ に な れ る か 、 考えて欲
しいと思いながら書きました。(脚本・西出
明美)
勇の、親に対する気持ちを理解するのが大変
でした。「これこれ、こうだから、こう思って
いるのだよ」と、説明されて頭で理解するの
ではなく、感覚的にわかりたいと思いました
ので、色んな若い男の子の話を聞いたりして
みました。(脚本・浅川美也)
●『ブレンパワード』ではアンチボディがロ
ボット的な描かれ方をしていないのが特徴で
すが、ガンダムに代表されるロボットアニメ
的なものを捨てるのは相当大変だったのでは
ないでしょうか?
意 識 は し ま し た 。
(絵コンテ・南康宏)
キ ー ポ イ ン ト は 飛 ん で る と き
の 足 音 !!(絵コンテ・西森章)
今までのパターンを使えない分大変だったか
もしれませんが、アンチボディもヒメたちの
一員だと考えれば、自然にアンチボディのキ
ャラクターが発想されました。第22話で、勇
の代わりにブレンが働くシーンはその成果で
しょう。(絵コンテ・森邦宏)
第1話の時から、 「 こ れ は ロ ボ ッ ト ア
ニ メ で は な い 」 と思っていましたから、
戸惑いはありませんでした。戦闘がメインで
はなく、人間のドラマに重点を置いています。
(脚本・西出明美)
今回、初めてアニメシナリオを書かせてい
ただいたので、捨てるものが私にはありませ
んでした。(脚本・浅川美也)
富野分少なくてスマソ
Vガンスレより
>――・・・・そういう意味ではガンダムシリーズの中でも「Vガンダム」は特筆すべきすごい
>作品じゃないかと思いましたけど。
>富野 ぼくもそう思います。だけど、もう作っている時からわかったことがあるんです。
>つまりそういう特別な位置づけにある「Vガンダム」なんだということは、直接関係者とか
>周辺関係者、誰一人気が付かないだろうということです。ましてやアニメ雑誌の編集者も
>気が付かないだろうな、と。実際「ああ、やっぱりそうだった」と思いました。
>――さっきの黒歴史の意味と同じで、伝わってない。
>富野 そのとおり、まったく同じです。だから、そういうこと、こういうこと、いろいろ含めて
>あった後、かなり時間をおかせてもらったので、「∀」を作ることができたんだと思います。
>――ある意味では∀以上に、Vガンダムはさらに反応が鈍かったような印象がありますが?
>富野 はい。
>――あのV、ヴィクトリーというタイトルは、富野さん自身が考えてお付けになったんですか?
>富野 もちろんそうです。ぼくとしては、そのヴィクトリーという言い方も含めて「お前らね、
>ここまで当事者にコケにされてるっていうことをわかれよ!」という言葉が聞こえてくるよう
>にと・・・・。
>全員(笑)
>――見ていて、「この内容でいったいどこがヴィクトリーなんだ?」と思いました。
>富野 はい。それを出資サイドで気が付いている人はどれだけいたか、ということです。
>「富野さん、いくらなんでもあれはやめてくださいよ。あてつけもひどいじゃないですか」と
>いう発言を、本当に待ってたんです。
>――言われませんでした?
>富野 誰も言いませんでした!
>全員(笑)
>富野 そういう現世との関わりあいを持っている部分があるんで、「切ないなあ」と思って
>いました。
>――確かにそうですね。文句言われないのも切ないなあ。
>富野 だから本当に、ほとほといやになりました。
>――じゃあ「V」というのは、そういう富野さんの屈折した思いがかなり入ったタイトル
>なんですね。
>富野 屈折した思いじゃなくて、屈折そのまんまです。
御大好きだが、こういう態度はいただけないな。
やせ我慢してでも、プロであることに固執するのがかっこいいのに。
そういや、誰か新海誠との対談保存してる人いない?
この間御大が原対談でちょこっと名前出してから気になってるんだけど
Vガン終了時にあったアニメージュ1994年7月号の富野×庵野対談ってまだ書き込まれてなかった?
なかったら手元にあるんで書き込んでみたいです。
なんかだいぶ昔にどこかで書き込まれてたのをちょっと見たことがあるような気がするんだけれど。
701 :
699:03/06/06 11:43 ID:???
できましたんで書き込んでみます。
13レスくらい使う予定です。
打ち間違いがなければ漢字から句読点のつけ方に至るまで原文に忠実である筈です。(さすがに改行は見やすいようにしてあります)
アニメージュ1994年7月号より 富野×庵野"機動戦士Vガンダム対談"
「醜いものから目をそむける日本の子どもたち」
―この対談は前回、AM5月号の『Vガンダム』特集で、庵野さんに取材した折に、富野監督の熱心な
ファンである庵野さんから希望が出て、実現したものである。昨年のTVアニメでは『Vガンダム』
こそベストとする庵野さんの熱意に、独自の視点で文明観、作品観を語る富野さん。話題は多岐に
わたって続いた。
庵野 時期が遅いですよね。放映中にこの手の企画はやるべきでしょう。
富野 だけど『Vガンダム』に関してはしょうがないとも思っています。本当にごった煮
になってしまって、よくわからないシリーズになっちゃったから。手紙も少ないし、
視聴率も上がらないし……。
庵野 あの時間帯は小さい子しか、テレビを見ていませんからね。
富野 でも本当にぼくに力があれば、どんな時間でも見てもらえるハズでね。心掛けと
しては、いつもそのつもりでやってるんだけど(笑)。
庵野 でもやはり、小さい子どもにはつらかったと思いますよ。
富野 それは最初はゴールデンタイムといわれて、その予定で製作に入っちゃったから。
もちろん時間帯の変更が決まった時点で軌道修正はしましたが、やはり直しきれなかった。
ただ軌道修正自体は決して悪いことではなくて、それがあったからこそ、最初の頃の
わかりにくさから、少し抜け出せたんだと思います。
本当はもっといい形にして見せたかったんだけどできなかった。それはプロとして、とても
悔しいことだ。―――というのがありましたので、今の『Gガンダム』に関しても、確かに
『ガンダム』という名前にこだわるなら問題はあるんだけど、今後もサンライズが、夕方5時で
番組を作っていくなら、名前にとらわれないで時間帯を考えた路線変更をしていくべきだ、と
思いましたので、むしろ積極的に押しました。だから『Gガンダム』は他人の作品なんだけど、
まったくわきの作品でもない。どういう風に見えてくるか、フォローしていきたいと思って
います。
庵野 『Gガンダム』は期待してるんです。子どもには受けるんじゃないかと思って――。
だけど『Vガンダム』のようなドロドロした作品は、今の子どもは受けつけないんじゃない
かな。20歳くらいでもクリーンなものばかり好んで、汚い部分が見えるものは、嫌悪される
ようになってきていると思います。
富野 ぼくもそう思います。まさにそういうトレンドの時だと承知しているからこそ、ゴールデン
タイムでやらせてもらえるとなったときに、視聴者層の幅を想定して『Vガンダム』の初期
設定を押し切った。だから後でどれだけリメイクしようと思っても、根が深すぎて、それを
抜き取ることができなかったんです。
それは『Vガンダム』にとって不幸なことだったけれども、ぼく自身にとっては、その
リメイク作業を通して5時台のルックスを身に着けようとしたことは、ムダではなかったと
思います。その上で、もし次の機会があったときには、『Gガンダム』の成果も踏まえて、
トレンドとしての今のマーケットにどう対応して、作品を作っていくか。勉強させてもらい
たいと思っています。
ただそれは、今の視聴者がクリーンなものが好きだからといって、それに合わせて商品を
作っていけばいいのかといったら違うと思う。だってそのマーケットに合わせた作品は、既に
いっぱい出ているわけだから。そこにスタンスを置いてしまえば、ぼくが作ることの意味は
なくなってしまう。表現とかのハウツーは学ばせてもらうにしろ、コンセプトに関しては、
そうそうすり寄れないようにと。
それに今のマーケットの性癖は、さらに極端な方向へ突き進むだろうとは思うけど、それを
病的な現象として反省する時代も近々くると思うので、そのときにアニメの世界にもこういう
作品があった、という部分はあっていいんじゃないかな。
庵野 ぼくも強くそう思いますね。
富野 実は今の日本でいちばん問題なのは、企業の偉い人とか経済人、大人たちが、商売のために
若者にすり寄り過ぎてることだと思うんですよ。若者に対してアンチテーゼを示すべき大人が
いなくなってしまっていることが問題なので、実はそれは若い人の問題だとは思っていないん
です。
別にぼくは学者ではないから、どうしてかという説明はできないけれど、ぼくが具体例とし
てあげられるのは、ビートルズのことなんです。
なぜビートルズはイギリスから生まれたのか、というのはとても大事な点でね。だってイギ
リスなんて、それこそ大人の伝統だけでガチッと作られた国で、その中でもリバプールなんて、
涙が出るくらい悲しい田舎町なんだよね。そんな陰々滅々としたところで、エレキギターは
弾いてきたんだけど、パッとしない連中がいて、このまま田舎町にいてもどうしようもないん
だけど、何をどうしたらいいのかわからなくて……。結局、反発しつつも、具体的な活動を
はじめていくキッカケは、ドイツでなければつかめなかったというのがね。この問題を考え
るのに大事なことだと思う。あのイギリスという重しがあったからこそ、ビートルズが生まれ
たのであって、アメリカでは決して、彼らのような人たちは出なかったでしょうね。
ところが今の東京はどうかというとね、ちょうどぼくくらいの年齢のおじさんたちが、高校
生を集めてきて、商品企画会議をやって、彼らの好みに合うように、一生懸命、商品を作って
いる。仕事のため、会社をつぶさないため、というまさにそれだけを金科玉条にして、大人の
正義を何も見せないという部分が、いちばん今の日本を狂わせていると思う。
それが本当に正しいか正しくないかはわからないけど、齢をとってきたことの価値という
のは、そういうところにあると思うわけ。若いやつらから"古い"だの"おじさん"だのいわれた
ときに、"だけどもオレたちは、これで生きてきたんだ。それがなぜ悪い!"となぜいえない。
自分たちが生きてきた価値観を、若い人にぶつける方が正しいのではないか。おじさんたちが、
若いやつの好みにあわせた商品を作って、"わあ、おじさんすてき!"と若い子から好かれて、
おじさん気持ちいい、それで会社も繁盛するという社会は、やはり構造的におかしい。
庵野 やはりマーケティングと大量消費が原因ですかね。あと、テレビ。
富野 データ論の持っている正義が、本当の正義なのか、といったら、それはまさに効率論の正義
でしかなくて、人を育てるための正義ではないということだ。
社会差別が厳然として残っているイギリスという国で、その重圧の中から反発して出てきた
ビートルズの、そのポリシーとか価値観というのは、絶対に老人たちが参加して作ったもの
ではない。そういう社会構造がいいのか悪いのか、というのは別にして、老人と若者の関係と
いうのはまさにそうであるべきだ、ということはまちがいなくいえる。
だから、ぼくの場合、さっきいったように表現論の問題で、ぼくの下手な部分というのは、
作家として反省しなくちゃいけないし、もっと洗練させたいと思う。だけどポリシーに関し
ては、オレはいまさら変えようとは思わない。絶対間違ってないと思うもの。そうでないなら
隠居するだけだものね。
だけど、今の日本の大人たちが作った社会構造というのは、若い人たちに対してアンチテー
ゼを設定する大人というのが、もろにいなくなってしまった。ところがこの不気味さを、経済人、
企業人という人々は感じていないんじゃないか。すべて経済効率だけでできている。
アニメーションに近い例でいえば、乗用車のデザインがそうです。マーケットリサーチをして、
いちばん売れるものをとやってきたら、この10年くらいは各社とも同じようなものになってしまっ
て、2年前の大きなモデルチェンジでは、それがもっとひどい形で出てきて、みんな"オレの趣味
じゃないよね"って感じてるのにみごとにそればかりになってしまった。これだけのメーカーが
日本にはあるんだから、ほんとうはとんでもなく違うものがでてきてもいいのに、各々のデータ
ベースが全部、今の若者の指向であって、同じ基盤。それをおじさんたちが一生懸命調べてきて、
そのマーケットに合わせて作るから、みんな同じものになってしまう。
これだけの数の車が、街を走っているのに、車を見る楽しみがなくなってしまったというのは、
すさまじいことだと思いませんか?
庵野 確かにどの車を見ても今は区別がつきませんからね。
富野 楽しくないんですよね。何で今の若い人たちが、車を好きでいられるのか、ぼくにはわからない。
富野 『Vガンダム』の作品的な問題というのは確かにあって、それは制作者としてちゃんと了解し
なければならない。だけどソフトの世界というのは、自分のオピニオンをかなり露骨に出していけ
る部分もあるんだよね。それでなぜ悪いとは言わないし、言えない。結局、上手に表現できなかっ
たわけだからね。でもぼくが『Vガンダム』でやろうとしたことで、20代、30代の人間ではできな
いことが、絶対にあるはずだ。ということはいえると思う。
だけど"なぜ悪い!"という部分も含めて、気にいらなければ、おまえら徹底的にこれを否定して
くれて構わないんだ。いや、むしろ全否定してほしいのよ。庵野さんなり、あるいは他の若い人でも、
全否定するだけのパワーを持ったときに初めて、本当に新しいものがでてくる。なぜ今のアニメが
こうもボルテージが上がらないのかといえば、やはりお父さんたちのマーケティング論、今のトレ
ンドに合わせて作ろうとする部分で、その渦中にはまっちゃってるから。
庵野 そうなんですよね。
富野 バリエーションということも、"ユーザーの要求に応えて"とか、"お客様のご希望に沿うように"
とか、ということでよくいわれるんだけど、実は今いわれているバリエーションというのは、ものす
ごい幅の狭いところで、差別化しているだけで、本当のバリエーションとは違うと思える。
AM 5月号で、庵野さんにお話をうかがったときにも、多様化しかないんじゃないかとおっしゃってま
したが。
庵野 逆にいうと今のアニメ界は特殊化が進みすぎていて、もうダメになるんじゃないか、と思うんです
けどね。
富野 これはアニメに限らないんですけど、一時期、特殊化、多様化をやったの。個性が大事ってね。
それから日本語になってしまった"アイデンティティーを大切にする"ということがある。でもそれも
結局は、やはりごく狭い幅のものでしかない。もう少しみんな、外へ出て行って、違う人間が寄り集ま
っているところを知ってほしいな。話がわきへ行きすぎるねぇ……。『Vガンダム』の話をするように
努力します(笑)。
庵野 これはぼく個人の感想なんですけど、結局『Vガンダム』って、土と女の話だな、と思ったんですが。
富野 そうですよ。実はぼく自身もフィルムの試写を観るたびに、"あっ、そうか!"と思うことが何度も
あって、特に"女"の部分に関しては、今回ようやく、おれ"女"を描けるかもしれない、と思えるように
なった実感がある。
庵野 今回、ようやくですか!?
富野 ようやくです(笑)。それほど自信なかったもの。
そういう意味では、おれも捨てたもんじゃないな、という――それはアニメのレベルでいえば描けて
いるといえるかも知れないけど、やはりそんなもんじゃないからね。本当に女の性を描けるかな、と
いうところまできたというのは、ものすごくうれしかった。
庵野 自信がないというのは、それだけ女にこだわっているということですね。
富野 全くそういうことです。それで実際にやってみて、あれっと思った。かなりずけずけと(フィルムの
中に)女の気分が見えてきているんだよね。これはちょっと自信を持って、もう少し女を描いていいん
じゃないのか。初号を観て、そう思ったことが、2、3度あるの。
庵野 今回が初めてですよね。地球から出て、地球に帰ってくる『ガンダム』は。
富野 深く意識したわけではないんですけれども、最終的にカテジナの落としまえをどうつけていくか、
ということを考えていったときに、ああしました。ただ、あれで良かったのか、というと決して全面的に
いいとは思ってないし、ロボット物ということを考えた場合、あそこまでうっ屈してほしくなかったよね、
というのはちょっとあります。だけど一度やってみたかったんだよね(笑)
庵野 女に比べて『Vガンダム』では、いい男が出てきませんでしたね(笑)
富野 だから今回は女を描くことにすごく集中しちゃって、男に対する興味をほとんど持っていなかった。
庵野 なかったですね。初めてじゃないですか、全編を通して何かひとつのことに、こだわり続けたのは。
富野 今、こうやって話していてわかったことなんだけど、13歳のウッソを描くために、男を描くことへの
興味を全部ウッソに吸い取られちゃったんだね。他の男にふり向けられなかった。あの年齢の男の子を
本気で描こうというのは、ぼくの年齢ではものすごく大変だった。そうしたら他の男に全然手が回らない。
庵野 かろうじて老人くらいですね。若いのは全然だめでしたね。
富野 あの老人達はぼくの同世代でしょう。自分の気分をそのまま移せばいいだけのことだったから、実は
何も考えないでできた。いわゆる壮年を描くことができなかった。
庵野 クロノクルは今の若者をそのまま反映しているんですか?
富野 そうじゃない、本当にちゃんとしたロボット物の敵役にしたかったの。だけど、それこそワタリー・
ギラのあたりでクロノクルがすっぽぬけてしまった。ワタリーみたいなキャラクターで振りぬけちゃいけ
ない。あれを全部クロノクルに持ってこなくちゃいけなかった。それにまだあの頃、ウッソのことがよく
わかっていなかった部分があったために、ウッソに集中したまま、12、13話までいってしまったので、
クロノクルが完全に抜け落ちてしまった。
庵野 ピピニーデンも余計でしたね。本来、クロノクルに集中すべきキャラクターが分散しすぎて、結局、
若い男はどれも立ちませんでしたね。
クロノクルには期待していたので残念です。でもクロノクルがああいう男だったから、カテジナさんも
ああなってしまったのかな、とも思いますけども。
富野 それに関してはちょっと違うんです。カテジナのあのラストシーンというのは、かなり早い段階で
構想があったんです。スタッフにもまだ1話のオンエアが始まる前に、キャンセルするかもしれないけ
ども、といいながら話している。ところが、みんなかなりそのラストを気に入ってしまったのね。ちょっ
と映画っぽすぎて、いやかなとも思ったんだけれども……。それがずーっとスタッフの間に残っていて、
クロノクルはあれでいいという風になってしまった部分が、どうもあるみたい。
庵野 カテジナの、あのラストシーンのために犠牲になってしまったわけですね。
富野 それで2クールに入ってすぐ、もう最終回をどうするか、決めなくちゃいけないという時に、ぼくが
「もうカテジナは盲目にするしかないね」といったらみんなもそれだけで、「そうですね、落としどこ
ろは他にありませんね」って答えて、そのままポンといってしまった。
庵野 カテジナさんの目が見えなくなってしまった理由というのが、ぼくには今ひとつわからないのですが……。
富野 それはカテジナとクロノクルの関係が、あまり上手に描けてないのでわからなかった、ということだと
思います。その辺、もうちょっと描けていれば、それはあり得ることなんだ、ということはいえるんです
けど、結局その部分を触っていないので何をいってもしょうがない。
ただ、こういうことはあります。カテジナは何としても殺したくなかった。では殺さない代償として
どうするか、といったときに、このくらいのペナルティは負ってもらわなければ困るという、作劇上の
整理はあった。
AM そのペナルティというのは?
富野 あのカサレリアのウッソを勝たせるためのペナルティとして、うそでも敵になってしまったということ
で、カテジナだって、自分の中で疑問に思っている部分があるわけだから。それがわかるから、原作者と
しても、そう簡単に"おまえ死んでくれ"といえないシチュエーションにしちゃったんだから、殺しはしな
い。けれども敵になったんだから、申しわけないけどひとつペナルティ。だけど、それで劇としては飾ら
せてもらうから、かんべんしてくれと、そういうことです。
庵野 いやあ、いいのかなあ。
富野 「いやあ」というんだったら、教えて下さいよ。
庵野 盲目にする必要はあまり感じなかったんです。逆にそちらの方が目立ってしまって。むしろ生き残っ
た以上は手がないとか、足がないとか……。
富野 それらのことについては、すべてテレビコードに引っかかるから却下したんです。だからカテジナも
見えないかもしれない、という以上の表現はいっさいしていない。
もう少し言えば、ウッソたちの側にもペナルティはあるわけだから、ウッソだって手がなくなって
いるとか、話としては当然そうだったけども、どうせやるんだったら、きちんとした絵を作りたい。で
もそれは許されないだろう。他にもいくつかあったんだけど、どれをやっても今の視聴者には生理的に
受け入れられないだろう。
庵野 引っかかるでしょうね。
富野 だけど、本来は引っかからせたいんだよね。それがあれば、カテジナがああいう形で出てきても、お
互いがそうなら、庵野さんが感じている"カテジナだけああなの?"という違和感は……。
庵野 作為を感じるんですよ。
富野 すっと受け入れられたんだろうね。だけどそれは、きっとどれをやってもヤバイぞ、というのと、上手
にできないだろうというためらいがあって、カテジナだけで収めさせたんです。
庵野 小説ではカテジナが火傷を負いますよね。あれが好きなんです。
富野 本当はそうしたいんだけれども、でもテレビでは絶対にタブーだから。それにクリーンなことが好き
な観客に対して、そういう表現がどこまで許されるのかといったときに、ちょっとね……。
AM マスコミにおける表現のタブーとして問題になる以前に、視聴者側が生理的に、それを受け入れるか
どうかということですね。
富野 全くそういうことですね。そういう意味では、確かに折衷案でありすぎたということは事実です。
庵野 やはりそうでしたか。
富野 昨日たまたま、TVで『ロードス島戦記』ですか?やっているのを観ていたんですよ。技術的にい
えば、やっぱり"りんたろうさん、上手だなあ"と思うよ。演出以降の処理も"これでいいんだよなあ"と
思う。だけど実際に、制作者としてあれに足を踏み入れたら、その瞬間に全面否定しちゃうんだよね。
あれはどうなんですか、評価としては。
AM 絵はきれいだし、商品としては大ヒットしましたね。
庵野 あの作品が売れるというのはよくわかります。でも面白くないな、とぼくは思ってしまうんです。
AM 受け手もある種、予定調和的なものの方を、安心して受け入れていくところがありますね。
富野 それは本当に気持ちの悪い部分とか、いちばん自分が見たくないものを、なにもビデオとか、ア
ニメのレベルで突きつけられたくないもの。
庵野 代償行為ですから、金を払ってまで気持ちの悪いものを見せてほしくはないでしょうね。
『Vガンダム』でもやはり、ウッソのお母さんが死んだときに"もう見るのやめる"とか、いった子が
いましたからね。"こんなアニメは見たくない"とか。人の死に予想外に反応してるんですよ。
富野 そういう子はいるでしょうね。
AM でも今、バブルが終わって、不況になって、社会がだんだんシビアな方向に変わってきたら、また
違ってくると思うんですけどね。
庵野 いや、そうなったらますます閉じこもるだけだと思いますね。
富野 今の子どもたちには、まさにそういう時の活力がないですからね。本当の意味の自閉症の人というのは、
そうなったら生きていけないんでしょうね。でも一寸先が闇でも、死ぬまでがんばってみたいというの
がぼくの立場だから。何で生きるのかわからなくても、生きることはそう悪いことじゃないですよ、と
いうことだけは伝えていきたいなと思います。
庵野 人は生きようと思わないと、生きていけないと思うんです。口を酸っぱくして言わないと、人間って
生きていかないですから。何で宗教が、人は苦しいことがあっても生きなければならない、なんて当た
り前のことをいうのか。それは言われて自分がそう自覚しないと、多分生きていけないからだと思うん
です。
富野 全くそうです。そのぐらい世の中というのは、うまくいかないものなの。だからね、もう少し覚悟を
持ってやろうよって、単純にそれだけでね、ぼくらの伝えたいことというのは。
でも今の子たち、特に中高生にとっては学校生活そのものが、うまくいかないものなのかも知れない。
だからアニメを見るときくらい、そういう話も含めて、見せられたくないんだろうね。
でも、もうひとつ重要なのは、その程度のことを過酷に感じちゃう子どもがいる、ということなんだ
と思う。
庵野 そうなんですね。
富野 最近、お米がなかったりするでしょ。とてもいいことだなあと思ってるのね。食うものが本当になかっ
たら、どうなるか、ということをちょっと真剣に想像させてくれることができたからね。
そういったときに、ソフトを作っている人間の強いところは、そのようなシビアな部分も、申しわけな
いけど、皆さん方がお楽しみにしている、アニメの中でもやっておくよ、といえることですね。10年後、
20年後に効くように(笑)。
庵野 やはり作品には毒を混ぜておかないと(笑)。特に子どもには毒を見せるべきだと思いますね。
富野 絶対そうです。
AM わかりました。本日はどうもありがとうございました。
(新宿・中村屋にて)
716 :
699:03/06/06 11:52 ID:???
以上です。
これほんとう?双葉での書き込みですが・・・
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無念 Name としあき 03/06/06(金)13:15 No.1698507
御大がクラブのホステスにアトムとウランちゃんのセクス
絵をその場で描いてプレゼントしたらしく、その話を御大が嬉しそうに編集者に話したら、
速攻で絵は回収されたそうだ…
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御大の絵の技術がいかほどかを知っていれば…
>>717 それは手塚治虫絡みのエピソードじゃなかった?
>719
俺もそんな話聞いた。多分手塚だと思う。
まあ手塚も御大と呼ばれているんだろうし。
>>716 乙です。読みやすくてNICEです
>庵野 カテジナさんの目が見えなくなってしまった理由〜
小説まで読んだのなら解れよ
>>719-720 おお、もうちょっとでケコーンするところだった。
たしか初代アトム放送時エピソードだったと思う。
それまでクラブとか言っても、「漫画家?ふーん」てな感じだったのが
その時はたまたまホステスの一人が、子供が毎週一生懸命見てる!
ってことで、他もまきこんで盛り上がって
手塚も嬉しくなって、そういうサービスをしたという話だと記憶してる。
今では想像もつかない、当時の手塚の知名度の低さと俗っぽい一面を語る
エピソードとしてよく出てくる話ですな。
今読み返すと「手がない、足がない」てのは庵野監督の
発言を受けてなんだな。ウッソは別のペナルティを考えてたかも。
確かにそういう不虞は分かりやすすぎる。
庵野監督がトウジの手足亡くした理由はここから来てそうだ。
へー手塚治もよっぽど気分よかったんだろうな〜(w
>>724 朝日新聞の「おやじの背中」とかいうコーナーで726が言っている
ような内容をコメントしていたよ>庵の
「自分の描くロボットなどが手足がもげたりするのは、そのせいかも」云々
乙です!
庵野 逆にいうと今のアニメ界は特殊化が進みすぎていて、もうダメになる
んじゃないか、と思うんですけどね。
↑この部分はワラタ、あんたが言うなよー
富野がエヴァに拒否反応を示すのはこの会談が
あったからかもな(w
このメージュ持ってるぞ。
対談といいつつほとんどインタビュアーじゃねーか。庵野さんよぉ。
>>730 富野信者である庵野が同レベルで話しかけるわけなかろうに。
∀のサントラで御大と菅野ようこが
手紙でやりとりするって形でお互いの事を語ってるんだけど
御大の方は、菅野の才能を褒めるだけでつまらないので
菅野が御大に返した手紙の方をうpします。
∀GUNDAMU The MOVIE SOUND TRACKS
惑星の午後、僕らはキスをした 返信より抜粋
富野さんがかつて、自分を痛めつけ過ぎて、家から一歩も出られないような
数年間を過ごされたと聞き、そんなにまで傷つくということがどういう事なのか、
想像もできませんでした。
奥様が「それでも、(コンクリートの上じゃなく)土の上だけは歩けたのよ、気持ちがいいって。」とその時のことを話して下さいました。
でも監督は、そう思ったことすら覚えてない、とおっしゃっていました。
数年間、霧の中にいたような感じだと。
傷ついた心の有り様を思いやるのは、私には難しく、それよりも、心を閉ざしていても
足の裏は土の柔らかさを覚えていたということに、人間の不思議を感じました。
ターンAという作品に関わりながら、私は、富野さんがいっとき癒された、
土を踏んだときのハダシの感覚のことを、ずいぶん長いこと考えていたように思います。
中略
私は愛されて育った記憶があり、何か大きな力に守られていると感じていて、
土の暖かさを知っている。そんな音を、富野さんに届けたかった。
私がそうである、と言うより全ての人間に、そう感じる権利があるという思いを込めて。
文章は本業ではないので・・・。
劇場版のエンディングに流れるすべての曲たちが、ラブレターへのお返事です。
また、一緒に遊びたいな。
かんの ようこ
関連が深い人のだったらOKって事でうpしました。
スレ違いだったらごめんなさい。
>>733‐734
泣ける文章だな…かんのは御大のカウンセラーのようだ。
ところで、御大が引きこもっていた数年と言うはいつ頃の事なんだろう?
>>736 お前、人に貴重な文書をアプしてもらって読む前に、
今でも手に入る(売っている)御大関連書籍を買って読んでからにしろ。
お前のせいで感動も醒めた。
>737
俺はお前のせいで感動がさめた
とりあえず、みんなオチツケ。
おじんおばんの馴れあいはサブ疣がたつ
おじんて聞いたの10年ぶりくらいかも
とりあえずここは雑談スレじゃないから、モマエら全員引越し汁。
>>736 疑問や好奇心をもつのは結構だが空気も読めず、また感動できる文章の第一声の書き込みの
タイミングに自分が中心となる書き込みするようでは、将来入学式で先輩やクラスメイトの
ワンパク君な人に呼ばれてしまいますよ。
そう俺みたいに・・・・
( ´Д⊂ヽ
俺はお前のせいで感動がさめた
↓
745 :
736:03/06/07 17:36 ID:???
>>737 気分を害されたようで申し訳ありませんでした。
言い訳はしません、単純に無知なだけです。
なお、
>>738は私じゃないので誤解なきよう。
>>737 てゆかな、スルーしてたらこんなにゴチャゴチャ雑談が伸びなかったと思わんか?
>746
Vガンダム制作終了後〜ブレンパワード制作開始前くらいらしいです
>>748 94〜97年ぐらいかな?そのころのアニメって印象にないな〜エヴァ大嫌いだし。
御大発言で無かったのが不味かったかな?
板が少し荒れてしまいましたね。
久しぶりに家で休日を過ごしているので
今度は菅野ではなく御大をうpします。
アニメージュ 1987年 10月号 逆襲のシャア プレインタビュー
昭和56年 3月発行 TV版 ストーリーブック あとがき
どちらかをうpしたいと思います。
日曜の昼にリクの多い方を採用、夕方ごろ、うpします。
過去スレで出てない本だとコレくらいで、家にある本は模型系中心なもので・・
選択肢が少なくて申し訳ないでふ
保守age
>>750 >∀GUNDAMU The MOVIE SOUND TRACKS
>惑星の午後、僕らはキスをした
そういや、それもう倉庫にあるよ
つーか、現行で売ってる物のアプはやめとけよ。。。
754 :
750:03/06/08 07:00 ID:???
>>752 倉庫にありましたね。
ごめんなさい
>>753 ごめんなさい、反省してます。
ストーリーブックは倉庫は4でしたが自分のは1です。
とりあえず、しばらく投稿は自粛してロムに戻って反省します。
しばらくしたら、またうpしますのでなまあたたかく見守って下さい。
すみませんでした。
755 :
750:03/06/08 09:32 ID:???
・現在販売中の物に対しては不可とします。
次回スレ立て人さんは自分ようなアフォが出ないようにコレを入れてください。
捕手
岡田 まんがではなく小説ですけど、
『ロードス島戦記』も向こうでは好評のよ
うですね。小説といえばショットさんも小説
版ガンダムの翻訳をなさっていて、あれはひじょうにいい仕事でした。
ショット 富野由悠季さんが書いた、ファ
ーストシリーズの『機動戦士ガンダム』小説版。残
念なことに今は絶版なんですよ。
岡田 富野さんの日本語って変でしょ(笑)、
よくあれを翻訳できましたよね。
ショット いやあ、なかなか面白いですよ。
岡田 中身は面白いんですけど、あの人の日本
語って日本人が読んでも分かりませんから(笑)。ショットさん、どうしてそんな神妙な顔するんですか(笑)。
ョット こういうときはツラい(大笑)。僕自身は富野さ
んの文章好きなんですけど、これがアメリカで出版されたときは
アニメのビデオすら出回っていなくて、売れ行きの面で
だいぶ苦戦していたんですよ。さらに『スター・ウォーズ』と比
較されてしまったりなんてこともあって、ちょっと残念でした。同じ
デルレイ社から出ていた『スター・ウォーズ』小説版の売れ行きと
比較されちゃったんですね。それでも三巻合計で75000部売れました。
岡田 え
>>757 続きが禿げしく気になる!
75000って原作より売れてる?
知らないけどそんな印象。
やっぱり富野の日本語って変なんだな。
俺だけが感じたことではないんだ。
え?アレがいいのではないのですか?
ガンダム見てて一番おもしろいのは口喧嘩
と思う初心者
あの変な日本語が富野の個性であり持ち味、
でも富野本人は実は直したいとおもってるんでないかと思ふ。
私はカレーを食べた。
カレーを食べることに戸惑えないのも私なのだ。
>>755 ・雑談は他所でやれ
も追加してください。
自分で個性だと思うような個性はハナから捨ててしまえとか言ってるしな
他人から個性的だと云われる人は、それが褒め言葉でないことを知っていて、
大いに悩んでいたりするんだがな。
NT92年1月号巻頭特集「劇場アニメは何処へ行く? 19992核のない時代へ」より
結論からまず言いますが、アニメーションに将来があるかどうか問われたら、僕は絶対に“YES!”と答えます。
確かに、アニメを取り巻く状況は、僕がガンダムを作っていた’79年と今ではかなり違ってきています。
それは、社会的、文化的な背景もありますが、なによりも人的変化に顕著です。
特に、単に技術を超えたつくり手の質の問題からいえば、今は、明らかにかつてより落ちてきているといえるでしょう。
それは、人そのもの、いわば資質の問題もありますが、
本質的には、クリエーターとしての意識のもち方、そのあり方が問題なのです。
たとえば、今、世の中はまさにAV情報過多の時代です。
それこそ、やろうと思えば、365日、ただひたすらソフトだけで過ごす事ができるほどで、
その結果、人の意識も明確に変わってくるようになってしまいました。
つまり、今は、新たに入ってくる人のほとんどが、かつて自分の見たソフトの焼き直しをやりたいだけで、
基本的にオリジナリティーのある作品をやりたがるような人が極端に減ってきたのです。
確かに、これは受け入れ側のほうにも責任があるかもしれません。
今、アニメ業界はあまりにも効率主義一辺倒に走りすぎて、たとえば一般大学の卒業生や、
もっと極端にいえば、アニメの嫌いな人をスタッフに加えられなくなってきています。
しかし実際、こと表現のオリジナリティーということに関しては、そういった人のほうがよほど面白い作品を作ることが多いのです。
それは、ひとつにはアニメに対するスタンスの違いがあるかもしれません。
アニメに首までどっぷり漬かっていないような人は、アニメを単なる表現手段のひとつぐらいとしか考えません。
しかし、だからこそなにか強烈に表現したいものをもっていないと勤まりませんし、またそれでもついてくるような人は、
強い表現意欲とともに、その意欲を支える広い背景世界をもっているのです。
実際、僕自身、映画科出身だったせいもあり、表現として稚拙に見えるアニメーションが大嫌いでしたから。
でも、それが気がついてみるともう20年以上もこの世界で飯を食っている。
しかし、その中で、嫌いだからこそ、アニメで何ができるかを追求してきたと思うのです。
僕たちがこれから入ってくる人たちに求めるのもそこなんです。
常に、アニメを使って何をするんだ、何ができるんだ、ということを考えない限りは、
たとえどんなに絵が描けても、それは単に絵が上手なだけです。
確かにある部分では、優れた、ということばを付けることのできる表現をするかもしれません。
しかし、それでは総体としてのグレードは上がってきません。
表現の幅がどんどん狭くなってきて、必ずや袋小路に陥ってしまいます。
それを防ぐのは、先ほどもいったように広いバック・グラウンドです。
特に、プランナーたる者は、絶対にそのバック・グラウンドをもたなければいけません。
そして、表現の幅が狭くならないように、いつも企画を意識的に広げつづけなければならないのです。
ところが現実はどうかというと、ほとんどの場合、受け線を狙うだけになってしまう。
これは、よほど気をつけていてもすぐにはまってしまう落とし穴です。
たとえば、今20代後半から30代前半のアニメーターにアニメ雑誌の絵を見せると、大部分が嫌いだと言います。
しかし、現実にやっていることはその逆です。
流されているんです。
捨ててしまえ、って言ってるんじゃなくて
それが才能に昇華されるまでは偉そうに掲げるんじゃねえ
って言ってるんだと俺は思ってるが
まあ、こんなこと、10年以上も「ガンダム」をつくりつづけた僕が言えることではないかもしれませんが、
しかし「F91」でも新しい表現にはチャレンジしたつもりです。
そして、この2〜3年、アニメの最も嫌な面を見つづけてきた中で、それでもまだ作っていけるんだ、と知ったとき、
これまでやってこなかった部分がたくさん見えてきたことも事実です。
今、僕は’92年にむけて、全く新しい「ガンダム」のTVシリーズの構想を考えています。
それは、もういちどアニメーションの原点に帰った作品で、言ってしまえば「コナン」のような「ガンダム」です。
これは、はっきり言って、若い人にはできない作品でしょう。
しかし、自分ならできると思いますし、また、ぜひやってみたいとも思っています。
これは、明らかにチャレンジです。
あえて難しい道を選ぶ。
果たして、僕に新しいものをつくり出す力が残っているかどうか、自分にはわかりません。
物理制約も多いと思います。
しかし、新しいものをつくるという魔力には抗し難いものがあるのです。
もう一度言いましょう。
たとえこんな状況の中でも、新しい表現は必ずあります。
それがどんなものかはわかりませんが、あるということだけは言えます。
最後にNT読者へ。
学生時代にうんと自分を広げる努力をしてください。
それはそのときが純粋に学ぶために勉強できる最後の機会だからです。
770 :
768:03/06/14 22:40 ID:???
悪い、思いっきりマズイタイミングでレスっちまった
NT 特に今回は、富野さんご自身が現在考えておられること、それはアニメについてでも、
もっと広く一般的なことでもかまわないわけですが、それについて伺いたいと思いまして・・・・・・。
そこで、まずいわゆる全体的な状況についての感想なんですが、ことしの夏の劇場アニメは何かご覧になりましたか?
富野 いや、実はまだ見てないんですよね。「紅の豚」は機会があったら見ようと思ってるんですけど。
でも忙しくて、なかなか思うように時間が取れなくて・・・・・・。
ただ、絵なんか見ていて感じるのは、たとえば角川の3作品などは、もう僕らの感覚ではわからないというか。
それがいいのか悪いのか、何処に魅力があるのか、理解できなくなってきているんです。
そんな中でも、「紅の豚」は見てみたいと思うのは、その絵とか映画の内容に興味があるというのではないんですよね。
要するに、もう我々のイメージの中に確固たる宮崎アニメのクオリティーというのがあるでしょ。
だから、少なくとも見て損はないだろうなぁ、と。
現に日航で機内上映していて、サラリーマンたちもけっこう喜んで見ているということですが、
あれなんかもそのクオリティーに対する評価であって、必ずしも「紅の豚」に対する評価ではないわけですよね。
NT そうですね。過去培ってきたものも含めて、みたいな。
富野 だから「紅の豚」が入る入らないというのは、僕らから見ると、あくまで実績論なんです。
でも角川3作品の入りのほうは、今の客―これは、本来我々がターゲットにしなければならない相手という意味での―
がどういう方向に動いているかを示すものであって、
僕なんかにとって本来基本的に考えなくてはならないのはこちらの方ですし、それだけに重要なんです。
NT あれは、いわゆるアニメ・マニアがどういうエネルギーを持っているかですものね。
富野 だから、無理にでもそれを次の仕事につなげる、ということですよね。
しかし、そのようなことがもう根底からわからなくなってきている。
それと、僕自身、もし次の作品をTVでやるなら、もう一度、TV戻りするような作品をやってみたい、というのがあるんです。
それも、次回作がたとえ“ガンダム”という名のつく作品であったとしても、
今度は、過去「F91」までやってきたような“ガンダム世界”をそのままステップ・アップしていくようなつくり方ではないものを、というのが。
それは、今仮にTVということばを使いましたが、これから、
たとえば衛星放送も含めたかなり広いスタンスで将来的にどういうソフトを提供していくかということを考えたときに、
“ガンダム”という名前を据える限り、そうしたステップ・アップしていくやり方ではもう何も新しいことはできないだろうなって、
単純に思うからなんです。
つまりどういうことかというと、ファンのつきすぎた作品というのは、
認知のされ方が宮崎アニメなんかとは恨本的に違うわけですよね。
もうこれは、作品のクオリティーとかなんとかよりも、まず第一に、
それぞれのファンの中に侵し難い“ガンダムの虚像”というのができ上がってしまっているんですよね。
NT それは言ってしまえば、作品世界がひとり歩きしてしまうという。
富野 ええ。だから、もし次の作品をTVならTVでやらせてもらえるなら、僕の頭の中にあるのは、そうした垣根を取り払ったようなものをという。
それはきっと、ある面、自分の首を絞めることにもなるだろう、とも思いますが、やはりそういったつくり方をやっていかなくてはならない。
口はばったい言い方をすれば、その、マーケットリサーチをするような気持ちでいきたいと。
そして、なによりもアニメの原点に立ち戻っていかないと、いくらメカものだ、ロボットものだと言っても、結局はジリ貧になってしまうと思うんです。
そういうストーリー・ラインをつくっていきたいなあ、と。
そこで、今僕がいちばんわからないのは、リサーチする相手の求めているものはなんなのか、なんです。
角川の3作品も含めて、何がいいのか、悪いのか、全くわからない。
でも逆に、その辺りがわからないからこそ、もうちょっと違うスタンスで何かやってみたいという。
まぁ、よく言えば冒険心みたいなものはあります。
ただ冒険とは言っても、少なくともこれまでサンライズというテリトリーの中でロボットものをつくりつづけてきた実績はありますし、
サンライズ自身も俗に言う幼児戻りしているような作品をきちんとやってきているわけですから、
それはそれで、どういう形で商売になるかな、というのは見えてはいます。
もちろん、それだけでガンダムがある部分を構築してきたマーケットをカバーするのは、やっぱり無理だと思います。
じゃあ、その部分をカバーするのが角川3作品のテリトリーなのかとなったときに、
長年アニメをやってきた人間の立場で言わせてもらうと、ちょっとマニアの方向に走りすぎているのではないかと。
むしろ、対極に宮崎アニメとかディズニーのラインがあるとするなら、その辺りを取り込んでみたい。
そんなロボットものをやってみたいというのがあるんです。
NT その、TV戻りというのは、やはり年齢も含めて・・・・・・。
富野 そうですね。実は、宮崎アニメとかディズニー・アニメは、ロボット・アニメで使う年齢を使ってないんですよね、今は。
僕自身、実は「F91」で大失敗したと思っているのは、主人公の年齢設定なんですよね。
つまり、17歳とか18歳という年齢のもっているうっとうしさや、
それがいちばん怪しい年代なんだっていう問題に気がつかずに、そこに手をつけてしまった。
その為に、作品としてはどうしても弾まなかったという感触を、これはつくり終わって抱いたんです。
だいたい、あの年齢を扱って気が済むというのは、こんなこと言ったらメカマニアの人に怒られるかもしれませんが、
あれはメカマニアのレベルで好かれるということでしかないんです。
それだって、メカマニアが本当に喜んでいるかというと、必ずしもそうは見えない。
それよりも、12〜13歳という、人間の完成がいちばん鋭敏な時期の、しかも皆が最低限の共有体験をもっている年代を描いたほうが、
よほど生き生きとしますし、見る人の共感も得られるんですよ。
だから、できるなら次はそこでやってみたい。
NT ところで、つくり手として、現在の状況自体については?
富野 今僕がやりたいこと、やろうとしていることは、ある意味でアニメに最も勢いがあった時期、
具体的には15年ぐらい前に向いているわけですが、
それは、たとえば最近特に増えている過去に向った作品づくりというのとは根本的に違うんですよね。
それは、ただ懐古で物をつくっていくか、いつの時代も同じ混乱した状況の中で、
それでも自分は正統を歩んでいるかということを意識して作っていくかの差なんです。
この差は決定的で、きちんとした意識をもっている人間は、2〜3年したらきちんとした作品をつくってくれる。
それと、こうしたグチャグチャしているときに、むしろいろんなことを積極的にやっていって、
作品づくりとか企画の立て方なんかを覚えたヤツが結局は勝つんですよ。
たとえば宮崎さんだって、なにもスルスルと今みたいな立場に立てたわけではなくて、東映やめてから一般に認められるまで、
それこそどれだけの量の仕事をどういうふうにやっていったかということを、知っておいてほしいんですよね。
NT それこそ、設定の量やレイアウトの量にしても尋常じゃないですからね。
富野 僕もはたで見てましたけど。
その果てしない労働をやりながらも、宮崎さんはどんどん吸収していくんですよ。
だから、若い人たちがやっている量のやり方は凄く問題があると思うんですよ。
それこそ、本当にクソにもゴミにもならない仕事を一生続けることになるか、10年後にスタジオを建てられるまでになっているか。
それは本当にチョットした意識のもち方の違いなんです。
じゃあその違いは何なのかというと、これは残念ながら教えられない。
それはやっぱり現場で、体を使って覚えてもらうしかない。
そういうことで言えば、宮崎さんだって勉強家だし、高畑さんだって勉強家なんですよね。
今、僕がつらいのは、そうした才能が10年おいたら出てくるのか、というと、ちょっとそれが見えなさすぎるということなんです。
だけど、僕自身としては、そうした状況はありがたいと言えばありがたいところもあって。
何せ、こうやって次のチャンスが与えられそうな気配があるんですから。
あと、僕自身、もし60歳ぐらいまで仕事をさせてもらえるなら、やはり仕事をしていきたいということはあります。
まみれるっていうのか、宮崎さんもそうだと思うけど。
単に、自分の好きな作品をつくっていきたいというようなバカなことではない。
最近やたらとフリーになる人が多いですが、もっとそのあたりを考えて欲しい。
あと、やはり現場の風に当たらないと。
現場の風は情報を運んできますから。
そのなかで自覚をもって自分を磨く。
松本清張だって、デビューは40歳を過ぎてからなんですよ。
僕は今、そのことを次の世代のつくり手たちに伝えたいんです!
(了)
※本文中の「角川の3作品」とは「サイレントメビウス2」「アルスラ―ン戦記U」「風の大陸」
言葉の端々からVガンへの流れが見えるね。
原点に帰りたいとか主人公の年齢とか。
とは言ってもVはまったく弾んだ作品にはならなかったけどな。
これだけカッコいいこと言っておいて、Vかよ・・・
F91やりたかったんじゃねーの?
庵野氏は取材中、作中において死をたやすく扱う行為について
「少しでも想像力があるならば、簡単に人を死なせることはできないはずだと思います」と話した。
でも人間なんて簡単に死んでしまうものなのよね
古い雑誌の整理をしてたら、アニメージュ2002年3月号に
トミーノ×菅野よう子 の
地球光・月光蝶の公開直前対談ってのが出てきた。
これは既出か?ていうかまだ新しいから自粛すべきもの?
1年前の雑誌に載ったきりで、現在書店流通してる刊行物に再録されてなきゃOKだろ。
とか勝手にルールを制定してみる。
一定時期が来てもバックナンバーで取り寄せ可能なものは自粛した方がいいかもしれない。
>>778が正解じゃねー?
そんで出来なかったから鬱になってVと・・・
>>784 主人公を低年齢に云々書いてあるから・・・
もしかして本命はクロボンだったのか?
とりあえずもうちょっと細かいルール決めといた方がいいな
>>784 Vガン制作発表時のコメントから(NT93年4月号)
Vガンダムをマンガチックにでき、完全に色合いの違うガンダムがつくれたならば、
かなりずうずうしいですが、F91以後のガンダムが別にあって、
ひょっとしたら来年2本立てができるかもしれません。
もちろんF91を継承した物語は当然あり、それをつくる機会を狙っているのです。
合掌。
今からでもイイから作ってくれ!
キンゲ作った今なら、ハゲ、お前の思う通りのものが作れるはず!
>>787 たしかクロボンを作る予定だったんだがG、Wが以外に好評だったからXに取って代わられたんだけっか
富野節のクロボン見てみたかった・・・・
マンガのは長谷川節が強すぎて・・・
10年放置とか絶対あり得ないもんな。
F91はかなり本気で取り組んでたんだな。
ハゲは人気取りに行こうとするほどぽしゃるからなぁ・・・
東山紀之と森光子入籍、しかも養子縁組
ロランも老け専
>>797 いや、確かにディアナ数百歳だけどさーw
ロランなんか一生おあずけ(しかも本人満足)なわけだが。
この場合、ロランの方がよっぽど理解できる
>>799 一生じゃないよ、ディアナはじき死ぬから。
ロランとディアナ様は密かにやってるよ。
ロランはアレで女好きだからな。
尻ヘチだしな。
805 :
754:03/06/24 19:43 ID:???
かなり、反省してますた。
そろそろ、うpしたいのですが宜しいでしょうか?
1987年のアニメージュ10月号から
逆襲のシャア プレインタビューです。
CCA関連の本を持っていないため現在発売中の本に載っているか不明です。
また、ガイシュツの場合も教えてください投稿を自粛したいと思います。
>>805 がんばれ。ガイシュツかどうかは確かめてないが。
807 :
通常の名無しさんの3倍:03/06/25 00:54 ID:zrsw4Pfa
わ、sage忘れすまそ
>>806-807 ありがとうございます。
一応、明日の夜まで情報を待ってうpしたいと思います。
それまで、アニメージュの同じ1987年10月号の
記事を読んでお待ちください。
富野監督ファンに語る
さる8月7日(金)水戸市民会館にて、市内の川又書店主催による
「アニメフェスティバルin水戸」が開催され、富野監督講演会もおこなわれた。
まず、ガンダム第一話「ガンダム大地に立つ」と「逆襲のシャア」の
未公開予告フィルムの上映の後、ファンとの対話という形式でおこなわれた。
質問は多数あったが、主なものとしては、
「今回の『逆襲のシャア』には、セイラは登場しないのですか」
「噂になった『実写版ガンダム』はどうなっているのですか」
など興味ある質問がとびかい、富野監督はそのひとつひとつに対して、
「セイラは声優さんが、ぼくにやさしくしてくれないから出ません(笑)」とか、
「残念ながら『実写版ガンダム』は話の折り合いがつかなかったのです」など、
あらゆる質問に対し、監督から正直な答えがかえってきて、
ファンにとっては、興味をそそられる話だったようだ。
63 通常の名無しさんの3倍 NEW!! Date:02/01/25 09:46
まず、トミーノをブチ切らせるには、頭髪ネタでしょ。
昔、エルガイムの放送開始特番(名古屋オンリー?)かなんかで、
「監督はなんで、髪の毛が少なくなったんですかぁ?」
と、質問したツワモノがいたが、
トミーノ「だからっ、ボクはっ、こういう若造が嫌いなんですヨっ!!!」
と、顔が見る見る硬直しツバを撒き散らしながら激しく力説していたのを今でもハキーリと覚えてる。
>>811 師・手塚御大は終生人前ではベレー帽を取らなかったという・・・
ところで富野って怒鳴ると声でかいんだろうか。
トップランナーでも、なじったりヒートアップして手がつけられなくなったりしたが、
声はわりと小さくてこもってたんだけど。「!」つけるような部分はあんまなかったし。
>>812 「ヒポクラテスたち」って映画でハゲ晒してる。
アニメージュ 1987年10月号 逆襲のシャア プレインタビュー
「ガンダム」という作品を語るにあたっては、
やはりシリーズの総監督である富野監督を忘れるわけにはいかない。
そこで今回はプレインタビューとして、作品世界の基本的な考えなどを語って頂いた。
――まずお聞きしたいのですが、なぜ舞台を宇宙世紀0093年に設定したのでしょうか。
「ぼくは年代設定は確定していないのです。
大雑把に言えば、企画周辺のスタッフが書いた企画書などにあるように、
30歳というあのあたりの年齢が物語の決着をつけられるギリギリの線ですね。
ぼくも、アムロたちに30歳は超えてほしくなかったです。
けれども、何なのかな・・・作り手として困っている事は、
年代設定をして、年齢をわりだして、まじめにその年齢を描こうとする人が多くて、
監督のぼくとしては困っているわけです。
816 :
通常の名無しさんの3倍:03/06/26 18:47 ID:77ycekvp
それはどういう事かと言うと、わかりやすい例としては『スーパーマン』ですね。
1作目の作品から現在に至るまで、ずっと作られ続けているけれども、
あの作品で登場人物の年齢をあげつらう人はいないでしょ。
けれども『ガンダム』では、基本設定を年代物としたわけですから、
年表を作りたくなる、というのはわかります。
しかし、物語、とくにエンターテイメントの場合は、
主人公の年齢をあいまいにしたくなることがあるのです。
それはわかってほしいと思いますね」
―そういう部分にはこだわらないということですね。
「彼らは30歳前後だけれども、基本的に主人公の理想は30歳前後までなんだよね、ということです。
でも、十何年も彼らはズルズルやっているという人もいるけれど、
ぼくは、無視してやっています。
作画を作るという点は、ショーアップのことしか考えていないからで、
なるべく若く描かせようとしているんだけれども、
このところ原画チェックをしていても、みんながキャラクターを老けて描いてくるので困っています。」
――年齢は問題ではないと・・・・・・
「もし、年齢とかのディティールを追う人がいて、
たとえばそれが正義だとするのならば、
ぼくは今回の映画をアムロとベルトーチカの物語にしましたよ。
それを、彼女を無視せざるを得なかった一番の理由は、
やはりこれは映画でしょ、という企画の骨幹があるわけです。
それをぼくは了承したし、映画とはそうであると思っていますから。
だから、その企画の基本決定の時点で、年齢は無視してやるようにしています。
これが本当の歴史学だったら、1年のズレが持つ意味というのを考えていきますけれども、
ぼくの中にはそれだけのディティールを考えていくだけのブレーンがいないから、それはできません。
だから、ぼくは年表を含めて、一切関知していない。
そして、今度の映画の画面の中にも宇宙世紀0093年という数字は出てきません。
しかし、作り手とは別のところに存在してしまっているガンダムワールドを
否定する気もないですし、あってもらって困るものでもありません。
観賞して楽しむということと、
内容を理解してフィクションの世界を造るということは
『ガンダム』では上手くいっていないということですね」
――「ガンダム」を歴史として解釈する映像にしたくないわけですね。
「ぼくも、ある程度は年代を追って作るべきではないか、
ということでアムロとベルトーチカのシナリオを書いてみました。
しかし、それは出資者集団が拒否しました。
そして、その拒否はとても正しい、ということがやってみてわかったのです。
そうなると、その瞬間から年表というものは、なくなっていきます。
つまり、アムロは結婚していたのではないのか、
みたいな話で映画を作っていったら、それこそ夫婦の痴話ゲンカを描かなければならなくなってしまいますから、
そうなったらシャアなんか登場しませんよ(笑)」
――確かに本末転倒してしまいますね。
結局、映画を作るということは、年表をつくることとはチョット違う。
ただ、ぼくがそう考えても、年代記物のフィーリングだけはとるために、
ある程度は年齢を上げることは、やらざるを得なかったのです。
それが、いまは癌となってしまっていると、
今回の「逆襲のシャア」はそういうように理解しています。」
――「ガンダム」が観る人ごとに世界観を構築できるということが、かえって、
作品自身を拘束してしまっている、と考えていらっしゃるのですか。
「しょせんは『ガンダム』はロボット物なんだ、と語ってもらいたいのだけれども、
ことが『ガンダム』になると、なぜか製作周辺部にそういってひとが全然いなくなって、
みんながまじめすぎる働きをみせてくれるのです。
でも、本当はぼくのやり方と、もうひとつ別のガンダムワールドが厳然として存在しているということは、簡単にかたづけられる問題ではないんですね。
けれども、現実に映像の部分は、走ってしまいますし、
そのことによって、ぼくが恥をかくということは『Ζ』の時にもう覚悟していますから、
それをイヤとはいいません」
途中で下げ忘れますた。
大変申し訳ないです。
>>822 お疲れです
きになさらず〜
ベルトーチカ・・・・観たかったよ俺は。・゚・(ノД`)・゚・。
俺も角川版の小説のほうが好きだったので、
ベルトーチカ・チルドレンはぜひ観たかったよ…
>それをイヤとはいいません
後に富野は語る。
「イヤでしたね。ええ、とてもイヤでした。」
「いいません」であって「思いません」でないとこがミソですな。
富野に訊け!が読みたいが、あれは単行本になるんだろうか。
>>827 あれは立ち読みしなされ
アニメ氏だから恥ずかしいかもしれんが・・・・
けっこう身につまされるというか励みになってるよおいらは
富野本スレっつーか、信者スレなくなった?
>>829 本当だ・・・、落ちちまってるね
何ということだ、ハゲ神様の天罰が下りそうだ新スレどうしよう?
劇場版イデオンパンフレット
DOBULE RELEASE
A CONECT 接触編 Be INVOKED 発動編
THE IDEON イデオン
これはがいしゅつですか?
それとも現在発売中の本に載ってますか?
もし、そのような場合うpを控えますので情報をお願いします。
ガンガンいこうぜ!
いのちをだいじに。
お金だいじに
いろいろ犯ろうぜ
お金つかうな
>>833 ガンガンいきますよ〜
>>834-837 何か、よくわからんがとりあえず
今回の「これでも読んでお待ちください」のコーナーでは
御大以外発言スレ「08劇場版」パンフをうp
これでも読んでもちつけ。
イデオンのパンフは明日の夜まで情報を待ってうpします。
>>838 パンティ脱いで待ってま〜〜〜〜〜〜〜す☆
そういや、ターンAの時にプロレス誌で富野X佐竹対談があって、
「カプコンの人に絵を頼んだけど、僕は対戦ゲームなんて物は、
嫌悪するね。だって痛めつけるだけで痛みが伝わらないなんて、
絶対間違ってるっ!」と熱く偏った主張をしてたね。
ならガノタを痛めつけないでください
>842
痛みは伝わってるから無問題。
ガノタはMだから痛めつけられるほど、ハゲを愛してしまうのです。
・・・すまん、そりゃトミノ信者だった。
DOBULE RELEASE
A CONECT 接触編 Be INVOKED 発動編
THE IDEON イデオン
MESSAGE 最終回のために
総監督 富野喜幸
映画監督という作画的行為を成す物が己の作品を公開するにあたって
言うべきことではないと承知しながらも、
やはり書かざるを得ないということは苦しい。
作り手側の事情があるからといって、
評価なり評論される対象は作品であって作品が生まれる事情ではない。
しかし、この"イデオン"については
どうしても記しておかなければならない事と思えるので、ここに記させていただく。
元来がテレビのシリーズ物であった"イデオン"はかなり膨大なストーリーを抱え込んでいて、
3時間強の分量の中に収まるものではなかった。
にもかかわらず、あえて一挙公開という暴挙に出たのに3つの理由があった。
1つは、物語の気分が全くみえないダイジェストとすることを嫌ったということ。
2つ目はテレビ版のダイジェストでしかない作品を映画版と銘打って2本、3本と上映して、
ファンたちに必要以上の出資を強要することを嫌ったということ。
特にこれについては、この数年のアニメ・ブームとかいう風潮の中、
所詮はテレビ版の改さんでしかない映画版が
大手を振って通るということへの疑問があるからである。
小生に関して言えば、それを先の"ガンダム"でやった張本人である。
張本人であるから、その痛みが分かる。
殊に、ファンに対して3度まで出資を強要したということには
申し訳ないことだと思っている。
同じ金を使うのならもっと他の良きことへ使って欲しいという思いが、
他の世の父親たちと同じにあるからだ。
しかし、"ガンダム"の時は、"ガンダム"を成立させたティーン・エイジャーの力を
大人たちに示したかったという発意があった。
だから、決して間違ったことはやってはいないという自信があった。
しかし、出資を強要したのではないかといううしろめたさは変わることなくあった。
それらを回避するためには"イデオン"は一挙公開しかないと決意していた。
そのために己が泥をかぶってすむことならば、それで良いと・・・・・・。
その結果起こる作品についてのあらゆる非難を被ることを覚悟で、
小生は針の筵に座っている。
848 :
通常の名無しさんの3倍:03/07/02 18:17 ID:LHVRkAqy
そして、第3の理由はもし、一部、二部という興業形式をとった時に、
一部の入り(作品の出来でなく)の状況によって、"イデオン"の本来の完結編が、
再び公開されること無く、終わった場合、"イデオン"は本当に未完に終わってしまう。
それを最も恐れた、といえる。
それは事情論とは別に、作り手側が最も恐れることである。
そのために、ともかく完結部分を描き、発表したいという作り手のできる
最小限度のことをやってみようとしたわけである。
我々スタッフはファンと共に、
かつてみることのなかったエピローグを見たかったのだというたった1つの点に賭けて、
今回のダブル・リリース方式を採用したのである。
そのために映画版のドラマは、ドラマとして成立することなく発端と発動を直結させた。
まとめたのではない。直結でしかない。
これは作劇を遠く離れ、そのために各スタッフから声優から「冗談じゃない」という声があがった。
矛盾に満ちて、何が物語なのかという思考さえも働かせることなく、
"イデオン"は"発動編"のラスト・アクションに入る。
どう断罪されてもそれに抗弁する術を小生は持たない。
しかし、それを承知で公開の機会を与えて下さった松竹及びに各劇場の関係者には、
心から御礼申し上げる。
そして、それを承知で観に来てくださった皆様方にも心から御礼申しあげたい。
そして、各スタッフに対しても・・・・・・。
本映画は"イデオン"の最終回でしかないと言える。
ここに至る間に我々スタッフの万感の思いが込められている事もまた事実である。
非は全て小生にある・・・・・・。
また、sage忘れた・・・
次こそ気をつけます。
髭の話題が出てたので、
Newtype 1999年 1月号
富野由悠季1999ガンダムAプロジェクト監督インタビュー
GUNDAM RISING 胎動
こちらはがいしゅつですか?
それとも、現在手に入る出版物に載っていますか?
そのような場合、うpを自粛したいと思いますので
情報を宜しくお願いします。
ガンガンいこうぜ!
髪の毛をだいじに
>>851 ガンガンいきたいんですが、土日は家に居ないので
明日の夜まで情報をまってうpしたら小休止。
自分的にはすでに恒例コーナーになった
「これを読んでお待ちください」では
Newtype 1999年 1月号
富野由悠季1999ガンダムAプロジェクトから
メッセージ部分だけを抜粋
また他監督スレに高松信司をうp
"ガンダムAプロジェクト"と富野監督へメッセージ
大河原 邦男
新たな20年に向けて、新たなガンダムがどう動くのか、大変な仕事だとは思いますが、
スタッフとしてもファンとしても楽しみにしてます(談)
北爪 宏幸
当時と現在では世相もかなり違うと思います。
ですから、また「あのガンダム」ではなく、当時のアニメを変えたように、
今度も現在のアニメを一新するような魅力のある新しい
「ガンダム」が発表されることを富野監督に期待してます。
出渕 裕
「1stガンダム」からの宇宙世紀をとことん掘り下げ、
スキ間を濃く埋めていくか(アイデアだけはあるんですけどね)、
「ガンダム」というブランド名を最大限利用してまったくの別物、
たとえばガンダムという名の宇宙船で舞台も地球圏から離れたくらいの代物に
創造しなおすか・・・くらいしかないのでは。
中途半端は却って身を滅ぼすよーな気がする。
あと、富野アニメはロードムービーがキテル!キーワードはこれですかね
美樹本 晴彦
最初のガンダムが見せてくれた新鮮さと興奮をまた期待したいですね(談)
カトキ ハジメ
監督がどんな「ガンダム」を創るつもりなのかまだわからないが、
これまでのトミノスタイルが変わるとは思えない。
それまでの若者の好みや流行なんかを意識しないで、
我流を全開にしてやって欲しいです。
煮詰めた挙句ににじみ出るトミノ演出に期待しています。
佐野 浩敏
わがままいっぱいにやって欲しい。
何から何まで冨野さんの「匂い」がプンプンするものが見たいです(談)
川元 利浩
新しいスタッフがつくる流れと、
富野監督の演出スタイルが融合してつくられる新しいガンダムに期待しています。
逢坂 浩司
悶絶、絶頂、虚脱の中から生み出されたドラマの上に、
キャラクターたちがどういう人間性を見せ、なによりも富野由悠季という男でもあり、
親でもある人がフィルムを通じて今度は何を我々に問いかけてくるのか。
ワクワクしながら見届けたいと思います。
がんばってください
村瀬 修功
ガンダムというよりもディレクションのもとで仕事したときに得たものが、
現在、ものをつくる上での基礎になっていると思います。
サンライズのプロデュースに期待します。
石垣 純哉
安田朗さんの新キャラ、シド・ミードさんの新メカが動くのを見たい。
その魅力を存分に伝えてくれるのを楽しみにしています(談)
そして破綻。
そして公的資金導入
破綻戦死りそなガソダム
富野由悠季1999ガンダムAプロジェクト監督インタビュー
GUNDAM RISING 胎動
実は"Aプロジェクト"の話は、すでに'96年の春に出ていたんです。
そして、僕がそのとき一生懸命に考えたのは
『ファーストから始まったガンダムのシリーズを、個々の作品の内容だけでなく、
それを取り巻く状況もひっくるめて、全肯定するようなものにできないか』ということでした。
そのための世界観や物語のアウトラインができたところで、
次のガンダムは僕にとって本当の意味での新作になるだろうから、
そのための準備として「ブレンパワード」を監督させてもらって、
シリーズ創りの練習をしました。
そうして「ブレンパワード」の練習をやりながら、
'97年から'98年にかけて「タイタニック」が大ブームになり、
アニメでいえば「エヴァンゲリオン」と「もののけ姫」がそれぞれのスタンスで成功した
――という経緯を見てきたわけですが、
そのなかで僕は「タイタニック」以後、映画の作り方は完全に変わるだろうと実感しました。
そして、自分がAプロジェクトに関して考えていたことが、
決して間違ってはいないという確信をもちました。
と同時に、Aプロジェクトを実際にオンエアさせていただくことができれば、
これまでのガンダムとは違うものができるだろうという確信もまた生まれたんです。
これについて僕は、先月号のカトキハジメくんとの対談のなかで映像作品を
つくる立場から自分の考えを述べましたが、
直接のテーマからはずれているということで、その部分は活字にはなりませんでした。
ここで改めてお話しておくと、こういうことです。
まず「タイタニック」という映画は、これまで主にSFXを駆使した
アクションものを撮ってきたジェームス・キャメロン監督が、
脚本まで自分でタッチして《物語》をつくろうとした
――つまりストーリーテリングに重点を置いている点で監督の姿勢が変わったと思いました。
それだけでなく、キャメロンがあえて巨費を投じてチープなラブストーリーを
つくったということには大きな意味があって、
映画とはこういうものでいいんだということを、
彼は実際の作品として、提示してみせてくれました。
つまり、これだけ日常的にCGがあふれているいま、
もはや映像的なセンス・オブ・ワンダー(驚きの感覚)だけでは映画は成り立たない。
SFXでいくら刺激的な映像をつくっても、すぐ飽きられてしまいます。
そんな時代に、なおかつ映画をつくっていかなくてはいけない立場として、
何を目指せばいいかなと考えてキャメロンと彼の周囲にいる、
とてもいいインテリジェンスをもった人たちが、ああいう映画をつくったのです。
それはどういうことかというと、
みんながおもしろがれる、みんなが泣ける、みんながサスペンスを感じられる、
そういうわかりやすいところに話を落としたんです。
要するにキャメロングループのスタッフたちは、映画とか物語の原理原則に立ち返ったわけです。
ヒロインが絶世の美女でなく、親しみを持てる程度の美人であることも含めて、
みんながとっつきやすい映画にしたから、あれだけヒットしたんでしょう。
「タイタニック」には、高尚なテーマやメッセージはありません。
ですが、映画というのは本来《活動写真》だし、
なによりもまずエンターテイメントであり、芸能であるわけですから、それでいいんです。
最近の日本でインド映画のコメディーが受けているのも
同じようにみんなが楽しめるオープン・エンターテイメントだからこそです。
そういう映画状況を考えた時に、僕は確実に"「タイタニック」以後"
という言い方ができるとおもいました。
映画は、ついにSFXやCGの技術を使いこなしながら、
そういう刺激だけに頼らない原理原則のお楽しみという部分を手に入れてきた、と。
だは、アニメはどうなんだと考えたときに、
アニメの場合は実写と違ってすべてを嘘八百のところから積み上げていく世界ですから、
その根もとを支える設定がなければならない。
ガンダムの場合、それは人型ロボット=モビルスーツなんだから、
それを組み込んだ活動代写真をつくればいいんじゃないかと思ったんです。
そういう意味で、これまでのシリーズを全肯定しながら新しい世界をつくっていくという
Aプロジェクトの方向性は、僕はそれほど間違っていないと思うし、
映像作品として、「タイタニック」以後に発表するガンダムとして、
とてもあっけらかんとしていていいなという作品にしたいのです。
その上でいうと、今度のガンダムはみんながわかるような話で、
ちょっとだけミステリアスな部分がある。そういうものになります。
それがドラマ上のサスペンスを生むだろうし、技術論でいえば、
人と巨大なモビルスーツが物語のうえでどう絡みうるのか、
その点も改めて考えて製作に入っています。
また、内容的には「ブレンパワード」の後半で試みたように、
敵味方が入り乱れた話になるでしょう。
ですが、それはとても複雑な話になるのかといったら、
決してそうではないんです。構造としてはすごくシンプルです。
ひとつヒントになることをお話すると、
昔からあるチェンジリング(取り替えっ子)の話も出てくれば、
かぐや姫やシンデレラのような要素もある。
つまり、おとぎ話とか童話がもっている原理原則が物語のベーシックな部分、
これを全部、今度のガンダムには入れました。
こういえば、すごくわかりやすいでしょう?(笑)
実はこれが、いまお話できる範囲での嘘偽りのないAストーリーの骨子、
ということになりますね。
以上です。
土日はうpはお休みさせて頂きます。
申し訳ないです
タイタニックについてはアニマックスの特番でも言ってたな
録画しとけばよかった
パイパニック
>>866 話自体は確かに限りなくチープだが、なにか世界に奥行きがある
名前のない脇役一人一人の演出に手を抜いていないというか
まあとにかく見て損は無い