いいよ。思う存分吐き出しな。
946 :
離婚さんいらっしゃい:04/07/12 23:45
>>924の話が中途半端なんだが?
新しい父親はどうなったのよ
947 :
離婚さんいらっしゃい:04/07/13 00:10
924は私の書き込みではありません。
・・・・。お言葉に甘えて続き書いてもいいですか?
やっぱりダメでしょうか・・・。
支援age
明日まとめて読むから朝までに完結しておいてな。
おやすみ支援
次スレたてておいてね
951 :
離婚さんいらっしゃい:04/07/13 00:30
小2以来初めて話すのがお金の事だなんてちょっと嫌だったけど、お父さん
と話せると思うと嬉しくて笑顔になった。お母さんは「もっとつらそうな感じ
で電話しなさい。」と言い、メモに細かく必要経費を書いて(全部何千円かづつ
上乗せしてた)私に見せた。「これ見て話しなさい。」保留のランプが消え、
懐かしい父の声が聞こえた。「どう?元気でやってるか?」私は一瞬頭が真っ白
になってどもってしまった。「は、はい。元気です。」
952 :
離婚さんいらっしゃい:04/07/13 00:56
それから何を話したかは良く覚えていない。とにかく緊張して舞い上がってた。
金額をメモ通りに伝えると「へえ・・随分かかるんだなあ。」と言われた事だけ
覚えてる。でも最後は「楽しんでこい。」みたいな事を言われてすごく嬉しかった。
多分数分しか話してないのだけど。その後母がかわって話していたがなにやら
お金のことで言い争ってるようだった。すごく嫌な気持ちになった。電話の後
母は父が浮気した話など延々と私に話した。私は他人事のようにそれを聞いていた。
953 :
離婚さんいらっしゃい:04/07/13 01:07
修学旅行はほとんど一人で行動していた。でもはじめておこずかいをもらい、
自分が欲しいものを買えた。家族分のおみやげも買った。自分の分はイルカ
のキーホルダーを買った。自分でも驚いたけど感動で本当に手が震えた。修学旅行の写真
は集合写真以外一枚もない。先生が撮ってくれようとしたけど、恥ずかしくて
断ってしまった。でも家族も喜んでくれたし、いい思い出になった。
954 :
離婚さんいらっしゃい:04/07/13 01:21
いじめられたまま私の小学校生活は終わった。でも兄が「中学入ったら制服
着るんだから貧乏とか関係なくなるよ。お前は絶対悪い奴じゃない。もういじめ
られる事なんて無くなるさ。」と言ってくれた。
実際入学当初、いじめられる事などなかった。小学校からの同級生が最初陰口を
言っていたが、新しい友達が庇ってくれた。私もだんだん明るくなっていった。
955 :
離婚さんいらっしゃい:04/07/13 01:34
その頃母が突然犬を飼うと言い出した。お客さんの家で子犬が生まれたので
一匹もらうというのだ。見にいったらそれは可愛らしい子犬がよちよち歩きで迎えてくれた。
母もよくムツゴロウさんの番組を見てるだけあって子犬が可愛くて仕方ない様子だった。
そして「お兄ちゃんは外行ったら帰ってこないし、ばあちゃんは入院してるしあんた
寂しいでしょ?ちゃんと世話するなら飼ってもいいわよ。」と言ってくれた。
私はもちろん「頑張る!」と返事した。新しい友達ができた。
956 :
離婚さんいらっしゃい:04/07/13 01:47
母は子犬を躾る時も容赦なく叩いた。私は犬を飼うのは初めてでそういうものなのかな?と
我慢していた。犬は私にとても懐いてくれた。私も大好きだった。友達と遊びに行くことは
できなかったけど、それでも犬さえいてくれたら寂しくなかった。学校で同じように犬を飼ってる
友達と盛り上がり、飼ってない子にはうらやましがられた。人に羨ましがられた事などないので
なんかビックリした。お母さんが犬を飼ってくれたことに感謝した。
957 :
離婚さんいらっしゃい:04/07/13 01:59
でもそれは大きな間違いだった。割と気性の荒かった犬は母に怒られ、叩かれても
弱音を吐かず唸り声をあげた。そしてある日母が私を蹴っている時にゆるくなったゲージ
の戸を開けて、襲い掛かったのだ。母は驚いた後怒り、犬をまたゲージに閉じ込めて
隙間から物差しをいれて滅茶苦茶にかき回した。私は呆然となった後、気づいて
母を必死に止めた。でもやめなかった。私は泣きながら何度も土下座をした。
958 :
離婚さんいらっしゃい:04/07/13 02:11
母がお店に行った。犬は片目が潰れ口から泡を吹き、手足や顔のあちこちから
血が滲んでいた。私は泣きながら犬に謝った。「ごめんなさい!」何度も謝った。
家にあった救急箱で役に立ちそうなものを探して手当てをした。
(病院行かなきゃ!)私はお金も無いくせに、しかも内科の医院に連れて行った。
もちろん断られた。動物病院の場所を教えてもらい、見にいったら閉まっていた。
泣きながら家に帰った。兄はその日帰ってこなかった。
959 :
離婚さんいらっしゃい:04/07/13 02:21
母の帰りを待ち、病院に連れて行って欲しいと頼んだがやはりダメだった。
それどころか私に怒る時には必ず犬を叩くようになった。犬は弱っていても
小さく唸った。それが気に入らない母はもっと殴った。私は母に「はい。」
「申し訳ありませんでした。」しか答えなくなった。
いつも散歩に行く公園で仲良くなったおばさんがいた。犬をたくさん飼っている
人だった。私はその人に「このこ貰ってくれませんか?」と聞いた。
960 :
離婚さんいらっしゃい:04/07/13 02:36
「どうして?」と聞かれて私は答えられなくなった。母が酷い人だと言いたく
なかった。だから母の知り合いが家に来て犬に暴力をふるうのだというへんてこ
な話をした。おばさんは黙って聞いてくれた。私は嘘がばれるのではないか?
断られたらどうしよう?とビクビクしていた。おばさんは笑顔で「いいよ。」
と言ってくれた。ホッとした。「傷が治ったらまたこの公園に連れてくるから、
あなたも来なさい。」と言い、犬を連れて行った。犬は何度も足を踏ん張って
振り返った。辛い別れだった。それから公園には行ってない。
961 :
離婚さんいらっしゃい:04/07/13 02:48
学校でいじめられる事はなかったが、誘いをいつも断るせいか親友と呼べる人が
いなかった。でも家にいるよりはずっと楽しかった。男子に告白されたことも
あったが、どう考えても楽しい付き合いなどできないので断った。家事も早く
こなせるようになったが今度は店の準備や後片付けを手伝うようになり、祖母
の病状が悪化して週2日はお見舞いがてら洗濯などするようになった。勉強も頑張った。
母が毎日ノートをチェックしているのだ。していないと殴られる。
962 :
離婚さんいらっしゃい:04/07/13 03:02
この頃母は店を2店舗増やし、ちぃママ二人を雇って経営していた。多分母は
商才のある人なんだと思う。ちぃママは母子家庭の人だった。お客さん達は母は
人格者だと誉めた。でも人を見る目が無かったようだ。ちぃママは店の売上を
誤魔化し続けた上、全部持って姿を消してしまった。後には借金だけが残った。
そして世の中は不景気になり母は毎日イライラして当たり散らした。私はいつも
怯えていた。時々病人の祖母に愚痴を言ってしまった。祖母はいつも心配そうに
話を聞き、お菓子をくれた。唯一の居場所だった。
964 :
離婚さんいらっしゃい:04/07/13 03:10
お疲れさま( ・∀・)っ旦~
もう遅いから明日にしなよ。おやすみ
明日また支援すらからさ
965 :
離婚さんいらっしゃい:04/07/13 03:17
お金が無いので母の指示で父に電話する事が多くなった。最初は快く了承して
くれていたが、月に何度もするのでだんだん渋る事が多くなった。「俺はちゃんと
母さんにお金送ってるぞ。なんでこんなに足りないんだ?そんな贅沢してるのか?」
それは違う。借金があるから足りないのだ。私も兄も贅沢などしていない。
父にそう話したかったが、母の前では何も言えなかった。私はただ「お願いします。
お金をください。」とだけ答えた。電話の後、母は必ず父の悪口を言う。そして
「お前は父親にそっくりで嫌な人間だ。」と言った。
966 :
離婚さんいらっしゃい:04/07/13 03:24
ごめんなさい!もうこんな時間!本当に長々と申し訳ありませんでした。
支援してくださった方ありがとう。おやすみなさい。
今日起きれるかしら私・・・(T T
>>963を読むことをオススメします、すごい人もいるもんですね
あとsageないと荒らし扱いだよ
このスレよんで感動したよ
969 :
離婚さんいらっしゃい:04/07/13 06:16
おはようございます。
963のスレ読みました。こんな酷い目に会われた方がいるなんて・・・。
それに比べたら私は人間らしく生活させてもらっていたのだなあと思います。
このスレを読んだ途端、何かがはずれたように沢山書き込みしてしまって今読むと
恥ずかしいです。続きはこのまま胸にしまっておきます。
つまらない事ばかり書いてしまいました。ごめんなさい。
いやいや、書くのをやめろって言ってるのではなく
強く生きてねっていう意味で貼らせてもらったんです。
続きがまだまだあるので、探してみてください。
そこでも言っているように、はき出すことにより救われることもありますので
自分もここで、何度かはき出してすっきりしているので
ひとつお願いがあって、連投するのなら
テキストなどにまとめてから一気にカキコしてほしいです。
あとメール欄にsageと入れてください。
すでに次スレが立っているので、埋め立てついでに続けてみては?
続きキボンヌ
支援age
972 :
離婚さんいらっしゃい:04/07/13 17:53
お父さんは義父で、母親は実母。
母親に男が出来て離婚することに。
その場合、20才過ぎてて結婚してない私の籍ってどうなるのですか?
母にはついていきたくないし、父はお母さんの子供だし・・・・
って言ってるのですが。ちなみに、再婚した時に、
父の養子縁組もしてますが、名前とかどうなるんでしょか?
スレ違いでスイマセン。
名前は好きにできるよ。
籍は母親かな?
よくわかりません、ごめん
離婚さあんいらっしゃい さん・・・・・・・・
このお話HPでのせてもいいでしょうか?
無理ですか・・・・・な?
なんかわからんが支援。
しおり頑張れ
976 :
私もそんなに詳しくないのですが:04/07/13 21:59
基本的には父母が離婚しても子供の氏や戸籍は変わりせん。
15歳以上になれば子どもが自主的な判断をし、父母のどちらの氏を
称するかを決め、自分で氏変更許可の審判を申し立てることができます。
972さんの場合は母親の婚姻にともなう養子縁組との事なので、お父様が
1・このまま自分の娘でいて欲しいと思っている
2・婚姻が無くなったのだから母親に付いて行って欲しいと思っている
のどちらの気持ちかにもよるのでは?
1ならそのままでいいと思いますが、2の場合養子縁組を継続すると
相続などの問題も起きますので養子縁組の解消という事になると思い
ます。お父様の気持ちを確認してはいかがですか?
養子縁組の解消の場合、成年に達していれば自分の意思で従前の戸籍
から分離独立し新戸籍を編製できます。
977 :
離婚さんいらっしゃい:04/07/13 22:08
>>974シオリ
ほとんど「離婚さんいらっしゃい」なんだが
誰に言ってるんだ?
レス番で聞いてみた方がいいぞ。
978 :
離婚さんいらっしゃい:04/07/13 22:12
そろそろ次スレ立てようか?
立ってるよ
981 :
離婚さんいらっしゃい:04/07/13 23:18
>>920 公務員関係の人は現職中は体面を重んじて、
退職してから離婚する人が多いけど、
貴女の両親はお父さんが現職中に離婚したんだね。
オレの父も公務員だったが退職してから離婚した。
もっともそれまで10年近く別居していたけど。
あ〜そういえばうちの母親3回目の離婚の時、自分15歳以上だったから
学校休んで一緒に裁判所だかなんだかで、書類書かされたな〜
あれはなんだったんだろう・・・・今でもよくわからないなぁ
983 :
離婚さんいらっしゃい:04/07/14 00:40
15歳以上は本人が氏や戸籍の変更手続きしなくてはいけないんだよ。
すみませんが、どなたかテキストを書いて書き込むにはどうしたらいいか教えて
もらえませんか?上で荒らしの様な書き込み方をしてしまって、上手く書き込みたい
のですがやり方がわからなくて・・・。よろしくお願いします。
こんばんわ。965等のレスを書き込んだ者です。
あれから仕事していても、ふと思い出して泣きそうになったり、寝ても昔の夢を見たり
でなんだか胸がもやもやしています。
今まで昔の事などほとんど忘れたと思っていましたが、書き込んでいくうちにすごく鮮明に
覚えている事がわかりました。上手く書き込む事ができませんが、もう少しだけ書かせて
ください。
どうぞどうぞ。
新スレも立ったことだし、思う存分吐き出しなよ。
何度か電話しているうちに、父は電話に出なくなった。繋がっても留守電だった。
養育費しか届かなくなり、母の暴力はますますひどくなっていった。私は友達と話しても
うまく笑えなくなっていった。友達が楽しそうに話す好きな子の話、旅行の話、海水浴の話、
誕生日の話・・・遠い国のおとぎ話を聞いてるようだった。
ある日母が見知らぬおじさんを連れて来た。なぜか一緒に夕食をとり、母と楽しそうに笑っている。
母は別人のように笑っていた。私は居心地が悪くて無言で食べた。
「お母さんあの人と結婚しようと思うの。だからこれからお父さんと呼びなさい。」
おじさんが帰った後、母はそう言った。・・・何を言っているのか?お父さんはいるのに、何故あの人
をお父さんと呼ぶの?私はお父さんのいない子じゃない。お父さんはちゃんといる。
そう思っても私は首を縦に振っただけだった。
その頃祖母が退院して家に帰ってきた。するとほとんど家に帰って来なくなっていた兄も
少しずつ家にいてくれるようになった。祖母は足腰が弱くなり、家事ができない事をよく私
に謝った。「苦労させてごめんね。」でも私は前より忙しくなったけれど、もういてくれるだけで
充分嬉しかった。兄は高校生になり、新聞配達でバイトしていた。バイト代の半分は家に入れてた
ので母は「親孝行な子だ。」とよく誉めていた。お客さんも感心していたし、私もうらやましく思い
ながらも尊敬していた。私よりずっと大人に見えた。兄は母が再婚する事に賛成していた。
「母さんの人生だ。好きにさせてやれよ。それにあの人は離婚して母さんが死のうとした時、助けて
くれた人なんだぞ。」
それでも私は嫌だった。お父さんが消えてしまう気がしたから。
それから頻繁におじさんが家に来るようになった。ぎこちないながらも家族のようにみんなで
話す。私一人だけが黙っていた。話し掛けられても顔を見ることもできなかった。うつむいて返事
するだけだった。そんな態度でいたので母はおじさんの帰った後私を殴った。祖母が止めようと
すると母の部屋に連れ込まれ、鍵をかけられて殴られた。部屋を出ると祖母が泣いていた。
「今までもこんな事されていたのかい?」とくしゃくしゃになった顔で聞いてきた。そんな事ないよと
言おうとしたのに勝手に涙が出てきてそのまま声を上げて泣いてしまった。
お店に行こうと玄関に向かう母に祖母が「鬼娘!!」と叫んだ。母は「うるさい!私の子供なんだ
からばあちゃんが口出しするな!!」「誰が入院費援助したと思ってるの?!文句があるならねえ、
弟の嫁さんのとこに行けばいいでしょ?!」そう怒鳴ってドアを蹴飛ばし、出て行った。
残った祖母と私はそのまま泣き続けた。祖母が先に泣きやみ、頭を撫でてくれた。
「辛い時は何でもばあちゃんに言いなさい。家の事もこれからは一緒にやろうね。」
嬉しかったけど、ありがとうも言えずに泣き続けた。
それから祖母はご飯支度など少しづつ手伝ってくれるようになった。何も言わないけど
やっぱりつらそうだったので私は「いいよ。大丈夫。」と言った。でも手伝ってくれた。
兄も昔のように力仕事などやってくれるようになった。今まで届かなくて下ろせなかった
荷物を下ろしてくれたり、壊れた電化製品を直してくれたりもした。お礼に私も時々兄の
バイトを手伝う事にした。朝の3時までに事務所みたいな所へ行き、自転車の前後に沢山
積んでゴムでくくりつけて運ぶ。重さでハンドルが曲がってうまく乗れず何回も転んだ。
その度にバラバラになった新聞をほろって戻し、配達した。お金をもらうのってこんなに
大変な事なのだなと実感した。母も兄も頑張っているのだと思った。兄は「お前こんな事
まで手伝わなくていいぞ。俺一人で充分だ。」と言ったけど、実はあの早朝の静かな住宅街で
ちょびっと車道を走るのが楽しみな事を打ち明けたら「まあ好きなようにしろよ。無理は
するなよ。」と笑ってくれた。
家に帰れば祖母がいて「おかえり。」と迎えてくれる。母に殴られてたら慰めてくれる。
夜になれば兄が帰ってきて3人でテレビを観ながらのんびりする。今まで私は母にテレビ
を観ることを禁止されていた。私の机は居間の窓際にあり、その後ろに衣装箱が一つおいてある。
そこが私の場所だった。休みの日は母が居間でテレビをみる。私は机で勉強しながら
こっそり観たり、耳で聞いたりしていた。
祖母や兄は当たり前のようにテレビをつける。私も禁止されてるとは言わず、内心オドオド
しながら観てた。母は何も言わなかった。
母は本当にあのおじさんの事が好きだったようで、だんだん家に帰らなくなった。
祖母は私に「あなたもお友達と遊んでらっしゃい。」と言った。でも私には誘い方が
わからなかったし、どうしていいか困った。そこで図書館に行くことにした。
新聞配達をしていた時見つけたのだ。大きな窓から沢山の本棚がみえた。私は本を
持っていなかった。国語の教科書に載っている小説を何度も読み返していた。いつか
大人になったら本を買おう。色んな本を読んでみたいと思っていた。こんなに早く読
める事になってうれしかった。その日は閉館の5時まで夢中で読書をした。
母がいないある日、私はあの引出しを見つめていた。父の事が書いたメモの入った
引出しだ。鍵がかかっているけれど、なんとかしてメモを取り出すことができないだろうか?
家には誰もいなかった。母も今日は帰ってこないと思う。やるならいましかない。そう思った。
私は金槌を持って引出しを叩きこわした。見つかったらすごく殴られるだろう。
中には通帳や印鑑、そしてメモがあった。住所と電話番号が父の名前とともに書いてあった。
父の住所は別の県で遠い所だった。父に会いたい!・・・それで頭の中が一杯になった。
母と祖母と兄にそれぞれ手紙を書いた。そして父に電話をし、留守電に会いに行く事を入れた。
通帳でお金をおろした。いくらかかるのかわからなかったけど5万円おろした。そして駅に向かった。
私は修学旅行以来久しぶりに電車に乗った。胸がドキドキした。悪いことをしている罪悪感、
父に会えるという期待、これから先どうなるのかと不安なのにワクワクしている気持ち。ごちゃ
まぜになっていた。色々な人に道や駅などを聞きながらどうにか父のいる街の駅に着いた。
(もう少しで父に会える!)意気揚揚として外を見るともう日が暮れていた。
駅にあった地図を見たが、父の家がどこなのかわからなかった。駅員さんが話しかけてきた。
「ちょっとこっちにおいで。」と駅員室に連れて行かれた。駅員さんに年齢、名前、住所、
電話番号を聞かれた。私は怒られるのではないかと怯えて黙っていた。駅員さんは困った顔を
した。そこでメモを見せて「ここへ行きたいんです。教えてください。」と頼んだ。駅員さん
は「ちょっとまってね〜。」と奥の部屋に入っていった。それから笑顔でもどってきて、テレビ
のある部屋に連れて行ってくれた。「ここで待ってなさい。お父さんが迎えに来てくれるから。」
と言われてビックリしたが、あわててお礼を言った。
それから一人でウロウロしたり、ニヤニヤしながら父を待っていた。(お父さんが私を迎えに
来る!)どんな話をしようか?お父さんはどんな話をしたら喜ぶかな?そんな事ばかり考えていた。
ノックの音がして振り返ると駅員さんと誰かが立っていた。「お父さん来たよ。」とにっこり
笑った。
独り言のような長文失礼しました。明日も早いので今日はもう寝ようと思います。
986さん、ありがとう。おやすみなさい。
最初からずっと見守ってきたこのスレもとうとう1000まで来たか
いや、このスレたぶんだけどバツイチ板1の良スレだと思う。