>760
>グレートハンティング
全編ヤラセです。監督の一人マリオ・モッラが近所の動物園で撮ったフィルム。
そりゃまあくまで映画ですから。
ベトナム戦争に反対して焼身自殺した坊さん
どっかの映画監督が再現映画を作ったら、あまりに本物っぽくて本物として流通してるんだっけ
火がついてからもずっと座禅組んだままで、
最後にそのままの体勢で後ろにひっくり返るやつ?
>763
ティック・クアン・ドク師のことか?
ベトナム戦争反対じゃないくて、時の政府の仏教弾圧に抗議しての焼身じゃなかたっけ
フエでそう聞いたぞ
766 :
世界@名無史さん:04/04/11 19:13
やはり項羽。
それか、ジョン王。桃食いすぎ。
767 :
世界@名無史さん:04/04/11 21:19
田横は既出かな?
韓信に騙し討ちにされて何とか小島に逃れる。
人望があったらしく、大勢の人物が食客として彼の元に殺到。これを知った劉邦は警戒し、
「罪を全部許すから都に来い」と命令した。田横は即座に罠と悟って来なかった。
「私は嘗て、陛下の使者であるレキイキ(漢字が出ない)を殺しました。陛下の部下のレキ商殿は彼の弟ですから、どんな事をされるかわかりません」
という理由で。劉邦は、仕返ししたら一族皆殺しだと命じておいたから来い、としつこく命じる。
死を覚悟した田横は従者を連れて都に向かい、宿に到着した所で、
「私の首を陛下にお見せしろ」(だったか?)と食客に言い残して自刎。従者がそれを届けた。そして、その従者もまた死んだ。
これに驚いた劉邦は、田横の見事な死に様に感銘し、食客を呼び寄せる様に命じたが、
数百人居た島の食客がこの事を知ると、殆どの食客が田横の後を追って死んだという。
事実かどうかはともかく、凄まじいな。
768 :
世界@名無史さん:04/04/12 02:06
スパルタクス
古代ローマの大奴隷反乱の指導者。緒戦でローマ軍を撃破、
奴隷を解放し貴族から略奪しながら大軍団を結成し移動、
イタリア北部から脱出すると思われるも引き返し、ローマを席捲、しかし最後は
イタリア半島南部でローマ軍に包囲され、殲滅される。
スパルタクスは劣勢の中、ローマ軍将を狙い敵陣に切り込むが
味方は全滅、独りになっても闘い、戦死。死体はバラバラに切り裂かれていたという。
769 :
世界@名無史さん:04/04/12 03:43
シモーヌ=ヴェイユ
ユダヤ人のフランス女性哲学者。人の苦しみに病的な敏感さを持ち、教職をとったが追放され、
自虐的と見られるような工場労働者としての生活をし、必要最低限の食物しか摂らなかった。
スペイン内戦が起こると人民政府軍に参加。しかし失望する。
戦中はナチスの侵略下、イギリスで亡命生活を送りつつ戦後フランスの構想
に加わるが、もともと虚弱な体質が重労働で衰え、肺結核を悪化させ、病院に入院中
支配下の自国民を思い断食を頑なに決行、餓死する。わずか34歳であった。
その至純さが賞賛されるが、持病の激しい頭痛、数学者だった兄への学力的コンプレックス、
強迫的とも言える真理の追究と失望による消滅願望、それらの中で必死に求道し、
いかに生きるかに苦しみ続けた人生であったといえる。
770 :
世界@名無史さん:04/04/12 22:23
源頼朝
夜這い中に泥棒と間違えられ殺される。(w
落馬は嘘らしい。
あんな権力者がここまで惨めな最期とは。
たまに書き込んでみる。
>770
それは江戸時代の地誌に出て来る俗説でしょう。当時の記録にも『吾妻鏡』
にもそうした記述は存在していません。
美男の畠山重忠との浮気を疑った頼朝が重忠のふりをして夜ばいをかけた
ら怒った政子に長刀で切り殺されたというもの。
772 :
世界@名無史さん:04/04/12 22:40
>>769はがいしゅつでしたね。
もとは鳴り物入りのワルで人殺しまでするが改心して出家、自分の目玉や睾丸までを抉り出す苦痛を伴う
自傷行為によって飢饉が終わることを祈願し、最期は飢餓による即身仏となった鉄門海上人も壮絶だな。
ランバ・ラル
774 :
世界@名無史さん:04/05/29 01:54
あげておくか…
775 :
世界@名無史さん:04/05/29 03:16
>>770 惨めな最期と言えば、秦の武王(?〜BC307)でしょう。
武王は豪腕で力だめしを好んだ。それで力持ちの孟説(モウエツ)などが大官となった。
あるとき、武王は孟説と重量上げをして競った。
巨大な鼎(三本足の大鍋)を高々と持ち上げた武王だが、
それを支えきれずに鼎の下敷きになり脛骨を砕く大怪我をした。
しかもその怪我が元で武王は死んだ。
一人惨めな死に方と言えばジャンヌダルクとかね。
彼女は磔にされて、火が服に燃え移ったとき(その前に彼女は窒息死してる)
兵士の一人が
「男まさりの活躍をした彼女を本当に女か疑うものがいるだろうから、
今ここで証明してみせよう」と言い、槍でジャンヌの股を突いて
火に焼けてジュージュ焼肉晩餐館なオマムコを群集にさらした。
776 :
世界@名無史さん:04/05/29 10:41
そういや孔子の弟子の一人は殺されたあと塩漬けにされて食卓に上ってるな
子路のことか。
>>775 ジャンヌのそういう逸話は初めて聞いたが、どんな本に載ってた?
778 :
世界@名無史さん:04/05/30 11:15
>>776 食卓に上ったの?膾にされたとはあるけど当時の人は食べたの?
「死体を膾にする」の膾は料理の膾とイコールなんだろうか。
膾にするのにどういう意味があったんだろう。
ちゃんと葬礼が出来ないように死体を汚すという意味なんですかね。
日本だと保存のため塩漬けとか酒漬けにしますね。
(義経とか有名ですが)
日本でも奈良時代に、何をとち狂ったのか殺害した人の腿肉を膾にした王が
配流されていました。大陸かぶれ?食べていたかどうかは忘却。
>>778 当時の中国では食べただろ。
確か食った人間の力を手に入れるためだったっけか?
昔孔子のアニメが放映されたとき、ちゃんと「塩漬けにして食べられた」と発言してたときは
こんなこと地上波で流していいのかと思ったなw
781 :
世界@名無史さん:04/05/30 14:19
ジャンヌはレイプされなかったからそこまで惨めじゃないと思われ。
782 :
世界@名無史さん:04/05/31 22:47
食べ方(うげげ)としては、いろいろあるわけで。
焼くなり、煮るなり。
保存なら干し肉という手もありますよね。
膾ってユッケみたいな調理法ですよね?
保存性はなさそうですが。
膾にするということの意味に興味があったので質問してみました。
死体に対する侮辱なのかな。
あちらでは死体が損壊すると往生出来ないと言われていたからでは?
日本でも中世前期には「首を切られると往生出来ない」と言われてい
ました。モンゴルでは「大地に地を流して死ぬと〜」。
784 :
世界@名無史さん:04/05/31 23:01
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785 :
世界@名無史さん:04/06/01 01:36
786 :
世界@名無史さん:04/06/02 06:45
三国志演義の話で申し訳ないが、ホウトクに一票。
自分用の棺桶担ぎながら戦地に赴いたってやつ。
787 :
世界@名無史さん:04/06/02 10:48
伊藤整一
788 :
世界@名無史さん:04/06/02 11:49
彭越も、輪切りのハムにして諸侯に配られ、みんなでそれを食べたとか。
食べながら、「自分も、いずれこうなるんだろうな」と思い、後で本当に
ハムにされた諸侯もいたとか。
キャプテン・クックとかはどう?
わざわざ地球を半周して殺されちゃったんで。
790 :
藍染惣右介:04/06/02 23:37
マゼラン(?)だかなんかもフィリピンのラプラプ王に殺されたよな
791 :
世界@名無史さん:04/06/04 02:02
792 :
世界@名無史さん:04/06/04 02:24
最初に切腹した藤原保輔もなかなか.
慣習でなかったら腹を切るなんぞ思いつくかな.
793 :
世界@名無史さん:04/06/04 02:36
袴垂と藤原保輔を同一人物とするのは後世の付会ですが、保輔も盗賊
であったのは確かで、しかも兄の藤原保昌(和泉式部夫)が累代の武
士(軍事貴族)の家の出でもないのに武芸に秀でて源頼光の弟と抗争
を繰り返していたそうですから、無理もないか。
(当時の貴族は後世のそれよりも血生臭いもので、保昌サイドにいた
清少納言の兄も、相手方の一員を殺害した報復に屋敷を襲撃されて殺
されています。切腹が出て来るのも必然であったかも。)
795 :
世界@名無史さん:04/06/06 20:14
>>794 この一家はなかなか凄まじい人たちが揃ってますよね。
保昌・保輔兄弟の父致忠は人を殺して佐渡に流されているし、
致忠の弟陳忠は「受領は倒る所に土を掴め」の人だし、
致忠・陳忠の父大納言元方は娘の産んだ皇子が
春宮になれなくて、憤死して怨霊になっちゃったそうだし・・・
796 :
世界@名無史さん:04/06/07 00:00
>保昌・保輔兄弟の父致忠は人を殺して佐渡に流されているし、
>致忠の弟陳忠は「受領は倒る所に土を掴め」の人だし、
>致忠・陳忠の父大納言元方は娘の産んだ皇子が
>春宮になれなくて、憤死して怨霊になっちゃったそうだし・・・
大納言の息子が受領で、孫が人の家の家司(摂関家だけど)、盗賊ですか・・・。
源氏も代を重ねるとあっというまに公卿クラスになれなくなるし
栄枯盛衰以外と激しいですね、平安時代も。
797 :
世界@名無史さん:04/06/07 00:44
東条英機
798 :
世界@名無史さん:04/06/13 22:50
378さんの話題にありました串刺し刑ですが、私はこの刑罰は
一番派手で惨たらしく壮烈な殺し方だと思う。受刑者の股関節
を無理矢理はずし、両手両足ともに一直線に開く土の字姿に縛
りつけ下半身は糸一筋もつけさせない。女性ならば羞恥の極み
であろう。男は孔穴から女ならば大事な穴から突き刺したらしい。
一度に口まで突き通せずに、何度も何度も突き上げたそうだ。
当然、囚人は大声で泣き叫び磔柱の上で折れんばかりに暴れ狂う。
血や嘔吐物や股間からも恥ずかしい失禁の嵐が起こる。槍の穂先が
口から一尺以上も突き出てきても死なずに打ちもがいているのである。
恥ずかしい惨めで壮絶な死に様である。
799 :
世界@名無史さん:04/06/13 22:59
キスしてハーディーーーーーーーーー!
ゥゥッ!
800 :
世界@名無史さん:04/06/13 23:23
801 :
世界@名無史さん:04/06/17 15:11
神聖ローマ帝国の大空位時代に、沼地で落馬して
その後二十年以上も行方不明になっていた皇帝がいなかったっけ。
802 :
世界@名無史さん:04/06/24 04:43
>>781 いえ、ジャンヌはちゃんと牢獄でハメハメされてます。
803 :
世界@名無史さん:04/06/30 22:03
ミシェル・ネイ
ナポレオンをして「勇者の中の勇者」と言わしめた人物。
ナポレオン失脚の際は王党派につくも、百日天下ではナポレオンにつく。
ワーテルローの後、銃殺されたが、最期に「私が号令を発したらまっすぐ心臓を狙え。
私はフランスのために百度戦ったが、一度として祖国に逆らったことはない」と言ったそうな。
しかし軍人や武将挙げたらきりないな。
松永久秀・島左近・土方歳三・項羽・柴田勝家
護送中に自害を命じられ、左手で懐剣を押えて「切腹」し、それでも死ぬま
で正気を失わなかったという今参局(足利義政乳母)もなかなか。
806 :
世界@名無史さん:04/07/01 01:56
ダントンはカコイイな。年下なのにエベールとはエライ違いだ。
807 :
世界@名無史さん:04/07/01 03:49
三島由紀夫。
808 :
世界@名無史さん:04/07/01 06:33
メキシコ皇帝マクシミリアン
いろんな意味で、そして三島由紀夫の歴史を知った上で大好きです。
悲惨ではなく、壮絶の意味では日本史も引けをとらないはず。
僕は大谷吉継を推薦したいです。忠義のために死ぬ義士・壮士は壮絶だね。
あと遅レスですが、始めの頃に呂后と戚妃についてありましたが、
劉邦には二千人くらいの側室がいまして、そのある程度は虐殺されました。
生き残った人はほとんど寵愛を受けず、劉邦から名前も忘れられている人でした。
しかし呂后は心から劉邦を愛し、敏腕な政治家だったでしょう。
戚妃についてですが顔・目・鼻・口は大きく、
笑うと人が吹き飛びそうなくらいだったらしいです。
だけど瞳は西地の血が混じっているのか、青光りし劉邦はそこに惚れたらしい。
賢臣達からはあまり好まれていなかったのでしょう。
最後に有名ですが、春秋戦国の刺客列伝は壮絶ですよ。
776さんへ
たぶんそれは子路ですね。顔回に継ぐ孔子の後継者でしょう。
顔回は若くに才能を発揮し、貧乏が原因で若くに苦労死しました。
子路の人柄は誠実で誰からも好かれ、しかしその人柄が裏目にで王族を守るため、
反乱軍に捕われ塩漬けにされました。
その話を聞いた孔子は、二度と塩漬けを口にしようとしませんでした。
当時塩漬けは一般的に貴重な保存食でした。
顔回・子路と愛弟子の悲惨な死に心痛し老衰しました。そんな時子貢が訪ね
孔子『おぉー子貢か、もっと近くに来てその顔をみしておくれ、
嗚呼おまえがもう少し早く来てくれれば・・・。』と言い亡くなりました。
子貢『先生すいません。貢は真に愚者でございます。』と言いました。
そして子貢は孔子の墓を作り、そばに小屋を建て三年喪に服しました。
これが儒教孔子を基に顔回・子路・子貢の話だと思います。