1 :
飛鳥井:
三国志の孟獲には、漢人説と南蛮人説がありますが、そもそも、南蛮人ってタイ人の祖先なの?
2 :
世界@名無史さん:2001/07/27(金) 19:24
ヴェトナムだろ
3 :
お魚くわえた名無しさん:2001/07/27(金) 19:48
ビルマ人じゃないの?
4 :
世界@名無史さん:2001/07/27(金) 22:18
現地ではゾアトオという名で
諸葛亮を逆に撃退したとか伝承が残っているようで。
5 :
世界@名無史さん:2001/07/27(金) 22:32
タイ語系だったというのは春秋戦国時代から唐にかけて江南地方にいた連中。
それから「〜越」ってのが同地域に三国時代あたりまでいっぱいいたみたいだけど
どうも言語的にはベトナム系ってわけじゃなさそう。広東省あたりの南越はわからないけど。
とりあえず孟獲の属する南蛮は隋唐の頃の西南夷で、それらとは異なり、
ビルマ系とする説があるのは知ってるけど、根拠についてはよくしらない。
ビルマ方面に「驃」という国があってそれがすごく強大になった時期があり、
中国の西南奥地に伸びていたとかなんとかってきいたような。
個人的には、中国側にそういう研究がないようなのでほんとかなあと思うけど。
なんにしても単純に考えて奥地の方はビルマ系とかチベット系とかなんだろうなあ。
6 :
世界@名無史さん:2001/07/27(金) 22:35
原始タイ語は戦国時代の楚国の楚語が元であったと司馬遼太郎の
「項羽と劉邦」でかいてあったな。
7 :
世界@名無史さん:2001/07/27(金) 22:43
>>5 驃(ピュー)は今でも詳しい事が分かっていないんじゃない?
その民族系統云々を含めて。
ただ手元にある資料によれば雲南地方の南詔に服属していて、
その南詔を通じて唐に朝貢したって記録もあるみたいで、最後は南詔に滅ぼされたとある。
8 :
世界@名無史さん:2001/07/27(金) 23:14
「孟獲は漢人にも南蛮人にも慕われていた」
とする文献があるが(漢晋春秋だったかな)、
これを信じると彼はおそらく漢人。
中華思想バリバリだった漢人が、どんなに立派な人物だったとしても
異民族を尊敬するのは絶対に考えられない。
9 :
世界@名無史さん:2001/07/27(金) 23:23
10 :
かきつばた:2001/07/27(金) 23:38
>中華思想バリバリだった漢人が、どんなに立派な人物だったとし
>ても異民族を尊敬するのは絶対に考えられない。
明の太祖は、元の順帝への謀反〜自己の王朝の樹立を正当化するロジックとして、
1.セチェンハーン(フビライ)を天命を承けた聖天子として誉めたたえる
2.順帝に天子としての徳が欠けることを指摘
3.天命はいま自分が受け継いでいる
という論法を駆使していますたよ。
11 :
世界@名無史さん:2001/07/27(金) 23:44
北魏とか北朝の王朝もバリバリの異民族じゃないのか?
12 :
世界@名無史さん:2001/07/27(金) 23:45
13 :
世界@名無史さん:2001/07/27(金) 23:57
三国時代までは異民族に中国を侵犯されるなんてことはなかったから
三国時代の漢人は中華思想が後代の漢人よりおそらく強いでしょう。
14 :
世界@名無史さん:2001/07/28(土) 00:01
>>13 いや〜、匈奴などの異民族の脅威はあったよ、秦漢時代から。
15 :
13:2001/07/28(土) 00:16
>>14 いやいや俺が言ってるのは「中国が」侵犯されたケース。
漢代以前に侵略されたのはあくまで辺境でしょ。
16 :
世界@名無史さん:2001/07/28(土) 00:26
17 :
世界@名無史さん:2001/07/28(土) 00:39
ストックホルム症候群て民族規模であるもんなんかな
18 :
ツッコミ君:2001/07/28(土) 00:49
>>13 >三国時代までは異民族に中国を侵犯されるなんてことはなかったから
>>15 >いやいや俺が言ってるのは「中国が」侵犯されたケース。
秦の祖は羌
19 :
世界@名無史さん:2001/07/28(土) 00:52
>>18 あ、そうそうそんな説あったな。
秦は本来漢民族ではないって。
21 :
世界@名無史さん:2001/07/28(土) 01:26
うーん、(現)漢人がいろんな民族の混合なわけで、
猛獲がタイ人かどうかはともかく、
原始タイ人=現漢人のルーツの1つ、
でしょう。
南部中国語はタイ語系言語と似てる部分もあるらしいし。
ところで大理はタイ人てのは確定なの?
22 :
世界@名無史さん:2001/07/28(土) 01:28
>>21 >南部中国語はタイ語系言語と似てる部分もあるらしいし。
それ俺が
>>6で書いたんだけど(泣
23 :
世界@名無史さん:2001/07/28(土) 01:30
>>6 ごめん、無視してたわけじゃないんだ。
あえて付け足すと、タイ語が中国語から枝分かれして出来たというニュアンスではなく、タイ語が中国語の一部(あるいは方言?)の基になっているというほうが近いと思う。
24 :
世界@名無史さん:2001/07/28(土) 01:34
>>23 6だけど、俺もそう思うよ。
タイ語は中国南部の非漢民族系から派生したんだろうね。
うーん、(当時の)非漢民族の範囲、逆にいうと漢民族の範囲をどの程度にするかという問題が出てくるけど。
仮に楚がタイ人のルーツ=非漢民族だとして、
となると中原以外の民、つまり秦や、あるいは周までも、
非漢民族と言えるかもしれない、となってしまう。
と書きつつ、結局「中華文明化した民族」=漢民族と考えるのがいいのか。
楚人→中国化→漢民族の構成員
という流れと、
楚人→南下→タイ族
という流れがあったんだろうな。
ってすごく当然の前提の話をしてる気になってきたのでsage
26 :
世界@名無史さん:2001/07/28(土) 01:54
>>25 >となると中原以外の民、つまり秦や、あるいは周までも、
>非漢民族と言えるかもしれない、となってしまう。
「項羽と劉邦」で司馬遼太郎はそのように理解して記述しているよ。
27 :
世界@名無史さん:2001/07/28(土) 02:01
思うに、秦漢以前の中国は、古代ギリシアみたいなものだったんだろうね。
周も殷も都市国家みたいなもので、各都市国家の盟主的存在。
秦は、では、マケドニアみたいなものかな。
その後の中国はヘレニズムあるいはローマ。
28 :
世界@名無史さん:2001/07/28(土) 02:08
>>27 面白い説だが、知識が浅薄と言わざるをえない。
完全なる王権の支配下にある中国王朝と、市民中心の古代ギリシアを
等しくみることは難しい。都市レベルでみても、ポリスは地形を工夫して
山岳上のアクロポリスとその下のアゴラという立体的構造だが、
中国のように平地に城壁を築いて、という二次元的構造とは全く違う。
それから周は国としては中国全土を統治する力はすでに失われていたが、
天子として戦争の名目上必要であった。
その意味ではピピンの寄進までのローマ・カトリック教会に近い。
ただ最後の説はうなずける部分があるな。
強国秦に対する合従連衡策はコリント同盟に通ずるものがある。
29 :
世界@名無史さん:2001/07/28(土) 02:13
民主制や都市形態のことまでは考えていなかった。
でもたしかに、そうなると古代社会はシュメールもインダスも(?、
同じようなものと言ってしまえるかもしれなくて軽薄だったかも。
一番言いたかったのは、漢民族=ヘレネスで、南蛮東夷(あとなんだっけ?)らはバルバロイ。
秦漢以後はローマ市民権の拡大のように漢民族の範囲が拡大したんだろうと(かなり強引)。
30 :
世界@名無史さん:2001/07/28(土) 02:23
諸子百家=ソフィストたちって感じか。
31 :
世界@名無史さん:2001/07/28(土) 02:24
うーん、一概に同一視できるんだろうか…
でも、この比較論は面白い。
32 :
世界@名無史さん:2001/07/28(土) 02:26
じゃ、匈奴=ペルシア?
33 :
世界@名無史さん:2001/07/28(土) 02:27
>それから周は国としては中国全土を統治する力はすでに失われていたが、
>天子として戦争の名目上必要であった。
後半はいいとして、
どうも周は最初から中国全土を統治する力はなかったと考えてるのですが・・・
34 :
28:2001/07/28(土) 02:34
>>29 確かに、多民族に対する差別意識は確かに初期〜中期ローマに一貫していた。
中国に至っては現在もその意識は変わっていない。
元の漢人弾圧はひどいもので、とくに多くの儒家が命を落とした。
しかしそのため中国統治は続かず、紅巾の乱を招いてしまった。
その反省から、女真族の清は満漢併用制を用いたことで
およそ300年にわたる長期国家の建設に成功した。
ただしローマは、カラカラ帝のときに万民法が作成され、すべての自由民に
ローマ市民権を与えた。これはローマが世界帝国に脱皮した大きな転機だった。
俺もまだまだ未熟なので偉そうなことはいえないが、君のように世界史を
比較視点から学ぶことは重要だと思う。
35 :
世界@名無史さん:2001/07/28(土) 02:42
漢末〜隋唐までの混乱&異民族の侵入も
フン族の侵入〜民族大移動〜ローマ崩壊と
似てるっちゃ似てるね。
それだけ。
36 :
28:2001/07/28(土) 02:44
>>33 周時代は本当の「古代」だからなあ。果たして中国全土を支配するのに
どれほどの意味があったのか不明。江南地域など未開発だったしな。
それから周の軍事力については確かに弱かったと思う。
後世の多くの政治家が周の政治を理想としたように、宗法や礼といった
身内間・世間間で守るべき規律が徹底されていた。
それは人民が道に落ちているものを見つけても拾わないほどで
あったから、(この時代はもちろん儒教が生まれる前だよ)
鎬京周辺の治安は良く、軍備力もすたれていった。これにより
異民族・犬戎の侵入を許し、洛邑に遷都するはめになった。
37 :
世界@名無史さん:2001/07/28(土) 02:49
>>36 周についてのその理解は、本当?
なんか後世の儒家の言い分みたいだ。
38 :
28:2001/07/28(土) 02:53
>>37 中国史専攻じゃないんで、あくまでも個人的知識をしぼった私見だよ。
異論・反論あったら書いといてください。おりゃあ寝るよ
39 :
世界@名無史さん:2001/07/29(日) 00:42
郷土
40 :
世界史板定例の質問:2001/07/29(日) 01:14
>元の漢人弾圧はひどいもので、とくに多くの儒家が命を落とした。
君が「とくに多くの儒家が命を落とした」と断言するソースは?
君はどんな本をよんで、こんな断言したの?
明らかにせよ。
朱熹の学説「朱子学」は、宋代はドキュンの珍説扱いしかされず、彼の学派は
ほそぼそと伝承されるマイナーな一派に過ぎなかった。
「朱子学」を奉ずる一派が勢力を拡大できたのは、元朝による中国統治下の出
来事。明代に国家の公式学派として採用されるためには、元朝時代における発
展がなければありえなかった。
41 :
_:2001/07/29(日) 01:28
>>40 36じゃないけど、元が儒家を大事にしなかったのは定説ではない?
42 :
40:2001/07/29(日) 01:56
文宗の時に科挙が復活され、漢人儒学者が喜びいさんで受験した。
順帝が大都を放棄し、明が北京まで制圧した時、元に殉じて明に仕えることを
拒否した漢人儒者も存在している。
、
43 :
世界@名無史さん:2001/07/29(日) 03:14
>>41 最初は「九儒十丐」ってえらく蔑まれてたのにな。
44 :
40:2001/07/29(日) 10:13
>>43 有名な「・・・九儒十丐」という一連のフレーズは、宋の遺民とお
もわれる著者が書いた「鉄函心史」というトンデモ書の記述であって、元朝時代の身分制を客観的に観察して帰納的に結論をだした分
析ではない。
45 :
世界@名無史さん:2001/07/29(日) 11:01
というより、儒者が優遇されなかったというだけの話なのでは。>元代
46 :
28:2001/07/29(日) 11:13
>>40 つか朱子学は宋学とも言われるように、宋の時代の
学問の集大成的な感じだな。元の時代に朱子学が発展したのか?
元が朱子学を保護したとは聞いたことがないが、朱子学は
それまでの中国の学問を総合したものであるから、決してすたれることはなかったはず。
同時に陸象山の唯心論学派も存在し、明の時代に陽明学として大成した。
キリスト教徒が度重なるローマの迫害をうけてもすたれなかったように、
宗教というものは人間の精神に依存するから、とくに政府の保護がなくても続いていく。
47 :
40:2001/07/29(日) 12:38
>>46 = 28
>元の時代に朱子学が発展したのか?
そのとおり。
君は
>>28で
>元の漢人弾圧はひどいもので、とくに多くの儒家が命を落とした。
と断言している(どんなソースに基づいてかしらんが)けど、元代に儒家が「儒家であ
る」という理由によって「弾圧」「殺害」された例など聞いたことがない。
>>46 >元が朱子学を保護したとは聞いたことがないが、
「保護」されなくたって、立派な学説なら、学派に対する「弾圧」や門人に対する「殺
害」がないかぎり、発展するだろうさ。
48 :
28:2001/07/29(日) 14:51
>>47 元において儒者が弾圧されたというのは特に明確な論拠をもってないので
多分あなたが正しいんでしょう。とりあえず幼い口論するつもりは皆無なので
とりあえず世界史の知識が増えることだけ興味があるので、
>> 元の時代に朱子学が発展したのか?
> そのとおり。
これの論拠(君のいう「ソース」)を教えてもらえないか?
49 :
世界@名無史さん:2001/07/30(月) 17:26
「発達した」んじゃなくて、「儒学の正統と認定された」ってことじゃなかったっけ?
50 :
世界@名無史さん:2001/08/10(金) 03:17
このスレの前の方の人、宋代以降の中華意識を
春秋戦国や漢、唐に遡らせて語っているのはいただけませんねぇ。
51 :
世界@名無史さん:2001/08/10(金) 05:27
孟姓があるんだから漢人と考えるのが普通だろう
蜀志(それ以外でも)の南蛮討伐の際の記述に孟獲以外の南蛮人
の名はあった?
それらの名と比較すればよりはっきり分るはず
52 :
世界@名無史さん:2001/08/10(金) 05:46
異民族でも漢姓をなのる例は珍しくないと思うが?
27は「知識が浅薄」と言われたのが悔しくて反駁しただけだな
反論に中身がない
54 :
世界@名無史さん:2001/08/10(金) 21:59
>>52 例を挙げてくれ
別の話だが荊州南部の蛮族とかも異民族になるのかな?
チベットのアムド地方 のチョネ(甘粛省甘南州卓尼県)の領主は漢
籍では漢姓漢名(楊姓)を名乗っています。
明帝にもらったそうな。
56 :
世界@名無史さん:2001/08/10(金) 23:26
朱褒や高定らと同じだろう多分 漢人ぽい
そもそも民族的違いなど分らないと思うが・・・
かきつばたってあやめ?
57 :
世界@名無史さん:2001/08/11(土) 01:00
>>54 北方異民族では多いだろう。劉淵とかそのへん。まあ、純粋な異民族ではないが。
58 :
世界@名無史さん:2001/08/11(土) 18:01
匈奴は漢の公主を娶っていたから特別だろう
59 :
世界@名無史さん:2001/08/11(土) 18:12
チベットスレが荒れまくっとるな・・・
60 :
世界@名無史さん:2001/08/11(土) 18:13
間違えた
チベット×→ベトナム○
61 :
世界@名無史さん:2001/08/11(土) 18:22
>>60 一瞬ビックリしたってばな。(藁
「えっ?えっ?チベットスレ無いじゃん?!」って。
でもイイんじゃない。まだ歴史的論議がなされてるようだし。
靖国スレなんかはヒドイね。荒れてる上に全然歴史の話をしてない。
完璧に板違いになっちゃってるよ、アレは。
62 :
60:2001/08/11(土) 18:25
悪い。(w
あやめさん登場しないかな。
なんか一発で解決してくれそうな気がするんだが。
63 :
世界@名無史さん:2001/08/11(土) 19:31
解決できるわけがない
誰かの学説を挙げるだけだろ
64 :
世界@名無史さん:2001/08/11(土) 23:14
罵倒合戦が止みそうと言う意味で。もはや枝葉の話をつついてるだけだし。
65 :
世界@名無史さん:2001/08/11(土) 23:19
>>63 だからその挙げてくる学説がスゴイんだってば。(藁
あの長文でガツンとやられた日にゃアンタ、そりゃ罵倒合戦なんか
続けられないっしょ。
66 :
世界@名無史さん:2001/08/23(木) 01:38
>>54 東方異民族でもあるよね。倭讃、餘隆、高安、募宗、
ホントに木鹿大王はインド(天竺)でも名が知られていたの?
すみません知識が吉川英治レベルなので…
68 :
世界@名無史さん:2001/08/23(木) 23:10
昨日のNHKでは、「猛穫」だったよ。
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69ゲット!!!∧∧ ) .. |⌒彡
⊂(゚∀゚⊂⌒`つ |冫、) ジローリ...
⊂⌒`つ。A。)つ . |` /
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あげ
孟獲がタイ人なのではない!
タイ人が孟獲なのだ!
72 :
世界@名無史さん:01/10/12 03:07
なんじゃそりゃ?
74 :
世界@名無史さん:01/10/22 06:10
やっぱり孟獲がどれほど儒教文化を受容していたかによるんじゃない?
常識かも知れないが中国の少数民族と漢族の関係を専攻している研究者の間では「漢化」=「中国文化の受容」ということになっているよ。
例えば、清朝期では、広西のチワン族が科挙に合格することで、漢人として認めてもらおうとした事例がある。
後漢や三国の頃は無論科挙の制度なんか無くて、学者や官僚経験者の私塾で儒学を学んでいたけど。
それで、孟獲が成都あたりに遊学していたという記事があれば、かなり漢化した一族だったと言えるのだけど。
この時期に宋代以降のような強い漢人意識があったかどうかは疑問だけれど、判定するとしたらこんなところじゃないかなあ。
あ、道教に関しては、五斗米道系の宗教が西南に進出するのは南朝の時だから、この場合は除外。
>>74 五斗米道は漢中や四川の発祥ですからねえ。むしろ東南アジア系の精霊観に老子と
相互扶助を被せたといったほうが良いかも。
76 :
世界@名無史さん:01/11/14 04:20
漢“文化”の受容と漢“文明”の受容は意味がちがうだろう
中国の歴史書を書くような人間からみれば、
漢文明さえ受容していればあとは政治的配慮で漢人にも夷狄にもできる。
中国政権と対立する夷狄からみれば
漢文化を受容すれば漢人だが(=漢化)、
漢文明を受容するのはただの実用主義、技術開発(=文明開化みたいなもの)、
つーか漢人サイドは文化と文明の差をあんまり意識しない、それが「漢人である」ってこと。
自己のエスニシティを意識する者が、自称戎夷狄蛮。
77 :
世界@名無史さん:01/11/14 10:51
「漢文明」の四大要素
科挙
宦官
纏足
中華料理
を日本は徹底して受け入れなかったが、漢文化と学問自体は相当受容している。
漢人から見て、日本人はどの程度夷狄で、どの程度漢化されているのだろう?
日本人が、「日本精神を強調する台湾内省人」を見るような感覚なのだろうか?
それとも「戦前の日本人の質の悪いコピーである韓国人や北朝鮮人」を見るような感覚なのだろうか?
今は「漢文明」から宦官と纏足という身体変工の要素は除外された。中華料理は世界中が食べているし、世界全体が科挙社会に生きているようなものだ。
現代世界は、「漢文明」に似てきた。と思う。
その中で「漢文明」はどのような価値観を発信していくのだろうか。興味は尽きないが、見届ける前にオレの寿命が尽きるだろう。
78 :
世界@名無史さん:01/11/14 13:30
つーか科挙の廃止と文化大革命で、もはや漢文明も漢文化も存在しないだろ。
今の中国は近代文明+アメリカ文化。日本モナー
79 :
世界@名無史さん:01/12/31 04:14
>78
スレ違いを承知だが、このスレをこの発言で終わらせていいものか?
>>77 もうひとつ、「同姓は結婚せず」も受け入れなかったな。なぜだろう?
81 :
世界@名無史さん:02/01/20 01:22
82 :
世界@名無史さん:02/01/20 03:39
76=78なのだが。
83 :
世界@名無史さん:02/01/20 09:07
>「漢文明」の四大要素
>科挙 宦官 纏足 中華料理
科挙なんて昔はなかったし纏足は宋代から。
科挙は時代によって内容がいろいろだし
中華料理は時代にも地方にもよってちがってる。
漢文明の五大要素は
漢字
皇帝
二足羚羊(食用人肉)
宦官
四解(ダルマ女)
(まあダルマ女は冗談としても、科挙だの纏足だの中華料理をあげるのはおかしいだろう)
85 :
世界@名無史さん:02/01/20 09:30
宦官はいない国のほうが珍しいんで、別に要素に入れるほどのことでも
ないと思われ。
86 :
世界@名無史さん:02/01/21 07:48
いや、宦官そのものじゃなくて、
宦官が政治体制を支える必須の一部だったってことでは有意義では?
でもあまり固執する気もないんでレスしないで、とりあえず85に従う。
春秋戦国時代が終わった時点で「漢民族」なんて概念は消滅した。
88 :
世界@名無史さん:02/01/21 11:53
>>87それをいうなら「漢民族」ではなく「夏人」では。
「漢人」の概念は漢王朝ができてから。
>>85ほとんど漏れの趣味で決めたんで、あまりまじめにつっこまんでくれ。
90 :
世界@名無史さん:02/01/21 13:03
93 :
世界@名無史さん:02/01/27 07:53
木鹿大王は天竺も脅かしてたというが、当時のインドはクシャーナ朝か。
94 :
世界@名無史さん:02/01/27 16:01
>>93 それ演義の方じゃなかったっけ? だとしたら史実じゃないだろ。
木鹿でメルヴのことじゃなかったっけ。
96 :
世界@名無史さん:02/01/27 17:18
「中華民国期の軍閥を語ろう!」の1です。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1004108800/l50 僕自身は民族学についてそれほど詳しいわけではありませんが、
現在のところの中国での研究状況では、孟獲はポー族<漢字は棘が上、人が下>と
見なされています。
ポー族は、古代テン<水+眞>王国を構成していた民族で、テイ<氏+一>羌の流れ
を汲んでおり、後の雲南のタイ<人+泰>族にあたるそうです。
そのため、この説で行けば、孟獲はタイ人ということになるでしょう。ただ、漢武帝
時代に「西南夷」の居住地へ漢族が流入していたため、漢族との混血の可能性も高いです。
後漢末〜三国にかけて、中国西南部では「大姓」と呼ばれる勢力が割拠していたようです。
この「大姓」は、漢族の流れを汲む者(雍ガイ<山+門+豈>、呂凱など)と、
ポー族の流れを汲む者(孟獲など)の二種類がいたそうです。
参考文献は、
竜中『雲南民族史』(雲南大学出版社、1994年)と『雲南辞典』(雲南人民出版社、1993年)です。
97 :
世界@名無史さん:02/02/28 01:03
>>77,
>>80,
>>83,
>>84,
>>85,
>>86,
>>90,
>>91 で出てきたものをまとめると。
「漢文明(文化)」の12大要素
◎は文明、★は文化。?は文明か文化かどっちともいえるもの。
思想、世界観/◎漢字 ★中華思想(漢文の思想的枠組から必然的に派出?)
政治制度 /◎皇帝制度(はじめ宦官、のち宦官と科挙の組み合わせ)
社会統合 /?宗族制(含む同姓不婚)
食文化 /?中華料理(含む二足羚羊(食用人肉)、人肉饅頭。経済問題と関係すると思われ)
性愛文化 /★纏足、四解(ダルマ女)(社会構造と関係すると思われ)
>>76,
>>78で答えは出ているが、いちよう遊びで。
99 :
世界@名無史さん:02/03/05 13:59
沙摩可もどこの国の人なんだろう・・・。孟獲が出るちょっと前に
戦死しちゃってるけど。
101 :
世界@名無史さん:
三好徹の小説では孟獲は現地名をゾトアオというらしいぞ
ホントか?