1 :
名無し:
様々の本によると、歴史的事実としてのイエス像は、
マリアの正夫は、ヨカナム。間男ヨセフとの間の生まれたのがイエス。
ユダヤの戒律では、不義の子は殺されてしまうので、マリアは神の子
と偽って子を守った。又ローマの徴税からも逃れるため各地を移動した。
イエスと仲間たちは、ガラリヤの各地の回り病気治療の活動を行った。
ローマ反抗へのシンボルとなっていたイエスは、罪人と同じように
両膝下を棍棒で折られてから、手のひらではなく手首に釘を打たれて
十字架に吊るされた。
死後、最後の晩餐でのイエスの遺言のとおり、弟子達は血と肉を食した。
ということらしいのですが、こんなことって不謹慎なのかしら。
どんな低俗な本を読んだか知らないが、「歴史的事実」というなら、
そもそもイエスの実在をしめす客観的史料は皆無。
今日の聖書学の発展によって、新約聖書中のイエスの言葉も、
その殆どすべてが同時代の典籍の剽窃であったことが
明らかにされている。
3 :
世界@名無史さん:2001/06/25(月) 08:49
>>1 不謹慎とは思いませんが。
>死後、最後の晩餐でのイエスの遺言のとおり、弟子達は血と肉を食した。
この個所は歴史的事実とは思えませんね。
そうした推定を裏づける同時代の文書は見つかっていないはずですが。
それ以外の個所は、書かれていることが、概ね通説どうりです。
細かい点をみれば、「ローマ反抗へのシンボルとなっていたイエスは」
ここはちょっとだけニュアンス違います。
歴史学や聖書学の研究で言われているのは、
「ローマ反抗へのシンボルとして期待もあったが期待に応えなかったイエスは」です。
4 :
名無し:2001/06/25(月) 08:52
聖骸布の'88年の炭素年代測定には疑問が出てきているみたいだね。
聖骸布の繊維の周りに、長い年月にわたって細菌が作る
「バイオプラスチック」をサンプルから除去できていなかった。
そのため、測定年代が新しくなったというものだけど。
5 :
世界@名無史さん:2001/06/25(月) 08:56
>>2 >今日の聖書学の発展によって、新約聖書中のイエスの言葉も、
>その殆どすべてが同時代の典籍の剽窃であったことが
>明らかにされている。
いい加減なことを書かないように。
今日の聖書学の研究によって、新約の過半は、イエスとほぼ同時代
(30年〜50年ほど後)に文書化されたものとわかっている、です。
要するに、イエス存命時代から生きていた使徒や、指導者達が
寿命で死んでいくにしたがって当初彼らが口伝で伝えていたイエスの
言行伝承が各地で文書化されだしたのだろう、と推測されています。
ほぼ30〜50年後とは、そのような時間幅と推定されています。
例えば、新約の共感福音書(マタイ、マルコ、ルカ)はこのような文書と
考えられています。
6 :
名無し:2001/06/25(月) 09:16
>>5 2じゃないけど、「同時代の典籍」というのは死海文書のことだろ。
だから福音書がイエスと同時代もしくは直後に書かれたとしても
それがオリジナルじゃなければ、イエスの実在の証明にはならないよ。
>>6
別に聖書がイエス実在の間接証明だっていう件については触れていませんが。
それについては、共感福音書や同時代書簡の比較検討という
面倒な話をしなくてはいけないので、触れていません。
>イエスの実在をしめす客観的史料は皆無。 (
>>2)
これについては確かなことですので。
しかし
>新約聖書中のイエスの言葉も、
>その殆どすべてが同時代の典籍の剽窃であったことが
>明らかにされている。(
>>2)
これは明らかな間違いです。
死海文書などに「イエスの言葉」が載っては今せん。
エッセネ教団の「義の教師」の存在を勘違いしているだけだと思われます。
8 :
名無し:2001/06/25(月) 09:28
勘違いじゃなくて、死海文書の「義の教師」についての記述と
福音書のイエスについての記述が、かなり似ていることを
指摘しているんだけど。
>>8 >>2には「新約聖書中のイエスの言葉も、
>その殆どすべてが同時代の典籍の剽窃であった」
と書かれていますね
>死海文書の「義の教師」についての記述と
>福音書のイエスについての記述が、かなり似ている
ならば「イエスの『おこない』と義の教師の『おこない』 が似ている」
でしょう。
イエスは、エッセネ派の流れを汲み、かつエッセネ派の隠遁主義とは
異なるヨハネに洗礼を受けたわけですから、
聖書学では、義の教師の事跡を踏まえて宣教をおこなった、と考えられ
ています。
これを「剽窃」と呼ぶのは見当違いの評価−−聖書学の知見に対する
勘違いです。
また、新約のイエスの言葉には「旧約」からの引用が多いのですが。
これも「剽窃」と呼ぶのは見当違い。
イエスの宣教の主な狙いには、律法主義批判があったと考えられて
いるのですから「引用」があって当然です。
(他にも理由はあるんですよ、当時のイスラエルの言語状況とか)
関連話題はこちらを参照のこと>「■聖書■」≫
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=988882562 特に向こうの>109-113、>117、後、>95-98
10 :
名無し:2001/06/25(月) 10:10
どうやら
>>2の「剽窃」の表現にひっかかているようだね。
その点については、了解。
ただイエスがエッセネ派と接触があったということは
(死海&福音書とは独立した)文書その他で確認されていること
なのかな?
死海文書と福音書の記述が似ているという理由だけでは
循環論法になってしまうと思うが。
11 :
世界@名無史さん:2001/06/25(月) 10:29
>>10 >ただイエスがエッセネ派と接触があったということは
>(死海&福音書とは独立した)文書その他で確認されていること
>なのかな?
そんな直接証拠はないですね。アタシだってそんなことは主張してはいませんが。
こういうことです。
・洗礼者ヨハネは新約中珍しく歴史学的実在性が確認され得る人物です。
・ヨハネがエッセネ派の流れを汲むことは、その言説内容や振る舞いから確実とみなされています。
(また、ヨハネの宣教にも、義の教師の行いと同じ思想、王室-神殿体制の積極的批判、
終末思想など、が見出せます)
(実際、ヨハネがヘロデ王の命で処刑されたことも歴史学的に確認済みのことで、
このことからヨハネの活動が、当時の王室-神殿体制に脅威でもある批判であったことは
確実と考えられます)
・同時にヨハネの宣教は、エッセネ教団の隠遁主義とは大きくことなる方針です。
・共感福音書のテクスト・クリティークから、イエスと洗礼者ヨハネの接触もほぼ確実と推測されています。
聖書に伝承されるイエスの言行と、歴史学的に推定されるヨハネ宣教の思想性を比較すると、イエスの思想はヨハネの思想を推し進めたもの、と考えられています。
従って、イエスの言行には、少なくとも洗礼者ヨハネを経由したエッセネ派思想の受容が推定されています。
12 :
世界@名無史さん :2001/06/25(月) 11:01
>>1 客観的史料は存在しないのだろうが、
門外漢を納得させる説明といえるだろう。
カニバリズムは、西洋ではタブーだからね。
身も心も復活したイエスになりきって弟子達は
伝道したのだろう。
13 :
世界@名無史さん:2001/06/25(月) 11:09
>>12 >客観的史料は存在しないのだろうが、
>門外漢を納得させる説明といえるだろう。
それってただの憶断(苦笑)。
14 :
世界@名無史さん:2001/06/25(月) 12:58
吉本隆明の「マチウ書試論」推論はどう思います?
15 :
世界@名無史さん:2001/06/25(月) 13:11
>>14 『マチウ書試論』は文芸批評として読み応えがあります。
(ということは板違いではあるのですが)
内容も書かれた当時の水準としては優れていると思います。
しかし、その後日本でも世界水準の聖書学研究が(例えば荒井献など)
おこなわれていますので。
現状の評価は、学問的聖書批評としては欠点が多すぎる、と言わざるを得ないはずです。
聖書文書間の相互批評(比較検討)が弱いところが方法論的欠点です。
ただし、吉本隆明って特異な思索家が、主にマタイを材料にして
キリスト教思想に加えた批判的思索としては読み応えがあると思います。
吉本さんの思索としては、やっぱり『親鸞』とかの方が本筋なのではないですか?
16 :
名無しさん@1周年:
>>1 >ローマ反抗へのシンボルとなっていたイエスは、罪人と同じように
>両膝下を棍棒で折られてから、手のひらではなく手首に釘を打たれて
>十字架に吊るされた。
「両膝下を棍棒で折られてから」これだけは、なさそう。というのは、
十字架刑というのは、見せしめのための刑罰で、苦しむ時間が長ければ
長いほど、(為政者にとっては)良かったの。膝を折られると体重を
支えられなくなり、処刑人の死を早めたのだ。だから、膝を折る行為は
処刑人への温情と考えられていた。
ただ、安息日のせいで、その日のうちに、十字架から降ろすことは考え
られた。この時は、その場所から逃げられないように、足を折った、とい
うことは考えられる。
また、手のひらでは体重を支えきれず、手が裂けた。だから、手首に釘を打ち付
けた。