蒋介石と毛沢東

このエントリーをはてなブックマークに追加
1ありそうでないが
この2人を軸に対日戦の展開や2人の党内の権力闘争の中で
いかにのし上がったのか。
シーアン事件でなぜ国共合作に繋がっていくのか。
戦後の内戦で装備兵力ともに優勢な国民党がなぜ敗北したのか。
さらに毛沢東は台湾攻略を何故敢行せずに朝鮮戦争の方に
兵力を裂いたのか
そういった中国現代史を語りましょう!
なお、中国板は荒れているのでこちらで立てるという事で
お願いしますネ。

2αジョーカーω:2001/06/14(木) 20:14
第二次国共内戦で国府軍が破れた最大の要因は、
ワイマール時代のドイツを凌ぐ史上最大の
ハイパーインフレを起こし、これに何らの手を
打てなかった事と、規律が乱れに乱れ、
将兵や役人の悪事が凄まじかった事。
一方、中共軍は小作農に(地主を処刑して)土地を
配分した事と、規律正しかった事で人民の支持を得たから。
な〜んて、単純過ぎる説明かな?
3αジョーカーω:2001/06/14(木) 20:17
訂正:破れた⇒敗れた
4世界@名無史さん:2001/06/14(木) 20:27
>>2
確かに人民銀行券(て言うのかな?)の方が信頼度が高かったらしいね
5しかし:2001/06/14(木) 21:17
国民党軍は米国から多額の援助を受け、武器も共産軍より
質量ともにうわまわっていたはずだが・・・・・
6世界@名無史さん:2001/06/14(木) 23:19
国民党は旧満州での敗北からなだれを打ったように負けていったな。
共産党は旧満州勢力の武装解除とソ連の支持があったけど、勝算は微妙だったんでは?
7世界@名無史さん:2001/06/15(金) 00:01
純粋に戦略戦術の能力を比較すれば毛沢東と蒋介石とでは雲泥の差。
将帥の差を金や兵器じゃ埋められなかったって事ですな。
8世界@名無史さん:2001/06/15(金) 00:42
コウホ軍官学校でのエピソードとか知らない?
9世界@名無史さん:2001/06/15(金) 15:49
>>5
共産軍は大戦中、イギリスから武器の援助を受けていたと聞いた
ことがある(インドから崑崙へ武器弾薬を空輸していた)。
 量はともかく、質の点では国民党軍との差はなかったのでは。投
降した日本軍の兵器も余っていただろうし。

 関東軍と激戦を繰り広げた八路軍ってどっちの陣営の部隊だった
んだろ? 
10 :2001/06/15(金) 15:53
八路軍=共産軍
11世界@名無史さん:2001/06/15(金) 16:00
だいたい関東軍そのものが中国にいるはずがない。
12世界@名無史さん:2001/06/16(土) 01:37
社会主義革命バラ色史観はもう止めて欲しい。
中国共産党はスターリンよりも前に農村部で凄まじい赤色テロルを行った。
これは富裕層に対する生き埋めや食人も含む。
日中戦争中は出来るだけ日本軍との戦闘を避け、むしろ国府軍の拠点を教えた。
北京に人民政府が樹立された後も、全ての中国人が歓喜の声で毛沢東を承認したわけではなく、各地に残っていた地方保安隊と数十万の人々が反乱を起こした。
共産党の統治の仕方は今日まで一貫して軍事独裁であり、民衆は自発的意思よりも恐怖によって従ってきたんだと思う。
13世界@名無史さん:2001/06/16(土) 02:03
このスレを書きこんでいる人は誰も薔薇色と思って書いていないと思うけど。

毛沢東と蒋介石の2人の能力などの諸々を書いているだけじゃない。
14世界@名無史さん:2001/06/16(土) 03:23
とにかく東北戦役で最新鋭部隊を壊滅されたのが痛い。
その意味で共産中国成立の立役者は林彪と言えるのでは。
15世界@名無史さん:2001/06/16(土) 06:44
>>6ソ連が旧満州で日本軍の武器を共産党に与えるなどして積極的に支援したんですね。だから満州がソ連軍の手に落ちたというのは国民党にとって痛かった。
たしかアメリカが国民党の対共産党攻撃の動きを抑制させるようなこともしたはずです。
16世界@名無史さん:2001/06/16(土) 07:04
>>12
共産党軍も国民党軍もやってたことは五十歩百歩ってところ
だよ(w 部隊によって規律も士気も差があったかも知れない
が。

 スターリンは蒋介石が戦後の中国を支配すると考えてたよう
だけどもね。とんだ見込み違いだった。
17風が吹くと桶屋が儲かるのも、:2001/06/16(土) 07:12
共産党が内戦に勝利したのも、みんな日本のおかげです。

7
>純粋に戦略戦術の能力を比較すれば毛沢東と蒋介石とでは雲泥の差。
>将帥の差を金や兵器じゃ埋められなかったって事ですな。

14
>とにかく東北戦役で最新鋭部隊を壊滅されたのが痛い。

1937年の日中全面衝突の際、南京陥落にいたるまでの攻防戦で、蒋介石は、直属の、国民党部隊の精鋭中の精鋭が壊滅するまで抵抗を続けた(南京市に配置されていた唐生智の部隊は二級品)。

1930年代初頭の「囲剿」によって壊滅し、兵力を10分の1に激減させて延安にたどり着いた共産党軍の残党が、最終的に滅ぼされることなく息を吹き返し、再び勢力拡張に転ずることができたのも、日本による国府攻撃のたまもの。

日中国交回復まえ、中国へ行った野党の訪問団が日中戦争により迷惑をかけたことを「お詫び」したのに対し、毛沢東が「日本のおかげで天下が取れた」と返したのは、有名なはなし。
18世界@名無史さん:2001/06/16(土) 07:16
共産党軍を執拗に貶す奴はコヴァ。
19名無しさん@1周年:2001/06/16(土) 09:05
>>18
お前病院逝った方がいいよ
20世界@名無史さん:2001/06/16(土) 09:36
コヴァ擁護する奴はコヴァ
21世界@名無史さん:2001/06/16(土) 12:24
>.12,17日中戦争なんてそもそも共産党が仕組んだのだから、共産党自体は日本軍との戦いは中国人ショナリストの支持を失わない程度やればいいわけで後は国民党が勢力を消耗するようにもっていくのが利口なわけですね。結局、共産党の戦略勝ち。この点ではやはり蒋より毛の方が上なのは確かでしょう。
2221:2001/06/16(土) 12:25
ショナリスト > ナショナリスト
23日本@名無史さん:2001/06/16(土) 13:31
日中戦争に行ってたジィちゃんが言ってたけど、当時の中国側の国共合作は末端まで
行き届いておらず、実際は日・国・共の三巴で「今日は国民党を攻撃する」と命令を
受けたら共産軍といっしょに攻撃するし、共産軍を攻撃する時は国民軍と協力するし
国民軍と共産軍の連合軍に攻撃を受ける事もあるしと、「よくわからん戦争だった」と
話していたな。
24世界@名無史さん:2001/06/16(土) 13:36
そういうデタラメな戦争を後になってもっともらしく意味付けしようとするからあれこれ捏造も必要なわけかな。
25世界@名無史さん:2001/06/16(土) 14:53
ある意味三国志だな
26世界@名無史さん:2001/06/16(土) 21:56
さらに南京政府や新京政府もあったりで本当に中国はわけが分からん状態だったんだろうな。
27世界@名無史さん:2001/06/16(土) 22:54
劉少奇大活躍
28世界@名無史さん:2001/06/16(土) 23:09
リュウシャオチの最後は悲惨だったな。
毛が画策した文化大革命で近衛兵に惨殺されたね。
29世界@名無史さん:2001/06/16(土) 23:15
疑問に思うんだが、毛はなぜ台湾に渡った国民党を追撃しなかったんだ?
むしろ2年後の朝鮮戦争に介入しているね。
NHKで+スターリンと密約があったような事をかなり前にやっていたけど
マーカーサーが北を滅ぼした後に本土に侵攻するような事態を
恐れて台湾よりも半島情勢を優先したの?
30七資産:2001/06/16(土) 23:20
>29
よくわからんが海軍力の問題?
それで即侵攻できずにいたところ朝鮮戦争が起こって
米第7艦隊が台湾海峡を防衛することになり以後全く
見込みが立たなくなったということじゃなかろうか。
31世界@名無史さん:2001/06/16(土) 23:26
1948年当時、国民党は中国本土の陸軍戦力はほぼ壊滅したけど
台湾に海軍戦力を保持していたの?
そうでなければ即刻共産軍は海を渡っていたと思うし
もうひとつは金門や馬祖島も本土からすぐなのに
攻略しなかった。
台湾自身は海軍で阻止できたとして
この2島も奪取できないままですね。
何か理由があるんでしょうか?
32世界@名無史さん:2001/06/17(日) 01:10
海を越えて敵地に侵攻するには圧倒的なほどの戦力が必要。
とくにそれが島である場合、絶望的なほど困難な作戦となる。

現代においてそのような戦力を保有する国は米国だけだろう。
ソ連にもそのような戦力は無かった。
33世界@名無史さん:2001/06/17(日) 01:34
 中国は広いし、軍閥崩れや大陸浪人崩れの山賊もいた。こういった
勢力プラス日本軍、国民党軍、共産党軍もいた。まさに乱戦だったの
だと思うね。
34世界@名無史さん:2001/06/17(日) 10:17
>>12政権を取るよりはるか前の時代に農村ですさまじい赤色テロを行っていたなんてことは今でも一般にはあまり知られてなくない?ちょっとソースを紹介してもらえるといいけど。何しろ「共産党は農民の支持を得て、、、」なんてのが最近まで日本でも盛んに言われてきたことでしょ。
35世界@名無史さん:2001/06/17(日) 17:42
>>34
地主層に対する迫害は前々から日本でもいわれていたよ。
ただ、それによって農民の支持をえたってことになっていたんだけど。
36世界@名無史さん:2001/06/17(日) 17:55
ある程度は得たんだろう。清朝末期からの中国の地主はえげつなかったらしいから。
王朝交代期には毎度のことですが。

>>32
攻めるのは守る側の最低3倍の兵力は必要とかいうし、ただの漁船に乗せて
兵隊を送り込むわけには行かないしねえ。共産党が海軍を持ってたなんて
考えられないし、この当時ならば、ソ連もウラジヴォストクの海軍力なんて
たかがしれたもんだったろうから、まあ攻め込まなかったのは賢明なというか、
当然の判断だったんだろうね。
37世界@名無史さん:2001/06/17(日) 18:19
>>35
赤色テロルや内戦での戦死者も、総て日本軍が殺したことになっているらしい。
それで「日中戦争の犠牲者2000万人」トンデモ説が飛び出すわけだ。
38世界@名無史さん:2001/06/17(日) 19:24
うげげ。

んまぁ、戦死者じゃなくて民間人も含めた犠牲者ってことなら、
15年戦争全体でなんだしそれなりに説得力はあるのでは?

ところが、いまは3500万人と主張していたりする人もいるようで…。
39世界@名無史さん:2001/06/17(日) 19:44
国共内戦での犠牲者数は対日戦での犠牲者よりはるかに多いというのは昔から常識だったけどね。昔はとにかく国民党が悪いということになっていたが、最近はイデオロギー対立なんかどうでもよくなって愛国主義路線で突っ走ってるから内戦の犠牲も日本のほうにカウントしちゃうわけだろうね。大躍進や文革での犠牲は国共内戦のよりさらに多いというから、実際のところ中国人を一番殺したのは圧倒的に共産党なんだろうが、そんなこと認めたら政権の正統性が吹っ飛ぶ。
40世界@名無史さん:2001/06/17(日) 20:33
対日戦・国共内戦の犠牲者数について信頼できる資料は何?
41世界@名無史さん:2001/06/21(木) 09:29
>40
中国共産党政府は、3200万人としている。
42世界@名無史さん:2001/06/21(木) 10:46
平凡大百科辞典の1966年版や小学館の大日本百科事典(Japonica)の1978年版ではThe World Almanac をソースにした表に中国の兵員の死亡は1310224名と記しているが一般市民については不明になっている。この表ではソ連などはすべての項目が不明だから冷戦たけなわの共産主義政権で資料が発表されなかったとも考えられるが中国などは戦後4年たってから共産化したのだし元々まともな資料などなかったとも考えられる。ちなみに大日本は記述のなかでは“日本も中国で南京虐殺事件をはじめ各地で「三光政策」を とり、中国での死傷者は1000万人以上に上るといわれている”(藤村瞬一)と書いている。「南京」や「三光」を当たり前に事実としている記述だが、それでも3000万は法外だろうね。南京と同じでどうにでも増えていく。
43世界@名無史さん:2001/06/21(木) 13:05
>>31
国民党が逃げ込んだ海南島は攻略しましたけどね
44世界@名無史さん:2001/06/21(木) 17:14
光人社から出ている「憲兵物語」という本に、
「共産党はあちこちの村で人民裁判を行い、村人全員で被告の処刑の決を取った。
その際、処刑に賛成しなかったものには、コッソリと襟に印を付けておき、
一人だけになった時を狙って暗殺していた」という記述がある。
赤色テロルとは、このような行為をいうのかな?

憲兵物語の詳細。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19900512
45世界@名無史さん:2001/06/21(木) 17:24
わりとありがちな説明としては、
国民党軍が日本の主力軍と戦い
共産党軍が日本の非主力軍と闘っていたので、
終戦後の疲弊度がまったく違い、
余力の乏しい国民党がわが負けた。 というハナシ。
46世界@名無史さん:2001/06/21(木) 18:42
>>41-42
国共内戦は?
>>45
でも、満州以外では共産党は負け続けじゃん。
47世界@名無史さん:2001/06/21(木) 20:30
蒋介石は雑軍(地方軍閥)を前面に出し、
日本軍と戦わせて消耗させる方針を採った。
国民党中央軍及び共産党軍はほとんど戦っていない。
共産党軍も赤色軍閥というところだが、
平型関の戦い以外はノラクラ逃げ回って力を蓄えた。
戦後の内戦で蒋は最精鋭部隊を先頭に出し、
連戦連勝で突っ走った結果が東北戦役での袋のネズミ。
これで国民党軍は腰砕けになってしまった。
48世界@名無史さん:2001/06/21(木) 20:46
後退戦術は共産党お得意の戦法
49αジョーカーω:2001/06/21(木) 21:15
その通り。蒋も毛も第二次国共内戦を予期して、
軍事力を温存していた。
これがアメリカの怒りを買ったらしい。
50世界@名無史さん:2001/06/22(金) 02:04
蒋介石夫妻が住んでいた家など
を見ても、あかぬけした上品な家だ。
彼らが腐敗堕落した人間たちと言う説が
勝った共産党政府の宣伝と
戦後日本の教育界、ジャーナリズムの
影響がある、可能性を検討の余地があるのでないか?
51αジョーカーω:2001/06/22(金) 02:51
>50
蒋介石が、金銭欲の怪物であり、青幇メンバーで、
殺し屋兼金融ゴロ兼麻薬業者である(あった)、
と盛んに宣伝したのは、戦時中の日本。
ただ、あながち、嘘ばかりではない。
52世界@名無史さん:2001/06/22(金) 08:16
>>50
蒋介石は知らないけど、国民党が腐りきっていたのは確か。
中国の支配者としては普通だったのかもしれないが。

台湾に国民党が来たとき、台湾人が
「犬が去って豚が来た」と嘆いたのは有名。
53世界@名無史さん:2001/06/22(金) 08:30
>>47
> 蒋介石は雑軍(地方軍閥)を前面に出し、
> 日本軍と戦わせて消耗させる方針を採った。

蒋介石は1937年に日中全面衝突が勃発した際には、日本軍が上陸してから南京城にとりつくまでの迎撃に、直属の最精鋭部隊を投入し、その部隊が壊滅するまで頑張った。

蒋介石が武漢を経て重慶へ逃げ、「雑軍(地方軍閥)を前面に出」すようになったのは、そのあと。
5453:2001/06/22(金) 08:35
>>49 αジョーカーω
> その通り。蒋も毛も第二次国共内戦を予期して、
> 軍事力を温存していた。

蒋介石は1937年に日中全面衝突が勃発した際には、日本軍が上陸してから南京城にとりつくまでの迎撃に、直属の最精鋭部隊を投入し、その部隊が壊滅するまで頑張った。

黄仁于の『マクロヒストリーから見る蒋介石日記』を参照のこと。
55世界@名無史さん:2001/06/22(金) 16:04
>>54
最初はそうだったが、日米開戦以降は、
米式装備の精鋭師団は使っていない。
56αジョーカーω:2001/06/22(金) 17:03
>54
南京近辺での国府軍に激しい抵抗は、
日本軍の予測外だったそうですね。
ただ、55さんのい言う通り、日米開戦後は、
精鋭師団を投入せず、特に1944年(昭和19年)からは、
兵力温存に努めた。
57αジョーカーω:2001/06/22(金) 17:21
また、光復の際に、日本軍占領地域の人々は、
先天白日旗を振り、爆竹を鳴らし、蒋介石万歳を
叫んだが、国民党政府が戻って来た途端にその熱は
冷却してしまった。国府及び国民党は、
日本人や漢奸の資産を押収して自分達のポッポに入れ、
”仇を以って仇に報いず”演説で涙した日本人を裏切ったばかりか、
中国の民衆をも裏切ったのだ。不正・汚職・アメリカへの従属・
労働者虐殺・言論人の暗殺など、余りに酷く、
おまけにハイパー・インフレと大飢饉。
また、国府軍兵士による略奪も目に余る程であった。
58αジョーカーω:2001/06/22(金) 19:33
蒋介石は、宋美齢と結婚してから、妻と同じ
メソディスト派のクリスチャンとなり、
酒も煙草も断ち、(それ以前は女誑しだったが)愛人も
作らなかった―宋一族の力が衰えても、それは
変らなかった―。
蒋介石個人の人格問題よりも、国民党及び国民政府が
官弁と軍閥と黒幇の政権と言っても過言ではなかった事、
英米仏と日本の植民地主義が取り巻く当時の
中国社会全体に原因があろう。
59世界@名無史さん:2001/06/22(金) 21:29
宋夫人は絶世の美女だったらしいからなあ。
しかし!
チンバンのとげつしょう(字出ない)の愛人であっという噂もあるぞ。
無論蒋介石と知合う前なんだけど。
とげつしょうと蒋介石は黒い話が至るところにあり、
台湾に渡った後も陰に陽に蒋介石を助けたらしいね。
60αジョーカーω:2001/06/24(日) 00:47
>59
杜月笙は、青幇の大親分(勿論、本人は縁も所縁も無いと、
言い張っていたが)であるだけではなく、
麻薬ビジネスで儲けたカネで銀行家にまでなった。
また、更に重要な事は、蒋介石の上海クーデターで、
労働者・共産党員を大虐殺した事。
これで、藍衣社かCC団の幹部などの肩書きも得た。
宋一族との繋がりも強く、宋美齢の勧めで、メソディスト派の
洗礼を受けた。以前に、宋美齢が愛人だったという噂も出鱈目では
ないのかもね。
61>54:2001/06/24(日) 00:53
あれはドイツの軍事顧問団が残した強固なトーチカがあったからだよ。
上海戦で敗退してからは蒋直系の部隊は全然前面に出てない。
62>57:2001/06/29(金) 11:03
魯迅は戦争中、国民党によるテロ、逮捕を逃れるため上海の日本租界に住んでたんだったね。
6353=54:2001/06/29(金) 13:17
>上海戦で敗退してからは蒋直系の部隊は全然前面に出てない。

だから、蒋が黄ホ軍官学校の校長に就任して以来、10年以上かけて営々と育成してきた「蒋直系」の精鋭部隊は、南京陥落に先立つ迎撃戦の過程で壊滅したんだって。

その片の若者をかり集めて、米国産の最新鋭の装備だけ身につけさせたところで、それだけで「精鋭部隊」になるわけではない。

日本との戦いの中で、虎の子の精鋭部隊をうしない、自分の地盤から離れて七年も流浪せざるを得なかったということは、蒋と毛の資質の差以上に、国民党と共産党の天下争奪に大きな影響を及ぼしたことは間違いない。
64名無しさんの主張:2001/06/29(金) 16:32
蒋介石は若かりし頃から総入れ歯だからな。
総入れ歯のひとはインポが多いし
結婚生活は大変だったろうね。
65世界@名無史さん:2001/07/01(日) 13:00
>>31国際政治的に色々あるらしい。
http://jimbo.tanakanews.com/AC.No.36.html
66世界@名無史さん:2001/07/01(日) 14:44
その東北戦役って、どうやって共産党が国民党に勝ったんだ?

軍事板の方がいいかも知れんが、概略だけ教えてくれ。
兵器がどうこうの細かい話はいらんから。
67世界@名無史さん:2001/07/01(日) 14:54
武器のことになってしまうが、日本軍からの大量の捕獲武器をソ連軍が中共軍に渡したのがひとつの大きな要因だろう。
68世界@名無史さん:2001/07/01(日) 19:38
楽勝ムードでなだれ込んだら予想外の反撃で、カウンターを食らったってとこかな。
69世界@名無史さん:2001/07/01(日) 20:35
おもしろい! age
70世界@名無史さん:2001/07/02(月) 12:57
なんでいいから、毛沢東時代がもっと長く続いて、
大躍進運動と文化大革命で中国を滅ぼしてやればよかった。
71世界@名無史さん:2001/07/02(月) 13:08
キティーな中国人煽ってやらせてみたい。
72世界@名無史さん:2001/07/02(月) 17:30
あの、ちょっと真面目な質問。
イデオロギーや思想は一切ぬきにして、たんなる軍事集団(一軍閥)としてみた場合、
国民党や共産党が初めて一定領域に割拠したのは「いつごろ・どこ」でしょうか?
73段祺瑞:2001/07/04(水) 14:32
アンドレ マルローの”人間の条件 ”をご存知でしょうか?
これは1927年上海の蒋介石の共産党攻撃を題材にした小説です。
この本は絶版になっていてながいこと捜していましたが、やっと
昨日入手しました。その時同じ著者の広東の国共合作を題材にした
”征服者”という本もあることが解り注文しました。
みなさんは、前からご存知なのかもしれませんが、インターネット
ショッピングの ”ふるほん文庫やさん ”で買いました。
検索でさがすとでてきます。両方ともまだ2,3冊のこっています。
74世界@名無史さん:2001/07/04(水) 15:32
国民党の場合、辛亥革命直後から清朝の残党なんかも
もぐりこんでくるし、各地の軍閥も名目上入ってくるんで、
蒋介石直系の中央軍と解するなら、広東政府成立後でしょう。
共産党は井崗山の中華ソヴィエト樹立から。
75かきつばた:2001/07/04(水) 17:09
>蒋介石直系の中央軍と解するなら、広東政府成立後でしょう。

1920年代中葉、孫文の一派を支持する外国勢力はソ連だけだったので、
コミンテルンは共産党に対して個人の資格で国民党に加入することを指
示、国民党の側も「聯蘇容共」容共のスローガンを掲げ、「第一次国共
合作」がスタートしました。

国民党は党組織および軍事組織に関してコミンテルンの組織論を取り入
れ(雑多な共和勢力の寄り合い所帯だった1911年以前の「中国革命同盟
会」とはことなり、孫文を最高権威をゆうする独裁者にすえた中央集権
体制を樹立)、蒋介石を校長とした「黄浦軍官学校」を設立し、「党の
思想を注入し、党の理想のためには命をすてることも辞さぬ党の軍隊」
というボリシェビズムに基づく軍隊の育成に取り組みました。

このようにして育成された軍隊は、他の軍閥軍と比較にならぬ高い志気を
有し、いざ「北伐」が始まると、国民党は圧倒的な強さで瞬く間に他の勢
力を打倒もしくは屈服させることができました。

>清朝の残党なんかも もぐりこんでくるし、
孫文がコミンテルンと結びつく以前に連合した地方軍閥のなかには、
清朝時代の「新軍」の系譜をひく勢力がありましたが、「北伐」に出
撃する直前の国民党軍は、ソ連の支持とボリシェビズムの組織論によっ
まったく新たに編成された精鋭からなる軍隊です。

>各地の軍閥も名目上入ってくるんで、
新編成の国民党の軍隊は、高い志気のもと果敢にたたかい、大変な損害
をだしました。また国民政府の権威を受け入れて戦わずして恭順を表明
する軍閥に対しては、従来の地盤の支配を引き続き認めるという例がま
まみられました。
76かきつばた:2001/07/04(水) 17:14
だから、北伐の結果成立した「南京国民政府」は、蒋介石の直属集団に
「中央政府」としての権威をみとめた各地の軍閥がこれに服属する「軍
閥」の連合政権だったといえます。
7772:2001/07/05(木) 12:42
75,76は74の補足でしょうか。勉強になりました。
74さん & 75=76さん、ありがとう。
7872=77:2001/07/08(日) 00:29
あれ? 流れとまっちゃった?
ぼくの質問にはよい回答いただきましたので、
どうぞ議論を続けてください。話の腰おってごめんなさい。
79世界@名無史さん:2001/07/08(日) 15:04
国民党って、最初はいつどこで結成したの?
80世界@名無史さん:2001/07/10(火) 09:31
林彪なんて毛主席万歳を叫びながら毛沢東暗殺を図ったね。
81名無しさん:2001/07/10(火) 12:41
>79
東京の中華料理屋じゃなかったっけ?
結成当時のメンバーは在日留学生ばかりだったと思う。
清朝は国費で革命家を育てていたのだ。
82世界@名無史さん:2001/07/29(日) 22:38
age
83世界@名無史さん:2001/08/15(水) 21:20
age
84一中国共産党員
大躍進ならぬ大後退のせいで圧迫された国家財政から
貴重な予算を割いてまで核実験を成功させ
さらに文化大革命の混乱の中で核ミサイルの実戦配備にこぎつけたのは
ひとえに毛沢東同志の偉大なイニシアチブの賜物である。
おかげで日本から円借款や政府開発援助をとりつけても
中国は戦略核ゆえに属国にならずにすむのだ。
名目上は戦時賠償金でないのが玉に傷なのだけど
そんな事は中国人民に対する手前を除けば些細な問題だし
背に腹は代えられなかったから寛大に日本を許してやろう。
真の日中友好を実現するには中国共産党の役割が不可欠なのは
お分かりだろうが、国民党の精鋭軍団を抗日戦争の初期に十分叩いてくれた
正規戦には強い日本軍国主義者たちへここに礼を言わせて頂く。