1 :
日本@名無史さん:
どっちが強いの?
接触する機会が無かったのでそんなのわかりません。
議論自体無意味です。
4 :
世界@名無史さん:2001/06/14(木) 00:20
>>2 ま、そんなこと言うなや。わかんないから考えんでしょ。唐とイスラム帝国みたい
に接触してかつ戦闘もしてるんだったら、どっちが強いかわかっちゃってオモロク
ないっしょ?
>>4 タラス河畔の戦いのこと言ってるの?あれで唐とイスラムの比較を
するのは唐が可哀相でしょ。もともと唐の方にやる気が無かったんだし。
強いとは何を基準にしているのかが不明。
小難しい議論以前に、時代によって違うのはわかるだろうし
第一地理的条件、その時の政治的状況を無視してどちらが強いか議論しても
まったく意味がない。
そういった要素を全く排除するなら基本的に古代社会の国力=人口
で計算すれば手っ取り早い(これも相当に大雑把だが
同じ漢でも北平付近での戦争と西域より更に西での戦争とで
戦闘能力が同じはずも無く
また戦闘でなく国力の差異を議題にしているのだとしたら
先に述べた通り人口がでかいほど基本的には生産力が高い。
収量倍率の差や社会の流通システム面の差は
近代以前にはある程度無視しても大丈夫な程度の物でしかない。
ヒストリー・オヴ・ザ・ワールドっていう、シミュレーション
ボードゲームがある。
マップは全世界を網羅し、時代が移り変わると次々と新しい国
がマップの上に勃興することになるので、いろんな時代のいろ
んな国がゲームに出てくるのだが。
このゲーム中、最大の兵力を与えられてるのはローマ帝国。
ユニットを25も使える。
イスラムは18ぐらい、モンゴルや大英帝国ですら20。オイオイ。
で、漢帝国は、10か12ぐらいだったと思う。この兵力では史実
での版図を確保するのも難しいぞ。
さすがは欧米人が作ったゲームだ……
8 :
世界@名無史さん:2001/06/14(木) 19:34
>>2と
>>6が至極正論だと思う。
ただ堅い話は抜きにして、茶飲み話として見てみると…
>>7 欧米人というより、「ローマ帝国」に未だ幻想を抱くゲルマン民族・ラテン民族が作ったのでは?
単純に考えれば、世界史上の超大国は領域だけで考えるとモンゴル帝国、大英帝国、ロシア帝国(及びソ連など)。
>>4-5の752年の戦いも、当時の唐は盛りを過ぎた頃、アッバース朝は勃興の頃という要素もある。
前漢の武帝・昭帝・宣帝の頃は中国史上でも最も理想的な時代の一つだけど…。
9 :
世界@名無史さん:2001/06/14(木) 19:36
>>8 武帝最盛というが、そうか?
軍事力ならともかく、国力ならかなり荒廃していただろ。
10 :
世界@名無史さん:2001/06/14(木) 20:28
>9
そうだよね、
11 :
世界@名無史さん:2001/06/14(木) 20:35
大帝国が派手な征服活動をしてた時期に限って実は国内はボロボロだったりするものだ。
その最たる例がユスティニアヌス。
12 :
世界@名無史さん:2001/06/14(木) 21:44
明とティムール帝国の激突も実現してもらいたかった。
13 :
世界@名無史さん:2001/06/14(木) 21:53
毛沢東VSムッソリーニ戦
14 :
世界@名無史さん:2001/06/14(木) 22:12
>>12 激しく同意!お互い全盛期同士だったから、実際に戦ってたらきっと
ものすごいことになったのかなあ。
15 :
世界@名無史さん:2001/06/14(木) 22:13
姦淫帝国出現!!
16 :
世界@名無史さん:2001/06/14(木) 22:16
技術力とかはどう?
ローマってポンペイの遺跡とか見ても技術レベル高そうでしょ。
漢はどうなんだろ。
17 :
世界@名無史さん:2001/06/14(木) 22:19
イタリアVS中国の
性戯戦
勝つのは誰だァ!
18 :
実話:2001/06/15(金) 10:46
1,2世紀頃、漢とローマで使節交換があった。
漢の使節はローマのコロッセオを見て
「人間を殺戮競技の見せしめにするとは
ローマ人は何という野蛮人か」とショックを受け、
ローマの使節は華北の万里の長城を見て、
「こんな物を冗長に作るとは
漢人は何という浪費家だろうか」と呆れ果てたという。
19 :
世界@名無史さん:2001/06/15(金) 10:52
おいおい
漢の使節がいつローマまでいったんだよ。
パルティアだかシリアで引き返しただろが
ローマもベトナムまではいったけど長城を
いつ目撃したんだよ!
20 :
世界@名無史さん:2001/06/15(金) 11:38
では紀元前200年から100年ごとに軍事力その他を比べてみましょう
BC202年・ほぼ引き分けでしょう
ローマ:ザマの戦いに勝利(名将スキピオ時代)
漢帝国:垓下の戦いに勝利(漢建国)
BC100年前後・漢の勝ちかな?
ローマ:第二次奴隷戦争、ユグルダ戦役の敗北
漢帝国:武帝時代。朝鮮併合、一方で匈奴に李陵が降伏
紀元0年・ローマの圧勝
ローマ:パクスロマーナ時代。周辺に敵なし
漢帝国:王莽の外戚政治に8年に前漢崩壊
AD100年・ローマの圧勝
ローマ:トラヤヌス帝時代。ローマ最大規模になる
漢帝国:宦官の専制始り、周辺国が相次いで独立
AD200年:どちらも破綻状態
ローマ:コンモドゥス死後の皇帝擁立問題でクーデターの嵐
漢帝国:官渡の戦い勃発。内戦突入
21 :
世界@名無史さん:2001/06/15(金) 11:40
ローマと漢の技術力か。
建築技術はローマの勝ち。工業技術は漢の勝ち。
だろうな。
22 :
世界@名無史さん:2001/06/15(金) 12:07
三国志時代は西ローマ帝国はどうなっていたのダスか
23 :
世界@名無史さん:2001/06/15(金) 12:16
そういえばローマは東西に分裂して解体し、漢は南北に分裂して解体した。
その後の歴史を見てもヨーロッパは東西に分裂することが多かったし、支那は南北に分裂することが多かった。
それぞれ東西、南北に分裂しやすい地理的な要因があったんだろうか?
24 :
日本@名無史さん:2001/06/15(金) 12:27
>>23 そりゃ、中国の場合野蛮人は北から侵入して来るから
先住民は南に逃げる。
ヨーロッパは、野蛮人が東から侵入してくる。
25 :
世界@名無史さん:2001/06/15(金) 12:36
>>22-23
三国志時代は3世紀、ローマはまだ分裂していない(藁
26 :
日本@名無史さん:2001/06/15(金) 12:49
卑弥呼軍vs魏曹操軍
見てみたい。
27 :
世界@名無史さん:2001/06/15(金) 14:04
ディオクレティアヌスの分割統治以降、分割と再統一が何度かあったようだけど、最終的に再統一不可な形で分裂したのはいつなの?
>>26 最初っからお話になりませんな。
鎌倉幕府の頃とじゃ国力違いすぎ。それでも運良く2回の失敗で諦めてくれたから良かったのに。
第一曹操が日本に攻める理由が無いしな。蛮族の国をわざわざ海超えてまで支配して何があんの?
29 :
世界@名無史さん:2001/06/15(金) 17:54
>>28 そのとおりですな。
万が一に攻め込むとなっても、中華での侵略における定石ともいえる「遠交近攻」を考えても話にならない。
司馬懿が遼東の公孫家を攻めた時の軍勢は4万だったっけ?
しかも海軍も駆使してるし。
諸葛孔明の南征に50万が投入されたとか言ってるし、人海戦術でダメでしょ?
30 :
世界@名無史さん:2001/06/15(金) 18:47
曹操の話を上げている奴がいるようだけど
孫権がなんか人口の少なさを補うために
東夷に船団を繰り出して攫って来たという逸話があると聞くけど
東夷って日本のことか?
31 :
日本@名無史さん:2001/06/15(金) 18:57
邪馬台国vs魏なんて、現代でいうならアメリカvsキューパくらいかな?
32 :
世界@名無史さん:2001/06/15(金) 19:00
そこまで国力差があるかあ?
近代戦争でヒーヒー行っていた中国なんだぜ
戦争をしたらとりあえずヤマタイは
速攻で洛陽を落としていたよ!
蛮人匈奴にできて日本に出来ないはずは無い!
33 :
名無史さん:2001/06/15(金) 19:17
>>32 匈奴は漢の武帝に追い払われちゃいました。
34 :
世界@名無史さん:2001/06/15(金) 19:27
35 :
世界@名無史さん:2001/06/15(金) 19:46
>>33 おいおい三国の話だろ
漢の武帝は前漢の時代の話だぞ
曹操の時代から100年も経たないうちに
晋は劉淵によって洛陽は壊滅したぜ。
あ、劉淵は姓は漢人だが、実際は匈奴が漢に降伏して
漢風の名前に改称しただけだ。
ちなみに冒頓単于の直系のはず。
>>35 晋が異民族の侵入を招いたのは八王の乱の時に王族が異民族の兵力を頼ったため。
国力上の問題ではない。
37 :
世界@名無史さん:2001/06/15(金) 19:59
それを言い出したら日本もほとんど侵略されたことは無い。
元も退治したぞ
38 :
世界@名無史さん:2001/06/15(金) 20:04
明も国力は後金より遥かにあったはずだが
滅亡した。
宋も商業が盛んで外貨は相当あったはずで財政は豊かであったが
遼や金やモンゴルに常に後手に回った。
領土の広さや総人口で戦いの帰趨が決着するのなら
インカはスペインにやぶれてなぞいないのだ。
実際に戦ってみないとなんとも言えないはずである。
39 :
世界@名無史さん:2001/06/15(金) 21:06
スペインとインカの場合は鉄、銃、馬の問題があるだろ(w
元を退治したっていうかありゃまぐれ。
40 :
世界@名無史さん:2001/06/15(金) 21:22
>30
呉が船団を派遣した夷州は、今の台湾のことだと思われ
>>37 海に浮かぶただの島を侵略する価値なんざないからです。
よっぽど資源があるか、地続きで勢力拡張のとばっちり喰うか、すげぇ弱いか(つまりそんなつもり無くても
征服できちゃった)じゃないと。
元は特殊でとにかく版図を広げようとしていたから、というかそれが出来なくなった途端しぼんだぐらいで。
もっとも南宋が滅んでない時に来た連中なので実はそんなにやる気もなかった為に嵐にあっただけで止めた。
2回目は滅ぼした後だがやっぱ嵐にあったので止めた。つまりは運が良かった。ま、すんなり上陸させずに夜襲
かけて苦しめたりと弱くないのは確かだけど。
ローマの遺産は何といっても市民法。おかげで近現代の西欧法治社会もある。一方、東アジアにドキュソ国家の多いのは古代シナ文明の遺産のおかげか?
43 :
世界@名無史さん:2001/06/18(月) 13:37
>>41 防塁の助けもあるけど、
東路軍と、遅れて到着した江南軍を相手に、
4ヶ月も粘り強く戦った日本軍は優秀だね。
>>42 古代シナ文明→紙、火薬、羅針盤、漢字、漢方学という遺産は悪くないと思うが
44 :
世界@名無史さん:2001/06/18(月) 13:47
中国って昔から人口多かったんすか?
45 :
世界@名無史さん:2001/06/18(月) 14:22
>>44 多かった。前漢のころから数千万人という人口。
もっとも、当時のオリエント地域の人口がよくわからないので、今のように
世界一人口が多かったのかどうかは不明。
46 :
世界@名無史さん:2001/06/18(月) 15:38
>>41 上陸作戦においては最初の奇襲攻撃によって、地上に上陸の拠点となる陣地が作れなければ負け。
元は2回ともそれに失敗しており、その段階で敗北は決定している。
後は嵐が来なくても海の藻くずとなっていたのは確実。
47 :
世界@名無史さん:2001/06/18(月) 15:46
明も国力は後金より遥かにあったはずだが
滅亡した事に対する反論が一切ないのは何故だろう(藁)
48 :
世界@名無史さん:2001/06/18(月) 15:49
>>47 明は内部崩壊でしょ。明を滅ぼしたのは女真ではなく、
反乱軍なわけだし。
49 :
世界@名無史さん:2001/06/18(月) 16:11
>>46 >上陸の拠点となる陣地
文永の役の時、
押されに押された日本軍が、
敗北色濃い博多・赤坂を放棄して大宰府に戦略的撤退をした後に、
元側には拠点基地を造るチャンスは十分にあった。
それをせずに本国撤退したのは、
やはり第一次進軍が単なる威力偵察だった証明だと思うけど
50 :
世界@名無史さん:2001/06/18(月) 16:15
>>45 中原と、チグリスユーフラテス河縁の
どっちが食糧生産性が高かったかということも関係。
51 :
世界@名無史さん:2001/06/18(月) 17:00
戦略的撤退=大敗北
52 :
世界@名無史さん:2001/06/18(月) 17:18
貴様らーっ!
"転進"と言わんかぁ。(藁
>>48 というか中国の統一王朝では反乱で滅ぶ方が圧倒的で外敵に侵略されて滅ぶのは少ないですねぇ
簒奪に成功した新王朝も滅びない・・・しぶといですな、漢民族。
54 :
世界@名無史さん:2001/06/20(水) 00:37
後に向かって前身(笑
55 :
世界@名無史さん:2001/06/20(水) 01:47
>>53 治乱興亡の繰り返しの中で、純粋に外圧だけで滅んだのは南宋くらいか?
秦の統一時にも他国の大臣を買収して弱らせたし、だいたいは農民一揆などが起こって内紛に発展し、王朝が瓦解した後にその混乱を収拾して新王朝ができるというのが標準パターンだからな。
56 :
ちょい板ちがいかな:2001/06/20(水) 01:53
だいたいは農民一揆などが起こって内紛に発展し、
>
今の共産党政権が一番恐れているのがこのケース。
今の地方の疲弊もそうとうなもので農村に見放されて
大規模な叛乱が起こされたときが共産党崩壊のきっかけになる
可能性が強いと見る向きも多い。
現に報道されないだけで騒乱事件が続出しているらしい。
57 :
世界@名無史さん:2001/06/20(水) 13:34
>>55 あとは、隋に滅ぼされた南朝の陳っていうのがありますが、隋はほぼ
完全に漢人の国ですし、晋は南遷したものの滅んではいませんし。
唐滅亡も内部崩壊->異民族の侵入という、明→清と同じ形ですし。
58 :
世界@名無史さん:2001/06/20(水) 16:21
>>44 >>45 漢の時代について言えば、世界の人口の1/4が漢に、1/4が印度に、1/4がローマに、そしてそれ以外の全ての地域に残り1/4が居住していたらしい。
世界の1/4の人口が漢に居たのだから、世界の1/5の人口を抱える現代の中国よりも世界の中での人口比重は大きかったことになる。
59 :
世界@名無史さん:2001/06/20(水) 16:32
60 :
隋って:2001/06/20(水) 17:02
鮮卑系の国だろ。
61 :
世界@名無史さん:
モンゴル帝国、大英帝国・・・広大な版図を支配したことはすごいことだが、
広い版図を維持したことに視点をあわせれば、やっぱローマ帝国が強かったとも
言えるのでは?