919 :
世界@名無史さん:03/06/12 23:44
>918
>古くは「おきなわ」だったのが「うちなー」って訛るようになったり
そのソース希望。
発音の変遷がわかる証拠があるの?
920 :
世界@名無史さん:03/06/13 00:56
阿児奈派(唐大和上東征伝-779年)
おきなわ(平家物語<長門本>-1260年代)(やらざ森碑-1554年)<-戦災で壊れたけど中山世鑑におきなわとあるとある。
おきなわ・おきにや(おもろぞうし)
倭急拿(使琉球禄 1534年)
倭的拿(使琉球禄 1534年)
屋基惹(徐(草冠に保)光の中山伝言禄 1721年)
亜鬼納(正保の国絵図 1644)(混効験集 1711年)
於喜耶・倭喜耶・倭急耶(麑藩名勝考 1795)
沖那波(薩摩の知行目録)
浮縄(琉歌)
沖縄(元禄の国絵図 1696年)(新井白石の南嶋志 1719年)
『資料が語る 琉球と沖縄』 小玉正任 毎日新聞社
921 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/13 01:00
>>914 『曾我物語』ですか?中世日本の範囲。黒田・故石井先生がよく書いておられますが。
『古今著聞集』には伊豆に漂着した「鬼」の話がありますね。中には人ではなくて得体
の知れない現象・観念について述べたものもあったようですが。
>920
いや、それは表記であって発音ではないですよね、
三母音化を考えれば表記は「沖縄」でも発声は「うちなー」というのが本当のところでは?
「大形」が「テーゲー」みたいなものでは?
923 :
世界@名無史さん:03/06/13 12:54
ご存知のように沖縄には昔から独立を求める人たちが
常に存在してきました。明治の琉球処分、昭和の戦争、
アメリカ世、日本復帰の時代と歴史が移り変わるたびに
独立を求める人々は表社会では浮き沈みしながら、
しかし、島の内部では地下水のように連綿と流れ続けてきました。
わたしたちは、こうした先人達の独立運動の足跡に学びながら、
次の時代へむけた新しい自主・自立・独立運動を提唱します。
それは奄美大島から与那国島までの琉球弧の島々を対象とし、
この地域の人々が固有な文化を継承しつつ世界に例をみない
新しいタイプの独立国を武力を一切使わず平和的な方法で
創ろうとする試みがすすめられています。
いまこそ、ヤマトンチューの支配を脱し、平和な島をとりもどそうでは
ありませんか。
924 :
かきつばた ◆v/rTh0HxaQ :03/06/13 14:08
↑ヤマトンチューの無責任な煽り。
沖縄県内の市町村の首長と議会の議員、沖縄県知事と県議会議員、沖縄
選出国会議員のなかに、沖縄を日本から分離独立させることを自身の政
治課題として立候補し、当選したものは一人も存在しません。
すなわち現代のウチナンチュにとって、日本からの分離独立は、真面目
な政治課題ではまったくない、ということです。
925 :
世界@名無史さん:03/06/13 14:32
沖縄の新興宗教団体でいるらしいね、独立論者w。でも、八重山なんかは
琉球王朝に武力で服属されたわけだから仮に沖縄が独立してもついて
いかないんじゃないw?
>925
奄美もでんがな。琉球起点でしゃべりだすあふぉが多い。
927 :
世界@名無史さん:03/06/13 16:01
沖縄の名称も、発想のしかたが、本土の「花綱」と同じだな・
928 :
かきつばた ◆v/rTh0HxaQ :03/06/13 18:38
映画「パイナップルツァーズ」で、りんけんバンドが「沖縄独立ゲリラ」を
演じて、「うちなーぐち訳インターナショナル」をさんしんの伴奏で歌った
けれど、どうみてもシャレっぽかったです。
930 :
世界@名無史さん:03/06/13 18:47
基地をなくしてはじめて沖縄の「戦後」が終わる。
931 :
世界@名無史さん:03/06/13 19:53
>919
逆だと思われ。 沖縄と命名したのは(呼び名を決めたのは)元々日本側。
日本読みでの『おきなわ』を『うちなー』と沖縄的に読んだだけ。
932 :
世界@名無史さん:03/06/13 19:54
>924同意
今現在だけでは無く、琉球時代でもそれは言えてたと思う。前にも何度か出てた言葉の
『唐世』『大和世』『アメリカ世』の内、『唐世』と『大和世』に関しては、琉球
時代の事。独立国として存在してた琉球王の主な現金収入は殆どが貿易によってのもの
唐世の時代は主な貿易相手国が現在の中国だった事から、唐世。その後薩摩の出現に
より王政府の実質的権利が薩摩に移行、んで大和世。結果として当時も今も、沖縄の位置的
条件から、他国を無視した国家形成は極めて困難。仮に独立したとしても、日本から
の経済援助は絶対必要だし、アメリカ軍の存在も切り捨てる事は無理。日本、アメリカが
一番の援助国になる。勿論独立したとなると、中国がしゃしゃり出て来るだろうけど、
今さら日本化された沖縄を変える事は不可能に近い、っていうか無理。
934 :
世界@名無史さん:03/06/13 21:06
>930
「戦後」?
なにを寝ぼけたことを。
ついさっきまで、戦争のまっただ中にあったろ。
イラク攻撃の前進基地として、フル稼動してたくせに。
935 :
世界@名無史さん:03/06/13 23:39
>>922 >いや、それは表記であって発音ではないですよね、
仮名は表音文字だよ。
>>931 >沖縄と命名したのは(呼び名を決めたのは)元々日本側。
中国の『中山伝信禄』(1721)
「琉球土人居下郷者不自呼其地曰屋惹蓋其舊土地名」
(琉球の土人の下郷に居るものは、自ら琉球国と称さずして、其の地を呼びて屋惹蓋(うちな)と呼ぶ、けだしその土地の古き名なり)
沖縄には島の別称は伝わってるの?
倭人系の言葉以外で。
元々、島一つ一つが独立性が高い。名乗らんわな、琉球国人なんて。
王府役人、か中国人、琉球成立後に、大和人が言うくらいだろ?
琉球以前の古層を失ったわけでもあるまいし。
937 :
世界@名無史さん:03/06/14 00:24
>>936 >>920の「おきなわ」から「うちなー」への変化がどのように起きたか
って話しなんだけど。
1)沖縄って言葉が元々島にあったものか、本土の人間が作ったものか
2)aiueo とaiuiuの関係
を問題にしてるんだけど、スレの流れ読んでる?
938 :
世界@名無史さん:03/06/14 00:27
ところで国号の変遷は珍しいのだろうか、
別に日本も国内・国外での号が変わっているし、
「おきなわ」が「うちなー」に変わっただとか、
もともと「うちなー」だとかっつーのはなんだか不毛。
939 :
世界@名無史さん:03/06/14 00:34
沖縄の言葉が昔から
aiuiuってeoの音が無かったのかを問題にしてるんだよ。
>937
失礼しました。中国の『中山伝信禄』と現代中国人に、つ込ませてもらいました。
941 :
世界@名無史さん:03/06/14 00:44
訂正)『中山伝信録』
942 :
世界@名無史さん:03/06/14 00:45
いつのまにやら琉球史スレもpart2に突入しそうな勢いですな。
このスレにあらわれていた「しょう」氏が書き込まなくなったのは残念。
ところでpart2への誘導は尚モナー王の責務でしょうか?
943 :
世界@名無史さん:03/06/14 00:48
日本史板にたてたほうがいいんじゃね?
むこうにまともな沖縄スレ一つも無いし。
縄文や倭人関係のことしってる人間はむこうの方が多そうだ。
945 :
世界@名無史さん:03/06/14 00:53
日本史板にも何度かたっているのを見るが、すぐに消え去っているね。
以前ローカルルール設置論争でも琉球史が俎上に上げられていたけど、
俺は世界史板にあって欲しいと思うなー
946 :
世界@名無史さん:03/06/14 01:02
日本史版には沖縄系の人も結構いるのにな。
琉球マンセーの悲劇の沖縄史みたいな薄っぺらい社民教育
されてるから沖縄に興味をもてないのか。
琉球王朝史 新里金福 朝文社 2500円
ってのが面白かった。
武田騎馬軍団ていどのマニアがいてもよさそうなもんだ。
>946
それ読んだよ。
>琉球マンセーの悲劇の沖縄史みたいな薄っぺらい社民教育
そういうことはないけど、沖縄史=明治以降の沖縄史になっていることが
最大の問題。
長いけど。
644 名前:ROM専門って感じです。 [2002/10/01(火) 02:46 ID:Tk2CwFMs]
総督府は発足時から見ていますが、初めて書き込みます。
外国人来琉記なる本(室町時代〜大正時代くらいまでの欧米人による沖縄の
記録を集めた本です)を読んでいて、「王堂チェンバレン・その琉球研究の記録」
なる記述の部分の中に、気になる物があったので質問します。
1895年の文章で、非常に長いのですが、どんな文章か判断出来るように
質問とは関係ない所も幾つか掻い摘んで引用します。
「琉球」Luchu なる呼称について
「琉球」Luchu なる語の語源は詳かでない。その表記法に関する限り、
現地及びヨーロッパにおける綴りのいずれの場合にも驚くほど多様多種
の表記がなされている事が分かる。
中国語による発音Liu-k'iu 又はLiu-Ch'iuと同音である「流虬(虫偏に
礼の右側)」「瑠球」「流球」「留求」「琉球」のいずれの組合せの例
、さらにまた、いささかの発音を異にする「流鬼」でさえ古い時代の貴
重な諸文献にその典拠を求め得る。
(中たくさん略)
ただ一つだけ自明な事、即ち、このLuchuなる語が琉球語本来のものでは
ないということだけである。それはまた日本語でもなかろう。何となれば
語頭にLなる音韻(それに相当するrやdも同様)を用いるということは、
これら二つの姉妹語の音韻法則と矛盾する物だからである。現在一般に
行われている漢字は「琉球」で、琉球の人達はそれをDuchuの如く発音し、
一方本土の者はそれをRyukyuという呼び方をする。
(中たくさん略)
不思議なことに琉球人自身は自国がこれによって世界一般に知られている
ところのLuchuなる名称をごく稀にしか用いない。すでに説明した如く、
彼らは各島にそれぞれ異なった名称を有し、その中心をなす島はほとんど
例外無くUchinaと称されるが、これは公的には北方諸島を除いた全列島を
指すのに用いられている日本語Okinawaに相当する名称であり、より古形
を留めるものである。それを表すのに用いられる字は「沖縄」で「海上の
縄」を意味するが、これはこの島の形状が波上に浮ぶ、一片の縄に類似す
ることから付されたものだとの伝統的な説が行われている。しかしこの通
俗的な説が真に注目に値するものかどうかは疑わしいことであろう。
今一つこの列島に対する名称で日本語の古語でもあり、おそらく現地本来
の言葉でもあろうと思われるのが「うるま」であるが、この語は、列島中
最遠隔の地、南の果ては波照間Haderuma(即ち「最果てのうるま」)にそ
の残影を留めるかに思える。この「うるま」なる呼称に関し、その語源を
解明している文献は見当たらない。
(以下全部略)
というような物です。私の質問はこの最後の部分「うるま」に関してです。
どうも当時(1895年以前)沖縄を意味する「うるま」と言う語があったよう
なのです。
日本語の古語だと言う事ですが、この語を私は知りません。また文中でも
語源不明として扱われているようです。
本当にこのような古語が日本語に存在するのでしょうか?
また、存在するとして、現在では語源がわかっているのでしょうか?
647 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA [2002/10/01(火) 14:46 ID:LHByRaqs]
>>644-645 ROM専門って感じです さん
地名の語源は総じて厄介なのですが、沖縄となると尚更厄介ですね。
沖縄方言は日本語の一方言と言いながら、かつて琉球語と呼ばれて
いたことでもわかりますように、本土方言との違いが大きい上、文献資料
もあまり古いものがないため、文献から遡るということも難しいのですが、
ともあれ一つ一つ検証してみることにしましょう。
まず日本語の古語としてウルマという語が存在するかどうかですが、
少なくとも普通名詞としては存在せず、地名の例しかないようですね。
地名としては@岐阜県各務原市鵜沼の旧名、A琉球の古称、B韓国の
鬱陵島の古称、以上三つが知られています。@は10世紀末の用例が
ありますが、藤原宮跡出土木簡(699年)に「[シ于]奴麻里」と見えること
から、ウヌマの方が古く、ウルマはその訛形であると考えた方がよさそう
です。Aは16世紀の用例、Bは11世紀初頭の用例がそれぞれ最古
のようです。Bはおそらく鬱陵島の「鬱」の朝鮮漢字音ウルと日本語の
シマ(島)との熟合によって生じたものでしょうが、Aの語源については
特に有力な説はないようです。
次に、沖縄に関する記録としては、中国側の資料が先行しており、『隋書』
(636年)の東夷伝に「流求国」として見えるのが最初です。同書によれば、
煬帝が607年に使いを遣ったが、言葉が通じないので一人をさらって(藁)
戻り、翌年また使いを遣ったが、やっぱり従わないので、今度は彼らの布甲
を持ち帰った。その布甲を倭国の使いに見せたところ、「此夷邪久国人所用
也」と言ったとあります。訓読すれば「此れは夷の邪久(やく)国の人、用ゐる
所なり」でしょうか。倭国の使いは琉球の布製の鎧を見て、屋久島のものと
主張したのだと思われます。屋久島は『新唐書』(1060年)東夷伝日本条に
日本の東海嶼中にある国の一つとして種子島などとともに出て来ますが、
同書では「邪古」という漢字表記になっています。妙なのは、同書の記述に
従うと、屋久島(種子島も)は小王を戴いていたことになってしまうということ
です。しかし、いくら何でも当時屋久島が独立していたとは考えられないので、
おそらく古い記録が混入したか、沖縄乃至奄美と混同したかのいずれかで
あると考えられます。
648 名前:娜々志娑无 ◆NcNEDmUA [2002/10/01(火) 14:46 ID:LHByRaqs]
(続き)
一方、日本側の資料で沖縄に関する記述が最初に出て来るのは『唐大
和上東征記』(779年)です。同書は彼の鑑真和上が数度の遭難を経て
来日を果たし、唐招提寺を建立するまでの事跡を記した漢文資料ですが、
同書に鑑真の一行が遭難して流れ付いた島の名前として「阿児奈波」と
いうのが出て来ます。これをそのまま素直に読めば「アジナハ」となります。
これが沖縄の最古例ということになります。「オキナハ」という語形は鎌倉
時代に成立した『平家物語』の異本の一つである長門本に見えるのが最古
のようです。尤も、長門本は室町時代の写本しかありませんので、絶対
年代を特定することが出来ませんが、まぁ大体そのころに「オキナハ」と
いう語形があっただろうとは言えます。それに「沖縄」という漢字表記を
宛てるようになったのは江戸時代になってからのことのようです。
それに対して、沖縄では「ウチナー」と自称しているわけですが、この
ウチナーとオキナハが語源的に同じであることは間違いないでしょう。
問題はどちらがより原型を保っているかですが、音韻変化の傾向から
判断する限り、オキナハの方がより原型を保っているように思えます。
本土方言の母音oが沖縄方言のuで現われることは有名ですし、第二拍
は、口蓋化(発声時に舌が口蓋[口内の天井部分]に近付く現象。日本語
のイ段音には普通に観察される)の進行によってkiが破擦音化してt∫iに
変化したと解されます。実際、沖縄方言(特に北琉球)においては、本土
方言のキがチとなって現われる傾向が強いのです。例えば、『おもろさうし』
(1531〜1623年)では、「清ら(美しい)」という語が「きよら」とも「ちよら」
とも表記されており、この当時既にki→t∫iの変化が起こっていたことが
わかります。また、第三拍以降も、ナーからナハという語形は導き出し難い
のに対し、ナハからナーへの変化は、naΦa→na'wa→na'a→na:という風に
一本道に辿ることが可能なのです。思うに、『唐大和上東征記』の「阿児奈波」
はオキナハ乃至その変化形であるオチナハが訛って表記されたものでは
ないでしょうか。
残るはオキナハ(ウチナー)とウルマとの関係ですが、その語形を見る限り、
両者を同源と見ることは難しそうです。オキナハのナハはおそらく沖縄の地名
「那覇」と同源だろうと思いますが、それ以上のことはわかりません。「縄」や、
ましてや「蛇」と関係付けるのは無理があり過ぎるでしょうね。ウルマについて
言えば、
>>644に見えるハテルマ(波照間)との関係が興味深い(私にはまったく
思い付きませんでした)ですが、もう少し確固たる根拠が欲しいところですね。
>951
九州南部ハヤトが朝廷に従うのはいつよ?
954 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/14 21:57
>953
横レスですが、8世紀になってもまだ完全には服属していなかった筈。それ
ともご存知の上でのご質問ですか。
955 :
世界@名無史さん:03/06/14 21:59
平和な島の沖縄でおこなわれた日本軍の蛮行について語りましょう。
赤ちゃんを火の中にくべた日本軍!
人間の所業とは思えないですね。
956 :
世界@名無史さん:03/06/14 22:07
957 :
名無しさん@3周年:03/06/14 22:08
958 :
世界@名無史さん:03/06/14 22:10
日本人の蛮行を絶対に許してはいけません!
歴史を知りそして反省しましょう。
959 :
かきつばた:03/06/15 12:39
>>942 新スレは、尚モナー王(第2尚氏)を名乗ることを条件に、
誰がたててもいい、ということにしては?
初代がお立てになる場合はむろん( )内は不要ですが。
あるいはスレタイを
【↑琉球史を世界史としてとらえる(第2尚氏)↓】
にしちゃうとか。
960 :
世界@名無史さん:03/06/16 02:37
まぁ、あせらずとも980あたりで立てればよかんべ。
あと、
>>29の
琉球史を世界史「から」とらえる
を採用してヤレ
962 :
世界@名無史さん:03/06/16 17:28
沖縄の悲劇をアジアの人々に!!
スレタイではありませんが、いちおう1の説明のなかで、
。。。
>琉球・沖縄の歴史を、アジア史、世界史という観点から
と、「から」を使用しております。
新スレ「第2尚氏」の運命は、皆様に委ねます・・・・。
964 :
世界@名無史さん:03/06/16 21:14
___
「_ 」
( ´∀`) 6月24日、初代スレの終了を宣言致します。
/  ̄ ̄|
/ | |_」
|__| |
|_____|
(_)(_)
御主加那志前
>>966 先王殿下、2年くらい先の話かもしれませんが、次スレでの復辟も
狙い目でっせ(ワラ
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄