1 :
目のつけ所が名無しさん:
2 :
世界@名無史さん:2001/05/05(土) 12:25
>>1さんが不審がられるように、ギリシア正教全体の指導者はいません。
日本で、普通ギリシア正教と呼ばれるものは、ギリシア正教会、
アルメニア正教会、ロシア正教会など、いくつもの正教会に共通
する宗教観念のことです。
日本語で総称を「ギリシア正教会」と呼ぶから混乱するのですよね。
「東方教会」または「オーソドックス」と呼んだ方が混乱が減る、って
指摘・提言は昔からあります。
ギリシア正教会は、東方教会のひとつです。
各正教会には指導者もいます。
URLの記事も読みました。
これは、説明不足のため曖昧になってる記事ですね。
おそらく「東方教会の内ギリシア正教会の最高指導者」と対面したって
ことなのでしょう。
ただ「カトリック教会とギリシャ正教が和解を目指す一歩となる」
の個所は、まず、ギリシアの正教会指導者と対話することで教会
合一運動〔エキュメニズム〕を進める第一歩が具体的に踏み出された、
って意味と思われます。
3 :
世界@名無史さん:2001/05/05(土) 12:47
「
>>2」の内容で概ねよいのですが。少し捕捉しておいた方が正確でしょう。
問題の記事で「ギリシア正教の指導者」と呼ばれているのは、
東方教会・コンスタンティノープル正教会の総主教のはずです。
ギリシア正教会という名の東方教会はありません。
コンスタンティノープル正教会、総主教は名目的に「世界総主教」
の称号を持っています。これは事実上名誉職にすぎないので、「東方
正教会には総指導者はいない」って理解は、間違いではないです。
ちなみに、各地の正教会がコンスタンティノープル正教会の統括を
離れてはじめたのは、アレキサンドリア、イェルサレム、アンティ
オキアの古代五主教座の内、東方の三つがイスラム勢に制圧された
後のこと。
一時、統括を強めようとする運動もあったようですが、近代国家の
独立運動が東欧で活発化した時期に、各地の正教会も事実上独立した、
と言われています。
4 :
目のつけ所が名無しさん:2001/05/05(土) 12:50
>>2 こんなに丁寧なレスがついて感激です。ありがとうございます。
ということは、「ギリシア正教会」にも以下の二義
●いくつもの正教会に共通する総称(=東方教会)
●19世紀、オスマン帝国弱体化の後に、各国が独立し正教会を設立したものの
ひとつとしてのギリシア正教会
があるというわけですね。
となると、
>カトリック教会とギリシャ正教が和解を目指す一歩となる
の意味合いは、記事から受ける印象よりも、はるかに低いものと思わざるを得ないですね。
前者(東方教会)において、後者(ギリシアの正教会)はどの程度
イニシアティヴを持ちえているのでしょう?
5 :
目のつけ所が名無しさん:2001/05/05(土) 12:53
>>3 レスありがとうございます。
ということは、
>東方教会・コンスタンティノープル正教会の総主教
は、現在アテネに居るということでしょうか。
そうだとしたら、なぜアテネに、という疑問が湧いてくるのですが…。
6 :
=5:2001/05/05(土) 12:58
>>3 いや、それは多分、たまたまアテネが会談場所だっただけだと思いますが。
コンスタンティノープル正教会の管轄区は、トルコ、クレタ島、エーゲ海域
などで、総本山にあたるものは今はアトス山ですので。
後、なぜかフィンランドもコンスタンティノープル正教会の管轄区になってる
そうなんですけど。なんでそうなってるかの歴史背景はちょっと知りません。
7 :
目のつけ所が名無しさん:2001/05/05(土) 13:05
>いや、それは多分、たまたまアテネが会談場所だっただけだと思いますが。
激しく納得です。
「アテネを訪問してギリシア正教の指導者に会った」というこの記事の
趣旨から察するに、この記事を書いた記者は、「ギリシア正教」(4だと前者)が
「ギリシア」を本拠にしたものと考えていたかもしれませんね。
8 :
世界@名無史さん:2001/05/05(土) 13:10
>>3 この記事によると今回ローマ法王が会ったのは
アテネの大主教じゃないでしょうか?
ギリシアで、と書いてありますしね。
たしかアテネ大主教は19世紀初めのギリシア王国独立のときに、
コンスタンチノープル(イスタンブル)の総主教から
独立を宣言していたと思います。
オスマン帝国はいわゆるミッレト制で宗教ごとに分けられた共同体に自治を認めていた、
裏を返せばコンスナチノープルの総主教以下のギリシア人に
すべての正教徒が従属する体制だったので、
とくにバルカン各地の正教会が総主教の支配から離れているのも
ナショナリズム運動の当然の結果です。
http://plaza15.mbn.or.jp/~fnagaya/WolrOrth.html と、思ったら正教会のHPに丁度いいのがありました。
フリストドゥロス大主教は
ギリシア共和国一国の教会の指導者らしいです。
9 :
=2:2001/05/05(土) 13:13
>>4 >前者(東方教会)において、後者(ギリシアの正教会)はどの程度
>イニシアティヴを持ちえているのでしょう?
そうですねぇ。
さほどの指導力はないように思えます。
ただ、宗教的権威の面はまた別と思いますが。
各地の正教徒がアトス山に参拝するとか、そうした事例を指しています。
ヨハネ・パウロ二世は、ポーランド出身、史上初のスラヴ人教皇なん
ですけど。教皇就任以来エキュメニズムを着実に推進していまして。
過去にも、個別正教会の聖職者と会談したことがあったかと記憶
しています(どの正教会だったかはちょっと記憶が曖昧なんですけど)。
コンスタンティノープル正教会とは別に個別に会談が持てるわけで。
コンスタンティノープルの指導力は、今ではさほどではないと思います。
>カトリック教会とギリシャ正教が和解を目指す一歩となる
いや。わたしはこれは大きな動きと思います。
エキュメニズム自体第二次大戦前夜からの運動なんですが。
今だと、ECの絡みもありますので、ローマ・カソリックと
東方教会の会談は政治面でも注目されるところと思います。
10 :
世界@名無史さん:2001/05/05(土) 13:16
>>8 じゃぁ、元の記事の「ギリシャ正教の最高指導者」ってとこが
そもそも間違い?
あぁ、ギリシアのギリシア正教会の指導者なんだ。
まぎらわしいなぁ(藁
11 :
8:2001/05/05(土) 13:19
>>9 ヨハネ・パウロ2世が法王(教皇)になってから
コンスタンチノープル総主教・モスクワ(ロシア)総主教と
ローマ法王庁が対話したことがあったと思います。
直接指導者同士が会ったかまでは覚えていないんですけども。
12 :
ジョーカー:2001/05/05(土) 13:28
>10
ギリシャ正教会とはギリシャの正教会。
日本ではよく、オーソドックス教会(正教会)の代名詞
のように用いられるけれども、それは誤りです。
>11
確か、ヨハネ・パウロ2世は、80年代にコンスタンチノープル
総主教と、90年代初頭にモスクワ総主教と、
それぞれ直接会談したと思います。
13 :
8:2001/05/05(土) 13:28
>>10 ほんと、紛らわしいですねぇ。
でも、Church of Greeceの指導者(Archbishop of Athens and All Greece)、
素直に訳せば「ギリシア正教(会)の指導者」で全く間違ってないわけで。
14 :
Cipher:2001/05/05(土) 13:31
しかし、正教会のほとんどが、旧共産圏・イスラム・さらには
ユダヤの地にあるのね・・・異教徒に囲まれながら信仰を維持するのは
大変だったでしょうね・・・。
15 :
8:2001/05/05(土) 13:31
>>12 結局オーソドックス・チャーチのことを
「ギリシア正教(会)」って訳す慣例がおかしいってことですかね。
16 :
=10:2001/05/05(土) 13:34
おもしろいけど、ややこしいんで整理させてくれ。
●ヨハネ・パウロ二世が会談したフリストドゥロス大主教は
ギリシア共和国の最高位聖職者。
●東方正教会の最高位聖職者ではない。
●東方正教会の最高位聖職者はコンスタンティノープル正教会
の総主教。
だけど、その位は名目的、名誉職になってる。
名誉職になったのは、ナショナリズムが盛んになった頃。
これでいいんですかい?>諸氏
TEST
18 :
8:2001/05/05(土) 13:36
>>14 イスラム教地域には正教会のほかにも
コプト教会、アッシリア教会、マロン派教会、ネストリウス派教会などがありますよ。
エジプトのコプト教会なんて、
今もエジプト国民の10%がキリスト教徒であるくらいまだまだ数が多いし、
レバノンのマロン派キリスト教徒は人口統計上、
宗教グループ(他にスンナ派ムスリム・ドゥルーズ派ムスリム)の中で最大多数派です。
19 :
=3:2001/05/05(土) 13:41
>>18 脇レスですが。
マロン派って凄いですよね。
古代の公会議で異端認定された後、十字軍と再接触するまで
レバノンの山岳部で孤立してたって聞いてるんですが。
この理解で正しいですか?
20 :
ジョーカー:2001/05/05(土) 13:49
>12
そうだと思います。でも、「正教会」や「東方正教会」と訳すと、
単性論のアルメニア正教会・シリア(ヤコブ)正教会・
コプト正教会やそれらに近いレバノンのマロン派教会、
更にはネストリウス派のアッシリア正教会
含まれてしまいますしね。
ビザンツ系正教会が適切かな?
21 :
8:2001/05/05(土) 13:49
>>16 わかりやすいまとめサンクス。
それでいいと思いますよ。
>>18 たぶん正しいです。私とてあまり詳しくもないのですが。(汗)
接触の結果、マロン派独自の典礼方式を守ったまま
信条はカトリックに合流して法王を最高指導者に頂く
マロン・カトリック教会とか言うものもできているそうです。
実にややこしい。
22 :
ジョーカー:2001/05/05(土) 13:50
訂正:・・・も含まれてしまいますからね。
23 :
8:2001/05/05(土) 13:53
>>20 あ、アッシリア教会ってネストリウス派でしたね。
>>18の書き込みでヤコブ派とごっちゃにしてしまった。
お恥ずかしい…。
そういえば今思い出しましたが、
イラクのアジズ副首相がたしかアッシリア教会信徒のキリスト教徒です。
24 :
世界@名無史さん:2001/05/05(土) 14:05
日本ハリストス正教会って、1969年までロシア正教会の管轄下だったんだね。
伝道から考えれば当然だけど、驚き。
25 :
世界@名無史さん:2001/05/05(土) 14:08
>>24 ロシア革命のときに、白系の人達が頼って
亡命とかしてきたわけでしょ。<日本ハリストス正教会
26 :
8:2001/06/28(木) 23:27
別スレに引用されてたおかげでいまごろ間違いに気付いた…。
>>21 18世紀くらいにマロン派は全派あげて典礼を守ったまま
カトリックに帰属してました(このような形式をユニアット教会というらしい)。
これはおそらく十字軍時代にマロン派コミュニティが
カトリック教徒のフランク人たちに服属していたためと思われます。
マロン派以外の東方のキリスト教諸宗派はローマには服属していませんが、
正教会・アッシリア教会(ネストリウス派)・ヤコブ派(シリア教会)・
アルメニア教会(グレゴリ派)・コプト教会それぞれには対応するユニアット教会、
すなわちギリシア典礼カトリック教会・カルディア教会・シリア典礼カトリック教会・
アルメニア典礼カトリック教会・コプト典礼カトリック教会があります。
27 :
関連話題スレ:2001/06/30(土) 09:57
28 :
世界@名無史さん:2001/06/30(土) 11:22
ネストリウス派のなかにもローマ法皇に服属したグループもあって、
これはカルデア教会と呼ばれているそうな。
こっちの方が人工的には多いそうである。
29 :
世界@名無史さん:2001/07/10(火) 05:26
あげ
30 :
なんだよ、、、:2001/07/10(火) 06:29
腐るほどある宗派の話なんかいいよ。
つまんねーの
31 :
ん?:2001/07/10(火) 07:52
面白かったよ。このスレ。
32 :
8:2001/07/10(火) 14:10
>>30 すまんですのー。
でも、つまんねーと思うならageなきゃいいのに。
それで、なんの話だったら良かったんですか?
33 :
世界@名無史さん:2001/08/04(土) 05:29
ロシア正教会あげ。
34 :
梵阿弥:2001/08/23(木) 13:28
コンスタンチノプル総主教は同市陥落以後オスマン・トルコ帝國の代弁者とならざるを得ず、
東欧の独立運動の熱を冷ます役回りだったため、独立後の各国がそれぞれ総主教座を建てて
管轄を離れた。フィンランドはずっと後の独立だったので事情が異なって管轄に残った。
ロシア正統教会はコンスタンチノプル陥落後直ちに独立し、正統宗総本山を名乗った。
この二つは総本山を争っているわけで仲が悪いだろう。
35 :
世界@名無史さん:2001/08/23(木) 23:47
正教会は国家ごとにあるのでしょうか?
36 :
世界@名無史さん:01/09/09 15:49
勉強になる age
37 :
世界@名無史さん:01/09/09 15:52
>>35 あるていど教勢が大きくなれば、独立する。
日本正教会は昔はロシア正教会の下だったけど、戦後独立して自治教会になったんよ。
神田の東京復活大聖堂を拠点とする日本正統教会は、もとは幕末からのゴロウニンらによる
函館での布教が元になっています。明治年間に東京に引っ越しました。ロシア革命により
富裕層が亡命してきたり、本国が教会をドイツに攻め込まれるまで弾圧(総主教を置く事を
認められず「代理」の名で勤めたらしい)したりで日本での舵取りが大変だったようです。
1942年頃スタリンが人気取りのためモスクヴァの総主教を復活させましたが、大戦後の
日本の対米従属路線の中で、代表は米国のロシア正統宗教会から招いた人が勤めました。
70年にロシアの教会との関係が復活し自治教会となり、今の代表は日本人です。
↑訂正がございます。ゴロウニンの事で…。
ウァシリイ・ミハイロウィチ・ゴロウニンはロシア海軍人で1811年国後島を
測量中に拘束され箱館、松前に監禁される。
1812年淡路出身の廻船業者の高田屋嘉兵衛が国後島沖でロシア海軍に拘束され
カムチャッカに監禁される。
1813年両者交換帰国。ゴロウニンは「日本幽囚記」記す。
これを読み興味を覚えたニコライ(俗名イオアン・ディミトリエウィチ・カサトキン)
が1861年箱館へ。68年伝導規則を日本語で制定。一旦帰国し再来日、函館はアナトリイ
に任せ神田駿河台で布教。91年東京復活大聖堂完成、俗にニコライ堂。1912年ニコライ
死去、セルギイが後継。
40 :
おーるどパー:01/09/13 16:39
旧満州のハルピン観光のパンフレットなどによくロシア正教の
聖ソフィア教堂が出ていますが、実際に行ってみると、キリスト教が
禁止されていたためか、入り口で観光入場料を取られ、内部は
ただのみやげ物やになっています。みじめです。信者は金を出して
買い取った方がいいですよ。
39の続き
1917年 ロシア革命、本国の教会との関係絶える。
45年後継者セルギイ死去。46年在米ロシア正統教会
から主教が派遣されるようになりロシアとの関係継続望む一派が分離。
70年ロシアとの(おそらくモスクウァのヴァシリイ教会)との関係修復、自治教会となる。
ニコライが聖人に列せられる。
文京区本郷におそらく分派した側の本部がある。
千葉県山武郡松尾町(東金市近く)にコンスタンティノプル正統教会傘下の
日本本部があって90年に分離したという。
神田のニコライ堂はそういうわけでロシア正統教会の傘下です。
東方教会の代表者はコンスタンティノープル総主教
理由:少なくともビザンチン帝国の時代まではコンスタンティノープル総主教が本当に東方教会の最高指導者だったから。
現在は象徴。
ロシア正教会は東方教会内最大会派。
従ってローマ教皇が東方教会代表者に会見する際は、
コンスタンティノープル総主教とロシア正教大主教の二人に会わなくてはいけない。
現在、コンスタンティノープル総主教はバルトロマイオス一世。
ロシア正教会大主教はアレクシーニ世
だったと思う。