スターリンの独裁はなぜ可能だったのか?

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1名無しさん@1周年
大学の講義ではスターリンが当時あまり重要と思われていなかった党の組織局長という人事権をすべてにぎれるポストについたからというのが原因と聞きました。でもスターリンが人事権によって重要なポストに自分のひもつきの人間をつけたとしても、それがレーニンとかの他の幹部にばれたら終わりなのになぜ独裁に成功したのでしょうか?疑問です教えてください。また他の独裁ができた原因も教えていただきたいです。
2世界@名無史さん:2001/02/21(水) 09:43
3名無しさん@1周年:2001/02/22(木) 01:20
>2

授業で習った事を書いてもらっては困ります。
4世界@名無史さん:2001/02/22(木) 01:27
>1
ばれてました。そこは実力でのりきりました。スターリンは。
「押さば引け。引かば押せ」
・・・田舎にいくとこういう原始的な用心深さの人間、ごろごろいます
5ガージー:2001/02/22(木) 01:32
逆に、独裁にならない体制というのは、民主主義ぐらいだろうね。
国民性というのも重要だよね、中国、ソ連は、独裁者が出る前は王制や帝政だしね
ドイツもワイマールの前は帝政だし民主主義がねずいていなかったんじゃないの
6名無しさん@1周年:2001/02/22(木) 01:39
>4

どういうふうにのりきったのですか?
7世界@名無史さん:2001/02/22(木) 01:48
レーニンの遺書公開を未亡人を口説き落として、党中枢のみにとどめたり、
レーニン自筆の告発文書を、レーニン入院中に執務室から盗み出したり、です。

でもそれは末期であって、レーニンに嫌われているとわかっていても
絶対しっぽをつかませない、えらい人とはケンカをしない、そういうことです。

勝てるケンカはする。
勝てないケンカはしない。
8世界@名無史さん:2001/02/22(木) 03:31
神のお告げじゃないの?
9世界@名無史さん:2001/02/22(木) 03:57
「ガメラ」って結構おもしれーな。スターリンもこんな感じか?
10世界@名無史さん:2001/02/22(木) 04:07
細かいこと気にするより歴史の流れ見たほうが解るぜ。
早くイデオロギーなんて卒業しちゃえよ。古着みてえなもんだしな。
まぁ頑張れ!ミスターディテール。
11世界@名無史さん:2001/02/22(木) 05:03
スターリンのライバルとしてレーニンの後継争いをしていた連中、ジノ
ヴィエフ、カーメネフ、ルイコフ、ブハーリン、トロツキーといった連
中は、基本的にみんなインテリですよ。スターリンよりも教養と常識が
あったが故に、彼ほど残酷にはなれなかったし、権力奪取のためのえげ
つない工作はできなかった。ロシアのような国家、とりわけ革命の混乱
期にはっては、狼のような非情さこそが力なのです。
1211:2001/02/22(木) 05:05
ちなみにスターリンは、上に挙げたライバルたちをのちに全員殺しました。
同じ釜の飯を食った古参ボリシェヴィキたちを根こそぎ粛清しました。
13世界@名無史さん:2001/02/22(木) 05:12
特にトロツキーは才気ばしっていた。
軍事指揮、演説、文章力、どれをとってもレーニンをも凌いだと言われる。
しかし、あまりに超然としすぎていた、、、。
14世界@名無史さん:2001/02/22(木) 07:17
スターリンはヤルタ会談のときに、
ルーズベルトとチャーチルの部屋に盗聴器を仕掛けるような奴だからね。
15世界@名無史さん:2001/02/23(金) 02:14
トロツキーが柔だったんじゃねーか?
気合入れて革命やってやがったのかよあのユダヤ人よー。
何か、ちょっとニヒルっぽくねえか。
それじゃあだめだな。殺されても仕方ねーな。
気合だよ、気合!
16世界@名無史さん:2001/02/23(金) 02:17
ドイツとの戦争に勝ってガッポリ領地を増やしたからな。
17世界@名無史さん:2001/03/11(日) 21:03
グルジア出身のスターリンは民族問題担当としてはそれなりに優秀だったので
レーニンもカフカーズ、中央アジア対策にスターリンを切れなかった、という面もあるようです。
日本共産党の理論教育をしたのもスターリンだしね。(徳田球一とかにボリシェヴィキ理論を教えている)
18日本@名無史さん:2001/03/11(日) 21:24
ジーザスクライストスーパースターリン
19名無しさん:2001/03/11(日) 21:50
>>14
トロツキーってナゼかそういうイメージがあるけど、赤軍の創設者で指導者
でクロンシュタットの虐殺者で革命の混乱期に自分と同じ民族であるユダヤ人
を見殺しにした人間だぜ。少なくともヤワであるわけがない。
20名無しさん:2001/03/13(火) 22:53
スターリンは当初トロッキーなど有名な革命家たちに馬鹿にされていた。
痘痕でびっこで背も低い。だが陰謀にたけていた。
敵を分断して,相互に争そわせる。一方を滅ぼして,残りを片付ける。
敵の強みと弱みを知りぬいていたのだろう。
記憶力は抜群で報復は10年後でも行う執念深さがあった。

彼はヒットラーのように激怒するということはなかったようだ。当たりは柔らかい。
ただそれは見かけだけで,他人に関心がない。冷酷非常だった。

トロッキーは赤軍の司令官として,大虐殺をやってきている。
これも非情だ。
しかしソ連の共産党幹部は皆といってよいほどユダヤ人だった。
ロシアには抜きがたい,ユダヤ人差別がある。
コスモポリタンの根無し草として信用されない。
これが政権獲得後にユダヤ人幹部が地盤沈下を招いた理由ではないか。

フルシチョフの懐古談:
1.最高幹部会の朝,欠席するものがいても恐ろしくて誰もそのことを口にする
勇気のあるものはいなかった。

2.スターリンの別荘で幹部が呼ばれて酒を飲んで騒ぐことがあった。
そんなとき,スターリンが踊れといえば,頭のよい男は皆踊った。
ちなみにスターリンは夜働いて昼眠った。

スターリンは国中に恐怖の雰囲気を作った。これで幹部いか国民が自縄自縛に
陥った。人間の持つ一種の本能であろうか。
21ちょっと違うかも知れんが:2001/03/14(水) 00:21
独裁は共産主義政体だからこそ起こったのでは?
例えば非常に例が悪いかもしれないがアメリカ大統領は
はっきりいってソレソの書記長よりも権力があると思うが
独裁にならないのはアメリカの政治形態が
反対勢力を認めているからでは。

逆にいうとソレソのあの体制では誰が書記長になっても
スターリソになった可能性があったのでは?

まあ、よくてもレーニソ程度かな。
22名無しさん:2001/03/14(水) 20:42
政治権力は結局独裁だ。
問題は交代の有無だ。
交代のない独裁=共産党
交代のある独裁=大統領
23日本@名無史さん:2001/03/14(水) 21:37
というか、政治権力と対抗勢力がきちんと存在した時代なんて
ロシアにあったのかい?
24世界@名無史さん:2001/03/14(水) 22:09
確かにそうだがツァーリの統治と共産党の独裁は全然別だぞ
後者の方がはるかに過酷で残忍だ
25世界@名無史さん:2001/03/15(木) 08:59
>>24
そりゃ革命の時点で反対派が完璧に叩き潰されたからです。
列強の介入戦争の時代に強力な反対派はほとんど撃滅されてますからね・・・

反対派のいない政治ほど恐ろしいものはないという典型例ですね
26世界@名無史さん:2001/03/15(木) 12:24
民主主義にしても、共産主義にしても、我が物(地位など)をまもらんとする
姿勢が強い。
27>24:2001/03/15(木) 13:25
後者のほうは国民国家の体をなしていたからこそ、より徹底した恐怖政治を
行うことが可能だった訳で、そういうことから言えばツァーリもソビエトも
たいして程度がかわらないのでは。
ツァーリの体制は封建主義と帝国主義の時代に跨がっているいると思いますが
どちらにせよ反対勢力はなかった訳です。(また重箱のスミをつつくような
反論はするなよ、どこかの馬鹿!)
日本では、徳川幕藩体制のもとでも潜在的な反対勢力はいくつもあり、
徳川幕府はまさにそれによって倒された訳です。
国の歴史にとっては、反体勢力にも質のよしあしが重要な要素として
求められるのでしょうね。
28というわけで:2001/03/15(木) 13:27
現在の日本の政治が非常に質がよくないのは、こういうところにも
原因がありそうですね。
29世界@名無史さん:2001/03/15(木) 14:46
独裁がなぜ可能かと考えるかわりに、民主主義はどんな条件の下で可能か、と考えてみるといいよ。
30名無しさん:2001/03/15(木) 22:15
民主主義=交代のある独裁

古代ローマには独裁官がいた。緊急時には多数決は出来ないからだ。
その間は独裁だ。ただ危機が過ぎれば終わり。
31世界@名無史さん
かの国はドイツとの戦争に勝って東欧支配を確立したからね。