880 :
アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :03/02/22 15:24
デムパにマジレスもなんだが・・・
マリー・アントワネットがルイ16世を口説き落として上演させたのは
戯曲の方で音楽とは関係ないんですけど。
881 :
世界@名無史さん:03/02/22 15:41
誰かあのデムパにここ教えてやれYO
池田理代子の公式HPでも暴れてるんだYO
あの!女帝マリアテレジアさまの娘とは思えない。恥ずかしくないのかな。
でも、テレジア様の子供たちって皆不幸になっちゃうんだよね。
たしかたった一人だけは幸福になったと思うが。
884 :
世界@名無史さん:03/03/09 20:08
885 :
世界@名無史さん:03/03/09 20:12
すげー。
3年越しのスレだ。
記念カキコと。
スレ汚してスンマセン。
886 :
世界@名無史さん:03/03/10 02:25
>>869 >>872 「ベルばら」と史実の関係で自分が一番驚いたのは、ポリニャック夫人
が実在の人物だったこと。
史実のポリニャック夫人もなかなかの性悪女で、革命が勃発するや、
アントワネットを見捨ててさっさと国外逃亡。
息子はシャルル十世の時に宰相になり、反動政策を推進して国民の
恨みを買い、結果的に再び革命を引き起こす。疫病神みたいな母子だな。
887 :
世界@名無史さん:03/03/10 10:31
>886
ポリニャック夫人がとっとと逃げたのは「ベルばら」作中でも1行で語られていたので
知ってましたが、息子がいてのちに返り咲きしてたのは知らんかった!!
あの…それでシャルル十世って、十六世から何代後の方ですか?
実権はともかくルイ王朝の系譜的には、ルイ十六世のあとは次男のルイ・シャルル(ルイ17世)
そしてルイ十六世の弟がルイ十八世ってことになっているのはなんとなく知っているのですが。
>>887 デブ国王の後に弟のシャルル10世が立った
反動政策を実行して革命にあった
889 :
世界@名無史さん:03/03/10 21:28
>>887 ルイ16世の次弟プロヴァンス伯が後のルイ18世。
末弟のアルトワ伯が後のシャルル10世。
ブルボン家出身の国王はここまでで終わり。そのあと、オルレアン家の
ルイ・フィリップが即位し、フランス史最後の国王になる。
>888 >889
ありがd
(^^)
892 :
世界@名無史さん:03/03/29 20:59
明日、ベルサイユ展行ってきます。
893 :
出会いNO1:03/03/29 21:03
くだらないけど
もし18世紀後半のフランスに「吉野屋」があったら、マリーアントワネットも
食べにいったのだろうか?
「並頂戴、ネギだくでね」
(^^)
896 :
世界@名無史さん:03/04/17 22:58
麻理井安戸輪根っ戸
897 :
世界@名無史さん:03/04/17 23:23
「日本人は何故かマリー・アントワネットが大好きだから・・・」ヴェルサイユ展開催にあたりあちらの関係者の方がいってた。
フランスの人にとってはチョト??なことなんかなあ
ベルばらの影響?宝塚もベルサイユ宮殿に招かれて表彰状受け取っていたし。
真理慰安永久熱塗
899 :
世界@名無史さん:03/04/18 22:40
魔痢慰暗吐輪捏吐
901 :
世界@名無史さん:03/04/19 23:45
>>897 私のおじいちゃんはフランス人なので
マリー・アントワネットってフランスでどう思われてるの?
って前聞いて見たら、「悪女」っていうイメージが強いって言ってた。
こっちで彼女がよく思われてるのは間違いなく「ベルバラ」のおかげ。
902 :
世界@名無史さん:03/04/20 03:15
>>889 それで、ナポレオン3世はどこ逝っちゃったの?
903 :
世界@名無史さん:03/04/20 03:22
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
905 :
世界@名無史さん:03/04/20 14:46
>902
ん?ナポレオン三世は皇帝でそ。
906 :
世界@名無史さん:03/05/05 01:01
アントワネット様、アントワネット様!!
その昔あなたはさながら紅バラのように
ベルサイユ宮殿に君臨なさいました!
さようなら!フランス最後の女王様!!!
あってった?
マリー・アントワネットって処刑の際に毅然とした態度で臨んだという説と
処刑を前に逃げ惑ったという説があるけれどどっちが本当なんだろう?
908 :
アルルカン:03/05/13 09:30
REINE ―『赤き真珠』より― ロベール・ド・モンテスキュー(志村信英訳)
王 妃
おおマリー=アントワネット、どんな恐ろしい結婚へと
汝が十五年の歳月はフランス街道のうえに過ぎ去ったのか?
一つの聖杯……そして酒糟。陶酔と……法悦。
荘厳な《テ・デウム》そして不吉な《アーメン》!
無邪気に美貌で勝負する
シャルル・ド・リーニュとアクセル・フォン・フェルセンの傍らで
《恐怖政治》が汝がうなじに茜の糸を結び
その血塗られた網が汝の楽園(エデン)を朱に染める。
賓客たちが授乳された繊麗な鉢、乳房から
純白の乳が死刑執行人たちに注がれる。
汝に不幸と罪の苦汁を差し出す男らに。
かくして最後のお別れにと、汝が牢の高き格子へ
なおも髪粉も白いランバールの頭が、赤く
トリアノンの戯れの最後の球(ボール)のように、掲げられる。
909 :
世界@名無史さん:03/05/14 20:36
とりあえず「ハプスブルクの栄光」ってページに行ってみ
>>908,909さん
レスありがとうございます。
「ハプスブルクの栄光」で検索したらなにやらでてきました。
これのことですよね・・?
早速読んでみますね。
911 :
世界@名無史さん:03/05/15 16:58
>>907 逃げ回ったということはないと思う。
基本的に、当時の王族・貴族はみんな、さばさばした態度で断頭台に
上ったらしい(それが一種の美学だったんだろうか)。
例外はデュ・バリ夫人で、断頭台上でかなり抵抗したらしい。
912 :
世界@名無史さん:03/05/15 19:03
最初16世はアントワネットの中で発射できなかったけど、ヨーゼフ2世
のアドヴァイスで克服したらしい・・・
>>911さん
この「ハプスブルクの栄光」のサイトでもそのように書かれていますね。
私は窮地に追い込まれてから強く賢くなっていったマリー・アントワネット
の姿が好きだったので、疑問が解けてほっとしました。
私が勘違いしてしまった「逃げ回った」のはやはりデュ・バリ夫人だった
みたいです。
でも美学といってもやはり人間なのに、きっぱりと断頭台に上れるなんて
なんというかすごいと思ってしまう・・。時代の空気もあったのでしょうかね・・。
デュ・バリー夫人は自分は平民出身だからまさか処刑なんて・・・と思って
いたのではないかという説をどっかで読みました。
>907さんの書き込み読んで興味が湧いたのでぐぐってみました。
アントワネットは断頭台の上に仰向けで寝かされたという説があるそうです。
足の部分がそのように描かれている絵画があるとか。こわい・・・。
>915
ルイ16世が仰向けだった話なら聞いたことあります。>世界史の授業で
処刑の時に頭にかぶる袋をかぶるかと聞かれて、王としての誇りからいらないって言ったら、仰向けに寝かされたんだそうです。
スレ違いごめんなさい。
>916
ルイ16世もですか?
「パンがなければ」発言、処刑時の状況といろいろ諸説あるんですね。
アントワネットが処刑前に髪を短く切られたのも、髪がギロチンの邪魔になるとか
「女の命」の髪を切ることによって辱めるとか、本人が白髪を恥じたからとか。
918 :
世界@名無史さん:03/05/16 21:18
アントワネットさんはレズだったんですか?
子供3人も産んでいるのでレズってことはないでしょう。よくってもバイってところで。
それも個人的には可能性低いと思っているんですけどね。こればっかりは本人に聞いてみんと
わからんし、聞いてもほんとのこと言ってくれるとは限らんし。
…ところでどこに聞きに行く気なんだ、私。霊界か?
まあ、アントワネットレズ説はあれでしょ。女性週刊誌のノリで書かれた中傷パンフレットが
元だったんじゃないですか?
ジャンヌ・バロアの回想録からじゃ?<アントワネット レズ説
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
922 :
世界@名無史さん:03/05/26 01:56
あげときましょうか。
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
924 :
世界@名無史さん:03/06/30 19:18
マリーって肖像画見ても、あんまりたいしたコトないじゃん。
凄いね、3年越しのスレだ…。
歴史上での評判がこうも前後する人物は稀だと思うよね。
だってフランスから嫁いできたばかりの時はあれだけ賞賛されたのに
晩年近くになると酷いじゃん。
927 :
世界@名無史さん:03/07/13 21:34
マリー・アントワネットの曽祖父はオカマのフィリップだよな。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
>926
オーストリアからフランスへ嫁いで来ました。よろしこ。