マリーアントワネットの処刑後の首どうなったの?

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1世界@名無史さん
マリーアントワネットの処刑されたあとの
首ってどうなったの?あと、貴族や身分の
高い人の処刑されたそのあとの遺体ってどうなってたのかな
2世界@名無史さん:2000/12/06(水) 22:46
 ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄
 ( ゚Д゚) < ハァ?氏ね「ば」
 (⊃ \⊃ \____
  \  )ρ
   く く

3世界@名無史さん:2000/12/06(水) 22:58
身分の高い人は処刑されてもしかるべき場所へ埋葬されたと思いますが。
例えばここのサイトなど御覧になって、、。
http://worldroots.clicktron.com/cgi-bin/gasteldb?@I09729@
アン・ブ−リンは御存じのように処刑されたわけですが、
buried at Chapel Royal@` Tower of London@` England
ということですね。
処刑直後の処遇についてはしらないなあ。。てか下らん質問じゃ。。
4名無しさん@1周年:2000/12/08(金) 09:41
ギロチンで首きられても10秒くらいは意識があるというけど
その間アンちゃんは何思ってたんだろう。
5佐川:2000/12/10(日) 02:12
僕が食った
6マーチャ:2000/12/10(日) 02:18
息子は一シトワイヤンになり、母のことも自分の過去も
すぐに忘れた、そうだけど、その後どうなったの?
あと娘もいたけど・・・?
7名無しさん@1周年:2000/12/10(日) 02:18
>4
@`―-、
  /~~~ l |
 ■■-っ  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ´∀` / < んなこたあ無い
    ̄    \_________


8名無しさん@1周年:2000/12/11(月) 00:44
>6 息子(ルイ17世)は、その後軟禁生活の後、数年後に病死。(いろいろ説アリ)
   娘(マリーテレーズ) 海外放浪生活の後、いとこ(名前忘れたが、お父ちゃんルイ16世の弟の子供)と結婚。王政復古で、もうすこしで王妃になれたのに、革命でぼしゃった。

               
9名無しさん@1周年:2000/12/11(月) 00:49
 たしか切れられた首は、胴体といっしょに埋められたはず。
ただ、当時の墓掘り役人がめんどくさがって、
うめないで道端に何週間もほったらかしにしてあった。とかいうのをどこぞの本で読んだ。
しかも、その後埋葬されたけど、無縁仏(ま、海外だが)の墓に埋められたので(ちなみにルイ16世も)
王政復古の時に、骨を探そうとしたけど、結局わかんなくて、それらしいのを王家の墓に移したらしい。
10名無しさん@1周年:2000/12/11(月) 00:57
あ、ちなみにそれらしいのって。
記録に「早くなくなるように、遺体の上に石灰を多くかけた」ってのを参考にしたらしい。

・・・・て、なんてこんなに真面目にこたえてんのか・・2chで(苦笑)
11世界@名無史さん:2000/12/11(月) 00:59
はっきりと憶えていないが特定の身分、例えば王族や司祭等の
死体は錬金術師などが高値で購入したというのを読んだ憶えが有る
死体の処理は基本的に首切り役人に任せていたそうなのでまだどっかに
干首なんか残ってたりして
12世界@名無史さん:2000/12/11(月) 22:37
もともと高貴な身分だったのにね・・・
マリーテレーズのその後もどうなったのだろう
13名無しさん@キティ立入禁止:2000/12/12(火) 15:10
あげげの鬼太郎
14>8:2000/12/12(火) 21:31
病死した子供(男子)は実は生きていたって話きいたことある。
うそっぽいけど。
詳しい人いますか?
15名無しさん:2000/12/13(水) 17:31
>>8 >>12
マリ・テレーズは、1795年12月19日(彼女の17歳の誕生日の日)にフランス(総裁政府)とオーストリアの間で行われた捕虜交換により、タンプル塔から開放され、そのままオーストリアへ向かう。
1799年にアングレーム公ルイ・アントワーヌ(シャルル10世の長子、1844年没、ルイ19世を名乗る)と結婚。
王政復古後、フランスへ帰国。
ナポレオンの百日天下の際には亡命せず、ナポレオンをして「ブルボン家唯一の男子」と言わしめた。
七月革命後は、イギリスやオーストリアを転々とし、1851年に73歳で病没。
子供はなく、晩年は夫の弟(ベリー公シャルル・フェルディナン、1820年暗殺)の一人息子のボルドー公アンリ(アンリ5世を名乗る)の養育に専念した。
その後、1883年にボルドー公アンリの死により、フランス・ブルボン家の男子直系は断絶。

>>14
ルイ17世(ノルマンディー公ルイ・シャルル)は、公式には1795年6月10日にタンプル塔で没したことになっている。
しかし、タンプル塔で没した子供を検死した医師が持ち帰ったその子供の頭髪と、保存されていたルイ16世の頭髪とのDNA鑑定の結果は、この二つの頭髪の持ち主が親子であることを否定した(らしい)。
ただ、ルイ17世がそもそもルイ16世の実子であるかどうかも疑わしいため、結論は得られず。
ちなみに、アムステルダムには、後に自分がルイ17世であると主張した人物の墓がある。
当時のオランダ政府は、この人物をルイ17世であると認定していた。
16世界@名無史さん
>9
何週間もほったらかしって、なんかむごいね