帝王と王様何が違うの?

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1aqualover
帝国は帝王が治めるもの、王国は王様が治めるもの。帝王と王様は何が違うのですか?
2世界@名無史さん:2000/11/13(月) 18:54
王国が集まって帝国を形成するってのがよくあるね。

日本でも、殿様は各藩にいるけど、幕府将軍はひとりみたいな。

あと中国では、王や皇帝など別の定義があるそうそうな。

だれか詳しい人教えれ。
3ハインリヒ大帝:2000/11/15(水) 00:33
このての定義は難しいんだが一説によると、単一民族の支配者が王で多民族国家の支配者が皇帝と言うらしい。
中国の王は大体、諸侯って意味合いが強いと思う、日本で言う藩主。あと太守、土侯
皇帝は秦の始皇帝が用いた称号で王の王って意味合いだと思うんだけど、彼は郡県制で諸侯(王)たちの勢力を殺いでいったから、中央集権的支配者って意味合いもでないことはないと思う。
注意が必要なのはヨーロッパとは皇帝をあらわすエンペラーは凱旋将軍の意味だからニュアンスが違うかも知れんねぇ
4日本@名無史さん:2000/11/15(水) 02:31
 エンペラーが凱旋将軍だったら、
征夷大将軍もエンペラーなのかな、なんちて。
5名無しさん@1周年:2000/11/15(水) 06:05
皇帝>王
6世界@名無史さん:2000/11/15(水) 11:40
>>3
じゃあ、日本はどうなるの?
日本は一つの民族(という事にしておく)だけど、
皇帝の称号があるよ?(天皇=emperorね)
  
洋の東西を問わず皇帝というような称号は存在するが
それらに共通して言える事は、皇帝というものが
一つの世界を統一したものへ与える称号であるという
点じゃないのか
ヨーロッパという一つの世界、中国という一つの世界
日本という一つの世界
7世界@名無史さん:2000/11/15(水) 11:53
インペラトルは(最高)指揮官の意では?
凱旋は関係ないと思ったぞ。
8世界@名無史さん:2000/11/15(水) 11:57
ヨーロッパでの皇帝ってのは、本来はローマ皇帝を継ぐもので
一人しかいなかった。それが西ローマと東ローマにわかれて、
西ローマから神聖ローマ帝国に引き継がれる。東ローマからの
正当後継者はロシア皇帝という事になっていた。どっちも、
ローマの教会とギリシャの教会の保護者という意味合いが強い。
聖は教会、俗は皇帝が統べるものだと。
後のドイツ皇帝とかは勝手に皇帝を名乗っただけ。大英帝国も
なんで王なのに帝国なんだろうね。

中国なんかでも、王は諸侯であって、はじめて統一した始皇帝から
皇帝が使われ始めた。天下に唯一人の王の中の王か。
三国志では皇帝が勝手に乱立しちゃったけどね。中国には血統に
よらずとも、禅譲という仕組みがあったからね。
9世界@名無史さん :2000/11/15(水) 12:15
>6
大昔、任那を支配。
昔、エミシとかを征討。
ちょっと昔、琉球とかも占領。
最近、アジアで唯一帝国主義政策をとる。
現在のは昔の名残。

それから「世界」という術語の使い方は難しいので定義してから使ってほしいッス。
10日本@名無史さん:2000/11/15(水) 13:26
日本の場合は、英語表記の場合は皇帝扱いになって
しまうけど、わざわざ天皇とつけたところに奥ゆかしさが
あるのでは?

あと、将軍家は鎌倉や室町、江戸当時の国際的には日本国王になってる。
天皇は、それなりに認められていたのか、無視されていたのか。
11警告です。:2000/11/15(水) 13:39
日本史板の名無しを装った自覚無しのハングル板の厨房どもUzeeeeeeeeeeeeeee!!
12右の人、左の人へ:2000/11/15(水) 13:42
どうか天皇を儒教化しないで下さい。
彼等は元々今も日本人の中に無意識に生きてる、人畜無害な神道の大神官なのですから。
それと荒れちゃいそうなので任那の話題はパスです。
って優香任那ネタ出して来る奴は荒らしですよ。念のため。
それとジーモン氏を最近見なくなった。悲しい。
13日本@名無史さん:2000/11/15(水) 15:35
日本の天皇は、日出処の天子、日没処の天子に云々
というのに象徴的に現れてると思うが。
天子としては対等であることを主張しながらも、
皇帝と天皇とういことで、支配領域が別物であると言いたかった
のではないかと、勝手に解釈する。そうでなきゃ、皇帝は二人は
要らんと怒った隋が、日本の敵になってしまう。そこは聖徳太子の
国際政治の上手さではなかったかと思うのだが。
14日本@名無史さん:2000/11/15(水) 15:52
>後のドイツ皇帝とかは勝手に皇帝を名乗っただけ。

そうじゃない。ナポレオンが、神聖ローマ帝国を解体して、帝位についた。
ナポレオンが敗れて、以前に神聖ローマ皇帝を兼務していたオーストリアが帝国となり、
プロシア・オーストリア戦争で勝利したプロシアが、ドイツ帝国となった。
と言うわけで、詐称したのではない。つーか、伝統の長いヨーロッパで詐称しても、
周辺諸国にバカにされるだけじゃん。
15日本@名無史さん:2000/11/15(水) 16:35
>14
ああ、そうなんだ。ちょっと表現がおかしかったみたいで、スマソ。

ただ、よくナチスドイツがドイツ第三帝国っていってるでしょ。
あれって、ローマ帝国、神聖ローマ帝国、ナチスドイツ
っていってるのかと思ってた。
神聖ローマ、ドイツ帝国、ナチスドイツ
でよろしいのか?
16世界@名無史さん:2000/11/15(水) 17:05
>14
ローマ皇帝位と解釈するのであれば
オーストリア、プロシアともに帝国になるというのは
合点がいきませぬゆえ、詳しい説明をお願いしたい
17日本@名無史さん:2000/11/15(水) 18:16
単に、東西ローマ皇帝が支配する国を、帝国と呼んでいるだけじゃないの。
歴史地図帳を見ると、神聖ローマ帝国とオーストリア帝国を併記している例が多い。
これは、ハプスブルク家の当主が、併任していたから便宜上そう呼んでいるのだろう。
18世界@名無史さん:2000/11/15(水) 18:22
中国の場合は神話に「三皇五帝」ってのがあって、
その「皇」と「帝」を取ってくっつけて「自分は彼らより偉いんだ」
と主張したのが「皇帝」の始まり。

ローマの場合は、共和制時代に戦争に勝った将軍が戦場で
「インペラトール」と連呼されたのがそもそもの始まり。
後にカエサルが常時「インペラトール」と名乗ることを許され、
それをアウグストゥスが引き継いで称号化した。

ちなみにドイツ語では皇帝というのは「カイザー」、
ロシア語では「ツァーリ」と言うけれども、これは「カエサル」の各国訳。
ローマの帝制初期に「カエサル」も皇帝を指す称号として使われたため、
後の世でも使うことにしたと思われる。
1915:2000/11/15(水) 18:26
>14
でも、ちょっと考えるとおかしいな。

オーストリアは確かにプロシアに破れ、大ドイツの主導権からは
外れたわけだが、その後はオーストリア=ハンガリー帝国を名乗った
わけだし。プロシアがローマの正当後継者という流れでは、やっぱり
ないような。
プロシア国王がドイツ諸侯の頂点に立つという意味でのドイツ皇帝
でしかないのでは。プロイセン王家にも色んな血が入っていた訳だし、
そういう点では正統性はあったやもしれん。

19世紀はややこしくていかん。
20世界@名無史さん:2000/11/15(水) 18:32
>16

ナポレオンが神聖ローマ帝国を解体した結果、
「ヨーロッパの皇帝」がいなくなった。
オーストリア帝国は、あくまでも「オーストリア」という地域
(実際にはこれにハンガリー、チェコなどを含む)の皇帝に
なっただけであって、「ヨーロッパの皇帝」が復活したわけではない。
従って、新たに誰かが他の地域の皇帝になっても問題はない。
21日本@名無史さん:2000/11/15(水) 18:46
>その後はオーストリア=ハンガリー帝国を名乗った

違います。プロシアに敗退した後は、歴史地図帳では
オーストリア=ハンガリー君主国(monarchy)と表記されています。
22世界@名無史さん:2000/11/15(水) 21:11
>21
よくいうオーストリア=ハンガリー二重帝国ってのは?
その記述自体に問題があったのかな?
23ハインリヒ大帝:2000/11/16(木) 00:47
>22
ときはオーストリアがプロイセンとの戦いに敗れいわゆる普奧戦争のことですが、
国力の差を知らされたオーストリアは国内で活発になっていたハンガリー(マジャール人)
独立運動を何とか収拾すべく妥協策として打ち出したのがハンガリーに自治権を与えるがハンガリー王は
オーストリア皇帝が兼ねるというものそれゆえオーストリア=ハンガリー二重帝国というのだそうな。
まあこのころ盛んだった国民主義民族主義運動に対する妥協策ってトコかな。
24世界@名無史さん:2000/11/16(木) 08:03
ヨーロッパ史の中で考えると、皇帝はローマ帝国の継承者に与えられる称号で
その意味では神聖ローマ帝国を投げ出したフランツがオーストリア皇帝を名乗ったのは
僭称に近いと思う。
25日本@名無史さん:2000/11/17(金) 07:35
うむ、要はナポレオンじゃな。ナポレオン以前は西欧にひとり、東欧にひとりずつ皇帝がいた。
しかし、ナポレオンがフランス皇帝シャルルマ−ニュの後継者を名乗ったので大混乱。西ローマ皇帝がふたりになるという
前代未聞な事件。本来なら、ナポレオンは成り上がりモノとして、ぼこぼこにされるべきだが、ぼこぼこにされるのは逆に周辺諸国だった。
勿論、ハプスブルグはナポレオンにまともに対抗できない。
だから、しょうがなく、「オーストリア帝国」にして、ナポレオンの標的になるのを避けたわけ。
しかし、これがきっかけで、以前はいなかの侯爵だった成り上がりのプロシア王が皇帝にまでなってしまう。   

中国では、王はひとりだったが、漢になるにいたって、皇帝の息子、叔父を王とよぶようになった。
しかし、王というのは有る程度乱造がきくが、皇帝というのは原則として世界に一人。これは西洋東洋同じだと考える。
日本が皇帝なのは、まあ既成事実だということと、べつにだれも日本のことなんか気にしなかったから。


26日本@名無史さん
カエサル・皇帝・天皇などは、元々は別の概念だけど、似ている点もあるので、
翻訳によって同一視されているだけなのは、気を付けた方が良いでしょう。

天皇は、皇帝よりも祭祀面の要素が大きく、ローマ法王やダライラマに
似ている面がある。
中国にとっては、聖徳太子が隋に「日出づる国の天子」と自称したときは激怒したが、
新唐書・宋史に、歴代天皇一覧が記載されているように、「天皇」は皇帝とは全く別の概念で、
特に問題とはならなかったのでしょう。