「コリアの歴史を語ろう(古代史編)」

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1 :世界@名無史さん:
2 :世界@名無史さん:2000/11/07(火) 13:50
ついに造りましたか。がんばってね。
3 :蚯蚓:2000/11/07(火) 20:45
スレ設立おめでとう。長い道のりだった。
4 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/07(火) 23:00
☆☆☆慶祝 新スレッド『コリアの歴史を語ろう(古代篇)』☆☆☆

ここでは日本と一衣帯水の隣国である「コリア・朝鮮」つまり
朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国の通史特に古代史をあつか
いたい。本スレッドのいう「朝鮮」は、従来日本で通用してき
た地理的概念としての表現である。したがってとくにことわら
ないかぎり、現に政治的支配を行使している特定の国家や政治
主体をさすものではないとしたい。また、ともすると感情的論
争に陥り易い研究対象ではあるけれども、確かな史実に基づい
て、着実冷静に叙述するという基本方針でのぞんでいただけれ
ばと思う。
5 :地球市民@:2000/11/07(火) 23:31
>4
おめでとう、丸くなったちよよん先生も不気味なものがあるけどとりあえず。
古代史から進めましょう。
6 :世界@名無史さん:2000/11/07(火) 23:34
えーと古代日本において稲作技術を筆頭に、優れた技術者として朝鮮人が
大きな交流があったそうですが、どんなもんだったんですかね実際?
7 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/07(火) 23:47
前スレッドで主にあつかっていた、論究の対象は「任那日本府=
朝鮮出兵と朝鮮南部の実行支配」はありえたのか?という内容で
あった。

おれの考察では以下の理由から「任那日本府」≒「近朝鮮の倭館」
ではないだろうかということだった。

まず、ひとつ目は、「広開土王碑文」である。
→日帝軍人による石灰塗布・改ざんはまだ実証されてはいない
が、石灰塗布がおこなわれ、原碑文とは違った文字が書き込ま
れていることは明らかであり、これをもって動かない史実とす
ることはいまのところできそうもない。

その証拠に平成10年12月に発行された、東京大学総合研究
博物館ニュースをあげた。早乙女雅博氏のHPによれば、碑の文
字を確定するには、碑に石灰を塗る以前の拓本を探しだし、そ
れを基本にすべきであるとしている。日本人学者が平成10年
も暮れに近づいた頃にこのようなHPをたてているということは、
1984年および1988年に出版された王建群の訳本では碑
文調査が不十分であるということを意味しているかと思える。
同様に白崎昭一郎も吉川弘文館から『広開土王碑文の研究』を
1993年に出版しており、その書籍の中で、王氏の碑文研究
について、「王建群氏が永年にわたり広開土王碑を現地で精査
して得られた業績は十分尊重されなければならない。しかし向
後、各国研究者の協力、光学的器械の活用による碑面の総合的
研究が望ましいとはいえるであろう」といっている。これはつ
まり、中国の学者がどう判断を下しているのかは知らないが、
少なくとも日本人学者の間では本碑文についてはまだ、今後の
研究が必要と認識している表われといえよう。

『広開土王碑の拓本』 早乙女雅博
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/museum/ouroboros/03_03/koukai.html
8 :地球市民@:2000/11/07(火) 23:56
>>6-7 & ALL
そうか、早くも2つ議題が出ましたねじゃあさ、前の論争の主題は、
1.碑文の話しとさ
2.当時の人民を食べさせる稲作形態で揉めたよね。焼畑とかで。(一体半島や倭に
何人いたんだって話しもあって)
後々、鉄器とかでるけどこの2つを議論のテーマにしませんか?
9 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/08(水) 00:17
>>6まず、稲作の前段である新石器時代の農耕の話しをしよう。
韓国の考古学者金元龍はこのようにいっているな。

朝鮮の新石器文化もシベリア的文化であり、基本的に漁労・狩
猟の経済であった。ところが、後期になると華北からの影響で
農耕が開始され、しだいに状況がかわっていった。農耕の証左
として、黄海北道智塔里から炭化穀類(ヒエ・アワ)と石・骨
・角・牙製の農具が発見されている。さらに水牛の骨も出土し
ており、当時の気候がいたって温暖であったこともわかってい
る。

朝鮮で農耕が開始されたのはやはり、華北地方の農耕文化であ
る、抑詔・竜山文化の影響によるものであろうといわれている。

櫛目文土器がそれまでの魚骨文から曲線文に変化したこととか、
半月形石包丁の出現などは、中国東北地方をつうじて華北地方
の新石器文化が影響を与えた結果であると推定されている。

華北の抑詔・竜山文化の人々は、キビ・アワ・コウリャン、そ
してコメを栽培していた。アワ・コウリャンなどはキビととも
に朝鮮に紹介され、これによって大同江付近の櫛目文土器人も
畑作を始めたものと考えられる。
10 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/08(水) 00:31
つぎに時代は下って、紀元200年ごろの南朝鮮の事情を『魏
志』東夷伝・韓伝からみてみよう。こいつはこの時期の南朝鮮
を記述した、ほとんど唯一の記録だ。

それによれば、総人口は約20万戸、100万人程度であった
と推定される。そして土地が肥沃であり、米を含めた五穀を栽
培しており、蚕を飼い、木綿を織り、また、牛・馬・豚を飼っ
たといわれる。とくに洛東江下流では、鉄が多く生産され、鉄
を一種の貨幣として使用し、それを楽浪・帯方郡と倭にまで輸
出したことは前記したとおりだ。
11 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/08(水) 00:49
3世紀ごろの南朝鮮の住民が完全な農耕民となっていたという
ことも、『魏志』からわかる。それによれば、馬韓地方では、
「五月に播種が終わると鬼神を祭り、昼も夜も酒盛りの寄り合
いをし、村人達が群れ集まって歌舞する。舞をするときには、
数十人がいっしょになって地を踏み調子をとる。十月にも収穫
が終わって後、またこのようなお祭りをする」ということや、
江原道地方では「天体観測で農事の凶豊を占う」とあることか
らも証明される。

原三国時代人たちが栽培した農耕物としては、米と小麦の実物
が、それぞれ金海貝塚と慶州の遺跡で発見されている。『魏志』
の記事をみても五穀を耕作したことになっており、麦・小麦・
もろこし・粟・キビなどの穀物が畑作物として各地で耕作した
ことがわかる。とくに錦江・栄山江・洛東江流域が古代農耕の
中心地であり、当代の日本でも、北九州では麦が稲とともに代
表的な耕作物であり、そこから東方へひろがったといわれている。
12 :名無しさん@1周年:2000/11/08(水) 01:03
百済と満州の扶余との関係教えてちょ
13 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/08(水) 01:20
ところで、このような農耕は新石器時代後期からあったもので
あるが、朝鮮半島の農耕文化を画期的に刷新した最大の要因は、
北部朝鮮への中国系移民と中国の租界である楽浪郡の設置であ
る。鉄製農具は木器とともに普及したことは間違いない。水田
は川からの灌漑が可能であっても、自然水の補給が十分な地域
に設置されただろう。それにたいして畑は、主に火田法(焼畑)
によって開墾された地域で、天水のみを頼りにして行われた。
こういった農耕はいまからみるともちろん原始農耕というべき
段階だが、自然条件がよいところでは収穫が多く、食料事情が
安定しており、梁山貝塚のばあいのように人口の急増をもたら
したところもある。

とにかく当時の朝鮮の農耕は楽浪文化によって大きく進歩して
いたということだな。この文化が倭に伝わっていったと考えら
れている。

この辺も参考にしてくれ。
『科学する邪馬台国 DNAで探る稲の考古学』
http://inoues.net/yamataikoku/science/wan.html

http://www.local.co.jp/news-drift/agri-kaisetu.html
14 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/08(水) 02:10
>>12
百済は現在のソウル地方より興り、4世紀中頃に高句麗の圧力
に抗しながら台頭する。興味深いことに百済の始祖・温祖の開
国伝説は、その敵対していた高句麗の始祖伝説を前提にして構
成されている。(三国史記)

開国伝説の内容は省略したが、それによると、百済の始祖とし
ては、温祖、沸流、都慕(朱蒙)、仇台(優台)などの名が伝
わっているが、これらは始祖が異なるとしても、始祖の出自が
夫餘に求められている点では一致し、そのように始祖の出生の
由来を記すことで高句麗との密接な関係を強調する構成となっ
ている。

従来、伝説に示された始祖の系譜意識を重視し、百済の建国の
主体勢力が夫餘の系譜を引く高句麗からの流移民とみなす見解
が有力視されてきた。実際には百済は4世紀中頃より中国王朝
にたいし、一貫して国姓を「餘」と称しつづけ、夫餘の後裔で
あることを自認していた。また、472年に北魏に朝貢した際
に、百済もまた高句麗と同じく夫餘族の出自であると主張した
り、538年四比(サビ)遷都において国号を南夫餘と称する
など、百済が始祖伝説にみられる系譜観を対外的に主張しつづ
けたことがわかる。

さらに4・5世紀における百済王陵群とみられる石村古墳群に
は、多くの基壇式の積石塚が残存し、これは明らかに高句麗の
影響のもとに造営されており、それゆえ説話の民族的系譜観を
裏付けるものとして重視されてきた。しかし、百済土器の形成
過程からみると、当時の百済土器には高句麗との関係を示す要
素は現在までみいだすことができない。また百済王家の墓制は
その後も中国墓制の影響を受けて大きく変化させており、必ず
しも墓制の類似は民族的・文化的系譜の指標とはなりえないと
もいわれている。

漢山城時代の百済で基壇式積石塚が造られたのは、高句麗と激
しく抗争を繰り返した時代に、高句麗を意識しながら、高句麗
を凌駕する力量を誇示するためであったとの解釈も提示されて
いる。また、百済が国際舞台において、あえて夫餘の出自を主
張するのも、あくまで高句麗との抗争を有利に導こうとするた
めに、自己の正統性を対外的に訴える手段であった可能性もあ
る。

百済の始祖伝説は、始祖を異にする説話が並立しているものの、
いずれにせよ高句麗とともに夫餘に起源するとの民族的な系譜
を強調している点で共通している。
15 :板違い、失礼します:2000/11/08(水) 02:20
http://teri.2ch.net/test/read.cgi?bbs=korea&key=973612918&to=50
↑これはfusianasanでIP表示をさせて、proxyを通して立てたスレです
見て分かるとおり、ハングル板ではproxy規制はされていません。

批判要望板にスレッドを立てました。
皆さん、ご協力をお願いします。
http://teri.2ch.net/test/read.cgi?bbs=accuse&key=973613701&ls=50
16 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/08(水) 22:53
古代史に限定したせいか、はたまた、マジレス路線に転換したせいか
知らんが、まったく人気ねえな。つまらんから、夫餘族百済の年表を
くっつけておく。暇だったら見てくれ。

もともと馬韓といっても一つの統一された国というわけではなく、50
余の小国の連合体だった。辰韓も同じで12国の集合体だ。もちろん、
その間にあった弁韓も12国の小国の集まりで統一国家ではない。

馬韓のなかのひとつである、伯済国が、その後成長して百済となったと
いわれているが、べつに馬韓の統一された姿というわけではない。5世
紀ころまでは百済に包摂されない馬韓の残存勢力(小国)があったとい
われている。また、それは辰韓の新羅でも同様だ。つまり、百済・馬韓
・新羅・辰韓などという並行期間があったわけで、5世紀までは任那・
加羅など大加羅と百済・新羅は対等な勢力だったのである。

『夫餘族百済資料集』
http://www.intacc.ne.jp/HP/kiya/sehaci/kiya32b.htm
17 :名無しさん@1周年:2000/11/08(水) 23:37
>百済が国際舞台において、あえて夫餘の出自を主
張するのも、あくまで高句麗との抗争を有利に導こうとするた
めに、自己の正統性を対外的に訴える手段であった可能性もあ
る。

何で扶余が先祖だと有利なの?
扶余ってただの狩猟民族のようだが・・・
後、檀君ってのはいつ頃作られた人なの?
18 :世界@名無史さん:2000/11/09(木) 00:02
>>17
なにを言うか!
檀君は「作られた人」などでない。歴史上の実在の偉人だ。
韓国の国定教科書にも、古朝鮮の最初の君主として明記してある。
朝鮮民主主義人民共和国では、1993年に檀君陵を発掘し、遺骨
を科学的年代測定することで、実在を確認している。
19 :世界@名無史さん:2000/11/09(木) 00:09
藤村さんは北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国にも出張していたか。
20 :世界@名無史さん:2000/11/09(木) 00:10
年代測定だけじゃ実在の証拠にはならないのでは…
21 :蚯蚓:2000/11/09(木) 00:37
両親の桓雄(ファンウン)と熊女(ウンニョ)は実在してたのか?
22 :世界@名無史さん:2000/11/09(木) 00:58
>>21
神話伝説と歴史の区別もつかんのか(W
23 :地球市民@:2000/11/09(木) 02:41
>all相変わらず飛ばしていますね。
まあ、電波がでないとこんなもんですよ、ゆっくり反論をみましょう。
基本的に藤村と檀君廟は抜きにしようね、個人と国家ぐるみの差があるけど
それで村おこししようとした地方自治体もいるから。。
>>20
そう、歴史は必ず主が文献資料それを補完するのが考古学ですからね。
両国の致命的なのは日本は記紀・万葉集、半島は三国史記・遺事しか自国
の資料に頼らなくてはならない点ですね。
中国側の資料も何処まで正確か検証する必要ありますからね。
>all
ま、ゆるりと行きましょう。(あっちは、大変みたいですけどね)
24 :世界@名無史さん:2000/11/10(金) 00:04
とりあえず、反論待ちであげよう。

おやおや、前のレスだと米は半島経由論がすっかり影を潜めてしまいましたね。
半島の理論は余りにも南方文化の伝播を無視しているのが多いですからね。

もうちょっと稲の伝播の流れの議論が欲しいな。
25 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/10(金) 01:25
>>17
とりあえず、13世紀に系譜化された『三国遺事』の檀君王倹
の神話の話しは置いておくことにして、夫餘は東北地方いわゆ
る満州で一番最初にできた国だからさ。ちなみに満州っていう
のは、がんらい国名あるいは民族名であって、地理的名称じゃ
あない。19世紀の初めころから西洋人によって地名として用
いられるようになったんだ。中国ではこの地域を古代には東夷、
清代には東省とか東三省と呼び、山関海の外にあることから関
外とか関東などとも称したが、民国以後は東北と呼んでいる。

夫餘は、その領域が朝鮮半島におよぶことはなかったが、深く
かかわっていたといわれている。貊族とかイエ族の一種であると
もいわれているが明確ではない。夫餘の名は『史記』の貨殖伝
に戦国の燕と関連して出てくるから紀元前3世紀ころから知ら
れ、吉林省吉林市が発祥の地らしい。また、そこを中心に広が
る西団山(せいだんさん)文化は、前3世紀以前の文化圏を示
し、夫餘につながる可能性があるが、イエ族の居住地である東海
岸(日本海側)には分布せず、イエ族との関係はこれからの課題
といえる。

夫餘族は騎馬民族とする意見もあるが、土着し東夷の領域の中
でもっとも沃野な地で五穀をつくっているので、農耕民族とい
うことになっている。老河深遺跡(吉林省楡樹)は、夫餘の遺
跡であるとの意見が定着してきたが、その遺物相からも農耕民
であることがうかがえる。中国文化の影響を最も早くかつ深く
受けたため、満州でまず最初にここに国家がおこったものと考
えられている。王都のおかれた吉林市の帽児山遺跡などでは、
漢・魏の遺物が多く出土する。

やがて前1世紀の末ころに、貊族の高句麗がおこった。のちに
突厥が、高句麗を「貊の国」とよんでいるとおりで、日本でも
「狛」を用いた。高句麗の生業は、農耕主体であったが、当時
は狩猟もおこなっていたと思われる。山谷の間に住み、谷水に
頼る地理的条件もあって、農耕のみでは十分ではなかったから
だ。このように高句麗の本拠地は夫餘に比べて南方で中国に近
かったのだが、山間の僻地であるため開けるのがおくれ、前漢
末期にいたり漢王朝の政治が衰え、その対外的圧力が弱まった
のに乗じておこったといわれている。

ところで、後漢の人王充の『論衡』吉験篇に記されている夫餘
の開国説話によると、天の気を受けて生まれた東明王が北方か
ら逃れて夫餘の国をたてたということになっている。ちなみに
高句麗はこの紀元後1世紀には確認される夫餘の始祖・東明伝
説の構成をもとに、5世紀ころに朱蒙伝説を形成させていた。
その当時であっても、朱蒙の父は、日光、日月、天帝というよ
うに、天や河(地)を尊ぶ高句麗の固有思想を中核としつつ、
中国的な政治思想の形式や表現を利用して、王権の起源と正統
性のよりどころを示している。

後代になると、いっそう夫餘の東明伝説と結びついて、「始祖
は東明聖王であり、諱は朱蒙である」(『三国史記』高句麗本
紀)とされ、ついには民族統合の象徴としての檀君に系譜化さ
れ、「東明王である朱蒙は檀君の子である」(『三国遺事』王
暦)とまでいわれるようになったんだな。
26 :名無しさん@1周年:2000/11/10(金) 03:32
詳しい説明サンクス
扶余の子孫というのが正統っていうより衛氏朝鮮の子孫って
名乗った方が箔づけになりそうだけど・・・
王莽の軍に殺された句麗王チュってのが朱蒙の別名だと
思ったけどどう?
27 :世界@名無史さん:2000/11/11(土) 03:57
>>26
>衛氏朝鮮の子孫
何を言うかニダ
箕氏朝鮮も衛氏朝鮮も韓国の国定歴史教科書には出てこないニダ
そんものは存在していなかったデッチアゲニダ
チョットだけ、楽浪郡や帯方郡に土地を貸したことがあるだけニダ
ウリナラは半万年の歴史を持つ偉大な独立国なのニダ!!!
28 :世界@名無史さん:2000/11/11(土) 04:03
ちょっとだけ、楽浪郡や…だ?うそつけぇ。
京城の中央博物館は楽浪郡や帯方郡の「存在」すら「なかったこと」に
してるぢゃないか。
29 :うんこ:2000/11/11(土) 07:29
>チヨヨン大先生

日本では厳密な史料批判の結果古代の天皇については崇神天皇以前を
切り捨てる傾向が強いのですが、百済の古代の王についてはどうなのでしょう?

在位年数なども含めてすべて史記のとおりと考えているのでしょうか?
30 :地球市民@:2000/11/11(土) 14:38
>>29
個人的だが高句麗は、以外に正確じゃないかな?
魏の時代高句麗との戦闘記録(位宮だっけ?)があったからね。
ただし、4〜5世紀の三国の王と天皇の在位年数が10代ぐらいに渡って
一致しているという記録があった記憶がする。(ま、トンデモ本を読んだ記憶だけど)
(ある国では一人の王だけど別の国では3人になっているが3人の合計が
その一人の在位年数・干支の時期がものの見事に一致していたな)
先生の返答待とうかな。
31 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/11(土) 23:51
>>26
>扶余の子孫というのが正統っていうより衛氏朝鮮の子孫って
>名乗った方が箔づけになりそうだけど・・・

おそらく、高句麗の朱蒙伝説や百済の開国伝説が形成された、
4・5世紀頃は、箕子朝鮮や衛氏朝鮮は漢人・燕人といった中
国人が建てた国と認識されていたからだろう。箕子東来説を伝
える古い記載には次の3つのものがある。

ひとつは、伏生の『尚書大伝』で、箕子は中国の殷王朝の末年、
最後の王となった紂王の親戚であった人物で、殷が滅亡したあ
と、周に仕えることをいさぎよしとしなかった賢人である。
周の武王がかれに洪範(九疇)という政治哲学の九箇規範をた
ずねたということである。その箕子が朝鮮で国を開いたといわ
れている。

もうひとつは、司馬遷の『史記』で、周の武王が殷を克服した
のち、箕子を訪問して安民の道をたずねると、箕子は鴻範九疇
を演述したということ、それで武王はかれを朝鮮に封建したと
いうことが記されている。

さいごは、班固の『漢書』地理志燕条の記載で、箕子が殷を去っ
て朝鮮にいき、その人民に礼儀や田蚕や織造を教え、犯禁八条
をもって民を教化したことを伝えている。

一方、衛氏朝鮮であるが、箕子朝鮮を滅ぼしたことを伝える記
録がある。それは『魏略』にみえる逸話なんだが、衛氏朝鮮を
建国した満は、朝鮮に亡命して、朝鮮王準に仕えた。準はそれ
を信任して博士とし、西境方面を守らせた。満は燕・斉地域か
らの流民を誘って、勢力をたくわえると、準を漢の攻撃から守
ると偽って、準を急襲した。準はおさえる力もなく、海に逃げ
出し、韓の地にいたって韓王を称するようになった、というも
のである。また、『史記』によれば、満は、燕王廬綰の武将で
あったという。廬綰が漢に背いて匈奴に逃れたとき、満は1000
余人の兵を率いて#貝(#=サンズイ)水を渡り、箕準王のもとに走り
その臣下として仕えた。やがて、燕・斉の亡民を糾合して勢力
を拡大し、箕準王を追放して王位を簒奪して衛氏朝鮮の始祖と
なったという。

『史記』や『漢書』には衛という姓はみられないが、後漢代の
『潜夫論』からは、衛満として登場する。そのため、満は本来、
姓がなかったのではないか、という意見もあり、それはつまり
漢人・燕人ではなく朝鮮人で、出身地を離れて燕に仕えていた
ものが、戻って国を開いたという意見である。しかし、いづれ
にしても、4・5世紀代の高句麗・百済でそのような認識があっ
たとは考えにくく、自らの王権の起源と正統性を夫餘に求めた
のだろう。
32 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/12(日) 00:00
>>26
>王莽の軍に殺された句麗王チュってのが朱蒙の別名だと
>思ったけどどう?

【王莽と鄒牟(朱蒙)王】《其の1》
『漢書』王莽伝始建国四年条の記述内容のことをいっているん
だと思うが、その大意はこうだ。

漢の纂主王莽が始建国4年(紀元12年)にさきだって、高句
驪(県)の兵を徴発して匈奴征伐にあたらせたところ、かれら
が素直に従わなかった。それで、玄莵郡では、かれらを強制的
に匈奴征伐に行軍させたところ、みな、高句麗境内に逃げて、
辺境を犯した。遼西大尹田譚がかれらを追撃したが、かえって
かれは戦死した。ところが、州郡の方ではその責任を高句麗侯
「すう」=チュにおわせた。王莽の臣、厳尤は諫めて、高句驪
(県)兵の犯法は、その責任は「すう」にあるのではないから、
よろしく慰安してやるべきであり、万一かれに大きな罪責を負
わせたら、反乱の憂いがあるといった。だが、王莽はきき入れ
ないで「すう」を慰安してやらなかった。高句麗がついに反し
たので、王莽は厳尤に高句麗を撃たせた。厳尤が「すう」を誘
致し、かれをとらえて殺し、その首を長安におくったら、王莽
は大いに喜んで、ついに書を下し、高句麗を「下句麗」と改称
し、これを天下に布告したということだ。
33 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/12(日) 00:03
【王莽と鄒牟(朱蒙)王】《其の2》
ここで問題となるのが、いわゆる「高句麗侯すう」である。高
句麗侯というのは、もちろん高句麗王のことで、さきに王莽が
策命使をおくって、自意で侯と降称した人物であるが、「すう」
はどの王にあたるのだろうか。王莽の始建国4年は、高句麗の
琉璃王31年にあたり、厳尤に斬られた「すう」は、『三国史
記』高句麗本紀には「我将延否」となっている。たしかに、い
くら草創なときとはいえ、王が誘致されて殺害されるとは、ま
ぬけすぎてちょっと信じがたい。これはたぶん「すう」のつか
わした将師を厳尤がすりかえたか、誇張したとみる方が妥当だ
ろう。実際に殺害されたのは、『三国史記』のいわゆる「我将
延否」の方が正しいかもしれない。とすると問題の「すう」は
ホントのところ、だれを指したのだろうか。「すう」は当時、
漢人に著聞された名であるから、その実在そのものを疑うとか、
否認するわけにはいかない。これはその名称からみて、けっきょ
く高句麗の始祖「鄒牟(すうぼう)」(朱蒙)の指称と考える
ほかはない。つまり、「すう」は鄒牟の異写と略称にすぎない
と思われる。が、ただし、この場合の王は、『三国史記』によ
れば、鄒牟(朱蒙)王の死後30年にあたる。とすると、問題
は2つあって、『漢書』の記事のように王莽の始建国3・4年
ごろ(紀元1世紀のはじめ)を鄒牟王の在世のときとみるか、
または『三国史記』のように、かれの死後とみるかである。こ
の辺りは意見のわかれるところではあるが、私見的には、中国
側の史書にはこちらの君長の父子を混同する例が少なくないこ
ともかんがみ、前者は誤聞誤伝をしていたと思いたい。とにか
く高句麗の君長鄒牟の登場は、おおよそ前漢末ごろには相違な
く、『三国史記』に伝わる年代(前漢元帝建昭2年)つまり、
紀元前37年とそれほど大差はないものとみてよさそうである。
34 :名無しさん@1周年:2000/11/12(日) 00:31
毎回詳しいレスサンクス!
>満は本来、姓がなかったのではないか
燕人であれば姓が無いのは不自然だと思う。
衛というのはやっぱり純中国風の姓で朝鮮には
あまり見ない姓なのでは?
後、箕も姓ではないと考えているが殷王朝の子
が本来の姓ではないだろうか?

句麗王チュが紀元前に死んでいたとして三国史記では
二代目孺留が王莽の頃に王位についていたはずだけど
新の侵入記述とかはどうなってるんだっけ?
(手元に三国史記ないので・・・)
高句麗は6代目の太祖大王の時代が異様に長いがこの
辺が怪しいと思う。
35 :世界@名無史さん:2000/11/12(日) 03:16
>教科書には512年に大伴金村が任那4県割譲したとか具体的にかいて
>あったりするけど、古代、任那が日本領だったてゆうのは本当なんでしょうか?

魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述が見られる時期に、
朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。
宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
これらの文献資料は、全て調和的。

考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)
になると、朝鮮半島南部にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
と言うわけで、全く問題ないのである。
36 :世界@名無史さん:2000/11/12(日) 03:16
好太王碑文改竄説は、1972年に日本朝鮮学校の李進煕の、岩波書店『思想』に
掲載されたものが発端で、呼応するように北朝鮮が改竄説を宣伝した。
韓国では、戦前に実見した学者が否定的な見解を述べたりもしていた。

好太王碑は中国領にあり、中国の研究者が改善説の検証をおこなった結果は、
王建群・吉林省文物考古研究所長(1984)『好太王碑研究』(吉林人民出版社)で、
訳本として、翻訳:林国本・繆光禎『好太王碑の研究』(雄渾社)がある。
検証の詳細はこの本にまかせるが、改竄説のでっち上げを厳しく批判している。

“歴史は客観的存在であり、歴史の研究は事実にもとづいてすすめなければならない。
中国に対して破壊活動を行なった酒匂景信や当時の日本陸軍参謀本部の犯した罪は
徹底的に暴露しなければならない。しかし同時に、事実を無視し、根拠のないことを
書き加えるようなことは、してはならないのである。”

この発言でも、アジアの雄である中国人と、ひがみ朝鮮人のレベルの違いが分かる。
37 :世界@名無史さん:2000/11/12(日) 03:18
韓炳三・前韓国国立中央博物館長(1995)『韓国の古代文化』(NHK人間大学テキスト)によると
金海大成洞遺跡には、弥生時代後期の北部九州の象徴的な遺物である、
大量の小形倣製鏡や中広形・広形銅矛が出土し、
古墳時代前期の大和を中心とした副葬品である、巴形銅器・筒形銅器・各種の碧玉製品類が
出土していることを述べ、倭国との関係が密接であったことが分かる。
38 :世界@名無史さん:2000/11/12(日) 03:18
朱塗り石室が韓国にも、日本様式初の確認 (10月2日15:34):読売ニュース

 韓国南部の慶尚南道固城(コソン)郡の松鶴洞1号墳で、内部を赤色顔料で朱塗り
した横穴式石室(六世紀前半)が、同国の東亜大付属博物館の調査で二日までに
確認された。日本(倭)独特とされた朱塗りの石室が、韓国で確認されたのは初めて。
日本の須恵器も出土していることから、日本の古墳祭祀(さいし)文化の影響と
みられる。大陸や朝鮮半島から文化を一方的に導入しただけではなく、日本も文化を
伝えていたことを示す重要な成果として注目される。
 石室は墳丘北側で、長さ約九・八メートル、幅〇・八五〜二メートル、高さ
一・四五〜一・五八メートル。天井や床、壁がベンガラ(酸化鉄)とみられる顔料で
真っ赤に塗られていた。

 朱色は、古代中国で血につながる生命力の象徴や不老長寿願望を反映したものと
考えられていた。朝鮮半島ではこれまで発見されていなかった。

 松鶴洞1号墳は一九八三年、韓国の研究者が「前方後円墳」と紹介し、日本独自と
されていた前方後円墳のルーツではないかと論争になった。

 一帯には、日本と交流のあった伽耶(かや)諸国(四世紀初め〜六世紀半ば)が
あったとされ、「日本書紀」などでは「任那(みまな)」と呼ばれる。

 沈奉謹・東亜大付属博物館長は「日本に近く、葬送儀礼に倭人がかかわったとも
考えられる」と話している。
39 :世界@名無史さん:2000/11/12(日) 03:19
ヒスイ製勾玉が、新羅・百済・任那の旧領で大量に出土(高句麗の旧領では稀)し、
戦前の日本の考古学者は、倭国の勢力範囲を示すモノと素直に解釈していましたが、
これも朝鮮→日本としたがり、それに迎合した厨房なサヨク似非学者もいました。
朝鮮半島には、ヒスイの原産地がなく、古代においては東アジア全体でも、日本の
糸魚川周辺にしか、ヒスイ工房は見つからず、化学組成も調和的で、ぐうの音も出ず。

こう言った科学的研究や、考古学の編年研究の進歩で、徐々に韓国学者のニュアンスは
変わってきたようです。だから、今回のような研究発表となったのでしょう。
でも、電波な韓国の歴史教科書で習っている一般民衆は厨房のままだろうけど。
40 :世界@名無史さん:2000/11/12(日) 03:19
宋書に見える倭の五王では、任那と加羅の扱いが移行している。

珍は「倭・百濟・新羅・任那・秦韓・慕韓・六國諸軍事」と自称したが認められず。
濟は百済を除いた「倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六國諸軍事」を認められた。
ここで、初めて加羅が登場し、後に加羅は宋に代わった梁に朝貢している。

このように、古くは任那が総称だったのが、その中の加羅が強大化し、
その名前が総称になったと解釈できる。
41 :世界@名無史さん:2000/11/12(日) 03:20
三国史記にも、好太王碑文が扱っている時期に、百済が皇太子を、新羅が王子を
倭国に人質にやる記事があり、当時の倭国の勢力の強さを示している。
それらも全て無視して、歴史を捏造しようとしたのが、北朝鮮=朝鮮学校。

そうそう、東晋の将軍として中国史にも出てくる冬寿の名を記した墓が、
昔に北朝鮮で見つかったけど、いつの間にか高句麗美川王の墓としてしまった。
4〜5世紀の北朝鮮に多く見られる壁画古墳を、楽浪文化の一環として解釈しようとする
韓国の学者もいるが、北朝鮮では高句麗文化一辺倒の解釈で、
高松塚の壁画は、明らかに唐文化のコピペなのに、全く時期も違うのに、高句麗と主張。
北朝鮮=朝鮮学校の程度の低い歴史捏造に、軽薄に擦り寄るサヨクの似非学者は頭が悪すぎ。
42 :世界@名無史さん:2000/11/12(日) 03:21
昔は北朝鮮の歴史捏造を盲信する、サヨクマスコミやサヨク似非学者が大宣伝して、
甚大な悪影響があった。しかし、北朝鮮はこんなことばかり繰り返すから、
全く信用を無くすのは当然で、それが最近の状況。

王建群・吉林省文物考古研究所長『好太王碑研究』(吉林人民出版社)で、
8項目に渡って、朝鮮学校・李説を否定する見解を述べています。

1.雙鉤本は、拓本を造るよりも手間が掛かり熟練を要し、素人が短期間に
作ることは非常に難しい。また、書道や金石文に精通していなければ
作成不可能であることからも否定的で、酒匂は通溝の地元の石摺り業から
拓本を手に入れたと考えられる。
2.酒匂雙鉤本は131枚の紙が使われ、漢学者達は順序通りに並べられず、
酒匂を呼んだけれども、本人にもできなかったことから、酒匂が自ら
作ったものではなく、なおさら改竄は不可能であると考えられる。
3.酒匂雙鉤本は、著者の碑文との照合から判断して、碑文の本来の姿に
忠実であるよう努力しており、意識的に改竄されたような痕跡がないと
考えられる。
問題の箇所は、“「倭以辛卯年来、渡海破百残、??[新]羅、以為臣民」。
これらの文字は、実際に石碑にそう彫られているもので、改竄されてはいない。
字形、点、画も、石碑にもともと彫られていたものに忠実である。”としています。
4.参謀本部の主要メンバーの横井忠直の記述では、甲子の役(日清戦争)の
頃に持ち帰った拓本にも、既に辛卯年の記述があり、その後改竄する必要がない。
5.もし碑文を偽造するなら、酒匂雙鉤本を基にすれば良く、二度も三度も
現場まで行って偽造する必要はない。
6.日本側が、好太王碑を買い取り、日本に持ち帰ろうとしたのは事実であるが、
もしも、「石灰塗布作戦」が事実ならば、持ち帰って衆目に曝すと謀略が
ばれるので、「石灰塗布作戦」を行ったとは考えられない。
7.李説では、石灰が見られない水谷拓本を1930年以降としているが、実際には
水谷拓本にも、そして現在でも石灰が残っており、拓本の時期に錯誤がある。
8.石碑近くに在住した初天富親子や李清太も、日本人が石灰を塗ったとは
見聞きしておらず、敵対国の日本人の集団が人知れず行うのは、当時の清朝が
軟弱であったとしても不可能である。
43 :世界@名無史さん:2000/11/12(日) 03:24
中国史書に出てくる、朝鮮半島付近の国は、漢人の衛満が建てた朝鮮国が最初で、
漢の武帝時代に滅ぼされ、楽浪郡が建てられた。
なお、高麗を滅ぼした李成桂が、明から朝鮮と言う国号を下賜されたので混乱しやすい。
朝鮮正史の三国史記では、新羅・高句麗・百済からしか歴史を書いていない。
「朝鮮半万年の歴史」なんて、何の根拠もない寝言。

三国志東夷伝の記述を見ると、倭人条には、朝鮮半島の狗奴韓国
(加羅・現在の金海付近)が北限とある。金海の大成洞遺跡からは、弥生時代後期には、
北部九州に特徴的な遺物が、古墳時代には大和を中心とした遺物が出土している。

弁辰(ほぼ任那の領域に相当)条には、涜廬国が倭と接しているとの記載がある。
言語や習俗は、辰韓(ほぼ新羅の領域に相当)に似ているとある。辰韓の言語は、
馬韓(ほぼ百済の領域に相当)とは同じではないとしている。
鉄を産するので、韓・ワイ・倭がみなこれを取ると書いているように、
軍事・土木・農業などに重要な資源があることが注目される。

これらからすると、魏の時代は、金海付近が倭人の橋頭堡であったと考えられる。
西日本は大和を盟主とする連合体となっていたが、その後、強敵の前方後方墳体制の狗奴国を
屈服させて、前方後円墳体制に組み込んだ後に、朝鮮半島の勢力圏を拡大したのでしょう。

44 :世界@名無史さん:2000/11/12(日) 03:24
古墳時代の初めの倭国は、卑弥呼の墓説が有力な箸墓古墳は、
畿内(邪馬台国)発祥の前方後円墳に、吉備(投馬国)発祥の埴輪の原型を並べ、
両者の連合が形成されたと推定されています。そして、東海(狗奴国)発祥の
前方後方墳体制が、関東や東北南部まで広がっていたのを、前方後円墳体制に組み込み、
日本列島の主要部を統一した後、朝鮮半島への大々的な軍事行動に移っているようです。

古墳時代中期(4世紀末〜5世紀)には、吉備にも畿内に負けない巨大古墳が作られていたのが、
後期には小さな群集墓程度しか作られなくなり、一気に勢力を失っています。
日本書紀には、雄略紀の前後で吉備の絡んだ事件が多く記載され、吉備の敗北に終わったと述べ、
前方後円墳の消長と調和しています。
それまで連合体を形成していた畿内と吉備が決裂した頃から、
朝鮮半島での倭国の勢力の衰えが顕著になり、宋が倭国に諸軍事を認めていた
加羅が次代の南斉に、新羅が梁に朝貢しており、抑えが効かなくなっています。

このように、巨大古墳の時代には、朝鮮半島南部にまで勢力を伸ばしたが、
内部分裂したりと混乱して、領有できなくなったのでしょう。
45 :世界@名無史さん:2000/11/12(日) 03:25
近年まで、ペテンな考古学者と歴史学者がグルになって、古墳時代の始まりを
根拠なく遅らせるという捏造が行われていたので、邪馬台国や任那についての理解が
遅れていたが、土器の相対編年の進歩などにより、前方後方墳が特定の時期や場所に
集中することや、年輪年代により纏向石塚古墳が200年頃と明らかになったりして、
古代日本像がハッキリしてきた。

魏志に見えるように、朝鮮半島は中国の植民地の帯方郡が政治・経済・文化の中心で、
百済や新羅は未だ頭角を現していなかったが、日本では畿内の邪馬台国が吉備の投馬国
と同盟して、西日本諸国を畏れさせ支配しており、国家体制は遙かに進んでいた。
朝鮮半島でも狗耶韓国を橋頭堡として確保し、東日本の前方後方墳体制の狗奴国と
対峙していたと解釈される。

その後、前方後方墳体制を屈服させ、日本を統一して、朝鮮半島に勢力圏を広げて、
任那の鉄や、新羅の金など、付加価値の高い資源を確保し、朝鮮半島南部でも、
権力の象徴として、次々と前方後円墳を作ったというのが、概略でしょう。

戦後は、朝鮮の電波発言に迎合する、ダメ考古学者や歴史学者が多くいて、歴史を捏造
しようとするから、各国の文献・考古資料が共通して示す、倭国の朝鮮半島南部の
支配を認めようとしないのが癌。こいつらの歴史捏造体質は、糾弾すべき。
46 :世界@名無史さん:2000/11/12(日) 03:26
強大なヤマトの属国である新羅の王冠には、糸魚川周辺で作られたヒスイ勾玉が
大量に吊されていた。朝鮮には、ヒスイ資源がないので、ごまかしようがない。

縄文時代からの日本の祭祀物であるヒスイ勾玉を、新羅の王冠に使っていた時点でアウト
ヒスイ勾玉が出土するのは、朝鮮半島では百済・新羅・任那の旧領にほぼ限定され、
倭国と対峙していた高句麗の旧領では殆ど出土しない点でも明らか

好太王碑文に、倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとあるし、
宋書倭国伝に、倭国に新羅・任那などの諸軍事を認めされている
日本書紀には、三韓征伐の後、任那支配や百済・新羅を勢力下においたこと
三国史記ですら、百済が皇太子を、新羅が王子を倭国の人質に出したと書いている

朝鮮半島南部の、倭国の権力を示す前方後円墳や、新羅の王冠のヒスイ製勾玉など、
これら文献資料とマッチするもので、電波な朝鮮人とそれと癒着する反日サヨクが
何を言おうとムリ。
47 :地球市民@:2000/11/12(日) 04:17
>>35-46
詳しくありがとう、只、ここでは政治的な話しはよそう。右左書くと嫌がる住民がいるから
48 :世界史板に出張ですか:2000/11/12(日) 06:27
大変ですなあ。
コピペならそう書いとけよ。とりあえず。
49 :世界@名無史さん:2000/11/12(日) 06:57
>>39
そんな事日本人の大半も知らんよ(笑)
ハングル板でこういったレベルの話も出来るようになると良いなぁ。
50 :世界史板に出張ですか:2000/11/12(日) 07:33
ヒスイっていわゆる玉のことだっけか?
だったら西域経由の可能性は?化学組成が糸魚川のものとほぼ同一
ということか?
51 :世界@名無史さん:2000/11/12(日) 07:47
翡翠は玉の一種です。
52 :世界@名無史さん:2000/11/12(日) 10:34
>化学組成が糸魚川のものとほぼ同一
>ということか

そゆこと
53 :世界@名無史さん:2000/11/12(日) 11:32
>ヒスイっていわゆる玉のことだっけか?
>だったら西域経由の可能性は?化学組成が糸魚川のものとほぼ同一
>ということか?
ヒスイといっても2種類あって、硬玉と軟玉がある。前者はひすい輝石、
後者は角閃石で、組成からして別物。
西域で産出するのは軟玉、糸魚川で産出するのは硬玉。ヒスイといっても
まったく別のもの。ちなみに硬玉はアジア圏では日本とビルマの山奥くらい
にしか産出しない。非常に高価なのは硬玉のほうね。
54 :地球市民@:2000/11/12(日) 16:16
>>39
いや、既にでてました。
只、認めてくれないのですよ、これが。。。。。
55 :日本@名無史さん:2000/11/12(日) 17:45
ヒスイの産地は極めて稀で、ビルマ産は元の時代頃から広く知られるようになったもので、
古代からの産地は、東アジアでは糸魚川周辺しか見つかっていません。
一時は、韓国の胡散臭い化学分析で、日本産とは違うとうそぶいたが、それはデタラメの捏造で、
ちゃんとした化学分析により、朝鮮半島のものも、糸魚川産であることが判明しています。
56 :世界@名無史さん:2000/11/12(日) 18:44
やっぱり朝鮮人は昔から隷従民族だったんですね
57 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/12(日) 18:59
>>35 >>43
>>教科書には512年に大伴金村が任那4県割譲したとか具体的にかいて
>>あったりするけど、古代、任那が日本領だったてゆうのは本当なんでしょうか?

>魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
>考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。

“狗邪韓国は倭の北岸=倭国の領域は朝鮮半島まで広がっていた”
と解釈される方もいるようだが、さすがにそれは無理だろう。
に関しては下記コンテンツを参照のこと。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2091/wajin.html

>「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を広げたことで一致。

いちいちくどいようだが、こいつを読んだ上での反論なのか?
http://home.catv.ne.jp/dd/makky/history/drei/yamatai.htm
http://home.catv.ne.jp/dd/makky/history/drei/mimana.htm

>宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。
>これらの文献資料は、全て調和的。

おたくのいう「新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事」の
秦韓・慕韓ってどこの国で、どこに位置するんだ?教えてくれ。
どこだかわかりもしない国の使持節都督なんぞしないだろうから。
58 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/12(日) 19:01
>>36 >>42
>王建群・吉林省文物考古研究所長(1984)『好太王碑研究』(吉林人民出版社)で、
>訳本として、翻訳:林国本・繆光禎『好太王碑の研究』(雄渾社)がある。
>検証の詳細はこの本にまかせるが、改竄説のでっち上げを厳しく批判している。

そのわりに平成10年12月に発行された、東京大学総合研究
博物館ニュースで早乙女雅博氏がHPで、碑の文字を確定するに
は、碑に石灰を塗る以前の拓本を探しだし、それを基本にすべ
きであるとしているのはなぜだ?日本人学者が平成10年も暮
れに近づいた頃にこのようなHPをたてているということは、
1984年および1988年に出版された王建群の訳本では碑
文調査が不十分であるということを意味しているのではないの
か?
『広開土王碑の拓本』 早乙女雅博
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/museum/ouroboros/03_03/koukai.html

同様に白崎昭一郎も吉川弘文館から『広開土王碑文の研究』を
1993年に出版しており、その書籍の中で、王氏の碑文研究
について、「王建群氏が永年にわたり広開土王碑を現地で精査
して得られた業績は十分尊重されなければならない。しかし向
後、各国研究者の協力、光学的器械の活用による碑面の総合的
研究が望ましいとはいえるであろう」といっている。これをど
う説明する。中国の著名な学者が正しい結論を下したのに、こ
の文句はないだろう?
59 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/12(日) 19:05
>>43
>弁辰(ほぼ任那の領域に相当)条には、涜廬国が倭と接しているとの記載がある。
>言語や習俗は、辰韓(ほぼ新羅の領域に相当)に似ているとある。辰韓の言語は、
>馬韓(ほぼ百済の領域に相当)とは同じではないとしている。
>鉄を産するので、韓・ワイ・倭がみなこれを取ると書いているように、
>軍事・土木・農業などに重要な資源があることが注目される。

では、製鉄文化は遺跡・文献などからも間違いなく朝鮮の方が
進んでいたにもかかわらず、なにゆえ、倭の支配下におかれな
ければならなかったのか?鉄はとうじ武器と農具などに使われ
たはずだから、その気になれば、反乱を起こすことも可能なは
ずだ。じじつ、魏が246年に帯方郡が管轄していた韓のうち、
辰韓の八国を楽浪郡に転属させようとしたが、通訳の誤解など
もあって、大きな反乱となり、韓の数十国が決起するにいたり、
魏は帯方太守が戦死する痛手をおっている。

また、大和政権は東方の開拓事業などに大量の鉄器が必要だっ
たんだろうが、それをいちいち朝鮮からもちかえったことにな
る。しかし帆船もない時代に、どのように大量の鉄器を運んだ
のか?それよりも6世紀以降のように、製鉄技術者を連れて帰
り、豊富な自国の砂鉄を使って製鉄をすればよかったのではな
いのか?
60 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/12(日) 19:10
>>45への反論�@
>魏志に見えるように、朝鮮半島は中国の植民地の帯方郡が政治・経済・文化の中心で、
>百済や新羅は未だ頭角を現していなかったが、日本では畿内の邪馬台国が吉備の投馬国
>と同盟して、西日本諸国を畏れさせ支配しており、国家体制は遙かに進んでいた。
>朝鮮半島でも狗耶韓国を橋頭堡として確保し、東日本の前方後方墳体制の狗奴国と
>対峙していたと解釈される。

魏志とは『三国志魏書(烏丸鮮卑)東夷伝倭人の条』のことをいっ
ているのだと思うが、倭人の生活をみても以下のとおりで、

当時の倭人の男は、顔と身体に刺青をしていました。刺青の模
様はいろいろで、地方や身分によって異なっていました。また、
刺青のほかに、中国人が粉を使うように、全身を赤くぬってい
たようです。男は、髪をみずらに結い木綿を頭にかぶり、横に
広い布を縫わずに縛って着ていました。婦人は束髪にしていて
単被のようなもののまんなかに穴を開け、頭を通して着ていま
した。裸足で生活していたとあります。

詳細は『魏志倭人伝の語る日本』を参照
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2091/nihon.html
61 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/12(日) 19:15
>>45への反論�A
行政についても、

各国には官と副が置かれていました。おそらくは、この両者が
その土地の全権を掌握していたと思われます。しかし、その実
相はよくわかりません。その地区の首長であるととることも可
能ですし、中央政府から派遣された役人ととることも出来ます。
ただ、王でないことは確かでしょう。倭人伝には、倭国王のほ
かに、伊都国王と狗奴国王が出てきますが、これらの王と官と
の間の関係は不明です。この二国以外に王は出てきません。
(卑弥呼や台与は『倭国』の王であり、邪馬台国の王ではあり
ません。)他の国に王はいなかったのでしょう。

詳細は『魏志倭人伝の語る日本』を参照
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2091/nihon.html

とあって、『魏志』を見るかぎり当時の倭が「国家体制は遙
かに進んでいた」とする記述はみうけられないが?
62 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/12(日) 19:21
>>45への反論�B
むしろ、東夷伝をみると朝鮮半島の国の方が、比較的まとまっ
た部族連盟制をひいている気がするのだが、これは気のせいな
のか?

詳細は『三国志魏書 東夷伝』
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2091/gisi-toi.html

>日本では畿内の邪馬台国が吉備の投馬国
>と同盟して、西日本諸国を畏れさせ支配しており、国家体制
>は遙かに進んでいた。

上の根拠はどこから来た?どう説明をつける。
63 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/12(日) 19:33
【古朝鮮の研究】�@
>>34
>箕も姓ではないと考えているが殷王朝の子
が本来の姓ではないだろうか?

箕子は殷末「三仁」の一人と伝えられてはいるが、さあどうだ
ろうか。ただ、いえることは、末期の準王の姓がもと箕氏だと
いう確証はないということだな。『魏略』では準の父王を「朝
鮮侯否」、準王をたんに「準」としている。『魏志』(韓条)
でも準を「侯准(準)」、『後漢書』(ワイ条)にも「朝鮮侯準」
といっているだけで、箕否とか箕準とかという文句はまったく
みあたらない。だれか『竹書紀年』の注釈に詳しいものはいな
いのだろうか?
64 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/12(日) 19:36
【古朝鮮の研究】�A
>>34
>衛というのはやっぱり純中国風の姓で朝鮮には
>あまり見ない姓なのでは?

ではここで、衛満=朝鮮人説をもう少し詳しくみてみよう。
かれは『史記』・『漢書』と『魏略』などの書に燕人とあった
ので、文字どおりの純粋な漢人系統の燕人だと思われてきた。
しかし、現在以下のような問題点が存在する。

まず、燕領である遼東地方の住民の構成要素を考えると、そこ
は漢人系統だけでなく、土着朝鮮人系統の人々も含まれていた
可能性がある。
65 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/12(日) 19:37
【古朝鮮の研究】�B
つぎに、満が朝鮮に入国する時分に「椎結蛮夷服」をしてきた
ということが『史記』と『漢書』朝鮮伝に書かれている。東ア
ジアにおける椎結民族は古来朝鮮と苗族(南越)だけであると
(白鳥庫吉「亜細亜北方族の辮髪に就いて」『史学雑誌』第37
篇第1号・第3号少々古い研究だが・・・)いわれていること
からすると、「椎結蛮夷服」はたしかに朝鮮式の結髪と衣服を
指していったんだろう。(『魏略』の胡服云云でもいわれてい
る。)

そうすると、衛満一党がそのような結髪と服装をしてやってき
たのはなぜだったのだろう。かれらは純粋な漢人でありながら
朝鮮人の歓迎をうけるために、わざわざ朝鮮の習俗で仮装して
きたのだろうか。そういう解釈もあるのだろうが、かれらはも
ともと朝鮮人系統の子孫であって、たまたま燕王の亡命と漢軍
の征討による燕領内の動揺を機会に、かれら本然の姿にかざり、
集団的に母国にはいってきたと解釈する方が合理的ではなかろ
うか。
66 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/12(日) 19:39
【古朝鮮の研究】�C
満の後日の行動からおして、かれが謀略的で、計画的であるの
はまちがいないが、はじめ準王がかれを信任して国境防衛の重
責を与えたのも、かれが純粋な外族(漢人)系統の人物でなかっ
たからだともいえそうである。

その後、満が準を追い出して王となり、国号をまえのとおりに
「朝鮮」としたのをみても、なおさらうなずかせるところがあ
る。もしもかれが純粋な漢人であったならば、国号を必ず中国
式に単綴音の字を使ったのではないだろうか。中国式の国号は
古来、夏・殷・周をはじめその後も、二綴音以上のものはない
はずである。(近現代の民国・中共はともかく)これに反して
朝鮮の方は古来たいてい二綴音もしくは三綴音の国号を使用し
てきた。朝鮮・夫餘をはじめ、高句麗・百済・新羅・渤海・高
麗・大韓などである。衛満たちが純粋な漢人系統の燕人ならば
漢人の自尊心から、まして前代の国号をそのまま受け継ぐこと
もないのではないか。
67 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/12(日) 19:40
【古朝鮮の研究】�D
かれを純粋な漢人とみなすことのできないもうひとつの理由が
ある。それは満の孫右渠王のときの重臣職に、朝鮮相とか、尼
谿相とかいう職名がみえるからである。相とは、もちろん中国
制度の卿相(重臣)職を模倣したのであり、尼谿とは朝鮮のど
こかの地名である。『史記』(巻20)侯者年表には、「朝鮮
尼谿相」とあるから、尼谿はたしかに朝鮮の一地方名にすぎな
いのがわかる。そうすると、当時朝鮮の官制は中央の長官職(
朝鮮相)と地方の長官職(尼谿相)との間に名称の差はなかっ
たようである。『漢書』朝鮮伝応劭注で、「朝鮮が中国の制度
を模倣しながら、その性格をよく知らないで、中央・地方の長
官を区別せず、みな相といっている」とあざけっている。これ
はけっきょく部族連盟制(原始封建制)の残滓遺風とみるより
ほかはあるまい。

衛満朝鮮がもしも純粋な燕人(漢人)の建てた国であるばらば、
そのような官制編成をとらなかったのではあるまいか。応劭が
衛氏朝鮮を戎狄視したところをみても、この国の性格がどのよ
うなものであったかを知ることができるというものである。

以上のいろいろな点からみて、衛満はもと遼東地方に土着した
朝鮮人系の燕人で、そこでどのような勢力をにぎっていたのか
はわからないが、とにかく多数の流亡民を糾合するくらいの勢
力をもっていたのかもしれない。そしてかれは徹頭徹尾、策略
的な手段をもって、ついにクーデターをおこし、準王を急襲、
敗走させ、代わって朝鮮王となり、王険城(平壌)に都を定め
た。これがいわゆる衛満朝鮮あるいは衛氏朝鮮であるというも
のである。
68 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/12(日) 19:42
【古朝鮮の研究】�E
>>34
>句麗王チュが紀元前に死んでいたとして三国史記では
>二代目孺留が王莽の頃に王位についていたはずだけど
>新の侵入記述とかはどうなってるんだっけ?

>>32 >>33で紹介した『漢書』王莽伝始建国4年条とおなじよ
うな記述が『三国史記』高句麗本紀(琉璃明王31年条)とし
てのっている。
69 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/12(日) 19:44
【高句麗の研究】�@
>>34
>高句麗は6代目の太祖大王の時代が異様に長いがこの
>辺が怪しいと思う。

たしかに太祖大王の在位は紀元53年〜146年だから93年
か。ちょっと長いが孝安天皇の102年とか垂仁天皇の99年
もあることだし、許してもらいたいね。

高句麗が中央集権の古典国家を建設し、四方を征服して威勢を
振るうようになったのが、第6代目の太祖王のときといわれて
いる。というのもこの王の廟号が「太祖大王」、あるいは「国
祖王」といわれるばかりでなく、実際にこの王にいたって、征
服国家としての面目をじゅうぶんにあらわしたからだ。蘇子河
上流の第二玄莵郡を攻略してそれを第三玄莵郡治(いまの撫順)
に退却させたのも、この太祖王のときだった。
70 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/12(日) 19:45
【高句麗の研究】�A
「高句驪」という漢字名は、玄莵郡設置当初から、前後漢代を
通じて使用されてきたが、高句麗側では、驪の代わりに麗の字
をもってした。漢人は周囲異民族の族名とか、国家に動物の字
をつけてやるのが常套手段である。しかし、高句麗の存在がぼ
つぼつ大きくなるにつれて、中国人もうまへんをぬきとって麗
の字にした。それで中国の三国時代からは、たいがい高句麗と
書くようになっている。
71 :名無しさん@1周年:2000/11/12(日) 22:15
がんばれー
72 :名無しさん@1周年:2000/11/12(日) 22:50
何か日本史板から出張してきた長文君がいて大変だ・・・

王チュが殺された件は孺留を朱蒙と勘違いしていたか、
孺留自身がチュと呼ばれていたのかも知れない。
身代わりでごまかされてしまうとは王莽もちょっと情けないけど・・・

それはそうと、太祖大王はかなり謎だ。
父の名前が手元の資料にないのだが、誰だったろうか?
146年に100才超で死んでいるはずだが、弟が二人いて
末弟は179年まで生きている。
これはちょっと考えにくい。
中国側の史料は確か末弟の伯固は太祖大王の子になってる
はずだ。
こちらが正しいとすると前述のチュの話も疑いたくなる。
決定的なのは三国史記では山上王が子の位宮のことにされていて
中国の年代と丸々一代王がずれてしまっている。
このような不備がどうして起こったのか分らない。
学者も中国側の史料を正しいとしているはずだが、この辺はどうだろうか?

73 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/12(日) 23:23
>>39
>朝鮮半島には、ヒスイの原産地がなく、古代においては東ア
>ジア全体でも、日本の糸魚川周辺にしかヒスイ工房は見つか
>らず、化学組成も調和的で、ぐうの音も出ず。
>>46
>縄文時代からの日本の祭祀物であるヒスイ勾玉を、新羅の王
>冠に使っていた時点でアウト。
>ヒスイ勾玉が出土するのは、朝鮮半島では百済・新羅・任那の
>旧領にほぼ限定され、倭国と対峙していた高句麗の旧領では殆
>ど出土しない点でも明らか。

まっ、たしかに「今では忘れられてしまったヒスイの産地が朝
鮮半島のどこかにあったものと推定されている」と崔恩珠が
「韓国曲玉の研究」1986年 でいっていたのは確かだから、
それは否定しないがな。だけどそれがどうして大和朝廷による
朝鮮南部の実行支配の確証になるんだ?それに新羅の金冠にヒ
スイ勾玉をぶらさげると、なにがアウトなんだ?倭では縄文時
代から金冠に曲玉をぶらさげていたのか?それならばわかるが、
日本の古墳から出土する冠は、福井県二本松古墳のように、5
世紀後半からじゃないのか?

それにだいたい、立て飾りがある外冠じたいが、シベリアの
シャーマニズムの聖樹、鹿角の崇拝と同じ背景から出たもので、
南ロシアのサルマート族の古墳からは冠に立てた銀製の樹木形
装飾や、写実的な樹木形や角をもつ鹿形の装飾を付けた金冠が
出土している。新羅の外冠はこれらと同じ系譜上にあるといわ
れているんだぜ。倭は南方系が基層なんじゃないの?伝播の方
向が逆なんじゃないのか?それにヒスイは金海地方の鉄ていを
ほしがりに来た、倭人から交換の代償にめしあげたものなんじゃ
ないの?だから百済・新羅・任那といった倭と交易があったと
ころからヒスイがみつかるんだろ。それを新羅人が冠にぶら下
げただけ。

ヒスイ勾玉の前に北方アジア系起源の冠を持ち出した時点で試
合終了だったな。
74 :世界@名無史さん:2000/11/12(日) 23:25
頑張れよ>チヨヨン大先生
75 :世界@名無史さん:2000/11/13(月) 04:15
チヨヨン大先生=在日だろうけど、結局自分の都合の良い情報だけ集めて
都合良く思いこもうとする癖は変らんのね。いくら博識でも心根が
腐ってればバカと同じです。
76 :世界@名無史さん:2000/11/13(月) 07:25
日本の古代の王統がかなり歪曲されているのと同様に
朝鮮の古代の王統も怪しい。
高句麗王太祖は崇神天皇のようなものだろう。
77 :日本@名無史さん:2000/11/13(月) 19:14
新羅は、西シベリアの金文化と共通するものがあり、そう言う連中が南下してきたと
考えられている。そして、倭国の支配を受けて、縄文時代以来の日本の伝統祭祀である
勾玉を受け入れるようになり、重層した王冠となったとすれば、容易に解釈できる。
何はともあれ、古代の新羅は倭国の属国だったことは明らか。
朝鮮人の歴史捏造は終了。
78 :日本@名無史さん:2000/11/13(月) 19:16
結論:各国の古代の正史・金石文・遺跡・出土品から明らかなように、
古代の新羅は倭国の属国だった。
79 :名無しさん@1周年:2000/11/13(月) 19:28
>>78
それをいうなら神武が紀元前660年に即位ってのが捏造だろ。
戦争に負けなきゃ今でもまかり通ってたっぽいし。
どうしてもっていうならハングル版でやりな。
80 :日本@名無史さん:2000/11/13(月) 19:45
>79
アホか、明治時代には既に神武紀元は西暦紀元前後だと、考えられていた。
歴史学者は、古代の天皇の在位が長すぎることから、
考古学者は、弥生時代や古墳時代の墓から出土する漢鏡から、そう理解していた。
ちゃんと、昔の学者の本を読め。戦時中に国威発揚でおかしくなっただけ。
81 :日本@名無史さん:2000/11/13(月) 19:45
北鮮は、現代において5000年前の檀君陵をでっち上げしているのが痛い
82 :世界@名無史さん:2000/11/13(月) 20:38
>80

というか、学者の学説・エリートの知識と民間への教育目的の歴史知識とが
必ずしも一致していなかった。天皇がカミサマだと思ってた高級官僚はあんまりいなかったでしょう。
83 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/13(月) 20:54
>>77
>西シベリアの金文化と共通するものがあり、そう言う連中が
>南下してきたと考えられている。

西から南下してきたの?それじゃあ北東アジアに到達しないぜ。
正確には「新羅の冠は西アジアではじまり東方にひろがっていっ
た」だろ?

>倭国の支配を受けて、縄文時代以来の日本の伝統祭祀である
>勾玉を受け入れるようになり、重層した王冠となったとすれ
>ば、容易に解釈できる。

では、新羅では4世紀末〜5世後半の古墳から出土する冠や冠
帽が、日本では、福岡県銀冠塚出土の銀冠や熊本県舟山古墳か
ら出土した冠のように5世紀後半〜6世紀後半の古墳から出土
するのはなぜかな?倭の支配を受けて日本の伝統祭祀を受け入
れてできたはずの新羅文化が、後世になって本家に伝わったと
でもいうのかい?ずいぶんまぬけなはなしだねぇ。

【参考史料】
金冠塚古墳(市史跡)
山王町一丁目13-3
天川二子山古墳や天神山古墳ほどは大きくありませんが、この
古墳も二段築造の前方後円墳です。石室から出土した金銅製冠
は新羅(韓国慶州)の古墳から出土した冠に類似しており、6世紀
の後半(築造は6世紀の後半と思われる)には、すでにこの地に
大陸文化が深く侵透していたことがうかがえます。全長約52m、
後円部径約32mです。
【詳細はこちら】↓
http://www.city.maebashi.gunma.jp/time/t2020700.htm

奈良県斑鳩町藤ノ木古墳
奈良県斑鳩町法隆寺の藤ノ木古墳(六世紀後半、円墳)で二日、
わが国発掘調査史上初めてファイバースコープ(内視鏡)を使っ
て石棺の内部調査が行われた。中には深さ五センチほど水がた
まっていたが、遺骨のほか、大刀、冠帽や玉類、布製品とみら
れるおびただしい副葬品が納められていることがわかり、同古
墳発掘調査委員会と同県立橿原考古学研究所は、期待通り貴重
な未盗掘墳であることを確認した。
【詳細はこちら】↓
http://www.yomiuri.co.jp/yomidas/konojune/88/88n81.htm
84 :世界@名無史さん:2000/11/13(月) 21:05
75の低レベル名煽り文書の書き込みから推測して書いた奴は末広辺りだろう。
半角カタカナに異常なまでに固執してるところで正体=末広ってのが分かると思ふ。
85 :日本@名無史さん:2000/11/13(月) 21:47
中国への朝貢を見ると、高句麗と百済は、常に南北朝のいずれにも行ってきた。
一方、新羅は4世紀後半に前秦に朝貢した後、海を渡ってきた倭国の臣民となり、
朝貢がパタッと途絶え、6世紀の梁になって、ようやく朝貢を再開した。
日本書紀によると、雄略天皇の後で内乱状態になったように記述され、任那を割譲し、
朝鮮半島での勢力を損なって、このような状況になったと考えれば、理解しやすい。

ちなみに、日本書紀の記述から、内乱で吉備勢力が没落したことが窺えるが、
考古的にも支持されている。卑弥呼の墓説が有力な箸墓古墳以降は、畿内でも吉備発祥の
特殊器台→埴輪が並べられるようになり、畿内(邪馬台国)と吉備(投馬国)の連合を
反映すると考えられている。吉備では、古墳時代中期(5世紀頃)には、全国4位の
造山古墳、全国9位の作山古墳と、畿内の古墳に並ぶ巨大な古墳を作り、勢力の強大さが
窺えたが、古墳時代後期(6世紀頃)には小さな群集墳程度と、寂れまくっている。
86 :日本@名無史さん:2000/11/13(月) 21:51
金冠は、朝鮮半島土着の風俗じゃないだろ。
日本古来からのヒスイ製勾玉と同列で扱えるものではない。
新羅が、倭国の属国だったことは、文献・遺跡・出土品から見て明らか。
87 :日本@名無史さん:2000/11/13(月) 21:53
電波な朝鮮人は、古代の文献にも全く載っていないのに、日本へ攻め入ったと
主張するのか、その病理は深刻だな。逝ってよし。
新羅は、倭国の属国だったことを、正しく理解して、ぐっすり眠りなさい。
88 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/13(月) 22:38
>>86
>日本古来からのヒスイ製勾玉と同列で扱えるものではない。

ああそう。こういうのもあるぜ。ちゃんと添付したHPも読めよ。
【ヒスイ勾玉の誕生】河村 好光
このように、縄文の玉と弥生の玉は大きく異なります。弥生の
玉の様式と技法は、朝鮮半島から稲作農耕やそれにともなう生
活習慣、衣服や習俗とともにもたらされたものです。日本の縄
文晩期にあたる韓国の松菊里(ソンツククリ)遺跡では、碧玉製
管玉と天河石とよばれる緑の石でつくった勾玉状の玉の組み合
わせが出土しています。碧玉は縄文玉にはなかった石です。朝
鮮半島の服飾文化が日本に伝わって弥生玉が成立したことは間
違いありません。
http://sun1.pref.toyama.jp/branches/3041/kawamurakouen.htm

>>87
おたくはぐっすり眠る前におれが以前から問いかけている内容
の回答をしろよ。できれば客観的史料をそえてな。さっきから
みてりゃあ自分の都合のいいことばかり並べているだけじゃねー
かよ。
89 :名無しさん@1周年:2000/11/13(月) 23:24
広開土王に駆逐されてるんだから、古代の倭も
そんなにいばれないだろ・・・
朝鮮を敵視するなよ。
まじでみっともない。
90 :世界@名無史さん:2000/11/13(月) 23:29
碧玉というよりもカルセドニー(ジャスパー)だと思う。
カルセドニーは成分的には石英で、�告Fでヒスイと間違われやすい。
この点は天河石(微斜長石)も緑色でやはりヒスイとよく間違われる。
いずれもヒスイに較べて左程珍しくないけど、カルセドニーの玉って
縄文時代に存在しないのかね。たまたま見つかっていないだけのような
気がする。
91 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/13(月) 23:34
>>85
>中国への朝貢を見ると、高句麗と百済は、常に南北朝のいずれ
>にも行ってきた。

百済が常に南北朝のいずれにも朝貢しただと?おまえ朝鮮通史
ほんとに知ってんの?百済は南朝のみへしきりに使節を送って
いたんだぜ。そんなこと百済史の基本的事項だ。こうした百済
の対中国外交の伝統にあって、ただ一度だけ、北朝への外交が
試みられた。蓋鹵王は高句麗の侵攻の前に、472年北魏に使
者を遣わして高句麗の無道ぶりを非難し、その征討を訴えたが
実らなかった。はたしてその3年後の475年に高句麗・長寿王
の攻撃を受けて、王都漢山城が陥落し、蓋鹵王は殺され、百済
は一時滅亡している。

こんな朝鮮史のいろはも知らねーやつに「電波な朝鮮人は、古
代の文献にも全く載っていないのに、日本へ攻め入ったと主張
するのか、その病理は深刻だな。逝ってよし」などといわれた
くねーし、「新羅は、倭国の属国だった」などとはもっといわ
れたくないね。「正しく理解して、ぐっすり眠りなさい」など
と人にえらそーなことほざく前に山川の『朝鮮史』¥3@`500-
でも読んでこいよ。やさしくて読みやすいぜ。もうゲームセットだ!
92 :世界@名無史さん:2000/11/13(月) 23:41
朝鮮の歴史って古代から悲惨なものがあるね。
93 :名無しさん@1周年:2000/11/13(月) 23:57
2000年の間に930回だっけ?外国に侵略されたんだよね。
およそ2年に1回征服されている。
万年パシリ国。
94 :名無しさん@1周年:2000/11/14(火) 00:03
大先生が壊れ始めてるぞ・・・
何で朝鮮っていうだけでこんだけ叩かれるんだ
ベトナム史ならこんなに荒れることもないだろうに
95 :世界@名無史さん:2000/11/14(火) 00:07
>もうゲームセットだ!
あれあれ、もうゲームセット?
まだ始ったばかりじゃないのさ。
96 :世界@名無史さん:2000/11/14(火) 00:22
捏造捏造いうオウム右翼=檀君実在を譲らない韓国歴史家

何を言ってもムダという点で同レベル
97 :日本@名無史さん:2000/11/14(火) 00:26
宋書倭国伝では、宋は倭国に新羅・任那などの諸軍事を認めた。
日本の律令の注釈書によると、大唐は隣国、新羅と渤海は蕃国(属国のこと)と扱った。
江戸幕府も、自らの力の誇示のために、将軍の代替わりごとに、
朝鮮と琉球の使節を来させた。
要するに、日本にとっては、朝鮮は属国扱いが伝統的なもの。
98 :日本@名無史さん:2000/11/14(火) 00:27
朝鮮の2000年は属国の歴史で、日本とは全く違う。
日本は、聖徳太子が「日出づる国の天子」と主張して以来、
足利義満など少数例を除いては、中国の冊封を受けず、属国にならなかった。
対等の外交が出来た、五代十国の呉越国とだけ、朝廷は正式な外交を行っている。
99 :日本@名無史さん:2000/11/14(火) 00:35
>>98
日本が朝鮮半島にあったら当然中国の属国にされてたよ。
地理的有利を理由に偉ぶってもしかたない。
というか、君が日本の恥部じゃないの?
日本史板でも叩かれてたし・・・
100 :日本@名無史さん:2000/11/14(火) 00:54
>日本が朝鮮半島にあったら当然中国の属国にされてたよ。
鮮卑は北魏・隋・唐、モンゴルは元、満州は金・清と、逆に中国を支配しているぞ。

>日本史板でも叩かれてたし・・・
日本史板にも、鮮人が暗躍しているからな
101 :世界@名無史さん:2000/11/14(火) 01:03
03−1635−5782
102 :日本@名無史さん:2000/11/14(火) 01:06
ちなみに、琉球国は、住民は日本語の方言を話すので、ひらかなが都合が良く、
国字に採用し、公文書に用いた。室町幕府との公式文書も、ひらかなで行っている。
琉球国から明への最初の使節は、ひらかなで書かれた文書を出したらしく、
おたまじゃくしの様な文字で読めなかったと、中国の文献に載っている。
琉球国でひらかなを国字に採用したときも、 まだ朝鮮には国字は存在しなかった。

ウイグル・突厥(トルコ)・チベット・日本・満州(女直)・モンゴルなど、
周辺民族の多くでは国字を持っていたのに、朝鮮にはサッパリ芽生えず、
国字を作らせた国王が憐れんだように、庶民は愚民ばかりだったので
民意が低すぎるから発展しなかったのだろう

103 :世界@名無史さん:2000/11/14(火) 01:12
それおもしろい>琉球国の仮名文字採用

詳しい話はどこで(何で)読めますか? ぜひ教えてください
104 :日本@名無史さん:2000/11/14(火) 01:39
>103
沖縄の歴史を書いた本には、良く載っています。
なお、沖縄の言葉についての本が、最近中公新書に入りましたので、こちらもどうぞ。
105 :103:2000/11/14(火) 01:42
ありがとう!!>104
106 :日本@名無史さん:2000/11/14(火) 01:55
>鮮卑は北魏・隋・唐、
モンゴルは元、満州は金・清と、逆に中国を支配しているぞ。

鮮卑やモンゴルは騎馬の蛮族じゃないか・・・
そんなんと一緒にするなよ。
朝鮮は農耕民族の国なのさ。
日本モナ。
詭弁ばっかりで隣国を貶めて日本史板で
総スカンくらってた君には何の説得力もないよ。

107 :世界@名無史さん:2000/11/14(火) 02:04
弥生人って朝鮮人なんですか?そんな国家単位の民族があの半島にそんな時代に
いたわけないでしょ。半島からもたらされたどーのこーの。
三国だって同じ民族じゃないらしいのに。
108 :地球市民@:2000/11/14(火) 02:04
横レスだし、ちょっと荒れてきたからsageで書くよ。(一応毎日ROMってるよ)
>all
まあ、皆、暖かい目で見守ろう、今までの某板の○日さんは、民○教育そのままの議論でしか
話さないしソースも提示しない人が多かったのですから。
このスレッドの目的の一つは、そういった文化の人の歴史観と我々の歴史観を比較し
学術的に歩み寄れるところは歩みより、明らかに誤っているところは指摘しましょう。
97氏や102氏のような話しも当然でてしかるべきですね。(実は某板でも散々やってました。)
>>96とか>>100は荒れるからよそう、この板の主旨に合わないよ。

>ちよよん先生 我々は君のキャラ分かっているからいいけど、世界史板の人間にはアレルギー
持っている人いるからもうちょっと上品にね。
(僕は今のところ目新しい話しがないのでROMってます。)
109 :世界@名無史さん:2000/11/14(火) 02:08
朝鮮って喜んで属国してたんだから悲惨な歴史じゃないだろ。
ナンバーワンの忠臣だったんだよ。
110 :世界@名無史さん:2000/11/14(火) 02:13
横綱より大関がかっこいいんだよ。朝鮮は若乃花=お兄ちゃん
なんだ。弟の泥はかぶるし、いっつも縁の下の力持ちで弟を支えている。
地味だけどいっつも弟を見守り、助けてる陰の実力者。

貴乃花は強いけど、人間出来てないよね。お兄ちゃんがいなかったら
潰れてるよ。

いやな事もじっくりこなし、コツコツと1歩1歩進んできた
お兄ちゃん、ありがとう。
111 :日本@名無史さん:2000/11/14(火) 02:17
>朝鮮は農耕民族の国なのさ。
違うだろ。高句麗も百済も扶余から出たもので、ツングース系の遊牧民族あがり
新羅は出自がハッキリしないが、西シベリアの黄金文化の影響が強い
112 :日本@名無史さん:2000/11/14(火) 02:20
>詭弁ばっかりで隣国を貶めて日本史板で
違います。律令の注釈本には、大唐を隣国、新羅と渤海は蕃国(属国のこと)としています。
113 :日本@名無史さん:2000/11/14(火) 02:25
電波な朝鮮が、反日サヨクを取り込んで、散々に歴史捏造を展開してきて、
これを放置していては、益々暴走するだけだから、ちゃんとした根拠に基づき、
厳しく叩く必要があると言うこと。
114 :日本@名無史さん:2000/11/14(火) 03:05
朝鮮半島に定着してからは農耕民だよ。
先祖って冒頓単于の時代から1000年経っても
進歩のない生活してるようなモンゴルと朝鮮を同列に
扱ってるようじゃ詭弁。
何の確証も無いのに人を朝鮮学校と決めつけたり、
人を低能呼ばわりしてスレを荒らす君に、韓国歴史家を
批判する資格はないよ。
それに朝鮮史スレで朝鮮を貶めたら、冷静に身のある議論が
できなくなるにきまってるだろ。
分ったらもうここには来るな。
115 :日本@名無史さん:2000/11/14(火) 04:12
世界征服をしたモンゴルを、「進お歩のない生活してるようなモンゴル」と
蔑む辺りは、長い間直接統治されたことが屈折しているな。
満州人も、朝鮮より文化が劣っていると主張するけど、
現実には、琉球国より国字の導入が遅く、東アジアでは大衆文化の
非常に遅れた民族が朝鮮というのは、良く知れわたっているぞ。
お前ら朝鮮人が、ごまかそうとしても、交流の長い諸民族は騙せない
116 :名無しさん@1周年:2000/11/14(火) 06:52
>「進歩のない生活してるようなモンゴル」

横レス失礼。
これだけどね、生活形態はほとんど変わってないはずだよ。
草原地帯ってあまり生活の形態を変えられない地域だし。(土壌的に難しい。)
清以降、貧しくなって(いろいろ理由はあるけど割愛)、
ソ連の影響下の基で機械化を図ってきたけど、民衆レベルの基本的な生活
の基盤は、いままでは大きな変化はなかった、と思う。
117 :世界@名無史さん:2000/11/14(火) 08:02
teiuka
tyousennjinnno
sonokonnkyononaisabetuisikigamukatuku
118 :世界@名無史さん:2000/11/14(火) 08:53
ミュージシャンの坂本龍一氏がモンゴルを取材で訪れて
土壌などの厳しい自然条件から遊牧民の人々の生活を
察し、「宇宙基地モデル」とか評してましたよ

そいう視点は朝鮮・韓国人の人たちにはないのですか?
「文明文化大国」の筈なのに

疑問に思える知的状況・レベルですね
119 :名無しさん@1周年:2000/11/14(火) 09:34
116>>118

いや、だからさ、そういう意味で言ってるんじゃないんじゃないの?
115は。俺はそう解釈したから弁護したんだけど。
それから、彼を朝鮮人とする根拠は何もないと思うが。
日本人かもしれないよ。
120 :日本@名無史さん:2000/11/15(水) 05:08
朝鮮人は、最初に朝鮮を植民地にした中国人に対しては、事大主義になったが、
その後に征服した、契丹・モンゴル・満州・日本などに対しては、根拠なく
自らが文化的に優れているとうそぶいて、鬱憤を晴らすのが、余りにも見苦しすぎる。

日本は、幕末維新でも、散々いじめられた欧米列強の勉強をして、いかにすれば
御して行けるかを考え、実行に移したし、戦後のアメリカに対しても同様。
中国人も、日清戦争の後で、孫文など多くの有能な学者・政治家が日本で勉強している。

朝鮮のように、負けた相手を根拠なく罵倒することでしか、アイデンティティを保てない
と言う根性ダメ過ぎ。これでは、偶に有能に人物が出ても、潰されるだけで、進歩しない。
121 :名無しさん@1周年:2000/11/15(水) 05:52
114は、素直に読めば祖先が騎馬民族だからといって
農耕生活を行っている民族を同列に扱うのは明らかに変だ、
と言ってるだけではないのか?
そうだとすれば、120の意見はその是非はともかくとして、
少々的外れじゃないか?
122 :名無しさん@1周年:2000/11/15(水) 05:58
訂正版)

114は、素直に読めば祖先が騎馬民族だからといって
農耕生活を行っている民族を、純粋な騎馬民族と文化的に同列に扱うのは明らかに変だ、
と言ってるだけではないのか?
そうだとすれば、120の意見はその是非はともかくとして、 少々的外れじゃないか?
123 :結局は朝鮮スレなど:2000/11/15(水) 13:34
全部同じ日本@名無史さんが付け焼刃の知識で「自分は頭良い」ってことを言いたいだけのスレだね。
つまらんよ。御勝手に。
124 :日本@名無史さん:2000/11/15(水) 16:16
>111
遊牧民族と言うより森林狩猟系民族と農耕民族のミックスではなかったの。
高句麗と百済って。七支刀って森林をあらわしていると聞いたぞ。
あと、新羅は西シベリアもあるかもしれないが、新羅の黄金文化は遠く
スキタイと関係があると書いてあったぞ。
但し、初期の頃の王を麻利汗と言っていたから、騎馬民族的なのかもしれないが。
ところで、東夷のうちどうして三韓だけ韓と言う蔑んだ字を使っていないの。
ほかは狗や倭やわい(変換しない)等、バカにしたような字なのに。
それとも韓にもなんか隠れた馬鹿にした意味でも込められているの?
125 :日本@名無史さん:2000/11/15(水) 17:09
>123
自分が一人でこのスレで頑張っているからと言って、
反対意見も一人と思うのが笑える。
126 :世界@名無史さん:2000/11/15(水) 17:40
>123

本気??
127 :日本@名無史さん:2000/11/15(水) 18:03
遊牧民族と言うより森林狩猟系民族と農耕民族のミックスではなかったの。
高句麗と百済って。七支刀って森林をあらわしていると聞いたぞ。
あと、新羅は西シベリアもあるかもしれないが、新羅の黄金文化は遠く
スキタイと関係があると書いてあったぞ。


>>126

同朋舎からでている「アジアの歴史と文化 北アジア史」には、
似たような意見がかかれてたと思う。
128 :私は在日:2000/11/15(水) 22:27
2000年の間に900回以上侵略されようが、民族が滅びずに今まで生き長らえて
これただけで先祖に感謝します。ユーラシア大陸の小さな半島で地勢学上難しい
立地にいながら、確かに情けないこともありましたが、だからと言って何もして
いない私が祖国をバカにする気にはなりません。
でも過去を歪曲する気にもなりませんからご安心を。
129 :日本@名無史さん:2000/11/15(水) 23:48
つーか、朝鮮民族が成立したのは最近だろ。
エリート達は、中国人のつもりでいて、無知蒙昧な庶民は打ち捨てられていて、
国字すらなかったわけで、国文学も事実上存在しなかった。

古来から和歌が存在し、平安時代には女流作家が傑出している日本とは全く違う。
130 :世界@名無史さん:2000/11/16(木) 06:12
侵略は元冦くらいしか経験が無い日本が
明治維新をして、朝鮮には出来なかった
のは皮肉な話。
131 :世界@名無史さん:2000/11/16(木) 08:40
>129
そうそう朝鮮民族という概念の成立の分析なしに
古代の朝鮮と日本のかかわりといわれてもね・・・
132 :世界@名無史さん:2000/11/16(木) 11:02
>129
それはまた話が違うでしょ。
半島の歴史そのものが小中華たろうとしてたんだから、
それはそれで一つの民族性だと思うよ。
# 高麗以前の半島民族文化がどんなもんだったかはわからんが。
自分はしらねー、自国とは違う、ってんで一方的に見下すのはおかしいんでないか?
# ま、これは半島人にも言えるが。

つか、それ言い出したら「漢民族」ってのもえらい曖昧だよなあ。
133 :日本@名無史さん:2000/11/16(木) 11:32
相変わらず、民族と人種の違いを理解していないやつがいるな。
ユダヤ人は、ユダヤ教と言う宗教・習俗に基づくもので、人種的にはまちまち。
日本人も、様々な人種から成っているけど、早くから単一民族化したと言うこと。
134 :世界@名無史さん:2000/11/16(木) 11:50
そもそも現在の「民族」って言う概念がいつ頃浸透したか、ってのもあるけどね。

「朝鮮民族・韓民族」と声高に主張しだしたのは確かに近年だが、
その意味では脈々とその歴史の中に彼らの民族性を見ることができる。
当然、日本においても同様で、「大和民族」という概念が
いつ明確に認識されたかはおくにしても、古来脈々と意識されてきた。
なお、朝鮮半島と同じように、王侯と庶民に大きな隔たりがあった例として、
ブリテン島があるが、この場合はいかように考えるのだろう。

逆に言えば、中国においては各地で言葉も風俗も様々であり、
「漢民族」という物は現代の「民族」とはかなり意味が違う。
漢という統一国家を前提においた、
ほぼ「イデオロギー」として成立している概念だろう。
135 :日本@名無史さん:2000/11/16(木) 12:41
漢民族って、漢字や儒教など、共通の固有文化が早くから成立し、
秦・漢による強力な国家も、西暦紀元前には成立している。

日本では、縄文時代から日本特産のヒスイ製大珠→勾玉による祭祀が続けられ、
古墳時代には前方後円墳体制による、朝鮮半島にまで勢力を及ぼす
強大な国家も形成された。
聖徳太子の「日出づる国の天子」以降は、中国からの独立路線を続け、
万葉仮名の導入で、和歌など国風文化も確立し、ひらかな・カタカナへの進展で
平安時代には女流文学など、高度な国風文学を形成するに至り、
民族として明確な位置づけを行える状態になっている。

朝鮮は、エリート層は中国人のつもりだったようだし、日本の室町時代まで
国字も存在しなかったし、その文字も蔑して使わなかったし、
無知蒙昧な庶民は打ち捨てられていただけで、近年まで国文学も事実上存在しなかった
民族としての成立は、つい最近と見るとが妥当だろう。
136 :世界@名無史さん:2000/11/16(木) 12:49
>近年まで国文学も事実上存在しなかった
で
>民族としての成立は、つい最近と見るとが妥当だろう。
ってのは変だろ……。
じゃあチマチョゴリも全部つい最近できたってのか?
137 :世界@名無史さん:2000/11/16(木) 12:54
ナショナリズムとエスニシティが上下で一致していた例として、
むしろ日本が希だったと捉えた方が良いんじゃないか?
138 :世界@名無史さん:2000/11/16(木) 13:10
半島蔑視史観も極まれりって感じだな。

日本の国文学は庶民からなったのか?
日本で仮名文字が成立したのは、
あくまで自国語としてそうした方が適していたからだろう。

半島が漢字一辺倒になったのは地理的条件も含め、
そうしていた方が良かったに過ぎない。
民族の定義が文字だけ文学だけで決まるわけでもなく、
半島が独自の文字・文学を持たない文化であった「民族」としても捉えられる。

例えば欧州の諸国はほとんどが他国・他文化の文字をそのまま使用しており、
これを以て彼らは民族ではないと言い切れるのか。

同時に漢民族が「あくまで異民族(敢えて言う)同士の意志疎通の一手段」として、
漢字を使用していたからと言って、全体を一民族として捉えて良いのか、
と言う観点が完全に欠落している。
と言うか、その論法からしたら、漢字・儒教・中華帝国の属国である歴史からして、
半島人は漢民族になってしまうぞ。
139 :>135:2000/11/16(木) 13:13
キリスト教・ローマ文字→欧州にいる民族は大半がフランク民族である。
????
140 :日本@名無史さん:2000/11/16(木) 15:24
半島人は漢民族になれなかった落ちこぼれ
141 :日本@名無史さん:2000/11/16(木) 15:28
近代ヨーロッパにおける民族の細分化は、ユダヤ思想の排他主義が影響したんじゃないか?
ヨーロッパ人は同一意識があるから、同一経済圏とかが進んできたんだろ。
142 :>141:2000/11/16(木) 15:34
>ユダヤ思想の排他主義が影響したんじゃないか?
????小林史観?
143 :日本@名無史さん:2000/11/16(木) 15:55
>日本の国文学は庶民からなったのか?

万葉集は、エリートだけの歌集ではなく、
幅広く庶民も含めた4000首以上の和歌からなっていることは特筆すべきこと。

日本の識字率について、網野善彦『日本論の視座』(小学館ライブラリー)
「第五章 日本の文字社会の特質」に、以下のような記述があります。

国内資料については、網野さんは“平仮名交りの文書は鎌倉期まででも、
われわれの想像を大きく上回る量に達することは間違いないところであり、
文字の普及もさきにふれた通り、十三世紀後半には、侍の下層はもとより、
平民百姓の上層まで、すでに及びつつあったと見てよかろう。そして、
南北朝から室町期にかけて、それが爆発的といってもよいほどの増加、
普及を見せることは、前述した太良荘、新見荘の関係文書によっても、
おおよそ推測できる。”と述べています。

幕末維新の外国人の記述については、
“1874年(明治7)から翌年まで日本に滞在したレフ・イリイッチ・メーチニコフは、
その回想記で日本語の複雑さについて興味深いさまざまな指摘をしているが、
とくに識字率の高さに注目し、それが「ロシアや西欧のラテン系諸国」に比べて
きわめて高いと見ており、人力車の車夫、馬の口取りの別当、茶屋の召使いの娘などが、
「例外なく何冊もの手垢にまみれた本を持っており、暇さえあればそれをむさぼり
読んでいた」と驚異の目をみはっている。”と紹介しています。
144 :138>143:2000/11/16(木) 16:18
書き方が悪かったな。
>日本の国文学は庶民からなったのか?
>日本で仮名文字が成立したのは、
>あくまで自国語としてそうした方が適していたからだろう。
の部分は

日本の国文学は庶民からなったのか?
庶民にまで文字が普及していたのはいつの時代までさかのぼれるのか?
また、日本で仮名文字が成立したのは、
あくまで自国語としてそうした方が適していたからだろう。

と変えてくれ。

でだ、当然こちらとしても上の問いに、万葉集を挙げてきたり、
寺小屋などによる識字教育の発展も挙げたりするのは想像に難くなかった。
また、日本における「文明度」においては、君のご高説を今更聞くまでもなく、
ほとんどの教養人なら認知し且つ誇りに抱いている部分だろう。

だからといってそれはあくまで「日本の」文化度・文明度の話であり、
それを以て半島を蔑むことはかなわない。
それとも何か?
「我が国我が民族ではこれだけの水準に達していたのに対し
 半島は庶民が虐げられ民族も文化も劣っていた」
とでも言うのだろうか?

まさかそんなことなど思ってはいないだろう。
もしそんなことを言えば、
「日本人は文化に優劣を付け自己を基準にものを語る偏狭な史観しか抱いていない」
と言うことになってしまう。それこそ日本民族に対する侮辱だ。
145 :日本@名無史さん:2000/11/16(木) 17:43
>144
全然違うぞ。
古来から、日本人は中国文化の高さは認識していたから、流行した。
その一方で、国風文化も廃れることなく、影響も受けつつ並行して続いてきた。

江戸中期以降は、西洋文化の高さを認識するようになり、洋学が流行し、
明治維新の起爆剤となり、福沢諭吉の脱亜論のように、和魂洋才で進んだ。

朝鮮には中国文化のコピーしか見るべきものなく、文化的に劣っていたと言うこと。
146 :>144:2000/11/16(木) 17:56
だから、
>朝鮮には中国文化のコピーしか見るべきものなく、
で
>文化的に劣っていたと言うこと。
と結論づけられる神経がただの蔑視史観でしかないんだよ。
それじゃあ古代ローマの古代ギリシアコピー文化は「劣っていた」と、
言えるのか?
お国自慢は良いが、それを元に他国を蔑視するのは阿呆としか言いようがないぞ。

コピー文化の何が悪いか、なぜ劣っているのか全く語ろうとせず、
なおかつ半島の歴史(同時に世界状況・地理的条件)をろくに理解もせず、どういう神経してるんだか。
そんな論調だからチヨヨン大先生がハングル板の初期スレで吹っかけてきたんだろ?
147 :世界@名無史さん:2000/11/16(木) 17:58
ついでにだ、じゃあなんで日本は古代、半島から文化を輸入したんだね。
高く評価したからこそ、仏教を半島からすすんで導入したんだろ?
# 「所詮通り道」などと言葉のまやかしで逃げないように。
148 :日本@名無史さん:2000/11/16(木) 18:00
朝鮮は文化の通り道、それ以上でも以下でもないのは、常識中の常識。
149 :名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/11/16(木) 18:00
>143
万葉集が庶民の作品を含んでいるのはそれほど特筆すべきことではないと思うんだけど。
ああいうタイプの古代の歌は庶民が創るものが最初にあって、知識人がそれを取りいれ
ていくというプロセスをとるんじゃないかな。世界的に。
日本だけが特筆すべきことではないよね(あれだけ大量に残ったのは凄いことだが)。
150 :世界@名無史さん:2000/11/16(木) 18:06
>148
語るに落ちたな。半島のコピー文化によって、
より一層中国文化が日本に近づいたという事実を無視し、
同時に日本にも多大な影響をもたらしてきた事実も無視し、
通り道呼ばわりとは。

半島がなぜ中国化しようとしたか。それは145が書いた中に答えがある。
そう、強烈に影響を受け、日本より高くそれを評価したから他ならない。
151 :日本@名無史さん:2000/11/16(木) 18:06
ローマは統治手腕に長けており、地中海帝国を築いた。
数学・建築なども、ギリシア時代より高度になり、歴史研究も深化している。
ずっと、中国・モンゴル・満州などの属国で、文化的にも影響力の少ない朝鮮と
同列に扱える訳がないだろ。
152 :世界@名無史さん:2000/11/16(木) 18:10
嗚呼、日本国民は他民族を貶めねば己の誇りにできぬほど
落ちぶれてしまったのか・・・。
誇るばっかりで他文化を認めようともしないのは、
現代韓国と大差ないではないか・・・。
153 :日本@名無史さん:2000/11/16(木) 18:17
最初に中国文化を得たのは、中国系帰化人の王仁と伝えられるし、
朝鮮半島は、元々中国の植民地で、中国系の貢献が大きい。
律令時代の日本は、遣唐使を派遣して、直接に中国文化を得ている。
それ以降も、中国に私的に渡る僧もたくさんいたし、南宋がモンゴルに
滅ぼされたときには、宋の知識人が日本に亡命している例もある。
元の後期に、中国から日本へ向かう途中の船が、韓国南西沖で沈没して、
その文物を引き上げたら、膨大な交易品が積まれていたことも明らかになっている。

江戸時代も、中国文化は長崎の中国商人を介して導入したわけで、
朝鮮通信使は、徳川幕府が将軍の代替わりの際に、権力を誇示するために、
朝鮮と琉球の使節を招聘したものなのに、朝鮮が文化的貢献を宣伝するのはナンセンス。
朝鮮通信使の記録にも、中国からの直接の書物の伝搬が1桁大きいことが書かれている。

江戸時代では、吉宗将軍の1719年に来日した、申維翰『海游録』(東洋文庫)には、
大坂の出版状況に驚きを示しています。
“そのなかに書林や書屋があり、膀をかかげて、曰く柳枝軒、玉樹堂などなど。
古今百家の文籍を蓄え、またそれを復刻して販売し、貨に転じてこれを蓄える。
中国の書、我が朝の諸賢の撰集も、あらざるはない。”と、出版が経済的に成り立って
いることも記し、“大坂の書籍の盛んなること、じつに天下の壮観である。”
と表しています。
付篇の『日本聞見雑録』には、“国内の書籍は、我が国から往ったものが
百をもって数え、南京から海商たちが持って来るものが千をもって数える。
古今の異書、百家の文集にして書肆で刊行されたものは、我が国に比べて
十倍どころではない。”と、日本の出版文化の圧倒的な拡がりを記載しています。
154 :日本@名無史さん:2000/11/16(木) 18:21
>152
朝鮮は歪曲をするな。
古代の中国文化や、近代の西洋文化が高度なことは、良く認識しているじゃないか。
朝鮮がどうしようもないと言っているだけのこと。
夜郎自大に唯我独尊に陥って、世界から相手にされない朝鮮とは全く違う。
155 :世界@名無史さん:2000/11/16(木) 21:47
>>125-126
馬鹿発見晒し上げ
156 :このスレは:2000/11/16(木) 22:46
モラル破綻な基地外ウヨッキー猿と生真面目親韓猿のオナニースレです。
世界史板の健全な住人諸氏はこんな低脳な奴等なんかに関わらないで下さい。
―完―
157 :日本@名無史さん:2000/11/16(木) 22:58
>156
こいつは、反論するだけの頭がないので、逆上している反日サヨク
158 :日本@名無史さん:2000/11/16(木) 22:59
生真面目親韓猿じゃなくて、朝鮮&朝鮮の手先だろ
159 :世界@名無史さん:2000/11/16(木) 23:29
やや国粋嗜好のある中道右派でも、こいつら感情的ウヨ坊にかかると
全員半日左翼の朝鮮or朝鮮の手先ってか・・・(藁
160 :世界@名無史さん:2000/11/17(金) 01:03
>>36
>>42
>>46

少々間の悪いレスになるかと思うが、重要な事項が判明したので、お
許しいただきたい。

吉林省文物考古研究所長・王建群の書籍を読ませていただいたが、
どうも君が意図して引用している趣旨とは異なるものではないかと思う
のでここで紹介したい。

たしかに、王氏は、碑文に石灰を塗りつけたのは拓取りをし易くするた
めに、初氏親子が双鉤本をもとに行ったもので、日本参謀本部が改ざん
したとはいえないし、酒匂が改ざんしたことについても賛成できないと
いうこと。

水谷拓本は、早期の本物の拓本であり、時期的には1887年前後、つ
まり石灰塗布前の拓本であるということ。

第一面の八行から九行にかけての二十九字、いわゆる「辛卯年」の条の
ところは、「倭以辛卯年来渡海破百残」であり、その主語は倭であると
いうことをいっている。

しかし、肝心の言葉の意味については、『「百残新羅旧是属氏」は百残
新羅はもともとわれわれの属民であったが、いま、百済を攻めることに
なったので、その理由を探してこなくてはならない。もともとの臣民が
辛卯年から攻撃をしかけてきた。もともと朝貢していたが、そうしなく
なってしまった。それで、王は軍を率いて討伐にでかけるようになった。
好太王は戦争をしかけるときは必ず理由をさがしてきます。この場合は
「もともと貢物をもってきた部下」というのがそれで、事実ではありま
せん。彼が誇張してほらを吹いたのです。その後の「倭以辛卯年来渡海
破百残・・・以為臣民」もやはり誇張して言っているのです。彼は倭の
臣民になったから、いまそれを奪い返すために出兵するというのです。
歴史ではそういう誇張は、古代史でも現代史でもたくさんあります。』
といっている。

また、かれは、好太王碑に書いてある「倭」を国とみるのはまずいとも
いっている。『日本国が人を派遣して、占領して、そこに任那日本府と
いうものを設けたということではないと思います。碑文から見ると、倭
が三回そこへ出かけていって三回負けた。ですから、そこには任那日本
府というものは存在しない。古代の歴史においては、とちらが征服する
かされるか、そういう関係でしかなかった。あるいは碑にも書いてある
ように「属民」という関係でしかなかったでありましょう。出先機関を
設けて管理するといった現代史の方法で古代史を考えることは間違いで
はないかと思います。好太王碑からみて、倭は朝鮮にいったことがあり、
そして追い出された。それは国家関係ではなく、北九州の一部の人々が
海を渡って出かけていった。それを海賊といっても、いわなくてもいい
し、倭寇といってもいいし、倭兵といってもいいわけですが、私はおな
じものであると思います。』

以上の点からすると、王健群の著書をもって、任那日本府=朝鮮南部支
配説の根拠とするのはいかがなものかと思うが、君はいったいどのよう
なつもりで、かれの書籍を引いてきているのか?釈明を求めたい。
161 :名無しさん@1周年:2000/11/17(金) 01:05
最初の頃は大先生とのマンツーマンで文献を
基にした興味深い話が聞けたな。
何か途中から乱入してきた人間が不毛な議論を
ふっかけて来てくだらないスレになってしまった。
感情論抜きで客観的に語れないんじゃ意味無いね。
大先生復活を望むよ。
162 :日本@名無史さん:2000/11/17(金) 02:04
>160
釈明って、何?(わら 北朝鮮=朝鮮学校の歴史捏造が見破られたんじゃないか。
朝鮮学校の李による好太王碑文改竄説は、根拠のないでっち上げである。これに尽きる。
それさえ原碑で確認できれば、碑文の解釈については、過去に膨大な研究がある。
163 :世界@名無史さん:2000/11/17(金) 02:44
罵倒抜きで朝鮮史を語れない人間は来ないように。
そういう人間にレスするのも止めよう。
164 :>160:2000/11/17(金) 05:05
>魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする
>記事があり、 考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、
>倭系遺物の出土が多い。

>好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にした
>との記述が見られる時期に、 朝鮮の正史「三国史記」に、
>百済が皇太子を、新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
>「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に
>勢力を広げたことで一致。 宋書には、5世紀後半に、倭国に
>新羅・任那などの軍事権を認めた叙任がある。 これらの文献
>資料は、全て調和的。

>考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、
>古墳時代中期〜後期(5〜6世紀) になると、朝鮮半島南部
>にいくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。
>と言うわけで、全く問題ないのである。

任那日本府が南朝鮮を支配していたことを裏付ける資料は
好太王の碑文だけじゃないよーん。


165 :名無しさん@1周年:2000/11/17(金) 06:08
文化の交流が一方向でないのは、当然倭国の側にも
当てはまると思うのだが・・・。
日本史板でピラミッドがあったら全てエジプトの領土か、(例えば
今のスーダンのあたりなど)といえばそうでないだろうと言う意見があったが
そのように、前方後円墳の存在やヒスイの行き来のみで倭国(これも
得体の知れない存在だが)が半島南部に勢力圏を築いていたとは
断定は不可能なのでは?(この論理は当然半島から日本への文化交流にも
当てはまるだろう)

>>162
反論になってないのでは?
彼が議論したいのは、碑文の解釈の方でしょ。
釈明ってのはよく分からんが。
166 :名無しさん@1周年:2000/11/17(金) 06:41
>>145

いわゆる「廊下論」というやつになるのだと思うが、
現在の東西交渉史では、いわゆるシルクロードのオアシス諸都市の
それぞれの固有の文化、あるいはそれぞれの地域・都市での文化の熟成など
をもっと研究するべきだと言う意見が出されている。いままでは、
とかく文明の交通路としてピックアップされているのみであったことの
反省からきているんだと思う。
この論理は当然東アジアの文化交流にも当てはめられるだろう。

きみが朝鮮人が嫌いなのは、個人的にはある程度理解する。朝鮮の歴史
教科書を読めば、多くの日本人はそう思うだろう。しかし、だからと言って
日本人まで同じレベルに落ちる必要はない。日本民族の栄光を唱えた
大日本帝国がどのような結末を迎えたか、その経験をもっている国民として、
極端な民族主義を冷静に批判し、いさめるべき立場にあるのではないか?
日本は東アジアの最先端国として、多くのリスクをもまた背負ってきたし、
今も背負っていると思う。政治経済的な意味合いだけではなく、それは文化や
歴史的経過についても言える。
それをアジアのほかの国に還元することこそ、むしろ求められている。
罵倒に罵倒で返すのは、「大人」のすることじゃないです。(俺もまだ大人になって間もないけど)
167 :日本@名無史さん:2000/11/17(金) 10:22
異民族には、和を持って尊きとなすと言う日本のやり方は通用しないぞ。
異民族相手には、それぞれに応じたやり方をすべきなのは当たり前。
電波な朝鮮の妄言に対しては、その誤りを指摘するのは当然。
なあなあ体質だと、つけ込まれ、国益を失う結果になる。それは自覚すべき。
朝鮮の歴史捏造体質を暴いて、実際の朝鮮の履歴を明らかにしてやらないと、
連中は電波を発生し続けて、日本など周辺民族に迷惑なことに気付くように。
168 :世界@名無史さん:2000/11/17(金) 10:47
今の「日本」に直結するかどうかっていうのは、思想的な問題が
絡んできて純粋に客観的な解釈は不可能だと思うけど、
実際に当時の「倭」というのはどのような勢力だったんだろう?
当時の「日本列島」に存在した政治的な権力と関係のあるものか、
それとも倭冦のような海賊にすぎないのか。
その辺はどうですか?
169 :168:2000/11/17(金) 10:54
あともう一つ、鉄についてだけど。
よく当時の日本には鉄がなかったから、半島の勢力に対抗出来る
武力は存在しなかったという意見を聞きますが、当時に於いて鉄
はそれほど武力の大小を決定出来るものだったのでしょうか?
「倭」が海賊にすぎなかったとしても、鉄がそれほどに重要である
ならば、半島に於いて勢力を保つことは不可能だと思いますが。
正直言って鉄器と青銅器、石器の武器の性能の差は確かにあっても、
それが後の鉄砲と刀ほど武力の大小を決定出来るものなのか疑問に
感じます。
170 :日本@名無史さん:2000/11/17(金) 11:34
弥生時代の後になるほど、銅器は巨大化したりして、武器など実用とは程遠いものになっています。
鉄製品の出土も次第に増えています。

古墳時代初期の様子を描いた、魏志東夷伝を読むと、辰韓条に
「国、鉄を出す、韓・ワイ・倭が従いて皆これを取る」と書かれており、
倭が鉄資源を確保していたことが分かります。この時代の倭は、
朝鮮半島の橋頭堡として、狗邪韓国(加羅)を確保しています。
171 :>170:2000/11/17(金) 12:22
えらいトンデモ出してきたな……。
橋頭堡としてるならなんで「倭が従いてこれを取る」んだ。
172 :日本@名無史さん:2000/11/17(金) 12:52
鉄が取れたのは、狗邪韓国じゃなく、もっと北の方だからだろ。
その後、任那を直轄領にして、新羅を属国にしたから、鉄資源の確保は楽になった。
173 :世界@名無史さん:2000/11/17(金) 13:49
日本@名無史さんへ
ここは世界史板です。世界史板の名無しさんは世界@名無史さんです。
ここで日本@名無史さんを名乗る以上コテハンだと解釈しますが
それでいいですか?
174 :世界@名無史さん:2000/11/17(金) 13:51
前スレの最初の方の大蔵経の版木の話題だけど、
400年以上も後になるけど一応日本にも大蔵経の版木はあるよね。
萬福寺の鉄眼が作ったもので今でも萬福寺に保存されてる。
175 :世界@名無史さん:2000/11/17(金) 13:59
>>169
鉄が無くても直接戦闘なら数が多い方が有利だと思う。
鉄器があっても三対一とかじゃ勝てないでしょう。多分。
176 :世界@名無史さん:2000/11/17(金) 14:39
しかし、鉄と比べて青銅ってのは非常にヤワだぞ。
それ考えたらどうなんだろうね。
177 :世界@名無史さん:2000/11/17(金) 14:52
どんな鉄器があるかで話は変わってくるんじゃない?
日本刀みたいな刀を振り回してたら青銅器じゃかなり不利だと思うけど、
当時の朝鮮だと鉄器って言ってもしれてるんじゃないの?
178 :世界@名無史さん:2000/11/17(金) 14:55
石のヤジリは
鉄のものより貫通力があったて言うのを
テレビで見たことあるよ
179 :日本@名無史さん:2000/11/17(金) 14:59
なんか、日本がアメリカをやっつけるとんでも架空戦記を読んでいるのと同じむなしさを感じるな。
180 :日本@名無史さん:2000/11/17(金) 15:24
火山国の日本では、黒曜石の矢じりが使えて、飛び道具としては有効だった。
魏志東夷伝に示されているように、古墳時代には、倭国でも朝鮮半島南部の鉄資源が
利用できているので、問題ない。

倭国でも、青銅器は初期を除いて、もっぱら祭器として使われていたようである。
181 :世界@名無史さん:2000/11/17(金) 15:40
>>167

他人事だけどな、>>166は反日サヨクだ朝鮮デンパだとがなりたてる
ことがむしろ相手の態度の硬化を呼ぶと言ってるんじゃないのか?
和を持って尊しとなす、とかなんだかよく分からんが、(要するに
国際協調を否定してるのか?意味がわからん)もっと紳士的かつ
余裕を持った態度で接する方が早道といいたいんだろう。もっと度量を
見せた方が良いってことなのでは?
182 :世界@名無史さん:2000/11/17(金) 16:00
>日本がアメリカ

アメリカ=朝鮮?
なんか すごい傲慢な感じがするのはおれだけ?
183 :179:2000/11/17(金) 16:15
>182
ゴメン。書き方が悪かった。
いつまでたっても、現実世界で日本に追いつけない韓国=架空戦記の日本という意味です。
184 :日本@名無史さん:2000/11/17(金) 16:34
>181
外交は相手に合わせてやるのが賢明だと言うこと。
個人レベルでも、小出監督は、有森選手と高橋選手とでは全く違う対応で成功させた。
それと同じで、台湾・中共・北鮮・韓国・マレーシア・インドネシア・タイ等々、
アジア諸国でも、それぞれにメンタリティも違うから、それに合わせてやる必要がある。
電波を発生しまくりの朝鮮には、なあなあな対応は最悪で、徹底的に叩くべきってこと。
185 :世界@名無史さん:2000/11/17(金) 16:48
>>182
青銅器で鉄器に戦いを挑むことをいってるんだろうに
186 :世界@名無史さん:2000/11/17(金) 16:55
>>184
ここはあなたの主義主張を垂れ流すスレッドではありません。
そういう板でもないです。別の板へいって下さい。
ここはコリアの歴史(古代史)について語り合うスレッドです。
187 :185:2000/11/17(金) 16:56
うわ、めっちゃ間抜けだ・・・
188 :日本@名無史さん:2000/11/17(金) 16:56
元々は、電波な朝鮮が主義主張を垂れ流すスレッドにしようと思ったんだろ。
189 :世界@名無史さん:2000/11/17(金) 17:00
>>188
君一人ういてるよお馬鹿さん
190 :世界@名無史さん:2000/11/17(金) 18:57
当時の武器がどのようなものを使ってたかはわからないの?
例えば槍を使った戦争なら刀を使った接近戦よりも鉄槍と石槍で大きな差は
ないんじゃないかな?
1対1ならともかく2対1なら竹やりでも勝てるんじゃない?
191 :世界@名無史さん:2000/11/17(金) 21:58
>>188
被害妄想もここまで来ると、朝鮮を馬鹿にできないな。
つーかさ、俺国粋主義者なんだが、お前見てるとやたらと恥ずかしくなるんだが?
こんな同胞いらねーよって思いたくなる。
っていうかお前こそ朝鮮の差し金?
192 :日本@名無史さん:2000/11/17(金) 22:01
ともあれ、魏志東夷伝にあるように、古墳時代には倭国も朝鮮半島の
鉄を入手できていたのだから、問題なかったのだろう。
193 :>192:2000/11/17(金) 22:28
所詮輸入だろ・・・
194 :世界@名無史さん:2000/11/17(金) 22:54
朝鮮だって、長い間中国から輸入していたんだから、
あまりえばれないわな。
195 :日本@名無史さん:2000/11/17(金) 23:47
日本では、弥生時代に、巨大な銅鐸や銅鏡を作っており、
単なる中国のコピペではなく、巨大化による技術的な困難さも克服している。

古墳時代には、世界最大級の陵墓である前方後円墳を量産している。

刀剣も、元はと言えば中国からの技術だったが、鍛錬法を飛躍的に向上させ、
中世における日本から中国への主要輸出品になった。

鉄砲も、ポルトガルから得て直ぐに量産に成功し、世界最大の生産国になった。
このように、朝鮮のような単なる中国のコピペではないところが違う。

それに、和歌や女流文学のように、日本独自な文化も高度化させている。
何らの国学も発達しなかった朝鮮とじゃ、比べものにならないな。
196 :世界@名無史さん:2000/11/18(土) 00:33
だからお国自慢して何なの(藁
しつこいよ、君。輸入の件はどうなったの。
197 :世界@名無史さん:2000/11/18(土) 01:02
>>195
それと朝鮮の古代史がなにか関係有るの?
198 :日本@名無史さん:2000/11/18(土) 01:08
196は頭が悪すぎ。輸入云々ではなく、軍事・土木・農業などに鉄を活用したことが重要。
鮮人は、詐称なしにお国自慢できないから、羨ましそうだな。
199 :世界@名無史さん:2000/11/18(土) 01:36
日本の歴史じゃなくて朝鮮の歴史について語ってよ…。
詐称なら詐称で論拠を示すとかさ…。
200 :日本@名無史さん:2000/11/18(土) 01:44
詐称の論拠なら、ハングル板を読め。幾らでも書いてあるぞ。
201 :世界@名無史さん:2000/11/18(土) 03:45
じゃあ、もう書くなよ。
それ以前になんで日本の技術史がコリアの歴史スレッドに書かれてるんだっての。
202 :名無しさん@1周年:2000/11/18(土) 06:09
uyo旗色悪し。
日本史板では暴れられても、世界史板では
ダメだったね。残念でした。
203 :世界@名無史さん:2000/11/18(土) 07:46
日本史@名無しは、
韓国嫌いを必要以上に執拗に主張し対して日本は凄いんだぞ、
と自慢したくてたまらない馬鹿消防。
他国史を評価できるまっとうな日本人を恥辱に晒す半日行為。
やっぱり朝鮮の手先だな。なかなか高等な手段を用いるようになったもんだ。
204 :日本@名無史さん:2000/11/18(土) 10:07
203の論理は破綻しすぎ、バカ決定
205 :日本@名無史さん:2000/11/18(土) 12:11
自国の文化も評価できないで、世界での視野なんてナンセンス。
古代中国や近代ヨーロッパの文化の高さは評価しているだろ。

朝鮮は詐称しているだけだから認めないってこと。世界史的視点が欠落していて
電波な朝鮮の主張を妄信的に受け取るバカは逝ってよし
206 :あぼーん:あぼーん
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229 :日本@名無史さん:2000/11/18(土) 12:43
朝鮮人は、最初に朝鮮を植民地にした中国人に対しては、事大主義になったが、
その後に征服した、契丹・モンゴル・満州・日本などに対しては、根拠なく
自らが文化的に優れているとうそぶいて、鬱憤を晴らすのが、余りにも見苦しすぎる。

日本は、幕末維新でも、散々いじめられた欧米列強の勉強をして、いかにすれば
御して行けるかを考え、実行に移したし、戦後のアメリカに対しても同様。
中国人も、日清戦争の後で、孫文など多くの有能な学者・政治家が日本で勉強している。

朝鮮のように、負けた相手を根拠なく罵倒することでしか、アイデンティティを保てない
と言う根性ダメ過ぎ。これでは、偶に有能に人物が出ても、潰されるだけで、進歩しない。
----
漢民族って、漢字や儒教など、共通の固有文化が早くから成立し、
秦・漢による強力な国家も、西暦紀元前には成立している。

日本では、縄文時代から日本特産のヒスイ製大珠→勾玉による祭祀が続けられ、
古墳時代には前方後円墳体制による、朝鮮半島にまで勢力を及ぼす
強大な国家も形成された。
聖徳太子の「日出づる国の天子」以降は、中国からの独立路線を続け、
万葉仮名の導入で、和歌など国風文化も確立し、ひらかな・カタカナへの進展で
平安時代には女流文学など、高度な国風文学を形成するに至り、
民族として明確な位置づけを行える状態になっている。

朝鮮は、エリート層は中国人のつもりだったようだし、日本の室町時代まで
国字も存在しなかったし、その文字も蔑して使わなかったし、
無知蒙昧な庶民は打ち捨てられていただけで、近年まで国文学も事実上存在しなかった
民族としての成立は、つい最近と見るとが妥当だろう。
----
最初に中国文化を得たのは、中国系帰化人の王仁と伝えられるし、
朝鮮半島は、元々中国の植民地で、中国系の貢献が大きい。
律令時代の日本は、遣唐使を派遣して、直接に中国文化を得ている。
それ以降も、中国に私的に渡る僧もたくさんいたし、南宋がモンゴルに
滅ぼされたときには、宋の知識人が日本に亡命している例もある。
元の後期に、中国から日本へ向かう途中の船が、韓国南西沖で沈没して、
その文物を引き上げたら、膨大な交易品が積まれていたことも明らかになっている。

江戸時代も、中国文化は長崎の中国商人を介して導入したわけで、
朝鮮通信使は、徳川幕府が将軍の代替わりの際に、権力を誇示するために、
朝鮮と琉球の使節を招聘したものなのに、朝鮮が文化的貢献を宣伝するのはナンセンス。
朝鮮通信使の記録にも、中国からの直接の書物の伝搬が1桁大きいことが書かれている。

江戸時代では、吉宗将軍の1719年に来日した、申維翰『海游録』(東洋文庫)には、
大坂の出版状況に驚きを示しています。
“そのなかに書林や書屋があり、膀をかかげて、曰く柳枝軒、玉樹堂などなど。
古今百家の文籍を蓄え、またそれを復刻して販売し、貨に転じてこれを蓄える。
中国の書、我が朝の諸賢の撰集も、あらざるはない。”と、出版が経済的に成り立って
いることも記し、“大坂の書籍の盛んなること、じつに天下の壮観である。”
と表しています。
付篇の『日本聞見雑録』には、“国内の書籍は、我が国から往ったものが
百をもって数え、南京から海商たちが持って来るものが千をもって数える。
古今の異書、百家の文集にして書肆で刊行されたものは、我が国に比べて
十倍どころではない。”と、日本の出版文化の圧倒的な拡がりを記載しています。
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日本では、弥生時代に、巨大な銅鐸や銅鏡を作っており、
単なる中国のコピペではなく、巨大化による技術的な困難さも克服している。

古墳時代には、世界最大級の陵墓である前方後円墳を量産している。

刀剣も、元はと言えば中国からの技術だったが、鍛錬法を飛躍的に向上させ、
中世における日本から中国への主要輸出品になった。

鉄砲も、ポルトガルから得て直ぐに量産に成功し、世界最大の生産国になった。
このように、朝鮮のような単なる中国のコピペではないところが違う。

それに、和歌や女流文学のように、日本独自な文化も高度化させている。
何らの国学も発達しなかった朝鮮とじゃ、比べものにならないな。
230 :世界@名無史さん:2000/11/18(土) 13:24
 
231 :世界@名無史さん:2000/11/18(土) 13:24
  
232 :日本@名無史さん:2000/11/18(土) 14:04
自国の文化も評価できないで、世界での視野なんてナンセンス。
古代中国や近代ヨーロッパの文化の高さは評価しているだろ。
朝鮮は詐称しているだけだから認めないってこと。世界史的視点が欠落していて
電波な朝鮮の主張を妄信的に受け取るバカは逝ってよし
233 :おちんこTTH@臭い口臭のようですが・・・(;´Д`):2000/11/18(土) 16:17
ハングル板へ帰ってね☆ъ( ゚ー^)
234 :おちんこTTH@臭い口臭のようですが・・・(;´Д`):2000/11/18(土) 16:19
差別主義者は世界史板にいりませんよ☆ъ( ゚ー^)
235 :190:2000/11/18(土) 17:16
削除以来出てるの?
鉄のことをしつこく言った俺の責任かも…
一度話題を変えましょう。
楽郎郡、帯方郡が滅ぼされた後の朝鮮半島での文化の展開はどうなっていたの?
やっぱり楽郎、帯方の知識人たちは中国に返さずに百済等の知識階級として
文化の発展に貢献したのかな?
もしそうなら朝鮮のルーツの一つには漢民族も含まれるのかもしれない。
と思うんですけどどうなんでしょう?
236 :世界@名無史さん:2000/11/18(土) 17:51
いえ、粘着質にハングル板住人をからかっている奴が数名いるだけです。
ハングル板住人はここではずいぶん上品にやっている。
ここの普通の住人はなんとも思っていないよ。マジレス
237 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/18(土) 18:25
【韓国の前方後円墳】�@
>>235さん悪い。粘着質をもう少し反論させてくれ。

>>229
>日本では、縄文時代から日本特産のヒスイ製大珠→勾玉による祭祀が続けられ、
>古墳時代には前方後円墳体制による、朝鮮半島にまで勢力を及ぼす
>強大な国家も形成された。

以前は、好太王碑文や魏志倭人伝、宋書、日本書紀なども持ち出していたくせに、
ことごとく否定されて、いまでは、ヒスイと前方後円墳だけか。大笑いだな。い
ずれにしても、残ったヒスイや前方後円墳についても、もう少し客観的史料などを
引用するなりして説得力をもたせてほしいものだな。

ヒスイ製大珠→勾玉は前記したが、朝鮮半島南部との交換物資として倭からもた
らされた単なる品々にすぎない。これ単独をもって、強大な大和政権の存在を証明
するものでもないし、ましてや朝鮮南部の支配を実証するものでもない。

次に前方後円墳であるが、韓国において倭の前方後円墳に酷似した古墳が存在する
ことが明らかになったのは、1983年のことだ。当時、嶺南大学校教授だった、
姜仁求が数度の現地調査と測量調査をして、韓国に前方後円墳が存在し、倭の前方
後円墳の源流になるものであるという新説を発表した。しかし、この説は、韓国側
では、日本側が加耶・百済への倭の侵略、支配を正当化する説、あるいは「任那日
本府」説へ悪用をすることを非常に恐れて、数年前まではほとんど取り扱いを避け
ていた。一方、日本考古学会では前方後円墳は倭において独自に発生した固有の墳
墓形態であるという見解から、韓国内に前方後円墳が存在するのかという存否問題
として論争となった。

そこで、実際に現地路査を行い、前方後円墳を視察した日本の研究者は、姜仁求の
例示する前方後円墳の中の数例が確かに前方後円墳であると認めたのだ。その後、
韓国では1985年から精密な測量調査が実施され、姜仁求以外の研究者によって
も韓国西南部地域に複数の前方後円墳が存在する事実が明らかにされた。このよう
な地道な努力の結果、1991年から韓国で前方後円墳の発掘調査が開始された。

発掘調査により、埴輪形土製品をもつ前方後円墳が一部存在する事実が明らかにな
るなど、韓国側における前方後円墳研究も徐々にではあるが進んできている。では、
以後、1995年8月に早稲田大学韓国考古学学術調査研修の現地調査における知
見をご紹介しよう。『韓国の前方後円墳 岡内三眞編 雄山閣 1996』
238 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/18(土) 18:27
【韓国の前方後円墳】�A

韓国において前方後円墳の集中した分布が見られる地域は、舞妓山古墳(松鶴洞1
号墳:慶尚南道固城郡)は例外として、主に韓国西南部地域(全羅南道木浦近辺)
になる。それもとりわけ、海岸部および栄山江流域に分布している。(海南長鼓山
古墳・マルムドム古墳・チャラボン古墳・月桂洞1,2号墳・明花洞古墳・新徳古
墳・咸平長鼓山古墳・月渓古墳・竹幕洞祭祀遺跡)

それでは、韓国西南部に分布する前方後円墳の性格と年代について考察してみよう。
韓国西南部の前方後円墳は、立地環境、占地、墳形などで見ると、いずれも倭の5
世紀後半から6世紀中葉までの古墳に類似している。ただし、古墳の構築技法や造
りだし、段築、茸石などに差異や有無の違いを認める。古墳の築造方法も百済通有
の築造方法といえ、在地の百済の造墓集団による構築と考えられる。

つぎに、墳丘上に埴輪形土製品や木製樹物を配列する点は、倭との関係を無視する
ことはできない。しかし埴輪形土製品の製作も製作技法からみて、百済の陶質土器
製作工人によるもので、出土遺物も多くが百済製品で明らかな搬入品は少ないらしい。

したがって、倭からの技術者集団が百済地域に派遣、または渡来し、前方後円墳を
造営したとは考え難い。おそらく、かなり親密な交流が行なわれ、何らかの形で百
済において倭の前方後円墳が模倣されたのではないかとしている。

これらを総合すると、百済西南部の前方後円墳は、百済に生活の根拠をもった百済
西南部の在地首長たちが、倭との交流を深めるなかで構築したものである。百済西
南部の地方は、三韓以来自立的で、6世紀まではまだ、百済の完全な勢力下、規制
のもとには置かれていなかった。百済、加耶、倭に対して等距離の関係を保とうと
し、あるいは百済に、ある時は倭の勢力を利用したのであろう。


以上が、早稲田大学韓国考古学学術調査研修報告のかいつまんだ内容である。
おそらく「任那日本府」説支持者が、韓国の前方後円墳を材料にこの「説」を推し
進めるたくなるところとしては、韓国の前方後円墳が5世紀後半から6世紀中葉の
倭の前方後円墳に類似しているとすることから、『日本書記』の雄略7年(463年)
の「任那官家」を置いたということと、欽明23年(563年)の新羅による「任
那官家打倒」と時期的に一致するという点であろう。ただ、類似しているとはいえ、
段築やテラスがなく、倭の古墳祭祀とはやや異なるように思えたり、また倭では造
りだしで祭祀が行われていたと考えられているが、韓国西南部の前方後円墳には造
りだしがないことからすると、やはり、早稲田大学韓国考古学研究者が考察したと
おり、地域首長が、交易で物資交流をもっていた倭の古墳をモデルにして模倣した
と考えるのが妥当ではないかと思うがどうだろうか。

いずれにしても、韓国の前方後円墳については、今後さらに細かく緻密に時間的、
地域的に分析し検討してゆかなければならない。また、最近、慈江道松岩里遺跡な
ど北朝鮮でも前方後円墳ではないかと思われる古墳が発見されているのでその辺り
も加味して、より広い視野で研究を進めてゆかなければならないということだ。我々
も、ひとつの固定観念にしばられることなく、自由快活に論議をすすめてゆこう。
239 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/18(土) 18:33
【古代の朝・日関係資料集ご紹介】

「任那」の定義がはっきりしませんでした。任那という国があるように感じたり、
日本の朝鮮半島への足掛かり(出先機関)として認識していました。ですが、
【桓檀古記】高句麗国本紀広開土王の条における「任那」の記述は、私の既存概念
を覆しました。

その私の既存概念を覆した【桓檀古記】とは?興味がある方はこちら↓
『任那の解釈』
http://www12.freeweb.ne.jp/sports/randy2/history/kodai1.htm#ninna


本土日本人は、縄文人という日本の先住民の子孫と考えられるアイヌや琉球人と、
ある程度遺伝的に近い関係にあるものの、本土日本人における遺伝子プールの大部
分は、弥生時代以後のアジア大陸からの渡来人に由来するものであった。さらに、
アイヌと琉球人は互いにある程度の遺伝的近縁性はあるが、弥生期の移住が始まっ
たころには、別々の集団として存在したと考えられる。>>87で「古代の文献にも全
く載っていないのに、日本へ攻め入ったと主張するのか、その病理は深刻だな」と
いうレスがあったが、古代正史よりのはるかに信憑性が高い、遺伝子によって渡来
説が実証されている。以前少し紹介したのだが、もう少し詳しい内容になっている。

人類の設計図DNAでの日本人の起源に興味がある方はこちら↓
『Kaya Page』
http://www.din.or.jp/~tommy/Kaya.htm#dna
240 :日本@名無史さん:2000/11/18(土) 20:05
>237
>以前は、好太王碑文や魏志倭人伝、宋書、日本書紀なども持ち出していたくせに、
>ことごとく否定されて、いまでは、ヒスイと前方後円墳だけか。

否定なんかされてないぞ。電波な鮮人には、変わった見え方がするようだな。
その文献は古いな。姜仁求の言っていた前方後円墳は、土器編年から新しいものと判明している。
詳しくは、日本史板の任那スレを読め。

それに、朝鮮に迎合している連中の、苦し紛れの説を紹介するのはナンセンス。
前方後円墳体制は、倭国の領域を示すもの。
241 :世界@名無史さん:2000/11/18(土) 20:11
>>240
君の書いてることが信用されたかったらきちんとソースを書こう。
日本史板に書いてあるのならどこかを書こう。
もちろん君が書いたんじゃないよね?
242 :日本@名無史さん:2000/11/18(土) 20:17
結論:朝鮮には、中国人の文化以外に見るべきものはなく、
政治的にも属国の歴史で、世界史板で話すほどのものはない。
朝鮮人はハングル板で対抗していなさい。
243 :駄目押し:2000/11/18(土) 20:19
244 :日本@名無史さん:2000/11/18(土) 20:19
好太王碑文改竄説は、1972年に日本朝鮮学校の李進煕の、岩波書店『思想』に
掲載されたものが発端で、呼応するように北朝鮮が改竄説を宣伝した。
韓国では、戦前に実見した学者が否定的な見解を述べたりもしていた。

好太王碑は中国領にあり、中国の研究者が改善説の検証をおこなった結果は、
王建群・吉林省文物考古研究所長(1984)『好太王碑研究』(吉林人民出版社)で、
訳本として、翻訳:林国本・繆光禎『好太王碑の研究』(雄渾社)がある。
検証の詳細はこの本にまかせるが、改竄説のでっち上げを厳しく批判している。

“歴史は客観的存在であり、歴史の研究は事実にもとづいてすすめなければならない。
中国に対して破壊活動を行なった酒匂景信や当時の日本陸軍参謀本部の犯した罪は
徹底的に暴露しなければならない。しかし同時に、事実を無視し、根拠のないことを
書き加えるようなことは、してはならないのである。”

この発言でも、アジアの雄である中国人と、ひがみ朝鮮人のレベルの違いが分かる。
245 :日本@名無史さん:2000/11/18(土) 20:25
ハングル板に見られる、こう言う常識的な議論をすれば、噛み付かれることもない。
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24 名前: 在日二世 投稿日: 2000/11/18(土) 17:09 ID:???

 冊封という形式一つとっても、全く違う。

1、中国王朝側からは権勢誇示、夷狄側からは自己の権威付けに役立った、ほとんど義務規定の無い関係。
2、貿易のための名目的冊封関係。
3、完全に頭を押さえつけられ、多大な貢物を要求された関係。

 朝鮮が対中国で1の関係を保ったのは、せいぜい高麗朝初期まで。後は名実共に3の
属国扱いで、わずかに中国内乱期に独立を叫ぶのみ。それも混乱の収拾と共に鎮圧された。
 一方の日本は古代において1、中世において2の関係までで属国扱いは受けず、
近代を除く物理的な軍事力では最強の元による属国化の試みも、実力で挫折させた。


 1000年属国に甘んじていたとしても韓民族の誇りに傷がつくとは思えない。
むしろ、事実を歪曲することは誇り無き人間のすることだと強く思う。
 旧オーストリア帝国下の諸民族が、独立後に歴史を改竄しなければ誇りが
保てない等とは、まるで聞かない。
 東アジアに存在する国だからと言って、中国並の歴史のボリュームを捏造しなくても
良いし、日本並みの先進的な歴史を盗作しなくても良い。
 韓国にはそれなりのよさが有るのだから、それを誇りにすれば良いのだ。
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30 名前: 在日二世 投稿日: 2000/11/18(土) 20:19 ID:???

>27さん

 80年代中盤以前の韓国人が記した韓国史の邦訳版を読んでみてください。
 このくらいの常識的記述は、ちゃんと記してあります。
 80年代後半から、妙な記述がでてきはじめます。
 個人的にはソウル五輪以降からおかしくなったと思ってます。

#まあ、古代において朝鮮と中国は対等の力関係とかいう妙な記述も一部有り、
後の景気が良いトンデモ韓国史を彷彿とさせますが・・・・。
246 :末広>245:2000/11/18(土) 20:29
意味不明。なんで?
247 :名無しさん@1周年:2000/11/18(土) 21:35
日本史@名無史さんよ、あんたがひとりなのか複数なのかは知らないが、
コピペならコピペとかけよ。信用なくすだけだ。(もう無いけどな)>>244
248 :名無しさん@1周年:2000/11/18(土) 21:39
李朝期の民画とかは、朝鮮独自のものを感じるんだが。
249 :>似非国粋の日本史@名無し:2000/11/18(土) 21:43
だからさあ、何の論拠も無しに「結論、朝鮮はクズ」なんて言われても、
全く意味がないの。
第一、お前が書いてきた事ってのは、ある程度の教養人ならみんな知ってる訳。
そこに大和民族としての自負や誇りを感じてるわけだよ。
お前なんかにわざわざ教えてもらわなくともね。

それでもなお、世界史として他国の歴史を学ぼうとするって言う態度、
隣接する朝鮮半島の歴史を知ろうという態度になぜことさら下らないチャチャを入れる?

第一、お前比較文化の前提として、どれだけ朝鮮半島の歴史を知ってるんだ?
言ってみ?例えばお前の大好きな日本が、負けに負けた秀吉の朝鮮出兵で、
何で負けたかちゃんと解ってんのか?
有名な亀甲船がどういう構造で、どういう歴史持っていて、
どのように活躍してきたか、そこら辺きちんと知ってて物言ってるのか?
高麗以前の朝鮮半島の歴史文化をどれだけ知ってるんだ?
「朝鮮には何もない」という前提だけでお国自慢をひたすら並べたところで、
所詮お前の大嫌いな夜郎自大でしかないの。
逆に問うが、そこまで言うくらいなら三国史記ぐらいは読んでるんだろうな?

お前のは国粋じゃなくって、ただの村民根性って奴だ。

ちなみにだ、任那日本府で戦われてる議論は、チヨヨン大先生よりソースが貧困で、
なおかつ情報が古いぞ。それでどうやって論破できるってんだ。馬鹿か?
250 :世界@名無史さん:2000/11/18(土) 21:52
というか、盲目的に自分の信仰してる歴史だけで論じられてもね……。
朝鮮・大韓がああだから、と対抗して罵りあってどうするんだろう。
幼稚だよなあ……。
251 :世界@名無史さん:2000/11/18(土) 22:02
最近どうも偏向史観の若者が増えてるが、
ここまで来るとまさに「日本真理教」だな(笑
国粋主義者ながらも世界史好きの人間にはほとほと迷惑だ。
252 :>249:2000/11/19(日) 00:23
秀吉軍が撤退したあと明軍は十年ほど
朝鮮に居座り、やっと明に帰る時は数万
の朝鮮女を連れて行ったそうです。なん
であの時明兵が朝鮮にいたんだろう?
253 :日本@名無史さん:2000/11/19(日) 00:37
日本史@名無しは9月末にやってきた一人の偏執狂です。
同じ日本史@名無しとして大変心苦しいです。
254 :日本@名無史さん:2000/11/19(日) 02:12
最近狂死しただろ、このテイノウウヨは。
255 :>249:2000/11/19(日) 04:48
>>249
文禄慶長の役は、中国だけじゃなく、東南アジアからの援軍も押し寄せた、当時の
アジアの大戦争。当時の朝鮮が独力で日本軍を撤退させたわけではない。
ちゃんと歴史を知ろう。
256 :今時:2000/11/19(日) 04:50
韓国の研究者だって、好太王碑文の改竄なんて、堂々と言うの恥ずかしいって
雰囲気なんだけどなぁ。
257 :日本@名無史さん:2000/11/19(日) 05:01
>255
無益のいくさ起こしても反省しないね。
まぁ、日本にとっては無益じゃなくて有益だったかもしれないが。
略奪ばっか。
258 :世界@名無史さん:2000/11/19(日) 06:01
明軍のスケベ野郎ども、朝鮮女とやり放題
だったんだろうなー。。。
259 :世界@名無史さん:2000/11/19(日) 06:32
というか日本が撤退した後、朝鮮半島を荒らし回ったそうじゃない。
国土が荒廃するくらいに。

中国人って分りやすい人達だ。
260 :名無しさん@1周年:2000/11/19(日) 07:12
>>259
日本人が陶工やらなんやらをかっぱらっていった後に、
明軍が女子供を強奪していった。しかし、その契機を作ったのは
紛れも無く日本側。この点に関しては、責任あるといえるかもな。
(責任論の問題なんてこの時代には無いけど、朝鮮人に恨まれるのは
致し方ないかも)
>>255
確かにそうだが、結局のところ朝鮮人のゲリラ的戦闘がもっとも
効を奏したと言えるだろう。各地域の山城から日本側の補給網を
寸断したからこそ、初期にあれほどの強さを見せ付けた日本軍が、
それぞれ孤立した戦いを挑まなくてはならない状況に追い込まれた。
詳しくは、日本史板の以下のスレ72.76参照のこと
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=959673775
261 :名無しさん@1周年:2000/11/19(日) 08:05
日本史@名無史は憤死しました。

262 :_:2000/11/19(日) 15:03
 
263 :_:2000/11/19(日) 15:03
  
264 :_:2000/11/19(日) 15:04
   
265 :_:2000/11/19(日) 15:04
    
266 :_:2000/11/19(日) 15:04
     
267 :_:2000/11/19(日) 15:04
      
268 :_:2000/11/19(日) 15:04
       
269 :_:2000/11/19(日) 15:04
        
270 :_:2000/11/19(日) 15:04
         
271 :_:2000/11/19(日) 15:04
          
272 :_:2000/11/19(日) 15:04
           
273 :_:2000/11/19(日) 15:04
            
274 :_:2000/11/19(日) 15:04
             
275 :_:2000/11/19(日) 15:04
              
276 :_:2000/11/19(日) 15:04
               
277 :_:2000/11/19(日) 15:04
                 
278 :_:2000/11/19(日) 15:04
                   
279 :_:2000/11/19(日) 15:04
                     
280 :_:2000/11/19(日) 15:04
                       
281 :_:2000/11/19(日) 15:04
                          
282 :_:2000/11/19(日) 15:04
                             
283 :_:2000/11/19(日) 15:04
                                
284 :_:2000/11/19(日) 15:04
                                   
285 :あぼーん:あぼーん
あぼーん
286 :あぼーん:あぼーん
あぼーん
287 :あぼーん:あぼーん
あぼーん
288 :世界@名無史さん:2000/11/19(日) 21:05
>>257
今どき反省とかする問題じゃないだろ?
あの程度の侵略戦争はあの当時は世界でいくらでもあったし、
そのことで反省を求める国なんてないと思うよ。
その点ではウヨ坊に賛成だね。
289 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/19(日) 22:22
>>260
そうだね。朝鮮は「山城の国」ともいわれる。かつて朝鮮総督府が行った
調査に基づく『朝鮮宝物古跡調査資料』(1924年)によれば、城跡の
数は1650をこえており、中国東北地方(満州)の高句麗のそれをくわ
えると2000にものぼるらしい。そのなかには、秀吉の侵略時につくら
れた「倭城」も18箇所あるが、大多数は山城で、たとえば忠清南道で確
認された城跡のうち、平地城は「活城」(瑞山邑)1城にすぎないという。
加耶の領域の一部であった慶尚南道においても120余の山城が確認され
ている。その加耶諸国の中の大加耶国に比定される高霊を訪れた井上秀雄
は、
 高霊を訪れる者は、峠より見下ろす高霊が猫額大の盆地で、かつての大
 加耶の国都としてあまりに小さいのに驚かされる。300〜500�bの
 河川敷を含めても、高霊邑は幅(東西)1.5�`、奥行(南北)1.3�`
 にすぎない。・・・・要するに、大加耶国の王宮は川と山とに囲まれた
 要害の地であり、防衛の町である。さらにこのことを裏書するものに、
 王宮址の前後(東西)には主山城と望山(錦山)城とがある。これらの
 山城は、壬辰倭乱には高霊邑民の抵抗の拠点として大いに活用されていた。
と指摘している。このように、高霊の東西に位置する主山城(標高311�b)
と望山城は、4・5世紀に大加耶国住民の逃げ込み城として築かれ、16
世紀末の秀吉侵略時にも抵抗の拠点として利用されたということだ。
290 :>チヨヨン大先生:2000/11/19(日) 22:52
ある歴史本には、南部に住み着いた朝鮮族と北部に住み着いた満州族は同祖で、
農耕の発達により朝鮮族が優位を保つようになり満州族を「オンラケ」と蔑んだ、
とありました。おそらく同祖というのは扶余だと思うのですが、
南北の分派の歴史とその後の盛衰は簡単にまとめるとどんな感じになるのでしょうか。
また、高句麗はどちらに属していたのでしょうか?
291 :世界@名無史さん:2000/11/19(日) 23:06
>>290
「オランケ」ね。
基本的にはツングース系が祖で扶余を元にしている。
南北に分れたのはいつ頃かは解らないが、
狩猟維持民族系→高句麗→渤海→?→金?
農耕転化民族系→韓→百済・新羅?→高麗
として捉えると良いだろう。

そういえば支石墓(ドルメン)文化は紀元前数百年までにさかのぼるらしいが、
この時期に既に巨大な権力ができていたのでは、と思うのだが、どうなんだろう?
292 :日本@名無史さん:2000/11/19(日) 23:22
>291
こう言う時には、都合良く満州族を同一視するのか(藁

支石墓(ドルメン)文化なんて、ちっぽけな墓にショボイ副葬品で、
墓以外の巨大な遺跡も見えないし、とうてい巨大な権力ができていたとは考えられない。
漢人の衛満の朝鮮国が最初で、本格的に文化が拡がったのは、漢の武帝の楽浪郡でしょう。
293 :291:2000/11/19(日) 23:29
>292
お前には聞いてないし言ってないから安心してくれ。
294 :291:2000/11/19(日) 23:33
というか衛満は実は姓が無く、朝鮮人ではないか、
と考えられてるようだな。
それ以前に簒奪された支配権はいったい何だったのか、
もしそれが中国の植民府だったのならば、
案外これは独立朝鮮人反乱国家だったのかも知れないな。
もっとも三代で前漢に潰されたと言うことだが・・・。
箕氏朝鮮からの謎が気にかかる。
295 :291:2000/11/19(日) 23:42
逆に漢人の衛満の朝鮮国が最初と言うのならば、
この国家は簒奪国家であるので、
それまでに古朝鮮国家があったと考えられる。
果たしてどちらが正しいのか。
296 :世界@名無史さん:2000/11/19(日) 23:59
チヨヨン大先生に質問。
日本の万葉仮名・和歌に相対する、朝鮮の郷札体・郷歌は、
何でその後、日本の仮名よろしく朝鮮で発展しなかったんでしょうか。
やはりこれも、万葉集同様、庶民による作品もあったのでしょうか。
297 :世界@名無史さん:2000/11/20(月) 00:20
>>294
その当時に朝鮮人という言葉を使うのは不適当だと思うぞ。
>>296
郷歌って二十数首しか残ってないんじゃなかった?
その状態ではどのようなものかは推測のしようが
ないと思うんだけどどうなんだろ?
チヨヨン先生にの答えを待つしかねえか。
横やりスマソ。
298 :日本@名無史さん:2000/11/20(月) 00:39
自国の文化も評価できないで、世界での視野なんてナンセンス。
古代中国や近代ヨーロッパの文化の高さは評価しているだろ。
朝鮮は詐称しているだけだから認めないってこと。世界史的視点が欠落していて
電波な朝鮮の主張を妄信的に受け取るバカは逝ってよし。
299 :世界@名無史さん:2000/11/20(月) 00:44
好太王碑
日本の資料からも中国の資料からも、倭の国に記述が消える時期があって、謎の四世紀と呼ぶのだそうです。その謎の四世紀を知る手がかりになるのが、高句麗好太王碑の碑文です。好太王は今までに何度か登場しておりますが、別名「広開土王」といいます。それは、高句麗の国土を拡大したことに対する尊称のようです。周辺国では「烈帝」と呼んだという記述があります。

好太王碑文の概略を以下に紹介します。

391年、百済と新羅は元々高句麗の属国であったが、

倭が渡海して侵入し百済・新羅・加羅を抑えたため、

高句麗にこれらの国が入貢しなくなった。

396年、好太王は百済に遠征して臣従させ、倭との関係を断ち切らせた。

399年、倭軍の圧迫を受けた新羅は高句麗に助けを求めた。

好太王は平壌まで南下して倭軍を討ち破った。

400年、好太王は五万人の兵を新羅に派遣し倭軍を追いだし、

任那まで追いつめた。

404年、倭軍は再び勢力を盛り返し帯方郡に侵入した。

好太王は再びこれを打ち破った。

これに対応する記述が【桓檀古記】高句麗本紀にあるか探してみました。

「一たび自ら海を渡れば至る所倭人を撃破す。倭人は百済の介なり。

百済、先に倭と密通し、これをして新羅の境を聯侵せしむ。

帝自ら水軍を率い、・・・中略・・・、而して還る。

時に則ち百済、新羅、駕洛の諸国、皆入貢して絶えず。

契丹、平涼、皆平服す。任那と伊倭の属、巨と称せざる莫し。」

この記述は、391年から400年の碑文内容に照合しますが、404年に相当する記述はみつかりませんでした。しかし、好太王碑文の通り、謎の四世紀において倭の勢力が拡大し(反乱し?)、朝鮮半島にまで大きな影響を与えていたことがわかります。

300 :↑:2000/11/20(月) 00:44
なんですか?突然湧いてきたこの電波は。
301 :>299:2000/11/20(月) 00:54
それは解釈によっては単純に、
原倭寇があったんだよん、
百済は卑怯にもこいつらを拐かして侵略させたんだよん、
俺達の王様はこのクソジャリ共を海にたたき込んだんだよん、
マンセー。
とも取れるから、それだけで日本府があった等とは言えないな。
というか状況からすると案外こっちの方が妥当だったりしてな。

というと多分日本史@名無しのウヨ坊の方が過剰反応するに違いない(藁
302 :日本@名無史さん:2000/11/20(月) 01:01
中国の甚大な影響を無視しようとする、朝鮮の歴史捏造は酷すぎる
303 :世界@名無史さん:2000/11/20(月) 01:02
>>301
あんた何げに煽ってるでしょ(笑
304 :301:2000/11/20(月) 01:04
>303
ええ(藁

お、出てきたね、電波君(藁
305 :日本@名無史さん:2000/11/20(月) 01:06
「桓檀古記」は20世紀に出現した偽書
別冊歴史読本「古史古伝」論争 p.392 趙仁成・慶南大副教授の記事を読むべし
306 :日本@名無史さん:2000/11/20(月) 01:10
偽書を根拠に使う辺りが痛すぎる。
朝鮮の古い史書は、日本の平安時代末期に当たる時期に作られた「三国史記」くらい
後は、好太王碑文・武寧王墓碑など少数のものが使えるだけ。
307 :日本@名無史さん:2000/11/20(月) 01:15
朝鮮は自分がバカなのを理解せずに、偽書や歪曲による電波発生しまくるのが恥ずかしい。
中国の影響が甚大なことをいい加減に理解しろよな。
これまでの朝鮮の歴史は、世界史的に言えるようなものは何もないのだから、
今後は世界に認められるようになれるように努力しろ。
308 :名無しさん@1周年:2000/11/20(月) 01:20
>>306
補足すると、三国史記は1145年のもので、最古本は16世紀の版本。
面白いのは、天文記事(日食とかそういうの)で、古い年代のものま
で、かなり正確に記してあるらしい。85%は合致するそうだ。
日本書紀が正答率5割切ってるのに比べると、かなり正確なんだと。
309 :日本@名無史さん:2000/11/20(月) 01:28
>308
ぷぷぷっ、三国分立時代の日食記録は、中国史書のコピペであることは
ずっと昔に明らかになっている。実在しない日食が中国正史に載っているのを、
そのままパクっているので一目瞭然。元国立天文台教授の斉藤氏の本を読むべし。

日本で確実に国内資料と判明しているのは、推古朝の末年のもの。
朝鮮は統一新羅になってからのもの。
310 :世界@名無史さん:2000/11/20(月) 01:32
>308
ぜんぜん面白くなかったね
311 :日本@名無史さん:2000/11/20(月) 01:33
ちなみに、日本書紀は最初の推古朝末年の記録から数例は、実測によるもの。
天武朝のものは、中国の暦に基づく推算を載せたものと性格が違う。
なお、続日本紀は、全て中国の暦に基づく推算を載せたもの。
312 :世界@名無史さん:2000/11/20(月) 01:41
こんな話題で盛り上がれるようになったのもハングル板の
お陰ですね。
313 :世界@名無史さん:2000/11/20(月) 01:46
しかし、この日本史@電波君がどうやって、
話をすり替えながら苦しい言い訳をしてくるか、
を楽しみにしてるのは俺だけか?
314 :>311:2000/11/20(月) 01:48
って言うか何度も言うけど、だから何でそこで日本の例が出てくる訳(藁
315 :>311:2000/11/20(月) 01:48
って言うか何度も言うけど、だから何でそこで日本の例が出てくる訳(藁
316 :世界@名無史さん:2000/11/20(月) 01:50
日本@名無史さんくらい割りきってるヤツの方が
好感が持てるぞ。だいたい韓国人の歴史とメンタリティーは
切り離せないからなぁ。
317 :名無しさん@1周年:2000/11/20(月) 01:51
馬鹿右翼は日本の恥部
318 :世界@名無史さん:2000/11/20(月) 01:53
ていうか309は関係あるじゃん。そっから話を続ければ良い。
>>309
つまり後代になってから出来たもの
なんだね?昔から捏造が好きなんだなぁ。
319 :世界@名無史さん:2000/11/20(月) 01:53

ちなみに
と前置きしてるんだから別にいいんじゃないっすか
320 :世界@名無史さん:2000/11/20(月) 02:00
>>309
それを韓国では妄言と言います。韓国の主張に従わないものは
妄言です。これも日帝が古代エジプト文明並に優れていたと
示す、極めて歴史修正的、事大的態度であると思います。
321 :世界@名無史さん:2000/11/20(月) 02:02
age
322 :世界@名無史さん:2000/11/20(月) 02:09
っていうかこれは単純に韓国朝鮮人のメンタリティなんてどうでも良い、
歴史愛好家による歴史愛好家のための朝鮮史だろ?

何もそこまで韓国朝鮮人が嫌いだからと言って何から何まで比定せんでも、
と思うんだけどなあ。何でもそうだけど、
一方的な通念で固定された歴史ほど面白くないものはないっしょ。
いろんな方面から見たとき初めて面白く感じるものだし。
まあ、固定史観のマルクス主義者や韓国人や右翼にとっては面白くないだろうけどさ。
323 :世界@名無史さん:2000/11/20(月) 02:11
仮に謙韓感情や反日感情、韓国or朝鮮優越思想から発露していようと、
正しいものは正しい。間違ってるものは間違ってる。
それで良い。

俺は身長160cm、ハゲデブだからバカにされる。
バカにされずとも凄いとは言われない。
しかし身長160cmハゲというデーターは俺の歴史的事実だ。俺は自分に対する
愛着、誇りは人一倍強いつもりだし、くじけんよ。

ただし俺が160cmハゲデブという歴史的事実は変わりません。チャットでは180cm65キロです。
こう思い込むだけでささやかな幸せな日々を送っています。
ネットならこれくらいの捏造も罪じゃないでしょう?


324 :世界@名無史さん:2000/11/20(月) 02:14
にしても日本史@電波には正しいか間違ってるか解らない事例に対しても、
平気でご都合解釈をしてしまうのが難点。
それはそれで面白いんだが。
325 :日本@名無史さん:2000/11/20(月) 02:17
>318
そうそう、日本書紀は、推古末年の日食が最初の記録で、皆既と書いてある。
実際に、飛鳥では深い食となった。日食は視差があり、場所による見え方の違いが大きく、
中国や朝鮮では平凡な日食だったので、外国史料のパクリでないことが分かる。
地震記録も、一例が古いだけで、推古朝から増えており、国内史料のないものは
使っていないと見られる。

一方、三国史記は、ネタのない時代を埋めるものとして、日食・気象など天変地異の記録を
中国史書からパクっている。なので、ネタが増えてくると、埋める必要がないので、
突然100年以上パタッと日食記録が途絶え、統一新羅になってから復活している。
こう言う手口なのでパクリはバレバレ。両者の編集方針の違いが良く分かる例。
326 :世界@名無史さん:2000/11/20(月) 02:26
三国史記は朝鮮歴史書の集大成であるが、それ以前の
ネタ本は散逸した。

のではなくて、ネタ本そのものがなくて、(なくなってしまって、
記憶もおぼつかなくなった)時に、日本や中国から歴史書を
引っかき集めて適当にこしらえた→三国史記
という可能性もあるわけですか。

三国史記以前にあったとされる歴史書で名前の分っているものってあるの
でしょうか?普通なら引用していくのだと思うけど、引用先も
?現在の三国史記が15世紀のものだそうだけど、12世紀の
ものから改竄されてないでしょうね?ちゃーんと受け継がれて
来たのかなぁ。
327 :名無しさん@1周年:2000/11/20(月) 02:49
>>309
ちなみに、天文の話は、金曜日の夜に韓国KBSで放映されてた内容そのまま
書き記したもの。
328 :世界@名無史さん:2000/11/20(月) 02:52
韓国KBS・・・・・ふんふんそういったメジャーな放送局でこういった
問題が取り上げられるのね。国民の浸透率も相当なものだろう。

日本のテレビじゃ絶対に出来ないね。国民の意識レベル、浸透率も比較に
なりません。韓国が間違ってても、多くの日本人は?えっそうなんです
かぁ!で終わってしまう。
329 :世界@名無史さん:2000/11/20(月) 02:54
6000万総右翼化してる韓国と話合う為には日本@名無史さん みたいな
人も必要。
私なんかコロっといてもたれるで。
330 :名無しさん@1周年:2000/11/20(月) 02:57
馬鹿右翼が書いた朝鮮史を読んでみたいな
まあ、笑いのネタにはなるだろう
是非紀元前から作ってくれよ
331 :世界@名無史さん:2000/11/20(月) 03:05
ほぼリアルタイムに書かれた日本書紀の方がデタラメなのに
対し、かなり後になってから出来た三国史記の方が正確である。
この事は何を示すかと言うと、三国史記の日食記録は
古い年代の記録を写したもので、時代的に日本に負けていないし
正確さでも優っている・・・・・つまりKBSこう言いたいんだね。

しかしその記録はどうもリアルタイムに記されたものではなく
12世紀に中国の歴史書を引っ張り出してきて、造りあげたものだと。

三国史記は中国、日本の歴史書の寄せ集め、その他伝聞、記憶、で
成り立ってると推測し得ると。
332 :世界@名無史さん:2000/11/20(月) 03:07
>>330
だから朝鮮のバカ右翼が半万年の歴史と言ってるでしょ。
檀君の顔が検定教科書に出て来るんだよ。
右翼を差別するのは韓国人を差別するのと同義ですよ。
333 :日本@名無史さん:2000/11/20(月) 07:26
日食の例に見えるように、朝鮮が主張する歴史話は、疑ってかからないと
行けないことが良く分かる。
334 :世界@名無史さん:2000/11/20(月) 08:26
好太王碑
日本の資料からも中国の資料からも、倭の国に記述が消える時期があって、謎の四世紀と呼ぶのだそうです。その謎の四世紀を知る手がかりになるのが、高句麗好太王碑の碑文です。好太王は今までに何度か登場しておりますが、別名「広開土王」といいます。それは、高句麗の国土を拡大したことに対する尊称のようです。周辺国では「烈帝」と呼んだという記述があります。

好太王碑文の概略を以下に紹介します。

391年、百済と新羅は元々高句麗の属国であったが、

倭が渡海して侵入し百済・新羅・加羅を抑えたため、

高句麗にこれらの国が入貢しなくなった。

396年、好太王は百済に遠征して臣従させ、倭との関係を断ち切らせた。

399年、倭軍の圧迫を受けた新羅は高句麗に助けを求めた。

好太王は平壌まで南下して倭軍を討ち破った。

400年、好太王は五万人の兵を新羅に派遣し倭軍を追いだし、

任那まで追いつめた。

404年、倭軍は再び勢力を盛り返し帯方郡に侵入した。

好太王は再びこれを打ち破った。

これに対応する記述が【桓檀古記】高句麗本紀にあるか探してみました。

「一たび自ら海を渡れば至る所倭人を撃破す。倭人は百済の介なり。

百済、先に倭と密通し、これをして新羅の境を聯侵せしむ。

帝自ら水軍を率い、・・・中略・・・、而して還る。

時に則ち百済、新羅、駕洛の諸国、皆入貢して絶えず。

契丹、平涼、皆平服す。任那と伊倭の属、巨と称せざる莫し。」

この記述は、391年から400年の碑文内容に照合しますが、404年に相当する記述はみつかりませんでした。しかし、好太王碑文の通り、謎の四世紀において倭の勢力が拡大し(反乱し?)、朝鮮半島にまで大きな影響を与えていたことがわかります。
335 :世界@名無史さん:2000/11/20(月) 09:56
韓国人って、貧乏人が「うちは昔は金持ちだったんだ」と言ってるみたいで
格好悪い。
336 :日本@名無史さん:2000/11/20(月) 10:40
斎藤国治・元国立天文台教授「古天文学の道」(原書房)の
第12章「新羅・百済・高句麗の天文記録」より

三国史記の日食記録のうち、中国史書にもあるが、実は日食がなかったものは、
34B.C.、6A.D.、114、170、273、308、335、479、559、592年と多数あります。
国としての成立が遅かった新羅や百済にも、紀元前の記録があるのに、
592年〜787年まで195年間も日食の記載が途絶えているのは、極めて不自然。
三国並立時代最後の592年の日食も、中国史書をコピペしたのが実は日食がなかった例で、
これらからみて、三国時代の日食記録は中国史書のコピペでしょう。

景徳王の749年3月に天文博士一人、漏刻博士六人を創置したとの記事があり、
787年以降のものは天文計算と調和的で、ここからが観測に基づくものでしょう。

日本では、天智天皇が漏刻時計を作らせたとの記録があり、天武天皇の時代に
占星台を作ったとの記録があり、日食記録などを見ても、この面では日本の方が
新羅よりずっと早く中国文化を取り入れていたことが分かります。
しかし、日本ではこれは余り意味がないと考えたのか、直ぐに省みられなくなっています。
世界史レベルで朝鮮史を見る場合には、コピペ元の中国や、関連する日本などと
比較しないとその実状は見えてきません。
337 :日本@名無史さん:2000/11/20(月) 12:09
>335
更に、昔は金持ちだったと主張するのもウソだから、朝鮮は痛すぎる。
338 :名無しさん@1周年:2000/11/20(月) 22:10
朝鮮とウヨの共通項=デンパ、厨房

つまり、傍からみれば「目くそ鼻くそを笑う」というやつ。(ゲラ
339 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/20(月) 23:17
>>326
>>331
今日散佚、あるいは烏有に帰してしまった三国の歴史書は、次のとおり。

 高句麗は国初より漢文で、『留記』という史書百巻を著わした。その後、
 嬰陽王11年(紀元600年)になって、太学博士の李文真に『留記』を
 五巻に縮小した『新集』を改撰させている。

 百済は近肖古王30年(紀元375)に、博士の高興によってやはり国史
 を編纂させ、『百済書記』というのを著わした。『日本書紀』の中に引用
 されている『百済本記』『百済記』『百済新撰』なども、高興の著わした
 史書同様に百済人の手による百済の史書である。

 一方、新羅では眞興王6年(紀元545)、大阿食の荒宋に命じて国史を
 編修させた、ということが史書に記されている。

 以上のように三国はいずれも自国の歴史書を編纂し、時代とともに増補さ
 れていったのは間違いないが、今日においてはすでに散佚してしまっている。
 金富軾の手元には、如上の史書の流れをくむ第二次、第三次の史料が伝承
 され、それらを左右において採用、利用したと考えられる。

 三国史記の編纂当時は、高句麗・百済が滅亡されてからすでに5世紀の歳月
 が経過した時点である。新羅だけは上の二国の文化を吸収し、なおも国を保
 つこと二世紀におよんでいる。そしてこの統一期の新羅の文化はそのまま高
 麗に引き継がれたのである。したがって三国の史料の中もっとも豊富なのを
 高麗に残したのは新羅であるが、それに比べて高句麗・百済のは貧弱であっ
 たようで、本書を見ると、新羅に関しては比較的詳細に記述されているのに
 反して、羅・済はすこぶる疎略である。

 最後に本書に引用されている内外の資料は以下のとおりである。

 <朝鮮側の資料>
 三韓古記・海東古記・新羅古記・新羅古事・金大問の高僧伝・花郎世記・鶏林
 雑伝・楽本漢山記・崔致遠の文集・帝王年代暦

 <中国側の資料>
 三国志・後漢書・晋書・魏書・宋書・梁書・南北史・隋書・新旧唐書・通典・
 冊府元亀・資治通鑑・李勣の奏状・賈耽の古今郡国志・令狐澄の新羅国記

 これらの史料を引用するにあたり、中には撰者の不注意、あるいは誤認によっ
 彼我の史料の処理に誤謬を犯した箇所がまま見受けられる。時には、もとより
 間違った記述をしたのを検討を加えずにそのまま採用したものもなくはない。
 それに撰者の度を過ぎた中国への事大思想が露骨に表現された、いわゆる
 「史論」と称する、随所に挿入されている評筆は顰蹙を買うには十分である。
 とはいえ、本書は朝鮮に現存する三国・新羅統一期を通じての最古の正史であ
 る。そのへんはそれとして、朝鮮の古代の歴史、文化をさぐる上でもっとも重
 要な朝鮮側の資料として利用させてもらっている。
というのが『三国史記』訳者のひとりである故金思�Yの弁だな。
340 :日本@名無史さん:2000/11/20(月) 23:50
辺境で未開な新羅は、日本よりも占星台・漏刻時計の採用が100年近く遅れたように、
日本にとっては中国文化を伝える対象とは成り難い。

中国の植民地である楽浪郡の故地を分け合った高句麗と百済は、
中国系住民を多数取り込んでいただろうから、こちらは王仁博士など
中国人学者を提供すると言う形で、日本にも影響を与えたと考えられる。
341 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/21(火) 00:11
>>336
>景徳王の749年3月に天文博士一人、漏刻博士六人を創置したとの記事があり、
>787年以降のものは天文計算と調和的で、ここからが観測に基づくものでしょう。

朝鮮における漏刻にかんする最初の記録は『三国史記』にあらわれている。
この史料によれば、漏刻が初めてつくられたのは新羅の聖徳王17年(紀元718)
だね。漏刻典が設けられて、天文博士一人、漏刻博士六人をおいたのがご指摘のと
おり景徳王8年(紀元749)だ。

>日本では、天智天皇が漏刻時計を作らせたとの記録があり、天武天皇の時代に
>占星台を作ったとの記録があり、日食記録などを見ても、この面では日本の方が
>新羅よりずっと早く中国文化を取り入れていたことが分かります。

そうかな?日本のは554年に百済から日本に暦博士が渡来し、また、702年に、
日本でも漏刻博士、暦博士などの制度が設けられたと認識していたが・・・・。
「天智天皇が漏刻時計を作らせた」というのはおそらく671年製作と記されている
漏壺が4つある唐の呂才の水時計図のことをいっているのだと思うが、これは百済天
文学者の指導によってつくられたといわれているんじゃなかったかい?それとこの図
には「天智天皇御宇制といふ」とも書かれている。いつ頃つくられた図なんだろうか?
342 :日本@名無史さん:2000/11/21(火) 00:32
辺境で未開な新羅は、日本よりも占星台・漏刻時計の採用が遅れたと言っているわけ。

中国の植民地である楽浪郡の故地を分け合った高句麗と百済は、
中国系住民を多数取り込んでいただろうから、話は別。
343 :日本@名無史さん:2000/11/21(火) 00:34
どちらにしろ、古代東アジアでは、中国人の影響が甚大で、
朝鮮など取るに足らない存在と考えるべき。朝鮮は電波を発信しないように。
344 :名無しさん@1周年:2000/11/21(火) 01:32
>343
お前もな
345 :世界@名無史さん:2000/11/21(火) 02:03
しかしこいつは朝鮮が偉大だったら何か都合が悪いのだろうか・・・?
良く解らん奴だ。まあ、毎度ながらチヨヨン大先生に考察の甘さ、
ご都合主義を見抜かれ指摘されると、
「朝鮮は取るに足らない」しか言わなくなるな(藁

ところで郷札体・郷歌の件はどうなったんでしょう?
346 :日本@名無史さん:2000/11/21(火) 02:16
>>345
ヤツは単なる基地外クンです。日本史板の恥なんです。
佐幕派は朝鮮の手先のサヨクだとか、連日木の違った発言ばかりしています。
撲滅にご協力ください。
347 :世界@名無史さん:2000/11/21(火) 03:01
日本に対する朝鮮の影響力の大きさを誇示したがる
カンコックうざい。
348 :地球市民@:2000/11/21(火) 03:10
>>345
コリアの古典の話しを言ってはダメ。(ちよよん先生が一番答えられない事)
過去レス見てください。
349 :世界@名無史さん:2000/11/21(火) 03:32
郷歌のことって昔ハングル板にあった古典のスレッドでも聞いたことあるんだよな。
郷歌っていうのは日本の人麿呂以降の和歌のように一つの芸術的な形式として
発展していたものなのか、それとも古代の民謡のようなものなのかって。
でもちゃんとした答えは返ってこなかった。
やっぱり不明としか言い様がないんじゃないの?
350 :世界@名無史さん:2000/11/21(火) 04:46
三代目が編纂されたのは万葉集よりもかなり後だよね?
(韓国では万葉集が三代目を範として編纂されたという説もあるようだが)
やっぱり中国に近い分だけ自国語の文学よりも漢文学の方に重点を
置いていたから郷歌は発展も遅れたし、その後にもつながらなかったんじゃない?
351 :日本@名無史さん:2000/11/21(火) 08:08
古代も、辺境の新羅は中国文化の導入が遅れた。朝鮮のハッタリを
真に受ける奴は厨房。古代は中国人の影響力が甚大であることは明らかで、
この時代にも朝鮮は取るに足りない存在だったと認識するべき。

朝鮮は中国に近いのに、中国文化も一握りのエリートにしか定着せず、
日本の室町時代になるまで国字すらなかったほどで、庶民はいつまでも無知蒙昧なままだった。
----
朝鮮民衆文字「訓民正音」を作らせた、李氏朝鮮世宗の前書きの言葉は以下の通り。
「国之語音、異乎中国、與文字不相流通、故愚民有所欲言、而終不得伸其情者多矣、
予為此憫然新制二八字、欲使人人易習、便於日用矣」

(訳:我が国の言語は中国と異なり、文字も上手く通じない。だから愚民は
言いたいことがあっても自分の意見を言うことができない。私はこれを可哀想に
思って二八字を新たに定めた。人々が簡単に勉強できて、日常生活に便利に
なることを願ってのことだ)

電波な朝鮮人が言う、「民族意識の高揚に呼応するように」作ったものではない。
あくまで「愚民」の「日用」の為のもので、両班の高級な生活の為のものではなく、
訓民正音(ハングル)を蔑視し、公文書や支配層の文書では、絶対に用いなかった
352 :日本@名無史さん:2000/11/21(火) 08:22
日本は、古代から万葉集のような国文学が存在し発展していたが、
朝鮮はそのような発展がなく、新羅時代の朝鮮風の歌はほんの僅か。

それが悔しいひがみ根性の朝鮮人は、万葉集を横取りしようと恥ずかしい手に出たが、
まともな朝鮮人の研究者は、万葉集は朝鮮語で読めるものではなく、
日本文化であると当たり前の認識を表明している。
ひがみ根性の連中の声が小さくならないと、朝鮮が世界から相手にされない。
353 :日本@名無史さん:2000/11/21(火) 09:07
朝鮮人って、日本の繁栄を妬んでるのか?
今はアメリカから文化がやってくるんだから、朝鮮は日本の風下だぞ(藁
354 :日本@名無史さん:2000/11/21(火) 10:07
朝鮮は、中国文化を取り入れたと言う、当たり前のことを認識すべし。
そして、それを応用して、オリジナリティの高い文化を創れなかったことも認識すべし。
355 :世界@名無史さん:2000/11/21(火) 10:16
>>354

素晴らしいまとめ
的確
356 :名無しさん@1周年:2000/11/21(火) 10:57
>>354
朝鮮はコピペ野郎ってことね!
357 :世界@名無史さん:2000/11/21(火) 11:08
>>355-356
多少はログ読め。でないと自作自演と言われるぞ。
358 :関係ないが:2000/11/21(火) 12:19
オリジナリティの欠如=劣っているという図式は俺は認めない。
359 :世界@名無史さん:2000/11/21(火) 12:42
確かにね。
ローマはギリシャに比べればオリジナリティーには欠ける文化だと
言われる。ただ、実用性の高い文化だとも、同時に賞賛される。

で、要するに朝鮮はどういった賞賛される文化があるかだよね。

日本の場合も、オリジナリティーには乏しいが。応用に優れた文化
という評価はあてはまると思う。
360 :世界@名無史さん:2000/11/21(火) 12:46
>359
文化の通り道
361 :名無しさん@1周年:2000/11/21(火) 12:52
文化の谷間

東京=日本
大阪=支那
名古屋=朝鮮
362 :世界@名無史さん:2000/11/21(火) 13:00
それは名古屋に失礼だぞ。

信長・秀吉・家康も尾張三河の生まれだし。トヨタも三河。
トヨタが生み出したせこい生産方式は今や世界最高の水準に達している。
363 :世界@名無史さん:2000/11/21(火) 13:07
支那−>朝鮮−>日本の文化より、支那−>琉球−>日本文化のほうが
良質なものが入ってきていますね。よって、360 は文化のダートコースのほうが
適当かと!
364 :世界@名無史さん:2000/11/21(火) 13:18
>>351

たとえ自分の発言でも、他スレからのコピペであることを明記するように。
何度言わせるんだ。何の返答もないし。
365 :世界@名無史さん:2000/11/21(火) 16:42
>>364
日本語を読めないほど馬鹿だからコピペしかできないみたいなので
無視するのがいいでしょう。
366 :_:2000/11/21(火) 16:44
 
367 :_:2000/11/21(火) 16:44
 
368 :_:2000/11/21(火) 16:44
 
369 :_:2000/11/21(火) 16:44
   
370 :_:2000/11/21(火) 16:44
    
371 :_:2000/11/21(火) 16:44
     
372 :_:2000/11/21(火) 16:44
      
373 :_:2000/11/21(火) 16:44
       
374 :_:2000/11/21(火) 16:44
        
375 :_:2000/11/21(火) 16:44
         
376 :_:2000/11/21(火) 16:44
          
377 :_:2000/11/21(火) 16:44
           
378 :_:2000/11/21(火) 16:44
                 
379 :_:2000/11/21(火) 16:44
                    
380 :_:2000/11/21(火) 16:44
                       
381 :_:2000/11/21(火) 16:44
                          
382 :_:2000/11/21(火) 16:44
  
383 :_:2000/11/21(火) 16:44
    
384 :_:2000/11/21(火) 16:44
       
385 :日本@名無史さん:2000/11/21(火) 17:38
朝鮮は都合が悪いスレは直ぐ荒らすのが最低
386 :世界@名無史さん:2000/11/21(火) 18:25
>>363
磁器や華厳教はどうなんだよ?
建築技術だって半島から入ってきてるじゃんか。
別にだから感謝しろとは言わないが(恩を押し付けたり訳のわからない
優越感を振りまく韓国の国民感情は俺も嫌い)、歴史的な事実くらい
ちゃんと認めろよ。問題なのはそれをどう解釈するかのイデオロギー的
なことじゃないのか?
387 :日本@名無史さん:2000/11/21(火) 18:49
西洋では、磁器のことをchinaと言ったように、例によって中国文化のコピペ。
建築技術も、もちろん中国からのもので、朝鮮は通過点に過ぎない。
朝鮮は中国文化のコピペばかりで、オリジナリティに乏しい癖に、詐称するな。
388 :世界@名無史さん:2000/11/21(火) 19:31
>>387
頭悪いね。>>363をよく読んでから発言しなさい。
389 :世界@名無史さん:2000/11/21(火) 20:46
>>385
状況から見て都合が悪いのは日本史@電波の方にしか見えないんだが、
やはりこれは得意のご都合主義史観により朝鮮になるのか。
390 :日本@名無史さん:2000/11/21(火) 21:01
やはりハングル板のヒット数は多いな。中国板は少ない

1 ニュース速報 1752
2 モーニング娘。 1311
3 ちくり裏事情 1135
4 選挙、議員 1089
5 サッカー 808
6 廃墟ロビー 778
7 車 764
8 家庭用ゲーム 741
9 芸能有名人 738
10 テレビ番組 736
・・・
76 ハングル 153
・・・
93 日本史 125
・・・
154 世界史 65
・・・
230 中国 23
391 :日本@名無史さん:2000/11/21(火) 21:03
朝鮮の手先の389は、何らの根拠も提示せずに主張し、頭の悪さを披露している。
392 :世界@名無史さん:2000/11/21(火) 21:26
>>391
お前が馬鹿にされたのに腹を立てて荒らしてるだけやん。
邪魔だ。失せろ。
393 :世界@名無史さん:2000/11/21(火) 22:17
日本は偉大だ。何たって森首相を産んだ国だ。
なあそうだよな?>391
394 :名無しさん@1周年:2000/11/21(火) 23:32
古代史スレじゃなくなってるぞ・・・
山上王の話をしてくれ、大先生
檀君なんかも変なのがいなくなったら
話してみたいな・・・
395 :世界@名無史さん:2000/11/21(火) 23:44
【郷歌と民族情緒】�@
>>296 >>297 >>345 殿 回答が遅くなって申し訳ない。
>日本の万葉仮名・和歌に相対する、朝鮮の郷札体・郷歌は、
>何でその後、日本の仮名よろしく朝鮮で発展しなかったんでしょうか。
>やはりこれも、万葉集同様、庶民による作品もあったのでしょうか。

漢字の音と訓を利用する表記法(郷札・吏読)によってつくられた郷歌は、
貴人から庶民にまで親しまれたといわれている。その歌集『三代目』が9
世紀末に編纂されたというが、今日まで伝わるのは『三国遺事』に残るわ
ずかに十四首のみだ。ここでも朝鮮史の元凶である「事大主義」が問題の
種を残している。

郷歌といっても、特定の範疇や様式におさまる詩集ではなく、単一のジャ
ンルの概念ではあらわせない。そこには民間伝承に根ざす民謡や呪歌もあ
れば、仏教の斎式で使ういわゆる仏讃もあり、また純粋な創詩の行数から
みた形式面でも、四句体、八句体、十句体などに区分できる。このため、
郷歌という用語は、文学的にみて、文学ジャンルの概念と関連させて考え
なければならない。つまり、郷歌は、新羅文化の多様性や複合性を反映し
たさまざま詩歌のジャンル群にたいする総括的な名称といえよう。

したがって、郷歌という用語を例えば、詞脳歌とか東土歌などに置き換え
てすませられるというものではない。郷歌と一般によばれているジャンル
群をどのように分類するかに問題は集約されるのである。最近の学会では
郷歌を祭神歌、詞脳歌、民謡などに分けているのはこうした問題意識を反
映したものである。

こんにち、郷歌として知られている詩歌の一部が、詞脳歌とよばれている
のも事実である。詞脳歌には、その歌調に一定の律格があったと記録され
ている。またいくつかの地方で、その地方固有の詞脳楽があったというこ
とも『三国史記』楽志が伝えている。郷歌ではないが、たとえば、身空詞
脳歌のような作品も別にあった。このような詞脳歌、あるいは詞脳楽に関
する記録を総合してみると、「詞脳」は民謡、民俗楽などと関係している
ようだ。すでに述べたが郷歌が部分的にせよ、詞脳歌とよばれたことから
考えても、この関連は郷歌にも見出せる。つまり、郷歌の一部は民間伝承
と深く結びついているのである。

薯童謡は、薯童という名もない一人の男性が身分の高い女性を妻とし、つ
いに有名になったという伝説に登場する。この話の骨子は典型的な民間散
文で、『三国史記』にある温達伝を連想させるものだ。最近まで伝えられ
ていたものに、有名な地下大賊(怪物)の話がある。名もなく身分も低い
家の総角(未婚の男性=チョンガ)、あるいは資格の認められない総角が
はかりごとをめぐらしたり、冒険や宝捜しなどの試練をへて、やっと新婦
を迎える資格をそなえて結婚し、名をあげたという話の骨子は朝鮮では親
しみ深い話である。これは民間散文の王道ともいえるもので、東盟王の父、
解慕漱の結婚に関する神話にもこのすじがきが含まれている。

ところで、薯童伝承の後半部は、いわゆる仏刹の縁起説話と結びつけられ
ている。つまり、王興寺がどのようにして創建されるようになったかとい
う話で、薯童伝承は終わっている。この点からみると、薯童伝承は仏教と
結合した民間伝承と考えられる。したがって薯童謡という郷歌は、民間伝
承と仏教が結合した信仰生活を反映してつくられた詩歌という性格を示し
ている。

また、薯童謡には愛情を託した呪歌という一面もあり、歌そのものにも民
間伝承にみられる歌、つまり民間韻文の性格がある。薯童謡は、願望を歌
に託し、それを既定の事実として描写している。そこには願望を描きだし
たり、歌をうたって、期待する結果を実現させようとする呪術心理が働い
ている。
396 :世界@名無史さん:2000/11/21(火) 23:46
【郷歌と民族情緒】�A
郷歌にみられるこのような呪歌的な要素は広い分野に及んでいる。叙情性
の優れた怨歌(737年信忠がつくった郷歌)にもふくまれている。また、僧
侶が作った彗星歌は、郷歌のなかで個人が作った叙情詩の頂点といえる耆
婆郎歌や慕竹旨郎歌などとともに、堂々とした十句体の詩脳歌だが、その
内容はすべて呪歌である。

郷歌のなかでももっとも怪奇なものとして有名な処容歌(9世紀末処容郎が
作った)は呪歌の雄である。熱病の神を追い払うため、医巫の呪術的な祭
儀に祈願した伝説−−−神聖伝説を背景にしている。また、この処容歌には、
その祭儀の主宰者を竜神として神格化する誕生由来伝説もふくまれている。
このように伝説と祭儀とを基盤にしている処容歌は、家々の厄鬼を追い払
う門神としてあがめられ、かれと因縁づけられた寺が建てられた。ここでも、
民間伝承が仏教と結合した例をみることができる。

呪歌的な要素は、純粋に仏教信仰を表そうとしたと思われる作品にも浸透し
ている。祭亡妹歌(8世紀中ごろ月明和尚がつくった)は、人間の虚無を信
仰の力で克服しようとする願いから生まれたものである。

『三国遺事』におさめられている十四首の郷歌のうち、八首詩歌に呪歌、
あるいは呪歌的な要素の存在がわかった。さらに、その一部は民間伝承、
つまり伝説の枠の中に入っていることもわかった。これは郷歌が民間伝承
を背景とした呪術的な民間信仰と結びついて成長してきたことを示してい
る。郷歌の源流はこのようなところにあり、仏教的な祈願の詩にも、創作
叙情詩にも見出すことができるのである。

「郷歌と民族情緒」金烈圭
397 :日本@名無史さん:2000/11/22(水) 02:08
北鮮の歴史捏造、檀君陵(藁
398 :日本@名無史さん:2000/11/22(水) 02:23
日本の鎌倉時代になってようやく作られた「三国遺事」に14首しかないとは少なすぎ。
日本では、万葉集は奈良時代に約4500首も残されてるのとは大違い。
それに、吏読って、続日本紀などの宣命書きと同類で、漢文調に助詞を加えたようなもので、
完全に音を使っているものも多い万葉仮名に比べて、不十分。

国文学は、質・量ともに日本が圧倒していますな。朝鮮の女性蔑視体制だと、
平安時代の女流文学のようなものは、産み出される背景がないだろうし。
古代〜近世の日本人は、中国文化に敬意を表しながらも、それに溺れることなく、
国文学も育んできたのが立派なところ。
399 :日本@名無史さん:2000/11/22(水) 02:29
朝鮮には、世界史レベルで語れるような、国文学が存在しないことが良く分かる。
400 :世界@名無史さん:2000/11/22(水) 02:55
>>398
失われただけだろ?
>>397
少しわかりにくいな。貴人から庶民まで親しんだという根拠はあるの?
確か現在伝わる郷歌のほとんどは均如上人の作ですよね?
そういう記録がちゃんと残ってるんでしょうか?
それと>>396を読む限りはどっちかというと、万葉集よりは後世の梁塵秘抄や
琉球のおもろそうしに似たような感じがします。
401 :世界@名無史さん:2000/11/22(水) 06:52
>>398
朝鮮の女性蔑視体制

今手元に本が無いんで引用はできないけど、李氏朝鮮以前の朝鮮は女性にも
かなりの相続権があり、また女性の中でも紫式部ばりに漢文が堪能な女性もおり
社会的な尊敬も集めていたそうで、必ずしも男性優位の社会であるとはいえないらしい。
まあ、政治的発言力はあんまり無かったかもしれないが、それは
どこでも大体そうだし。
402 :CC名無したん:2000/11/22(水) 07:25
日本のマネして儒教を取り入れてから女性蔑視になったんだよな。
403 :日本@名無史さん:2000/11/22(水) 08:06
>417
馬鹿かおまえ。儒教の発祥地の中国よりも
真に儒教の邦なんだと自負していた朝鮮だぞ。
日本の真似なわきゃねえっつうの。
404 :日本@名無史さん:2000/11/22(水) 08:40
>418
日本の真似だったらもっとまともだもんね。
405 :世界@名無史さん:2000/11/22(水) 08:47
>>416
それ本当?ソースを早くお願い。嫌味じゃなくて本気で。
日本にしても平安時代って実際は女性蔑視の社会でしょ。
女性が社会的尊敬を集めるようなことって少なかったんじゃない?
平安女流文学もある意味女性の社会的地位の低さ故に発展したような気も
するんだけど。中国も女性蔑視社会だし、朝鮮だけ違うとなれば
何故そうなったのか興味深い。
406 :世界@名無史さん:2000/11/22(水) 08:55
古代仏教の話はどう?
新羅の元暁の思想が親鸞に似ているという話を聞いたけど、
法然、親鸞への元暁の影響とかっていうのは考えられないのかな?
でも鎌田茂雄の本を読むと、元暁の根本思想は宥和の思想だと書いてた。
宥和の思想っていうのは親鸞の思想と矛盾してるとも聞いた。
仏教なんてほとんど知らないから詳しいことはわからないけど。
でも元暁は女犯をおかした破戒坊主という意味でも親鸞の先輩みたい。
中国の浄土教と元暁の浄土思想と法然、親鸞の思想について類似点と
相違点を教えてもらえたら、と思います。
407 :日本@名無史さん:2000/11/22(水) 09:23
>>420
平安時代は、女が男を手玉に取っていた時代です。
408 :世界@名無史さん:2000/11/22(水) 09:38
>>422
世界人類史上でそうでない時代がいつあったんだ?
409 :422:2000/11/22(水) 09:41
>>423
ギャフン...
410 :日本@名無史さん:2000/11/22(水) 10:48
>420
サヨク史観に犯されているな。
平安時代は、女性が財産を継ぐことが多く、男が入り婿となって出入りしている例が多い。
もう少し時代が下って、北条政子も、貴種の源頼朝と婚姻しても、実家に留まっていた。
南北朝・室町時代の動乱を経て、女性の地位が下がってきたが、
戦国時代のルイス・フロイスなどバテレンの記録を読んでも、ヨーロッパの女性より遙かに自由で、
教養も身につけていると指摘されている。
411 :世界@名無史さん:2000/11/22(水) 11:26
>>425
社会的地位は明らかに低いだろ?
ほとんど家から出れなかったんだぞ?
かえって戦国時代の方が地位は高かったんじゃないか?
412 :日本@名無史さん:2000/11/22(水) 11:54
>ほとんど家から出れなかったんだぞ?
妄想で発言するな。あちこちに出かけなければ、文学のネタが限られるぞ。
平安時代の王朝女流文学のように、この時代に女性文学が華咲いた国は、日本以外にあるか?

朝鮮は平安時代末期の「三国史記」が、最古の歴史書で、他の分野も
紫式部が活躍した時代の書は、殆ど何も存在しないんじゃないか?
413 :世界@名無史さん:2000/11/22(水) 11:58
>>427
失われただけだろ?
414 :世界@名無史さん:2000/11/22(水) 11:59
>>427
ネタは十分限られてるじゃん。
415 :日本@名無史さん:2000/11/22(水) 13:07
>失われただけだろ?

ぷぷぷっ、苦しい言い訳。
残っているものから類推しても、朝鮮の国文学は非常に貧弱だったことは確実。
エリート層は漢人に憧れて、日本の室町時代になって、国王が愚民を哀れんで、
訓民正音(ハングル)を作ったが、これを蔑視して使わなかったように、
エリートたちは漢人と言う意識だったのだろう。
庶民が愚民のまま放置されていなかったら、鮮卑などのように、漢人に同化して、
オリジナリティなしで属国根性の朝鮮と、蔑視されずに済んだことだろう。
416 :日本@名無史さん:2000/11/22(水) 14:21
>430
民族が消滅してしまうよりマシだろ。中華、ロシア、モンゴル等ユーラシア大陸北方
ランドパワーの中小さな半島で民族を保てたのは並大抵のことでは無いぞ。
417 :日本@名無史さん:2000/11/22(水) 14:30
つーか、朝鮮人が民族意識を持ち始めたのは最近のことだろ。

日本人は、律令体制に入った頃に、民族意識を持ち始めたようで、
元寇を期に、一気に民族意識が高くなっている。
418 :世界@名無史さん:2000/11/22(水) 16:10
元寇なら朝鮮人も同じだろ。特に秀吉倭寇の時はかなり高かったそうだしな。
419 :民主支持:2000/11/22(水) 16:54
>>425

そんなものは教科書に載ってますよ。
サヨクがどうこうなんて関係ないね。で、朝鮮については
君の意見はどうなんですか?
420 :民主支持:2000/11/22(水) 16:59
訂正)

朝鮮については
君の意見はどうなんですか?→×

失敬。最期まで読まずにレスしちまった。
421 :日本@名無史さん:2000/11/22(水) 18:26
>元寇なら朝鮮人も同じだろ。

朝鮮は、ずっとどこかの国の属国だったわけで、民族意識など高まらなかった。
聖徳太子以来、中国に冊封を受けず、独立路線を取り続けていた日本は、
世界最強のモンゴルを撃退したわけだから、民族意識はより高まっている。
当時の文献や、北畠親房「神皇正統記」などを見ると分かる。
422 :日本@名無史さん:2000/11/22(水) 18:46
朝鮮は、モンゴルに征服された時には、未だ国字が存在しない有様で、
民族主義的な運動を広めるには、国字で書かれた書物の伝搬が大きいから、
この状態ではどうしようもなかったでしょう。

日本の室町時代になって、李氏朝鮮の王が愚民を哀れんで、訓民正音(ハングル)を
制定したけど、事大主義のエリート層はこれを蔑視して使わなかったし、
庶民への普及も遅々としたもので、民族主義が高まる要素に欠けていたことは明らか。
423 :世界@名無史さん:2000/11/22(水) 20:29
平安女流文学っていっても当時は婦女子の遊びくらいに
しか思われてなかったんだろ?
日本でも正統な文学は漢文学だったんだしさ。
女性は社会的なことに関わらない閉鎖的な世界にいて、
更に漢文学の男と同じ土俵での表現が不可能だったことが
結果的にあのような普遍的な文学の誕生につながったみたい
なことをドナルド・キーンが書いてたような。
その辺は異論があるにしても女流文学が隆盛だったことが、
女性の地位の高さと直接に関係するとは思えんが。
424 :世界@名無史さん:2000/11/22(水) 20:31
>>437
文字の有無だけで民族意識の高まりを量れるのか?
425 :世界@名無史さん:2000/11/22(水) 20:32
>>437

コピペはコピペと書けって言ってるだろうが。
426 :日本@名無史さん:2000/11/22(水) 20:53
古今集を初めとした勅撰和歌集が次々と作られたように、
時代によって重みは違うが、中国文学と同様に、国文学も重視されている。
古今集の六歌仙に小野小町が選ばれているように、早い内から女流作家が評価されている。
紫式部は、「日本紀の局」とあだ名されたように、漢文にも優れた才能を有していた。
427 :世界@名無史さん:2000/11/22(水) 21:06
漢文学の素養だろ?
漢文の作者として評価されてた訳じゃないんじゃないの?
428 :世界@名無史さん:2000/11/22(水) 21:10
>>441
国語の文学が盛んじゃないといけないの?
漢文だろうが文学が盛んだったらいいじゃない。
君は菅原道真の漢詩は嫌い?
429 :名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/11/22(水) 21:29
郷歌でも呪歌の年代が意外に新しいのは何故なんだろうか。
万葉より後の時代に呪歌が存在してるのは不思議。何故?
中国文明の影響をより受けているならもっと早い時代に呪歌が現れているほうが自然だと思う。
研究書では理由はどう説明されています?
430 :世界@名無史さん:2000/11/22(水) 21:36
>>444
日本でいう神楽歌みたいなものなのかな?
431 :445:2000/11/22(水) 21:40
何か変なこと書いちまった。
445は取り消しです。
古い時代のものが残ってないだけとも考えられない?
432 :444:2000/11/22(水) 22:13
>>446
万葉でも呪的な部分は時代の変化に伴って人麻呂あたりを境に急速に薄れる。
古い時代のものが残ってないにしても呪歌が比較的新しい時代まで残るというのが…。
もしかして統一王朝ができたのが大和より遅れたのが原因なのかな?
433 :世界@名無史さん:2000/11/22(水) 23:08
>>447
日本では人麿呂の存在が大きいんじゃないか?
人麿呂の登場で歌謡の文学的な側面が強くなったとか。
434 :日本@名無史さん:2000/11/23(木) 03:06
国文学を比較すると、殆ど何もない朝鮮とは大違いで、
日本の万葉集などの和歌、王朝女流文学の方が、ダントツで上だな。
435 :↑:2000/11/23(木) 07:01
はいはい、いつもの差別主義の強靭ね。で、いつ氏ぬの?
436 :世界@名無史さん:2000/11/23(木) 08:46
郷歌っていうのは一つの形式の名前じゃないっていうから、
日本でいうなら和歌だけじゃなくて神楽歌とか宴曲とかを含めた
歌謡全体の総称だと考えればいんじゃないの?
日本の歌謡っていうのもよく知らないけど、和歌以外なら平安以降
も呪歌的なものはあるんじゃないの?
437 :日本@名無史さん:2000/11/23(木) 11:48
>450
タチが悪いひがみ根性の朝鮮は、中国や日本の業績を詐称して、空威張りするので、
そのウソを暴いて事実を述べると、こいつはワンパターンの愚痴をこぼすしかなく、
全く反論できないバカさが痛すぎる。
438 :関係ないけど:2000/11/23(木) 11:52
>452
君も暇人だねぇ。東洋に資本主義が〜の9です、コイツは。
2ch版zakoかも、、
439 :世界@名無史さん:2000/11/23(木) 12:12
>>449
中国と比べると日本はダントツで下だね
440 :日本@名無史さん:2000/11/23(木) 12:39
>454
古代はそうだったが、近代以降は日本の方がダントツで上。
朝鮮は、いつの時代も全然ダメ。
441 :世界@名無史さん:2000/11/23(木) 12:50
>>455
近代以降でもダントツで上なんて言えるほどじゃないよ。
特に現在は中国の方が上かもしれない。
442 :世界@名無史さん:2000/11/23(木) 13:36
確かに、今の日本は寒いな。
443 :世界@名無史さん:2000/11/23(木) 13:54
中国の?どこがあ。
10年前の世迷い言か?
444 :世界@名無史さん:2000/11/23(木) 14:29
458みたいなのがここにまで入り込んできたのは不幸なことだな。

無知って恐ろしいね(藁
445 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/23(木) 16:03
>>444 >>447 >>448 >>451
【郷歌と民族情緒】�B
朝鮮で現在まで伝わる最古の呪歌は、待ちこがれる神の出現を、
亀の顕首で招来させようとした亀旨歌であるといわれている。
『三国遺事』巻二 紀異第二 駕洛国記に、
 後漢の世祖、光武帝の建武18年壬寅(紀元42)3月、禊
 浴(沐浴)の日に、彼らが住んでいた村の北側にある亀旨
 (峰の名前)に、みんなを呼ぶ怪しげな声がした。村の衆二、
 三百人がそこへ集まって行くと、人の声は聞こえるが、姿は
 見えない。その声は、「ここに人がいるか?」と聞く。九千
 らが、「われわれがおります」というと、また「ここはどこ
 なのか?」と聞く。「亀旨であります」と答えると、声はま
 たこういった。「皇天が、私にいいつけてここにこさせ、国
 を新しく建てて、私をここの君主になれといわれたので、い
 まここに降りてきたのだ。お前たちは、峰の頂上の土を掘り
 ながら、つぎのように歌いなさい。

  亀よ亀よ 頭だせ ださずんば やいてたべるぞ

 このように歌いながら舞を踊れば、それで大王を迎えて、喜
 び踊ることになるのだ」
とある。
446 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/23(木) 16:05
【郷歌と民族情緒】�C
金烈圭は純粋に仏教信仰を表そうとしたと思われる作品にも
呪歌的な要素が少なからずあるように思われると指摘している。
が、それはこれら一群の郷歌を取り扱うかぎり、郷歌は民間伝
承を背景とした呪術的な民間信仰と結びついて成長してきたと
いう源流をもっているがゆえに、その詩歌的な審美性と、それ
に付随する現実的な効果とを切り離しては考えられない。審美
観と実利観とは表裏一体の関係だからであるという考えに基づ
いているからである。つまり、本来呪術的な要素がないとされ
た仏教的な祈願の詩や創作抒情詩にもみようと思えばみること
もできるだろうといっているのである。

祭亡妹歌は、人間の虚無を信仰の力で克服しようとする願いか
ら生まれたものである。また、人間が試練を経験することによっ
て、仏事に帰依する心を深めることを祈願している。しかしこ
の祈願が突然おそった強風によって西方へ飛び去る紙幣で具現
されたとき、この歌が結果においてもちえた呪力を推定するこ
とができる。兜率歌も、やはり仏教的な祈願をもりこんだ詩歌
である。しかし、そのなかにも呪術的な面がまったくないとは
いいきれない。観世音菩薩に祈って、盲目の子供の目をあけた
という千手大悲歌もこれらと同じ範疇に入れてよい。祭亡妹歌
と兜率歌には、すでに呪歌特有の命令形の言語もなく、脅威的
な言葉もみられない。また、薯童謡や彗星歌のように呪術心理
の投影もみられない。結果的に、願いごとの効能は除かれて本
来の詩歌として歌われ、祭亡妹歌は信仰心と情緒をおりこんだ
抒情詩といえるし、兜率歌と千手大悲歌は仏教を祈願したもの
といえる。
447 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/23(木) 16:06
【郷歌と民族情緒】�D
民謡的な伝統から抜け出した創造詩では、抒情性はこの実利観
(=呪術性)からの離脱を前提とするよりほかなかったのだろ
う。それは、呪術性を脱皮し、抒情性を凝縮してポエジーを求
めた耆婆郎歌や慕竹旨郎歌をみればわかる。これらの歌は仏教
的な信仰心と詩的な抒情とを調和させながら、生の虚無を乗り
越えようとした祭亡妹歌の余韻をいっそう玄妙に反映している。

願往生歌(8世紀はじめごろ、広徳が作った。)にも祭亡妹歌
と非常によく似た情趣あふれる抒情性がある。西天にかかる月
ひとつにも信仰心を寄せざるをえない悲しいまでに弱い人間が、
永遠の世界から捨てられた存在の自分を克服したいと願ったも
のである。これらの詩は虚無に深く沈むほど、人間を久遠と対
立させえないものであることを示している。自らの運命に余る
人間悲歌こそがまさに絶対的なもの、永遠なものに捧げる人間
賛歌であるということを示している。

生とは、ただ荒れはてた砂利の多い畑のようなものと悟ってい
るので、紺碧の川の流れに映る明るい月影を詠うか、あるいは、
霜がおりてもかえって青々としている朝鮮松のように、永遠に
生きるものへの賛歌がうたわれたのである。これらの詩は、人
間の存在が絶対的なもの、あるいは永遠なものに対する悲しい
「対称的存在」であるということを悟ったもので、それ以外の
何物でもなく、絶対と永遠の道はないのだと語っている。これ
らの詩は、韓国詩史が永遠に忘れてしまったようにみえる信仰
と詩的な抒情、形而上学的な瞑想と詩的情緒の諧調、およびそ
の形象化という見本を備えて今のひとつの啓示として残っている。
448 :世界@名無史さん:2000/11/23(木) 16:51
>>459

まあ、内部分裂の芽があるからね。
21世紀の大国になるには、あまりに人口の圧力が大きすぎるし。
アレだけの領域を統治していながら、穀物を輸入してる国だから。
これ以上増えたら、本気で危ない。
449 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/23(木) 18:03
>>432
>日本人は、律令体制に入った頃に、民族意識を持ち始めたようで

日本が、大和の天皇制古代国家の体制を整備強化するために、必要
だった、大陸文化、特に唐の律令文化の受容と摂取は、当時、唐と
の直接交渉が不可能な状態だったため、新羅を媒介として唐文化に
接触したんじゃなかったか?日本は669年から702年までの間、
諸事情により、遣唐使を派遣できなかったと記憶しているが。
450 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/23(木) 18:17
確かに和歌では女性の活躍が目立つ。当時の女性の社会的地位はと
ても低かったのに、これはどうしてであろうか?>>438さんのレス
にもう少しつけ加えると、その謎をとく鍵として、平安時代の才人
藤原公任(ふじわらのきんとう)の逸話がある。当時、貴族社会で
は、桂川の上流である大堰(おおい)川に漢詩、和歌、管絃(音楽)
の3種類の芸能を競う船を浮かべる遊びがあった。公任はどの船に
のっても他を圧倒する「三船の才」の持ち主だったが、ある日和歌
の船に乗り、はたして好評を博した。そのとき公任は「和歌でこん
なにほめられるなら、漢詩の船に乗ればよかった」と悔やんだとい
うのである。和歌の地位は漢詩よりも低かった。社会的地位の低い
女性の大半は和歌に専念することになる。しかし、外国の真似であ
る漢詩には本国以上のものはあらわれず、自分の気持ちを自分の言
葉で詳細に表現できる和歌が後世に残ったのである。和歌の分野で
こそ女性は活躍したが、当時それ以上に高く評価されていた漢詩に
女性の出番はほとんどなかったのであり、平安文学で女性が活躍し
たというのは、後世から見て言えることなのである。
451 :世界@名無史さん:2000/11/23(木) 19:14
同じ頃、朝鮮人女性はどんな文学的な活躍をしていたのだろう。
452 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/23(木) 19:32
一方的なレスが続いて大変恐縮ですが、ご容赦を。

『万葉集』は、巻数二十巻、歌の総数4516首(『国歌大観』準拠)
にもおよぶ日本で最も古い歌集である。その中でも仁徳天皇二年
(紀元314)の歌(第二巻85〜89)が、収録されているもの
のなかで最も古く、最後の歌は惇仁天皇二年(紀元758)のもの
(第二十巻4516)といわれている。

一方の郷歌は、真聖女王の時代に、大矩和尚と魏弘が歴代の郷歌を収
集して『三代目』という郷歌集を編纂したというがすでに散佚。わず
かに『三国遺事』に十四首のみ(高麗のはじめに均如が作った十一首
をあわせるばあいもあるがここではのぞく)である。こういう事情か
ら、現時点において『三代目』など朝鮮の郷歌が日本の『万葉集』と
どのくらいの関係があるのか、はっきりと結論をだすことはできない
だろう。

ただ、万葉仮名の使い方は、漢字で朝鮮語を表記した「郷札(ヒャン
チャル)」という方法に酷似している。そのため、日本語を漢字で表
記する方法としての万葉仮名を考えたのも渡来人ではないかと考える
学者もいるということである。しかし、日本語の発音が単純であるた
め、万葉仮名が仮名へと進んだのに対し、より発音体系の複雑な朝鮮
語を表記する郷札はやたらと難解なものとなり、すたれていった。そ
れ以後、朝鮮では会話は朝鮮語で行う一方で文章は漢文で書くように
なったため、古い朝鮮語の語彙は研究者の努力にもかかわらず、ニ、
三百語程度しか集まっていない。朝鮮語を示す「吏読(イドゥ、りと
う)」という方法もあったが、これは漢文の所々に朝鮮語のてにをは
を特定の漢字で挿入するもので、「郷札」のような本格的な朝鮮語表
記とは異なっている。

ちなみに、朝鮮の漢文訓読は、返り点を用いない。「有朋自遠方来、
不亦楽乎」を日本の漢文は「ともありえんぽうよりきたる、またたの
しからずや」と読むが、朝鮮漢文では、「朋」「来」「乎」のあとに
ハングルで付属語を書き、そのままの順に読んだ。ハングルが作られ
る以前には付属語と似た音の漢字を横に小さく書いた。日本語にあて
はめれば、「有朋が自遠方来ならば不亦楽乎じゃのう」という感じで
ある。

このような訓読の仕方から、「不可不」(必ず)、「甚至於」(甚だ
しきは)、「于先」(まず)といった語が朝鮮語に入った。日本漢文
では「〜せざるべからず」「はなはだしきは〜にいたる」「さきに」
というような読み方をしたので、このような漢語は考えられない。
453 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/23(木) 20:49
>>466
それをいわれるとつらいね。ただ、
 「訓民正音」の原本(漢文)は長く 失われ、そのハングルによる注釈本
 (諺解)だけが伝えられるという期間が長かった。そのため、字形の起源
 が分からず、障子の枠や丸い引き手から考え出されたなどという俗説が長
 く行われていた。「訓民正音」の原本が慶尚北道の旧家からみつかったの
 はやっと1940年のことであった。
ということだし、『三代目』の写本でもどこかでみつからないかな。

上の引用も含め朝鮮語と日本語に関する豊富な情報が掲載されている、下
のHPをご参照されたし。以前、ハングル板が健全だったときに「韓国語と
日本語の語彙」のスレで紹介されていたものだから、もう既に知っている方
が多いとは思うが。
「ことばの散歩道」
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6084/kotoba.htm
454 :日本@名無史さん:2000/11/23(木) 23:57
>464
>当時、唐との直接交渉が不可能な状態だったため、新羅を媒介として唐文化に
>接触したんじゃなかったか?日本は669年から702年までの間、
>諸事情により、遣唐使を派遣できなかったと記憶しているが。

そうじゃなく、百済救援のために唐と倭国は戦って、敵国となったからだろう。
一方、百済・高句麗が滅ぼされ、唐と直接に国境を接するようになった新羅は
国家存亡の危機を感じたから、倭国に頻繁に朝貢したと言うこと。
辺境で未開な新羅は、占星台や漏刻時計の採用が日本より遙かに遅れているように、
中国文化の媒体としては、使い物にならない。
白村江で捕虜になった中国人学者や百済や高句麗からの亡命者が多数来たことは、
日本書紀に載っている通り。

702年に遣唐使を送ったのは、大宝律令を制定し、年号を継続的に使用することを決定し、
倭国から日本に改名したことを伝えるためだろう。唐書には、日本の使者が尊大だと記している。
455 :日本@名無史さん:2000/11/24(金) 00:02
>ただ、万葉仮名の使い方は、漢字で朝鮮語を表記した「郷札(ヒャン
>チャル)」という方法に酷似している。

いい加減なことを言うな。万葉集の万葉仮名には幾つかのやり方があり、
続日本紀の宣命書きのように、漢文調に、てにおはを加えたものもあるが、
全く日本語を表記するための、音としてしか使っていないものも多い。
後者は朝鮮には存在しないもの。
456 :世界@名無史さん:2000/11/24(金) 00:16
>>465
>社会的地位の低い女性の大半は和歌に専念することになる。

それは当たってはいる面もあるけど。そもそも官職にはつけない女性が
漢文を駆使することは無かった。
しかし、日記文学や物語、和歌の分野で女性が活躍したが、それだけの
一流の知識を持つ女性がいたということのほうが凄い事ではあったと思う。
女流文学が後世の評価とはいうが、非常に多く写本されて読み継がれたから
こそ、今に原文が残っている。室町期には、今に伝わる源氏物語絵巻も
出来る。中世でこれだけの高い評価を受けた女流作家というのは、世界史の
流れでも、他にあまりいないと思うが。源氏物語は物語とはいうものの、
世界最初の小説だという学者もいるくらいだから。
457 :世界@名無史さん:2000/11/24(金) 00:18
朝鮮人の自信は一体どこから湧いてくるんだ?
劣等コンプレックスが反作用しているのか?
悪いこといわないから東南アジア辺りの国と
はりあっときなさい。
458 :471:2000/11/24(金) 00:21
小説と物語の違いは、いまいち自分の中で曖昧なので、
突っ込まんでね。フィクションとストーリーの違いが
いまいち整理できん。なので、そこは取り下げる。
459 :世界@名無史さん:2000/11/24(金) 00:57
万葉仮名を渡来人が考えたっていう説は滅茶苦茶だよ。
もちろん半島に似たような表記方法があって、それに影響を
受けたことは確かだろうけど、万葉仮名はそもそも日本語を
理解出来る人間じゃないと考えるのは不可能だったはず。
まぁ一人で考え出されたものじゃないだろうし、時間をかけて
作り出されていったものだろうから、渡来人の協力もあった
だろうけど、基本的には日本人が考えたものと考えるべきじゃ
ないかな?ここでいう渡来人は1世だけです。
日本で生まれ育った人間まで渡来人渡来人というのは変。
460 :世界@名無史さん:2000/11/24(金) 00:59
万葉仮名を渡来人が考えたっていう説は滅茶苦茶だよ。
もちろん半島に似たような表記方法があって、それに影響を
受けたことは確かだろうけど、万葉仮名はそもそも日本語を
理解出来る人間じゃないと考えるのは不可能だったはず。
まぁ一人で考え出されたものじゃないだろうし、時間をかけて
作り出されていったものだろうから、渡来人の協力もあった
だろうけど、基本的には日本人が考えたものと考えるべきじゃ
ないかな?ここでいう渡来人は1世だけです。
日本で生まれ育った人間まで渡来人渡来人というのは変だよ。
461 :世界@名無史さん:2000/11/24(金) 01:00
2重カキコすまん。
エラーが出たから書き直したんだが・・・
462 :世界@名無史さん:2000/11/24(金) 01:07
>>460 >>461 >>462
悪いけど翻訳を載せてくれないかな?
そんな風に抽象的に語られても実物を読まないと何とも言えない。
463 :世界@名無史さん:2000/11/24(金) 02:17
昔奈解を殺した于道朱君って誰だ?
日本名風に読むとしたらどうなるんだろう
これって時代的には3世紀なんでしょ?
464 :日本@名無史さん:2000/11/24(金) 03:07
>455
>全く日本語を表記するための、音としてしか使っていないものも多い。
>後者は朝鮮には存在しないもの。

万葉集には、そのような表記をする歌が数多くあるから、古代日本語が明確に分かる。
古代の朝鮮の文学に、この様な用例は聞かない。だから、古代朝鮮語が不明だってこと。
465 :世界@名無史さん:2000/11/24(金) 04:04
日本が偉いのではありません。朝鮮が特殊なのです。駄目過ぎるだけです。
その朝鮮が日本と比較して、なんやかのエラブってるのが
オカシナ話なだけです。日本が偉いのではなく朝鮮がウザイから
目の前の火の粉を払っているだけです。自然と朝鮮をバカにした
言説になってしまうキライがあるが、それは日本が偉いのではなく
朝鮮がバカなだけです。
466 :世界@名無史さん:2000/11/24(金) 05:20
463は奈解じゃなくて于老だった
新羅の大将軍だった人ね
467 :世界@名無史さん:2000/11/24(金) 11:22
>>465
ハァ?
468 :世界@名無史さん:2000/11/24(金) 11:27
素朴な疑問だけど新羅百済高句麗の人口はどれくらいなの?

469 :世界@名無史さん:2000/11/24(金) 12:13
当時も半島の人口は日本よりも少なかったって聞いたけどな。
470 :世界@名無史さん:2000/11/24(金) 12:36
百済や新羅から見たら大和政権は自国より巨大な筈なんだけど。
そのへんの視点が抜けてる場合が多いような気がする。
(朝鮮半島を貶めてこういうことを言っているわけではない)。
471 :>450:2000/11/24(金) 13:26
456さんに同意。当時の世界で女性が文化的に活躍できた国は殆ど無かったのだから
平安文学で女性が活躍したというのは間違ってないと思う。
472 :日本@名無史さん:2000/11/24(金) 13:56
>470
隋書倭国伝にも、新羅・百済は、倭は大国であり、珍物が多く、
敬仰し通使・往来している、と記しています。

なお、原文はこれ。「新羅、百濟、皆以倭爲大國、多珍物、並敬仰之、恒通使往來」
473 :世界@名無史さん:2000/11/24(金) 18:16
>>470
そうだよね。先進か後進かとうことで全てをはかろうとするのは、
現在の日本と韓国と逆の関係を古代に当てはめて優越意識を保とう
とする意識の表れだと思うな。
それに百済や新羅は強国の高句麗に脅かされていた国だから、立場的
にも倭よりも弱かったんじゃないかな?
474 :世界@名無史さん:2000/11/24(金) 18:22
>>471
少し話がずれてない?
元々は>>405のレスから始まった話でしょう?
最初は女性が活躍したかどうかではなく、女性の地位が高かったか
低かったたかの話だったと思うんだけど?
そもそも>>401の文章がわからいにくい。
漢文が堪能っていうのは女性にも優れた漢詩人がいたってこと?
それならやっぱり当時は日本よりも文学における社会的地位は朝鮮の
方が高かったってことになると思うんだけど?
475 :日本@名無史さん:2000/11/24(金) 18:39
>474
おいおい、朝鮮の女性作家については、何ら挙げられてないだろ。

それに、462で
>悪いけど翻訳を載せてくれないかな?
>そんな風に抽象的に語られても実物を読まないと何とも言えない。
と指摘されたように、朝鮮の国文学に関しては、何ら具体的な紹介はないぞ。
要するに、朝鮮の国文学なんて、事実上存在しなかったってことだろ。
476 :世界@名無史さん:2000/11/24(金) 19:14
>>475
何故そうなる?(笑
477 :世界@名無史さん:2000/11/24(金) 19:29
国文学が存在するかどうかだのその評価だのは今は関係ない話だろ?
そんなもので勝った負けたと騒いで嬉しいか?
それこそあんたの嫌う韓国の人たちみたいだぞ?
478 :世界@名無史さん:2000/11/24(金) 19:46
「国文学が存在するかどうか」という話題を具体例として、
韓国の歴史認識と実態の乖離を証明しようとしているのでは。
だから、国文学が存在するかどうかは、今の議論にとって重要。
479 :世界@名無史さん:2000/11/24(金) 20:26
>>478
女性の地位の話をしとるんだと思うが?
何でそっちへ持っていく?
480 :世界@名無史さん:2000/11/24(金) 23:16
菟道稚郎子=于道朱君の気がするなあ
481 :世界@名無史さん:2000/11/24(金) 23:31
まあまあ、女性の地位なんてどうでもいいじゃないですか。

日本も朝鮮も、どっちも低かったわけだし、中国にしたって一緒。
例え則天武后がいたとしても、官職に女性がつけなかったのは一緒ですよ。
英国に女王がいたとしても、女性官僚も軍人もいないんです。
それでいいじゃないですか。
482 :日本@名無史さん:2000/11/25(土) 01:28
結局は、朝鮮には何もこれと言った国文学もなく、話を逸らすしか無いようだな。
これが現実なのだから、空威張りせずに、謙虚にしておれよ。
いままでダメだった屈辱をバネに、21世紀には世界に誇れるものを一つくらい作れ
483 :世界@名無史さん:2000/11/25(土) 01:40
>482
ネガティブと思わせておきながら、建設的意見ですね。素晴らしい。
484 :世界@名無史さん:2000/11/25(土) 03:16
三国史記には神功皇后・卑弥呼っぽい倭女王は出てこないよね?
485 :世界@名無史さん:2000/11/25(土) 04:48
過去は変え様がないが未来は変えられる
くだらない歴史の捏造なんかしてないで
誇れる未来を作って欲しいものだ >韓国
486 :世界@名無史さん:2000/11/25(土) 04:51
>>482
だから話逸らしてるのはお前だって。
国文学のあるなしの話なんてしてねーんだよ。
それに評価や数は別として朝鮮にだってちゃんと国文学はある
に決まってるじゃねーか。
1 : 「コリアの歴史を語ろう(古代史編)」 (372)  2 : ◆◆◆映像の世紀、再放送決定◆◆◆ (15)  3 : 三国志・知将いろいろ (102)  4 : 三国志板作成依頼署名スレッド (44)  5 : ユダヤ人大虐殺はすべてデマなのである。 (28)  6 : 黄昏の清王朝 (79)  7 : 朝鮮史は面白い (117)  8 : 世界史しりとりスレッド (654)  9 : 卍卍卍卍卍アドルフ・ヒトラースレッド卍卍卍卍卍 (14)  10 : 厨房作家、田中芳樹は歴史を正確に知っているか? (199)  11 : 世界史上最も残酷な人物は誰 (122)  12 : ちんちんの大きかった歴史上の人物は? (5)  13 : 文明を構成する要素とその起源 (33)  14 : ロスチャイルド (23)  15 : ハンニバルについて大いに語ろう!! (58)  16 : 晋十六国スレッド (22)  17 : 欧州王候の家系 (337)  18 : Jpan(1)  19 : 密集陣て有効なの (60)  20 : ソ連支配下の東欧の衛星国について教えて! (345)  21 : アドルフ・ヒトラーについて語ろう!!! (287)   22 : 大学院への進学をかんがえているのですが (88)   23 : 日本統治下の朝鮮においての抗日朝鮮義勇軍 (4)   24 : 東洋に資本主義が起きなかったのはなぜ? (174)   25 : 世界史何でも質問箱 (58)   26 : インド諸王朝スレッド (46)   27 : 満州国の客観的な考察 (10)   28 : 世界史的に見た明治維新の意義 (25)   29 : 歴史上の人物でヒッキーは? (27)   30 : ユダヤ人を撲滅しよう!! (58)   31 : 旧仏印諸国が「社会主義」国になった背景 (4)   32 : 台湾の英雄といえば誰? (27)   33 : マフィア (53)   34 : ジンギスカンはえらい (54)   35 : 冷戦でソ連が勝っていたら☆ (34)   36 : ユダヤ人はガス室送りぃぃぃぃぃぃぃ (5)   37 : 支倉常長は世界史的に有名ですか? (17)   38 : 世界史はサッカー史に照らし合わせられる? (34)   39 : 欧米人に対する蔑称 (49)   40 : 南京大虐殺 (5)   41 : なぜ台湾は親日で、韓国は反日なのか (144)   42 : 日本は唯一の被爆国じゃないんですか? (9)   43 : 歴史上で「美男子」 (131)   44 : 刺客列伝@世界史板 (19)   45 : 比較文化論の大家を教えてください (2)   46 : あやめちゃんファンクラブ!!!!! (68)   47 : ♪メッテルニッヒ♪ (4)   48 : 中国の常任理事国入りは日本のおかげ? (2)
488 :`:2000/11/25(土) 07:05
>>486

郷歌とかも、まあ国文学ということになるんだろうな。
489 :日本@名無史さん:2000/11/25(土) 09:09
>486
国文学の程度が低いことを指摘しているんだろ。
何の内容もないのに、いつまでも虚勢を張ろうとするな、朝鮮。
490 :世界@名無史さん:2000/11/25(土) 10:07
↑いつものヤツね、無視
491 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/25(土) 13:25
あの抽象的な金烈圭の論文では、郷歌の年代がわかりづらかったと思
うので、ここでまとめさせていただく。

真平王代(579-631) 薯童謡 彗星歌
善徳女王代(632-646) 風謡
文武王代(661-680) 願往生歌
孝照王代(692-701) 慕竹旨郎歌
聖徳王代(702-736) 献花歌
孝成王代(737-741) 怨歌
景徳王代(742-764) 兜率歌 祭亡妹歌 讃耆婆郎歌 祷千手観音歌
元聖王代(785-798) 遇賊歌
憲康王代(875-885) 処容歌
492 :日本@名無史さん:2000/11/25(土) 14:18
20余りしか歌がないんだろ。しかもその年代は伝説にすぎず、検証すべきもないもの。
三国時代の新羅の日食記録が、中国からのコピペなことからみても、
適当に作ったものとしか見なせない。それで良いのなら、神武天皇の歌とかも採用できる。(藁
古い時代のものはオミットして考えろ。実態もないのに、ムリに古く見せるな。
何はともあれ、朝鮮には国文学は事実上存在しないってこと。
493 :世界@名無史さん:2000/11/25(土) 14:21
あれ?郷歌って25首残ってるんじゃなかった?
高麗時代の均如上人の作品が10首ほどあると聞いたが。
494 :世界@名無史さん:2000/11/25(土) 14:29
これが「処容歌」の翻訳。

東京の明るき月に夜更けまで遊び
帰りて寝床を見るに脚が四本なり
二つは吾がものにして二つは誰がものぞ
本は吾がものなれど奪いしを如何にせん
495 :日本@名無史さん:2000/11/25(土) 14:34
昔から、三国史記には中国史書の潤色が非常に多いことが指摘されており、
無批判にその年代とするのは非常に愚か。
日食記録のように、物理法則により検証できる例を見れば、良く分かること。
ちゃんとそこを押さえてから発言しろよな。>ちよよん
496 :世界@名無史さん:2000/11/25(土) 14:53
>>495
誰も>>491の年代が正しいなんて言ってないだろ?
それに朝鮮の郷歌の年代が古いとそんなに嫌なのか?
どうしてもその感覚が理解出来ないんだが。
497 :世界@名無史さん:2000/11/25(土) 16:06
相手は真性ですから、感覚は理解できなくて当然です。
ちなみに495は、「実態もないのに、無理に古く見せるな」と言ってますが、自分はどうなんでしょう。
日本には60万年前からの世界一古い文明があるって力説してましたね、あなた。
498 :世界@名無史さん:2000/11/25(土) 16:19
確定された事実であるなら、古くても新しくても問題なし。
虚偽に基づく主張なら、新しい・古いどちらも問題あり。
簡単なことじゃないですか。
499 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/25(土) 16:33
>>493
高麗僧・均如の伝記『均如伝』に書かれた11首はここでは除外している。
『三国遺事』に残る14首のうちのものだ。

>>495
年代をよく見ろ。そのほとんどが7〜9世紀だぞ。三国時代ではなく統一
新羅だ。それにだいたい惑星が、楕円軌道を描いていることなんか、近代
のケプラーの「楕円運動の法則」が発見されるまでわかりやしなかったん
だから、正確な食計算なんかできるわけないだろ?

ついでにいうと、戊寅暦や五紀暦など唐代の中国暦法の誤差といっても、
別に100年単位で狂っていたわけではないぞ。
500 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/25(土) 16:54
「献花歌」

紫岩のたもと
手に執りし牛の手綱を放し
やつがれをむさしと思し招さずば
花一本折りて献つらむ
501 :世界@名無史さん:2000/11/25(土) 17:27
>>499
食に関しては計算方法はあまり関係ないのでは?
正確な記録さえあればいいんだから。
502 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/25(土) 17:54
>>501
冷静に考えれば、たしかにそう思う。暦法と日食の記録、そして食の予言
は性格が異なるものだからね。ただ、「唐代の暦法の誤差は王の在位年を
超えるようなものではない」とすればよかったのかもしれない。
503 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/25(土) 18:00
その他の郷歌の意訳

「祷千手観音歌」
膝を折り両手を合わせて、
千手観音、請い奉る。
その千の手もて、千の目のうち、
ただひとつ抜き、ただひとつ取り、
両の目ながら盲たる、この身にひとつ、授け下され。
ああ、我に贈り賜わば、よしやなげうつことのあるとも、
慈悲の根とこそなるべけれ。

「願往生歌」
西のかた月はいま往に給うや。
無量寿仏 その御前に伝えませ。
由縁深き御仏仰ぎて掌を合わせ、
唱うるは『願往生、願往生』、
かく念仏するもののありつるを、
ああ、遺していけば、叶うまじ、四十八大願、叶うまじ。

「祭亡妹歌」
生死の路はとどめえず、
行くとも言えで逝くならめ。
秋告ぐ風に、ここかしこ、枝より落つる木の葉はも、
いずち行くやは知りがたし。
さあれ、行きつく果ては弥陀浄土、また逢う日もあらめ、
道を修めてとき待たん。

「怨歌」
今を盛りの栢木、秋なお萎れざれば、
汝、いかでか忘れむとのたまいし、仰ぎみし
その顔、変わるとは。
月影宿りし古池の流れ、
沙を捏るごとく、
君の姿は眺むれど、世も変わるものを。
504 :若葉名無しさん:2000/11/25(土) 18:17
チョンの文化、歴史なんてたいしたことないね。
所詮は三国史記なんて後で適当に作られた書物。

記紀に比べても史料価値は少ない。

とりあえず4世紀以前の高句麗、百済、新羅の史料の
文献批判からはじめよう。
505 :世界@名無史さん:2000/11/25(土) 18:21
で、ちよよん先生、かな文字は朝鮮半島発祥だという
あの見解についてあなたはどう思ってるの?
506 :世界@名無史さん:2000/11/25(土) 18:36
ちよよん先生あなたの意見を聞いていると朝鮮半島は
すばらしい古代文明をもっていたことになりそうが、
なぜ古代の遺物がその後にほとんど残っていないので
しょうか?まあ中世でもいいですが。
507 :若葉名無しさん:2000/11/25(土) 19:07
>505

捏造史料なんか相手にするなよ
508 :`:2000/11/25(土) 19:21
>>507

なんでそうだとわかるの?専門家の方ですか?
509 :世界@名無史さん:2000/11/25(土) 19:56
翻訳を読む限りは和歌とはだいぶ違った感じ。
時調は翻訳でも俳句や和歌と似たような感じを受けるけど。
本来はもっと沢山あっただろうから、こんな一部では判断
出来ないんだろうね。
510 :世界@名無史さん:2000/11/25(土) 20:00
あの11世紀の角筆で書かれたかな文字。
なんか、オーパーツと言うかなんというか、時代背景とか
色々考えると、考えれば考えるほど不自然な気がする。
あれが8世紀以前の朝鮮の書物から発見されてれば、それは
それで良かったのだが。
511 :世界@名無史さん:2000/11/25(土) 20:00
日本語と朝鮮語では発音も音数も違うから、かなが朝鮮発祥という
ことはまず有り得ないと思うな。
512 :世界@名無史さん:2000/11/25(土) 21:07
朝鮮で仮名に似た文字が使われていたとしても、とうてい発達はしなかったと思う
朝鮮語は発音が複雑だから、とうてい仮名の仕組みで書ききれるものではない。

日本語は発音が単純だから成立もしたんだろうけど
513 :世界@名無史さん:2000/11/25(土) 21:23
あれは逆に朝鮮の方が仮名を取り入れようとしたってことも考えられると
思うんだけどな。高麗の時代は李朝時代と違って日本の文化を蔑視する
感覚がそれほど強くなかったから、仮名のように自国語を表記すること
を考えた人がいてもおかしくないと思う。
それで結局発音の複雑さゆえに試みくらいで終ってしまったとかさ。
朝鮮の人が聞いたら「日本のような文化後進国に影響を受けたなど有り得ない」
とか怒りそうだけどさ。ハングル自体ある程度は日本のことを意識して
作ったと考えてもおかしくはないと思う。
まぁ国字を持っていた国は日本だけじゃなかったけど。
514 :513:2000/11/25(土) 21:26
意識してっていうのは別にライバル意識とかそういう意味じゃないよ。
ただ国字を持っているために、庶民にも文字が行き渡っていることを
知っていて、それに刺激を受けたことは考えられるんじゃないかと。
515 :日本@名無史さん:2000/11/25(土) 21:41
皆さん現物もはっきりとまだ見ていない段階で自分達の都合の良い様に
解釈していますね。例え、それが日本のかなが高麗に行こうが、かなが
半島起源でも事実を事実として捉えれば良いじゃないですか。そうなると
何かまずいことでも起きるのですか。分からないことを分からないという
ことは別におかしいことではありません。
516 :世界@名無史さん:2000/11/25(土) 21:47
そもそもの疑問として、あれは中国人が活用していた文字なのか?
詳しくは無いのだが、書道の文体の草書でも、似たような表記方法は
見られるとか。という仮定に立つと、中国の正式な文書では正式な文体で
書いたんだろうが、注釈としては草書が用いられていた。
漢字を国字としていた朝鮮でも、当然そういった方法論が用いられた
可能性はあるのではないか。中国に学んでいた日本でも、漢字を崩した
草書は当然利用されていたが、そのうちに草書自体を改良して使うように
なった。それがかな文字の始まりではないか。

と、考えると、今までの説と何も変わらんやんけ。。。
517 :世界@名無史さん:2000/11/25(土) 22:07
草書体をそのまま使ったとなると大したことない気もするが、
結局コロンブスの卵だったってことかな?
518 :地球市民@:2000/11/25(土) 22:12
>横レス
カナの話しですけど、確か仏教の書物に書かれていたと記憶があるのですが
高麗での仏教は何宗であるかを意識しないと本当にカナとして使っていたのか疑問が生じるな?
例
真言宗:基本的に梵字(サンスクリット)を用いその発音を利用。
禅宗:宗音(呉音)で漢字そのまま並べて発音
念仏:読み下し文、レ点などを使用している。
以上葬式でお経を読んだ時の感想からだけど、仏教関係で詳しい人いるかな?
519 :世界@名無史さん:2000/11/25(土) 22:16
日本の古典も藤原定家が筆写したから残っているなんてものがあるわけだし、
散逸するか否かは紙一重だ。
でも郷歌が残っていないのは惜しまれるね。

ここで訳が上げられている郷歌は新しいものという感じはする。
時代から見ても当然だが。
520 :世界@名無史さん:2000/11/25(土) 22:29
日本は応仁の乱で膨大な典籍が散逸したんだよね。
火事の多い国はハンデがあるよなぁ。
521 :世界@名無史さん:2000/11/25(土) 22:38
>>518
高麗の仏教は禅と華厳が主流だったと思う。
もしかしたら華厳じゃなくて天台かも。
知訥は禅だけど、羲天が華厳か天台か忘れた。
ともかく教禅一致の教えが主流だったらしい。
522 :地球市民@:2000/11/25(土) 22:54
>>521
あれ?
となるとおかしい、読経の言葉は漢文をそのまま読むはずだから吏読の
発達はあっても読み下し文や助詞が入る余地がないな。
多分、カンジーザイボーサツギョーシンハンニャハーラミータージ。。。
と言う感じのはずだな。(念仏系は絶対こういう読経の仕方せず必ず助詞や
読み下し文、レ点が入る)
禅か華厳宗の修行した事ある人いないかな?
523 :名無しさん@1周年:2000/11/25(土) 23:49
朝鮮における古代とはどの辺までですか?
524 :世界@名無史さん:2000/11/25(土) 23:50
>>522
浄土信仰は日本よりも古いけどね。
525 :世界@名無史さん:2000/11/26(日) 00:29
お経のことは分からんのですが、読経で漢文をそのまま読むとしても、
経典の教義の解釈などは常に行われていたはずなので、それぞれの
文化・言語なりの読み下し文などがあったのではないでしょうか。
526 :日本@名無史さん:2000/11/26(日) 00:33
>日本は応仁の乱で膨大な典籍が散逸したんだよね。

鎌倉には金沢文庫があったし、江戸時代には、水戸藩や金沢の前田藩などが、
古典の蒐集に勤めたし、幕末には盲目の国学者・塙保己一が中心となって、
幕府が主体となって、日本の古典の蒐集に励んだ。
このような先人の努力があって、日本には多くの資料が集められている。

朝鮮は、事大主義だから、国文学は蔑視されて、そもそも殆ど存在しないに等しかったし、
あっても積極的に残されなかっただろうな。これは、日本と朝鮮の大きな違い。
527 :世界@名無史さん:2000/11/26(日) 00:50
>>525
そうとは限らないと思うよ。
例えば欧州におけるラテン語なんて考えてみても。
528 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/26(日) 00:54
>>505
残念ながらNHKのプログラムそのものは見ていないのだが、たぶん
7月11日付けの朝鮮日報に掲載された記事と同一の内容なのだろう。

11/Jul/2000 韓国
11世紀初めの高麗経に角筆による訓点。「返り点」の役割をする記号も。
また,7〜8世紀の新羅の文献にも角筆によるかと思われる痕跡1ヶ所。
コバヤシヨシノリ・広島大学名誉教授が調査。ヲコト点は朝鮮起源か。[朝鮮日報]

「考古学のおやつ」より
http://www.ops.dti.ne.jp/~shr/lnk/nl058.html

私は朝鮮の漢文訓読には訓点は用いないと思っていたがな。付属語はあっ
ただろうが、それはハングル創生以前は、付属語と似た音の漢字を小さく
書いたはずだ。いまはなんともコメントしがたい。
529 :世界@名無史さん:2000/11/26(日) 01:15
しかし広島大か...

530 :>529:2000/11/26(日) 01:18
これは朝鮮半島の人間だけじゃなく、むしろ’あの人達’が
からんでそうね。時期的に政治色がにおい過ぎない?
第2の藤村?
531 :世界@名無史さん:2000/11/26(日) 01:45
あの人達って誰?
532 :日本@名無史さん:2000/11/26(日) 01:45
>530
日本史板にあった、この発言が想像するパターンか?
----
このパターン石器で飽きたよ

1.今まで見つかっていなかった。
2.調査団が編成され@`指示された地層(経文)を見たらいきなり見つかった。
3.石器(角筆の筆跡)は木製品(墨・絵の具等)と異なり@`年代の科学的測定が困難なの
で@`地層(経文)の古さで年代を測定するしかない。
533 :地球市民@:2000/11/26(日) 03:45
>>525 & 527
そう、真言では梵語=>漢字=>日本語だと2回翻訳があるというので、
梵語をまず学ぶはず。だから、お寺さんの息子とか仏教系大学行った人に
聞かないと歴史学者だけの判断で半島にもカナがあったというのは非常に
危険な考えです。誰かいないかな?
534 :世界@名無史さん:2000/11/26(日) 03:56
仮名が朝鮮発祥というのは誇張で、朝鮮にも漢文の補助的な文字が
あったというだけなんじゃないの?
535 :`:2000/11/26(日) 06:28
>>526

いやいや、勿論そうなんだけど。
朝鮮の場合、日本のようにはいかない地理的条件があるということは、
頭に置いていてもいいでしょう。何度となく、国中が騎馬民族の蹂躙にあってる
わけだし。日本の場合、応仁の乱のほかは第二次世界大戦で空襲受けたくらい
じゃないかな?国中が同時に長期的に戦渦に巻き込まれたのは。
儒教の悪癖が無かったとはいえないが、儒教と言うのはそもそも記録好きな思想だし
もともと祖先とかを大事にするし、
朝鮮において、自らのルーツについて無関心になるように儒教が作用していたとは
考えにくいですね。
536 :世界@名無史さん:2000/11/26(日) 06:47
戦国時代はどうなるんだ?幕末の動乱もあるし。
それに日本の自然環境の厳しさは朝鮮よりも上だぞ?
東京は江戸以来、大火、地震、空襲で3回も壊滅してるぞ。
別に526の差別主義に賛成するわけではないが、
侵略された侵略されたっていうのは少し言い訳くささを感じる。
537 :世界@名無史さん:2000/11/26(日) 07:23
幕末の動乱では、あまり文物が燃えてなくなったりするようなことは
なかったんじゃないかなあ。江戸城開城の時には、茶坊主とかが
掛け軸とかつぼとか持ってっちゃったらしいけど。(笑)でも、
割られたりとか燃えちゃったりしたわけじゃないんだよね。
戦国時代では、むしろ文化は保護されてたと思うし。応仁の乱で
居場所が無くなった公家とかが地方に降った際に、いろいろ文化的には
優遇されていたわけで。(これは朝鮮に無い現象かも)
東京よりも、この場合は京都のような古都の文化伝承が問題でしょう。
地理的状況云々は、大陸の政治経済とじかに接しているため、それの影響を
もろに受けるって意味。日本のように大陸から離れた島国と一緒に考えるのは
よくないってことです。
ちなみに、
朝鮮は地震は知らないけど、寒暖の差は日本並みか、それ以上に厳しいよ。
北の方は大陸性だから、冬は寒い。
538 :世界@名無史さん:2000/11/26(日) 11:24
寒暖の差で文物はなくならないんじゃないの?
幕末の動乱は文物が燃えたというよりも、明治以降の一種の文化破壊
によって失われたものが多いだろうね。
539 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/26(日) 11:58
>>537日本は地震が多いことで有名だが、朝鮮でもけっこう地震があったら
しい。『三国史記』でも「地震があった」という記述がよくでてくる。
朝鮮では地震は二種類に分けられた。高麗時代までは強いものを大震
と呼んだが、李朝時代にはそれを強震と呼んだ。弱いものは地動といった。
地震は、それが発生した日時と強弱の程度、震源と震域に至るまで正
確に観測され、李朝時代には、発生したら直ちに昼夜を問わず、単子
(報告書)で報告されたという。

地震の記録は、三国時代から李朝末までの約2000年間に総日数で
1661日に達する。これを回数として見れば、もっと増加するはずだ。
この中でとくに目立つ地震、すなわち損害が記録された場合、死傷者
が記録された場合、同じ地域でとくに毎日続いて起こった場合、噴火
とか地震によって池裂や湧泉などがあった場合、大区域にわたって起
こった場合などを抜き出すと、三国および統一新羅時代に12回、高
麗時代に4回(大震と記録されたものまで合わせると11回)、李朝
時代に42回で総計58回になったそうだ。
540 :日本@名無史さん:2000/11/26(日) 12:33
>539
ここでも、ちよよんは科学的な知識が欠落しているな。
日本では、歴史地震の研究は進んでおり、地震考古学という分野まである。
中公新書に同名の書があるから読んでみろ。
日本は、プレート地震が多く、これらの活断層は100年に1回オーダーでM8クラスの地震を起こす。
一方で内陸の活断層は、数千年オーダーでしか起こらない。
過去の地殻変動を見ても、朝鮮の方が遙かに少ない。

>三国および統一新羅時代に12回、
日食記録からしても、三国分立時代の話は全て潤色と考えるべき。
ちよよんは、このように朝鮮史書の記述を盲信するだけだから話にならない。
541 :朝鮮半島の地震:2000/11/26(日) 12:43
地震の話が出たので、ちょっとコメント。

地震学的な立場から言うと、プレート型地震を起こす原因となる
ユーラシアプレートと太平洋プレートの境界面は、日本列島よりも
北側になるにしたがって急激に地中に潜っていくため、朝鮮半島の
あたりでは震源は非常に深いところになってしまう。そのため、マグニチュード
(揺れが発生する範囲)が同じであっても、日本に比べると地表での
地震の揺れの強さ(いわゆる震度や被害)は圧倒的に小さくなる。
現代の韓国でも構造物の耐震設計に特別の規定がほとんどない
のはこのため。
542 :日本@名無史さん:2000/11/26(日) 13:18
例えば、アメリカでもプレート境界が走っているカリフォルニア州などを除けば、
地震は非常に少ない。

>侵略された侵略されたっていうのは少し言い訳くささを感じる。

日本など環太平洋諸国やイタリア・ギリシアなどは、地震や火山の被害が大きい。
イタリア・ギリシアは、こう言った自然災害や異民族の侵攻が数多くあるけど、
遺跡は沢山残っているし、諸外国で書写されたものも多く、文献記録も多く残っている。
文化価値が高いと認識されれば、このように悪条件の中でも結構残るもの。
このような視点で、朝鮮の現存物が少ないのを評価すれば、自ずから理解できる。

一方、日本の王朝女流文学、特に長編の源氏物語は数多くの中世の写本が残っており、
継続して人気が高かったからこそ、書写が大変なこれだけの長編を書き写したわけであり、
日本では、世界の中でも古くから女流文学の評価が高かったことは特筆される。
543 :日本@名無史さん:2000/11/26(日) 13:41
国学の最高峰である本居宣長は、古事記・源氏物語・新古今集を特に賞賛している。
儒教の女性蔑視だと、こうは考えなかったであろう。
この点も、事大主義の朝鮮と、日本との大きな違いと言える。
544 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/26(日) 14:51
いい訳くさくなるので、あまりいいたくはないのだが、確かに新羅文化ひとつ
とっても、燃えにくいものはかなり現在まで残っている。

新羅文化において主流をなしているのは、仏教美術だ。それゆえ、今日に
残っている古代の遺跡・遺物のなかでもっとも多いのが仏教的な造形美術品
である。このような仏教美術のなかでも、量と質の両面から見るとき、
もっとも優位を占めているのは、塔婆と仏像であるといえる。

現在までに調査された全国の塔婆は千余基を数えることができるが、その
ほとんどが、石塔である。統一新羅の石塔のなかで、もっとも原始的な様式
を見せているといわれる、慶尚北道月城郡陽北面龍堂里の感恩寺址にある
三層石塔(国宝第112号:紀元682年落成)、慶州市暗谷洞の高仙寺址
三層石塔(国宝第38号:紀元686年推定)その後も、感恩寺と高仙寺の
それを典型的なもの、規範的なものとしながら、慶尚北道月城郡見谷面羅原里の
五層石塔(国宝第39号)、慶州九黄里三層石塔(国宝第37号)、慶尚北道
慶州市の仏国寺三層石塔(国宝第29号)、慶尚北道金陵郡の葛項寺址三層石塔
(国宝第99号)、慶尚南道昌寧郡邑述亭里の三層石塔(国宝第34号)、
慶尚北道清道郡の鳳岐洞三層石塔(宝物第113号)、宝林寺東三層石塔
(国宝第44号)、浮石寺三層石塔(宝物第249号)、実相寺三層石塔
(宝物第37号)、月光寺址東三層石塔(宝物第129号)、茸長寺谷三層石塔
(宝物第186号)、遠願寺址東三層石塔、仏国寺多宝塔(国宝第20号)、
華厳寺四獅子三層石塔(国宝第35号)、浄恵寺址十三層石塔(国宝40号)、
実相寺百丈庵三層石塔(国宝第10号)、陳田寺址三層石塔(国宝第122号)、
到彼岸寺三層石塔(宝物第223号)、石窟庵三層石塔、善山洛山洞三層石塔
(宝物第469号)、慶州南山里東三層石塔(宝物第124号)、海印寺願堂庵
多層石塔(宝物第518号)と多々ある。

一方、木造塔婆はすべて消失し、古代の実物は一基も存在しない。わずかに、
慶州の皇龍寺九層木塔址と四天王寺木塔址、望徳寺木塔址等が新羅時代の木
塔址としてそのなごりを伝えるだけである。
545 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/26(日) 15:03
石塔の写真をご覧になりたい方はこちらをご覧下さい。
「韓国の文化財建造物」
http://www.ths.titech.ac.jp/honka/kenchiku/nakanisi/k_archi/k_archi.html#shurui
546 :世界@名無史さん:2000/11/26(日) 15:31
普通、文化ってのはそう簡単にすたれるもんじゃないよ。
貴族階級ってのは動乱の世でもある程度生き残るもんだし、
必要な文化(必要じゃなくても)は記録され後世に残って
いくもんだよ。だいたい朝鮮人の歴史観とそれを押し通す
さまは戦前の日本そっくり。
547 :↑倭人:2000/11/26(日) 15:49
文化が貴族階級に集まっていたのは、どこでも同じだが日本と決定的に
違うのは、使用言語の二重性でしょう
 事実ハングルは民衆・貴族階級は漢語だった。 中世ヨーロッパの革命
 のなかロシア宮廷の中はフランス語だった。(当然ロシアの貴族文化は
 燃え尽きた)
 中国では、征服者(蒙古人・満州人)までが漢語を使った。
 逆にインダス文明の担い手達は全く謎の中に落ちている
貴族文化が民衆の中で保存されるのは、無条件でいけるわけじゃない。
日本の文化が割と保存されたのは、言葉のおかげかもしれない。
548 :世界@名無史さん:2000/11/26(日) 15:59
ちよよん大先生のお国自慢?は、話半分に読んでいればそれなりに面白いと思います。
もちろんちよよん大先生の言うことだけを信じてはこれは有害極まりないでしょうから、反対派の意見も押さえておかなきゃならないと思いますが。
でも、ちよよん大先生は不利になるとコメントもせず逃げようとするから信用されないとも思います。

いずれにせよ、隣国の歴史をあまりにも知らないのは我々日本人にとってもまずいでしょう。
これは日本人だけに責任のあることでもないでしょうけどね。
しかし、ただひたすらある国の歴史や文化を日本と比較し、勝っている部分のみ強調し劣っている部分は誤魔化したり無視しようとし続けるなら、これは韓国朝鮮に限らずどこの国の歴史文化の話だろうが日本では特定の愛好者以外には相手にされないでしょう。
例えばアラブのどこかの国のアラビア習字と日本の書を比較して日本を腐したり、ダマスカス鋼の剣に比較して日本刀を腐したり、何だっけ?マホメットもその出身であるアラブの名家の歴史の古さと天皇家を比較して腐したりということを左翼な人たちと結託して戦後ずっと続ければ、しかもそこに改竄も入っていれば、ちょっと保守的な人なら心底韓国朝鮮がイヤになるのは当然だと思います。
ちよよん大先生よりまともな在日の人も読んでることを期待して書いてるんですが、日本に対抗、あるいは日本を腐すような形で朝鮮半島の歴史文化を紹介するのはもうやめませんか?
その代わり、もっとおおらかな気持ちで、この世に日本という国の歴史や文化が存在することをすっかり忘れてしまい、ヨーロッパあたりの東洋趣味の人たちに紹介するくらいのつもりで朝鮮半島の歴史文化を紹介してはいかがですか?
現代社会においては東洋趣味者の文化歴史知識も、一般の歴史好きの日本人もその知識は大差無いと思いますから。

韓国だとか日本だとか中国だとかいう枠組みを忘れて、朝鮮半島で産み出された美術品・・・陶器や水墨画や仏像を虚心に見れば、そこには見るべきものはかならずあると思います。
そこでわざわざ日本や中国と比較したり、独自性を過度に強調したり、ましてや「韓国文明世界イチィィィィ」だとか「もっと素晴らしいものがあったんだが秀吉と日帝が焼いてしまった」などということを言い出してはいけません。
韓国の歴史と文化は、虚心に見せて下さい。
これでもウヨよばわりかな〜
549 :日本@名無史さん:2000/11/26(日) 16:15
>文化が貴族階級に集まっていたのは、どこでも同じだが

日本の江戸中期以降は、町人文化が発展し、ヨーロッパの市民革命以前に
この状況を打破していた。朝鮮通信使として、将軍吉宗の1719年に来日した、
申維翰『海游録』(東洋文庫)を見ると、幕府の官僚は世襲で愚昧だが、
趣味で学んでいる市井の無名な人物で、非常に学問に優れた人達がいると述べている。
朝鮮は、それに対して、科挙の弊があるので、底が浅いと指摘しています。
これは、共通一次試験の弊害など、現代日本が教訓にすべきことでしょう。

その素地として、大坂の出版状況に驚きを示しています。
“そのなかに書林や書屋があり、膀をかかげて、曰く柳枝軒、玉樹堂などなど。
古今百家の文籍を蓄え、またそれを復刻して販売し、貨に転じてこれを蓄える。
中国の書、我が朝の諸賢の撰集も、あらざるはない。”と、出版が経済的に成り立って
いることも記し、“大坂の書籍の盛んなること、じつに天下の壮観である。”
と表しています。
付篇の『日本聞見雑録』には、“国内の書籍は、我が国から往ったものが
百をもって数え、南京から海商たちが持って来るものが千をもって数える。
古今の異書、百家の文集にして書肆で刊行されたものは、我が国に比べて
十倍どころではない。”と、日本の出版文化の圧倒的な拡がりを記載しています。

このように、日本の庶民文化は、アジア諸国の中でも特異で、こう言う素地を
抜きにして、明治維新の成功を理解することはおぼつかないでしょう。
逆に、庶民がうち捨てられていた朝鮮では、上手く行かなかったのも必然。
550 :548:2000/11/26(日) 16:21
「美味しんぼ」という親韓親中反日左翼漫画(笑)があるのはみなさんご存知でしょうけど、まあ政治的に偏った部分にはあえて論じず、あの漫画のパターンを分析してみてひとつ気づいたことがあります。
それは、究極のメニューと至高のメニューの戦いにおいて山岡(究極のメニュー)が負けるパターンのひとつは、山岡(究極のメニュー)が過度に海原(至高のメニュー)に対抗意識を燃やしたときにその対抗意識そのものに囚われ過ぎているのが判定者に見えてしまうというものです。
至高のメニューの側が勝負をほとんど意識せず虚心に至高のメニューを出したのに対して、山岡が焦燥感に悶えながら究極のメニューを出せば、あ、負けだな。という感じですよね。
まあつまらん漫画なんですが(笑)、私には日本に必死で対抗しようという韓国朝鮮の人の姿が、この場合の山岡士郎に重なって見えるんですよね。
もちろん山岡=韓国、海原=日本です。歴史的にどっちが親だとか兄だとか言う話は抜きにしましょう。
しかし山岡が勝負を忘れて虚心に究極のメニューを饗した時には、勝てるとは限らないにせよ引き分けにはなってますよね。
まともな韓国の人に必要なのは、「勝負」に対して虚心になることでしょう。
日本文化の優越性を自明にしていることが気に入らない方の批判は甘受しますが、私としても親韓反日漫画の美味しんぼを引用したわけですし、勘弁して下さい。
551 :日本@名無史さん:2000/11/26(日) 16:55
ここの日本人は朝鮮・韓国をどうにかして貶め様と躍起ですね。
552 :日本@名無史さん:2000/11/26(日) 18:05
>>551
スレッド全てをよく読みもしないで一行レスを書き逃げするあなたに
そんな事言う資格はありません。
批判=貶める行為ですか?
賞賛だけを求めるならば某全体主義国家でやってください。
553 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/26(日) 18:15
>>548
この世界史板にきてからは、方針転換をし、ウリナラチェゴ(我が国最高)式
の論述は極力控えるように気を配っているつもりなんですがね。ちょっと
失礼な言い方になるかもしれませんが、あなたが私のレスを読んで、押し付
けがましいお国自慢だと感じてしまうその裏には、あなたの心の中に、
「日本の文化の系譜は朝鮮にあってはならない」という考えが潜んでいて、
そこに触れられることを極力避けようとする心理が働いているからではあり
ませんか。

それにあなたは「ちよよん大先生は不利になるとコメントもせず逃げようとする」
とおっしゃいますが、わたくしはできるだけレスは返すように心がけております。
なかには、見落としてしまったり、回答をしようにもレスのながれから控えて
いるものもありますし、もちろん不勉強のためにわからないものも多々あります。
しかし、わたくしも万能の神ではありませんので、すべてに答えを出すことは
不可能です。逆にそのばあいはあなたが調べて下さって、私に回答をしていただ
いてもいいのです。

いずれにいたしましても、学問の世界には意見の対立はつきものと考えます。また、
意見が違うからこそ、それをさらに深めることができるのでありまして、意見が
一致したら、その問題はそこで終わってしまうのです。今後ともひとつの固定観念
にとらわれずに、自由果敢に討論をいたしましょう。
554 :日本@名無史さん:2000/11/26(日) 18:18
>552
別にえばってもないのに、朝鮮に文化はないような書きこみが多いんじゃないの。
そんなに文化がないなら慶長文禄の役以来の略奪していった朝鮮が認める文化財を
返してください。先進国なのに略奪、殺人等やりたい放題なのね。
555 :世界@名無史さん:2000/11/26(日) 18:21
いえいえちよよん先生。不利になるとコメントもせずに
逃げようとしてますよ、十分に。素人目でみても。
556 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/26(日) 18:46
それとわたくしは常々思っておりましたが、この2ちゃんねるは、どちらかというと
日本擁護派が主流でありまして、朝鮮派が極端に弱い状態でした。こういう環境では
誹謗中傷にはもってこいですが、純粋に学問を討論するにはむずかしいと考えます。
さきほども述べましたが、学問というものは、意見の対立があるからこそ進歩するの
でありまして、どちらかに偏ってしまっては、正常な討論は不可能で、いずれ不完全
のまま収束してしまうでしょう。それはいままでのハングル板をみていただければお
わかりいただけるかと思います。最近、本スレッドでは、朝鮮擁護派(実際はそうで
はなく気を使っていただいているのかもしれませんが)の方々に健闘していただいて
いることもあって、やっと双方の意見交換が実現するようになったと考えております。
現在の本スレットにおける双方のバランスは非常に良好なものと思います。ただ、こ
れは私がかってに解釈しているものですから、異論がございましたらなんなりとご意
見をお願いいたします。
557 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/26(日) 18:51
>>555
では具体的にはどの辺のコメントを入れればいいのでしょうか?
ご指摘をお願いいたします。
558 :日本@名無史さん:2000/11/26(日) 19:30
>>554
>別にえばってもないのに、朝鮮に文化はないような書きこみが多いんじゃないの。
朝鮮というところを日本に置き換えると意味が通じますね。
韓国メディアの報道をみたことあります?
「日本の文化は朝鮮が起源だ、日本文化など存在しない!」
・・・当たり前の事を主張しているから「えばってない」んですか?

「朝鮮に文化はない!」はこの辺の反発からくるんじゃないんですかね。
まぁ、言いすぎだとは思いますけど。

ついでに揚げ足取り。
俗に日本が先進国と呼ばれるようになってからは略奪も戦争も
行っておりません。
慶長文禄の役以降から日本は先進国でしたっけ?
私はそう思わないけど(現在先進国であるかもどうかかなり疑問ですが)
559 :世界@名無史さん:2000/11/26(日) 19:32
>>554
最後の先進国云々って下りは必要ないんじゃ?
考えようによっては、第2次世界大戦後は日本は戦争で人を殺すことは
していませんが、韓国は残念ながらベトナムにいって残虐行為とされる
ことをやってしまったわけですから。道義的に考えて、あまり非難できる
立場ではないですよ。もちろん、日本がやった数々の非道は踏まえて、
韓国も同じ土俵に上がってしまったということです。
560 :558:2000/11/26(日) 19:36
ところで朝鮮からの簒奪文化財ってどんなものがあるんだろう。
よく耳にするけど明確にどれだ、って聞いた事がない・・・

#ちよよん大先生ご存知でしたら解説御願いできます?
561 :日本@名無史さん:2000/11/26(日) 19:41
>558
本当に揚げ足取りですね。
>559
そう私達は日本をモデルにベトナムの人々に真摯な気持ちで接したいと思っています。
562 :558:2000/11/26(日) 19:47
>>561
前半の方の反論聞きたかったんだけどな・・・
563 :世界@名無史さん:2000/11/26(日) 20:05
>562
すみません、待っていたとは。
私あまり韓国のメディアが言っていることよく知らないのです。皆さんの方がよく知っている様で。
歴史は学問的なものですから学会ではっきりすればマスコミがいくら横暴を言おうが、正されるので
はないでしょうか。韓国のマスコミを信じられないと言いながら意外と韓国発の怪しい情報に日本の
マスコミも踊っているのではないでしょうか(自分の都合の言い部分だけね)。
564 :558:2000/11/26(日) 20:16
>>563
お、レスどうもです。
うーん、マスコミが癌なのはどの国も同じか。
では私はいつものROM専モードに・・・・

#基本的に2chではROMなんだよね、知識ショボイし。
565 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/26(日) 20:33
>>560「簒奪文化財」?「簒奪」って帝王の位を臣下が奪い取ることだろう?その文化
財っていうのはあまりピンとこないが・・・・。それは略奪した文化財と解釈してよい
のだろうか。そうすると壬辰倭乱に限って見てみると、下記のような書物や活字、その
他にも絵画、陶磁器ということになるね。ただ、この時代の朝鮮や日本はすでに近世に
入っている。いつか近世のスレッドが立ったら大いに語り合おう。

 14世紀末から近代までの李朝では、獣医などの関連分野を含めて 200以上の韓籍医書が
 知られている。調査が進み、写本でのみ伝わる書なども網羅されれば、実数はより増え
 るであろう。医書の出版は李朝の初期に多かったらしい。しかし後述のように豊臣秀吉
 の2度にわたる侵略で略奪ないし散逸したので、李朝初期の書の多くは日本に現存し、
 漢籍も含め総計70部以上に達するという。李朝医書の白眉は勅撰の『郷薬集成方』
 『医方類聚』『東医宝鑑』などで、『東医宝鑑』(図7)の評価はとりわけ高い。

 なお李朝時代は木版本(整版)とともに活字印刷が盛んに行われ、医書でも李朝古活字本
 は現存が少なく、きわめて珍重される。この活字技術も秀吉の侵略で日本に伝えられ、江
 戸初期の医書は活字本が多い。

「日中韓古医籍の特徴と関連」より 
http://www.hum.ibaraki.ac.jp/hum/chubun/mayanagi/paper01/gakujo.htm
566 :世界@名無史さん:2000/11/26(日) 20:58
こういう分野の話をすると、良くも悪くも韓国・朝鮮系の人はせっぱつまった感じで議論をするんだよね。
摩擦が生じる一因はこのあたりではないかと。
567 :世界@名無史さん:2000/11/26(日) 21:02
>566
言っている意味がよく分からん。
568 :世界@名無史さん:2000/11/27(月) 00:18
文化を略奪されたって言い方は好きじゃない。
そこから数百年も立ち直れなかったというのは恥ずかしいことだと
思うべきだと思うよ。
569 :日本@名無史さん:2000/11/27(月) 00:26
日本と朝鮮の、中国文化に対する態度の違いを見るのに、日食の話を続けます。
中国では、「春秋」最初の紀元前720年の日食から、概ね天体力学計算と合致し、
実見したものが多い。中国の天子の概念から、日食の観測はずっと行われた。
逆に、この結果から、「春秋」の諸記事がちゃんとした記録に基づくことが分かります、

日本は、推古末年の628年の皆既食とあるのが最初の記録で、日食には視差があり、
中国や朝鮮ではこれは平凡に日食しか過ぎず、日本で実見した記録と確認される。
天武天皇の675年に占星台を興すとの記載があり、天武朝には多くの天文記録が見えます。
ところが、持統天皇の690年に元嘉暦と儀鳳暦を行うとの記事以降は、他の天文記録は
めっきり少なくなり、日食記録は逆に多くなるものの、日本では見えず、それ以外で
見えたものが多く混じるようになり、暦に付いていた日食推算の結果を列挙しただけと
されています。
天武朝は、鹿鳴館時代のようなもので、中国の文化を見境なしに導入したが、その後は
取捨選択したと言う事でしょう。

新羅は、日本よりずっと遅れて、740年に天文博士を置き、787年より日食記録が始まるが、
それ以降は中国のやり方は無批判に踏襲する、事大主義により観測が続けられています。

日食観測に端的に表れるように、日本と朝鮮の中国文化に対する態度の違いが分かります。
570 :世界@名無史さん:2000/11/27(月) 00:53
>565
>この活字技術も秀吉の侵略で日本に伝えられ、江
>戸初期の医書は活字本が多い。

ここでも、朝鮮らしい発言だな。(藁
良く知られているように、江戸時代の日本は浮世絵に代表されるように、
木版の多色刷り印刷の技術水準が非常に高く、ヨーロッパでは更に芸術的にも
高く評価され、印象派などに多大な影響を与えたことは、ご存じでしょう。
要するに、それは江戸の日本の印刷文化とは、特に関係のない話。
こんな馬鹿馬鹿しい話ばかりをするから、朝鮮は軽蔑されるのをいい加減い理解しろ。
571 :世界@名無史さん:2000/11/27(月) 01:13
>570
浮世絵はだいぶ後の時代になるけど?
ついでにいえば、印象派に影響を与えたのは、印刷技術ではなく、
その大胆な構図や描写。ヨーロッパに無いものだから、好奇心を
誘ったり、オリエント趣味を掻きたてられたんだろう。
別に印象派に影響を与えようが与えまいが、浮世絵の伝統はそれ自体で
賞味すべきで、ヨーロッパは関係ない。
572 :世界@名無史さん:2000/11/27(月) 01:42
>別に印象派に影響を与えようが与えまいが、浮世絵の伝統はそれ自体で
>賞味すべきで、ヨーロッパは関係ない。

世界史板だから、これは大いに関係ある話だぞ。
573 :世界@名無史さん:2000/11/27(月) 07:50
>>571
馬鹿かお前?
大胆な構図や描写は純粋に造形的なもので、
オリエンタリズムからはほど遠いだろうが。
当時のジャポニズムんはオリエンタリズムの傾向が
確かに多く見られるが、印象派への影響はそれとは
違った角度から見ないといけないよ。
ただし浮世絵の伝統はそれ自体で賞味すべきというの
には賛成。影響を与えたとか喜ぶのは恥ずかしい。
574 :世界@名無史さん:2000/11/27(月) 07:55
>>570
江戸初期の印刷に朝鮮の影響が強いのは事実。
その後に日本の印刷技術が上回るようになったのは確かだが、
事実は事実として受け止めよう。
575 :世界@名無史さん:2000/11/27(月) 09:42
印刷技術って古代史の話題じゃないよね。
576 :世界@名無史さん:2000/11/27(月) 10:11
>574
どこらへんに強い影響が見えるのか
詳しく説明してほしいな〜
577 :日本@名無史さん:2000/11/27(月) 10:11
>江戸初期の印刷に朝鮮の影響が強いのは事実。

北宋以来の中国の技術ではなく、朝鮮の独自技術であるとする根拠を述べよ。
朝鮮は、中国や日本の文化を剽窃する体質だからな。
578 :世界@名無史さん:2000/11/27(月) 10:57
他から全くなんの影響も受けないで生まれた技術ってあるの?
579 :世界@名無史さん:2000/11/27(月) 10:59
おっと、ごめんよ。
そもそも古代史の話じゃないじゃん。よってsage。
580 :世界@名無史さん:2000/11/27(月) 11:11
強い文明とはいかに多様な文明をre-mixしたかによると思われます。
例・アレキサンダー・唐・元・イギリス・アメリカ

日本は多様な文明をre-mixできるぐらい強いアイデンティティーを持っていた。
韓国では伝統がそれに勝ってしまい、上手く発揮できなかった。
日本で上手く発揮できた時が戦国時代や明治維新。
581 :世界@名無史さん:2000/11/27(月) 12:39
>>577
北宋以来の中国からの技術でも朝鮮からの影響であることに変わりはないだろ?
それに朝鮮の銅活字は現在確認されている限りでは中国よりも古いし、
例え中国が先でも中国に於いても高い評価を受けていた質の高いもの。
当時に於ける技術の高さは否定のしようがないんじゃないの?
というかそこまで起源にこだわる感覚はあんたの嫌いな朝鮮と同じではないか?
>>576
江戸初期は徳川幕府の援助で朝鮮の銅活字を模した木活字が作られてる。
伏見版と天海版は有名。でもその後日本は手間のかかる活字から
再び木版に移行して大量出版の文化を築いた。
>>578 >>579 >>560
全くその通りだと思う。
影響を与えたことを自慢する連中や影響を受けたことを
認めない連中はどちらもどうかしてる。
影響というものをあまりにも過大評価しすぎ。
582 :世界@名無史さん:2000/11/27(月) 12:58
>573
>馬鹿かお前?
>大胆な構図や描写は純粋に造形的なもので、オリエンタリズムからはほど遠いだろうが。
>当時のジャポニズムんはオリエンタリズムの傾向が確かに多く見られるが、印象派への
>影響はそれとは 違った角度から見ないといけないよ。

ん?言ってる事がいまいち伝わってこないが。とりあえず、馬鹿呼ばわりは止めてくれ。
構図や描写の点は同意してくれているようだが。
おれがオリエンタリズムの影響と言いたかったのは、その絵の背景に、例えばゴッホ
なんかだと浮世絵を描いてみたり、東洋のものを描いたりと、そういった趣味の
一環として、たまたま浮世絵があったということを言いたかっただけ。
構図や描写から入って印象派に影響を与えたのか、あるいはオリエント趣味から入って
画風に影響を与えたのか、そのどっちとも言えないと思うが?

583 :世界@名無史さん:2000/11/27(月) 13:13
 いいかげん、古代にはなしをもどしてよ。中世近世のはなしはいいから。
584 :日本@名無史さん:2000/11/27(月) 13:16
>北宋以来の中国からの技術でも朝鮮からの影響であることに変わりはないだろ?

そう言うのは、消防署の方から来ましたという詐欺商法と同じ。(藁
中国文化の通過点に朝鮮があったに過ぎない。
朝鮮が、日本に中国文化の取り次ぎ役を演じたとする、従来からの見方なら問題なし。
585 :日本@名無史さん:2000/11/27(月) 13:24
近代以降になると、西洋文化が卓説したので、日本経由で朝鮮に伝わる技術・文化が
多くなっているが、日本のオリジナリティが高くないモノについては、
日本の貢献を声高に主張するような馬鹿馬鹿しいマネはするわけない。
586 :日本@名無史さん:2000/11/27(月) 14:07
>585
補足。世界的に影響を与えたり、東アジア・東南アジア一帯に影響を与えたことは、
しばしば話題になる。
前者は、マンガ・アニメやTVゲームなどの大衆文化や、様々なハイテク技術、
後者は、TVドラマ・歌手・アイドルなど芸能全般やファッションなど。

でも、朝鮮を特定して、影響を与えたことは誇ることすらしないな。
それは、日本>>朝鮮と言う意識があるからだろう。
逆に、朝鮮が必死になって主張するのは、潜在意識の中では、同じことを
思っているからだろう。
587 :世界@名無史さん:2000/11/27(月) 14:08
朝鮮を独自の文明と認めるか、あるいは中華文明の周縁の国という
位置付けで見るか、この視点の対立でしかないわけだが、このスレッドは。
大して裏づけの無い個人的見解で行けば、朝鮮は中華の影響を存分に
受けてはいるが、その下でのオリジナルは作り出している。ただ、それは
0から生み出したものではなくて、中華文明という下敷きがあってこそ。
日本も文化的には、独自性が強いが中華の周縁と言えない事も無く、
中国から直接的に受け入れたもの、朝鮮を通じて朝鮮風の文化を受け入れて、
その下敷きの下でオリジナル、日本発の文化を生み出す事が出来た。

結局一番威張れるのは中国人か?
588 :世界@名無史さん:2000/11/27(月) 14:20
>>584
何言ってんの?近代の朝鮮が日本の影響を受けたことは事実だろ?
それは単にそれを誇るか誇らないかの問題。
朝鮮人は何故かそれを誇り、日本人はそれを誇らないということ。
どっちにしても朝鮮の影響が強かったのは事実だし、
明らかに朝鮮では印刷技術は中国そのままではない。
>>587
中華の感覚でいけばそういうことになるね。
でもまともな考え方ならどこが初めかなんて関係なしに、
中国と朝鮮と日本は同一の文化圏にあったというだけ。
589 :587:2000/11/27(月) 15:04
>588
まあ、同一文化圏といってしまえば、それでおしまいだけどね。
その独自性云々で紛糾してしまっている点で、このスレはこんなに
膨れ上がってしまっているわけだ。
結局は古代〜中世の中国の影響はこの地域で無視できるものではないし、
近代日本の影響力は中国・朝鮮では無視できない。その時々の、力関係が
そのまま出ているだけ。
で、古代朝鮮の日本への影響力でなぜか紛糾してる。大局的にみれば、
どうでもいいような。高句麗のような強国があったところで、それが
純粋な朝鮮オリジナルってのはあり得ないわけだし。
まあ、別にオリジナルや元祖がいいなんて、一言も書いてないから。
今が良ければ、結果的にはいいの。
590 :日本@名無史さん:2000/11/27(月) 16:00
お互いの文化を尊重しない限り同じ穴の狢と言うことか。
591 :日本@名無史さん:2000/11/27(月) 17:00
>お互いの文化を尊重しない限り同じ穴の狢と言うことか。

つーか、古代中国の文化を尊重していれば良いだけのことじゃん。
朝鮮が、ありもしない高度な独自文化を強調するから、話がおかしくなるだけ。
592 :日本@名無史さん:2000/11/27(月) 17:08
>591
古代の中国だけではないぞ。中国はつい最近まで超大国だぞ。
593 :世界@名無史さん:2000/11/27(月) 18:17
中国文化も多民族国家の中国内で、各民族が他文化を取り入れたり影響を与えたりの結果として巨大な文化的蓄積が出来ているわけなんだがなあ(戦争による征服被征服を含めて)。
594 :世界@名無史さん:2000/11/27(月) 18:41
>593
中華文明という大雑把な括りで
厳密には異論反論ありましょうが。
595 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/27(月) 21:46
まったく。「ここは古代朝鮮について語るスレッドだから、近世の話は
また今度にしよう」といっているにもかかわらず、いいたいことをいって
去ってしまうんだからな。まるで2ちゃんねるにおける壬辰倭乱だよこれは。
596 :日本@名無史さん:2000/11/27(月) 21:57
>まるで2ちゃんねるにおける壬辰倭乱だよこれは。

朝鮮人が、バカなことばかり言うから、こうなったんじゃないか。
朝鮮は中国文化のコピペばかりで、特筆するような独自文化はなかった。
この事実を直視しないと、多くの日本人に受け入れられることはないぞ。
597 :日本@名無史さん:2000/11/27(月) 22:01
>>569
で示した日食の話など、日本と朝鮮の、中国文化に対する態度の違いを端的に表すもの。
朝鮮は、事大主義だったのだから、中国文化のコピペなのは当たり前。
日本は、聖徳太子以来、中国からは独立する方針で、国風文化が華咲いた。
いくら悪あがきして、歪曲した歴史を宣伝しようとしてもムダで、徒労に終わるだけ。
598 :世界@名無史さん:2000/11/27(月) 22:20
>>595
まあまあ、そうおっしゃらずに。
ついつい雑談の延長線上にあるような、2chの悪いところが出た
だけですから。それを倭乱なんていうのもおかしな話ですが。
599 :世界@名無史さん :2000/11/27(月) 22:59
>596
確かにそうかもしれんが、日本文化が全部中国文化のコピペだって言われたら
俺達だって怒るだろう。お互いに相手の文化の独自性を尊重しなければ、話は
始まらないんでない? 文化の独自性なんて客観的な解釈は絶対不可能な代物なんだし。
このままじゃ、結局は行きつく所は排他的なナルシズムだ。
600 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/27(月) 23:47
>>596少なくとも私は、ばかなことをいっているつもりは毛頭ないがね。
じゃあ聞くが、こういったことはどうして起こるのか、日本史側の見解を教
えていただきたいね。

別に今となっては、ここでわざわざ、日本が新羅文化を摂取していただの
とやかくいいたくないのだが、それにしても不思議なのは、日本の律令
制度確立前後の時代や白鳳時代なども含めて、明らかに遣唐使より遣新羅使
の方が派遣した数では圧倒しているにもかかわらず、日本史におけるその
扱いが貧弱なのはなぜなのか?

       日本の遣新羅使一覧

    任  命          使  人
1  天智7 (667)年11月      道守臣麻呂
                  吉士小鮪
2  天智9 (670)年 9月     阿曇連頬垂
3  天武4 (675)年 7月  大使 大伴連国麻呂
               小使 三宅吉士人石
4  天武5 (676)年10月  大使 物部連麻呂
               小使 山背直百足
5  不明           不明
6  天武10(681)年 7月  大使 采女臣竹羅
               小使 当摩公楯
7  天武13(684)年 4月  大使 高向臣麻呂
               小使 都努臣牛甘
8  持統元 (687)年 正月     田中朝臣法麻呂
                  守君刈田
9  持統6 (692)年11月     息長真人老
                  川内忌寸連
                  大伴宿禰子君
10 持統9 (695)年 7月     小野朝臣毛野
                  伊吉連博徳
11 文武4 (700)年 5月  大使  佐伯宿禰麻呂
               小使  佐味賀朝臣佐麻呂
                大小位 各一人  
               大小史 各一人
12 大宝3 (703)年 9月  大使 波多朝臣広足
               小使 額田人足
13 慶雲元 (704)年10月  大使 幡文造通
14 慶雲3 (706)年 8月  大使 美努連浄麻呂
              副使 対馬堅石
15 和銅5 (712)年 9月  大使 道君首名
16 養老2 (718)年 3月  大使 小野朝臣馬養
17 養老3 (719)年閏7月     白猪史広成
18 養老6 (722)年 5月     津史主治麻呂
19 神亀元 (724)年 8月  大使 土師宿禰豊麻呂
20 天平4 (732)年 正月     角朝臣家主
21 天平8 (736)年 2月  大使 阿部朝臣継麻呂
              副使 大伴宿禰三中
              大判官 壬生使守宇多麻呂
              小判官 大蔵忌寸麻呂
22 天平12(740)年 3月  大使 紀朝臣必登
23 天平14(742)年10月  不明
24 天平勝宝4(752)年 正月    山口忌寸人麻呂
25 天平勝宝5(753)年 2月 大使 小野朝臣田守
26 宝亀10(779)年 2月     下道朝臣長人
27 延暦18(799)年 4月     大伴宿禰峰麻呂
                  林忌寸真継
28 延暦22(803)年 3月     斎部宿禰浜成
29 延暦23(804)年 5月  不明
30 延暦23(804)年 9月     大伴宿禰岑万里
31 大同元 (806)年 3月  不明
32 大同3 (808)年 2月  不明
33 承和3 (836)年閏5月     紀三津
34 元慶2 (878)年 8月  不明
35 元慶6 (882)年 4月  不明

『八世紀の日本と新羅の文化交流』鈴木靖民より
601 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/11/27(月) 23:48
一方、遣唐使はといえば・・・・。


       日本の遣唐使一覧

    任  命       使  人
1  舒明2 (630)年     犬上御田鍬
               薬師恵日
2  白稚4 (653)年     吉士長丹
               高田根麻呂
3  白稚5 (654)年     高向玄理
               河辺麻呂
4  斉明5 (659)年     坂合部石布
5  天智4 (665)年     守大石
6  天智8 (669)年     河内鯨
7  大宝2 (702)年     栗田真人
               山上憶良
8  養老元 (717)年     多治比県守
9  天平5 (733)年     多治比広成
               中臣名代
10 天平勝宝4 (752)年   藤原清河
               大伴古麻呂
11 天平宝宇3 (759)年   高元度
12 宝亀8 (777)年     小野石根
               大神末足
13 宝亀10(779)年     布施清直
14 延暦23(804)年     藤原葛野麻呂
15 承和3 (836)年     藤原常嗣

『八世紀の日本と新羅の文化交流』鈴木靖民より
602 :世界@名無史さん:2000/11/28(火) 00:27
顔触れと、持ちかえったものの大きさじゃないんですか?
実際に遣唐使でクローズアップされるのって、宗教関係が
おおい訳ですし。山上憶良なんかも、有名人だから引き合いには
出されるでしょうが。
603 :世界@名無史さん:2000/11/28(火) 00:44
使節の数で影響の大きさを比較するなよ。
新羅文化を馬鹿にする気はないが、当時における東アジア文化
の中心地は確実に唐だし、日本側も唐文化をより尊重したことは
否定のしようがないだろ?
604 :世界@名無史さん:2000/11/28(火) 01:43
遣新羅使って、文化目的じゃないんじゃないの?
そもそも遣新羅使は、新羅からの使節の答礼として
派遣されたのが結構あったと思うんだけど。
詳しいこと忘れた。

605 :横レスさん:2000/11/28(火) 02:00
>日本文化が全部中国文化のコピペだって言われたら俺達だって怒るだろう。

激しく同意!
昔は西欧に追いつき追い越せだったが、金持ちになったので余裕が出て来た。
なんでこんなに朝鮮半島が注目されるかというと、今の政治の黒幕が池田のデーサクだから。
ただその一言に尽きる。
横レスすまない。無視してくれ、、
606 :世界@名無史さん:2000/11/28(火) 02:05
日本と朝鮮半島及び大陸は、古代より交流があり、日本はそれらの文化を
吸収しつつ、平安時代以降、独自の文化を発展させていった。
・・・極めて簡潔な結論じゃないか。
「韓国は野蛮な日本に文化を教えてやった兄だ」
「日本文化の起源のほとんどは朝鮮半島にある」
「奈良・京都の寺社仏閣はウリナラのものである」
韓国人がこういう馬鹿げたことさえ吹聴しなければ、全て丸く収まる。
剣道、華道、茶道、盆栽、日本酒、寿司、和歌、全部朝鮮半島が起源?
どうしてヌケヌケとこういうことが言えるのだろう?
これは、他人のものを盗み取る泥棒以外の何ものでもないと思いますが?
剣道、和歌は新羅、寿司、日本酒は百済と言っているのだから古代文化
に含まれると思いますが、ちよよん先生はこの問題についてどのように
お考えですか?
607 :日本@名無史さん:2000/11/28(火) 02:05
>確かにそうかもしれんが、日本文化が全部中国文化のコピペだって言われたら
>俺達だって怒るだろう。

いや、別に。事実は認めるだけのこと。例えば、高松塚古墳の人物・四神壁画や
マルコ山古墳の天文図などは、天武朝辺りの鹿鳴館的な中国文化のコピペでしょう。

>このままじゃ、結局は行きつく所は排他的なナルシズムだ。

そうではない。朝鮮が、中国や日本の文化を詐称しているのが問題で、
これが是正されれば、何の問題もない。
608 :世界@名無史さん:2000/11/28(火) 02:13
客観的なソースきぼーん
609 :日本@名無史さん:2000/11/28(火) 02:20
>600
ちよよんは例によって、レトリックを使っているな。
日本の正史に載っているものを数えると、日本から新羅へ行ったより、
新羅から日本の方が多いぞ。そちらに合わせて、百済滅亡後に限定しても、
新羅→日本は44回もある。

遣唐使については、百済・高句麗滅亡後は、国交断絶状態になったようで、
途絶えており、大宝律令を制定して、倭国から日本への改名を通知するのに、
久々に出かけており、日本の使者が尊大だったと、唐書に記されている。
この後は、唐が衰退するまでは、頻繁に出かけている。

それと、渤海が日本に朝貢していることを忘れるな。渤海使の来朝は膨大な数に上る。
日本は唐の冊封を受けないから、唐の暦は手に入れられず、渤海経由で入手している。
それが宣明暦で、江戸時代まで改暦されることはなかった。
610 :世界@名無史さん:2000/11/28(火) 05:13
百済、新羅は日本の属国でした。
611 :世界@名無史さん:2000/11/28(火) 06:09
大唐帝国の、文化力は、世界一ィィィィィィ
新羅?なんだそりゃ?
612 :世界@名無史さん:2000/11/28(火) 09:23
>>607
高松塚の古墳壁画って本当に中国そのものに見える?
デューラーの絵画なんてイタリアのコピペじゃんとか普通言わないでしょ?
中国のコピペとかいう言い方はおかしいんだって。
何でそこまで起源にこだわるんだ?
613 :世界@名無史さん:2000/11/28(火) 09:50
渤海って、日本に朝貢と言ってくるたびに、色んなお土産を
たっぷり持って帰ったらしいね。割りとしっかりものというか、
ちゃっかりしている所が意外とかわいい所だ。
614 :世界@名無史さん:2000/11/28(火) 10:14
なんで古代朝鮮の話題になると、日本に与えた影響の話題がメインになるんだろうかな。
中国文化の受容とその展開のほうが個人的には面白い。
615 :日本@名無史さん:2000/11/28(火) 10:18
>ちゃっかりしている所が意外とかわいい所だ。

そうそう、オンボロな船で来日して、船が破損してしまい、
日本が船を仕立てて、渤海まで送ったら、向こうから次の使者が乗ってきて...
と言う繰り返しになったりしているし。(藁
講談社新書に「渤海国の謎」と言う本があるので、興味がある人はどうぞ。
616 :世界@名無史さん:2000/11/28(火) 10:23
>613
本家中華帝國の朝貢もそういう感じだしね。
617 :日本@名無史さん:2000/11/28(火) 10:25
>高松塚の古墳壁画って本当に中国そのものに見える?

九州や北関東には、古墳時代後期の壁画古墳があるけど、
呪術的雰囲気に満ちたもので、高松塚古墳への連続性は感じられない。
マルコ山古墳の天文図(高松塚も剥離が著しいが残っている)も、
古来の日本とは無縁で、天武朝に占星台を置いてから少しの間の流行りでしょう。

いずれも、未だ日本的なアレンジも余り見られず、唐文化を直輸入した頃の
作品と見るのが妥当だと思う。
618 :日本@名無史さん:2000/11/28(火) 10:44
過去の積み重ねなしに、突如現れた高松塚古墳の壁画は、唐文化のコピペと率直に認識し、
日本的な芸術性の高い絵画としては、王朝絵巻からと見れば良いではないか。
619 :日本@名無史さん:2000/11/28(火) 10:51
同様に、北朝鮮に4〜5世紀頃の中国風の壁画古墳が多く存在するが、
最古期のものは、東晋の武将・冬寿の名が記されたものだし、
以前の韓国の学者は、率直に楽浪文化と見るべきとしていた。
ところが、北朝鮮は冬寿の墓を、根拠なしに高句麗美川王と改竄したり、
これらを、高句麗壁画文化として、中国文化を詐称したのは、いつものパターン。
日本の著名な画家も、北朝鮮に踊らされて、宣伝工作に利用されている。
620 :日本@名無史さん:2000/11/28(火) 16:25
(訂正)中国文化を詐称→中国文化を剽窃
621 :日本@名無史さん:2000/11/28(火) 17:23
>619
気分悪くなったらごめんなさい、よく知らないもので、教えてください。
東晋は帯方郡なり、楽浪郡なりを支配はしていないのではないですか?
北朝鮮の地域なら帯方郡か。
東晋の武将・冬寿の墓があるのはなぜ?亡命でもしたのか?
622 :日本@名無史さん:2000/11/28(火) 17:44
>621
楽浪郡が瓦解した時期についてはハッキリしておらず、
遙か後世の中国史書に、西晋が滅びた313年とするものもあるけど、
楽浪郡の発掘では、その後も東晋の年号を記した出土品が出ているし、
当分の間は漢人の自治領として続いたとする見方が有力なようです。

中国史書に書かれた冬寿の記録については、以前に読んだ内容を
忘れましたので、調べてみます。
623 :日本@名無史さん:2000/11/28(火) 18:01
>622
ありがとうございます。
624 :世界@名無史さん:2000/11/28(火) 18:08
なんだよ?単純に「日本的なもの」とやらを信奉する
本居教徒かよ。日本的、朝鮮的なものなんて本当にあるの?
優れていればそれでいいんだから、朝鮮、日本独自かどうかなんて
関係ないじゃん。法隆寺金堂の壁画なんて中国のものよりも優れている
し、慶州の石窟菴だってそうじゃん。
そして優れているものは結局他とは違った個性を持ってるんだし、
そうなるとやっぱり中国文化ってことにはならないよ。
上でも言われてるように、日本や朝鮮が中国文化のコピペだった
というより、対等の立場にある同一文化圏だったと考えるのが
常識的な考え方だろう?
ステレオタイプに合致するような「日本的なもの」よりも、
より優れたものを作り出すことの方が俺は誇りに感じるね。
625 :日本@名無史さん:2000/11/28(火) 19:27
>まぁ、そう怒らないで下さい。
そう言われればみんな気づくのですが、売り言葉に買い言葉でくだらない論争に
なってしまうのです。
626 :日本@名無史さん:2000/11/28(火) 19:42
>法隆寺金堂の壁画なんて中国のものよりも優れている
>し、慶州の石窟菴だってそうじゃん。

そう考える理由を、具体的に示しなさい。

>対等の立場にある同一文化圏だったと考えるのが
>常識的な考え方だろう?

全然常識的ではないだろ。当時の文化の流れは、中国から極東諸国へと
殆ど一方通行のように卓越しており、これを認識すべし。
逆に、近代以降は日本から、その他のアジア諸国と言う流れが卓越している。
事大主義で特筆すべき独自文化が存在しない朝鮮に、都合の良く考えたいから、
苛立っているだけだろ。逆上して醜態を晒すな。
627 :日本@名無史さん:2000/11/28(火) 20:24
>626
あなたも大人気ない。文化の優劣なんか個人的主観もだいぶ入るでしょう。
法隆寺が石窟菴が素晴らしいと言えばその人にとってはそうなんだから。
偉そうに示しなさいってあなた何様?って喧嘩してもしょうがないでしょう。
628 :日本@名無史さん:2000/11/28(火) 20:48
>法隆寺が石窟菴が素晴らしいと言えばその人にとってはそうなんだから。

それなら、当人がそう思う理由を示せるはずだから、
それを示すように言っているわけ。
629 :世界@名無史さん:2000/11/28(火) 22:01
>>626の発言からは、とてもそうは受け取れないが・・・
ただの罵倒にしか聞こえない。
630 :日本@名無史さん:2000/11/29(水) 01:39
結局、624は逆上して感情的に反発しただけで、何ら具体的な反論も出来なかったな。
朝鮮の話はこんなのばかりだから呆れる。
古代東アジアにおいては、中国文化が卓越していたと、多くの人が認識しているのに、
朝鮮は説得力のある理由も提示できないのに、認めたがらないからお話にならない。
631 :世界@名無史さん:2000/11/29(水) 01:50
>630
てゆうか、624は日本人だと思うけどな。

で、あんまり朝鮮にこだわるなよな。日本史好きさんよ。

だいたい、そう断定できるほど近代日本は優れたものでもなかった
わけだしな。同時に、古代朝鮮だって、それほど低いと言いきれる
証拠だって、何かあるのか?日本が格段に優れていた証拠だって、
さしてあるわけじゃ、あるまい。

あんたが一人でいきり立っていたところで、誰も賛同はしないと思うがね。
632 :世界@名無史さん:2000/11/29(水) 02:19
>>626
一度中国美術史の本を読んでみなさい。
法隆寺や石窟庵は「中国美術」の代表作として紹介されてるから。
中国より優れてるかどうかは知らないけど少なくとも中国の最高峰と
に匹敵するものであることは一般的な見解なんじゃないですか?
それに文化が一方通行だから同じ文化圏じゃないっていうのはどうか?
文化の流れなんて受け入れる意志があるかどうかじゃないですか?
633 :日本@名無史さん:2000/11/29(水) 02:20
>だいたい、そう断定できるほど近代日本は優れたものでもなかった

反日体質でなければ、近代以降の日本の発展や文化面は評価するはずだがな。

>あんたが一人でいきり立っていたところで、誰も賛同はしないと思うがね。

日本史板やハングル板では、既に常識になっていることを書いているだけ。
朝鮮の捏造体質に関する、きみの認識が低すぎるだけだと思うぞ。
634 :世界@名無史さん:2000/11/29(水) 02:22
>>626
法隆寺や石窟庵は中国美術史の本などを読むと「中国美術」の代表作
として紹介されてますよ。
中国より優れてるかどうかは知らないけど少なくとも中国の最高峰
に匹敵するものであることは一般的な見解なんじゃないですか?
というか卓越してたから他の文化はコピペにすぎないなんて暴論としか
思えないんですが。それこそあなたの大嫌いな事大主義そのものでは?
635 :634:2000/11/29(水) 02:23
632は間違いです。
変なこと書いちゃったよ。
636 :世界@名無史さん:2000/11/29(水) 02:25
>>633
近代以降の日本文化なんて欧米のコピペじゃないの?
評価するなら江戸時代や平安時代だろ?
637 :日本@名無史さん:2000/11/29(水) 02:30
633は別スレで、明治維新を相対視する者を反日だと罵っていたが、西尾と見解が逆になるというスレがついている。
これには答えないのか?
638 :日本@名無史さん:2000/11/29(水) 02:41
>法隆寺や石窟庵は中国美術史の本などを読むと「中国美術」の代表作
>として紹介されてますよ。

と言うことは、独自文化ではなく、中国文化と認識されているってことですな。
639 :日本@名無史さん:2000/11/29(水) 02:45
>近代以降の日本文化なんて欧米のコピペじゃないの?

世界的に人気が高い大衆文化である、マンガ・アニメやTVゲームは、
充分に独自性を持っているだろ。だから、日本製と認識された上で、
人気なわけじゃん。ちょっとは、頭で考えてみろよな。
640 :世界@名無史さん:2000/11/29(水) 03:02
>と言うことは、独自文化ではなく、中国文化と認識されているってことですな。

634じゃないですけど、サリバン(イギリスの中国美術研究家)の
『中国美術史』の中で、法隆寺の金堂と敦煌の壁画をアジアの
至宝として紹介してますよ。中国の至宝ではなく、アジアのね。
641 :世界@名無史さん:2000/11/29(水) 08:35
>>634
全く歴史ってものをわかってないね。無粋だね。
ハングルや日本史板の常識って一体なんだ?それがこの世界史板でも
常識にならなきゃいけないのか?んなぁ馬鹿な話はないよ。
歴史、歴史観ってのは常に競合して行くものなんだよ。
別に近代日本はそれなりに評価するが、それなりに批判しないといけない
だろ?問題が全くなかったとでもいうのか?全て称賛君に任せてたら、
非常に危険だな。
642 :世界@名無史さん:2000/11/29(水) 10:24
「実証史家の常識」とかいうのならわかるが、ハングル板とかを持ち出して「常識」だって・・。
ごちゃごちゃの2ちゃんに、統一見解なんかあるわけもないし、二重の意味で痛いな、634は。
挙げてる文献も新書レベルのものがほとんど。
643 :名無しさん@風が冷たい:2000/11/29(水) 12:43
633って世界史板に来てる日本@名無史さんの癌細胞だ。おまけにヴぁか。
644 :642:2000/11/29(水) 13:14
ごめんなさい。641を読んで、ちゃんと見直さないで書いちゃった。
>634というのは間違いです。>633に訂正です。
ほんっとうにごめんなさい、634さん。
鬱だ詩嚢
645 :日本@名無史さん:2000/11/29(水) 15:42
皆さん、文化の優劣で現代人の視点でしゃべり過ぎ。古代朝鮮にどうしてそうこだわるやら。
不思議。アメリカインディアンが私達は世界最古の種族だと言った所で何も言わないくせして。
あぁー、やだやだ。現代人のエゴ。
646 :世界@名無史さん:2000/11/29(水) 19:59
>>640
その本は大分前に読んだような記憶があります。
確か新潮選書か朝日選書から出てましたよね?
法隆寺の壁画の焼失はアジャンター石窟やシスティーナ礼拝堂の壁画が
失われるにも匹敵する損失だって書いてありましたよね?
もしかしたら違う本かも・・・。
647 :世界@名無史さん:2000/11/29(水) 20:01
>>645
約1名が異常にこだわってるだけだろ?
648 :日本@名無史さん:2000/11/29(水) 20:07
私だけがこだわっていたの?
じゃ他人がどう言おうが関係ないんだ。
649 :世界@名無史さん:2000/11/29(水) 22:48
で、人に罵声を浴びせるだけ浴びせて撤退か、癌細胞は。
650 :世界@名無史さん:2000/11/30(木) 06:20
さすがに飽きてきた。
651 :世界@名無史さん:2000/11/30(木) 10:55
主観と罵倒合戦が科学的・歴史的だとすれば…
652 :世界@名無史さん:2000/11/30(木) 17:21
法隆寺金堂の壁画といえばいい加減に歴史の教科書に載せるのやめてほしい。
いかにも韓国の絵画作品ですって感じで小中高の教科書に載せてる。
金達寿なんて出典も怪しい「極東三大美術」とやらの二つまでが朝鮮美術だとか
言って自慢してた。
あともう一つ、三代目をやたらと万葉集と比較しようとするのもやめてほしい。
たった14首しか残ってなくて実体もよくわからないものを、
他国の代表的古典と同等に扱おうとしてるのはどういうことだ?
日本にある程度のものは自国にもあるはずだと思い込んでるなんてかなり不快。
そういうことがなければ朝鮮の文化がどうであろうと差別的発言はおかしいが、
こんな有り様では捏造文化国だとか言って怒る人がいるのも頷ける。
653 :日本@名無史さん:2000/12/01(金) 00:16
朝鮮の歴史捏造体質が問題なのに、それに目を瞑ろうとする連中が
必死で問題を隠蔽しようとしているだけ。
654 :世界@名無史さん:2000/12/01(金) 01:25
>>653
このスレはそういうスレじゃないんだよ。
よそでやってくれ。
655 :日本@名無史さん:2000/12/01(金) 02:09
>654
朝鮮の主張する古代史の内容が、捏造であると言うこと。
そのスレに極めて関係する重要な内容じゃないか。
ちゃんとこのスレを読んでから発言しろ。
656 :世界@名無史さん:2000/12/01(金) 02:31
中国の人たちは、朝鮮側が主張している歴史の
何パーセントを真実だと認めているの?
657 :日本@名無史さん:2000/12/01(金) 02:38
>656
少なくとも、好太王碑文改竄説については、厳しく批判しています。
----
王建群・吉林省文物考古研究所長(1984)『好太王碑研究』(吉林人民出版社)で、
“歴史は客観的存在であり、歴史の研究は事実にもとづいてすすめなければならない。
中国に対して破壊活動を行なった酒匂景信や当時の日本陸軍参謀本部の犯した罪は
徹底的に暴露しなければならない。しかし同時に、事実を無視し、根拠のないことを
書き加えるようなことは、してはならないのである。”
----
朝鮮には、このような体質が強いことを、認識していると思います。
658 :世界@名無史さん:2000/12/01(金) 02:58
>657
ありがとうございます。
やはり朝鮮史に関しては、朝鮮以外の日本や中国、その他の国の
資料を照らし合わせて考察したほうが確実のようですね。
だいたい中国の関わり無しに朝鮮が存在するわけないですから。
659 :世界@名無史さん:2000/12/01(金) 02:59
>657
ありがとうございます。
やはり朝鮮史に関しては、朝鮮以外の日本や中国、その他の国の
資料を照らし合わせて考察したほうが確実のようですね。
だいたい中国の関わり無しに朝鮮が存在するわけないですから。
660 :名無しさん@1周年:2000/12/01(金) 04:26
同じ話題を何度も繰り返すなよ・・・
自作自演でないなら、最初から読んでみたら?>>656
661 :世界@名無史さん:2000/12/01(金) 05:50
日本@名無史はキティギャイですのであんまり虐めないでください…
662 :世界@名無史さん:2000/12/01(金) 11:18
自分が嫌われてることすら理解できない馬鹿ってカワイソウ
663 :日本@名無史さん:2000/12/01(金) 13:45
662は、ごく少数の身内にしか通用しない戯言を言っている。
書籍の売上げランキングなどを見ても、
日本で一番嫌われているのは、ウソ付きの反日サヨクだろ。
664 :世界@名無史さん:2000/12/02(土) 00:22
おやおや。嫌われてることは分かるんだね。
理由は分からなくても。
だから嫌われるんだー
665 :世界@名無史さん:2000/12/02(土) 00:23
誰もいないのかな?あげとこう。
666 :日本@名無史さん:2000/12/02(土) 01:07
日本史板で、古代朝鮮史について紹介されていました。
歴史捏造工作に励むちよよんよりも、こちらの発言の方が常識的な話をしているな。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=975665109
667 :日本@名無史さん:2000/12/02(土) 01:12
>664
朝鮮の歴史捏造を垂れ流そうとする連中には、嫌われるのは当たり前だろ。(藁
こいつらの妄言を暴いたのは、少しは意義があるだろうな。
668 :世界@名無史さん:2000/12/02(土) 01:13
どーせおまえが立てたんだろう?
バーカ。
669 :日本@名無史さん:2000/12/02(土) 01:52
>668
そんな自作自演をしてどうする。(藁
反日サヨクはウソつきだからと言って、他人も同じと思うな。
670 :世界@名無史さん:2000/12/02(土) 02:22
ほんとに毎日、朝から晩まで大変だね。いやあ、すごいすごい。もう最高。いやあ、すごいすごい。
だけど前のほうに溜まってるあんたのレスへの疑問、無視するなよな。
671 :世界@名無史さん:2000/12/03(日) 04:34
みんないなくなったのか・・・
672 :世界@名無史さん:2000/12/03(日) 07:09
反日サヨクという表現が面白いね(わらう
673 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/12/03(日) 13:10
【比較歴史社会学考察�@】

>>606他の皆さんレスが遅れてしまいました。
たしかに韓国の国定高等学校の国史などを見ると、日本へ伝播した三国文化
として、高句麗から仏教・絵画・紙・筆が、百済からは儒学・仏教・絵画・
天文・暦法が、そして新羅から朝鮮酒が伝わったと紹介されてはいます。し
かし、剣道や寿司などが朝鮮起源だというはなしは、少なくとも私は、学問
として議論されているということは聞いたことはありません。ただ、剣道
などを新羅発祥とする根拠としては、想像するに、おそらく花郎精神などを
モチーフにしているのではないでしょうか。しかしたしかに、それはあくま
でも古代国家新羅の諸制度であって、その忠誠心などは封建社会朝鮮の枠の
中で理解すべきものなのでしょう。
674 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/12/03(日) 13:10
【比較歴史社会学考察�A】
ところで、皆さんのレスからも見聞されるけれども、やはり朝・日における
双方の学問的な意見の対立以前の問題、すなわち感情論とでも申しましょう
か、は根深いものを感じます。やはりここで思うのは、朝鮮史の論争を今後
も続けてゆくにはどこかで、せめて本スレッドにおいてだけでも、その方法
論についてコンセンサスを得ないと−−−もちろんそれは強要するものでは
ありませんが−−−有意義な討論というものは続かない気がいたします。こ
こで大変申し訳ありませんが、一度、朝鮮通史から離れて、そのへんの考え
を述べさせていただければと思います。

なぜ、二国間の論争において対立が起きてしまうのでしょうか。これはおそ
らくお互いが、その国家と社会の歴史に対するリアリスティックな把握を、
極限に求めているから起こってしまうのでしょう。それはそれでいいことだ
と思います。インターネットが普及し、アマチュア愛好家など個人レベルで
の情報発信が手軽にできるようになり、また、それに啓発されたプロがさら
に高度な情報を発信するといった、情報の高度循環が発生し、学問の大衆化
が促進されるからです。それはあたかも18世紀のヨーロッパにおける、王
候貴顕のサロンから大学という教育研究機関へ学問研究機関の重点が移行し
た、学問研究のあり方に対する革命を思い起こさせます。しかしその後のド
イツにおけるナショナリズムの極度の高揚を対比させるわけではありません
が、あまり性急に歴史とナショナリズムとを不可分に結びつけて論ずるのは
どうかとも思います。具体的にいいますと、朝鮮史、日本史を語る時に、た
とえば、「剣道」などの起源やその文化の本質について議論を深めることは
いいとおもうのです。しかし、そこで例えば、誤認や極端なばあい捏造など
があったとしても、だからといって、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式にその他
すべての研究対象や事象について、十分な論証なしで、誤認だ、捏造だと結
論づけるのはどうかと思うわけです。一方でもちろん、何かにつけて反論と
して、植民地支配に対する反省を錦の御旗として持ち出すことも、学問にお
ける問題の発展という意味では、これはこれで問題だと思います。つまり何
がいいたいのかといいますと、たとえその結果がわかっていたとしても、そ
れでも、事象を検証するといった積み上げを怠ることはしないというほどの
慎重さが必要だと思うのです。なぜなら、既成事実であっても、見落としや
新たな研究成果による新発見がないとはいいきれないからであります。
675 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/12/03(日) 13:11
【比較歴史社会学考察�B】
その研究において、ナショナリズムによって感覚的、情緒的に把握している
「国家」や「民族」をもちこんでしまっては、厳密な研究批判に耐えることは
できないでしょう。先のヨーロッパにおけるドイツの例をあげますと、ジン
メルは『社会学』で使用するものは、これに代えて「集団」であり、集団間
の「闘争」であるといっています。ここではナショナリズムは溶解して、あ
えていうと無国籍の抽象概念に再編されています。つまりここでは「民族精神」
とか「ドイツ精神」といった概念は、もう入り込む余地はないのです。おな
じく社会学という新事業に取り組んだ人物にマックス・ウェーバーがいます。
かれは世界史板の別スレッドでも論争されておりますが、『プロテスタンティ
ズムの倫理と資本主義の精神』で名をはせた人物で、自他ともに認めるナショ
ナリストだったといわれています。ウェーバーのナショナリズムが晩年に至っ
ても衰えることがなかったことは、第一次世界大戦期にウェーバーが新聞に
書いた政治論文でも明らかであるといわれています。しかし、その一方で晩
年のかれは、ナショナリズムと歴史主義の結合物としてのいわゆる「普遍史」
から離れ、半ばジンメルの先行業績に対抗する形で、「社会学」としての
「普遍史」を模索しているのです。
676 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/12/03(日) 13:11
【比較歴史社会学考察�C】
さてここで、このある種本スレッドにおける議論の閉塞感を打開するために、
引き続き朝鮮通史から少しはなれて、歴史学における比較文化論など歴史科学
について考察してみましょう。

比較文化というものを考えた時、自分の文化とは違う文化に何らかの形で触
れたときに、「なにか変だぞ」といういうことがたくさん出てくると思いま
す。しかし、その時にどちらか一方の文化が「自然」で、他方が「変」だと
いうことで片付けてしまっては話はそこで終わってしまいます。その時に、
どちらもそれなりに「自然」であるということを一旦は認めると、次には、
自分の文化が自分にとって「自然」と感じられるのはなぜかと考えたり、世
界のいろいろな文化と比べることによって、自分の文化がどういう文化なの
かを考えるといった具合に学問を進めることができます。

これがいわゆるマックス・ウェーバーの「歴史主義から社会学へ」といった
歴史科学にもたらした変革や、ジンメルの『社会的文化論』にはじまる「社
会学」の思想から出てきたものなのです。ヴェルナー・ゾンバルトは、
  「広い意味での社会学とは、人間の共同生活についての認識のすべてで
  あり、また人間の文化、すなわち人間の歴史を社会性という観点から考
  えるものであり、社会性とは他者の行為を調節したり他者の行為に影響
  を与えられたりする行為に基づいて成立している現象のことである。認
  識とは、過去に何が何であり、現在何であり、未来にどうなるのかを確
  定することであり、また何がどうでなければならないのかという観点、
  ならびにすべての政治を排除するものである。」
といっています。「人間の歴史を社会性という観点から考えるもの」という
理解が、今日の社会学では「歴史社会学」という一領域に限定されていると
いう差異はありますが、多元的に歴史・文化の研究を行うというものに変わ
りはないでしょう。
677 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/12/03(日) 13:12
【比較歴史社会学考察�D】
私といたしましては、世間はどうであるのかはわかりませんが、少なくとも
世界史板の本スレッドにおきましては、社会事象や歴史事象を一元的にとら
えるのではなく、多元的につまり、多くの類型が相対化され並列される方法、
すなわち晩年のウェーバーが論じた類型論を用いた方法をとるべきではない
かと思います。

これはもちろん朝鮮史側、日本史側双方においてです。まえまえからくどい
ようにいっておりますが、学問における問題の発展は、双方の意見の対立が
完了した時点で終わりです。それは一方的による偏見や蔑視でも妨げられま
すが、反対に不必要な同情、気遣いといったことでも同様であります。要は、
議論における双方のバランスが肝要かと思います。また、しかしそれは、正
常な討論におけるアンバランス、すなわち類型論によって導かれた結論にた
いしてなんら制約を設けるものではありません。

敢えて曖昧な言い方をさせていただけるなら、一種乾いた肌合いとでもいい
ましょうか、事象に対する醒めた態度で望んではどうかと私は思います。

以上、社会学に関しては門外漢のわたくしが、貧弱な知識をもってウェーバー
の比較社会学のための分析枠組みといった古典的問題を扱ってしまいましたが、
ブルデューの「関係主義的」枠組やアメリカの「ネオ制度学派」的枠組等の
現代の理論的問題なども含めて、よりよい文化比較の方法などがございまし
たら、ご伝授していただけないかと思います。
678 :名無しさん@2周年:2000/12/03(日) 15:03
チヨヨンさん、長文ご苦労様です。
さて、上記の文章を勝手に縮めさせてもらいますが、多元的な文化観を持つことがまずなに
よりこれから先議論を進める上で必要ではないのか、とのことであると解釈しました。
この問題をグローバリゼーションとの観点から問う作業も、文化人類学や異文化教育学
という領域では盛んなようです。私は大学生ですが、それのゼミでの発表で使った本として、
江淵一公編著『トランスカルチュアリズムの研究』という書籍が明石書店より出版されて
います。九州大学教授であった江淵氏の退官記念という形で出版された、江淵元教授のお弟子さん
筋にあたる方たちの論叢集といった感じの書物ですが、トランスカルチュアな存在としての
在日の問題などにも言及したものも、2,3編ほどのっており、現状理解には便利であると思います。
また、江淵元教授の書いた序論の部分も、参考になるかと思います。
一般の書店などでは手に入れられないでしょうが(高いし。でもジュンク堂にはありました)、
大学の図書館、あるいは大き目の自治体の図書館などには置いてあると思います。
興味をもたれた方は読んでみるのをお薦めします。
679 :世界@名無史さん:2000/12/03(日) 15:55
別に興味ないです。
680 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/12/03(日) 16:21
>>678ご紹介ありがとうございます。江淵一公教授は異文化間教育に
関して研究をされていた方のようですね。氏は世界各地の多文化・
多言語の文化の諸相をどのように比較していたのでしょうか。でき
ましたらでかまいませんので、簡単に教えていただけたらと思います。

また、参考までに亜細亜大学国際関係学部1994所収の
『90年代の日本と韓国の社会変動と日韓相互認識諸研究の課題』を
ご紹介いたしますので、相互理解のためのご参考にしていただければ
と思います。
http://owww1.asia-u.ac.jp/~kuri/sub1/sub2/sub3/90nk.htm
681 :世界@名無史さん:2000/12/03(日) 18:42
どうしたんですか、ちよよん先生。
世界史板ではやけに謙遜じゃないですか。
ハン板での挑戦的な態度はないですね。
やっぱり亡命す生活より、暗殺覚悟でハン板に帰りましょうよ。
682 :名無しさん@2周年:2000/12/03(日) 21:51
せっかくだし紳士的に行こうよ、数少ない良識的な板なんだからさ。(笑)
683 :世界@名無史さん:2000/12/03(日) 22:01
チヨヨン大先生はハングル板では知識のなさを突かれて厨房扱いだからな。
世界史板は甘い連中が多いから居心地がいいのだろう。
684 :チヨヨン大先生@2ちゃんねる:2000/12/03(日) 22:24
>>681 私は>>641さんをはじめとする他国の文化に対する比較文化論を
理解された方々ともう少し論争をしてみたいんだよ。もちろんハン板は
ハン板で荒削りな別の魅力があるが、今はもう少しここに居させていだ
きたい。

ところで先に新羅の花郎道のはなしが出たが、朝鮮古代史ファンの方の
ために話をひとつ。

【源花と花郎�@】
源花・花郎の制度は、新羅の鞏固な原始共同体から分化発達した、一種
の人為的な精神共同体であるといわれている。この共同体の初期団長を
「源花」といい、美しい女性をえらんで推戴したという。このように女
子をもって指導者格である団長となした理由はなんであろうか。あるい
は、原始宗教的なシャーマニズム(巫)の一つの残滓・遺風ではないか
という想像をまずもちそうだが、それはいまのところ明らかではない。
もしそうだとすれば、かれらの生活にはなんらかの呪術やある種の宗教
的儀式が残っているはずであるが、それはみえない。ともかく美しい女
性をえらんで徒衆(男子)を指導する団長となしたのは、たんにその形
式美(肉体美)だけを重んじた観念からではなくて、内容美までも含ん
だ表裏一致、霊肉一体の観念から由来したものとみるべきではないだろ
うか。

花郎は『三国史記』(真興王17年条および金音欠運伝論)には、「美
貌男子」をもって(美しく)装飾するとあり、『三国遺事』(巻三、弥
勒仙花条)には「良家男子有徳行者」をもってなすとあるが、これはそ
れぞれ花郎資格の一条件だけをあげたのにすぎない。じっさいは両者を
あわせて考えるべきである。いいかえれば、花郎はたんに美貌(肉体美)
だけでもいけないし、またたんに徳行(精神美)だけでもいけないという、
つまり両者を兼備した人でなければならないというのが原則であった。
そして花郎はその衣服までも華やかに飾ったというのであるが、これは
源花においても同様であったと思われ、源花と花郎の呼称に花の字をつ
けたのもとうぜんなことなのだろう。
685 :世界@名無史さん:2000/12/03(日) 22:25
【源花と花郎�A】
ところで後日、源花は男性団長に代置された。古代新羅人は美しい肉体
には、美しい精神と行動が伴うという全体美観念から、美女をえらんで
源花徒の団長としたが、時代の変遷と社会生活の複雑化につれて、弊害
(不都合)が生じた。つまり霊と肉の矛盾・背馳が発生したのである。
これはなによりも源花である南毛と俊貞の史話がもっともよく物語って
いる。

話はこうで、南毛と俊貞という二人の美貌の源花がおのおの徒衆をひき
いていたが、両人のあいだに姿態にたいする嫉妬が起こり、ついに俊貞
が南毛を誘って殺し、俊貞も死刑に処せられたという一大悲劇と不祥事
が起こった。このような事件のあげく、政府ではすべての源花徒(源花
団体)を解散させた。その後、政府は女性団長のかわりに男性団長制を
採用し、美貌男子で徳行のあるものをえらんで、これを花郎といい、か
れを中心に団体(徒衆)を組織させたのである。
686 :世界@名無史さん:2000/12/03(日) 23:01
ちよよん先生
>もちろんハン板は
ハン板で荒削りな別の魅力があるが、今はもう少しここに居させていだ
きたい。
ということは、凱旋帰国は、「もう少し」後なんですね。
凱旋帰国の際には「マンセー」三唱でお迎えしますよ。
687 :日本@名無史さん:2000/12/04(月) 00:31
朝鮮は、日本に対する著しい劣等感の裏返しで、虚勢を張って、
日本関連で虚偽を垂れ流す、病理的な体質が話にならないところだな。
688 :世界@名無史さん:2000/12/04(月) 02:10
>>687
お前質問に答えれば?
689 :日本@名無史さん:2000/12/04(月) 03:02
何の質問だ? 具体的に言え。>688
690 :世界@名無史さん:2000/12/04(月) 13:10
>>689
とりあえずコテハンにしてくれ。
強大な大和政権あげってのはどうだ?
691 :真・スレッドストッパー:
書けませんよ( ̄ー ̄)ニヤリッ