1 :
小倉さん :
今でこそ、手術などで簡単に欲しい美しさを手に入れることが出来ますが、
昔の女性は日々、大変な努力をしてそれぞれの時代で良いとされる美しさを
追求していた事と思われます。
その時代の美意識と日常を知る意味でも、興味があるので、
そういったエピソードを広く集めてみたいなと思います♪
皆さんの知識を分けていただければ幸いです
近い時代だと、映画女優のマレーネ・ディートリヒは
細く形の良い脚線美を造るために、幼少の頃から母が毎日
細いブーツの紐をきつくきつく締め上げていたという話を聞きました。
細いウエストが要求された時代には、馬鹿力でコルセットを締め上げ
それがエスカレートすると、終いにはウエスト40センチにまで締め上げるようになり、
たいがいの女性は内臓がやられてしまい、早死にしていたなんて話も・・・
美への執着ってすごいなと感心します。
十六世紀の末葉、身分の高いハンガリアの貴族の家柄に生まれながら、
自分の若さと美貌を保つために、六百人以上もの若い娘を殺して、
その血のなかに浸ったという無残無類な女性があった。
伯爵夫人エルゼベエト・バートリがそれである。
フランス中世の幼児殺戮者ジル・ド・レエ侯にも比較される、
この戦慄すべき女性の生涯は、従来ほとんど知られていなかったが、
―ごく最近(一九六二年)、フランスの女流詩人ヴァランチーヌ・ペンローズが、
その興味ぶかい伝記を書いたので、それによって以下に彼女の肖像を描き出してみたいと思う。
物語の背景になるのは、小カルパチア山脈に囲まれた、十六世紀末のハンガリアである。
西ヨーロッパの文明から取り残されたこの地方は、ルネッサンスの曙光を迎えても、
まだ中世の暗い夜の雰囲気が消えずに残っていた。
森林の多い地方で、狼や狐や兎が出没し、森のなかでは妖術使や魔女が毒草を摘んでいた。
風が樅《もみ》の林を抜けて吹きわたると、無気味な狼の咆哮が村々まで聞えた。
吸血鬼《ヴァンパイア》伝説が起ったのも、この東欧の陰鬱な風土からである。
物語の主人公エルゼベエトは、一五六〇年、ハンガリアの名門バートリ家に生まれた。
バートリ家は、ハプスブルグ家と関係の深い古い貴族の家柄で、
代々トランシルヴァニア公国の王をつとめ、
エルゼベエトの母方の叔父はポーランド王をも兼任していた。
輝かしい名門中の名門である。
エルゼベエトの父親は軍人で、彼女が十歳のとき死んだ。
母アンナは教養の高い婦人で、当時の女性としては珍らしく、
ラテン語で聖書を読むこともできた。
少女時代から、すでにエルゼベエトの結婚相手はきまっていて、
十一歳のとき、未来の姑となるべき婦人ウルスラ・ナダスディの手に預けられた。
姑が息子の嫁を若いうちから教育しておくのが、いわば当時の習慣だったらしい。
ナダスディ家もまた、九百年以上つづいた名誉ある軍人の家柄で、
息子のフェレンツはエルゼベエトより五歳年長だったが、すでにトルコとの戦いにに出陣していた。
姑の監督ぶりは非常にきびしく、口やかましく、
わがままな少女は一目見たときから、彼女が大嫌いになってしまった。黙しがちの少女は、
田舎の古い城のなかで、孤独な、陰気な生活を送った。嫁ぎ先の家庭の空気にも馴染めなかった。
エルゼベエトが自分の生活に漠然たる退屈と不如意を感じたのは、このときが最初である。
それから死ぬまで、この苛立たしい退屈から、ついに彼女は解放されなかった。
蒼白い顔をした、気むずかしい、大きな黒い瞳の少女が、次第に美しく成長してゆくのを、
将来の夫たるフェレンツ・ナダスディは、不安な驚きの目をもって眺めていた。
が、彼は軍隊生活が忙しく、結婚後も、家庭を留守にすることが多かった。
エルゼベエトには、ふしぎな冷たい美しさがあって、
その大きな黒い眼には、見る者を何がなし不安にさせるようなものがあった。
ごく若いころから、嘲笑的で、傲慢で、怒りっぽく、
男に愛されるよりも男を畏怖せしめるたぐいの、驕慢な女王然たる気質があった。
当時の肖像画を見ると、彼女は頭の毛をひっつめて帽子でかくし、
大きなレース飾りのついた襟をぴんと張り、
手首のところで締まった白いリンネルの袖をふくらませ、
黒ビロードの胴着《ジレ》の胸から腰にかけて、真珠をびっしり飾りつけ、
ゆったりしたスカートの上に、白いエプロンをかけている。
可愛らしいハンガリア風の貴婦人の装いであるが、
―表情はむしろ固く、神秘的で、とくにその眼がひどく印象的である。
何を見ているのか、彼女の視線は容易に捉えがたい。
結婚式は一五七五年五月、ヴァランノオの城で華やかに行われた。
時に彼女は十五歳。プラーグの皇帝マクシミリアン二世から、祝文と贈物がとどけられた。
花婿のフェレンツは、しかし、初夜の床で悪魔の花嫁を抱いたことに気がつかなかった。
まだ彼女の怖ろしい悪徳は、その魂の深層部にかくれていたからである。
結婚式後に二人が落着いた場所は、スロヴァキア国境に近い小カルパチア山麓の、
チェイテという谷間の村にあるさびしい城だった。
丘の斜面には葡萄畑があり、村には古い教会があり、
村のはずれの坂をのぼってゆくと、ほとんど樹の生えていない荒涼たる石ころだらけの山の上に、
ナダスディ家の小さな城があった。付近の森には狼や貂《てん》がいた。
村人たちは古来の魔法を信じていて、森に毒草を摘みに行く習わしだった。
―さびしいチェイテの城は、現在も廃虚となって残っているが、
その怖ろしい暗い地下室には、かつてエルゼベエトの犠牲者として監禁されていた百姓娘たちが、
断末魔の苦悶とともに壁にきざみつけた爪のあとが生ま生ましく残っているそうである。
亡霊の泣き声が今でも聞こえてきそうな場所だという。
6 :
七氏 :2000/10/18(水) 22:02
揚げじゃあああ。
面白い!続きを・・・・・・
チェイテの城を新居として選んだのは、エルゼベエトそのひとであった。
なぜ彼女は、こんなさびしい場所に棲むことを考えたのか。
生来の孤独癖か?それとも、自分でもはっきり分らぬ神秘な衝動に動かされたのか?
しかし、新居に移ってからも、夫はふたたび戦争に出かけるし、
口うるさい義母の目は光っているし、伯爵夫人の退屈は日ましに募ってゆくばかりであった。
何事にも興味が湧かず、自室に閉じこもって、義母の目をのがれ、
一日に何度も宝石類をならべてみたり、鏡の前で、持っているだけの衣裳を次々に着てみたりした。
彼女はウィーンの豪華な宮廷生活にあこがれていた。
毎朝、女中に命じて丹念に髪の毛を梳らせた。
彼女の手は驚くほど白く、細かった。
この白い手を、白い肌を、いつまでも若々しく新鮮に保たなければならない、と彼女は考えた。
そのために、薬草の磨りつぶした汁を塗ったり、香油をつけたりした。
部屋のなかに大鍋をもちこんで、まるで魔女の実験室のように、
女中に手伝わせて膏薬を練ったり、どろどろの液体を煮たりもした。
自分が美しいといわれることを、彼女は何よりも好んだ。
みずからデザインして作らせた8字型の手鏡をもって、
ベッドに横になり、何時間も倦むことなく、自分の顔を見つめていることがあった。
鏡のなかでも、彼女は決してほほえまない。
彼女のナルシシズムは、つねにより以上を望んでいたからだ。
生涯を通じて、しばしば激しい頭痛に悩むことがあった。
そんな時は、女中たちが薬草を煎じて枕もとに持ってきた。
また、理由のない苛立たしい発作に襲われて、
女中たちをピンで刺したり、癲癇のように痙攣を起し、
ベッドをころげまわり、助け起そうとする女中の肩に噛みついたりすることもあった。
娘たちの苦痛の悲鳴をを聞くと、彼女自身の痛みはふしぎに直るのだった。
バートリ家には、永いあいだの近親結婚による、
奇怪な遺伝的痼疾がいくつかあったらしい。
淫乱症もその一つであり、癲癇もその一つである。
エルゼベエトの叔父のポーランド王ステファン・バートリも、癲癇で死んでいるし、
父方の叔母クララ・バートリは、四回も結婚し、
二番目の夫をベッドのなかで窒息死させている。
そのほか狂気、残忍、むら気、魔術への耽溺などといった徴候が、
この誇り高き家系のうちに見出される。
義母が死ぬと、エルゼベエトは夫につれられて、
皇帝マクシミリアン二世の宮殿のあるウィーンへ遊びに行った。
舞踏会や音楽会で、皇帝は彼女の冷たい美しさを大いにほめたという。
ほのハプスブルグ家の神秘愛好家は、
もしかすると、彼女の裡におのれの同類を見ていたのかもしれない。
夫は一六〇四年、伯爵夫人が四十四歳のときに死んだが、
すでにその前から、夫人が女中たちをひどく虐待し、
しばしば彼女らを死にいたらしめることもあるという噂は流れていた。
正確なところ、いつから夫人が血の渇きをおぼえ、
いつからこんな残虐な趣味にふけり出したのかは分らない。
女中たちは、女主人の朝の化粧の手伝いをするのを怖れるようになった。
人里離れたチェイテの城の暗い地下室が、
彼女の隠微なエロティシズムの欲求に、恰好な舞台を提供した。
地下室は元来、穀物の貯蔵に使われるものだったが、
いつのころからか、それが秘密の処刑の部屋に一変したのである。
不吉な評判が立っていたにもかかわらず、
貧乏な百姓たちは、その娘を城中へ奉公に出すことを躊躇しなかった。
新しい着物を一枚やるといえば、母親は喜んで娘をさし出した。
ヤーノシュと呼ばれる醜い小人の下男が、
付近の村々から娘たちを狩り集めてくる役目だった。
娘たちはまるでピクニックに行くように嬉々として城の門をくぐったが、
ひとたび城中に入れば、もう生きて帰れる望みは薄かった。
やがて彼女らは、身体中孔だらけにされ、
あるかぎりの血をしぼり取られた末に、庭の一隅に埋められてしまう。
庭にはブダペストから苦心して運んできた、美しい薔薇の花がいっぱいに咲き匂っていた。
伯爵夫人のまわりには、つねに彼女の気まぐれに奉仕する腰巾着のような女が何人かいた。
もと夫人の子供たちの乳母だったヨー・イロナという醜い女は、
いつも毛糸の頭巾を目深にかぶっていて、決して素顔を見せない。
ドロチア通称ドルコという女も、無知な残忍な獣のような怪物で、
女主人の前に生贄《いけにえ》の娘たちをつれてきたり、
手荒く女中たちを折檻したり、さては魔法の呪文を女主人に教えこんだりした。
(ちなみに、エルゼベエトは四人の子供の母になっていた。)
こんな卑しい拷問執行人のような女たちに取り巻かれて、
夫人は城中でいよいよ孤独に、いよいよ凶暴に、
その常軌を逸した振舞いを募らせてゆくのである。
彼女はただ物憂げに、尊大に、命令を下しさえすればよいわけだった。
村の牧師ヤーノシュ・ポニケヌスは、しばしば奇妙な夜の埋葬に立ち会わされた。
夜、彼のもとに使いがきて、あわただしく城中に呼ばれる。
行ってみると、庭や畑の隅に土饅頭ができていて、
そばには、手を泥だらけにした下男が鍬をもって立っている。
闇のなかに、醜いドルコの顔も見える。
はたしてだれが死んだのか。
ふしぎに思いながらも、牧師は命ぜられた通り祈りの言葉を唱える。
そのころ、ウィーンではだれいうとなく、
「血まみれの伯爵夫人」という渾名が彼女につけられていた。
噂によると、彼女がウィーンへきて泊る宿屋では、
毎夜、娘たちの悲鳴が聞え、朝になると街路になると街路に血が流れているというのだった。
最初のうち、村の牧師はこんな噂を信じなかった。
しかし、イロナ・ハルツィという教会の女歌手が、
エルゼベエトに伴なわれてウィーンへ行き、
やがて手脚をばらばらに切断され、
屍衣につつまれてチェイテの城にもどってきたのを見ると、
牧師の心に疑惑の雲がむらむらと湧き起った。
エルゼベエトの弁明によると、
ハルツィはウィーンの宿で不行跡をはたらいたので、
死をもって処罰したというのである。
が、彼女が不当な拷問を受けたのはだれの眼にも明らかで、
人の好い牧師といえども騙されているわけにはいかなかった。
そこで、牧師は埋葬に立ち会うのをやんわりと拒絶した。
こんなふうに、城の女主人の怖ろしい振舞いに、
疑念をいだいたひとも一人ならずいたのであるが、
彼女の報復を怖れて、裁判がはじまるまで、
だれものこのことをあからさまには口にしなかったのである。
14 :
小倉さん :2000/10/19(木) 01:35
>4〜13さん
お・・おつかれさま
ある朝、鏡に向って化粧の最中、女中の不手際に苛立った伯爵夫人は、
やおら振り向きざま、手にしたヘア・ピンで彼女の顔を刺した。
悲鳴とともに血がほとばしって、夫人の白い腕に赤い斑点が散った。
急いで拭い去ったが、すでに凝固した血もあった。
ややあって、すっかり凝血を洗い落としてから、ふと腕に眼をやると、
しばらく血の付着していた部分の肌が、気のせいか、
白い半透明な蝋のような輝きをいくらか増したように思われた。
夫人は放心したように、そのまましばらく自分の腕を眺めていた。
―こんな場面を、わたしたちは空想のうちに思い浮かべてみる。
ともあれ、伝説によると、
伯爵夫人はかつて六十人以上の美しい侍女を集めて宴会をひらき、
宴果てるや、部屋のドアを閉ざし、泣きわめく侍女たちを次々に裸にして惨殺したという。
そして、彼女らの血を桶に集め、みずからも毛皮やビロードの衣裳を脱いで、素裸になると、
そのまばゆいばかりの白い裸体を血の桶に浸して喜んだという。
人間の血、とくに若い処女の血が、
美容や回春の神秘な効果をあらわすものであるという説は、
古くからいい伝えられており、錬金術の理論にも、そのような考え方は随所に見出される。
聖堂騎士団と呼ばれた中世の異端的秘密結社の人間犠牲、
カトリーヌ・ド・メディチの黒ミサ等、
すべてこのような理論の悪魔的な適用といえる。
聖書のレビ記には、
「血はその中に生命のある故によりて贖罪をなす者なればなり。
汝らのうち何人も血をくらうべからず」と書いてあるが、
―人間の血をもって生命の中心となす思想は、おそらくこの辺から生じたのであろう。
エルゼベエトの伝記を書いた十八世紀のイエズス会神父ラスロ師の言葉によると、
「彼女の最大の罪は美しくなろうとしたこと」だった。
自分の肉体を美しく保つためには、彼女は何ものをも犠牲にして悔いない精神の持主だったようだ。
彼女ほど極端な自己中心主義者はまれである。
いつも鏡のなかに自己の美しい容貌を確認していなければ気がすまない彼女にとっては、
神も、地獄も、まったく眼中にないのだった。
その破戒無慙な生涯を通じて、彼女は、
ただの一度も悔恨の念に良心を苛まれたことがないのである。
ウィーンの宿屋で、夫人がほしいままな残虐行為にふけっていたという噂も、
どうやら事実であったらしい。
裁判記録によると、夫人の下男は次のように証言している。すなわち、
「夫人の部屋にはいつも四五人の娘が裸になっていたが、
娘たちは体中に血がこびりついているので、まるで炭のように真黒に見えた」と。
18 :
世界@名無史さん :2000/10/19(木) 02:36
そいえば澁澤って桐生操とどっか似てるようなきもするな
19 :
世界@名無史さん :2000/10/19(木) 02:41
それ澁澤にあまりにも失礼だよ。ただのパクリ売文屋と一緒に
されるなんて・・・
21 :
世界@名無史さん :2000/10/19(木) 04:03
>>20 >エリザベス・フランシス・ヒギンズさん
>年齢48才(自称35才)
このへん、笑える。
22 :
る :2000/10/19(木) 05:36
澁澤はパクリ売文をひとつの手段として自己表現をおこなった思想家。
四谷シモンの人形、ほしいなー
23 :
世界@名無史さん :2000/10/19(木) 07:02
>>20 ウエスト細くするために肋骨除去手術か…
ガラスの靴履くために、かかとを切り落とした
シンデレラのまま姉を思い出しちゃった。
エルゼベエトの拷問の方法は、
爪のあいだにピンを刺しこんだり、
真赤な火掻き棒で身体の各所を焼いたり、
針で口を縫ったり、乳房に針を突き立てたり、
また裸のまま樹に縛りつけて、身体中に蟻をたからせたりするといった、
ごく初歩的なものから始まって、
ついには目を蔽いたくなるような酸鼻をきわめたものまで、
じつに複雑多岐にわたっていた。
相手の口に両手の指を突っこんで、左右から力いっぱい引っぱって、
口を裂いてしまうという方法もあった。
咽喉の奥まで焼けた火掻き棒を突っんこだこともあった。
あるとき、女中の靴のはかせ方がわるいといって、
彼女は真赤に焼けた火熨斗[#ヒノシ:アイロンの意]を持ってこさせ、
これを女中の足の裏に当てながら、
「おや、あんたはきれいな赤い靴をはいているのねえ!」といったという。
ウィーンの宿屋では、部屋中おびただしい血の海だったので、
歩くこともならず、ベッドまで寝にゆくのに、床に灰をまく必要があったという。
ある蹄鉄工に命じて、巨大な鉄の鳥籠のようなものを作らせたこともあった。
内部に向って、籠には鋭い鉄の棘が生えている。
滑車の装置で、この鳥籠を天井に高々と吊りあげる。
籠のなかには、むろん、若い娘が閉じこめられているのだ。
残忍なドルコが焼けた火掻き棒で、籠のなかの娘を突つく。
娘がうしろに身を引けば、鉄の棘に背中を刺される。
下で見ている伯爵夫人の上に、雨のように血が降りそそぐ。
同じようなアイディアによって、
彼女はさらに、中世の残忍な 刑具として名高い「鉄の処女」をも作らせた。
当時、熱心な時計の蒐集家であったブルンスウィック公が、
ドルナ・クルバの城に滞在したとき、さる優秀なドイツの時計師を招いて、
ここに複雑な装置のある精巧な時計を設置させたので、
付近の貴族たちが争って、これを見物に出かけたことがあった。
エルゼベエトも時計を見に行ったらしい。
そして、ひそかにこの卓《すぐ》れた時計師に注文して、
「鉄の処女」の製作を依頼したのである。
この鋼鉄製の人形は、完成すると、チェイテの城の地下室に安置された。
使わないときは、彫刻のある樫の箱に入れて、厳重に鍵をかけておいた。
使用の際は、箱から出して、重い台座の上に立たされるのである。
人形は裸体で肉色に塗られていて、化粧をほどこされ、
細々した肉体の器官が、まるで本当の人間のように生ま生ましく具わっている。
機械仕掛で口がひらくと、曖昧な、残忍な微笑を泛かべる。
歯もちゃんと具わっているし、眼も動く。
本物の女の髪の毛が、床にまで垂れるほど、ふさふさと生え揃っている。
胸には宝石の首飾りが嵌めこまれている。
この宝石の球を指で押すと、機械がのろのろ動き出すのである。
歯車の音が陰惨にひびく。人形は両腕をゆるゆると高く上げる。
やがて一定の高さまで腕を上げると、
次に人形は、両腕で自分の胸をかかえ込むような仕草をする。
そのとき、人形の手のとどく範囲にいた者は、否応なく人形に抱きしめられる恰好になる。
と同時に、人形の胸が観音びらきのように二つに割れる。
人形の内部は空洞である。左右に開いた扉には、鋭利な五本の刃が生えている。
したがって、人形に抱きしめられた人間は、人形の体内に閉じこめられ、
五本の刃に突き刺され、圧搾器にかけられたように血をしぼり取られて、
苦悶の末に絶命しなければならない。
別の宝石を押すと、人形の腕はふたたび元の位置に下がり、
その顔の微笑は跡形もなく消える。
やがて人形は睡気をもよおしたように、眼をとじる。
突き刺されて死んだ娘の生まあたたかい血は、
人形の体内から溝を通って、下方の浴槽のなかに導かれる。
この浴槽に、伯爵夫人が浸ることは申すまでもない。
しかし、こんな大時代的な刑具の使用に、彼女はすぐに飽きてしまった。
自分で手を下す余地がなければ、彼女にとっては面白くないのだ。
それに、複雑な歯車が血糊で錆びついて、たちまち動かなくなった。
―やがて彼女が逮捕されてから、ひとびとが城内をしらべてみると、
赤く錆びついて使用不能になった「鉄の処女」が、
暗い地下室に不気味にころがっていたという。
この「鉄の処女」の登場は、
伯爵夫人が女性だけしか殺さなかったという事実とも結びついて、
何か彼女の正確に象徴的な意味合いをあたえずにはおかない。
もしかしたら、彼女はレズビアン(女性同性愛者)だったのかもしれないし、
また無意識のうちに、古代東方の大母神に仕える巫女のような役割を演じていたのかもしれない。
ふしぎな隔世遺伝ともいうべきであろう。
古代の密議宗教の寺院では、チェイテの城の地下室におけるがごとく、
じつにおびただしい量の人間の血が流されたのである。
城中の召使たちにとっては、死者の埋葬が悩みの種であった。
最初のうちは教会の方式通り、牧師を呼んで手厚く葬っていたものだが、
だんだん死者の数がふえてくると、事実を隠蔽するのが困難になった。
不安になって、娘に会いに城へやってくる母親もあった。
が、娘はすでに二目と見られぬ姿になって、なぶり殺しにされているのである。
母親に会わせず、早く埋めてしまわねばならない。
―噂は噂を呼び、伯爵夫人の立場は、次第に危険なものになっていった。
それなのに、彼女はあまりにも無謀であった。
卑しい百姓娘の血に飽き足りなくなって、貴族の娘の高貴な血をすら求めたのである。
この彼女の無謀さ、大胆さは、
嬰児殺しジル・ド・レエの錬金術に関する狂気の探求を思わせる。
が、ジルと彼女とのあいだには、一つの決定的な相違があることを強調せねばならない。
ジルはつねに悪魔ないし神に目を向けた、夢想家肌の男であり、
悪事を犯すごとに悔恨の念に苛まれていた。
一方、伯爵夫人の心には、彼岸に対する憧憬はまるでなく、
悔恨の念はついぞ萌したことがない。
真の人間的な恐怖は死そのものでなく、
混沌《カオス》ともいうべき虚無の兆であるべきだろう。
生涯の最後に悔悟し、喜んで火刑台にのぼったジルは、
その点においてきわめて人間的であった。
しかるに伯爵夫人は、最後まで怖ろしい虚無の暗黒に身をさらしながら、
自己自身という唯一の豪奢につつまれて、孤独のうちに死ぬのである。
彼女ほど極端なナルシスト、極端な自己中心主義者は世にもあるまい。
チェイテの城が捜索されたのは、一六一〇年十二月のことである。
雪と氷が山上の城を鎖ざし、外は白一色の沈黙の世界であった。
剣をもった役人が、松明をかざして城の地下室におりて行くと、異様な臭気が鼻をついた。
拷問部屋の壁には、血の飛沫が生ま生ましく散っていた。
火の消えた炉のそばに、処刑の道具がころがっていた。
最後に、上階に通じる石の階段のそばに、殺された裸の娘が倒れていた。
乳房はえぐられ、肉は切りきざまれ、髪の毛は束になって抜け、
怖ろしい断末魔の表情をまだ顔に泛かべていた。
さらに奥へ進むと、他の屍体が見つかった。
虫の息で生きている者もあった。
生き残りの証言によると、彼女らは食を断たれた末に、
殺された仲間の肉を食うことを強要されていたという。
裁判は一六一一年一月、ハンガリアのビツシェにおいて行われた。
しかし、エルゼベエトはそこに出廷しなかった。
親族からの嘆願書がついに皇帝の気持ちを動かし、
彼女は死刑になることをすら免れた。
共犯者のドルコ、イロナらは、いずれも火あぶりになった。
伯爵夫人は終身禁固を宣告された。チェイテの城に死ぬまで閉じこめられるのである。
判決が下ると、石工が城にやってきた。
内部に夫人を閉じこめたまま、彼らは石や漆喰でもって、
城の窓という窓を塗りつぶしはじめた。
夫人の視界から、だんだんと光の射しこむ部分が消えてゆく。
彼女は生きながら、巨大な真暗な墓のなかに葬られるわけである。
光を通すどんな小さな隙間も、残らず塞がれた。
そうして最後に、食物と水を彼女の部屋に送り入れるための、小さな孔が壁に穿たれた。
城の四隅の高いところには、四本の絞首台が建てられた。
ここに死刑となるべき罪人が生きているということを、告示するためである。
一切の光を奪われた絶対の孤独。それが彼女の甘受した最後の運命だった。
井戸の底のような真暗な部屋のなかで、聞えるものはただ風の音のみである。
彼女の大きな黒い瞳は、すでに自分の蝋のような白い手をすら眺めることができない。
ビロオドと毛皮をまとって、一日中、彼女はただ獣のように生きているしかない。
こうして一年すぎ、二年すぎ・・・・・・
三年目の夏に、エルゼベエト・バートリは死んだ。
享年五十四歳。死の少し前に、明晰な意識で遺言を書いた。
しかし彼女の血にまみれた魂は、あらゆる出口を塞がれた永遠の牢獄から、
どこの世界に飛び立つことができたろうか?
31 :
小倉さん :2000/10/20(金) 19:11
>龍彦さん
今度こそホントにお疲れ様
32 :
名無し三等兵 :2000/10/20(金) 19:23
日本では、白粉(おしろい)に鉛が含まれていたため
女性や歌舞伎役者の鉛中毒が多かったそうです。
明治になって鉛の含まれていない製品が開発されたけど、
女性や役者達は「鉛入りのほうが肌へののりが良い」ということで
鉛入りの白粉を使いつづけたとか…。
33 :
名無し三等兵 :2000/10/20(金) 19:35
ああ、そういえば「白雪姫」で
王妃が白雪姫をぶっ殺そうとしたのは
娘の美しさへの嫉妬だったような…。
これは違うかな
34 :
小倉さん :2000/10/20(金) 21:11
>女性や役者達は「鉛入りのほうが肌へののりが良い」ということで
鉛入りの白粉を使いつづけたとか…。
痛々しい女心ですね・・・役者魂?
35 :
パシャパシャ :2000/10/21(土) 01:41
纏足 中国では、足の小さい女が美人の条件だった、そのため、子供の頃から、足をぐるぐる巻きにして、成長を妨げるのと形を変える事が行われた、当然その女は、走ったりはできなくなるそのため子供を働かせているような貧乏な家では、纏足はできなかった、又痛さも相当であったらしい、その上、年を取ると、まともに歩けなくなった
36 :
小倉さん :2000/10/22(日) 00:53
>中国では、足の小さい女が美人の条件だった
なんでぇー?!
男性から見て、足の小さな女性のほうが魅力的なんですかねえ・・・
37 :
名無しさん@1周年 :2000/10/22(日) 01:17
>36
女性がうちから逃げ出せないようにするためとか、小さくなった肉塊の
ような足でしごかれると気持ちよかったとか諸説あったような。
38 :
世界@名無史さん :
女性の行動が制限される→行動するのに男性の手を借りる必要がある
足元のおぼつかない、頼りなさげな風情がそそる。
っていうのも聞いたことある>纏足