1 :
カール大帝 :
2000/10/05(木) 00:02 役に立たない知識だが家系についての質問に答えよう。 婚姻関係・庶子・爵位・領地なども受け付けよう。 ただし、余の在位以降でなくては困るぞ
2 :
る :2000/10/05(木) 00:16
えとね、ルイ十世の息子のジャン一世について教えて。 フランスね。
3 :
カール大帝 :2000/10/05(木) 00:35
>2 早速の質問嬉しいぞ、そなたに祝福を。 さて、わしの家系にも連なるジャン一世だが 哀れにも乳児で死亡じゃ。 父はフランス王ルイ十世。 母は不義で名をあげたマルグリット・ド・ブルゴーニュじゃ。 腹違いの妹ジャンヌはフランス王位を継げず ナヴァラ王国でガマンとは兄妹揃って不憫よのー。 ところで「る」はこの程度は知っておるのではないか。 まあ、遠慮せずに質問を続けるがよいぞ。
4 :
世界@名無史さん :2000/10/05(木) 02:03
ルクセンブルク大公についてですが、神聖ローマ帝国の歴代皇帝を見ると、 ルクセンブルク家が皇帝になったことがありますよね。 この辺りの経緯について教えてください。
5 :
世界@名無史さん :2000/10/05(木) 16:52
スウェーデン王カール14世. ジャコバン党員のなれの果て. ナポレオン戦争のどさくさにスウェーデン王位を継承する. 腕に彫ってあったという「王侯くたばれ」の入れ墨は,うまく消せたのだろうか?
6 :
世界@名無史さん :2000/10/05(木) 17:24
>>5 彼は身のほど知らずにもフランス皇帝になろうとしていたのが笑えます。
7 :
世界@名無史さん :2000/10/05(木) 20:16
フランスではルイ14世以降は有名ですが,それ以前のルイ王には どんな人がいて,どの王朝に属してたんですか?
8 :
カール大帝 :2000/10/05(木) 21:34
実益ない知識にも関わらず多くの質問、嬉しいぞ。 質問した者全てに祝福を。 さて、長くなるので順番に答えるぞ。 >4 現在のルクセンブルク大公と皇帝を輩出したルクセンブルク家は 別の家門ということをまず理解するように。 現在の大公家はナッサウ家じゃ。 非常に古い家門のゆえ詳しく知りたければまた答えるが、 先祖のうちドイツ王になったアドルフが最も有名じゃな。 またネーデルラント王位のオランジュ=ナッサウ家もこの家門じゃ。 そして皇帝を輩出したルクセンブルク家は アルデンヌのヴィゲリックから始まる一統じゃ。 このヴィゲリックの子、ジークフリートが一般に ルクセンブルク家の祖と言われておる。 ただし、その頃名乗っていた爵位はアルデンヌ伯じゃ。 この家は途中,二人のエルメジンデという女子相続人が @ナミュール家 Aリンブルク(ヴァッセンブルク)家の当主と 縁組しながら近隣の所領を獲得、勢力を伸ばしていったのじゃ。 皇帝輩出以前にも一族にはハインリヒ二世帝妃のクニグンデや 二人のバイエルン公を出している。 まあ帝国西部の有力諸侯といえるが、この家が帝位に就いた背景には フランス王の影響があるのじゃ。 当時のフランス王はフィリップ三世だが、 ドイツ王アルプレヒト二世の死後、三男のヴァロワ伯シャルルを 帝位(ドイツ王位)にと考えたのじゃ。 しかし、これは反対する諸侯も多かったため、 代案としてフランス宮廷で育ったルクセンブルク伯ハインリヒを 援助したじゃ。 その後もルクセンブルク家はフランス王と 良好な関係を続けることになる。 また、ハインリヒ七世の叔父のヴァルラン一世を祖とする リニー=ルクセンブルク家はフランスの有力諸侯として 続くことになる。
9 :
カール大帝 :2000/10/05(木) 21:44
むう、省略されるとは。 簡潔な文章を心がけるぞ。 >5 カール十四世には才覚があることは認めるぞ。 王位から降ろされたヴァーサ家がその後一代で 絶えたのは哀れだが。 さて、刺青だがいつ書かれたのか、その後消えたのかは 余には預かり知らぬところじゃ。 まあ「王候くたばれ」というのは威勢のいい言葉ではあるが、 ピストルズやスミスといった無頼者と変わらぬレヴェルではあるな。 この件については下がってよいぞ。
10 :
カール大帝 :2000/10/05(木) 21:48
>6 「見のほど知らず」かどうかの判断はなかなか難しいと 余は思うことがあるぞ。 英雄として知られる余とて、 先祖を遡れば羊飼いになってしまうのじゃ。残念なことに。 ただし、余はその方らの好みを縛るつもりはないゆえ 今後も質問・議論を続けるがよいぞ。
11 :
る :2000/10/05(木) 22:35
>>10 だまされて王冠おしつけられたくせにぃ
あ、ごめん、質問に答えてくれてありがと
12 :
カール大帝 :2000/10/05(木) 23:43
執務しながらなので間隔が空いたが質問に答えよう。 >7 大まかにいうとこうじゃ。 ルイ一世〜ルイ五世・・・カロリング家 ルイ六世〜ルイ十世・・・カペー家 ルイ十一世〜ルイ十二世・・・ヴァロワ家 ルイ十三〜ルイ十八世・・・ブルボン家 家名の区分けというのは難しくて色々な呼び方がある。 ヴァロワもブルボンもカペーの血筋であることを言えば カペー家ともいえる。 また、ヴァロワもブルボンもカペーの血筋ではない家門が 領有していたものを、後にカペー出身の者が相続したものじゃ。 故に余はカペー系ヴァロワ家・カペー系ブルボン家などと呼んで 個人的には区別しておる。 さて、主な特徴だが カロリング家は余の直系の子孫ではあるが、ボンクラばかりじゃ。 カペー家の中で特筆すべきはルイ七世。 有名なアリエノール(エレアノール)の初婚の夫じゃ。 坊さん崩れの辛気臭いやつだが、血筋的には大きな役割がある。 3番目の王妃のアデルはシャンパーニュ伯の娘、 シャンパーニュ伯はカロリング家の血を引いておる。 つまりカペー家は余の子孫であることをこの時代以降、 王位の正統性の証明として喧伝するようになる。 聖者に列せられたルイ九世もカペー家では非常に有名じゃな。 ヴァロワ家は十一世がいやな奴として有名じゃな。 ハプスブルク家との抗争ゆえ、ハプスブルクびいきには 特に人気がないようじゃ。 しかし、領地面でルイ十一世は母親の実家のアンジュー公位を 王位に就く前から得ていたほか、母親の実家から プロヴァンスなどたくさんせしめたため、らつ腕ともいえる奴じゃ。 省略されそうなのでブルボン家はまた後じゃ。
13 :
カール大帝 :2000/10/05(木) 23:51
またじゃ。また省略されたわ。 まあよい。 >7への答えの続きじゃ。 ブルボン家のルイ十三世も不人気な王じゃ。 三銃士フリークには特にダメな奴と思われているようだが、 それは仕方のない所といえよう。 枢機卿リシュリューに政治・外交を任せっきリだったため、 お飾りの王じゃ。 ルイ十四世の父親についても諸説あるが、 余はこれには言及は避けたい。 王権は神聖なものであるからな。 総じてルイと名のつく王にはあまり賢いのがいないが フランス人には聖ルイ九世は人気があるようじゃの。 諸王の細かい部分が知りたければ名をあげて余に聞くがよい。 秋の夜は長いぞ。
14 :
名無しさん@1周年 :2000/10/06(金) 00:09
鉄仮面は誰ですか?
15 :
カール大帝 :2000/10/06(金) 00:10
>11 帝冠については まあ、余が英雄として名を残した所以でもあるのでな。
16 :
名無しさん@1周年 :2000/10/06(金) 00:14
イタリアを相続した息子って貧乏クジなんじゃあ・・・?
17 :
カール大帝 :2000/10/06(金) 00:16
>14 俗に言うルイ十四世の双子の弟のことじゃな。 講談としては面白いがのう。 ルイ十七世といい、鉄仮面といい、 庶民は王家にロマンを求める傾向があるようじゃな。
18 :
カール大帝 :2000/10/06(金) 00:21
>16 余の息子、ピピンのことかの? まあ、貧乏クジじゃな。ははは。 しかし、このピピンの子孫はヴェルマンドワ家として 後にフランス史に大きな影響を与えるのだぞ。 はっきり言えばカペー家を王位に就けたのは ヴェルマンドワ伯の力が大きいのじゃ。
19 :
世界@名無史さん :2000/10/06(金) 00:21
カール大帝さん、古い家系の質問は駄目? ピピン朝までさかのぼっちゃうんだけど・・・ 決して私は変な人じゃないんだけど・・・数年前夢に出てきた M.J.ピピンと言う名前がいまだに気になってます。 その頃はピピン朝と言う家系が存在する事自体知らなかったので、 歴史の年表にピピン朝を見つけたときはびっくらこきました。 自分なりに調べて見たものの、メイン人物の名前しか明記されていませんでした。 夢で見たM.Jピピンは女性だったように思います。 それらしいイニシャルの人をご存知でしたら、教えていただけませんか?
20 :
名無しさん@1周年 :2000/10/06(金) 00:27
ビスコンティってご存知?
21 :
カール大帝 :2000/10/06(金) 00:28
>19 さまざまな経験を積んだ余ではあるが、 質問にビックリしたぞ。 女性?ピピン? 執務中の今では思いもつかないぞ。 余の記録室の中にもあるかどうか・・・。 臣民達の中で答えられる者はおらぬか? 19を魂を癒すことができたものには褒美をとらすぞ。
22 :
カール大帝 :2000/10/06(金) 00:33
>20 蛇の紋章で知られるヴィスコンティ家かの? 質問を許すぞ。
23 :
る :2000/10/06(金) 08:51
高潔なるカール大帝さま
>>3 >母は不義で名をあげたマルグリット・ド・ブルゴーニュじゃ。
> 腹違いの妹ジャンヌはフランス王位を継げず
ちょいと混乱しておりますです。手持ちの資料では
Marguerite de Bourgogneは1315年4月獄死で
LouisXの泥酔死は1316年6月5日、
JeanI は 1316年11月15日生まれ(同19日死去)となっておるのですが
Margueriteが母でかつ腹違いの妹がいるとなると
いかなる奇跡がおこなわれたのでしょうか。
24 :
る :2000/10/06(金) 08:54
あ。 申し訳ありません、カール大帝さま 腹違いの妹のほうは奇跡なしでも十分説明がつきますね。
25 :
世界@名無史さん :2000/10/06(金) 09:13
シャルルさま、リナルドとロランはどちらがお気に入りで?
26 :
カール大帝 :2000/10/06(金) 12:30
諸卿よ、おはよう。 余はさきほどから本日の執務を開始しておる。 まず、諸卿に祝福を。 さて、まず謝らなければならぬ。 >23 的確な指摘じゃ。余の間違いである。 仏王ジャン一世の母はハンガリーのアンジュー家の クレメンティアであり マルグリット・ド・ブルゴーニュはジャンヌの母であった。 つまり、ルイ十世の妻子は 1)∞マルグリット・・・娘ジャンヌ→エヴリュー家 2)∞クレメンティア・・・息子ジャン一世 である。 帝位にある者の誤りは本来許されることではないが、 余の聴罪司祭に相談した結果、 帝位にある者といえど正直に誤りを認めれば 余の神聖性には傷はつかぬという結論に達した。 「る」よ、そして諸卿よ。 余の不徳を許されよ。 そして質問を続けるがよい。
27 :
カール大帝 :2000/10/06(金) 12:34
>25 余をシャルルと呼ぶあたり、フランスびいきと見えるな。 諸卿ともカール・シャルル・チャールズなど 呼び名を迷うこともあるだろうが、 余はいずれにしても欧州の主ゆえ、自由にするが良いぞ。 さて、質問の件だが、 ここはロランに軍配をあげよう。 まあ、ロランも良いが余も民間伝承や文学の中で もっと英雄視されたいものじゃ。
28 :
世界@名無史さん :2000/10/06(金) 16:24
マーシアのオッファってどうよ?
29 :
カール大帝 :2000/10/06(金) 22:19
>28 シングフェルスの子のオッファのことかの? サクソン系は「○○ルフ」とか「○○レッド」が多くて 混同してしまうのー。
30 :
カール大帝 :2000/10/06(金) 23:09
余はまだ執務中じゃ。 質問を待っておるぞ。
31 :
名無しさん@1周年 :2000/10/07(土) 05:55
親愛なるカール大帝さま 王位継承権について簡単に教えてくださいませ 成文化されてるのか、各国で違いがあるのか、 誰が認定するのか、なぜフランスには女王がいないか少ないのか、 どの時点から王になるのか、誰が命名するのか、などなどです。 例えば先のJean I は系図的に王と認められてるわけですが、 Louis X死去からJean I生誕までの間はどのような扱いになってるのでせうか?
32 :
る :2000/10/07(土) 06:16
お許しください、カール大帝さま 名無しさん@1周年で投稿してしまいました。
33 :
る :2000/10/09(月) 16:31
カール大帝様、 しばらくお姿を見かけませんが, 地方視察にでもいってるのでせうか?
34 :
パシャパシャ :2000/10/09(月) 17:13
ホーリデイは、仕事をしたらいけないからだとおもいます
35 :
あやめ :2000/10/09(月) 17:43
〉31 フランク王国時代のゲルマン系法典であるサリカ法によって、族長の相 続については男系に限定されていました、この法体系はドイツやフラン スなどゲルマン系の国のみならず、中世の諸王朝の君位相続制度に絶大 な影響を及ぼしました、フランスは1791A.D.の憲法で「王位は不可分で あり、長幼の順序に従って王室の男系の男子に世襲され、女子とその後 裔は永久に除外される」また1814の憲章でも「フランス政府は王制であり、 長幼の順序に従って男系の男子に継承される」と規定されています、オー ストリアは男系に限定されていましたが、子息を失ったカール6世が娘 のマリア・テレジアにハプスブルクの全領土を相続さすべく国事勅令を発 し、オーストリア公(神聖ローマ皇帝ではなく)位の女系相続を認容する ことにしました、その結果はアーヘンの和約においても承認されるとこ ろとなりました、プロイセンは憲法で男系相続を規定しています、その 他のドイツ諸邦も概して男系を採用しているようです
36 :
俺 :2000/10/09(月) 18:03
ハイ!チャーリー カルロスって言ってる人いるよ。どうしよう
37 :
農奴 :2000/10/10(火) 04:48
>>33 仕方ねえべ。
あんなデカイ宮廷を維持するだけの食糧は簡単に出来ねえしよ。
だから王様達は、ひとつの地の食糧を食べ尽くすと、余所の
土地へ揃って移動なさるだよ。
またここへ帰って来なさるのは10年後かのぉ。
38 :
カール大帝 :2000/10/10(火) 21:21
お集まりの諸卿に祝福を。 余は数日間、臥せっておったので 宮廷に出てくれた諸卿には失礼した。 さて、質問に答えるぞ。 >31、32 33のあやめ殿が回答してくれているのだが、ちと堅苦しいの。 ぶっちゃけて言えば 中世の王位継承はその場で決めていたのが実情じゃ。 ジャン一世の死後も姉のジャンヌが叔父のフィリップ五世に 押しきられだけのこと、サリカ法はフィリップが持ち出した 大義名分だったのじゃ。 いわゆる百年戦争やヴァロワ朝末期の混乱からも サリカ法は一定の材料ではあるが、 絶対的な王位継承の根拠ではなかったことがわかる。 また、カロリング家の間で転々とした西ローマ帝位は 男系に限らず女系を通してによっても継承されておる。 王位・称号の継承は重要なテーマでもあるので次に続くぞ。 嫌がらずに読むがよいぞ。
39 :
カール大帝 :2000/10/10(火) 21:36
王位・称号についての続きじゃ。 33のあやめ殿の答えにあるオーストリアについてじゃが、 カール六世が定めたのはいわゆる家内法じゃ。 ハプスブルク家の支配以前、バーベンベルク家もオーストリア公位は 女系によっても相続することが出来るとしている。 また神聖ローマ帝国、フランス王国などにおいても所領の殆どは 女系によっての相続も認められていたのが実情じゃ。 例え男の後継ぎがいても女子に諸領の大部分を譲る者もいれば 縁戚が力をもって正嫡の男子から所領・称号をもぎ取った場合もある。 百年戦争時代のアルトワ伯領の継承など、非常に面白い例じゃ。 長々とレスを続けてしまったが余の言いたいことは 余の言わんとするところは 「継承例を学ぶことは家系を知ることに繋がる」ということじゃ。 諸卿よ、ともに学ぼうではないか。
40 :
カール大帝 :2000/10/10(火) 21:50
さて、一段落終わったところで続けるぞ。 >35 あやめ殿。 余が臥せっている間のレス、感謝するぞ。 ところであやめ殿の名はあちこちのスレで見るが 全て本物と考えてよいのかの? >36 チャーリーって・・・。 まあよい。最近は略語がはやりらしいからの。 「ワンコ」だの「ジョナる」だのは嘆かわしい限りじゃが。 しかし、余の所領からしてカルロスはよくないの。 36は余の希望をしかと伝え矯正せうように。 報告を待っておるぞ。 >37 的確な見方じゃ。 しかし余はなるべく多くの者が余の顔を見ることが出来るよう 宮廷を動かしているのじゃ。 余は決して盗賊や野武士の類ではないことを心するように。
41 :
カール大帝 :2000/10/10(火) 23:13
夜も更けてきたが宮廷に無人とは寂しいかぎりじゃ。
42 :
あやめ :2000/10/11(水) 07:52
大帝さま、あやめの僭越な横レスをお叱りもなく恐惶の至りでございます 各所でレスしているのは今のところ全てわらわでございます 誤まりがありましたら御叱正くださいませ、わらわも学問出精に努めまする
43 :
七 :2000/10/11(水) 08:04
ファシズム時代のイタリアにおいて民族主義つまり排他主義みたいなのってあったの?
44 :
七 :2000/10/11(水) 08:18
申し訳ない 間違えた
45 :
アメリゴヴェスプッチ :2000/10/11(水) 10:17
カスティーヤ王国を建国したのは誰なんですか? イサベラ女王以前の国王が全くわかりません
46 :
あるヴェネツィア商人 :2000/10/11(水) 14:50
陛下、初歩の質問で恐縮でございますが、かねてより疑問を抱いていたことがございます。 「神聖ローマ帝国」という日本語訳(?)は正しいのでしょうか。 現地では当時なんと呼ばれていたのでしょう。
47 :
世界@名無史さん :2000/10/11(水) 18:01
48 :
heraldry :2000/10/11(水) 20:05
49 :
る :2000/10/11(水) 20:49
>>42 あやめ殿,
前から疑問に思っていたのでござるが
長い文章書くと本当に省略されてしまうと思ってはござらぬか?
あれは「省略されたように見える」だけで、
文章そのものは残っておるはず。
ちなみに、解説ありがき幸せあっちょんぶりけ。
50 :
世界@名無史さん :2000/10/11(水) 20:51
51 :
カール大帝 :2000/10/12(木) 20:00
めっきり冷える季節となったが諸卿はいかがお過ごしかな。 まずは祝福を。 余は昨日、急な執務のため東方に出向いておった。 参内してくれた諸卿には失礼致した。 さて、質問にいくことにするぞ。 >43・44 間違いは誰にでもあるもの。気にするでないぞ。 だがこれを機会にちょくちょく参内すると余は嬉しいぞ。 >45 後のレスでHPが紹介されているから覗いて見るがよいぞ。 まあ、カスティリアに限らずイベリアの王家は中世を通じて 庶子が多いのが特徴じゃ。 そして他の地域に比べて庶子の家系が有力貴族として力を持ち、 家系も長く続いた家が多いのじゃ。 バルセロナ伯系でもトラスタマラ系でもマイナーな所まで 余はカヴァーしているつもりなので分からなければ質問するがよいぞ。 さて、省略が怖いのでレスを分けることにしよう。
52 :
カール大帝 :2000/10/12(木) 20:06
>46 これは言語が不得手な余にはツライ質問じゃ。 まあ、後代に出来た言葉だから多少は無理があるかもしれんが 外国語の訳とはそのようなものであろう。 あまり答えになっておらんな・・・ 46よ、余を許すように。 >47 このサイトは余も伺ったことがあるぞ。 非常にキレイなサイトで羨ましいかぎりじゃ。
53 :
カール大帝 :2000/10/12(木) 20:22
>48 その通り。 紋章は家系にとって欠かすことの出来ぬ存在じゃ。 だが、余は実はそのパーツなどについては詳しくないのじゃ。 このサイトは知らなかったので感謝するぞ。 紋章の面白さは何といっても領地を表すことにある。 紋章を見ればその家系がどのような相続を経てきたが分かるのじゃ。 ただあまりにもたくさん相続すると 全てを紋章で表現するのは不可能じゃ。 余としては代々のブルターニュ公やオーヴェルニュ伯のような シンプルな紋章の方が好きじゃな。 ところでブラバントやナミュール、ヘンネガウなどは近隣のくせに 獅子ばかりで紛らわしいの。
54 :
カール大帝 :2000/10/12(木) 20:30
>42・49 あやめ殿。 全て本物とは申し訳ない。 しかしすごい知識量じゃな。 これからも参内して我等に光を与える存在でいてくれるよう頼むぞ。 そして「る」殿。 「る」殿もあちこちのスレで活躍されておるようじゃの。 しかもその範囲も広いようじゃ。 今後も余との交流を大切にしてくれるようお願いするぞ。
55 :
カール大帝 :2000/10/12(木) 20:36
>50 このサイトは非常に有名じゃな。そして人気も高い。 コンセプトといい、システムといい誠に見事。 余もかねてから伺っておるのだが、非常に羨ましいかぎりじゃ。 だが、余も帝王の一人。 あちらのサイトにはない部分も余は答えるぞ。 どんどん質問を寄せるがよいぞ。
56 :
カール大帝 :2000/10/12(木) 20:46
そういえば紋章で思い出したことがある。 紋章の図案には数あれど、 最近とみに台頭しておる以下の図案には余は感心しないぞ。 紋章は一族の名誉をも表す。 心して図案を選び、諸卿の家門に災いなきよう余は祈っておるぞ。 ーーー次のような図案には感心しませんーーー Λ_Λ ( ´∀`) ( ) | | | (__)_) ←この一味。ほかに猫や恐竜・人物系も。
57 :
カール大帝 :2000/10/12(木) 20:59
ずれてしもうたな
58 :
ラ・マンチャの郷士 :2000/10/12(木) 21:06
「庶子」の家系というけど、中世欧州では 領民どもの花嫁のバージンは皆、領主様のものでした。 「庶子」の家系に対して、紋章に斜め線を付けて差別をしたそうです。
59 :
ラ・マンチャの郷士 :2000/10/12(木) 21:07
「庶子」の家系というけど、中世欧州では 領民どもの花嫁のバージンは皆、領主様のものでした。「初夜権」と言った。 「庶子」の家系に対して、紋章に斜め線を付けて差別をしたそうです。
60 :
ラ・マンチャの郷士 :2000/10/12(木) 21:08
「庶子」の家系というけど、中世欧州では 領民どもの花嫁のバージンは皆、領主様のものでした。「初夜権」と言うオゾマシイもの。 「庶子」の家系に対して、紋章に斜め線を付けて差別をしたそうです。
61 :
47 :2000/10/12(木) 21:09
>カール大帝陛下 臣は陛下の類い希なる知性とユーモアには驚きを隠せませぬ。 やはりモナーの旗印はお許しいただけませぬのでございましょうか。
62 :
カール大帝 :2000/10/12(木) 22:08
余はまだ晩餐を食しておらぬが諸卿はどうかな? 夜遅くの暴食はブルボンのルイ軍団のように太る可能性あり。 諸卿よ、気をつけるのだぞ。 さて。 >58〜60 書き込み時刻からすると同一の者かな? 「初夜権」とは・・・うーむ。余は感心せぬな。 紋章の斜め線の件はそうとも限らぬ。 ブルボン系コンデ家なども斜めが入っていた筈だが 彼らは庶子ではないぞよ。 また、バルセロナ系アラゴン王の庶子達は 斜め線はあまり使っていなかったと思うが。
63 :
カール大帝 :2000/10/12(木) 22:18
>47 余の正直な考えを申そう。冷笑するでないぞ。 「モナー」は余もキライではない。むしろ・・・ しかし、こうした旗印が増えればどうなるか。 「ギコ」や「シーッ」はいいとしても 「田○」や「ゾ○」、はては「CCさく○」などの旗印が 大挙して余の宮廷を取り囲んだら・・・。 余を臆病とそしる者がいるかもしれぬ。 しかし帝王としての余の立場では これらの者によって臣民に不安を与える訳にはいかぬのじゃ。
64 :
カール大帝 :2000/10/12(木) 22:22
まあ、「モナー」と「ギコ」ぐらいは 帝国顧問達に審議を命じてもよいかな・・・。
65 :
る :2000/10/12(木) 22:30
おまえモナーク
66 :
47 :2000/10/12(木) 22:34
ああ、御心、海の如き寛いカール大帝陛下。 モナーめはモナー板において 「♪悪のはびこる2ちゃんねる 煽り、厨房、あげ荒らし 絶望のふちに沈むとき、 一人の勇者が立ち上がる。 三角耳は勇気のしるし モナー、モナー、みんなのモナー♪」 ト歌われた、かのローランにも負けぬ勇者でございます。 ぜひ、陛下の近衛兵に「モナー隊」を加えてくださいまし。
67 :
世界@名無史さん :2000/10/12(木) 22:44
敬愛してやまないカール大帝陛下。 陛下は先日 >まあ、カスティリアに限らずイベリアの王家は中世を通じて >庶子が多いのが特徴じゃ。 >そして他の地域に比べて庶子の家系が有力貴族として力を持ち、 >家系も長く続いた家が多いのじゃ。 と仰せになりました。 どうか無知な臣のために、有名なところで、どんな王がどんな庶子を もうけていたのか、かいつまんでお教えいただけませんでしょうか? できれば、側室たる母についても知りたく存知ます。
68 :
カール大帝 :2000/10/12(木) 23:44
夜も更けてきた。 さきほどから余の鼻の調子が悪い。 鼻声の帝王というのはいただけないが諸卿はどう思うかの? さて。 >65 「る」殿は語彙が豊富じゃの。 モナーのセリフに数有れどこれは初めて聞いた言葉じゃ。 >66 かの板にそのような英雄憚があったとは知らなかった。 余の眺めるのが「歌に突っ込んでくれ」とか「BARモナー」 ばかりだからかの。 しかしモナー隊を近衛に加えるとなると 余が話すたびに「あのフレーズ」を繰り返されそうで怖いの。
69 :
カール大帝 :2000/10/12(木) 23:51
>67 うむ。例を一つもあげぬのは余に非があったの。 諸卿には御存知の方もいるとは思うが、 トラスタマラ家・・・カスティリア王・アラゴン王 アヴィシュ家・・・ポルトガル王 などイベリア系の王家では庶子でも王位に就いた者が複数いる。 これが超有名どころ。 しかし、これだけでは前記のHPと変わりはないので もう少しマイナーなところを挙げよう。 余は簡潔な文章が苦手なので次に続くぞ。
名スレだ…。
71 :
カール大帝 :2000/10/13(金) 00:14
イベリア諸王の庶子の一例じゃ。 ▽ペードロ・アフォンソ(修道士・アヴィシュ騎士団長) 父はポルトガル王家の祖、 ポルトガル伯、アンリ・ド・ブルゴーニュじゃ。 母はエルヴィーラ・ガルタル(?)。 残念ながらこの者については余は全く知らぬ。 アヴィシュ騎士団長ということでは 後の庶子から王位に就いたジョアン一世の大先輩じゃな。 ▽ペドロ・フェルナンデス(Hijar男爵)←読み方が分からん 父親はアラゴン王ハイメ一世。 ハイメ一世には他に フェルナン・サンチェス(カストロ・イ・ポマール領主)や ペドロ(レリダ?司教)などの庶子もおる。 ペドロ・フェルンダンデスの子孫は後にHijar公として 15世紀(だと思ったが)まで続く名門となったのじゃ。 そのほか庶子を挙げればキリがないくらいじゃのー。 余も記録室に行かねば答えられぬくらいじゃ。 また、ナポリ=シチリア王フェランテ(これも庶子じゃな) から続くトラスタマラ・アラゴン家のシチリア王家なども 庶子だらけで知られておる。 かのボルジア家関連の書物には必ず二人は出てくるのー。 もっと知りたければ余も準備する故、また質問するがよいぞ。
72 :
カール大帝 :2000/10/13(金) 00:27
>70 sageてはいかんぞ。 宮廷は常にてっぺんで輝いているのが余の理想じゃ。 また、常に廷臣・旅人などで賑わう 華やかな宮廷であることも願っておる。 と、書いてはみたものの余が晩餐を我慢するのもここらが限界じゃ。 食後は眠くなってしまう余ゆえ今日は宮廷に戻らずとも許されよ。 諸卿は談笑・議論を続けるがよいぞ。 よく食べ、よく眠り、そしてよく書き込む者全てに祝福を。
73 :
名無し :2000/10/13(金) 02:51
大帝陛下万歳!
74 :
世界@名無史さん :2000/10/13(金) 09:20
親愛なるカール大帝陛下。 今日はお寒うございます、鼻風邪などお召しになられませぬよう ご自愛をお願いいたしとう存じます。 夕餉の膳も、今宵こそはきちんとお召し上がり下さいませ。 昨日はお答え、かたじけのうございます。 ところで臣はカスティーリアのペドロ残虐王について でえ嫌えなのですが、どのような最期を遂げたのやら ちと興味がありまする。 お声をばかけて頂ければ光栄です。
75 :
カール大帝 :2000/10/14(土) 01:38
華やかな週末の夜、諸卿はいかがお過ごしかな? 街で飲食や歌舞に興じるも良し、居城で一週間の疲れを癒すのもまた良しじゃ。 ところが残念なことに余は今宵、執務をせねばならぬ。 それもあと8時間は続くのじゃ。 知識欲がふつふつと湧きあがる秋の夜長。 諸卿よ。 余は宮廷で待つゆえ存分に出仕するがよいぞ。
76 :
る :2000/10/14(土) 01:52
ひっく。 あ ひつれひをほばしたしましたです たぢていかっあか。
77 :
る :2000/10/14(土) 01:53
ひっく。 あ ひつれいそをばしあみあしたです たいていぁっか。
78 :
カール大帝 :2000/10/14(土) 02:23
さて、答えるぞ。 >73 おお、嬉しいの。そなたにも祝福がありますように 余は持ち上げられるのがキライではないので続けてもよいぞ。 >74 気持ちのこもった言葉、余は嬉しいぞ。 だが、余がその言葉に応えるにはちと遅かったようじゃ。 余は今日、熱冷ましの薬を3回飲んでおる。 さて、質問の件であるが余は ペドロ王の最後を詳しく知らぬのじゃ。 異母兄であるエンリケ二世との争いに敗れ、 戦場で殺されたことは間違いない。 ただ、実際にどの騎士に討ち取られたのかまでは知らぬのじゃ。 漫画の主人公として描かれているゆえ 一部では人気の高いペドロ王だが、 武運には恵まれていなかったようじゃな。 ただ、その庶子の家系は後まで名門として続いておるぞ。
79 :
カール大帝 :2000/10/14(土) 02:30
>76・77 おお、足元がおぼつかないようじゃな。 酔い覚ましにはラーメンじゃ。 細麺のものを余は常用しておるぞ。 その時、餃子を併用しないよう気をつけるのじゃ。 アレをやると泡も飲みたくなってメビウスの輪になるからの。
80 :
カール大帝 :2000/10/14(土) 02:39
>76・77 おお、 相当足元もおぼつかないようじゃな。 マントを剥ぎ取られぬように気をつけるのじゃ。 ところで酔い覚ましはラーメンが良いぞ。 細麺であればなお良しじゃ。 そしてその時餃子だけは食べぬよう注意せよ。 アレには泡がついてくるゆえ また最初に逆戻りじゃからの。
81 :
カール大帝 :2000/10/14(土) 03:34
かぶっておるな
82 :
宮宰 :2000/10/14(土) 03:52
親愛なる陛下。 もしかして執務しながらパーティー騒ぎを覗いてません? 執務に専念された方がはかどりますよ。 無理をせず、身体をお大事に・・・。
83 :
カール大帝 :2000/10/14(土) 04:06
>82 うむ。 余の執務は6時頃からまた忙しくなるのじゃ
84 :
heraldry 改め Misterium Trimendum :2000/10/14(土) 09:16
>60・62 紋章で庶子をあらわすのは斜め帯の[bend]とその縮小版の[bentlet]のほかにも次のようなものがあるよ。 たとえば稀だけど、親がライオンの紋章を持っていた場合なんかは、両足を切り離す[rejointed]。 またライオンを半分に切る[demi]なんかも。
85 :
俺 :2000/10/14(土) 09:40
ハイ!チャーリー この間王様の事そう言っていた連中実はイベリアのヤツ等だったんだってさ。 イスラム教徒だったのかな?もう居なくなっちまったよ、なってこったい。 鼻悪くなったんだって?どくだみの葉っぱを鼻に詰めるとイイって聞いたよ。 なんでもずうっと遠くに住んでいる東洋人から聞いた話さ。東洋人って言うと フンの連中を思い出してとっても怖ぇけど、ああいう連中もいたんだってな。 ビックリしちゃったぜ。それじゃまたね〜
86 :
カール大帝 :2000/10/14(土) 12:37
ふう、ようやく執務が一段落ついたようじゃ。 さて。 >84 庶子を表す図柄、色々あるようじゃな。 出来れば例としてどこかの家名か名前を挙げてくれぬか。 特に足を切る[rejointed]というのがあるのにはビックリじゃ。 待っておるぞ。 >85 「俺」は若者かの?元気が良さそうで何よりじゃ。 昨晩、市販薬を2種類飲んだらかなり回復したようじゃ。 お勧めのどくだみは余の宮殿や執務室の近くには生えておらなんだ。 忙しいようじゃがまた出仕する日を待っておるぞ。 それから「俺」は元気がよいのだから活発に質問もするがよいぞ。
87 :
名無しさん@1周年 :2000/10/14(土) 12:54
ボクは硬筆四段です。陛下に硬筆を教えて差し上げたいのですが、ダメですか? 陛下がサインを自分の手で書けるくらいまでなら、レクチャーできると思います。
88 :
カール大帝 :2000/10/14(土) 14:04
>87 うむ。素直に教えて欲しいぞ。 ただ余は知らないのだが硬筆四段とはどのくらいスゴイのかな? 「ぁゃιぃ」が書けるなどというのではいかんぞ。 まあ↑を最初見た時は余は早速コピペしたものだが・・・
89 :
カール大帝 :2000/10/16(月) 19:48
余は優雅な休日を過ごしたが諸卿は如何だったかな? スレが下がりまくりなのは悲しいからみな質問をするように。
90 :
パシャパシャ :2000/10/16(月) 22:04
それでは質問をさせてもらいます。 カルロス1世(カール5世)は、ウイーン包囲の時ウイーンにいたんですか? それと、スペインとオーストリアのどちらに通常住んでいたんですか? スペインとオーストリアの連絡はどのように取り合っていたんですか?(真中に敵国のフランスがあるのに?)
91 :
カール大帝 :2000/10/16(月) 22:21
>90 おお早速の質問嬉しいぞ。ハプスブルク家はやはり人気が高いの。 まず、最初の質問じゃが ウィーン包囲とはトルコによる包囲のことかの。 トルコによるウィーン包囲はカール5世はウィーンには いなかったはずじゃ。時代も少しずれるのではないか。 今、年表などは手元にないから年代などはよく分からんのだが。 さて、次の点。 カールはその一生を旅をして過ごしたと言ってよい。 生まれはフランドルのガン(ヘント)じゃ。 それゆえフランス語ではシャルル・カンとも呼ばれておる。 少年時代をフランドルで過ごし、スペインに王位継承のため 移ってからはスペイン・フランドル・帝国内をはじめアフリカまで 移動しまくりじゃ。 ま、強いて本拠地といえば、隠棲後も住んだスペインかの。 3番目の点じゃ。 当時は敵対する者の通信を奪うといような綿密なことは 殆どしてなかったのじゃ。 敵といっても骨の髄まで憎いという関係でもなかったしの。 今から考えれば大らかなものじゃ。 あと、付け加えればフランスで封鎖されても海路を使えば 連絡は取れるのじゃ。治世の殆どはイタリア諸国を従えていたし、 オーストリアからイタリアへの経路も家領の中。 また北回りでフランドル経由という方法もあったのじゃ。
92 :
パシャパシャ :2000/10/16(月) 22:39
有難うございます。そうですか、定住地は持たずにアフリカまでいったんですか驚きです。物好きというかなんというか・・・
93 :
カール大帝 :2000/10/16(月) 22:46
>92 うむ。 まあ、アフリカは海賊退治じゃが カール5世の場合は領地が広すぎたのと、 それぞれの地域にそれぞれの主張があったから あちこち周らねばならなかったのじゃ。 しかし、君主はあちこち移動するのが当然の時代てはあったがな。
94 :
カール大帝 :2000/10/17(火) 00:37
相変わらず宮廷が寂しいのう。 余はフランスの領主階級の家系とそれに伴う 領地の集散など、非常に面白い分野だと思うのだがの。
95 :
世界@名無史さん :2000/10/17(火) 00:51
シャルルマーニュ様、家系とは少しずれますが、貴族制度について質問です。 方伯について教えてください。
96 :
世界@名無史さん :2000/10/17(火) 11:17
ヤドヴィガの出自について教えてください
97 :
カール大帝 :2000/10/17(火) 19:49
今日の余は晩餐を済ませたので元気が良い。 さあ、はりきって行くぞ。 >95 教科書的に言えば方伯とは 部族の頭目を神聖ローマ帝国の諸侯として承認したものじゃ。 19世紀世紀に入り廃止されたのじゃが 最も有名なものでテューリンゲン方伯やヘッセン方伯があるの。 また、ちょっとマイナーではあるが面白いのが エルザス(アルザス)の方伯達じゃ。 ハプスブルク家の者達もエルザス方伯になっておる。 また現代まで続くライニンゲン家の祖であり、 中世に名を馳せたザールブリュッケン家の祖でもある ジーゲベルトなどもエルザス方伯として有名じゃ。
98 :
カール大帝 :2000/10/17(火) 19:52
97に付け加えるならば エルザス方伯からの家系である ライニンゲン家やザールブリュッケン家の家系は 南西ドイツ、ロートリンゲン・エルザス、フランスなど 各地の諸侯との姻戚関係で非常に興味深いものじゃ。
99 :
カール大帝 :2000/10/17(火) 20:06
さあ、ドンドンいくぞ。 >96 一体どのヤドヴィガのことじゃ。 一番有名なヤドヴィガというと ポーランド女王のヤドヴィカじゃが・・・。 彼女ならばカペー系アンジュー家の ハンガリー=ポーランド王のラヨシュ一世の四女になるの。 母親はエルジェベト、ボスニア王スティエパン二世の娘じゃ。 他にヤドヴィガというとポーランドの王族には 何人か有名どころがいるの。 ヤドヴィガとはドイツ名ではヘートヴィヒのこと。 名前の各国対応には余はあまり自信がないのだが それにしても対応させるのはいつも面倒じゃの。
100 :
おちんこTTH+α :2000/10/17(火) 20:57
100
101 :
カール大帝 :2000/10/17(火) 21:02
>100 うむ、良い所に気づいたの。
102 :
カール大帝 :2000/10/18(水) 00:45
元気よく始めたのだが長くは続かないのー。 余は明日が早いのでそろそろ寝所に帰るぞ。 諸卿に祝福を。
103 :
宮宰 :2000/10/18(水) 05:10
>>100 まだ居たのか、お前!?
下らないピエロでお目汚し失礼致しました、陛下。
お前は執務の邪魔をせぬよう奥へ引っ込んでおれ!>ピエロ
104 :
カール大帝 :2000/10/18(水) 19:25
>103 おお、忠告有りがたくいただくぞ。 しかし100はそんなに有名人なのか?
105 :
バロン :2000/10/18(水) 23:38
>>104 シャルルマーニュ様は各地を巡察に忙しくご存知無いかと思いますが、
ニュース板や世界史板で、無意味な切り板獲得に情熱を燃やしている男です。
気を取りなおして、質問です。
モナコ公国がなぜ継承者がいないとフランスに併合されるという規定があるのかお教え下さい。
106 :
世界@名無史さん :2000/10/19(木) 00:13
なぜかアクセスできなかったので、サルベージ。
107 :
世界@名無史さん :2000/10/19(木) 01:54
陛下のご真影を拝見したいのですが、 肖像画などは何処かにアップされておりませんか?
108 :
カール大帝 :2000/10/19(木) 15:24
宮廷に集う諸卿に祝福を。 めっきり秋めいてきたが諸卿はいかがお過ごしであろうか。 余は起床するのがつらくてたまらぬ。 だが今日も元気良くいくぞ。 >105 100は俗にいうキリ番ゲッターなのか。 はやりのネット依存症にならぬのか心配じゃの。 さて、質問の件ではあるが うろ覚えであるがモナコはフランスと1918年(だったと思うが) 条約を結んでおる。 公爵家であるグリマルディ家に継承者が絶えた場合はフランスが 統治するというものじゃ。 フランス皇帝ナポレオン三世の頃から モナコはフランスの影響下にあるからの。 ただし「グリマルディ家」といっても女系相続も可能じゃ。 現に現公レニエ三世も父親はフランス貴族のポリニャック伯爵じゃ。 後継者が絶えてフランス統治となる可能性はあまりないと言えるの。 ところでモナコ公はPrinceだったと思うが 「公爵」と訳すかどうか難しいところで余はいつも迷うのじゃ。
109 :
世界@名無史さん :2000/10/19(木) 16:01
大帝陛下、ご壮健なご様子何よりでございます。 挨拶はさて置き、早速質問です。 108のご返答にもありましたポリニャック伯家とはどういう家柄でございますか。 わたくしは、王妃マリー・アントワネットに近侍したポリニャック伯夫人と 1830年の七月革命の引き金となった反動宰相ポリニャック伯しか知らないのですが、 そのあたりを教授いただければ幸甚でございます。 何卒よしなに。
110 :
カール大帝 :2000/10/19(木) 16:36
さて、質問の答えを続けるぞ。
>107
残念ながら大きくて見やすい肖像がなかなか手元にないのじゃ。
しばらくはこれで我慢してくれ。
http://worldroots.clicktron.com/ brigitte/royal/charlemagne.html
余の略歴なども記してあるぞよ。
それからこのbrigitteのHPは非常に有名なサイトじゃ。
近現代の諸王家のことが知りたければ参考になるかもしれないの。
ただ、見にくいので余はあまり好きではないのだが。
111 :
カール大帝 :2000/10/19(木) 16:40
>109 うむ。早速の質問嬉しいぞ。 ポリニャック家はその名の通り南仏の領主の家系じゃ。 ただし執務中の余はその詳細を覚えているものではない。 レスは明日になるかもしれぬのだが良いか? 変わらず宮廷に出てくれることを余は望んでおるぞ。
112 :
おりりん :2000/10/20(金) 14:38
教えてください。 ビザンチン皇室とはなんなんですか? 子孫がデビ夫人と仲良しだそうですが。
113 :
カウニッツ :2000/10/20(金) 15:13
初めてお伺いします。 ハプスブルクの宮廷に仕える 『カウニッツ』と言う者です。 私の祖先とプシュミスル家との関係をお教え下さい。 又、プシュミスル家についても御教授下さい。
114 :
カール大帝 :2000/10/20(金) 22:13
週末の夜、諸卿は如何お過ごしであろうか。 居城に居なければならない方も気を落とすことはないぞ。 余の宮廷は常に開かれておるからの。 さて。 >109 まず余は謝らねばならぬ。 昨晩、いささか飲酒をしてしまい余は記録室に行けなんだ。 全くもって申し訳ない。 そこで今宵は世の覚えている範囲で ポリニャック家について答えよう。 年代などあやふやな所もあるが許してほしい。 ポリニャックの爵位は元々は副伯(子爵)である。 この一族はアルマンという名前が多いことで知られておる。 ただ現在のポリニャック家はこの家の男系の直接の子孫ではない。 ポリニャック副伯アルマンの娘がシャランソン領主と結婚して その子孫がポリニャック姓を名乗ったのが 現ポリニャック家の始まりじゃ。 年代などは覚えていないが 後代にいたり、伯爵、公爵と爵位があがっておる。 下に続くぞよ。
115 :
カール大帝 :2000/10/20(金) 22:22
続きじゃ。 ポリニャック家は封建時代以来の有力貴族として なかなかの縁戚関係を持っておる。 例をあげれば メルクール家、ボー家、ラ・ロシュフーコー家、 そしてラ・トゥール家などじゃ。 また、マザラン枢機卿の縁戚として有名な マンチーニ家からも当主が妻を迎えたこともあるのじゃ。 余の記憶が確かであれば 「ベルばら」で有名なポリニャック夫人は ポリニャック公ジュールの妻、ガブリエラのこと。 また反動宰相のポリニャック伯とはこのジュール公の次男、 カミーユのことだったと思ったの。 カミーユの兄ジュール・アルマンの家系は ポリニャック公家として現代まで続いておる。 そしてカミーユの子孫がモナコを継承したポリニャック伯家 に繋がるのじゃ。 109よ、この位で許してほしいのじゃがが如何であろう。 返事を待っておるぞ。
116 :
カール大帝 :2000/10/20(金) 22:35
>112 以前、スポーツ新聞か何かに記事が載っていたの。 しかし現在ビザンティン皇室というもの「自称」するだけじゃ。 自称するのは誰もとめられないからの。 ビザンティンという国もないため、苦情が出る心配も少ないしの。 で、件の自称者じゃが余は詳しいソースを持っておらぬ。 112は何かリンク先でもあれば紹介してもらえぬかの。 ただの子孫ということであれば可能性としてはあるのじゃ。 たしかイングランドにもパレオロゴス家の子孫がいたような 記憶があるの。
117 :
109 :2000/10/20(金) 22:41
ご返答ありがたき幸せでございます。 流石は大帝陛下!簡にして要をえたレスまことかたじけない。 19世紀以降もフランスには爵位を持つ人物が文学などで、 重要な役回りを果たすのに、「ブルジョワの世紀」とか銘打って、 この方面の紹介を怠っていた歴史学者どもに心底腹が立ちます。 大帝陛下のこれからのご活躍をまた応援しております。 何卒、陛下とその宮廷に永久の栄があらんことを。
118 :
カール大帝 :2000/10/20(金) 22:43
>113 おお、待っておったぞ。 いくつかのスレッドでROMさせてもらっておる。 これからも宮廷に出仕を待っておるぞ。 さて、質問の件であるが プシェミスル家とカウニッツ家の関係について余は知らぬのじゃ。 プシェミスル家はボヘミアやモラヴィアだけでなく ポーランドのマゾビアなどを領有した家系の裾野の広い一族じゃ。 しかし、カウニッツ家との姻戚関係となると ちょっと余の記憶にはないの。 プシェミスル家はドイツやポーランドの諸侯との姻戚関係が 多々あったのでそのラインのどこかで繋がっておるのかの。 卿の知っている部分を余に教えてくれぬか。 そこにヒントが隠れているかもしれぬ。
119 :
カール大帝 :2000/10/20(金) 23:04
>117 細部まで答えることができず申し訳なかったの。 余も行過ぎた酒には気をつけるぞ。 ところで卿の言、もっともじゃ。 確かに19世紀のフランスは「ブルジョワの世紀」といえる。 しかし一方で爵位貴族にも著名人が多いの。 だがまあブルボン朝以来、ブルジョワと貴族の境界線は かなり曖昧だからの。 ブルジョワらしき者が貴族であったり、 貴族っぽい人物の出自がブルジョワであったりするのじゃ。 例えば三銃士で有名なダルタニャンの父はブルジョワ。 またナポレオン一世妃のジョゼフィーヌの初婚の夫、 ボーアルネ子爵も生粋の貴族ではなく、ブルジョワの出自じゃ。 逆にサド候爵は南仏に古くから続く封建貴族の末裔である。 法服貴族が溢れてからフランスの貴族は格が落ちてしまったの。 またルイ王朝以降、公爵やPrinceだらけ、 ナポレオン以降はめちゃくちゃじゃ。 余としては例え「追いはぎ」や「殺人狂」ばかりだったとしても 封建時代の領主の方が尊厳があって好きじゃの。
120 :
カウニッツ :2000/10/21(土) 01:55
大帝陛下から直々に御言葉を頂き、 誠に光栄の極み・・・ 私の家系を調べて頂くに当たり『リートベルク』と言う 家名も関係が有るのでは?と思い当たりました。 又、私の祖先は、ハプスブルク家がまだスイスの 弱小な伯爵だった頃に、早くもメーレンの 大貴族だった。と、歴史書にはあるのです。 御参考になりましたでしょうか・・・
121 :
ヘッセン大公妃 :2000/10/21(土) 02:36
陛下!ご機嫌麗しゅう・・・。 早速の質問をお許し下さいませ。 現英皇太后陛下の生家であるストラスモア伯家とは どのような由来を持つ家系なのでしょうか? 余談ですが、ラスプーチンはバッテンベルクの血を引く 者(即ちチャールズ)が王位を継ぐとき、王制は滅びる と予言しましたが。案外、ありえるかも??
122 :
る :2000/10/22(日) 18:48
カール大帝さま この間は酔っぱらってしまい申し訳ありませんでした。 実は今「Liber Pontificalis」なる怪文書を調べているのですが、 754年1月6日、陛下は何をしていましたでしょうか?
123 :
る :2000/10/22(日) 19:02
あ、聞き忘れておりました。 その怪文書によると陛下は ponthionにいたということになってるのですが この怪文書以外にそれを証明することができますでしょうか。 これはあくまでもAnastaseなる人物に対する調査で、 あくまで任意ですので、ご心配なきよう。
124 :
カール大帝 :2000/10/22(日) 23:18
休日の夜である。 諸卿は明日からの活力を十分蓄えられたであろうか。 昨日、余は巡察に出かけていたのだが、 最新式の茶店から宮廷を覗いたのじゃ。 この茶店、「ネットカフェ」や「PCルーム」とも呼ぶらしいが ともかく宮廷を覗いた後、諸卿との交流を試みたのじゃ。 ところが! 板に一言も書き込むことができない! しかも一部を除いて他の板もダメなのじゃ。 余も一度は周囲の紳士諸君に助けを求めようとした。 ところがこの紳士(淑女もいたが)達ときたら ネットゲーム夢中なのばかり。 そしてそのタイプの早いこと早いこと。 余はどうしても助けを求めることができなんだ。 余も帝王であるからには 「厨房」だの「ドキュン」だのと嘲られるわけにはいかぬからな。 例えそれが本当だとしても。 そういうわけで Age of Empireに囲まれ余は小さくなりながらROMするだけの 余とはおさらばして、 今宵は諸卿との交歓を楽しむぞ。
125 :
カール大帝 :2000/10/22(日) 23:23
さて。 >120 おお。先日の続きじゃな。 どれどれ・・・ 「リートベルク」・・・ うーむ、余の記憶にはない家名じゃ。 メーレンの大貴族か。 名前からするとドイツ系のようじゃが そうなるとかなり古い時代に移住していたことになるの。 ハンガリーのバートリ家のようなものかの。 余も記録室でプシェミスル家の縁戚関係を漁ってみよう。 しかし、これはすぐに答えられそうもないの。 気を長く待ってくれると嬉しいぞ。 その間も宮廷に出てくれることを余は望むぞ。
126 :
カール大帝 :2000/10/22(日) 23:28
>121 おお、ヘッセン大公妃であるか。 そうするとプロイセンとの関係、大変であるの。 だがヘッセン家はブラバント家から続く名門。 つまり余の子孫に嫁いでくれたわけじゃ。 今後もこの宮廷をよしなにな。 で、ストラスモア家か。 これは余の頭にその詳細は入っておらぬ。 王侯との縁戚関係が少ない家なのでな。スマンの。 それゆえ余の記録室で調べて後日、答えようぞ。
127 :
カール大帝 :2000/10/22(日) 23:32
そして続きじゃが 確かに余はバッテンベルク家のことは余り好いておらぬ。 まあ、あのルイス卿があまりの。 ところがチャールズは結構好きなのじゃ。 チャールズにはバッテンベルクよりも ハノヴァリアンらしさも十分あると余は考えておる。 ハノヴァリアンならば何をしても大して失点には思えぬしな。
128 :
カール大帝 :2000/10/22(日) 23:40
>122・123 おお、久しいの。 余の宮廷を忘れずにいてくれて何よりじゃ。 だが、この質問は難しいの。 余は帝王であるにも関わらず語学が」さっぱりじゃ。 特にラテン語はの。 「Liber」は「本」のことだと思うがその他の意味は ちんぷんかんぷんである。 丁度良い機会である。 余の分からない言葉を教えくれぬか。 いくつか訳語が分からず困っておるのがあるゆえな。 今回の言葉も教えてくれると嬉しいぞ。 そして付け加えれば余は何処へでも参るぞ。 あやしげな酒場、居丈高な役所、徒党を組んだごろつき達の事務所。 余の執務でもあるからな。 ただ「ネットカフェ」はちと苦手じゃ。
129 :
カール大帝 :2000/10/22(日) 23:49
>「る」殿。 教皇スレを読んだところじゃ。 期待に沿えずに申し訳ないところじゃ。 というか、ごめんなさい。
130 :
カウニッツ :2000/10/23(月) 01:35
陛下、カウニッツで御座います! 私はヨーゼフ皇帝とポーランドの事で 話し合いをして居りましたところです。 女帝はポーランドの件で私共を非難なさいます。 それはさておき、大帝閣下は起きて居られる のでしょうか?何か御言葉を頂きとう御座います。 このレスによって大帝閣下のスレッドが上がり、 御威光が遍く行き渡りますように・・・
131 :
サンジェルマン伯 :2000/10/23(月) 12:49
大帝陛下、ご機嫌うるわしゅうございます。 サンジェルマンと申します。 さて、大帝陛下の母君についてですが、 以前何かの本で、メロヴィング家の一族で あるということを拝見したことがございまし たが、真相はいかがでしょうか?
132 :
ラ・マンチャの郷士 :2000/10/24(火) 02:10
英国では貴族であるのは、嗣子だけのはずでありました?。次男以下は平民。(複数タイトルが無い限り) ロシアでは公爵の息子は皆、公爵だったそうです。 ドイツでは爵位については知りませんが、貴族の縁者は 皆貴族身分を示す「VON」を姓に附けることができるそうです。 陛下、無知な田舎郷士の知識はどのくらい正しいでしょうか?
133 :
長島茂雄 :2000/10/24(火) 05:08
ヘイ、カール! はい、お久しぶりです。 昨日の試合は柔ちゃんに来てもらって勝ちましたよ〜、へへへ〜。 僕はいわゆるミスター、ミスタージャイアンツと呼ばれてますが、貴族のみなさんの称号はどうなってるんですかねえ。
134 :
カール大帝 :2000/10/24(火) 15:57
穏やかな秋の午後、諸卿は如何お過ごしかな。 日中は暖かくても夜は冷えるので薄着せぬよう余から忠告するぞ。 さて。 >121 大公妃よ、待たせたな。 ストラスモア伯家の由来を簡単に記そうぞ。 ストラスモア伯はスコットランドの爵位である。 この家系が最初に世に出たのは14世紀、サー・ジョン・ライアンである。 グラシスの領主であった彼はスコットランド王ロバート二世の娘、 ジョーン・ステュワートと結婚したのじゃ。 そしてその孫パトリックがグラシス男爵となる。 途中、有名なダグラス家(レッドの方)などと縁戚関係を結びながら 8代ジョンの息子であるジョンがキングホーン伯となり その孫パトリックが初代ストラスモア伯となるのじゃ。 以降、この家系はストラスモア伯とキングホーン伯位を兼ねておる。 伯位を継ぐ前はグラシス卿を名乗るようである。 さほど著名な人物を輩出した家系ではないが 途中で家名を二重姓に変えたり エリザベス王太后の父 ストラスモア伯クロード・ジョージがガーター騎士に叙されたりしておるの。 ただエリザベス自身はつい最近もTV等で放映されていたように 英国民に非常に人気があるようじゃ。 余もあやかりたいものじゃの。
135 :
カール大帝 :2000/10/24(火) 16:00
余はこれより執務のため外に出なければならぬ。 後の質問には今宵答えるぞ。 諸卿よ、暫く待たれよ。
136 :
カール大帝 :2000/10/25(水) 00:06
執務から戻ったぞ。 余はちと眠くなってきたが宮廷に出ればなんてことはない。 今宵もいきますぞ。 >130 おお、昨晩はすまなかった。 余は故あって宮廷には出られなかったのじゃ。許してくれ。 この宮廷が栄えあるものとなるようageてくれるのは大歓迎じゃ。 ところでポーランドの件であるが これは女大公にもいささか理があると思うぞ。 かの国はハプスブルクや神聖ローマ帝国にとっては非常に恩のある国じゃ。 また古来よりドイツの諸侯はかの国の諸侯と 血縁関係を多く結んでいたことであるしな。 それと卿の先祖の点についてはもうちと時間をくれるように。
137 :
カール大帝 :2000/10/25(水) 00:16
>131 卿はなかなか洒落た名前であるな。 まあカトリーヌ王妃はそう思わぬかもしれぬが。 さて。 余の母ベルタは確かにメロヴィングの血を引いておる。 ベルタの父、つまり余の祖父カリベルトの母であるベルタ ネウストリア王ティエリー三世の娘であるからな。 ただし女系を通じての血筋ゆえ 余の母がメロヴィング家の者というのはちと苦しいの。 それと余談じゃが 余の子孫が割とカロリングの血筋を誇りにしていたのに比べ、 メロヴィングの血筋を売りにした家は後世あまり出なかったの。
138 :
カール大帝 :2000/10/25(水) 00:26
>132 貴族の区分というものは国によって、時代によって 変化したためなかなか難しいものじゃ。 まあ、現在まで残る英国の制度が日本人にとっては 最も馴染みやすいの。 英国では爵位貴族の次男以下には通常爵位はない。 但し彼らは一代に限り卿(ロード)と呼ばれる。 まあ尊称じゃな。 だから下院議員になれるぞ。 あと英国は早くから公職を爵位貴族以外にも開いていたので あまり貴族・貴族以外で騒がなかったのじゃ。 これとかなり違うのがロシアじゃ。 爵位がかなり後になって出てきたロシアは公爵だらけじゃ。 元が適当なので相続も厳しいものではない。 よってネズミ算式に公爵だらけ。 「戦争と平和」などにも貧乏公爵が出てくるの。 もうちと続くぞ。
139 :
カール大帝 :2000/10/25(水) 00:35
続きじゃ。 ドイツの爵位はより複雑じゃ。 ドイツでは諸侯は領土の細かい分割をした結果、 爵位も等しく名乗ることがかなりあった。 例えばヴェッティン系のザクセン公や オルデンブルク系のホルシュタイン公などは やたらとたくさんいるの。 そして帝国崩壊後は貴族の身分も爵位も乱発されておる。 原爆で有名なブラウン博士もVONがついておる。 旧東独時代も工場で働く男爵の末裔などが結構おったようじゃ。 ラ・マンチャ殿の知識はまあ正しいと余は思うのであるが 貴族制度はお国によっても実はあまり定まっていなく、 名乗った勝ちという部分もある。 貴族においてはその称号だけでなく、その心意気にあると 余は思うぞ。
140 :
カール大帝 :2000/10/25(水) 00:50
>133 ははは。 卿の名前とその言に余は笑ったぞ。 しかし実は昨日の試合も危なかったのではないかな。 それと柔殿は国民栄誉賞は絶望的なようじゃな。 だが、あんなものは貰ったところで恩にきせられるだけ。 気にすることはないと伝えてくれ。 前のレスとも関連するが、 貴族の称号はみかけ倒れのことも多いのじゃ。 領地を持つ封建時代ならいざしらず、近代においては 貴族は乱発されたからの。 かつては野蛮な、そして誇り高い封建貴族の末裔が 宮廷貴族に成り下がってからは哀れなものじゃ。 例えフランスのモンモランシーやロアンなど名門でもの。 よって、余は貴族とは以下の矜持を持つものとしたい。 貴族とは・・・ 「独立心を富み己の信ずる道を進む勇気を持つもの」 但し・・・ 「過度な煽りをしない者」 である。 諸卿も真の貴族であるようたゆまぬ修練を積むように願うぞ。
141 :
カウニッツ :2000/10/25(水) 01:08
大帝陛下、今宵は何時まで宮廷に居られるのですか?
大帝陛下、深夜までご回答、まことに恐悦至極に 存じます。大変感謝しております。
143 :
サンジェルマン伯 :2000/10/25(水) 07:34
も、申し訳ございません。sageてしまいました。
144 :
カール大帝 :2000/10/25(水) 15:42
余は最近、執務が激しくなってきたため 宮廷から去るのが若干早めになっておる。 しかし諸卿よ。 余は質問・意見など余の宮廷は誰にでも広く開かれておる。 どんどん頼むぞ。
145 :
カール大帝 :2000/10/25(水) 19:39
余は今宵は遅くまで町方で執務のため 宮廷には戻れぬかもしれぬ。 しかし諸卿は存分に語りあうがよいぞ。
146 :
る :2000/10/26(木) 12:27
親愛なるカール大帝さま 昼間から飲むビールが美味しい小春日和の昨今、いかがお過ごしでしょうか? この間は不正確な情報をお尋ねしてしまい、申し訳ありませんでした。 さて。 今、「ルイ17世は確かにテンプル塔で死んでおったDNA鑑定」に意義を唱える 電波系HP(山ほどアルのだな、これが)を調べておったのでございますが その中で、次のような文章がありました。 「DNA鑑定がDuc de Beafufremontによって仰々しく発表されたとき、傍らに Louis-Alphonso d'Espagneが座っていた。 彼は「Duc d'Anjou et de Bourbon」を自称している人物であり、なんと 「フランス王の後継者」と自己紹介したのである。」 「要は、DNA鑑定はAlphonsoVIIIとフランコの曾孫をフランス王位に つけるための陰謀なのだ。スペイン野郎は国でパエリアでも食ってろ!」 まずこのLouis-Alphonsoってナニモノなのでしょうか?やはり電波系なのでしょうか? あと、以前お尋ねした王位継承権とも絡むかと思うのですが、なぜ彼が フランス王位継承権を主張できるのでしょうか?
147 :
カール大帝 :2000/10/26(木) 14:40
暖かい日差しがまどろみを誘う午後である。 諸卿よ、ご機嫌はいかがかな。 さて。 >120 待たせたな。 記録をひっくり返し付け合わせてみたら非常に遠い関係ながら 卿とプシェミスル家の関連が少し出てきたぞ。 まず、カウニッツ家とプシェミスル家の直接の姻戚関係はどうもないようじゃ。 だがリートベルク家にはあったぞ。 正確に言えばリートベルクを継いだ東フリースラント家を遡ると プシェミスル家に縁があるのじゃ。 東フリースラント家はドイツ北部の有力諸侯との姻戚関係が数多いほか、 スウェーデンのヴァーサ家との縁戚関係もある。 流れはちと長くなるかもしれぬので次に続くぞ。
148 :
カール大帝 :2000/10/26(木) 15:05
続きじゃ。 簡単に言えば卿からプシェミスル家にはこう遡ることができる。 カウニッツ卿 ↓母親 マリア・エルネスティーネ ↓父 フェルディナント(東フリースラント=リートベルク伯) ↓父 ヨハン2世(リートベルク伯) ↓父 ヨハンv東フリースラント=リートベルク ↓父 エドヴァルト2世(東フリースラント伯) ↓母 アンナ ↓父 ヨハン14世(オルデンブルク=オルデンブルク伯) ↓父 ゲルハルト6世(オルデンブルク=オルデンブルク伯) ↓父 ディートリヒ(オルデンブルク=ヴェルスベルク伯) ↓父 クリスティアン5世(オルデンブルク=ヴェルスベルク伯) ↓父 コンラート1世(オルデンブルク伯) ↓母 エリザベート ↓父 ヨハン1世(ブラウンシュヴァイク=リュネブルク公) ↓母 マティルド ・・・長いの。まだ続くぞ。
149 :
カール大帝 :2000/10/26(木) 15:12
省略されたか。 ではブラウンシュヴァイクのヨハン1世から行くぞ。 ヨハン1世(ブラウンシュヴァイク=リュネブルク公) ↓母 マティルド ↓父 アルプレヒト2世(ブランデンブルク辺境伯) ↓母 ユディット ↓父 ブワディスワフ(ポーランド公) ↓ ヴラディスラフ一世(ベーメン王) ふう、こりゃ本当に遠いの。 ブラウンシュヴァイクやブランデンブルク、オルデンブルクなど ドイツ東部・北部の諸侯はポ ーランドやベーメンの王家との繋がりがかなりある。 それらのラインからも プシェミスル家に辿りつくことはできると思うぞ。
150 :
カール大帝 :2000/10/26(木) 15:53
>146 昼間からビールとは羨ましいかぎりじゃ。 だが飲みすぎで太らぬように注意は必要じゃぞ。 さて面白そうなHPじゃな。 いつの世にも電波はおるもの。楽しいことじゃ。 だが件のLouis-Alphonsoは血筋的には電波ではないぞ。 彼はブルボン家の血筋を引いておる。 また彼は現在ブルボン家の家長を称しておるのじゃ。 アルフォンソ13世(亡命したスペイン王じゃな)には 庶子を除いて三人の男子がおった。 長男アルフォンソ(アストゥリアス大公=王太子) 次男ハイメ(セゴビア公・アンジュー公) 三男ファン(バルセロナ伯) である。 このうちアルファンソには後嗣がない。 ハイメの子孫が件のLouis-Alphonso、 ファンの子孫が現スペイン王ファン・カルロス一世である。 なぜ、次男の子孫でなく三男の子孫が王位に? 余は省略を嫌うゆえ次のレスを見てくれるように。
151 :
カール大帝 :2000/10/26(木) 16:09
続きじゃ。 根拠はよくわからんがスペインでは 身体に障害を持つ者は王位に就けぬという決まりがあるそうじゃ。 セゴビア公ハイメは生まれつき目が不自由であった。 ところがスペインの王位継承からは外されても ブルボン家内やフランスにはそんな決まりはない。 ということでハイメの子孫は ブルボン家、引いてはカペー家の家長と フランス王位の継承権があると主張しているのじゃ。 ちなみにハイメの妃はフランス貴族出身の妃との間に 二人の息子を持った。 長男:アルフォンソ(アンジュー公・カディス公) 次男:ゴンサーロ(アキテーヌ公) である。 この二人もフランスの継承権を主張する者として フランスの公位を称しておる。 このうちアルフォンソは確かカナダのスキー場で1989年に死んで 新聞にも記事が出たはずじゃ。 そして件のルイ・アルフォンソは このアンジュー公アルフォンソの次男である。 兄のフランシスコ(ブルボン公)が12歳の若さで死んだために 彼が現家長を名乗っておるのじゃ。 長いと思うかもしれんがまだ続くぞ!
152 :
カール大帝 :2000/10/26(木) 16:23
↑ 似た名前ばかりなので分かりにくい文章じゃな。すまん。 フランス王位継承権などは王政復古が現実的でないだけに 名乗った者勝ちである。 そこでスペイン・ブルボン家とブルボン・オルレアン家が 勝手に名乗りあっているのじゃ。 そして件でHPで「フランコの曾孫」とあるのは スキー場で死んだアンジュー公アルフォンソの妃が フランコ総統の孫娘であるからじゃ。 ちなみにLouis-Alphonsoは1974年生まれでまだ未婚である。 我こそは将来のフランス王妃たらんとする者は急ぐがよいぞ。
age
154 :
4k :2000/10/26(木) 20:41
カール大帝さま、 自分はいわゆる受験生です。二次では世界史を取りやす。 いよいよセンター試験まで86日となりやした。 そこで質問なのですが、 下のような〜〜王ってのは誰が付けたのですか? それから他に面白い名前(?)がありやしたら教えていただき候う。 太陽王ルイ14世 聖王ルイ9世 シャルル勝利王 ジョン欠地王 不能王オーギュスト 尊厳王フィリップ2世 リチャード獅子心王 慎重王 端麗王 剛胆王
155 :
カール大帝 :2000/10/26(木) 21:20
諸卿よ。今宵はいかがお過ごしかな。 ところで日本シリーズではひどい誤審が繰り返されたようじゃな。 世が世であればクレーヴ広場やタイバーン行きという所じゃな。 さて。 >153 うむ。余はageが大好きじゃ。 >154 受験生か。大変じゃの。 希望の大学に行けるよう余は祈っておるぞ。 だがあまり2chばかり見ているのではないぞ。 後悔先に立たずじゃからな。 さて。 余は世界史を受験科目に選択しなかったので 試験に出るのかどうか分からんが答えよう。 尊厳王や太陽王。 はたまた豪勇公や富裕伯などは全て綽名じゃ。 王や諸侯付きの書記官などが付けたものや 民衆の間でついたものなどもあるの。 それゆえ後の世に呼ばれた例が多いのじゃ。 綽名の根拠は主に3つに分けられると思うぞ。 @外見・・・隻眼、赤髪など A偉業・・・征服、勝利など B性格・・・傲慢、慎重など C聖人・・・(文字通り) D擬人・・・獅子、太陽など →性格に由来することが多い 同じ名前の王・諸侯が多かったため 渾名は区別するのにも便利だったようであるな。
156 :
カール大帝 :2000/10/26(木) 21:21
むむ。今回は省略されるとは露ほども思わなんだ。
157 :
る :2000/10/26(木) 22:01
えーい ばっきゃろー
158 :
世界@名無史さん :2000/10/27(金) 01:10
>151さん アルフォンソ13世の次男ハイメは、目が不自由なのではなく、 四歳の時に罹った病気が元で、聾唖になりました。 ちなみに、彼の兄アルフォンソと末弟ゴンサロは曾祖母ヴィクトリア女王から 母親のヴィクトリア・ユージェニー王妃を通じて遺伝された血友病 (ロシアのアレクセイ皇太子もヴィクトリア・ユージェニーの従姉妹である 母アレクサンドラ皇后を通じてこれに罹っていましたね)に かかっていまして、事後が元で死亡しています。
159 :
世界@名無史さん :2000/10/27(金) 01:27
偉大なるカール大帝よ。私の悩みをお聞き下さい。 ここのスレを見ていたら、もう一度歴史大好きだった昔に戻りたくなりました。 今はしがない法学を勉強しておりますが、つまらなくて仕方ありません。 今からでも勉強しなおすべきでしょうか。
160 :
フリードリヒ・サヴィニー :2000/10/27(金) 03:21
大帝陛下におかれましてはご機嫌麗しく。 通りすがりの法学者でございますが、一言述べることを許されたく存じます。 >159殿 貴殿は法学を学んでおいでですか。 法学というもの、とかく最初はとっつきにくいものですが、あきらめぬが肝要。 習熟すればいずれその味わいも分かろうというものです。 さりながら、貴殿がやはり法学がつまらぬと思い、歴史への愛着去りがたしとおっしゃるなら、法史学かローマ法はいかがかと。それまで学んだ法学も完全には無駄にならず済み、かつ歴史を学ぶことができます故。
161 :
158 :2000/10/27(金) 10:41
訂正があります。 事後→交通事故
162 :
カール大帝 :2000/10/27(金) 21:35
秋の夜長とはよく言ったもの。 余の昨晩の執務はAM6:00まで続きおったわ。 余もそう若くないゆえこれはこたえたの。 さて。 >157 おお。またほろ酔い加減なのかな。 それとも例の文書の件かの。 まあ、元気が良いのは何よりじゃ。 >158 余の誤りを正してくれる書き込み、嬉しいぞ。 それと礼を言わねばならんな。あらがとう。 ハイメ公はそうであったか。 あと4男ゴンサーロは記録室を見てみると20歳で死亡しておるな。 余の記憶もかなりいい加減であるな。すまんの。 諸卿よ。158殿のように余が過ちを犯した場合には 遠慮せず、正してくれるようお願いするぞ。 みなで力を合わせ正しき家系の知識を習得していくのじゃ。
163 :
カール大帝 :2000/10/27(金) 22:12
>159・160 おお。 真摯の悩むということの大切さ。 そしてそれに対して温かみと知恵のある助言。 卿らにこの世で最も大事なことの一つを 余は教えてもらったようじゃ。 お二人に祝福を。
164 :
カール大帝 :2000/10/27(金) 22:16
そして余にも若干考えを述べさせてくれ。 159よ。「歴史大好きだった昔」。 これは卿の考え違いではないか? 考えてもみよ。卿はこの宮廷の扉を開いておるのだぞ。 この巨大掲示板群を訪れる者は多いが この板はランキング下位の常連。 しかも余の宮廷はよく下がるスレであるにも関わらず。 このような所を訪れた卿は 「昔」ではなく「今も」歴史大好き人間なのじゃ! 歴史大好きな卿にとって これからどうすれば良いかは自明の理、 それこそ1と1を足すようなものじゃ。 つまり、卿は「法学」と「歴史」どちらも頑張らねばならぬ。 両手に剣と盾をそれぞれ持つように、 そして人間には必ず父と母がおるようにな。 なに。恐れることはない。 余もその昔、学校では「商学」を学んでおった。 しかしどれほど「損益分岐点」だの 「資産と負債」だのを学んでも 片時たりとも歴史を忘れることなどなかったぞ。 例え今の執務に全く、これっぽっちも役には立たずともじゃ。 今、卿は悩んでおるかもしれぬ。 しかし余は断言しよう。 何ごとも「まあまあ」で済ます者が多いなか、 その悩みに気づいた卿の未来は明るいものであると。 159よ。 頑張るのじゃ。 そして余の宮廷の扉は卿に対して開いておるぞ。 さあ、次のレスにいくぞ!
165 :
カール大帝 :2000/10/27(金) 22:18
むむ。 またも省略か・・・格好悪いの。 次の質問・悩みもまだなかったの。 諸卿よ。 待っておるぞ。
166 :
俺 :2000/10/27(金) 22:53
ハイ!チャーリーお久し振り! ルイス1号って子供が4人いたんだっけ? 後少しの間王様から落されたって話ってどんな事?教えてチョ。
167 :
カール大帝 :2000/10/27(金) 23:25
>166 相変わらずの元気者じゃな。嬉しいぞ。 さて。 ん? ルイス1世に子供が4人?はて? ポルトガル王ルイス一世ともスペイン王ルイス1世にも あてはまらぬような・・・ どこの国のルイスなのか付け加えるがよいぞ。
168 :
俺 :2000/10/28(土) 00:28
あ〜ごめんごめんチャーリーの後継ぎのルイスだよ。 あれ?ルイだっけ?ルドウィックだっけ?読み方難しいな・・・・
169 :
カウニッツ :2000/10/28(土) 01:38
なるほど・・・ ・・・ 有難う御座いました。 また宮廷に訪れます。
170 :
ラ・マンチャの郷士 :2000/10/28(土) 03:25
陛下、巡礼の途上、参上いたしました 私は「選帝侯」について伺いたいのです 確か聖俗あわせて7人と伺っておりますが ケルン大司教 トリーア大司教 マインツ大司教 ザクセン侯 ブランデンブルク侯 ボヘミア王 プファルツ宮中伯? でも、後になると、この顔ぶれが変化したように思うのですが, 真実はいかなるものでありましょうや?
171 :
159 :2000/10/28(土) 06:25
法史学という選択肢もありましたことを教えて頂いたサヴィーニ殿、 そして初心忘るるべからずと言う事を悟らせて頂いた大帝陛下、拙は心より 御礼申し上げます。 やっと踏ん切りがつきました。双方を両立すべく、拙はできる限りのことを 頑張っていく所存。重ね重ね御礼申し上げます。 御二方に栄光あらんことを。
172 :
159 :2000/10/28(土) 06:27
失礼、サヴィニー殿でした。
173 :
158 :2000/10/28(土) 23:33
>カール大帝様 レス、ありがとうございました。 バルセロナ伯ファンの長兄のアルフォンソについてですが。 彼は、2回(いずれもキューバの一般人)と結婚しておりまして、 初婚の際、アストゥリアス公という地位を捨てています。 ご指摘された通り、いずれも子供のないまま離婚し、交通事故で 死亡しております。 なお、ヴィクトリア女王の子孫の血友病についてですが『系図の迷宮』というHPに 『ヴィクトリア女王の子孫と血友病』というコーナーがありますので、 よろしければご覧下さいね。
174 :
る :2000/10/30(月) 04:53
175 :
る :2000/10/30(月) 05:17
カール大帝様この間は失礼をいたしました。 今日は胃が痛むのでしらふでございますです。 やはり、王位継承権の基本的なことがわかってないみたいで なんとももどかしい今日この頃でありまする。 概念がいまいちピンとこないんです。 あ、思いついた質問を。 王家に子供が生まれると「XXX伯なんとか」とか「XXX公とXXX伯なんとやら」 とかしますよね。あれは最初から決まってるんでしょうか? あれは領地ってことですよね。ありゃ実効力を持つのでしょうか。 それとも単なる肩書きなんでしょうかね。 PS マドリッド公カルロスってのは何者なんでしょう?
176 :
カール大帝 :2000/10/30(月) 10:19
週明けの朝である。 諸卿はどのように今朝を迎えたであろうか。 というのも余は昨晩から執務続きのためいささか眠い。 多数の書き込み感謝に絶えないが 少し仮眠するゆえ 余からの発言はちと待ってくれることを希望する。 仮眠室は目覚ましを鳴らすわけにはいかん。 携帯のブルブルで起きれるかどうか心配じゃ。
177 :
173 :2000/10/30(月) 11:09
>るさん この掲示板ではURLはどのようにすれば・・リンクできるのでしょうか? 分からないので、教えてください。
178 :
る :2000/10/30(月) 11:37
>>カール大帝様 ただ単にURLをそのまま書き込めばよいのでござる。 タグとか使う必要はないようでござる。
179 :
173 :2000/10/30(月) 13:38
180 :
173 :2000/10/30(月) 13:58
>るさんへ ただ、このHPには、フリードリヒ3世と結婚した長女の ヴィクトリア(ヴィッキー)も血友病保因者であったとされて いますが、長男のウィルヘルム2世が血友病にならなかったこともあり、 彼女は血友病保因者ではなかったという説もあるそうです。 (伝記では、息子のヴァルデマールはジフテリアで亡くなった みたいです) とにかく、女王の次女アリスの末娘アリックス(ニコライ2世妃 アレクサンドラ皇后)が血友病保因者であったということが一番の 悲劇でしょうね。アルフォンソ13世妃ヴィクトリア・ユージェニー 然り。
181 :
カール大帝 :2000/10/30(月) 19:19
やはり携帯で起床は難しかったか。 なんか良い方法はないかの。 さて。順番に余の考えを述べよう。 >168 ははは。 カロリング家のルートヴィヒ(ルイ)敬虔帝のことであったか。 なるほどな、男子であれば4人じゃな。 余に言わせれば親子ともども不肖の子孫ではある。 上から順番にロタール・ピピン・ルートヴィヒ・シャルルであるが 世に知られているのはシャルルの相続じゃな。 上の三人で広大な帝国の相続の取り決めをしていたところ、 シャルルが生まれてしまったことで当初の計画が狂ったのじゃ。 後に見てみると一番得をしたのはシャルルであるといえるが 後妻の子供は可愛がられるということじゃな。 ちなみにその後妻とは後の名門ヴェルフ家の出身と言われておる。 ヴェルフ家はドイツを本拠とする家で知られているが、 カロリング家との縁戚関係からパリ伯に就く者なども出ておるな。 それと敬虔帝は正式には王位や帝位を遂われていはないと思うぞ。 この辺、また記録室を見ずに答えると間違えそうではあるが 子供達の争いにまきこまれて右往左往はしたと思うがの。 兄弟は仲が良しが一番だと余は思うが、 兄弟、叔父甥、一族間の争いが激しいのが封建時代の面白いところじゃの。
182 :
カール大帝 :2000/10/30(月) 20:22
>169 余りにも遠い血筋を書いてしまってすまん。 時間が出来次第、もうちと調べるゆえ許してくれ。 宮廷で待っているゆえ、今後もよろしく頼むぞ
183 :
俺 :2000/10/30(月) 22:27
ハイ!チャーリー有難う!王様の歴史って兎角色々有るもんだな〜 兄弟が仲良しってのは俺もそう思うぜ!俺にも兄貴がいるけどこの間 久々に会って街巡りなんかしたよ。楽しかったなァ。 おっとコレ以上は関係無い話になっちまうからアレか。 じゃまた〜!
184 :
カール大帝 :2000/10/30(月) 22:47
まだ宵の口というのにすでに余はねむい。 これから執務に出るが今晩は宮廷に戻れるか心配だ。 諸卿よ。申し訳ないが暫しご歓談を。
185 :
カール大帝 :2000/10/31(火) 22:23
むおー。 執務の進行が遅れて余はいささか焦っている。 しかも困ったことに挽回は困難なようなのじゃ。 そういうわけで今夜も宮廷には戻れぬかもしれぬ。 諸卿よ。余を哀れと思うならば 余の分まで発言をして欲しい
186 :
る :2000/10/31(火) 23:44
ひっく
187 :
カール大帝 :2000/11/01(水) 08:29
雨あがりの朝である。 余はただいま昨晩の執務を終えた。 今から硬いベッドの中でしばし休憩じゃ。 今夜遅くには宮廷に出る予定ゆえ、 諸卿が楽しみにしていてくれると嬉しいぞ。 そして連休を有意義に過ごしたいと考えている諸卿もいるかと思う。 とりわけ「欧州王侯の家系について一仕事したい」と考えている 御仁はぜひぜひこの宮廷に日頃の疑問・意見をぶつけ、 連休み備えるべきだと思うぞ。
188 :
名無しは無慈悲な夜の女王 :2000/11/02(木) 04:30
age
189 :
カウニッツ :2000/11/02(木) 04:37
それでは、「おやすみなさい。」・・・ ・・・ ・・・ZZZ・・・ZZ・・・・・ZZz
190 :
カール大帝 :2000/11/02(木) 17:33
今日の余は諸卿に謝ることから始めるぞ。 昨晩は申し訳なかった。食事抜きで執務から戻ると すでにAM1:00であったのじゃ。 諸卿にとっては何でもない時間かもしれぬが 疲れ果てた余には力が残っていなかったじゃ。すまんの。 さて。懺悔を済ませた上でいくぞ。 >170 うむ。良い所に気づいたの。 後になると新たに選帝候位を獲得したのは以下の諸侯じゃ。 ・バイエルン選帝候 ・ハノーヴァー選帝候 ・ザルツブルク選帝候 なぜ、人数に変化があるのかというと そもそも選帝候位自体が皇帝が名乗るのを許すものだったからじゃ。 最初の7人に選帝候はカール4世が定めたもの。 そのため当時、有力諸侯であったオーストリア公やバイエルン公などは 排除されておる。 逆に新たな選帝候達はハプスブルク家の皇帝が自身を援助してもらう 見かえりに与えたものである。 選帝候位は皇帝の持つ武器であるともいえるの。
191 :
カール大帝 :2000/11/02(木) 17:38
>171・172 うむ。頑張るのじゃぞ。 >173 おお。158殿はかのHPの管理者の方かの? 余もちょくちょく出けておるぞ。 諸卿も是非、お邪魔させていただくと勉強になると思うぞ。
192 :
民 :2000/11/02(木) 18:37
大帝様のおかげでスレはうるおっておりまする。ありがたや、ありがたや。
193 :
世界@名無史さん :2000/11/02(木) 23:11
>カール大帝様 173です。 わたくしは、よくかのHPで掲示板で書き込みをしていた者です。 かのHPはちひろさんとおっしゃる、かなり系図にお詳しい方が 管理されています。
194 :
アヴァール人 :2000/11/03(金) 00:16
このスレ荒らしちゃおっかな?
195 :
カウニッツ :2000/11/03(金) 03:44
それでは、「おやすみなさい。」・・・ ・・・ ・・・ZZZ・・・ZZ・・・・・ZZz
196 :
世界@名無史さん :2000/11/03(金) 08:31
カウニッツage
197 :
ラ・マンチャの郷士 :2000/11/03(金) 14:08
陛下、ご教示 ありがたき幸せにございます ほかにも、ヘッセン選帝侯国(クールヘッセン)なるものが、あったようにございますが? バイエルン(ビッテルスバッハ家?)まで選帝侯であったとは初耳でした。 プファルツが(いつのころからか?)バイエルンの領地になったことと関係あるのでしょうか? (ホーエンツォレルン家のドイツ帝国の頃は)プファルツはバイエルンの領地だったように思いますが・・・
198 :
カウニッツ :2000/11/04(土) 04:08
陛下、宮廷にも顔を出して下さいませませ! 執務が御忙しいのでしょうか?
199 :
カウニッツ :2000/11/04(土) 04:24
現在のオランダ王国とベルギー王国の 王室の歴史について知りたいのですが。 ハプスブルク領時代や、オラニエ家の 時代は大体分かるのですが・・・
200 :
カウニッツ :2000/11/04(土) 04:27
200!!
201 :
カール大帝 :2000/11/04(土) 10:03
久々の宮廷である。 諸卿は変わらず元気であるだろうか。 余は今、執務が激しくいささか気分が優れぬ。 ただ、これは一応6日には解消されるであろう。 そう、余に連休は一日もないのじゃ。 たまっている質問には順次答えていくゆえ 待っていてもらえるようお願いする。 それと諸卿も執務はほどほにするがよいぞ。
202 :
世界@名無史さん :2000/11/04(土) 10:53
あげまする
203 :
る :2000/11/04(土) 11:21
大帝様、せっかくビールを持ってきたのに 今日はご機嫌うるわしくないようで 残念でございまする。
204 :
カール大帝 :2000/11/04(土) 21:07
執務中だが・・・ アテネの件が心配じゃな
205 :
る :2000/11/05(日) 02:10
大帝さま、無事解決したようでございまする。
206 :
カール大帝 :2000/11/05(日) 09:58
おお、解決されたのか。 では予定通り執務じゃ。 今晩は余は宮廷になんとしても参るぞ。
207 :
草莽の微臣 :2000/11/05(日) 16:18
畏れながら、大帝陛下に御意を得ます。 家系の話から、ずれますが 儒教文化圏以外での、「皇帝」と「王」の違い、その権力の 所以の差異等を、愚生の様な、無知蒙昧の徒に、解る範囲で お話頂けませんしょうか。 恐懼頓首頓首
208 :
世界@名無史さん :2000/11/06(月) 00:03
age
209 :
世界@名無史さん :2000/11/06(月) 01:04
test
210 :
宮内尚書 :2000/11/06(月) 01:40
今日は、大帝陛下のお出ましはないのか?
211 :
る :2000/11/06(月) 11:30
大帝陛下の御身になにかあったのでござろうか。
212 :
宮内尚書 :2000/11/07(火) 01:18
侍従、 侍従長はいずこじゃ、
213 :
る :2000/11/07(火) 02:01
カール大帝さまカール大帝さま レオなんとかとかいう浮浪者が面会を求めておりますが いかがいたしましょう カール大帝さまあ
214 :
る :2000/11/07(火) 02:03
あ。 レオに騙される前のカール大帝さまは 大帝さまではないのか。
215 :
アヴァール人 :2000/11/07(火) 02:10
カールは我らが討ち取った
216 :
る :2000/11/07(火) 02:36
だから怪しげな新興宗教に近づくなってあれほど言ったのに・・
カール大帝さんお元気ですか? オーストリア継承戦争と七年戦争 についてわかりやすく教えて下さい。m(_ _)m
218 :
カール大帝 :2000/11/07(火) 21:38
久々の余である。 諸卿は健勝であろうか。 留守が続いたがまもなく参るぞ。
219 :
マホメット :2000/11/07(火) 22:01
やあ、久しぶりだね。 僕がいなきゃあ、きみもそうして世界史上に燦然と輝く功績を残すことなぞ なかったろうに。 しかし、きみのいるところは寒いし不潔だし、まるっきり蛮地だな。 まあせいぜい辺境の地で頑張ってくれたまえ。では、マッサラマ。
220 :
カール大帝 :2000/11/07(火) 22:01
懐かしき宮廷に戻ってきたぞ。 思えば長い留守であった。 諸卿にも心配をかけたようで申し訳ない。 余はここ数日は執務漬けだったのじゃ。 徹夜、そして徹夜。 余も決して若くはないゆえ、これは体にこたえたの。 執務は今も続いてるが一段落ついたゆえ、 これからはマターリと行くぞ。
221 :
カール大帝 :2000/11/07(火) 22:26
>175 おお。卿に会うのも久しぶりじゃの。 酒色に溺れるのは王侯の特権じゃ。 存分にやるがよいぞ。 但し、酒色に負けぬ強靭な肉体と精神を持つよう努力を怠らぬようにな。 さて。王家の子供の称号の件、 これは一重に時代によるといえよう。 封建時代には領地と称号が合致しいていたので 大きな意味を持っていたのじゃ。 例えば初期のカペー家の子供達は王家の領地が少なかったために 分けてもらえず余り良い称号や広い領地を持っておらぬ。 それどころか自身の婚姻によって称号・領地を得ることが一般的であった。 よって、伯や公でないものもいる。 例をあげれば クルトネ領主ピエール(仏王ルイ六世の子)などじゃ。 一方、時代が流れ王の力が強い時代には称号は実質的なものではなくなる。 ただ暫くの間は称号に多少の領地も伴っていたのであるがな。 例えばオルレアン公ガストン(アンリ4世の子)は オルレアン公としてブロワに住んでいたのじゃ。 ただし更に時代が下ると称号はただの名誉でしかなくなる。 オルレアン家のルイ・フィリップ王の子孫達は パリ伯やギーズ公、シャルトル公などきらびやかな称号を名乗ってはいるが 周知の通り実質的には何もない。 だから名乗るのも自己申告、よくても一族の家長の了解さえ取れればよいのじゃ。 ただ、封建時代の途中からは嫡子には伯・公の称号が必ず与えられていたので 家系図を作る時には王家はやはり華やかになるの。
222 :
カール大帝 :2000/11/07(火) 22:29
また省略か。 もどかしいの。 >177〜179 うむ、そうじゃ。 お互い分からないことは教え合うことが大事じゃぞ。 諸卿もこの姿勢を見習うように。
223 :
カール大帝 :2000/11/07(火) 22:35
>180 おお、詳しいの。 あの女王の子孫達は幸福に生涯を終えた者があまり多くないの。 ちなみに長女のヴィクトリアの行動については賛否両論あるの。
224 :
カール大帝 :2000/11/07(火) 22:39
>182 うむ、兄弟仲が良いのがによりであるぞ。 一つしかないパンを分け合うように 仲むつまじくお互いを助け合うべきじゃ。 現代のこの島国でも醜い兄弟争いが多いようじゃが 土地やマンションを分割するだけ損をすることを もう少し考えたほうが良いと余は思うぞ。
225 :
カール大帝 :2000/11/07(火) 22:42
>186 これ! >188 余はあがるのが大好きじゃ。礼を言うぞ。 >189 むう。夜遅くまで済まぬ。 これに懲りずに宮廷に参るようお願いするぞ。
226 :
カール大帝 :2000/11/07(火) 22:45
>192 ははは。卿の言うことはもっともじゃ。 だが、余に負けぬくらい発言してくれると嬉しいぞ。 >193 そうであったか。 かのHPは女性が多いようじゃの。 管理者の姫君も余の宮廷に遊びに来てもらいたいものじゃ。
227 :
カール大帝 :2000/11/07(火) 22:48
>194 それだけはダメ。許しませんよ。 それより宮廷を楽しむ方がよいぞ。 >195 なんか夢見がよさそうで羨ましい限りじゃ。 余はついつい寝る前に食事を摂ってしまうので朝がつらいのじゃ。
228 :
カール大帝 :2000/11/07(火) 23:05
>197 おお。また余は大きな誤りをしていたの。 卿の言うようにヘッセン選帝候もおったわ。 選帝候を漏らすなど恥ずかしい限りじゃの。大変失礼した。 さて、バイエルン選帝候の件であるが プファルツもバイエルンもヴィッテルスバッハ家が長く領有していたが 両家は仲が良いわけではなく別行動を取ることが多かったのじゃ。 とりわけプファルツ選帝候位にプロテスタントを奉ずる者が多くなってからはの。 バイエルンが選帝候位を獲得したのも宗教が原因である。 皇帝であったハプスブルク家は同じ旧教を奉ずる有力諸侯として バイエルンの支持が不可欠だったのじゃ。 そこでバイエルンとの同盟を強固にするために選帝候位を許し マクシミリアン1世が初のバイエルン公として初の選帝候となったのじゃ。 両家が統一されたのは時代が下がって1777年、 プファルツ選帝候位を相続していたカール4世テオドールが バイエルン系の断絶と共にバイエルン選帝候位を獲得してからじゃ。 この時皇帝ヨーゼフ2世はバイエルン・プファルツと南ネーデルラントの 交換を試みたが失敗しておるの。 ヴィッテルスバッハ家はルートヴィヒ2世王の影響か日本でも 良く知られた家じゃ。 この家系には様々な領地や称号や王位が関係してくるゆえ、 もっと細かいことが知りたい者はどしどし質問をするがよいぞ。
229 :
カール大帝 :2000/11/07(火) 23:06
なんか余の発言ばかりで格好悪いの。 少し間を置くぞ。
230 :
宮内尚書 :2000/11/07(火) 23:20
恙なき、陛下の竜顔を拝し、望外の喜びに耐えません。 お疲れでは、御座いましょうが、続けて臣らに 御玉声を賜わらんことを。
231 :
カール大帝 :2000/11/07(火) 23:42
>230 おお。 宮廷に来てくれていて余は本当に嬉しいぞ。 だがこの一休みしている間に余に電話がかかってきたのじゃ。 そう、またも執務の電話じゃ。 最近、夜の執務が多くてつらいが世話になった人からの連絡ゆえ 出かけねばならぬ。 明日は宮廷にも必ず出るゆえ、 宜しくお願いするぞ。
232 :
カール大帝 :2000/11/07(火) 23:45
>230 おお。 宮廷に来てくれていて余は本当に嬉しいぞ。 だがこの一休みしている間に余に電話がかかってきたのじゃ。 そう、またも執務の電話じゃ。 最近、夜の執務が多くてつらいが世話になった人からの連絡ゆえ 出かけねばならぬ。 明日は宮廷にも必ず出るゆえ、 宜しくお願いするぞ。
233 :
カール大帝 :2000/11/08(水) 09:59
徹夜明け、気分がすぐれぬ朝である。 そして大変なことが余の周辺で起きている。 世界史板からこの宮廷に入れぬのじゃ。 他のスレッドは全て行けるというのにどうしたことじゃ。 よもや諸卿においても同じことが起きているのではなかろうな。 今朝は幸い履歴に残っていた直アドレスから宮廷の扉をこじ開けた訳だが 余は真相を知りたい気分で一杯じゃ。 余はPCのことについてはよく知らぬゆえ かなりドキュンなことをしている可能性もある。 諸卿が普通に入ることが出来れば安心なのじゃが。 宮廷に世界史板の表紙から入ることができるかどうか、 諸卿からの報告を待っているぞ。
234 :
使者A :2000/11/08(水) 11:58
大帝陛下! 畏れながら申し上げます! 宮廷に世界史板の表紙から入ることができまする!
235 :
カール大帝 :2000/11/08(水) 22:11
ははは。愉快じゃ。 世界史板の表紙から無事入ることが出来たぞ。 なぜ入れなかったのか、今でもさっぱり分からぬが 再起動させたのが良かったのかのー。 まあ、これで一件落着。 さあいくぞ。
236 :
カール大帝 :2000/11/08(水) 22:35
おお、そういえば175の質問に答えていない部分があったの。 マドリッド公カルロスの件じゃ。 マドリッド公カルロスというと1909年に亡くなった ブルボン=スペイン家の一員のことだと思うが間違いないかの。 以前のスレでアンジュー公を名乗るスペイン王家の一族について書いたが マドリッド公の一族はそれより以前に現スペイン王家と分かれた一族であり 非常にややこしいことにスペイン王を自称しているのじゃ。 俗に「カルリスタ」と呼ばれておる。 簡単に言えばスペイン王カルロス4世の5男フェルナンド7世の子孫が 現スペイン王家。 そして6男のモリナ伯カルロスの子孫がカルリスタの一族じゃ。 フェルナンド7世には娘しかいなかったため イサベル2世が王位を継いだわけだが、 叔父のカルロスはこれを不服としてカルロス5世を名乗り内乱となったのじゃ。 以降カルロスの子孫はスペイン王を自称しておる。 しかしカルリスタは結局敗れ 国際社会がカルリスタをスペイン王として認めたことはない。 だがこの一族はハプスブルクや両シチリアのブルボン家などカソリックの王族、 あるいはロアン家など有名貴族などとの縁戚関係を保ったため 王家の末裔として認識されていたのじゃ。 そのためモンテモリン伯・サンハイメ公などスペインの地名に由来する 爵位を自称してもそれが通用していたのである。 ちなみにマドリッド公カルロスもスペイン王位を自称してたが 男系の嫡流は息子のマドリッド公ハイメで絶えておる。 またカルロス公の庶子も14年前に亡くなっておる。 カルリスタは絶えておるのじゃ。
237 :
カール大帝 :2000/11/08(水) 22:55
さあドンドン行くぞ。 >198 うむ。今執務はとても忙しいのじゃ。 さらに師走が近づいて来ると思うと恐ろしいほどじゃ。 しかし執務ごときに余は負けてられぬ。 >199 おお、ヨーロッパで現在最も豊かな2国であるの。 まずはオランダからいこうかの。 この家の最大の特徴は女王が続いたことじゃ。 王は現ベアトリス女王の曽祖父ウィレム3世まで遡らないとおらぬ。 このウィレム3世にはヴュルテンベルクの王女との間に3人も 男子がおったのだが皆若くして死んでおる。 そのため末子ウィルヘルミナが女王になったのが女王時代の始まりじゃ。 ウィルヘルミナ女王の婿はメクレンブルク=シュヴェリン家のハインリヒ。 彼は古くから続くドイツの有力諸侯の直系である。 またメクレンブルク家は雄牛の紋章で有名じゃの。 その娘ユリアナ女王の婿はリッペ=ビースフェルト家のベルンハルト。 リッペ家も有力諸侯とは言い難いが古くから続くドイツの名門じゃ。 家系はいくつにも枝分かれして北ドイツの諸侯と多くの縁戚関係を結んでいる。 と、まあここまでは封建時代からの諸侯から婿を迎えておったのだが 現ベアトリス女王の時代に状況は一変する。 現女王の婿はクラウス・v・アンスベルクである。 一応貴族とはいえ諸侯ではない。 まあ時代からしてそれは問題ではないがナチス・ドイツの将校でもあったため 国内には不適格だという声もあったそうじゃ。 だが夫婦仲は円満、3人の男子がおる。 長男は伝統の名前、ウィレムであるぞ。
238 :
カール大帝 :2000/11/08(水) 22:59
ぎりぎりで省略されるの。 あと、現オランダ王室で特筆すべきは 現女王の妹イレーネの結婚じゃ。 イレーネの結婚相手はブルボン=パルマ家の フーゴー(ユーグ)であったため、 イレーネは王位継承権を放棄しておる。 それにしてもブルボン=パルマ家はやたらとメンバーが多いの。
239 :
カール大帝 :2000/11/08(水) 23:16
>199 そして続いて現ベルギー王家じゃ。 これは有名なザクセン=コーブルク家である。 初代国王レオポルド一世、彼は上手く立ち回った男として有名で 最初英王ジョージ4世の娘シャーロットと結婚しておる。 シャーロットは王位継承者とされていたので 彼女が若くして死ななければ、また二人の間の子供が 夭折していなければ英国王を子孫から出すことが出来たのじゃ。 ザクセン=コーブルク家はドイツの名門ヴェッティン家の流れである。 ヴェッティン家はマイセン辺境伯やザクセン公、 さらにザクセン選帝候などを輩出した名門中の名門といえるが いくつにも領地が分割されておる。 そのためザクセン何々家というのがたくさんおるのじゃ。 さてレオポルド一世であるがベルギー王になった後、 再婚した相手はフランスのルイ・フィリップ王の娘ルイ-ズじゃ。 国民的にカソリックであるため彼は王位のたけカソリックに改宗、 子孫がカソリック系の王族と主に縁戚関係を結んでおる。 有名なのは悲劇の皇太子、オーストリアのルドルフ大公妃になった レオポルド二世の娘シュテファニーや レオポルド一世の娘で メキシコ皇帝マクシミリアン妃のシャルロットなどかの。 おお、そうそう現王アルベール2世の娘アストリッドも ハプスブルクの末裔オーストリア大公ローレンツと結婚しておるの。
240 :
カール大帝 :2000/11/08(水) 23:21
>200 うむ。100のキリ番はへんてこな方が取っていたが 200は卿が取ってくれてめでたい限りじゃ。 褒美は何が望みか申すがよいぞ。 >202 うむうむ。嬉しいの。 >203 ビール! 余も大好きじゃ。 以前、ドイツでレモンビールなるジュースみたいなものを 6g余り飲みステーキをたらふく食べた時は ミュンヘンの道路で吐いてしまったがの。 心やさしき通行人に介抱してもらって、ちと恥ずかしかったの。
241 :
カール大帝 :2000/11/08(水) 23:23
ふー。一休みじゃ。 ところで現代の最高権力者の選挙、まだ決まらぬのう。 どちらの候補にももう少し品格を望みたいが無理かの。
242 :
カウニッツ :2000/11/09(木) 00:37
褒美と言っては何ですが、一つ質問にお答え下さい。 マクシミリアン1世やマリア・テレジア等を輩出した 系統のハプスブルク家ではなく、 ドイツ王アルブレヒト2世を即位させたものの、 彼で系統が絶えてしまった方のハプスブルク家に ついて、御教え下さい。
243 :
カウニッツ :2000/11/09(木) 01:10
「一つ質問に・・・」と書きましたが、更に三点、 追加させて下さい。 @前述のアルブレヒト2世は、ベーメン王にも即位 していたと聞いたのですが、その点の真偽のほどを 御教え願いたいのです。 Aアルブレヒト2世の系統のハプスブルク家と 神聖ローマ皇帝カール4世を輩出した ルクセンブルク家との関係を・・・。 B何故、ルクセンブルク家が、ベーメン王の位を 得る事に(=ベーメンを領有する事に)なったのか を・・・。 大帝陛下の御言葉を宮廷にてお待ちして居ります。
244 :
世界@名無史さん :2000/11/09(木) 23:48
やっぱ先頭でしょ! あげちゃう! カール大帝一番! このスレ一番! あとそれからカール大帝さん、あんま無理しないで下さいよう! なんかがんばってるようだから。
245 :
宮内尚書 :2000/11/10(金) 00:50
大帝陛下の広大無辺の御慈悲を持ちまして、
神妙なる民草に、御玉声を賜りますように、希い奉ります。
>>207
246 :
カウニッツ :2000/11/10(金) 21:04
あげ!!
247 :
カウニッツ :2000/11/10(金) 21:36
昨晩は宮廷に入れなかった・・・最近多いな、 こういうこと。
248 :
カウニッツ :2000/11/10(金) 22:01
カール大帝(シャルルマーニュ) 742〜814 ピピンの子。フランク国王(位768〜814)。 ロンバルド王国を滅ぼし、スペインのイスラム軍と戦い、 ドイツ地方の諸侯を討ち、アヴァール人の侵入を撃退、 民族移動期以降、混乱した西ヨーロッパの大統一に 成功した。800年、ローマ教皇より加冠されて皇帝と なり、西ローマ帝国の復活を称した。東ローマや イスラムに対抗する西欧世界の再編成といえる。 以上が大帝陛下の略歴です。
249 :
カウニッツ :2000/11/11(土) 01:27
た、大帝陛下のスレが〜!! ということでアゲときます。
250 :
カウニッツ :2000/11/11(土) 01:31
それでは、「おやすみなさい。」・・・ ・・・ ・・・ZZZ・・・ZZ・・・・・ZZz
251 :
パシャパシャ :2000/11/11(土) 12:15
あげます
これ、侍従長大帝陛下は恙なきか?
253 :
世界@名無史さん :2000/11/11(土) 21:24
カールさーーーん! なんかあなたがいないとさみしいよー 寝込んでるのですかい?
254 :
る :2000/11/12(日) 00:13
しゃるるさん、のみましょうよお。 どんなに頑張ってもどうせ えうろっぱは 支離滅裂 次のルネッサンスまで500年以上あるんだしー
255 :
うわさ :2000/11/12(日) 15:28
ちょっとカール大帝いないみたいだから言っちゃうけど 彼って字が書けなかったらしいいよ、
256 :
世界@名無史さん :2000/11/12(日) 17:02
帝王たるもの、筆を取るくらいなら書記を召抱える! …のでありましょう。
257 :
パシャパシャ :2000/11/12(日) 19:43
>255 自分の娘が、部屋に男を連れ込むことを、黙認してたらしいよ。結婚は、絶対させなかったけど。
258 :
255 :2000/11/12(日) 23:48
KAROLUSのOしか書けなッかったんだって おいみんなどう思う? なーんちゃって(^^ あくまで冗談のレスです
259 :
世界@名無史さん :2000/11/13(月) 12:03
>223 一番悲劇なのは、家族と一緒に処刑されたアレクサンドラ皇后でしょう。 ヴィクトリア・ユージェニーは、私生活の面で不幸だったそうです。 女王の子孫で人生を全うしているのは、直系の子孫ぐらい??
260 :
世界@名無史さん :2000/11/13(月) 21:02
どうでもいいけど、スレたてるとき、 書記に漢字ちゃんとしらべるように命じてほしいなあ。 「王候」は、かっこわるいよー。 >カール大帝
261 :
カール大帝 :2000/11/13(月) 22:25
今戻ったぞ。 暦の上ではすっかり冬であるの。 諸卿に変わらぬ神のご加護があるように。 余はまたも長く留守したわけだが 余にも色々と義務があっての。 浮世暮らしとは辛いものじゃ。 さて。 >207 長い間待たせて済まないの。 非常に簡単にいえばかように余は考えておる。 皇帝・・・複数民族を支配する者 王・・・単一の民族を支配する者 お手本はローマ皇帝、そしてそれ以降はその衣鉢を継ぐもの、 というのが一般的な皇帝である。 ところがこれは後代になるとかなりあやふやになってくる。 神聖ローマ皇帝やロシア皇帝、さらにはオーストリア皇帝などをはじめ かなりその根拠も怪しくなってくるのじゃ。 「帝国」という概念がある種の幻想を抱かせるようで そのために皇帝を作るという側面もあったのではないかと余は推測しておる。 ただ皇帝の概念は民族主義とは合い入れない部分もあるため 現在はなかなか使うのは難しいのではないかの。 あまり答えになってなくてすまんの。
262 :
カール大帝 :2000/11/13(月) 22:27
じゃんじゃんいくぞ。 >208 よいぞよいぞ。 >209 ん? >210〜212 すまんの。 余が不在の折には諸卿がこの宮廷を華やかに彩るのじゃ。
263 :
カール大帝 :2000/11/13(月) 22:37
>213〜214 これ。 余は消えしたことに満足しておるぞ。 そのために重い責務を負ったわけじゃが それも後の世のためになったと自負しておるぞ。
264 :
カール大帝 :2000/11/13(月) 22:40
>215 まだまだ。 余は健在であるぞ。 卿等も余の腕に抱かれてはどうかな。 >216 まあ、当時はの。 しかし今も大統領弾劾に動くなど活発な宗教じゃ。
265 :
カール大帝 :2000/11/13(月) 23:42
どんどんいくぞ。 >217 むむ。これは難しい。 まるで学校で宿題を忘れたにも関わらず先生に指名された気分じゃ。 おまけに余が世界史を学んだのは遠い昔・・・ 余の記憶力がいまいちなのは実証済みじゃしの。 だが余は答えるぞ。 ・オーストリア継承戦争 カール6世皇帝に男嗣がなかったために起きた継承戦争じゃ。 ごく簡単に言えば3つの側面があると余は思うの。 かのマリア・テレジアと従姉妹が嫁いでいたザクセン、バイエルン両選帝候が 争ったのが第1の側面。 そしてフリードリヒ2世のプロイセンがハプスブルク家領の一部を 分捕ったヨーロッパ列強の争いが二つ目の側面。 3番目の側面は英仏両国が海外植民地を奪い合ったこと。 1つめについてはマリア・テレジアが実力で家領の大半を継承。 一度はバイエルンに渡った皇帝位も後に取り戻しておる。 2つめはプロイセンの思惑通り。だが後に7年戦争を引き起こす。 3つめは英国に後の繁栄の道を開いた一つの原因となっておる。 家系的に面白いのはザクセン・バイエルン両選帝候に嫁いでいたのが カール6世の兄、ヨーゼフ1世の娘であったことじゃな。 本来ならばこちらに継承権がありそうなものだが カール6世が家内法で自分の娘を優先、ひっくり返したのじゃ。 まあバイエルンは後に直系は絶えたわけだし ハプスブルク=ロートリンゲン家というのは 響きも良いので結果オーライじゃな。 続くぞ。
266 :
カール大帝 :2000/11/13(月) 23:56
続きじゃ。 ・7年戦争 外交革命というやつじゃな。 欧州の覇権を争ってきたブルボン家とハプスブルク家が 手を結んだと。 これに多くの列強や諸侯らがワラワラと参加し またも戦争になったわけじゃ。 この戦争にもいくつかの側面があると思うぞ。 第1の側面はロシアの欧州での台頭。 第2はプロイセンの列強としての地位確立。 第3は英国の植民地経営強化。 まあ前のオーストリア継承戦争とちと似ているが この戦争で英国はフィリピンを一時期領有するなど 海外での軍事・経済に注力したことが後に生きてくるの。 家系的に見ると・・・ うーん今ひとつ面白い部分がないように思えるの。 さて。 余の答えを基に諸卿には訂正や改良をお願いするぞ。 207は待つがよい。
267 :
カール大帝 :2000/11/13(月) 23:58
まちがえた。 217であったな。許せ。
268 :
カール大帝 :2000/11/14(火) 00:06
>219 おお!珍しい客人じゃ。 これは内密に願うが 現在に至るまで多くの人々を魅了する卿には 余もちょびっとながら憧れを抱いておる。 ところで 余の暮らす土地が寒い蛮地ということだが そう一方的なものでもないぞ。 寒い冬の持つ神秘的な美しさを御存知だろうか。 しんしんと雪が降り積もる大地もそれはそれは美しいものじゃ。 スキーもできるしの。 余の周辺も少しずつ冬めいてきた。 外は寒くともこの宮廷だけは暖かくいきたいものじゃ。
269 :
世界@名無史さん :2000/11/14(火) 00:07
陛下!ご機嫌麗しゅう!!ご健在何より喜び申しあげます! 系譜とは関係ないですが、今回討伐してきたと噂の アヴァールは強かったですか?
270 :
カール大帝 :2000/11/14(火) 00:10
>269 宮廷に来てくれていて礼を言うぞ。 そろそろ寂しくなってきていたのじゃ。 ところでアヴァールを刺激してはならぬ。 彼らはまだ余の腕には抱かれておらぬからな。 余が首と取られては一大事、 ましてやこのスレがあらされては余は泣いてしまうぞ。
271 :
アヴァール族長 :2000/11/14(火) 00:16
大帝、俺にも領地と官位をくれ。
272 :
日本@名無史さん :2000/11/14(火) 00:18
宋書倭国伝では、宋は倭国に新羅・任那などの諸軍事を認めた。 日本の律令の注釈書によると、大唐は隣国、新羅と渤海は蕃国(属国のこと)と扱った。 江戸幕府も、自らの力の誇示のために、将軍の代替わりごとに、 朝鮮と琉球の使節を来させた。 要するに、日本にとっては、朝鮮は属国扱いが伝統的なもの。
273 :
アヴァール族長 :2000/11/14(火) 00:18
大帝、俺にも領地と官位をくれ。
274 :
カール大帝 :2000/11/14(火) 00:40
220以降は余の発言が多いの。 まるで自作自演をしているようじゃ。ははは。 さて。 じゃんじゃん行くぞ。 >242〜243 おお。 キリ番ゲットの褒美としてはささやかじゃな。 まあよい、順番に答えるぞ。 卿の言っておるのはオーストリア公アルプレヒト3世の家系じゃな。 彼はオーストリア公アルプレヒト2世の3男であり 最初シュタイエルマルク等を継承、 長兄のルドルフ4世公が死んでからはオーストリア公になっておる。 彼の最初の妻はルクセンブルク家の皇帝カール4世の娘であるエリザベート。 彼女と死別後はホーヘンツォレルン家のベアトリス、 ニュルンベルク城伯フリードリヒ5世の娘である。 いずれも帝国きっての有力諸侯との縁組である点からも 王位を失っていたとはいえ、 ハプスブルク家の力が重視されていたかが分かるの。 子供が出来たのはベアトリスとの間だけだったが 当時の最大勢力であるルクセンブルク家との縁組は この家系の最大の特徴となる。 後の質問とも関連するので次に続くぞ。
275 :
カール大帝 :2000/11/14(火) 00:44
ちと、中断じゃ。 >271&273 おお。余の腕に抱かれる気になったかの。 さて領地はどのような地がよいかの。 寒いのがよいか穏やかなのがよいか。 希望を述べるがよい。 それと官位というのはちと難しい。 領地に基づく称号ではどうかの。 >272 スレ違いかの?
276 :
カール大帝 :2000/11/14(火) 01:23
>242〜243の続きじゃ。 アルプレヒト3世には一人しか子供がおらなんだ。 オーストリア公アルプレヒト4世である。 妻はヴィッテルスバッハ家のヨハンナ。 その息子がオーストリア公アルプレヒト5世、 243の質問にあるドイツ王アルプレヒト2世である。 彼はベーメン王にも1438年なっておる。一応な。 彼は妻を通しての権利としてベーメン王位を要求したのじゃ。 妻は神聖ローマ皇帝であり、ベーメン王でもあった ジギスムントの娘、エリザベートであったからじゃ。 ルクセンブルク家にはカール4世の弟の血筋なども残っていたが 最も近い血筋としてアルプレヒト2世はルクセンブルク家の最大の遺産を 継承したわけじゃ。 また続くぞ。
277 :
217 :2000/11/14(火) 01:29
ようっく解りました。ありがとうございました。
278 :
カール大帝 :2000/11/14(火) 02:56
続きじゃ。 ・ルクセンブルク家のベーメン継承 これはハインリヒ7世皇帝の長男であるヨハン王が 初婚でプシェミスル家の王女と結婚したことで発生しておる。 ヴァーツラフ2世王の娘、エリザベートである。 二人の間には3男3女が生まれておる。 長男はカール4世皇帝じゃな。 このカールも幼い時は名をヴェンツェル(ヴァーツラフ)といった。 この一族は有力領邦であるベーメンを継承していたことが分かるの。
279 :
カール大帝 :2000/11/14(火) 02:59
ちと人と話し込んでいて 「書き込む」をクリックするのを忘れていたぞ。 もう3時か・・・ 1時間以上も話してしまった。 もう眠いので続きは明日じゃ。
280 :
修復 :2000/11/14(火) 11:04
修復test
281 :
修復 :2000/11/14(火) 11:04
修復test
282 :
修復 :2000/11/14(火) 11:05
修復完了。
283 :
カール大帝 :2000/11/14(火) 22:58
諸卿に祝福を。 昨晩はあやふやなまま終わってしまったが 今宵は元気にいくぞ。 ただし執務があるゆえ午前1時が限度じゃ。 さて。 >243 昨晩の続きであるが ルクセンブルク家とハプスブルク家の関係。 そしてルクセンブルク家とベーメン領有の関係などは ずばり家系の問題じゃ。 つまり、系図を見れば一目瞭然。 昨晩の余の説明はあまり上手でなかったゆえ もし希望ならばお手製の系図を卿に与えることも可能じゃ。
284 :
カール大帝 :2000/11/14(火) 23:01
>244 心温まる言葉、嬉しいぞ。 年の瀬にかけて執務も増えるとは思うが 余はこの宮廷を大事にしたいと思っておる。 諸卿も宮廷に変わらず来てくれることを望むぞ。
285 :
カール大帝 :2000/11/14(火) 23:02
>245 遅くなって申し訳なかったの。 >246 うむうむ。 >247 やはり入れぬことがあるのか。 ゆゆしき問題じゃな。 最近は大丈夫なようだが・・・
286 :
カール大帝 :2000/11/14(火) 23:08
>248 おお。嬉しいぞ。 余がヤクザな荒らし屋ではないということがハッキリしたの。 さらに加えるならば 無類の宮廷好きであるという点であろうか。 >249 うむうむ。卿に祝福を。 >250 頑強な体がなくては宮廷への伺候は難しい。 よい夢を見るのじゃぞ。 >251 うむうむ。卿に祝福を。
287 :
カール大帝 :2000/11/14(火) 23:11
>252 余はここにおるぞ。 >253 嬉しい言葉じゃ。 激しい執務が一段落した時には寝込むこともある。 だが、それ以外は余は元気もりもりじゃ。
288 :
カール大帝 :2000/11/14(火) 23:14
>254 またいい気分になっておるようじゃな。 羨ましいのー。 しかし卿のその気分、とてもビールだけとは思えぬ。 さてはてっとり早くラムなどをやってるのではなるまいな。
289 :
カール大帝 :2000/11/14(火) 23:18
>255 ははは。 噂というものは真実を含むこともあるからのー。 字を書くのは確かに難しいの。 特に漢字の変換はの。 >256 ナイスフォローじゃ。 だが余の財布は非常に軽いゆえ、 執務においては徹夜で文字を書くこともしばしばあるのじゃ。 どこかに数か国語対応の書記官はおらぬものか。 >257 あはは。 余の時代は非常に自由だったのじゃ。 楽しみは楽しみ、しかし崇高なものはそれとしての区別は大事じゃ。 ん、これは現代にも通じるかの。
290 :
カール大帝 :2000/11/14(火) 23:22
>258 いやいや、Oは最も簡単であるが 同時に最も難しいのじゃ。 キレイでなおかつ品のあるOを書くのはなかなか出来ないものじゃぞ。 ところで余が幼少のみぎりに読んだ 湯川博士の伝記の中に コンパスを用いずキレイな円を書くというのがあったのー。
291 :
カール大帝 :2000/11/14(火) 23:27
>259 確かにアレクサンドラ皇后の件は痛ましい限りじゃ。 だが彼女ももう少し賢明に振舞う術はあったとは思うがの。 それと余の書き方が悪かったの。 余が書いたヴィクトリアとは女王の長女、 ドイツ帝妃となったヴィクトリアのことじゃ。 彼女の評価は分かれるところと余は思っておる。 それとヴィクトリア女王の子孫のうち、 比較的平穏な人生を送ったのはコーンノート公の一族かの。 ただ、子孫の多くが英国王室にぶらさがったのは 余はあまり好ましく思っておらん。
292 :
カール大帝 :2000/11/14(火) 23:33
>260 おお、卿はそう思うか。 余は王族と諸侯の家系という意味で王侯と名づけたのじゃが・・・ 余は特に諸侯や領主階級の家系が大好きなのでな。 だが余の思い込みで誤りを犯しているかもしれぬ。 是非、正しい字やもっと高貴な題名を知っておるなら 余に教えてくれぬか。
畏れながら申し上げます! 260殿の指摘されたるは 候 <> 侯 の相違であろうと、我が主君より大帝陛下へのことづけでございます!
294 :
名無しさん@1周年 :2000/11/16(木) 03:17
うおおっ、このスレおもしろいです。 私も質問があるのですが、ホーエンシュウタウフェン家についてです。 十六才のコンラートが最後に処刑されてしまったという話ですが、詳しく教えて ください。結構、有名な人物を輩出したりしていたとおもうのですが。
295 :
名無しさん@1周年 :2000/11/16(木) 03:23
現在、王室は比較的北欧諸国に多く残っているようですが、 ベルギーやスエーデン王室などは、比較的新しい王室なのでしょうか? 前レスを拝見していて、ベルギー王位をおろされた家の話があったよう ですが。
296 :
名無しは無慈悲な夜の女王 :2000/11/16(木) 23:09
age
297 :
ヘッセン大公妃 :2000/11/17(金) 01:18
Her most excellent majesty Elizabeth the second by the grace of God, of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland and her other realms and territories, head of Common Welth, deffender of the Faith.
298 :
る :2000/11/17(金) 01:20
大帝さま、また狩猟かな
299 :
ヘッセン大公妃 :2000/11/17(金) 01:22
ノルウエー皇太子が コブつき、麻薬パーティーの常連女性と同棲!
300 :
カウニッツ :2000/11/17(金) 01:56
300!!
301 :
スリムななし(仮)さん :2000/11/17(金) 21:34
>>299 おやじは幼馴じみと結婚で反対されたっていうかわいいもんだが、
麻薬をやってたコブつき女はいただけないよね。
王妃じゃなくても普通の嫁でも躊躇する材料がいっぱい(藁
302 :
異邦人 :2000/11/17(金) 23:21
三十年戦争当時の将軍、ヴァレンシュタインについて知りたいのですが。 「未亡人と結婚した」後で「当時の皇帝の縁戚の娘と結婚した」 しかも「二重結婚であった」という話ですが、であれば宮廷に勤務するにも 問題があったはず。 その話の真相を教えていただきたいのですが。
303 :
る :2000/11/18(土) 11:27
大帝様、 今日は軽い話題をひとつお聞かせください。 たいていさまの国ってどういう感じのところですか? たいていさまの国民ってどいういう感じのひとたちですか? 町ってどのくらいあったのですか? 往来はどのくらいあったのでしょう なにをしてくらしてたのでしょか? 典型的な国民の一日を教えてくださいな。 ひまなとき、酒でも飲みながらで結構です
304 :
若葉名無しさん :2000/11/18(土) 18:58
大帝くんの子孫は今いるの?
305 :
カウニッツ :2000/11/19(日) 04:01
>もし希望ならばお手製の系図を卿に与えることも可能じゃ。 ぜひ頂きたく思います。
306 :
カール大帝 :2000/11/20(月) 11:29
冬の雨が冷たい朝、諸卿は如何お過ごしであろうか。 余は昨晩からの執務で少々眠い。 さて。 >293 むお! はははは。 これは余の誤りじゃ。 しかも今までちーとも気づかなんだ。 確かに余には書記官(漢字が得意なのに限る)が必要なようじゃ。 実は余はこうしたミスを非常に嫌う執務をしておるのだがな・・・ スレを新設すべきかどうか諸卿の意見を待とう。 また、余の誤りに気づいた諸卿には何か褒美を取らさねば。 さて、何が良いかの・・・
307 :
291 :2000/11/20(月) 11:29
>カール大帝様 そうですね。 アレクサンドラ皇后がもう少し賢明なら、ロシアももう少しいい方向に 向いていたでしょうね。 コンノート公の長女は、スウェーデン王室に嫁いでおり、その娘もデンマーク王室に嫁ぎ、 現女王マルグレーテ2世など3女をもうけています。 息子は、エドワード7世の長女ルイーズとファイフ公の間に生まれたアレクサンドラと結婚しました。 しかし、彼らの息子が子孫を残さず、断絶しております。 ウィルヘルム2世の母であるヴィクトリア皇后は、自由主義のうえ、女性蔑視を敵視していたので、 保守的な連中と対立していましたね。息子とも折り合いが悪かったそうです。
308 :
カール大帝 :2000/11/20(月) 11:34
>294 うむうむ。嬉しいぞ。 質問のホーヘンシュタウフェン家の件であるが、 ちと偏った見方かもしれぬが 日本語の参考文献をあげておこう。 法政大学出版局が出している・・・「騎士の時代」だっかたかの。 巻末には簡単な系図もついておるので入門にはぴったりじゃ。 一読してみてはどうかの。
309 :
カール大帝 :2000/11/20(月) 11:38
>295 スウェーデンやベルギーの現王室は王家としては新しい方じゃ。 だがベルギー王位を降ろされたというのは分からんの。 カトリックゆえに一時的に退位したことはあったがの。
310 :
カール大帝 :2000/11/20(月) 11:40
>296 うむうむ。嬉しいぞ。 >297 エリザベス女王は宮殿内でのけ携帯電話の使用を制限したそうじゃの。 なかなか大変な時代じゃ。 だが、余は英国に王室は必要なものだと考えておるぞ。
311 :
カール大帝 :2000/11/20(月) 11:44
>298 おお、なんという慧眼。 余が最近、凝っていることを知っておるのか。 世界中の人が集まる仮想空間でのハンティングに余は夢中なのじゃ。 >299 ははは。 恋は人を盲目にするからの。
312 :
カール大帝 :2000/11/20(月) 11:49
>300 すばらしい。 後の書き込みにあるが系図の作成にかかったゆえ ちと待つように。 >301 どの時代も子供の結婚相手というのは問題を生むが 彼の場合は国民がどう反応するか。 君主とは孤独と我慢によって支えられている。 彼も己の要求を貫くだけでは王座保てぬことの自覚が必要だと余は思うの。
313 :
カール大帝 :2000/11/20(月) 11:51
むう、時間である。 余は故あって外出しなければならぬ。 諸卿よ、 余がいない間もこの宮廷を頼むぞ。
314 :
291 :2000/11/20(月) 12:08
訂正:エドワード7世の孫娘と結婚した息子はコンノート公アーサーの息子アーサーです。 つまり、従姉の娘と結婚したのです。
315 :
291改め259 :2000/11/20(月) 12:11
291はカール大帝様でした・・・259です。
316 :
294 :2000/11/20(月) 17:31
カール大帝様ありがとう。 カール大帝様がなかなかいらっしゃらないので、このスレもおわり なのかとさびしい思いをしていました。 しっかりした文献ってなかなかみつからないものですよね。 これで是非勉強したいとおもいます。
317 :
259 :2000/11/20(月) 23:19
カール大帝様 アレクサンドラ皇后のエピソードをひとつ。 ヴィクトリア女王は本当はアリックス(アレクサンドラ皇后) を自分の直系の孫で将来は国王になるのがほぼ確定していた クラーレンス公アルバート・ヴィクター(ジョージ5世のお兄さん) と結ばせたかったそうです。 しかし、この縁談はアリックスが断ったことで破談となり、 アルバートは、テックのメアリーと婚約しましたが、 その直後に肺炎に罹り、死去しています。 結局、メアリーはの弟のジョージと婚約し、結婚し、幸せな結婚 生活を送りました。 一方、アリックスはニコライ2世と恋愛結婚し、彼との生活は 楽しかったそうですが、息子の病気でラスプーチンを寵愛し、 革命で殺された・…のは言うまでもないですね。 アリックスがいくらクラーレンス公が不良であっても、 自分の将来を見越してイギリス王妃となっていれば、 ラスプーチンにも会わずに済みましたし、 殺されもしなかったでしょうね。 結婚の選択の間違いが彼女をどん底に陥れた…と思うと悲しいです。
318 :
カウニッツ :2000/11/21(火) 00:05
最近のレスを見ると、ハノーヴァー朝とロマノフ朝 のつながりが分かって勉強になるな〜
319 :
カウニッツ :2000/11/21(火) 00:05
最近のレスを見ると、ハノーヴァー朝とロマノフ朝の つながりが分かって勉強になるな〜
320 :
カウニッツ :2000/11/21(火) 00:09
二重カキコしてしまった。 ゴメンナサイ・・・
321 :
カウニッツ :2000/11/21(火) 00:32
あの〜、神聖ローマ帝国の皇帝名で気が付いた のですが、カール5世は、言わずと知れた ハプスブルク家の出身、カール4世は、 ルクセンブルク家の出身と言うのは分かります。 しかし、オットー1世まで遡っても、 カール1〜3世という名は登場しません。 もしかしてカロリング朝の国王もカウントしている のですか?確認までに御教え下さい。 大帝陛下こそカール1世なのでしょうか?
322 :
名無しは無慈悲な夜の女王 :2000/11/21(火) 16:16
ヽ(´▽`*)/
323 :
カール大帝 :2000/11/22(水) 17:57
余である。 めっきり寒くなったが諸卿も風邪など召されぬように。 さて。 >302 ヴァレンシュタインか・・・ 残念ながらかの武将については余はあまり知らぬのじゃ。 家系についてものう。 少し調べてみるゆえ待つがよい。
324 :
カール大帝 :2000/11/22(水) 18:05
>303 ははは。 なかなか難しい質問じゃ。 どれどれ・・・ 余の国々は平地、森林などに富んでおるが全体としいてはちと寒い。 民の大半は字が書けないが(余もそうだが・・・)頑強な者が多い。 街は非常にたくさんあるが往来はまあ、昨今の都会に比べれば ゴーストタウンのように少ない。 だが畑を耕し子孫を産む、まあ現代と似たような暮らしではあるの。 モラルは低いぶん「ひきこもり」などはおらん。 夜も早く寝るしの。 なんか・・・ もう少し下々の暮らしを余も知るべきじゃの。
325 :
カール大帝 :2000/11/22(水) 18:09
>304 大勢いすぎて困るくらいじゃ。 余の人徳であろうかの。 >305 おお。 制作に取りかかっておるが、 余が制作する系図にはちとクセがある。 それを我慢できるかどうかが問題じゃ。
326 :
カール大帝 :2000/11/22(水) 18:12
>307 うむうむ。 デンマーク王室はメンバーが多いことで有名じゃ。 当分断絶の心配はないの。
327 :
カール大帝 :2000/11/22(水) 18:17
>314 コンノート公のアーサーはかのウェリントン公が由来だそうじゃの。 英国でもポピュラーな名前である割には代々の王家には少なかった名前じゃ。 今の王太子には使ってあるはずだがの。 ところで19世紀頃から王族達には 先祖が使っていた古い名前を持ち出す者が増えておる。 ハプスブルク家のルドルフ、 ホーヘンツォレルン家のエイテル・フリードリヒ、 ハノーヴァー家のヴェルフなど。 忍び寄る危機に対して先祖の偉業にあやかろうとしたのかの?
328 :
カール大帝 :2000/11/22(水) 18:21
>315 うむうむ。 >316 ちとシュタウフェン家に偏っているきらいがあるが、 当時の帝国諸侯についてはマイナーどころの記述もある。 家系などに疑問があればいつでも遠慮なく質問するがよいぞ。
329 :
カール大帝 :2000/11/22(水) 18:32
>317 アルバート・ヴィクターは あのスキャンダルに関係していたという問題児じゃな。 彼が王位につけばある面、面白かったとは思うがの。 ヴィクトリア女王の子孫の一部は列強君主の一族に連なる覚悟が 足りなかったともいえるの。 華やかさ、または家庭的な幸福、どちらも実現は難しかった時代じゃからの。
330 :
カール大帝 :2000/11/22(水) 18:36
>318・319 その通りじゃ。 ロマノフとハノーヴァーは 当時、国境を越えた縁組を最も華やかに実現させていたからの。 当時、旧教の諸国は君主が少なくなり縁組相手が限られていたのじゃ。 >320 気にするでないぞ。
331 :
カール大帝 :2000/11/22(水) 19:00
>321 その通り。 余がカール一世である。 神聖ローマ皇帝としてはカール一世、 そしてフランス王としてはシャルル一世とカウントされておる。 両国ともカール、またはシャルルの名を持つ皇帝・王は カロリング家が絶えて以来、しばらくいなかったのじゃ。 復活第一弾は仏王シャルル4世であるの。 そして皇帝カール4世と続く。 また両国以外でカール(シャルル)の名前を持つ王は カペー家の出身でアンジュー伯であった シチリア王カルロ1世がおるの。
332 :
カール大帝 :2000/11/22(水) 19:04
>322 最近、そのサイズのAAが流行しているようじゃの。 余のお気にいりはこれ↓ (・∀・)
333 :
カウニッツ :2000/11/23(木) 02:00
大帝陛下は今、宮廷に居られますか?
334 :
カウニッツ :2000/11/24(金) 00:53
(・∀・)
335 :
フリードリッヒ・バルバロッサ :2000/11/24(金) 01:54
>331 しかし、なぜこうも間が開いたんじゃろうな? 何かカールの名の者が皇帝になってはいかんという慣わしでもあったのかのう? わしはそんな話聞いたことないが。
336 :
カウニッツ :2000/11/24(金) 02:29
もしかして、 フリードリッヒ・バルバロッサ=カール大帝ですか?
337 :
カール大帝 :2000/11/24(金) 22:10
余である。 昨晩、はだかんぼで寝てしまったので少々カゼぎみである。 さて。 >333・334 すまんの。 最近の余は夜が忙しくてあまり宮廷には出れないのじゃ。 しかし (・∀・)は笑えるの。
338 :
カール大帝 :2000/11/24(金) 22:18
>335 余もすごいが卿もすごい名を持っているの。 カールの名前の件は余にも分からぬ。 ただ推測すれば 当時の諸侯はその家系ごとの名前を大切にしていたということも あるかと思うの。 有名どころではリュドルフィンゲル家のハインリヒ、 ロベルティアン(カペー)家のロベール、 ブロワ家のチボーなどじゃ。 領主階級でもラヴァル家のギィ、リュジニャン家のユーグ などがあるの。 最初は家でよく用いた名前が多かったものの、 カロリング家の末裔との婚姻を通じて 正統性を主張したように、 後になるとカロリング家で用いた名前を 採用するようになったのではないかの。
339 :
カール大帝 :2000/11/24(金) 22:19
>336 いや。 全くの別人物である。 余は余であって他の人物ではない。 少なくともこの世界史板ではそうじゃ。
340 :
カウニッツ :2000/11/25(土) 00:10
失礼しました。
341 :
カウニッツ :2000/11/25(土) 00:26
ところで系図の件は?
342 :
フリードリッヒ・バルバロッサ :2000/11/25(土) 00:37
>336 339のとおりじゃ。別人であるぞ。 >338 なるほど。 そういえば孫は余の名を使っておったな。
343 :
カール大帝 :2000/11/25(土) 05:56
早朝ながら余である。 かなり眠いがこれより執務じゃ。 さて。 >340・341 バルバロッサも余ほどではないが 偉大な皇帝であったからの。 あ、あと系図の件はもうちと待ってくれぬか。 余は今、狩りに夢中での。 どうせ作るからには一族の者は全て書き込んだものにしたしの。 ただし余が作成する系図は全て一太郎版じゃ。 あれはWordに比べて罫線が引きやすいからの。 昔は文豪のワープロで作成していたものじゃ。 諸卿よ。 余を厨房呼ばわりするでないぞ。
344 :
カール大帝 :2000/11/25(土) 05:59
>342 シュタウフェン家はフリードリヒだらけじゃ。 バルバロッサの子供にもフリードリヒ。 孫にもフリードリヒが二人。 父もフリードリヒ。祖父もフリードリヒ。 従姉妹もフリードリヒ。 フリードリヒの名前は シュタウフェン家がメジャーにしたといえるの。
345 :
世界@名無史さん :2000/11/26(日) 00:23
名前にはどんな意味があるんでしょうね? フリードリヒにしろチボーにしろ。
346 :
ティベリウス :2000/11/27(月) 11:20
初めまして、初代ローマ皇帝に妻を取られたティベリウス・クラウディウス・ネロです。 大帝以降の貴族に限定されているところ、申し訳ないのですが、質問させてください。 貴族の中に、「我こそはローマのクラウディウス一門の末裔なり。」とか、 「カエサルよりユリウス門をもらった族長の子孫なり」とか自称した人たちは いたのでしょうか? それともやはりローマ貴族は西ローマ帝国滅亡時に断絶してしまったのでしょうか? よろしくお願いします。
347 :
世界@名無史さん :2000/11/27(月) 13:33
エリザベス2世の次男、アンドリュー王子をロシア皇帝(ツアーリ)の後継者のひとりに あげられていたそうです。 エリザベス2世の祖父ジョージ5世と最後のロシア皇帝ニコライ2世がいとこにあたり、 ご存じのように皇后もジョージ5世といとこにあたりますから・・・。 この計画はどうなんでしょう??
2つの要素からなる名前を基本とするゲルマン人の中では、「カール」という 1つの要素しか持たない名前はちょっと特殊だったのでは? 発展して「カールマン」なんて人もいましたね。 一説によれば、カール・マルテル(マルテルはあだ名)が庶子だったことから、 単に「男」と名づけられたと聞いたことがあります。
>>345 「Friedrich」は「Frieden」(平和)+「Reich」(国)だな。
350 :
カウニッツ :2000/11/28(火) 01:57
(・∀・) age!!
351 :
カール大帝 :2000/11/28(火) 21:40
余である。 余はカゼをひいて静養が必要じゃ。 週末までは余は休まねばならぬであろう。 諸卿は余がおらずとも歓談してくれるようお願いするぞ。 また、質問も大歓迎じゃ。 特に最近、フランス諸侯について余は熱心に調べておるぞ。
352 :
347 :2000/11/30(木) 13:09
そうそう、エディンバラ公フィリップ殿下の母方の祖母ヴィクトリアが アレクサンドラ皇后のお姉さんに当たるんでした! 遺体確認の際、エディンバラ公のDNAを調べたそうですよ。
353 :
世界@名無史さん :2000/11/30(木) 23:16
あ、ちょうちょだ(/´▽`)/〜ф
354 :
カウニッツ :2000/12/02(土) 02:42
最近、ハノーヴァー=ウィンザー&ロマノフ関係が 多いですね。
355 :
カウニッツ :2000/12/02(土) 02:46
(・∀・) age!!
356 :
世界@名無史さん :2000/12/02(土) 02:48
国際貴族は何人とかは言えないよね。 ヴィクトリア女王だって、99.8%だかはドイツ人だったんでしょ?
357 :
カウニッツ :2000/12/02(土) 02:58
意外な盲点!! カール大帝の家系を遡ると、どこまで分かりますか? 『アダムとイブ』とか『羊飼いまで』とかは無しですよ。 御体が治り次第で良いですのでお答え下さい。
358 :
世界@名無史さん :2000/12/02(土) 03:27
でも、アングロサクソンって、もともとドイツ辺りにいたゲルマン民族の一部じゃん。 しかもそう古い時代じゃないでしょ、イギリスに渡ったのは。
359 :
世界@名無史さん :2000/12/02(土) 07:50
あげるよ
360 :
カール大帝 :2000/12/02(土) 11:47
諸卿に祝福を。 しばらく伏せっていたが余は宮廷に戻ってきたぞ。 冬の夜は読書にはもってこい。 諸卿よ 余と共に家系に関する知識を一層深めようではないか。 さて。 >345 フリードリヒにはついては後のレスの意見の通りではないかな。 チボーについては余は知らぬ。 誰が答えてくれぬか。
361 :
カール大帝 :2000/12/02(土) 11:56
>346 おお、古の方じゃやな。ようこそ。 実は余の在位以前の欧州の貴族・諸侯については 詳しいことがわかってないのじゃ。 ただし、いつの時代にもローマ貴族の末裔と称する者はいたのじゃ。 あのハプスブルク家でさえも、そう称する時代があったと思う。 またやはりイタリアの貴族・諸侯にはローマ貴族の末裔を称する 非常に有名な一族がある。 ずばりローマを根拠地としていたオルシーニ家とコロンナ家じゃ。 ローマ貴族の誰を先祖と称していたのかはちと忘れたが この両家はイタリアを代表する名家として知られておる。 特にルネッサンス時代の話しには必ずといっていいほど、 どこかに出てくるものじゃ。 一族の当主は皇帝や王からの爵位を受けず、領主であることを 誇りとしていた一族じゃ。 この両家は歴史があり、メンバーも多いことから 細かい系図は殆ど知られていないのではないかの。
362 :
カール大帝 :2000/12/02(土) 12:01
>347 アンドリュー王子がロシア皇帝の後継者というのはちと無理があるの。 ロマノフ家はもともと男系優先の一族であることを考えると 他に候補者はおるからの。 また、最大の問題はギリシア正教への改宗じゃ。 プロイセンや英国など 大国の直系の者がロシア皇后となっていない理由は ギリシア正教への改宗がネックだったこともあるからの。
363 :
カール大帝 :2000/12/02(土) 12:04
>362 卿は非常に物知りじゃな。 これからも宮廷での発言を頼むぞ。 ところでカールマンという名はカロリング家以降、 使われていないようじゃの。
364 :
カール大帝 :2000/12/02(土) 12:06
>349 卿はドイツ語に詳しそうじゃな。 実は余には意味がわからぬ単語が多数ある。 余に協力してくれぬか >350 (・∀・)イイ!
365 :
カール大帝 :2000/12/02(土) 12:11
>352 エティンバラ公は不思議な人物じゃ。 男系でいえばデンマーク王、ギリシア王の子孫であるにも関わらず マウントバッテンを名乗る。 時代が時代であれば考えられぬことじゃ。 ただ、現在も英国のウィンザー家と旧ギリシア王家の ホルシュタイン=グリュックスブルク家は親交が続いておるの。
366 :
カール大帝 :2000/12/02(土) 12:14
>353 おお!最近はそういうのもあるのか。 泉のようにアイデアが湧くものじゃの。 >354 ハノーヴァーとロマノフは共にファンの多い家系じゃ。 ただハノーヴァー家は同時代の英国人にとっては あまり人気がなかったようじゃの。
367 :
カール大帝 :2000/12/02(土) 12:21
>355 (・∀・) イイゾ! >356 さよう。 本来、王侯に国境は余り関係のないものじゃった。 だが時代は変わり国民は民族の象徴として王侯を意識するようになってくる。 19世紀、どの王家にとっても最大の問題であった外国人問題が起きたわけじゃ。 だがこの問題は最近はあまり問題視されてないの。
368 :
カール大帝 :2000/12/02(土) 12:28
>357 むむむ。これは難しい問題じゃ。 余が記憶している限りでいえば 男系の先祖はアルヌールという者じゃ。 メッツの司教をしていたと言われておる。 であるからしてカロリング家はそう、古い家系ではないともいえるの。 だが余の威光はいささかも損なわれることはないのじゃ。
369 :
カール大帝 :2000/12/02(土) 12:32
>358 そうじゃ。 そのため余のカロリング家を始めとして 大陸諸侯とサクソン王家との間には多くの縁組が結ばれておる。 珍しいところではドーフィネのヴィエンヌ家などにも ウェセックス王家の王女が輿入れしておる。 >359 よいぞよいぞ。
370 :
世界@名無史さん :2000/12/02(土) 20:14
カール大帝殿に敬礼age
371 :
世界@名無史さん :2000/12/02(土) 22:49
実はみんなヽ(´ー`)人(´∇`)人(・∀・)人(゚Д゚ )人( o_o)人(´Д`)人( ゚ー^)人(゚x゚)ノ仲良し
372 :
カウニッツ :2000/12/02(土) 23:48
>371 オモシロイネ!!
373 :
カウニッツ :2000/12/03(日) 01:19
大帝陛下、オルレアン家は二月革命の後、 どうなったのですか?
374 :
世界@名無史さん :2000/12/03(日) 23:03
ハプスブルグ家の当主が日本にいらっしゃると聞きましたが どのようなお方でしょうか? TVで拝見した所では、男子の方で、父君か母君が 日本人と結婚されたとか・・・> オーストリアの王位継承権なんかは、保持されているのでしょうか?
375 :
374 :2000/12/04(月) 02:07
続きを書きますと、 10年程前にTVの特番にでられ (お宝紹介番組だったような?) 東京に住んでおられるとか。
376 :
カウニッツ :2000/12/04(月) 04:40
実はみんなヽ(´ー`)人(´∇`)人(・∀・)人(゚Д゚ )人( o_o)人(´Д`)人( ゚ー^)人(゚x゚)ノ仲良し age!!
377 :
カール大帝 :2000/12/05(火) 01:15
余である。 カゼが全然治らずげんなりじゃ。 宮廷も冬になり少々寂しいようじゃの。 諸卿よ、熱きどんどん余に質問をぶつけるのじゃ。 さて。 >370 よいぞ。 質問などあればもっとよいぞ。 >371人 みんな仲良しが一番じゃ。 ところであの板で面白いのは 「ジサクジエン」と「童話」だと余は思うの。
378 :
カール大帝 :2000/12/05(火) 01:15
余である。 カゼが全然治らずげんなりじゃ。 宮廷も冬になり少々寂しいようじゃの。 諸卿よ、熱きどんどん余に質問をぶつけるのじゃ。 さて。 >370 よいぞ。 質問などあればもっとよいぞ。 >371 みんな仲良しが一番じゃ。 ところであの板で面白いのは 「ジサクジエン」と「童話」だと余は思うの。
379 :
カール大帝 :2000/12/05(火) 03:31
久々にかぶったの・・・ >372 その通りじゃ >373 オルレアン家はやたらと子孫が多くて 系図を作る際に困ってしまうの。 一応総帥のパリ伯はフランス王位継承権を自称し、 今でもそこそこの財産も持っているらしいの。 まあオルレアン家は近代的な資産形成にも 注力していたというからの。 オルレアン家はメンバーが多いだけに ブラジルのブラガンサ家やスペインのブルボン家との縁組で それぞれの「王子」の称号を持った者もおる。 元気で、そして近代的な家系といえるの。
380 :
名無史さん :2000/12/05(火) 12:04
オルレアン家と言えば、シシィの妹さん(バイエルン・ルートヴィヒ2世の元婚約者)が オルレアン家の人と結婚したそうですね。 ところで、そのバイエルン王家ですが、バイエルン公国(王国)が崩壊した後、 どうなりました?
381 :
世界@名無史さん :2000/12/05(火) 17:19
(#゚皿゚)ノ <まてごるぁε≡Ξヽ(;゚〇゚)ノ〜〜〜ヽ(゚〇゚;)ノ<やだあ〜
382 :
世界@名無史さん :2000/12/07(木) 17:23
あげるでござる。
383 :
世界@名無史さん :2000/12/08(金) 14:27
フランス王としてのシャルル1世とは、カール大帝陛下のことですか? それとも、お孫様の西フランク王シャルルさまのことですか?
384 :
フリードリヒ・バルバロッサ :2000/12/08(金) 21:56
>383 カール殿のことじゃ。カロリング朝の時代、独仏伊の国王(帝国皇帝) は同じ者がなっておったことがある。それゆえカール殿などはどこでも 「チャールズ1世」になっておるのじゃ。
385 :
カール大帝 :2000/12/08(金) 22:02
久々の宮廷である。 悪性のカゼにより夜長は出来ぬが質問に答えるぞ。 だが、最近質問が地と少ないようじゃ。 諸卿よ、ドンドン頼むぞ。 さて。 >374・375 それは初耳じゃ。 余も手持ちの資料を見てみたのじゃが、 それらしい名前は見つからなんだ。 というよりもアジア人と結婚した ハプスブルク家の男子自体が見つからぬ。 手数ではあるが、出演していたという番組の放送時期と タイトルは分からぬであろうか。 王位継承権については誓い順位ではなさそうに思う。 ハプスブルク家の継承権については オットー大公が継承権を一度、放棄したことがある一方で 弟は放棄していないという、ややこしい部分がある。 しかし最後の皇帝カール一世の男系子孫でない場合は 例え継承権があったとしても遥かに遠いものとなってしまうであろう。 この件については余も引き続きしらべよう。
386 :
カール大帝 :2000/12/08(金) 22:03
>376 にぎやかで良いぞ。 ただ系図はもうちと待ってくれ。
387 :
カール大帝 :2000/12/08(金) 22:04
>381 そんなのもあるのか。 皆、想像力が豊かじゃの
388 :
カール大帝 :2000/12/08(金) 22:25
すまん、順番を間違えた。 >380 ヴィッテルスバッハ家は今も多くのメンバーが健在じゃ。 本家といえるバイエルン王の直系の子孫も多くいる。 バイエルン王位を降りた後、本家の当主は バイエルン公を名乗っておる。 現在の当主はフランツ公。 だが彼には子供がいないため、 弟のマクシミリアン・エマヌエル公が継ぐことになる。 彼の娘、ゾフィーはリヒテンシュタインの後継者である アロイスと結婚したことで話題にもなったの。 だが、問題はこの後じゃ。 マクシミリアン公には男子がいないため傍系に家督は移ると 予想されておる。 有力なのが最後の王ルートヴィヒ三世の三男である フランツの家系じゃ。 まあ旧バイエルン王家は傍系には多くの男子がいるゆえ しばらく絶えそうにないの。
389 :
カール大帝 :2000/12/08(金) 22:30
続きじゃ。 オーストリア皇后エリザベートの実家である バイエルンの公爵家の男系の子孫が絶えておる。 またヴィッテルスバッハ家関連でいえば プファルツ選帝侯の庶子の家系である レーヴェンシュタイン侯爵家も現在まで続いている。 この家はポルトガルのブラガンサ家との縁組などの他、 バイエルン王家と共通の紋章を組み込んでいることでも 知られておる。
390 :
カール大帝 :2000/12/08(金) 22:32
>381 「ごるぁ」とひらがなで書くと可愛いの。 カタカナでは怖いが・・・ >382 良いぞ!
391 :
カール大帝 :2000/12/08(金) 22:43
>383・384 以前のスレでフランス王としてのシャルル1世とは 余であると記したがちと疑問が湧いたぞ。 実はシャルル1世は余の孫である シャルル禿頭王になるのではないかの。 シャルル1世・・・禿頭王(西フランク系) シャルル2世・・・肥満王(東フランク系) シャルル2世・・・単純王(西フランク系) シャルル4世以下・・・カペー家 となると思う。 うーむ。 言い訳ではないが、 仏独両国では 他のシャルル達よりも圧倒的に余の方が人気があるゆえ 余が1世でも全く構わぬがな。ははは。
392 :
名無しさん@1周年 :2000/12/09(土) 00:15
では、ルイ1世は大帝陛下のお世継ぎのルートヴィヒさま?
393 :
非公開@個人情報保護のため :2000/12/09(土) 15:46
age
394 :
優良スレにつきアゲ :2000/12/09(土) 16:14
はわわ〜(゚o゚C=(__;バキッ
395 :
ドン ミケロット :2000/12/10(日) 03:17
ずいぶん前に、 神聖ローマ帝国の正式名についての質問がありましたが、 覚えておられるでしょうか? 手元の本に、それについての記述がありましたので、少々抜粋させて頂きます。 > それにしても、「神聖ローマ帝国」とはなんとも奇妙で紛らわしい名称である。 これはドイツ語で表すと Heiliges romisches Reich deutscher Nation つまり 「ドイツ国民の神聖なるローマの帝国」ということになり、…云々 > 江村 洋著 ハプスブルグ家 (講談社現代新書) 皆さんのように歴史に詳しいわけではなく、 この書き込みもしていいのやら迷いました。 しかし、大帝様の広いお人柄とここに集う皆さんに惹かれ、 書き込む事で、少しでもageようと、 思い切って「書きこむ」ボタンを押させていただきました。
396 :
ヘッセン大公妃 :2000/12/10(日) 22:47
age
397 :
る :2000/12/10(日) 23:54
>>395 「書き込む」ボタンなんて酔えばボコボコ押せるでえ。
398 :
世界@名無史さん :2000/12/13(水) 12:59
オーストリア最後の皇帝カール1世の孫ローレンツはベルギーの王女と結婚していますが、 王女と4人の子どもにはベルギーの王位継承権があるそうですが、子どもたちには オーストリア帝位継承権(暫定)はないのでしょうか? 2国の王位継承権を持つ子供はきいたことがないのですけど・・・
399 :
年代記作者 :2000/12/14(木) 06:11
400 :
年代記作者 :2000/12/14(木) 06:21
あと、もうひとつお尋ねしたいことがあります。 「フェビュスよ進め」という14c後半の音楽を集めたCDがあるのですが (ウェルガスアンサンブル・・・国内版版でソニーよりでています) これは Gaston Febus 伯(フォア及びベアルンの領主 1331〜1391) の宮廷音楽を集めたものらしいのですが、この伯爵様に興味があるのです。 きくところによればわれらの偉大なる同業者、フロワサールを庇護された お方だと聞いております。このFebusとは、家門の名ではなく「輝けるもの」 という名の勇名だときいております。 この偉大なる伯爵様の業績と家門、そしてその家門は現在も続いているのか、 断絶したのならいつ頃か・・・そして、家門からの有名人、有力家門とうの 縁組などを教えていただきたくございます。
401 :
ひろゆき@菅理人 :2000/12/15(金) 01:00
ageますです。。。
402 :
カール大帝 :2000/12/15(金) 20:28
余である。 風邪もほぼ治り元気も回復気味じゃ。 余が宮廷に来ぬ間、若干質問があるようじゃ。 すぐにも答えたいところじゃが、 記録室で詳細を調べねばならぬ点もあるようじゃ。 よって、細かい点はこの週末か翌週の始めに答えよう。 ざっと書き込みを読ませてもらったが、 難しいのはルネサンス期のイタリア諸侯の部分じゃの。 だが年代記作者よ、安心するがよいぞ。 卿の質問にあるフォワ家のことは余の得意分野でもある。 縁戚関係もバッチリゆえ、楽しみに待つが良い。 諸卿よ、余の回答を待つように。 そして余は今夜は狩猟を楽しむことにするぞ。
403 :
カール大帝 :2000/12/15(金) 20:32
おお、そういえば・・・ 401は本物かの?
404 :
世界@名無史さん :2000/12/16(土) 01:01
イまでも貴族の叙爵ってあるんですか。
405 :
世界@名無史さん :2000/12/16(土) 03:17
>1 あんた誰?
406 :
名無しさん :2000/12/16(土) 12:41
>>404 少なくともイギリスにはあるはず。
制度上は貴族という身分がなくなっている国(例えばフランス)でも、貴族の家系は今でも公爵だの伯爵だのを名乗っていることが多い。
また、まわりも彼らを爵位で呼ぶことが多い。
(日本ではまずありえないが)
407 :
名無しさん@1周年 :2000/12/16(土) 22:30
>406 でもたしか、フランスでは王政復古の頃、貴族の称号が戻って、 今でも、直系の男だけには貴族の称号が使える、と聞いたことがあるんですが。 (子どもが女だけだった場合、貴族の男と結婚すれば、その家は継承することができるとか) カール大帝さま、どうなんでしょう?
408 :
名無しさん :2000/12/17(日) 02:24
現在、フランスで王位継承権をめぐって争っているのは、アンジュー公ルイ・アルフォンス(スペイン・ブルボン系)とパリ伯アンリ(オルレアン系)です。 もし、前者が即位すればルイ20世、後者が即位すればアンリ6世となります。
409 :
日本@名無史さん :2000/12/17(日) 13:19
フランスの、世襲の死刑執行人サンソン家って、パリ子爵の称号を持ってるんでしょう。 賤業と貴族の称号が結びついてるなんて・・・
410 :
カール大帝 :2000/12/19(火) 02:06
今世紀も終わりに近づいたが諸卿はいかがお過ごしかな。 執務と狩猟が一段落したゆえ、余は宮廷に戻ったぞ。 久しぶりに夜長を過ごしておる。 どんどん質問をぶつけて欲しいぞ。 さて。 >392 さよう。余の不肖の子、ルートヴィヒ1世が即ちルイ1世じゃ。 後々までフランス王の名前として最も知られておるの。 フランス王との縁戚関係からルイの名前は欧州の王族、諸侯に広まっておる。 >393 うむ、よいぞ。 余も公務員板を覗くことがあるぞ。
411 :
カール大帝 :2000/12/19(火) 02:14
>394 そんなものもあるのか。 しかし余はいつも不思議に思うのだが、 AA職人達というのはどのような人であるのかのー。 余の宮廷にも欲しいものじゃ。 >395 おお、かの公爵の忠臣じゃな。 卿の心配は全く無用である。 人はみな最初は何も知らぬのじゃ。 そして書物を読んだり人と交わったりするなかで 知識を身に付けていく・・・ 余の宮廷もそのような場所でありたいと願っておる。 であるから、どのような質問も臆せずバンバンするのじゃ。 仮に余には分からずとも他の諸卿が答えることができるやもしれぬ。 共に精進しようぞ。 それと江村殿であるがハプスブルク家の日本での人気は 彼の精力的な仕事による部分が多いと思うの。 もうかなりお年だと思ったが偉い御仁じゃ。 >395
412 :
カール大帝 :2000/12/19(火) 02:16
>396 おお、大公妃よ。 ご機嫌は麗しいかな。 質問や意見も頼むぞ。 >397 こりゃ。 酔わずとも押すのじゃ。 酔っても押すのじゃ。
413 :
カール大帝 :2000/12/19(火) 02:31
>398 おお、なかなか詳しいの。 ローレンツもオーストリア大公を名乗っている。 よって継承権というものが存在するとすれば 彼にも子供たちにも継承権はあるといえよう。 ただ順位としてはどうかの。 オットー老大公の継承権放棄問題にはさまざまな見方があるからの。 なおローレンツの妃と子供たちには卿の言う通り ベルギー王位の継承権がある。 それと2国の継承権を持つ子供とのことじゃが ロシア帝位継承権とプロイセン王位継承権を持つと 主張している者がおる。 男系ではホーヘンツォレルン家、女系でロマノフ家を継承するとしているの。
414 :
カール大帝 :2000/12/19(火) 02:45
>399 むう、これは難しいの。 マラテスタ家といえば教皇領であったリミニを支配した いわゆる僭主であったことと、 シジスモンドは確か冷酷な領主である反面、傭兵隊長としては 有能な人物であったというぐらいの記憶しかないの。 縁戚関係としはマントヴァのゴンザーガ家の妃に マラテスタ家の者がいたはずじゃ。 モンテフェルトロ家についても同様、先祖はよく分からぬ。 フェデリーコはウルビーノ公で高名な傭兵隊長であったと思ったの。 妻はペーザロ伯アレッサンドロ・スフォルツァの娘(名前を忘れた) だったはず。 娘はデッラ・ローヴェレ家とオルシーニ家に嫁いでいる。 うーむ・・・ ルネサンス期のイタリアにういて余は正直あまり知らぬのじゃ。 誰か教えてくれぬか。
415 :
カール大帝 :2000/12/19(火) 03:06
>400 おお、これは久しぶりに封建諸侯についての質問じゃ。 ではいくぞ。 卿の言うとおりフェビュスは綽名である。 フォワ伯としてはガストン3世である。 彼は南仏屈指の大諸侯としてフランス王、アラゴン王、 そしてイングランド王も一目置く存在だったようじゃ。 彼自身の業績については余ももちと詳しく調べてみなければならぬが、 彼の存在の大きさはフォワ家の歴史と重なる部分が多いのじゃ。 フォワという領地は南仏、ガスコーニュ地方にある。 現在でいえばアンゴラ公国と南を接している。つまりピレネー山麓じゃ。 家系の始まりは一般にコマンジュ家と呼ばれる一門に出自がある。 同じ一門に連なる領主にはコマンジュ伯、ビゴール伯などがある。 そしてフォワ家が南仏の中でも屈指の一族となったのは 他家が断絶したり吸収される中で 領地を守り、戦や姻戚関係を通して周辺所領を組みこんだことにある。 長くなるので次に続くぞ。
416 :
カール大帝 :2000/12/19(火) 03:27
続きじゃ。 フォワ家の飛躍のきっかけは婚姻によりベアルン副伯領、 ビゴール伯領などを次々と相続したことにある。 曽祖父ロジェ・ベルナール3世伯の妻はベアルンをもたらした時には フランス全体の中でも有力な家系となっていたのじゃ。 そしてフォワ家は彼の後の代には更に重要な一族となるのじゃ。 まだ続く 以降の同家の縁戚関係は華やかなものとなっていく。 以前はアラゴン王妃を出したこともあるとはいえ、 所詮南仏に限られたものじゃった。 しかし祖父、ガストン1世伯の妻は王家に連なる アルトワ伯家から迎えている。 そして父ガストン2世はコマンジュ伯の相続人と結婚し 更に領地を拡大。 そしてガストン3世フェビュスは フランス王位継承をも主張する ナヴァラ王(エヴリュー家)フィリップ三世の娘イネスを 迎えている。 彼は富裕な領主として、英仏、そしてイベリアの諸王などが 注目する存在であったのじゃ。
417 :
カール大帝 :2000/12/19(火) 03:40
さらに続きじゃ。 フォワ家はガストン3世の死後、さらに重要な一族となる。 ガストン3世の嫡男はガストン4世、 彼はアルマニャック伯(ジャンヌ・ダルクの話で有名じゃの) から妻を迎えるが後嗣はなかった。 だがガストン3世には他に庶子が二人おり、 年若の庶子であるベルナルド(ベルナール)は カスティリア屈指の大貴族メディナ・セリ公爵の相続人と結婚し、 子孫は現在まで続く。 このメディナ・セリ公爵家はカスティリア王位を主張した ラ・セルダ家の直系である。 そしてフォワ家はガストン3世の従兄弟マシュー伯が継承、 アラゴン王女を妃としたが後嗣なく その妹イサベルの子孫がフォワの家門と広大な領地を継承する。
418 :
カール大帝 :2000/12/19(火) 03:54
さらにさらに続きじゃ。 イサベルの結婚相手はブーシュ小伯アルシャンボー・ド・グライー。 だが彼らの子孫はフォワを家名として名乗る。 以降もナヴァラ王やフランス王の王女、名門諸侯と婚姻を結び ガストン4世伯はナヴァラ女王と結婚、 孫のフランソワはナヴァラ王となる。 また、彼は「フェブュス」を名乗っているのじゃ。 だがフランソワにも後嗣がなかったため妹のカトリーヌ女王は 南仏の大諸侯アルブレ卿と結婚、フォワ伯のタイトルと領地は ナヴァラの王冠と共にアルブレ家に引き継がれる。 そして、ジャンヌ・ド・アルブレ女王の結婚により フランス王アンリ4世のブルボン家へと続いていくのじゃ。 ブルボン家がいかにフォワ家を重視していたかは アンリ4世が次男にそれまでフランス王家にもブルボン家にも なかった「ガストン」の名を次男のオルレアン公に つけたことから分かるといえるの。 うーむ・・・ 長すぎるうえに、分かりにくい文章ですまんの。 フォワ家は縁戚関係も複雑で、保有した領地も広大ゆえ、 分からぬことがあればまた質問するがよいぞ。
419 :
カール大帝 :2000/12/19(火) 03:56
おお、そうそう。 フォワ家については近年話題になった 「双頭の鷲」(だったかな?)にも少し記述があったと思うぞ。
420 :
カール大帝 :2000/12/19(火) 04:00
さて、夜も更けたがまだまだいくぞ。 しかし誰も宮廷におらずちと寂しいの。 まあ、よい。 君主とは孤独なものじゃ。 さて。 >401 前にもちらと書いたが本物かの。 一度、親しく会ってみたいと思っていたのじゃ。 卿とオフラインでもつきあいがあるという御仁を知っておるので 一度、紹介してもらうかの。 >
421 :
カール大帝 :2000/12/19(火) 04:05
>404・406 うむ。406卿の言う通り、 英国では今でも叙爵はある。 但し基本的に一代限りの男爵以上の叙爵はなくなったと記憶しておるぞ。 例外は王族、及び王族の婚姻者、王族の子孫である。 また叙爵は他の王国にも一応残ってはいると思うの。
422 :
カール大帝 :2000/12/19(火) 04:07
>405 ははは。 カールでもシャルルでも好きな呼び名で構わぬぞ。 それ以上のことを知りたければ 卿が楽しく、かつ安全なオフ会でも開いてくれぬとのー。
423 :
カール大帝 :2000/12/19(火) 04:11
>407 おお、そうなのか。 昔の法律で有効性のあるものが現存しているのかの。 ただ、それにしては爵位など適当なものが多いような気がするの。 まあ、そもそもブルボン朝の末期にはすでに爵位もむちゃくちゃで それに帝政貴族が輪をかけて混乱させたから仕方がないかの。
424 :
カール大帝 :2000/12/19(火) 04:50
>408 卿の申す通りじゃ。 しかしこの両家が譲りある時は来るのであろうか。
425 :
カール大帝 :2000/12/19(火) 05:03
>409 おお、そうなのか。 恥ずかしながら余は初めて知ったぞ。 しかしパリ子爵とはまた思い切った爵位を与えたものじゃの。 想像するに死刑執行人は担い手がなくなると困ったからのー。 洋の東西を問わず賤業と呼ばれる職業は為政者にとって 保護されていた部分もあったようじゃからの。
426 :
名無しさん :2000/12/20(水) 01:27
>>422 カール、シャルル、チャールズ、カルロ、カルロス、カーロイ、カレル・・・etc
大帝陛下の御名の呼び方は国によってさまざまなようでありますね。
>>391 大帝陛下の名声に及ぶかどうかは分かりませぬが、フランスではシャルル7世(勝利王)、ドイツ・オーストリアではハプスブルク家の栄光の時代を築いたカール5世なども、陛下と同名の君主のなかでは人気が高いようです。
427 :
年代記作者 :2000/12/21(木) 00:09
大帝陛下。懇切丁寧なレス心よりお礼申し上げます。 私めが陛下のことをはじめて知りましたのは「ドリモグだぁ!」なるアニメです(笑) その後、中学校で歴史をやったときに、あのおじさん・・こんなにVIPなひとだったんだ と、再認識した記憶があります(笑) いつか、アーヘンの聖堂に参拝に行きたいと思っております。 フォア伯の件ですが、映画「エリザベス」の中での(イギリスの)フランス大使の 名前が、ド・フォワ伯という設定になっていたのを思い出しました。 史実に関係ない話ばかりで申し訳ありません。それでは
428 :
る :2000/12/21(木) 03:42
>>425 初代Sansonは閣下と同じCharlesという名前だったそうでございまする。
ディエップの死刑執行人の娘に恋をし、結婚するために自ら執行人となりました。
彼の息子Charles IIは別の職業を選ぼうとしたのですが、
あるとき、父がAngeliqueという若い貴婦人(夫殺し)の処刑をどうしても執行できず
Charles IIが父を助ける形で代行しました。
(結果はより悲惨で、首が落ちるまで阿鼻叫喚、相当時間がかかったらしい)
Charles IIの息子がGabrielとJean Baptiste、両者とも繊細な神経で悩みながらも後をつぎました。
Jean Baptisteの息子がCharles Henri le Grand、Louis XVIの首をちょん切った人です。
この人、Louis XVの暗殺未遂犯Damienの処刑のときに失神しています。
このときは父Jean Baptisteが助けにはいりましたが、父も半ば失神状態だったらしい。
(国王への犯行者は手足を焼いた後、四肢を馬に結んでバラバラの刑、
Damienの体は頑丈で、神経をちょんぎらないとバラバラにならなかったらしい)
その後、Tollendal処刑のときも失敗し、またもや父が助けに入りました。
なかなか大変なご職業らしいです。
パリ伯の件はそういう話を聞いたこともあるような気がしますが確認は取れなかったです。
429 :
世界@名無史さん :2000/12/21(木) 13:12
age
430 :
年代記作者 :2000/12/22(金) 02:21
たびたび、宮廷に伺候さてていただき懼惧の至りにございます。 さて、本日も芸術ネタで申し訳ございません。 本日、天保山のサントリーミュージアムで「ロートレック展」を見てまいりましたが かの、アンリ・トゥールーズ・ロートレックなるもの 酒保や娼館の浮かれ女ばかり描いておる不埒な画家なのでございますが (実際は、結構面白かったです。画帳でしか見たことがなかったので) このもの、どうやら貴族であるようにございます。 私め、このものの家門にいささか興味を持っております。 このようなことで、大帝陛下ならびにアルクィン殿の手を煩わせると思いますと 心が痛む限りでございますが、大帝様の壮麗なる書庫には、いにしえのローマ人から 未来の歴史家にいたるまで、書き記した膨大な書があると聞いております。 羊皮紙を用いた書は高く、私などの手に届くものではございませぬ。 どうか、私めに、陛下の慈悲をお与えくださいませ。(ぺこり)
431 :
名無しさん :2000/12/22(金) 03:45
432 :
はいんりひ :2000/12/25(月) 17:28
拝啓 カール大帝様 戴冠1200周年おめでとう御座います。 お父様のピピン様も喜んでいることでしょう。 今後ともフランクに栄光あれ!!
433 :
カール大帝 :2000/12/26(火) 03:34
クリスマスも終わり 今世紀も残すところ僅かとなったが 諸卿はいかがお過ごしかな。 余からもちと遅くなったが 諸卿に祝福を授けよう。 ところで 余自身のクリスマス近辺は散々であった。 こんなひどいクリスマスも珍しいほどじゃった。 さて、すぐにも諸卿の問いに答えたいところじゃが 今はまだ時が熟さぬ。 余は本日午前中にでもまた宮廷に参るであろう。 諸卿よ、 出来る限り質問を溜めておくのじゃ。 余の宮廷の扉は誰にでも開かれておるぞ。
434 :
カウニッツ :2000/12/28(木) 06:48
久しぶりの宮廷。誰も居ない。帰ろ・・・
435 :
カウニッツ :2000/12/29(金) 06:22
サヨナラ・20世紀age!!
436 :
カウニッツ :2000/12/30(土) 03:02
ハンガリーのホルティ(1868〜1959)って何者ですか? 名門の出なのでしょうか?御教え下さい。
437 :
カウニッツ :2000/12/30(土) 06:58
私の子孫って今はどうしているのかな〜?
438 :
愛と死の名無しさん :2000/12/30(土) 10:47
死んでる
439 :
世界@名無史さん :2000/12/30(土) 19:53
ageますよ
440 :
名無しさん :2001/01/01(月) 06:35
441 :
カウニッツ :2001/01/03(水) 00:29
本当ですか!?
442 :
カウニッツ :2001/01/03(水) 00:31
大帝陛下〜何処に居られるのですか? たまには宮廷に来て頂かないと・・・ 閑古鳥が鳴いてますよ!
443 :
名無しさん :2001/01/03(水) 01:36
444 :
カウニッツ :2001/01/03(水) 15:04
なるほど・・・
445 :
カウニッツ :2001/01/04(木) 02:13
ブルゴーニュ公国からハプスブルク家に伝承された、 金羊毛騎士団の詳細を知りたいのですが・・・
446 :
カール大帝秘話(カウニッツ) :2001/01/04(木) 18:40
大帝陛下が居られない間、私目が定期ageさせて頂きます。 カールは800年晩秋、大軍を引きつれてアルプスを越えた。そして、 同年のクリスマスを祝うために聖ピエトロ寺院におもむいたところ、 思いがけないことが起こった。レオ3世が突然祭壇にひざまずいている カールに近づき、皇帝冠をかれの頭上においたのである。寺院にいた群衆は、 いっせいにカールの戴冠を歓呼の声で迎えた。
447 :
カウニッツ :2001/01/04(木) 18:47
質問も一つ。 第一回十字軍に参加した「ロレーヌ公ゴトフロア」は、 マリア・テレジアの夫フランツ1世の家系と 関係はあるのでしょうか?
448 :
名無しさん :2001/01/04(木) 19:26
449 :
カール大帝 :2001/01/04(木) 19:50
明けましておめでとう。 新しい世紀、諸卿に祝福あれ。 さて。 余も大方と同じく新年の休息を楽しんだぞ。 充分に英気を養ったので 貯まった質問には明日以降、精力的に答えよう。 懸案であったロートレック氏の家系も調べたので 期待してほしいものじゃ。 では諸卿よ。 明日、楽しみにしておるぞ。
450 :
名無しさん@オーストリア :2001/01/04(木) 22:48
カール大帝 様 ド・素人ではありますがいつも((o(^ー^)o))ワクワクしながら コメントを読ませて頂いております。 今年はカール大帝様はじめ、ハプスブルク板などで カウニッツ様、年代記者様、他の方々の大変勉強になる 皆様のコメントを読みながら知識向上させて頂きたく存じます。 一市民に過ぎませんが、今年もたくさんの幸せと 情報が得られます様に祈っております。 今世紀もヨーロッパ史に栄光あれ!! <(_ _)>失礼致しました。
451 :
カウニッツ :2001/01/05(金) 00:39
>448さん、 指摘されてみると、おっしゃる通りですね。 (秘話なんて)書く程のものでもなく、今になって赤面しています。 ま〜、愛嬌だと思って許して下さい。
452 :
年代記作者 :2001/01/05(金) 00:54
カール大帝様 殿下におかれましてはお健勝なようで何よりで御座います(ぺこり) アーヘンの温泉で療養なさっていらっしゃるのだろうか・・などと 考えておりました。 殿下の栄光が、天と地にあまねく行き渡らん事を! >カウニッツ様 ハプスブルクのスレでは丁寧なレスいただきありがとう御座います(ぺこり) クラシック版にもいらっしゃってましたよね(^^) 僕もモーツァルト大好きなので(興味の中心は18Cのイタリア音楽です) カキコの際はよろしくお願いいたします(ぺこり) (向こうではヨリック神父と名乗っています) >名無しさん@オーストリア ハプスブルクのスレではどうも(ぺこり)。 こちらこそ、ど素人で新参者ですがよろしくお願いいたします。 いつも、上記の諸氏から知識の収奪をしているようで いささか悪い気がしないわけではないのですが、 見返りにお返しできる知識もなくって・・・・(泣)
453 :
カール大帝 :2001/01/05(金) 22:37
余である。 最近は冬の寒い中も狩猟に熱中していたため ちと宮廷がおろそかになってたようじゃ。 だがこれからは余の威光により輝きを添えるため、 また余と諸卿の知識の泉をより深きものとするため 余も宮廷活動に力を入れるぞ。 さて・・・ たまった質問に答えていくぞ。 諸卿よ覚悟はよいな。
454 :
カール大帝 :2001/01/05(金) 22:42
>426 余のことは好きな名前で呼んでよいぞ。 ただし敬愛の念を少し添えてもらえればありがたいの。 シャルル7世は確かに不思議な王じゃ。 あの時代のフランス諸侯は系譜的に見ても 非常に華やかで興味が尽きないの。 カール5世はハプスブルク家を代表する皇帝として 大層人気がある。 ライバルのフランソワ1世やヘンリー8世よりも 人気があるのではないかの。
455 :
カール大帝 :2001/01/05(金) 22:47
>427 余は寡聞にして「ドリモグ」なるアニメを知らぬ。 余も幼少の頃は日曜日19:30〜のアニメは見ていたが そのような題名はなかったようじゃ。 フォワ伯の件であるが エリザベス朝の頃もフォワ家の分家筋まだ残っていたことに 関係があるかの。 海外でも家名と爵位がごちゃ混ぜになって記述されていることは よくあることだからの。
456 :
カール大帝 :2001/01/05(金) 22:53
>428 これは余が知らぬことばかりじゃ。 卿は様々な分野に精通していて驚かされるばかりじゃ。 書店を覗くと最近は文化史の入門書なども多数置いてある。 卿も一冊ぐらい書いてみてはどうかの。 それにしてもCharles Henri le Grandとは・・・ この綽名はどう訳せばいいものかのー
457 :
カール大帝 :2001/01/05(金) 22:56
>429 ヨイゾ!
458 :
カール大帝 :2001/01/05(金) 23:07
>430 ずいぶん待たせたの。 トゥールーズ・ロートレックとは実に大層な家名じゃ。 だが、このような有力家門を名乗る場合、 しかも二重姓を名乗る場合は本当に名門の末裔であることが多いのじゃ。 結論から言えばかのムーラン・ルージュの画家は貴族であり、 男系の先祖はフランス屈指の大諸侯であることがはっきりしておる。 連綿と続く家系ゆえ、細かいところは省くが それでも、ちと長くなる。 続くぞ。
459 :
カール大帝 :2001/01/05(金) 23:20
諸卿は第1回十字軍のことをよく知っておると思う。 参加諸侯の中でも屈指の大諸侯、トゥールーズ伯レーモン4世は 非常に有名な人物であり、かの画家の先祖である。 レーモン4世伯の孫、トゥールーズ伯レーモン5世に3人の男子があった。 長男はトゥールーズ伯領を継承するが、 三男のボードワンはロートレック副伯の相続人アリクスと結婚、 彼の子孫は代々、ロートレック副伯位を継承していく。 このロートレック副伯領は南仏の富裕な領地であったが、 領地を細分化して相続したのが特徴で、 同時に何人もの副伯が領地の何分の一かを領する形態を取っておった。 そのため時代を経るごとに領地を売却、質入するものが後を絶たず。 ボードワンの子孫もロートレックの領地を売却してしまったのじゃ。 しかし、ボードワンから数えて16代目のシャルルは 家系を爵位として認められ、 トゥールーズ・ロートレック・モンファ伯を名乗ることになるのじゃ。 まだ続くぞ。
460 :
カール大帝 :2001/01/05(金) 23:32
続きじゃ。 この トゥールーズ・ロートレック・モンファ伯シャルルから 4代目にあたるのがかの有名な画家になる。 その名は アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック・モンファ。 トゥルーズ・ロートレック・モンファ伯である。 勿論、南仏ラングドック地方のトゥールーズを領しているわけでも ロートレック副伯領を保有しているわけではないが、 この両家の血筋を引く者であることはハッキリしている。 さて、余談であるがロートレック副伯は 前記スレのフォワ家とも関わりがある。 仏王フランソワ1世の愛人として知られる フランソワーズ・ド・フォワの兄は フォワ家の分家筋であるが、 彼はロートレック副伯領の一部を購入し、 ロートレック副伯を名乗っている。 イタリアでフランス軍を率い ミラノ総督に任じられたことでも知られておる。 元々ロートレック副伯の家系の源流は アルビ伯にあると言われておる。 南仏でも屈指の旧家であるが、 途中で相続権を分割していったために 家名、領地名を名乗る者が非常に大勢いた フランスには珍しい家門である。 かなり省略したがこんなものでよいかの。 もっと細部を知りたければ遠慮なく質問するがよいぞ。
461 :
カール大帝 :2001/01/05(金) 23:36
>431 余は3年ほど前まで関西の港町に居を構えていたことがある。 さすがの余もどうなることかと思ったほど、 ひどい朝も迎えたことがあるぞ。 しかし、これだけは言えるが どのような国でも地域でも住めば都じゃ。
462 :
カール大帝 :2001/01/05(金) 23:38
>431 余は3年ほど前まで関西の港町に居を構えていたことがある。 さすがの余もどうなることかと思ったほど、 ひどい朝も迎えたことがあるぞ。 しかし、これだけは言えるが どのような国でも地域でも住めば都じゃ。
463 :
カール大帝 :2001/01/05(金) 23:40
余としたことが二重カキコとは・・・
464 :
カール大帝 :2001/01/05(金) 23:43
>432 嬉しいぞ。 だが余の威光に限りはない。 それと卿もなかなか良い御名を持っておるの
465 :
カール大帝 :2001/01/05(金) 23:45
>434・435 スマン。 しかし卿は世の宮廷にとっては欠かざる人物。 今世紀も頼むぞ。
466 :
カール大帝 :2001/01/05(金) 23:50
>436 ホルティの件は以前、別スレがあったと思ったが・・・ 余の記録室にもかの者の家系についての資料は無いようじゃ。 ハンガリーでもエステルハージー家などならばあるのだが・・・ >437 子孫のー。 これは調べたことがなかったぞ。 >438 そう簡単に決めつけられるものではないぞ。 かのトゥルーズ家でさえ、伯家が消滅後も連綿と続いたのじゃやからな。
467 :
カール大帝 :2001/01/05(金) 23:53
>436 ホルティの件は以前、別スレがあったと思ったが・・・ 余の記録室にもかの者の家系についての資料は無いようじゃ。 ハンガリーでもエステルハージー家などならばあるのだが・・・ >437 子孫のー。 これは調べたことがなかったぞ。 >438 そう簡単に決めつけられるものではないぞ。 かのトゥルーズ家でさえ、伯家が消滅後も連綿と続いたのじゃからな。
468 :
カール大帝 :2001/01/06(土) 00:05
むう、調子が悪いの・・・ >440・441 これは余にもよく分からぬ。 誰か知っておるものがいたら是非発言するよう願うぞ。 どうも上手く書着込めぬようなので 続きはまた今度じゃ。 諸卿よ。 余の宮廷はなんびとにも常に開かれておるぞ
469 :
名無しさん :2001/01/06(土) 02:46
470 :
カウニッツ :2001/01/06(土) 03:32
久しぶりに大帝陛下の御言葉が聴けて嬉しく思います。 今年も宜しく御願い致します。
471 :
名無しさん@オーストリア :2001/01/06(土) 23:29
*カール大帝陛下にお伺い申しあげます!* 陛下が存命中(いや、もちろん現在もお元気かと存じますが・・・)に 行った事として1番スゴイことはなんですか? 他の王や皇帝にはマネできなかったことや、カール大帝陛下だからこそ 出来た事は、どんなことでしょうか? 狩猟もお忙しいかと思いますが、是非ともお聞かせ下さいませ。 メモの用意をして陛下のお返事お待ち申しあげます。 本日は、大変冷え込んでおります。明日の夜更けには雪になるとか?! 風邪などの体調不良に御注意下さいませ。 ε=ε=ε=ε=┏(; ̄▽ ̄)┛:失礼しましたぁぁぁぁ。
472 :
名無しさん :2001/01/07(日) 02:56
南関東でも雪が降るらしいですね。
473 :
名無しさん@オーストリア :2001/01/08(月) 00:13
ヾ(@^▽^@)ノわーーーーい! 降ってる!降ってる!! 積もってる!!積もってる!!!
474 :
名無しさん@オーストリア :2001/01/08(月) 03:10
Σ( ̄ロ ̄lll)ハッ!! 取り乱しました、申し訳ございません・・・ <(_ _)>
475 :
名無しさん :2001/01/08(月) 03:22
私の家の近くではもう雨に変わったようです。
476 :
シャルルマーニュの子孫? :2001/01/08(月) 18:39
大帝陛下万歳!
477 :
Anschutz :2001/01/09(火) 06:42
お初ながら大帝陛下におうかがい申し上げます♪ 1つはハンガリーのマーチャーシュ王の家系です。ハンガリー王国関係でちょっと調べてみましたが アールパード家、アンジュー家の系図はあるのですが、ルクセンブルク、ハプスブルク、ヤゲヴォの 同君連合乱立のあたりがどうもよくわからず、偉大なるマーチャーシュ王は、親父がトルコ戦の英雄 フニャディ・ヤーノシュぐらいしかわかりませんでした。先祖はどこにつながるんでしょ?それとも 日本の豊臣家のようにぱっと咲いてぱっと散ってしまったんでしょうか? (=^_^;=) 2つ目は、ANSCHUTZの名を持つ貴族がいたかどうかです。ドイツのライフルメーカーANSCHUTZ社 の名をハンドルに頂戴しておりますが、ドイツにこの地名があるらしい・・ということで、そこの御領主 さんが貴族だったりするのかなーとおもい、お尋ねいたします。 どうぞよろしうご教示くださいm(__)m
478 :
カウニッツ :2001/01/10(水) 01:20
『ハプスブルク家の紋章と言えば「双頭の鷲」ですよね。 この紋章についての疑問なのですが・・・・ 紋章と言うのは「皇帝」のシンボルなんですか? 例えば、王妃や皇太子、皇太后は使用しなかったんですか?? *質問@* 私の記憶では、「皇帝用(?)」「王妃用(?)」と言った紋章があって 何かの式典の時にはそれぞれ別のデザイン(よーく見ないと わからないけどロゴが違うとか、若干絵柄が違うとか・・って程度) の「双頭の鷲」があったように思うのですが・・・ また、皇帝の兄弟や血族がこの紋章を私用するのは 法律的(?)に認められていたのですか? *質問A* 日本の皇室も似たイメージなのですが・・・ 皇女が結婚して家を出た場合は、ある意味「皇族部外者」的な 扱いってありますよね? 例えば、気軽に宮殿に出入りが出来なくなる・・・とか。 中でも例外な皇女で「最後の皇女」として本でも有名な エリザベート皇女(ルドルフ皇太子の娘)なんですが 彼女の場合は、フランツ・ヨーゼフ皇帝の孫ですし、エリザベート后妃 が暗殺され、孤独になった皇帝の慰めでもあった存在ですから 「特別」なのはとてもよく解かるのですが・・・ 彼女が結婚して嫁いだ時(初婚の時) 紋章入りの生活用品を山ほど送られてますよね? 食器に、テーブルクロス、パジャマ、ベッドカバーなどなど・・ この嫁いだ時点で、彼女はある意味「ハプスブルク家」とは 関係なくなる存在であるのにも関わらず! ここまで例外が認められてるって言うのは何故?なのでしょう?? そして、この元・皇女が紋章入りの用品を生活の中で使用 するのを認められているって言うのは どーなんでしょう??これはアリなんでしょうか?? (実際にあったんだから、アリ!!ですけど・・・・) 他の皇女や一族からの反発って無かったのでしょうか?? ある意味、伝統を破ってるわけですよね?? 私の思い付きの疑問ですが・・・ コメント頂けると幸いです。今日は眠れなくなりそうです(笑)』
479 :
カウニッツ :2001/01/10(水) 01:28
【速達】 チッ!!省略されてしまった・・・ 大帝陛下、私のスレッドに上記のような質問が寄せられました。 私は紋章学に通じておらず、手に負えません。 どうか、代わりに御教授を御願い致します。
480 :
カール大帝 :2001/01/10(水) 11:27
余である。 雪も降り寒さがこたえる季節ではあるが 諸卿は風邪などひかぬようにな。 さて。 カウニッツ卿より【速達】の質問があった。 先に答えよう。 @結論から言えば王妃用や王子用などの紋章もある。 そもそも西洋の紋章は個人を表すものとして形成された。 ただ、時代を経て個人だけでなく家門や町、業種などを 識別する、また権威を表すものとして広まったのではあるがな。 例えば卿の好きなハプスブルク家でいえば神聖ローマ皇帝を輩出した場合 皇帝とその他の者の紋章は異なる。 例えばフェルディナント3世が双頭の鷲中にハンガリーやオーストリアなどを 組み合わせた紋章だったのに対して、弟のレオポルド・ヴィルヘルムは 双頭の鷲の中に自分が保有するブレスラウなどの司教位を表す紋章を 組み合わせている。 これなどは双頭の鷲を双方とも使うことで同じ家門であることを誇ると同時に 違う人物とであることを示すものである。 同じように仏王ルイ9世の息子はみなフランス王家を表す ユリの紋章(フラ・ド・リ)をベースにしながらそれぞれ個人を表す 区別をしている。 もっと時代を遡れば兄弟であっても全く違う紋章を用いておるし、 王妃や伯妃などは実家の紋章を使うのが一般的でもあったようじゃ。 もうちと続くぞ。
481 :
カール大帝 :2001/01/10(水) 11:32
続きじゃ。 つまり王侯の場合、紋章が表すのは @領地・官位 A家門 B個人 ということになるかの。 特に婚姻などにより領地を次々と相続した場合は 様々な紋章を組み合わせてわけがわからなくなる。 有名なところではヴァロワ系のブルゴーニュ公家や ユーリヒ公領やベルク公領を相続したクレーヴ公家、 バイロイト辺境伯系のホーヘンツォレルン家などが 複雑な紋章であるの。
482 :
カール大帝 :2001/01/10(水) 11:45
カウニッツ卿からの【速達】の質問の答えを続けるぞ。 Aルドルフ皇太子の一人娘、エリザベート大公女は ひとつの例外と考えられる。 彼女の初婚時、紋章入りの用品が贈られたのは 一言でいえば 結婚後も彼女がハプスブルク=ロートリンゲン家の 一員であったからじゃ。 つまり、フランツ・ヨーゼフ皇帝は彼女に 結婚後もハプスブルク=ロートリンゲンの家名を許したのじゃ。 だから彼女とオットー・zu・ヴィンデンシュ=グラーツの子孫は 今でもハプスブルク=ロートリンゲンを家名としておる。 これは他の大公達にとっては贔屓と映ったかもしれぬ。 しかしハプスブルク家においては皇帝が一族に及ぼす権限が 大きかったようじゃ。 例えば大公の数が余りにも多いので傍流の大公を公私(Prince)に 格下げしてはどうかという話が一時期あったそうじゃ。 これに対して軍人としても有名なアルプレヒト大公は 「皇帝が大公位を取りあげる」というならば従うが 他からの指示されることはない、表明したそうじゃ。 他の王家に比べてハプスブルク家の成員は 「ハプスブルク家」であることの意識が強く、 皇帝が他のメンバーについて大きな影響力を持っていたといえるの。
483 :
カール大帝 :2001/01/10(水) 11:50
余は執務に取りかからねばならぬ。 王座には義務がつきものじゃ。 他の質問には今宵答えるので諸卿よ、 暫し待たれよ。 また、急ぎの質問は【速達】で、 他のスレで分からぬことがあればコピペで回すことも 大歓迎じゃ。 余の宮廷は常に、なんびとにも開かれておるぞ!
484 :
カウニッツ :2001/01/10(水) 21:25
大帝陛下、いつもながら素晴らしい御教授、有難うございました。
自分のスレとか他人のスレとか、スレってそういう個人所有のものなのか? あと、いくら転載だからって、機種依存文字くらい直してほしいな。
486 :
名無しさん@オーストリア :2001/01/11(木) 02:44
>カウニッツ 様 ヾ(@^▽^@)ノこんばんは。 <速達>でコピーして頂き、大帝様に先に御回答頂きまして 本日より無事に、眠れる夜がやってまいりました(笑) お忙しい中、お心使い頂いたことを心より感謝致します。 正直申しまして、フランツ・ヨーゼフ皇帝とエリザベート后妃の 紋章は未だに「どこが違うのか?」正直解かりません(泣) 後日、ルーペを用意し、じっくりと見比べてみよう!と思います。 結果は、もちろん御報告させて頂きます。
487 :
名無しさん@オーストリア :2001/01/11(木) 02:59
カール大帝陛下 様 御機嫌いかがでしょうか? この度は、こんな一市民の質問をカウニッツ様に <速達>扱いして頂き、大帝陛下様に詳しく教えて頂きまして この感謝の意を、いかにして申しあげれば良いか・・・ 戸惑っております。 感謝、感激で書き込みする手も震えております。 上記の「紋章」についての御説明の中にありました ★ヴァロワ系のブルゴーニュ公家。 ★ユーリヒ公領やベルク公領を相続したクレーヴ公家。 ★バイロイト辺境伯系のホーヘンツォレルン家など。 についてお伺い申しあげます。 私自身は、お恥ずかしいことに「紋章」についても知識は 素人中の素人ですが、大帝陛下にこんなにも細かく御教授頂き 大変興味が出てまいりました。 是非、上記の紋章を見てみたいのですが 何を調べたら見ることが可能でしょうか? 書籍??HP??専門書?? 是非、教えて下さい。宜しくお願い申しあげます。
488 :
あるヴェネツィア商人 :2001/01/11(木) 17:32
大帝陛下、みなさま、ご機嫌麗しゅう。 >395 かつて当の質問をした者です。わざわざありがとうございます。 昨晩なんとなく本棚を眺めていたら、なんとその本、持ってました。ちゃんと読まなきゃいけませんな。 江村氏はハプスブルグ贔屓が強すぎて、プロイセンに辛く当たるところがちょっとなんですが、結構好きです。 ところで大帝陛下。 初歩の質問なのですが、金印勅書の成立過程をお教えいただけないでしょうか。 王位を巡る口出しがヒドイので、数を絞ることにした取り決め、でいいのかな?
489 :
ヘッセン大公妃 :2001/01/11(木) 22:12
カウニーツ様 エリザベート大公女は皇帝側から見れば貴賎結婚だったのにも かかわらず、ハプスブルグ家の名誉と資格はそのまま残されたようです。 結婚後も「オーストリア・ハンガリー帝国の皇女」の称号、ハプスブルグ家 の居城・王宮を最大限利用する権利、軍隊の栄誉礼を受ける権利、死去に 際しては、王家の葬儀が行われる権利など・・・。 結婚の際に彼女が相続した財産は現在の金額に換算するとざっと 300億円にもなるそうです! しかし、決定的に違うのは皇位継承権を放棄した点でしょうか。 生まれた子供にも皇位継承権はないのです。 ちなみに彼女の結婚後の正式名は「ヴィンディシュ・グレーツ・エリザベート・ マリー侯爵夫人・オーストリア帝国皇女・大公妃・ハンガリー帝国皇女・ ボヘミア皇女」という非常に長ったらしい名前です。
490 :
カウニッツ :2001/01/12(金) 01:12
恥ずかしながら、エリーザベト大公女が、 ヴィンディシュグレーツ侯爵家に嫁いだ事を初めて知りました。
491 :
>488 :2001/01/13(土) 01:14
>江村氏はハプスブルグ贔屓が強すぎて、 >プロイセンに辛く当たるところがちょっとなんですが… やっぱ皆そう思うんですねage。
492 :
とにかく :2001/01/13(土) 22:23
age
493 :
同じく :2001/01/14(日) 12:39
age
494 :
世界@名無史さん :2001/01/14(日) 13:43
ヒロ○トの顔面って、なんであんなに醜いんですか サルの家系だから?
ヒロヒト=ニュース板とハングル板のヒロヒト
496 :
名無しさん :2001/01/15(月) 04:04
>>494 -495
君たちが来るところはここじゃないよ!
497 :
ナイペルク伯爵 :2001/01/15(月) 11:33
でも皇女エリザーベトは大恋愛の末に結婚したが、直ぐに破綻しました。 ヴィンディシュグレーツ侯爵はWW1で東部戦線に従軍し、ガリチア戦で ロシア軍に包囲され全滅しかかりましたが、その時のロシア軍司令官が戦 前ヴィンディシュグレーツ侯爵に馬術競技で負けていて、再戦したいから と撤退を許しています。一方のエリザーベトはポーラ沖にあるブリオニ島 に子供達と移住し、オーストリア海軍戦列尉官エゴン・レルヒと不倫して おりました。ちなみに彼はゲオルク・リッターvトラップ指揮官の部下で す。
498 :
名無しさん@オーストリア :2001/01/16(火) 01:47
ナイペルク伯爵 様 御機嫌うるわしゅう(^-^)♪ **質問がございます!**教えて下さい。φ(.. )メモメモ @497の書き込みの「WW1」とは何の略ですか? A497の書き込みのエゴン・レルヒの指揮官 ゲオルク・リッターvトラップ指揮官は有名な方ですか? レルヒと一緒にUボートに乗った人ですか? 皇女が不倫ですから、それはそれは!スキャンダル!ですよね(笑) しかし、不倫とは言えども死別とは可哀相です。 エリザベート皇女は、晩年もこのレルヒの遺品を大切にされてた そうですね。亡くなった後に、机の引出しからレルヒのボタン(?)や バッジが包んで出てきたそうです。 晩年は、ペツネックさんと再婚しましたが 波乱万丈は続き、家はドイツ軍に占領され、ソ連軍に占領され・・・ 取り返すまでに、ずいぶんと長い月日がかかったようです。 家は荒されて、家財は無くなっていたとか・・・ 息子さんは、自動車レースで亡くなるし、ペツネックさんは アウシュビッツに連れて行かれるし・・・・ 時代の波は容赦なく彼女に遅いかかったようですね。 亡くなった時には、傍らに愛犬がいたそうですね。 彼女の犬好きは祖母であるエリザベート后妃の影響でしょうね。 エリザベート皇女が小さい時にエリザベート后妃は犬をプレゼント してますし、フランツ・ヨーゼフ皇帝は当時ではめずらしい動物園を もっていました。 父:ルドルフ皇太子も狩のお土産に兎などの小動物を持ち返っていて エリザベート皇女はきっと動物好きだったでしょう。 そう言えば、アウシュビッツ収容所には日本人が居たと言う 記録があるそうですが、誰だったのでしょう?? 御存知の方いらっしゃましたら教えて下さい。 よろしくお願い申しあげます<(_ _)>
499 :
カウニッツ :2001/01/16(火) 02:03
WW1=第一次世界大戦の事です。(World War T) 久しぶりにカキコ!(しゃしゃり出てゴメンネ!)
500 :
カウニッツ :2001/01/16(火) 02:22
500!!
501 :
カウニッツ :2001/01/16(火) 02:32
【祝電】 大帝陛下の御威光が遍く行き渡り、 この宮廷も500レスを越えた様です。 今後も大帝陛下の宮廷には、 古今東西から様々な人々が集まって来ることでしょう。 これもひとえに大帝陛下の御人柄かと存じます。 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
502 :
カウニッツ :2001/01/16(火) 04:01
寝age!!
503 :
名無しさん :2001/01/16(火) 05:18
>>499 高校の世界史の先生なんかが、その略称よく使うね。
504 :
ナイペルク伯爵 :2001/01/16(火) 11:12
>名無しさん@オーストリア様 WW1はカウニッツ伯の言うとおりです。 ゲオルク・リッターvトラップ指揮官というと…判らないかもしれません。 こう言ったら判りますか? 「オーストリア海軍予備役大佐・トラップ男爵」 ミュージカル「サウンドオブミュージック」のモデルになった方です。 ちなみにエゴン・レルヒの遺体は1935年に海中より引揚げられました。
505 :
カール大帝 :2001/01/17(水) 21:13
久々の宮廷である。 今週は執務が山積み故、 余は週末まで宮廷に出ることが出来ぬ。 執務をしないと怒り出す者共がおるのでな。 そういうわけで諸卿よ。 週末までに質問が貯まっていることを期待しておるぞ。
506 :
名無しさん@オーストリア :2001/01/18(木) 01:31
カウニッツ様 ナイペルク伯爵 様 御機嫌麗しゅう♪(^0^)v WW1=第一次世界大戦・・・φ(.. )メモメモ 私、自慢じゃないですが教養がないもので(笑) 教えて頂きましてありがとうございます。 トラップ男爵・・・聞いた事があります!変わってる名前なので 記憶にあります。何かの本の中で紹介されていたのだと 思います。(何の本かは思い出せませんが) 『サラウンド・オブ・ミュージック』は観た事はないのですが そのモデルだったとは知りませんでした。 これも勉強になりました。 ありがとうございます。今度、本を読んでみよーかなぁ。
507 :
世界@名無史さん :2001/01/18(木) 04:33
あげます。
508 :
カウニッツ :2001/01/19(金) 02:34
ロタール1世age!!
509 :
カウニッツ :2001/01/20(土) 03:04
大帝陛下への敬礼age!!
510 :
名無しさん@オーストリア :2001/01/21(日) 01:14
1日1age!! 雪が降っております。冷え込んでおりますが 皆様、風邪ひかないように御注意下さいませ。 子供は風の子・・・(-。-) ボソッナントカはひかない。(笑) 私は安心ですけどね。ごきげんよう♪
511 :
名無しさん :2001/01/21(日) 22:58
今日は、ルイ16世陛下の命日です。
512 :
名無しさん :2001/01/24(水) 14:34
カール大帝が出てこないとここは廃れる一方・・・
513 :
カウニッツ :2001/01/26(金) 03:09
【速達】 関係ないですけど、三帝会戦が行われたアウステルリッツは、私の領地です。 そこで大帝陛下に御聞きしたいのですが、 ベーメンの古い名門貴族の一家に生まれた私の領地が、 なぜ、アウステルリッツにあるのでしょうか?御教え下さい!! 御忙しい、大帝陛下を宮廷に呼び出そうという悪魔的な考えから、 【速達】にさせて頂きました。
514 :
世界@名無史さん :2001/01/26(金) 03:42
名無しさん@オーストリアさんを見習って、1日1age!!
515 :
カール大帝 :2001/01/26(金) 23:13
余である。 長い留守で諸卿の質問に答えることが出来なかったこと、 余としても慙愧に絶えぬ。 しかし余も狩猟などに浮かれ騒いでいた訳ではないぞ。 ちと執務が溜まっておったのだ。 まあ、溜まるまでサボっていた余にも責任があるのだが。 そして余の必死の努力にも関わらず執務はまだ山積みじゃ。 余としては萎えている部分もあるのじゃが 余も帝王として後を見せる訳にもいかぬ。 そこで諸卿の質問に答えることが出来るのは来週になりそうじゃ。 だが、諸卿よ。一つ余から朗報があるぞ。 最近ハプスブルク家やホーヘンツォレルン家など 近代に続く名門についての質問が多いので 余も記録室を少しばかり整理したみたのじゃ。 すると、系譜についてはかなり揃っていることが再確認できたのじゃ。 ハプスブルク、ホーヘンツォレルン、バーデン、ヴィッテルスバッハなど 主だったドイツ系の王侯は揃っておる。 また、ハプスブルクに仕えたことで有名なリヒテンシュタイン家や エステルハージー家などの系譜も大丈夫じゃ。 ただ、ベーメン貴族はやはり見つからなかったのじゃが・・・ その他でもフランスではカペー家はもちろん、 アンジュー伯やシャンパーニュ伯などの封建大諸侯、 そしてロアン家やモンモランシー家など現代まで残る諸侯についても バッチリじゃ。 例えばかのジル・ド・レなどの家系も揃っておる。 紋章も多少は大丈夫じゃ。 諸卿よ。 更なる質問を待っているぞ。 そして余と共に知識を高めようではないか。
516 :
カウニッツ :2001/01/27(土) 00:49
大帝陛下、「ロアン家」って、 「王にはなれぬ、公爵じゃ御免だ、われロアン」のあの権門の 家系のことですか?
517 :
名無しさん@オーストリア :2001/01/28(日) 14:31
三畳!!Σ( ̄ロ ̄lll)狭い!!(※参上!!) ☆カール大帝陛下 様☆ ロアン家ってアントワネットの首飾り事件の時で有名なロアン枢機卿の家系 ですか?ロアンさんは国外追放になったけど革命初期にストラスブールに 戻ってきて「反革命」を訴え続けたそうですが1803年にエッテンハイムにて 亡くなったそうですね。かなりの遊び好きのプレイボーイだった ようですが、「国外追放」なのに、そんなに簡単にフランスへ戻ってこられるの ですか? 国外追放命令からストラスブールに戻るまではどこで、何をしてたのですか? 教えて下さい。死因はなんですか?老衰ですか?
518 :
カウニッツ :2001/01/29(月) 01:44
陛下〜・・・・・・
519 :
名無しさん :2001/01/29(月) 17:07
520 :
名無しさん@オーストリア :2001/01/31(水) 02:31
・・・・・と、言うことでage!!!!陛下は本日もお留守のようで・・・ お忙しいのですね・・・・|出口| λ..... トボトボ
521 :
カウニッツ :2001/01/31(水) 03:23
三畳!!Σ( ̄ロ ̄lll)狭い!!(※参上!!) ←うけました!!
522 :
カウニッツ :2001/02/01(木) 00:50
大帝陛下が御多忙のため、宮廷に来られないようなので、 皆で盛り上げましょう!! (出過ぎたまねですが・・・・・・)
523 :
名無しさん@オーストリア :2001/02/01(木) 01:40
カウニッツ様にうけて頂き光栄です。(*゜▽゜)ニパッ 私では役不足だと思いますが、本日より陛下が宮廷に戻られるまで お留守番係&宮廷清掃部員として1日1age頑張ります。 御迷惑おかけしないようにお利巧にしてますので 番犬程度で恐縮ですが・・・▼・。・▼」」」」ーワンワン!! カウニッツ様のお手伝いいたします。
524 :
カウニッツ :2001/02/01(木) 03:09
ロアン枢機卿は、アントワネット様の敵です。 首飾り事件の一番の被害者は、アントワネット様です。 彼女は事件について何ら関知しないのみならず、名誉を毀損され、 しかも無実の醜聞をあびたまま、泣き寝入りせざるを えなかったのですから。オーストリア宰相の私としては、 許せません!!
525 :
ナイペルク伯爵 :2001/02/01(木) 10:06
ロアン枢機卿はどうしようもない奴であーる!! 娘っ子を誘惑するには我みたいに隻眼で、近衛ハウザー連隊 指揮官として、トドメにハンサムでなければ…
526 :
カール大帝 :2001/02/01(木) 22:26
余である。 まだ執務が山盛りで宮廷で諸卿と会うことが出来ぬ。 どうも週末になりそうじゃ。 諸卿の意見こそ余の喜びである。 暫しの間留守にするが更なる質問・意見を頼むぞ
527 :
カウニッツ :2001/02/01(木) 23:41
定期age!!
528 :
名無しさん@オーストリア :2001/02/02(金) 01:43
※御案内※(留守番伝言サービスセンターに接続致します。) 『只今、陛下は留守にしております。ピーと言う発信音の後に お名前とメッセージをお願い致します。』 ピーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
529 :
カウニッツ :2001/02/02(金) 02:46
陛下、【速達】です。 自スレに次のようなレスがついていましたが、 真偽の程を御教え下さい。 ・・・スペインじゃ間違いなく 「カルロス5世」ってのがいるんですよ。 スペイン語で書くと"Carlos quinto"です。 quintoってのは「五番目の」って意味なので 「カルロス5世」で間違いは無いと思います。
530 :
カウニッツ :2001/02/03(土) 00:35
▼・。・▼」」」」ーワンワン!!
531 :
名無しさん@オーストリア :2001/02/03(土) 02:46
カウニッツ 様 パクリましたね!!(⌒▽⌒)アハハ! 本日のお留守番も無事に終了。 週末は、陛下はお戻りになられるのでしょうか・・・ カルロス5世のお話を聞かないと 眠れませんよぉぉ!!(笑) U^エ^U ワンワン!!
532 :
カウニッツ :2001/02/03(土) 03:06
ageる時に便利なんですよ。 パクっちゃって、どうもすんまそん!!
533 :
名無しさん@オーストリア :2001/02/03(土) 23:35
週末age!!皆様、御機嫌うるわしゅう。
534 :
名無しさん@オーストリア :2001/02/04(日) 22:27
U^エ^U ワンワン。。。で思い付いたのですが 宮廷に住んでる偉い方々は、ペットを飼う習慣ってあったのでしょうか? 狩猟には狩猟犬がいたでしょうが、ネコとか小鳥とか 飼ってたってな話はあまり聞いたことないですが・・・ 陛下、当時の暮らしの習慣はどうでしたか?
535 :
カール大帝 :2001/02/05(月) 21:37
余である。 手のかかる執務と絶望的な戦いが今も続いているゆえ そう長く宮廷におることは出来ぬ。 それゆえ、速達の質問にのみとりあえず答えよう。 ・スペイン王カルロス5世について カスティリア、レオン、アラゴンなど スペインの元となるイベリア半島の王国には カルロスの名を持つ王族はいたが王位についたことはない。 唯一の例外がナヴァラであるが、 通常ナヴァラ王位の数え方はスペイン王位には反映されていない。 ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝カール6世を スペイン王カルロス3世と数えるならば、 ブルボン家のカルロス4世を5世と呼ぶことも出来る。 但し、これは一般的ではない。 他に考えられるとすれば ブルボン家のカルロス4世王の6男である モリナ伯カルロス(1788−1855)が 姪のイサベル2世の王位継承に異を唱え カルロス5世を自称しておる。 だが、これも一般的に認められているとは言い難いし、 国民に特に慕われていた人物という訳でもない。 そこで推測ではあるがこの場合のカルロス5世とは やはり神聖ローマ皇帝カール5世のことを指すのではないかの。 スペイン国内でも皇帝であったことは広く知られておるからの。 それと余談であるが フェルナンド7世王の子供はカルロスだらけじゃ。 長男から3男までがカルロス(いずれも夭折) 4男フェリペ(夭折) 5男フェルナンド7世王 6男カルロス(モリナ伯) 7男フェリペ(夭折) 8男フランシスコ(カディス公) まあフランシスコの出生については諸説あるわけだがの。 では諸卿よ。また暫し余に時間を与えてくれ。
536 :
カール大帝 :2001/02/05(月) 21:39
余である。 念のため読み返してみると大きな誤りがあったわ。 余談であるが・・・の続きの王の名前は ブルボン家のカルロス4世王である。 帝王にも誤りはあるもの。 諸卿よ。 気にするでないぞ。
537 :
名無しさん :2001/02/06(火) 02:45
スペイン・ブルボン朝の歴代の王名(および在位期間、前王との続柄)を書くと以下のようになる。 フェリペ5世(1700−1746) フェルナンド6世(1746−1759、子) カルロス3世(1759−1788、弟) カルロス4世(1788−1808、子) フェルナンド7世(1814−1833、子) イサベル2世(1833−1868、娘) アルフォンソ12世(1874−1885、子) アルフォンソ13世(1886−1931、子) フアン・カルロス1世(1975−現在、孫) 以上が正統とされるスペイン王家の継承の順だが、私の手元の系図には、これとは別の対立王の系図が載っている。 これによると、フェルナンド7世の死後、その弟のモリナ公ドン・カルロスという人物がスペイン王カルロス5世を名乗っている。 この家系の継承順を示すと以下のようになる。 カルロス5世(1834−1839) カルロス6世(1855−1861、子) ドン・フアン(1861−1868、弟) カルロス7世(1872−1876、子)
538 :
カール大帝 :2001/02/07(水) 22:14
余である。 明日がとりあえずの執務の山場になりそうである。 諸卿よ。 まもなく余はこの宮廷に戻るぞ
あげときますぅ!!
540 :
る :2001/02/09(金) 15:35
おお。 えんかいぢゃえんかいぢゃ。
541 :
カウニッツ :2001/02/11(日) 00:06
ageましょう!
意味の無いあげ行為やめろ。 下がってるってことは需要が無いってことなんだから。
543 :
名無しさん@オーストリア :2001/02/11(日) 00:43
オオッ w(*'O'*)w久々に陛下の書き込み・・・ お忙しいのですね。 また、色々お聞かせ願います<(_ _)>
544 :
ミルフォードヘヴン公爵夫人 :2001/02/11(日) 03:08
ohohohoh!11
545 :
名無しさん脚 :2001/02/12(月) 01:07
大帝陛下!フニャディ家の質問へのお答えは!!!
546 :
名無しさん :2001/02/12(月) 04:51
カール大帝陛下に万歳三唱をしましょう! 大帝陛下ばんざーい!!! ばんざーい!!! ばんざーい!!!
547 :
名無しさん :2001/02/12(月) 04:52
548 :
名無しさん@オーストリア :2001/02/12(月) 15:49
本日もお日柄も良く絶好の宮廷お留守番日和。 今週は世間は「バレンタインDAY」なる お菓子屋の陰謀に巻き込まれております。 女性の皆様!こんな陰謀に負けてはなりません!! 私事ですが、甘いモノ及び特にチョコレートは大嫌い。 おかげで、この陰謀とは無縁でございます。 (^0^)/~~see you !
549 :
ナイペルク伯爵 :2001/02/12(月) 18:36
名無しさん@オーストリア様が(^0^)/~~see you とな!! ではいまの内に宮廷へチョコレートにショコラを… わっ足を滑らせてぶち撒いてしまった…(T▽T)
550 :
名無しさん :2001/02/13(火) 01:00
リヒテンシュタイン公家の家名は何ですか?
551 :
名無しさん@オーストリア :2001/02/13(火) 01:56
ナイペルク伯爵 様 大理石の上でチョコを食べるのは御遠慮下さいませ(笑) しかし、ナイペルク伯爵には日頃色々な知識を頂いておりますので 暖かいショコラでも御馳走致しましょう。 ( ^ )_旦~~ どうぞ !!ごゆっくり♪
552 :
名無しさん :2001/02/13(火) 23:18
シャルル10世のもとで首相になったポリニャックは、マリー・アントワネットに取り入ったポリニャック夫人の親族ですか?
553 :
カウニッツ :2001/02/13(火) 23:28
エカテリーナ2世の出身であるアンハルト=ツェルプスト公家 について御教え下さい。
554 :
名無しさん@オーストリア :2001/02/14(水) 00:27
エカテリーナU世!マリア・テレジアの次に尊敬する女帝。
555 :
名無しさん :2001/02/14(水) 03:30
イギリスのエリザベス1世も!!!
556 :
名無しさん :2001/02/14(水) 17:52
サリカ法典について教えて下さい。
557 :
カール大帝 :2001/02/14(水) 22:23
余である。 随分久しぶりの宮廷、嬉しいものだ。 さて、外では雪もちらついているようだが 質問に答えるぞ。 随分溜まっているようなのでまずは過去ログの読み込みからじゃ。 諸卿よ 暫し待たれよ。
558 :
カール大帝 :2001/02/14(水) 22:35
過去ログを読んだところ どうも469から答えていないようじゃ。 余としたことが、これではいかんの。 さあ、いくぞ。 >469 正解じゃ。 >470 嬉しいの。 こちらこそ宜しく頼むぞ。 >471 これは難しい。 余が様々な偉業をしているからこそ 後世まで余は帝王として人々の記憶に残っているからのー。 その一方で余も人間ではあるので 後世の人が眉をしかめる事も多少はしておる。 強いて偉業をあげるならば やはり教皇と仲良くしたことかのー。 キリスト教には負の側面もあったとは思うが 人々の安寧にも役立ったことは確かだからの。
559 :
カール大帝 :2001/02/14(水) 22:39
>472〜475 今宵も余の周囲では雪がちらほら舞っているようじゃ。 少し積もった後の駅の近くにある神社は 照明と相俟ってなかなか美しくなるであろう。 >476 嬉しいのー
560 :
カール大帝 :2001/02/14(水) 22:44
>477 これは本当に難しい質問じゃ。 まずマーチャーシュ王の家系について。 余も父親の名しか知らぬ。母親の名も分からぬのじゃ。 これは恐らく余の記録室をひっくり返しても 出てくる可能性はなさそうじゃ。 力になれなくてスマンの。 ただ、ラディスラスという名の兄はいたようじゃ。 ANSCHUTZ姓のドイツ貴族について。 これも記録室も見てみたが分からなかったのじゃ。 うーむ。 余も封建諸侯の家系ならばかなりマイナなものでも 多少はあるのじゃがのー。 地名としてもこれは分からぬ。 本格的に調べるとすればこれは彼の国の人間に 問い合わせるしかないのー。
561 :
カール大帝 :2001/02/14(水) 22:47
>478〜479 これは速達で一応は答えておるの。 紋章もまた家系や領地などを表すもの。 奥が深いものじゃ。 >485 あいや、これは正論であるな。 機種依存文字は余も気をつけるぞ。
562 :
カール大帝 :2001/02/14(水) 22:56
>486 紋章は見た目がキレイだから見ていても飽きが来ないの。 卿もたくさんの紋章を見れば 幸せな気分になれること請け合いじゃ。 >487 と、言ってみたものの 余も関心した紋章のサイトが閉鎖しているようじゃ。 主要な封建諸侯の紋章がかなり載っているサイトのうえ、 日本人ではあまり馴染みのない フランスの紋章が多いサイトだっただけに残念じゃ。 書籍については ちょっと大きめの図書館には いわゆる紋章学の入門書はあるのではないかな。 読み物として最初に気軽に読めるのは 森護氏のもよいの。 そして系図と紋章が同時に載っている書籍も あまり細かくなく良いものがある。 書名は・・・ 忘れてしもうたわ。 これは現在も王位に残る王家中心のものではあるが、 系図の途中に主要な家門の系図も載っているものである。 カラーで紙質も良く(余の記録室で埃だらけかもしれんが) 確かハプスブルクのオットー博士も監修に携わっていたはずじゃ。 余が所有しているものゆえ、方法さえあれば貸し出すぞ。
563 :
カール大帝 :2001/02/14(水) 23:07
>488 江村氏の立場からすれば 多少のハプスブルク贔屓は仕方ないところじゃ。 余も楽しく読ませてもらっておる。 さて、金印勅書の件じゃが これはルクセンブルク家の思惑に尽きる。 当時、帝位(ドイツ王位)を巡り競合していた ヴィッテルスバッハ家やハプスブルク家を 排除するための方策である。 聖職3諸侯は大きな力を持ってはいたが、 歴代の大司教位は帝国西部の諸侯が競っていたため その都度同盟の可能性が出来る。 ルクセンブルク家自体がトリエル大司教を出してもいるしの。 そして俗界諸侯。 最大の勢力は当時ベーメン王だったがカール4世皇帝が王位を兼ねておる。 そして他の3諸侯はバイエルン公とオーストリア公を除けば 当時最も有力な諸侯ということで上記2公を封じ込めるための措置じゃ。 後にルクセンブルク家自体がブランデンブルク選帝侯位も獲得しておる。 我ながら分かりにくい文章じゃな。 つまり何が言いたいかというと 当時帝位にあったカール4世が自家に都合の良いように 作った制度であり、 それは反対を許さぬだけの勢力があったということじゃ。
564 :
カール大帝 :2001/02/14(水) 23:13
続きじゃ。 この制度は後の皇帝が停止することも出来たのだが 2つの理由でそれはなされなかった。 1つめは制度を辞めるだけの力が無かったこと。 既得権を得た選帝侯の反対を打ち破るだけの力が なかった、またはそこまでリスクを負う気がなかった。 2つめは後の皇帝にとっても都合の良い制度だったこと。 例えば買収するにしても反目するにしても 相手は少ないほど扱いやすい。 また、数少ない選帝候位をいくつか持ってしまえば 自家の帝位継承は安泰というわけじゃ。 また選帝候にとっても既得権が守られて都合が良い。 まあ、いわば皇帝と選帝候達の馴れ合いじゃな。
565 :
カール大帝 :2001/02/14(水) 23:20
>489 おお大公妃よ。 ご機嫌は如何かな? 会い変わらず詳しいゆえ、今後もフォローをお願いするぞ。 >490 かの大公女は実に複雑な立場にあったと思うぞ。 しかし以前のハプスブルク家であったならば かくも厚遇はなかったであろうの。 >491 以前、江村氏は東洋大の教授であった記憶があるが 今も在職なのかのー。 >492〜493 ウレシイゾー >494 板違いかの。 いや、最近世界史板もこのような御仁が増えているようじゃ。 だが余も帝王の義務として どのような者でも拒みはせぬ。 宮廷で洗練された作法・知識を見につけると良いぞ。
566 :
カール大帝 :2001/02/14(水) 23:27
>495〜496 誰でも拒まぬとはいえ、 大勢のアラーシに来られては余も困るのー >497 おお、隻眼の美男子じゃな。 ナイペルク家の系譜は余の記録室にあったかどうか・・・ アウエルスペルクならば確実にあるぞ。 海外事情にも明るい卿の存在は頼もしいかぎりじゃ。 今後とも頼むぞ。 >498 トラップ男爵は確か本人の軍功で男爵位を受けたのではなかったかな。 余は ツヴァイクのラデツキー行進曲を思い出したぞ。
567 :
カール大帝 :2001/02/14(水) 23:35
>499〜502 卿の宮廷への忠勤、余は非常に嬉しくてならぬ。 だが以前約束した系図はまだ完成しておらぬのじゃ。 許してくれ。 >503 おお、そうなのか。 余はドキュン高校出身ゆえ、 世界史の教師という記憶がないのじゃ。 大学は史学科ではないしのー。 >504 ミュージカルは名作だと余も思うぞ。 現代の病める10代(ホントか知らんがよく言われておるな) も一度見ると良いと思うのじゃが。 それと余はレルヒについても深い同情を覚えるぞ。 高位には責任と孤独が伴うが、それは別として 余は常に恋する者達の見方でもあるぞ。
568 :
カール大帝 :2001/02/14(水) 23:42
>506 卿の熱心さには余も心打たれるものがある。 諸卿より多くを得るがよいぞ。 また同時に卿の知っていること、 得意な分野の知識は人々に惜しみなく分け与えると なおよいぞ。 >507〜508 ヨイゾ! ただカロリング家以降、 ロタールの名を使う家門が少なかったことは残念じゃ。 >510 カゼ・・・ 余はこの冬は例年になく体調を崩すことが多い。 以前はこのようなことは無かったのだが・・・ 諸卿もくれぐれも体に気をつけるように。
569 :
カール大帝 :2001/02/14(水) 23:47
>511 かの王の評価はさまざまじゃ。 先祖より受け継いだ負の遺産も多かったゆえ 彼の器量を判断するのは難しいものじゃ。 だが、かの王の名は永遠に人の記憶に残るであろう。 >512 イカンゾー! 余が居なくとも宮廷の偉大さに変わりはない。 仮に余がいないとすれば 卿が宮廷を明るくするよう頑張ってくれぬか。(オネガイ
570 :
カール大帝 :2001/02/14(水) 23:48
567のレス、 誤字がカッコワルイのー
571 :
カール大帝 :2001/02/15(木) 00:06
>513 うーむ。 アウステルリッツが卿の領地に加わっている由来は 余にも今ちと分からん。 ただ、当時のハプスブルク家に従っていた大貴族にとっては 国境はなかったも同然じゃ。 リヒテンシュタイン家のベーメンにおける領地などが良い例じゃ。 封建制度が崩れて以来、 領地の売買が非常に多くなっておる。 卿の場合も血縁関係による継承よりも 売買による獲得の可能性の方が高いのではないかのー。
572 :
カール大帝 :2001/02/15(木) 00:07
むー ちと疲れた。 続きは明日じゃ。 諸卿よ。 共に知識を深めようぞ。
573 :
る :2001/02/15(木) 00:12
カール大帝様竜顔うるわしゅう。 またお会いできてよかった。
574 :
名無しさん :2001/02/15(木) 03:36
再び大帝陛下のご尊顔を拝する栄誉にあずかり、光栄の極みに存じます。
575 :
カール大帝 :2001/02/15(木) 22:36
むがー 執務が入ったので 余が宮廷に戻るのは明日、しかも夜更けになるであろう。 諸卿よ 余は熱く燃えておるぞ!
576 :
ユルトラ :2001/02/16(金) 00:23
大帝陛下、 ジャコバン共が「クローヴィスの聖油瓶は俺達が粉々にした」 などとほざいております。これが本当なら、ランス大司教は どうやって塗油聖別をすればよいのでしょう。もはや、 まことのフランス王にお目見えすることは叶わぬのでしょうか。
577 :
名無しさん :2001/02/16(金) 01:46
578 :
パ :2001/02/16(金) 21:35
ヴィクトリア女王の孫にドイツ皇帝ウィルヘルム2世とジョージ5世がいたことは知ってるのですが 他に誰か有名な人はいないでしょうか?
579 :
ゆうこ :2001/02/16(金) 21:38
580 :
名無しさん :2001/02/16(金) 22:08
581 :
カウニッツ :2001/02/17(土) 01:04
さすがはカール大帝age!!
582 :
カール大帝 :2001/02/17(土) 03:02
余である。 週末の夜、余はこの宮廷に戻ってくることが出来た。 少々、空腹を覚える頃ではあるが 元気良くいくぞ! さて。 >514 いいぞ! >516 浅学な余はその標語は知らなかったぞ。 だがその標語はロアン家うまく表現してあるの。 中世での王侯の勢力は 必ずしも爵位と一致するわけではなかったのじゃ。 似た標語に 「王でなく太子でなく公でなく伯でもない。 我はクーシー城主なり」 というものがある。 これはフランスから低地地方にかけて大きな勢力を誇った クーシー家の標語じゃ。 クーシー家は中世の領主(諸侯)の貪欲さや残虐さ、 その絶大な権力を語る時、 引き合いに出されることが多い名家である。 ただの「領主」であってもクーシー家の勢力は そこらの伯などより大きかったため、 彼らは伯領などを併合しても あくまで「クーシー領主(城主)」の称号に こだわったのじゃ。 強大な勢力と強烈な自負心。 この家門は相手がフランス王であろうとも平気で戦っておる。 それゆえ イングランド王女やオーストリア公女を結婚相手に迎えるなど その系図は華やかなものじゃ。 ちと話がずれたが 強大な勢力を誇ったロアン家は 中世から現在まで続く名門である。 簡単に説明するゆえ、次のレスも読んでくれると嬉しいぞ。
583 :
カール大帝 :2001/02/17(土) 03:04
やはり省略か・・・ しかも今、余のおなかはヘタレぎみじゃ。 ロアン家については ちと腹ごしらえをしてからじゃ。
584 :
カール大帝 :2001/02/17(土) 03:50
お腹の具合がよくなると眠くなるのは必然。 だが負けはせぬ。 ロアン家については簡単にいえば次の通りじゃ。 ロアンの土地はフランスのブルターニュ地方にある。 ロアン家は偉大なブルトン人の王を先祖に持つと言われる ブルターニュきっての名門である。 それが後にはフランス屈指の名門となるわけじゃ。 最初のロアンと言われるのはアラン1世。 ポルオエ伯イオンの次男(3男?)である。 ちなみにアラン1世の兄はポルオエ伯を継ぎ子孫が続くが 後に相続人がロアン家の当主と結婚して ポルオエ伯領はロアン家に受け継がれる。 ブルターニュ第一の名門としてブルターニュ公の相続などに 関与しながらロアン家は勢力を増していく。 婚姻関係は華やかそのもの。 14世紀頃まではロシュフォール家,ディナン家など ブルターニュ諸侯との縁組が中心だったが、 14世紀末の当主、ロアン副伯ジャン1世は いわゆる王女を妻に迎えることになる。 ナヴァラ王フィリップ(フェリペ)3世の娘ジャンヌである。 そして次の当主アラン8世の妻はフランス大元帥として有名な オリヴィエ・ド・クリッソンの娘ベアトリス。 次のアラン9世の最初の妻は ブルターニュ公ジャン4世の娘マルグリット、 2番目の妻はロートリンゲン公となる家系の ヴォーデモン伯アントワヌ1世の娘、マリー。 その息子ジャン2世副伯の妻は ブルターニュ公フランソワ1世の娘マリー・・・ どれも欧州史上に残る名門との縁組ばかり、 ロアン家の勢力を雄弁に物語るものじゃ。 ロアン家のその後については次のスレじゃ。
585 :
カール大帝 :2001/02/17(土) 04:16
また省略かー・・・ 反省して簡略化を心がけるぞ。 ロアン家は婚姻や買収などで代を重ねるごとに 領地を増やしていく。 ナヴァラ王の王位継承者となる者もいたほどじゃ。 また、樫王フランソワ1世の祖母マルグリットのように、 フランス王家の中にもロアン家の血が入りもする。 ロアン家の系譜は15世紀、大きく二つに分かれる。 ロアン副伯ジャン1の長男、ロアン副伯アラン8世の家系と 6男のゲメネ領主シャルル1世の家系じゃ。 前者は本家としてロアン副伯のタイトルを継承していく。 男系はジャック1世までしか続かないが 娘のアンヌと夫のピエール2世・ド・ロアン(ゲメネ系の一人) の子を通して続いていく。 そして17世紀、アンリ2世(ユグノーのリーダーでもあった)が 初めてロアン公となる。 ポルオエ伯やレオン親王などの称号も持ちながらも あえてロアン副伯を名乗ってきたロアン家が ついに「公爵」を自らの称号としたのじゃ。 それは同時にロアン家の封建諸侯として終末の意味でもあった。 アンリ2世の娘マルグリットは名門シャボ家のアンリと結婚、 ロアン=シャボ公爵家として現代まで続いていく。 むおー!長すぎる。 だが、「まだ許す!」という諸卿は次のスレに進むのじゃ!
586 :
カール大帝 :2001/02/17(土) 04:40
そしてゲメネ卿シャルル1世の家系じゃ。 ブルボン王家の時代、有名なロアン達はこの系統が殆どじゃ。 数年前、雑誌「フライデー」にロアン公女というのも この家系の者じゃ。 ちなみにその時、一緒に写っていたのは ブルボン=オルレアン家の姫様だったの。 また脱線したが、とにかくゲメネ系ロアン家の家系は あまりに枝分かれしすぎて系図を書いても訳がわからんほどじゃ。 一門の持つ称号も当初はモンバッソン公(親王)や ロシュフォール親王、ロアン=ロアン公、モントーバン公など 数え切れないほどで 終いには婚姻による相続で ブイヨン公のタイトルを得る者も出る始末。 この家系の有名人は <マリー・ド・ロアン(モンバッソン公エルキュールの娘) 初婚の夫はリュイーヌ公シャルル・ダルベール 再婚の夫はシュヴルーズ公シャルル・ド・ロレーヌ。 モンバッソン嬢またはモンバッソン夫人として、 三銃士シリーズなど多くの文学作品に登場している。 <シャルロット・ルイ-ズ・ドロテア・ド・ロアン (ロシュフォール親王シャルルの娘) 彼女の夫は悲劇のプリンスとして知られる アンギャン公ルイ・アントワーヌ・ド・ブルボン=コンデ。 ブルボン家期待の星であった彼はナポレオン1世に 殺され、コンデ親王家は断絶する。 彼女は最後のコンデ家の妃として王政復古後も社交界で活躍。 そして・・・ <ロアン枢機卿 マリー・アントワネット王妃の首飾り事件の彼じゃ!
587 :
カール大帝 :2001/02/17(土) 04:41
ロアン枢機卿については質問が出ているので そこで答えるぞ。
588 :
名無しさん@オーストリア :2001/02/17(土) 14:56
大帝陛下御機嫌麗しゅう<(..)>ペコリ。 ロアン家のお話、大変興味深く拝見致しました。 そんなに歴史の深い家系だとは知らず、以前はまともな家系(?)だったの ですね。どーも、ロアン家=悪い司教と連想してしまいます。 紋章の件、ありがとうございます。 早速、図書館などに出向いて探してみたいと考えております。 もし、見つからない場合には再度御相談させて頂きたく存じます。 その時にはどうぞよろしくお願い致します。 また、陛下留守中の宮廷お留守番担当にはどうぞ @オーストリアを御指名お願い致します。(笑)
589 :
カウニッツ :2001/02/18(日) 01:17
久しぶりの大帝陛下の家系解説、このカウニッツ、感嘆の極み・・・・・・
590 :
カウニッツ :2001/02/18(日) 01:45
セドルニツキー伯(家)って、どういう家系の出身でしょうか?
591 :
カウニッツ :2001/02/18(日) 23:32
出直しますage・・・・・・
592 :
世界@名無史さん :2001/02/19(月) 00:57
ご機嫌麗しゅう、大帝陛下。 実を申しますと、不詳わたくしめはチューダー家の家系図が ようわからんのでございます。 確かオーウエンなる従僕がフランスより嫁ぎしキャサリン王妃に 産ませたエドマンドが、誰それ親王の妾に産ませた子の子孫に当たる マーガレット・ボウフォートと結婚して生まれたのがヘンリー7世 だったとか。ちなみにその時マーガレットは13歳とは・・何やら ロリロリな話でござりまする。 ちなみに、わたくしめの阿呆な頭には、その「誰それ親王」の名が どーーしてもインプットされずに困っているのでごさいまする。 なにとぞ、陛下の寛いお心を持ってお救い下さりませ。
593 :
カウニッツ :2001/02/20(火) 00:56
また来ますage!
594 :
フリードリッヒ :2001/02/20(火) 02:01
カール殿、久しぶりに参った。学者の教えを聞くのに忙しかったのじゃ。 学者というものは10年1日かと思えば突然変化するものもおる。なかなか手強いものじゃ。 >383、384、391 余が資料としておるカラー世界史百科(平凡社)には シャルル2世禿頭王(西フランク系) カール3世肥満王(東フランク系) となっておった。従ってカール殿がシャルル1世と判断した次第じゃ。 さて、余は本日よりイタリアへ遠征する。息子のいるナポリ・シチリ アへも足を伸ばす予定じゃ。では
595 :
フリードリッヒ・バルバロッサ :2001/02/20(火) 02:02
>594 おお、ちゃんと区別できるようバルバロッサとしておかねばな。 では出陣じゃ。
596 :
カール大帝 :2001/02/20(火) 22:07
余である。 前回のレス後すぐ宮廷に戻るつもりだったが 執務に邪魔をされてしまったのじゃ。 今宵も時間が限られてはいるが元気よくいくぞ。ごるぁー! >517 首飾り事件で有名なロアン枢機卿とは 余の記憶に誤りがなければ ルイ・ルネ・エドゥワール・ド・ロアンのことじゃ。 父はモンバッソン公・ゲメネ親王の エルキュール・メリアデク・ド・ロアン。 母はルイイーズ・ガブリエラ・ド・ロアン。 彼女は同じゲメネ系ロアン家の一人、 ロアン=ロアン公エルキュール・メリアデクの娘である。 つまり彼の母親は同族の者、 しかも自分の父親と同名の者と結婚したわけじゃ。 ただ、彼女の子供には、その出生を疑問視する意見もあるがの。 さて、彼ルイ・ルネは1734年9月12日にパリで生まれている。 そしてストラスブール(シュトラスブルク)司教になり、 在職のまま枢機卿に任じられる。 ストラスブールは古くから司教座都市として栄えた街であり、 歴代司教には収入も権威もあるとあって、人気のポストじゃった。 かつては古ロートリンゲン家、 そして近代に入ってからもハプスブルク家からも司教が出ておる。 フランスきっての名門であるロアン家はこの時期、 各地の司教ポストを多く持っているがストラスブールもその一つであった。 彼の叔父、ルイ・セザール・コンスタンィンも ストラスブール司教と枢機卿を兼ねていたがそれを甥に譲ったのである。 ちなみに彼の弟、フェルデイナント・マクシミリアンも聖職の道を歩み、 ボルドーとカレーの大司教になっておる。 うーむ長くなりそうゆえ続くぞ。
597 :
カール大帝 :2001/02/20(火) 22:15
省略されても気にず続きじゃ。 当時の聖職者といえば残念なことに 飲む・打つ・買うは当たり前という、 人々の尊敬を集めることは難しい問題じゃった。 それでも正式な結婚が出来ないため(嫡子が残せない)ため 聖職者になるのを嫌う者も多かったが 他の道、例えば軍人などに比べて収入が非常に良かった聖職者は 人気もあった。 逆に言えば結婚以外はなんでも出来たのじゃ。 当時の高位聖職者の行いを考えると 件の枢機卿の人物像については諸卿の想像通りであろう。 まあ、余も深く知っているわけではないがの。 しかし彼はギロチンを上手に逃れて 1803年2月16日に死んでおる。 病死か老衰か分からぬが68歳という年齢から まあ、普通の死に方であろう。 さらに続くぞ。
598 :
カール大帝 :2001/02/20(火) 22:37
続きじゃ。 ロアン枢機卿の革命後の足取りについては余は殆ど知らぬ。 しかし、彼は幸運といえるの。 何故なら彼の次兄はあえなくギロチンの露と消えているからじゃ。 ロアン家ほどの名門ならば、オーストリアを始めとして どこの宮廷でも迎えいれられるだろうから エミグレとして生活していたのではないかな。 また当時は現在の不法入国の取り締まりなどとは異なり かなり人の行き来はテキトーだったようじゃ。 正式に帰国を許可された貴族もおれば、 何度となく勝手に出入りしていた貴族もおる。 逆にフランス国外でもフランス官憲に逮捕された場合もある。 前のスレに書いたコンデ家最後の公爵がそうじゃ。 彼はフランス国境を越えて何度も行き来を繰り返していたが 最後はドイツのバーデン(記憶がうろ覚えだが)で 逮捕され処刑されている。 現在ならば国際問題となるの。 余はどうも話がずれる癖があるの。反省反省と。 さて、最後に彼の枢機卿の兄弟姉妹のことを簡単に記すぞ。 <シャルロット・ルイ-ズ (マッセラーノ親王ヴィットリオ・フィリッポ ・フェレロ・フィエスキ妃) <ジュネヴィエーヴ・アルマンンダ (マルケット修道院長) <ジュール・エルキュール・メリアデク (モンバッソン公、ゲメネ親王)→子孫は続く <マリー・ルイーズ (9歳で死亡) <ルイ・アルマン・コンスタンティン (モンバッソン親王、1794年ギロチンで処刑) <ルイ・ルネ・エドゥワール (ストラスブール司教、枢機卿) <フェルディナント・マクシミリアン・メリアデク (ボルドー大司教、カンブレ大司教、後にフランス帝国の伯爵) ちと分かりずらかったかもしれぬが 興味のある部分については質問するが良いぞ。
599 :
カール大帝 :2001/02/20(火) 22:46
>518 諸卿の求める時、余はこの宮廷に現れるぞ! >519 きれいなHPじゃ。 余もHPを作りたいと考えた時はあるが なにせPC厨房じゃからのー。 >520 「トボトボ」は初めて見たぞ。 味があるのー。 今度は元気が良いのも頼むぞ! >521 最近のAAの充実ぶりは楽しいかぎりじゃ。 ただ余はギコペなども使う機会がめっきり減ったのー。 >522 その通りじゃ!頼むぞ! >523 余も諸卿から教えてもらうことが多い。 皆で知識を深めようではないか。
600 :
カール大帝 :2001/02/20(火) 22:49
>524 例の首飾りはそもそもが問題じゃ。 あんな物を作った者がまず一番に間違えておる。 第一フランス王家の財政状況はもうずっと以前から 悪化の一途であったのだからな。 >525 ははは。卿の言う通りじゃ。 だが当時の大貴族は年を取るとどうしても太る者が多かったようじゃ。 余りやせていては威厳がないと思われた節もあるようじゃの。
601 :
カール大帝 :2001/02/20(火) 22:55
むう。時間である。 余は今宵は夜の街に出ねばならぬ。 帝王たる者、何事につけても知っておく必要があるからの。 諸卿よ 宮廷のこと、宜しく頼むぞ。
602 :
カウニッツ :2001/02/21(水) 00:42
朝、宮廷にまた来ます。
603 :
カウニッツ :2001/02/21(水) 23:56
19世紀のロシア帝国の暗い反動と残忍な圧迫の象徴、 アラクチェーエフ家はどのような家系なのでしょうか?
604 :
名無しさん :2001/02/22(木) 12:54
欧州の諸王家の系図を見ていると、17C以降、ドイツ・イギリスなどの王室とロシアの帝室との婚姻が頻繁に出てきます。 これは、明らかにプロテスタントとロシア正教との間の異宗婚になると思うのですが、問題なかったのでしょうか?
605 :
日本@名無史さん :2001/02/22(木) 19:24
英語で高貴の出をTHE BLUE BLOODと言います。 何故そう呼ぶのですか。
606 :
カウニッツ :2001/02/22(木) 21:58
昔のヨーロッパの民衆は、王侯貴族には青い血が流れていると、 考えていた様です。特にフランス絶対王政期。
607 :
世界@名無史さん :2001/02/22(木) 22:03
>>605 もちろん、パロ王家の伝承によるものです。
608 :
世界@名無史さん :2001/02/23(金) 00:27
>>カウニッツ氏 イカやタコでは酸素を運ぶのにヘモグロビンの代わりに ヘモシアニンという銅を含む青い色素を使っているので血も青いです。 すなわち、英国の高貴な人間はイカ男若しくはイカ女 であるのです。
609 :
名無しさん@9世紀 :2001/02/23(金) 04:16
∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ (゚Д゚)ノ (゚Д゚)ノ (゚Д゚)ノ (゚Д゚)ノ (゚Д゚)ノ (゚Д゚)ノ (゚Д゚)ノ (゚Д゚)ノ (゚Д゚)ノ (| | (| | (| | (| | (| | (| | (| | (| | (| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ 皇帝陛下マンセー! マンセー! ∧∧ o_______ o、_,o (゚Д゚ ) / / o○o⊇⊂ |__ 〜 余である! / ★★★ / /___/| / 丿 |o 〜 ∩∧ ∧ / 西ローマ帝国 / γ,-/| |UU'//耳 し(`Å´ ) / / | |(),|_| | |/二) =3 __ | |_ ∧ ∧/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ゝ_ノ ̄ ̄ ̄ゝ_ノ ____/_____/ρ゚Д゚__)┓ _O。//。'O/  ̄ 。| ̄ ̄- |] ̄`ヽ ブロロロロ〜! |┌――┐__ l⌒ll__.|__---イ_l⌒llノ =3 ~`--' ̄ ̄ ̄`--' `--' ̄ ̄ `--' マンセー! 偉大なるカール大帝陛下マンセー! ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ( )ノ ( )ノ ( )ノ ( )ノ ( )ノ ( )ノ ( )ノ ( )ノ ( )ノ (| | (| | (| | (| | (| | (| | (| | (| | (| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪
610 :
カウニッツ :2001/02/23(金) 12:40
>609さん、大帝陛下に無礼ですぞ!!(でも、面白いですね。)
611 :
カール大帝 :2001/02/23(金) 14:53
余である。 どうも宮廷に戻るのが不規則になりがちじゃが 許してくれるように願うぞ。 さて、時間があまりないがゆくぞ。 >527 うむ。卿とはいつもすれ違いばかりで残念じゃ。 >528 その通り。 何事も書き込みから始まるのじゃ
612 :
カール大帝 :2001/02/23(金) 15:00
>529 これは速達で一応答えておるの。 >530 わははは。 これは可愛い。 実は余は犬好きなのじゃ。 >531 ううむ、宮廷に戻る時間が約束と違うこともしばしばなのは 申し訳ないことじゃ。 だが日々、知識を深めるのみじゃ。 >532 カウニッツ卿の勤勉さには驚くばかりじゃ。 それゆえ、水が砂に染み込むごとく、 知識を深めることができるのであろう。 >534 うむうむ。 やはり貴婦人なくして宮廷は始まらぬもの。 嬉しいかぎりじゃ。
613 :
カール大帝 :2001/02/23(金) 15:07
>534 近代以降、王侯はとりわけ犬を好む者が多かったようじゃ。 好き、というより殆ど狂人に近いくらい 犬を可愛がっていた王も多い。 代表的な例でいえば・・・ 仏王シャルル9世や英王チャールズ2世、 ロシア皇帝ピョートル3世などであろうか。 また、王侯の妃を始め、 貴婦人は子犬を連れるのが当たり前という時代もあった。 とりわけ小型犬が人気だったようじゃな。 余の母上もスパニエルを可愛がっておった。 かのチャールズ王が愛した犬として、 犬種の名前にチャールズ王の名前が入っておる。 それはそれは愛い犬であったぞ。 今の余は住居問題で犬を飼えぬのが非常に残念でならぬ。
614 :
カール大帝 :2001/02/23(金) 15:09
>539 ヨイゾ! >540 おお、久方ぶりではないか。 いつもどおり上機嫌なこと、余も嬉しい限りじゃ。 書物に没頭するのもよいが、 宮廷で談笑するのもまた必要じゃと思うぞ >541 うむうむ。嬉しいのー
615 :
カール大帝 :2001/02/23(金) 15:16
>542 卿の言う事も尤もではある。 しかし余は見栄っ張りゆえ、 いつでもこの宮廷にはスレの上の方で輝いていて欲しいのじゃ。 ひとつ卿もこの宮廷を好きになってくれぬかの。 >543 余は常にこの宮廷を心に留めておる。 数日間不在であっても必ず戻ってくるぞ。 >544 おお、侯爵夫人も久しいな。 ところで最後の11の意味が余には分からなかったゆえ 教えてくれぬか。 >545 スマン・・・ フニャディ家は今もやはり分からぬのじゃ。
616 :
カール大帝 :2001/02/23(金) 15:18
近くで余を呼ぶ声がする。 帝王としてそんなものは無視する手もあるが 余は心優しい帝王を目指しているゆえ 行かねばならぬ。 諸卿よ。 余の宮廷はいつでも何人にも開かれておるぞ。 奮って質問、意見を書き込んでくれ!
617 :
カウニッツ :2001/02/24(土) 02:17
おお、大帝陛下はもう宮廷を後にされたのか・・・・・・
618 :
世界@名無史さん :2001/02/24(土) 17:04
あげん
619 :
カウニッツ :2001/02/26(月) 02:06
明け方また来よう・・・・・・
620 :
ミルフォードヘヴン公爵夫人 :2001/02/27(火) 05:42
agen
ハプスブルク家もウィンザー家にもホーエンツォレルン家にも 朝鮮貴族の血が色濃く流れているらしい。
622 :
カウニッツ :2001/02/28(水) 00:03
冗談にも程がある!!!
623 :
名無しさん :2001/02/28(水) 17:03
クーデンホーフ家には日本人の血が入っている。
624 :
カウニッツ :2001/02/28(水) 23:38
それは正しい!!
625 :
カウニッツ :2001/03/01(木) 17:49
クーデンホーフ・光子さんの御孫さんの中には、 ウィーン幻想派の画家の人もいます。 光子さんはいつも故国を思って生き、そして異国の地で亡くなったのですが、 それを象徴するような晩年の作の短歌を紹介します。 「年ふれど 色はかわらじ ときわ樹の 思いはいつも ふるさとのこと」 (クーデンホーフ家はハプスブルク帝国の伯爵家です。)
626 :
あやめ :2001/03/01(木) 18:58
クーデンホーフ伯は欧洲統合運動の先駆者として知られています。
627 :
おサル :2001/03/01(木) 19:29
クーデンホーフ伯は光子と結婚する前に、子供を産ませた女性に 対して結婚を拒否して自殺に追い込んでいます。 好きになれません。
628 :
カール大帝 :2001/03/01(木) 20:23
余である。 どうして余はこれほどの執務をこなさなければならぬのか 時々自問してみたくなる。 だが、宮廷活動は余の血であり肉でもある。 今夜はもー少し夜が更けた時、来れそうじゃ。 最近話題のクーデンホーフ伯ではあるが 余も多少ならば役に立てると思うぞ。
629 :
カール大帝 :2001/03/02(金) 00:00
余なのだが やっぱり今日はちと無理そう。 もう余は寝ても一向構わない時刻ではあるのだが 執務の相手から電話(便利な物じゃな)が かかってくるというのじゃ。 ただ、クーデンホーフに関しての書籍などは 読んでおきたいものじゃ。 あ、それから映像もじゃ。
630 :
あやめ :2001/03/02(金) 12:04
例の香水の「ミツコ」は光子さんに因んだネーミングらしいわね。美容院 によく置いてあるカラーグラビア厚目大型版の有閑奥様系雑誌に、麻生圭 子さんが光子さんの伝記を連載してたの読んだことあります。NHKでも 昔ドラマ化してたのも記憶してます。彼女の家の前で落馬したのを彼女が 手当てしてあげるシーンとかから始まったように思います。
631 :
カウニッツ :2001/03/03(土) 01:11
ん〜、意外と皆さんに知られている方なのか・・・・・・
632 :
@オーストリア :2001/03/03(土) 23:45
長く宮廷を留守をしてしまいました・・・ やっと帰って来られました。(^0^)/タダイマでございます。 クーデンホーフ・光子さんの本は出版されてますよね。 読んだことないのですが見かけたことがあります。 確か・・・光子さんについて「最後の皇女エリザベート」(著者:塚本哲也) の本の中でも少し書かれていたと思います。 エリザベート(皇女)の家庭教師だったか彼女の子供の担当だったか 記憶は定かではありませんが、家庭教師をしていたのは クーデンホーフ伯家の方だったとか・・・ そんな話を読んだ記憶があります。
633 :
世界@名無史さん :2001/03/04(日) 00:08
クーデンフーフ光子については松本清張「暗い血(?)」(文春) とかいう単行本が図版入りで詳しいですね。 けして社交界の花形ではなく、どちらかといえば<引きこもりがち>だった とか<EC誕生の母>説への疑問、とか多少意地悪な清張史観テンコモリですぅが
634 :
カウニッツ :2001/03/04(日) 01:13
大帝陛下の行幸期待age!
635 :
カウニッツ :2001/03/04(日) 17:49
シャルルマーニュage・・・・・・
636 :
マジレスさん :2001/03/04(日) 20:44
グリマルディー家について誰か知っている人いますか? ジェノアとかモナコの旧家らしいんですけれども・・・ 情報きぼーん
637 :
@オーストリア :2001/03/04(日) 21:50
本日の午後に再放送でしょうけどドイツの旅行(?)番組を やってましたが観た方いらっしゃいますか? 「王と皇帝の道」がテーマでカール皇帝が納めていた ローマ帝国時代の遺跡や砦を尋ねる旅でした。 神聖ローマ皇帝を認定する際に使用した会議室や、 歴代の皇族が泊まったらしいお屋敷など! 教会のステキな壁画もいっぱい紹介されていました。 歴代の神聖ローマ帝国の王の肖像画がありました。 チラッとですが、双頭の鷲の紋章が見えて嬉しかったです。 いつか実際に見ることができるといいなぁ・・・・ 宮廷お留守番係りの独り言でした。(^−^)
638 :
カール大帝 :2001/03/04(日) 22:35
余である。 今宵はとりわけ簡潔な文章を心がけるぞ! さて。 >546 イイゾ!! 余は皆に愛される皇帝でありたいと常々願っている。 >547 人それぞれに意見はあるもの。 但しこの宮廷は光輝く存在であってほしいので ageは大歓迎じゃ。 >548 余もチョコレートは全然ダメじゃ。 欧州にはどうも女性を魅了するチョコレートが溢れているようじゃが 余はもう少し、こう、さっぱりとしたものが好きじゃ。 ただ日本でのヴァレンタインデーの風習については 余にも多少、甘酸っぱい思い出があるので否定はしないぞ。 >549 これは宮廷一の色男とも思えぬ。 罰としてパルマでの勤務(夜勤)を命ずるぞ。
639 :
カール大帝 :2001/03/04(日) 22:48
>550 リヒテンシュタイン家で通っているの。 ただリヒテンシュタイン家の家名の元になったのは ウィーン郊外のリヒテンシュタイン城をこの一族の先祖が 持っていたことによる。 従って現在のリヒテンシュタイン国は この名前とは全く関係のない地域である。 一族の始祖と言われるのは12世紀のディートリヒ1世であろう。 ただこの一族が名を挙げるのは ハプスブルク家に仕えてからのことである。 皇帝マクシミリアン1世以降は 代々ハプスブルク家に仕えることで勢力を増していく訳だが 17世紀にシェレンベルク、18世紀にファドゥーツの 領地を購入したことで一大領主となり、 神聖ローマ帝国の親王(侯爵)に叙されることになる。 つまり、自治権を持つ君主となるわけだが、 それと平行してハプスブルク家に仕える大貴族でもあった。 現代も続く君主として、 また非常に多く枝分かれした系譜を持つ一族でもあるゆえ、 更なる質問があればまた別の機会に答えるぞ。
640 :
カール大帝 :2001/03/04(日) 22:50
続きをほんの少しばかり。 最近もリヒテンシュタイン家は話題が多い。 例えば世継ぎの結婚は久しぶりに カソリックの名族同士の者であったし 君主の権限の関係でも話題になっておるの。
641 :
カール大帝 :2001/03/04(日) 22:58
>551 麗しい宮廷の1コマじゃ。 宮廷での交流とは良いものじゃ。 >552 このスレの114と115に簡単ではあるが ポリニャック家について記しておる。 例の夫人は悪く言われることが多いが ポリニャック家自体は封建時代から残る名門貴族であるの。
642 :
カール大帝 :2001/03/04(日) 23:16
>553 いわゆるアンハルト=ツェルプスト家は 非常に長い由来を誇る名門の流れを汲んでおる。 これは用心して簡潔を心がけるぞ。 まず、アンハルトというのは・・・ なんといえば良いかドイツ中部、 テューリンゲン地方に隣接する地域とでもいえば良いかの。 そしてこの家系の始祖と呼ばれるのは 12世紀のバレンシュタット伯アダルベルトである。 彼はアスカニア(アシュルスレーベン)の城を得たため 彼の子孫の家系は一般的にアスカン家と呼ばれておる。 この家系で最も有名なのが アルプレヒト熊伯(1170没)じゃ。 最初のブランデンブルク辺境伯であり ヴェルフ家のハインリヒ獅子公とザクセン公位を争っておる。 彼の勢力は非常に多きいものだったため、 子供達は様々な領地を分割相続する。 長男オットー1世・・・ブランデンブルク辺境伯領、 次男ヘルマン ・・・オルラミュンデ伯領 3男ジークフリート・・ブランデンブルク司教、ブレーメン大司教 4男ハインリヒ ・・・マグデブルクの聖堂参事会員 5男アルプレヒト・・・バレンシュタット伯領 6男ディートリヒ・・・ウェルベン伯領 7男ベルンハルト・・・アシュルスレーベン、アンハルト伯領 ザクセン公領(縮小版) 続くぞ。
643 :
カール大帝 :2001/03/04(日) 23:37
続きじゃ。 当時は分割相続が当たり前の時代、 ドイツでは分割相続が盛んだったため ザクセン公、アンハルト伯だったベルンハルトの遺産は 早くも次代で分割相続されることになる。 長男ハインリヒ1世・・・アンハルト侯 次男アルプレヒト1世・・ザクセン公 である。 アルプレヒトの家系は後に ザクセン=ラウエンブルク公として近世まで続く。 ヴェッティン家系のザクセン公 (選帝候やザクセン王やヴィクトリア女王で有名な家系) とはまた違うザクセン公じゃ。 さてアンハルト家になってからも分割は続き ツェルプスト、ケーテン、デッサウなど 本拠地の名を冠したアンハルト侯爵が乱立する。 小さな勢力のアンハルト侯が大量にいるというわけじゃ。 だが、この家系は子沢山の家系であり 縁戚関係も華やかじゃ。 ブランデンブルク、ブラウンシュヴァイクなど 主に北部ドイツを中心にしてスウェーデンなど 北欧諸国の王侯とも縁組を多数しておる。 続くぞ。
644 :
カール大帝 :2001/03/04(日) 23:47
続きじゃ。 分割相続が余りに多かったため アンハルト家は帝国内の表舞台に出ることは少なかった。 だが、一人だけドイツ王候補に 名が挙がったことがある者がいる。 父祖伝来のアシュルスレーベンを保持した アンハルト=ケーテン=デッサウ伯ジークフリート1世である。 彼は一時期、あのハプスブルク家のルドルフ王と共に ドイツ王の候補として諸侯に注目されていたのじゃ。 結果は御存知の通り、ルドルフが王位に就いた訳であるが この家系は北部諸候の支持っが期待できる 名族であったといえよう。 続くぞ。
645 :
カール大帝 :2001/03/04(日) 23:59
さすがに長すぎるな。 余も疲れて来たぞ。 まあ分割相続だらけのアンハルト家の中の一つが アンハルト=ツェルプスト家だったわけじゃ。 だが、エカテリーナ女帝の弟でツェルプスト家は 絶えておる。 弟の名は アンハルト=ツェルプスト侯フリードリヒ・アウグスト。 最初の妻はヘッセン=カッセル家から、 2番目の妻はアンハルト=デッサウ家から迎えているが 後嗣がなくツェルプスト家領は男系を辿って アンハルト=デッサウ家に相続される。 このアンハルト=デッサウ家は 神聖ローマ帝国、ドイツ帝国の両方君主として革命まで、 さらに後嗣は現在まで続いておる。 ふー。 これほどの家系になるとやはり簡潔に書くのが難しい。 質問の答えになっているか不安ではあるが この家系について更に知りたい場合はまた尋ねてくれ。 姻戚関係などでも良いぞ。
646 :
カール大帝 :2001/03/05(月) 00:01
もう日付が変わってしまう。 余は執務に戻らねば。 では諸卿よ、また会おうぞ!
647 :
カウニッツ :2001/03/05(月) 00:23
次は何時御言葉が頂けるのであろうか・・・・・・?
648 :
@オーストリア :2001/03/05(月) 03:18
カール大帝陛下のおな〜りぃぃ!! と、思ったらお帰りぃぃ!!(笑) 本日、某テレビ番組でカール大帝陛下の肖像画を見ました。 さぞ、モテモテ♪だったことでしょう。 とてもカッコよく書かれていました。確か・・・ 第2次世界大戦で街の90%が壊滅したのに、その後の復興で 作り直されて・・・バイエルン地方よりも先の街でしたが 名前を忘れてしまいました。 歴代の皇帝や皇族が泊まったと言うホテル(?)の一室に カール大帝の絵がありました。 神聖ローマ帝国の皇帝を任命する式典を行っていた 教会(?)の近くだったように思います。 かなりアバウトな話ですが・・・(^-^; 身に覚えはございますか??(笑)
カウニッツ様のスレで書き込みを読んでいて思い出したのですが 皇帝の肖像画があった街の名前は「マインツ」だったかも? 違ってたらゴメンなさいませ・・・ ドイツであることは確かです!!って、そりゃそーですね(笑) え?マインツって第二次世界大戦で崩壊した街でしたっけ? 無知な私に知識をお授け下さいませ。 ( ^ )_旦~~ お茶とお茶菓子をお持ちしますので!! σ( ̄~ ̄)うーーーん、美味しい!!(って、私が食べてどーする?!)
650 :
カウニッツ :2001/03/05(月) 23:40
アーヘンだったような・・・・・・
651 :
カール大帝 :2001/03/05(月) 23:47
余である。 とり急ぎではあるが 余もアーヘンだと思う。 ただ、アーヘンの地位自体はマインツに比べれば 後世は低いものじゃ。 マインツはいわゆる「黄金のマインツ」じゃからの。 ちなみに、マインツは余が夕食を採り過ぎて 路傍でローゲーしてしまった街でもある。
652 :
カール大帝 :2001/03/05(月) 23:48
ちと不衛生な話であったな。 スマン。 諸卿よ。 宮廷の扉は常に開かれておるぞ!
653 :
カウニッツ :2001/03/05(月) 23:49
基本的すぎてかえって忘れかけているのですが、 フランクフルトで皇帝選挙をして、皇帝(&ローマ王)を選び、 選帝侯の一人でもあるマインツ大司教によって、 アーヘンで戴冠式を行っていたのでは・・・・・・
654 :
カウニッツ :2001/03/05(月) 23:55
陛下、いらしたのですか!同じ時間帯に宮廷に・・・・・・これは珍しい!
655 :
カール大帝 :2001/03/06(火) 00:56
余である。 今宵はちと酔っておるようじゃ。ワハハハ。 カウニッツ卿よ。 ようやく同じ時間に邂逅出来て余も嬉しい。 アーヘンの件であるが ある一時期からはそうであった。 (その時期は忘れた。ワハハ) 確かマインツは大司教が戴冠したのは 教皇代理としてではなかったかな? マインツ大司教はローマ教皇より なんとかという権利を付与されたいわばアルプスの北の教皇。 ゆえにマインツ大司教は帝国宰相のような役も 果たしていたと余は記憶している。 今宵は酔っているので執務はもうやーめた! 帝王も時には我侭なものじゃ。 諸卿もいい夢見であるように。
656 :
カウニッツ :2001/03/06(火) 02:58
花粉症が・・・・・・
657 :
nanasisan :2001/03/07(水) 00:07
&#50500;&#44172;
658 :
@オーストリア :2001/03/07(水) 00:29
(*^o^)从(^-^*)仲間♪(嬉しくないと思いますが) カウニッツ様!!私もでございます! 昔のヨーロッパにも花粉症はあったのですね?!(笑) 酔ってる陛下もス・テ・キ♪(/.\) キャッ。
659 :
ふとっちょマックス :2001/03/07(水) 01:36
ふとっちょマックスっす。とうとうここにも顔を出してしまったっす。 前世は、最後のケルン選帝侯だったっす。以後お見知り置きのほどを。>カール大帝陛下 オレの理解では、フランクフルトでの戴冠は、我が先祖マクシミリアン帝であったように 思いますが。違ってましたっけ? 皇帝選挙、戴冠式ともにフランクフルトの大聖堂で 行われたはずですが... フランクフルトからアーヘンまでかなりありますよ。特急だとマインツかケルンで乗り換え が必要でしょう。おっとこれは現世の話。ケルンからだって70キロある。 でもアーヘンは温泉が湧いてていい街っす。カール大帝陛下が好きであられたのもわかるっす。
660 :
ふとっちょマックス :2001/03/07(水) 01:41
小さな訂正っす。申し訳ないっす。 フランクフルトでの戴冠→フランクフルトでの最初の戴冠 訂正お願いします。 大帝の前で緊張してるっす。 三大宗教選帝候の筆頭は、やっぱマインツですもんね。 考えられなくもない話っす。 >ヴェンツェル・フォン・カウニッツ伯
661 :
モンゴル人 :2001/03/07(水) 02:16
ジョチ家の若様の中で、内紛に敗れられてモスクワへ逃れられたかたがあり、その子孫のひとりが雷帝イワン一世からモスクワ大公位を一時的に譲られ、さらに十七世紀初頭にリューリュク家が断絶した際には大公位が格上げされたロシアのツァーの候補者にもなったという話を聞きました。 モスクワ大公位についたり、ロシアのツァーの候補者になったわが黄金の一族の殿様について、詳しいことを教えてくだされ。とくに末裔がいまどこでどうしておられるかなど。。。
662 :
あやめ :2001/03/07(水) 12:17
白帳汗系の最後のキプチャク汗であるシャイフ-アフメッドの子孫カスィ モフ汗サイン-ブラトは、雷帝の妃マリアの甥に当たり宮廷でも重んじら れていたようです。彼は1573A.D.にイスラムからロシア正教に改宗し名 もセミョーン-ベクブラトヴィチと改めました。翌年なぜか雷帝は突如と して自らは単なる貴族の地位に退き、ツァーリの帝冠をセミョーンに譲り モスクワから退去する挙に出ました。この雷帝の奇矯な行動の意味やモス クワ大公とモンゴル系君主の関係については、山内昌之さんの「ラディカ ルヒストリー」(中公新書)に詳しく述べられています。
663 :
ティリー伯 :2001/03/07(水) 21:52
陛下。私の評価はどうなんでしょうか? お答えくださいませ。
664 :
NANASISAN :2001/03/07(水) 21:53
Emperor Karl the Great
665 :
@オーストリア :2001/03/07(水) 22:18
色んな国のいろんな方が宮廷にいらっしゃってますね。 さすが、人気の大帝陛下の板ですねぇ。
666 :
NANASISAN :2001/03/07(水) 22:43
I am in Korea now.
667 :
NANASISAN :2001/03/07(水) 22:46
&#50500;&#44172;masu.
668 :
NANASISAN :2001/03/07(水) 22:51
&#50500;&#44172;=age
669 :
ベルトルト・フォン・ヘンネベルク :2001/03/07(水) 23:39
age
670 :
@フランソワ :2001/03/08(木) 04:22
age
671 :
NANASISAN :2001/03/08(木) 17:28
&#49324;&#44172;=sage
672 :
カウニッツ :2001/03/08(木) 20:32
age職人参上!
673 :
@オーストリア :2001/03/09(金) 00:14
カウニッツ様が職人だったとは!!!! 惚れました!!(笑) アーヘンには温泉があるのですかぁいいなぁ♪ 「黄金のマインツ」には何かお宝があるんですか?? 陛下が食べ過ぎるほど、美味しい食材のある街なのですね! 私も連れてって下さい!! 車のトランクで構いませんので(笑) よろしくお願い致します。
674 :
カール大帝 :2001/03/10(土) 00:50
執務で体力も限界じゃー。 来週の中頃に余は参る。 諸卿よ、質問や意見を宜しく頼むぞ!!
675 :
下級騎士 :2001/03/10(土) 01:07
おお、陛下が、御出でなされた。 陛下、わたくしめは、ご覧のとおりの身分でございます。 爵位がほしくてなりませぬ。ところで、亜米利加なる国に 爵位を金で売っている輩達が存在しているとの由々しき 噂を耳に挟みました。
676 :
世界@名無史さん :2001/03/10(土) 22:13
age
677 :
世界史素人 :2001/03/10(土) 22:28
今のスウェーデン、イングランド、スペイン、ネーデルランドの王家って、 血縁関係はあるのですか?どうしようもない質問でごめんちゃい。
678 :
カウニッツ :2001/03/11(日) 00:14
@オーストリアさん、大帝陛下はしばらく留守をされるゆえ、 留守番宜しく御願い致します。
679 :
カウニッツ :2001/03/11(日) 03:26
基本を1つ・・・ カール(ドイツ)=シャルル(フランス)=チャールズ(イギリス)= カルロス(スペイン)
680 :
カウニッツ :2001/03/12(月) 00:23
age職人再び参上!
681 :
カール大帝 :2001/03/12(月) 02:24
余である。 睡眠が殆ど取れずねむねむである。 帝王といえど寝ないことには 体が持たーぬ
682 :
名無しさん :2001/03/12(月) 14:51
>>679 カルロ(イタリア)
カーロイ(ハンガリー)
カレル(ブルガリア)
683 :
世界@名無史さん :2001/03/12(月) 20:55
カ−ル大帝御機嫌麗しゅう。 王侯ではないのですが、最後のドイツ騎士団長 ホ−エンツォレルン家のアルブレヒトがどのような 経緯で騎士団長についたのかお教え願いたいのです。
684 :
名無しさん :2001/03/12(月) 21:35
カール大帝陛下の父君は、なぜ「ピピン3世」なのですか? メロヴィング朝のフランク王には、ピピン1世もピピン2世もいないと思うのですが・・・
685 :
カウニッツ :2001/03/13(火) 03:41
ついでにage
686 :
非常委員会布告 :2001/03/13(火) 11:17
革命と経済の為の非常委員会布告第3号 に基づいて以下の同志の出身成分の照会を依頼する。 ジェルジンスキー伯爵 革命万歳、労農政府万歳
687 :
名無しさん :2001/03/14(水) 22:38
最近だれもageなくなったな・・・
688 :
俺 :2001/03/14(水) 23:11
689 :
ナイペルク伯爵 :2001/03/15(木) 10:14
>684 ピピン3世の祖父がピピン2世です。更にその祖父が1世です。
690 :
名無しさん :2001/03/15(木) 13:08
691 :
ナイペルク伯爵 :2001/03/15(木) 14:40
>690 いいえ、宰相かなにかみたいです。(宮宰と書かれてた)
692 :
カウニッツ :2001/03/15(木) 21:33
大帝陛下の代理age!
693 :
世界@名無史さん :2001/03/15(木) 23:20
>663 ティリー伯とはスティリア(現スロベニア)のツィレイ一族のことでしょうか??
694 :
カウニッツ :2001/03/15(木) 23:54
え、ティリー伯って、三十年戦争に出てくるティリーのこと?
695 :
ナイペルク伯爵 :2001/03/16(金) 00:02
ティリー伯爵はローマンティックシュトラッセにある有名な町 ローテンブルクでは悪魔扱いです。インゴルシュタットでは町 を代表する(正確にいうと他に売り物がない)名将で、ミュン ヘンではフェルトヘルンハレ(将軍堂)に飾られるバイエルン の守護将軍です。
696 :
ティリー伯 :2001/03/16(金) 00:29
わたくしの評判が天使と悪魔!に分かれますな。
697 :
名無しさん :2001/03/16(金) 10:06
>>691 じゃあ、宮宰としてはピピン3世でも、フランク王としては1世ですね。
698 :
俺 :2001/03/17(土) 03:59
ピピンピピンピピンS〜♪
699 :
カウニッツ :2001/03/17(土) 04:40
ageといて〜、
700 :
カウニッツ :2001/03/17(土) 04:41
700GET!
701 :
カール大帝 :2001/03/17(土) 07:21
余である。 花は愛でるものだが思わぬ災いとなるということを 余は今年から実感することとなった。 目がはれぼったいのじゃ。 今日は別邸に来ているゆえ長居は出来ぬ。 だが余は来週初めにも宮廷に現れたまった質問に テキパキと答えるであろう。 さて、就寝前に薬師でも呼ぶか。
702 :
世界@名無史さん :2001/03/17(土) 23:33
ティリー伯爵の悪行というとマグデブルクの大虐殺ですね。 スティリアのツィレイというとハンガリーのフニャディ一族 のライバルだったウルリク・ツィレイの代で断絶してるので ティリー伯爵とは関係ないでしょう。
703 :
世界@名無史さん :2001/03/18(日) 18:30
age
704 :
名無しさん :2001/03/18(日) 21:55
age
705 :
ぁバスク人 :2001/03/19(月) 02:20
敬愛なるシャルル陛下へ 有名なエンリケ航海王子の肖像画は二人描かれていますが どちらがエンリケなのでしょうか?くだらない質問にとられるかも 知れませんが私これで10年来悩んでおります。どうか陛下の寛大なる ご教授のほど宜しくお願い申し上げます。
706 :
名無しさん :2001/03/19(月) 14:22
エンリケ航海王子って、本当は船酔いがひどくて実際に自ら航海に出たことは殆どないらしい。
707 :
名無しさん :2001/03/19(月) 14:23
Henrique
708 :
カウニッツ :2001/03/20(火) 06:52
709 :
カール大帝 :2001/03/20(火) 15:48
余である。この宮廷も今日で終わりじゃ。スマンの。
710 :
カール大帝 :2001/03/20(火) 19:41
余である。 上のレスは偽者の仕業である。 だがまあ面白い。 なにか褒美を取らせるぞ。 ところで 余は明日本格的に現れるであろう。
711 :
名無しさん :2001/03/21(水) 15:54
ppp...age!!!
712 :
カウニッツ :2001/03/21(水) 23:29
>709。むむー、何者の仕業!無礼な! 大帝陛下、このカウニッツめは陛下の宮廷がある限り、忠誠を誓う者ですぞ。
713 :
世界@名無史さん :2001/03/23(金) 02:16
∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ (゚Д゚)ノ (゚Д゚)ノ (゚Д゚)ノ (゚Д゚)ノ (゚Д゚)ノ (゚Д゚)ノ (゚Д゚)ノ (゚Д゚)ノ (゚Д゚)ノ (| | (| | (| | (| | (| | (| | (| | (| | (| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ 皇帝陛下マンセー! マンセー! ∧∧ o_______ o、_,o (゚Д゚ ) / / o○o⊇⊂ |__ 〜 余である! / ★★★ / /___/| / 丿 |o 〜 ∩∧ ∧ / 西ローマ帝国 / γ,-/| |UU'//耳 し(`Å´ ) / / | |(),|_| | |/二) =3 __ | |_ ∧ ∧/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ゝ_ノ ̄ ̄ ̄ゝ_ノ ____/_____/ρ゚Д゚__)┓ _O。//。'O/  ̄ 。| ̄ ̄- |] ̄`ヽ ブロロロロ〜! |┌――┐__ l⌒ll__.|__---イ_l⌒llノ =3 ~`--' ̄ ̄ ̄`--' `--' ̄ ̄ `--' マンセー! 偉大なるカール大帝陛下マンセー! ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ( )ノ ( )ノ ( )ノ ( )ノ ( )ノ ( )ノ ( )ノ ( )ノ ( )ノ (| | (| | (| | (| | (| | (| | (| | (| | (| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪
714 :
世界@名無史さん :2001/03/23(金) 15:34
ただ、有名ではないがルネサンス期ごろ欧州最大最強の王家だった ヤゲロ(ヤギェヴォ)家の家系は、現代にまで続いているのでしょうか?
715 :
名無しさん :2001/03/24(土) 01:16
よくわからんが、断絶したんじゃないか? だからポーランドは選挙王政になったんだと思う。
716 :
カウニッツ :2001/03/24(土) 02:26
ボヘミア・ハンガリー王国のヤゲロー家は1526年に断絶しました。 ポーランド王国のヤゲロー家も何時かは忘れましたが、 こちらも断絶したと聞きます。ということで、多分断絶したのでしょう。
717 :
世界@名無史さん :2001/03/25(日) 00:25
>716 ボヘミア・ハンガリー系は1526年のモハーチの戦いで当主のラオシュ2世 がトルコと戦って戦死(戦場から撤退中に乗馬ごと川に転落して溺死) ポ−ランドの方は1572年にジィグムント・アウグスト王の死で断絶している。 しかし、もしかしたら傍系は現代まで生き延びているかもしれない。
718 :
カウニッツ :2001/03/26(月) 01:52
大帝陛下は今日も居られぬようだ・・・帰るとするか・・・
719 :
世界@名無史さん :2001/03/26(月) 12:00
>>715 選挙王制については、たしかヤン三世・ソビエスキ王(ヤゲロ家ではない)が
選挙王制の廃止・世襲王制への移行を画策して失敗している。
この王家の本家筋は現在アメリカにいる。
720 :
世界@名無史さん :2001/03/26(月) 23:47
ヤゲロー家がアメリカに!?詳しい情報望む!!
721 :
カウニッツ :2001/03/27(火) 01:16
自分のスレッドをageてくれた人がいて嬉しいな〜 ってことで私が大帝陛下のスレをageときましょう!
722 :
名無しさん :2001/03/27(火) 20:29
>>720 よく知らないが、別にめずらしいことじゃないと思う。
723 :
世界@名無史さん :2001/03/28(水) 10:47
>>720 ヤゲロー家じゃなくてソビエスキ家の本家筋はアメリカにいて、
若手女優リリー・ソビエスキはその直系と聞く。
724 :
世界@名無史さん :2001/03/28(水) 10:49
ソビエスキ家はピャスト家の遠縁にあたる。
725 :
名無しさん :2001/03/28(水) 12:36
あのハプスブルク家も戦後しばらくアメリカにいた。
726 :
カール大帝 :2001/03/28(水) 20:02
余である。 私事ではあるが週末は結婚式をしていたのじゃ。 帝王らしからぬ地味婚ではあったが・・・ 溜まった質問、腕がなるぞ。 余はまもなく宮廷活動を再開するであろう
727 :
カウニッツ :2001/03/28(水) 21:44
おめでとうございます!これでカロリング朝も安泰ですな〜。 して、ルイ1世様は何時御産まれに?
728 :
おっぱいがいっぱい :2001/03/28(水) 22:18
∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ (゚Д゚)ノ (゚Д゚)ノ (゚Д゚)ノ (゚Д゚)ノ (゚Д゚)ノ (゚Д゚)ノ (゚Д゚)ノ (゚Д゚)ノ (゚Д゚)ノ (| | (| | (| | (| | (| | (| | (| | (| | (| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ 皇帝陛下マンセー! マンセー! ∧∧ o_______ o、_,o (゚Д゚ ) / / o○o⊇⊂ |__ 〜 余である! / ★★★ / /___/| / 丿 |o 〜 ∩∧ ∧ / 西ローマ帝国 / γ,-/| |UU'//耳 し(`Å´ ) / / | |(),|_| | |/二) =3 __ | |_ ∧ ∧/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ゝ_ノ ̄ ̄ ̄ゝ_ノ ____/_____/ρ゚Д゚__)┓ _O。//。'O/  ̄ 。| ̄ ̄- |] ̄`ヽ ブロロロロ〜! |┌――┐__ l⌒ll__.|__---イ_l⌒llノ =3 ~`--' ̄ ̄ ̄`--' `--' ̄ ̄ `--' マンセー! 偉大なるカール大帝陛下マンセー! ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ∧∧∩ ( )ノ ( )ノ ( )ノ ( )ノ ( )ノ ( )ノ ( )ノ ( )ノ ( )ノ (| | (| | (| | (| | (| | (| | (| | (| | (| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | 〜| | ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪ ∪∪
729 :
カール12世 :2001/03/28(水) 23:50
陛下、お初にお目にかかります。無学な教えて君で恐縮でございますが、 北欧のデンマーク、ノルウェー、スウェーデンの王室の関係をお教え願え ないでございましょうか? ご無礼のほどは何卒、御大典の恩赦にてお許しを賜りますよう・・・。
730 :
名無しさん :2001/03/29(木) 00:06
とりあえず、デンマークとノルウェーは、家名が同じですね。
731 :
カウニッツ :2001/03/29(木) 00:19
大帝陛下、そろそろ宮廷に来て頂かないと暴動が起きまする・・・
732 :
カール12世 :2001/03/29(木) 01:04
>730 ありがとうございます。確かノルウェーはスウェーデンの将軍が独立 して建国したと思いますが、出自がデンマーク王家だったのでしょうか? 非常にうろ覚えな話で恐縮でございますが・・・。 >カウニッツ閣下 大帝陛下ご不在の折り、下々の身としては閣下にもドンと構えて頂か ねば困りまする。
733 :
カウニッツ :2001/03/29(木) 01:16
スウェーデン国王であらせられるカール12世陛下に御会いできるとは、 光栄の極み・・・
734 :
名無しさん :2001/03/29(木) 02:17
>>732 ノルウェーは、1905年にスウェーデンから独立した際に、デンマークの王族を国王に迎えました。
735 :
名無しさん :2001/03/29(木) 02:25
現在のスウェーデン王家(ポンテコルヴォ家)の初代カール14世ヨハンは、もとはジャン・ベルナドットという名前のフランス人でナポレオン配下の軍人でしたが、当時のスウェーデン王グスタフ4世の養子に迎えられて即位しました。
それから、
>>734 で書き忘れましたが、現在のデンマークとノルウェーの王家の家名は、ともにグリュクスブルク家です。
736 :
カール12世 :2001/03/29(木) 07:57
>734、735
ありがとうございます。ジャン某とはこのスレの5番にあった刺青の
陛下でございますな。
>>5 では、大帝陛下がその後にレスをおつけになられた折に話題に出てきた
ヴァーサ家は私の家系でございましょうか?恐ろしい健忘症で自分の家名
すら・・・。お恥ずかしい次第です。
デンマークからスウェーデンが分離した(といって良いのか分りませぬが)
のはいつ頃なのでございましょう?どうもデンマークという国が良く
分りませぬ。なにか知らぬ間に大国になって知らぬ間に小国になっているような・・・。
出来ますれば、無学の者にも優しい北欧の文献等がありますれば
お教え願えればと助かりまする(恥)・・。
737 :
名無しさん :2001/03/29(木) 16:27
カルマル同盟で北欧3国がデンマーク王の支配下におかれたのが、1397年。 スウェーデンがデンマークの支配から独立したのが、1523年。
738 :
カウニッツ :2001/03/30(金) 00:37
(●^o^●)
739 :
名無しさん :2001/03/30(金) 00:50
???
740 :
スレちがいかもだけど :2001/03/30(金) 02:38
741 :
名無しさん :2001/04/01(日) 13:41
age!!!!!
もしかして、大帝妃は大帝の執務にご理解がないのでは・・・・
743 :
カール12世 :2001/04/02(月) 13:44
>737 ご教示、ありがとうございます。 >陛下 大帝陛下は宮廷が上にあるのがお好きだそうですのでageます。 そのageのついでで恐縮ですが(汗)。 カヌートのイングランド王位継承とその後のノルマン王朝って血筋としては全く関係 ないのでしょうか?また、スウェーデンの王室にデンマーク王室(?)から養子が 入っているそうですが、スウェーデン独立の際、デンマーク王室の血筋は スウェーデンから絶えてしまったのでしょうか? 陛下の御執務の際に、これらの事にも御手を差しのべていただけますれば 光栄に存じます・・・。
744 :
名無しさん@HOME :2001/04/02(月) 15:40
突然、誠にお恐れながら、お尋ね致したく存じます。 以前から気になって、ずいぶん調べたのですが、どうしても分かりません。 王位継承権を持ちながらも遠い王族の配偶者は、どのように呼称されるものなのでしょう。 例えばイギリスのエドワード王子、ソフィー・リスジョーンズ様などです。 故ダイアナ妃は「王太子妃」でした。 YAHOOトップに「王子夫人」とあり、どうにも釈然としないのです。 博識なみなさまのあたたかいお返事を望みます。
745 :
世界@名無史さん :2001/04/02(月) 23:17
結婚祝賀で開放された宮廷に来てみたが、陛下がおられぬ。 ひょっとして蜜月旅行に出かけられたやもしれぬのう。 陛下、お初にお目もじつかまつります。 サンタントワーヌ(バスチーユ)に砲撃を加えたことで有名な、大令嬢こと、 アンヌ・マリー・ルイーズ・モンパンシエ・ドルレアン。 彼女は母からモンパンシエ家の莫大な財産を受け継ぎ、欧州一の富裕な花嫁と 呼ばれたそうですが、モンパンシエ家とはどういう家柄なのでしょうか。 お答え頂ければ、光栄至極。。。
大変申し訳ありません、スレ違いでした。 他に質問をやり直させていただきました。 お目汚しでした。
747 :
ナイペルク伯爵 :2001/04/03(火) 11:03
>744 王太子は王位第一継承者のみです。あとは王子&王女です。これはドイツ語 だと簡単なのですが、クローンプリンツとただのプリンツで地位に大きな差 があります。日本だって同じ兄弟なのに兄は皇太子様と言われ、弟は宮様で すから・・・
748 :
世界@名無史さん :2001/04/03(火) 11:10
ヽ(´ー`)ノ (___) | |〜〜 ◎ ̄ ̄◎ ころころ〜
749 :
日本@名無史さん :2001/04/04(水) 13:07
カロリング帝国万歳!
750 :
カール大帝 :2001/04/06(金) 19:46
余である。 明日はなんとしても宮廷に戻る所存である。
751 :
シメオン2世@ブルガリア :2001/04/07(土) 00:59
752 :
世界@名無史さん :2001/04/07(土) 22:58
バイエルンのヴィテルスバハ家について詳しく知りたい。 ハプスブルク家、ホーエンツォレルン家に次ぐドイツ第3の家系と 思うけど素人向け資料が見当たらない!
753 :
世界@名無史さん :2001/04/07(土) 23:40
ヴィッテルスバッハはドイツ系家系最古参で、11世紀にはバイ エルンの統治を開始し、1918年迄支配しておりました。現在 でも唯一元支配地域に住む王族で、国民の中には立憲君主制復活 を望む声がかなりあります。
754 :
ぼんちゃん :2001/04/08(日) 03:10
ここオモシロイねー 2chにもこんなのあったんだ。 世界史板初めて来ました 全部読んでる間に下がってたのでageまする(・∀・)イイ!
755 :
歴史趣味 :2001/04/08(日) 06:13
ブルガリア王政復古熱望! でも、今の政府も偉いね。 普通は「共和国の存立を脅かす虞のある 旧王族は入国禁止!」だの言うものなのに。
756 :
752 :2001/04/08(日) 07:56
>753 ありがとうございます。ヴィッテルスバハ家から皇帝も何人か輩出している 名門とは存じてましたが11世紀から20世紀に至る古参王家とは知りませんでした。 何か参考文献(できれば素人向け)があれば誰か教えて下さい。
757 :
753 :2001/04/08(日) 10:00
>752様 残念ながら日本国内ではバイエルンは小さな存在扱いですから 文献はドイツで探した方が良いです。あってもルトウィク2世 は狂王というネタしか出てきません。
758 :
752 :2001/04/08(日) 17:39
ドイツかぁ。英語はともかくドイツ語はねぇ・・・。
759 :
カール大帝 :2001/04/10(火) 19:05
余である。 来る日も来る日も執務が押し寄せてくる。 もう嫌じゃ。 現代とはとかく暮らしがたいものじゃ。 ヴィッテルスバッハ家はバイエルン公になる以前からの 系譜も割と判明しておる旧家でありディーセン伯に源流を持つと言われておる。 バイエルン公の前はバイエルンの帝領伯であったのじゃ。 ところでバイエルン公位について以来の ヴィッテルスバッハ家の年代記なら余も一冊保有しておる。 ドイツ語ではあるがわりと読みやすいとは思うぞ。
760 :
ナイペルク伯爵 :2001/04/10(火) 20:56
>カール大帝 ヴィッテルスバッハの偉人は何故変人ばかりなのでしょうか?
761 :
世界@名無史さん :2001/04/12(木) 21:47
面白いので、age!!
762 :
カール大帝 :2001/04/12(木) 23:25
余である。 余は最近時間を見つけては フランス系の諸侯の系譜を調べていおった。 なんといっても余の血筋を引く者が多いからの。 だがドイツ系もおろそかにしているわけではないので 質問や意見をどんどん頼むぞ。 最近、宮廷活動が滞りがちだが来週には かなり改善されそうじゃ。 来週はフランス諸侯の系図作成と同時に 宮廷活動にも力を入れるぞ
763 :
世界@名無史さん :2001/04/14(土) 18:04
カールったら、なかなか現れないんだもん。うそつき!
764 :
名無しさん :2001/04/15(日) 01:36
765 :
世界@名無史さん :2001/04/15(日) 04:05
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
766 :
下々 :2001/04/15(日) 22:38
大帝陛下のご愛飲されている飲み物はやはりコルトンシャルルマーニュ なのでしょうか。陛下が若いころ領地をお持ちだったときいておりまする。
767 :
カール大帝 :2001/04/18(水) 00:47
余である。 一大事じゃ!! 今宵も徹夜で執務に励んでおったのに PCがクラッシュしてしまったのじゃ。 このままでは余はネットカフェなる離宮から 宮廷活動を余儀なくされそうじゃ。 全てに寛容たる余も今宵ばかりは魔王となりそうじゃ〜〜
欧州では、ある国の王女が別の国に嫁ぐということが多いけど、言葉通じたのかな。
769 :
世界@名無史さん :2001/04/18(水) 15:46
>768 王女どころか、たとえば、英語がほとんど話せない英国王もいました。
>>769 英語をしゃべれなかったら、その国王は英国で誰とどんな会話をしてたのか。
771 :
世界@名無史さん :2001/04/18(水) 16:18
>770 ええと、ちょっと待って、今調べるから。 あったあった。その王様とは、ハノーバー朝初代のジョージ1世。 在位1714〜27。ドイツから来たので、母国語は当然ドイツ語。 愛人の1人のエーレンガルド・メルジナって人が通訳をつとめた らしいよ。
772 :
>762 :2001/04/18(水) 18:14
カール大帝って何人ですか? フランク人,ドイツ人,フランス人?
773 :
名無しさん :2001/04/18(水) 19:16
>>771 ジョージ1世って英語が話せないばかりでなく、イギリスの政治にも全く興味がなかったらしい。
普段はハノーヴァーに住んでいて、何か儀式があるときだけイギリスにやってきていたらしい。
その結果、この時代にイギリスでは、「国王は君臨すれども統治せず」ということが既成事実となった。
774 :
世界@名無史さん :2001/04/18(水) 20:44
>772 「カール大帝」はドイツ人で「シャルルマーニュ」はフランス人。 そしてどちらもフランク人。なんちゃって。
775 :
世界@名無史さん :2001/04/19(木) 17:00
イタリア人でもあるだろ?
776 :
>775 :2001/04/19(木) 18:07
カールさんは,民族的にはラテンってことはないでしょう。 >774 現ドイツ人とフランス人は同じ民族ですか? それとも、近い親戚ですか (後世のノルマンの影響は除いたとして)
777 :
名無しさん :2001/04/20(金) 02:22
欧州の王侯なんて、人種ごちゃ混ぜだから、「○○人」っていう言い方は厳密には無理。
778 :
世界@名無史さん :2001/04/20(金) 02:41
774>776 774はジョークなんだから、真面目に質問するなよ。
779 :
名無しさん :2001/04/20(金) 15:02
アルザス・ロレーヌの住民は、ドイツ人orフランス人?
780 :
世界@名無史さん :2001/04/20(金) 15:57
>779 回答不能では? フランスはフランク人から来た国名ですが、ドイツは言語を指す 言葉です。ドイツ人という人種はいないのですが…
781 :
アナスタシア・ロマノフ :2001/04/21(土) 10:38
陛下、お目通りいただき恐悦至極にございます。 現米国大統領のブッシュ氏の父上は、英国女王エリザベス様とはまた従兄弟にあたられるそうですが、詳しい家系をお教えくださいませ。
782 :
サラーフ・アッディーン :2001/04/21(土) 22:44
今まで静かに宮廷の様子を見守って参りましたが、カール大帝はおろか、カウニッツ氏、ナイペルク伯爵氏、名無しさん@オーストリア氏までもがなかなか姿を御見せにならず、ラ・マンチャの郷士氏、フリードリヒ・バルバロッサ氏は姿を見せなくなって久しい。 様々な御方が来られているが、非常に心配になった故、登場させて頂きます。 カール大帝陛下よ、いずこにおわすか?
783 :
ハールーン・アッラシード :2001/04/21(土) 23:28
カール殿が姿を見せぬと、この宮廷は廃れるばかりですぞ! ここの寂れようは、同時代人として目を覆うばかりですぞ! 早う出てきて下され!
784 :
ハールーン・アッラシード :2001/04/21(土) 23:29
カール殿カーが姿を見せぬと、この宮廷は廃れるばかりですぞ! ここの寂れようは、同時代人として目を覆うばかりですぞ! 早う出てきて下され!
785 :
かきつばた :2001/04/22(日) 03:06
>>779 言語学的には、エルザス地方のネイティブ言語は、ドイツ語の方言の一種です。
ただし住民の心理上では、その言語はドイツ語とは別個の言語「アルザス語」であります。(ドイツの隣接国のドイツ語方言の話者が自身の言語をドイツ語と独立した別個の言語に仕立てようとする願望もしくは実践は、ふるくはオランダに始まり、スイス、ルクセンブルクなどにも見受けられます。1990年代末にドイツ国内で行われた正書法の改訂を受容するかどうかが一つの指標です。「エルザス語」派は、とうぜん無視です)。
「アルザス・ロレーヌの住民は、ドイツ人orフランス人?」を「ドイツ国民orフランス国民?」と読み替えるなら、当然「フランス国民」です。
786 :
ハールーン・アッラシード :2001/04/22(日) 15:53
コルシカの住民は、フランス人orイタリア人? ついでに、お伺い奉る。
787 :
カール大帝 :2001/04/23(月) 03:14
余である。 壊れたPCの代替機が見つかったので 宮廷活動を再開するぞ。 ただし 年代物のうえキーボードが打ちにくくて 書き込み速度が遅いのじゃ。 ゆるりと行くぞ!!
788 :
カール大帝 :2001/04/23(月) 03:35
なんと 実質的に554から答えが滞っているではないか! 余としたことがサボリすぎじゃった。 では簡潔を心掛けながらスタートじゃ。 >554・555 二人とも君主としては第一級の腕前じゃ。 そのため嫌われ部分も多いがの。 >556 教科書的にいえばフランク古来の法で女子への王位継承を 禁ずるというものじゃ。 だが法としての正統性はかなり本来あまりなかったと 余は想像しておる。 仏王フィリップ5世が姪のジャンヌを押しのけて 王位を継ぐための名分として引っ張り出してから 法としての確立したのではななかろうか。 >573 おお、久しぶりじゃ。 飲酒ばかりしておらず宮廷にも来てくれるように。 >574 いやー、照れるのー。
789 :
カール大帝 :2001/04/23(月) 03:43
ちと寄り道をしてしまったが続けるぞ。 >576 乱暴はいかんのー。 だが民の愛情こそが聖油に勝る正統性だと 余は思うぞ。 >577 おお、余も拝見したことがあるぞ。 ただしナイト位については 若干解説が必要だと思うぞ。 >578 580のレスにある者が最も有名じゃな。 あとはジョージ5世の兄の クラーレンス公アルバート・ヴィクターかのー。 >579 わはは。よい目の保養をさせてもらったぞ。 >580 正解じゃ。
790 :
カール大帝 :2001/04/23(月) 03:54
>581 嬉しいぞ >588 紋章の件は落着したかの? 余は留守をしておったが見捨てず宮廷にも 来てもらいたいものじゃ。 >589 照れるのー >590 誉めてもらった直後に申しわけないが スラヴ系は難しくてのー。 >591 嬉しいぞ。 >592 文意からすると 「誰それ親王」とは エドワード3世王の息子、 ランカスター公ジョンのことだと思うぞ。 ちなみにチューダー家や英国王のことで 不明の点があれば遠慮なく質問するがよいぞ。 >593 うむうむ(ニッコリ
791 :
カール大帝 :2001/04/23(月) 03:58
>594 おお、イタリア遠征とは勇ましいの。 ところで数え方の問題、 余も他の書物をあたってみよう。 >595 ところで バルバロッサはある意味、余のライバルじゃ。 歴代皇帝の中でも人気があるからの。 それと シュヴァーベンにはバルバロッサ伝説というものを どこかで読んだ気がするの。
792 :
カール大帝 :2001/04/23(月) 04:12
>602 なかなか卿にピッタリ会えぬのー。 一度じっくり語らいたいと思っているのじゃが・・・ >603 アラクチェーエフ・・・ 許せ。この家系はサッパリ分からぬ。 それと卿は最近、ロシアに凝っているのかの。 >604 ロシア皇后になる場合はロシア正教に改宗しておったのじゃ。 それと時代が下るほど プロテスタント系はあまり宗教にこだわらなかったようじゃ。 反対にカソリック系の王族はつい最近まで カソリック同士で婚姻を結んでいたのじゃ。 (但し例外もある) >605 606のレスでカウニッツ卿が答えてくれておるの。 >606 その通りじゃ。 皆が信じたかどうかは別にしてある種ロマンは感じるのー。 >607 バロとはどこの家名かの? >608 ロマンがないのー。 >609 わはは。 余はギコが大好きじゃ。 ただ余はこんなに威張っておらんぞ。 >610 わはは。 卿も気に入ってくれて嬉しいぞ。
793 :
カール大帝 :2001/04/23(月) 04:39
>617 なかなか会えぬのー >618 嬉しいぞ >619 卿とは一度じっくり語りあいたいを思っているのじゃがのー。 >620 侯爵夫人かの?嬉しいぞ。 >621 これはまた突飛な発想じゃ。 しかし裏付けに無理がないかの? >622 ははは。 独自の発想は大事じゃが 今回のものはのー・・・・
794 :
カール大帝 :2001/04/23(月) 04:53
>623 うむ。その通り。 >624・625 さすが宮廷の大黒柱じゃ。 豊富な知識に余は驚くことがしばしばじゃ。 >626 おお、あやめ女史じゃ。 卿の前では余の知識などは赤子同然。 今後ともこの宮廷に指導を賜わりたい。 >627 まあ、人間誰しも色々な面があるものじゃ。 かくいう余も妃に常に忠実かと問われれば窮するからのー
795 :
カール大帝 :2001/04/23(月) 05:06
>630 そうらしいの。 余も香水の香り自体は知らないので どのような感じのものか誰か教えてくれると嬉しいぞ。 >632 件の書籍は実はしっかり読んでおらんのじゃ。 そうか、家庭教師にクーデンホーフ家の者がいたのか。 クーデンホーフ自体はあまり遡ることが出来ない家系のようじゃの。 >633 文春から出ていたのは 「暗き血の舞踏」というタイトルだったと思うぞ。 余の記録室を探せば出てくるであろう。 >634・635 いつもスマン。 だが余は宮廷に戻ったぞ。 >636 グリマルディ家は元々ジェノヴァの名門じゃが どのような点を知りたいのかの。 遠慮せずドンドン質問するがよいぞ! >637 そのような番組があったのか。 出来れば放送局を教えて欲しいぞ。
796 :
カール大帝 :2001/04/23(月) 05:26
>647 卿にはこれからもドンドン 質問・意見をお願いするぞ! >656 余も今年初めて花粉症にかかってしまった。 己がなって始めて分かるのだが これは辛いものじゃのー。 >657 これは意味が分からん。 質問、意見は分かるように書くよう命じるぞ。 >658 泥酔した時の余は最悪であると 側近の者達が不平をこぼしておった。 ゆえに余は最近、度を越した量を飲まぬよう 厳しく自制しておるところじゃ。 諸卿も酒量には充分注意するよう願うぞ。
797 :
カール大帝 :2001/04/23(月) 05:28
まだまだ気力十分の余であるが 「執務に励め」とうるさい輩がやってきた。 そういうわで続きはまた今度じゃ。 諸卿よ。 質問、意見を存分に書き込んでくれるよう頼むぞ 余の宮廷はなんびとにも開かれておる!!
798 :
ハールーン・アッラシード :2001/04/23(月) 07:25
>>657 の読みは、"age"ですぞ!
この文字はハングルといい、東方のとある国の文字と存じておるが。
799 :
カール大帝 :2001/04/23(月) 21:57
余である。 現在、ネットカフェなる離宮に滞在中じゃ。 ここに来てみて分かったのだが 657が文字として表示されておった。 どうも余のPC代替機は言語フォントが不足しておるようじゃ。 それにしてもあれはageを意味するのか。 正直に白状するが余は全然分からなかったぞ。 諸卿よ。 宮廷の扉はは広く、広く、果てしなく広く 開かれておるぞ。
800 :
離宮??? :2001/04/23(月) 22:07
663 675 挙げます
801 :
名無しさん :2001/04/24(火) 15:32
??!!!
802 :
名無しさん :2001/04/24(火) 15:35
803 :
名無し@革命 :2001/04/24(火) 17:35
カールを退位させよう!
804 :
カール大帝 :2001/04/24(火) 17:40
余である。 「803」の者の言う通り、退位することにした。 今日でこの宮廷もお終いじゃ。 スマンの。
805 :
カール大帝 :2001/04/24(火) 18:37
最後に余である。 「804」の書き込みは事実じゃ。 ぶっちゃけた話、仕事と新婚生活で昼も夜も忙しいのじゃ。 もうここには来ることも無かろう。 今後、余の名を語って現れる不届き者も居るじゃろうが、 相手にしてはならぬ。 上の書き込みは他人の仕業だと主張し、余の名を語る者の出現も、 容易に予想できるが・・・ スマンの。
806 :
カール大帝 :2001/04/24(火) 19:24
余である。 ははは 804と805は面白い。 余が妃を持っていることなど 宮廷の事情に通じている所も気に入った。 卿を侍従に任ずるゆえ名前を変えて来るように。 但し、余はまだ退位するには若すぎる。 よって宮廷もこのままじゃ。 それと今どきの新婚生活とは それほど忙しくないものじゃぞ。わはは。 諸卿よ 余の宮廷はなんびとにも開かれておるぞ。
807 :
たまには真正左翼の立場に立ってみよう! :2001/04/24(火) 21:22
王位を追われた一族で、89年からの反動革命の後に王位の復権を要求したあつかましい搾取階級の輩は存在するのでしょうか?
808 :
世界@名無史さん :2001/04/25(水) 16:11
上げ
809 :
名無しさん :2001/04/25(水) 16:54
>>807 ロマノフ家(ロシア)orコーブルク家(ブルガリア)?
810 :
カウニッツ :2001/04/26(木) 01:48
陛下、カウニッツにございます! G.W.になりましたら、宮廷活動を再開したく存じます。 ながらく留守をしまして申し訳ありませんでした。 ところで、退位の件、嘘ですよね?
811 :
世界@名無史さん :2001/04/26(木) 09:55
http://cnn.co.jp/2001/WORLD/04/24/bulgaria.king.party/index.html ブルガリアの裁判所が「元国王」の政党を認めず
2001.04.24
Web posted at: 4:36 PM JST (0736 GMT)
ソフィア -- ブルガリアの元国王シメオン2世が独自の政党を率い
て6月の総選挙に出馬を予定していたが、首都ソフィアの裁判所は2
3日、同党の政党登録を認めないとの判断を下した。
シメオン2世は第2次大戦後の1946年、旧ソ連が樹立した共産
党政権により、国外追放された。若くして国外追放されため、現在の
ブルガリア国民にはほとんど知られていない。
シメオン2世はこれまで、スペイン・マドリッドを拠点に事業を手掛
けてきたが、母国での総選挙出馬に向け、新政党「シメオン2世のた
めの国民運動」を立ち上げた。
ソフィア地裁は、「国民運動」の政党登録を認めなかった理由とし
て、党綱領の一部が政党法に抵触していることを挙げている。
しかし、シメオン2世がすでに登録されている政党に加われば、総
選挙出馬は可能という。コストフ首相は「元国王らはある種の幻想を
抱く人々を利用しようとしている」と非難している。
812 :
世界@名無史さん :2001/04/26(木) 10:07
バイエルン党のメンバーはバイエルン&プファルツの連邦脱退と 王制復古を主張してますね…
813 :
名無しさん :2001/04/26(木) 16:51
バイエルンは、オーストリアと統合したら?
814 :
名無しさん :2001/04/26(木) 17:19
??????
>>813 オーストリアとドイツとの合併は、ベルサイユ条約やサン・ジェルマン条約のように
二次大戦後の条約で禁止されているのでしょうか?
816 :
天之御名無主 :2001/04/27(金) 12:33
>>815 それは、どうか知らないが、バイエルンだけなら問題ないと思う。
バイエルンは、文化的・宗教的にもドイツ本土よりもオーストリアに近い。
それに、第二次世界大戦の末期に、連合国が将来的にドイツの力を弱めるために、バイエルンのオーストリア編入を画策したことがあるらしい。
817 :
世界@名無史さん :2001/04/27(金) 16:24
質問があります。どうして近代のイギリスの政治家は、「爵位」と「家名」 がごっちゃになって高校教科書に掲載されているのですか。最近、教科書や 資料集の名前が、かならずしも家名ではないこと知って、哀しくなりました。 どちらかに統一してほしいです
818 :
ハールーン・アッラシード :2001/04/28(土) 01:40
カウニッツ伯や名無し@オーストリア女史は、いずこへ逝かれたのか?
819 :
サラーフ・アッディーン :2001/04/28(土) 03:34
ハールン・アッラシ−ド殿、私はあなたの威光の足元にも及ばず、 あなたの偉業は400年を経て当代においても尚語り継がれております。 しかし、今はこの宮廷も寂しい限りであります。僭越ではありますが、カール大帝はじめカウニッツ伯や名無し@オーストリア女史が戻ってこられるまでなんとか盛り上げて参りましょう。
820 :
カウニッツ :2001/04/30(月) 01:40
私としても宮廷に顔を出したいのですが、なにぶん大帝陛下の僥倖が少なく、 張り合いが無くなってしまい、足が遠のいてしまう次第でございます。 どうか陛下、その点を御考慮下さいませ!このままでは宮廷を維持するのは、 難しいかと・・・ 最近、ニセモノも現れておりますし(個人的には面白いのですが)。
821 :
ハールーン・アッラシード :2001/04/30(月) 03:41
822 :
世界@名無史さん :2001/04/30(月) 03:45
貴族制があるのはイギリスだけ?
823 :
天之御名無主 :2001/04/30(月) 03:46
824 :
世界@名無史さん :2001/04/30(月) 03:52
>823 まじっすか?
825 :
世界@名無史さん :2001/04/30(月) 04:48
>823 厨房
826 :
カウニッツ :2001/04/30(月) 19:47
>821さん、 はい、生きておりますです。アッバース朝のカリフで在らせられる ハールーン・アッラシード殿や、アイユーブ朝の創始者であり名高い英雄で 在らせられるサラーフ・アッディーン殿に御会いできて光栄の極みに存じます。
827 :
天之御名無主 :2001/04/30(月) 20:38
>>822 -825
霞会館(昔の華族会館)では、今でも年に1回、華族の会合をやっている。
828 :
世界@名無史さん :2001/04/30(月) 21:10
未だにそんな会合があるんだ。 ハイソな世界だな〜。
>827 一応貴族制とかいてあるからね。 ひょとして浮世離れした元華族様ですか? 話を戻すけど、イングランド筆頭公爵で紋章院総裁ノーフォーク公はどうよ? 一応カール様にも繋がっているからね。
830 :
カウニッツ :2001/05/01(火) 05:01
大帝陛下、午前5時ageしておきますぞ・・・
831 :
ハールーン・アッラシード :2001/05/01(火) 11:09
>>829 個人的には、現代でも経済的特権を伴わない貴族制度ならあってもいいと思う。
>>831 称号を得られる代わりに税金が高いとか、必ず自衛隊(軍)に入らなければならないとかの条件付で、でしょうか?
833 :
天之御名無主 :2001/05/01(火) 12:53
>>832 そんな条件は日本ではなじまない。
ただ昔の名家をたたえようってことでいい。
あと、日本の場合は、華族の中に、和歌、蹴鞠、雅楽といったような伝統文化を伝承する家系が多く含まれるので、何らかの保護が必要。
この程度の貴族制度すら絶対に認めないという人は、かなり思想がサヨク的だと思う。
834 :
自由主義者 :2001/05/01(火) 14:06
>>833 くっくっくくくく。
21世紀にもなって本気でそーゆーこと言ってるわけね(ワラ
はいはい。
伝統文化の保護なら、無形文化財でも、人間国宝でもあげるから。
だけど名家とやらを称える義理はございません。
称えたい人が、好きに称えてたらよいでわ。
自分と違う思想をサヨって呼んで、自分と同程度に時代遅れにしようと
するの止めたら? もう見飽きたわ。
835 :
共産主義者 :2001/05/01(火) 14:11
>>834 ふふふふ・・・・・お前も強制収容所送りなり〜
836 :
名無しさん :2001/05/01(火) 15:02
ブルガリアでは、君主制は復活するの?
837 :
世界@名無史さん :2001/05/01(火) 16:41
宮中が荒れだした・・・
838 :
カール大帝 :2001/05/01(火) 21:19
最後に余である。 「804」の書き込みは事実じゃ。 ぶっちゃけた話、仕事と新婚生活で昼も夜も忙しいのじゃ。 もうここには来ることも無かろう。 今後、余の名を語って現れる不届き者も居るじゃろうが、 相手にしてはならぬ。 上の書き込みは他人の仕業だと主張し、余の名を語る者の出現も、 容易に予想できるが・・・ スマンの。
839 :
世界@名無史さん :2001/05/01(火) 21:49
陛下、陛下の名を語る不届き者が宮中を騒がしておりますぞ。 ええい、衛兵はどこにおるのだー!
840 :
世界@名無史さん :2001/05/01(火) 23:24
ロシアとグルジアも復活だ。
841 :
カール大帝 :2001/05/01(火) 23:33
余である。 巷では連休中であっても宮廷は勿論開かれておるぞ。 余は連休中も執務が入っているうえ 王子の世話もしなければならぬ。 そのうえ、現在フランス諸侯の系図作成に追われておるゆえ なかなか多忙である。 しかし宮廷活動は余にとって血であり肉でもあるので 片時も疎かにするつもりはないぞ。 諸卿よ 余の宮廷は常に開かれておる。 共に知識を高めようではないか!
842 :
817臣民 :2001/05/02(水) 00:00
817の臣民です。陛下、おらの請願をお聞きくださいまし。 どうして教科書は爵位と家名がゴチャゴチャなのですか?
843 :
世界@名無史さん :2001/05/02(水) 01:37
>>841 っていうか、溜まってる質問に答えろよ!!!
おーい誰かなんとかしてくれ。
閣下、825の道化です。このまま放置プレイ化するのはいかがと存じ上げますが。 3国・・・・、いや新しく新国家樹立されることこそ 閣下に与えられた聖なる使命であります。 平和の使者カール大帝万歳!!!!!!!!!!! 道化改メ茶坊主ヨリ・・・そろそろ逝きます。
846 :
ハールーン・アッラシード :2001/05/02(水) 11:18
847 :
825 :2001/05/02(水) 23:36
ハニャ?上覚えてない。
>>842 817臣民さん、それは難しいとおもうよ。
始めから一致している例なんてないはずだから。
活躍していた時が卿時代であったり、死ぬ直前に授爵されたり。
どの時代の名を取るかによって、本なんかまちまちだしね。
有名どころだったら頭の中で整理できるとおもうよ。
他の本色々読んでみな、バラバラだし明らかな間違いとか結構かかれているから。
848 :
世界@名無史さん :2001/05/03(木) 21:27
age
849 :
カ−ル大帝 :2001/05/04(金) 02:47
余である。 今宵は妃も王子もほっぽって ネットカフェなる離宮に来ておる。 だが余の研究には些かのの遅滞もない。 黄金週間中に いーる・ド・フランス諸侯の系図に目処をつけたうえで 余は5/5には宮廷に現われるであろう。 余の得意分野である独・仏はまとより 広く家系についての質問・意見を待っておるぞ!! (東欧は苦手なのじゃが・・・・)
850 :
ハールーン・アッラシード :2001/05/05(土) 19:24
大帝陛下もご多忙なようじゃな。
5/5は王子の日なので、 宮廷には出させてくれなかったのでしょう。
852 :
サラーフ・アッディーン :2001/05/07(月) 07:39
ハールーン・アッラシード殿、おひさしぶりでござる。来週の日曜日には試験などと言う物があって、なかなか足をはこべませぬ。宮廷を盛り上げたいところですが、当面はハールーン・アッラシードはじめ、皆様方におまかせいたします。 カウニッツ殿、私もカウニッツ殿に御会いできて光栄の極み。 ということで、age
853 :
世界@名無史さん :2001/05/07(月) 12:48
>>852 ハールーン・アッラシードはカリフで
サラーフ・アッディーンは(当時の)カリフによって
いちスルタンに任命された人物に過ぎないんだから、
ハールーン・アッラシードのほうが偉いんじゃないの?
と些細なことを突っ込んでみる。
854 :
サラーフ・アッディーン :2001/05/07(月) 13:47
>>853 いやあ、まったくその通りでござる・・・で、ほんとは、「お久しぶり!」なんて関係ではないのでござるが、宮廷を盛り上げるということで、大目にくだされ。
855 :
天之御名無主 :2001/05/07(月) 22:56
>>852 サラーフ・アッディーン殿は、学生かな?
856 :
怒らないから :2001/05/08(火) 02:48
857 :
カール大帝 :2001/05/10(木) 23:26
余である。 執務が溜まりすぎて叱られ通しじゃ。 なぜに帝王たる余が・・・ 上のサイトは余も拝見したことがあるぞ。 ただ余はPC厨房のためサイト運営などは出来ぬのだが… 余もサイトに系図をアップして諸卿の批評を仰ぎたいものじゃ。 余は家系ではなく土地(領地)ごとに書いていく方法を取っているのじゃが・・
858 :
天之御名無主 :2001/05/11(金) 12:51
An neong ha sim ni kka ?
859 :
天之御名無主 :2001/05/11(金) 22:08
Kam sa ham ni da !
860 :
天之御名無主 :2001/05/11(金) 22:09
An neong hi ka se yo !
861 :
名無しさん :2001/05/12(土) 15:07
An neong hi ka sip si yo !
862 :
サラーフ・アッディーン :2001/05/13(日) 21:23
>>855 ええ、そうでござるよ。(ただ、成人式は少し前に終わっていますけどね。笑)
来月の10日も試験で当分は忙しいですな・・。
このスレは良い人が多いし、勉強になるので覗かせて頂いておるでござるよ。
大帝陛下もお忙しい様で、早くこの宮廷に活気が戻れって欲しいと影ながら思っているでござるよ。
宜しくお願いいたすでござる。
863 :
サラーフ・アッディーン :2001/05/14(月) 14:04
>>862 「活気が戻れって欲しい」→活気が戻って欲しい、でござった・・。
拙者のレス、誤字脱字が多いでござるな・・。
864 :
ハールーン・アッラシード :2001/05/14(月) 22:32
865 :
ハールーン・アッラシード :2001/05/14(月) 22:37
大帝陛下、早くお出ましになられよ!
陛下がお答えになっていない質問は、
>>659 からですぞ!
866 :
サラーフ・アッディーン :2001/05/14(月) 22:48
>>864 -865
ハールーン・アッラシード殿、お見知りおきを。サラーフ・アッディーンでござる。
拙者も、少しでも活気を取り戻せるよう協力せねばなりませぬな。
しかし、質問もできぬし、はて困りましたな・・・。
大帝陛下が早くお戻りになられれば良いのだが。
867 :
ハールーン・アッラシード :2001/05/14(月) 23:24
>>866 サラーフ・アッディーン殿か。
貴殿の名声は、我らがイスラム世界でも、格別でござるな。
お目にかかれて嬉しき限りじゃ。
868 :
アルクィン :2001/05/16(水) 01:42
2001年5月16日1時43分、カール大帝崩御!!
869 :
カウニッツ :2001/05/16(水) 01:44
age!
870 :
カウニッツ :2001/05/16(水) 01:46
871 :
ハールーン・アッラシード :2001/05/16(水) 02:17
872 :
カウニッツ :2001/05/16(水) 17:03
大帝陛下へ 玉体が宮中にお越し下さらねば、この宮廷は寂れるばかりでしょう。 もうこれ以上ハールーン・アッラシード殿やサラーフ・アッディーン殿だけでは 持ち堪えられないと思われます。昔の様に実り多き会話に満ちた宮廷が 懐かしく思われ・・・(T−T)・・・ これが大帝陛下に忠誠を誓ってきた臣こと、カウニッツ最後のレスになるやも知れません。 それでは。
873 :
ハールーン・アッラシード :2001/05/16(水) 18:41
カウニッツ殿、出奔か?
874 :
サラディン :2001/05/16(水) 21:11
アガリスク
875 :
サラーフ・アッディーン :2001/05/16(水) 21:22
↑こやつは、拙者ではござらんぞ。でも、まあ純粋にあげてくれてるようなので、感謝致そう。
>>872 言葉使いから見ると、カウニッツ氏御自身に見えもするが・・。
事実であろうか・・。
拙者も浅学ながら、応答の一つもして盛り上げるべきなのかとも思うのでござるが、
やはりこれは、大帝陛下が為されてこそ意義がありますからな・・。
それに拙者の知識も、たかがしれたものでござりますしな。
やれやれ、困ったものでござる。
876 :
世界@名無史さん :2001/05/16(水) 22:06
・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・イタいスレと化してますね
877 :
ナイチンゲール :2001/05/17(木) 07:33
イタかろうが、本当に勉強になりますわ! これからも、是非頑張ってください。 陛下並びに廷臣のみなさま。
878 :
ハールーン・アッラシード :2001/05/17(木) 12:57
大帝陛下! 陛下が宮廷を留守にしてからというもの、多くの者がこの宮廷を去っていきました。 今は、ただむなしく閑古鳥が鳴くだけです。 一日も早く宮廷にお戻りください。 さもなくば、この宮廷は、いずれ廃墟と化してしまうでしょう・・・・・
879 :
カウニッツ :2001/05/18(金) 00:48
>>872 は確かに私のレスですが、ちょっと感傷的過ぎたかも・・・
やはり今後も宮中に出入りし、大帝陛下に忠誠を誓う臣であろうかと思います。
話を建設的に進めますと、「ハプスブルク・エステ家」について
詳しく御教授頂きたいのですが。あとフランス王家の祖「カペー家」についてですね。
勿論、初代国王パリ伯ユーグ・カペーまでは知っていますが、それ以前がいまいち・・・
陛下、宜しく御教授御願い致します。
880 :
ハールーン・アッラシード :2001/05/18(金) 01:04
>>729 -743
デンマーク王継承順(在位年代、前王との続柄)
Skjold家
Gorm (900頃-950頃)
Harald I (950頃-985;子)
Svend I (985-1014;子、イングランド王Swyn)
Harald II (1014-1018;子)
Knud I (1018-1035;弟、ノルウェー王Knud、イングランド王Canute)
Hardeknud (1035-1042;子、イングランド王Hardacanute)
Ynling家
Magnus I (1042-1047;ノルウェー王Magnus I)
Ulfinger家
Svend II (1047-1074;Knud I の妹Astrid の子)
Harald III (1074-1080;子)
Knud II (1080-1086;弟)
Olav I (1086-1095;弟)
Erich I (1095-1103;弟)
Niels (1104-1134;弟)
Magnus II (1134;子)
Harald IV (1134-1135;Erich I の子)
Erich II (1134-1137;弟)
Erich III (1137-1146;Erich I の子Ragnhildの子)
Svend III (1146-1157;Erich II の子)
Knud III (1157;Magnus II の子)
Valdemar I (1157-1182;Erich I の子Knudの子)
Knud IV (1182-1202;子)
Valdemar II (1202-1223,1231-1241;弟)
Valdemar III (1215-1231;子)
Erich IV (1241-1250;弟)
Abel (1250-1252;弟)
Christof I (1252-1259;弟)
Erich V (1259-1286;子)
Erich VI (1286-1319;子)
Christof II (1320-1332;弟)
Holstein家
Gerhard (1326-1340;ホルシュタイン公Gerhard III)
Ulfinger家
Valdemar IV (1340-1375;Christof II の子)
Folkung家
Olav II (1376-1387;娘Margarethe I の子、ノルウェー王Olav IV)
Ulfinger家
Margarethe I (1387-1412;母、ノルウェー王Margarethe、スウェーデン王Margarethe)
Pommern家
Erich VII (1412-1440;Margarethe I の姉Ingeborg の娘Maria の子、ノルウェー王Erich III、スウェーデン王Erich XIII)
Wittelsbach家
Christof III (1440-1448;Erich VII の妹Katharina の子、ノルウェー王Christof、スウェーデン王Christof)
Oldenburg家
Christian I (1448-1481;Christof III の未亡人Dorothea と結婚、ノルウェー王Christian I、スウェーデン王Christian I、オルデンブルク伯Christian VIII)
Johann (1481-1513;子、ノルウェー王Johann、スウェーデン王Johann II)
Christian II (1513-1523;子、ノルウェー王Christian II、スウェーデン王Christian II)
Frederik I (1523-1533;Johann の弟、ノルウェー王Frederik I)
Christian III (1534-1559;子、ノルウェー王Christian III)
Frederik II (1559-1588;子、ノルウェー王Frederik II)
Christian IV (1588-1648;子、ノルウェー王Christian IV)
Frederik III (1648-1670;子、ノルウェー王Frederik III)
Christian V (1670-1699;子、ノルウェー王Christian V)
Frederik IV (1699-1730;子、ノルウェー王Frederik IV)
Christian VI (1730-1746;子、ノルウェー王Christian VI)
Frederik V (1746-1766;子、ノルウェー王Frederik V)
Christian VII (1766-1808;子、ノルウェー王Christian VII)
Frederik VI (1808-1839;子、ノルウェー王Frederik VI)
Christian VIII (1839-1848;Christian VII の弟Frederik の子)
Frederik VII (1848-1863;子)
Glucksburg家
Christian IX (1863-1906;Christian VIII の妹Charlotte の娘Luise 夫)
Frederik VIII (1906-1912;子)
Christian X (1912-1947;子)
Frederik IX (1947-1972;子)
Margarethe II (1972-現在;娘)
881 :
ハールーン・アッラシード :2001/05/18(金) 01:05
>>729 -743
ノルウェー王継承順(在位年代、前王との続柄)
Ynling家
Halfdan (839-863)
Harald I (872-930;子)
Erich I (930-934;子)
Haakon I (935-951;弟)
Harald II (961-970;Erich I の子)
Olav I (995-1000;Harald I の子Olav の孫)
Olav II (1016-1030;Harald I の子Bjorn の曾孫)
Skjold家
Knud (1030-1035;デンマーク王Knud I)
Svend (1030-1035;子)
Ynling家
Magnus I (1042-1047;Olav II の子、デンマーク王Magnus I)
Syr家
Harald III (1047-1066;Harald I の子Sigurd の曾孫)
Magnus II (1066-1069;子)
Olav III (1069-1093;弟)
Magnus III (1093-1103;子)
Eysten I (1103-1122;子)
Sigurd I (1103-1130;弟)
Magnus IV (1130-1135;子)
Harald IV (1130-1136;Sigurd I の弟)
Inge I (1136-1161;子)
Sigurd II (1136-1155;弟)
Eysten II (1142-1157;弟)
Haakon II (1161-1162;Sigurd II の子)
Sigurd III (1162-1163;弟)
Magnus V (1163-1184;Magnus IV の姉Christine の子)
Sverre (1173-1202;Sigurd III の弟)
Haakon III (1202-1204;子)
Guttorm (1204-1205;兄Sigurd の子)
Inge II (1204-1217;Sverre の妹Cacilii の子)
Haakon IV (1217-1263;Haakon III の子)
Magnus VI (1263-1280;子)
Erich II (1280-1299;子)
Haakon V (1299-1319;弟)
Folkung家
Magnus VII (1319-1355;娘Ingeborg の子、スウェーデン王Magnus II)
Haakon VI (1355-1380;子、スウェーデン王Haakon)
Olav IV (1380-1387;子、デンマーク王Olav II)
Ulfinger家
Margarethe (1387-1412;母、デンマーク王Margarethe I、スウェーデン王Margarethe)
Pommern家
Erich III (1412-1442;Margarethe の姉Ingeborg の娘Maria の子、デンマーク王Erich VII、スウェーデン王Erich XIII)
Wittelsbach家
Christof (1442-1448;Erich III の妹Katharina の子、デンマーク王Christof III、スウェーデン王Christof)
Oldenburg家
Christian I (1449-1481;Christof の未亡人Dorothea と結婚、デンマーク王Christian I、スウェーデン王Christian I、オルデンブルク伯Christian VIII)
Johann (1481-1513;子、デンマーク王Johann、スウェーデン王Johann II)
Christian II (1513-1523;子、デンマーク王Christian II、スウェーデン王Christian II)
Frederik I (1523-1533;Johann の弟、デンマーク王Frederik I)
Christian III (1534-1559;子、デンマーク王Christian III)
Frederik II (1559-1588;子、デンマーク王Frederik II)
Christian IV (1588-1648;子、デンマーク王Christian IV)
Frederik III (1648-1670;子、デンマーク王Frederik III)
Christian V (1670-1699;子、デンマーク王Christian V)
Frederik IV (1699-1730;子、デンマーク王Frederik IV)
Christian VI (1730-1746;子、デンマーク王Christian VI)
Frederik V (1746-1766;子、デンマーク王Frederik V)
Christian VII (1766-1808;子、デンマーク王Christian VII)
Frederik VI (1808-1814;子、デンマーク王Frederik VI)
Gottorp家
Karl I (1814-1818;スウェーデン王Karl XIII)
Pontecorvo家
Karl II (1818-1844;養子、スウェーデン王Karl XIV)
Oskar I (1844-1859;子、スウェーデン王Oskar I)
Karl III (1859-1872;子、スウェーデン王Karl XV)
Oskar II (1872-1905;弟、スウェーデン王Oskar II)
Glucksburg家
Haakon VII (1905-1957;デンマーク王Christian X の弟)
Olav V (1957-現在;子)
882 :
ハールーン・アッラシード :2001/05/18(金) 01:07
>>729 -743
スウェーデン王継承順(在位年代、前王との続柄)
※1250年以前については、手元に資料がないので省略
Folkung家
Valdemar (1250-1275)
Magnus I (1275-1290;弟)
Birger II (1290-1318;子)
Magnus II (1319-1356,1359-1362;弟Erich の子、ノルウェー王Magnus VII)
Erich XII (1356-1359;子)
Haakon (1362-1364;弟、ノルウェー王Haakon VI)
Mecklenburg家
Albrecht (1364-1389;Magnus II の妹Enfemia の子、メクレンブルク公Albrecht II)
Ulfinger家
Margarethe (1388-1412;Haakon の妻、デンマーク王Margarethe I、ノルウェー王Margarethe)
Pommern家
Erich XIII (1412-1440;Albrecht の兄Heinrich と Margarethe の姉Ingeborg の娘Maria の子、デンマーク王Erich VII、ノルウェー王Erich III)
Wittelsbach家
Christof (1440-1448;Erich XIII の妹Katharina の子、デンマーク王Christof III、ノルウェー王Christof)
Knudson家
Karl VIII (1448-1457,1464-1465,1467-1470)
Oldenburg家
Christian I (1457-1464,1465-1467,1470-1481;Christof の未亡人Dorothea と結婚、デンマーク王Christian I、ノルウェー王Christian I、オルデンブルク伯Christian VIII)
Johann II (1481-1513;子、デンマーク王Johann、ノルウェー王Johann)
Christian II (1513-1521;子、デンマーク王Christian II、ノルウェー王Christian II)
Vasa家
Gustav I (1523-1560)
Erich XIV (1560-1568;子)
Johann III (1568-1592;弟)
Siegmund (1592-1599;子、ポーランド王Zygmunt III)
Karl IX (1604-1611;Johann III の弟)
Gustav II (1611-1632;子)
Christina (1632-1654;娘)
Zweibrucken家
Karl X (1654-1660;Gustav II の姉Katharina の子)
Karl XI (1660-1697;子)
Karl XII (1697-1718;子)
Ulrika (1719-1720;妹)
Frederik (1720-1751;夫、ヘッセン大公Friedrich)
Gottorp家
Adolf (1751-1771;ゴットルプ公Adolf)
Gustav III (1771-1792;子)
Gustav IV (1792-1809;子)
Karl XIII (1809-1818;Gustav III の弟、ノルウェー王Karl I)
Pontecorvo家
Karl XIV (1818-1844;養子、ノルウェー王Karl II)
Oskar I (1844-1859;子、ノルウェー王Oskar I)
Karl XV (1859-1872;子、ノルウェー王Karl III)
Oskar II (1872-1907;弟、ノルウェー王Oskar II)
Gustav V (1907-1950;子)
Gustav VI (1950-1973;子)
Karl XVI (1973-現在;孫)
883 :
カウニッツ :2001/05/18(金) 01:12
ハールーン・アッラシードさん、夜勤ご苦労様ですです。。。
884 :
ハールーン・アッラシード :2001/05/18(金) 12:17
>>880 -882
私は、北欧語に疎いので、カタカナ表記に置き換えずに、敢えてローマ字表記のまま書きました。
なお、北欧語では、"y"の字は、"i"と"u"の中間音を意味するようです。
885 :
ハールーン・アッラシード :2001/05/18(金) 13:44
>>879 ハプスブルク・エステ家とは、モデナ公国の君主でしたっけ?
886 :
カール大帝 :2001/05/19(土) 00:51
余である。 最近、執務にかまけて宮廷活動を疎かにしていたことを 諸卿にお詫びしなければならぬ。 執務が重なるあまり、 明後日には友人の結婚式までバックレてしまいそうじゃ・・・ だが余が執務に悩むのも今度の木曜日まで。 そのあとには帝王として暫しの休息が許されるはず・・・ 諸卿よ。 余が精力的に活動を再開するのも間もなくのことじゃ。 ユーグ王以前(ロベール家などとも呼ばれておる)やハプスブルク・エステ家、 北欧諸王家やホルシュタイン家などドイツ諸侯家でも 余の守備範囲の中。 バリバリ質問等に答えるぞ。 改めて余は宣言しよう。 諸卿よ。余の宮廷の扉は常に開かれておるぞ!!
887 :
カール大帝の名レス :2001/05/19(土) 15:44
164 名前:カール大帝 投稿日:2000/10/27(金) 22:16 そして余にも若干考えを述べさせてくれ。 159よ。「歴史大好きだった昔」。 これは卿の考え違いではないか? 考えてもみよ。卿はこの宮廷の扉を開いておるのだぞ。 この巨大掲示板群を訪れる者は多いが この板はランキング下位の常連。 しかも余の宮廷はよく下がるスレであるにも関わらず。 このような所を訪れた卿は 「昔」ではなく「今も」歴史大好き人間なのじゃ! 歴史大好きな卿にとって これからどうすれば良いかは自明の理、 それこそ1と1を足すようなものじゃ。 つまり、卿は「法学」と「歴史」どちらも頑張らねばならぬ。 両手に剣と盾をそれぞれ持つように、 そして人間には必ず父と母がおるようにな。 なに。恐れることはない。 余もその昔、学校では「商学」を学んでおった。 しかしどれほど「損益分岐点」だの 「資産と負債」だのを学んでも 片時たりとも歴史を忘れることなどなかったぞ。 例え今の執務に全く、これっぽっちも役には立たずともじゃ。 今、卿は悩んでおるかもしれぬ。 しかし余は断言しよう。 何ごとも「まあまあ」で済ます者が多いなか、 その悩みに気づいた卿の未来は明るいものであると。 159よ。 頑張るのじゃ。 そして余の宮廷の扉は卿に対して開いておるぞ。 さあ、次のレスにいくぞ!
888 :
世界@名無史さん :2001/05/19(土) 15:49
「888」
889 :
名無しさん :2001/05/19(土) 18:57
890 :
カール12世 :2001/05/20(日) 00:21
>>880 -882、
>>884 ハールーン・アッラシード様、長大な資料、ありがとうございました。
これだけの書き込みをすることはさぞ大変であったと思います。
本当にありがとうございました。
シェークスピアのハムレットのモデルになった時代を知りたかったのですが、
とても参考になりました。ハムレットの母にあたる人物にモデルがいる、と
聞いていたのですが、どうやらOldenburg家のDorotheaみたいですね。
こういう資料を素人では探すこともできず、一縷の望みをこのスレに託して
おりました。深く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
891 :
カウニッツ :2001/05/20(日) 01:57
892 :
名無しさん :2001/05/20(日) 03:28
>>891 このスレの200とか300とかに、似たような書き込みがあったから。
893 :
カウニッツ :2001/05/20(日) 17:39
良い感をしていますな。
894 :
吟遊詩人 :2001/05/22(火) 17:58
多忙な中、いつもすばらしい資料のUPを驚嘆の眼差しで 拝見させてもらってます。 ところで少々指向が異なるかと思いますが、もしやと思 い書き込ませて頂きます。 ベルリンの壁崩壊直後だったか、NHKの11時頃 にやっ ていたニュース番組で、東欧の王制に関して の特集があ ったと思うのですが、いつ頃なんと言う番組だったか覚 えている方が宮廷内にいらしゃらないでしょうか? 内容は、崩壊後に共産政権に打倒された王朝の末裔が帰 国、一部では復権を果たそうとしている等の情報でした。 ル−マニアのミハイ元国王やロシアのロマノフ大公他ほ ぼ東欧の旧王族を取り上げてました。10年ほど前のも のニなるかと思います。エリザベス女王の結婚式で華や ぐロンドンに亡命中のミハイ国王が我が身との差を嘆い たエピソードが紹介されていました。当時は王制復古の 可能性も高まっていたため扱われていたようでした。 別スレにも書き込みましたが、やはり陛下以下廷臣の方 々のご教授を仰ぎたく負かり越した次第です。 質問以外、旧王族の現状を記す書籍等あればお教え下さい。
895 :
ミルフォードヘブン公爵夫人 :2001/05/23(水) 07:46
>>吟遊詩人さま 「ヨーロッパ最後の王たち」 創元社 をオススメしますわ。
896 :
ハールーン・アッラシード :2001/05/23(水) 17:55
戦後、王政を廃止した旧東欧諸国の場合は、ソ連の圧力で仕方なく王家を追放した国が多いので、旧王家に対する国民の感情は、必ずしも悪くない。
※ちなみに、
>>889 と
>>892 は、私です。
897 :
カール大帝 :2001/05/24(木) 08:20
余である。 今、ひと仕事終ったところじゃ。 もう何日か寝てないのでもうクラクラじゃ。 吟遊詩人殿の言う番組、ちと心当たりがあるゆえ 眠りから覚めた後に探してみよう。
898 :
吟遊詩人 :2001/05/24(木) 14:30
>895・896・897 陛下ならびに公爵夫人・アッラシード様、早速のレスを感謝いたします。 根っからの判官贔屓の性根ゆえ、以前より興味を持ち、 グルジア・バグラチト王家の末裔のインタビューに狂喜し、 ルーマニア・ミハイ元国王の入国拒絶に怒りを露にしており ました。その点で貴重な資料であった録画を誤って(バルセ ロナだったか、オリンピックで)消してしまい悔恨の日々で した。その番組名を知るだけでも落ち着けるかと思っています。 ちなみにホーエンツォレルン・ジグマリング家(間違ってい たらすみません)の出を教えて下さい。
899 :
ハールーン・アッラシード :2001/05/24(木) 15:01
>>898 ブルガリア王家のホーエンツォレルン・ジグマリンゲン家のことですね。
ドイツ系諸侯の出身であることは間違いないでしょう。
900 :
ロイヤル・プリテンダー :2001/05/24(木) 18:38
>898 ホーエンツォレルン・ジグマリング家はルーマニアの王家ですが そもそもはプロイセン王家とは別系統のホーエンツォレルン家です。 (1849年にプロイセン王国に併合された ホーエンツォレルン・ジグマリング候国を統治していた家系です。) >899 ブルガリア王家は、ザクセン・コーブルク家です。 ただ正式な家名がザクセン・コーブルク・ゴータ家なのか ザクセン・コーブルク・コハリー家なのか私にはわかりません。 いずれにしても、ブルガリア、ルーマニア両王家は ドイツ系諸侯家から迎えられたということですね。
901 :
ハールーン・アッラシード :2001/05/24(木) 21:26
>>900 私としたことが、とんだ勘違いをしていました。
ブルガリアのサクス・コーブルク家は、サクス・コーブルク・ゴータ家です。
初代ブルガリア王フェルディナンドは、ベルギー王レオポルド1世やイギリスのヴィクトリア女王の王婿アルバートとは、かなり近い親族です。
902 :
カール大帝 :2001/05/24(木) 22:06
余である。 目覚めてから久しぶりに小説など読んだので また睡眠を体が求め始めておる。 詳しい答えはまた明日にでもと思っているが ホーヘンツォレルン・ジグマリンゲン家は プロイセンのホーヘンツォレルン家と根っこは一緒である。 前者はシュヴァーベン、後者はフランケン系という 区別をすることも出来るの。 うーむ眠い・・・ 余は臥所に向かうことにする。 諸卿はかまわず論議に花を咲かせるがよいぞ。
903 :
世界@名無史さん :2001/05/25(金) 11:23
もう、カールったら。。。
904 :
世界@名無史さん :2001/05/25(金) 11:23
もう、シャルルったら。。。
905 :
世界@名無史さん :2001/05/25(金) 11:24
もう、カルロスったら。。。
906 :
世界@名無史さん :2001/05/25(金) 11:24
もう、チャールズったら。。。
907 :
吟遊詩人 :2001/05/25(金) 22:59
>プリテンダー様・アッラシード様 丁寧なレス誠に有難うございました。 また疑問がある時にはご教授宜しくお願いいたします。
908 :
世界@名無史さん :2001/05/26(土) 15:41
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909 :
世界@名無史さん :2001/05/26(土) 16:14
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910 :
世界@名無史さん :2001/05/26(土) 16:16
もうお終いだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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913 :
世界@名無史さん :2001/05/27(日) 00:49
先日「世界王室・帝室系図辞典」(?)見たんですが、ハプスブルグ家 最後の皇太子はオットーだったようですが、この方は今ヨーロッパ議会 議員をしている人物ですか? たまにフランスの紀行番組等で爵位を持つ人がでていたりしますが、そ の爵位は帝政期のものと考えてもよろしいのでしょうか?
914 :
ニトロベンゼン1世 :2001/05/27(日) 01:01
ハプスブルグ家の末裔は今、どうしているのでしょうか。
915 :
名無しさん :2001/05/27(日) 14:11
916 :
913 :2001/05/27(日) 15:48
>915 ありがとうございます! いまでも「大公」とかの称号はつくんですか?
917 :
ミルフォードヘブン公爵夫人 :2001/05/28(月) 00:40
>>913 現在、貴族制度のない国で爵位を名乗ることは
特権を得る訳ではないので「自称」ということでしょうか?
しかし、由緒ある貴族の家系の出であることは何かと有利なので
今でも称号を名乗ったり、名乗らせたりするのかと思いますわ。
もちろん欧州議会議員のオットー大公も、ハプスブルグという
あまりにも華麗な家柄の出であるがゆえやっぱり称号は必要ですわよね。
ハクがつくじゃない?
918 :
913 :2001/05/28(月) 12:58
>公爵婦人 ありがとうございます。やはり自称なんですか。 ということは、爵位をあげることは当然できな いってところがまたいいですね。こだわりも倍 増しそう。
919 :
名無しさん :2001/05/28(月) 14:47
フランスには、貴族制度はないが、貴族の子孫が爵位を名乗ることは、政府が保証しているらしい。
920 :
名無しさん :2001/05/28(月) 14:48
逆に、どこの馬の骨ともわからない奴が、勝手に名乗ることはできないらしい。
921 :
ミルフォードヘブン公爵夫人 :2001/05/29(火) 00:57
確かに、日本でも貴族制度は廃止されたけど 霞会館などという旧華族や旧皇族で成り立つ社団法人が ありますものねぇ。王室を持たないアメリカ人も王族や皇族が 来ると熱狂して迎えるし。やはり、ノスタルジックや古きよき時代への 憧れがあんのかしら?こーゆー社会になると。
922 :
吟遊詩人 :2001/05/29(火) 11:35
たまに華麗ななんたら等という番組があるときに旧公爵家、 旧侯爵家あたりがでますね。 そう言えば、ロシア帝位継承権を持っていたウラジーミル・ キリロビッチ・ロマノフ大公はアメリカを講演のために訪れ ていたときに亡くなったんでしたよね。その後継者がロマノ アさんといういかにもロシアの肝っ玉母さん的体格の女性 (その方も去年だったか亡くなった)になったのには、苦笑 しました。今誰なのかわかりませんが…。
923 :
世界@名無史さん :2001/05/30(水) 21:06
age
924 :
カウニッツ :2001/05/30(水) 21:20
無意味にageても意味無いですよ!
925 :
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世@サヴォイア家 :2001/05/30(水) 21:47
おじゃましまーす。私は古くからトリノ地方で暮らしていた貴族で、 私の代からイタリアの王家となった一族のものです。 50年ほど前からイタリアの王族ではなくなったそうですね。 その後、私の子孫はどうしているのですか?
>>925 関係無いですけど、
イタリアの社会党だか共産党の指導者は爵位を持っていたそうですね。
927 :
世界@名無史さん :2001/05/31(木) 02:46
age
928 :
吟遊詩人 :2001/05/31(木) 15:16
最近、陛下もお疲れのようでご尊顔を拝すること 叶わず、延臣の方々も…寂しいものです。 サヴォイア家とメディチ家の位置付けはどの様に なるのでしょうか? エマヌエーレ様が書かれている、現在の当主はど こで何をされてるのでしょう?
929 :
名無しさん :2001/05/31(木) 18:04
>>799 大帝陛下、こちらでダウンロードして下さいませ。
930 :
名無しさん :2001/05/31(木) 18:05
931 :
カール大帝 :2001/05/31(木) 23:42
余である。 なぜ1日はかくも短い時間しかないのであろうか。 これでは余は執務の合間にしか宮廷に出れぬではないか。 家庭生活も破綻させているというのに・・・ 今日もチラリとしか宮廷に留まれぬ。 しかし余も帝王の中の帝王として 溜まった質問には必ずや答えることを約束するぞ。 イタリアのサヴォイ家のことであるが・・・ 確か本家筋は実業家として相当な資産を持っていた記憶があるぞ。 だが、一部では悪評もあったような・・・ これは余の記憶違いかもしれぬ。 サヴォイ家はイタリアきっての名門といえよう。 その家系は多くの系統に分かれており姻戚関係も華やかじゃ。 サヴォイ家についてはかなり細かく分かるゆえ まずは簡単な解説を今度答えようぞ。 諸卿よ。 余は帝王としての名誉に誓って質問には必ず答えることを約束するぞ。 今宵も宮廷の扉は開かれておるぞ。
932 :
世界@名無史さん :2001/06/03(日) 21:56
age!
933 :
サラーフ・アッディーン :2001/06/04(月) 05:01
>932 カウニッツ氏? パソコンが死んでいたせいでしばらくぶりに宮廷に立ち寄りました。 心配していましたが、少しは活気も取り戻してきたような感じを受けましたな。 大帝陛下もお見えになられたようですな。 でも最近、またトーンが落ちてきている気もしないでもないが・・。
934 :
ハールーン・アッラシード :2001/06/10(日) 00:43
あまりさがり過ぎると、スレそのものの存亡に関わるので、あげておきます。
935 :
カウニッツ :2001/06/11(月) 23:29
>932 カウニッツ氏? 違うっす!
936 :
サラーフ・アッディーン :2001/06/12(火) 01:10
あ、本当?すまぬ。 ハールーン・アッラシード殿のようには行かぬのう・・。 ごめんね!
937 :
フランドル辺境伯 :2001/06/12(火) 12:33
938 :
アクバル :2001/06/12(火) 12:44
モンゴル王族の血を引いておる。 誰か新スレ立ててたもれ。
939 :
カール大帝 :2001/06/13(水) 00:25
余である。 久しぶりに宮廷に来て見れば やはりかなりの廃れよう・・・ 栄枯盛衰は世の慣わしではあるが 余は今一度挑戦したいと思う。 最近サボリ気味であったことは素直に反省、反省。 そして以前にも増して探求的な宮廷を目指していざ再起じゃ。 例え最後の一人になったとしても 余は旗を振り前進を続けるものである。 先々に待ち構えるアラーシを恐れぬ勇気ある諸卿は 余に続くのだ!!
940 :
カール大帝 :2001/06/13(水) 00:34
さて。 ずいぶん質問や意見が溜まっているようだが… 659からか!! 恐れずゆくぞ!! >659 ふとっちょマックスとは可愛らしい名前じゃ。 マクシミリアンという名前は王侯貴族の中では 殆ど使われていなかった名前だが ハプスブルク家のマクシミリアン帝以降は ポピュラーなものになったものじゃ。 ハプスブルク家の影響力はこういう部分にも 現われておるの。 >660 余はかつてドイツの特急列車を 暫時止めてしまった経験がある。 多くの乗客に笑われて 余の帝王としての威厳も形無しであったわい。 >661 これは全く余は知らなかった話じゃ。 次のあやめ殿に全面的に依存じゃの。 >662 あやめ殿は知恵の湧く泉のような方じゃ。 しかも洋の東西を問わぬところなどは 余も多いに勉強になる。 願わくば今後もこの宮廷を導いて欲しいものじゃ。
941 :
カール大帝 :2001/06/13(水) 00:41
>663 ティリー伯というと あの戦争で有名な御仁かの? 当時の軍人達は勇ましい活躍が伝えられているゆえ 憧れる者も多いようじゃの。 >664 余も名に恥じぬよう活動を続ける所存である。 >665 最近は廃れておるが 余の探求の炎は今も燃え盛っておるぞ。 >666〜669 余にもかの国出身の友人が数名おる。 余の狩りの仲間でもある。 >670 フランソワという名は 柔らかい響きゆえ、余のお気に入りじゃ。 この名を好んで使った一族には ラ・ロシュフーコー家などがあるの。
942 :
カール大帝 :2001/06/13(水) 00:49
>671 sageてはイカン。 ↓のようにするのだ。 (・∀・)アゲ!! >672 そうそう♪ 卿には感謝の言葉もないほど世話になっておる。 加増紋を許したいほどじゃ。 >673 マインツの思い出といえば… 余はさる魚介類のチェーン店で おいしく昼食を食べたのだが、 後に旅先で巡り合ったドイツ人曰く、 「マトモな人は食べない」。。。 ショックであった… >675 最近、騎士団スレなども賑わっておるようじゃが 昔から怪しげな爵位を売りつける インチキ商売はあるものじゃ。 本来、貴族にとって爵位は二次的な存在じゃ。
943 :
カウニッツ :2001/06/13(水) 00:49
おお、陛下!!
944 :
カール大帝 :2001/06/13(水) 00:50
カウニッツ卿!!!
945 :
カール大帝 :2001/06/13(水) 00:52
余の旗は今もこの世界史板に すっくと立っておるぞ。
946 :
カール大帝 :2001/06/13(水) 00:58
ドンドンいくぞ!! >676 下げてはイカンぞ! >677 スウェーデン、イングランド(英国) スペイン、ネーデルラントの4国の中では ネーデルラントを除けば ヴィクトリア女王の子孫という点で姻戚関係がある。 ネーデルラントは英王家とは時代を遡れば ホーヘンツォレルン家などを通じて姻戚関係がある。 メクレンブルク家などを通じて以前のスウェーデン王家や ブルボン家(コンデ家)などを経由すれば スペインのブルボン家とも縁続きといえるが 現代という意味では姻戚関係とはいえないの。
947 :
カウニッツ :2001/06/13(水) 01:14
なるほど、なるほど!
948 :
カール大帝 :2001/06/13(水) 01:20
>678 @オーストリアさんも再び宮廷に来て欲しいぞ。 ヴィーンでキセルで罰金を払った余ではあるが… >679 女性形でもいえるの。 シャルロット、カルロッタ、シャーロットなどなど >680 うむうむ♪ >682 カールという名は 余の直系子孫である カロリングのフランク王が絶えて以来、 王侯の中には殆ど使われなかった名前である。 仏王シャルル4世以前の有名王侯としては フランドル伯シャルルや 仏王フィリップ2世の息子の ピエール・シャルロぐらいであるかのー。 >683 一言でいえば選挙であったと思う。 従来、多くの騎士団は王や大諸侯の影響を受けるのを恐れ それらの家系の者は団員に入れなかったものじゃ。 フランス王家に連なるドリュー伯家や イングランド王家に連なるエウ伯家の者が テンプル騎士団員であったことはあったが 高い地位には就いていない。 だが、末期になると騎士団自体に力がなくなったため 王侯の家系の者も食い扶持稼ぎに騎士団に在籍するようになる。 ドイツ騎士団の場合は寿命が来ておったともいえるの。
949 :
カール大帝 :2001/06/13(水) 01:34
>684 そもそも1世とか2世という数え方自体が 曖昧なものである。 王位や伯位、そして領主としても 何世と数える場合があるのに対して、 その家系の者として数える場合も多いのじゃ。 また、英国の貴族や近代以降のフランスの大貴族の一部では 同じ名前でも何世とはつけずに 何代伯爵、何代公爵と呼び表すのじゃ。 なかなか複雑ゆえ、 分かりやすい例を探してまた別の機会に解説しようぞ。 >685 うむうむ♪ >686 貴族出身であるからといって 害を成すとは限らぬ。 貴族であるから有益ではないのと同様じゃ。 >687 余も探求の炎を燃やし続けるが 宮廷の主役はむしろ諸卿であるぞ。 >688 いささか威厳がないが チャーリーと呼ばれるのも余は嫌ではないぞ! >689〜691 宮宰というのは分かりにくい地位じゃ。 どうも宰相以上、実質的な王というのが 当時の実状だったようじゃ。 >692 優良スレの多い世界史板の中でも 常に上位にいることが余の望みである。
950 :
カール大帝 :2001/06/13(水) 01:48
>693 ツィレイ家を知っているとは かなりの知識を持っている御仁と見受ける。 宮廷でその知識をもっと我等に分け与えてくれぬか。 >694〜696 主義、思想など視点によって人の評価は様々じゃ。 まあ、だからこそ歴史は面白いのだがの。 >697 うむ、その通り。 >698 ペパンとも呼ぶの。 >699 うむうむ♪ >700 そういえば… 卿に約束していたルクセンブルク家の系図、 まだ途中のまんまであった。 必ず作成するゆえ暫時待たれよ。 これは帝王としての誓言じゃ。
951 :
カール大帝 :2001/06/13(水) 01:50
ちと休息じゃ。 だが、余は決意したのじゃ。 この続きは必ずあるゆえ諸卿は覚悟をしておくように。 次は>701への答えからじゃ!!
952 :
カウニッツ :2001/06/13(水) 02:18
ラジャー!!
953 :
サラーフ・アッディーン :2001/06/13(水) 12:09
大帝陛下!! 拙者、嬉しいでござる!(*゚Д゚)ゴルァ!! ところで、新しい宮廷に移ったほうが良いのでは・・??
954 :
ハールーン・アッラシード :2001/06/13(水) 13:08
>>953 取り敢えず、この宮廷でたまっている質問には、大帝陛下にここでお答えいただくとして、新たな質問は新しい宮廷でということにしては?
955 :
サラーフ・アッディーン :2001/06/13(水) 18:16
>>954 あーうん、それが良いでしょうな。
では、キャパがきつそうなので、拙者も少し書き込みは控えますかな。
今晩にも、大帝陛下が御出でになって検討してくださることを祈って(*゚Д゚)age!! 。
956 :
吟遊詩人 :2001/06/13(水) 18:48
しからば新宮の名も必要でございましょうね!
957 :
カウニッツ :2001/06/14(木) 14:47
>>956 「帝国議会」と言うのはどうでしょう?
他にも考えておきます。
958 :
世界@名無史さん :2001/06/14(木) 21:29
age!
959 :
ハールーン・アッラシード :2001/06/14(木) 23:57
欧州王侯の「侯」の字を今度はお間違えにならぬよう・・・・・
960 :
世界@名無史さん :2001/06/15(金) 00:06
「王侯貴族」という意味でなら"候"で良いのでは……。
961 :
世界@名無史さん :2001/06/15(金) 14:58
>>675 どなたかこの怪しげな騎士団の団長プリンスダグラス殿下
というひとの家系をおしえてください。
詳しくはないけど、ラテン帝国の末裔ってことは
フランドル伯爵家ってこと?
なぞです・・・
962 :
カール大帝 :2001/06/15(金) 23:54
余である。 書きこみのペースがあがらんが もう少しすれば全開バリバリになるぞ。 気になったのだが 最近話題のプリンスダグラス殿下の家系であるが 余もウェブページを見たのだが あれではサッパリ分からん。 そもそも「プリンス」とは何か? また「ラテン帝国」の継承権とは? かつて ラテン帝国の継承権を主張していた者達は プリンス(プランス)の称号を使ったことはない。 フランスにおいてプランスの称号は 王位や帝位の継承権とは別物である。 もう少し続くぞ。
963 :
カール大帝 :2001/06/16(土) 00:03
続きじゃ。 そもそもラテン帝国の継承権者など 主張する者すら絶えて久しい。 ラテン帝国の継承権は フランドル(エノー)家 ↓ (カペー系)クルトネ家 ↓ (カペー系)ヴァロワ家 ↓ (カペー系)アンジュー家 と名目上は続いたが、 アンジュー家の縁戚関係で (カペー系)ブルボン家や デル・バルゾ家の者も主張しておる。 ひょっとしたらオルシーニ家の者も 主張した者がいたかも… だが、それらの主張はその後は続かなかったのじゃ。 かつてのラテン皇帝の子孫としては クルトネ家も男系の子孫がかなり後まで続いたのにも 関わらず全く主張しておらぬ。 イエルサレム王位が後々まで 主張されたのとは全く事情が異なるのじゃ。
964 :
カール大帝 :2001/06/16(土) 00:11
続きじゃ。 かの プリンス・ダグラスという者が ウェブページにあるように 「クレルモン男爵」であり封建時代以来の フランス貴族であるならば 長い年月のうちにクルトネ家や デル・バルゾ家の血が入っていても おかしくはない。 だが、ラテン帝国の継承権者というのは どうやっても無理じゃの。 それとクレルモンといってもフランスには たくさんクレルモンという地域がある。 一体、どこのクレルモンなのか? 多くのクレルモンを名乗った家系は それぞれを区別するために どこのクレルモンなのか、 爵位にも家名にもつけるはずじゃ。 例えば クレルモン・アン・ボーヴェーのようにの。 封建時代が終って以降、 かつての由緒ある領地を新興勢力が購入した例が多く、 家名や略称の爵位だけでは かの者の家系は余にも分からぬ。 逆にどこのクレルモンなのか、 材料があれば分かるとは思うぞ。 しかし有名どころのクレルモン家で プリンス(プランス)の称号を使用した一族というのは 記憶がないの。 諸卿よ。 余も気になる故、何か情報があれば 漏らさず宮廷に報告をageてくれると嬉しいぞ。
965 :
カール大帝 :2001/06/16(土) 00:14
余である。 手狭なこの宮廷はまもなくお引越しじゃ。 今度は以前にも増して 華やかな宮廷になると 余は今からワクワクしておるところじゃ。 諸卿よ。 楽しみじゃのーー^^
966 :
カウニッツ :2001/06/16(土) 01:00
本当でございます陛下。ところでハプスブルク家の人間が、 後々まで「イェルサレム王」を名乗っていたことは意外と知られていませんね。 反ハプスブルク勢力は失笑を禁じえなかったと思われます。
967 :
世界@名無史さん :2001/06/16(土) 02:00
age!!
まだ続いてたのかこのスレ。 もうすぐ1000なので記念か紀子。 カールちゃんがんばってね(はーと
久方振りの陛下の出御とは、引越し前に気になるニュースが 朝日新聞に載っておりました。 ブルガリアにおいて前国王シメオン2世が率いる政党が支持 率を上げ、このまま議員選挙に躍進した場合、第一党として 首相を選出することになる。当然党首たるシメオン2世が首 相となる可能性がでてきたとのこと。国王が首相。趣き深い ことではあります。そこでですが、ブルガリア王家の由緒を お教え頂きたく参上致しました。多忙な陛下ゆえ他の方々の 回答が終わった後でかまいませんのでよしなに。。。 それにしても朝日はこの手の王家ネタは早く思われます。以 前グルジアにおいて、王政復古の流れが起きかけた時に王家 の継承者に単独インタビューも決行していました。他の新聞 は泡沫ネタとして取り上げていなかったのにです。
970 :
世界@名無史さん :2001/06/16(土) 15:39
緊急浮上モナー!
971 :
世界史入門者 :2001/06/16(土) 18:24
つまらない質問で申し訳ありません。 大帝陛下はラテン人なのですか?それともゲルマン人なのですか? 小生はフランス文化はイタリア文化のマネだと思うのですがこれいかに。
972 :
世界@名無史さん :2001/06/17(日) 20:37
あれ?もう引っ越し済み?
973 :
世界@名無史さん :2001/06/18(月) 22:07
新王宮は建設されたのだろうか・・・。 参内せねば・・・。
974 :
新王宮の :2001/06/20(水) 03:41
名称キボーンヌ!
975 :
名無しさん :2001/06/21(木) 13:42
976 :
:2001/06/21(木) 14:03
____ Y/ニニ|>o<|\ (⌒Y⌒Y⌒) / //\___\ /\__/ |/ / === |  ̄ / / \ | / ・ ・ | / / ⌒ ⌒ \ \(6 (_λ_)\ ───────── (⌒ / (・) (・) | / _ ||||||| _| | ( (6 つ | |(( \□ ̄□/| | ( | ____ | \  ̄ ̄ ̄ ノ .| \ \_/ /  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ .| \____/ | (⌒Y⌒Y⌒) \__/ / \\ / 三三三三 \ \ | ゚ ゚ \ ⌒) | (_人_) 9) ) | 、__川川__ / _) \ )凵凵_〉 / \ ̄ ̄ /  ̄ ̄ ̄
977 :
世界@名無史さん :2001/06/21(木) 17:57
荒んでるな…
978 :
世界@名無史さん :2001/06/21(木) 19:45
979 :
ロイヤル・プリテンダー :2001/06/21(木) 20:02
吟遊詩人 様 969の書込みにありました。 朝日新聞のグルジア王家継承者へのインタビューが いつ掲載されたのか教えていただけないでしょうか。 ぜひ読んでみたいので。
980 :
名無しさん :2001/06/21(木) 21:47
981 :
カール大帝 :2001/06/22(金) 22:41
余である。 引越し後に華々しく活動を、と思っていたが 新宮廷の良き名前が思い浮かばぬ。 誰でも宮廷に来ることが出来るよう 分かりやすく、且つ諸卿に相応しく気品のある ネーミングのため知恵を貸してくれぬかの。 (但し半角カタカナや(・∀・) などは禁止)
982 :
サラーフ・アッディーン :2001/06/23(土) 00:29
大帝陛下。 陛下としては、「欧州王侯の家系」を残すつもりはございませんか? 拙者は、これに「夏の離宮」または「OOの宮」等を付加してはいかがと愚考いたします。 参考までに・・・。
983 :
サラーフ・アッディーン :2001/06/23(土) 00:35
補足でございます。 現スレタイを残した方が、同一性があり、且つ数多の人に分かりやすいのではないかと考えます。 それか、まったく新しい名前でしょうな。 諸卿の皆方はいかがでしょうか?
984 :
世界@名無史さん :2001/06/23(土) 01:03
>983 拙者も賛成いたします。 諸卿のご意見やいかに? 新宮殿の建設を急がねばなりませんぞ。
985 :
吟遊詩人 :2001/06/23(土) 10:09
>>979 ロイヤル・プリテンダー殿
そこに目を付けられるとは、うれしいやら恥ずかしいやら
と言う感じです、自分のことの様に(笑)!
もう一度確認し報告致します。
なかなか復帰できるかどうかも分からない頃に語るバグラ
チオン(スペイン読みになっている)氏のインタビューは
そんなにながくありませんが涙を誘います。その後のグル
ジア情勢から見ても困難でしょう・・・。
986 :
世界@名無史さん :2001/06/23(土) 15:29
987 :
カウニッツ :2001/06/23(土) 15:43
大帝陛下、お久しぶりでございます! 懸案の新宮廷の名前でございますが、 拙案といたしましては「ラインの辺(ほとり)」など、 幾つか有るのですが… 陛下御自身がお決めになられれば 諸侯も異議などないと思われます。 このレスで「987」でございます。陛下、御急ぎを!
988 :
ロイヤル・プリテンダー :2001/06/23(土) 20:42
吟遊詩人 様 ありがとうございます。 楽しみにお待ちしています。 (涙を誘うとは、どのようなインタビューなのでしょう?) グルジアも正教会の復権はされているようですが 元王家の復権となると難しいのでしょうね。 でも、ロシアに併合されるまでのグルジアの歴史は まさにバグラチオン家の歴史なんですが。 (せめてポルトガル王家みたいに、共和国の王家といった状態に なってくれると良いと、ついつい思ってしまいます。)
989 :
サラーフ・アッディーン :
2001/06/25(月) 02:35 上げておきますぞ。 大帝陛下、もう限界が近うございます。 お急ぎを!