スペイン=ハプスブルク家について

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1カウニッツ
知っている事や質問等、自由に書いて下さい。
2名無しさん@1周年 :2000/09/27(水) 02:41
スレを立てる時にはレスの方向性を示すのがマナーです
3カウニッツ :2000/09/27(水) 12:26
失礼しました。
4名無しさん@1周年 :2000/10/06(金) 20:35
マルガリータ・・
5ごーる :2000/10/06(金) 22:47
スイスに旅行した際に、ハプルブルク家の出身地という場所を
見つけました。と言うことは、ハプスブルク家の先祖はスイス
人と言うことでしょうか?

ハプスブルク家はオーストリヤの領主で、スイス独立の際の敵
ですから、ハプスブルクがスイス人とは誰も言いません。しか
し、真実はどうなのでしょうか?
6世界@名無史さん :2000/10/07(土) 02:17
ハプスブルク家はスイス人というか、
まだスイスという国もない時代に現スイス領(の一部)の
地方領主だった家が成り上がって皇帝だのオーストリア公だのになったものです。
「スイス人」は民族ではないのだから
「スイス」という国家のない時代にそれを云々するのはナンセンス。

ところでここはスペイン・ハプスブルク家のスレだからsageときますか。
7名無しさん@1周年 :2000/10/07(土) 02:50
>>5
おっしゃる通り、ハプスブルグ家発祥の地は、スイス北東部からアルザス地方にかけての水上・陸上交通の要衝のハプスブルグ城(鷹城)
でした。

で、ハプスブルグ家が中欧を根拠地とするようになったきっかけは1273年の総帥ルドルフの神聖ローマ皇帝選出。
なぜ、「ライン川上流の小領主で、財政も豊かではなく、とても君主の器でない」ハプスブルグ家に白羽の矢が立ったのかというと、7人の選
帝候の勢力がどんぐりの背比べだったから。
伝説によると、帝国からの使者が皇帝当選の知らせを持ってきたとき、ルドルフは、「人を馬鹿にするにも程がある!」といったとか言わなか
ったとか・・・

やがて、ルドルフはアーヘンで戴冠式を行い、帝国内の大小の領主が忠誠を近い、領地の安堵をしてもらうことになるのだが、
先の選挙で本命視されていたボヘミア王オットーは、戴冠式を無断欠席。
ルドルフはすかさずオットーの帝国追放を宣言。帝国軍はドナウ中流のマルヒ高原でオットーの軍勢を破り、
ハプスブルグ家は、ボヘミア王国の領土の大半(オーストリア)を領有することになった。

ハプスブルグ家が平凡な地方領主から権門に成り上がるにつれて、様様な策謀の対象になるようになる。本拠地のアルザス地方でも
帝国自由都市が誓約同盟を結び独立の機運を高めていった。

ハプスブルグ一門は、止む無く、当時のヨーロッパの中心地帯からオーストリア(東の果ての辺境国=対トルコの砦)に根拠地を移す
ことになる。
87ヘ :2000/10/20(金) 14:10
言葉の選択は的確に!!
史実は正確に!!

9世界@名無史さん :2000/10/21(土) 03:38
下がってちゃいかん!!
10世界@名無史さん:2000/10/28(土) 00:09
下がってちゃいかん!!
11世界@名無史さん:2000/10/28(土) 01:00
>9,10
ただ上げるだけじゃつまらないよ。
なんぞ書いてたもれ。

マクシミリアン皇帝は善人だったといわれいるが、彼の治世はどうなの?
あっという間に銃殺にされたからはかりにくいが。
12世界@名無史さん:2000/10/28(土) 01:15
マクシミリアン皇帝ってどの?

13カウニッツ:2000/10/28(土) 01:25
銃殺されたということは、
メキシコ皇帝マクシミリアンのことでしょう。
14世界@名無史さん:2000/10/28(土) 07:29
戦時中、陸軍省で
「高松宮をフィリピン皇帝に」という
怪文書が流れたらしい。
(陸軍なら秩父宮だと思うかもしれないが、当時宮は結核療養中)

この話聞いた時、真っ先にマクシミリアン皇帝の事が
頭に浮かんだ。
15銀布:2000/11/01(水) 02:33
16カウニッツ:2000/11/01(水) 04:43
どうも・・・
17スレッド修復テスト:2000/11/01(水) 04:49
てすと
18世界@名無史さん:2000/11/03(金) 18:21
今年はカ−ル2世没後300年目だったそうですが誰もどこからも記年行事をしようと言う声は出なかったそうです。
まあ分かりますよね。カ−ルさんに罪はないけど、あの人の事は王家の関係者も無かったことにしたいのだろう。
かわりにスペインを統一したイサベラ女王生誕500年を祝おうという計画だとか。(ちがってるかも。。)
19世界@名無史さん:2000/11/04(土) 00:30
>19
11月2日の某紙夕刊の記事を読んだな。
>かわりにスペインを統一したイサベラ女王生誕500年を祝おうという計画だとか。(ちがってるかも。。)
2004年イザベラ女王没後500年祭のことじゃないの。
あと、1998年はフェリペ2世没後400年、今年はカルロス1世生誕500年で、スペインではいろいろとイベントがあったそうだ。

2018>19:2000/11/04(土) 03:14
あ、やっぱり色々違ってた、、恥
でもカルロス1世は偉大な統治者だけどカルロス二世さんはほんとに気の毒な奇形だったからね。。
でかすぎる頭、長過ぎる舌のせいで上手く喋れない、顎が噛み合わないのでモノをかむことが出来なかったしおまけにインポだったそうですが、よくぞここまでと言うか。
さらに35歳で死ぬまえには頭髪と歯は全て抜け落ち、視力は殆どなくなり、びっこを引き、癲癇の発作もあったらしい。。
詳しくはここ?ヨ(イングリッシュ)
http://www.xs4all.nl/~kvenjb/madmonarchs/carlos2/carlos2_bio.htm
21世界@名無史さん:2000/11/04(土) 14:02
hage
22名無しさんの初恋:2000/11/06(月) 00:02
12月、スペインに旅行にいきます。

ガウディの建築をぼーーーーーーっと見ていたい。

ハプスブルグ家のことも調べといたほうがおもしろいな。
23カウニッツ:2000/11/06(月) 00:27
良い御旅行を!
24カウニッツ:2000/11/06(月) 00:41
そうそう、エル・エスコリアル宮殿へも足を運んで
見て下さい。
ハプスブルク家にゆかりの深い所ですから。
25カウニッツ:2000/11/11(土) 00:43
誰か〜アゲて〜!!
26世界@名無史さん:2000/12/09(土) 16:13
¢(..)<めもめも…
27名無し→しりとり:2000/12/10(日) 22:46
スペイン・ハプスブルクの断絶は血族結婚の弊害による
28世界@名無史さん:2000/12/15(金) 01:03
(/ー\)キャッ
29アッチラ大王:2000/12/15(金) 01:09
おお,余の末裔達がこんな所におったか!
30カウニッツ:2000/12/30(土) 06:32
何故、末裔なの?
31名無しさん@オーストリア:2000/12/30(土) 17:29
スペイン=ハプスブルク家が途絶えてしまったのは
残念ですね。しかし!!ハプスブルクは
21世紀もたくさんのファンに守られて行くことでしょうね!
32名無しさん@オーストリア:2001/01/11(木) 13:48
age!!age!!ageでございま〜す。(^0^)/♪

カウニッツ様

お世話になっております<(_ _)>
本日、皆様に頂いたカキコを見直し、勉強させて頂いております。
スペイン=ハプスブルク家についての質問ですなのですが・・・
レオポルド1世のお嫁さんは確か、スペイン系ハプスブルグ家の
お嬢さんでマルガリータさんでしたよね??
以前、展覧会(?)でこのマルガリータの肖像画を2〜3枚見ました。
確か、3歳と7歳(?)くらいの子供の肖像画で、赤いドレスを
着ていたでしょうか??
記憶が定かではないのですが、彼女は22歳位で亡くなってしまいましたね。
「短命だったんだなぁ・・・」というのが印象でしたが
彼女は、何故、早くに亡くなってしまったのですか?
ハプスブルク家スレでも、書き込みがありましたが
近親結婚によることが影響されたのですか??
それとも、流行りの病とか??

何か情報がございましたら教えて下さい。
宜しくお願い申しあげます。
**独り言**
私もハンドルネーム変えようかなぁ。。(−。−) ボソッ
33世界@名無史さん:2001/01/11(木) 20:03
貴族の家系がいっぱい見られるサイトで、チャーチルを見たら(貴族だから)、子供いなかったんだね。
他にたとえばイギリスのジョ−ジ三世とか、子供いっぱいいるのにその子達には結婚しても子供いないのが多かった
貴族って、スペハスほどじゃなくても姻戚関係で結婚繰り返すから、何かその弊害かなって。
34カール大帝:2001/01/11(木) 20:28
余である。
ちとお邪魔する。

>33
チャーチルとはかの首相を務めた
チャーチルのことかの?

確かチャーチルに子供はいたと余は記憶しておるが・・・
ダイアナ、ランダルフ、サラ、マリゴールド、メアリーと
確か5人はいたと思う。

余の記憶が確かであれば
かのダイアナ妃の結婚式にも
チャーチルの孫が出ておったような・・・

間違ってたら許してほしいぞ。
35世界@名無史さん:2001/01/11(木) 20:34
カール大帝 さま
確かチャーチルの子供はいましたよね
たしかチャーチルの回顧録を息子が書いていた記憶があります
それと息子が死んだ日が、JFK暗殺の日でぜんぜん騒がれなかったそうです
確か有名人のこはつらいよと言う本に書いてあった
3633です:2001/01/11(木) 21:14
カウニッツ様、初めまして。

まちがえた〜〜
仰るとおりでした。
チャーチルには5人も子供がいましたね!
ただ、、、
その内子供(チャ−チルの孫)ができたのは、ランドルフという人だけのようでしたので、
あたらずとも遠からずかと。。
そのランドルフさんの子供も、二人のうち子をなしたのは一人だけ。
みんな結婚はしてます。
37世界@名無史さん:2001/01/12(金) 00:38
チャーチル家ってホントはスペンサー・チャーチル家と言って、ダイアナの実家の
スペンサー家とは親戚なんだよね。
38名無しさん@オーストリア:2001/01/12(金) 01:11
と、言うことは・・・・
ダイアナ妃もある意味血縁者同士の結婚だったのでしょうか??
「近親」と言うには、遠い関係ですが、「一族」では
あると言うことですね。
彼女の結婚生活は、あまり幸せとは言えなかったようですね
同じ女性として思うのですが
彼女の結婚&結婚生活には犠牲が多過ぎた気がします。
結婚して、精神を病んでしまうなどと言うのは
よっぽどの苦労もああったのでしょうね・・・・
とても綺麗な方だったのに、事故で亡くなって
しまって残念ですね。長男の方は顔がソックリで
美男ですよね♪私好み!!
Σ( ̄ロ ̄lll)ハッ!!
余計なこと言ってしまったでしょうか・・・(笑)
ちょっとハプスブルク家とは外れる話で、失礼しました。
カール大帝陛下様・・・・
現代のイギリス王室の細かい情報まで御存知なんですね。
さすが陛下!!!「素晴らしい!」の3乗でございます。(笑)
脱帽・・・<(_ _)>
39カウニッツ:2001/01/12(金) 01:35
レオポルト1世の皇后のマルガリータ・テレサのことですね。
展覧会などでベラスケスの書いた肖像画を見られたのなら、
間違いないでしょう。赤いドレスをに見えますが、
長いスカートだそうです。短命だったのは、やはり、
繰り返された近親結婚によるところが大きかったのでしょう。
その悪影響のため虚弱体質だったようです。
弟のカルロス2世共々可哀相に思うのは、私だけでしょうか?
40カウニッツ:2001/01/12(金) 01:39
>赤いドレスをに→赤いドレスに
間違えました。些末な事ですが・・・
41名無しさん:2001/01/12(金) 02:26
>>37
スペンサー家は、イギリスの大手スーパーマーケットの「マークス・アンド・スペンサー」の経営にも関わっている。
42世界@名無史さん:2001/01/12(金) 03:30
マークス寿子(の元の旦那)とも親しいってことですな。
ちなみに、公式のチャーチル伝は途中から、M.ギルバートかいてます。
ランドルフさんが途中で死んじゃったらしい。
43名無しさん@オーストリア:2001/01/13(土) 02:30
当人には何の罪もありませんが・・・
もし、繰り返された近親結婚の弊害や影響で
若くして命を落とされたとしたら
気の毒ですね・・・・。
名門を守る為に「その他の血統」を嫌ったから
近親結婚が多かった事は想像できますが、最終的には大迷惑な結果ですね(泣)
カウニッツさん同様に、私も非常に可哀相だと思います。
赤いスカートの女の子の絵の件ですが
ベラスケス作に間違いありません。あれはスカートなんですね!
ドレスだと信じてました(勝手に。)
またまた、新しい真実を知りました。ありがとうございます。
それにしても、何故?彼女の成人した姿の絵がないのですか?
虚弱体質と言えども・・・ちょっと不思議でなりません。
ぜめて10代後半あたりの姿の絵があってもいいのでは??
私が知らないだけでしょうか?存在するけど観た事がないだけでしょうか?
旦那様が、あまりの悲しみのあまり処分してしまったとか??
公開できないわけがあったとか??
それとも、本当に存在しないのでしょうか??

もし御存知でしたら教えて下さい。

44世界@名無史さん:2001/01/13(土) 13:23
>43さん
たしか、ベラスケスの弟子が書いた肖像画があったような・・・。実家にある
べラスケスの画集にのっていました。フェリペ四世の喪中だったため、黒い
ドレスを着ていたと思います。はっきりした年齢はわかりませんが、十代後半
くらいに見えました。今、手元にないのが、とても残念です。

それと、マルガリータはレオポルト一世との間に二人くらい子供を産んでいる
そうですが、その子供達はどういう人生を歩んだのでしょうか?
御存じの方、いらっしゃいますか?
45カウニッツ:2001/01/14(日) 00:38
夭折したようです・・・
46名無しさん@オーストリア:2001/01/14(日) 03:11
間違ってたら<(_ _)>ごめんなさいませ。

マルガリータ・テレサとレオポルドT世の子供でマリア・アントニア
と言う女の子がいませんでしたか??
家系図がごちゃごちゃで思い出せないのですが
アントワネットと同じ名前だったので覚えているのですが・・・
バイエルン王国のマクシミリアンU世と結婚したのは
確か・・・マルガリータの子だったような・・・・
すごく曖昧な記憶なので断言はできませんが
カールZ世の母親はマリア・アントニア
彼女だと思うのですけれども違いますか???
(一人は早くに亡くなっていると思います。)
何かの本で読んだのですが、思い出せないのです・・・
本も探したのですが、どの本だったか不明。
どんな人生だったか・・・それは私も知りたいです!!!
御存知の方!是非、御指導下さい。
お願い申しあげます。
47世界@名無史さん:2001/01/14(日) 14:26
>>46さん
残念ながらカール7世の母はマリア・アントニアではありません。
彼女の子はすべて夭逝してまして、
カール7世は再婚したクネグンダ・ソビエスカ(ポーランド出身)との間の子です。
もし彼ががマリア・アントニアの子だったら、
スペインの継承権まで発生してきてややこしいことこの上ない(笑)
(本来なら彼女の息子がスペインを継承する予定だったのですが
カルロス2世より先に亡くなってしまったので)
48名無しさん@オーストリア:2001/01/15(月) 00:00
>47 世界@名無史さん

そうでしたか・・・・勉強になりました。
クネグンダ・ソビエスカ(ポーランド出身)という方と
再婚されていたのも、はじめて知りました。
どうも、家系図がうまく覚えられないのです(T-T)ウルウル・・・

やはりお子さんは夭逝されているのですね。
ちょっと残念です。
細かく教えていただきましてありがとうございます。
49世界@名無史さん:2001/01/15(月) 00:28
T、Uってなんて書いてあるんでしょう?
うちの環境では読めないんですが。
50名無しさん:2001/01/15(月) 03:53
T、Uは1、2です。
51名無しさん@オーストリア:2001/01/16(火) 01:53
>44 世界@名無史さん

ベラスケスの画集は市販されてるのでしょうか?
図書館とかで調べたらその絵は本で見ることができますか?
52カウニッツ:2001/01/16(火) 04:00
寝age!!
53世界@名無史さん:2001/01/16(火) 19:19
>51さん
その画集は、私が幼稚園ぐらいの時にに親が買ったものなので、今では
市販されているかどうか解りません。中世から近代までの画家を集めた全集で、
全20巻くらいあったと思います。その中の一冊がベラスケスでした。
でも、同じ絵を違う画集で見たことがあるので(本屋で立ち読みだったのであまり
覚えていませんが)図書館とかにもしかしたらあるかもしれませんね。
プラド美術館やウィーン美術史美術館の画集あたりで探してみてもいいかも。
ほんと手掛かりが少なくてすみません。実家に電話して出版社等解る範囲の事だけでも
聞いてみます。
54世界@名無史さん:2001/01/18(木) 04:38
age
55名無しさん@オーストリア:2001/01/21(日) 01:23
先日、某書店で「ベラスケス画集」を探してみたのですが
残念ながら見つかりませんでした。やはり、現在は売られてないのでしょうか?
でも、諦めずに探してみたいと思います。
本屋さんよりも、やはり図書館に行くべきでしょうね。
次回、行った時に探してみます(^-^)
56名無しさん:2001/01/21(日) 22:57
今日は、ルイ16世陛下の命日です。
57カウニッツ:2001/01/26(金) 02:10
市民ルイ・カペーとして処刑されたのでしたよね・・・
ルイ14世、ルイ15世にほとんどの責任があるのに・・・
『・・・ルイは国王であった。だから、死ななくてはならない。・・・』と、
ロベスピエールは言った。
まさか、ルイ16世のいとこであるオルレアン公までが、
死刑に賛成するとは・・・
58世界@名無史さん:2001/01/26(金) 03:46
ブルボン家も結構興味あるんです、私!!
59カウニッツ:2001/01/27(土) 00:56
1日1age!!
60名無しさん:2001/01/27(土) 15:45
>>58
はいからさんが通る
61名無しさん@オーストリア:2001/01/28(日) 14:40
ルイ16世は身長が190センチ以上だったと聞きました。大きい方だったんですね。
ルイ16世:弟のアルトワ伯(後:シャルル10世)は、アントワネットと仲良しで
遊び仲間だったらしいですが、同じ王の兄弟(姉妹)なのに
アルトワ伯が生き延びて妹のエリザベート王女がギロチン刑になったのは
ちょっと疑問です。しかも、彼女の罪状は「王の妹であるため」だったとか。
そんなのって、アリですか!!(怒)
可哀想です・・・
あ・・・・、スペイン=ハプスブルク家とは関係ない(なくもないけど)
書き込みで失礼しました。<(_ _)>
62名無しさん:2001/01/28(日) 15:04
>>61
その話は、以下のスレがふさわしいと思います。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=979642687&ls=50
63カウニッツ:2001/01/29(月) 01:43
1日1age!!
64名無しさん:2001/01/29(月) 17:08
以前にも書きましたが、書くことが別段ないので、
http://www.people.or.jp/~yakome/dynasty/
65名無しさん@オーストリア:2001/01/31(水) 02:36
知人がスペインに旅行に行ったので色々聞きたいと思い
電話したら「ビールが旨かった。」とのこと(笑)
私も連れてってくれればよかったのに(-。-) ボソッ
スペインの宮殿も見て見たいなぁ・・・と、将来の夢を語りつつ
本日のageとさせていただきます。<(_ _)>
66カウニッツ:2001/01/31(水) 03:21
僕もエル・エスコリアル宮殿行きたいな〜・・・・・・
67世界@名無史さん:2001/01/31(水) 20:30
以前から気になっていたのですが、
神聖ローマ帝国カール5世は
スペイン王カルロス1世と日本では表記されますけど、
となるとカルロス5世って誰ですか?
スペイン王カルロス5世って日本では全く聞かないし
家系図とかでも見かけないのですが、
スペインでは有名人でマドリッドの地下鉄の駅名や
お酒の名前、ホテルの名前にもなってます。

やっぱり、カルロス5世=カール5世なんでしょうか?
68世界@名無史さん:2001/01/31(水) 20:36
67>
すいません、地下鉄の駅名にあるのは「アルフォンソ8世」でした。
69名無しさん@オーストリア:2001/02/01(木) 01:59
オオッ w(*'O'*)wカルロス5世っているんですか?!

私の覚えてることが間違ってる可能性は大ですが・・・
スペイン=ハプスブルグ家の王位を継承した人は
皇帝カール5世(カルロス1世:スペイン王)
   ↓
フェリペ2世(スペイン王&ポルトガル王)
   ↓
フェリペ3世(スペイン王&ポルトガル王)
   ↓
フェリペ4世(スペイン王&ポルトガル王)
   ↓
カルロス2世(スペイン王)可哀想な皇帝(T-T)ルルル。。。
この後は辛うじてカルロス3世(皇帝カール6世)が登場して
スペイン系は断絶・・・・だと思ってたのですが????
間違ってるのでしょうか?
70カウニッツ:2001/02/01(木) 02:53
いや、いないと思いますよ〜
カルロス4世まではいたような・・・
まさか、今の国王(?)のファン=カルロス1世を
カウントしているのかな?
あと、カルロス3世と言うと、ハプスブルク家のカール6世より、
ブルボン家のカルロス3世を普通は指します。
フェリペ5世の子で、ルイ14世の曾孫です。
71異邦人さん:2001/02/01(木) 19:59
 スペイン王カルロス5世って、フェルナンド7世の弟ドン・カルロス
のことではないですかね?イザベル2世の即位に反対して、自らカル
ロス5世を名乗り、第1回カルリスタ戦争を起こしたと記憶してるの
ですが。
72カウニッツ:2001/02/01(木) 23:53
アンヌ=ドートリッシュ・・・
7367:2001/02/02(金) 00:25
やっぱ、いないですよね。
でもスペインじゃ間違いなく
「カルロス5世」ってのがいるんですよ。
スペイン語で書くと"Carlos quinto"です。
quintoってのは「五番目の」って意味なので
「カルロス5世」で間違いは無いと思います。
74名無しさん@オーストリア:2001/02/02(金) 01:28
幻の国王でしょうか!?
カルロス5世!!気になって眠れません。
(_ _)zzzzzzzzz
75カウニッツ:2001/02/02(金) 02:41
困った時の『カール大帝』!!
【速達】をまた使おうかな?
76カウニッツ:2001/02/02(金) 02:54
珠玉のようなホームページを発見!!
名無しさん@オーストリアさんのような女性には良いと思いますよ。
是非、行って見て下さい!!
http://www.ne.jp/asahi/augustan/age/index.htm
77カウニッツ:2001/02/03(土) 00:33
77、ん〜良い番号だ・・・
78カウニッツ:2001/02/03(土) 01:15
「カール5世の帝国」の分割は、1522年に皇帝カール、
オーストリア大公フェルディナント、
ネーデルラント総督マルガレーテの3者の相談により、
カール後の分割が決定されます。すなわち、カール系(スペイン)
:“スペイン”とその海外領土、アラゴン連合王国に属する諸国・
諸地域(ナポリ・シチリア・ミラノ・サルディーニャ等)、
ハプスブルク家領ブルゴーニュ公国
(低地地方13州とフランシュ・コンテ等)
フェルディナント系(オーストリア)
:神聖ローマ皇帝位とハプスブルク世襲領オーストリアです。
この時点では、まだハンガリーとボヘミアはハプスブルク家領では
ありませんでしたが、1527年にこれがオーストリア系に
追加されることになります。カール5世は、
ハプスブルク家の総意とはいえ弟を追い出したような形でスペインの
支配者になったのですから、フェルディナントに対して
それなりの負い目を感じていたといわれます。そのため、
自分の後の皇帝位は弟の系統へ譲ることに同意しました。
しかし息子フェリーペ(2世)が長ずるにつれ、
息子への帝位継承を望むようになり、最初は弟にそれとなく打診。
次いで帝国議会での諸侯への「顔見せ」でその環境を作ろう
としましたが、彼らはほとんど帝国に足を踏み入れないカールより、
フェルディナントの方に心を寄せていたので、
スペイン系への“帝位奪回”は結局失敗に終わります。
それに、寡黙で愛想の良くないフェリーペの「顔見せ」は
かえって諸侯の心証を悪くしただけでなく、当の本人が帝位に何の
執着も野心も持ってなかったようです。
79名無しさん@オーストリア:2001/02/03(土) 02:33
カウニッツ  様

楽しそうなHPを御紹介頂きましてありがとうございます。
早速チェックしてみます!!78のカウニッツ様の
お話は「宮廷の裏事情」って感じで勉強になります(笑)
80名無しさん@オーストリア:2001/02/03(土) 23:46
就寝前のage!
81名無しさん@オーストリア:2001/02/04(日) 22:20
今日も元気にageてみましょう!!

先日、違うスレで「世界遺産」って雑誌(?)ヴェルサイユ宮殿の
特集があると聞いて、購入したのですがエル・エスコリアル宮殿や
ウィーンのシェーンブルン宮殿とかの特集はないのでしょうかね??
あと、個人的には宮殿じゃないけどバイエルンのオカマ・・・じゃなくて
ルードヴィヒ2世が建てたお城特集とかあったら見て見たいです。
見るだけじゃなくて住めたらBetter(無理だって。)
82世界@名無史さん:2001/02/04(日) 22:35
講談社の週刊「世界遺産」のことかな?

シェーンブルン宮殿は3月22日の22号で取り扱う予定です。
ついで創刊号(ローマ1)にはこのシリーズに掲載される全遺産の
予定リストがついていたと思いますよ。
83名無しさん:2001/02/05(月) 02:13
スペイン・ブルボン朝の歴代の王名(および在位期間、前王との続柄)を書くと以下のようになる。
フェリペ5世(1700−1746)
フェルナンド6世(1746−1759、子)
カルロス3世(1759−1788、弟)
カルロス4世(1788−1808、子)
フェルナンド7世(1814−1833、子)
イサベル2世(1833−1868、娘)
アルフォンソ12世(1874−1885、子)
アルフォンソ13世(1886−1931、子)
フアン・カルロス1世(1975−現在、孫)

以上が正統とされるスペイン王家の継承の順だが、私の手元の系図には、これとは別の対立王の系図が載っている。
これによると、フェルナンド7世の死後、その弟のモリナ公ドン・カルロスという人物がスペイン王カルロス5世を名乗っている。
この家系の継承順を示すと以下のようになる。
カルロス5世(1834−1839)
カルロス6世(1855−1861、子)
ドン・フアン(1861−1868、弟)
カルロス7世(1872−1876、子)
84名無しさん@オーストリア:2001/02/06(火) 01:46
オオッ w(*'O'*)w
カルロス5世は5年間いらしたのですね・・・
勉強になります。φ(.. )メモメモ

世界@名無史さん!そうです!!週刊「世界遺産」です。
3月22日ですね!!早速、カレンダーに◎印をつけました。
((o(^ー^)o))ワクワク
楽しみです。教えて頂きありがとうございます。

85ひろゆき@""管理人"":2001/02/09(金) 15:29
あげときますです。。。
86カウニッツ:2001/02/11(日) 00:08
あ、偽ひろゆきさん発見!
87名無しさん@オーストリア:2001/02/11(日) 00:32
|Д`)チラッ見ちゃった!!age
88名無しさん:2001/02/12(月) 18:52
>>86
本物は"管直人"だっけ?
89カウニッツ:2001/02/14(水) 00:25
カール5世のもとで大法官であったガティナーラは述べています。
「陛下。神は陛下に歴代の皇帝の中でもシャルルマーニュのみが
持っておられたあの大権力を授けられ、また陛下がキリスト教世界の
すべての国王や君主の上に君臨されるよう、測りしれない恩寵を
与えられました。したがいまして、陛下は今や、世界王国を建設されようと
しておられ、その王国で陛下は全キリスト教世界をただ一つの杖のもとに
統べ集められることになりましょう。」
カール5世がどう考えていたかはともかく、当時のハプスブルク家の勢威が
どれほどのものか伝わると思います。
90名無しさん@オーストリア:2001/02/14(水) 00:35
偉大なる陛下ですねぇ・・・
恐るべしハプスブルク家ですね。(笑)
91カウニッツ:2001/02/17(土) 00:40
準備age!!
92名無しさん@オーストリア:2001/02/17(土) 15:05
寝起きのage!!って、もぅ3時ですね(笑)注:午後3時
93世界@名無史さん:2001/02/18(日) 01:05
あのね、「日の沈まない帝国」なんて言われてるけど、ハプスブルク家
時代のスペインって借金だらけだったんだよ。原因は、神聖ローマ皇帝に
なってしまったカルロス1世。1519年の皇帝選挙の選帝侯への贈賄費
に始まり、いつ果てるかわからないフランスとの戦争の戦費、「皇帝」としての
ヨーロッパ外遊費など、フッガー家をはじめとする政商からの借金は増える一方。
結局、最後の王カルロス2世即位までに7回も「国家破産(=借金踏み倒し)」
するはめに。新大陸からの銀も、ほとんど借金返済に当てられるんだよね。
94カウニッツ:2001/02/18(日) 01:26
その程度のことは、皆、知っていると思いますけど・・・・・・
95カウニッツ:2001/02/20(火) 00:59
今日は体調が悪いんですage!
96カウニッツ:2001/02/21(水) 00:55
今日も体調が悪いな〜
朝までに元気にスペイン関係のレスします!
97カウニッツ:2001/02/22(木) 00:13
カール5世の子フィリップがフェリペ2世ということは、1世はカールの父
フィリップ美公ということですよね。フィリップ美公はブルゴスで1506年に
客死したので、カールは6歳で父を亡くし、母は精神病、ある意味
可哀相だなぁと思うのは私だけでしょうか?ま、でも、
スペイン国王(カスティリャ、アラゴン、両シチリア王国)、
ブルゴーニュ公(ネーデルラント、フランシュ=コンテ)、
神聖ローマ皇帝(ハプスブルク領、ミラノ公国)等、燦然と輝く称号を
手にしたのですから、プラスマイナス0でしょうか?
98カウニッツ:2001/02/22(木) 22:11
体調が・・・・・・
99カルロス:2001/02/23(金) 12:31
だけどなにか?
100カウニッツ:2001/02/24(土) 02:27
100レス目の人に豪華プレゼント!!
101世界@名無史さん:2001/02/24(土) 17:02
age
102カウニッツ:2001/02/26(月) 00:46
1515年1月、満15歳の誕生日の少し前、カールが成人の年齢に
達したことを公に宣言する儀式がブリュッセルで挙行されました。
この日をもって彼はブルゴーニュ公国の君主となり、ブルゴーニュ公と
称することになりました。カールがブルゴーニュ公に即位した当時は、
ヨーロッパの各王朝では世代交代の時期にさしかかっていました。
1515年の1月1日にはフランス王ルイ12世が亡くなり、
1516年1月にはアラゴン王フェルナンドが病死しました。それによって
カールは母フアナと並びスペイン国王になり、1519年1月には
皇帝マクシミリアン1世が薨去し、フランソワ1世との皇帝選挙に勝ち、
祖父につづいてカール5世として神聖ローマ帝国皇帝に即位しました。
ちなみにカール5世は一昨日、2月24日が誕生日でした。
上記のフェルナンド王は、晩年、ハプスブルクによるスペイン継承を
阻止しようと執念深くこころみたようですが、結局スペインはハプスブルク家の
治めるところとなったのです。カール5世は広大なハプスブルク家領の
君主となりましたが、現在のEC(ヨーロッパ共同体)と共通する点は、
「ヨーロッパは一つ」ということです。その思想の淵源をたどってみれば、
結局はこの君主に逢着するのではないかと思います。
103世界@名無史さん:2001/02/26(月) 03:53
test
104カウニッツ:2001/02/28(水) 00:04
sageないで〜・・・・・・
105名無しさん:2001/02/28(水) 17:07
>>102
でも、もし逆にフランソワ1世が皇帝選挙で勝っていたら、ヴェルダン条約以来の独仏再統合があの時点で実現したかも。
106カウニッツ:2001/02/28(水) 23:34
ですが、神聖ローマ帝国の諸侯は「強い皇帝」の登場を警戒していたので、
フランソワ1世がフランス国内でもちえた「求心力」を帝国内でも?と、
いうのは無理ですし、国際的な関係でも、ハプスブルク勢力を中心に、
「反ヴァロワ」に流れそうで・・・・・・、そんなこんなで独仏再統合は
実現した可能性は低いと思います。
107名無しさん@オーストリア:2001/03/01(木) 01:09
φ(.. )メモメモ
なるほど・・・・勉強になります。
カキナオシφ( ゚゚)ノ ゚ ポイ
ほほぉ・・・・・なるほど!!(独り言)
108カウニッツ:2001/03/01(木) 17:23
カール5世がスペイン国王に即位した当時は、
西ヨーロッパにおける影響力はフランス国王フランソワ1世の方が
強かったみたいです。
109カウニッツ:2001/03/03(土) 01:08
だけど、「パヴィアの戦い」以降は、カール5世陛下が優勢ですな。
110@オーストリア:2001/03/03(土) 23:49
パヴィアの戦いはどことどこの争いですか?
御指導願います。
φ(.. )メモの用意・・っと。
111カウニッツ:2001/03/04(日) 00:50
フランソワ1世率いるフランス勢と、
カール5世率いるハプスブルク勢の戦いです。
この戦いでフランソワ1世は捕虜になり、スペインに送られ、
解放されるため数々の約束をしますが、フランスに帰国するや否や、
それを反故にしました。「パヴィア」は、イタリアの地名です。
つまりイタリア戦争の中の一つの戦いでした。
112カウニッツ:2001/03/04(日) 17:36
関係無いけど、アグネスタキオン強いね。
113@オーストリア:2001/03/04(日) 22:01
フランソワ1世!!憎いですねぇ!!(笑)
生かして帰国させてあげたのに、約束破るなんて!!
なんて、言ってる場合じゃないですよね。

カウニッツ様、何でも御存知なんですね・・・
惚れ惚れいたしますわぁ(^.^*)ポッ。(笑)
114カウニッツ:2001/03/05(月) 00:19
嬉しい御言葉ありがとうございます(^.^*)。
115@オーストリア:2001/03/05(月) 03:44
そして・・・パクリましたね!!(笑)
(/.\) いやんっ♪照れるじゃございませんかぁ。

深夜のage・・・・

116@オーストリア:2001/03/05(月) 23:23
1日1age!!3日で3age!!3age済んだら2コsageるぅ♪

('〇';)ハッ!!sageちゃいかーーん!!(笑)
117カウニッツ:2001/03/06(火) 02:49
シェーンブルンに行きたいな〜
118nanasisan:2001/03/07(水) 00:07
&#50500;&#44172;
119@オーストリア:2001/03/07(水) 00:33
行きたーーーーーい!!宮殿に行こう!
あ、昨日の新聞にハンガリー・ドイツ・オーストリア旅行が
ありました。
行きたいなぁ・・・(-。-) ボソッ
そして、住みたい(笑)
120@オーストリア:2001/03/07(水) 22:20
U^エ^U ワンワン!!(番犬)
121NANASISAN:2001/03/07(水) 22:50
>>>119
Bohemia ha doudesuka?
122ヨーハン・ベルンハルト・フィッシャー・フォン・エルラッハ:2001/03/07(水) 23:47
カール教会、シェーンブルン宮殿・・・
123ルクレツィア:2001/03/08(木) 04:21
age
124カウニッツ:2001/03/08(木) 20:38
ageますです。。。
125@オーストリア:2001/03/09(金) 00:19
>121 NANASISAN
ボヘミアですかぁ。旅行のツアーには残念ながら入ってませんでした。
欲を言えば、世界一周!!いえっ、せめてヨーロッパ一周でも!
私を連れて行ってくれて、尚且つ案内してくれる親切な方
大・大・募集中です(⌒▽⌒)アハハ!
126ふとっちょマックス:2001/03/09(金) 12:28
ふとっちょマックスっす。
ボヘミアに飛んだスペイン・ハプスブルクを再びスペインに!
てなわけではありませんが、オーストリア系ハプスブルクの
人たちも、スペインに滞在してたことは、結構あったようです。
ボヘミアのプラハ城で隠者のような生活を送った変人ルドルフ2世帝も
幼少の頃、もしくは若い時分の一時期、スペインにいたようです。
また我が祖父カール6世帝も、スペイン継承戦争の折りに、あわよくば
スペイン王位を、と思っておったようです。こちらは大伯父上ヨーゼフ1世帝の
急死で結局は神聖ローマ帝冠とオーストリア領の継承、ということになりましたが。

うーん、ママ女帝がスペイン女王、というのは、まったくピンとこないっす。
まだフリードリヒ2世陛下の云うように「ハンガリー女王」のほうが合ってるなぁ...
127カウニッツ:2001/03/11(日) 00:07
ふとっちょマックス様、今夜もいらしてくだされ。
128カウニッツ:2001/03/11(日) 03:30
スペイン・ハプスブルク家の別名は、「カサ・デ・アウストリア」と言います。
129ふとっちょマックス:2001/03/11(日) 15:48
>ヴェンツェル・フォン・カウニッツ伯殿
 昨晩は友人が泊まりに来て登場できなかったっす。
 お許しいただきたいっす。
 ヴェンツェルに素朴な質問なんですが、スペインでは、ハプスブルク家のこと、
 なんて云うんだろう? 別名じゃなくって、本称。 アブスブルゴ家っすか? 
130カウニッツ:2001/03/12(月) 00:22
メゾン・ドトリシュ?
131カウニッツ:2001/03/13(火) 03:32
下がりすぎ!
132ふとっちょマックス:2001/03/15(木) 12:00
ageとくために、ちと御下品な話題を。
フェリペ2世の下着、要するにブリーフは、真っ赤なシルク製だったそうです。
ところが、問題はその先。
シルクは洗濯大変ですよね...つまり洗濯はしなかったそうです。使い捨て。
それもかなり長い間はいていたようです。
当時は今のように頻繁に風呂に入るという習慣がなかった時代なので、たぶん
こべこべになってたことも考えられます。
失礼したっす。
133名無しさん:2001/03/15(木) 13:05
>>117
シェーンブルンは、地下鉄で行けます。
134名無しさん:2001/03/15(木) 13:06
>>129
ブルボン家は、ボルボン家になるらしい。
135カウニッツ:2001/03/15(木) 21:54
誰かOFF会を開く音頭をとってくれないかな〜
136メラン伯夫人:2001/03/15(木) 22:26
皆様ごきげんよう。そしてこのスレでははじめまして。
名もなき伯爵夫人改めメラン伯夫人と名乗ることに致しました。
以後お見知りおきを。

>>129
スペインでのハプスブルク家ですが、カール5世のことを
”Carlos de Habsburgo”と記した例があるので
家名は「アブスブルゴ」だと思われます。
でも発音しにくいせいかあまり使われないですが。
137カウニッツ:2001/03/15(木) 23:58
メラン伯爵夫人、貴重な知識ありがとうございます。
138カウニッツ:2001/03/20(火) 07:09
あ、ちょうちょだ(/´▽`)/〜ф
139カウニッツ:2001/03/20(火) 07:16
140名無しさん:2001/03/20(火) 16:21
141ふとっちょマックス:2001/03/21(水) 20:02
カルロス1世(カール5世)は、フランソワ1世とのライバル関係、ローマ荒掠でも
名を馳せておりますが、やはりイタリアの制覇は、ママ女帝に至るまで、ハプスブルク家
の目標みたいなものがありました。

ちなみにカルロス1世のイタリア制覇を阻んだのは何か?・・・・・・
それは、発疹チフスだったっす。戦争を始める前に兵士が病気で死んでしまった。
16、7世紀の政治情勢は、戦争中心に語られますが、同じくらいに大きな要因となったのが
疫病、つまりペスト、発疹チフス、天然痘だったっす。
142カウニッツ:2001/03/21(水) 23:24
ラデツキー将軍はイタリアを制覇したと言えるのでしょうか?
143ふとっちょマックス:2001/03/22(木) 00:17
>親愛なるヴェンツェル/142
一時的な戦勝を「制覇」と云ってよいモノかどうか、疑問っす。
少なくともイタリア人の国民意識を逆に高揚させてしまったっす。
我々の認識では、残念ながらラデツキー将軍は、ウェリントンとか
モルトケとかの将軍と比較しうる人物、というよりは、
 ラデツキーマーチのラデツキー将軍、とか
 代表的ヴィーン料理であるヴィーン風焼きカツ「ヴィーナーシュニッツェル」
 をミラノから持ち帰ったヒト
というイメージっす。 戦争よりも文化になじみのある将軍。
こちらの方が、平和的でいいんじゃないっすか?
144カウニッツ:2001/03/22(木) 00:35
マックス殿下、ありがとうございます!
1848年の革命時点での北イタリアと限定するとどうなのでしょう?
145名無しさん:2001/03/22(木) 18:27
どころで、日本の天正遣欧少年使節は、フェリペ2世に会っていますよね?
146ふとっちょマックス:2001/03/23(金) 13:07
>親愛なるヴェンツェル
カウニッツ侯としては、オーストリアのイタリア制覇の方向に何としても持っていきたい
存念のようっすね。ハプスブルクの人間としては、なんとなくうれしいっす。
ただ、ミラノ、モデナは、もともとオーストリアのようなもの。ママ女帝はミラノ女大公
でもあったわけだし、モデナはフェルディナント兄夫妻の領地。パルマもヴィーン会議以降
は、ブルボン家に代わり一時大姪マリア・ルイザが君主だったわけですから、ラデツキー将軍
は、もともとのオーストリアを一時的に維持したに過ぎないのでは、と考えてしまうっす。
ま、ヴェネチア共和国はロンバルド・ヴェネト王国→サンマルコ共和国と形は変わっても、
ヴィーン会議後は半オーストリアでしたから、考えようによってはピエモンテ以外の北イタリアは
勢力圏に収めたわけっすよね。その意味では、制覇、ということになるのかも。

トスカナ大公国は、1848年の時点ではどうなってたんだろう? ハプスブルク家の
ゼクンドゲニトゥア(次男相続国)だったと思うんだけど、父帝フランツのあと、レオポルト
兄が君主になって、結構いい線行ってたようでしたが、ナポレオン戦争後は?
メッテルニヒ侯スレをみればいいのかな?
147カウニッツ:2001/03/24(土) 02:36
ソルフェリーノの戦いで敗れた結果、住民投票を経て、
サルディニア王国に帰属することになりました。
148カウニッツ:2001/03/26(月) 02:04
メッテルニヒのスレッドは、下がりまくっているので、
過去ログの方に行っています。
149ジークフリード・キルヒアイス:2001/03/27(火) 01:06
今度スペインに行くんで参考age
150ふとっちょマックス:2001/03/28(水) 18:13
アブスブルゴ家の王は、カルロス1世、フェリペ2世以外は、あまり取り上げられる
ことがないっすねぇ。何故? カルロス2世が蒲柳であったことは、スレに登ったけど、
他の王は? 
151カウニッツ:2001/03/28(水) 21:47
フェリペ3世も4世も覇気のない人物だった様で・・・
152名無しさん:2001/03/28(水) 22:33
Felipe II も晩年はあまり・・・
153名無しさん:2001/03/28(水) 22:34
ドン・キホーテのモデルはフェリペ2世。
154カウニッツ:2001/03/29(木) 00:06
>153
そうでしたっけ?
155名無しさん:2001/03/29(木) 00:08
>>154
高校の世界史の教科書に書いてあった記憶がある。
156カウニッツ:2001/03/29(木) 00:13
一応。
「ドン・キホーテ」・・・1615〜16年セルバンテス著。進展する社会における
旧騎士的人物の時代錯誤のおかしさを描いた。風刺文学の代表。
157アルマダ:2001/04/14(土) 17:49
ハプスブルクage
158レオポルト一世の唇は:2001/04/15(日) 03:20
官能的☆
159こんな優良スレを:2001/04/24(火) 17:54
sageとくんじゃね〜!!!
160名無しさん:2001/04/25(水) 17:00
>>159
じゃあ、何か話題を提供しろよ!
161カウニッツ:2001/04/30(月) 00:50
カール5世は、1519年9月5日にバルセロナで公布された告示で
自分を次のように名づけることによって、名称をめぐる論争に終止符を打っている。
「余ドン・カルロスは神の恩寵によって選ばれたるローマ人の国王であり、
いかなる時にあっても崇高な今日以降の皇帝であり、カスティリア、レオン、
両シチリア、エルサレム、グラナダ、ナバラ、トレード、バレンシア、ガリシア、
マジョルカ、セルビア、サルディニア、コルドバ、コルシカ、ムルシア、ハエン、
アルガルベン、アルヘシラス、ヒブラルタル、カナリア諸島、大西洋中の国々の王であり、
オーストリア大公、ブルグントおよびブラバント公爵、バルセロナとフランドルと
ティロルの伯爵、ビスカヤとモリナの君主、アテネおよびネオパトリア公爵、
ルシジョンとセルナダの伯爵、オリスタンおよびゴシアノ侯爵である」。

ふ〜、長い・・・
162カウニッツ:2001/05/01(火) 04:51
夜明けage!
163@スペイン:2001/05/01(火) 16:53
カール五世の称号長いっす!
164アンリ・ド・ブルボン:2001/05/01(火) 21:16
カール5世に仕えたブルボン元帥って私の祖先でしょうか?
165世界@名無史さん:2001/05/03(木) 21:25
age職人参上!
166世界@名無史さん:2001/05/10(木) 21:01
age職人参上!
167世界@名無史さん:2001/05/11(金) 00:43
age職人参上!
168カウニッツ:2001/05/16(水) 01:58
ちなみに5月13日はマリア・テレジアの誕生日でした。
あ〜忘れてた。
169カウニッツ:2001/05/16(水) 10:30
【問題】アルマダ艦隊の指揮官は誰でしょう?(上級レベル)
170世界@名無史さん:2001/05/16(水) 14:46
>169
いつの?
レパント海戦時はドン・ファン・デ・アウストリア
その後、サンタ・クルズ提督(ドン・アルバロ・デ・バサン)
カレー沖海戦時ならメディナ・シドニア(シドシャ)公
171カウニッツ:2001/05/16(水) 16:37
これは失礼致しました!仰る通り「いつの?」ですよね・・・
私としては1588年のエリザベス朝イギリスとの海戦のことを
言ったつもりでした。
答えはそうその通り、「メディナ・シドニア公」です。
172172:2001/05/16(水) 21:10
age
173170:2001/05/17(木) 00:11
いやいや、こちらこそ失礼しました。

さて、スペイン・ハプスブルク家の対バスク政策について、
いろいろご教授賜りたい。
174ちょっと待って:2001/05/18(金) 17:56
ね。
175もう:2001/05/19(土) 15:26
ちょっと待ってね。
176カウニッツ:2001/05/23(水) 02:21
フェリペ3世もフェリペ4世も、度重なる近親結婚による影響で、
虚弱でとるに足らない君主でした。彼らは統治の実権を寵臣たちに
委ねました。フェリペ3世はレルマ侯に、フェリペ4世はオリヴァレス伯と
サンタンデル公に。
177カウニッツ:2001/05/23(水) 18:23
アルマダ艦隊の敗戦の原因はメディナ・シドニア公の経験不足と、
彼を指揮官に据えたフェリペ2世の判断力の甘さですね。
付け加えるならば敵将ドレーク(ドレイク?)の老練さや
天候(嵐)も一因ですね。
178世界@名無史さん:2001/05/31(木) 02:46
age
179世界@名無史さん:2001/06/23(土) 16:12
age
180カタルーニャ人:2001/06/23(土) 22:22
くそーハプスブルクのやつらカタルーニャを差別しやがって・・・
新大陸の利権からも締め出されるし・・・
カタルーニャ語も忘れるところだったじゃないか・・・
腹たったからサンタ・クロマを・・・
181世界@名無史さん:2001/06/23(土) 22:57
アラモの砦を攻撃した
メキシコ軍はスペインハプスブルク家の
しんせきですか?
182世界@名無史さん:2001/06/24(日) 16:09
ハプスブルクに反旗を翻せ!
183ラ・ロカ:2001/07/09(月) 14:30
スレ、全部読んだのですが、狂女王フアナが出てこない…
彼女と婚姻したからこそ、『スペイン・ハプスブルク』なのでは?
…なので、在る意味、ものすごく重要な女性だと思うのですが…
自分もハプスブルク史勉強していますけど、
フアナに関する文献はあまり見かけません。
どなたか詳しい方いらっしゃいますか?
184カウニッツ:2001/07/10(火) 13:00
あれ?まだ出ていませんでしたか。そうですね、狂女王(ラ・ロカ)フアナも、
スペイン・ハプスブルク朝の成立に重要な存在ではありますね。
御存知かも知れれませんが、彼女は1555年に亡くなるまで厳密には、
スペイン女王(息子のカルロス1世と共同統治)であったのですよ。
185ラ・ロカ:2001/07/10(火) 20:01
カウニッツ伯。(伯で宜しいんですよね? 間違ってたら冷汗。)
ありがとうございます。ええ、存じ上げております。
実印を握り締め、老人ホーム入りしたお婆様の如く(中丸明談)、
いかなる書類にも捺印しないことによって、
大女王であらしめたのですよね。
彼女が一時期幽閉されていた、メディア・デル・カンポのモタ城には、
同時期かの悪名高きチェーザレ・ボルジアも、幽閉されていたとか。
彼は、狂気に落ちたフアナの咆哮を聞いたとか聞かないとか伝えられているようです。
186世界@名無史さん:2001/07/19(木) 23:06
age
187世界@名無史さん:2001/07/20(金) 02:56
>.183-185
でも本当はファナは精神障害ではなかったという説もあります。
<近年、学問的にはこちらが有力だとか。
(でもヒステリー気質なのは間違いなさそう)
まぁ、ファナがいるとハプスブルク家的には不都合な面もあっただろうしね。

中丸氏はかなり誇張して書くのであまり信用なさらない方が・・・。
188世界@名無史さん:2001/07/20(金) 21:51
ごきげんよう。かなり勉強になります。
但、字が小さくて読みにくいのが難点!
目が疲れたので御免遊ばせ。 ごきげんよう。
189世界@名無史さん:2001/08/07(火) 17:15
字、小さい?
190世界@名無史さん:2001/08/07(火) 17:20
ファナ・ラ・ロカの祖母で同名のファナも精神障害だったとか
ヒステリーは遺伝しないし(環境遺伝の可能性はあるけど)
もろもろの奇行から推測すると精神分裂病の可能性が大きいと思いますが

ファナ本人に関する伝記は少ないですが
イザベルとカルロス1世に関する伝記を読めばアウトラインはつかめる
191世界@名無史さん:2001/08/07(火) 17:29
ファナの祖母のファナってどこの王族?
192アマノウヅメ:2001/08/07(火) 17:35
イサベルのお母さんでポルトガル王女だったと記憶しますが。
193世界@名無史さん:2001/08/07(火) 17:40
Thanks!!
194世界@名無史さん:2001/08/07(火) 18:40
age
195世界@名無史さん:2001/08/09(木) 16:43
マクシミリアン1世のお母さんもポルトガル王女デシ!!
196世界@名無史さん:2001/08/09(木) 18:10
アイーン顔が多い。しゃくれ王朝。
197世界@名無史さん:2001/08/09(木) 19:22
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           __|_______|_   ■■■■■■■■
           |iiiiiiiiiiiiiiiii|  ■■■■■■■■■
           |iiiiiiiiiiiiiiiii| ■■■■√ === │
           |iiiiiiiiiiiiiiiii|■■■■√ 彡    ミ │
           |iiiiiiiiiiiiiiii|■■■√   ━    ━ \
           |iiiiiiiiiiiiiiii|■■■  ∵   (●  ●) ∴│  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           |iiiiiiiiiiiiiiii|■■■    丿■■■(  │< ポアするぞポアするぞ
           |iiiiiiiiiiiiiiii|■■■     ■ 3 ■  │  |  徹底的にポアするぞ
           |iiiiiiiiiiiiiiii|■■■■   ■■ ■■ ■   \_________
           |iiiiiiiiiiiiiiiiii■■■■■■■■■■■■__
           \iiiiiiiiiiiiiii■■■■■■■■■■■■iiヽ
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198カウニッツ:2001/08/13(月) 15:18
荒らさないでね!
199世界@名無史さん:2001/08/13(月) 16:31
現皇太子のフェリペはモデル大好きですね。
200カウニッツ:2001/08/13(月) 19:05
ピレネー条約はブルボン家のルイ14世とスペイン・ハプスブルク家の
マリー・テレーズの結婚を決定しましたが、これはハプスブルク側の失策でしょう。
その結果、カルロス2世亡き後のスペインの継承権をブルボン家が主張する遠因となったのですから。
太陽王にはマザランの姪の、オランプ・マンシニかマリー・マンシニと結婚して欲しかったですね。
所詮、身分違いで無理でしょうけど…
201世界@名無史さん:2001/08/17(金) 23:19
>>200
でもカウニッツ様、オランプ・マンシニが太陽王と結婚してたら
かのオイゲン公がこの世にいなくなってしまうのでは?
確かオランプが公の母なんですよね?

どっちみちマリー・テレーズとは結婚してなかったら
スペイン継承戦争が起きなかったかもしれないから、
公の活躍する余地が減りますけどね〜。
(でもルイの母もスペイン出身なので継承権自体はある?)
202アマノウヅメ:2001/08/17(金) 23:36
>>200 カウニッツ様
ルイ14世はマリー・テレーズ(マリア・テレジアと同名ですか)
と結婚しなくても、母親の継承権だけで十分戦争始めたと思いますが。

間違ってたらごめんなさい。
203カウニッツ:2001/08/20(月) 16:53
>>201さん,
プリンツ・オイゲンの母がオランプ・マンシニだったのですか!
知りませんでした。お恥かしい。教えて頂いて嬉しいです!
>>202さん,
ルイ14世なら、その可能性は高いですね(笑)。
>母親の継承権だけで…
よ〜く考えてみると、仰る通りかもしれません。
204アマノウヅメ:2001/08/20(月) 18:35
オランプ・マンシーニの肖像画は見た記憶がありませんが、
マリー・マンシーニはすごく可愛いですよ。
205世界@名無史さん:2001/08/20(月) 20:26
age
206世界@名無史さん:2001/08/23(木) 16:47
マンシーニ姉妹もえー


失礼しあした。
207世界@名無史さん:2001/08/23(木) 17:22
重量上げ
208世界@名無史さん:2001/08/23(木) 19:36
スペイン継承戦争はルイ14世がスペインの継承権を主張して起こしたものではありません。カルロス2世は遺言状でルイの孫アンジュー公フィリップを継承者に指名しています。(続く)
209208:2001/08/23(木) 20:04
(続き)ただ、ルイが禁じられていた西仏の合併を企図したために脅威を感じた諸国が別の候補者を担ぎ上げウィリアム3世を中心にフランスに挑戦したのです。ですから>>202さんの言う様にルイが母親の継承権をネタにする、というムチャな事をするとは考えられにくいかと…。
210世界@名無史さん:2001/08/23(木) 20:53
オレの知ってる話じゃ、

1.当初候補者は3人。
アンジュー公フィリップと、ハプスブルクのカール大公(後の皇帝カール6世)
あとバイエルン公家の某。
(カール大公は血縁的には、フィリップより弱い。)
このうちバイエルン公子が正統性では最有力で、彼を軸に、スペイン王国を3分割する計画が進展。
勧進元は、勢力均衡の立て役者、英王ウィリアム3世。

2.バイエルン公子急死→残った2者の間での分割案が進められるが、
ブルボン・ハプスブルクの王朝間のメンツがからんで、事態は行き詰まる。

3.一方、カルロス2世及びその背後のスペイン貴族が王国解体を危惧。
(副王職・総督職などが減っちゃうから。)
彼らは一括した相続を望むが、
その際、新王朝の保証人として、弱体ドイツ皇帝よりは、フランスの圧倒的な国力を選択。

4.ルイは、スペイン側の要請を受けることは、
勢力均衡を揺るがし、戦争に至ることは確実だと予期しつつも、
他に選択肢がなく(断れば、ハプスブルクが丸ごと相続。)
また、ブルボン家に新たな王位をもたらすという誘惑に耐えられなかったので、
コレを了承するに至る。

・・・結局、
A.勢力均衡の維持。
B.自家門の「栄光」の追求。
C.スペイン支配層の利権の維持
という3つの要因がからんで、スペイン継承戦争は起きたと思われ、
その過程でルイが母からの継承権をネタにすることも、
場合によっては十分考えられると思われ。
211208:2001/08/23(木) 23:28
>>210 いえ、あの、ルイがマリー・テレーズと結婚しなかった場合の仮定なので母親をネタにする程の差し迫った状況は生まれないだろうというので上の様に書いたのです。殆ど何もないところからいきなり国よこせ、とはさすがにならないだろうと。
212210:2001/08/23(木) 23:53
>>211
すまそ。
何か気持〜ち良くだらだら書いてるうちに論点がどんどんぼけちゃったかも。

まあ、オレの論点は、
スペインの継承〜分割について
ヨーロッパ国家システム内の(勢力)均衡解が見つからない場合、
何としても戦争は起こっただろうし、
まあ、どっかから口実を見つけてきたんじゃないかな・・・ということです。
213世界@名無史さん:01/08/27 00:36 ID:1RK/7Rss
ago
214世界@名無史さん:01/08/28 01:28 ID:.HBTsc3c
一応マリー・テレーズってスペイン継承権を放棄して
フランスに嫁いだんですが、持参金が払えなかったので
ルイが継承権を要求したとか。<金がないなら国をくれ?

ルイっていちゃもんつけるの好きだから、
プファルツ継承戦争も弟の嫁(”異端の公妃”リーゼロッテ)の
継承権を言い立てて始めた記憶があるんですが(うろ覚え)

ちなみに、スペイン継承の最有力候補だったバイエルン公子は
あのベラスケスの絵で有名なマルガリータ王女の孫に当たります。
何か幼女〜少女時代しか知らんので孫って違和感あるけど(w
<マルガリータは同じ一族と結婚したので継承権を放棄してないんです。
215カウニッツ:01/08/30 01:43 ID:sSbx41C2
>>210さん、
スペイン継承戦争についての認識を改めさして頂きました。
ありがとうございました。また不備な点が有りましたらレス下さい。
216カウニッツ:01/08/31 01:35 ID:At9KiXXs
「私はこれまでお兄様のいわれるままに生きてきました。しかし何の喜びもありませんでした。
わずかの幸福もお兄様は奪ってしまわれた。もう嫌です。今後は私の思うとおりにいたします。」
「妹よ、お前にはわかるまい。イタリアは統一されねばならない。力をもたねばならない。
どんな手段によってでもだ。さもないと今後イタリアは二度と立つことができない不幸に見舞われる。
統一できるものは私だけなのだ。そしてこの私にお前の美しさが役に立つのだ。
頼む、行ってくれフェララに。」
━「女一人の幸福とイタリアの未来のすべての、どちらをとれと私にいうのだ……」

あるスレッドでボルジア家が話題になっていましたが、この家系は本当にスペイン系なのですか?
だとしたらなぜイタリアに来たのですか?わかる方教えて下さい!
217世界@名無史さん:01/09/01 02:26 ID:C.rtatzw
>216
確か、15世紀半ばのカリストゥス3世という教皇がボルジア家出身で
教皇権力で身内を重用したのがボルジア家勃興の始まりだったような?
このとき重用されたうちの1人が彼の甥で、後のアレクサンデル6世です。
チェーザレ亡き後の一族はスペインに戻ってカール5世に仕えました。


今日はたまたま図書館で『ローマ教皇歴代誌』を借りてきたのでタイムリーでした(w
(ハプスブルクスレの回答も…)
218カウニッツ:01/09/01 03:39 ID:4RwHzrwI
>>217さん、
>チェーザレ亡き後の一族はスペインに戻ってカール5世に仕えました。
そうなのですか。ん〜…。ありがとうございます。
219カウニッツ:01/09/02 20:31 ID:T5PF3CUU
私も『ローマ教皇歴代誌(史)?』を借りてみよう。
良かったら買って見よう!
220世界@名無史さん:01/09/03 05:44 ID:fTFYTm6U
メディナ・シドニア公は支倉常長を歓待したそうです。
221カウニッツ:01/09/03 05:53 ID:fTFYTm6U
>>220は、私です。
222世界@名無史さん:01/09/03 21:33 ID:s.6O45hQ
ルパン3世参上!
223世界@名無史さん:01/09/04 00:38 ID:MLRWKmQM
age
224世界@名無史さん:01/09/04 01:43 ID:HNB9/COc
フェリペ4世はスペイン・ハプスブルク家の王の中で一番美男子ですよね。
225世界@名無史さん:01/09/05 00:14 ID:iutt28y.
どうか世界史の掲示板が閉鎖になりませんように(祈
226世界@名無史さん:01/09/05 01:57 ID:iutt28y.
age
227世界@名無史さん:01/09/10 23:53
>>224
そうか?
228世界@名無史さん:01/09/12 14:59
いったい16世紀の黄金時代は、どうしてあれほどはかなくすぎさってしまったのですか?
スペインが動けば世界がふるえる、とおそれられたあの富強は、どこに消えてしまったのですか?
229世界@名無史さん:01/09/12 17:43
アガリクス!
230なんだ!:01/09/16 00:48
最近の世界史板の低レベル化は!!
231世界@名無史さん:01/09/16 00:57
そんなにハプスブルクっていいのか?
232世界@名無史さん:01/09/21 17:26
ああ、戦争で領土を拡大するような無粋なことをしないところがな!
233世界@名無史さん:01/09/24 02:53
ガリシアはなぜスペイン領なんですか?
言語的にはポルトガルのほうに近いと聞いたのですが。
234世界@名無史さん:01/09/24 03:14
>233
ガリシアはカスティーリア王国領だったから。
そもそもポルトガルとスペインが別の国なのも
民族の違いからというよりは中世を通じて別々の国だったからだから、
ガリシア語とポルトガル語が似ていても不思議ではない。
235ちむ:01/09/24 07:39
あの〜ちょっと質問があるのですが、いいですか?
では、いきます。
  大航海時代(地理上の発見)、なんで、ヨーロッパ諸国は
香辛料を求めて、インドまで、快速帆船でいったのですか?
オリーブなど、栽培できるのだから、香辛料だって、栽培できるのでは?
それに、スペイン、オランダはどのようにして、
オスマン帝国をやっつけたのですか?当時は強かったのでは?
それと、イタリア戦争で、カール5世とフランソワ1世の
どちらが勝ったのですか?マジレスキボーン!!
236カウニッツ:01/09/25 03:25
ん〜。香辛料の栽培はオリーブを栽培出来る南イタリアやスペイン南部程度の
温度でも難しいのです。スペインやオランダの全盛期、オスマン・トルコも
強かったです。だから、やっつけてはいないです。イタリア戦争は、
カール5世率いるハプスブルク勢がヴァロア朝フランスの君主フランソワ1世を
パヴィアの戦い等で破っています。結果的にはカール5世の勝利と言えます。
237突然ですが・・・。:01/09/25 20:51
スペインの歴史についての文献で
オススメを教えて下さい!
おおまかなスペインの歴史の流れを読んでみたいです。
238-:01/09/25 21:29
スペイン=ハプスブルグと、今のスペイン=ブルボンは血縁関係はあるの?
239世界@名無史さん:01/09/26 02:01
>>217

カリストゥス3世は、もともとアラゴン王の侍僧かなにかで、ナポリ王位を狙
っていた王様の後押しで枢機卿になったというような話だったと思います。

もっとも、教皇になってからは(当然ながら)アラゴン王国やアラゴン王朝より
も教皇庁第1で動くから、王様とは不仲になったとか。

スペインに戻ったのは、チェーザレに殺された弟の嫁さんで、子連れでスペイ
ンの領地に行ったという話だったような。
スペインではボルハ家というんだとかなんとか、昔読んだ本に書いてあったよ
うな気がする。
(記憶のみなんで、違っていたらすまんす)
240世界@名無史さん:01/09/26 02:27
亀レスしつれい

>>67

カール5世=カルロス5世で良かった筈。
英語でカール5世がチャールズ5世に化けるのと同じノリで、カール
がカルロスになってるんだと思う。
スペインで見た彫像やら肖像のタイトルも、「カルロス5世」が多
かったし。(本当は、「そう書いてあるよ」と教えてもらったんだ
が(曝)
やっぱり、「スペイン王カルロス1世」よりも「皇帝カルロス5世」
の方が偉く見えるからだろうな〜と思った覚えがある。

どうでもいいが、もともとカルロス=カールなんてゲルマン系の名
前がスペイン語圏でけっこうメジャーになっているっていうのは、
スペインの盛期に君臨した「皇帝カルロス」のイメージが強烈な
んだろうなー、と思ったけど、どんなもんなんでしょ?
241ちむ:01/09/30 11:11
またまた、質問。
あの〜第一次囲い込みって、なんのことですか?
どの様なことがおこなわれたんですぅか?
それと魔女狩りってなに?

あとカチュウシャDLしたんだけどどうつかうの?
242名無しサンタマリア:01/09/30 12:37
>237 帝国書院の世界の教科書シリーズのスペインを図書館で探してみてください。絵も豊富でなかなかいいですよ。 >238 ルイ14世がブルボンのルイ13世とハプスブルクのアンヌの子だから血縁ですよ。
243アマノウヅメ:01/09/30 13:09
>>238
ルイ14世は母のアンヌも妻のマリー・テレーズもスペイン・ハプスブルグの
王女だったので、自分の子にもスペインの継承権があるといって孫をスペインの
王位につけました。
息子は一人しかいないし、しかも親に先立ったので孫なわけです。
王位を要求した理由には、王妃のマリー・テレーズの持参金が約束通り支払われなかったので
彼女の王位継承権は消滅していないというのがあったはずです。
244世界@名無史さん:01/09/30 18:11
ためになる上げ
245ちむ:01/09/30 18:53
あの〜親政って、具体的にどうゆうの?
246世界@名無史さん:01/10/02 14:21
age
247世界@名無史さん:01/10/02 14:27
親政とは君主自ら政治を行うこと。
大臣共に任せたり、摂政を置いたりせずにね。
248世界@名無史さん:01/10/02 14:30
例えば、ルイ14世は、1643年から在位しているが、
マザランが摂政を亡くなる1661年迄していたので、
ルイ14世の親政は1661年からです。
249あっ、槍だ!:01/10/02 15:11
>243 別に238はそんなとこまで聞いてないじゃん(ボソ
250ちむ:01/10/02 20:24
解いてよ。教えてよ。(牛
251世界@名無史さん:01/10/02 23:19
だってスペ・ハプと関係無いじゃん!自分で調べてよ。教科書レヴェルだしさ(w
252世界@名無史さん:01/10/04 16:47
どうした?ちむ。。。
253世界@名無史さん:01/10/04 17:00
>>250
あんた、言葉の通りのことよ(ラブ
254ちむ:01/10/04 21:16
ゴメン。でも、教科書にはのてないの。
知りたいの。教えて。
それと、ハプスブルク家はなんで、世界中にあるの。
スペインじゃないの?疑問だべさ。
255ちむ:01/10/04 21:44
nn?
256ちむへ:01/10/04 23:37
あまりに質問が基本過ぎて答える気にもならんわい。
それとハプスブルク家については講談社現代新書でも読めばわかるじゃろ。
257ちむへ:01/10/05 13:34
チムールだけどなにか?
258世界@名無史さん:01/10/05 13:55
メロヴィング朝−カロリング朝−カペー朝−ヴァロア朝−ブルボン朝−オルレアン朝
合ってる?
259ちむ:01/10/06 14:08
ウエーン。ちむ、泣いちゃう。ウエーン。(牛
ゥニャ。
260世界@名無史さん:01/10/06 16:21
ちむ萌え。
261世界@名無史さん:01/10/07 01:53
上に参ります。
262ちむ:01/10/07 15:53
ちむじゃ、ただいま。
263世界@名無史さん:01/10/07 15:53
スペインのブルボン朝って、一時期の混乱を除けば300年近く続いているんですよね?
264世界@名無史さん:01/10/07 20:28
そうだね。
265ちむ:01/10/07 22:26
教えてくんでゴメン。教えて。
266ちむ:01/10/08 10:05
ほい。
267ちむちむみちむ:01/10/08 18:26
誰か教えてあげなよ!俺は教えないけど(w
268ちむ:01/10/11 20:22
ポルトガルはなんで、スペインと合体したじゃけんか?
269世界@名無史さん:01/10/11 21:44
合体したわけじゃないんだけどねぇ。

スペイン王がポルトガル王を兼ねていた時代(1580-1640)は
ポルトガル王家が断絶したから親戚のスペイン王が継いだだけのこと。
270ちむ:01/10/12 19:17
ありがとじゃけん。
フィリップとフェリペって、同じ血統なのじゃけんか?
271世界@名無史さん:01/10/12 19:31
どのフィリップとフェリペ?
272世界@名無史さん:01/10/12 20:24
>>81
現在シェーンブルン宮殿は一部住居になっています。
とは言っても宮殿部分ではなく使用人の住居部分ではありますが。
入居資格はオーストリア国民であること。
オーストリア人と結婚すれば住めるかもよ。
273ちむ:01/10/13 10:57
スペイン継承戦争の過程がよく、わからんじゃけん。
誰か、説明してじゃけん。世界史の難しいところ。
274ちむ:01/10/13 11:11
>>271
どれでもじゃけん。フランスとスペインの。
275でぃあ ちむ:01/10/13 15:24
それなら単にフィリッポスって名前のフランス語版とスペイン語版ってだけ。スペイン継承戦争の過程っていうのは勃発後から終結までのこと?勃発までの経緯ならわかるんだけど…。
276ちむ:01/10/13 19:19
あのさ〜カルロス1世=カール5世じゃけんでしょ、
カール5世って何してた人?ドイツ皇帝じゃけんか?
277ちむ:01/10/14 08:14
>>275
それもいいじゃけん。ちむに教えてじゃけん。(^^)
278ちむ:01/10/14 11:55
ブルボン朝って、フランスにもあるけど、どうしてじゃけんか?
じゃけんか?じゃけんか?(I、I)ニンマリ☆
279カウニッツ:01/10/14 23:44
フランスのブルボン朝の方が本家ですよ。スペインのブルボン朝の方が傍系です。
280シャルル・ド・ヴァロワ:01/10/15 15:56
ボク、ランスで戴冠式を挙げてシャルル7世になりました。
281ちむ:01/10/15 20:56
>>280
シャルル7世はジャンヌ・ダルクを見殺しにしたじゃけん。
誰が、オルレオンの包囲網を突破したとおもってるじゃけんか?
282世界@名無史さん:01/10/16 00:19
>>280 てか思いっきりスレ違い。
283ちむ教の信者:01/10/18 17:48
スペインって、かこいいね。
284世界@名無史さん:01/10/18 20:57
age!!
285ちむ教の信者:01/10/22 17:34
明日、テストです。
286ちむ:01/10/26 23:08
なんかじゃね〜。
287世界@名無史さん:01/10/27 02:04
誰かフュエンテス伯など、ロクロワの戦いのスペイン側の将軍についてご存じの方、いませんか?
288カウニッツ:01/10/27 23:27
ロ、ロクロワ!ダンギャン公(大コンデ親王)がスペイン軍に土をつけた、あの忌まわしきロクロワ。
ってことで、教えません!
289agnesdijital:01/10/29 19:55
(-v-)/age!
290カウニッツ:01/10/30 00:34
>>289、カワイイね!
291世界@名無史さん:01/10/30 01:49
>>288 まあまあ。彼とスペインはフロンドの乱後期以降は共に戦った仲なんだからいいじゃあないですか。
292世界@名無史さん:01/10/30 19:16
(-v-)/age!
293オリヴァレス:01/10/30 20:47
ダメ。
294閑古鳥@スペイン:01/11/01 21:07
(-v-)/age!
295文化の日:01/11/03 04:10
エル・エスコリアル行った人いる?
296フェリペ4世:01/11/03 13:16
>293 自分そん時死んどるやん。
297世界@名無史さん:01/11/03 13:18
>>295
ワシも行って見たい。
マドリッドからだと、鉄道よりバスの方が便利そうなんだけど
実際どうよ? 板違いでスマソ
298???:01/11/03 15:43
ちむさんのための
スペイン・ハプスブルク基礎知識

1496年アラゴン王フェルナントの強い働きかけによって、
ハプスブルク家(皇帝マクシミリアン一世)とスペインの間に
フィリップ美公とファナ王女、ファン王子とマルガレーテ王女
の2組の夫婦が生まれた。
皇帝にはフィリップとマルガレーテの二人しか子供がいなかったので、
皇帝がこの縁談を承知したことは1つの決断といってよいものだった。

マルガレーテ夫妻の結婚生活はファン王子の死によって
わずか半年で終わり、マルガレーテはブルゴーニュに帰っていった。
一方、フィリップ夫妻の間には二男四女がうまれた。
長男はシャルル(曽祖父のシャルル突進公から)、次男はフェルディナント、
長女はエレオノーレ、三女はマリア、四女はカタリーナである。

カスティリア女王イザベラ、アラゴン王フェルナント、そして父親の
フィリップ美公が次々になくなったため、
長男シャルルがファナと共にスペインの王位に着いた。
スペイン王カルロス一世である。
299世界@名無史さん:01/11/03 17:15
>> 298
> 長男シャルルがファナと共にスペインの王位に着いた。
> スペイン王カルロス一世である。

女王ファナの「Solo yo!」のおかげで正式な王位についたのは、
ファナ没後の1555 4/12から。
300世界@名無史さん:01/11/03 18:16
いや、母ファナと息子カルロスは共同統治だから、肉屋の書いた通りでいいはず。
301御礼@カウニッツ:01/11/03 20:45
このスレッドを立てた時にはレスが300を越えようとは思ってもいませんでした。
それがこの度300レスに達し、感謝の極みです。
今後も活発な議論をして行きましょう。
302カウニッツ:01/11/04 23:11
って、自分の書き込みが一番多かったりして…。
(ToT)/~~
303世界@名無史さん:01/11/07 20:03
ちむcome back!
304世界@名無史さん:01/11/07 21:08
(..)/age!
305世界@名無史さん:01/11/09 18:26
塩野七生さんとビートたけしの特番でカルロス1世のことをカルロス5世と出ていたね?
西欧ではそう呼ぶのが普通なの?なんか違和感感じるのは俺だけ?
306世界@名無史さん:01/11/09 18:35
>305
同志!
スペイン王=カルロス一世
神聖ローマ皇帝=カール五世
ですよねえ?
307世界@名無史さん:01/11/09 19:51
もしかして単にラテン語読みで統一してるだけ?
308世界@名無史さん:01/11/09 20:07
ラテン語ならカロルスじゃない?
309世界@名無史さん:01/11/10 02:19
そうなの?俺、語学ダメなんだ。
310世界@名無史さん:01/11/10 12:27
>307
でも、「スペイン王カルロス五世・・・」ってハッキリ言ってたよ>ナレーション
311世界@名無史さん:01/11/10 16:17
>310
そうそう、確かに言ってた!それに字幕もカルロス五世って出てた!
312世界@名無史さん:01/11/11 12:26
>>240で既出。

よーするに、カールもシャルルもチャールズもカルロスもみんな一緒
なんでしょう。
で、日本じゃ各々の地元ごとに使い分けるのが一般的だけど、向こう
じゃわざわざ使い分けないと。
カルロス1世=5世くらいなら違和感が小さい方ではないかと思う。
イギリスの本から訳した、エリザベス1世の親父の絡みの本では、
「チャールズ5世の云々」となっていて、最初誰のことを書いているか
わからなかった。
313世界@名無史さん:01/11/11 15:36
>>312
いや、それとこれとは話が違う。確かに、たとえばフランスのルイ十四世のことを
ドイツ語の本ではルードヴィヒ十四世と表記したりするよ。でもそれは自国語に
当てはめれば当然のこと。
でも今度の場合は「スペイン王カルロス五世」。スペイン王には、カールにしろ
カルロスにしろ「五世」は「いない」。「神聖ローマ皇帝カルロス五世…」と言う
のであれば間違いじゃないが、スペイン王カルロス五世は「間違い」なの。製作者
の勉強不足。
314アルブケルケ:01/11/11 20:30
話はちょっと変わるけど、
文春新書の村松とかなんとかいう人の「戦争学」とかいう本はすごかった。

ポルトガルの海上帝国を築いた立て役者の一人として
「アルバカーキ」提督というのが出てくる。

「アルバカーキ? アメリカはニューメキシコあたりの街だよな?」

と沈思すること30分。ようやくハタと気づきました。
315世界@名無史さん:01/11/11 20:43
カルロス1世はスペインでの名前。カール5世はドイツでの名前。カルロスという名前は
スペインに多いし、カールという名前はドイツに多い。TVでは1世と5世を取り違えたのだと思われる。
316312:01/11/11 22:38
>313

なるほど、それは誤読でした。
ただ、スペイン王としての彼は「一世」で、皇帝として「五世」か
どうかはスペイン人には関係ないはずなのに、スペインにある肖像
や胸像なども、ほとんどが「カルロス五世」なんですよね。


これは全くの想像ですが、スペイン人にとっては、スペインで何人
目のカルロスかということはどうでもよくて、スペインの黄金期に
君臨した君主を、ただの「カルロス」でなく「カルロス五世」とし
て、いわばセットで使っているのかもしれないな、と思いました。

>315
「カルロス」が今スペイン系に多いのは確かかもしれませんが、
最初からそうだったんですかね?
むしろ「偉大なるカルロス五世」にあやかって、カルロス=カール
なんていう、フランク人の系統の名前が増えたんじゃないかと
いう気がしますが。
317316:01/11/11 23:19
見落としていたが、塩野七生さんが出ていた番組ということなら、
おそらく意図的にだろうと思う。

前に著書のどれかで、
「スペイン王としては一世、皇帝としては五世ということになる
だろうし、実際『カルロス一世』という酒もないことはない。
が、ほとんどの場合にはスペイン王としても皇帝としてであって
も、スペインでは一様に『カルロス五世』と呼ぶことが多いので、
私も特に区別しないで使う。」というようなことを書いていたような気がする。

(ちょうど316で書いたようなことを考えていたので、「なるほど」
と思ったんだが、実際にどの程度の根拠があるのかはよくわからな
い。あいまいでスマヌ)
318世界@名無史さん:01/11/12 12:07
>>314
ポルトガルもハプスブルクに関係あるから認めてあげよう。
だってフリードリヒ三世の妃もポルトガル王女だし、その他カール五世の妃も
そうだし。
319世界@名無史さん:01/11/12 17:58
(~o~)/age
320世界@名無史さん:01/11/12 18:53
>316 当時の肖像画に書かれてる言語はラテン語のはずだから「カルロス5世」というのにも何の問題も無いと思う。スペインの人達が彼を第一に神聖ローマ皇帝として見ていたっていうのはないんじゃないかなあ。
321カウニッツ:01/11/13 18:16
「カルロス5世」の4代後に「カルロス2世」が即位したというのも
何だか変な気がしますね。私はスペインに行った事は有りませんので
何とも言えませんが……。
322世界@名無史さん:01/11/13 20:30
(~O~)/age
323世界@名無史さん:01/11/13 20:35
>321 カルロス2世って母親にすごく似てますよね。
324世界@名無史さん:01/11/13 21:37
>>308氏が既に指摘しているが、
Carlos=カルロス=スペイン語
Carolus=カロルス=ラテン語
325316:01/11/13 22:55
>320, 321

ガクジュツ的、歴史家的にはともかく、一般大衆レベルでは
「スペイン王としては一世、皇帝としては五世」なんていう
厳密な使い分けでなく、単に「偉大なるカルロス五世」くら
いの感覚じゃないかな、という想像をしただけなんですが…。

特に根拠がある話でなくて、単なる感想です。
326世界@名無史さん:01/11/17 20:35
窮めて貧しい王国の極めてとめる個人、それがスペイン国王。
327カウニッツ:01/11/18 16:31
国内産業を整備せずに、新大陸からの金銀を戦費にばかり使った、
窮めて貧しい王国の極めて富める個人、それがスペイン国王。
ハプスブルク朝イスパニアの時代です。
328世界@名無史さん:01/11/20 00:09
カウニッツ様がハプスブルク家を批判!
329カウニッツ:01/11/20 20:48
ルイ14世について正しい記述を全て選んでください。
@ルイ15世の祖父である。
Aリシュリューに補佐された。
B母も正室もスペイン・ハプスブルク家の出身である。
Cマザランを失脚させた。
Dフーケを失脚させ、コルベールを重用した。
330カウニッツ:01/11/21 17:51
後、2時間で締め切りま〜す!
331世界@名無史さん:01/11/21 18:08
奇数のみ。
332カウニッツ:01/11/21 18:11
違います!
333世界@名無史さん:01/11/21 18:14
@ルイ15世は…14世の曾孫だった気がする…ので×
Aリシュリューは13世の宰相だったので×
B母后はアンヌ・ドートリッシュ(オーストリア)、皇后マリー・
テレーズはフェリペ4世の皇女、なので○
Cマザランは失脚させられたのではなく死亡したので×
Dこれは○

なので、正しいのはBとDと見た。
334カウニッツ:01/11/21 19:41
少々早めですが、答えを書きます。
@×、A×、B○、C×、D○です。
ということで、「BとD」が正解でした。
>>333さん、おめでとうございます!
335333:01/11/21 21:27
ヤター!
ところで、なぜ急にブルボン家?
フェリペ五世つながり?
336カウニッツ:01/11/22 04:54
>>335
いや、Bにもあるように、母も妃もハプスブルク家の人だし…。
337世界@名無史さん:01/11/23 01:24
フィリップ美公の次女の名は?
教えてちょ。
338世界@名無史さん:01/11/23 06:38
ところで、ファナ王女は夫婦間のイザコザと心労で人生の後半は発狂して廃人同様だったとイザベル女王の本で書いてあったんですが、
ラ・ロカ・ファナと言われて結構不幸な(でも当時としてはかなり長命)父のアラゴン王には城に監禁されていたと聞いたんですが・・・
詳しく知っている方はいますか?
339世界@名無史さん:01/11/23 07:22
>>337
イングランド王エドワード2世に嫁いだイザベル。
二人の間の息子は百年戦争をおこしたエドワード3世。
http://www9.wind.ne.jp/chihiro-t/royal/France/Philippe4.htm
340世界@名無史さん:01/11/23 11:29
>>337 >>339

フィリップ美公って、
マクシミリアン1世とマリー・ド・ブルゴーニュの息子の方やろ?
http://www9.wind.ne.jp/chihiro-t/royal/Spain/Felipe1.htm
341世界@名無史さん:01/11/23 19:53
結局、誰よ?
342カウニッツ:01/11/24 02:09
>>337>>341、「イサベラ」です。
343世界@名無史さん:01/11/24 17:16
ルイ十四世が話題になっているので。
ルイ十四世は、フランスの伝統的な外交政策であるハプスブルク家(オーストリア)
打倒を実現するため「自然国境説」(フランスの国土をピレネー、アルプス、ライン川、
大西洋などの山脈・河川・海洋を国境として主張する思想)を口実に、四度の侵略戦争を
行なった。
344革命的ブルボン派:01/11/24 17:34
スペイン継承戦争について詳しく教えてチョ!
カウニッツさん以外でもいいからヨロシク!
345世界@名無史さん:01/11/26 12:02
(~O~)/age
346世界@名無史さん:01/11/26 18:06
>>339の意味がわからん!
347世界@名無史さん:01/11/26 20:18
348カウニッツ:01/11/28 20:19
革命的ブルボン派さん、僕も
ttp://www.ne.jp/asahi/augustan/age/index.htm
をお奨めします。
349世界@名無史さん:01/11/28 20:24
最近、「ちむ」が見当たらんがどこに行きおったのか。
350(~O~)/age:01/12/03 20:41
(~O~)/age
351世界@名無史さん:01/12/10 03:15
>>338
フアナ ラ ロカ ね。
今年スペインでは彼女の半生についての映画が公開された。みてないけど。
352世界@名無史さん:01/12/12 21:59
ファナ女王の生没年は?
353世界@名無史さん:01/12/13 00:02
亡くなったのは、確か、1556年(カール5世が退位した年)だと思ったが、
産まれたのはいつだったかな?
354革命的ブルボン派:01/12/14 18:25
今年がスペイン継承戦争勃発200周年だって知ってたか?
355世界@名無史さん:01/12/14 18:30

チミは100年ずれてるよ
356革命的ブルボン派:01/12/15 00:59
うぁ―、ぬ、ぬかったうぁ―(爆)
357世界@名無史さん:01/12/15 15:36
>>カウニッツ
ヨウヤク全てのレスを読み込んだ
で、感想。カウニッツはしつこかった
358世界@名無史さん:01/12/20 17:04
名無しさんの分際でコテハンを叩くなよ!>>357
359スペイン国王フェリペ3世:02/01/03 16:27
>>357,>>358よ、まあまあ。
360ブルボン王党派:02/01/07 17:16
結局、今のスペインはブルボン家!
361カウニッツ:02/01/09 16:57
357さん、そうですか、しつこかったですか、他にも気を害した人が居るかも知れないですね。
話題をふられたり質問が出た時以外は、ageたり、現れたりしない様にしますね。
362357:02/01/16 09:19
>361
いや、立派だという意味だったんです(^^;
9/27に、このスレは立ってたのかと思ってたら
なんと!一年前の9/27!だったので凄い!な、と。
363カール大帝:02/01/16 13:03
余である。

カウニッツ卿よ
元気そうでなによりじゃ。
このスレも息長く続いておりめでたいかぎりであるの。

さて
スペインのハプスブルク家の諸王特徴は
それ以前のカスティリアやアラゴンの王に比べて
庶子の少ないことじゃ。
同時代のフランスや英国、ドイツの諸家は
庶子だらけであるにも関わらず現代はおろか
数代続いた庶子の家系がない。

ガチガチのカトリック主義と関係あるものであろうか。
364カウニッツ:02/01/19 01:20
恐らく、過度の純血主義に基づく度重なる近親婚による血の混濁のせいでしょう。
365近衛連隊長オスカル:02/01/22 20:22
陛下〜〜〜
366カウニッツ:02/01/22 23:55
スペインに限らず、ヨーロッパの王侯貴族の家系図を見ると、
競走馬に似たものを感じますよ、本当に。(今夜はサーバーが重いですね…)
367カウニッツ:02/01/23 02:45
その結果、王侯貴族には蒲柳体質の人が多かった様だし…。
蒲柳体質と言うと、カトリック両王の子ファン王子やウィーン会議時のデンマーク王なんかを
思い浮べます。
368世界@名無史さん:02/01/26 03:21
純血万歳。
369世界@名無史さん:02/01/28 10:28
カール大帝万歳!!!
370世界@名無史さん:02/01/30 20:59
>>338
そうそう、カルロスキントの母君の半生についての映画スペインで話題になってたよ。
はやく日本でも公開されないかな。
http://terra.es/personal/cmcampos/tratado/tratado.htm
トルデシージャという村に行ったときに彼女がそこで半生を過ごした話を
聞きました。多分トルデシージャで亡くなってると思いますよ。
371世界@名無史さん:02/02/07 07:24
>カルロスキント
カルロス1世のこと?キントって訳すとなに?
372(@@)/:02/02/09 01:55
age!
373世界@名無史さん:02/02/09 10:12
キント=quinto=fifth
374これがワシのゼロ戦じゃあ:02/02/09 11:44


 ∩     ∩
 ヽ彡 ⌒ ミ/   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´∀`) <  わ〜い、わ〜い、わ〜い♪
   |    |    \____________
  ⊂______ |   
      ∪
ミカタン カワイイ モエ- ミカタン カワイイ モエ- ミカタン カワイイ モエ-
http://hpcgi1.nifty.com/thama/resbbs/resbbs3.cgi

375これがワシのゼロ戦じゃあ:02/02/11 00:18
age
376世界@名無史さん:02/02/11 01:21
ハプスブルク関係スレにやってきたのは久しぶりじゃ

>367
>蒲柳体質と言うと
カウニッツ伯の重々承知のこととは思うが、
スペイン=ハプスブルク最後の王、カルロス2世もそうであろう。
我が家訓の結婚政策を逆手にとられぬよう、身内で縁組みを
重ねたために、気の毒な結末となってしまったのう。
377これがワシのゼロ戦じゃあ:02/02/11 08:08
 ∩     ∩
 ヽ彡 ⌒ ミ/   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´∀`) <  わ〜い、わ〜い、わ〜い♪
   |    |    \____________
  ⊂______ |   
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378カウニッツ:02/02/12 00:30
376さん、全くですね。
379カウニッツ@○×クイズ:02/02/14 16:38
@スペイン・ハプスブルク家の中で一番在位期間が長かったのは「フェリペ2世」である。
Aレパントの海戦では、スペイン海軍の旗船にフェリペ2世は乗っていた。
Bカルロス2世の遺言では、スペイン・ハプスブルク家の断絶後はオーストリア・
ハプスブルク家のカール王子が跡を継ぐ事になっていた。
C三十年戦争の一環のネルトリンゲンの戦いには、スペイン陸軍も参戦していた。
D三十年戦争中のロクロワの戦いではスペイン軍はフランス軍に敗北した。
E16世紀のサン・カンタンの戦いでは新国王フェリペ2世のスペイン軍がフランス軍に勝利した。
380世界@名無史さん:02/02/15 01:07
age
381世界@名無史さん:02/02/15 01:22
>>379
1.フェリペは40年ぐらいやってたからけっこう長いはず。
 でもこういう聞き方をしてくるってことは×か?
2.ドン・フアンとかゆう人じゃなかった? ×
3.×。バイエルン公子か、仏のアンジュー公か、
 ともかくカール(後の皇帝カール6世)ではなかったはず。
4.○だったような・・・・
 確か戦史上では、テルシオもまだまだ使えることが証明された会戦だったはず。
 フランドル派遣軍が参戦したりしてなかったのか・・・わからん。
5.○。ダンギャン公(大コンデ)会心の一戦。
6.×? まだカール5世じゃなかった?
 このサン・カンタンの英雄がエグモント伯で、彼は後にフェリペの派遣したアルバ公に処刑されるわけだが、
 この戦いがフェリペの治世下だったならば、王は借りがあるわけだから、さすがに処刑はなかったんじゃないか?
382出題者:02/02/15 01:41
やっと一人か。惜しいんですけどね381さん。もう少し待ちます。
奮って御参加下さいませませ。。。
383世界@名無史さん:02/02/16 01:18
age
384カウニッツ@正答:02/02/16 21:12
@×、A×、B×、C○、D○、E○
以上。
385フリードリヒ5世:02/02/17 00:46
>376で名前を書いたつもりだが、名無史さんになっていた。
・・・少し鬱じゃ
386世界@名無史さん:02/02/17 01:00
>>384
381です。解答どうも。
6は○ですか・・・・さすがにカンタンではなかったですね。(←ダジャレがでればもうオヤヂ)
387オヤヂ:02/02/18 00:16
カウニッツ君もう一度チャンスをくれんかのー
388カウニッツ:02/02/20 00:50
またクイズなどやってみたいと思います。受験生から大人の方まで幅広い方々の
参加をお待ちしています。この時期、やっぱり受験生向けの問題など作るかも…
389カウニッツ@○×クイズ:02/02/20 08:18
@カール5世の父はマクシミリアン1世である。
Aフェリペ2世は1580年にポルトガルの国王にもなった。
B1640年にポルトガル王位を失ったのはフェリペ4世である。
Cアンヌ・ドートリッシュはルイ14世の母である。
Dスペインは三十年戦争の和平条約であるウェストファリア条約により、
フランスと平和条約を結んだ。
Eスペイン継承戦争は1701年から1711年までの十年間続いた。
390カウニッツ:02/02/21 20:52
この時期、受験生の方を意識して問題を作ってみたのですが、反応無しっすか…。
マニアックな問題じゃ無いんですけどね〜。答えですが、
@×(父はフィリップ美公)、A○、B○、C○、D×(フランスとの和平は1659年の
ピレネー条約)、E×(スペイン継承戦争は1701〜14)です。
391794:02/02/21 21:47
どんなにスゴイんだ?
韓国でも翻訳して発売されるらしい。
http://www.puchiwara.com/hacking/
うにゅ。
392世界@名無史さん:02/02/21 22:46
エリザベート。綺麗だったらしいね。
393世界@名無史さん:02/02/22 19:00
age
394世界@名無史さん:02/02/24 21:44
スペイン・ブルボン家の情報キボンヌ
395世界@名無史さん:02/02/25 18:52
>エリザベート。綺麗だったらしいね。

エリザベートはこのスレと関係無いと思ふ…
396カウニッツ@○×クイズ:02/03/02 17:53
@フランスが直接三十年戦争に介入したのは1638年である。
Aルイ13世がアンヌ・ドートリッシュと結婚したのは十四歳の時である。
Bウェストファリア条約が締結された時のオランダの総督はウィレム2世である。
397世界@名無史さん:02/03/02 22:31
>>396
@×。
1632年にリュッツエンの戦いでグスタフ・アドルフが死ぬ。
そんでその2年後1634年にネルトリンゲンの戦い(>>379)でスウェーデンが負ける。
これはいよいよやばいってんでフランスが直接介入する、
というのが流れだから、38年じゃ遅いよ、多分。

B○。
これは引っかけだな。
ウィレム2世の父フレドリク・ヘンドリクがウェストファリア条約締結に尽力したことは知られている。
当然×としたいとこだが、彼は実は47年に死んでいる。
スペインとの休戦は取り結んだが、本条約には間に合わなかったわけだな。

A?
全然わからん。
同性愛者説のあるルイだが、結婚が幼い頃だったのも一因かも、と言ってみたりする。
398カウニッツ@解答:02/03/03 22:45
@×、A○、B○
399ベラスケス:02/03/04 19:23
プラド美術館展見に行こう!
400世界@名無史さん:02/03/04 19:29
400ゲト
401ヤソ・ウェンリー:02/03/04 19:29
400GET!!
402ヤソ・ウェンリー:02/03/04 19:30
ヌウォー!!!(自爆)
403ヤソ・ウェソリー:02/03/07 19:05
東フランク王国−神聖ローマ帝国−ドイツ連邦−ドイツ帝国−ワイマール共和国−銀河帝国
404世界@名無史さん:02/03/17 23:24
フェリッペ2世から4世までいるのに1世がいないのは何故?
もしや、フェリッペ1世はフィリップ美公のことを指しているの?
もしそうなら、彼はスペイン王(またはカステリヤ王?)になったことが
あるの?
405世界@名無史さん:02/03/17 23:55
カスティリアの王さんを2年間やって死にました。
406世界@名無史さん:02/03/21 03:01
緊急age
407カウニッツ:02/03/24 00:30
厳密に言えば5人のスペイン国王を輩出した、スペイン・ハプスブルク朝。
ある意味5人しかとも言えますが、それゆえレスが増えないのでしょうか?
408世界@名無史さん:02/03/30 00:44
スペイン・ハプスブルク家とは直接関係ないのですが、レコンキスタで
出てくるイスラム教国グラナダ王国とはどういうものなのか?また、
グラナダ王国が滅亡したあと、そのイスラム勢力は何処に散っていった
のかを分かる方、教えて下さい。
409世界@名無史さん:02/04/05 03:18
CLスペイン勢3連敗age
410世界@名無史さん:02/04/06 17:18
春age!
411世界@名無史さん:02/04/08 00:37
sage
412世界@名無史さん:02/04/10 21:53
age
413世界@名無史さん:02/04/12 15:02
age
414世界@名無史さん:02/04/13 19:15
sage
415世界@名無史さん:02/04/21 22:40
age
416世界@名無史さん:02/05/16 17:15
417世界@名無史さん:02/05/16 17:21
26 :世界@名無史さん :02/05/08 10:20
王権神授でならした俺達の領土は相次ぐ戦乱でフランスに侵略された。
しかし、宮殿に引きこもってるような俺達じゃあない。
軍備さえ整えば同盟なんて平気で破ってのける恩知らず、
横隊を縦隊にし巨大なフランスを粉砕する、俺達、特攻君主Aチーム!

俺は、黒幕ピット。通称大ピット。
演説と煽りの名人。
俺のような天才政治家でなければ有象無象の君主どもの黒幕は務まらん。

俺はアレクサンドル一世。通称ロシア皇帝。
自慢の変節振りに、フランス人はみんな呆れ顔さ。
ハッタリかまして、モスクワからカムチャッカまで、どこまででも逃げてみせるぜ。

よおお待ちどう。俺様こそフリードリヒ=ヴィルヘルム三世。通称プロイセン王。
馬術家としての腕は天下珍品!
保守派?契約不履行?だから何。

フランツ一世。通称オーストリア皇帝。
敗北の天才だ。愛娘でも手放してみせらぁ。
でもライン同盟だけはかんべんな。

俺達は道理の通らないフランスに敢えて挑戦する。
信用ならない朝令暮改の、特攻君主Aチーム!
時代を逆行させたいときは、いつでも言ってくれ。
418カウニッツ:02/05/16 22:02
>>417
ワラタ!特にフランツ帝の所は秀逸!
419世界@名無史さん:02/05/24 00:47
寝age!
420119:02/05/30 04:33
オリバーレスってデブだ。
一番有名な馬に乗ってる肖像画はたいしたことないけど、
別の絵みたらすごいデブだった。
デブすぎて馬に乗れなかったらしい。
421世界@名無史さん:02/06/02 08:46
ドン・キホーテはスペインの衰退を寓意的に表現したって評価が
よくなされてるけどこれってあんまり正解とは言えないような気が…。
むしろ無謀さとかを表してるような気がする。
422世界@名無史さん:02/06/08 06:15
宰相期待あげ
423世界@名無史さん:02/06/11 16:18
レルマ
424カウニッツ:02/06/16 20:19
世界史板で三十年戦争の話題が出てますが、オーストリア・ハプスブルク家の側でなく、
スペイン・ハプスブルク朝の方から見た三十年戦争について語ってみませんか?
425世界@名無史さん:02/06/16 20:34
>424
それいいですね。そういやドイツでヴァレンシュタインと共に戦った
ピッコロミニって将軍がフランスが参戦してからはスペイン軍に移籍
したらしいですけど、将軍がオーストリア・スペイン間を行き来してたって
っていうことはよくあったみたいですね。
426カウニッツ:02/06/16 23:09
フェルディナント2世をスイス宮で救った「ダンピエール騎兵隊」って、
スペイン系ですかね?「ピエール」ってドイツ人の名じゃないような気が…。
427世界@名無史さん:02/06/18 16:42
>ピエール
フランス系かな?わからんスマソ。
428世界@名無史さん:02/06/18 17:44
>426
それって初期の反乱軍によるウィーン包囲の際に起きた
市民の暴動とかいうやつの時の話ですか?
429フェルディナント2世:02/06/18 19:39
三十年戦争の初めも初め、ベーメンから新教徒軍が攻めてきたとき、
奴らの代表とそれに呼応したウィーン市民の中の新教徒の代表じゃ。
朕はもはやこれまでと思ったその時、ダンピエール重甲騎兵隊が救ってくれたのじゃ!
430コピペさん:02/06/19 18:43
俺はついに、このスレの430をゲットをした。
感無量だ。5年間、このスレの430をゲットする為だけに耐えてきた。
雨の日も、風の日も、雪の日も、サボらず地道にこのスレの430をゲットするためだけに
修行してきた。
やめたい日もあった。くじけそうになった時もあった。自分に負けそうになった日もあった。
そして「なんで俺は、430をゲットしたいのだろう。」と疑問に思った日も、あった。
だが、俺は5年間頑張りとおした。そして、そしてついにこのスレの430をゲットしたのだ。

何をやっても中途半端だった今までの俺。 勉強も、部活も、恋愛も・・・。
本当に何をやっても中途半端だった。だが、俺はこのスレの430をゲットした今、
変われたような気がする。堂々と胸をはって生きているような、すがすがしい気持ちだ。
ありがとう、430をゲットさせてくれてありがとう。

俺は今から叫ぶ。修行に耐え抜く事が出来た、やり遂げる事が出来た俺自身に向かって叫ぶ。
「430ゲット」と。
431世界@名無史さん:02/06/19 18:58
コピペさん、そんなに暇ならカール大帝のスレを盛り上げて!
432カウニッツ:02/06/25 17:47
ちなみにフランスの太陽王ルイ14世は、母も正妻もスペイン・ハプスブルク家の人間です。
433世界@名無史さん:02/06/25 19:32
>429
それとは関係ないかもしれないけど戦争初期はフランスも皇帝側に立ってたんですよね・・・。
434世界@名無史さん:02/06/25 19:53
ルイ14世とマリーテレーズは二重従兄妹

スペインハプスブルクの近親結婚ぶりには笑えるというかゾッとするというか。
435カウニッツ:02/06/26 01:41
リシュリューやマザランには頭が下がります。
私も頑張らなければ…。
436世界@名無史さん:02/06/26 20:29
agenebanaranu!
437カウニッツ:02/06/27 18:58
ピョートル大帝はリシュリューを尊敬していたそうです。(豆知識)
438アンヌ=ドートリッシュ:02/06/28 02:31
>437
どのへんをざんす?
439世界@名無史さん:02/06/28 16:59
アンヌ・ドートリッシュがトニー谷に……。打つ出し納…。
440世界@名無史さん:02/06/28 20:44
引き上げ
441世界@名無史さん:02/06/29 19:40
あげよう
442世界@名無史さん:02/06/30 16:13
ルイ十三世の宰相リシュリューは確かに尊敬に値するだろう
443世界@名無史さん:02/07/03 18:37
agee
444世界@名無史さん:02/07/05 18:50
>>435
オリバーレスを忘れないで・・・
445世界@名無史さん:02/07/26 02:34
さるべーじ
446カウニッツ:02/07/27 17:31
Q:ブルボン朝がルイ14世の下でヨーロッパ大陸内での主導権を握ったのには
アンリ4世・ルイ13世・ルイ14世の下に偉大な政治の補佐官がいたところが
大ですが、ルイ13世のリシュリュー、ルイ14世のマザランにあたるアンリ4世の
補佐官は誰でしょう?
447世界@名無史さん:02/07/27 17:39
シュリー?
448カウニッツ:02/07/27 23:13
シュリ(シュリー)公。447さん、正解です。よく御存知で。
449世界@名無史さん:02/08/05 06:28
在ベルギーなのですが、そういえば今年の冬くらいに
フアナ・ラ・ロカの映画、テレビでちらっと見ました。
スペイン系のチャンネルだったんだけど、映画の特集番組でした。
旦那のフェルナンド(だっけ?)がこっちの人だから、
こっちでも上映されるかと思いきや、その後どうなったのか分からないまま・・・。
日本では公開されましたか?
450世界@名無史さん:02/08/05 14:11
>>408
超亀レスだけど。
グラナダ王国は後ウマイア朝が11世紀に滅びた後、
数多く現われ消えていったイスラム系の王国のひとつで、かつ最後のもの。
グラナダ王国の滅亡後も、イスラム教徒はスペインに残りました。
王様はモロッコに移ったけど。その王様がグラナダを去るとき
そこから最後に振り返ってみたというのが「嘆きの丘」。
451世界@名無史さん:02/08/05 20:55
フェリペ3世と4世の時代のスペインの国内事情についてご存知の方いませんか?
寵臣政治の実態とか、何でモリスコを追放したのかがいまいちよくわからんのですが・・・
ハプスブルク王朝の時代のスペインって対外関係ばっかり書かれるんでいまいち情報が入ってこないんです・・・
452世界@名無史さん:02/08/05 21:57
>>451 要するにモリスコがスペインに同化できずに、
あるいはスペインが彼らを同化させられず、
社会の異分子であったこと。
さらには北アフリカやオスマン・トルコとの連携を保っていた
不穏分子であったことらしい。
スペイン史というと岩波のビーベス『スペイン』や、
帝国書院の世界の歴史教科書シリーズの『スペイン』が参考になるかと。
寵臣政治についても要領よくまとめてありますデス。
453世界@名無史さん
良スレ!保存