ハプスブルクの中で好きな皇族は?

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1カウニッツ
という訳でハプスブルク関連です。
あなたの好きな皇帝・国王・女帝・皇后・大公、
その他、ハプスブルク家の歴史を彩った人々の中から
一人挙げて下さい(出来れば理由も)。
              
2カウニッツ :2000/09/03(日) 16:49
例えば、オイゲン公等の直接のハプスブルク人で無くても可です。
私、個人としては、ヨーゼフ2世です。
父のフランツ1世から相続した財産を全て国家の為に使った点に、
好感を持ってます。
3名無しさん@単位ヤバイ :2000/09/03(日) 20:54
ヨーゼフってFF2にでてたハゲたおっさんだよね?
…ごめんね、こんなくだらないことしかかけなくて(´д`;)
ってワケでAGE!!ヽ(´ー`)丿
4あぼんの街の住人 :2000/09/03(日) 23:52
カール5世は偉大でした。
5名無しさん@1周年 :2000/09/04(月) 00:27
ドン・ホアン
レパントの海戦の総指揮官
一発やで終わってしまったけど
6名無しさん@1周年 :2000/09/04(月) 01:21
カルロス2世
フェリペ2世のひ孫だよね。
痴愚で魯鈍でひ弱
近親結婚重ねすぎ。
好きじゃなくてカワイソウ。。
7名無しさん@1周年 :2000/09/04(月) 06:40
レオポルディーネ。
(マリー・ルイーズの妹、ブラジル皇帝ペドロ1世妃)
夫に辛い目に会わされても、それに耐え、常に国民のことを
考えていたから。
8フリードリヒ2世 :2000/09/04(月) 21:18
私に何回も負けてくれたロートリンゲンの
カール公。
9はやいでしょ? :2000/09/05(火) 02:17
あげ!!
10カウニッツ :2000/09/05(火) 02:54
>9君
ありがとう!本当に速いです。
11カウニッツ :2000/09/05(火) 03:07
>7さん
初めて知りました。
12カウニッツ :2000/09/05(火) 06:21
>5さん
「レパントの海戦」という塩野七生さんの本に、
ドン・ホアンの事が載っていますよね。
13買う任津 :2000/09/06(水) 03:15
安芸!!
14カウニッツ :2000/09/06(水) 03:55
>8さん
レス、面白かったです!
またこのスレッドに来てください。
15カウニッツ :2000/09/06(水) 04:01
・・・カルロス2世の事は・・・触れないで・・・下さい・・・。
16>15 :2000/09/06(水) 04:10
いやもっと知りたいな〜
17:2000/09/06(水) 07:05
『ハプスブルクの女たち』(テア・ライトナー)や
『異国へ嫁した姫君たち』(マイケル・ケント公妃
マリー・クリスティーヌ)をお読みください。
江村洋さんの『ハプスブルク家の女たち』にも載っている
と思います。
18フリードリヒ2世 :2000/09/06(水) 19:48
カール6世。
よくぞ男子の直系を残さず死んでくれた。
もしマリア・テレジアが男だったら
シュレージェン占領の口実が無かったぞ。
19プルッセン貴族ジーモン :2000/09/06(水) 19:59
>18
シュレージェンはカソリックが多いとはいえ、
プロイセン・ホーフェンツォレルン家の物。
ドイツ民族の利益より、マジャール人やスラヴ人と組んででも
”御家”の利益を優先するハプスブルク家など逝ってよし!
20フリードリヒ2世 :2000/09/06(水) 20:16
>19
確かにな、レオポルト1世がホーエンツォレルン家の
正当な権利を踏みにじったのだからな。
21カウニッツ :2000/09/06(水) 23:24
フリードリヒ2世さん、
レス20の具体的な内容を教えて下さい。
お願いします。
22名無しさん@1周年 :2000/09/06(水) 23:35
シシィ。
美貌を保つために努力を惜しまなかった。
だから、変わり者と思われていたみたいですが、
わたしは好きです。
23:2000/09/07(木) 01:18
マルガリータ・テレサ
ベラスケスの書いた絵がとってもかわいいの!!
24フリードリヒ2世 :2000/09/07(木) 01:59
外交革命などという余計な事を成立させた
カウニッツに教えてやることなどないのだが、
まあいいか。
シュレージェン、リークニッツ、ブリークなどの地域は
ポーランドから出た家系が領有していたが14世紀初めに
RDRに加わり皇帝領のベーメンに従属する形となった。
しかしシュレージェンの男系が絶えた場合は我が
ホーエンツォレルン家に帰属するという古文書が
あったのだ。
1675年に実際にこのシュレージェンの男系が絶えた時、
皇帝レオポルト1世はシュレージェンをホーエンツォレルン家に
引渡さず代わりにシュヴィーヴスなどというちっぽけな地域を
代替として提供した。
当時の大選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムもさすがに皇帝には
逆らえずにしぶしぶ了承するしかなかった。
だがこの直後に大選帝侯の息子、つまり後の初代国王にして
我が祖父フリードリヒ1世が曾祖父である大選帝侯の了承を
得ずにレオポルト1世からの巨額の援助(早い話しがワイロだな)
を貰ってこのシュヴィーヴスをも返還させたのだ。
結局ホーエンツォレルン家に残ったのは祖父フリードリヒ1世が
貰ったワイロだけ、それも浪費家の祖父はあっというまに使って
しまっただろう。
曾祖父大選帝侯の心中察するにあまりあるが、浪費家だった祖父
フリードリヒ1世も我が祖先ながら情けない。
祖先の苦悩と悪口を書いたが私はその時まだ生まれていなかった
ので諸事情はこれ以上知らん。
もし誤りがあれば遠慮なく訂正願いたい。
いずれにしても1740年のシュレージェン出兵の理由としては
やや根拠に欠けると内心忸怩たるものが少しあるがな。

25カウニッツ :2000/09/07(木) 02:59
江村先生の『ハプスブルク家の女たち』を
遅蒔きながら買いました。
ところで、江村先生病気治ったんですかね〜?
26カウニッツ :2000/09/07(木) 03:19
フリードリヒ2世さん、有難う御座いました。
27くらげさん :2000/09/07(木) 23:50
三国志いいよね。
28くらげさん :2000/09/07(木) 23:51
スレまちがえた…ゴメン。
29真機動戦士おっちんこTTH+β@グロい三連星 :2000/09/08(金) 03:41
やぁっ!
30真機動戦士おっちんこTTH+β@グロい三連星 :2000/09/08(金) 03:41
マックソ・ウェーバー
31真機動戦士おっちんこTTH+β@グロい三連星 :2000/09/08(金) 03:41
デブリ!
32真機動戦士おっちんこTTH+β@グロい三連星 :2000/09/08(金) 03:41
Neunundneumnzig?
33真機動戦士おっちんこTTH+β@グロい三連星 :2000/09/08(金) 03:41
HUNDERT!?
34くらげさん :2000/09/09(土) 01:22
ヽ(´ー`)丿<あげ!!
35カウニッツ :2000/09/09(土) 01:28
くらげさん、有難う!!
36カウニッツ :2000/09/09(土) 15:43
フリードリヒ2世さん、私のもう一つのスレッドの
『神聖ローマ帝国について』にも来て下さい。
37フリードリヒ2世 :2000/09/09(土) 21:59
せっかく呼ばれたのだ、行ってみるか。
38カウニッツ :2000/09/10(日) 00:45
千客万来のスレッドです!!
39名無しさん@1周年 :2000/09/10(日) 00:48
外基地フアナも好き
40名無しさん :2000/09/10(日) 16:33
ツィタ。亜具す来否最後の皇女。1989年までご存命だった。
41カウニッツ :2000/09/11(月) 00:01
ハウクヴィッツ君なんかどうでしょう?
42ヨーハン大公 :2000/09/11(月) 01:40
アンナ・プロッフル。
マイナー過ぎるかな?
43Jeanne@wakoku :2000/09/11(月) 09:19
「中世最後の騎士」マクシミリアン一世
なんとなくこの呼び名が好き。

近世だと、マリア・テレジアと夫君フランツ一世、あとオイゲン公も好き。
フランツ・ヨーゼフ帝一家はみんな好きかな?シシィと娘のギゼーラ、
マリア・ヴァレリーとか、皇帝一家の集合写真に写ってる狩猟犬とか(笑
44Jeanne@wakoku :2000/09/11(月) 09:22
あと、ヨハン・サルバトール大公は某少女漫画の影響で
かなり好きです。

そういえば郵便局員の娘と結婚した皇族の人って、
チロル大公だっけ?うーん、うろ覚え。。。皇族っぽくなくて好きだなぁ。
45ヨーハン大公 :2000/09/11(月) 23:50
田舎の郵便局長の娘と結婚したのは、
私です。
46ヨーハン大公 :2000/09/12(火) 00:01
>42は、その名前です。
47カウニッツ :2000/09/12(火) 00:20
チロル大公は、神聖ローマ皇帝フェルディナント1世の
次男のフェルディナント大公です。
結婚相手は、フィリッピーネ・ヴェルザーです。
ちなみに、ヴェルザー家は貴族ではなく、豪商です。
48ルドルフ :2000/09/12(火) 11:26
>42
フェルディナントの頃、
ティロルは大公領ではなく公領じゃない?
ちなみに彼は再婚しているよ。
相手はマントヴァのゴンザーガ家の人。
二人の間の子はもちろん嫡子として見とめられている。
49Under World :2000/09/12(火) 20:54
フランツヨーゼフとエリザベート(シシィ)の孫娘のエリザベート。
彼女についての本を読んで尊敬しました。
50名無しさん@1周年 :2000/09/14(木) 01:07
age
51名無しさん@1周年 :2000/09/15(金) 04:38
あげ
52名無しさん :2000/09/15(金) 06:03
やっぱりマリア・テレジアかな。

この人の伝記を図書館で借りて読んだことあります。
買いたいんでタイトルと出版社わかる人います?
ここに出て来る江村さんと言う人が書いていたような、、、
53名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 01:57
マリア・テレジア萌え〜
54穂利 :2000/09/19(火) 02:26
名古屋栄大学入学願書受付中!!
55カウニッツ :2000/09/19(火) 02:56
>52さん、遅くなってゴメンナサイ。
『女帝マリア・テレジア』上下巻
アン・ティツィア・ライティヒ 著
江村 洋 訳
谷沢書房
多分、この本の事でしょう。
私も持っています。

56穂利 :2000/09/19(火) 03:37
名古屋栄大学入学願書受付中!!
57ヽ(´ー`)丿 :2000/09/20(水) 02:40
ヽ(´ー`)丿あげ!!
58マクシミリアン1世について :2000/09/20(水) 03:52
中世最後の騎士を自任するマクシミリアン1世は、
妻の遺領ブルゴーニュを受け継ぎ、
ドイツ傭兵を率いて四周の強敵に挑んだ。
度重なる苦難を乗り越えた不撓不屈の生涯の後、
彼が形見として残した婚姻政策は、
ハプスブルクが世界帝国ヘはばたく道を
開いたのであった。
59名無しさん@1周年 :2000/09/20(水) 05:47
名古屋栄大学入学願書受付中!!
60名無しさん@1周年 :2000/09/21(木) 00:47
あげ!!
61カウニッツ :2000/09/24(日) 22:38
例えば、オイゲン公等の直接のハプスブルク人で無くても可です。
私、個人としては、ヨーゼフ2世です。
父のフランツ1世から相続した財産を全て国家の為に使った点に、
好感を持ってます。


62江村さんは :2000/09/25(月) 00:01
マリア・テレジアとフランツ・ヨーゼフのことを過大評価
しているような気がしますね。
63名無しさん@1周年 :2000/09/25(月) 18:15
そうなの?
64カウニッツ :2000/09/26(火) 02:47
そうかも。
65名無しさん@1周年 :2000/09/27(水) 12:34
(´∀`)
66名無しさん@1周年 :2000/09/27(水) 17:14
【マリア・ルイジア】
典型的なチロル美人、目は空色、髪は金色、肌はアルプスの谷間の
雪と薔薇を思わせ、ドイツ女性にありがちのたゆげな、寂しげな物腰は、
男に頼らずには過ごせない風情を感じさせる。
67フリードリヒ2世:2000/10/24(火) 23:03
久々に戻ってみたらこの下がりようは何だ!
武士(騎士)の情けで上げてやろう。
68世界@名無史さん:2000/10/25(水) 00:29
下がってちゃいかん!!
69世界@名無史さん:2000/10/26(木) 14:23
>62
同感!!
マリア・テレジアのことを「慈母」と呼んでいるし、
フランツ・ヨーゼフのことは妻を愛し続けたとかいてありますが、
ちよっとちがうと思います。
70世界@名無史さん:2000/10/26(木) 17:14
真面目に語るとヨハン大公。
ネタで語るとエリザベート皇后。
美形・慇懃・わがままと、ものの見事に「三種の神器」を備えてるし。
71名無し@オーストリア:2000/10/27(金) 01:34
こんなスレあったんだぁ。いや、マニアには嬉しいねぇ。
忘れちゃいけない!ギロチン王妃マリー・アントワネット本名マリア・アントニア
さんもハプスブルク家出身!フランスなんぞに嫁に行く運命じゃなければ
自国で幸せに長生きできたかも?しれないのに。。。運命って過酷よね。
と言っても、歴史にIFはないけど
72名無しさんZ80:2000/10/27(金) 02:37
>>71
マリーアントアネットってどこが悲劇なんですか?
喜劇ならわかりますが。
73世界@名無史さん:2000/10/27(金) 06:05
ベルばらは悲劇だったなあ
74世界@名無史さん:2000/10/27(金) 17:13
ルドルフ2世。ムーの常連さんだよ?
75カウニッツ:2000/10/27(金) 23:55
例えば、オイゲン公等の直接のハプスブルク人で無くても可です。
私、個人としては、ヨーゼフ2世です。
父のフランツ1世から相続した財産を全て国家の為に使った点に、
好感を持ってます。
76名無し@オーストリア:2000/10/28(土) 01:45
ベルバラは悲劇でしたね(泣)
アントワネットは嫁に行った当初はなかなかフランス語を
話そうとしなかったとか?(話せなかったのかなぁ?)
何かの本に↑の様な話が載ってました。
確かに、彼女から見ればフランスは外国ですからね。
島国の日本では、ちょっと想像しにくいけど。
77世界@名無史さん:2000/11/01(水) 23:05
悲劇の皇太子ルドルフ君に500蔓ペリカ。
・・・ええ、某少女まんがの影響ですとも。
わたしアホなんで、最初このひとがサラエヴォで殺される
皇太子なんだと信じきっておりましたよ。
78カウニッツ:2000/11/02(木) 02:03
誰もカキコしてくれないから自分で書きます・・・
ヨーゼフ1世ってどう?かなりのやり手
だったそうですよ。
天然痘での夭逝が惜しまれます。
79カウニッツ:2000/11/02(木) 04:02
誰もカキコしてくれないからまた自分で書きます・・・
レオポルト2世ってどう?
トスカナ大公時代の施政は目をみはるものが
あります。
しかし、皇帝になって僅か2年で急逝してしまいました。
時は、フランス革命真っ只中。ハプスブルク家の
エースはその手腕を発揮する好機に、
肺癌らしき病で亡くなりました。
80カウニッツ:2000/11/02(木) 04:08
それでは、「おやすみなさい。」・・・ ・・・


・・・ZZZ・・・ZZ・・・・・ZZz
81世界@名無史さん:2000/11/03(金) 06:06
http://worldroots.clicktron.com/brigitte/gifs3/astridsweden.gif

スエ−デンのアストリッド王女?
このひとハプスブルグ?
82名無しさん:2000/11/05(日) 17:31
真性ローマage
83カウニッツ:2000/11/11(土) 00:48
誰か〜アゲて〜!!
84名無しさん@オーストリア:2000/11/11(土) 03:14
現在、ハプスブルクの末裔の人って何人くらい健在なんでしょう?
確か、オーストリアの国会議員の中にハプスブルクさん
いらしゃいましたよね?その他は??
ルドルフの子エリザベートの子供の血筋の方など・・・
そう言った情報を得られるHPや本があったら教えて下さい!
85ヘッセン大公妃:2000/11/17(金) 02:01
他は、エリザベートとフランツ・ヨーゼフゆかりのカイザー・ヴィラ
の現在の所有者はエリザベートのひ孫です。マルクス・サルバトール
・ハプスグルク・ロートリンゲン氏はトスカーナ大公に嫁いだマリーヴァレリー
の孫でもあります。マリーヴァレリーは皇族の身分放棄と引き換えに
建物の所有を許され現在に至っているそうです。
一般公開もされていて氏本人が案内してくれる場合も!
86世界@名無史さん:2000/11/18(土) 13:02
メキシコ皇后シャルロッテ。
かなり逝っちゃってます。
87>86:2000/11/18(土) 19:34
http://www.xs4all.nl/~kvenjb/madmonarchs/charlotte/charlotte_bio.htm
これですね。
顔はまともでまあ美人に見えるね。
88名無しさん@オーストリア:2000/11/19(日) 03:14
>85 カイザー・ヴィラ行ってみたいなぁ。フランツ・ヨーゼフ皇帝の孫娘
(ルドルフの子)エリザベートの子供の内次男がバイク事故で亡くなり、次女
(いや、長女だったかな?)アーデルハイドさんが病で亡くなったのは
本で読みましたが、その他の子供の子孫って健在じゃないんでしょうか?他にも子供いましたよね?
手持ちの家系図では、調べられません。ご存知の方いらっしゃいますか?
89カウニッツ:2000/11/19(日) 04:06
例えば、オイゲン公等の直接のハプスブルク人で
無くても可です。
90世界@名無史さん:2000/12/02(土) 20:17
今何をしているんだろうなぁ
91tomoko:2000/12/02(土) 22:50
フワナが好きです。
92カウニッツ:2000/12/03(日) 01:11
>88さん、調べて判ったらレスします。
だから、このスレッドの定期ageを御願いします。
(我が家のパソコンだとあがらない時があるので・・・)
93世界@名無史さん:2000/12/08(金) 14:39
マリ・アントワネットを助けなかったフランツ2世はサイテー!!
94世界@名無史さん:2000/12/08(金) 14:50
マルティデ大公女
タバコで死亡した姫様。
95世界@名無史さん:2000/12/09(土) 16:10
お前等そろそろ腹が減っただろう?お前等の目の前で美味いカツサンドを食ってやる!
むしゃり。。。こいつはうめえや。。。どれ、もう一つよばれようか。。。
おい、美味い茶をよばれようか。。。
96世界@名無史さん:2000/12/14(木) 14:32
フィリップ美公はどうよ??アタシだいすき。
美とつくのはなんでも好き。かなり「たらし」だったらしいけど、庶子とかいなかったのかなあ。
97世界@名無史さん:2000/12/15(金) 00:58
(゚ρ゚)ポケー
98世界@名無史さん:2000/12/15(金) 16:09
ルドルフ2世
国政を省みずに趣味に走る人物は好きです。
99天之御名無主:2000/12/16(土) 00:41
騎士マニアのマクシミリアン1世は叙事詩の写本コレクター。
彼が収集してくれたお陰で、失われずにすんだ叙事詩も結構残ってるとか。
100カウニッツ:2000/12/16(土) 03:19
100をゲットした者には恩賞は思いのままだぞ!!
って、あ〜!!俺か!!
101名無しさん@オーストリア:2000/12/17(日) 13:52
カウニッツさん88の名無しさん@オーストリアです
久々にこの板をチェックしました。
定期的にageを心がけます(笑)
私事ですが、先日ヤフーのオークションでオーストリアの伝統的なお菓子
を落札して手に入りました。(と、言っても食べちゃったけど)
「スミレ菓子」って名前(?)の砂糖菓子です。
箱のパッケージがエリザベート后妃なんですよ。
嬉しかったです♪(^-^)
あと、ハンガリー産の珍しいワインもgetしました。
確かトロッケンベーレンアウスレーゼ95って書いてありました。
ワインのラベルがエリザベート后妃なんですよ。
興味のある方がYAHOOオークションで検索してみては?
予定もないけど、結婚できたらお祝いに飲もうかなぁ??
永久に未開封かも。。。(-。-) ボソッ
102名無し@オーストリア:2000/12/19(火) 23:08
本日、オーストリアから本を取り寄せました。
ハプスブルクの末裔の方々(子供が多い)や
エリザベート后妃の写真なのが満載!!
大変!感動しております・・・が・・・・
残念なことにすべてドイツ語(泣)せめて英語なら調べられるのに
はぁ・・・語学力があったらこの本の内容全部理解できるのにな。
ドイツ語が理解できる方!!是非、私に教えて下さい!
でも、写真見てるだけでも勉強になりますなぁ(負け惜しみ)
103世界@名無史さん:2000/12/20(水) 01:52
駄スレ・マルチポストの多い中、こういう優良スレはageるに限る。
104名無し@オーストリア:2000/12/21(木) 23:17
あげます!!
ドイツ語の勉強しよーっと。
105世界@名無史さん:2000/12/23(土) 03:32
マリア・テレジアの、確か長女。マリー・アントワネットの姉。
病気で背中が曲がっていたため?母に疎まれ、結婚もせず
修道院で一生を過ごす。
ひどくない?
106名無しさん@オーストリア:2000/12/23(土) 23:07
昔も今も変わらない差別ですよね・・・悲しい事です。
しかしながら、もし彼女が皇族じゃなかったら
きっと短い生涯だったのではないでしょうか?
平民だったら、生き延びることさえ難しい時代だったと思います。
歴史にもしも!?は、ないけれど・・・・
107名無しさん@オーストリア:2000/12/28(木) 00:53
ハプスブルク万歳!!ってことでage
108はいんりひ:2000/12/28(木) 15:32
なんか締めくくってない?
109世界@名無史さん:2000/12/29(金) 19:37
オットー・フォン・パプスブルク。
今生きている。

110名無しさん@オーストリア:2000/12/30(土) 00:32
21世紀もハプスブルク家万歳!!ってことで再度age
21世紀にはオーストリア、ハンバリーなどに行きたいなぁ
111ハントシャール:2000/12/30(土) 01:36
>102サン
フランツヨーゼフとエリザベートの孫娘・エリザベートの本は読み応えありますよ。
112カウニッツ:2000/12/30(土) 02:16
12月の中頃からパソコンの調子が悪くなり、
ついに、再インストールしました。
そんなこんなで、このスレを定期ageして欲しいと
言って置きながら、ほったらかしにしてしまいスミマセンでした。
でも、今日来たらageてくれていて感謝です!!
113名無しさん:2000/12/30(土) 02:20
>>105
マリア・アンナのことか?
114カウニッツ:2000/12/30(土) 02:42
私もドイツ語に詳しい訳でもなく、原語の本などは
人名や地名ぐらいしか理解できないので、江村先生や
その他のハプスブルク関係の研究者の訳書や著書などが
頼りです。今日は、その中で一冊紹介させてもらいたいと思います。
幅 健志 著『会議は踊る─帝都ウィーン物語』(三省堂、1989年)
なぜ紹介したかと言うと、この本の文体がハプスブルク贔屓の
私には非常に心地良いからです。しかも、字ばかりで難解
と言う訳ではなく、例えば「ライヒシュタット公」の絵など、
資料も豊富です。更にカバー写真は美しいシェーンブルン宮殿の写真
で・・・こんな事を書いていると、我が子を自慢する親馬鹿の
様ですが、手に取って見ても損はないかなと思います。
(但し、ハプスブルク家が好きな人限定です。)
115カウニッツ:2000/12/30(土) 02:53
マリア・アンナが話題になってますが、
彼女は修道院で生涯を過ごした訳では無い様です。
ただ、女帝からひどく邪険に扱われていたのは確かです。
116カウニッツ:2000/12/30(土) 06:53
例えば、オイゲン公等の直接のハプスブルク人で無くても可です。
117名無しさん@オーストリア:2000/12/30(土) 17:25
カウニッツさん復活おめでとうございます!!(笑)
「会議は踊る・・・」ですね。知ってます!!表紙だけ。
(⌒▽⌒)アハハ!
ちょっと難しそうだったので購入しなかったのですが
カウニッツさんお薦めなら読まなくてはいけませんね!
さっそく21世紀1冊目の本にしたいと思います。
どーでもいい報告なのですが・・・
今、YAHOOオークションでは「エリザベート」
「ルードヴィヒU世」などに関する品々が多数ありまして
その中の1つに「エリザベート后妃死亡通知書(ポストカード)」
なるオリジナル商品が出品されています。
現在、これ1点に集中して落札を目指しています。
しかしすでに入札も10名以上・・・・
ライバル多過ぎです(笑)
いずれは、落札した品々や、展示会などで購入したグッズを
ホームページなどで紹介できて、たくさんの人に見てもらえたら
いいなぁ。。。と漠然と考えております。
21世紀の目標の1つに「ホームページ作成」も入れときます(笑)
長くなりました。失礼しますぅ♪<(_ _)>
118カウニッツ:2000/12/31(日) 01:03
いつも丁寧なレスありがとう!
119年代記作者:2000/12/31(日) 18:56
ベタだがフェリペ2世。
なぜにこんなに人気がないのか・・・。
120世界@名無史さん:2000/12/31(日) 23:26
どなたかフランツ・フェルディナント(サラエヴォで夫妻ともども暗殺)の
子孫をご存知の方っていらっしゃいませんか?
シシィの孫の方のエリザベート本で「第二次大戦でナチスに捕まった」
とチラッと見た記憶があるんですが。
(「エリザベート」って正確には「エリーザベト」ですよね?)
両親暗殺後の彼らってどんな境遇だったんでしょう?
貴賎結婚だったので皇位継承権がなかったのは知ってます。
121名無しさん@オーストリア:2001/01/01(月) 17:41
フランツ・フェルナンド夫妻は公共の場では並んで歩いたり、座ったり
出来なかったんですよね・・・愛に身分も何も関係ないじゃん!(泣)
と、思ったことを覚えています。
亡くなった時には棺さえ差別されそうになっていたとか・・・
心の痛む話ですね。。。(T-T)
有名な話として(逸話かな?)「王冠か?身分違いの結婚か?」と
迫られた時に「両方欲しい!」と答えたとか。
カッコいいなぁ。暗殺されちゃったのは本当に残念。長生きして欲しかった人物
です。個人的に・・・・
122名無しさん@オーストリア:2001/01/02(火) 22:55
あけました!おめでたいのでございまーす!
今世紀もよろしくお願い申しあげます。
<(_ _)>
123カウニッツ:2001/01/03(水) 00:25
こちらこそ!!
124カウニッツ:2001/01/03(水) 00:38
今世紀の第一弾は、フェリペ2世についてです!
朝の6時頃来て書きます。
125年代記作者:2001/01/03(水) 01:24
フェリペ二世のイメージって
陰険、陰鬱、几帳面、陰謀家、狂信家・・・とどうも影が付きまといますよね。
ただ、実際思われているような狂信的な人物でなく、実際はとても
理性的な人物だったらしいです。彼の時代の宗教裁判による処刑者は60人程度で
当時では少ない数だったらしいし(ただし、どっかで聞きかじった話だから
あまり、信用しないでください)、リシェリューがその遺言でフェリペの言葉から引いてきている話によると
「フェリペ個人として恥じるところはないが、王たるというのは実に罪深いものだ」とか、いったとか・・・。
彼の行為はガチガチの狂信的カトリックとしてよりは国家的な理性にしたがった行為として
理解されるべきではないでしょうか?
また、高い教養と美術に対する興味をもっていたようです。ここで、問題とされるのは
エル・グレコを保護しなかったということですが、宮殿や教会を権威高く装飾するという
美術の国家的な目的からすれば、明らかに彼の絵は不向きです。よほどティツィアーノのほうがよい。
ただ、なんといっても、責任感と使命感を長期間維持させる事ができた精神的な強さという点で
(フェリペ4世と違って・・)もう少し評価してあげてもいいんじゃないか・・・(ただし、裏面は不寛容ですが)
と僕は思うのです。

彼の限界を挙げるとすれば、王様抜きで有効に作用する官僚機構を成立させられなかったって
ことでしょうか?彼は書類決済を導入したけど、王様にものすごく負担がかかってしまって、有能な王様じゃないと
運営できなかった・・・ただ、ルイ14世が確立した制度でさえ、とても効率的といえるものでなかったようだから
当時の社会経済条件的に、そこまでフェリペに求めるのは無理と言うものじゃないかしら?

とりあえず、カウニッツ様の前に、フェリペを同情に値すべき王として弁護してみました(笑)
じゃ、カウニッツ様・・後をよろしくお願いします(ぺこり)
126カウニッツ:2001/01/03(水) 14:34
フェリペ2世は、スペインの黄金時代である16世紀の後半に
在位(1556〜98)した国王です。彼は、カール5世とポルトガル王女
イザベラの間の唯一の王子として、1527年にバリャドリードで誕生
しました。少年時代から内向的で、感情を表にあらわすことなく、
偉大な父の言いつけをよく守り、カトリックの信仰が篤く、音楽や絵画を好み、
学問を奨励しました。1543年にリスボンの従妹マリアと結婚しましたが、
彼女はドン・カルロスを産んだ時に命を失いました。彼は4人の王妃を
娶りながら、いずれもが若くして死去してしまいました。フェリペは、
父の遺書に忠実に従い、譲渡されたスペイン王国の版図を堅守するとともに、
1580年にはポルトガルの王位をも継承し、新大陸の領地にフィリピンまでを
加えた大帝国の君主になりました。フェリペが即位してまもない1557年に、
新国王の軍隊はフランスとネーデルラントの国境に近いサン・カンタンで、
フランス軍に完勝を収めました。さらに1571年にはレパントの海戦で
キリスト教徒軍を最大限に支援し、異母弟ドン・ファン・ダウストリアを
総司令官とするキリスト教世界を勝利に導きました。とはいえ世界に拡がる
大帝国を統治するのは困難をきわめました。時代はカール5世でさえ抑制
できなかったプロテスタントの勢いが高まっていました。ネーデルラントでは
オラニエ公に導かれた新教徒たちがスペイン本国からの独立を意図し、
イタリアのスペイン領でも、そのような動きがあちこちで頻発していました。
またスペイン南部のアラゴンでは、一時的にカトリックに改宗したイスラム教徒
や、イベリア半島から駆逐されたはずのユダヤ人たちが、マドリッドの
中央政府に反旗をひるがえしていました。国王に忠誠を尽くしていたのは、
わずかにお膝元のカスティリャくらいのものでした。
127カウニッツ:2001/01/03(水) 14:49
フェリペ2世はスペイン内外の反カトリック勢力の攻勢に
たじたじとなりつつも、ネーデルラント北部7州以外は、父から
譲渡された国家をなんとか守り、マドリッドをスペインの首都と
定めここに王宮を築くとともに、その北方に、エスコリアル宮殿を
造営しました。エスコリアル宮殿は王宮であるとともに修道院でも
あり、ハプスブルク家の縁者を祭る墓域でもあります。ここでは
政治と宗教が密接に結び付いていました。フェリペ2世1598年
9月、この宮殿で静かに世を去りました。
128カウニッツ:2001/01/03(水) 14:59
フランスから嫁入りした王妃エリーザベトに毒を盛ったとか、
王子ドン・カルロスを殺害したといった根も葉もない噂が流れたが、
これはオランダの独立運動に奔走したオラニエ公の悪意に
基づくもので、事実無根です。
>127 ・・・フェリペ2世1598年・・・
→・・・フェリペ2世は1598年・・・
(些細な事ですが・・・失礼しました)

129名無しさん@オーストリア:2001/01/03(水) 23:22
フェリペ2世・・・・名前だけ知ってます。(笑)
確か・・・三銃士に出てきましたっけ???
勉強、勉強φ(.. )メモメモ
130カウニッツ:2001/01/04(木) 18:20
『名無しさん@オーストリア』さん、ほかに知りたい人物がいたら、
カキコお願いします。もちろん、他の方もどうぞ。
もし私(といっても、男です)の手に負えなくても、『年代記作者』さんなどに
教えて頂けると思います。『名無しさん@オーストリア』さんも十分に
御詳しいですが。
131カウニッツ:2001/01/04(木) 18:22
φ(.. )←コレ好きです!
132名無しさん@オーストリア:2001/01/04(木) 22:38
_ロ(.. )mケシケシ (こんなのもあります。)

カキナオシφ( ゚゚)ノ ゚ ポイ (こんなのもあります。)
すいません・・・・書き込みには関係ないんですけど(笑)
133世界@名無史さん:2001/01/05(金) 02:01
フェリペ2世というと、英王メアリ1世と結婚し、その死後に
妹のエリザベス1世に求婚して蹴られたというイメージが強い。(藁

>>129
三銃士シリーズはルイ13世〜ルイ14世初頭にかけての物語なので、
フェリペ2世は当然鬼籍に入っております。
ただ、ルイ13世の妃アンヌはフェリペ2世の孫なので、全くの無関係
というわけではありませんが。

フェリペ2世が活躍する漫画として「サラディナーサ」というのを
挙げておきましょう。一番の悪役の上に、途中で暗殺されてしまい、
後半生は影武者だった、というストーリーですが。
134カウニッツ:2001/01/05(金) 03:13
_ロ(.. )mケシケシ カキナオシφ( ゚゚)ノ ゚ ポイ

心が和みますね〜。他にも良いのが有ったら、教えて下さいね!
135カウニッツ:2001/01/05(金) 03:17
>133さん、
いつも有難うございます。今更ながら、
本当に色々なことに御詳しいですね。
感心させられます。
136名無しさん:2001/01/05(金) 05:27
ルイ14世妃マリー・ルイーズはフェリペ2世の曾孫。
137名無しさん:2001/01/05(金) 05:28
>>136
「マリー・ルイーズ」ではなく「マリー・テレーズ」でした。
138名無しさん@オーストリア:2001/01/06(土) 01:35
年表と家系図が頭の中でグルグルしております(笑)
フェリペ2世の曾孫がマリー・テレーズ!!
これはちょっとだけ解かった気が致します。きっと混乱しているのは
私の少ない知識が偏っていて全体的な関係が理解できてないからでしょう。(反省)
このスレの皆さんのコメントは本当に勉強になります。
きっとハプスブルク史、ヨーロッパ史を愛していらっしゃるのでしょうネ
私も、良いネタが披露できるように頑張りたいと思います。
それにしても・・・王家とか皇族って同じ名前の人多いなぁ(-。-) ボソッ(笑)

139カウニッツ:2001/01/06(土) 02:00
カール大帝のスレッド、ま〜た、飛んでるんですけど・・・
140名無しさん:2001/01/06(土) 02:12
>>138
確かにヨーロッパの場合、同じ家系に同名の人物がたくさんいることが多いです。
特に、歴代フランス王の名なんてルイとシャルルで殆どですし。
ちなみに、現スペイン王家はカール5世とルイ14世の双方の血を受け継いでいます。
141名無しさん@オーストリア:2001/01/06(土) 23:04
>140 名無しさん

カール5世とルイ14世の双方の血を受け継いでいるんですか!
申し訳なく、私はスペイン系ハプスブルクの知識が浅いので
現在の王家が思い付かないのですが・・・・
(上記2名の皇帝は知ってますが。)
サラブレッド中のサラブレッドと言ったところでしょうか?!
・・・すいません、馬と一緒にしちゃって(笑)
そう言えば、スペイン系のハプスブルク家は王位継承者がいなくなって
しまいましたよね??
その要因として考えられることは何かあるのですか?
単純に「皇太子」が生まれなかったからなのですか?
教えて下さい。
142カウニッツ:2001/01/07(日) 01:30
オーストリア・ハプスブルク家とスペイン・ハプスブルク家の間で、
今日の優生学上の見地からは考えられない近親結婚が、
あきれるばかりに次々と実現されたため。
143名無しさん:2001/01/07(日) 02:37
スペイン・ハプスブルク家の最後の王のカルロス2世は生まれながらにして虚弱体質だったようです。
ルイ14世妃マリー・テレーズは彼の異母姉です。
名前は忘れましたが、マリー・テレーズの母はフランス・ブルボン家出身、カルロス2世の母はオーストリア・ハプスブルク家出身だったと思います。
そして、ルイ14世とマリー・テレーズの孫がスペイン・ブルボン家の初代のフェリペ5世です。
ちなみに、ルイ14世の母アンヌもマリー・テレーズと同じくスペイン・ハプスブルク家の出身です。
つまり、ルイ14世とマリー・テレーズは父方のいとこでもあり、母方のいとこでもあるわけで、こちらもかなり血の濃い近親結婚であったと言えます。
144名無しさん@オーストリア:2001/01/07(日) 16:54
私は医学的なことに無知ですが・・・
近親相姦に近い結婚ってありますよね??
これはハプスブルク家だけじゃなくて、日本史でも世界史の中でも。
生まれながらにして虚弱体質だったカルロスU世は典型的な近親結婚を
重ねた「結果」だったのでしょうか・・・
私の愛するエリザベート后妃の出身である
ヴィッテルスバッハ家系でも精神障害(分裂病や躁鬱病など)が
あったとされる方々がいらっしゃいますよね??
「遺伝」だと聞いたこともありましたが・・・・
血は争えないと言いますが、何だか・・・少し納得する気も致します。
良し、悪しの問題じゃないですが、起こるべくして起きた結果なのでしょうか。
そして、またまた疑問がございましてハプスブルク家を愛する皆様に
教えて頂きたいことがございます。
エリザベート后妃の血縁関係に関する質問なのですが
よくエリザベート后妃とバイエルンオカマ王(笑)
いえいえ、(^-^;アハハ ルードヴィヒU世は「従兄弟だった」とか「親戚だった」
と紹介している資料や情報があるのですが
本当にそうなのですか?
以前、ヴィッテルスバッハ家の家系図を見たのですが
エイザベート后妃の母の従兄弟の従兄弟・・・
いや、もっと遠い血縁関係だったでしょうか???
そんなに近い血縁関係ではなかったように記憶しているのですが
実際のところはいかがなものなのでしょうか??
あと、后妃の妹ゾフィ(ルーオヴィヒU世と婚約して、解消した方ですよね?)
はアランソン(?)公爵と結婚した後に1897年パリで慈善バザー会場火災
で焼死された(T-T)ウルル。。。と伺っております。
確か、后妃には兄(?)、弟(通称:ガッケル)あと姉妹がいらしたと思います。
元々、フランツヨーゼフ皇帝とのお見合いを予定していた姉(ネネ)は
色んな書籍に紹介されていますが別の姉でマチルダさんっていましたよね?
私の印象の中では1番エリザベート后妃に顔が似ていて美人だった気がします。
彼女はどんな生涯を送られたのでしょうか??
又、后妃が1番可愛がったとされる弟ガッケルは、
エリザベートがオーストリアに嫁いだ後、どうされたのでしょうか?
中々兄弟や姉妹の生涯まで紹介されている書物が見つからず
ちょっと疑問に感じております。
もし、御存知の情報がございましたら教えて下さい。
よろしくお願い致します。m(_ _)mペコリ。
145名無しさん:2001/01/07(日) 22:24
英国王室には赤緑色盲の遺伝子があるようです。
しかも、歴史をさかのぼると、どうもスコットランドの王家にあったようです。
146流れ者:2001/01/08(月) 12:50
英国王室には白血病の遺伝子もあった。最近なくなったが。
147名無しさん@オーストリア:2001/01/08(月) 17:36
本日の午後1時45分からTV東京でヴェルサイユ宮殿〜光と影の物語〜
って言う特番(?)が放送されてました。見た方いらっしゃいますか?
太陽王ルイ14世〜ルイ16世の時代。そして、アントワネットの部屋などなどを
テーマにした番組でした♪
アントワネットは、偉大なる母、マリア・テレジアをとても尊敬し、愛して
いたのだろーなぁ・・・と思いました。
メディアの紹介方法1つで、その人物像が決まってしまいがちですが
今日の番組の中のアントワネットは「孤独」「家族愛」などがとてもよく
伝わりました。ヴェルサイユ宮殿に対抗して造られた
シェーンブルン宮殿の色は「カイザー・イエロー」と言う黄色で
マリア・テレジアはとてもこの色に拘った・・と言う話を本で読んだ記憶があります
ヴェルサイユ宮殿には700以上の噴水があり、それを囲む彫刻や庭は
まさに!「究めた」様子が感じられますよね。
それを、こじんまり上手くマネしたのがシェーンブルン宮殿
シェーンブルンとは「美しい泉」の意味合い。いかにフランスに対抗心があったか?
が見えるような気もします。(某書籍にはシェーン・ブルン=「美しい森」
のイメージ・・・とも書かれていたように思います。)
また、マリア・テレジアがとても家庭的であり、よき母であった姿も
とてもよく紹介されていたと思います。
しかし・・・16人もの子を産んで育て、嫁がせて、領土を広げ、友好を結び、
国を治めていやわけですよね。
なんとも逞しい女性ですよね。晩年の逸話・・・いえいえ、実話(?)では
マリア・テレジアはとっても肥満で、真冬でも汗をカキカキ(^0^;Aアセアセ・・
会議の時も窓を全開にしていたので、出席する議員達はみな
完全防寒で、出席。厚手のコートにマフラーグルグル巻き(笑)
それでも、中には風邪をひいたりして欠席する者が増えて
会議が中止されたこともあった・・・とか。(笑)

しかし、アントワネットの兄ヨーゼフU世!!コラァァァ!!!!
何とかして、妹を助けてやれなかったのかぁぁ!!(怒)
と、思ったりもします。
さて、アントワネット板でもカキコしてみよーっと!
ε=ε=ε=ε=┏(; ̄▽ ̄)┛:行ってきまーす!
148世界@名無史さん:2001/01/08(月) 23:17
>146
血友病です。ロシアのアレクセイ皇太子が一番有名ですけど。
149カウニッツ:2001/01/08(月) 23:34
>「アントワネットの兄ヨーゼフU世!!コラァァァ!!!!
何とかして、妹を助けてやれなかったのかぁぁ!!」

レオポルト2世に言った方がいいかも・・・
150名無し@オーストリア:2001/01/09(火) 00:10
では、改めまして・・・
コラァァァ!!レオポルトU世!!
何とかして妹を助けてやれなかったのかぁぁ!!(怒)
151名無しさん@オーストリア:2001/01/09(火) 00:53
**質問がございます!!**

ハプスブルク家の紋章と言えば「双頭の鷲」ですよね。
この紋章についての疑問なのですが・・・・
紋章と言うのは「皇帝」のシンボルなんですか?
例えば、王妃や皇太子、皇太后は使用しなかったんですか??
*質問@*
私の記憶では、「皇帝用(?)」「王妃用(?)」と言った紋章があって
何かの式典の時にはそれぞれ別のデザイン(よーく見ないと
わからないけどロゴが違うとか、若干絵柄が違うとか・・って程度)
の「双頭の鷲」があったように思うのですが・・・
また、皇帝の兄弟や血族がこの紋章を私用するのは
法律的(?)に認められていたのですか?

*質問A*
日本の皇室も似たイメージなのですが・・・
皇女が結婚して家を出た場合は、ある意味「皇族部外者」的な
扱いってありますよね?
例えば、気軽に宮殿に出入りが出来なくなる・・・とか。
中でも例外な皇女で「最後の皇女」として本でも有名な
エリザベート皇女(ルドルフ皇太子の娘)なんですが
彼女の場合は、フランツ・ヨーゼフ皇帝の孫ですし、エリザベート后妃
が暗殺され、孤独になった皇帝の慰めでもあった存在ですから
「特別」なのはとてもよく解かるのですが・・・
彼女が結婚して嫁いだ時(初婚の時)
紋章入りの生活用品を山ほど送られてますよね?
食器に、テーブルクロス、パジャマ、ベッドカバーなどなど・・
この嫁いだ時点で、彼女はある意味「ハプスブルク家」とは
関係なくなる存在であるのにも関わらず!
ここまで例外が認められてるって言うのは何故?なのでしょう??
そして、この元・皇女が紋章入りの用品を生活の中で使用
するのを認められているって言うのは
どーなんでしょう??これはアリなんでしょうか??
(実際にあったんだから、アリ!!ですけど・・・・)
他の皇女や一族からの反発って無かったのでしょうか??
ある意味、伝統を破ってるわけですよね??

私の思い付きの疑問ですが・・・
コメント頂けると幸いです。今日は眠れなくなりそうです(笑)

150の名前「名無し@オーストリア」⇒名無しさん@オーストリア
訂正いたします。<(_ _)>
自分のハンドルネーム間違えちゃった(/.\) いやん(笑)

152カウニッツ:2001/01/10(水) 01:42
名無しさん@オーストリアさん、質問が私の手に負えそうもないため、
カール大帝のスレッドにコピペして廻しました。ゴメンナサイ・・・
私より博学な大帝陛下から直接御聞きに成れるでしょう。
ただ、大帝陛下は御忙しいらしく、なかなか宮廷に見えられないので、
若干、時間が掛かると思います。一応、【速達】としておきました。

153カウニッツ:2001/01/10(水) 21:12
名無しさん@オーストリアさん、YAHOOオークションどうでした?
154カウニッツ:2001/01/10(水) 21:31
カール大帝の宮廷である、[欧州王候の家系]と言うスレッドに、
名無しさん@オーストリアさんの質問の解説が載ってます。
どうぞ見に行って下さい。
155名無しさん@オーストリア:2001/01/11(木) 03:27
カウニッツ  様

 ヾ(*^o^*)ノ☆コンバンワー☆
この度は、カール大帝陛下、直々に御教授頂きまして
只今、全身に震えがきておいります。
失礼な言い方だったら申し訳ないのですが
どーしたらあんなに幅広い知識を得られるのでしょうか??
私の様なひよっこには本当に雲の上の神に近いです。
もちろん、カウニッツさんをはじめとするこのハプスブルク板に
コメントしていらっしゃる皆様にも、もちろん!!心より尊敬しております。
私も100年後には、皆様の知識に追い付きますでしょうか?(笑)

紋章につきましては、大変興味深く、ハプスブルク家に囚われず
いろんな紋章を見てみたい!!と言う、好奇心に駆られております。
大帝陛下の深く、すばらしい知識には脱帽です。

YAHOOのオークションでは、無事に落札することが出来ました。
出品されている方は、やはりエリザベート后妃ファンの方なんです(^-^)
日本ではまず手にすることは出来ない品々をご紹介頂き
(「落札できる」「できない」は、置いといて・・・・)
100年以上も前のオリジナルの品が現在も残っている
と言う事実に、とても((o(^ー^)o))ワクワク致します。
現在は、また別の稀少品を狙っているこの頃です。

御希望の方には是非!見て頂きたいのでご連絡頂けましたら
メールにて落札商品の写真を公開しよう!と考えております。
他にも数点、私の中では「貴重品」と思われます品が手元にございます。
多くの方にご覧頂けると出品された方も喜ばれると
思いますので・・・・

長々と失礼いたしました<(_ _)>
156世界@名無史さん:2001/01/12(金) 12:11
ハプスブルグ毛の末裔について、
私も知りたい。
157名無しさん:2001/01/12(金) 13:01
158名無しさん@オーストリア:2001/01/13(土) 02:58
カウニッツ  様

ヾ(*^o^*)ノ☆コンバンワー☆
本日も、身も心も財布も寒ぅございます。(笑)

カール大帝のスレで大帝陛下に御回答頂いた、ルドルフ皇太子の娘
エリザベート皇女は書籍などでも紹介されて有名ですが
彼女の初婚相手のオットー・ヴィンデッシュ・グレーツですが
私の印象は現在で言う「ストーカー」ですね(笑)
もちろん、結婚当初はラブラブだったようですが離婚裁判の時などの
様子を本で読む限りは、この上なく嫌な奴ですね。
しかし、晩年は孤独だったようで少々同情も致しますが・・・・
エリザベート皇女の強烈な片想いで結婚しましたが
必殺!遊び人!だった、このオットーには頭を悩ませ、心を痛めたことでしょう。
エリサベート皇女は、結婚の際に「王位継承権」を放棄する宣誓式は
1902年1月22日に王宮地下室「秘密の間」にて非公開にて行われました。
この「秘密の間」と言うのは、フランツ・フェルナンド大公が
子供達の王位継承権放棄と妻ゾフィーの皇妃称号を継承しないなどの
宣言に署名した部屋でもあるそうです。
ちょっと疑問なのですが
フランツ・ヨーゼフ皇帝はエリザベート皇女に対して
王位継承権を破棄させ、その他の権利は殆どそっくり継承を許可してますね・・・
皇帝は、何故?王位継承権のみを破棄させたのでしょう??
一説には、「女帝」を嫌っていた(と、言うか「女帝」反対だったとか?)
とも聞きます。
可愛い孫にも譲れなかったのでしょうか?
それとも、皇帝の意思ではなく周囲の人間が強く反対したとか??
そう言った理由なのでしょうか??
ぜひ、教えて頂きたいです。
159通りすがりのA子:2001/01/14(日) 00:22
>120さん、
久々に、ここ訪問したら、サラエボで暗殺されたフランツ・フェルディナント皇
太子夫妻についての書き込みがあったので、私の知ってることなどレスすること
にしました。

フランツ・フェルディナントって第1次世界大戦が起こるきっかけになった人
くらいの関心しか持たれてないような。

何年も前に日本でも放映されていた「若き日のインディ・ジョーンズ」(正しい
題名は忘れた。)のエピソードの中で今世紀初頭のウィーンを扱っていたものが
あったんですが、その中で子供時代のインディの初恋の人がフランツ・フェル
ディナントとゾフィ・ホテクとの間の娘ゾフィだったなってのを思い出しました。
もちろん、それはテレビドラマですから99%脚色してありました。宮殿に忍び
こんだ子供インディにフェルディナントが「私も妻との結婚を反対された」とか
って語るセリフなんかあって。あのドラマ、ハプスブルク家最後の皇帝夫妻カール
とツィタのエピソードもあったりして、今思うとおもしろかったな。

ミシュランのオーストリアガイドには大公夫妻の子供たちのことについての記述
があります。彼らは第2次大戦時ダッハウの収容所にいたが生還した、とありま
す。収容所に入っていた頃のエピソードについては、私もエリザベート皇女の
本で読みました。彼女の2度目の夫にかなり感銘をあたえたようですね。
皮肉なものですネ。エリザベート皇女は華やかな生活を送っていた頃、大公の妻
ゾフィのことを身分が低いことでバカにしていたそうですから。めぐりめぐって、
後に自分の夫がそのゾフィの息子達のおかげで、辛い収容所生活を絶える勇気を
持てたってことでしょうか。歴史ってホントにおもしろいですね。

ちなみにフランツ・フェルディナント夫妻の子孫は現在も続いておりますよ。
夫妻の長男のマックス大公(大公と名乗れるのかどうか知りませんが)のお孫さん
(孫だったひ孫だったか忘れた)が数年前に日本の女性雑誌の記事に出てました。
とても美しい方でした。たしかホーエンベルクという称号がついてました。これ
ってたしか、フランツ・フェルディナントの妻が皇太子妃を名乗れないことで、
フランツ・ヨーゼフ皇帝が彼女に与えた称号でしたよね。

ってことは、フランツ・フェルディナント夫妻の子供たちは子孫にいたるまで
ハプスブルクを名乗れないってことになっていましたが、ホーエンベルクは使
えるってことかな?なんて思ったりもしました。

ホント、フランツ・フェルディナントに関することをもっと知りたいって思って
もなかなか情報が少なくて。シシーと違ってあまり人気がないからなあ、、、。

私もシシーに夢中になっったのがハプスブルクにのめりこむきっかけでした。
でもフランツ・フェルディナントの結婚にいたるエピソードやらその後の家庭
生活などを知るにつけ、彼に関することをもっと知りたいなと思ったのでした。

そういえば、フランツ・フェルディナントって明治時代の日本にも来てるんです
よね。明治天皇と会ってるんですよね。当時、オーストリア・ハンガリー帝国
の皇太子が来日するってことはどのくらいすごいことだったんでしょうね。

ほんの通りすがりにしては長くなってしまいました。失礼しました。
160世界@名無史さん:2001/01/14(日) 01:03
加藤知子の漫画が好きです
161世界@名無史さん:2001/01/14(日) 02:22
天上の愛、地上の恋
162名無しさん@オーストリア:2001/01/16(火) 01:28
ageて!ageて!手巻き寿司〜♪

そー言えば、最近カウニッツ様お見かけしません・・・
御公務お忙しいのでしょうか??
ちょっぴり淋しいですね(-。-) ボソッ
163カウニッツ:2001/01/16(火) 02:18
女帝陛下の命令でヴェルサイユに駐仏大使として赴任したため・・・


164カウニッツ:2001/01/16(火) 02:21
正直に言うと、激・体調崩しまして・・・・・・
自己管理不行届きですね。
165カウニッツ:2001/01/16(火) 04:02
寝age!!
166名無しさん@オーストリア:2001/01/18(木) 01:39
カウニッツ様の快気祈願♪

 心を込めて!!!age   お大事になさって下さいませ。
167120:2001/01/18(木) 12:14
>>159さん
フランツ・フェルディナント夫妻について
詳しく教えてくださりありがとうございました。
子供たちもダッハウから生還できたんですね。
大公位についてですが当時の取り決めが生きていれば
ハプスブルク家からは除外されるので
ホーエンベルク侯位しか名乗れないはずですが。
でも時代が変わってるのでどうなんでしょう?

P.S:カウニッツさまお大事に
168名無しさん@オーストリア:2001/01/19(金) 01:10
ハプスブルク家の繁栄を祈願してage♪
169カウニッツ:2001/01/19(金) 02:19
結婚がつくった巨大帝国−ハプスブルク朝
170カウニッツ:2001/01/19(金) 02:27
マリア・テレジアは、容姿もすばらしいが、
身体もとても丈夫な人だったようです。
本当か嘘か、4人目の子供のヨーゼフ(2世)を産んだ時、
「2〜3か月のちに次の子供が産めればいいのに」と言ったと
言われています。
171世界@名無史さん:2001/01/19(金) 05:00
カウニッツさんage
172世界@名無史さん:2001/01/19(金) 20:57
別にいんだけど、長文よく省略されないね。
ここの住人て計算しながらカキコしてんの?
173名無しさん@オーストリア:2001/01/21(日) 01:18
マリア・テレジア女帝は、いつも妊娠してたのでしょうね(笑)
大いなる母ですよね。
彼女の逞しさは見習いたいものです。
174名無しさん:2001/01/21(日) 08:13
20年間で16人はすごい。
そんなにずっと妊娠し続けることに耐えられるものなんでしょうか?
175名無しさん:2001/01/21(日) 22:56
今日は、ルイ16世陛下の命日です。
176名無しさん@1周年:2001/01/23(火) 01:33
マリア・テレジアはそうとう妊娠しやすい体質+子供好きだったのでしょう。
同じ女性として、尊敬します。
敬意を表してage♪
177地球@名無史さん:2001/01/24(水) 13:06
マリア・テレジアは相当の日本趣味だった事もあるし、
日本人にとってそういう意味では親しみやすいのもありますね。

当時の江戸時代の日本の机、各調度品や朱塗りの箱など、
日本インテリアコレクターとしての顔もあったのが彼女。
178ナイペルク伯爵:2001/01/24(水) 13:09
>176
マリア・テレジアというよりハプスブルク家が多産家系です。
179名無しさん:2001/01/24(水) 14:27
>>177
漆器を自らつくろうとしたりもしたらしいね。
180名無しさん@1周年:2001/01/24(水) 15:49
>>178
ま、多産系じゃなかったら王家なんていうのは続かないんだろうな。
「幸福なオーストリア、出産せよ」か
181ナイペルク伯爵:2001/01/24(水) 19:24
シェーブルン宮殿には日本の間と呼ばれる漆塗れのヘンな部屋があります。
ちなみにその部屋の隣りはライヒシュタット公軟禁の部屋です。
俺が行った時、金魚の糞が団体で来てぺちゃくちゃお喋り…じっくり部屋を
見たかったのに…
182名無しさん@1周年:2001/01/25(木) 10:15
それは今でも残ってるんですか?>テレジア作の和風漆器
183ナイペルク伯爵:2001/01/25(木) 10:21
>182
ですから見れなかったんです。あの団体日本人観光客!!今度
あったら刀の錆にしてやる!!
あると思います。
184世界@名無史さん:2001/01/25(木) 12:10
まあまあ伯爵殿、そう怒らずに。
それからたしか、当時は日本や中国風の別荘(ていうか建物)を
造るのが上流階級のステータスシンボルだったそうで。
185カウニッツ:2001/01/26(金) 01:47
マリア・テレジアのベーメン人に対する憤懣は、
かなりのものだったらしい・・・・・・
186世界@名無史さん:2001/01/26(金) 03:50
「AEIOU」=「すべからくこの大地、オーストリア家が下に在り」
187カウニッツ:2001/01/27(土) 00:55
1日1age!!
188名無しさん:2001/01/28(日) 07:12
鷹の城
189名無しさん@オーストリア:2001/01/28(日) 14:07
ヾ(@^▽^@)ノage!!!!
母親の影響か?どうか?!知りませんが、アントワネットも漆器類を
コレクションする趣味があったようですね。日本製か?中国製か?
わかりませんが、興味があったことには間違いないようですね。
190カウニッツ:2001/01/29(月) 02:02
ただageるのもあれなので、ハプスブルクの敵、ナポレオンについて・・・
タレイランはこのように述べています
『かれの天才は、信じがたいほどのものであった。
ここ千年のあいだに見られたもっとも驚くべき生涯である。
かれはたしかにわたしが目にしえたもっとも非凡な人間であった。』
191名無しさん:2001/01/29(月) 17:07
以前にも書きましたが、書くことが別段ないので、
http://www.people.or.jp/~yakome/dynasty/
192名無しさん@オーストリア:2001/01/31(水) 02:23
1月も終わりですね・・・。時の流れは早い。(笑)
本日YAHOOオークションにて、シシィの1000ピースパズルを
落札いたしました。
楽しみだなぁ♪((o(^ー^)o))ワクワク
193カウニッツ:2001/01/31(水) 03:17
おめでとうございます!!他人事ながら嬉しいです。
YAHOOオークションって、どうやったら参加出来るんですか?
教えて下さい。名無しさん@オーストリアさん、御願いします。

194ナイペルク伯爵:2001/01/31(水) 09:43
>名無しさん@オーストリア様
おめでとうございます。シシイと言えば、昔…彼女の靴下がオーク
ションに出品され、3万円なら買うと入札したら5万円で別の方が
落札しました。後日、ハプスブルク展でその靴下が出品され、とて
も悔しい思いをしました。この間はマリア・ルイーゼの銀食器が出
品され、出所はと全文読みましたらシュロスから出た…つまり、本
物のナイペルク伯爵が出品した事が判明しました。
195ナイペルク伯爵:2001/01/31(水) 09:45
>カウニッツ伯
YAHOOオークションはまず登録をしてその後、欲しい物に出せ
る限度額を入札するだけです。
196名無しさん@オーストリア:2001/02/01(木) 02:17
来週には手元にパズルが届く予定です♪出品された方は昨年ウィーンに
旅行されたそうです。「とても、よいところですよ」って
おっしゃってました。
なんと!!靴下が売られていたとのこと。それは残念でしたね。
現在オークションに出品されているシシィ関係の品としては
記念コインや王妃の死亡告知ポストカード(もちろんオリジナル)
などがあります。私も入札中ですが、大変高値がつけられていて
これを落札するのは困難と思われます。(T-T)ライバル多過ぎ(笑)
ポストカードに関しては、前回落札したモノはいくつかあるのですが
今、出品されてるカードとは別バージョンの后妃死亡通知ポストカードが
あり、他にもルドルフ皇太子と心中した(暗殺って噂も多いですが・・・)
マリー・ベッツェラ嬢のカードもあります。
戦前に発行された貴重なカードですが、すべて当時のオリジナルです。
よく残っていたなぁ。。。といつも感動しています!
皆様に見て頂ける日がくるといいのですが・・・(-。-) ボソッ

カウニッツ様、もしオークションのページをご覧になるならば
表紙の「検索」のところで「オーストリア」とか「エリザベート」
と入力して検索するとよろしいかもしれませんよ。
現在は春に行われる「エリザベート」のミュージカルチケットが
ビックリするような高値で売買されてます。(笑)
貧しい私には手が出せませんけど・・・

しかし、本物のナイペルク伯爵が出品してるとは、興味深いお話ですね。
197カウニッツ:2001/02/01(木) 02:56
本当ですね!!
198カウニッツ:2001/02/01(木) 04:48
江村先生の近況を御存知の方いらっしゃいますか?
居られたら教えて下さい。
199カウニッツ:2001/02/01(木) 23:39
200レス直前age!!

200名無しさん@オーストリア:2001/02/02(金) 01:35
ヾ(@^▽^@)ノ200番age!!
カウニッツ様!!200番目の私には
何が出るんですか??(笑)
オーストリア&ハンバリー旅行し放題!特別招待券とか??

ハプスブルグには関係ないのですが
本日2月2日は世界初!公衆有料トイレが英国で登場した日
だそーです。(1852年)
いつも、思うのですが昔のお姫様はヒラヒラのドレスで
着飾っていましたが、トイレ行くのも大変だった
のではないでしょうか?
肩凝りそうだし、衣装代はかかるし、身動きも大変そうだし・・
オシャレって大変ですね。
201カウニッツ:2001/02/02(金) 02:37
そうですね〜、では、ハプスブルク帝国への旅を
プレゼントしましょう!!
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~l985003/hofburg.html
202カウニッツ:2001/02/03(土) 00:31
皆さんに感謝age!!
203名無しさん@オーストリア:2001/02/03(土) 02:38
明日にでもハプスブルク帝国に
旅立ってみたいと思います!!
私も頑張って自分のHP作りたいです。
(※只今、悪戦苦闘中今世紀中に公開予定(笑))
204名無しさん@オーストリア:2001/02/03(土) 23:42
カウニッツ様

あのステキなHPはどこで見付けたのですか?
オシャレで夢のある作りですね。確かに!女性向けな優しい感じがしました。
世の中にはハプスブルクファンの方がいっぱいいらっしゃるのですね。
何処かに「ハプスブルク家について」の講習会とかないですかね・・・
205名無しさん@オーストリア:2001/02/04(日) 22:22
ハプスブルク家の歴史の勉強できる学校 希望(笑)

というか、ハプスブルク史限定で学べる学校ってないのでしょうかね・・・
206名無しさん@オーストリア:2001/02/06(火) 01:41
深夜のage
おやすみなさいませ。
207世界@名無史さん:2001/02/09(金) 15:30
あげ
208カウニッツ:2001/02/11(日) 00:13
名無しさん@オーストリアさんすら来なくなってしまった・・・
209名無しさん@オーストリア:2001/02/11(日) 00:29
(^0^)♪私はココ!!いますよぉ。
ここ数日、2CHに入れなくてageられなくて・・・
でも、私は健在。
明日は、シシィのパズルに枠を買いに行きます♪
210ネネー:2001/02/12(月) 03:01
>144
遅レスで申し訳ないんですけど
エリザベート皇后とルードヴィヒ2世の関係についての
カキコがあったので私の知る限りのことをカキコします。

エリザベートの母親ルドヴィーカは
初代バイエルン王マクシミリアン1世と再婚相手のカロリーネとの間にできた
子供です。フランツ・ヨーゼフの母ゾフィーもその子供。
そしてマクシミリアン1世の初婚相手ヴィルヘルミーネとの間にできたのが
2代目バイエルン王ルードヴィヒ1世。そしてその孫がルードヴィヒ2世。
つまりエリザベートにとってルートヴィヒ2世は義理の従兄弟の子供。
けっこう遠いんですよね。だけど8つしか年が違わなかったのでけっこう
親交が深かったようです。
しかしさすがにエリザベートが息子のルドルフをルートヴィヒ2世に
紹介するのは、彼の性癖を知っていたので腰が引けたらしいです。
この辺りの関係については集英社文庫からでているエリザベート本4冊の
巻頭に乗っている家系図が詳しいと思います。

ハプスブルク家とヴィッテルスバッハ家は相当な近親婚を
繰り返していたらしく、血統的には相当近いそうです。
カール1世の妻にツィタをフランスから呼んできたのもこれ以上の
ヴィッテルスバッハとの結婚はやばいとかんじたからだとか・・・。

>102 できればその本の題名とか教えてもらえないでしょうか?

ここのみなさんとってもくわしくて勉強になりました。
ハプスブルクについてのオススメの本とかあったら教えてほしいです。
特にマクシミリアン1世以前の初期ハプスブルクについての本。
私の読んだ本には詳しく書いてあるのがなかったので。
長くなってすいません。
211名無しさん@オーストリア:2001/02/12(月) 04:27
>210 ネネー様

102の書き込みをした名無しさん@オーストリアです。本の題名をご案内致します
題名『Kaiserin Elisabeth und ihre Tochter』
(※Tochterのoの上に点々がついてます。ドイツ語の題名です。)
何と読むのか?私のは解かりませんが「エリザベートの娘達」と言う意味(?)
らしいです。日本には売ってませんけど・・・
内容は、エリザベート王妃の娘のギーゼラとマリー・バレリーの子孫だと
思います。現在も、シシィーの血は受け継がれているようです♪
212名無しさん:2001/02/12(月) 04:39
>>210
ツィタはフランスというか、パルマ・ブルボン家の出身ですね。
213ネネー:2001/02/12(月) 09:37
>213
そうでした。ブルボン家の末裔なんですよね。
214名無しさん@オーストリア:2001/02/12(月) 15:38
ツィタさんは「ルドルフ皇太子は間違いなく暗殺だった」とコメントしてますよね
真相は闇の中・・・ですが、どーなんでしょうね??
215名無しさん@オーストリア:2001/02/13(火) 01:49
真夜中のage!おやすみなさいませ。
216カウニッツ:2001/02/13(火) 23:58
ルイ14世の王妃マリー・テレーズ、このハプスブルク家の王女は
いつまでもあどけなく、つねに明るく、すべての人に愛される女性でした。
彼女は王に対して終始深い愛情を捧げ、王も政略結婚とは思えないほど
まともな(もちろん他に寵妃はつくりはしましたが
(ラ=ヴァリエール嬢ルイーズ、モンテスパン侯妃アテナイス、
フランソワード=ドービニェ等))結婚生活を送りました。
しかしマリー・テレーズは長生き出来ず、1683年、世を去りました。
さしもの太陽王も、「共に生活した20年、彼女は私に何一つ迷惑をかけず、
また私の意志にも逆らわなかった・・・・・・彼女の死は、彼女が私にあたえた
はじめての悲しみである。」と言ったそうです。
217カウニッツ:2001/02/14(水) 00:00
ルイ14世の王妃マリー・テレーズ、このハプスブルク家の王女は
いつまでもあどけなく、つねに明るく、すべての人に愛される女性でした。
彼女は王に対して終始深い愛情を捧げ、王も政略結婚とは思えないほど
まともな(もちろん他に寵妃はつくりはしましたが
(ラ=ヴァリエール嬢ルイーズ、モンテスパン侯妃アテナイス、
フランソワード=ドービニェ等))結婚生活を送りました。
しかしマリー・テレーズは長生き出来ず、1683年、世を去りました。
さしもの太陽王も、「共に生活した20年、彼女は私に何一つ迷惑をかけず、
また私の意志にも逆らわなかった・・・・・・彼女の死は、彼女が私にあたえた
はじめての悲しみである。」と言ったそうです。
218カウニッツ:2001/02/14(水) 00:02
二重カキコ!今日は調子悪いな〜
219名無しさん@オーストリア:2001/02/14(水) 00:25
美しき夫婦愛・・・私も将来はそうでありたい(笑)
220世界@名無史さん:2001/02/14(水) 00:49
ファナ、シシィ、マリア・テレジア&マリー・アントワネット、
フランツ2世の次女でブラジルへ嫁いだレオポルディーネ。
あと、貴賎結婚したフランツ2世弟ヨーハン。
221カウニッツ:2001/02/17(土) 00:46
ヨーハン大公、良いですよね〜
222カウニッツ:2001/02/17(土) 01:57
カール5世の即位(スペイン王国、神聖ローマ帝国)前のことが、
意外と話題になりませんね〜・・・・・・
近く、カキコします。あと、チに点々って、どう打ち込むの?
教えて下さい!!
223名無しさん:2001/02/17(土) 02:09
ローマ字入力なら、「di」と入力する。
224カウニッツ:2001/02/17(土) 02:41
Thanks.
225日本@名無史さん:2001/02/17(土) 02:45


        ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■死■■
        ■■健一■■■■健一健一■■■■■■■健一■■■健一健一健■死■死■
        ■■健一■■■■健一健一■■■■■■■健一■■■健一健一健■■死■■
        ■■健一■■■■■■■■■■■健一■■健一■■■■■■健一■■■■■
        ■■健一健一■健一健一健一■■健一■■健一■■■■■■健一■■■■■
        ■■健一健一■健一健一健一■■■■■■健一■■■■■■健一■■■■■
        ■■健一■■■■■■■健一■■■■■■健一■■■■■■健一■■■■■
        ■■健一■■■■■■■健一■■■■■■健一■■■■■■健一■■■■■
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        ■■健一■■■■■■■健一■■健一健一健一■■■■■■健一■■■■■
        ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
226名無しさん@オーストリア:2001/02/17(土) 15:03
ハテ??↑は、ナンでしょう??
暇な人がおるんですなぁ。。。って言うか、神聖なカウニッツ様スレを
荒すなぁぁ!!!<渇>

はぁ・・・
近頃は会社に軟禁されてまして、なかなか1日1ageを実行できずに
大変淋しく思っております。
久々に、カール大帝陛下のカキコを見て只今感動中です。
カウニッツ様をはじめ、私に新しい知識や情報を与えて下さる皆様!
お元気でしょうか?
時間の許す限り、1日1age頑張ります!!
227カウニッツ:2001/02/18(日) 01:41
いつもありがとうございます!!
私事ですが、ハプスブルク関係の『専門書』を現在、買い漁っています。
『専門書』なので、今までの知的バックボーンになってきた本より、
若干難し目です。自分の浅学を実感しております。
しかし今後、スレッドを維持していく為には必要でもあるのです。
カール大帝陛下を目指して(知識だけでなく、包容力も)頑張ります!
勿論、出来るだけレスしますが、私の知識が皆様の御役に立てるレベルに
達するまで、駄レスになってしまうかも知れませんが、
御許し下さい。
228フリードリヒ2世:2001/02/18(日) 02:49
久し振りだな、カウニッツ伯。
229カウニッツ:2001/02/18(日) 23:28
本当に!今までどうしていたんですか?
フリードリヒ2世さん。(大王とは意地でも呼びませんよ!(笑))
230カウニッツ:2001/02/20(火) 01:00
フリードリヒさん、また来てねage!
231カウニッツ:2001/02/21(水) 00:56
爵位上げてくれ〜
232カウニッツ:2001/02/22(木) 00:43
オーストリア帝国の三月革命について。1848年3月、オーストリア領の
ハンガリーでまず革命の火の手があがった。ハンガリーは新憲法を制定し、
オーストリア皇帝はこれを承認した。愛国者コッシュートは閣僚の
ひとりとなった。プラハでもチェコ人が立ちあがった。同じころ、ウィーンも
騒然たる状態だった。メッテルニヒは39年間の宰相生活をすててロンドンに
亡命した。5月、皇帝はウィーンを脱出した。しかし6月、
ヴィンディシュグレーツ将軍はプラハの反乱を鎮圧し、イタリアでは
ラデツキー将軍がピエモンテ軍を破った。また、ヴィンディシュグレーツ将軍は
10月、ウィーンの市民軍の激しい抵抗も鎮圧した。オーストリア政府は
ロシアの援助をうけて、1849年10月、ハンガリーの革命も鎮圧した。
今から考えると、革命を鎮圧はしたものの、多民族国家ハプスブルク帝国の
解体は、1848年の時点で実質的にははじまったのである。
233カウニッツ:2001/02/22(木) 22:09
本気age!!
234フリードリヒ2世:2001/02/22(木) 23:13
カウニッツ伯が仕えたマリア・テレジアの座右の銘でも書いておくか。

IUSTITIA ET CLEMENTIA.
235カウニッツ:2001/02/23(金) 00:01
IUSTITIA ET CLEMENTIA.
どういう意味なんですか?
236フリードリヒ2世:2001/02/23(金) 00:14
ラテン語で「正義と寛容」だ。

カウニッツ伯よ、18世紀の外相は自国語のほかに
国際語としてのフランス語、教養としてのラテン語は
必須だったはずだが。
古今東西、王侯貴族は星の数ほどいたがこのモットーのように
統治した者は極めて少ない。
マリア・テレジアはその数少ないうちの1人だろう。

237カウニッツ:2001/02/23(金) 00:38
おお、そうでした・・・・・・
238カウニッツ:2001/02/23(金) 12:37
朝か・・・・・・ウ、ウォ!?・・・昼だ・・・・・・
239カウニッツ:2001/02/24(土) 02:22
コリンの戦勝・・・さすがはレオポルト・ダウン元帥!
このヴェンツェル・カウニッツ=リートベルク伯、感嘆の極み・・・・・・
240世界@名無史さん:2001/02/24(土) 17:03
あげ
241カウニッツ:2001/02/26(月) 00:17
ルドルフ1世がなぜ神聖ローマ帝国の国王になれたかというと、
選帝侯たちがハプスブルク家を弱小貴族と見なし、
その当主のことを御しやすい人物と判断したからです。
しかし彼は選帝侯たちの考えたような人物ではなく有能な君主でした。
そして運にも恵まれた人でもありました。つまりマルヒフェルトの戦勝です。
相手は当時帝国内で最も有力であったボヘミア王オットカル2世でした。
これによってハプスブルク家はオーストリアの地に定着することが
できるようになりました。又、当時、宗家の発祥地であるスイス北東部が
不穏な情勢であったので、マルヒフェルトの戦いで勝つのは
至上命令のようなものでした。オットカル王を戦死させたルドルフは
オットカルの子供たちと自分の子供を二重結婚させました。
この点からもハプスブルク家らしさが伺えます。なお、オットカルの出身の
プシュミスル家は当時、ハプスブルク家など及びもつかない名門でした。
242カウニッツ:2001/02/28(水) 00:02
age!!
最近、忙しくて・・・・・・
243世界@名無史さん:2001/02/28(水) 16:23
フィリップ美公
244カウニッツ:2001/02/28(水) 23:36
マクシミリアン1世の不肖の息子・・・・・・
245名無しさん@オーストリア:2001/03/01(木) 01:07
久々の登場!!
春も近くなりサカリの季節なもので大変忙しく
なかなか書き込みに来られませんが、皆様!御機嫌麗しゅう。
また、学びにやってきますのでよろしくお願いします!
246カウニッツ:2001/03/01(木) 17:24
備えage!
247世界@名無史さん:2001/03/02(金) 12:02
>244
そこがいいのです。わたしみたいで。
248ふとっちょマックス:2001/03/02(金) 15:18
うわっ、こんなスレッドあったんですね。すげぇ!
初めまして。ふとっちょマックスと申します。現在の身長・体重は167*82。
本名はマクシミリアン・フランツ。ママはマリア・テレジア女帝っす。
前世では、王家のしきたりで結婚できずに終わりました。今生も独身っす。
かのルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーベンをヴァルトシュタイン伯に頼んで
ヴィーンに送ったのは、オレっす。最後のケルン大司教でしたが、あの
ナポレオンに追い立てられ、兄貴のいるヴィーンに出戻り、食い過ぎで
死んじまったっす。いまもはらぺこっす。
ママや兄貴・姉貴ばっかり歴史上で取り上げられ、寂しいっす。
以後よろしくです。

カウニッツ殿、ヴェンツェルとお呼びしてもよろしいっすか?
249ふとっちょマックス:2001/03/02(金) 17:10
ふとっちょマックスっす。
小さな訂正あり。
「兄貴のいるヴィーン」→「甥っ子のいるヴィーン」っす。
兄貴のレオポルドは1792年に他界してたっす。
250オカマのマリリン:2001/03/02(金) 22:17
フィリップ美公、萌え〜
あの肖像画を見たときゃ、ファナが狂ってまで
恋い慕った気持ちがわかるわ〜ん♪
251カウニッツ:2001/03/03(土) 00:55
「ふとっちょマックス」。え〜、知ってますとも!
女帝陛下の末っ子ですね。わたくしカウニッツめは、
オーストリア家の忠実な家臣でありますから、
呼び名はいかようでも結構でございます。
甥っ子のフランツ様には私の孫婿、
メッテルニヒ君が仕えておりますので、そちらの方も宜しくどうぞ!
252ふとっちょマックス:2001/03/03(土) 23:15
ふとっちょマックスっす。
オレといちばん仲の良かったのは、すぐ上のフェルディナントっす。
フェルディナントよりオレのほうがマッチョだったっす。
育ての親のトゥルン伯なんか、ヘラクレスみたいだね、なんて云ってくれたっす。
要は、デブだったんす。柔道も強かったっす。これは、うっそぴょーんっす。

しかし今まで誰もフェルディナントをageて下さらないのは、悲しいっす。
ヴェンツェルもオレがケルン大司教になった頃は侯爵になってらしたでしょう。
フェルディナント兄貴もageて欲しいっすよ。
フェラーラのエステ家の婿養子になったとはいえ、ミラノのスカラ座を建てたのも彼っす。
モーツァルトを、妻のコンスタンツェと二人の息子とともに雇おうとしたのも彼っす。
ま、こちらはママ女帝に阻まれましたけど。ママ女帝がもっと芸術方面にまともだったら、
モーツァルトはもっと長生きしたかもしれないっす。兄貴は乗り気でしたから。


253@オーストリア:2001/03/03(土) 23:27
カウニッツ 様
【業務連絡】

アントワネットのビデオ本日観ました。感想はアントワネットの
スレにて書き込みしてあります。
よろしかったら見て下さいませ。
名無しさん@オーストリア改め⇒@オーストリア
254カウニッツ:2001/03/04(日) 00:59
早速、見てみます!
255カウニッツ:2001/03/04(日) 17:48
age気分!
256@オーストリア:2001/03/04(日) 22:08
今日、テレビの番組でカール大帝陛下の肖像画を見ました。
少しでしたけど・・・・
何とも男前な陛下ですねぇ。(しみじみ・・・)
ところで、カウニッツ様の肖像画って見たことないのですが
本とか資料などで紹介されてるものはございますか?
ありましたら是非、教えて下さい。
257カウニッツ:2001/03/05(月) 00:02
女帝マリア・テレジア<上>
アン・ティツィア・ライティヒ著、江村 洋 訳、谷沢書房

この本には、ヴェンツェル・カウニッツ侯爵として、

中公文庫、世界の歴史G絶対君主と人民、木谷 勤 執筆

この本には、カウニッツ伯として、肖像画が紹介されています。
258カウニッツ:2001/03/05(月) 00:05
他にも、『マリア・テレジアとその時代』なんて本にも
載っていそうですね。
259カウニッツ:2001/03/05(月) 00:20
先程までカール大帝が宮中に居られたとは・・・・・・
260@オーストリア:2001/03/05(月) 03:33
φ(.. )メモメモおお!!そんなに沢山紹介されているのですか?
なんで私は見たことないのでしょう??
勉強が足りませんね。反芻・・・いえいえ、反省(笑)
近日中に本屋さんへチェックしに参ります!

カール大帝は突然、宮廷にお戻りになられますね。
次回のお戻りも楽しみですね。
((o(^ー^)o))ワクワク
261ふとっちょマックス:2001/03/05(月) 13:12
ふとっちょマックスっす。
フリードリヒ2世陛下はこのごろお越しにならぬようですが、お会いしてみたいっす。
ただ、ママ女帝の座右の銘「正義と寛容」をママ女帝が実践したかどうか、身内の者
としては、異議あり! やってたことは「思いこみと不寛容」が多かったっす
ママ女帝は確かにオーストリア中興の英主とされてますけど、我々身内のものにとっては、
結構難儀な母親だったっす。彼女に対し否定的な見地から書かれた文献が少ないのは、
いかがなものか...
とはいえ、かく云うオレも、ママ女帝と仲良しだった父方の叔父シャルル・ド・ロレーヌ公、
もとへ、カール・フォン・ロートリンゲン公の口利きで、ケルン大司教の後継が確定したわけっすが、
ミミ姉の夫の弟がトリアー大司教だったのも、強みでした。マインツ大司教は誰だったっけ?
とにかく、オレはミュンスター司教も兼務だったんで、まずはヴェンツェルの対プロイセン布陣に
オレも一役かわせてもらったっす。

@オーストリア殿、そのマリア・アントニア姉のビデオ、オレも見てみたいっす。
262@オーストリア:2001/03/05(月) 23:08
ふとっちょマックス様

ヾ(@^▽^@)ノこんばんはーーーーーーー!!
マリー・アントワネットのビデオですか??
貸せる方法があればレンタルしますよ!
アドレス公開してますので、お気軽に御連絡下さい。
1960年(?)頃に製作されたらしいアントワネットの
映画のビデオが手に入るかも!?しれません。フランス映画らしい・・・
交渉中なのですが、これも手に入りましたら
御報告致します。誰が主演の映画か?わからないのですが
おそらくB級じゃないか?と思われます。
字幕なかったらどーしよう。。。(笑)
”(^−^)ノ~~マタネー☆'.・.・:★'.・.・:☆'.・.・:★"
263カウニッツ:2001/03/05(月) 23:35
ふとっちょマックスさん、いいキャラクターですね!!
これからも宜しくです!(知識も正確ですし。)
あと、@オーストリアさん、講談社現代新書のハプスブルク家にも、
私は載っていました。この本が一番手に入れ易いでしょう。
(この本に載っている絵は余り好きではないのですが・・・・・・)
264フリードリヒ2世:2001/03/05(月) 23:55
マクシミリアン・フランツ公よ、苦労人だけあって
私の言葉をそのまま受取らないところはさすがだな。
「正義と寛容」を口にしながら、そして涙を流しながらも
ポーランド分割の分け前に預かったのはマリア・テレジア
だからな。

ついでに我が父王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の
モットーを教えてやろう。

NEC SOLI CEDIT.
太陽にも怯むな。

265カウニッツ:2001/03/06(火) 00:22
あ〜フリードリヒさん!ん〜、今日の世界史板は賑やかだ!!
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世殿は、
カール6世陛下と握手をした際に、
皇帝に対する根深い畏敬と劣等感から、
手がしびれたと言っておりますが?
その御方が『NEC SOLI CEDIT.太陽にも怯むな。』
ですか!?いえいえ、喧嘩を売っている訳ではないのです。
ただ、ハプスブルクの宰相として・・・・・・
266ふとっちょマックス:2001/03/06(火) 01:58
ふとっちょマックスっす。
皆さんに受け容れていただいたようでうれしいっす。
小さい頃ヴィーン方言で身内にマクスルと呼ばれてたオレは、今もマッスルでぶっす。
たぶんフリードリヒ2世陛下の好みのタイプだと思うっす。でなければ、
いまいましいママ女帝の息子のオレを、苦労人と評価して下さらないっしょう。
オレもその要素は確かにあったけれど、陛下のこと、残念ながらタイプじゃないっす。
あ、御立腹召されないで欲しいっす。陛下は、長兄も含め、ママ女帝の抑圧のきつかった
オレたちのアイドルでした。

当時宗教諸侯が妾を囲うのは当たり前とされており、妾のために宮殿まで作って
やったザルツブルク大司教の例もあるというのに、オレなんか、ママ女帝の抑圧が取れた後も、女になんか
見向きもせず、勉強と実践の毎日を続けました。女はあんまり興味なかった。あ、美食だけは例外っす。
パルマに嫁いだマリア・アマーリアの評判は、皆さん御存知でしょう。無論マリア・アントニア姉
もです。ママ女帝の抑圧が外れれば、人間、そんなもんです。
偉大なる母は、偉大なる抑圧者でもありました。


267ふとっちょマックス:2001/03/06(火) 02:05
もう一発ふとっちょマックスっす。
@オーストリアさん、有り難うございます。
ぜひぜひ拝見致したく存じます。
60年当時は、名優ジェラール・フィリップは亡くなってましたっけ?
オレも登場するのかなぁ。一度はパリに行ってるはずなのですけど。
268カウニッツ:2001/03/06(火) 03:19
1717年5月、皇帝カール6世と妃エリーザベト・クリスティーネ
の長女として誕生。あなたの母親です。
269世界@名無史さん:2001/03/06(火) 13:29
>250
どの肖像画?画像あったらきぼーん。
270ふとっちょマックス:2001/03/06(火) 20:09
ふとっちょマックスっす。
このところ毎日書き込みしてるなぁ...
ヴェンツェルのおっしゃるとおり、ママ女帝の誕生日は、1717年
5月13日の木曜日だったと思います。
御祖母様のエリーザベト・クリスティーネは、北ドイツ、ブラウンシュヴァイク・
ヴォルフェンヴュッテルの出でした。伯父上ヨーゼフ1世陛下の妃も
バイエルンのヴィッテルスバッハ家の出ですから、伯父と父は兄弟とも揃って
ドイツ系の妃をもらったことになるっす。そんでもって、あのママ女帝。
ドイツ婦人の典型とされてるようですが、本人もそう思いこんでたっすねぇ。
御祖母様もママ女帝も年食ってからぶくぶく太ってきたようなんで、
オレのぶくぶくも体質なんでしょうか。(涙)
271nanasisan:2001/03/07(水) 00:05
&#50500;&#44172;
272@オーストリア:2001/03/07(水) 00:22
ヴィッテルスバッハ家とハプスブルク家は昔からの
お付き合いなんですね。
ところで、1番始めの縁組はどなた様でしょうか??
マリア・テレジアの時代から付き合いがあったと言うことは!
それ以前にもあったのですか??

あと、申し遅れましたが・・・
フリードリヒ2世陛下さま!!(..*)ペコリ。
私は、ハプスブルク家御用達:カウニッツ様公認
(自称)スーパーお留守番係りで御座います。
専門的な知識もございませんが
陛下のお話が聞けて大変嬉しく思っております。
今後とも、お見知りおきを!
273@オーストリア:2001/03/07(水) 22:23
σ( ̄~ ̄)もぐもぐ(つまみ食い中でございます。)
274カウニッツ:2001/03/07(水) 23:25
江村氏オリジナルの家系図を調べましたら、
アルプレヒト4(ハプスブルク家の中での)世(〜1404)
らしいのですが・・・・・・
ファルツが当時何処の家系の領地であったかが問題。
275ふとっちょマックス:2001/03/07(水) 23:40
カッツェルネンボーゲン伯家じゃなかったすかねぇ。<プファルツ
ややや、ヴィッテルスバッハ家かもしれないゾ。
なんとなれば、当時のライン河中プファルツ城は、確かヴィッテルスバッハ家の
ものだったはず...
(当てずっぽうっす。間違ってたらお許しを。酩酊状態っす。)>ヴェンツェル
276ヴァグナー・フォン・ヴァーゲンフェルス:2001/03/07(水) 23:44
age
277ラインハルト:2001/03/08(木) 04:24
UP!
278カウニッツ:2001/03/08(木) 04:36
おはようございます!もう一眠り・・・・・・ムニャムニャ……
279カウニッツ:2001/03/08(木) 20:39
こんばんは!(爆睡明け)
280@オーストリア:2001/03/09(金) 00:02
なんと!!13世紀からハプスブルグ家とヴィッテルスバッハ家は
お付き合いがあったのですか・・・・
古いお付き合いなんですね。プファルツ城は現在もあるお城ですか?
規模的には大きいお城なのでしょうか??
お城に住んでみたいなぁ・・・(^-^*)エヘ。
281カウニッツ:2001/03/09(金) 00:17
14世紀かな・・・ま、ヴィッテルスバハ家とは長い付き合いですし、
お互い名門ですからね。一時期なんか、ヴィッテルスバハ家だけで
2つの選帝侯位(バイエルンとファルツ)を占めていた程ですから。
お城のことは詳しくないです。
282ふとっちょマックス:2001/03/09(金) 01:22
ふとっちょマックスっす。
>@オーストリア殿
 プファルツ城は、ライン川の真ん中に今もあるちっちゃくて可愛いお城っす。
 ところがやってたことは、その姿とは裏腹にけっこうえげつなかったっす。
 高速道路の料金所のおっちゃんが、凶器をもって強制的に通行料金を徴収
 してたと思ってください。その川船版。
 払わないと城内の牢に押し込まれ、逃げようとすれば、城内から「ズドーン」。
 全然話は変わりますが、真夜中の「もぐもぐ」は、オレみたいになるっす。
283ふとっちょマックス:2001/03/09(金) 01:36
もいっちょ、ふとっちょマックスっす。
「ハプスブルクのくちびる」の話、していいっすか?
例の超受け口の遺伝特質。スペイン・ハプスブルク・スレッドでは
でてましたっけ?
マクシミリアン1世帝、我が御祖父様カール5世帝、その父レオポルド1世帝
みんなみんな受け口っす。父帝フランツも、血のせいか、少し受け口気味。
ママ女帝はそれほどでもなかったっす。なぜだろう?御祖母様の系譜かな?
オレたちぐらいから、消えちまったっす。 うーん、不思議。
284名もなき伯爵夫人:2001/03/09(金) 03:06
マックス猊下および皆様ごきげんよう 初めておめにかかりまする。

確かに猊下の仰られる通り、18世紀後半以降は
あの強烈な遺伝力を持つ”ハプスブルクの唇”(&長い顔)が
消えてしまっておりますね。
(アントニア様あたりはまだ受け口気味ですが)
でも「汝は結婚せよ」のお家柄、かなり多くの家系が被害に遭ってる(失礼)
と存じますが18世紀以降も名残がある家系ってあるんでしょうか?
メディチ家など相当強烈に遺伝した感じしますけど、
猊下の御生誕より前に断絶してますし…。

追伸:猊下の御祖父君はカール6世では?
285ふとっちょマックス:2001/03/09(金) 03:24
ふとっちょマックスっす。
>名もなき伯爵夫人様
 わーお、5と6間違えて、寝られませんでしたっす。^^;;
 なのに猊下とお呼びいただけるなんて、腹が減ってしまうっす。(意味不明)
 あー麺!
286ふとっちょマックス:2001/03/10(土) 21:59
ageとくっす。^^;;
287カウニッツ:2001/03/11(日) 00:15
たまにはマジレス!
288カウニッツ:2001/03/11(日) 00:36
ハプスブルク史は特に意味を広くとっていえば、
一民族の歴史ではなくヨーロッパの歴史です。
東西間、南北間の緊張関係の調停は、この一族にとって
その発祥の初めから繰り返し繰り返し課されてきた問題です。
まさにこのハプスブルク家によって実現と挫折、成果と断念が
積み重ねられてゆくうちに、途方もなく貴重なヨーロッパの体験
という財宝がもたらされたのです─あたかもその財宝は、
ヨーロッパのあらゆる国々に属する人々によって創造された
芸術作品、芸術理解の深いこの一族が数世紀をかけて収集した
芸術作品と一対をなしているかのごとくに思われます。
この体験をヨーロッパの現在と未来の諸問題のために役立たせる
ことにこそ、ハプスブルク家というヨーロッパの王朝の
歴史と取り組む今日的意義があるといえるでしょう。
289カウニッツ:2001/03/11(日) 03:03
永遠(とことわ)に、変わることなく─マリア・テレジア&
フランツ・シュテファン・フォン・ロートリンゲン
290ウィーン市民@名無史さん:2001/03/11(日) 05:02
カール大公は話題に出てないの?
(もちろんボナパルトと互角に戦った人の方)
影が薄い…
291ふとっちょマックス:2001/03/11(日) 15:24
ふとっちょマックスっす。我がハプスブルク家とヴィッテルスバッハ家とのオレ
自身の関わり合いについて、ちとこのスレッドの本筋からは外れますが...
ケルン選帝候として、オレの先代選帝候はマックス・フリードリヒ候、先々代が
クレメンス・アウグスト候でした。
マックス・フリードリヒ候は、ケーニヒスエッグ・ローテンフェルス伯爵家の出身、
そしてクレメンス・アウグスト候は、かのヴィッテルスバッハ家の出身だったっす。
マックス・フリードリヒ候は、大変にオレに対し好意的でした。
ま、父方の叔父カール・フォン・ロートリンゲン公はドイツ騎士団長を務め、ママ女帝と
奇しくも同年、1780年に仲良く相次いで他界しました。オレのケルン選帝候転出は、
この叔父の後任として、オレが若くしてドイツ騎士団長になり、その本拠地メルゲントハイム
での実績が、ある程度ものを云った結果だと思うっす。
しかし、クレメンス・アウグスト候は、ヴィッテルスバッハ家の皇帝カール7世陛下の
身内。オーストリア継承戦争のカラミで、あんまりハプスブルク家にいい印象を持って
なかったようっすねぇ。この先々代選帝候は、オレが5つの年に亡くなってるようですが、
もし80ぐらいまで長生きして、その影響力を残してたら、オレの運命はどうなっていたか...

クレメンス・アウグスト候は、妾持ちっだったようっす。昭和天皇もお泊まりになった、
ケルンとボンの中間ブリュールにある「アウグストゥスブルク城(ブリュール城)」という
規模は小さいが豪華な城館を造った人っす。卵の殻を潰して染色し、細かい手作業で
大理石のような模様に貼り付けていった豪華絢爛な柱と宮殿コンサートが有名っす。
皆さんも機会があったら行ってみて欲しいっす。オレの肖像画もママ女帝の肖像画も
あるっすよ。
292世界@名無史さん:2001/03/11(日) 21:17
ここは「好きな」すれだけど、
「好かれていた」ひとは?
そりゃ、全く好かれていない人なんていないんだろうけど、
生涯にわたって、批判がほとんど出なかったとか言う人はいるのかな?
293ふとっちょマックス:2001/03/11(日) 23:42
ふとっちょマックスっす。
>288 親愛なるヴェンツェル
 激しく同意っす。但しママ女帝は芸術理解、どうだろう?
>292 世界@名無史さん
 オレがageるとすれば、甥フランツ2世の息子、シュタイエルマルクのヨハン大公っす。
 貴賤結婚だったけど、シュタイエルマルク州のみんなに愛された男っす。
 ヨハン大公のヨーデル、なんて、ヨーデルソングもある...
 批判してたのは、宮廷人だけだったっす。
294カウニッツ:2001/03/12(月) 00:10
女帝陛下は、幼い頃のヨーゼフ陛下に「びんた」を加えたことがあるそうです。
1回限りのものでしたけど。幼児虐待とは違いますぞ。
あくまで教育上の観点から。でも、市民的でほのぼのするエピソードですな。
しかし、ヨーゼフ陛下にはあまり意味がなかったようで・・・
個人的にはヨーゼフ様は好きです。
295ふとっちょマックス:2001/03/12(月) 12:52
>親愛なるヴェンツェル/294
 ヨーゼフ兄のことがヴェンツェルもお好きとはうれしいっす。
 ヴェンツェルとヨーゼフ兄が、晩年のママ女帝と対立してたことからも、
 ヴェンツェルがヨーゼフ兄と仲良くして下さったのがわかるっす。

 我々身内のものは、ママ女帝の没後、ヨーゼフ兄に冷遇された、と史実は書き
 記してますが、オレ自身は、己の欲には無頓着で謙虚な兄だったと思うっす。
 ママ女帝が英主として強調されますが、ヴェンツェルと共にその後のオーストリア・
 ドナウ帝国の近代化の基礎を築いたのは長兄ヨーゼフ兄っす。さぞストレスが多かった
 だろうなぁ。そのストレスは、長兄は鬱、という形で出ていたようです。
 オレのストレス発散は、食欲でしたが。(笑)
296カウニッツ:2001/03/13(火) 03:34
ふとっちょマックス様って、学生ですか?
297ふとっちょマックス:2001/03/13(火) 12:58
>親愛なるヴェンツェル
 オレは、学生じゃありません。
 中年の「をぢさん」っす。(爆)
 そちらは?
298世界@名無史さん:2001/03/13(火) 22:05
まっくすおじさんへ。
やっぱり、上から下までまんべんなく愛された人っていないんですね。
しかたがないけど。
ありがとう。
今度、お年玉ください。
299カウニッツ:2001/03/14(水) 00:35
>そちらは?
ふとっちょマックス様、@オーストリアさんにメールで聞いてみて下さい。
300ふとっちょマックス:2001/03/14(水) 11:05
ふとっちょマックスっす。
がはははは。「まっくすおじさん」に「お年玉」、ねぇ(笑)
「をぢ」とはいっても、それほど「をぢをぢ」した感じではないと思うんだけど...
>親愛なるヴェンツェル
 了解っす。@オーストリアさんに近いウチメールしてみるっす。

ま、オレの個人属性はともかくとして...

ヴィーンの南の郊外にラクセンブルク城なる城館があります。
整備されたのはレオポルト1世のときじゃなかったかな。或いはもう少し前かもしれない。
ここは、あまり日本のガイドブックには登場しません。なぜか?
非常に質素な造りだからだと思います。要するに観光地としての魅力に乏しい。
しかし...ここはハプスブルク家の重要な離宮のひとつだったっす。
ママ女帝は大変この城館がお気に入りで、かなり足繁く通っておったようです。
重要な政策上の討議、決定も多くなされたことでしょう。
親愛なるヴェンツェル、あなたもたびたび訪れていたはず。
池のボートは電動式の音無し。池のアヒルちゃんもびっくりしないですむ。
静かなたたずまいを乱さぬ配慮がありました。
シェーンブルン宮殿とは対照的な城館ですが、観光旅行中に、時間的余裕が
あれば、本当にほっと一息つける場所だと思います。
301カウニッツ:2001/03/15(木) 21:49
カール6世陛下は王太子時代のフリードリヒ2世殿に年金を
御与えされていたのに・・・オーストリア継承戦争の口火を切るなんて・・・
302ふとっちょマックス:2001/03/16(金) 15:42
>301 親愛なるヴェンツェル
御祖父様帝カール6世は、ママ女帝へのハプスブルク家領の円滑な相続が行われる
ことを期待して「プラグマティッシェ・ザクツィオーン」およびこれに基づく諸々の
手続を行い、王太子時代のフリードリヒ2世陛下への年金賦与もその一環だったと
考えられますが、フリードリヒ2世陛下にしてみれば、ちっぽけなカネで、なんだっ
てんだよぉ、ってな気分じゃなかったんすかねぇ。
ママ女帝をドイツ君主の一人と見なさず「ハンガリー女王」と言い続けてましたから。
ま、ママ女帝もフリードリヒ2世陛下のことを「ベルリンのワル」と呼んでました。
二人とも同じ年の即位ですし、似たもの同士じゃないっすか?
303カウニッツ:2001/03/17(土) 01:17
国事詔書(プラグマーティッシェ・ザンクツィオーン)で決まっていたのでしたか。
確かにフリードリヒは女帝のことを「ハンガリア女王」(ハンガリーの女王)、
女帝はフリードリヒのことを「シュレージエン泥棒」「悪者」「厭わしき隣人」「怪物」
などと呼びあっていますしね。
304カウニッツ:2001/03/17(土) 01:24
フリードリヒ殿は健康には恵まれず、即位七年にして後継者を
立てました。その時に書いた文書の一部にこんなくだりがあります。
「わが兵力を以ってすれば、ハプスブルク家の攻撃など、
恐れるに足りない。だが、私のようにボロボロになった体では
病に打ち勝つことは決して容易ではない。」
305カウニッツ:2001/03/17(土) 01:54
皇帝は、自分の最大の苦痛は一族の者たち、下臣たちに平和を残して
ゆくことができないことだと、申し訳なさそうに言った。カールはさ
らに声を励まして言った。「これまで帝国のため、国家のために身命
を賭し、全力を傾注してきたにもかかわらず、我が思いは成らなかっ
た。いま私は疲労困憊している。ここに私の領地はフィリップに、ま
た帝国はフェルディナントの手に委譲する。先祖伝来の信仰を守り、
常に平和と正義を失うことのないように留意してもらいたい。」満堂
息をつめ、咳もなく、シーンと水を打ったように、カールの一言一言
に耳を傾けていた。彼が居並ぶ貴顕や金羊毛騎士たちに向かって述べ
た最後の言葉には、感動を禁じえない。「これまで私は、若気のため、
思考力の未熟のため、我意のため、しばしば誤りを犯してきた。しか
し一度とて、意を含んで誰かに辛くあたったことは決してない。それ
にもかかわらず、そのようなことがあったとしたら、どうか私を許し
てほしい。」そう言い終わると、皇帝は疲れきって椅子に座り込んだ。
それまで溢れる悲しみの涙をハンカチで拭いながら必死になってこら
えていた妹マリアは、ついにすすり泣きを始めた。周りの女性たちも
それにつられたように、感極まってもらい泣きをした。
カール5世の伝記作者として知られるカール・ブランディは、この告
別の場面を簡潔な言葉で締めくくっている。「いったい世界史上で、
一つの世代がそっくりそのまま、自らの意志で舞台から姿を消すとい
うようなことが、これまであったであろうか。しかもこのような形
で。」
306@オーストリア:2001/03/18(日) 01:29
呼ばれてないけどジャジャジャジャ〜ン♪♪

何だかマックス様&カウニッツ様で色んなお話が進んでいるのですね
読めば読むほど知識の倉庫!!!
φ(.. )メモメモ

また寄らせて頂きます。マックス様&カウニッツ様
メールありがとうございます。
(^0^)/~~see you !

307ふとっちょマックス:2001/03/19(月) 18:13
ママ女帝の時代の内政面でのやり方で、えぇぇぇぇ? というものを二つage。
その1・・・マリア・テレジア法典の中の拷問に関する規定。
     →カール5世からフェルディナント3世あたりまで吹き荒れた魔女裁判では
拷問は当然視されてましたが、レオポルト1世あたりから徐々に下火。
      それをママ女帝の法典は、「拷問には事前に医師の診断書が必要!」と規定。
      これは笑える。当時でもアナクロっぽいと評判でしたっす。
その2・・・風紀監督委員会
     →父帝フランツ1世陛下の浮気をもとに作られた制度、といいます。
      不倫が露見したヒトは、査問にかけられる、というもの。
      がしかし、当時王侯貴族、有産階級の間では、不倫は当たり前でしたから、
      これは無意味。非常にうっとうしがられた制度だったみたい。
      ママ女帝自身は、父フランツ1世帝と「仲良し」のアウエルスペルグ伯爵夫人
      につらく当たったという話は、あまり聞きませんねぇ。むしろ父帝の崩御で
      悲しみを分かち合ったりしてるっす。わー、偽善者っぽーい。
308カウニッツ:2001/03/20(火) 00:16
ああ、ヴィルヘルミーネ・アウエルスペルクか。
309カウニッツ:2001/03/20(火) 06:49
310ふとっちょマックス:2001/03/22(木) 02:18
スペイン・ハプスブルクのスレにも書き込みましたが、
中世末期、近世初期からママ女帝の時代にかけても、ペストは大きな脅威でした。
曾祖父帝レオポルト1世は、ヴィーンのグラーベン通りにペスト塔を造り、御祖父様帝
カール6世は、聖カール教会を造ったっす。特に30年戦争の頃、オスマントルコの侵攻の頃、
ヴィーンはペストに手ひどくやられたっす。ルドルフ2世のプラハ隠棲も、ペストからの避難
が原因という話もあります。
ママ女帝も父フランツ1世帝とイタリアに行幸しようとしたとき、ちょうどハンガリー、クロアチア
あたりからペストが発生したため、ヴェネチア共和国通過前、検疫にひっかかり、40日もむさ苦しい
宿屋に押し込められる経験をしたようっす。おかげでママ女帝はヴェネチア共和国に対し、かなり悪印象
を抱いたようです。検疫=クアランティン(40日に由来)、ですが、当時は本当に40日留め置かれた
とは、いやはや...
311ふとっちょマックス:2001/03/23(金) 19:18
わっ、ageとかなくっちゃ!
そこで病気の話をもう一つ。今度は天然痘。
今は撲滅されてしまいましたが、種痘が開発されるまで、天然痘は周期的に流行する
恐ろしい疫病だったっす。
1760年代後半は、ママ女帝にとって大いなる厄年の連続でしたっす。
1765年にレオポルト兄の結婚式をインスブルックで催したとき、父帝が急死。
これは脳溢血だったかな。当時としては寿命だったっすねぇ。
そのあと1767年に天然痘が流行し、ママ女帝とオレ達兄弟衆の大半が罹患。
姉二人とヨーゼフ兄の嫁である義姉(ヴィッテルスバッハ家出身。割とブス。)が亡くなり、
ママ女帝、エリザベート姉も罹患。ママ女帝はデブだったので体力があったのか、死にかけた
けど生還。エリザベート姉は生還したものの、美貌が一転、あばた顔になったので、結婚が
アウト。ひどい話っす。
教科書にはあまり登場しませんが、こういう話はかなりあったようです。

312カウニッツ:2001/03/24(土) 02:43
その時にモーツァルトも二度目のウィーン旅行中で、
姉弟で発病してしまいました。
313カウニッツ:2001/03/26(月) 02:02
マリア・テレジアが天然痘に罹患した時に、ヨーゼフ2世は、
隣室で寝泊まりし、常に母を見舞い、回復を願ったようで、
その甲斐あってか、マリア・テレジアは健康を回復した。
ん〜、親子の愛情を感じるな。一応断っておきますが、ヨーゼフ2世は、
天然痘に対する免疫はもっていました。つまり、罹病済み。
314アマデウス:2001/03/27(火) 01:08
モーツァルトも知ってるのか?
315ふとっちょマックス:2001/03/28(水) 17:50
はっ、sageられそう...ageとくっす。
ヴォルフルことヴォルフガンク・アマデウス・モーツァルトは、オレと同い年っす。
オレは、ヴォルフル、と愛称で呼ぶこともあったっす。だからもちろん面識はありました。
ママ女帝の御前演奏のとき、オレも同席してたはずですが、オレがそのとき静かに聞いていたかは
わかんないっす。
オレがザルツブルクに行ったときなど、彼はオレのためにも作曲や演奏をしてくれたん
ですよ。大司教コロレド伯とは折り合いが悪かったみたいだけど。
316カウニッツ:2001/03/29(木) 00:36
週刊世界遺産22、良かったですね!女帝陛下のヒューマンヘリテージもあったし。
317フランツ・ヨーゼフ・ハイドン:2001/04/14(土) 17:55
どうしたのかねカウニッツ君?
318アルマダ:2001/04/14(土) 18:01
カウニッツ召喚アゲだ!!!
319俺も:2001/04/15(日) 03:18
カウニッツ召喚アゲだ!!!!!
320シシィに憧れる25歳:2001/04/17(火) 00:16
カウニッツ様は誰が一番好き?
私は175cmウエスト52cmを生涯保った(と言われる)エリザベートが一番好き
叶姉妹のように美に対する情熱を感じるぅ歴史うんぬんでなくて女として好き
321世界@名無史さん:2001/04/18(水) 00:38
「七日間戦争」の時の宮沢りえが好き!
322世界@名無史さん:2001/04/18(水) 02:23
カウニッツ様に聞いているのですが・・・
323321:2001/04/18(水) 02:28
スマソ!
324シシィに憧れる25歳は体脂肪率35%:2001/04/20(金) 14:52
その他、やはり、お面の美しい女の人かな。
325ホンモノのシシイ:2001/04/24(火) 17:43
カウニッツ伯、どうなされた?
326名無しさん:2001/04/25(水) 17:01
亡くなられたようです。。。
327カウニッツ:2001/04/26(木) 01:07
生きとるよ!
G.W.頃には復活するので宜しく!
328酔鯨ジョーカー:2001/04/26(木) 01:30
ジーモン・フォン・ハプスブルク
329質問です:2001/04/27(金) 17:28
以前「世界一の美女は誰?」っていう掲示板がありましたよね?
ご丁寧に肖像画へジャンプできるアドレスを載せてくれてたりして
また見たいな〜と思ってきてみたら無いようなのですが…
ここにいらっしゃる皆様の何人かの方もコメントされてたように記憶してます。
もしなにかご存知でしたら教えていただけますか?
330カウニッツ:2001/04/30(月) 01:25
ちょっと古い人ですが、ルードルフ4(ハプスブルク家の中での)世「建設公」も、
特許状の大偽造や租税法、シュテファン教会の改造などで名を残しています。
此の方は1358年に19歳で即位し、1365年に26歳にもならないうちに没しました。
個人的には好きなほうですが、神聖ローマ帝国の皇帝やローマ王になったわけでもなく、
選帝侯でもなかったため、比較的知られていません。ので書いておきます。
331カウニッツ:2001/05/01(火) 04:55
>328さん、
「ジーモン」って人、ハプスブルクというよりホーエンツォレルンって感じじゃない?
332バーデン・バーデン:2001/05/01(火) 16:54
>>331
確かに言えてる!
333世界@名無史さん:2001/05/01(火) 16:56
ふとっちょマックス召喚ageっす!
334ジーモン@ホーエンツォレルン:2001/05/01(火) 21:18
本物のジーモンって、このスレ見てる?
335世界@名無史さん:2001/05/02(水) 05:40
みてないよ
336世界@名無史さん:2001/05/03(木) 08:21
 最後の騎士と謳われたマクシミリアン1世と、ブルゴーニュ最後の公女
マリーの愛娘、後のネーデルラント総督マルガレーテに惹かれるのですが。
 彼女の伝記とか出ていないでしょうか?
337世界@名無史さん:2001/05/03(木) 21:21
マルガレーテ。立派なハプスブルク女性でした!
338ナポレオン・ボナパルト:2001/05/04(金) 16:47
余の連勝記録に泥を塗った小癪なカール大公の名が見えぬようだが。
カウニッツ伯よ、カール大公はハプスブルク家ではマイナーなのか?
339ナポレオン・ボナパルト:2001/05/04(金) 17:03
カウニッツ伯よ。ついでながら、貴君の神聖ローマスレを教えてくれぬか?
探し回ったがみつからなんだ。
手間をかけるが、この通りよろしく頼む。
340カウニッツ:2001/05/05(土) 01:23
マイナーだなんてとんでもありません!
ナポレオン殿の対する最初の勝利者カール大公は、まさに古典的ともいうべき、
精神と性格の偉大さを持った人でした。著書『戦術の基礎』(1813年)において
軍事学を展開されてもいますね。
それと「神聖ローマ帝国について」スレッド、御存知でしたか、
倉庫の方に行ってしまったようです。ちょっと待って下さいな!
341カウニッツ:2001/05/05(土) 01:59
「神聖ローマ帝国について」スレッド、見つけられませんでした(T_T)。
ナポレオンさん、ごめんなさい。
342フリードリヒ2世:2001/05/05(土) 02:29
ほほう、ついにナポレオンまで出てきたか。
カウニッツ伯よ、我々没後の傑物だが
プロイセン、オーストリアの共通の敵でもあったな。
343ナポレオン・ボナパルト:2001/05/05(土) 13:06
大王陛下、なにを言われますか。
余は陛下を深く敬愛しておりますぞ。
余がプロイセンと戦端をひらいたのは
フリードリヒ・ヴィルヘルム3世並びにルイーズ王妃のせいであり、
余としても本意ではありませぬ。ギゼンシャナドトイワヌヨウニ。

ところで、カウニッツ伯よ。
いきなり登場してこのような不遜な態度を取り続けてもよいものであろうか。
内心申し訳ない気分でいっぱいなのだが。
344カウニッツ:2001/05/05(土) 13:54
いえいえ、新しい血が入るのはスレの活性化の為に良いことですから。
ナポレオンとして参加されるのであれば、
そのキャラを最後まで保って頂けると尚結構。
345フリードリヒ2世:2001/05/07(月) 00:59
私を陛下と呼んでくれたのであれば私も君を
ナポレオン皇帝と呼ぶことにしよう。
同時代のヨーロッパでは君を帝位簒奪者として皇帝と認めず
ボナパルト将軍と呼んでいた者も多かったようだが。
346いも男爵(新参者):2001/05/07(月) 01:13
我が君、ヨーゼフ2世も忘れないでェ…。
過労で死んじゃったけど、表向きは。
347世界@名無史さん:2001/05/08(火) 00:35
ほんとのところ、ヨーゼフ2世陛下の死病って何だったんでしょう?
348世界@名無史さん:2001/05/08(火) 00:55
しかし世界史板でこんなにもハプスブルクが論じられる様になったのも
カウニッツ伯のおかげだな
349いも男爵:2001/05/09(水) 02:52
ちょうどトルコと戦争しててね。
2日前にボヘミアの連隊が大損害を受けて、その日は朝から大忙し。
被害状況の確認とか補充部隊の送りだしとかいろいろあってね。
でもなんか小姓たちが血相変えて走り回ってるから、おかしいなと思って呼びとめてみたら
「陛下が危篤です」って言うからもうビックリ。
とりあえず陛下のレオポルド翼の皇帝執務室まで飛んでったんだけど既にすごい人だかり。
みんな聞きかじりで勝手なこと言うもんだから現場は大混乱でさ。
一服盛られたって噂も結構聞いたよ。
ほら改革大好き人間だからさ、敵も多かったんだよね。
350ふとっちょマックス:2001/05/09(水) 13:50
いと麗しき5月に、わがケルン選定侯領ポッペルスドルフ宮殿の花の手入れに
多忙を極め、しばらく遠ざかっていたっす。ポッペルスドルフ宮殿は、ボン大学の
植物学科を中心とした理学部の校舎になってまして、オレもかり出されていた、
という次第。みなさん御無沙汰したっす。召喚age、光栄っす。

そうそう、いと麗しき5月に、の作曲者、ロベルト・シューマン先生も、お亡くなりに
なったのは、ボンなんっす。正確にはボン近くのエンデニッヒ、ってとこですけど。

>347
長兄ヨーゼフの死病は、「鬱」が高じて体力が弱まったときに増殖した
 「ガン」であったと思われます。推測ですが、膵臓ガンではなかったか、と。

>348
 激しく同意。

 親愛なるヴェンツェル、元気っすかぁ?
351カウニッツ:2001/05/10(木) 00:02
わ、ふとっちょマックスさんっていろんな事にお詳しいのですね。ん〜。
はい、カウニッツめは元気でございます!
>>348さん、右に同じく光栄です!
352フリードリヒ2世:2001/05/10(木) 00:39
ヨーゼフ2世の弟達、オレポルト2世は在位2年だったが資質優れていたし
マクシミリアン・ヨーゼフ公は博識多才な好人物なのだろう。
それに比べて我が弟達は役立たずのアウグストや生意気なハインリヒなど
扱いにくい者達ばかりだったな。

353いも男爵:2001/05/10(木) 01:02
本当はガンだったんですか!
進行するまで気づかれなかったのかもしれないですね。
これで私もちょっとした「事情通」だな。
354世界@名無史さん:2001/05/10(木) 20:17
>>336
伝記じゃないんですが、20日まで伊勢丹美術館で開催中の
「黄金期フランドル絵画の巨匠たち展」に晩年のマルガレーテの肖像画が
出展されてます。(この後福島・茨城・滋賀・宮崎を周る予定)
あとネットならマルガレーテについて語ってるサイトがあったはず。

ところでヨーゼフ2世・レオポルド2世の両帝が相次いで崩じたのは
あの時期のハプスブルク家にとっては大きな痛手でしたねぇ。
せめてレオポルト陛下が長生きされておれば…(嘆息)
355カウニッツ:2001/05/10(木) 20:49
レオポルト2世帝が急逝されたのは非常に残念でしたね。
後(跡?)を継いだのが覇気の乏しい(欠しい?)フランツ2世帝でしたし・・・。
356カウニッツ:2001/05/10(木) 21:00
そう、マルガレーテ(マクシミリアン1世の娘の)について。
彼女は十七歳の少女のとき、代理人が彼女の結婚相手と定めた
スペインの王子ファンと会うためにスペインへ渡る航海の途上、
ビスカヤ湾でひどい嵐に見舞われたことがあった。このとき彼女は
王侯にふさわしく埋葬されるようにと金貨の入った小さな袋を手に結びつけ、
それとともに自分の墓碑銘のために次のような碑文を書き記したリボンを
添えた。
「ここに横たわれるは、二度も結婚しながら
    処女たるを失わなかったマルゴットである。」
357ふとっちょマックス:2001/05/10(木) 21:21
次兄レオポルトは、有能な男でした。オレがフェルディナント兄と仲が良かったように、
レオポルト兄はヨーゼフ兄と仲良しでした。
ゼクンドゲニトゥア(ハプスブルク次子相続国)としての父帝領トスカナ太公国をよく治め、
豊かな国に育て上げたのもレオポルト兄っす。おそらく男兄弟中、一番楽天的だったんじゃないっすか。
ドイツモードではなく、かなりイタリアモード入ってたなぁ。
子供もいっぱい作ったし、ハプスブルクの人間として、やるべきことをきちんとやってくれました。
ママ女帝の抑圧から解放された状況にあったのも幸運だったと思う。
在位2年で急逝は、オレも残念至極っす。
レオポルト兄は「えっち」がきつかった、という話もありますが、本当かな?
なんせ、オレは童貞のままで人生終わっちまったもんで。

話を落としてすみません。
358カウニッツ:2001/05/13(日) 23:52
ではでは私が話を上げましょう。
今日はルドルフ1世について。
『私はかつて君たちの知っていた私ではない。
ハプスブルクでもなければルドルフでさえもない。
この血管の中にはドイツの血が流れている。
そしてこの胸の中ではドイツの脈が打ちつけている。
滅びゆくもの、それを私はかなぐり捨てたのだ。
そして私ばかりが不滅の皇帝となった。
昇格の声を耳にしたとき
このような幸運を夢想だにしなかったこの私に
全世界を司る主が私の小さな頭に
突如として帝冠戴せられたとき
私の額を聖油がこぼれ落ちたとき
私の心は深く奇蹟の念に満たされた。
私は奇蹟に信を置くことを学んだのだ』
(グリルパルツァー『オットカル王の栄華と没落』第三幕)
359フリードリヒ2世:2001/05/15(火) 01:12
カウニッツ伯はマリア・テレジア、フランツ1世、ヨーゼフ2世、
レオポルト2世、フランツ2世の5帝に仕えたわけだが、
晩年はどの程度政治的な発言力と影響力を持っていたのだ?
ヨーゼフ2世とは対立する事も多々あったようだが。
360ふとっちょマックス:2001/05/15(火) 15:11
ふとっちょマックスっす。
親愛なるヴェンツェルとフリードリッヒ2世陛下のageて下さった話題にレスもせず
ageることをお許し頂きたいっす。自分もかなり驚いた発見があったので。とはいっても
御存知の方ももちろんおられると思いますが...

1805年、ナポレオン戦争時のいわゆる三帝会戦の舞台となった、アウステルリッツ、御存知ですよね。
このアウステルリッツという町、現在はチェコ共和国内のモラビア地方(スロバキア近接地域)の、
スラフコフ・ウ・ブルナ(Slavlkov u Brna)という名前の町となっていますが、この町の18世紀の
城主は、さて、誰でありましょうや?  ぬぁんと、親愛なるヴェンツエル、あなただったのです!

カウニッツ伯家、チェック語ではコウニッツ伯家は、代々このアウステルリッツ、もとへ、
スラフコフ・ウ・ブルナの町を治めた古い家柄の大貴族でした。従って、あなた、ヴェンツェルは、
ヴァーツラフ、とお呼びした方がいいのかもしれないっすねぇ。
しかしオレはハプスブルクの人間ですから、やはり、ヴェンツェル、とお呼びします。

欧州史上特筆すべき外交革命を成し遂げ、1女帝4帝に仕えたあなたの伯爵家発祥の地で、
三帝会戦が行われたとは、さても奇しき因縁と申し上げるよりほかありません。

361カウニッツ:2001/05/16(水) 01:11
ふとっちょマックス様ごめんなさい!
私の領地に三帝会戦の地、アウステルリッツも含まれていたことは知ってましたし、
そのことで以前、カール大帝陛下に質問レスをしたこともあります。
でも、気を悪くなさらないで下さいね!
しかし我ながらフランツ2世陛下の治世初期まで仕えたのには驚きです。
テレーゼ様、ヨーゼフ様には重きを置かれた身でしたが、
レオポルト様の治世頃から私の影響力は薄れていったようです。
いえ、奇しくも不倶戴天の敵、フリードリヒ2世王が亡くなられた頃からだったかもしれません。
私亡き後、すぐ孫婿メッテルニヒ君の登場でオーストリア帝国は、
一流国で居られましたが・・・
362ふとっちょマックス:2001/05/16(水) 03:05
>360 親愛なるヴェンツェル
いいえいいえ、御存知で当然でしょうとも!
オレはヴェンツェルの伯爵家がボヘミアかモラビアの出であったのは知ってましたが、
アウステルリッツとはつゆしらず、その奇しき因縁にびっくりしてageた次第っす。

ヴェンツェルは1711年生まれですから、レオポルト兄の治世には、既に
そろそろ80才に手が届こうか、というお年。無理なからぬことっす。
おまけに身体も頑健とは言い難く、伝染病への恐怖心も人一倍、ということで、
お年を召してからは、ヴィーンのお屋敷から頻繁に転地療養をなさっておられたとのこと。
長兄ヨーゼフ帝は、そんなヴェンツェルに無理矢理出仕を強要せず、わざわざ彼の転地先に
行幸して廻ったものだと、オレは聞いているっす。

>フリードリヒ2世陛下
ヨーゼフ兄の性急さ、戦争好きをヴェンツェルがたしなめることはあっても、対立、
というところまではどうでしょうか? ヨーゼフ兄は終生ヴェンツェルを信頼していたと
オレは思うっす。ただ、バッティアニ候、エステルハーツィ公ら、ハンガリー系重臣の発言力は、
ヴェンツエルの加齢と共に強まったかも知れませんねぇ。

マリア・アントニア姉の嫁ぎ先で革命が起きたことについては、ヨーゼフ兄は非常に心を痛め、
時にヴェンツエルを責めたことでしょう。

ケルン−ボンという遠隔の地にあっては、ヴィーンの情報も不十分で、いろいろと考えを一人めぐらす
他はありませんでした。
363カウニッツ:2001/05/16(水) 10:25
簡単な問題です。
マリア・テレジアは言いました。
「この全世界から見放され、世継ぎの男の子を抱えた女王をご覧なさい。
この子がどうなるとお考えですか?・・・・・・」
さて、この言葉は、何時、誰に対して、言ったのでしょうか?
また、世継ぎの男の子とは誰のことでしょう?
364ふとっちょマックス:2001/05/16(水) 11:34
わーお、ママ女帝がプレスブルクまで行って、ラテン語でブったヤツっすね。
このようなママ女帝の「出来ないから頼んでるんじゃないっ!」って態度、
「贅沢且つ居丈高な居直り」とでも申しましょうか。オレはあまり好きではありません。
れれ? これもヒントになるっすかねぇ。
365カウニッツ:2001/05/16(水) 16:43
ふとっちょマックス様。
女帝陛下がケーフェンヒュラー元帥に宛てた書簡って、

「この全世界から見放され、世継ぎの男の子を抱えた女王をご覧なさい。
この子がどうなるとお考えですか?・・・・・・」

これと同じ様な感じじゃありませんでしたっけ?
366フリードリヒ2世:2001/05/17(木) 00:34
MARIA-THERESIA-DEI-GRATIA-ROMANORUM-
IMPERATRIX-GERMANIAE-HUNGARIAE-
BOHEMIAE-REGINA-ARCHIDUX-AUSTRIAE-
DUX-OSWIECZIMAE-ZATORIS.・・・

マリア・テレジアほど多くの地域の支配権と称号を持った
君主も珍しい。それを一々列挙する煩に堪えないな。
一部をラテン語で書いても上の通りだ。

367ふとっちょマックス:2001/05/17(木) 13:36
>365 親愛なるヴェンツェル
 はい、はい。存じておりますとも。ママ女帝がルートヴィヒ・アンドレアス・ケーフェンヒュラー元帥
 に宛てた書簡。「あなたの眼前にあるのは、全世界から見放された女王です。この絵に描かれた王子に
 あなたは何をお感じになりますか? ・・・」この冒頭文で始まる書簡は、乳児であった長兄ヨーゼフを
 抱きかかえた慈母ママ女帝の肖像画と共に、元帥ケーフェンヒュラー伯爵のもとに届けられました。
 ケーフェンヒュラー元帥は、諸将の前にこの肖像画を提示し、おおいに士気を高めたと云います。

 うーん、浪花節だなぁ。生まれたばかりの自分の息子をフルに利用するなんて、いかにもママ女帝らしい。
 ところが士気の上がったハプスブルク軍は、破竹の進撃で、ヴィッテルスバッハ家の皇帝カール7世陛下が
 フランクフルトで戴冠式をあげてる最中にその本拠地ミュンヘンを攻略、占領。

 長兄ヨーゼフは、小さいときからママ女帝に利用されまくりっす。
368世界@名無史さん:2001/05/17(木) 20:56
ふとっちょマックスさんは、マリア・テレジアが嫌いなの?
369ふとっちょマックス:2001/05/17(木) 21:23
>368
 ママ女帝はオレの母親っす。身内だからこそ、臣下の方々、ママ女帝を偉大視する後世の
 研究家とは違った目で見てるっす。愛あればこそ、憎しみもある、そのようにお考え下さい。
370おサル:2001/05/17(木) 21:29
誰か教えて下さい!どうしても思い出せないんです。
ハプスブルグの有名な皇女なんですが、ふとっちょの名君
バイエルン公アルブレヒトと結婚したのは誰でしたっけ?
ちょっと変わった名前だったと思うけど。
371カウニッツ:2001/05/17(木) 21:57
>長兄ヨーゼフは、小さいときからママ女帝に利用されまくりっす。
ハハハ、笑わせて頂きました!
372368:2001/05/17(木) 23:14
>>369
レスありがとうございます。わかりました。
ふとっちょマックスさんの発言はタメになることが多いので、これからも期待しています。
373世界@名無史さん:2001/05/18(金) 02:02
ちょっとマジレスしときますけど、
西洋には18世紀までのロシア以外、女帝はおりません。
これは女性のローマ法王がいないのと同じ理屈で、
神は男で、神の代理人の法王も男でなければならず、
皇帝は神から地上の支配権を与えられた者なので、
やはり男でなければならないからです。
神聖ローマ帝国の皇位はフランツから息子に渡っています。

王は公侯伯子男の序列の最高位にある者で、
簡単に言えば豪族のでかいやつです。
一家の当主が女なら当然女王になります。
神とは関係のない世俗の統治権の所有者ですから、
分割・共同統治も可能です。
374フリードリヒ2世:2001/05/18(金) 02:33
>373.
名前は知らぬがさすがだな。
帝位はカール6世、カール7世、フランツ1世、ヨーゼフ2世の
順で継承されている。
マリア・テレジアの名は無い。
375名無しさん:2001/05/18(金) 10:32
但し、マリア・テレジア自身は、臣下が自分のことを女帝と呼ぶのを好んだ。
376世界@名無史さん:2001/05/18(金) 11:14
ビザンティン帝国には女帝いたよ。
エイレーネー(797〜802)
ゾエ(1042テオドラと共治)
テオドラ(1042ゾエと共治、1055〜1056)
377世界@名無史さん:2001/05/18(金) 12:01
マリア・テレジアはハンガリーとボヘミアの女王には
なってるよね。でもローマ王にはなれんかった。
378ハールーン・アッラシード:2001/05/18(金) 12:20
>>377
オーストリア大公の位も保持しています。
379ふとっちょマックス:2001/05/18(金) 12:26
ふとっちょマックスっす。オレもマジレスっす。
父帝フランツ1世は、ロートリンゲン公、トスカナ大公であると同時に皇帝(Kaiser)でしたが、
その配偶者であるママ女帝は、父帝フランツが帝位に就くと同時に女帝(Kaiserin)の称号を
取得したわけです。従って、邦文の諸文献には、女帝即位が1740年、としている向きも多いの
ですが、厳密に云うと、これはオーストリア系ハプスブルク所領の君主として即位した年に過ぎません。
即ちオーバーエステライヒ女大公、ニーダーエステライヒ女大公、シュタイエルマルク女公、ミラノ女公
ケルンテン女公、ベーメン女王、ハンガリー女王、シュヴァーベンのフェルダーエステライヒ諸女伯・・・
の即位、ということです。(>366フリードリヒ2世陛下の御指摘のとおりっす。)
だからママ女帝の女帝称号取得は、ヴィッテルスバッハ家のカール7世陛下崩御後、1745年、父帝
フランツ1世の皇帝即位時、ということになります。
御存知のように、西欧には、373さんのおっしゃるとおり、ナポレオン戦争以前は皇帝位は、神聖ローマ
帝国皇帝位のみしかありません。その皇帝の配偶者はKaiserinと呼ばれたわけですから、その意味で、
ママ女帝を我が国で「女帝」と言うことは、あながち間違いではありません。しかしママ女帝を「オース
トリア女帝」とするのは、明かな間違いっす。
思うに、通常はKaiserinであっても、ママ女帝以外は君主性に乏しい女性だったので、こちらは、
Kaiserinの称号保持者であっても、帝妃、程度の訳語が相当でしょう。

では、ママ女帝は父帝崩御後 Kaiserin でなくなったのかと云えば、そうではなく、実際は、皇帝
ヨーゼフ兄と共同統治。既に父帝崩御の前年にローマ王に即位していたーゼフ兄のフランクフルトでの
皇帝戴冠式の絵を見れば、ママ女帝は、オンナだてらに神聖ローマ皇帝冠をかぶっていた、とオレは
記憶しています。但し、このオレの記憶は定かではありません。間違いがあれば、御指摘の程を。

ヴェンツェルやオレがageたママ女帝の書簡は、父帝即位の前の話ですから、ママ女帝は自分のことを
ベーメンもしくはハンガリーの「女王」として記載していたわけです。375さんのおっしゃるとおりだ
とすれば、それは父帝フランツとの縁、ヨーゼフ兄との均衡を念頭に置いてたのだと、オレは考えます。
・・・というのは、表向きの話で、実際はママ女帝の権勢欲の証、でしょうね。

ただ、オレの以上のレスは、あくまでドイツ語の上での話であって、正式名称であるラテン語においては、
373さんのおっしゃるとおりかも知れません。
380名無しさん:2001/05/18(金) 13:31
日本語では、「女帝」と「帝妃」を区別します。
381>375:2001/05/18(金) 15:54
この場合のエンプレスは「皇后」だね。
382カウニッツ:2001/05/18(金) 17:53
今日のシェーンブルンは賑やかだ!うむうむ。
383名無しさん:2001/05/18(金) 18:15
要するに、"Empress"には「女帝」と「帝妃」、"Queen"には「女王」と「王妃」、"Duchess"には「女公」と「公妃」のように、2通りの意味があるってことだね。
384世界@名無史さん:2001/05/18(金) 22:19
>>383
でも「皇帝の配偶者」の意味の"Empress"でもいろんな日本語訳があるような?
特にかの有名な”シシィ”ことエリザベート関係の本を読むと様々な訳語が。
「皇后」「皇妃」「帝妃」etc…
もうこうなると訳者&読者の好みって感じなんでしょうね。
(個人的には「皇妃」が好きですが)

>>370
バイエルン公アルブレヒトの妃はクニグンデでは?
彼女はフリードリヒ3世の娘でマクシミリアン1世の妹に当たります。
確か名前は同名の聖女から採ったはず。(あまり見かけないですが)
385ふとっちょマックス:2001/05/19(土) 09:39
>372
有り難いお言葉、感謝、感謝です。
オレ本人も、親愛なるヴェンツェルや皆様のおかげで、楽しくさせていただいてます。
知っていることにはやや偏りや誤りもあるかと思いますが、今後とも是非是非よろしくっす。
                   マクシミリアン・フランツ九拝
386カウニッツ:2001/05/19(土) 15:25
国王に選ばれて間もない日に彼は居並ぶ人々を前にして語った。
「今日、余は余に害を及ぼしたすべての人に、すべての罪を許そうと思う。
余の牢に捕囚されている者は、すべて自由の身としよう。
これまで余は飽くことを知らぬ戦士であったが、今日以降は平和の守護者たることを約束する」
誰の言葉でしょう?
387ふとっちょマックス:2001/05/20(日) 00:15
>384
ひぇぇぇ、バイエルン選帝候アルブレヒト4世妃クニグンデの名まで出ちゃうワケですね。
バイエルンの人以外、ドイツ人でもあまり知らないんじゃないかな。
このクニグンデ妃殿下、実はヴィッテルスバッハ家と我がハプスブルク家とが縁を深める
基礎を作った人と言っても過言ではないっす。
それまでは、かなりいがみ合ってた両家でしたが、この方がヴィッテルスバッハ家に入って
から、皇帝の妹、ということもあり、政治的な発言力も保持しつつ、両家の融和に努められました。
名君アルブレヒト4世の没後も、ヴィッテルスバッハ家の人間として、立派に御子息を育てあげ、
孫の選帝候アルブレヒト5世は、同名の祖父選帝候にならい、ハプスブルク家皇帝フェルディナント
1世陛下の息女をその妃としました。
ママ女帝の継承戦争、ヨーゼフ兄のバイエルン継承戦争など、18世紀には確かに両家は戦を
構えましたが、これは諸外国のあおりを受けてのことだと思うっす。両家の対立の度合いは、
クニグンデ妃殿下の時代の方が、国境の町クフシュタインの攻防などを例として、地域紛争の
程度に留まるものではあったとしても、よっぽど深刻でした。

長兄ヨーゼフも、領土拡張欲もあったでしょうけど、バイエルンと戦う気はなく、バイエルンは
オーストリアと一体となるべきであって、プファルツからバイエルンを守るぞ、みたいな意識だった
んじゃないっすかねぇ。こんな解釈は、もちろん「身びいき解釈」ですけど。
388カウニッツ:2001/05/20(日) 01:56
候→侯
ちょっと気になったので。
389ふとっちょマックス:2001/05/20(日) 11:05
>候→侯
親愛なるヴェンツエル、御指摘されて、「あっ」と・・・以後気を付けます。
恥ずかしいっすぅ。^^;;
ちなみにオレもデブでしたが、バイエルン選帝侯アルブレヒト4世もデブでした。
どうでもいい話しですが、同じふとっちょでも、オレの方が筋肉質デブでしたっす。
ちゃん、ちゃん。
390アマノウヅメ:2001/05/20(日) 15:05
マキシミリアン1世の長女マルガレーテ、まだ出ていないようですね。
マキシミリアンとブルゴーニュ公の跡取のマリアとの間に生まれた
娘です。
兄はフィリップ美公、母も美貌の姫君として高名でしたが、
肖像画で見る限り、マルガレーテは、それほどの美人ではなかったようです。
もっとも、あの時代の人は化粧しなかったせいか、たいていブスにみえるし・・・
ヘンリー8世の3番目の王妃のジェーン・シームアなんてどこがいいんだろう。
6人の王妃の中で1番不細工。
いやア、脱線。
マルガレーテもかなりの美貌であったと史書には書かれています。
最初にカトリック両王の皇太子と結婚し、特に姑のイサベル女王には、
可愛がられたそうです。
夫の皇太子は、マルガレーテを可愛がりすぎて、結婚後半年でなくなりました。
体が弱いのに無理したから。
その数ヵ月後マルガレーテは、忘れ形見を死産して、実家に帰りました。
後1回結婚しましたが、数年で再び未亡人になり、子供もなく又実家へ。
父のマキシミリアンは、フィリップ美公の子供たちの養育と、フランドル
地方の政治を彼女に任せました。
カール5世のおばにあたるわけです。
マルガレーテは政治家として有能で、ハプスブルグ家の最初の女傑です。
フランス王は「あの方がおわす限りは、フランドルには,兵を出さぬ
といったとのことです。
391世界@名無史さん:2001/05/20(日) 17:02
19世紀の前半に、父は皇帝、弟は皇帝、息子は皇帝、自分は何者でもない
って人いたよね。誰だったかな。弟はメキシコ皇帝だったと思うんだけど。
392カウニッツ:2001/05/20(日) 17:15
アマノウヅメさん、あなたのレスでこの板に居る人に
マルガレーテのことを知って頂けるきっかけになったと思います。
どうもありがとう。マルガレーテのことは前にも話題になったと思います。
でも、ほんのさわりだけで、アマノウヅメさんのように略歴を簡潔に
述べてたわけでもなくて、上の様にレスしてもらい感謝しています。
393アマノウヅメ:2001/05/20(日) 17:18
「エリザベート ハプスブルグ家最後の皇女」塚本哲也著
文藝春秋社刊(今は文春文庫に入っているはず)
の巻末に系図があります。
みんなちょっとずつ違うような・・・
探してください。
394アマノウヅメ:2001/05/20(日) 17:22
393は391さんへの返事です。
書き忘れてました。
395カウニッツ:2001/05/20(日) 17:22
>>391さん、その条件を満たす人はハプスブルク家にはいないと思われますが・・・
弟がメキシコ皇帝というのは長兄のフランツ・ヨーゼフ帝しかいませんし。
396カウニッツ:2001/05/20(日) 17:27
アマノウヅメさんもその本をお持ちでしたか!
私も以前持っていたと思ったのですが、今は何処に在るやら・・・
行方不明状態の本です。関係無いのですが、ハンガリー史の本も行方不明です。
397世界@名無史さん:2001/05/20(日) 19:17
>>391さん
私の読んだ本では「弟」のところが「兄」になっていましたが、
こちらならズバリ該当する人物がいらっしゃいます。
それはフランツ・ヨーゼフ帝の父君、フランツ・カール大公です。
父=フランツ1世帝(神聖ローマ皇帝なら2世)、
兄=フェルディナント1世帝、息子=フランツ・ヨーゼフ帝となります。
彼なら時代もちょうど19世紀前半でぴったりです。
本来ならご自身が帝位に就くところを
妻・ソフィーが息子に継がせたんですよね〜。
398397:2001/05/20(日) 20:51
>>397の補足。
フランツ・ヨーゼフの父と言うことは当然、
メキシコ皇帝・マクシミリアンの父でもあるので、
正確には兄息子=フランツ・ヨーゼフ、弟息子=マクシミリアンです。
息子2人が皇帝ってものすごいですね。

ちなみ姉2人は皇后になっています。
長姉・マリー・ルイーズはナポレオンに嫁してフランス皇后、
次姉・レオポルディーネはブラジル皇后です。
ここまで派手な一族で自分だけ皇位についてない人も珍しいのでは?
399391:2001/05/20(日) 21:11
ありがとうございます。よくわかりました。
オーストリアの皇位はフェルディナント1世から
フランツ・ヨーゼフに渡ったわけですね。
フランツ・ヨーゼフはメッテルニヒの独裁を倒した革命で
即位したようなことを読んだ記憶があります。
フランツ・カール大公は運悪く皇位を逃がしたって感じですかね。
400ふとっちょマックス:2001/05/21(月) 18:56
ふとっちょマックスっす。
オーストリア皇帝フェルディナント1世は、ノータリンだったのでしょうか?
そのような話を聞いたことがあるもので。だとすれば、だからこそ、
メッテルニヒ侯は、長期間政権を維持することができたのでしょうか?

フェルディナント1世は、1848年、革命がヴィーンで勃発したとき、
「陛下、一大事にございます。」
「何じゃ?」
「革命でございます。」
「革命って、何じゃ?」
「今まで政権や君主の座にあった者が、武力ないし威力にて政権を追われることでございます。」
「余も皇帝ではなくなるのか?」
「さようでございます。」
するとフェルディナント1世陛下曰く、「そんなこと、やっていいのか?」
「・・・・・・・」

この時メッテルニヒ侯は命からがらヴィーンより脱出し、フェルディナント1世に代わり、
フランツ・ヨーゼフ帝が皇帝となったことは、云うまでもありません。
401ふとっちょマックス:2001/05/21(月) 19:02
もいっちょ、ふとっちょマックスっす。
よく見れば、400番、ゲット!
 フェルディナント、ノータリーン。
 メッテルニヒ侯、 ノーリターン。
ちゃん、ちゃん。

 して、真相たるや、如何に?
402アマノウヅメ:2001/05/21(月) 23:40
他国を以って戦わしめよ!幸いなるオーストリアよ、汝は婚姻せよ!
というスローガン?がありますが、婚姻政策も行き過ぎると
結果がよくないですね。
父方からも母方からもいとこ同士にあたる人たちの結婚を
二重いとこ婚というそうで、戸籍上はいとこでも、実際の
血の濃さは異母兄弟に匹敵するそうです。
事実上近親相姦ですね。
ルイ14世とマリー・テレーズも二重いとこ婚です。
子供が5人生まれたけれど、成人したのは王太子ルイ
だけで、このルイは評判のいい人だったけど40歳そこそこで
なくなっていますね。
やはり、体が弱かったんでしょうか。
大体、いとこ婚を3代続けるとその家系は直系が
いなくなってしまいます。
いとこ婚は、昭和30年代までは、結構世間に
多かったので、いとこ同士で結婚するときは、
血の濃さや遺伝病などのリスクを計算してくれる相談所が
主要国立大学に置かれていました。
現在はなくなっていると思います。
昔、ハプスブルグ家の系図をみながら、血の濃さを
計算してみたことがありますが、愕然とするほどのものでした。
403ふとっちょマックス:2001/05/22(火) 13:15
ふとっちょマックスっす。おちゃらけ書き込み、失礼しましたっす。
>402 アマノウヅメ様
うーん、近親婚の話、興味深く読ませていただきました。
一般に近親婚で産まれる子供は、中庸が少なく、両極端が多い、と聞きます。
フェルディナント1世も、その両極端のうち、やや頭脳の足りない方だったのかも。
交差いとこ婚は戦前の日本のみならず、世界至る所で見られる現象のようです。
ヘレニズム・エジプトのプトレマイオス朝、ハワイ王朝は、高貴な血を守るため、
兄弟婚が行われてましたよね。言わずもがな、奇形や蒲柳の赤子も生まれます。
ハワイではそのような場合、海に流して「始末」していたようです。

>>「大体いとこ婚を3代続けると、その家系は直系がいなくなってしまいます。」
 オレの現世の親族にも、二重いとこ婚の人たちがいますが、一方は女子ふたり、
もう一方は子供無し、です。うーん、当たってますねぇ。でも一方は思春期に
 「おたふくかぜ」を患ってますんで、そちらの影響によるものでしょうけど。

ちなみにママ女帝の才気は、母君、即ちオレの御祖母様がひさびさの北ドイツ出身で、新しい血が
入ったことによるのでしょうか。前にも書きましたが、「ハプスブルグ顎」も、オレの兄や姉たち
のなかに、「・・・気味」 の者はいましたが、下の世代では消えてしまいました。

外交革命後、我がハプスブルク家はブルボン家との縁を強めていきました。姉の中でドイツ系諸侯と
結婚したのは、たった一人、ザクセン・テッシェン公と結婚したミミ姉だけです。あと3人はブルボン家に
嫁ぎました。その後はヴィッテルスバッハ家が、これに代わるわけですが、例えば北ドイツ諸侯との縁組みを
進めていればどうなったでしょうか?
カトリックこりこりのママ女帝が、そのようなことを押し進めるはずもありませんが、御祖母様のことを
考えると、可能性はかなりあったように思います。しかしもしそのようなことが起こっていたら、19世紀の
西ヨーロッパ史は、史実よりさらに混迷したものとなっていたでしょうね。 
404カウニッツ:2001/05/23(水) 01:49
テレーゼ様は御子息・御息女の多くをブルボン一族と婚姻させましたが、
その縁組みの結果は、あまりはかばかしいものではありませんでしたね。
歴史的に見て、ルイ14世以降のブルボン一族は退廃的な要素が多分に
見受けられるようです。
405カウニッツ:2001/05/23(水) 18:41
マクシミリアン・フランツ殿下。
テレーゼ様の子供に対して与える愛情はもの凄く差があったと見受けられましたが…。
特にヨーゼフ様やミミ様にはおやさしく、オーストリア家のお家芸である結婚政策の
駒となれなかった大公女の方々には冷たかったと思われましたが。
406ヽ(´ー`)丿:2001/05/23(水) 19:05
ヽ(´ー`)丿
407ヽ(´ー`)丿:2001/05/23(水) 19:06
ヽ(´ー`)丿
408世界@名無史さん:2001/05/25(金) 11:19
アガリスク
409ふとっちょマックス:2001/05/25(金) 15:50
ふとっちょマックスっす。
>405 親愛なるヴェンツェル
話題をふっていただき、有り難うございます。
ママ女帝の愛情、カトリック信仰は、後世の研究家の方々がどう評価されようとも、
ハプスブルク家、自らの権威の維持に利用していたとオレは思います。
確かにママ女帝の愛情の注ぎ方には、兄弟姉妹間で、かなりの差がありました。
あなたのため、という親の言には、自らの保身や利害が中心的モティベーションと
なっている場合が多いのは、古今東西、変わるところがありません。
ヴェンツェルは外交官でしたから、結婚政策の駒、という視点で見て下さってる
ようですが、実は、男子長兄優先で、美形の娘には愛情深く、ブスには冷たく...が真相。
人間的といえば 人間的ですが、ミミ姉以外の兄弟姉妹に「わがまま」は許されませんでした。
宿命であきらめましたけど、オレも本当は結婚したかったっす。特別女好きでなくて
なかったからよかったものの、駆け落ちでもしてたら、オレはママ女帝の帝国の恥さらしに
なっていたかも。(藁)
長兄ヨーゼフとて、ママ女帝の愛情は認めてましたが、共同統治を初めてまもなく、
平和な面談は5分と持たず、同じシェーンブルン宮殿内に住んでいても、書簡で
やりとりをしていた、というのは、有名な話っす。

身内のなかで一番わがままだったのは、何と云っても「我がママ」っす。
自分のわがままに権威と宗教を使ってコンセンサスをとっていたから、「わがまま」
と評価されなかっただけっす。
つきるところ、わがまま、とは「コンセンサスのとれない自己主張」っす。
410世界@名無史さん:2001/05/26(土) 15:51
「長兄ヨーゼフとて、ママ女帝の愛情は認めてましたが、共同統治を初めてまもなく、
平和な面談は5分と持たず、同じシェーンブルン宮殿内に住んでいても、書簡で
やりとりをしていた、というのは、有名な話っす。」←そうなんですよね〜。
411世界@名無史さん:2001/05/26(土) 16:01
でも、マリア・テレジアにとってヨーゼフはオーストリア継承戦争の
苦しい時期にハプスブルク家にとって約60年振りに誕生した男子だから、
相当愛情を抱いていたでしょうに、書簡でやりとりすることになるとは、
相当心の葛藤があったと思うよ。しかもヨーゼフはテレジアの仇敵フリードリヒに
憧れていたんでしょ。親の心、子知らずだね。
412世界@名無史さん:2001/05/26(土) 16:04
でもヨーゼフにはヨーゼフなりの理想が有ったんでしょう。
彼も結構ストイックな生き方をしてると思うぞ。
413ヴァン・スヴィーテン:2001/05/26(土) 16:06
鬱のことをストイックと言うの?
414関西人:2001/05/26(土) 16:09
難しいとこやね
415世界@名無史さん:2001/05/26(土) 16:11
なんかレスに直ぐレスがついてチャットみたいだ。。。
416世界@名無史さん:2001/05/26(土) 16:15
カール大帝のスレ荒されてるぞ!
417世界@名無史さん:2001/05/26(土) 16:18
大帝が来ないからそうなるんだね。あそこって誰か書いてたけど、
イタいスレと化してる。特に最近。
418あの〜:2001/05/26(土) 16:34
マリア・テレジアは十六人も子供産んだんでしょ。その内男の子は何人ですか?
419世界@名無史さん:2001/05/26(土) 16:50
この板見てて、ヨーゼフ二世とレオポルト二世とマクシミリアン・フランツは
分かりました。あとは?
420たぶん:2001/05/26(土) 16:56
泰造、健、潤だったと。
421ざけんなゴルァ!:2001/05/26(土) 16:58
マジ教えて。
422世界@名無史さん:2001/05/26(土) 17:24
ふとっちょマックス様、カウニッツ様、教えて下され。
423ふとっちょマックス:2001/05/26(土) 20:04
ふとっちょマックスっす。
お呼びになられたっすかぁ? ぬぉっ、ちょっと見ない間にずいぶんレスが進んでるなぁ。
ママ女帝の息子、全部で4人っす。娘は6人。あ、これはもちろん成人した兄弟姉妹
だけっす。えーと、泰造、健、潤、と、あとは...アキラっす。うっそぴょーんっ。
長兄ヨーゼフ2世、次兄レオポルト2世、オレ、ふとっちょマックスことマクシミリアン・フランツ
と、オレの一番仲の良かった、フェルディナント兄っす。御質問をされた方、レスNo.252をごらんあれ。
イタリア・フェラーラのエステ家に婿に行ったから影が薄いのかなぁ...
424世界@名無史さん:2001/05/27(日) 19:56
緊急浮上モナー!
425世界@名無史さん:2001/05/28(月) 18:29
突然ですが、あんなに賢い母を持ちながらどうして、マリーアントワネットは
あんなに軽薄だったのでしょうか?
ハプスブルグ家の家系図何回観ても覚えられない。
426カール五世:2001/05/30(水) 20:17
”disimular"
どなたかわかる人いる?
427カウニッツ:2001/05/30(水) 21:03
皆さん、お久しぶりです。早速。
>>386の答えは、ルドルフ1世。
>>426さん、「感情の隠蔽」ってところじゃないでしょうか。
これは、カール5世−フェリペ2世に顕著ですね。
428カウニッツ:2001/05/30(水) 21:17
>>425さん、
それは多分マリア・テレジアの教育に問題があったからでしょう。
テレーゼ様は子供(特に女子)の教育の中で、
音楽(オペラの練習やダンスなど)に時間を割きすぎて、
実質的な学問に当てる時間を鑑みなかったからでしょう。
そして、特にアントワネット様は1歳のときに、
後のルイ16世との将来の結婚が決まり、
とりまきの人間のおべっかや称賛、
こころよい言葉の中でしか生活できなかったことも大きかったと思います。
429世界@名無史さん:2001/05/30(水) 23:32
たしかレオポルト2世の娘マリー・ルイーズの旦那がナポレオンT世ですよね!>ふとっちょマックスさん。 
430カウニッツ:2001/05/30(水) 23:41
私が答えても良いものか・・・
ナポレオン1世の妃のマリー・ルイーズは、フランツ1世の娘です。
フランツ1世の父がレオポルト2世です。
431ふとっちょマックス:2001/05/31(木) 00:09
親愛なるヴェンツェルに加え、ナポレオン1世妃マリア・ルイザについてひとこと。
ヴェンツェルの仰るように、レオポルト2世はマリア・ルイザの御祖父様。
マリア・ルイザは、ヴィーン会議後、パルマ女大公になりました。
ママ女帝の教育については、また稿を改めますね。
432子供の数は:2001/05/31(木) 03:02
ルドルフ1世は11人、アルプレヒト1世は13人、
フェルディナント1世は15人、マクシミリアン2世は16人、
内オーストリアのカール大公は15人、マリア・テレジアは16人、
レオポルト2世は16人、従兄弟フランツ・サルヴァトールと
結婚したフランツ・ヨーゼフ帝の息女マリア・ヴァレリー大公女は
10人、最後の皇帝カール1世は8人でした。
433カウニッツ:2001/05/31(木) 03:24
レオポルト2世は実に多くの面で並外れた能力を示しましたが、
彼の息子たちの中で最も傑出したカールとヨーハンの他でも、
優れた人々がいく人かみられます。例えば次男のトスカナ大公の
フェルディナントであり、彼はナポレオン時代の混乱のために
ごく短期間、まずはザルツブルクで、後にはヴュルツブルクで
治世を行ってのちトスカナに戻ってきました。それから十年に
近い歳月のあいだ父の啓蒙主義的原則にのっとって君臨し、
跡取り息子をこの原則に従って教育することができました。
ライナー大公もレオポルト2世の優れた息子の一人です。
ロンバルディア・ヴェネツィア王国の副王であった彼は
ウィーンの中央官庁によって引かれた境界の範囲内で、
三十年にわたり兄たちと同じような実り豊かな活動を展開しました。
434カウニッツ:2001/05/31(木) 03:36
ふとっちょマックス殿下。
私は敢えて「ヴィーン」のことを「ウィーン」と書いていますが、
「トスカナ」は「トスカーナ」と書いた方が良いのでしょうか?
「レーオポルト」→「レオポルト」、「ルードルフ」→「ルードルフ」、
「フェリーペ」→「フェリペ」、「ハープスブルク」→「ハプスブルク」などは、
前者の方が原語発音に近いとは知りつつも、慣れ親しんだ後者で統一しています。
435カウニッツ:2001/05/31(木) 03:39
>「ルードルフ」→「ルードルフ」×
「ルードルフ」→「ルドルフ」○
436ふとっちょマックス:2001/05/31(木) 14:38
>433〜435
親愛なるヴェンツェル
うわっ、レオポルト兄の息子達のことにもお詳しいんですね。
オレがボンでヴァルトシュタイン伯と共に才能を見いだし、ヴィーンに送ったベートーヴェン。
そのベートーヴェンと親交のあったルドルフ大公も、レオポルト兄の息子でしたっけ。
立場上は、オレと似たような位置で、末っ子の男子として聖職についたと思います。
確か「荘厳ミサ」は、そのルドルフ大公に献呈されたはず...因縁の糸を感じます。

そして、人名や地名の片仮名表記の話。
現世はお互い日本人に生まれたわけですから、気取った言語発音表記はやめましょうぜ。
例えばドイツ人が発音する「ルドルフ」は、どう聞いても最初は「うーどぅふ」「湯豆腐?」
にしか、聞こえませんでしたもん。慣れ親しんだ表記が一番。
学生時代、英米系の学問分野の先生が、カリフォルニアを「キャリフォーニヤ」と講義でも
発音し、その先生の著書でも「キャリフォーニヤ」を発見して、笑いが止まらなかった覚え
があります。しかし、ヴィーンに限っては、オレはヴィーンと書いちゃいますねぇ。(笑)
437カウニッツ:2001/05/31(木) 17:55
>現世はお互い日本人に生まれたわけですから、気取った言語発音表記はやめましょうぜ。
例えばドイツ人が発音する「ルドルフ」は、どう聞いても最初は「うーどぅふ」「湯豆腐?」
にしか、聞こえませんでしたもん。慣れ親しんだ表記が一番。

そうですね。そうさせて頂きます。
438世界@名無史さん:2001/05/31(木) 18:39
age!!
439フリードリヒ大王:2001/06/02(土) 16:29
「今のハプスブルク家では、稀にみる男性が統治している。
ところがこの男性というのが、女性なのだ。」
だったかな、カウニッツ伯。
440世界@名無史さん:2001/06/02(土) 16:39
>>428
ダンスやピアノの演奏、声楽などをやらせすぎたのかな。
マリー・アントワネットなどはフランス語を真面目に学ばなかったと聞くが?
441ふとっちょマックスさんへ:2001/06/02(土) 16:48
「お前は神を敬う心が足りないのだよ。もっとよきキリスト教徒になるように心がけなさい。
もしも何か宗教上のことで疑問をもったら、必ず聴罪師に相談するのですよ。」
by ママ女帝
442ふとっちょマックスさんへ:2001/06/02(土) 16:52
「お前は聖職者になるのですからね。特に女性には気をつけなさい。
決して女性と二人だけでいてはいけない。しかし女性を馬鹿にしてはいけないよ。
丁重に、おだやかに扱うのですよ。」
by ママ女帝
443世界@名無史さん:2001/06/03(日) 21:56
age!
444ふとっちょマックス:2001/06/05(火) 19:24
ふとっちょマックスっす。
>441&442
よきキリスト教徒になって、女性に気をつけて! か。 がははは。
マザコンのホモ坊やになりそう...オレ、デブ専ごのみの体型っすよ。(爆)
少なくとも宗教選定侯として、妾も囲わず、領地内に先代選定侯が基礎を
築かれたボン、ミュンスターの各大学を維持発展させ、ベートーヴェンを世に出し...
自分としては、まぁまぁの線、イっていたと思うっす。

ママ女帝の教条的な抑圧と権勢維持は、自分もこれだけ苦労し我慢しているんだ、
ということをまわりに見せつけ、共感を得ることによるところが大きく、実に効果的
であった反面、オレたち兄弟姉妹はダシにされた格好でした。
選定侯として赴任後も何かと抑圧は大きく、だから食い気に走ったんじゃないか、と
思うっす。今風に云えば、ストレス性の摂食障害、「ブリミア」ですね。
445カウニッツ:2001/06/06(水) 23:49
シェーンブルンは今日も閑古鳥が鳴いていますね。
私は朝までにはまた現れますので、皆さんドシドシお越し下され。
446カール=ゴッチ塾長 :2001/06/07(木) 16:56
わしが、独逸塾塾長カール=ゴッチであーる!!
皆のもの頭が高ーい!!!ひかえおろーう!!!!
447世界@名無史さん:2001/06/08(金) 00:07
うへーーー。
448ふとっちょマックス:2001/06/08(金) 01:24
>446
カール=ゴッチ塾長?
ブルシエンシャフトの番長?
449カウニッツ:2001/06/08(金) 01:40
マックス殿下、女帝陛下の御子息で一番長生きしたのはどなたでしたっけ?
450カウニッツ:2001/06/08(金) 01:43
大公女様も含めます。長生きと言っても歳ではなく没年です。
451ふとっちょマックス:2001/06/08(金) 21:15
ふとっちょマックスっす。
>449&450
親愛なるヴェンツェル
 お答え申し上げましょう。それは、ブルボン家ナポリ王国に嫁いだマリア・カロリーネ姉です。
 没年、享年、ともに我々兄弟姉妹の中でもっとも長生きでした。没年は1814年。享年62。
 18人も子供を産んで、凡庸な夫フェルナンドによく仕え、ナポレオン1世に抵抗し...
 姉の中では一番の女傑でしょうね。ママ女帝と似てます。60代まで生き長らえたのは彼女だけっす。
 ミミ姉ことマリア・クリスティーネ姉と同じ愛称を持つ姪御ミミ、即ちマリア・クリスティーナ・
 テレジアは、サルディニア王家カルロ・フェデリゴに嫁ぎ、サルディニア王妃となりました。
452カウニッツ:2001/06/09(土) 03:07
どうもです。
453世界@名無史さん:2001/06/09(土) 20:26
上に参りまーす!
454ふとっちょマックス:2001/06/11(月) 22:24
ふとっちょマックスっす。
マリア・カロリーネ姉について、ちょっとひとこと。
ナポリ王妃となった、マリア・カロリーネ姉の、姪御ミミを含め18人の子供、
即ちオレの甥、姪たちですが、成人したのは7人。男が2人、女が5人。生き残った中で
云いますと、長男フランチェスコはナポリ王位を継承し、次男レオポルドはサレルノ公を襲名。
次男レオポルトは、オレの次兄レオポルトと違い、子宝に恵まれませんでした。サレルノ公は一代限り。
一方姪御たちはきらびやかですねぇ。
ママ女帝と同じ名前の長女マリア・テレジアは、レオポルト兄の長男フランツと結婚。オーストリア皇帝妃となり、
次女マリア・ルドヴィカは、レオポルド兄の次男トスカナ大公フェルディナントと結婚。トスカナ大公妃。
要するにこの二人はハプスブルク家に戻ってきたわけです。
三女マリア・アントニアはスペイン王妃となるも、20才で夭折。
そして四女がミミことマリア・クリスティーナ・テレジア。サルディニア王妃。
五女マリア・アマーリアは、オルレアン公ルイ・フィリップと結婚。フランス王妃となりました。
あとで革命起きちゃいましたけど...

甥御、姪御たちを見ても、オレたちママ女帝の息子や娘たちと何となく似てるでしょ。
但し、マリア・カロリーネ姉の子供たちは、ハプスブルク家ではなく、ブルボン家であることを
お忘れ無きように。

455カウニッツ:2001/06/11(月) 23:28
ふとっちょマックス殿下の説明は分かり易いですな!
理解に役立ちます。
456ふとっちょマックス:2001/06/14(木) 00:40
>455 親愛なるヴェンツェル、有り難いお言葉です。
さて、マリア・カロリーネ姉について、さらに一言。
ナポリ王妃であったマリア・カロリーネ姉も最後のケルン大司教であったオレも、
ナポレオン一世の軍に追われ、生まれ育ったヴィーンに引き揚げて来ました。
オレが引き揚げてきた時期は、マリア・カロリーネ姉が、まだナポリやシチリアでレジスタンスに
孤軍奮闘していた時期でしたけど。でも一度ヴィーンにおちびちゃんたちを連れて里帰りしてた
マリア・カロリーネ姉に会いましたねぇ。後のフランス王妃、マリア・アマーリア、もとへ、マリー・
アメリーにも会ってます。最初で最後でした。

ところでナポレオン一世への配慮を優先させた甥フランツ1世帝(ハプスブルク家としてはフランツ2世)
は、シェーンブルン宮殿やホフブルク宮殿へのオレたち引き揚げ組叔父叔母の居住をよしとせず、その結果、
オレとマリア・カロリーネ姉は、ヴィーンに隣接するヘッツェンドルフの離宮で、時を違えて奇しくも
同じ場所で、人生の最後の時を過ごすことになりました。
この離宮は、御祖母様エリザベート・クリスティーネ皇后が、避暑用離宮として建てたものです。
オレも現世でヘッツェンドルフ宮に行ってみたっすけど、今は紛れもなく、ヴィーン市内。しかも、市立の
服飾専門学校になってたというから驚き。ボン大学、ミュンスター大学、ヴィーン市立服飾専門学校、ともに
オレが住んだり滞在したりした宮殿建造物が、今や学校になってるんですからねぇ。感無量でした。
457世界@名無史さん:2001/06/14(木) 13:25
antoinette 我が女王
458世界@名無史さん:2001/06/14(木) 21:30
age!
459世界@名無史さん:2001/06/16(土) 02:01
>>457
???
460世界@名無史さん:2001/06/16(土) 15:44
アントワネットは女王ではなく「王妃」。
461カウニッツ:2001/06/16(土) 16:37
今夜こそは…
462カウニッツ:2001/06/17(日) 02:42
ハプスブルク最後の皇帝カール1世について。
彼は1921年の春と秋の二度にわたって、評議会革命の鎮圧後ふたたび王政となった
ハンガリーの君主になろうと試みた。しかし二度目の試みの後、彼はマデイラ島に流され
そこで翌年の春1922年4月1日、生涯を終えた。
フンチャルの町と港をはるかに見下ろし、すばらしい南国の植物の繁茂する山の上に
巡礼者たちの訪れる小さな教会「山の聖母教会」がある。そこの高みからは、はるか彼方へ
茫洋として拡がる世界の海が見渡させる。かつてオーストリア家が最高の勢威を
誇っていた時代にその海の東西両岸ともがハプスブルクの支配下にあったのである。
いまその教会の脇の礼拝堂に金属でできた一つの簡素な棺が置かれている。
その棺にはただ一つの装飾として茨の冠の絵が描かれ、「汝の意志の遂げられんことを」
FIAT VOLUNTAS TUA の碑文が刻まれている。この茨の冠が描かれた
烙印の下に、ハプスブルク家最後の君主は永眠している。
463世界@名無史さん:2001/06/18(月) 00:39
スペイン・ハプスブルク朝−−−エスコリアル宮殿
オーストリア・ハプスブルク朝−−−シェーンブルン宮殿
ブルボン朝−−−ヴェルサイユ宮殿
464世界@名無史さん:2001/06/19(火) 00:22
アガリスク
465ハプスブルク・センター試験:2001/06/20(水) 03:39
そのうちやりますです。。。
466ふとっちょマックス:2001/06/20(水) 23:13
わっ、ageとくっす。
467465:2001/06/21(木) 02:06
【ハプスブルク・センター試験】
日時:2001年6月24日午前0時頃発表
問題形式:単語問題8題、論述2題
解答:2001年6月24日午前7時頃掲載(論述は除く)
採点・順位発表:レスした人のみ、即日。
468カウニッツ:2001/06/21(木) 02:09
スレ(広い意味で板)の活性化の為にご協力をお願いします。
469世界@名無史さん:2001/06/21(木) 17:56
age
470世界@名無史さん:2001/06/21(木) 19:43
アガリスク
471世界@名無史さん:2001/06/23(土) 01:20
アガリクス
472世界@名無史さん:2001/06/23(土) 08:13
>>470-471
どっちもいっしょ
473いよいよ今夜:2001/06/23(土) 15:19
期待age
474ハプスブルク・センター試験:2001/06/23(土) 23:53
(単語問題)
Q1:カール5世はフランドルのどこの町で生まれたか?
Q2:スペイン系ハプスブルク家最後の国王は?
Q3:オーストリア帝国がオーストリア=ハンガリー二重帝国と称することになった年は?
Q4:最後の皇帝カール1世の次男の名前は?
Q5:フランスとスペインの間で1659年に結ばれた条約の名は?
Q6:ウィーン会議時のオーストリアの宮内大臣の名は?
Q7:アスペルンの戦いでナポレオンを破った大公の名は?
Q8:ハプスブルク家の祖先で確実にさかのぼれる人物の名前は?
(論述問題)
Q9:スペイン系ハプスブルク家はなぜ断絶してしまったのでしょうか?
Q10:「A.E.I.O.U.」の意味は?
475フリードリヒ5世:2001/06/24(日) 04:33
Q1:ゲント
Q2:カルロス2世(遺言で「スペイン分割は許さず」と言ったとか)
Q3:1867年(大政奉還と同じ年だったんですねぇ)
Q4:アーデルハイト
Q5:ピレネー条約
Q6: (わかりませんでした、難問!)
Q7:カール=ルートヴィヒ=ヨーハン(愚兄賢弟でしょう)
Q8:グントラム
Q9:直接の原因としては、カルロス2世に男子が生まれなかったため。
   遠因としては、近親婚の繰り返しによりカルロス2世が虚弱児として
   誕生してしまったため。
Q10:「オーストリアは世界の国土を支配する。」
476フリードリヒ5世:2001/06/24(日) 13:01
何じゃ、儂以外誰も受験しとらんのか?
余こそは、ハプスブルク家で唯一人、ローマで戴冠式をageた皇帝。
というよりも、「中世最後の騎士」マクシミリアン1世の父
フリードリヒ5世(皇帝としては3世)じゃ。

もしかして、採点結果の発表もないのか?
それでは大学入試の参考書精読とネット検索に費やした
余の貴重なる時間は無駄になったかのう?
477ハプスブルク・センター試験解答例:2001/06/25(月) 02:10
Ans.
Q1:ガン
Q2:カルロス2世
Q3:1867年
Q4:ロベルト
Q5:ピレネー条約
Q6:トラオトマンスドルフ侯
Q7:カール大公
Q8:グントラム伯
Q9:度重なる近親結婚のため
Q10:地上のすべてはオーストリアに従属する
478フリードリヒ3世さんの結果:2001/06/25(月) 02:22
ガン=ゲント。アーデルハイトは夭逝(三男の名がロベルト)。
従って90点!
479世界@名無史さん:2001/06/25(月) 13:37
アガリクス
480世界@名無史さん:2001/06/25(月) 23:51
age
481世界@名無史さん:2001/06/26(火) 15:09
age
482フリードリヒ5世:2001/06/26(火) 23:51
>>478
と、言うことはQ6しか間違っていないということじゃな。
「トラオトマンスドルフ侯」とは、かなり専門的な書物にしか
載ってないとみたが如何かな?
余ももういっぺん現世で勉強する必要があるようじゃな。
483カウニッツ:2001/06/27(水) 00:44
フリードリヒ5世さんの言う通り、間違いはQ6だけです。
90点なら立派なものですよ。
484トラオトマンスドルフ:2001/06/27(水) 03:09
呼んだ?
485世界@名無史さん:2001/06/27(水) 07:18
呼んどらん!
486世界@名無史さん:2001/06/27(水) 07:50
age
487カウニッツ:2001/06/29(金) 00:46
>>478の訂正。
アーデルハイトは女の子でした。従って、ロベルトが次男です。
と言うことでフリードリヒ5世さんはQ4も間違いでした。
つまり80点。でも立派なものですよ!
カール1世の子は五男三女と聞いていたのでおかしいなと思い、
ハプスブルク・ロートリンゲン家の家系図を見直したら……。
「アーデルハイト」って男の名前にも聞こえますよね。
488ハールーン・アッラシード:2001/06/30(土) 00:27
そういえば、神聖ローマ帝国の初代のオットー大帝の妃も「アーデルハイト」という名前でしたね。
489神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世:2001/06/30(土) 16:27
そうであったか。
490世界@名無史さん:2001/06/30(土) 17:18
アーデルハイトの名を持つ人物で日本で一番有名なのは
「アルプスの少女ハイジ」だと思う。
491アマノウヅメ:2001/06/30(土) 22:36
>>488
恐れながら、『アルプスの少女ハイジ』の本名も「アーデルハイト」で
ございます。
492カウニッツ:2001/07/02(月) 00:56
そうだったんですか〜
493ロッテンマイヤー:2001/07/02(月) 01:34
>>490 と >>491  の内容はどう違うの?
494ドイツにん:2001/07/02(月) 02:24
やはり憎っくき伯父アルプレヒト1世を暗殺したヨハンでしょう。
彼はシラーの戯曲「ヴィルヘルム・テル」にも暗殺者のシュヴァ
ーベン公としても登場し、主人公テルに罪の重さを諭されるシーン
もでてくる。
ちなみにわが国ではハプスブルク家は人気あるのにその前のバーベン
ベルク家があまり知れれていないのはなぜだろう。
495カウニッツ:2001/07/02(月) 02:33
私もバーベンベルク家のことは軽く知っている程度なんです。
結構名門の家系なんですけどね。
496ドイツにん:2001/07/02(月) 12:38
>>495
この王朝にもぶっとんだ人が結構居て、ハインリヒ2世ヤソミルゴットなんて
人の綽名はちなみに「神よ、あわれみたまえ」だって。死ぬときそういって死
んでいったのかなぁ。
497世界@名無史さん:2001/07/02(月) 16:48
>>496
>この王朝にも…
王朝ではないと思ふ。
498ドイツにん:2001/07/02(月) 17:55
>>497
すいません。この時は王号を有していなかったから正しくはオーストリ
ア公爵家です。(その前は辺境伯家)
499カウニッツ:2001/07/03(火) 17:31
マクシミリアン・フランツ殿下
マリア・テレジア女帝が好んで使った「女帝にして女王」と言う称号は、
ドイツ語(ラテン語?)ではなんと発音するのでしょうか?
500世界@名無史さん:2001/07/04(水) 00:00
>>487
遅レスですまぬが、Q5も間違いだったとは。
「アーデルハイト」が女性の名前だとは全く知らなかった。
しかし、このスレの重鎮であるカウニッツ殿に褒めていだだけるとは、
光栄の至りですじゃ。

しかもカウニッツ殿だけでなく、>>488->>491 のように次々と
学識ある方々のレスが入ってくる。

まさに良スレ、ですな。
501フリードリヒ5世:2001/07/04(水) 00:03
↑のレスは、余が書いたものですじゃ。
少々恥ずかしいのう。
502カウニッツ:2001/07/04(水) 00:03
>>500さん、ちょくちょく来て下され。お待ちしていますぞ!
503カウニッツ:2001/07/04(水) 00:05
フリードリヒ5世さんでしたか。これはどうもです。
504カウニッツ:2001/07/04(水) 01:47
おやすみなさい。
505世界@名無史さん:2001/07/04(水) 17:40
カウニッツ殿、良い夢を見られたかな?
今宵もお待ちしておるぞ!
506ふとっちょマックス:2001/07/05(木) 21:25
ふとっちょマックスっす。お久しぶりっす。
難問の出題が多く、先祖や子孫についての無知をさらけだすのも気が引けちまって...
しかし親愛なるヴェンツェルからお呼びがかかれば、シカトを決め込むわけにも
いかないっす。
>499 親愛なるヴェンツェル
 ママ女帝の称号について、ヴェンツェルが仰言っているのは、マリア・テレジア金貨
 の表面に刻印されているものをいうのでしょうか?
 即ちラテン語では
 MARIA THERESIA DEI GRATIA ROMANORUM IMPERATRIX HUNGARIAE BOHEMIAE REGINA
 マリア・テレジア・デイ・グラティア・ロマノールム・インペラトリックス・ウンガリエ
 ボエミエ・レギーナ
 これがドイツ語では
Maria Theresia von Gottes Gnaden,roemische Kaiserin, Koenigin von Ungarn
und Boehmen (ウムラウトが入力できない...)
 (マリア・テレジア・フォン・ゴッテス・グナーデン・レーミッシェ・カイザリン・
 ケーニギン・フォン・ウンガルン・ウント・ベーメン)
 神の慈悲による神聖ローマ女帝、ハンガリー・ボヘミア女王たるマリア・テレジア、
 ということになりますね。
 もちろんオレたち兄弟姉妹は、公式行事や廷臣の方々の前ならいざ知らず、家族の間で
 そのようないい方をすることはありませんでした。だいいち、長ったらしい。寿毛無
 寿毛無みたい。単に「おかあさま(Mutter)」で終わり。父帝といるときは、時々
 フランス語式にママン、と云っておりました。
 Muetteriche Majestaet(ママ女帝陛下)という云い方もありますが、当時そのような
 呼びかけがママ女帝に対しなされていたとは思えませんなぁ。廷臣の皆様方は、
 「Eure Majestaet(陛下)」とお呼びだったでしょう。
 御質問の趣旨と、ちょっと違ったかな?
507ふとっちょマックス:2001/07/05(木) 21:41
もいっちょ、ふとっちょマックスっす。
実はこのスレを御覧の皆様に無知のお詫びをしなければなりません。
長兄ヨーゼフ2世帝の死因ですが、いつぞや「膵臓ガンではなかったか」
と申し上げましたが、文献その他後世の研究によると、「肺ガン」ないし
「肺結核」だそうです。「肺ガン」であれば、膵臓への転移も考えられな
くもありませんが、1788年頃よりヨーゼフ兄は、胸部の異常を訴えて
おったようです。没年は、御存知、1790年。
以上、謹んで御訂正申し上げます。
508カウニッツ:2001/07/06(金) 01:01
レオポルト2世陛下も「肺疾患」で亡くなりましたね。
509フリードリヒ2世:2001/07/06(金) 01:36
>506
久し振りに来てみればマクシミリアン・フランツ公は
相変わらずの博学だな。
マリア・テレジア金貨とはDUKATか
SOUVERAIN D'ORだろう。
銀貨ではTHALERだな。
小さな貨幣にラテン語で長い称号を刻印するのは
大変だから省略語が多くなるのも当然だ。
私の金貨FRIEDRICHSD'ORには
これだけだぞ、
FRIDERICUS BORUSSORUM REX.
510世界@名無史さん:2001/07/06(金) 23:38
ためになるねage。
511世界@名無史さん:2001/07/06(金) 23:44
メキシコ皇帝マキシミリアン
512世界@名無史さん:2001/07/07(土) 00:09
な〜、頼むから、「マキシミリアン」じゃなくて「マクシミリアン」と言ってくれ!
513世界@名無史さん:2001/07/08(日) 18:16
メキシコ皇帝マクシミリアン。フランツ・ヨーゼフの弟。
514Super Age 職人:2001/07/09(月) 00:57
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑age↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
515カウニッツ:2001/07/09(月) 03:23
1525年2月、フランソワ1世がパヴィアの戦いでカール5世に敗れ、
捕虜としてマドリードに幽閉されるという事件が守旧勢力に口実を与えた。
ソルボンヌの神学者たちは、王が異端思想に甘かったからこそこんな目にあったのだと、
天罰説までもち出して革新思想弾圧に本腰を入れはじめたのである。
モーのグループは瓦解し、ルフェーブルはシュトラスブルクに亡命した。
516カウニッツ:2001/07/09(月) 06:20
フェルディナント1世:
1521年〜 オーストリア大公
1526年〜 ベーメン・ハンガリー王
1531年〜 ローマ王
1556年〜 神聖ローマ皇帝
517イエス・キリスト:2001/07/10(火) 02:41
この宮廷に祝福を!
518世界@名無史さん:2001/07/10(火) 03:04
>>516
あり?
1556年までカール5世が神聖ローマ皇帝だったよね。
王と皇帝って別人がなりえたのかな?
それとも共同統治の王冠?

初歩的な疑問でスマソ。
519カウニッツ:2001/07/10(火) 12:47
ローマ王とは皇帝崩御の際に皇帝の座に着く者、つまり次期皇帝と言う意味です。
従って、王と皇帝は共同統治とは言えません。そして別人です。
ハプスブルク家のマクシミリアン1世の勅令が出るまでは、
選帝侯によって選ばれただけでは皇帝とは言えず、ローマ王またはドイツ国王と言いました。
ローマ王(ドイツ国王)になるだけでも実質的には皇帝と変わりませんが、
ローマ(後、アーヘン)での教皇による戴冠によって文字通り「神聖」が与えられると思われただけです。
ローマ王の制度を利用して、ハプスブルク家は帝冠を自家に確保することに成功しました。
520カウニッツ:2001/07/10(火) 12:50
戴冠式がアーヘンで行われるようになり、教皇は戴冠式に出席しなくなりました。
521518:2001/07/10(火) 14:04
いや、そうでなくてふつう神聖ローマ皇帝って
ドイツ王(?ローマ王)が兼ねて戴冠するもんだと理解してたので
1531-1556の間のローマ王位はカールとフェルディナントの二人が
同時についていたのかな?と思ったんですけども。
>>519のご教示によればそれは誤解で、
カール5世が神聖ローマ皇帝に戴冠(1531年でしたっけか?)したと同時に
ローマ王としての資格を弟に譲ったってことなのね。
522名無しさん:2001/07/10(火) 14:44
フェルディナント1世以後は、ドイツ王への即位が自動的に皇帝への即位とみなされるようになった。
523カウニッツ:2001/07/11(水) 00:44
1530年のボローニャにおける戴冠式を経ずとも1519年の時点で、
カール5世は皇帝です。ですから、1531年にフェルディナント1世が
ローマ王になったのは、兄から譲られたとか、弟に譲ったと言う話では無いのです。
むしろ、ハプスブルク勢力が1530年前後にどうゆう立場であったのかが、
重要なのであって、新教諸侯のシュマルカルデン同盟などに対処すべく、
ドイツ国内にフェルディナントと言う代理を置いたと考えて下さい。
カール5世の立場は神聖ローマ皇帝だけでは無いのですから。
524世界@名無史さん:2001/07/12(木) 00:19
age
525デシデリウス・エラスムス:2001/07/12(木) 15:49
カール陛下、「寛容の精神」を持ち続けて下さい。
526世界の@名無史さん:2001/07/13(金) 11:36
やっぱりマリア・テレジアだよなぁ!ワシはマリア・テレジアと同じ誕生日なんだよ!
527ってことは、:2001/07/13(金) 13:48
五月十三日が誕生日なんだ?
528ヤン:2001/07/14(土) 02:58
フェルディナント2世が旧教に染まりすぎなバカ殿って感じが好き。ところでこの2世と、同名の3世について詳しく書かれている本って知りません?
529世界@名無史さん:2001/07/15(日) 20:36
まったく関係なかったら、ごめんなさい。
でも、ハイデンベルクの城について教えてちょ。
ドイツの田園地方のお城って、いいわ〜!
530世界@名無史さん:2001/07/16(月) 13:11
 スレ違いかもしれませんが、どなたか教えてください。
たしかカール6世が家訓を変えて男子がいない場合、女子でも家督を相続できるようになり、
娘のマリア・テレジアがハプスブルグ家を相続したはずですが、この家訓は廃止されたのでしょうか?
帝国の末期にルドルフ皇太子の死後、フランツ・ヨーゼフは甥を皇太子にしていますが、
彼にはルドルフのほかに娘が二人存命してるので、カール6世の家訓に従えば、この娘達が相続人だと思うのですが。
この頃までには、家訓が廃止されていたのでしょうか?
531ふとっちょマックス:2001/07/17(火) 23:06
わわわっ、というところで登場のふとっちょマックスっす。
デブには、近頃の猛暑は、本当にこたえるっす。夏ばてでぐったりして御無沙汰でした。
ところで、するどい御質問をなさる方もおられるもんですねぇ。
>530さん
 これはあくまでオレ、ふとっちょマックスの見解ですが、ハプスブルク家のおける女子の
 家督相続を可能とした国際合意、即ちプラグマティッシェ・ザンクツィオーンは、ママ女帝
 マリアテレジアの時代には、ママ女帝によるハプスブルク家領相続の保全に大きな機能を奏
 しましたが、これはあくまで当時の国際関係が、国民国家ではなく、王朝国家であったために
 機能したまでのこと。要するに、欧州諸国が王朝国家ではなく中央集権的な国民国家へと変
 貌を遂げたナポレオン戦争以降は、全く無意味化しておりました。何故でしょう?
 それは、国際政治も国民意識や民族主義の先鋭化の影響を受け、自国民の総意による君主を戴く、
 という意識に 逆らえなくなったことと、同君連合のような形で国際間の均衡を損なうような
 ことは回避しようという方向で各国が一致していたことによるものとオレは考えます。
 フランツ・ヨーゼフ帝の二人のお嬢さんたちは、一人はバイエルン王国の摂政家、もう一人は
 イタリアのトスカナ大公家に嫁いでましたよね。この二人のお嬢さんのいずれかがオーストリア
 の女帝となったら、どうなったでしょう? イタリアの人々にとっては、統一間もない
 内にその心臓部を無理矢理オーストリアに併合されるも同然となります。バイエルン王国とオースト
 リアハンガリー帝国とが一緒になるようなことにでもなれば、バイエルンは統一ドイツより脱退した
 可能性もあり、欧州情勢はさらに混沌としたものになっていたかもしれません。

 プラグマティッシェ・ザンクツイオーンが廃止されたという話はオレも聞いておりません。
 19世紀後半のハプスブルク家女大公の立太子は、フランツ・ヨーゼフ帝にルドルフという息子
 さんがおらず、加えてお二人のお嬢さんが未婚であった場合、考慮された可能性はあるでしょう。
 しかし現実の状況は、さにあらず。甥フェルディナント大公の立太子は、現実の状況下で、もっと
 も国際的な均衡を損なわない選択だったと思われます。
 
532ロイヤル・プリテンダー:2001/07/17(火) 23:40
マクシミリアン大公殿下
(ふとっちょマックス様とお呼びした方が宜しいのでしょうか?)

プラグマティッシェ・ザンクツィオーンについてですが
私は、あくまでもカール6世の相続に限って特殊なもので
貴方様の母君以降は男系男子の相続となるという説を読んだ覚えがあります。

フランツ・ヨーゼフ帝の相続人ですが、ルドルフ皇太子には遺児のエリザベートが
いましたので、女子の立太子が可能でしたら彼女が皇太孫となったはずです。
また、次女ギーゼラの夫君はバイエルン摂政の次男ですし、
三女マリア・ヴァレリーの夫君もトスカーナ大公家の傍系で
同君連合の可能性は薄いように思います(勿論、可能性はありますが)。
素直に相続順位(ルドルフ皇太子→カール・ルートヴィヒ大公→
フランツ・フェルディナント大公→カール1世)を見ますと
男系男子なのではと思うのですが、いかがでしょうか?
533530:2001/07/18(水) 01:05
 ふとっちょマックス様、ロイヤル・プリテンダー様 ありがとうございます。
私は神聖ローマ帝国からオーストリア帝国になったときに、廃止された可能性も
あるかな〜、と考えてましたがそういう記述も見つからなくて……
 フランツ・ヨーゼフ帝の娘の内、ルドルフ死亡の時点で結婚していたのは、
姉のギーゼラで彼女はこの時すでに子持ち。妹のマリア・ヴァレリーの方は
まだ婚約中でした。なので妹の方はありえるかなと思ったのですが、彼女は恋愛結婚で
やっと父と兄に婚約を認められたばかりだったようで、婚約破棄になるのもかわいそうですね。
534ふとっちょマックス:2001/07/20(金) 01:17
ふとっちょマックスっす。
だいぶ前のレスですが...
>508 親愛なるヴェンツェル
>>レオポルト2世陛下も「肺疾患」で亡くなりましたね。
 オレの知り得たところでは、次兄レオポルト2世帝の死因は、肺疾患ではありません。
 急死に近い死であったと聞いてますが、肺炎、と言うわけでもなさそうでした。
 ベーメン王の戴冠後、その帰途、或いはヴィーンに戻った後、レオポルト兄は急に、
 消化器系の異常を訴えまして、急死にも近い形で1792年、世を去りました。
 そのため、フリーメーソンの陰謀であるとか、憎しみをかっていたイエズス会の仕業で
 あるとか、はたまたフランスの革命勢力による謀殺であるとか、いろんな説が取り沙汰
 されました。しかし、どれも証拠立てるものは何一つとして有りませんでした。
 オレが考えるには、ベーメン王の戴冠式後の発症とヴィーンでの死に到るまでの期間を
 考えますと、スキルス性の胃ガンであった可能性が高い。
 気質的にはイタリアっぽいレオポルト兄にとっては、はからずも皇帝に選出された後の
 心理的疲労はあまりにも暗く重苦しいものであって、この重圧に耐えられず、胃がやら
 れたのではないか、と思うのです。
 オレの場合は胃腸が丈夫であった分、超肥満の合併症で生を終えました。
 今世は、気を付けようっとっ。
535ふとっちょマックス:2001/07/20(金) 01:31
もいっちょ、ふとっちょマックスっす。
>530さん、ロイヤル・プリテンダー様
 オレも勉強になりました。
 確かにロイヤル・プリテンダー様のおっしゃるとおり、ママ女帝ののちは、
 順当な男子相続となっていますね。家系的にもプラグマティッシェ・ザンク
 ツィオーンが機能することが、どうしても、という形で求められる場面は、
 なかったようです。
 さすがロイヤル・プリテンダー様は、カール大帝の宮廷人だけありますねぇ。

 ちなみにドイツは伝統的に父系、男系社会で、世界では「母国」というのが主流の
 なかで、「父国(Vaterland)」という数少ない民族です。国民意識が統一に向け、
 先鋭化していったドイツ圏で、「父国(Vaterland)」にふさわしい君主は、やはり
 男子でなくてはならなかったのだ、と考えるのは、オレだけでしょうか?
536ふとっちょマックス:2001/07/22(日) 23:39
ageとくっす。
537カウニッツ:2001/07/24(火) 15:24
お久しぶりです。マックス殿下、レオポルト陛下の死病は「スキルス性の胃ガンであった可能性が高い」
のですか。これは勘違いをしていました。訂正ありがとうございます。それと
>>528のヤンさん、それなら「戦うハプスブルク家」と言う本がお奨めです。
この本は、30年戦争がメインですのでフェルディナント2・3世の記述が比較的多い本だと思われます。
確か講談社の現代新書?(ハプスブルク家の女たちと同じ会社でした)だったと思います。
538カウニッツ:2001/07/24(火) 15:27
プラグマーティッシェ・ザンクツィオーンが語られるほど、
このスレのレベルは高いことに感謝します。ほんとに。
539&;¼&;:2001/07/24(火) 15:46
a
540&;¼&;:2001/07/24(火) 15:47
a
541&;¼&;:2001/07/24(火) 15:47
a
542ふとっちょマックス:2001/07/25(水) 15:22
>537 親愛なるヴェンツェル
 お久しぶりっすねぇ。少し寂しい思いをしておりましたっす。
 しつこいようですが、次兄レオポルト2世帝の死因について、もうひとこと。
 ヴェンツェルの御記憶が、勘違いではなく、正しかった可能性があります。それは...
 レオポルト兄が死病として「腸結核」を患った可能性があるということです。
 レオポルト兄がもともと胸部に結核を病んでいて、プラハでのベーメン王戴冠後、
 この胸部疾患による結核菌を含んだ喀痰の嚥下がもとで「腸結核」を起こしていたとすれば、
 ヴェンツェルの御記憶と整合します。もちろん心理的過剰な負担も一因となってでしょうね。
 腸結核は、現在でこそ希ですが、肺結核の合併症として、かつては亜急性の死病でした。
 しかしレオポルト兄の存命時は、肺結核以外の結核性疾患、例えば肋膜炎、カリエス、腸結核、
 粟粒結核などの診断が正しく下されていたかどうか疑問。今となっては、真実は誰にも
 わかりませんけど。ちなみに、オレ、ふとっちょマックスは医者ではありません。
 
543カウニッツ:2001/07/28(土) 12:23
ヴァン・スヴィーテンでも治せなかったのですね。
544世界@名無史さん:2001/07/28(土) 23:24
ageとくっす。
545ふとっちょマックス:2001/07/30(月) 18:33
ママ女帝マリア・テレジアの、ちょっとどうかな、と思う癖についてひとこと。
ママ女帝は、寒い冬の最中でも、カラカラと窓を開け放ち、まわりの迷惑を顧みず、
室内に外気を入れるのを好みました。父帝、長兄をはじめ、臣下の方々は、いつもふるえて
いたか、事前に厚着をしていったそうです。ま、オレはデブだったので、少し寒いかな、程度。
546ふとっちょマックス:2001/07/30(月) 18:46
もいっちょ、ふとっちょマックスっす。
ママ女帝の、ちょっとどうかな、と思う癖について、もうひとこと。
ママ女帝は、整ったきれいな顔に似合わず、お食事の時に、糞尿譚をするのを
好みました。要するに、お食事中のうんこのおはなし、ですね。
ヒトによっては、げっ、と来る方もお有りのことでしょう。
ママ女帝自身は、常時やや便秘気味で、オナラの音もなかなか豪快でした。
ママ女帝の「おまる」は、オルゴール付き。おしゃれですよねー。座ると音が出る仕掛け。
このような傾向は、シェーンブルンに特有のものではなく、ロココのヴェルサイユでも、
とてもトレンディであったと聞いております。ぷぷぷっ。
547世界@名無史さん:2001/07/30(月) 18:50
ママ女帝は16年間常に妊娠していたのでしょう。
専用椅子にはおまるがついていて、長時間にわたる会議の時でも事なきを得た
そうです。
548世界@名無史さん:2001/07/30(月) 23:18
女の人は女性ホルモンのせいで大変だな〜
549世界@名無史さん:2001/07/31(火) 11:49
ルドルフ二世〜。
変人皇帝〜。
550カウニッツ:2001/07/31(火) 23:47
女帝陛下は、私が閣議に参加する時には窓を閉めて下さいました。
女帝陛下は私には気を遣って下さいました。
551カウニッツ:2001/08/01(水) 18:06
さ、寂れてきた…
552ふとっちょマックス:2001/08/01(水) 18:16
>親愛なるヴェンツェル
 ルドルフ2世帝の名前が出てきたところで、一時宮廷をプラハに移されては
 いかがでしょう?
553カウニッツ:2001/08/02(木) 00:12
プラハと言うよりベーメンは女帝陛下の逆鱗に触れた(オーストリア継承戦争参照)地なので、
御勘弁を……
554世界@名無史さん:2001/08/05(日) 07:44
朝age!
555世界@名無史さん:2001/08/05(日) 11:11
>>1
カルロス1世(Carlos primero)
556ふとっちょマックス:2001/08/06(月) 22:13
ベーメンは特殊な土地ですよね。ザクセン、バイエルン、オーストリアに三方を囲まれ、
ドイツ圏の中に半島のように突き出たスラブ圏。しかし20世紀に到るまでドイツ圏
に組み込まれ、ハンガリーのように半独立を手中にすることもなく、フス戦争、30年戦争、
オーストリア継承戦争の火元となりました。そういえば、ヴィッテルスバッハ家の皇帝、
カール7世帝もベーメン王の戴冠式を強行しましたっすねえ。
ヴェーバーの歌劇「魔弾の射手」の舞台もベーメン。これがドイツ初の国民オペラと
みなされるわけですから、本当に不思議。汎ヨーロッパ主義のクーデンホーフ・カレルギー伯
を輩出したのもベーメン。シュヴァルツェンベルク侯の城下チョスケ・クルムロフ(ドイツ名
クルマウ)はプラハなどとともに世界遺産都市。自然、建物共におとぎ話に出てくるような美しさです。
オレもベーメンの森を鉄道で移動中、鹿の群を車窓から見たことがあります。文化、工業、ともに
昔からヨーロッパでもハイレベル。
ハプスブルク家の好きな皇族は?というヴェンツェルの建てられたスレッドですが、
ベーメンは、オレにとって、ケルン地方と共に心惹かれる土地です。ハプスブルク家領の
好きな地方は? と問われれば、オーストリアはもちろんですが、勝るとも劣らぬくらいに
ベーメンが好きです。
557世界@名無史さん:2001/08/07(火) 17:26
マックス殿下はチェコに行かれたことが御有りになる様で羨ましい…
558世界@名無史さん:2001/08/07(火) 18:41
ふとっちょマックス様はシェーンブルンに行ったことあるのでしょうか?
559ふとっちょマックス:2001/08/08(水) 00:09
ふとっちょマックスっす。
ヴェンツェルとともにさびしい思いをしておりましたが、レスが付いてうれしいっす。
>557さん
 羨ましがらせるようで大変申し訳ないのですが、ベーメンの街は、本当にきれいだった。
 今世で行ったのは、プラハ、マリアンスケ・ラーズニェ(ドイツ名マリーエンバート)、
 カルロビバリ(ドイツ名カールスバート)、あとズデーテンラントのチェブだけですが、
 チェブを除き、夢のような街でした。マリーエンバート、カールスバートには、ママ女帝も
 行ったと思います。ベーメンの森を車で走って見たこともあります。深い森が少し開けた
 ところの霧の中、瀟洒なロココ調の城館が突如浮かび上がるという幻想的な風景にも遭遇しました。
>558さん
 前世は幼少の頃に住んでおりました。(爆)今世は3回行きましたねぇ。
560世界@名無史さん:2001/08/09(木) 16:56
カールスバートは温泉保養地として有名ですよね。
561メッテルニヒ:2001/08/09(木) 17:05
あと、私が主導した「カールスバートの決議」でも有名。
562>>559:2001/08/09(木) 17:16
シェ、シェーンブルンに3回も!う、羨ましいっす!
563世界@名無史さん:2001/08/09(木) 19:06

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   / i;、                   、-‐''/  _、-‐'~ ̄''ー‐‐‐''''--`、,,ヽ,,,,,,,,,,,___      ~i''ー
565世界@名無史さん:2001/08/09(木) 19:06
   i´ i;;;ヽ、              _、‐:::::,、-"_,、-''~        _、-''"´~ ̄::::::::::::::~^''''ー--、,,,,i
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566フリードリヒ2世:2001/08/13(月) 02:55
どこかのバカ者がつまらぬ事をしているな。

ところでマクシミリアン・ヨーゼフ公よ、貴君は我がSanssouci宮殿を
訪れた事はあったのか?
567カウニッツ:2001/08/13(月) 15:15
サン・スーシ宮にも行きたいものです。
マックス殿下なら行ったことはありそうですね。
あと、荒らさないでね!
568カウニッツ:2001/08/13(月) 18:54
フリードリヒ2世陛下、御久しぶりです。
近頃、陛下の生涯について述べられた本を読まして頂きました。
陛下の苦闘に満ちた生涯、オーストリア家の宰相としては失格かもしれませんが、
正直、感慨深いものがあります。
しかし陛下、王妃様に対して若干冷たいような気が致します。
即位後、何故一緒に御住まいにならなかったのでしょうか?
皇帝御夫妻とは対照的な…いえ、失礼致しました。
久しぶりの登場でちょっと感傷的になった次第です。では。
569フリードリヒ2世:2001/08/13(月) 21:43
カウニッツ伯よ、私の生涯について述べている本とは何かな?
日本で出版されているものは少ないはずだが。
私と王妃は意に添わぬ婚姻であった上に即位直後の戦争など
諸般の事情もあったのだ。
後は当事者にしかわからぬ事だ。
570ふとっちょマックス:2001/08/15(水) 22:07
わ、我ら兄弟衆のアイドル、フリードリヒ2世陛下!
おひさしぶりっす。いつぞやはお褒めの言葉を賜り、光栄っす。
陛下の御膝元、ベルリンは、実はオレにとって、余り合わないみたいっす。
ママ女帝の因縁を引きずってるのですかね。3回行ってますが、3回とも天気が悪く、
一回などひどい頭痛にみまわれたことがあるっす。サン・スーシ宮にも行ったことがありません。
一度は訪れてみたい、と思ってはいるのですが...ザクセンのツヴィンガー宮殿までです。
571世界@名無史さん:2001/08/15(水) 22:26
シシィって美人だな
572フリードリヒ2世:2001/08/15(水) 23:44
マクシミリアン・ヨーゼフ公よ、3回もベルリンに行っていながら
ポツダムには行かなかったのか?
ベルリンから1時間もかからぬ距離だぞ。
訪れる機会があったらSanssouci宮殿正面右手側の
私の墓所の前に立ってみよ。

ところで明後日の8月17日は私の命日だ。
マクシミリアン・ヨーゼフ公、そしてカウニッツ伯よ、
何か一言はないかな?
573カウニッツ:2001/08/17(金) 16:05
>>572
陛下の74年の生涯、46年にわたる統治、大したものと思います。
それにしても果物がお好きだったのですね。
574カウニッツ:2001/08/17(金) 16:13
それにしても王位相続者のフリードリヒ・ヴィルヘルム2世は凡人でしたね。
つい陛下と比較してしまいます。
陛下は彼の事を「人間の屑」と呼んだそうですが、何故そこまで卑下されたのですか?
その辺の事情を知りたいですね。
575世界@名無史さん:2001/08/17(金) 17:47
語学の天才マクシミリアン2世について知りたいのですが。
576世界@名無史さん:2001/08/17(金) 17:51
フリードリヒ大王バンザイ\(^o^)/!
577カウニッツ:2001/08/17(金) 18:10
>>575
私が知ってることは、スペインの宮廷で一種の帝王教育を受けたものの
肌に合わず、精神的にはむしろ新教寄りで、語学の修得は十カ国語を越えた
天才といったところですが、これだけじゃダメでしょうか?
なにぶん在位期間が短くて…
578フリードリヒ2世:2001/08/18(土) 00:29
カウニッツ伯よ、賛辞と受取ってよいのだな。
甥のフリードリヒ・ヴィルヘルム2世については評価の難しいところだな。
私が存命していてこそ機能的に動く国家体制を継承したことが不幸であったかもしれぬ。
凡庸ではあったがせめて私亡き後のプロイセン王国を維持するだけの能力があれば
よかったのだが。
579ふとっちょマックス:2001/08/18(土) 04:02
ううう、ヴェンツェルは、フリードリヒ2世陛下の命日にレスしてるっすねぇ。
オレは、日付が変わってしまいました。恐縮っす。>フリードリヒ2世陛下
ハプスブルクの人間としては、誠に口惜しいのですが、ドイツはやはりプロイセンを中心に
統一されるよりほかなかったのではないかと思います。住民の殆どがドイツ人で、ポーランド人、
ゾルベン人が少数。それに比べ我がオーストリアは...
長兄ヨーゼフ2世帝が領内公用語をラテン語からドイツ語にしたのが領内非ドイツ系諸侯の反発を
招いたくらいですからね。
580フリードリヒ2世:2001/08/19(日) 00:17
マクシミリアン・ヨーゼフ公よ、貴君がレスしてくれた時間は
時差により現地時間ではまだ8月17日だ、恐縮などする必要はない。
存命中に貴君がSanssouciを訪問してくれたらいろいろ話しが
出来たであったろうな。
581カウニッツ:2001/08/20(月) 16:58
フリードリヒ2世陛下、勿論、賛辞のつもり書きました。
582世界@名無史さん:2001/08/20(月) 20:28
age!
583フリードリヒ2世:2001/08/20(月) 20:35
マクシミリアン・フランツ公よ、最近貴君の名を
マクシミリアン・ヨーゼフ公と誤っていたな。
バイエルン侯と混同していたようだ。
ドイツ諸国には同名異人が多いとはいえ失礼した。
容赦ありたい。
584世界@名無史さん:2001/08/23(木) 16:45
>>583
ダメ!
585世界@名無史さん:2001/08/23(木) 17:24
>>584
いやーん、いいじゃーん。
586ふとっちょマックス:2001/08/23(木) 19:23
ふとっちょマックスっす。
ダメ! いやーん、いいじゃーん。・・・でもよいのかもしれませんが、
オレの名前について、陛下に御指摘申し上げようかどうか、迷っておりました。
御存知かも知れませんが、オレの生まれたばかりの時に送られた名前は、
ラテン語式に発音すると、
 マクシミリアヌス・クサヴェリウス・ヨゼフス・ヨアネス・アントニウス・ヴェンツェスラウス
ドイツ語で云えば、
 マクシミリアン・クサヴェール・ヨーゼフ・ヨハン・アントン・ヴェンツェル
ということになります。
なんとまぁ、長ったらしい! ケーヴェンヒュラー伯爵をして「名前の首飾り」
と言わしめたシロモノでした。 ま、その日のうちに、マクシミリアン・フランツ、
と短くしてはもらいましたが...マクシミリアンもヨーゼフも含まれております。
というわけで、陛下のお間違いも、全くのゆえなき御間違いではありません。
多分ベルリンへは、オレの名前の首飾り命名後、即刻使者が遣わされたゆえの
行き違いによるものかとも考えておりました。(笑)
御容赦の御求めを賜るとは、オレこそ恐縮至極っす。
587ふとっちょマックス:01/08/29 00:13 ID:d.FbRRXU
わ、わ、わ、下がってるっすねぇ。age!
588カウニッツ:01/08/30 01:37 ID:sSbx41C2
どなたか教えて頂きたいのですが、
マリア・テレジアには、
内政では「ハウクヴィッツ」「バルテンシュタイン」、
外交では「カウニッツ」、
軍事では「レオポルト・ダウン」など良い補佐役がいましたが、
フリードリヒ大王にはそういった人達はいなかったのでしょうか?
大王と崇められる彼個人の資質でプロイセンを強国にしたのですか?
その辺を知りたいのですが…
589カウニッツ:01/08/31 01:56 ID:At9KiXXs
前レスの反応待ちの間に個人的な感想を…。
皇帝に選ばれてから11年後にボローニャで行われた、カール5世の戴冠式を描いた、
ヴァザーリのフレスコ。何かハプスブルク家の絶頂期って感じが凄く感じられるのですが…。
冠を授けた教皇は確かクレメンス7世でしたよね。ところでクレメンス7世出身って?
それもわかる人いたらレスお願いします。
590世界@名無史さん:01/09/01 02:11 ID:C.rtatzw
>カウニッツ様
クレメンス7世はメディチ家出身です。
先々代教皇・レオ10世の従弟で
かのロレンツォ・イル・マニフィコの甥に当たります。
カールの戴冠式なんかしちゃってるけど、
この3年程前には「ローマの略奪」でかなり酷い目に遭わされてるんですよね(^^;
591カウニッツ:01/09/01 03:42 ID:4RwHzrwI
>>590さん、
スペイン・ハプスブルクと合わせて感謝です。
592カウニッツ:01/09/02 20:28 ID:T5PF3CUU
ふとっちょマックス殿下やフリードリヒ2世陛下はどうしたのかな?
593ふとっちょマックス:01/09/02 23:39 ID:ewcWIfgY
>親愛なるヴェンツェル
今年の暑さはデブのオレにはこたえました。
仕事面でも健康面でも夏のツケが今来ております。
ところで...>589
ヴェンツェルの指摘にあったハプスブルク家の絶頂期、一応領土的にはカール5世陛下の時代と
されておりますが、オレには、カール5世陛下がフランス王ルイ14世のような絶対王政的な絶
頂期にあったとは思えません。むしろ戦いに明け暮れ、宗教の争いに巻き込まれ、欧州を転々と
することを余儀なくされた、あまり幸せではなかった皇帝であったと思います。おそらく御本人は、
後世の我々が思うような、ハプスブルク家の絶頂期にあった、という意識は、毛頭お持ちでなかった
ことでしょう。
自分自身は奢侈贅沢を好まず、スペインの修道院で隠遁生活の果てにひっそりと崩御された、と
聞いております。
そもそも第2次大戦以前に欧州の大きな王家に生まれて幸福な人生を送った者などいるのでしょうか?
>589
ママ女帝の忠臣の方々、ヴェンツェルが挙げられた、ヴェンツェルを含む4人の方々、即ちカウニッツ伯爵、
ダウン伯爵、ハウグヴィッツ伯爵、もうお一方はどなただったでしょうか?(バルテンシュタイン男爵では
なく、ヴァン・スヴィーテン男爵であったように思いますが、間違ってたら御指摘下さい。)は、ヴィーン
の中心、マリア・テレジア広場のママ女帝の銅像の下、四方に銅像を配されております。
ちなみに、バルテンシュタイン男爵は、フリードリヒ2世陛下とママ女帝との縁談を進めていたんじゃなか
ったっすかねぇ...晩年は、ママ女帝とそりが合わなくなったと聞いておりますが。
カウニッツ伯ヴェンツェルはモラビアの方、ハウグヴィッツ伯爵はシュレジエンの方、ヴァン・スヴィーテン
男爵はオランダ系。きっとフランドルの方でしょう。ダウン伯爵はどこの出の方でしたっけ?

それはそれとして、どなたか、ヴェンツェルに続けてマクシミリアン2世の人生を御紹介下さる方、おられま
せんでしょうか?
594カウニッツ:01/09/03 05:51 ID:fTFYTm6U
銅像の件は「バルテンシュタイン」ではなく「ヴァン・スヴィーテン」で当ってます。
595世界@名無史さん:01/09/03 21:10 ID:Ufk/kMIw
あのう・・・ちょっとハプスブルク自体とは外れるんですが。

上の方にハプスブルク以前にウィーン周辺を治めていた
バーベンベルク家というのが出てきたように思うんですが、
その家が断絶したのは何故でしょうか?
また、その後に何故ハプスブルク家がその地域を治めることに
なったのでしょうか?

どなたか詳しい方、教えてください。
596YP:01/09/03 21:35 ID:sTa2RzZk
>カウニッツ様

このスレ、今日でちょうど1周年ですね。 おめでとうございます!

> ふとっちょマックス様

食い物の歴史スレはどうでしょうか?
597世界@名無史さん:01/09/03 21:36 ID:s.6O45hQ
>>595
断絶したのは子孫がいなかったから。
ハプスブルクが治めるようになったのはハンガリーと協力してプシュミスルを破ったから。
598シシィ:01/09/03 23:12 ID:TLRMRYIE
なんてったってエリザベート皇后!
ヨーロッパ屈指の美貌と常に自由を求めつづけた人。
ルードビッヒ2世の永遠の想い人・・。
599世界@名無史さん:01/09/04 00:40 ID:MLRWKmQM
一年かー
600世界@名無史さん:01/09/05 00:12 ID:iutt28y.
何か掲示板が変じゃない?
601世界@名無史さん:01/09/05 01:58 ID:iutt28y.
??!?
602世界@名無史さん:01/09/10 23:55
>>597
プシュミスルってなに?
603世界@名無史さん:01/09/10 23:57
>>602
当時のベーメン王家デシ!
604602:01/09/11 00:00
>>603即レスどうもッス!
605世界@名無史さん:01/09/11 23:00
ツィタ・フォン・ブルボン=パルマに関する、あるいは
1次大戦後のハプスブルク家の人々に関する本があったら
教えてください。てゆーか、ありますかね・・・?
606世界@名無史さん:01/09/12 15:03
簡単な記述で良いのならあるよ!
607カウニッツ:01/09/12 15:19
オーストリアにも東インド会社が有ったんですよ!
ちょっと驚きです。
でも、カール6世はマリア・テレジアの家領相続の国際的承認を
得る為に経営を放棄しましたけど。
結構、順調にのびていたそうです。
608ふとっちょマックス:01/09/12 15:58
>607
うーむ、オーストリアの東インド会社ねぇ。それは初耳っす。>親愛なるヴェンツェル
本拠地はどこにおいたんだろう? 当時のオーストリア領で港町、といえば?
フランドルのブリュージュか? いやいや、フィウメ(現スロベニア領リエーカ)
の線が濃厚かも。果たしてどっちだったんだろう?
いずれにせよ、御祖父様帝の判断は、オーストリアの植民地帝国化を未然に阻止した
点で、オレは評価したいっす。さもなくば、オーストリアは海外でも植民地戦争に
巻き込まれていたでしょうからね。
609カウニッツ:01/09/12 16:39
トリエストですかね〜。
610世界@名無史さん:01/09/12 17:42
ageますです。。。
611なんだ!:01/09/16 00:46
最近の世界史板のスレの乱立ぶりは!!
612ふとっちょマックス:01/09/18 22:09
>596 YPさん
「食い物の歴史スレ」への誘い、どうも有り難うございます。
食い意地の張ったオレなら、ぴったりかも知れませんね。
ちなみに我がオーストリア・ハプスブルク家領内の名物料理、いろいろあるでしょうが、
筆頭はヴィーンの「ターフェルシュピッツ」(茹で牛肉香味添え)と「ヴィーナーシュニッツェル」
(ヴィーン風カツレツ)かなぁ。チロル地方のフォレッレ・ブラウ(活け鱒の姿湯引き)もいい。
ハンガリーだったら、庶民料理グヤーシュに加え、ママ女帝家臣エステルハーツィ公の名がついた
エステルハーツィ風ビーフステーキなど。ベーメンだったらクリスマスの時に食べる「鯉の唐揚げ」
ハンガリーをのぞけば、基本的にドイツ料理の類ですねぇ。ママ女帝やマリア・アントニア姉も
好きであったであろうヴィーン菓子。日本人には、ちとトラディショナルな甘さに過ぎます。
オレが小さい頃のオーストリア領では、他にも...
フランドル(ベルギー)だったらポテトフライが名物。ミラノ、トスカナは、それぞれ独自の
イタリア料理。オスナブッコ・ミラネーゼ、ビステッカ・ア・ラ・フィオレンティーナ・・・
クロアチアのサワーチーズ載せハンバーグもいいぞ。あああ、いいワインが飲みたい!
ちなみに我が領地のケルン大司教領は、ワイン産地の北限。世界最北のワインはアール谷の
ワイン。上品でまろやかな赤っす!

ふぉ、ふぉ、ふぉ(太ってうまく笑えない前世のオレ)、フリードリヒ2世陛下、陛下の領内には、
うまいものは、ハム・ソーセージの類以外、何かございますかな? ブランデンブルクでは、寒すぎて
ワインもとれませんしねぇ。軍隊が弱ーい分、食文化はなかなかのもんだと思うっす。
親愛なるヴェンツェル、我が食い意地のレス、歴史とあまり関係なくて申し訳無いっす。たまには
休憩、ということで、お許しあれ。
613ふとっちょマックス:01/09/18 22:14
×オスナブッコ  → ○オッソブッコ (ミラノ風牛骨髄の煮込み)
ウエストファリア条約締結の地の一つ、オスナブリュックが、無秩序に我が記憶
にしまい込まれたが故の間違いでした。スマソ
614カウニッツ:01/09/19 00:40
歴史と関係なくても、そうゆうレスは面白いですね!
615世界@名無史さん:01/09/19 01:23
>607 あのぉ…。そのオーストリアの東インド会社って何年に成立したんでしょうか?アドリア海からとなるとベネチアとどうやったらやりあっていけるのか、というのが大変疑問です…ので、腐乱$を再び手にしたスペイン継承戦争後ということになるんでしょうか?
616カウニッツ:01/09/19 02:42
1606年のジトヴァトロク条約について詳細をご存知の人、
いたら情報キボンヌ。。。
617ふとっちょマックス:01/09/19 19:13
>616 親愛なるヴェンツェル
ををを、ジトヴァトロク条約なんて...日本で知ってる人、そんなにいないでしょう。
トルコ関係では、せいぜいクチュク・カイナルディ条約ぐらいでしょうに。
しかし、このジトヴァトロク条約は、ある意味で重要な条約っす。
ジトヴァトロク条約は、神聖ローマ皇帝とオスマン・トルコ帝国のスルタンとの間で締結されました。
当時のハプスブルク家皇帝は、かのオカルト好き皇帝ルドルフ2世。マクシミリアン2世の長男っす。
片やオスマン・トルコ帝国スルタンは、あのイスタンブールのブルーモスクを建てたアーメド(アフメット)1世。
1593年から続いていたトルコ戦役(オーストリア的呼称。要はオーストリア・トルコ戦争。)の終結条約っす。
大スルタンスレイマン大帝以来押され気味で、朝貢を余儀なくされていた神聖ローマ皇帝が、初めて対等の地位で
国際条約を結んだものです。休戦ラインをジェール(ブダペスト西方の都市)として、賠償金支払免除を勝ち取った
のですから、まぁまぁの線と云えるでしょう。

ちなみにアーメド1世は、モスクを建てるなど宗教心厚い反面、淫乱傾向の強いスルタンだったそうです。
ルドルフ2世については、このスレをお読みの方々は、すでによく御存知のとおりっす。
二人の共通点は、没後皇帝・スルタン位を継承したのが、実の弟であった、ということ。
但しアーメド1世は弟君への譲位が円満であったのに対し、ルドルフ2世帝は、弟マティアス帝に簒奪
されたも同然であった点が異なります。しかし流血沙汰無しに円満譲位が叶ったのは、オスマントルコ
建国以来初めての快挙であったと云うから、驚きです。
オレがレス付けちゃったけど、よかったかな?
618カウニッツ:01/09/20 02:03
マックス殿下!
殿下の博識、このカウニッツ、感嘆の極みでございます!
619ロザリー:01/09/20 23:06
マリア=テレジア女帝こそが
絶対君主の鏡

息子のヨーゼフや娘のマリーとその夫君など、
足元にも及ばない。
620カウニッツ:01/09/21 01:24
そりゃ、そうかもしれないですけど…
621YP:01/09/21 01:56
>>612 ふとっちょマックスさん

すんません、レスが付いてるのを見落としてました。 レスありがとうございます。
ボクが知らないだけですが、けっこう魚料理ってあるものですね。
>チロル地方のフォレッレ・ブラウ(活け鱒の姿湯引き)
>「鯉の唐揚げ」

>ヴィーン菓子
映画アマデウスに出ていたお菓子をまっ先に想像しました。

ベルギー料理食うならブルージュっていいますよね。
イタリア行った時に乗ったサベナ航空で、男女共にベルギー人のデカさにタマげた
覚えがあります(みんなコール首相みたいだった)。
確かタンタン(Tin Tin)の作者のエルジェはベルギー人だったかと思いますが、
あんなキャラが想像される事が信じられなかったっす。

よろしかったら、貴兄の博学振り、食い物専門のスレでも宜しくお願いします。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=999273985&ls=50

 失礼致しました。
622カウニッツ:01/09/21 03:17
カール大帝はどうなされたのでしょうか?
623世界@名無史さん:01/09/21 17:23
age!!
624世界@名無史さん:01/09/24 03:05
ハプルブルクファンには悪いのだが、オーストリア継承戦争の際に、ハプスブルク家がもっと徹底的に敗北していたほうが、その後のドイツにとっては良かったような気がしてならない。
あの戦争で、プロイセンのフリードリヒ2世は、本当はシュレジェンだけでなく、ベーメンやオーストリアも戦況によっては回収するつもりだったらしい。
彼の構想では、ハプスブルク家にはハンガリー王位のみを残し、神聖ローマ帝国内からハプスブルク家の影響力を完全に排除することが目標だったようだ。
もし、そうなっていれば、神聖ローマ帝国(つまりドイツ)の域内におけるプロイセンの力が増大し、必然的にドイツの統一も早まったことだろう。
また、ドイツ人の国家がドイツとオーストリアに分断されることもなかったのではないだろうか?
625リベラリスト:01/09/24 12:51
フランツ・ヨゼフ公最高!!!!!!
626世界@名無史さん:01/09/24 21:31
>>624

現実的にはどうなの?
細かい数字は覚えていないが、
シュレジェン獲得でプロイセンの国力はほぼ倍増だよ。
「小が大を飲む」のもいいとこで、
だからこそ、プロイセンの躍進に列強が目を見張ったわけで。
で、フリードリッヒは、以後はこの最初の成果に、防衛的にしがみつくわけでしょ。
あれ以上は望めないんじゃ?
627世界@名無史さん:01/09/25 02:25
>>626
でもあのときは、フランスがプロイセンの後押しをしていたし、直接プロイセン領とならなくても、バイエルンがオーストリアを、ザクセンがベーメンをそれぞれ回収するような形にはなったと思う。
628カウニッツ:01/09/25 03:37
確か、フリードリヒ2世の考えでは、
プロイセンはシュレジエンとメーレンを、
ザクセンがベーメンを、バイエルンが上下オーストリアを併呑する
という青写真があったようです。
ケルンテンやクライン、チロルの帰属の事は分かりませんが、
マリア・テレジアにはハンガリーの王位だけで満足しろといった
具合でした。
629世界@名無史さん:01/09/25 09:51
>628
メーレンも狙ってたんだ。
でも実際にはシュレジエン取った時点で休戦協定結んでるよね。
その付近の事情は?
630ふとっちょマックス:01/09/25 12:31
ふとっちょマックスっす。議論が久々に沸騰してるっすねぇ。
ハプスブルクの人間として、ひとこと。
フリードリヒ2世陛下は、ママ女帝をハンガリー女王のみに押しやることまでは、
考えてなかったと思います。確かにママ女帝を「ハンガリー女王」と呼んではいましたが。
当時の王家は、戦争ばっかりやってはいたものの、殆ど親戚で、オーストリアが無くなると
婚姻上やや都合が悪くなります。だから血脈上の断絶はあっても、中国のように一族を皆殺
しにするような戦争は、ヨーロッパでは古来より殆どありませんでした。
だから、ママ女帝にはオーストリア・ハプスブルク家の本拠である上下オーストリア、ケル
ンテン、シュタイエルマルク程度を残し、オーストリア女大公としてママ女帝のハプスブル
ク家を存続させる意向で、フリードリヒ2世陛下のプロイセン、カール7世陛下のバイエル
ンは一致していたようです。カール7世陛下はベーメン王の戴冠を強行しましたからね。
だから、バイエルンは当時ベーメンとチロルの併合を企図していたのは明白です。
しかし、大陸ヨーロッパ情勢は、ドイツ圏だけで動いていたわけではありませんし、ドイツ
人が国民意識を持ったのはナポレオン戦争後ですから、例えプロイセンのフリードリヒ2世
陛下が624さんの云うような意図を持っていたとしても、陛下自身はとてもそのようなこと
が現実化するとはお思いでなかったことでしょう。プロイセンは、当時はドイツ圏では
オーストリアやバイエルンよりも弱小国と見なされていたことをお忘れなく。
ただ、シュレジエンはエヴァンゲリッシュ(プロテスタント)の人口比率が高く、また防衛
に当たっていたオーストリア軍も非常な手薄な状況だったので、プロイセンにとってはたま
たまうまくいっただけに過ぎません。宗教上も、ママ女帝の相続承認の代償上も、大義名分
がそれなりに保てました。
しかしまもなくフリードリヒ2世陛下が後押ししていたカール7世陛下が1745年に急死。
皇帝位を継承できるような立場の人間は、父帝フランツ1世より他いませんでしたし、バイ
エルン自体首都ミュンヘンのオーストリア軍による占領などで戦意喪失。フランスも父帝フラ
ンツの故地ロートリンゲンがハプスブルク化されない限り文句はなく、しかもドイツ圏に強大
な国家が成立することも望んでなかったので、徐々にプロイセンは孤立化しつつありました。
だからシュレジエンを取った時点でブレスラウの和を結んだのです。>629さん
それに...フリードリヒ2世陛下は、当時からママ女帝の尻に完全にしかれていた父帝フラ
ンツに、「皇帝にしてあげますよ。でもアンタの奥さんを何とかして下さいっ!」てな話も、
駆け引き上やっていたぐらいですから、父帝フランツの皇帝戴冠は認めざるを得ませんでした。
父帝は、この話に少し乗り気、というより、ああそうか、ぐらいの感覚しか持ってなかったよ
うですが、この父帝の態度は、ママ女帝にとっては「超むかつく」もので、父帝はママ女帝に
こっぴどく叱られ、よくつねられたそうです。(これはふとっちょマックスの脚色入り。)
631カウニッツ:01/09/27 17:53
>この父帝の態度は、ママ女帝にとっては「超むかつく」もので、父帝はママ女帝に
>こっぴどく叱られ、よくつねられたそうです。(これはふとっちょマックスの脚色入り。)
思わず笑ったしまいました。しかし、628のレスはうろ覚えな知識で書いてしまい
スミマセンでした。マックス殿下にフォローレスを頂き感謝してます。
632ふとっちょマックス:01/09/27 20:35
>631
いえいえ、ヴェンツェル!
宰相として、また外務大臣としてそのように御憂慮されるのは、むしろ当然。
オレは、ヴェンツェルのうろ覚えな知識とは、思っていないっす。
お笑いを頂戴し、むしろ光栄っす。
633フリードリヒ2世:01/09/30 00:43
1ヵ月振りに来てみればずいぶん下がっているな。
>630.マクシミリアン・フランツ公の言う通り、私はハプスブルク家の完全な
無力化などは考えてはいなかったのだ。
神聖ローマ帝国は有名無実化していたとはいえ、依然としてオーストリアが
ドイツ最強国であった事に変りはない。
そのような事は実現不可能であったと言った方が正しいだろうし、
むしろハプスブルク家があまりに弱体化するとフランスのドイツへの影響力の
増大を懸念しなければならない。
再びマクシミリアン・フランツ公の言葉を借りれば確かに当時のドイツには
国民意識などというものは存在せず、世紀を超えてやっとそれらしいものが
芽生えたに過ぎない。
私の心の中にもプロイセンは存在したがドイツは漠然とした考えでしか存在せず、
将来の統一の可能性は考え及ばなかった。
これは私の考えが偏狭という訳ではなく、当時のヨーロッパにおける共通した
世界観であったと弁明してもよいだろう。

マクシミリアン・フランツ公、そしてカウニッツ伯よ、
今年はプロイセン王国成立300年の記念すべき年だ。
今年のうちにドイツを訪れポツダムのSanssouci宮殿の私の墓所に
話でもしに来訪しないか。
待っているぞ。
634世界@名無史さん:01/09/30 02:31
up!
635世界@名無史さん:01/09/30 18:11
W−UP!?
636世界@名無史さん:01/10/02 14:23
(T-T)?
637(T-T)?:01/10/02 23:22
!?…
638世界@名無史さん:01/10/04 16:45
age!
639世界@名無史さん:01/10/04 16:49
さ、寂れてきた……、ってことで皆なんかレス(意味の有るもの)付けよう!
640世界@名無史さん:01/10/04 16:54
マリア・テレジアの母方の家系について教えて!
641世界@名無史さん:01/10/04 16:55
ヨーゼフ1世の2人の娘の嫁ぎ先の家系について教えて下さい。
642世界@名無史さん:01/10/04 16:57
カウニッツ様、ふとっちょマックス様の来訪の予感…!
643ふとっちょマックス:01/10/05 00:35
ふとっちょマックスっす。お呼びになったっすかぁ?>640,642
オレふとっちょマックスの母方の御祖母様の家系について、カール大帝に代わりお答え致します。
とはいっても、カール大帝の足下にも及ぶものではないですが...
ママ女帝の母君、即ち母方の御祖母様は、御存知エリザベート・クリスティーネ皇后。北ドイツ、
ブラウンシュヴァイク・ヴォルフェンビュッテルの出。ハインリヒ獅子公を御先祖にもつ
ヴェルフェン家の人です。御祖母様の父君は、ブラウンシュヴァイク・ヴォルフェンビュッテル公
ルートヴィヒ・ルドルフ。16世紀後半にリューネブルク・ヴェルフェン家より分かれた家系です。
このヴェルフェン家は、日本でこそ有名ではありませんが、北ドイツの名門です。
御祖母様の家の方は、残念ながら、ママ女帝が父帝フランツ1世と結婚した頃に、男系継子がなく
断絶。しかし大叔母様アントワネット・アマーリアがバーヴェルン公と結婚し、命脈を保ちました。
リューネブルクのヴェルフェン家は、曾祖父帝レオポルト1世が、トルコ戦役の活躍に報い、北ド
イツでのハプスブルク家の盟友関係を築こうと、時のブラウンシュヴァイク・リューネブルク公で
あったエルンスト・アウグスト公を選定侯に叙したのです。こちらのヴェルフェン家は、ハノーバー
も領有しておりましたので、以後ハノーバー選定侯となりました。だからエルンスト・アウグスト公
は、初代ハノーバー選定侯というわけです。このエルンスト・アウグスト公の嫡子が、イギリス王
ジョージ1世。だから現イギリス王室は、実はヴェルフェン家なんです。
一見つながりの無いように見えた我がハプスブルク家と現イギリス王家とは、実は御祖母様を架け橋
としてつながっていたのですね。
644世界@名無史さん:01/10/05 03:47
あのー、皇帝フェルディナント3世ってどんな人物だったんでしょうか?父親が起こした戦争の惰性の上にのっかってただけという程度のイメージしかないんですが…。
645世界@名無史さん:01/10/05 13:39
>>643,thanks.
646世界@名無史さん:01/10/05 13:41
フェルディナント3世。
僕もあまりいい印象ないな。
647レオポルト1世:01/10/05 13:47
私の御父様は30年戦争でスペインの親戚に援助をして頂いたのに、
ウェストファリア条約からスペインを排除するという、恩を仇で返した人なのだ。
648フェルディナント3世:01/10/07 01:56
日本では朕よりルパン3世の方が有名らしいな…
649世界@名無史さん:01/10/07 15:54
さ、寂れてきた……、ってことで皆なんかレス(意味の有るもの)付けよう!
650世界@名無史さん:01/10/07 20:28
ゴメン。想いつかない。
651世界@名無史さん:01/10/08 18:30
ハプスブルク家って、神聖ローマ帝国の皇帝を何人輩出したの?
何年間くらい帝位を独占してたの?
652世界@名無史さん:01/10/10 22:47
>>651
15人くらいだっけ?
653世界@名無史さん:01/10/13 23:01
シシィの姉、ネネはフランツ・ヨーゼフとのお見合いに失敗した後
誰と結婚したのですか?
ここでする質問じゃないかもしれないのですが、どなたか教えていただけませんか?
654カウニッツ:01/10/14 00:11
>>651さん、皇帝にローマ王(両方ドイツ国王)も含めて良いならば、さらに、
古ハプスブルク家だけでなく、ハプスブルク・ロートリンゲン家も含むのならば、
19人です。(ルドルフ1世、アルブレヒト1世、アルブレヒト2世、フリードリヒ3世、
マクシミリアン1世、カール5世、フェルディナント1世、マクシミリアン2世、
ルドルフ2世、マティアス、フェルディナント2世、フェルディナント3世、レオポルト1世、
ヨーゼフ1世、カール6世、フランツ1世、ヨーゼフ2世、レオポルト2世、フランツ2世)
自慢しても良いですか?私、全部暗記してますです。。。
655カウニッツ:01/10/14 00:17
>>654さん、ヘレネ(ネネ)は、
トゥルン・ウント・タクシス侯爵と結婚し、侯爵夫人となりました。
656カウニッツ:01/10/14 00:18
655の>>654さんは>>653さんの間違いです。ゴメンナサイ。
657644:01/10/14 01:10
閣下!なにとぞフェルディナント3世についてご教授ください!
658世界@名無史さん:01/10/14 01:20
ちょっと本を読んでいて気になったことが・・・
マリア・テレジアの売春婦禁止令に絡んで、当時のウィーンっ子が
「女房がズボンをはいていたら、旦那も女の尻を追いかけ回したくなる
だろうよ」と彼女とフランツ一世の関係を評したと言われてるんですが、
まさかホントに文字通りマリア・テレジアがズボンはいてたわけじゃ
ないですよね?
単なる比喩ですよね?

いや、一瞬ベルばらを連想したもんで・・・
659カウニッツ:01/10/14 02:23
勿論、女帝の男顔負けの気丈な性格を表現するための比喩です。
660カウニッツ:01/10/14 23:59
フェルディナント3世は父帝の時に勃発した三十年戦争をウェストファリア条約で収拾した皇帝です。
その結果、短い間ですが北方ではスウェーデンが優位に立ち、ブルボン朝のハプスブルク家に対する
優位が明らかになりました。なおフェルディナント3世は、ウェストファリアの国際会議から
スペインの親族を除外する結果になったため、スペインのハプスブルク家は、1659年の
ピレネー条約まで劣勢のまま戦わざるをえませんでした。また、フェルディナント3世は、
レオポルト1世、ヨーゼフ1世、カール6世と並んで、バロック4帝とも呼ばれます。
661ルイ13世@14世:01/10/15 16:05
リシュリュー、マザラン@ありがとう。
662653:01/10/16 21:24
>カウニッツ様
お答えありがとうございました。
ヘレーネといい、ゾフィーといい、エリザベートの
姉妹は縁談がすんなりまとまらない傾向がありますね。
でも、案外幸せな結婚生活だったかもしれませんね。
663カウニッツ:01/10/17 18:30
>>651さんへ、追加です!
帝位(ローマ王も含む)の独占は、およそ300年間(1438−1740)に及びました。
つまりフリードリヒ3世からカール6世迄です。次に即位したのがヴィッテルスバハ家の
カール7世(1742−45)ですが、晩年は惨めなものでした。
死後、帝位はハプスブルク・ロートリンゲン家の(マリア・テレジアの夫)フランツ1世
(1745−65)に移りました。
664カウニッツ:01/10/17 20:17
フランツ・シュテファン・フォン・ロートリンゲン(フランツ1世)について
近々カキコしようと思うのですが、彼について色々ご存知の人はレスして下さい。
ふとっちょマックス殿下のお父様です。私とフランツ帝とは犬猿の仲だったと
史家は伝えていますが……。
665世界@名無史さん:01/10/18 03:40
>>664
私、フランツ1世大好きです。
もっと彼について知りたいのですが、資料が少なくて残念。
経済の面で優れていたと同時に、魔術や迷信を科学的な面から
アプローチして排除しようと熱心だったようですね。
666666:01/10/18 11:21
フランツ・ヨーゼフの奥さんエリザベートは
どうしてSissiと呼ばれているのでしょうか。
どなたか教えてください!
667世界@名無史さん:01/10/18 21:01
フランツ1世って確かに経済に明るくて国を富ます才能があったみたい。
それに息子のレオポルト2世もそうだったみたい。
668ふとっちょマックス:01/10/19 13:26
おひさしぶりっす。ふとっちょマックスっす。
わーい、ようやく父帝フランツ1世の名が出てきましたね。待ってたんですよー。
我が父フランソワ・エティエンヌ・ド・ロレーヌは、ママ女帝と又従兄妹同士だったと思います。
ドイツ語があまり上手ではありませんでした。詳しくは、ヴェンツエルのレスを待つとしましょう。

父帝は、ある意味でとても気の毒な人でした。現代の伝記作家による副題でも、an der Seite von
einer grossen Frau(偉大なる奥方の傍らにあって)と記されていました。要はママ女帝が名実共に
強すぎたのですね。
ヴェンツェルとの仲が犬猿の仲と伝えられたのも、殆どのヨーロッパ王家が親戚で
あるなかにあって、誠実ではあっても煮え切らない父帝に、国家即ちハプスブルク領を背負う者との自
任意識の権化のようなママ女帝とヴェンツェルが、時にいらついて、共に父帝に対ししばし攻撃的な態
度で接したからだと思うのです。
しかし自分の配偶者との結婚を維持するために、先祖代々の領地を追われるように手放し、イタリア・
トスカナの狭い領地に封ぜられることをあえて甘受した父帝。この大いなる決断がなければ、後の外交
革命はなかったでしょう。そういう意味で、外交革命を裏で支えたのは、実は父帝フランツなのです。
歴史の表舞台では、ママ女帝とヴェンツェルだけがもてはやされる傾向にありますが、父帝の誠実さと
忍耐と決断力がなければ、ヨーロッパは再び戦乱と混沌の時代に逆戻りした可能性も否定できません。
ルイ15世のフランスが、スペイン及びトルコと共同戦線を組み、ロレーヌ及びオーストリアと全面戦争
になったかも。そうすれば、御祖父様帝カール6世が苦労して築き上げたプラグマティッシェ・ザンク
ツィオーンは完全に失効し、ハプスブルク・オーストリアは瓦解してしまったことでしょう。トルコによ
る中欧再攻略があったかもしれません。667さんのおっしゃるように、財政豊かなトスカナ太公国の財政
援助無くして、ママ女帝は2度にわたる大戦争を戦い抜くことは不可能だったでしょう。
本当にハプスブルク・オーストリア崩壊の危機を救ったのは、父帝フランツ1世であったといっても過言
ではない、と、私ふとっちょマックスは考えるのですが、いかかでしょうか?
669665:01/10/19 17:42
>>668
いつもながら勉強になります。特に、最後の2行には激しく同意です。
フランツ1世の伝記「偉大な妻の傍らで」は、上巻しか見たことないのですが、
それ以降の巻は出版されているのでしょうか…

フランツ1世絡みでは、他に「女帝が愛した男たち」という本で彼が取り上げられて
いましたが、マリア・テレジアとの愛を疑問視するような内容で、ショックでした。
(でも、トスカナへの旅の夜、2人がベッドを壊したという逸話には笑った…)
670カウニッツ:01/10/20 00:38
マックス殿下の素晴らしく人の心をとらえるレスの後で
私のような者が書き込むのもどうかと…。
でも、本当にマックス殿下、ありがとうございます。
671世界@名無史さん:01/10/20 06:11
>>670
カウニッツ様のお話も聞かせて下さい!
672世界@名無史さん:01/10/21 19:58
藤本ひとみの「ハプスブルクの宝剣」という小説でのフランツ一世は
かわいくてかっこよかった
673ふとっちょマックス:01/10/21 21:52
父帝フランツ1世のレスで盛り上がっていますね。うれしいっす。
671さんに同じく、近いうちにヴェンツェルのお話もぜひお聞かせいただきたいっす。

父帝フランツのプライベートは、我々子供達にとっては、ママ女帝からの抑圧的愛情とは違った
親しみやすいものでした。「御母様には、ホント、参っちゃうなぁ。」みたいな話も交え、ママ
女帝よりよく笑う父帝でした。やはりロレーヌは、神聖ローマ帝国に属してはいても、ドイツと
いうよりフランス的で、ママ女帝のようなガチガチのドイツ・ゲルマン性はありませんでしたっす。
博識にしてユーモアがあり、しかも経営の才も相当でしたし、しかも愛情面でえこひいきをした
ママ女帝の愛情からあぶれた兄姉たちにも、やさしく接してくれてました。ぶさいく長姉マリア・
アンナとは、特に意気投合してました。
>672さん
オレも藤本ひとみさんの「ハプスブルクの宝剣」読みました。大変よくできた小説で、エンタテイ
メントとしては、なかなかのものですよね。父帝はかっこよく、ママ女帝も「女」の部分があった
女性として描いて下さってますので、息子としては感謝してます。
しかし実際は、父帝は、自分の分をしっかりとわきまえた人でした。だからでしょうか、権力には
無頓着で親しみやすい人柄でした。藤本ひとみさんの小説のように、ロスチャイルド家の先祖と何
らかの良好な関係があったとすれば、経営、利殖面での意気投合ではなかったかな、と思います。
自分でママ女帝と張り合うような陰工作など、ちょっとばかりの浮気以外、出来る人ではありませ
んでした。一方ママ女帝は「女」よりも政治と権勢維持のほうを優先順位を上としてましたので、
自分の権威をおとしめるような「よろめき」は、まるで興味がなかったようです。
つまんないですぅー。(笑)
>667さん
ハプスブルク家を背負う者としての権勢を維持するためにママ女帝が感じていた心理的スト
レスは、戦乱の武将と似通ったものがあったと考えられますので、性欲面で見れば、父帝よ
りママ女帝の方が旺盛だったと考えます。しかも、ハプスブルク家お家芸である結婚政策を
先祖からの人格形成の背景意識として受け継いでいたので、これがママ女帝の性欲に拍車を
かけた可能性があります。だからママ女帝は性欲旺盛でしたが、その旺盛な性欲が父帝以外
の男性に向けられるようなことは、少なくともママ女帝が出産可能年齢にある間には、まず
考えられない、といってもいい。ママ女帝はそういう女性でした。
付き合わされた父帝は、さぞ大変であったろうと思います。浮気したくもなるでしょうね。
674ふとっちょマックス:01/10/21 21:57
>667さん → >669さん の間違いでした。スマソ^^;;
675世界@名無史さん:01/10/24 01:18
>>673
マリア・テレジアの若い頃の肖像画を見て以来、萌えまくっていたのだが・・・
ああ、可憐なイメージが・・・(;´Д`)
676世界@名無史さん:01/10/24 02:00
マリア・テレジアとフランツ1世って、夫婦そろって賭博が好きだったってホント??
677協力しよう!:01/10/24 02:56
678世界@名無史さん:01/10/25 14:11
>>676
ホントだよ!特に女帝の方が…
679676:01/10/26 02:00
>>678
うおっ、そうなんですか!
女帝はお堅い感じがしていたので、意外です。ストレス発散だったのでしょうかね。

レス、ありがとうございました。
680カウニッツ:01/10/27 23:30
女帝は賭け事(主にトランプ)好きですよ〜!
681ベルヒトルト:01/10/27 23:58
ここは本当に勉強になりますね!みなさん、どこで知識を得られて
いるのでしょう。。。
ちなみに自分が好きなハプスブルク人は、フランツ・ヨーゼフ帝に
一票。
というか、19世紀末ウィーン萌え。
682カウニッツ:01/10/28 00:07
俗に言う「世紀末のウィーン」は、
ハプスブルク帝国が多民族国家だったからおこりえた現象でもあるんですよ。
683ベルヒトルト:01/10/28 00:18
まったく、その通りですよね。特にユダヤ人の果たした役割は大き
かったと思います。
だから文化史の「世紀末ウィーン」の終わりは、1918年ではなく、
1938年…(涙
6841648:01/10/28 02:00
三十年戦争について誰か語ろう。
685マティアス:01/10/28 02:12
存在感は薄いが勃発時の皇帝はワシだ。だがワシは悪くない。フェルディナントの奴めムチャクチャな事をやりおって…。
686カウニッツ:01/10/28 02:16
684=685ですか?
687世界@名無史さん:01/10/29 19:54
age!(-v-)
688マティアス:01/10/29 21:23
>686 違うよん。単に三十年戦争の話したかったから書いただけ。
689カウニッツ:01/10/30 00:33
失礼致しました、マティアス陛下。
690ベルヒトルト:01/10/30 01:26
三十年戦争…あまり詳しくないですが、>>685のマティアス様は、フェルディ
ナント二世のプロテスタント弾圧のことを仰せですか?
691ルドルフ2世:01/10/30 19:25
弟よ、そなたも無能よの〜。
692マティアス:01/10/30 20:18
>691 ほお、兄上の口からそんな言葉が聞けるとはな(w
693マクシミリアン2世@父:01/10/30 20:44
ルドルフにマティアスよ、お前達兄弟は揃いも揃って子供もつくらず
喧嘩などしおってからに……。我が父フェルディナント1世は16人
も子供をつくったというに……。
694マティアス様ヘ:01/11/01 21:09
シェーンブルン(美しい泉)を最初に見つけたのはマティアス陛下なんですよね!
695文化の日:01/11/03 04:13
ですよ−。
696世界@名無史さん:01/11/03 09:52
115さん
さっそくレス付けて下さって有難うございます
勉強に成りました
697世界@名無史さん:01/11/03 09:56

↑スマン 板違いだ
698世界@名無史さん:01/11/03 18:18
マティアス出て来い!!
699カウニッツ:01/11/03 21:31
マックス殿下が生前のフランツ1世について素晴らしい書き込みをされていますので、
私、カウニッツはその後についてお茶を濁す程度で勘弁して頂きたく思います。
フランツ帝は1765年にインスブルックで崩御されました。享年57歳です。
なぜインスブルックかと言いますと、次男のトスカナ大公レオポルト殿下と
スペインのルドヴィーカ王女の結婚式をウィーンではなく、インスブルックで行うと女帝が決めたためです。
フランツ帝はグラーツを希望していたのですが…。死因は心臓発作です。
この事により、ローマ王になっていたヨーゼフ殿下がヨーゼフ2世として神聖ローマ皇帝になりました。
侍従長のケーフェンヒラーはフランツ帝に狭心症の兆候あったと述べています。
それにしても大公妃ヨーゼファのためにヴァン・スヴィーテンを
ウィーンに残してきたのは、女帝も後悔していました。
そして遺産ですが、包括相続人はヨーゼフ様でした。残された財産には女帝陛下も驚かれていました。
現金だけでも20000000グルデンを超え、その他に、数百万グルデンの値打ちの
富裕な地所と工場がいくつもありました。そして9人の孤児も残されました。
その中には当然未来のフランス王妃マリー・アントワネットことマリア・アントーニア大公女も
マックス殿下も居られました。ヨーゼフ帝は相続した遺産のうち、8000000グルデンを
弟や姉妹のために、女帝に差し出しました。残りの金は、国家第一の下僕として戦債を償還
するのに使いました。ヨーゼフ帝曰く、
「私は自分のためには何も残さず、すべての遺産を王朝に譲渡した」。
この結果、銀行債権の利率は5.5%から4%に下がり、貨幣の品位低下という現象は
一度もありませんでした。つまり、フランツ・シュテファン・フォン・ロートリンゲンによって
オーストリア・ハプスブルク家の財政は救われたのです。
700世界@名無史さん:01/11/03 23:37
>カウニッツさま

追加的な&細かい質問で恐縮ですが、
フランツ帝が亡くなられたのは結婚式の前ですか?
それとも後ですか?
また前だとした場合、結婚式そのものは無事に執り行われたのでしょうか?

何にしても、女帝のお哀しみはいかばかりかと存じ上げます。
さぞ大変だったでしょう。
701カウニッツ:01/11/04 00:11
>>700さん、
レーオポルトとルドヴィカの挙式が1765年8月5日で
フランツ帝が亡くなったのが8月18日なので、結婚式の後です。
キリ番ですね(~0~)/(←意味不明)。
702御礼@カウニッツ :01/11/04 00:13
このスレッドを立てた時にはレスが700を越えようとは思ってもいませんでした。
それがこの度700レスに達し、感謝の極みです。
今後も活発な議論をして行きましょう。
703カウニッツ:01/11/04 03:17
マックス殿下、フランツ帝についてこんな感じで書いてみましたがこれで宜しいでしょうか?
704ふとっちょマックス:01/11/04 22:47
ふとっちょマックスっす。
>親愛なるヴェンツェル
父帝フランツとの間柄が思わしくなかったと伝えられるヴェンツェルが、ハプスブルク家並びに
ハプスブルク領への多大な貢献について、特に財政面での貢献を中心に、父帝への高い評価を記した
レスを書いてくださったことに、感謝しております。「お茶を濁す」だなんて、とんでもない!
父帝の死は、心筋梗塞によるものだったのですね。脳溢血というオレの曖昧な記憶に基づく過去レス
ご容赦ください。

父帝フランツ1世は、ある意味不幸な人であったことを前のレスで書きましたが、死の前年に長兄ヨーゼフ
がローマ王となり、トスカナ太公国の相続が決まっていた次兄レオポルトが因縁深いスペイン王家と義姉
ルトヴィカとの晴れの婚礼の儀を済ませた直後に、長患いもせず生を終えたことは、ある意味で、とても
幸せだったと思います。慈悲深き神が父帝フランツにたむけたもうた大いなる祝福であると考えております。
ちなみに...
オレ、ふとっちょマックスは、前世はご存じのとおりカトリックでした。ですから父帝のある意味で幸せな
最期について、カトリック風の記載とさせていただきました。現世は一応仏弟子の末席を汚すものにござい
ますので、現世のスタンスで申せば、父帝の幸せな最期は、父帝の積徳のたまものというべきでしょう。
その後...
ママ女帝は、父帝フランツの没後、深い喪に服し、終生喪服を脱ぐことはなかったといいます。
うーん...終生喪服を脱がなかったとされるくだり...オレは何となくいやだなぁ...
これって、父帝が死してもなおママ女帝に利用されたような形ですもん! そうは思いませんか?
 
705カウニッツ:01/11/04 23:07
マックス殿下。
フランツ帝の死によって次女クリスティーネとアルベルト公子との
結婚の最大の障害が除かれたこともまた事実ですよね。
女帝はこの結婚を応援し、フランツ帝は徹底的に反対していましたから。
ある意味、フランツ帝が崩御したのを好機とミミとアルベルトの結婚を
実現させた点で利用したともとれますし…。以前、マックス殿下の書かれた、
ママ女帝は家族の者を利用しまくりっすが胸に響きます。
706世界@名無史さん:01/11/04 23:19
>>705
なんか父の死を喜んだとか本で見かけるんで、
この一件以来、ミミの印象悪くなったよ。
707ふとっちょマックス:01/11/05 04:35
>705ヴェンツェル&706さん
ミミ姉と義兄アルベルト公との結婚は、ロートリンゲン・ハプスブルク家の家系政策には、
まったく実りのあるものではありませんでした。子宝にも恵まれませんでしたし、アウグ
スト強健王の忘れ形見とは言っても、義兄アルベルトは、ザクセン選帝侯家の傍流になっ
てしまってましたからね。
父帝の信条としては、アルベルト義兄と個人的にそりが合わなかった可能性もさることな
がら、エリザベート姉との均衡を考えたのでしょう。
エリザベート姉とツヴァイブリュッケン公家との縁組みを自分で大反対してたたき壊して
おきながら、ミミ姉の恋愛結婚は認める、というママ女帝のえこひいき的やりかたには、
父祖の地をそれこそ死ぬような思いで手放しトスカナ大公となった父帝にとって、我慢の
ならなかったものに相違ありません。エリザベート姉は、その後天然痘を患い、未婚のま
ま修道院で生涯を終えましたが、恐らくママ女帝を深く憎んで亡くなったと思います。
父帝は、このようなエリザベート姉をとても不憫に思っていたようです。
ハプスブルク家に生まれた者には、自由奔放な恋に生きる道は、神と先祖がお許しになら
なかったのです。末子として家庭生活を断念せざるを得なかったオレにいわせれば、ミミ
姉は、ハスブルク家の人間としての義務を放棄した者に他なりません。ミミ姉はその義務
を自ら放棄し、恋に生きる道を選択しました。このような、いわば掟やぶりのミミ姉に、
神と先祖は怒り、ついに子をお授けにはなりませんでした。最期の時が近づいた父帝フラ
ンツは、このような行く末を見通していたのかもしれませんね。

わー、少し神懸かり的になってしまったす。^^;;
708カウニッツ:01/11/05 04:43
アルベルト公子もアウグスト強健王の子息なのに
子供も作れなかったとは父親とは大きな違いですね。
それともミミ様の方に身体的な欠陥があったのでしょうか?
709カウニッツ:01/11/05 05:04
結婚政策はハプスブルク家のお家芸であり、
ハプスブルク家に生を受けた者にとっては逆らえない運命でもあります。
ただ、女帝の万能の宰相となっていた私は、四女アマーリエ様と
ドイツのプファルツ=ツヴァイブリュッケンのカール公子との恋仲を
知りつつもアマーリエ様をイタリアのパルマ公に嫁がせた経緯もあって
さぞ恨まれていたでしょうが……。
ところでマックス殿下、エリーザベト様もツヴァイブリュッケンの方と
そんな経緯があったとは知りませんでした。勉強、勉強!
710世界@名無史さん:01/11/05 11:11
マリア・テレジアの結婚政策のことが話題になってますが、
何かの本で読んだ話だと
「マリア・テレジアの結婚政策はブルボン家との融和に偏重しすぎており、
他のドイツ諸侯との関係強化はほとんど無視されていた。
だから後のドイツの動きにハプスブルクは関与できず、
この点で失敗であった」とされているのですが、
マックス殿下やカウニッツ閣下はどうお考えですか?

既出だったらすみませんが。
711ふとっちょマックス:01/11/06 13:07
ふとっちょマックスっす。
>710さん
うー、オレも実は同じような内容のレスを書き込もうと思ってたんっすよ。
ただ、ハプスブルク家はもともと西欧世界最大のコスモポリタン的大領邦国家と見る
べきであって、民族国家、特にドイツ人の国家と見るべきではないと考えます。(→
633フリードリヒ2世陛下のレス参照。)
ママ女帝の当時は、アルプス以南の王家といえば、ブルボン家が圧倒的で、ほかは
ピエモンテ家、エステ家など、イタリアの小国、あるいはブラガンサ家のポルトガル
ぐらいしかありませんでしたから、ママ女帝とヴェンツェルの政策方針は無理なから
ぬものというべきでしょう。
19世紀の民族主義の高まりを必然的なものであったと考えれば、オーストリアが先
鋭的にドイツ化することは、せっかくそれなりにまとまっていたハプスブルク領を瓦
解させる要因となったかもしれません。失敗と思える選択は、実はそれなりの成功を
もたらしていたのではないでしょうか。
ママ女帝はヴィーナーリッシュ(ヴィーン方言)を宮廷でも話し、いかにもドイツ人
的な女性でしたが、ドイツ人であれば誰でもアルプス以南とイタリアの明るい太陽に
あこがれるものです。(例外:ハンザ同盟諸都市。彼らの目はバルト海やは北方にし
か向いておりませんでした。)だから嫁にいける娘たちの殆どをブルボン家に嫁がせ
たのも、このようにゲーテを典型とするドイツ人特有の憧憬をある意味具現化したも
のと云えるかも...あるいはドイツに偏したハプスブルク家を再びコスモポリタン
な存在に戻そうとする営みだったのかもしれません。

ただ、オレふとっちょマックス個人としては、ハノーバー選帝侯家との縁組みがあっ
てもよかったように思います。だって関係親族は御祖母様だけですもん。
712世界@名無史さん:01/11/07 20:02
私はイタリアは嫌いです。。。
713世界@名無史さん:01/11/07 21:20
(抜粋)…末息子マクシミリアン・フランツは、女帝の子供ではただ一人、
例外的に聖職者の道を歩んだ。そして後には最後のケルン選帝侯になった。
ここに最後のというのは、一八〇六年の神聖ローマ帝国解体とともに、
帝国史上で特異な役割を果たした選帝侯制度そのものが消滅するからである。
ボン大学を創設してライン地方の文化水準を高め、ボン時代のベートーヴェンを
庇護したのは、この「太っちょのマクシィ」と愛称されたマクシミリアン・フランツである。
714ふとっちょマックス:01/11/08 18:28
ふとっちょマックスっす。
>713さん
うーん、照れますなぁ、このような記述を見ると。(笑)
気さくなヤツだったみたいですよ、オレの前世。今と同じっす。
ちなみにボン大学の創設は、確かに1777年のオレの治世中ということになって
いるようですが、先鞭を付けてくださったのは、先代のマックス・フリードリヒ選帝侯
っす。オレはそれを押し進めただけです。なんと申しましょうか、オレのボン大学創設
者の名誉は、先代選帝侯の努力の上に乗っかったようなものっす。それに、ボンという
町は、かの当方3博士が滞在し、人文学者メランヒトン先生が塾を開かれ、またイエズ
ス会の研修機関が置かれたりするなど、もともと文化程度の高い町だったのです。
しかしナポレオン戦争の混乱の中、オレと先代選帝侯とで築いたボン大学の基礎は崩壊
状態となり、ヴィーン会議後、プロイセンの統治下にフリードリヒ・ヴィルヘルム3世
王陛下が、改めて大学を建て直してくださったのです。だから、現在ボン大学の名前に
は、フリードリヒ・ヴィルヘルムの名が冠されております。
何となくではありますが、ここでも我がハプスブルクはプロイセンに1本とられた感じが
しますねぇ。(笑)
715カウニッツ:01/11/08 21:33
マックス殿下。
恥ずかしながら「当方3博士」とは、どなたを指しているのでしょうか。
御教授願えますか?
716フリードリヒ2世:01/11/09 00:04
フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は1810年にベルリン大学(現フンボルト大学)、
1811年にブレスラウ大学を創設している。
当時のプロイセンはナポレオンにより領土を大幅に割譲させられ国難とも言うべき時期であった。
フリードリヒ・ヴィルヘルム3世については意志薄弱、優柔不断といった評価が一般的だが
軍の再建と軍制改革が目先の急務であった時に軍事面だけではなく、明日の国家を背負うべき
人材を育てる大学を創設したことは評価されてよいだろう。
そしてマクシミリアン・フランツ公よ、
貴君のボン大学創設の功績と栄誉はいささかも光を失う事はないぞ。
717世界@名無史さん:01/11/09 00:59
>>715
聖書に出てくる東方三博士の変換間違いじゃないんですか?
718ふとっちょマックス:01/11/09 01:33
失礼!当方ふとっちょマックス、不覚にも当方、当方と東方と変換を間違え
ました。謹んでお詫び申し上げます。正しくは、717さんのおっしゃるとおり、
イエス・キリストの誕生の時に貢ぎ物を持参された東方三博士のことです。
ケルン市の紋章にもなっております。はい。
しかし、ケルンを通るなんて、どういう旅のルートをとったんだろ?
719ふとっちょマックス:01/11/09 01:42
もいっちょ、ふとっちょマックスっす。
>親愛なるヴェンツェル
・・・というわけです。誠に失礼致しましたっす。
>我らがアイドルフリードリヒ2世陛下
有り難きお言葉です。陛下のおっしゃるとおり、フリードリヒ・ヴィル
ヘルム3世陛下がおられなければ、マックス・フリードリヒ選帝候とオ
レの栄誉も無かったわけです。ハプスブルク−ホーエンツォレルンの確執
を越えて、厚く御礼申し上げます。
720カウニッツ:01/11/09 18:21
ケ、ケルン経由でベツレヘム?しかも、西方ではなく東方!
ハプスブルクとは関係が薄いですが、誰か教えてくれません?
721世界@名無史さん:01/11/09 18:27
もちろん、伝説ですよね?
722世界@名無史さん:01/11/10 02:20
伝説から神話へ…。
723世界@名無史さん:01/11/10 02:23
そしてみんな星になる。

・・・終わらせてどうする?
続きをどうぞ↓
724世界@名無史さん:01/11/10 02:33
銀河の歴史がまた一ページ…。
725世界@名無史さん:01/11/11 00:01
ハプスブルク家と歴代の英王室との関係が薄いようなのはやはり宗教問題のためなのでしょうか?
(メアリー1世とフェリペ2世は別にして)
726世界@名無史さん:01/11/11 00:54
そうです。(←あっさり)
727世界@名無史さん:01/11/11 09:49
マン皇帝
728世界@名無史さん:01/11/11 19:42
マリア・テレジアの婿候補に、フリードリヒ2世も上がっていたよね?
やっぱり宗教の違いから成立しなかったみたいだけど、あの2人が
結婚していたら歴史はどうなっていたのか、と、思わず考えてしまう。
729世界@名無史さん:01/11/11 20:49
マリア=テレジアの彼氏ってなんか文学者かなんかではなかったっけ?
結局フランツと結婚しているけど。フランツが皇位継承しようとしたのにたいして
バイエルンなどが蜂起したのがオーストリア継承戦争。
730世界@名無史さん:01/11/11 21:11
>>728 激しく同意!
>>729 マリア・テレジアは初恋もフランツだよ。文学者なんて話は
聞いたことがない!それとオーストリア継承戦争はフランツの皇位
継承なんて関係ない!マリア・テレジアがカール六世の定めた
プラグマーティッシェ・ザンクツィオーンに則って全ハプスブルク領
の一括相続をしようとしたのに諸国がいいがかりをつけて始まった。
731世界@名無史さん:01/11/12 00:19
>725 オーストリアに限って言えば、あれぐらい離れた国同士密に外交関係を結ばなければならないような時代になってきた頃には既にイギリスは議会政治になってたからじゃないの…
732世界@名無史さん:01/11/12 12:01
>>731
再び、激しく同意!
733世界@名無史さん:01/11/12 18:04
>>729 何を根拠にそうなる訳?
>>730 やっぱりそうだよね!
734世界@名無史さん:01/11/12 19:26
どうでもいいけど、プラグマテックサンクションって山川の用語集にないよね。
あと、たしかマリアテレサには文学者かなんかの彼氏がいたはずですよ
735>>734:01/11/12 19:42
プラグマテックサンクション?
マリアテレサ?
ギャグっすか?
736ふとっちょマックス:01/11/13 13:19
ふとっちょマックスっす。
>729,730,734さん
ママ女帝には、文学者の彼氏などおりませんでした。
統治者としての資質が勝るあまり、父帝以外の恋愛沙汰にあまりにも無縁であった
ので、それではつまらないと思った周囲の人々が脚色してくださったのでしょう。
或いは風紀監督委員会の創設(→307)で恨みに思っていた人々も多かったでしょう
から、そのような話が出てきても仕方がないでしょうね。
ただ、当時の王侯貴族の「不倫よろめきあたりまえー」の風潮から見れば、ママ女帝
は特異な存在。本当につまんないですぅ。

父帝フランツは、幼少のみぎりよりヴィーンの宮廷に出入りしており、御祖父様帝
カール6世に可愛がられておりました。ママ女帝もこのような父帝と過ごす時間が
多く、730さんのおっしゃるように、父帝は初恋の人でした。
フランスとの微妙な関係を押し切るように結婚したのも、御祖父様帝の庇護とママ
女帝の初恋を貫こうとする意志が強かったからに他なりません。プロイセン王太子、
後のフリードリヒ2世陛下との婚姻を押し進めたバルテンシュタイン男爵が次第に
遠ざけられたのも、むべなるかな、と申し上げてよいでしょう。
ママ女帝の当時は、宗教戦争の影は薄くなり、御祖母様帝妃はプロテスタントのヴ
ェルフェン家の出です。ミミ姉だって、プロテスタントのザクセン公子アルベルト
と結婚し、義兄アルベルトの弟は、プロテスタント諸侯出身なのに、カトリックの
トリアー大司教になっています。だからママ女帝の結婚相手もカトリック王家や諸
侯に限られたわけではなかったのですが、それ以上にママ女帝のカトリック信仰が
強く、父帝の存在もありましたから、実現しなかっただけです。
737ふとっちょマックス:01/11/13 13:41
もいっちょ、ふとっちょマックスっす。
>725,731さん
イギリス王家との縁組みは、当時はハノーバー選帝侯家との縁組みを
意味することを忘れないで欲しいっす。イギリスで議会政治が発達した
のは、ハノーバー選帝侯ゲオルク公が、英語が話せず、自らのイギリス
統治に無関心であったことによるものです。宗教の違いで考えるのは、
ちょっとどうかなと思うな。
ちなみにハノーバー選帝侯家との縁組みを進めた場合、ヴェンツェルと
ママ女帝の外交革命に支障が生じた可能性が考えられます。当時英仏は
アン女王戦争、ジョージ王戦争など、熾烈な植民地戦争を繰り広げ、対
立しておりましたので。両方への肩入れは、両方からそっぽを向かれる
こともありえたでしょう。
オーストリア継承戦争当時のイギリスの大陸政策、すなわち大陸での勢
力均衡のためには冷淡な態度をとられる、という憂き目を経験していた
ので、どちらを取るかと云われれば、フランスを選択したのは、十分に
頷けます。
738カウニッツ:01/11/13 18:10
マックス殿下に要点を説明したレスを頂いたので、私の出る幕はないようです。
マックス殿下、ありがとうございました。
>>729さん、>>734さんもこれをきっかけにこのスレで遠慮せずに発言して下さいね。
私の分かる範囲でなら御教え出来ますし、上のレスを書いたマックス殿下もいらっしゃいますので。
ところで、マックス殿下、アウグスト強健侯は300人以上(←うろ覚え)庶子が居ましたですよね?
そのすべてに社会的地位を与えていったのは大変だったのではなかったでしょうか?
何かご存知でしたら教えて頂けませんか?
あと、アルベルト公子の弟がトリアー大司教になっていたとは知りませんでした。
739世界@名無史さん:01/11/13 20:31
ためになるage!(~O~)/
740世界@名無史さん:01/11/17 20:41
ルドルフ2世の時、ポーランドの王位も獲得出来そうだったのが、
彼の無能さ故に失敗したと聞いたのですが……
もし本当ならオーストリア・ハプスブルクは凄いことになっていたと思うんですけど……
741725:01/11/18 12:31
>>363でカウニッツ氏が紹介しているエピソードについてですが、ヨーゼフを抱いたマリア・テレジアがプレスブルクのハンガリー議会で演説する肖像画を見たことがあります。
ただし、実際はヨーゼフはウィーンに残っており、演説は単独で行ったといいます。
742カウニッツ:01/11/18 16:26
良くご存知ですね。その通り、あれは実話ではないんですよ。
743世界@名無史さん:01/11/18 17:28
>740 王位ねらってたのってバイエルン公だけじゃなかったの?
744世界@名無史さん:01/11/18 17:32
メキシコ皇帝マクシミリアン大公の話をしようではないか!
745世界@名無史さん:01/11/19 17:52
あのー、マリア・ヴァレリーに兄弟がいたような気がするのですが、何人いて、あと名前もできれば教えていただきたいのですが・・・・。
いなかったらすいません、その辺の家系を教えてください。初歩的な質問で申し訳ないです。。
ところで皆さん、ウィンナーソーセージってありますよね?あれをウインナーと省略して
言う方も多いと思いますが、あれはドイツ語で「ウィーンのソーセージ」という意味なのです。
つまり、ウインナーは「ウイーンの」となるわけで、全然意味不明なのですね、、(^^;
すいません、関係ない話で。。はは。
746世界@名無史さん:01/11/19 17:57
マリー・アンとワネットはよい女だったそうですが
マジすか?
747世界@名無史さん:01/11/19 20:40
>745
フランツ・ヨーゼフ帝の皇女マリー・ヴァレリーのことでしょうか?
ルドルフ皇太子のほか、ゾフィとギーゼラの姉妹がいます。マリー・
ヴァレリー自身は三女だったはず。

マックス様、カウニッツ様、違ったらフォローおねがいします!(^^;
748747:01/11/19 20:41
おっと、age忘れた
749世界@名無史さん:01/11/20 00:08
>>740>>743
情報キボンヌ!
750ふとっちょマックス:01/11/20 20:14
ふとっちょマックスっす。
皆様にお詫びを申し上げなくてはなりません。
ミミ姉の夫君アルベルト公は、ザクセン選帝侯・ポーランド王アウグスト強健王の
忘れ形見ではなく、アウグスト強健王の「孫」で、ザクセン選帝侯・ポーランド王
アウグスト3世の忘れ形見です。スマソ...鬱だ氏のう...
どうも時系列的に考えて整合性がとれないので、おかしいな、と思っていたのですが、
オレの読んだ文献の著者が違えていたようなのです。ま、両方ともアウグストですか
ら、間違うのも無理無からぬことでしょうけど...
ちなみに...プロテスタント諸侯であったザクセン選帝侯アウグスト強健王は、選挙
王制を取っていたカトリック国のポーランド王になるや、カトリックに改宗したようで
す。ザクセン−ポーランドの同君連合は、アウグスト強健王の息子アウグスト3世の死
とともに解消しました。

>親愛なるヴェンツェル
ザクセン関係になると、少し暗いもんで、アウグスト強健王のレス、もう少しお待ちを。
751カウニッツ:01/11/20 20:39
>マックス殿下
何時までもお待ちしております!私も人に言えるほどザクセン関連は
明るくないので…。知ってる事といえば、ウィーン会議の時にプロイセンに
国土の半分を取られたぐらいでして(それでも良い方でしたけど…)。
752世界@名無史さん:01/11/20 21:10
>747
ああ!そうです、そのマリア・ヴァレリーです!お姉さまがいらしたんですねー。ルドルフ皇太子がいたのは覚えてたのですが。。
ゾフィとギーゼラって、すごい名前ですね。。どこかで聞いた事があるような。かっこいい名前だ。速レス、ありがとうございました!
753725:01/11/21 02:03
ザクセンのヴェッティン家関連の話題です。
アウグスト3世無き後のポーランド王スタニスワフ・ポニャトフスキ(一時ロシアのエカチェリーナ2世の愛人だった)はポーランド分割によって結局ポーランド最後の国王となっていますが、
後にナポレオンによってワルシャワ大公国が建国されたとき、ザクセン王となっていたフリードリヒ・アウグスト1世がワルシャワ大公となりました。
ザクセンは1806年のライン同盟成立の際王国となり、1918年まで王政が存続しました。(首都ドレスデン)
754カウニッツ:01/11/21 17:54
>1918年まで王政が存続しました
王政といっても形だけですよね?政治の実権はどうだったのでしょうか?
755カウニッツ:01/11/21 18:10
ドイツ皇帝(ドイツ帝国)→ザクセン王(ザクセン王国)
って、
神聖ローマ皇帝(神聖ローマ帝国)→ベーメン王(ベーメン王国)
に似てますね。
756カウニッツ:01/11/21 20:23
マクシミリアン1世について正しい記述を全て選んでください。
@フェルディナント1世の祖父である。
A子供は10人以上いた。
Bヴァレンシュタインを皇帝軍総司令官に任命した。
C「中世最後の騎士」と謳われた。
Dギネガテの戦いでフランス軍を破った。
E所持品に「A.E.I.O.U.」と刻ませた。
Fローマのヴァチカンで戴冠式を挙げた最後の皇帝である。
757725:01/11/22 00:40
>>754
ザクセンやバイエルン、バーデン、ヘッセンなどの諸国は、統一後も内政での自治権が認められていたと
記憶していますが、自信がありません。
758725:01/11/22 00:43
>>756
Eはフリードリヒ3世皇帝のことですよね。
@とCとDが○。
AとBは×。
759世界@名無史さん:01/11/22 00:50
Fもフリードリヒ三世ですよね。
760カウニッツ:01/11/22 05:04
答えを書いておきます。
@○、A×、B×、C○、D○、E×、F×です。
ということで、「@とCとD」が正解でした。
>>758さん、おめでとうございます!
A子供はフィリップ美公とマルガレーテの2人だけです。
Bはフェルディナント2世です。
EFは>>758さん、>>759さんの言う通り、フリードリヒ3世のことです。
761カウニッツ:01/11/23 01:20
カール5世について下記の問いに答えて下さい。
@神聖ローマ皇帝に選ばれた日。
A新皇帝カール5世の即位当時の肖像画を描いた人物。
Bカール5世は戴冠式を挙げた場所(2箇所両方)。
Cカールが最晩年を過ごした別荘の隣にある修道院の名前。
D1522年のブリュッセル和約の内容の概略。
E「サッコ・ディ・ローマ」時の教皇。
Fカール5世の庶子マルガレーテと結婚した、教皇パウル3世の孫の名前。
Gカール5世を若い頃から苦しめた持病とは?
Hカール5世の人生の標語は何か?
Iカール5世(カルロス1世)の祖父母4人全て挙げて下さい。
762世界@名無史さん:01/11/23 01:33
カール5世について わかるのだけとりあえず
1.1519年6月28日
3.アーヘン、ボローニャ
4.ユステ修道院(自信ない)
763762:01/11/23 02:51
続きです。

2.ティツィアーノ
5.ブルゴーニュ公領の権利を放棄しない旨の遺言を作成した。
6.クレメンス七世
7.フィレンツェ公アレッサンドロ・デ・メディチ
8.癲癇(自信なし)
9.もっと先へ(プルス・ウルトラ)
10.母方の祖父母はアラゴン王フェルナンド5世とカスティリャ女王イサベル1世
父方の祖父母はマクシミリアン1世とブルゴーニュ公シャルル突進王の娘マリア
764世界@名無史さん:01/11/23 19:52
(~O~)/age
765世界@名無史さん:01/11/23 21:36
アレッサンドロ・デ・メディチはクレメンス七世の庶子では
ありませんでしたか?
パウル三世はファルネーゼ家の人だったはずですが…。
766カウニッツ:01/11/24 02:05
@1519年6月28日
Aオルレイ
B「アーヘン」と「ボローニャ」
Cサン・ユスト修道院
Dハプスブルク家全体のスペイン系とドイツ系の分離
Eクレメンス7世
Fオッタヴィオ・ファルネーゼ
G痛風
H「もっと先へ(プルス・ウルトラ)」
I神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世、ブルゴーニュ公女マリア、
アラゴン王フェルナンド2世、カスティリャ女王イザベル1世
767カウニッツ:01/11/24 02:14
↑のI×イザベル、○イサベルorイサベラ
768カウニッツ:01/11/24 02:16
イサベルとイサベラの違いが分かりません。誰か教えて!
769725:01/11/24 02:28
>>768 カウニッツ様
スペイン語表記ではイサベル(Isabel)だと思います。
770カウニッツ:01/11/24 02:37
>>769さん、どうもです!
ところで、「イサベラ」は何語でしょうか?
771725:01/11/24 10:23
http://village.infoweb.ne.jp/~isamun/monarchs/etcdata/namespell.html#iによると、イサベラ(Isabella)はラテン語やポルトガル語表記のようです。
772世界@名無史さん:01/11/24 17:29
D.H.ロレンスのヨーロッパ史にこんなくだりがありました。
「カール五世はハプスブルク家出身であった。この家系は、代々多くの神聖ローマ帝国皇帝を
出したものの、偉大な人物はほとんど出ていなかった。」
「ホーエンシュタウフェン家は、ホーエンツォレルン家が、権力を掌握する前に
消え去ってしまった。バルバロッサは、ハプスブルク家―偉大な人物を輩出することは
ほとんどなかったくせに、あんなにも広大な領土を何世紀にもわたって支配した王家―
を見落としていた。」
「特にハプスブルク家は、ホーエンツォレルン家の強国へと伸し上がってくるしっかり
した力を妬んだ。」
773世界@名無史さん:01/11/26 12:04
D.H.ロレンスと「アラビアのロレンス」って同一人物?
774世界@名無史さん:01/11/26 18:08
アンジュー家について教えて。
カール大帝のスレが亡くなった今、ここしかないから。
フランス系?ノルマン人系?
775コペルニクス:01/11/26 18:50
>774
アンジュー家だけにジュー(ユダヤ人)系です。
776世界@名無史さん:01/11/26 18:53
>>775
え、本当ですか?嘘だったら火刑ですよ(T=T)。
777シャクティパット:01/11/27 19:01
>>776
これは定説です。
778カウニッツ:01/11/28 20:16
>>777のキリ番さん、僕も知りたいのですが、アンジュー家って本当にユダヤ系なのですか?
779世界@名無史さん:01/11/28 20:27
>>773,>>774,>>776,>>778
大丈夫!ふとっちょマックス君が答えに来てくれるさ!
780世界@名無史さん:01/11/28 21:05
>779
ふとっちょマックスは糖尿にかかって死んだってホント?
781世界@名無史さん:01/11/28 21:16
?
?
?
?
?
?
782世界@名無史さん:01/11/29 01:26
>>781
sageならわざわざ書き込むな!サーバーに負担がかかるだろうが!
783725:01/11/29 01:53
>>778
アンジュー家がユダヤ系というのはさすがにないと思います。
アンジュー家と言ってもガティネ家・カペー家系統があります。
784カウニッツ:01/11/29 02:09
725さん、詳しい情報キボンヌ!
785ふとっちょマックス:01/11/30 17:40
ふとっちょマックスっす。おひさしぶりっす。
ずいぶん進んでますねぇ。オレもヴェンツェルも、カール大帝陛下には、遠く及び
ませんです。畏れ多いことです。>779さん
さて、親愛なるヴェンツェル、ザクセンのヴェッティン家関連について、オレが知
っていることと云えば、アウグスト強健王の嫡出子は、ミミ姉の夫君アルベルト公
の父君フリードリヒ・アウグスト2世選帝侯だけであったということ、美城で名高
いピルニッツ城の事実上の城主が、アウグスト強健王の愛妾のひとりであったコー
ゼル伯爵夫人であったということ、ぐらいです。アウグスト強健王の庶子が300
人というのは、手当たり次第にえっちをしまくったアウグスト強健王の下半身の栄
誉に預かろうと、自己申告の御落胤が相次いだことによるものと思われます。
オレの推測ですが、庶子として新しく公家を創設したという文献が殆ど見られない
ため、フリードリヒ・アウグスト2世公が何らかの「整理」、たとえば、公家創設
ではなく、代限りの年金賦与などの措置をとられた可能性が高い、と考えます。
ちなみにザクセン選帝侯家であるヴェッティン家と我がハプスブルク家とのからみ
で云えば...
フリードリヒ・アウグスト2世選帝侯の御正室マリア・ヨゼファ選帝侯妃は、ハプ
スブルク家の出身です。大伯父様帝ヨーゼフ1世陛下の息女です。
786ふとっちょマックス:01/11/30 17:51
もいっちょ、ふとっちょマックスっす。
フリードリヒ・アウグスト2世選帝侯が、唯一の嫡出子、というのは、
少し誤解を招くので、補足っす。正しくは、唯一の選帝侯位継承者で
ある男子嫡出子、です。
>780さん
オレ、ふとっちょマックスの死因ですが、はっきり申しまして「食べ過ぎ」
によるものです。もちろん糖尿も出ていたでしょう。今で云う生活習慣病
の殆ど全てを併発して生を終えたものと思われます。
ちなみに、アウグスト強健王も晩年は、間違いなく糖尿で苦しんでおられ
たようです。従って、晩年は「強健王」の「局部」機能は失われていたで
しょうね。
787マティアス・クラウディウス:01/12/03 20:30
彼女は平和を築いた。私はそれを歌おう。
国民の喜び、国民の幸福だった。
そして足どりも軽く、心やすらかに、
友なる死のもとへ歩んだ。
世界を征服した者にも、それはとてもできない。
彼女は平和を築いた。私はそれを歌おう。
788Maria Theresia:01/12/03 20:59
私のことかしら?
789725:01/12/04 21:02
>>784 カウニッツ様
とりあえず、アンジュー祖家・ガティネ家とカペー系アンジュー家の系図を出しておきましょうか。
http://village.infoweb.ne.jp/~isamun/monarchs/people/anjou.html
http://village.infoweb.ne.jp/~isamun/monarchs/people/capet-anjou.html
そもそも綴りがjewとjouで違っているので、ユダヤ系ということはなさそうです。
アンジュー伯フルク3世(アンジュー祖家)の娘・エルマンガルドがガティネ伯ジョフロワ5世に嫁ぎ、その息子のジョフロワ3世とフルク4世がアンジュー伯位を継承しました。
ジョフロワ4世(アンジュー伯、ノルマンディ公)の長男アンリが1154年にイングランド王ヘンリー2世となり、英国のプランタジネット朝が始まります。
カペー系アンジュー家は、フランス王ルイ8世の息子シャルルが1246年にアンジュー伯位を授けられたのが始まりであり、結婚政策によって一時はナポリやハンガリー、ポーランドの王家ともなりました。
790725:01/12/04 22:46
>>789の続き
カペー系アンジュー家とハプスブルク家の間には、ナポリ女王ジョヴァンナ2世(在位1414〜1435)の最初の夫がシュタイアーマルク公ウィルヘルム(在位1386〜1406)という繋がりがあります。
791カウニッツ:01/12/05 18:33
アンジュー家って、思ってたより遥かに凄い家系ですね!
725さん、ありがとう。
792世界@名無史さん:01/12/12 22:02
アチャ―…随分沈んでるなぁ…カウニッツやふとっちょマックスはどうしたんだ?
793プリンツ・オイゲン:01/12/12 23:57
世間のテレビ局では、大家族などとほざいておるが、16人の子を産みかつ、
ハプスブルク国家の大黒柱であった、マリア・テレジア女帝に比べれば、甘いの〜。
794世界@名無史さん:01/12/13 01:43
>793 あれは普通の家が、殆ど二人だけできりもりしていってるとこがすごいんだって。まあ確かに戦争中だってのに子供生みまくるっていう精神もなかなかすごいが。
795世界@名無史さん:01/12/13 03:49
すみません、ヨーゼフ2世の妻、イザベラ フォン パルマ、
彼女に1票です。
彼女の生涯について調べてるのですがなかなかありません。
日本語か英語でお勧めの書籍、サイト等ありませんでしょうか?
検索のヒントだけでもいただければ光栄です。
796725:01/12/13 16:11
既出かもしれませんが、イザベラの弟フェルディナンドの妻がヨーゼフの妹アマーリエですよね。
797>>725:01/12/14 18:12
そう、パルマのフェルナンドの妻はマリア・テレジアの四女アマーリエどす。
798…、:01/12/14 18:20
アマーリエは以前に小国プァルツ=ツヴァイブリュッケンのカール公子と
恋をしたことがあった。若者たちは深く契りあって、将来を約束しあうまでに
なっていた。しかしクリスティーネの場合のようには、うまくいかなかった。
女帝の万能の宰相カウニッツが相手を、身分不相応として拒絶したからである。
799725:01/12/14 20:51
カール公子は後にプファルツ=ビルケンフェルト=ツヴァイブリュッケン公となっているはずです。
ザクセン出身のマリア・アマーリエ公女と結婚しています。
800>>799:01/12/15 01:00
だからなに?
801革命的プランタジネット派:01/12/15 01:03
800のキリ番獲られた…くっそー…
802革命的ハウクヴィッツ派:01/12/15 01:07
このスレの宰相カウニッツ伯はどこにいるんだ?
803メッテルニヒ:01/12/20 17:15
カウニッツ侯爵の孫婿でライン地方出身のメッテルニヒと言います。
当分、病気の義祖父カウニッツの代わりに僕がきりもりさせてもらいます。
宜しく。
804世界@名無史さん:01/12/24 20:13
メッテルニヒさん、よろしくage
805オリーブ:01/12/25 15:05
ヨーゼフ2世って贅沢を嫌いとても庶民的な君主だったと聞いたのですが。
あのマリー・アントワネットの兄とは思えませんね。
そう言えば、その妹を訪ねた時、一応お忍びで貴族の偽名を使ってフランスへ
行ったそうですね。気さくな人柄でフランスの宮廷でも大人気だったとか。
806世界@名無史さん:01/12/26 16:30
(~O~)/age
807518:01/12/30 18:15
今日本屋で立ち読み中、偶然にマックス大公見つけたよ〜。
結婚前のマリー・アントワネット他何人かの兄弟と一緒に。
思ってたよりずっとスリムじゃんって思った。
それとも太るのはずっと後の事?
あの肖像画はまだ少年っぽかったもんね。
808フリードリヒ2世:01/12/31 01:35
メッテルニヒ公よ、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は手玉に取れても
私はそう簡単には行かないぞ。
貴公にカウニッツ伯ほどの力量があるかどうか、
しばらく様子を見させてもらおう。
809メッテルニヒ:01/12/31 19:37
2002年も宜しくです!(byカウニッツ)
810オーストリア皇帝フランツ1世:02/01/03 16:23
>>息子のフェルディナントも頼むぞ…
811オーストリア皇帝フランツ1世:02/01/03 16:24
メッテルニヒ公爵、息子のフェルディナントも頼むぞ…
812エカテリーナ2世:02/01/07 17:14
プロイセン王ったら私に対しては卑屈なのに…
813ポンパドゥール侯爵夫人:02/01/07 17:18
プロシア王、七年戦争は私を甘く見た罰よ!
814世界@名無史さん:02/01/07 19:48
なんて豪華なメンツだ…
815ふとっちょマックス:02/01/08 02:11
ふとっちょマックスっす。月並みですが、あけおめ〜、ことよろ〜。
御無沙汰してました。今年も皆さんにとって良い年でありますように。
ちなみにオレは赤ん坊の時は太っておりました。6〜10歳ごろ、一回
やせましたが、あとはずっとふとっちょでした。特に死の直前は,,,>807さん
メッテルニヒ侯はコブレンツのお生まれでしたよね。ここはデュッセルドルフと
並んでフランス亡命貴族が革命を避けて多く住んでいた町です。貴公の洗練された
外交手腕はここで培われたのでしょう。御活躍を期待します。>メッテルニヒ侯
オレが大司教であったラインラント地方は、ドイツとしては明るい人達が多かった。
良いワインも取れたし、フランスに対しての敵対心も希薄な土地柄でした。
此度は、ママ女帝と並ぶペチコート御両人もお出ましいただきました。>812,813
親愛なるヴェンツェル、フリードリヒ2世陛下、今年も宜しくフォローのほどを。
816カウニッツ(復活!):02/01/08 16:55
ふとっちょマックス殿下のことですから女性全般を指して”ペチコート”と
言われたと思うのですが、誤解のないように一応。フリードリヒ陛下を苦しめた
三枚のペチコート同盟とは、マリア・テレジア女帝、ポンパドゥール侯爵夫人、
そしてエカテリーナ2世ではなくエリザヴェータ女帝(確か、エリザヴェータ2世だったような…)
です。
マックス殿下、フリードリヒ2世陛下、その他のこのスレをご覧の皆さん、
今年も宜しく御指導下さいませませ。。。
817725:02/01/08 18:58
>>816
エリザヴェータ女帝は2世ではないですね。
今年もよろしくお願いします。
818ふとっちょマックス:02/01/09 11:06
ふとっちょマックスっす。
わー、年頭からフォローしてくださいましたね。有り難う。>親愛なるヴェンツェル
3枚のペチコート同盟は、間違いなくママ女帝、ポンパドゥール侯爵夫人、
エリザヴェータ女帝の3人です。ちなみにエリザヴェータ女帝は、かのピョートル
大帝の息女。オーラきつそうですよね。この3人。
ちなみにもうひとつ、自分でフォローしなくてはならないことが...
オレがケルン大司教となるかならないかの頃、トリアー大司教であったのは、ミミ姉
の夫君アルベルト公の「弟」ではなく、「兄」のカール公でした。ザクセン関連は暗い
もんで、また当時の王家の通例として末子が聖職に就くことが念頭にあったもんで、
間違えてしまいました。スマソ... 
819カウニッツ:02/01/09 16:49
725さん、ありがとうございます。
エリザヴェータ女帝は2世ではなく単にエリザヴェータでした。
うろ覚えで書いたので間違いました、ごめんなさい。

☆ロシア帝国:エリザヴェータ女帝(在位1741−61)
父・ピョートル1世(大帝)、母・エカチェリーナ1世(ピョートル1世の妻、素姓は賤しい)。
820ロシアのイヴァン四世だが、:02/01/10 19:19
勉強になるぞ!
821フリードリヒ2世:02/01/18 22:46
今日は祖父フリードリヒ1世が1701年にケーニヒスベルクで
プロイセンにおける王としての戴冠式を挙げた日である。
プロイセン王国の建国記念日又は成立記念日とも言える日だ。
それを記念して此処を上げておいてやろう。
822ロシア娘エカチェリーナ:02/01/22 20:26
久しぶりのフリードリヒさんだわ!
823フリードリヒ2世(皇帝):02/01/22 22:24
ハプスブルグというとわが臣下に過ぎなかったというのにここまで栄えるとはな。
朕が一門にしておきたかったものよ。
824ルドルフ・フォン・ハプスブルク:02/01/22 23:02
その節はお世話になりました。ホーエンシュタウフェン皇帝陛下。
825カウニッツ:02/01/23 02:38
蒸し返して悪いのですが、カペー系アンジュー家のナポリ王カロベルトは、
1308年にアールパード朝の断絶後のハンガリーでもカーロイ1世として
即位していたのですね。更に1370年にはピアスト朝の断絶後のポーランドの
王位までアンジュー家は手に入れていたのですね。ハプスブルク家並の結婚政策
ですね。ところで、「ヴィシェグラード条約(反ハプスブルク同盟)」の内容を
ご存知のの方、教えて下さい。また、そこまで版図を広げたアンジュー家は、
結局どうなってしまったのですか?情報希望です!
826世界@名無史さん:02/01/24 02:59
age(~O~)/AGE
827世界@名無史さん:02/01/26 04:03
アンジュー家は以外な広がりをみせる。
828世界@名無史さん:02/01/28 10:27
広がらないな〜…。
829カウニッツ:02/01/29 21:25
ふとっちょマックス殿下でもカール大帝陛下でもフリードリヒ2世陛下でも
誰でも良いのです。825にカキコしたことについて教えて下さ〜い!!
830ふとっちょマックス:02/02/01 19:24
ふとっちょマックスっす。おひさしぶりっす。
>825 親愛なるヴェンツェル 一部レスですが...
14世紀のハンガリーは、王家がころころ変わった時代でした。
アンジュー家のカロイ・ローベルト王の前は、かのヴィッテルスバッハ家のオットー王。
カロイ・ローベルト王は、ピアスト朝ポーランド王ヴワティスワフ2世の息女と結婚し、
その御子息が、大王と呼ばれる名高いラヨーシュ1世です。
カロイ・ローベルト王、ラヨーシュ1世両王陛下ともに、我がハプスブルク家のような
結婚政策を押し進めたのですが、確かラヨーシュ大王陛下のたった一人の世継ぎは、不
幸にも暗殺されたんじゃなかったかな。
それでハンガリー王位は、今度はルクセンブルク家の神聖ローマ皇帝ジギスムントのもの
となりました。ジギスムント帝陛下は、ラヨーシュ大王の娘婿だったからです。
この時点では、ハンガリー王位は、我がハプスブルクと縁がありませんでした。
しかし...
アールパード朝の時代に、我がハプスブルク家高祖(?)ルドルフ1世陛下の息女が、
ハンガリー王家に嫁いでいるようです。

アンジュー家は、ハンガリーには安住しなかったのです。
831ふとっちょマックス:02/02/04 02:02
ふとっちょマックスっす。
>825 親愛なるヴェンツェル
1335年のヴィシェグラード条約は、反ハプスブルク同盟の形成がその内容だったの
ですか? オレは、ベーメン王とポーランド王との間の家領取り決めだったと思っ
ていたのですが...この当時、我がハプスブルク家が、反ハプスブルク同盟を形
成されるほど、強力だったとはとても思えませんので...
オレの把握してるヴィシェグラード条約の内容は、東欧の覇権を争っていたルクセ
ンブルク家とアンジュー家とのとの間で、ルクセンブルク家のベーメン王がピアス
ト朝断絶後のポーランド王位を放棄する代わりに、シュレジエンの領有を獲得し、
アンジュー家ハンガリー王は、ポーランド王位を獲得した、というものでしたが...
ちなみに、ヴィシェグラード条約当時の神聖ローマ皇帝は、ヴィッテルスバッハ家
のルートヴィヒ4世陛下。ところがこのルートヴィヒ4世陛下の母君は、わがハプ
スブルク家のマティルデ・プファルツ選帝候妃殿下。このマティルデ妃殿下も、我
がハプスブルク家高祖(?)ルドルフ1世陛下の息女です。

ところでルドルフ1世陛下の息女でハンガリー王妃となったのは、カタリナ妃殿下
です。これは、アールパード朝ではなく、ヴィッテルスバッハ家のハンガリー王、
すなわちオレが前レスで言及したオットー1世王陛下の奥方です。前言訂正。スマソ・鬱...
我が高祖ルドルフ1世陛下の結婚政策の片鱗が窺われます。
832ふとっちょマックス:02/02/04 02:19
もいっちょふとっちょマックスっす。
「アンジュー家のハンガリー王がポーランド王位を獲得した。」という表現は
正確ではないかも...そのころは、カロイ・ローベルト王がハンガリー王で
したから。
1370年は、ラヨーシュ大王のもとに、ポーランドとハンガリーが同君連合を形成
した年です。ヴィシェグラード条約後、波洪同君連合に到るまでの間、ポーラン
ドはどうなっていたのでしょうか?
833カウニッツ:02/02/04 03:02
もう少し自分で調べて見ます。
834世界@名無史さん:02/02/06 21:21
NHK放送中だよ
835世界@名無史さん:02/02/06 22:44
そうそう、プリンチップがね・・・。
836世界@名無史さん:02/02/07 07:21
朝age…
837世界@名無史さん:02/02/09 02:02
オーストリア・ハプスブルク家は一時期ポーランドの継承権が有ったみたいですが、
それは18Cのポーランド継承戦役と関係が有るのですか?
838世界@名無史さん:02/02/09 10:30
>>837
ポーランド継承戦争は
ポーランド王兼ザクセン選帝侯アウグスト2世の死に引き続いた、典型的な代理戦争。

ロシア&ハプスブルク→ザクセン選帝侯アウグスト3世(2世の息子)→勝ち
VS
フランス→Stanislas Leszczynski(何て読むんだ?)→負け

実はザクセン選帝侯家とスタニスラス某はポーランド王位をめぐり
大北方戦争以来の宿敵関係であった。
スウェーデン(カール12世)→スタニスラス・某
ロシア(ピョートル1世)→アウグスト2世

ハプスブルクの継承権のことは知らないんだけど、
ポ継承戦争の原因には直接関係は無いんじゃないでしょうか。
839725:02/02/09 11:25
>>838
スタニスラス・レシチンスキはルイ15世の義父でした。
(娘のマリーが王妃だった)
敗戦後ロレーヌ公となっています。
840これがワシのゼロ戦じゃあ:02/02/09 11:43

 ∩     ∩
 ヽ彡 ⌒ ミ/   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´∀`) <  わ〜い、わ〜い、わ〜い♪
   |    |    \____________
  ⊂______ |   
      ∪
ミカタン カワイイ モエ- ミカタン カワイイ モエ- ミカタン カワイイ モエ-
http://hpcgi1.nifty.com/thama/resbbs/resbbs3.cgi
841838:02/02/09 21:59
>>839
サンクス。

そんで自分もちょっと調べてみたところ、
この人ロレーヌ公になってからはグルメとして面白可笑しく暮らしたみたいですね。
マドレーヌ菓子の名付け親らしい・・・・
うらやましい。

http://www.ne.jp/asahi/meringues/net/hist/leczynski.htm
842これがワシのゼロ戦じゃあ:02/02/11 00:19




 ∩     ∩
 ヽ彡 ⌒ ミ/   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´∀`) <  わ〜い、わ〜い、わ〜い♪
   |    |    \____________
  ⊂______ |   
      ∪
ミカタン カワイイ モエ- ミカタン カワイイ モエ- ミカタン カワイイ モエ-
http://hpcgi1.nifty.com/thama/resbbs/resbbs3.cgi



843カウニッツ:02/02/12 00:31
>840,842
うざいっす。
844ふとっちょマックス:02/02/13 18:03
ふとっちょマックスっす。
我が父フランソワ・エティエンヌ・ド・ロレーヌは、ロレーヌ家最後のロレーヌ公
でした。で、実際上の最後のロレーヌ公は、昨今話題に登場しておられるポーランド王
スタニスラス・レシチンスキ公であったわけです。このスタニスラス・レシチンスキ公
の治世の後、ロレーヌは、フランス王国に吸収・併合されてしまいました。しかし
ロレーヌに住んでいる人たちは、普通フランス語を話していたので、この併合には、
さほど違和感はなかったものと思われます。但し父方の御祖母様は...
845カウニッツ:02/02/14 16:19
>マックス殿下
確か、フランツ帝の母君は「お前は故郷をなくしてしまうんだよ」のようなことを
フランツ帝に苦言を述べたのでしたっけ?
846ふとっちょマックス:02/02/14 20:50
>親愛なるヴェンツェル
 そうです。さすがによくご存じですね。父帝フランツの母君、すなわちオレの父方の
 御祖母様エリザベート・シャルロット公妃は、オルレアン家(ルイ13世系)の出で
 したので、たとえトスカナ大公国のほうが格が上であっても、やはりロレーヌの地へ
 の執着は捨てがたかったようです。当然だと思います。父祖伝来の土地ですもん。
847カウニッツ:02/02/15 01:52
オーストリア継承戦争の時、プロイセンと和平を結んでいた間一時的にオーストリア軍が
ロレーヌを奪回した時がありましたよね。でもすぐフリードリヒ2世がベーメンに
侵攻してきて邪魔をするんですよね。オーストリア領は守りづらいですね。ふー。
848メディチ家:02/02/18 00:14
我が国がハプスブルク・ロートリンゲン家のものに…
849ギシュクラ・ヤーノシュ:02/02/18 23:42
マックス殿下
ラディスラウス王の御世にお仕えした傭兵隊長風情でございます。
>830
ラヨシュ1世陛下には確か娘さんしかなく、ヤドヴイガさまがポーランド王
にマリアさまがハンガリー王におなりあそばしたのではありませんでしたか。
ジギスムントは摂政として共同統治の形になっていたと記憶いたします。
850カウニッツ:02/02/20 00:57
神聖ローマ帝国の選帝侯やハンガリー、オーストリア・ハンガリー二重帝国などの
スレが立っているようですが、このスレもそういった話題にも対応できる様に
します(マックス殿下や皆さんも協力お願いします)ので、どんどん来てくださいね〜♪
851カウニッツ@○×クイズ:02/02/20 08:32
@オーストリア・ハンガリー二重帝国が成立したのは1867年である。
Aハプスブルク家にボヘミア・ハンガリー王国が継承される前はヤゲロー家が王位を持っていた。
Bベーメン王は神聖ローマ帝国の選帝侯の資格も保持している。
Cウィーンのシェーンブルン宮殿は対トルコ戦の覇者であるオイゲン公が建てた。
Dマリア・テレジアとフリードリヒ大王は共に在位期間四十年である。
E三十年戦争前夜、プラハ城で「ヒッキー」したのはマティアス帝である。
852725改めハウクヴィッツ:02/02/21 00:52
>>851
@○
A○
B○
C×(オイゲン公はベルヴェデーレ宮殿を造営)
D×(フリードリヒ2世は在位46年)
E×(ルドルフ2世)
853ふとっちょマックス:02/02/21 14:49
ふとっちょマックスっす。
>849 ギシュクラ将軍
うーん、我がハプスブルク家の周辺、それも18世紀以外となると、オレの記憶や知識
は、かなり難アリなのです。ラヨーシュ大王陛下に男子世継ぎがいて暗殺された、
というのは、オレの曖昧な記憶であって、ラースロー王陛下の傭兵隊長であった将
軍の御記憶の方が正しいものと思われます。
>850 親愛なるヴェンツェル
わー、大変だ! オレ自身、選帝侯であっただけに...がんばりますっ(汗)
854カウニッツ@解答:02/02/21 20:41
ハウクヴィッツさんの書き込み通り!解説どうもです!
一応、@○、A○、B○、C×、D×、E×です。
855世界@名無史さん:02/02/22 19:01
(T-T)/age
856世界@名無史さん:02/02/22 22:58
?@?A?B?C?D?E
857世界@名無史さん:02/02/24 21:43
○×クイズ出題キボンヌ
858世界@名無史さん:02/02/25 18:53
>857

漏れも…
859カウニッツ@○×クイズ:02/03/02 18:01
@ヨーゼフ1世には男系の子孫は無かった。
Aモルヴィッツの会戦は1741年4月で、プロイセン軍が勝った。
B1749年初頭のオーストリアの枢密会議の時点でカウニッツ伯は宰相であった。
860カウニッツ@解答:02/03/03 22:47
@○、A○、B×。誰も答えてくれない…鬱だ師脳………
861フリードリヒ・ハラッハ:02/03/04 19:28
このスレでもハウクヴィッツに追われてしまいそう。−宇津田氏能
862世界@名無史さん:02/03/04 21:15
(T-T)/age
863一研究者:02/03/07 19:07
フリードリッヒ・ハラッハの名が出ているとは驚きだ!
864世界@名無史さん:02/03/13 23:28
「全軍アムリッツァに終結。これは命令である。」
「閣下!」
865ふとっちょマックス:02/03/18 13:10
ふとっちょマックスっす。
>863 一研究者さん
フリードリッヒ・ハラッハ伯爵の名は、お名前のみ存じておりますが、御功績は?
オーストリア継承戦争の頃の方じゃなかったっすかね?
ハラッハ伯爵家って、かの大作曲家ハイドン先生の生地ローラウの領主だったよ
うな気が...
>864さん
アムリッツァ? いきなりインドっすかぁ?

どなたか、夭折した天使のような義姉イサベラ・フォン・パルマについて、ageて
くださいっ!
866ハウクヴィッツ:02/03/18 17:49
>865 マックス殿下
スキャンダルの女王スペイン王妃マリア・ルイザ様はイサベラ様の妹君でしたね。
姉妹でかなりキャラが違うような気がします。
867世界@名無史さん:02/03/21 03:02
ブルボンage
868ふとっちょマックス:02/03/22 10:56
>ハウクヴィッツ伯
おっしゃるとおり、義姉イサベラの弟のパルマ公、スペイン王妃となったマリア・ルイザ
は、義姉イサベラと比べ、殆どあらゆる点で品位と徳を欠いておったようです。すなわち
容姿・人格の良いところは、全て義姉イサベラが持っていってしまったようで...
かのゴヤ画伯の描いたマリア・ルイザ妃の不細工で意地悪そうな顔立ち、皆様御存知でしょう。
不行跡を指摘されているパルマ公妃マリア・アマーリア姉ですが、オレは、姉の肩を持ち
たい心境です。やはりオレも、身びいき...
それにしても、佳人薄命とは、義姉イサベラが一つの典型ではないかと思います。
869カウニッツ:02/03/24 00:25
暫く留守にしていましたが、そろそろ復活します。
夜を世界史で語り明かしましょう!
870870:02/03/30 16:42
GET!
871世界@名無史さん:02/04/02 20:04
飛んで跳んで富んで…騰がって挙がって揚がって上がる〜!
872世界@名無史さん:02/04/02 20:07
ク・ホリン
873世界@名無史さん:02/04/03 02:50
ルフェーブル
874世界@名無史さん:02/04/06 17:14
厨房駆逐age!
875フリードリヒ2世:02/04/09 23:13
明日のモルヴィッツの会戦戦勝記念日の前に沈んでしまいそうではないか!

876シュヴァーリン将軍:02/04/10 21:56
モルヴィッツage
877世界@名無史さん:02/04/10 22:03
カール5世
878世界@名無史さん:02/04/15 22:26
うたかた
879世界@名無史さん:02/04/19 17:26
うたかたの恋?ルドルフ皇太子?
880フリードリヒ・フォン・ホーエンツォレルン:02/04/21 22:43
フランツ・ヨーゼフとエリザベートはハプスブルクでは珍しく子供の数が少ないね。
当時のハプスブルク家はもう多産系ではなくなったのか?
881カウニッツ:02/04/25 22:47
>子供の数が少ないね

そうなんです。そのころは多産系とも言えなくなって来た様です。
また、男系の親族も割合が少なくなって、更に人格や能力的にも問題がある人も
増えたために、帝位の継承者を決めるのが難しかったのが実状です。
キーワード:「同性嗜好者」(フランツ・ヨーゼフ帝の弟の一人)「反帝室的」(ヨーハン・
サルヴァトール大公)etc.
揶揄する言葉:「一山いくらのハプスブルク大公」
882世界@名無史さん:02/05/02 00:10
age
883世界@名無史さん:02/05/14 19:07
フィリップ突進公

婿選びのうまさ
884世界@名無史さん:02/05/14 23:16
>>881

フランツ・ヨーゼフ帝の前の皇帝に何か問題があったと聞いたけど。
皇帝になったのもメッテルニヒが実権を握り続けるためだとか。
有能な皇帝だと邪魔になると思ったっていう話。

私も聞きかじりなので詳しいことは知らないけど。
885カウニッツ:02/05/15 00:03
>>883
フィリップじゃなくてシャルルじゃ……。
シャルル公の一人娘マリアとマクシミリアンの結婚を指しているんですよね?
中世最後の騎士と謳われたマックスはシャルル公のことを尊敬していたのですよ。
886カウニッツ:02/05/15 00:34
>>884
オーストリア皇帝フェルディナント1世の事ですね。
この人が皇帝に成れたのは、プラグマーティッシェ・ザンクツィオーンとメッテルニヒの
お陰です。貴方が書かれている通り、メッテルニヒが実権を握り続けるためです。
身体的には恵まれなかったフェルディナント1世ですが、1848年の三月革命を起因とする
一連の出来事の中での退位後は結構幸せに生活した様です。
887コンラート・フォン・ヘッツェンドルフ:02/05/15 20:12
ふはははは!
おごれるイタリアとセルビアに一撃加えてくれるわ!!
888カウニッツ:02/05/15 23:06
???
おっと失礼、カウニッツ殿に私がわかるはずもないですな。
これがプロフィールです。
http://www3.kiwi-us.com/~ingle/hito/conrad.html
皇太子の仇を打つべく、努力したのですが・・・。
890カウニッツ:02/05/16 15:51
>コンラート・フォン・ヘッツエンドルフさん
プロフィール見て来ました。結構、興味深かったです。
891世界@名無史さん :02/05/16 16:28
オットーって
何で今のオーストリア政界に進出しないの?
892カウニッツ:02/05/16 16:52
オーストリアと言うよりヨーロッパ規模で政治活動はしています。
欧州議会議員ですし…。
893カウニッツ:02/05/16 17:23
なんかスペインスレがあがってる?
894世界@名無史さん:02/05/16 17:37
ハプスブルク家らしく
欧州議長に就いて欲しいものだけど
あの高齢では難しいんでしょうね。>オットー
895ふとっちょマックス:02/05/16 18:54
おひさしぶりっす。ずいぶん下がってるとおもってたら急に上がりましたねぇ!
我がレオポルト兄を先祖に持つオットー・フォン・ハプスブルク氏は、確か現在
ミュンヘン在住。彼はオーストリア国内に入国...できたんでしたっけ?
一時共産主義崩壊後のハンガリーで、大統領候補に担ごうという動きが本格化
してましたけど、オットー氏はこれをぴしゃりと拒否。当たり前でしょうね。
学者として自由な時間を過ごされたので、名家に生まれた者や権力者の生活が
いかに窮屈であるか、身をもって痛感しておられるはずです。
オットー氏のあのご年齢を考えると、御子息カール氏はお若いですねぇ。
母上、すなわちオットー氏の奥方のご出身は?

この辺の事情、お詳しい方、教えてください。
>887,889 ヘッツェンドルフ伯
 オレは前世、ヴィーン近郊、現在は市内のヘッツェンドルフで最期の時を過ごし
 ました。お名前に御縁を感じてしまいます。今後ともよろしくです。
>親愛なるヴェンツェル
 久しぶりに上がったのを見ました。うれしいなぁ。心がけてはいるんですが、
 なかなかあげられず、遺憾に思ってます。
896カウニッツ:02/05/16 21:59
>マックス殿下
私自身も2chから遠ざかっていましたが、殿下もですか?
これからも実りのあるレスをお願い申し上げます。
897カウニッツ宰相、門番がこれを・・・。:02/05/16 23:47
前略
このたびこちらのスレッドが2年に達せんとする長寿を記録していることを
心よりお祝い申し上げます。貴国と国境を接し、互いに浅からぬ縁を持つ
わが国としてもぜひ祝いに駆けつけようと思ったのですが、
貴国は都の扉を固く閉ざし、我が国の人間を中へ入れようとしません。
おかげで我が国は厳重な防衛陣を一つ一つ叩き潰さなければならない始末です。
これ以上の無益な流血を避け、二つの大国、二つの宗教が一つとなる瞬間を
共に祝おうではありませんか。貴国の善意を信じております。それでは。

親愛の情をウルバンの巨砲に装填しつつ
オスマン・トルコ帝国大宰相カラ・ムスタファ

追伸
こちらの陣地からも貴国の都にあるシュテファン大聖堂が良く見えます。
見事な外観ですが、聖堂の4隅に尖塔をそれぞれ建てればよりよい建物になるかと愚考します。
898カウニッツ:02/05/17 00:28
>>897
前略
トルコの大宰相殿が駆けつけられ、レオポルト陛下はウィーンから出立あそばされてしまいました。
シュテファン大聖堂の四隅に尖塔を建てますとモスクになってしまいますのでその点はご容赦を…。
こちらのほうといたしましても貴国の執拗なまでの歓迎に配慮した準備をさせていただきます。

親愛の情をカウニッツに代わりまして
ハプスブルク家一の将帥プリンツ・オイゲン

追伸
イルミネーションのつもりで、グラシーと環濠、バスタイをウィーンの市壁に整備しておきました。
その辺りでお待ちいただければ、カーレンベルク連山などに雷雲の様な物が見え始めるかと存じます。
899ふとっちょマックス:02/05/20 22:05
♪咲いた〜咲いた〜チューリップの花が〜♪
チューリップ時代の到来ですかぁ?>親愛なるヴェンェル
ママ女帝の継承戦争の折りにオスマン・トルコ帝国が我がオーストリアに対し
中立を守ってくれたことは、ママ女帝にとって誠にラッキーでした。
やっぱり、戦争はよくないっす。
 von ナポレオン1世陛下に追われた最後のケルン大司教ふとっちょマックス
900ふとっちょマックス:02/05/20 22:10
もいっちょ、ふとっちょマックスっす。
第1次本スレッド最後のキリ番ゲットしたぞぉ!
>親愛なるヴェンツェル
もちろん第2次ハプスブルク家スレッドを立ててくれますよね!
901カウニッツ:02/05/20 22:41
>マックス殿下
嬉しいことを仰いますね〜!もちろんですよ!
902世界@名無史さん:02/05/23 05:00
朝age
903世界@名無史さん:02/05/24 00:50
深夜age!
904904:02/05/29 19:33
激しくGET!
905119:02/05/30 04:40
agare
906カウニッツ:02/06/05 01:15
ナポレオン1世とフランツ帝の長女、マリー・ルイーズ皇后の間の子である
ローマ王(=ライヒシュタット公)が、大ナポレオンの没落後、
ナポレオン2世としてフランス皇帝になってたらと書いてみる……。
907コンラート・フォン・ヘッツェンドルフ:02/06/05 11:50
>>906
時期的にいうとどのくらいですかね?
私個人の意見としては1830年の7月革命でブルボン朝が倒れますけど
ルイ・フィリップの代わりに彼が立ったという設定が一番自然かと。
まあ時期がどうあれ実現すればプロイセンはロシアとの関係をいっそう強めるでしょう。
南から西まで囲まれるわけですから残りの東と手を組むしかない。
ロシアにしてもバルカン進出の邪魔物
ハプスブルグが強くなるのを黙っていることはできないですからね。
908カウニッツ:02/06/06 00:44
コンラート・フォン・ヘッツェンドルフ様
もし、フランス・オーストリアvsロシア・プロイセンの状態になったとき、
イギリスはどちらの陣営につきますかね?
ヘッツェンドルフ殿以外でも結構ですので皆さんの考察を聴きたいですね。
909世界@名無史さん:02/06/06 00:49
中立でヨーロッパ外で大儲け
910カウニッツ:02/06/06 00:55
>>909
ウッ!そうかもしれん……。
一応は仏墺側でしょうね。ナポレオン三世の例を見ればわかるとおり
イギリスはボナパルトだからといっていたずらに騒ぐことはないでしょう。
ボナパルティズムなどと呼ばれたナポレオン3世の海外進出もイギリスの利権に
かかわらない限りイギリスも抗議はしていません。
イギリスにとって問題なのは中央アジアからインドをうかがう
ロシアの南下政策のほうです。
伊達や酔狂でクリミア戦争や2度のアフガン戦争を起こしてませんからね。
ただ戦場がヨーロッパ大陸となると微妙なことに・・・。
ビスマルクあたりが外交にあたり、ロシアが後の英露協商(1907年)
のような妥協案を出してくるとあるいは中立も考えられます。

普露両国のほかに時期によってはイタリアもわが国にとって脅威になってきます。
ハプスブルグ側のフランスの応援はないでしょうが
その代わりプロイセンは仏墺両国に使える手駒として
全力でサヴォイアのイタリア統一を助けるでしょう。「未回収のイタリア」
全土を差し出すくらいの土下座外交をしないとわが国との対決は避けられないでしょう。

いずれにしてもこの仏・墺vs露・普戦争はきわめてわが方に分が悪そうです。
普仏戦争を見ればわかるとおりフランスはプロイセン軍にかかりきり。
わが軍単独でロシア軍、下手をすればイタリア軍も迎え撃つとなると・・・
ガリツィア地方全面喪失かも。

しかし19世紀半ばのフランスといえば改革宴会などからもわかるとおり
社会主義も入った共和主義過激派の巣窟です。蒲柳の質の若君がどこまでやれるやら。
912ふとっちょマックス:02/06/06 14:28
>親愛なるヴェンツェル&ヘッツェンドルフ伯爵
ライヒシュタット公は、お気の毒にも、メッテルニヒ侯の指導のもと、ヴィーン体制下
で、ヴィーンに幽閉されておったわけですよね。だとすれば、その幽閉を解かない限り
ライヒシュタット公のナポレオン2世即位は、少なくともフランス国内では不可能。
むちゃくちゃな考え方ですが、ナポレオン戦争後の国民意識の高揚を押し戻す形で、
オルレアン王制を取らず、ライヒシュタット公を形式上の「皇帝」にしたうえで、
当のフランス国内では、かつてのイギリスのウォルポール内閣のような責任内閣制の、
実質共和国、となる、なんての、どうかな? ライヒシュタット公には、もっと健康
になっていただいて、ブルボン家の姫君と結婚して...ママ女帝の時代みたい。
ルイ・フィリップ王陛下に比べれば、わがライヒシュタット公は、蒲柳でカリスマ
性もなかったし、無理だと分かってはいるのですが、なんせ自分は、ハプスブルク
家の人間でありながら、ラインラントにいたせいで、少しフランスびいきなのです。
逆にイギリス、特にイングランドは嫌いっす。
そういえば、オーデコロン4711本社のオルゴールチャイムは、ドイツ国内でありなが
ら、ラ・マルセイエーズでした。「天国と地獄」の作曲家、オッフェンバック先生も
ケルンの人だし... 
なんとも気の狂いそうな想定で、失礼しました。
しかしマリア・ルイザ母后はともかく、メッテルニヒ侯はじめその他国際指導者の面々
は、大ナポレオン帝の亡霊におびえ、ライヒシュタット公の夭折を望んでいたでしょうね。
・・・そうだ! ライヒシュタット公が母后のパルマ大公位を継ぎ、ブルボン−ハプスブ
ルクの中をとる形で、フランス皇帝、という想定もあるなぁ。スマソ...鬱。
>>912
穏やかな立憲君主制というところですか。
それぐらい譲歩しなければ1848年を中心にした激動の時期を乗り越えられないでしょう。
ルイ・ナポレオンのように人気取りのためにメキシコ出兵なぞしなくてすむし。
(ああ、何と哀れなマクシミリアン大公!)
914カウニッツ:02/06/07 00:10
>ヘッツェンドルフ伯
折角の素晴らしいお話、何もsageじゃなくても良いじゃないっすか…。ageで行きましょうよ!
>マックス殿下
ご参加、お待ちしておりました。それにしても殿下は博識ですな〜。
915世界@名無史さん:02/06/09 19:15
サッカー勝利祈願age!!
916コンラート・フォン・ヘッツェンドルフ:02/06/11 14:17
>>915
このスレで祈願されてもねー。
ブルシーロフ攻勢でボコボコにされた歴史からすると無駄のような。
917ふとっちょマックス:02/06/11 22:29
ふすばるドイツ・カメルーン戦は、ドイツが2−0で勝利!ドイツ、強いわ、やっぱり。
ところで、第一次大戦前、ドイツ領だったのは、ガボンでしたっけ?それとも
カメルーンでしたっけ? ハプスブルクと無関係でスマソ。
918コンラート・フォン・ヘッツェンドルフ:02/06/13 00:40
カメルーンのほうですよ。
http://www1.plala.or.jp/stein/GSK_honbun/Kolonien/KMRN.html
海外植民地など、オーストリア・ハンガリーにとっては全く無縁の話ですね。
919世界@名無史さん:02/06/15 23:45
三十年戦争について語ろう
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1024025515/l50
ハプスブルク家にとっても重要な事件だと思うので貼っときます。
920カウニッツ:02/06/16 00:03
オーストリアのワールドカップ歴はどの程度なんですか?
921コンラート・フォン・ヘッツェンドルフ:02/06/16 00:18
>>919
おお、30年戦争。
ネルドリンゲンの戦いでフェルディナンド大公(後の3世ですな)が
スウェーデン軍を叩きのめしましたな。でも、ハプスブルグ家の人間で
軍事的に活躍したのってこの人ぐらいですかね?
922sineya:02/06/16 11:34
マリ・アントワネットはハプスブルグだよな
923世界@名無史さん:02/06/16 17:37
922>ハイ、そうです。 女帝マリア・テレジアの娘です。
924カウニッツ:02/06/16 20:09
三十年戦争ならば、「戦うハプスブルク家」と言う本があるですよ。。。
925世界@名無史さん:02/06/16 20:39
>924
逆に言えば、現在入手可能な三十年戦争のみを取り扱った日本語の本って
あれぐらいしかないですよね…。スペイン・フランス間の抗争を扱ったものなら
いくらかあるっぽいですけど…。
926カウニッツ:02/06/16 23:04
フェルディナント2世帝は、イエズス会の教育効果めざましく、
「邪教徒の国より荒野の方がましだ」と言い放つほどカトリック信仰に燃えた人物でした。
927カウニッツ:02/06/16 23:15
皆さんへ。
このスレッドの後継スレッドの題名を募集させて頂きます。
何か適当なものが頭に浮かびましたら、カキコして下さい。
今後もオーストリア・ハプスブルク家、ハプスブルク・ロートリンゲン家を
宜しくお願い致します。
928ハウクヴィッツ:02/06/16 23:52
シンプルに「ハプスブルク総合スレッド」でどうでしょうか?
929世界@名無史さん:02/06/17 01:32
マリアアンナは体が小さい頃から弱く、他の子供達と違い外で遊べず
そのため幼い頃からたくさん本を読んでいました。成人するころになると
政治の面で、母親をドキッとさせるようなことをいいました。
当時夫を差し置いて君臨していた母である女帝は、自分より
王者の器のあるマリアアンナの才能を妬み、脅威に感じていたらしいです。
マリアアンナは自分が美しくないことを知っていて、母親に振り向いてもらう
ために、勉強したことが裏目に出てしまいました。他の兄弟達からも
馬鹿にされていましたが、父親からはかわいがられていたそうです。

930世界@名無史さん:02/06/17 08:09
>926
でも戦争遂行の資金調達のためにユダヤ商人に特権を与えてたとか…。
異教徒より異端の撲滅を優先したなんて、奇妙ですよね。
931世界@名無史さん:02/06/18 16:40
うんだうんだ(訛ってる)!
932世界@名無史さん:02/06/19 18:39
俺はついに、このスレの932をゲットをした。
感無量だ。5年間、このスレの932をゲットする為だけに耐えてきた。
雨の日も、風の日も、雪の日も、サボらず地道にこのスレの932をゲットするためだけに
修行してきた。
やめたい日もあった。くじけそうになった時もあった。自分に負けそうになった日もあった。
そして「なんで俺は、932をゲットしたいのだろう。」と疑問に思った日も、あった。
だが、俺は5年間頑張りとおした。そして、そしてついにこのスレの932をゲットしたのだ。

何をやっても中途半端だった今までの俺。 勉強も、部活も、恋愛も・・・。
本当に何をやっても中途半端だった。だが、俺はこのスレの932をゲットした今、
変われたような気がする。堂々と胸をはって生きているような、すがすがしい気持ちだ。
ありがとう、932をゲットさせてくれてありがとう。

俺は今から叫ぶ。修行に耐え抜く事が出来た、やり遂げる事が出来た俺自身に向かって叫ぶ。
「932ゲット」と。
933コピペさん:02/06/19 18:49
927 名前:カウニッツ :02/06/16 23:15
皆さんへ。
このスレッドの後継スレッドの題名を募集させて頂きます。
何か適当なものが頭に浮かびましたら、カキコして下さい。
今後もオーストリア・ハプスブルク家、ハプスブルク・ロートリンゲン家を
宜しくお願い致します。
934コピペさん:02/06/19 18:54
★★ハプスブルク家統一スレ★★ てのがあったけどすぐ沈んでったYO!
だから、ハプスブルク総合スレッドてのもどうかな?
935世界@名無史さん:02/06/19 18:57
コピペさん、親切な人なの?あらしなの?
936世界@名無史さん:02/06/19 22:06
age
937ふとっちょマックス:02/06/20 12:37
親愛なるヴェンツェル
このスレッドの後継スレッドの名称、いろいろ候補上がってますよね。
オレの個人的見解としては、綜合スレ、統一スレ、などという情緒のない名称より
「ハプスブルク家の人々」、なんてのはどうかな? 統一スレ、廃れてるようだし、
趣味の掲示板らしく、ハプスブルク家をめぐる人間模様を中心に、裏エピソードなど
出し合って盛り上がるのがいいように思うのですが...今までもそんな感じだったし。
しかし最後は貴方、ヴェンツェルがお決め下さい。
938カウニッツ:02/06/20 21:23
マックス殿下。
個人的には「ハプスブルクの人々と歴史」なんてのも良いかなと思ってますが、
皆さんの意見で良いのがあればそちらにしますが……。
世界史板に1年と9ヵ月余りも置かせて頂いたスレですので、
多くの方に存在ぐらいは知って頂いてると思うので、
普段来ない方やウザイと思っている方でも結構ですので、
良い案がありましたらカキコして下さい。宜しく。
939世界@名無史さん:02/06/22 23:56
考え中&良スレ保存age
940コンラート・フォン・ヘッツェンドルフ:02/06/23 23:42
「ハプスブルグ一千年」とか(藁)。
冗談はこれくらいにしてやはり「ハプスブルグ統合スレ」のような
わかりやすいのがいいのでは?
941カウニッツ:02/06/24 00:49
「ハプスブルク一千年」だけはご勘弁を(笑)。
942世界@名無史さん:02/06/24 09:28
クラシック音楽畑では作曲家としても高名な皇帝がいて、CDもいくつか出てる。ベートーベンより多く作曲した皇帝もいるとか。
943カウニッツ:02/06/25 15:12
>>942さん、
フェルディナント3世、レオポルト1世、ヨーゼフ1世、カール6世の
バロック4帝時代の皇帝達を指しておられるのですね。
944カウニッツ:02/06/25 17:55
バロック4帝は、芸術・音楽家に多額の国費を使ったとか…。
対トルコ戦に勝ち、ハンガリーを領土に加え、歳入が増えたから良いようなものの…。
945世界@名無史さん:02/06/25 19:57
age!
946世界@名無史さん:02/06/25 20:03
何気なくギーゼラにしてみる
947世界@名無史さん:02/06/25 22:05
イサベル・クララ・エウへ二ア
948942:02/06/26 00:27
ああ、そうそう。名前が出てこなかった…。最近CPOというレーべルからレオポルト
一世の宗教曲作品集が出たよん。興味のアル人は専門店に行ってみよう!バロック4帝
の後に即位したマリア・テレジアは「私が即位した時、帝国の金庫は空に等しかった」
そうで。
949カウニッツ:02/06/26 01:25
942さん、情報どうも!お店に行ってみます!
950フリスキー:02/06/26 01:25
マルガリータにきまっとるだろうが!
俺はこう見えても、39度の高熱をおして、ただマルガリータ見たさに
ハプスブルグ家展を観に行ったほどの炉理大好きフリスキーだ!
951カウニッツ:02/06/26 01:29
>>950さん、
???スレ違いかな???
952イサベル・クララ・エウヘニア:02/06/26 01:40
>>947
イザベル・クララ・エウヘニアは「今風」の美少女ですよね。
小麦色の肌、キリッとした逆三角形の顔立ち、大きな黒い瞳、
スリムな体・・ところが、16世紀は色白デブマンセーだったから
彼女はブスにされてしまった(涙
イザベル・クララとの縁談が持ち上がっていたフランス王アンリ4世の
愛妾ガブリエル・デストレは、イザベル・クララの肖像画を見て、
「ぜんぜん怖くない」と言ったという。逆にもう一人の王妃候補の
マリア・ド・メディチの肖像画は、さすがにライバル意識を感じて
「怖い」と語ったとか。それもそのはず、現代人の目から見たら
ロシアのエリツインみたいなデブスのマリアも、当時としちゃ
美人の基準に合っていたから。後に王妃になったのが、このマリア
(マリー・ド・メディシス)だった・・・。
953947:02/06/26 18:33
>952 えええ!あれ(失礼)が美人!?
マリ・ド・メディチのかーちゃんはハプスブルクの皇女ヨハンナ
おかげでマリはもろにハプスブルク顔だ・・・

イサベル・クララ・エウへ二アのお母さまはフランス王アンリ2世の娘エリザベート
美人だよねぇ。父親似?
イサベル・クララ・エウへ二アはこの母に似たのかなー。フェリペ2世の娘って感じには見えんよ。
954世界@名無史さん:02/06/26 19:19
マリア・テレジアの子供でもっとも長生きしたのは
マリア・エリーザベト、「元」麗しのリースルだった!
1743年に生を受け、たるんだ下腹を無様にゆらしつくした後、1808年に死去。享年65
955ふとっちょマックス:02/06/26 23:24
うーん、享年でみれば、リースル姉の方が長生きだったんですね。→451。鬱。
しかし一番遅くまで長生きしたのは、ナポリ王妃のマリア・カロリーネ姉っす。
リースル姉が長生きしたのは、あのインスブルックのすがすがしいアルプスの気候に
よるところが大きいと思います。何せヴィーンは、甘いモノに事欠かない街でしたので。
オレのような超肥満児こそ、リースル姉のようにアルプスの修道院で過ごせば、少しは
長生きできたかも。シュタイエルマルクあたりにすればよかったかな...
修道院、といえば...長姉マリア・アンナも晩年をクラーゲンフルトの修道院で過ごし
ましたね。クラーゲンフルトも美しい街です。毒を吐く龍の伝説で有名です。マリア・
アンナ姉の話を出してくださった929さん、感謝です。
ヴィーンに御縁の深い大作曲家ブラームス先生がよく夏を過ごされた保養地ペルチャッハ
もすぐ近くです。ケルンテン州のアルプスもきれいっすよ。
956952:02/06/27 01:33
>>953
残念ながら(?)マリー・ド・メディシスは色白でデブで金髪だったから
顔はどうあれ当時の美的基準は満たしていました(涙
957カウニッツ:02/06/27 19:00
ナポリ王妃マリア・カロリーネについては女帝も自慢の娘と言っています。(豆知識)
958ふとっちょマックス:02/06/27 22:07
ヴェンツェルの仰るとおりかも。ママ女帝の思惑に最も忠実に生きた娘、それが
マリア・カロリーネ姉でした。マリア・カロリーネ姉については、オレの拙いガイ
シュツレスがありますので、御参考までに。→451,454,456
959953:02/06/28 01:49
>956
時代が時代だから健康で長生きして子供いっぱい生んでくれそうなデブがもてはやされたのかな〜・・・
イサベル・クララ・エウへ二アはネーデルラント総督のアルブレヒト大公の妃になったけど
子供がいたって話は聞いたことがないぞ。あぁ
妹は早死にだったのに現在も子孫がいる。皮肉だなあ
960953:02/06/28 02:18
子供といえば・・マリー・ヴァレリーさん・・
10人も子供生んでる。でもけっこう早死にしてしまった方多し。
エリーザベト皇妃の本にのってた、ヴァレリー&長男長女の写真
ほほえましいのうなんて思ってたら2人とも若くして亡くなってる。
やっぱり近親結婚の悲しい現実なんでしょうね。

あまし関係ないけど、エリーザベト皇妃最愛の弟ガッケルの子孫を辿ってみたところ
現在のベルギー王家につながっていた。ビックリ
またまた関係ないけどシシィの姉妹で幸福な生涯を送れた人っていないね。
961カウニッツ:02/06/28 17:11
そうなんですよ、皇妃エリーザベト(エリザベートと表記されなかった所が953さんの
博識を物語っていますな!正確にはエリーザベトの方なのです!)の兄弟は幸福な一生を
終えた人がいません。しかしヴィッテルスバッハ家(エリーザベトの家は本家ではない)
は名門ですな!ベルギー王室とも繋がっていたとは。本家の方にもルートヴィヒ2世など
シシィに張り合える人もいるし、ユニークですな!
962カウニッツ:02/06/28 17:12
な!な!な!になってる(てへ)。
963カウニッツ:02/06/28 17:31
連レスでスマソ。レスが980を越えたら新スレを立てさせて頂きます。
良い名前募集中で〜す!
964世界@名無史さん:02/06/28 22:15
(ノ゚Д゚) あげ!
965世界@名無史さん:02/06/28 22:45
モーツァルトが「大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげる」
と言わしめた女性は誰?
966世界@名無史さん:02/06/28 23:03
マリア・アント二ア?
たぶん伝説
967世界@名無史さん:02/06/28 23:53
>966
実話だって聞いたYO。
968942:02/06/29 00:04
カウニッツさんへ
レオポルト1世
LEOPOLD I, Kaiser (1640-1705, オーストリア)
■宗教音楽集
[聖母マリアの7つの悲しみのモテット/ミゼレーレ/3つのレッスン]
●ユルク・ヴァシンスキ(S)/ダーヴィト・コルディア(S,A)/ヘニング・ボス(T)/アーヒム・クラインライン(T)/マルコス・フィンク(B)/マルティン・ハーゼルベック指揮/ウィーン・アカデミー(合唱と器楽、古楽器使用)
999567-2
レオポルト1世は、何とれっきとした神聖ローマ帝国の皇帝で、オペラも含む
69の作品が残っています。皇帝が作曲もするなんて、昔の為政者の教養には、
現代の状況からはちょっと羨ましい気持ちにさせます。皇帝の作品だから、
それいけどんどんの好戦的な音楽と思いきや、メランコリックな皇帝です。
30分以上かかる「ミゼレーレ」や、亡き2番目の妻のために作曲された「3つ
のレッスン」など、「殿、どうされましたか?」と声を掛けたくなる程の悲
しみの調べが詰まっています。
詳しくはhttp://www.naxos.co.jpへジャンプし、CPOという項目へ行って
みてください。このCDは輸入盤で、アイヴォ−という日本の総代理店が
扱っている商品です。クラシック専門店で注文すると確実にゲットできると
思われます!
969カウニッツ:02/06/29 01:24
942さん、サンクスです!
970952:02/06/29 16:01
>>959
イサベル・クララの妹の系統知らない・・・。
教えてちゃんで悪いけど、詳細きぼんぬ。
971959:02/06/29 19:25
>970
時事通信社「宮廷を彩った寵姫たち」の著者の系図にいるよん。
イサベル・クララの妹カタリーナ・ミカエラはサヴォワ公妃になりました。
30歳という若さで亡くなっていますが子供を残しており、
延々子孫をたどると上記本の著者、イギリスのケント公妃にたどりつきます。
この人の先祖には他にもヴァロワ家・ブルボン家の王(マリ・ド・メディチも・・)や
フェルディナント1世、ディアヌ・ド・ポワティエなんかもいてすごい血筋です。
972952:02/06/30 10:50
>>971
ありがとう!イサベル・クララの肖像画のみ見ていたから
妹がいることまでは知っていても、それ以上は分かりませんでした。
カタリーナ・ミカエラって可愛い名前ですね。
2人とも同じカトリーヌ・メディチの娘、エリザベートがフェリペ2世の
皇后となって産んだ王女でしたよね?。
確かフェリペ4世は四回結婚していて・・・
一人目がフェリペの従姉妹のマリア・デ・ポルトガル、
二人目の皇后が英国女王のメアリー1世。
三人目がフランス王女のエリザベートで、四人目は確か
フェリペ自身の姪だった気がしますが・・・

973971:02/06/30 12:50
>972
そうですよね。スペイン系の王は最初の奥さんにも子供にも死なれ
結局オーストリア系と再婚して次の王が生まれる(ってそれはフェリペ2&4だけだけど)。
はじめて系図を見た時、その血の濃さにかなりびびりました。
でも古代天皇家にくらべりゃまだマシか・・。
974世界@名無史さん:02/06/30 16:15
(^O^)/age

975952:02/06/30 19:20
>>973
従姉妹ぐらいならまだしも、姪と叔父となるとやばそうです。
そういえばフェリペ4世の後妻・マリアナも姪でしたよね。
血が濃すぎたのか、結局子供は育たなかったみたい。
これで天皇家のように一夫多妻なら、血が濃いといっても
誰かしら生き残るでしょうが。
何せ天皇家や藤原氏では叔母と甥、叔父と姪は当たり前だったし、
異母ならきょうだいでもOkでしたから。
976世界@名無史さん:02/07/02 19:31
age!
977世界@名無史さん:02/07/02 20:52
大正天皇とフェリペ4世が似てると思うのは私だけでつか?
978世界@名無史さん:02/07/03 21:29
フェリペ4世のほうが在位期間は長いけど。
確か1621−65だとおもふ。。。
979977:02/07/03 21:33
>978
いやその、見た目がってことです。
980カウニッツ:02/07/03 21:49
>>976-978
血の混濁ってとこがですかね。
981カウニッツ:02/07/03 21:51
失礼!>>977-979でした。
982世界@名無史さん:02/07/03 21:56
そういやフェリペ4世って庶子がいるんだっけ。
カトリック基地外のスペインでなんで地位のある人間が庶子を持つのが許されるんだろ。
変なのー。
983カウニッツ:02/07/03 22:11
後継スレッド作りました!
名前は「双頭の鷲・ハプスブルク家の人々」です。
マックス殿下の案に接頭語(?)を付けてみました。
宜しくお願いしますね。
このスレも1000までは営業(笑)してますので宜しくです。
984ふとっちょマックス:02/07/04 11:17
>983 親愛なるヴェンツェル
「双頭の鷲・ハプスブルク家の人々」!
うーん、いいっすねぇ。大賛成っす。
ヘルツリッヒェン・グリュックヴンシュ!
今後ともよろしくお願いします。
985カウニッツ:02/07/05 00:19
>>984
マックス殿下。
お褒めに預かり嬉しい限りです。こちらこそ今後とも宜しくです。
ところで「ヘルツリッヒェン・グリュックヴンシュ」の意味を教えて頂けませんか?
986世界@名無史さん
age