☆世界史何でも質問箱☆

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1Bと武@世界史予備校教師
西洋史、東洋史限らずどうぞ!!必ず答えます。
2名無しさん@1周年:2000/06/26(月) 07:20
羌渠

┣━━━━━━━┓
┃        ┃
於夫羅      呼廚泉


劉豹




┣━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃                ┃
劉淵               □
308〜310          ┃
┃                ┃
┣━━━━━━━┓        ┃
┃        ┃        ┃
劉和       劉聡       劉曜

南匈奴の系図
□の人名を知っていたら教えて。
3名無しさん@1周年:2000/06/26(月) 14:03
ネットで調べただけだけど、

劉淵は劉豹の子供で、劉豹の跡を継いだのが劉淵だってありますが・・・
http://lc-www.sd.cninfo.net/yycl/ert/5000/116.htm(簡体字)

それから劉曜は劉聰が養い親で叔父に当るひとだとか
http://www.cs.hn.cninfo.net\Services\Bookstory\others\5h\013.htm(簡体字)

全然素人なので間違っているかもしれないので、もし間違えてたらごめんなさい。
4名無しさん@1周年:2000/06/26(月) 21:25
>3
サンクス!
中国語フォントが無いので読めないけど出典は
どこですか?
豹と淵は微妙に世代が離れている気がするんですが・・・
聰は聡とは別人?

匈奴スレ作るか〜。

53:2000/06/27(火) 01:13
出典は周顕という人の五胡戦史と曹余章という人の上下五千年と書いてあります。

>豹と淵は微妙に世代が離れている気がするんですが・・・
原文をそのまま載せると、
「劉淵是劉豹的児子、・・・・劉淵継承他父親的職位・・・」です。
素人なので豹と淵の正しい関係はわからないのですが、ちょっと調べた限りでは
あちらにもこの辺の詳しいサイトはないようです。
匈奴なんかの歴史なら詳しいサイトがあるように思っていたのですが。

>聰は聡とは別人?
同じです。
6タツ:2000/06/27(火) 02:35
こんな事しか
かけないなら
死んでください
7Bと武@世界史予備校教師:2000/06/27(火) 10:25
遅れてすみません。
   羌渠

┣━━━━━━━┓
┃        ┃
於夫羅      呼廚泉


劉豹




┃               
劉淵(劉という姓をつけたのは父の豹から)  
308〜310         
┃               
┣━━━━━━━−−−−−−−−┃
┃        ┃       ┃
劉和       劉聡      劉曜
             |       |
             隠粲     劉熙

>6
何を言っているのですか?あなたが●んでください
8>先生:2000/06/27(火) 11:29
気になることがあります。現在でこそ大陸では標準語に相当する
「普通話」というものが大陸各地の教育現場やテレビ・ラジオ等
で使われ普及していますが、例えば四川人と福建人が方言で会話
をすれば、全くといっていいほど意思疎通ができません。まぁ、
だからこそ普通話があるんですが。

で、質問なんですが、例えば三国時代に曹操と孫権は意思疎通が
できたのでしょうか?劉備と劉表は何語で会話したのでしょうか?
通訳とかいたのですか?諸葛亮が捕まえた雲南の王に
「ワッハッハ!今回は許したる。いつでも勝負したるさかい
かかってきなさい。ワッハッハ!」
と8回ほど言ったと思いますが、ハテ何語で言ったのでしょうか?
気になって仕方ないです。よろしくご教示くださいませ。
9名無しさん@1周年:2000/06/27(火) 21:23
2です。
お答えありがとうございました。
別に匈奴スレ立てたのでそちらの方で匈奴を論じ
たいと思います。
10名無しさん@D作:2000/06/27(火) 22:37
大学で中村哲夫って先生に教えてもらってるんですが、
この先生、世間での評価は高いんでしょうか?
11名無しさん@D作:2000/06/27(火) 22:38
大学で中村哲夫って先生に教えてもらってるんですが、
この先生、世間での評価は高いんでしょうか?
専攻は近現代の中国史らしいんですが。
12>8:2000/06/28(水) 01:16
洛陽とか都の方で使われていた言葉では? つまり、当時の普通話。
13>12:2000/06/28(水) 14:03
でもその都ことばが地方に伝播しますかね?
通信手段もほとんどなく人の交流も限られてた時代に。
14名無しさん@1周年:2000/06/28(水) 14:54
ネアンデルタール人って本当に絶滅したのですか?
僕の友達は図鑑に載ってる想像図にそっくりです
15名無しさん@1周年:2000/06/28(水) 15:52
予備校先生でてこないね。
16Bと武@世界史予備校教師:2000/06/28(水) 16:21
>10、11
中村哲夫さんですね!たぶん神戸学院大の方で50才くらいの人
を指していると思います。専門は歴史(東アジア史)です。大阪大学大学院を
卒業されています。世間の評価ですか?私は彼の本を読んだ事が
ないです。本を出版されているか、聞いてみてくれません?
>14
ネアンデルタール人は全滅したと考えられています。あなたの友達が
その生き残りである確率は0.001%以下でしょう。念のため
>8
私は三国志は大好きで、吉川や横山が書いた三国志は特に好きです
劉備と劉表は何語で会話したは私にも分かりません。静岡の方に
三国志につよい先生がいましたので聞いてみます。分かり次第追って
報告いたします。
17>13:2000/06/28(水) 17:21
伝播するでしょ。少なくとも役人や上級の武将なら、都から送られて
きた公文書を読まなければならないし、使者の接待や教養としても必要。

で、南方の蛮族の王が都の言葉をしゃべれたかどうかは疑問ですが、
その蛮族の言葉に長じたものがいれば話は通じるでしょう。
18名無しさん:2000/06/28(水) 22:55
>16
大阪大学の出身だったんですか、あの先生。
本もいくつか出版されているようです。
ちなみにその先生のHPもあります。
http://www.tetsuonakamura.com/
著書
『近代中国社会史研究序説』 法律文化社/1984-4 絶版

『移情閣遺聞--孫文と呉錦堂』阿吽社/1990-3   絶版

『同盟の時代--中国同盟会の成立過程の研究』人文書院/1992-3   絶版

『孫文の経済学説試論』法律文化社/1999-10   発売中 ¥2300.
             http://web.kyoto-inet.or.jp/org/houritu/
ただ、学者さんの間での評価はどうなのかなあと。
19\:2000/06/29(木) 00:52
>ネアンデルタール人は全滅したと考えられています。
全滅してない!アメリカでネアンと人間の黒人とをかけあわせるという実験が
行われた。30年くらいまえだ
20名無しさん@1周年:2000/06/29(木) 01:00
劉表は都勤めしてたし、劉備も廬植に学んだから
会話はOK。
21名無しさん@1周年:2000/06/30(金) 22:17
あげええええ。
22名無しさん@1周年:2000/07/01(土) 10:04
イタリアは古代から多くの部族に分かれ、ローマ帝国もゆるい共同体として機能していたが、
中世に入ってからは小国が分立して統一が果たせなかった。(そもそも統一しようと考えてもいなかった?)
現在でもナポリの人は「俺はナポリ人だ!」などといってイタリア人などいない!と主張する人が
たくさんいると聞きます。イタリアの政情が不安定なのもそのせいとか。
イタリアが曲がりなりにも統一国家として姿をあらわすまでの経緯を教えてください。
23>22:2000/07/01(土) 17:34
フランス革命とウィーン体制下でナショナリズムが高まり、当時のイタリア内の有力国だったサルディーニャ王国が統一に向けて行動を起こし、軍事力や住民投票によって北部を統一。一方の南部ではガリバルディが千人隊を率いてシチリアの反乱に参加し、シチリアと半島南部を征服。統一イタリアの有り方でサルディーニャ王国のカブール首相とガリバルディはもめたけどガリバルディがサルディーニャ王国に南イタリアを献上してほぼイタリア統一が完成。
そのあと、普墺戦争に乗じてヴェネツィアを墺に割譲させ、普仏戦争に乗じてフランスからローマを奪い、第一次大戦で南チロルとイストリア半島を獲得。

24名無しさん@1周年:2000/07/01(土) 22:26
せえんせぇ、
ビザンティン皇室ってなに?
25教えてください:2000/07/03(月) 14:10
中世〜近代は産業革命の前と後らしいのですが
古代〜中世はいったい何が基準になって、分類されているんでしょうか?
26教えて:2000/07/03(月) 14:23
枢軸国側って日独伊以外にどこがあったの?
27名無しさん@1周年:2000/07/03(月) 15:14
三時代区分法って、なんでやってるの?
28>1:2000/07/03(月) 16:56
教えてください。

チベット・グシハン王朝の第三代ダライハンの息子は、兄テンジン
ワンギャルと弟ラサンの二人がいますが、兄が即位したかどうか、
史料によって書いてあることがちがいます。

兄は即位したのかしてないのか、どっちでしょうか。
29名無しさん@1周年:2000/07/05(水) 01:02
教えて下さい。
李氏朝鮮があったころ、日本で「征韓論」が起こったのはどうしてですか?
韓国を征服してしまえってことですよね。
日本史っぽくてすみません。

30名無しさん@1周年:2000/07/05(水) 03:27
>24
西洋の話しのようですね。
中世は、476年から1453年までです。
それ以前が古代、それ以後は近世。
近代は1789年から始まります。
3130:2000/07/05(水) 03:30
いや、ちがった。
>25
だな。
32名無しさん@1周年:2000/07/05(水) 04:00
答える人が出てこないな。

>24
わかりません。

>25,27
近代のヨーロッパ人が、
古代・・・ギリシア、ローマ古典文化の花開いた時代
中世・・・蛮族の跳梁で文化経済の沈滞した暗黒時代
近代・・・古典文化がルネサンスで復古した黄金時代
という三分法を編み出したから。
のちにマルクス主義の唯物史観で
古代・・・奴隷制
中世・・・農奴制
近代・・・資本主義
という単線発展観が生み出された。
西洋史以外ではこの二つの三分法のどちらかを援用して用いているだけ。

>26
フィンランド、ルーマニア、ハンガリー、ブルガリア。

>28
グシハン王朝って何世紀あたりでしたっけ?

>29
征韓論は日本国内の士族が貧乏で不満を持ってるから
そのエネルギーを隣の国にぶつければ
領土も増えるし不平も消えて一石二鳥、という感じだったような。
33名無しさん@1周年:2000/07/05(水) 04:03
>30
私、西洋史は専門じゃないんですが・・・
近世と近代のはっきりした使い分けって日本だけじゃないんですか?
それに今も万人が西ローマと東ローマの滅亡を基準にしてるの?
34名無しさん@1周年:2000/07/05(水) 11:28
>29
32さんの答えのようなことを考えで支持していた人もいたかも知れないけど、
主流となっていたのは、「日本が独立を保持すべく制度改革や産業育成など
いろいろと必死で努力しているのに、朝鮮ではそういうことが必要だと
いう自覚が全く無い。このままでは朝鮮半島は他国の勢力下に入りひいては
日本の独立を危うくするものだ。朝鮮が目を覚まさないのなら日本が朝鮮
半島を征服し、改革を進めるべきだ」というような主張でした。
今から振返ってみれば、確かに独善的な面もあるようにも思えます。
35"七資産":2000/07/05(水) 19:31
どこもそうでしょうが、ヨーロッパ史では
いま、古代と中世の境目はあいまいです。
だから、後期古代という形で4,5世紀を言い表す人もいますね。

帝国滅亡とか革命の年号などというのは国制上の画期に過ぎません。
社会経済史の研究が深まるほど、単純にここできっちゃえ、という
訳には行かなくなってくるみたいですよ。

中世・近世・近代の画期も同様。
3630:2000/07/05(水) 19:59
>33
疑問に思うのは、あなたなりの考えと合致しないからでしょう。
あなたなりの考えはどうなのでしょうか。

少なくともあなたは異なる意見をお持ちのようですから
「万人」とはいえないと思います。
あなたが言う「基準」というのもよく分かりませんが。
3725:2000/07/05(水) 20:59
皆さんお早いレスどうもありがとうございました。
なるほど〜、古代ではフン族が
ローマを滅ぼして、そこから中世が始まったと認識していたのですが
それは数ある基準のうちの1つに過ぎず
実際は、様々な国情が入り乱れてて
はっきりとした区分が出来なくなっているんですね。
3835です:2000/07/05(水) 21:12
そですね。私も詳しいことはよくわからんのですが,
たとえば土地制度を見れば,ローマ帝国の滅亡を期に
劇的な変化があったとはとうていいえない。
むしろコロヌス制みたいなものが滅亡後もなかなか
消えないで残っていたりする。
というより,ローマの土地制度は滅亡のだいぶ前から,
建国時とは性格を変質させている。
とすると,土地制度画期でみれば,
封建制みたいなものが現れてくるまでのスパンを,
古典古代とも中世とも違う,古代末期とか
後期古代としてとらえることができる,
という発想が出てくるというわけですね。
まあ聞きかじりなのであまりつっこまないでください(笑)
39名無しさん@1周年:2000/07/06(木) 00:43
デヴィ夫人はやっぱりすごい人なんですか?
40我が家の愛犬ゾマホン:2000/07/06(木) 00:58
MASTERキートンって漫画ご存知ですか?
その中で,主人公はドナウ川周辺に
西洋の文明の礎となった,古代文明が
存在するに違いないという説を取っていますが,
実際ドナウ文明なるものがあったら
面白いなぁと思っています。
実際の所どうでしょう?
41名無しさん@1周年:2000/07/06(木) 01:10
ケルト人こそヨーロッパ文明の源泉だ。何年か前国立美術館でやってた「大ケルト展」を見たのだが、
連中のシンボルマークは渦巻き模様だった。
それは輪廻を現している。
こんなところにもインド=ヨーロッパ語族としての共通の思考法みたいなものを見つけてしまった。
ドルイドの神はまた、ヒンヅーのシヴァ神でありまた、ペルシャのアフラマツダでもある。
いわゆるキリスト的なファクターは脇に置いといて、西欧の本質は合理主義的思考法なんかじゃなく直感的世界観(精神主義、オカルト)的なものが根っこにあるんじゃねーかって気するね。
4230:2000/07/06(木) 01:42
>35、38
最初は放っておこうと思ったのですが、しつこいようなので。

西洋史における、476年・1453年・1789年を
>帝国滅亡とか革命の年号などというのは国制上の画期に過ぎません。
という捉え方をされているのに驚いています。

>古代と中世の境目はあいまいです。
>後期古代という形で4,5世紀を言い表す人もいますね。
あいまいであってもどこかで区切るのでしょう。
例えば十字軍は古代の出来事ですか、中世の出来事ですか。
あなたには古代も中世もないのですか。
あいまいでも構いません。世紀をまたいでも構いません。
あなたはどこで区切るのですか。
4330 続き:2000/07/06(木) 01:43
4世紀をあげる人は民族大移動が念頭にあります。
フン族に圧迫されゲルマン民族が部族ごとに移動し建国していくのですが、
移動先でのゲルマン人の人口は平均3%にすぎません。
自分たちの制度、文化による統治はとてもできず、ローマ帝国に王位を
認めてもらい、ローマ帝国内の一部としての役割しか果たせなかった
ことを考えると、この時点ではそれまでの社会体制から大きな変革があったとは
いえないでしょう。西洋はまだローマ帝国が続いているといって良いでしょう。

5世紀には、それまで西洋そのものといってもよいローマ帝国の西半分が消滅します。
これを契機に移動民族らは拠り所を失い、制度や文化を取り入れたりはしますが
独自の社会を築いていかねばならなくなり、現在のヨーロッパの区分けの基礎が
出来あがるという大変革がありました。
この大変革は476年から始まります。
あなたにとっては「国制上の画期」に過ぎないのかも知れませんが、
私は西洋の歴史を変革させる大事件とみています。

コロヌス制を例にあげておられますが、コロヌス制は古代末期に
コンスタンティヌス帝がビザンティウムに遷都し土地定着法を発布して
普及していきますので,おもには東ローマ帝国の制度といって良いでしょう。
また、古代末期の332年に法が発布され、西ローマ滅亡時に
「消えないで残っていたり」してもなんら不思議ではありません。
コロヌス制の継続が476年の大変革より優先されるとはとても思えません。
土地制度や社会経済史は社会体制よりも優先されるのですか。
4438>43:2000/07/06(木) 02:06
だから土地制度画期で見ればと限定しているでしょ???
ところで私そんなにしつこかったですかね。それは失礼。

>コロヌス制の継続が476年の大変革より優先されるとはとても思えません。
>土地制度や社会経済史は社会体制よりも優先されるのですか。

???
最新の学説などよく知りませんが,
たとえば古典的な大塚史学の発想を突き詰めれば,YESではないですか???
彼らの設定した起点は,まさに土地制度でしたからね。

私は,古代末期・初期中世を専門にしている研究者の方から,
古代史家も中世史家も,どこに画期を設定するのかで
非常に難渋している,その試行錯誤の中で
「後期古代」という概念も提出されている,
という話を聞いたので,それを受け売りしたまでです。
だから,私自身の時代区分を示せといわれても困ってしまいますよ。
その新しい学説についてきちんと勉強したわけではないので。

あなたの476年画期を別に否定しているわけではありませんよ。
それはそれで説得力のある一つの見方でしょう。
ただ,別な見方の存在を否定されるようなおっしゃりようは
どうかと思いますがね。
だいたいあなたの論法を借りれば,
476年をまたいで勉強している学者というのは古代史家なんでしょうか,
それとも中世史家なんでしょうか。
むしろ,その周辺の時代を断絶ではなく一つのまとまりを持った時代として
とらえるという発想があっても,ちっともおかしくないと思うんですがね。
古代と中世の間に,いわば漸移帯的な一時代を差し挟むというのは,
そういう発想でしょう。あなたはそういう研究資格を否定されますか?
45名無しさん@1周年:2000/07/06(木) 02:12
ビザンティン皇室ってなんなの?
教えてください。
夜も眠れません。
4630:2000/07/06(木) 02:48
>44
>別な見方の存在を否定されるようなおっしゃりようは
>どうかと思いますがね。

否定したのはあなたです。
>>>帝国滅亡とか革命の年号などというのは国制上の画期に過ぎません。

別な見方の存在を否定していません。
そのように読める部分がありましたか。

要するにあなたは自分ではなんらの時代区分していないが、
人がする時代区分には「国制上の画期に過ぎません。」と
いっていたのですね。
よくわかりました。
4730:2000/07/06(木) 03:14
>45
私がしゃべるとあちらこちらから非難されるのでしゃべりません。
「せえんせぇ」をお待ち下さい。

あるいは、どういった用い方をしているのかの説明があると
レスがつきやすいかもしれません。

頑張って起きていてください。
4838:2000/07/06(木) 05:07
>帝国滅亡とか革命の年号などというのは国制上の画期に過ぎません。

このこと自体は,別に間違っていないでしょう?
要は,国制上の画期に重きを置くかどうかの違いです。
私は,国制上の画期に重きを置く見方を否定したつもりはないですよ?
ただ,他の見方だってあっていいだろう,といってるまでです。

>要するにあなたは自分ではなんらの時代区分していないが、

これはまったくおっしゃるとおりです。
いまあのあたりの時代を専門にやっておられる方の苦闘を見るにつけ,
私などが軽々に画期設定についてどうこういえるものではないと思います。
その点,私の能力不足を率直に認めます。

あと,すくなくとも私はここでの書き込みの中で,
あなたを「非難」しようと
した覚えはありませんし,あなたの45さんへの返答に対して
「非難」するつもりもないですので,
よかったらへそを曲げずに,45さんの質問に答えてやってください。
4933:2000/07/06(木) 06:40
あらら、最初に私が疑問を差し挟んだせいかこれは・・・

>30
>疑問に思うのは、あなたなりの考えと合致しないからでしょう。
>あなたなりの考えはどうなのでしょうか。
そうですね・・・古代と中世の区分はよく判らないです、正直言うと。
ただし、中世と近世を区分する事件としての「東ローマの滅亡」に
西洋史上どのような画期的意味付けがあるのか、と考えます。
ここは西ローマ滅亡との対応としての象徴くらいしか思い付かないです。
ビザンチンは西洋ではあるかもしれませんが「西欧」ではないですし、
ビザンチンの滅亡でギリシア以来の学問的伝統が西方に流出して
ルネサンスが起こった、なんていう見方が賛同に値するとも思えません。

それと
>近世と近代のはっきりした使い分けって日本だけじゃないんですか?
ここのところ、まだ混乱しています。
どなたか御教授願えませんでしょうか?
近世がアーリーモダン、近代がモダンの訳語だとも聞きかじった記憶はあるのですが。
50名無しさん@1周年:2000/07/06(木) 06:50
>ビザンチン皇室
http://www.harapan.co.jp/indonesia/gbi/GBInews/GBInews991011.htm
パライオロゴス朝なのか?
そのくせ何故かフランス語名だし。
51 曲靈風 :2000/07/06(木) 09:34
質問です。

<皇帝>と<王>、<帝国>と<王国>とは、一体何によって区別されるのですか?

僭称したもの勝ちなのですか?
日本は天皇を中心とした神の国だそうですが、
この「天皇」の英訳は、「emperor」らしいです。
何故?
52>50:2000/07/06(木) 11:31
謎ですね。
パレオロゴス朝最後の皇帝はコンスタンティノープル陥落の際に
戦死しているはずですが、その親戚筋が亡命でもしていたんでし
ょうか?
でもたしかローマ皇帝位は形式上ロシア帝国皇帝に引き継がれて
いたような気もしますが...
53名無しさん@1周年:2000/07/06(木) 12:03
自分の分野を勉強する上で、西洋史も勉強しなければならないのですが
ある程度短時間で、流れがよくわかり、重要な点もきっちり学べるような
本または参考書はありますか?
高校生の時、日本史専攻だったので世界史は殆どやっていませんでした。
あと、産業革命と社会の変化について、そしてヨーロッパの近・現代史に
ついても流れと共に学び易い本もあったらお願いします。

5429です。:2000/07/06(木) 12:32
>32さん、34さん。
お答えありがとうございます。
質問の仕方が悪くてすみません。
なぜ朝鮮半島にあったのが「李氏朝鮮」だったのに、日本では「韓国」としてあつかっていたのかが疑問だったんです。
やっぱり日本史ぽくてすみません。

なんだか予備校先生より、他のみなさんのほうが頼れるような・・・。
55名無しさん@1周年:2000/07/06(木) 12:49
やっぱり、デヴ夫人は対象外ですか?
56名無しさん@1周年:2000/07/06(木) 12:59
ヴィクトリア朝時代のイギリス騎兵の行った植民地戦争について教えてください。
57名無しさん@1周年:2000/07/06(木) 14:06
古代オリエントの「海の民」ってどんな民なのでしょう?
できればそういったことを扱っているサイトとかあれば教えてていただきないのですが。
5830:2000/07/06(木) 17:36
では、いきがかり上。
50は45の人ですか。
質問の内容がこれだとするとやはりレスはつきにくいでしょう。

ビザンティン帝国滅亡後、1472年にモスクワ大公国のイヴァン3世が
ビザンティン皇帝の姪と結婚し、自分がビザンティン帝国の後継者である
と自任します。
ヴァシリ3世を経て次のイヴァン4世は1533年に即位しますが
1547年に皇帝の称号を正式に採用し、ここにロシア帝国が成立して
ロマノフ朝へと引き継がれていきます。

さて、旧ビザンティン帝国は滅亡後オスマン帝国の支配下にあったわけですが、
1821年にギリシアがオスマン帝国に対して反乱をおこし、翌年には独立を宣言
します。オスマン帝国はエジプトの援助をえてこれを鎮圧しようとしました。

オスマン帝国を南下政策の直接の標的にしていたロシアは
イギリス、フランスとともにこの戦争でギリシアの独立を支援し、
ギリシアは1829年に独立が認められ翌年に王国として成立します。

こういった縁もありロシア皇帝ニコライ1世の孫娘オルガは
ギリシア王のゲオルグ1世と結婚し、その家系は本流のロマノフ朝が
ニコライ2世の時に断絶したあとも続いています。
オルガの父も息子もコンスタンチンですし、ゲオルグ1世をギリシア皇帝と呼ぶ
こともありますので、推測ですがこの流れだと思います。

尚、ゲオルグ1世自身はデンマーク王クリスチャン9世の息子ですから
ビザンティン皇室の流れを汲んでいるとはいいにくいと思います。
59名無しさん@1周年:2000/07/06(木) 19:23
うーん、ギリシア国王家は王制廃止後、
イギリスに住んでるって聞いたけど、
(最近現当主の誕生日パーティを英皇太子が主催したとか)
これもその流れなんでしょうかね・・・
でも姓がパレオロゴだし??
60名無しさん@1周年:2000/07/06(木) 19:45
>51
ヨーロッパでは元来の意味は
王・・・「一国(一部族)」の支配者
皇帝・・・世界の普遍的支配者
という感じだと思います。
だから、西ヨーロッパではナポレオンまでは
皇帝号はフランク王〜ドイツ王が
教皇との特別な関係をテコに独占してきました。
東欧ではブルガリアがビザンツ帝国との対抗上
皇帝を名乗る場合もありましたが、
おおむねビザンツ帝国〜ロシア帝国の独占称。
中国では始皇帝以来、
皇帝が中華世界の主で世界にひとりしか在り得ず、
王は皇帝に劣り幾人も存在しうるものです。
日本の天皇はこの「皇帝」概念を日本型にアレンジしたものだから、
「エンペラー」という訳語が付いたのではないかと。
その他の中東などではその地域の君主の称号を、
ヨーロッパでのそれと同じように考えて
広領域多民族を支配したものを特に皇帝と訳すようです。
古代ペルシアやイランのシャー、
イスラム帝国のカリフ、
トルコ(オスマン帝国)のパーディシャー、
モンゴル帝国の大ハーンなど。

>54
>なぜ朝鮮半島にあったのが「李氏朝鮮」だったのに、
>日本では「韓国」としてあつかっていたのかが疑問だったんです。
1897年の「大韓帝国」成立以前では
「韓」ってのは古代の朝鮮南部にあった、
「日本に服属していた(と少なくとも記紀にいう)」
部族国家(?)のことですから、
半島を蔑んだニュアンスで言ったんじゃないでしょうか。
あと、「李氏朝鮮」という言い方も、
「(李朝)朝鮮王国」を李王家による王国として認めないような
感覚が少し込められているような気がします。
あくまで、門外漢の勝手な気、ですが・・・
6130:2000/07/07(金) 02:02
>59
>でも姓がパレオロゴだし??
パレオロゴス家始祖ニケフォロス・パラエオロゴスの息子がゲオルギオス(ゲオルグ)で
以降も当主がアレクシス、ゲオルギオスと続き、ゲオルギオスという名はパラエオロゴス家
で意味のある名だと思うのです。

ギリシア独立の際にドイツから引っ張ってきてたオットー1世はギリシア王だったのですが
1862年の革命後1863年に新たにデンマークから引っ張ってきたウィリアムを
ギリシア皇帝ゲオルグ1世と呼ぶことがあるのは妻オルガのパラエオロゴス家の血と
夫のパラエオロゴス家の地の合体を意識したのではないかと思っています。

ギリシアの最後の王コンスタンチヌス2世はこのゲオルグ1世の曾孫ですが、
生年が1940年ですので、案外この人が当人ではないか、とも思っています。
6230:2000/07/07(金) 02:21
んー。困った。

>妻オルガのパラエオロゴス家の血
オルガはロシア皇帝の血はひいているが、
パラエオロゴス家の血はひいていないようだ。

妻オルガの、パラエオロゴス家の後継を自任するロシア皇帝の血と

に書き換えておこう。
63名無しさん@1周年:2000/07/07(金) 07:12
結局いまいち正体のわからないビザンティン皇室。
どこに問い合わせれば良いのか?
テレビ局、ギリシャ大使館、デビィ夫人どこ?
6430:2000/07/07(金) 16:57
>63
あなたと45、50、59との関係はわかりませんが
50にあるURLに住所も電話番号もメールアドレスも
載っていますよ。

正体がわかったら教えて下さいね。
6551:2000/07/07(金) 18:42
>61
今一つ納得がゆかない・・・様な。
モンゴルの「汗」も、訳語は「emperor」に相当するんですか?
とりあえず、他民族を支配して、「皇帝」を名乗れる、
ということでしょうね。

ご苦労様でした。
66名無しさん@1周年:2000/07/07(金) 19:10
英語で皇帝と訳せば皇帝
6728:2000/07/07(金) 22:11
>1
グシハン王朝は1642年にチベット全土を制圧し、1717年のジュンガル部の侵攻によって、ハンが戦死、嫡子が捕虜となってハン位が空位となり、1723-24年、清朝が傍系皇族の内紛に乗じてこれを征服し、チベットに対する支配権を剥奪して滅亡しました。

第三代ダライハンは1700年に死去し、息子で最後のハンとなるラサンが1703年に「チンギスハン」という称号を受けているんですが、この間にラサンの兄であるテンジンワンギャルが、果たして即位しているのか居ないのか、不明なんです。

おしえて下さい。
6861:2000/07/08(土) 11:33
>51
>モンゴルの「汗」も、訳語は「emperor」に相当するんですか?
「モンゴル帝国」の「(大)ハーン」に限って言えば、言えるのでは。
もっともハーンはハーンとそのまま言ったほうがすっきりしますけど。
まあ、無理矢理訳すとすれば、の話なので・・・
チンギスハーンの国家を「モンゴル王国」とか
「モンゴル・ハーン国」って表現するとおさまり悪いでしょう?
ああ、苦しい。
6961:2000/07/08(土) 13:44
>68
61は私(30)です。
あなたは60では?

モンゴルの「汗」は「khan」でしょう?
「皇帝」と「帝国」は分けて考えたほうがいいんじゃないですか?
70名無しさん@1周年:2000/07/08(土) 22:24
カール大帝が戴いた、ローマ帝国皇帝の冠は双頭の鷲が掘られていたと
聴きましたが、どうなんでしょうか。
どっかに画像がありませんか?
71>69:2000/07/09(日) 17:18
すると「〇〇王国の××皇帝」とか「△△帝国の□□王」とか、
平気で成り立っちゃう訳でしょうか?

実例を求ム!
72名無しさん@1周年:2000/07/09(日) 20:31
満洲と満州の違いは?
本によって違うので。
7369:2000/07/09(日) 23:49
>71
あなたは60あるいは68ですか?
それによって答えかたが変わるので、もしそうなら書いておいてほしいです。

私は、王でなければ皇帝とかあるいはその逆だとか、
皇帝がいる国が帝国だとか、と考えるとつらいのではないか、
と思ったのです。

実例とのことですが、
ペルシア帝国のキロス王
フランス共和国のナポレオン皇帝
74名無しさん@1周年:2000/07/10(月) 00:02
学術的にはどうか知らないけど王国、帝国、王、皇帝って
あんまり厳密に分けて考えている人っていないんじゃない。

75名無しさん@1周年:2000/07/10(月) 02:52
 
76名無しさん@1周年:2000/07/10(月) 03:21
>32さん
>>26
>>フィンランド、ルーマニア、ハンガリー、ブルガリア。

これは枢軸国側の国とよべるのでしょうか?
枢軸国の占領地というのがふさわしいかと思うのですが。
77名無しさん@1周年:2000/07/10(月) 03:33
>51

質問! << 「皇帝」と「国王」はどう違うのでしょうか >>
http://www2.sega.co.jp/bbs/article/o/other/145/heyhog/index.html
7876:2000/07/10(月) 03:58
76の発言、撤回します。すみません。
私の認識が間違っていたみたい・・・
7971 :2000/07/10(月) 10:18
済みません、横入りした者です。

実例、ありがとうございました。
80あやめ:2000/07/13(木) 16:38
>67
>ラサンの兄であるテンジンワンギャルが、果たして即位しているのか居ないのか
この人は恐らくラサン(拉蔵汗)の弟のワンジャル(旺札爾)のことかと思います。
「蒙古世系」(中国社会科学出版社刊)というジンギス汗の子孫を網羅した、極め
て詳細な系図集がありますが、これにはラサンの兄は載っていません。青海や西蔵
に関するいくつかの書物を検しましたが、ワンジャルが父のダライ(達頼)汗の地
位を継承したとする記述は発見しませんでした。
多分ダライの死からラサンの即位まで一両年の間隔があるので、こうした疑念を抱
かれたのでしょう。ダライの死は1701A.D.(1700A.D.とした文献は見かけませんで
した)ラサンの即位は1703A.D.とされていますが、宮脇淳子著「最後の遊牧帝国-
ジューンガル部の興亡」(講談社選書メチエ)は1697A.D.にラサンがダライを継承
したとしています。宮脇さんは漢文史料のみならずモンゴル・オイラト・チベット語
史料を直接あたって研究されている人で、何らか確実な根拠をもって説かれている
のでしょう。この年はガルタンが敗死しています。
清の祁韻士の編纂になる「外藩蒙古回部王公表傳」の「青海厄魯特(エルート)部
総傳」に「ジューンガルが敗走した当初、ダライ汗の子のラサンは青海の諸タイジ
(ジンギス汗一族系の王族)と議を定め清朝に帰附した。間もなく彼はタングト汗
の地位を継襲した」と記述しています。これなどもガルタン敗死の年にラサンが継
位したと宮脇さんが説いておられる根拠の一つかもしれません。
いずれにしてもラサンはダライ在位当時から、既に部内においてダライの後継者と
して認知されていたもののようです。ダライの死からラサンの即位まで間隔がある
のは、推測するに部内諸タイジやチベット地元勢力に対する根回しなどに時間が必
要だったのでしょう。チベット王としての青海ホシュート部長の権力は、ダライ汗
在位当時からダライラマ5世の下風に立つようになっていたからです。更にこうし
た劣勢を挽回するために清朝の承認取付け工作などもしていたのかもしれません。
8128=67:2000/07/14(金) 05:52
>80 あやめ さん
大変ていねいなご回答有り難うございました。

 私がこの疑問を抱いたきっかけとなった史料の文面を申し上げます。テンジ
ンワンギャルの即位を伝える史料としては、1747年成立のスンパケンポ「パク
サムジョンサン」という史料(甘粛民族出版社版.p.325)に、

 彼の逝去の後、彼の子息ダライハンことラトナ王が王位についた。その後ラ
トナの大きいご子息テンジンワンギャルが即位したが期間は短く、・・・その
後ラトナの小さいご子息ラサンが王をなさった・・・

とあります。ダライハンの死去を1700年とする史料としてはダライラマ六世の
伝記があり、死去や葬儀がこの年の記事中にみられます。

この史料には、1701年の記事に、ダライラマ六世のもとにテンジンワンギャル
から使者が来たという記事があります。ところがジャムヤンシェパ一世の伝記
には、テンジンワンギャルが1700年に中風で死去し、ジャムヤン一世が看取っ
たという記事があるんですね。

チベット史料をみていると、テンジンワンギャルの死亡年次や即位の有無など
全く霧の中です。

この疑問をスッキリ解決してくれるような研究なり史料なりをご存じでしたら
教えて下さい。
82名無しさん@1周年:2000/07/14(金) 06:53
他のスレッドでも質問しましたが一応ここでも質問!
何でインドで仏教は滅びたの?
やっぱり末法に入ったから?
そういえばナーランダ僧院はイスラム教徒に破壊されてから誰も修復してくれなかったの?
素朴な疑問シリーズでした。

83名無しさん@1周年:2000/07/15(土) 00:31
先生〜〜〜。どこに行かれたのですか〜!?
84名無しさん:2000/07/15(土) 01:24
先生は交通事故に遭われ、現在危篤です。
85名無しさん@1周年:2000/07/15(土) 02:12
イギリス皇太子をprince of walesと称する由来は?
ついでにイングランドによるウェールズ併合の経緯も教えてください。
86あやめ:2000/07/16(日) 00:25
プリンスというのは元来は地方君主の称号の一つで、プリンシパリティ
(公国領)の支配者を指すものであって、皇太子という意味は最初はな
かったのです。
ブリテン島のウェールズ地方は統一権力がなかなか確立せず、またイン
グランド勢力もその大部分を併合しながらも、西暦13世紀半ばまでは
決定的に征服するに至りませんでした。この間の経緯はぐじゃぐじゃと
していて書く気になれません。やっとルーウェリン-アープ-グリフィズ
がイングランドの内紛に乗じ、ウェールズ全土に覇権を確立しました。
彼が初めてプリンス-オブ-ウェールズ(ウェールズ公)を称したのです。
彼はしばしばイングランドに侵攻し、ヘンリー3世を悩ましました。へ
ンリー3世を継いだエドワード1世は1277A.D.と82A.D.の2次の征討で
彼を敗死させ遂にウェールズ全土の平定に成功しました。そして長子の
エドワードをウェールズ公に封じたのです。エドワードは後に父の王位
を継いでエドワード2世となりました。この後イングランド王の世子は
プリンス-オブ-ウェールズの称号を取ることになり、英国王太子の別称
となったというわけです。
この序でに言っておきますと「英国皇太子」という言い方は、連合王国
の君主がインド皇帝を兼ねていた当時ならともかく、単にコモンウェル
スの首長に過ぎなくなった今では不適当です。王太子とか王世子という
のが正当な訳語でしょう。一方ではローマ教皇を法王と呼んでいるのも
おかしなものです。
87名無しさん@1周年:2000/07/16(日) 01:31
>あやめ レスありがとう。
「ブレイブハート」でエドワード1世が息子のエドワードを
prince of walesって呼んでたんで(訳忘れた)、
気になってたんですよ。
あの時代からこの称号があったのかなって。
ぎりぎりセーフ(つうか初代)だったんですね。
88名無しさん@1周年:2000/07/16(日) 21:30
新質問。
第一次世界大戦時の東部戦線の資料、ないですか?もしくは御教示ください。
高校の時の資料で見たらドイツ軍がかなり攻めこんでいるのですが、
タンネンベルグの戦いぐらいしか普通の本には載っていません。
またオーストリア・ハンガリー二重帝国とかはどう戦っていたのでしょうか。
バルカン方面の戦況も合わせてお願いします。
89名無しさん:2000/07/17(月) 17:29
オゴタイ=ハン国は事実上国として存在しなったというのは本当でしょうか?
それとワールシュタットの戦いも大規模な衝突はなかったのでしょうか?
どうなんでしょうか?
90あやめ:2000/07/20(木) 18:51
>89
通常の概説書などでは4大汗国ということで、オゴデイ-ハン国というものが挙げ
られています。しかしオゴデイの所領がその子孫に統一的に継承されたことがない
のはもとより、宗主により統率されていたということもありません。極めて存在感
の希薄な「汗国」です。
オゴデイ崩後に大汗となったグユクは、オゴデイ家内においてもやや地位の劣った
人物であったので、この時点で既に「汗国」内の結束は失われていました。そして
グユクの崩により大汗となったトゥルイ家のモンケは、オゴデイの一族を弾圧して
所領を削減しました。いくつもに分割されていたオゴデイ一門の勢力は、この時点
で「汗国」の実質を喪失していたと言ってよいでしょう。その後大汗位の争奪と諸
汗国の抗争に乗じて、オゴデイの孫ハイドゥが大勢力を築きますが、オゴデイ-ハン
としてというより、彼個人の興した国という印象です。彼の子チャパルの代にその
領地はチャガタイ-ハン国に併合され、名実ともオゴデイ領は消滅します。
ワールシュタットの戦いが大したことないものだったというのは、杉山正明京大教
授などが主張している説で、そうなのかもしれません。同氏「モンゴル帝国の興亡」
(講談社現代新書)あたりを参照してください。
91うらきさん:2000/07/21(金) 18:02
マクシミリアン一世の帝国改造計画について教えてください!
92あやめ:2000/07/22(土) 18:41
>91
この辺はあんまりよく知らないんだけど、一通りのことを書いとき
ますね。
英仏両国では王権の伸張により絶対主義的統一への歩みを進めてい
たのに、ドイツでは皇帝権の解体、領邦勢力の発達という状態が障
害となって、強力な国家主権がなかなか生まれませんでした。領邦
も細切れに群立していて、連邦制という方向へも行けない中途半端
な体制で、何とかしなくてはという機運は十分に存在していました。
皇帝マクシミリアン一世は所領の拡大が最大関心事であったのです
が、そのためにも諸侯から皇帝へ資金を吸い上げるシステムの確立
を要し、マインツ大司教ベルトルトの帝国改造計画を推進すること
としました。
その内容としては帝国議会の改革、恒久平和令の実施、帝国裁判所
と帝国政府の設立、全国徴税制などですが、ドイツ統一と近代化の
現実化に必須であった平和令執行機関であるクライスが、諸侯の利
害の対立により機能するに至らなかったのです。
こうした改革の流産の結果もたらされたのは、領邦体制の確立拡大
の方向で帝国の安定を求める方向です。ウェストファリア条約体制
がその行きついた先というわけです。
93:2000/07/23(日) 00:52
 だれか88の質問に答えたら?
9488の質問は:2000/07/23(日) 03:02
軍事板の方がいいかもね。詳しい人がいそうだから。
95エリア88:2000/07/23(日) 08:07
なるほど、軍事板の方へ行ってみます。
96名無しさん@1周年:2000/07/23(日) 08:45
88のような広い内容の質問は図書館とかで
調べた方がいいんじゃないかな。
97エリア88:2000/07/23(日) 16:10
近所の図書館にはありませんでした・・・
諦めて国立図書館へ行きます。
98名無しさん@1周年:2000/07/24(月) 19:47
絶対主義・自由主義・帝国主義
ってどうやって名づけられましたか?
99名無しさん:2000/07/24(月) 20:02
同時代に使われていた言葉です。
ある程度なんとなく普及した言葉に、
あとで学者が学問的な定義を付けるのがパターンです。
100ビザンツ皇室問題:2000/07/25(火) 21:46
こんなことが行われていたとはビックリ。
でもロマノフ家とは関係無くパレオロゴ家ってのは
支流が結構残っているのでは?
ルネサンス後期にはイタリアのモンフェラートの
公爵か候爵はパレオロゴの支流だったよ。
もっともこれは男子は断絶。
(最後の当主の娘がマントヴァ公と結婚した)

けど、確かイギリスかフランスにパレオロゴの末裔を称する
へんてこな人が住んでいるというのをどこかで読んだ気が・・・
パレオロゴだからビザンツ、しかも帝室を僭称するのは
アホらしいと思うけど。


101名無しさん:2000/07/25(火) 22:07
先生、みなさん、全くの初心者です。
世界史の良い本ないですか。良かったら推薦してください。
それで勉強します。質問もします。
102名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 09:39
101
世界史というより、まずローマ史をお読みになられること
をお勧めします。
103名無しさん:2000/07/26(水) 16:25
>102さん、
>まずローマ史をお読みになられることを
そうですよね、とってもすばらしいアドバイスだと思いました。
日本史だとどうだろう?まず平家の滅亡当たりから?
ありがとうございました。101

104名無しさん@1周年:2000/07/27(木) 04:42
やっぱ男なら
アレキサンダー大王からいってみては
またはカエサルか?(ブルータスよ!っていってみたくなる)
105名無しさん:2000/07/27(木) 10:46
104>
アレキサンダーか、魅力的ですね。
学校の授業もこんなのだといいですね。
「どこからやる」なんて聞いてくれて。
普通、古代からでしょう?
原始人の絵とか見せられると嫌になるし、あやふやだし。ね。
106名無しさん@1周年:2000/07/27(木) 15:04
>101
「世界史」そのものではないが、ヨーロッパ史に興味があるならカエサルの
「ガリア戦記」はどうかな、そこから古代ローマ・ケルト・ゲルマンなど
様々なことに連鎖的に興味が広がっていくと思う。そもそもこれは
読み物として素晴らしいよ。
107名無しさん:2000/07/28(金) 12:06
>106
ガリア戦記、ですね。前から読みたかったので読んでみます。
必要がなかったので読めなかった。
昨日買ってきた本は「文庫本3冊でわかる世界史」です。新刊。
ちゃちな本ですが、まったく知らないもので。
本当は「子供漫画世界史」を買いたかったのですが売ってませ
んでした。
子供漫画って侮れないと思っています。(大人が言うことじゃ
ないね) ありがとうございました。
108名無しさん:2000/07/28(金) 12:07
昨日の本の言葉
「ローマ人は廃墟を作って、その地を支配したと言う」
ちょっとちがったかも。
109名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 13:36
>107
106です。
岩波のが一番よかったです。
私がはじめて読んだとき、ローマと各部族とのやりとりに深い感銘を
受けました―つまり当事者双方それぞれにそれなりの言い分があるが、
交渉というのは、実際こういうものなんだなって。そして、それをまさに
淡々と、むしろ公平に書き連ねていくカエサルの態度。実は私の中で
「ガリア戦記」は古今東西を通じて第一の名著なのです。司馬遼太郎より
よっぽどおもしろい。
ちょっと熱くなってしまいました。まあ読んでみてください。
>108
セントアンドリュースのあの小さな橋は今でも名物ですね。
110名無しさん:2000/07/28(金) 15:05
>109
ダンケシェ:ーン(ガリア人はドイツ語?)
111名無しさん@1周年:2000/07/28(金) 15:54
>110
ガリア人はガリア語です。カエサルも通訳を使ってやりとりしていました。
面白いのはガリアの女達がローマ人に命乞いをするところです。
ところでガリア語は、アイルランドのゲーリックなどの古語です。フランス語は
ラテン語のガリア訛りのようなものです。音がゲーリックとそっくりです。
その歴史的責務によってチャールズ皇太子はウェールズ語を流暢に話します。
112名無しさん:2000/07/28(金) 20:39
>111
へーそうなんだ。司馬遼太郎ばっかり読んでた私が
馬鹿でした。しかし、このごろ本屋に言っても「さむらい物」
を買うのが嫌になっていたところです。

>チャールズ皇太子はウェールズ語を流暢に話します。

これっていいですよね。日本の皇太子にもアイヌ語かなにか
学んでほしいですね。アイヌは列島の主?だったんだから。

113名無しさん@1周年:2000/07/29(土) 01:27
 ガリア戦記は新訳がでないでしょうか。
 岩波しか読んだことがないのですが、あれはあれで味わいがあります
が、現代ではさすがに辛い。
 個人的にはぜひ塩野七生の新訳が読みたいですね。
 愛情たっぷりに訳してくれそうだ。
114名無しさん:2000/07/29(土) 01:31
>へーそうなんだ。司馬遼太郎ばっかり読んでた私が
 馬鹿でした。しかし、このごろ本屋に言っても「さむらい物」
 を買うのが嫌になっていたところです。

司馬さん、なんかそのことについてかいてたっけ?

115名無しさん:2000/07/29(土) 11:36
>114さん
司馬遼太郎的講談本ばかり読んでいたので馬鹿になっちゃった
と言う意味です。
司馬遼太郎さんの本は、新聞記者の手法で歴史に迫ろうとした
もので面白いとは思いますが、全部読んでしまったもので飽き
てしまいました。
歴史と言っても日本史ばかりだと思うのですが。モンゴルのこ
とも書いてたかな。「空海」なんかは、賛同できません。

昨日はアポロ13号、立花訳を読んでました。これも世界史か、な?
116名無しさん@1周年:2000/07/29(土) 15:57
>111,112
チャールズがウェールズ語を話すのは、彼がウェールズ公(Prince
of Wales)だからじゃないの。日本の皇太子も「アイヌの宮」とか
にすれば、アイヌ語喋って熊祭なんか主宰するんじゃないのか。
列島の主ってアイヌだけが先住民てわけでもないはずだと思うよ。
117名無しさん@1周年:2000/07/29(土) 16:23
>116
111です。
そうです。プリンス・オブ・ウェールズの責務として、ウエールズ語を話す事に
なっています。
ただ日本の場合北海道のアイヌは既に日本に同化してしまっている上に、その他の
異民族も歴史の彼方に埋もれてしまいましたからね…。でも皇太子が熊送りの儀式
なんて主催したらホント面白いですね。
118あやめ:2000/07/29(土) 20:10
>111
「琉球の宮」っていうのもどうかしら
ウチナーグチで話すように義務付けられて、雅子様は紅型に官風髷
119名無しさん:2000/07/30(日) 01:01
みなさん、こんばんは。
出雲には出雲の国主がおられて、県知事よりはずっと偉い!そうです。
フルノミタマとかモンゴル語らしいですね。
だんだん日本史になってきたような。
日本史のハイライトといえば、プリンスオブウェールズの撃沈かな。
それと、真珠湾、対馬海峡。トヨタ、ホンダ、カワサキ。線香花火
ような輝き。
今日マンが世界史辞典買ってきました。なさけない。
ガリア戦記は近所の本屋にありませんでした。明日は町の本やへ行こう。
120名無しさん:2000/07/30(日) 01:27
>111
>118
出雲にはいまでも国主がいるらしい。フツのみたまとか、フルの剣
とかはモンゴル語らしい。出雲国主はモンゴル語でしゃべるのかなあ?

プリンスオブエェールズ撃沈は日本史と世界史の接点ですね。
121名無しさん:2000/07/31(月) 14:17
20世紀後半の歴史って100年後には評価ががらっと変わっているんですかねー?
122名無しさん@1周年:2000/07/31(月) 16:35
>112、114、115
司馬遼太郎は昔好きでしたが、いまはそれほどでもありません。
彼の表現のナイーブさは、どうもそれが日本人の感性(「繊細さ」というより
「弱さ」でしょうかね)と共振してしまうのか、日本人の世界観をむしろ
大きく歪めてしまったキライがあるように思います。
文春に連載されていた「街道を行く」はその典型かと。
とくに外国人と歴史の話をすると、どうもソンナ風に思えてならないのです。
123名無しさん@1周年:2000/07/31(月) 16:48
>118
PRINCE OF RYUKYUですか。うん、面白い、時節柄某隣国へのいい牽制に
なったりして…。しかしその場合、旧琉球王室も尊重すべきでしょうね。
124あやめ:2000/07/31(月) 17:56
>123
旧琉球王室の尊重のしかたが考えどころね。沖縄の旧王家という側面
を強調すると、某隣国からそこは以前うちの朝貢国だったからという
政治工作に利用されそう。空手、紅型、ちゃんぷるー、琉球舞踊、沖
縄系アイドル学校その他、沖縄文化全般の総家元にしたらどうかな?
125名無しさん@1周年:2000/08/01(火) 16:28
>124
そう、だから今になってやると、安全保障政策そのものに影響してきますね。
英国とはこの点地政学的みてもにまったく異なりますから。
あれ?ここは世界史ですよね?
あやめサンが「琉球の宮」なんて煽り出すから…。
126名無しさん@1周年:2000/08/01(火) 21:32
まぁ琉球王国史は日本史(地域史)の枠に入れていいもんかというところもあるし。
127名無しさん@1周年:2000/08/10(木) 12:04
ギリシア人の名前が判らなくなってしまいました。教えてください。

1.ギリシア唯一の女流詩人。レスボス島で少女たちの教育にも当たった。
2.小アジアの出身で、病因を科学的に究明し、「医学の父」と呼ばれる。
3.ギリシア最大の哲学者で、哲学を集大成し、イスラムや西洋の科学に大きな影響を与えた。
128名無しさん@1周年:2000/08/10(木) 12:35
1.サッフォー
2.ガレノス?
3.アリストテレス?
129名無しさん@1周年:2000/08/10(木) 13:35
高校の世界史の夏休みの宿題です。どうしても出来なかったトコ
があるので誰か代わりに解いてください。お願いします。

秦・漢帝国について
1.漢政府が土地の広さと奴隷の数を制限しようとした政策
2.古典の注釈を主な内容とした学問
3.↑の学問を大成した後漢後期の学者
4.後漢時代の墓室の壁などに用いられた、絵画を刻んだ石
5.秦代の篆書に代わって、漢代に用いられた文字

ローマについて
6.ディオクレティアヌスは293年に新しい統治政策を始めたが、
 これは何か
7.375年からローマ帝国の運命を左右する大きな動きが起こっているが、
 これは何か
8.帝政中期以降のローマ帝国内における、土地に隷属した不自由な
 小作農を何と呼ぶか
9.ローマ帝国衰退の原因を軍事的原因と経済的原因2点から簡単に書け

ミケーネ文明について
10.ミケーネ文明の中心地はギリシャ本土のミケーネと△△にあった
130名無しさん@1周年:2000/08/10(木) 14:42
宿題は自分でやろうよ・・・
高校レベルなら
www2.justnet.ne.jp/~kankon/welcome.htm
こういうとこで調べるとか。
131名無しさん@1周年:2000/08/10(木) 21:54
論述問題ならまだしも、こんなの用語集見ればわかるだろ。
132名無しさん@1周年:2000/08/11(金) 07:41
1 限田法(?)
2 訓詁学
3 鄭玄
4 ?
5 隷書

6 ギリシャ民主制あるいはローマ共和制の伝統が失われ、
  オリエント風の専制君主制を実現させた。
  これを、「ドミナートゥス」とよぶ。
7 帝国の分裂
8 コロヌス
9 <軍事的原因>
   義勇兵制度から傭兵制度に変わり、兵士に支払う俸給の増加は
   ローマ経済を圧迫していった。
  <経済的原因>
   軍事上の増加はインフレを招き、貨幣価値の下落により貨幣経済は
   自然経済にかえり、兵士や一般市民が貧困になり不満を持ち始めた。
10 ティリンス

参考書にほとんど載ってるじゃないかよー!!>129
133132:2000/08/11(金) 07:45
訂正。
9 誤)軍事上の増加・・・
  正)軍事費の増加・・・
134名無しさん:2000/08/11(金) 12:15
以前書き込みしたものです。

カエサルのガリア戦記読んでいます。どの章も同じ文章に
思えてなりませんが、そのうち、ガリアの内情にも詳しく
なればわかるかなと思っています。
135こんにちは129です:2000/08/19(土) 13:59
最後にもう一つだけお願いします。
古代の農法についてですが、問題の文章をそのまま引用しますので
答えてやってください。

『紀元前7000年頃には既に麦の栽培と家畜の飼育が行われて、集落を
 形成していった。イラク東北部にあるジャルモ遺跡はその最古の
 ひとつである。だが当時の農法は施肥を知らない××農法であって、
 雨水に頼る乾地農法であって・・・』

※ちなみに語群には『略奪』しか残っていなかった。クソ。
136>135:2000/08/19(土) 17:41
こいつクセになってるよ。二度と来ないでね。
137名無しさん:2000/08/19(土) 18:50
『古代』の定義って何?
リスト・ランブレヒトら歴史学派にしても
マルクスやらロストウにしても
「古代」という言葉は使ってないよね。
マルクス的にいえば奴隷制社会=古代なのかな?
138129:2000/08/19(土) 19:11
『古代』の定義についてですがそれは割愛します。

>135
私としては『灌漑農法』だけはありえないと思っています。
『略奪農法』なんて知りませんし、『乾地農法』は既に
使ってありますし、ひょっとするとあのプリント自体にミス
があったのかも知れません。新学期にちょっと、世界史の教師
に問い合わせてみます。
139名無しさん@1周年:2000/08/19(土) 19:27
略奪農法であってるよ
140名無しさん@1周年:2000/08/19(土) 20:14
略奪農法ってなんか聞いたことあるよ?
141名無しさん@1周年:2000/08/20(日) 01:13
略奪農業っては、肥料をまかずに耕作して収穫し、ある程度経ってそこがだめになったら違う所へ移動して耕作する、って言う農法。
142名無しさん@1周年:2000/08/20(日) 23:27
四大文明(エジプト,メソポタミア,インダス,黄河)ってまとめかた
って不適切なんですか?
143名無しさん@1周年:2000/08/21(月) 03:17
>134
岩波のですよねぇ。私もガリア戦記、読みました。
確かに、訳は戦前になされたもので硬いですが、慣れると非常に分か
りやすいです。
箇条書きで、全部一人称でかかれている独特の文体ですがしばらくす
ると自分にも感染って癖になります(^^;

>142
昔の定説であり、多くの人がイメージしている「文明は四大文明から
始まり、やがて、周辺の蛮族に広まっていった」というのは間違えで、

四大文明の周辺に暮らしていた蛮族(我々の祖先も含む)も、完全な
原始人ではなく、それぞれ文化を持っており技術水準もある分野では
「文明社会」を凌駕していたことは次第に明らかになってきています
が、
現在の文明との系譜を考えた場合には、やはり四「大」文明というく
くり方は妥当だと思います。
144名無しさん@1周年:2000/08/21(月) 17:41
>143
全部一人称?原典をラテン語で読んだときには、カエサルは自分自身の
ことも三人称で描写してたけどなぁ。
145名無しさん@1周年:2000/08/21(月) 18:22
「歴史学史的」に見れば、より詳細の分かっている4つの古代文明
を「四大文明」と括って特別視することは問題無いと思う。
個々の歴史学にとっては大して重要じゃないかもしれないけど。
146143:2000/08/22(火) 00:06
ごめん、3人称が正解です

鬱だ氏のう・・・
147名無しさん:2000/08/22(火) 15:22
質問です。

高校の歴史で、たいがいの人間は名字だけ覚えればいいのに
中国人と日本人だけ名前も覚えなければならないのはなぜですか?

148名無しさん@1周年:2000/08/22(火) 16:14
中国人の姓は絶対数が少ないから混乱する。
149名無しさん@1周年:2000/08/22(火) 16:19
韓国人モナー。
150名無しさん@1周年:2000/08/22(火) 19:45
>147
文化の問題じゃない。
アジアでは、王様を「徳川3世」とか言わないし。区別するには
名前まで言わないとならないから。
151名無しさん@1周年:2000/08/22(火) 22:46
>150
タイの国王はラマ9世とか名乗ってなかったっけ?

中国はあんなに人口が多いのに、名字の数が約500種類しかないそうです。
だから名字+名前で覚えないといけない。
152名無しさん@1周年:2000/08/22(火) 23:39
たった500!?
12億÷500=……240万!!
同じ名字が240万人!!!!
なんかすげえ……。
153ネブラスカ:2000/08/23(水) 00:36
>>152
さらに、一般的な名字と珍しい名字があることを考えると、もっとすげえと思うぞ。
一千万の「??」さんとか。
154名無しさん@1周年:2000/08/24(木) 16:03
人種と民族について
明確な違いはあるのでしょうか?
155あやめ:2000/08/24(木) 16:06
>151、152
支那の姓の総数が500ということはないでしょう
「姓氏・名号・別称」(四川人民出版社、1993年)という本には「専門家の計算によれば、
中華漢族の使用している姓氏は大体3600個である、そして我が国の漢族の人口総数
はほぼ九億強で、全国総人口の100分の94前後ということだ、もし毎個の姓の平均
を取ると30万人となる、……いくつかの大姓にあっては甚だ高い出現率を示し、1
個の姓で数千万人に達するものもあり、数十個の小国の人口総数にも相当する、こ
んな膨大な数字になると、組み合せる名のほうの選択をいかに工夫してみても、同
姓同名を避けることは極めて困難である、隣の日本では人口総数が1億1540万人(19
79年統計)で、姓氏の数は12万個前後であって、毎姓の平均は1000人に足らず、我々
の30分の1だ」と言っています、日本に比べ圧倒的に少ないのは事実です
国家統計局が1982年に実施した調査から、中国科学院遺伝研究所が57万人のサンプ
ルに、台湾出版の姓名分布資料を参照して纏めたところでは、最大姓は李で7.9%、
2位は王で7.4%、3位が張で7,1%、以下の順位は劉、陳、楊、趙、黄、周、呉、
徐、孫、胡、朱、高、林、何、郭、馬となるそうです
以上の19姓が漢族の人口の55.6%を占めているということでした
156あやめ:2000/08/24(木) 16:36
序でに韓国の姓氏分布にも触れておきましょう
1985年現在の韓国人全体を対象にした調査によると、最大姓はやっぱり
金で総人口の21.7%(878.6万)、2位は李で14.8%(598.5万)、3位が
朴で8.5%(343.6万)、以上で全人口の45%を占めてしまいます、以下
崔、鄭、姜、趙、尹、張、林となり、以上10姓で全人口の64.5%
韓国では同姓が多いので区別のため、1個の姓の中でも本籍地の違いで
細分してどこそこの誰氏と呼びます(これを「本貫」といいます)が、この
調査によると最大の姓貫は金海(慶尚南道)の金氏で全人口の9.3%とな
るそうです
157名無しさん@1周年:2000/08/24(木) 22:18
質問です。
度量衡ってどんな感じに整備されてきたんでしょうかね?
フィートとかインチとか。
メートル法はフランス革命の頃の学会で考案されたとか聞いたんですが。
158151>あやめさん:2000/08/24(木) 22:31
あ、そうなんですか?
ちなみに僕のネタ本は武光誠「名字と日本人」(文春新書)です。
武光氏が何を参考にしたのかはわかんないです。
この本の中では「秦代までは貴族しか姓を持っていなかったが、
前漢はじめに姓を全国の農民に与えたと推定される」と書いてあって、
でも「陳勝・呉広の乱」の陳勝・呉広は姓を持っていたんじゃないの?
とちょっと疑問に思ったりしたんですけどね。
159名無しさん@1周年 :2000/08/25(金) 15:17
>73
>ペルシア帝国のキロス王
>フランス共和国のナポレオン皇帝

上記の例は、たんに翻訳上の問題だけだとおもうんですが。
やはり帝国の主権者は皇帝だろうし、皇帝を名乗るなら国体は帝国ということになるのでは?
帝制、共和制とかわるフランスはその時々で帝国、共和国とするべきでは?
160名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/08/25(金) 17:58
>>86
>Prince of Walesの由来。
微妙な所がちょっと違うというか、エドワード2世をPrince of Walesに封じた経緯も書かないと。
下の英語板のスレッドの10番参照して。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=english&key=966965175&ls=50
161名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/08/25(金) 19:19
王太子って言う語はちゃんと日本語に存在するのかな?
太子、というだけでCrown Princeの意味が出るような。
語学に的な見地に詳しい人、どうですか?
162hakomaru :2000/08/26(土) 22:11
フランス革命で処刑されたマりーアントワネットの娘に
マリールイーズっていたんだけど、その後どうなったか
知ってる人いる?
163空擦 :2000/08/26(土) 23:57
たまに世界史の年表などに
「カノッサの屈辱」
というのが小さく出てたりするのですが
これってどういう事柄なのでしょうか?
年表などではタイトル部分しか書いてませんし
ネットで検索すると、昔の深夜番組ばかり
出てくるので・・・・(笑)
164名無しさん@1周年 :2000/08/27(日) 00:03
昨日放送の世界不思議発見でやってたA.C.536の世界一斉干ばつって
トンデモネタですか?それとも定説なんですか?
165ファラ皇 :2000/08/27(日) 00:26
うちの友達がエジプトにピラミッドの作り方を日本人が教えたって言ってたけど、これって本当?
166空擦 :2000/08/27(日) 00:46
>164
AC536とは、違うけど確か縄文人が衰退したころにも
似たようなが、縄文人の天変地異で狩猟が出来なくなった頃に
戦国の世だった中国からの難民が日本で弥生人になったとか
言ってた番組でいってたような・・・
確かロードス島が沈んだ頃だっけ?

167名無しさん :2000/08/27(日) 00:48
>163
皇帝が教皇に放置プレイを受けた。
168名無しさん@1周年 :2000/08/27(日) 00:59
1077年。
皇帝ハインリヒ4世が教皇グレゴリウス7世と聖職叙任権を争ったのは良いんだけど、
武力を当てにしすぎちゃって、偉ぶり過ぎたんで、教皇が皇帝を破門した結果、
破門された皇帝なんかに従えん、と諸侯が言い出したので、教皇が滞在していたカノッサ城の前で3昼夜立ち尽くして許された事件。

後に、より世俗権力と武力を強化した皇帝が、教皇を追い出したような記憶がある。
169おいおい :2000/08/27(日) 01:19
カノッサの屈辱は受験世界史じゃ必修項目だろうが・・・・
170空擦 :2000/08/27(日) 01:44
>169
ごめん高卒です・・・・m(−−)m
171名無しさん@1周年 :2000/08/27(日) 14:48
>166
ロドス島な。
172名無しさん@1周年 :2000/08/27(日) 15:38
カレーっていつフランス領になったんですか?
100年戦争の後ただ一箇所イギリス領として残った大陸領土として受験頻出なんですが、今の地図ではフランス領になってます。
謎ですね。
173あやめ :2000/08/27(日) 16:37
フランスの名将2代目ギーズ公フランソアは、イギリス・スペイン同盟
軍の拠点たるカレーの奪取を企図し、苦戦の末に遂に1558A.D.にこれ
に成功しました、スペイン王フェリペ2世の妃でもあったイギリス女王
メアリー-テューダーはたまたま病床に在り、この悲報を聞き「私の心臓
を開いて見たら、きっとカレーという文字が見つかるでしょう」と悲嘆
したということです
これ以来イギリスの大陸領は完全に消失したのです
174名無しさん@1周年 :2000/08/27(日) 17:29
フランスのギーズ家って16世紀の事しか知られてないけれど
それ以前はどういう歴史をたどってきたの?
175あやめ :2000/08/27(日) 18:09
ロレーヌ家のクラウドが1527A.D.にイタリア遠征や対英独戦の功績で、
フランソア1世からギーズ公に封ぜられたのが開祖です
彼の父はレニエ2世、その先祖はナポリ王ロレーヌ公の血筋です
176名無しさん@1周年 :2000/08/27(日) 20:01
>173
こういう場合は、メアリー-テューダーはメアリ1世と表記すべきだろうね。
177航海人 :2000/08/30(水) 00:58
キャプテンクックってどんなことをした人なんですか?
オーストラリア大陸を発見した人ということだけしか知らないんですけど。
ぜひ教えてください。
178名無しさん@1周年 :2000/08/30(水) 02:54
オーストラリアを発見、というより、ニュージーランド、ニューギニアがオーストラリアと分離している島であることを確認したんじゃなかったかな。
ハワイ諸島、クック諸島、ソシエテ諸島などは、彼による発見。
(発見という語が正しいかどうかの議論は無しね)
179>164 :2000/08/30(水) 11:24
A.C.536っていつやねん
というつっこみはともかく
世界不思議発見は「神々の指紋」という前科があるからねぇ

180名無しさん@1周年 :2000/08/30(水) 18:49
>179
なんせグラハム・ハンコックやしねぇ・・・
181名無しさん@1周年 :2000/09/06(水) 23:23
新の王莽と光武帝劉秀、そして彼らのいた時代について調べたいのですが、詳しい
資料の入手方法、おすすめの本等を教えてください。
182あやめ :2000/09/07(木) 15:55
あなたはどのくらいのレヴェルの知識が得たいのですか
ある程度のことなら西嶋定生著「秦漢帝国」(講談社学術文庫)が入手し
易く、専門大家の述作で信頼できるものです
王莽の台頭から光武帝の治世までは本書の6・7章に120ページに亘って
詳説されています
もっと詳しくということになると漢書と後漢書は必須です、漢書の方は
邦訳があったと記憶します、原漢文を読むつもりなら亜東書店など中文
書籍を扱っているところに注文されてはどうでしょう
183181 :2000/09/07(木) 19:08
>あやめさん
レスありがとうございます。得たいレベルとしては「歴史小説が書けるくらい」
です。ただし、漢文読解能力は0なので日本人が書いたか邦訳の資料が欲しいです。また、当時の生活や文化といった事も知りたいです。
とにかく、詳しければ詳しいほどいいので。ちょっとした記述でも構いません。
184あやめ :2000/09/08(金) 12:27
歴史小説が書きたいということでしたら正史の繙読は避けて通れない
ところでしょう
10年くらい前でしたか原百代という既にかなりの年配に達していた女
性が、ある日突然則天武后の小説が書きたくなってしまったんだそう
です、でも彼女は小説を書いたキャリアなんてなく、しかも漢文も全
く読めなかったそうです、しかし諦めずカルチャーセンターだかで漢
文を手ほどきしてもらい、がむしゃらに勉強したらしいです、それで
曲がりなりにも読めるようになり、「舊唐書」「新唐書」に取り組み始め
たそうです、更に大学の唐代史の先生を尋ねて質問して、一念でとう
とう「武則天」という小説3巻だか4巻だか完成してしまいました、はっ
きり言って歴史小説としての取り柄のない作品ですが、無学な編集者
に認めてもらい、無識な批評家が誉めてくれたおかげで、大手新聞社
から出版されそこそこ売れたようです、やればやれます、原典を読み
ましょう
あやめも実は大学で歴史とか漢文とか専攻したわけではありません、
そもそも大学ってとこに入らずに高校出てOLになってしまったんで
すから、漢文は叔父から独特のメソッドで訓練されて身につけました、
あなたも出身高校の漢文の先生でも訪ねてみて、史料の読解に協力を
お願いして見たらどうかしら、ある人の話では「後漢書」などの訓点本
は汲古書院という出版社から出てるそうですよ、これならかなり読み
易いんじゃないかな、もし漢文は無理だが北京語ならOKという人は
「後漢書今注今訳」(岳麓書院刊)が好適ですので取り寄せてみたら
それからこの時代を時系列的に把握するには「資治通鑑」が便利です
王莽と劉秀って面白いキャラだと思います、「当時の最高の知識を持っ
た者(王莽)が天下を瞞着せんとしたが、瞞着された正直者(劉秀)に天
下を奪いとられた」(内藤湖南「支那上古史」)歴史の皮肉を描いてくだ
さい、その際には当時の儒学ことに讖緯説に関する理解がポイントで
す、がんばってください
185名無しさん@1周年 :2000/09/08(金) 20:02
>181さん

あやめさんが挙げていらっしゃいます西嶋さんの「秦漢帝国」、
私も一番のお薦めですが、社会面から光をあてて書いているために、
いきなりこれから読み始めるとちょっと辛いかもしれません。
また、宮崎市定さんのような京大系の方が書かれたモノも読みつつ、
比較してみると面白いかとおもいます。
それに、この時代以外にも様々な中国史やその周辺に対する本を
読まれるといいのではないでしょうか。

ところで……
論文を書くのと違い、小説を書くということに原典を読むことが、
必ずしも必要なのかは、個人的には多少、疑問もあります。
そもそも本当の意味で漢文史料が読めるようになるには、一夕一朝
ではとても無理で、20年30年は覚悟しないと難しいです。
とはいうものの、少なくとも、一度は史料に目を通してみることは
大切でしょうし、たとえ完読できなくても、絶対、小説に生きて
くるとおもいますよ。
大変だと思いますが、がんばってください。
186名無しさん@1周年 :2000/09/08(金) 20:15
>あやめさん
いつもあやめさんの博学には敬服しています。(マジ

ところで原百代の「武則天」は正確に言えば20年前ぐらいだった
と思います。(なぜって、わたしが学生時代に読んだものなので)
>はっきり言って歴史小説としての取り柄のない作品ですが、無学な編集者
>に認めてもらい、無識な批評家が誉めてくれたおかげで、大手新聞社
>から出版されそこそこ売れたようです、やればやれます、原典を読み
>ましょう
まったくその通りです(笑。読んで呆れ果てました。
187出版業界の端くれ :2000/09/09(土) 04:45
もしもライトファンタジーノリの小説家(「宇宙皇子」とか)を志望しているようなら、一生小説家にはなれないし、なっても悲惨だよ。
あやめさんの言うとおり、ちゃんと原典にあたらない小説家は、デッサン力も構成力もないマンガ家みたいなもので、同人レベルで終わります。
188181 :2000/09/09(土) 20:16
>あやめさん

重ね重ねすいません。完全に教えて君で申し訳ないのですが、資治通鑑の邦訳や
良い出版社などがありましたらお教えください。後、私は日本語しかできません。
ただ、原典を読む重要性は知っているので、勉強して読みたいとは思っています。
王莽についてですが、天下を取るまではあらゆる陰謀を尽くしたのに、皇帝に
なってからは儒教に基づく善政を敷こうとして失敗した。この矛盾こそが魅力だ
と思います。光武帝とからめて書くと面白そうだと刺激されまして。

>185さん

基本的に、書く材料が多い方がかきやすいので。でも、基本となる漢文能力がない
んですよね。こればっかりは勉強するしか。

>187 出版業界の端くれさん

私が書きたいのは塩野七生先生のような歴史小説です。元から面白い歴史を書く
のに変な味付けはいらない、というのが私の持論ですので。ただ、塩野先生って
歴史研究をやっている方には受けはよくないそうですね。
 最近、塚本青史の「王莽」を読み、「こんなつまらない小説が出版されるくらい
なら私が書いても世に出せるだろう」と思って書く気になりました。勘違いかな?
189名無しさん@1周年 :2000/09/09(土) 20:53
>188
>ただ、塩野先生って 歴史研究をやっている方には受けはよくないそうですね。

あの小説を歴史そのものだと思われちゃうとやだなぁ、と言われたことがあります。
わたしは、歴史の専門畑の人間ではないので、楽しく読めればいいやというスタン
スで読んでます。疑問に思ったら最悪原典に当たればいいと思ってますし。

それはともかく、彼女が使ったせいでそれ以来ずっと誤った名称のまま呼ばれている
非常に有名な地名が「ロードス島」です(w

# 彼女より前からあったのかもしれませんが
190名無しさん@1周年 :2000/09/10(日) 00:48
世界七不思議についての1978年の本にも「ロードス島」と
書いてあるので、昔からあるみたいですね。
これはロドス島の方がより発音が近いんでしょうか?
191名無しさん :2000/09/10(日) 01:13
ロドスのほうが近いでしょう。

ロードスとのばすと(特に「島」と続く場合)どうしても
 ・・・
ろおどす
とアクセントつきがちです。

ロドスですから。
192189 :2000/09/10(日) 02:52
>190
まぁ割と日本では通用している原音表記に従うなら、短い「ロドス」でしかありえません。
古典ギリシア語がそうですから。

調べたことないんですけど、長い読みは英語あたりの読みから入ったのではないのかと思っ
ています。ま、有名な英雄をオデュッセウスと呼ぶかユリシーズと呼ぶか、アーエネイス書
いた人をウェルギリウスと呼ぶかヴァージルと呼ぶか、カエサルと呼ぶか、シーザーと呼ぶ
かの違いとたいして変わらないと思います。
193名無しさん@1周年 :2000/09/10(日) 03:31
無学とか無識とかって人を蔑み、自分を知識人と勘違いの発言痛すぎます。
194某スレよりコピペ :2000/09/10(日) 05:17
7 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/09/10(日) 03:26
無学とか無識とか平気で使うのは何かイヤイヤな
感じ・・・
歴史オタのひがみ丸出しじゃん。
自分で立派な小説書いてからにすれば?

8 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/09/10(日) 03:28
↑スレ間違えちゃったよ・・・
気にしないでね
195ひそひそ名無しさん :2000/09/10(日) 06:04
消防の頃から
「ニイタカヤマノボレは解読されてた」
「ハワイにゃボロ戦艦をわざとおいてた」
「(たしか)外務省の手違いで宣戦の布告が遅れた(できなかった?)」
と教育されてきたのですが、
アメ人が書いた本読んでたら、
「奇襲攻撃する日本人、卑怯モノ。現在でもアメ人は日本許さない」
と仰って、上記のことについては何にもふれていません。

実際はどうだったんですか?
196あやめ :2000/09/10(日) 13:20
>188
「資治通鑑」の現代日本語による全訳はありません、平凡社から昔出た
「中国古典文学大系」とかいうシリーズの中に「資治通鑑選」が1巻はいっ
てましたが、ごくごく一部の抄訳で王莽や劉秀が登場する部分があった
かどうか記憶していません
戦前には「国訳漢文大成」の中に読み下し訳が収められていたように思い
ます、これは確か294巻の全訳のはずです、なにしろ戦国時代の開始か
ら後周の末期まで、1362年間の史実を日付順に整理編纂したものですか
ら、全部訳すのは大事業なのです、「国訳漢文大成」は戦前からある図書
館あたりなら架蔵しているのではないでしょうか
197名無し@まんぷく。 :2000/09/12(火) 09:17
大喬って孫策の側室だったってマジ?
198お願いします! :2000/09/12(火) 15:18
 明末に活躍した李自成(李鴻揮?)について詳しくご存知の方
どうか御教示お願いします。 彼の生涯を描いた小説とか、歴史
書の名前を知りたいんですが・・・。 陳舜臣著の「叛旗」と言
う小説では思いっきり尻切れとんぼで終わってるんでなんか釈然
とせんのです。
 それと、もう1つ。 秦の始皇帝に使えた徐福についても知りた
いのですが、かれが日本に渡来して・・・のようなくだりで書か
れている「宮下文書(富士文献)」は日本史では偽書だそうです
が、単純に私の疑問はその徐福が本当に存在したかと言うことで
す。 長くなってしまってすみませんがどうぞよろしくお願いし
ます。
199あやめ :2000/09/12(火) 19:26
李自成についての概念を得るのによい本で入手し易いものということに
なると、高島俊男著「中国の大盗賊」(講談社現代新書)がオススメです
第3章に李自成のことが述べられていますが、歯切れのよい文章で読ん
で面白く、史学的検討もしっかりしています、李自成以外の「大盗賊」
の部分も実に痛快な内容です
日本語で書かれた李の伝記小説は思い当たりませんが、もし中文が読め
るなら姚雪垠作「李自成」というのが有名です、大分長編ですがもしかし
たら邦訳があるかもしれません

徐福は史記の「秦始皇本紀」と「淮南王列傳」に出ていて、その存在自体は
疑い得ないところでしょう、(始皇本紀では徐市、淮南王列傳では徐福と
なっていますが同音異字です)しかし日本に到達したという話は眉唾です、
近年日本ばかりか支那でもこれを事実として証明しようと努めている向
きもありますが、その根拠は日本の地方伝説だったりして怪しいものば
かりです、そんなものが根拠になるならイエスも楊貴妃も渡来したこと
になってしまいます

200感謝感激雨アラレ! :2000/09/13(水) 03:02
198です。 あやめさん御教示感謝致します!
早速図書館に走ろうと思います!おっと今は午前3時だった・・・。
201名無しさん@1周年 :2000/09/13(水) 19:04
>あやめさん
『李自成』の邦訳は出ています。それが198さんが読まれた陳さんの『叛旗』
だったりします。

>198さん
ちょうどタイミング良く、大修館書店の『しにか』の今月号に、李自成が
出てますよ。4ページほどですが、本人の事績以上にその社会背景の方を
中心に書かれていますので、読まれてみるといいかもしれません。
202あやめ :2000/09/14(木) 11:50
アラマそうでしたの、でも陳さんの邦訳は完成してるのかしら、何か
あの方は最近御病気なさったんじゃなかったかしら、今活躍されてる
小説家で本格的な史学知識をもって執筆されてるのは陳さんくらいで
す、ムガール帝国のアウラングゼブとマラータ同盟ノシヴァージと英
仏の東インド会社のバトルを描いた「インド三国志」(平凡社刊)も面白
いですよ
203あやめ :2000/09/14(木) 12:20
「中国の大盗賊」は出版社の都合で収録されなかった部分がありますが、
下記のサイトで読むことができます
http://www.geocities.co.jp/Milkyway/2738/suikoframe.htm
高島さんは毛沢東を最大の大盗賊として取り上げたかったらしいんだけ
ど、あまりにも分量がふえちゃうんで大幅カットされたんだそうです
これも痛絶快絶って感じですヨ
204名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/09/14(木) 14:02
ダンチヒ自由市って、どのような統治体制だったのですか。
205あやめ :2000/09/14(木) 15:29
ヴェルサイユ条約により国際連盟の保護下で自由市となったダンツィヒ
は、連盟が任命する高等弁務官が支配し人民会議と元老院により構成さ
れる政府が運営しました。
元来ポーランドに海への出口を確保してやる目的の措置でしたので、港
と水路ははポーランドと市で構成する委員会が管理し、鉄道はポーラン
ドの鉄道組織の一部とされました。また外交権はポーランドが市の委任
に基づき行使しました。また主要財源の関税は単一経済地域を構成する
市とポーランドの共管となっていました。
内政については人民議会が立法を元老院が行政を担当しました。
1933年に議会はナチに支配されるようになり、これを嫌ったポーランド
はグディニャ港を開き、ダンツィヒの貿易は衰退し第二次大戦の開始に
伴い、ドイツに占領され併合されてしまいました。
206dan :2000/09/14(木) 17:08
>181
ポインタだけ
後漢書超訳サイト(信頼度低く完訳少数)
http://www.aya.or.jp/~ein/dan/c000.html
光武帝小説サイト(6章南陽攻略まで)
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/8986/index_001.htm
資治通鑑邦訳準備会サイト(準備中)
http://www.geocities.co.jp/Playtown/4874/index.html

光武帝小説は私の知る限り、プロアマ問わず、
既出1、著作中1(上記サイト)、著作構想中3です。
光武帝のエピソードを拾うなら、那珂通世 支那通史(岩波文庫)も
有効です。
207くだらん質問 :2000/09/14(木) 19:08
よくジーク、ハイル!ジーク、ハイル!って言ってますけど
「ジーク」のスペルと意味がわかりません。誰か教えて〜
208名無しさん@1周年 :2000/09/14(木) 20:01
良いスレッドが無いここで。
世界史板の固有名無しさんは、作らないんですか?
209名無しさん@1周年 :2000/09/14(木) 20:45
>>207
まじレスしていいのかな。
Sieg
ドイツ語で「勝利」です。
210名無しさん@1周年 :2000/09/14(木) 21:23
>あやめさん
『叛旗』は発行されてから年月が経っているようなので完訳かと
おもうのですが、本家が文革で一時中断しているようですし、
198さんが尻切れトンボな印象と言われているので、もしかしたら
途中なのかもしれません。
そういえば、陳さんの小説、あまり読んでいませんね。3年前に
『五台山清涼寺』を読んだのが最後かも。ご推薦の
『インド三国志』は前々から気になっていましたので、今度、
暇を見つけて読んでみることにします。
211山沢 無期珍 :2000/09/14(木) 21:44
ヨーロッパの民族大移動を、詳しく説明せよ。
採点する。
212207 :2000/09/14(木) 23:51
>>209
うわっ、ダンケシェーン。
213名無しさん@1周年 :2000/09/15(金) 02:48
アブラハムって本当にいたの?
ってか旧約聖書で実在の人物ってどの辺まで
遡れるの???
214ジーモン@大ドイツ :2000/09/15(金) 03:02
ダンツッヒもポーゼンも西プロイセンもいらん。
東プロイセン(ケー二ヒスベルク一帯もマズール地方も)
もロシアに上げる。
独露同盟でポーランド分割!
我がドイツはシュレージェン・東ポンメルン・ノイマルクを
奪還し、ロシアは東プロイセン南部(マズール地方)を
カリー二ングラード州に、ポーランドそのものをロシア連邦の
一共和国にするのである。
おい、ポラック! ドイツとロシアをナメるなよ!
215あやめ :2000/09/15(金) 15:08
>210
インド関係では意外かもしれませんがパスティーシュ物の清水義範さんが
「永遠のタージ」(角川文庫)というシャー・ジャハーンの伝記小説を書いて
ます、それから小説ではありませんが渡辺建夫著「インド最後の王」(晶文
社刊)というマイソール王ティプー・スルタンの伝記もお薦めです。
インド物では誰かセパヒの乱のターンティア・トピの伝記か小説を書いて
くれないかなとかあやめ的には思ってます
216210=201 :2000/09/19(火) 02:29
清水さんって、そんなものまで書いていらっしゃるんですか?
あの方の小説って好きなんですが、それほど読んでいない上に、
どうしても歴史物は名古屋が舞台と思い込んでいましたので、
全く知りませんでした。
貴重な情報感謝です。

なんだかスレの趣旨からはずれてきてますね。質問箱を期待して
読まれている方、ごめんなさい。
217八幡 :2000/09/19(火) 06:34
清水義範さんは面白い人だよね。
歴史ものとは少し違うかもしれんが、
「日のあたらない坂道」
「神々の午睡」
「偽史倭人伝」
「ムイミダス」
なんてのもあります。得に上記二つはお薦めです。文庫で出てるので、
大した金額でもないし。
歴史ものでは、他に
「尾張春風伝」
「金鯱の夢」
なんてのもあるけど、こちらは日本史の愛知県ネタですね。
218名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 12:56
>210さん
198です。 「叛旗」は李自生が帝位について大順国を
立てる大分前に終わってしまうんです。それも本当に中途半端
な締め方です。 私は他にも陳舜臣著の小説を読みましたが「鄭成功」
しかり、「風よ雲よ」もまたしかりでした・・・。 陳さんの小説は
比較的に歴史的検証がしっかりしているそうですが、たんに読み物と
して接するとき、テンポや締め方に大いに不満が残ります。皆さんは
どう思いますか? どなたか歴史的検証がしっかりしていて且つ、読
み物として面白いものを書かれる方をお教え願えないでしょうか?

 随分前ですが、中国のどこかで、楚の伝説的宰相屈原に関する文献
だか屏風だかが発見され、実在の人物でない可能性があると言ったよ
うなことが読売新聞に書かれていたと思うのですがどうなんでしょう?
219名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 13:02
どうしてユダヤ人はあんなに迫害されたんですか?教えて下さい。
220名無しさん@1周年 :2000/09/19(火) 15:27
>219
どっかでスレが立ってたからそっち見て下さい
221名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 11:14
ちょっと、名前ネタで質問です

欧米人の名字や名前は、神話や聖書から取っていると
聞いたことがあるんですが、ほんとうでしょうか?
誰か詳しく知っている人がいたら、教えて下さい
お願いします
222名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 12:07
マリア→マリア
223名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 12:26
ヨセフ→ジョセフ
    ヨハン
224名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 12:44
>221
梅田修著『ヨーロッパ人名語源事典』(2000年 大修館書店)に詳しい。
定価5400円。書店に走れ!
225名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 14:19
おかげで各国呼び名が違うけど、元が同じってのが一杯でちょっと面白い。
ミカエル・ミハイル・ミッチェル
226あやめ :2000/09/23(土) 15:02
西暦5世紀末にフランク人がクリスト教に改宗するころから、教会で
司祭様に新生児の洗礼とともに、子供の名付けをお願いする風習が始
まり、8,9世紀にはクリスチャン・ネーム(バプティスマル・ネーム)
が、ファスト・ネームとしてかなり一般化したようです、そこで当然
聖書に出てくる好い人や殉教聖人などに因んだ名が選ばれることが多
かったでしょう、特定の日に関連付けられた聖人の名がカレンダーに
記入されたりして、西洋人の名はすべて聖書に由来しているように思
い込んでる人もいるようですが、反教的異教的でなければ命名の由来
はかなり自由だったようです、ルネッサンス時代になるとグレコロー
マン風な名が流行ったりもしたそうです、プロテスタント運動が盛ん
になってくると、これに対抗する意味もあって1545A.D.にトリエント
の宗教会議で、ローマン・カソリックの信者は子供に受洗させ聖職者か
ら霊名を授けてもらうことを義務付ける決定がなされました、一方プ
ロテスタントの方では聖人崇拝を排除し、専ら聖書または教父の名か
ら取るようにしたそうです、ルーター自身の名マルティンは聖マルティ
ヌスの日に受洗したので、あやかって名づけられたのだそうです
現代では国によって扱いがまちまいですが、フランスなどは大変やか
ましく役所そなえつけのリストに無い名は原則として受けつけてくれ
ないそうです、これは理性崇拝の大革命の際に命名自由としたところ
が、とんでもないヘンテコリンなのを届けてくる人が多く、1797A.D.
に暦に載ってる聖人と古代史上の人名に制限したためだそうです


227あやめ :2000/09/23(土) 16:45
>216,217
世界史と無関係な清水義範ネタで、どうしても書きたくなっちゃて堪忍どっせ
「ことばの国」(集英社文庫)所収の「言葉の戦争」は抱腹絶倒もの是非読んでみて
主人公は洋酒会社の宣伝部勤務、時恰かも日本は米英豪と戦争中という設定
だもんで英語は敵性語として使用禁止です、ボディコン(の時代の作品なの)は
肉体挑発服、パンクロックバンドは破裂風叫音楽隊、ヘビメタは重金属風、D
Cブランド(死語)が大地位商品塊、コーディネートは着合わせ、ドリブルは蹴
進法、オフサイドが競技点反則、ラグビーは膀胱型蹴球(ボールが豚の膀胱製)、
スクラムが徒党、タックルはぶちかまし、ゴールは的網地、映画のタイトルも
ロッキーが拳闘士出世街道、ランボーが正義の乱暴者、E.T.は宇宙の夷狄、
ダイ・ハードが大破奴、バック・ツー・ザ・フューチャーが時空てんやわんや、宣
伝関係用語もコンセプトが企画主旨、プレゼンが売込み展示、CMは電映用広
告物という具合、主人公は目下ライバル会社の乾燥型発泡麦酒(ドライビール)
に対抗する商品である蒸留麦酒(ウイスキー)の新しい商品塊(ブランド)「古希」
(ヴィンテージ)の販促宣伝のため電映(テレヴィ)番組の勧進元(スポンサー)と
して消費者を喚起(アピール)するための企画に腐心している、すると電映機か
ら臨時時事報が「新たに中華人民共和国及び中華民国と戦争状態に入れり」とい
うわけで、漢語も敵性語になってしまった、さあ大変というところでパート1
が終わり、パート2はすべてヤマト言葉での宣伝企画会議というハチャメチャ
なお話、これは直接読んでください
228しんじ :2000/09/23(土) 22:58
学校の教科書に載ってない事があるので教えてください。
パレスチナの問題を異なる場所で聞いても、答えがありません。

ユダヤ人はイスラエル人、イスラエル人はパレスチナ人なのでしょうか?
つまり↓なんですか?

ユダヤ人=イスラエル人=パレスチナ人

中学で勉強してもわかりません。誰か教えてください。
229名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 23:49
>228
今からおよそ2000年ほど前、イスラエルにはユダヤ人の国がありました。
しかし、滅ぼされたため、ユダヤ人は世界各地に散っていきました。
したがって、ユダヤ人とパレスチナ人は昔は同じでしたが、
現在ではパレスチナ人はアラブ系、ユダヤ人は主にヨーロッパ形となり別です。
230映画パトリオットについて :2000/09/24(日) 03:00
今日見てきました.アメリカが独立戦争を闘った当時の戦法が
描かれてましたが衝撃的に単純でした.

(1)アメリカ軍とイギリス軍が広野で向かい合う.お互いライフル
をもって隊列を組み、太鼓とともに近づいていく.
(2)適当な距離(映画では30メートルくらいに見えた)まで
近づいたら両軍停止.号令とともに一斉射撃.両軍の最前列に居る
やつがバタバタと倒れる.
(3)もう1回くらい斉射をする.またバタバタ倒れる.
(4)突撃命令.乱闘.

当時としてはこんなものなんでしょうか.よけるとか
鉄板か何かで身を守るとか寝転がって撃つとか横から攻めるとか、
NHKの大河ドラマ見てた方が戦術として洗練されてるような気が
しました.あんな戦争よくみんな行く気になったなぁ...

質問:なんであんな無茶な戦術がまかり通ってたのでしょうか?
231名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 05:15
>230
南北戦争を扱った「グローリー」て映画でも似たような戦術だったよ
(お薦め)
232名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 08:13
ギリシャやマケドニア(ここら辺で既に間違ってるかも。確か、マケドニアとギリシャでは戦法が違ってる筈)の
歩兵の密集隊形もその戦法だったと思います。

圧力をかけて、戦列の崩れた方が負ける。
233名無しさん@1周年 :2000/09/24(日) 15:12
231さん、232さん、ありがとうございますm(__)m
軍事板でもっと突っ込んで教えて貰って来ます.
234TTH@シャア専用 :2000/09/24(日) 20:33
ぺりして人の土地、ぺりちーん→パレスチナ。
あっちじゃ(イスラエルも含む)Nはナとも読むからね。
235TTH@シャア専用 :2000/09/24(日) 20:47
>しんじ
だいたい229で解ると思う。んでユダヤを滅ぼしたのがかの世界初の帝国にして領土は秦・漢の
3分の一しかない羅馬帝国。
滅ぼされてディアスポラ(希臘語で離散)して欧州で汚いヘブライ人は美しいアーリア人と一緒に
住んじゃいけないということでゲットーを作られ、住んで何かとキリシタンに改宗しろと
言われ続け、改宗したコロンブスやロックフェラーのような売国奴もいるけどユダヤ教を守り、
鬼畜英人のインチキ・超無責任外交を信じてナチスから逃れイスラエルを勝手に作って
アングロサクソンの兵器を儲けた金で買わなきゃならなくなった。

なんとなく解るには、
http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~p970709/material/history/Judaism.HTM
http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~p970709/material/history/Palestine.HTM
ただ日本人とへブ公が兄弟と韓国のジダイまんまの事をほざいてるので要注意して読もう。
そこでなんとなく客観的に知るにはここを読め!
http://www2m.biglobe.ne.jp/~shotaro/no99.html#welcome
236世界@名無史さん :2000/09/30(土) 12:00
ayamesan manseeeeeeee.
237フランク王国 :2000/09/30(土) 22:53
ゲルマン民族国家フランク王国建国時の民族のうち、
ドイツはほぼそのまま現在に至る、イタリは当時の
被征服民であるイタリア人と思いますが、フランス
はどうなんでしょう?現在のドイツ人と同じ民族
ですか?フランス地方のみが言葉だけラテン化した
のですか?(後のノルマンディーとブルターニュは
除く)
238名無しさん :2000/10/03(火) 23:32
age
239おちんこTTH+α :2000/10/03(火) 23:52
>237

ゲルマン(チュートン)、ドイツ人=そのまま
ラテン系イタリア人=そのまま
フランク(ゲルマソ)+ガリア(ケルト)+ノルマン人等々=フランス人?
240世界@名無史さん :2000/10/04(水) 18:24
現在世界中でだいぶ減ったとはいえ、(形式的にも)国王がいる国は
たくさんありますが、
今でも皇帝(= emperor)がいる国は、日本だけなんでしょうか?
241世界@名無史さん :2000/10/04(水) 18:45
あやめさん・・・一体どこへ行ってしまわれたのですか?
まよえる子羊をお救いください。
242世界@名無史さん :2000/10/06(金) 16:50
西力東漸ってどう読むのでしょうか?
243世界@名無史さん :2000/10/06(金) 17:00
にしかたとうより。
244>239 :2000/10/06(金) 17:19
現在のフランス人に対し、よく「フランス人はラテン系だから
いいかげんなんだよな〜」とか言うのは誤りなんですかね?
言葉がラテン系だと、気質もラテンになるのかな?

あと、ケルト人はブルターニュに追いやられてるはずですが、
残って混血したのも少なからずあるわけですか?
245民族の観察者ジーモン :2000/10/06(金) 17:27
フランス人=ガリア人(ケルト)人+ローマ人(ラテン人)+
      フランク人(ゲルマン人)+ノルマン人(ゲルマン人)
      ただし、ブルターニュ、ノルマンディ、アルザス、
      バスク、コルシカ等を除いても、
      フランスは”人種的”には(中央集権の)政体とは逆に
      地域による違いが大きい。
イタリア人=北イタリア人はケルト人とゲルマン人の血が混った
      ローマ人(ラテン人)で、
      南イタリア人―特にシチリア人―は
      ローマ人(ラテン人)とギリシャ人と
      フェニキア人・(ベルベル混血の)カルタゴ人、
      そしてアラブ人やベルベル人などの
      混血と言われている。
      ロマーニャ地方など中部イタリア人がローマ人
      の血を(あくまで)比較的保っているらしい。
246民族の観察者ジーモン :2000/10/06(金) 17:31
>244
ブルターニュ人(ブルトン人)は、ガリア人の子孫ではなく―
残存していたガリア人を吸収同化したが―ブリテン島から
集団移住してきたブルトン人。
まあ、同じケルトだけれども、大陸にいたケルト人=ガリア人
よりもウェールズ人の親戚。
247>245 :2000/10/06(金) 17:56
南イタリアにはノルマン人も混じってんじゃなかったでしたっけ?

もう一つ質問です:
フランス語は支配者と被支配者のどちらの方が早く使うように
なったのでしょうか?
248世界@名無史さん :2000/10/06(金) 18:06
西力東漸って、にしかたとうより、と読むんですか。
さすがにこの板の人達のはすごく知ってますよね。
ありがとうございました。
249世界@名無史さん :2000/10/06(金) 18:30
イタリア語やフランス語がそれぞれ
全国で通用するようになったのって19世紀以降で、
それ以前は各地域の地方語喋ってたのでは?
オック語とかサルディニア語は今でも復権運動があったと思った。
まあ、ブルトン語やバスク語などを除けば
この地域の言語はみな俗ラテン語系だろうけど。

それから、19世紀のフランス・ナショナリズムでは
ガリア(ケルト)人のローマに対抗した英雄を
我らが偉大な先祖として賞揚していたので、
彼ら自身は言語がラテン化したガリア人の末裔と認識しているのかも。
250民族の観察者ジーモン :2000/10/06(金) 22:04
”フランス語”がフランス上流階級の共通語として
確立したのは、宰相リシュリューがアカデミー・フランセーズを
創設してから。
全国共通語とされたのはフランス革命から。
しかし、地方に本格的に普及していったのは、19世紀後半の
第三共和制の公立義務教育制度の拡充・確立から。
251>250 :2000/10/06(金) 22:31
ノルマンコンクエストの時のフランス語っていうのは,リシュリューの
フランス語とだいぶ違うのですか?

カナダのフランス語も共通化前の変なフランス語ってことですかね?
252名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/10/06(金) 23:13
>249
ヴェルチンジェトリクスのことですか?
253249 :2000/10/07(土) 02:10
>ヴェルチンジェトリクス
だったかな?
名前が出てこなくて。
254名無しさん@1周年 :2000/10/07(土) 05:32
ヴェルサンジェトリックスと発音するような。。
ちなみに、
アステリックスとオベリスク
というのもいるね。
255名無しさん@1周年 :2000/10/07(土) 15:52
>251
ちゃいます。たとえば、ノルマンフランスから英語に入った語として
chamberという語がありますけど、語頭の<ch>の発音が現代英語と現代
フランス語では違います。これは、借用した英語が古い発音を保持した
のに対して、フランス語ではその後語頭の母音が変化したからです。

カナダはせいぜい18世紀くらいの古体を残してるだけじゃないかなぁ...
有名どころではイギリスとアメリカも、ある段階で一方が他方との関係を
断ち切ってしまったために言葉が独自の変化を遂げた例ですね。
256255 :2000/10/07(土) 15:53
母音→子音です
鬱だ...
257日本@名無史さん :2000/10/10(火) 22:47
殷周の歴代の王の在位年が載ってるHPか本教えて〜
ただ史記ってのは無しで出版社名つきでお願いします。
258世界@名無史さん :2000/10/11(水) 00:31
>>257
山川出版の世界史辞典って言うのに、
東西の主要王朝の系譜が在位年付きで載ってるよ。
259世界@名無史さん :2000/10/11(水) 00:32
>あやめ
プロレス板にレスってるのってここのあやめじゃないですよね?
260あやめ :2000/10/11(水) 07:42
ちがいます(キッパリ)
わたし昔からプロレス嫌いだもん
261:2000/10/11(水) 08:04
ファシズム時代のイタリアにおいて民族主義つまり排他主義みたいなのってあったの?
262:2000/10/11(水) 08:05
申し訳ありませぬ
間違えた
263:2000/10/11(水) 08:18
いやあってた
そうだ氏のう
264世界@名無史さん :2000/10/12(木) 04:29
いきなり質問しちゃいます。
キス(接吻)という行為はいつの時代からあるのですか?
何故口と口を合わせるようになったのでしょう?
不思議な行為だと思いませんか?
265ヴェルヴェッツ :2000/10/12(木) 11:28
>264
考えてみたら不思議です。動物と違って、教えられなければ性交渉の仕方
もわからないかも知れない人類からすると・・・
きっと発明者がいるんだね(性交渉も接吻も)。自慰行為は別にして・・・
266日本@名無史さん :2000/10/12(木) 12:57
キスはもともとはキリスト教の儀式の一つと聞いたことがあります。
当時ローマではキスの習慣はなく、それを見たローマ人たちは
やばいカルト宗教が流行りだしたと警戒したそうです。
そうするとユダヤ教が期限かもしれない。
赤の他人を「お父様(神父のこと)」「お姉様(シスターのこと)」と呼んで
さらにキスをしているを見れば、カルト宗教だと思ってしまうのもあながち
間違いではないと思うのですが。
267:2000/10/12(木) 12:59
×期限
○起源
268世界@名無史さん :2000/10/15(日) 02:08
そうだったんだぁー
案外歴史の浅い物だったんですね。私は原始人もチュウしてたのかと思ってました。
古代ローマが舞台の映画とかでキスシーンがあったのも間違いだったんだね。
この様子だと、日本にチュウが上陸したのはかなり遅かったのでは?
最初にチュウした日本人って勇気あるよね。
269世界@名無史さん :2000/10/15(日) 02:50
>>24
ビザンティン皇室、今更ながら情報発見。
homepage1.nifty.com/t-kubo/World/Byzanz/Matuei.htm
本当にあったんだ…
ランシマンに騙されてたか。
270世界@名無史さん :2000/10/15(日) 15:36
質問よろしいでしょうか。

アメリカの南北戦争のとき、
北が奴隷反対、南が奴隷賛成なのはなぜなんですか?
南の方が黒人の人が多いので、そう考えると
黒人(=奴隷)の多い南部が奴隷反対となると思うんです。
271世界@名無史さん :2000/10/15(日) 16:51
>>270
そりゃあアナタ、その頃すべての黒人には
人権も選挙権も無かったんだよ。公的な発言権はまったく無し。
奴隷賛成と言っているのは黒人を所有していた白人たちなんだから
南部が反対多数となるのは必然。
272世界@名無史さん :2000/10/15(日) 18:13
270ですが
217さんに質問に答えてもらっておいてなんなんですが
質問を勘違いしておられるようなので、もう一度わかりやすく。

北部・・奴隷制 反対
南部・・奴隷制 賛成
となるのはどうしてなんでしょうか?

273世界@名無史さん :2000/10/15(日) 22:13
もしかしたら、すごく初歩的な質問かもしれないんですが、教えてください。
どうして支那という言葉はきらわれているのですか。
どうして英語のChinaは平気で使われているのですか。
274小倉さん :2000/10/15(日) 22:23
271さんじゃありませんが、
南部は綿畑が多く、その収穫や労働力を黒人に頼っていたから、
人数も多かったでしょうし、労働力としての黒人を手放すわけには
いかなかったのでは?
南部に比べて北部はそれほど労働力として頼っていなかったのだと
おもいます。
あとは271さんのおっしゃるとおり、
南部で如何に黒人人口が多かろうとも、彼らに反対運動を起こす
権限など無かったのですから、南部では運動が起こらなかったのでしょう。
映画の「風と共に去りぬ」を観るとよく分かるかも。
275271 :2000/10/15(日) 22:24
>>272
それは…突き詰めるとキリがないが…。
ぶっちゃけた話、奴隷制の賛否というのは
結局のところ、南北の対立構造の大義名文でしかなかった。
当時、南部は奴隷を前提とした農園事業が主要産業で、
それに対して北部は機械化された工業が中心だった。
つまり北部は反対しても自分達はイタくない奴隷制を
封じることにより、南部そのものの封じこめを図ったわけである。

というふうに記憶していマス。
276272 :2000/10/15(日) 23:49
>>271さん、274さん
ありがとうございます。
ずっと疑問に思ってましたので,すっきりしました。
これで今日はぐっすりと眠れます。謝謝
277日本@名無史さん :2000/10/16(月) 02:23
奴隷制反対とみなされていたリンカーンが大統領に当選したために、
南部諸州がはやとちりをして、勝手に独立を表明したのが直接の原因。
リンカーンが、連邦に戻れば奴隷制度を支持すると言ったのは有名です。
北部は機械、南部は綿作でお互いに棲み分けてをり、異存はなかったはずです。
違ったところは、私有財産権に対する概念で、南部は自然権思想に基づいた、
所有権の神聖さを主張。人間は所有物にあらずと主張したのが北部。
南北戦争は思想的対立からはじまった戦争といえそうです。


278日本@名無史さん :2000/10/16(月) 02:41
よく読んだら270番さんのこたえになっていませんね!!
北部ではそれ以前にプロテスタント教会の改革運動から始まった、
様様な社会改革運動が浸透していたため(飲酒、賭博、売春禁止等)
奴隷制度に反対する人々多かったのですが、
南部では大地主が政治を牛耳っていたため、奴隷反対の思想がはいれず、
南部の一般民衆も奴隷制度を容認していたものとおもわれます。
279日本@名無史さん :2000/10/16(月) 02:42
よく読んだら270番さんのこたえになっていませんね!!
北部ではそれ以前にプロテスタント教会の改革運動から始まった、
様様な社会改革運動が浸透していたため(飲酒、賭博、売春禁止等)
奴隷制度に反対する人々が多かったのですが、
南部では大地主が政治を牛耳っていたため、奴隷反対の思想がはいれず、
南部の一般民衆も奴隷制度を容認していたものとおもわれます。
280世界@名無史さん :2000/10/16(月) 14:19
>273
支那という言葉はぜんぜん嫌われていませんよ。
支那そばとか、支那竹とか、あるじゃないですか。
どこで、そう勘違いしたのかな。
281世界@名無史さん :2000/10/16(月) 14:36
>273
中国人の前で「支那人」といってごらん。
なんともないよ。
282バカボンのパパ :2000/10/16(月) 15:14
>273
国会で蒋介石がきめたのだ。
2834k :2000/10/16(月) 21:32
他のスレに書いたけどこちらの方が適だと思いまして

鉄器を始めに使い出したのはアーリア人ですか?
鉄器を使って大成功したのはヒッタイト人。
最も古い鉄器は黒海南岸に近いアラジャ・ヒュユ
クで発見された鉄短剣(bc2300)とされていますが。

284世界@名無史さん :2000/10/16(月) 22:03
270>>277さん
質問に、そしてそれ以上のことを教えてくれてどうもです。

ところで、南部で奴隷をもちいて農業を行っていた大地主はやっぱり
白人だったのでしょうか?
また、(南部の大部分が奴隷だったとして)
 南の白人etc VS 北の白人etc
ではやっぱり北が有利なので
 南の白人と奴隷etc VS 北の白人etc
で戦争をするとしたら、
北部に勝ってほしい奴隷もいるはずで、裏切りとかもあったはず、
って思ったんですけど実の所どうなのでしょうか・・

わかりにくい文ですいません。
285日本@名無史さん :2000/10/17(火) 00:17
270番さんへ
南部の大土地所有者はすべて白人です、またほとんどがWASPでカトリック
ユダヤ等の他宗教の人々は北部に比べてかなり少ないです。
またそのころの南部に占める奴隷の割合ですが人口の半分程度だったと思います。
南部の兵士の主要部分は白人の自作もしくは自小作農家で、
奴隷は戦争に直接タッチしていません(北部軍には開放奴隷はいましたが)
よって奴隷による裏切りもありませんでした。また教育も受けられず、
奴隷同士の広範なつながりもなかったため、後方でも大きな反乱はありませんでした。
286a :2000/10/17(火) 13:01
北アメリカのインディアンは、どうして短期間で騎馬による戦闘や鉄砲を
扱えるようになったのですか。

287世界@名無史さん :2000/10/17(火) 18:18
>>285さん どうもありがとうございました。

結構悲惨ですね。(それとも何処の奴隷もそうだったのかな?)
当時、南部の奴隷たちは何にもできないまま、
ずっと奴隷解放の日が来るまで我慢してたんでしょうね。
なのに、解放されて何十年たっても差別が一部残っているという・・・
なんだかなーと思う今日この頃です。
270でした。
288世界@名無史さん :2000/10/17(火) 18:59
殷の出自って遊牧民?
水上静雄さんの説だとそうなる。
明らかな反論てあるの?
289288 :2000/10/17(火) 19:25
>257
こんなマニアックな時代をやっている人は多分僕とあなただけでしょう。

松丸道雄、伊藤道治、白川静、水上静夫
ここらへんの人が書いている本に載っています。
彼らは結構書いているので、検索とかしてください。
HPでは、
ttp://www.sciencevillage.com/Humanity/16-tyuugoku1.htm
あたりに書いていてくださる人々が!!!!!(感涙)
290既出かな? :2000/10/18(水) 13:31
イタリアという国名の由来をご存知の方
教えてください。
「エトルリア」がラテン語で訛ったのだという人が
いますが本当ですか?
291名無しさん@1周年:2000/10/24(火) 03:46
キリスト教の成立について詳しくご存知の方、
教えてください。
292:2000/10/24(火) 13:31
>>291
「マタイ、ルカ、マルコ、ヨハネは陽気な四人組で、どこかで集まって知恵比べを
することにし、架空の人物をでっちあげ、基本的な制約をいくつか取り決めて、
あとは各人が自由に創作して誰がいちばん出来がいいか吟味しようということになる。
・・・
とにかく彼らの本は人気があって、次々と回覧され、当の四人が何が起こっているかに
気づいたときはすでに手遅れ。パウロはすでにダマスカスに向かう途中でイエスに
遭遇していたし、プリニウスは事態を憂慮した皇帝の命を受けて捜査を開始、
おまけに、四人組の人気にあやかろうとしほかの連中もまことしやかに偽書をでっちあげる
・・・
ペテロは興奮して嘘じゃないと言い張り、逆にヨハネは本当のことをいうように
脅迫したので,ペテロとパウロはヨハネを捕らえさせてパトモス島に監禁してしまう。」

だそうです。
「フーコーの振り子」ウンベルト・エーコ


293名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/10/24(火) 13:54
 奴隷のほとんどは解放された方が悲惨でしたよ。
特に南部の解放は、時間的余裕・経済的余裕のない
まま進んだものなので。
 奴隷はご飯が食べられるし、指示通り動いていれば
働いたことになるんです。
 奴隷用にカスタマイズされた人間の気持ちなんて、
俺らの感覚で計っちゃだめです。
294>>292:2000/10/25(水) 01:18
なんか面白そうなはなしだね。
もっとおしえてよー!
295>292:2000/10/25(水) 16:10
福音書のヨハネと
洗礼者のヨハネがごっちゃになってないか?
296世界@名無史さん:2000/10/25(水) 22:17
イエス、イエス、イエスとメカイエス
ヨハネ、ヨハネ、ヨハネとメカヨハネ
マルコ、マルコ、マルコとメカマルコ
297世界@名無史さん:2000/10/25(水) 22:20
>292
エトルリアは後世の呼び名。彼らは自らを「トゥスキ」と呼んでいたらしい。
で,トゥスキが「トスカナ」となり,現代イタリア語のもとになったとのこと。

>1
答えねーの?
298風車の理論:2000/10/25(水) 22:59
素朴な疑問ね
キリスト教暦以前の西暦?ってなに?
299世界@名無史さん:2000/10/26(木) 02:03
ユリウス暦、その前はプトレマイオス暦

これ小学校で習いました。


でも「キリスト教以前の西暦」ってちょっとヘンな表現
300日本@名無史さん:2000/10/26(木) 02:19
ローマもプトレマイオス暦なのか?
301世界@名無史さん:2000/10/26(木) 09:59
>300
あやめさんが別スレで書いてくださってたような。めんどくさいから検索
しないけど(w

昔ローマは太陰暦でしたが、太陽暦が導入され、それをカエサルが改良し
ていわゆるユリウス暦になりました。これも別スレにありましたけど、
ローマの場合、ローマ建国以来何年という言い方と、その年のconsulの名
で呼ぶのと二つの記年法がありました。どっちかっていうと、後者がよく
使われていたように思います。
302世界@名無史さん:2000/10/26(木) 18:32
ナポレオンが帝位につけたのはなぜっすか?
誰でも勝手になっていいもんなの?
303日本@名無史さん:2000/10/26(木) 18:40
教皇が戴冠式に来てたでしょ
304世界@名無史さん:2000/10/26(木) 18:52
フランス人とドイツ人って、なんで仲良しなんでしょ?
ドイツ人嫌い、というフランス人はあまりいない様な雰囲気なんですが。
へたをしたら、日本と韓国の様な関係になっててもおかしくなかったんじゃないの?
イギリス人とアメリカ人は嫌いなそうですが。
305302:2000/10/26(木) 19:15
>303
ふーん、じゃあハプスブルグの皇帝は教皇に認められてなかったの?
306名無し三等兵:2000/10/26(木) 19:44
いや、大方のフランス人はドイツ人が好きと言うわけではない。
しかしまた攻められたらかなわんし、
公的な場所でキライだとか大声で言うわけにもいかんし。
もう敵に回すのはゴメンだから、という意味で
仲良くせざるを得ないという話も聞いた。

リュックベッソンの「タクシー」とか見ると
そこらへんの屈折した感情がよく分かります。

「タクシー」の内容…
改造プジョーに乗ったフランス人が
ベンツに乗った悪いドイツ人をスピード競争で抜きまくる話。
けど、なんかパリ市警にドイツ人の美女が居て、
そこはかとなく活躍したりもする。

つっか、フランス人って
人によって「〜人が好き、嫌い」の差が激しく、
またハッキリしているような気がする。
自分が知っている唯一のフランス人はすっごい日本びいきで、
縁日で買った忍者ハットリくんのお面が一番の宝物(謎、何でだろう)。
307世界@名無史さん:2000/10/26(木) 20:39
劉邦って胡人なんですか?
史記見たけど、中国人の顔じゃないような・・・
308307:2000/10/26(木) 20:41
それと、最近の研究では匈奴と月氏って
何系の民族だったのか知りたいです。
309>>296:2000/10/27(金) 05:23
どーいう意味??
310304:2000/10/27(金) 06:04
>306さん
レスどうもです。
今僕はフランスにいるんです。
語学学校の教師達、ステイ先の家族、その他数名という、
情報量としてはちょっと少ない数なんですが、
ドイツ人に対する彼等の反応、悪く無いのでちょっと気になってたんです。
まぁ、やはり『好き』とまではいかないのかもしれませんね。

タクシーは残念ながら2しか見て無いんでわかりませんけど、
こっちじゃ日本がぼろぼろですね^^;
お陰で町中で『コンニチョーアー!』って叫ばれて大変でした。

311308:2000/10/27(金) 06:12
果たすて、こらさ最近かどっがは、わがんねぇげど

匈奴 トルコ系
月氏 トルコ系説とモンゴル系説
312世界@名無史さん:2000/10/27(金) 11:17
>305

ハプスブルグはナポレオンの圧力で皇帝位を返上したので
ローマ皇帝位が空位になり、ナポレオンの戴冠が可能になったんでしょ
313世界@名無史さん:2000/10/27(金) 13:19
ドイツ人とフランス人が今現在関係が良好なのは、相変わらず一人で孤高を気取ってるイギリス人が気に食わないって点で気脈が通じてるからだ、って指摘される事も良くありますよね(笑)
314世界@名無史さん:2000/10/27(金) 23:59
すいません、前スレは何処に行ってしまったんでしょうか?
315世界@名無史さん:2000/10/28(土) 02:33
しかしそんなドイツ人とフランス人も、
粗野で図々しく傲慢なアメリカ人が相手なら
ためらうことなくイギリス人と手を結ぶ…。
316名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/10/28(土) 03:11
イギリスとフランスとドイツ。
手を組んだところで、新大陸には勝てません。

ヨーロッパは落ちぶれたよね。
いい気味だ。
317名無的発言者:2000/10/28(土) 04:26
夏王朝=禹。実在したかわからない。
陰王朝=湯。実在したかわからない。
周=武王。実在した。
秦=政王。実在済み。
漢=劉邦。
晋=司馬炎。
(中略)
唐=李。貴族は遊牧民との混血が殆ど。
元=ハーン。蒙古至上主義。
明=朱元章。多分漢人。
清=ヌルハチ。女真系。初代以後混血?
中国A=孫文。孫文は客家。
中国B=蒋介石。蒋介石漢人?
周恩来は?毛沢東は?ケ小平は客家。江沢民は?朱ヨウキは?

一体漢民族の定義ってなんですか?
何時頃からが漢民族なんですか?純粋に漢民族と交わらなかったのって
元くらいなんじゃない?
それとも漢民族自体混血民族なんですか?無学者ですが教えて下さい。
318名無しさん:2000/10/28(土) 23:08
質問です
スペインって、イスパニアともいわれますよね
これは、ナゼなんでしょうか?
319世界@名無史さん:2000/10/29(日) 00:03
> 318
Hispania=イベリア半島のラテン語名
320GNシェーン:2000/10/29(日) 00:07
スペインの紙幣にウサギが書かれてるんだよね。うろ覚えだけど。
321世界@名無史さん:2000/10/29(日) 00:53
私はむしろ、なぜ英語ではスペインと呼んでいるのかを知りたい。
元は「えすぱ〜にゃ」だったはずなのに。
322名無しさん:2000/10/29(日) 00:55
>319
ナルホド、ラテン語でしたか・・・
早い解答、ありがとうございます
323世界@名無史さん:2000/10/29(日) 01:19
ヒスパニアの頭のHが落ちて(フランス語だとHは発音しない)
イスパニアになって、なまってエスパーニャになったんじゃないかな。
英語のスペイン「Spain」は「イス」の部分がくっついて
子音Sだけになったんじゃないかと。
言語学さっぱりなんでいいかげんですけど。
Sって確か発音しにくい子音で、
語頭にこの子音が原則的に絶対来ない言語とかもあるね・・・
324わたし@世界史:2000/10/31(火) 19:52
イエズス隊(会)の目的は何なのですか?詳しく教えて下さい。
「闘う教会が支配するために」
325世界@名無史さん:2000/11/02(木) 18:27
話し変わるけど、結局宗教改革ってカトリックのなにをかえたのさ?
教皇権の確認って確認しただけでなにもかわってないじゃん!
326名無しさん@お腹いっぱい:2000/11/02(木) 21:13
マックスウェーバーはプロテスタントの精神が資本主義を
生み出したとかそんなようなことをいってるみたいですが
僕には腑に落ちません。だって予定説で将来のことがあらかじめ
決まっているなら労働するのも馬鹿らしいし、人間努力しなく
なるのでは?
327世界@名無史さん:2000/11/02(木) 23:44
>>326
救済が予定されているのは一部の人だけどそれは神のみぞ知るで
誰にも分からないから救われないかもしれないけどそれに見合うよう
日常生活でベストを尽せ、みたいな事書いてなかったか?
328世界@名無史さん:2000/11/02(木) 23:48
329世界@名無史さん:2000/11/03(金) 17:29
スルタンとカリフの違いは
ローマ教皇と国王、皇帝の関係と似たようなもんですか?
330世界@名無史さん:2000/11/03(金) 20:06
>329
アッバース朝末期(セルジュク朝時代)からマムルーク朝にかけてはそう。
(マムルーク朝の庇護下でアッバース朝の末裔がカリフを名乗り続けている)
ただ、もともとの意味は
カリフ=預言者の代理人、イスラム教徒の指導者
スルタン=地上を実地支配する権力者
ってな感じらしく、スルタンと最初に自称したのは
宗教権威と集権支配を兼ね備えたアッバース朝盛期のカリフたちだった。
ローマ教皇は自ら皇帝や王になることはないので、
そういう意味でちょっと違うと言えますね。
331名無的発言者:2000/11/03(金) 21:11
韓国の歴史では秀吉の朝鮮侵攻に「倭乱」と称しています。
この「乱」とは王が臣下から謀反を起こされた場合の呼称と聞きました。
乱の解釈はこれで良いのでしょうか?

この通りの解釈なら日本は朝鮮の臣下と%8N6ノモ閧ワすが。
332331:2000/11/03(金) 21:32
ありゃ なんで文字化けするんだろう。
「乱」の解釈が韓国ではどうなのか、と言うことです。

この通りの解釈なら日本は朝鮮の臣下と彼らは思っているのかナ。


333世界@名無史さん:2000/11/03(金) 23:11
アメリカインディアンへの騎馬の習慣の伝播について
教えてください。
334世界@名無史さん:2000/11/04(土) 00:15
>>332
秩序を乱すをもって、乱と言うニダ!
倭奴など、朝鮮から見れば蛮族であって臣下ですらないのニダ!
大明国を中華帝国として、その属邦が朝鮮、倭奴はただの野蛮人ニダ!
本来は臣下以下になるはずの蛮族の侵攻だから、乱になるニダ!
今でも、韓国と日本は兄弟でも、韓国が兄で日本は弟なのニダ!
335332:2000/11/04(土) 00:46
334さんありがとうございます。
みなさん又別に教えて頂きたいことがあります。
「倭」と言う字は日本を表しますが、シナから見れば倭一字と違うのでは
と疑問に思っています。
中国の王朝は必ず一字でした。対して周辺の夷テキ国は二字でした。
それなのに日本だけが「倭」とは不思議です。これは「倭奴」ではないかと
思っていますがいかがでしょうか? ご教授ください。
336332:2000/11/04(土) 00:51
334さんありがとうございます。
みなさん又別に教えて頂きたいことがあります。
「倭」と言う字は日本を表しますが、シナから見れば倭一字と違うのでは
と疑問に思っています。
中国の王朝は必ず一字でした。対して周辺の夷テキ国は二字でした。
それなのに日本だけが「倭」とは不思議です。これは「倭奴」ではないかと
思っていますがいかがでしょうか? ご教授ください
337332:2000/11/04(土) 01:07
二重カキコごめん。 なんだか判りません。
338地球市民@:2000/11/04(土) 01:59
>>334
ちよよん先生がくればもっと詳しく言ってくれるけどね。
ハングル板から出張お疲れ。
>>336
倭の字は大変悪い字ですよ。それなら1字でもいいと思いますよ。
あと、倭は南方から移動した説もあるからね 会稽東治<=サンズイ・ニッスイ説ありますね。
魏略の説だと今の奄美大島当たりだったと読みましたよ。
339世界@名無史さん:2000/11/04(土) 02:16
>336
確かあれを「倭の奴の国」と読ませるのは日本人だけだったような。
たとえば宋史の日本伝では
「日本国者本倭奴国也」(日本国はもともと倭奴国と言っていたところである)
とある。

このへん詳しい説明はあやめさん、ぷりーず!
340329:2000/11/04(土) 10:47
>331 成る程、よくわかりました。
ついでにサラディンは、サラーフ・アッディーンが本名なのに
なんで省略されてるですか?
この短縮法によるなら、例えばオリバー・クロムウェルは
オリウェルになっちゃうんですか?
341キティ立入禁止:2000/11/04(土) 13:55
タイは海に面していて米も取れる国で欧米が
周辺諸国をほとんど植民地にしていったの
にタイだけされなかったのはなぜですか?
詳し情報お願いします。
342世界@名無史さん:2000/11/04(土) 17:32
サラディンについて…

「サラディン」はヨーロッパ人が
「サラーフ・アッディーン」という単語を聞いたときに
自分達の訛りでテキトーに変化させた発音です。
「サラーフ・アッディーン」は本名ではなく尊称で、
「教えの救済者」とかそんな意味だと聞いたことがあります。
イスラム教を救うもの、ということでしょうか。
本名は「ユースフ」というらしいですよ。

かなりの仁君、名将ですね。
世界史上において、実際の戦争で騎士道にも近い
「きれいな戦争(皮肉な言葉ですが)」
を戦った人は、サラディンとロンメルしか知りません。
343パシャパシャ:2000/11/04(土) 18:07
サラディンは元クルド人傭兵ですよね
344330:2000/11/04(土) 18:18
サラーフ・アッディーンは正確に発音すると
「サラーフッディーン」って(少なくとも日本人の耳には)聞こえると思う。
だから「サラディン」って訛ったんでしょう。
ヨーロッパじゃイブン・シーナーが「アビセンナ」に訛るくらいだから、
まだ変ってないほうだと思います。

>342
アラブ世界では君主は本名のほかに称号を名乗っていて、
それが君主本人の名前のように使われることが多いみたいです。
ご指摘の通り、「サラーフ」=救済、「ディーン」=信仰、宗教なので
「信仰の救済者」といった意味でしょうね。

>343
傭兵というか、クルド出身の軍人。
父のアイユーブはもともとセルジューク朝に仕えたクルド人官吏で、
のちにシリアのザンギー朝(セルジュク朝系のトルコ人地方政権)に移っています。
ザンギー朝のヌール・アッディーン(信仰の光、の意)に仕えていた時に
十字軍に脅かされていたエジプトのファーティマ朝支援に派遣されて、
ファーティマ朝崩壊のどさくさ紛れでそのままエジプトの君主になっちゃった。
345世界@名無史さん:2000/11/04(土) 18:53
みなさんありがとうございます
訛りですか。別にヨーロッパ人が、敵を蔑称で呼んだわけじゃなかったんですね
他にもアメンホテプもイクナートンになったりしてましたね、そう言えば。
英語圏の人は、正しい名称で呼ばないですね
プトレマイオスなんかもあくまで、トレミーでしょうから
346>345:2000/11/05(日) 05:24
日本人だって、中国・朝鮮半島の歴史人名を習慣的に日本語読み(?)するでしょ。
それと同じようなもんではないかな。

そういえばアケメネス朝だとかダレイオス大王だとかの古代ペルシア固有名詞、
日本でも依然として使ってますが、実はギリシア語訛りなんだそうです。
347名無しさん@1周年:2000/11/05(日) 09:42
>>346
アケメネス=ハカーマニッシュ
ダレイオス=ダーラヤダウ
だったっけ?
同じく
アメノフィス=アメンホテップ
ラムセス=ラーモセ
トトメス=トゥトモセ
ツタンカーメン=トゥト・アンク・アメン
だったはず。
クフはケオプス、カフラーはカフレン、
メンカウラーはミュケリノスとそれぞれ
ギリシア語表記があるにも関わらず使って
ないのに、なんでラムセスとトトメスだけ
ギリシア語表記を使うのかな?
348世界@名無史さん:2000/11/05(日) 11:22
板違いかもしれませんが、中世パリを恐怖におとしいれた人食い狼
クールトーについての資料をさがしています。
狼関連の資料にはジェヴォーダンのベートはよく載ってるんですが。
なにかご存知の本・サイトなどありましたら教えてください。
349:2000/11/05(日) 12:21
表記は?>クールトー
Courteaux?
350世界@名無史さん:2000/11/05(日) 14:52
>347
大事なの忘れてる>インド

ダレイオスはDarayavausだよね。
351世界@名無史さん:2000/11/06(月) 18:38
アッティラはフン族だから
顔はのっぺりしたモンゴロイド面ですか?
352パシャパシャ:2000/11/06(月) 19:49
西洋の挿絵だと、角が生えていますよ。よっぽど怖かったんでしょうね
353世界@名無史さん:2000/11/06(月) 20:20
>352
西洋人の描いた絵でも一重まぶたで鼻が低くて
アゴが引っ込んだりしてますか?
354パシャパシャ:2000/11/06(月) 21:12
後世の想像図だからそんなことはないよ、角が生えているだけ、あとは普通のおっさん。
これを見たら、ペルー提督の日本人が書いた想像図を思い出した。
355世界@名無史さん:2000/11/06(月) 21:19
>354 え?ペリーじゃないの
356パシャパシャ:2000/11/06(月) 21:41
間違えたすいません
ハズカシー
357ななし憤死さん:2000/11/06(月) 22:29
すごく抽象的でごめんなさい。
世界史上で、憤死した外国人って誰でしたっけ??
あ、たくさんいるかなあ。一番ゆうめいなのって誰ですか?
358世界@名無史さん:2000/11/06(月) 22:55
>357 多分あの人ですよ
フランスの王様に幽閉された教皇
名前忘れちゃった
359:2000/11/06(月) 23:05
あなーに事件ですね。
ノガレって、カタリ系の人物だったらしい。
360世界@名無史さん:2000/11/06(月) 23:12
>>358
ボニフェウス八世っすね。
361世界@名無史さん:2000/11/07(火) 06:49














362世界@名無史さん:2000/11/07(火) 08:00
憤死、と言えばハーグ密使事件、というのがあります。
1907年、我が国が李氏朝鮮(当時は大韓帝国)に影響力を行使している
「不当」を訴えようと韓国の皇帝がハーグで行われていた平和会議に四人
の密使を送り込んだのですが、その当時は既に韓国に外交権はなく(190
5年韓国保護条約)頼みのロシアも知らんぷり(出席自体も拒否してしまっ
た、韓国にとっては許し難い裏切り)で日本の全権大使(名前ど忘れ)にそ
の旨主張されると韓国は国際的に孤立、結局何にも出来ずにスゴスゴ帰ら
ざるをえず、密使の一人李儁は憤りのあまり死んでしまったそうです。

滅びゆく国の悲劇ですね。
363ななし憤死さん:2000/11/08(水) 00:00
憤死の件、どもありがとうございました。
364世界@名無史さん:2000/11/08(水) 04:20
今、教職の課題で世界史・フランス革命
について勉強しているのですがいまいちピンときません。
1、「封建的特権の廃止」はなぜ出されたのか。そしてその意義は?
2、同じく「人権宣言」はなぜ出されたのか。その意義は?
3、フランス革命、「第1の革命」の第2、弟3の革命との違い。
365世界@名無史さん:2000/11/08(水) 12:09
>>362
田中芳樹の銀河英雄伝説の帝国軍の再侵入を外交官が
弁舌で止めようと出かけるがどの将軍にも相手されない
という自由惑星同盟の最後の場面を思い出した。
366憤死しそこね:2000/11/08(水) 12:45
二次大戦前のチェコの大統領ハーハ(だったっけ)がヒトラーに迫られて領土の割譲の調印した件。
あそこで憤死していればもっと有名になったかも。
367世界@名無史さん:2000/11/08(水) 14:14
>364
高校で習うレベルやね。したがって、高校の学参を参考にすればいいんじゃ
ないですか。

# でも、議論し出すと止まらない問題でもあるなぁ...
368世界@名無史さん:2000/11/09(木) 18:57
最近、ニーベルンゲンの歌を読んだんですが
何かにつけて「12」っていう数字が出てきます
ドイツで12って何か特別なんですか?
369世界@名無史さん:2000/11/09(木) 19:33
ドイツに限らず12は世界中で区切りの数字としてよく使われている。

1フィートは12インチ、
一日は12×2時間、
一年は12ヶ月、
12人の使徒、
12個で1ダース、
干支は十二支…。
370時事問題:2000/11/09(木) 19:48

日本赤軍の世界史的な位置付けとはどのようなものになるでしょうか?
371世界@名無史さん:2000/11/09(木) 20:04
ズバリ、時代の流行でしょう。
今のよしりん思想と似たようなモノ。
陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ずる。
それがテロに発展したってことでどう?
37212が多いの:2000/11/09(木) 20:24
1,2,3,4,6で割り切れて便利、ってのがあるみたいですね。
373世界@名無史さん:2000/11/09(木) 22:19
板違いだったらすみません。
現在大学二年生で、美術史を学んでいるものです。

ジャクソン・ポロックについての文献を読みたいのですが、
グリーンバーグやローゼンバーグ、ウィリアム・ルービン、
マイケル・フリード達の著書が近所の大学の図書館に
ありません。どこかにいい図書館はないでしょうか?
また、おすすめの書店・サイトああったら教えて頂きたいです。

勿論自分でも色々聞いたり探したりしていますが、
所属するゼミや担当教授の専門からすこしズレていたり、
パソコン初心者でインターネットでの検索にも戸惑っていたり、
頼りになる情報が少ないのです・・・
どうかお願いします・・・・・・
374世界@名無史さん:2000/11/09(木) 22:50
国内文献検索の基本中の基本、ウェブキャットをご覧ください。>373
http://webcat.nacsis.ac.jp/
375世界@名無史さん:2000/11/09(木) 23:36
373です。
 374さん、ありがとうございます!
 2ちゃんねるって、悪い人ばかりじゃ
 ないんですね!! 
376世界@名無史さん:2000/11/12(日) 01:26
「ガリア戦記」読もうと思うんですが、
近山金次とかいう人と国原吉之助とかいう人のどっちが良いんですか?
377:2000/11/12(日) 01:58
しーざーとかいう人の書いたのがいいと思う。
語学の勉強にもなるらしい。
ウン、タシカニアオリダトオモウケド、ハンブン、ホンキモハイッテル
378ついつい:2000/11/12(日) 02:41
>>377
でも、それならば著者のCaesarは「しーざー」ではなくて、「ちぇざる」
か「かえざる」ではないでしょうか?

アホな突っ込みでスマソ!
379山師さん:2000/11/12(日) 02:45
どこの国の読み方かで違います.......。
380名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/11/12(日) 02:46
私などカイザーと習いましたから。
381世界@名無史さん:2000/11/12(日) 11:19
>>379-380
とういか、377で語学の勉強になると書いてあるので、当然ながら
ラテン語の読み方のお話でしょう。
いくら英語圏でも、ラテン語のCaesarをシーザーとは読まぬだろ。
382世界@名無史さん:2000/11/12(日) 14:10
英語では、Caesarと書いてシーザーと読みます。辞書の発音記号
見てみ。
383世界@名無史さん:2000/11/12(日) 14:54
「ラテン語の」Caesarつってんのに…。
384世界@名無史さん:2000/11/12(日) 16:15
>381
>いくら英語圏でも、ラテン語のCaesarをシーザーとは読まぬだろ。
英語圏で、ラテン語をちゃんと勉強した人がラテン語として
Caesarという名を発音するときは「シーザーとは読ま」ないんじゃないの、
という意味と取って良い?

わかりにくいから382と話がかみあってないんだと思う。
385世界@名無史さん:2000/11/12(日) 16:43
カエサルじゃないの。ラテン語では、語中のsも有声化しませんぜ。
386世界@名無史さん:2000/11/12(日) 17:40
>>385
381さんも指摘してますが、現代のラテン語の発音では、'ae'と'ea'
の二重母音は'e'と発音します。
従って、Caesarの通常のラテン語発音は「チェザル」になります。
また、日本風のローマ字読みは2〜3世紀まで使われていたと推定
されている、プロヌンツィアツィオ・レスティトゥータと呼ばれる
古いラテン語の発音法に相当するもので、この場合は「カエサル」
または「カエザル」になります。
ですから、カエサルでも間違いではありませんが、現在、唯一ラテ
ン語を公用語としているバチカンあたりでは通じないでしょう。
もともと「る」さんが英語版のガリア戦記のことを言っているのな
ら、シーザーで良いのですが。
387世界@名無史さん:2000/11/12(日) 21:33
エチオピアって、かなりの大昔から王国が
あったけど黒人だったの?
黒人なのにエジプトあたりは普通に交流してたんですか
388奥さまは名無しさん:2000/11/12(日) 22:38
なんで黒人はエジプトと交流できないの?
389世界@名無史さん:2000/11/13(月) 08:01
「黒人」って定義をはっきりさせておいた方が良いと思うな。
390奥さまは名無しさん:2000/11/14(火) 01:53
387の関連で。
エジプト文明というのは基本的にアフリカの範疇に入るというのか、
アフリカ的性格が強いらしい。王権のあり方とかね。

ナポレオン以来、古代エジプトは西欧人の崇敬を集めるところとなったが、
その際、(当時、黒人はすでに下位の人種だったからか)アフリカ
とは切り離して考えたそう。
391奥さまは名無しさん:2000/11/14(火) 01:55
そう言えば、「東方の三博士(または王)の礼拝」
には黒人の博士(王)が描かれているよね。
392世界@名無史さん:2000/11/15(水) 11:29
それにしては黒人差別って何でできたんだろうね
393日本@名無史さん:2000/11/15(水) 11:48
カエサルもロシア語ではツァーリ
394:2000/11/16(木) 10:31
>>376-386
私がわるうございました。
>>378以降の御指摘はごもっともでございます。
>>381>>386
ラテン語の発音の話、もっと教えてくださいませ。


395世界@名無史さん:2000/11/16(木) 11:42
オーストリアとオーストラリアは何で名前が似てるんですか?
396世界@名無史さん:2000/11/16(木) 12:31
英語を日本語(カタカナ)に移すと偶然似ちゃうだけでしょ?
オーストリアはもとはドイツ語で「西の国」、
オーストラリアはラテン語かなんかで「南の国」って意味だったはず。

ちなみにナイジェリアとアルジェリアも関係ない。
397嘘だよ:2000/11/16(木) 12:32
398世界@名無史さん:2000/11/16(木) 14:54
>397 ワラタ
399>396:2000/11/16(木) 17:12
オーストリアは「東の国」だよ。
400日本@名無史さん:2000/11/16(木) 19:16
オーストラロピテクスは「南の猿」と言う意味です。
生物の学名にはラテン語を使うので、
同じ発音であるオーストラリアもラテン語なのでしょう。
401世界@名無史さん:2000/11/16(木) 19:57
ドイツ・オーストリアの英雄とされる
プリンツ・オイゲン公について、どなたかお教えください。
どんなことをして英雄になったのですか?
402世界@名無史さん:2000/11/16(木) 21:23
>401
ユーゴスラビアなどでパルチザン掃射が行き過ぎて、無関係な
住民をも殺戮したそうです。かの元・国連事務総長、
前・オーストリア大統領、クルト・ヴァルトハイムも協力した
過去を暴かれ退陣することになりました。

すまん、プリンツオイゲン違いでした。
403世界@名無史さん:2000/11/16(木) 22:58
>369
ナイジェリアとニジェールって似てない?
404世界@名無史さん:2000/11/17(金) 00:59
外人の名前でジョンはヨハネ、ポールはパウロ、
アイザックはイサクだったら
キリスト教が広まる前は名前少なかったの?
405>404:2000/11/17(金) 01:25
どうやらそうらしい。
特に男。
共和制ローマ末期には、ファーストネームは10もなかったらしい。
講談社版ガリア戦記の、巻末の索引見ればよく分かる。
406奥さまは名無しさん:2000/11/17(金) 01:33
>405
えー、ほんとかなぁ。異教的な名前がキリスト教の国教化
で消えてったんじゃないのー?
407:2000/11/17(金) 01:41
>> 404 Document Not Found
408396:2000/11/17(金) 04:25
>399
おお、ボケてた…ドイツ語で「オストライヒ」とかいうんですよね、確か。
で、oestが東って意味。

>403
Niger川の国、でNigeriaだから。
でもナイジェリアの北隣に「ニジェール共和国」って国が…
ちなみにアルジェリアはAlger(首都)の国って意味。
409:2000/11/17(金) 10:18
>>407 Proxy Authentication Required
410世界@名無史さん:2000/11/17(金) 13:05
>404
ローマ人は個人の人格っつーもんをあまり重視していなかったのか、
男は「一郎・次郎・三郎」方式、
女は苗字・親の名前を名前にする
(例:アントニウスの娘=>アントニア)
とかいういい加減なネーミングが多い。
それでもローマ統治下の諸民族の特有の名前っつーもんがまたあるので、
時代とともにそれが融合していって、結果的に現代の西欧の名前になるんだと思う。
411世界@名無史さん:2000/11/17(金) 14:04
フランスではファーストネームをつける際には
キリスト教の聖者の名前をつけるのが一般的だという。
どうりで、パターンが少ないわけだ。
ルイやらアンリやらが多すぎるよ。
412>410:2000/11/17(金) 15:13
その頃の日本なんて
「国名」もなかったしな(藁
413世界@名無史さん:2000/11/17(金) 15:27
オクタヴィアヌス、なんて「八郎」だもんねぇ
414:2000/11/17(金) 17:07
>>411
それ、昔からおもてったんだけど、日本みたいに
勝手に新しい名前(や書き方)を創造しちゃう国って
どのくらいあるんだろ。
由香利とか杏由未とか見てると頭痛くなっちゃうぞ
415知ったかぶり厨房:2000/11/17(金) 21:21
質問です。
マリー・アントワネットは、「パンがなければ、お菓子(クロワッサン)を食べればいいのに」と発言したことで有名ですが、
中国南北朝時代、やはり「米がなければ、肉を食べればいいのに」と発言した南朝の暗君は、何という名前でしたっけ?
政治金融板で知ったかぶりをしちゃいましたが、名前が思い出せなくて…
ちなみに、アジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会合で、「電気がないような地域の人々は情報技術革命の恩恵を受けられない」との発言に対して、森首相が
「電気がないところでも、携帯電話で情報はやりとりできる」と反論したエピソードに関するスレッドです。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=seiji&key=974364728
416世界@名無史さん:2000/11/17(金) 21:51
水妖記というドイツの伝承ものがたりみたいな本で、
拾われた女の子が「ウンディーネ」と名乗って、その名前で洗礼を受けたいと
養父母と司祭に申し出たら、司祭が異端めいた名前だが、過去にそのような
名前の聖女はいなかったって言う理由で、洗礼をすることに憤慨して断ろう
とする部分があった。
キリスト教に関係しない、土着の名前はどんどん消されて行っちゃったようだね。
417世界@名無史さん:2000/11/17(金) 22:29
クロービス、ピピンなんて名前は?
418世界@名無史さん:2000/11/18(土) 00:08
>414
中国人は、勝手に色々創造してると思う。
インド人は、同じ名前が多そうだ。
419世界@名無史さん:2000/11/18(土) 00:11
>414
中国人は、勝手に色々創造してると思う。
インド人は、同じ名前が多そうだ。

>416
ウンディーネって女神転生から得た知識によれば
妖精とか妖魔の名前だったと思う。

どっちにしても、その名前のままだと魔女狩りで
真っ先に狩られてしまいそうだ。
420世界@名無史さん:2000/11/18(土) 00:17
>417

なんか、ゲルマンっぽい名前だね。
ピピンって、綴りは(Pipin)でいいのかなぁ。
こんな名前の人は、世界史の大中小ピピン以外では聞いた事が
無いね…

意外とピピン(Pipin)が転じてルパン(Lupin)になったと言う
可能性はないのであらうか。
421世界@名無史さん:2000/11/18(土) 00:28
ウンディーネは水の妖精の名前で、フランス語ではオンディーヌと呼ぶ。
422若葉名無しさん:2000/11/18(土) 00:41
 先日、私は寡聞にして欧米人に対する蔑称を知らないことに気付きました。
思いつく限りの単語の中に、それらしい単語がありません。一番近いところで
「鬼畜米英」でしょうが、これを聞いて相手が侮蔑の意を感じてくれるとも
思えません。蔑称というからには、相手に屈辱を感じさせ、怒りに震えさせる
ものでなくてはなりませんよね。

 そこで質問させていただきたいのですが、日本語と英語のそれぞれ
で、欧米人に対する蔑称というのはどのようなものがあるのでしょうか。
是非、ご教授願いたく存じます。
423世界@名無史さん :2000/11/18(土) 01:18
>マリー・アントワネットは、「パンがなければ、お菓子(クロワッサン)
を食べればいいのに」と発言したことで有名ですが、

これって当時のマスコミのデマだって何かで読みましたけど、
どうなんでしょう?
424世界@名無史さん:2000/11/18(土) 01:21
“毛唐”“南蛮人”あと“外人”なんてのも蔑称の内だとか。

欧米人が使っている言葉に欧米人全体を侮蔑する単語があるはずないじゃん。
あったとしてもたぶん一部地域で使われてるものしかないと思う。
多分民族単位の蔑称ならあるだろうけど聞いたことないや。
425世界@名無史さん:2000/11/18(土) 01:33
欧米人の欧米人に対する蔑称?

「フリッツ」「トミース」「マカロニ」とか?
426名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/11/18(土) 01:35
「マイコン」とか「ラガー」とか「殿下」とか。
427世界@名無史さん:2000/11/18(土) 04:28
いつごろから世界史板は
チョンだの何だのという煽りに満ちるようになっちゃったのだろう。
428伊賀者:2000/11/18(土) 18:19
「インド諸王朝スレッド」にも書いたのですが、ここに書いた
ほうが相手にしてもらえそうなので・・・。

第二次大戦末期のインパール作戦に関する戦記物は、
すでに何冊も出版されていますね。
しかしその舞台となったマニプール地方の歴史や文化に
ついて正面から解説した和書は、私の知る限りないようです。
辞典等で調べたのですが、わかったことは少しだけ・・・。
インド独立の直後にインドに組み入れられたマニプールは、
イギリス統治時代は半独立の「ラジャー・ステイト」だったし、
それ以前は本当に独立した王国だったようです。
王国を築いたのは、チベット・ビルマ系の言語を話す
メイテイ族(マニプール人、マニプリ)で、主にインパール
盆地に住み、早くから稲作を行って独自の文字も持っていた。
(山岳部には親戚筋にあたるチン族、ナガ族が住んでいる。)

辞典の記述も、当てにならない場合があります。
「南アジアを知る辞典」で「クキ・チン系諸民族」の項目を
見るとメイテイの人口は50万と書いてあるが、「マニプル」の
項目では116万になっている。 最新の統計に統一しろ!
同じく「マニプル」の項目で「1714年にヒンドウー王国として
自立した」と、まるでそれまではどこかに支配されていたかの
ように書いているが、ヒンドウー教が国教でなかっただけで、
ちゃんと独立していたんでは・・・。

というわけで、マニプールやメイテイの歴史について、信頼の
おける詳しい記述に出会うことができませんでした。
この方面に詳しい方、教えて下さい。
429あやめ:2000/11/18(土) 23:24
マニプールは僻地に在る極めて小さい国なので、確かに詳しい情報は見
当たりません。私の利用できるものではエドワード-ゲイト著「アッサム
史」(三省堂刊)という戦前の本くらいしかありません。原著は1930年代
のもののようで、著者はインド政庁の調査員らしいです。この本の中に
僅か6ページですがマニプールの歴史が叙述されています。項目として
は「初期の歴史と伝説」「ガーリブ-ナワーヅの勃興」「ビルマの第1回侵入」
「ジャイ-シングとビルマ人との戦ひ」「ジャイ-シング王の死後の内紛」「マ
ニプール王のカチャル占拠とビルマ人のマニプール占領」「英国の干渉」と
いったところです。このようにミャンマーとの交渉が重要なので、ハー
ヴェイ著「ビルマ史」という戦中の訳書にも、マニプールに関する記事が
散見しています。
1714A.D.というのはパムハイバというナーガ族の首長が即位した年で、
マニプールという国名もこのころからマハーバーラタから取って婆羅門
たちが命名したのだそうです。パムハイバはガーリブ-ナワーヅ(貧者の
保護者)と号しミャンマーに勝利し、一時は隆盛だったのですが息子に
殺されてしまいました。1714年以前はしっかりした史料が乏しいという
ことで、30A.D.からこの年まで47人の王の名のみが伝えられているのに、
歴史事実は1475A.D.にポンとマニプールの連合軍がクームバットを征服
した記事しか残されていないのだそうです。
これまた戦中の本ですが「印度藩王国」(中川書房刊)の付録記事にはマニ
プールの面積は8638平方マイル、人口は445606人、収益は9.5ラクルピ、
君主の称号はマハラージャ、宗教はアニミズムとなっています。
なお唐の賈耽の「道里記」の大秦婆羅門国や樊綽の「蛮書」の小婆羅門国は
マニプールを指すものと説かれています。
430伊賀者:2000/11/19(日) 00:46

あやめさん、レスありがとうございます。

ガーリブ・ナワーヅ(メイテイ名はパムハイバ?
パムヘイバ?)と彼以後の歴史については、
私もビルマ関係の本で簡単に触れているのを
見たことがあります。(立ち読みだったので書名は
忘れました。)
比較的わかっているガーリブ・ナワーヅ以後につい
ても、今手に入る本で詳しく書いてあるのがあれば
ありがたいのですが・・・。 今度都会にでたときに
教えて下さった本を探して見ようと思います。

なお、ガーリブ・ナワーヅは「焚書」をやったと、何かに
書いてありました。
元来アニミズムだったメイテイ族をヒンドウーに改宗
させる過程で、メイテイ文字で書かれた宗教書や
年代記を焼き、文字はベンガル文字を使うことにして
メイテイ文字の使用すら禁止したらしい。
(現代的な観点から見れば、売国奴かも?)
「30A.D.からの歴史」というのは、焚書をまのがれた
書物に書かれていたのでしょうかね? あるいは
口承の伝説なのか? 「書物」だとすると、現物は
大英博物館あたりに眠っているのか・・・。 もしも
そうだとすると、イギリス人はその内容を全部公開
する義務がありますね。 (もう公開してるか?)
431伊賀者:2000/11/19(日) 01:03
あやめさん、レスありがとうございます。

比較的よくわかっているらしいガーリブ・ナワーヅ
(メイテイ名はパムハイバ?パムヘイバ?)以後
についてさえ、今入手できる本にはあまり書かれて
いないようですね。
今度都会に出たときに、教えて下さった本を探して
みようと思います。
なお、ガーリブ・ナワーヅは「焚書」をやったらしい。
元来アニミズムの徒だったメイテイをヒンドウーに
改宗させる過程で、メイテイ文字で書かれた従来の
宗教書や年代記を焼き、文字はベンガル文字を使う
ことにしてメイテイ文字の使用自体を禁止したらしい。
(現代的な観点から見れば、売国奴かも?)
「AD30以来」の記録は、焚書をまのがれた書物に
書かれていたのか? あるいは口承の伝説なのか?
いずれにせよ、「ガーリブ・ナワーヅ以前」は素人には
接近不可能ようですね・・・。
432伊賀者:2000/11/19(日) 01:08
すみません。 2重レスしてしまいました。
433名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/11/19(日) 11:28
長年の疑問なのですが、なぜキリスト教はあれほど世界中に
広まることができたのですか?
キリストなんてただの大工でしょう?
「私は神の子」とか一歩間違えば基地外な発言を繰り返しておいて、
これほど広まるなんてどうしても理解できないんです。
434世界@名無史さん:2000/11/19(日) 13:51
>>433
とりあえず、キリストの教えそのままだと世界宗教になることはなかったかも
しれないですね。キリストの弟子たちが、ユダヤ人以外も神による救済に与れ
るとしたことが決定的な画期だと思うのですが、なぜそうしたかについてはお
そらく形而下的な要因があるのでしょうし、当時東方世界がアレクサンドロス
とその後継者たちによって(ローマ支配下にあるとはいえ)ヘレニズム世界とし
て一つの世界になっていたことも無視できないでしょう。

クセジュ文庫の「原始キリスト教」あたりが入門書としていいと思いますよ。

# あとはあやめさんにお任せします^^;
435:2000/11/19(日) 14:31
あ、それ今読んでる>くせじゅ「原始キリスト教」

クセジュって偏ってないんですかね
読んでてちょっと心配になるときがある
(例:「テンプル騎士団」「アルビ派とカタリ派」「フン族」とうとう)
436ネブラスカ:2000/11/20(月) 00:43
>>435
偏りぐあいを解説してみて。
自分も読んでみるつもりですが。
437考える名無しさん:2000/11/21(火) 01:18
大航海時代関連の質問です
世界周航を最初に成し遂げたのは、マゼランの配下であるデル・カノ
と言うことですが、では歴史上2番目に世界周航を達成した人物は
誰なんですか?
そして、それはやはり、多大な犠牲を出した過酷な航海だったんでしょうか?
知ってる方がいたら教えて下さい、お願いします
438世界@名無史さん:2000/11/21(火) 01:35
イェニチェリってなんでしょうか?
あるスレを覗いたら、みながしていること前提で話を進めていました。
私にはわかりませんでした。
439世界@名無史さん:2000/11/21(火) 01:36
↑「していること」じゃなくて「知っていること」です。
 ごめんなさい。
440440:2000/11/21(火) 01:46
みなさんこんばんは。
おもいっきり現代になるんですが
1970年代からインドのウッタルプラデーシュ州の山岳部から広まった
チプコ運動について調べています。
何かいい資料がありましたら、教えてください。
お願いします。
441名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/11/21(火) 03:05
433です。
434さん、どうもありがとうございました。
クセジュ文庫の「原始キリスト教」は今度読んでみようかと思います。
442吉田茂:2000/11/21(火) 03:46
>>437さん。二番目の世界周航は、たぶんフランシス・ドレークです。
のちにスペインの無敵艦隊を打ち破ったイギリスの船乗りです。

もともと、この航海の目的は新大陸(とくに太平洋岸)のスペイン襲撃でした。
目的を達成した彼らは本国に帰還するにあたって、危険な南米南端をさけ、
すでに安全が確認されていた太平洋航路を選択したといいます。
443世界@名無史さん:2000/11/21(火) 06:57
>438
イェニチェリというのは、オスマン(トルコ)帝国の常備歩兵軍団のこと。
英語ではジャニサリーと言う。
14世紀頃から捕虜となったキリスト教徒のイスラム改宗者を集めて編成され、
15〜16世紀には強制徴用制度(デヴシルメ制度)によって
バルカン半島各地から集められたキリスト教徒子弟をイスラムに改宗させた者たち、
いわゆるカプクル(君僕)軍団の中核として活躍した。
彼らのように高度に訓練され、銃器を標準装備した常備歩兵軍は当時他には存在せず、
欧州・中東の周辺諸国に対してオスマン帝国の圧倒的な優位をもたらしたが、
17世紀には人員が肥大化して反乱の温床となった上、
デヴシルメ制度が形骸化してもともとイスラム教徒である
トルコ人たちが採用されるようになったために、
次第に弊害が高まってオスマン帝国の癌、反改革の守旧派の牙城となっていった。
19世紀初頭にはフランス革命の影響を受けて改革を志した
皇帝セリム3世を廃位においやり(のち殺害)、
続いて改革を行った大宰相アレムダル・ムスタファ・パシャを殺害する。
ここに至ってついに次代マフムート2世によって廃止の決定を受け
反乱に及ぶも民衆の支持も失い、壊滅させられた。(1826年)
444443:2000/11/21(火) 07:02
ちなみにデヴシルメ制度では優秀で眉目すぐれた少年を徴用したわけだが、
とくに優秀と認められた者はまず宮廷に送られて
英才教育を受けていたのでイェニチェリには配属されていない。
また、騎兵部隊や軍楽隊、工兵隊なども配属先として存在した。
つまり、デヴシルメ徴用者=イェニチェリではない。
445世界@名無史さん:2000/11/21(火) 09:37
>442
ドレークって、船乗りって言うよりは海賊だよね。
446k:2000/11/27(月) 23:01
ドレークは昔から本当に海賊で、ところが何かの理由で(多分対スペイン)
イギリス政府に召抱えられたという話を呼んだ気がするのですが、、、
447世界@名無史さん:2000/11/28(火) 00:30
>446
それが、無敵艦隊を破った海戦だよ。
448世界@名無史さん:2000/11/30(木) 19:31
学校の宿題でレポートが出されました。
四大文明の中から選んでそれについて
調べて提出しろ。とのことです。
どの文明が1番簡単でしかも先生の興味を引くレポートになりますか?
449世界@名無史さん:2000/11/30(木) 20:41
中国文明は?資料も多いし。
書きやすそうだよ。>448
450世界@名無史さん:2000/11/30(木) 21:34
「世界史的に見た明治維新の意義」スレッドはなぜ書きこめなくされてるんですか?
普通のスレッドっぽいのに

http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=974439743
451世界@名無史さん:2000/11/30(木) 22:41
>448
>メソポタミア
ビール最初に飲んだシュメール人
ノアの箱船はギルガメシュ叙事詩のパクリ
452世界@名無史さん:2000/12/01(金) 21:50
>>451
そういや、大気の神オーラ(アウラ)も、もともとは
シュメール神話の3大神の1人エン=リルが元でしたね。
453世界@名無史さん:2000/12/01(金) 22:27
>452
大気の神オーラ(アウラ)は知りませんが、エンリルは大気の神
シュメールの主神

確かサルゴン王もエンリツより王権を賜ったと云ってまう。
454世界@名無史さん:2000/12/01(金) 22:58
南北朝時代の南朝の東晋以降の 宋・斉・梁・陳 についての歴史の流れについて
教えてください。とくに斉・陳の歴史はまったく聞かないのでよろしくお願いします。
455名無しさん@1周年:2000/12/02(土) 01:29
さっき、頭の中にポッと「ボクトツゼンウ」という言葉が浮かびました
確か人名だったと思うのですが、いつ頃、どこで、何をした人でした
っけ?教えて下さい。
456世界@名無史さん:2000/12/02(土) 02:08
test
457世界@名無史さん:2000/12/02(土) 03:32
>454
手ごろなところで十八史略を読めばいいんじゃないでしょうか。

>455
冒頓単于、漢の高祖と同じころに匈奴遊牧帝国を築いた。
458世界@名無史さん:2000/12/02(土) 11:15
>454
http://plaza26.mbn.or.jp/~pata/
にでてますよ。
459世界@名無史さん:2000/12/02(土) 12:23
中央公論の「世界の歴史」について聞きたいんですが
最近出たのと昔のではだいぶちがいますか?
460世界@名無史さん:2000/12/04(月) 04:28
age
461名も無き冒険者:2000/12/05(火) 00:33
>>455
まじめに語ってるところは他にあると思いますが、さわりの解説ならこんなのも。

http://member.nifty.ne.jp/manes/PlayingCard/C05.html
462世界@名無史さん:2000/12/05(火) 23:30
test
463世界@名無史さん:2000/12/07(木) 10:05
新しい中央公論の世界の歴史って文庫版も出るの?
464世界@名無史さん:2000/12/08(金) 18:29
>>415
それは西晋の恵帝(司馬衷)です。南朝ではありません。
というか、彼がそのように暗愚なために八王の乱が起き、
五胡の侵入を許すきっかけを作ったのでした。
465世界@名無史さん:2000/12/09(土) 11:46
質問です。

ロシアが過去に占領した北アジア(シベリア)はロシアの「植民地」とは
呼ばないのでしょうか?

ロシアの首都モスクワはヨーロッパにあってロシア全体もヨーロッパより
なのだから「植民地」と呼んでもいいような気がしますが。
466465:2000/12/09(土) 11:50
もうひとつ質問です。

高校の世界史では世界の歴史の流れは学びますが、
「歴史学」を教えないのは何故でしょうか?

化学に理論化学と実際の物質化学があるように
歴史の理論的な部分もやるべきだと思うのですが。
467世界@名無史さん:2000/12/09(土) 12:30
> 466
マニュアル化して教えられるような客観的な理論が無いから
468>465:2000/12/09(土) 19:09
ウラル以東もロシア「本土」(ヨーロッパ・ロシア)と地続きで
ここからここまでが植民地ってうまく区切れないんじゃないかな。
モスクワからほんのすぐそこ(ヨーロッパ・ロシア内)の
ヴォルガ川流域やクリミア、北カフカスなんかは
イスラム教徒住民の国家を征服して併合したのだから植民地と言えそうだけど、
征服以来県制を引いて内地的統治をしているし、
今もロシア連邦共和国やウクライナ共和国の領土になっている。

でも、たとえばロシア革命まで中央アジアは
トルキスタン総督府による州制とブハラ、ヒヴァの両保護国だったから、
はっきり植民地と定義できるのかもしれないですね。
469名無しさん@1周年:2000/12/10(日) 06:28
教えてくらさい。
アロー戦争後の中国に鉄道が敷かれたのは
中国が産業革命期に入ったことを意味するの?
470世界@名無史さん:2000/12/10(日) 06:50
北アジアに好き好んで植民する奴いるかよ。永久凍土の上だぞ。
471日本@名無史さん:2000/12/10(日) 07:38
世界の白地図がほしいんだけど、どこで売ってますか?
472世界@名無史さん:2000/12/12(火) 12:48
ギリシャ・エジプトの太陽神は男
日本のあまてらすおおみかみは女
なんとなく太陽神は男の方が一般的な気がするんだけど
実際はどう?
473日本@名無史さん:2000/12/13(水) 21:47
質問です。倭寇って密貿易で海賊という感じでなくてもっと平和的なものだった
と聞いた事あるのですが、どうなのでしょう?
474クイズマン:2000/12/19(火) 07:00
 聖書の偽典を日本語で読む方法ないかな?
475あやめ:2000/12/19(火) 11:15
ここを見てください
http://www.dma.aoba.sendai.jp/~acchan/DSS/ApocPseu.html
現在アポクリファはごく普通の聖書にも「続編」として収載されています
476クイズマン:2000/12/19(火) 19:47
 >475 あやめさん。どうもありがとうございます。
 正典は一応みんな読んだので偽典と外典の研究をしてみまーす。
477名無しより愛をこめて:2000/12/20(水) 00:25
質問板からやってきました。

昔の中国のことわざで、馬車にえらい人が乗っていて、
その偉い人自身は謙虚でぺこぺこしているのに、従者が偉そうな態度で、
従者の妻が離婚を申し出た…というエピソードの呼び名、
ご存じの方いらっしゃいませんでしょうか。
478世界@名無史さん:2000/12/20(水) 02:32
あんしのぎょ
479天之御名無主:2000/12/20(水) 08:55

安 子 だっけ?
480世界@名無史さん:2000/12/20(水) 10:22
>>477-478
春秋時代の名宰相「晏子」だね。

481名無しより愛をこめて:2000/12/20(水) 23:07
477です。お返事ありがとうございました。
「晏子の御」ですね。感謝しています。
482質問厨房:2000/12/21(木) 14:04
大恐慌のとき、アメリカが赤化する可能性は無かったんでしょうか?
世界最強の全体主義共産国家、アメリカ連邦共和国!

頭、悪すぎ?
483世界@名無史さん:2000/12/22(金) 19:59
こんど世界史の宿題でアフリカから黒人奴隷としてつれていかれた
クンタ(きっとルーツの主人公から出しているのでしょう)
の20年という小説を書くことになったのですが
ポイントかなんかありますか?これは書いた方がイイとか。
黒人奴隷の文化など。
484世界@名無史さん:2000/12/23(土) 17:40
えーとある問題なのですが、どう答えて良いのかわからないのでお暇な方御指南してください。
「秦漢帝国の成立以降築かれた東アジアの国際秩序は、基本的に19世紀まで続いたといえる。
この国際秩序は、近代以降の国際秩序とは異なる論理によって維持されていた。
この国際秩序の特徴と解体過程について300字以内で述べなさい」
と言う問題です。
何を要点においたらいいのでしょうか・・・?
485世界@名無史さん:2000/12/23(土) 19:54
宿題・レポートウザイ
486世界@名無史さん:2000/12/23(土) 23:26
>485
>宿題・レポートウザイ
でも、スレの主旨が「世界史何でも質問箱」で、1は世界史予備校教師
を自称しているんだから、こういう質問が出てきても不思議はないね。
487484:2000/12/24(日) 21:45
すいません。レポートそのまま聞いてしまって・・・
ならせめてどういうとこに要点置いたら良いかだけでも教えてくれると
助かるのですが
488世界@名無史さん:2000/12/25(月) 00:03
>484
ネタかと思っていたけど、本当に宿題のヒントが欲しいんですね。
キーワードあげるから、後は調べましょう。
特徴
中華思想に基づく華夷秩序、冊封、朝貢、潜在的宗主権、対等な国家関係の欠如
解体
西欧列強の侵略、阿片戦争、日清戦争、大韓帝国独立、近代的国家関係への移行
489世界@名無史さん:2000/12/25(月) 14:18
>484
東洋史で300字っつうと京大?
がんばってねー
490世界@名無史さん:2000/12/25(月) 15:47
ベドウィンて何の民族と呼ばれていますか?
よろしくお願いいたします
491名無しさん@名無しさん:2000/12/25(月) 23:27
 ラクシュミバーイについて教えて下さい。
インドの「ジャンヌダルク」とよばれる人で
河合の参考書にちょっと載ってたぐらいで
用語集にはなかったので気になって。
492世界@名無史さん:2000/12/26(火) 00:05
>>490
砂漠の民
493あやめ:2000/12/26(火) 13:19
>491
セポイの乱で最も人気のある女性闘士として知られるラクシュミー-バー
イーについては、長崎暢子著「インド大反乱」(中公新書)が入手しやす
い本としては比較的詳しいです。外には20年以上前に評論社から出てい
る「サリーの女たち」という本に、「反乱を闘った女」という章の中で
取り上げられているようですが、私は読んでいません。なおセポイの乱
ではアワドの王妃ハズラト-マハルも結構がんばっていました。
494名無しさん@1周年:2000/12/31(日) 07:53
ウィレーンドラナート・チャットパディヤーヤについて教えてください。
495あやめ:2000/12/31(日) 15:21
たしかアグネス-スメドレーとベルリンで同棲してて、その後ロシアに
行った人だと思いますけど、詳しい閲歴は知りません。もしこの人なら
スメドレーの「女一人大地を行く」あたりに多少のことは書いてあると
思います。戦前に白河次郎という人の訳がでてるそうです。
496名無しさん@1周年:2000/12/31(日) 16:27
「創り出された伝統」について2000字程度でまとめてください。
時間は1/9まであげます。
497世界@名無史さん:2000/12/31(日) 21:43
>>496
はぁ?
何を勘違いしてるんだ。
ここは、質問を受け付けるスレで、レポートの代筆までは無理だぞ。
498世界@名無史さん:2000/12/31(日) 22:37
こちとら一生懸命に正月返上で卒論仕上げている時に・・・
>>496 逝ってよし!!
499世界@名無史さん:2001/01/01(月) 02:39
>>498
頑張れよ
500494:2001/01/01(月) 05:19
あやめさん、どうもご返答ありがとうございます。
彼はあとは後に州知事や国連議長もやった詩人サロジニ・ナイドゥの兄
らしいということと、スターリンの粛清にあったということぐらい
しか分かりません。白河次郎は尾崎秀実のペンネームなんですが、
戦前の本はちょっと手が出しにくいですね。石垣綾子が書いた
スメドレーの伝記あたりに当たってみることにします。
501あやめ:2001/01/01(月) 10:59
>500
ここにちょっとだけ載ってます、覗いてごらんになったら
http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Berlin.html
502世界@名無史さん:2001/01/03(水) 00:59
たてつづけに、「教えて」系のスレが立っているので、あげときます。
ただ答えを知りたいだけの質問なら、こちらへどうぞ。
503世界@名無史さん:2001/01/03(水) 12:29
乱立回避age
504世界@名無史さん:2001/01/03(水) 17:07
神聖ローマ帝国の大空位時代について知りたいのですが、諸侯はやっぱり領地争い
とかしまくってたんでしょうか? あと、この時代、城や町を攻め落としたら住民
皆殺しにしてたって本当ですか?
505:2001/01/03(水) 23:14
キリスト教系の思想家や様々な宗派についての概観的な解説書で
よいものありますでしょうか?
例えば A Kempisとかいう人がいたとして、その人がどこの誰で、いつ頃の人で、
何を書いて、それはどのような影響を与えた、というような感じで網羅しているものが
欲しいのです。専門書よりかは、図表がたくさんはいってるのがいいな。
506世界@名無史さん:2001/01/04(木) 06:20
李朝というのは李氏朝鮮の略?それとも李朝朝鮮でもいいのですか?
またなぜ「李朝大越」のようではなく「李氏」なのですか?
507世界@名無史さん:2001/01/04(木) 14:29
>>506
李朝の朝は朝鮮の朝にあらず。李朝朝鮮でよし。しかし受験ワール
ドでの保証はしない。
韓国からの留学生が言うには、李氏朝鮮という言い方はしないとか。
朝鮮朝というそうだ。
新羅→高麗→朝鮮→韓国(帝国)→植民地→韓国(民国)と流れるんだ
ろう。
箕子朝鮮なんかはどうなるんだってつっこんどけばよかったな。実
際その辺はどうなるんだろう。実在を否定するにしても呼び方はあ
るはずだが。
508世界@名無史さん:2001/01/04(木) 15:41
>韓国からの留学生が言うには、李氏朝鮮という言い方はしないとか。
>朝鮮朝というそうだ。

その当時の風俗、民衆の暮らし、税および衣服等がどうであったかを
知りたいのですが、何か良い参考文献をご存知の方がもし
いらっしゃいましたら、教えていただけないでしょうか。
509名無しさん@1周年:2001/01/05(金) 06:18
>>507さん
理解できました。ありがとうございました。

清朝はいつから鎖国したのですか?
遷界令というのが出てますが鄭氏台湾を滅ぼしたあと
解除しているようです
アヘン戦争まで広東一港の鎖国状態にあったと
いうことですがどうなんでしょう?
明朝以来の政策と解説している本もありますが、永楽帝は
対外関係を積極化したわけで、このあたりのところが
よくわかりません
510世界@名無史さん:2001/01/05(金) 20:19
うちの祖父が軍に取られて大陸に行ってた頃に描いた
所属軍隊の移動ルートや現地の方とのちょっとした交流や
慰問の感想だの近辺地図だの行った先々の風景だのを文章や絵で記録した
小さいスケッチブックがあるんですが、
こういうのってどこかの資料館に寄贈とか出来るのかな。
今は母が大事に持って居るけど、私の代はともかく私の子供の代になれば
粗末に扱われそうなのでいっそ何処かに寄贈して保管してもらいたいのですが。
ちなみに絵は画家を目指していた祖父(戦後の貧困の中、家族の為に看板書きになった)
なので結構上手いです。
祖父は几帳面な質だったので、亡くなった時にアトリエを整理したら
赤紙とか他の関連書類もあれこれ出てきました。まとめて寄贈・・出来ると良い
んですが。まあ出来なかったら出来なかったでうちで大事にするんですが。
スレ違いだったらごめんなさい。
511世界@名無史さん:2001/01/06(土) 14:35
あなたの意見には少しも賛成できないけれど、
あなたがそれを言う権利は命をかけてでも保障する
みたいな言葉を言った人が誰だか教えてください。
512名無しの猟狗匠:2001/01/08(月) 11:09
ちょっと場違いかもしれませんが、歴史上で隻眼の人物ってどれ位いるんでしょうか?
調べた範囲で、カルタゴのハンニバル、アンダルス・ウマイヤのアブドゥ・アッ・ラフマーン1世
後唐の李克用、バハリー・マムルーク朝のバイバルス1世、ネルソン。
別板になりますが、三国志の夏コウ惇、日本の戦国時代の山本勘介、伊達政宗、柳生十兵衛。
こんなところでしょうか? もしこの他の人物をご存知の方、ご教授ください。
513世界@名無史さん:2001/01/14(日) 01:02
>>471
遅レスだが世界地図をDLできるサイトがあるので、そこを参考にしてくれ。
http://page.freett.com/rukuruku/
役に立たなかったらスマン
514世界@名無史さん:2001/01/15(月) 23:03
ヘンリー八世の六人の妻って、それぞれ何か特徴とかありますか?
中には手の指が六本ある人もいたって聞きましたが・・・。
515世界@名無史さん:2001/01/16(火) 06:57
>514
ヘンリー自身、ナニが六本あったのじゃ。
七人同時プレイ可!
516隊長!:2001/01/16(火) 07:57
>>515
ヴァカ発見!
こいつ、ヘンリー八世に同時に六人の妻がいたと思っているよ。
とほほ。
517世界@名無史さん:2001/01/18(木) 20:54
age
518世界@名無史さん:2001/01/18(木) 21:17
世界史って何の為にあるのですか?
白人の武勇伝伝達の為ですか?
教えてください
519ケンジ:2001/01/18(木) 22:59
ヒトラーやナチスについてまじめに解説しているサイトを教えてください。
520ケンジ:2001/01/18(木) 23:17
>>511
にいちゃん、フランスのヴォルテールやで。

 http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1307/new_page/jinken.html

そしたら、今度はわいのためにヒトラーやナチスを解説しているサイトを教えてーな。
521NOT 511:2001/01/19(金) 00:14
>>520
511氏じゃありませんが、ヒトラー関係、下記のリンクの執筆者、
「よく判っている」人と思います。

http://members.tripod.co.jp/hitler/
522名無しさん@1周年:2001/01/19(金) 06:52
>>518
近年の史学ではそういう傾向が改められつつあります
なにコンプレックス持ってんだよ
お前に世界史やる資格なし
523世界@名無史さん:2001/01/19(金) 07:17
>>518
たしかに近年の歴史学では西欧中心史観の克服が最大のテーマのひとつになってるね。

それなのに学校世界史は十年一日、進歩が遅い。今でもバリバリに西欧中心史観。大多数の人は学校世界史で世界史を知るのだからまずこれをなんとかしないと。
524世界@名無史さん:2001/01/19(金) 10:14
age
525ケンジ:2001/01/20(土) 17:45
>>521 NOT 511様
ありがとうございました。参考にさせていただきます。
526パシャパシャ:2001/01/22(月) 20:24
中国王朝は、陰陽五行説によって、それぞれその国の色があるって本当ですか?
確かに、黄帝や、蒼天すでに死すとか、あるんですがほんとのところはどうなんでしょうか?
527世界@名無史さん:2001/01/24(水) 08:31
本当。秦が水徳で黒、漢はしばらくそのままひきついだが、後に土徳で黄と
改めた。
しかしそれが清まで続いてたのか。どなたか教えてください。
528世界@名無史さん:2001/01/24(水) 10:37
>>523
最近の世界史教科書はだいぶよくなってるよ。
529世界@名無史さん:2001/01/24(水) 10:49
白人が一番偉いに決まってるじゃん、近代国家も作ったことだし。
530523:2001/01/24(水) 14:46
>>528
あ、そうなの? いっぺん山川以外の世界史教科書を読んでみたいな。山川のは相変わらずひどいんだけど、もしかしたらあんなにひどいのは山川だけなのか? ふつうの書店では山川のしか置いてないからなあ。

>>529
ハイハイ、いま何年生なの? 中学生かな? それとも小学生? 高校に行ったら世界史をちゃんと勉強しましょうね。
531日本@名無史さん:2001/01/24(水) 14:56
媚チビ血
532あやめ:2001/01/24(水) 18:02
>526,527
五行交代理論には相勝説と相生説があることは御存じかと思います。前
者は戦国末の鄒衍が唱えたもので木金火水土の排列で、後者は漢の劉向・
劉キン(音+欠)の父子が唱えたもので木火土金水の順序です。配色の対応
は木青・火赤・土黄・金白・水黒となっています。
五行を歴史上の王朝に配当するようになったのは鄒衍が五帝に五行を割り
当てたのから始まったようです。この際に彼が基準としたのは同時代の周
を火徳とした点です。これについて京大儒学の開祖というべき狩野君山は
当時においては周が火徳であることは当時の通念となっていたので、鄒衍
もこれを原点とせざるを得なかったものであろうと論じています。そして
前代の殷は金徳で夏は木徳で虞(舜の国家)としたもののようです。
周が火徳ということであればこれを打倒した秦は自ずから相勝説により水
徳ということになります。「史記」にもそう書いてありますし大方の学者
もこれを支持しています。ただ栗原朋信さんは始皇帝は周を継承したとの
意識は持っておらず、水徳の採用は疑わしいと主張していますが少数説た
るを免れません。
漢になってから文帝の時に賈誼は上書して土徳の採用を提案していますが、
当時はまだ秦の制度の変革に着手できずに経過していました。武帝の時代
になると丞相の張蒼は秦を無視して直接に周を継承して水徳を採用すべし
と提議し、民間人の公孫臣はやはり土徳を採用すべしと主張し対立しまし
た。結局は武帝により土徳説に従い服色を黄とすることに決定を見ました。
前漢の末になると劉向は相生説を提唱し始め漢は火徳となるべきものと説
きました。この説の背景として考えられるのは漢の高祖の先祖は堯である
とする情報が一般化したことです。高祖の先祖については下記のスレッド
「春秋戦国を語ろう」のあやめのレス34を参照してください。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=978123589&ls=50
「禮記」の「月令」は古書中では相生説の順序に対応しているので、これ
により周木徳・殷水徳・夏金徳・舜土徳と遡っていくと堯は火徳となり、漢と
徳運が一致することとなり、高祖を白帝の子である大蛇を斬った赤帝の子
とする伝説とも照応し好都合であったのです。
533あやめ:2001/01/24(水) 19:21
こうして漢は火徳とするアイデアが提唱されることになりましたが、この
説を推進したのは劉向の子で王莽のブレインとして活躍した劉キン(音+欠)
です。王莽はかねてから舜の子孫という系図をひけらかしていた人で、舜
が土徳ということであれば漢の天下を簒奪するのに好都合なわけです。彼
は万事こういった迷信じみた理念が好きな人物で、意識的に利用したのか
本気の思い込みか政権の獲得維持に積極的に持ち込んでいました。これに
対し王莽打倒に反乱を起こした勢力が眉を赤く塗っていたのは、漢の復興
を表向きのスローガンにしていたためでしょう。相生説は急速に定着して
いった言えるでしょう。
後漢末になると今度は反乱勢力が土徳説を利用するようになりました。言
うまでもなく「黄巾の乱」です。また漢に代わって皇帝になろうとした袁
術も黄帝の子孫と称し、その国号を「仲家」としたのも土徳に属する方位
が「中」であったからかと想像されます。漢に代わって建国した魏が「黄
初」呉が「黄武」の元号を用いたのも土徳を意識したためです。一方で蜀
では「炎興」の元号を採用しているのは火徳の再興を祈念したものです。
王莽や曹丕が武力による政権の奪取ではなく、古の聖帝のように平和裏に
易姓を実現したかのように偽装する禅譲プロセスのためには、相生説は絶
大な効用を発揮しました。そして相勝説は政治手段としては顧みられなく
なってしまったのです。
以下の各王朝の徳運と服色を摘記しておきます。
魏・呉=土黄、晋=金白、後趙・北魏・宋=水黒、前燕・南斉・北斉・北周=木青、
前秦・梁・隋=火赤、陳・唐=土黄
なお北魏は当初は黄帝の後裔と称していたため土徳を採用していましたが、
孝文帝の時に前秦を継承して土徳とすべしという説と晋を継承して水徳と
すべしという、両説が対立しましたがやはり統一政権である晋の金徳を継
承することに落着しました。
また唐でも玄宗の時に当初は漢の火徳を継承したものとしていましたが、
5年後にはやはり隋を継承したものと決定しました。
534あやめ:2001/01/24(水) 19:46
五代になると後梁は金徳ですが次の後唐はこれを無視して唐の土徳を維
持することとし、後晋が金徳で後漢は水徳となり後周は木徳で宋は火徳
という徳運となっています。
以後の王朝では五行の徳運については全く廃棄されてしまったようです。
その事情としては禅譲という手続きが顧みられなくなり、剥き出しの武
力で天下の奪権が実行されるようになったという歴史の様相の変化から
かと思われます。
王朝の称号もそれまでは政権獲得の前段階の封号に由来するものであっ
たのが、「大元」からは易経から取義することになり「大明」「大清」
も古典籍から嘉字を選ぶようになりました。国家の観念も天子の家族の
私産という意識から脱却したものへと変化していったように見えます。
535ど〜でもいいけど:2001/01/24(水) 21:11
>>534
>王朝の称号もそれまでは政権獲得の前段階の封号に由来するものであっ
>たのが、「大元」からは易経から取義することになり「大明」「大清」
>も古典籍から嘉字を選ぶようになりました。国家の観念も天子の家族の
>私産という意識から脱却したものへと変化していったように見えます。

ちょっと疑問があるのですが、だれかの説で、元の国号が、少なくとも
初期には「元」ではなく「大元」という二文字であったというのを読ん
だ記憶があるのです。何で読んだか覚えてないのがトホホですが。

それによると、大明の「大」は美称で本来の国号は「明」一文字である
のに対して、元は当初、二文字の国号であったのを、のちに中華風に一
文字の国号に改めたのだというようなことでした。

ほとんど、だからど〜した、というような感想しか持たなかったのです
が、あやめさんが明や清に大を付けて「大明」「大清」と表記している
のを見ると、改めて気にかかります。
明や清の国号も本来は「大明」「大清」だったのでしょうか?
536日本@名無史さん:2001/01/24(水) 21:37
日本の文献に、大唐・大宋と出てきますから、昔からそう言う表記なのでしょう。
それを真似て、大日本帝国と言ったのでしょう。
現代では、大清・中華民国を真似て、大韓民国と称する夜郎自大な痛い国もあります。
537Name_Not_Found:2001/01/24(水) 23:28
白人がインディアンを植民地化した際、インディアン(ネイティブアメリカン)
の間で、白人に銃で襲われても死なない、呪文のようなものが広まった
らしいのですが、「呪文」についてご存知の方がいらしたら、レスポンスお願い
します。
538やれやれ:2001/01/24(水) 23:29
>>536
なんか、違うのでは。
535氏が言っているのは、大唐・大宋などの「大」は正式名に付いて
いるわけではなく、尊称、美称として付いているのだ、ということ
を前提とし、中華帝国の歴代の国名は一字であったのに対して、元
は本来は非中華の国名として二文字の国号「大元」を名乗ったという
説があるのだが、どうだ、と言っている。
日本の文献上、中華帝国の国号に尊称の「大」付くのは不思議では
ない。
それと、隣国の国名を揶揄しているが、もともと日清戦争後に、日
本の後押しで清の宗主権を否定するために「大韓帝国」を名乗った
経緯があり、帝国が民国に代わって現在の国名になっている。
真似た対象は「大日本帝国」であって、大清・中華民国を真似たな
どというのは、見当違いだ。
そもそも「大中華民国」などとはだれも呼ばないだろう。
539Name_Not_Found:2001/01/24(水) 23:32
白人がインディアンを植民地化した際、インディアン(ネイティブアメリカン)
の間で、白人に銃で襲われても死なない、呪文のようなものが広まった
らしいのですが、「呪文」についてご存知の方がいらしたら、レスポンスお願い
します。
540世界@名無史さん:2001/01/25(木) 00:25
新訳聖書って何語で最初書かれてたんですか?
また、それは何を見ればわかりますか?

ギリシア語、って大昔に聞いたんだけど…。
541世界@名無史さん:2001/01/25(木) 01:28
age
542523:2001/01/25(木) 02:06
「清」にしろ「明」にしろ、漢字一文字の国号は簡潔で美しい。それがなぜ今の政権は「中華人民共和国」などという長ったらしくみぐるしい国名にしてるのだろう。
543世界@名無史さん:2001/01/25(木) 02:06
「ヨーロッパ数千人の民衆の歴史が君を見下ろしている」
って言ったの誰でした?
ふと気になったんですけど…。

どなたか答えきぼーん。
544世界@名無史さん:2001/01/25(木) 03:04
>>535
その説って、杉山正明さんじゃないでしょうか?
元が「大元」だったかどうかはともかく、
モンゴル語で「ダイオン」とか「ダヤン」とか呼んでいたんだから
(16世紀初頭の「ダヤン・ハーン」は「大元汗」の意であるらしい)
大までひっくるめて国号って認識はあったとみて正しいんじゃないかな。
だからと言って杉山氏をはじめとするモンゴル史研究者が
「大元ウルス」って言っているのはちょっと違和感あるけど。
545世界@名無史さん:2001/01/25(木) 08:00
>>542
じゃ、「共」にしてもらおうか(和良。
546世界@名無史さん:2001/01/25(木) 10:44
>>520
新約聖書はギリシア語、旧約はヘブライ語とごく一部アラム語です。
何を見たらわかるか....Nestle-Alandとか(笑

キリスト教に関するごく初歩的な入門書にも記述はあると思います。
547異邦人さん:2001/01/25(木) 12:17
>>546
古い話だけど、共通一次試験の世界史に出題されたことがあったよ。
代ゼミかどっかの講師が新聞で奇問だとこき下ろしてたな。
548あやめ:2001/01/25(木) 20:13
支那歴代の国号の称え方について書きます。
古代の唐虞から近代の明清に至るまで概ね固有名詞的な1字を用いるのが基本になっ
ていますが、上に冠する字と下に履く字がありますので併せて説くことにします。
本体部分の文字はその国の発生の基礎となった地名によって名称が定まるのが普通で
す。観念を国号に用いるようになったのは元朝からと言われていますが後に言及しま
す。経書の注釈などに堯の「唐」は広大平易の意味の「蕩」から来たものだとか、舜
の「虞」は安楽の義に原づくものだとか見えていますが根拠のないこじつけです。
劉淵が「漢」李存勗が「唐」を郭威が「周」を国号としたように家系の源流に命名の
由来を求めた例もありますが、劉裕も趙匡胤も「宋」を国号としたのは受禅当時の封
國または領鎮に因んだものです。
清の趙翼は「廿二史剳記」の「元は國號を建て始めて文義を用ちゆ」の項に「『新』
や『成』などの字を用いた王莽や公孫述も、根拠地に因んだもので文字自体の意味を
採用したわけではない、『金』の場合は金が変質しないところから命名したそうだが、
物質の名称であってまだ抽象的な意味から取ったものではなかった、金末に蒲鮮萬奴
が遼東に拠って『大眞』と号したのが抽象観念を用いた最初の例だ、元の太祖のころ
は単に『蒙古』と称していたが世祖の至元八年に『大なる哉、乾元』の句から取って
『大元』とした」という趣旨の記述があります。金については前代の「遼」が銀と同
義の「鐐」と同音なのでランクアップしたものだという説がありますが、「金史」の
「地理志」には根拠地にある川の名で女真語の金という意味ののアルチュカ(金源水)
に因るものであるとあり、また蒲鮮萬奴の「大眞」については岩井大慧さんはやはり
金という意味であると解釈しています。あやめは萬奴が所属民族の女真を意識して命
名したものではないかと考えています。
元が「周易」の「乾」の卦の「彖傳」に「大なるかな乾元、萬物資りて始まる」の句
から2字を取って国号としたのは、元号の選び方に倣ったもので紛れもなく文義から
取ったものと言えます。ただ趙氏が唐末に南詔王の世隆が帝を称して国号を「大禮」
としたこと、以後も雲南の国家は「大封民」「大長和」「大天興」「大義寧」「大
理」などと称していて、これらはいずれも文義に因んだ国号といえるものなのに言
及していないのは物足りないものがあります。
549あやめ:2001/01/25(木) 20:16
それはともかく元が文義によって国号を定める例を開いてから以後の各朝もこれに倣
うこととなりました。「大明」は「禮記」の「禮器」に「大明は東に生じ、月は西に
生ず」や「詩経」の「大雅」の「大明、文王に明徳あり、故に天は命を武王に復す」
などに因ったものでしょう。ただし一説によると朱元璋が最初に所属していた紅巾軍
では白蓮教の一派でマニ教も混えた明教を奉じていましたが、弥勒の下生と明王の出
世による世直しを信じて反乱を起こしたもので、その二代目の教主の韓林児は「小明
王」と号しており元璋も彼から呉王に封じられていたところ、元璋が天下を得た時点
で「小明」ではなく「大明」と号したものだというのです。説の当否はともかく中華
の朝号がゾロアスター思想に由来するというトピックは面白いと思います。また朱元
璋は当初は「大中」という国号にしたかったのだということが、清の王士モフ「池北
偶談」に出ていますが実現したら「大中國」となるわけです。なお元末の群雄が建て
た国号は「大金」「大宋」「大漢」「大夏」などと地名由来型に復帰してしまってい
ますが、振るっているのは徐壽輝の「天完」で「大元」の上に画を加えて押さえつけ
たつもりにしているのです。
ヌルハチは「大金」と号していましたがホンタイジに至って「大清」と改めたのは天
下の混一を志向したものでしょうか。その典拠は恐らく「管子」の「内業」の「大清
に鑑がみ、大明に視る」だろうと考えます。李自成の「大順」については彼の部下に
は碌な読書人がおらず古典から引用できなくて、博打の用語にある「大順」という手
の名が景気がいいからと採用したのだそうです。眉唾な話ですが清代の随筆に出てい
ました(書名失念)。張献忠の「大西」も智慧のないネーミングですが「大西洋」とい
う単語が意識にあったかどうか。
明日に続きます。
550パシャパシャ:2001/01/25(木) 23:57
あやめさんありがとうございました。
とてもために成りました
551あやめ:2001/01/26(金) 19:26
清末の金石学者として知られている葉昌熾の「語石」に「王昶の『金石
萃編』に『保寧寺鐘款』を挙げているが冒頭に『大宋國』と題しており、
後世の『大元國』『大明國』もここから始まったと思われる、私が見た
ものでは『蒋舒行修六和塔記』にも冒頭に『大宋國』と題しており、私
の出身地の江蘇の『郭市橋北井欄』の文中にも『大宋國兩節浙路平江府』
などと書かれており、同様の事例はこの二石に止まらない」という趣旨の
記述があります。国号の本体部分に対してこの「大」の字のように上に付
く字と「國」のように下につく字があります。
上に冠せられる字として「語石」には上文に続けて「『有』『維』『皇』
『聖』などの字があるが、『大』の字が通用されており変じて『巨』や
『鉅』の字が用いられている、宋碑に『炎宋』とあるのは火徳であったか
らで劉氏の『炎漢』と称しているようなものだ、また『神宋』としたもの
もあるが漢の『周憬碑額』は『神漢桂陽太守』と題しており、これもやは
り漢碑の例を用いたものである」と述べています。
「有」字は「有窮」「有扈」「有虞」など古代の国家の名に多く付けられ
ていますが、いずれも一字の国名の語呂を安定させるために用いられたよ
うです。しかし後世でも「有明一代の文章」とか「有清創業の基」とかい
うように屡しば使用されています。「維」字も古代から発語の辞として甲
骨文などにも頻見しており、ことに「維十祀」のように年月表記などには
用いられることが多く、当初は「維れ王の廿又三年九月、王は宗周に在り」
(周の「克鼎」)のように王の名すらも記載されていなかったのに、後世で
は「維唐貞元元年仲冬十一月十有七日」(唐の「聞喜令楊夫人裴氏墓誌」)
のように朝代を明記するのが普通になりました。但し「維唐」の句は「維
れ唐の」のように読むべきもので「維」は以下の年月表記全体に係り、葉
氏の理解のように国号表記の一部になっているわけではありません。
その他の文字は国号の美称として添えられたものとして常用されています
が、システマティックな意味を持つのは「大」字だけです。
続きます。
552世界@名無史さん:2001/01/28(日) 17:15
20世紀初頭のフランスにおけるリジス=テスティス論争って何ですか?
今まで誰に聞いてもしらないって言われたよ。
553世界@名無史さん:2001/01/28(日) 17:46
フランスの金融寡頭制に関する論争でしょ。
経済史の分野かな。
554世界@名無史さん:2001/01/28(日) 18:06
リジス Lysis(Letailleur,E.)(フランスのジャーナリスト,
E.ルタイュールの筆名)雑誌『ヌーヴェル・デモクラシー』の編集者
レーニンの帝国主義論に引用されてるが、テスティスの方は知らん。
552氏の指摘の通り、金融寡頭制に関する議論で知られた人物だから
これもそうだろう。
555世界@名無史さん:2001/01/28(日) 18:28
>553,554

すごい知識ですね。
こんなはやくレス頂けるとは。
この論争の歴史的な意義ってなんですかね?
結局はどっちの議論が優勢だったのですか?
556世界@名無史さん:2001/01/29(月) 00:43
中世ヨーロッパの洗髪はどんな感じだったんでしょうか。
長い髪をした姫様の髪はどんな匂いだったのか知りたいです。
ご教授くださいませ。
557世界@名無史さん:2001/01/30(火) 07:41
どなたか清朝中〜末期の太平天国時の天地会について詳しくお教え願えないでしょうか。
天地会と劉永福の関係について調べています。
マニアック?
558日本@名無史さん:2001/01/30(火) 08:59
風呂なんか入りません。汚いです。

ついでに、西洋の石造りのお城は寒くて暗いです。ベッドは
ゆりかごかって思うぐらい小さくて硬いです。

西洋の貴族や王様の暮らしは大変だったと思います。ありゃ
冷え性でがちがちの肩こりになるべ。
559556:2001/01/31(水) 00:55
>>558
それで、体臭を誤魔化すために香水ができたんですよね。
じゃ、髪も洗わないんですね。じゃあ髪の匂いは? うーん、想像したくな
いです……。

お城の話は参考になりました。
天蓋付きのベッドなんかを想像してしまって、すごく豪奢で快適なイメージ
だったのですが、違うんですね。
目から鱗です。

ありがとうございました。
560世界@名無史さん:2001/01/31(水) 01:25
確か、体や髪は川とか池で洗ってたんじゃないかな。
それに欧州は日本のように高温多湿じゃありませんから
それほどベタベタのグチョグチョにはならないんだよ。
561世界@名無史さん:2001/01/31(水) 01:26
確か、体や髪は川とか池で洗ってたんじゃないかな。
それに欧州は日本のように高温多湿じゃありませんから
それほどベタベタのグチョグチョにはならないんだよ。
562ケンシロウ:2001/01/31(水) 22:00
自衛隊の護衛艦の装備で「ファランクス」という武器があります。
レーダーと連動した対空機関砲です。
このファランクスというネーミングは古代ローマの歩兵部隊にちなんだそうです。
もともとの古代ローマのファランクスとはどんな部隊だったのでしょうか。
解説きぼん。
563ぽん:2001/01/31(水) 22:32
>>562
えっと、ファランクスって、マケドニアの方形陣、密集歩兵じゃないで
すか?
少なくとも、元祖はローマじゃないと思いましたけど。
で、たしか長い槍を主体にして、重装歩兵が方形に密集陣をつくり、進
んで行くという戦術ですね。
564世界@名無史さん:2001/01/31(水) 22:44
ファランクスはギリシャの重装歩兵戦術から発展させた
物だそうです5.5〜6.5mのサリッサと言う長槍と大きな
円盾を持って相手を突き崩すんだそうな。
565世界@名無史さん:2001/02/01(木) 00:53
密集陣形の詳しいことについてはこちら。

http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=972097432
566世界@名無史さん:2001/02/01(木) 02:57
昔耳にはさんだんですがコルシカだかシシリアだかの島で
花嫁をフランス兵に殺された新郎が
「すべてのフランス人に死を!」みたいなことを叫んだのが
「MAFIA」の由来だそうですね。
叫んだ言葉の頭文字をとっていくとm,a,f,i,aになるそうなんで
この原語をご存知の方ご教示くださいませ。
567世界@名無史さん:2001/02/01(木) 12:40
ゲルマン系・ラテン系と並ぶヨーロッパ最大民族であるスラヴ民族の
古代の姿について興味があります。

タキトゥスの「ゲルマーニア」の最後の章に、現在のポーランドから
ウクライナ・ロシア西部にわたる広大な土地に住む、彼らとおぼしき
部族(ウェデニー人?)について言及されていますが、ゲルマーニー人と
異なりローマとの国境とは直接接していなかったせいで
しょう、ローマ人のタキトゥスは殆ど関心を払っていません。
その後、彼らが西欧の文献に記述されるのは5−6世紀ごろからと
言われています。

しかし、そのほかに彼ら(とおぼしき人々)について言及されている
古代の書物および、近・現代の論文があれば、そこにはどのような
記述が見られるのか、教えていただきたいと思います。

特にユーラシアに詳しいあやめさん、何かご存知ですか?
568世界@名無史さん:2001/02/01(木) 12:42
>566
それパイナップルアーミーに載ってような気がする
569>568:2001/02/01(木) 12:53
『マスカーキートン』です。
570>先生:2001/02/01(木) 12:55
「社会主義」と「共産主義」の違いを、成立した背景などを交えながら
教えてください。現存する国家で、社会主義国と共産主義国の実例も
お願いいたします。
571567(捕捉):2001/02/01(木) 13:44
「スラヴ」というのはもともと古代東ゲルマーニアのある部族の言葉で
「柔和な人々」という意味だそうですが、するとタキトゥスの
「しばしば盗賊を働く…」云々とも多少矛盾しているような気がします。
572日本@名無史さん:2001/02/01(木) 15:41
スラブとスレイブ(奴隷)の語源が一緒らしいね。
573567:2001/02/01(木) 16:09
>572
それは一般に温和な性格のスラヴ人(ローマにおけるゲルマニア人と
同じく、当時は「スラヴ地方に住む人々」という意味だった)が中世の
一時期、良質の奴隷として西欧で売買されていた経緯があるから。
従って、スレイヴからスラヴになった(スラヴ人が
もともと奴隷だった)のではなくて、スラヴからスレイヴの
言葉が使われるようになった。

9−10世紀に今のチェコ人(ボヘミア人など)と引き続いて
ポーランド人が独立国家を形成するまでは、西スラヴ人の
各小部族は西のゲルマン系諸部族(それぞれが大きかった)からの
度重なる略奪・略取に悩まされてきた。

その前の時代、奴隷民族であったゲルマニア人がローマに
反旗を翻したのと似ていて、スラヴ人も西欧の侵略者に対して
防衛策をとったのだ。ただしその時は武力によってではなく、
ローマ・カトリックを国教とするという「政治力」によってだが、
そこが温和な中世のスラヴ人らしい。

ただ、いま私は古代のスラヴ人に興味があって、歴史的にまた
考古学的にもっと詳しく知りたいと思っている。
574It's@名無しさん:2001/02/01(木) 23:26
中国史における中央政府と地方の関係について自由に論述せよ。
という抽象的な問題が出ているのですが、
どのあたりに焦点を絞って書けばいいでしょうか?
誰かわかる方お願いします。
575世界@名無史さん:2001/02/02(金) 09:20
>>574

 あのなあ、この掲示板はタダで講義が受けられるお得な予備校じゃないんだ。
特に勉強はまず自分で調べて考えてみるってのが基本だろ。だらだら授業聞いてりゃ
済む小学生じゃないんだろ、にいちゃん。
576>575:2001/02/02(金) 12:30
このスレッドは、>>1の「必ず答えます」を前提にしているワケだ。
>>574はこのスレッドの主旨に適っているし、こういうスレが嫌い
なら、sageて書けばよい。
577世界@名無史さん:2001/02/02(金) 13:01
 ご希望によりさげておく。

 「必ず答えます」つった1は全然答えてないじゃねーかよ。
前提は崩れている。趣旨が聞いて呆れるぜ。
 (自称)予備校講師がきちんと回答しているならここに書くのも
よいだろうが、現状では講師でもなんでもない歴史好きが互いに
質問し、ひまなときに答えているに過ぎん。ここは既に「スレを
立てるまでもない質問」スレと化しているわけだ。
 ひまじんの道楽ならタダでもいいさ。俺も自分が詳しい分野なら
知ってる範囲で答えてやろうべと思う。俺も質問することが
あるだろうし。
 だが、学生か予備校生が本当なら金払って購うべき知識をロハで
手に入れようとしている、その安易な姿勢が気にいらんのよ。
 それに574の質問はそれ自体が安易すぎる。設問が抽象的であるなら
解答者には大きな自由が与えられていると捉えるべきだ。
どの視点で解答するか好きにやっていいってことだぜ?
どこを切り口にするかなんて、ちょっと中国史をおさらいしてみれば
いくらでも考え付くもんだろ。
 年代丸暗記で穴埋め問題しかやったことのない厨房にはちと
難しいかもしれんが、どうせ受験には記述問題ばかり出るんだ。
それ考えたら人に聞く前に自分で考えたほうがいいんじゃないか、
手ごろな練習問題だろ、と思ったもんでな。誰かが切り口をひとつ
教えて574がその線でレポートを出すのは簡単だ。だけどな、
せっかく「好きに解答書いていい」って問題なのに、「考える」という
一番楽しい過程を省略しちまうのはつまんねーよ。
578not 先生:2001/02/02(金) 13:21
>>570
 使う人によって内容が違う。こういう用語については、「本当の××は」という
探求をいったん捨てる。不毛なイデオロギー論争が目的なら話は別だが。

 以下、歴史からみていく。

・歴史的運動・政党として

 第一次大戦まで、共産主義は言葉として存在するだけで、歴史的な固有名詞では
ない。当時も今も、市場経済・資本主義に反対し、金儲け動機でなく人間の協同に
よって社会を作ることをめざした思想を社会主義と呼ぶ。その内容はいろいろだが、
その中の一つにマルクス派があり、彼らを社会民主主義者といった。

 第一次大戦のとき、社会民主主義者は戦争協力派と反戦派に分裂した。分裂した
後者は、共産主義者と名乗った。このときから、社会民主主義と共産主義が並行す
るようになった。しかしどちらも社会主義であることに変わりはない。第二次大戦
後には、社会民主主義は修正資本主義の立場をとり、共産主義は社会主義革命を目
標にした。

 冷戦後、共産主義が掲げた諸々のスローガンは雲散霧消し、旧共産党は様々な道
に分かれた。いちいち挙げることはしない。

・革命後共産主義者の段階論の中で

 ロシア革命の成功後、マルクス主義者は歴史の今後の発展段階を、社会主義→共
産主義となると考えた。彼らの考えでは、古来の社会主義者の理想に相当するのは、
共産主義段階である。そこでは人々の自由な協同が全面化しており、権力的強制は
まったくない。社会主義段階では、特にロシアのような後進国では、そこまででき
ないと考えた。
579世界@名無史さん:2001/02/02(金) 13:31
>>574
文句ばかりじゃかわいそうなので、キーワードを科挙は、中央官僚と地方の最高職のみ、地方官は全然別、科挙の制度などが、書いてある本を読めばとりあえず中央政府のことはわかる、それと清朝末期の状態も面白いよ
580570:2001/02/02(金) 15:04
>>578
ありがとうございました。
「協同」を「強制」しないのが共産主義なわけですか。

中学1年の社会科のテストで「ソ連のような国家を何主義国家と呼ぶか」
といった問題があり、「社会主義」で不正解でした。正解は「共産主義」。
教師の方が間違っていたのですね。
581576:2001/02/02(金) 15:17
> 577
文章は>>574には長すぎると思うが、
> せっかく「好きに解答書いていい」って問題なのに、「考える」という
> 一番楽しい過程を省略しちまうのはつまんねーよ。
これに関しては、全く同感だ。

> 574
「中央政府と地方軍閥」という切り口もアリだと思う。唐代なら
「節度使」とかね。
582世界@名無史さん:2001/02/02(金) 15:33
 うえ。そりはまた思想的な質問だなも。
 ふつうには、ソ連は社会主義国を自称していたのだから社会主義国
家が正しいと思う。しかし共産主義者が作った国を共産主義国家と呼
んでもいいだろう。「社会主義国」しか認めないというのは段階論の、
「共産主義国」しか認めないのは反共主義の思想的主張だ。敵の思想
は不正解ってか。
583世界@名無史さん:2001/02/04(日) 07:18
世界史において第1次世界大戦はどのような意味をもつのでしょう?
教えてください。
584名無し→しりとり:2001/02/04(日) 08:51
>>583

1.ドイツ帝国、ハプスブルク帝国、オスマントルコ帝国、ロシア帝国が崩壊し、帝国の時代が終わった。
2.民族自決、国家主権の神聖不可侵の原則が確立し、帝国の時代から国民国家の時代に移行した。
3.「侵略戦争=悪」という倫理が常識となり、列強の植民地獲得の時代が終わった。
4.ロシア十月革命によって史上初の共産主義政権ソ連が成立した。
5.大量殺戮兵器の登場。
6.「戦場で兵士が戦う戦争」から「国内のあらゆる資源を総動員して戦う総力戦」へ戦争の質が変化した。
7.大戦で疲弊した西欧列強に代わって新興国アメリカが大国として台頭した。
8.ほとんど戦うことなく戦勝国となった新興国日本が台頭し、列強の一員となった。

こんなところでしょうか。

他に、戦後の混乱の中からファシズムが台頭して、共産主義国ソ連とともに全体主義が世界の半分を覆う時代となったことも第一次大戦の結果と言ってよいでしょう。

8番は日本人にとっては特に重要なことで、列強の時代が終わった後で列強の仲間入りしたことがその後の日本の破滅をまねいたのです。
585世界@名無史さん:2001/02/04(日) 12:39
>>1.ドイツ帝国、ハプスブルク帝国、オスマントルコ帝国、ロシア帝国が崩壊し、帝国の時代が終わった。

裏返すと、ヨーロッパに議会制民主主義国が多く生まれた、でもある。
民主化の第一の波。
586通りすがりさん:2001/02/05(月) 00:34
そうだよな1出てこいよ
無責任なスレだな

587世界@名無史さん:2001/02/05(月) 01:43
イラン革命について教えてください。
588名無し:2001/02/05(月) 06:55
フランスの教育家で近代オリンピックの提唱者はだれですか?
5891以外:2001/02/05(月) 09:39
>>587
田中宇の国際ニュース解説
http://www.tanakanews.com/990421iran.htm
http://www.tanakanews.com/990423iran.htm

>588
そういうのは「クイズマン」という人物が主催しているスレッドで
問うと良い。歴史クイズ・スレ。
590世界@名無史さん:2001/02/05(月) 12:14
>>573
エルベ川とその北方の沼沢地及び上流のザーレ川より東側は、955年に
好戦的なオットーが大群を率いて侵略するまで何百年もの間、
非キリスト教徒の「スラヴ人(柔和な人々)」が小部族に分かれ、
平和で牧歌的な生活を送っていた。
955年の戦いで敗れた各スラヴ人は一時奴隷として売られた。
そのことが英語でスレイヴの語源となったいきさつ。

ポメラニア(ドイツ語でポンメルン)ももともと、西スラヴ人のカシュープ人が
長年暮らしていた場所で、ドイツ人は後から侵略してきた。

オドラ川とその上流のヌィサ川(ドイツ語でオーデルとナイセ)の東側に
住んでいた西スラヴ人は、キリスト教を大義名分にして「川向こう」の同胞の
侵略を繰り返す「神聖ローマ帝国」に対抗し、ポラーニェ族の首長ミェシコを
中心として一致団結し、ポーランド王国を建設、ミェシコを国王・キリスト教を
国教としドイツ人に対する牽制とした。オドラ側以東の侵略が政治的にも
軍事的にも不可能と知った神聖ローマ帝国は10世紀の終わりにポーランド王国を
承認した。

今も旧東ドイツ地域には、明らかに西スラヴ語起源の町や村の名前が残っている
(例:ライプニッツ→スラヴ語で「ライムの木の村」)
591590:2001/02/05(月) 13:32
>「ライムの木の村」

「菩提樹の木の村」のほうが良訳だったかな、気候を考えると?
592世界@名無史さん:2001/02/05(月) 15:20
>>589
ありがとう。
593世界@名無史さん:2001/02/06(火) 01:58
名スレあげ
594名無し:2001/02/06(火) 02:34
すみません質問です。
1アメリカ第7代大統領ジャクソンが活躍した戦争は?
2合衆国南部が奴隷制度を拡大強化しながらイギリス輸出用に栽培していた物は?
595ネブラスカ:2001/02/06(火) 02:38
>>588
■ピエール・ド・クーベルタン(1863-1937)
フランス人。近代オリンピックの創始者で、第2代IOC会長。
1863年生まれ。20歳のときにイギリスに渡り、パブリックスクールを訪問。
そこで見たスポーツ教育に強い感銘を受け、1892年、パリのソルボンヌ大学で「ルネッサンス・オリンピック」と題する講演の際に、オリンピックの復興を提唱した。
その後1894年、「アマチュア問題での疑義についての研究」の国際会議で、IOCを創設することが満場一致で決定され、第1回大会が1896年にアテネで開催された。
また、オリンピック旗の5つの輪は、クーベルタン男爵によって考案され、それぞれがヨーロッパ・アフリカ・アジア・オセアニア・アメリカの5大陸を表している。
世界中の選手が同じ場所に集まり、お互いに友情を深めるようにとの願いが込められている
596名無し:2001/02/06(火) 02:40
>>595
ありがとうございます。
594もお願いします。
597594:2001/02/06(火) 02:46
1は米英戦争だということが判明しました。あとは2なんですが、
綿花かタバコかその両方か迷ってるんです。
598ネブラスカ:2001/02/06(火) 02:49
>>594

1.アメリカ南北戦争1861-64
A・ジャクソン
  (1767〜1845)第7代大統領。
ニューオリンズの戦いに勝ち、「アメリカのナポレオン」と呼ばれた国民的英雄。
1837年3月、任期を終えテネシー州の自宅に帰った。
すでに結核に冒されていたが、乗馬などの日課は欠かさなかった。
最後まで大統領選挙の応援を続けた。(78才)

2.綿花

クイズスレッドで追い返しちゃったからレスつけるけど、これ学校のレポートだろ?
ネットにつないでるんだから自分で探せ。

一般にはでてこないようなユニークな問題提起をしてもらいたいよ。

599ネブラスカ:2001/02/06(火) 02:54
>>598
1.すまん。まちがえた。年代があわねえよ。南北戦争じゃない。

アイルランド移民の孤児で、米英戦争に活躍した国民的英雄という「庶民の大統領」。
初の西部出身大統領として、小農民・小市民に配慮し、連邦制堅持など、西部の意向を反映しジャクソニアン=デモクラシーと称される。

米英戦争だ。
600ネブラスカ:2001/02/06(火) 02:58
>>598
2.補足
17世紀以降の西インド諸植民地における砂糖プランテーション、イギリス領北アメリカ南部植民地のタバコ、藍、米のプランテーション、
19世紀の合衆国南部諸州における綿花プランテーションが有名。
 これらの場合、労働力として植民地時代初期には白人年季奉公人が使われたが。やがて黒人奴隷が急速にこれに代えられ、監督の指揮下で過酷な重労働を課された。
奴隷解放後も南部では黒人小作人を使うプランテーションが存続。


検索エンジン
www.google.com
601林健 太郎:2001/02/06(火) 07:36
>1
質問です。
聖地パレスチナを巡って、パレスチナ人とイスラエル人が衝突していますが
元はといえばパレスチナは、イスラエル人がBC1400に住み始めたそうです。
(世界史小事典)ならば、そこはイスラエル人の土地とみなした方がよい
と思います。そして、その事実と国連の力で、この紛争を止める事が出来るの
ではないでしょうか?これは杞憂ですか?ご鞭撻の程を。
602世界@名無史さん:2001/02/06(火) 08:20
>>601
まず最初に1はこの場合このスレを立てただけであって、回答者は不特定多数です。
回答と言うか、雑談の様になる場合が多いですが。

で、質問の件ですが、「元々住んでいた」と言うのをもって領土の定義とするのは
難しいと思います。それをつきつめて行くと、フランスやブリテン島はケルト人に
返さなくてはなりません。
603594:2001/02/06(火) 10:43
>>598&599%600
本当に申し訳有りませんでした。ありがとうございました。
604世界@名無史さん:2001/02/06(火) 11:27
>>601
602さんので問題点は尽きてますが、あえて蛇足を付け加えるなら、
日本で同じことをするとどうなるか考えてみましょう。
605世界@名無史さん:2001/02/06(火) 12:51
>>601
もう長い間不在だったのだから、土地の所有権を主張するべきでは
ないだろう、ということ。
何百年もたって急に戻って来て、住民の基本的人権を剥奪するのは、
大義名分のない単なる自己中心的な政治暴力だろ。
606杞憂?:2001/02/06(火) 13:37
>601=紛争好き?
「BC1400には、いなかった」という理由で、最近まで住んでいた
人間を追い出すのはムリがありますな。

米国はイスラエルを支持しているが、アメリカ・インディアンが
似たような事を主張した時に、どう対応しているのだろう。
607601:2001/02/07(水) 06:58
>602,604,605,606 お答え有難うございます。
アメリカにはインディアンの特別保護地があると聞きました。これは、かつての
インディアンの迫害の歴史を教訓として、創られたものです。イスラエル問題は
ずっと尾を引きずっており沢山の犠牲者も数知れません。これは、イスラエル国内
で解決しようというのが無理な話であり(イスラエル人、パレスチナ人がエルサレムを
「自分の土地だ!」と譲らない!)
最終的な手段として、国連の制裁で二方の保護地を作って欲しいと思うのです。
>604
 確かに、日本でかつて住んでいた民族がその土地の所有者である。というならば
例えば北海道は、アイヌ人の土地という事になります。
彼らが現代人と共存しているかどうかは知りませんが。
まとめ
西暦紀元70年に、ユダヤ人の約4分の1はパレスチナに住み、残りが離散
(ディアスポラ)の生活を送っていた時、アレキサンドリア在住ユダヤ人のほうが
エルサレムのユダヤ人より多かったそうです。前者は、アシュケナジー系ユダヤ人
(ヨーロッパ中部から東部を地盤にするユダヤ人)後者は、イベリア半島から北アフ
リカ・中東などを地盤とするユダヤ人・セファラディーユダヤ人)と呼ばれる。
旧約聖書の国ユダヤは、紀元後も民族独立を守り抜いたのだが、紀元70年にエ
ルサレムを破壊され、ローマの直轄領となり、1200年以上の歴史を終える。
それでも、135年にユダヤ最後の抵抗運動「バルコクバの乱」を敢行するのだが
結局失敗に終わり、その時、ローマはユダヤ全土の名称をユダヤの仇敵ペリシテ人
にちなんで「パレスチナ」と土地名変更さえしてしまった。そして大半のユダヤ人
が世界中に離散を余儀なくされた。
イスラエル人(ヘブライ人)*パレスティナ人(ペリシテ人)
608606:2001/02/07(水) 18:18
>>601, >>607
こんな不思議な書込みは初めて見た。本気で書いているのか、そうでないかが
全く掴めん。以下、気になる点。

> 最終的な手段として、国連の制裁で二方の保護地を作って欲しいと思うのです。

> 彼らが現代人と共存しているかどうかは知りませんが。

あと、「まとめ」とやらは>>601の答にはなっていない。
途中で敬体から常体に変化しているのはコピペだからか?
609世界@名無史さん:2001/02/08(木) 17:37
ageとこう
610世界@名無史さん:2001/02/08(木) 17:55
>>601 は紛争を止める方法を知りたいんだろうが、世界史にそんな答えはない。

世界史的に考えると、異民族であっても同一民族のように国民国家を形成し、その
単位内であれば平和な体制を作る。そういうのはありえると思う。要するに、
イスラエルとパレスチナでの国民国家を作る。または、連邦でも構わんが。
そうして、パレスチナ人にもイスラエル国家内での地位向上と官僚への登用を行い、
パレスチナ人を社会的に同化してしまう。同じに宗教的な同化も進めておいた方が
無難だろう。軍事的にも中央集権的な体制の元で、将軍個々人にあまり権力は持たせ
ないようにしておきながら、パレスチナ人の将軍も仕立てておくべきだ。
これで、教育制度などでごまかしながら、50年も続けていれば、問題は無くなるの
ではないかと思うが。

>>1よ。人間の問題は、人間が生きている限りは続くから、時間がかかるのだよ。
611610:2001/02/08(木) 17:57
>610
>>1よ。ってのは??>>601の間違い。
612>610:2001/02/08(木) 19:22
「マクドナルドが在る国同士は戦争をしたことがない」という事実は
「経済的に相手を必要とする状況」を作り出すことが紛争予防の最善
策であることを示唆しているように思う。

> イスラエルとパレスチナでの国民国家を作る。または、連邦でも構わんが。
ユーゴやインドネシアが、「50年も続け」ることの難しさを証明した
のでは。
613612:2001/02/08(木) 19:30
最初は別れて暮らす必要あり。
614名無しさん:2001/02/09(金) 03:37
>>612
ユーゴにもマクドナルドあるぞ!
615名無的発言者:2001/02/09(金) 04:18
>60
アフリカのマリ帝国やアメリカのインカ帝国は?
616612:2001/02/09(金) 09:22
詫びて訂正 > 614

「マクドナルドが在る国同士は戦争をしたことがなかった」という長年の事実は
617龍谷:2001/02/11(日) 01:33
トスカネリは何人?
618名無しさん@1周年:2001/02/11(日) 04:01
安保理の常任理事国はどのような経緯で中華民国から中華人民共和国に移ったのですか?
619奥さまは名無しさん:2001/02/11(日) 23:52
>618
第二次世界大戦が終わった後、支那国(この名称については後で説明)が内戦に
入り、中共(いわゆる中国共産党)側が勝ったのは知っているかな。
この後もアメリカを中心とする資本主義陣営は共産主義陣営に対抗するために
内戦に負けて台湾に逃げた国民党政府と同盟を組む事を選んだ。
アメリカが中国と国交が回復すると、アメリカは中華民国を捨て中華人民共和国
を正式な中国として認めた。これに続いて日本は1972年、日中平和友好条約
により中華人民共和国と国交を回復し、正式な中国と認めた。
(ようするにアメリカのいう事をきいたって事。)
これに伴い、国連の安保理理事国も中華人民共和国へと移り、いまだに台湾は
日本を含む、多くの国から、正式な国として承認されていない。
中米などのいくつかの国は認めているが・・・
ここからは個人的な意見だが、台湾は少しかわいそうではないか?
常に大国の思惑にふりまわされていて。
支那国という名称だが、今中国はふたつあると考えられる。
中共と台湾だ、それらをひっくるめて中華の国の名称として私は正しいと思うが、
中共側は戦争中、日本が使っていた名称だからやめろと言っている。
それは間違いだ。 英語のチャイナはSHINA がなまってそう呼ばれたから
であり、昔は自分達が支那と呼んでいたのだ。
しなちくや支那そばは そういう所から来た名前なのだ。
このシナっていうのも漢字に変換できない、あの国の圧力か(藁
620世界@名無史さん:2001/02/12(月) 00:29
>>619
支那の呼称については、他のスレでも出てきています。
歴史的呼称としては「支那」が妥当であると思いますが、日本政府
が、外務次官通達で大学、報道機関に支那の呼称をやめて中国と呼
ぶように要請するに至った経緯については、あなたの意見は事実関
係を無視した思いこみにすぎません。
ここは歴史板ですから、きちんと調べないで「中共が言っている」
などと断言するのは控えてください。
支那が欧米のchina等の単語と同語源であるのはその通りですが、
「昔は自分達が支那と呼んでいた」は明らかに暴論です。
中華民国政府や孫文は公式の席では「中国」を自称していました。
繰り返します。歴史的呼称として「支那」は妥当な名称ですが、日
本政府はかの国の略称として「中国」を使用することとしています。
民間人がこの基準に従う必要はありませんし、支那よりも中国の方
が政治的で不自然な呼称であることは客観的な事実ですが、それは
各自の判断すべきことです。
621世界@名無史さん:2001/02/12(月) 01:50
たとえば、アメリカやフランスについては「アメリカ国」とか「フランス国」と呼ぶこともできるが、普通は単に「アメリカ」「フランス」と呼ぶ。しかし、中国は「中国」と必ず「国」をつけて呼ばなければならずそれ以上省略できない。そのあたりちょっと他の国に対する呼称とは異質なものを感じる。支那なら普通は単に「支那」と呼べるし、必要なら「支那国」とも呼べる。
どうもこのあたり、他の国に対する呼称と不整合な感じがするので私は「支那」を主として使うことにしてる。「中華人民共和国」または「中華民国」の略称としてのみ「中国」を使う。
「中国」以外にも同じことは「韓国」についてもあてはまるね。「韓国」については、「大韓民国」の略称としてのみ「韓国」を使い、民族名、地域名、言語名としては「朝鮮」と呼ぶほうが適切だと思う。民族名、言語名、地域名として使う分には北と区別する必要もないのだし。

>>619
「支那」ぐらい自分で登録しろやボケ。
622世界@名無史さん:2001/02/12(月) 02:04
あやめが出てきてそうな雰囲気だなや。
   
623目のつけ所が名無しさん:2001/02/12(月) 03:11
>>619
アメリカはなぜ中華人民共和国と国交回復した後中華民国を捨てたのですか?
624619:2001/02/13(火) 14:26
>>623
中華人民共和国(長いな)側がそうしろと言ったからが分かり易いと思うが、
またこれも叩かれそうだな。
625世界@名無史さん:2001/02/13(火) 16:51
あやめさんに出てきて欲しいなあ・・・・

則天武后は「隋王室の楊雄の姪の娘」といわれますが、
それはどこから来た説なんでしょうか。
姪と言っても兄弟の子なんでしょうか。姉妹の子なんでしょうか。
よくわかりません。
どなたか教えていただけませんか?
626名無しさん@公演中:2001/02/13(火) 17:09
東海大の入試で出たんですけど、
@12世紀、東方にキリスト教徒の国があるという○○伝説が広まり・・・。
A大航海時代にインディオへの布教活動に一生を捧げた司祭○○○。

って何?!@は黄金郷とはちゃうの?
627異邦人さん:2001/02/13(火) 17:22
>>626
プレスタージョン伝説?
628名無しさん@1周年:2001/02/13(火) 20:31
>>大航海時代にインディオへの布教活動に一生を捧げた司祭○○○。

 これ、答えが「ラスカサス」だったら間違いだ。彼の人生はイン
ディオ迫害の停止に捧げられ、布教の余力はなかった。
 そうでなかったらとてつもない難問だと思う。
629世界@名無史さん:2001/02/15(木) 20:30
獅子心王リチャード1世のいとこで有名なの誰か知ってます?
630世界@名無史さん:2001/02/15(木) 20:48
黒柳徹子は何歳なんですか?
631日本@名無史さん:2001/02/15(木) 21:02
ここにもあほがいるな〜
632世界@名無史さん:2001/02/15(木) 21:17
>>631
お前のことだろ?日本史板で引きこもってろ。
633日本@名無史さん:2001/02/15(木) 21:29
オマエモナー
634名無しさん@公演中:2001/02/15(木) 21:29
627>初耳なんだけど、有名なんですか?
635ラジオネーム名無しさん:2001/02/16(金) 02:07
>>624
中華人民共和国がそういって何故アメリカは素直に従ったの?
中華民国はだまってたん?
636624じゃないけど:2001/02/16(金) 02:22
>>635
>中華人民共和国がそういって何故アメリカは素直に従ったの?

「人口10億のマーケット」が魅力だったのでしょう。
637世界@名無史さん:2001/02/16(金) 04:16
対ソ封じ込め政策のためです。
638世界@名無史さん:2001/02/25(日) 22:30
ゲルマン系の民族は他民族に支配されたことがありますか?
639世界@名無史さん:2001/02/25(日) 23:10
>>638
ローマとか?
だいたいゲルマン系が世界史で重要な役割を持ち出したのはイギリスが
大英帝国て名乗って世界中で海賊行為しだしてからでしょう。
第一、ゲルマンが住んでいたとこなんて別に手に入れても
あんまりメリット無いし。支配する意味ないって。
640世界@名無史さん:2001/02/26(月) 06:20
「国防は富裕に優先する」と言った学者は誰ですか?
また、その言葉の解説をお願いします。
641世界@名無史さん:2001/03/01(木) 02:36
アダム・スミス?
642世界@名無史さん:2001/03/03(土) 01:19
ずっと思っていたのですけど、ゲルマン民族の大移動っていうのは、アジアのフン族
が移動したために起ったと教科書などに書かれていますが、じゃあフン族ってなんで
移動したんですか? 世界の歴史を動かすほどの大きな民族の動きだと思うんですが
その一番最初の原因がよくわかりません。どなたか教えてくれませんか?
643名無しさん:2001/03/03(土) 01:24
フン族っていうのは匈奴のことだったのでは。
というと、漢に圧迫された匈奴が長期間の
西方移動を行って、ヨーロッパまでたどりついたのか??
644世界@名無史さん:2001/03/03(土) 01:36
フン族の族長は北匈奴の族長だったとか・・・
645世界@名無史さん:2001/03/03(土) 03:01
歴史の上で遊牧民が一貫して東から西へ流れているのは事実。東西が
戦えばほぼまちがいなく東が勝つ。ゲルマンの移動からフンの流れは
その最大のものだが、その後も南ロシア→ハンガリールートはくりか
えし新勢力に征服された。しかしモンゴル高原が西方から征服された
ことはない。642の言うのは実は世界史を貫く最大の謎かもしれない。
646世界@名無史さん:2001/03/03(土) 12:23
>>642
こっちのスレ見れ
「匈奴について教えてください」
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=972795175&ls=50
647名無しさん:2001/03/03(土) 21:17
なぜゲルマン民族は移動したのか?
歴史家の間では
「栗鼠が胡桃を齧った結果、かれら(ゲルマン民族)は移動した」
といいます。
648下級騎士:2001/03/05(月) 15:26
甲冑の聖者ティリー伯に付いて詳しい方
解説お願いします。
649封建制について:2001/03/11(日) 21:15
イタリア史の本に、「16 世紀における反宗教改革運動とこれに伴う
新封建化,新中世化の現象」とあったので、辞書で「封建制」を調べ
て見ると、以下のようにありました。

【封建制】
(1)天子が、直轄領以外の土地を諸侯に分与し、諸侯はそれぞれ
  領内の政治の全権を掌握する国家統治の制度。中国、周代に
  行われた。⇔郡県制度
(2)封土の授与と軍務の奉仕に基づいた主君と家臣との間の主従
  関係が、国王・領主・家臣に至る社会の支配者層内部に階層的
  にみられる政治制度。中世ヨーロッパに典型的。
(3)土地の支配者である領主が地代徴収や経済外的強制により、
  直接生産者である農民を身分的に支配する関係を基盤とする
  体制。
(4)人的階層制に基づいて社会秩序や生活が規定され、主従関係・
   外的権威の尊重や身分的・一方的な支配を基盤として成立
   している体制。

ここでいう、16世紀イタリアの封建制とは、この内のどれなので
しょうか。教えてください。
650世界@名無史さん:2001/03/12(月) 00:45
あげる。
651戎てき:2001/03/12(月) 17:48
中国西周時代にたびたび出てくる「犬戎」という異民族は、
どういう系統の人々なのでしょうか(語族とか人種等)。
そして周時代以降、かれらはどうなったのでしょうか?
犬戎の子孫は現在でも残っていますか?
652世界@名無史さん:2001/03/12(月) 18:17
ヴェネチア共和国について教えてください。
653世界@名無史さん:2001/03/13(火) 00:34
>>652
何を?
654世界@名無史さん:2001/03/13(火) 00:37
ヴェネチア艦隊について
655世界@名無史さん:2001/03/23(金) 18:20
『黄海の波高くして定遠(鎮遠だったかも)はいまだ沈まず』
「日清戦争時代のギャグ」だそうですが、どのような意味なのでしょうか?
656カニシカ王:2001/03/25(日) 20:00

張作霖が日本軍に爆死させられたのは、
蒋介石の北伐軍に破れた奉天軍閥に力なしとみて
ポイ捨てしたという意味なのでしょうか。

教科書にはそこらへんの理由は明記されていません。
657世界@名無史さん:2001/03/25(日) 20:43
ハンニバルって何した人なんですか?
友人に聞いたら「裸で象にのってパオーンっていってたひと」
と説明されたのですが・・・。
658世界@名無史さん:2001/03/25(日) 20:58
>>657
がいしゅつだな。
それと「裸で」は余計だ。それだと、ターザンになっちまう。
659日本@名無史さん:2001/03/25(日) 22:47
>657
張作霖が日本側から自立しようとし始めたからです。
No.2の楊や学良が親日派だったため作霖を抹殺して
コントロールしようとしたと言うのが理由です。
北伐軍にまけるうんぬんは関係ありません。

結局学良は反日の鬼となってしまい、楊を殺してしまい
満州は南京政府に臣従してしまいます。河本の思惑と
正反対の結果になった訳です。
660名無し象は鼻がウナギだ!:2001/03/25(日) 23:51
「ハムレット」のホレイショーと
メキシコ人などによくいる
オラシオは同じ名前ですか?
語源も教えていただけるとありがたいのですが
661世界@名無史さん:2001/03/26(月) 00:26
ここって、マジで質問するとこなの?
それとも、おもろいネタ書くとこなの?
662世界@名無史さん:2001/03/26(月) 00:54
>>661
マジです。

663世界@名無史さん:2001/03/26(月) 21:33
はじめておじゃまします・・・
2年くらい前「エジプトで吉村先生のチームが何かを
発見したが、年末までは調査出来ない」、と言うような
ニュースを見ました。そのあとその件について聞いていないのですが
どうなったのかご存知でしたら教えて下さい。
664659:2001/03/26(月) 22:27


   彡川川川三三三ミ〜
   川|川/  \|〜 プゥ〜ン    ________________
  ‖|‖ ◎---◎|〜       /
  川川‖    3  ヽ〜     < ボクはバカ、ブサヨク、ヒキコモリの三重苦!助けて〜
  川川   ∴)д(∴)〜       \________________
  川川      〜 /〜
  川川‖ ブタ 〜 /‖
 川川川川___/‖
   /       \__
  /|  |   サ   __
  | |  |    ヨ
  / |  |_ 童貞
 | \__⊃ 租 珍

    彡川川川三三三ミ〜
    川|川/  \|〜 プゥ〜ン
   ‖|‖ ◎---◎|〜        / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  川川‖    3  ヽ〜        ボクがヒッキ―なのも
  川川   ∴)д(∴)〜        権力と天皇が悪いんだ
  川川      〜 /〜 カタカタカタ  \________
  川川‖    〜 /‖  _____
  川川川川___/‖  |   | ̄ ̄\ \
   /       \__|  |    | ̄ ̄|
   /  \__童       |  |    |__|
  | \      |貞    |__|__/ /
  /     ̄ ̄  | ̄ ̄ ̄ ̄|  〔 ̄ ̄〕
 |  ヒキコモリ
665世界@名無史さん:2001/03/26(月) 23:09
>>655
19世紀のギャグのセンスはわからないけど、元ネタは「勇敢なる水兵」
という歌です。

煙も見えず雲もなく 風も起らず波立たず
鏡のごとき黄海は 曇り初めたり時の間に

− 中略 −

呼び止められし副長は 彼の傍にたたずめり
聲を絞りて彼は問ふ 「まだ沈まづや定遠は」

− 中略 −

「まだ沈まづや定遠は」 その言の葉は短かきも
皇國を思ふ國民の 心に永くしるされん

ということで、まず黄海海戦の当日は「鏡のごとき」波のない日だった
のに、わざわざ「波高し」と逆に表現し、早く沈めという祈りを無視し
て「定遠はいまだ沈まず」とトボけているところが面白かったのでしょ
うか。

この黄海海戦では、結局、定遠は沈まなかったのですが、後日、水雷艇
の奇襲により轟沈しているので、まあ、戯れうたにしてもかまわなかっ
たのでしょう。
666663  :2001/03/28(水) 00:17
教えてくださいなage
667世界@名無史さん:2001/03/28(水) 00:55
周の武王=文王<周公旦ていう評価は本当ですか?
本当なら何故?
668世界@名無史さん:2001/03/28(水) 03:31
日米開戦時の真珠湾攻撃が宣戦布告無き奇襲になったのはワシントンの
外務省大使館のちょんぼという説があるけど、実際には真珠湾攻撃の
数時間前にマレー半島のコタバルに上陸してますよね。この上陸は問題に
ならないの?
669世界@名無史さん:2001/03/28(水) 15:13
がいしゅつですが、何故独立戦争なんかでは銃弾に対して伏せるなどの回避行動をとらなかったのでしょうか?
従来からの戦い方の伝統で陣形をなんとなく組んでいたのか、それとも将軍たちの美意識とかからですか?
670世界@名無史さん:2001/03/28(水) 15:19
チョンボ説は本当にあったし、そういった資料が本当に外務省にあるけど
事なかれ主義だし国民もなんもいわないから公開してくれないね・・・・
671世界@名無史さん:2001/03/28(水) 15:24
なんとなく方陣を組んでたんだと思います。
いまだ横隊突撃が有効だと信じられていましたし。
ていうかライフリングが発明されて小銃の威力が
飛躍的に増した直後の南北戦争でも横隊突撃は
普通に行なわれて、ばたばたと兵が死んでますね。
まあ、どこの国でも軍隊は前動続行主義のきらいが
ありますし。
672異邦人さん:2001/03/28(水) 15:25
>>668
マレー半島のコタバルに居たのは米軍じゃないから、
「日米開戦」には関係無いのでは?
673世界@名無史さん:2001/03/28(水) 20:09
651さん僕もその類の疑問に興味あります。
殷、周時代それ以前の古代中国ってわかりにくいですね。
犬戎等の異民族の身体的特徴、風俗など記録されていないみたいですね。
野蛮人というわりには夏は后ゲイに1度滅ぼされているし、東周を滅ぼした勢力も結局異民族。
中原に従わない異民族は東は夷、北はテキ、南は蛮等大雑把に分けていただけで実態は中原王朝は知らないし知りたくもなかったんでしょう。
新石器時代の土器(彩陶)等の出土品には西方の影響が強いそうです。(漢民族西来説が出るくらい)
民族の移動交流は古代からさかんだったのでしょう。
目の色違いや風俗など古代中国人にとって大した事じゃなかった、ありふれていたんだと思う。
もしかしたら中華以上の勢力を持っていた部族がいたかも、それこそ匈奴やモンゴルみたいに。
誰か詳しい方いませんか?
674カニシカ王:2001/03/28(水) 21:12
>>668
ありがとうございました。
疑問が氷解しました。

この頃は日本も強かったんだけどなあ…
ある意味、最盛期だね。
今はアメリカのクツをなめてる。
675世界@名無史さん:2001/03/29(木) 08:30
673です。
なんでも質問箱なのに。
古代中国の質問は誰も答えないなぁ。
Bと武@世界史予備校教師さん答えてよ。

676名無しさんの主張:2001/03/29(木) 17:53
ヒトラーとヒットラーどっちが正しいの
677669:2001/03/30(金) 00:44
>>671
時がたつにつれ、じわじわと塹壕を掘り始めていったんですね。
どうも有り難う御座いました。

>>675
あなたは何か勘違いしておられませんか?
質問者がそういった態度では誰も答えてくれないでしょう。
それに、古代中国でしたら三國志板の住人の方が詳しいのでは?

>>676
どっちも正解でしょう。
モントゴメリーかモンゴメリーか、とか。
678世界@名無史さん:2001/03/30(金) 09:37
>>673の問題は、答えられない問いだと自ら知りつつ質問していることにあり。
それとも電波が欲しいのでしょうか。
679世界@名無史さん:2001/03/31(土) 14:02
673です。答えられないなんて思ってませんよ。
でも別のスレで研究されていないと教わりました。
やはり資料が少ないそうです。
このスレは学識高い人が沢山書き込んでいると思ったので最新の研究が拝めると思ったまで。
僕自身は大学も出てないアホなので市販の本の知識しかありません。
一般の人間は大学で高名な教授の講義など聴けませんから。
解らないなら解らないと理由を添えて言ってもらえばそれでいいじゃないですか。
それも答えの一つじゃないでしょうか。
680世界@名無史さん:2001/03/31(土) 18:20
>>679
申し訳ありません。そちらのスレも読みました。よく勉強して考えて
おられるなあと感じましたもので、678のように思いこんでしまいま
した。ごめんなさい。


681世界@名無史さん:2001/04/01(日) 03:21
いえ、こちらこそスミマセン。
誤解が解けて嬉しいです。
682世界@名無史さん:2001/04/05(木) 12:37
犬戒(けんじゅう)とは、古代中国(周代)の西方辺境地帯(陜西・山西の山地)
の異民族の一つとされている遊牧系の未開民族。犬神族の仲間という意味で、
けっしてよい呼び名ではない。
其實中國古代的犬戎,他們的祖先也是狗。?是以前在一個國家裡,有一個很漂亮的公主。有一天,這個國家被別人攻打了。公主對?的一隻狗?:「要是?能?解決國家的危難,我就嫁給?。」這隻狗聽了,哇!非常高興,?的一聲?了出去。過了三天以後,??著敵人酋長的頭回來。這公主也沒有食言,準備要把自己嫁給?。狗?:「?用一個大鐘把我罩起來,七天以後,我會變成人的樣子。」公主雖然照著狗的吩咐去做,但是由於好奇心的驅使,所以?在第六天的時候,就??地把鐘打開。由於鐘裡的狗還沒有完成變身,所以?的身體雖然已經變成人形,但是頭還是維持著狗的樣子。這就是犬戎的由來。
683世界@名無史さん:2001/04/05(木) 14:46
姜=戎説
羌族のうち、周の革命に協力したものが姜姓国となり、周に従わなかったものが、
他の異民族と十把一からげに戎と呼ばれた。
根拠ないからほとんど妄想に近い。
姜姓国の申侯が西戎や犬戎とつるむのは、そういう関係だと思うんだけどなぁ…
684世界@名無史さん:2001/04/05(木) 18:35
「戎」ってのはたぶんチベット系なんだろうな。

「犬戎」ってのは「昆夷」と同じという説、
日本の隼人の犬吠えや、部族の始祖が犬から生まれたという江南異民族の説話、なんかが関係してるという説、

などがあるけれど、ほんとは「犬丘」という地名からきてるというのが正しいだろう。
つまり「犬丘の戎」だから「犬戎」。(犬丘は今の甘粛省清水自治県)
「驪山の戎」だから「驪戎」、「義渠の戎」だから「義渠戎」というのと同じ。
685世界@名無史さん:2001/04/06(金) 12:25
釣りって他の狩りとかとえらく技術体系が違うと思うんですけど、
(ダメージを与えて捕まえるんじゃなくてトロイの木馬的というか・・・)
どこか起源となる地域があるんでしょうか?
それとも自然発生的にいろんな地域で始めていたんでしょうか?

それと、日本史の教科書で鹿の骨の釣針の写真を見たのは覚えているんですが、
糸は何を使っていたんでしょうか?書いてあったかなー?
686世界@名無史さん:2001/04/07(土) 22:52
ファシズムのファシ、とは何でしょうか?
中国で言うところの節えつ(漢字を忘れました)と同じでしょうか?
また中国からの影響はあったのでしょうか?
687世界@名無史さん:2001/04/07(土) 23:45
タラス湖畔の戦いの詳しい経過を教えていただけませんでしょうか?
688世界@名無史さん:2001/04/08(日) 00:04
>>686
なんだか、十分に知っているのに質問しているように見受けられますが。

ファシズムの語源は、イタリアのファシスタ党の前身であるファシストの
団体Fasci Italiani di Combattimentoに由来します。
fasci(fascio)は元来は「束」「団結」を意味するものであり、そもそも
の語源は古代ローマの執政官が持つ権威・権力の象徴で、斧の周りに鞭を
束ねたfasces(fascio littorio)に遡るとされています。下図参照。
http://www.crwflags.com/fotw/images/fr-fasc.gif

一方、節とは元来は竹の1節分を、後の元帥杖の様に権限委譲の標として
出征する将軍や使節に対して天子がさずけたもので、また、戦場における
専断の権限の象徴として鉞や斧(王権の象徴)を与え、節・鉞を与えると
いう表現になり、さらに後年になると節と鉞や斧が一体となり、標識のつ
いた鉞や斧で天子の軍事代行者である象徴としました。

日本では、はじめから節は単体では用いられず、節刀として類似の制度が
行われ、錦幟・節刀が官軍の将軍の象徴となります。

支那の場合は、もともと象徴として用いられたのは単なる竹の棒ですから、
形状としては、ローマのfascio littorioとはだいぶ違うと考えられます。

また、後漢のころに大秦国との交流があったことは史実ですが、このころ
ローマはすでに帝政に入っていますから、支那の節鉞がfascio littorio
の原形というのは考えにくいでしょう。
689世界@名無史さん:2001/04/08(日) 00:16
>>684
糸は、ほぽ世界中で発明されているでしょう。古代に使用された釣り糸は特別なものとは思えません。
通常の糸を流用したと考えるのが妥当ですね。
690世界@名無史さん:2001/04/08(日) 00:28
朝鮮半島は日本以上に中国から侵略受けてるのに何故あっちには寛容なの?
統治がおおらかだったのかな?
ハナから大国中国には敵わないと諦めてプライド傷つかないのかな?
属国と意識があるのかなー
691世界@名無史さん:2001/04/08(日) 01:14
>>686さん
 ありがとうございます。
 >>また、後漢のころに大秦国との交流があったことは史実ですが、このころ
ローマはすでに帝政に入っていますから、支那の節鉞がfascio littorio
の原形というのは考えにくいでしょう。
ひょっとしたら?なんてロマンを感じていたのですが、やはりそうですよね。
692世界@名無史さん:2001/04/08(日) 01:27
 イタリア関連で2つお願いします。

チアノは世襲の貴族だったんですか?
もし世襲ならば何故エッダを娶ったのでしょう?
ベニトが怖かったのでしょうか?

 共和国移行(このような言い方でいいのでしょうか)の
 投票時には何か運動は合ったのでしょうか?
 その時の投票率はどのくらいでしょうか?
 また王党派はその後何処に行ったのでしょう?
693684:2001/04/08(日) 13:46
>>689さん
ありがとうございます。
普通の糸だと簡単に切れちゃいそうな気がしたものですから。
ところで釣りの起源の方はご存知ないでしょうか?
694世界@名無史さん:2001/04/09(月) 17:27
中国という國においてなぜあそこまで長く皇帝と言う存在が有り続けまた、絶大な権力を持っていたのか?もっと民主的な体制に変わらなかったのか?その存在に対する国民感情がどういたったものなのか知っているのであれば教えて下さい!
695世界@名無史さん:2001/04/09(月) 19:36
うーん、それは難しい質問だねぇ。
中国は多民族社会(というといろいろドキュンなつっこみきそうだが少なくとも多言語社会ね)
なので、これをまとめる以上、ある程度、専制的な体制というのはやむなく要請されたのでは。

で、社会情勢が不安定だと日常もないわけだから、
国民感情としても、ある程度しかたないと思ってたんじゃないの?
696世界@名無史さん:2001/04/09(月) 20:30
歴史的に見て世界の国々ではその昔専制国家がありました、そしてその上に立つ皇帝、王などはたいていが神権的な権力を振りかざしています。これはやはり人間の中にあるエゴイズムからくるもと考えてもいいのでしょうか?つまり、神の存在が先にあり、その後に権力が生まれたのか、権力の元に神の存在を作りあげたのかという質問です。
697italy:2001/04/09(月) 23:41
フランク王国分裂の際に、イタリアのあたりは何と呼ばれていたのですか。
 最初からイタリアと呼ばれていたのなら、なぜ「南フランク王国」と呼ばれ
なかったのですか。
 そもそも、イタリアとはどういう意味ですか。(フランスの意味もお願いします。)

 以上、ご存知の方おられましたら、教えてください。
698italy:2001/04/09(月) 23:44
フランク王国分裂の際に、イタリアのあたりは何と呼ばれていたのですか。
 最初からイタリアと呼ばれていたのなら、なぜ「南フランク王国」と呼ばれ
なかったのですか。
 そもそも、イタリアとはどういう意味ですか。(フランスの意味もお願いします。)

 以上、ご存知の方おられましたら、教えてください。
699italy:2001/04/09(月) 23:51
 二重書き込み失礼。
700692:2001/04/10(火) 14:57
GIOVINEZZAでAGE
701世界@名無史さん:2001/04/12(木) 21:48
けけ、誰も答えられないでやんの。
702世界@名無史さん:2001/04/12(木) 22:43
アフガニスタンでモハメッド朝を開いた「ドースト・モハメッド」は
若い頃は暴れ者で「小狼(ゲルググ)」と綽名されていたらしい
との事ですが,この「ゲルググ」って,何語でしょうか?
英語表記でのスペルも判ればお願いします。
703あやめ:2001/04/13(金) 15:37
>697
イタリアという地名は牛(vitulus)をトーテムとする部族から由来すると
も言われていますが、確実なことははっきりしてないみたいです。当初は
ギリシャ人植民者によって半島南部に限定されて呼ばれていたいたのが、
アウグトゥスツが半島全体にローマ市民権を与えたところから、現在の全
地域を指して呼ぶようになったのだそうです。
774A.D.にカロリング朝フランク王カルルが北イタリアのランゴバルド王
国を滅ぼし、イタリア王を兼ねることとなり781に次子ピピンにイタリア
王位を与えました。ピピンは父に先立ち810に死亡し子のベルンハルドが
813にイタリア王を継ぎました。カルル大帝が世を去り皇帝とフランク王
を襲位した末子ルドヴィヒは、ベルンハルドが死亡すると818にイタリア
の所領を没収し、帝国の共治者である長子ロタールをイタリア王に封じま
した。皇帝ルドヴィヒ亡くなるとロタールと3弟ルドヴィヒや末弟カルル
の間に、帝国領土の継承をめぐり紛争を生じヴェルダン条約で分割という
解決を見ました。ロタールは皇帝とイタリア王の地位を保持し得た外にも、
プロヴァンス・ブルグンドなど領土をも獲得しました。彼の領土の両側は
東西のフランク王国が成立することになったわけですが、彼の領土全体を
呼称する正式名称はありません。「中フランク」とか「南フランク」とか
言ったりはしないのです。強いて言えば「ロタールの王国」ということに
なりますが、実際にも一般に"Lothars Reich"と呼ばれロートリンゲンの
語源となっています。王国の各部分はイタリアとかブルグントとかそれぞ
れの地名で呼ばれていました。
704世界@名無史さん:2001/04/13(金) 15:45
>>702
ジオン公国語・・・「GERGG」ですね。
705あやめ:2001/04/13(金) 16:18
↑アウグトゥスツはアウグストゥスの書き間違えです。
フランスの国名の由来ですがフランクが元ということは御存じと思います。
フランク族=フランケンの意味はチュートン系言語で自由とか勇敢といった
ものらしいです。やっぱり英語のfrankやfreeと関係あるってことですね。
フランス東北部からドイツ西北部に進出いていたサリやリプアリアなど、
諸部族の小国家群(キヴィタス)の統合体を漠然と指す名称として、西暦3
世紀中ころから史料に現れるようになったということです。
706人民:2001/04/13(金) 16:44
スペイン内戦に参加した日本人の氏名を教えてください。
707世界@名無史さん:2001/04/13(金) 17:21
>>706
なんじゃ、ここでも歴史クイズかの。スペイン内戦の国際旅団に日本人
がいたことまで知っているなら、その名を知らんということもなかろう
に。
調べれば簡単にわかることを質問するのは怠慢というものじゃぞ。

じゃが、クイズということであれば、答えてしんぜよう。
「ジャック白井」と呼ばれる日本人での、アメリカ経由で参加したので、
所属は、エイブラハム・リンカン大隊じゃよ。
708Cavabien:2001/04/13(金) 22:12
南明政権について知りたいのですが、なにかよい本はありますでしょうか?
中国語は漢字の意味をおぼろげに追う程度の事しか出来ませんので、出来れば
日本語の書籍がいいのですが、無ければ中国語でも結構です。
709世界@名無史さん:2001/04/14(土) 01:20
講談社現代新書の『文化大革命』を読んでいるんですが、いまいち
文革や毛沢東の位置づけについてよくわかりません。
今度、友達の中国人の留学生に聞いてみようと思いますが、
その前にどなたか、サルでもわかるくらい簡単に文化大革命に
ついて教えていただけないでしょうか?比喩でもなんでもかまい
ません。
710世界@名無史さん:2001/04/14(土) 01:53
シャルル・ド・ゴールって旧貴族の家柄ですか?
711づえちゅ:2001/04/14(土) 03:08
>>709
企業ではよくある話ですが,実力会長が君臨していると若手社員で現社
長に不満がある人たちは会長にあることないことご注進します。
老人ボケしかかっている会長は現役世代に想像を絶する嫉妬心を持って
いるものです。ことさらに水泳などしてみせては健在を誇示しようと
します。
いったんその会長がなりふり構わず本気で権力を発動でしたら会社は
大損害を受けます。日本の大企業に「相談役」やら「名誉会長」やら
「顧問」やらがやたらたくさんいるのは,"社内文化大革命"を防止す
るための保険料です。

それから今はどうか分かりませんが,80年代頃までは中国からの留学生
に文革の話題を持ちかけるのはタブーに近いものがありました。本人か
親族かが被害者だったり加害者だったりあるいは両方だったりする可能
性が高いですから。今は天安門事件(89年の)や民主化の話題の方がやば
いかもしれませんが。
712名無し:2001/04/14(土) 04:59
>>708
顧さんの『南明史』が質量ともに優れているが、
中国語なのでお勧めしかねる。日本語だと……
思いつかん、すまぬ。
713あやめ:2001/04/14(土) 13:42
謝國髓「南明史略」(上海人民出版社刊)と司徒琳著「南明史」(上海古
籍出版社刊)を利用していますが、顧氏の著述は知りませんでした、著者
出版社を御教示ください。
なお司徒琳(Lynn A. Struve)さんの本は原題"The Southern Ming,1644
-1662"という英文で1984年にイェール大学出版社から出ているそうです。
714荒らし整理:2001/04/14(土) 17:04
age
715世界@名無史さん:2001/04/14(土) 23:51
フランクは「投げ槍」が元の意味だと書いた本もあるよ
716世界@名無史さん:2001/04/15(日) 00:47
to あやめ様

 詳細なお答えありがとうございました。
 当方いいかげんな知識しかありませんので
お書きの内容の半分もわかりませんでした、
おおむね理解できました。

 別件ですが、新たな疑問がわきました。
一時は統一国だったフランク王国が、なぜ
領土が3分割されただけであれほど言語が
異なってしまったのでしょう。
 ドイツ語はどちらかといえば、フランス語
イタリア語より英語に近いと思います。
 ご存知の方よろしくお願いします。
717びびん@ぞっく:2001/04/15(日) 01:02
なくなってしまった国の国旗を探しています

どこかにいいページないでしょうか?

いまイタリア(第二次大戦中)の国旗を探しています
718世界@名無史さん:2001/04/15(日) 01:54
>>716
ローマの支配が東ゴート王国の領域までは徹底して及んでいなかった
からです。9年のトイトブルクの戦いでローマ軍が大敗北を喫したあと、
ローマはゲルマニア(後の東ゴート王国の領域の大部分)の支配を諦め
ます。そのため、ゲルマニアではローマ化が進行しませんでした。
このあたりのことは、とりあえずTacitusとか読むといいですね。

それに対し、ガリア(西ゴート王国の領域)では、ローマ化が非常な勢
いで進行します。大農園経営や商業の発達によって、ラテン語が広い範
囲で使用されるようになります。イタリアについては、ガリアよりはる
か前にラテン語が広く通用するようになっています。

というわけで、ガリア、イタリアではラテン語が主要な言語であり、ゲ
ルマニアではローマ化がほとんど進行しなかったため、ゲルマン語がそ
のまま使用され続けました。ちなみに、ガリアの原住民族の言語は、ケ
ルト系の言語だったといわれています。名残は地名などに残っています。

西ローマ帝国の滅亡後もそのような状況は継続します。フランク王国は
確かにそれら三つの地域を統合しましたが、当時の国家体制というのは
現在の国民国家とは比較にならないくらい脆弱なものです。公教育も行
われませんから、「国語」というものが存在しません。そのため、フラ
ンク王国の成立後も領域内での言語の統一はほとんど進まなかったと容
易に考えることができます。

あと、ガリア・イタリアに侵入したゲルマン系の民族が、以前から住ん
でいた人々よりはるかに少なかったのも、ガリアやイタリアの言語がゲ
ルマン化しなかった要因でしょうね。アングリアでは、ゲルマン系の言
語が先住民族のケルト系言語を圧倒してしまいましたから。
719名無し:2001/04/15(日) 02:19
712>>あやめさん
お尋ねの本は

顧誠『南明史』(北京・中国青年出版社、1997年5月)

です。南明史の研究書としてはおそらく最新でしょう。
720うりゃ:2001/04/15(日) 18:22
>>717
イタリアの国旗は、戦争中から今の三色旗で変わっていません。
お探しのものは、ムッソリーニが実権を失った1943年以降に使われた軍旗
でしょうか。
http://www.crwflags.com/fotw/images/it-fasc.jpg

それとも、建前では終戦後まで存続していた王国旗でしょうか。
http://www.crwflags.com/fotw/images/it-1897m.gif

英文でよければ、旗のことならこのサイトがお薦めです。
http://www.crwflags.com/fotw/flags/index.html
721世界@名無史さん:2001/04/15(日) 18:28
ハイルヒットラーのハイルと言うのはどうゆう意味?
722ハングル板住民:2001/04/15(日) 18:32
>>721
マンセー!
723世界@名無史さん:2001/04/15(日) 19:42
>>721
英語のwholeと同じ語源。シアワセとか無事とかいう意味。
724世界@名無史さん:2001/04/16(月) 00:26
歴史認識の問題で日本は韓国に執拗に文句をいわれて
いますが、ドイツに対するユダヤとかポーランドなん
かも執拗な文句に文句を言っているのでしょうか?
725716:2001/04/16(月) 01:46
>718
お答えありがとうございます。

 追加で質問があります。
 ウエストファリア条約以後の国家体制と
それ以前の国家体制、国家感の比較など
お聞かせ願えたら幸いです。
 ご存知の方お教えください。
726あやめ:2001/04/16(月) 07:11
>719
御教示ありがとうございました。
727Cavabien:2001/04/16(月) 07:22
>>712サン
>>713 あやめサン
 ありがとうございました。
 とりあえず先日江蘇古籍出版社の『南明史料集成』を発注した所ですが、
 まとまった記述のある物の方が解りやすそうですからご教示いただいた物も
 探してみますね。
728世界@名無史さん:2001/04/16(月) 12:47
児童向けの歴史小説『緋色の皇女アンナ』(トレーシー・バレット著
山内智恵子訳 徳間書店)では、ビザンティン帝国のヨハネス2世は
文字を読めなかったことになってますが、これって作者の創作した設
定でしょうか? それとも根拠があるのでしょうか?
729あやめ:2001/04/16(月) 20:23
>727
本格的に研究なさるのでしたら謝國髓「増訂晩明史籍考」(上海古籍出
版社刊)も必携です。
730721(重ね重ねスマソ):2001/04/16(月) 21:25
ナチ式の敬礼は何故あの独特な形になったんですか?
731世界@名無史さん:2001/04/16(月) 22:20
>>730
あれってイタリアファシストの真似だったんじゃあないかな。
732世界@名無史さん:2001/04/17(火) 00:09
>>731
それって、古代ローマの敬礼の真似というか、復古じゃなかったっけ。
733Cavabien:2001/04/17(火) 02:21
>>729 あやめサン
 ではそれも探してみますね。ありがとうございました。
734世界@名無史さん:2001/04/19(木) 01:50
共産思想は何で赤色なの
文化大革命のときの手帳も赤色だったような
735世界@名無史さん:2001/04/19(木) 07:39
>>734
革命で流される血を表しているのではなかったかな?
736世界@名無史さん:2001/04/19(木) 12:52
単にマルクスが好きな色だった説。
大革命時のパリ蜂起の合図の旗説。
737世界@名無史さん:2001/04/19(木) 13:49
>>735
欧州では赤は、進歩を表す色とされているらしい。

ちなみに
http://www.rotring.de/index.html
の"Red-Ring"もそう言う理由
738地球@名無しさん:2001/04/19(木) 13:59
同じ時代に東西で栄えた漢王朝とローマ帝国ですが、
ローマ帝国も、漢帝国の、朝貢国の一つに過ぎなかったのでしょうか?
739世界@名無史さん:2001/04/19(木) 14:05
>738
たぶん、漢帝国側は勝手にそう思ってたんじゃないでしょうか。
ローマ帝国側がそう考えていたとは思えませんが。
740名無しさん@1周年:2001/04/19(木) 18:04
>>734
  КРАСНЫЙ(赤い) КРАСИБЫЙ(美しい)
 とロシア語では、「赤い」と「美しい」が語源を同じにする言葉で
 「赤い」ことは「美しい」ことだ、と捉えてきた価値観がロシアに
 ありました。それゆえ革命党は美しい赤の旗を用いた、と聞きましたが、、

 どなたか親切な方が692の質問にこたえてくれないものでしょうか?
741新人:2001/04/23(月) 22:30
少しマニアックな質問なんですが。第一次満蒙独立運動(知っていますか?)で、東三省総督趙爾巽は粛親王をどうみていてたのですか?
742世界@名無史さん:2001/04/24(火) 02:00
張騫の記録なんかに出てる康居ってどんな国でしょう。
行国(遊牧国家)であり歴史地図で見ると随分長く存在しているって以外
あまり情報も無くて。

烏孫は漢や匈奴との関わりである程度記述があるんだけど。
743世界@名無史さん:2001/04/24(火) 08:04
>>692,>>740
イタリア史は全然専門外だが、検索して調べてみました。

二次大戦後のイタリアで王制か共和制かを問う国民投票の結果は
王制:1071万票 共和制:1271万票 だったらしい。
数値の正確さに保障はありません。
744名無しのオプ:2001/04/24(火) 21:53
紀元前はBC Before Christ。
西暦はAD Anno Domini。
なんで英語とラテン語なの?
745世界@名無史さん :2001/04/25(水) 00:33
バスク人についての質問です。
彼らはケルト以前の原住ヨーロッパ人≠インド・アーリア人ですよね?
それともアーリア系の第1波ですか?
いったいどの種族に属するんでしょうか?
言語や固有の神話などから、推定できることはないのでしょうか?
746世界@名無史さん:2001/04/25(水) 00:38
>>740
今本を探しているのですが、既にナポレオン帝政の時に、
ブルボン白旗:三色旗:赤旗で
争っていませんでしたか?
赤旗=革命旗で。
747世界@名無史さん:2001/04/25(水) 01:30
>>745
インド・ヨーロッパ語族の人々をアーリア人とするなら、
バスク人は間違いなく非アーリア人です。
バスク語はインド・ヨーロッパ語族ではありませんから。
言語学的にいうと日本語や朝鮮語、モンゴル語、ハンガリー語…
と同じ膠着語に分類されるが、他のあらゆる言語と直接の親類関係はないらしい。
だから言語で解明しようにも「分類不能」「不明」としか言いようがない。
7482:2001/04/25(水) 03:01
2
7495:2001/04/25(水) 03:08
15
750世界@名無史さん:2001/04/25(水) 03:26
バスク語は、
日本語やアルタイ語みたいにR音(ラ行)が語頭、文頭に立たないってきいたけど、そうなの?
言語板できいた方がいいか。
751747:2001/04/25(水) 03:35
>>750
言語学詳しくないからそこまでは知らない。
言語学板か語学板か民族板で聞いたら誰か知ってるかも。
752世界@名無史さん:2001/04/25(水) 04:46
>>747
ありがとう そうなんですか
(インド・ヨーロッパ語族だね 間違えたスマソ)

じゃあ、素人の憶測だけど 辺境に残っているあたり
本当の原住ヨーロッパ人かも知れませんね
最近の遺伝子解析の結果だとどうなってるんだろう?
753世界@名無史さん:2001/04/26(木) 01:29
中国の後漢最後の皇帝献帝について詳しく教えてください。彼のはたした役割とは?
754世界@名無史さん:2001/04/26(木) 01:32
中国の後漢最後の皇帝献帝について詳しく教えてください。彼のはたした役割とは?
755世界@名無史さん:2001/04/26(木) 01:34
中国の後漢最後の皇帝献帝について詳しく教えてください。彼のはたした役割とは?
756サイモン@USA:2001/04/26(木) 01:40
私はバスク人とマジャール人のハーフである。
757世界@名無史さん:2001/04/26(木) 04:24
>>754 禅譲革命。
禅譲の前は禅譲のために生き、
禅譲の後は禅譲の後も生きるために生きた。
758世界@名無史さん:2001/04/27(金) 06:02
煬帝ってなんでヨウテイじゃなくてヨウダイって読むんでしょうか。
語感が良いから?
759世界@名無史さん:2001/04/27(金) 07:49
スレを立てるタイミングはいつ頃が良いのでしょうか?
ここ一週間、朝七時半、午後六時、午後十時とスレを立てる機会をうかがっているのですが毎度毎度
「ERROR スレの立てすぎです」とでるばかりで・・・・・・・・・。

なのに、その間にも新しいスレが立ってるとは・・・・・。
760世界@名無史さん:2001/04/27(金) 12:41
>>759
それは時刻とは別の問題と思われます。
批判・要望板で関連スレを見てみて下さい。
761世界@名無史さん:2001/04/28(土) 00:43
>>743さま
 ありがとうございました。本当に僅差で王制が覆されたのですね、、、
762世界@名無史さん:2001/05/02(水) 18:35
ブルターニュ公はなぜフランス王室に目の敵にされていたのでしょうか?
763名無的発言者:2001/05/02(水) 18:47
>>758
悪逆非道の暴君である煬帝には帝(テイ)と呼ばれる資格は無いということから、帝(テイ)の読み方を変えて読む習慣になった。
764世界@名無史さん:2001/05/03(木) 06:45
U−571って映画、これって史実にもとづいているの?
765世界@名無史さん:2001/05/03(木) 15:48
>>758,>>763
うそはいけませんよ。帝の字の呉音はタイ、漢音はテイ。
煬帝の時代の日本じゃまだ漢字の音読は「呉音」だけで「漢音」は無かったからだろ。
「漢音」をとりいれたのはそれよりずっと後。
766世界@名無史さん:2001/05/03(木) 15:53
>>764
史実に基づいていますが、潜水艦の中でドンパチやるシーンは架空。いちよう精密機械の中なので
鉄砲撃ちまくるのは敵味方ともに自殺行為。実際は刃物か素手で格闘になる。
それと映画では主役が米軍になってますが、史実は英国軍。だからこの映画ができた時
イギリスが怒り狂ったとか聞いてます。まあ怒るわな。
767世界@名無史さん:2001/05/04(金) 21:51
法的に時効という制度が出来たのはいつ頃なんでしょう?
慣習としてかなり古代からあったんでしょうか?
768かきつばた:2001/05/05(土) 03:59
>>765
その解説では、煬帝よりはるかに昔の時代の

黄帝 を こうてい
始皇帝 を しこうてい

などと読むことが説明つきませんが。
769世界@名無史さん:2001/05/13(日) 04:57
ageます。賢い人はいろいろ答えてくださいませ。
770アマノウズメ:2001/05/13(日) 11:54
煬帝は遣隋使時代の人だから、渡来人や留学していた坊さんたちが
そのまま音を伝えたのでしょう。
春秋や史記はそのあと学問として入ってきたので漢音です。
もっとも、平安時代には漢文に呉音がまじっていて
論語を「りんぎょ」と発音してました。
771世界@名無史さん:2001/05/21(月) 21:31
「シベリアの針葉樹林の数を数えることになりかねない」という表現がありますが、実際にこんな仕事は行なわれたのでしょうか?
772:2001/05/21(月) 23:09
フランス革命時の党派を右(王党派)から順に説明しろってイミがわかんないんですけど(汗)
773世界@名無史さん:2001/05/22(火) 02:13
クイズで『アイゼンハワーのきらいな動物は?』
が、わかりません。。。
どなたか、解答を!!
774おーでぃん:2001/05/22(火) 20:40
>>772
世界史の図表で、「革命時の政党系譜」というものがあるはずです。
右から王党派、フイアン派(三頭派+巨頭派)、ジロンド派、山岳派(ロベスピエールやマラー)です。
ジャコバン派とは、王党派以外の、革命派のの総称です。
775世界@名無史さん:2001/05/23(水) 07:57
>>77
若い人に冗談を教えちゃいかんよ。
776世界@名無史さん:2001/05/23(水) 23:08
ヴェトナム人の名前で、たとえばグエン・ヴァン・チューだと
グエンが姓ですよね?でも欧米だと略すときチューと呼んでるのは
単に間違いですか?
777七資産:2001/05/24(木) 06:04
レントナー国家って何なんですか?
知りたいので誰かお願いします。
778世界@名無史さん:2001/05/24(木) 07:50
>>776
それ、今でもそう呼んでる?
当時の呼び方は間違いだったと思ってるが。

懐かしいな。ベトナム戦争当時の新聞によく「チュー氏」とか「キ氏」とか載っていたのが。
779提供:名無しさん:2001/05/25(金) 01:45
昔コロシアムにて本当に殺し合いをしていたの?(グラディエーターみたいなの)
780世界@名無史さん:2001/05/25(金) 07:48
>>779
もちろん!血は最高の娯楽なのです!
781名無しチェケラッチョ♪:2001/05/25(金) 08:22
>>779
飽き足らずに猛獣と剣奴を格闘させたりもしたよ。
782世界@名無史さん:2001/05/25(金) 15:30
タラス湖畔の戦いについて知ってる人いませんか?
783世界@名無史さん :2001/05/25(金) 15:36
常勝軍の組織について教えてください
784考える名無しさん:2001/05/25(金) 20:33
age
785考える名無しさん:2001/05/25(金) 20:33
age
786静かな湖畔の森のかげから:2001/05/25(金) 22:24
>>782
ひょっとして、笑いを取ろうとしてる?

787世界@名無史さん:2001/05/25(金) 23:03
太平天国を打倒した一翼を担った常勝軍の二代目将軍はどこの戦場で死んだのでしょうか?
アフリカのどっかで、ということは分かっているのですが・・・・・・。

また、それは何のための戦争だったのかということもお教えください。
788世界@名無史さん:2001/05/26(土) 02:00
>>778
今も新聞では名前の最後で略して呼んでる…。
なんでだろ?

>>782
タラス河畔の戦い…?

>>787
二代目かどうかは知らないけど、常勝軍の将軍と言うとゴードンかな。
彼が戦死したのは世界史の教科書にも出てくるスーダンのマフディの乱のときです。
マフディの乱は、19世紀の末にスーダンの宗教家が
救世主(アラビア語でマフディ)を名乗って
イギリスの植民地進出に反乱をおこした戦争。
ちなみにマフディの子孫は今もスーダンで政治家・宗教家として実力を持っているらしい。
789世界@名無史さん:2001/05/26(土) 21:52
age
790782:2001/05/26(土) 23:06
なんか唐とイスラム系の国が戦って紙が東から西へ伝来するきっかけになった戦いらしいんですが…
791世界@名無史さん:2001/05/27(日) 00:10
イギリスの徴兵制度が出来たときの徴兵条件(何歳までとか)って
わかりますか?
792世界@名無史さん:2001/05/27(日) 04:24
ラクシュミバーイーのことを詳しく教えて頂きたい
793788:2001/05/27(日) 07:32
>>790
マジで知らないんですか…。
有名なのに。
「タラス河畔の戦い」(湖畔ではない)。
7世紀末から8世紀にかけて中央アジア、
マー・ワラー・アンナフルのオアシス地帯に進出した
唐とイスラム帝国の先遣隊同士が激突した戦い(751年)。
唐軍を率いていたのは高句麗人の高仙芝、
イスラム軍の司令官はアッバース朝の武将ズィヤード・イブン・サーリフ。
結果は唐軍の敗北で、このとき捕虜になった中国人に紙職人がいたため
これ以降サマルカンド以西に製紙法が伝わったと言われる。
794考える名無しさん:2001/05/27(日) 09:37
おお、ありがたい。
漢字間違ってましたか。
どうも。
795世界@名無史さん:2001/05/27(日) 17:50
>>792
ジャンイー王国とかいうインドの小国の妃。
当時のイギリスとの協定により、「嫡子のいない国は即合併」といって国を滅ぼされた。
彼女は、後のセポイの乱に参加、一軍団を率いて勇敢に戦った。
勇敢だっただけ。
796考える名無しさん:2001/05/27(日) 19:54
で、タラス河畔の戦いについて引き続き質問なんですが…
当時、紙梳き職人が連れて行かれたのは検索してみたところサマルカンド
というところらしいんですが、そこの(当時の)街の様子などがみれる
HPや資料はないでしょうか?

それと、当時の紙梳きの方法についても知りたいんですが…。
797世界@名無史さん:2001/05/27(日) 19:55
age
798Cavabien:2001/05/27(日) 20:19
>>795サン
 特に軍事的才能があった訳ではないんですよね。
 ジャンヌダルクタイプかな。
799788:2001/05/27(日) 23:46
>>796
サマルカンドくらいちょっと検索かければ
旅行案内がたくさん出てくるんじゃないでしょうか?
中央アジアの(元)中心都市だから。
サマルカンドはもともとソグド人の都市で、
オアシス農業と東西交易で繁栄。
タラス河畔の戦いのころはイスラム勢力の支配下にはあったものの、
まだまだイスラム教徒の数は少なかったらしい。
その後サーマーン朝の元でペルシア語を話すイスラム教徒の街になり、
カラハン朝からホラズム朝の時代に徐々にトルコ化も始まるが、
チンギス・ハンの遠征で市街と城壁を破壊され、いったん衰える。
しかしモンゴル帝国の時代のうちに新市街が復興を見せはじめ、
ティムール朝時代には帝国の首都として未曾有の繁栄を達成する。
ティムール朝がシャイバーニー朝に滅ぼされてからは
ブハラ・ハン国の一支配都市になり、現在はウズベキスタンの地方都市。

紙梳きについては全然知りません。
800世界@名無史さん:2001/05/28(月) 12:51
確か、ラクシュミーバーイはジャーンシー藩国の公妃でセポイの反乱で活躍した人。
インドのジャンヌダルクって呼ばれてる。専修大学の入試問題ででてた。
801コピぺしちゃうけどさ、:2001/05/28(月) 21:22
今日の読売新聞朝刊に載っていた一件について、
この板では何も話題が出ていないのは何故!?
802あるケミストさん:2001/05/28(月) 22:16
>>799
ありがとうございます。
もう少し調査してみます。
803七資産:2001/05/29(火) 01:52
>>801

何か載ってた?見てないからわからん
804世界@名無史さん:2001/05/29(火) 06:08
>>803
第二次世界大戦中の、ドイツが行ったとされてきたポーランド東北部イェドワブネ村でのユダヤ人虐殺事件が、
実はポーランド人によって行われた、という記事だと思われ。
805世界@名無史さん:2001/05/29(火) 07:36
>>801>>804
へ〜、うち毎日を取っているけど、そんな記事を見落としていないかもう一度見てみるよ。
806七資産:2001/05/29(火) 10:13
ロシア帝国と大日本帝国の戦闘と、
その数年後の日帝シベリア出兵には、何か因果関係は有りますか?
807日本@名無史さん:2001/05/29(火) 12:39
>>806
あるともいえますが、ないともいえます。

日露戦争というものが、満州がロシア勢力圏になることを
阻止し、それによって朝鮮を安全化し、さらにそれによって
日本本土の安泰を図るという目的の戦争であったことは
確かです。防衛か侵略か、と言い出すと荒れるから
やめときますが。

つまり、当時の日本はロシアという国が太平洋を渡って
本土に攻め込んで来るか、そうはならないまでも大陸の
沿岸部を制圧して有形無形の影響力を及ぼしてくることを
恐れていたのです。国力の差がありすぎますからこの恐怖は
当然のものだと思います。

さて、ロシア帝国が滅びてソヴィエト政府が誕生しました。
新しい政権は共産主義勢力です。しかも最初は世界革命論とか
唱えて「革命の輸出」を図っておりました。こいつはまずい、
日本まで赤化されてはたまらん、問題の元を断つと同時に
こんな危険な国は滅ぼして元のロシア帝国を復活させよう、
帝政の方がまだマシだと考えて行われたのが各国協同のシベリア
出兵ですね。

つーわけで、直接関係はない(たとえば日露戦争のリターン
マッチなんて性格のものではない)けれど、大きく見れば
目的は似たようなものです。大陸ロシアから日本に与える
影響力を出来るだけ弱めたい。こういうことだと思います。
808ものずき:2001/05/29(火) 15:11
ハプスブルグ家やアメリカ大統領の紋章は双頭の鷲、フセイン大統領の紋章は単頭の鷲、何故?
809世界@名無史さん:2001/05/29(火) 15:22
双頭の鷲はもともとはローマ帝国の象徴。
810世界@名無史さん:2001/05/29(火) 16:10
イラクの鷲はアラブ民族主義の象徴…だったはず。
ローマ帝国のものとは別系統です。
811世界@名無史さん:2001/05/29(火) 16:53
朝鮮戦争時の米兵による朝鮮民間人虐殺事件について誰か教えて下さい。
812ものずき:2001/05/29(火) 18:46
日中戦争末期の中国戦線のいわゆる三光作戦とか、ベトナム戦争の戦略村作戦などと同じに共産ゲリラは暴力的に村人に協力を強制する。反対勢力からみると、村人は共産勢力にみえるので、殺してしまう。
813名無しチェケラッチョ♪:2001/05/29(火) 21:23
「双頭の鷲の旗の下に」って、なんだっけ?曲名?書名?
814世界@名無史さん:2001/05/29(火) 21:26
>>813
そーゆー行進曲があるよ。
さらにもっとオリジナルになるものがあるのかは分かりません。
815世界@名無史さん:2001/05/30(水) 21:45
あげ
816世界@名無史さん:2001/05/30(水) 21:49
ナポレオンが死因は毒殺にしろ、病死にしろもう少し、70歳か80歳まで生きていたら、
島流しを解かれてフランス、あるいはコルシカに帰ることも出来たでしょうかね?

なんかかわいそうな最期なんで・・・・・・・・・・。
もし彼が存命だったら、ナポレオン3も当選できなかったように思えるのですが。
「真の英雄は死んだ英雄だけだ」byヨーロッパの歴史家(名前は忘れた)
817世界@名無史さん:2001/05/31(木) 00:52
age
818ものずき:2001/05/31(木) 08:41
南満州鉄道を妨害するため錦州の南コロ島に港湾施設を作ったとあるが、錦州は内陸都市でどうやって妨害するのだろう?
819世界@名無史さん:2001/06/02(土) 07:04
ドレフュス大佐には確固とした謝罪と正式な賠償はなされたのでしょうか?
820世界@名無史さん:2001/06/02(土) 11:47
むかし、なにげなく借りたビデオがドレフィス事件の話で知らないで借りてびっくりした。題名は忘れました・
821世界@名無史さん:2001/06/02(土) 13:00
>>819
何十年もたってからなされました。
822世界@名無史さん:2001/06/04(月) 11:14
WW2終戦後、イタリアやドイツに配属されたGHQは、
それぞれ誰が米軍から総司令官になったんですか?
後、それぞれ、具体的にはどのような国家矯正政策が施行されたんですか?
823アマノウヅメ:2001/06/04(月) 13:52
>>819
ドレフィス大尉には損害賠償はされてないと思います。
フランス政府としての謝罪はきちんとしていますが、
ミッテラン時代ではなかったでしょうか?

専門の方お願いします。
824世界@名無史さん:2001/06/06(水) 20:48
もし、バイエルン・プファルツや旧東ドイツ地域が連邦から独立しても、EUにはいれてもらえないのでしょうか?
825世界@名無史さん:2001/06/07(木) 07:33
独立の仕方によるんじゃないの。
現ドイツと平和な交渉で独立したらEUに入れてもらえるでしょう。

で、なに、EUでのドイツ票増やすの?(w
じゃ、ザクセンも独立かな。
826世界@名無史さん:2001/06/07(木) 12:32
>>824
しかし、これから統合に向かおうってのに何でまた独立なんかするかねえ。
827世界@名無史さん:2001/06/07(木) 21:25
ザクセンと言えば、どうしてザクセンの位置はドイツの中でずれて行ったのでしょうか?
828世界@名無史さん:2001/06/07(木) 22:33
ウィーン議定書でも固有の領土をもぎとられたりしてねえ・・・・・・。

バイエルンやザクセンといった旧領邦の王侯たちは、統一後は称号とかどうなったのでしょうか?
829田中洸人:2001/06/08(金) 02:19
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3422/mat11.htm
ここを見てください。夏は冬よりも太陽から遠いことがわかります。
830世界@名無史さん:2001/06/08(金) 21:22
>>828
第二帝国では一応バイエルン王は名乗っていたんじゃないでしょうか。
実質は無くても。
ワイマール共和国の時には完全消滅なのかな。
831世界@名無史さん:2001/06/08(金) 21:37
Q.火炎瓶のことをモロトフ・カクテルと呼ぶのはなぜですか?
そういえば、焼夷弾も「モロトフのパン篭」ですよね?
832831:2001/06/09(土) 00:45
誰か〜!
明日IRAの入団試験なんです。
833自転車小僧:2001/06/09(土) 03:11
>832
カソリックの司祭に相談なさい。
834世界@名無史さん:2001/06/09(土) 08:24
IRAと言えば、シンフェイン党とアルスター統一党を思い出す。
どっちがどっちだったっけ?(w
835世界@名無史さん:2001/06/09(土) 08:29
ケルト族以前のヨーロッパ原住民について教えてください。
特にケルト族がくる以前に
グレートブリテン島にいた種族って何族でしたか?
836名無し組:2001/06/09(土) 11:18
>835
それはおそらく”ストーンヘンジ”を造ったといわれる、
 ビーカー族
 だと思います。
837世界@名無史さん:2001/06/09(土) 17:57
>>836
ビーカー族とは
どういう系統の民族で
どういう民族だったのですか?
838けるとcmj:2001/06/10(日) 07:10
おーい。この板には雑談スレは無いのか?
839世界@名無史さん:2001/06/10(日) 08:04
>>838
ざっと検索してみたけど、スレタイトルに「雑談」が入ってるのは無いみたいね。
840世界@名無史さん:2001/06/10(日) 10:55
>831
フィンランド人がソ連外相モロトフにちなんでつけた。
モロトフめ!これでもくらえやゴルァ!って感じ。
841831:2001/06/10(日) 11:12
>>840
おお!やっとレスが!サンクスです。
842シンディ・ジーンズ:2001/06/10(日) 13:04
>837
 紀元前1800年頃にドイツ・ラインラント辺りにいたらしいが、
 詳しいことは分かりません。
 ‘ビーカ−族‘で検索してみて下さい。
 多分、この程度の情報しか出てないと思うけど。
843シンディ・ジーンズ:2001/06/10(日) 13:07
>842追加
 BC1800頃にブリテン島に移住、です。
 中途半端な情報でゴメンナサイ。
844アマノウヅメ:2001/06/10(日) 16:17
トラスタマラ家について知りたいのですが。

トマスタマラ家のエンリケが、異母弟のカスティリア王ドン・ペドロ
を内乱で殺して王位を奪ったのは知っています。
メリメの史伝があるから。

しかし、カスティリア女王のイサベルもアラゴン王のフェルナンドも
トラスタマラ家で、又従兄弟になるというと、何時どうして
アラゴンまで手に入れたのかさっぱり解らない。

同じ人物が両方の王を兼ねたはずはないし、それなら同君連合になってるだろうし。

誰か教えてください。
845世界@名無史さん:2001/06/10(日) 16:46
>>844
へ〜。
「アルカサル」を9巻まで読んでいるんだけど、エンリケ君はとうとう報われるんだ〜。
ハッピーエンドでよかったよかった(^^)
846世界@名無史さん:2001/06/10(日) 18:49
>>838
田中芳樹スレが雑談スレだそーです。
定期的に粘着な人が上げてくれるので。
847世界@名無史さん:2001/06/10(日) 21:48
>>845
エンリケが報われるのがハッピーエンドなのか、あれ。
それにしても続きが出なくなってしまったね>アルカサル。
848おーでぃん:2001/06/10(日) 22:36
>>847
もうあれで完結したんじゃないの?
「あそこで終わらせたのは正解だった。あれ以上続けると、読むに耐えられなくなる」と言う意見もあった。

高校の教科書や図表ではあのあたりのイベリア半島史が載っていなくてやきもきした想い出がある。
849トラスタマラ家は:2001/06/10(日) 23:08
カスティーリヤ王エンリケ2世の息子、
フアン1世はアラゴン王ペドロ4世の娘と結婚して
エンリケとフェルナンドの二男を得ました。
兄エンリケは又従姉妹にあたる
元カスティーリヤ王ドン・ペドロ(1世)の孫娘カタリーナと結婚、
カスティーリヤ王エンリケ3世となります。
弟のフェルナンドは兄エンリケ3世の早逝ののち甥フアン2世の摂政となり、
さらに間もなく母方の叔父アラゴン王マルティン2世が亡くなると、
次期国王に選出されてアラゴン王フェルナンド1世になりました。

フェルナンドの息子たちはアラゴンの王になったのちも
カスティーリヤに勢力を持っていたので
従兄弟フアン2世を支持する派と対立して
結局カスティーリヤから叩き出され、
両王国の統合はそれぞれの子、アラゴン王フェルナンド2世と
カスティーリヤ王イザベル1世の代まで引き伸ばされます。


…と、本を見ながら書いたけど…
名前と血縁が錯綜してわかりにくいったらありゃしない。
850アマノウヅメ:2001/06/10(日) 23:43
>>849
ありがとうございました。
ところで、その本の著者、書名、出版社を教えてくださいますか。
ただし、当方は英語・フランス語が多少できる程度(限りなく少に近い)
なので、スペイン語は読めません。
851849:2001/06/10(日) 23:58
>>850
あ、日本語です。
山川世界各国史(新版)のスペイン・ポルトガル史ですよ。(笑)
ちょうど偶然今日図書館から借りてきたところだったので…。

立石博高(編)『スペイン・ポルトガル史(新版 世界各国史16)』山川出版社、2000年。
852名無しさん:2001/06/11(月) 00:07
このスレと《くだらねぇ質問はここに書き込め!@世界史板》とは
どう違うのでしょう?
853世界@名無史さん:2001/06/11(月) 00:35
>>846の補足です。
田中芳樹の名前を見るだけでウンザリという住人が多いから、
あのスレが雑談スレになった経緯を↓読んで把握しうえでsageでやってちょ。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=983166405&st=346&to=346&nofirst=true
854世界@名無史さん:2001/06/11(月) 07:44
>>852
違わないです。
こちらが先に立っていたのでこちらを先に消化した方が良いと思います。

あなたの様に迷う人が出ない様に。
855世界@名無史さん:2001/06/11(月) 07:46
>>852
むこうが後から立てたものです。
再三、「立ててしまったものはしょうがないからこっちの質問スレを先に消化しろ」と言ってもいまだむこうに書き込む人は増えません。

ですから、このスレの最後のレスは「続きは『くだらねぇ質問は・・・・・・・・』でお願いします」ということになるでしょう。
856855:2001/06/11(月) 07:47
う・・・・・・重複だ。
しかもタイプミス 「増えません→絶えません」
欝脱脂膿。
857世界@名無史さん:2001/06/11(月) 12:23
>>855
でも向こうのスレって、質問に対してやけに素早い回答があるよね。
なんでだろうね(w
858異邦人さん:2001/06/11(月) 12:25
>>854-856
一応あっちは「くだらない質問」ってことになってますし、現状を
見る限りは、スレが二つ在ることで質問が分散し、レスの交錯が適
度に抑えられて読みやすくなってると感じてます。
二つ在ることが、良い方に機能してるように思うのですが。

ps. 何を持って「くだらない質問」とするかは、人それぞれのよう
ですね。
859852:2001/06/11(月) 21:28
>>854-858

回答有難うございました。
この板は初心者で、なぜ質問スレが2つあるのか悩んでしまいました。
むこうは「くだらねぇ・・・」とあるから、おもに厨房質問か?とか。

世界史大好きで昔から本を読みあさってたんで
このスレにも住み着きたいと思ってます。
また、よろしくお願いします。
860世界@名無史さん:2001/06/11(月) 21:30
ちょっとこのことで悩んでます
えっと19世紀のヨーロッパの社会のことなんですけど
どうして産業革命はイギリスで最初におこるのでしょうか?
以下のキーワードを使って文形式にせよと言われています
@政府の姿勢→貿易と海外進出を後援
A国内市場の形成→自由な市民革命(ピューリタン革命、名誉革命)
B豊かな地下資源→石炭、鉄鋼etc...
C広大な海外市場→製造業を刺激
D農業革命→共有地や荒れ地を囲い込み運動として取り込む

勝手なお願いですいません。どうか、お力添えをお願いいたします。
861世界@名無史さん:2001/06/11(月) 23:23
そんだけキーワードが解ってれば十分書ける。
つか、親切な宿題だね。
862世界@名無史さん:2001/06/11(月) 23:39
>>860
それだけそろってても無理かい?
863世界@名無史さん :2001/06/11(月) 23:48
蒋介石って日本人学校行ってたんですか?
864860:2001/06/12(火) 00:19
御願いします
よくどれがどうなって・・・というのがはっきり掴めないんです
何とか、御願いできませんか?
865世界@名無史さん :2001/06/12(火) 03:53
最近『ボルジア家』(M・ジョンソン、中公文庫)を読みまして
ボルジアに感心湧きました。
スペイン系ボルジアはチェーザレ亡き後も連綿と栄え続けたみたいなこと
が載ってますが現在、ボルジアの末裔っているんです?
866世界@名無史さん:2001/06/12(火) 07:38
>>863
清朝の時代に官費留学生として日本には来てるみたいだね。
867世界@名無史さん:2001/06/12(火) 08:28
>>865
手もとに資料がないのでうろ覚えですが。

作家・批評家の堀田善衛に『ゴヤ』という大部の評伝的作家(ゴヤ)評論があります。
もう何十年も前に書かれた本ですが。

私の記憶が確かなら、この本の中に、ゴヤ作の美術品を実際に観るために各地を旅した堀米氏が、フランスでボルジア一族末裔の貴族宅を訪れた際のことが簡単に書かれていたと思います。
86887:2001/06/12(火) 08:49
むぅ。部分訂正します。

×>ゴヤ作の美術品を実際に観るために各地を旅した堀米氏が、

◎>ゴヤ作の美術品を実際に観るために各地を旅した著者の堀田氏が、

869名無しさん:2001/06/12(火) 10:36
>866
ありがとうございます
中国にある日本人学校の出身と聞いたのですが・・・
870日本@名無史さん:2001/06/12(火) 11:59
>>869
逆です。清から来た留学生のために日本陸軍が東京の牛込につくった
振武学校に留学しています。その後新潟の高田の砲兵連隊に
所属して隊付将校として陸軍の実務を学んでいます。
871名無しさん@そうだ選挙にいこう:2001/06/12(火) 15:31
>870
なるほど
ありがとうございます
日本にはやはり・・・・ということですね
872865:2001/06/12(火) 17:04
>>867
ありがとうございます。
早速読んでみまーす。
873世界@名無史さん:2001/06/13(水) 19:17
教会の十分の一税って、どうしてあんなに悪く言われるんだい?
874世界@名無史さん:2001/06/13(水) 19:17
十分の一税って、どうしてあんなに悪く言われるんだい?
875おーでぃん:2001/06/13(水) 21:40
本来は、清貧をモットーとするはずの教会がヨーロッパ中から集めた金で何をやっていたかがばれたからじゃない?

例)サン・某大聖堂の建築
876世界@名無史さん:2001/06/13(水) 23:28
コピペで申し訳ないですが真面目です
綺麗にヒッタイトの街を破壊し尽くし、様々な謎だけを残してくれた
「海の民族」の正体はなんですか?
どうしてエジプト帝国に事実上勝利したヒッタイト帝国はこの
素性の知れない「海の民族」に敗れ滅びたのですか?
877世界@名無史さん:2001/06/13(水) 23:29
あげ忘れましたごめんなさい
878世界@名無史さん:2001/06/14(木) 00:12
過去にあったらすいません。
1900年前後の中国地図をみると日本の勢力範囲は福建省になってるんですが、
ここはその後、どう経営されたんでしょうか?
879司馬○:2001/06/14(木) 01:42
ぺりして人
880世界@名無史さん:2001/06/14(木) 07:35
>>876
海の民の正体は依然不明なままではなかったっけ?
881世界@名無史さん:2001/06/14(木) 09:27
>>873
>>874
>十分の一税って、どうしてあんなに悪く言われるんだい?

ルターとかのことかな?
882アマノウヅメ:2001/06/14(木) 19:11
>>865
ボルジア家の子孫は実在します。スペインではホルヘと呼びます。
元々、有名なボルジア家の方が分家だから、坊さんになったわけです。

本家で有名なのはフランシスコ・ホルへと言う人です。
ガンディア地方の領主の長男として生まれカルロス5世とイサベル皇后の
信任が篤く侯爵に任じられました。
妻は皇后の侍女で5男3女の子供がいます。

この人の人生の転機となったのは、皇后の葬儀委員長を勤めたことです。
イサベル皇后は美貌で人格高潔で非難の余地が無いといわれた人ですが、
難産のため苦しみぬいて亡くなった為、その死に顔を見た後のフェリペ
2世は卒倒したと言います。

この、イサベル皇后の廟で無常を感じる聖フランシスコ・ボルジア
という画題はかなり好まれたようです。
ゴヤが頼まれたのもこれです。

このフランシスコは有能な政治家であったため、なかなか出家を
許されませんでしたが、長男に後を譲り、イエズス会に入会し
三代目総長になっています。

ボルジア家では分家の評判が余りにも悪いため、列聖された
このフランシスコの宣伝に熱心でした。
883世界@名無史さん:2001/06/14(木) 22:30
>>878
ジョン・ヘイの影響で放棄したんじゃないの?
知らないけど。
884世界@名無史さん:2001/06/15(金) 12:43
>>878
1898年の福建省不割譲条約(4・24)を根拠に日本の勢力圏色に塗られてるらしい。
885名無しさん@1周年:2001/06/17(日) 02:59
分裂時代のベルリンについて質問(既に歴史といっていいと思います)。
@ベルリンの壁は西ベルリンを完全に取り囲んでいたのか(そうでないと無意味なはず)?
A亡命者はなぜ東西ドイツの国境でなく、より困難だと思われるベルリンの壁を超えようとしたのか?
B1948年〜49年の大空輸作戦の時、ソ連はなぜ輸送機を撃墜しなかったのか?
C西ベルリンの電気・ガス・水道は東ドイツから供給されていたのか?それを止められたことはないのか?
D西ベルリンにはどんな産業があったのか?それで経済が成り立ったのか?
886世界@名無史さん:2001/06/17(日) 07:47
>>885
2.身近にあるからじゃないでしょうか。目の前にあるとやはりふらっと越えたくなるのが心理かも。
3.それをやっちゃ全面戦争です。封鎖・空輸はどちらも武力行使は未だしていない段階ですから。

誰か詳しい人、フォローしてえ。
887885:2001/06/17(日) 14:41
>>886 ありがとうございます。
一部エンカルタに載っていました。
@取り囲んでいたようです。
>高さ4m、総延長166kmの壁がつくられた。45kmが東西ベルリンをへだてる境界で、残りは西ベルリンをかこむ境界となった。
D
>電気製品や電子機器、大量の機械・金属・織物・衣服・化学製品・印刷物・加工食品が生産された。国際金融や学術、研究、映画産業の中心としても発展する。高速道路や鉄道、運河、空路で西ドイツとむすばれていた。テーゲル、テンペルホーフ、ガートには空港がある。
しかしあんな風に隔離されていて、カントリーリスクの塊のようなところが産業の立地に適しているとは思えない。西ベルリン振興のための優遇措置があったのだろうか。
また、西ドイツと結ぶ高速道路や鉄道は途中で降りられたのだろうか。
888世界史好き人間:2001/06/17(日) 17:45
>>1
いつも不思議に思っているのですが
200〜300人のスペイン人が南米の帝国を征服したのは
“銃”すなわち小火器があったからではないのですか
他の世界から“白い人”が征服にやってくるというだけではない。文献もない。
銃があれば目の前にいる人間をやっつけることができるのですから
なんぼでも進軍できるわけです
大航海時代とは結果的に西洋人が勝手に称しているのではないでしょうか。

日本でも”銃”を織田信長がうまく利用したが(世界一の数の銃であった)
その後は秀吉家康が回収してしまった
坂本竜馬は西洋人から何千丁もの銃を手に入れた
889世界@名無史さん:2001/06/17(日) 17:57
欧州中世の農民の取り分は、十分の一税、来年蒔く分、領主に納める分etcを
除いた後はどれくらいのこるのでしょうか・・・?
できれば、古典荘園と純粋荘園や国ごとの違いも教えてほしいです。
890世界@名無史さん:2001/06/17(日) 18:00
>>888
小火器の存在は個別の戦況を左右しましたが。
より重要な要因は帝国内の多民族統治が行き詰まっていた状況に
スペイン人の来訪があったこと、と考えれれています。

詳しくは下記の本、他を。

カルメン・ベルナン、『インカ帝国 太陽と黄金の民族』(知の再発見双書6)、創元社
ISBN4-422-21056-4
891P:2001/06/17(日) 18:03
教科書などを見ていて思うんですが、
どうしてみな、民族などの「統一」という方向に向くのでしょう。
利権を求めての領土の拡大、なんていうはなんとなくわかるのですが。
分立したままじゃ、だめなんですかねぇ。
多くの血を流して、統一ってしなくちゃいけないもの?
892世界@名無史さん:2001/06/17(日) 19:08
>891
国ごとに通貨、度量衡、税制等が異なると
商業活動、物資の流通が不便という事情がありますね。
始皇帝の事業やECを見ればおわかりでしょう。

もちろん、統一しなきゃいけないってもんでもないですけどね。
ドイツ民族はドイツとオーストリア、それぞれの国で繁栄してます。
893世界@名無史さん:2001/06/17(日) 21:12
>>888
病原菌もね。
あれで相当アメリカ大陸の先住民は相当死んだから。
それだけとは言わないけどね。

ところでここは>>1さんだけが答えてる訳ではありません。
894世界@名無史さん:2001/06/17(日) 22:54
質問いいですか?
第二次大戦の枢軸国それぞれのめざす新秩序とはなんですか
あと、ソ連はナチスと比べ、兵器の大量生産に成功したそうですがそれについての
詳細と、ヒトラーとスターリンのそれぞれの専門家との関係について教えてください
スターリンは助言をよく聞いたと聞きましたが。
895ミリンダ王:2001/06/17(日) 23:42
インド仏教は滅んだが、ほぼ同時期に成立したジャイナ教は
仏教と酷似した教義だったにも関わらずなぜ現在まで消滅せ
ず存在してるのでしょう。
なにとぞ、ご教授ください。m(_ _)m
896>>888:2001/06/18(月) 00:08
>大航海時代とは結果的に西洋人が勝手に称しているのではないでしょうか。
えっと・・昔は「地理上の発見の時代」とよばれていました。それがあまりに西欧中心だから、と教科書で「大航海時代」と書き換えられた訳です。
897>888:2001/06/18(月) 00:10
「大航海時代」は、昔使われていた「地理上の発見の時代」があまりに西欧中心ってので改められた名称です。
その辺ご注意。
898世界@名無史さん:2001/06/18(月) 07:44
>>894
>第二次大戦の枢軸国それぞれのめざす新秩序とはなんですか
ドイツ:生存圏の確立
イタリア:ローマ帝国の再興
日本:大東亜共栄圏の確立
どこまで本音かと言うのは別にして。
899世界@名無史さん:2001/06/18(月) 08:25
>>895
仏教、滅んでないじゃんよ。
900世界@名無史さん:2001/06/18(月) 08:31
>>899
>インド仏教は滅んだが、ほぼ同時期に成立したジャイナ教は (>>895

インドでは教団が(一時)消滅した、って話でしょ。
今はマイナー教団としてあるみたいだけどね。
901世界@名無史さん:2001/06/18(月) 08:34
>>895
あまり決定的な要因ではないかもしれませんが。

イスラム侵出の際に、すでにヘレニズムの影響を受けて、
仏像、仏画を持っていたインドの仏教寺院は、偶像崇拝の関係で
破壊されたかに聞いています。(あまり確かな知識ではありません)

ジャイナ教の方の図像がどのようであったかも知りません。
が、その辺の関係はあるのかもしれません。
902オシエテクン:2001/06/18(月) 08:40
アウストラロピテクスが共食いだったって本当?
903世界@名無史さん:2001/06/18(月) 18:16
@ポルトガル植民地をめぐる第二次大戦中の争いについておしえてください
Aイタリア敗戦時、ムッソリーニは逮捕されたそうですがその背景について教えてください
904異邦人さん:2001/06/18(月) 18:29
 このスレも900を超えて、後継スレッドをどうするか考えねばならなく
なりましたね。世界史板に質問スレが二つ在ることに疑問を呈される方も居
られるようですので、後継スレッドは建てずに、この機会に一本化しちゃい
ますか?

 個人的な意見としては、もう一方の名前が『くだらねぇ質問は……』なん
で、単発の質問でスレ建てる御仁が増えはしないかという心配と、平行して
二つ在る方が質問が分散して回答レスが読みやすいという2点で、このスレッ
ドの後継を作ることに一票なんですが。
905ミリンダ王:2001/06/18(月) 18:43
インド仏教&ジャイナ教の質問にお答えいただいてありがとう
ございます。(しかもマジレス)m(_ _)m
やはり、イスラム勢力による仏画とか仏像の破壊が大きかった
のでしょうね。
ジャイナ教の宗教絵画は見たことないですからね。

あと、今もインドに少数ながら仏教が残っているというお話で
すが、それは後世の運動家が新たに起したいわゆる「新仏教」
のことではないでしょうか?
釈迦牟尼の道統は長期にわたって断絶したのではないでしょう
か?
厨房な質問で申し訳ありません。m(_ _)m
906世界@名無史さん:2001/06/18(月) 18:48
スレッド多すぎ。900こえたんだから『くだらねぇ質問は……』の方に1本化しよう。
907世界@名無史さん:2001/06/18(月) 20:42
それじゃあ以降の質問は下記のスレへ。
未解決の疑問もできるだけ移動をお願いします。

くだらねぇ質問はここに書き込め!@世界史板
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=984814136&ls=50

>>895
仏教は教団組織が肥大化してサンガが財宝の山になってたので
ムスリムの略奪の対象になりやすかったという話も。
同じようにヒンズー教寺院も略奪されただろうけど、
こっちは仏教よりもずっと民衆に根づいていたから滅びなかった、と。

>>905
そうですね、たしか現代インドの仏教教団は
スリランカからの逆輸入のはず…。
908世界@名無史さん:2001/06/18(月) 21:36
このスレも寿命を全うしたねえ。
909世界@名無史さん:2001/06/19(火) 01:32
>>906
「俺の質問はくだらなくねぇ」って質問スレッドを立てる
奴が続出すると思う。スレッドひとつケチったが為に、駄
スレが乱立してしまったら本末転倒じゃないのかな。


910異邦人さん:2001/06/19(火) 18:02
>>906
単発質問を吸収して駄スレ乱立を抑える為のスレッドが『くだら
ねぇ…‥』では、あまり効果を発揮出来ないような気がするんで
すけどねえ。

どうしても一本化が必要であるのなら、いっそのこと両方のスレッ
ドを停止して、新しく総合質問スレッドを立ち上げた方が効果的
だと思うのですが、如何でしょうか?
911世界@名無史さん:2001/06/20(水) 00:33
初心者のため一回あげまする。
912世界@名無史さん:2001/06/20(水) 08:43
>>909
そんな真面目な人間はいないよ〜。

終了しているので一応sage
913世界@名無史さん:2001/06/20(水) 11:59
>>912
自分を基準にして物事を考えてはだめだよ〜。
914世界@名無史さん:2001/06/20(水) 13:01
他所の板でも見かけるけど>『くだらねぇ……』
そこまで貶めた書き方しなくてもねえ・・・
915異邦人さん:2001/06/21(木) 17:52
くだらねぇなあと思う質問が多いことは認めますが、全部が全部そうでは
ないですし、質問者自身が自分の質問をくだらないと認識してない場合、
『くだらねぇ質問は……』のスレには意地でも書かないという困った人も
出てくるでしょう。そんな理由で新スレを何本も建てられてしまっては、
質問スレを一本化した意味が無くなってしまうと思うんですけど。
916世界@名無史さん:2001/06/21(木) 23:23
「くだらねぇ」の判断基準なんてどうせいい加減でしょ。
そもそも『くだらねぇ質問は……』のスレは
どこの板にでもあるたんなる質問スレだろうが。
「くだらねぇ」の部分は伝統的に飾りでつけてるだけで
文字どおりの意味があるわけじゃないんじゃないの?
917世界@名無史さん
> 「くだらねぇ」の部分は伝統的に飾りでつけてるだけで
> 文字どおりの意味があるわけじゃないんじゃないの?

そういうふうに全員が判ってれば問題ないんだけどね。
だいたい単発の質問スレなんか作るヤツって、新参のビギ
ナーや自意識過剰で自己中な連中だろ。「くだらねぇ」て
言葉がクリティカルヒットすることって多いんじゃない。