x 欧州アフリカ新大陸一部中東 y その他アジア一部中東
Dx:フィリッポス2世、アウレリアヌス、ヤン・ジシュカ、フリードリヒ2世、大モルトケ、ケマル
Dy:光武帝、イスマーイール1世、セリム1世、ナーディル・シャー、衛青
Ex:セウェルス、トラヤヌス、 バシレイオス2世、バヤジット1世
Ey:王翦、韓信、シャープール1世、マフムード、トゥグリル・ベク、ムハンマド・ビン・トゥグゥルク
Fx:サラディン、ハーリド、ピョートル1世、グスタフ・アドルフ
Fy:木汗可汗、エセンハン 、アッバース1世
議論中
【欧州アフリカ新大陸一部中東】
ポンペイウス、ユリアヌス(ローマ)、ヨハネス・クルクアス、ヨハネス1世ツィミスケス(東ローマ・マケドニア朝)
アッティラ(パンノニア・フン)、ブルツ(マジャール)、ガイセリック(ヴァンダル)、ロベール・ギスカール(中世シチリア王国)
アルフレッド大王、リチャード1世(イングランド)、クヌート(デンマーク)、カール12世(スウェーデン)
ヴァレンシュタイン(神聖ローマ)、アッラフマーン1世(後ウマイヤ)
(中東)サルゴン(アッシリアかアッカド)、アッシュールバニパル(アッシリア)、ヌールッディーン(ザンギー朝)
(アフリカ)スンニ・アリ(ソンガイ)、サモリ・トゥーレ(サモリ帝国)、シャカ・ズールー(ズールー王国)
(新大陸)パチャクテク(クスコ)、シモン・ボリバル(南米)、ロバート・E・リー(南部連合)
【その他アジア一部中東】
アショーカ(マウリヤ)、バーブル、アクバル、アウラングゼーブ(ムガル帝国)、ティプー・スルタン(マイソール王国)、シェール・シャー(スール朝)
ナレースワン(アユタヤ)、ガジャ・マダ(マジャパヒト)
アフシュワル(エフタル)、トクタミシュ(キプチャク)、ソンツェンガンポ(チベット)、トゥルイ(モンゴル)
ヌルハチ(後金)、孟キョウ(南宋)、拓跋珪(北魏)、檀石槐(鮮卑)、李存勗(後唐)、桓温、謝玄(東晋)、慕容恪(鮮卑・前燕)、項羽(楚)
おつ
やっぱクスコのパチャクテクってシュールだな
5 :
世界@名無史さん:2014/05/24(土) 07:53:02.62 0
アッシュールバニパルよりティグラトピレセルだろ
6 :
世界@名無史さん:2014/05/24(土) 07:56:16.48 0
パチャクテク=「大地を揺るがす者」「世界の変革者」
石斧で武装した歩兵たちを率いて滅亡寸前の都市国家からアンデス世界の半分の覇者へ
ティグラトピレセルはアッシリア最強っぽいけど軍事的名将なのか軍制改革した政治家なのか
よくわからないのが難しい。古代の名将候補に共通する問題だ
詳しい人がきたとき用に候補者にいれておくべきだとは思う
前スレの地域ランクも貼ったほうがいいか?
Fランク以下のとか比較のしようがないだろ
9 :
世界@名無史さん:2014/05/25(日) 06:28:51.30 0
>>8 あまりゴチャゴチャしててもあれだが、
せっかくだから1000行って見れなくなる前にコピーしといた方がいいかな
>>9 去年の秋から過去ログDAT開放中だから
●無しでも1000行っても読めるよ
パチャクテクネットで調べたら700人で10万人倒したとか書いてあたったけど、永楽帝は800で60万倒したんだっけか
12 :
世界@名無史さん:2014/05/26(月) 08:02:12.62 0
パチャクテクの中の人も大変だな
ダレイオスを撃退したイダンテュルソスは焦土戦術の先駆として特筆すべきではないか。
アフリカ
A スンニ・アリ シャカ・ズールー
B ナポレオン1世 ウスマン・ダン・フォディオ ムハンマド・アリー ラムセス3世
C トトメス3世 サモリ・トゥーレ イドリース・アローマ アブドゥルムウミン メネリク2世
D アムル・イブン・アル=アース スンジャータ・ケイタ ユースフ・イブン・ターシュフィーン ラムセス2世
E ラビーフ・アッ=ズバイル テオドロス2世 ネコ2世
インド
A ムハンマド・トゥグルク
B ハルジー、アウラングゼーブ シェール・シャー、アショーカ、マフムード
C サムドラグプタ、バーブル、アクバル、チャンドラグプタ(マウリヤ?)、ランジート・シング、ハルシャ王
D マリク・カーフール、ラージャラージャ1世 ティープー・スルタン
E デュプレクス、シヴァージー、バージ・ラーオ
>>3 議論枠の中国勢ってどうなんだろ
謝玄桓温あたりよりは李広、班超、陳慶之、宋太祖、尉遅敬徳、狄青やらが浮かぶが
それは以下ランク外というよりとりあえず上がってるのだけか
議論枠の中国勢は曹操以上がランクインの暗黙の了解があるからそのラインの人たちだね
五胡十六国が多い気がするが戦乱の時代だし、そういうものだろう
逆に春秋戦国の各国の名将は分裂しすぎているからどうしても落ちてしまう
李牧や白起とかは何度か議論にはなってはいるが
蜀の英雄姜維相手に全勝でしかも陰平越えというトンデモない奇策を用いて蜀を滅亡させたケ艾は名将ですよね!?
古代オリエント
A キュロス大王
B トトメス3世、ティグラトピレセル3世
C サルゴン2世、キュロス、ラムセス2世
C シュッピルリウマ、シャムシアダド、アッカドのサルゴン
E センナケリブ、ハンムラビ、ナラムシン、イアフメス、アッシュールナシルパル
F ピアンキ、ルーガルザゲシ、エサルハドン
G アッシュールバニパル、ホレムヘブ、ダヴィデ
他候補
ムヴァタリシュ、ラムセス3世、カンビュセス2世
オセアニア
A カメハメハ1世(ハワイ諸島統一)
B タウファアハウ(トンガ王国統一者、ジョージ・ツポウ1世)、カヘキリ(カメハメハ以前にハワイ統一に迫ったマウイ王)
モモ、トゥイタトゥイ(13世紀頃にトンガ王国の支配をフィジー・サモアまで拡大した大首長)
ポマレ1世(漂着したバウンティ号の船員16名を傭兵として史上初めてタヒチを統一)
C ラウフィリ・トンガ(タウファアハウの敵対者)
D ワイレム・キンギ(マオリ戦争指導者)、レウィ・マニアポト(マオリの軍事指導者)
E マタトア(イースター島の文明衰亡期に神官たちにクーデターを起こした武官)
ジェリー・マテパラエ(南レバノン・ブーゲンビル停戦監視団長、NZ総督)
ジョージ・スペイト(2000年にフィジーで2か月間国会を占拠)
>>17 史料と地図見ればわかるがケ艾の強行軍って精々数十キロ程度だから
世界史レベルではとんでもないどころか、大した事無い
20 :
世界@名無史さん:2014/05/28(水) 09:53:05.31 0
サンマルティンなんかアコンカグア越えたぞ
さすがに成り上がり度でも名将振りでも征服した人口でも秀吉以下のイスマイルはランク外だろー
22 :
世界@名無史さん:2014/05/28(水) 12:22:14.26 0
秀吉がムハンマド・シェイバーニーに勝てるかな?
23 :
世界@名無史さん:2014/05/28(水) 20:52:44.40 0
石原莞爾はどうよ?
一個師団で満州切り取ったぞ
24 :
世界@名無史さん:2014/05/28(水) 21:26:23.68 0
>>23 それは石原が11歳までの時にやったことなのか?
そうでなきゃ対象外だアホ
>>22 下手したらセリムにも勝つかも。
秀吉の大軍指揮力は馬鹿にならない。
世界史板もID出したほうがいいだろこれ
27 :
世界@名無史さん:2014/05/28(水) 21:59:11.26 0
IDは無理だから
どうしてもというならトリップ付コテ+fusianasanでもやっとけ
古代キンメリアのテウシュパ、トゥグタメ、
古代スキタイのマデュエスとかイダンテュルソス、アタイアスは
オリエントやギリシャの枠組みの外の為なのか、あまり触れられない。
特にマデュエスは古代メディアを奇襲で撃破、オリエント世界を蹂躙したという
ローマ世界を蹂躙したアッティラの先駆のような離れ業をやってのけたにも関わらず。
島津義弘は入れたいな、下のほうでもいいから
木崎原の戦い(自軍二百で三千の伊東軍を撃破)、朝鮮出兵(自軍七千で明軍二十万撃破・帰路の水上戦で朝鮮水軍撃破、李瞬臣を戦死させる)
関ヶ原合戦での有名な島津の退き口(自軍三百で東軍総勢西軍寝返り含め約十万相手に中央突破成功、そのとき戦果として本多忠勝落馬、松平忠吉&井伊直政を負傷させる)
手勢八十名足らずになった後の逃避行中も土民と戦ってこれを殲滅、ついでに人質の妻まで救出して薩摩本国に帰るという戦史上類をみない凄まじさ
>>29 800人で60万人破った皇帝がいるらしい
25人で多国を征服した将軍がいるらしい
31 :
世界@名無史さん:2014/05/28(水) 22:52:45.71 0
>>24 小兵力で30万の軍隊負かしてるじゃんよw
一個師団って13000人だぞ。
張学良の留守中を狙って一方的に襲撃
>>31 奉天軍閥はトップが死んで混乱してて満足に統率もできてなかったんじゃないのか?
34 :
世界@名無史さん:2014/05/28(水) 22:56:18.68 0
>>32 奇襲は当たり前
敵より兵力少ないのに大会戦するアホはおらんわw
北畠が入ってないのは納得いかないんだよなあ
>>34 当たり前のことを当たり前にしただけの莞爾は普通の人じゃん なんの対策もしなかった張がアホなだけで
37 :
世界@名無史さん:2014/05/28(水) 23:06:11.01 0
>>31 だからそれは石原が11歳までの時にやったことなのかと聞いてるんだよ
そうでなきゃ対象外だアホ
日本が話題に出ると荒れる
このスレは20世紀以後は対象外だろ
そもそも石原は時代的に範囲外だろ
かぶったw
>>28 マデュエスは
>>18でいうとカルデアを征服したシュッピルリウマに匹敵するぐらいか。
ていうか
>>18のランキングはキュロスが二人になって、なんか変だぞ
11歳ニキは一体何が言いたいんだ
アレクサンドロスのAはネームバリューの影響が大だと思うんだが
父王時代の軍を率いて倒壊寸前の超大国を下すもスキタイ相手には何もできずに終了
スヴォーロフも不敗ってだけで評価上がりすぎてる感はあるが
(スレチな石原をしつこく推してる奴も大概だが、
11歳言ってる奴はイスマーイールの挙兵年齢(13歳)を勘違いしてるのでは)
46 :
世界@名無史さん:2014/05/28(水) 23:55:33.64 0
>>44 石原が11歳までにやったことでなきゃ20世紀になるから
このスレの対象外だろキチガイ
北畠と島津は世界ランクGかHでもダメなのか
もしくは地域別ランクとかでも
日本人のなかで入れてもいいかと思う数少ない人物なのだが
48 :
世界@名無史さん:2014/05/28(水) 23:56:54.56 0
>>28 アタイアスはとりあえずフィリッポス2世より下なのが確定してるからな
49 :
世界@名無史さん:2014/05/28(水) 23:57:24.59 0
>>45 イスマイールが何の関係あるんだよ
イスマイールなら13歳だろうが100歳だろうが20世紀にならんから関係ないだろボケ
50 :
世界@名無史さん:2014/05/28(水) 23:59:19.90 0
北畠顕家はいいんじゃね
島津というか戦国武将全般、なまじ世間一般に知名度あって虚像が独り歩きしすぎているから
客観的な判定が困難だし、荒れる原因になるだけだというね
義弘がサチョンで20万人破ったとか、非常に胡散臭いと思うんだけど、検証したら絶対荒れる
>>47 曹操が弾かれる最低ラインだから日本統一クラスの実績+αが必要
その基準で見て島津は無理
北畠は日本最高として一番下に入れる可能性がある
北畠を倒した高師直は?
53 :
世界@名無史さん:2014/05/29(木) 00:05:08.57 0
1901年1月1日が機械的な境界線になるわけじゃないぞ。
肝は「個人としての軍事的才能が勝敗を左右する時代の終わり」だ。
この基準に対してもあれこれ批判はつくだろうけど、官僚制的なミリタリー組織が未成立で、
前近代的なカリスマ型マルチタレント軍事指導者が戦場を支配することが可能かどうか。
年表上で明確な境界は引けないけど、おおむねナポレオン戦争が終わったあたりだろう。
54 :
世界@名無史さん:2014/05/29(木) 00:07:59.39 0
>>52 それはトゥグルク・ティムールやジャムカと同じように考えるべきだな
師直は顕家に止めをさしたが、だからと言って師直が顕家と同じ状況で同じことができたか
18歳にして奥州から京都まで2週間で進撃して足利尊氏を一撃で九州までふっとばすという壮挙
>>53 ケマルは個人でトルコを立てたけどヒトラーは国力で頑張ったっていう違いか
>>55 そそ、だから機械的な境界は引けなくて、ケースバイケースで見ていくしかない
石原莞爾は関東軍の軍政組織あっての存在だろ
近現代型の軍人だからスレの対象外になる
ケマルは古代中世でも才能を発揮した可能性があるけど、莞爾は無理だろ
そう考えるとアフマド・シャー・マスードなんぞもスレで評価可能なのかなぁ
それじゃ、ザップもな
59 :
世界@名無史さん:2014/05/29(木) 00:48:27.80 0
コンゴ内乱あたりにも前近代的な軍事指導者ごろごろしてそうだ
となると、やっぱりある程度は年代的な基準も併用する必要があるのかなあ
中川州男や栗林忠道は?
現代までいくと兵器が発展が大くて、先進兵器をもっているかどうかが勝敗に重要になる
だからやっぱり第一次大戦前後が最後でいいんじゃね
イブン・サウードも有りだな
63 :
世界@名無史さん:2014/05/29(木) 12:22:15.59 0
>>61 石原莞爾じゃおkじゃんw
中国軍のほうがいい装備もってたよ
使う人間がアホ揃いだったけど。
米・英・独の軍事援助があったのに弱い蒋介石の国民党軍じゃ
いくらいい装備持ってても負ける。
現代の軍人が出ると話がつまらなくなる
戦車がある時代の機動力、
機関銃と爆弾がある時代の破壊力、
無線がある時代の指揮系統、
航空機がある時代の偵察、
鉄道がある時代の継戦能力
参謀本部がある時代の武将の軍才
そそんなものを古代中世近世の軍事指導者と同じ俎上でで議論できるわけがないだろ。
アレクサンドロスもティムールも、ろくな地図すらなく、丘の向こうに何があるかもわからず、
いつ何どき補給が尽きて兵士が反乱を起こすかも知れぬ軍隊で
己の視覚と聴覚だけを頼りに戦況を把握し、嵐のように変転する戦場で的確な指示を出し続けた。
どっちが上とか下とかではなく、現代の軍人とは生きてる世界が違いすぎる。
>>66 こういうことだよな
現代の将軍と昔の将軍は全く別の能力が必要になってくるから、評価のしようがない
それなら北畠はいるだろ
日本コンプで入れてないだけじゃねーの?
何がそれならになるのかわからん 説明
北畠を推薦しようと思ったが活躍期間が短すぎる点と戦果としては本州西部で
先進地域を撃破や小勢力から勝ちまくってなりあがったわけでもないので無理そうではないかという結論に至った
日本ではおそらく最強候補の一角で間違いないと思うが
日本人が一人もいないのは寂しいな
アジア文化圏に入れようにも日本は日本文化圏と呼ぶべき別モノだと思う
いっそのこと日本人だけのランクを作ったらどうだ、世界史より日本史寄りになるだろうが
日本の場合山城が多く道が狭く険しいから統一しにくいというのも統一者がなかなか出ない要因ではないかと
それに加え蝦夷・本州・四国・九州で島ごとに分かれてるし
72 :
世界@名無史さん:2014/05/29(木) 22:09:11.90 0
>>70 北畠顕家は不思議に強かったけど、どのように強かったのかわからん。
カリスマ?采配?戦略眼?
その辺りがわからないと評価しようがない。
>>66 そういう観点では日本では俗だが上杉謙信と越後衆が最強な気がする。
あくまでも戦術的に、戦場での駆け引きだけど。
不確実な野戦に対する恐怖心が無さすぎる。頭おかしい。
信長は全く逆で、戦略眼、優先順位判断が素晴らしい。
信玄は場当たり外交がイマイチ。
73 :
世界@名無史さん:2014/05/29(木) 22:21:11.00 0
太閤は?
>>70 でんこうせっか使ってる時は少勢力破りながら進んでたんじゃなかったっけ?
上杉越後衆と島津薩摩隼人、どっちが戦国最強だろうか
戦国時代前期上杉・後期島津って感じかね
東の北条早雲
西の尼子経久
シャカとトラヤヌスが戦ったらどうなるの
北畠は美少年属性があるのがよいね
大河だと女優が演じたレベル
>77
トラヤヌスはメソポタミアでゲリラに苦しんだから、
シャカがゲリラに持ち込んで、トイトブルクよろしくイサンドゥルワナで料理する
シャカとスンニ・アリはそろそろ暫定位置としてEかFの結論だしてもいい
スンニ・アリはニジェール川中流を大征服し、30年以上無敗なのでE
シャカはFがいいと思う
スンジャータ・ケイタはどのくらい強かったんだろ
日本勢を入れるにしても楠木正成、源義経らをスルーして
北畠が日本最強として出てくるのはないわ
クスノキは動きがない
楠木は戦いだけなら正成より息子の正儀の方が実は長けていたような気がする
マデュエス≧キュアクサレス
トミュリス>キュロス
イダンテュルソス≧ダレイオス
フィリッポス>アタイアス
はいはいイリヤスホージャ最強トゥグルクティムール最強
>>82 正成は寡兵でのゲリラ戦が突出してるだけで
大軍を率いるのはあんま得意じゃないからな
日本勢は無理だな
実績が少なすぎるし、期間があまりにも短い
数年間ローカル無双は世界をみればたくさんいるし無理にいれる必要もない
岳飛と交代した孟キョウの評価はどんなもんなんだ
90 :
世界@名無史さん:2014/05/30(金) 23:09:28.70 0
イリヤスホージャとトゥグルクティムールはこのスレのおかげで
日本の世界史オタの間における知名度を一気に高めたな
91 :
世界@名無史さん:2014/05/30(金) 23:11:24.67 0
>>87 湊川でしょぼい尊氏に負けて死んだしな
北畠も最後は敗死といえ、高師直はこの時代を代表する一方の勇将だから
北畠>島津ってのがイマイチわからん
対外遠征での実績なら島津がダントツなわけだし
それ以外でも最終的に北畠顕家は敗死したけど逆に島津義弘は生涯を通じ窮地だった幾多の戦場でも戦死・敗死せず勝利を得て帰還、最終的には本領安堵で天寿を全う
>>88 > 実績が少なすぎるし、期間があまりにも短い
本邦は騎兵と砲兵がかなり弱いけど、
7年戦争や30年戦争の機動が戦国時代より高度とは思えんな。
そんな卑下することないと思うけどね。
>>73 秀吉も優先順位は間違えないね。
しかし信長の置かれた状況の方がシビアだったので、
秀吉の戦略眼が信長より優れていたかどうかはわからん。
ただ、秀吉の相手は毛利、明智、柴田、徳川といずれもハイレベルだったけど。
戦場で勝利を収めたのは多数派工作のおかげで、
将軍というより外交官・政治家として評価すべきような。
>>1 アレクサンドロス3世ってフィリポス2世よりそんなに優れてるのかな?
カエサルとハンニバルでカエサルが上というのもよくわからん。
ただまあ、世界史レベルの名将には、合理的・ミスをしないだけでは足りず、
神がかり的なカリスマと幸運も必要だとは思うが。
まあFに日本一人くらい入れてもいいんじゃねーの。
曹操が入れないと考えると微妙だけど。
というかアッバース1世とエセンハンは分かるとして、木汗可汗ってそんな凄いの?
95 :
世界@名無史さん:2014/05/31(土) 07:21:53.39 0
>>94 柔然にとってかわってモンゴル高原の覇者に
地味に獲得領土が冒頓並み
西魏(北周)を服属させる
ただし北斉にはなかなか勝てなかった
戦闘内容という観点で見ると北斉の高洋の方が上
実績で得してる感じかな
獲得領土が冒頓並みってことはチンギスと同等ということでもある。
モンゴル帝国は世界帝国になったけど、チンギス生前はまだけ厥の最大版図と同等。
リーや項羽以上の名将が日本にいるかな
戦術面でなら上位陣と互角にやれるのがいるかもしれないが、実績面での評価ではランク外確実
99 :
織田信長:2014/05/31(土) 20:48:17.76 0
日本とかいう小さい土俵だったら大した実績残せないし、実績残そうとしたら海超えなきゃダメだからな
中国兵は伝統的に弱い
内戦がお似合いの民族
日露戦争名将多すぎて草
大山、乃木、秋山、立見、児玉等々
これ以外じゃ元寇、文禄・慶長の武士くらいしか日本からはエントリーできないと思うがね、実績的に
パンパンステイツのその名将はだれから兵装を譲り受けてたの?
宇宙人?
中国人?
それとも
白人様?
だれだよ。答えろよパンパンの子孫。
104 :
世界@名無史さん:2014/05/31(土) 22:48:19.33 0
>>95 獲得した成果=軍事的手腕とは限らないのは悩ましいよな
ピュロスとかまんまだが
>>102 その中でなら立見かな
戊辰戦争でも活躍してるから
近代の軍事史はつまらない
幕末・維新だとぶっちぎりで大村益次郎だけど
しょうもない奴らに暗殺されたからな…
大衆の前でまるで劇のようにホモにやられた人よりマシ
ホモホモ強調するとアルプ・アルスラーンより格好悪いな
110 :
世界@名無史さん:2014/06/01(日) 00:28:15.22 0
ティムールの父親のウマル・シャイフは鳩の飼育が趣味で、断崖にある鳩小屋に世話をしに行ったときに足を踏み外して滑落死
世界史上最強の武将の父親とは思えん死にざまだな
フマーユーンの先祖と思えば納得はする
それ、バーブルの父親
山口多聞
地味かもしれないけど、オスマン朝のセリム1世もなかなか。
あのイスマーイール1世と戦って勝ってるし
その後もマムルーク朝滅ぼしたりとほぼ無敗
>>113 前議論されてたよ
技術の進化にあやかれただけということになったっけか
当時でルーミー銃装備していたのはオスマン軍だけだったからな。
技術の進化や強力な国力で戦争ではかなり有利な条件にあったけど
イスマーイールやマムルークに勝って、領土を2倍にし、無敵ということでDになった
軍事指導者としてはイスマーイールの方が上だろうけど直接対決勝利ということでもめてDに落ち着いたんだよ
117 :
世界@名無史さん:2014/06/01(日) 13:59:39.73 0
セリム>イスマーイールだな
戦闘内容、実績でイスマに劣る部分が無いのになぜ下になるのか未だに謎
イスマーイールが石勒、シャジャル、バイバルス並みの待遇だったらゴリ押ししたかもしれんが
結局それなりの門地だしな
奴隷まで堕ちない限り成り上がりの評点は過大に評価すべきではない
個人的には美形のイスマーイールの方が好きなんだけどな。
シャイパーニ−=ハーンの頭蓋骨を杯にした逸話も好みだ。
>>117 新興王朝と数十年掛けて銃器を取り入れて軍事改革を継続していた王朝のリーダー比較して
結果だけ見て後者の方が上ってのはいい加減無理筋だってこと理解しなさい
120 :
世界@名無史さん:2014/06/01(日) 14:43:24.38 0
>>119 そんなの言い出したらこのスレの議論はほとんど無意味だろ
数少ない比較可能な軍司令官のサンプルなのに
「直接対決の結果は軍事手腕に反映すべきではありません」なんて意見納得できねえよ
そこで優劣つかなかったらどこでつけるんだよ
まあ遊牧民主体のキジルバシ騎馬兵が既に時代遅れだったと結論。
遊牧民が世界史の主役になれたのはティムール朝までだな。
122 :
世界@名無史さん:2014/06/01(日) 14:50:23.50 0
ポーランドとか見てるともう少し頑張れそう>>騎兵
大帝国建設は不可能だろうが
123 :
世界@名無史さん:2014/06/01(日) 15:37:35.17 0
>>119 後者が上じゃないの?
前者が勢いだけのアホっぽく感じる
>>120>>123 無意味とは言ってないな
細かい話は過去ログにあるんでそれ読んでくれ
基本は両者はDで甲乙付けがたい
どちらかを絶対上位にしなければならないとしたら
実績、伸び代などを総合的に含めて僅差でイスマーイール
>>124 伸びしろあったら直接対決完敗という戦績をひっくり返せるのかw
凄い評価基準だなwww
このスレ馬鹿ばかりなの?
元朝のバヤンと南宋の孟キョウの評価が無いというのも問題だと思うが。
>>125 アナトリアの覇者だったオスマン帝国の皇帝としてスタートしてるセリムと比較すると
スタート地点が一宗教集団のリーダーの次男だったし
伸び代はイスマーイールの方が多かっただろ
普通の評価基準だよ
128 :
世界@名無史さん:2014/06/01(日) 17:20:14.44 0
劉邦、項羽、冒頓の関係と
イスマーイール、シャイバーニー、セリムの関係って似てるなと思ったわ
実績(関中攻略、項羽撃破、シナ統一)、伸びしろ(農民出身)で劉邦が圧倒的過ぎるが
そういうスレなんでしょ
イスマーイール1世、セリム1世、シャイバーニー、バーブルと当時の西アジアはある意味凄い
バーブルがパーニーパットで採った戦術って伝統的なモンゴルのものとか
世話になったイスマーイールのようなものじゃなくて
チャルディラーンでオスマンが見せた戦術の模倣だったんだよな
あの戦いがアジア史に与えた影響って単なる覇権の所在ではなく
遊牧民の時代を終わらせるだけのパワーがあったと思う
偉大な戦術家と
偉大な発明家
どっちが影響力あんのよ
ケースバイケース
133 :
世界@名無史さん:2014/06/02(月) 08:06:14.55 i
発明の方が長い目で見るとあるんでない?戦術家は短期的にみれば影響あるが まぁ両方そろってることに越した事はないが
ナポレオンは戦術家でしたね。
発明に関しては、気球観測兵やライフルの廃止等、先端技術?よりも、枯れた技術で膨大な兵力を作り出す方を優先していた感じ。
てか、数を揃えるのに足枷になる類いの新技術のみ廃止かな?
腕木通信や缶詰は導入しているから。
諸葛亮は戦術家としても発明家としてもすごかった
>>134 自分が使いこなせるやつだけ選んでただけじゃないの?
騎馬民族の時代を終わらせたのは鉄砲でしょ
否定ニキは多くは語らない
いやだってその鉄砲の運用も優れてたのが人類最強のびっこの鉄男さんやで
>>136 第一次世界対戦までは騎兵が現役だったんだぞ
ジュンガル滅亡が古典的騎兵の最期だよ
古典的騎兵?
近代軍制ではない騎兵
コサック騎兵は第二次大戦でも大活躍
日本人には長篠のイメージがあるからな
「鉄砲という技術革新によって騎兵の時代が終わった」
単純でわかりやすいけど実際にはどうたこうたら
チャルディラーンも物量でセリムが上で勝利したものの被害も大きく、サファヴィーを潰せ切れなかった
アッバース1世の時代の軍制改革でイギリスの砲術が導入されたが、最強の戦力はキジルバシュ騎兵だったそうだ
鉄砲は大きな技術革新ではあるが、それだけではないってことなんだろうね
148 :
世界@名無史さん:2014/06/04(水) 00:08:26.23 0
そのころの銃だとライフリングしてないんじゃないか
ライフリングがない銃なんて流れ弾しか発射できないぞ
要するにこけおどし
アフガニスタンの北部同盟やスーダンのジャンジャウィードは今でも騎兵使ってるんだよな
でもって米軍の特殊部隊が最初にマザリシャリフに橋頭堡を築いたときには
北部同盟の騎兵に交じって米兵も馬に乗って進撃したらしい
馬じゃないと進軍できないほどの悪路だったゆえ
>>148 ライフリングがないマスケットでも100M圏内なら現代のライフルと殺傷能力は変わらんらしい
>>150 ブラックオプスであったな
馬に乗ってバズーカ打ってたわ
>>150 ホース・ソルジャーかぁ
面白そうだから、その内買おうと思っていたけど、最近店頭で見掛けなくなってしまった・・・
>>151 100ヤード以内で、集団が集団かに向かって発砲するには充分実用的だったからね。
問題は戦場の喧騒の中、冷静に照準して発砲できる兵が少なかった事。
これは、Kar98kやM16を装備している兵にも言えた事だから、小銃兵永遠の課題かな?
島津の退き口でのステガマリは凄すぎる
鉄砲による精密射撃と胆力が必要
関ヶ原時のサツマ人は部隊全員が某殺し屋レベル
日本人を無理やり入れるなら加藤清正を推そう。
鴨緑江を渡っての最大進出。もしかしてヌルハチと戦ったかも。
西南戦争でも通用した築城能力。
虎を一騎討ちで仕止める戦闘能力。
べつに無理して日本人入れる必要はない
日本人はフィールドが狭すぎるからどんなにすごいことやっても入らんよな
秀吉が劉邦やティムールみたいに自らの軍事力でもって成り上がっていれば入れても反対はなさそうな気がする
全体的に孤立した島国で大国と戦うような大規模な戦役も少ないし、入らないのは仕方がない
他の東南アジアも似たようなものだしね
アレクサンドロスに追い詰められたダレイオス3世が一言
「アレクさん!ドローっす!」
というギャグを思いついたが使う機会がないことに気づいた。
普通につまらんから言わなくて正解
こういうのって面白いと思って書いてるのかね
下らなすぎ
過疎スレにちょっと書いただけだろwそこまで怒るなよw
164 :
世界@名無史さん:2014/06/04(水) 21:21:32.37 0
いや、これは激怒するのが普通だろ
ぷんすか
激おこ
ちんちんギスギススレでやれ。
あまりのくだらなさにちょっと笑ったのは内緒
>んちんギスギススレ
じわじわこるなコレw
お兄ちゃ…あんっ!そんなとこマチュピチュしないでぇっ!
そこは世界遺産なのぉぉぉっ!ぁん!
らめぇぇ!!地上絵できちゃうぅぅ!
耶律大石も名将に入れてもおかしくないと思う。
僅かの敗残兵率いて途中で兵増やしてセルジューク朝負かしてサマルカンド奪取しているし。
>>171 名将だろうけど西へ追いやった阿骨打もランク外扱いやしな
しかし世界史板は何でID非表示なんだろうな。日本史板は出るのに。
誰がどうレスしてるか分からんし、荒らしも連投も好きにやれるし、やってんだろ
基地外に都合がいいだけのID非表示になんか意味あんのかね
ID非表示だから好んで朝鮮ネタ連発する馬鹿が出る。
>>173 非表示によるメリットがあるならまだ分からないでもないけど、ないしな。
これで表示に反対するような奴は日ごろから汚いことしてる奴だけだわ
177 :
世界@名無史さん:2014/06/05(木) 17:31:05.70 0
オスマントルコや欧州が使用してた大型のマスケット銃は最大で300mぐらい有効射程があったみたいだけど
大型のタイプの銃は、命中率が低い(ただ弾幕で圧倒は出来るみたいだが)持ち運びがすげー不便で、撃つのに橋脚みたいなのが必要なほどだったし、装填にも20秒ぐらいかかるから敵勢力の殲滅には使いにくいね
小型のタイプのマスケット銃は、射程と威力の面でちょっと劣るしやはり装填に時間がかかるのは変わらんしね
守備的な戦闘においては、間違いなく効果的な兵科だと思うけど、殲滅にはやっぱり騎兵がいた方がいいんだろうね
ただ、騎兵が主力兵科だった時代と比べるとかなり没落してるから、騎兵の時代が終わったとも解釈出来ん事も無い
>>177 殲滅には迂回攻撃、退路の遮断、追撃の類いが重要だから、騎兵の役割は大きいかもね。
性能なら全てに置いて弓>マスケットだし
>>177の考えなら弓が登場した時点で騎兵の時代は終わってることになるな
銃が騎兵や弓兵より優れてるのは性能じゃなくてコスト
人口に占める動員可能な人間が一気に増えるのも嬉しい
弓も馬も長期の訓練必須だから一回人的資源払底するとどうしようもないけど
マスケット銃って割とその辺はなんとかなるから
これもある意味コストだけど
Dx:フィリッポス2世、アウレリアヌス、ヤン・ジシュカ、フリードリヒ2世、大モルトケ、ケマル
Dy:光武帝、イスマーイール1世、セリム1世、ナーディル・シャー、衛青
Ex:セウェルス、トラヤヌス、 バシレイオス2世、バヤジット1世、スンニ・アリ・ベル、ティグラトピレセル3世
Ey:王翦、韓信、シャープール1世、マフムード、トゥグリル・ベク、ムハンマド・ビン・トゥグゥルク
Fx:サラディン、ハーリド、ピョートル1世、グスタフ・アドルフ、シャカ・ズールー
Fy:木汗可汗、エセンハン 、アッバース1世、シェール・シャー
地域ランクを元にソンガイのスンニ・アリ(E)とシャカ(F)、シェール・シャー(F)、ティグラトピレセル3世(E)を暫定的に追加
アウラングゼーブは少し下か
182 :
世界@名無史さん:2014/06/05(木) 22:50:24.59 0
>>179 弓とマスケット銃との一番の相違点は威力だと思うね。
弓の場合は、矢の貫通力によって、いわば剣で相手の体を突き刺すような傷を負わせるのに対して、弾丸の場合は、人体を貫通すると共に運動エネルギーによって筋肉、内臓組織にダメージを与える事が出来たから、殺傷力が高かったんだとは思う。
矢はある程度、鎧によって防ぐ事が出来たし、鎧には(矢の運動エネルギーを減らして貫通力を鈍らせる)殺傷能力を減少させる効果もあったから、重装甲の兵士相手だと、致命傷を与える事が出来なかったとする考え方もある。
アジャンクールの戦いで、イングランドの弓兵が矢を射ち尽くしてしまったので、最後には白兵戦によって、
フランスの騎士達を捕えたという逸話は、弓矢の決定力不足を表す一つの根拠になるとは思う。(ただし余りにも兵力の差がありすぎたから矢数が足りなかったという捉え方もできる)
矢はある程度までは、鎧によって防ぐ事も出来たから、弓や鏃が進化していくのに平行して鎧も進化してきて、弓矢の決定力を減らす事が出来ていたのに対して
マスケット銃の場合は、、例え鎧があっても防げない場合の方が恐らく多い(勿論これは、口径や火薬の量、距離にもよるが)
これは、マスケット銃を装備した歩兵が軍の主体になっていくにつれて、鎧がその主目的を果たせない事によって、徐々に戦場から姿を消していくことからも推測できると思う。
一撃で相手を継戦不可に出来る能力を持ってるのは相当な強みだったと思う。
勿論コストもかなり深く関係してると思う、銃弾を受けて即死ぬような可能性もあるのにわざわざ費用が馬鹿高い兵科を養成するのは金と時間の無駄だし、そんな兵科に頼ってたら戦術にも悪影響を及ぼす可能性があるからね。
>>182 至近距離での威力という意味ではそうなんだが
そもそも弓とマスケット銃は「運用方法が違う」からな?
そこんところ勘違いしてると出す結論が間違うぞ
184 :
世界@名無史さん:2014/06/05(木) 23:17:55.24 0
18世紀までは胸甲も生き残ってたけどな
サックスあたりは「胸甲 騎兵の命救う とても大事」と著書で述べてる
現代戦で防弾チョッキや鉄帽が採用されていること考えると
甲冑の復権って感じもするが
>>184 弓は遠距離での攻撃手段として用いられる
ロングボウが極端な例になるが遠距離で敵を削る武器として存在しており
そのロングボウの遠距離からの削りを耐えて来る敵を白兵戦でぶっ殺す
マスケット銃ってのはどっちかというと近距離での防御的な兵器で
遠距離で削るのではなく近寄った相手をぶっ飛ばす
マスケット以前の原始的なハンドガンがフス戦争で用いられた時もそう
マスケットの大規模運用はテルシオからと位置付けられるが
そのテルシオは敵の突撃に対して待ち受ける陣形で
これもマスケットが非常に防御的運用から始まっている一例と言える
それと
>これは、マスケット銃を装備した歩兵が軍の主体になっていくにつれて、鎧がその主目的を果たせない事によって、徐々に戦場から姿を消していくことからも推測できると思う。
について、鎧はライフリング登場までは結構に銃弾を防げてるんだが
そういう銃弾防げる鎧ってのは数揃えられないので戦場で少なくなる
マスケット銃は銃をその辺の人に持たせれば何とかなるが
素晴らしい鎧は高級な上にワンオフ、且つそれで歩兵やるのはつらいので騎兵になる
騎兵は訓練が、ということでコスパの関係でどんどん駆逐されて行ったということなんだ
17世紀のカラコール騎兵とか中世さながらのフルプレート騎士が背中に火縄銃数本背負って突撃するんだぜ
188 :
世界@名無史さん:2014/06/06(金) 01:14:22.64 0
いや、ロングボウも防御的な兵科ですよ。
クレシーの戦いでもアジャンクールの際も陣を敷く際に対騎兵用の杭を打っています。
対騎兵用の対策が無いとあっという間に隊列が崩れて敗走する事になるから自分達の防御陣地を作ってそこに突撃させないと無理
もし騎兵対策用の杭を打っておかないと、敵騎兵が弾幕を抜けてきて弓兵の隊列に突撃してきた場合、一気に総崩れになる可能性があるから
自分の近くで騎兵が弓兵をなぎ倒してる最中に冷静に弾幕射撃を続けられるなら別だが、そうでない場合、矢の弾幕が途切れて更に突撃を許す事になるから、対騎兵用の杭は必需だった。
そして大抵イングランドの指揮官は、丘の上に陣取った。これはまあ、高低差を生かして、弓の射程を延ばすのと、斜面を登らせる事によって相手の騎兵の速度を鈍らせる目的とでそうした。
フランス側は何度か失敗して身をもって理解するまで、闇雲に突撃してたから大敗したが、相手の戦術を理解してからは、相手陣地にむやみやたらに突撃しないようにすることで、大敗を防いでいるし
防御陣地込みのロングボウを主体とした軍隊はテルシオを基本とした軍隊よりも機動性において劣ってる(しかも陣地を離れると弓兵が大きな危険に晒される)
事実、パテーの戦いにおいて、イングランドの弓兵が戦闘の為の準備をしている間に、フランスの騎兵が襲いかかって勝利している。(これはフランス側がイングランドの戦術を理解をしていたからこそ出来た訳で)
なので、テルシオは防御的であるのは間違いないが、ロングボウ部隊はそれと同等かそれ以上に防御的。
189 :
世界@名無史さん:2014/06/06(金) 01:26:28.65 0
マスケット銃の弾丸を防げるぐらいの厚みのある鎧は、重くて騎兵でないと扱えない。
それでもまだ、重すぎたから、徐々に胸甲の辺りにまで縮小していく
それすら対銃弾用の鎧であったかというとすべてがそういう訳ではない
17世紀とかだとまだパイク兵も残ってて、銃弾だけじゃなくて、パイク、敵騎兵との戦闘、その他の近接戦闘からも身を守らなければならない事も考慮する必要性がある。
ナポレオン戦争の時代だと、銃剣が浸透してたから、ナポレオンのように騎兵に相手の隊列を崩す、もしくは追撃する為に
白兵戦をする事を前提とした騎兵は、銃剣、もしくはピストル・長距離からのマスケット銃の銃撃からの保護が必要って事で、騎兵が胸甲を再度身に着けるようになってるし
そして馬甲が廃れている事も忘れてはならない。馬甲が廃れた事で、騎兵は突撃のタイミングがかなり重要で敏感な兵科になってしまい、単独では運用する事がほぼ不可能になってしまった。
まあ、いずれにせよ銃弾の威力が高い事で、高品質かつ厚みがある胸甲でないと、人体を保護できないようになっていくのだから、
19世紀初頭辺りまで、マスケット銃の基本的な構造は余り変化しなかったのを考慮に入れると、銃弾の威力が装甲に対して優越していたことと、弓矢よりも威力があった事は多分疑いようがない。
鉄砲が騎兵を主力兵科から引きずり下ろした解釈ってのは多分正しいと思うで
>>188-189 ロングボウは殺し間作ってそこ通ってくる相手削るけど
マスケット銃ってそういう使い方はしてないんだよ
>もし騎兵対策用の杭を打っておかないと
この時代の飛び道具はそれ単体でそもそも騎兵に対抗できるもんじゃないから
その話題はしなくていいかと
これは銃も弓も一緒
鉄砲が騎兵を主力兵科から引き摺り降ろしたってのは正しくない
そもそも鉄砲登場以前から下馬騎士戦術は広まってる
中世通じて発展した投射兵器と築城技術が騎兵を主力から引き摺り下ろしているし
さらにスイス槍兵が猛威を振るう数十年が騎兵を主力の座から完全に叩き落した
そういやオスマン帝国も銃採用する以前から歩兵が多いんだよな
ニコポリスで騎士主体の神聖ローマ軍に勝った時もそうだし
第二次ウィーン包囲のフサリアは騎兵突撃でオスマン軍を真っ二つにしている。
普仏戦争あたりで騎兵突撃は全く通用しなくなったが。
フサリア3000騎×500kgが密集して時速50kmで突っ込んできたら10トンダンプ並みの衝撃だろう。
>>190 殺し間は初めて聞いたので意味が良く分かりませんが・・・
一定の距離内の敵を削る、行動を制約するといった使い方は、マスケットでも行われていますよ?
ハンドガンやアクルビューズでも行われていたのかは分かりませんが。
この様な射撃の多くは100ー120ヤードで開始されました。
効果を維持する為にパイク&ショット時代は横列を入れ換えて、横隊時代は小隊から小隊へ順番に射撃して、戦隊や大隊が間断無く射撃出来る様にしていました。
これは攻守共に行われていました。
対して、阻止の為の大隊斉射は40ヤード付近まで引き付けて行われていたと。
アイラウ会戦で停止待機中のフランス軍騎兵がロシア軍騎兵の突撃を斉射で阻止した時は6歩(約6メートル?)の0距離同様まで引き付けて発砲していますが。
歩兵と騎兵は古代からどっちが優位という決着がつかない。
騎兵のスピードに対して歩兵は重武装で対抗。チャルディラーンや長篠では歩兵が銃で勝ったが、サルフやウィーンでは騎兵が銃歩兵を圧倒している。
騎兵が戦車に変わった現代でも戦車不要論があるし、未だ決着はついていない。
195 :
世界@名無史さん:2014/06/06(金) 21:00:10.08 i
なんか名将格付けじゃなくて騎兵と飛び道具の話になってるきが・・・
>>193 アイラウってそこまで時代進んだら話変わるからね
俺が言ってるのってマスケットと弓が混在する時代の話だし
>>194 火力主体の防御側歩兵が機動兵科の突撃により生じる衝撃力・恐怖を克服し得る
規律・団結・士気を保持し続けることさえ出来れば(当然十分な練度と兵器を活用する技術も必要だが)
おそらく歩兵側が勝利する可能性の方が高い
しかし、これらの無形の戦闘力は往々にして衝撃力に屈伏されるというのが残酷な教訓である
ところで、単一兵科で他を圧倒できた奴いるの?
現代ではオールタンクドクトリンでイスラエルが爆死したが、馬だけってのも…
>>194 ウィーンに関してはオイゲン公やザクセン選定候の軍が歩兵の仕事をキッチリと仕上げてくれていたからなぁ
最終局面のポーランド騎兵2万の突撃も、ザクセン選帝侯の歩兵が突撃経左翼に有ったオスマン軍砦を陥落させ、左方面からの圧力が排除されてから行われているし。
>>194 ウィーンに関してはオイゲン公やザクセン選帝侯の軍が歩兵の仕事をキッチリと仕上げてくれていたからなぁ
最終局面のポーランド騎兵2万の突撃も、ザクセン選帝侯の歩兵が突撃経路左翼に有ったオスマン軍砦を陥落させ、左方面からの圧力が軽減されてから行われているし。
>>196 弓との混在云々なら比較対象はハンドガンやアクルビューズでは?
マスケットだと威力や運用面で前二者よりは完成しているし、弓との混在時期には弓は飛び道具の主力から降りているから・・・
202 :
200:2014/06/07(土) 10:22:55.75 0
ごめんなさい。
送信していたのを気が付きましんでした。
>>201 先込め銃の総称がマスケットだろ
アルケブスやハンドガンが別枠とかそういうもんではないよ
弓が戦場の主役でないってのはそうだが
マスケットはその登場過程で城壁、防柵などの向こうからそこに取り付く敵を打ち払ったり
槍兵に守られてその後方から足止めされた敵を打ちのめす白兵戦の補助のようなの運用なのに対して
弓とはそうではないってことだよ
最終的にはマスケット銃並べてなぎ払ってしまうけど
これはマスケット銃が基本構造こそ変わらないものの
様々な技術革新によって威力や運用の利便性、揃えられる数等が向上しているからだな
戦列歩兵(マスケッター)が使用する銃が火縄銃よりも命中精度低いこと知った時は驚いたな
隊列並べて大量運用する時には問題にならないけど
205 :
世界@名無史さん:2014/06/07(土) 22:11:48.88 0
>>190 殺し間って奴がよくわからなかったからググってみたら漫画に出てくる戦術の名称の事?
何を指してるのかイマイチわからんが、交差に射撃する事を指してるとしたら、これはイングランドの弓兵がよく使ったV字型の陣形の事を指してるのかな?
この陣形は、まさに前述したように"防御"的な陣形ですよ。
敵の突撃を阻むために障害物を設置(もしくは利用)して、相手が突撃してくるのを待ってるのだから、これは防御的な戦術の最たる例と言っても過言ではないでしょう・・・。
つまり、相手が大した考えも無しに突撃してくることを前提とした陣形なので、相手が誘いに乗ってこないとそもそも戦いになりません。
逆に攻撃をしかけようにも、敵の突撃を防ぐ杭等の障害物が無ければ簡単に蹂躙されてしまうので、攻撃を仕掛ける事が困難。(戦闘を始める前に障害物を設置する必要性があるが、此方の弓兵の射程内に敵を捕らえてから障害物を設置していては、敵に蹂躙される恐れがあるので)
だから相手がこの戦術を理解したら、通用しなくなる。
これを理解していたら、マスケット銃が防御的兵器だとかそんなことをは言えないはずなんだよね。 理由は後述する。
>>205 陣形が防御的って言ってんじゃなくて銃の運用は弓のように遠距離の敵を傷付ける武器ってんじゃなくて
近距離からそれより少し遠い距離の敵をぶっ殺す武器だって話だよ
弓のように遠距離で狙ってく、面制圧して衝撃力を殺ぐようなもんじゃなくて
引き付けて敵の衝撃力をそのまま粉砕するような兵器って話だ
攻撃的か防御的かってのはあくまでも弓とマスケット銃の両者を比較しての話な
207 :
世界@名無史さん:2014/06/07(土) 22:47:26.12 0
>そもそも鉄砲登場以前から下馬騎士戦術は広まってる
下馬騎士は、多くの場合、歩兵との連携、もしくは地形的な要因からそうする事もあったが、取って代わった訳はなかった。
あくまで、オプションの一つ
>中世通じて発展した投射兵器と築城技術が騎兵を主力から引き摺り下ろしているし
なぜ、攻城戦になるのか?なぜ、野戦をしないのか?の根本的な理由が野戦じゃ重装甲騎兵(彼らの社会的地位もあって)を多く備えてる軍隊の方が圧倒的に有利だったから攻城戦が行われるという背景がある。
つまり、野戦ではかなわない、もしくはかなわなかったので、城壁の理を生かして戦う事を選ぶ訳。攻城戦が起こる前提条件としての戦力があった訳。
>さらにスイス槍兵が猛威を振るう数十年が騎兵を主力の座から完全に叩き落した
確かに、槍兵の密集隊形は騎兵にとっては、難敵だっが、まだ、マスケット銃を主体に置く戦術が生まれる前にはラヴェンナの戦いのように
まず最初に騎兵どうしが戦闘に突入する事が多く、(パイク兵の密集隊形は鈍重さ故に先に敵の騎兵に攻撃を仕掛ける事が難しい。)
戦闘に勝利した騎兵が、戦場に残された敵のパイク兵集団をその機動力によって包囲出来た。テルシオのような火力と結びつく以前のパイク兵の密集隊形では相手に対して防御する事は出来ても反撃する事が難しい。、
なので、包囲され、殲滅させられる、もしくは降伏する。(もちろん殲滅には騎兵だけでなく、味方の歩兵も重要)
この槍密集隊形にマスケット銃を加えた事によって、
防御性の高い、火力のある部隊、しかも前述の長弓のように相手の攻撃をひたすら待つのではなく、自分から移動出来る(ただし機動力は低いが)部隊が誕生した事によって、
それ自体を主体にして戦闘を行う事が出来るようになった、長弓を運用する際に使用された戦術思想とかなり似てる(障害物が動くパイク兵に、長弓がマスケット銃に変わった)が
での戦術と場合と比べて、此方は移動が出来るので、わざわざ相手が罠に引っかかるのを永遠と待ち続ける事が無いのと、火力が最大の違いとも言える。汎用性がより高いわけです。
つまり、防御的であると”同時に”、攻撃的でもあった。
ちなみにエリザベス1世の治世において、スペインのテルシオを恐らく真似た、ロングボウ版テルシオが創られたみたいですが、すぐに消えています。
>>207 最初に戦闘が行われるから騎兵が主力つーわけではねーだろ
あと長弓とマスケットで運用ちゃうってことは結局変わらんやん
騎兵の無力化はカエサルが対ポンペイウス戦で解決済みだよ。
>>209 騎兵うんぬんよりも
ポンペイウスの場合、指揮の統一がカエサルに比して制約が多かったからなー
カエサルと同程度に軍に指揮権及ぼせてたら、あるいは?とも思えなくはない
指揮権の統一できなくて敗れた将がどれほどいたことやら
軍神ポンペイウスの悲劇は元老の意見を考慮しなきゃいけない立場だったこと
同じく軍神カエサルの幸運は元老の意見を無視できる立場で民衆派だったこと
指揮権とは少し違うけど、ウエリントンは外国軍を上手く傘下(戦闘序列上、同じ軍司令部)に入れて指揮していた気がする。
社会的地位では上になる外国軍の指揮官がいても、面子を潰さずに上手く使ったり御飾りにしたりして。
ワーテルローのプロシア軍とは軍司令部が別だったから色々起きたけど…
同じなら同じで、お互いやりにくかった可能性の方が大きい気も。
>>212 あれだけブリュッヘルの爺さんとやりあって(しかも急造軍で)勝てたってのは
それだけナポレオン軍もボロボロだったからなんだろうな
指揮権という意味では十字軍とか舐めきってるよな
第一回十字軍は結構騎士の割合高くて一騎当千とは言わないまでも
相当な精鋭部隊だから指揮権なくても何とかなったんだよな
>>81 口伝により楽師が伝えた伝説がメインで詳しいことはよくわからないから謎
チンギスよりちょっと遅いくらいの時代の人なのにほとんどわからないんだよな
支配領域と30年以上も無敗のスンニ・アリの方が強そうではある
むしろウェリントンはフランス軍にいた方が真価を発揮できた気もする
ロシア失敗後に迫り来る大同盟軍を持久戦術で押しとめるとか
フランス軍にもサン=シールやウジェーヌみたいな防戦の達人はいたがね
しかしウィキペジアのウジェーヌ、英語版より充実してるのは良いが翻訳文体丸出しすぎるぞ…
イベリア半島方面に20万貼り付けたのにウェリントンを撃破どころか
負けまくってスペインを解放されかけてるのに激怒したナポレオンが本気で潰す気で
指揮官を更迭、マッセナとネイを組ませて総攻撃かけたが、ウェリントンは打撃を与えながら後退
味方にも秘密裏に構築したトレス・ヴェドラス線で迎撃、マッセナは攻められず、膨大な犠牲だけ出して撤退した。
結局兵力的にずっと優位だったのにこれが最後の攻勢で、後はフランス本土まで負け続き。
サン=シールも防御戦は上手いけど、こんなのはとてもできんよ。状況が違うといえばそれまでだけど。
ウェリントンがランク漏れした理由が分からんな
プリンツオイゲンもトゥグルクティムールも入ってないし
フランスの敵はウェリントンだけじゃないし
トゥグルクティムールはそこまでの実績はない
擁立されて即位した後、西トルキスタンに侵攻したくらいでローカルレベル
オイゲン公は議論する価値ありそうだが
知名度の割りにあまり名前がでなかったから微妙と思っている人が多いのかもしれない
222 :
世界@名無史さん:2014/06/12(木) 14:24:24.76 0
オイゲン公は本人がメジャーだけど仕えた主君が「は?誰それ」状態だからな。
え?レオポルト1世〜カール6世ってめっちゃ有名やん
224 :
世界@名無史さん:2014/06/13(金) 13:05:30.45 0
スペイン継承戦争のオイゲン公はマールバラ公よりかなり見劣りする
フランス軍の中にもオイゲン公と互角に戦える将軍が3〜4人はいた印象
テュレンヌ元帥くらいしか思いつかんな>ルイ14世期の名将
15世の頃にはサックス元帥おるな
フォントノアぐらいしか派手な勝ちはないけど
フランスの場合、パリが比較的低地諸邦やドイツに近いおかげで
ドイツ辺りに統一された強国でも登場しない限りは、むしろフランスの方が軍事力の集積・東方への
侵攻という面では有利だったらしいな
プロイセンの台頭をうまく封じ込めれてたら、フランスは今頃ブイブイ言わせてたんだろうな
プロイセンの台頭封じるためにオーストリアと同盟結んだら
イギリスが七年戦争で敵にまわってインドや北米の植民地とられたけどな。
>>226 サックス元帥は戦闘での実積よりも、新しい戦術理論や、それに合った兵科(多くは軽兵)の新設の方が評価されている感じでは?
戦術理論に関してはナポレオン戦争で完成した散兵+密集隊形の源流の一つだし。
兵科に関しては新設した軽兵の一つArquebusiers de Grassinをフォントノワ会戦のバリーの森で使用して効果を上げてる。
>>227 逆や
フランスにとってイギリスが主敵で後は対イギリスをどう有利に運ぶかという布石
230 :
世界@名無史さん:2014/06/19(木) 16:53:18.39 0
モンゴルの西征(フラグ)で活躍した郭侃はどうかね?
アラムート城からバグダードまで落とした城塞は数知れず。
231 :
世界@名無史さん:2014/06/19(木) 18:37:24.63 0
集史とかヴァッサーフ史とか西方史料で裏付け取れるの?
強国の名将は評価が難しい
王翦みたいに勝って当然の戦力をもってしっかり仕事をやりきった人
ゲート・パの戦いのマオリ側司令官の名前わからんけど彼は入ると思う
234 :
世界@名無史さん:2014/06/20(金) 22:51:55.03 0
そういえばセプティミウス・セウェルスって名前上がってる?
>>233 列強に非文明国が勝った話は燃えるけど結構よくあることだからなあ
それだってイギリスが馬鹿だっただけじゃん
徐達は漠北でククテムルに大敗しているから永楽帝と同率というのはちとおかしい。
Dx:フィリッポス2世、アウレリアヌス、ヤン・ジシュカ、フリードリヒ2世、大モルトケ、ケマル
Dy:光武帝、イスマーイール1世、セリム1世、ナーディル・シャー、衛青
Ex:セウェルス、トラヤヌス、 バシレイオス2世、バヤジット1世、スンニ・アリ・ベル、ティグラトピレセル3世
Ey:王翦、韓信、シャープール1世、マフムード、トゥグリル・ベク、ムハンマド・ビン・トゥグゥルク
Fx:サラディン、ハーリド、ピョートル1世、グスタフ・アドルフ、シャカ・ズールー
Fy:木汗可汗、エセンハン 、アッバース1世、シェール・シャー
地域ランクを元にソンガイのスンニ・アリ(E)とシャカ(F)、シェール・シャー(F)、ティグラトピレセル3世(E)を暫定的に追加
スンニ・アリ・・・30年以上無敗を誇ったといいニジェール川中流域を大征服、魔術師の異名を持つ
シャカ・ズールー・・・近代化や軍制改革でズールー王国を強大化、アフリカ軍事における伝説的人物の一人
シェール・シャー・・・弱小勢力から北インドを一代で大征服、ムガール帝国を駆逐する勢いであった
ティグラトピレセル3世・・・軍事力でアッシリアの世界帝国の基礎を築く
シェール・シャーは相手があのフマたんだし
ムガールの内紛もあって運に恵まれただけの感じが否めない。
フマーユーンも軍事的には無能じゃなかろう
フマーユーンは負けまくったし死に方でさらにイメージが悪くなっている
一方フィリッポス2世はホモにやられたけど、それで評価は落ちていない
セルジューク一代目、二代目の方が酷い死に方してる
244 :
世界@名無史さん:2014/06/23(月) 16:43:47.86 0
ティグラトピレセルことトゥクルティ・アパル・エシャラがようやく入ったか
歴史上最初の「世界帝国」はペルシアじゃなくてアッシリアだからな
西夏じゃチンギスは同衾してた西夏女に男の勲章を切り落とされて死んだことになってるぞ
大夏の阿部定事件だよ
どこのフン王アッティラだよそれ
247 :
世界@名無史さん:2014/06/25(水) 07:33:46.67 0
アレクサンドロスにもそういう伝説あるぞ
インドのバラモンたちが、まんまんに毒を仕込んだ女をアレクに贈ったそうだ
何故女の方は死なんのだ
死に方から言ってもやはりティムール最強か
高齢での風邪はきついからな
血を吐きまくっていたと伝えられるからおそらく肺炎だろうね
3強はそこそこの年での落馬?、マラリア、肺炎?といたって普通の最期
250 :
世界@名無史さん:2014/06/25(水) 22:36:12.48 0
落馬で思い出したけど、源頼朝は愛人の邸に忍び込んだところを、
暗闇の中で間男が将軍だと気付かなかった夫に斬り殺される。
あまりに外聞が悪いので落馬死ということにした・・・という伝説がある。
とはいえみんな、アルプ・アルスランには負けるさ
マンシュタインかグデーリアン入れてくれ
それだとジューコフやパブロフも入れないと
現代は対象外
現代ではマスード、毛、ザップがケマル以外でたまに名前が挙がる
まあ対ソ戦でしか活躍してないマスードは無理だろうが
この手の話題が他の雑談系の板でもたまにでるみたいだけどログみるとほとんど現代、しかも日本が多い
あとナポ、ハンニバルあたりか。ティムールは名もほとんどでていない
そういうところから来た人用に次スレでは現代は除外ってテンプレに入れたほうが良さそうだね
そりゃそうだろ、世界最高民族は日本なんだから
日本人が優秀なのは当然
と言ってお山の大将を凄い凄いともてはやすのはまさに日本人の悪習って感じだな
戦国時代の日本は世界一鉄砲の普及数が高くて世界最強とか
長篠の合戦の一例だけで鉄砲が最強だと思いこんでる節もある
258 :
世界@名無史さん:2014/06/26(木) 15:33:41.75 0
チンギス=義経説を広めた明治期の学者もその類だな。
島国根性丸出し。
このスレッド的にクルムハーンさんはどういう評価?
こんなスレにまでネトウヨがわいててワロタ
>>259 対象範囲が世界全体に及ぶため大規模な実績がない人はローカル名将評価
とはいえローカルでも名将に変わりはなく、ランクイン連中は軍事に関しては天才の中の大天才というだけ
戦略レベルでは評価をうけないけど戦術レベルで最強!かっけえ!って人はどうなのよ
後期倭寇の王直とか梁山泊の人とか
263 :
世界@名無史さん:2014/06/26(木) 23:47:14.16 0
>>259 まず、誰それ? 中世ブルガリア帝国?
>>262 むしろ戦術面重視で評価してるのがこのスレだと認識してる
もっとも王直だの宋江だのが世界史に名を残すレベルの戦術家とは思わんが
>>262 まず対外戦争で結果出さない奴、小規模な戦争でしか結果残してない奴は相手にされないし
そういう戦争での活躍が評価されるケースは歴史的なエポックメイキングをした人になる
265 :
世界@名無史さん:2014/06/27(金) 00:04:47.67 0
歴史に詳しいが常識がないものは必ずアレキサンダーを最大の英雄にするんだよな。
幼稚園児が正義の味方を信じるように。
アレクはこのスレでもトップ扱い
もっともティムール最強の声が一番強いけど
冒頓が無敗を理由にCからBに格上げされたことを思えば
スンニアリのEも低い気がせんでも無いが
所謂北方諸民族に比べればアフリカの蛮族はそんな強くないってことか
戦略的に影響を与えたことはそんな重要ではないけど
小規模な戦いで勝ってサイキョーとか言われても実証できないんだよね
だから所詮は田舎の原住民同士の争いの日本は評価されない
あと三国志も
269 :
世界@名無史さん:2014/06/27(金) 00:22:02.00 0
東郷平八郎
>>267 スンニ・アリは相手が同じ蛮族とはいえ30年間の無敗は素晴らしい実績で領土の拡大範囲もそれに見合うだけのものもある
Dに近いEというイメージ
ただ冒頓の場合は自身が騎馬民族であったのもあるけど当時最強クラスの戦闘力を誇る遊牧民を全て破り
なおかつ漢王朝も全く寄せ付けなかった点も大きいと思う
アレクトップには一応反対票もあったけどティムールと同格で序列で譲るって感じだな
比較しても格の差を付けるって程ティムールが圧倒的というわけでもないしな
領域での比較だとギリシア+アケメネス朝というのがアレクの支配領域で
ティムールは地中海部分抜いてインド北部、トランスオクシアナと甲乙付け難い
アレクは10年少々で確保した領域なのに対して、
ティムールは半世紀の戦いの結果によるものでこちらはアレク有利
しかし支配領域がほぼ行動領域だったアレクに対して
ティムールはオスマン帝国やモンゴル帝国の西部各地等戦争に赴いた領域は広く
戦歴で見ればティムールの方が優秀
部分点としては複数領域、複数国と個別に戦って勝利を重ねたティムールに加点で
文明の劣るギリシアが偉大なペルシア帝国を征服したという意味でアレクに加点
生まれながらに精強の軍が準備されていたマケドニア王アレクと
下積みから創業したティムールの成り上がり幅の差ぐらいが明確な差異といったところか
>>268 規模だけなら日本という戦場は修羅の巷だよ
ただその修羅の巷を制覇して外に出ることが秀吉以前は絶無と言っていいレベルだったし
秀吉以降も近代戦になる明治まではほとんどないので
対外戦争重視、個人的才覚重視で近代戦以上の総力戦を評価できないとするこのスレでは評価されにくいだけだ
スキタイのマデュエスはメディアを破りエジプトに貢納させ
オリエント世界を暗殺されるまでの28年間従属させたという。
冒頓以上じゃないか?
秀吉以前に外征した事が無いと言っておきながら修羅だ、どうのこうの言えるのってすごいよなぁ
自分から評価の根拠が得られない状態であった事を認めつつ、それでも修羅の国だなんだのと主張するってすげーな(笑)
そうだね、日本なんてモンゴルみたいな糞雑魚を一蹴するくらいしかできないもんね
次
>>274 そりゃ規模だけの話してるからなぁ
日本って北海道入れたって相当狭いのに
鎌倉期には武士だけで十万単位が国内で動員されてるし
戦国末期では外征軍が十五万超えてるからね
戦国大名とか普通に数万単位で動員してる
前近代までの日本って戦争の規模でかいんだよ
内戦の方が惨烈になるイメージあるけどな、中国とか特に
数だけで言ったら20世紀の戦争の大半が内戦でしょ
>>276 規模だけならアステカ等の例があり(服属した勢力の動員兵力も合わせると50万以上)
特に特筆するほどでもない。他の大国でも総動員すればそれ以上の兵力を拠出出来ただろうが、大陸国は辺境防衛で兵を分散しなくてはならないからこの点で戦闘に参加できる兵力が減る。
それと日本が狭いからうんぬんとかいうのは見当違い。
むしろ狭いおかげで何万もの兵の補給体制を整えられていた側面の方が強いだろ。
事実、秀吉の15万の外征軍は、まともな補給体制すら整えられる事が出来ずに当初の目的であった唐入りすらまとも果たせず、撤退したところから察するに
所詮、補給体制がしょぼくても何とかやっていけただけの井の中の蛙達でしょ。
兵站すらまともに維持出来ないような奴らが世界史の名将ランキングに載れると思う?このランキングに載ってない人間ですら兵站補給ぐらいは出来るよ。
軍隊を維持出来なきゃどれだけ規模が大きかろうと全く意味をなさないという事が理解出来てない子かな?
まあ、日本史板にでも帰って最強の戦国大名でも決めてた方が幸せだろうからそうする事をオススメするよ。
いくつかでた意見
徐達
ココテムルに大敗しているのでランク下げてどうか?
以前には常遇春、朱元璋とも功績を割るという意見も
スンニ・アリ
長い治世でほぼ戦争に生涯を費やしなおかつ無敗、拡大領土もその証明となっている
Eからもう少し上に格上げしてはどうか?
スキタイのマデュエス
キンメリアやメディアを破りオリエントを支配、冒頓以上?
>>278 途中送信しちった
朝鮮の役は補給態勢は整ってるぞ?
んであんまりも明・朝鮮軍が弱すぎて補給線が整う前に進撃してしまって
一回苦境に立ってるけど、後から兵站整えて後半は磐石だし
唐入りできなかったのは秀吉の寿命が尽きたからであって
補給がないからとかいうのはただの間違いな
282 :
世界@名無史さん:2014/06/28(土) 20:35:55.94 0
コロンブス以前のメキシコ盆地は、実は地球上でもっとも人口密度が高い地域だった説がある
淝水の戦いで実際に戦ったのは劉牢之と朱序で総大将の謝玄はお飾りの大将にすぎなかったとか
こういう人事は意外と多そうだな
中国の軍隊は早々に官僚化してるから、指揮権持った総大将と
その総大将の意図を受けて実際に戦争をする人の乖離は結構あるね
三国志で凄い指揮官としてこのスレでも何度も名前出る曹操は
腹心の部下がいないと指揮できないって言ってそのデキる部下を方面軍司令官とすることを嫌がってるし
これが一番気になるのはティムール
戦術や戦略を実戦レベルで献策していた人物がいたのかどうか気になる
286 :
世界@名無史さん:2014/06/29(日) 00:11:48.73 0
元から大国の強い軍隊を指揮して連勝を重ねるより
弱かった軍隊を指揮して大国の軍隊に連勝を重ねてこそ最強将軍である。
それまで弱小だった中国軍を指揮して初めて日本陸軍に勝利して朝鮮戦争でも第4野戦軍が米軍をフルボッコにした林彪こそ史上最強の大将軍
287 :
世界@名無史さん:2014/06/29(日) 00:18:35.17 0
林彪こそ20世紀最強の将軍じゃないか?
朝鮮戦争でもアメリカ陸軍を38度線まで追い返したのも林彪の第4野戦軍だし。
アメリカ軍を正面から圧倒して追い返した大偉業を成し遂げたのは日本軍やドイツ軍の将軍でない中国軍の林彪だけである
林彪忘れてたわ
結構いい線いってんじゃね?
289 :
世界@名無史さん:2014/06/29(日) 00:29:56.82 0
いい線どころか
日本軍や米軍を圧倒したのが林彪
290 :
世界@名無史さん:2014/06/29(日) 00:33:42.24 0
彭徳懐は?
291 :
世界@名無史さん:2014/06/29(日) 01:08:19.61 0
林彪こそ人類最強の大将軍!
292 :
世界@名無史さん:2014/06/29(日) 01:14:33.32 0
何だキチガイだったか
>>291 ああ、はいはい
現代は対象外なんで別んところでやってつかぁさい
>>281 あーあ、この子自分が何を言ってるのか理解してないな。
文禄の役では、平壌を占領するも(貴方の言うところの弱い)明軍が参戦した事で、結局開城まで撤退する事になって戦線膠着。
ちなみにこの時に平壌から撤退したせいで、兵糧庫を焼かれて、休戦に繋がる。
その弱い朝鮮軍、明軍に負けて戦線放棄して撤退してるって事を忘れてるのか(もしくは知らなかった?)
"後半"っていうのが何を指してるのか分からないけど慶長の役の事だったら文禄の役での講和後3年間防衛体制を構築する余裕があったので、その後に兵站補給体制を整えただけ。
慶長の役での日本軍は結局朝鮮半島南部で戦ってただけだったから休戦期間中に構築した輸送網使ってただけ。
このペースでなければ、輸送網構築して進軍していけないと仮定すると明制圧には順調に侵攻しても数十年以上かかるだろうね(笑)
朝鮮半島南部での輸送網すら確立出来ずに兵站不足に陥ってた軍隊が、世界史の中で評価されると思ってるのが驚き。(ナポレオンのロシア遠征ですらボロクソに叩かれてるのに)
3万の兵をもって2か月足らずで漢城制圧して、朝鮮を服属させた後金ですらここじゃあまり評価されてないんだから、
15万もの兵率いていたのに兵站不足して初期の明制圧どころか朝鮮制圧という戦略目標も完遂できないような蛙達は評価に値しないから別個のスレ立てて日本史上の軍事的名将ランキングでも作ったら?
>それまで弱小だった中国軍を指揮して初めて日本陸軍に勝利して朝鮮戦争でも第4野戦軍が米軍をフルボッコにした林彪こそ史上最強の大将軍
百団大戦とか称したけど実質返り討ちじゃなかったか?
それと指揮官は朱徳だろ。
>>294 >事実、秀吉の15万の外征軍は、まともな補給体制すら整えられる事が出来ずに
>その後に兵站補給体制を整えただけ。
お前さんこそ背反することよく平気で言ってられるな
補給体制は整えたって自分でも認めてるだろ
297 :
世界@名無史さん:2014/06/29(日) 16:36:02.08 0
大祚榮
298 :
世界@名無史さん:2014/06/29(日) 16:43:10.09 0
諸葛亮孔明
299 :
世界@名無史さん:2014/06/29(日) 16:44:38.47 0
戦わずして勝つが最高の戦術
>>295 林彪は百団じゃなく平型関
ちなみに朝鮮戦争は林彪が病欠したので代わりに彭徳懐が指揮しました
>>283 謝玄がいなかったら379年の時点で東晋は滅亡していた可能性がある
謝玄のキャリアを調べたら「お飾り」よりも「桓温麾下の軍事エリート」というイメージを抱きそうなものだが
淝水は会戦単独で見ると極めてショボイが382年の前秦の四川における戦争準備から辿っていくと
東晋と前秦の丁々発止が分かって面白い
朝鮮出兵に関しては16万出陣して14万が生還してきたというから
お前等戦争じゃなくて旅行に行ってたのかと思えるほど。
当時の衛生環境では信じがたい。
ナポレオンの60万の遠征軍は生還したのは2万足らず。
劉裕は結局は桓温の真似が上手かっただけの英雄だったな
人間的にも曹操にさえ劣る男に成り下がった
武将として桓温や曹操より強かったかもしれないが英雄としては上とは言えないな
しかし劉裕は桓温がなり損ねた皇帝になった
>>302 16万も出陣していたんだ
それでその少し前に大阪城築城他の土木事業をやりまくって
その少し後に関ヶ原や江戸城ほか多くの城を築城しまくったりとか
当時の日本人のバイタリティ凄すぎだな
信玄の治世だけで甲斐の金山を掘りつくして
関東に左遷された家康は開墾しまくって、
稲葉山城、岐阜城、安土城、大阪城、名古屋城、姫路城、江戸城
とかの名城をわずか100年の間に建築して凄いよね
ナポさんの作戦が不味かっただけじゃね生還兵の少なさは
退き際を誤り上手に負けることができなかった
生還兵が多いのは被害を抑えて上手に撤退することができたから
なにより陸戦・海戦含めた撤退戦での島津隊とかの頑張りの成果
明軍二十万撃破・李舜臣戦死&朝鮮水軍撃破と大金星
金星って横綱を平幕が倒した時に使う言葉
島津はそんな格低くねぇよ
インカのパチャクテク、ソンガイのスンニ・アリ、マリのスンジャータ・ケイタ
恐ろしく強そうだが情報が少ないのが悔やまれる
実績的にはDクラスありそう
石刻碑文の類とか残しといてくれればいいのにな
312 :
世界@名無史さん:2014/07/03(木) 22:48:31.33 0
山で生まれ育った馬なら山道くらい屁でも無いよ
パチャクテクは個人が言っただけだしなあ
本当は存在すらしてないかもしれないし、入れるのは無理だろ
パチャクテクは一応、実在したと考えられているということだが不明な点も多い
マリのスンジャータ・ケイタも功績に伝説的要素があってよくわからないんだよな
スンニ・アリに関しては常に戦っており、30年以上負けなしでティムールやアレクを彷彿とさせる部分がある
入れられるのはやはりスンニ・アリくらいか
ナポレオンに勝った人間(ウェルズリー、ネルソン、クトゥーゾフ)って
あまり名将とは評価されないのかな
ディープインパクトに勝ったハーツクライみたいな扱いでしかないのか
>>316 名将だけど単独でナポレオンに伍することのできる存在ではない
ネルソンは直接戦ってないから論外としても、このスレでの
ウェルズリー、クトゥーゾフ、ブリュッヘル>>カール大公
みたいな扱いには涙を禁じ得ない
まあ所詮十把一絡げで単独ではナポに全く敵せない人々だしなぁ
連合抜き、ロシア遠征軍崩壊以前で勝利してたら名将中の名将!とか誉めるのもいいけど
そうではない以上one of themから脱却はできんわ
320 :
世界@名無史さん:2014/07/09(水) 06:42:48.35 0
>>318 単に知名度が低いだけでブリュッヘル以下な扱いってわけじゃないかと。
>>319とかまさにカール大公を知らないからこそ言えることだけど、結果的に絶賛してるw
三帝会戦も大公がやってたらどうなったか分からんし
クトゥーゾフと比べても劣らんどころか上とも。
ただウェリントンは対仏大同盟で一個抜けてるな。
スヴォーロフとの対決があればこのスレ的には良かったんだがな
無敗といっても戦った相手にやや迫力が欠けるし、ナポレオンなら文句なしだったのに
>>319 1809年のアスペルン・エスリング会戦でカール大公が勝利してますよ。
正面のフランス軍を叩くのでは無く、背後の橋を落とす事で後続を断つと言う戦術で。
残念ながらワグラムで敗れ、戦役自体は失っていますが。
連合軍(同盟軍)無しで辛いのはフランス軍も同じかと。
モスクワ遠征に動員(ニエーメン河を越えた兵力では無いです)した67万5千の内、フランス兵は半分以下とする書籍さえ有るくらい。
>>321 マッセナとの直接対決は無かったんだっけ?
アッコ攻囲戦のシドニー・スミスは?
>>322 単に局地戦で勝ってもな
トータルで勝ってないならあんま意味ない
スーダンのマフディーってジシュカみたいな感じで入るんじゃね
>>325 ナポレオンの様な国家元首として国家のリソースの割り振りに権限の有る立場と、全国軍に対する権限が有るとは言っても一軍人を同列に比べるのは可愛そうな気が。
これはカール大公以外にも言えるけど・・・
カール大公は1809年の開戦には軍制改革(フランス軍以外で初めて軍団編制を導入等)の途中を理由に反対していたが、開戦が決定。
そんな状況からすると善戦した方かと。
ナポレオン直率軍に土も着けたし。
良いところまで行ってはいるけど、ナポレオン>カール大公には違いないと思いますが。
オーストリアはイギリスプロイセンに一番最後いい所を持ってかれたけど結構善戦してるよねえ
ロシア遠征以前でヨーロッパの英雄になれた可能性が最も高かったのは多分マレンゴのメラス
>>323 マッセナはスヴォーロフと合流直前のコルサコフ叩いて孤立させた
退却時にアルプス越えして、その時の風邪が原因でスヴォーロフはあぼーん
ムハンマドアリーは入る
ローカル名将としてならあり
オスマン帝国が弱体化した時期に勝っているから世界史レベルの実績になるとちょっと弱いと思う
ティムールやアッバース1世みたいに強い時期のオスマンに勝利していれば・・・
ムハンマド・アフマド推薦
棒と石だけで殲滅したり撤退するだけで指揮上げで味方増やしたりとかいうアホなことやってる
333 :
世界@名無史さん:2014/07/10(木) 21:40:07.41 0
アッラーの剣はもう出たか?
イスラム初期の大征服時代は功績が分散して世界的名将が存在しないというのがこのスレでの評価
それでも神の剣はその中でもかなり評価は高いね
ハーリドといえばムハンマドも実はかなりの名将だよな
バドルの戦いでの泉を押さえて、有利に戦術を展開したり、塹壕の戦いでの持久戦は見事だし
歴史的意義も半端じゃなく大きい
そのムハンマドを撃破したウフドのハーリドはさすがというべき
総合力ではムハンマドはカエサルやナポレオンと並ぶ人類史上最高の天才候補だろう
以前あった「歴史上の人物の能力を数値化するスレ」でもムハンマドは総合トップクラスだった
カエサル、ナポレオンなんて最期が悪くて暗殺とか失脚した人物なのにな
本来なら全然総合力なんか高くないよ
暗殺されたら総合力低くなるのか
低くなる
それだけ人身掌握術も、組織作成力も低いという事だから
その言葉は是非ともマスードやガンディーにでも聞かせてやるべきだったな
そろそろ
>>239 >>279あたりから議論を進めていこうや
>>341 そらそうよ
自分さえ守れない奴が何を守れるってんだ
とは言わないけど少なくとも暗殺を防ぐ能力が低いのだから
「総合力」は暗殺されなかった人々より大きくマイナスされる
当たり前
343 :
世界@名無史さん:2014/07/11(金) 07:31:33.39 0
わかったから
スレチの話題蒸し返すな
危険を冒さなければ目的も達成できない。
戦死や暗殺のリスクは戦いや権力闘争の勝利の代償と考えるべき
名将であるかのスレであって良い統治者であるかのスレじゃないからなぁ
良い統治者とはとてもいえないが軍事に関しては天才的なアウラングゼーブ
後継者戦争でも戦略的に振る舞い見事に勝利し、父親を幽閉
その後の拡大戦争も勝利、東インド会社をこらしめたことも
アウラングゼーブはどのあたりだろうか
>>344 同意
思いつくだけでもカエサル、ナポレオン、リンカーン、ケネディ、織田信長、大久保利通、伊藤博文、大村益次郎…と結構いるな
349 :
世界@名無史さん:2014/07/12(土) 01:42:27.85 0
くねくねの父親
信長って
本能寺を小要塞化させてて
脱出の準備で部下に放たせた火が
地下の火薬貯蔵庫に引火して爆死っていうユニークな新説あるけどどうなんだろ
暗殺というより事故死か
351 :
世界@名無史さん:2014/07/13(日) 15:55:04.01 0
江南から起こって元朝追い出して中華統一した朱元璋も名将に入ると思うんだがな。
352 :
世界@名無史さん:2014/07/13(日) 16:20:18.90 0
>>346 アウラングゼーブは没後たった50年でプラッシーだからな・・・。
東ローマのユスティニアヌス時代よりひどい。
バシレイオス二世あたりが比較できそう。
ナーディルシャーよりワンランク下ぐらいか。
>>348 アウレリアヌスがそういう意味ではすごいな。暗殺されたけど。
Dレベルはある名将だろうな。
ナーディルシャー>アッバース1世>アウラングゼーブ>イスマイル
アッバース1世はオスマン戦争でマザンダランへ向けて進軍とみせかけて急にコースを変え無防備のタブリーズを奇襲奪還
その後スーフィヤーンでは6万vs10万で数では劣勢ながら陽動攻撃で混乱させオスマン帝国に圧勝
強勢のオスマンにヨーロッパより早く勝利した名君にして名将
ただ、後継者をわざと無能にする政策をとって国の衰退を早めた
>>354 祖父は4〜5倍差で惜敗、孫は2倍差で勝利
どっちにしても頭おかしい強さだな
>>355 シャー・アッバースはティムールを尊敬して、自分の行動を彼にダブらせていたらしい
祖父イスマーイールも化物の軍事指導者だけどそのイスマーイールではなく、理想としたのがティムールというのが面白い
ムガルから剣を贈られてティムールの子孫から剣をもらったと大喜びしていた記録がある
それでも敗死したエセンと基地外帝国に泥付けられた木汗と同レベルなのか
>>333 よく見たらFに入ってたね
中国側の人は何故か過大評価される傾向があるな
文句なしなのは永楽帝くらいなもんだ
そうかね
李靖と冒頓には特に反論ないが
それと、韓信はこのスレでのEの規準ってことになってたような
正直俺個人の感覚では韓信のEも過大だと思ってる
せめて対外文明との戦争での実績ないと「世界史」という意味ではあんま評価したくないし
同じ理由でジシュカもね
361 :
世界@名無史さん:2014/07/14(月) 07:59:04.71 0
一応項羽が起こした西楚は長江文明を受け継いでて中原とは異なった文明圏だったって意見もあるし
中原対楚という構図で捉えれば不思議ではないけどな。
>>360 タイガイ文明と戦うと評価高いとか
意味がわからん。
内乱の覇者ではなく異なる文明間での戦争が「世界史上」の意義ある人だから
内乱だけで活躍しても世界史にはあまり関係がない
「対外文明」につっこんでるんだと思う
このスレでの世界史ってのはあくまで日本史と対比しての話で、評価には関係ない
単独文化圏で無双してもランクインしづらいのは実績不足という理由
内乱系はどうしても規模が小さくなるからな
というのが俺の理解なんだがいかがだろう
そういう認識でいいと思う
いままで内乱だからといって評価が下げられたりしていないしな
単純に内乱の覇者は規模の問題で実績的にランクインしにくい
最低ラインが魏の武帝だから小国や中堅国で無双してもほぼ無理になっている
>>367 いや規模の問題言ったら16世紀日本は戦国末期には
数万対数万で戦争してたけど全然評価されてない時点でその話おかしいから
>>367 いや規模の問題言ったら16世紀日本は戦国末期には
数万対数万で戦争してたけど全然評価されてない時点でその話おかしいから
人数がいくら多くてもその結果が県知事程度なのは世界史規模でみたら問題外
更に加えれば県知事レベルを超えた実績を残した内乱の覇者も朝鮮半島から先に進めなかった
>>370 じゃあやっぱ対外戦争で勝たないとだめだな
内乱で勝っても県知事とか州知事なんだろ?
韓信なんて斉王、楚王と今の省と大差ない地域までしか手に入れられてないんだからランク外も当然
逆に聞くけど、日本で戦国一の戦術的名将って誰だよ
んでそいつは何万もの大軍を相手に無双しまくったのか?
>>372 しまくる必要はないだろう
大勝利は会戦1回でランクインしてるような奴もいるんだし
いるにはいるが、長篠や関ヶ原だけでランクインは無理がある
>>374 戦国時代は数万単位での戦争を繰り返していたし日本の大合戦は
規模で言えば中国を除く同時代の他の戦場と比較してもかなり大規模に行われてる
17世紀頃、ヨーロッパでは国対国の戦争でやっと数万対数万になっていたのに
日本では内乱で十万対数万のような戦争が行われた
ペルシア地域では数万もいれば地域に類を見ないスーパーパワーとしても差し障りないが
日本では大大名の一角程度でしかなかった
しかも傭兵ではなく職業軍人によって組織された軍だった
戦場のレベルが高い
レベルが高すぎて明の援軍の前に朝鮮半島も支配できなかった
一方エセンは皇帝を捕らえた
そこは地理的要因だね
378 :
世界@名無史さん:2014/07/15(火) 23:28:21.57 0
明の将軍の言葉「彼らは鉄砲、我らは大砲を使う」
戦国時代の日本の人口が多いのは稲作のおかげ
戦争多かった戦国時代ですら総人口は減るどころか横這い
だから大名は何万単位の兵を率いることが出来た
けど戦場のレベルが高いかは別 傭兵じゃなくて職業軍人で組織された軍隊ってのは間違い
実際には大きい大名は浪人を合戦の度に金で集めて傭兵のように使ってた
レベルが低いとは思わんけど唐入りは中途半端に終わったし
国内統一だけだと他にも比較対象が多くて評価が難しい
>>379 だから内乱の覇者ってだけでは評価対象にならないよねって話
内乱を制覇しただけってんなら評価対象から除外すべき
韓信、王翦は地域名将ではあるかもしれないがEは不適格だろ
彼等を入れるならもっと中華王朝歴代の統一時の名将と
日本の各幕府の名将も入ってこないといけない
Ex:セウェルス、トラヤヌス、 バシレイオス2世、バヤジット1世、スンニ・アリ・ベル、ティグラトピレセル3世
Ey:王翦、韓信、シャープール1世、マフムード、トゥグリル・ベク、ムハンマド・ビン・トゥグゥルク
個人的にはこの中ではトゥグルク、マフムード、スンニアリ、バシレイオスが上位
下位は王翦、韓信、シャープール1世って感じがする
バヤジット1世は相手が相手だけに難しい
382 :
世界@名無史さん:2014/07/17(木) 09:10:21.62 0
>>375 単純な数の問題ならインドみたいなところは内戦で十数万対十数万というのもあるが別にそんな数と数の比較だけで勝敗が決まる訳でもない
例えば中央アジアから侵攻してきたアクバルは多く見積もって2〜3万程度の兵でその何倍もの兵を率いる北インドの勢力を打ち負かしてるだろ?
これには、指揮官の質も大いに関係してるが、兵士の質も十二分に関係してるでしょ。
単純にペルシア地域の兵5万と日本の兵5万を比較できない事ぐらいわからないの?質や適性が違うでしょ
>>382 質で見れば朝鮮の役でも証明されてるように明と比較しても圧倒的
数で見れば明以外の同時代の国ではオスマンくらいしか比較対照なし
世界史的でも日本は十分優れてるな
>>375>>383 それって冗談で言ってるんだよな・・・?
質の面で言えば別に明軍を圧倒するぐらい普通にオイラト・タタール・チャハル部ならやってのけてる。
例えば10年間で3人の遼東軍司令官が戦死してたり(特に歴史的意義が無く、よくある事だったので語られていないが)
サルフの戦いでも一週間足らずで十数万の大軍が壊滅、各軍の総大将討死させてるようなぐらい末期の明軍は酷かったし
末期の明軍を野戦で圧倒するぐらいは何ら評価に値するものでもない、それぐらい他の北方民族はやってる、しかもより寡兵でやってるし
数でみればインドが比較対象として挙げられる、アクバルがベンガル遠征した時は二十数万対十数万の激突になったと言われてるし
南インドでも十数万対十数万の戦いがあった(どちらも16世紀の話)
ちなみに戦争と戦いの区別ついてる? 戦争での動員兵力なら17世紀の欧州諸国でも余裕で10万いってる所あるよ?多分会戦と戦争がごっちゃになってるでしょ。
当時の日本軍の総勢は50万。その頃の世界中の軍隊かき集めて300万くらいだったかな。
武装や戦争経験もやたら豊富。ただ局地戦限定で大陸の戦いには不向きだった。
人口比率とかを考えるにそれって算出方法が異なるんじゃねーのと思うわ
まあ戦国の地域と当時のネイティブアメリカンだのアフリカンだの比べるのもアレだが、
同じく全土が乱世の時代の他地域と比べてもそんな多いものだろうか?
何万の戦いなのは結構だけど、それが連続して色んな地域で起こってるってことは
一つの戦いでの死傷者数は少ないからこそできることだよな
日本の戦争の動員数の内のほとんどって勝ち馬乗りですぐ逃げてたから死ななかったんじゃねえの
ガラパゴス軍隊だからな
元寇はうまい具合に両軍が噛みあった結果と言える
>>384 当時の明軍は軍制改革後だから中期に北部勢力に散々やられてた時代とは全く違う
その辺理解しないで明は質が〜とかアホですか
>>386 長篠で武田方は織田に散々打ち破られて盛大に損害出してるけど
武田の人口プールとは全く関係ない諸大名が万単位の戦争はその後もやってる
太閤検地では日本全国で1800万石くらいになってる
100石5人を動員した小田原包囲を基準にすると90万が日本の戦闘員の可能な範囲での動員数
ちょっと無理すれば100万に届くな
ここに小物などの非戦闘員含めると200万弱くらいまでは軍隊ってのは膨れる
390 :
世界@名無史さん:2014/07/17(木) 23:09:18.22 0
>>388 装備についても明は大砲を当時世界最大の3000門装備してたし
日本に大砲は何門あった?
>>390 日本軍は砲はほとんど使用しないな
大砲と言ったって野戦砲じゃなくて城砦砲がほとんどだったから
日本軍との戦いでは役立たずだったな
392 :
世界@名無史さん:2014/07/17(木) 23:15:10.97 0
>>389 封建時代の軍には兵以外の非武装の従者やら物資を供給するための商人までゾロゾロとついてきてたから
そういうのを含めるかどうかで数は何倍も変わったりする
近代的な軍なら物質供給もれっきとした軍の補給部隊なんだけどね
>>392 16世紀にそんな軍隊あったら怖いな
ちなみに中国では軍の数に補給要員まで含めてる事もしばしば、なんだけど含めないこともあって
ただでさえ大袈裟に書くのに、戦闘員まで戦果に入れやがるから
実数を史書の戦闘描写から推測するのが非常に困難になってるのよな
100石5人制度は支配者が傘下の領主に課した動員数の目安だと思うけど
その5人の中に補給部隊だの斥候だのっていう直接的に戦わない兵は含まれなかったんだろうか?
含まれなかったとすると、補給連絡斥候要員は動員令だした方が世話しなきゃならなくなる
これは部隊の効率性とか大名の独立性から考えるとちょっと変な話だ
含まれたとするとそれに補給とか足してン万ってのは盛りすぎになる
まあそういうのも慣習法とか動員令の中に盛り込まれてるなら不勉強乙って言われて終わりな話なんだけど
日本史はそんな詳しくないからなあ
>>394 補給斥候じゃなくて普通に戦闘員の動員目安
396 :
世界@名無史さん:2014/07/18(金) 00:13:10.64 0
だからさ、補給要員やその他雑用のためについてきてる従者は兵じゃ無いんだよ
「補給部隊」なんてのは近代的な発想で、封建時代にはそんなものは無かったの
当時の「兵」というのは実際に武器を持って敵と戦闘する者だけ
>>396 中国だと補給部隊作ってるってのが恐ろしい
てか紀元前にはもう既に輜重部隊が組織されてるってのがあの大陸の偉大なところ
398 :
世界@名無史さん:2014/07/18(金) 01:40:52.21 0
そりゃ封建制が2100年前に終わったからね
ローマとかにも補給部隊はあったでしょ
封建制の軍と統一国の国軍との違いだよ
ローマは崩壊して中世ヒャッハー時代で補給何ソレ?状態になるのに
中国は崩壊しても結局立ち直ってるのよな
河川交通網による大規模輸送のたまもの
なんにしろ日本は無関係だからいいだろ
本州より広いインドのラージャスタンで大活躍しても実績不足になるのと同じ
インドのアウラングゼーブどのあたりにするか語ろうぜ
>>400 だから本来実績不足として扱われるべきな連中が中国だけ入ってて異常なんだよ
王翦、韓信、あと光武帝も全員ランク除外されて当然
402 :
世界@名無史さん:2014/07/18(金) 02:05:12.10 0
そんなこと言い出したらカール大帝とか
ヨーロッパの中で暴れただけの局地名将でしかないだろ
ロシアやエジプトまで征ったナポレオンクラスで初めて評価対象ということになる
カール大帝も除外すべきだな
てかそもそもCってのが過大すぎるだろ
>>401 それは現代中国の領域が欧州や中央アジア地域と比較して統一されているゆえに抱く印象でしかないんだよ
ぶっちゃけ中央アジア〜イラン地域にかけての征服者の方が過大評価だと思うわ
中国みたいに長江という大河川や南シナ〜安南にかけての森林地帯というバラエティに富んだ
地形の克服という要素がほとんどない
遊牧部族に対する多数派工作の方が戦争より重要と言う地域
結局、基準が曖昧なままランク分けしてるんだよね・・・
406 :
世界@名無史さん:2014/07/18(金) 08:16:50.16 0
>>404 中国だけじゃないよ
ヨーロッパだってその中に温暖な地中海気候から寒冷な北欧や
ハンガリーの平原やアルプスという大山脈まで含んでるだろ
>>404 中央アジアも別に平地でもなんでもなく地形の克服って要素あるんだが
ペルシャや中央アジアは地理的に戦乱が常に起こるような場所だから軍事の天才もでやすい
中央アジアなんかいまでも紛争あるしな
>>388 軍制改革って何を指しているのかな?
もし衛所制でまかなわれる兵士の代わりに私兵が用いられるようになったことを軍制改革って呼んで、それが北虜を食い止めてたと思ってるならそれこそ大アホだね
軍の私兵化は、それを率いる軍のトップの統率能力に大きく左右される事は周知の事実なので説明する必要はないと思うが、
当時の状況と歴史的背景を考慮に入れると制度的に糞だとしか言いようがない。
私兵は衛所制によって創出される兵と違って朝廷に属すというよりは主に雇用主に忠誠を誓うから唐代のような節度使と化す恐れがあった事で
この制度の下で功績を残す軍人(要は優秀な軍人)は猜疑の目を向けられ、よくて罷免、悪ければ処刑されてる。
私兵制に移行すればするほど、軍閥化を懸念して対処されるような場合が多くなる。
結果的に残るのは、軍事的に業績が残せなくても職にしがみつけられるような政治的能力だけが高い軍事的に無能な奴らが率いる軍隊だけ。
制度的に欠陥があったのが一つ(ただし衛所制の方も腐敗して機能不全になっていた)
もう一つは、明は融和政策によって略奪・侵攻を未然に防いでいたのであって、明軍は依然として弱体のまま。
戦術的には、極端なまでに野戦を避け、攻城戦に持ち込む事で野戦において効力を発揮する騎兵主体の北方民族に対して対抗するようにシフトしていったので野戦に関しては本当に糞だった。
俺をアホ呼ばわりしても構わないが、その俺よりも理解が浅いお前は知能障害者だな
>>409 制度的な良し悪しじゃなくて強いかどうかって話だろ
100年後どうなってるかとは全く別に明は北虜に一方的にやられてた時期より強さを取り戻してる
野戦も弱い弱いと言ってるけど、倭寇対策で軍を整備した後はそんなに弱体でもないぞ
明軍は腐ってるけど腐り方って趨勢的な弱体化であって一気に直線的に下ってるわけではなく
日本との戦争直前に一回、大きく盛り返してるんだよ
やっぱあんたアホだよ
内乱制覇は評価外とか言ってるのは訳が分からない。
単に中国大陸より領土も人口も小さい日本が入ってないだけやろ。
数だけで決まるわけでもないし、戦績的に微妙な王朝開祖は入ってないし。
そもそもどこまでが内乱なのか。フィリッポス2世もまず脱落。
俺も今の中国勢に異論はあるが、全員論外はないわ。
412 :
世界@名無史さん:2014/07/18(金) 14:19:45.51 i
世界史として見るならばやっぱり日本勢は入れないのが妥当じゃないか?
日本が大陸に進出したのって白村こうの戦いと朝鮮出兵だけだろ
日清日露戦争
414 :
世界@名無史さん:2014/07/18(金) 20:10:34.88 0
明軍って日本と戦ったことで戦力大幅にアップしてないかな
それまでと違って日本刀に耐える甲冑だの
新型の小銃や大砲だのが日本戦後に大量に出てくる
加えて戦術や駆け引きも洗練され
後金との戦いに挑んだ明軍は秀吉時代とは別物だと思う
日本史で入れれそうなのは徳川家康と大山巌くらいじゃねえかな
大山よりは乃木の方が戦果派手だけど
>>407 中国にだって砂漠もあれば山岳地帯もありますよ
それに+で攻略には水軍が必要な大河川や南亜熱帯の地域も存在するというお話
統一に必要な軍事力の整備に関しては地中海地域(海軍+攻城)>中国(水軍+攻城)>中央アジア(騎兵)
ぐらいのイメージ
中国の場合は宋以降、火薬兵器も登場してくるからさらにはっちゃけるけど
名将だから勝てたのか、それとも相手に対し兵科や環境・条件が優れてたから勝てたのか
確かに諸条件加えるとランク変動起こしそう
アレクサンドロス3世は海軍まで持ってたからチンギスやティムールよりも軍事的なコストは大きかったと思う
でもどっちが上とは言い難い
海上輸送使えれば兵站支援が増強可能ではあるが
419 :
世界@名無史さん:2014/07/19(土) 00:02:45.07 0
マケドニアは地中海に面した国で
地中海沿岸では開運が主要な交通路だった地域なんだから
まず海軍が無きゃお話にならない
>>404 ランキング作ってる奴が中国嫌いなんだろ
だから全体的に同一文化圏での戦争ってのは小さく評価されるんだよ
同じ文化圏だと占領地の統治やら、補給面での融通の効きやすさ、相手の情報の得やすさなんかが楽になる
中華の場合色濃く地方性は残ってはいるが、漢成立後の中華は文化の同一性が強くなって内乱扱い、
韓信が活躍した頃はまだ文化の同一性が強くなかった時期とかそういう判断してる
んで、その他に中国全土を一代で統一するほどの行為をやったのは朱元璋とかいるが
こいつの場合戦術面では部下の名が知れ渡ってるので戦功が分散されてしまってる
霍去病とかたまに話題にでるだろ
422 :
世界@名無史さん:2014/07/19(土) 18:59:40.43 0
>>420 嫌いだから低く評価するってのがおかしい
冷戦時代のアメリカはソ連は強大だと宣伝しまくってたぞ
>>421 文明圏って単位で見ると周の統一以降は周王に臣従してる人間同士では文明圏同一だよ
西周時代はそれでも周に従わない民族とか都市があるけども
それも長期間の周による統一の間に相当数駆逐された
東周時代になると諸国の人間が他の国へ移動して大臣になれるほどで
所属する文明間の問題があって他国人の大臣が排除される例よりは
単に権力闘争によって排除されるケースの方が遥かに多い
秦の統一で文明圏の同一化はさらに促進された
韓信の活躍した時代なんてナショナリズム的なものはあっても
文明圏が違うなんてレベルの状態ではないよ
地域ランク中国やるか
中国英雄板でも行ってやれ
ムガール帝国その他周辺勢
E,Fあたりにどうか
バーブル
中央アジアでは敗北するもパーニーパット他、その後の戦いでも数で勝る在地勢力に圧勝
アクバル
階段から落ちて死亡した父親が失った失地を回復、統治者としても優秀
アウラングゼーブ
後継者戦争、デカン戦争、反乱鎮圧と活躍ただし、酷い統治のため国が崩壊
ランジート・シング
強大な軍事力でパンジャーブを征服、当時のインドでイギリスに次ぐ軍事力を誇りパンジャーブの虎といわれる
イギリスと条約を結び、生きている間はイギリスの支配を寄せ付けなかった
ランジート・シングは第二次マラーター戦争の時に日和見で邪魔したし個人的にも評価低いわ。
むしろイギリスとは「マイソールの虎」ティプー・スルタンの方が見事に戦った。
何にせよアウラングゼーブらと比べると落ちるな。
ティプー・スルタンのロケットってイギリスを大いに苦しめたけど確かその後のナポレオン戦争に兵器として影響を与えたんだよな
>>429 イギリス軍のコングリーヴ・ロケットですね。
>>430 西洋では火薬兵器が主として砲になって、インド方面ではロケットになったらしいね
サイズだけで役に立たなかったブルゴーニュのモンス・メグとかロマンだ
米国歌の「ロケット弾飛び交い、砲弾が炸裂する空に、我が星条旗ははためき続ける」
このロケット弾を撃っているのはイギリス軍。
インドで見たロケット弾が相当好きなようで第二次大戦でも
ロケットを円形にした珍兵器パンジャンドラムを試作している。
433 :
世界@名無史さん:2014/07/22(火) 14:34:54.15 0
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アウラングゼーブは士気の低い兵で勝つところがある意味凄い
17世紀前半最強の軍団
海軍・・・コンキスタドール パイレーツ
歩兵・・・イニチェリ 武士
騎兵・・・コサック 八旗
436 :
世界@名無史さん:2014/07/23(水) 21:06:51.62 0
>>435 コサックより騎兵はポーランドやクズルバシュの方が強そう
ウーランは18世紀くらいからやな フサリアの維持費抑えたらウーランになった
なおかなりの弱体化の模様
世界最強は武田の騎馬軍団だろ
海軍ならば17世紀前半にはもうオランダの方が上でしょ
ポルトガル・スペインを香辛料貿易を排除していって実質的に独占するようになってたしね
パイレーツなんて一括りに出来るものでもない、バルバリア海賊とかなら別だが。
17世紀前半ならもうすでに三兵戦術の母体が出来上がっていた頃なので騎兵と歩兵を分離して考えるのは少し違和感がある
イェニチェリは16世紀後半の時点で数で優位に立っているにも関わらず中欧、東欧の勢力に負けてる事が多いのであまり最強だとは思えない。質的には劣る
武士はまともな砲を備えてない時点で論外。
コサックは数が多く雇いやすかったから運用されてただけで戦闘において有効だったかというと微妙。
ポーランド・リトアニア共和国軍に数で優位に立っているにも関わらず敗北してるしね。フサリアの方が上でしょう。
17世紀前半の騎兵最強は八旗、フサリア、クズルバシュのどれか
17世紀前半最強の軍団
海軍・・・パイレーツ オランダ東インド会社
歩兵・・・イニチェリ 武士
騎兵・・・八旗 フサリア コサック
コンキスタドールとクズルバシュは16世紀は最強クラスだったけど17世紀はそこまでは強くなかったと思う
そもそも八旗て騎兵としてはそこまで強くないだろ
445 :
世界@名無史さん:2014/07/25(金) 19:30:47.91 0
オランダ東インド会社、アチェのイスカンダル・ムダに惨敗
>>443 クズルバシュはアッバース1世の軍制改革後も最強の戦力でサファヴィーオスマン戦争で大活躍した
欧州の砲術なんかを取り入れたり中央集権化したりしてはいたがやっぱりまだまだ騎兵は強く
17世紀前半に欧州より早くオスマン帝国に本格的に勝利したのはアッバース1世が優秀だったのもあるがクズルバシュも強かった
447 :
世界@名無史さん:2014/07/25(金) 19:59:31.36 0
emsemble
>>446 オスマントルコも主役は歩兵のイェニチェリで騎兵は脇役
>>448 オスマン帝国の隆盛って騎兵の否定からだしな
17世紀には騎兵は戦争の主役の座を銃兵に譲りつつあった
秀吉の朝鮮出兵でも日本の銃兵が中国の騎兵を完全に圧倒した
しかしそんな中で圧倒的な強さで野戦で連戦連勝し東アジアを蹂躙征服したのが清帝国を建国した女真族の八旗なのだ(ドン!)
>>450 ヌルハチ(南進して戦死)
ホンタイジ(内応で漢人兵士、火器装備を増強)
ドルゴン(内応で山海関突破)
八旗ってどこで活躍したの?
>>451 やっぱり有名なのはサルフの戦い
この戦いは騎兵中心の軍隊が銃火器中心の軍隊に勝った有名な戦い
八旗を組織したヌルハチは野戦では無敗の実力者
ホンタイジも朝鮮を征服してモンゴルを服属させてる
ドルゴンも山海関突破後は数年で旧明領の大半を征服してる
ヌルハチは以前でていたがスタート地点や相手、戦術とかいろいろ考慮すればEかFだろう
ヌルハチは世界史的名将だと思う。
454 :
世界@名無史さん:2014/07/26(土) 02:26:41.74 0
ヌルポハチ
455 :
世界@名無史さん:2014/07/26(土) 02:36:04.03 0
ティプー・スルタン候補に出た?
>>453 満洲ローカルから抜け出れなかったのにEは無いわ
ヌル+ホンタイジでようやくFぐらい
ヌルハチのサルフは防衛戦だけど
周瑜(赤壁)や謝玄(淝水)みたいな同様の劣勢下での防衛戦より優れた点って正直無いだろ
共通項として勝機は結局侵攻側の態勢未完に見出した点、それが全て
兵力差も周瑜、謝玄より絶望的じゃないし
あ、みんな一発屋のレッテル貼られてるのも共通項か
ヌルハチの評価点は数十騎ではじめて連戦連勝の後、建国さらに東の大国である明を撃破した点
たまたま一戦交えて勝ったってだけでその後は普通に戦死みたいなもんだし
明軍撃破程度なら他にもいくつもやってる人や軍はあるからそんなん評価するもんでもない
>>455 インドローカル版
A ムハンマド・トゥグルク
B ハルジー、アウラングゼーブ シェール・シャー サムドラグプタ マフムード
C バーブル、アクバル、チャンドラグプタ、ランジート・シング ハルシャ・ヴァルダナ
D マリク・カーフール、ラージャラージャ1世 ティープー・スルタン
E デュプレクス、シヴァージー、バージ・ラーオ
次点 アショーカ
461 :
世界@名無史さん:2014/07/27(日) 16:04:11.46 0
満州八旗は康熙帝の三藩の乱の時には使い物にならなくて
代わりに漢人主体の緑営部隊使っていた。
明朝にトドメ刺したのも呉三桂だし
索倫八旗は乾隆帝の十全武功で活躍したみたいだな。
463 :
世界@名無史さん:2014/07/27(日) 16:19:32.38 0
太平天国では八旗がアヘン中毒同然になって
曽国藩個人に依存していたな
464 :
世界@名無史さん:2014/07/27(日) 21:00:04.22 0
>>460 ティプー・スルタンはもっと上でいいような
ナポレオンを破ったウェリントンを戦死寸前まで追い詰めてるし
ウェリントンがそんなに高くない
ナポレオン破ったって書くと凄そうに見えるけどウェリントンは美味しいところを上手くゲットしてるけど
あれは対仏大同盟の共同作業だろ
アショーカ入ってないのって単に資料少ないから?
467 :
世界@名無史さん:2014/07/27(日) 21:28:13.60 0
>>466 アショーカについてわかることなんて残虐な暴君で後に改心して仏教徒になったというだけだからなあ
暴君が弱かったらすぐに反乱起こりそうだから暴君時代には強かったかもしれないが
本人が強くなくても裏切る恐れのない信頼できる強い将軍がいれば済むことだし
>>466 マウリヤ朝の征服活動はアショーカの前の代でかなりの部分がなされていたといわれているから
そのかわりサムドラグプタが入っている
>>460 アウラングゼーブが高い所にいるけど本当に強かったら欧米の植民地化を防げたはず
>>469 アウラングゼーブの時代はまだ植民地化前でイギリス東インド会社もまだ商業組織的だった
ただ一度やんちゃをやってアウラングゼーブにお灸をすえられたことがあったはず
そもそもナポレオン自体大した事無いからな
こんなスレあるのか笑
独ソ戦で独逸軍はどこまで言ってもひたすら畑と丘が広がるヨーロッパロシアの平原で気が狂いそうになったらしいね。想像もできないほどとてつもないほど広大だったとか
インドよりも面積あるんだから言われてみればそうだわな。てか世界最大か
474 :
世界@名無史さん:2014/07/29(火) 22:41:00.07 0
ロシアの平原>関東平野
ドイツ軍からすればまさしく地の果てとも言える世界だったみたいで
地の果てまで来たようだとか書いてある手記もあった
逆に日本人がロシアに攻め入っても地の果てだと感じるのか興味深い
そこにナポレオンも負けた冬将軍だもんね
ナチスがソ連に攻めなければ、ソ連からのナチス侵攻はあったのかな?
無いなら、ソ連侵攻は愚策だな その分イギリスにつぎこんでれば
ソ連(というよりスターリン)はナチスと秘密条約を結んだ辺りからドイツを仮想敵国とみなすのを実質的にやめてたし
内政と権力基盤を強固にしたい思惑もあったからソ連から侵攻する事は短期的にみたら無かった。
ヒトラーは東方生存圏を確立してドイツ民族(アーリア人)を繁栄させること、これがヒトラーの戦争と政治的な目標だったんだよ。
その第一段階としてのポーランド侵攻で英仏が参戦。ヒトラーとしては英仏が参戦するのは一応予測出来てたみたいだが、
大規模な戦闘には至らずに講和するだろうという希望的観測もあったようで、英仏と本格的に戦争に突入するつもりはなかった。
まあ、電撃戦で運よくフランスは敵国から離脱させる事が出来たし英国には侵攻しようとしてみたものの制海権と制空権が握れずに手詰まりに、
ただしイギリスはフランスからの撤退の際に多くの兵器類を置き去りにしてきた結果、イギリスが欧州大陸に侵攻するに足る十分な兵員、兵器類、物資が欠乏してる事は明らかだったので
ヒトラーからすれば本来の政治的目標であった東方生存圏建設を優先させたという背景を知ってれば少々理解しやすくなるはず。
ソ連侵攻がうまくいったらその後に講和でもなんでもすればいいわけだからね。
まあ、当時の英仏は第一次世界大戦で勝利したにもかかわらず、膨大な数の寡婦、身体障碍者を生み出す事になってしまって、宥和政策を行わざるおえなかった事を考慮に入れると
ヒトラーがイギリスの戦争意欲を過小評価したのも理解出来なくはない。
英国の過小評価と政治的目標を戦争において達成されるべき戦術、戦略的目標よりも高次においたから二正面で戦う事になったんだと思うよ
ソ連はいずれは戦わなければならない敵だという認識はしていたみたいだがな
イギリスにてこずってる間はこっちこないだろうとタカをくくっていたら裏切られたが
それにしてもヒトラー含めドイツ人は何故ロシア人やポーランド人を抹殺しようなんて思っちゃったんだろな。
殺すべきなのは最大の障害であるユダヤ人と”血の同盟”を結んだイギリス人のほうなのに
今だって結局ドイツはトルコ人やら北アフリカの移民と混血しちゃって2割近くがドイツ人じゃない。
そうなるぐらいならポーランド人やロシア人と混ざってたほうが良かったのに・・・なんだかんだ言っても白人同士だし
スラブ人は環境が悪くて発展できなかっただけで本来は有能な民族だし。
ロシアがどうしても嫌だってなら
オーストリア→ポーランド→チェコスロバキア→バルト三国→ベラルーシ→ウクライナを併合してドイツ化させちゃえば
150万km2ぐらいあるから2億人ぐらい養うには十分な生存圏だろうに
ナチスはノルウェー人を最優良人種と定めていたが、ノルウェー人の3分1はスラブ系である
お前のその机上の論理がドイツ人の論理と異なってたってことだろ
混血しちゃったらドイツ人じゃないって論理がすげー時代錯誤
防衛部門
李牧、ファビウス、謝玄、アエティウス、孟珙、陳興道、ミルチャ1世、ヤーノシュ、スカンデルベク
タフマースブ1世、スタニスワフ・コニェツポルスキ、袁崇煥、ティプー・スルタン、クトゥーゾフ
謝玄って一発屋だろ
>>482 撤退戦術を行ったのはバルクライでは?
クトゥーゾフは会戦への移行の為に選ばれたし、モスクワからの追撃で名を上げてる。
モスクワ戦役以外での防御戦の実績が有ったらゴメン。
まぁバルクライの撤退戦術も「結果として」レベルだけど・・・
スモレンスク近郊での戦闘くらいでは?積極的な撤退戦術は。
>>484 分けるのが難しいがモスクワ戦以降にフランスへのダメージが大きいのでクトゥーゾフでいいかなと
近代になるとしっかりと組織化されてきている分と細かな記録がある分、分けるのはなかなか大変だ
>>483 劉牢之の力も大きかったしな
ちなみに劉牢之はアホだけど武将としては常勝無敗の名将
防衛部門
A 孟珙
B 李牧 ファビウス スタニスワフ・コニェツポルスキ
C 陳興道 タフマースブ1世 ミルチャ1世 クトゥーゾフ
D スカンデルベク 袁崇煥 ティプースルタン
E 謝玄 アエティウス ヤーノシュ
項羽と劉邦の例から戦術よりも戦略に長けた方が最後には勝つような気がする
秀吉も長久手で池田恒興の羽柴軍が織田徳川連合軍に手痛い敗戦を喫した後戦略を変えて持久戦での睨み合いではなく
織田信雄の領土を削りとる作戦に変えた
これがまんまと成功し家康は秀吉と和睦するしかなくなる
小牧長久手の戦いは秀吉の戦略的勝利
家康も秀吉相手なら仕方ないと秀吉生存中は天下を諦めた
戦場だけではなく天下を常に視野に入れて大局的な戦略を立てる者が最後に勝つケースが多いと思う
その意味では項羽よりも劉邦の方が名将と言えるかもしれない
>>487 俺ならファビウスがAだな。袁崇カンももっと高い。
あと呂文カンを追加。
戦略のミスを戦術で挽回することはできないってのは基本中の基本だろ
そんなことも理解してないのに名将を語るのか?
関ヶ原の島津家は戦略ミスを戦術面である程度カバーしてたぞ
東軍に対し敵陣中央突破で実力をみせ、戦後の外交を有利にした
戦わず退いた毛利家や長曾我部家等が減封や改易になってる中、本領安堵を成し遂げた
もちろん外交上手だったというのもあるが
ま、勝ったというより本領安堵されて被害を最小限にすることに命懸けで成功した、という感じだね。
戦略上の不利を戦術で挽回した代表例はナポレオンのイタリア遠征だな
実はザマの戦いでハンニバルが敗れたのも
戦いそのものでのスキピオのハンニバルを逆手に取った戦術によるところも大きいが
その戦術が成功したのもスキピオがスペインやカルタゴに遠征してハンニバルの拠点を叩くという戦略が完璧に機能したため
不利を運で覆した男、フリードリヒ2世
もっとも軍事的才能があって最後に運が味方したという点で立派な名将ではある
>>494 そもそもハンニバルの強さを支えたヌミディア騎兵がローマ側に寝返ってるからなぁ
戦術のキーパーツ奪われてもまだ逆転の芽残してたハンニバルも異常だけど
勝負は戦場で決着する前に確定されてたんだよなぁ
アンカラの戦いも戦闘になる前からティムールの切り崩し、内応などの戦略があって、その勝利の半分以上は戦闘が始まる前に決していた感じだね
アナトリアの諸侯の寝返りの準備だけでなくさらに最初の戦場が不利と予想して決戦の地をコントロールしたり
油断が全くないのが若い頃の苦労の故か
一方、イスマーイール1世はチャルディラーンで勝利するチャンスがあったが自らを神と信じ無敗の実績が
油断を生み負けにつながった
この手の自称無敗の征服者で最後まで勝ち続けたのはアレクサンドロス3世だけだろう
>>499 アレクサンドロスはインド進撃の企図が征服なんだから征服しないでの撤退は敗北だぞ
ウィキにあるグラニコス川の戦いのページの指揮官の表に笑ったな
何があったんだよって感じになってる。
英語版だとマケドニアにもパルメニオンとかいるが、この方がインパクトあるかも
502 :
世界@名無史さん:2014/08/24(日) 23:48:43.23 0
過疎ってるね。上げ
では防衛部門いくか
追加あればよろしく
防衛部門
A 孟珙
B 李牧 ファビウス スタニスワフ・コニェツポルスキ
C 陳興道 タフマースブ1世 ミルチャ1世 クトゥーゾフ
D スカンデルベク 袁崇煥 ティプースルタン
E 謝玄 アエティウス ヤーノシュ
504 :
世界@名無史さん:2014/08/24(日) 23:59:27.08 0
C 泉蓋蘇文
D ヴラド・ツェペシュ ムハンマド・アフマド
505 :
世界@名無史さん:2014/08/25(月) 00:00:51.09 0
少しマイナーなのに簡単な説明
スタニスワフ・コニェツポルスキ・・・名将グスタフ・アドルフをポーランドで退ける
李牧・・・趙の将軍。戦国時代に匈奴を撃破。強国、秦からも恐れられる
タフマースブ1世・・・全盛期のオスマンを焦土作戦を用いて戦果を挙げさせなかったサファヴィーのシャー
泉蓋蘇文・・・唐の大軍を退けた高句麗の将。唐の進行を全て撃退
ムハンマド・アフマド・・・マフディーの乱で知られる。常勝軍のゴードンを撃破
全然マイナーじゃねぇ・・・
508 :
世界@名無史さん:2014/08/26(火) 18:04:00.35 0
アル・マリク・アッザーヒル・バイバルス・アル・ブンドゥクダーリー様をお忘れか
509 :
世界@名無史さん:2014/08/26(火) 18:05:19.91 0
C スピタメネス、メムノン
510 :
世界@名無史さん:2014/08/26(火) 18:06:09.75 0
B テミストクレス、アリステイデス
511 :
世界@名無史さん:2014/08/26(火) 18:06:50.50 0
B ラムセス3世
ファビウスは戦略面での勝利だからこそ、ここではあえて外れると思う
防御のために先手を打って攻撃をしかけるタイプの防衛を入れるかどうか聞いてみたい
それ認めるならナポレオンが没落中の防衛戦評価せんとな
514 :
世界@名無史さん:2014/08/28(木) 06:45:48.83 0
ここまでロバート・ブルースが出てきてないな。
バノックバーンの戦いで3倍にもなるイングランド軍を会戦で殲滅、
しかもその結果が現在にわたるスコットランドの独立確保につながっている(同君連合という形にしても)。
戦術と戦略的な勝利、ともに申し分ない。
所詮中世ブリテン島の小競り合いだからなぁ
家畜泥棒からはじめて周辺の大国全て倒した人とかいるからスケール的に見劣りしてしまう
517 :
世界@名無史さん:2014/08/30(土) 17:23:06.69 0
東条英機は?
>>503 B 司馬懿
名将諸葛亮相手にまともに当たったら分が悪いのを十分に自覚し持久戦で諸葛亮の北伐から国を守った
司馬懿が防衛戦の名手ってことに異論はないけど
まともに当たったら分が悪いかっつったら微妙だ
>>520 一回だけ会戦したけどその時はフルボッコにされて
大量の軍需品まで鹵獲されてるからまともに当たったら普通に勝てない
アエティウスがそんな低いとアッティラって何?ってなる
防衛部門
A 孟珙
B 李牧 ファビウス スタニスワフ・コニェツポルスキ
C 陳興道 タフマースブ1世 クトゥーゾフ 袁崇煥
D スカンデルベク 泉蓋蘇文 乙支文徳 ティプースルタン
E 謝玄 アエティウス ヤーノシュ ヴラド テミストクレス
三国志は相手が小粒なので圏外
どう?
Fあたりに蒙古から国を護った北条時宗を…
実際の総大将は少弐兄弟だがな
そして九州の覇権をかけた戦いで最終勝者になったのは少弐経資
北条時宗がランクに入ったらチャーチルとスターリンも入るからペケだろ
モンゴル関係だと北条は軍で指揮とっていないから駄目
ベトナムの陳も高すぎるかもね
ベトナムは紀行、熱帯の病気、馬が使いにくい密林等の地形なんかで防衛には有利になっている
実際、他の時代も北からの進行に対して撃退多いし、防衛には適していると思われる
バイバルスは相手が少数の別働隊みたいなもの、ハルジーは何度もモンゴル撃退しているから強かったかもしれない
>>523 謝玄を入れるなら劉牢之も入れよう
アエティウスと陳興道も交代しよう
ファビウスは高すぎテミストクレスは低すぎ
カハマルカの戦いにて、180人の南蛮人で2万のインカ帝国軍を打ち破り、皇帝アタワルパを生け捕りにしたピサロは名将?
モンゴル帝国史だと孟珙出たの金侵入の時に物資分けてあげたのと
連携不足のモンゴル軍を撃破して一部領土を奪還しているところぐらいだったな
それでもモンゴル軍が出会った中で最も強かったみたいなこと書いてあったが
>>530 あんまり詳しくないけどその頃確か内戦やってたか終わったかくらいだろ?
指揮統制も士気もぼろぼろだし疫病武器練度その他で圧倒的にピサロ側が有利だったんだろ
自分が嫌いな上司の命令に従って、嫌いな仲間と見たこともない怖い病気ででアバタ顔の仲間と行軍してたとするじゃん
前から宇宙人がやってきて遥か遠くから爆音がしたと思ったら、近くの味方が倒れてたら敗走以外に同しようもないだろう
だろ?
だろ
じゃん
だろう
防衛部門
A クトゥーゾフ
B 李牧 孟珙 アエティウス テミストクレス
C 田単 乙支文徳 泉蓋蘇文 ヤン・ジシュカ 袁崇煥
D ファビウス 周瑜 謝玄 劉牢之 スカンデルベク ヤーノシュ
E 少弐経資 陳興道 タフマースブ1世 スタニスワフ・コニェツポルスキ ティプースルタン
ヴラドはキャラは立ってるけど武将としては大したことはないから圏外
>>535 堡塁防衛に失敗し、その後に攻勢で成功したクトゥーゾフが防衛部門のA?
攻勢でも自国内での冬季行軍で、かなりの兵力を失っているし・・・
防衛部門Aは毛沢東
抗日戦で焦土戦術を取りながら便衣兵で攻撃し、日本兵を各都市で孤立化させ、日中戦争を泥沼化させ、遂には日本を撃退した。
焦土戦術で守ったってのは戦略部門な気がするんだよなあ
クトゥーゾフの高評価って焦土戦術で敗退をし始めたナポレオンに
追撃で完全に叩き潰した点だろ?
それにしてもたまたま一回守って勝ったからって高評価付けるのは早計だと思うが
グスタフをランクダウンさせたスタニスワフ・コニェツポルスキは強い
実績がもっとあれば防衛部門じゃなくて普通にランク候補だったんだが
単にグスタフ・アドルフ全盛期の前に戦っただけやがな
グスタフ・アドルフ全盛期はフランスからの金で装備揃えてから
>>537 それ国民党軍の手柄
共匪なんてのはそもそも日本軍とまともに戦ってない
日本軍が追い出されてからの勢力だろ
むしろまともに戦わずに相手に戦術的勝利を収めさせずに敵の資源を消費させ、消耗させ、最後に戦略的に勝利を収めて戦争に勝つのが目的だから
まともに戦ってたら戦略的にまずいんじゃね。実際日本軍は華北を完全に手中に治められなかったせいで無駄にリソースを費やすことになったしな
ただ毛沢東は戦略家に近いと思う。ゲリラ戦術の構築者の内の一人。
543 :
世界@名無史さん:2014/09/04(木) 09:26:13.13 0
退却戦術というのは世論受けが悪いから批判されがちだが、ナポレオン、ヒトラー、日本軍などを撃退した大陸国の不敗の戦術。
日露戦争も奉天までは日本軍の補給線を伸ばしており退却すればするほどロシア有利、日本不利となり
あと一年も継戦してれば日本軍は壊滅していただろう。
独ソ戦などは初期に50万の軍団が包囲殲滅されている。
批判に耐えて継戦できる政治力があれば磐石。
>>542 そもそも日本と戦争してたのは国民党であって
戦場にすら出ないどころか戦争の相手ですらなかったものを戦略的勝利とか大間違い
日本と中華民国との戦争において共産党は単なる受益者であり
プレイヤーですらない
545 :
世界@名無史さん:2014/09/04(木) 09:53:24.51 0
つ漁夫の利
546 :
世界@名無史さん:2014/09/04(木) 10:39:04.71 0
蒋介石は日本軍より共産党に脅威を感じていた。
共産党を壊滅寸前に追い込んだところで張学良の西安事件が起きる。
張学良が西安事件を起こした動機は未だ謎。
>>543 問題なのは1812年モスクワ戦役が周到な計画の元の退却戦術なのかって事かと。
ドヴィナ河流域のドリッサに要塞を建造したり、ヴィッテブスクかスモレンスクで会戦するつもりだったり等が有るし・・・
結果として退却戦術に成っただけ?
また、モスクワからのフランス軍の追撃も不充分で取り逃がしたのに近いかと。
548 :
世界@名無史さん:2014/09/04(木) 12:31:41.53 0
個人的な感想はともかく、世間的には退却戦術だったと認識されてるから。
あと60万のフランス軍は最終的にほぼ全滅してるから戦果としては十二分。
>>544 >>542だけど、共産党がどうこうはそもそも言ってないんだけど何か勘違いしてるのかな?
確か記憶が正しければ日中戦争期には共産主義勢力は名目上、中華民国の傘下に入ってたはずだし
ただ、ある程度軍事行動に関して自由に行動出来ていたから、その行動内での戦術的、戦略的な行動について
それがある程度効果があったんじゃないのかと述べたつもりだったんだけどね
最終的に中華民国が勝利したことにより当然その一員だった八路軍(共産主義勢力)も勝利した事にカウントされるんじゃない?
イデオロギーに染まりすぎて脳が使い物にならなくなったのか、そもそもが馬鹿なのか知らないけど、なんかかわいそうだね。
>>547 分散して退却する
一部を治安維持や拠点防衛に残す
パリの政治安定のための本隊のみの強行退却
などで、人数が減るという側面があるからね。
>>548 いやいや、退却戦術で無いとは言っていませよw
計画性・一貫性の有る退却戦術と言うより、個々の退却を積み重ねた結果としての退却戦術では?と。
私じゃ無くて、当時のロシア軍内部の人間や後世の研究家が書いている訳で・・・
まぁ、程度の差は有りますが。
クトゥーゾフの追撃もかなり兵力を失っています。
モスクワ(タルーティナ)→ヴィルナ
フランス軍 9万→4千
ロシア軍 11万→4万
ボロジノ会戦レベルの戦闘が有った訳でも無く、両軍共その多くを行軍で失っています。
特にベレジナでのクトゥーゾフの敗北は致命的かと。
クラウゼヴィッツは苦難の多かった追撃戦を賞賛しつつも、ベレジナの件では苦言を呈しています。
1940年の時点で国共は交戦してるし、
ポツダム宣言受諾後、国民党は日本軍に対して共産党の武装解除に応じることを禁じ、
逆にこれを武力で排除するよう要請している。
555 :
世界@名無史さん:2014/09/05(金) 12:01:51.21 0
>>551 計画的であろうがなかろうがナポレオンを倒したという事実は変わらない。
ナポレオンに何もできずポカンと傍観してたクラウゼヴィッツが後から屁理屈こねてもしょせん負け犬の遠吠え。
戦争において結果を出せないやつは将として存在価値無し。
べレジナでフランス軍が壊滅してるのに致命的敗北とか意味不明すぎ。
また他人の意見鵜呑みにしてるか曲解してるのか知らないけど。少しは自分のオツムで物事考えようね。
>>555 つまり戦争で結果出してないお前の発言は採用してはいけないということだな
557 :
世界@名無史さん:2014/09/05(金) 12:57:35.82 0
>>556 ここは軍事的名将を語るスレ。将として結果を出したクトゥーゾフに対し、
出していないクラウゼヴィッツはゴミと評したまで。
どっかで読んだ誰それがこう評したとかね、そういうコピペ作業は面白いかい?
>>557 お前が軍事的成果のない人間の話はダメという持論を展開した以上
お前自身が軍事的成果を挙げない限り今後一切発言を禁止されるべきだろう
評論や学問と実務は違う
評論家を批判する時、その批判は評論の中身の良し悪しに拠らなければいけないし
学者は学問的な正しさの有無で評価される
クラウゼヴィッツは実務能力に優れるからその言が評価されてるのではなく
その言論と考察において評価されている
評論家や学者としての能力を評価されてる人間が実務において無能だったとしても
それを根拠に評論を批判するのは間違ってる
さもなくばお前のような自家撞着に陥る
559 :
世界@名無史さん:2014/09/05(金) 13:22:40.39 0
>>558 駄目とはいってない。負け犬の遠吠えと評した。
クラウゼヴィッツが負け犬であることは代わりないし。
戦争論も実務から離れた遠吠えまさにぴったりの評価じゃないか。
お前さんはクラウゼヴィッツの遠吠えをよく理解してるんだろ。
その素晴らしい遠吠えをコピペしまくれよ。俺は読まないけどw
560 :
世界@名無史さん:2014/09/05(金) 13:34:38.56 0
わかった。クラウゼヴィッツの書いた戦争論は童貞が書いたエロ小説みたいなもんだ。
童貞であるがゆえにその妄想力は凄まじいと。
>>555 ナポレオンが負けた事に変わりはないですよ。
ただ、このスレは一応名将スレなので、計画に裏付けられた勝利ってのは重要かと。
運を味方に付けるのも名将の条件の一つだとは思いますが、それだけってのも・・・
後、クラウゼヴィッツはモスクワ戦役中のロシア軍に副官や参謀として従軍していたのですが・・・
ボロジノ会戦から前線に立っています。
戦役末期にはナポレオン軍内のプロシア軍と追撃していたロシア軍の間に中立条約を締結させています。
その為ロシア軍はプロシア東方領内においてもフランス軍を追撃する事が出来ました。
ベレジナの戦いに付いては簡単に言えば、目標を達成出来たのがフランス軍、出来なかったのがロシア軍。
フランス軍は大損害を出していますが、今更大損害云々言っている状況でも無かったですし。
まぁ、ナポレオンが脱出出来ればそれで良いのか?と言う見方も有りますが。
逆に言うとナポレオン自身を捕らえる最大のチャンスを逃したのだから致命的と。
しかも、陽動作戦に引っ掛かった挙げ句ですから・・・
和書なら、この辺りを
ナポレオンのモスクワ遠征
クラウゼヴィッツ
ナポレオン1812年
ナイジェル・ニコルソン
1812年の雪
両角良彦
562 :
世界@名無史さん:2014/09/05(金) 18:07:37.40 0
その論法でいうと関ヶ原の戦いは島津義久を逃した徳川家康の致命的敗北ということになる。
壮大なモスクワ遠征がいつの間にかナポレオンの脱出ゲームになっていたとはさみしいお話だ。
>>559 負け犬の遠吠えだから、それは信用するに値しない、という論法に出てる時点でその言い訳は通じないよ
貴方は軍事的功績を示さない限り発言禁止ね
自分でそういうこと言ってんだから実践しろよ
564 :
世界@名無史さん:2014/09/05(金) 18:18:08.27 0
将兵が命懸けで逃がした皇帝がその後どうなったか。二人の擲弾兵を聞けばわかる。
565 :
世界@名無史さん:2014/09/05(金) 18:22:43.57 0
>>563 何で2ちゃんで個人情報晒さないといけないんだよ。
お前バカだろ。
>>565 軍事的功績のない人の発言が信用できないって言ってるくせに
自分だけは示さなくてもokなんて言ってるダブスタ野郎は黙れ
567 :
世界@名無史さん:2014/09/05(金) 18:31:31.90 0
プロ野球スレでダルビッシュを批判したらお前はダルビッシュよりすごいのかと言ってくるやつみたいだな。
あまりのレベルの低さに頭がクラクラする。文章レベルの低さから小学生とみた。
夏休みの宿題はもう終わったのかな?
まぁ、落ち着けよ
細かく世界史について語れる数少ない同志なんだし、仲良くしようぜ
しかし、クトゥーゾフが防衛部門最高と評価されるのはさすがに違和感あるよな
Aは孟珙だな
>>567 功績ないんだから負け犬の遠吠えだってことで
言動まで信用できないってのはまさにダルビッシュより凄くないとダメって言ってるのと一緒だな
内容で判断すりゃいいのに内容以外のところで判断してて意味ねぇ
570 :
世界@名無史さん:2014/09/05(金) 19:26:36.25 0
>>569 よちよち。ママのおっぱいでも吸ってなさい。
大学教授は全員クビにしてワタミをおっさんに講義させる方が有意義
ってことになるんだがそれでいいのか
572 :
世界@名無史さん:2014/09/05(金) 20:24:37.15 0
中小企業の社長100人にワタミの話と東大教授の話どっち聞きたいと問えば圧倒的にワタミだろうな。
>>572 その東大教授の分野次第じゃねーの?
同じ経済畑でもマクロ経済や市場デザイン論を語る学者の話なんて
中小企業社長じゃ聞いても中々経営にフィードバック難しいし
中小企業の経営にドンピシャなら断言は難しい
しかも「零細」「小規模」じゃなくて「中小」ならワタミよりかその会社の業務内容に併せた講義のがいいっしょ
労働集約的なワタミの方法論はオートメーション化された現場に対しては
精神論の域を出ない話にしかならんし、その肝心の精神論もワタミ社長の講義って
根性一転突破以外にゃならんしなぁ
クトゥーゾフが勝てた要因の半分は冬将軍のおかげだし
最高評価は考えにくいな
少なくとも単独でのAランクはありえない
防衛部門は
A 該当なし
でいっとく?
まず理想的な防衛戦を挙げて、その指揮官がランクインする方式でいいんじゃないの
普段の名将だと実績が足りない面々でも防衛部門だと一戦でランクインするみたいだし
孟?ぐぐったがすげえな
取り合えず、
1814年フランス国内戦役
ナポレオン
多数の敵軍に対する機動防御の好例だけど、パリが陥落しているからランクインは無理なのかな?
ナポレオンはどうしても守りの将軍って感じはしないな
チャーチルを穏健派政治家と呼ぶような物で
>>577 中国史の孟、李牧、袁は防衛では大天才だな
581 :
世界@名無史さん:2014/09/06(土) 15:34:43.29 0
機動防御のお手本といえばヌルハチ。
どっかのスレで孟キョウは兵を集めて北伐するつもりだったけど
結局許可が下りなかったというレスがあったがどこのスレだったかだったかな
自己解決した
【討議】中国名将列伝【選抜】にあるこれだ
17 : ◆oOLAqFKRB. [] 投稿日:2007/07/05(木) 22:21:19 ID:lKkyeG610 [1/1回(PC)]
名将100選スレから初めてこっちのスレに来てみました。
そいだら
>>3さんが孟珙・李靖・韓信は外せんという意見を出してくれとって、おれと同意見で嬉しい。
とりあえず俺的三傑の雑感。
孟珙はモンゴル軍を南宋領に一歩たりといれてない上、
四川から襄陽にかけて対蒙古防衛ラインを構築、自分の死後までそれが機能するよう残したあたりで非凡。
晩年にはモンゴル軍を逆に圧倒したうえ襄陽で衆数十万を集めて北伐しようともした傑物やし、
朝廷に止められんかったら中原からモンゴル軍を駆逐できた可能性かなり高い。
易と仏教に通じて教養も非常に高いし、温厚篤実、ストイックで部下や民衆からの信望も極めて厚かった。
宗沢・岳飛・狄青・楊業らに比べても頭一つ抜けとると思う。節度使で制置使で枢密院承旨やし。
李靖は中華統一戦においては李孝恭と戦功が折半されるところもあるけど、
天下統一後の突厥討伐戦が凄い。騎馬民族に騎馬戦挑んでことごとく勝って滅ぼすっちゃけん半端な将才じゃない。
しかも宰相としても天才級。なかなかおらん人材です。
韓信はいちいちエピソードを持ち出すまでもなく、「国士無双」の四文字が彼を語るかと。
ただ、戦と同じくらい政事にセンスがあれば漢と楚を喰い合せて斉帝国を打ち立てられたのになぁというのが残念。
584 :
世界@名無史さん:2014/09/06(土) 16:17:45.70 0
樊城守ってた呂文煥はすごいな。モンゴルも5年包囲するとかスケールがでかい。
コンスタンチノープルの陥落の200年前だが回回砲が陥落の要因になったとことかも似ている。
宋は文民統制が機能しすぎたか。武将が活躍すると足を引っ張るイメージがある。
585 :
世界@名無史さん:2014/09/06(土) 16:33:52.08 0
Aにジョージ・オーガスタス・エリオットを推そう。
数倍以上のスペイン・フランス連合軍に四年間囲まれながら地理的に孤立無援のジブラルタル要塞を守り抜く。
文字通りの難攻不落の要塞。変な名前の生保、ジブラルタル生命の名前はここが由来。
586 :
世界@名無史さん:2014/09/09(火) 15:02:49.78 0
「ジブラルタ生命」だよ。なぜか「ル」だけ抜けてるんだ。
ジブラルタルの英語発音聞いたことねえけど、
原語ではジブラルターァみたいな発音タイプで、
ジブラルター→ジブラルタ
という変換ではないのかに?
ジブラルタルの元になったターリク
アラブの大征服の功績が分散され世界史レベルの名将としてはやや説得力に欠ける
風雲たけし城にジブラルタル海峡あったな。
ジブラルタルにはマスドライバーがあると思っていた
591 :
世界@名無史さん:2014/09/12(金) 09:12:28.03 0
韓信
592 :
世界@名無史さん:2014/09/12(金) 17:29:57.11 O
負けたけどマッカーサーがレイテ島を狙って押し返して来るのを言い当てた人はかなり凄いと思うオレだったらあんな沢山島が在って拠点も散らばってるから分からない
1941年にスターリングラード攻防戦の勝者が最終的な勝利を得るだろうと言い当てた人はかなり凄いと思う
空間建築研究所のホームページにも掲載されているその男、何者なんだ甲谷悦雄
ドイツがスターリングラードで勝ってたら最終的に勝利を掴んだかもわからんしなあ
ソ連が押し返してベルリンまで来る可能性は大幅に低くなるだろうが、
ソ連が政府を置くクイビシェフまでドイツ軍が来れるかというと無理。
ブラウ作戦で補給線が延びきってたからスターリングラード落としても維持はできなかったろう。
スターリンはクルスク戦まで水面下でヒトラーに休戦打診していたがヒトラーが蹴り続けていた。
米英が自分をはめようとしていると不信感を持っていたためらしい。
597 :
世界@名無史さん:2014/09/15(月) 10:30:25.67 O
ブラウ作戦本来の目的であるバクーに、独A軍集団が到達できないどころか
カフカス山脈の入り口で立ち往生してる時点でB軍集団は巨大な遊兵グループに堕してた
スターリングラードで勝つ意味、「勝つ」ことに拘る意味は独側には余り無かった
そこで一都市を落とすのに正面兵力だけでも枢軸軍三個軍を投入し
戦略的反撃を企図していたソ連軍に絶好の的を提供した時点で負けは決まってた
42年末にたとえ第6軍がスターリングラードの市街地と渡船場を抑えたところで
同軍を含むB軍集団の戦線維持だけで相当なリソースを浪費することになり、負担にしかならない
スターリンが腰砕けになり、降伏同然の単独講和に応じれば別だが
独南方軍集団が独軍自身の手で分裂させられ二正面余儀なくされてるチャンスを
見逃してくれるかどうか
598 :
世界@名無史さん:2014/09/15(月) 10:39:26.32 O
と、長々書いたが、考えてみれば「42年末に市街地と渡船場を抑えた」ところで
ソ連軍の二重包囲を受ける運命は変わらないんだよな。ごめんなさい。
あんま具体的な話をしだすと当時の日本人が
そこまで詳しい情報をもってたかどうかっていう疑問が出てくるからなあ
その人が何をもってスターリングラードを分水嶺としたかってことかな
一応スターリングラードをドイツが仮に落とせたところで
既に攻勢臨界点はぶっちぎってたから負けるってのはみんなの合意を得た事実ということは確かになったけど
600 :
世界@名無史さん:2014/09/15(月) 18:10:38.70 O
韓信
韓信は同時代に冒頓という更に上がいる
冒頓は朴訥な性格だから韓信の偽計に惑わされて壊滅しそう
絶対に突っ込まないぞ・・・
ナポレオン戦争ってすげえな
イタリア遠征中の戦闘では両軍合わせた参加兵力十万も無かったのに
ヴァグラムでは30万、六日間戦役では連合軍だけでそのくらいはある
十数年の間に各国の軍がめっちゃでかくなったんだな
まあ規模で言うならその2000年前の白登山の方が遥かにでかいんだが
まともな人口調査がない時代の資料は誇張がかなりあるから、参考資料だけどね
>>604 ナポレオンは増加する自軍兵力を使いこなせず力押しの戦術へ流れて行き自滅した・・・みたいなイメージが有るなぁ
格段に兵力の増えた1809戦役からが象徴的かと。
それ以降でも小兵力で戦った、ベレジナ、ハーナーウ、フランス国内では優れた戦術指揮を行っているから、能力が枯渇した訳では無いと思う。
対仏同盟側は改革された参謀本部制度で増加する自軍兵力に対応した感じかな?
ライプツィヒでの35万以上の兵力の運用なんて、それ無しじゃ無理だったろうね。
中国の兵数は5分の1、史記の場合は10分の1くらいに考えないと。
Gx:ポンペイウス ガイセリック ヨハネス1世ツィミスケス アッラフマーン1世 リチャード1世 カール12世 シモン・ボリバル
Gy:慕容恪 バーブル アクバル ヌルハチ
Hx:アルフレッド大王 ロベール・ギスカール ムハンマド・アリー ロバート・E・リー
Hy:白起 項羽 拓跋珪 ヌールッディーン ナレースワン ソンツェンガンポ トクタミシュ
防衛:謝玄 アエティウス 孟キョウ ティプー・スルタン
ココテムル
610 :
世界@名無史さん:2014/09/27(土) 18:28:54.88 0
>>593 調べてみたらソ連駐在武官や参謀本部ロシア課長を勤めてた典型的なロシア通参謀だね
戦前のインテリジェンス物や戦後再軍備でちょいちょい名前が出る
日本軍のインテリジェンスだとロシア課の能力は結構高く評価されてたな
通俗的に言われてるのが一人の指揮官の目が行き届く最大が精々5万なので
それを超えてくと統率そのもので疲弊するって話があるな
ま、そうでなくとも大軍化すればするほど維持そのもので使えるルートどころか
駐屯できる都市、地域すら限定されてくんだが
スレチかもだけどひとつの戦場に参加した兵士の最大の人数ってどれくらい?
独ソ戦とか300万とかなんとか言ってたけど1箇所に集まったわけじゃないし
613 :
世界@名無史さん:2014/09/27(土) 22:00:31.68 0
ペルシアはギリシャ兵を一人が一人どころか十人がかりで一人を殺していくだけで戦争に勝ってたのにな
指揮官も兵士もどこまでやる気がないのかと
615 :
世界@名無史さん:2014/09/28(日) 02:08:04.55 0
十人がかりで一人どころじゃないよ
アテナイ軍はたったの1万だぞ
五百人がかりで一人でいいんだ
>>612 クルスクが両軍合わせて220万かな
バグラチオンが同じ位だけど、戦域が広くなるから
>>613 マラトンのペルシャ軍は2〜3万位だった気が
船も1000隻無かったし
最初は明らかにネタなのに、途中から「ね、ネタ?」って雰囲気になる2ちゃんコース
618 :
世界@名無史さん:2014/09/29(月) 21:44:28.64 0
>>612 紀元前1?世紀、北インド、バラタ戦争の最終決戦、インドラプラスタの戦い
バラタ5王子&クリシュナ VS カーンダヴァ百王子
動員兵力、数兆人
『マハーバーラタ』に基づく。
>>608 シモンボリバルはそんなに高くないと思う
最後は哀れだし
少数の兵で多数を破るよりも
多数の兵を長期間統率して勝利することの方がむずかしいよね
Fx:サラディン、ハーリド、ピョー
ベルリン攻防戦最終段階
赤軍100万
独軍10万
近代以降でヨーロッパ大陸を制圧できたのはナポレオンとヒトラーのみ
なのでヒトラーもランクインさせるべき
スキピオたんはハンニバルのパクリ扱いされてるけど
あの日の出の勢いっぷりはローマ屈指の名将じゃね
ローマは人材多いんだよな
スキピオ、カエサル、セウェルス、トラヤヌス、アウレリアヌス、アエティウス
ファビウス、スッラ、ポンペイウス、アグリッパ
実績ではカエサルがNO1だと思うが古代世界の遊牧民の強さを考えると
神の鞭に一撃いれたアエティウスも相当
10世紀くらいまでのカオスヨーロッパの時と滅茶苦茶中近東の時を調べればゴロゴロ名将が出てきそうだな
福頭信英も歴史をみたら定石の上の上の上を覇気で行くような最強クラスなんだが、キチガイみたいな理論を運が支えた典型
世界最高の名将とは言えないだろうが、この地球上で一番戦争が上手いのはチンギスハン。
629 :
世界@名無史さん:2014/10/18(土) 09:36:52.17 0
>>624 スキピオは普通に優秀だろう。
生涯無敗だし、軍事指揮官としての能力はローマ史上屈指だと思う。
個人的にはカエサルよりも上と思っている。
カエサルは戦績は多いが、ハンニバルレベルの強敵とは戦っておらず、
同じローマ軍のポンペイウスはともかく、装備、戦術共に劣るガリア人に
敗戦記録があるのが微妙。
もちろん政治家としての能力はスキピオよりも上だが。
>装備、戦術共に劣るガリア人に
大量の騎兵とローマより優秀な冶金技術によってローマより高品質な武装してたガリア人を甘く見すぎだよ
現代の名将も知らんくせに
高度にシステム化されて分業化された結果名将が見えにくくなった
だから近代戦は入れてないんだろ?
どの時代まで入れていいんだろうな
19世紀後半あたりからもうダメか?
>>633 20世紀だけどケマルは一応OKって扱いだから状況によるって感じだろうね
個人の才が発揮しにくい状況までシステム化されているかどうかってところだろう
>>53とその後の議論みとけばいいんじゃないかなあ。
ざっくりモルトケ的なもの以前と以後、時代区分は各地域でそれぞれって感じなのかな
黒田官兵衛はどう?
名将豊臣秀吉が恐れていた智謀の持ち主であり、戦では指揮官として数々の戦功を上げしかも無敗
黒田家譜は日本版趙雲列伝
>>608 俺が思ったのは防衛部門にティプー・スルタンを入れるならその父親のハイダル・アリーを入れるべきであろうということだ
恐らくマイソール王国はハイダル・アリーの時代が全盛期でティプー・スルタンの頃には衰退し始めている
>大量の騎兵とローマより優秀な冶金技術によってローマより高品質な武装してたガリア人を甘く見すぎだよ
烏合の衆でカエサルの絶好のカモだったというが、カエサルの誇張?
十傑
1 ティムール
2 アレクサンドロス3世
3 チンギス・ハン
4 李靖
5 ベリサリウス
6 冒頓単于
7 カエサル
8 ナポレオン
9 スヴォーロフ
10 ハンニバル
642 :
織田信長:2014/10/27(月) 21:16:31.01 0
643 :
世界@名無史さん:2014/10/27(月) 21:30:46.13 0
戦術 1アレクサンドロス 2ティムール 3チンギス
戦略 1チンギス 2ティムール 3アレクサンドロス
A3人はこんな感じにまとめられると綺麗だな。最強というのも決めにくいし。
スヴォーロフは評価が高いと言うか人気が有るね
何か良い伝記は有るかな?
スヴォーロフはイカレ具合が面白い。
俺も朝九時に酒浴びるほど飲んで寝たら有能になれるかな
>>645 有り難う
・・・って、ロシア語資料しか無いのかな
英語資料も何点か見付けたけど絶版が多くて
>>640 政治的統合のない地域だったってだけだろ
それを個別的に叩いてたのがカエサル
別にカモじゃないし何度か痛い目も見てる
ナポレオンを入れるならヒトラーも入れないとな
ヒトラーはナポのような野戦指揮官ではないが、彼が完成させた電撃戦と、彼に見出された優秀な軍人、そして彼自身の作戦立案が成功し、大戦初期ドイツは快進撃を続け、ヨーロッパ大陸を制圧したんだから
わかったわかったフランクリン・ルーズベルトは名将だな
ヒトラーはドイツ国防軍の総司令官として自ら作戦立案していた。
その読みと勘の鋭さは歴戦の軍人の発案の更に上を行くものだった。
ルーズベルトは国の元首ではあったが、戦争の直接の戦略戦術は軍部に任せていた。
ヒトラーは従軍経験のある西部戦線、対仏戦では成功したが、
経験の無い東部戦線では明らかに失敗している。
ヒトラーは確かに伍長だったから従軍経験の無い政治家とは違うんだよね
伍長って将官じゃないから名将とは呼べないけど
>>654 ちなみに、伍長ですらなく、兵(の中で古参扱い)だったのが史実だそうな
WW1でのヒトラーの階級Gefreiterを何と訳すかかと
歩兵科の兵士の中では最高位なので兵長(伍長勤務上等兵)?
砲兵科には、その上のObergefreiterが有るので、こちらを兵長と訳すと、Gefreiterは上等兵になりますね
しかし、面倒な事にドイツではGefreiterは兵士の階級ながら下士官に準じて扱う伝統が・・・
最下級の下士官を伍長と呼ぶ旧軍の階級制度を優先するか、ドイツの伝統を優先するかと言う問題さえ発生します
軍隊の階級の翻訳はマジで難しい
階級制度が同じじゃないから、
日本では伍長とかは兵の神様だったからドイツで伍長だったヒトラースゲー的な論法にならなきゃどうでもいいんじゃないか
コロンボも日本では警部と訳されてるけどルテナンは向こうでは警視みたいなものらしいが
まー警部って呼びやすいから警部って訳語にしたんだろうしね
>>657 日本では刑事モノのドラマに登場する刑事は「警部」なのがお約束
太陽に吠えろの「ボス」も警部だし
ルパン三世の銭形も警部だ
659 :
世界@名無史さん:2014/11/19(水) 17:17:18.25 0
アルブケルケ
ポルトガルの海軍提督
インドや東南アジアの海の要衝を征服してほんの数年でインド洋の制海権を掌握した世界海軍史上最高の天才
当時のポルトガルのアルメイダもイスラム艦隊を撃破してアラビア海の制海権を握るなど活躍してますね
ポルトガルが誇る名将といえばアルジュバロータのアルヴァレス・ペレイラ元帥
イスラム艦隊は、海上から陸上の要塞を攻撃するとか酷いレベルだから、
ゴミに勝って名将といわれても。
雷光バヤジット、ジョチウルスの中興トクタミシュに勝ったティムール
負けなしのポンペイウスに勝ったカエサル
無敗の神の化身を破ったセリム1世
項羽を退け、展開統一した劉邦に圧勝した冒頓
歴史的な名将同士の戦いに勝利した奴は評価が高い
でもハンニバルとスキピオだと負けたハンニバルのほうが有名になってるなw
スキピオは生前もあまりぱっとしない人生を送ったようだし。
>>663 冒頓に負けた時の劉邦は韓信、彭越、英布がいなかった
劉邦はこいつらがいないと2流の武将にすぎない
情報が細やかで、きちんと配下の将軍について書かれてることが多い文化圏だと
戦功が分散されてしまう問題があるってのは前から言われてる
だから現代戦以降は名将評価をしないのがこのスレのルールだった
667 :
世界@名無史さん:2014/11/20(木) 21:32:22.47 0
この手のスレッドではやたらとスヴォーロフが評価されているが、
彼の詳しい戦績(対戦相手、遠征地)などをご存じの方がいたら、
教えてもらいたい。
他にも不敗の指揮官がいるなかで、彼を特に評価する理由も
ご教示いただけたらありがたい。
668 :
世界@名無史さん:2014/11/20(木) 21:49:07.65 0
粘り強さと実力をみたらフリードリヒ大王は名将だ
七年戦争はヤバかったがプラハ機動その他は素晴らしい
ああいう運任せの人間は評価できない
フリードリヒ2世(皇帝)は名将かつ名政治家だとは思うが
スヴォーロフはベリサリウスとかぶる
寡兵で神出鬼没で常勝無敗なタイプ
まあ部下は大変だよね
一歩間違えば親父の残した優れた軍隊でバクチに出て自爆した男だからなw
本人が有能なのは間違いないが運要素が大きすぎて低評価かな
運なしでは覆せない戦力差だったが最後のロシアも本人の人徳によるものだしある意味能力だなw
なんで露助王朝は肝心な所でいつも腰砕けになるのか
みんな王になるのに苦労してるのになんであんな知能障害みたいなのが王になるのは簡単なのか
>>667 短期間の無敗の司令官はたくさんいるが長い軍歴の中での無敗だからの高評価
とはいえ相手の力量とかを考えると少し高めかもしれないな
677 :
世界@名無史さん:2014/11/21(金) 20:36:18.73 0
671,676
ありがとう。
ベルサリウス同様優れた用兵家で
長年無敗だったわけか。
それなら評価が高いのも理解できる。
彼と時代的に近い名将と比べた場合について興味がある。
ナポレオンや、少し時代を遡ってマールバラ公と比較した場合、
どのぐらいの位置づけになるのか。
678 :
世界@名無史さん:2014/11/21(金) 20:46:51.55 0
ティムールは、実際最強ではないかも知れんが
生き様がドラマチックなんだよな
679 :
世界@名無史さん:2014/11/21(金) 20:55:17.70 0
>>543 実は旧日本海軍の軍艦は、前方よりも後方向きの砲塔が多い軍艦が結構ある
他国の艦にはこんな奇妙な砲塔配置は無い
逃げると見せかけて相手を迎撃する「勝ち逃げ作戦」ジンギスカン戦法を想定したのでは?
貧乏国ならでは発想
680 :
世界@名無史さん:2014/11/21(金) 23:30:12.93 0
>>630 あなたは、ガリア人の冶金技術がローマよりも優れていると主張しているが、
具体的なソースは御有りかな。是非読んでみたいのだが。
ローマ以前とローマ時代のゲルマン部族の中に名将いそうだな
いるかもしれないけど功績が十分でないから並べられないんじゃないの
アルミさんがそうだろ
秦の始皇帝の配下で大言吐いて出陣してボロ負けした李信って処刑されなかったの?
王センも粛清されないように策を弄しているのに
秦は古代世界最強の匈奴を撃破した蒙てんが一番強そう
王センは国力が圧倒的だったから実績では文句ないけどなんか時代最強っていうイメージがない
ペチェネグとかクマンとかの名前の残ってない遊牧騎馬民族の首長
>>684 されなかった。まあ始皇帝も同調して将軍老いたりとか言ってた手前
責任を問い辛かったのかもね。
Lalitaditya Muktapida←こいつ何者?めちゃめちゃすごくないか?
689 :
世界@名無史さん:2015/01/31(土) 11:23:47.84 0
初心者だけど、東郷平八郎や武田信玄あたりはどうなん?
691 :
世界@名無史さん:2015/01/31(土) 11:44:30.15 0
「名将に名無し神話なし」 孫子
東郷はともかく、信玄は田舎の土人の争いでも天下取れなかったレベルだから実績が足りない
その系統の秀吉が朝鮮出兵して戦略的敗北だから
世界的に見た場合に日本勢のレベルの高さに疑問符が付いてしまう
完全布陣した世界第二位のモンゴル軍を倒した日本が最強。
モンゴルが日本以外には負けなかったような言い方だな
695 :
世界@名無史さん:2015/01/31(土) 15:05:34.75 0
>>694 モンゴルがあちこちで負けてることを知らない人って意外に多いね
ガチで戦ったのは日本だけそれに勝利したから日本が最強
すごすぎるぅーーーーーー!!!
どっちも選外だけど、
トータル評価で言うなら戦国の朝鮮出兵軍より
二度の元寇を防いだ鎌倉武士団のほうが評価は上だろうな
>>688 分からん
Wikiしか資料見つからなかった
普通にマムルーク朝とかに負けてるだろー
ジャワでも負けてるし越南でも負けてる
701 :
世界@名無史さん:2015/02/01(日) 00:46:27.15 0
>>697 日本史上最強の軍は関ヶ原のときの島津軍ではないかと思う
>>688 一代でインドからキプチャク平原まで征服したの?
>>703 ゴール朝とかのイスラム王朝じゃなくてバラモン系の王朝なんだよな
確かに流石にあの時期であの版図維持するとしたらきつすぎるよな
あの基地外地図にはLalitaditya Muktapidaが征服したことのある領域が図示してあったとかいうことはありそうかな?
>>704 おそらく、次のような超拡大解釈
吐蕃との境界戦闘で何度か勝った → 全チベットを版図に
テュルク系のどこかとの境界戦闘で何度か勝った → 全テュルク系居住地を版図に
北インドは征服実態がありそうだが、750年にプラティーハーラ朝が建国してるのでやや怪しい
とりあえず他地域の歴史をろくに知らないインドorパキスタン系が執筆したのではないかな
んでカシミールの王朝なんて欧米でもマイナーすぎで見過ごしてて、突っ込む奴がいないと・・・
706 :
世界@名無史さん:2015/02/02(月) 15:08:56.06 0
>>701 太平洋戦争時の硫黄島での栗林中将が率いていた日本兵が最優だろう
イタリアの名将って名前倒れというかいまいちぱっとしないな。
フランチェスコ・ゴンザーガとか黒隊のジョバンニとかアンドレア・ドーリアとか名前は有名だよね。
イタリアにはスレ10傑のカエサルがいる
ファビウス、ロベール・ギスカールも高評価
チェーザレ・ボルジア
710 :
世界@名無史さん:2015/02/03(火) 11:09:29.01 0
カエサルはイタリアと言うよりローマ
ローマ時代を入れてもいいのなら、名将はいくらでもいる
>>708 いつから買え猿がイタリア人になったんだよキチガイ
チェーザレ・ボルジアもイタリアの名将に入るの?
ローマがイタリアの範疇に入らないならイタリアというのは王国以降でこのスレ的には50年もない
よってイタリアに名将なし
ジョヴァンニ・メッセ
イタリアが名将を必要とするような戦争を終わらせたんだよ!
イタリアはガリバルディかな
よく言われるけどローマとヨーロッパは地続きじゃないね
>>711 そうだな
コロンブスもイタリア人じゃなくてジェノヴァ人だしな
学校で先生にイタリア人コロンブスって説明されたときに注意してあげれば褒められるよw
そのころはイタリアはありませんってね
チェーザレ・ボルジアも名将として有名だけどほんとに名将なの?
将としての有能さは反乱を鎮圧したときだけじゃないかな。
フランスから調達した兵力と教皇の権威を元手に勝てる戦いで勝った印象。
塩婆に怒られそうだけどw
持てるカードを最大限駆使して勝ったんだから一般的には名将
だけどこのスレでランクインするほどの戦果・対戦相手じゃないって感じ
大軍動かせる状況を試されてないし、世界史的なランクでは評する水準にない
>>720 同時代にはセリム1世、イスマーイール1世、バーブル、シャイバーニーとかスケールが大きい奴もいるしね
723 :
世界@名無史さん:2015/02/03(火) 22:56:07.66 0
>>602 >冒頓は朴訥な性格だから・・
それは絶対ないw
父頭曼を周到な準備の末に殺し、匈奴単于に即位したのは有名
(自分の愛馬を射て続けて射ない部下は処刑、愛妾を愛馬を射ない部下は処刑・・・
と時間をかけて腹心を選抜・涵養し、そして最後に父を射て殺害)
武略に富むのみならずかつ鉄の意志・冷酷非情さを兼ね備えている
全くスキが見当たらない
>>721 話題になってるのに世界中の人たち誰も修正しなかったのかw
>>725 でもその過去スレ見る限り、直すのがわりと面倒そうな状況だよね。
元ネタのカシミール王統叙事詩「ラージャタランギニー」はともかくとして、
それを参照したラシードゥッディーン「集史」のほうは典拠としてそれなりの重さがある。
それを否定するには、たとえ自明でもどこかの研究者が論じたものを探してこないと。
結論を言うと、ちょっと考えればおかしいと分かったろラシードゥッディーンの馬鹿・・・
アッティラが冒頓のDNAを受け継いでいたのなら強くて当然か
松永 久秀な
武将としては2流だな
チェーザレ・ボルジアの本領は調略や暗殺で軍事は戦力なりの結果しか残していない
マキャベリの本のおかげで過大評価されてる武将だと思う
数多い本や漫画のおかげで過大評価されてる武将の一人だろうね
塩婆は関係ないだろ
ダヴーってどれくらい強いのか
アウエルシュタットをどう評価するによる
27000で63000に勝ち、敵に2倍の損害を与えた
ダヴーは優秀だけれど、ナポレオンから離れて完全に独立した方面軍を指揮した事が無かった気が・・・
1814年のハンブルクは孤立した籠城だし
1809年のエックミールが近いと言えば近いけれど、スルトやマッセナの様に、ナポレオンのいない戦線で方面軍を指揮したらどうなっただろう?
彼はナポレオンをフォローする時に光っていた気がする
色々と無茶な命令を万難を廃して達成するみたいな
736 :
世界@名無史さん:2015/02/13(金) 13:56:55.26 0
個人的にはダヴーがスペイン戦線へ送られて、ウェリントンと戦っていたら
どうなったかが興味がある。
737 :
世界@名無史さん:2015/02/18(水) 07:18:34.37 0
「名将に名なし、逸話なし」
「100戦100勝する将よりも、
戦わずして敵の侵略する意思を挫くことこそ真の戦上手なのです」
「一度将校を戦場に出したら君主は作戦が終わるまで干渉しない」
「戦争に勝ちたければ戦争をしないことだ」
孫子
軍事的功績がないのでボツ
孫武の兵法とか言ってたわりには匈奴にヒャッハーされっぱなしだったな 古代支那人
740 :
世界@名無史さん:2015/02/18(水) 13:41:59.24 0
一度も対外戦争に勝ったことのない日本にいわれたらおしまいだわな
匈奴の冒頓は何気に世界史上最高の軍事指導者の可能性がある
BランクでなくAランクでもいい希ガス
冒頓単于と次代がボコった月氏とか、後々を見れば普通に強いんだよなぁ
匈奴から逃れてイシク湖畔に移ったときには塞族(サカ)を追い散らしてるし、
そこを烏孫に追われた後はグレコ・バクトリアを潰してバクトリア支配しちゃうし
そこから類推するに、あの時点でモンゴル高原とその周辺は世界最高峰の戦闘力
そんななか格上だった月氏・東胡を一代で打倒した冒頓ならティムールクラスは固い
744 :
世界@名無史さん:2015/02/18(水) 15:49:44.69 0
「冒頓」って名前からしてヤバい
強そうな感じがビンビンする
古トルコモンゴル語で、勇者とか英雄を意味すると知ったのはかなり後だったけど
東胡も冒頓にやられて鮮卑と烏丸(桓)にスプリットされたけど、
そのどちらものちの中国や北方史に十二分に影響与えるほど強い
747 :
世界@名無史さん:2015/02/18(水) 17:11:58.54 0
アレキサンダー大王!
これにつきるだろ
冒頓は強すぎて劉邦が再戦するのを諦めた
手持ちの名将送り込んでも勝てないほどの力の差を感じたのだろう
戦った相手はほぼ格上で全てに勝利した怪物が冒頓
しかも劉邦の度肝を抜いたのが東面は黒馬、南面は赤馬、西面は青馬、北面は白馬の騎兵隊で劉邦軍を包囲という
余裕綽々っぷり 完敗といっていい
>>742 多分無敗だけど攻城戦の経験がなさそうだから遊牧民のくせにオールラウンダーな
チンギス、ティムールより下にしとくかってのがこのスレでの冒頓の評価
城塞がありそうな西域の征服は、全部右賢王にやらせて終わりだったの?
>>747 玄人受けしない。
長嶋茂雄系天才というかあんな戦い方ができるならそりゃ強いだろう。
教本に出来ないタイプの天才。
>>737 孫子が説く、小国が大国に戦わずして勝つ具体的な方法とは
風説の流布により敵を自滅させる
つまりマスゴミ(敵国のスパイ)が日本に対してやってる事と全く同じです
匈奴の時代に城塞が築かれるのはかなり珍しかったのではないのかな?
第一次分裂のときの西匈奴のシッ支単于は、康居の地に移りそこに城塞を築いたが、
漢軍に攻め滅ぼされた
当時の遊牧騎馬群が城塞を建設したのはかなり珍しかったとか資料に書いてあった
>>750 ティムール高評価は北はロシア、南はインド、東はトランスオクシアナ、西はアナトリアと
戦域の広さと、それらにおける全対応も結構ポイントになってるしな
A級内でも筆頭扱いになってるのは伊達じゃない
756 :
世界@名無史さん:2015/02/19(木) 12:09:05.23 0
ティムールはサマルカンドの小集団時代に敗北して片手片足に重傷を負ったりと
意外に敗戦歴がある。
それで足跛になったんだ
多少の敗績とかで減点する意味なんかないからね
完全無敗かどうかなんかより結果どんな戦果を出したかのが大事
完全無敗はそれはそれで価値があるから、加点要素としては十分だろうけど
完全無敗でも単なる勝ち逃げ風味じゃあんまり価値ないんだよな
完全無敗の男 セリム1世 その力は征服王メフメト2世を超えるともいわれる
セリムはもっと評価されてもいいと思うの
あとちょっと前に上がってたムクタピーダもカシミールから一代でガンジス征服したのは十分すごいと思う
イスラーム連中は、西洋史と関わりがある奴が評価される傾向にある
サラディン メフメド スレイマン など
昔の大陸では、秀吉が圧倒的に有名みたいなもんか
>>762 上で案内されてた過去スレ読むと、ガンジス流域を征服したってもけっこう怪しそう
>>760 征服範囲という意味ではその通りだがシャー・イスマーイールとの比較の時にも結構議論したんだけど
オスマン帝国ってのは歴代の傑出したスルタンが継続的に強力な軍隊を作り上げてるので
歴代の積み重ねとすると素晴らしいのだけど個人的功績として
どこまで評価して良いのかというのは常に問題になる
その辺は大征服時代のイスラム帝国とか、勃興期の清、古代ローマなんかにも付きまとう問題だね
まあ、セリムは活動期間短い分を考慮しても最大限評価されてる方かと
ムクタピーダもティムール級の傑物かと思ったらあっという間にギャグキャラ化したな
本当にティムール級だったらなにかしらの形で伝説化して歴史に名を残しているはず
アレクサンドロス、チンギス、ティムールみんな伝説化しているしな
あのあたりだとガズニのマフムードもそんな感じみたい
> その辺は大征服時代のイスラム帝国とか、勃興期の清、古代ローマなんかにも付きまとう問題だね
アラブの剣、イブン・アル=ワリードは過去スレ含めてどういう扱いになってるのかな?
政略能力がおそらくは低いであろうことがマイナスになってそうだけど
>>768 神の剣は時々話題にはなるんだが、やっぱ他の元勲たちと功績分け合ってて
あんまランキングに入れようって事にはならない風潮
この風潮打破したいというのであれば、是非功績とか特筆すべき戦術なんかを書き並べて
どの辺に入れるかという推薦をしてみてはどうだろうか
皆得意な地域や時代はそれぞれあるから知らんもんは本当に知らんからなぁ
俺も神の剣については名前と略歴くらいしか把握してないから
言われないとわからないし
アラブの剣って、オレ何かいてんだ?アッラーの剣ねスマソ
そういえば義経も伝説化してるよなw
>>769 いやオレも特に思い入れはない、ヘラクレイオスの敵役としての事跡しか知らんので
上の文を見てそういや・・・と思ってスレ内検索してなかったから聞いてみただけ
>>771 それは歴史に功績で名を刻んだ人という感じではないけどな
明の建文帝やポルトガルのセバスティアン1世と同じ類
774 :
世界@名無史さん:2015/02/19(木) 22:59:26.41 0
>>744戦術的勝利と戦略的敗北の区別もつかねえのかよパンパン野郎
>>258>>771 俺的には義仲もかなり強かったと思う
木曽谷で挙兵してから上洛するまではほとんど無配
最後には兵が四散して義経には負けたが
義仲四天王や巴・葵・山吹御前の3女傑など麾下にも魅力が多いw
>>765 シャー・イスマーイールはチャルディラーンで油断したのが大きいね
ここで油断しなければ兵力に勝るオスマンを破り生涯無敗で冒頓クラスだった
>>633 ナポレオンの個人の才能を参謀本部システムで打ち破ったあたりから分業化で絶対的な名将が目立たなくなったんだろうな
それはある 時代が下れば詳細な記録も多くなるし
登場人物数も増える
WW1ドイツのルーデンドルフとか名将の類とは思うけど一人の名将じゃ戦況変えられなくなった時代だな
逆に、冒頓の時代より前は記録が乏しくて、
秘かに広大な領土を獲得してたようなアンノウンな名将というのも居たかもしれない
特に記録が非常に僅かな古代遊牧国家においてはね
既出のスキタイのマデュエス以外にも存在してたかもしれない
781 :
世界@名無史さん:2015/02/21(土) 15:16:26.69 0
ダヴーはイメージだけが強くなりすぎ。
不敗のとか謎の異名ついてるし。
生涯不敗の割りにイエナアウエルシュタット以外が触れられることなんかほとんどない。
実際、ほぼ戦線受け持ってないからね。マッセナとは違う。マッセナはスヴォーロフも追い返した。
なのに何故か「ナポレオンの元帥中最強」「実はナポレオンをも上回っていた」
とか凄まじい賞賛だらけ。
よくスペイン云々言うが、半島戦争にマッセナじゃなくダヴーが行ったとして
「不敗の」ウェリントンの持久戦術で叩き返されてたはず。
あのトレス・ヴェドラスは状況的に誰にも破れない。マッセナ同様長期間立ち往生した挙句撤退が落ち。
運悪くあんなのに当たったマッセナとネイが可哀想。
782 :
世界@名無史さん:2015/02/21(土) 16:04:25.10 0
>>781 へえ、マッセナはスヴォーロフを追い返したのか。
スヴォーロフは戦績の大半が衰退期のオスマン帝国で過大評価だと思っていたが、
やはりそうだったのか。
スヴォーロフはBでも明らかに落ちる
こんな感じだろう
B:冒頓単于>李靖、ベリサリウス>ナポレオン、カエサル>>スヴォーロフ
785 :
世界@名無史さん:2015/02/21(土) 16:36:13.00 0
なるほど、不敗などと呼ばれていても、詳細に吟味してみないと
実力を過大評価してしまうな。
ダブーもスヴォーロフも優秀ではあるが、ナポレオンのレベルではないということか。
イタリア戦線を見ると間違いなく名将であるし
ひくときは退く判断力も持ってるから、不敗であることにむしろなっとくできる
しかしナポレオンやベリサリウスみたいなタイプではないよ
マッセナに敗れたのはスヴォーロフじゃなくてコルサコフだろ?
>>785 スヴォーロフとダヴーは優秀では有るけれども、それは戦術家や前線指揮官としてかな?
スヴォーロフは1799年のイタリアースイス戦線において戦闘では、ほぼ不敗だった
しかし、連携を取るべき友軍がマッセナに各個撃破されて行った為、友軍から切り離されてしまった
結局はマッセナとの本格的戦闘を行う事無く撤退して行った
(友軍に恵まれなかった?マッセナの手の上で転がされた?)
ダヴーは方面軍を任される事は無かった
アウステルリッツやアイラウでは絶妙のタイミングで絶妙な場所に進出して来たが、それらはナポレオンの命令に従ったまで
結構無茶な命令だったけれども、それらを実行出来たのは素晴らしいかと
また、しばしば最前線(師団長以下レベルの位置)で指揮を執り負傷している
(通信が未発達だった当時、最前線での指揮が必要だったとは言え)
実は知将と言うよりも闘将タイプ?
マッセナも過小評価されがちだけど、同時代の同文化圏ではトップクラスの名将だからなー
そのマッセナがトレス・ヴェドラス見てビビってたらしいからそりゃもうしょうがないんだろう
存在すら秘匿してたレベルで強固な要塞線築けたウェリントンの勝ちだわな
戦略面は含めないで戦術のみを評価するって形で、
ナポレオン、ハンニバルなんかの戦略目標は達成できず終わった将の
戦略能力は加味しないで評価してる感じだが、
戦略的な功績のある将には戦略点が加算されちゃう印象はある
チンギスの評価は軍事組織の評価込みだし
フィリッポス2世なんてアレクの功績から組織力を評価だわな
まあ一応フィリッポスの方は本人もある程度各地で戦果も出してるけど
D面子という文明圏の一つ、二つ何とかしてる連中を比較すると戦術面だけでは過大
ジシュカも同じだな
>>788 それ言い出したらナポレオンが第六次対仏同盟でマリー・ルイーズ兵を率いて連戦してるときも大して変わらないな
ナポレオン本隊を避けて部下を打ち破る連合軍の戦術まで同じ
>>791 各パラメーターの総合って感じの評価の仕方はやむをえないとこなんじゃないの
勝ちまくって拡げた領域だけでいえば、相手はさておきフレグなども結構なもんになっちゃうし
誰がその勝てる組織を構築してるかってのは、やはり考慮すべきポイントだと思う
795 :
世界@名無史さん:2015/02/21(土) 22:41:16.02 0
>>793 微妙に違うな。
ナポレオンは強すぎるので敵側から直接対決を避けられたが、
スヴォーロフの場合は分が悪いと判断したので自分から戦いを避け引き揚げただけのこと。
確かに的確な判断力を持っていて不敗であったのはすごいが、
強敵と戦った経験がない。
戦術能力のみで比較するならば、ヨーロッパじゅうを敵に回して、
3敗のナポレオンと強敵との戦いを回避して無敗のスヴォーロフを同列に置くことはできないと思う。
ナポレオン戦争中のフランスで一番おいしかったのはおそらくベルナドット
1875年に改正されたフランス軍の元帥に関する法令によると
「元帥杖の受領者は、会戦で勝ち誇った軍の指揮権を握っていること」
ナポレオンの元帥でこの条件を満たすのは
マッセナ、ジュールダン、ブリュヌ、スーシェだけらしい
他は軍団長止まりか方面軍を指揮していても負けてるので条件を満たさないそうだ
799 :
世界@名無史さん:2015/02/22(日) 08:09:52.50 0
スヴォーロフは過大評価
彼の対戦相手の大半は衰退して国力の衰えたオスマン帝国で、
フランスとの対戦でもマッセナから退却しているし、
強敵との戦いを避けて無敗を誇られても弱い者いじめでしかない。
ロシア人は第二次大戦で自分たちが大日本帝国を倒したと自慢しているが、
周知の通り、日本は二発の原爆を落とされた後で、もはや国力がなかった。
海外の名将議論を見てもロシア系の人間はスヴォーロフをゴリ押しするが、
強敵との戦いをうまいこと避け漁夫の利を得た狡猾なロシア人と言うのが正しい見方だ。
堅実に勝ちを拾い続けて数十年の軍歴で不敗なんだから相当な名将には違いないが
Bの面子では見劣りするな確かに、Cでいいかも
負けるとわかってる戦をするのを名将とは言わん
>>797 1799年―スイス戦線
http://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/1799swis.html マセナは3月に行われたライン方面での攻勢に合わせてグリゾンとフォーラルベルクへ侵入するが、
ホッツェとベレガルデをフェルトキルヒまで退却させたところで前進は止まった。
一方、マセナの右翼を構成するルクルブはドゥソールのイタリア方面軍と協力してエンガディンへの侵攻を開始。
サン=ゴッタルド峠をはじめいくつもの峠を越えてイン川上流域へ侵攻し、
ツェルネッツからやって来たラウドンを叩いてナウデルスまで前進したが、こちらもここで進撃がストップした。
23日にマセナ自身が率いたフェルトキルヒへの攻撃も撃退された。
>23日にマセナ自身が率いたフェルトキルヒへの攻撃も撃退された。
不敗の名将と言えば諸葛亮も忘れてはいけない
その後1800年に渡り中国史上最大の名将と一般にはされているのだから
日本でも多分、中国の軍事指揮官では諸葛亮が一番有名だろう
出たな諸葛亮厨
このスレでその名を出すのは、ある意味蛮勇w
809 :
世界@名無史さん:2015/02/23(月) 12:15:17.15 0
三国志なんて統一できなかった負け犬の物語じゃないか
ここで語るには不適切
よそでやってくれ
諸葛亮は軍才よりも行政官としての才能。
軍才は鳳統のほうが上だろ。
>>809 競馬でもシーズン通して周りが弱ければ無双できるが、出走馬のレベルが総じて高いシーズンの場合は勝ったり負けたりで最強馬は現れない。
群雄割拠の三国志の時代はまさにそんな時代だ。
その中で生涯一度も負けなかったのは諸葛亮くらい。
如何にハイレベルの人材の中でも突出していたかが分かる。
812 :
世界@名無史さん:2015/02/23(月) 20:17:05.06 0
>>811 三国志演技と史実を勘違いしていないか?
残念ながら三国志演技での諸葛亮だったとしてもこのスレでは大した評価は得られまい。
西洋の四大用兵家の一人ハンニバルを打ち破り、ローマを地中海最強国家に伸し上げた
スキピオ・アフリカヌスは生涯無敗だったが、それでもCランクに入っていないのだから。
813 :
世界@名無史さん:2015/02/23(月) 20:27:24.99 0
生涯無敗と言えば、スペイン継承戦争で活躍したマールバラ公ジョン・チャーチルもそうだが、
このスレではCランクに入っていない。
ナポレオン戦争の英雄でイギリス屈指の名将ウェリントン公からも
"conceive nothing greater than Marlborough at the head of an English army"
と評価されていた人物だが、このスレではランク外である。
例え三国志演技の諸葛亮だったとしてもこのスレでは大した評価は得られまい。
生涯無敗の男スンニ・アリ・ベル
30年以上の戦場で一度も敗れたことがなく、ニジェール中流域を一代で手にする
これでE評価だから結構基準が厳しい
俺もずっと前からパチャクテクを推してるんだけどな
都市国家のカスみたいなのを一代でモンゴル帝国のアンデス版くらいにまで拡大したのはそれだけでAになってもいいくらいだと思う
前スレから大してランク付け進んでなかったしそのへん
>>3 >>239あたりから議論し直すか
817 :
世界@名無史さん:2015/02/23(月) 22:40:53.50 0
>>814、815
資料があまり残っていないから、みんな知らないのだろう。
フィリッポス、アレクサンダー父子の戦術の原型は
テーベの名将エパミノンダスであり、プルターク英雄伝の第一巻になった人物だが、
現在では失伝してしまっていて、知名度は低い。
パチャクテクも間違いなく英雄と言える人物だが資料があまりないため知名度がなく、
どうしても評価が低くなってしまう。
パンパンの子孫のアレクサンドロス三世好き
孔明が行政官なのはそうだけどホウトウのが上はない。
ランクインはできんけど名将だから。
ホウトウは早死に過ぎて戦歴が薄い。
アナバシスの連中みていても古代ギリシア勢は強いけどどうしても実績的に劣るからな
その時代と地域ではまれに見る名将であるのは間違いないんだが、世界史規模ともなると派手さが足りない気がする
日本の戦国大名や五胡の連中もそんな感じがする
アルサケス朝のミトラダテス1世も何気に勝ちまくって一代で領土を大拡張してる
ヒュルカニア一帯のみから、バビロニア・メディア・イラン高原南部・バクトリア西部・インド北西部まで
いちおう6代目ではあるが、後世イメージされるパルティア帝国の実質的創始者といっていい
もう、この時点で重装騎兵と軽騎兵とを組み合わせた戦術つかってたのかな?
>>819 俺もそう思う
ホウトウの方が軍才があったとしても、諸葛亮の方が軍事の能力は上だろう
最も、諸葛亮は戦術家より戦略家の方でどっちにしてもランク外だとは思うが
ホウトウ=山梨のうどん
824 :
世界@名無史さん:2015/02/24(火) 16:36:39.78 0
砲塔
825 :
世界@名無史さん:2015/02/24(火) 16:40:34.24 0
放蕩息子
>>826 ちなみに最後の矢印、クシャーン朝によるインド侵攻についてはあえて書かなかった
大月氏傘下だった貴霜翕侯が、月氏系太守か土豪系太守かハッキリしてないんでね
どちらにせよ、クシャーン時代にはトカラ語ではなくイラン系バクトリア語になってることでもあるし
月氏は人質冒頓を取り逃がしたのが大きかったな
逃亡した人質が史上でも屈指の化物だった
それを言ったら、頭曼の息子を見抜く力量もあまりにお粗末だったな
冒頓を廃止して側室の子を単于にしようとしたばっかりに、自分の命も冒頓に奪われてしまった
そのバカ父も、トルコでは冒頓の父ってことで尊敬されてて、
テオマンという名はメテ(冒頓)と並んで人気があるのが面白い
少年時代に人質になってた大物って、けっこういそうだな
ぱっと思いついたもので、
フィリッポス2世、アエティウス、テオドリック、サラディン、ナレースワン、徳川家康
可愛い子には旅をさせよ、でなく可愛い子は人質に出せ かもしれんw
始皇帝や冒頓なんて「要らん。殺りたきゃ殺って」って人質に出されたんだろ
始皇帝なんて父親が人質時代に生まれた子供であって
出されるとかそういうレベルじゃねぇ
しかも人質だった父親が即位のために抜け出してしまったがために
結構な期間放置されとるし
毛利元就も人質じゃないけど幼少期に家臣に城乗っ取られて追い払われたな
やっぱり子どもの頃から考えることが多かった子は成長が早いんだろうな
ヴラド串刺し公とか?
クメール朝創始者のジャヤーヴァルマン2世も、ジャワで人質になってたな
カンボジアがシャイレーンドラ朝の支配下にあった時代
まぁ敵情視察はできてる状態だから、模倣するにしても弱みを突くにしてもやりやすいわな
自分の家族の家乗っ取った永楽帝も似たようなもんかな
840 :
世界@名無史さん:2015/02/25(水) 22:12:11.67 0
弟のラドゥ美男公と共にメフメト2世に掘られてたんだろ
そのトラウマで串刺し公になったんだな
ホモもしくは両刀使いの名将も多かったのかな
アレクサンドロスがもうヘファイスティオンがいたな。
てかホモはテーベ神聖隊が強いと有名だけど
イェニチェリも強いし戦国武将もだな。
強いからホモかホモだから強いのか
他の男にいい男に見られたいし自分の恋人を守ろうとするしで何かとホモの方が強いだろう
ホモに殺されたランカーもいるから強くてもホモとの愛情のもつれは厄介
日本の大名も男色多かったね
848 :
世界@名無史さん:2015/02/28(土) 12:12:38.63 0
ホモは痔になりやすいというから、
遊牧民族の指導者や騎兵の指揮官は致命的ではないか。
遊牧民ではあまり聞かないな
チンギスあたりは女好きでは有名だが遊牧系は歴史に与えた影響に比べて資料が少ないのが難点
冒頓はきっとスターリンみたいな性格だったと思う
850 :
世界@名無史さん:2015/02/28(土) 18:03:45.58 0
冒頓がスターリンみたいというよりも、モンゴル系遊牧民の血が混じった結果、残忍なスターリンのようなロシア系が出来上がったのでは。
モンゴルの侵攻を受けた地域はどこかおかしい。今の南北朝鮮や中国やロシアなどのように。
ホモはカトリックとかイスラムとか宗教ガチガチの地域に多い
ローマ教皇レオ10世もアナルセックスのやり過ぎで痔に悩まされたと聞くし
852 :
世界@名無史さん:2015/02/28(土) 20:19:22.59 0
劉牢之も議論してくれ。
俺は軍事面では優れているけど、政治センスゼロの人間だとみている。
劉裕がいないし無理やろ
劉裕って議論されて消えたのか知らんけど
中国の魏晋南北朝で入りそうなのって何だかんだで曹操ぐらいなんだよな
石勒は好き嫌いが分かれるし、何より負けが多すぎ+暗殺・奇襲に頼り過ぎ
拓跋珪は棚ボタ、拓跋Zは周囲が小粒なことに助けられた
南北朝入って、高歓はプチ曹操
韋孝寛は一押しだが地味、斛律光は韋孝寛ほど領土広げられてない
楊素も棚ボタ
南朝だと謝玄(劉牢之の上司)>劉裕>桓温だな
討呉・平陳と同じ江南侵攻作戦を完膚なきまでに打破したってのは後にも先にも謝玄のみ
>>854 自己レスだが
韋孝寛が領土広げたわけじゃないな、宇文憲の功績か
瞬間最大風速で高洋ってのもありか
三国時代、五胡十六国時代、南北朝時代
慕容垂も結構強そう
石勒、曹操、謝玄あたりがやはり少し抜けているか
858 :
世界@名無史さん:2015/03/01(日) 00:20:37.60 0
支那の人物の評価は支那板にでも行ってやれ
ここは世界史板であって、支那史なんか見たくない
>>850 ウクライナロシアのコサックにはきっとフン/匈奴の末裔の血が入ってるだろうね
まさにフンが遷移した経路だったし
>冒頓がスターリンみたいというよりも、モンゴル系遊牧民の血が混じった結果、
残忍なスターリンのようなロシア系が出来上がったのでは。
似たような見解をしている人も居るね
http://ameblo.jp/hironk2005/entry-10644899382.html 「皆さん、人類史上一番凶暴、残虐な民族は何処ですか?・・・・・・」と聞かれた時、
即座に浮かんだのは「モンゴル民族に違い無い・・・」と思いました。
しかし、村田氏の口から出た言葉は「匈奴ですね。
そしてその遺伝子を受け継いだのが、モンゴル人、ロシア人、中国人です
それで、少し調べましたら、匈奴とは筆舌に尽くし難い程の残虐な民族だった様です
匈奴:支那の秦・漢時代にモンゴル高原で活躍した騎馬民族。
人種的にはチュルク(トルコ)系、モンゴル系などの説があるが定説はない。
内紛により南北に分裂、北匈奴は後漢に討たれ西走してヨーロッパのフン族に成ったと言う説がある。
南匈奴は支那の北辺に定住した。匈奴を英語では”The Huns”と言う事から見ても
凶暴極まりなかったフン族を匈奴の末裔と白人は見ていた事が分かる。
スターリンはグルジア人でグルジアってモンゴル支配受けてないやろ
昨今のウクライナ問題でかすんでしまったが、グルジャも共に露助に蹂躙されてるね
匈奴とモンゴル人がどういう風に残虐だったとか具体例はないの?
都市の住民を皆殺しにしたとかはまだ優しいし
印象・イメージの部分が大きいかも
匈奴やモンゴルにも大人しい人だっていたと思うけどね
864 :
世界@名無史さん:2015/03/01(日) 12:51:41.08 0
>>860 グルジアはモンゴル帝国の侵攻を受けて、属国となっている。
865 :
世界@名無史さん:2015/03/01(日) 19:12:21.63 0
オイゲンも議論されたことあるか?
>>865 オイゲンもマールバラ公も地域レベルの名将っていう意見が多かった
867 :
世界@名無史さん:2015/03/01(日) 20:16:17.79 0
オイゲンはこのスレの基準では地域レベルの名将だろう
ただ、一般的にオイゲンも彼の盟友のマールバラも非常に評価は高い
ルイ14世時代のフランスを相手に戦ったということが評価ポイントなのかも
オイゲンは斜陽のオスマン帝国を決定付けたから評価高い
869 :
世界@名無史さん:2015/03/01(日) 20:35:41.49 0
part7に評価基準があったので転載します
A:有史以来世界レベルで類稀な戦歴。一代で大帝国を築いた人物が並ぶ
B:その時代を代表する名将で戦歴も非常に立派
C:Bとあまり変わらないがやや総合力で劣るか?
D:地域を代表する戦歴を残した名将や新戦術の導入で多大な成果を挙げた名将
E:Dとほぼ同じだが総合力でやや劣るか
F:活躍地域が限定的だが立派な戦歴の名将
G:活躍地域が限定的で欠点もあるが総合的にみれば世界史上でも名将
H:Gとほぼ同じ
870 :
869:2015/03/01(日) 20:44:43.90 0
この基準で少し疑問なのが戦歴について
ここで言う戦歴とは戦った回数なのか?
それとも対戦相手なのか?
あるいは両方を含んでいるのか?
ここら辺を整理しておく必要を感じる
その表書いたわけじゃないから想像になるけど
「戦果」「勝利」とかだと敗戦の名将を評価できないとかなんじゃないかな
だから勝ちも負けも全部ちゃんと吟味して評価しましょうという事では?
精密な評価の難しい記録の少ない人物はどうしても結果だけで判断することになるけどもさ
1.戦った敵の強さ・・・相対的に相手が強ければ強い程評価
2.勝率・・・まぐれ勝ちなら誰でもあるから重要
3.勝利で手に入れたもの・・・領土名声条約とか
4.後世への影響・・・戦術を変えたり歴史の流れを作ったり
このスレの評価基準はこんな感じだった筈
873 :
世界@名無史さん:2015/03/01(日) 22:56:07.02 0
オイゲンを議論しているので、時代的に比較的近いワシントンも考えてみてほしい。
1700年代の西洋の名将はオイゲン、マールバラ、フリードリヒ、ワシントン、スヴォーロフが入ると思うが、
ワシントンはどの程度に位置されるだろうか?
872の基準だと、
1. フレンチインディアン戦争の際のフランス軍、独立戦争時のイギリス軍
2. 負け戦も多かったが、劣勢の中で良く士気を保った
3. アメリカ合衆国を建国
4. 超大国アメリカの礎を築いた
ワシントンの独立戦争での勝利はフランスとの同盟によってもたらされたもので、
独力ではないが、劣勢な植民地軍を率いて戦い抜いた点は評価できると思う
Gランクには入ると思うがいかがだろうか?
うーむ
ゲリラ戦ならヴォーグエンザップの方が上になりそうだし、あいつもあいつで入ってないから厳しくないか?
876 :
世界@名無史さん:2015/03/02(月) 00:12:29.85 0
一応このスレの対象は19世紀まででは
ザップはゲリラ戦部門なら最高レベルだが、20世紀の人間
戦術的な強さはともかく、
後世への影響という点ではワシントンは世界史上屈指の人物だと思う
近代ゲリラ戦の父と見なされてるフランシス・マリオン
>>873 アメリカが超大国になったのはワシントンの影響じゃなくてマジで偶然、運
偶然原油出たり、偶然リン分を含まない鉄鉱石が多数産出して
ヨーロッパでは使えない転炉でアホみたいな鉄鋼生産を実現してみたり
18〜19世紀の幸運が大き過ぎる
さらに第一次大戦を経てのヨーロッパ没落に加えて太平洋の向こう側で
ライバルになりそうだった大日本帝国が突如ユーラシア大陸東部で
自滅のような対外戦争を連打して勝手に自壊したのもでかい
4を評価に入れるのは不公平
また、3に関しては「建国」ではなく当初のアメリカはイングランドの課税に対する単なる都市同盟に過ぎず
実は君主に対して再び忠誠を誓おうという勢力、及び戦略的展望も存在していた
ワシントンの評価は主に1と2のみでなされるべき
879 :
世界@名無史さん:2015/03/02(月) 09:50:33.59 0
正規戦の名将に関してはかなり議論が進んだことだし
ゲリラ戦部門のランキングを作っても面白いかもしれんな
そうなると古代人は不利かも
古代はゲリラ戦のような詳細な記録はやはり少ないだろうし
ウェルキンゲトリクスとかアテルイとか
ウェルキンゲトリクスは焦土作戦ではあってもゲリラ戦ではなかったように思う
ゲリラ戦術って大抵焦土作戦じゃね?
蒙古に抵抗した陳興道とか蒙古の補給路を断った
884 :
世界@名無史さん:2015/03/02(月) 22:45:02.09 0
>ゲリラ戦術って大抵焦土作戦じゃね
全然違う。ゲリラは民衆を敵にしない戦術。
楠正成が本邦初入賞なるか?
日本勢は入ってないけど、規模的にチャルディラーンなんかに劣らんな。
マクニールの世界史でもヒデヨシとイスマーイール1世の記述が同じくらいだったような。
史実における焦土作戦
・紀元前6世紀にアケメネス朝ペルシア帝国のダレイオス1世がスキティア(スキタイ)遠征を起こすと、
スキタイ側は、南ロシアの街や村を焼き払い、食料の現地調達が不可能となったペルシア軍は撃退された。
・紀元前1世紀中葉のローマの将軍カエサルによるガリア侵略に対し、ガリアの族長ウェルキンゲトリクスは町を破壊し、
田野を焼き払ったが(アウァリクム包囲戦)、焼き払い損ねたアウァリクム(現ブールジュ)がローマ軍によって食糧基地として利用され、
アレシアの戦いでウェルキンゲトリクスは決定的な敗北を喫し、ローマに降伏した。
・ワラキア公ヴラド・ツェペシュのオスマン帝国との戦い(1462年)。
ヴラド・ツェペシュはゲリラ戦を併用した焦土作戦でメフメト2世率いるオスマン帝国の大軍を苦しめ、撤退に追い込んだ。
・文禄・慶長の役において、朝鮮側が日本軍(豊臣秀吉の軍)の補給路を根絶するために行った。
・大北方戦争。ロシア軍の焦土作戦と、厳冬(冬将軍)によってスウェーデン軍は敗退した。
・サリバン遠征 アメリカ大陸軍はインディアンが居住できなくなるよう集落、田畑を焦土化した。
・ナポレオンはロシア遠征においてモスクワに侵入したが、炎上する町をあとに撤退を余儀なくされた。
ただしこれが焦土作戦であったかは、議論が分かれている。
・アンドリュー・ジャクソンによる「セミノール戦争(インディアン戦争)。
アメリカにおける初の焦土作戦とされ、「インディアンのベトナム戦争」とも呼ばれている。
また、キット・カーソンは、対ナバホ族戦で焦土作戦を使用している。
・尼港事件において赤軍パルチザンは日本軍がニコラエフスクを利用できないよう住民を殺戮して町を焼き払った。
・日中戦争において中国側は堅壁清野と呼ばれる焦土作戦を度々用いた。
長沙大火はその一例ではあるがこの際は流言に惑わされ長沙の町を意味なく焼き払ってしまった。
また黄河決壊事件も焦土作戦と言われることがある。
・第二次世界大戦の独ソ戦において赤軍は撤退にあたり敵軍の利用価値のあるものを壊した。
またドイツ軍も同様に撤退にあたり敵軍の利用価値のあるものを壊した。
一部施設は、独断で命令を無視した軍需大臣アルベルト・シュペーアのために破壊を免れている。
・冬戦争において戦力的に劣勢であったフィンランド側が大多数の赤軍を相手に行った戦術の一つ。
ゲリラ戦術、遅滞戦術と共に使用し大粛清後で組織的に衰弱していたソ連軍に多大な被害を与えた。
ゲルゴウィア、アレシアとか普通に数万以上の動員して決戦してるからなぁ
奇襲や待ち伏せ策を積極的にとってたわけでもないし、ゲリラ戦からはけっこう離れてる
劣勢な側の戦いを、安易にゲリラ戦という枠で説明してしまう最近の傾向はいかがなものか
890 :
世界@名無史さん:2015/03/03(火) 00:00:23.79 0
ゲリラ戦だが定義が難しいな
明確にゲリラと言う言葉が出来たのはナポレオン戦争期のスペイン半島戦線だったと思うが、
同様の戦い方は、古代からあっただろうし
ただ、古代のガリア人に関してはゲリラ的な戦法が得意だったことは間違いない
ハンニバルのアルプス越えでもガリア人の襲撃でかなりの兵を失っている
森林のように身を隠せる場所があればゲリラ的な戦術は行使できるのだろう
>>886 人口が多い地帯だから動員兵数は多いけど、補給が必要な外征であまり結果を出せなかったから
秀吉は入らないと以前話題になった
やっぱ外人にはヒデヨシ>>>ノブナガ、イエヤスなんだな
>>890 あんま詳しくないからわからないけどアルミニウスもゲリラ戦だっけか?
やっぱりいつの時代でも圧倒的強者を相手にする勢力ではゲリラ戦がうまい奴が台頭するようになってるんだろうな