44 :
世界@名無史さん:
「集史」のインド史では8世紀カシミールの王ラリターディトヤを
アレクサンドロス大王と同一視する記述があるらしい。
「ラージャタランギニー」の記述を真に受けると
そうなってしまうんでしょうね。
ラリターディティヤは東インド、南インド、中央アジア
まで華々しく遠征して大勝利したことになってるから。
実際は、当時東からは吐蕃が、西からはアラブが
間近まで迫って来ているし、すぐ北の小勃律
(ギルギット周辺)では唐の高仙芝と吐蕃が
争奪戦繰り広げていたんだから、悠長に遠方への
遠征などやっている余裕があるはずない。
信憑性があるのは、せいぜいカナウジ王
ヤショヴァルマンと戦ったあたりまでだろう。
対アラブはカーブル・テュルク・シャーヒ(罽賓)や
ザーブル・ラトビル(謝[風日])が前線に立って
くれていたし、カシミールはこの両国とは仲が
良かったみたいなので直接アラブと対峙することは
なかったけど。
中国と言っても東トルキスタンを言ってるみたいだけどね。
8世紀当時、東トルキスタンは西突厥〜突騎施、吐蕃、唐が
入り乱れて戦っていたんだから、カシミールが入り込む余地など
全くない。カラコルムまで出張っていた吐蕃とは戦った形跡が
あるけど大勝利にはほど遠い。