1 :
世界@名無史さん:
歴史教科書などでは、日中戦争について欧米由来の植民地主義に影響された、
日本が中国を侵略したように書かれていますが、強大化した、
周辺民族としての大日本帝国と弱体化した中華王朝としての中華民国との戦い
という伝統的な中国史の戦争の構造の方がが当てはまると最近個人的に思います。
この辺について詳しい方、あるいはフォーカスした関連書籍をご存知の方おられますか。
今までの征服王朝は、中国との経済摩擦や安全保障における主導権争いの問題があった
旧日本の場合、そこに白人圏への対抗というより大きな次元の安全保障と
それを日本中心で行うべきだというイデオロギーが絡んだ
ネトウヨ史観としての日中戦争
日本も中華民国もどちらも宣戦布告無しに始めた軍事衝突を
戦争とは云えない。
正しくは「支那事変」として教育すべきだ。
この支那事変の切っ掛けとなった「盧溝橋の一発」も
支那共産党の劉少奇がスターリンの命令で部下3人にやらせたものだと
北京のテレビが平成17年に報道している。
事実、周恩来は中華人民共和国成立の際に
「あの一発で日本と中華民国が衝突し
共に倒れ我々が建国するに至った」
と述べている。
5 :
世界@名無史さん:2013/09/19(木) 02:31:56.98 0
花谷正いわく関東軍の策謀だけどな。
さすがに満州事変と盧溝橋事件を混同しないくらいには歴史を勉強しようぜ…
なら盧溝橋事件と日中戦争も混同するなよ。
日中戦争は第二次上海事変からだ。
>>2 主因は経済摩擦と主権回復だよ。
統一?した中国は欧米日ソに奪われた権益を武力で奪還しようとしていた。
それを奪われてはたまらんと権益をあくまで維持しようとした側との戦争だ。
>>3 日本が中国を征服していたら、中国人は大日本帝国の最大版図を領有権として主張していただろうなw
アジア解放としての日中戦争
もし米英が中国への支援・介入していなければ、
日本民族による新たな中華帝国が誕生。
気がつくと日本語を話せない支配民族となって、
日本列島が中華圏に吸収されている。
こうして、日本人は、かつての異民族征服王朝と同じ道をたどる。
でもまぁ、日本人は中国について知らなすぎ。
なまじ満洲事変で成功するものだから、
中国なんて簡単にやっつけられるという幻想を持った。
いかに戦闘に勝利を続けても、
敵の人数が多すぎて、
領土も広すぎて、
内陸に入れば入るほど、
泥沼の消耗戦になる。
せめて、過去の征服王朝の事例をよく研究するべきだった。
その上で、敵地の実情と、自国の力量と、欧米列強の動向を分析すべき。
そんな冷静な判断を欠いたまま、
暴支膺懲の掛け声勇ましく、
中国側の挑発に乗ってしまったのが愚かな日本。
一方の中国側は、蒋介石を初め多くの指導層が、
日本に留学した経験から、日本の強さと弱点を知り尽くしていた。
この時点で勝負あったと言える。
そうか?
過去の征服王朝ですら数十年かけて少しづつ征服するのが当たり前だっただろう
日本人が知らなかったのはやはりアメリカだよ
ロシアとの衝突も回避して唯一まともに介入する可能性があるアメリカにも、厭戦ムードが蔓延してるはずだった
日本からすれば「アメリカが蒋と講和を仲介してくれれば良い、そうすれば漸次撤退する」という話で済んだが
アメリカは即時撤退以外は求め無かった
その立場と思考の違いは容易に乗り越えられない
つーか第二次上海事変は挑発ってレベルを越えてるからあれで戦争をするなというのは不可能だわ
南京があまりにもあっけなく落ちる前は日本側も蒋も講和に応じる気があったから計算とかじゃないと思うよ
日本からすれば結果的にアメリカが介入したからそこから反省するけれど
蒋からすれば列強の介入目当てで仕掛けたのに戦争の数年間放置されて発狂しそうだっただろうよ
欧州の情勢は複雑怪奇とか言ってる間は無理だろうな
日本人にとって欧州地方の歴史は今も昔も馴染みが薄いんだろう
日本から見て地理的に遠いというのもあるけどさ
一部の物好きが古代ギリシア・ローマ含む欧州史を知識として知ってるぐらいか…
蒋はなかなか動こうとしない米国に対し様々なチャネルを通じて働きかけ続けて、
結果的には国際世論と米国を味方にできたが、
内向き志向の日本はそれら全部を敵に回した。
この差は大きい。
米国の本音は日中共倒れなんだろうな。
ドイツの動きも複雑。
蒋政権への肩入れが半端でない。
結局は日独枢軸を構築するが。
普通に考えれば日本より、中国と手を結んだほうが利益が大きいし。
内向きとかそういう問題だろうか
朝鮮、満州と来て次に大陸に攻め込むとなれば単純に日本が悪に見えるのは当たり前
その時点でプロパガンダにおける圧倒的な優位が中国にある
盧溝橋事件は中国が引金を引いても、日本が挑発したということになり(そもそもどちらが先にやったかという検証が難しい倫理的な問題に第三者はほとんど興味が無い)
第二次上海事変はちょっと非難されただけでその後忘れさられたように黙殺された
逆に日本が在中アメリカ人にやったとされる非道が報道されていく
アメリカからすりゃ中国から引金を引こうが、無差別爆撃をやろうが虐殺をやろうが別に脅威では無いのだから、それは些細なことだが逆に日本がやることは重大な問題になる
親日家で10年駐日大使やってたグルーでさえ数々の偏見を抱きながら日本に懲罰的な戦争を加えるべきだという考えに傾いていった
彼以上に実際の日本人を知ってるアメリカ人はほとんどいないだろうし、彼以上の知見を一般のアメリカ人に求めるのは無理だろう
プロパガンダの拙劣さよりも、立場の違いから生じるどうしようもない相互不信だったと思うよ
15 :
世界@名無史さん:2013/09/19(木) 22:14:07.68 0
相手の立場を想像できない、
自分たちの置かれた状況を客観視できないという意味で、
内向き、かつ独りよがりだったと思う。
犠牲が出れば出るほど後戻りが出来なくなってるし。
軍人も本当の意味の軍事教育を受けていないので、
資源確保、補給の重要性もわからず精神論に頼る。
中国の1/3に進出したものの、
物資、装備、兵力の不足で、国力は疲弊するばかり。
こちらの都合の良い講和など成立するわけないのに、
都合の良い状況になると期待に頼る。
プレデターのようにアジア諸国に襲いかかる大日帝国が好きだ
軍事的には征服されても
文化的には征服して異民族を取り込んできたのが
支那の誇りだったりするw
しかし、その誇りを踏みにじる国が二つある
日本とモンゴルだwwwwww
モンゴルの元は滅んだのではなく北に撤退しただけで
明代も強敵であり続け漢文化に染まりもしなかった
日本も戦前あれだけ攻め込みながらちっとも変わらなかった
己の進んだ文化に見向きもされないというのは最大の屈辱であってwww
翻って憎悪はいや増すのであるwwww
モンゴルについては南モンゴルを奪って多少の溜飲を下げたが
日本はあれだけの敗戦にもかかわらず
いまだもって看過しえぬ大国であり続けることが
支那の膿み膨らんだプライドを苛み続けるのだwww
>蒋からすれば列強の介入目当てで仕掛けたのに戦争の数年間放置されて発狂しそうだっただろうよ
スターリンが国民党に飛行機800機と戦車300両を与えたのも思い出して下さい。
満州に日本軍を集中させないためだけど。
19 :
世界@名無史さん:2013/09/21(土) 07:57:11.31 0
>>17 でも、いまの日本はアメリカに実質占領されてる、アメリカの事実上の属国だけどな。
独立独歩の中国は、そこで溜飲下げてるだろうよ。
>>17 日本は漢文化に染まってから中国離れしたから、ベトナムや朝鮮と同じだな
…いや、華僑・華人を追い出していない所を見ると
程度の差はあれタイに近いか
日本が戦前と違うのは中華料理・中国拳法・気功・麻雀などがより浸透してることかな
それぞれ独自の変容を経て別のものになってきてはいるが、
そんなのは世界各地で起こっていることだしね
そのくせ漢詩文などはどんどんわからなくなってるんだから、
「日本人が尊敬する中国は古典世界だけ」というのは絵に描いた餅になってきてる
今現在の中国を尊敬している日本人って反日左翼ぐらいじゃないの?
22 :
世界@名無史さん:2013/09/21(土) 09:26:59.20 0
>>21 核武装してて、国連の常任理事国で、他国の軍隊に駐留されず、アメリカと互角にモノが言えるって点では、
内心ウヨがリスペクトしてる可能性はある。
23 :
世界@名無史さん:2013/09/21(土) 09:52:01.85 0
日本側に世界を納得させる大義名分がない。
ドイツ人ですら、中国側に同情的で、積極的に軍事援助をしていた。
ヒトラーの世界戦略妄想に引きづられて日本と同盟したものの、
ドイツ一般、財界、軍は蒋介石政権を支援したがっていた。
日本軍が捕獲した中国軍の装備の多くがドイツ製なんだが、
同盟関係への配慮から、ソ連製の武器多数捕獲と公式発表するところに、
友達がいなかった日本の悲哀を感じる。
公然とシリア支援を表明したり"アメリカにものを言える"のはロシアだろ。
核武装しているとはいえ共産党のやりたい放題で
1mの先もかすんで見えないような生活環境とか
工業の廃油を食用なんて尊敬以前に住みたいとも思わん。
ソ連の国民党への軍事支援は飛行機800機、戦車300両とドイツと桁が違う。
ドイツは中国から大量のタングステンを輸入しており代金の代わりに装備を供与した面もある。
国民党軍って、ドイツのM1935ヘルメット被っていたのに、
米国からの支援を受けると、米製ヘルメットに変えてしまい、
ナチスからの協力は黒歴史として、なかったことにしようとしてる。。。
どちらにせよ独米英ソの支援を受けられた蒋介石と
友達のいない日本、友達だと思ってた独ちゃんも蒋ちゃん隠れシンパ。
差が大きい。
それだけ支援を受けながらまともに戦わずにビルマから撤退するだの
泣き言しか言わない国民党は連合国を失望させた
まともに戦わずに、ゲリラ作戦で敵を消耗させるのは、普通だと思うが。
短期戦闘による殲滅戦だけが戦争ではない。
元々、日本は長期消耗戦に耐えられない。
中国は人口が多く、人命が軽いので、消耗戦に強い。
一般から徴発した兵士の練度は低いが、
督戦隊の脅迫でどうにかなるし、
どうせ一般人は捨て駒で、大事ではない。
戦線を拡大させて、補給を困難にさせ、時間を掛けて消耗させる。
あっという間に底の浅い日本は物資不足に陥り、
「欲しがりません勝つまでは」となる。
あとは米国を味方にいれて、石油を日本が入手できなくさせれば、輸送力も落ちて
日本軍は大陸で孤立し始める。
中国軍は焦土作戦で自らの領地を焼き払ってから撤退し、
日本軍が現地調達に走れば、その非道を宣伝して、世界の同情を集められるし。
戦争には軍事技術以外に、
大義名分、情報操作、戦線領域の設定、経済資源の確保
が重要。
中国はロビー活動・プロパガンダで同情を集めたが
その間にも日本軍の占領区域は広がり、沿岸の工業施設は日本側に落ちた。
大戦後半には援助を求めるだけでビルマから逃げようとする弱体ぶりに失望を招いている。
いくら外交で勝っても内政を軽視・放置していれば足元が立たなくなることは
後の国共内戦で証明された。
29 :
世界@名無史さん:2013/09/21(土) 15:42:50.87 O
>>27 でも中国に戦争で負けたと思ってる日本人は少ない そこが問題だと思う
まあ沿岸部を支配されるのは仕方ないな
そもそも沿岸部は交易等で発達してる都市が多い訳で当然良港もあって更に海岸線がとてつもなく長いから上陸されるだろうし
海岸線が長ければ長い程、兵力、兵器は分散して兵站的にも戦術的にも不利
制海権を取り返せる見込みは殆ど無いし沿岸部は見捨てる他無い。 逆に内陸部ならば防御陣地を構築しやすく守り易い
まあ、そもそも選択権が少なすぎるからな
31 :
世界@名無史さん:2013/09/21(土) 17:19:05.41 0
捏造プロパガンダ 日中戦争 衝撃の46枚
捏造プロパガンダ 日中戦争 衝撃の46枚
捏造プロパガンダ 日中戦争 衝撃の46枚
捏造プロパガンダ 日中戦争 衝撃の46枚
捏造プロパガンダ 日中戦争 衝撃の46枚
捏造プロパガンダ 日中戦争 衝撃の46枚
沿岸の工業施設の喪失で国民党の経済基盤は完全に援助に依存するようになった
33 :
世界@名無史さん:2013/09/21(土) 19:25:12.36 O
三国志で言えば巍と呉を征服していた状況だからな。
対米戦争がなければ中国なんて国なくなっていたんだけどな。
中国を潰す意図は現実無理羽だし
日本は蒋介石が失脚して汪兆銘主導になるよう意図した程度。
>>34 欲張って南部仏印進駐して禁輸されてなければ、
普通に翌年には重慶陥落、成都侵攻の流れだったと思うけど。
実際冬季攻勢をしのいだあと翌年に重慶の手前の宜昌を制圧している。
そのまま攻め落とす予定だったんだけど、南方作戦をしなければならなくなり、
計画がぽしゃった。
その後も何度か計画はあったけど、打通作戦とかで南方と鉄道を使って陸路で補給つなげたりしないと行けなくなって、
取りやめになった。
中国を潰す事時代は別にそこまで難しい事ではなかった。
>>30 中国において発展していた沿岸部を抑えられた時点でほぼ詰んでいるんだけどね。
奥地には工場すらほとんどない、
また中国はそこまで資源豊富な地域でもないから、この時点で海外からの支援だよりになってしまった。
だから日本も重慶まで責めるのではなくて、支援ルートを潰す事をやっていた。
支援ルートさえ潰せば兵糧攻めが出来るから。
>>35 反日の蒋介石を潰すのであって中国そのものを地図から抹殺するわけではない。
実際日本は中国の正統政権として汪兆銘の南京維新政府を承認し重慶を相手とせずと声明した
そして日本政府からすればなぜアメリカが蒋政権にやたらと肩入れするのかが理解できなかった
ルーズベルトが非難声明を発しただけで事変当初はほぼ傍観
武器貸与法が可決するまで国民党に大量の援助を送っていたのはソ連
>>36 ほぼ詰んでるって言ってもそうする他、選択肢が無いから・・・・
玉砕覚悟で沿岸部を死守するにしても、守り切れる確率はかなり低い。それよりは長期戦に持ち込んだ方が勝機はあったはず。
結果論だけども結局なんだかんだで勝利したんだから、内陸部に拠点を移したのは,少なくとも失策とは言えんね(実行できる選択肢の中では)。
外国で物乞いロビーしてる暇があったなら沿岸の工業設備を内陸に引き上げさせろと。
ロシアがドイツ軍侵攻前に工業設備をウラルに引き上げて軍需を支えたのとは対照的。
この時の戦争が支那民族を地上から一掃する千載一遇の機会だった
神よ、なぜ帝國軍を見捨て給うたのか。
>この時の戦争が支那民族を地上から一掃する千載一遇の機会だった
原爆を100発落としても無理
44 :
世界@名無史さん:2013/09/21(土) 23:06:28.28 0
中国軍がいかに弱体だったとしても、関係ない。
連合国の一員になったから。
1945年7月9日に今井武夫少将が、中国軍側と交渉し、
中国本土からの全面撤兵、蒋介石政権の南京復帰等を認める大幅譲歩のつもりだった。
中国側は日中間の単独講和は不可能、日本は中国本土のみならず
満州、朝鮮、台湾、樺太も譲渡しなければならない、これは連合国として協議済みなので変更の余地はないと、今井少将の和平停戦案を突っぱねる。
今井少将は、日本人の主観的願望がいかに単純で自己中心的であったかを痛感したそうな。
中国軍が軍の体裁をなしていないなんて大した問題じゃない。
連合国が勝利すれば、
日清戦争によって失った全ての権益を取り戻せるのだから。
しかしその後アメリカはあっさりと共産党に乗り換えて騙されるっていうね
>>41 当然のことだけど全部が全部疎開できたわけじゃないけどね。
初期は一日に数十キロっていうペースだったからね。
大半は占領されて、逃げれたものと米英からの支援で立て直したんだし。
国民党の場合は完全に日本舐めていたとしか。
上海にいる陸戦隊は増強していたが4000人、それを何十万で囲んでいたんだから、
陸軍が来る前に追い出せると思っていたんじゃないかな?
念のためドイツ仕込みのトーチカ群も作っていたし。(上海周辺の武装は禁止されていたけどね)
>>39 思いっきり中国びいきだったのは間違いないけどね。
黄河決壊作戦などは欧州のメディアですら中国側の作戦である可能性が高いとして、
非難していたけど、(中にはこの作戦で日本軍に大被害を与えた素晴らしいという論調もあるw)
アメリカだけは中国のプロパガンダをずっとながし続けていた。
>>45 アメリカには昔から敵を支援するという伝統があるのだよ。
いや育てて敵にしているというべきか。
ソ連を支援して冷戦をして、蒋介石から毛沢東に乗り換えて朝鮮戦争で痛い目をみて、
反日ゲリラに支援をして、その後そのゲリラ鎮圧で苦労して、
イラクを支援して、その後イラクを潰し、
アフガンでアルカイダを支援して、その後アフガン侵攻。
で、中東で独裁政権を潰して、原理主義政権を誕生させると。
国力があるから何とかなっているだけで、アメリカはぶっちゃけアホにしか見えない。
もしくは戦争し続ける為に敵育てているんじゃないかと陰謀論。
あながち間違いでもなさそうだけどな、その意見
じゃなきゃ先見性のない間抜けな国家ってことになるぞ
戦争の芽を摘まないで育ててるんじゃ
アメリカが君臨できるのも敵がいるからという一面は確かにあるだろう
日本帝国を贔屓しても結局敵を育てることになりそうな気がする
>>44 そんな他力本願だから足元をすくわれて台湾に逃げ込む羽目になったんじゃないか?
51 :
世界@名無史さん:2013/09/22(日) 07:40:43.43 0
オセロの駒のようなもので、
仮に重慶、成都を日本が攻め落としていたとしても、
その苦労は無意味だ。
沖縄を連合国に取られたら、どうにもならない。
オセロの盤面は大陸だけでないということ。
最後に共産党軍の駒に全部反転されたが、
蒋介石の戦略自体は間違ってない。
>>47-48 産軍複合体が儲かるシステムだね。
軍費は国民や他国から巻き上げればいいんだから。
53 :
世界@名無史さん:2013/09/22(日) 08:15:09.31 0
重慶、成都への進攻が労多くして戦略的価値薄いことは
さすがの大本営も理解していたから、
岡村総司令官の重慶,成都進攻作戦を許可しなかった。
>>47 日本も局面によっては中国共産党を陰ながら援助していたようだからアメリカを笑えない
間接的にせよ国民党を叩いたことで中共はかなり有利になったわけだから
毛沢東が田中角栄に感謝したというのも自然な事
中国が反帝国主義ではなく民族主義的な反日を前面に出したのは90年代から
これは死に体の国民党のお株を奪う形
毛沢東は政権をとると軍需施設を重点的に四川に建設している。
56 :
世界@名無史さん:2013/09/22(日) 08:39:40.09 0
四川は三国志の時代から、攻めにくいところ。
現在は核ミサイル基地が多数あり。
57 :
世界@名無史さん:2013/09/22(日) 08:52:22.01 0
日本は沿海部を占領していたというけど、ほぼ占領していたのは華北だけで、
長江以南の沿海部は一部の都市を除いてほとんど占領できていない。
(華北も実質、八路軍の解放区で虫食い状態だったが)
台湾の真向かいの福建省ですら、廈門など数カ所以外を占領できなかったが、
当時の台湾住民は恐くなかったのだろうか?
抗日排日と叫んで国際連盟や西側にロビー活動はしていたが
長期消耗戦を当初から想定していたという割には
工業施設を奥地へ移転させるような努力は怠っていた。
沿岸地域にクリークを建設したりしていたことから
国民党は当初は日本軍を
短期で水際で撃退できることを想定していたと思われる。
59 :
世界@名無史さん:2013/09/22(日) 09:11:43.79 0
福建省から台湾に反撃とか、なぜ実行しなかったんだろう?
軍事作戦を展開できる施設も物資も無い。
飛行場が米軍機の離着陸に一時使用された程度。
61 :
世界@名無史さん:2013/09/22(日) 10:56:30.42 0
逆に日本軍(台湾軍とか)が福建省全土に進駐しなかったのが不思議。
62 :
世界@名無史さん:2013/09/22(日) 11:22:55.57 0
中国の軍需産業って、当時どのくらい発達してたの?
63 :
世界@名無史さん:2013/09/22(日) 12:13:59.40 O
>>57 ただたんに沿岸部を完全に占領できていただけでは?
64 :
世界@名無史さん:2013/09/22(日) 12:19:02.27 0
>>63 各種資料集での日中戦争での日本軍の占領地図とか見てると、そうでもない。
中国南部は文字通りの点と線状態で、日本軍占領地としてほぼベタ塗りの華北とは対照的。
福建も廈門とか一部主要都市だけが点の状態で日本占領地の色に塗られてるだけ。
65 :
世界@名無史さん:2013/09/22(日) 13:22:53.94 O
それってポールカワスミとかのか?
それ序盤だけだろ?
66 :
世界@名無史さん:2013/09/22(日) 13:24:37.20 0
華南はほとんど手つかずに近かったから、
大戦末期に打通作戦をやる必要があったんだろ。
中国を征服するには40年はかかった
だが中国から撤退しないと
アメリカイギリスの経済制裁解除と
戦争回避は出来なかった
制海権が日本側に握られており、日本軍が占領していない沿岸部であっても
そこから西側の援助を陸揚げすることは無かった
>>64 当時は都市部押さえればその周辺も実質支配しているようなもんだよ。
軍閥の寄り合い所帯なのもあって、
政府が農民から直接税金を集めるような体制には国民党政権はなっておらず、
専売や関税から収入を得ていた。関税、つまり貿易品に上乗せをして、
それを買った国民から税金を巻き上げる形。
専売はそのまんまだな。
つか当時の中国の関税は国内産業の保護の為に行われていたわけではない
むしろ国内で生産出来るもの(専売以外)より海外のものを買わせて税収を増やそうとしていたくらい。
なおこれにブチギレたのが華北の連中で、日本とくんで密貿易をしだして河北分離工作となった。
(北伐で潰された元正統政府で利権から転げ落ちたのも大きい)
なので日本は海外との貿易を遮断する方法を行い、沿岸部をぐるりと占領して財源をたったわけ。
70 :
世界@名無史さん:2013/09/23(月) 12:29:47.39 0
だけど、福建の海岸から中国兵が台湾に攻めてくる心配とかなかったのか?
制海権は完全に日本側だし、そもそも当時の国民党には海軍そのものが皆無状態。
ソ連のアフガニスタン侵攻みたいに、都市しか支配できない。
蒋介石の基盤である都市部と沿海部を制圧することで
蒋介石の支持基盤は米ソ連合軍の援助頼みとなった。
74 :
世界@名無史さん:2013/09/23(月) 13:59:32.85 0
でも、華南の沿海部は日本軍が直接占領してないところだらけだぞ。
台湾の真向かいの福建省ですら、沿海部全部占領できてないし。
日本軍が占領していない沿海部があっても制海権は日本側にあり、
中国側の艦船が沿海部で展開することは不可能であり、
したがって日本の占領していない沿海部から支援物資を陸揚げすることは出来なかった。
日中戦争に参加し、戦後自衛隊に入った佐々木春隆と言う人が著作で
「日本軍は中国側の物資よりも兵士の損害を重視していたが
中国は人口が多いが近代戦に必要な物資が足りないから
狙いを逆にすべきだった」と書いている
77 :
世界@名無史さん:2013/09/23(月) 18:37:00.42 0
一号作戦は日本軍最後の攻勢だが
桂林や衡陽の攻略戦では大苦戦をした。
一応占領はしたが「衡陽街道は日本兵の墓標で埋まる」と言われるほど大苦戦をした
しかもここの敵は蒋介石直属の軍ではなく旧式装備の地方軍閥だった
1944年の段階で"日本軍の「攻勢」を撃退している"という形勢は
他の戦線に比べ大幅に中国が遅れをとっていたことを示していた
>>74 少し前の中国植民地化とかの地図みてみなよ。
福建省は既に日本の色でぬられているから。
>>77 そのあとも降伏するまで大陸にある飛行場潰しに何度もいって飛行場を占拠してるよ。
そしてその戦いにしても日本側の死傷者は二万程度で、中国側は5倍は出てるよ。
遺棄死体だけで日本軍の死者の何倍もあったし。
>>78 打通作戦で日本側が使った空軍は250機、それも途中でどんどん太平洋側に転出
なおその頃フィリピンだけで2000機の空軍をおいて航空戦をやっている。
1945年ではシコウ作戦で攻め込んできた日本軍を殲滅しているから
あのまま戦争続いていたら中国軍は自力で日本軍を殲滅できたかもしれない
日本軍の殲滅より国民党が倒れるのが先だろう。
ドイツを負かしたソ連が華北まで進軍してくるな。
すでに日本軍はすでに1945年に国民党軍に勝てなくなっているんだが
それを象徴するのがシコウ作戦
>>79 川での激烈な戦いと同時に、市街戦の方も白熱していった。 日本の第58師団師団長の後日の戦況報告には、
“わが師団は桂林にて、広西現地の土着武装軍の頑強な抵抗に遭遇。
この武装軍は装備は劣るものの、なかなか凶暴でその決死の抵抗は、
わが軍の力をはるかに上回り、それがためわが軍の士気は沮喪して--------”。
このほか、下士官が書いた記録には、“小さい時、桂林の景色の素晴らしさ、
珍しさを聞いていたが、今日、わが軍は戦争以来、最も激しい抵抗に遭い、
市内至るところ銃声が飛び交い、地雷が鳴り響き、またあちこちで白兵戦が繰り広げられた。
わが大隊900名余のうち、戦争が終わった時残っていたのはわずか70余名、
それも多くは負傷兵だった。 戦争終了後、敵軍の武器を見ると、
なんとほとんど日本が40年くらい前に捨てた鉄砲だった。
1944年11月10日、桂林は陥落した。 守備軍1万9千余り、
そのうち1万2千人が戦死(そのうちの半分が毒ガスによる死亡)。
7000名余りが毒ガスにより倒れているところを捕らえられた。
一方の日本軍の死傷者数は、大本営への戦況報告の中で、
“皇軍の桂林戦役での死亡は1万3千9百余人、負傷者は1万9千1百余人、
行方不明300人余。 そのうち連隊長の戦死9名、大隊長の戦死31名、
中隊長と小隊長の戦死100名近く、漓江の川は敵味方両軍の血に染まり
真っ赤となった。 今回の戦役は、
私が経験した中でも極めて壮烈なものだった。
これは戦争の規模ということではなく、
敵軍の勇猛な戦いぶりについてのことである”。
ttp://henmi42.cocolog-nifty.com/yijianyeye/2006/09/1_2ab4.html
あのまま長引けば北京には赤軍と中共軍が入ってきて
中国の共産化が早まるだろう。
逆に日本軍が1940年代に中国を征服したり
傀儡政権を建てる事が出来たりしたらどうなっていた?
アメリカやイギリスは経済制裁をやめず
経済的に追い詰められた日本はやはり真珠湾を攻撃していた?
当時アメリカでは婦人たちが率先して日本製品不買運動やってたそうだが
"中国軍守備隊の善戦により苦戦"したものの中支派遣軍が総崩れになったり壊滅には至っていない。
同時期の東部戦線では中央軍集団48万が"勇猛"な赤軍の反攻によってミンスクで壊滅している。
東部戦線と比較しても意味ないと思うが
1944年における全戦線において
失敗したとは言え中国戦線だけが枢軸軍が攻勢に出ているという状況
逆の見方をすれば
中国軍は枢軸軍の攻勢を耐え抜き
戦線を維持し日本側を消耗させたと言えるな
92 :
世界@名無史さん:2013/09/23(月) 20:05:38.43 0
>>79 列強の中国分割でよく出てくる地図で福建省が日本の色に塗られているのは、
あくまで平時での経済的な勢力範囲ってことだろ。
福建省不割譲条約で、他国には割譲させず、日本の経済的縄張りにしていただけのこと。
軍事占領していたわけではない。
一方、日中戦争時の占領地域地図では廈門周辺他、何カ所かが占領されてるだけ。
1944年の段階では他の戦線では枢軸軍の占領区域を大幅に奪回していたのに比べ
中国戦線ではどうにか日本軍の攻勢を撃退するという状況で、
相対的に中国戦線の重要性は薄らいだ。
日本陸軍の主力を張り付けている戦線と言う事で戦略価値はあったと思うが
中国が折れたら戦力が他の戦線に振り分けられるんだし
福建の日本軍の占領していない沿岸から連合国からの支援物資が陸揚げされたという話は聞いたことが無い
福建省よりも
満州の隣の華北をまともに支配できてないほうがいたい
>中国が折れたら戦力が他の戦線に振り分けられるんだし
仮に中国が単独講和しても1944年ではソ連にも余裕が出てきており
日本陸軍に打撃を与える力としては中国軍よりも期待されていた。
占領地を示す地図でも大雑把なものだと、華北はベタ塗りで華南は点と線だけど、
より詳細な歴史地図だと、八路軍の解放区で華北も虫食い状態だからなあ・・・
中共軍は大規模な反攻は1940年の"百団大戦"以後、行っていない。
華北の農村地帯には大規模な物資の集積や軍需生産の手段も無く
反攻の拠点にはならない。
1943年の飢饉では日本軍が軍糧を配給している始末。
日本軍は共産党が支配している農村や山岳に討伐兵を送ったが
そのつど返り討ちにあっていた
>>84 なんだそのデタラメブログは。
大陸打通作戦全体の死者が一万ちょっとでしかないんだぞ。
桂林は第11軍が独断専行で陥落させただけ。58師団とあるから、
広西省にある桂林じゃなくて、湖南省の衡陽っぽいが、ここが一番の激戦で、
ここで半分くらいの死傷者が出ている。
あと毒ガスでというけど、日本軍でそっちで毒ガス装備部隊が保有している毒ガスは、
赤弾で催涙ガスだよ。なんで催涙ガスで死ぬんだよ。
>>80 落とせそうにないから退却してるだろ。なんで殲滅されたことになんだよw
ミャンマー方面で玉砕したケースと勘違いしてないか?
ちなみに数千程度の日本軍を10倍以上で包囲。(退却命令が出なかった・・・)
死者だけで日本軍の五倍以上も出している。
>>92 都市部が陥落している時点で植民地状態だよ。
農村は都市に支配されているのだから。
>>98 主要都市が陥落している時点で占領状態だよ。
農村が独自に重慶の国民党まで年貢を届けているような状況ではなく、
日本の軍政下に移行しているから。
>>101 シコウに参加した部隊は
退却中に追撃くらったり包囲攻撃されて壊滅してるんだが
「一方の日本軍の死傷者数は、大本営への戦況報告の中で、
“皇軍の桂林戦役での死亡は1万3千9百余人、負傷者は1万9千1百余人」
一万三千ぐらい出たと言っているのは日本軍自身だが
>>102 占領状態にあるはずなのに
農村を攻めては変えりうちにあったり逃げられたりしてるんだが
どこが占領状態だ
>>90 長沙を中国軍は三度防衛できてねーよ。
できたのは一回だけ。
日本軍は占領しても維持が難しいところは占領後に放棄している。
>>一万ちょっとでしかないんだぞ
日本側の出鱈目発表はどうでもいい
>>105 中国が一次長沙と呼んでいる贛湘会戦では
上層部の慎重さもあって
大きな打撃を受けたわけではないが
中国側も目的としていた長沙防衛は果たしたと思っていた
第一次長沙はたしかに一度占領してすぐ撤退してるな
だがこれは「こんなことやっていて意味があるのか?と思った」
発表にあるほど敵に打撃を与えていない」と参加した佐々木春隆が回想した
ような代物だった。
第二次長沙は完全に敗北
外に向けての発表では軍の威信を憚って死傷者数を少なく記したが
現場からの報告では冷酷な数字が容赦なく登ってきていた
>>103 退却しているなら追撃される事はよくあること。だけど普通に退却に成功している。
そして桂林でそんな死者がでたなんて話はない。
そいつは日本軍人ではないよ間違いなくね。
戦史業書などにもそんな記述はない。
桂林は一部の部隊が独断専行でそれも多方面同時占領やって、
あっさり成功できてしまった話。苦戦という話すらない。
どんなに日本の負けだと怒号しようが
大陸打通作戦に参加した日本兵の境遇は
オーバーロード作戦やバグラチオン作戦に晒された
ドイツ軍兵士に比べれば天地の開きがある。
>>106 当時のことで日本側の史料以上に正確なものはないよ。
戦果はともかく被害に関しては概ね正確。
>>108 戦果を過大に報告する事はあっても被害を過小報告することはない。
というか実際に人が死んでいるわけで、死者が出れば色々報告などもあるし、
その分の補充などもあるためごまかせない。
>>107 だから防衛できたのは一度だけだろ、二次のみ。
その二次にしても遠征帰りに弾薬の少ないまま、一次の同程度だろと甘く見ていたら、
日本軍の10倍近い軍で要塞化して立てこもっていたから諦めただけだろうが。
ていうか三次にわたる長沙防衛?
お前日本人か?日本において長沙攻略は三度だ。
そして一次で成功そののち退却、二次で失敗、三次で成功だ。
長沙の戦いが一回多いな?視点が日本とは思えん。
>>104 どこの国の話ですか?
反日ドラマを信じているのかね?
基本的に共産党軍は日本軍が来たら逃げ出すだけでまず戦わない。
汪兆銘軍相手にすら結構逃げる。
まともに戦ったのは100団大戦くらいだろうけど、
これも日本軍にボロ負けじゃないか。
日本軍の追撃を振り切り翻弄する八路軍を褒めてやってください
中国人と日本人では国民性が異なる。
日本人は負けるとむしろ奮い立ち、危機的状況下のほうが粘り強く頑張る傾向が強い。
死んだ戦友の為にも頑張らなければとなる。(その為損切りが出来ない)
逆に勝っていると慢心して油断したり、相手に甘くなりあいだに立ち直りの機会を与えてしまう。
逆風には強いが順風では実力を出しきれない。
もちろん国民士気を維持する為の大本営発表はあったけどね。
中国人は基本的に真逆で、勝ったいる間ならどんどん人が増え、兵士もやる気を出す。
逆に押されてくると一部を除けばあっさり崩れて、戦線を維持できなくなりモラルブレイクになる。
(真面目な人達は踏み止まるけど、そういう部隊は敵中に孤立するw)
弱っている相手にはとことん強い。徹底的にやるため油断も慢心もあまりない。
追い風を受けると強くなるが、逆風を受けると弱くなる。
その為中国軍は明らかに負けている戦いでも日本軍以上の大本営発表を繰り返していた。
まあ大本営発表はアメリカでもわりと多かったけどな。
>負けるとむしろ奮い立ち、危機的状況下のほうが粘り強く頑張る傾向が強い。
>弱っている相手にはとことん強い。徹底的にやるため油断も慢心もあまりない。
スターリングラード、レニングラードを粘り抜いてベルリン陥落まで戦い抜いた赤軍は神
117 :
世界@名無史さん:2013/09/23(月) 22:56:14.65 0
>>113 逃げたおかげで、軍を維持できたとは考えないの?
まともに日本軍と戦ったら兵器、軍の質的に負けるんだから撤退した方が現実的だろ
中国大陸を制覇したのは日本でも国民党でもなかったじゃん
独自研究のアホばっかりだな、このスレ
中共の勝利はソ連の支援抜きでは不可能
120 :
世界@名無史さん:2013/09/24(火) 06:47:13.16 0
日本軍はあれだけの兵力を貼り付けても点と線を維持するのがやっとで、
結局は叩き出されたことを考えると、女真人=満州族はすごかったな。
清だって南明の討伐や三藩の乱に時間かかってるさ
結局征服には半世紀くらい必要
100万の日本軍をたたき出した(実際は唯引き上げただけ)のが「凄い」というなら
300万のナチスドイツ軍を粉砕してベルリン入りを果たしたソビエトは「神」
123 :
世界@名無史さん:2013/09/24(火) 19:57:03.28 0
>>122 ロシアはナポレオン軍を叩き出し、ナチスドイツ軍も叩き出し、
それぞれの首都に入城して城下の誓いをさせてるから、「神」といえば「神」だな。
>>113 漁夫の利ごっつあんですだけどな。
日本がアメリカに負けて、蒋介石がアメリカに捨てられたからなんだけど。
>>120 たった100万だけどな。
そして戦争で点と線以外の何を争うの?
点と線だけだった負けてないとかいう中国人たまにいるけど、
点(都市)と線(線路や街道などの補給路)を維持できている時点で征服されているよ。
もうそこ周辺は中国政府が支配する地域ではなくなっているんだから。
>>124 しかし点と線以外の人口のほうが圧倒的に多いというのは問題ではなかろうか
日本帝国はわりと全員支配せんとする性質だと思うし
点在している農村地帯に日本の支配が及んでいないからといって
その物的・人的資源が中国の反撃する力になるというわけでもない。
というか都市を拠点にしなければ大規模な作戦の兵員・物資を展開できない。
面で支配するのは敵対勢力の中心を潰した後だろう
>>125>>126 ていうか都市が陥落している時点で周辺の農村は帰順しているんだけどな。
農村は生活する為に都市に依存しているわけで、
点と線、つまり都市と流通を抑えられている時点で従わざるをえない。
でないと農村は生活ができないから、塩や燃料、衣類、農具や嗜好品など、
中には自給出来るものもあるだろうけど、市で食料売らないことには金も入らないので、
生活ができなくなる。
>>124 敵国の領土を支配している事は戦況的に優勢であっても、それはただ占領しているというだけ
例えば第二次世界大戦の序盤に日本はアリューシャン諸島のアッカ島って島を占領したけど、アメリカの領土を占有したからと言って日本が勝利した訳ではないように
勝利は講和条約などによって自国に有利に取決めを行うか、相手の領土を征服し尽くすか、相手の全ての敵対勢力を全て潰した時に勝利になるのであって
最初に述べたように戦争が終結していない状況で、敵国の領土を占領していてもそれは戦況が優勢というだけであって、戦争に勝利した敗北したとかではない
そこをちゃんと区別しないとね
日本軍が終戦まで広範囲に占領していた結果、
蒋介石は日本軍に中共軍に降伏せず、国府軍が来るまで
占領を維持するよう依頼した。
>>129 状況を共産党が完全にコントロールしていたというのなら兎も角、
完全に偶然の産物だろ?
まあ劉少奇が蒋介石と日本軍がぶつかるように煽ったり、
偽旗っぽい事をやって双方に攻撃を仕掛けたとかはあるだろうけど。
132 :
世界@名無史さん:2013/09/25(水) 06:37:32.46 0
>>128 満州や華北はそうだろうけど、華南は文字通り点と線だけかろうじて確保してて、
日本軍の占領はスカスカで、面=農村はほとんど掌握できてない感じだけど。
だから、大戦末期になっても打通作戦やらなければならなかったんだろう?
133 :
世界@名無史さん:2013/09/25(水) 06:39:19.08 0
>>132 点と線が陥落している状況で、農村はどうやって蒋介石に税金収めるんだい?
134 :
世界@名無史さん:2013/09/25(水) 06:39:44.43 0
>>132を訂正。
華南は点と線すらまともに確保できてなくて(中略)
大戦末期になっても打通作戦やる必要があったんだろう?
河北はから徐州や南京周辺まではほぼ面で制圧しているよ。
河北では共産ゲリラがうごめいていたから、
その鎮圧で忙しかったけど、その対応をしていたのは汪兆銘の中国軍や、
現地の日本に下った軍閥。正しくいえば現地軍閥が農村まで支配をして、
その軍閥などを日本が支配する間接統治。
華南沿岸部と華中の内陸部は点と線。福建省などの対岸はほぼ日本に下っているが、
それ以外は貿易封鎖と大都市と補給路の確保にとどめている。
現地の全てが帰順しているわけではないが、農村まで蒋介石の影響力はほぼ排除された状況。
こういう農村に共産ゲリラが侵食しつつあった。
華南内陸部と、重慶成都などの奥地は蒋介石の勢力圏。
それを排除する為に大陸打通作戦を行い、華南内陸部を制圧した。
日本軍が占領していないからといってそこが
大規模な反撃作戦が実施できるような物資の集積やインフラがあるわけでも無い
138 :
世界@名無史さん:2013/09/25(水) 19:44:26.39 0
>>136 でも、東京初空襲を敢行したドゥーリットル隊の一機は、
福建省の麗水の中国軍の飛行場に着陸してるんだから、
全く反撃拠点がないわけではないだろう。
そういう意味で、福建省の大部分が未占領だったことに、
当時の台湾の人々は不安感や恐怖感はなかったのだろうか?
華北を面で支配したように、福建くらい面で支配すればよかったのに。
福建省の港湾に中国側の艦船が停泊し中国海軍が活動していたなら台湾にとって脅威だが
中国の艦船は存在せず、制海権は完全に日本側が握っていたし、
福建の飛行場が占領されていないといっても
台湾を攻撃するだけの航空機が配備されてるわけでも爆弾・燃料が備蓄されているわけでもない。
>>138 大部分が未占領で被害があるなら日本軍は占領している。
そうではなかったというだけだろう。
民国期の間に、あるいは日中戦争の間にすっかりナショナリズムが浸透して、
点と線だけ抑えれば乗っ取れる国から
面を抑えないと覇権を握れない国に変わってたんだろう
そこまで考えるなら予備役まで投入して短期決戦でやらなきゃ無理だった
どうも日本はナショナリズムを煽るのが上手いようだ
我々の祖先だけにプロ煽ラーなのかもしれない
>民国期の間に、あるいは日中戦争の間にすっかりナショナリズムが浸透して
これって結構眉唾じゃないか?北洋軍閥も健在だったし、汪兆銘等対日協力者も続出、
日本軍の攻撃に日本側に投降してくる中国軍人続出で蒋介石は完全にアメリカの援助
でどうにか政権の体を成すほどに落ちぶれた。
>>143 当時の支那通もしたり顔で同じ事を言ってただろうけど、大局を見てない。
アメリカの援助を取り付けた時点で一発逆転なんだよ。
汪兆銘政権に大義はなく、対日協力者はみな面従腹背だったじゃないか。
抗戦地域で昼と夜で従う軍をたがえるなんてこと、命がけでそうそうできるものじゃないだろう。
命が惜しければ潜伏先を日本に密告すればいいだけなんだから。
北洋軍閥も中原大戦の時点で蒋介石に勝てないという状況ができていた。
閻錫山は縄張りの保全のために当面は日本と積極的に戦わなかっただけだし、
馮玉祥は蒋に殺されそうになっても連共(つまりは合作)を訴えたし、
張作霖に至ってはあんな目に遭うし、張学良は嫌気が差して西安事件起こす始末。
>アメリカの援助を取り付けた時点で一発逆転なんだよ。
アメリカの援助に頼りっきりで劣化の一方だったようにしか見えん。
確かに汪兆銘は大して支持されてはいなかったが
大半の中国人は様子見で声高な抗日のスローガンの下に結束して戦うには至っていない。
>>141 え?当時の中国人なんて日本統治素晴らしいですだろ。
みーんな日本統治化に逃げ込んでいたじゃないか。
満州なんか人口倍増だぞ。
実際東北の連中はそのまま満州国でよかったとかいう話は普通にあるぞ。
>>144 アメリカの援助で生き残っていただけで、それは中国人のナショナリズムでも何でもないでしょ。
北伐で蒋介石の反乱軍が華北を制圧したけど、
華北の軍閥や民は蒋介石を嫌い、みな日本に逃げていった。
莫大な関税をかけた事で、猛烈なインフレになってしまい、交易をしていた連中は大損。
結果華北の人間は減税などを求めて暴動多発。
そして日本とくんで分離独立という流れなんだから。
アメリカの勢力も、ついにはソ連の勢力さえも排除されてしまうとは
興味深い結果だ。日本帝国が両者の足を引っ張りまくったという面もあるのか?
>>146 そんなに日本が支持されてたなら、なんで占領に失敗したんだよ
たった100万の兵力で中国東部の主要都市をほぼ終戦まで維持できたなんて奇跡じゃないか
>>146 満州に流れ込んだのは満州国以前から華北の連中が多いな。華北が日本勢力下
に入ってからも流入してたようだし低人口密度地帯を求めてたようにも見える
それと戦場を避けたか
>>148 占領には失敗してないだろ。たった数年であれだけの地域を支配しているんだぞ。
現地の協力者がなければありえんよ。
また中国軍は日本軍から一度として土地を取り返した事もない。
45年で日本が敗戦するその時まで。
せいぜいミャンマーで数十倍で囲んで玉砕したケースがあったくらいのものか。
>>150 華北は共産党が、河北省あたりは蒋介石の下の軍閥が、
略奪しまくって飢饉にすらなっていたからな。
徐州周辺は黄河を蒋介石が決壊させた影響もあるし。
だがそれでも日本の占領地に流入していた。
中国軍お得意の難民押し付けもあるだろうけどな。
国共内戦でもダムを破壊して流民を大量に生み出し、
それをお互いに押し付ける事をやっていた。
日本軍の食料配布をあてにしていたんだろう。
>>151 当時の日本の目的は全土の占領じゃなかったのか?
中国の勢力に取られることがなかったら失敗ではないっていうのはきつくないか
諦めて大陸から撤退した時点で失敗だろ
>当時の日本の目的は全土の占領じゃなかったのか?
100万の兵力で?
>中国の勢力に取られることがなかったら失敗ではないっていうのはきつくないか
>諦めて大陸から撤退した時点で失敗だろ
だから終戦までほぼ日本軍・満州国政府・南京汪兆銘政府の施政を維持していた。
>>153 そんな目標を日本が立てたことないぞ。
日本の目的は満州の確保と、権益の維持。貿易の拡大、あと共同防共もあったかな?
船津工作、トラウトマン工作、桐工作の内容見てみればわかるけど、
別に全土を占領する目的などはない。
だから一時的に占領した後、軍施設や飛行場などを破壊して撤退というのはよくあった。
日本、この場合は陸軍になるが陸軍の主敵はソ連であり共産主義。
中国は敵ですらない。
また大陸から撤退したのはアメリカに降伏したからであって、
中国がどうこうできたわけじゃないだろ。
満州防衛のために華北を勢力圏に、というのが悪手だった?
権益を維持しようとしてかえって全て失った?
防共は完膚なきまでに失敗したか。それとも自国が共産化しなかったからOK?
アメリカの力によるところはたしかに絶大だけど
日本が降伏したのは連合国に対してだろ
だいたい、他の国に対しての外交、戦略も含めて戦争なんだから
アメリカが〜っていうのは言い訳にしか聞こえない
日本降伏時、支那派遣軍の降伏が行われた南京は日本軍と汪兆銘政権の施政下にあり、
降伏文書の署名により日本軍の武装解除が開始され国府軍の進駐が始まった。
国民党が支那派遣軍を軍事的に粉砕して祖国を解放したわけではない。
>>158 じゃあ、アメリカにだけ降伏すればよかったね
>>156 南部仏印進駐かな。
これで英米との対立になり、石油禁輸をくらって南方作戦や対米戦をしないといけなくなった。
それがなければ、その時には宜昌まで落としていたんだから、そのまま重慶成都と陥落させて終わっていた。
>>157 つっても中国なにもしてないだろ。
寸土も日本軍からは取り返せなかったわけだし。
ポツダム宣言受諾を中国の占領の失敗と言い立てるが、
中国戦線そのものはほぼ維持していた。
失敗ではないって、だったら何なんだよ
日本側が支配を維持していた状態を
占領失敗と言い立てるが日本軍の占領の解除が始まったのは
南京における支那派遣軍の降伏文書署名後。
失敗なら国民党の施政下にある南京で日本軍は降伏したはず。
中国によって阻止されたから失敗とか誰も言ってないのに、そこにこだわるのは何?
誰に阻止されようが、目的を達成してない以上失敗は失敗
ポツダム宣言で放棄させられたものの
占領そのものは維持されており失敗とは言えない。
>>165 日本の目的は
>>155らしいから
何か達成したものがあったら教えてくれ
あと、「失敗」って言葉を辞書で調べることをすすめる
中国の部分的な占領に成功しても中国との戦争が勝利するとは限らないとは言えるが、
軍事的には中国戦線の日本軍は壊滅もしてなければ大幅な撤退もしていない。
相手を打ち負かしたくはあっても面倒臭い支配などしたくないという気持ち
が強いので最終的な勝ち負けや目的達成には拘らないのだろうか
中国戦闘で負けないことは目的達成のための手段のひとつだろ
それともそれが目的だったのか?
171 :
世界@名無史さん:2013/09/28(土) 09:19:30.83 0
中国戦線では、全体的には日本軍が優勢だったかもしれない。
しかし華南はほとんどスカスカだし、場所によってはいったん占領した土地から撤退している。
長期にわたって駐留させること自体が疲弊を目的とした戦術だったんだろう
それを避けるには汪兆銘側の国軍にどんどん駐留を肩代わりさせればいいわけだが、
国軍はほとんど機能しなかったじゃないか。
親日反日以外に蒋介石との明確な対立点を打ち出さず、宣伝工作もろくに奏功していない。
これじゃ撤退も時間の問題と言われても仕方がない。
汪兆銘政権が成立する頃には日中貿易は日本の貿易総額の4割を占めるようにになった。
日本と汪兆銘政権の施政が安定し事変直後に混乱した中国経済が再び回り始めたのだろう
>>172 いや実際肩代わりさせているよ。
支配地域での治安維持、おもに族や共産党刈りは基本的に汪兆銘軍の担当。
日本軍があの程度の兵力で常に攻撃に出られたのは、
後方の治安維持を汪兆銘政権に丸投げできて、正面戦力をまるまる確保できたから。
日中の経済をなんとか回さんと死ぬだろうな
そしてますます足抜け不可となっていったのだろうか
汪政権の軍ってそんなに強力だったのですか?
満州国軍や汪政権軍(偽軍)は日本人によって構成された軍隊だと聞いたことがありますが。
177 :
世界@名無史さん:2013/09/29(日) 12:39:01.41 0
満州国軍は日系将校や朝鮮人もいたけど、基本的には現地人(漢族やモンゴル人など)主体。
汪兆銘軍は完全に中国人の軍隊。
汪兆銘政府は傀儡というより幽霊で固有の武力はほとんど持っていないよ
>>177-178 ということは、当時の治安の維持は主に日本軍が行っていたということですか?
汪政権にも軍閥とか投降した旧国民党軍の兵士が属してたんでは?
>>179 普通に汪兆銘や日本に下った軍閥の集合体だよ。
ていうか蒋介石より汪兆銘のほうが正統は正統だろうに。
>>181 たとえ正統だとしても、敵国に寝返った政権を正統だと国民が判断するかが問題だな
ナチスやアメリカや英国からの支援を受けていた蒋介石
あ、スターリンもか。
そしてソ連から支援を受けていた毛沢東。
これらと比べて何が違うのかわからん。似たようなもんだろ。
アメリカは蒋介石を暗殺して別の人物を立てようと画策していたりしてるし、
スターリンが死ぬまでは、中国も衛星国家みたいなもんだったし。
それを決めるのはその国民じゃないのか
当事者でなければ分からないこともあるだろ
清朝の末裔でも満州国皇帝なんかは
どう見たって正統性のない傀儡だろう。
周恩来は釈放後の溥儀と会見して
「一回目の即位は正当なものですが、二度目(10日で終わった復辟)と
三度目(満州国皇帝)はいけません。」と語ったそうな。
対中戦終結後に溥儀は暗殺され清朝は滅び
関東軍が満州全土を掌握するという筋書き
>日本軍があの程度の兵力で常に攻撃に出られたのは、
>後方の治安維持を汪兆銘政権に丸投げできて、正面戦力をまるまる確保できたから
スターリングラードの後方をイタリア軍に丸投げしたドイツ軍のような状況に近く
かなり危険な賭けだな・・・・
>>185 二回めは張勲に、三回目は日本軍に力がなく敗れたからそう言われるだけのこと
勝てば官軍で、正統性なんて後からついてくる
まさか周恩来と中国共産党の歴史観が絶対公正ってこともないだろう
>>184 けっこう多くの中国人が汪兆銘政権や満州国に協力したり、逃げ込んだりしてるけど。
>>186 ありえないだろう。溥儀はそこまで実権を持っていないのだから、
そのまま置いておいて問題ない。
>>189 逃げ込んだやつらは満洲や汪兆銘を正統或いは利があるって感じたってことだろ
だから何だって話ではあるが
>>188 満州国はともかく、張勲の復辟は張勲一派がしっかりしてれば清朝復活できてたから、
いちがいに正統性がないとはいえないな。
大体、最初の退位だって袁世凱が革命派に寝返ったせいで、袁世凱が普通に鎮圧してれば、
清朝がそのまま存続してた可能性が高かったんだし。
>>190 いやそれ蒋介石や毛沢東に下った連中も同じだろ。
そっちに利があると見たからだろうし。
中国の正統云々で日本軍相手に命を張る中国人は稀だったと思われる。
大半は様子見で国民党に従うこともあれば日本に協力もした。
戦闘に勝ってるのに戦争が終わらない、しかも中国人は現実的だろう、現実的な筈、現実的でなければならない、となると
1.日本帝国が利益をもたらしそうに見えなかった
2.日本帝国は相手をイラっとさせるのが上手かった
支那事変でロシア人やアメリカ人と比べて
中国人が全く戦争に不向きな国民である事だけははっきりしたな
不向きな奴が勝ち残る、これも世界史の面白さか
ヘタリアの話はそこまでだ
198 :
世界@名無史さん:2013/10/03(木) 20:02:05.94 0
イタリアはドイツのように国家が壊滅するまで戦う愚行を避けたし、
日本のように本土空襲や原爆でズタボロにされることもなかった。
そして、早い時点で連合国側に寝返り、戦勝国の仲間入りができた。
二大戦犯国の日独とちがって国際軍事裁判で裁かれることもなく、
早々と講和条約を結ぶこともできた。もちろん戦勝国による国家改造もない。
イタリア人自身の手でファシストと王政を打倒した。
そして、戦勝国の証として、戦後になってから、日本にも賠償金を請求していた。
このしたたかさは、見習うに値するな。
イタリア、フランス、中国
経緯は違ってもこの3カ国のしたたかに見えること
大戦の帰趨を見据えて両天秤にかけられる2つの政権を持っていたことになる
おっと中国は3つか
イタリアは19世紀の頃から戦争で敗北することによって利益を得ている
続く国共内戦で蒋介石が敗れ、勝った毛沢東は統治に向いていなかったもんな
反右派闘争、大躍進、文革と荒廃しきった後、
ケ小平路線の成功と91〜92年頃の更なる路線変更は
実質的には共産主義を理想とする社会主義体制の死を意味する
そして90年代以降の中国共産党は国民党そっくりになっていく
資本主義に転化したくせに
知識人を抑圧する習慣だけは共産主義から引き継いでる劣化具合
中共は今や劣化国民党
>>202 依然として土地売買が認められていないのだから私有財産制度が
確立していない状態であり、共産主義が撤廃されたとはいえないよ。
むしろ農地の株式会社による取得を可能にしようとしている日本こそが
戦後の地方における社会主義的秩序を転換させようとしていると
言っていい。
>>205 冷戦を知らない世代がバブル期の皮肉を真に受けてしたり顔に語る
間抜けな日本社会主義国説なら聞き飽きた。
一党独裁は?民主集中制は?秘密警察の暗躍は?政治学習と義務労働は?
建設の槌音ばかりの報道は?学校と職場での指導者を称えるスローガン連呼は?
計画生産は?物価固定制は?配給券とヤミ市は?無愛想で牢名主のような店員は?
進学・就職や昇進に半ば義務的に伴う贈収賄の横行は?
個人の全ての過去が党幹部に把握されるシステムは?
そういうのがセットになったのが社会主義国だよ
一部じゃない、全部ないと意味がない
台湾の対岸の福建省すら完全に占領できなかった日本。
勝負ははじめからついてたな。
国民党が終始逃げ回っていることですね。分かります。
209 :
世界@名無史さん:2013/10/07(月) 01:44:27.96 O
日本は初めから、支那全土を支配する気などなかった
ただ満州国を承認して欲しかっただけだ
華北分離工作ではたして承認が近づくであろうか
>>206 社会主義を誤解してないか?
それらのものの多くがなくても社会主義は成立する。
贈収賄は別に必要ではなく、秘密警察も別にいらない、指導者の崇拝も必要ない。
報道が自由であっても別に構わない、政治学習までいかず普通に教育で十分、
民主主義と社会主義は別に相容れないものではないのだが。
ていうか一党独裁民主集中制官僚制政治学習義務労働計画生産無愛想役人
あたりは全部戦後の日本そのままだ。
>>207 福建省は事実上日本の支配下なんだけど?
ていうか沿岸部は全部日本の統治化です。でないと陸の孤島にならないよ。
>>210 華北の人間が勝手に独立しただけ、蒋介石を嫌ってね。
専売の強化と関税の値上げで国民党の財源はまかなわれていたから、それを嫌って日本を後ろ盾にして、
自治権の拡大を図った。
華北の軍閥からすれば元々正統政府はこっちだったのに、北伐で潰されて不満が高かったのに、
こういう懲罰的な行動したので独立運動へとつながった。
>>211 >華北
負け犬についちまったわけか。頼ってきたから、とりあえず都合の良い事言ってるからって
なんでもかんでも肩入れするもんじゃ無ぇな
こちらを巻き込もうとする奴が多数派とも勝ち目があるとも限らんわけやな
>>211 もし、福建が「事実上日本の支配下」なら米軍機が着陸できる国民党軍の飛行場などありえないわけだが。
日本が制圧してたのは廈門とか福州とか一部の港湾都市だけじゃないの?
日中戦争の戦線を示す地図を見る限りでは、沿岸部すら全て占領できてない。
福建の非占領地帯が中国軍の反撃拠点となったって話聞いたことが無い。
占領していない地域にどれほどの中国軍の兵力と物資が集積していたのか?
215 :
世界@名無史さん:2013/10/08(火) 01:31:34.94 O
占領されてなければ、蒋援ルートになってるだろ。
216 :
世界@名無史さん:2013/10/08(火) 06:52:52.26 0
じゃあ、なぜ中国軍の飛行場あったり、戦線地図でも華北のように面で占領されてないんだ?
沿岸部だって、福州とか廈門の周囲だけ部分的に占領してるだけだぞ。
日本が占領していなかった福建省の地域が国民党軍により
戦局に影響するような作戦の拠点として機能したとは聞いたことが無い。
218 :
世界@名無史さん:2013/10/08(火) 07:40:25.17 0
でも、日本空襲した米軍機の避難先に利用されてるし、日本軍に敵対する国民党軍の縄張りだったのは間違いない。
そんな土地が台湾のすぐ隣に存在してるのは恐怖ではなかったのだろうか?
だーかーらー、国民党の縄張りにすらなってないんだよ。日本軍の影響下に福建省はあるわけ。
これはもう日中戦争前からそうなっている。
だから恐怖なんてないの。
あくまで軍閥を介しての間接統治なので農村部まで全て支配下ではないだけ。
>でも、日本空襲した米軍機の避難先に利用されてるし、日本軍に敵対する国民党軍の縄張りだったのは間違いない。
>そんな土地が台湾のすぐ隣に存在してるのは恐怖ではなかったのだろうか?
日本の占領していない地域に台湾を脅かすだけの艦船や航空機が配備されていたとは聞いたことが無い
確か国民党ってビラまいただけで、あとは本土はおろか台湾にすら一度も空襲してないはず。
>>219 日中戦争前から福建省が日本の影響下にあるっていうのは、
よくある帝国主義時代の列強による中国分割地図で福建が日本の勢力範囲になってるアレだろ。
あれは、あくまで経済的な縄張りを示したもので、具体的には「福建省不割譲条約」で、
日本の同意なく福建省を他の列強に割譲しないということで日本の縄張りってことになってるだけ。
中国のナショナリズムが高揚し、日中が交戦状態になった日中戦争時には、全く意味をなさない。
そもそも中国でナショナリズムが高揚していた時代などないよ。
224 :
世界@名無史さん:2013/10/08(火) 18:28:53.86 0
五四運動とか、北伐前後の反英・反日運動とか、日中戦争当時の抗日統一戦線、
これらがナショナリズムではないとでも?
居留民への嫌がらせや時には殺害くらいで
日本軍に真っ向勝負で立ち向かうというまでには至らなかった。
国民党や中国共産党はナショナリズムに一切頼らずに日本を退け
政権を今に至るまで維持しているという見解? ある意味すごい
退けたっつーよりまあ勝手に引き上げた。
あの程度で"凄い"っつーなら
日本軍よりも遥かに強大なソビエト赤軍に
孤立無援で戦ったフィンランドは"神"だな
フィンランドが当然あるべき当たり前でそれ未満は意味が無いって感じだろうか
229 :
世界@名無史さん:2013/10/09(水) 00:41:05.71 O
半分のそのまた半分以下の日本軍に追い回されてナショナリズムに高揚していたと言われてもな。
ただの人種差別でしょそれ。
230 :
世界@名無史さん:2013/10/09(水) 06:29:11.74 0
五四運動がナショナリズムじゃないとか、お前らの嫌中厨ぶりには呆れるわ。
居留民への暴行とか殺害とかがナショナリズムというならそうでしょう。
しかし日本軍との真っ向勝負となるとビビッて逃げ出したというのが
中国の"ナショナリズム"
緒戦こそ善戦したものの軍事顧問が指導した精鋭が打ち破られると
後は奥地に逃げ続けるだけで無事終戦を迎える
なんで満州の制圧は簡単だったのに、中国本土の制圧はできなかったの?
234 :
世界@名無史さん:2013/10/09(水) 18:40:02.99 0
海南島は全島占領してるのに福建省は全土を占領しなかったのは、
日中戦争の七不思議だな。
まあ、おおむね長江以南はあんまり制圧できてないよなあ。
↑いや、中国全土を占領しなかったほうが七不思議なんだが。
日本政府は戦争に真剣に取り組まなかったのか?
占領していないからといってそこから中国軍が反撃してくることもなく、
終戦まで主要都市は無事日本と汪兆銘政権の施政下。
当時の日本の軍部自体がもはやキチガイ化してたし
支那を征服するための計画的な戦略もクソもあったもんじゃなかろ
当時の中国自体がもはや腐ってたし
祖国を防衛もクソもあったもんじゃなかろ
逃げ回って連合国からの援助で食いつなぐだけ
239 :
世界@名無史さん:2013/10/10(木) 01:21:32.01 O
支那全土を占領する計画など日本にはなかった
早期講和で支那から撤退したかったのは政府も陸軍も一緒
早期講和できなかったのは、近衛が唯一の交渉相手であるはずの蒋介石を交渉相手にしないという、訳のわからない方針をとったから
盧溝橋以来日本が目指したのは支那事変の早期解決
ただ日本人のほとんどが中国軍は雑魚と考えていたのでそこら辺の感情が邪魔して
支那大陸の鎮圧作戦がずるずると長引いてしまった
241 :
世界@名無史さん:2013/10/10(木) 19:05:16.42 0
日本は本気で中国の経済利権を独り占めするつもりだったのだろうか?
欲を出して中国本土にまで手を出すから何もかも失ってしまった。
長江以南は満足に征服する兵力も実力もなかったくせに、欲張りすぎ。
愛国無罪のチンピラゴロツキが面白半分の排日侮日やった挙句にどつき回され逃げ回った
まあ当時の日本政府と軍部には計画的戦略を練る事なんて無理だっただろう・・・
もし巷で言われているように対米開戦時の戦略目標が短期決戦で講和する事だったならまともに戦略を練る事が出来なかった一つの証拠になるだろうね
当時のアメリカは極端に軍縮していて、かつ国民が戦争に消極的で、かつ軍拡を始めようとしていた時期でもあった=今、戦争を仕掛けた方が、後に戦争を仕掛けるよりも有利には事を運べるetc
表面的に見ると短期決戦には利があるように思えるが、結果的には失敗だったね。
真珠湾に奇襲をかけた(どういう経緯があったにせよ)つまり、先手必勝で先に戦争を仕掛けた事でこれまで受け身だったアメリカ国民を戦争に積極的にさせ、アメリカ国民が戦争に積極的になった時点で講和出来る可能性は、著しく低下させただけでなく
アメリカが政治的に戦時体制へスムーズに移行出来るようになり、開戦当時の1941年には世界の中でも3番目か4番目程度だったアメリカの軍事力は1943年には世界一になった。
更に欧州戦線では日本の同盟国の独伊が自動的にアメリカとの開戦を余儀なくされて、枢軸国にダメージを与えたし(日独伊三国同盟は同盟としては機能していなかったけども、連合国側に二正面作戦を展開させていたと言う点ではある程度の効果はあったと思われる)
まあ、ぼくのかんがえたさいきょうのせんりゃくの"短期決戦で講和"ってシナリオよりもアメリカの要求を呑んで、素直に撤退するか、此方から攻撃を仕掛けないという手(アメリカ国民の反戦感情に賭ける)を選んだ方がマシだったはず
個人的には戦前の日本よりも戦後の日本の方がマシだと思うから馬鹿な戦略を採ってくれて助かったわ
汪兆銘を相手にするっつーてもほっといたら蒋介石に負けるわけで
そうなると結局軍事的に支配するしかなくなるわけで
支配する気は無い、ただし従順で都合の良い政権である場合に限って
これでは結局支配するしか無くなってしまう
蒋介石は再起不能なのをどうにかアメの援助で生きながらえていただけ
246 :
世界@名無史さん:2013/10/11(金) 02:35:19.77 O
日本の戦争目的は満州国の承認と沿岸部の安全確保で、その為の武断派蒋介石の排除
タダでさえ100万近い陸軍を派兵してて金がかかってるのに、戦争の死命を決さないどん詰まりの福建に手を伸ばせば対米対ソ戦を見据えた軍備近代化に差し障る
アメリカという強力なバイアグラを用いても不能のまま終戦した哀れな国
華北に利権を欲しがってた
>>230 当時の中国の識字率なんて消費税程度しかないし、
大半の国民は支配者が変わるだけなのでどうでもいいという人ばかり。
自分と一族さえ安泰なら中国人はそんなの気にしません。
反日反日いいつつ日本製のものを購入するのが中国人です。
今も昔も同じです。
中国人で国や政府を信頼し信用している人がどれだけいることか。
そして満州国や汪兆銘政権を支えているのが日本軍であって、
日本側が直接支配しているわけでもないから、大半の中国人はよくわかってないんですよ。
そういうのがわかっているのは一部の知識人だけ。
それに日本兵の大半は概ね規律正しく、迷惑をかけないようにやっていたからな。
>>231 一部愛国心にあふれる人がいないわけじゃなかったんだけど、
そういうまともな兵士と将軍が少々いても逃げる兵士が多すぎて、
戦線があっという間に崩壊して頑張っている人ほど、敵中で孤立して戦死という・・・
大半の兵士は拉致されて後ろにいる督戦隊に怯えて前進するだけだからな。
>>239 いや交渉しないならまだよかったんだよ。
けど会戦とかで勝つとすぐに講和条件とかで話し合いを提案していたのがまずかった。
中国人からすると弱っているのに追撃してこないわけがない、
つまり日本軍も厳しいに違いないとか思っちゃう国民だから。
また負けた状態で講和しても条件が悪いから、
一戦して勝ってからしようとか希望的観測をもって逆に粘ってくる。
負けがこんでくると一発逆転を狙って博打をしたくなるのは、
どこの国でも同じ、日本軍だって負け出すとどっかで勝ってからアメリカに講和提案しよう、
とか希望的観測をもってずるずると続けたでしょ、それと同じ。
さらに陸軍が一撃派(一撃入れて優位に立ってからのほうが交渉が有利)
早期講和派(お互い傷が浅いうちにしたほうがよい)
という派閥対立に発展して兵力の逐次投入に、追撃禁止命令、逆に勝手に戦線拡大とか統制が取れてなかったからな。
最初から征服する予定でやっていればよかったのに。そうすれば数年で終わっていた戦争だ。
>>234 そもそも中国と戦争している気がない。
日本軍は共産主義者と反日軍閥の打倒をやっていただけ。
中国人や親日的な人達とは親しくします。反日的な連中は攻撃しますというものでしかない。
だから中国人民には基本的に無関心であった。
>>244 つっても欧米の支援がなければ、蒋介石にはもう勝目ないところだったと思うけどな。
終戦の時ですら兵力は100万超えてる。
ただ汪兆銘事態が国民党とそこまで戦う気はなかった。
実際西欧列強と熾烈な軍拡競争をしていた日本から見ると
中国兵は拍子抜けするほど弱かった
それがかえって対米開戦で新たな敵をつくってもどうにかなると日本に思わせてしまった
軍事費で見れば、中国戦線にはかなりの額を投入していたのでは?
そりゃ100万人の給料だけですごいことになるかと。
ただ投資で考えると満州が飛び抜けてそうだが。
満州の開発の為に満州と北朝鮮のインフラ、鉱山開発、大型ダムの建設で、
凄まじい国費を投じている。
豊満ダムとか当時の金で五億、これに匹敵する巨大ダムを満州や北朝鮮に何基も作った。
ちなみに大和は一億ちょっとで作れる。空母も装甲が厚いタイプは一億はかかる。
どれだけの大金を無駄な事に使ったのかと思うよ。
こういう金をやめて全部軍事費に使って征服をまず完了すべきだった。
これらのダムが完成したのが44年とかw日本全く利用できてないじゃないかと。
分裂(精神病的な意味で)国家やったんやな(´・ω・`)
大政翼賛会とかやっちゃって、あっ…(察し)
大政翼賛会は問題ない、
米国は違うが英国も挙国一致連立内閣だし、
むしろ大政翼賛会を作る前がひどいな。与党を攻撃する為なら、
軍部とも結託して統帥権干犯問題やら起こすし。
自分達の権限を自分達で削ろうとするとかアホかと。
与党になるためならなんでもするってのは戦後の日本も変わらん。
ていうか今の米国を見ているとこいつらも同程度。
政党は政党で、軍部は軍部でよう揉めてたからなあ
団結してブレなければ勝てた筈、そんなこと言うたらどこの国でも史実とは
かけ離れた戦闘能力を発揮したことだろう
しかし中国征服成功したとしてそのあとどうなるんだろう
治安の安定と経済発展で政治とか民族とかどうでも良いと思うようにする?
しかし内地の状況とか見るにそこまで完璧な支配が出来そうな気がしない
はっきり言ってあの時点では目を見張るような戦略資源や工業地帯を抱えていた国ではないし
相当数の人間が識字も満足に出来ない上に反抗的で世界戦争に挑む国にとってはとんでもない負担だろ
東南アジア統治の方が費用対効果で遥かに有益だったろうよ
満州の石炭や鉄鉱石は不可欠だし
日中戦争の最大争点も満州国の承認
東南アジアを統治するって事はそれらを所有する宗主国との戦争になるから
そういう事も考慮に入れると費用対効果が高いと言う事にはならんね
当時の東南アジアの多くの植民地ではプランテーションが行われていたが、日本軍が東南アジアに進駐すると
植民地どうしの物流が停滞し、物流が停滞した事で、需要に供給が追い付かなくなりインフレを起こした。
商品作物を生産していた地域では、物を生産しても売るあてが無いので当然ながらプランテーションで働く労働者には賃金が支払われないもしくは解雇される事態になり
経済的に混乱した上に、日本軍は戦争遂行の為に東南アジア各地の人的資源や物品,施設,船舶等を軍票で徴用、徴発していた事で、これらの悪循環を更に深刻化させて経済的混乱が深まった。
まあ、そもそも日本軍は東南アジアを統治する事で利益をあげる事を目的としていた訳でなくて、戦争遂行に必要な資源を求めて進駐している事から地下資源等を上手く手中に納められたという点では有益だったのかもしれないが。それを統治と呼ぶには違和感があるな
>>258 満州を見る限りは順調に発展はしたんじゃないの?少なくとも今の中国よりかは。
>>260 タンク―協定で事実上黙認だけどね。欧米も黙認状態。
満州国は欧米資本もかなり入っていた。
>>261 インフレは通商破壊により輸送網が破壊されたのも大きいな。
44年頃になると軍用船ですら満足に運搬できなかった、
ましてや民間船になるとね。輸送網がなくなり物資が不足してインフレになる。
平時に統治していれば、なんとかなったとは思うけどね。
というかそんなにひどかったのはフィリピンくらいのもんだと思うけど、
インドシナ、マレーやインドネシアはそうでもなかったし。
>>258 日本と華僑はそこまで対立なかったと思うけどな。
実際戦時中を除けば弾圧などもないし、逆に華僑による暴動などもない。
日本の民族問題とかでも華僑が問題になることはまずない。
中国がちょくちょく尖閣でちょっかいをかけても中華街はそのままだし、
そう考えると何か朝鮮関係は煽っている団体がいるのかなとか思うが。
ただ中国と朝鮮人はちょくちょくもめてたな・・・
満州で朝鮮人排撃運動とか、それに対応して朝鮮にいた華僑を朝鮮人が排撃して、
町ごと廃墟にしたりと。
264 :
世界@名無史さん:2013/10/12(土) 12:40:00.43 0
日本も華北とかシャンハイとかに進出せず、台湾の対岸の福建だけに専念しておけばよかったのにな。
265 :
世界@名無史さん:2013/10/12(土) 13:50:49.54 0
なんか福建省でうるさい奴がいるなあ。
満州でやめとかばよかったのに。(東北三省人)ってケースかねw
>>251 シナ通と呼ばれる軍人たちは軍閥よりも中国人のナショナリズムこそ
警戒すべきと発言し、そのナショナリズムに乗ったのが共産党だよ。
中国人が無関心などというのは現場を知らん軍中央の高官にはいたが。
>>252 上海での苦戦が南京及びそこにいたるまでの報復的な大量虐殺に結びついた。
ナショナリズムなんてなかっただろw
あったのはプロパガンダだけw
上海で苦戦?陸戦隊4000人に総動員60万で襲いかかって、
しかも上海周辺は非武装地帯になっていたのに条約無視してトーチカ郡を気づき。
ナチスと手を組んで戦争準備万端に整えていたらそりゃ苦戦するよw
陸軍も上海などは海軍の管轄なので当初は放置してたし、
消極派が結構いたから軍も逐次投入だったし。
けどその後の大量虐殺とはなんぞや?そんな事例はないぞ。
言葉すらも通じない間でナショナリズムもなにもないだろ。
ていうか日中戦争ではほぼなにもしていない共産党持ち上げるのが、
五毛臭いな。
ナショナリズムさえあれば外国に攻め込まれる筈など無い
ナショナリズムは高識字率で正規軍のある主権国家のみに成立し得る
このように定義するならば数多の民族紛争独立闘争は概ねナショナリズム
では無くプロパガンダであり、つまり現実の政治戦争に関わるのはほぼ
プロパガンダでありプロパガンダこそが人を動かす恐るべきものと言えよう
そして日本はプロパガンダに敗北しこれからも敗北するのかもしれない
ナショナリズムがあろうがなかろうが攻め込まれます。
ナショナリズムはある程度識字率がある国以外は成立しないとは限らないし。正規軍とは限らない。
だが同じ言葉と同じ民族でないと成立は難しい。
なお教育などで同じ言葉と同じ教育を施す事で後天的に与える事は可能である。
ちなみに昔の共産党はナショナリズムは否定していた。民族は関係ない共産主義という思想の為に戦ったという事だから。
多数の民族は征服したわけだが、漢民族が征服したわけではなくて、共産主義により帝国主義などから解放したのだと。
当然のことながら日中戦争は民族独立運動でもなんでもなく、親日軍閥と親欧米軍閥と共産主義の戦いに過ぎなかった。
当時の中国には民族意識などがないから、プロパガンダで頑張って扇動していたのは言うまでもない。
そして日本は中国に敗北したわけではないという事だ。
ナショナリズムの高揚によって戦ったと信じているものは、
体制の都合が悪くなったら、天安門事件のように政府に戦車でひき殺されるだけだろう。
フィンランド人のナショナリズムは強大な赤軍に対し堂々と大立ち回りを演じた。
中国人のナショナリズムは愛国無罪の暴動だけで日本軍に対しては逃げまくった。
>>270 ナショナリズムが起こっていれば政府に殺されないというもんでも
無いんでない?
相手が中国単独なら負けないとするならば中国以外を敵に回さない必要が生じる
それが無理なら中国単独を相手とするという考えは意味が無いかもしれない
タリバンはどうなん?
イスラムにハイテクは無力?
ナショナリズムや宗教って本当に恐ろしいな。
そこでレーニンのボルシェビキですよ
支那事変は峠は越えたが下りが果てしなく長い山道のようなもの
>>271 中国人の執拗な抵抗があったから日本の占領地は面ではなく線と呼ばれたのだが
西安事件のようなことがおきた背景もここに書いている連中には理解できない
のだろうな。このような人間ばかりの旧日本軍が日中戦争で行き詰ったのも
当然だな。
>>270 プロパガンダというのは五族協和だの大東亜共栄圏というものをいうのだよ。
ナショナリズムの高揚によって中韓の横暴と戦ったと信じていた在特会が
国や社会から排斥されたからといって体制の都合が悪くなったらなんていいなさんな。
愛国無罪で暴れたのに弾圧される日本人に合掌。
>中国人の執拗な抵抗があったから日本の占領地は面ではなく線と呼ばれたのだが
と言っているのは中国人と左翼教師だけ、多くの中国人が大日本帝国に協力して、
たった数年で中国の大部分を征服した事実は覆りません。
清や元ですら数十年かかったのをです。
ナショナリズムなんてものがあれば汪兆銘政権や、蒋介石政権や毛沢東政権などという。
外国の傀儡政権は成立しない。みーんな自国の政権を取るために他国を引き入れることしか考えていない。
共産党なんて国民党と潰し合わせる為に日本軍を必死に挑発して、国境内に引き入れようとしていた、
今で言えば外患誘致罪そのものである。
>プロパガンダというのは五族協和だの大東亜共栄圏というものをいうのだよ。
国民党や共産党が国民虐殺したし、略奪した後、それは日本軍がやったとか宣伝する事をいいます。
例えば自分で堤防壊して、それは日本軍がやったことだとかいって、
さらに救助活動をしている日本軍を攻撃するようなことですな。
五族協和の満州国>>>>国民党共産党の中国人の扱い方で会ったことは言うまでもない。
278 :
世界@名無史さん:2013/10/13(日) 11:33:32.84 0
嫌中厨うぜえ。
五毛は書き込み禁止な。
ここは日本の掲示板だから。
ここまででばってくるな、中国国内でやってろ。
中国人のナショナリズムは高揚しており、
日本相手に立ち上がった!
とかいうフィクションを否定したら嫌中厨かねw
立ち上がった中国人は我先に逃げ出して、それを督戦隊が撃ち殺して回っていたのが中国軍だろ?
負傷兵が下って漢奸になると困るからって、督戦隊は負傷兵を助けずに殺していく、それが中国軍。
日本がしていたものこそ解放戦争だろうがw、共産党よりはよっぽどマシな人民解放軍だぞw
西安事件が中国人のナショナリズムとか笑わせるわ。
軍閥や共産党の支配層の同盟がいつからナショナリズムになったんだよw
例えばビルマの山奥でタイやビルマが離反したため孤立してしまい、
救援も無理なので玉砕命令がでた。
兵士は数十倍の敵兵相手に最後まで戦い玉砕し、そこにいた慰安婦は軍の支援をして、
兵士が全滅したら自害した。
こういう事例があるならナショナリズムが高揚していたと言えるけど、
中国軍の各戦線での戦いを見る限り皆無。
ふむ、掲示板やデモで喚いてるだけとか単なる身贔屓や余所者排斥はナショナリズムとは
認めんし戦ってるだけでは駄目で玉砕してこそナショナリズムと呼べるという定義か
つまり日本帝国はナショナリズムとも呼べない何かによって数年間で行き詰まり、数十年間
相手を孤立化させねば勝てんのに逆に自分が孤立化してしまったつーわけだな
しかし中国征服に数十年ついやす日本帝国ってどんな体制なんだろ。とことん反対派狩り
しまくるのかな
283 :
世界@名無史さん:2013/10/13(日) 14:03:00.98 0
なんにせよ、日本は女真人=満州族のような征服王朝にはなれなかった。
284 :
世界@名無史さん:2013/10/13(日) 16:22:57.25 0
日本人は異民族を征服して統治するノウハウが足りないからな。
>>282 少なくとも他国との戦闘になったら一斉に逃げ出すような連中をさしてナショナリズムが高揚していたとは言わんよ。
愛国無罪の名の下に日系の商店を略奪放火することが
中国人においてはナショナリズムの高揚した愛国者と認められる
ナショナリズムそのものは善悪強弱関係ないっしょ
へなちょこなナショナリズムもあればろくでもないナショナリズムもある
ネットを見ても明らか
>>285 しかし日本側も数十万人の戦死者を出しておるからなあ
100万の赤軍相手に踏ん張ったフィンランドが神過ぎて
100万の皇軍相手に逃げ回った中国がチンピラゴロツキにしか見えない。
フィンランドはその場で踏ん張るしか無いからな
攻撃力はアレだが面積が広い場合、後退して消耗を狙うは必定
対フィンランドみたく領土削って中立・反日では無い国にしたかった
ということか?
290 :
世界@名無史さん:2013/10/14(月) 07:16:32.63 0
中国人はナショナリズムに目覚めた!なんてドヤ顔で言ってる割には
100万の赤軍相手に踏ん張ったフィンランドが神過ぎて
100万の皇軍相手に逃げ回った中国がチンピラゴロツキにしか見えない。
>>287 中国戦線での死者は最後まで合わせて50万。そのうち病死も結構ある。
そして中国の死者は3500万らしいからなw
いやー皇軍つええなw
>>291 非戦闘員ばっかだがな。そしてそれだけ殺しても華北では戦闘が終わらなかったがな。
最もこれだけの死人が出たのは日本軍の補給事情の悪さがもろに華北での収奪という
形で出たのが原因なんだがな。
290や291はB21の編隊が東京や広島で10万人ぐらい殺害したのを見て
「いやー米軍つええな」と感心できるんだろうね。
>>292 ん?日本軍は非戦闘員の殺害なんてやってませんよ。
ゲリラ狩りくらいはやったけど。
つか華北で収奪していたのは共産軍だろw
100万程度の日本軍養うのに3500万人から食料奪って餓死させたとでも言うのかw
つか原発350発分の殺傷力を持つ皇軍は無敵だよ。
河南省などで飢餓に苦しむ民に食糧を配給していたのが日本軍だったような?
日本軍としても流民が満州などに流れ込んでくると困るからやったんだろうけど。
ていうか住民から食糧奪って、難民を相手に押し付けるのは中国における基本的な戦略。
国民党と共産党がよくやっていた。
日本軍は南部の比較的食糧に余裕のあるところから配送してもらって、
それを配給に回していた。43年は日本は豊作だったのもあって余裕があったのが大きいけど。
日本軍の傀儡と言われる汪兆銘政権も結構積極的に救済していたな。
華北での収奪って時点で嘘だとわかる。
華北にはそんな余裕は当時なかった。華北で奪っていたのは共産党だろうに。
華北は麦は主食で白米にこだわる陸軍が略奪する場所じゃないんだよ。
日本米を兵士に食わせたいという事で、本土から白米送っていたくらいなのに。
湯恩伯
一時期40万もの大軍をもち河南省に君臨した蒋介石隷下の軍閥。
その大軍を維持する為にただでさえ飢饉の河南省で略奪しまくって、
住民は数百万規模で餓死させたと言われている。
大陸打通作戦でボロカスにやられて逃げ出したカス。
あまりのひどさに日本軍を解放軍として迎え入れたというほどw
ゲリラと住民の区別がつきにくいから難儀なものよ
>>295 親父(当時軍医)は河南で戦っていた時
日本軍は住民から神様扱いされたと言っていたな。
(俺の年がわかるが)
宣撫が上手くいってる地域と上手くいかない地域があるようだな
国民党は共産党に負けたことや台湾で揉めたあたりからすると
宣撫は上手くはなさそう
国民党は欧米においての反日の宣伝には成功したが
それが仇にもなり共産党に足元をすくわれた。
300 :
世界@名無史さん:2013/10/15(火) 01:07:34.69 O
共産党は略奪する時は国民党のふりしていたと言われてるな。
国民党はインフレを起こした
共産党は大躍進した
戦争してるんだからインフレは仕方ない。
ていうか国民党は焦土作戦のやりすぎ。
財産と家畜は奪い、家と農地を焼き払い、おまけに日本軍の侵攻を足止めする為に、
堤防や用水路を破壊したりせき止めたりして農地と道路を水没させて、移動の邪魔と農地を使えないようにしている。
住んでた農民は労働力が必要なら拉致されるが、食い扶持が足りない時は難民として放逐される。
彼らは共産党にオルグされるか、汪兆銘や日本軍に雪崩こむしかなかった。
(最も共産党の調達先も略奪なんだがw)
はっきり言ってとてもナショナリズムに高揚していた政権がやることじゃないよ。
河南大飢饉の時は重慶は豊作で食糧に余裕あったのに放出せず、
むしろ溜め込んで高騰を暴利を得ていたからなw
日本軍の大陸打通作戦は多量の難民の流入を止め、また彼らの食糧確保の為に南部に進出した説もある。
当時華北も不作で、共産党も跳梁跋扈してて略奪を続け、食糧難であり日本軍の食糧の確保も難しかった、
また徐州などは堤防ぶっ壊して大水害を引き起こしたもんだから、ここも食糧は厳しかった。
日露の時は軍はもとより政府も含めて日本中が緊張感に満ちていたが
日中戦争は平時と変わらぬほど緊張感に欠けていた
やはり相手が所詮長江人種というのが影響していたんだろうか
日本人が長期消耗戦の怖さを知らなかっただけ。
何百回、敵を殲滅しても、戦争は終わらない。
いや、汪兆銘政権下で徐々に秩序を回復し安定に向かっていた
306 :
※奉祝大東亜会議※:2013/10/15(火) 20:30:44.39 O
>>299 どっちかというと欧米が反日には乗り気だっただけじゃないのか?
わかっててあえてやっていただけの可能性も結構ある。
当時の駐日していた米大使によると、アメリカ人は中国の不潔で汚くて、
愚かなところを非常に好み、
日本人の町が綺麗に整えられており、小賢しいところが嫌いだったそうな。
白人目線だと底辺には哀れみをもって接する事ができるが、
実際に発展して対抗してこようとしているものには敵対心をもつからとか。
黄禍論が起こっても、黒人にはそういうのが起こらないようなものかと。
90年代日本が、そして今中国が嫌われているのはアメリカの視界に入ったからだろうな。
支那征伐
蒋介石は重慶に逃げた段階で基盤の沿岸地帯の経済を失い、
実質的に連合国からの援助で生きながらえているゾンビになった。
華北で不作だったのも、蒋介石が堤防ぶっ壊した影響だけどな。
あれで河の流れが変わってしまい、華北へ流れる黄河の水量が大幅に減り、
華北は水不足で飢饉になった。逆に徐州のほうは水害で飢饉と日本の占領地域は大打撃を受けた。
やっている事は自国民にすることではなく、鬼畜外道であるが侵略者である日本軍に最もダメージを与えた作戦である。
華北や江蘇省安徽省などで餓死者が大量に出るような事には日本や汪兆銘はさせなかったが、
それは日本軍が大陸打通作戦による南方に進出して奪った食糧を送っていた為と言われている。
なおついでに河南省でも大量に食糧を配布して餓死者や難民を減らした。
占領地では治安は概ねよく、宣撫工作も行き届いており、
後方配置の部隊は一度も戦闘しないで帰ったものもいるという。
この前死んだやなせたかしもそうだったらしい。
占領地の人間にとっては日本軍こそ彼らを救ったんだから納得ではある。
ぶっちゃけ蒋介石は38年あたりで自力勝利を投げ出していた感はある
勝った、と思った時に欧米との対立という致命的失策を犯していたということか
致命的なのは独ソ戦だろ。
日本のインドシナ進出には過敏に反応した欧米も中国侵略に関してはマグロ状態
ドイツのポーランド侵攻には過敏に反応した英仏も
ソ連のポーランド侵略に関してはマグロ状態
宥和政策ですか?
>>314 満州も容認していたし、日中戦争もマグロ状態だよね。
死にかけた国には見向きもせず、瀕死の病人にはたかるのが英仏
ポーランドに侵攻したナチスドイツに断固宣戦布告したんだぞ!(宣戦しただけだが)
ていうか宣戦布告しなければよかったのに。フランスとか嫌がっていたのにさ。
英国も戦争で何かいい事あったの?ロンドンは灰になり、多くの人が死に、
植民地は全部独立され、アメリカからのレンドリースは50年かけて払い続けた。
国は借金だらけ、重税をかけたら医者とか高額所得者は全部アメリカに行ってしまい、
英国国内は深刻な医者不足になり、企業もどんどん逃げていった。
結果大英帝国が完全に没落してしまった。
中国に深入りしなかったら中立で逃げ切ったかもしれんなあ日本
>戦後、西側諸国は中国の貢献を十分に認めていない
スターリン「中国?あいつ等なんか貢献したの?」
>>320 いや、あの状況じゃもうそうするほかないと思うよ
英仏とポーランドは相互援護条約を結んでるからポーランドを見捨てれば、国際社会での指導的立場を失う事になるし
そもそも相互援護条約を結んでる事はヒトラーも勿論知っていたのに侵攻したという事は、独から英仏への間接的な宣戦布告のようなものだし。
英仏が宣戦布告した時には、確かドイツがポーランドに侵攻してから2、3日してからのことでポーランドも一応は健在だったし、ソ連がポーランドに侵攻するのはその後の話だから
英仏の首脳陣は楽観的なシナリオを描いて宣戦布告したのかもね。まあ、まさか仏が独に降伏して、更にドイツにロンドンを爆撃されるなんて事を想定出来てた人間は極一部いるか、いないかぐらいだったんじゃないかな
>>324 ていうかなんで英国はソ連に宣戦布告しなかったんだろうな。
それが参戦理由ならソ連にも宣戦布告しなければならないんだけど。
>相互援護条約
端的に言うと密約だらけの条約だから
まぁ詳しそうなのがいるらしいので詳細は324に任せる
327 :
世界@名無史さん:2013/10/25(金) 11:01:37.77 0
>>325 ぶっちゃけて言うなら独ソ双方を相手にするだけの余裕がなかったから。
ドイツはチェコスロバキア併合の前科もあるから、ポーランドまで好き勝手やらすわけに
いかなくなった。ソ連に対してははそれまで対独協調交渉を行っていて、取りあえず様子見。
英仏の思惑は「対独協調でソ連を味方に付ける」か「独ソが消耗戦を始める」という
可能性を勘案した上で独ソ不可侵条約も横目で見ながら取りあえずは対独戦に集中した。
英米首脳の本音 独ソ共倒れ
>325
>英仏とポーランドは相互援護条約
条約の目的が対独限定でポーランドがソ連に攻撃されても
英仏に防衛義務はなかった
中華なんて狭い範囲のみみっちい概念は念頭に無いわな
征服した後は民族ごとに支那大陸は独立
>>330 えーチベットや外モンゴルや東トルキスタンまで行くの? 大変だろ
日本が都合良く考えてたように数ヶ月で終わった場合はどうしてたんだろ
蒋介石政権を傀儡にして共産党とか反対派を潰すような構想だったのかな
数ヶ月で終わらすつもりが数年ではまだ終わらないの、とさぞ辛かろ
>>331 ていうか盧溝橋事件も共産党と思しき連中が銃撃した結果衝突したわけだけど、
それ自体はすぐに停戦協定が結ばれた。
けどそれを破るようにして、停戦ラインを超えて攻撃があったりした結果北京天津での総攻撃につながったんだよ。
つまり数ヶ月で終わってもまたどっかで火をつけて回るんじゃないかなと。
333 :
世界@名無史さん:2013/11/14(木) 10:18:32.14 0
アメリカさえ邪魔しなければ成功したんだけどな。
九カ国条約があったんだからアメリカがちょっかい出すのは
国際法の見地からも正当性があるよ。
336 :
世界@名無史さん:2013/11/17(日) 05:43:54.00 0
江崎道朗ってかなりのトンデモさん
338 :
世界@名無史さん:2013/11/17(日) 12:10:23.19 0
アンチ帝国主義・ポスト帝国主義勢力として、
ソ連邦と日本はライバル関係にあったと見ることができるわけね
そして「お前が言うな」とすぐつっこまれそうな
西欧列強の後釜狙いだったことも共通している、と
イデオロギー的な包囲網でソ連のほうが何枚も上だったに過ぎない
20世紀末まで「解放者」の仮面をかぶり続けた
339 :
世界@名無史さん:2013/11/25(月) 09:44:03.21 0
冷静に考えてみたんだけど、満州とか朝鮮って日本が統治する事によって
人口増加したって事は当時の中国無いで中国に不満を持ってた者や反共主義の
革命家とか中国に居場所の無い犯罪者が半島とかに自然に集まる事になった
要は朝鮮はそういうヤバイ奴らが大量に居て近親相姦によって遺伝的に凶暴な
民族が集中する特別なエリアになったんじゃないのか?
それなら今の北朝鮮や韓国の態度や民度の低さも全てつじつまが合うと思うんだ
どうだろうか?
どこが冷静に考えてるんだよw
20世紀ともなると大体どこでも人口増加しとるからなあ。テクノロジーの勝利だ
具体的にはどのテクノロジーが人口増加に貢献したの?
衛生・防疫面を含む医療環境の向上、死亡率の低下
灌漑や品種改良などの農業技術の進展による収穫量の飛躍的な増加
またこれらの普及を助ける意味では公教育の普及、法制度の整備、治安の安定
何も見なくても考えればこれぐらいは書けるのに丸投げ質問する人って何がしたいんだろう
そういうこと。
満州も朝鮮も日本が統治するしないに関係なく人口は増えていた。
人口の増加率は他の植民地と大して変わらない。
>>341 は?
20世紀になっても欧米の殖民地は伝染病などで数百万から数千万単位で死んでるんだけど。
とくに第一次大戦のときは、凄まじい搾取による飢餓と栄養失調とスペイン風邪の蔓延で酷い事になったんだけど。
>>343 だからそれ本国ではやってても殖民地では行ってないんだよ。
本国と殖民地では法制度が違うんだから、国際条約ってのも殖民地は別となっているの。
それどころか現地の産業ぶっ壊して回っているんだから。
関税なくさせて、自分とこの安い商品を売りつけて、元々の産業破壊して、
資源だけ奪っていくんだからな。
>>344 10年で二倍まで人口が増えた満州以上の場所を知っているなら教えてくれよw
それも生活レベルまで上昇している例でな。
朝鮮も35年で倍まで増殖したしな。
当時のアメリカのフィリピンでは米比戦争で大虐殺中。
満州は二倍も増えてないけど。
建国前の1931年は4300万人。1941年は5000万人。700万の増加は
自然増と人口の移動。
ついでに朝鮮の場合。
日本統治時代、1900年は1631万人。1940年には2355万人。
年間増加率は1.2%。同時期の日本の増加率とほぼ同じ。
アメリカのフィリピン統治時代はどうか。
1903年が760万人。1939年が1600万人。
年間増加率は2%。36年間に2.1倍。
次いでフランスのインドシナ統治。
ラオスの人口は1912年に64万9600人。1940年は107万8000万人。
年間増加率1.8%。28年間で66%増加。
何れの場合も日本の朝鮮統治の増加率より遙かに高い。
訂正
朝鮮の人口は韓国併合の1910年からのもの。
日本統治時代、1910年は1631万人。1940年には2355万人。
年間増加率は1.2%。同時期の日本の増加率とほぼ同じ。
増加率は44%だから「35年で倍まで増殖した」というのは嘘。
ウィキ
1910 1313万人 100 韓国併合
1942 2553万人 194
347をググるとアッチ系のページばかりでワロタ
この件を否定するために無い知恵を必死に振り絞った奴がいて、現在全力で拡散中ってとこか…
朝鮮半島には日本が持ち込んだ戸籍制度があるが、フィリピンやインドシナには有史以来戸籍なんぞ存在しない
347のコピペで分かる事は、欧米の植民地統治にともない農村部から都市に人口が流入したということであって
人口の増加率ではない
事実に反論できなくて印象操作と想像ですかw
>>346 満州国建国当時は3000万人しかいねーよ。まあけど二倍は流石に言いすぎか、
1500万人から2000万人の増加だ。戸籍に載ってない短期労働や難民などを考えれば二倍行っているだろうけどな。
そして移民というか移民や難民を食わせるだけの食糧の大増産を行ったのが満州だ。
氾濫を繰り返す河川を整備してダムを作り、平原を広大な農地へと変えた。
長春市なんて域内で10万程度しかいなかったのが80万人にまで増大しており、
そしてそれだけの人口を養っていた。
吉林市とかも日本統治前は広域で数万人しかいない田舎町だった。
最もその後国共内戦で共産党によって大虐殺が行われて、数十万は殺されているけどな。
>>347 なんでチョンとチャンコロは嘘ばかり言うんだろうな。
朝鮮の人口で1600万人もいたことはありません。
その数字は男女比に差がある朝鮮の戸籍の数字において、
女性が戸籍に記載されていないケースがあったので、
男女差をなかったとしたらとした数字で想像上のものです。
けどね。朱子学の影響の強い国家においては男女の出生率に大きな差があるのは当たり前というのを忘れている。
戦後の韓国も近年になるまで男女の産み分け、子殺しが大量に発生しており、
1960年頃は日本が1、05くらいなのに対して、1、20くらいという凄まじい男女差があった。
ちなみに満州国もこのくらいの男女差があった。満州国の場合は移民や難民が多く、
男が多かったのも大きいけどな。
中国でも1、15くらいなのを考えると相当な数字である。
そしてフィリピンwwww
おいおい当時1903年のフィリピンで米国がどれだけの範囲を統治できていたと思っているんだ?
全島の人口の把握なんてとてもできてねーよ。
ただたんにアメリカの支配地域が増えただけにすぎん。
ていうか1600万って少なすぎる。どれだけアメリカが大虐殺をしたのかよくわかるな。
ラオスにしても同じ事。
日本の場合も初期の戸籍の精度の甘さはあるだろうが、きちんとした調査と一緒にすんなよ。
火田民などは流石に漏れているだろうし、その後満州にいった朝鮮族までは管理してないがね。
ここでこいつのおかしさは、
朝鮮の場合は戸籍調査に難癖をつけて実はもっと多かったとしている推定の数字を記載しているのに、
他の国の人口調査においては初期の人口をまるまる信じて書いている事だな。
ダブスタというやつだ、チョンやチャンコロは下等民族なのでこういう歴史捏造を平気で行い、
歴史を修正していきます。気をつけましょう。
>>349,
>>352 朝鮮の人口の値はこのページとかに載ってるやつのようですね
http://zeroempty000.blogspot.jp/2006/02/population-under-japanese-rule-korea.html 人口増加率(前年比%)を出してみました
1910年…13128780人…
1911年…13832376人…5.36%
1912年…14128780人…2.14%
1913年…15169923人…7.37%
1914年…15620720人…2.97%
1915年…15957630人…2.16%
1916年…16309179人…2.2%
1917年…16617431人…1.89%
1918年…16697017人…0.48%
1919年…16783510人…0.52%
1920年…16916540人…0.79%
1921年…17059358人…0.84%
1922年…17208139人…0.87%
1923年…17446913人…1.39%
1924年…17619540人…0.99%
1925年…18543326人…5.24%
1926年…18615033人…0.39%
1927年…18631494人…0.09%
1928年…18667334人…0.19%
1929年…18784437人…0.63%
1930年…19685587人…4.8%
1931年…19710168人…0.12%
1932年…20037273人…1.66%
1933年…20205591人…0.84%
1934年…20513804人…1.53%
1935年…21248864人…3.58%
1936年…21373572人…0.59%
1937年…21682855人…1.45%
1938年…21950616人…1.23%
1939年…22098310人…0.67%
1940年…22954563人…3.87%
1941年…23913063人…4.18%
1942年…25525409人…6.74%
7%を超えたり1%を切ったり、かなり粗漏があるのではないかと思われます。
ことに1916まで2%越えで1918以降に1%割れが続くのは問題ではないかと。
初期の数字はかなりまずいのではないでしょうか。
>>355 そりゃ山の中に住んで移動しながら焼きはたしてる火田民や。満州との間を行き来している朝鮮族が何百万もいるからな。
けどな。1600万人とは1920年前後の人口だ、
統治から10年間人口増えてない前提の数字が正しいわけねーだろ。
途中第一次大戦のスペイン風邪の蔓延などで減った可能性はない事もないが。
統計を見る限り大きく減ったものはない。
そしてな5年ごとでわりと正確に調べて、毎年の数字はそこまで正確ではないだけだろ。
調査みればわかるように、20年以降では5年ごとに5%ぐらい増えている。
毎年は1%割れても、五年ごとの調査では5%前後増えているから、実質毎年1%以上は増えているんだよ。
確か毎年の数字は簡易で、五年ごとに実地調査をして正確な数字にしているはずだ。
後期の増加率が少し減っているってのも、満州や日本にいった連中が多いだけの話。
そこまで日本の領土になったからな。
結論。
満州の人口は二倍に増えてない。
朝鮮の人口は倍に増えてない。
人口増加は他の植民地と大して違いはない。
ということで、デマ確定。
1300万人が2600万人になっているんだから普通に倍ですが?
満州も3000万が45年には倍に増えてますな。定住していない人間を合わせてになるが。
他の殖民地とは明らかな違いありますね。
けどこれはむしろ問題でしょう。欧米のように衛生を改善させずに、
疫病を蔓延させて人口を減らして、残りの人間はマンハントするか、追放して
そこに日本人が移民すれば良かったんです。
これで日本の人口問題が解決され、ゴキブリが繁殖する事もなくなった。
>1300万人が2600万人になっている
その数字自体が信頼性に乏しいということ。
より正確にすると1631万人から2355万人へ増加。
増加率44%で年間増加率は1.2%。
1631万人の根拠と、2355万人の根拠はどれだよ?
チョンの教科書の数字とか笑える根拠出してくるなよ?
総督府の調査では1910年で1300万から44年で2600万だぞ。
李朝時代なんて800万くらいしかいねーだろ。
>>356 前年比がやけに高い年を見てみると1940,1935,1930,1925…となっているので
これを5年おきの比較的厳密な調査と推定して年毎の増加率を平均してゆくと
年…人口…前回との比…年毎の増加率
1910年…13128780人
1915年…15957630人…1.22倍…3.98%
1920年…16916540人…1.06倍…1.17%
1925年…18543326人…1.10倍…1.85%
1930年…19685587人…1.06倍…1.20%
1935年…21248864人…1.08倍…1.54%
1940年…22954563人…1.08倍…1.56%
1942年…25525409人…1.11倍…5.45%
1940年代の急増は埋めよ増やせよ政策の影響かなとも思いますが、それまで
20年1-2%。1910-1915を平均した3.98%は高すぎではないかと。この速度
で増えると1942には4千数百万人になってしまう。初期の数年は体制固め中で
調査も過渡的だったのではないかと。
初期にある程度の調査漏れがあったのは事実。100万程度の調査漏れがあったと過程すると、
そんなにおかしな数字でもないと思うが。
ただそれ以外にも初期は義兵闘争という名の暴徒があちこちにいた時代であり、
満州にもはびこっていた時代である。
統治が安定してきたので1910年以降、満州まで逃れていた連中が帰ってきただけ、
と考えれば別におかしくもない数字だと思うけどね。
日本と違い、当時の半島はそこまで安定していたわけでもないし、
国境をこえてかなりの人が好き勝手に行き来していた時代でもある。
366 :
世界@名無史さん:2014/01/15(水) 05:03:54.64 0
「世界征服」者たちと苦闘した記憶の覚醒こそ
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140115/bks14011503020000-n5.htm 対華21カ条要求から何年か過ぎ、国民党指導部にはソビエトの政治顧問であるボロディンがやってきた。
ボロディンは近代中国ではじめての軍士官学校(黄埔士官学校)をソビエト軍方式でつくっただけでなく、
コミンテルン中国代表として中国政府内のど真ん中で堂々と諜報活動していた。黄甫士官学校ではソビエト軍
の最高幹部だったブリュヘル将軍が軍事顧問として教育指導した。これらは、どうとらえても対華21カ条要求・
五号要求の「ソビエト」版の現実化に他ならない。
孫文は、同じことを日本にしてほしかったのだ。政治顧問と軍事顧問を派遣して国民党を導き、ソ連のように
「内政干渉」してほしかった。ゆえに中国国民党が対華21カ条要求の五号要求に激怒したのは、日本側が
顧問派遣を自分たちではなく、袁世凱政府に申し出たことへの嫉妬心からだった。「反日」は孫文の「疾妬」に
由来するのである。続きは月刊正論2月号でお読みください
367 :
世界@名無史さん:2014/01/15(水) 08:45:29.30 0
368 :
世界@名無史さん:2014/01/19(日) 03:20:03.83 0
369 :
世界@名無史さん:2014/01/19(日) 16:14:10.56 0
凄まじい無知の議論に驚愕
どちらもネトウヨかどちらもブサヨ
満州は清朝時代は不入の地で人口は極少だった。
王朝故地なので入植禁止。
それでも末期には不法侵入者が続出し2百万くらいは居たらしい。
2百万くらいは居たらしい
2百万くらいは居たらしい
つまり、明治から昭和初期に至るまで、
日本の存在有無とは全く関係無く、
数十年で人口が二十倍増えた人口爆発地域。
日本人も躍起になって進出したが、
それを遥かに上回る漢族の流入あがった。
ネトウヨ歓喜風に言えばどちらも侵略者。まあネトウヨは馬鹿だからわからないだろうけど。
370 :
世界@名無史さん:2014/03/03(月) 05:07:01.20 0
372 :
世界@名無史さん:2014/03/21(金) 08:52:01.37 0
満州族は八旗に組織化されて、あらかたが中国本土に移住した。
満州にいる者は、旗人として駐留してる者か、満州族以外の北方先住民くらいなので、
満州は人口が稀薄な地域になって、結局、漢人農民が入り込んでくるようになった。
>>366 こいつはだから今の日本がTPPや日米地位協定でアメリカに従属するのは正しいと言いたいのだろう。
コイツの孫文観はコイツの自己投影にすぎんよ。
374 :
世界@名無史さん:2014/03/21(金) 14:24:56.41 0
まあ、日本軍が残忍で凶悪な狂信者の集団だったことは事実だけどな。
375 :
世界@名無史さん:2014/03/21(金) 15:37:47.66 0
焼き尽くし、奪い尽くし、ころし尽くすってアレか。ひどい連中だわ。
橋を作り、技術を教え、食糧を配り、教育を施す。素晴らしいウヨ。
377 :
世界@名無史さん:2014/03/23(日) 15:07:42.58 0
>>374 ベジータが改心する以前のサイヤ人みたいな戦闘民族だもんな。
現在、満族の半分は遼寧省に居るそうだから結構多くの満州族が故地に
居ったのかな
まあ清(末期)・ロシア・日本の三帝国の統治下で漢族どえらい増えた
わけだが
>>368 お前三国志とかきちんと読んでみろよ。
吐き気がするような事をバンバンやってるぞ。
住民虐殺、拉致、略奪、曹操は行く先々で虐殺の嵐だよ。
さらに住民を拉致って、耕作放棄地などに強制連行して彼等の農奴で生産性を高めていた。
>>375 なに言ってんの、戦闘すらなくて銃を一度もうつ必要がないくらい平和だったのが、
日本の占領地だよ。前線は戦闘が急がしてくそんなことする暇もない。
中国人は食べ物配っておけば簡単になつくから、とても治安がよかったことが報告されている。
という事はもし征服できてたら日本領中華帝国が成立してたって事?
381 :
世界@名無史さん:2014/03/26(水) 11:01:02.95 0
>>379 よく三国志の虐殺を持ち出して「シナ人は残虐!」って喚くネトウヨいるけど
それやると三国時代(以前も含めて)から現在までの繋がりを認めることになって
同じくよく言われる「シナに歴史はない!今のシナ人と昔のシナ人は別の民族!」ってのが駄目になるよ?
もっとも「今の中国人に歴史はないが、中国史上の悪いことだけは存在する!」っていうスーパーダブルスタンダードをすれば解決か
382 :
世界@名無史さん:2014/03/26(水) 19:11:45.14 0
日本もサムライという、すぐ刀を振り回す残忍で冷酷な戦闘階級が、
ほんの150年ほど前まで善良な民衆に圧制していた国だし・・・
日本は長年武断統治制だから
384 :
世界@名無史さん:2014/03/28(金) 15:34:09.58 0
だから軍国主義との親和性が高い。
385 :
世界@名無史さん:2014/04/03(木) 19:23:04.76 0
ちょっと油断すると、すぐ右傾化するよな。
GHQが右翼を根絶やしにせずに戦後統治に利用したからね。
387 :
世界@名無史さん:2014/04/11(金) 18:27:25.65 0
日本人は狂信者の集団だからな。
日本人の良くないところは付和雷同して気が大きくなり悪いことを平気でやってしまうこと。
大正時代の関東大震災のときの朝鮮人虐殺事件や、南京攻略戦での日本兵による不貞行為は
その日本人の悪い面が出た事例と言えよう。よく外国人からは「日本人は一人だと大人しいのに
集団になると何をしでかすか予想がつかない」と言われることがある。
はるばるパレスチナまで飛んでテロ行為に走った岡本公三をそんな褒めるな
390 :
世界@名無史さん:2014/04/13(日) 12:07:00.96 0
そういう奴やタクマみたいなキティがいるから、
中国戦線で残忍で凶悪な日本兵が中国民衆を虐殺したとしても、
全然不思議ではないんだよな。
それが言いたいだけだろ
どこの国にも一定数いるよそんなのは
392 :
世界@名無史さん:2014/04/13(日) 13:14:55.27 0
平和な時代ですら、同じ日本人同時でイジメや体罰、体育会系のリンチやかわいがり、レイプ、
キチガイの凶悪事件とかがあとを後を絶たない。
それが戦場なら、推して知るべし。
日本兵は虐殺をしたことがありますか?
間違い:虐殺行為をした兵士が一部いた
正解:他の国の兵士もやっている。他国の方がもっと惨い。
ポイント:肯定せず・否定しないで、話題をそらしましょう。
394 :
世界@名無史さん:2014/04/13(日) 17:24:49.48 0
やった兵隊がいたのは事実だろ。
他の国がどうこうとかは関係ない。
真珠湾奇襲攻撃は卑怯ではありませんか?
間違い:卑怯でした。
正解:ベトナム戦争の米軍は宣戦布告などしていないし、する予定も無かった。
日本軍はする予定だったが、意図的でない事故で間に合わなかっただけ。
どっちが卑怯か日本人ならわかるはず。
ポイント:肯定せず・否定しないで、話題をそらしましょう。
有利な情報をいっぱい並べておいて、「わかるはず」と判断は相手に委ねること。
あくまであなたの認識によって、結論を導いたかのように見せかけることが重要。
>そういう奴やタクマみたいなキティがいるから、
>中国戦線で残忍で凶悪な日本兵が中国民衆を虐殺したとしても、
>全然不思議ではないんだよな。
つまり中国人はタクマのようなゴロツキキティに
手も足も出せずに逃げ回っていた腰抜けゴロツキだったということか
武器を持ったキチガイは恐ろしいが総合的に見るなら武器を持ったマトモ軍人のほうが強いであろう
ともあれ打ち負ける場合、正面対決に拘るのはよろしくない
398 :
世界@名無史さん:2014/04/14(月) 19:46:57.80 0
大坂の陣屏風に見られる大坂落城直後の徳川軍のヒャッハーぶりを考えたら、
戦国時代の武士なんて、多かれ少なかれタクマみたいな連中だったんじゃないか?
なら、中国戦線での日本兵が同様のことをやったとしても驚くに値しない。
話が脱線し過ぎ
400 :
世界@名無史さん:2014/04/14(月) 20:41:58.37 0
まあ、わけもなく虐殺するようなキチガイは少数派だろうけど、
略奪やレイープは日常茶飯事だったんだろうな。
それに上官の命による残敵掃討で民間人が巻き添え食らったり、
逆上した兵士による民間人殺傷は当然あっただろう。
何れの陣営にせよ張献忠ほどブチ切れた奴は居なかった気がするな
毛沢東と言えども人口は増やしたわけだし
403 :
世界@名無史さん:2014/04/16(水) 06:17:38.69 0
日本は、明治維新まで残忍で冷酷な戦闘階級だったサムライが支配していた国で、
明治の国民海兵で、国民全体がサイヤ人みたいな戦闘民族に教育されたからな。
多少の残虐行為があったとしても不思議ではない。
剽悍な満州族が腰抜けチンピラを征服したところ、
腰抜け病が感染し剽悍な勇敢な満州族は腰抜けチンピラに成り果てた
406 :
世界@名無史さん:2014/04/20(日) 11:03:00.29 0
えっと まちがってこのスレに紛れ込んでしまったものだけど
他の板の住民は日本兵に同情的だよ。
だって勇者なんだよな。みんなを喜ばせようとした。
ところが運悪くそれが実現できなかった。
勇者に対してかける言葉は「お疲れ様」であって「ドロボウ」ではない。
このスレを見ていると
何故日本にいじめが蔓延しているかがよく分かる。
ここの連中は日々の鬱憤をこのスレで晴らしているとしか思えないな・・・
歴史板住人ってこんなに低レベルな人間ばっかりなのか?
何だかとても寂しい気分にさせられるスレッドだね。
日本兵を非難してる人って一度も悪い事したことないのかな?
もういいんじゃないのかと思う。彼1人に責任押し付けて騒ぎ立てて・・・
裁くべき悪人はもっと他にいる。
日本は平和だな〜。
407 :
世界@名無史さん:2014/04/20(日) 13:41:53.62 0
>>390 いやいや、中国人の9割がタクマのようなキティだろJK
408 :
世界@名無史さん:2014/04/21(月) 19:38:02.57 0
日本兵が残忍で凶悪なのは、世界も認める事実。
409 :
世界@名無史さん:2014/04/21(月) 20:53:51.89 0
なに言ってんだ?
犯罪率から考えれば中国人の9割はタクマだろ?
410 :
世界@名無史さん:2014/04/21(月) 21:26:48.07 0
中国人は兵隊じゃなくても凶悪だからな。
てか三光作戦とか八路軍の方針だろ
日本軍は盗るな殺すな燃やすな
てかたまに三光作戦とか南京事件を教科書に載せるやついるけどどういう神経してるんだろうな
事実かどうかもわからないのに私達の祖父はこんなに最低な野郎共でした!って教えてどうしたいのか
無防備な邦人には容赦なく残忍だったが
武装した皇軍を前にすると小便ちびって逃げ回った
凶悪なチンピラゴロツキ
当時の中国人は字も書けずタクマ以下
タクマですら日本人としての最低限の倫理観はあった
そもそも中国共産党が日中戦争問題で口を出す意味がわからない
日本と戦ったのは国民党じゃないか!
しかも国民党の共産党弾圧の写真とかが南京事件の証拠写真とかにされてるし
日中戦争(事変?)は、なんであそこまで深入りしたのか分からない。
本気で中国の領土を占領したかったの?
なんのメリットもない戦争だよ。
東亜新秩序
aを防衛するためにbを、bを防衛するためにcを、これでは切が無い
途中で軍を制御しようにも満州事変の時点で既に制御できてないし
太平洋戦争の時点でも両面作戦になってて制御どころじゃないようだし
勢いのままに戦争するのは勢いのままに博打やFXをするよりヤバそう
418 :
世界@名無史さん:2014/04/26(土) 07:20:22.41 0
日本は欲を張らずに、台湾の対岸の福建省だけで満足しておけばよかった。
それなのに福建省には、福州や廈門以外はほとんど手を出さず放置プレイだった。
わけわからん。
>>415 米国が介入しなければ、100%中国征服はできていただろ。
問題は無かった。すべては米国が悪い。
420 :
世界@名無史さん:2014/04/26(土) 11:41:15.39 0
なんでさっさと総動員して、中国を征服しなかったのか?
東南アジア征服や対ソ宣戦はそのあとにすればよかったのに。
そもそも、対中、対米、対英、(対ソ)を同時に戦って勝てるわけ無いってーの。
ナチスより無謀。
どんだけ皇軍無双するつもりだったんだよ・・・
421 :
世界@名無史さん:2014/04/26(土) 12:22:58.73 0
日本国内の経済的矛盾の解決と資源の確保なら、満州だけで満足しておけばよかった。
英米仏など列強の利権が先に存在していた中国本土に手を出したのがまちがい。
それでも中国本土を侵略するのなら、マオと共産党がやったように地主や高利貸しを処刑して、
没収した土地を貧農や小作人に分配すれば、中国民衆を味方につけることができた。
>>419 逆にどのような状況であれば他国の介入が無かったか、というのが謎だ
中国に日本が介入しまくるなら他国もまた介入するのではないか
親日派が日本を引っ張り込もうとするならば反日派は他国を引っ張り込もう
とするであろう
中国がとてつもなく支配しやすい国であるならば支配を目指す国が我も我もと
殺到して大混乱となり支配されやすいことは非常にデメリットが多いことに
なり支配されにくい国に変化してしまうのではないか
423 :
世界@名無史さん:2014/04/26(土) 17:31:49.35 0
だから、毛沢東や八路軍がやったことを、そのまま日本軍がやればよかったのだ。
土豪劣紳を処刑して、没収した土地を貧農に分配すれば、民衆を味方につけられた。
いや、分配してないし。人民公社の下で寧ろ農民への統制を強めただろ。
>>421 それ侵略じゃないし、もし全土が支配下になったら逆に日本が消滅するかも知れんぞ。
かつての鮮卑や女真のように。
>>420 ・無敵行軍だし、シナは弱兵、余裕で短期間で征服できると思っていた。
・大量投入した方が結果的に短期間で低コストにで勝利できたかもしれないが、
ただの無駄遣いだろうと批判されやすい。
・総動員すると、補給が追いつかず、侵攻速度が非常に遅くなる。兵力が少ない方が
かえって侵攻速度が進む可能性もある。
・総動員すると、あくまでシナの挑発・偶発・事故的戦闘であって、小競り合いが拡大して
いつのまにか実質中国を手に入れたようにできない。開始直後から侵略戦争に思われる。
・大本営発表では、順調に侵攻できているのに、総動員は不自然。
・後世の視点・結果論に過ぎない。
>>426 特にミスも無く論理的に破滅していったのだとすれば愚行による破滅よりも根本的で深刻だな
事後、戦争放棄というアイデアに魅せられたのも納得出来るというものか?
428 :
世界@名無史さん:2014/05/12(月) 22:18:03.53 0
憲法第9条を保有する日本国民にノーベル平和賞の授与を、
憲法第9条に世界遺産の指定を、それぞれ実現してほしい。
429 :
世界@名無史さん:2014/05/13(火) 06:41:34.90 0
ネトウヨ(要するに戦前回帰の復古主義者や天皇主義者、排外主義者やレイシストの総称)は、
脳内元帥、脳内将軍で、自分が一兵卒で徴兵されたり、志願する状況なんて想定してないからw
故北杜夫がどくとるマンボウの中で書いてたが、戦時中、やたら威勢のいいことを言ってた連中ほど、
いざ自分に徴兵が近づいてくるとビクビクオロオロしていたそうだw
北杜夫はエッセイの中で自分のことを「天皇を尊敬していて、ちょびっと右寄り」と書いていた人で、
父斎藤茂吉が戦時中の戦争協力について批判されたことに対しても、国を挙げて戦争しているとき、
国民がそれに協力するのは当然と断言していた。
その北杜夫ですら、常日頃大言壮語するウヨ的な連中には批判的だったということ。
430 :
世界@名無史さん:2014/05/13(火) 10:26:19.60 0
↑スレ違い
431 :
世界@名無史さん:2014/05/18(日) 20:27:13.53 0
日本は征服王朝になれなかった。
満州国という実験は失敗に終わった。
所詮、ちっぽけな島国の黄猿。
何もしない者は他人の失敗をあざ笑い溜飲を下げる
イエロー・モンキー「アジアを開放した。感謝しろ」
だらしない支那に喝を入れたのが支那事変である
by松岡
大日本帝国を滅ぼした言い訳がそれか
もしや本当は日本に渇を入れたかったのか
カツ丼にカツを入れる
史実とか事実はどうでもいいんだよ。
要は日本人として誇りの持てる歴史を書けってこと。
いいか、よく聞けよ。
一番大事なことは、歴史的事実がどうであったかということではなく、
日本にとって望ましい歴史とはどうあるべきかってことだ。
ちょっとキチガイすぎるわ
440 :
世界@名無史さん:2014/05/22(木) 20:13:51.35 0
>史実とか事実はどうでもいいんだよ。
日本軍による非人道的な残虐行為は徹底して隠蔽、否定する。
>日本にとって望ましい歴史とはどうあるべきかってことだ。
皇軍はアジアを解放した正義の軍隊であり、南京虐殺などの残虐行為はなかった。
捕虜虐待も占領地住民に対する圧政もなかった。
要するに、ネトウヨの願望とは、こういうことだなw
支那事変そのものが直接大日本帝国を滅ぼしたわけではないし。
泥沼化はしたが。
>日本にとって望ましい歴史とはどうあるべきかってことだ。
これって最近色々なところで見るけど、コピペ?
>>442 4年前からことあるごとに貼られてるコピペ
444 :
世界@名無史さん:2014/05/24(土) 12:47:48.50 0
でも、ネトウヨとか自民党タカ派の本音を端的に示してはいる。
望ましい歴史なんて人によってバラバラだからなあ。旧陸軍とか旧海軍とか
旧官僚とか旧マスコミとか
史実とか事実はある意味妥協。事実だから仕方が無いという。そして
事実認定と評価に争点が移される
446 :
世界@名無史さん:2014/10/15(水) 06:31:57.60 0
時代によるしね
伝統的な中国史のパターンからすれば
日本が勝ってた方が日本民族は危なかったかもな
日本の漢化が進みそう
日本と匹敵する人口比の征服国家ってどれ?
449 :
世界@名無史さん:2014/10/17(金) 00:36:11.97 0
どうせ向こうに行くのはせいぜい20〜30万程度の将兵だけだ
清朝とだいたい同規模だろう
448は447のレスを読んで書き込んだんだけど?
倭人は恐ろしいアル
略奪よりもっと恐ろしいことが始まるアル
確かに「蒋介石」征服戦争だった。そして中華民国の主権を侵害
する行動を日本政府がとってきたとみなされても仕方がない。
しかしいわゆる「大東亜戦争」は中華民国に対する戦争ではなかった。
中華民国を敵国とする戦争は1937年7月25日の廊坊事件勃発
以降1945年9月9日の日本軍の中華民国軍への無条件降伏式
までやったことはなかった。日本政府の方針はただ一つ、自称
中華民国国民政府軍と武力抗日政府に対する暴支膺懲自衛行動だけで
ある。日本政府は自衛行動としての派兵以来それを方針として変えて
こなかった。
ましてや日本政府は日本政府の方針として中華民国公民や中華民国内
の非戦闘員への戦争行為も一度たりともしたことがない。
453 :
世界@名無史さん:2015/01/07(水) 05:44:41.04 0
盧溝橋で発砲したのは中国側だよね?
上海事変だって日本軍を挑発したのは中国側だよね?
民間人を先に虐殺したのも中国側だよね?
日本は暴支膺懲ってあくまで中国に罰を与えるのが目的で
領土要求なんかしてないよね?これが侵略戦争なの?
日中戦争については原因は中国側でしょ?
中華民国は廃満興漢って言って清朝潰したんだから
民族自決権で満州族が国家を持つ正当性はあるでしょ?
清朝のままなら日本は侵略したと言われても仕方ないけどさぁ
454 :
世界@名無史さん:2015/01/10(土) 18:53:26.28 0
>>453 >日中戦争については原因は中国側でしょ?
そもそも盧溝橋の前から、華北に分離工作かけて抗日煽ってたのが日本。
>領土要求なんかしてないよね?これが侵略戦争なの?
都合良い政権に置き換えるのが侵略で無いなら、アメリカが中東介入で勝手な政権たててもOk。
>中華民国は廃満興漢って言って清朝潰したんだから
清〜中華民国で主権委譲、日本など列強各国も九カ国条約で中国主権を承認。
日本の満州権益も、主権者である中華民国に租借延長を認めさせた物。
満州事変の際、国際連盟も当地域の主権は中華民国に有ると判断。
455 :
世界@名無史さん:2015/01/10(土) 18:55:20.26 0
>>453 >盧溝橋で発砲したのは中国側だよね?
発端の盧溝橋は、挑発の域を出ない謎発砲に対し、日本側の戦闘前進で衝突のグレー事件。
>上海事変だって日本軍を挑発したのは中国側だよね?
中国の上海租界攻撃の前に、日本は北京や周辺を占領&北部で勢力拡大のチャハル作戦認可。
>民間人を先に虐殺したのも中国側だよね?
通州事件の犯人は中華民国軍では無い。日本の傀儡(冀東)所属の寝返り。
満鉄爆破の一件とか考えると
憶測の域は出ないが通州事件も相当怪しいよなあ
満州に元清朝皇帝担いで満州国作ったり、南京では国民党幹部だった汪兆銘に新政府樹立させたりしたが、日本敗戦と共に消滅したのは日本軍の後ろ盾がないと存続し得ない傀儡政権だったから
458 :
世界@名無史さん:2015/01/11(日) 05:17:27.32 0
歴史通:2015年1月号
総力特集
[総括]戦後70年─もう謝罪は無用!
■藤岡信勝
戦後レジームの自壊が始まった
http://web-wac.co.jp/magazine/rekishi/2015%e5%b9%b41%e6%9c%88%e5%8f%b7 日中戦争についても、一般的には盧溝橋事件がきっかけで始まったと言われますが、それは日中戦争の
本当の姿を隠蔽するための作り話(デマゴギー)です。盧溝橋事件が中国側の謀略として始まったのは
状況証拠から明らかです。事件直後には、共産党の本拠があった延安から全国に向けて檄文が出ています。
こんなに早手回しにできるということは、事前に準備していたに違いありません。
さらに盧溝橋事件は現地で解決をみています。国民党の現地軍が3日後に締結された現地停戦協定の
中で、「共産党を取り締まるからお許しください」という旨の侘び証文を書いています。
ところが、コミンテルンの指導で日本を戦争に引きずりこみたい共産党は、次々と事件を起こします。その
最たるものが、1937年7月29日の通州事件です。
無知が偏向ウヨ本を読むと453みたいになる。
相手の行動だけ並べて「日本は被害者で正当」
日本側の行動は無視。
>日中戦争については原因は中国側でしょ?
日本と国府は全面戦争を望んでいなかった(どちら側にも交戦派はいたけどね)
問題は青息吐息だった中共の存在
国府にしても中共の暗躍は痛し痒しなので
全ては藪の中
五・四運動によって、中国民衆の間で排日感情の共通認識ができてしまった
軍事・ビジネスで日本が何か動けば民衆はそれに反発し、時勢が悪くても時の指導者は、
指導者であり続けたいと思う以上それに突き動かされてしまう
汪兆銘のような彼我の現状認識が出来ている人物の方が逆に民衆から浮き上がってしまった
世界大戦終結後、重慶の蒋介石、南京の汪兆銘+降伏拒否の日本軍残党、北中国を制覇した毛沢東みたいな新三国志
が出来たら面白かったが、蒋も毛もそのバックの米ソも連合国側だから無理か。
>降伏拒否の日本軍残党
本国が降伏していて補給が途絶えている軍隊が維持できるとか
これがゲーム脳というやつか…
武器は壊れるもの、
維持するためには大量の用品が必要なルールがあるゲームでもやらなきゃ
どれだけバカなコトを言っているのか理解できないんだろうな
こういうやつは
インドネシア独立戦争じゃ独立派に引き渡した日本軍の武器弾薬で4年以上戦えたな。
日本軍の武器弾薬の在庫量や敵側の攻勢規模にもよるが、大陸の残留日本軍が全面協
力すれば南京政府も存命し、そのうち米ソ対立時代を迎えアジアにおける西側の防壁
とし南中国を維持してたかも。
朝鮮人の血が一滴でも混じれば、それが千年前のことであっても朝鮮人認定するバカな子?
インドネシア側に日本の小銃が数十万丁渡ったというソースは?
数人に一人日本製の兵器を持っていればそれだけで戦闘可能だと言い張るゲーム脳スゲーw
独立派の大半は四年以上武器なしで戦い続けたんだね
それどこの並行世界の話?
あと四年目にも日本軍の兵器が主力だというソースあるの?
9月2日に中国代表も出席した降伏文書の調印式で日本政府代表が署名しているのに
それを無視して戦闘を続けられると思っているところが何とも
関東軍みたいに中央無視して大陸で独走しても、本国が降伏すればそれに大人しく
従うというというのは日本が近代国家だったからか、それとも日本人の国民性か。
中央を追認させる力(=予算を出させる力)があればやっただろうけど
それがないなら続けようがない
軍隊が望めば軍は何時までも戦い続けられるという発想からどうしても抜け切れない奴がいるね
給料は誰が払うんだよ〜
各地に展開して戦闘を続けていた日本軍だが、陛下の聖断が下るやいなや
あっさり降伏した話は語り草になっている。
本国からの支援が無くなるという事情に加えて、当時の日本軍に陛下の意思
に反する意思がなかったんじゃないのか?
妻子がいる身でありながら2回3回4回と召集されればもう勘弁してくれって気持ちになってた
中央の降伏決定は帰国を意味するので兵士の士気は当然下がる
ポツダム宣言受諾発表前でも戦争継続の意志が固かった兵士がそう多くいたとは思えんが
四回も召集されるのは二十年になってからじゃねぃか
その時期に何所へ大量配備されたと言い張るんだお前は
473 :
世界@名無史さん:2015/01/21(水) 22:32:33.01 0
まあね。
日本軍の部隊わずか45名が、シナ軍の8000人を全滅させた話にしたって、
いずれはシナ側から卑怯な戦法だったとかなんとか難癖つけられてさ、
賠償問題になるんじゃないかなあ。
もっともこの時のシナ軍は過半が朝鮮兵だったという説もあり、
だから賠償問題はもっと複雑になるかもしれないけど。
日本人を除くアジア人が近代以降に徹底的な弱者に堕ちたのは、
骨格的に重金属の兵器を扱えなかったというのが大きい。
例えばシナ人や朝鮮人はライフル狙撃の命中率が極端に低いし、マシンガンには腕が振り回される。
戦車や戦闘機や潜水艦に乗るとすぐに錯乱するのも、シナ人や朝鮮人の体質的な弱さである。
そういえばシナや朝鮮の古来からの武器は、日本の女性の長刀より遥かに軽く脆い。
何故日本人だけが、アジア人で例外的に重金属兵器と相性がよいのか、
いずれ解明されるだろう。
終戦時、新京の関東軍、南京の支那派遣軍、シンガポールの南方総軍にそれぞれ皇族が派遣されて、終戦の詔に順う様に説得している
司令部の将軍達も「大詔必謹」を旨として、これに順った
475 :
世界@名無史さん:2015/01/22(木) 09:04:59.86 O
>1 日本は本気で大東亜共栄圏を造りたかったんだよ
勿論欧米列強支配の桎梏から逃れた各国の王や惣領は天皇と姻戚関係を結ぶ形であり経済の要所をは日本人が抑えようとしてたけどね
だから朝鮮を朝鮮王室の格を立てて併合したし満州国に清帝を建てた
台湾は行き掛かり上植民地にしたけど何れ日本の台湾県にするか日本の息の掛かった福建国に併せていただろう
何の事は無い現在東及び東南アジアに於いて在外華僑の内の北京に靡いた連中がやっている事と全く同じw
476 :
世界@名無史さん:2015/01/22(木) 09:12:59.70 O
>>473 逆々w日本人はアジア人の内でも体格に恵まれている方では無いから欧米列強がアジアに到達する以前から武器の国産化に際して軽量化という発想とノウハウを持っていたので戦闘能力を維持向上できたんだよ
種子島銃と関ヶ原期の火縄銃の重さを比べて御覧よ
477 :
八紘一宇=四海同胞y:2015/01/31(土) 18:14:08.31 0
シナの方が大きいから、日本よりこっちの方が大きく儲かるなんて思っている欧米人は問題だね。
沖縄を捨てて朝鮮半島にテコ入れをするようなモンで決していい事は無いよ…。
シナ人に取っちゃ、世界の中心と言う意味で「中国」を称しているのであって、
周囲の東夷・南蛮・西戎・北荻は皆「和して平定する:和平」の対象なんだよな
478 :
八紘一宇=四海同胞y:2015/01/31(土) 18:20:53.33 0
朝鮮なんて「小中華」といっておだてておけば、
調子に乗って着いてくるからどうでもいいが、
日本、ベトナム、ウイグル、モンゴル、ロシアは油断ならないね。
479 :
八紘一宇=四海同胞y:2015/01/31(土) 18:31:01.28 0
1930年代に欧米で、パール・バック「大地」、ブレヒト「セッツアンの善人」、エドガー・スノウ「中国の赤い星」、
それに実際の舞台はチベットだけど、ヒルトン「失われた地平線」などの作品が、
もてはやされた時期があった。こう言ったものに影響されてシナにロマンチックな感情を持っている者がいるのは問題だな。
480 :
八紘一宇=四海同胞y:2015/01/31(土) 20:38:11.47 0
日本軍が入城する前に南京市に人口が何人いたのか?
まあ国民党軍も含めて40万人いたとしておこう。
市民と国民党軍は、日本軍の接近にパニックを起こし、
都市の防備は督戦隊に見張られた召集兵に任せて、
重慶へ重慶へと逃げて行ったのである。やがて…
日本軍が入城した時、市民は安全区に20万人が残された。
一部の金持ちや国民党関係者は重慶に逃げ延びたが、
その途中で多くの市民が、国民党軍による虐殺や放置によって死に、
逃げるのを諦めた5万人が南京市へ戻った。
そして彼らは思った「逃げないで安全区にいればよかった」と。
事実、南京市以外にも多くの都市を日本軍は占領したが、
どこでも「大虐殺」の話は聞かれることはなかった。
481 :
八紘一宇=四海同胞y:2015/01/31(土) 20:45:03.30 0
この時の督戦隊は、便衣に着替えて武器を隠し持って
市民に化けて安全区に入ってテロ活動を続けた。
このため、一般市民や召集兵にとっては、
彼等こそが「鬼子」だったのである。
482 :
世界@名無史さん:2015/02/02(月) 08:06:17.20 0
483 :
世界@名無史さん:2015/02/02(月) 12:52:30.98 0
祖国大日本のために全ては便衣兵のしわざと考えよう
>>483 南京戦で便衣兵のゲリラ戦術と戦った記録など無い。
私服に着替えた逃走兵を便衣兵として処刑した記録はあるが。
485 :
世界@名無史さん:2015/02/22(日) 08:41:21.97 0
486 :
世界@名無史さん:2015/02/22(日) 12:42:31.66 0
ネトウヨ史観では結局どっちなのよ
借金を返せと言うならば現在の中国は過去の中国を継承していると言いたいの?
一方現在の中国は新国家であり現在の中国に日本は降伏・敗北していないって史観も存在する
>>485 円借款の督促先は台湾の中華民国に対してだろう
もっとも、台湾と国交があった1952〜1972年の間にも督促してないし中華民国は戦勝国と言う立場なので、1952年の日華国交回復の際、借金はチャラにでもしたんだろう
488 :
世界@名無史さん:2015/02/22(日) 13:20:18.40 0
北洋軍閥への債権の請求先が台湾(南京政府)ってのもどうなんだろうか
この債権を手放したくないので南京政府の中国統一を阻止しようとしたのが満洲事変であり日中戦争ではないの
>>488 記事読むと1933年に借金踏み倒したとある
1928年に南京政府が北京の北洋政府追放してからは、南京政府が北洋政府時代の借金払ってたことになる
そもそも、SAPIOの記事なんか信用出来ないが
で借金を返さない南京政府に切れて「対手とせず」と宣言し、中国の正式な政府は南京国民政府へと移った
なら債務を引き継いだのは南京国民政府なんじゃ
その後、南京国民政府が借金を返済したのか、或いは後継の新政府とやらが債務を引き継いだのか知らんが
>>486 戦勝国だってんなら金返せ、そうでないなら戦争がどうのこうのとガタガタ抜かすな
どっちなんだ?という話
確固たる歴史観に基づいての発言じゃないと