【科挙/科擧】 宮崎市定 其ノ肆 【雍正帝】

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1世界@名無史さん
科挙の研究や、世宗雍正帝の再評価などで有名な東洋史学者、
故宮崎市定先生について語ろう!


〜過去スレ〜
宮崎市定大先生を称えるスレ …初代スレ
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/982497743/
http://mimizun.com/log/2ch/whis/982497743/

宮崎市定すげえよ …2代目スレ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1017414246/
http://logsoku.com/thread/academy.2ch.net/whis/1017414246/

【九品官人】宮崎市定すげえよ 其の貮【科擧】 …3代目スレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1124707950/
http://logsoku.com/thread/academy3.2ch.net/whis/1124707950/
2世界@名無史さん:2012/02/11(土) 14:46:20.84 0
>>1

⊂⊃                       ⊂⊃
                 ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        ⊂⊃     ( ´∀` ) <  くだらないスレたてるな
               ⊂    つ  \_____________
               ノ ノ ノ
              (_ノ _ノ  ⊂⊃
             彡




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜終了~〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
3世界@名無史さん:2012/02/11(土) 14:46:37.86 0
16 :あやめ:2001/02/19(月) 16:06
「論語の新研究」は谷沢永一さんだったかが評論の中で振り回してたのを、
呉智英さんが「あれは宮崎さんが気侭に書き飛ばしてる面もあるから、あ
あ宮崎先生やっとるやっとると楽しむべきもので、碩学の権威的解釈とし
て得意げに援用したりせん方がいい」と評していたのを記憶しています。
まあそういう本でしょうね。
中学生の時に「アジア史概説」と「東洋における素朴主義の民族と文明主
義の社会」を読みいたく感銘を受け、以来いろんなものを読んでますが裨
益されるところが多かったと感じています。細かな考証も大掴みな論考も
水準の高さに敬服します。しかしかなり大胆な主張もあって用心しなけれ
ばならない場合もあります。
例えば西周の時代などというものは実質が欠如していて、大幅に年代を繰
り下げなくてはいけないなどという主張に対しては、白川静さんなどは大
変憤慨しておられ、先学が金文の精細な検討で西周史の再構築に努めてき
た業績を何と思っているんだと批判しており、尤もなことのように思いま
す。内藤先生などはかなり思い切ったことを語っても熟考すると腑に落ち
るという面がありますが、やはり上には上があるということでしょうか。
通史を書いてもやはり内藤先生の方が読ませるものがあります。岩波全書
の「中国史」は今一つの感があります。
4世界@名無史さん:2012/02/11(土) 14:47:32.82 0
36 :あやめ:2001/02/28(水) 19:04
大先生の随筆集「独歩吟」には留学中にミュンヘンの酒場で偶然にヒト
ラーに遇い、握手を交わした思い出を好意的に書いています。独裁下に
あっても社会一般は民主的様相を失っていない空気を活写しています。
ヒトラーのこととなると例えば絵が趣味だったという話に触れると、で
も下手だったという一言を必ず付け加えてエクスキューズする、小心な
知識人が多い中でさすが大先生は悪びれない大物です。
5世界@名無史さん:2012/02/11(土) 14:49:55.84 0
39 : 世界@名無史さん : 02/03/31 18:05
図書館で検索したら異様な数の著書が出てきたぞ
あれは門下の学者に名前貸してるのが多数だろ

40 : 世界@名無史さん : 02/03/31 19:06
>39
活躍期間が長かったから、そうでもないのでは?
確か、初の著書が1943年、最後の著書が亡くなる直前の1995年だから、
50年以上になる。もちろん、43年以前にも論文を書いていて、後にそれらを
所収した著作もあるわけだし。
6世界@名無史さん:2012/02/11(土) 14:52:29.32 0
99 : 世界@名無史さん : 02/04/03 06:29
やっぱり宮崎市定が偉いというより、
戦前日本の東洋学の水準が高かったということではないのかな。
湖南、白鳥、小川はいうに及ばず、濱口・加藤繁、朝鮮史の池内、
イスラム理解では北、チャイナ・ウォッチャー尾崎秀美に満鉄調査部。
宮崎のすぐ下の世代だと仁井田、西嶋。

彼の名声は、彼がその中で最後までご存命であったということも
大きいのではないかな。仁井田なんて若死にだし。
人民中国の成立で、批判的継承ができなかった時期に唯一、
古きよき東洋学の薫風を漂わせていたことも大きいと思う
7世界@名無史さん:2012/02/11(土) 14:55:58.36 0
287 : YP : 02/10/25 22:50
今手許に無いので書き写せないですが、
『雍正帝』の中の雍正帝が無能な下僕を罵倒するセリフに‘2chネラー
雍正帝’を感じたのは俺だけですか?

「この見当違いめが!」 めちゃウケたよ 声出して笑ってしまった。

290 : 世界@名無史さん : 02/10/26 15:25
>>287
雍正帝 罵詈雑言コレクション

「下愚は移らず(バカにつける薬はない)とはお前のことだ」
「禽獣でもお前よりはマシだ」
「良心をすり減らして恥を恥とせぬ小人め」
「木石のように無感覚で人間とも思えない奴だ」
「無学で無能で欲深で見当違いだ」
「大山師の大嘘つきの誤魔化しやの詐欺師め」
「恩を知らず義を知らず、化け損なった古狸め。国家の法規を台無しにするのは手前等の仕業だ」
8世界@名無史さん:2012/02/11(土) 14:58:24.56 0
357 : 世界@名無史さん : 03/01/20 11:58
専門とは関係ないけど大ファン。今まで出てないところでは、
鹿州公案なんかも面白かった。あと、遊心譜。最晩年まで、
湾岸戦争について歴史家として発言しているところなどは、
素直にすごいと思う。

あと、宮崎先生が、若い頃に英語の教科書だかで読んだ
「人は、何かについてすべてを、すべてについて何かを
知らなければならない」
という言葉を一生大事にしていた、というエピソードが好きです。
9世界@名無史さん:2012/02/11(土) 14:58:50.50 0
362 : 世界@名無史さん : 03/02/18 13:29
鹿州公案は中国古典小説の翻訳としては屈指のレベル。これに比肩しうるのは
柴田天馬訳『聊斎志異』(全然タイプ違うけど)くらいではなかろうか。

鹿州公案は少女のせりふが全部ひらがななのが萌え。
流石にわかっていらっしゃる。←何を?
10世界@名無史さん:2012/02/11(土) 15:02:26.72 0
581 : 世界@名無史さん : 04/08/07 22:26
どうでもいいけど、宮崎市定は中国史家のなかで唯一、
中国の大国主義を批判した人物。「中国を叱る」という
すげータイトルのエッセイがある。内容は清の康熙帝が
清とベトナムの国境にある金山を中国側のものにしようとした
臣下を怒鳴りつけ、「大国は小国の利を奪うことはしないものだ」
と言い切った事実を明らかにしたあと、中国大陸政府の南沙諸島
問題(だったと思うが尖閣かもしれない)に対する態度を批判したもの。

未だ問題になっていないことがらをとりあげ、世間に知らせるのは聖人
だというが、このエッセイの発表年代はなんと1980年代。
今になって慌てて尖閣問題で騒ぎまわるようになった漏れたちの、
遥か先を宮崎老は歩んでおられたわけだ。
11世界@名無史さん:2012/02/11(土) 15:04:41.71 0
686 : 世界@名無史さん : 04/08/28 14:24
ヒトラーとのめぐりあい

ナチスの第三帝国華やかなりしころ、当時フランス留学中であった私が、
ドイツに旅してヒトラー総統にめぐりあい、握手してきたぞ、ど話しても、
だれも本気で聞かない。大方夢でも見たか、さもなくば偽者に欺されたんだろう、
と冷笑されるのが落ちであった。しかし夢でも偽者でもない。正真正銘のヒトラー
だったことは、確かな証人がいる。
1937年8月19日、私はドイツ東部を一回りして南に下り、ミュンヘンに着いて
宿をとり、私と同じ京都大学からの在外研究員で来ている法学部助教授、
西本頴さんを訪ねた。西本さんは夫人と一緒に私を案内してくれ、市の中央で
広い道路が二股に分かれている三叉路に来かかると、ここはナチスが最初に
反対党と衝突して犠牲者を多数出した由縁の地で、慰霊碑が立てられ、花輪が
捧げられて、それを歩哨が警衛している。そこを左に進んで左手にある小さな
カフェーに入ったが、この店はナチスがまだ党員七名しかなかった折の巣窟だった
というから、正に第三帝国発祥の地とも言うべき聖蹟なのである。
三人で卓を囲んで昼食を始めると、だんだん客が込んできて、五、六〇人で座席が
満員になった。そこへカフェーの親爺がやってきて西本さんに何やら耳打ちした。
すぐフューラーがやってくるから、暫く動かずに居なさい、という、何よりの吉報である。
ヒトラーがミュンヘンに来ていることは知っていたが、それが今にも目の前に現れようとは、
つゆ予想もしなかった。
そう思ってあたりを見回すと、お客は大半が骨太い若者で、これはナチ親衛隊の私服に
違いない。さすがにドイツ人は本質的には西欧の民主主義国であるから、独裁体制に
入ったといっても、初めから人払いをしたり、外国人をつまみ出したりしない所が偉い。
12世界@名無史さん:2012/02/11(土) 15:05:43.69 0
687 : 世界@名無史さん : 04/08/28 14:40
待つこと暫く、果たしてヒトラーが側近5、6人を従えて、下り坂に傾斜のついた
通路を入ってきて、一段高くなっている特別席に座を占めた。我々の所から
十メートルとは離れていない。女性がひとり交じっているのは、エバ・ブラウンに
違いない。彼等は我々と別に異なった所もなさそうな料理を取りよせて食べた。
ヒトラーはミュンヘンに来る度に、昔をしのんでこのカフェーに立ち寄ることにしている
のだそうだ。ただしそれが何時になるかは、前もって誰にも分からない。
食事が終わったらしく、まずヒトラーが座を立った。見ているとエバと握手して、
その手の甲にもキスした。ここらもやっぱり西欧的で面白い。
周囲の人たちが皆立ち上がって、通路に並び出したから、我々も後れじと、
西本夫人を先頭におし立て、人垣に割り込んで最前列に出しゃばった。そして
人並みに右手をあげてナチ式の敬礼をしていると、我々の前へ来かかったヒトラーは
歩をとめて、日本から来たか、どこへ行くかなど、簡単な言葉を交わしながら、
ひとりひとりに握手してくれた。それは予想に反して、柔らかで温かい掌であった。
何といっても西欧は民衆の国である。政治家は人気がなければ何もできない。
ヒトラーの里帰りも民衆との接触が目的なのだ。帰りしなに人垣を作らせて閲兵する
のに、女性を従えてでは具合が悪いから、一足先に座を立った。すべては計算し
尽くした上での筋書なのだが、役者が役者だから、ごく自然に演出される。
日頃はにこっともせずにいて、選挙のときだけトラックの上から不器用に手を差し出し
たりなんかしたんじゃ、ここでは駄目なんだ。
敗戦後ヒトラーの評判は極度に悪い。しかし弁護人ぬきの欠席裁判では、そこに
誇張や雷同が生ずるのを免れぬではないか。中国古代の殷の紂王のように、
すべての悪がこれに帰した結果ではないか。日本の場合も、戦時中に軍隊が
東南アジアで、悪いことばかりしたように語られるが、私が歴史を著すならば、
決してそのようには書かぬ。善をも悪をも必ず書く、と言うのが『春秋』の筆法
だからである。

(『毎日新聞』1978年12月14日「めぐりあい」欄。原題「ヒトラー」)
13世界@名無史さん:2012/02/11(土) 15:09:27.29 0
978 : 世界@名無史さん : 2005/08/21(日) 11:55:37 0
弟子の佐伯冨氏と共に巻き込まれた盗作騒動ってあったよね?

982 : あやめ ◆C0.O2CxIMg : 2005/08/21(日) 21:30:18 0
>>978
これは「新安商人の研究」で有名な藤井宏という先生が、佐伯富さんの支那の製塩業に関する
論文の中で「牢盆」という製塩具の解釈について自分の説を剽窃したと抗議し、裁判沙汰にまで
発展した件だと思います。宮崎さんも被告か証人として引っ張り出されたものと記憶します。
この訴訟は結局のところ平成初年に藤井さんの敗訴で終わりました。
藤井さんという人は優秀な研究者なのですがトラブルメーカーとしても著名で、自分の研究室の
スタッフ全員と悶着を起こし新聞にまで報道されてしまいました。上記訴訟の際も各方面(叔父の
とこまで)「自説の詳細を記述した訴状の写を御希望なら送ります」と言ってきたそうです。
宮崎さんの天敵としては藤井さんの外に「唐令拾遺」の仁井田陞さんが有名です。
14世界@名無史さん:2012/02/11(土) 15:17:57.95 0
504 : 世界@名無史さん : 2010/03/20(土) 08:24:30 0
『大唐帝国』素晴らしかったです。
今の日本は、宮崎先生がおっしゃる「谷間」の中世時代に足を突っ込んでるような気がします。

(後漢、ローマ晩期)
金銀が西アジアに流出→不景気→良貨の退蔵。特権階級の固定化。自立農民の没落→荘園の隷農。自給自足の荘園が流行

(現代日本)
資本、技術が中華国へ流出→不景気→デフレ→高学歴の親は富裕層。世襲議員の比率大幅UP。下層階級の増大、生活保護の増大。自炊、自前弁当が流行。

貴金属本位通貨とデジタルマネーとの違いなど、パターンや様相は異なるとはいえ、今日の日本の現状と酷似して見えます。
(ただし、為替の不均衡を見るに人工的、恣意的な誘導を感じえませんが)

官吏と猟官運動、公務員とコネ世襲という特権階級層の固定化、人口減少問題。
相互扶助活動で拡大してきた西のキリスト教、東の(仏教から影響された)五斗米道。そして現代の創価学会。


この国は、これから長き窪みへと転げ落ちてゆくのでしょうか?
(後漢→宋を参照にすると1000年くらい続くのかな?)

それとも、西ローマのように外国人移民の大量流入によってこの地上から消滅してしまう運命にあるのでしょうか。

それとも・・・
15世界@名無史さん:2012/02/11(土) 15:27:24.92 0
16世界@名無史さん:2012/02/11(土) 15:50:27.59 0
宮崎市定が偉大すぎて他の中国学者がかすむな
特に吉川幸次郎なんて糞みたいなもの
17世界@名無史さん:2012/02/11(土) 15:52:13.70 0
吉川幸次郎の杜甫研究は、素晴らしいと思うけど?

宮崎市定みたいな広汎な研究ではないのは確かだが・・・
18世界@名無史さん:2012/02/11(土) 16:16:55.37 0
やる夫が独裁君主になるようです 第一話 ヌーそく
http://gnusoku.blog41.fc2.com/blog-entry-1701.html
19世界@名無史さん:2012/02/11(土) 17:09:23.46 0
>>11-12の話も、やる夫シリーズ化されてるwww
http://gnusoku.blog41.fc2.com/blog-entry-1965.html
20世界@名無史さん:2012/02/11(土) 19:06:02.04 0
雍正帝は今日は朝からイライラしていた。
21世界@名無史さん:2012/02/11(土) 19:32:04.14 0
雍正帝みたいな上司を持つと、気の休まる時がないだろうね・・・
22世界@名無史さん:2012/02/11(土) 22:22:33.58 0
陳琳が皇帝になってしまったような人だからなwww
23世界@名無史さん:2012/02/12(日) 10:58:08.76 0
宮崎市定
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E5%B8%82%E5%AE%9A

著作リスト
『東洋に於ける素朴主義の民族と文明主義の社会(支那歴史地理叢書4)』(冨山房、1940年)
『日出づる国と日暮るる処』(星野書店、1943年)
『五代宋初の通貨問題』(星野書店、1943年)
『アジヤ史概説 正編』(人文書林、1947年)
『アジヤ史概説 続編』(人文書林、1948年)
『雍正帝』(岩波新書、1950年)、(中公文庫、1996年) - 「雍正硃批諭旨解題」を収める。
『遊心譜』(中央公論社、1953年)(中公文庫、2001年) - 随筆集
『科挙』(中公新書、1963年)
『隋の煬帝』(人物往来社、1965年)(中公文庫、2003年)
『中国文明の歴史9清帝国の繁栄』(中公文庫、2000年) - 『東洋の歴史9清帝国の繁栄』(人物往来社、1967年)の文庫化。
『中国文明の歴史11中国のめざめ』(中公文庫、2000年) - 『東洋の歴史11中国のめざめ』(人物往来社、1967年)の文庫化。
『大唐帝国』(中公文庫、1988年)- 『世界の歴史7大唐帝国』(河出書房新社、1968年)の文庫化。中国史上景気循環概念図を提示する。
『水滸伝』(中公新書、1972年)(中公文庫、1993年) - 歴史上、宋江は二人いたという新説をたてた。
『九品官人法の研究』(同朋舎、1977年)
『論語の新研究』(岩波書店、1983年)
『中国に学ぶ』(中公文庫、1986年)
『宮崎市定全集』全24巻・別巻1巻(岩波書店、1991年-1994年)
『東洋的近世』(中公文庫、1999年)
『東洋的古代』(中公文庫、2000年)
24世界@名無史さん:2012/02/12(日) 11:03:21.72 0
『大唐帝国』は、肝心の唐王朝についての記述が少なく、
魏晋南北朝や隋王朝に関する記述が7割近くを占める。

唐についてだけ知りたい! という人にとってはガッカリだが、
唐が成立するに至った時代背景までも知りたい人には、
むしろありがたいと思うのではなかろうか。
25世界@名無史さん:2012/02/12(日) 11:07:55.97 0
雍正帝は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の
官僚を除かなければならぬと決意した。
26世界@名無史さん:2012/02/12(日) 11:13:39.32 0
>>7にある「雍正帝 罵詈雑言コレクション」の原文が気になる!
27世界@名無史さん:2012/02/12(日) 13:04:17.04 0
>>26
『雍正帝 中国の独裁君主』(中公文庫、1996年)の107〜108ページと
230〜231ページに日本語訳や書き下し文で書かれているが、肝心の
原文は載っていないな。

但し、230〜231ページには出典が併記されているので、そちらを活用
してみては?
28世界@名無史さん:2012/02/13(月) 00:42:42.69 0
最近、エッセーで読ませる歴史家が減ったよね
29世界@名無史さん:2012/02/13(月) 01:55:26.99 O
塩野七生がいるじゃない
30世界@名無史さん:2012/02/13(月) 03:01:35.70 O
この人、フランスに留学してるよね。
中国の専門家がフランスに何を勉強しに行ったの?
31世界@名無史さん:2012/02/13(月) 06:49:46.23 0
アラビア語の習得のため。
それが宮崎独特の巨視的な東洋史の解釈を下支えした。

また、帰国後に執筆した『条支と大秦と西海』は、
当時の「大御所」が唱えていた珍説を批判し、
後漢書等に記載のある漢籍の地名を、快刀乱麻を断つごとく正確に比定し直している。
例えば、題名の「条支」は今話題のシリア(セレウキア)、「大秦」はローマ、
「西海」は地中海など。
因みに宮崎は、パリ留学中に単身で長期、中近東を旅行し、
その目でシリアの遺跡等を見て、嘗て交通の要地であると実感したことが、
当論考の考証のヒントにもなったと言っている。
さらに、大軍は大道を通るものだ、などと、
後学者が参考になる奥深いことも言っている。
まさに上質の推理小説を思わせる出来栄え。
宮崎独特の巨視的な東洋史の解釈は、
このような切れ味鋭いミクロの論考によって裏打ちされている。

>>6
仁井田の研究で素晴らしいのは、『唐令拾遺』だけ。
32世界@名無史さん:2012/02/13(月) 07:23:17.70 0
余芸の日本史関係では、天皇号は五胡十六国の天王号に由来しているんじゃないか、
って?なことも言っているけど。
でもそこで、大王は称号であるはずはなく、敬称であると言っているのは、
おそらく本当なのだと思う。
33世界@名無史さん:2012/02/13(月) 07:37:13.70 0
陸軍に三度も入隊しているね。
一度目は徴兵。
二度目は旧制第三高等学校教授のとき、
第一次上海事変で将校として中国に出征。
三度目は終戦直前の44歳、京都帝国大学教授のとき、
オレンジ作戦の正面である房総半島(だったと思う)で米軍の上陸に備えて、
予備役将校として召集され塹壕を作っていた。
死を覚悟したらしい。
34世界@名無史さん:2012/02/13(月) 10:27:45.27 0
三度目の出征は早くから予期していて、大急ぎで『科挙』の原稿を取りまとめたらしいね。
35世界@名無史さん:2012/02/13(月) 10:30:19.27 0
>>29
塩野七生は読ませる文章を書くけど、あの人は
歴史家というより小説家やエッセイストの類だな。
故人だが、井上靖や司馬遼太郎みたいなもん。
36世界@名無史さん:2012/02/13(月) 17:20:51.67 0
>>33
水滸伝に描かれている家屋の構造は、
作品の舞台であるはずの華北の家屋の構造とは違い、
第一次上海事変で上海近郊の衛星都市で見た
明以降ずっと残っている江南の家屋の構造と同じであるとし、
通説どおり水滸伝は、明代の江南に居住していた者が記したのだろうと
後に考証している。
本人にとって水滸伝は、退官後のお遊びのつもりで書いたのだろうけど、
相変わらず目の付け所が鋭い。
37世界@名無史さん:2012/02/13(月) 23:15:13.79 0
36がミクロ的なら、その逆の全体を把握するマクロ的な論考が『水滸伝的傷痕』。
作品中の継ぎ目から、100回本→120回本→70回本成立の変遷過程を考証している。
また、一般向けの『水滸伝 虚構の中の真実』も、断片的にしか史料に残らない事柄
(史料を残す側からすれば、珍奇な事柄は史料にはきちんと書き残すが、
逆に、当時誰でも知っていることは、史料に書き残す価値がない事柄であり、
常識とされている事柄が断片的にしか史料に残らないことがままある。
それが現代人にとっては、最も分かりにくい事柄になってしまうこと。)や、
中流以下の人達の官との関わりなど、
宮崎の宋代の制度史研究によって復元された成果がふんだんに盛り込まれている。
38世界@名無史さん:2012/02/14(火) 00:56:21.03 0
>>33
しかしなんで44歳で再召集されているのだろう?
しかも最前線だし、何か懲罰的な意図があったのだろうか?
39世界@名無史さん:2012/02/14(火) 11:22:53.67 0
>>38
本土決戦の準備に決まってんじゃんw

当時は、女子供まで駆り出す情勢だったんだから、
軍務経験のある44歳を召集しない方が不自然。
40世界@名無史さん:2012/02/14(火) 12:01:33.17 0
>>33
>上海事変
東京事変や満州事変のパクリっぽくてワラタwww
41世界@名無史さん:2012/02/14(火) 19:27:40.72 0
といっても、帝大教授の(再)召集って他に例があるのか。
丸山真男は有名だが、助教授だし確か30歳ぐらいだろ。
朝鮮半島と広島は後備という位置づけだし、いくら予備役でも違和感はある。
42世界@名無史さん:2012/02/14(火) 21:27:58.63 0
>>40
嗤われているのはキミの方だよ
43世界@名無史さん:2012/02/14(火) 22:46:17.23 0
丸山真男は過去の左翼運動で目を付けられていたから徴集されたのもわかるが、
宮崎市定は何か当局の逆鱗に触れることでもしていたのか?
44世界@名無史さん:2012/02/14(火) 23:48:29.55 0
角田文衛が徴兵されてシベリア抑留され、
小田滋が三陸あたりで海軍のグライダー部隊?の教官をしてたって聞いた。
角田の徴兵は助手かなにかの身分だし、小田は学生だったはず。
宮崎は予備役の召集年限の延長で再招集されたのだろうが、
京都帝国大学教授で44歳のオジサンを再召集するのは、
確かに例がないような気がする。
宮崎によると、第一次上海事変のときとは、この部隊なら一戦戦えるぞ、
って士気が漲っていたらしいが、このときは全く違っていて、
部隊は軍律の弛緩してヤクザな空気が漂っていたらしい。
何でもかんでも召集しても結局、部隊は訓練不足に陥るだろうし、
複数召集や長期の軍生活で人間がスレてしまったのか、
こんな無茶な軍政・軍令をする要路は猛省すべし、って怒ってた。
45世界@名無史さん:2012/02/16(木) 03:59:11.54 0
>>33
オレンジ作戦 → コロネット作戦だね。
46世界@名無史さん:2012/02/17(金) 14:04:27.01 0
オレンジジュースを飲みながらチョココロネ
47世界@名無史さん:2012/02/20(月) 21:42:32.94 0
なんでも質問スレに以下の質問をしたんですが
どなたも教えてくれないまま、スレが埋まりそうなので
マルチポストと知りつつ、以下に書き込んでみます。
宋スレは過疎ってるし・・・どなたか教えて貰えませんか。

219 :世界@名無史さん:2012/01/18(水) 22:17:32.55 0
中国の科挙について質問です。

宮崎市定の『南宋末の宰相 賈似道』を読んだ所
彼が科挙の及第者であるものの、自力で試験を突破したのではなく
高官の子弟に授与された“免解”なる特権を用いて
殿試から受験、即ち最初から及第していたという記述がありました。

この免解という制度について、宮崎氏の「科挙史」や「科挙」を読んでも
記述が無い為、どういう運用がされたのか、いつから始まりいつまで現存していたのか
などがわかりません。

検索すると、中国の文献で「南宋科挙制度史」なるものがあり
http://www.chugoku-shoten.com/mokuji/cmokuji/47731/47731.html
この中で免解の項が立てられている所から、南宋ではあった制度と思われますが
どなたか解説してもらえませんでしょうか。
48世界@名無史さん:2012/02/22(水) 14:09:17.16 0
>>47
何忠礼《南宋科举制度史》南宋史研究丛书(『南宋科挙制度史』南宋史研究叢書)
http://www.qumaishu.com/books/3688924.htm

第二章 南宋的发解试(第二章 南宋的発解試)
  第二节 发解试的解额和州郡贡院(第二節 発解試的解額和州郡貢院)
    二、免解
49世界@名無史さん:2012/02/22(水) 14:12:12.25 0
>>47
宋代的童子举(转) - 宋元鼎革 - 国学论坛
http://bbs.guoxue.com/viewthread.php?tid=395211
50世界@名無史さん:2012/02/22(水) 14:44:04.48 0
簡体字は、わけわかめだなw
51世界@名無史さん:2012/02/25(土) 16:27:58.81 0
中央研究院 漢籍電子文獻
http://hanji.sinica.edu.tw/index.html?

ここの二十五史で「免解」を検索したら、宋金明清でそれぞれヒット。
名前が変わっているかもしれないが、おそらくは現代(民国、中共の両方)でも残っているんじゃなかろうか。
中共の太子党あたりはこういうのが多そうだがw
52世界@名無史さん:2012/02/28(火) 15:00:36.40 0
【今年度も】東洋史12【進学者ゼロ】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1330258947/2


2 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2012/02/27(月) 04:35:58.17 0
雍正朱批諭旨ってそんなに難しいか?
http://wenxian.fanren8.com/1/%D3%BA%D5%FD%D6%EC%C5%FA%D7%E0%D5%DB%D1%A1%BC%AD--.txt
これが難しいなら実録とかも全然読めないじゃん。とりあえず以下に宿題な。
雍正五年正月十二日(一七二七、二、二),巡視臺灣監察御史臣索琳謹奏:為勦捕生番,以保民命事。
雍正四年十一月初二日,道臣吳昌祚自省回任,帶投督臣高其倬咨文一角,內開:
『為凶番戕殺民命,特委臺廈道吳副使為總統,兼委淡水同知主汧、北路營參將何勉、淡水守備鍾日陞等,
帶兵分路進勦,專委以知州管彰化縣事知縣張縞辦運軍糧』等因到臣。
本月十六日道臣吳昌祚等調領官兵、番壯,自府治先發,臣於十八日選帶丁役,自備行糧,
亦從臣署起行。至二十六日,人牛相觸番境,渡阿勃泉溪而抵竹腳簝,與道臣吳昌祚官兵會答於虎尾溪陽。
預令曾歷番地社丁林三招引水沙連內決里社土官阿龍等十八名來歸,詢明路徑,
又令社丁陳蒲同決里社順番先至北港蛤里難等社曉諭:能歸化者即免誅僇。
去後臣與吳昌祚隨撥同知王汧帶領熟番、民壯,由北港南投崎抄人番巢之後,候令進發,仍調參將何勉帶兵接應;
一撥守備鍾日陞等帶兵由南港水沙連之前路竹腳簝,候令進發,仍撥千總蔡彬帶兵接應;
一撥守備楊ツ帶兵駐紮於凶番之戚屬樸仔籬社傍,以覘動靜,仍撥把總任林帶兵駐紮於鄰近之貓霧竉社,以備應援。
臣與吳昌祚率領員、弁、兵、番,由南港竹腳簝督兵前進,其前後兩路官兵統令於十二月初三進攻。
仰ョ聖主天威,及督臣高其倬知人善任、道臣吳昌祚盡心竭力,調遺合宜,同知王汧等不避艱險,招撫有方,
知縣張縞運濟四路,軍糧各足,並隨征官、將、兵、番同心協力,故自十二月初三日進兵,計十有四日,
兵不血刃,而兇番已獲,各社歸誠,北路俱已平定。臣等帶領官兵,於今年正月初九日已回府城。
所有臣與道臣吳昌祚等,勦撫過水沙連一帶二十五社番人凱旋緣由,理由繕摺奏聞。謹奏。
53世界@名無史さん:2012/02/28(火) 15:01:21.09 0
【今年度も】東洋史12【進学者ゼロ】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1330258947/3-4


3 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2012/02/27(月) 04:38:57.18 0
で、それの朱批。
硃批:觀一切調撥機宜,殊屬有方,所以奏效迅速,甚為可嘉。蠢夷經此番振作之後,自當安靜數時,
然終非久長良策也。要在文武官弁撫恤得法,使百姓總不干犯熟番,熟番永不欺凌生番,各安生理,兩不相涉,
自不至生事。設或文員貪黷,武弁懈弛,百姓侵擾熟番,熟番又復虐用生番,遂爾激成禍端,
以彼冥頑無知、近於禽獸之人,何事不可為也!雖如此勦撫兼施,兇犯就獲,未免多致殺傷矣!
今既平定,嗣後當徐徐開導,令其感恩向化,漸知人理,方為柔遠之道,若專逞兵威,朕甚不取,爾等協力共勉之!


4 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2012/02/27(月) 04:46:22.19 0
で、宿題の答え。
一切の調撥の機宜を観るに,殊に方有るに属す,效を奏すること迅速なる所以なり,
甚だ嘉みすべしとなす。蠢夷、此の番の振作を経ての後,おのずから當に數時を安静にすべし,
然れども終に久長の良策にあらざるなり。要は文武の官弁、撫恤に法を得て,百姓をして
總て熟番を干犯せず,熟番も永く生番を欺凌せず,おのおの生理に安んじ,
ふたつながら相涉せざるに在り,おのずから事を生ずるに至らざらん。
もし或は文員貪黷し,武弁懈弛し,百姓熟番を侵擾し,熟番又た復た生番を虐用し,
遂爾に激して禍端と成らば,彼の冥頑無知にして、禽獸に近きの人を以てすれば,
何事か為すべからざらん。かくの如しと雖も、勦撫を兼ね施し,兇犯獲に就かば,
未だ多く殺傷を致すを免れざらん。
今既に平定すれば,嗣いで後當に徐徐に開導し,其れをして恩に感じて化に向かい,漸く人理を知らしむれば,
方に遠きを柔らぐるの道たり。もし專ら兵威を逞しうせば,朕甚だ取らず,爾ら協力して共にこれに勉めよ。
54世界@名無史さん:2012/02/28(火) 17:19:51.56 0
安部や宮崎がこの研究を手がけたのが約70年前。
それ以来多大な研究の蓄積があるのに、
もし、今の人間が難しいと言っているようでは恥ずかしいね。

というか、コンプレックス丸出しだけど、何かもあるの?
55世界@名無史さん:2012/03/09(金) 21:49:07.47 0
>>47
確かに殿試から受験したと書いてあったけど
いくら姉が皇帝の愛妾だからって、その都度こんな特典授与してたら
科挙という制度が破たんするんじゃないの?
56世界@名無史さん:2012/05/04(金) 23:18:29.49 0
あげ
57よろずこ:2012/05/07(月) 00:37:00.16 0
さいきん、ほんとに全集が格安で出回ってるの?
58世界@名無史さん:2012/06/23(土) 14:57:12.85 0
知らんがな
59世界@名無史さん:2012/07/07(土) 20:42:18.43 0
宮崎市定に限らず、古本になると最近は格安で買える。
やっぱ金持っている人が少なくなって、古本もデフレということかな。
あと都会だと全集なんか置く部屋がないからどうしようもない。
60世界@名無史さん:2012/07/07(土) 23:28:26.51 0
まかり間違って全集文庫化されたりしないかなぁ。
ていうかそもそも元の全集からして岩波じゃなくて中公か筑摩が良かった。
岩波、特にここ20年ぐらいの岩波は日本史・中国史に対して冷淡すぎ……。
61世界@名無史さん:2012/07/07(土) 23:48:29.18 O
>>60
日本史でも中国史でもないけど、それは感じるね。
足利惇氏の著作を探してるが、普通の書店では見つからない。
62世界@名無史さん:2012/07/08(日) 01:59:27.05 0
>10
その話、孫文も引き合いに出している。
63世界@名無史さん:2012/07/10(火) 00:31:18.27 O
康熙帝が臣下を怒鳴り付けたのにちょっと驚いた。
64世界@名無史さん:2012/07/10(火) 07:17:34.67 0
康熙帝って燃焼の頃は大臣の力が強くてなにも言えなかったが
慰みと称して力士を宮廷に入れて、大臣を撲殺。
事実上の独立国と化していた三藩を次々罠に掛けて叛乱を起こさせ制圧
台湾の旧明勢力も制圧って感じの皇帝って感じがしてたが。
65世界@名無史さん:2012/07/11(水) 17:28:10.49 0
古代に封建制が存在する事を主張したのは偉い。
66世界@名無史さん:2012/07/30(月) 01:03:34.76 0
>>62
今の中国共産党の指導部どもに百回繰り返し読ませたいよな
67世界@名無史さん:2012/08/27(月) 10:03:35.03 0
大国に大人としての態度を求めるのはアメリカにこびへつらえば
優遇してもらえると考える実に前近代的な考え方だな。
自分の権利を他人に保障してもらうというのは実に封建的だ。
68世界@名無史さん:2012/09/01(土) 11:05:14.97 0
>>67
日本だったらその発想でもいいが、ベトナムとかラオスとか困るだろ
69世界@名無史さん:2012/12/09(日) 01:34:38.76 0
>>54
外国語が苦手なら世界史ではなく日本史を専攻すればいいのになwww
70世界@名無史さん:2012/12/19(水) 09:46:57.46 0
日本語も難しいぞ
毛筆の崩し字を読めないといかんからな
71世界@名無史さん:2013/03/24(日) 13:12:18.46 0
>>67
中国が冊封体制的な覇権を目指すなら、絶対に必要な要素だと思うが。
現実問題として、ベトナムやフィリピンに警戒されまくって損してるんじゃん。
72世界@名無史さん:2013/03/26(火) 09:58:36.75 0
日本国内の偏向報道に踊らされて中国が外交で孤立していると思っているようでは
歴史の一体何を学んできたのやら。

冊封体制w上海機構も知らないとかオタク的知識による偏見なんてみっともないよ。
もっとも宮崎市定自身も豊富すぎる知識はあっても大日本帝国の没落は予見できなかったから
日本の学究は現実には何の役にも立たないものかもしれんが。
73世界@名無史さん:2013/05/01(水) 23:01:57.43 0
>>12
エヴァ・ブラウンって当時は極秘の存在で
ドイツ人でも戦後になってその存在を知って
ヒトラーは公の場では同席しなかったはずなんだが
74世界@名無史さん:2013/05/13(月) 09:06:52.48 0
>>73
著者的には今からして思えばってことだろ

どうせどこぞのスターリニストなやる夫作者の受け売りなんだろうけど
ツイッターにでも引きこもってろよ
75世界@名無史さん:2013/08/04(日) 02:45:19.14 0
>>72
孤立していようがいまいが、中国は駄目だよ。
宮崎にしたって昔の中国に幻想を抱きすぎだ。
ベトナム金山なんて稀有な例を挙げて中国のイメージ向上を図ってる。
実際はちっとも寛大な国ではないだろうに。
76世界@名無史さん:2014/02/01(土) 10:14:00.33 0
age
77世界@名無史さん
>>33
やっぱり2度目のときは、シャンハイで中国兵を殺傷したり、
現地民を略奪暴行したりしてたのかな?