海を渡った日本人と、来日した外国人と

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1世界@名無史さん
日本を後にして外国で活躍した日本人、日本に来て活動した外国人について語るスレです。
※中国(人)と朝鮮(人)は、あまりにケースが多すぎるので、当スレでは対象外とします。
2世界@名無史さん:2011/12/14(水) 01:46:18.58 0
John Manjiro
3世界@名無史さん:2011/12/14(水) 01:53:35.25 0
            気
         あ  を
         の  付
         朝  け
      犯  鮮  .ろ
      罪  人
      者  .
       
   圖 
  ∧_∧
 ( ´∀`)
 (  ○ )
4世界@名無史さん:2011/12/14(水) 06:14:17.86 0
ダグラスマッカーサー

1945年
日本がポツダム宣言を受諾したことによりアメリカが戦勝国となった
そして翌年マッカーサーは日本へ来日
町を行くマッカーサーに対し敗戦国の礼を取った敗戦国日本兵士は全員町中でマッカーサーの乗る車に背を向け

我々は負けた
いつでも撃ち殺せ

という敬意を表した
5世界@名無史さん:2011/12/14(水) 23:57:11.16 0
よく、最初に日本に来た西洋人については、鉄砲伝来の年とイコールだから
話題になるけど、アラブ人がそれより何100年も前に来ていたことは、
意外と知られてないよね。
6世界@名無史さん:2011/12/15(木) 00:13:41.42 0
中世に渡来してきたインド人の話は時たま聞くけど、アラブ人ってなかなか聞かないなぁ。
7世界@名無史さん:2011/12/15(木) 00:21:39.54 0
アラブ人か。蒲って人はアラブ人だと何かに書いてあったな
8世界@名無史さん:2011/12/15(木) 00:24:13.86 0
何?蒲って人って?
9世界@名無史さん:2011/12/15(木) 00:35:07.50 0
蒲姓の人
10世界@名無史さん:2011/12/15(木) 01:11:08.78 0
朝鮮人はケースが多いのか?
11世界@名無史さん:2011/12/15(木) 01:14:27.99 0
16世紀のペルーに日本人が20人くらいいたみたいだね
12世界@名無史さん:2011/12/15(木) 07:52:17.87 0
飛鳥時代にペルシャ人とかインド人がいたらしいね
13世界@名無史さん:2011/12/15(木) 09:31:30.83 0
>>12
なにかソースある?
14世界@名無史さん:2011/12/15(木) 12:59:25.78 0
海外に渡った日本人というと、やっぱりヤジロウだな。
キリスト教関係者のせいで、過小評価気味だけど、日本発の西洋語翻訳者、通訳者であるわけだし。
15世界@名無史さん:2011/12/15(木) 13:03:34.32 0
977 名前:世界@名無史さん 投稿日:2009/02/28(土) 21:30:42 0
遣唐使の一行が陸奥でとれた砂金を持っていったのが中国で評判になり、
「黄金の国」のイメージが形成されたらしいなw
宋代になっても日本から砂金を輸出していたし。

現代になると、中国の泉州とペルシア湾のホラズムが直接結びつき、
ジャンク船を使った中国商人の海上交易が最盛期を迎える。
16世界@名無史さん:2011/12/15(木) 14:43:16.26 0
如宝
17世界@名無史さん:2011/12/15(木) 14:44:02.62 0
鑑真
18世界@名無史さん:2011/12/15(木) 15:23:43.12 0
だから、中国人はみんな対象外だっつってるんだろうが
19世界@名無史さん:2011/12/15(木) 15:46:35.62 0
なぜか日本でやたら有名なのは、ルソン助左右衛門だな。
20世界@名無史さん:2011/12/15(木) 16:03:17.75 0
古い時代に渡来したアラブ人と言われているのは、奇叟異珍で、
14世紀後半から15世紀前半の人と言われている。
『重続日域洞上諸祖伝』では南蛮国の人とされているが、南蛮人=ポルトガル人
とも言えないだろう。
2111:2011/12/15(木) 18:41:12.91 0
ああ、すまんすまん16世紀じゃなくて17世紀でした
1613年ペルーのリマでの人口調査
22世界@名無史さん:2011/12/15(木) 20:35:32.42 0
奈良時代にペルシア人の医者が来日してるね。
23世界@名無史さん:2011/12/15(木) 21:28:01.22 0
ええー、そうなの?
もっと詳しく教えてください
24世界@名無史さん:2011/12/15(木) 22:44:46.08 0
>>13
横レスだが、ペルシャ人に関してはたぶんイラン史学者の故・伊藤義教の説だろうね。
飛鳥時代に渡来した達阿(ダーラーイ)を、唐に亡命したサーサーン朝王子の使節としてたはず。
奈良時代前半の人では、実忠和尚=ジュド・チフル(中世ペルシャ語で異邦人の意)を挙げてるね。
1980年代から後、あんまし掘り下げられてる感はないんだが、実際のとこどうなんかなぁ。
25世界@名無史さん:2011/12/15(木) 23:12:24.87 0
スタルヒン
26世界@名無史さん:2011/12/15(木) 23:15:12.17 0
名前だけを挙げるスレじゃないんだけどな。
最低でも、いつ頃日本に来て、何をやった人間かぐらい書けよ。
27世界@名無史さん:2011/12/15(木) 23:38:18.74 0
>>24
AMAZONでちょっと検索してみたんですけど、『ペルシア文化渡来考』って本ですか?
ずばりこのスレ向きの本みたいですね。
28世界@名無史さん:2011/12/15(木) 23:50:22.76 0
奈良時代、創建時の東大寺大仏の開眼供養をしたのは、インド人僧のボダイセンナ。

平安時代初め、三河の国にインド人が漂着した。
彼は綿花の種を携えていたので、それを知った朝廷は綿花の栽培に乗り出そうとした。
しかし栽培技術が未熟だったために種を絶やし、綿の国産は失敗した。
まったくもってもったいない話ではないか。
29世界@名無史さん:2011/12/16(金) 20:11:34.28 0
凄いな。
奈良時代にすでに来てたのか。
考えてみれば、大陸はすでに唐になっていて、長安は国際都市で有名だったしね。
ペルシャ辺りの人間も来ててもおかしくないか。
30世界@名無史さん:2011/12/16(金) 22:34:30.52 0
ヨーロッパ偏重というか、最初にポルトガル人がいつ来たかについては、やたら知られているけど、
ペルシャ人とかインド人が遙か昔に来てたと言うのに、教科書じゃ完全無視だからな。
31世界@名無史さん:2011/12/16(金) 22:41:36.01 0
>>5
同感だね
唐の時代にはすでに中国には何万人もアラブ人が住みついていて
黄巣の乱の時は相当殺されているのに、日本に渡ってきたとの記録は
ないのだよな
それから、日本に最初にゾウがやってきたのは、室町期に敦賀の港に
アラジン卿という人が献上したとなっているけど、
その人の素性もあまり言及されないのだよな
32世界@名無史さん:2011/12/16(金) 23:41:32.08 0
裸行上人、仁徳帝の頃
法道仙人、推古帝の頃

どちらも天竺の行者あるいは僧といわれる
33世界@名無史さん:2011/12/16(金) 23:55:28.09 0
>>24
李密翳なんてのもいたね
34世界@名無史さん:2011/12/17(土) 00:11:13.67 0
【続日本紀 巻第十二 聖武天皇】

    (天平八年)八月庚午、入唐副使従五位上中臣朝臣名代ら、唐の人三人、波斯一人を率ゐて拝朝す。
    十一月戊寅、天皇、朝に臨みたまふ。(中略)唐の人皇甫東朝・波斯人李密翳らに位を授くること差有り。

 【訳】
    (西暦736年)8月23日、遣唐副使・従五位上の中臣朝臣名代らが、唐人三人・ペルシャ人一人を率いて、
  帰国の挨拶のため天皇に拝謁した。
    11月3日、天皇は朝殿に臨御し、(中略)唐人の皇甫東朝・ペルシャ人の李密翳らにはそれぞれ身分に
   応じて位階を授けた。
35世界@名無史さん:2011/12/17(土) 00:14:50.43 0
楠葉西忍
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A0%E8%91%89%E8%A5%BF%E5%BF%8D
楠葉 西忍(くすば さいにん、応永2年(1395年) - 文明18年2月13日(1486年3月18日))は、
室町時代の商人。父は天竺人の「ヒジリ」。幼名はムスル。俗名(通称)は天次で、西忍は
出家した後の号。もとは「天竺」を姓とした。
父の天竺人(この天竺がどこを指すかは不明。インド、ジャワもしくはアラビアの可能性も
あり)の商人・ヒジリは足利義満の時代に来日し、京都の相国寺に居住して絶海中津の
庇護を受けていた。やがて河内の楠葉(現大阪府枚方市楠葉付近)の娘を妻とし、西忍が
生まれた。のち西忍が楠葉を姓としたのは母の出身地による。はじめ京都の三条坊門烏丸に
居住し「有徳の者」と称されたが、将軍足利義持の勘気を受けて(詳細は不明)、父子ともに
大和立野に移り住み、興福寺大乗院に奉仕する。
父の死後、大乗院の坊主・実弾房宗信の妹・戌亥を娶る。永享元年(1429年)に長男の
元次が誕生した。その後もさらに二男二女を得る。永享4年(1432年)はじめて遣明船にて
明国へ渡航。享徳2年(1453年)二度目の渡明では、興福寺末寺の多武峰寺・長谷寺共同の
船の外官となり、息子元次を同行させた。南京を経て、首都北平(北京)まで赴き、
直接貿易に関わり、銅と生糸・明銭などの交易に携わった。
これらの西忍の交易活動は、帰国後興福寺に報告され、大乗院主尋尊によって
「大乗院寺社雑事記」「唐船日記」などに詳細に記されており、当時の日明勘合貿易の実際を
知る上での貴重な史料となっている。
晩年は大和古市に寓居し、文明18年に死去。享年92。
36世界@名無史さん:2011/12/17(土) 00:16:20.02 0
>>7
足利義持の外交顧問であった楠葉西忍は南蛮人と日本女性の混血児で本名を「務須瑠」と言った。
名前の由来から「ムスリム」つまりイスラム教徒であったようだ。
37世界@名無史さん:2011/12/17(土) 06:38:57.96 0
一瞬ムスカに見えた
38世界@名無史さん:2011/12/17(土) 09:38:07.47 0
>>14
ヤジロウは、デウスを大日と訳したことで、やたらキリシタンの評価が低いけど、
あの当時、ポルトガル語に加えラテン語までマスターし、ゴアの学院で神学を
学んだというのは、かなり凄いことだと思うんだけどな。
39世界@名無史さん:2011/12/17(土) 10:07:44.38 0
高岳親王
40世界@名無史さん:2011/12/17(土) 10:33:44.34 0
名前挙げるだけじゃなくて、なんか書いてくれよ
みんな知ってるとは思うけど。
41世界@名無史さん:2011/12/17(土) 10:54:06.12 0
1632年、肥前の士・森本右近太夫、後に世界遺産となる建造物にラクガキを残す
42世界@名無史さん:2011/12/17(土) 10:59:39.28 0
36 名前:人間七七四年 投稿日:2009/01/29(木) 09:29:49 ID:bTNd73Jk
西洋人より知能の劣る倭の庶民
「あんたらの言うように神の教えが唯一普遍的な真理なら、そんな事は誰かに教えてもらう物でもなく、誰もが
はじめから知ってるはず あんたら宣教師は今という時代にここに来て、わしらに何を教えにきたんかいのう?」

倭人より知能の高いはずの西洋人の中でもトップクラスの知識を兼ね備える宣教師
「………!!」
43世界@名無史さん:2011/12/17(土) 13:34:16.55 0
>>38
なんか、日本人はポルトガル人の学生よりラテン語がよくできた、みたいなことを
イエズス会員がなんかに書いていた。
44世界@名無史さん:2011/12/17(土) 13:42:43.30 0
ラテン語は、綴り字と発音の不一致がないのがいい。

何で英語はああなんだ!
45世界@名無史さん:2011/12/17(土) 13:46:19.42 0
>綴り字と発音の不一致

英語もそうなんじゃ?
46世界@名無史さん:2011/12/17(土) 13:46:53.20 0
間違った。
「ないのがいい」か
47世界@名無史さん:2011/12/17(土) 15:58:09.18 0
ラテン語は、SVOじゃなくて、SOVなんだよね。
他の屈折語と違い。
そこだけに注目すれば、日本語と同じ語順。
48世界@名無史さん:2011/12/17(土) 16:49:29.13 0
>ラテン語は、SVOじゃなくて、SOVなんだよね。

SVOでもSOVでも構わないのがラテン語なのでは?
日本語の助詞や助動詞を単語の活用とみなせばラテン語の特徴と通じるものがある。
助詞・助動詞の使い分けで日本語はわりと語順にはこだわらない。
日本語は助詞・助動詞の使い分けで語順にはわりとこだわらない。
日本語はわりと語順には助詞・助動詞の使い分けでこだわらない。
49世界@名無史さん:2011/12/17(土) 17:13:15.35 0
>>47
>>48
もっと言えば、古典ラテン語は単複や屈折や人称の区別さえ間違ってなければ、
主語と述語と目的語の順番はすべて自由でもある。
(まあ、「主語の屈折と目的語の屈折が同形になって、付け加え表現が無いとどちらが主語か目的語か区別がつかなくなる文章」も、稀にあるが)

というか、印欧語族の文法は基本的に屈折に主眼が置かれてて、語順は大して問題にならない。本来なら。
たとえばドイツ語も構文はかなり自由で、
動詞が文中2番目の語または句になりさえすれば、そのほかの語順は基本的には自由。

語順が構文の基本を為す言語は、いわゆる孤立語と呼ばれる文法の言語が中心。中国語とかが典型例。
「印欧語文法は語順優先だ」という思い込みが生ずることが日本でかなりあるのは、
日本の世間一般でそれなりに文法を知られてる欧州語が、事実上、英語しかないことからの影響だと思うんだが。
50世界@名無史さん:2011/12/17(土) 17:16:50.13 0
「盗難予防」

これを中国語で解釈すると?
51世界@名無史さん:2011/12/17(土) 20:44:51.09 0
>>44
文明を生み出した国の言語だと、ローカルな話し言葉と、公的メディアで使用する
書き言葉の間にの食い違いがないけど、
例)ローマ帝国:ラテン語、イタリア語、中国:中国語

辺境にあって、そうした文明から言葉を大量に借用せざるを得なかった国の言葉
例)イギリス:英語、日本:日本語

は、つじつま合わせのために、無数の歪み、例外が出るのは致し方ないということだろう。
52世界@名無史さん:2011/12/18(日) 00:05:38.27 0
>>42
倭人とか差別用語使うなよ
53世界@名無史さん:2011/12/18(日) 12:41:09.92 0

7月の段階で民主党が2兆円の復興予算を組んだとき
自民党が要請した復興予算は累計17兆円

自民党の17兆が7月時点でに決定されていたのなら
今の日本はもう少し違って居た筈だ
ちなみに関東大震災のときは復興予算として現在の価値にして150兆円以上を組んでいた。
この事実を知れば、予算の規模の小ささ、ましてや増税なんて奇知涯にも程があると思わざる負えない。
54世界@名無史さん:2011/12/18(日) 18:17:46.21 0
鎌倉時代、伊豆半島に鬼が乗った船が漂着した事件があった。
鬼の正体は、ポリネシア人らしい。
55世界@名無史さん:2011/12/18(日) 18:50:58.17 0
>>54
その漂着した鬼=ポリネシア人はどうなったの?
56世界@名無史さん:2011/12/18(日) 19:04:01.94 0
船に乗って、また海上に逃れたということだ。
そのあとの消息は不明。
57世界@名無史さん:2011/12/18(日) 19:48:39.64 0
>>54
>鬼の正体は、ポリネシア人らしい。

その根拠は?
58世界@名無史さん:2011/12/18(日) 20:22:59.21 0
>>47
ペルシャ語は、日本語とまったく語順が同じらしい。
59世界@名無史さん:2011/12/18(日) 20:35:02.03 0
>50
盗みは予め防ぎ難し
60世界@名無史さん:2011/12/18(日) 21:59:57.19 0
72 :260:2005/05/30(月) 20:37:39 ID:G6fnR+86
日本人とミクロネシア人の初めての邂逅は、十二世紀にまで遡る。
十三世紀に編まれた日本の説話集『古今著聞集』には、姿形からミクロネシア人と思(おぼ)しき「鬼」の描写がある。
「承安元年七月八日、伊豆の国奥島(おきのしま)の浜に、船一さうつきたりけり。
〔中略〕かの鬼八人船よりおりて、海に入て、しばし有て岸にのぼりぬ。しま人粟酒をたびければ、のみくひける事馬のごとし。
鬼は物いふ事なし。其かたち身は八九尺計にて、髪は夜叉(やしゃ)のごとし。身の色赤黒く、眼(まなこ)まろくして猿の目のごとし。
皆はだか也。身に毛おひず、蒲(かま)をくみて腰にまきたり。身にはやうやうの物のかたをゑり入たり。まはりにふくりんをかけたり。
各々六七尺計なる杖をぞもちたりける」(『古今著聞集』橘成季著・日本古典全集/与謝野寛編集/日本古典全集刊行社より抜粋)

61世界@名無史さん:2011/12/18(日) 22:51:36.09 0
ミクロネシアとポリネシアじゃ、だいぶ違うよ
62世界@名無史さん:2011/12/18(日) 22:52:09.16 0
当時の人にとってはどちらにしても分かりはしなかっただろうね
63世界@名無史さん:2011/12/18(日) 22:52:54.20 0
そういう話じゃないんだが
64山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2011/12/18(日) 22:53:32.82 0
鬼の起源が異人とは思えませんが、これは鬼と見られた例ですね。
これと同じ話が、『玉葉』にはもう少し冷静に書かれていたと思うのですが、
すぐには見当たりませんでした。
鬼の起源が外国人でないと思うと言うのは、これは天狗や河童の起源につい
て言う場合もそうですが、現在のイメージが最初から存在したものではなく、
序々に増補されて現代人が想像する「鬼」が出来ているからです。

とりあえず、平安末〜鎌倉時代の人々の「鬼」のイメージは、南方からの異人
のそれとある程度一致した様ですが。
最初からこうだった訳ではありませんからね。
65世界@名無史さん:2011/12/19(月) 02:14:49.19 0
「うつろ舟」とかも異人系エピソードかね。
66世界@名無史さん:2011/12/22(木) 18:44:43.72 0
>>49
ドイツ語も日本語のように動詞が最後に来てもいい・語順が自由と、
大学時代のドイツ語の先生が言っていたな。

余談だが、アイヌ語には関係詞が存在する。
67世界@名無史さん:2011/12/22(木) 20:57:41.68 0
アイヌ語って、抱合語でもあるからね。
68世界@名無史さん:2011/12/22(木) 21:13:48.43 0
>>47-49>>66
冠詞や品詞活用・性別などががっちりしていれば語順はわりと自由になるが
英語のようにそれらがくずれてしまうと語順が重要になる。
69世界@名無史さん:2011/12/22(木) 21:20:11.88 0
>>58
インドの言語(ヒンディー語等)も、語順?が日本語と似てるらしい。
ヒンディー語が一番よく出来るのが、日本人だとか。
何にしても、英語と違って、日本人とは相性がいいらしい。l
70世界@名無史さん:2011/12/23(金) 21:30:50.18 0
なんか語学スレになってるね
71世界@名無史さん:2011/12/24(土) 23:39:15.10 O
海外で活躍した日本人といえば漂流民で帰国しなかった人々だろう。
有名どころで彦蔵、音吉、善六、権左かな。
72世界@名無史さん:2011/12/24(土) 23:42:32.69 0
それって江戸時代の人間?
73世界@名無史さん:2011/12/25(日) 01:06:46.65 0
>>67
抱合語ってのを簡単に分かり易く例文を出して文法を交えて教えてくれ。
74世界@名無史さん:2011/12/25(日) 01:22:00.22 0
>>72

横から失礼するが、みな江戸時代人。
善六は津太夫の一行にいた人間だな。
一同の中で一番語学に優れ、日本語の漢字や仮名の使い方はもちろん、
ロシア語もすぐ覚えた。
当然、ロシア人たちからも認められる。
だから他の日本人が拗ねてしまい、日本人の結束はバラバラになったとさ。
75世界@名無史さん:2011/12/25(日) 08:04:37.98 0
>>73
国際語スレで暴れていたバカだろお前。
マルチするな
76世界@名無史さん:2011/12/25(日) 08:14:46.39 O
>>72
津太夫で検索するとサイトが出た。
高田屋嘉兵衛の事件に出たんだね。
77世界@名無史さん:2011/12/25(日) 18:10:28.26 0
それにして、善六についてのwikipediaの記事って、やたら詳しいな。
ヤジロウの記事は、あんなに寂しいのに。
78世界@名無史さん:2011/12/25(日) 18:36:10.68 0
東アジア地域・アメリカ大陸・アフリカ大陸は白人の男系遺伝子が多く見られ、
その他の地域は東アジアの女系遺伝子が多いという。つまりアジア人ってのは
古代からのパンパン人種だったというわけだ。
白人種はなぜこんなに神に愛されているのか?
79世界@名無史さん:2011/12/25(日) 18:41:27.92 0
釣り針でかすぎだよ。
白人って、アラブ人種のことか?
古代とかw
80世界@名無史さん:2011/12/25(日) 20:20:01.68 O
>>77
76のサイトの人とか、岩波からレザノフの本の訳を出したO氏とか、小学館の日本史シリーズで「開国」書いたH氏とか、ツワモノがいるからじゃね?
上記三人は仲がいいみたいだし。
81世界@名無史さん:2011/12/27(火) 22:39:28.27 0
82世界@名無史さん:2011/12/28(水) 21:40:31.87 0
有名な話だが、ヘボン式ローマ字の創始者であるヘボン(1815〜1911)は、
英語で書くとHepburnで、オードレー・ヘップバーンと同じスペル
83世界@名無史さん:2011/12/28(水) 23:44:07.28 0
じゃあマイナーな話で
「日本誌」を書いたケンペルはEngelbert Kaempferで
ケンプファーなんですナツルさん
84世界@名無史さん:2011/12/29(木) 05:44:41.06 0
デ・レイケ、ヴォーリーズ、モルガンお雪
85世界@名無史さん:2011/12/29(木) 10:04:58.67 0
名前挙げるだけじゃなくて、なんか書いてよ
86世界@名無史さん:2011/12/29(木) 13:04:54.26 0
705 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/12/27(火) 07:06:51.52 0
朝鮮半島の三国時代について質問です
この時代にはもう朝鮮半島では黒人奴隷(アフリカ系黒人)がいましたか?


708 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/12/27(火) 11:26:35.97 P
>>705
いない。
東アジアに黒人がやってきたのは、
ポルトガル人がマカオに連れてきたものが初出だろう。


711 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/12/27(火) 13:10:43.41 0
>>708
その辺はどうなんだろうね
物理的には唐代くらいには中東との海路が開けて、アラブ商人が
大勢来たから、黒人奴隷もつれてきたと思うのだが
本当に記録の上では大航海時代からなのかなぁ
ただ、もし唐代に中国に黒人がいたなら、日本にだって
世の中には黒い人もいるとの情報くらいは伝わっても
おかしくないのだけど、宣教師がつれてきた奴隷を信長が
見たときは、最初は信じられなかったのか水で洗わせたそうだからな
87世界@名無史さん:2011/12/29(木) 13:05:14.26 0
712 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/12/27(火) 15:33:48.62 0
唐の頃には、肌の色の濃い奴隷を「崑崙奴」と言っていた
マレーとかの東南アジアの人たちがメインだけど、アフリカ系もいっしょくたにして
そう呼んでいたとしてもおかしくはない


715 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/12/27(火) 18:26:14.08 0
朝鮮半島の三国時代は4世紀半ば頃から7世紀後半までだが、
651年になってイスラム帝国がササン朝を滅ぼし、唐に使節を送った。
なので朝鮮三国時代の中東は、ほぼササン朝時代にあたる。

新羅は唐代のムスリム商人から「シーラー」と呼ばれているが、
ササン朝時代に朝鮮半島が知られていたかは分からない。
可能性があるとすれば、南海貿易を通じてシナ南朝まで来て、百済などへ伝来するというルート。
まあ舶来の貴重品だろうから、民間で奴隷として使ったとは思えないが。
88世界@名無史さん:2011/12/29(木) 16:27:21.64 O
>>83
ちなみに父親の代まではKaemperだったがケンペル本人が改めてfを加えたのだ
89世界@名無史さん:2011/12/29(木) 21:03:10.59 0
>>84
ヴォーリーズではなくヴォーリズが一般的な表記。
播磨小野藩第11代藩主だった子爵一柳末徳の令嬢満喜子と結婚して日本に帰化。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%BA

ちなみに、帰化はしなかったものの日本に骨を埋めた外国人建築家としては
J.H.モーガンも有名。
http://ja.wikipedia.org/wiki/J%E3%83%BBH%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%B3

ところで、近時、鎖国以前に日本から海外に渡り、
現地で活躍した日本人について関心が高まってきているような気がします。
江戸幕府の鎖国政策に対しては、これまでプラスの効果
(西欧列強による植民地化の回避、長期間にわたる安定した社会の実現)
ばかり強調されてきたように思いますが、
一方で失ったものも大きかったのではないでしょうか。
90世界@名無史さん:2011/12/30(金) 08:37:57.24 0
>>82 NZから来た人、ヘッバーンと言っていたよ
91世界@名無史さん:2011/12/30(金) 09:31:36.34 0
本人は、pを発音しているつもりなんだけどね
92世界@名無史さん:2011/12/30(金) 19:05:44.90 0
だから何
93世界@名無史さん:2011/12/30(金) 19:23:50.00 0
江戸時代では実際には長崎では
イスラム諸国と交易していたんだよな。
通詞にムガル帝国の公用語担当のものが居たし。
幕府としては唐船扱いだったんだろう。
94世界@名無史さん:2011/12/30(金) 19:25:53.29 0
>通詞にムガル帝国の公用語担当のものが居たし。

ソースは何?
95世界@名無史さん:2011/12/30(金) 19:57:26.69 0
>>94
まずググれ。
96世界@名無史さん:2011/12/30(金) 23:42:29.90 0
>>93
江戸時代以前からも、イスラム教徒と日本人は接触はしているはずなんだがな
なぜかキリスト教徒みたいに日本人に衝撃を与えることはなかったんだよな
あの時代のイスラム教徒なら文明も進んでいただろうに
事実中国人や西洋人はイスラムから文物を取り寄せたりしたのに、
新しいもの好きで、技術が大好きな日本人なら絶対に飛びついたと
思うのだがな
97世界@名無史さん:2011/12/31(土) 16:34:52.74 0
>>93
>>96
室町時代に楠葉西忍というイスラム商人が畿内まで
来て活動しているよな。
モスクとか建てたり布教しなかったのだろうか?
98世界@名無史さん:2011/12/31(土) 17:20:09.28 0
>>97
そうでしたか
なおさら理解できない
今のイスラム教徒でそうだけど
わしらの日常生活には彼等あんまり干渉しないけど、
彼等はキリスト教みたいに布教に熱心じゃないにしても
生活の流儀は絶対に変えないのだけどな
キリスト教のバテレン場合はとにかく質問しまくったというのに、
イスラム教についても質問しないはずがないような気がするのだが
絶対に「戒律を守ると、酒はうまいはネーチャンはきれいでSEX
やり放題の天国にいける宗教があるそうだ」との真実か信じないかは
別にして情報は伝わりそうな気がするのだが、
特にあの時代は浄土系の宗教が流行ったのだから
念仏系は念仏を唱えたら極楽往生できると説くけど
極楽での生活はどうなるのかは、きれいな場所だというのみで
酒はのめるのか?SEXはできるのか?との問いには答えていないからな
飛びつくやつだって少しは出たかもしれないと思うのはおいらだけだろうか?
99世界@名無史さん:2012/01/01(日) 05:58:11.57 0
>>97 なんで商人が布教活動する必要が?
100世界@名無史さん:2012/01/02(月) 23:59:46.92 0
>>99
イスラム教の布教と商人活動は密接に連動しているのが常なんだが?
101世界@名無史さん:2012/01/03(火) 19:31:08.17 0
それは嘘。
イスラム商人の商業活動と布教はセットではない。
102世界@名無史さん:2012/01/03(火) 23:55:28.47 0
>>100>>101も両方とも正しいと言うべきか
商売の信用と回収の問題と言うべきかも知れない。
基本的に商売と言うのは、少し規模が大きくなると、どの時代でも
何日締めの何日払いという付け払いの世界になる
今の日本人でも、信用の問題はなかなかクリヤできないのに、
(100人に一人しか踏み倒すような奴がいないとしても、
商売の利益率は低いから100人に一人の踏み倒しで大赤字になる)
まして、人種、宗教が違うとそれこそ何をやってもいいとの世界になる。
そこで同じ宗教同士だと意外と商売の信用がクリヤされる
特にイスラムは商売のやり方とか利息の規定などこと詳しく規定されているからww
イスラム同士だと商売がスムーズにいく
103世界@名無史さん:2012/01/17(火) 16:02:10.01 0
江戸時代、1813年〜1815年まで漂流して英国船に助けられた督乗丸の乗組員は、1年5ヶ月の世界最長の
漂流記録を持つと読んでいたのだが、
最近見たサイトによると、救助側の記録では1814年に助けられているのだそうな
そっちの記録の間違いって可能性もあるけど、おそらく帰国した時にサバよんで大げさに申告したんだろうな
104世界@名無史さん:2012/01/17(火) 22:42:17.66 O
小栗重吉か。
こんな日本人がいたなんて全然知らなかった。
テレビでやればいいのに
105世界@名無史さん:2012/01/20(金) 10:16:40.21 0
106世界@名無史さん:2012/01/23(月) 13:37:07.72 0
日本最初の英語教師―ラナルド・マクドナルド
http://sans-culotte.seesaa.net/article/61028321.html

アメリカにおける日本評価に大きな影響を与えた。
107世界@名無史さん:2012/02/01(水) 08:09:25.58 0
>>95
これのことか

訳詞長短話

中央に記した漢文の両側には、南京官話・東京語・モウル語・安南語・オランダ語、ポルトガル語などの
発音や訳文が「魏氏仮名文字」と呼ばれる独特の仮名文字で付されている。
本書に見られる東京語は、福州語を基本としつつ若干のベトナム語が混入した言語と指摘されている。
またモウル語はムガル帝国の公用語であったベルシア語とのこと。
ピジンなのか、クレオールなのか、ともかく恐るべき書物である。

http://utyunote.blogspot.com/2011/01/blog-post_23.html
108世界@名無史さん:2012/02/04(土) 11:31:36.84 0
>>89

>江戸幕府の鎖国政策に対しては、これまでプラスの効果
>(西欧列強による植民地化の回避、長期間にわたる安定した社会の実現)
>ばかり強調されてきたように思いますが、

これは、その前史として「鎖国を暗黒時代とのみ見る歴史観」が、明治から
昭和50年代ぐらいまでものすごく強固(あるいは「一般的な常識」)だった
ことを知らない世代の人が書いていると言うこと?
109世界@名無史さん:2012/02/06(月) 07:56:15.51 0
有名な、じゃがたらお春がまだ出てないな。
混血児だったため、江戸初期にバタヴィアに追放された。
110世界@名無史さん:2012/02/07(火) 03:33:22.95 0
あと有名どころだと
オーストリア・ハンガリー帝国女伯爵城主
クーデンホーフ=カレルギー光子
111世界@名無史さん:2012/02/07(火) 07:48:27.88 0
よく知ってはいるけど、肩書きだけじゃなくて、何か一言説明なり、エピソードなりが
書いてあると嬉しい。
112世界@名無史さん:2012/02/12(日) 19:58:30.23 0
じゃがたらお春は、実存を疑われている人物じゃなかったか
113世界@名無史さん:2012/02/12(日) 20:01:43.51 0
ウィキで見てきた

お春は実存の人物、「じゃがたら文」が偽作か
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%8C%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%8A%E6%98%A5
114世界@名無史さん:2012/02/13(月) 01:54:07.25 0
こないだ読んで、なんちゅう教養のある娘だと感動しておったのに偽作なのか
115世界@名無史さん:2012/02/14(火) 22:54:16.78 0
偽作とはショック
116世界@名無史さん:2012/02/16(木) 11:00:55.24 0
孔子の憧れた九州
117世界@名無史さん:2012/02/18(土) 11:40:45.24 0
そうなの?
118世界@名無史さん:2012/02/18(土) 13:21:21.04 O
バタビヤで白人の生活していた春が日本のビンボー生活を懐かしむはずないよね。
119世界@名無史さん:2012/02/19(日) 01:50:57.42 0
だが>>110の伯爵夫人の晩年の口癖は
「梅干しが食いたい」だったそうだ。

じゃがたらお春ときたので、ジュリアおたあをだしておこう。

ジュリアおたあ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%8A%E3%81%9F%E3%81%82
120世界@名無史さん:2012/02/19(日) 15:43:34.71 O
くいもんは別問題っしょ。
ソースは数ヶ月欧州にいて帰国したくなったが、帰国して最初の飯は英国風朝食だった俺。
121世界@名無史さん:2012/02/19(日) 18:12:18.83 0
そういや、韓国で孤児院を経営していて、
「韓国のオムニ」と敬愛された日本女性も
最後の言葉は「梅干が食べたい」

子供のころからの味って、そんなに残るものなのかね
日本に骨をうずめた外国人も、最後は自国の味を欲しがったのか
122世界@名無史さん:2012/02/19(日) 20:28:11.98 0
「なんちゅうもんを食わせてくれたんや…なんちゅうもんを」って泣くぐらいだからな
123世界@名無史さん:2012/02/20(月) 16:17:42.75 0
アメリカの留学生が梅干しをみて、どんな味ですか?ってきくから、
これは、甘いものじゃないよ 塩辛いし、酸っぱいし、きっと食べたら泣いちゃうよ、
やめた方がいいと言ったのに、食べて泣き出していたw

甘くない、と念を押していたのに、やっぱり、外見が赤いから、甘いドライフルーツを想像してしまうらしい
124世界@名無史さん:2012/03/10(土) 19:39:42.58 0
179 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/03/08(木) 06:58:52.86 0
日本人はアイディンティーが薄いのかモテるのか知らんがどんどん混血していくか
日本に帰国しちゃうかでコミュニティーができないからな。
ブラジルやロシアやフィリピンやハワイとか満州では混血が凄い多いはずなのに。
活躍が日本まで届かない。


180 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/03/08(木) 07:06:25.71 0
日系のコミュニティはそれなりにあるよ。では、何で日本に情報が来ないかだって?
日系が日本人を嫌っているから。殆どの日系は騙されるか食えないかどっちかで日本を去って行った。
当時の政府のやり口も詐欺同然だった(最も酷いのが北朝鮮帰国運動だが、他でもそうだった)。
だから、日系にはマイク本田や大西哲光みたいな反日が多い。
125世界@名無史さん:2012/03/10(土) 19:59:41.21 0
前半には同感だが、マイク本田や大西哲光が反日?
太平洋戦争が日本のアジア侵略だったとか、南京事件や慰安婦が事実だったと言っているから?

単に歴史上の通説を言っているだけだが
それなら、「つくる会」の秦先生なんかも反日になるんだろうな?

秦先生だって、中公新書『南京事件』のあとがきで
「日本が満州事変いらい十数年にわたって中国を侵略し、南京事件をふくめ中国国民に多大の苦痛と損害を与えたのは、
厳たる歴史的事実である。それにもかかわらず、中国は第二次大戦終結後、
百万を越える敗戦の日本兵と在留邦人にあえて報復せず、故国への引きあげを許した。昭和47年の日中国交回復に際し、
日本側が予期していた賠償も要求しなかった。当時を知る日本人なら、この二つの負い目を決して忘れていないはずである。
それを失念してか、第一次史料を改竄してまで、『南京大虐殺はなかった』と言い張り、
中国政府が堅持する『30万人』や『40万人』という象徴的数字をあげつらう心ない人々がいる。
もしアメリカの反日団体が日本の教科書に出ている原爆の死者数が『多すぎる』とか、
『まぼろし』だとキャンペーンを始めたら、被害者はどう感じるだろうか。数字の幅に諸論があるとはいえ
、南京で日本軍による大量の『虐殺』と各種の非行事件が起きたことは動かせぬ事実であり、
筆者も同じ日本人の一人として、中国国民に心からお詫びしたい。この認識なしに、今後の日中友好はありえない、と確信する」(P.244)。
といっているのに。秦先生も反日になるのか?

もし、二人の「反日」の根拠が、これと違ったらごめんなさい
126世界@名無史さん:2012/03/17(土) 13:05:41.77 0
日本人村を作るとしたら?
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/world/1318502803/l50
127世界@名無史さん:2012/03/28(水) 08:34:53.68 0
この板の人間には周知の話かもしれないが、奴隷として売られた日本人達の話も

400年以上前に南米や印度などに渡った名もなき日本人たちのこと
http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/110/
128世界@名無史さん:2012/04/01(日) 16:48:03.43 0
日本人町、外地、租界、占領地、傀儡国家
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1333264568/l50
129世界@名無史さん:2012/04/11(水) 22:19:33.01 0
江戸時代初期に渡欧したサムライの末裔(まつえい)ではないかと言われる
「ハポン(Japo´n)」の姓を持つスペイン人のDNA鑑定を行い、日本との関係を探る研究プロジェクトが、近く始まる

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120410-00001285-yom-soci
130世界@名無史さん:2012/05/23(水) 22:50:12.82 0
ペトロ岐部がまだ出てないとは。
ヤジロウよりちょっと時代は後だが、ローマで司祭にまでなった。
この人が訪れた地のほとんどは、日本人として初。
インドからペルシャ湾まで海路で行った後、陸路で地中海まで、そっからローマまで行ったりして。
131世界@名無史さん:2012/05/26(土) 10:17:28.51 0
75 :名無しさん@12周年:2012/05/19(土) 06:52:01.76 ID:OUu/G7EY0
米陸軍への入隊に備えてさまざまな講義を受けている。
その中で先日、「絶対に捕虜になってはいけない」という講義があってイラクで犠牲になった人々の最後の瞬間が映し出された。
中でも目を引いたのが二人の日本人だそうだ。一人はテロリストに惨殺された香田さんだ。

香田さんは死に際して「すいません」と言い、悠然として首を切られた。
私のこの場面はネットで配信された動画で見た。
彼だけだそうだ、後まで悠然としていたのは。ほかの国の犠牲者たちは恐怖で泣き喚いていたそうだ。
彼の殺される場面だけ見ていたので彼の立派さが分からなかった。
誰でもあんな残酷な殺され方をすると分かれば泣き喚くだろうと思っていたが彼は違っていた。
彼が最後に「すいませんでした」といったのは誰に対してだろう?ご両親に対してだろうか?
私は日本と日本国民に対してだろうと思う。

もう一人の日本人犠牲者は斉藤さんだ。
フランス外人部隊出身の彼はテロリストとの銃撃戦では最後まで降伏せずに戦い続けていたそうだ。
ほかの同僚たちはかなわないと見ると手を上げて降伏のサインを送る中で彼だけ際立って勇敢だったそうだ。
もっとも手を上げても撃ち殺されていたそうだが。

この一連のビデオを見終わって講義の参加者は日本人を見直したらしい。
戦後どっぷりと平和教育に浸って牙を抜かれたような日本人が、
最期の瞬間にはサムライの伝統をまだ身に着けていることを示す……
132世界@名無史さん:2012/06/03(日) 11:08:58.96 0
614 :S字型金具 :2011/02/19(土) 01:31:36 ID:hlQDpnLA
1548年(天文17年)、ゴアの聖パウロ学院長ニコラオ宣教師がインドに来た日本人(アンジロー)から聞き取った
『日本の世俗的な事柄について』のインド総督宛ての報告書。

閣下の質問、日本人の間に、戦いが行なわれるかということについて、彼(アンジロー)が言うところによると、 ・・・・・
日本には、鎖帷子、胸当、兜、頤甲及び腕章があります。
彼等はまた腿や脚部に鉄でできた具足を付ける習わしがあります。
彼等は、エスピンガルダ(小銃)、弓、矢及び槍を持っています。
彼等はまたたいそう幅が広くてかなりの長さがある一種の鉾をも所持しており、それは私達のものと同様に柄に付いています。
彼等は私達が片手や両手で剣を持っているように、小刀と大刀とを帯びています。
彼等には卵型の革製の盾はありませんが、その代わりに金属の薄片で被われた革を常用しています。
それは左肩の上に、そしてその箇所に楯の代わりに結び付けられます。それは長さ三パルモ(66cm)、幅はそれよりも少し短くなっています。
そして、左手は戦闘のために空いています。
これらの日本人が戦争に赴く時には、土着の兵士(現地人兵士)は各々胸当、兜及び革のあの手楯のようなもの、刀、槍、弓矢を持っていきます。
彼等は武器を運搬するのを手伝う小者一人、あるいは、私達の間に見られるように、彼等の地位に応じてそれ以上の数の小者を連れていきます。
この島のある地域では山がちな土地であるためにすべての者は徒歩で戦いますが、土地が平地である他の地域では弓矢や両手を使う刀を持って騎馬で戦います。
そして敵を幾人か殺した時には、その首を斬って大将のところへ持っていくのが習わしです。
そして、首を持参することができない時には、勇しさの証拠及びしるしとしてその耳を切り取って持っていきます。
日本の馬は、私達の馬と同じほどの大きさでがっちりしており、フランスの馬に似て太い脚を持っています。
133世界@名無史さん:2012/06/10(日) 11:52:58.42 0
ボゾルグ・イブン・シャフリヤールの『ヒンドの驚異譚』(955年)

945年に、ワークワークの人々は1000隻の船に乗って、カンバル[アフリカ東岸の都市]を攻撃した。<中略>
攻撃の理由を問われると、彼らは自国やシーン国で需要のある品物、
つまり黒檀・鼈甲・豹皮・竜涎香といったものがそこにあるからだと答えた。
また、重労働に耐えうる強健なザンジの男たちを彼らは[奴隷として]捕らえたがっていた。
彼らが言うには、1年間船旅をしたという、またカンバルから6日の距離にある島々や、
ザンジのソファラの村々を所有していると言っていた。

もし、[1年間航海したという]この男たちの話が本当なら、
イブン・ラキスが、シーンの対岸にワークワーク島があると言ったことが正しい事となろう。


イスラームの地理感覚では、インド洋の諸島と日本がごっちゃになっているようだ。
インド洋の海賊がアフリカ沿岸を荒らして、中国向けの貿易品を獲得していたといった所だろう。
134世界@名無史さん:2012/06/15(金) 11:48:39.48 0
15〜16世紀にアジアやアメリカを探検したスペイン、ポルトガルの航海者(貿易商人、
探検家、宣教師)には、コンベルソ(元ユダヤ人の改宗キリスト教徒)の系統が多かったそうだ。
来日した有名どころの中ではフェルナン・メンデス・ピントやアルメイダやルイス・ソテロがほぼ確実に
コンベルソ系で、また明言はできないがおそらくコンベルソ系ではなかろうか、というのがほかにも
何人かいる(フェレイラ、ロドリゲス)。
イベリア半島で国家権力と一般住民に迫害されまくっていたユダヤ人が、キリスト教徒になることで
殺されることを逃れ、そんなコンベルソ(やその子孫)が、地球の裏側の日本にまでわざわざやってきて、
キリスト教を布教し、日本の権力者に迫害されてキリスト教徒として殺される。
なんかゲンナリしてしまうね。
135世界@名無史さん:2012/06/15(金) 18:18:32.58 0
>>125
そもそも反日って言葉の定義が曖昧だからね

逆にいえば・・・
右翼だったら反米なわけでもないし

親米ポチという言葉もある
136世界@名無史さん:2012/06/16(土) 08:52:06.84 O
なにをもって「日本」としてるのか、だね。
政府の意味なら民主党を支持しない人たちは反日ってことになる。
自民一党支配がつづいたから「自民」=「日本」と勘違いした人もいるけど、
本来なら愛国ってのは公共の福祉を優先することだろう。
137世界@名無史さん:2012/06/16(土) 11:39:09.60 O
>>134
そりゃコンベルソはいくら改宗したからといっても完全に迫害からのがれられたわけじゃないからね
当時のイベリア半島の異教徒・魔女狩りの苛烈さから逃れて異国に骨を埋めるのを望んだのは無理からぬことだと思えるな。
宣教師として来た者は非ユダヤ系の人間以上にキリスト者として生きようとして熱意満々であったろうな
138世界@名無史さん:2012/06/16(土) 20:06:46.79 0
>宣教師として来た者は非ユダヤ系の人間以上にキリスト者として生きようとして熱意満々であったろうな

大東亜共栄圏の理想を東南アジアやポリネシアで力尽くで現地人に教え込もうとする
非大和系帝国臣民がオーバーラップするね
139世界@名無史さん:2012/06/19(火) 21:09:54.41 0
ミリキタニ一族は熱いぞ

ジミー  川合玉堂の弟子。強制収容所とホームレス生活に耐えて親族再会と個展開催を果たす
ジャニス 詩人。サンフランシスコ桂冠詩人。日本人の血を意識した力強い作品が多い

バンドマンや研究者もいる。12人兄弟中8人がアメリカに移民したそうだ
140世界@名無史さん:2012/07/01(日) 15:51:45.44 0
カリフォルニアおけい
141世界@名無史さん:2012/07/02(月) 02:39:36.08 0
だから、単語で喋るなって。
一言何か書けよ。
142世界@名無史さん:2012/07/02(月) 21:12:24.10 0
黄身こそ


日本を脱出してアメリカにわたった会津人が数名いた。ワカマツ・コロニーを建設するが資金不足
で離散する
おけいさんははかなく死んでしまったけど、移民仲間で唯一子孫を残した人はなかなかいいな
妻は解放奴隷とインディアンの混血
89歳になって太平洋戦争勃発
妻(未亡人)は国籍が日本なので呼び出される。胸を張って「私の夫は日本人でした。
日本の会津人でした」と宣言
お孫さんは床屋さんやってるそうだ。日系人の開祖みたいな人たちだ
143世界@名無史さん:2012/07/06(金) 03:47:09.77 0
具体的な歴史資料を紐解いてみても、日本列島には各地から移民が殺到している。
渤海地方から日本海を通って北陸に土着した人々、朝鮮半島から九州に入った人々、東南アジアから沖縄を経由してきた人々などが見て取れる。
ただ、これらは侵略という形は取らなかったようである。日本に渡ってきた人々は、何らかの事情で母国を追われた難民が多く、列島を征服しうる軍事力を持たないのが普通だったからである。
http://www.t3.rim.or.jp/~miukun/japan2.htm
144世界@名無史さん:2012/07/06(金) 03:48:06.36 0
>アフリカ東部から十数万年の歳月をかけて南ルート、ならびにヒマラヤの北のルートを辿って来た人々がいたと先ほど書いたが、およそ2万年前に中国北部に住んでいたアジア人が、南方のモンゴロイドに押されてシベリアに侵入した。

>またマイナス数十度と言う厳寒環境に対して、身体も環境適応していった。厚い皮下脂肪、一重瞼、眉や髭の薄さ、小さい耳、低い鼻は、厳寒に対応するために適応していったものである。
>彼等が、5000年前の気候の寒冷化に対応するように(食料=獲物の減少か?)、シベリアから北東アジアへ拡大を始めた。その寒冷地仕様の人々の子孫が、金属や水田稲作を携えて日本にやって来たと考えられる。
>だから、縄文人と弥生人は、身体的特徴が違う。大きなくくりで言えば、顔の彫りの深い"縄文人"は暖かい東南アジアや太平洋民族と同じ先祖を持ち、のっぺりとした顔付きの"弥生人"は寒冷地に特化・適応した人々を先祖に持つ、と言える。

>弥生人が持ち込んだ"結核"や"はしか"や"天然痘"等の未知の伝染病が、孤立した島国で生きてきたために免疫を持たない縄文人に感染し、縄文人達を病死へと追いやってしまった。結果的に、"弥生人7割、縄文人3割"的な弥生人の社会となる。

>日本の隅へ隅へと縄文人は追いやられてしまい、つまり北と南に追いやられてしまい、琉球と北海道と言う孤立した地域で縄文人の子孫達が生きていく事となったと考えられる。
>琉球人とアイヌ人の"文化"は同じではないが(※アイヌは北方文化を引き継いでいる)、身体的特徴は双方とも縄文人の直系の子孫で、最も縄文人の特徴を現代に残している人々だと言われる。
http://www.ne.jp/asahi/happy/jollyboy/dendou06.htm
145世界@名無史さん:2012/07/11(水) 21:43:13.69 0
エスキモーは生きてる鮭を手づかみで捕まえてそのまま丸かじりしてるな
ものすごく「俺らが狩猟民族になった場合」だと自然に思った
146世界@名無史さん:2012/08/10(金) 03:21:03.93 0
http://www.bfh.jp/special/25/03/060712/img/08.jpg
秋辺日出男さん
明治初期に日本に来たヨーロッパ人がこういう顔をみたらやっぱ勘違いするわな
147世界@名無史さん:2012/09/08(土) 22:58:36.78 0
122:名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 17:39:14.44 ID:WjRifqni0
日本にいた米国人は日本の強制収容所に入れられたん?(´・ω・`)


140:名無しさん@13周年:2012/09/08(土) 17:42:32.09 ID:beLjb33h0
>>122
ちなみに、日本国内にいた英米民間人は、強制退去処分。
船で本国に強制送還してたはず。

ソ連人ドイツ人フランス人は普通に国内にいて、仕事をしてたが
空襲がひどくなると落下傘兵と間違えられるのが怖くて戦争末期には
集団で軽井沢に疎開した。

アメ人が日本に占領したとき、軽井沢にいっぱい白人がいたので
びっくりしたって。これは強制退去とかじゃなく自主避難した独仏人などなど。
148世界@名無史さん:2012/09/09(日) 13:20:23.88 0
山田長政〜タイでは「オーヤー・セナピモック」と呼ばれて江戸時代、
アユタヤ朝で華僑と戦った
149世界@名無史さん:2012/09/14(金) 10:43:26.71 0
江戸初期にベトナムに渡った近江商人、西村太郎右衛門の名前がまだ出てないな。
http://med.honnet.co.jp/~wwwmgr/metro/oumi/o187/oumi_37.htm
150世界@名無史さん:2012/09/14(金) 23:57:55.88 0
>>148
その山田長政が存在を疑問視されている人間だというのは、ほんまかいな
なんでも、90年代に山田長政の顕彰碑をタイに作ろうとして、タイから
「山田長政は実際を疑問視されている人間である」と拒否されたって

まあ、山田長政個人はいなくとも、山田長政のような日本人はいたのだろうが
151世界@名無史さん:2012/09/15(土) 03:53:41.71 0
仙台市の博物館で、
支倉常長がジェノヴァの貴族に列せられた時の絵を見た時は感動したなあ
152世界@名無史さん:2012/10/03(水) 11:09:54.18 0
朝鮮の歴史書の統計によると、朝鮮は西暦元年から1945年まで、
日本によって1000回以上侵略されているそうだ。
一方、彼らは中国によって同じ時期に3000回以上侵攻されてる。
ただ、侵略の多くは日本の政府によって故意に計画されたものじゃないとしているけど、それでもすごい数だ。


でも、現代は、つまり1945年以降は、日本は軍事で気を悩ませることが無いであろう、世界で最も平和な国だよ。
日本の警察は作戦行動中の戦車部隊に駐車違反キップを切ることで有名だ。
交通規則に例外は無いってことでね。
━ ワシントン州・シアトル 
153yiuy676dfasf789:2012/10/04(木) 02:41:32.72 0
ネトウヨの皆さんも反女性専用車両に賛同を!

女性専用車両も原発と同様、国(国交省)の無計画で無秩序な方針のもとで進められました。
男性を侮辱した女のわがまま【女性専用車両】を批判しよう

石原都知事も都庁記者会見で女性専用車両を問題指摘
http://www.youtube.com/user/7981657797ad

男性を侮辱して見下した人が要望する女性;専用車両
男性を避けたいだけの理由で利用する女性;専用車両
154世界@名無史さん:2012/10/09(火) 22:30:05.87 0
「全世界で韓国企業に先端製品の販売を20年間禁止する」
アメリカが技術を盗んだ韓国企業に厳しい制裁措置を実行
http://u1sokuhou.ldblog.jp/archives/50379863.html

24:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2012/08/31(金) 23:22:12.70 ID:3NMlTQXQ
「さっき、トヨタの話がでてたけど、インディアナ州出身で、韓国側と共闘していたダン・バートンは、
地元政界でつるし上げを食らって、政界引退だそうです。
トヨタはインディアナ州から露骨に引き上げてましたからねえ・・・・
共同歩調とって日本のほかの企業も、インディアナ州回避。」
「アメリカ国内で、危険な政治家のいる地域を避けるのはただの経営判断ですよ。」
「慰安婦碑の時に聞いた話だと、TOYOTAは、はっきり
『あなたの××という議員が反日活動してますね?だから工場は建てません』
ってはっきり断るんだってね。
慰安婦碑、全米に20ヶ所も建てるとか息巻いてたけど、下手すれば人死にがでるなw 」
「ちょっとトヨタ車買う気になっちまったぞw 」
155世界@名無史さん:2012/10/10(水) 01:24:28.92 0
朝貢で中国へ連れて行かれた生口がどの様な待遇をうけたか
ご存知の方は居られますか?
156世界@名無史さん:2012/10/10(水) 19:29:40.35 0
また君か。
157世界@名無史さん:2012/10/10(水) 20:58:29.18 0
>>156
史料が無いからわかりません。
史料ご存じの方はそれを示したうえで情報くれると良いですね。
158世界@名無史さん:2012/10/19(金) 21:36:23.93 0
奈良時代に唐に贈られた舞姫は唐からさらに別の国へ贈られてた
夜の方もあっただろうしちょっと年取ったらNGだろうし悲惨さは最近の非正規なみ
この話は街道を行くのどっかで見た。どこか忘れてごめんね
159世界@名無史さん:2012/11/01(木) 11:31:06.66 0
179 名前:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 投稿日:2012/06/25(月) 21:39:20.47 0
1712年頃に成立した『和漢三才図会』に、ヒクイドリ、別名駝鳥の項目がありますが、
どうも今言うところのヒクイドリのことらしい。
1635年にはオランダから「駝鳥」が献じられていますが、これもどうやらヒクイドリのことらしく、
混同されていたので分かり難いですね。
『和漢三才図会』の時代には、長崎で飼っている人もいたそうです。

実際に舶来したのはヒクイドリの方が多く、両者が別物であることを双幅の
絵で示したのは大槻玄沢で、時に寛政3年(1791)のことでした。
徳川光圀が見たという「駝鳥」も、ヒクイドリであったらしい。
1658年に渡来したのは、今いうところの駝鳥であった様ですが、すぐ死んだこともあってマイナーでした。

徳川家慶の時代に長崎から献じられたという駝鳥の卵も、どちらのものかは不明ですが、
徳川家基、その父家治が薨去した年にも献じられており、不吉であるというので差し止められた
というのが面白い。


180 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/06/25(月) 22:40:36.05 0
今日たまたま読んでいた安部龍太郎の『室町花伝』の中の話で、貿易を開始するにあたり、
パレンバンの太守から将軍に献上された象や駝鳥を、小浜から都へ運ぶ話がありました。

話の最期に、粟田口から室町御所まで駝鳥や孔雀、驢馬や象がねり歩いたことを書いた後に作者は、

この様子を『東寺王代記』は<七月二十二日、黒鳥唐より引き進む、高さ六尺余>と記し、
『和漢合符』は<七月、南蛮国黒象三頭、鸚鵡、大鶏等を貢ず>と記している。黒鳥、大鶏は
駝鳥のことだ。

と書いています。
ただ、6尺だとダチョウにしては低すぎるし、どっちかというとヒクイドリっぽいですね。
(にしては少し高いけど。)
生息地から考えても、パレンバンから貢物にするんだったら、わざわざアフリカの鳥ではなく、
インドネシアに棲んでいるヒクイドリを持ってくると考えるのが自然だし。
160世界@名無史さん:2012/11/01(木) 11:32:59.10 0
181 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/06/25(月) 22:43:14.54 0
年代について書き忘れましたが、
史実では、パレンバンの太守施進卿が「南蕃船」を派遣したのは、1408年と1412年なんで、
1408年には初めてヒクイドリが京都に来ていたということなのかも。


182 名前:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 投稿日:2012/06/25(月) 22:56:30.64 0
『若狭国守護職次第』に1408年に南蛮の「帝王御名亜烈進」から日本の国王へ
の進物があったと言います(名前はアラジンか?)。
差出人の名が違いますが、おそらく同一でしょう。
当時、国王と日本国内で言ったら普通は天皇のことでしたが。
もっとも、こちらでは黒象一頭、山馬や孔雀と鸚鵡が一つがいずつとなって
います。黒鳥ないしは大鶏については記述なし。
大きさと色からすれば、仰る通りヒクイドリの可能性が高そうです。
161世界@名無史さん:2012/11/19(月) 05:21:01.45 0
2 名前:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 投稿日:2010/09/11(土) 11:43:00 0
高岳親王(799〜865)
平城天皇の第一皇子。真言僧として出家し、天竺を目指すが、その途中羅越
国で流砂に飲み込まれて死亡したとされる。
羅越国については、ラオスないしはマレー半島とする説が有力。
ただし、その場合は流砂に飲み込まれたという記述とは矛盾する。
11世紀には、マレー半島の言葉が日本に伝わっており、数詞とされていたも
のは、現代マレー語と一部対応している。

金剛三昧(9世紀)
唐代に中国へ渡り、更に中天竺まで行って帰還して来た日本人僧。
本姓や詳しい経歴は不明であるが、中天竺へ巡礼して壁画を見て来たといい、
それも二回も渡天していたという。
また、四川も訪れていたらしい。
162世界@名無史さん:2012/11/19(月) 09:56:02.26 0
早川雪洲(セッシュー・ハヤカワ)

1907年に渡米。
1915年の『チート』で悪役を演じ、アメリカでスターに。
日本では、『戦場にかける橋』の収容所所長の斉藤大佐役が有名。
日本人としてもっとも早い時代に活躍した国際的映画俳優。
163世界@名無史さん:2012/11/23(金) 13:33:56.92 0
高岳親王は薬子の乱で廃太子になって、皇太子からただの皇子になって出家した人だな
僧侶としてガチにがんばって高い学僧になってる。マレーシアに伝承彼の墓がある。
164世界@名無史さん:2012/11/26(月) 08:56:54.00 0
1
165世界@名無史さん:2012/11/26(月) 09:41:05.92 0
史料で確認できる一番古い外国に渡った日本人の記録ってなに?
166世界@名無史さん:2012/11/26(月) 12:01:16.08 0
漢書地理志「分爲百餘國 以歳時來獻見云」かな
167世界@名無史さん:2012/11/30(金) 09:46:15.79 0
168世界@名無史さん:2012/12/19(水) 03:33:01.61 0
ダニエル・イノウエ米上院議員が死去したそうな
169世界@名無史さん:2012/12/19(水) 10:35:37.90 0
おっぱい揉んで
激安で抜ける
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170世界@名無史さん:2012/12/24(月) 19:12:41.45 0
古代に隋唐に渡った和人はたくさんいたのに、
あっちの方が良くて積極的に残った人間は皆無に近い、
太古から日本人にはチャイナドリームは無かったんだなあと思う。
現在、アメリカへの人材流出がおきていない唯一の国といってもいいし、
日本人は基本的に「ここしかない」という意識が強いんじゃないかな。
171世界@名無史さん:2012/12/24(月) 19:37:02.58 0
ハワイ、ブラジル、ペルーに移民した人がどれほどいたのか知らないのかw
172世界@名無史さん:2012/12/24(月) 20:24:39.36 0
確かにちょっとうかつでした、
でもそれも100年に満たない期間で終了、
移民も現地に埋没傾向、
バイタリティは低い感じ。
173世界@名無史さん:2012/12/24(月) 20:37:06.45 0
>>170
アメリカへの人材流出は、数は少数かもしれないけど質的には深刻だよ
日本ではたいして儲からない科学者や技術者が、アメリカの大学や研究機関や企業で研究している
ノーベル物理学賞とった南部陽一郎(アメリカ国籍)なんて、その典型
174世界@名無史さん:2012/12/24(月) 20:54:02.83 0
数は少ないだろうな。
今のアメリカは、極端に移民制限してるから。
その条件でも向こうに渡れる人間ってのは、どの分野にしても
相当優秀で実績を残した人間だけ。
なんで絶対数は少なくても、確かに深刻。

ただ今までは、英語で日本の立場についてちゃんと
アピールできる人間が少な過ぎた。
(それが日本が中韓に負けているところ。)
海外にどんどん出て行くということは、反面そういう人間が
増えていっているということでもある。

日本にとって損か得かという話だと、特定の分野だけでやたら
人が出て行って、国内の人間が過度に少なくなるのは明らかに損失。

できるだけ多様な分野で海外進出できる人材を育てるのが、国益と
いう点からするといちばん望ましい。
175世界@名無史さん:2012/12/25(火) 21:17:55.84 0
僕の高校時代の友人も大卒後に渡米。奥さんは日本留学経験があり、二人は
日本の大学で知り合って結婚した。アメリカ東部の静かな住宅街に居を構えて
旦那(=友人)は現地企業に就職。小学生の娘1人。奥さんも何か知らないけど
仕事はあるみたい。

そいつはアメリカの方が住みやすいという。日本だと「○○歳までには〜〜しろ」
とか「男なら〜〜であるべきだ」とやたら社会的な拘束が多いけど、アメリカは
その点は気にしなくていいから気楽だと。

僕はなんだかんだで日本でもがいている。あいつのように海を渡った方が生き
やすかったかもしれない。メンタルクリニックのお世話になることもなかったかも。
何とか働いて、何とか生きている。

どこかで一花咲かせたいものだ。
176世界@名無史さん:2013/01/21(月) 04:23:58.01 0
13世紀に描かれた日本の山賊の絵の中に白人がいてワロタ
http://ryusoku.com/archives/3639925.html
177世界@名無史さん:2013/01/21(月) 12:58:38.97 O
>>118
そうかな。
のし上がった実業家なんか、昔は嫌で堪らなかった貧乏時代の味が無性に懐かしくなるというよ。
178世界@名無史さん:2013/02/07(木) 08:36:51.46 0
「日本の奇跡」の秘密は海賊の真珠にあり
http://japanese.ruvr.ru/2013_01_31/103102190/
179世界@名無史さん:2013/02/19(火) 21:03:24.13 0
>>177
懐かしいのと戻りたいのは別なんですよ旦那
俺も数年前に土方のバイトをしていて懐かしく思うこともあるけど戻りたくないし
180世界@名無史さん:2013/02/21(木) 20:55:20.12 0
慶長遣欧使節が震災復興っていう新説が最近出たのかwwww
181世界@名無史さん:2013/02/23(土) 17:44:01.59 O
震災にかこつけて売名行為を働く不逞の輩がいるんだな。
182世界@名無史さん:2013/02/23(土) 20:55:44.90 0
慶長遣欧使節=震災復興
こんなお涙頂戴物語を真に受けてしまった気の毒な方がいらっしゃいました。ご愁傷さまw
NHKも罪作りだな。


>慶長遣欧使節団・伊達政宗・支倉常長…
 (中略)
>なんと、この歴史の背景には震災からの復興があったそうですよ
183世界@名無史さん:2013/03/07(木) 22:32:27.28 0
そもそも支倉なんて伊達から見たら使い捨てでしかないわけで
184世界@名無史さん:2013/04/08(月) 17:19:47.34 0
平家はなぜ亡命しなかったのか?
185世界@名無史さん:2013/04/09(火) 13:45:43.63 0
外国人が描いた漫画らしい http://mang.jp/story/54274
186世界@名無史さん:2013/04/10(水) 20:31:24.39 0
>>184
あれだけの人々で亡命するには物資が足りない。船も外洋航海できない。
ただ、「平家の落人伝説」はある程度信憑性があるのではないかと思う。
187世界@名無史さん:2013/04/28(日) 14:03:05.72 0
>>184 どこへ?
188世界@名無史さん:2013/05/03(金) 07:32:56.32 0
44 名前:日本@名無史さん 投稿日:2011/12/24(土) 16:28:56.95
マダガスカル島に越前商人の石碑がある
189日いづる国:2013/05/03(金) 08:18:33.07 O
●昨今、特アや反日マスゴミが閣僚による靖国神社参拝について批判している。
そのような時に是非読んでもらいたい記事を紹介する。
ブログ【さくらの花びらの「日本人よ誇りを持とう」】に昨年6月に掲載されていた記事だが、
特アや反日マスコミが日本の閣僚の靖国神社参拝を非難し、憲法改正について議論がなされている今、改めて多くの日本人に読んで頂きたい。
http://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/30725832.html
日本人全員に読んでもらいたい。「私は日本人になって天皇陛下にお仕えしたい」(ウエスト博士)
昭和51年に発行された難波江通泰氏の著書『天皇陛下にお仕へしたい ウエスト博士の思ひ出』という著書があります。
この中の対談でウエスト博士は「日本の繁栄はすばらしい。無限の可能性を持っている」と言う。
難波江氏は「あなたの考えでは、日本の繁栄の根本的な原因は何であるとお思いですか?」と問う。
ウエスト博士「それは、日本に天皇陛下が居られるからです」
ウエスト博士は続けてこう言いました。「私は日本人になりたい」
難波江「どうしてですか?」
ウエスト博士「それは天皇陛下が居られるからです。天皇陛下が居られる国だから、私は日本へ来たのです。
もし日本に天皇陛下が居られないならば、それはドイツやソ連やイギリスやメキシコやアメリカなど、世界のすべての国と同じであって、そんな国ならどこへ行っても同じことです。
イギリスやオランダなどにも国王や女王が居られるけれども、それらは日本の皇室や天皇陛下とは違う。天皇陛下が居られるのは日本だけだ。
絶海の孤島の漁師でもいい。山間僻地の貧しい百姓でもいい、私は日本人になって天皇陛下にお仕えしたい」・・・・
190世界@名無史さん:2013/05/06(月) 09:49:56.18 0
阿只抜都はやはり日本人だったんだろうか?
191世界@名無史さん:2013/05/06(月) 23:35:09.06 0
(日本の誇り日本の誇りと唱えつつ
   その中身は結局、白人に褒められて喜ぶポチ心哉)
192世界@名無史さん:2013/05/07(火) 02:00:41.38 0
また変な国籍不明人が沸いて出たな
193世界@名無史さん:2013/05/08(水) 14:30:10.76 0
高岳親王とか。

マレーシアにお墓あるらしい。
194世界@名無史さん:2013/05/09(木) 09:55:21.77 0
マレーシアというか、ジョホールには日本人の墓いっぱいあるよね。
二葉亭四迷も同じ日本人墓地に葬られてる。
195世界@名無史さん:2013/05/09(木) 23:17:19.83 0
>>150
アユタヤにフツーに「山田長政記念館」があるんだがwww

バンコクのファランポーン駅からタイ国鉄の鈍行で約1時間半。
アユッタヤー駅ちかくでレンタサイクルを借りて1日アユッタヤーを回ってきた。
某ガイドブックにあった渡し舟が山田長政記念館のほうに行かなかったので、
自転車で大回りして向かった。

途中かなり道がわかりにくかったので、行過ぎてしまってないか不安になって、
そのへんのタイ人に聞いてみた。

俺「あー、いーぷん(日本)びれっじ みゅーじあむ?」
タイ人「いーぷん?」
俺「じゃぱにーず ひすとりかる……」
タイ人「あー……? ヤマダ!?」
俺「いえすいえす! やまーだ!」
タイ人「やまーだ! あばうと3きろみーたー。ごーすとれーと!」

というわけで、「ヤマダ」で通じましたよ?
196世界@名無史さん:2013/05/10(金) 07:24:48.93 O
>>184
沖縄の平良(たいら)姓は平家の末裔と言う説があるらしい
197世界@名無史さん:2013/05/10(金) 20:14:24.01 0
無責任艦長
198李雪峰・台湾高座会会長を招き「来日講演と懇親晩餐会」:2013/05/10(金) 20:16:28.36 O
大正15(1926)年、台湾・台北市大稲[王呈]生まれ。台北市立商工専修学校卒業。在学中に少年工選抜試験に合格。
昭和18年9月、第4期生として高座海軍工廠に入廠し専任寮長を務める。
三菱重工業名古屋航空機製作所、川西航空機鳴尾製作所で航空機の生産に従事。
終戦後、台湾省民自治会結成を主導し台湾少年工8400名余の帰台に尽力。
国場組台湾出張所などに勤務する傍ら1982年の台北高座会結成などに尽力し1988年6月、台湾高座会の結成と同時に会長に選出。
以来、毎年、台湾高座会全国大会を開き、平成5(1993)年の来日50年周年、同15(2003)年の来日60周年、同25(2013)年の来日70周年を記念して開かれた日本の歓迎大会に数百名の元台湾少年工を率いて参加。
平成25年4月29日、日本・台湾間の相互交流・相互理解の促進に寄与したとして旭日小綬章を受章。李登輝民主協会常務理事としても活躍。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
台湾の元少年工、来日70周年記念集会で再会喜ぶ

【TBSニュース:2013年5月9日】
動画:http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye5328030.html
199世界@名無史さん:2013/05/10(金) 21:40:31.91 O
大黒屋光太夫
200世界@名無史さん:2013/05/31(金) 11:39:31.59 0
>>168
船の名前に付けられるそうだな
201世界@名無史さん:2013/06/01(土) 01:01:06.18 ID:EdS1jFOz0!
 
202世界@名無史さん:2013/06/23(日) 09:50:07.71 0
記憶遺産に遣欧使節資料・御堂関白記 ユネスコ登録決定2013年6月19日 夕刊

文部科学省は十九日未明、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産に、
江戸時代の鎖国直前の日欧交渉を伝える「慶長遣欧使節関係資料」(仙台市博物館所蔵)と、
藤原道長の自筆日記「御堂関白記」(京都市の陽明文庫所蔵)の国宝二件の登録が決まったと発表した。
十八日に韓国・光州で開かれたユネスコの国際諮問委員会が登録の可否を審査、ボコバ事務局長が最終決定した。
記憶遺産は、世界の貴重な記録や古文書を保護するユネスコ事業。
国内では、福岡県田川市などが推薦した「山本作兵衛炭坑記録画・記録文書」が二〇一一年に初登録されて以来となる。
遣欧使節資料は日本とスペインの政府が共同推薦。
仙台藩主伊達政宗によりスペインとローマに派遣された支倉常長が持ち帰ったローマ市公民権証書や肖像画など。
ユネスコは「欧州の人々が別の文化圏の存在を理解するのに使節団が果たした役割の重要性を示す」と評価した。
今年は使節が日本を出港してちょうど四百年となる。
御堂関白記は日本政府が推薦。平安時代中期に政治の実権を握った藤原道長が日々の政務や生活の様子をつづった。
ユネスコは「世界最古の自筆日記であり、重要な歴史的人物の個人的記録」と指摘。
「王朝文化が頂点に達した時代を活写した極めて重要な文書」とした。
今回登録された記憶遺産は、日本の二件を含め計五十四件。
ポルトガルの航海家バスコ・ダ・ガマの日記や、中南米の革命家チェ・ゲバラが書き残した文書などがある。
203世界@名無史さん:2013/06/23(日) 10:23:48.79 0
>>200
イノウエが来航したら歓迎しよう。
204世界@名無史さん:2013/06/23(日) 12:27:41.24 0
イノウエだけ?
ダニエル・イノウエ・ケンではないの?
205世界@名無史さん:2013/06/23(日) 21:59:58.77 0
今日本は少子化だがお前らは必死で移民政策に反対してる。
しかしよく考えてみれば移民といっても特亜の人間が入ってくるのが
問題なわけで特亜以外の人たちなら別に良いだろ。
特亜以外から受け入れるという条件なら移民政策やってもよくね?
インド人や黒人、南米人なんか良いと思う。
インド人はみんな世界でトップクラスの知能指数だし、黒人は勤勉で面白い。
南米人は白人系だから日本人の容貌レベルが上がる。
あと東南アジア人ではフィリピン人、イスラム圏ではトルコなんかも
容姿が良く勤勉で親日だから特に良いと思うんだが。
206世界@名無史さん:2013/07/02(火) NY:AN:NY.AN 0
>>200
艦名にするなら同じ日系議員のスパーク・マツナガの方がカッコイイのにな
ガンダムみたいで
207世界@名無史さん:2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN 0
>>206
「スパーク・マツナガ専用ゲルググ」とか?
208世界@名無史さん:2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN 0
ああ、あの「白狼」と呼ばれた人ですね
209世界@名無史さん:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN 0
>>160
>『若狭国守護職次第』に1408年に南蛮の「帝王御名亜烈進」から日本の国王へ
>の進物があったと言います(名前はアラジンか?)。

「亜烈進」をアラジンつまりアッラーウッディーンにしては、漢字音訳が不適切な気がする。
「亜烈」は、恐らくアリーじゃないのか?そして「進」は、施進の「進」のことだと思うんだが・・・。
210世界@名無史さん:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN 0
日系人だとたぶん一番出世したシンセキさんの影の薄さ・・・
211世界@名無史さん:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN 0
>>171
あれは移民ではなくて棄民というんだ。日本国内だけで食わせられないから海外に捨てたようなもん。
ひどい話だけどね。
ひどい話ついでに、
岸信介がイノウエに日系移民が駐日大使とかイヤとぶっちゃけたからな。
日本においてはあいつらは日本で生きていけなかった食い詰めた奴が移民しただけであって、
日本では格下。そんな奴を駐日大使にするなんて日本に対して失礼だ、とね。

大使はわりと血統が重要だったりするんだよな。
その国を重く見ているかどうかをそれで判断するから。

そういえば今も昔も日本人は外国にいって成功を目指すという人は少ない。
そして国が危ないからってんで外国に逃げ出す人も少ない。
日本からの難民ってわりと少ない。
焼け野原になった日本に帰っていった日本人も大勢いるしね。
半分くらいは無理やり追い出された人達なんだけどね。
212世界@名無史さん:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN ID:ETJw3TTg0!
>大使はわりと血統が重要だったりするんだよな。

kwsk
213世界@名無史さん:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN 0
>>212
外務省というか大使クラスは世襲ばっかだよ。
人脈を使って活動するから○○さんの息子という肩書きは重要。
214世界@名無史さん:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN 0
おい、チョン公。
お国柄の嘘を伝えるんじゃない
イノウエの自伝でイノウエの祖父は事情があるが
日系移民は負け組みでもなくただ金儲け話につられてアメリカに行ったって書いてあるだろうが
215世界@名無史さん:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN 0
日本国内でそれなりに食える奴が金儲けの話に釣られてアメリカまで行くか?
普通に考えろよ。
216世界@名無史さん:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN 0
嫌韓厨に何か言っても朝鮮レッテルを貼られるだけ
217世界@名無史さん:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN 0
自伝ではチョンが言ってるような嘘は書かれていない
批判している奴は読んでないことはよーくわかるけどw

慰安婦像のことで日系のこと怒ってるんだろうねw
そんなことよりアシアナ空港で人様に迷惑かけてる事もみ消しに逝けよw
218世界@名無史さん:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN 0
>>209
現代中国語ですと、

亜烈進(Ya Lie Jin)ヤー・リエ・チン
施進(Shi Jin)シー・チン

ですが、15世紀だとどんな発音だったのだろう。
「亜」は「ア」と考えるのが自然かも。
219世界@名無史さん:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN O
基本的に日本は鎖国するために近代化し、教育行ったからね。
明治維新の時、国民投票行えば鎖国が確実に選ばれた。
それではやってられないから開国近代化を選んだ指導者達も、
国力つけて自衛できるようになったら当然国を閉ざすつもりで、
政策を推進していた。

太平洋戦争も何であんな無茶したかと言うと早く欧米をおんだして、
鎖国できるだけの体制作りたいとの切実な思いがあったからだし。
220世界@名無史さん:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN O
そりゃ日本社会を嫌で嫌でしょうがない、出ていけるなら出て行きたい、
それで構わないと言う人間は一定数いるだろうが、
そういうのは絶対少数派で日本人の圧倒的多数は、
遣唐使廃止してうち向きに切り替えた平安時代のように、
鎖国した江戸時代のように、互いに中を向いて相互にごまをすりあい、
へつらいあいながら、そして時にそれが辛いとぶーたれながら、
日本の村社会の序列の確保に一喜一憂し一生を捧げ、
村社会の中で完結し自足し、それで間に合わせたいと思ってる。

仏教も儒教もキリスト教も民主主義も骨抜きにしてトゲを全部抜きながら、
律令国家も黒船襲来もマッカーサーもやりすごしながら、
余所者のないぬるま湯の人間関係、互いに良くしる、
文化共有したものだけで以心伝心で腹の探り合いだけで社会を回したい。
そう思ってる。
221世界@名無史さん:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN 0
高校時代の先輩で日系3世の父母から生まれた娘がいたな。
本人はカリフォルニア生まれ、育ち。父の関係で来日してで高校
から日本在住。

国籍は知らないけど、名前は「山田キャサリン綾」みたいなフルネーム。
みんな「(仮名)Kate」「Kateさん」「Kate先輩」みたいに、英語名で呼んでた。

先祖が日系人の日本人といえば、森山良子・森山直太朗母子とかいますね。
222世界@名無史さん:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN 0
あーほんと、日本語がろくにできないやつが勝手な妄想で日本のことを語ってやがる
徴兵から逃げた自分達の心配でもしてろっつーのw
223世界@名無史さん:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN 0
>>217
お前はチョン並に読解力がないな。
イノウエ一家が実は○○なんですと自称しようと、
日本国民からみれば移民した人間なんて下っ端なんだよ。
少なくともそう見られている。だから岸は拒絶したんだよ。
224世界@名無史さん:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN 0
>>223
大学卒業後にアメリカに移民した俺の友人に謝れ。
大学時代に知り合った奥さんの故郷で暮らしている。

20年間で3回しか日本に帰ってきていない。
225世界@名無史さん:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN 0
>>220
ムラ社会には基本的に序列なんてないぞ。役職があるだけ。
村長が必ずしも小作よりもいいとは限らんのだ。

そして日本人とは創造性と独創性にあふれた新しもの好きの排外主義者なんだよ。
モノマネが上手いコピーどうとかは正しくないな。
モノマネも創作も上手いだけにすぎない。でないと様々なものがガラパゴス化しない。

自分がいい国に行きたかったり、自分の地位を上げるよりも、
自分が属している組織というか環境をよくにしようと思うのが日本人。
これは定住傾向が非常に強いことを示している。
同調圧力と同調したい圧力が強力に作用するのもあって、
他国でやっていくのには不向き。華僑のように外国でも守り続けるタイプではない。

縄文時代から一万二千年もそうやっているからね。DNAレベルで違っているんだろう。
大陸では狩猟してあちこち放浪していたときに、
日本では豊かなのもあって定住して採取だけで暮らせたのが大きい。
226世界@名無史さん:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN 0
>>223
お前の友人は負け犬だなwww
227世界@名無史さん:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN 0
>>223
よう、徴兵にびびって逃げ出した在日
アメリカ人として戦った日系と戦ってもないのに逃げたビビリのお前が何を言ってるの?
228世界@名無史さん:2013/09/09(月) 21:05:56.09 0
ロシア系ベスト5

大黒屋光太夫(はじめてロシアから帰ってきた人)
津太夫(世界一周)
中川五郎次(天然痘予防)
間宮林蔵(間宮海峡)
高田屋嘉兵衛(人質交換)

吉村昭がこのうち3人をネタに小説を書いている。
229世界@名無史さん:2013/09/09(月) 21:39:19.12 0
>>228
ビクトル・スタルヒン
230世界@名無史さん:2013/09/09(月) 21:53:31.56 0
幕末(幕府が旅券を出した慶応2年以降)から明治初期にかけて海外渡航した者の中に
軽業師や曲芸師が多くいたこが知られている
欧米人の興行者に率いられて、南部アフリカなども含め日本人未踏の地を多く訪問したとされる
このへんは倉田喜弘「海外公演事始」などの優れた研究書がある
231世界@名無史さん:2013/09/10(火) 18:57:58.70 0
玉虫左太夫?
232世界@名無史さん:2013/10/16(水) 22:14:31.54 0
ベニョーフスキーおもしろいね
233世界@名無史さん:2013/10/17(木) 23:50:14.57 0
『吾妻鏡』の元仁元年2月29日の条によると、
去年(1223年)の冬、越後国寺泊浦に高麗人の船が漂着したが、
乗組員は風変わりな弓矢・具足を所持しており、衣服の帯には銀簡(銀牌)を付けていた。
その銀簡には文字が刻まれていたが、誰も解読できなかったという。
『吾妻鏡』にはその文字が収録されている。

白鳥庫吉はそれを女真文字と推定した。
1976年にはほぼ同型の銀牌がソ連で出土し、
それにより、銀牌の文字は女真語で「国之誠」の意であることが判明した。
金国の通行証だったらしい。

ちなみにこの時期、金はモンゴルに滅ぼされる直前で国内が騒然としており、
ひょっとすると女真人の亡命者あたりがいた可能性も
234世界@名無史さん:2013/10/18(金) 21:21:13.09 0
ソースだしな
235世界@名無史さん:2013/10/18(金) 21:31:52.09 0
    ,-ー─‐‐-、
   ,! ||     |
   !‐-------‐
  .|:::i ./ ̄ ̄ヽi
  ,|:::i | (,,゚д゚)||  < 出典かいてあるだろうが ゴルァ!!
  |::::(ノ 中濃 ||)
  |::::i |..ソ ー ス||
  \i `-----'/
     ̄U"U ̄   ・・・と思ったがググると見つかるんだな、便利な世になったもんだ
http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/shotenji/74_gai.pdf
236世界@名無史さん:2013/10/19(土) 18:35:23.60 i
ランディ・バース
スタン・ハンセン
237世界@名無史さん:2013/10/24(木) 23:52:49.00 0
【社会】スペインの「ハポン」姓さんのDNA鑑定 天正遣欧使節からのサムライの子孫
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1382610286/
スペインの「ハポン(日本)」姓、400年経てDNA鑑定へ
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1382617315/

スペインの「ハポン」400年経てDNA鑑定へ

 【コリア・デル・リオ(スペイン南部)=藤原善晴】スペイン南部の「ハポン(日本)」姓の人々と約400年前に渡航
した日本人のサムライらとの血縁関係をDNA鑑定で探る名古屋大学、東京大学、国立遺伝学研究所などによ
る共同研究チームが24日、約600人のハポンさんたちが住む町コリア・デル・リオで初めての血液採取を行った。

 研究チームは今後、日本人の遺伝情報との比較を行う予定だ。

 同町の古文書に「ハポン」姓が現れ始めるのは、慶長遣欧使節一行が訪れて数十年後から。地元の郷土史家
らは「ハポンさんたちは、スペインに残留したサムライたちの子孫」との説を提起している。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131024-OYT1T00858.htm
238世界@名無史さん:2013/10/25(金) 13:08:11.51 0
411 名前:名無しさん@13周年[sage] 投稿日:2013/10/25(金) 02:25:57.06 ID:0EKQvh1A0 [1/2]
ハポン姓はスペイン内で現在、電話帳で容易に確認できる第一姓でいうと
コリア・デル・リオと隣町ラ・プエブラ・デル・リオを除いて、
15km先の大都市セビーリャに50軒、マドリッドに1軒、バルセロナに1軒しかない。(1989年時点)
コリア・デル・リオと隣町ラ・プエブラ・デル・リオには、第一姓・第二姓あわせ合計832名。(1993年時点)
マドリッド、バルセロナの1軒ずつはいずれもコリア・デル・リオ出身者で、セビージャの50軒もほぼ同様。
ということで、ハポン姓がスタートしたのはコリア・デル・リオであることは確実。
慶長遣欧使節中25名が帰国前の2年間滞在したのがコリア・デル・リオであり、かつ7人前後が現地に残留している。
(以上、太田直樹「ヨーロッパに消えたサムライたち」角川書店より)
ということで、特にこの町である必然性がない奴隷より、使節団の残留者がルーツである可能性が高いと考えられる。
ここでいうルーツとは、使節団にあやかって名前だけハポンとした場合も含む(ただし蒙古斑の出現率がスペイン人としては異常)。
239世界@名無史さん:2013/10/30(水) 23:02:08.50 0
【歴史】鑑真に新説「渡来時ではなく、晩年に失明したのでは」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1383102714/

正倉院宝物に関する研究成果を論じ合う「正倉院学術シンポジウム」
(奈良国立博物館主催、読売新聞社後援)が27日、奈良市の県新公会堂で開かれた。

 同市の唐招提寺を開いた中国・唐の高僧、鑑真の没後1250年を記念して
「鑑真和上と正倉院宝物」をテーマに研究発表と討論が行われ、約200人が参加した。
このうち、美術院国宝修理所(京都市)の木下成通・研究部長は、同寺の鑑真和上坐(ざ)像(国宝)の
「お身代わり像」を制作した際の調査で、同像の表面に油が塗られていることが判明したことを紹介。
正倉院宝物の伎楽面にも彩色保護のために油を塗った例があり、「今後、仏像の修理でも
油を塗布している可能性を考えて調査する必要がある」と指摘した。

西山厚・奈良国立博物館学芸部長は、鑑真は目が不自由だったという定説を、
正倉院に残る鑑真の書状から検証。自由な筆跡や余白を認識した書き方などから、
弟子の代筆や目が見えない人が書いたとは考えにくいとして、
「鑑真は来日時は目が見えていて、最晩年に失明した」との自説を披露。
興味深い研究成果に、参加者も熱心に聞き入っていた。

ソース
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20131028-OYT1T00295.htm
240世界@名無史さん:2014/01/05(日) 00:50:09.29 0
>>228
ロシアに漂着してロシア語を覚えた日本人たちって、
ロシア語の人称による動詞の活用とかは理解できたんだろうか?
241世界@名無史さん:2014/01/05(日) 17:23:07.91 0
228の中でロシア語を覚えていそうなのは大黒屋、津太夫、中川だろうが、
少なくとも大黒屋の「北槎聞略」には動詞の語尾変化は見られないね。
過去形、進行形、命令形などもあやしいもんだよ。
他の2人も似たようなもんだと思う。
242世界@名無史さん:2014/01/06(月) 10:46:57.62 0
名前忘れたけどアメリカに行ったやつといい
勤勉にがんばっているな
243世界@名無史さん:2014/01/06(月) 21:04:13.69 0
そこでアメリカ系ベスト5ですよ

松次郎  初のアメリカ系だが帰国後自殺
重吉   太平洋上漂流450日
音吉   モリソン号事件
万次郎  有名人
彦蔵   日系米人第一号
244世界@名無史さん:2014/01/24(金) 23:33:16.53 0
英語圏組は、語学習得は少しは楽かもしれん
綴りは大変だろうが
245世界@名無史さん:2014/01/25(土) 21:02:53.02 0
アメリカから日本に密入国したマクドナルドも面白いな。
現在のワシントン州出身だが、>243の音吉がそのワシントン州に漂着している。
この2人が出会っていた可能性は、決して否定できない。
246世界@名無史さん:2014/01/25(土) 21:46:07.26 0
>>233
その人たちはどうなっちゃったの
247世界@名無史さん:2014/01/25(土) 22:13:56.10 0
ガイシュツだろうが、海を渡った日本人代表は、ジョン・マン だな〜
248世界@名無史さん:2014/01/26(日) 09:03:52.18 0
外出?
249世界@名無史さん:2014/01/26(日) 11:22:06.02 0
ある意味「外出」には違いない。引きこもりの日本から世界に出て行ったんだから。
ジョンマンとジョセフヒコは仲がよくなかったらしいね。
250世界@名無史さん:2014/02/01(土) 10:26:22.65 0
【朗報】はるごん順応性高杉
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/akb/1390054784/
251世界@名無史さん:2014/02/07(金) 17:03:46.42 0
江戸時代に出島にいたオランダ人が日本人の女性との間に生まれた子供を
ちゃんと認知して本国に連れ帰ることがあったらしいけど、
そういう人はその後どんな人生送ったんだろうなあ…
当時のヨーロッパの日本関係の話って出島のオランダ人とか戦国時代の宣教師とかのばかりで、
ヨーロッパにいたはずの混血児の残した話や聞き取った話は見つからないな
252世界@名無史さん:2014/02/07(金) 21:53:31.91 0
>ヨーロッパにいたはずの混血児の残した話や聞き取った話

・支倉常長の時のハポンさん
>>228の日露の混血児
253世界@名無史さん:2014/02/08(土) 23:49:09.20 0
ヨーロッパだと混血は決して少なくないから日本みたいにあんまり注目もされんだろう
254世界@名無史さん:2014/02/08(土) 23:53:50.26 0
在特会は外国人の来日を阻止している?
255世界@名無史さん:2014/02/16(日) 21:33:17.20 0
>>236
その程度のならなんぼでもいるだろw
初代タイガーマスクだってメキシコやイギリスに長期遠征しているわけで。
256世界@名無史さん:2014/03/13(木) 01:58:38.17 0
江戸時代に渡来したイスラーム教徒(モウル人)の名前が記録されている稀有な例を見付けた。

『唐通事会所日録』によると、寛文4年(1664年)8月に、
薩摩沖で前年破船したシャム船のモウル人船員23名が、オランダ船での帰国を願い出たという記述がある。

同船の積載品は、シャム国王・モウル旦那・同地の商人木屋半左衛門から託された交易品であり、
とりあえず、日本でそれらの品々を売り払うことはできたらしい。

そして、モウル人船員の中でも、みるもきん(ミール・ムンキズ)、
ままとかしんorまるかそん(ムハンマド・カーシム)、
ことば(クタイバ)、うへき(アブー・バクル)の四名が金銭受取りに関連して言及されている。
彼らは無事にオランダ船でシャムに帰国したとの事。

ところで、長崎のモウル通事だが会話はできても読み書きはできなかったらしい。
別の機会に、別のシャム船内から不審な文書や絵図(蘭人によりペルシアの地図と判明)が発見された際に、
モウル文字にて書かれており解読不能と報告されている。
257世界@名無史さん:2014/03/18(火) 18:10:14.24 0
ペルシアということは文字はペルシア文字の方か
258世界@名無史さん:2014/03/18(火) 19:16:08.39 0
シャムとはいいながら、実際はパタニ王国あたりのアユタヤ朝支配下にあったマレー半島のムスリム商人かな?
モウル文字というのは、たぶんマレー系ムスリムも使っていたアラビア文字のことだろうね
ムスリム商人の海上交易ネットワークは当然ペルシアも視界に入っていたろうから、その地図があっても不思議じゃないか
259世界@名無史さん:2014/03/30(日) 20:05:37.11 0
あの辺りは多国籍な空間だね
260世界@名無史さん:2014/05/07(水) 22:39:34.62 0
こんなのもあるな
レオナルド・ブリュッセイ著
『おてんばコルネリアの闘い―17世紀バタヴィアの日蘭混血女性の生涯』平凡社1989年
261世界@名無史さん:2014/08/04(月) 20:29:07.83 0
倭系百済人
物部奈率用歌多、物部奈率哥非、上部奈率物部烏、物部施徳麻薄エ
奈率(五品)や施徳(七品)は官名
262世界@名無史さん:2014/08/04(月) 20:40:02.50 0
旧百済地域から前方後円墳や倭兵甲冑が出てきてるしな
物部は軍事担当の氏族だったんで、必然的に後援国・百済には多く派遣されたことだろう
263世界@名無史さん:2014/08/04(月) 21:27:40.49 0
倭系百済人の一番の出世株は日羅かな
二品相当の達卒までいってる
264世界@名無史さん:2014/08/04(月) 23:06:52.59 0
継体天皇「オレだよオレ」
265世界@名無史さん:2014/08/05(火) 06:27:52.72 0
史料には書いていないけど、結構信じている人多いよね
266世界@名無史さん:2014/09/26(金) 10:55:50.91 0
クリストファー(Christopher)とコスマス(Cosmas) ※いずれも洗礼名(英語読み)

記録されている中では最古となる、1587年までに太平洋を横断していた日本人
またマゼラン海峡〜バハ・カルフォルニア半島の間を残し、世界一周にも近づいていた
日本人として初踏破となったであろう地は、以下のとおり
メキシコ・グアム・英国(3年滞在)・セネガル(未上陸?)・シエラオネ(未上陸?)・ブラジル・アルゼンチン(未上陸?)
267世界@名無史さん:2014/09/26(金) 10:56:52.96 0
英国人の記録に断片的にしか記されていないため、彼らの出生・身分についての詳細は不明
1587年時点で20歳と16歳、洗礼済みで葡語or西語を話せて、日本語の読み書きもでき有能であったと記されている
マニラガレオン船でバハカルフォルニアの港町に滞留してた折、キャベンディッシュ卿率いる私掠船に襲われる
その際スペイン側190名のうち7名が乗組員として徴発されるが、そのうちの2人となり英国船員としての航海が始まる
なおこの時スペイン側には、後にメキシコ副王により徳川家康への答礼使として日本に派遣されるビスカイノがいた
268世界@名無史さん:2014/09/26(金) 10:58:03.43 0
船はグアム・フィリピン・インドネシア・喜望峰を経由し、英国ロンドンに凱旋帰国
キャベンディッシュは叙勲を受けサーとなり、3年後には第2回航海に乗り出す
クリストファーとコスマスも再び乗組員として乗船し、西アフリカ経由で南米へ向かう
だがマゼラン海峡で嵐にあい、ブラジルに引き返したところでポルトガルとの戦闘で大打撃
最後はセントヘレナ島へ逃れる途上で行方不明となり、この過程のどこかで二人も落命したと推定される
269世界@名無史さん:2014/10/27(月) 08:57:32.04 0
『近年ノーベル賞を取った日本人』

南部陽一郎 1921年生
小柴昌俊 1926年生
下村脩  1928年生
赤崎勇 1929年生
鈴木章 1930年生
根岸英一・大江健三郎  1935年生
白川英樹 1936年生
野依良治 1938年生
利根川進 1939年生
益川 敏英 1940年生
小林誠 1944年生
中村修二 1954年生
田中耕一 1959年生
天野浩 1960年生
山中伸弥 1962年生
270世界@名無史さん:2014/11/16(日) 02:07:42.40 0
揚げ
271世界@名無史さん:2014/11/16(日) 02:51:18.88 0
人種が違いますんでね。人種が。


日本人←日本人種
韓国人←中央蒙古人種



北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人
272世界@名無史さん:2014/11/16(日) 11:02:22.22 0
ここはどこ?スレで知ったが、青木リヨ(ハワイのカイウラニ王女の侍女)
映画化されてアメリカで評判だったらしい
273世界@名無史さん:2014/11/17(月) 08:13:55.10 0
戸来村に来た白人たちの正体ってなんだったんだろうね?
274世界@名無史さん:2014/11/18(火) 02:24:05.11 0
マラーノとか?
275世界@名無史さん:2014/11/25(火) 01:22:06.06 0
ベニョヴスキー・モーリツがまだ出てない
276世界@名無史さん:2014/11/25(火) 01:25:40.59 0
>>266
その人たちの日記が残ってたら面白かったんだけどねえ
277世界@名無史さん:2014/11/25(火) 08:03:48.92 0
アレイスター・クロウリーもまだ出てないな。
彼も来日した外国人なのに
278世界@名無史さん:2014/11/30(日) 08:46:28.52 0
江ノ島には行ったねぇ
279世界@名無史さん:2015/01/01(木) 05:09:43.72 0
関連スレ

日本人町、外地、租界、占領地、傀儡国家2 [転載禁止]©2ch.net
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280世界@名無史さん:2015/02/02(月) 01:50:42.27 0
あげ
281世界@名無史さん:2015/02/03(火) 07:52:07.52 0
湯川さんって、自分のことを川島芳子の生まれ変わりって思ってたらしいね。
282世界@名無史さん
>>281
なんでもっと早く気付かなかったんだろう。ていうか誰かが教えてやれば良かったのに