2 :
●:2011/05/05(木) 20:41:39.68 0
teee
3 :
!bill:2011/05/05(木) 20:41:46.99 0
k
まだやるの?
本当に鎧が有効なら、鉄の供給が豊富になったらみんな装備しているはずだろ。
でも、そうならなかった。
鉄の価格下落に伴って、装飾的価値まで下がってしまったから、領主様すら着けなくなった。
まだやるんじゃね?
あと、鉄の供給価格は下がったけど、鍛造等による強度上昇のための費用があがったため、鎧あたりの費用は中世後期にはむしろ上昇してるよ。
それと、装飾品的な意味合いなら、クロムウェルの肖像画とかも鎧付きで描かれているから、少なくとも17世紀中盤あたりまでは需要があったはず。
>>5 個人的な話だけれど、早世した伯父、そんなもの一度も着たこと無いのに、遺影は羽織袴だ。
顔だけ貼り付けてコラって作ってもらったそうな。そういうのは結構多いとか聞く。
武内宿禰の絵は決まって衣冠束帯、日本武尊は貫頭衣に角髪、神功皇后は洋装しかもバロック期の貴婦人スタイル。
絵なんてあてになんないや。
単に、大臣、古代で若くてヤンチャ、お后、という記号的なものなんだろうけれど。
クロムウェルも、武断政治をして王様の首刎ねたりアイルランドを攻めたりしましたよ、という猛々し性分・性格の記号として
いかにも武装してますよ、という形で描いてるだけだろ。
>>7 最初の手本に合わせてんだろ。
こういうのを、attribute と言って、西洋画の故事に基づいた人物画の約束事に成っている。
ネプチューンの銛が三叉になっているとか、ヘルメスの杖には翼が付いていて二匹のヘビが互い巻きになっているとかいうのと
同じデザイン上の約束。
本場のタブロイド。
>>4 >鉄の価格下落に伴って、装飾的価値まで下がってしまったから、領主様すら着けなくなった。
それは何世紀頃の話?
漸次
>>6 存在するかもわからないあなたの親族を例に出されても
>>8 さすがに神話を例に出されても
>>13 絵に書いてあるから存在した根拠にする、というのは、それこそ、神話と史実とをゴッチャにするくらいの愚かなことだよ。
農奴が圧倒的多数
乙
わくわく
サクセスブロッケン!!!!!!
21 :
世界@名無史さん:2011/06/06(月) 23:40:21.79 0
ホントかよ・・・にわかに信じがたい。現地で改ざんしてないよね?
まず、カトリック教会により入浴の行為は異教徒的として非難されていたことがある。
また、バーデンバーデンのような温泉地はともかく、都市内公共浴場の遺産は聞いたことない。
近代に入っても、バスタブ文化よりもシャワー文化が色濃かったことでもあるしなぁ・・・。
教会の入浴禁止って何年だっけ?
うろ覚えかもしれないが、17世紀だったきがするんだが。
ただ、中世の公共浴場って結構有名だと思うが。Life in a Medieval Cityでも見かけた覚えがある。
都市部の遺蹟が残っていないのは壊されて別の施設が建っただけかと
ケルンの史料に基づいて書かれた「中世のアウトサイダーたち」って本には
乞食だの魔女だのに並んで「風呂屋と床屋、医者といかさま医者」って章まであるぞw
キリスト教は、キリスト教の教義を危険にさらすような
異端に対しては厳格で容赦がなかったけど、
民衆のプリミティブな風俗や習慣についてはある程度容認してたから
27 :
世界@名無史さん:2011/06/07(火) 13:57:07.04 0
古代ローマ、西欧(十字軍)、東ローマ、イスラム(オスマン)、チャイナ(元寇)、日本(侍)の鎧を見てると
古代ローマと十字軍と日本の鎧がかっこいいなー。
日本の鎧って宋代の鎧そっくりだぞ
てかラメラーで胴を覆って袖と草摺をつけたら大体ああいう感じ
>>21-26 フランスではフランソワ1世が既存の浴場の閉鎖を命令している。
また、同時代のエラスムスが「近頃は入浴をする者もめっきり減り……」と記している。
なので、西暦1500年頃まではヨーロッパに入浴の習慣があったのは間違いない。
ただし、ローマ帝国の時代から脈々と受け継がれてきたのか、
いったん暗黒時代に断絶したものが12世紀ルネサンスの過程で復活したのかは知らない。
フランスなのにルネサンスって意味分からんな
>>33 場所的・時期的に妥当な線は、十字軍戻りの連中が伝えた可能性だな。
35 :
世界@名無史さん:2011/06/09(木) 09:39:12.20 0
*中世の風呂
中世において、入浴は夜明けの教会のミサに行った後の早朝や夜明けに行われ
るものであった。「この習慣は現在のヨーロッパでも多くの国で残って」いて、
「朝にゆっくり入り、夜は蒸しタオルなどで軽く拭くのが普通とされて」いる。
貴族や裕福な市民は内湯を備えていたが、ほとんどは木製の大桶で、その木桶
の底にとげが刺さらないように布を敷いて使った。
また特別に浴室があったわけでは無く、食事をしたりする部屋と一緒だった。
一般庶民はもっぱら、街の公衆浴場を利用した。
1292年のパリには26の公衆浴場があり、夜明け前から営業していたが、
夜明け前は盗賊がいたので実際に人々がやってくるのは夜が明けてからであった。
風呂の用意が出来ると、呼び込み人が大声を出したり、角笛を吹いたりして
人々に知らせた。
「浴場にはサウナ風呂、温水・冷水浴があり、人々は1〜2週間に1度ぐらい
の割合で入浴を楽しんだ。」
日本の銭湯のように男女の更衣室はなく、ほとんどが混浴だったため、
「娯楽の少なかった時代にしてみれば、男女にとって公衆浴場は格好の社交場
であった。」
こうした庶民たちとは違い、例えばナポレオンのエリゼ宮殿の風呂はシャンデ
リアがついていたりと王族たちは豪華な風呂を持っていた。
中世末にもなると、風呂屋は娼家のように娼婦を抱え始める。当時、夫がいく
らがんばっても子供が出来ない不妊女性は、夫に出来ないことを客がしてくれ
るといって公衆風呂に行くよう勧められた。
また14世紀初めの南ドイツでは、結婚式の披露宴を風呂で行うところもあり、
人々は生まれたままの姿で酒を酌み交わし、ご馳走を食べ、歌を歌って結婚式
を祝った。
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/kou%2804-1-29%29
>>35 ナポレオンの時代を中世のスレで語るのはいかがなものか。
18世紀は14世紀と並列に出来ないしね。
中世の王宮の風呂を語るなら、せめてエリザベス1世以前にしてくれ。
37 :
世界@名無史さん:2011/06/09(木) 12:01:03.43 0
偏見っつーか誤解っつーか無知なんだけど、フランス革命前まで「中世」って
ことにしている場合が多いね、雑誌とかテレビとか。
〜16世紀末・17世紀前半(中世)
〜フランス革命(近世)、だわな
いちおう、
>>35 には13〜14世紀の話もあるじゃない。
ヨーロッパにおける中世は西ローマ滅亡から東ローマ滅亡、
5〜15世紀の1000年間でしょ。
日本では織豊政権辺りまでが中世になるけど。
41 :
世界@名無史さん:2011/06/10(金) 11:10:18.18 0
>>37 一般大衆の生活感覚だったら、
カール大帝の時代とフランス革命前夜くらいだったらほとんど同じだろう
ちなみに日本でも聖徳太子の時代と幕末とだったら
ほとんど同じだと思うのだが
一般庶民の精神の感覚で中世と近代の境目は義務教育が普及してからの
ことじゃないかな
最も支配者階級の精神の感覚はほぼ教科書どおりで差し支えは
ないと思うのだが
一般大衆と言っても都市住民に関しては別の話だな
カール大帝の時代とフランス革命前夜じゃ全く感覚違うだろ
聖徳太子の時代と幕末だと、生活水準も宗教観も天と地ほど差があるし
飛鳥時代と幕末での農村生活は、別世界だよ。
飛鳥時代のほとんどの農民は、まだ竪穴式住居に暮らしていたろう。
幕末の農民は、農村に残る古民家レベル。白川郷みたいな上等なのもある。
また、幕末には、辺鄙な村でなければ寺子屋があった(全国2万箇所)。
話を西欧にもどすと、ペスト禍以前と以後では違いが出たろうね。
農奴から独立自営農民へと立場が変わり、並行して進んだ貨幣経済化により、
うまくやりくりすれば自分の意思で商品を購入することができる。
>>41 冬場に暇だからって数学で遊んでるような農民のいる幕末日本は未来に生きすぎてる
間違いなくくさかった!
48 :
世界@名無史さん:2011/06/11(土) 15:41:53.93 0
当時の人口が3000万、男性の45%は675万人、女性の18%は270万人、計950万人
数年通うとして50万人〜100万人、2万ヶ所在ったとしても何の不思議も一切無いな
50 :
世界@名無史さん:2011/06/11(土) 16:12:07.18 0
>2万ヶ所在ったとしても何の不思議も一切無いな
これについては反論はない。
>辺鄙な村でなければ寺子屋があった。
寺子屋がそんなに普及しているはずがない。
どんな村を想像してるかしらないけど、人口の多くは村住まい
村のイメージが間違ってるだけじゃない?
「辺鄙な」って定性的な用語だし、そこ突っ込んでもなぁ。
2万箇所って定量的なワードだしてんだし、いいんじゃね?
以下の内容に対しての指摘レスだったのが、違う方向に引っ張られすぎたな。
>ちなみに日本でも聖徳太子の時代と幕末とだったら
>ほとんど同じだと思うのだが
いいかげんスレチな流れが続きすぎてるから、元に戻そうぜ。
1000年経っても一般大衆の感覚が変わらないってのは
素晴らしい想像力だね
農業だって輪作や品種改良などで劇的な進化を遂げているのに
中世では連作障害などにより1本の小麦から1〜3粒しか収穫できず
極めて生産効率が低い時代が続いていて
時代が下がって輪作が発明され
ようやく古代ローマ時代並の収穫が可能になったんだが
古代ローマ時代より生産量上がっただろ、ビザンツ時代は
イタリアやガリアはもとから生産効率低いわけだし
57 :
世界@名無史さん:2011/06/13(月) 18:34:41.75 0
>>55 >中世では連作障害などにより1本の小麦から1〜3粒しか収穫できず
一本ではなく一粒の小麦から1〜3粒しか収穫できないことじゃない?
>>40 そもそもヨーロッパでもスカンジナビアやロシアがローマ帝政開始と西ローマ滅亡前後で生活の大きな違いがあったとは思えん。
>>40 ウェストファリア条約が中世と近代の境ではないの?
>>58 スカンジナビアやロシアはローマ帝国の領域になったことは一度も無いんだが。
クリミア周辺はローマ領とロシア領と両方になったこがないわけではないけれど、
連続していないし。
13世紀〜18世紀までジンギスカン裔の王様がを頂くトルコイスラム王朝が間に入っている。
>>59 古いね。
今は「近世」の区分ができたから、「中世」と「近代」の境界自体がそもそも否定された。
>>61 中世と近世の境は16世紀後半から17世紀初頭だよ
俺はグーテンベルクの活版印刷からって習ったぞ。最近は聞かないけど。
なので自分としてはレオナルド・ダ・ヴィンチの時代を中世といわれると違和感がある。
>>62 結局、中世の終わり・近世の始まりは三十年戦争なんだろ?
近世の始まりはルネサンスと大航海時代だよ。
68 :
世界@名無史さん:2011/06/16(木) 13:08:15.02 0
オレ的に百年戦争以降の王権強化が中世と近世の分水嶺
中世はだら〜んとした封建社会以外認めない
あくまでもオレ的なイメージ
そもそもが文脈によって伸縮する概念だし、過渡期が存在するから明確な1点を定めるのは無理だな
100年戦争ならドイツやイタリアは関係ないし、30年戦争ならイギリスはほとんど無関係
>>1が念頭に置いているのは800年〜1300年くらいの時代だろう。
>>69 18〜19世紀前半ののイギリスやドイツの農村の話を見ていると身分が農奴から人になっても14,5世紀から全然農村世界が変わってない気がする。
義務教育や徴兵制でようやく変わってきた感じ。
>>69 イギリスが三十年戦争に無関係なことあるかいや。
ウェストファリア条約が1648年
清教徒革命での国王斬首が1649年
>>68 百年戦争以降もだら〜んとした封建社会だろ
ゆっくりとした変化が見られ始めるだけで
オレ的には中世的とはいえ一部の国で官僚機構が整備され始めた
16世紀後半が中世と近世の分水嶺。あくまでもオレ的なイメージ
ナポレオンとオスマントルコってどっちが勝ち組?
>>74 どっちも負け組。てか、全盛期の話してるの?
パイクアンドショットからが近世
それ以前が中世、フス戦争は過渡期
というのが俺の考え
>>69 百年戦争は確かにドイツやイタリアには関係ないが
ビザンツ帝国の滅亡はイタリアに関係あると思うんだが。
(余談ぽくなるが、レオナルド・ダ・ヴィンチが生まれたのも1452年)
更にドイツでハプスブルク家が神聖ローマ帝国の皇帝に返り咲いたのもこの頃。
この後ハプスブルク家はほぼ帝位を占有していく。
こうしてみると、各国とも契機が1450年頃に色々あるんだよね。
個人的には、政治史で言うとおおむね15世紀半ば以降が近世と考えてる。
経済史的には、もっと後のスペインによる新大陸征服後でないかとも思うけど。
百年戦争がドイツと関係ない、ねえ?
しょっぱなからボヘミア王が戦死してたりするんだが。
まあ、あの時期ドイツもイタリアもう統一国家としての体をなしてないが、諸侯諸勢力は思いっきり関与しまくってたろ
あの時期はイギリスもフランスもスペインもまだ統一国家としての体をなしてないから
>>76 過渡期長過ぎw 一歩先を行ったスペインとフランスが
多少なりまともに長槍隊と鉄砲隊を組織し始めるのが1520年代後半
本格的に整備されるのはもう少し後、過渡期が1世紀も続くのは無いわ
近代は工業化以降だろ
何を以って“工業化”とするか
蒸気機関で動く機械の普及かな
>>75 オスマン→中東欧を筆頭に白人をレイプしまくり、ハーレムで囲いまくった勝ち組
ナポレオン→ヒットラーと違って、英雄として名を残した
違わないかな。工業化=近代化、それが全て
近代って近世と比べてたいしたことないんだね
ほんとうの意味の統一国家って19世紀まで都市国家くらいしかなかったんだな。
ある程度の面積を持った統一国家は19世紀半ばくらいに義務教育や兵役で言語や法制度などを統一してようやく出てきた感じ。
ビザンツは時期にもよるけど統一国家だし
中華も統一以降大半の時間が統一国家、マガダ帝国も吐蕃も統一国家かな
>>89 たとえば、徳川時代の日本は、統一国家なの?そうではないの?
徳川の大ボスの一存で、大領主の改廃異動ができていたり、琉球藩王から松前の殿様まで
お召しがあれば参上しなきゃあならん、参上しないと領地召し上げ。
軍事は……あまり例が無いけれど、島原の乱の鎮圧も幕府の割り当てた軍務で動員。
言語は中古に統一言語が完成している。
度量衡は徳川のちょい前に大坂で完成。
暦法も幕府が作成し朝廷に諮って発布されたら、全国統一で同じ暦。
でも、幕府自体が、「(大名の)家中は大君の与る所に非ず」、大領主の領地経営に幕府が
口出しをしない、ということを明言しているし。
>>91 国家非常事態以外は大統領の命令すら受け付けない程各州の独立性が高いアメリカや、
4つの王国からなるイギリスは統一国家じゃないの?
>>91 江戸時代は法令も行政も税率も地域でバラバラだったのだが。
とはいえ統一過程だったのも事実。
普仏戦争直前のアルザスでも普通にアルザス語(ドイツ語方言でラテン系ではない)が使われていたしね。
>>93 江戸時代は法令も行政も税率も地域でバラバラ
は
(大名の)家中は大君の与る所に非ず
と同じだろ。
>>96 いや、三つだ。
当時はアイルランド王位を保有してた
>>97 でもアイルランドは独立したろ。
アルスター伯っていまもあるんだっけか?
でも王ではないだろ。
江戸幕府の話してたんで、そのあたりを考えて当時って言ってた。
だが、文面と見ると現代だな。すんまそ
>>80 戦術史で見る近世はそんなもんだと思うんだよね
中世的な騎兵突撃の死が中世の死というのはしっくり来る
戦術(兵員の変性から兵器の種類・運用から全部ひっくるめて)は敵よりも強ければなんでもアリの世界なので、
敵が何を持ち出してくるかでそれに勝つためのこちらの持ち物や人員の配置も違うんだよ。
発展段階が中世だから騎兵突撃なんではなくて、たまたまヨーロッパ中世にはそういう戦術が流行った、
長鑓・鉄砲の流行った時代がそれに続いた、というだけのものだよ。
発展段階が中世だから騎兵というのは強ち間違いでもない
中世では無し得なかった工業力が近世欧州各国に備わり
工業製品の最たる兵器を作り出しているわけだし
工業製品の最たる兵器を作り出したのは早い国でも18世紀後半で大体が19世紀以降
近世と何の関係も無いな
工業って別に産業革命以前からあるもんなんだが
それは工業ではなく手工業、火器の量産も
勝手な定義されてもなぁ
工業ってのは近代のものも前近代のものも含む包括的な概念だぞ
手工業という、該当する意味に定義された言葉があるのに
本来とは違う意味で工業という単語を使う理由は何なんだろうな
工業は全体を指す言葉なので本来の意味だよ
むしろ工業=18世紀の産業革命と短絡する方が本来の意味ではない
俺様定義を開陳するのは勝手だけど
工業=工業化以降の工業というのが本来の意味だよ
工業化以前の工業的なものは手工業といふ
手工業という単語に対比されるのは機械工業であって工業ではないし
工業はどっちも包含した原材料から製品作ることを表してる
>>107=
>>109=
>>111は自分が素人だってばらしちゃったね。
少しでも古代史や中世史を知っていれば「工業化以前に工業はなかった」なんて言えないのに。
>>112の下らない俺様定義とかどうでもいいよ
主に人力によって原材料から製品作ることを手工業といふ
工業化以前に工業はなかった。
>>113は古代史と中世史に加えて国語のお勉強もしないとダメだね
>>114 悪いこと言わないから広辞苑引こうな!な!
>>114 だから人力による手工業に対して機械を使うのが機械工業だろ。どっちも含めての工業だ。
頭悪すぎるぞ。
>>115 ↓ほらよ
自然の原料に人力を加え、商品価値のある生産物を製造する産業
手工業の意味をちゃんと理解できましたか?
>>116 日本語で「機械工業」というと、機械で作る、ではなくて、機を作る、の方なんだけれど……
ついでに言うと、機は織機のこと、械は固定する道具。
産業革命に先だって発達する工場制手工業でも大抵どこでも経験する、糸偏の問屋が織り子を
集めて織機に座らせて布を作らせるアレこそ、まさに、機械を使う工業だわな。
>>118 自分で引いてみようね
それに紀元前からある手工業段階の話をわざわざ近世に適用したとは言わないだろうし
中世の頃の世の中は、近世なんて知らないんだから、
近世の定義するところの工業についてそのまま適用できないだろう。
>>119 >機を作る、の方なんだけれど
意味が取れん。機を織ると言いたかったんだろうか?
>>122 製造装置を作るという意味でないかと。
例えば、パソコンのメモリは半導体の一種だが、
その半導体はシリコンか何かのウェハーから出来ていて、
そのウェハーを製造するための装置というか機械がある。
で、メモリを大量に作るためには「ウェハーを製造するための機械」も
沢山作らないと行けない。
そういうのを専門に作るジャンルを「機械工業」という。
ついでながら、この「何かを製造する機械」のシェアは日本がかなり高いはず。
>>123 なるほど、だったら機の意味を織機に限定しなきゃいいのに。
>>122 あーごめん、一字ぬけてた。
機械を作る
な。
126 :
世界@名無史さん:2011/06/22(水) 11:53:34.66 0
産業革命以降の工業は大規模生産の工業だけど、それ以前も「手」工業も工業
使う道具と規模が違うだけで産業革命後の工業もそれ以前の工業と同じもの
工業は産業革命以降からできたもの!というのはあんまりにも偏狭すぎる
いや別物、近世までは手工業で近代以降の工業とは明確に異なるし、現に
近世以前の事について、手工業という語があるのに敢えて工業と言い換えるまともな人間はいない
128 :
世界@名無史さん:2011/06/22(水) 15:15:01.57 0
>>127 >いや別物、近世までは手工業で近代以降の工業とは明確に異なるし
とりあえず工業革命以前の工業はどんなものだったのか調べた方がいいじゃない?
キミの思い込みではなくてさ
古代ローマの時代、所謂白人は野蛮なバーバリアンと馬鹿にされてたが
体格、身体能力的、戦闘能力では文明人であるローマ人を圧倒していたとされる
つまり、現代における黒人のようなただの無能者では無かったのだ。
その後もローマ文明を吸収した彼らは、持ち前の音楽的才能、芸術的才能を開花させ
現代における西洋文明を興したことで証明されている
130 :
世界@名無史さん:2011/06/22(水) 15:27:00.41 0
南アフリカみたいとか?
133 :
世界@名無史さん:2011/06/22(水) 17:48:05.97 0
>>132 たぶんキミの脳内では工業革命以前の工業はみんな職人が手でせこせこ
作ってる内職並みのものだろうな
蒸気機関が発明される前から大型機織り機が存在して織物工業が都市の
重要産業として存在してたことも知らないだろうね
134 :
世界@名無史さん:2011/06/22(水) 18:19:16.42 O
手工業にもマニュファクチュアというものがある。
水力織機は手工業や否や?w
製粉も水力とか風力使ってるのまで手工業か
胸が熱くなるな
>>133 ということは漢代中国は近世になるのか、凄い新事実だな
製粉は工業ではないのか…実に興味深い話だな
辞書で工業を引くと材料を加工して製品を作り出すことってなってるのだが
製粉は小麦という材料を加工して小麦粉を作ったりしてるわけだが
どうするとその定義の例外になるんだ?
文脈によって外延が変わる概念の定義を巡って延々とやり合うのはいったいなんなんだ
概念法学の不毛な議論を聞いてるかのようだ
15世紀〜16世紀の話で工業って出てきたら
「工業は18世紀以前には存在しない!」って強弁する
工業君が不毛にしてるだけだよ
一般的な歴史の知識ある人間はそんなところで勘違いしないんだけどね
前近代に工業はなかったと言い張る馬鹿がいる以上仕方ない。
手工業君はアリエスの『子どもの誕生』なんかも100%の真実だと信じていそうだな。
>>141-142 いい加減誤りを認めればいいのに
工業ではなく手工業でした、ごめんなさい。ってね
伸びてる時は荒れてる時
製粉業って英語で言うとthe milling industryなんだけど工業じゃなかったかー
胸が熱いな
>>147 おっとスルーしてた。白人が野蛮なバーバリアンならローマ人は何人だってことだな。
所謂地中海人種だろ
>>134 manufacture
manu 手
fac 作る
穀物を買って粉にして売る
客の持ち込んだ穀物を粉にして客に引き渡し客から手間賃を貰う
どちらも工業だろうに
手工業があるなら、足工業があってもいいと思う。
18世紀ロンドンの監獄では、囚人は毎日毎日足踏み車を回し、それを動力にまいはだなどを作っていたそうだが、もっと前にもあったかもしれん。ww
ブドウ踏みとか
たたら踏みは足工業!
>>153 どっちも製粉業、手工業でもなければ、工業でもないな
製粉業はmill「製粉」industry「工業」だと英語では表記されてるよって話なんだけど
あ、英語が間違っちゃったかー
それならしょうがない
>>161 国語も不得手、英語も不得手、大変だな
milling industry、日本語にすると 製粉 産業
解った?
>>156 そこはそんな厳密じゃなくても通じる話だろ。ついでに言えば機械を作るのは機械産業であって
機械工業とは言わんだろう。自動車産業とは言っても自動車工業なんて聞いた事あるか?
>>162 君のスレを活性化させたい意思はよーくわかったが、
誤謬だらけでスレが伸びても心ある人は離れるだけだよ。
英語では工業と産業をindustryでは区別してない、
というか多分翻訳の段階で産業と工業両方当てたんだろうね。
まあつまり製粉業は工業でもあり、産業でもあるってこと。
それを別々として扱おうとするとおかしなことになる。
どうでもいい話題だなw
166 :
世界@名無史さん:2011/06/23(木) 11:34:20.55 0
重工業以外のものはすべて手工業か
自動車産業ですら手工業として定義されそうだな
>>159 餅米を買って蒸して撞いて切り分けて餅にして売る
客が持ち込んだ糯米を餅にして引渡して手間賃を貰う
繭を買って引いて繰って撚って糸にして売る
客がも込んだ繭を引いて繰って撚って糸にして引き渡して手間賃を貰う
石油を買って精製してガソリンや軽油や灯油にして売る
客の持ち込んだ掘ったぱかりの石油を精製して客に引き渡して手間賃を貰う
こういうのは、なんて言うの?
>>164 実際、区別する必要もないだろうに。
工業と、商業とだって、境界は曖昧だしな。
バカばっかだな。
170 :
世界@名無史さん:2011/06/23(木) 14:14:12.58 0
手工業君の論理はスレタイそのまま、近世以前の世界に対する偏見に満ちた勘違い
>>164 当然産業の中に工業は含まれる、英語だと未分化なだけ
つまり製粉業は製粉産業であり、日本語で製粉工業とは言わない
それは常識的な日本語の語意を持ってれば誰でも理解する事
>>167 食べ物屋さん
紡績業
石油精製業
といふ、中学で習わなかった?というか、語彙不足し過ぎ
>>166 自動車産業は典型的な重工業で工業に属しますよw
174 :
世界@名無史さん:2011/06/23(木) 17:40:38.13 0
>>173 自動車の組み立て作業の一部は人手だよ?
特に内装関連は完全に手作業
あと、金型の修正はまさに職人の手作業
>>174 もうほっとけよ
彼だってわかってるんだ
>>174 組み立てる状態になるまでに、どんな手順があるか書けるかな?
書けないよね、なんせ工業そのものだから
あと、金型の修正は鋳造業
どっちも他人の揚げ足取りと同じくらい熱心に歴史の本読んでくれw
178 :
世界@名無史さん:2011/06/23(木) 18:09:33.92 0
>>176 >組み立てる状態になるまでに、どんな手順があるか書けるかな?
小学生?
>>149 ラテン人。
色白・金髪のバーバリアンや
浅黒・黒髪のアーリア人と同じコーカソイドだけどね。
所謂白人Σ(゚∀゚#)ってのは黒人やアジア人じゃない欧米人を指す、
日本人的な感覚、あるいは差別的な意味のホワイトの事だろう。
>>129 あれ、ローマ人に追われてブリテン島に逃げたよね?
ローマ人は背丈低かったしな
ガリアとかゲルマニアの人と頭一つ違ったとかだっけ?
敵さんを威圧するために、最前線や、和平の会談には、デカいのを用意してきたとか。
工作機械のことならこないだまで日本は生産額一位だったが一昨年あたりに急落して3位になった。
今は中国が一位だったはず。
184 :
183:2011/06/23(木) 22:18:08.39 0
すいません誤爆しました。
現代中国への偏見
186 :
世界@名無史さん:2011/06/24(金) 12:52:26.17 0
>>180 気候の関係じゃない?
寒冷地域に住む動物は大型化する傾向があるから、同じコーカソイドでも
温暖地域のローマ人と寒冷地域のゲルマンとはサイズが違う
大柄のバーバリアン(ゲルマン白人)を見て、異質だと感じ取ったらしいが
もしその時代に日本人(小柄童顔のモンゴロイド)と接触してたら、ローマ人はどう感じただろうか?
農耕民族、入浴、気性がおとなしいという共通点がある。
共和政の頃のローマ人はおとなしくないよ
共和制ローマの時代の日本に銭湯があったの?
>>187 ゲルマンも農耕民族なんだが
しかもローマ人や日本のどこが気性がおとなしいんだよ
>>189 入浴くらい未開人でもするわな
銭湯は無いだろうけど、というか銭が存在してねーな
>>191 沐浴くらいしただろうとは思ってたけど、古代人甘く見てました。
>>187 本当は例のタイム・スリップ漫画に触れてほしかったんやろww
日本云々はともかくとして、漢にまで使節派遣していたみたいなんだから、逆もあったかも知れんわけでしょw
支那の通例としては、お返しの使節派遣するのも普通だったみたいだけど、その辺はどうなのかな。
ローマ時代にゲルマン人は馬鹿にされてるけど、彼ら白人は本当に無能の野蛮人だったのか?
現代ではどんな人種でも比較的平等な教育を受けることができる時代だけど、今は国力に見て取れるぐらい
白人>アジア人(東アジア)>黒人と。ハッキリ解かるぐらい、人種の能力(頭脳面)に差が出てきてるよね?
コンピューター、OS、インターネット、テレビ、飛行機、核からGoogle、Facebook、twitterなど娯楽に至るまで
近代科学技術などすべて白人の発明。宇宙に最初に飛び出した生命体も白人だった
IQの平均値では一応東アジアのモンゴロイドのほうが白人より上らしいけど(突出したトップ層は白人のが大学院でも上らしい)
古代ローマ時代は奴隷の地位などの人種差別的な偏見のせいで、その実力を発揮できなかっただけで、
本当はキリスト教と中世の縛りが無かったら、ローマ人以上に潜在能力が高かったのかな?>白人
本当に白人が蛮族で無能なら、こんなに色んなもん発明したり民主主義やら纏め上げられないような気がするんだが・・・
>>186 居るんだよなあ、科学っぽい用語が折り込まれている贋科学にまんまと騙されるヤツ。
結論が先にあって、その結論というか主張の為に都合の良い材料を集めて組み立てたものは、
材料が本物でも、本当の理論ではないだろ。
「寒冷地域に住む動物は大型化する傾向がある」もそれが人類にあてはまるというのも、全く、
的外れだわな。
>>194 支那から遣いが来るのは、近くだけだぞ。
よっぽど従順なところか、叛けば力ずくでねじ伏せることができるか、そういうようなところだけ。
>>196 人類にも当然当てはまるし、現実のデータもそうなんだよね
>>198 南欧と北欧という、都合の言い部分だけ、ではあてはまってるだろうが……
北欧にしたってデンマークら辺まで。それより北へ行くと小さくなるよ。北海の南岸、国で言うとオランダとかデンマークら辺が一番高い。
黒海になると、南の方が大きい。身長の平均は、トルコ>ウクライナ>ロシアだし、ロシアでも北に行くほど小さい。
アフリカなら、北の端の方のトゥアレグとかは大きい、西スーダンは総じて小さい、ギニア湾ら辺は特に小さいが、山一つ東に越えると
極端に身長が高い。同じ緯度のでの東西で、だ。
赤道を越えて南回帰線付近は身長が高く、南にむかって(寒冷になるほど)低い。
米洲なら、温暖地のスー人やナワトル人は大体大柄だが、極圏のエスキモーやイヌピアットは小柄。
南米の低緯度地帯なら、海岸部・低地は大柄、寒冷な高地は小柄だ。
最も大柄なのはたしかに南米の寒冷地のパタゴニア人だが、二番目に大柄なのは熱帯のカリブ人だし。
大洋洲なら、サモアが最大、そこから同心円状に小さくなる。一番小さいのはフィリピンのネグリト。同じような高温地帯だけの比較でも
そうだし、温暖なサモアやタヒチが大柄で、寒冷なニュージーランドがより小柄だ。
ミクロネシアは総じて小柄、その北側の日本はミクロネシア人に比較して大柄だが、ところが、日本のなかだけみると、みごとに温暖な
ところで大きく、寒冷なところで小さい。しかも、時代でみても、温暖な時代は高身長、寒冷な時代は低身長だ。
結局のところ、人類では、寒暖と身長の傾向はほとんどあてはまらない。
>>199 それは単に栄養状態や生活環境の差、しかも虚偽情報だらけという悪質さ
全国だと九州沖縄西日本で身長が低く東北北陸で身長が高い
ちなみに当然知ってると思うけど温暖期は農業生産性が上がるし寒冷期は下がる
自分で結論出したね
>単に栄養状態や生活環境の差、しかも虚偽情報だらけという悪質さ
そう日照条件が多少影響する以外は、寒暖と栄養が大半の要因
つまり寒冷地に住む人々は平均して背が高い
>>200 うそぉん。
背の高い地域……九州、近畿、四国東部、東北日本海側
背の低い地域……南西諸島、四国西部南部、東海、東北太平洋側
九州の中では、北で低く南で高い
まったく温度は関係なさそうな分布。
>>201 黄や白は膨張色、黒や褐色は収縮色だからなー、弓矢構えて対峙してたら、色白で金髪の蛮族は本当はデカくもないの
にデカく見えたんだろう。
ガタイの大きな蛮族を制圧してきたというとハクが付くから、ふん縛って本当は大きくないこと見ても、デスいと吹聴する。
18世紀以降南欧諸国はパッとしなくなるが、ドイツ北部、イギリス、スカンジナビアなんかは経済的に潤ってくるから、
いいもの沢山食って本当にデカくなってきやがる。
そこで、さっきのガリア戦記なんかみて、昔からデカかったんだあ、とか思い込んでしまうわけよ。
>>196 その書き方だと「寒冷地域に住む動物は大型化する傾向がある」も否定してるがそれは贋科学じゃ
ないから。ちゃんと区別しろ。
>>195 >宇宙に最初に飛び出した生命体も白人だった
いや、犬とか猿の方が先だ。ライカ犬とか。
>古代ローマ時代は奴隷の地位などの人種差別的な偏見のせいで、その実力を発揮できなかっただけ
無知すぎる。っていうか釣りか?ローマ帝国はガリア同様帝国の一員にしてあげようとしたのにゲルマン人は
自由が好きですって言って逆らった。当時のゲルマン人にとってはローマの文化よりも自分たちの伝統と
自由が大事だった。
>>203 背の低い地域……沖縄、九州、四国、山陽
背の高い地域……北海道、東北、北陸、京都・滋賀、山陰、(京浜地区)
はっきりと寒暖と相関して傾斜があるね
>>196みたいな科学屋気取りは「○○は嘘つき、疑似科学」というレッテル貼りは必死でするけど、
絶対に「こういう理由で間違っている」とは言わないんだよなー。
「そんなことくらい自分で調べろ」と傲慢に構えて終わり。文系の学問でこんな発言は絶対に許されない。
これじゃあ疑似科学や陰謀論者と同じだな。
>>199 >国で言うとオランダとかデンマークら辺が一番高い。
平均身長世界一なのは、オランダやデンマークなどの北方ゲルマンじゃなく
ディナールアルプス人種(クロアチア人やセルビア人)で、男185,6cm、女172cm
オランダは男184cm、女170cm、デンマークは男181cmぐらいでそうでもないよ
209 :
世界@名無史さん:2011/06/26(日) 14:58:39.01 0
>>208 比較するのは現代の国ではなく民族大移動など人口の移動が起きる前の時代で比較すべきなのでは?
もしくは比較的均一な遺伝的要素と生活環境下にある集団、例えば日本とか中国とか
日本人の平均身長は鰻登りだし
バカも休み休み言ってね
馬鹿も休み休み言え
馬鹿も休み休み言うな
どっちが正しいんだろう とふと考えた。
正しい?
どうしてほしいか次第にきまってるでしょ。
適当な事を書くな。「馬鹿も休み休み言え」=「馬鹿を言うな」であって
「馬鹿も休み休み言うな」なんて無い。
無いという証拠はあるの?
>>209 栄養状態が良くなった、元来持ってた潜在能力出し切った現代で比較するべきじゃね
>>211←まさに馬鹿の典型
日本人の平均身長が鰻登りになるのは問題ない
関東人だけとか、福島県人だけ伸びるなら比較の意義が薄くなるけどね
福島県人だけ伸びるなら放射能の影響だな。
>>210 日本全体の傾向では、気温の高い時代には身長が高い、気温の低い時代には身長が低い。
同時代の地域的には、身長の高いところと低いところとかモザイク状に入り組んでる。緯度とか気候とかと相関性は無い。
>>219 温暖期は食料生産性が上がり、寒冷期は下がる
背の低い地域……沖縄、九州、四国、山陽
背の高い地域……北海道、東北、北陸、京都・滋賀、山陰、(京浜地区)
明確に気候の寒暖と相関関係がある
222 :
世界@名無史さん:2011/06/27(月) 12:08:33.18 0
人類の内側じゃ範囲が狭過ぎて生物学の出番無いけどねw
もはや中世ヨーロッパとなんの関係もない
このスレ汚しどもがッッッ
うんこ!うさぎ
>>226 首を左45度に傾けると、スマイルマークが出てきます。
228 :
世界@名無史さん:2011/07/28(木) 16:47:57.27 0
229 :
世界@名無史さん:2011/07/30(土) 09:12:18.64 0
>>199 >ところが、日本のなかだけみると、みごとに温暖な
>ところで大きく、寒冷なところで小さい。しかも、時代でみても、温暖な時代は高身長、寒冷な時代は低身長だ。
日本については、古墳時代から明治期まで、一貫して身長は低くなっていっているよ。
>>195 >白人>アジア人(東アジア)>黒人と。ハッキリ解かるぐらい、人種の能力(頭脳面)に差が出てきてるよね?
釣り針でかすぎ。
アメリカの大学をちょっとでも覗いて見ろよ
232 :
世界@名無史さん:2011/07/30(土) 10:16:46.72 0
北欧のデンやオランダが今のように大型化したのは
近年の食肉用家畜へのホルモン剤バリバリのせいと聞いたけれど
騎士どうしの戦いって映画にあるようなかっこいいものじゃなくて
危険になったらすぐに降参してその場で身代金交渉していたって聞いたんだけどほんとかな
>>234 勝った方も大事な金蔓は捕虜にした方が得策。
まあ、目をくり貫かれてロープで数珠つなぎに連行されたりしたそうだが。
囲まれた時点で降伏とか、気絶してから捕虜になるとかケースバイケースだけど、
騎士道に虜囚は恥辱という発想はないので、捕虜になるのは普通。
時代にもよるけど、重装備になるほど死に難くなるしね。
重装甲の騎士が切り殺されたり矢や槍であっさり死ぬより、
落馬して気絶、兜の上から鈍器で殴られて気絶という方が自然でしょ。
中世初期はフェーデを悪用した身代金目的の盗賊騎士もゴロゴロしてたしね。
重装甲ったって13世紀頃まで主に鎖帷子だがな
武器がヒノキの棒とかなら耐えれる、信じてる。
>>235 そんな残酷なことしてたんだ
>>236 俺が聞いたのはもっと極端な話だった
戦争でも騎士同士に限っては殺しあうよりもそうやって金の交渉のほうが多くて
案外のんびりとしたものだったって
お互い地位と金があるからお互い様ってことであまり殺し合わなかったらしい
これは極端な話なのかな
アジャンクールの戦いみたいに王様が「殺せ!」と鶴の一声で
下級兵士になぶり殺しにされたりとか
>>236 >兜の上から鈍器で殴られて気絶という方が自然でしょ
そんなことしたら死ぬよ?
兜と言っても頑丈なブリキバケツ程度のものだし、頭とバケツの間に衝撃を和らげる
ものがないから鈍器の衝撃は直に頭に伝わる
クロスボウのWikiより
安易に扱える武器な上に強力な威力は、騎士の装備する金属製の甲冑すら易々と貫通して致命傷を与えるため、
これによる狙撃は一部で脅威となっている。また致命傷を与えてしまうことは、
生け捕りにして身代金を要求するという当時の戦争のやり方にもそぐわない物だった。
その為、各地の騎士・貴族からこの武器に対して猛反発が続出。
1139年に教皇インノケンティウス2世が召集した第2ラテラン公会議で、
「キリスト教徒への使用」は非人道的として禁止する教令が出されるほどにもなった。
しかし対異教徒に限定されず使用され、1199年にリチャード1世が
クロスボウによって死亡した事例なども見られる。
これを元にして考察してみると
当時の戦争は殺し合いがメインではなく、騎士同士では生け捕りにする事が前提だった。
しかし騎士ではない者たちはクロスボウを使い続けていた事から、
一般兵士が騎士を生け捕りにしても分け前がもらえなかった可能性が高い。
鉄の鎧は効果があったが、クロスボウに対しては無力で、
恐らくこれが広まり発展したことで鉄の鎧の価値が下がっていった。
そうだとすればクロスボウは戦場で主力だったか、
少なくとも鉄の鎧してても無意味と思うほど大勢が使っていた可能性がある。
>鉄の鎧は効果があったが、クロスボウに対しては無力で、
>恐らくこれが広まり発展したことで鉄の鎧の価値が下がっていった。
時系列的に見ると逆
ヨーロッパの戦争で弩が使われるようになったのが11世紀
従来のメイル・ホウバークをコートオブプレーツなどで補強し始めたのが13世紀
それがプレートアーマーへ発展していったのが14世紀
弩はむしろ重装甲化の原因のひとつでは
ちなみに原始的な指火式鉄砲がヨーロッパで使われ始めたのも14世紀
>>244が正しい
鎧の価値が低下したのは火薬兵器の影響であってクロスボウのせいではない
重装甲の価値が低下した時期は火薬兵器の発展と重なってる
たまたま、西欧諸国で統一国家が形成され動員数が増大した時期に
鉄の鎧が量産されず値段が下がらなかったのと
火器の普及が重なっただけじゃね
鎧は基本的に自前で用意してたけど?
まさか中世の兵士に国が鎧を支給してやったと思ってるのか?
中世後期は支給だぞ、国や募兵先にもよるから自前の場合も多いけど
>>1の
>・騎士は鎧の重さで転んだら自力で起きられない
は間違い
そもそも鍛えた人間が自力で起き上がれないほどの重量って数百kg必要だけど、
兜だの何だのしてもそんなにならない
自力で起き上がれないのは可動域が大きく制限されていたせいで、
それは馬上槍試合で使うための鎧でのこと
>しばしば西洋甲冑は「重くなりすぎ戦場で転倒したら起き上がれない」や
「落馬すると自力で鞍に乗れない」と言われることもあるが、
この誤解はトーナメント・アーマーと、戦争に用いられた「実戦的なもの」とを混同したことによる。
後者の戦闘用アーマーは、着慣れた者なら馬に飛び乗ることも出来るとも伝えられている。
日本刀や武者の鎧のデザインってさ、西洋や世界から見たら東洋の中でもさらに異質な存在なのかな?
未来世紀ブラジルって映画見ておもった
251 :
世界@名無史さん:2011/08/05(金) 11:11:37.82 0
>>248 それは制服が登場した時代の話だから、すでに火薬兵器が普及してた
>>250 刀の發展の理由は、鉄が豊富に取れなかったからときいたことがある。
ようわからんが。
あと、いわゆる大鎧は宋代の鎧に酷似している
細身の曲刀っていうならそれほど珍しいデザインじゃないと思う
鎧もスケイルメイルの一種と捕らえればやはり他にもある
上級貴族と下級貴族と騎士について知りたいんだけど
領土を治めている貴族=上級貴族=領主
上級貴族の一族で小さい領土を分け与えてもらい、爵位も持っている領主=下級貴族=基本的に一代限り
騎士=貴族の一族で騎士位を持つ者や騎士の家系の一族
この考え方で合ってるのかな
疑問なんだけど
領土を持っていた騎士もいたけど、領土を持つ≠領主だよね
騎士が領主かつ世襲で受け継いでいくことも許されたってことが一般的にありえたのかな
そうなると上級貴族との違いがわからなくなるんだけど
あと領主は主従を結んだ上の相手(例えば国王)に、軍務以外の税金のような金品を納めてたのかな
東京ドーム1000杯分の領土を持ってるのが上級貴族
村人が100人くらい居る領土を持ってるのが下級貴族
一応領土を持ってるのが騎士、でも中世後期以降は貧
貴族は基本的に世襲でしょ
数代続いて貴族的な生活を送ったり、まわりから貴族的だとみられたり、特定の官職を世襲したりしたら貴族
爵位と言うものの認識が間違ってる
本来爵位はすべて一時的な物だった
フランク王国で中心部を小さめのコメスという行政単位で区切り、その行政官を伯爵、
辺境地方を大き目のマルキオという行政単位で区切り、その行政官を辺境伯(後の侯爵)と呼んだ
敵に隣接している辺境伯の方が軍事を含む大きな権限を与えられている
その副官を副伯(後の子爵)と呼び、宮廷で王に仕える行政官を男爵(後のドイツの宮中伯も同様)と呼んだ
いずれも全て王に任命されて派遣される役人であった
しかしフランク王(皇帝)の威令が各地に及ばなくなると、行政官だったものが勝手に自分の子孫に継がせるようになった
本来王の土地であった物を自分の領地とし、世襲貴族が生まれる
爵位は土地と結びついていて、まず先に○○伯領があり、その土地の支配者が○○伯を名乗る
従って支配している土地により一人の人間が複数の爵位を持つ事もある
子爵は元々伯爵や侯爵の副官だったので侯爵や伯爵と結び付き易いが、男爵は中央官なので地方領地とは結びつかない
しかし元々伯領や辺境伯領の下に居た地方豪族に対しその領地を認めると言う形で男爵の爵位を与えるようになる
子爵以上は本来王に任命された領地と結びつく貴族だが、男爵は王によって任命された領地を持たない
従って形上は王が爵位を与えるにしても、陪臣として地方貴族が任命(推挙)できるものであり、
自分の子に領地を分割相続させる場合には、長子に伯領を与え、次子以降は男爵というようになる
騎士も同様に領主であり、基本的には豪族・郷士
ついでに言うと騎士が小作農に土地を貸す場合も100年契約などの何代にも渡る長期契約が一般的
だからこそ後に価格革命で貨幣価値が暴落したとき、古い契約に縛られた騎士達は没落することになる
しかし騎士の全てが領地と結びつく訳ではない
給料払いの騎士も存在するので、そういう場合は領主ではない
それでもやっぱり安定した領地が欲しい騎士はどうするか
領地付の未亡人と結婚して領地を相続すればいい
それが貴婦人に勝利を捧げる試合という文化に繋がる
さて、そういう経緯で爵位が生まれたので、本来王から任命される領地付の子爵以上の貴族と
陪臣である男爵以下とが上級と下級と分けられるようになる
貴族身分と騎士階級の関係もおかしい
>>260 おかしいと言うか省いてる
領主、広義の貴族階級としての騎士以外の部分は触れたくない
ついでに古ゲルマンから繋がる公爵も省いてる
気になるなら書いてあげて
>>261 中世だしね
近世のイメージとごっちゃにしない為にはそこからかと
フランス革命時代の貴族が中世の最初から居たわけじゃない
一応言っとくと254≠260
騎士=領主ってそんなに基本だったのかな
一般的に一人の領主が何人の騎士を抱えていたのか知らないけど
100人200人だとしてもすごい量の土地が必要にならない?
領主は自分の一族にも土地をわけないといけないし、
その一族も領主となったら自分の騎士を抱えるわけで(られない人もいたらしいけど)
ほとんどが俸給もしくは小さい土地を持ってる程度で、
領主になれるくらい広い土地持ちの騎士って少数派だったんじゃないかなって気がするんだ
一国にだいたいトータル5000人の騎士がいるとして、そのうち1000人も領主だったとすると
あの当時に騎士だけで1000以上の町村が必要になっちゃうからどうなんだろうと
まあ数字はめちゃくちゃ適当なんだけど
>>257 そもそもフランク王国じゃないイギリスや北欧、ポーランドなどの爵位はどこから来たんだ?
日本みたいに19世紀に作ったのか?
>>265 フランク王国の領域と影響力を調べてみて
>>266 東欧や北欧は関係無いよ、ビザンツ世界の秩序が存在した地域
>>265 基本的にフランク領以外もフランクに順ずる
イギリスはノルマン・コンクェストでフランク系になったよね
ポーランドは東方殖民でドイツの法や制度を受け入れた
それ以前の爵位はまた別の話
北欧やポーランドで古い時代に聞きなれない称号が出てきたら、古い部族時代の称号
ポーランド史でやたらなになに公が出てくるのも公が古いルーツの称号だから
ビザンツの爵位は全然別、対応する日本語の名前さえろくに作られてない
ビザンツが崩壊後、なんとか専制公国なんてのが沢山できたが、専制公も爵位の一つ
他にも何十段階も称号があるし時期でも変わる
そういう色々なものを全部知りたいなら自分で調べてみよう
>>264 例えばドイツの都市の数だが、11世紀には120程だった
中世末期には東方殖民都市を含めて3000に増える
中世と一口に言っても都市だけでこれだけの変化がある
だから数字を上げるなら何時頃の話か限定しないといけなくなる
10世紀末のドイツ、オットー2世の直属の兵力は重装騎兵が2000、盾持ちが4000だった
2000の方が領地持ち、4000の方が領地無しの騎士だと思って良い
戦場ではこれらの騎士に装備での差はほぼ無い
時代や国で変わるので細かい話は省くが、土地無しの騎士は土地持ちの騎士より多いと考えてよい
しかし土地無しの騎士も代官のような役割で派遣され、継承権は無いが事実上の領地として与えられる事もある
複数の主人と契約する非自由騎士(ここで言う盾持ち)も出てくるし、自由都市と契約する騎士もいるし、
特例的なパターンはいくらでもあるが土地を持たない騎士が貧乏とも限らない
ところで土地を持たない盾持ち達だったが、大空位時代、ボスがいないのを良い事に代官だった筈の土地を
自分のものにしてしまった
ここで土地持ち騎士が大幅に増える
これも中世ではよくある事なのだ
>>264 「領主」っことばを上級の諸侯って意味で使ってないか?
>>264 >領主は自分の一族にも土地をわけないといけないし、
分ける余裕が無いのに分けたりはしない
継がない子供は坊主になるか部屋住みの使用人扱い
領主としての騎士がどんな事をしてたかというと
誰それの牛が逃げ出してうろついてるという訴えに対して部下を派遣して牛を捕まえさせ持ち主に罰金を命じる
と言うような田舎の駐在か村長みたいな仕事が日常
国会議員がどんな仕事をしてるかみたいなもので、
領主なんて実態はこまごました仲介や仲裁が大半
大領主だって争ってるのが配下の豪族になったりするだけでやる事は一緒
なんか領主に変な幻想抱いてるよね
騎士は日本の村長や庄屋より下でしょ、散村が多いから
なんか勝手な深読みしてる人もいるけど別に領主に幻想を抱いていない
領主ってのはひとつの村を治めていれば領主だと考えてる
俺が考えていた時代と場所はまさに
>>269の11世紀頃のドイツで、
あの当時は国全体がド田舎だったしヴァイキングの侵略にもさらされて
みんな細々と生きてたんじゃないかと思ってた
だから単純に何千も市町村があるほど発展していたのか疑問だった
>>269の都市の数が120もあったってのは驚きだったし、
それくらいあるなら町村も思っていたよりあったのかなと今は考えてる
>>275 >>269の言う都市って、人口500人とか1000人とかそんなレベルだよ
郷鎮と同じ程度、日本の村を壁で囲って都市と呼んでるレベル
村の人口なんて100〜300程度なんだから当時の人口を200で割ればおおよその村の数なんてわかるじゃん
妄想する前にそれくらいすればいいのに
時代にもよるけどそんなにいない
どっちにしろ1000A.D.のドイツだけで万単位だな
>>258 貴族が複数のタイトルを持つのは、むしろ至って普通のことだと思うけど。
そうでないと、自分の存命中に長子の帯びるタイトルが無いことになって、貴族の長男が平民ということになっちゃう。
>>280 貴族の長男は法的には平民
だからこそ長男に貴族の地位を与える必要がある
その為に自分の領地のうち2番目の領地を後継者に与え、その称号を名乗らせる
大貴族が複数の領地を持ち、従って複数の爵位・称号を持つと言うのが良くある事なのはその通り
領地と結びつかない称号が無いではないが、近世になり封建制が崩れてから増える
中世は封建制なので基本的に土地と結びつく
公爵なのに他の称号が男爵しかなかったら・・・
英国のサマセット公は後継者の称号がシーモア男爵だった
>法的には平民
あそうか、称号を帯びたところでその時点で相続したわけではなく、あくまでも儀礼称号でしたね。
>>257 日本の守護大名も似たようなもんじゃん。
そう言われりゃそうだ、元々は官職+官位だったのが
後代には何の実権も無い天皇と平安貴族の残影が金稼ぎの為に爵位を発行
違うとすれば、日本の場合勝手に官職名乗る人間が多くて、
同じ官職の人間がごろごろしてる事だな
東百官は官職違うし。
そもそもなぜ極東の地でデュークやバロンを名乗ってるんだか。
まあゲルマン人やスラブ人がローマの光景を名乗るよりはマシかもしらんが。
公侯伯子男は夏王朝(というか儒教)から
明治という時代からヨーロッパの爵位に対応させはしたが
>>286 織田「上総介」、羽柴「筑前守」なんかは正式な官職じゃないよ
>>289 羽柴「筑前守」は実務はないけど、正式に朝廷から貰った官職じゃなかったっけ。
>>289 律令時代から、遠国の守・介は遙任が常態化していた
羽柴「筑前守」は勅許をもらった説ともらってない説両方あるけどどっちなんだろうな
>>292 長浜城築城が天正元年だから、勅許だろ。
>>288 普通は周王朝以降と見るだろう。周の文王は殷の西伯。だから伯は殷にも有ったっぽい。
でも子は殷が王族を各地に封じて微子とか箕子とか呼んだ事に由来すると考えられる。
つまり殷に子という爵位は無かったと見るのが妥当。
>>264 まだ見ているのか知らないけど、渡辺節夫の『フランスの中世社会』あたりを読むと面白いと思うよ
マイケル・L. ブッシュの『貧乏貴族と金持貴族』『ヨーロッパの貴族―歴史に見るその特権』とかも
こま
ぎれ
ビザンツの爵位は皇帝から年金が貰えたんだっけ?
元々官職に由来するんでお給料ということで。
>>295 横レスだがよい買い物をしました
ありがとう
300 :
世界@名無史さん:2011/09/03(土) 00:11:22.32 0
>>250 デザインと言うよりも
中世から現在まで作り続けられている事が異質
刀は唐代に中国から伝わったものだけど
唐末には早くも装飾品として珍重されてるぜ日本刀
唐代だと聖徳太子より後になるが、それ以前の草薙の剣とか布都御魂(ふつのみたま)とかは
日本刀の起源から外れるのか?
装飾や製法に関しては起源なんじゃね
ただ刀じゃなく剣だけど
坂上田村麻呂の活躍時(800年頃)には、すでに刀に置き換わってたんかね。
遣唐使で伝来したとして、普及するまでにどれくらい時間かかったんかしら。
>>1 偏見ではなくテレビでそう紹介されていたのを信じていた者ですがこのスレッドへの質問です
・騎士は鎧の重さで転んだら自力で起きられない
複数のテレビで起きられない、落馬したら足を骨折してそのまま餓死を待つだけと紹介
実際に当時の鎧を着て日本の甲冑とマラソン対決したらドリフのコントみたいな動きしかできず日本甲冑に圧勝された。
・入浴の習慣が皆無
オーストリアとローマは入浴の習慣があったけど、基本ヨーロッパに入浴週刊は無かったと複数
のテレビやサイトで紹介されてました
医学知識が無い時代なので風呂にはいると体が弱ると思われてたとか、だから香水で匂いを誤魔化してたとか
それでマリーアントワネットは実家オーストリアからバスタブ持ってきて風呂入ってたとか
・キリスト教会が絶対的な権力を握った
これは良く知りませんが、前歴史の本で反発した王様がローマ法王だかに破門されてその王様が雪の中で震えながら
協会の前で許しを乞うエピソードが書かれてたけど、これ見る限り王様でも逆らえなかったんじゃないの?
・王侯貴族でもほぼ全員文盲
・魔女狩りや異端審問の全盛期
・古典古代の知識は完全に失われていた
これは初耳です。逆に貴族が文字書けて他の身分の人が書けなかったと聞いています
魔女狩りは国が財政難の時一時的に金持ちの財産を奪うために濡れ衣着せたとか
古典古代の知識は、時代が進むほど新発見があるからこう勘違いされたのかな?
長文失礼しました
>>305 あなたの考える「中世」とは何世紀から何世紀まで?
また、ローマやオーストリアはヨーロッパの標準ではないそうだが、
それならば典型的なヨーロッパの習慣を持っていたとあなたが考える国はどこ?
>>305 >これ見る限り王様でも逆らえなかったんじゃないの?
「カノッサの屈辱」だな。でも逆のエピソードもある。「アビニョン捕囚」でググれ。
一般的な認識ではこうです。「古典古代の知識は完全に失われた暗黒時代」でそれらの失われた知識は
中東のイスラム圏に保存されていた。それを輸入する事で再生したのがルネッサンス(人文復興)である。
他は面倒だからパス。
「失われた知識」っていうとカッコいいけど、実は最初から持ってなかった。
>>307 その「一般的な認識」とやらにも未熟な点があって、
それは、ラテン語の復興にブリテン島が果たした役割を忘れていること。
また、アリストテレスの論理学など一部の分野は、ヨーロッパの知識人がかなり早くから独自に再発見している。
だから、「イスラム圏から文献を逆輸入するまでは、やっぱり完全な暗黒時代だった」という歴史観は誤り。
ついでに言うと、「イスラム圏との接触」を直ちに「ルネサンス(15世紀のイタリア・ルネサンス)」に結びつけるのはかなりの飛躍。
>>308 それは言い過ぎ。
持ってる東側からかつて強かった西側が切り離されたって感じ
独自に再発見したわけでもないし
ルネサンスやスペインの隆盛はイスラム圏やビザンツとの接触し続けた結果の出来事
北部の技術的進歩にしてもモンゴルのもたらした様々な技術が直接の契機になってる
鉄砲とか火薬とか鐙とか弩とか水車とか羅針盤とか造船とかじゃね
「失われた古代の知識」の話なのに鉄砲?
古代ローマに鉄砲があったのか?
ヴァザーリは何と言ってたかな?
315 :
世界@名無史さん:2011/09/04(日) 03:56:31.09 0
>>305 >オーストリアとローマは入浴の習慣があったけど、基本ヨーロッパに入浴週刊は無かったと複数
>のテレビやサイトで紹介されてました
こういうのはよくある偏見の典型だな
中世=暗黒時代だから、きっとローマ時代の入浴習慣もなくなったんだろう、と
公衆浴場がペスト流行までかなり一般的に利用されてたのに
>>310 アリストテレス復活の兆しがイスラム教勃興以前に見られることは
「イスラムをどう評価するか」以前の年表的な通説なんだけど。
そういう事実を無視した上で、具体的な反証も示さず「独自に再発見したわけでもないし」と言い切れる根拠は何?
どうせ大して調べもせずに思い込みで語ってるんだろうけど。
>>316 イスラム勃興以前のビザンツ帝国と西側の間に交流があったことは通説なんだけど
というより支配されてたりもするんだけど
イタリアに限れば交易していた記録も散見されてるんだけど
>>317 「イスラム勃興以前のビザンツ帝国」の話なんか誰もしてないからw
ちゃんと
>>309を読みなさい。都合が悪くなったら話題をそらすしかできないの?
>>318 アリストテレスの論理学などは後ウマイヤ朝のコルドバで学んだり
イスラム世界やビザンツから文物を輸入して知ったんだよ
西欧の知識人がかなり早くから独自に再発見した事実は存在しないよ
願望に基づいて歴史をクリエイトw
320 :
世界@名無史さん:2011/09/06(火) 02:07:07.68 0
よくわかんらんけど、ビザンツ帝国って半分くらいヨーロッパみたいなもんじゃないの
まずギリシャ正教と西方正教で宗教が違うし
文化が違うし経済圏も違うし、まだロシアの方が近い
>>319 ボエティウスはイスラム以前の人だよ?
もっとも一度失われてはいるけど
>>321 そのロシアも実質的にヨーロッパみたいなものでしょ
よく言われる「19世紀の観念では〜」とかいう話はナシな
中世じゃないから
独自再発見でもなんでもねえww
東に学びに行って帰国後に翻訳しただけw
だいたい独自に再発見した説の人はどうやって発見したというんだ。
孔子の旧宅の壁から書経が出てきましたみたいな事なのか?
数学の公理とか、自然科学なら独自に再発見も有るけどさ。
ローマ軍が洞窟でw
オリジナル原稿はローマに持ち帰られ写本がたくさん作られたというから、元々西欧にあったのでは?
説明になってないからホントなら詳細プリーズ。
>>323 中世は西欧と東欧じゃ宗教も文化も経済圏も違った
ビザンツの大司教以下がカトリックの下に付くくらいなら
オスマンの支配下に入る方がマシと言ったのも有名でしょ
>>328 それは正教とカトリックの確執から来たものだろう
十字軍がアホやらなければここまでこじれてなかった
すいません
18世紀くらいのヨーロッパの16〜18歳が習う勉強内容なんですけどレベル低いですか?
昔ほど発見も少ないし勉強できる人自体少なかったわけですよね?
ならお金持ちしか勉強できないような時代って現代日本の中学レベルだったりしますか?
それとも逆に貴族は高度な教育で現代日本の大学レベルをすでにならってたりしてたんですか?
発見の少ない理系はレベル低いか間違った内容教えてそうですけど数学とかどうでしょう?
江戸時代の日本は空前の算術ブームで老若なんよ問わず遊びで数学やってて
ノーベル化学賞を受賞したソディさんが提唱した六球連鎖の法則をさらに115年前
にとっくに発見してて答えと解説を神社に奉納する商人がいたり、ほかにも70次関数とか
超難問レベルの数学問題をキコリや漁師が平然と作っていたそうですが中世時代の
ヨーロッパ貴族の学力ってどんなもんでしょうか?
(江戸時代は身分を問わず数学の問題や発見を神社に奉納する習慣がありました)
18世紀のヨーロッパも江戸時代の日本も近世であって、中世じゃないからスレ違い。
>>330 中世ヨーロッパの高学歴は、貴族ではなく聖職者。
貴族は今でいう麻生太郎や孫正義みたいな存在であって、
同時代人の中でも格別に学識が高いわけじゃない。
だから、「貴族の知能が低レベル」は「中世ヨーロッパ全体が低レベル」を意味しない。
それから江戸時代は日本史の区分でも世界史の区分でも中世ではなく近世なので、
日本とヨーロッパの学問水準を比較するには不適切。
平凡な大学生が赤ん坊だった頃のアインシュタインと自分を比べて、
「俺はアイシュンタインを超える大天才!」と言っているようなもの。
日本が和算ブームに湧いていた頃のヨーロッパは、
とっくにコペルニクスやニュートンが常識となっていた世界。
18世紀や江戸時代って近世だんたんですか? 自分は明治からが近世って聞いてたんで、申し訳ありません
コペルニクスやニュートンが常識とは言いますがテレビで江戸時代の識字率80%に対して
イギリス15%、フランス8%で多分貴族とかしか学校行けてないと思うんですけど
常識って言うのは貴族中だけの常識ということでいいですか? あとそれは物理学の重力
計算の問題を楽に解けるという意味ですか? それとも重力の存在を知っているという意味ですか?
18世紀が近世というのは分かりましたので、では結局中世後期のヨーロッパの
貴族の子、16〜18歳前後ぐらいの人達ってどの程度の数学勉強してたのかご存知でしょうか?
現代日本の一般的な高校レベルの学力あれば通用しますか?
18世紀欧州や江戸時代は近世、以降が近代
>>332の言う常識は貴族の中のエリート中のエリートの常識、要するに非常識
重力の存在を知っているという意味で、物理学の重力計算の問題は解けない
現代日本の一般的な高校レベルの学力あれば余裕で通用したと思う
ところでニュートンと同時代の日本人は
エリート中のエリートでなくても重力の存在を知っていたの?
中世、ヨーロッパは後進地域でしたし、精々ユークリッドの原論に毛が生えた程度のことしかやってませんよ。
四則計算の書記法も定まってない有様で、商人のメモ書きなどを見ると、正しい答えなどとても覚束ないような摩訶不思議な計算法を用いていたりしたそうですね。
にも拘らず、近代数学はヨーロッパに始まりました。
その発展史は一般にカルダーノの3次方程式の解法から始める習わしになっています。
>商人のメモ書きなどを見ると、正しい答えなどとても覚束ないような摩訶不思議な計算法を用いていたりしたそうですね。
どんなん?
>>333 近世が明治なら近代は大正で現代は昭和以降なんですか?
>>333 そもそもコペルニクスやニュートン自体が貴族じゃないのに学校行ってるわけだが。
340 :
世界@名無史さん:2011/09/08(木) 18:59:39.39 0
>>333の目的は、純粋にわからないことがあるから質問するというよりも、
自分が固く信じて曲げる気のないドグマ、
「日本の文化は素晴らしい。ヨーロッパは野蛮で無知蒙昧」を他人にも認めてほしい。
ただそれだけみたいだ。
>>342 そうやってレッテル貼りしてれば満足か?
レッテルを貼られるに値する愚人には
ちゃんと、貴方は愚人ですよ、と言ってあげないといけない
345 :
世界@名無史さん:2011/09/09(金) 03:24:10.15 0
学問板で根拠もなくレッテル貼りするのはアホがやること
>>309 >ラテン語の復興にブリテン島が果たした役割を忘れていること。
ブリテン島はヨーロッパの辺境だったと一般には思われているが、あの島には
キリスト教が地中海世界から直接伝えられたからな。当然、キリスト教とともに
ギリシア・ローマの文化も伝えられた。そしてブリテン島の知識人は、ローマを訪れて
聖遺物や写本をもちかえり、修道院では神学ともに古典古代の学問が研究されていた。
カール大帝がアルクインをアーヘンの宮廷に招いたのも、こういう背景があってのこと。
古いモノが辺境に遺されている事はよく有るけどな。
修道院が黙々と文化の継承をやってたからじゃない?
イスラム経由ですべてのギリシアローマ文化が再輸入されるわけじゃない
再輸入されたのはビザンツが持ってたものの一部だけ
再輸入された文物の大半はイスラム経由か若しくはビザンツ経由だね
わざわざコルドバ・トリポリやビザンティウムへ留学してたし
みんなイスラム“経由”のギリシア・ローマ思想というが、
純粋にアヴィセンナやアヴェロエスらの解釈レベルが高かったことは見落とされがちだ。
アルクインがいただろとか、そういう問題じゃない気がするぜ。
しかも思弁神学者からみれば、その碩学が一神教信者だから非常に参考になるわけだし。
本当の野蛮人なら彼らの著書を読もうとすらしなかったはずだしね。
イブン・シーナー本人がヨーロッパへ赴いて愚民に医学の精髄を説いたわけじゃない。
野蛮人ではないな、モンゴル貴族が漢字で書かれた古典を読んだように
353 :
世界@名無史さん:2011/09/09(金) 23:29:13.60 0
>>352 >モンゴル貴族が漢字で書かれた古典を読んだように
例えがズレてる
中世ヨーロッパにおいてもラテン語はキリスト教世界の共通語
できるのはインテリ層だけだが
中世ヨーロッパにおけるキリスト教世界の共通語はギリシャ語
もっとも南部はイスラム化しちゃったけどね
355 :
世界@名無史さん:2011/09/09(金) 23:40:45.33 0
まあ、七十人訳も新約もコイネーだし、ウルガタが公認されたのは16世紀だし、公式な公用語はギリシア語だったのかな
358 :
世界@名無史さん:2011/09/10(土) 00:21:32.85 0
間違った認識をごり押して突き通そうとする根性は悪くないが
出発点から間違ってる
中世ラテン語について勉強してから出直してこい
359 :
世界@名無史さん:2011/09/10(土) 01:32:15.93 0
よく知らんがギリシャ語は古代では?
>>355-356 中世のヨーロッパで中心だったのは、後期と末期を除き
長きに渡って、東方のスラブ人も含めたギリシャ世界だからね
イブン・シーナーって神童だったらしいね。
すでに少年時代にはイスラムの最高学府で数学の講師を務め、20歳頃には最高の医学者に。
哲学面でも西欧に伝わったスコラ哲学のはるか先、17世紀のスピノザくらいまでは到達してたとか。
20世紀に生まれてたら、高名な理論物理学者にでもなっていただろうな。
362 :
世界@名無史さん:2011/09/10(土) 03:49:32.84 0
>>359 正解
ローマ崩壊後のキリスト教地域ではラテン語が公用語
ビザンツの公用語だけがギリシア語に変わったからギリシア帝国の呼び名がついた
中世の歴史もまともに勉強してない厨房が自論を垂れ流してるだけだから
放置しておけ
日本じゃイスラム科学が過大評価なんだよな。
ヨーロッパの学問は古代ギリシャ、ローマの原典に当たりだしてからは、イスラムからはもう学んでないし
西欧の学問は中世後半の14、15世紀に至っても
先進文明のイスラム科学を翻訳した物が中心だよ
それ故にイスラム世界と近いイタリアやスペインがまず隆盛した
14〜15世紀なんてそれこそギリシャの原点に当たり出した時代じゃないの
中世だとギリシャ語って正教圏ですらビザンツ帝国の外にはあまり広まってないぞ。
キュリロスとメトディオスあたりから聖書や教会文献のスラブ語訳などをばんばんやり始めたので
聖職者ですらギリシャ語を学ぶ必要がほとんどなかった。
逆にそのせいでロシアあたりにはキリスト教以外の学問があまり入ってこなかったり。
カロリング・ルネサンスはイングランドから招来され、
12世紀ルネサンスはアラビアの影響を受け、
イタリア・ルネサンスはビザンツから刺激を受けた
ヘレニズム科学って、まずビザンツからシリア語に訳されて、そこからさらに
アラビア語訳されたんだが
369 :
世界@名無史さん:2011/09/10(土) 14:23:00.73 O
>>366 そうなんだ。
現地語でカトリックを布教されたせいでスペイン語が広まらなかったフィリピンと似てるな。
シチリアは?
……ただし、古典作品にたいするこの時期のビザンツ人の嗜好性は、現代に生きるわれわれと
大きく異なっていたことも指摘しておくべきだろう。彼らが高く評価していたのは、
いわゆる古典古代の作品ではなく、今日では技巧を凝らすばかりで内容に乏しいと評判が悪い
ローマ帝政期以降の「第二次ソフィスト運動」に属する作品であった。
総主教フォティオスの『図書総覧』には、今日では失われてしまったものも含めて
彼が読破した386の書物の要約が収録されているが、その八割以上がそうした時代の作品だった。
『世界史リブレット104 ビザンツの国家と社会』(根津由喜夫、山川出版社》
372 :
世界@名無史さん:2011/09/10(土) 18:57:17.12 0
白人はペストで人口の3分1が死んだりしてヨーロッパ人同士の血が近く濃くなってるのにどうしてあんなに美男美女が生まれるんだろ
東アジアのモンゴロイドなんて白人の10倍ぐらい人口多かったのにダウン症みたいな不細工が多い。おかしい。
お前さんの知性に問題が有るのは判った。
374 :
世界@名無史さん:2011/09/11(日) 00:18:57.71 0
>>320 人種 宗教 文字 公用語
ビザンツ スラブ人 ギリシア正教 ギリシャ文字 ギリシャ語
キリル文字
フランク ラテン人 ローマカトリック ローマ文字 ラテン語
ゲルマン人
>>305 亀だけど、
・キリスト教会が絶対的な権力を握った
破門も強力無比な武器じゃない。諸侯に対する統率力が落ちてる時とか、
跡目相続で争ってる最中に繰り出されると絶大な効果があるが、
タイミングを外すと地方の小領主にすら軽く無視される。
皇帝やフランス王が相手だと、悪くすると対立教皇を擁立されたりして逆効果。
教皇権力が絶頂を迎えていたといわれるインノケンティウス3世ですら、
地方の司教はなかなか命令を聞かないし、足元のローマで市民に煽られたりする。
ヴェネツィア総督エンリコ・ダンドロもシチリア摂政マルクヴァルト・フォン・アンヴァイラーも
破門を無視して好き勝手絶頂しちゃう始末。
>>374 ギリシャ世界とカトリック世界は別物だけど
どちらも中世欧州だよな
>>376 7世紀以降のビザンツは基本的にギリシア国家だから、そこを同時期の数多くの国
と同等に「中世欧州」とカウントするのに無理がある
基本的にアジアにしか目を向けてない国だし
>>372 あんたモンゴル帝国スレで東欧美女だの強姦だのそんなことばかりに執着してる人でしょ?
379 :
世界@名無史さん:2011/09/15(木) 09:11:35.55 0
最近江戸時代が過大評価されているね。
識字率についても世界一のようにいわれているが
イギリスのドーアという社会学者によると、明治元年
の日本全国の就学率は男子が43パーセント女子が
10パーセントあった。
寺子屋は19世紀に入る頃から急激に増加し続けている。
とくに安政年間(1854〜1859)から慶應年間(1865〜1868)にかけての14年間に
は、年間300を越える寺子屋が開業している。
この間の人口がほとんど増加してないことからもこの時期の寺子屋がいかに増加
したか、この時期の庶民の就学率がいかに上昇したかがわかる。
その結果、明治元年の日本全国の就学率は男子が43パーセント
女子が10パーセントまでいったのである。
380 :
世界@名無史さん:2011/09/15(木) 09:12:28.45 0
プロイセンは1825年、兵役義務と同じく教育を国民に義務付け、
強制性を帯びた教育制度を実施した。その結果、プロイセンを中心に
ドイツが統一される直前の1860年代に、適齢期の児童の小学校入学
率は97.5%に増加した。
中世どころか近世ですらないな
382 :
世界@名無史さん:2011/09/15(木) 13:40:31.18 0
寺子屋が普及したのはそもそも18世紀以降の話だし
>>377 >基本的にアジア
これは違うでしょう。東欧のキリスト教改宗活動に力を入れ、実際
正教圏を成立させているでしょう。
アジアに大いに目を向けた近世西欧は、欧州として
カウントするのは無理があるのでしょうか?
いいんだって。中世ヨーロッパへの偏見を語るのがこのスレなんだから。
つまり、「ビザンツはヨーロッパじゃない!」みたいな意見が偏見ということか
ビザンツは明らかに西欧世界とは異質な存在だけど
欧州じゃないとは言い切れないよな、アジアや北西アジア・ロシアに広がってたとはいえ
でも、中世という用語は明らかに西欧を対象としてるよな普通。
ビザンツ史は15世紀で終わるから、時代区分の用語を用いる必要性が薄いし。
講談社旧版「世界の歴史」の区分では、「ビザンツと東欧世界」の巻は「ヨーロッパ」に
区分されている(題名にも東欧と入ってる)。
中公新版「世界の歴史」の「ビザンツとスラヴ」では、「あとがき」に「中世までの東欧」
という言葉が出ている。更に、渡辺金一「中世ローマ帝国」という本があったりして、
クセジュ文庫の「ビザンツ文明」では、冒頭の文章がいきなり「中世の「ローマ人」による帝国」
と出てくる。ビザンツ領土と重なるブルガリアを扱った「ブルガリア 風土と歴史」という本では、
第二部が「中世のブルガリア」。そしてこの本の最初の一行が「ブルガリアがヨーロッパ大陸の・・・」となっている。
一般人がどうあれ、研究している本人達はヨーロッパだと思ってるようだ。
>>388 わざわざ全集で巻を分けたり「中世ローマ」なんて言葉を使ってる時点で
むしろ「中世ヨーロッパ」と差別化してるように感じるんだが
そりゃ現代の地理的な意味でのヨーロッパ大陸にあるのは間違いないけど
中世アジアにイスラム世界も中国も日本も含まれるからな
すげーよなアジア、ってか単に現代地理の概念で分けてるだけだろ
ドイツでは中世史に中欧とリヴォニアは必ず入る。なぜならドイツ騎士団やドイツ商人が
多数リヴォニア、ポーランド、チェコ、トランシルヴァニアなどに移住して
多数活動していたし、これら地域は18世紀末にプロイセンとオーストリアに
分割された。ルーマニア・バルカン半島がどういう扱いなのかは知らん。
392 :
世界@名無史さん:2011/09/17(土) 21:36:48.13 0
中世盛時ならイスラムやビザンツに匹敵する文明に成長していた
中世盛時にはビザンツは滅亡していた
394 :
世界@名無史さん:2011/09/17(土) 21:43:54.11 0
中世盛時はイスラムも西洋ヨーロッパにぼこられてたな
中世盛時はだいたいカロリング朝から十字軍までなんだけど。
十字軍から15世紀が後期。
>>394 内戦に乗じて攻め込んだけど
情勢が落ち着いたら速攻叩き出されたよな
>>396 叩き出されたのはヨーロッパ勢が内紛してたからだよ
中世では文明度が近世、現代ほど戦力に寄与しないから
どれだけまとまった戦力を運用できるかは勝敗のカギ
モンゴルは勝手に来たが、十字軍は呼ばれてきたような気がするな。
中世のヨーロッパ諸侯が商人たちのカモにされ続けてきたことを考えれば、
購買力だけでなく、武力も利用しようかという思惑があってもおかしくない。
>>397 今でもそうだろ。
文明度が底辺な途上国のDQNが先進国から兵器を入手してテロってる。
十字軍の連中ってビザンツやイスラムの商人から武器手に入れてたっけ?
北朝鮮は先進国だろうか?
公開されているシラバスによれば、
今年の早稲田大学の第一文学部の技術史の講義では、
J. Gimpelの『中世の産業革命』をテキストに使っているようだ。
>>400 ノルマン騎士なんかも東方では小札鎧着たりしてたらしい
逆に、イタリア商人なんかはイスラム王朝に武器や防具を輸出して
教皇庁に破門するって脅されたり
404 :
世界@名無史さん:2011/10/12(水) 07:11:17.75 I
十字軍は第四回から商人にいいように利用されはじめたとされてるけど、
そのときに占領されたアレクサンドリアの商人たちはどうして十字軍を止められんかったの
だって聖書にオナニー禁止と書いてあるんだぞ。
オナニーのたびに懺悔すんのか
聖書では精子を故意に地に零したオナンは神の罰を受けて死んだ。懺悔では済まない。
もしそうなら、おまえら何千回しんでんだww
おまえもだろ?
Yes, 生涯で万の桁には乗らないようにしたい。
でも修道女がオナニーしながら書いた
イエスが拷問されまくるラノベとかあるよね
映画化もされたし
リョナってやつ?
ここは中世史に詳しい人が多いみたいだから教えてほしい
中世人にとっての異端は、現代欧米人にとってのホロコースト・リビジョニストのようなもの?
だとしたら教会が異端を取り締まったのも理解できるけど
現代欧米人ならぬ身でつらつらと思うのは、例えば戦前のアカに近かったのかな、と。
主だった異端はみな清貧の思想を説き、一所不在無一物のイエスの教えを実践しようという人々でしたから。
これは勿論、正統カトリックの立場からは明らかにカルトだし、彼らは自分たちが正常で正しいことを疑わなかったので異端を排除するのに何の痛痒も覚えなかっと思われます。
>>416 中世人にとってのプロテスタントは、ユダヤ教徒のようなものではあるけど
しかしユダヤカルトとは違い、改心や対話も行われている
>>417 中世期にプロテスタント(抗議者)と呼べるのはフス派くらいでしょ。
ヤン・フスの最期は周知の通り。
カタリ派も反カソリック宗教改革みたいな一面があるからなぁ
他のプロテスラントと違ったのは有力世俗領主の支持者がいないから、って事情も大きいかも
人種や民族みたいな世俗の基準混ぜると、ちょっと違うよね……
トゥールーズ伯レモンがいたでしょ
異端とは直接関係のない話だが、最近、なんでもかんでも寛容でありさえすればいいのか?
と思うときがある
たとえばキリスト教化される前のゲルマン人、ケルト人の迷信・俗信だが、こういうものに
縛られて生きている人間は幸福だろうか?
移民が国内で名誉殺人や女子割礼といった習慣をもちこんだとき、これらも
多文化主義として認めるべきだろうか?
そういったわずらわしい習慣からは解放されたいと思う人間のほうが多数派なのではないか
迷信・俗信に縛られて生きている人間は不幸だから殺せってか?
旧弊を排しても新しい秩序が取って代わるだけだと思うけどね。
割礼に関してだけど、最近は近代的設備で医者でやってもらうのも増えている
みたいだね。これは寛容派の解決策のひとつだと思う。
一方でブラック・アフリカのように、専門の術師が不衛生な昔ながらの方法
でやっているところもある。
ブラックアフリカの女子割礼を
研究した人は、「割礼は成人の為の通過儀礼となっている為、強制的に
やめさせても、本人達は社会からつまはじきにされ、本人自身も不具者の
ような意識をもってしまい、身を持ち崩すことになりがちなのだそうだ。
提案としては、別の通過儀礼で代替する、ということがあるが、これは
ある意味改宗させるのと同じようなことだと思う。これは改宗派で
広い意味では非寛容に分類されるのかも知れない。しかし、強制的に止めさせる
方法よりは、ましだと思う。
同様に、ブラック・アフリカでは処女幕縫合というのもあるが、これも、
中世欧州の貞操帯に代替する方がましかも知れない。
女子割礼を廃止したがっているのはアフリカ人じゃなくて
白人のフェミニストだからね
寛容の話をしたければ「女子割礼を嫌がる白人がいるからアフリカ人はやめろ」じゃ不適切な例でしょ
違う。
>>424の話は、
>>423の、
>新しい秩序が取って代わるだけだと思うけどね。
という話だよ。わかりにくい書き方だったと思うが。
>>363 >日本じゃイスラム科学が過大評価なんだよな。
>ヨーロッパの学問は古代ギリシャ、ローマの原典に当たりだしてからは、イスラムからはもう学んでないし
ラファエロの「アテネの学堂」では、右手のプラトンが天を指さし、左手のアリストテレスが
掌を地に向けている。西洋美術の伝統では右は左に対して常に優位にあるから。
でもアラビアの場合、結局アリストテレス重視のままで終わってしまったんじゃね?
>>1 >・古典古代の知識は完全に失われていた
欧米でも一般人はルネサンスを過大評価し、中世を過小評価しているから、
その影響もあるんじゃね
あと、中世の過小評価とは直接関係がないが、たとえばイギリスでも一般向けの本や
TV番組で、「ローマ人が私たちに与えた影響」については嬉々として語るのに、
ローマ人が征服したブリテン諸族についてはあまり関心がはらわれない。
こういう傾向も中世の過小評価につながっているのかな
白人女とセックスしまくりたい
白人女は動物にしか見えない
白人の美少女は、天使にしか見えない
でも天使は男だぞ、たぶん。人間の女と子供作ってる話は有るけど、逆は無い。
それって男の娘ってやつですか?なお良い。
西欧における天使の絵の変遷はなかなか興味深いね
最初、立派な男性の容貌をしていたものが、歴史を下るにつれ段々中性的になるw
>>435 天使は男でも女でもなく完全な性を保持してるって考え方じゃないかったっけ?
天使は両性具有のはず
男の娘はシェークスピアの男装の麗人役の少年とかかね
十二夜の誰やらとか?
天使は、中性説は?
聖母マリア(処女の女)の部屋に見知らぬ男が入ってきたら、普通は警戒するけど、そうしていない
からという説のほかにあったけ?
普通は見知らぬ男であっても天使なんだから警戒させないようなオーラがあったと解釈すんじゃね。
そんな根拠で中性って理解出来ない。
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20111227-OYT1T00300.htm 美術史家の辻佐保子さん死去…故辻邦生さんの妻
作家の故辻邦生さんの妻で、美術史家の辻佐保子さん(81)が26日、都内の自宅で亡くなっているのが見つかった。
警視庁高輪署によると、死後数日経過しており、病死とみて調べている。関係者によると、佐保子さんは浴室で見つかった。
また、最近の講演会の席では、ウイルス性腸炎にかかったと話していたという。
ヨーロッパ中世美術、キリスト教考古学を研究。名古屋大、お茶の水女子大名誉教授。
「古典世界からキリスト教世界ヘ」でサントリー学芸賞。他の著書に「『たえず書く人』辻邦生と暮らして」など。
(2011年12月27日10時40分 読売新聞)
http://www.asahi.com/obituaries/update/1226/TKY201112260672.html 美術史家・辻佐保子さん死去 故・辻邦生さんの妻
2011年12月27日8時14分
美術史家の辻佐保子さん(81)が東京都港区高輪3丁目の自宅マンションで亡くなっているのが26日夜、見つかった。
親族によると、郵便物がたまっていると管理人から連絡を受けて辻さんに電話したが出ないため、警視庁高輪署に相談。
兄と義弟が署員と室内に入り、倒れている辻さんを発見した。捜査関係者によると死後2、3日経っており、病死と見られる。
辻さんは作家の故・辻邦生さんの妻。東大文学部美術史学科を卒業後、
パリ留学などを経て名古屋大やお茶の水女子大で教授を務めた。
「ローマ サンタ・サビーナ教会木彫扉の研究」で地中海学会賞。
著書に「古典世界からキリスト教世界へ」「ビザンティン美術の表象世界」など。
442 :
世界@名無史さん:2012/04/23(月) 07:45:37.38 0
平田篤胤
>>434 顔に羽をつけただけが、ボディー有りになる変化とかもあるよ。
日本のゲームやアニメ等でたまに見る全然人間の形をしていない「天使」って
一神教圏の伝統美術にもあったりするの?
キリスト教だと、古くは「神と人」で表現されるから、人間型が定番じゃないの。
ケルビムとかはグリフォンみたいなのとか人間離れした絵もあるけど人間要素も含んでますね
>全然人間の形をしていない「天使」
画像ぐらい貼ってくれんと何をイメージしての質問か皆目分からん
中世の貴族の識字率はどれぐらいだったのですか
どの国ですかどの時代を中世としていますか貴族をどう定義していますか
中世も初期だと王様でも文盲だが、盛期になると諸侯クラスでは母国語の文盲は流石に
少なかった(ただし、ラテン語まで使えたのは少数派)。
もっとも、田舎の地主と大して変わらん末端の騎士になると文盲はまだまだいた。
近世にフランス語が各国の宮廷で使われるようになるまでは、ラテン語が標準語だったのでは?
中世の時点で既にラテン語は死語と化していた。意識的に学習しないと修得は不可能だった。
当時の知識人階級だった聖職者は西方カトリック典礼に用いられていたのがラテン語だったから、
当然必修であり彼らの間ではラテン語での意思疎通は不自由しなかった。
が、中世盛期くらいだとまだ世俗諸侯はラテン語の必修化は進んでおらず、
皇帝フリードリヒ1世・バルバロッサやハインリヒ獅子公ほどの権力者でも
ラテン語は使えなかった。もちろん元聖職者のバルバロッサの息子フィリップや、
数ヶ国語を自在に使えたバルバロッサの孫のフリードリヒ2世みたいなラテン語に堪能なのもいるけど。
これでは外国に嫁ぐ貴族の姫君が難儀しそうだが、この頃は婚期が大変若く、
また娘がまだ幼い時点で婚約するのも珍しくない。そして婚約が成立した時点で
親元から未来の婚家に預けられて、嫁ぎ先予定の母国語や家風の修得を始めとする花嫁修業が始まる。
ルーマニア人なんか母語がロマンス系なのに
正教に入信したせいで教会スラヴ語で典礼をやらされるはめにw
>>428 日本人だって、戦国時代がどうとか江戸時代がどうとか嬉々として語るけど、
征服したアイヌ民族についは関心が払われないのと同じだろ。
だからといって中世を過小評価しているわけでもないし。
中世にアイヌ征服できてた?
東北地方は大和が征服して、北海道に追い込んでいたんじゃないの。
いつの間にか専門家に生産+2付く様になってて
自由の女神の他に付く要素が解らないんだけど
他に何かあったっけ?
うん。誤爆った・・
>>460 蝦夷がアイヌかどうかはハッキリしてないし、東北の蝦夷の多くは俘囚として大和朝廷に
服属したから北海道に追い込んだと言えるかどうか??
戦国時代辺りまでは、渡島の蠣崎氏(後の松前氏)だけじゃなく安東氏や
南部氏の領地にも交易に来ていたはず。
南部家とは基本交易せず、蝦夷交易は安東家と松前氏の専権事項
なんちゃーらかんちゃーらとかいう官職もったしw
>>415 異端と異説は違う
異説を主張し それが教会の中で徹底的に議論され 承認されれば神学として認められる
議論で負けた異説は撤回されれば問題ない
異端として裁かれるのは異説側が撤回しない場合
これは今でもある
あと異説に政治が絡むと事が大きくなる
それで弾圧された例がカタリ派やワルド派
世俗君主に保護され協会を割って出たのがプロテスタント
>>460 蝦夷がアイヌじゃないということははっきりしていない。
蝦夷の多くは、追い込まれたため服属した。
>>451 イタリア語を母体としたリンガ・フランカってのを使ってたみたい
>>465 蝦夷=東日本人説も「支配者気取りの関東人を見返してやれ」的な政治的なところがあるからね
468 :
世界@名無史さん:2013/04/24(水) 01:02:18.69 0
>>415 異端になるのは教会の権威を直接的あるいは間接的に否定するものが多い。
469 :
世界@名無史さん:2013/04/24(水) 20:18:47.87 0
大事なのは風呂に入ってないから当然臭かったわけだ
風呂好きローマ人とは正反対文明になった
だから入浴の習慣は時代によって違う
中世初期でもたまに湯あみする程度のことはしてたし
カール大帝はでっかい風呂をもってた
中世盛期以降は入浴は一般にはやるが
17・8世期になると水が病気の感染源になるとして入浴の習慣がなくなり
19世紀にまた復活
中世の魔女狩りといいつつ、実際は近世の魔女狩り
中世ヨーロッパは風呂に入らなかったも、実際は近世ヨーロッパは風呂に入らなかった
よく分からない知ったかぶり人間の中世暗黒時代イメージからくるのだろうか?
中世にしろヨーロッパにしろ範囲が広すぎるんでそりゃ入らなかったところ(時代)もあれば
入ったところもあるだろう、としか
魔女狩りの全盛期は意外と時代が下るが、火あぶりは中世にもやっていた。
他には車輪引きとか、縄で結んで水に投げ込むのとか。
領主が横暴でとかいうのではなくて、淡々と事務的にこなしてた。
異教徒狩りと異端審問と魔女狩りは区別しよう
ムスリム狩りと不道徳者審問は解るけど
魔女狩りはイマイチよく解らないんだが、要は何なの?
中世ヨーロッパでは風呂に入らなかった。
その点、江戸では毎日風呂に入っていた。
近代化に伴う社会不安をスケープゴート見つけて解消してたんじゃないの>魔女狩り
今の時代のホームレス狩りみたいなもん
古代の風呂好きな文化がキリスト教によって風呂嫌いな臭い文化になっちまった印象
絶対中世欧州人は臭かったろうな
いや、中世→近世でヨーロッパの特に都市部住人が風呂に入らなくなったのは風呂を沸かすのに必要な燃料費の高騰という経済的事情らしいが
480 :
世界@名無史さん:2013/04/26(金) 23:58:42.15 0
おれらもそうなるんだろうな。燃料費どんどん高騰して。
>>479 良くある説だけど、結論ありきの後付け説明のような気がする。
何せ風呂屋の値段がいくらからいくらに値上がりしたという史料
的裏付けを見たことがない。
第二に、金持ちは入れたことになる。
483 :
世界@名無史さん:2013/04/30(火) 22:46:17.27 0
>>478 貴婦人は垢じみて汚かったらしいが、娼婦はお風呂に入って
香水を付けたりきれいにしてたと、ゾンバルトが書いてたような。
ゾンバルトは中世史家なのか
>>475 結構資料が豊富な17世紀末アメリカの例では集団ヒステリーとされてる。
セイラム魔女裁判。
>>475 当時、魔女狩りに対して料金請求できたからな
普通にビジネスとしても成立してた
ルイ15世が宮殿に大浴場を作らせたのは有名ですね
488 :
世界@名無史さん:2013/05/06(月) 00:00:34.43 0
でも住民の教育レベルが高かったローマ時代は
皇帝の暗殺や殺害が多かったけど中世はそれは減った。
社会の安定という面で意義がある。
中世のヨーロッパは文化的側面では
ルセッサンスを待たなければならなかったが。
しかし中国の異民族侵入後は言語に尽くしがたい酷い有様なのが
ヨーロッパと対照的なんだよね…
未開野蛮なフランクの部族社会じゃ記録は残らないからなw
ローマ自体も文明の中心は東に在ったから継承も出来なかった
>>486 魔女狩りはビジネスどころが地域の負担増で、なんとか魔女狩りを止めたがっていた
りもする。いろいろなケースがあるから、一概には言えない。
>>490 狩る人がビジネスにしててその金出すのが地域だからね
そりゃ地域側からしたら出来れば金出したくはないさ
492 :
世界@名無史さん:2013/05/21(火) 18:59:39.82 0
>>483 恋愛とぜいたくと資本主義を引っ張り出してみたら、
優雅な娼婦が進出はてくるにつれて上流階級の婦人たちの趣味の形成も娼婦的な方向に影響されていった、
上流婦人も明らかに娼婦たちに刺激されて体を洗うようになったとあるな
娼婦は入浴が義務づけられていたりするからな。
>>487 ルイ15世は、汚いんだよ派=初めて顔を洗ったのは・・・
ルイ15世は、きれいだよ派=宮廷に浴室を作りまくり
496 :
世界@名無史さん:2013/07/21(日) NY:AN:NY.AN 0
結局風呂はひと月に一回くらいははいってたってことでいいのか
だから時代によって違うっつーの
中世でも風呂がはやったり廃れたりが
繰り返されてるんだよ
東亜人からすれば、どちらにしろ入浴習慣が無いと判断するレベルw
東亜で一括りするなよ
中国人もそんなに風呂入らない
日本は入浴習慣は盛んだったけど
当時の銭湯自体不衛生だし
中国人は沐浴休みが制度として役所にあるように
風呂ではないけど体を清潔にする習慣はあった
中世ヨーロッパでも定期的な沐浴はあるよ
完全に体を洗うのが忌避されたのは17世紀から18世紀半ばまでだな
医学的な理由で
ちなみに日本も中世は同じようにたまに沐浴する程度
「一次・二次史料で見かけた不気味な話」にこんなのが
690 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2012/04/23(月) NY:AN:NY.AN 0
>>684 こんな話もある。
またグレゴリウス教皇も煉獄についてかなり明瞭な考え方を出しているが、
『対話』の中で次のような話を伝えている。
今日のチッタ・サン・アンジェロから遠くないアプルッチにある温泉
アウグロンで、カプアの司教ゲルマヌスはローマの司教パスカシウスと
出会った。パスカシウスはとっくに死んでいたのだが、そこで温泉の
手伝いをして働いていた。ゲルマヌスの質問に対して次のように答えた。
私は偽教皇ラウレンティウスに味方してシンマクスと対立する立場に
身を置いたので、ここで罰を受けているのです。お願いですから私の
ために祈ってください。あなたが再び当地においでになって私が
いなかったら、あなたの祈りが聞き届けられたと思ってください。
ゲルマヌスは彼のために祈り、後に再び温泉にきてみると、
パスカシウスの姿は見られなかった。
当時温泉は責苦の場所として考えられていたから、このような話が
成立したのであろう。
(阿部謹也『西洋中世の罪と罰』)
そこで働いてる人間がいたということは、ローマ帝国崩壊後も
リゾートスパとして機能してた証じゃないかと思うんだが、
その割に責苦の場所として考えられていたってのが不思議。
>>502 鎌倉時代になると西国では入浴の習慣が出来てた
中国も唐代には入浴の習慣が成立してる
中国は入浴しない地域はたくさんある
いまだに中国はシャワー中心で
田舎じゃ体をぬぐうだけの場合が多い
で乾燥地域ほど体を洗う頻度は少ない
だから南と北で違う
北京あたりだと3日に一度シャワー浴びる程度
一週間に1度って人もいる
髪の毛もほとんど洗わないらしいね
>>505 中国は入浴中心で主として北部にはシャワー中心の地域もある
中国人のいう入浴はシャワーで汚れをながすことで
湯船にはつかるのは一般的じゃない
>>492 昔は娼婦は社交界の華形。
身分的な区別/差別がなかったわけではないけど。
510 :
世界@名無史さん:2013/08/14(水) NY:AN:NY.AN 0
思ったんだけど15世なんて近世じゃないの
15世紀前半を中世に含まないことはまずないと思うが
区切り方によっては16世紀初頭あたりまで中世
西欧の近世は16世紀末以降な
「中世」なんて区分は所詮便宜上のものでしかないんだから、
「おれがそう思うんだから、そうなんだよおれん中ではな」てな具合で、
いつからいつまでが中世なんてのは言ったもん勝ち。
514 :
世界@名無史さん:2013/08/17(土) NY:AN:NY.AN 0
科学とかは宗教があるからともかく
絵画や文学など芸術方面も衰退していたんだな
>>514 そういうのは金を出す人が必須だからね
だから経済力のある東ローマとかは発展してる
516 :
世界@名無史さん:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN O
十字軍からグラナダ陥落ぐらいまでの期間、イベリア半島以外のキリスト教国にイスラム教徒の住民はいたのだろうか
ムスリム系の集落や、イスラム商人の居留地とか いたならどんな暮らしをしていたのか知りたいな
517 :
名無シネマ@上映中:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN 0
貧しいうえに余分な冨があれば教会に寄進するのが正義という社会では文化の発展は厳しいな
そもそも余暇や娯楽という芸術の必須要素が悪とされる社会だし
イスラム教徒は少なくともシチリア島にはいた。
十字軍で有名なフリードリッヒ二世の宮廷にはイスラム教が多かったらしい。
神聖ローマ皇帝軍のサラセン人弓兵隊VSフランスの弩兵隊みたいな戦闘が13世紀頃にたしかあったな。
>>516 根拠はないが、ルーシには商人が入っていそう
酒が飲めないからイスラムはやだ!とかいって
正教を国教にしたという逸話の人が。
今はカトリック圏の話だろ、という反論は認める
>>517 富があれば、贅沢してもよいだと、
信仰に身が入らないから。
宗教の基本じゃないの?
写本の挿絵とかステンドグラスとか教会建築・装飾とかは発展したのでは
暗黒時代は良く知らないけど
中世盛期あたりになると奢侈規制法みたいなのがしばしば出される。
しかも守られていたのかよく分からないw
奢侈禁止令は結構深刻な問題だぜ
今のように供給過多になるというのがほとんどありえない時代
例えば酒を金持ちが飲んでしまうと穀物の値段があがってしまい餓える
現代だと「金持ちは贅沢して貧乏人は貧しい」だが
この時代は金持ちは贅沢して貧乏人は「餓死する」
商品作物のため麦畑を潰すのも同じ
ビールの味を守ったとされるビール純粋令ももともと庶民を守る法律
塩野の十字軍一巻を読んだ、どれだけこの婆がキリスト嫌いでも
十字軍のあふれる熱意だけは捏造で隠すことはできないらしいな
一気にレヴァント一帯を征服したことはただただ敬服するばかりだ
俺も昔はキリスト嫌いでアフリカや中南米はとっとと自前の宗教を
創ればいいのにと思っていたが、今はもうキリスト教でいいんじゃないかと思うようになった
キリスト教化することが文化レベルの向上に繋がると思うようになった
この地域だけじゃなくインドや中国もキリスト教化すればいいと思うようになった
ヨーロッパの奢侈禁止令は、
日本の奢侈禁止令のような、農民が贅沢するな。
じゃないからね。
いや農民だけじゃなく武家町人にも出されてるんだが
528 :
無党派さん:2013/09/03(火) 20:01:48.15 0
江戸時代は支配階級が貧しいというちょっと世界の常識とは隔絶した世界だし・・
しかし欧州の中世ってのは贅沢もできない。道徳的にも経済的にも人道的にもw
その上キリスト教の倫理からすると性の解放にも厳しかったわけだよね?
支配層や金持ちはそれなりに女遊びもしただろうけど、
後の世のように好き勝手はやれなかったわけじゃん。建前は一夫一妻だし。
いったい何を楽しみに生きてたんだろうとはおもう
イギリス国教会はローマカトリックが離婚を認めてくれないからヘンリー8世が勝手にさせてもらいますと
作ったくらいだ。離婚と死別を合わせて6回も結婚してやった。権力者は良いねぇ。
いや君主に後継者いないと継承戦争おこるんだぜ?いいわるいでなく
責任感ある君主ならなんとしてでも子供つくるよ
531 :
世界@名無史さん:2013/09/03(火) 23:52:09.21 0
田舎の多少伝統ある家でも家名を絶やしてはいけないという意識がるからな
君主の場合はそこに家臣や領民の生活まで乗っかるわけだからそりゃ子供作るのも遊びじゃねえな
ヨーロッパの場合はスペインがハプスブルク家になったり、イギリスがハノーバー朝になったり、
何処かには継承者が居るだろう。家名が絶えた例ってあるの?
そのどこかの継承者に誰がなるかで継承戦争がおこるんですが
オーストリー見たく法的に整備しても少しでも正当性に疑いあると大義掲げて戦争
だから非嫡出児は正当性に疑いが出るからそうなる訳で、正妃以外の愛妾に子が出来ても
どうなのよ?
おまいはなにをいっとんだ
だからヘンリーは正式な離婚にこだわったんだろうが
>>529 が権力者はいいねぇと変な感想もってるから530があるんだ
正式な離婚にこだわった割に結果は惨憺たるもので、
最終的にはスコットランド王家にお鉢が廻った訳だが。
だ か ら
男が最終的に生まれなかったからだろ!
まさにそれを回避しようとして色々やったんじゃないか
だから離婚自体ははむしろ君主のまともな行いであって非難されることではないといってんだ
カトリックから離脱で内乱が起きてた可能性もある。
離脱してもついてくるか、家臣たちの同意を集めてから
離脱したっけ?
でも結局実際起こってないじゃん
あと
>>534もおまえかしらんが
俺の
>>533の誤字「正当性」をまんま誤記してんのは俺以上に恥ずかしいぞ
正統性な
>>537 イングランドはサリカ法を採用してないから女子でも問題なく王位継承できた
事実、ヘンリー8世は当初、メアリに継承させる気になっていた
サリカ法を採用してなくても結局男子優先
証拠にエリザベスは帝王教育まともにうけてないよ
だいたい実際弟が先に即位したろ
女王は緊急避難的存在だよ
男子優先は王朝断絶の前には微妙な問題ですよ
>>530 国王は国家第一の僕とまで言ったのに子作りは努力すらしなかった王がいてな…
まあホモだったって説もあるけど
544 :
世界@名無史さん:2013/09/05(木) 02:03:53.19 0
>>528 ペドロ1世(カスティリア)みたいに王妃幽閉して
愛妾を公然と妻同然に扱ってた王もいるし、
建前を気にいなければやりたい放題なんでね
生まれた子供の正当性はまた別問題だが
>>543 弟いるし・・てかあの人がちで女に興味ないじゃん
>>544 あれはあれで建前は大事にしてる
結局生涯離婚は出来なかったしな
>>547 神聖ローマ帝国の方のフリードリヒ2世は、イスラム風ハーレム作ってて王妃を嘆かせたとか何とか
まあこの人元々ホントにキリスト教国の君主?って言動多かったけど
序盤でクソ強かった敵の騎士が中盤で主人公の仲間に加わった時に
以前よりHPが下がっていれば中世末期
スタメンに入れなければ近世
ビクトリアかcivか
金融帝国つええな
暗黒時代でアジアとやりあったら負ける
本当にそうなのか?
人口が少ないから負けるんじゃないか
武器で劣り、防具で劣り、組織で劣り、備蓄が乏しい
勝ち目が全く無いな
東洋の定義にもよるが
少なくともイベリア半島ではアラブ人と互角以上に戦ってたな
555 :
世界@名無史さん:2013/10/23(水) 17:36:23.56 O
555
>>552 しかしモンゴルは人口は少ないが世界を制覇した。
ヨーロッパもモンゴルにボコられたが人口では負けてなかっただろうな。
中国の兵もいたんだろ
>>553 備蓄についてはわからんが、
アラブはペルシャ帝国を滅亡させ、東ローマ帝国の領土を半分にした。
アラブは二大帝国に対して武器で劣り、防具で劣り、組織で劣っていたはずだが。
>>554 確かに東洋の定義による。
ヨーロッパについては多少の一体感があったのかも知れないが
モンゴル、中国、ペルシャ、アラブ、インド
一体感などどこにもない。
ヨーロッパの一体感は、キリスト教徒か異端者か、というぐらいの感覚かな…
正教とカトリックの間にどのくらい溝があったのかは知らん
オスマンへの所属を選択する程度には
文明的な正教と西方正教の間に断絶はあったよ
562 :
世界@名無史さん:2013/10/25(金) 11:44:23.36 0
ウォッカは飲むものじゃなく消毒薬だった。
カトリックの帽子にひざまずくぐらいなら、ムスリムのターバンの方がましだ云々(うろおぼえ
みたいなことをビザンツ最終皇帝がいってような
564 :
世界@名無史さん:2013/10/25(金) 19:09:22.88 0
バカだなあ皇帝w
バカか?
カトリックとオーソドックスは相互破門してるから
カトリックに負けを認めるってことはその破門も有効になっちまうんだが
566 :
世界@名無史さん:2013/10/26(土) 10:38:48.83 0
蒙古軍はドイツ兵を恐れていた
ドーソンによると、ハンガリーにおいても、エステルゴムの内城
Albe-Julie Saint-Martinの三城は陥落せず、本国よりオゴタイ
崩御の報を得て囲みを解いたという。これとは別に蒙古軍は
オーストリア に侵寇し、ウィーン南部のノイシュタイン城を包囲した。
この攻城戦は、『ローマ帝国衰亡史』のエドワード・ギボンが次の
ように叙述している。
一方タタール人の側もフランク人(ドイツ人)の名声と武勇に恐れを
なしていて、オーストリアのノイシュタインの町への彼らの攻撃は
五十人の騎士と二十丁の石弓兵で勇敢に防衛され、彼らはドイツの
一部隊の来援で包囲を解いた。 (「ローマ帝国衰亡史」巻10)
このようにギボンは蒙古人がドイツ人(フランク族)の勇猛さに
恐れをなしていたと記している。
たった五十人の騎士で一城が守れるとは信じがたいがノイシュタット
の防衛はドーソンも、 ノイシュタットには僅かに五十人の守備兵と
二十人の石弓兵とを備える のみなりしが、蒙古兵はオーストリア公、
ボヘミア王、カリンチア公、 バーデン侯Agrar管長の連合軍近けるを
以て退却したり。(「蒙古史」)
今村明著 『封建制の文明史観』P60-P61
567 :
世界@名無史さん:2013/10/26(土) 10:44:39.94 0
1241年8月初め、バトゥの命により、モンゴルの先遣隊はオーストリアに侵入
し、ウィーン近くのノイシュタットまで侵攻した。しかし、オーストリア公、
ボヘミア王、その他の君侯、アクレイアの総主教ら率いる強力な合同軍に迎撃
され、退却した。モンゴル勢はそれ以上西方に踏み込むことは出来なかった。
またハンガリー王から皇帝に宛てた書簡で、「領土奪還のあかつきには、神聖
ローマ帝国に臣従する」とまで明言して救援要請を訴えるとw
彼はすぐさま 嗣子コンラートに軍団を委ねて派遣した。同軍団は、タタール勢
とその傘下に入ったキプチャック勢の合同軍を迎え撃ち、ドナウ川の一支流河
畔で激戦の末に撃退した。
モンゴル vs.西欧 vs.イスラム 13世紀の世界大戦 (講談社選書メチエ)
[単行本(ソフトカバー)] 伊藤 敏樹
568 :
世界@名無史さん:2013/10/26(土) 17:56:43.41 0
569 :
世界@名無史さん:2013/10/31(木) 23:37:01.02 0
パレスチナには金髪碧眼はいる。しかし、モーゼやヨセフ、ヨハネ、マリアがブロンドに描かれた事はないと思われる。
そもそも洋服を着た中東系ブラウンは意外に欧州系ブロンドと見分けるのが困難な者が多い。
古代のギリシャ人とフェニキア人どころか、現代の中東系と欧州人でもだ。
ちなみに古代にギリシャ人とユダヤ人、フェニキア人なら接点はあるが、ザクセン人やノルマン人とは直接接点はない。
ローマ人と一部のゲルマン人なら接点があるが、中世の段階で古代ギリシャの影響を受けた文化であるとは言い難い。
近代ヘレニズムとはギリシャ・ローマ思想をパリサイ化し、かつゲルマン的アングロ的な解釈をしたものである。
西欧人とはローマ人でありユダヤ人でありゲルマン人でありケルト人でもある。一神教徒であり多神教徒でもある矛盾体系。
>>528 信仰が生きる喜び
敬虔なムスリムの人たちを見てると、そう思う
571 :
世界@名無史さん:2013/11/04(月) 22:30:01.72 0
フン族侵入からが中世というのは、あくまでギリシャ・イタリアなど南欧の話。
西欧・東欧・北欧はフン族侵入からバイキング侵入までが古代、バイキング諸侯国建国以後が中世。
欧州のほとんどの国は日本より国家統一が遅れる。よそ者であるアングル人、ザクセン人、デーン人、ノルマン人が
本物のブリテン人をウェールズ(よそ者)呼ばわりして完全制服したのは、日本朝廷東北制服の何世紀も後。
この英国史がKKKの米、アフリカーナーの南ア、白豪政策の豪州、イスラエルで反復再現されたと思う。
ロシア語だとキエフルーシ時代を古代ロシア(ドレベーネヤ・ルーシアだったかな?)と呼んでいるようだが…
あれは古いロシアというニュアンスで、古代・中世云々とはまた別なのかしらん
>>571 日本人にはディズニファンタジーっぽいドイツフランス中世は
9世紀くらいだと思っている人がいるけどあれくらい洗練された生活空間が現れるように
なるのは1200年以降くらいかな?
外人も昔の日本って基本桃山から江戸時代の人間を想定してるだろうな
建物も
ニンジャは別だけど
忍者もその頃だろと一瞬思ったら、ニンジャは時代の問題じゃなかったw
史的に完璧な創作上のニンジャなんて日本にもまずないからなー
典型的ファンタジー中世ネルトリンゲンがTBSでやってるよ
ドイツの町並みっていいよね。
アーバーンスプロールしないところ。
581 :
世界@名無史さん:2013/11/10(日) 22:33:00.15 0
魔女狩りは中世の魔女狩りではなく、本当は近世の魔女狩りだったんだな。
異端審問官が設置されたのは13世紀。魔女狩り時代はルネサンス、新大陸発見以後の方が長い。
フランス革命が迫る直前の18世紀に廃止された。
582 :
世界@名無史さん:2013/11/10(日) 22:42:01.60 0
>>573 シンデレラや眠れるの森の美女の城はノイシュバンシュタイン城みたいに
現代人がイメージしたメルヘン中世な城
白雪姫の城はセゴビアのアルカサルをモデルにしてるからリアルに中世な感じ
日本と同じで今残ってるのは近代以降に改修された城が多いよね
クラック・デ・シュヴァリエは古い城か
あそこ壊されたんだよな。。
戦国のお城が、実際は江戸時代のお城
587 :
世界@名無史さん:2013/11/12(火) 07:13:03.96 0
全然ソースがなくてワロス
酷いスレだな
もしやどこぞのサイトをソースと申すか
偏見だからなあ
中世ヨーロッパの教会は悪逆非道の高利貸しだった。
>>590 高利貸しなら同じ頃の室町時代にあったな
日本も同じじゃん
593 :
世界@名無史さん:2014/02/08(土) 01:35:02.94 0
>>590 テンプル騎士団の末路を考えると、
借りる方の悪辣っぷりとどっちが上かわからん
テンテン、ぷるぷる、キーシキシ
ダッダーン!
595 :
世界@名無史さん:2014/06/03(火) 01:56:05.54 0
>>581 魔女狩りの犠牲者って近年は言われていたより少なかったって説もでてきているけど
その数も学者によってかなり違ってるんだよなあ
実際どの程度の犠牲があったんだろう
黒歴史は隠蔽したい気持ちがあるだろうしな…
魔女狩りはフェミが誇大に喧伝したのもあるからなー
近代になるにあたって中世を否定する論調が大きかったし
最近やっと落ち着いて資料を読み研究がされてるって感じだと思うけど
日本でも江戸時代が再評価されたよね
魔女狩りを誇大に喧伝したのは啓蒙主義者とかでないの
ヨーロッパを貶める絶好の好材料だしな・・・・
伊達に暗黒時代と呼ばれてない
601 :
世界@名無史さん:2014/06/12(木) 05:16:14.60 0
>>598 啓蒙主義者は中世全体かなぁ
魔女狩りも槍玉に上がったかも知れないけど
フェミが「女性への蔑視と差別の象徴」として魔女狩り取り上げたのが最も大きいと思います
603 :
世界@名無史さん:2014/06/12(木) 16:19:58.85 0
魔女狩りは中世じゃないんだけど
>>597 魔女狩りのデマをプロパガンダしまくったのは異端派の国々
>>602 「中世的なもの」と言い直せばよろしい?
なぜ、中世的と感じて近世的と感じないのだろうか?
魔女狩りって17世紀初頭までがピークだろ?
啓蒙主義者が居た頃には下火か終ってる
つか啓蒙主義と相反する要素は魔女狩りの中に大量に見つかると思うけど
>>607 「魔女狩りを喧伝」ってそういう意味じゃないだろw
魔女・魔術を処罰
↓
魔女狩り
↓
魔女・魔術を処罰
で、全部が魔女狩り扱いだから。
ま、セイラムの魔女裁判なんかは魔女狩りじゃないよな
あれは今でいう痴漢でっち上げみたいなもの
>>606 横レスだが
>>597の論旨なら「中世」が正解だよ
魔女狩りが悪いこととして批判されるようになった時代に「近世」なんて言葉はなかった
「中世」だの「近世」だのをうるさく区別するようになったのは冷戦時代になってから
「なぜ、中世的と感じて近世的と感じないのだろうか?」についてはそれこそ200年前の人間に聞いてもらわないとね
「近世」もないけどね。
江戸時代のことですね
フェミ狩りやフェミ裁判でもないのにね。
615 :
世界@名無史さん:2014/10/16(木) 18:49:51.11 0
中世→宗教改革→魔女狩り→啓蒙
だったかな?
>>612 近代初期を、便宜的に日本では、近世と当てているに過ぎないからね。
そういう趣旨なら中世もないね。同時代に、中世という概念がない、
17/18世紀頃で新旧論争しかなかない。
その時代に生きてる人間にとっちゃ、それがいつだろうと「現代」だろうよ。
今この時だって、千年後二千年後には何と呼ばれているかわからん。
だが、少なくとも「現代」と呼ばれることはないだろうよ。
中世でギリシャ・ローマ文明が再評価されてルネサンスが起こった。
最近は印象派時代のアカデミズム作品が再評価され始めている。
中世暗黒時代が再評価される日は来るのだろうか?
中世はもう暗黒時代と呼ばれなくなりつつあるから再評価されてるのでは?
中世民くっせえから風呂入って寝ろ
あ、ごめんw風呂壊しちゃったのかwwwww
中世には入浴文化はまだ残ってて街には公衆浴場もあった。
もちろんローマ時代の立派な浴場と比べたら貧相なものだが。
西欧で入浴文化が廃れたのは近世。
>>27の絵をみて思ったんだけど・・・
15世紀に蛇口があったんだな、だが紐パンで入浴とはけしからん
つうか風呂の意味が変わったんだよ
中世でも風呂やはあんだが
売春宿と同義みたいなものになった
実態?ええ売春もしくは乱交前提の大人の社交場
中世西欧民「風呂?なにそれ?」
>>620 最近は中世を前後期に分けて、前期はやっぱり暗黒時代でしたってのが流行りだけどな
627 :
世界@名無史さん:2014/12/09(火) 18:12:10.90 0
>>626 中世前期はローマが東半分に縮小した後の文明崩壊した西半分で蛮族が跋扈した時代だから
暗黒時代でいいだろ。
後期はその蛮族が独自の文明を築きはじめた時代だから
もう暗黒時代ではなく文明の成長時代だ。
たぶん7世紀あたりが底になるのかな
地中海世界は9世紀頃まで謎の不況に苦しんでたみたいだけどな
謎の不況っつーか地中海の海運が海賊で滅茶苦茶になったら
そりゃ不況になるっつーの
イスラムもキリストも関係なくどっちも無秩序に海上ですき放題してんだから
>>622 ローマ時代に風呂がありすぎたのと、近世に少なくなりすぎたので隠れてるけど
中世も風呂はほとんどなくなってるよ
20世紀末ごろにはやった通説を覆して目立とうとする人らのせいで
「風呂が全然無かったわけではない」が「風呂はたくさんあって暗黒時代じゃない!」に誇張されてしまい
今でも信じてる人がたくさんいる
鐙以前は騎馬隊存在しない説とかも似てる
風はたくさんあった、なんて言ってるやついるか?
>>629 北西部でまともな暮し出来る様に成ったのは漸く13世紀以降だけどな
んんー、飲んだあとにgdgdで送信しちまったなぁ
>>632
>>632 風呂があったから暗黒時代じゃないと言っている奴はいるな
江戸時代に江戸で毎日庶民が風呂に入っているから
日本人は清潔といっている奴はいるね
風呂なんか入らなくても、人間それなりの清潔さは保ち続けるもんだよ
人体は常に代謝、更新しつづけてるからね、
昔話の垢太郎みたいに垢がえんえんと人体に堆積し続けるなんてことも現実には無い。
いまだに中世通して全てが暗黒時代だと得意げに論破したつもりになってる人って、恥ずかしく無いのかな?
ほとんど現代目線でケチつけてるだけで、近世や近代との区別もついてないし前期、中期、後期の区別もない。だからやたらと「中世」を連呼する。宗教改革や絶対王政ガーとか言わない。
あとうんこや魔女ネタ大好き。あと上に上がってる風呂ネタも香水がどうのとか言っちゃう。ネガティブな話題にだけ食いつく。暗黒で残虐で破壊じゃないと中世じゃないという偏見がある。
反論全てをメルヘン扱い。
始末が悪いことにマスコミはじめメディアがそれを助長してる。
とはカルト儲の弁
普通の子供が最初に触れる「中世欧州」は映画やらゲームやらラノベやらのファンタジー作品。
幻想を刷り込まれてるから、いざ世界史を勉強した時に悪い所ばかり目に付くんじゃないかな
>>640 むしろ、そういうファンタジー作品のおかげで
ゲルマン民族大移動のガチ暗黒時代じゃなくて、13世紀頃のほとんどルネサンスに近いイメージを現実の中世に投影する若者が増えたんじゃね?
今時のゲームやラノベって和洋中SF中世ミックスで純粋な中世ヨーロッパものってないと思うけどな
とりあえず鎧は中世でなく近世のものをベースにしてるものが多いな
しかしゲームのCMで左手で弓をひいたり
平野綾のでてたCMで左手で剣をぬいたりあれはなんとかならんのか
西洋中世のフィクションを楽しみたければ
ハーレークインのヒストリカルシリーズがお勧め
北米作家も時代考証は浅いけど、それでも日本人作家よりはかなりマシ
バイユーのタペストリーがあるじゃん
それにノルマン系だしなぁ、ちょっと違う要素が入り込んでそう
あれくらいハッキリした戦闘態勢を描いた絵があるといいだが
中世ヨーロッパでは運動靴を左右間違えて履いてる奴ばかりだったって本当?
>>646 「最近の」ファンタジーアニメはそもそも現代ものだから。
ここのおっさんが思い浮かべているのは1990年代のアニメでしょ?
俺のイメージはドラクエだなぁ
確実に言えるのはその槍は無いわって事
お、穂先がやたら繊細な感じだの・・・そこには目がいかんかった
風呂に入っていなかったって本当?
冷静に考えろ
スゲーコストかかるのが風呂
燃料も水も使う
燃料も水もある場所や温泉あるとこなら気軽に入るだろうが
そうそう簡単には入れない
ばっさばさ木を伐り倒しまくって
95%以上消失した西欧に対して言っていい台詞じゃ無いなw
95%以上消失した西欧って具体的に西暦何年と西暦何年の比較?
95%なんて数字どっからでてきたw
大体切り倒したからなんだ
燃料が再生しないから切り倒したんだろ
論旨が不明な上に95という数字の根拠も不明
>>149 当たり前だけど黒人だよ
古代ローマ人の人骨は後頭部が長いしね