ペルシア帝国について語るスレッド

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1ホスロー・パルヴィーズ
アケメネス朝ペルシアからパルティア、サーサーン朝ペルシアまでのイラン史を語るスレッドです。
イスラーム化される以前の、ペルシア・オリエント世界の歴史・文化・宗教について語りましょう。

・消失したスレたち・
アケメネス朝ペルシャ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1079357659/
【Parthia】中世ペルシア諸王朝史【Sasan】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1105356309/
2世界@名無史さん:2011/05/02(月) 21:01:13.90 0
―世界史板に存在した過去のイラン系スレ―(保管サイト様より)

アケメネス朝ペルシャ
http://www.logsoku.com/thread/academy2.2ch.net/whis/1079357659/
【Parthia】中世ペルシア諸王朝史【Sasan】
http://www.logsoku.com/thread/academy3.2ch.net/whis/1105356309/
ゾロアスター教について話しませんか2
http://logsoku.com/thread/academy3.2ch.net/whis/1122656242/
ソグド人について語りましょう
http://logsoku.com/thread/academy3.2ch.net/whis/1102522671/
アルサケス朝パルティア・ササン朝ペルシア
http://www.logsoku.com/thread/academy6.2ch.net/whis/1221291339/
3世界@名無史さん:2011/05/02(月) 23:44:29.72 0
メネメネテケルウパルシン
4世界@名無史さん:2011/05/03(火) 01:06:24.53 0
>>1スレ立て乙

>>3ダニエル乙

取り敢えず、思い付く参考文献をあげとくわ。

小川秀雄・山本由美子『世界の歴史4・オリエント世界の発展 』中央公論社
伊藤義教『古代ペルシア・碑文と文学』岩波書店
ピエール・ブリアン『ペルシア帝国』知の再発見双書 創元社
ニールソン・C・デベボイス『パルティアの歴史』山川出版社

あと、山川の各国史にもあるんだが、
イスラーム以前のペルシアは記事が何か少ない気がする。
5世界@名無史さん:2011/05/03(火) 18:51:24.08 0
パルティアとかササン朝はもともと文字資料が少ないし、
おまけに、時代ごとに使用言語が違い過ぎて、後世に伝達されなかったのが痛かったな。
6世界@名無史さん:2011/05/04(水) 01:49:15.06 0
アケメネス朝より少ないの?
7世界@名無史さん:2011/05/04(水) 03:25:52.59 0
ホスロー2世〜滅亡までが詳しいオススメの本って何がある?
8世界@名無史さん:2011/05/11(水) 03:29:37.06 0
パルティアはササン朝により黒歴史にされたんだよ。
9世界@名無史さん:2011/05/11(水) 19:10:00.03 0
アケメネス朝のペルシャ人とスキタイ人は通訳なしに会話できたのかな
10世界@名無史さん:2011/05/12(木) 01:32:49.23 0
>>7
ササン朝自体に焦点を当てたものはないけど、
邦語の単行本で、ゾロアスター教の歴史と併せて扱ってるものなら、

メアリー・ボイス『ゾロアスター教 三五〇〇年の歴史』筑摩書房
青木健『ゾロアスター教史 ―古代アーリア・中世ペルシア・現代インド―』刀水書房

などにそれなりに記述がある。

あと、アル・タバリーの歴史書のササン朝の部分を、英訳からの和訳でネット上で公開してる所があるね。
検索すると出てくるよ。
11世界@名無史さん:2011/05/12(木) 23:32:22.34 0
>>10
アル・タバリーの和訳サイトは前々から知ってたけど
もっと詳しいのはないのかと思っていたんだ

とりあえず挙げてくれた2冊は読んでみるよ、ありがとう
12世界@名無史さん:2011/05/13(金) 02:16:50.67 0
キュロス大王って、ゾロアスター教信仰してた形跡ってあるの?
アフラマツダ信仰はダレイオス1世の時代からいきなり出てくる
感じなんだけど?
13世界@名無史さん:2011/05/13(金) 05:55:31.77 0
19世紀のイラン人はハカーマニシュもパルティアも忘れていた?
14世界@名無史さん:2011/05/17(火) 19:25:12.62 0
盗掘団、ペルシャ王族?のミイラ発見 イラン警察が押収
http://www.asahi.com/international/update/0517/TKY201105160672.html

発見したのは盗掘団、ササン朝ペルシャ(226〜651年)の王族
15世界@名無史さん:2011/05/17(火) 20:03:35.22 0
ちょっと前にTVで、最近殺された人間の死体を
使って偽ミイラを作った事件があったってのを見た。
16世界@名無史さん:2011/05/17(火) 22:13:31.02 0
あれはアケメネス朝時代のミイラだと称していたね
17世界@名無史さん:2011/05/18(水) 00:25:27.22 0
>>12
ヒント・・・・クル大王の墳墓は、エラム式ジッグラト。
(ダーラヤワウ1世以降は曝葬となるなので、そこには明確な断絶がある。)
>>2の過去スレ1つ目にもあるように、クル大王はハカーマニシュの血統ではない。
それどころか、クル家の人名が純粋なイラン語としては解釈できないことから、
イラン系ですらなかったかも。(ハカーマニシュ家の人名は全て純粋イラン語。)

もっとも、ダーラヤワウ1世時代でも王室が供物をささげる神格は、マズダー神、
ミスラ神、ナルヨー・サンハといったイラン系神格のほか、エラムの神フムバン、
メソポタミアの神アダドなど多岐に渡り、マズダー信仰が優越していた訳でもない。
18世界@名無史さん:2011/05/20(金) 16:27:59.66 0
印欧系言語だからアブジャドのアラビア文字より
アルファベットのアルメニア文字やキリル文字の方がいいと思うなあ
19世界@名無史さん:2011/05/20(金) 18:25:07.88 0
>>7
ササン朝については、
『The Encyclopaedia of Islam new edition』vol9 所収の項目
M.Morony,「SASANIDS」を見るとよさそう。

イスラーム以前・以後を問わず、イラン学については、
まず『Encyclopaedia Iranica』を参照すること。
20世界@名無史さん:2011/05/21(土) 02:03:09.43 0
娘の放尿を夢見るアステュアゲスってやばいだろ。
21世界@名無史さん:2011/05/21(土) 03:31:45.65 0
突然すぎてフイタwww
おれも秘かに思ってたけど、ありゃ遊牧民の尿観察の習慣からだな。
まあ、でもこの王さん、部下にその息子の肉を喰わせるとかDQNだな。
22世界@名無史さん:2011/05/22(日) 02:39:01.11 0
>>17
キュロスとカンビュセスの治世は、エラム系アンシャン帝国だったかもしれんと言う事だな。
23世界@名無史さん:2011/05/22(日) 06:01:20.73 0
>>22
名前が純粋なイラン語じゃないっつーのは、青木健のウケウリだけどな。
エラム式ジッグラトなのとハカーマニシュの血統でないのはガチ。
24世界@名無史さん:2011/05/23(月) 03:59:00.06 0
ハカーマニシュの子チャイシュピはキュロス自身により
自分の曾祖父とされているらしいが?
25世界@名無史さん:2011/05/24(火) 16:33:13.98 0
>>24
チャイシュピシュの父がハカーマニシュってところが捏造なんじゃないの?
そこの繋ぎは、かなり伝説的な話に頼ってると・・・。
チャイシュピシュとその弟が分割相続を受けたとか云々・・・ってんだけど、
記録上、弟の実在が確認できないとか、そんな感じで片付けられて。
26世界@名無史さん:2011/05/24(火) 21:50:54.53 0
チャイシュピはキュロスとダレイオス共通の祖先な訳だが・・・
27世界@名無史さん:2011/05/24(火) 23:21:54.55 0
>>26
あ、ゴメン。伝説的な話のとこ、すげー記憶違い。
ハカーマニシュじゃなくて、チャイシュピシュに息子が二人いて、
その兄のほうがクル1世(エラム方面相続)で、これはクル大王の祖父。
で、弟・アリアラムナ(ペルシス相続)がダーラヤワウ1世の曽祖父となったと・・・。
でも、このアリアラムナが文献上、実在が確認できない、ちゅーことだった。
Wikiでもテイスペスんとこ見たら、その話のってたわ。
28世界@名無史さん:2011/05/25(水) 20:49:25.20 0
アリアラムネスの黄金板文書もダリウス1世かそれ以降に作成されたものらしいしな。
29世界@名無史さん:2011/05/25(水) 21:41:12.49 0
>>21
司馬遼太郎「モンゴル紀行」に、司馬の奥さんが草原で小用を足した直後、
四人のモンゴル男が痕を取り囲み、議論をしだしたというエピソードがあったw
30世界@名無史さん:2011/05/27(金) 00:56:56.63 0
鎌戦車の復原図ってないの?
31世界@名無史さん:2011/05/27(金) 17:42:41.29 0
>>30
オリバー・ストーン「アレクサンダー」から抜粋のガウガメラ戦闘シーン動画。
ttp://www.youtube.com/watch?v=hc_qVDvSnVU&NR=1
(※1分過ぎくらいからペルシア側の鎌戦車がちょこちょこ出てきます。)
この映画、作りこみがマニアック過ぎて一般での人気は惨憺たるものでしたが、
一部玄人筋の間では評価が高かったようです。
32世界@名無史さん:2011/06/07(火) 10:40:11.47 0
アレクサンダーって歴史考証しっかりしてたのか
スルーしてたけど今度観てみる
33世界@名無史さん:2011/06/07(火) 13:23:15.00 0
ロビン・レイン・フォックスの本が下敷きになるとともに、彼が時代考証をしているそうだ。
そのへんも含め、詳しくは立花隆の評で知った。(このサイト、ベタ貼りしてるが大丈夫か?)
http://www.magscoop.com/2010/03/27/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AD%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC-2004/
立花氏は最近の評判はアレだが、映画評レベルであれば、まだまだ一流の物書きだと思う。
かつて「地獄の黙示録」の解説本が秀逸だったことを思い出した。
34世界@名無史さん:2011/07/12(火) 23:11:15.05 0
保守
35世界@名無史さん:2011/09/04(日) 14:48:27.35 0
上の方でも書いてあるが・・・。

サーサーン朝は歴史の抹殺者。
彼らは、アケメネス朝とパルティアの歴史を抹殺した。
ゾロアスター教を国教とした純粋なイラン国家を作りたい神官たちの目には、他宗教や異民族に寛容だったアケメネス朝やパルティアは邪道に映った。
寛容なキュロスなどのアケメネス朝の王たち、ヘレニズム愛好者であり仇敵のパルティア王たち・・・。

これらは恥ずべき過去であり、抹消したかったのだ。そこで彼らは実際の歴史をスルーすることにした。
当時、伝承されたイラン史は様々存在し、その中でも、ゾロアスター教の言い伝えによる歴史が好都合だった。
そこでは、神話的な王と英雄が、宗教的な勧善懲悪に沿って展開した歴史が語られているからだ。
こうして、古代史はゾロアスター教の伝承に準拠したものとなり、古代遺跡は神話の舞台にされた。

19世紀にオリエントの古代史が西洋人によって発掘されると、当時のイラン人やゾロアスター教徒たちは歓喜した。
当時のイランは、西洋列強の従属下にあり、ゾロアスター教徒たちも惨めな生活を送っていたからだ。
自分たちの忘れていた古代の王が、伝説とか誇張でなくて、実際に世界帝国を作っていたという事実が彼らを夢中にさせたのだった。

これは、ご先祖さまの都合で削除されていた偉大な王たちが復活した瞬間だった。
特に、キュロスの称賛ぶりはハンパない。パフレヴィー朝期には、政治的プロパガンダとして最大限に利用され、
イスラム以前の方がイランは栄えていたのではないか?という主張は、イスラム勢力抑制のために用いられたが、
実のところ、イスラム化される前、サーサーン朝期には、すでにキュロスの記憶は抹殺されていたのであった。

こうして考えると、歴史学とはその時その時の人間の考え方を映す鏡だというのも納得。
36 忍法帖【Lv=1,xxxP】 :2011/09/08(木) 23:01:48.33 0
37世界@名無史さん:2011/09/10(土) 23:13:10.05 0
ナクシェ・ロスタムって盗掘されてるの?
38世界@名無史さん:2011/09/11(日) 03:15:10.79 0
壁面の彫刻とかはのこってるけど、墓の中身はもう空っぽでしょ
39世界@名無史さん:2011/09/11(日) 08:42:19.53 0
サーサーン朝と突厥帝国の間で行われた戦争ってあまり知られてないよな
英訳資料なら豊富にあるけど日本訳の資料が殆ど存在しない事情もあるけどね
40世界@名無史さん:2011/09/12(月) 05:58:08.42 0
協力してエフタルを滅ぼしたら、そのあと対立するのは必然だわな。
でも、皇帝のタマとったりとられたりの間柄のビザンツやエフタルに比べたら、
そんな剣呑な関係までは至ってないわな、対峙期間が短かったせいもあるが。
41世界@名無史さん:2011/09/16(金) 14:10:07.31 0
トゥーラーン=トルコ人って定義されたのは、ササン朝に入ってからなの?
42世界@名無史さん:2011/09/25(日) 16:15:50.28 0
某書庫でイスラーム時代の史書をあさってたら、タバリーやマスウーディーとかの歴史書を発見した。でも、全部フランス語訳だった・・・。
タバリーの歴史書の4巻目にある古代の諸王国の記事(多分、古代オリエント関係?)を読みたかったんだが無理すぎる。
43世界@名無史さん:2012/01/28(土) 00:38:06.81 0
王を意味するフシャーヤティヤの語源は何だろう。
44世界@名無史さん:2012/01/28(土) 23:11:44.93 0
印欧語の研究者のパンヴェニストさんは、
「○○を自由にできる、できる、○○を持っている」という
Kshaという言葉からの派生語という説をとっておられるようです。
45世界@名無史さん:2012/02/01(水) 14:49:51.40 0
【イラン】 パフラヴィー朝総合スレ 【パーレビ】 [皇室・王侯貴族板]
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/emperor/1328072791/
46世界@名無史さん:2012/02/14(火) 21:14:53.85 0
ペルシャ人、ペルシャ語文化圏の歴史
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1329219743/l50
47世界@名無史さん:2012/02/17(金) 14:04:03.47 0
良スレ上げ
48世界@名無史さん:2012/02/17(金) 14:07:04.71 0
>>45
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/emperor/1328072791/16
16 名前:名無しさま[sage] 投稿日:2012/02/08(水) 00:45:55.37 ID:21N5SXl8
昭和46(1971)年には、ペルシア帝国の建国2500年式典を執り行ったというのに、
まさか、それから10年と経たないうちに皇帝が国を追われて、客死するとはね・・・


〜参考リンク〜
http://en.wikipedia.org/wiki/2,500_year_celebration_of_the_Persian_Empire
http://fa.wikipedia.org/wiki/%D8%AC%D8%B4%D9%86%E2%80%8C%D9%87%D8%A7%DB%8C_%DB%B2%DB%B5%DB%B0%DB%B0_%D8%B3%D8%A7%D9%84%D9%87_%D8%B4%D8%A7%D9%87%D9%86%D8%B4%D8%A7%D9%87%DB%8C_%D8%A7%DB%8C%D8%B1%D8%A7%D9%86

http://www.h4.dion.ne.jp/~snecs/iran_6.htm


http://anago.2ch.net/test/read.cgi/emperor/1328072791/24
24 名前:名無しさま[sage] 投稿日:2012/02/11(土) 01:53:21.73 ID:DOWLmePJ
>>16
YouTube に動画があるので↓に貼っておこうか
http://www.youtube.com/watch?v=7MiC-ji74jU
http://www.youtube.com/watch?v=P1xSdH2PbJ4
http://www.youtube.com/watch?v=Uuug66gBKkY
49世界@名無史さん:2012/02/18(土) 01:41:23.65 0
すげええ
50世界@名無史さん:2012/02/22(水) 00:48:05.72 0
>>48
まさに、ペルシア版の時代行列ですな。
せっかくの演出もパフラヴィー朝の皇帝の自己満足っぽい感じに終わってしまったみたいだね。
国外的には、国家の華々しい宣伝行事として、それなりに成功したんだろうけど、
国内的には、困窮する庶民たちの不満を逆なでする結果に終わったって事なんだろう・・・。
51世界@名無史さん:2012/03/30(金) 10:08:00.43 0
大王朝の創始者なのに騎馬民族に喧嘩打って殺されるとかだっせぇwwwwwwwww
52世界@名無史さん:2012/04/25(水) 20:30:50.99 0
ペルセポリスに行ってみたいな
53世界@名無史さん:2012/04/26(木) 15:33:27.46 0
ペルセポリスって数千年間廃墟のままだったのかな?
アレクサンドロスが燃やして以降、どうなったのかがさっぱり分からない。
54世界@名無史さん:2012/06/09(土) 22:42:56.50 0
wikiのパルティアの頁で、

>中世ペルシア語名「アルシャク」は古代ペルシア語形ではアルタクシャサで、
>アケメネス朝のアルタクシャサ王(古典ギリシア語形:アルタクセルクセス)に相当する名前である。

これは誤り。

アルサケス(アルシャク)は、パルティア語で「英雄」の意であり、
アルタクセルクセス(アルタフシャサ)とは、語源も由来も全く別の人名だ。
アルサケス(アルシャク)は、古代ペルシア語形ではアルシャカに相当する名前である。
ちなみに、アルタフシャサは「正義の王権」くらいの意味である。

これを友人に言ったら、お前の方が間違ってんじゃね?って言われたわorz
wikiソースを信じ切っている人もいるので、いい加減に訂正してほしい・・・。
55世界@名無史さん:2012/06/23(土) 13:24:29.62 0
グレコ・バクトリアとかインド・グリーク朝、サカ王国やクシャンも
このスレでいいの?
56世界@名無史さん:2012/06/24(日) 21:11:33.42 0
過疎ってるしいいんじゃね
57世界@名無史さん:2012/07/15(日) 13:56:44.76 0
ΒΑΣΙΛΕΩΣ ΒΑΣΙΛΕΩΝ ΑΡΣΑΚΟΥ
58世界@名無史さん:2012/07/29(日) 17:19:53.05 0
>>55こんなもあるぞ。

ピロストラトス著『テュアナのアポロニオス伝』 京都大学学術出版会

聖者アポロニウスが、インドのバラモンの教えを聞くために、
パルティアを通過して、サカ・パフラヴァ勢力の支配下にあったインド西北部まで旅をする物語。
当地で、国王やバラモンたちと哲学問答を繰り広げる。
59世界@名無史さん:2012/07/29(日) 20:01:21.97 0
その本全2冊みたいだけど、まだ2は出てないよね?
60世界@名無史さん:2012/07/30(月) 00:57:49.57 0
>>59
2巻目はまだみたいだね。
61世界@名無史さん:2012/07/30(月) 18:48:39.45 0
情報ありがと
62世界@名無史さん:2012/07/31(火) 19:35:17.02 0
>>55の地域が知りたくて、
中央公論の「世界の歴史3」の該当箇所
前田耕作の「バクトリア王国の興亡」
NHKスペシャル 文明の道 2 ヘレニズムと仏教
青木健「アーリア人」
を読んだんだけど、どうもすっきりしないというか分かりにくいんだけど
入手しやすくてこれって本あります?
63世界@名無史さん:2012/07/31(火) 20:07:18.60 0
R.C.フォルツ「シルクロードの宗教―古代から15世紀までの通商と文化交流」 教文館 2003/12
基本が押さえられていれば、このへんは読んでもいいんじゃないかな。
64世界@名無史さん:2012/07/31(火) 20:51:58.65 0
値段も手頃でいいね
該当地域の宗教はメアリー・ボイスとか前田耕作、青木健のしか
読んでないからチェックしてみます
65きだーら:2012/08/12(日) 18:20:01.88 0
 中央アジアの蛮族パルノイが建国したパルティア王国が、先進文明の地であるイラン・メソポタミアを征服。
→古くからの文明の民であるパールス人が、パルティアを倒してサーサーン朝を建国。


 イタリア半島のバルバロイ・ラテン人が建国したローマが、
 先進文明の地であるヘラス・アナトリア・シリア・エジプトを征服。
→古くからの文明の民であるヘレネスが、ローマ帝国を乗っ取る。


この類似は一体何なんだろうね。
66世界@名無史さん:2012/08/12(日) 19:04:17.15 0
ディオクレティアヌスやコンスタンティヌスはヘレネスではない
67きだーら:2012/08/12(日) 22:00:54.71 0
>66

コンスタンティヌスの頃から、帝国の支配層たる官僚はヘレネスが多数を占めるようになったんだろう?
それにどのみち、ローマ帝国の住民はエリネスが多数を占めるようになり、エラス語が公用語になるじゃないか。
68世界@名無史さん:2012/08/12(日) 23:37:24.49 0
「プリンス・オブ・ペルシャ」って映画が面白かった。
69きだーら:2012/08/13(月) 18:32:26.91 0
第一次イラン・突厥戦争で、イラン軍の死傷者6000に対して、西突厥軍の死傷者28万って、マジ?
1度にそんなに大量の兵士を失ったら、遊牧国家は瓦解してしまうのでは?
それほどの大戦果を挙げたにも関わらず、イランの獲得地がバクトリアだけってのも、変な話だよな。
70世界@名無史さん:2012/08/28(火) 19:22:01.43 0
インドグリーク朝の最期は、後漢書西域伝にも記述がある。

それによると、当時カブール渓谷を支配していたスキュタイ系支配者は、漢の使節を多く殺害していた。
漢の使節文忠は当地に派遣されてきたが、自分も殺害されそうになったので、
容屈の王子陰末赴(ヘルマイオス)を新しい支配者として擁立して、反乱を起こさせた。
そして、陰末赴はスキュタイ系支配者を倒してカブール渓谷に王国を樹立した。

しかし、陰末赴もまた漢の使節とトラブルを起こしてしまい、使節以下数十名が殺害された。
結局、漢はこの国との通交をやめることにしたという。
71世界@名無史さん:2013/04/13(土) 12:34:20.75 0
今年のノウルーズにキュロス大王の墓に向けて爆弾が投げつけられたとか
民族の英雄かそれとも異教徒時代の王か、イラン人でも見方が分かれているのか
72世界@名無史さん:2013/04/13(土) 12:44:53.15 0
ペルシャの歴史を否定する行為だね
73世界@名無史さん:2013/09/30(月) 18:07:28.06 0
シェイフ・アリー・ハーン・ザンギャネ

サファヴィー朝ペルシアの大宰相(在任1669〜91年)であるが
彼はケルマンシャー街道の旅人のためにキャラバン宿を整備し、その維持のため近くの所領を寄進し
その記念に、ビーソトゥーンの磨崖に流麗な碑文を刻んだことで知られる。

その際、パルティア時代の王ゴタルゼス2世やミトリダテス2世の碑文を五角形に削り取ってしまったため、
ローリンソンを始めとする古代オリエント史家たちから、蛇蝎の如く嫌われている…。
現在もビーソトゥーンのダレイオス1世の磨崖碑のはるか下に、彼の碑文(ワクフ・ナーメ)が残っている。
74世界@名無史さん:2013/10/08(火) 21:55:11.89 0
>>71
おそらく、>>48の2500年祭でも舞台として使われた
http://www.youtube.com/watch?v=Uuug66gBKkY の1:40あたりのジッグラト型墳墓だよな
前政権(そして支持する亡命者が海外に未だ大勢いる)で過度に祀り上げられたため、
現政権の熱狂的支持者の標的になりやすいというのもあるだろうね
75世界@名無史さん
ちなみに、ファラフ・パフラヴィー元皇后のパリでの亡命生活を撮ったドキュメンタリー
「忘れられし王妃〜イラン革命30年ふたりの女性の人生の空白〜」を先日みたら、
今でも多くの海外イラン人に尊崇されているようだった・・・そしてキュロス大王ageも相変わらずw