【プロイセン】ドイツ帝国について☆3【第二帝国】

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1世界@名無史さん
1871年1月18日から1918年11月9日まで存在した
3代のドイツ皇帝によって統治された国、ドイツ帝国
(Deutsches Reich、第二帝国)について語ろう!

前スレ
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1253927049/
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1253927063/
2世界@名無史さん:2010/09/24(金) 07:18:54 0
ドイツ帝国に万歳三唱!
3世界@名無史さん:2010/09/24(金) 20:37:46 0
第三帝国もおおいに語ろう!
4世界@名無史さん:2010/09/24(金) 21:39:05 0
5世界@名無史さん:2010/09/24(金) 21:44:56 0
>>1
ドイツ人にとっての「ドイツ」としての心はプロイセンなの?

日本人でいう江戸時代が誇りのように
6世界@名無史さん:2010/09/24(金) 22:55:59 0
シュトラースブルクは、エルザス地方の中心都市で、
日本人滞在者も多い街です。
ユーロ議会も置かれている、ヨーロッパの中心的な街。
フランクフルトからDBの特急で4時間、飛行機で1時間の距離にあります。
ライン川沿いにある、フランス国境の街であり、
フランス領になった経験も持つ街ですので、
町並みや食事もフランス風。こういうと、食事が美味しそう・・と思われるかもしれません。
しかし、ドイツ1の食いしん坊の地方と言われるだけあり、
食事の美味しさではドイツ一かもしれません(3星レストランの数も多し)。
フォアグラ発祥の地であり、ワインだけでなく、ビール会社も数多くあり、美味しいものに溢れています。
また、食材も豊富で安く、自炊をすれば生活費はグンと抑えられます(で、その分を外食代に)。
また、町の中心部(イル川の中)が世界遺産に登録されてる、美しい街です。
エルザス人は、堅実で真面目、と、まさにドイツ的。
ドイツ国内では、日本人も住みやすい場所と言えると思います。
7世界@名無史さん:2010/09/26(日) 22:36:47 0
>>1
乙です!
8世界@名無史さん:2010/09/27(月) 20:58:26 0
気分が落ち込んでいて元気を出したいあなたへ

http://www.youtube.com/watch?v=pEdoLKknCi0&feature=related


気分が高揚しすぎてこころを落ち着かせたいあなたへ

http://www.youtube.com/watch?v=Q3mXYLj-FGc
9世界@名無史さん:2010/09/28(火) 01:55:02 O
Hermann Goring
10世界@名無史さん:2010/09/28(火) 02:47:27 0
http://www.youtube.com/watch?v=3vfouhgEUY4
9.11 ミステリー1 911事件の謎つーか小学生も騙せないような下手なうそ
11世界@名無史さん:2010/09/28(火) 04:58:52 O
ヴィルヘルム二世
12世界@名無史さん:2010/09/28(火) 06:19:07 O
ゲッベルス
13世界@名無史さん:2010/09/28(火) 07:37:08 O
【歴史/サッカー】ヒトラーは一時期レバークーゼンに所属していた。クラブの公式名簿に氏名が記載。成績は15試合1得点★2


http://toki.2ch.net/test/read.cgi/bread/1277724585/
14世界@名無史さん:2010/09/28(火) 20:46:36 0
ドイツ帝国と何の関係があるんだ?
15世界@名無史さん:2010/10/02(土) 19:27:10 0
【ドイツ】再統一20年、格差の影、旧東独住民の帰属意識も薄く…「希望持てない若い人たちが気の毒」「政治的傑作だったが経済的失策」
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1285858380/
16世界@名無史さん:2010/10/02(土) 21:01:03 0
ホーエンツォレルン家は不滅です!
ドイツ皇帝陛下万歳!ドイツ帝国万歳!
17世界@名無史さん:2010/10/02(土) 21:49:16 0
第二帝国の第一次世界大戦の賠償金をやっと完済したらしい
18世界@名無史さん:2010/10/02(土) 22:07:42 0
では、ナチス時代に中断してただけで
東西ドイツが延々と支払いを続けていたの?>賠償金
19世界@名無史さん:2010/10/04(月) 13:48:19 0
分断国家だったから統一するまでは支払いを猶予されてたらしい。
20世界@名無史さん:2010/10/04(月) 21:39:40 0
疑問に思っている事があります。第一次大戦の末期革命がはじまると
ウィルヘルム2世は「ドイツ皇帝としては退位するがプロイセン国王
の地位にはとどまる」という決定を下したそうですがこれは統一国家
としてのドイツを解体してビスマルク以前に戻すという意味ですか。
それとも統一は維持して自分は帝国内の諸侯と同じ地位になり、連邦
全体の政治体制は改編するという意味ですか?
21世界@名無史さん:2010/10/05(火) 23:31:47 0
>>18

マスコミは第一次大戦の賠償金といってるけど、実際は賠償金ではない
賠償は、1932年のローザンヌ会議において支払停止で合意されている
今回のは、ドーズプランやヤングプランの中で合意されて発行した外債の償還を完了したということだ
これらで集めた外資は、賠償のためにも使われたが、ライヒスバンクの発券のための金準備などにも使われた
しかし1933年のナチ政権獲得以降、この利払いは停止された
戦後、1953年のドイツの対外債務についてのロンドン協定で、次の4種の公債が、新しい公債と交換されて元利払いが再開されることになった

7% Deutsche Ausere Anleihe von 1924 (Dawes-Anleihe)
Internationale 5.5% Anleihe des Deutschen Reiches von 1930 (Young-Anleihe)
6% bzw. 6.5% Schuldverschreibung des ehemaligen Freistaates Preusen von 1927 bzw. 1926
6% Ausere Anleihe von 1930 (Kreuger-Anleihe).

これらは、1984年までに償還完了したけれど、1945年から1952年の利払い分だけは、東西ドイツ統一後に支払うことになっていた
それで1990年に、それらは、新たに発行される利息3%の整理公債と交換されることになり、
その償還期限が2010年の10月3日であったということである
22世界@名無史さん:2010/10/09(土) 11:46:18 0
>>20
ドイツ解体というほど大きな話ではない。
負け戦と革命でドイツ帝国皇帝を続けられなくなったから皇帝は退位するけど
プロイセン王としての権限は留保すると言う意味。

当初は、ウィルヘルムの退位は求められていたが、帝政そのものが否定された
わけではなかったのだが、上記の宣言で炎上した世論を収拾するため、
帝政が廃止される羽目になった。
23世界@名無史さん:2010/10/10(日) 12:34:44 0
>>22
その場合は当面帝国議会がドイツ全体の問題を処理するんですかね。
いずれにせよ国制改革が必要で連邦としては共和制になるがその下に
諸侯が存在するという奇妙な形になりますね。
24世界@名無史さん:2010/10/10(日) 13:22:06 0
毎日24時間365日あちこちの掲示板に書き込みを続ける福岡県暴力団のネット書き込み組織
集団による書き込みでネット世論の誘導を目論む
このまま野放し状態のままなのだろうか
暴力団関係者に掲示板を占領されるのは危険
yahooにも書き込みを続けている
政府、政党、政治家への苦情要望の集団メールなども行っている様だ
気をつけてくださいね
25世界@名無史さん:2010/10/10(日) 21:12:26 0
2008年 ドイツ、ポーランド合作映画 日本未公開。
原作は"皆と同じようにレイプされた女"が出版した「ベルリン終戦日記 ある女性の記録」。 今までタブー視されてきたソ連兵による暴行を、「戦地妻」問題を、そして祖国ドイツや隣人たちからも見捨てられた女たちを描いた問題作


祝! 6月2日にシネマファスト社より、とうとう日本版DVDが販売されました! タイトルは「ベルリン陥落 1945」
TSUTAYAでもレンタル開始。


http://nicoviewer.info/sm9101959
26世界@名無史さん:2010/10/11(月) 10:30:53 0
27世界@名無史さん:2010/10/12(火) 12:59:21 0
>>23
いやいや。ウィルヘルム2世の退位=フォン・プロイセン皇太子の即位。
その場合普通はプロイセン王も代替わりするはずなんだけど、
ウィルヘルム2世は自らの安全を確保するため、プロイセン軍を指揮できる
プロイセン王で居続けたかった。それは安全が確保できるまでの一時的な方便のつもりだったわけ。
なので、フォン・プロイセン皇帝の下にウィルヘルム2世を含む諸侯が続く形になったと思う。
28世界@名無史さん:2010/10/12(火) 14:29:02 0
しかし当時のドイツの憲法では「ドイツ帝国の皇帝はプロイセン国王である」
という規定になっていたはず。皇帝と国王の地位を分離するにはやはり国制
改革が必要。ウィルヘルム2世自身「全ドイツ軍の指揮権はヒンデンブルグ
に譲る」と言ったそうです。もっともヒンデンブルグはプロイセンの将軍
だからヒンデンブルグを通じて全軍の実質的指揮権を維持できると考えた
のかな。
29世界@名無史さん:2010/10/12(火) 22:29:36 0
オランダに亡命した後はどういう生活してたんだろうな
30世界@名無史さん:2010/10/13(水) 05:49:10 0
3代のドイツ皇帝によって統治された国って説明正しいのになんか違和感あるな。
二代目の存在感のなさが…まあ生きてたら多分存在感残る様な統治してただろうけど。
31世界@名無史さん:2010/10/13(水) 13:48:41 0
>>29
きこりをやっていたらしい、
何でもあの一族の家訓には手に職をつけろといったのがあったみたいで、
32世界@名無史さん:2010/10/13(水) 13:58:10 0
>>31
マジか?……根性入った家だなー古い貴族の家系なのに。
33世界@名無史さん:2010/10/13(水) 20:53:59 0
.>>29
亡命はしたけれど国内に残っていた帝室財産はそのまま元皇帝の私有財産という
ことになったので亡命後のウィルヘム2世は世界有数の大富豪だった。
34世界@名無史さん:2010/10/13(水) 21:36:14 0
ヒンデンブルクは退位後の皇帝に手紙を書いていて
日本語訳もあるんだが
「神聖なる陛下、主よ」とか呼びかけているんだよな。

ヴィルヘルム皇帝の権威も中々重みがあったんだなと思った。
35世界@名無史さん:2010/10/13(水) 22:30:47 0
第二次大戦でフランスが降伏したときウィルへルム2世はヒトラーに祝電を送ったし、
ウィルへルム2世が死んだときはヒトラーは彼を軍隊礼という国葬に準ずる礼で葬った。                             


36世界@名無史さん:2010/10/13(水) 22:45:37 0
そりゃ兵卒時代に憧れた存在だったからな
37世界@名無史さん:2010/10/13(水) 23:09:20 0
80年代に日本の新聞記者がウィルへルム2世の孫に会った記事を読んだ事がある。
ホーエンツォレルン家は退位後も莫大な財産を持っていたけど第二次大戦後東部
ドイツにあった財産をすべて失った上に一族数十人の面倒を見なければならない
ので経済的にかなり苦しくなったそうだ。それでも豪邸にすんで執事は「皇帝
陛下」と呼んでいたというから庶民とは桁が違うね。
38世界@名無史さん:2010/10/30(土) 18:56:38 0
ベルリンのドイツ歴史博物館で、ナチス総統ヒトラーに焦点を当てた特別展「ヒトラーとドイツ人」が開催された。
ヒトラーをテーマとした本格的な展示は第2次世界大戦後のドイツで初めて。
会場には写真やヒトラー像など約1000点を展示。
来館者は著書「わが闘争」の初版本やヒトラーの少年時代の写真、
ナチスのプロパガンダ用ポスター、かぎ十字が描かれたちょうちんやビールジョッキに熱心に見入っていた
(2010年10月14日) 【EPA=時事】

http://www.jiji.com/jc/d4?p=hit100&d=d4_topics&rel=y&g=int
39世界@名無史さん:2010/11/01(月) 22:14:57 0
>>1
ドイツ帝国の説明としてドイツ皇帝が統治した国というのは
かなり不正確なのではないかな。
少なくとも、バイエルン辺りの人間なら、
自分達はドイツ帝国に加盟し帝国議会に議員を送ったが、
ホーエンツォレルン家に統治された覚えはないと言いそうだ。
40世界@名無史さん:2010/11/03(水) 11:17:35 0
関連スレ
ttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1287491591/l50
【ドイツ】「多文化主義は完全に失敗」 メルケル首相が発言[10/10/19]
41世界@名無史さん:2010/11/05(金) 11:37:05 0
ドイツ帝国内ではポーランド人はどんな扱いを受けてたんだ?
42世界@名無史さん:2010/11/05(金) 12:34:47 0
逆にコペルニクスはポーランド国内のドイツ系だったな
43世界@名無史さん:2010/11/08(月) 17:49:49 0
>>39
ヴィルヘルム1世にしてからが、ドイツ皇帝である前にプロイセン王であることに
拘ってたらしいもんねw
でもまあ、気分はどうあれ法的には、ドイツ帝国が統治するドイツ帝国で正しいんじゃないかな。

>>41
ドイツ化政策でアイデンティティの危機じゃないの?
44世界@名無史さん:2010/11/25(木) 22:46:10 0
45世界@名無史さん:2010/11/28(日) 16:59:10 0
ドイツよ、全てに冠たる、
世界に冠たる我がドイツよ!
マース川からメーメル川、
エッシュ川からベルト海峡まで
護りの為めに いつも
兄弟の如く団結せば
ドイツよ、汝は全てに冠たる、
世界に冠たる我がドイツなり!

Deutschland, Deutschland über alles,
Über alles in der Welt,
Wenn es stets zu Schutz und Trutze
Brüderlich zusammenhält,
Von der Maas bis an die Memel,
Von der Etsch bis an den Belt
Deutschland, Deutschland über alles,
Über alles in der Welt.
46世界@名無史さん:2010/11/28(日) 17:53:50 0
都々逸
47世界@名無史さん:2010/11/28(日) 23:01:47 0
>>45
その歌はヴァイアル以降の国歌だね
帝国時代の国家は英国歌のメロディにハイルカイザー!って感じの歌詞を乗せたもの
http://www.youtube.com/watch?v=wFwgUVyvkCU&feature=related
48世界@名無史さん:2010/11/30(火) 00:45:06 0
ヴァイアルって何?若しくは誰?
49世界@名無史さん:2010/12/03(金) 19:15:54 0
歴史的に見ても文化的に見ても
常にヨーロッパは進んでいたしかも、近代に苦悩を抱えながら
前進するドイツはほんと恐ろしいにもほどがある。
あ〜あ、ドイツにはかなわないな
50世界@名無史さん:2010/12/03(金) 19:19:48 0
中世とかローマ時代以前はガン無視ですか
51世界@名無史さん:2010/12/03(金) 19:41:38 0
49は世界史板各所に湧いているキチガイ荒らし。放置推奨。
52世界@名無史さん:2010/12/03(金) 20:47:01 0
51は誰これ構わず叩いてるアホだからほっといていいよ
5350:2010/12/03(金) 20:49:20 0
>>51
すまん
54世界@名無史さん:2010/12/04(土) 13:20:33 0
あ、ごめ、やっぱチョロイわ
55世界@名無史さん:2010/12/06(月) 02:43:32 0
特にそんなに戦艦を作らなきゃいけない理由はないくせに戦艦をたくさん作ったロマンの分かる国。
56世界@名無史さん:2010/12/12(日) 18:26:23 0
【パリース】ドイツ西部に駐留する独合同旅団のドイツ軍部隊が正式に着任し、
シュトラースブルク近郊の駐屯地で10日、ドイツ国防相が出席して式典が催された。
かつて国土の大半がナチスドイツの占領下に置かれたフランスの隣接地に、
ドイツ兵が部隊として常駐するのは第2次世界大戦後初めて。
安全保障分野での両国友好の象徴と言える。
ドイツ部隊のエルザス駐留は昨年2月、サルコジ仏大統領とメルケル独首相が発表した。
既に一部要員は今年4月から到着し、全体がそろう2012年の段階で600人が駐留する予定。 

57世界@名無史さん:2010/12/17(金) 21:45:52 0
ドイツよ、全てに冠たる、
世界に冠たる我がドイツよ!
マース川からメーメル川、
エッシュ川からベルト海峡まで
護りの為めに いつも
兄弟の如く団結せば
ドイツよ、汝は全てに冠たる、
世界に冠たる我がドイツなり!

Deutschland, Deutschland über alles,
Über alles in der Welt,
Wenn es stets zu Schutz und Trutze
Brüderlich zusammenhält,
Von der Maas bis an die Memel,
Von der Etsch bis an den Belt
Deutschland, Deutschland über alles,
Über alles in der Welt.
58世界@名無史さん:2010/12/17(金) 21:48:48 0
ヴィルヘルム2世って本当にバイセクシャルだったのか?
ウィキペディアには確定かのように書いてあるが
どうも違うような気がするんだが。
59世界@名無史さん:2010/12/18(土) 23:41:50 0
ホーエンローエ、プロイセンじゃなくバイエルンの首相から帝国首相になったのは凄いと思うが三国干渉は許せん
60世界@名無史さん:2010/12/24(金) 18:22:37 0
>>41
プロイセンのポーランド人(貴族?)が、ポーランド人はプロイセン人にはなれたけどドイツ人にはなれないと言ったとか。
61世界@名無史さん:2010/12/25(土) 03:35:03 0
第一次大戦中に帝国宰相になったヘルトリングやバーデン大公マックスも
プロイセン出身ではないよ。
62世界@名無史さん:2010/12/25(土) 05:24:18 0
つーか元々プロイセンもドイツも実力本位の
国民主義が強いだろ。
ナチのせいで人種だの視点で見られがちなだけで。
63世界@名無史さん:2010/12/25(土) 13:07:12 0
30年代初頭の混乱期のドイツで帝政復活がかなり真剣に議論されたことがあったな。
もし実現していたらナチス政権の成立も第二次大戦もなくドイツは今でも立憲君主国
なんてことありえたかな。
64世界@名無史さん:2010/12/25(土) 13:20:54 P
ヒンデンブルクを筆頭に元OKLが国政に居たのにね
65世界@名無史さん:2010/12/25(土) 13:34:00 P
× OKL
○ OHL
66世界@名無史さん:2010/12/25(土) 15:08:26 0
ヒンデンブルグがあれほど耄碌していなかったら帝政復活の可能性はあったんじゃ
ないかな。ヒンデンブルグ自身内心では帝政派だったんだし。
67世界@名無史さん:2010/12/25(土) 16:20:21 0
無理じゃない?
ヒトラーを首相に指名したのがヒンデンブルク自身だし、
誰も本気で帝政の復活を願っていたとは思えない。
68世界@名無史さん:2010/12/25(土) 19:11:30 0
ヒンデンブルグは周囲の言いなりになったにすぎない。
当時保守政治家で帝政復活を考えた者はかなりいた。ずっと後の1944年のヒトラー暗殺計画
のときでさえ反ヒトラー派からナチス打倒後の首相に擬せられていたゲルデラーが構想していたのは
ホーエンツォレルン家の下での立憲君主制だった。
69世界@名無史さん:2010/12/25(土) 20:01:43 0
1930−32年に首相だったブリューニングも帝政復活を考えていたし
ヒトラー内閣の成立を支持したルールの資本家の中にもヒトラー内閣を
帝政復活の過渡的段階と考えている者がいたといわれる。
ブリューニングの計画は議会の三分の二以上の同意を得てヒンデンブルグ
を摂政としヴィルヘルム2世の孫を帝位につけるというもので社会民主党
の幹部さえ渋々同意していたのにヒンデンブルグがヴィルヘルム2世自身
が復位するべきだと主張したため実現しなかったといわれている。
帝政復活の一定の可能性はあったんじゃないかな。
70世界@名無史さん:2010/12/25(土) 20:03:56 0
でも日本と違って賢明な政治家が必死に食い止めたから帝政が復活しなかったんでしょ。
政治の層の厚さを感じる。それに対して、日本は何の反省もなく天皇制が続いているからな。
71世界@名無史さん:2010/12/25(土) 21:01:15 0
ナチスが政権握るよりは帝政が復活した方がマシだったな。
72世界@名無史さん:2010/12/25(土) 21:16:26 0
社会民主党の幹部が渋々ブリューニングを支持したのはそれによって
ナチスの政権掌握を阻止しようとしたからだといわれている。
彼らにとっては帝政の方がナチスよりは「小さい悪」と感じられたのだろう。
73世界@名無史さん:2010/12/25(土) 23:17:30 0
いやいや本気の帝政保守派はまずもってNSDAP自体を帝政復古への踏み台にしようと考えてたくらいだから
例えばヘーネの「SSの歴史」によると、政権獲得前にフォン・シュライヒャーとヒトラーの仲立ちをしたヴェルナー・フォン・アルフェンスレーベンは
後にフォン・パーペンと手を組んでアウグスト・ヴィルヘルム皇子(SA中将でもある)を担いだ帝政復古を目論み、
34年春から夏あたりにかけて公然とその線で運動してる
SA粛清の時、一緒に帝政保守派の論客たちも消された上にフォン・ヒンデンブルクの粛清支持声明なるものが
公表されたのはそういった連中を牽制する意味合いも含まれていた
74世界@名無史さん:2010/12/25(土) 23:46:45 0
要するに保守派はナチスを利用して帝政を復活しようとし
逆に社会民主党は帝政を復活させればナチスを押さえられると考えたわけだ。
いろんな立場から帝政復活を唱える人がいたということだな。
75世界@名無史さん:2010/12/25(土) 23:58:01 0
>>74の者だが付け加えておく。
反ナチスの立場から帝政復活を強く主張したのはブリューニングであって
社会民主党は渋々同意したにすぎない。しかし渋々ながら同意したのは
「帝政を復活させればナチスが政権を獲得する余地がなくなる」と考えた
からだ.

76世界@名無史さん:2010/12/26(日) 00:14:13 0
皇帝の末裔とかいまドイツで生きてるの?
77世界@名無史さん:2010/12/26(日) 10:32:43 0
>>60
それ差別の話じゃなくて、ポーランド人の立場として、
多民族国家を目指したことのあるプロイセン王国の臣民になるのはやぶさかではなかったが、
ドイツ民族至上主義のドイツ帝国臣民になる気はもはやさらさらない、という意味。

ドイツ帝国議員のポーランド人ヴォイチェフ・コルファンティの発言だったと思う。
コルファンティがカトリック中央党のドイツ民族主義化に失望して、
ポーランドの独立運動を決意したときの発言。
78世界@名無史さん:2010/12/26(日) 16:42:12 0
今月初旬、寄港地から出港したSSの船が南極海で、
日本の船団の到着を待ち構えている。
SSは新船、ゴジラ号を投入し、昨年に続き、3隻態勢で妨害を繰り広げる。
豊富な資金力をもとに、
哨戒用ヘリコプターや妨害用高速ゴムボートなども増強。
腐乱臭詰めの投擲(とうてき)弾なども用意している。
代表はメディアに対し、
「われわれは、初めて日本側より強い装備を整えた」などと豪語している。
79世界@名無史さん:2010/12/26(日) 20:23:33 0
>>76

何人もドイツに居住している。
今でも名門扱いで、一定の敬意はもたれているようだ。
80世界@名無史さん:2010/12/27(月) 16:06:19 0
>>76
このスレの>>37を見てみろ。
81世界@名無史さん:2010/12/27(月) 17:52:55 0
82世界@名無史さん:2010/12/28(火) 20:02:28 P
>>81
まだイギリス王位継承権とかもってんだなあ
83世界@名無史さん:2010/12/28(火) 22:07:22 0
「ラルフ一世はアメリカン」思い出したw

バイエルンがプロイセンへの対抗意識強かったのはよく語られるけど、
ヴュルテンベルクやザクセンも同様だったのだろうか?
84世界@名無史さん:2010/12/29(水) 04:20:29 0
ドイツ帝国成立時のヴュルテンベルク国王カール1世は、
同性愛者であったといわれている。
85世界@名無史さん:2010/12/29(水) 14:30:17 0
いやそういう話じゃなくてヴュルテンベルクやザクセンの
一般的な対プロイセン感情はどうだったのかな?っていうのを訊きたかったんだけど・・・
86世界@名無史さん:2010/12/30(木) 20:11:34 0
ドイツ帝国成立時のバイエルン国王ルートヴィヒ2世もまた同性愛者であり、
さまざまな逸話が残されている。
87 ◆FiHo1RzH7E.W :2011/01/01(土) 00:21:10 0
てすと
88世界@名無史さん:2011/01/23(日) 12:57:08 0
ドイツ帝国成立後
バイエルンやビュルテンベルクあたりの
国王達はどの様な称号になったんですか?

当然国王とは名のれませんよね。
89世界@名無史さん:2011/01/23(日) 13:45:41 0
ドイツ帝国は大日本帝国のような単一の中央集権国家ではなくて、
プロイセン以下、二十以上の君主国からなる連邦国家だったので、
バイエルン、ザクセン、ヴュルテンベルクなども「王国」のままで、
その君主は国王号を保持していた。

単一の帝国陸軍すら存在せず、帝政時代のドイツ陸軍というのは、
プロイセン中心にバイエルンその他、各王国の陸軍の集合体だった。
90世界@名無史さん:2011/01/23(日) 13:52:55 0
第一次大戦中を例にあげると、ヒトラーはバイエルン陸軍の志願兵であり、
レームはバイエルン陸軍の士官だった。
帝政最後の参謀次長グレーナーはヴュルテンベルク陸軍の士官だった。
91世界@名無史さん:2011/01/23(日) 15:09:01 0
そういや「バイエルンは別格」らしいけどどう別格なの?
92世界@名無史さん:2011/01/23(日) 16:12:09 0
ドイツ統一に際して、軍事・外交・鉄道・郵便などにおいて特権を認められ、
とくに軍事面では独自の指揮権、外交面では独自の領事館の設置を認められた。
93世界@名無史さん:2011/01/23(日) 22:22:39 0
へぇー。第一次大戦のシュリーフェンプラン実施中のときバイエルンの皇太子が指揮する最左翼が
「俺の部隊だけ守ってるとかツマンナイ、右翼の部隊みたいに攻めたい」って感じで
守りの堅い独仏国境を攻めて損害出した、ってなんかの本で読んだけど
そんなことが出来たのもそういう理由なのかー。
94世界@名無史さん:2011/01/24(月) 00:10:45 0
ttp://kaiser-collection.com/map0.html
こんなサイトを見つけたよ!ってプロイセンでけええええええええええ
俺の知ってるプロイセンはベルリンのあたりの領地と、ライン川のあたりの領地が飛び地になってて
もうちょっと小さかったはず。
95世界@名無史さん:2011/01/24(月) 23:47:09 0
帝政時代の「ドイツ参謀本部」というのは正確にはプロイセン参謀本部だよね。
連邦加盟国間の協定でプロイセン参謀本部がドイツ全体の参謀本部の役割を
はたすことになっていた。もっともプロイセン以外の国の軍人もプロイセン
参謀本部に勤務することになっていたから「ドイツ参謀本部」と言っても問題
はないけど。
96世界@名無史さん:2011/01/25(火) 00:10:34 0
ついでに言うと統一後プロイセンは中小の連邦加盟国と軍事協定を結んで
その軍隊をプロイセン軍に編入したのでヴィルヘルム2世が即位したときには
独自の軍隊を持つのはプロイセン、バイエルン、ヴェルテンブルグ、ザクセン
の四王国だけになっていた。兵力量については帝国政府が帝国議会の同意を得て
連邦全体の兵力を決定し前記の四王国に常備しておくべき兵力を割り当てること
になっていた。ただし海軍は「ドイツ帝国海軍」として一本化されていた。
97世界@名無史さん:2011/01/25(火) 01:05:53 P
WWIの写真でたまにピッケルハウベじゃない水兵みたいな帽子かぶっているのがバイエルン兵?
98世界@名無史さん:2011/01/25(火) 15:51:37 0
鉛筆で有名なファーバー社って
250年前から始まって今もファーバー家の当主が社長やってて
しかも伯爵位を持ってるのに驚いたわw
99世界@名無史さん:2011/01/31(月) 03:12:51 0
そういうファミリー企業は別に欧州じゃ珍しくない。
日本にだって何代も同族経営でやってきた老舗があるんだろうけど、
世界的に有名でないだけ。
有名どころはある時期に資本と経営が分離しているしね。
100世界@名無史さん:2011/01/31(月) 14:05:38 0
日本だとマスコミ界隈の創業一族VS叩き上げの昼ドラが楽しいぜ。

旧財閥は戦後大打撃受けちゃったからあれだが解体されて無ければ今も力持ってただろうね。
101世界@名無史さん:2011/01/31(月) 23:28:33 0
ヴィルヘルム1世とヴィルヘルム2世の間の皇帝が、なんでフリードリッヒ3世なんだ?
102世界@名無史さん:2011/02/01(火) 05:00:33 0
プロイセン王ヴィルヘルム1世、フリードリヒ3世、ヴィルヘルム2世だから
103世界@名無史さん:2011/02/01(火) 08:30:23 0
何で1世、2世、3世とならないのだ??
104世界@名無史さん:2011/02/01(火) 10:50:30 0
嫡男が毎度世継ぎでも無いし仕方ないだろ
105世界@名無史さん:2011/02/01(火) 11:29:45 0
フリードリヒ3世という言い方には疑問があるね。
彼はプロイセン国王としてはフリードリヒ3世だがドイツ皇帝としてはフリードリヒ1世のはず。
106世界@名無史さん:2011/02/01(火) 15:56:37 0
じゃぁwikiとかいろいろ書きかえてきたまえ
107世界@名無史さん:2011/02/01(火) 17:14:59 0
3代の皇帝で一番活躍した人と逆の人は?
108世界@名無史さん:2011/02/02(水) 00:15:38 0
前者がヴィルヘルム2世で後者がフリードリヒ3世だろ
言わせんなよ恥ずかしい
109世界@名無史さん:2011/02/02(水) 01:37:12 0
それを活躍っていうのかね。

>>105
ドイツ帝国の国制の下では、
ドイツ帝位はプロイセン国王が兼ねる一体不可分のもので、
プロイセン王位と別個に存在するものではない。
したがって、プロイセン国王としての名前をそのまま用いる。
110世界@名無史さん:2011/02/02(水) 01:54:06 0
>>109
>ドイツ帝位はプロイセン国王が兼ねる一体不可分のもの

だから革命時のヴィルヘルム2世の「ドイツ皇帝としては退位するが
プロイセン国王の地位には留まる」という決断の意味がわからなくなってくる。
一体ドイツの統一をどうするつもりだったのか?
111世界@名無史さん:2011/02/02(水) 19:59:03 0
どうするつもりも何も、断末魔の呻きだろ。
112世界@名無史さん:2011/02/02(水) 20:13:48 0
一番活躍したのは、初代皇帝だろうが?
ビスマルク首相とモルトけ参謀総長を選んだんだからな。

この二人がいれば、第一次欧州大戦でイギリスを除く、すべての
ヨーロッパがドイツに征服されてたはず。
113世界@名無史さん:2011/02/02(水) 20:16:43 O
プロイセンはプロイセンで、統一以降は存在すら忘れられて、
全く形骸化してたからな
114世界@名無史さん:2011/02/02(水) 20:19:03 0
神の御心に我が身を捧げようと思っているあなたに

www.ylw.mmtr.or.jp/~johnkoji/hymn/194.html
115世界@名無史さん:2011/02/02(水) 21:24:11 0
>>112
やードイツ皇帝としてはあんまりやる気なかったからねー初代は
統一の中でプロイセンが埋没してしまうことへの危機感の方が大きかった人だから
まぁ実際そうなったし
116世界@名無史さん:2011/02/02(水) 21:49:14 0
“ドイツ皇帝兼プロイセン国王”が正式な肩書きだからねw

それとデイリーテレグラフ事件でヴィルヘルム2世の皇帝としての実権を喪失し

参謀総長が、帷幄上奏権や軍事力を背景に次第にドイツ帝国の権力を握り始める。

これが大問題であり、首相よりも参謀総長の方が力持ち始める。

勝手に参謀総長が国会議員や他の役所と折衝して軍事予算を確保しはじめる。

この現象を見て、欧州の政界では、ドイツの参謀総長を“宮宰”と呼び始める。
117世界@名無史さん:2011/02/03(木) 11:03:40 O
プロイセンの埋没ってのが不思議だ。
なぜあんなに急速にアイデンティティが変容したのか?
バイエルンは未だに独自性を保っているのに。
118世界@名無史さん:2011/02/03(木) 11:33:19 0
プロイセン自体が、既に西側に広がりすぎて、本来のプロイセンとは異なっていたからじゃね?
プロイセンってドイツのカナリ東側だけだろ?今のブランデンブルグ州の東側の。

1990年にベルリン市と今のブランデンブルグ州を合併させてプロイセン州を作ろう
と言う構想があったけど、住民投票で否決されてしまった。

>>110
その構想、プロイセン国王を皇太子にやらせて、皇帝本人は亡命すれば、いけたんじゃねーかな?
と思う。

ドイツ共和国内にプロイセン王国が残る形になるが、革命後に出てくる
左翼勢力や共産党勢力などへの一定の押えになるから、国家人民党や
人民党のような右派政党だけでなくSPDは賛成したかも。

人民海兵団なんてベルリン王宮に居座って、政府に金たかっているだけじゃんか
119世界@名無史さん:2011/02/04(金) 04:37:06 0
>>110
参謀次長のグレーナーがヴィルヘルム2世の決断に反対したり首相だった
バーデン大公マックスが独断で「ヴィルヘルム2世は帝位と王位の双方を
退位した」と発表したのは国家統一の崩壊を恐れたからじゃないかな。
120世界@名無史さん:2011/02/05(土) 12:26:18 0
ドイツ帝国憲法は典型的な「条約憲法」といわれている。
それまで独立していた諸国が集まって連邦を結成する場合、連邦を結成する条約
そのものが連邦の憲法になるというものだ。ドイツ帝国憲法では前文で連邦に加盟
する各国の名が列挙されこれらの諸国が「永久の同盟」を結成すると明記されていた。
そして条約には「継続性の原則」というのがあってある国が一度条約を結ぶとその後
その国の主権者が交替しても条約の効力に変化はないということになっている。
したがって連邦加盟国で革命が起こっても「永久の同盟」はそのまま存続するし
プロイセン国王であるヴィルヘルム2世にも「永久の同盟」を破棄する権限はない
ということになる。ただプロイセン国王がドイツ帝位を辞退したので憲法改正権
をもつ連邦参議院が国制改革をするということになるだろうね。連邦参議院という
のは選挙ではなく連邦加盟各国政府が任命した議員で構成されていた。ただし国
ごとに票数に差があってプロイセンの同意がなければ憲法改正は不可能だったが
プロイセン国王自身が帝位を辞退すると言い出したんだから問題はない。
121世界@名無史さん:2011/02/05(土) 15:01:03 0
理論上は連邦参議院の決定でプロイセン国王以外の人物が連邦の
元首になることも可能ということかな。それならドイツ皇帝と
プロイセン国王の地位を分離させることも可能だな。いずれにせよ
最大の票を持つプロイセンひいてはその国王であるヴィルヘルム2世
の意志が決定的になるな。
122世界@名無史さん:2011/02/05(土) 15:16:25 0
>>120
う〜〜む、スゴイ解説じゃ!
どこの大学院生かな?助手クラス?

>>119
1918年の1月にウィルソン米国大統領から退位を迫られ、さらに首都ベルリンでも
金属労協の反戦デモ、食料デモがあり、プロイセン第一近衛連隊や第七連隊と言った
忠誠心の厚い精鋭部隊(食料や医薬品、武器の供給も優先されていた)を首都に集めて
帝国政府は反戦デモへの対策は取っていた。

また、ヴィルヘルム2世は、宰相マックス公からの和平交渉進展の為の退位要請を拒んでいた。

しかしキール軍港で11月上旬から兵士と労働者の大規模な反戦デモが始まり、11月8日
にはベルリンでも市民の大規模な反戦デモに見舞われた。この時にデモ対策用に首都
に集められていたプロイセン第一近衛連隊や第七連隊は、まったく治安出動をせず、
デモ隊を傍観するだけだった。

この事態を見て、この時、カール・リープクネヒトが「社会主義共和国」の宣言を
しようする、それをさせじと党首エーベルトとともにいた社会民主党幹部の
シャイデマンは、議事堂の窓から身を乗り出して独断で共和政の樹立を宣言してしまう。
123世界@名無史さん:2011/02/05(土) 15:19:33 0
>>122(つづき)
この時点でもヴィルヘルム2世は、ドイツ皇帝の退位は認めても、プロイセン国王の退位は認めなかったと言い、
ヴィルヘルム2世自身が残りの近衛隊を率いてドイツ東部に進撃し反戦デモ隊やボルシェビキと戦う意向だったと言う。
しかし、シャイデマンの共和国宣言でホーエンツオレルン家の支配はオジャンに!

仮に11月上旬のキール軍港の兵士と労働者の反戦デモ発生と当時に、
ヴィルヘルム2世は帝位・王位双方から退位し、プロイセン王位は皇太子か皇太孫に譲位し、
SPD執行部には臨時政府の組閣と帝国議会には憲法制定会議への改組を命じておけば、
革命派に先手を取られる事無く、参謀本部やホーエンツオレルン家が
政局主導権を握れたまま革命に突入出来たかと思う。

たとえドイツが共和制になってもホーエンツオレルン家がプロイセン王位を
保持しておけば、帝政復古は容易いし、プロイセン国王として「プロイセン国内の
革命派やロシア・ボルシェビキと戦い、治安を回復させる」という大義名分も得やすい。

また、プロイセン国王としてプロイセン近衛師団の指揮権を確保出来たのではないか?
そうなれば史実の様にあそこまでベルリン市を革命派に牛耳られる事も無かった、と思う。
124世界@名無史さん:2011/02/05(土) 15:33:22 0
>>122
どこがよ。後半むちゃくちゃじゃないw
125世界@名無史さん:2011/02/05(土) 15:54:40 0
連邦全体が共和制になっているのに、プロイセンだけが王国のままというのは、
現実的にありえないのではないか?
126世界@名無史さん:2011/02/05(土) 16:49:07 0
とりあえず「ああこれが自演というものか」という点だけはわかった
127世界@名無史さん:2011/02/05(土) 20:44:03 0
>>125
たしかにそんな条件では国民が納得しないだろう。しかしヴィルヘルム二世はなんとかして
一国の君主でいたかったんだろう。帝国宰相だったバーデン大公マックスもそれを知っていた
ので帝政を救う最後の手段として独断で「ヴィルヘルム二世は帝位と王位の双方からの退位を
宣言した」という発表をした。マックスが考えたのはヴィルヘルム2世を帝位と王位の両方
から退位させ皇太子にも両継承権を放棄させて第二皇子を摂政にし社会民主党のエーベルトを
帝国宰相に任命するというものでそうすればなんとか帝政を存続できるというものだった。
そこでエーベルトと連絡を取り彼を帝国宰相に任命した。帝国宰相が帝国宰相を任命できるのか
という問題があるが実は帝国憲法には帝位の継承に関する規定がなく「プロイセン国王が帝位を
兼ねる」という規定があるだけだった。一方プロイセン王国憲法によれば国王がいないときは摂政
がおかれ摂政もいないときは内閣が国王の権限を代行することになっていた。そしてマックスは
帝国宰相とプロイセン首相の両方を兼ねていた。そこでもしヴィルヘルム二世がプロイセン国王
としても退位とするとマックスがプロイセン首相としてプロイセン国王ひいてはドイツ皇帝の権限
を代行することになる。マックスはその権限でエーベルトを帝国宰相に任命し第二皇子を摂政にして
なんとか帝政を存続させようとしエーベルトもそのつもりだった。しかし情勢は既にそれを許さず
シャイデマンがリープクネヒトに先んじる必要から共和制樹立を宣言したため帝政存続は不可能に
なった(客観的にも不可能だったが)。
128世界@名無史さん:2011/02/05(土) 21:37:00 P
よみにくいなあ。
数カ所読点で改行してよ。
129世界@名無史さん:2011/02/05(土) 21:38:08 0
http://www.asahi.com/culture/update/0205/TKY201102050167_01.html
http://www.asahi.com/culture/update/0205/TKY201102050167_01.html
戊辰戦争でプロイセンに提携持ちかけ 会津・庄内両藩
2011年2月5日21時0分

戊辰戦争での薩摩・長州を中心とした新政府軍との対決を目前に、
会津・庄内両藩がプロイセン(ドイツ)との提携を模索していたことが
東京大史料編纂(へんさん)所の箱石大・准教授らの研究で明らかになった。
ドイツの文書館で確認した資料は、両藩が北海道などの領地の譲渡を提案したが、
宰相ビスマルクは戦争への中立などを理由に断ったことを伝えていた。
ドイツの国立軍事文書館の資料で、10年ほど前にドイツ側の研究者が存在を紹介したが、詳細が不明だった。

箱石さんらの調査で確認されたのは、1868年の文書3点。
いずれも、ボン大のペーター・パンツァー名誉教授に依頼し解読、日本語に翻訳した。
(1)7月31日付で駐日代理公使のフォン・ブラントがビスマルクへあてたもの。
「会津・庄内の大名から北海道、または日本海側の領地を売却したいと内々の相談を受けた。
ミカドの政府も財政が苦しく南の諸島を売却せざるをえない模様」として判断を仰いでいる。
(2)10月8日付で宰相からフォン・ローン海相あて。「他国の不信、ねたみをかうことになる」と却下の考えを示し、海相の意向を尋ねている。
(3)10月18日付で、海相から宰相への返事。

この年は5月に江戸城が明け渡され、7月初めに上野で新政府軍と彰義隊との戦いが決着。
戦争の舞台が東北へ移る緊迫した時期の交渉。両藩は武器入手のルートや資金の確保を目指したとみられるが、
ブラントは「北日本が有利になれば、この申し出は大変重要な意味を帯びる」とも記しており、政治的な狙いも込められていたようだ。
130世界@名無史さん:2011/02/05(土) 21:38:51 0
>>129

会津は京都を舞台に長州と激しく対立、庄内藩は江戸警備を担当して
薩摩藩邸を襲撃したことがあり、両藩は同盟関係にあった。
北海道の領地は北方警備強化のために1859年に幕府が東北の有力6藩に与えた。
会津藩は根室や紋別を、庄内藩は留萌や天塩を領有していた。

箱石さんは「敗者の歴史は忘れ去られ、この交渉も日本にはまったく記録がない。
会津と庄内は土地を提供することでプロイセンを味方につけようとしたのだろう。
戦争が長引けば明治維新に違う展開があったかもしれない」。

明治維新を研究する東京大の保谷徹教授は「会津・庄内両藩がよくぞここまで国際活動を展開させたなと驚いた。
歴史にはまだまだ知らないことがたくさんあり、その答えが海外に眠っていることを示しているのだろう」と話している。
(渡辺延志)
131世界@名無史さん:2011/02/05(土) 22:37:10 0
>>125>>127
ヴィルヘルム2世がもっと早く、独立社民党やスパルタクス団よりも先手を打って退位していれば、
革命でドイツが共和制になっても邦国まで政体を変える必要はなかった可能性がある、と思う。

特に18年早々からウィルソン大統領に退位する様に言われていて、その時点から退位問題はくすぶっていた。

それに1908年にデイリーテレグラフ事件を起こして以来皇帝としての実権は、失いつつあった。
それに反して参謀総長は、帷幄上奏権や軍事力を背景に他の官庁や議会と独自に交渉を進めて
ドイツ帝国の実権を握り始めており、1908年以降のドイツ皇帝と参謀総長の力関係は逆転現象
を起こしている。その為に欧州政界では参謀総長の事をフランク王国時代の“宮宰”と揶揄し始める。
さしずめ日本で例えれば応仁の乱の時の将軍 足利義政と管領 細川勝元のような関係であり
ヴィルヘルム2世は歴代参謀総長に引き回され始めていた。

WW1が始まるとその傾向がより一層強まり、首相や閣僚の任免にも参謀総長の意向が反映され始める。
戦時に大本営に居ても、戦争は参謀本部職員の手で遂行されており、皇帝は特にやることは無い状態。

そういう意味では、ヴィルヘルム2世は何で帝位に固執したのか、良く判らない。
大した権限は行使できない状態だからだ。それならばさっさと帝位は譲位して
ホーエンツオレルン家の世襲体制を維持した方がよっぽど為になると思うのだが…

そういう意味では、徳川慶喜の方がクレバーで政治的に小ズルイ印象がある。
薩長両藩や土佐藩、広島藩の一部が、討幕挙兵を検討している、と土佐藩主山内容堂から
聞かされると、サット大政奉還をして政権を力の無い朝廷に返し、その後の列藩会議で
主導権を握り、徳川天領400万石と陸海軍を握ったまま摂政に任官し徳川宗家の実権を
維持しようとした。

ヴィルヘルム2世にも革命時には、この位の政治的な駆け引きをして欲しいもんだ。
退位宣言と同時に非民主的と評判の悪い三級選挙制度の廃止をぶち上げて、革命派
の気勢を制して欲しいもんだ。

        ★ドイツ第二帝政構造の考察★
http://www.geocities.co.jp/ponite99/deutsch_kaiserreich_repo.htm
132世界@名無史さん:2011/02/06(日) 13:58:04 0
ドイツ革命の時に11月に革命で皇帝が亡命し、戦争が一応終わり、12月にベルリンで西部戦線の野戦軍の閲兵式を行う。

ドイツ軍は国内予備軍は、革命に賛同する将兵が多く、革命派との内戦には使えなかったが、

そこで臨時政府は野戦軍なら、将校の指揮に従い秩序を維持していたので、西部戦線の師団のなから政府への
忠誠心が特に厚い10個師団を抽出し、「ベルリンで終戦の閲兵式を行う」と言う名目でその野戦軍
10個師団をベルリン市に入れて、革命派を武力制圧しようとした。

しかし政府に忠誠心が厚いはずのその10個師団も、ベルリン市に到着してから、
スパルタクス団や独立社民党の党員らの演説やオルグにより、武器を捨てて
勝手に解散帰郷してしまい。10個師団の兵士があっという間にクモのコ散らす様に
消えてしまい、臨時政府の革命派弾圧計画が見事に失敗した。

この話しは、大変面白いと思うと同時に、WW1の末期には如何に兵士の戦意が
消失していたかを良く示す事例だと思う。
133世界@名無史さん:2011/02/06(日) 14:03:00 P
>>132
大変興味深いです。宜しければ、その話が読める本や文献をご紹介いただけないでしょうか
134世界@名無史さん:2011/02/06(日) 14:58:08 0
普通のドイツ史の本に記述があると思います。
それとネットでは↓に大雑把にベルリンでの野戦軍解散事件の事が記載されています。

ドイツ(共産)革命
http://ww1.m78.com/weimal/german%20revolution.html
135世界@名無史さん:2011/02/06(日) 17:08:43 0
公平に見てヴィルヘルム二世よりは昭和天皇の方がマシだったな。
136世界@名無史さん:2011/02/06(日) 22:04:44 0
戦争末期には厭戦気分から国内に引きあげた部隊が革命派に感化され、
雲散霧消してしまったのに、そのすぐあとにはフライコールになったり、
右翼団体員になったりする旧軍人・兵士が続出するのは皮肉なもんだ。
137世界@名無史さん:2011/02/07(月) 13:04:01 0
>>136
確かに。

18年11月には、ベルリンで街頭デモが始まってもプロイセン近衛連隊もポツダム連隊も治安出動しないし
12月には、折角選りすぐりの野戦軍10個師団をベルリンに進駐させたのに直ぐに解散するし
全然役に立っていない。

おまけに10個師団分の小銃や弾薬をスパルタクス団や民衆デモ隊に引き渡したので
ベルリン市民が武装化し19年1月のスパルタクス団の反乱や3月のベルリン市労働者蜂起
の元になってしまった。

同じ12月には、10個師団が解散してしまった後に、参謀本部と臨時政府は、ベルリン王宮に居座っている
「人民海兵団」を武装解除させようと、ポツダム連隊を出動させた。しかしこれもベルリン市民が何所
からとも無く湧いて出てきて、人民海兵団とポツダム連隊の間に入り、戦闘を中止させてしまう。
また、一部ポツダム連隊の将兵を武装解除させて、連隊から離反させている。

19年になるとフライコールが結成されている為か、革命派を武力制圧に乗り出している。
138世界@名無史さん:2011/02/09(水) 15:31:21 0
>>125
いや、プロイセン王国は王政ではなくなったけど、ワイマール共和国でも
プロイセン州政府として存続しているんだよ。

だから、ヴィルヘルム2世が早めに退位し、皇太子か皇太孫がもっと早くプロイセン国王に
なっていれば、ワイマール共和国下でもプロイセンは王政のまま維持出来たと思うね。

ウィルソン大統領は、ヴィルヘルム2世の退位を講和条件としていたけど帝政・王政の廃止までは言っていない。

ただま〜プロイセン王位を維持出来たとしても実権はだいぶ削がれただろう。
139世界@名無史さん:2011/02/09(水) 23:40:51 0
>ヴィルヘルム2世が早めに退位し、皇太子か皇太孫がもっと早くプロイセン国王になっていれば

その場合、ドイツの全国レーテ大会はどうなっただろうね?
140世界@名無史さん:2011/02/10(木) 12:39:43 0
1918年の全国レーテ大会は、ロシア・ソビエトとは違い、
政権奪取の決議をしたわけではないだろ?

全国レーテ大会の代議員の過半数は、SPD党員であり、
その為に過激な革命路線に踏み出す決議をエーベルトは否決させたはず、
エーベルト-グレーナー協定を守り軍の民主化決議も否決して
参謀本部の指揮権の確保に尽力している。

参謀本部が、エーベルト-グレーナー協定に基づき
「プロイセンの政体決定と王位は、憲法制定議会の決議による」
と全国レーテ大会に決議させれば良いんじゃないの?
141世界@名無史さん:2011/02/18(金) 22:15:43 0
   ______
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      .′    /   / // |     ハ:i   | :| |:-ハ―/- ': : {: : : : :ハ:{―ヽ|-ヽ: |: : : :
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            | ,x=≠ミ、 ̄ ` ー‐'  ̄L.ハ,ノ :| リ:〃 Y::n:ヽ   ∨ " Y::n:ヽ Y,リ : : : :
       |   |{{ (:9:)  ヽ   ,x:≠ミ、 }   |/:,从 弋せ:ノ       弋せ:ノ 从 : : / :
      Vヘ   N    ー‐       (:9:) }}/   ; :\{ ⊂二⊃  ,     ⊂二⊃/ : /: : :
      ー:、 \|   ""     ,   ー  /  /: : : {       ___        /:/ : : : : :
      ー― 、       ,r==┐ ""-=彡  /| : : : : .      /` ̄´ヽ     /'´ |: : : : : :
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      ∨: : : :ノ `  .  、__,ノ   / |  ,ハ: : : |: |  `ト ゝ. __ノ _ . ィ´ } |: : : : :/
      人: : : :⌒\  `ト---r ァ7´  .ノイ/ ∧: ∧|   .人 \ ̄ ̄  / 人/ィ: : :/
142世界@名無史さん:2011/02/23(水) 03:04:13.68 0
「第二帝国」とかまず誤訳だし、本来の意味から大きく履き違えているし、しかもダサい。こんな酷いあだ名は早く消えてくれ。
これは反ナチ云々以前の問題。
143世界@名無史さん:2011/02/23(水) 11:01:37.78 0
プロイセン→第一
ドイツ→第二
ナチスドイツ→第三

誤訳ではない
144世界@名無史さん:2011/02/23(水) 11:58:17.26 0
>>141
プロイセン国王の王位維持はそんなに難しいかね?
ヴィルヘルム二世が、早めに退位していれば可能だと思う。

帝政ロシアでは近衛隊も含めた全軍隊が完全に崩壊しボルシェビキが簡単に浸透できたが、
ドイツ軍はそうではない、秩序を持って西部戦線から撤退する事が出来た。

ベルリンでは革命派を鎮圧する予定の10個師団が革命派活動家や組合員に演説や工作で
簡単に武装解除され兵士は武器をデモ隊に渡して帰郷してしまったが、この部隊は所詮
徴兵で集められた一般兵士部隊であり、対左翼向け、内戦向けの部隊ではなかった。

ドイツ軍には、そのほとんどを占める徴兵部隊とは異なり、ある二つの部隊はWW1敗戦後
もドイツ軍の兵舎に留まり解散する事無く訓練を続けていた部隊があった。近衛部隊と特殊部隊である。

この二つの部隊は、全員がプロイセン人で構成されており、革命派の呼び掛けに応じる事無く
郡の秩序を維持し続けた。ドイツ軍の特殊部隊とは、カイザー攻勢時のエリート特殊部隊
“突撃隊”のメンバーで全員プロイセン人からなる学生志願兵部隊だった。
参謀本部とエーベルト臨時政府は、この“突撃隊”を一度退役させ、義勇軍(フライコア)
として再雇用しドイツ国内で左翼勢力と闘う事になる。

このようにプロイセンには近衛隊やフライコアの人材供給源としての力があり
皇帝が早期に退陣していれば、プロイセン人により構成される近衛隊やフライコアが
プロイセン王国の政体変革を望んでいない、との口実を作ることで参謀本部から
エーベルト臨時政府への圧力を構成する事が出来ると思う。
プロイセン王位の維持の是非は、プロイセン国民の住民投票で決めさせるとか
色々な豊富があったと思われる。
145世界@名無史さん:2011/02/23(水) 19:55:58.10 0
>>116
>これが大問題であり、首相よりも参謀総長の方が力持ち始める。
>
>勝手に参謀総長が国会議員や他の役所と折衝して軍事予算を確保しはじめる

どうみても大日本帝国も同じですありがとうございました。
146世界@名無史さん:2011/02/23(水) 20:19:48.77 0
ヴィルヘルム2世によって社会主義者鎮圧法が解禁されてからのドイツ人連中は社会主義オタクまっしぐら。
147世界@名無史さん:2011/02/23(水) 20:22:09.83 0
だいたいナチスも国家「社会主義」ですからー。
ナチスもソ連も同類。さらに日本も。
148世界@名無史さん:2011/02/24(木) 12:33:04.86 0
プロイセン王国が残った場合には、プロイセン近衛連隊の指揮権が、
エーベルト臨時政府にあるのか、それともプロイセン王国に残るのか良く判らないな。

プロイセン国王が在位しているなら、近衛隊の指揮権は手放さない
と言うだろうし…
149世界@名無史さん:2011/02/24(木) 20:01:14.56 0
プロイセン王国が残るってどういう状況?
ドイツ分裂?バイエルンがソビエト化?
150世界@名無史さん:2011/02/24(木) 21:14:49.84 0
ドイツで最も保守的で右翼的なバイエルンがまっさきに王政を廃止し、
その後、ドミノ現象で次々と帝国内の領邦君主が退位している状況で、
プロイセン王のみが居座るなんて虫のいいことが通用するわけない。
151世界@名無史さん:2011/02/24(木) 21:41:22.49 0
>>143
第一帝国って神聖ローマ帝国じゃないの?
152世界@名無史さん:2011/02/24(木) 21:43:57.12 0
右翼の定義がいまいち謎。「ドイツ民族統一主義」なのか「バイエルンはどこの属地でもねえ!」なのか。
153世界@名無史さん:2011/02/24(木) 21:47:13.07 0
つまりウヨサヨ厨がその程度だってことですか
154世界@名無史さん:2011/02/24(木) 23:41:00.29 0
当時のドイツの邦国の地図見てみ?
プロイセン王国が東部からルール地方まで全部を占めている。
ドイツ北部のほとんどがプロイセン王国の領土なんだよ。

バイエルンなんてドイツ南部の小さい王国でしかない。
アンハルト公国やバーデン大公国なんてもっと小さいw
日本の藩ぐらいしかない。

こんな小さな邦国で起きた事をプロイセンに当てはめる事はできない。

それにバイエルン王国の革命が素早く成功したのは、国王のルートビッヒ3世が
あまり王位に固執する人物ではなかったのと、バイエルン人の反プロイセン感情
がバイエルン人の左傾化を一時的に促進しただけ、と言う偶発的な現象が意外と多い。
事実バイエルン人は元々保守的な人たちで、今でもCDSは右派政党として活動しているぐらい。

1919年1月にワイマール憲法制定議会の為の選挙が開催され、ドイツ保守党の
後継政党の国家人民党やドイツ自由保守党の後継政党のドイツ人民党が、
併せて15%の議席を獲得している。この党派は当然右派の帝政復古派である。
20年に第一回議会選挙では、国家人民党やドイツ人民党は、29%の議席を
獲得している。24年の第二回の選挙ではこの数字が39%まで拡大する。

このようにドイツ全でも右派の力は革命後も保持されており、ヴィルヘルム二世の
早めの退位でプロイセン王位だけは何とか保持できたと思う。

レーテ大会では確かにプロイセン王国の廃止の声が出るだろうが、レーテ代議員の
過半数はSPDなんだから、なんとか参謀本部が“エーベルト・グレーナー協定”に
乗じてエーベルトに圧力を掛けるしかない。SPDはレーテがプロイセンの政体決定
に関る事を禁止させるしかない。

シャイデマンの議事堂での共和政樹立宣言も、ドイツ帝国の政体の事だけで
プロイセンの事は何も言っていないんだしね。
155世界@名無史さん:2011/02/24(木) 23:44:29.58 0
バイエルンの右翼ってのは、ウィッテルスバッハ家支持の王党派で、
分離主義的傾向が強く、カトリック擁護の権威主義的な伝統主義者だろう。
156世界@名無史さん:2011/02/24(木) 23:50:18.04 0
>バイエルン人の反プロイセン感情
>がバイエルン人の左傾化を一時的に促進しただけ

保守派が権力を回復したり、カール総監の権威主義体制が成立した時点で、
バイエルン州限定の王政復古が行われてもおかしくないわけだが、
カールのような権威主義者でもそこまで断行しえなかったのは、なぜ?
157世界@名無史さん:2011/02/25(金) 01:15:22.91 0
ということはあれか、バイエルンで設立された政党が全国規模に拡大して、
やがてはライヒ政権政党になっちゃうなんてあり得ないことな訳だw>>こんな小さな邦国

まぁそれはともかく、帝国第二の存在であるバイエルンの政治動向をまったく無視できるほどに
プロイセンは絶対であり帝国の政治動向はプロイセンの意思決定にのみ左右されるというのであれば、
それって帝国とプロイセンがほとんど一体化してる状態みたいなものになってしまうから
そういう状況で帝位と王位の分離ができるという都合の良い話がありえるのか?って話になりそうな

>>156
一応、カールはその路線目指してたことは目指してたみたいではある
158世界@名無史さん:2011/02/25(金) 04:21:26.72 0
保守派が多くて、カールみたいなオッサンが独裁政治をできたくらいなのに、
王政復古すらままならなかったとは、案外バイエルン州民も当てにならないな。

実はバイエルン王家なんて、たいして人気なかったんでは?
159世界@名無史さん:2011/02/25(金) 05:06:26.84 0
ホーエンツオレルン家は、三代にわたりドイツ全土を支配したカイゼルの家筋
一方、ウィッテルスバッハ家は、ドイツ帝国加盟後は、外交権も制限されている
日本で言えば大名家みたいなモンでしょう、熊本細川家みたいなw

ホーエンツオレルン家は中央政府で、ウィッテルスバッハ家は地方の大名
おまけにウィッテルスバッハ家は、そんなにヤル気がある家でもなさそうだし
皇太子もジャコバイト運動の方が忙しそうw

ワイマール時代でもホーエンツオレルン家は政治的に積極的に動いていて
特に国家人民党とドイツ人民党がその動きを支えていた。そしてそれらの党が
ワイマール議会でも多数の議席を獲得していた訳だから、ドイツ人の中にも
ホーエンツオレルン家は皇帝に復帰すべきだ!と言う観念は今から想像する
よりも大きかったと思う。
ワイマール末期には、ナチス、特にSAとドイツ軍部の対立が深まった為に、
彼らを封じ込めの為の軍事クーデターとそれによる帝政復古が検討されていた。

ヒンデンブルグは、ナチスの政権獲得よりもホーエンツオレルン家の復活を望んでいたと思うよ。

SPDだってビスマルクがクーデターで潰そうとしたのをヴィルヘルム二世が止めたのだから
ホーエンツオレルン家に借りが有ると言えば有るのよ。
ドイツ帝国時代にはSPDは議会で最終的にはほとんどの予算案を通過させているし
WW1勃発時には軍事公債発行決議にも賛成している。
160世界@名無史さん:2011/02/25(金) 10:31:33.51 0
リビアでのカダフィ派傭兵と反体制派の内戦は、
スパルタスク団が起こしたベルリンでの反乱みたい。

リビアの傭兵もスゴイけど、ドイツのフライコアvs革命派の戦いもスゴイ。

フライコアも一種の傭兵みたいだし。
161世界@名無史さん:2011/02/25(金) 22:26:12.19 0
>>スパルタスク団
惜しいw
162世界@名無史さん:2011/02/26(土) 00:10:14.10 0
ルーマニア人かよw
そしてルーマニアで思い出すのは第一次世界大戦で敵になったホーエンツォレルン=ジグマリンゲン家・・・
163世界@名無史さん:2011/02/26(土) 04:31:55.57 0
>>158
ルードヴィヒ三世はドイツ諸侯の中でまっ先に退位して、帝国諸州の君主制崩壊の切っ掛けを作った人だしな

でもまぁ、バイエルンでも32年のパーペン・クーデターに対抗して「国家による州への弾圧に反対する」という名目で
ルプレヒト王子をひとまず州統監として担ぎ出そうという動きがヴィルヘルム・ヘーグナーを中心に存在してた
州政府のヘルト首相が「担ぎ出したら逆に州ごと潰される口実にされるんじゃねぇか?」と迷ってる間に立ち消えたけど
164世界@名無史さん:2011/02/26(土) 08:29:48.59 0
帝政期〜ワイマール期にかけてのドイツの右派・保守政党と言えば
ドイツ保守党-国家人民党と自由保守党-ドイツ人民党が上げられる。

しかし普通の右派・保守政党と言えるのは、自由保守党-ドイツ人民党
まででドイツ保守党-国家人民党は、今の感覚では極右政党になってしまう。
国家人民党もドイツ人民党もワイマール期には帝政復古を唱えており、
似てはいるが、国家人民党は、ドイツ保守党時代から強固な反ユダヤ
主義政党であり、ドイツ政界で初めて公然と反ユダヤ主義を唱えたのは
ドイツ保守党である。

この両党とも支持基盤は似ており、ユンカーと工業界であった。
そしてドイツ保守党の方により東部ユンカーの支持が多く、高関税の維持を
求める声が強かった。東部ユンカーは、帝政ロシアの飢餓輸出によりロシア
産の穀物との恒常的な価格競争にさらされていた。品質ではドイツ産の穀物
が圧倒しても、ロシアの飢餓輸出には高関税がないとユンカーは太刀打ち出
来なかった。
また、価値観でもドイツの急速な工業化と金融機関の台頭に反感を持ち、
プロイセンによる統一までドイツ金融界で力を持っていたユダヤ系金融機関
特にロスチャイルド系金融機関への激しい反感を持っていた。
その背景としてドイツ農民は大土地所有者から中小農民までドイツの工業化の
時期に高利貸しからの借り入れで規模の拡大や機械化、化学肥料農法への転向
を行っていた為に多くの農民が抵当流れとなり高利の金融業者に土地を奪われ
た経緯があった。当時のドイツ農村部では高利貸しとユダヤ人は同一視されていた。

工業界でもクルップやジーメンスと言った軍需官需を満たす保守的な国内志向の
製造業者は、ドイツ保守党の大きな支持母体となった。クルップやジーメンスは
ヴィカースやヴァンデルやGEといった外国の軍需産業や電機メーカーとも競争し
ていた為に工業界に有りながら高関税を求めていた。

一方海外市場の開拓を目指す新興の製造業者は、低関税を支持し自由保守党や
国民自由党を支持していた。
165世界@名無史さん:2011/03/06(日) 22:39:10.03 0
1910年代辺り、一次大戦直前のドイツの経済や市民の暮らしはどのような感じだったのでしょうか?
166世界@名無史さん:2011/03/07(月) 11:03:18.13 0
>>165はマルチ
167世界@名無史さん:2011/03/07(月) 13:44:18.16 0
バレた
168世界@名無史さん:2011/03/13(日) 23:38:08.56 0
世界中から来てるぞ

http://www.groupon.jp/cid/7995/
169世界@名無史さん:2011/03/14(月) 02:17:24.35 0
ドイツで革命が発生する直前に、ヴィルヘルム二世はカイゼルとプロイセン国王を退位し、
皇太子と一緒にオランダに亡命する事になったが、エーベルトとマックス公は、話合って
摂政は、憲法にのっとり皇太子のすぐ下の弟のアイテル・フリードリヒ公が就く事になる
と話し合っている。

また、エーベルトはマックス公から帝国宰相職を引き受ける時に、マックス公に
摂政になるように要請したが、断られている。
既にシャイデマンがドイツ共和国成立を宣言した後の事であり、エーベルトとしては
帝政の維持をまだ考えていた。
170世界@名無史さん:2011/04/02(土) 10:24:33.56 0
<福島第1原発>国境のスイス2州がフランス原発停止要求
毎日新聞 4月1日(金)10時38分配信

【ジュネーブ伊藤智永】スイス北部のフランス国境に接する
バーゼル、ジュラ両州は1日までに、
フランスに対し、福島第1原発事故を受けて、
仏アルザス地方の同国で最も古い
フッセンハイム原発の運転を一時停止するよう要求した。

声明によると、同原発2基は1977年、78年から稼働しているが、
「欧州でも最も活発な地震帯に位置しているため、
安全性を再評価する必要がある」という。
同原発からの距離はバーゼル州が約40キロ、ジュラ州が約60キロ。

スイスのロイトハルト・エネルギー相は、
サルコジ仏大統領の訪日に同行した
コシウスコモリゼ仏環境相の帰国を待って会談し、
外交案件として提起する。

フランス原子力安全局は
「今のところ、フランスで閉鎖が必要な原発はない」と
要求を突っぱねている。
171世界@名無史さん:2011/04/12(火) 20:13:14.76 0
この前初めて欧州行って
ニュルンベルクで自由時間があったから
町のアパートみたいな所の郵便受け見てたら
〜・G・v・〜っていう名前があって
これが本物のドイツ貴族か!って興奮したw
172世界@名無史さん:2011/04/14(木) 21:21:49.98 O
プロイセン時代にヴィクトリア女王の娘を娶った理由は?
173世界@名無史さん:2011/04/23(土) 14:45:20.93 0
>>170
フランスは原発大国だが、
自国の中心部に原発を決して設置しない。

ドイツ、ベルギーとの国境すれすれに建設している。
アルザスの住民は
ホントバカだな。
祖先はドイツ人なのに、
自分たちはフランス人だと思いこんでる。

あげくの果てには、
国境沿いだと言うことで、原発なんて造られてしまって。
174世界@名無史さん:2011/04/24(日) 12:41:37.20 0
クレマンソーがベルサイユ条約で執拗にドイツの弱体化を画策してたのはなぜ?
単純にビスマルク以降のドイツに心底むかついていただけの理由?
175世界@名無史さん:2011/05/20(金) 13:23:20.14 0
ドイツは共和制に移行して以降、ロクな国にならんな。
176世界@名無史さん:2011/06/03(金) 20:23:27.67 0
>>174
ドイツに対するフランスの地盤沈下をヒシヒシと感じていたからだろう。
1940年にはフランスの兵役適齢男子の数はドイツの半分になると予想されていた。
177世界@名無史さん:2011/06/26(日) 10:02:25.20 0
ho
178世界@名無史さん:2011/07/04(月) 09:07:34.17 0
179世界@名無史さん:2011/07/06(水) 03:08:42.94 0
フランス人はセクースはしても昔からゴムをつけていたの?
180世界@名無史さん:2011/07/16(土) 10:11:37.80 0
ところで、何故に異国の地であるフランス・ベルサイユ宮殿で
ドイツ皇帝の戴冠式を行ったの?しかも、まだ戦時中だったわけでしょ?
181世界@名無史さん:2011/07/16(土) 19:11:00.10 0
そりゃフランスに最大限の屈辱を与えるためでしょ。
自国が戦争している相手の君主が自国の宮殿で戴冠式するなんてこれほどの屈辱はない。
182世界@名無史さん:2011/07/17(日) 07:49:46.26 0
>>1
第二帝国時代だろ?
それならば、中央党が悪の権化の一人
183世界@名無史さん:2011/07/17(日) 07:55:38.83 0
>>174
フランスの常習犯化となってしまった悪癖、フランスの領土膨張主義が原因
184世界@名無史さん:2011/07/17(日) 08:08:50.02 0
>>171
von 〜(地名)、tu 〜(地名)付きをみれば、ドイツ貴族、
とはいっても、現代の世に入って、平民でもわざと von 等を付けて、
名乗るケースもあるからな、真贋を見極めるには、よほどドイツ史に
精通していなければ区別が付かん

>>172
ハノーファー王国の併合だろ

>>173
フランスの同化政策とドイツ諸邦の絶対王政主義が、
エルザス=ロートリンゲンの住民のがフランスに心変わりする理由のひとつ
185世界@名無史さん:2011/07/17(日) 17:39:46.19 0
第三帝国で恐縮だが、ナチスに提灯があるのは何故?
http://www.jiji.com/jc/d4?d=d4_topics&p=hit100-jlp09968344
186世界@名無史さん:2011/07/17(日) 19:11:10.46 0
>>185
19世紀から既に日本の提灯が大量輸入されていて
催しごとに使われていたと聞いたことがある。
187世界@名無史さん:2011/07/17(日) 21:10:45.43 0
なぜ提灯なのだろうかw
188世界@名無史さん:2011/07/21(木) 03:31:03.44 0
ハロウィンのかぼちゃ提燈じゃ滑稽だから
189世界@名無史さん:2011/07/21(木) 09:37:33.84 0
>>184
>ハノーファー王国の併合だろ
いや、ビクトリア女王の旦那のドイツ統一の願いから
190世界@名無史さん:2011/07/22(金) 03:15:54.52 0
いや、モルトケの深慮遠謀による。
ドイツの統一はなったけど、
フリードリヒ3世の早逝は、皇后と帝国にとっては不幸だった。
191世界@名無史さん:2011/07/30(土) 10:21:40.26 0
もしもビクトリア女王が男でハノーファー王国との同君連合が続いていたら?
もしもホルシュタインがロシアとの同君連合を続けていたら?
192世界@名無史さん:2011/07/30(土) 16:02:02.12 0
質問は1レスにつき1つまでとしてください。
193世界@名無史さん:2011/07/30(土) 20:06:39.35 0
ヴィルヘルム2世の嫡孫ってナチス・ドイツの
フランス侵攻の時に負傷して
亡くなっていたんだね。知らなかった。
194世界@名無史さん:2011/08/01(月) 00:17:04.04 0
>>193
この方ですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3_(1906-1940)

ヴィルヘルム・フォン・プロイセンの夫人の父方は、旧姓から推測すると
フィレンツェの名門サルヴィアーティ家に縁のある一族のようですし、
母方もハンブルクの著名な資産家だったようですが、
そうだとしても王位継承権を失わせしめるほどの貴賎結婚なのですね。
しかも既に失われた王位の継承権を。
195世界@名無史さん:2011/08/01(月) 02:11:51.24 0
ホォーエン・ツォレルンのホォーエンとはどういう意味なのですか?
196世界@名無史さん:2011/08/01(月) 17:49:26.35 0
「高い」
197世界@名無史さん:2011/08/02(火) 11:53:24.94 0
高い年貢をぼったくる家
198世界@名無史さん:2011/08/02(火) 20:35:35.23 0
訊くならむしろツォレルン(zollern)の方かと。
hohenなんてどんなに初歩的な辞書にも載っているだろうに。
199世界@名無史さん:2011/08/03(水) 11:44:25.50 0
「城のある高い土地」?
「高貴な」?

どちらの意味だったのでしょう?
200世界@名無史さん:2011/08/03(水) 11:45:06.90 0
ツォレルン(zollern)が発祥地の地名でしょ?
201世界@名無史さん:2011/08/04(木) 23:28:35.68 0
高地ドイツ語、低地ドイツ語のようなものなのか?
202世界@名無史さん:2011/08/05(金) 01:57:38.29 0
>>37
特別列車にホーエンツォレルン家の財産を満載してオランダに亡命したんじゃなかったの?
203世界@名無史さん:2011/08/05(金) 14:06:53.36 0
そもそも、何で革命が起きたのかわからない。
ちょっと戦争に負けそになっただけでしよ? しかも、ロシアには大勝利だった訳だし。
204世界@名無史さん:2011/08/05(金) 14:49:08.24 P
1918年10月12日から24日間、カトラ火山がVEI4からVEI5の大規模噴火してる
食糧不足のおり大量の降灰見たら、そら不安になるわ。
205世界@名無史さん:2011/08/05(金) 15:12:02.60 O

【竹島問題】独島:「日本は過去の過ちを反省していない」〜ドイツ紙が指摘[08/04]

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1312482299/

ドイツは反日 親韓

206世界@名無史さん:2011/08/05(金) 22:50:34.48 0
>革命
社会主義者の跳ね上がりにシャイデマンがパニックになって
共和制宣言を勝手にやってしまったから。
エーベルトは「なんてことをしてくれたんだ!」とシャイデマンに
詰め寄ったそうな。

と言ったら乱暴に過ぎるか。
207世界@名無史さん:2011/08/06(土) 01:44:28.86 O
>>205
記者があの国の人でクソワロタ
自演だろこれ
208世界@名無史さん:2011/08/06(土) 06:25:31.51 0
>>203
もともとドイツ国内でも、連合国でもヴィルヘルム2世が退位して皇太子が即位すべきだと考えていただけで、
ホーエンツォレルン家をどうこうする気はなかった。
209世界@名無史さん:2011/08/06(土) 19:40:59.26 0
シャイデマンの共和制宣言ってその瞬間が撮影されているんだよな。
窓を大きく開けて叫んでいる場面。
210世界@名無史さん:2011/08/08(月) 08:47:25.17 0
ほやほやの新スレへ遊びに来てや〜
ディートリッヒ、リーフェンシュタールの生涯、著書は、確実にドイツ帝国に関する俺らのイメージに影響してるよな。
↑の2人は1970年代に2回来日した親日家でもあったな。自分たちの故国ドイツを嫌い抜いてたらしいが・・ドイツへの愛憎まじる複雑な感情を日本に投影させてたのか?!

【モロッコ】マレーネ・ディートリッヒ【リリー・マルレーン】 2
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/kinema/1312696446/l50
【伝説】マレーネ・ディートリッヒ/グレタ・ガルボ【歴史】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1312639628/l50
レニ・リーフェンシュタール
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1259119502/101-200
211世界@名無史さん:2011/08/11(木) 00:31:18.17 0
ドイツって年齢による待遇差があるみたいだね
ハイデガーを訪れた日本人がハイデガーに
どちらが年上か?と聞かれて
ハイデガーは年上の方を上座に案内したらしい
てっきり東アジア文化圏だけの習慣だと思ってたから驚いた
212世界@名無史さん:2011/08/11(木) 01:10:04.79 P
ハイデガーはそのころ正法眼蔵とかハマッてたからな
213世界@名無史さん:2011/08/11(木) 09:29:59.53 0
>>211
指揮者のカール・ベームも晩年日本に来て
「日本は敬老の精神があって大変よろしい、わが国では失われたが」
って言ってたな
214世界@名無史さん:2011/08/14(日) 21:09:37.63 0
ベルリンの旧皇宮が復元されるらしい。
めでたいことだ。旧皇室の子孫を招いて式典とかするのかな。
215世界@名無史さん:2011/08/16(火) 01:36:38.51 0
独・露・墺の帝国が潰されたのはユダヤ人=ロスチャイルドの陰謀だろ。
さんざん自分らをいたぶり利用してきた帝国の解体こそユダヤの宿願。
216世界@名無史さん:2011/08/16(火) 02:06:55.16 0
215番ただいま妄想中
217世界@名無史さん:2011/08/19(金) 10:04:26.08 0
利用してきたというより守られてきただしな。
政治とエリートが結びついて安定していたからオスマンに介入する
口実としての(そしてイギリス・フランスの介入を避けるための)シオニズムを
援助し起こすことができた。
後でその成果ごとイギリスに分捕られたのは間抜けだが。
218世界@名無史さん:2011/09/14(水) 17:03:02.34 0
age
219世界@名無史さん:2011/09/17(土) 23:08:36.56 0
第一次大戦はロスチャイルドが工作して引き起こしたようなもんだろ。
見事に独・露・墺の三大帝国を潰し、見せかけの民主主義、実はロスチャイルド
による間接支配を確立したのだ。
220世界@名無史さん:2011/09/17(土) 23:09:49.20 P
陰毛
221世界@名無史さん:2011/09/19(月) 08:24:01.09 0
第一次世界大戦の敗因って何?直接的にはゼネストで機能麻痺になった事だろーけど、
ボリシェヴィキ政権とは有利に手打ち出来たんだから、妙な話だよね。訳分からんわ。
そもそも、サライェボの時、オーストリアを制御できんかったのか。ま、戦争を欲してた、
と言われればそれまでだが、過信があったんかね。戦争しなけりゃ、自然に産業で欧州の
覇者になれていたよーな。世界を手に入れる事も夢じゃなかったと思われ。
222世界@名無史さん:2011/09/19(月) 12:19:26.98 0
>>206
>>208
だとしたら、共和制を撤回して立憲君主制で新憲法作るわけにはいかなかったのか?
エーベルトは国防軍と手を組んだんだし。
223世界@名無史さん:2011/09/19(月) 22:32:25.37 0
それができれば、一番良かったんだろうね>立憲君主制
敗戦後の処理で、カイザーが逃げたってのが、やっぱり一番まずかったね。
そんなカイザー「だけ」に忠誠を誓うヒンデンブルグの頑迷さも一因か。
224世界@名無史さん:2011/09/21(水) 18:31:44.45 0
ヒンデンブルクは二期も大統領をつとめ、二期目は議会無視で統治してたのに、
なんでそのとき帝政復古をやらなかったんだろう?
225世界@名無史さん:2011/09/21(水) 23:19:02.60 0
大統領には、流石に改憲の権限はなかったように思う。ヒトラーでさえ憲法停止がギリだったし。
それに加え、ヴィルヘルム2世以外に国を託す気はなかったんだろう。息子だろうが甥だろうが。
やっぱり奴がオランダになんか逃げなきゃ、いろんな意味でナチズムの台頭はなかっただろうな。
226世界@名無史さん:2011/09/21(水) 23:28:41.54 0
まぁ棺おけに片足突っ込んだようなおじいちゃんに頼んなきゃならない時点で、
国家システムとして終わりがちかかったんだろうな。
227世界@名無史さん:2011/09/22(木) 01:16:58.87 0
>>221
攻撃よりも防御が強かったからではないかと
東部戦線から呼び寄せた戦力と5年間にわたって培った戦術をもってしても、
本格的な戦線突破まで至らなかったカイザー戦。
もはや消耗戦に耐え切れなかった独墺と、むしろ出血を望んだ英国、
新規参入の経済大国アメリカ相手ではもう兵士の士気が保てなかった

一時的に勝利したドイツ軍が占領地で、ありあまる敵の補給物資の山をみてかえって絶望しちゃったらしいね
228世界@名無史さん:2011/09/22(木) 01:25:43.77 0
アメリカの参戦に違和感を感じる。
わざわざ、海超えてちょっかい出してヨーロッパのパワーバランス崩壊させて
戦後はまた引きこもるし、迷惑だな。
229世界@名無史さん:2011/09/22(木) 23:18:37.40 0
第一次大戦が終わって何ができたか考えてみれば
大戦が起こされた意図がよく見えてくるよ。
230世界@名無史さん:2011/09/23(金) 01:21:45.30 0
第一次大戦直後にできたものといえば
コーヒー牛乳がその頃だそうだ
231世界@名無史さん:2011/09/23(金) 11:37:17.52 0
アメリカ史読めば
ドイツ軍との事故で死者が出ても回避外交とか、相当参戦嫌がってるよ

WWUと違って、手柄挙げた所で世界の主導権握れる訳じゃ無し
米国青年の命費やしてイギリスの覇権を利するのは本来有り得ないこと

無制限作戦出した時点でドイツの政治的敗北
参戦は不可避だったと思ってる人が居るけど間違い
232世界@名無史さん:2011/09/23(金) 12:49:59.16 P
WWI後でさえドル地位上昇に従う世界のリーダー扱いを延々嫌がったもんな。
233世界@名無史さん:2011/09/23(金) 16:55:49.15 0
アメリカは新大陸に引きこもっていてくれた方がよかったわ。
234世界@名無史さん:2011/09/26(月) 07:27:02.06 0
アメリカが出てくると一気に戦争がつまらなくなるもんな
235世界@名無史さん:2011/09/29(木) 22:10:33.14 0
結局いつもイギリスの味方なんだよ。
子は親に逆らえん。
236世界@名無史さん:2011/09/29(木) 22:14:33.62 0
ジェームズ・マディソン「えっ」
237世界@名無史さん:2011/10/09(日) 19:37:48.94 0
>>225
ウィルヘルム2世も、ナチ時代になってもオランダから帰国してないんだよな。
第二次大戦でオランダがドイツ軍に占領されてからも。

ぶっちゃけ、元皇帝としてはオーストリア出身の一伍長が独裁者になった状態を、
どんな思いで見てたんだろう?
238世界@名無史さん:2011/10/09(日) 20:38:00.07 0
ヴィルヘルム2世は
ヒトラー個人には警戒感を持っていたようだけど
フランス降伏に際しては祝電をヒトラーに送ってた。
ヴィクトリア女王の孫に対してという意味だろうけど
チャーチルから「英国に疎開されては?」と申し出されても断っている。
それと、ボック元帥が元皇帝の邸前で
「ドイツ帝国皇帝に敬礼!」と戦車を揃えて栄誉礼をやったので
その時には喜んだそうな。
239世界@名無史さん:2011/10/09(日) 20:44:50.80 0
クリミアを占領したマンシュタイン元帥に
ヴィルヘルム皇太子が短剣を贈った時
副官が「何の為に皇太子はこれを贈られたのでしょうか」と訊かれたマンシュタインは
「私にも分からんよ」とそっけなく答えている。
ホーエンツォレルン宮廷で小姓を務めたこともあるマンシュタインなら
喜びそうなもんだと思うけどな。
240世界@名無史さん:2011/10/09(日) 20:52:36.71 0
小姓というと、あっちの世話もか……
241世界@名無史さん:2011/10/09(日) 22:17:16.25 0
皇后の裳裾持ちだよ>小姓マンシュタイン

242世界@名無史さん:2011/10/09(日) 22:20:09.48 0
欧州宮廷の女性達の長い衣装、絶対裾にほこりやごみが付くと思う。
それを防ぐ為の裳裾持ちではあるんだけど。
243世界@名無史さん:2011/10/10(月) 15:10:18.63 0
アメリカが第1次大戦に参戦したのは、戦争が進むにつれてイギリスやフランスの債権を大量に持つようになったので、
貸し倒れになるのを恐れたと言うのが一番大きな理由。
244世界@名無史さん:2011/10/16(日) 11:17:03.73 0
ウィルソンがあんまり厳しいこと言わなかったら、ホーエンツォレルンの皇位は守れたのだろうか?
245世界@名無史さん:2011/10/16(日) 18:37:56.07 0
ドイツ革命が始まる前に連合軍に降伏すれば、何とかなるのでしょうね。

革命後の退位でも、プロイセン国王は、なんとかなりそうなモンだが…

そのプロイセン王位もヴィルヘルム2世と皇太子では無理。
皇太子も西部戦線の軍団司令官で大量の死傷者を出しており非常に評判が悪かった。

ヴィルヘルム2世の次男でプロイセン第一近衛歩兵連隊の連隊長を務めている
アイテル・フリードリヒ皇子が、プロイセン国王として有力だった。
アイテル・フリードリヒ皇子が国王になれば近衛連隊長としてを自ら
第一近衛歩兵連隊を指揮してベルリンのボルシェビキやスパルタクス団と戦えるという算段もあった。

エーベルトとグレーナー参謀次長は、西部戦線の野戦軍10個師団をベルリンに進軍させて、
スパルタクス団や革命的オプロイテ、独立社民党の武装解除や逮捕を企んでいた。

SPDのエーベルトやシャイデマンもアイテル・フリードリヒ皇子が、プロイセン国王を継ぎ、
ドイツ帝国の摂政は、前宰相のマックス公が継ぐ事を望んでいた。

もっとも当初はSPDは、帝国摂政もアイテル・フリードリヒ皇子が継ぐ事を要請していたが、
ベルリンまで革命が押し寄せ、独立社民党や革命的オプロイテ、スパルタクス団や
武装した市民が跋扈する情勢になってからは、よりリベラルな前宰相のマックス公に
摂政位任官を要請していた。
246世界@名無史さん:2011/10/17(月) 22:09:06.75 0
ヴィルヘルム2世のとーちゃんが早死にしてなけりゃねぇ・・・
247世界@名無史さん:2011/10/18(火) 00:23:41.55 0
ん?にーちゃんの方じゃなくて?
248世界@名無史さん:2011/10/18(火) 10:49:28.25 0
ヴィルヘルム1世の性格ってどんなもんですか?
Wikiペディアは情報少なくて・・・。
249世界@名無史さん:2011/10/19(水) 22:27:22.70 0
>>248
俺もろくに知識ないけど、1848年革命の時は
仮借ない弾圧で嫌われた。(多分ウィキペディアにも書いているよね)

でも騎士道精神を重んじる古風で実直、誠実な性格。
ビスマルクに対するように一旦信頼した臣下には
とことん信頼を寄せ続けて、ビスマルクのような皮肉屋でも
皇帝崩御の報を議会で聞いた時には泣いたらしい。
250世界@名無史さん:2011/10/19(水) 22:30:32.27 0
森鴎外『舞姫』にはさりげなくヴィルヘルム1世が一節だけ登場する。
どうも鴎外は皇宮の窓辺にたたずむ老帝を実見したらしい。
251248:2011/10/19(水) 23:39:12.93 0
>>249
なるほど。
顔付きどおりの質実剛健で、思慮深い男だったわけですね。
やはり皇帝や王という存在は自分は象徴的存在であるがゆえに、
人選がモノをいいますね。特にビスマルクやモルトケはとてつもなく
優秀でしたし・・・(明治日本も彼等に倣って強くなった)

プロイセンは軍国主義国家で、第一次大戦の敗北もこの国のせいだみたいな
風潮がありましたが、私はプロイセンがドイツをまとめあげた時代が一番輝いていたと思います。
252世界@名無史さん:2011/11/09(水) 04:18:33.51 0
たしかに
253世界@名無史さん:2011/11/09(水) 10:10:43.91 0
×プロイセンがドイツをまとめあげた時代
◯プロイセンがドイツを占領していた時代
254世界@名無史さん:2011/11/24(木) 20:26:22.44 0
【時事】来年1月14日に投開票される総統選挙で、
親民党のSohn主席(69)は24日、出馬を届け出た。
これにより再選を目指す与党・国民党のPferd総統(61)、
野党・民進党のFest主席(55)ら3候補が出そろった。
12月16日の公示を前に、選挙戦は早くも終盤に突入した格好で、
3氏の争いは一段と熱を帯びそうだ。(時事通信)
255世界@名無史さん:2011/12/02(金) 20:35:21.16 0
しかし、フランス・ドイツ・オーストリア・ロシアと
ユダヤ人を迫害した王家は全て滅ぼされ、
イギリス・オランダとユダヤとずぶずぶだった王国は
王家がちゃんと存続してるってのはすごいな。
256世界@名無史さん:2011/12/02(金) 23:18:39.75 0
>>255
> しかし、フランス・ドイツ・オーストリア・ロシアと
> ユダヤ人を迫害した王家は全て滅ぼされ、
> イギリス・オランダとユダヤとずぶずぶだった王国は

びっくりするほど認識間違ってるなお前。
これが陰謀論脳ってやつか…、恐ろしい病気だ。
257世界@名無史さん:2011/12/03(土) 00:22:42.20 0
ヴィルヘルム2世はどうなの?アレは精神病だったって言ってる歴史学者もいるけど・・・
258世界@名無史さん:2011/12/14(水) 20:41:45.74 0
>>257
朕に対して斯くの如き評論をこころむるものは、朕については全然無知識なるものなり
即ち、朕が世界人類永遠の平和と幸福を保證せんがために、神の特命によりてホーヘンツォルレルン家に生まれ
独逸人の皇帝なれるものなることを、全く知らざるものなり。
259世界@名無史さん:2011/12/23(金) 13:16:16.69 0
↑本人がいったの?
260世界@名無史さん:2011/12/25(日) 15:16:51.37 0
『朕が作戦』(独帝カイゼル著(?),大正3年)より引用。

「フランスの一軍事探偵がカイゼル陛下出陣の御不在に乗じ苦心惨憺ポツダム宮殿の奥深く忍び込み…中略)カイゼル殿下の秘密書其れをクリユール氏が
仏訳して私費を投じ出版公頒したのが即ち本書である」らしい。

真偽不明だが、この人、書類の余白にメモ書きを残す習慣があって、その中身はこれとそっくりな内容だったりする。
261世界@名無史さん:2012/01/31(火) 11:41:48.24 0
知らなかった。
262世界@名無史さん:2012/01/31(火) 20:07:04.63 0
ヴィルヘルム2世がこんな文語的な言い回しを本当にしたの?
ドイツ人なのに?
263世界@名無史さん:2012/01/31(火) 23:18:42.19 0
何言ってんだこいつ
大正時代の翻訳だからだろ
264世界@名無史さん:2012/02/01(水) 21:48:03.14 0
ドイツ人が現在の連邦共和国を捨て、ホーエンツォレルン家を再び、
国王として戴き、王国として復活することを切に願っている。
265世界@名無史さん:2012/02/01(水) 23:51:12.18 0
ドイツの王政復古では王様の権限を如何するかで議論になるだろうな。
スウェーデンでは、さらに国王の政治的役割を少なくする議論があるらしい。

ビスマルクが、対議会クーデターを検討していたのをヴィルヘルム2世が潰したんだから。
ビスマルクは、メチャクチャSPDが議席を拡大させる事を警戒している。

それを考えるとSPDは、ホーエンツォレルン家に借りが有るかもなw
266世界@名無史さん:2012/02/02(木) 00:09:16.53 0
ヴィルヘルム2世はホモ
267世界@名無史さん:2012/02/02(木) 08:42:18.44 0
ビスマルクの肉声発見=エジソン蓄音機で録音

 【ベルリン時事】19世紀にドイツ統一を実現した鉄血宰相ビスマルク(1815〜98年)の
肉声を収録した蓄音機のろう管(音声記録用のろうを塗った筒)が米ニュージャージー州にある
発明王エジソン(1847〜1931年)の研究所跡で発見された。現存する唯一のビスマルクの
肉声で、ドイツ・ビスマルク財団のラッペンキューパー事務局長は「センセーショナルな発見」と話している。

 エジソンは開発した新型蓄音機を売り込むため、助手を欧州に派遣。助手は1889年10月7日に
ドイツ北部ハンブルク近郊のビスマルク宅を訪れ、声を録音するよう勧めた。ビスマルクはドイツ語と
英語で歌い、ラテン語で詩を朗読。さらに、普仏戦争(1870〜71年)で破ったフランスの国歌を口ずさんだ。

http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2012020200093
268世界@名無史さん:2012/02/02(木) 21:44:32.18 0
>ドイツ語と英語で歌い、ラテン語で詩を朗読。さらに、普仏戦争(1870〜71年)で破ったフランスの国歌を口ずさんだ。

これは当時のドイツの上層階級の間では普通のことなのかね。
269世界@名無史さん:2012/02/02(木) 22:06:48.56 0
270世界@名無史さん:2012/02/02(木) 23:27:23.20 0
スペイン継承戦争から第一次大戦までの間、ヨーロッパの外交語はフランス語だったから、
その頃ならどの国でも貴族階級はフランス語必須だったはず
271世界@名無史さん:2012/02/02(木) 23:45:23.59 0
ドイツ連合王国
272世界@名無史さん:2012/02/03(金) 00:24:36.68 0
>>270
セールスマンの前で歌うのも必須?
273世界@名無史さん:2012/02/03(金) 00:31:59.38 0
>>272
自分の声が記録されると考えたら、自国語しか話せないような人間と思われるのは嫌だろう。
274世界@名無史さん:2012/02/03(金) 10:19:59.69 0
ラテン語が堪能であることは、政治・外交上はあまり意味がないのかな。
275世界@名無史さん:2012/02/03(金) 13:00:35.92 0
>>274
当時的には必須教養の一つだから、政治外交的どころか、その基盤になる人間関係の時点で
大いに意味があるだろ。
276世界@名無史さん:2012/02/03(金) 14:49:37.45 0
ほう。やはりローマ教皇の権威は今と比べようもないほど強固なものであったと?
277世界@名無史さん:2012/02/03(金) 18:13:24.22 0
>>276
ローマ教皇とか関係ないから。
ラテン語ができる=古典の素養がある、ってこと。
当時古典の知識は教養そのもの。

すなわちラテン語ができる=きちんとした学問を受けた人

って話だ。
278世界@名無史さん:2012/02/03(金) 22:54:58.34 0
>>276
古くは大学の講義は全てラテン語で行われたことぐらい知っとけ。

そして、オックスフォードでラテン語が必修でなくなってからしばらくすると、
イギリスの上流階級の文化に大変動が起こったことも。
279世界@名無史さん:2012/02/04(土) 02:04:22.85 0
ドイツのお話なんですが。
280世界@名無史さん:2012/02/04(土) 13:54:23.10 0
>>278
その大変動の中身が重要なのであって、その部分は知らないのか?
281世界@名無史さん:2012/02/04(土) 18:40:13.44 0
>>280
そこまで教えてもらったらあとは自分で調べる、という積極的な学問をする意識はないのかね?

ああ無いのか、すまんすまん。
282世界@名無史さん:2012/02/04(土) 19:36:56.69 0
>>279
ドイツでも状況同じってことすら理解出来ないオバカさん、乙
283世界@名無史さん:2012/02/04(土) 20:51:17.77 0
それでもドイツの例が挙げられないニワカ識者さん
284世界@名無史さん:2012/02/04(土) 21:40:22.13 0
279=280=283=包茎
285世界@名無史さん:2012/02/04(土) 22:51:08.99 0
雰囲気悪いわぁ。
286世界@名無史さん:2012/02/05(日) 23:06:02.51 P
ドイツ系のスレは機能不全にしないと我慢ならない馬鹿が沸くからな
287世界@名無史さん:2012/02/06(月) 00:28:41.38 O
外人「ジャップはマジでこんなもの使ってるの?やっぱ土人だろ」 和式便所に失笑の嵐
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1328431247/

外人「ジャップはマジでこんなもの使ってるの?やっぱ土人だろ」 和式便所に失笑の嵐
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1328431247/

外人「ジャップはマジでこんなもの使ってるの?やっぱ土人だろ」 和式便所に失笑の嵐
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1328431247/
288世界@名無史さん:2012/02/06(月) 21:12:46.38 0
>>264
ない。
289世界@名無史さん:2012/02/06(月) 23:50:30.88 0
とは言い切れない。
そもそもドイツのような由緒正しき歴史のある国家は、
共和制より君主制の方がアイデンティティを保つのに優れる。
290世界@名無史さん:2012/02/07(火) 03:59:26.23 0
ホーエンツォレルン家はねえよ。
まだハプスブルク担いだほうが価値がある。
291世界@名無史さん:2012/02/07(火) 11:26:12.71 0
まず連邦解体だな
292世界@名無史さん:2012/02/07(火) 21:19:00.44 0
第一次世界大戦が起きずにドイツ帝国が続いていたらドイツはどうなっていたのかな?

293世界@名無史さん:2012/02/07(火) 21:26:04.59 0
シャイラーの『ベルリン日記』読んだら
独軍フランス侵攻のときに自軍による無差別爆撃の跡を見て
「こんな酷いことをやるのはプロイセン人だ!」と毒づく
バイエルン出身の兵士がいたらしい。

同じドイツ内でも元々君臨する王朝が違うんだし、ましてや
ドイツとオーストリアのように国家まで本来別だったら
気質も随分違うんだろうな。
294世界@名無史さん:2012/02/07(火) 21:45:39.11 0
まぁ、どんな時代どんな国でも偽善者はいるもんだ
295世界@名無史さん:2012/02/08(水) 12:56:20.53 0
その解決法はたった一つしかないだろう。
神聖ローマ帝国への回帰だ。
296世界@名無史さん:2012/02/08(水) 17:12:49.45 0
軍事と違って政治ならプロイセンよりもオーストリアに分があるよな
297世界@名無史さん:2012/02/08(水) 21:55:19.45 0
>>296
まずは、WW1開戦時のオーストリアの無知無能っぷりをお勉強することをお勧めする
298世界@名無史さん:2012/02/08(水) 23:02:44.39 P
>>297
無知無能と道理云々は別だろ
299世界@名無史さん:2012/02/11(土) 08:25:06.87 0
ヴィルヘルム・フリードリッヒ・ルートビッヒ・フォン・プロイセン

長すぎだし、国の名前入ってるし。
300世界@名無史さん:2012/02/16(木) 22:07:30.09 0
ドイツよ、全てに冠たる、
世界に冠たる我がドイツよ!
マース川からメーメル川、
エッシュ川からベルト海峡まで
護りの為めに いつも
兄弟の如く団結せば
ドイツよ、汝は全てに冠たる、
世界に冠たる我がドイツなり!

Deutschland, Deutschland über alles,
Über alles in der Welt,
Wenn es stets zu Schutz und Trutze
Brüderlich zusammenhält,
Von der Maas bis an die Memel,
Von der Etsch bis an den Belt
Deutschland, Deutschland über alles,
Über alles in der Welt.

301世界@名無史さん:2012/03/08(木) 17:45:49.95 O
ウルフ氏ね
302世界@名無史さん:2012/03/10(土) 16:20:58.72 0
男同士のスクラム精神を感じたいあなたに

http://www.youtube.com/watch?v=G4489ozLeSc&feature=related


血で農地を染め上げたいあなたに

http://www.youtube.com/watch?v=ELUfqABU2Ew&feature=related


303世界@名無史さん:2012/04/23(月) 23:26:46.12 0
304世界@名無史さん:2012/05/11(金) 13:31:29.22 0
te
305世界@名無史さん:2012/05/26(土) 12:24:12.05 0
306世界@名無史さん:2012/05/26(土) 12:25:25.90 0
307世界@名無史さん:2012/05/27(日) 18:00:00.92 0
くだらね。
これで世界史理解した気になってるやつがいるってことに虫唾が走る。
308世界@名無史さん:2012/06/27(水) 17:59:27.17 O
>>307
貴方のくだらないレスのおかげで一月スレが停止しました
おめでとう
309世界@名無史さん:2012/07/16(月) 01:01:43.02 0
ホーエンツォレルン家って元々はニュルンベルクの城伯(Bruggraf)だったらしいね
310世界@名無史さん:2012/08/05(日) 17:01:07.46 0
保守
311世界@名無史さん:2012/08/08(水) 21:55:35.10 0
ホーエンツォレルン家はのもともとの名前は、ツォレルン家。
ゲルマン人のアラマンニ族の有力部族長だったらしい。

アラマンニ族は、フランク族やザクセン族と同じで諸部族・諸民族の離散集合
によって形成されていた一種の政治集団と思えばよい。単一民族の血族集団ではない。

古くからライン川流域でローマ帝国と国境線をまたいで争っている。
ライン川流域にいたケルト人、またはローマ人との混血を繰り返して、アルプス
山脈北西部にあるライン川上流にて「アラマンニ人」として、民族形成がなされた。

アラマンニ族は、複数の部族民族の連合体であった為に、
部族長が複数居り、単独の部族長が全権を握っている訳ではなかった。

その中部族長集団の中にはハプスブルク家、ホーエンツォレルン家の
先祖が居り、彼らは元来はアラマンニ族の有力部族長であった。

その後フランク王国の下で部族大公の位を獲得し有力貴族化していった。
312世界@名無史さん:2012/08/10(金) 10:22:38.28 0
へー・・・そんなに歴史遡れるんだ。
313世界@名無史さん:2012/09/29(土) 23:38:31.00 0
保守
314世界@名無史さん:2012/10/21(日) 02:13:46.70 0
ドイツ民主共和国 東ドイツについて
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1335152444/
315世界@名無史さん:2012/10/21(日) 15:32:33.73 0
どなたか第三帝国期の西プロイセンとポンメルンについて教えてください。

以下↓を読むと、
ttp://www.holocaustresearchproject.org/euthan/Meseritz-Obrawalde.html
"In 1939, the town of Meseritz was within the Prussian province of Pomerania."

これは、
・ポンメルンとプロイセンはイコールでなくて(被ってる部分があって)
・プロイセン部分であるポンメルンがあり(そこにMeseritzがあったと)
・プロイセン部分でないポンメルンもある

ということでいいんですか。
となると、「プロイセンでないポンメルン」はダンチヒではないのかと思うのですが、そういう理解でいいんでしょうか。
316世界@名無史さん:2012/10/22(月) 02:38:54.66 0
・ポンメルンとプロイセンはイコールでなくて(被ってる部分があって)→○
・プロイセン部分であるポンメルンがあり(そこにMeseritzがあったと)→○
・プロイセン部分でないポンメルンもある →×

原文まともに読んでないけど大雑把な歴史背景として

・西プロイセンとポンメルンは別の地域
・ポンメルンはプロイセン王国の支配下にあったため、
ヴァイマール-ナチスドイツ期の州区割りではプロイセン州に属する地域であった

よってその英文は
「1939年、Meseritzの街はプロイセン州のポンメルンに属していた」とでも訳すのが適当だと思われる。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/83/NS_administrative_Gliederung_1944.png

参考までにナチスの大管区制の地図を。
Meseritz、ポーランド名Międzyrzeczは大管区制だと西プロイセンとポンメルンの境界付近、ギリギリポンメルン側に見える。
317世界@名無史さん:2012/10/22(月) 02:48:49.13 0
すごいてきとーに訳したけど、Prussian provinceってのは州とかじゃなくて単に
歴史的地域としてのプロイセン(旧プロイセン王国)の辺りの〜位の意味で使ってるかも知れない。
訳の正確性は全くもって保証しないのでごめんね。

後、
・プロイセン部分でないポンメルンもある →×
って×じゃねぇやごめん。△だ。

歴史的地域としての広義のプロイセンはポンメルンや狭義のプロイセンを含む。
狭義のプロイセン(具体的にはドイツ騎士団領辺りを指す)とポンメルンは別の地域。

よって、「プロイセン部分でないポンメルン」=ポンメルン全域もしくはそんな地域無し、って言えるかな。

それと、ダンツィヒは西プロイセンの街なのでポンメルンではないです、
ポンメルン公国に属してたことも多分無いし。
318世界@名無史さん:2012/10/22(月) 04:20:33.98 0
ありがとうございます。
字面だけ追ってると妙な事になりますね。
"within the Prussian province of Pomerania"に引っ張られ過ぎ…ですかね。

>Prussian provinceってのは州とかじゃなくて単に
>歴史的地域としてのプロイセン(旧プロイセン王国)の辺りの〜位の意味で使ってるかも
そういう気がします。

いろいろ説明を頂き、ありがとうございました。あと地図。
ダンツィヒの件とか言い訳出来ないな。
・・・手当たり次第にナチス関係の本読んでると、「ポーランド回廊ってホント邪魔くせえな」とかしょうもない感想ばかり出てきて、ここ第二帝国スレなのに。ホントすみません。
319世界@名無史さん:2012/10/22(月) 12:42:02.76 0
第一次大戦後、プロイセン王国は、Freistaat Preußenになって、それは13のProvinzから成り立っていた、Pommern はその一つ
Meseritzは、そのPommernの中にあった
320世界@名無史さん:2012/10/22(月) 16:25:05.35 0
あー。
つまり、「the Prussian」の「province of Pomerania」であって、
「日本大阪府」とか「関東埼玉県」とか(こういう例えが適切かどうか判りませんが)
そういうとらえ方か。ドイツ人の。というか歴史が。

「日本はどこ行ったって日本だろ」的な思い込みがあって、己が不明を恥じるしかない。
321世界@名無史さん:2012/12/05(水) 15:17:07.92 0
【ヒトラー】ナチスドイツ総合スレッド【ヒムラー】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1332742311/
322世界@名無史さん:2013/01/07(月) 21:47:50.50 0
ho
323世界@名無史さん:2013/02/19(火) 09:21:04.74 0
保守
324世界@名無史さん:2013/02/19(火) 10:24:37.46 0
オーデルナイセ線で引き裂かれた国境線は醜い
325世界@名無史さん:2013/02/19(火) 16:58:27.49 0
オーデル川はドイツ側の国境にもなっているからドイツは「オドラ」川と
呼ばなくていいのだが、国境河川で両岸で読み方が激しく違っていた場合は国際呼称で
揉めたりしないのだろうか?
島国の日本人はあまり思い巡らすことが無い事案だけど、
326世界@名無史さん:2013/02/19(火) 22:47:48.74 0
マースからメーメルまで、エッチュからベルトまで
327世界@名無史さん:2013/02/23(土) 19:33:29.37 0
ドイツ観光というとバイエルン辺りが主力だけど。
プロイセン系の観光なら、どこへ行ったら楽しそうなのかな?
328世界@名無史さん:2013/02/26(火) 20:01:48.19 0
>>325
日本海かトンへか
竹島かトクトか
尖閣諸島か釣魚島か
千島列島かクリル諸島か
329世界@名無史さん:2013/02/27(水) 08:21:02.79 0
フォークランドかマルビナスか
330世界@名無史さん:2013/03/10(日) 21:42:44.27 0
>>325
オーデル川とオドラ川は同じ名称の訛りにすぎず、
フォークランドとマルビナスや、日本海と東海のような全く異なる名称ではない。
だからその手の問題は発生しない。

もともとあの川の語源は古印欧語から出たもので、水(vodr)を表す。
これがvodraとなって、中世にこの川の呼称がローマを通じて広く知られたときは当地のスラヴ人(ソルブ人やポーランド人)が使っていた名称odraが残って、
13世紀ごろあの辺にドイツ人が移民してきてドイツ語ではodraが訛ってoderになった。
331世界@名無史さん:2013/03/10(日) 21:46:23.35 0
>>324
本来のドイツは西はライン川、東はエルベ川、この間だけ。
エルベ川から東は古来スラーヴィアと呼ばれていて、ゲルマーニア最大の地域だった。
このスラーヴィアに住んでいた「ゲルマン人」がいわゆる西スラヴ人で、俗にヴァンダル人やヴェンド人やルギイ人などと呼ばれる。
ポーランド人の古名「レック人」はおそらくルギイ人のこと。
332世界@名無史さん:2013/03/11(月) 22:17:31.54 0
コペルニクスとニーチェはポーランド人ニダ
333世界@名無史さん:2013/04/27(土) 15:07:48.73 0
age
334世界@名無史さん:2013/05/05(日) 05:32:32.06 0
帝国宰相
335世界@名無史さん:2013/05/05(日) 23:05:33.30 0
ドイツ人は銃の開発や戦術の開発に優れてるよな

ドライゼ銃なんてフランスのシャスポー銃の開発につながるし。
336世界@名無史さん:2013/07/17(水) NY:AN:NY.AN 0
age
337世界@名無史さん:2013/07/19(金) NY:AN:NY.AN 0
ホーエンツォレルンのホーエンは「高い」、ならツォレルンってどんな意味?
338世界@名無史さん:2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN P
>>337
「 ツォレルン山」の事。意味は太陽の山、太陽に向かう高い見晴らしの良い山
つまり「ホーエンツォレルン」っていうのは『ツォレルン山のある高地」ってこと
339世界@名無史さん:2013/07/29(月) NY:AN:NY.AN 0
実はドイツ帝国って
ヨーロッパの国民国家の中で
国民が同一宗派(キリスト教全般では無い)じゃない国なんだよね。

ビスマルク当初、北ドイツ連邦をドイツ帝国に改編する予定で
南ドイツを併合する意思は無かったし
340世界@名無史さん:2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN 0
国家解体につながるからってオーストリアが大ドイツ主義を嫌がったけど、
大ドイツ主義で統一って言った場合、ボヘミアは含むつもりだったの?
ボヘミアはドイツじゃなくチェコだけど神聖ローマ帝国に含まれ、唯一王号だったし。

>>339
南ドイツを入れないつもりだったってどの本に出てる話?
341世界@名無史さん:2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN 0
ドイツ諸邦で大ドイツ主義と小ドイツ主義の是非が討議されていた頃、
オーストリアではシュヴァルツェンベルク侯が「大オーストリア」
(Grossoesterreich)政策というのを推進していた。それはチェコや
ガリツィアなど、オーストリア=ハンガリー帝国の全領土だけじゃなくて
それまでドイツ連邦に加盟していなかったプロイセンの国土まで統合し、
7千万人もの国民を束ねる国家を作り上げるって計画だったんだよ。
342世界@名無史さん:2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN P
>>340
ドイツ人はチェコ人を見下してたの?
343世界@名無史さん:2013/08/22(木) NY:AN:NY.AN 0
>>341
それって小ドイツ主義でも大ドイツ主義でもなく、大ドイツ主義を更に拡大した中欧帝国構想のことだよね。
国力すでにオーストリアを上回ったプロイセンがオーストリアの風下に立つなんてありえない話なのに。
マリアテレジアの婿にフリードリヒ大王を選ぶ、それが中欧帝国を実現する唯一のチャンスだったろう。
344世界@名無史さん:2013/08/22(木) NY:AN:NY.AN 0
ボヘミアを領有していた当のオーストリア=ハンガリーに
とっては、大ドイツ主義も小ドイツ主義も検討に値しないって
ことだったわけだ。

>>342
見下す人ばかりじゃなかったと思うけど、歴史の中でチェコ人と
ドイツ人の仲が良かったかと言うとそうでもない。フス戦争然り、
三十年戦争然り。
345世界@名無史さん:2013/08/22(木) NY:AN:NY.AN P
ドイツ人が認めるのはオーストリア人、スイス人ぐらい?同じドイツ語喋る人たち
346世界@名無史さん:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN 0
>>345
そう単純な話ではない。現代のドイツではそれまでの歴史を鑑みて
「民族主義なんてとんでもない」という価値観が浸透してるから、
少なくともギムナジウム以上の高等教育を受けているドイツ人
(ちなみに多数派)は無暗に外国人に冷たい態度をとったりはしない。

しかしドイツの統一運動が盛んだった頃は、ドイツ語を話す者同士で
連帯しようとしたのは事実。だけど実際には

1) 「ドイツ人」という民族意識はあっても、国民意識は無かったこと。
  当時のドイツ人にどこの国の人か、と問えば出身領邦の名前が出てくる。

2) 信仰が地域によってプロテスタント(主にプロイセンなど北部)と
  カトリック(主にバイエルンなど南部)に分かれていたこと。
  これはドイツ以外の地域でも、仲違いの原因になり得る。
 

その他の要因が作用して、決して平坦な道ではなかった。
オーストリア人やスイス人の存在を考慮に入れる前に、現在で言う
ドイツのドイツ人同士で離合集散があったんだ。
347世界@名無史さん:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN 0
ボヘミアの伍長ってのが悪口なんだから
見下してるところはあったんだろうな
348世界@名無史さん:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN 0
>>347
「ボヘミアの伍長」はドイツ語で表すと「Boehmischer Gefreiter」。
正確に訳すと「ボヘミアの伍長勤務上等兵」。すなわち兵の階級であり、
ヒトラーは下士官でさえなかったってこと。「伍長」に該当するような、
最下級の下士官は本来「Unteroffizier」と呼ばれる。

さらに言えば、ヒトラーはブラウナウ・アム・イン出身なのでボヘミア人
ですらない。つまり「ボヘミアの」という部分で強調されているのは、
ボヘミア人に対する軽蔑よりはヒトラーが当初はドイツ領でさえなかった
オーストリアから来たという事実の方。出身地をわざと間違えるというのも、
不敬の表明だろうね。ボヘミアは出汁にされただけ。

要するに、これは「外国から来た一兵卒風情」という意味の悪口だったりする。
349世界@名無史さん:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN 0
ボヘミアのブロウモフ地方もドイツじゃBraunauって綴るから、
勘違いしてて、後にはオーストリアの伍長って言ってたそうな

気にくわない人間に、どうせボヘミアあたりの奴だって思いこみ
が発生するあたり、なんらかの差別意識は透けて見える気もする

いずれにしても、外国人一見下してたのは間違いなさそうだけど、
19世紀のユンカーの生き残りの意識なんてそんなもんだ、ドイツ
帝国の一番勢いのある時代知ってるんだもの
350世界@名無史さん:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN 0
ヒトラーに対してそんな悪口を言ってたのは、主に貴族出身の将校なんだよな。
ボヘミア人が気に食わないって気持ちもあるのかも知れないけど、当時の
将校の身分意識もまた無視できない要素。貴族出身の将校には、平民出身の
下士官や兵を見下す人が多かった。
351世界@名無史さん:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN 0
貴族出身の将校は平民出身の下士官兵を下に見ていたということだけど、
平民出身でも将校なら見下すようなことはなかったんだろうか。
エーリッヒ・ルーデンドルフは平民だけど権勢を振るっていた当時、
平民のくせに調子に乗りやがってとか貴族階級の将校は思ってなかったのかな。
352世界@名無史さん:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN O
>>348,349
「ベーミッシャー〜」は「芸術家気取りの〜」と言った悪口
353世界@名無史さん:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN P
>>346
ドイツ人の単一民族(チェコオーストリアスイス含む)が新大陸までは逝かないにもアルゼンチンぐらいの大きさの領土を手にしてたら世界は変わってたかな?
イギリス人はアメリカとオーストラリアを手にし、フランス人はカナダを手にし、ロシア人はシベリア極東を手にし今でも覇権を争う国家

ドイツ人にもそこそこ大きい植民地があればなー
354世界@名無史さん:2013/08/24(土) NY:AN:NY.AN 0
第一次世界大戦前のドイツ植民地は中々にでかい
タンザニアやカメルーンやナミビアやニューギニアとか
30年以上保持した
355世界@名無史さん:2013/08/24(土) NY:AN:NY.AN 0
ならオーストリアも入れて、オーストリア領のハンガリーやクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ
を植民地ってことにすればよかったじゃん。
 
普墺戦争敗戦でオーストリアが外れたのって、プロイセン王を主君として崇めるのを
オーストリア側のプライドが許さなかったの。
それともプロイセン以下バイエルン以上で構いませんというのをお前がいたら纏まらないから
出て行ってくれとプロイセン側がオーストリアを追い出したのか。
356世界@名無史さん:2013/08/24(土) NY:AN:NY.AN O
>>353
アングロサクソンも広義ドイツ人ってことにして
終わりでいいんじゃない?(棒)
アメリカ合衆国の白人にあなたのルーツはどこですか?
ってアンケート取ると一位はドイツだっけ。
357世界@名無史さん:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN 0
北欧バイキングやノルマン人がシチリア島やロシアを支配したことを考えると…
バルト三国はドイツ騎士団領、ルーマニア人は農村文化でドイツ人の立てた都市が多い
ロシアのボルガ川流域にはドイツ人が入植している
だから東欧一帯にはドイツの影響力が大きい
東欧の人にとってはロシアの支配よりドイツのほうがありがたかったようで、
キリル文字のブルガリアやセルビアはロシアに親近感もある
358世界@名無史さん:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN 0
イタリアはほぼカトリックですが南部と北部では意識に差がありますな

イギリスとフランスは王権が拡大したのに比べ、神聖ローマ帝国では統一権力が弱かった

世界大戦に敗れ強大なドイツは警戒されるので西ドイツの時代は分権化が進んだ
今では東西ドイツが統一されても意識の差が残る

19世紀に国民国家となり、集権化に成功したのは日本ではないでしょうか
大陸から離れた島国というのも影響すると思います

イタリアは北側のほうが経済力がよく、南側を切り離したがってます
359世界@名無史さん:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN 0
マレーシア王国が華僑都市と化したシンガポールを追い出したみたいに
切捨てるって事?
360世界@名無史さん:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN 0
>352
ドイツ語の「boehmisch」には「奇妙な」という意味もあるが、「芸術家気取りの」
って意味合いはないよ。

>355
神聖ローマ皇帝を輩出したハプスブルク家と、そのハプスブルク家に
認められて神聖ローマ帝国の外でのみ王号を許されたホーエンツォレルン家
とでは家格が違い過ぎる。後者が前者の主君になど、逆立ちしたって成れない。

普墺戦争でオーストリアが外されたのは結局、ドイツ中部から北の領邦より
オーストリアの影響力を排除するため。
361352:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN 0
エェー
どっかのヒトラー関係のサイトで確かにそういう話を読んで、Wikiのボヘミアの項で確認したら(「ベーミッシャー」はなかった)
>またこの地方の服飾が、ドイツなど西ヨーロッパに伝わり、芸術家気取り、芸術家趣味と解されて、ボヘミアンやボヘミアニズムという言い方も生まれた。
とあったからやっぱり間違いないと思ったんだが違うのか。
362世界@名無史さん:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN 0
>>361
ドイツじゃわざわざフランスからの外来語を使い、そういう自由で放縦な
生き方を「(die) Boheme」、その実践者を「(der) Bohemien」と言う。
>>352の言いたい意味を持たせるなら、ちゃんとそのための言葉があるし
「boehemisch」それ自体に、否定的と受け取れなくもない第二の意味が
存在する。
363世界@名無史さん:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN 0
ほおー、勉強になります
コレもう今までにいろんな所で吹聴しちゃったわ恥ずかしい
364世界@名無史さん:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN 0
ボヘミアン by葛城ユキ
365世界@名無史さん:2013/09/26(木) 01:44:01.20 0
age
366世界@名無史さん:2013/12/03(火) 11:33:39.00 0
プロイセンに興味を持ったのだけど、
神聖ローマ帝国下のドイツ諸侯の領土の変遷を示した地図が乗ってあるサイトとかってないですかね。
日本語のサイトだとフランス革命期か三戦争前後のプロイセン領土を扱っているのしか見当たらない。
367世界@名無史さん:2013/12/03(火) 12:50:26.52 0
プロイセンのみでおおまかなのでいいならこんなのが
http://youtu.be/cJW5JATYa78

同作者でオーストリア版とかもある
368世界@名無史さん:2013/12/05(木) 13:07:31.07 0
>>367
ありがとう
ヒストリカルマップなるジャンルの動画は結構面白そうなものがあるね
369世界@名無史さん:2013/12/28(土) 18:05:19.73 0
旧プロイセン領を今のドイツに併合しても統一コストが膨大になりお荷物にしかならないでしょ
370世界@名無史さん:2013/12/31(火) 19:17:59.62 0
シュレージェンからはドイツ帝国の工業化によってドイツ系住民の西部への流出が起きていた
371世界@名無史さん:2013/12/31(火) 21:08:25.74 0
チェコにはカレルって名前が多いけど
ドイツのカールと同じなんだっけ?
372世界@名無史さん:2014/01/02(木) 12:46:38.22 0
ドイツ第二帝国でドイツ系、ポーランド系、ユダヤ系以外の民族はどんなのが居たんだ?
373世界@名無史さん:2014/01/02(木) 13:08:26.01 0
大民族はその3つまでだろう。
小民族としてはソルブ人などヴェンド系、現在の旧東ドイツにいる。ただしこれらヴェンド人は元々ポーランド人と同じ西スラブの諸民族だが。国家が異なるだけで。
374世界@名無史さん:2014/01/02(木) 13:09:38.45 0
メルケル首相の爺さんはポーランド人で、
第二帝国末期にポズナン(ポーゼン)からベルリンに移住した。
375世界@名無史さん:2014/01/02(木) 19:55:45.81 0
ユダヤ系もポーランド系もドイツ帝国ではドイツ化していたのか?
376世界@名無史さん:2014/01/03(金) 02:18:25.28 0
ヒンデンブルクが死ぬまで権威を保ってたのはなぜ?

タンネンベルクで勝ったあとはグダグダじゃん
377世界@名無史さん:2014/01/04(土) 08:38:52.72 0
ポーゼン、西プロイセンはポーランド系が多い地域だった
378世界@名無史さん:2014/01/04(土) 09:07:27.83 0
>>376
戦争指導と敗戦の責任をカイザーとルーデンドルフに押し付け、
カイザー退位、亡命の責任はグレーナーに押し付けたから。
379世界@名無史さん:2014/01/04(土) 16:35:04.23 0
ヒンデンブルクって乃木みたいな人だろ
尊皇家だし人望もある
しかし能力は大したことはない
ルーデンドルフがいなければ何もできない人
380世界@名無史さん:2014/01/04(土) 18:45:11.29 0
ヒンデンブルクの尊王心も大統領になってから
疑問符が付いたって見方もできる。
帝政復興に全力を注ぐでもなく、
ワイマール共和制をただ左右してただけという
印象を受ける。
381世界@名無史さん:2014/01/04(土) 19:36:31.48 0
敗戦後ともに政界に入ったヒンデンブルクとルーデンドルフはお互いどう思ってたんだろうね
382世界@名無史さん:2014/01/04(土) 22:39:45.75 0
父王とその重臣たちが血を吐くような努力をして築いた欧州屈指の強国を
あえなく崩壊させてしまったヴィルヘルム2世
383世界@名無史さん:2014/01/04(土) 22:42:15.94 0
父王じゃなくて祖父王です。
384世界@名無史さん:2014/01/04(土) 23:29:32.03 0
>>382
ドイツ帝国成立の最大の功労者の一人であるビスマルクを
老害扱いしてあんな形で宰相辞任に追い込んだアホ
385世界@名無史さん:2014/01/04(土) 23:44:35.43 0
ああいう思慮の足りない君主に鎖をつけておくことができない体制は長生きできない
386世界@名無史さん:2014/01/05(日) 00:25:06.21 0
でもビスマルクは結構バクチ打ちだしワンマンだし君主に対してさえ秘密を持つし、
余程の信頼関係で結ばれていない限り放し飼いにしておくのは怖いと思う
387世界@名無史さん:2014/01/05(日) 01:40:40.18 0
まあ確かにビスマルクはかなりクセの強い人物だし、
ヴィルヘルム1世くらい糟糠の間柄じゃないと
付き合うのは難しいかもな

しかし、それを考慮しても2世はアホだと思う
388世界@名無史さん:2014/01/05(日) 12:05:21.16 0
ドイツ帝国時のポーランド系人口とユダヤ系人口が気になる
389世界@名無史さん:2014/01/05(日) 12:51:53.28 0
ビスマルクは部下には全然人望が無かったからな。

くびになったとき、部下たちに反対させようとしたけど無視されたし。
390世界@名無史さん:2014/01/05(日) 13:55:18.50 0
>>389
天才だから部下を馬鹿にしてかかってたんだろうか。

愛人を部下の妻にさせたらしいけど、その部下の胸中ってどんなだろうね。
すべて納得づくで出世のために結婚したのか。
本当に愛し合うようになったから上司の愛人でも受け容れられたのか。
あるいは何も知らずに厄介払いされた愛人を押し付けられたのか。
391世界@名無史さん:2014/01/06(月) 22:33:31.71 0
>>381
極右運動のリーダーになって、ミュンヘン一揆に加わり、
最後は怪しげな宗教に走ったルーデンドルフ。
適度な隠棲期間をへて、大統領になったヒンデンブルク。

対照的な後半生だったな。
392世界@名無史さん:2014/01/10(金) 18:58:07.17 0
ドイツは二度の敗戦で君主制とナチはタブーになったよな。
393世界@名無史さん:2014/01/11(土) 00:06:14.98 0
そもそも神聖ローマ帝国の時代が長かったし
中央強権にするとうまく行かない国なんだろうな

各州バラバラな方が国としては安定してるっていう
394世界@名無史さん:2014/01/11(土) 12:32:38.78 0
安定・・・?
395世界@名無史さん:2014/01/14(火) 21:25:14.97 0
ドイツ帝国時代からドイツは西部の方が発展していて東部はイマイチだった
396世界@名無史さん:2014/01/14(火) 22:55:04.23 0
>>392
流石にナチ程じゃないと思うが>君主制
397世界@名無史さん:2014/01/15(水) 09:52:23.15 0
ハプスブルク家を一度は追放したオーストリアでさえ、
同家が残した観光資源を積極的に宣伝してるしなあ。

ベルリンでもホーエンツォレルン家ゆかりの観光名所は
多いし、プロイセン王国時代の王宮を再建しようって話まで
あるくらい。「軍国主義的なもの」としてプロイセンが今なお
警戒されてるってのは事実だけど。
398世界@名無史さん:2014/01/15(水) 23:36:52.66 0
ドイツの街中でカイゼルのコスプレしてた人がいたけど特にどうってことはなかったな
周囲の反応は寧ろ微笑ましげですらあった

これが総統閣下のコスプレだったら一体どうなっていたのだろうか
399世界@名無史さん:2014/01/18(土) 04:08:56.01 0
ポーランドとかロシアはプロイセンの遺産を活用しようとか思わんのか
ケーニヒスベルクが今やポーランドどころかロシア領ってのは違和感ありだ
400世界@名無史さん:2014/01/18(土) 08:56:32.21 0
ロシアは飛び地状態のカリーニングラード州をドイツに売却すればいいのに。
401世界@名無史さん:2014/01/18(土) 10:13:20.82 0
アレクサンドル2世がいまだに批判されていることを知らんのか。
402世界@名無史さん:2014/01/18(土) 10:56:46.83 0
ロシアって、アラスカまで領有してたんだよな。
ユーラシア大陸を横断して、北米大陸まで進出するなんて、あの時代によくやるわ。
403世界@名無史さん:2014/01/18(土) 11:56:01.12 0
勇壮に聞こえるが、やってたことはラッコ獲り
404世界@名無史さん:2014/01/18(土) 17:37:34.89 0
>>400
今更東プロイセンだけもらっても飛び地になってドイツも困る
 
>>402
アラス地図で見るたびに思うんだけど、カナダとの境界はほぼ直線なのに
なんで南東部分だけオーストリア帝国のダルマティアみたいに尻尾状に長々と続いてるの?
405世界@名無史さん:2014/01/18(土) 17:45:13.54 0
>>404
アラスカの尻尾状の部分は、ロシア人が海岸沿いにカリフォルニアまで到達した名残では?
406世界@名無史さん:2014/01/18(土) 23:34:33.29 0
ポーランドは第二次世界大戦後のドイツ人追放で、むしろ
プロイセン由来の史跡を壊した。フリードリヒ大王に仕えた
ザイトリッツ大将の遺体は今も行方不明だ……。
407世界@名無史さん:2014/01/18(土) 23:36:28.29 0
あ、ザイトリッツの霊廟を解体したのはポーランド人だけど
遺体を辱めて行方不明にさせたのはソ連軍か。
408世界@名無史さん:2014/01/19(日) 06:21:59.22 0
>>406
何でそこまでポーランドはプロイセンを憎むんだよ
ホーエンツォレルン家も女系ではポーランド王の血もひいてるのに
409世界@名無史さん:2014/01/19(日) 09:22:20.51 0
旧西ドイツの人口密度が旧東ドイツより低いのは第二次世界大戦によって東部のドイツ系住民が西部に追放されたからだ
410世界@名無史さん:2014/01/19(日) 09:43:34.24 0
※408
直接的には第二次世界大戦中に国土を占領され、過酷な統治を受けた恨み。

でもヘルマン・フォン・ザルツァが半分詐欺みたいな形でポーランド領内に
ドイツ騎士団の領地を勝ち取ってから、プロイセン人とポーランド人の
いがみ合いは続いてきた。プロイセン王国の母体の一つ、ドイツ騎士団は
ポーランドとリトアニアがキリスト教化される前から現在のポーランド領に
たびたび進攻してた上、ポーランド=リトアニア同君連合がキリスト教を受け
入れた後でさえ攻めて来た。フリードリヒ大王の時代なんて、ロシアや
オーストリアに加担してポーランドの領土を消滅するまで分割してたりするしな。

なお、現在のドイツ=ポーランド関係は良好だよ。ポーランドは1953年の時点で
ドイツへの賠償請求権を放棄してるし、2004年にはその手の問題が完全に解決した
ことをドイツの首相とポーランドの外相が宣言してる。
411世界@名無史さん:2014/01/19(日) 14:08:14.97 0
>>406
でたらめ言うなよ。
ポーランドは壊したどころか、大戦末期にソ連とドイツの戦場となって破壊された史跡をみな修復した。
代表的なのがマルボルク(マリエンブルク)のドイツ騎士団城、
オルシュティン(アレンシュタイン)市街、エルブロンク(エルビンク)旧市街、
フロンボルク(フラウエンブルク)大聖堂など。
プロイセンには入らないが近隣ではグダンスク(ダンチヒ)市街を筆頭に、
シュチェチン(シュテッティン)市街、ポズナン(ポーゼン)市街、
さらに旧ドイツ帝国領ではヴロツワフ(ブレスラウ)市街など、
ポーランド人は戦後すぐから市民運動で数え切れない旧ドイツ市街を驚くほど正確に修復している。
ゼミでこれらの街見て回ったが、まさに圧巻!見事!の一言だったよ。
412世界@名無史さん:2014/01/19(日) 14:10:34.11 0
旧ドイツの市街地を壊してまったく別の風景に立て替えてしまったのはソ連と旧東ドイツ。

たとえばドレスデンは修復規模がポーランドの街々と比較して圧倒的に小さく、
また聖マリア教会はだいぶ後になって隣国ポーランドの業績を見てからようやく「うちも」という感じで修復をはじめてている。
413世界@名無史さん:2014/01/19(日) 14:18:49.61 0
>>410
一部事実に反する。
ポーランド人対ドイツ人の図式ができたのは19世紀後半から。
ドイツ騎士団時代は、ドイツ騎士団対ドイツ市民の図式があって、ポーランド王国はドイツ市民側についた結果、
何度かドイツ騎士団と戦争という形になったがその後ドイツ騎士団がポーランド王国に服属。
当時のポーランド王国議会にはドイツ騎士団選出議員がいた。
414世界@名無史さん:2014/01/19(日) 14:27:56.65 0
プロイセン国家が数世紀に亘るポーランドの宗主権を脱したのは1660年。
今は破壊されて存在しないケーニヒスベルク旧市街はポーランド時代に建設されたもの。

この辺がなんで軽視されてるのかわからん。
415世界@名無史さん:2014/01/19(日) 14:53:36.41 0
公務員が税金使って贅沢するために失業率を偽装する公務員
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1387885736/

 日本では欧州とほぼ同レベルの立派な労働法制が整備されている。
だが実際には労働基準法はほとんど守られておらず、厚労省側もその
実態はよく承知している。日本の労働行政における「ウラ」のルールは
「大企業の雇用を維持するためには、多少の法律違反には目をつぶる」
というものであり、実際、多くの法令違反が黙認されてきた。


 日本は解雇しにくい国といわれているが、それは大企業に限った話である。
大企業の下請けが主な収益減である中小企業では、解雇要件を満たさない
解雇は日常的に行われている。また最低賃金がまったく守られていない業界も多く、
賃金から過剰に必要経費を差し引くという行為もごく当たり前に行われている。
大企業においても、労使協定を結ぶという形で労働時間の制限は実質的に存在していない。


 それも皆、大企業の雇用を最優先するという、隠れた目的のためにほかならない。
逆に言うと、労働法制を厳格に適用していては大企業における終身雇用を
維持することができなくなってしまうのだ。労働法制の遵守が厳しく求められる
欧州では、軒並み10%台の失業率になっているのはそのためである。
416世界@名無史さん:2014/01/19(日) 15:57:48.81 0
都市デザインがドイツ的だからだろう。
政治的にはポーランドの宗主権下にあったので確かにポーランド時代なのだが
民族主義的視点ではドイツと見るのが(見た目がそれだけに)分かりやすく、
政治的視点でポーランドと見るのは学問的に過ぎて一般には受け入れづらい。

素人は見た目で直感を頼りに判断するし、好事家や玄人は事情のほうを重視して判断するから、
見解が分かれるのも致し方なかろう。
世界史板ではどうか?素人ばかりだから前者の見解が多かろうな。
417世界@名無史さん:2014/01/19(日) 16:52:45.94 0
>>411
勉強になった。でもザイトリッツ大将の霊廟とか、グルジョンツ要塞にあった
クービエール元帥の記念碑とか、ポーランド人の手で撤去されたままになってる
プロイセン軍関連の史跡はあるんだ。

>>413
1308年にポメレリアとダンツィヒをドイツ騎士団が占領したことが、ポーランド王国
との対立の契機じゃなかったっけ?
418世界@名無史さん:2014/01/19(日) 18:14:25.01 0
【股間が快速で復興】復興庁43歳職員、快速電車内で20代女性の体を触る痴漢行為
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1388079493/1

1 名前: ◆ENPDAsv5PuwA @ターンオーヴァーφ ★[] 投稿日:2013/12/27(金) 02:38:13.29 0
<痴漢>容疑で復興庁43歳職員を逮捕 警視庁

毎日新聞 12月26日(木)21時58分配信

復興庁の男性職員(43)が電車内で女性の体を触ったとして、
東京都迷惑防止条例違反(痴漢)の疑いで警視庁中野署に現行犯逮捕されていたことが26日分かった。
同署や復興庁によると、職員は容疑を認めて送検後に釈放された。
復興庁が処分を検討している。

逮捕容疑は今月11日午後10時ごろ、JR中央線の下り快速電車内で20代女性の体を触る痴漢行為をしたとしている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131226-00000126-mai-soci

【福岡】県警の巡査部長がカメラ付き腕時計で盗撮
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1386534668/1

1 名前: ◆9NKSEXw3nU @関電φ ★[] 投稿日:2013/12/09(月) 05:31:08.79 P
福岡県警は8日、女性のスカート内を盗撮しようとしたとして、県迷惑行為防止条例違反の疑いで
県警八幡西署交通課の巡査部長、吉浦弘高容疑者(33)=北九州市小倉南区=を現行犯逮捕した。

逮捕容疑は8日午後6時ごろ、同市小倉北区の大型量販店で、女性客(22)のスカート内を背後から
カメラ機能付き腕時計で動画撮影しようとした疑い。

ソース:msn産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/131209/crm13120902000002-n1.htm
419世界@名無史さん:2014/01/20(月) 07:17:27.70 0
>>417
ポーランドのヴワディスワフ1世がドイツ騎士団を雇ってポメレリアに派遣して、
ポメラニア有力者と、彼と結託したブランデンブルク辺境伯家を討伐したら、
今度は騎士団がヴワディスワフ(戴冠してヴワディスワフ1世王になっていた)との
契約に違反して居座ったため王は報酬の支払いを拒否、これで今度はポーランドと騎士団で戦争。

ヴワディスワフはポーランド正統王家のピャスト家当主だが、戴冠前国内諸侯はピャスト家への
権限集中を嫌ってピャスト家の外戚でボヘミアのプシェミスル家のヴァーツラフ2世王を
ポーランド王にしていた。
ヴァーツラフ2世が死んでポーランド国内諸侯はその息子のヴァーツラフ3世を
ポーランド王にしたが、ヴァーツラフ3世は何者かに暗殺された。犯人はヤス。
ヴァーツラフ3世の暗殺後に戴冠したのがヴワディスワフ1世。
420世界@名無史さん:2014/01/20(月) 07:22:04.06 0
暗殺グループはヴワディスワフ1世の配下ではなく、
首謀者はカランタニアのハインリヒ6世、黒幕はヨハン・フォン・ルクセンブルクと言われる。
彼らドイツ人諸侯はボヘミア支配を狙っていた。
彼らはプシェミスル朝を滅亡に追い込んだ後ハインリヒ6世とヨハン・フォン・ルクセンブルクの間で内ゲバが起きている。
421世界@名無史さん:2014/01/20(月) 07:30:28.24 0
ヨハン=ヤス
422世界@名無史さん:2014/01/20(月) 19:58:57.94 0
怪しげな道のりがあったメルケル首相

http://music.geocities.jp/jphope21/0204/48/311.html

アンゲラ・メルケルの大臣就任の就任日が怪しい。

( http://music.geocities.jp/jphope21/01/3/32.html )
423世界@名無史さん:2014/01/20(月) 20:19:27.79 0
>>419
ありがとう。詳しく分かった。
プロイセン人つーか、ドイツ人とポーランド人って昔っから仲が良くなかったんだねぇ。
しかし相互の通婚も盛んだったそうだから、いがみ合うだけの関係でもなかったんだろう
けど。
424世界@名無史さん:2014/01/20(月) 23:53:45.20 0
「平均57万円」はウソ・・・公務員 “ボーナス操作” のカラクリ
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1386890725/

10日、国家公務員に冬のボーナスが支給された。テレビや大新聞は平均支給額57万1800円と報じたが、
騙されてはいけない。実際はもっとたくさんもらっている。

テレビや大新聞の情報は、総務省の記者発表資料をそのまま写しただけなのだ。
よく読むと「管理職を除く」平均だと書いてある。これが騙しのカラクリだ。

というのも、公務員は民間と違い、年功序列で誰でも昇進できるので、
管理職の人数が民間ではありえないほどに多いのだ。ナント、公務員の半数以上が「管理職」である。

総務省に聞くと、しぶしぶ認めた。

「今回公表したのは、行政職の係長以下の職員の平均額です。人数は、わかりません」(総務省人事・恩給局)

行政職とは“手当の多い”税務署員や刑務官などを除く事務職で、国家公務員一般職26万人のうちの約14万人である。
人事院に聞くと、内訳は係長以下が7万1311人に対し、「管理職以上」は7万3149人もいる。

では、国家公務員全体の実際の平均支給額はいくらなのだろうか。「それは公表していません」と、あくまで隠したがる総務省に代わり、計算してみた。

一般職の平均月給は、人事院によれば、42.8歳、40万7994円という(住居手当、残業代を除く)。
これに公表された掛け率1.823をかけると平均額は74万3773円にハネ上がる。

さらに、管理職は全員1〜2割、割り増しされるため、本当の公務員のボーナス平均額は80万円超となる。

民間はどうかというと、昨冬の平均は54万1582円だった(厚生労働省調査)。
ボーナスのない会社や雇用形態も増える中、これはもらえた人の平均である。

従業員5000人以上の大企業でも平均71万5034円だ。公務員はやはり恵まれている。
http://news.nifty.com/cs/item/detail/gendai-000199397/1.htm
425世界@名無史さん:2014/01/21(火) 14:14:23.22 0
>>423
歴史上ずっと、構図はドイツ人vsポーランド人ではなかったんだが。
そうなったのは19世紀後半から。国民国家/「民族」意識の成立期。
426世界@名無史さん:2014/01/21(火) 15:01:47.37 0
じゃあどういう構図?
すくなくともポーランドとリトアニアがキリスト教を受容するまでは
ドイツ騎士団も存在理由を全うして、矛盾なくその二国と抗争してたんだけど
427世界@名無史さん:2014/01/21(火) 15:31:07.61 0


ポーランドがキリスト教を受容したのは10世紀。

ドイツ騎士団は13世紀の空位時代のポーランドのマゾフシェ公コンラッドが公領北部に侵入するプロイセン人を
追い払うために雇用。当時騎士団はハンガリーでトラブルを起こして追放されていた。

リトアニアがキリスト教を受容したのは14世紀。ポーランドとの同君連合の準備として。
428世界@名無史さん:2014/01/21(火) 15:42:02.14 0
当初は
ポーランドのマゾフシェ公領+ドイツ騎士団 対 古プロイセン諸部族

ダンチヒ占領までは
ポーランド+ドイツ騎士団 対 ポメレリア反乱軍+ブランデンブルク+ボヘミア

カリシュ和約までのは
ポーランド+ハンガリー+リトアニア 対 ドイツ騎士団+ボヘミア

第一次トルン和約前は
ポーランド+リトアニア 対 ドイツ騎士団

第二次トルン和約前は
ポーランド+ドイツ人市民 対 ドイツ騎士団
429訂正:2014/01/21(火) 15:43:40.33 0
第一次トルン和約前は
ポーランド+リトアニア+ドイツ人市民 対 ドイツ騎士団

第二次トルン和約前は
ポーランド+ドイツ人市民(市民はゲバルト同盟を結成) 対 ドイツ騎士団
430世界@名無史さん:2014/01/21(火) 15:46:39.79 0
初代プロイセン公(1525年)
ポーランド+プロイセン公国(ポーランドの従属国)がドイツ騎士団を追放

このプロイセン公国が135年後の1660年にポーランドから独立しブランデンブルクと組んでプロイセン王国に、その後ドイツ帝国に。
431世界@名無史さん:2014/01/21(火) 18:58:59.29 0
「さまよえる靖国」戦争の真実と和解(8)戦争責任
第一次大戦の開戦から100年目の今年、敗戦国ドイツでは「戦争の責任は
ドイツだけにあるのではない」という意見が増えているという。
第一次大戦は、第二次大戦を引き起こしたナチス・ヒトラーと関連付け
られ、ドイツの戦争責任を相対化させることは絶対に許されなかった。
しかし最近、行われたドイツの世論調査によると、ドイツ人の58%は
「罪はすべての参戦国に着せられるべきだ」と考えている。「ドイツに
主な責任がある」と答えたのは19%、「責任は他の参戦国にある」との
回答は9%にのぼった。
http://blogos.com/article/78289/
432世界@名無史さん:2014/01/21(火) 19:40:59.00 0
責任の9割方はオーストリアだよね
最後通牒の条件付受諾の時点でなら、体面を汚さず矛を収める事もできたんだし
433世界@名無史さん:2014/01/21(火) 19:42:13.02 0
と、思ったらコピペ爆撃か
434世界@名無史さん:2014/01/22(水) 00:53:12.04 0
ドイツ帝国発祥のプロイセンの内半分はもうドイツじゃないんだよな
そこに住んでる人はどう思ってるんだろう。すごく複雑な気持ちだと思う。
435世界@名無史さん:2014/01/22(水) 01:39:37.48 0
>>432
セルビアごときあっという間に踏み潰してやるとでも思ってたんかな
やってみたら独力で制圧することもできず対露戦ではプルシーロフ攻勢で戦力崩壊
同盟国はほとんどドイツ一国が戦ってるようなもんだったからな
オーストリアって、イタリア並みに軍隊弱いのに無茶しすぎたな
436世界@名無史さん:2014/01/22(水) 07:57:21.81 0
>>427
よく分かった。ありがとう。

>>434
祖父がケーニヒスベルク出身というドイツ人と話したことあるけど、その
祖父は「故郷に戻りたくない」と悲しそうに言うそうだ。ソ連領になって
からは、自分の思い出にある美しいケーニヒスベルクの光景はもう失われてる
と考えてるように見えるんだって。第二次世界大戦後のドイツ人追放で
プロイセン地方の住民はほとんどポーランド人になったから、多かれ少なかれ
複雑な思いを抱いているのはそこに「住んでた」人だと思う。
437世界@名無史さん:2014/01/22(水) 18:52:54.24 0
>>423
ドイツ騎士団領へはポーランド人への移民もあったし、
プロイセンにしろドイツ騎士団領にしろ、別にドイツ人だけで固まっているわけでもないし、
またドイツ人もドイツ騎士団との対立があった

>>426
リトアニアはともかく、ポーランドがキリスト教を受容する前も受容した頃も、
ドイツ騎士団自体が存在しないから騎士団は関係ない
438世界@名無史さん:2014/01/22(水) 20:15:32.51 0
阿川佐和子「え、何なんですか、こんなもの北の丸にあるんですか」
じじい「どんな人が入るの」
古賀「いざっていう時にすぐ・・」
阿川「危機管理用のマンション?」
古賀「そそ」
古賀「原子力安全保安院の幹部とかも一部入ってます。
他にもいっぱいあるんですよ。
で、例えば麹町の宿舎を何か知らないけど閉鎖してですね、で、このすごいね、マンション作っちゃったと。」

阿川「こんなにあります。
(フリップ【都内一等地公務員宿舎】: 代官町住宅 六本木住宅 麹町住宅 南青山住宅 広尾住宅 紀尾井町住宅 九段住宅 二番町住宅 三番町住宅 四番町住宅)」

古賀「で、坪5000万とか言ってますけど、あそこにあの・・・公務員宿舎っていつもそうですけどね、広ーい土地を取って駐車場を作ってるんですよ。」
阿川「なぜ?」
古賀「職員のために(笑)」
古賀「だから1台あたり5000万くらいかかってますよ。駐車場に。」
一同「・・・・え〜・・・・。」
古賀「そういうことをね、平気でやるんですよ」
439世界@名無史さん:2014/01/22(水) 20:34:30.49 0
>>436
旧ケーニヒスベルクはロシアのカリーニングラード。
場所はリトアニアとポーランドに隣接してロシアからは飛び地になっているが。
ちなみに旧プロイセン領はポーランドにもリトアニアにもある。
440世界@名無史さん:2014/01/22(水) 22:14:40.96 0
旧東ドイツは西プロイセンと言われても違和感が無い
441世界@名無史さん:2014/01/23(木) 09:08:04.39 0
プロイセン王国の領土だったという意味では元プロイセンの所多いからなあ
プルーセン人が住んでいたプロイセンではないけど
プロイセンの意味沢山ありすぎ吹いた
442世界@名無史さん:2014/01/23(木) 09:54:59.79 0
>>434
ロシア(カリーニングラード)・・・共産主義時代に旧プロイセンの史跡はすべて破壊・解体、ソ連崩壊後にケーニヒスベルク大聖堂のみ再建(ロシア正教会とルター派の半々で使用)
近年は他の史跡も再建すべきという声があるが、ドイツからの観光客をアテ込んだものであり歴史遺産として価値があるのかとの指摘も

ポーランド(ヴァルミア・マズールィ県、クヤヴィ・ポモージェ県、ヴィエルコポルスカ県、シロンスク県、ドルヌィ・シロンスク県、ポドラシェ県、ポモージェ県、
西ポモージェ県、ルブシュ県)・・・共産主義時代初期(主に1950年代)では民族主義が鼓舞されたが、その当時から史跡再建運動が盛んで、
中世や近世の街区や城を中心にポーランド人の草の根運動に政府が乗る形で歴史的史跡を学術的考証をもって正確に再建・修復
これらはその精密性が評価され、共産主義が崩壊して自由化した現在では図らずも大観光地に
443世界@名無史さん:2014/01/23(木) 10:14:53.16 0
>>440
旧東ドイツはプロイセン王国の領地だったブランデンブルク以外は
メクレンブルク公国領やザクセン王国領だった歴史の方が長い地域が
多いんで、ちょっと同意できない。
444世界@名無史さん:2014/01/23(木) 10:21:35.26 0
この話題になると大抵忘れられるリトアニアのクライペダ(旧メーメル)のことも思い出してあげて下さい
445世界@名無史さん:2014/01/23(木) 23:10:15.62 0
ポルメラン、シェレージェン、ブランデルンブルグを東ドイツとすれば良かったのに

東西プロイセンはポーランドと旧ソ連に分割されても仕方ないが
446世界@名無史さん:2014/01/23(木) 23:56:20.75 0
>>445
スターリンがピャスト朝ポーランドの領土回復に拘ったから基本的に無理。
447世界@名無史さん:2014/01/24(金) 00:02:21.01 0
プロイセンの系譜

大日本帝国→ナチス→北朝鮮
448世界@名無史さん:2014/01/24(金) 09:34:35.80 0
ヒトラーはプロイセン的な伝統を嫌っていて、
宣伝に少し使用した程度なんだけどな。
ホーエンツォレルン家の者を冷遇してたし、
武装親衛隊の師団名に旧プロイセンの伝統を
継承したものはない。
449世界@名無史さん:2014/01/24(金) 10:42:33.97 0
ポーランド戦当初はドイツ国防軍はドイツの武人とポーランドの武人の堂々一騎打ち的な感覚だったらしい。
ところが軍上層部および政府の意図はそんな旧来の「男同士の戦い」とはかけ離れた汚いもので、
それがポーランド戦後のポーランド国内での暴虐行為が明るみになり広く認識されるにつれて
国防軍の士官の間で軍上層部・政府・ナチ党・ヒトラーに対する反感が高まって行った。
450世界@名無史さん:2014/01/24(金) 10:46:30.98 0
【福岡県】痴漢や盗撮、免職も 懲戒処分を厳格化 福岡県が独自指針
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/liveplus/1389403254/1

1 名前:九段の社で待っててねφ ★[sage] 投稿日:2014/01/11(土) 10:20:54.99 ID:???0
 福岡県は相次ぐ職員の不祥事を受け、これまで準用してきた人事院の懲戒処分指針より
処分内容を厳格化した独自の指針を策定した。本年度の懲戒処分の半数を超えている
盗撮や痴漢などの性的非行に対しては処分の上限を「免職」と明記。ストーカー行為や
パワハラなど国指針にない行為への処分指針も盛り込んだ。14日、正式に公表する。

 独自指針は処分内容を、重い順に免職、停職、減給、戒告と規定。国指針で「免職または
停職」となっている酒酔い運転の処分を「免職」のみとし、「停職または減給」となっている
痴漢行為の処分を「免職または停職」とするなど、25項目で国指針より厳格化した。

 近年の犯罪傾向や社会情勢を踏まえ、国指針に記載がない7項目の処分指針も明記。
盗撮とストーカー行為は「免職または停職」とし、パワハラや公文書偽造なども最も重い
処分を「免職」とした。

 独自指針は県のホームページなどで公開する方針。庁内外に明示することで、不祥事の
抑止や県民の信頼回復を図る。九州7県で独自の処分指針を定めるのは熊本、宮崎に
次いで3県目。

 県人事課によると、従来、職員の処分は国指針を基に、過去の事例や他県の事例を
総合的に判断して決定してきた。だが昨年4〜12月、懲戒処分を受けた職員は過去5年で
最多の7人(うち4人が性的非行)に上り、県議会から処分基準の厳格化を求める声が
上がっていた。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_sougou/article/62713
451世界@名無史さん:2014/01/24(金) 10:47:09.84 0
訂正:ドイツの武人→プロイセンの武人

であるからこそポーランド系の出自を持つマンシュタインも当初は気合が入っていた。
人種戦争であるとかいったようなグロテスクな意味合いがあるとは思っておらず、
戦争プロパガンダでポーランド人を貶めていたのを単にあれは戦争プロパガンダの範疇だからであり
政府・党・軍上層部が本気でそう考えている筈がないと思っていた。
452世界@名無史さん:2014/01/24(金) 16:57:48.15 0
>>447
北朝鮮とナチスとか全然関係ないだろう
453世界@名無史さん:2014/01/24(金) 16:59:27.76 0
間違えた…

>>447
北朝鮮とプロイセンとか全然関係ないだろう
454世界@名無史さん:2014/01/24(金) 18:32:41.14 0
ポーランド人って17世紀まで弁髪だったって本当?
455世界@名無史さん:2014/01/24(金) 20:44:01.76 0
まで、というか16-17世紀に政治的保守派の間で弁髪がファッションとして流行した。
456世界@名無史さん:2014/01/24(金) 20:45:38.96 0
中国の弁髪ほどは剃り上げないし伸ばしもしないが。
457世界@名無史さん:2014/01/24(金) 21:16:49.94 0
バートリ、ザモイスキ、ジュウキェフスキ、
コニェツポルスキ、ヤン3世といったサルマチア主義時代の人々は
服はサルマチア風だが弁髪はしていない
守旧派ではなかったからか
458世界@名無史さん:2014/01/24(金) 21:48:32.62 0
ネイティブ・アメリカン、いわゆるインディアンも
弁髪に近い三つ編みをしてたしな
459世界@名無史さん:2014/01/24(金) 22:04:38.87 0
当時のコサックはものすごいチンチンの弁髪
剃り剃りのモヒカンもいる
460世界@名無史さん:2014/01/25(土) 10:35:59.73 0
異動イヤ… 仕事もせず職場に居座り読書の日々 横須賀市職員を処分 [12/22]
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/liveplus/1292947599/

1:菜めし田楽φ ★ :2010/12/22(水) 01:06:39 ID:???0
異動イヤ…職場に居座り読書の日々 横須賀市職員を処分
2010年12月21日23時44分


 神奈川県横須賀市は21日、配置換え命令に従わず、前の職場に居座って毎日本を読む
などしていたとして、男性主任(40)を停職1カ月の懲戒処分にした。仕事は一切割り振られ
なかったが給与やボーナスが支給され、他の職員からも苦情が寄せられていたという。

 市によると、主任は4月1日付で発令された港湾部への異動に従わず、2年近くいた
市民部にそのまま毎日通った。上司や同僚らが迷惑がる中で、空いた席に陣取って
職務に関する本を読んでいたという。一方、港湾部では主任の異動拒否の影響で職員が
1人少ないままになっている。

 市は総務部長らが異動するよう再三、主任を説得。市長名の文書で2度の職務命令を
出したが、聞く耳を持たなかった。主任は異動拒否の理由について「仕事を覚えきって
いない中で、次の職場に異動すると自分の評価が低くなる」と話しているという。

http://www.asahi.com/national/update/1221/TKY201012210472.html
461世界@名無史さん:2014/01/25(土) 16:10:25.22 0
ウクライナのデモ参加者にチンチンモヒカンが多いぞ!
462世界@名無史さん:2014/01/28(火) 20:38:34.53 0
ポーゼン州だけ独立国(ただしプロイセンの属国)にしてロシア帝国との緩衝地帯にした方がよかったかも
463世界@名無史さん:2014/01/28(火) 21:17:37.48 0
そんなことして誰特?
464世界@名無史さん:2014/01/29(水) 09:47:30.58 0
独立国なのに属国とな?
465世界@名無史さん:2014/01/29(水) 12:39:16.82 0
第一次大戦も第二次大戦も保護主義が戦争の原因だから
ポーランドをどうしようともドイツとロシア・ソ連との戦争は不可避だった
466世界@名無史さん:2014/01/29(水) 20:23:44.40 0
>>464
スターリン時代の極東共和国みたいな物じゃないの?
467世界@名無史さん:2014/01/30(木) 13:10:17.16 0
衛星国という言葉があってだな……。
468世界@名無史さん:2014/01/30(木) 21:03:17.53 0
ブータンやネパールは外交をインドに委託しているインドの保護国
469世界@名無史さん:2014/01/30(木) 22:17:07.69 0
近現代ドイツの源泉は神聖ローマではなくプロイセン王国(ドイツ帝国)だが、
もともとプロイセンの宗主国だったポーランドを属国や衛星国にしたら、ワールド・オーダー的に問題あるだろ。
470世界@名無史さん:2014/01/31(金) 10:14:05.09 0
プロイセンの宗主国と言えば選帝侯ヨハン=ジギスムントの代からは
神聖ローマ帝国も加わるんだよねぇ。で、1660年以降はポーランドの
プロイセン公領に対する宗主権が廃止になってる。
471世界@名無史さん:2014/01/31(金) 13:06:52.22 0
プロイセンはポーランドの属国の地位を抜け出した途端
戦乱ばかりの時代に突入して、国は大きくなっても
いっぽうで市民が戦争に駆り出されたり家を奪われたりして
長い間困ることになるんだが、あれはたまたまそういう時代
だったからか、それともポーランドの宗主権を自ら反故にして
野に出た報いか。
472世界@名無史さん:2014/01/31(金) 13:32:51.79 0
>>471
たまたまそういう時代だったからだよ。
でも戦乱の時代は、プロイセン王国の地位向上に有利に働いたけどね。
神聖ローマ皇帝レオポルト1世に兵力を融通することで、曲がりなりにも
フリードリヒ3世は王号を勝ち取ることができたから。

プロイセン軍が最も長期間、どこかで従軍していた時代は兵隊王の時代でも
大王の時代でもなく、フリードリヒ3世の治世だったという指摘が存在する。
473世界@名無史さん:2014/01/31(金) 19:36:25.03 0
>>469
ポーランドが宗主国だったのはプロイセン王国ではなくプロイセン公領では。
プロイセン公領も確かにプロイセン王国のルーツのひとつではあるが、
ブランデンブルク選帝侯領とプロイセン公領の双方がプロイセン王国のルーツで、
前者がポーランドを宗主国としたことはないことや、
前者に属するベルリンの首都の歴史の長さや重要性を考えれば、
プロイセン王国の元宗主国と言えるのかどうか。
474世界@名無史さん:2014/01/31(金) 23:25:08.01 0
王国の法的な主体は当初プロイセン公領のほうだったのでは?
公領がポーランドから独立して王国となりそこの君主がようやく王を名乗ることができた。
当初の王の称号がケーニッヒ・イン・プロイセン。
ブランデンブルクはあくまでドイツ王国の一部分であり王国にはなりえない。

ところで同時代ポーランド王もプロイセンの王なんだな。
東部と西部という形で支配地域が異なるため。
475世界@名無史さん:2014/02/01(土) 01:04:35.53 0
そういや、アウグスト2世(強健王)はザクセン選帝侯でもあったな
あのへんの時代になると、いまいち状況がわからん
476世界@名無史さん:2014/02/01(土) 02:59:15.88 0
ポラック(笑)
477世界@名無史さん:2014/02/01(土) 15:18:06.54 0
>>474
法的や形式的にはそうだろうけど、実質の中心はブランデンブルクじゃね?
名前でいうなら元々プロイセン(プルーセン)と呼ばれていた民族は、
別にプロイセン公領やプロイセン王国の支配層でも中心でもなんでもない訳だし
単に神聖ローマ帝国内の諸侯の名前で王国を名乗るのに差し障りがあったから、
ポーランドから独立してフリーなプロイセンの名前を建前上有効活用した程度じゃね
王国の中心にしては、王国が建国されてから急速に発展したのはベルリンの方だし
478世界@名無史さん:2014/02/01(土) 15:19:31.89 0
>>469
プロイセンが王国になる前にちゃんと独立してるんだからもう関係なくね?
479世界@名無史さん:2014/02/01(土) 19:39:28.80 0
お前らポーランドヲタの妄言に付き合い過ぎ
480世界@名無史さん:2014/02/01(土) 21:23:50.48 0
神聖ローマ帝国外で王号を用いるのに何で皇帝の許可なんか必要になるんだ?
481世界@名無史さん:2014/02/02(日) 12:00:23.08 0
帝国国民が帝国外の土地そのまま持ってたら帝国領として扱われかねんからじゃないの
482世界@名無史さん:2014/02/02(日) 19:16:10.06 0
>>477
>法的や形式的にはそうだろうけど、実質の

こんな言い方をしたら何でも白を黒といいくるめることができるようになってしまう
483世界@名無史さん:2014/02/02(日) 19:17:25.11 0
>>480
「プロイセンにおける王」(ケーニッヒ・"イン"・プロイセン)の場合、許可は必要ない。
中世の場合でもローマ教皇から許可を得るだけで良い。
484世界@名無史さん:2014/02/02(日) 19:55:39.24 0
プロイセンにおける王(König in Preußen)は、
プロイセン国王(König von Preußen)と違って
プロイセンの王の1人ってニュアンスでドイツ第二帝国の
皇帝の称号が正確にはドイツの皇帝(Deutscher Kaiser)で、
ドイツ皇帝(Kaiser von Deutschland)でないのと同様だよね
それじゃ、Deutscher KaiserじゃなくてKaiser in Deutschland
にしてもドイツの皇帝で意味は同じになるってことでいいの?
ドイツ語に詳しい人教えてください
485世界@名無史さん:2014/02/03(月) 10:20:00.17 0
>>480
王を名乗ろうと思えば承認なしでも名乗れるけど、国際的な承認が得られなければ
外交的に孤立する。事実、この「承認」を巡ってフリードリヒ3世は内外の理解を
得ようと奮闘することになった。

>>483
プロイセンの場合、教皇インノケンティウス12世は王位の授与に強硬に反対してたし
フリードリヒ3世もローマ・カトリック教会から授与されることは望まず、単に王位の
承認だけを求めていた。新教国の王だからね。

>>484
「Koenig von Preussen」だと、当時はまだポーランド王国の主権下にあった
ヴァルミアとポメレリア西部にまたがるプロイセン全土の支配権を主張している
ように受け止められるリスクがあった。「Koenig in Preussen」ならまだ、自分の
公国「内」で王位を名乗るだけだと言えたわけ。
486世界@名無史さん:2014/02/03(月) 10:28:43.40 0
Kaiser von Deutschlandだとオーストリアが入ってないのにKaiser von Deutschlandとな?ということになってしまう
487世界@名無史さん:2014/02/03(月) 10:32:20.27 0
もともと近代以前の王号はカトリック教会の教皇権の下にあるので、
旧制度ではプロテスタント国家は王号は持つことは許されないのと、
カトリック国(ポーランド等)の王に対し君主が公として臣従し、
カトリック国の属国になるかしないといけない。(ポーランドの属国だった頃のプロイセン)
488世界@名無史さん:2014/02/03(月) 10:44:04.03 0
>>486
Kaiser in DeutschlandならOKなんだよね
ドイツ語的にKaiser in DeutschlandとDeutscher Kaiserは
意味が同じと考えてもいいですか
489世界@名無史さん:2014/02/03(月) 10:52:56.33 0
>>488
比較できない。なぜなら1871年以降のドイツ帝国の国号は「Deutsches Reich」
なので。「Kaiser von Deutschland」がNGだった理由は>>486さんの言う通り。
結局「ドイチュラントの中の王(Kaiser in Deutschand)」ならオーストリアを
含んでしまう。「ドイツ人の皇帝(Deutscher Kaiser)」なら無難だけど。
490489:2014/02/03(月) 10:59:46.81 0
三行目の「なら」は「でも」に訂正します。
491世界@名無史さん:2014/02/03(月) 11:52:30.64 0
プロイセンの王がいいんならドイチュラントの皇帝もいいような気がするが
ポーランド王領プロシアがあるから全プロイセンの王を意味するプロイセン国王
じゃなくてプロイセンにおける王にしたんだから全ドイチュラントの皇帝じゃなくて
ドイチュラントにおける皇帝なら問題ないように思えるんだが
皇帝と王では同じようにいかないものなのかな
492489:2014/02/03(月) 12:05:37.24 0
オーストリア皇帝もドイチュラントの一部を治めてるから
ドイツ皇帝も「ドイチュラントの皇帝」を名乗ると問題があるんよ

国号は「ドイチュラント」じゃなくて「ドイチェス・ライヒ」だから
プロイセンが取った手段も真似できないしねぇ
493世界@名無史さん:2014/02/03(月) 12:19:35.24 0
プロイセン全土じゃなくてポーランド王領プロシア以外のプロイセンを支配していたから
プロイセン国王じゃなくてプロイセンにおける王、
ならばドイツ全土じゃなくてオーストリアを除いたドイツを支配しているんだから
ドイツ皇帝じゃなくてドイツにおける皇帝(ドイチュラントの皇帝)でよさげだが
 
もしドイチェス・ライヒじゃなくてカイザーライヒ・ドイチュラントにしていたら、
大丈夫だったか
494世界@名無史さん:2014/02/03(月) 12:48:38.96 0
ポーランド王の別称もドイツ語表記でプロイセンにおける王
プロイセンにおいては王が2人いた
1660年以降は支配地域が違っていた為
495世界@名無史さん:2014/02/04(火) 00:27:07.74 0
そういえばユトレヒト条約にこんな条項あったな

>別記条項
フランス王は自らとその継承者の名において,またフェリペ五世から託された権限委任状に基づきスペイン王とその継承者の名において,
プロイセン王(Roy de Prusse)とその世継ぎ,継承者に国王陛下の称号を認める.
この別記条項に関し,フランス王はスペイン王の批准書を二か月以内に取りつけるものとし,
これも条約本文と同じ効力をもつ.

http  //www.h4.dion.ne.jp/~room4me/docs/utrecht.htm
496世界@名無史さん:2014/02/17(月) 19:27:35.86 0
ドイツの諸君主国が第一次大戦で全滅したのは、つくづく悔やまれる。
あれだけの数の君主が一度にふっとんでしまうなんて、第一次大戦は歴史的な大変革だったんだな。
497世界@名無史さん:2014/02/18(火) 09:38:18.10 0
まあ第一次世界大戦のはるか前から、ドイツ人には統一願望が
あったんだけどな。ファラースレ―ベン作詞の国歌なんて、
3番の最初の言葉が「Einigkeit(統一)」だ。
498世界@名無史さん:2014/02/18(火) 19:03:32.37 0
バイエルンくらい単独で王政復古できなかったのかな。
ヴァイマル大公国もゲーテやシラーが仕えてた名君の治める文化国家だったんだから、
大公家は領民から慕われてたと思うんだが、あっさり滅びてしまうなんて・・・
499世界@名無史さん:2014/02/18(火) 19:30:00.69 0
経済的メリット&デメリット
500世界@名無史さん:2014/02/19(水) 10:25:42.26 0
だいたい第一次大戦後の革命のせい。
だけどプロイセン王家、バイエルン王家を含む
各地の貴族は残存して今日も元気だからいいじゃん。
玉座から降ろしても結局問題なかったってこともある。

今でも王侯貴族が好きならリヒテンシュタイン侯のファンに
なるべし。
501世界@名無史さん:2014/02/19(水) 19:14:50.40 0
ゲーテがヴァイマル大公国の宰相をつとめてたというのは、
日本に置きかえたら、高名な学者が大名家の家老になったようなものか。
備中松山藩の家老の山田方谷みたいな。
502世界@名無史さん:2014/02/20(木) 09:45:23.05 0
どっちかと言えば本居宣長あたりの方がゲーテと共通点多いような気がする。
さすがにゲーテと文学は切り離せない。宣長はどこにも仕官してないけどさ。
503世界@名無史さん:2014/02/20(木) 14:55:19.52 0
>>498
旧ドイツ帝国の王侯家が集まる会みたいなのはないの?
やっぱプロイセン王家は他の王侯家から鼻つまみ扱い?
あの糞カイザーのせいでうちの先祖は君主の地位を失ったのに、
自分らだけ金銀財宝を大量に積み込んでオランダに逃げやがってとか。
504世界@名無史さん:2014/02/20(木) 15:00:16.87 0
第一次大戦の負けが決まりかけのころとか、
よく他の構成国からプロイセンに対する反乱とか起きなかったな。
ドイツ帝国憲法では構成国は抜けられないことになってたけど、
バイエルンあたり、バイエルン王国は独立する、
ドイツ帝国は解散しろとか反乱起きてもよさそな感じなのに。
505世界@名無史さん:2014/02/20(木) 18:13:32.22 0
>>503
どうだろうね。多くの君主は統治者としての地位は失っても、
爵位は保持してたし資産の全てを失ったわけでもない。
ヴィルヘルム2世のオランダ亡命を巡ってもヴェルサイユ条約第231条の
受け入れ問題があった以上、批判する人ばかりじゃなかったと思う。

>>504
推測だけど「今バラバラになってどうする」って思惑が諸侯の間で
働いてたのかねぇ。外国の脅威に対して一致できてない、というのは
ドイツが1871年以降、やっと解決できた長年にわたる懸念事項だったし。
506世界@名無史さん:2014/02/21(金) 20:23:30.39 0
ケーニッヒベルクをドイツ帝国の首都にしなかったのは何故?
507世界@名無史さん:2014/02/21(金) 20:28:18.39 0
ケーニヒスベルクのことか
もともと国名こそプロイセンだが実態は、
ブランデンブルクがプロイセンを吸収したようなもんで
ドイツ帝国以前からプロイセン王国の首都はベルリン
508世界@名無史さん:2014/02/21(金) 20:41:55.69 0
地図見れば分かるけど、あそこはドイツ帝国時代東の果てすぐるしな
まあ今のベルリンも東に寄ってるけど
だから東西ドイツの時は赤い海に浮いた自由の島状態になった
509世界@名無史さん:2014/02/21(金) 20:58:21.83 0
カントが終生ほとんどケー二ヒスベルクから出なかったということに驚き。

ひとつの街に引きこもってたようなもんなのに
なんであれだけ広い視野を持てたんだろ。
510世界@名無史さん:2014/02/21(金) 21:29:44.16 0
一つの町にいたからと言ってその町の外の世界の文物、人に触れないというわけでもない
511世界@名無史さん:2014/02/21(金) 21:55:10.93 0
プロイセンとシュレジエンを持っていた頃のベルリンは正にドイツの中心だった
512世界@名無史さん:2014/02/21(金) 22:17:59.66 0
513世界@名無史さん:2014/02/21(金) 22:57:43.67 0
>>508
それを考えたら、ロシアのサンクトペテルブルクなんか西過ぎるどころじゃないな
よくあんなところに首都を置いたものだな
いくらバルト海に面したいい立地といっても防衛上やばいと思わないのか
514世界@名無史さん:2014/02/21(金) 23:35:54.72 0
ピョートル大帝の西欧への憧れによるものなんだろう
モスクワが安全かというと、そうでもないしな
モンゴル系の諸勢力も依然強力だったし
ピョートル大帝の頃まで、クリミアに貢税を納めていたようだぞ
515世界@名無史さん:2014/02/22(土) 19:30:03.70 0
クリム・カン国って名前だけ見たら、おとぎの国みたいなロマンチックな響きだけど、
実際にはジュチの末裔だから朝青龍顔の弁髪オヤジの支配する国だったんだろうな。
516世界@名無史さん:2014/02/24(月) 22:35:16.50 0
もし大ドイツとして統一されていたら、首都はヴィーンにもベルリンにも置けないから、ドレスデンとかプラハとかになっていたかな。
517世界@名無史さん:2014/02/25(火) 00:10:19.91 0
プラハはないだろう、あそこは神聖ローマ帝国内といってもチェコなんだから
無難なところでフランクフルトになったんじゃないか
大ドイツになった場合ドイツは帝制になったのか、それともUAE型共和制か
そこのところが気になるな
その場合オーストリアはドイツに入る部分(ボヘミア・クライン含む)と入らない部分
を切り分けてドイツ部分だけでオーストリア帝国としてドイツに入って、
ドイツとハンガリー王国、ガリツィア・ロドメリア王国など他の領地で
更に連合を結成
でドイツの元首(皇帝ないし大統領)とドイツの構成国オーストリアの皇帝および
ハンガリー王など他領地の王を兼任というややこしい形になったんだろうか
518世界@名無史さん:2014/02/25(火) 09:53:38.29 0
カール大帝ゆかりの地、アーヘンに一票。
519世界@名無史さん:2014/02/25(火) 11:09:25.33 0
EUはブリュッセルからベルリンに遷都するかもという話があるな。
ただこれはドイツ帝国の復活などではなく、共和国(合衆国)としてのEUの首都として。
拡大EUを見たとき地政学的にちょうどいい位置にあり、交通も便利だから
ドイツ帝国の思想とは真っ向対立して、結果的に同じベルリンで落ち着くというのは面白い。
520世界@名無史さん:2014/02/26(水) 12:52:20.27 0
宗教から歴史、政治経済まであらゆる情報の宝庫!

本日の講義は「大日本帝国は生きている・ヒトラーの予言」です。

ヒトラーの本当の姿とは???

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/
521世界@名無史さん:2014/02/27(木) 00:56:57.09 0
大ドイツならかつての帝国議会もあったニュルンベルクでええやん
オーストリアさんも近場だしな
522世界@名無史さん:2014/02/27(木) 01:28:43.64 0
ドイツ帝国とオーストリア=ハンガリー帝国を合わせた領域を地図でみると、
地理的にはウィーンがドンピシャで真ん中に位置してるんだよな
523世界@名無史さん:2014/02/27(木) 03:31:26.79 0
FM-7用ゲーム 「ノルマンディー上陸作戦」「核戦争」
http://ameblo.jp/koorogiyousyoku/entry-11424564351.html
524世界@名無史さん:2014/02/27(木) 20:36:57.18 0
>>522
ただドイツ帝国全域とオーストリア帝国で面積も半々かややドイツ有利程度くらいだから
大ドイツやったらオーストリアの属国になってまうって危惧もわかるんだよな

プロイセン相手ならまだ一方的な属国ではないって形にはできそうだと思うのもしょうがない
525世界@名無史さん:2014/02/27(木) 20:56:15.58 0
プロイセン王がドイツ帝国皇帝を兼任していたがプロイセン王国の内政はナンバー2が実質のトップだった気がする
526世界@名無史さん:2014/02/27(木) 21:59:00.84 0
EUの本部がベルリンになったら、世界首都ゲルマニアに改名して、シュペーアの設計を再現したらいい
527世界@名無史さん:2014/02/27(木) 22:03:01.18 0
>ゲルマニア
>シュペーアの設計

前に本で構想図見たけど、いかにも悪の帝国の巨大建築って感じだったな。
ナチスへの俺の悪感情のためにそう思ったんだろうか。

「うわ、でけえ」とは思うが、美やましてや人間味は感じなかった。
528世界@名無史さん:2014/02/27(木) 22:07:21.72 0
ヒトラーが大嫌いだったというウィーンのホーフブルク(ハプスブルク家の皇居)見てみたいな。
各時代の建築を継ぎ足しに継ぎ足しで建築のごった煮という感じらしい。

ヒトラーはオーストリア併合演説を
かつて皇帝が立っていたバルコニーからやった。
529世界@名無史さん:2014/02/27(木) 22:09:45.43 0
そういえばベルリンの旧皇宮が再建されるんだよな。
中は博物館になるらしい。

これも俺の偏見だが、予想復元図見たら「あまりにも画一的」
華麗な宮殿というより「大きな箱、お役所」ってのが第一印象。
530世界@名無史さん:2014/02/27(木) 22:15:33.00 0
>>529
内装を現代建築家に任せたせいだ
ドイツ人は「重厚さ」や「伝統」がナチに結びついたのを懸念する余りそれを捨て去ろうとしているらしい
531世界@名無史さん:2014/02/27(木) 22:29:30.86 0
大ドイツ主義で想定されてた新国家の版図って、ドイツ連邦とほぼ同一でいいのかな?
現代でいうと、ドイツ+ポーランド西部+チェコ+オーストリア+スロベニアといった感じだけど
532世界@名無史さん:2014/02/27(木) 22:56:29.02 0
>>524
オーストリアの非ドイツ部分を分離しての大ドイツ主義か、
ドイツ連邦にドイツ連邦外のオーストリア・プロイセン全域
をあわせた7000万人中欧帝国かで違ってくるんじゃないの
大ドイツの、オーストリア内のドイツ人人口と
プロイセン内のドイツ人人口を比べたらプロイセンの方が
多くなるんじゃなかったっけ
大ドイツにせよ小ドイツにせよ、プロイセン全域がドイツになるなら
プロイセン内のポーランド人を含むようになるんだけど、
そこはオーストリア内のハンガリー人やルーマニア人と違って、
人数が少ないから別によかったのか 
 
>>525
プロイセン王国のナンバー2ってプロイセン首相(ほぼ帝国宰相兼任)のことか
533:2014/02/27(木) 23:14:31.59 0
第三帝国とワーグナーの音楽の関係が深かったと聞いたけど、
ドイツ人はワーグナー聴くのに抵抗無いんですか?
534世界@名無史さん:2014/02/27(木) 23:59:31.29 0
ワーグナー死後に息子の嫁がヒトラーと親しくしただけだし、いいんじゃねーの
ワーグナー自身も人並みにユダヤ嫌いではあったけど、19世紀時点では度を越したレベルではなかった
単にナチに好まれたことをもって叩くってのは、「坊主憎けりゃ袈裟まで」の典型だろう
535世界@名無史さん:2014/02/28(金) 00:36:50.56 0
抵抗ないよ。カラヤンもフルトヴェングラーも
戦後に普通にヴァーグナーの曲を指揮してるし。
536世界@名無史さん:2014/02/28(金) 10:13:35.78 0
それどころかポーランド北部のリゾートタウンのソポトでは毎年ワーグナーウイークがあって、
一週間ぶっ続けで市内各地でワーグナーの音楽を奏でる祭りがあるんだが。
こうしてポーランド人でさえ素直にワーグナー作品鑑賞を楽しむ。

要は第三帝国(自称)なぞワーグナーへの勝手な片思いをしていただけだろ。
537:2014/02/28(金) 23:36:08.42 0
どうもです
一貫したユダヤ人嫌いだったわけではないみたいですね
複雑に思ってる人がいるにはいるんでしょうが
538世界@名無史さん:2014/03/01(土) 00:37:28.39 0
ユダヤ系米国人監督でワーグナー愛好家の人がそれをテーマにしたドキュメンタリー撮ってたよ
親族からは、他にいくらでも音楽家がいるのになんでまた・・・と非難めいた言もあったね
539世界@名無史さん:2014/03/01(土) 13:15:01.32 0
ワーグナーやチャイコフスキーは低劣で分かりやすい音楽だから
一般の人を対象にした音楽祭向きであるし、ヒトラー程度の精神レベルならちょうどよく鑑賞できる。
540世界@名無史さん:2014/03/01(土) 15:44:56.42 0
クマー
541世界@名無史さん:2014/03/01(土) 22:22:41.51 0
ワーグナーは、ユダヤ系でプロテスタント信徒という
複雑な生い立ちのメンデルスゾーンに自分が作曲した楽譜を送ったところ
置き場所を忘れられて放置されてそれを怨んでいたって説を読んだな。

ワーグナーがユダヤ人を差別したのは事実だから
やっぱ思想家としては(作曲と思想活動を兼ねていた)俺は色眼鏡で見るよ。
542世界@名無史さん:2014/03/01(土) 23:11:27.39 0
パリで頼ったマイヤベーアがあちこち売り込んでくれたのに評判が悪かったのを逆恨みするし
ぜったいワーグナーとは個人的には付き合いたくない
543世界@名無史さん:2014/03/02(日) 01:46:41.42 0
民族復古のロマン主義の風吹き荒れるなかキリストの神ではないゲルマン固有の神の復活を激しく希求していたニーチェはワーグナーが音楽を通じゲルマン人の神話を蘇らせようとした行為に賛同し称賛していた
しかし蓋を開けて見ればゲルマン人の神話ではなく、はるか昔に親戚だった北欧神話の中にかすかに残るゲルマン的な要素の抜粋にすぎず、
なによりもワーグナーが作り上げたものは、自身を神とする新たなワーグナー神話だった(そしてそれがワーグナーの望みだった)
ニーチェは失われた神(=民族の伝統、精神、アイデンティティ)は二度と蘇らないと絶望し自殺した
544世界@名無史さん:2014/03/03(月) 17:37:20.89 0
ニーチェは自殺などしてないんですが……
545世界@名無史さん:2014/03/03(月) 18:01:45.92 0
ニーチェの「神は死んだ」の真意は
「いまの時代は信心もなにもあったものじゃない」(=現代は絶対的な道徳律が失われている)
であり、彼はそれについて良いも悪いも言っていない。

そもそもニーチェ個人は自分がポーランド貴族の家系で
3代前はプロテスタント牧師としてポーランドからやってきたと本気で信じていた。

余談だがメルケル首相のじいさんは本当にポーランドからやってきた牧師さんだった。
546世界@名無史さん:2014/03/03(月) 18:15:31.14 0
ニーチェの元の形が「ニツキ」で、「〜ツキ」はシュラフタ階級の名前だから
少なくともニーチェはゲルマン讃美者じゃない
547世界@名無史さん:2014/03/03(月) 18:40:31.79 0
家系の真相はわからないが、少なくともニーチェ本人は普通にポーランド系と信じていたらしいな
『この人を見よ』でも冷静にそれを書いている
これはまだ脳の病気が進行していなかった時期の版(日本語版だと岩波の)
548世界@名無史さん:2014/03/03(月) 18:44:50.50 0
帝国には、民族出自関係ないシャルルマーニュ大帝的な帝国と
ナチ的な民族主義まるだしの帝国のふたつがある

ドイツ帝国は前者から後者へ変容する時期にあり、その帝国観もあやふや
少なくとも伝統的なプロイセンの意識では意外と排他的ではなくポーランド人も結構いたりして
国会にはポーランド人たちも議員を務めていた
これがヴィルヘルム2世とビスマルクにより後者へ変容するにつれ、
コルファンティのような議員たちが「ドイツ」から離反していってしまう
549世界@名無史さん:2014/03/03(月) 21:35:29.72 0
プロイセンはカトリック圏で弾圧された人々の
受け皿の一つだったからな。大選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムの
頃から宗教や移民には非常に寛容だった。
550世界@名無史さん:2014/03/03(月) 21:36:05.17 0
ニーチェがキリスト教を敵視したのはよくわからない。

ニーチェが精神を病んでしまってから廃人同然になって余生を送ったのは
キリスト教の慈善施設じゃなかった?だとしたら皮肉も皮肉だな。

弱者を敵視、軽蔑したニーチェが自分ひとりでは
糧も得られない弱者そのものになって
キリスト教の博愛精神で命をつなぐことができたんだから。
551世界@名無史さん:2014/03/03(月) 21:38:02.12 0
ポーランド人は、「われわれはプロイセン人にはなれてもドイツ人にはなれない」と言ったそうな
ドイツ・オーストリア・ロシアのうちポーランド人にとって一番よかったのはどの国の支配なのか
552世界@名無史さん:2014/03/03(月) 21:51:56.95 0
ニーチェはキリスト教を敵視していたけど
唯物論者ではないよな?でもナチスのような北欧神話信者でもない。
そこら辺もわからないことばかり。

結構ドイツでも新興宗教あるな。ルーデンドルフ将軍は
第一次大戦後キリスト教信仰を棄てて北欧神話の復興を唱えてた。

でもそのルーデンドルフはキリスト教の信仰短言集を
戦時中は座右に置いて慰めにしていたと聞くから、人間どうなるかわからんね。
553世界@名無史さん:2014/03/03(月) 21:55:57.44 0
同化政策を積極的に行わないって意味で、とくに二重帝国以降ならオーストリアは他民族国家として、まずまずいい支配者だったんじゃないかな
そのぶん頼りにもならないが

ベストは緩衝国として独立だろうが、相当高度な外交技術がいる
554世界@名無史さん:2014/03/04(火) 10:57:06.35 0
ベストはポーランド・リトアニア共和国の復活
555世界@名無史さん:2014/03/04(火) 11:15:28.26 0
ポーランドは今でも緩衝国家やがな
556世界@名無史さん:2014/03/04(火) 11:32:22.62 0
>>555
今でもってアンタ
戦争が不法行為になって100年近く経ち、冷戦を経て拡張主義が流行らない現在と、ポーランド分割支配当時じゃ、緩衝国家の有り様は天と地ほど開きがあるだろ
557世界@名無史さん:2014/03/04(火) 14:59:09.17 0
>>556
何が言いたいのか分からない。俺は緩衝国家の有り様まで問題にはしてないじゃん。
558世界@名無史さん:2014/03/04(火) 15:24:32.98 0
今のポーランドは緩衝国家ではない
アイスランド、ノルウェー、フィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナ、モルドバ、が緩衝国家

というよりもこれから欧州の中心はドイツ=ポーランド枢軸となるだろう
EUは首都機能がブリュッセルからポーランドに近いベルリンに移る
前世期と異なりこれは100%ポーランドに有利となろう
559世界@名無史さん:2014/03/04(火) 16:02:06.06 0
ドイツも加盟してるNATO軍にとって一番の仮想敵はロシア軍であり、
ワルシャワ条約機構も存在しない現在に至るまでの間、ドイツは必死に
ポーランドとの関係を改善して来た経緯があるんだけどな。
再びポーランドが敵に回り、ロシア軍の通行を許すとかドイツにとっては
悪夢だから。

何よりブッシュ大統領が推進したポーランドに迎撃ミサイルを配備しようと
した時、ロシアが示した反応がポーランドの緩衝国家としての立場を浮き彫りに
してる。
560世界@名無史さん:2014/03/04(火) 17:17:04.19 0
西欧社会ポーランドを緩衝国家だとしたいのはロシアだけ
ところがその思い込みもこの東欧ウクライナ政変で崩れつつある
緩衝地帯はポーランドではなく東欧にあるという事実にロシアも気づいた
561世界@名無史さん:2014/03/04(火) 17:19:44.00 0
ポーランドも東欧なんですが、そこは……
562世界@名無史さん:2014/03/04(火) 17:24:59.14 0
ドイツと旧ソ連圏の双方と国境を接するポーランドが東西ヨーロッパの
緩衝地帯でないなどと強弁するのは無理があり過ぎるだろwww
563世界@名無史さん:2014/03/04(火) 17:28:15.13 0
606:名無しさん@3周年 :2014/02/05(水) 01:58:11.64 ID:pXlwTBXA
【訴訟】人事院勧告に基づかない給与削減の特例法は違法である…国家公務員240人が国を提訴[05/25]
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1337896473/

 人事院勧告(人勧)に基づかずに国家公務員給与を引き下げる特例法は憲法違反だとして、
国家公務員約240人らが25日、国を相手に、給与の減額分や慰謝料など
約4100万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こす。

 原告は、全労連系の日本国家公務員労働組合連合会(国公労連、10万人)と、傘下の組合員。

 国家公務員は憲法で保障された労働基本権の制約を受け、
給与改定に関われない代償として、人勧に基づき給与が決まる。
しかし、今年2月に成立した特例法は、4月から2年間、
人勧が示した平均0.23%の引き下げ幅を大きく超える同7.8%引き下げとした。

 原告側は「人勧に基づかない引き下げは労働基本権の侵害で違憲」と主張。
4月の削減分や1人10万円の慰謝料などを求めている。

 人勧が示した水準を超える給与引き下げは、1948年の人事院発足後初めて。
年約2900億円の削減分は東日本大震災の復興財源に充てられる。

ソース 時事通信 2012/05/25-06:16
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012052500068



607:名無しさん@3周年 :2014/02/05(水) 01:59:25.33 ID:pXlwTBXA
公務員の給与額は、俺たち公務員が決める。
誰も口を出すな・・・ということらしい。
564世界@名無史さん:2014/03/04(火) 18:11:13.89 0
>>557
じゃあいつから緩衝国家なんだい?
565世界@名無史さん:2014/03/04(火) 19:36:57.68 0
>>557じゃないけどソ連の崩壊後から明らかに緩衝国家だろ
566世界@名無史さん:2014/03/05(水) 14:27:15.94 0
ポーランドが緩衝国家だったのは冷戦時代まで
厳密に言えばNATO正規加盟が実現するまでのことだった
それ以降であればどう強弁しても2004年のEU加盟まで

現在はロシアとEUの間にNATOにもEUにもロシア連邦にも
正規加盟していない諸国があるが、これらが緩衝国家

歴史はただしく勉強しよう
567世界@名無史さん:2014/03/05(水) 14:41:07.44 0
緩衝国家かどうかを決めるのは同盟関係じゃない。
タイ王国は英仏植民地間の緩衝地帯として独立を
保ったけど、その二国と同盟してたわけじゃない。

何よりポーランドにミサイルが配備されようとした時、
譲歩と引き換えにその撤回を求めたロシアがウクライナの
事態についてはアメリカに何の妥協もしてない。つまり
ウクライナはロシアにとって譲れない、自らの勢力圏であって
緩衝地帯などではない。
568世界@名無史さん:2014/03/19(水) 13:04:49.18 0
あれ?ポーランドってEUでシェンゲンでNATOじゃん。
緩衝国家なわけあるかよ。完全な西欧勢力圏じゃん。

いっぽうウクライナはどれにも入ってないしロシアと軍事同盟も組んでない。
つまりウクライナはロシアが「勢力圏に再び入れたい」緩衝国家で、まだロシアの勢力圏ではないな。
ましてや今の騒動でクリミアを除いたウクライナ全土がロシアからさらに離反してしまった。
569世界@名無史さん:2014/03/19(水) 17:43:50.01 0
今更スレ違いの話を蒸し返して何がしたいんだ?
570世界@名無史さん:2014/03/19(水) 17:56:59.03 0
ドイツ帝国は当初からおかしかったということさ
プロイセン王国の民族リベラルの社会規範がヴィルヘルム2世とビスマルクのせいで崩壊した
特に文化闘争のために、コルファンティやラジヴィウといった、それまで
プロイセン社会中層上層にいたポーランド人たちがみな離反してしまった
571世界@名無史さん:2014/03/19(水) 18:02:07.95 0
文化闘争まではドイツ系vsポーランド系といった民族主義の区分けは弱く、
ポーランド語圏の住民は自然にドイツ社会と統合していた
それなのになんでわざわざ引っ掻き回すようなことをしたのか?
もしかしたらビスマルクは若いころポーランド系の誰かと個人的確執があったのか?いじめに遭ったとか
572世界@名無史さん:2014/03/19(水) 18:58:40.66 0
拙速なんだよな当時のドイツ人は。
573世界@名無史さん:2014/03/19(水) 21:03:59.97 0
ドイツ帝国成立前は日本で言えば戦国時代のような物だったんだな
574世界@名無史さん:2014/03/20(木) 10:15:28.64 0
明治政府に政権が移るまでの間、gdgdの戊辰戦争を戦ってきた日本人に
とっては笑えない経緯だな。
575世界@名無史さん:2014/03/20(木) 20:23:55.65 0
プロイセンの学校ってやっぱドイツ語授業でポーランド系の国民も
ドイツ語強制でポーランド語とか禁止だったのか
576世界@名無史さん:2014/03/20(木) 21:35:35.62 0
ドイツ系の小国=弱小大名
プロイセン王国=豊臣政権
577世界@名無史さん:2014/03/20(木) 21:57:48.29 0
プロイセンが薩摩でオーストリアが徳川の方がしっくりくる
578世界@名無史さん:2014/03/20(木) 22:33:10.43 0
琉球=ポーランドという位置づけってことか
579世界@名無史さん:2014/03/20(木) 22:59:04.49 0
ヴィルヘルム二世はなぜ両親のような自由主義者にならなかったのだろうか
580世界@名無史さん:2014/03/21(金) 03:04:57.69 0
>>576
豊臣政権は二代、秀頼になってからの凋落っぷりを入れると実質一代といってもいいくらい短命だったけど、
プロイセンは王国成立から二百年続いたし、初代以外にもフリードリッヒ大王とかいるからかなり違わね?
今でもドイツ人にとっては父のような国だというし
581世界@名無史さん:2014/03/21(金) 05:57:38.79 0
端っこの方の国で、軍人が年がら年中オッスオッス言って訓練してるジャガイモ王国
582世界@名無史さん:2014/03/21(金) 15:46:27.27 0
バイエルンは方言も文化も乖離があるし、長い目でみりゃオーストリアと一緒になったほうがよかったろうなぁ
583世界@名無史さん:2014/03/21(金) 17:51:59.04 0
>>581
それジャガイモ王国をお米帝国に入れ替えたら明治から昭和の日本にも
当てはまるじゃないですか、やだー!
584世界@名無史さん:2014/03/22(土) 14:45:37.80 0
>>575
国内公用語はドイツ語だったが、
文化闘争までは特にポーゼン地方でポーランド語の初等中等教育は認められていて、
地方行政の枠内では第二公用語としてポーランド語が認められていた。
585世界@名無史さん:2014/03/22(土) 14:49:31.56 0
元々ホーエンツォレルン家はポーランドとその文化に対して一定の経緯は払っていたようだ。
それがヴィルムヘルム2世の代になり身体障害の劣等感が嵩じてこじれた彼自身のメガロマニアもありおかしくなった。
586世界@名無史さん:2014/03/22(土) 14:51:29.31 0
経緯→敬意
587世界@名無史さん:2014/03/22(土) 15:46:32.08 0
今日はヴィルヘルム1世の誕生日か
588世界@名無史さん:2014/03/23(日) 23:18:11.45 0
>>585
カイザー、自分も先祖をたどれば女系でポーランド王も血を受け継いでるのに
589世界@名無史さん:2014/03/24(月) 20:55:35.25 0
欧米では主食としてのライスは奴隷のエサだからな。
一般には付け合せかおやつ程度の扱い。
そんなものを主食にしてありがたがってるアジア人はさぞ変に映るんだろうな。
590世界@名無史さん:2014/03/24(月) 21:02:36.62 0
日本の学ランはプロイセンの軍服が原型
591世界@名無史さん:2014/03/24(月) 21:21:31.85 0
いや、原型はポーランド軽槍騎兵隊ウーランの制服
ポーランド滅亡後プロイセン軍でポーランド人騎兵隊ウーランが組織されて
彼らの活躍でその制服が軍服のスタンダードとしてプロイセン軍のみならずフランス等へ広まった
これが日本で参考にされた
592世界@名無史さん:2014/03/25(火) 16:28:11.50 0
>>589
お前さんはリゾットやパエリアに舌鼓を打つ全ての人を敵に回した。
593世界@名無史さん:2014/03/25(火) 21:41:39.63 0
ロシア人「パロフもなしに祝い事とな?」
594世界@名無史さん:2014/03/26(水) 14:23:01.05 0
>>589
ヨーロッパでのコメの値段って今は日本とそう変わらないし
昔なら18世紀後半のオーストリアでの値段だと1ポンド(450グラム)、9クロイツァーもした。
牛肉が1ポンド、6クロイツァーで、洗濯女の一日の労賃が10クロイツァーだったから、
今も昔も奴隷の餌にできるような安物じゃなくね?
595世界@名無史さん:2014/03/26(水) 14:54:35.67 0
だいたい、地中海側はみんなコメくってんだよな
スペイン、イタリア、ギリシャ、トルコとそれぞれ名物料理をもっている
蛮族時代から変わらぬ味オンチの北ヨーロッパ人は、そういう意味ではかわいそうになってくるわ
唯一コメ料理で定着したのが、ライス・プディングなんだぜw
596世界@名無史さん:2014/03/26(水) 14:57:48.57 0
世界三大料理のイタリア、トルコ、中国全て米食う国だしな
597世界@名無史さん:2014/03/26(水) 18:33:18.39 0
イタリアなんて中国がパスタ伝えなきゃ碌な食いもんない。あと新大陸からのトマト
598世界@名無史さん:2014/03/27(木) 06:06:28.23 0
>>597
アピキウス「ローマ時代忘れんな(#^ω^)ピキピキ」
599世界@名無史さん:2014/03/27(木) 14:31:01.25 0
※595
北ヨーロッパっつーかドイツだって余裕で北海道よりかなり北にあるんだ。
米どころか、品種改良される前は小麦さえ育たなくて、大麦や燕麦、ライ麦
なんかで糊口を凌いでいたんだよ。辛うじて南ドイツで小麦が取れる程度だった。
必要に迫られて麦を食ってたわけで、ぶっちゃけ味覚は関係ない。
600世界@名無史さん:2014/03/28(金) 08:59:01.20 0
>>597
パスタだけが小麦粉使ったイタリア料理だと思ってる君は無知。
フレンチの原型はイタリア料理だぞ?
601世界@名無史さん:2014/03/28(金) 17:44:55.93 0
ぜんぶ589のせい。
602世界@名無史さん:2014/03/28(金) 18:41:47.65 0
>>599
その割にはドイツ帝国は人口が多かった
603世界@名無史さん:2014/03/28(金) 23:28:34.48 0
産業革命を経ると穀物の大産地に人口は密集しなくなる
604名無しさん:2014/03/29(土) 10:23:42.46 0
産業革命の影響だとすると
鉄道などの輸送手段の発達だよね。
ジャガイモ量産化とどっちがメリットあったんだろ。
人口密集的には。
605世界@名無史さん:2014/03/29(土) 15:19:22.69 0
輸送手段よりも工場や商店での雇用だろ
先に雇用ありき
だからこそ都市部の物価はさらに高くなり欧州あちこちがディケンズの世界となる
606世界@名無史さん:2014/04/06(日) 19:27:31.90 0
ドイツとか英国はマルクスがうれいていた様な酷い都市環境を再現して
観光化したら面白いんじゃないか
607世界@名無史さん:2014/04/11(金) 08:38:05.11 0
>>583
あてはまらねえよ。
すでに大正時代は軍服着て街中歩くのが恥ずかしいと言われる時代だった
608世界@名無史さん:2014/04/11(金) 09:37:52.64 0
それが昭和の初め頃には、男の子は「そんなんじゃ兵隊さんになれないよ!」と
言われつつ育てられるようになるんだ……。
「末は博士か大臣か」の別パターンって「末は博士か大将か」だしな。
609世界@名無史さん:2014/04/11(金) 18:33:01.31 0
>>604
ジャガイモといえばフリードリヒ大王だと当時のプロイセンの人口見たらすげー増えてた
けどシレジアとポーランド分割分で領土増えてるから、
何処までが人口増加分で何処までが領土増加に応じた人口増加分なのか分かんなかった…
610世界@名無史さん:2014/04/11(金) 18:48:24.24 0
>>609
フリードリヒ大王がジャガイモの普及に努めていた頃のプロイセンじゃ、
ジャガイモだってご馳走だったからね。イモの影響が出るのは、もう少し
後の時代になってからだと思うよ。
611世界@名無史さん:2014/05/31(土) 02:10:24.83 0
age
612世界@名無史さん:2014/08/02(土) 12:59:07.57 0
ケーニヒスベルクをドイツに返還すべき
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1406360612/
613世界@名無史さん:2014/08/04(月) 21:50:28.42 0
ケーニヒスベルクって訳したら王山か
614世界@名無史さん:2014/08/07(木) 00:51:32.06 0
フォン ローン大臣がドイツ統一の三英雄の1人ってほんとですか?
どのような功績ですか?
615世界@名無史さん:2014/08/07(木) 03:07:05.17 0
>>614
ビスマルクやモルトが活躍できる環境を作った。
616世界@名無史さん:2014/08/18(月) 23:52:06.76 0
ローンっておまけみたいなもんだろ
維新の三傑における木戸みたいな扱いでしょ
617世界@名無史さん:2014/08/18(月) 23:58:23.06 0
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S高  ソフトバンクが初「VoLTE」対応のスマホを発売




http://syoukenshinpou.blog13.fc2.com/blog-entry-19368.html

当たり屋推奨の銘柄
618世界@名無史さん:2014/08/19(火) 00:00:34.46 0
エェー!!維新は木戸が主役でしょうよ
619世界@名無史さん:2014/08/19(火) 03:24:50.16 0
過激派どもの尻拭いする苦労人イメージ
620世界@名無史さん:2014/09/21(日) 11:08:55.70 0
age
621世界@名無史さん:2014/09/26(金) 20:10:11.59 0
よくドイツ帝国は明治国家のお手本になったと言われているが、
実際には諸侯の連邦国家だったから、幕末に慶喜がめざしていた路線の方に近い。
幕臣だった西周や津田真道らの新国家構想は、当時の北ドイツ連邦に近い。
622世界@名無史さん:2014/09/27(土) 13:21:46.53 0
ドイツの場合、諸侯の数がナポレオン戦争とプロイセン・オーストリア戦争で淘汰されて、
ドイツ統一前夜で20いくつかにまで減ってたから、残しやすかった。
日本は廃藩置県直前で260以上の藩があったから、残すのはきびしい。

徳川主導の連邦制なら、譜代の中小大名は淘汰されて徳川領国に編入されてたかもしれないが。
623世界@名無史さん:2014/09/27(土) 14:41:04.87 0
慶喜周辺の開明派による新国家構想では、譜代の中小藩や旗本領は幕領に編入する予定であり、
慶喜が大政奉還したあと、朝廷が大名連合政権の準備として大名会議を招集しようとしたときにも、
譜代大名たちは自分たちは徳川の家臣だから、徳川家に領地を返上したいと連名で上書していたから、
一部の大藩を除いて徳川宗家がプロイセン王国みたいになってた可能性はありえた。
624世界@名無史さん:2014/10/03(金) 10:20:49.94 0
結局、日本はフランス型の中央集権国家の道を選んだということね。
625世界@名無史さん:2014/10/08(水) 23:49:09.33 0
東ローマ帝国は自称ローマ帝国の割に下克上に関心、国防へのモチベーションが低い
国民としてのまとまりがなくなって滅亡していった
神聖ローマ帝国も同様かそれ以上に文化的に遅れ、内戦だらけのグダグダな国に見えたが、
統一前の18世紀〜19世紀の時点でかなり進んできた 中央政府はだめでも地方が強く
気付いたらアズマえびすと馬鹿にしてた英仏をボコボコにする最強勢力になっていた
ドイツは時代によるギャップが凄く、アーリア人至上主義も遅れた小国でブス顔なら
お笑いにできるが、ドイツが掲げた頃には実際イギリス潰しかける程最強化したから笑えんわ
626世界@名無史さん:2014/10/09(木) 02:19:54.66 0
いつの時代にも背後に露助が控えていたから
西方(特に外洋)に全力を傾けられなかったのが後々まで響いたな
それに気づいたヒトラーは第三帝国の総力を挙げて露助国家の永久排除を図ったが
未曾有の大軍で寝込みを襲ったにもかかわらず返り討ちに合っちまった 。・゚・(ノД`)・゚・。
627世界@名無史さん:2014/10/16(木) 03:11:29.24 0
外交でロシアを抑えていたビスマルクは、偉大だったんだね。
628世界@名無史さん:2014/11/15(土) 23:46:16.74 0
ウィルヘルム2世はユダヤ人を、ロシアのポグロムの世界版でガス殺することで
絶滅させるべきだと言明したんだと。
・・・ “I believe the best would be gas!・・・Kaiser Wilhelm II・・・said, suggesting that humanity rid itself of Jews with
“a regular international all-worlds pogrom a la Russe.”・・・
http://www.washingtonpost.com/opinions/book-review-israel-is-it-good-for-the-jews-by-richard-cohen/2014/11/14/9c6c7d10-5ecf-11e4-91f7-5d89b5e8c251_story.html

ヒットラーは、カント、ウィルヘルム2世と続く、ドイツの麗しき伝統の忠実な承継者に過ぎなかったのね。
629世界@名無史さん:2014/11/16(日) 00:54:41.76 0
ttp://www.chronik-berlin.de/pdf/Wilhelm-II.pdf

「Als Wilhelm II. im November 1938 von dem antijuedischen Pogrom, der "Kristallnacht", erfuhr, aeusserte er sich
entsetzt, bezeichnete es als Schande und forderte jeden Deutschen auf dagegen zu protestieren.」

「1938年11月、ヴィルヘルム2世は反ユダヤ的ポグロムである『水晶の夜』について聞くと慄然とし、それを『恥』と呼んで
全ドイツ人に向かってこれに抗議するよう求めた。」
630世界@名無史さん:2014/11/20(木) 17:15:23.28 0
Isisとの攻防が続いているコバニって、ドイツ帝国がベルリンとバグダードを結ぶ鉄道を敷設した時の
駅の周りにできた町で、ドイツ語の「会社」が訛ってコバニという名称が付いたんだとさ。
・・・Kobani was built up around a railroad station in the early 20th century, as the Germans, under Ottoman supervision,
built a rail line connecting Berlin to Baghdad. The name Kobani was a butchered version of the German word for company
- “kompanie.” The French later ruled Syria, and in Kobani residents still say “pardon” with a French accent and use
French numbers.・・・

この攻防戦、今や、雑多なクルド人各派統合と抵抗のシンボルとなったと。
It has become a unifying symbol for Kurds across the Middle East. In some ways it has also changed the narrative
about the Kurdish people from tragedy to that of resistance.・・・
http://www.nytimes.com/2014/11/20/world/middleeast/more-than-a-battle-kobani-is-a-publicity-war-.html
631世界@名無史さん:2014/11/20(木) 18:13:56.02 0
>>595
白人の農夫が水田で田植えしてる姿が想像できない。ものすごく違和感がある。
632世界@名無史さん:2014/11/20(木) 19:47:01.67 0
白人が白米を食うという姿が、まず想像できない。
633世界@名無史さん:2014/11/20(木) 19:58:48.77 0
>>632
西洋の日本料理店か中華料理店に行けばそんなものいくらでも見られるが?
634世界@名無史さん:2014/11/20(木) 21:21:31.79 0
ほれ
http://livedoor.blogimg.jp/airone0219/imgs/b/6/b6930cc2.jpg
場所は、イタリア北部のポー川流域(沖積平野)やね
http://livedoor.blogimg.jp/airone0219/imgs/0/7/0747cc04.jpg
このエリアの、水をはった時期の水田はこちら
http://makurokurosk.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_003/makurokurosk/IMGP1273-480.jpg
635世界@名無史さん:2014/11/20(木) 21:40:07.51 0
636世界@名無史さん:2014/11/20(木) 22:18:37.28 0
中途半端な立憲君主制だったな…
637世界@名無史さん:2014/11/21(金) 02:08:47.59 0
プロイセンの政府機関がそのままドイツ帝国の政府機関兼ねてたけど、帝国政府直属の組織とかなかったの?
連邦構成各国間の軍隊の指揮系統もはっきりしないし。
638世界@名無史さん:2014/11/22(土) 12:52:47.82 0
帝国政府=プロイセン政府?
帝国固有の政府機関とかはなかったの?
639世界@名無史さん:2014/11/23(日) 16:37:59.58 0
>>632
米を使った料理なら、スペイン料理のパエリャ(パエリア)やイタリア料理のリゾットなどがあるね。
640世界@名無史さん:2014/11/24(月) 08:51:26.32 0
ワイマール期の国防軍統帥部の前身がプロイセン参謀本部なのは有名だが、
各領邦(バイエルンとかヴュルテンベルクとか)の陸軍は独立した組織だったんだろうか。

日本でいえば、幕府陸軍に対する薩摩軍みたいな感じの。
641世界@名無史さん:2014/11/25(火) 15:28:41.75 0
642世界@名無史さん:2014/11/27(木) 00:45:44.06 0
プロイセン公国時代は、軍事的に弱小だったよね
643世界@名無史さん:2014/12/08(月) 13:03:30.54 0
プロイセン軍が成果を挙げるのは1675年6月29日の、
フェールベリンの戦いまで待たなくてはいけない。
(当時の君主は「大選帝侯」ことフリードリヒ・ヴィルヘルム)
644世界@名無史さん:2015/01/11(日) 21:07:09.52 0
ラピュタに出て来る軍はドイツ第二帝国軍がモデルになってる
645世界@名無史さん:2015/02/05(木) 23:41:53.44 0
ビスマルク生誕200年あげ

文春文庫でビスマルク出たね
646世界@名無史さん:2015/02/12(木) 21:40:10.83 0
帝政ドイツは権威主義的でフランス、イギリスに比べて民主主義では大幅に後れを取っていたと聞く
647世界@名無史さん:2015/02/12(木) 22:45:11.37 0
>>646
何に力点を置くかで異なる。
首相が議会に左右されないという点(皇帝による任命だから)では遅れているけど、
普通選挙をしていたという点では進んでいた
648世界@名無史さん:2015/03/09(月) 21:28:00.60 0
・・・2015年3月2日、科学誌「ネイチャー」に、<欧州>への集団の大移動は1度だけではなく、
2度あったとする研究論文が発表された。この説では、最初の集団の移動は新石器時代に現在の
トルコにあたるアナトリアからのもの、そして第2波は4000年後、現在のロシアに当たるステップ地帯から
中<欧>への大移動だったという。そして英語を含む<欧州>言語の基礎になったのは、ステップ地帯
から移動した集団がもたらした言語だというのだ。・・・

<欧州>に最初にやってきた人々は狩猟採集民<だっ>た。そこへ農耕民がやってきて狩猟採集民
と混ざり合<っ>・・・た・・・<すなわち、>数千年間、狩猟採集民の小集団が暮らしていた<欧州>
大陸に、初めて変化が起こったのは、約8000年前のこと。アナトリアから北上した農耕民が、新しい
技術と生活様式を<欧州>にもたらし、現在の定住生活の基礎を築く。考古学者の間では、
この出来事を「新石器革命」と呼んでいる。・・・

着目すべきは、・・・ステップ地帯から移動し<てき>た・・・牧畜民<の>・・・文化に属する人の
DNAが、それより数千年前の現在のドイツにあたる地域に暮らしていた農耕民のDNAと共通性が
認められ<ていないことが今回明らかに>な・・・ったこと・・・だ・・・。つまり、これは過去に「侵略」と
言ってもいいほど劇的な<欧州>への流入があったことを示す証拠だ。「集団が丸ごと入れ替わった
と言っても過言ではない出来事だったのではな<かろう>か・・・
649世界@名無史さん:2015/03/09(月) 21:28:28.49 0
言語学者らは、すべての<印欧>諸語の生みの親である<印欧>祖語が最初に話されていた
場所をめぐり、数十年もの間も議論してき た。「アナトリア仮説」派は、1万年前かそれ以前に
現在のトルコに住んでいた農耕民が最初に<印欧>語を話していたと主張する。紀元前6000年
ごろ彼らが<欧州>にたどり着き、言語もそのときに流入したというのだ。

対する「ステップ仮説」は、黒海とカスピ海の北に広がる広大な平原を<印欧>祖語の生まれた
土地と考える。・・・この地に車輪が伝来して「ステップ地帯の経済に革命を起こした」と<する
説もその一環としてある>。・・・

だが、どちらの説も決定的な裏付けがなく、議論は長いこと前進していなかった。
そんな中、今回の研究成果は両者の勢力図を変えるかもしれないと多くの研究者が考えている。
ステップ仮説に説得力を持たせるのに必要な移住の証拠がつかめたからだ。・・・
http://nationalgeographic.jp/nng/article/20150305/438058/?bpnet


欧州への二度目の大移動をやった連中が先住民をホロコーストし、わずかにバスク人(現在の
バスク人及びイギリス人・スコットランド人・アイルランド人)らが生き延びたってことかもね。
この連中がやらかした二回目の小規模ホロコーストが、ユダヤ人に対するものだったってオチ。
ま、何となく、連中・・現在の欧州人・・って、出自からしてうさんくさそうだな。
650世界@名無史さん
生活習慣が異なる民族集団の集合が、一方による他方の排除を伴うとは
限らん

ローマ人やスラヴ人、ゲルマン人やマジャール人が最終的にどのように
ヨーロッパ(特にアルプス以北)に定着したか調べてみ

慎重にな。大学へ行って中世史専門の教授とかから話を聞くくらいでも
大袈裟ではないだろう