2 :
世界@名無史さん:2010/09/13(月) 04:32:45 0
パプアニューギニアの貝の貨幣
3 :
世界@名無史さん:2010/09/13(月) 04:50:58 0
メキシコ銀貨
4 :
世界@名無史さん:2010/09/13(月) 05:37:59 0
銀行券はユダヤ
紙幣はありなの?
6 :
世界@名無史さん:2010/09/14(火) 21:26:36 0
銀貨
7 :
世界@名無史さん:2010/09/15(水) 19:02:02 O
馬蹄銀!
半両銭
9 :
世界@名無史さん:2010/09/15(水) 23:15:03 0
ユダヤ
10 :
パオ兄さん ◆mEq.Fp/iL. :2010/09/16(木) 00:13:03 0
マジレスすると最強の貨幣は日本の寛永通寳。
250年近くにわたって400億枚近く鋳造され、
近世の東南アジアや東アジアにまで広く普及した。
しかも明治維新後、昭和23年まで日本国内では法的に使用可能だった。
11 :
世界@名無史さん:2010/09/16(木) 00:13:34 0
日銀砲炸裂!
なんで政府(財務省)が介入するのに日銀砲っていうの?
14 :
パオ兄さん ◆mEq.Fp/iL. :2010/09/16(木) 01:44:23 0
>>13 こりゃ驚いたと言いたいところだが
すまん、既知だ。
ていうか、そんなもんで驚いてたら下記の地域で笑われちゃうぞ。
21世紀に和同開珎が額面1000円で使える地域がある。
加盟店限定だが450店舗もあるので給料全部が和同開珎でも生活出来そうだ。
15 :
世界@名無史さん:2010/09/16(木) 23:59:10 P
中国や日本で近世まで金貨、銀貨が普及しなかったのはなぜ?
西方のローマとかでは紀元前後から三貨制度だったのに
中国では長いこと銅貨しか無かったよね。明清朝になってようやく秤量銀貨が出てきたけど。
鎌倉時代頃に硬貨じゃなかったが、既に千切り金みたいな
かんじであったんじゃなかったかな。砂金なら中世から貿易にも使ってたし。
硬貨の形は武田が南蛮の影響で領国内でやったのが初かな?
17 :
パオ兄さん ◆mEq.Fp/iL. :2010/09/17(金) 01:18:17 0
>>15 贋金対策。
中華文化圏の貨幣は長らく鋳造製だったから贋金が容易に作れた。
金銀貨は贋金対策として、硬度の低い金銀にのみ打刻可能な細かい模様を
掘り込んだ金型で作る物。
西欧の貨幣は古来から金型打製。
明の馬蹄銀や日本の小判や丁銀も刻印は金型打製。
当然ながら現代の硬貨は全て金型打製。
竹取物語に「金五十両給はるべし」とあるように砂金や灰吹銀は古来より貨幣的利用をされてきた。
なぜ銅銭のように鋳造されなかったのかというと、私鋳銭が横行したからというのが理由とされている。
そもそも貨幣として使うには産出量が少なすぎたということも考えられる。
戦国時代になると精錬法が発達して高品位の金銀が得られるようになったのと
新規に金山、銀山が発掘されて産出量が大きく増加したのが、金銀貨誕生の理由。
混ぜ物がないことを示すために薄く伸ばして出来たのが蛭藻金や譲葉金で
それに極印を打って品位・量目を保証するようになったのが大判・小判の始まり。
20 :
世界@名無史さん:2010/09/21(火) 17:16:51 0
一番安いアルミは一円玉
21 :
世界@名無史さん:2010/09/26(日) 20:14:44 0
ステンレスがローマ時代にでも発明されていたら、
ステンレス本位制になっていただろうか?
希少価値があればなるかもね
23 :
世界@名無史さん:2010/09/29(水) 21:12:55 0
ヘレニズム貨幣の肖像彫刻は、まさに美術品だね。
24 :
パオ兄さん ◆mEq.Fp/iL. :2010/09/29(水) 22:49:22 0
>>23 西欧では貨幣に君主の肖像を刻印したので
貨幣を手にする誰もが君主の顔を知ることができた。
ルイ16世がヴァレンヌ逃亡事件で田舎人に見破られたのもそれが原因。
ちなみに日本では存命中の人の肖像を貨幣に刻印・印刷することは無いので
九郎判官義経も奥州平泉に逃亡できたし、徳川家康も無事に伊賀越えができた。
25 :
世界@名無史さん:2010/09/30(木) 05:30:48 0
26 :
世界@名無史さん:2010/09/30(木) 05:33:34 0
27 :
世界@名無史さん:2010/09/30(木) 05:40:12 0
28 :
世界@名無史さん:2010/09/30(木) 06:02:26 0
29 :
世界@名無史さん:2010/09/30(木) 06:08:29 0
30 :
世界@名無史さん:2010/09/30(木) 13:39:59 0
>貨幣を手にする誰もが君主の顔を知ることができた。
わからんとおもう。
31 :
世界@名無史さん:2010/10/02(土) 02:45:06 0
32 :
世界@名無史さん:2010/10/02(土) 03:07:45 0
33 :
世界@名無史さん:2010/10/02(土) 11:54:26 0
パオ兄さん はネタ師ですから・・・
34 :
パオ兄さん ◆mEq.Fp/iL. :2010/10/02(土) 19:19:00 0
>>30 視覚障害とか無ければ目視で分かるでしょ?
ルイ16世がヴァレンヌ逃亡事件で田舎人に見破られたのもそれが原因。
35 :
世界@名無史さん:2010/10/02(土) 19:53:12 0
いや、コインの刻印程度で王様の顔まで識別できるというのはいくらなんでも飛躍かとおもう。
見破られたのは、コインとは関係なく起居振る舞いでエライ人と気付いた。
36 :
世界@名無史さん:2010/10/02(土) 20:00:05 0
コインじゃなくてアッシニア紙幣(アッシニア証券)よ。
初期のものにはルイ16世の肖像が描かれてたのよ。
37 :
世界@名無史さん:2010/10/02(土) 20:09:15 0
ここもじきに映画や食物みたいになるわよ。
太平洋の島で「石貨」というのがあったそうですが
なんであんなものに価値が見出されたのでしょうか?
宝石や黒曜石なら価値もあるでしょうが、どうみたって普通の石が貨幣にされてる。
しかもデカイので持ち運びが大変そう。
またそれとは別系統で「パラオマネー」という小型の石貨もあったそうで
某鑑定番組に鑑定に出され成分分析の結果、鉛ガラス製だと判明したとか。
南洋の島に鉛ガラスってのもミステリーです。
あの石は離れた島でしか採掘できず決まった場所に置いて所有者のみが変わる。
40 :
パオ兄さん ◆mEq.Fp/iL. :2010/10/04(月) 23:39:59 0
>>38 >>39氏がおっしゃったように「石貨」と言っても同じ場所に在り続けるので
これは貨幣などとは違うジャンルの物だね。
我々の身近にあるものに置き換えると「仏像」のような物だと思って貰えれば
分かりやすいだろう。
石貨の価値基準は@大きさ、A来歴、B形の美しさ、等が挙げられ、
それは所有者の信仰の対象にすら成り得ただろう。
多くの人の手を経た古くて巨大な石貨様こそ、大切にされ敬われた。
41 :
世界@名無史さん:2010/10/06(水) 19:49:43 0
42 :
世界@名無史さん:2010/10/09(土) 20:32:03 0
43 :
世界@名無史さん:2010/10/12(火) 01:18:54 0
44 :
世界@名無史さん:2010/10/13(水) 06:30:28 0
昨日夕方のNHKラジオで東大の教授だったかが、
「今の円高を利用して世界中から資源だの土地だの人材だのを買いまくれ」
と言ってた。
「円高になると日本人はこういうことをやりかねない、と世界中に印象づければ
それが将来の円高抑止圧力になるはず」と。
45 :
世界@名無史さん:2010/10/13(水) 18:26:30 0
ナポレオン1世と3世の金貨、銀貨、銅貨はよく見るけど、
ナポレオン2世と4世のコインもあるわ。
ボナパルティスト支持者に配られた宣伝用試作貨だけどね。
46 :
世界@名無史さん:2010/10/13(水) 18:46:58 0
>>24 ヴァレンヌでばれちゃったのは500リーヴルのアッシニア紙幣に
国王の肖像が印刷されてたからじゃなかった?
革命戦争用に濫発されてたせいで高額紙幣だけど大量に出回ってたとか。
さすがにコインに刻印された肖像じゃ人物判定は難しいだろう。
47 :
世界@名無史さん:2010/10/13(水) 18:51:00 0
>>46 36でその件、突っ込んでるじゃない。
パオはスルーして石貨にいってるけど。
48 :
世界@名無史さん:2010/10/16(土) 23:50:05 0
49 :
世界@名無史さん:2010/10/16(土) 23:54:34 0
50 :
世界@名無史さん:2010/10/17(日) 00:31:37 0
51 :
世界@名無史さん:2010/10/17(日) 01:19:18 0
パオはさっそうと現れ、長々と居座るのである
52 :
世界@名無史さん:2010/10/17(日) 01:33:08 0
53 :
世界@名無史さん:2010/10/17(日) 01:36:36 0
54 :
世界@名無史さん:2010/10/17(日) 01:45:56 0
55 :
世界@名無史さん:2010/10/17(日) 01:46:59 0
56 :
世界@名無史さん:2010/10/17(日) 15:19:42 0
いくら過疎スレだからってこんなの貼るなんて非常識よ。
プンプン!
57 :
世界@名無史さん:2010/10/17(日) 21:41:18 0
○に■孔の銭は、いつの時代から?
秦?
58 :
世界@名無史さん:2010/10/17(日) 23:36:38 0
>>57 戦国中期からと思うけど。
圓銭って呼ばれてる古文銭の一群よ。
秦、斉、燕など結構広い範囲で作られてるわ。
秦半両もこの仲間。
59 :
世界@名無史さん:2010/10/18(月) 07:17:48 0
国王以外が銭を鋳造すること自体が、君主権冒涜でありニセ金であったー金属の質が良質でも。
江戸時代、永楽銭などの輸入銭も本当は使用禁止だった(が、一般人は輸入銭との区別を知らないので黙認状態)。
60 :
世界@名無史さん:2010/10/19(火) 18:53:32 0
歴史書、歴史小説のアテはやっぱり当時のコインよね。
ミルクティーに本にコイン。聖三位一体ね。
61 :
世界@名無史さん:2010/10/19(火) 20:50:42 0
中世のコインは以外と入手しやすいわ。
メロヴィングやカロリングの頃の金貨や銀貨を手にすることも可能よ。
状態さえ我慢すれば金貨でも半年以内で何度も入手するチャンスがあるの。
ただ、お金がないと買えないけど、銀貨ならお年玉換算で2,3年ってとこで
結構いい状態のが買えるわ。
11、12世紀以降のものだと3000から10000で買えるのもたくさんあるわ。
十字軍国家のものとかもあるし。
62 :
世界@名無史さん:2010/10/19(火) 20:58:12 0
うむ、実家の倉をあさったら乾隆通賓が出てきた。
乾隆帝が出した金?
63 :
世界@名無史さん:2010/10/19(火) 21:09:21 0
>>61 状態の悪い銀貨をクリーニングする楽しみもあるな
64 :
世界@名無史さん:2010/10/19(火) 21:21:23 0
>>63 それは基本やっちゃダメ!!
まあ、場合によってはいいかもしんないけど。
65 :
世界@名無史さん:2010/10/19(火) 21:34:25 0
>>62 その通り。
裏に満州文字で鋳銭局が書いてある。
基本的にありふれたもの、一部珍品あり。
詳細はコレクション板で聞くべし。
66 :
世界@名無史さん:2010/10/19(火) 21:54:17 0
個人的に清朝の穴銭で面白いと思うものは、
ヌルハチ時代の満字銭『天命皇寶』と
ホンタイジ時代の同じく満字銭『天聡通寶』の二種類。
『天命皇寶』は入手しやすいが『天聡通寶』はかなり難しい。
67 :
62:2010/10/19(火) 21:59:41 0
>>65 どうやら先祖が有田焼の輸出に関わってたらしい。
百枚以上あるぞ
68 :
世界@名無史さん:2010/10/19(火) 22:13:13 0
69 :
62:2010/10/19(火) 22:18:16 0
ほぉー
総量が多いとそんなもんなのか。
また今度面白いもの無いか探してみる。
特に英貨。個人的にデザインが好み
70 :
世界@名無史さん:2010/10/19(火) 22:25:19 0
>>67 スレ違いだが、清朝銭より焼き物の包み紙として使われた浮世絵はないのか?
そちらの方がお宝の可能性大。
それと、朝鮮への貿易支払い用の丁銀(なまこみたいな銀塊)、
これもお宝の可能性大。
71 :
67:2010/10/19(火) 22:34:00 0
>>70 今度倉のものを全部あけてみる
ほとんど先祖が適当に放り込んだようなものばかりだが
いつから貿易始めたかはわからんが、やめたのは世界恐慌のころみたい
72 :
世界@名無史さん:2010/10/19(火) 23:58:59 0
73 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 00:00:45 0
74 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 01:47:06 0
で72 73とコインの関係は?
75 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 11:13:32 0
>>74 過疎ってるからか、誰かが悪質いたずらしてんの。
この手のものが大量にあって困ってる。
ここが質問スレなみになったら、
こんなバカは居なくなると思うが、
その前にこのスレが消えるかも。
76 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 11:33:48 0
>>74 基本、イタズラ野郎しか住んでないみたい。
このスレを立ち直らすため、ちょっと前から
質問スレからこっちにチョクチョク来てるけど
お客が来ても住人がいなけりゃどうしようもないわね。
77 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 13:07:15 0
中国で金貨がつくられなかったのは儒教の重農主義のため。
商業を抑圧しきれなくなると、銀貨を黙認するようになった。
78 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 13:37:18 0
古くは戦国期の楚で『楚金版』って金貨らしきものは存在してるわ。
唐以降、金や銀の錠(金、銀)、箔類(金)も出てきてる。
宋代のものはそれなりに出土、伝世してるわ。
金製ものはとても高額、まず買えない。
宋代の銀錠類はがんばればなんとか買えるレベルのもの。
唐の開元通宝(日本の和同のモデル)にも金銭、銀銭なんかもあるけど
宮銭、賞賜銭のたぐいだからね。
お金としても使えるけど勲章みたいなものね。
79 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 13:39:18 0
中国で政府が発行権独占でつくったのは銅銭だけ。
銀の貨幣は民間でもつくってたはず。
80 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 13:42:02 0
中国人って金銀の装飾品というよりも玉(たま)が主でしょ。
中国は古代とかだと特に割と民間でも流通貨幣作られちゃうからね。
その特殊性がかえって紙幣を生む土壌となったのかもだが。
82 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 13:54:35 0
銀の場合は民間がほとんどね。
だから『銀貨』とは表現せずに、その形状から
『銀錠』や『馬蹄銀』って呼ぶようにしてるわ。
ただ、金(元に滅ぼされた)の時代に、初めて銀貨と呼べるものが出されてるわ。
『承安宝貨』って銀貨よ。
83 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 14:07:35 0
銀本位制は何時からいつまで?
84 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 14:08:56 0
江戸時代日本のように貨幣改鋳でインフレになるようなことは、中国ではなかったの?
元代に紙幣濫発でインフレになったらしいけれど?
董卓の有名な話があるな。
86 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 14:17:35 0
>>84 常に、民間の銅銭の需要に供給が追い付かないため、
紙幣、大銭で対応しようとして結果それらの信用低下でインフレに。
また、銅銭自体の質を下げるのも良く見られたことよ。
87 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 14:17:43 0
>董卓の有名な話
何ですかそれは?
88 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 14:23:46 0
>>83 ヨーロッパでは19世紀末ごろにはほとんどの国が金本位制に移行してたわ。
いつからって、古代リディアでエレクトラム(金と銀の合金)貨が金貨、銀貨に分離したころじゃないの?
89 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 14:24:59 0
90 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 14:47:23 0
>>87 当時流通してた五銖銭の穿(せん:中央の四角いあな)を大きくして
直径もけずった軽量、小型の銅銭をつくって浮いた銅量分もうけたの。
91 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 18:10:38 0
銅本位制なんて聞いたこと無いぞ。
ホントに銅銭は素材そのものに価値があった「物品貨幣」だったのか?
国家の権威で流通させた補助貨幣(定位貨幣)だったのではないか?
だから鉄銭などが生まれたのでは?
92 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 19:17:53 0
>>91 銅本位といえるかはわかんないけど銅自体に価値があったのは事実。
鉄銭は、紙幣同様、信用貨幣。
だから、紙幣みたいに銅銭との交換レートが生まれたわ。
公定と民間との経済は別物というか乖離していたの。
信用貨幣の例で、天保通宝は公定では当百(100文銭)の価値があるはずだけど、
実際は10文前後の価値で流通していたわ。
重量的には5文〜6文程度なのでそうなっていったのよ。
93 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 19:50:58 0
>>91 鉄銭は、宋代でも銅生産の少ない四川等、ごく一部で強制的に流通させたが、
他地域への流出は厳禁だったぞ。補助貨幣ならそんな必要ないだろ。
鉄は安価で大量にあるが、銅より物品貨幣としての価値も低いし重くて実用
的じゃなかったから、決められた地域以外での流通は禁止されたし、そのために
四川で交子が生まれた。
銅銭が補助貨幣の位置づけなら、宋朝が深刻な銅銭不足(銭荒)に悩む必要もなかった。
94 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 19:52:35 0
95 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 19:57:54 0
それでも当初は100文で流通し始めたから、
一文銭100枚を鋳つぶして、天保通宝を作れば、工賃等諸経費を差し引いても
天保通宝15枚(1500文)の利益がでるから、かってに民間でも諸藩でも密鋳しだすのよ。
減価して天保1枚が10文程度になっても約10%の利益がでるからやはり密鋳は止まなかったわ。
96 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 20:02:59 0
97 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 20:03:59 0
銅は日本製
98 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 20:06:16 0
99 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 20:15:12 0
絵銭は通用できましたか?
100 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 20:21:46 0
絵銭は古い民芸品や古美術品のたぐいだから。
通用しないわ。そんなことがあったとしても例外扱いね。
101 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 20:27:06 0
絵銭は日本だけじゃなく中国や朝鮮でもあるけど。
この手のものは、絵銭も集めてる古銭収集家でないとわからない分野よ。
収集家じゃないからわからないわ。
102 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 20:32:45 0
清朝銭は清朝の時代に鋳造(製造)・使用された貨幣を指して云ひますが、其の前身の後金の時代に鋳造された天命汗銭・天命通寶・天聡通寶を含めて「清朝銭」と呼ぶ事もあります。
清朝銭の銭名は全部で11に成ります。
順治通寶 康熈通寶 雍正通寶 乾隆通寶 嘉慶通寶
道光通寶 咸豐通寶 同治通寶 光緒通寶 宣統通寶
希少年号として、祺祥通寶と云ふ清朝銭も現存します。
清朝銭は其れ迄に鋳造されてきた銭貨とは異なり、背に満洲文字と呼ばれる独特の文字を鋳出してゐる点に特徴があります。満洲文字は蒙古文字を満洲族の言語に合ふやうに改良された表音文字です。
面の漢字で鋳造の時期、背の満字で鋳造の場所が判ります。
103 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 20:33:49 0
>95
それ、ニセ金つくりで厳罰に処せられたんでは?
104 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 20:40:19 0
>>103 バレればね。だからバレないように密鋳するの。
ただ、使う側は偽も真も関係なしで気にしないわ。
だって同じくらいの重さでそっくりなんだから。
105 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 20:59:23 0
>>95 経済学的には江戸時代は慢性デフレ状態だから、
信用創造を増やすのは理にかなっていたはずだ。
106 :
世界@名無史さん:2010/10/20(水) 21:52:40 0
江戸時代に5円玉持っていったら使えますか?
真鍮製の「波銭」と看做されて4文?
>>104 > だって同じくらいの重さでそっくりなんだから。
小判や丁銀はそうはいかんざき。品位が重視されたし。
実際のとこ銭貨も民間での鋳造は難しかったんじゃないかな。
銅山は幕府・諸藩の管理下にあったし。
天保通宝といえば、薩摩藩がそっくりなの作ってたな。
琉球通宝だっけか?
108 :
世界@名無史さん:2010/10/21(木) 00:19:40 0
>>107 琉球通宝は薩摩藩が幕府から期限付きで鋳造許可されたもの。
天保銭密鋳のよい練習になったもの。
109 :
世界@名無史さん:2010/10/21(木) 00:30:36 0
天保通宝に関しては、
幕府の資料から鋳銭数、約4億8500万枚。
明治期に新通貨と両替されたもの、約5億8700万枚。
その差、約1億枚。これが密鋳銭、つまり贋金。
両替されず退蔵されたものや、銅地金として鋳つぶされたものも
結構な数あったはず。だから、贋金はもっと多く作られてた。
110 :
世界@名無史さん:2010/10/21(木) 00:38:49 0
天保通宝鋳銭のための銅地金の調達先はずばり、寛永通宝その他の穴銭。
だから、銅山から銅を調達する必要がないの。
銅山を持ってる藩(東北地方とかの)は山の中で短期に大量に密鋳してバレないようにしたりね。
111 :
世界@名無史さん:2010/10/21(木) 01:28:36 0
112 :
天問 ◆CsSu9fRs1Ge4 :2010/10/21(木) 02:47:43 0
江戸時代、天保通宝の他にも宝永通宝という巨大銅貨が有ったのも忘れてはならない。
113 :
世界@名無史さん:2010/10/21(木) 13:05:44 0
宝永通宝は、1年もたずに通用停止になった十文銭、完全な失敗。
勘定奉行の萩原重秀(信用貨幣論者)が京都で鋳銭させた信用貨幣。
2文半分の重量しかなかったため反発が大きく、宝永5年(1708)2月の鋳銭開始から
翌年正月には鋳銭、通用停止になっている。
114 :
世界@名無史さん:2010/10/21(木) 13:29:13 0
>>106 おそらく、喜んで受け取ってくれるだろう。
あの時代、真鍮は割りと高かったから
115 :
世界@名無史さん:2010/10/21(木) 17:41:12 0
いろいろ資料を見ると、江戸の御家人の給与って少ないのな。
庭土売って生活なんて話も
116 :
世界@名無史さん:2010/10/21(木) 19:17:10 0
武士の家で家族4人が食えるラインは副業なし役料ありで禄高150石か150俵扶持くらいかな。
このクラスだと3人くらい使用人もいるからかなりキツイけど、なんとかなるかな。
百俵六人泣暮しと言うからねえ
百俵じゃあ父母自分嫁子供二人の六人の暮らしはきついって話だな
118 :
天問 ◆CsSu9fRs1Ge4 :2010/10/22(金) 00:52:21 0
そういう意味では上杉家の米沢藩とか最強なんだが。
119 :
世界@名無史さん:2010/10/22(金) 14:26:14 0
金銀銅貨以外の金属貨幣は?
120 :
世界@名無史さん:2010/10/22(金) 16:32:57 0
鉄貨、鉛貨あたりが有名かな
塩も主に金属だろ!としょーもない屁理屈をこねるテスト
122 :
世界@名無史さん:2010/10/22(金) 17:40:16 0
貝殻もカルシウムで主に金属
>>121 質量比で見りゃ塩素の方が多いという屁理屈で屁理屈への返し
124 :
世界@名無史さん:2010/10/23(土) 00:02:15 0
ニッケル貨は?
と思ったら、中世ドイツの高山で存在だけは知られていても、
銅に似ている悪魔(似非)銅として嫌われ、単体として精錬されたり、素材にされたりはしなかったのでは?
125 :
世界@名無史さん:2010/10/23(土) 00:03:04 0
亜鉛、錫のコインは無かったの?
126 :
世界@名無史さん:2010/10/23(土) 01:20:18 0
128 :
世界@名無史さん:2010/10/23(土) 13:43:56 0
昭和の日本のコインには亜鉛貨、錫貨、陶貨(流通してない)とかあるけど。
129 :
世界@名無史さん:2010/10/23(土) 14:06:00 0
陶貨はドイツでもワイマール期にもかなり多くの種類でてるけど、
メダルや記念貨みたいなものなのか通用貨なのか迷うね。
130 :
世界@名無史さん:2010/10/24(日) 00:20:57 0
鉛貨?
んなもの実在したの?すぐに、ちびてしまおうがな。
132 :
世界@名無史さん:2010/10/24(日) 15:13:41 0
日本の皇朝銭にも末期の延喜通宝や乹元大寳には鉛銭があるよ。
銅、錫にくらべて鉛は昔から安価だったからね。
133 :
世界@名無史さん:2010/10/24(日) 16:39:50 0
鉛貨はちびる、へこむ、まがる、われる、の良いとこなし。
134 :
天問 ◆CsSu9fRs1Ge4 :2010/10/25(月) 01:24:24 0
縄文時代の貨幣は糸魚川のヒスイ、久慈のコハク、八ヶ岳の黒曜石。
弥生時代の貨幣は糸魚川のヒスイ、西南諸島のイモガイ、真珠。
135 :
世界@名無史さん:2010/10/25(月) 05:14:02 0
136 :
世界@名無史さん:2010/10/25(月) 23:44:15 0
現、旧王室スレで“エトルリア王国”がちょっと触れられてたけど、個人的には
ブルボン・パルマ家が好きなほうなんで、ちょっとだけこの国のコインを持ってるわ。
1801年から1807年までの短命な国だけど、ダベンポートカタログでは大型銀貨を6種類
出したことになってるわ。クラウスカタログだと2,3種類増えてるけど。
日本国内でも以外に入手しやすいコインなので持ってる人は多いと思うわ。
137 :
世界@名無史さん:2010/10/25(月) 23:47:58 0
ただ、持ってる人は意外とエトルリア王国のものという認識ではなく、
トスカーナ大公国のものと勘違いして持ってる人もちらほらね。
カタログの分類上の問題でこんなことに…。
138 :
世界@名無史さん:2010/10/26(火) 00:01:59 0
>134
「交換価値が数えられていた」証拠が明確に刻印されているか、そうされていた伝承が無ければ
「貨幣」という定義から外れるのでは?
139 :
世界@名無史さん:2010/10/26(火) 00:02:58 0
>132
鉛銭=贋金、私鋳銭?
140 :
世界@名無史さん:2010/10/26(火) 02:16:35 0
141 :
世界@名無史さん:2010/10/26(火) 07:53:17 0
>>139 皇朝銭の鉛銭にも私鋳銭のたぐいのものはあるけど、正規のものにも銅銭に混じって鉛銭は存在している。
というか延喜通宝、乹元大寳は原料の銅不足から、鉛銭や鉛分の多い銅銭がほとんど。
142 :
世界@名無史さん:2010/10/26(火) 10:36:55 0
143 :
世界@名無史さん:2010/10/26(火) 11:03:14 0
144 :
世界@名無史さん:2010/10/26(火) 14:35:22 0
ブルボン・パルマ家本来の所領のパルマ公国では、
フィリッポのときに1種、フェルディナンドのときに3種、
最後のロベルトのときに1種の大型銀貨が出されてる(ダベンポート)。
フィリッポのものはフェルディナンド誕生を記念したメダルとの意見もイタリアではあるわ。
これらはどれも珍品、高額品で入手は難しいものばかり。
海外のオークションで探せば、フェルディナンドとロベルトのものは年1〜3枚くらい出品があるわね。
145 :
世界@名無史さん:2010/10/26(火) 14:36:12 0
↑
もちろん、持ってないし、買えないわ。
146 :
世界@名無史さん:2010/10/26(火) 15:46:15 0
ヤップの石貨について語れ。
今でも使われてるのはエライ!
147 :
世界@名無史さん:2010/10/26(火) 19:18:27 0
骨董品のたぐいの『お金みたいなお金でないもの』のどこに語るとこがあんのよ。
148 :
世界@名無史さん:2010/10/27(水) 16:55:03 0
ほたらニッポンから墓石輸入しててもよいはずだが?
149 :
世界@名無史さん:2010/10/27(水) 18:19:10 0
碁石もっていったけど何も買えなかったぞ!>146
150 :
世界@名無史さん:2010/10/27(水) 19:37:12 0
アイルランド人(たぶん)が石貨を作って持ち込んで使ってたらしいけどね。
151 :
世界@名無史さん:2010/10/29(金) 15:46:23 0
西郷札は超レア
152 :
世界@名無史さん:2010/10/29(金) 19:14:45 0
以外と国内オークションで見たり、業者のストックにあったり。
ただ、出現頻度に比べて割高な価格設定なので。
西郷どんの人気のおかげかな。
153 :
世界@名無史さん:2010/10/29(金) 20:06:31 0
浅野家赤穂藩の藩札は現存せず。
154 :
世界@名無史さん:2010/10/30(土) 00:03:40 0
2枚か3枚現存してる。赤穂で出たもの。
ただ、所有者の死後、遺品に紛れて、確認できなくなってるらしい。
>>149 あたりまえだ。贋金で何が買えるというのだ
156 :
世界@名無史さん:2010/10/30(土) 14:04:22 0
157 :
世界@名無史さん:2010/10/30(土) 23:49:31 0
金銀銅鉄錫鉛
亜鉛
158 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 00:47:31 0
以前から疑問なことで、なぜ古来から古今東西の大半の硬貨は円形状をしているのか?
もちろん地金の重さで取引した金銀などの秤量貨幣を除き、計数貨幣の場合ですが。
ただし、特異な例外として日本の近世の両分朱金銀貨のみ円形状じゃないのは秤量貨幣の名残でしょうか。
しかし日本でも徳川時代以前に作られた金銀貨は円形状ですね(開基勝寶、永楽銀銭、甲州金など)
159 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 01:52:44 0
単純に立法体だと嵩張って持ち運びに不便だという事、板状にして携帯し易く且つ、材質の品位証明をする、立法体だと内部材質の欺瞞が可能。
角、バリが立っていると危険なので携帯不向きなので縁取り、円形加工すると自然に円形状になるんじゃないのかな?
古代の貨幣は球状金属をセンターポンチで圧印して円形状にしているから真円では無い。
産業革命以降に圧延、圧穿技術が開発されるて真円形の貨幣を大量生産するのは可能に。
160 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 18:33:51 0
>>158 東洋の貨幣が円い形をしているのは古代中国の玉器である「璧」に由来しているからだよ。
古代中国でお宝だった璧は青銅器時代になってもお宝だったので、貨幣に採用したわけさ。
他にもお宝だった斧や刀を模した貨幣も作られたが、携帯に不向きだったので廃れた。
また、中央の穴は元来は製造工程で鋳バリ取りのため旋盤に掛ける際に使う穴だが、それが四角いのは世界を示しているから。
古代中国の思想では世界はそれぞれ東西南北に辺を持つ四角い平盤上だと考えられていた。
西洋の貨幣が円いのは
>>159氏が説いたように、単純に球状金属をポンチで押したから。
ゆえに旋盤整形用の中央穴は開いていない。
また、ヤップ島の石貨が円いのは巨大な石貨を人力で運搬する際に転がしやすくするため。
中央穴が円いのはそこに軸棒を通して、車輪のようにコロコロ転がして運ぶため。
それ刀銭の存在をどう説明すんだよ
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/C003.htm >農具の形をしているのに、なぜ「布幣」というのか調べてみました。
>漢和辞典では、「布」の字には、@ぬの Aひろげる(例:布教) の他に B貨幣の意味があるとしています。
>そして、貨幣のうち丸い貨幣を「銭」、方足布のような形の貨幣を「布」と説明しています。
>一方、次のような考え方もあります。
>そもそも、「[金敷](はく)」の字が農具の鍬(スキ、クワ)を意味します。
>この字に良く似た「搏(はく、ふ)」は、打ったりたたいたりすることを意味します。
>麻をたたいて柔らかくすると布ができるので、搏=布となります。発音も同じです。
>「金敷」の字より、「布」の方が簡単なので、「布幣」と呼ぶようになったのです。
165 :
世界@名無史さん:2010/11/01(月) 19:12:10 0
中米のアステカにも鍬型の貨幣らしきものあるけど。
これってホントに貨幣なのかしら?
166 :
世界@名無史さん:2010/11/01(月) 23:40:44 0
>162
ブツブツ交換の名残?
>>166 その通り。
古代中国の貨幣が斧や刀の形を模しているのは物々交換の名残です。
中でも璧を模した円形銭貨は製造の容易さと利便性で他が淘汰されても残った形状。
ちなみに南洋諸島のパラオでは「ウド・ウド」という鉛ガラス製の首飾りが古い系統の有力者の家宝と伝世しているが
これはパラオで作られた物ではなく、遥々中国大陸から伝来した璧やトンボ玉が由来だとされている。
パラオとヤップ島も行き来が盛んだったのでヤップの石貨も璧に由来している可能性もあるが
これについては今後の研究が待たれる。
168 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 08:59:18 0
璧やトンボ玉を持っていって奴隷と交換していたの?
169 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 09:53:27 0
貨幣の元とされる「貝」なんか何の役にたったんだ!?
170 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 14:02:13 0
>>169 そんなこと言ったら金貨や銀貨や銅貨だってそのままじゃ何の役にも立たないじゃん。
171 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 14:44:04 0
金属は道具に使うだろうが。
青銅や真鍮はともかく、金銀は柔らかくて農耕にも木材加工にも戦闘にも使えないが。
宝石も道具にするわけではないし、装飾や呪術的な意味があるんでないの。
子安貝なら豊穣多産の象徴とかそんなん。
貝は食料兼宝飾品として役立つ。
螺鈿細工とかとんでもない高値で売買されたんだよ。
正倉院の御物とかその証拠。
ちなみに
⇒貞負貢財貨貫戝貭責貪販貧貶貽賀貴貰貸貯貼
買費賁貿賈貲資賎賍賊賃賂賄賑賛賜質賞賤賭賠
賣賓賦賚賢購賽賺賻贄贅贈贇贋贊贏贍贐贔贖贓
など経済に関わる漢字に
貝の部首が使われているのは古代世界で貝が貨幣だった名残。
貨幣として使われたのは食糧をとった後の殻でしょ
螺鈿が高価といっても貝が貨幣として使われてた時期とは離れすぎてないかい?
どちらも貝が貨幣として使われてた理由を説明出来てないような気がするのですが
175 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 17:58:44 0
つ呪術
だから
>>172の理由でしょ。
青銅の鋳造技術が発達してからわざわざ貝殻を模倣した蟻鼻銭などを
作っていたことからも、その価値を実用性に見出していたのではないことは明らか。
177 :
世界@名無史さん:2010/11/10(水) 00:43:34 0
つエッチな想像
>>161 >それが四角いのは世界を示しているから
単純にバリ取りの時に穴に棒通してグルグル回すから、穴が丸いと滑ってバリ取りが
できないからって理由があったはずなんだけどな。
あと、貨幣代わりに使われた貝は宝貝だ。貝なら何でもいいわけじゃない。あれを
食用にしたって話は聞かないな。
宝貝が通貨代わりになったのは、色彩もあるし、内陸部じゃ取れないこと、あの形
状が
>>177のほのめかしてるように、女性器を連想させて、豊穣を示す儀礼的意味
合いがあったからとも言われてるな。
180 :
世界@名無史さん:2010/11/11(木) 16:48:28 0
ならアワビの干物を貨幣にすれば良かったのに
181 :
世界@名無史さん:2010/11/13(土) 00:59:27 0
アワビの干物は腐るのでダメ
182 :
世界@名無史さん:2010/11/13(土) 01:01:17 0
日本で和銅かいちんが発行される以前に、中国からの輸入銭は流通していなかったの?
九州の弥生時代の遺跡から王莽の時代の貨泉が出てきている。
184 :
世界@名無史さん:2010/11/13(土) 20:23:43 0
185 :
世界@名無史さん:2010/11/13(土) 20:44:38 0
186 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 01:53:54 0
187 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 02:15:15 0
188 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 02:17:05 0
189 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 03:33:36 0
銭を地中に埋める呪術があったらしい。埋没銭の甕は「埋蔵金」というよりも呪術らしい。
銭にも呪術的効能が信じられていたのかも?
>>183も列島で「貨幣」として流通というよりも呪術目的だったと思う。
そういえば、何の本だったか忘れたけど、唐代の貴族の墓が発掘されたとき、
その貴族が貨幣マニアだったらしくて、ササン朝の通貨はもちろん、日本でも
レアな和同開珎の銀貨まで出たって書いてあったなあ。
そんな昔から古銭マニアいたのかw
布目潮風・栗原益男『隋唐帝国』(講談社学術文庫)より
一九七〇年十月、西安近郊(河家村)の遺跡から、ササン朝ペルシアのホスロー二世の銀貨、コンスタンチノープルの東ローマ帝国のヘラクレオスの金貨が発見
され、その交渉を物語っている。なお、近年、日本には少ない和同開珎の銀貨が五枚出土し、その一つはわが国でも一九七三年の
中華人民共和国出土文物展において展観された。
唐代、金銀貨は吉祥の貨幣とされていて、この和同開珎は日本からの貢物として、遣唐使の手によって玄宗に献上され、玄宗がその一部を一族の
李守礼に下賜されたものである。李守礼の子孫は安史の乱にさいし、長安にせまる反乱軍をさけて逃げるとき、財宝を穴蔵にうめて隠したと考えられているのである。
中国科学院院長郭沫若氏は、和同開珎が他の王族や顕貴にも下賜され、おそらくその総数は千枚をくだるまいと推定している。
ただ、日本では宗教的な意味合いが強かった筈。
確か、三途の川を渡る代金が六文銭だったとか。
そんな昔から六道銭ってあったん?
195 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 17:24:27 0
オクタヴィアヌス(アウグストゥス)はギリシャコイン収集家。
196 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 17:30:18 0
ビザンツでは有名な『壷税』がある。
昔に土中などに隠匿されてた金・銀貨がつまった壷が発見されることもあり課税した。
実際は、急に羽振りの良くなった市民に対して、壷を見つけたとして課税していた。
だから、見つけなくても課税されてた。
これはアメリカのゲームです。1度やってみてください。
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このゲームを考えた本人は、メールを読んでからたった10分で願い事がかなったそうです。
このゲームは、おもしろく、かつ、あっと驚く結果を貴方にもたらすでしょう。
約束してください。絶対に先を読まず、1行ずつ進む事。たった3分ですから、ためす価値ありです。
まず、ペンと、紙をご用意下さい。
先を読むと、願い事が叶わなくなります。
1.まず、1番から、11番まで縦に数字を書いてください。
2.1番と2番の横に好きな3〜7までの数字をそれぞれお書き下さい。
3.3番と7番の横に知っている人の名前をお書き下さい。(必ず、興味のある性別名前を書く事。男なら女の人、女なら男の人、芸なら同姓の名前をかく)
必ず、1行ずつ進んでください。先を読むと、なにもかもなくなります。
4.4,5,6の横それぞれに、自分の知っている人の名前をお書き下さい。これは、家族の人でも知り合いや、友人、誰でも結構です。
まだ、先を見てはいけませんよ!!
5.8、9、10、11番の横に、歌のタイトルをお書き下さい。
6.最後にお願い事をして下さい。さて、ゲームの解説です。
1)このゲームの事を、2番に書いた数字の人に伝えて下さい。
2)3番に買いた人は貴方の愛する人です。
3)7番に書いた人は、好きだけれど叶わぬ恋の相手です。
4)4番に書いた人は、貴方がとても大切に思う人です。
5)5番に書いた人は、貴方の事をとてもよく理解してくれる人です。
6)6番に書いた人は、貴方に幸運をもたらしてくれる人です。
7)8番に書いた歌は、3番に書いた人を表す歌。
8)9番に書いた歌は、7番に書いた人を表す歌。
9)10番に書いた歌は、貴方の心の中を表す歌。
10)そして、11番に書いた歌は、貴方の人生を表す歌です。
この書き込みをよんでから1時間以内に10個の掲示板にこの書き込みをコピーして貼って下さい。そうすれば、あなたの願い事は叶うでしょう。
もし、はらなければ、願い事と逆の事が起こるでしょう。
とても奇妙ですが当たってませんか?
198 :
世界@名無史さん:2010/11/16(火) 19:24:42 0
和銅カイチンは、無理にでも流通させようと製作したのですか?
列島住民にとって銭など最初は怪しげなものだと思われていたはずでしょう。
大宰府、北九州の人間はそれより昔から知ってはいたでしょうが。
199 :
世界@名無史さん:2010/11/16(火) 19:31:03 0
和銅カイホウの流通政策として貯めた量に応じて官位を与えたことからも
流通させようと考えてたのは事実。
200 :
世界@名無史さん:2010/11/16(火) 19:36:27 0
和銅銭は現存数(伝世、出土)からもそれなりに流通していたと。
富本銭を流通貨幣とする考えはありえないが、
というかそういう考えはバカに思えるが。
それは笠原先生に言ってあげて下さい。
202 :
世界@名無史さん:2010/11/16(火) 23:41:44 0
富本銭は、そのデザイン、出土場所、伝世数を考えれば
厭勝か寺観のたぐいだと素人でもわかりそうなもの。
収集家一般の意見を無視した一部の学者が意地になってるだけ。
203 :
世界@名無史さん:2010/11/16(火) 23:55:03 0
日本の場合、すぐれた収集家は真贋がわかるが、高名な学者は真贋がわからない。
ガンダーラ仏、永仁の壷、三越「古代オリエント展」、などなど。
『永仁の壷』事件などは日本の学者、学芸員の程度の低さを知らしめるために仕組まれたもの。
決して詐欺や金銭目的ではないところが痛快。
>>203 旧■器捏造事件の時も、遺物が縄文時代の石器にも関わらず
殆どの学者は発見者の意見を鵜呑みして歴史の歪曲に加担してしまった。
しかも、いち早く胡散臭さに気付いて疑問を呈した者の意見は完全にスルーされた。
一部の者の功名心のために真実が封印されることなど学会では珍しくない事なんだろうね。
205 :
世界@名無史さん:2010/11/22(月) 15:53:31 0
>>204 マスコミ(とくにNHK)の取り上げ方が問題だったと思う。
かなり偏向していたように当時から感じていた。
206 :
世界@名無史さん:2010/11/23(火) 04:53:36 0
207 :
世界@名無史さん:2010/11/23(火) 23:50:53 0
208 :
世界@名無史さん:2010/11/27(土) 17:42:28 0
銀が金よりも値打ちがあった時代も有ったの?
金の産出量が銀の産出量よりも多い地域だと往々にして銀>金となってたりする。
でも外部との交易路が出来ると一斉に金が流出するので長くは続かない。
金って人類5,000年の文明史上、50mプール2.5個分しか産出されてないんだよね。
210 :
世界@名無史さん:2010/12/01(水) 16:32:37 0
米大陸には金属貨幣に当るものが一切無かったというのが定説
211 :
世界@名無史さん:2010/12/01(水) 16:37:31 0
アステカには鍬型か鋤型かの銅製の貨幣のようなものはあった。
212 :
世界@名無史さん:2010/12/01(水) 17:19:18 0
北太平洋沿岸地域(ポトラッチ文化地域)の銅版
>>199 流通させない方ではないの?
溜め込んだら、つまり、流通を阻害したら官位をくれるということだろ。
214 :
世界@名無史さん:2010/12/04(土) 23:22:29 0
庶民にとって銅銭なる初見の奇妙なものに価値を与え、
庶民にその価値を認識させて受け取らせるための方策。
和同以前から銀(無文銀銭)は多少流通してたが。
215 :
世界@名無史さん:2010/12/04(土) 23:44:07 0
ただの売官でしょ?
だから、官職はほいほい買えるほど安かったのか?
そもそも、庶民は官吏になりたがってる人多かったのか?
本気で庶民に流通させようと思ったら、租庸調を銭納を併用制にして、賦役に駆り出して労賃を銭で払い、
それを納税に使えるようにしたり、離れた別の役場で穀物や布と換えてやったりするだろうに。
217 :
世界@名無史さん:2010/12/05(日) 00:02:33 0
官職は、庶民でもそれなりに買えるほど安かった。
奈良期の播磨国の農民でさえ本人か先祖が名目だけの官職を持ってたのは4割とも。
218 :
世界@名無史さん:2010/12/05(日) 21:11:58 0
銭を出せば罪も赦されたとか?
>>216 全ては貨幣流通が定着してからの話ですね。
社会全体でまだまだ貨幣が不足している状態で(かつ生産力が低い状態で)無理やり銭納制など導入しても、生産物買い叩かれて
食い詰める農民が増えるだけでしょう。あと賦役に払う報酬などないと思いますが。
220 :
世界@名無史さん:2010/12/06(月) 19:41:52 0
蓄銭叙位令って有名だろうに。
世界史板とはいえ知らない人もいるのか?
>>218 つか、罰金による免罪は今も行われてますし。
そもそもどこの国でも近代以前なら結構重大な罪でも国家への資金提供による免罪ができました。
223 :
嘉一朗 ◆mCH..drgJ2 :2010/12/08(水) 10:09:39 0
すみません。
貨幣に関して質問があるのですが、もしお時間がゆるすようでしたら、どうか
お答えください。
十九世紀イギリスで、1ポンドは現在の50000円に相当する、と聞きました。
ところでこの「ポンド」ですが、1ポンドは紙幣ですか?
また1ポンドに相当する金貨(または銀貨)はありますか?
1ポンド=○○=△△のような換算表があるといいのですが。
よろしくお願いいたします。
224 :
世界@名無史さん:2010/12/08(水) 12:30:27 0
SPINK(英)って古美術・古銭商がイギリスコインのカタログを
毎年だしてるからそれ参照したら一発解決。
4000から5000くらいで日本の古銭商でも買えるとこがある。
アマで見てみたら?
225 :
世界@名無史さん:2010/12/08(水) 12:45:13 0
『Coins of England and the United Kingdom』
2010年度版は 45th edition になるから。
>>92 鉄銭は宋で銅が不足した時の一時的な対策だろう。
銅銭は輸出で使われて流出した上、生産量は変わらないのに華北の
銅の産地が遼や金に奪われてるから、深刻な銅不足になった。
それで宋は民間人が銅製品を作ったり所有するのを禁じたり、
銅銭自体の国外持ち出しを処罰する事にした。
この辺の急場の対策の意味合いが強いだろうね。
228 :
嘉一朗 ◆mCH..drgJ2 :2010/12/08(水) 14:43:35 0
229 :
世界@名無史さん:2010/12/08(水) 15:27:37 0
1ギニー(guinea)=21シリング、1クラウン(crown)=5シリング、1フローリン(florin)=2シリング、1グロート(groat)=4ペンス、
一冊もってたらカタログも役立つよ。
230 :
228:2010/12/08(水) 15:47:19 O
>>226 >鉄銭は宋で銅が不足した時の一時的な対策だろう。
一時的措置じゃなくて、四川や陝西方面、特に四川は鉄銭の流通地域として銅銭
は禁止されてたし、逆に鉄銭が他地域に出るのも禁止されてた。
鉄銭は使用地域を限定して使われたもので、急場しのぎに鉄銭を他の地域で流通
させたら、貨幣価値が暴落してとんでもないインフレになるから、一時的にも主
軸通貨にはしていない。あくまでも銅山などがなくて、五代に鉄銭使用経験のあ
る、限られた地方での通貨として使用されてる。それでも五代の鉄銭流通地域の
中でも江南などの経済的に重要な地域は早い時期に鉄銭を廃絶して銅銭地帯にし
てるが。
銅不足は北宋の時代から深刻で、銅製品禁止も輸出禁止も北宋代からすでにや
ってる。一時的じゃなくてほとんど恒久的なものだった。
特に四川は安いし重い鉄銭を強要されたから会子が生まれて、それが丁度銅不足
の国情にも沿うものであったから、全国的に流通されるようになったし、南宋に
なってさらに銅不足が深刻になって貨幣生産量が激減しても、丁度四川で発明さ
れた紙幣という交換手段があったから、経済的には混乱せずに寧ろ北宋より経済
的に発展できた。
銭荒ってなんだったんだろね。
銅銭不足による極度のインフレという説もあるようだが
物資が十分にあれば決済は布帛稲米で済むだろ。
インフレなんて起こりっこないと思うんだが
233 :
世界@名無史さん:2010/12/09(木) 23:07:17 0
宋代には銅銭が銀にリンクしてるからじゃないの?
>>232 >銅銭不足による極度のインフレという説もあるようだが
不足すればデフレになるはずなんだけどな。
まあ、国家財政を銅銭で賄ってたから、一般じゃ決済を布帛・手形で済ませても
国のほうじゃ銅銭不足が税収に直結するからじゃないかね。
銭荒でも額面価値の一致しない当大十銭を発行したとき以外には混乱は起こって
ないし、それもすぐに額面価値を一致させたから収拾してる。
経済的問題より国家財政の問題だと俺は思ってるけど。
>>232 インフレにならないだろ。
銭が少ないんだよ、決済の手段がなくなるんだよ。決済の機会が減って、財や富の交換が滞るんだよ。
そこで、なして、インフレになるよ?
236 :
世界@名無史さん:2010/12/15(水) 18:18:59 0
銭の値段が上がるってことは値段が上がるんだからインフレじゃないの?
なんで決済の機会が減るの? 銭が無くても需要さえあれば米や布で
交換すればいいじゃないの
銭の価値が上がると相対的に物価が下がってデフレになる。
何故これを説明しないといけないかわからんが、順を追って超大雑把に説明しよう。
例えば1000円とAという本が等価だったとする:基準点
ここから1000円の価値が二倍になったとする。
この紙幣の価値が二倍になったと言う事は、1000円はAを二冊手に入れる事の出来る価値になったことを意味する。
Aという本の額面は1000円から500円になっている。
つまり物価は下がっている。
というかもっと簡単なことをいうと、円高だと外国の物が安いでしょ。
量的緩和の逆という話じゃないの?
思うんだけど、江戸時代に紙幣制度が導入されていたら、歴史はどうなっていたんだろうか?
俸祿とかは米のままだとして。
>>237 なるほど理解しました
勘違いしてたみたい
ただし、宋代の物価の上昇は銭の飽和状態無くして説明できないとして、国家財政は多額の歳出のために常に貨幣不足だったが、民間はむしろ銭余りしていたという説もある。
242 :
世界@名無史さん:2010/12/15(水) 22:42:46 0
北宋期の鋳銭量と南宋期の鋳銭量は大きく北宋期に偏っている。
南宋期には公民ともに銅銭不足だった。
結果として額面の大きな信用貨幣(銅銭や紙幣、銀錠として)が多種多様に造られることになる。
また、紙幣の登場と銀による決済もあり一般の銅銭供給は逼迫していたが、
全体としてはインフレになりやすい経済構造になっていた。
243 :
世界@名無史さん:2010/12/15(水) 22:44:54 0
銀は信用貨幣ではないが高額面の貨幣。
江戸時代の藩札はどれぐらい流通していたんだろう。
>>237 例えば1000円とAという本が等価だったとする:基準点
ここから1000円の価値が二倍になったとする。
↓
本Aの価値も2倍になるんではないの?
>>241 銭は決済手段であって、富や財そのものではないから、当然だろ。
札を沢山刷ったらインフレになるとかいうバカな感覚でいるから、それが解らんのよ。
現にバブル崩壊から日本はいっぱい金を出回らせたけれど、インフレにならなかっただろ。
富の再生産のための資金需要がないから、出回った金は外国に貸し出されただけだった。
247 :
241:2010/12/16(木) 07:28:56 0
ちなみにソースは、伊原弘氏の『宋銭の世界』に収められている井上正夫氏の論文「国際通貨としての宋銭」です。
>>246 宋代でも紙幣の刷りすぎでインフレ起こしたことあるし、他の国でも金や銀の含有量
落として貨幣の大量発行してインフレ起こしたり、額面価値と素材価値を一致させて
ない銭を出すことも銭の発行額面額が増えることになるから、インフレの原因になる
し、起こってるんだが。
あと、貨幣そのものでも、メキシコ銀の大量流入が価格革命の原因の一つだし、外国
に回ってもその先で銀の価値が落ちて、中国も明代に税まで銀納になっちゃってるわ
けだが。
沢山刷ってもインフレにならないなら、第一次大戦後のドイツやハンガリー、こない
だのジンバブエはどう説明できるのやら。
インフレの原因にもなるし、ライブドアの株式分割みたいにうまくやればならないこともあるって話じゃないの?
>>245 本の価値が、紙幣と一緒に二倍になったら紙幣の価値は上がってない。
要するに物々交換だと考えてみて?
1000円っていう紙とA一冊が等価で「はい、いいよー契約成立ね」と交換出来てたのが、
1000円の価値が二倍になると、
「このA一冊じゃ1000円は渡せねえなー、今この1000円の価値凄いんだぜ?」
ってなるわけ。
子供の頃やった遊戯王カードの交換でもカードダスの交換でもいい。
子供の頃やったのはライダーマンとV3のメンコ交換だろ
多分金利の概念も絡んでくるんだろうな。
やっぱり時代が下ると金利は下がる傾向なんだろうか?
っていうかなんでだろ?
>>251 ライダーマンじゃあ、誰もV3と交換してくれないから商談が成立しない
せめてエックスもつけてくれw
よくわからないからヘッドと天使とお守りのレートで説明してくれ
255 :
世界@名無史さん:2010/12/16(木) 20:08:42 0
コレクション板にいけ。
世界史巡るとどれだけ貨幣や銀行が栄えようとも物々交換が基本だよな
金持ちは必ず資源か土地を抑えてる
庶民にはそうした取引が見えないだけ
アメリカ人もドル紙幣なんかティッシュペーパー並のハナクソで
現物化してナンボとしか思ってねーし
札束自身を信仰する日本がダメな理由も分かるってもんだ
>>246 資金需要はあるよ。
単に金利が高くてリスクと見合わないから借りられないだけ。
金利がゼロでも高いんだよ。
そういえば金本位制ならぬ土地本位制ってあったのかな?
レンテンマルク
>>258 本位とまではいかないまでも西ローマ崩壊後の西欧は
貨幣の質が著しく悪化して土地くらいしかまともな担保になるものはなかった
なんて話を一度目にしたことがあるな
事実かどうかはさておき、貨幣に価値がなくなった時は
土地が基本になるってのもありだろうね
>>248 因果関係が逆。
インフレになったから決済手段が沢山必要になって刷が沢山刷られた。
>>257 金利がゼロでも高い、って、それこそ、資金需要が無いという現象じゃんよ。
金利がゼロって、どういう現象か判ってる?
今のカネと将来のカネとに価値が等価ということだよ。それでも金利が高いというのは、今のカネの価値が将来の同額カネの価値を下回ってる、
つまり、今のカネに需要が乏しいということだよ。
お上からの預かり物の均田を取引しちゃいかんだろ
>>262 デフレ期待で買い控えなんじゃないか?
今300円で売ってるメモリは、10年前は凄い値段してたんだぜ。
武士の家計簿」という映画を見て原作に手を出したのだが、予想をはるかに上回る面白さ。
加賀藩の会計担当の下級武士の一族が、幕末から明治維新にかけて、どうやって生き延びたのか
という記録。なぜそんなことがわかるのかというと、この家の当主がつけた家計簿が残っている
からだ。天保13年(1842年)から始まり、明治12年(1879年)まで続き、饅頭ひとつ買っても記録
した帳簿が、36年分も残っているから。
著者の指摘で新鮮だったのは、数理会計の能力は才能であるため、世襲制ではうまく機能しなかった。
そのため、数学的能力を必要とされる分野から、世襲制は崩れていったのだ。幕末になると、有能な
農民、町人の子弟を武士の養子に迎えることが盛んになっていく。
「算法少女」という児童文学を読めば、江戸中期の時点で、算法が武士のみならず庶民知識層にも浸透
していたことがわかる。さらにNHK特集で見たのだが、東北の寒村の蔵から江戸期の算法書が大量に
発見されている、江戸時代にその村で算法教育が行われ、水車の設計や測量に生かされたらしいのだ。
ヨーロッパでも同じで、軍の将校には貴族出身者でないとなれなかった。世襲も珍しくなかった。
しかし砲兵、工兵、地図製作担当者には、弾道計算、測量などの数学的能力が必要とされた。
こういう分野では、平民出身者でも幕僚に登用されたのだ。ナポレオンは一応貴族出身だったが、
コルシカ島出身で差別されていた彼が、実力主義の砲兵将校を選んだのは注目に値する。
幕末の動乱の中で、当主の息子は軍事会計のプロに成長していく。そして海軍の経理専門官に出世する。
家柄を鼻にかけた武士が没落していったのに比べて、あざやかな変身を遂げる。結局、藩を越えた技術を
身につけた者だけが、新しい時代に適応できたという、現代人の我々にも学ぶところの大きい話だった。
268 :
世界@名無史さん:2010/12/25(土) 22:44:18 0
アメリカにおいて紙幣が使われるようになる前は、動物の毛皮、貝塚、タバコ、米、小麦、
トウモロコシなどを代替貨幣に使用していた。今でもドルの事をバックとよぶことあがあるが、
これは先住民と開拓者の人々の間での物品交換の決済手段の単位として鹿の皮が
使われていたため、雄鹿「BUCK」の皮が利用されたことからきている。
アメリカ独立の前は、「植民券」を独自で発行し流通させ発展しつつあった。
しかし、イギリスは植民地アメリカへの課税と支配を強化し、1764年には英国議会が
「通貨法」を決議し、アメリカ植民地の各州が独自の紙幣を発行することを禁止した。
本来植民地から富を奪取することは難しい。採算が合わず、いずれ植民地を放棄せざるを
得なくなることがほとんどである。しかし、通貨発行権を奪うということは、極めて効率のよい
富の奪取の方法となり、イギリスが狙ったのはこれだった。
奪われてなるものかとアメリカも闘った。これが1775〜1783年のアメリカ独立戦争だ。
資金を持たないアメリカは政府紙幣を発行し戦費を捻出したが、それが乱発され政府紙幣
の価値が暴落した。
1776年アメリカは独立宣言を行い、翌年アメリカ合衆国憲法が採択され初代の大統領に
ワシントンが就任した。当時の財務大臣であったアレキサンダー・ハミルトンが、第一アメリカ
合衆国銀行[First Bank of the United States]を設立した。
政府の貨幣財産と税収を中央銀行に預け、中央銀行は経済の発展の需要に応じて国家の
通貨を発行し、アメリカ政府に融資を行い、同時に金利を徴収した。資本総額1000万ドル、
5分の1は連邦政府の出資、他は一般からの公募そのうち700万ドルをイングランド銀行や
シティの銀行家達が名を連ねた。
第一アメリカ合衆国銀行では、発行する通貨の信認を得るためには十分な資本が必要
だったわけで、そんなお金を出せるのは、世界一の金保有高を誇ったイギリスであったし、
シティの大富豪であったというわけだ。しかも銀行経営は完全に株主に牛耳られていた。
結果として投機目的の外国資本の導入を促進する事となり、産業発展のためにはお金が
流れなかった。やがて貸し付け需要が増大し、外国から資金を借りることとなった。
269 :
世界@名無史さん:2010/12/25(土) 22:45:26 0
1801年、トーマス・ジェファーソンが大統領に就任したが、彼は第一アメリカ合衆国銀行が
特定の商業資本の利害に動かされていたことに反発していた。例えば日銀が露骨にアメリカ
資本に有利になるように営業をしていたら、日本人は激怒するに違いない。同様にアメリカ人
に嫌われていた第一アメリカ合衆国銀行は1811年に閉鎖された。
すると利権を失いたくないイギリスがアメリカへの干渉を強めた為、1812年英米戦争が
勃発した。やはり資金不足のアメリカは政府紙幣を発行したが、結局1815年アメリカ政府は
降伏した。結局2つ目の中央銀行である第二アメリカ合衆国銀行が1816年に誕生する
事となり、その資本の20%を政府が、残りの80%を個人が占めた。ここでも再びイギリスの
富豪達がしっかりと銀行の実験を握ることとなり、やはり銀行は株主の利益のための運営を
行っていたので、再び国民の不満は高まった。
1832年にアンドリュー・ジャクソンが大統領に就任すると、第二アメリカ合衆国銀行を
閉鎖することを決めた。しかし、第二アメリカ合衆国銀行のビドル総裁は抵抗した。
銀行更新のための法案は議会で可決した。大統領が拒否権を使うかもしれないとの憶測に
ビドル総裁は「ジャクソン大統領が法案を否決したら、今度は私がジャクソンを否決する」
と言ったが、結局大統領は拒否権を使い、1836年第二アメリカ合衆国銀行は閉鎖された。
しかし、その報復として国際銀行家による締め付けがあり、1837年にアメリカ経済は恐慌
[The Panic of 1837]に見舞われる。1836年のジャクソンにより政府の土地の売却の場合、
支払いは金貨・銀貨で行えという正貨通告が出されており、それも恐慌の原因になったと
言われている。
270 :
世界@名無史さん:2010/12/25(土) 22:46:14 0
銀行券の流通は1837年の1億4900万ドルから1843年の5800万ドルに激減した。
通貨の供給は常に不安定で、多数の地方銀行が異なった通貨を発行し、
また外国の通貨も出回っており、その交換比率もバラバラで経済は安定していなかった。
そのため銀行の一部業務が一斉に停止するなどの恐慌がしばしば発生している。
例えば1819年、1837年〜1839年、1857年、1873年、1883年、1893年などである。
これはアメリカ全土で信認を受けた統一通貨が存在しなかったことが一因である。
しかし、量が不足していたものの金貨・銀貨は最も信認を受けるのが容易だった。
金属自体が価値を持っていたからである。
1848年、サンフランシスコで巨大な金鉱が発見された。良質な貨幣が大量に発行され、
市場が活況を取り戻し、銀行が大規模な貸し付けを開始。鉄道建設が急速に進んだ。
1861年〜1865年の南北戦争では、リンカーン大統領がグリーンバックと呼ばれる
政府紙幣を発行した。これに怒った国際銀行家がリンカーンを暗殺したという説がある。
また南北戦争前後百年の間に、国際金融カルテルとアメリカ政府の間で通貨発行権を
めぐる争いが生じ、その間に7人もの大統領が暗殺された。
1963年6月7日にケネディ大統領の大統領令11110 (Executive Order 11110) によって
政府紙幣が復活するが、それを止めようとして、その約半年後の11月22日にケネディ
大統領は暗殺されたという説もある。
>>262 そう、そしてそうなるのは市場へのマネーの投入が足りないから。
貨幣は流動性選好で不況下においてはどうしても貯蓄に回りがちになるので、
それを振り切るほど大量のマネーを投入しなければ流動性が不足してしまう。
>>265 電気機器の原価償却は5年だけれど、電算機は4年になってついニ・三年前に3年になったよ。
3〜4年使った電気機器は価値が0またはマイナスということだ。
メモリの主流の規格は10年前から4回変わっている。つまりは、10年前のメモリなんて価値が無くて当然だ。
273 :
世界@名無史さん:2011/01/10(月) 20:50:24 P
age
オリエントの貨幣は、貨幣彫刻が精緻で見ていて飽きない。
まあ、高価過ぎて、博物館に行かないと見れないけどね。
275 :
世界@名無史さん:2011/02/02(水) 08:55:31 0
276 :
世界@名無史さん:2011/02/02(水) 11:38:40 0
277 :
世界@名無史さん:2011/02/13(日) 00:30:55 0
あげ
278 :
世界@名無史さん:2011/03/18(金) 10:06:12.11 0
鉛貨あげ
279 :
世界@名無史さん:2011/03/18(金) 12:57:24.25 0
中国 ガソリン1万トン、重油1万トンを無償援助
2011.3.17 21:48
【北京=川越一】中国政府は17日までに、東日本大震災の被災地を中心に燃料不足が深刻化している日本に対し、ガソリン1万トン、重油1万トンを無償援助することを決めた。日本の要請に応じた緊急措置といい、近日中に日本に向けて輸送される。
中国外務省の姜瑜報道官が、同日の定例記者会見で明らかにした。
中国はすでにテントや毛布、手提げ式応急灯など3千万元分(約3億6千万円分)の援助物資を提供しており、それに続く追加支援となる。
姜報道官は「両国民は違う時期に重大な自然災害に見舞われた。互いに見舞い、支援の手を差し伸べることは、隣国としてあるべき助け合いの精神だ」と述べた。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110317/chn11031721490008-n1.htm
280 :
世界@名無史さん:2011/03/26(土) 07:06:31.45 0
>>279 中国の現地向け仕様の毛布とか使うと南京虫に刺されまくって謎の病気になったりしない?
中国で精製したガソリンなんか使うと車のエンジン錆びたり酸性雨が降ったりしない?
それ以前に、爆発しない?
爆発する毛布
>>281 まるで現状では酸性雨が降らないような言い草だな
>>283 中国の所為で日本まで酸性雨降りまくり。
もちろん現地は魚が浮くほどの酸性雨。
285 :
世界@名無史さん:2011/05/02(月) 15:36:49.85 0
286 :
世界@名無史さん:2011/05/03(火) 12:35:35.84 0
前にコインショップに行ったんだが、東アジアの古銭ばっかしかなかったわ。
もっと変わった国のコインを見たかったんだが
287 :
世界@名無史さん:2011/05/04(水) 23:41:28.91 0
たまには開基勝宝のことも思い出してやってください。
289 :
世界@名無史さん:2011/05/15(日) 04:56:31.07 0
>開基勝宝
あれは貨幣じゃなくて、今でいうところの記念メダルだろ。
290 :
世界@名無史さん:2011/05/16(月) 09:51:36.33 0
291 :
世界@名無史さん:2011/05/23(月) 19:53:28.51 0
292 :
世界@名無史さん:2011/06/05(日) 04:46:43.44 0
3カ国で統一するんならなんと読むかは別にして字は「圓」になるのか
円も元もウォンも元を正せば圓だからな
294 :
世界@名無史さん:2011/06/06(月) 11:29:37.77 P
中国で圓と元が同じ発音ってのが不思議だな
>>294 野蛮化してgの発音ができなくなったから。
大陸の反対側なら、ラテン語でGuellemus が、ゴットランド語でWilliam とか。
15世紀から19世紀にかけての日本の金銀産出量と世界の金銀産出量のデータってどっかにないかなあ
298 :
296:2011/06/25(土) 09:28:40.75 0
>>297 うん、それは昨日見つけたのよ
葉賀七三男の「日本の金銀鉱石 第三集」ってのが近そうなんだが
どこにあるやら
299 :
世界@名無史さん:2011/06/30(木) 05:31:39.82 0
>>292-294 日本と中国は同じ漢字で書くからいいけど、韓国が問題だな。
ハングル表記を入れろ、と言い出すだろうが、そうすると韓国の通貨と思われてしまう。
また、基本的には同じ圓=元通貨圏の台湾を仲間に入れるかどうかで大もめしそう。
>>296 16-17世紀なら、『日本鉱山史の研究』6ページに載ってる。
>『日本鉱山史の研究』
京都市内の古本屋で最後に見かけたときは一万五千円だったかな…
史料庫は在学中ず〜と貸し出し中
図書館は予約して二年後にようやく借りられた
>>299 諺文なんて入れたら、紙幣の国際信用が下がってしまいそうだ。
信用創造って、どこの国でいつから始まったんだろう。
人から預った貨幣を、一部を残して第三者に貸し付けるという輩が一人ではなく複数登場し、
かつ人々が自家製金庫でなく銀行にカネを預けるという慣行が定着しなければならない。
ベネチアとかジェノバあたりが起源なのか、もっと意外なとこがあるのか?
はじめて普及した国は周辺と比べ圧倒的な経済活性化を達成できたと思うんだが。
なんせ返金用の手元貨幣の割合が平均20%だったなら5倍の貨幣が市中に出回ることになるので。
>>303 んなもの、貸し借りの概念があれば、自然発生するだろ。
別に金銀でなくても良い。裏付は、消費財だろうと、実体のない何かだろうと、構わない。
モンゴル帝国は、食塩の現物々納々税証書・蔵出し証書が紙幣代わりに流通した。
国庫の食塩が価値の裏付となって、実際の生産も消費も多寡が知れている食塩の何倍もの証書が紙幣代わりに
使われていたわけよ。
日本だと、これが、蔵米証券が事実上の基軸通貨となる。幕府が旗本・御家人に給付する扶持米、大名が大坂で
年貢米を売却し各地の産品を調達する御用商人に預けられた米穀や輸送途中の船荷証券、、分散した遠隔地の
年貢米を輸送する代わりに、現地で売却し本領や江戸屋敷で再度米穀に換える為替証券なんかが、発効する大名や
商人の信用のもとに通貨として通用していた。
これが実際の米穀の生産・消費の何倍もやりとりされ、米穀の手当ての付かない分は補助貨幣たる金銀でやりとり
されていたので、米穀が実体よりも価格が安く、不足しているのに、金銀に対して安いという異常事態を招いていたり
していた。
>>304 ほうほう、モンゴルの塩兌換証や江戸日本の蔵米切手でも信用創造がなされていたのか。
きちんと管理しない昔ならインフレ(貨幣価値減少)になりそうだなと思ったら、案の定かww
ちょっと調べたら、モンゴルの塩兌換証も最後はハイパーインフレ起こしてんのな。
金貨・銀貨の含有率が低下するより、裏付け財が過少になるほうが、あぼんするの早そうだ。
>>306 そりゃそうだろ。
侍が政治やってんだぜ。ケンカの強い集団が御先祖様にあったことが、政策担当や政治実務をやる人選の
条件だった、マッチョ社会だよ。ケンカの強い奴の子孫、その後に選抜なし、で頭良い血統・賢くなる養育環境
ではないだろう。学問・思想哲学も、よりよって儒教朱子学派だし。
そんな江戸時代が経済政策で巧く行くはずない。
モンゴル帝国にしてもそうだ。
モンゴルも中世的なマッチョ社会だけれども、荒事はモンゴル人・トルコ人、徴税・通商産業・財務・経済は
回教徒商人にやらせている。
商人は頭が良くないとあっちゅう間に没落してしまう。代々キレる人間を選別していくことを自然にやってる。
こういう人たちが文官として行政を担っている間は、巧く行く。
ところが段々と支那人の官吏を取り入れたりすると、盗む才覚だけは長けている支那人にボロボロにされて
しまう。クビライハーンが乞食以下とした儒者の思想の染み付いた支那人は、官吏になれば名ったで、
国庫からも庶民からも盗みまくりだ。金貨の金を鉛で薄めるなんて屁でもないぜ、ってな。
南北朝鮮のウォンは円のあっちの読み方だが、大韓帝国の通貨は口の中に
環のつくりを入れたもの。
310 :
世界@名無史さん:2011/07/20(水) 23:04:24.86 0
圓は貝貨を意識した文字なのかな。
いやコインが丸い形だからそのまんま。
312 :
世界@名無史さん:2011/07/21(木) 23:19:06.13 O
じゃあ今の銀行制度がおかしいってことか
ユダヤに日銀も他の銀行も支配されているんだってな
>>281 大丈夫じゃねえかな。
向こうで無作為に毛布買ったら何故か日本製だったし。
信用貨幣=軍票
東洋の貨幣が丸いのは車輪の形状を象ったため。
316 :
世界@名無史さん:2011/07/26(火) 14:43:24.46 O
アメリカは通貨発行権の歴史だと聞いたけれどどういうこと?
317 :
よろずこ:2011/07/26(火) 21:09:57.96 0
>315
孔が四角なのは?
天円地方と聞いたことがあるが、地が四角の孔というのは納得がいかない。
バリをとる為の技術上の理由
319 :
世界@名無史さん:2011/08/02(火) 20:33:31.13 0
1930年代のような状況になりつつある。
失業率が高止まりし、製造業部門は過剰生産能力を抱え込み、通貨問題をめぐる緊張が高まっている。
現在の指導者が30年代の通貨戦争を今に繰り返すとすれば悲劇としか言いようがない。
フォーリン・アフェアーズ
>>315 支那の上古の蟻鼻銭・布銭・刀銭から、日清戦争の賠償金にも使われたなんともいえない半球をさらに抉ったような形の金貨、
日本では同時期まで封建時代から引き続いて通用していた方形の金貨(朱金)や楕円形の金貨(小判)、楕円形の銅コイン(天保銭)、
いびつな棒状の銀貨(丁銀)、ムガル帝国の中欧のやや膨らんだ方形のアクバル銀貨……という具合に車輪とはおよそかけ離れた
形状のものが沢山あるんだが。
南の島の石のお金だって、信用貨幣だろ
322 :
世界@名無史さん:2011/11/28(月) 22:45:35.18 0
布銭が鋤ってのがよくわからない。
字面を素直に読めば絹とか麻じゃないのだろうか?
323 :
世界@名無史さん:2011/12/24(土) 21:37:09.65 0
宝貝
324 :
世界@名無史さん:2012/01/06(金) 21:52:59.72 0
金本位制は貨幣価値主観説に反している。
金が価値があると言うのも、主観だろ。
ちょっと聞きたいんですが、この間ばあさまから壱圓銀貨貰ったんだけど、どれくらい価値があるものなんですか?
明治19年の壱圓銀貨です。
一円は一円の価値しかありません。俺の昭和61年の十円と変えてやろうか
>>327レスどうもです。価値のないものらしいので街頭に立ってた募金箱をもってる子供に渡してきました。
なんだこの自演!
330 :
世界@名無史さん:2012/01/07(土) 17:23:45.44 0
以前自宅に明治8年製造の1円銀貨があったが
玩具のようなので近所の幼稚園児に上げた。
そしたら鉄アレイで潰して遊んでた。
かなり後になってから相場を知って愕然とした。
331 :
世界@名無史さん:2012/01/08(日) 16:40:19.87 0
332 :
世界@名無史さん:2012/01/08(日) 21:07:28.81 0
>原子変換が安くできるようになるまでの
物騒な誤字だなw
物理をしらない馬鹿な子かと思ったが違うのかw
ほう、これは実質的に錬金術だね。
ニュートンさんの夢もナノレベルまでいく叶うんだね、たいしたもんだ。
>>331 とりあえず莫大なエネルギーが要るから今は採算が合わない
核融合でも実用化したら実現されるかもね
金を核融合で作るには超新星爆発並みのエネルギーがいるんじゃね。
原子番号が近けりゃそれほどでもないってこたーないの?
なんか投機で経済無茶苦茶になってるから金貨銀貨制に戻そうぜー
そーいや水銀と金って原子番号ひとつ違いだな。
あんがい、昔の錬金術師ってイイ線ついてたんだなー。
788 名前:人間七七四年 投稿日:2012/01/19(木) 10:50:02.78 ID:V9nilEdq
戦国大名たちが後先考えず貴重な金銀を国外に流出させて火薬とか購入していたのは
今の基準で考えると国益を損なう勿体ないことをしたとおもいます。
彼らが無駄遣いしなければ日本には鉱物資源という強みが残っていたのにとおもうと残念でありません。
戦国大名の無駄遣いというか戦国時代に流出してしまった貴金属はどのくらいあったのでしょうか?
789 名前:人間七七四年 投稿日:2012/01/19(木) 11:20:46.57 ID:1xyY51SG
戦国時代だと銀は流出したが代わりに金が入ってきて
現在の価値から見れば逆に儲けてるという試算もある
幕末の金流出の方がよっぽど大問題だな。
コピペにレスつ^のもアレだが幕末に流出したのは銀じゃねぃ?
横だが、日本の金銀交換率が銀に有利だってんで、金がけっこう流出したんじゃなかったっけ?
確か、当時の欧米での金銀交換比率は1:20ぐらいで、
日本だと1:5だかだったので、外人が日本に銀持ってきて日本金と交換し、
持ち帰るだけで数倍の儲けになるということになってたんだっけか。
明治に国際(欧米)標準だからって金本位制導入したけど隣の清が銀本位制だし
レートが無茶苦茶だったんで金貨が流出しまくった。
んで金銀複本位やら銀本位やら迷走して金本位に復帰したのが日清戦争後だった。
346 :
世界@名無史さん:2012/02/18(土) 22:37:50.53 0
ちょっと詳しい方に聞きたいのですが、軍票って貨幣ですか?
教えてくださいお願いします。
軍票は法的には領収書の一種だが、商取引にも用いられたなら貨幣なんじゃないの。
348 :
世界@名無史さん:2012/02/20(月) 00:37:27.25 0
>>ありがとうございます。
おいおい、領収書ってw
もちろん手形だよ
手形のように廻る事もある
戦後に換金することを約したものだから手形といえるけど、
ハーグ条約では「領収書」となってたはず。
額面相当の物品を領収しましたよ、という領収書。
硬貨を電気分解したら損壊により罪になるのかな?
どう考えても世界史板でする質問じゃないとは思うんだが
「貨幣」「硬貨」とかでググってもふさわしいスレが見つからないんだ
352 :
世界@名無史さん:2012/02/26(日) 18:42:48.26 0
大河・平清盛の冒頭に出てきた宋銭、汚っ!
同時代のものならもっとちゃんとしてるはず
>>352 宋のような衰退期に高品質の硬貨なんて作れるのか?
しかも、公銭よりも、私鋳銭の方が多いのに。
354 :
世界@名無史さん:2012/02/29(水) 01:09:22.37 0
それ以前に鋳銭されたものがダイレクトで日本に来るわけじゃないだろ。
汚れかたが年期入りすぎな感はあるな
356 :
世界@名無史さん:2012/02/29(水) 20:19:12.08 0
我が家にも永楽通寶、寛永通寶、天保通寶、文久永寶などあるけどドラマのよりずっときれいだな。
ま、永楽銭はさすがに・・・だがw
357 :
世界@名無史さん:2012/02/29(水) 20:41:54.82 0
ローンと金利とかがでてきたのは電卓が出てきた昭和40年代ごろから。それまでは金借りるって
恥ずかしいことだった。今またもどって金借りたら払えなくなる。
358 :
世界@名無史さん:2012/02/29(水) 21:15:15.99 0
え?
359 :
世界@名無史さん:2012/02/29(水) 21:55:32.77 0
デフレ、借金が効力を発するのはインフレ時。後輩がローン払えなくなって
死んだ。自営業の知人、ビルのローン払えず破産した、身近で3件目。
つぎはだれだ。
明日は我が身
塙保己一
貨幣の歴史も意外に短く、BC600年ごろのトルコから
文明の始まりとともに有ったわけじゃない
>>362 貨幣の定義によるよな。
現代の先進国のコインや札は、貨幣そのものでなくて、貨幣の移動媒体(決済手段)の一つに過ぎんだが。
>>337 核分裂・原子番号が大きい原子
核融合・原子番号が小さい原子
しかない、新しい、核XX技術がでてこないかぎり、
原子が安定しすぎていて無理。
365 :
世界@名無史さん:2012/03/09(金) 17:01:23.00 0
初めて古銭を買いました
3コペイカとか15コペイカとか中途半端過ぎない?
367 :
世界@名無史さん:2012/03/09(金) 22:48:59.83 0
ロシアコイン?
17〜18世紀のロシアの銅貨は大きくて見栄えがして集めがいがあるよ
エカテリーナ2世銘とか
368 :
366:2012/03/10(土) 01:21:20.58 0
>>367 いや、ソ連に興味があるから、ソ連時代のを
金林檎130個貯まったけれど、白噴水は切手タイムあったら換えよう、なければ無駄在庫行。
371 :
世界@名無史さん:2012/04/17(火) 02:46:37.99 0
オススメのコイン・ショップってどこよ?
ちなみに中国の穴銭を卒業してヨーロッパのコインを収集してみたいんだけど
手始めにブルボン王朝時代のフランスのコインから・・・
372 :
世界@名無史さん:2012/04/21(土) 08:57:47.38 O
>>10 そうなんだよね。
ほとんどの人は
知らない。
373 :
世界@名無史さん:2012/05/13(日) 23:07:03.80 0
貨幣カタログをみたのですが、中国で発行された貨幣も多く記載されていました。
これは日本の銀行が発行したから記載されているのですか?
貨幣カタログの日本の貨幣という基準を教えてください。
満州銀行だか発行のとか?
まぁ日本の支配下だったしそういうのも日本の貨幣の一種という扱いなんじゃね。
近代以前の銅銭などは、寛永通宝以前は日本での流通銭貨の大半で、
大量に使われてたし、日本の通貨でもあるって扱いなんジャマイカ。
375 :
世界@名無史さん:2012/05/22(火) 15:51:17.66 0
376 :
世界@名無史さん:2012/05/22(火) 21:10:03.13 0
377 :
世界@名無史さん:2012/05/23(水) 08:37:12.99 0
ギリシャがユーロを離脱するかどうかでもめているけど、
今の、管理通貨制度のペーパーマネーでも貨幣の歴史ということになるのかな?
マジで、お金の本質を考えていたら、信用だ、約束の積み重ねというのは
まだマシで、人によっては借金だというのもいるから
でも、金・銀・銅=お金と考えていた時代でも、お金の本質は信用だと
夢想していた人はいたのかな?
ビザンツとかベネチアとか言葉の違うやつと会うことが多い地域のやつは
言葉の類推からそう思うこともあったんでね?
言葉が通じるのはその言葉をお互いが知っていてこの言葉はこういう意味だという
思いこみを共有しているからだ、同じように金で取引ができるのは
金で物をやりとりができるという、互いの暗黙の合意があるからだ、とな。
リッチモンド連銀コチャラコタ総裁によると「貨幣は記憶」だそうだ。Kocherlakotta, "Money is Memory," Journal of Economic Theory, 1998.
皆が「贈与する者に贈与する」ことで贈与の連鎖が生じるが、そのためには、誰が贈与する者か記憶しておかなければならない。いちいち記憶するのは大変。貨幣は記憶の代替物になる。
貨幣という無効用な物と引き替えに財を売る行為は贈与にほかならない。貨幣を持つ者に財を売る行為は「贈与する者に贈与する」のと同じ。貨幣を媒介に贈与の連鎖が生じる。これが貨幣の本質。
380 :
世界@名無史さん:2012/05/24(木) 08:51:10.23 0
まあ、結局のところ、お金の本質、富の本質が誰もつかめていないから、
今回のギリシャ危機みたいな問題が起こるのだろうな
最近は、ネットとコンピューターの技術が発達したから、
ギリシャ危機みたいな問題が2〜3年ごとに発生するのだからな
カミと鉛筆の時代だとせいぜい10〜15年スパンだったのになぁ
お金の本質、富の本質を掴んでいる一部の人間と
お金の本質、富の本質が解らない大多数の人々が居るから
ギリシャの破綻や日本、米国の崩壊が起こるのだろう
382 :
世界@名無史さん:2012/05/25(金) 00:55:11.57 0
>>381 どのあたりのレベルの人までお金の本質をつかんでいるのでしょうか?
貨幣本質論は理論経済学の隅っこで細々研究されている段階。
金融実務に反映されるなんてことはない。
384 :
世界@名無史さん:2012/05/31(木) 02:28:57.75 0
「信用創造」という名の怪物
原始人の世界では、なんらかの生産物と富がまずあって
それを数値評価し、交換するためにカネがつくられる。
これは堅実なやり方だ。
先に富があって、それに対応するカネが用意される。
この順序は厳正に守られなければならない。
しかしこのまじめ一本やりの方針をまもる社会では産業の発展が遅い。
そうではなくて、
先にカネを大量につくってばらまいて、そのカネに見合った生産物を
強引に人々に作らせてしまうのが、現在の資本制社会の実態だ。
このやり方はヨーロッパを飛躍的に成長させた。
実は、銀行家が利子をたくさんかき集めたい一心で、この機構を思いついたのだが
純粋に利己的な野心が各種産業の爆発的な発展につながったのだ。
われわれはそのスタートラインを産業革命と呼んでいるが、
産業革命の主たる原因は種々の機械の発明だと思い込んでるアホが歴史家には多い
カネの意味もわからんアホが歴史を書いてはいけない。
むろん、こういう大雑把なことを書くと
つっこみどころ満載になるので
アホがいちゃモンをつけてくるのは承知しているが
いちいちアホに応対する暇はないので、
分かるやつに分かればそれで良しとする
産業革命の主たる要因は種々の機械の発明っすよww
金が役に立ったのは主に他国での工作活動の際
>>384 分かるやつに分かればいいとかいう以前に、書いてることが無茶苦茶
むろん、こういう大雑把なことを書くと
つっこみどころ満載になるので
アホがいちゃモンをつけてくるのは承知しているが
いちいちアホに応対する暇はないので、
分かるやつに分かればそれで良しとする
これはチラシの裏宣言か
388 :
世界@名無史さん:2012/05/31(木) 20:07:26.26 0
>>385 産業革命よりも、資本主義のほうが先のような気がしますが、
その前の重商主義の段階から、お金の本質論を割りと議論して、
あるとき、イカサマ(信用創造)で作り出されたお金が機会に結びついて
産業革命が起こったような気がするのですが?
むしろイカサマから産業革命まで時間かかかりすぎ
金本位採用で信用創造じゃねーだろ
391 :
世界@名無史さん:2012/06/02(土) 07:50:46.47 0
ニクソンショックというのは
「みなさん、わたしらは今まで金本位制を守ってきたようなフリをしてきましたが
もう、アホでもそんなウソは信じない状況になってきたので
このウソやめます」
ということである
欧州では金細工師に金を預けていたころから、
金(ゴールド)の量に即した紙幣をつくっていた正直者など
ひとりもいないのだ。
そんな原則を守っていたら、世界経済がここまで膨れ上がることは絶対になかった。
アホにはそれが分からんのです。
軍事力が根拠だなどと言い張るバカがたまにいる。それこそ
まさに現代のカネには根拠がないことを認めていることになるわけだが
そこに気がついていない点で十分にバカ
啓蒙活動スレ
ってか、正直に黄金の量と同等の貨幣しか発行できないとなると、
その経済圏の富の蓄積は黄金の量の二倍で限界になるんだけれど・・・・
そもそも貨幣は富ではないと考えるのが普通。経済学的にも統計的にも。
だから、黄金自体の価値分しか富が蓄積できないんだろ。
>>395 ふつうの経済学的思考では、資本ストックが富なんだが。工場とかビルとか住宅とか在庫とかね。
資本ストックと等量の貨幣が流通するじゃんよ。
一通貨圏の流通貨幣量と資本ストックの総量は同じなんだよ。
>>397 物々交換社会では土地が富ではないってこと?
自給自足のサイクルを持つ極小コミュニティを多数作り各々がそこに分配されて、
誰もが生産に貢献する業種に就けばいけそうな気もする
>>401 貨幣がないと物物交換になるけどその時のレートが問題になる
牛一頭分の麦が欲しいけど相手は牛半頭分の肉しかいらないし
欲しい部位も美味しいところだけとか言われたら牛の半分が無駄になるからその交渉は成立せん
しかも運搬中に腐る
これが貨幣なら小分けに出来るし運搬中に食料より先に貨幣が腐ったりすることもまずないから
貨幣って偉大
貨幣は人が物をやり取りする時の潤滑油
>>403 そんなふうに貨幣サイコー!って具合でみんな貨幣を持ちたがって通貨価値が上がって、デフレになってる日本に対する皮肉?
>>403 物々交換用の差額調整用にいわゆる通貨の代わりになって、腐らず嵩張らない貴金属とか持ち歩くようになるだけだな
鑑定とかめんどいから純度共通企画化されてるとありがたいね
純度とか
貨幣は経済の潤滑油であるって言ってるだけじゃねえの?
デフレは潤滑油が不足気味で起こるわけで、貨幣があるからデフレが起こるわけでもない。
貴金属をそのまんま使えば、今よりもっとデフレが進むと思うお。
今の通貨だったら需要があればあるだけ増やせるけど、
貴金属はそう急には増えないし、金本位制はそのせいで恐慌連発して
管理通貨制に移行したんだし。
>>405 それが通貨そのものじゃないか
古代ダキア人は銀貨鋳造してるけど
その銀貨に十字の溝入れてた
んで取引の都合に合わせてナイフを十字の溝に合わせて
上から強めに力を加えると綺麗に割れるようになってたんだぜ
>>403 で、牛丸一頭分が売りさばける需要はどこから湧いてくるの?
相手は半身分だけ欲しいと言ってるんだから、交換材が貴金属のコインだろうが紙片の札だろうが麻袋に詰めた麦穀だろうが
売れ残ったもう半身は無駄にならね?
もう責めてやるなよww
んー、牛一頭分の麦が欲しいって時に、財産を、牛一頭の形で持ってるのと、
腐らない貨幣として持ってるのとでは、利便性はかなり違うんじゃないの?
牛一頭分の需要がない時に麦を手に入れようとすると損をするなら、
たまたま一頭分さばける需要のある機会に貨幣に変えておけばいいんだからさ。
貨幣があれば、半頭分を無駄にするかもしれないリスクを回避できる。
麦に変えておくんでもいいけど、比較的保存が効くとはいえ穀物も劣化してしまうし。
貨幣なら小分けできる上に劣化しない。尺度・交換・保存の三機能が貨幣の命ナリよ。
貨幣がなくたって人は生きていけるけど、あったほうがはるかに便利なんで、
今の世界はそうなっている。
>>412 欲しいのは牛一頭分の麦だろ。
欲しい麦の分量は牛一頭分相当だろ。
牛の持ち主が麦を手に入れるには、って話だろうからそうだろうけど、
それがどうかしたの?
銭が介在したところで、牛丸一頭分なんとか売り切らないと、当初のもくろみ通りに損無く麦を獲得することはできないんじゃないかい?
もう一つ言うと、麦は結構分割しやすい。
小さな粒の集まった形状のものを嵩や目方でで量ってやり取りするなら、それこそ、交換材としての貨幣としての
役割を演じやすい。
現に、ローマで塩を兵員の俸給として支給したり、米穀を直接に通貨として扱った日本封の建時代のような例もある。
小さく分割しやすい、保存が利く、価値の検定が容易という、交換の媒介材としての通貨の目的は、麦だって結構
適しているものではないのかい?
>>416 麦は発芽率含めた全体の質で言うと全然保存利かない
「食えるか食えないか」という二元論なら結構長期間もつけど
味は一気に落ちるから全然適してない
湿気にも弱い
>>415 牛一頭分の麦を持っている人が、牛一頭分の肉を欲しているかどうか
が問題なんじゃないの?
牛と麦の直接交換であれば、「牛一頭分の肉が欲しくて、かつそれに
相当するだけの『麦』を持っている人」を見つけないと売買が成立しない。
もちろん、「麦でない何か別のものを持っている人」を見つけて取引し、
さらにそうやって手に入れたものを欲している人を…とやっていけばいず
れはたどりつくかもしれないけど。
それよりは、「媒介物として共通の合意が取れている『何か』」を介して
取引することにした方が、手間も減って便利だということじゃないかな。
貨幣があるなら、麦を持ってる人だけじゃなくて、
船大工とか相手にだって取引ができる。損する確率はずっと小さくなるんよ。
麦でも同じようなことはできるが、金属貨幣などと比べれば保存性は悪いので、
貨幣があるならそっちのほうが便利だぁね。
過去の日本で米が通貨のように使われたことがあったのは、銅銭の不足が原因。
そうなる以前は年貢も概ね銭納だった。
日本で貨幣経済がどんどん発展してって銭の需要が増えまくったので、
中国から大量の銅銭を輸入してたんだけど、そのせいで中国のほうで
銭が不足しまくり、日本への銅銭輸出が禁止されたんで、
日本国内で増えつづける銭需要に対して貨幣供給量が不足してった。
そんでそれを補うために私鋳銭がたくさんつくられたんだけども、
質の悪い鐚銭ばっかなので信用が低下して選銭ってやつがおこったりして、
百姓の側も銭納が大変になったんで物納にしてくれって要望が増えたのでそうなってった。
江戸期になって寛永銭の大量鋳造がされるようになってからは、銭納に徐々に戻っていったり。
まぁつまるところ、貨幣が不足しまくるか信用が低下しまくれば、
物々交換せざるを得なくなるってことで、消去法で穀物を使うことにもなるだろうけど、
貨幣が充分にあって信用もあるなら、そのほうがいいわけだわな。
>>418 「牛一頭分の肉が欲しくて、かつそれに相当するだけの『麦』を持っている人」
と
「牛一頭分の肉が欲しくて、かつそれに相当するだけの『銭』を持っている人」
と
前近代の農耕社会なら、前者が圧倒的に多いわけで。
無論、金属貨幣の出走り期も、そういう社会。
日本も経験しているよ。記紀に出てる。唐土にある銭の制度は便利だからと、朝廷が和同開宝を鋳造し、
あの手この手で流通させようとして、さっぱり普及せず。
その後一千年以上、麦ではなく米穀なんだが、農民の租税は穀物の物納、農地の価値や土地の生産力や
支配規模やなんかの表示も穀物の生産高で表示。
>>419 船大工は船大工で銭は持ってなくて、持ってるのは船で、やっぱり船一腹分の交換材を
どうにか入手せんことにはどうにもならんわけで。
>>420 「牛一頭分の麦を持っている人」は多いだろうが、その人が
「牛一頭分の肉が欲しがっている」というところまで考えれば、
> 前近代の農耕社会なら、前者が圧倒的に多いわけで。
なんてことは必ずしも言えないだろうね。
で、
> その後一千年以上、麦ではなく米穀なんだが、農民の租税は穀物の物納、農地の価値や土地の生産力や
> 支配規模やなんかの表示も穀物の生産高で表示。
どことも知れない異国の話を持ち出されても困るね。少なくとも日本では、巻き戻し以前の時期には貫高が
普通だったんだけど。
>>420 日本は銅が乏しくて中国式の銅銭による貨幣経済を支えられんからな
当たり前
和同開珎が普及しなかったのって、いくつか理由があるっしょ。
貨幣経済が発達するにはまず生産技術がある程度進んで、
余剰生産物がたくさん出てこなきゃならん。
みんな自分が作ったもん食ってくだけで生きるのに精一杯なら、
品物のやり取りの必要があんまないから、貨幣が活躍しようもない。
それと、普及させようとして官位を買えるようにしたけどさ、
そうすっとみんな金を溜め込んで死蔵されてしまって世の中に出回らなくなっちゃったんよ。
銅が日本で見つかったって喜んで、年号を和銅に変えちゃうぐらい貴重でもあるし。
それらの問題が徐々に解決されてったら貨幣経済発展したっしょ。
和同開珎の頃にはそういう貨幣が普及する条件がまだ日本にはちゃんとそろってなかった。
ちゅーか何で、貨幣が存在しないか普及してない社会なら、って限定の話なん?
そりゃ貨幣がないなら別のもんを使うしかないわけで、誰もそれは否定はしてないんだし。
貨幣があれば、船大工に牛売って得た貨幣で麦を買う、という繋がりができるのに。
物々交換だけじゃ繋がりを持ちようもない人たちをも繋げてしまうのが貨幣ってもんよ。
欲しいものじゃないものを作ってる人とでも取引できるなら、
取引相手がずっと増えるんだから損もしにくいんよ。
その効用をみんな知ってるから、みんな貨幣を使ってるんじゃん。
>>422 農民租税は、「年貢」と言われて、米穀の物納。
土地の生産高や支配層の支配権の規模も「石高」というふうに米穀生産高で表示。
知行を与えられない下級武士も米穀による「蔵米」「録米」[扶持米」の支給で、「札差」というような
受領運搬の代行・補助貨幣(銀銭)への交換を行う或る種の金融業が繁盛した。
>>423 かなり長い時期、日本は銅の輸出国だったんだけれどねー。それこそ、弥生時代から明治の前半まで。
>>425 麦を例に挙げてるけれど、前近代で、その土地の主要穀物が直で通貨として用いられた例は多いよ。
大体、何かモノを基準にした本位通貨制は、貨幣と言っても、物々交換の延長なわけで、本質は、
金・銀も、麦(穀物)も、挿して差が無いわな。
>>427 あれ、輸入してた卑金属って鉄だっけ?
ちょっと勘違いしてたな
じゃあ単純に銅銭を大量に鋳造する能力が無かったわけだな
>>426 それは太閤検地やなにかで巻き戻しがあった後の話だね。江戸時代が全てという
訳じゃないし。
家屋に賦課される棟別銭は鎌倉時代からということだし、田地への賦課でも
鎌倉期までは段米の例が多かったものが銭での賦課になり段銭となったり
という話がある。
土地の規模表示も、中世の貫高制から石高制に移行という流れらしいね。
日本では、銅は輸出するほどとれたものの錫が容易に得られなかった。
貨幣鋳造において純銅に近い組成だと、錫の多く含まれる青銅に比較して溶融時の流動性が低くなる。
そのため文字が浮かび上がりにくいという問題が生じる。このへんも一因だったかもしれない。
いやさー、だから何で前近代だとかに限っちゃうのよ?
現代だって同じことよ。金本位でもない今の紙のおカネだって貨幣だしい。
穀物を通貨代わりにするのも貨幣の不足が原因じゃん。
江戸時代だってさ、地方で現金不足してるの補うため藩札なんかも作ってるわけだし、
貨幣が十分あればみんなそっちを使う。
ちょっと前にも書いたけどさ、貨幣が無いとか不足とか信用低下とかの状態になったら、
物々交換に戻らざるを得ないし、それらが充分なら貨幣経済のほうが便利。
それは現代だろうと前近代だろうとおなじことよ。
物々交換のほうが便利なら今でもそっちが主流なはずっしょ。
ロシアとかじゃ通貨不安で、一時期「現物」であるマルボロが通貨代わりになったそうだね
価値があるもので交換していったほうが確かに通貨不安でも安心だろう
信用がなくなれば自然そうなるわな。
麦を貨幣として使ってる社会でも、例えば麦角菌大流行で汚染麦食ったら死ぬ、
ってことにでもなったら、信用なくなって貨幣の地位から転落することだろう。
>>432 ちげーよ。
通貨が不足していたんではなくて、本位通貨がモノだったわけ。
それが黄金だったり、米穀だったり、食塩だったりするわけで、日本の封建時代は米穀こそが本位通貨なわけよ。
今の紙の札は、別に紙の多寡が通貨の供給量に影響を及ぼしたりしない。紙本位制ではないから。
実際に最も多い通貨の形は、磁気媒体に記憶されている数値で、紙で作った紙幣だの銅やアルミの硬貨だのの
形になってい部分は極めて少ない割合だ。
>>429 日本は鉄の産出国だし古代の一時器を除いて金属の輸入はしてない。
銅銭は古代から大量に中国銭が使われていたので、唐銭に大きな信用力有ったこと
その時代の日本に統一権力が無かったために普及の面で自家鋳造銭は難があったことの2点が大きいよ。
違いはベースマネーを自由に増やせるか増やせないかぐらいじゃないかお。
だからいろんな物を貨幣代わりに使わざるを得ないんっしょ。
お上が通用するっつったら瓦でも通用する、とか言って、
金銀貨もだんだん量目や純度でなく表示されてる額面で通用するようにしてったじゃん。
あくまで物々交換が原則ならそんなことしないっしょ。
現代の通貨だって強制通用の保証があるからこそじゃん。
信用ある貨幣が充分あればそれが使われるだけ。紙幣でも金貨でも。
>>437 徳川幕府がどんどん金貨の品位を落として通用させることが出来たのは、幕府の力が大きいからではなくて、
単に、小判が補助貨幣だから。
幕府の信用は金融政策や内政権についてのものではなくて、ただ単に、金貨(小判)一両にに米穀何石何斗と
いうふうに交換レートが定められ、且つ、幕府領の年貢米の裏付けがあって、米穀を引き出すことが可能なため。
幕府ないし大名が税収として確保した米穀こそが兌換準備金で、貴金属は偽造しにくくする役割しかないわけよ。
飢饉、言い換えれば、幕府や大名の本位通貨樽米穀への兌換に不安が生じると金貨の信用が下落し、額面価値
での通用がしなくなる。
品位を落とす改鋳により貴金属としての裏付けも乏しくなると、流通そのものも減少する。経済規模は拡大して
いて、品位を落として供給力は増しているのに、金貨の流通量は半減している。米穀と交換できれば、別に、粗雑な
金貨でなくとも、為替や藩札でいいわけだから。
カネが回らなければ、いくら設備があっても、技術があっても
産業の発展は全く停滞する
というのが現在の状況である。
産業革命は貨幣の意味が変わったことから生じたのであって
機械の発明が主原因ではない
これでもが分からんアホは死んでよし
440 :
439 aho:2012/06/30(土) 09:05:47.49 0
>これでもが分からんアホは死んでよし
これでも分からんアホは死んでよし
> 日本の封建時代は米穀こそが本位通貨なわけよ。
一体どこの話だ?少なくともいまある日本の昔の姿とは全く無関係な、
>>435の「脳内日本」の話をされても困るんだが。
>>438も、
> ただ単に、金貨(小判)一両にに米穀何石何斗と
> いうふうに交換レートが定められ、且つ、幕府領の年貢米の裏付けがあって、米穀を引き出すことが可能なため。
なんていう珍論を唱えているが、米相場やら金銀銭の相場等々といった
現実の存在を無視した、単なる戯言に過ぎない。
442 :
世界@名無史さん:2012/06/30(土) 12:28:52.11 0
まあ、秀吉の時代に貫高制から石高制になったのは、大陸から銅銭が
入らなくなったからで、秀吉の時代はまだ自前でお金を作れるほど
中央政府が信用されなかったから、ソ連崩壊直後のマルボロ通貨とか
第一次大戦直後のドイツのハイパーインフレで、レンテンマルク(土地
担保紙幣)が出てきたのと同じような感覚だろう
>まあ、秀吉の時代に貫高制から石高制になったのは
長くなるし面倒だから説明しないが貫高制と石高制は西国と東国では導入時期が違うし意味合いも異なる
年貢米はほとんど大阪で換金してたお。米への兌換の保証なんて無いお。
米価格を定めようとしたこたーあるけど堂島の反発で断念してるし。
米が不足するなら価格が上がるのは需給から見て当然のことだお。信用関係ないし。
収入や俸禄が米って事と、通貨が米ってことは違うお。
ちゅーか、交換に使われる貨幣が物自体であってもただの紙であっても、
その貨幣の信用が何に由来してるかに関わらず、直接欲しい物と交換する物々交換と、
欲しい物ではないものを媒介に欲しい物を手に入れる貨幣経済とは全然違うお。
米とか塩とかは生きる為に必要な物資なので信用というよりも万人に需要があるので媒介として使われたという気はするなあ
更に現在の紙幣や硬貨はそもそもの価値が無い物で作られているので発行政府の信用は重要になるけど
貴金属の含有量によって価値が左右する通貨においては信用よりもその物の価値が関係してくるんじゃないのかな
極論を言えば政府が諸外国からの圧迫で消し飛びそうな小国であっても、金の含有量が高い金貨なら高く取引されそうだけど
歴史に詳しくないからイメージだけで語ってるけどww
うそつけw
詳しいだろw
そりゃー信用貨幣としての価値より物としての価値が上回ればそうなるわな。
国の信用が落ちるんでなくても、もし銅の価格が暴騰して十円玉に使われてる銅の価値が
十円を上回れば、鋳潰して十円以上の価格で取引されるようなことが行われるだろうし。
>>444 そりゃそうだろ。
とりたてて産品の無い、消費一方の江戸で、米や金銀の値段が決められるはず無いんだから。
幕府の鋳造する金貨は品位が落ちるばっかりで、信用が低いんだし。
>>445 日本が、その、政府が諸外国からの圧迫で消し飛びそうな小国だった、明治の頭に、
貿易決済用の銀貨を作るにあたって、他国よりも量目のちょっと大きな銀貨を作ってみたところ、
あっちゅう間に香港で全部鋳鎔かされてしまったよ。
それ自体が価値の保証をする貴金属の地金型貨幣は、発行元が信用を得るには、同じ形状
同じ品位同じ量目でずっと発行し続ける必要があるし、新参の発行元もそれなりの信用を得るには
既存の信用のあるコインに合わせた品位と量目で作り続ける必要があるんだけれどね。
>>441 御家人とか旗本とか江戸住まいの藩士は幕府のレートに手数料を加味して札差に
扶持米とか録米とかを取に行かせて換金していだが。
幕府レートはあくまでも江戸幕府の経済統制権は幕府直轄領でしか通用していない。
家中はお上の与り知るところに非ず(大名の領地経営は将軍・幕府が関与しない)と
いうのが基本姿勢だし。
支配規模、支配層の収入・経済規模は、石高表示。これは、米穀が本位通貨だった
何よりの証拠だろ。
知行は土地の経済規模を米穀換算、領地でなく動産により給付をする場合には、
録米を支給している。米穀が通貨でなければ、なんでこんなことするよ?
知行でなく、動産の給付によるばあい、なんで、小判やら銀塊やらの給付でないんよ?
勝海舟が「今日本は金本位だ銀本位だと騒いでいるが、幕府時代は米本位だったよ」、
なんて述懐をしているくらいだから、税の基本単位としての「米」はそれはそれで重要だったんだろう
江戸時代に「本位通貨」なんて概念があったのかどうかのほうは疑問だがね
>>447 以前「使っている金属が高騰したため」別の金属に切り替えた例もあるな
貨幣のほうが便利だからみんな米を換金するんっしょ。
幕府の作るおカネは兌換券じゃないお。保証なんて無いんだお。
幕府のレート、って、米の蔵前相場は入札で決まるので、幕府側が勝手に
価格を決めてたんじゃないお。米商人の入札次第。
俸禄も全部米ってんじゃなくて相当金額の銭だったり米と銭混ぜ混ぜだったりだお。
武士の収入が大部分米なんだから、色々経済への影響があるのはそうだけど、
実際の経済はそんな米一辺倒じゃないお。でなきゃ百姓も換金作物なんて作らないお。
米を握る幕府が困窮して金を握る商人が勃興したっしょ。
前の百円玉は銀貨で、銀が高騰して鋳潰されたんで今の百円玉になったんじゃなかったっけな。
幕府が逼迫して大棚の羽振りが良かったのは
金を握ってたからじゃなく、幕府がロクに商業実態を把握せず
税金もほとんど掛けられなかったからでしょ、あと冗官が増え過ぎた
何も進歩してねえなww
>>454 重農主義、統制経済だと、そうなるよ。
重商主義、自由貿易だと、その逆。
貨幣の本読んでたらヴァレンシュタインの肖像が入った
10ダカット金貨の写真があってちょっと驚いた。
中世〜近世ヨーロッパで王様でもないのに金貨の肖像に使われてるのって
この人とクロムウェルくらい?(キリストや教皇は除いて)
>>452 蕎麦屋や呉服屋での支払はどうしてたの?
ミスった
>>455 蕎麦屋や呉服屋での支払はどうしてたの?
>>459 取引内容や決済額によって違う。
立ち食いの蕎麦なら、専ら銅銭。
武家に出入りしている呉服屋で支払は年に二度のツケ払いのようなところでは、
録米為替が普通。
百姓は年貢の米納用に米作って
幕藩は市場で米を売り捌く。
米が割安になるって寸法だ。
まずしい町民のカロリー源は安い米に偏る。米酒にも。
ゆたかな農民は雑穀とかも楽しめる。
米が貨幣だったら米を握ってる幕府が困窮すること無いんじゃないかお。
幕府が米を重視したって実体経済がそうじゃないんだから。
国の安定のために食糧を重視するのは正しいんだけどさ。
穀物はほっといても劣化するしネズミに食われたりするし、
貨幣の三大機能のうち保存機能がどーしたって劣るんでえ。
だから札差に手数料払ってまで換金するんっしょ。
お米のままじゃ貨幣としては使いづらいってわけで。
使いづらいだけだから使われなかったんでもないけど。
その場合支払手段としては米が主要農産物だから米切手が多く使われたけど、
他にも米だけじゃなくて麦とか大豆とかもいろいろあった。米はその一種ってことっしょ。
物価安定のためにはなるべく金銀使うなーとか、
兵糧備蓄が武士の本分であるからーとか、そういった見地から
当時物々交換論者がたくさんいたけど、それこそが
実際の経済がそうなってなかったことを示してる。
幕府も重商主義に転換しようとしたけど反発で頓挫してたこともあったよね。
結局農本では立ち行かなくなった。
米価安の諸色高で幕府困るの常識
米が増産されない一方で色々な工芸品生産やサービス業の規模が拡大すれば
困窮するのは必然じゃね
米増産されると米価下がって幕府困窮するよ
増産されて米価が下がっても困窮しないよ
ま、増産量と値下がり幅次第かな
米ぐらいしか貨幣になるものがなかったら、の話だお。
実際そうじゃなかったから困窮したと。
重商チックな田沼時代は財政黒字で景気も良かったのにい。
>>455 それは遅くても17世紀末までの話だろうが
>>466 米増産されても年貢はそう増えないから
米価下がる分だけ幕府困窮だお
米が貨幣として用いられたなんて歴史的証拠あんの?
米は重いし嵩張るし経年劣化するし品質不統一だし
貨幣としてはおいしくないぞ
江戸期以前は、衣服は実質通貨として用いられていたね。
衣服は精々室町初期まで
戦国期も通用していたろう
反物が通貨に類似する役を担えたのは室町初期まで
実質通貨だったのは平安時代末期まで、日本史のお勉強しようね
475 :
世界@名無史さん:2012/07/07(土) 18:17:45.57 0
江戸初期でも、庶民の間では衣類は米に順ずる換金性を持っていたよ。
それを通貨というかは別として。
日本史に限定されたレスはそろそろお開きでいいんじゃねーか
人類史で最初に確認できる決済手段となった物品はなんだろう?
普通に考えれば穀物なんだろうが、旧石器時代の黒曜石などは該当する可能性はないのだろうか
>>475 通貨じゃなくただの質物
それと古代に通貨的な存在だったのは衣類じゃなく反物な
それも幅や重量や品質に規定があった
後漢期の絹みたいなものか
>>477 戦国期、未だ貨幣経済が浸透していない時代は、貴重品であった衣服は物々交換では
交換価値が高いものとしてよく利用されていた
全然関係ない古代の話とごっちゃにするなよ
>貴重品であった衣服
そういや、おあむ日記読むと、真冬でも薄いひとえ一枚しか持ってなかったそうだな。
ハイティーンの武士の娘なのに。
日本で特に衣服が流通性が高かったのは、サイズが
実質関係ない和服の特性にあるんじゃないかな。
西洋とか現代の服だと、サイズの問題があるから、
すぐ不良在庫になってしまう。
>>476 古代では、逆に決済手段にならなかったものの方が少ないのでは?
>>479 盗賊だった鳶沢甚内が、幕府から許可を貰って盗賊を使って古着屋を始めた話を思い出した。
多分、盗賊は旅人が着ていた服を盗んで売り払うプロで、古着流通にも詳しく、
かついい儲けになる商売だったからそういう申し出をしたんじゃないだろうか。
>>479 日本で貨幣経済が浸透したのは鎌倉後期以降の時代
貨幣経済が発達したのは、前代からの地方開発と
中期以降の生産技術の進展による生産量増大に伴って。
同じ頃荘園の年貢等も実物を送らず大商人の手形決済が流行し始めた
平安鎌倉期に補助通貨として使われたのは律令で規定された反物であって
衣服じゃあない、そもそも取引と全然関係ない物々交換の話とごっちゃにするなよ
485 :
世界@名無史さん:2012/07/07(土) 21:51:17.69 0
>>482 同感だな
貨幣が発明される前に、利息が発明されたのだからな
>>484 >そもそも取引と全然関係ない物々交換の話とごっちゃにするなよ
物々交換って取引じゃないの?
物々交換は、バーター貿易等の名称で現在の先進国でも盛んに行われている取引だよ。
489 :
世界@名無史さん:2012/07/07(土) 23:27:00.47 0
>>488 いや、いまの日本の企業間取引でも
お金の売掛金の回収のとき、
うちお金払えんのだけど?どこどこの工事をやってやるからこらえてくれだの
野菜を持っていってくれだの、はよくもちかけられるぞww
>>482 そら古代じゃ決済手段になる物は色々だろう。先史時代になるであろう最古のものは何かなと思ってね。
テル・アブ・フレイラあたりの農耕黎明の地だと、すでに定住してるし蓄えの概念もあるしで穀物が入ってくるのは確実だろう。
まだ狩猟採集してる時代、長期の蓄えを持つ習慣がない時代でも、AとBの単純交換でないCなる介在物品があったろうか。
で、その候補として思い浮かんだのが、特定産地の石器が広く出回った黒曜石という話。出アフリカまで遡ることができる。
貝、石、布が基本、穀物は貨幣的な物とはちょっと違う
狩猟採集社会だと、基本的に食いもんは集団単位で自給してるから、
食糧はあんま貨幣になりえないんじゃまいか。
なんとなく、原始社会だと祭祀が結構重要だと思うんよ。
暮らしに直接役立つ物と、そういった祭祀に用いるような物とかじゃないかお。
あと単純に珍しくて綺麗なもの。
>>470 お前、
米は主食だから代用貨幣であるとともに消費財としても成立する。
籾米であれば数年は持つ。
そもそも、
>>470は不動穀とか知らないで語っているのか?
>>470がイメージしているのは、市場で物を買う際、銭で支払うのと同じ感覚で、
米の袋を差し出したりすることはあったのか、ってことじゃ?
仮に米俵で支給されていたとしたら長屋に住んでいる扶持米取の武士はどこに保存するんだろうww
>>490 リドレー「繁栄」がそんな感じの説を唱えてたような
>>495 イエス。
ただ、袋だと中身の量が分からんので、
いちいち枡で量を確認するとかしないとね。ますます面倒。
>>498 逆に、細かい調整がきいて便利なんじゃないの?
調整は無しで袋単位で幾ら、って運用のはずだけど
米とか塩とかの場合
その辺りは、時代によってかなり違いそうだが。
いつの時代のこと?
袋は聞いたことないな、俵ならともかく。
それにしても米俵を貨幣として支払うって話は聞いたことないけどね。
米が貨幣として用いられたって証拠、早う
それとも単なる俗説?
むしろ、皇朝十二銭の途絶後から宋銭の輸入された時期までどうやって決済していたのかを説明して貰う方が先だな
507 :
世界@名無史さん:2012/07/09(月) 16:31:43.73 0
石高制経済において、年貢は米納、俸禄は米で一部現物支給、
なーんてことは分り切っている。
問題は、米が貨幣として流通したかどうか、ですよ。
508 :
世界@名無史さん:2012/07/09(月) 16:33:19.13 0
で、世界史に話を広げよう。
一般に、穀物が貨幣として流通したことあんの?
509 :
世界@名無史さん:2012/07/09(月) 17:21:35.02 0
>>508 一般に、ということでもないだろうけど、物品貨幣の一種にはあった
いずれにせよ貨幣への移行前の過程だが
510 :
世界@名無史さん:2012/07/09(月) 17:26:33.68 0
貝殻から金地金に至るまで商品貨幣が存在したことなんて自明
問題は穀物が貨幣として流通したことあるか否か
513 :
世界@名無史さん:2012/07/09(月) 17:54:31.33 0
>>510 貝や地金や布なんかの商品貨幣は正しく貨幣だよ、穀物もね
ただ穀物は量の割に価値低いから貨幣的な役割を担うのに向いてない
>>508 エジプトの諸王国は穀物が貨幣的な役割、エジプトは特殊だけどね
>>512 中世近世中国では専売品の国家管理が行き届き売買規制が掛かっていたお陰で
塩や茶葉その他は袋単位の扱われ、貨幣的な価値を持ってたよ
宋代に塩引、茶引が普及すると置き換わったけど
>>514 塩や茶葉が中国で「貨幣的な価値を持ってた」というのも
随分怪しい話だが、それ以前の問題として、
>>501は日本の話だ。しかも肝心の米はどこいった。
>>515 噛みつく相手を間違えてるよ、被害妄想は程々に
>>513 古代エジプトの話は、穀物の預り証が貨幣の役割を果たしたとかいう説だろ。
その説はゲゼル貨幣論者の文脈でしか見たことない。
歴史学的な証拠あるのかね?
>>516 被害を訴えてもいないのに被害妄想とはこれ如何に。
被害妄想妄想かよ
>>515 ついでに言えば、随分怪しいなどと個人的な偏った感想を垂れ流すのは勝手だが
少しは具体的な話をしてくれないと感想には答えられないよ
>>519 「貨幣的な価値」などという意味不明なタームを使っている時点で
随分怪しいことは確定している
>>520 袋詰めの塩や茶は貨幣ではない、それは理解出来るね?
それが計量済の袋を単位として一定の価値を持っていたのだから
貨幣的な価値としか言いようがない。
反論するだけの知識が無いのなら謙虚に質問すべきだよ
522 :
世界@名無史さん:2012/07/09(月) 19:17:41.92 0
>>517 知りもしないのに限りなく浅い知識で反論しなくていいよw
穀物の預り証が貨幣の役割を果たした、のは
まず穀物が備えていた貨幣的な役割ありきだという事は自明だよね
中世日本には寺社などに預かり物という慣行があり預かり証を発行したが
貨幣としての価値は備えていなかった、ただの預かり証なのだから当然ではあるが
エジプトは肥沃な氾濫原による高い収量がもたらす豊富な穀物に恵まれたが
鉱物や貝などは乏しかった故に、穀物を貨幣的な物として使用したのは自然な成り行き
>>521 >袋詰めの塩や茶は貨幣ではない、
はぁ? 関係ない話しするなよ。ばいばい
>>522 はぁ? 預り証が貨幣の役割を果たしたこと自体を疑ってるんだがね。
預り証が貨幣として流通したソース出して。
古代エジプトで穀物預り証が貨幣だったという説は
現代の「減価する貨幣」を主張する連中が
その実例として妄想しただけのものであって
それが歴史的事実である確証はない
オメーら、まず貨幣の定義をはっきりさせて論じないと。ガキの喧嘩みたいになっとるがな。
要件を全て満たすものの話をしている者と、一部を満たすものの話をしてる者が議論しても、
建設的な話し合いができるはずもなかろうが。
>>527 とりあえず「価値の尺度」「交換の媒介」「価値の保蔵」でいいんじゃない?
>>496 10石で1.5トン。フォークリフトのパレット1枚分もないよ。
四斗俵で25個、畳一枚に1.8メートルの高さでで余裕。
>>528 うん、この機能面での一般的定義がまずは土台になるね。
で、それを担保するための、「同質性、分割性、耐久性、需給の安定性、運搬性」が3機能にひもづく。
尺度が「同質性、分割性」、保蔵が「耐久性、需給の安定性」、交換媒介が「5つ全て」。
これらを高水準で満たせるものが優秀な貨幣たりうることから、結果的に貴金属に収斂していくことになると。
そこに至るまでのものは、どの程度不完全な貨幣だったかという観点で語られるべきかもしれない。
また別角度の視点として、商品貨幣(物品・金属自体)→権力が担保する名目貨幣、という流れがある。
なお、原材料に戻したら貨幣価値より下がるものは、全て名目貨幣である(贋金が生まれる背景でもある)。
当初は鋳造貨幣から始まるわけだが、特定権力が有する(又は有するであろう)財を裏付けにした兌換券が登場。
こいつが貨幣としての地位を拡大していくが、兌換券は容易に信用創造しうるので結局流動性の管理が重要になり、
兌換すらも必要としない信用システムの下での通貨体制が築き上げられるにいたった・・・てのが現代までの流れだね。
>>521 >袋詰めの塩や茶は貨幣ではない、それは理解出来るね?
理解できねー。
なんで、言い切れるの?
紙の袋というかみっしりと貼り付けた状態で銀を包んだものが貨幣として通用した例
稲藁で作った専用の容器につめた米が貨幣として通用した例、
瓦状にして真ん中に紐を通した岩塩が貨幣として通用した例
が実際にあるのに、なんで、袋詰めの塩や茶が貨幣として通用しないと言い切れるのか
説明が要るわー。
>>530 貴金属は需給がすこぶる不安定なんだけれど・・・・・・・
534 :
世界@名無史さん:2012/07/10(火) 03:59:10.64 0
>>532 米や岩塩が貨幣的な物として通用していた例とは違い
同時代に貨幣そのものである開元通宝や宋銭が供給され広く使われていたから。
一般にそれを貨幣とは呼ばないでしょ
>>534 あんたの言う貨幣とは? 貨幣のとは何かというものを定義してみてよ。
>>529 加えて、一年分を一度に支給されるわけじゃないからな。
しかも、俵に入ってる米は、それそのものが通貨だから、
傘貼りの仕入れに速攻で使えばいいんだし。
>>534 広く使われてないから。
人口の8割は農民。農民からの租税(年貢)は米穀で納付が基本で、金銀・銅銭・自領の藩札ですら代用納付を
認める領主は稀有だった。
人口の1割弱を占める士分の収入も、農民から上がってくる年貢で、これも米穀での支給。
ざっくり1割強の商工民のうち、士分を相手に商いをする者は、これまた客たる士分の収入の米穀による決済を
受けざるを得ない。
銅銭なんか使ってるのは、本当に日銭稼ぎの八ちゃん熊さんのような人だけだろ。
>>535 取引の媒体だよ、貨幣として用いる為に発行された通貨があり
袋詰めの塩や茶はあくまで専売制度に規定された分量と価格が主要因だからね
でも君が貨幣と呼びたいなら否定しないよ。
>>538 江戸時代の日本は確かに米を貨幣と見ても差し支えないかも
>>538 > 士分を相手に商いをする者は、
>これまた客たる士分の収入の米穀による決済を受けざるを得ない。
想像は要らない。ソース示せ
武士の家計簿をみても米穀決済なんてない
>>539 >江戸時代の日本は確かに米を貨幣と見ても差し支えないかも
想像は要らない。米が交換媒体だというソース示せ。
現代社会の給与=禄高ってこと?
>>543 元資料である「武士の家計簿」が引かれているんだから、立派に
ソースになるだろう。
「武士の家計簿」でなくても、当時の武家のことに言及した書物で
あれば、たいてい同じようなことが書いてあるし。
出入り商人やら職人への払いは米じゃなくて金だし、奉公人の俸給
も金だよ。
>>546 一丸諸事記を残した商人は普通に米で支払い受けてるよ
>>546 孫引きな上に、時代劇映画かよ。
テレビの見すぎだろ。確かに、蕎麦屋の決済は銅銭だし、
越後屋さんと勘定奉行が小判を重ねてニヤニヤしてる場面とか
出てくるし、町はずれの祠に小判を投げ込んむと中村主水が
殺っちゃってくれたりするけれど・・・・・それってソースなのかよ?
「武士の家計簿」と聞いて、映画しか連想しない奴もこの板にいるんだな
>>549 他に何があるの?
元々知らんから、ざっくり検索サイトでひっぱってみただけだが。
なんだ、検索一つできない能無しか。
Wikipediaにすら、元の本と映画の双方が紹介されているというのに。
まあ、ネタだろうけど。
なんで検索して分からないのやら
>>544 検地帳のどこに交換媒介をうかがわせる記載があるのか理解に苦しむ
一次史料を自己流解釈してもらっても独自研究にしかならんからね
匿名掲示板で独自研究を披露しても意味ナッシング
孫引きが上等
>>554 家中の借知が減免されたので、色々な上納品銀15匁分の代価を受領。
とか、家臣6名他の屋形が焼失したので50両を貸し、歳の暮に収穫物で返済4年間。
とか、藩に36000両を貸出、15000石づつ4年間で返済。とか
それは金や銀で米を買ってると言うのでは
>>551 Wikipediaでみたら、新書本のノンフィクションねえ・・・・・・
ノンフィクションって、「フィクションではない」ということではなくて、
「本当にあった事物から取材をしていて、名前やなんかそのまま出してるけれど、あくまでも創作」
なんだけれどねえ。
それを史実の解説書かなにかと勘違いしてるところが、可笑しいわあ。
いいかげん、日本史板でやりやがれカスども
>>558 ウィキペディアの知識だけで上から目線かよ
お前かなり痛い奴だな
>>560 Wilipediaにあるというから、Wikipedia見に行って、最初の方にノンフィクションうんたらってあるから、
話になんねーって、ところよ。
ノンフィクションものではないなら、あんた、書き換えてきてよ。
>>561 マジで痛い奴だな
ノンフィクションの定義おかしいし
以後スルーするからよろしく
ノンフィクションを事実そのままと思い込んでたのか?
話になんねえーーーー
>>557 日本語がよく理解出来ない人のようだから噛み砕いて書くと
@商人の出入りする藩の家臣の懐が厳しいため、藩は知行から取る分を減免した
そのお蔭である御家老様に売った諸々の上納品代銀15匁を米で返して貰えた。
A緊急の事情が発生したので藩士6名に50両を貸し出し
年末に4回払いの4年ローンで米により返済して貰うと取り決めた。
どう見ても米で支払ってる
いいかげん、スレから消え去りやがれカスども
日本史板にもくんじゃねーぞ
>>564 @は銀建て債務を米で返済する、
Aは金建て債務を米で返済する、
交換媒介の機能は全く果たしてないんだが。
穀物が貨幣だった事例じゃないね。
事例早よ
今風にいうと、
デュアルカレンシー債だね
建て通貨と、償還通貨が別、というやつ。
もし償還元本が米建てだったら
デュアルカレンシー債といってもいい鴨だけど
この例では金銀建てだから違うんじゃね
ノンフィクションとは、一般にはフィクションを用いずに構成したもので、
伝記や紀行文、ルポルタージュ、ドキュメンタリー、日記、書簡等を指す
語だ。(日本国語大辞典、広辞苑、ブリタニカ大百科等。)
ブリタニカでは、「最近では境界があいまいになって、〜ノンフィクション
小説という使い方もときにみられる。」という記述があるが、通常の用法
ではないぞ。少なくともWikipedia内の「ノンフィクション」の項は、本来の
用法である、ドキュメンタリーやルポの意味が記述されている。
> 「本当にあった事物から取材をしていて、名前やなんかそのまま出してるけれど、あくまでも創作」
なんてのを「ノンフィクション」と銘打って売り出したら、普通は苦情が来るよ。
人はそれをバーター取引、物々交換と呼ぶ
ドルで貸した金を武器で返してもらうという話だから、バーターとは違うんじゃ
ないのかな。
>>566 はいはい、苦しい言い訳はいいからw
藩臣と藩士への上納品の代価はその場では受け取らずツケ払い
そしてその支払いは米で支払われる、米で支払われているんだよね。
>>573 単に、金銀の代わりに現物で返済しているだけだな。
上納品が「代銀」でなく「米○○」でおさめられていたとか、
貸し出したのが金50両でなく現米○俵とかというなら別だが。
> 「本当にあった事物から取材をしていて、名前やなんかそのまま出してるけれど、あくまでも創作」
これは、ファクションと言うんだけど
>>574 返済ではなく取引ね、当時は今のツケ払いが一般的、特に武士は専らツケ払いだから
藩臣は商人からの上納品を常に米で払っていました。おわり
> 上納品「代銀15匁」を米で返して貰えた
> 50両を貸し出し
なるほど、これが「米での取引」に見えるわけだね。
米が通貨として通用していたというから、「上納品の代米○斗」なのかと
思ったよ。
前借りした給金を働いて返したのを見て「労働は貨幣だ」と強弁するレベルだなぁ
米貨幣論者くんは見るからに苦しいね
>>577 米での取引だよ、日記を綴った商人の活動地域が銀メインの地だからね
日記には頻繁に米相場と金相場が記録されている
他にも某殿が反物を物買に罷り越し代銀40目を米で払う、との記録もある
藩への貸出金36000両は藩札7200貫の一部を期限を決めて両替したものだけど
藩札7200貫は金108000両、金36000両分の代銀は2400貫と記録されてるしね
580 :
世界@名無史さん:2012/07/11(水) 23:55:16.47 0
>>571 >>572 バーターはあまり普及しないね
どうしてもお金になってしまうね
ソ連がモザンビークにAKの代金を海老でもらったり、ベトナムに
ベトナム戦争の武器の売却代金を払えといって
シベリアに労働者を送ってもらったりしていたけど、
最初は米ドルで払ってくれといっていたのだからな
なるほど、じゃ
>>570にあるようなケースでは「武器が通貨」で
「武器での取引」が行われていたわけだ。
>>579 その商人は反物の仕入れを米で払ってるの?
払ってるなら米が交換媒介といえるが、
払ってなければ単なる物々交換だ。
>>582 建て値が銀だがら物々交換ですらないよ
反物の売りと米の買いを同時に行っているだけ。
>>582 商人が上納するのは様々な品物で
藩や家老、家臣、藩士が払うのは常に米。
自分でもその言い分が苦しい詭弁だと解ってるだろう?w
>>581>>583 なるほど、江戸時代の小判は貨幣ではなかったという仮説を主張したいんだね
実に素晴らしい、説得力のある説明が出来れば新発見、大偉業だ
オタク同士の意地の張り合いは醜いのぉ
>>584 誤魔化さないで答えて
商人は商品の仕入れを米で支払っているのか?
>>589 そうだよ。
そのために、諸国の特産品もお米もわざわざ大坂まで運んでやりとりしたんだから。
>>590 あなたの想像じゃなくて
実際に仕入れを米で払ってる記録が日記にあるかどうかを聞いている。
日本は近年まで米本位制だった
それに反発した左翼が
「米帝国主義反対!」と活動繰り広げた
すいません ネタです
古銭商に行ってみろよ、米手形、米為替なんていっぱい売ってるぞ。
古和書専門の古文書屋とか言ってみろよ、札差やら商家の帳簿はいっぱいあるわな。
金は出さんが足なら使うというなら、商科経済系の強い大学の図書館で見せてもらえ。
>>589 藩は商品の仕入れを常に米で支払ってるよ
>>594 たとえ藩が米払いしてても米は交換媒介になってないよ。
商人が売上げも仕入れも米建てで米で決済してたら交換媒介っぽくなるけどね。
>>593 米切手や米為替は交換媒介になってないわな
常に米で支払えるのなら大阪で換金する必要は無かろ
>>595 藩が米払いしているので米が交換媒介になっているよ
その藩は商人の上納品に対する支払を全て米払いしているからね
>>596 金本位制時代には、各国の中央銀行の金庫には、純金のナマコ板ややら金貨やらの
金塊が山積みされていた。
同じ原理で、大坂の蔵屋敷にお米が山積にされていたわけだよ。
いい加減、日本史の話から離れたいだけど、布貨について詳しい人っているかな?
スーダン中央部では、19C半ばまで盛んに布貨が使われていた。
布貨と言っても、額の大きさによってざっくり3種類に分けられた。
一番高額なのは衣服。
次がちょっとうろ覚えだけど、確か筒状にした布
一番安いのが、短冊状に切った布。
衣服は分かると思うが、2番目の筒状の布というのは、服を作る部品のようなもので、
その地方では衣服は筒状の布を縫い合わせて?作られる。
3番目の短冊状の布は、布としての実用性は無いが、小銭のように使われていた。
19C以前、宝貝、金属貨幣などが外から入ってきたが、布のメリット(軽くて丈夫で、
希少性が高い)が大きかったので、結局定着しなかったらしい。
よく後漢末期には通貨の暴落で絹が通貨になったと聞くけど
デフレってこと?
貨幣の価値が落ちる=物価高=インフレだぞな。
で、近代以前の一般的な原因は、物品欠乏(天災由来など)・硬貨純度下落(放漫財政のツケ)あたりなのかな。
大航海時代のあと貴金属ダブつきが原因で・・・みたいな事象は、後漢末期にはなさそうな。
>>604 気候変動による不作や増税による生産者の大量逃亡、黄巾による内乱、それに伴う生産能力の低下と
董卓による悪貨乱造で大量に市場に通貨が流出、物資の致命的な不足、その結果通貨信用が失墜して、
物々交換が行われるようになったと聴いたよ。本当か嘘か詳しくないから分からないけど。
魏が中原を抑えた後通貨を銅銭に戻そうとしたけど、結局は失敗して絹が変わらず通貨になったとか。
人口比が全然違う蜀がある程度まで戦えたのは、蜀地方が絹の生産地であり、
劉巴が市場の銭を官営市場で吸い上げてある程度価値を戻した銅銭を市場に落としたので市場は安定し、
通貨発行益を得ていたので、蜀が滅んだ時に国庫を開けたら財が積み上げられていたという話があった気がする。
>>605 後漢はその前に通貨発行を行う体力がなかったので
選銭と言って質のいい貨幣を選び抜き死蔵して
悪貨が市場に出回り慢性的なインフレ傾向にあった
追い討ちで西羌が大反乱を起こして巨額の軍事費を支出したので
市場には貨幣が出回りさらにインフレ加速
インフレ加速の中でもやはり質のいい銭は仕舞われてしまうし
悪貨だけが市場に残り後漢の体力がすっかりなくなってしまったという背景があるね
選銭するのは資産家ね
>>600 布銭のことか?
あんなけったいな形のもの、持って歩けるかよ。
支那人むかしからバカだったんだな。
>>602 当時の後漢の通貨って、何?
信用紙幣ではないだろう。
銅銭なら材質そのものがそれなりに高価なものだから、インフレになりようもなかろうて。
>>608 布貨には、布の形した金属貨幣という意味と、布や衣服の貨幣という意味の2種類がある。
>>609 銅銭が通貨
後漢は貨幣鋳造の体力がなくそれでいて私鋳をちゃんと取り締まれないことも多く
悪貨が良貨を駆逐する、を地で行く状態でインフレしてたのよ
後漢がインフレ起こしてるのは正史後漢書によれば朝議でも問題になってて
今こそ貨幣改鋳を行うべし、という人が現れたのだけども結局桓帝はそれを行わなかった
漢代の通貨は私鋳・削りされまくりだからねえ。
悪貨の銅銭に混ぜるものってなんだろう・・・・錫の割合を増やすのかな?
>>611 ビタ銭が増えようと、金属が高価な時代にあっては、インフレになりようが無いだろ。
悪銭の素材の価値という限界があるんだから。しかものちの時代と比較にならんくらい金属が貴重品だった時代。
倭国でもお馴染みの銅鏡はデカい銅銭だったという説
デカい貨幣だなw 買い物するのが大変だぜい!
実際にはちまちま削って薄くするんじゃないの?
買えるものは、海をまたいでの親分子分関係の地位くらいしかないから、
それでいいんだよ。
列島内での親分子分関係も買えたかも
集めた銅鏡の数で、あなたの前方後円墳の大きさが決まります!
大和朝廷にどんどん貢物して銅鏡を貰おう!
>>614 いやインフレ起こすんだよ
当時は銅銭をヤスリで削って薄くしたり径を小さくしたり
さらには同心円状に外側と内側くり貫いたりしたダメな悪貨が大量に出現してる
単なる私鋳だけじゃなくてこの手の銅銭も「一銭」としてカウントされるから
当時は一銭の価値が大きく下がっててインフレーション起こしてる
下がったのは貨幣の価値だけでなく信用もそうで
後に董卓が開き直って銅銭を改鋳するんだけどこれが
刻印はないわ、くり貫いた内側の剪輪銭よりも小さいわ
最早銭というよりも真ん中に穴の空いた銅プレートで徹底的に貨幣の信用を喪失させる
お陰で100銭で1石買えると言われた後漢の穀物相場がハイパーインフレ起こしてて
1石数十万銭にまで跳ね上がってる
倭国は朝貢貿易で朝貢品の代金(下賜品)として銅鏡を受け取ってるから銅鏡は貨幣っぽい。
倭国内でも朝廷は氏族から貢物を受け取って銅鏡を下賜してるから、これを国内朝貢貿易に見立てれば、銅鏡は貨幣っぽい。
もし氏族間で銅鏡をやり取りしてたら完全に貨幣だな。
金貨や銀貨ならともかく青銅をチマチマ削って、投入する労力に比してどれ程の利があるのかと
>>621 租税を納めて代金貰えるなんて聞いたこと無いよ。
>>623 打ち抜くタイプの悪銭は綺麗に半分くらいになってるけどな
>>625 えー。
がっつり租税だよ。
そりゃ、泰、緬、琉球のような、遠くから来てご苦労さん、皇帝陛下の意向を高めるためにわざわざ招きに応じてくれありがとう、
もしくは、強めの遊牧政権を手名づける時のように、支那側が建前上の親分とか兄貴分を認める代わりに、挨拶程度の少量の貢物
に対して、お兄ちゃんから弟にお小遣いとか、お役目を任じてお給料(歳幣)を与えるとか言う名目でたっぷり渡すといううようなところならば、
貿易みたいな感じにもなるだろうけれど、大理国とか高麗・朝鮮とか西夏国とかみたいに、大陸側から直接攻め込まれて藩王が土下座させられて
忠誠を誓わされたようなところでは、貢物の品目や数量ががっつり指定されて、まさしく税として徴収されてるよ。
朝貢と歳幣の違いを理解してないな。
歳幣は毎年の貢ぎ物で貢ぐだけ。物品数量は貰う側が指定。返礼なし。
朝貢は不定期だが贈る物や量は指定なし。返礼が貰える。
歳幣は義務だが朝貢は権利。朝鮮みたいに宗主国(後金・清)と戦ったりすると
朝貢禁止されて歳幣オンリーにされる。
返礼が莫大になるので頻繁に来る朝貢使は上京を拒否する事もあった。
(琉球→清や渤海→日本など)
多分歳幣リストで一番検索にかかるのは、三田渡の盟約での朝鮮→清のものだろうな。
威信財と貨幣ってどのように区別するの?
現代人から見てカッコイイように見えると威信財で、
そうでないと貨幣なの?
>>628 遼とか金とか、宋に朝貢して宋から歳幣を貰ってたよ。
倭国の銅鏡は大型銅銭だったということでFA?
米を貨幣と言い張る
>>598のロジックからみれば
銅鏡も貨幣だろうな
ここのスレもいつのまにやらハイパーインフレーションだね!!
遼・金にビビッてカツアゲされてた宋が何で租税を取れるんだよ
>>634 名を取る宋と、実を取る遼・金
少々の租税を納めてお役目を命じられて、たっぷりお給料を貰う。
強制的に貢がされるのは直接ボコった相手だけなんだろ?
宋は逆にボコられてたぞ
それでも租税だってんならただの阿Qじゃねーか
土地も貨幣だよ
地域通貨ってどうなん?
ハードカレンシー以外は地域通貨だろ。
近場なら、コリア・ウォンとか、タイワン・ユアンとか、ホンコン・ドルとか
日本円や人民元がハードカレンシーなのかよw
通貨は全て地域通貨
日本円はハードカレンシー
人民元の扱いも段々ハードカレンシーに近いものになってるよ。A.S.E.A.N.では対外決済の比率高いし。
なんか最近日本円がスイスフランみたいな扱いになってきてる
数十年黒字積み上げてれば信頼したくなるのは誰でもわかること
日本がスイス程度の経済規模なら
チビッコギャングの阿呆が財相でも務まるかもな
首相や財相は東西分裂後のカリフや中世の天皇みたいな物
>>620 ちなみに宮澤知之の研究によれば、唐代の銅銭は中央が発行すると言う体裁を整えるために、鋳造場所から都に持っていくコストも込みで貨幣の価値が決定されていたため、
銅の生産地で公式の銅銭と全く品質の私鋳銭を作っても輸送コスト相当分だけ利益が出たらしい。
分かりやすく言えば、100円の銅銭のうち、製造コストが75円+輸送コスト25円であったという訳(勿論、鋳造利益も考慮されていただろうから、更に製造コストは低かった筈)。
政府が通貨価値を決定できるの?
現代でも決定できないのに唐が決定できたとは思えん。
通貨価値は国家機関が決定してるよ
為替や物価と思い違いしてるんだろうけど
そりゃ当然額面は、発行者が決めるわな
>>650 君のいう通貨価値ってなあに?
まさか額面のことじゃないよね?
通貨価値は額面に決まってる
これが普通の理解
通貨価値の安定とは、通貨1単位当りの価値、すなわち物価が安定していること。
中央銀行はこの通貨価値の安定を信用制度の保持・育成と並んで究極的な使命して政策を実施 している。
通貨価値の安定は、通貨の発行者である中央銀行には本質的な目的であると同時に、信用制度 の保持・育成や経済の安定的成長のために重要である。
額面でいうと銭一枚は銭一枚(一文)であって、だから何ってことになる
「コストで額面を決める」という発想がナンセンスの極み
ふつう価値というのは交換比率をいうのよ
通貨の場合は物価だったり為替相場だったり
「一万円札の通貨価値は一万円」では意味ないの
ナンセンスなのはオマエ
誰も支持しない独自理論を開陳しても何の意味も無い
通貨価値とは銭一枚が一文、一万円札の価値が一万円であること。
物価は物価、財政政策は財政政策、通貨価値とは別のモノ
>>657 まずは通貨価値でググれカス
独自理論はお前だ
ちなみに
>>655はコピペな
俺様の独自理論ではなくて
つーか通貨価値と貨幣価値は違うんじゃよ。
現在のように無価値な紙幣を政府信用のみで
流通させている場合には、たとえ暴落しようと通貨価値=貨幣価値じゃが
かつてのように貨幣の価値を物体価値で保証している体制では
品位評価や物体相場の影響で、貨幣が希望額面で流通しないことは
ザラにあったんじゃ。
そもそも、経済学の用語で「通貨価値」という言葉あったっけ?
たぶんない。
通常は現代の通貨の価値=貨幣の価値を前提にして「貨幣価値」と言ってる。
そもそも特定の貨幣が幾らの額面で流通するかは経済恐慌を起こすような大暴落事例とかじゃ
ないかぎり「経済学」の取扱範疇なのか怪しい。
経済学じゃなくてもいいけど、「通貨価値」というのは何学の用語?
既に確立した学術用語ではないだろう。
ただ国語的におかしいコトバではないのであってもいい。
たしかに普段経済学で言っている「貨幣価値」は厳密には「通貨」の価値であって
別に物体としての貨幣そのものの価値付けを考えるときにはそういう言い分けも必要かもしれない。
貨幣そのものの研究(「貨幣学」とでもいうべきか?)はまだまだけっこう未開拓な分野で、
貨幣の実物はその性質上、各時代とも現物としてたくさん残っているのに
それらがそれぞれの時点で実際にどのように流通していたのかは意外なほど未解明な部分が残っている。
ぐぐっても、「通貨価値」なんて言葉は無いし、少なくとも
経済学、文化人類学、歴史学には無い言葉だと思う。
なんで、上でやっている言い合いは無意味で、このスレなりに
言葉の定義をしていないから指しているものが違って話が
噛みあっていないだけってこと。
その前に出ていた「貨幣」もそうだけど、各自が勝手に頭の
中にある思いで話してもかみ合わないのは当然。
学際的な話題なんだし。
その通りだね。
「米は貨幣か?」だって「貨幣」というものの定義を明確化すれば
たちどころに結論は出る。
特定物が「貨幣」であるのかを考える上で、
必須条件を考察してみると、外せない要素としては、
1.計量性(「量」としての取扱)
2.反復性、多方向性(行ったり来たり、それそのものは交換財であって商品ではない)
あたりがクリアされないと、どうも貨幣とは認められない感じがする。
ならば江戸時代の米は1はオーケーだが2がダメだ。
武士から米を受け取った商人が入手した米を第三者への支払いとして使うことは
基本的に考えられないし、物体としての米は武士から商人への
一方通行で、往復したり還流したりはしない。
従ってそれは単なる米立ての現物(商品)決済に過ぎないと言える。
で、上記に反駁するには
1、2の不適格性を論証するか、米が2にも適合していることを示せばよい。
漸く
>>655-656で開陳した通貨価値なる独自言語と
独自思想は誤りだと悟ったようだね。良いことだ
>>667 一緒にするな。
そのへんの下らない言い争いではオレは発言してない。
>>665 本当にググったの?
通貨価値でググると約5,840,000件、
貨幣価値でググると約 478,000件だ。
で通貨価値も貨幣価値も学術用語ではないが、
普通の経済用語では通貨価値が一般的だ。
新聞ぐらい読んでくれ。
アホか、ぐぐり方も知らないのか?
ちゃんとフレーズ検索したか?
>>670 おまえの端末では"通貨価値"で検索するとゼロ件なのか?
>>669 経済学板にでも行けばいいと思うよ
俺様用語の解説なんて貨幣の歴史と何の繋がりも無いし
>>673 通貨価値は俺様用語じゃないし
以下用例
653 世界@名無史さん sage 2012/07/20(金) 00:51:57.25 0
通貨価値は額面に決まってる
経済成長と通貨価値の安定
www3.boj.or.jp/josa/past_release/chosa196501l.pdf
通貨価値の安定」 (Ec。n。mic gr。wth and M。netary stabiーity)と題する開会演説を行なつ に". 同総裁はこの演説のなかで、 経済成長を達成するためには通貨価値の安定が必須の要件 であろこと. を、 理論上ならびに経験的事実に徴して述べるとと もに、 ...
中央銀行の使命
www.boj.or.jp/about/outline/history/hyakunen/.../hyaku1_0_1.pdf
日本銀行の使命は申すまでもなく、 通貨価値の安定を図ることで. あります。 ... もあり、 通貨価値の安定という政策理念が国民の間に深く根をおろ. すには長い年月を必要としま し た。 今日のわが国においては通貨価値安定の重要性が広く理解され、 ...
貨幣の額面を調べるなんてナンセンスなこともなかなか楽しいぞw
1両=1円なので現在の一円アルミニウム硬貨は江戸時代の小判の正統後継。
しかも安政小判とアルミ一円玉の間には金貨2種、銀貨2種、黄銅貨1種しか挟まらない。
それでも日本は乾元大宝以後足切りデノミを1回もやっていないので、ちゃんと
全てがオーバーラップで連続している。
並行して1両札2種と1円札が9種。
内5種の日銀券は最初の兌換銀券以来全部が今なお現役(=有効券、但し兌換は停止)
アルミ一円玉は長いこと補助貨幣の扱いだったから
一両小判の正統後継とは言い難い気がする
だからアルミ1円玉が正統な後継「貨幣」と認められるまでの33年間、
新1円金貨はアルミ1円玉と対等な「一円硬貨」として現役だったんじゃよw
ちなみに旧1円金貨は2円硬貨扱い。
ウィキペディア様の怪しい情報によると
新1円金貨は発行されなかったようですが
新金貨は5円以上
あああ、しまったそうだった。やべ勘違い。
竜なし1円旧金貨と中途ハンパにごっちゃになっとった。
やっぱ記憶モンは書き込む前に確認すべきじゃのう。
なんだ、そうすると1円同士の対等関係はなしか。
金貨と対等関係があったのは5円と10円だけか。
5両判は明治以前に失効してるし、
さすがに大判の「拾両」は額面とは言い難いので
なかなか江戸時代から現代までは1本にはつながらんのう。
>>672 フレーズ検索した後、個々のページを見に行って用例を確認するぐらいあたりまえだろうが。
検索結果何万件だの、常識が考えてありえない数字を挙げて喜んでいるアホは言うことが違うねw
「通貨価値」って、結局、「通貨の価値」を縮めてなんとなくみんなで分かった気に
なって使ってるに過ぎない言葉だから、ちゃんと議論したい時にはとりあえず定義
しないと話噛みあわないよ。
で、その用例から定義を導き出してくれ。
話がかみ合うように。
コンバージョン・レートのベクトル
>>679 政府紙幣や銀行券を含めれば万世一系でつながるんじゃ
>>648 外国企業が工場造って生産はじめたら、その工場の横流しで贋物が大量発生するという、
現代の中華人民共和国と同じとがあってたんだな。
>>666 武士から米を受け取った商人が入手した米を第三者への支払いとして使うことは
基本的に考えられない
というのが、大きな間違い。
貸米を商品作物の代価とすることはあるね。
米を完全に貨幣認定しちゃうのはどうかと思うけど
貨幣的な役割を持っていたのは疑い無い
691 :
世界@名無史さん:2012/07/22(日) 00:47:34.72 0
米って基本的に生産者から消費者のほうに流れていって
最終的に消費されて終わるよな
その際たまたま米でいいよって相手がいれば、決済にも使われてくが、
逆方向に米が同じだけ動いていくってこと、まず起こらないよな?
もっと縦横無尽に動き回るものが貨幣なんじゃないか?
>>691 そう。単に流通過程で複数回現物決済に使わることもある、という程度で
逆流や循環は基本的にないもの。
「一定の通貨性がある」程度で、とうてい通貨そのものとは言えない。
チップを習慣とする国で多く見られ、ジュトンとかトークンなどとと呼ばれる
少額貨幣に混じって通用する切手、回数券、飴玉などの方が
はるかに通貨性を備えている。
切手や回数券はともかく、何度も決済に使われた飴玉は滅多に喰われず
損壊するまで流通するのが普通だそうだからね。
「喰える」という属性がちゃんと貴金属貨幣と同じ価値の間接的保証になってる。
喰えない貴金属貨幣と同じなら喰える属性は要らなくない?
実際滅多に喰われないし
>>692 まさに米が備えていた貨幣的属性そのものだね
どのへんがだよw
いいかげん意地だけで言い張り続けるのも見苦しいなあw
1.貨幣に混じって米での支払いが見られる
2.価値が保証されている
というか自分でも一定の通貨性があると認めちゃってるよねw
食えるつーか調味料だけど塩なんて貨幣っぽい流通性なくない?
現在じゃないよ 昔ね
一定の通貨性はもちろんある。
というか、これまでの書き込みで日本の江戸時代の米に一定の通貨性があることを
否定していると受け取れる書き込みがあったっけ?
でも、それが通貨そのものであるというのとは全然話が違う。
ちょっとでも通貨性があればただちに全面的に通貨であったことなどにはならない。
一定の通貨性があるものなど米以外にもゴマンとあるからな。
それこそパチンコ玉にだって一定の通貨性はあるぞ。
>1.貨幣に混じって米での支払いが見られる
見られる条件が限定されすぎ。方向も偏ってる。
>2.価値が保証されている
むしろされていない。米の価値は「喰える」という実態価値に依存しすぎ。
上記のようにジュトンの飴玉は通常喰われないし、金属貨幣を地金として
ばんばん融解使用することも正常視されないが、米は最後は喰われるのが普通
こっちは一定の通貨性を持ってたと書いてるのに
いつも、貨幣じゃないという話の噛み合わない反駁が返ってくるんだが
>>699 かつて
>>539 >江戸時代の日本は確かに米を貨幣と見ても差し支えないかも
という意見がありましたが、
あなたはこれとは別の意見ということでよろしいか?
貨幣の価値ってのはそれそのものは消費されずに市場に還流して物品の流通の媒介になるものだから
基本的にその価値が消費できること、にあるような食料品は通貨とは言えんだろ
まあ、ある程度「兌換性」のある作物であったことは確かなようだね
>>703 じゃあこれは別人なのか?
>>513 >貝や地金や布なんかの商品貨幣は正しく貨幣だよ、穀物もね
そりゃそうだ。「性」つけちゃえば兌換と換金なんて何も違わんもんな。
換金性のある事物を「商品」と呼ぶわけで、特段強調する意味はない。
穀物には計量性があるので、一般の個別性の強い商品より若干強い貨幣性を
持っていることは事実だろうがそれは日本の江戸時代に特有のことでもないしな。
江戸時代の米の貨幣性に特別なものがあると思わせられる最大の理由は、
知行を面積でなく米の換算想定生産高で表す慣習と、武士間の分配が
換金前に実物で行われていたことによるんだろうな。小学校の社会の時間に
受けたざっくりした説明をまんま信じてる感が弱点だろうw
米の生産高で表される知行の数値は、財産量というより政治力の量を表す数値で、
現代政治で言えば議席数や得票数に近いものと思ったほうがいい。
船舶における排水トンと容積トンぐらい表すものが違う。
>>704 貝や布が貨幣だった時代には穀物も同様と書いてあるのは理解できるよな
>>706 全然別の意味だよね、兌換と換金は。
木材や染料を換金することはあっても、兌換は出来ない。
米の生産高で表される知行の数値は財産高そのもの
というか自分で生産高って書いてるよねw
その通り生産高、支配者も検地によって生産高を把握している
人別改めや棟別改めとは別にね
>全然別の意味だよね、兌換と換金は
もちろん本来は違う。だが「性」をつけて曖昧にぼかしたらたいして違わんだろw
>米の生産高で表される知行の数値は財産高そのもの
違うよ。財産そのものではなく毎年財産を産む見込みを数値で表したもの。
だから通常の財産値とは次元を異にし合算はできない。
>>707 時代を特定しているようには全然読めない
で、別人なの?
>>710 貝、布、地金が貨幣だった時代は限定される
全然読めないのではなく、認めたくないか読解力が致命的に劣っているかのどちらか
貝は「漢字が形成されたころの古代中国」がメジャーだけど
実は意外と実態は解明されていないらしい。
布と地金はもう少し普遍的だぞ。
朝鮮なんか20世紀まで反物貨幣やってたし、
大判や丁銀も完全には地金貨幣を脱していない。
やわらかい銀貨は切り使いを脱するのにだいぶ掛かってる。
>>711 貝や布が同一の特定時代に貨幣だったわけじゃない。
時代を限定した話として読めないなぁ。
で別人なの?
>>712 計量貨幣と地金そのものは違うからな
丁銀は計量貨幣ではあっても地金じゃあない
>>713 貝や布の後に銭貨が流通する時代が来る以上
時代は限定されてないと主張しても無理があるね
>>715 無理筋の下手な言い訳は要らないから。
で別人なの?
>>714 まあその通りだろう。計量貨幣はちぎられることはあっても融解使用されることは原則ないからね。
計量貨幣は地金っぽさを少し残してるだけの立派な貨幣。
>>714 計量貨幣でない地金が貨幣だったことないだろ
>>718 小判以前に流通した袋入り砂金とかは近いんじゃ?
砂金は貴金属だけど貨幣じゃないな
袋に入って封印された状態はかなり貨幣に近いが、
小判と違って、袋を開けて溶かして使われるのも全然異常事態じゃないからね。
地金性が抜けていない。
貝を使ってたころってその貝はどのように収蔵していたのですか?
袋に大量につめて倉においておくんですかね?
大量に詰めると、割れやすかったりするんじゃないかな。
漢代の雲南では青銅製の「貯貝器(ちょばいき)」なる
桶形の容器にためていた様子。<タカラガイ
無駄に語呂がいいな、貯貝器
この米の話、スレ遡ったら
>>416の
>米穀を直接に通貨として扱った日本封の建時代のような例もある。
ここから始まったみたいね。
そのあともしばらく米穀こそが本位通貨だと主張していて、
いまは貨幣的なもの、とか通貨性がある、とかに変わっていったようだけど
俺はマリア・テレジア銀貨が好きだ
米本位制の議論は面白いと思うが専門外なので見てただけだが
コメ貨幣論の系譜
>>304 日本だと、これが、蔵米証券が事実上の基軸通貨となる。
>>416 米穀を直接に通貨として扱った日本封の建時代のような例もある。
>>435 日本の封建時代は米穀こそが本位通貨なわけよ。
>>450 支配規模、支配層の収入・経済規模は、石高表示。これは、米穀が本位通貨だった何よりの証拠だろ
>>455 江戸時代って、お米が貨幣なんだが。
>>532 稲藁で作った専用の容器につめた米が貨幣として通用した例
>>537 俵に入ってる米は、それそのものが通貨だから、傘貼りの仕入れに速攻で使えばいいんだし。
>>539 江戸時代の日本は確かに米を貨幣と見ても差し支えないかも
初期の通貨統合では、ギリシャは重要な役割を担っていました。
紀元前400年頃に小アジア西岸地域で行われました。
ギリシャの7カ国が同盟を組んで造った貨幣制度は、のちの欧州通貨統合の先駆けと言えます。
この初期の通貨統合が、いつ、どのように崩壊したかは不明ですが、
200年後に古代ギリシャでは別の「アカイア同盟」の試みがなされ、
ペロポネソス半島一帯の地域や都市国家が参加して、紀元前280年ごろに形成されました。
歴史家ポリュビオスによると、このアカイア同盟でギリシャ人は「友好的な同盟地域を構築した
だけでなく、共通の法律、度量衡単位、通貨制度も導入し、役人や議会、裁判所まで共有した」
といいます。これほど高レベルの統合は、現代の欧州官僚にとって羨ましい限りに違いなく、
以後の歴史上の通貨統合と異なり、アカイア同盟は100年以上続きました。
この同盟は紀元前146年に消滅しましたが、その原因は同盟内のもめ事ではなく、
ギリシャがローマ軍に惨敗した外的要因でした。
731 :
世界@名無史さん:2012/07/26(木) 01:52:14.15 0
1832年にオスマントルコ帝国からの独立を勝ち取って以来、ギリシャは度重なる財政危機や
債務不履行に悩まされ、長い間、国際資本市場から事実上締め出されてきました。
ラテン通貨同盟の発足は1866年8月で、当初の加盟国はフランス、ベルギー、イタリア、スイスでした。
4カ国は、各国の通貨を標準化し、交換可能にすることに合意しました。
共通の単一法定通貨は作られませんでしたが、加盟国の通貨が互いに定率で固定されたのです。
2年後、当初の4カ国にスペインとギリシャが新たに加入し、1889年には、ルーマニア、ブルガリア、
ベネズエラ、セルビア、サンマリノが加盟し、ラテン通貨同盟は、第一次世界大戦まで続きました。
このようにギリシャはラテン通貨同盟の草創期に加盟しましたが、やがてその存在は歓迎されなくなり、
懸念の的となっていきました。慢性的な経済の低迷で、ギリシャ政府が何代にもわたって合意に反して
硬貨の金含有量を減らしたため、他の加盟国の硬貨と比べてギリシャ通貨の価値が下がった為です。
無責任で容認できない行動をとり続けたギリシャは、1908年にラテン通貨同盟から正式に除名されました。
その結果、ギリシャは通貨政策を見直し、2年後に再加入しましたが、その頃には同盟全体がますます
脆弱になり、4年後の第一次世界大戦が勃発で消滅しました。
他の欧州での通貨同盟:19世紀
1857年のドイツ通貨統合は、ドイツ国内通貨を統一しようというもので、北部ドイツのターレルと南部ドイツ
のグルデンの2本建てでした。まれな成功例で、1870年のドイツ統一まで継続し、統一の5年後には2つの
通貨に代わってライヒスマルクが公式通貨になりました。
1873年にデンマークとスウェーデンがスカンディナヴィア通貨統合を結成し、2年後にはノルウェーも
加盟しました。ラテン通貨同盟に対抗し、スカンジナビアでの通貨統合実現する狙いで、第一次世界大戦
で事実上機能を失い、1924年に正式に解散しました。
>>691 現代の預金通帳の数字だって、
経営者から労働者の方へ流れ
消費者から商店へ、商店から卸業へ、卸業から生産者へ
流れても、
逆向きには行かないだろ。
734 :
世界@名無史さん:2012/07/26(木) 11:55:24.11 0
>>732 放置していれば、たまってしまうから、何とか循環させるように考えるのが
経済学だろう?
昔は宗教がその役割を担っていて、
近代は戦争、核兵器が実用化されてからは公共事業
冷戦終了後は新自由主義のマネーゲームで壊れてしまって
さあどうするね?
が今の情勢だろう
>>732 消費者→小売→卸売→生産者→労働者=消費者→・・・
循環してますYO
米は消費者から生産者に戻っていくルート自体ないよな
消費されてウンコになるだけだ
金は回りつづける
米
生産者 → 卸売 → 小売 → 消費者
金
生産者 ← 卸売 ← 小売 ← 消費者
‖ ‖
消費者 → 小売 → 卸売 → 生産者
>>733 金属貨幣は鋳潰すために作るものなのか?
米は最終消費者が食って消滅で、それ同様に
金属貨幣にも、最終消費者がいるのか?
>>735 >>737 米穀で徴税していた米穀本位制の時代の封建時代の日本、
賦役普請の際には、炊き出しがありましたよ。
領主が租税(年貢)として集めた米穀を、食わせる。
労役自体も租税だけれど、その労役に駆り出される農民に税で集めた米を食わせて、
秋にはまたその農民から米穀の物納租税を徴収する。
循環してるじゃん。
739 :
世界@名無史さん:2012/07/27(金) 00:58:39.21 0
、ミ川川川彡 ,ィr彡'";;;;;;;;;;;;;;;
ミ 彡 ,.ィi彡',.=从i、;;;;;;;;;;;;
三 ギ そ 三 ,ィ/イ,r'" .i!li,il i、ミ',:;;;;
三. ャ れ 三 ,. -‐==- 、, /!li/'/ l'' l', ',ヾ,ヽ;
三 グ は 三 ,,__-=ニ三三ニヾヽl!/,_ ,_i 、,,.ィ'=-、_ヾヾ
三 で 三,. ‐ニ三=,==‐ ''' `‐゛j,ェツ''''ー=5r‐ォ、, ヽ
三. 言 ひ 三 .,,__/ . ,' ン′  ̄
三 っ ょ 三 / i l,
三. て っ 三 ノ ..::.:... ,_ i ! `´' J
三 る と 三 iェァメ`'7rュ、,ー' i }エ=、
三 の し 三 ノ "'  ̄ ! '';;;;;;;
三 か て 三. iヽ,_ン J l
三 !? 三 !し=、 ヽ i ,.
彡 ミ ! "'' `'′ ヽ、,,__,,..,_ィ,..r,',",
彡川川川ミ. l _, , | ` ー、≡=,ン _,,,
ヽ、 _,,,,,ィニ三"'" ,,.'ヘ rー‐ ''''''"
`, i'''ニ'" ,. -‐'" `/
ヽ ! i´ /
ノレ'ー'! / O
>>736 一応
生産者→大棚→(貸米)生産者
↓ └→行商人
幕藩・知行取り→(御貸米)生産者
というルートがある
武士からの商人への支払いが米だったとしても、
市場で米を持ち歩いて買い物していたわけじゃない(そういう例も多少はあるだろうけど)。
米相場という言葉がある通り、米はやはり商品だったと思うよ。
商人が武士と商売するときは米相場を参照して、価格を決めてただろうし、
あくまでも銭の価値を中間に置いた物々交換という感覚だと思う。
もちろん米は換金性の高い商品だから、石高はそのまま武家の経済力の指標にはなったと。
そもそも武家は藩の年貢米にしろ藩士の扶持米にしろ、
現物を入手する前に先物で売り払っていたはずなので、
現金代わりに手元においていた米は少なかったんじゃないの。
742 :
世界@名無史さん:2012/08/30(木) 22:06:45.48 0
金本位制の金融マジノ・ライン テレグラフ
http://blogs.telegraph.co.uk/finance/ambroseevans-pritchard/100019683/the-monetary-maginot-of-the-gold-standard/ ゴールド・オタクの一部は、共和党の金本位制復活論を恍惚に近い歓喜を以って受け入れたようです。
彼らは病院で頭を検査する必要があります。政治家を取り締まるには、金は自由でなければならないのです。
ゴールドが素晴らしいのは、ゴールドが政治家の手も国家の手も届かない、またはほとんど届かない、
価値の保存手段であることです。
ゴールドは、数千年もの昔に遡る遺伝的愛着に基づく、冷たく切り離された資産なのです。
ゴールドは人類にとって馴染み深いものですから、抑え込むのはほぼ不可能です。
ゴールドは、しかも、独裁者から逃れる安全地帯であり、昔から迫害を受ける人々の携帯資産なのです。
政府が自分達の政策とゴールドを固定制度で関連付けたが最後、この金属(またはその持ち主)は
不正の虜になるでしょう。ルーズベルト大統領が1933年に民間のゴールドを没収したのは、金本位制が
同大統領の経済戦略を妨害していたからです。両大戦間の機能不全な固定為替制度におけるゴールドとの
関連性こそ、ゴールドの持ち主を標的にしたものです。だからこそ、彼らの資産は「盗まれた」のです。
正にだからこそ、ゴールド・オタクが金本位制は資産バブルと債務過剰を防ぐと考える理由が、
僕には理解不能なのです。1920年代、米国の債務比率はGDP比300-350%辺りまで急上昇しました。
2000-2008年に起こったことと瓜二つです。この信用創造は第1次大戦後の金本位制の下で起こりました。
1920年代終盤にドイツが膨大な対外債務を積み上げてしまった(スペインがドイツ・マルク本位制(ユーロ)
の下でやった事と物凄く似ています)直接の原因は、両大戦間の金本位制のメカニズムだったのです。
フランスと米国(両国とも1920年代の金本位制では過小評価されていました)は、自国の貿易黒字を
オフセットするために、債務国にローンを大量注入しなければなりませんでした。仏米両国がそのローン
を停止すると(今日、ドイツがスペインに対するローンを停止したように)、その結果としてドイツで暴力的な
景気後退が発生しました。
743 :
世界@名無史さん:2012/08/30(木) 22:08:32.12 0
バリー・アイケングリーン教授の『Golden Fetters』を読んだ人は一様に、その後の展開を知っています。
金本位制はFRBによって米国以外の全ての国に向けて貨幣危機を感染させたのです。
黒字国(米仏)は余りにも厳格な金融政策を維持していました。両国はグローバル・システムの均衡を
保つべくゴールドをリサイクルするのではなく、これを貯め込みました。調整の負担は全て悪戦苦闘する
債務国に押し付けられ、これらの国は経済的悪循環に陥って一層深刻な不況へと追い込まれました。
最終的には全ての国が悪循環に巻き込まれ、それは被害国が脱出するチャンスを掴んで金融主権を
取り戻すまで変わることはありませんでした。そうなって初めて、各国は貴重な内需を、貴重な産業を
取り返したのです。大英帝国や北欧諸国など、早期にそれを行った国々は迅速な回復を遂げました。
ゴールド・デフレにしがみつき続けた国々(何もかも崩れ去る前、1935年のピエール・ラヴァルのデフレ
命令を思い出しますね)が、最終的には最も負け組になりました。
ポール・クルーグマン博士が言うように、ヨーロッパは通貨同盟を以って金本位制の最悪の特徴を
再現したのです。EMUとは、ドル・ペッグの代わりに、ドイツ・マルクにペッグした固定為替制度なのです。
関係ありません。全社会に対する債務デフレ拷問のメカニズムは殆ど同じです。
人類の愚かさと邪さが、両大戦間に美しき金本位制を堕落させてしまった、と言うことは出来るでしょうが、
それを認めるのは上記の見解を認めることに他なりません。ゴールドは、実は、政治家の大暴走を止め
られなかった、と認めるということなのです。それもまた一つの金融的マジノ・ラインに過ぎません。
744 :
世界@名無史さん:2012/08/30(木) 22:09:48.83 0
ああ、そういえば、19世紀のゴールド、1914年に終焉を迎えた国際貿易ブームの絶頂期はどうなので
しょうか? あちらは確かにより上手に機能しました。政府はもっと小さかったんですね。民主主義の
社会福祉への期待も低かったわけですし、沢山の主要国も全く民主主義ではありませんでした。
志を同じくする極少数の中銀と一致して純粋な金本位制を運営することは、イングランド銀行にとって
より簡単なことだったのです。とはいえ、より堅調な成長も価格の安定ももたらしませんでした。
価格の上限と下限(インフレからデフレへ)は、ほぼ間違いなく大きかったのです。
下のセントルイス連銀のグラフからお分かりになるように(ラ・デカデンシア・デ・オキシデンテ、
西洋の衰退のミゲル・バスキュース氏が教えてくれました)、金本位制下の方が不況は多発していた
のです。不況の再発は今よりも一般的だったのです。グレーの部分は不況です。
これから考えれば、戦後は極めて成功しているということになります。
http://blogs.telegraph.co.uk/finance/files/2012/08/chart1.jpg http://blogs.telegraph.co.uk/finance/files/2012/08/chart2.jpg 上記のグラフはインフレ率に異なるスケールを用いているので(FREDのデータ処理方法です)、
気を付けて見なければいけません。戦後は2度のインフレが確認出来ます。1940年代終盤から
1950年代初頭(戦後の債務を減らそうとする小賢しい動き)と、1970年代(ケインズ主義者大勝利の
フィリップ曲線大脱線)です。
それ以外、物価はまあまあなのです。これが起こると本物のトラブルが始まるものですが、
破滅的規模の物価下落もありませんでした。対照的に、金本位制の時代にはデフレが何度も
発生しましたし、物価が10%から20%も下落するケースも5度ありました。
745 :
世界@名無史さん:2012/08/30(木) 22:10:23.19 0
更に遡ってみれば、このグラフからわかるように、実際の金の価格は何世紀にも亘って新たな
金鉱の発見に合わせて激しく変動してきたのです。
http://blogs.telegraph.co.uk/finance/files/2012/08/chart3.jpg ゴールドの絶頂期は中世盛期でした。La Conquista(征服)とペルーおよびメキシコの金鉱発見の後、
ゴールドがあふれるようになり、ヨーロッパでインフレの波を引き起こしました。19世紀終盤は再び
値上がりを続け、米国の農家をデフレ的なゴールドの十字架で磔刑にしたのは有名です。
ということで、ウィリアム・ジェニングス・ブライアンの銀本位制運動が起こりました。
それからはもうばらばらです。ケインズが1940年代初頭にバンコールを提案したのは、正にそれが
原因だったのです。バンコールは、通貨を経済の根本的な実態をより良く反映する様々な商品に
リンクさせるように作られました。ゴールド不足の時代にもデフレ圧力は和らいだことでしょう。
バンコール案は中国人民銀行が拾いました。まだ実現の可能性はあるかもしれません。
言うまでもなく、共和党の金本位制復活策など実現しそうもありません。
あんなものはティー・パーティーへのオベンチャラです。真のティー・パーティーの中の人は、
こんな戯言を本気にしていません。ゴールドは政党に保証なんぞして頂かなくて結構なのです。
ゴールドは自ら輝くのです。
746 :
世界@名無史さん:2012/08/31(金) 15:25:45.93 0
747 :
世界@名無史さん:2012/09/09(日) 09:54:59.53 0
統治機構がどのようなものであれ
カネを刷る権利を握る者が真の支配者であり王である
この権利を実質的に私企業や個人に握られているのに
自分らの国は民主主義だなどとホザイテルやつはただの阿呆だ
748 :
世界@名無史さん:2012/09/09(日) 14:39:20.60 0
>>747 いまは本当に誰がお金をする権利を有しているのだろうか?
一応建前は中央銀行ということになっているが?
749 :
世界@名無史さん:2012/09/09(日) 16:46:10.69 0
偽札は勿論、北朝鮮が史上最も大量に生産。
偽ドル札はアメリカ製よりよくできている
という。
>>741 金、銀、銅銭の交換比率の相場も立っていたけれど、どれが商品でどれが通貨なの?
>>750 金=小判、銀=丁銀、銭=銅銭(後期は鉄銭もあり)どれも通貨だよ。地金相場は別にある。
証券と札と小銭が同一国内で全部変動相場になってるようなモン。
かなり凄い状態みたいだが、北朝鮮の闇市あたりじゃ人民ウォン、人民元、ユーロ、韓国ウォン、米ドル、日本円が
ごっちゃかつ各々勝手な相場で混合流通してるそうだからそういうのよりはだいぶマシだろうw
逆だよ逆。
大判(黄金)、小判(金)、丁銀(銀)、銭は現金相場。
金地金、銀地金、銅地金、米は商品相場。
現金相場で扱われるのは現行通貨と公儀認定のあるものだけ。
金、銀貨は江戸時代何度か改鋳されているが、
改鋳以前の現行金銀貨と品位の異なる旧金銀は
例え大判小判であっても地金として取引されるのが原則だった。
現金相場には金1両=銀50目(のち60目)=銭4000文の
御定相場が最低額面保証としてあったが
商品相場にはそういうものはない。
何が通貨で何が通貨でないかは今と同じぐらい明確だよ。
>>753 >何が通貨で何が通貨でないかは今と同じぐらい明確だよ。
じゃあ、通貨とは何か、言ってみてよ。
明確というならそれこそすげえ単純明快な定義ができるんだろ。
今での基準で良いよ。
今の日本の状態では『「通貨」と法定されているもの』(日本円として法定の硬貨・日銀券)でFAだろ?
逆にもし、これらの通貨と同等に「通貨」と認めねばならないものがあると言うなら何を主張する?
>>755 今の日本で法的な根拠があって、造幣局の硬貨と日銀紙幣が通貨と言うのは分かった。
で、徳川時代での法的根拠は?
757 :
世界@名無史さん:2012/09/27(木) 20:33:44.82 0
徳川幕府が鋳造を統制してて通用を保証してんだから通貨なんじゃないのかな。
近代的な法律で定義されてないと通貨じゃないなら江戸時代に通貨は存在しないことに。
素人考えだけど、その物が本来持つ物としての価値以上(例外的に以下?)の価値を
市場に於いて認められてる物は総じて通貨なんじゃないの?
今の紙幣と呼ばれる紙切れがそれに該当するし、硬貨と呼ばれる金属片も同様。
大判小判や丁銀や銭だって金属としての金銀銅の価値よりも高い評価を以って流通してただろう。
米がどのような市場価値を持っていたかは知らんが
>>757 徳川幕府が生産を統制してて通用を保証してんだから通貨だよな米は
760 :
世界@名無史さん:2012/09/27(木) 21:26:15.92 0
>>759 屁理屈言うなって。
生産はともかく通貨として米の通用を保証なんてしてないでしょ。
>>759 幕府がいつ「コメの生産の統制」なるものをやったんだ?
>>760 何の為に幕府が米相場を操縦してたのか
米の通用を保証してたといえるでしょ
主食の相場の統制なんて、世界中どこでもやっていたんだが。
旧食管法時代の日本も、「米の通用を保証してたといえる」のか?
>>764 幕府は米穀の生産統制なぞしていないし、通用の保証なんてのも
全くしていないぞ。
766 :
世界@名無史さん:2012/09/27(木) 23:08:53.63 0
>>762 だから屁理屈言うなと。
現金換算の米の価値の下落を防ごうとしたんでしょ。
767 :
世界@名無史さん:2012/09/27(木) 23:10:40.61 0
769 :
世界@名無史さん:2012/09/28(金) 00:23:36.32 0
通貨として保証なんてしてない。
>>765 金銀の生産統制もしてないぞ
鉱山を経営してたのは単に儲かるからであって、小規模鉱山は職人頭制
>>769 してるよ、幕府や藩は米の兌換価値維持に務めた。
君の論法では幕府は金銀貨を通貨として保証なんてしてない
>>768 いわゆる天領と旗本の知行の合計より、大名領の方がはるかに
大きいんだけど。
統制の及ばないところが統制できるところの数倍あるのに、どう
やって「生産統制」とやらをやるんだね?
それに、生産量や相場を統制したら通貨になるってんだったら、
ついこの間までの日本じゃ米も麦も乳製品も、みな通貨ってこ
とになるぞ。
そもそも世界的にみれば、主食の統制をしたところはいくらでも
あるわけだが、それらの国も全部「穀物通貨制」なのか?
>>770 米と違って、金貨・銀貨・銭については生産も流通も統制しているし、
吹き替えの時には旧貨の通用停止と回収を行っているんだが。
米でもそういうことをやっていたのかね?
>>771 お前が妄想している「米の兌換価値維持に務めた。」
の中身はなんだ?
まさかと思うが、米を売却する時の価格の話じゃあるまいな?
775 :
世界@名無史さん:2012/09/28(金) 00:54:40.74 0
>>770 金銀地金と金銀貨は別もんだとすぐ上のほうで書かれてるが。
>>771 米価維持を兌換価値維持とか変に言いかえるのやめなよ。それが屁理屈なんだって。
776 :
世界@名無史さん:2012/09/28(金) 01:24:16.48 0
減反政策は米本位制への移行を目論んだ布石だったのか!
国家の黒い陰謀が、またひとつ明らかになったな。
そろそろ米通貨説を主張してる子にあだ名がほしいところ
778 :
世界@名無史さん:2012/09/28(金) 01:53:45.37 0
※
>>773 他の職種の職人制度からはみ出した、生産や流通の統制を行っていたとは
具体的に何?まあ、そんなものが無かった事は知ってて聞くんだが
>>775 どこで線引きするか具体的に書いてみようか
江戸時代に地金が秤量貨幣として流通していた文書は幾つもあるのだが
江戸時代日本では米価維持と米の兌換価値維持が同義だと認めたらどうかね
自説に拘っても当時の現実が変わるわけじゃないのだら
>>780 貨幣の定義って結構明確に3機能で表されていないだろうか。
その内の価値貯蔵の効果を持たない米は貨幣と呼べるのか?
そりゃあ有る程度の期間は保存できるが保存状態でも数年で貨幣としての価値を失う時点でちょっと…。
まあ横レスなんで気に入らなければ無視してください;。
>>772 あんたのいう生産統制って、生産制限のことか? 生産をある分量より少なくすることを目的とした施策のことか?
>>773 年貢
上米
という形で、毎年、かなりの分量を回収してますよ^^
>>781 紙幣なんて、価値貯蔵の効果なんてないですよ。
政策のヘマで一瞬で紙屑化しますよ^^
ヘマしなくても経済成長に伴って価値が漸減しますよ^^
>>779 大小判や丁銀等の吹きかえのときには、命令して古金銀を回収していたんだが、
他にそういうことをやっていた例があるのかね?
また、米も古米を回収して新米と交換してくれていたのかね?
>>782 旧食管法下でやっていたのが、
> 生産制限のことか? 生産をある分量より少なくすることを目的とした施策のことか?
だったと思い込んでいるのか。無知も極まれりだな。
作付け制限なんてずいぶん後になってからの話だよ。
まあ、
>>783のような戯言をはける無知無能な奴だから、
歴史的な話を知っていなくても全く不思議ではないが。
787 :
世界@名無史さん:2012/09/29(土) 00:14:24.87 0
>>780 現金相場と商品相場、って同じとこに書いてあるけど。
江戸時代の秤量貨幣って、丁銀や豆板のことを言ってるのか?
だとしたら、それらも銀座で品位をそろえて秤量貨幣用に鋳てるよね。
そういうものですらない本当の地金でも、それ相応の価値があるんだし、
取り引きされもするだろうが、んなこと言ってるとあらゆるものが通貨になっちゃうでしょ。
通貨としては品位をそろえなきゃ使いづらいし、地金自体を使い続けるぐらいなら
金銀貨に鋳直すのが合理的だな。
金銀生産と金銀貨鋳造を区別もせず、幕府は金銀生産を統制してない、
だから金銀貨鋳造を統制してないも同然だ、だから通貨として保証してない、だなんて無茶苦茶。
そんなことだから、米価維持は兌換価値維持だなんて屁理屈も平然と飛び出してくるんだな。
米価が下がれば幕府にとっては現金換算での減収となるし、百姓の暮らしも同様に厳しくなって
社会の不安定化を招く恐れがある、だから米価を維持しようとしたんじゃないの。
江戸時代の経済が現金を介して回ってたからこそ、そのようなことが起こる。
>>784 お前頭大丈夫か?さすがにおかしいと気づけよ
>>785 例えが逆だよ、幕府が旧通貨を回収させたのは
時代と共に常に品位や目方が下がり貴金属としての価値を減らしたから
旧通貨の回収は幕府にとって利益の大きな商売で、例えるなら
その年に取れた新米を全て幕府や藩へ納めさせ、替わりに古米を支給されるのと同じ
>>787 丁銀や豆板ではないよ、小規模な金銀鉱山がある非直轄地で
金や銀の採掘・精錬を免許された職人集団や座が作る地金
もちろん独自ではあっても品位や目方は揃えているが
謹製の金銀貨とは形状や品位、目方の違う物
実際、幕府や諸藩は米価を維持に躍起になった、これは通貨安定政策と同じく
兌換価値の安定を図る政策そのものと見る事も出来るだろう
>>789 価値を上げるときにも、同じように旧貨の通用停止と回収を
かけているだろうが。ごまかすな。
で、「地金が通貨として通用した例」とやらが、
> 金や銀の採掘・精錬を免許された職人集団や座が作る地金
というのは、冗談のつもりで言っているのか?「謹製の金銀貨」
とやらも、「製錬・鋳造を免許された職人集団や座」が作って
いたんだぞ?
お前が言っているのは、「大小判や丁銀等の他にも、一部に
地金型通貨が特許されていた」というだけのことだ。
なんにせよ、まずは「米の兌換価値」なる俺様用語をちゃんと
定義してから出直してこい。
>>787 淀屋の庭先から始まった米穀の帳合取引も、産地・品質の検定をやってますでよ
>>789 「謹製」って言うのは、作った人が自分の作ったものについて言う、謙った言い方だよ。
>>791 そりゃ、米だろうが麦だろうが酒だろうが、取り扱う商品の産地や
品質の確認を伴わない取引なんて有り得ないわな。
>>793 だから?
相対取引と帳合取引とでは根本が違うでしょうに。
>>794 そりゃ、空取引だって対象物を設定しなけりゃやりようが
ないわな。で?
>>790 価値を上げた改鋳とは具体的に何年の出来事だよw
まあ、そんなものは存在しないが
幕府の硬貨造鋳は、免許として、ではなく、お抱えとして、造鋳を命じられていた、な
これは幕府が発行元。一方のただの地金は、その土地の職人組が
免許されて地金を作っていたの、年貢をこれで納めていた事例もあるよ
それと、地金を地金型通貨などと呼び替えないようにな
江戸時代に米型通貨が市場で流通していたのは、皆さんご存知の通りだ。
正徳、享保の吹替えも知らんのか。そのあとも、一本調子で
品位を落としていたわけでもないし。さすがに、南鐐銀まで
いくと、品位云々という視点自体が間違いなんだろうけど。
> 江戸時代に米型通貨が市場で流通していたのは、皆さんご存知の通りだ。
「皆さん=796」か。まあ、こういう奴は珍しくもないがね。
やっぱり、何だかんだ言っても米が通貨だった→反物を通貨代わりにしてた朝鮮と大差なしって
持って行きたい朝鮮人なんだろか?
ところで、「米の兌換価値」なる用語の定義はまだかな?
800 :
世界@名無史さん:2012/09/30(日) 00:07:57.24 0
>>789 領内通用限定の地方貨幣とかかな。そういうのは領外ではただの金属地金。
全国通用する通貨を幕府の許し無しに勝手に鋳造なんてできんのよ。
屁理屈は相変わらずだな。米の売却益を下げたくないだけなのに。
兌換価値とやらがなんなのかわからんが、その価値を現金価格で量ると言う事からして、
米と金銀貨のどちらが通貨なのかはわかるな。
801 :
世界@名無史さん:2012/09/30(日) 00:09:42.55 0
>>791 得体の知れないものに値はつけられないからね。それがなんなの?
802 :
世界@名無史さん:2012/09/30(日) 00:14:54.68 0
>それと、地金を地金型通貨などと呼び替えないようにな
自分で、「江戸時代に地金が秤量貨幣として流通していた文書は幾つもあるのだが」って言っといて、
わけがわからないんだが。
803 :
世界@名無史さん:2012/09/30(日) 00:26:24.70 0
享保小判・丁銀は品位・量目上げてるね。慶長のに戻した。その前の宝永小判の二倍程度の価値。
結果デフレを引き起こしたのでその後また品位を落としたようだけど。
貨幣改鋳で経済が大きく影響を受ける貨幣経済社会。
>>797 享保金銀は品位を上げた分と手間賃の分だけ発行量が減少したよ
享保の改鋳に際しては価値の総量が下がってる
>>799 米の通用を幕府が保証すること、金銀銭の両替相場と同じ扱いだ
>>800 君、君、人の文章をちゃんと読んでるか?
どれも全国通用の地金だよ、一部は公認された形で、多くは現実の経済活動の中で
>>803 米の豊凶でも経済は大きく影響を受ける、当たり前だが
>>796 大体、本位通貨は実取引であまり用いられないものだぞ。
ニクソンショックまでの米ドル圏の取引、みてみろよ。
本位通貨は黄金だけれど、実取引の大半は小切手、手形、為替だ。
紙幣のドル札すら取引の金額からみれば僅かなものだったし。
>>801 そっちに目が入ってる限り本質は見えない。
反対側から見てみろよ。
>>804 > 米の通用を幕府が保証すること、金銀銭の両替相場と同じ扱いだ
やはり妄想前提の妄言だったか。意味が通じないわけだ。
何度も何度も何度も指摘されていることだけど、ここで暴れている
「米通貨虫」の屁理屈に従えば、世の中のすべての商品が「通貨」
だな。
ばかばかしい。
えー。
江戸時代の日本に限っていえば、米穀が基軸通貨・本位通貨だよ。
「蕎麦、いくらだい?」
「へい、十六文になります」
(おもむろに米を出す)
こんな状況絶対なかったんだよなあ…
米本位制を叫んでいる奴の見解に従うと、江戸時代の貨幣の
購買力は米価と直接連動していたことになるな。もちろん、
そんな事実は存在していない訳だが。まあ、頭でっかちな農本
主義者の脳内でどうなっていたかは知らんが。
>>812 経済丸ごと米穀の動向に左右されっぱなし
必死に米の通貨性を拒絶してる奴は何なの?
前世で欲に目が眩み高値で米を売り払ったら
戦乱に巻き込まれて米食えないまま飢えて死んだの?
815 :
世界@名無史さん:2012/09/30(日) 22:17:31.12 0
>>804 >享保金銀は品位を上げた分と手間賃の分だけ発行量が減少したよ
>享保の改鋳に際しては価値の総量が下がってる
品位を上げ通貨量が減ったのだから同一額面の通貨の価値は上がってるのよ。
それでデフレになったんだから。その通貨不足を補うために藩札発行が許可されたりしたね。
金銀そのものが消滅したわけでもなし、市中に流通する金銀の量自体は変わらんし。
価値の総量が下がったってのはわけわからん。
>米の通用を幕府が保証すること、金銀銭の両替相場と同じ扱いだ
屁理屈はおやめなさいと何度言ったかな。米の通用の保証などありません。
>どれも全国通用の地金だよ、一部は公認された形で、多くは現実の経済活動の中で
君、君、どこで流通したかを米君は書いてないんだから、文章読んだってわかるわけないでしょ。
で、ただの地金であって、通貨じゃないんだよね? 米君が自分で通貨と呼ぶなと言ってたし。
それって俺が前に言ったことじゃん、金銀地金と金銀貨は別物だよ、と。
ただの地金なら、米とかと同じで、それ自体の価値でもって流通するだろうね。
>米の豊凶でも経済は大きく影響を受ける、当たり前だが
そうだね当然だね。米でも油でも生活必需品の供給が不安定なら経済は影響を受けるね。
そしてそれは通貨問題じゃないんだよ。
816 :
世界@名無史さん:2012/09/30(日) 22:18:38.09 0
>>806 米君の言う本質って屁理屈だからなあ。常人にはわかりづらいのよ。ちゃんと説明してね。
品質が一定なら通貨だ、とか言いたいんじゃないのかなと最初は考えたが、まさかなあ。
817 :
世界@名無史さん:2012/09/30(日) 22:25:38.66 0
>>813 産油国で戦争でも起こって石油が不足すれば、
石油価格に日本経済は左右されるよね。
じゃあ日本は石油本位制国家なの?
818 :
世界@名無史さん:2012/09/30(日) 22:31:05.74 0
>>814 通貨性、なんつったらほとんどの品物に通貨性がある。
なんでもかんでも通貨になっちゃうでしょ。
>>814 お前さんが主張するレベルの「通貨性」であれば、ほぼすべての
商品が持っている性質だ。
>>815 話のすり替えは止めよう、唯一の例外である享保の改鋳では
金銀の量自体が変わらなくても、額面での総発行額が下がった
単に金銀貨を回収再利用しただけで、発行額面をそのままに
硬貨の品位を上げる価値総量の上昇は行ってないよ
同じく金銀の通用保証も存在していなかった、市場原理頼みでね
取引の実態として、幕府が直接関与せず造られた地金が
秤量貨幣扱いされていたことを理解してくれたようだね、米と同じく
>>816 品質が一定なら通貨ねえ。面白い感性だわ。
823 :
世界@名無史さん:2012/10/02(火) 01:03:26.52 0
>>820 すりかえてるのは米君だよ。あきれた人だな。
もともと価値の総量だのがどうこうの話なんかしてなかったろう。
「時代と共に常に品位や目方が下がり貴金属としての価値を減らしたから」
これ米君のレスだけれども、どう考えたってこれ、価値の総量なるものじゃなくて、
同一額面あたりの価値のことじゃないの。
で、価値を上げたことなどない、って言ったのを否定されたら、
価値の総量ガーってごまかしを始めたんだろう。
てゆうか「価値の総量が下がってる」と米君は言ったが、金銀の絶対量が変わらなけりゃ
下がりようがないよな。総量、とやらは、金銀の増産や輸出入によって変動するもんで、
改鋳してもしなくても関係がない。金銀が大増産されたら改鋳で品位が落ちようが
価値総量とやらは増えることになる。また変な出鱈目こさえたね。
>同じく金銀の通用保証も存在していなかった、市場原理頼みでね
通用保証がなかったらすべて金銀地金と同じ値打ちにしかならないんだよ。
南鐐二朱銀貨や一分銀貨、二分銀貨、これらなどは特に、含有されてる金属の値打ち自体は、
額面とはまるで違う。それでも信用されて、通用するのは、ちゃんと通用保証されてたから。
米には通用保証などありません。
>取引の実態として、幕府が直接関与せず造られた地金が
>秤量貨幣扱いされていたことを理解してくれたようだね、米と同じく
まーだ地金生産と金銀貨鋳造を無理矢理混同する屁理屈を続けてるんだねえ。
ただの地金もただの米も商品なんだから、商取引でやり取りされるでしょう。
それを通貨認定してたら、なんでもかんでも通貨になっちゃう。
まぁ幕府の関与する通貨と、米が別物だということは曲がりなりにも理解してくれたようだね。
824 :
世界@名無史さん:2012/10/02(火) 01:07:13.81 0
>>821 とりあえず本質とやらを説明してね。
>>822 米君の主張によると、そうなってしまうんだよね。なんでも通貨、と。
>>823 いやしてるよね、予め「目方が下がり」という要点をちゃんと書いてる
今迄出て来なかったのは反論が出来なかったからだろうけど
それならそのまま引っ込んでいれば良かったのに。
貴金属としての価値の総量は手間賃の分だけ下がったからね
話を切り分けた後に一部を全体かの如く書いて欺こうとするのは駄目だよ
江戸中期まで、少なくとも享保年間頃はまだ小判丁銀その他は
金銀地金と近い値打ちにしかならなかったんだよ
此の件に限っては、そろそろ諦めたらどうかな
第一、一段目の主張と矛盾しているよ、地金と通貨が等価で扱われていたからこそ
品位引き上げは行われたし両替相場も品位によって異なった、米と同じだね
>>824 既に説明済み。このスレの中だから。
同じ説明何度もやるほど親切でもないし。
>地金と通貨が等価で扱われていたからこそ
>品位引き上げは行われたし両替相場も品位によって異なった
地金と通貨が等価なら改鋳なんて不要だろうし、改鋳しても利益が出ることもないじゃんw
自分で言ってることの意味が把握できてないよ、この人w
だから当然、地金にも米にも「改鋳」なんてものはない。
そもそも「改鋳」ってのは新たな公定通貨の範囲を明確化して、それ以外を通貨から排除する行為なんだから、
改鋳ごとに通貨の範囲は明確化されている。
ちなみにその意味では幕府による慶長金銀の発行開始も改鋳の一種で、この時点で、
やはり全国通貨として一時幕府通貨と並行発行された太閤(豊臣家発行)金以外の判金を通貨から排除している。
また、銭については自然流通していた穴銭を京銭(鐚銭)と永楽銭に分け、
価値を1対4に固定した時点で範囲を明確化している。
渡来銭の自然流通や実際に地金価値での取引が主体だった鎌倉〜室町期ならともかく、幕政時代に入ってからは
通貨政策とその実施は全て幕府令とその布告によってなされている。全然現代と違わんよ。
>そもそも「改鋳」ってのは新たな公定通貨の範囲を明確化して
>それ以外を通貨から排除する行為なんだから、改鋳ごとに通貨の範囲は明確化されている。
公定通貨が存在したなら品位を上げる必要に迫られることも無かったし
両替相場が成立することも無かった。いい加減自己主張の矛盾を認めたらどうか
ちなみに、山梨や佐久や伊那で精錬された金は秤量通貨として通用が認められていた。
そもそも年貢を割り当てる際、金、材木、海産物、塩、茶、紙、その他諸々の表記は
石高や銭換算で一括されるが石高の場合が多い
幕府の通貨政策はそれほど強力じゃないよ、近世の中国や西欧諸国と同じくね
>公定通貨が存在したなら品位を上げる必要に迫られることも無かったし
>両替相場が成立することも無かった。
全然意味不明だな。
だいたいなんで通貨の品位向上が通貨が公定でなかった理由になる?どういう理屈だ?
いったいどういう条件だと現にあった通貨公定の触れがなかったことになるんだ?
そもそも通貨の品位向上は屁理屈つけて「なかった」んじゃなかったのか?
両替相場は金貨、銀貨、銭貨が並立本位制だったからに他ならない。
何が通貨かはおのおのについてちゃんと定めがある。
そして金、銀、銅の商品としての地金相場は別にある。
>山梨や佐久や伊那で精錬された金は秤量通貨として通用が認められていた
全国通用に関する限りそんな事実はない。嘘だ。嘘つき。
大判小判の「判」の由来すら知らないのが丸わかりだな。
>石高や銭換算で一括されるが石高の場合が多い
それ統計便宜上のトン数換算と同じものだから。千石船の積荷価格は1000石か?
>>829の頭の中にあるのは18世紀中葉以降の江戸後期の姿だけど
それ以前も同じだったのではなくて、江戸時代を通じて常に進歩している。
通貨公定の触れが戦国時代に出されても概ね有名無実だったように
江戸時代前半の其れも両替相場の実態とは違い、両替相場は地金の相場と強く連動してた
山梨のごいし金は印無し、伊那の金は黒印のみだけど実際通用してたしなあ
便宜上ではあっても厳格なものだぞ、代官所と協議すれば
米との交換比率を定めて代替納入を認めてもらえるけど、未納は赦されないし
>>828 > 公定通貨が存在したなら品位を上げる必要に迫られることも無かったし
意味が分からん。そもそも、「品位を上げた」のは、別に必要に迫られた
からじゃないぞ。
いずれにせよ、「表面に銀色つけただけの銅塊」も「妙に硬くて脆いが、金
がどれだけ入っているんだろうね」といわれるようなものでも、「白銀」やら
「一両」で最終的に通用している、という事実を無視してどうする?
ところで、元禄・宝永はあなたの脳内では
> 18世紀中葉以降の江戸後期
になるのかな?
832 :
世界@名無史さん:2012/10/03(水) 00:43:05.08 0
>>825 米君の要点は価値の総量とやらじゃなかったのかな。
目方や品位が変わろうと金銀の総量次第なんだろう、米君の屁理屈では。
一両あたりの金属としての価値が変わっても国家全体での金銀の量が
変わらなければ、価値の総量とやらも変わらないはずなんだ。
ところが品位や量目が変わると貴金属としての価値総量が減る? わけがわからんね。
反論云々も、わけわからんな。その話は別の人と米君がしてたのを読んでたんだが、
急に価値の総量なる屁理屈が登場したんで突っ込んでるわけ。
で、手間賃のぶんだけ価値の総量が下がるってのもこれまたわけがわからん。
改鋳すると手間賃のぶんだけ金銀が消滅するのか?
>江戸中期まで、少なくとも享保年間頃はまだ小判丁銀その他は
>金銀地金と近い値打ちにしかならなかったんだよ
金銀地金と金銀貨は別もんだって言ったの、まだわかんないかなあ。
同じ通貨単位あたりの価値が下がったら、旧通貨は金銀地金として
売却したほうが割がいいわけだし、地金相場とある程度連動するのは当然じゃないの。
で、幕府は品位・量目が変わろうがあくまでも一両を基準にしてるんだわ。
都合よく切り分けてるの米君じゃん。初期だろうが中期だろうが後期だろうが、江戸時代なのよ。
>第一、一段目の主張と矛盾しているよ、地金と通貨が等価で扱われていたからこそ
>品位引き上げは行われたし両替相場も品位によって異なった、米と同じだね
違うね。品位引き上げはその前の元禄・宝永期に通貨量が増えてインフレ起こしてたのを
抑制しようとしたんだよ。あとは新井白石がなんか質の悪い通貨使ってると天罰が下って
天変地異が起こるとか言ってな。朱子学者だからちょっと逝ってる。
結果逆にデフレ起こして景気が冷え込んだが。
地金と通貨が等価ならいくら改鋳しようが景気に影響なんてないはずなんだよ米君。
833 :
世界@名無史さん:2012/10/03(水) 00:48:57.69 0
>>826 レス番号ぐらい書いてよ。800以上もレスあってどれ見りゃいいのよ。
屁理屈は何度もやるくせに、それぐらいしてもいいだろうよ。
>>828 >公定通貨が存在したなら品位を上げる必要に迫られることも無かったし
>両替相場が成立することも無かった。いい加減自己主張の矛盾を認めたらどうか
通貨の品位や量目の変更ってインフレやデフレ対策という意味もあるのよ。
両替相場もさ、社会の階級や地域によって使う種類が自然に分かれてたもんだから、
それらの間をつなぐ役目があるのよ。
てゆーかー、通貨も地金も等価なんじゃなかったの?
等価なら品位を上げ下げする必要自体ないし上げ下げしても経済的影響はないはずなんだよ。
>ちなみに、山梨や佐久や伊那で精錬された金は秤量通貨として通用が認められていた。
あれ? 米君、通貨じゃないんじゃなかったの?
「それと、地金を地金型通貨などと呼び替えないようにな」
こんなこと言ったの、もう忘れたの?
834 :
世界@名無史さん:2012/10/03(水) 01:01:28.99 0
>>830 都合よく江戸時代を切り分けないでね米君。
政権がいつどうなるかわからん戦国時代と、江戸時代をごっちゃにしないでね。
>山梨のごいし金は印無し、伊那の金は黒印のみだけど実際通用してたしなあ
江戸時代中ずっと鋳造してた金銀だといってるのかと思ったら、何だ戦国時代からの領国金銀じゃないのか。
江戸時代初期にはまだ慶長金銀が全国に行き渡らなかったし、その慶長金銀自体も対中国貿易で流出して
通貨が不足気味だったから、地方では戦国時代からの領国金銀も流通はしてたが、
もちろん公認通貨としてではない。それらは回収されて次第に吹きかえられていった。
参勤交代で江戸に行った大名が、地金として売却して慶長金銀に変えたりして回収したりもしたんだよ。
てゆうか、山梨(甲斐国)はまるごと天領だろ。金座もあったし。佐久や伊那も信濃国にあった天領だな。
甲州金は江戸時代になっても鋳造が認められていたんだが、印無しの碁石金てゆうと江戸以前のものじゃないのか。
江戸時代になってからの甲州金座で正式に鋳造されたものはすべて金座の責任者の『松木』の極印があるようだ。
甲州金も戦国時代には品位も量目も形も多様だったものが、慶長小判の発行にあわせて統一されてる。
「非直轄地で金や銀の採掘・精錬を免許された職人集団や座が作る地金」
と米君は言ったが、どうやらみんな幕府が関わってるようだぞ。
ちなみに甲州金は額面通貨ね。秤量貨幣じゃない。
そして通用は甲斐一国限り。藤野まで来たらただの金製品。
幕府は地方通貨は認めていた。甲州金は戦国の領国貨幣から引き続き認められた唯一の地方貨だが、
のちの藩札もそうだし、仙台通宝もそうだ。
しかし裏返せばそれらの全国通貨としての流通を明確に禁止していたということでもある。
また領内通貨の発行そのものも許可制だ。藩ごとに何を領内通貨とするかは明確化されている。
金産地でも金地金がそのまま流通したなんて事実はない。たとえ秤量貨幣であってもそれは藩が幕府の許可を受けて
貨幣として鋳造した貨幣で、地金とは別物だ。額面貨幣である甲州金、銭類、藩札は額面価値を幕府貨幣にペッグして
いたともいえる。
流通貨幣の範囲公定がなかったら藩の借用証が全部藩札になるわw
>>832 勝手に要点を捏造するのはよくない、最初に
>>789で書いた通り
常に品位が下げられ、品位を上げた時も目方が減少して価値総量は減少している
改鋳し直せば作業の分だけ金銀量が微減するのは皆さん御存じの通り
君の抱く画一的な通貨単位なるもの自体、銭にはあったが
金貨や銀貨については江戸時代前半にはまだ確立して無かった。
両ってのは重さの単位でもあって、同じ1両でも改鋳で品位が変われば相場が変わり
要は地金の価値と結びついてた
通貨量が減ったり、金価が銀価に、銀価が銭価に近づいたりすると景気が悪くなるのは常識だよね
>>833 地金の価値と結びついてるからインフレが起こるのよ。
金貨銀貨の価値が地金と連動してなければインフレは遥かに抑制的で
品位を下げても金銀貨の価値は下がらない筈だけど
実際は元禄の時でも2〜3割下がってるという
通貨じゃなく地金だよ、山梨のごいし金も瓦金も伊那の金も公印は無し
秤量通貨としても通用していたが地金は地金
>>834 甲斐の金山は何所も小規模だし、金の形状はごいし金に限らない
元和年間の年貢も一部がごいし金や瓦金、その他すな金などで納められ、次大事
小判で納めている事例もあるし、金山が幕営の佐渡の百姓は金納してない
>>835 いや、秤量通貨でもあるよ。品川や江戸でもごいし金や瓦金が使用されてる
いや、地金は地金だよ。もちろん品位や目方や形状は規格化され私印は押したが
別に藩営でも幕営でもなく、免許を持った職人が経営していたもの
>>833 825くらい読み直せよ。いい復習だろ。
文脈込みで読まんと解からんだろうから、時系列順で読んで行けや。
>常に品位が下げられ、品位を上げた時も目方が減少して価値総量は減少している
何で1行中で矛盾してるんだ? 狂気の文章だな。
>両ってのは重さの単位でもあって、同じ1両でも改鋳で品位が変われば相場が変わり
要は地金の価値と結びついてた
大判の流通機構と小判の流通機構を故意に混ぜてミスリードしてるな。
大判の10両は目方(概数)だが小判の1両は額面。享保以降の大判は
目方10両のまま7両2分の御定額面が定められている。目方と額面は影響関係があるだけでリンクすらしてない。
>地金の価値と結びついてるからインフレが起こるのよ。
金貨銀貨の価値が地金と連動してなければインフレは遥かに抑制的
はあ!? 貨幣価値を貴金属価値にリンクさせることがニクソンまでのインフレ抑制の一番理想的で有力な
手段だったことは中学生でも理解できることなんだが?
>金山が幕営の佐渡の百姓は金納してない
江戸時代の甲斐金山は幕営なんだけど。代官は旧武田家家臣の大久保長安だったが、長安死後、当の金山を
中心とする不正蓄財のかどでお家断絶どころか継嗣全員処刑、本人の遺体まで掘り出して獄門になってるくらいだ。
>秤量通貨でもあるよ。品川や江戸でもごいし金や瓦金
現物も乏しく、戦国時代の恩賞用とされている碁石金が江戸時代の品川だの江戸だので貨幣として流通してたという
資料が出てきたら専門家驚天動地だわw ぜひソースくれ!
ちなみに初期には碁石金などのインゴットであった武田の甲州金には他国の通貨に先駆けて
両-分-朱-糸目の額面制が導入されていて、それが幕府幣制のモデルになったってちゃんと知ってる?
>いや、地金は地金だよ。もちろん品位や目方や形状は規格化され私印は押したが
別に藩営でも幕営でもなく、免許を持った職人が経営していたもの
見事に全部嘘。江戸時代の甲州金山は、甲斐奉行の管轄下の幕営で、甲州金の鋳造は金座「役人」の松木氏が
行っている。極印は「松木」で、これは全国通貨(小判)を後藤家に鋳造させ、後藤光次の花押が極印されたのと
同じシステム。担当「役人」の責任印だよ。いわば日銀券の「総裁之印」と同じもの。
(もっとも日銀の方は単行法特殊法人で役人ですらないけどね)
江戸時代の通貨が地金価値と連動した云々とほざいているやつは、金銀貨の品位が
公開されておらず、私的な鑑定も禁止されていたこともしらんのだな。
無論、皆こっそり調べてはいたが、地金価値と連動させて云々といったことにはなっ
ていない。
品位低下のあとも、一時的に退蔵やらインフレはおきるが、結局は名目価値で通用
している。
>>839 >はあ!? 貨幣価値を貴金属価値にリンクさせることがニクソンまでのインフレ抑制の一番理想的で有力な
>手段だったことは中学生でも理解できることなんだが?
それは価値が担保されるからで、同じ1両で品位や目方を下げれば通貨価値が下がりインフレに働くのは自明
甲斐金山なんていう名前の金山は無いよ、それに代官は多分管轄してない
石見銀山や佐渡金山の覚書や仕置書は大量に見つかってるが、山梨郡の物は職人に交付した免許手形くらい
>>840 実際、慶長8年と13年の年貢納めに無印のごいし金や瓦金が使われてる、旨の年貢勘定書があるし
引佐郡の年貢受取状にも、こちらは甲印入りのごいし金で納付したと書かれてる
額面性というが、おそらくは品位を一定に保っていたからこその信用(目方=額面)だからね
当て推量で適当な事を書くのは良くない、甲判の押されたごいし金以外にも
ごいし金や瓦金などが精錬されていた
>>841 元禄の吹替が行われた後は、現実に銭に対する金価が下がってそのままだしなあ
もっと後の時代までそうだとは言わないが、少なくとも18世紀初頭までは地金の価値重視でしょ
843 :
世界@名無史さん:2012/10/04(木) 02:13:44.89 0
>>836 >常に品位が下げられ、品位を上げた時も目方が減少して価値総量は減少している
>改鋳し直せば作業の分だけ金銀量が微減するのは皆さん御存じの通り
だから話をずらすなよ。
改鋳すると手間賃のぶんだけ金銀が消滅するのか? って俺は聞いてるんだぞ。
改鋳すれば減るとか言ってるが、まぁスラグに混じって微妙に減るとかか、これも屁理屈だな。
鋳直すたび手間賃ぶんほどの金銀が消滅するとしたら、さすがの幕府も改鋳をためらうわな。
金属貨なんてな、改鋳しなくたって市中を流通する過程でちょっとずつ磨耗してくんだよ。
米君の財布にも硬貨の数枚ぐらいはあるんだろ? 発行年の古いものほど磨り減ってるだろ。
で、そんな磨耗ぶんぐらいは埋められる程度の金銀は新たに生産されてんだよ。
>君の抱く画一的な通貨単位なるもの自体、銭にはあったが
>金貨や銀貨については江戸時代前半にはまだ確立して無かった。
>両ってのは重さの単位でもあって、同じ1両でも改鋳で品位が変われば相場が変わり
>要は地金の価値と結びついてた
幕府の通貨体系の基準は一両小判だろ。小判に含まれる金銀量じゃない。
一両という単位が基準なの。
>通貨量が減ったり、金価が銀価に、銀価が銭価に近づいたりすると景気が悪くなるのは常識だよね
あれ、価値の総量とかいう屁理屈はどこに行ったんだよ。
あくまでも金銀の総量で価格が決まるんなら、物価だって変動しようがないはずだろ。
諸物価は金銀地金量じゃなくて一両という通貨基準で価値を量ってるから、
通貨量が変わればインフレになったりデフレになったりするんだよ。
844 :
世界@名無史さん:2012/10/04(木) 02:17:26.50 0
>>837 >地金の価値と結びついてるからインフレが起こるのよ。
>金貨銀貨の価値が地金と連動してなければインフレは遥かに抑制的で
>品位を下げても金銀貨の価値は下がらない筈だけど
>実際は元禄の時でも2〜3割下がってるという
単純に通貨の発行総額が大きくなるから、だろ。
現代の通貨だって無闇に刷りまくればインフレを引き起こすだろうが。
>通貨じゃなく地金だよ、山梨のごいし金も瓦金も伊那の金も公印は無し
>秤量通貨としても通用していたが地金は地金
これまた屁理屈を。通貨だが通貨じゃない???
「地金を通貨と呼ぶな」
「だが通貨として通用が認められていた」
「通貨じゃなくて地金だ」
「通貨として通用したが地金だ」
本当にわけがわからん。無茶苦茶だ。脳味噌どうなってんだ。なにこれ?
「非直轄地で作られた地金」のはずなのに、天領産出の金のことだったし、
ただの地金として流通したと言ってるのか、公認通貨だと言ってるのか、まるでわからん。
845 :
世界@名無史さん:2012/10/04(木) 02:19:30.28 0
>>837 >甲斐の金山は何所も小規模だし、金の形状はごいし金に限らない
>元和年間の年貢も一部がごいし金や瓦金、その他すな金などで納められ、次大事
>小判で納めている事例もあるし、金山が幕営の佐渡の百姓は金納してない
形状も多様ってことはさ、それらは戦国時代に鋳造されたもんが現地に残ってたんだろ。
地金としてちゃんと価値のあるもんだから、それで払ったって何も不思議はない。
佐渡はさ、金鉱脈が発見されたの慶長六年だぞ。
戦国時代に現地で鋳造された金貨自体ないんだから当たり前だろう。
>いや、秤量通貨でもあるよ。品川や江戸でもごいし金や瓦金が使用されてる
地金自体が価値があるんだから、地金として使われることもあるだろ、と何度言ったかな。
>いや、地金は地金だよ。もちろん品位や目方や形状は規格化され私印は押したが
>別に藩営でも幕営でもなく、免許を持った職人が経営していたもの
幕府の許しなしに勝手に通貨を公然と作ることなんてできないの。
>>838 何でレス番すら書けないのさ。
帳合取引と通貨と何がどう関係してるのかちゃんと説明してね。
やりとり読んでて混乱してきたんだけど、江戸時代の米は、経済学的に
見て何と定義できるんだろう?
>>843 屁理屈じゃなく常識ね、当時の職人も役人も打てば減る物として扱ってる。
手間賃は取分として全体の中から割合で引かれる、つまり改鋳すれば減った
基準は金銀の量、御公儀の定めた一両その他にそこまでの信用は無いよ
現実には金銀の含有量と連動していた
品位や目方が落ちると1両の価値も下がり、下がれば物価は上がる、常識
>>844 少し考えれば自分が意味不明なこと書いてると解るよね
同じ通貨である銭に対する相場がほぼ品位を下げた分だけ下がったんだから
地金が秤量通貨として通用していたという話、公の鋳造硬貨ではなく
>>845 前に出て来た松木某宛元和元年書状に、其元の作る金はごいし金でまね物が多いから
今後は江戸小判に準じて判を熨すこととあるから
慶長元和の頃もまだ作られてるし、他所でも作られてる
隠然と作るのはOKってことかw
>>845 無駄な手間だから。
もうすこしクレバーな奴になら親切にしてやる。
おまえはそこまでの価値がなさそうだ。
>手間賃は取分として全体の中から割合で引かれる、つまり改鋳すれば減った
水資源議論の時によく見る馬鹿以上の馬鹿を見たw
鋳造人は手間賃分の金銀を取って喰うのか?w
喰われた金銀は消費された石油みたいに物体としてこの世から消滅するのか?www
順番に考えれば小学生でも理解できることが解ってない馬鹿wwww
どっちも
>>846の疑問に答えられないようなら、結局ポイントを理解してないってことなんじゃないの?
枝葉のことばっかり言い合ってる気がする。
>>850 なに第三者を装って両成敗風のこと言ってるの米君?
はなからそんなギモンは答えが出てる。反対してるのは米君だけ。
しょうもな。
なんか痛い奴だな。
当たり前の疑問だろうが。
>>851 どこに出てる?
はっきり言って、2人で勝手にスレを占拠して、当事者以外は誰も流れ追えないんだよ。
結論が端的に示されているレスがあるなら、その番号だけ書いて欲しい。
>>852 主食料という重要品目「商品」だよ。
故に通常商品より若干高めの「貨幣制」を有していた。
米君はそれを根拠に米も「貨幣そのもの」だったと言い張っているわけ。
しかし、計量性のある商品は常にある程度の「貨幣性」はあって普通のことなの。
「貨幣性」があることと「貨幣そのもの」であることは雲泥の違いってオハナシ。
ずっと読んできてこの程度の流れも読めない癖に
一段上から裁定者ぶったレスしてりゃ、じゃけんな扱いも受けるだろw
痛いのは君だよ。
>>853 そこで米君と同じ主張、観点に立っちゃ正体バレバレだろうw
突然韜晦な口調をやめたときもそうだけど、すぐに同じ主張を始めちゃ全然別人に見えないってw
こんなののどこが経済学的説明なの?
マルクス経済学?
もう日本史板に行くか、隔離スレ立てろよ。
いつまで板違いネタやってるんだか
「貨幣性」については
>>849への米君の反論を聞いてからゆっくり考えよう。
今はまず
>>849への報復絶倒の反論を聞きたいw
米の通貨としての性質を近代経済学的に考える際、ポイントになるのは、
1. 納税(農民は納税時に、金属貨幣の代わりに現物で納めることが認められていた。)
2. 受給(武士は給与を米で受け取っていた。)
の2つじゃないかと思う。
(一般商取引の場における米は、他の商品と特に区別するべき性質が無いかと思う。)
1.を現物納入、2.を現物支給と解釈することも可能に思えるが、
給与額を示す際の単位が、「両」では無く「石」であることを考えると、
単なる現物支給と考えるのには無理があり、金銭の機能を果たしていた
と考えていいかと思う。
>>860 武士が米をそのままもらうわけじゃないだろ?
藩のほうで換金したりして支給されてたらしいじゃん
> 慶長元和の頃もまだ作られてるし、他所でも作られてる
江戸後期だ末期だとか、少なくとも18世紀初頭だとかという
話をしていたはずなのに、出てくる事例はまだ制度が確立
しきっていない慶長・元和か。
>>859 いやだから、貨幣性をどう定義しているのかききたい
>>861 貰ってた。
小判に換えるのは、札差という商人。
てか租税・俸給の現物渡し自体はむしろ貨幣以前の通常形態なんだから、それでやりとりされるモノが
「貨幣である」ことの証明には全然なんないだろう。
868 :
世界@名無史さん:2012/10/05(金) 01:49:33.51 0
>>847 >屁理屈じゃなく常識ね、当時の職人も役人も打てば減る物として扱ってる。
>手間賃は取分として全体の中から割合で引かれる、つまり改鋳すれば減った
そうか、米君の「常識」では手間賃ぶんの金銀が消滅するんだな。
米君の脳内世界ではそれで通じても、残念ながら現実世界ではそうはいかない。
いいか、その手間賃はな、消滅なんかせずにそれを手にしたものが
普通に使ってまた市中に還流していくんだよ。改鋳でいちいち大量の金銀が消滅してたまるか。
>基準は金銀の量、御公儀の定めた一両その他にそこまでの信用は無いよ
>現実には金銀の含有量と連動していた
違うね。あくまでも通貨の基準は一両という単位なの。
改鋳で地金の価格が変動したとして、それをどんな尺度で量る?
新しい一両という通貨基準で、その価値を量るんだろうが。
ただの金銀には幕府による通用保証なんてない。地金としての価値があるだけ。
南鐐二朱銀貨等とただの銀地金は扱いが違う。
>品位や目方が落ちると1両の価値も下がり、下がれば物価は上がる、常識
通貨量が変わるからだよ。あくまで通貨基準は一両という単位だから。
その単位数が改鋳前より増えれば、通貨量が増えるんだからインフレ誘導になるわな。
>少し考えれば自分が意味不明なこと書いてると解るよね
>同じ通貨である銭に対する相場がほぼ品位を下げた分だけ下がったんだから
これも同じことだよな。金貨量が銭に対して増大したんだから、相対的に銭高にはなるだろ。
元禄の頃は銭に対する需要がどんどん増えてたし、なおさら銭高傾向。
寛永通宝もそのころは量目落として供給量を増やしたりしてた。
869 :
世界@名無史さん:2012/10/05(金) 01:52:47.32 0
>地金が秤量通貨として通用していたという話、公の鋳造硬貨ではなく
公認通貨ではない、んだな? ただの地金として流通した、だな? ファイナルアンサーだな?
もう屁理屈こねるなよ。もう金銀地金と金銀貨を混同するなよ。曖昧にしたまま誤魔化すんじゃないぞ。
江戸時代初期は慶長金銀も不足してて、でも領国金銀でも地金としての価値はあるんだから
流通もするだろう、って最初に俺言ってたのに、何を今までグダグダと。
で、「非直轄地で作られた地金」ってのはどうなったんだよ。
>前に出て来た松木某宛元和元年書状に、其元の作る金はごいし金でまね物が多いから
>今後は江戸小判に準じて判を熨すこととあるから
>慶長元和の頃もまだ作られてるし、他所でも作られてる
松木某ってことは、金座でちゃんと公認で作ってるもんだろう。
甲州金は江戸時代になっても鋳造が認められてたって書いたぞ。
勝手に作ってるだけだと公認通貨ではないぞ。
金銀地金と金銀貨を混同するなよ。取り引きで利用されたものをいちいち
通貨認定してたらなんでも通貨になっちゃうんだから。
>隠然と作るのはOKってことかw
そりゃ密鋳ってんだ。もちろん御法度。何を言ってるんだか。
>>848 ほお、まあ米君にとってはクレバーってのは屁理屈こねまわすことなんだろうから、
そんな米君にクレバーじゃないと言われるのは光栄なことだ。
まあ屁理屈だと突っ込まれるから言いたくないんだろうな。
870 :
世界@名無史さん:2012/10/05(金) 01:56:08.47 0
米が通貨だったら何で換金する必要があるんだよ。
>>868 >改鋳で地金の価格が変動したとして、それをどんな尺度で量る?
変動するのは地金の相場ではなく、改鋳で品位や目方の変わった通貨の相場でしょ
>通貨量が変わるからだよ。あくまで通貨基準は一両という単位だから。
人の文をちゃんと読め、同じ通貨の銭に対して品位の上下分だけ変わってる
>金貨量が銭に対して増大したんだから、相対的に銭高にはなるだろ。
これこそ正に幕府発行の金銀貨が地金の価値と強く結び付いてた証拠
近代以降はお札を大量に刷っても硬貨の価値が変わらないし
>>869 公認じゃなく黙認通貨的な物だけど、どっちも実用に際しては同じような物
というか幕府は財政をあまり統制しなかった、少なくとも年代が大分下るまでは。
それに幕府自身が大身の家臣との遣り取りは、デカい金子や銀子でやってる
灰吹・筋金吹禁止令が出た慶長14年までは御法度ではないし
元和元年のまね物にせ物が多いという書状の通り
禁止令も永楽銭停止令と同じく実効性を欠いてたんじゃないか?
まあ、家康が亡くなった後の時代は興味無いからよく知らないけど
>>870 嵩張るからじゃねw 金子1枚だいたい50石9立米として、1000両箱にすると900立米だし
銭1貫を換えても500gくらいあるし
>>867 米で給与が支払われているのが単なる現物支給なら、支給額の単位が両などの
金属貨幣の単位で無いとおかしい、と
>>860は言ってるんだろ。
現物支給というためには、金銭がそれ自体で完結した体系を成し、米の上位に
来ている必要がある。
例えば、現金で給与を受け取っていた武士が全体の半分ぐらいいるなら分かるが、
基本的に米で受給されていたのなら、代用品とは言えないから現物支給ではない。
その上、単位が石だし。
>>870 経済学的に言って、通貨には、
1. 交換の媒介
2. 支払
3. 価値の尺度
4. 価値の保蔵
の4つの機能がある。
そして、いずれか一つの機能を持っていれば通貨であると見なされる。
なので、
>米が通貨だったら何で換金する必要があるんだよ
こういう質問の仕方自体間違い。
そして換金する理由は、1. 交換の媒介、2. 支払の機能が不十分であるため。
>>873 「交換の媒介」と「支払」は別の物なのか?
重なってるけど、機能を分析的に見ると別物なんだろうな。
とりあえず「貨幣」と「通貨」が混同されているような気が
>>873はぶっちゃけ「貨幣」の定義だと思われ
でもって、江戸時代に俸禄が米だったのは、武士の収入は作物でなければという、幕府の
妙なこだわりに過ぎないんではと思いますが
(年貢については単なる物納式の租税ということで)
>とりあえず「貨幣」と「通貨」が混同されているような気が
ではその違いを説明してくれないかな?
>>877 いや、おれナントカって病気らしいんだ
書いてるとなんでも長文になっちゃう
病名わすれちゃったけど、この板のどこかで指摘された
>>878 とりあえず君は、wikipediaで通貨の項目でも読んでから書き込んだ方がいいと思う。
>>869 語るに落ちる、とはこのことだな。
「屁理屈」なんて単語が出てくるのは、言ってる本人が屁理屈こねていて、それで
周囲のことが減率に見えたり、或いは、まっとうな筋道も減り句と貶めようとしていたり
ということなんだろう。
>>879,
>>881 えー、Wikipediaだと
>貨幣(かへい、英: money)とは、
>
>・商品交換の際の媒介物で、価値尺度、流通手段、価値貯蔵の3機能を持つもののこと。
>・商品の価値尺度、交換手段として社会に流通しているもので、またそれ自体が価値あるもの、富として蓄蔵を図られるもの。
>通貨(つうか)とは、流通貨幣の略称で、国家などによって価値を保証された、決済のための価値交換媒体。
あとまあ後ろの方に
>政府は租税の算定にあたって通貨を利用する。
>しばしば「貨幣」と同義で用いられる。
>狭義には中央銀行などが発行する現金通貨のみを意味する。
とあったんで、一応「江戸時代の米は通貨と言える」のかもしれないですね
(とはいえ「江戸時代の米は貨幣である」と言うとなんか違う気が)
>>883 本位貨幣をそのまま流通させる国なんてあんまりないけれどね。
Sovering金貨とかメキシコドル銀貨とかはよく流通した方だけれど
それでも決済額からすると極一部だし
>>884 まあ大概は、担保として抱え込んだ上で手形使うか、サブ貨幣を使うんでしょう
でもって米は、手形が貨幣として流通したって話もないので、そもそも本位貨幣として使われていない
日常で米を使った買い物とかも(江戸時代は)ふつう行われなかったのでサブ貨幣でもない
結局のところ、徴税と俸給のためだけの特殊な「通貨」として使われていただけではないかと
なんか米の人が小判や分朱金銀を「(政府が発行保証する)通貨ではなく、(貨幣として使われる)ただの金銀塊に過ぎない」
って主張してたみたいなんで、そこら辺はっきりさせておいたほうがいいんじゃないかと思って
>>885 ええ?
アメリカ、開拓時代から高度情報化社会の21世紀に至って、主流はcheckで決済だよ。
訳は小切手となってるけれど、融通手形と本質的に同じものだよ。
>>886 言ってる意味が変だよ。
今の、諭吉の1万円札とか漱石の千円札とかのような日銀券、桜の花の100円硬貨とか平等院の10円硬貨とかのような造幣局硬貨、
どれも貨幣の本質てきなものではなくて、無記名の決済手段だよ。
これは、幕藩時代の小判だの朱金だの丁銀だのも同じだよ。
決済手段でしかないから、地金の価値は補助的なもので、額面での流通を強制できてるんだし。
>>883 >・商品交換の際の媒介物で、価値尺度、流通手段、価値貯蔵の3機能を持つもののこと。
そりゃ、一般用語としてな。
ちゃんと近代経済学上の定義も読めよ。
>>887 その小切手ないし融通手形で、額面が「米〜俵」とかなっているものについて聞いたことがないという話で
>>888 >通貨(つうか)とは、流通貨幣の略称で、国家などによって価値を保証された、決済のための価値交換媒体。
ということで、それを「通貨」と呼ぶのではないかと
でもって
>>886みたいな話になっている気がしたので、ちょっと突っ込んでみたのです
>>890が指摘するように、通貨と貨幣がちょっと上の方で混同してるみたいだな。
漢字の用語を使うと、歴史を経済学的に分析する際、字面に引きづられて紛らわしいので、
英語に直した方が分かりやすい。
貨幣はmoney
通貨はcurrency
で、前者の方がずっと広い概念。
currencyはmoneyの一種で、medium of exchange(交換の媒体)を持つもの。
>>860は、通貨と貨幣を混同していること以外は正しいと思う。
米はmoneyではあっても、currencyでは無いんじゃないだろうか。
× currencyはmoneyの一種で、medium of exchange(交換の媒体)を持つもの。
○ currencyはmoneyの一種で、medium of exchange(交換の媒体)。
確かに貨幣という語は誤解を生みやすいね。
金銭とでも訳した方が良かった。
>>890 もともと手形とか為替とかいうのは、遠隔地での米国の受け渡しのための仕組だよ。
その用語を金銀の受け渡しにも転用しただけ
895 :
890:2012/10/06(土) 00:44:16.75 0
>>891 ウィキペディアに
>政府は租税の算定にあたって通貨を利用する
とあったので、
>>883で「通貨といえるかも」と書きました
まあ徴税という場面においてということで
>>894 米穀(ですか?)というより、商品の受け渡しの仕組みだと思いますが、問題は「米の受け渡し手形」で
買い物したり家建てたり宿に泊まったりがてきたかどうかです
それができたのなら米が本位貨幣といえるわけで
896 :
世界@名無史さん:2012/10/06(土) 01:52:34.88 0
>>871 手間賃ぶんの地金が消滅しないことはわかってもらえたみたいだな。
>変動するのは地金の相場ではなく、改鋳で品位や目方の変わった通貨の相場でしょ
>人の文をちゃんと読め、同じ通貨の銭に対して品位の上下分だけ変わってる
>これこそ正に幕府発行の金銀貨が地金の価値と強く結び付いてた証拠
>近代以降はお札を大量に刷っても硬貨の価値が変わらないし
品位を下げてそのぶん発行総額が増えてるからだって書いたろうが。
江戸時代は金貨銀貨銭貨という通貨が並列に存在する。近代以降の通貨とはそこが違う。
これ
>>751の人が書いてんじゃん。振り出しに戻っちゃうだろ。
何で米君は何度も何度も同じ話を繰り返すんだ?
>公認じゃなく黙認通貨的な物だけど、どっちも実用に際しては同じような物
>というか幕府は財政をあまり統制しなかった、少なくとも年代が大分下るまでは。
曖昧にすんなって言ったじゃないか。金銀地金と金銀貨を混同すんな、ともな。
米君が引き合いに出すのは江戸時代初期のまだ公認の通貨が行き渡ってないような頃ばかりだな。
897 :
世界@名無史さん:2012/10/06(土) 01:56:04.52 0
>>871 >それに幕府自身が大身の家臣との遣り取りは、デカい金子や銀子でやってる
包金銀のことかそれ。公的な取り引きだと、そういう慣例つーか儀礼つーか形式だったようだが。
で、それらは金座・銀座で包んで封印してたもんだ。中身は小判や丁銀。
>灰吹・筋金吹禁止令が出た慶長14年までは御法度ではないし
>元和元年のまね物にせ物が多いという書状の通り
>禁止令も永楽銭停止令と同じく実効性を欠いてたんじゃないか?
>まあ、家康が亡くなった後の時代は興味無いからよく知らないけど
ただの地金、ならな。
その頃はまだ通貨量も足りてないし、禁止令を出しても需要があるからな、
得体の知れない金銀が出回ってもおかしくない頃だ。もちろん公認の通貨とはいえないが。
領国金銀やらなにやら、そういった雑多な金銀の回収がほぼ完了したのが元禄改鋳の時。
家康が死んでからのほうが江戸時代は長いぞ。
>嵩張るからじゃねw
かさばるだけなら手形か何かで十分だろう。
長文馬鹿が、どうでもいい枝葉のことに話を持っていって、延々話を収束させないように
していたけど、とりあえず米はmoney=貨幣であることまでは認めていいじゃないか?
>>873はが言ってる
1. 交換の媒介 2. 支払 3. 価値の尺度 4. 価値の保蔵
の4つの機能があって、いずれか一つの機能でも持っていれば
というのは、「通貨」と「貨幣」を混同していることを除けば正しい
もしこれ以降、米がmoney=貨幣じゃないと主張したい人は、米が以上の4つの機能を
まったく持たないということを証明して欲しい
899 :
世界@名無史さん:2012/10/06(土) 02:01:32.26 0
>>873 >そして、いずれか一つの機能を持っていれば通貨であると見なされる。
それだと、なんでもかんでも通貨になっちゃうだろ。
>そして換金する理由は、1. 交換の媒介、2. 支払の機能が不十分であるため。
機能が欠損してるのとしてないのと、どっちも同じ通貨として見ることなんてできるか?
901 :
世界@名無史さん:2012/10/06(土) 02:06:28.73 0
>>882 俺が屁理屈て最初に言ったのは
>>760でなんだがな、米君が、
幕府は米の通貨としての通用を保証している、米価の維持をしようとしてたのは米の兌換価値維持である、
よって米は通貨だ、なんて言いだしたからなんだが、これまっとうな理屈に見えるか?
902 :
世界@名無史さん:2012/10/06(土) 02:14:13.99 0
>>898 おkおk。
てゆうか米がまったく商取引等で利用されなかった、なんて俺はもとから言ってないし。
米が通貨なら他にも色々な物が利用されてんだからみんな通貨になっちゃうだろ、って言ってるだけ。
屁理屈屋のお前らに着本情報だ。
一両=一石
米はかさばるので蔵がいる。
その蔵米の引出し権利が米札だし保管料から利子も生まれる。
いずれ貨幣の利便性から独り歩きして貨幣経済に移行していくが
幕府の決めた通貨基準が米なのだから米通貨とみなす以外どうしょうもない。
そんなことよりお前らは現代のように日常の貨幣通貨と
企業の資産額の数字とが同じ単位で表わされることに疑問を感じたことはないか?
江戸時代はそんな一致は無い。
幕府の決めた一石一両基準も変動があり、
金・銀と日常用途の一文銭との交換レートにも変動があった。
だからここの議論は全くナンセンスだ。
>>896 実際は品位の下がった金貨が銭や金ほど品位の下がらなかった銀に対して
品位の低下分だけ相場を下げてる。
価値が担保される状況なら、発行額が増えただけでは
増分に対して1対1で物価が変動する事はないし、況して銭に対しては下がらない
慶安3年にも古ごいし金や瓦金が使われてる様子が窺えるから
1650年代でもまだ江戸判や甲判でない地金が秤量通貨として使われてる
>>897 金子は金子、銀子は銀子、金山や銀山から持ち出す段階だと一枚金、一枚銀
>>904 > 実際は品位の下がった金貨が銭や金ほど品位の下がらなかった銀に対して
いつの時期のことを言っているのかわからんが、末期まで半分以上の金が入っ
ていた小判の品位と、20〜30%程度しか銀が入っていない状態の丁銀の品位
をどう比べたら、そんな話になるんだ?ネタか?
小判も丁銀も初期の金・銀品位には大差がなかったんで、品位低下という意味
では銀の方が金よりもはるかに激しいというのが、一般的な理解だが。
で、結局今は何について言い合ってるの?
枝葉の話はいいから、揉めている一番のポイントは何?
907 :
世界@名無史さん:2012/10/06(土) 12:11:07.00 0
米俵持って買い物に行けたのかどうかやね
答え:行けない
それ以外は?
小判は通貨かただの金塊か
まず、小判はmoney=貨幣の一種であることには誰も異論は無いはず。
続いて、交換の媒体としての機能を持っていたから、currency=通貨。
次は?
「小判や丁銀は、幕府の造らせた金塊や銀塊がなんとなく貨幣として使われていたに過ぎない
一方米は、貨幣として一般に使われ、幕府もその価値を維持しようとしていた
よって小判や丁銀を通貨とするなら、米はそれらと同等以上に通貨とみなせる」
多分こんな感じだと思うけど、こういう主張が正しいかどうか
>>912 突っ込みを期待してぐだぐだ文章で書かずに、ポイントを箇条書きに整理してから書き込めよ。
小判も貨幣ではないですよ。
質草くらいのもんだ。庶民は無縁。
江戸時代の庶民が貧乏だからじゃないぞ。
交換しないと使えないからだ。
そして小判が通貨なら米も通貨だ。
米俵を担いでいけばきっと銭に交換してくれるぞ。
915 :
世界@名無史さん:2012/10/06(土) 23:25:57.23 0
反物とかでも銭に交換してくれるよね
エンゲル系数80%の江戸時代では食料値と金銭価値が一致していたわけですよ。
ただ町人は家に米蔵なんてないだろ?
だから米庫から引き出しに行かねばならない。
その通帳代わりに銭を持っていくのさ。
ただしめんどくさいので銭には貨幣の意味も持たしてある。だから買物可能さ。
屁理屈よりはまし
919 :
世界@名無史さん:2012/10/07(日) 02:01:43.51 0
>>903 >一両=一石
幕府はこんな保証はやっとらんぞ。通貨基準は両。
江戸時代初期と天保以降以外の中期の米価が大体一両ぐらいだったというだけだ。
>>904 >実際は品位の下がった金貨が銭や金ほど品位の下がらなかった銀に対して
>品位の低下分だけ相場を下げてる。
品位を金貨の下げ幅より下げなかった銀はそのぶん鋳造量が少ないんだから当然だろ。
銭は大して増えない上に需要増大、銀貨も金貨の発行総額の増え幅より小さい、
これじゃ金貨は銀貨に対しても銭に対しても下げるのは当然じゃないの。
宝永の改鋳で銀貨の品位を下げて流通量が増えたら銀高は是正されただろ。
>慶安3年にも古ごいし金や瓦金が使われてる様子が窺えるから
>1650年代でもまだ江戸判や甲判でない地金が秤量通貨として使われてる
もっかい
>>897読んでくれよ。
「領国金銀やらなにやら、そういった雑多な金銀の回収がほぼ完了したのが元禄改鋳の時。」
って書いただろ。で、ただの地金は通貨じゃない。
>金子は金子、銀子は銀子、金山や銀山から持ち出す段階だと一枚金、一枚銀
それだけじゃ金子銀子の中身がなんなのかよくわからんだろ。
灰吹金銀のまんまとかか? それでも地金として価値あるものならやり取りされるだろ。
920 :
世界@名無史さん:2012/10/07(日) 02:02:47.39 0
921 :
世界@名無史さん:2012/10/07(日) 02:05:01.50 0
1.金銀銭貨が通貨だ。
2.米が通貨だ
3.金銀銭貨も米も通貨だ。
4.どちらも通貨じゃない。
どれ?
>>919 保障じゃない。基本定義だ。
単位の基準が無から始まるわけねえだろ。バカだな
>>922 金銀の単位のもともとの定義は、それこそ自分が書いているとおり
地金の重さからで、「米一石分の金」なんて定義がなされたことな
どないぞ。
925 :
世界@名無史さん:2012/10/08(月) 02:12:14.92 0
>>922 >保障じゃない。基本定義だ。
>単位の基準が無から始まるわけねえだろ。バカだな
そんな基本定義なるものもない。
慶長小判の基準はな、江戸時代以前からの京目一両からきている。米一石ではない。
>>923 まあ、そんな感じなんだろうがなあ。
ただ、米の通用保証なんてないって言ったら、米君は、金銀にもなかった、って言い始めた。
それだと、どちらもちゃんとした通貨じゃないって意味にも取れるし、よくわからん。
926 :
世界@名無史さん:2012/10/08(月) 04:55:13.95 0
>>925 ある。お前なんでそんな嘘つくのか。
当り前すぎる基本で無駄な時間使うな無知幼稚。
>>925 時の政権による政府が通用保証をしなくとも
現実の江戸時代では自律的に米や銭や金や銀は通貨となっていた、ということ
>>919 >銭は大して増えない上に需要増大、銀貨も金貨の発行総額の増え幅より小さい、
>これじゃ金貨は銀貨に対しても銭に対しても下げるのは当然じゃないの。
自説が変だと気付けって、建前上は幕府も何度か銭金銀両替相場の御触を出してる
銭と金はお互い物じゃなく通貨だから、現代貨幣なら相場は固定だし
例えば隣の宋元朝が紙幣を大量に刷って発行額が10倍に増えた時期があるけど
銭や物価に対する価値は半分程度にしか下がらず
江戸時代に改鋳を実施した時の様に1対1に近く比例しては下がってない
>で、ただの地金は通貨じゃない。
まあ特殊な地金ではあるけど、私鋳でもある
石見銀山の灰吹銀は銀子1枚43匁、佐渡金山は解らないけど
片桐且元に知行の年貢代わりとして金子1枚40〜50石換算で渡してるから
佐渡金山のも10両なんじゃねーかな
小判大判の基準なんて時の執政者が勝手に決めてるだけだろうが。
銀相場が強いのが上方で金相場が強いのが江戸、ただそれだけ。
室町時代の農業技術進歩に伴い石高制が浸透、
面積の単位一反は一石の取れる田の面積。
金銀銅の取扱いは重量で決めてるだけ。田の面積と同じ。
その変換基準は人一人が一年暮らせる資産量。当然変動がある。だから面積の単位も太閤検地で変わった。
分子の波長で長さを決めたり重さを決めたりできない時代に数値の基準は抽象的で相対的。
というか金の話ってここまで思い込みで引かない人がいるんだな。
やっぱ金がらみって危険だな。
人間の生活費についても理屈で否定しきって相手を餓死とか本当にさせそう。
御張紙値段・・・幕府公定相場:米百表(約35石)の換算定義
道聴塗説(本郷信斎 発行年代不詳)第九編
『浅草大倉の御張紙は三十八両に過ぎざれども、
市中の相場七斗代に至る。』
知行俸禄が米量定義の武士は毎年江戸城に張り出される上記公定相場に基づき札差から換金を受ける。
札差は米運搬と両替の手数料として百俵二分の手数料を取る。
ここで前借りが発生するようになり旗本貸し・大名貸しが生まれる。
930 :
世界@名無史さん:2012/10/08(月) 15:12:36.00 0
そもそも銀の話が要らない。
鋳造物同士の相場はここでは関係ないだろ。
米と銭の比較だければ。
そういう逆振りは要らない
>>929 札差の“換金”って、武家屋敷に札差の商人が小判や銭貫を届けたりしないし、武家の使用人が受取に行くのでもない。
米穀の受取を代行した札差が、依頼主の武家の掛商で買った物の支払を代わって行っていた。
今のサラリーマンが銀行口座に給与を振り込んでもらってクレジットカードを使って買った品物の代金を口座から引き落とす
というような、紙幣も硬貨も見ないままで終わってしまうようなのと似てなくもないな。
934 :
世界@名無史さん:2012/10/09(火) 01:59:24.94 0
>>926 ないよ。幕府がそんな定義をしたことはない。駄々をこねないでね。
>>927 >時の政権による政府が通用保証をしなくとも
>現実の江戸時代では自律的に米や銭や金や銀は通貨となっていた、ということ
なるほど、米の通用保証があったという以前からの主張は取り下げたわけだ。
で、金銀も同じで保証がない、でも通貨だ、というわけだな。金銀銭貨も米もどっちも無保証通貨だ、と。
だがな米君、実際のとこ、南鐐二朱銀貨や四文銭など、地金の価値とかけ離れたもんが
ちゃんと通用してるのは、保証がなけりゃできないことだ。米にはそれがない。
米一合を米一升として扱うなんて、できはしないだろ。金銀地金も同じで、それ自体の価値しかない。
金銀地金や米などと、金銀貨は違う。保証もなく品物それ自体の価値で以って流通するものを
通貨認定してたら、なんでもかんでも通貨になっちゃうだろって何度言ったかなあ。
935 :
世界@名無史さん:2012/10/09(火) 02:02:32.62 0
>>927 >自説が変だと気付けって、建前上は幕府も何度か銭金銀両替相場の御触を出してる
>銭と金はお互い物じゃなく通貨だから、現代貨幣なら相場は固定だし
>例えば隣の宋元朝が紙幣を大量に刷って発行額が10倍に増えた時期があるけど
>銭や物価に対する価値は半分程度にしか下がらず
>江戸時代に改鋳を実施した時の様に1対1に近く比例しては下がってない
これもちょっと前に書いたことだよな。江戸時代は金貨銀貨銭貨という通貨が並列に存在する、って。
三貨のうちどれかがほかに対して増減したり需要供給が増減すれば、相場だって変わる、それだけ。
宋や元の通貨のことはちょっとよくわからんが、日本の江戸時代の通貨にそのまま当てはまるものなのかね。
単に需要が勝って市場に吸収されただけかもわからんしね。
時代は違うが、日中戦争のときに、中華民国の造幣所を日本軍が占領したとき、
印紙と印刷用の原版を手に入れて、軍資金にしようと偽札(といえるかどうかはわからん)を刷りまくったが、
全然インフレも起きず、むしろ現地は紙幣不足で困ってたんで逆にありがたがられたってことがあったそうだ。
宋の紙幣は銭の兌換券、元の紙幣は金銀の兌換券だったようだが。江戸時代の通貨は兌換券じゃないね。
そして宋や元の紙幣も兌換を停止して乱発した結果、紙屑になっちゃったよ。
>まあ特殊な地金ではあるけど、私鋳でもある
勝手に鋳造したもんがあったとしてもだ、それは公認通貨ではない。地金としての価値があるだけで。
>石見銀山の灰吹銀は銀子1枚43匁、佐渡金山は解らないけど
>片桐且元に知行の年貢代わりとして金子1枚40〜50石換算で渡してるから
>佐渡金山のも10両なんじゃねーかな
そうか灰吹か。そんなら地金としてやり取りされるだろ。
936 :
世界@名無史さん:2012/10/09(火) 02:13:32.39 0
>>928 これは、よくわからんが、一両=一石じゃないと餓死者が出るって言いたいのかな。
何で江戸時代の始まった慶長金の頃に米価がその数分の一しかないんだっちゅう話。
餓死者続出?
>>929 公定相場って言うか、御蔵相場は商人による競争入札で決まるもの。
レートが固定されてたわけではない。
通貨の定義を明確にしないと、全然埒が明かないな
>>934 自分の主張が成り立たなくなったからといって
突然元々話をしていた時から1世紀も後の時代に話をすり替えてはいけないよ
もっとも元禄だけでなく元文の改鋳でも、品位に準じて相場が変わってるけどね
>>935 人の文章をちゃんと読もうね、金銀銭の両替相場に関する御触を幕府は出している
それとは関係無く品位の低下による分だけ相場も下がったが
銭を造鋳したり古銭停止令を出した時には金や銀の相場は変動していない
>全然インフレも起きず、むしろ現地は紙幣不足で困ってたんで逆にありがたがられたってことがあったそうだ。
最後の方は無造作に朝鮮銀行券刷りまくってハイパーインフレ起こしたらしいけどね
物価が数年で10倍以上に上がる悪性インフレで華北経済を崩壊させた
まあNHKが放送の中でそう主張しただけで事実かどうかは知らんが
>そして宋や元の紙幣も兌換を停止して乱発した結果、紙屑になっちゃったよ。
北宋末から兌換停止後の南宋末までの間、紙幣の物や銭に対する価値は
3〜4割程度にしか下がっておらず、普通の経済成長に伴うインフレ
特定の個人が公認通貨と呼ぼうが地金と呼ぼうが何と呼ぼうが
通貨として流通していた現実が変わるわけではないけどね
で、その地金は秤量貨幣としても使われてるんだけどね、幕臣の滞在費やなんかで
とりあえず、米が通貨と思う根拠を、シンプルな形で箇条書きで示してくれないかな。
そろそろ次スレの話が出る頃だけど、
最低テンプレに貨幣の定義
>>891は欲しい。
できれば通貨の定義もはっきりさせて、延々同じ話でループしないようにしたいところだが。
>>935 元の紙幣は食塩の物納納税納付証だから、塩兌換・・・・・
>>935 >>938 紙幣が大量に出回りすぎるのは、インフレの原因でなくて、結果だよ。
資金需要がないときに、中央銀行なり造幣局なりが紙幣を刷ったところで市場に出回らない。
紙幣を荷車に積んで日常品の買い物に出るような状況は貨幣と財との交換レートが崩れた結果であって
原因ではないよ。
>>936 928は多分「米を通貨と認めない奴は米の価値を認めない餓死上等の輩」と言ってるんじゃないかと
>>941 交鈔って金銀と兌換性を持ってたって教科書とかウィキペとかに書いてあったけど
946 :
世界@名無史さん:2012/10/09(火) 13:53:30.05 0
>>940 正直これは難しい話だぞ
マジな話し、誰もこの質問にはまともに答えられないぞ
>>946 中央高地を挟んで東で金貨(小判)が西で銀貨(丁銀)がよく通用したということは、金銀は相互に往来しにくいものだった
ということだろう?
ところが、米穀は、藩またぎての取引は奥州から肥後から越後から関東の天領から瀬戸内一円から全部が大坂で取引
されていた。
米穀の方が広域通貨だったからではないのかい?
金本位制のときには国際金融取引の決済用に金塊がニューヨークとかロンドンとか香港とかチューリッヒとかフランクフルト
とかに運ばれてたでよ。
藩は国みたいなものだし、蔵屋敷は銀行の出先みたいなものだろ。だったら米穀が通貨そのものではないかな。
>>947 「取引されていた」って自分で言ってますが
単純に日本一メジャーな「商品」だったから天下の台所に集められただけでは
>>946 どっちが?
貨幣に関しては経済学的にも定義は明確で、このスレでも合意は出来ている。
通貨は確かに難しい。
ただ曖昧さは残っても、ある程度書いておいた方がまし。
>>934 ある。
>>936 御蔵相場じゃない。御張紙値段だと言ってるだろ。
ちょっとおかしいの?
餓死者を出すのは、
金の話をありとあらゆる言葉運びで相手を曲げようとする姿勢が、
他者を死まで追い込む金融関係の詐欺師に似ているという
貴方そのものfへの批判だよ。
全ての根拠を市場競争に集約させる話の運びが、
金融業者の逃げ道そのままでわずらわしい。
952 :
世界@名無史さん:2012/10/10(水) 01:16:34.35 0
>>938 >自分の主張が成り立たなくなったからといって
元禄改鋳のとはまた別の話だぞ米君。江戸時代全体での話。ちょっとレス遡ったらわかるんじゃね。
で、勝手に流通するもんを通貨認定してたら、きりがないんだよ。
通貨量が変われば相場も変わるわな。通貨の品位が変わらなくても発行量が増えれば相場も変わる。
>人の文章をちゃんと読もうね、金銀銭の両替相場に関する御触を幕府は出している
もともと御定相場は目安程度にしかならん。市中では通貨量や需要供給に応じて変動する。
銭が増減して変動するのは銭相場なんだから、なんで金銀相場が動くんだよ。
一文銭じゃあ改鋳したって大して変わりないんかな。需要はずっと増えてたし。
額の大きい四文銭が出現したあたりからは、銭はかなり安くなっていってるな。
>最後の方は無造作に朝鮮銀行券刷りまくってハイパーインフレ起こしたらしいけどね
度を越えればどんな紙幣も紙屑になるわな。
>北宋末から兌換停止後の南宋末までの間、紙幣の物や銭に対する価値は
>3〜4割程度にしか下がっておらず、普通の経済成長に伴うインフレ
最終的に百分の一近くまで下落したようなんだが。
>特定の個人が公認通貨と呼ぼうが地金と呼ぼうが何と呼ぼうが
勝手に流通する品物ってだけでは通貨とは言えん。
米君の屁理屈の根本が、金銀地金と金銀通貨の混同だ。
953 :
世界@名無史さん:2012/10/10(水) 01:18:59.28 0
>>941 いや本来は金銀の兌換券のようだぞ。
ただ、塩とも密接に関係していて、元では塩は国家による専売制で、
紙幣でないと塩が買えなかった、ってことらしい。塩との兌換を保証してるとも言えるな。
>>942 >資金需要がないときに、中央銀行なり造幣局なりが紙幣を刷ったところで市場に出回らない。
そりゃ借り手がいないからな。近代以降はそうだが、以前だと権力者の都合でなんぼでも発行して
通用させるってこともしばしばだし、それが交換レートを崩すことになるんじゃないのか。
954 :
世界@名無史さん:2012/10/10(水) 01:25:23.22 0
>>947 何のために両替商がいたと思ってんだ。
米の取り引きは日本各地でやってる。規模の大小があるだけで。
>>950-951 >ある。
あるなら証拠を提示すれば良いじゃん。
>御蔵相場じゃない。御張紙値段だと言ってるだろ。
それが御蔵相場なんだよ。入札で決まった価格を張り出したんだろ。
浅草大倉ってことはな、つまりは御蔵なの。
>餓死者を出すのは、
>金の話をありとあらゆる言葉運びで相手を曲げようとする姿勢が、
>他者を死まで追い込む金融関係の詐欺師に似ているという
>貴方そのものfへの批判だよ。
>全ての根拠を市場競争に集約させる話の運びが、
>金融業者の逃げ道そのままでわずらわしい。
ほお、なんだか私怨で動いてるようだな。
>>954 証拠はお前が自分で説明してるだろ。
決めてるのは旗本の換金率で相場はそれに基づいて発生する市場相場のこと。
御張紙値段は幕府指定の換金率。
市場で相場が自由なのは当り前だ。
俺とお前が取引すんのにどんな割合でやろうと自由なのは当然だろ。
幕府が決めてる目安の話を最初からしているのであって、
自分の勘違いを棚に上げて他人を否定するなよ。
これだから金融業者は。
私事で金融と関わったことのない者なんてこの世にいるか。
"怨"ととらえたのはお前がビンゴだからだろ。
普通の人間は受け身の側だ。
>>952 >通貨量が変われば相場も変わるわな。通貨の品位が変わらなくても発行量が増えれば相場も変わる。
少なくとも18世紀初頭の頃までは、品位の影響が圧倒的に優越していた
そら発行額面により変動しても品位のような直線的な変動じゃ無く、数割増減で数分変わる程度の物
>もともと御定相場は目安程度にしかならん。市中では通貨量や需要供給に応じて変動する。
自分が何を書いたか解ってるか?幕府が通貨の価値を現代の様に強力に統制していたと
主張したのは其方だろうに。しかも、変動は通貨量より品位に強く拠っていたし
>銭が増減して変動するのは銭相場なんだから、なんで金銀相場が動くんだよ。
銭の増減に対して銭に対する金銀の相場が変わるのは明々白々
>額の大きい四文銭が出現したあたりからは、銭はかなり安くなっていってるな。
それは確かにその通りだけど、一方で鉄銭が銅銭より安かったのも事実
>最終的に百分の一近くまで下落したようなんだが。
記録が残る最後の時期は、価値が初期の紙幣1貫に対して7%まで下落してるね
25年前と比べても26.66%に下がり、総発行額も約3倍になってるけど
>勝手に流通する品物ってだけでは通貨とは言えん。
実際にある時期まで特定規格の地金が、通貨として判金との相場を形成してたから仕方ない
二人でスレを私物化するな
>>954 ちょっと古めの銀行の建物、よーく見てごらん。「両替商認可」って銅板がはめ込んであるから。
両替商というのは、金融業だ。まあ、経済学的な言い方すると、借金は今の貨幣と未来の貨幣との交換、
両替は貨幣の交換だから、預金や金貸しも両替だわな。
だから、昭和になってからも結構長く、銀行の認可は「両替商」ってわけよ。
>>959 そのことと、米が通貨だったという主張にどのような関係があるので
とりあえず両替商が米を取り扱ってたという話は寡聞にして存じませんが
>>960 米穀を扱う金融業者は蔵屋敷と札差だからね。
株仲間制度であれこれ手広くは出来ないのが幕藩時代だし。
>>961 確かに蔵屋敷や札差は米を担保に金を貸して、利息金をとったりもしてましたね
で、彼らが米を貸して利息米をとったり、預米口座とか作った事例はあるんでしょうか
米を貸して利息米をとったり、米を預かったりは、むしろ基本じゃね?
964 :
世界@名無史さん:2012/10/11(木) 02:11:39.54 0
>>955-956 無茶言うなよ。その換金率を入札で決めてるのに。
一両=一石だと幕府が保証したことなんてないの。
勝手に他人を金融業者扱いして八つ当たりすんなよ。
965 :
世界@名無史さん:2012/10/11(木) 02:14:07.43 0
>>957 >少なくとも18世紀初頭の頃までは、品位の影響が圧倒的に優越していた
>そら発行額面により変動しても品位のような直線的な変動じゃ無く、数割増減で数分変わる程度の物
物価変動なら通貨需要も関係するからまだわかるが、通貨同士の両替はな。
元禄改鋳は品位から見て金貨は約1.5倍、銀貨は約1.25倍に増えたわけだが、
この不釣合いっぷりで相場がちょっと変わる程度で済むわけないだろうが。
>自分が何を書いたか解ってるか?幕府が通貨の価値を現代の様に強力に統制していたと
>主張したのは其方だろうに。しかも、変動は通貨量より品位に強く拠っていたし
何? 江戸時代は三種の通貨が並列に存在するって何度も書いてきたんだが。
もしかして御定相場が全国津々浦々ガッツリ守られていたって言ってると思ってたのか?
宝永改鋳で銀貨の通貨量を増やすと銀高は是正された、これはつまり、
通貨同士の量が相場に関係してるってこと。両も匁も、純金銀量で価値を量ってるわけじゃない。
966 :
世界@名無史さん:2012/10/11(木) 02:17:03.21 0
>>957 >銭の増減に対して銭に対する金銀の相場が変わるのは明々白々
その相場のことを銭相場って言うんだが。まあそれはいいとして、
「銭を造鋳したり古銭停止令を出した時には金や銀の相場は変動していない」
米君こんなこと言ってるけど、銭の増減で金銀と銭のレートが変わるのか変わらないのかどっちなの?
俺は以前から、三貨のうちどれかがほかに対して増減したり需要供給が増減すれば、
相場だって変わるよ、と言ってきたわけなんだが。
>それは確かにその通りだけど、一方で鉄銭が銅銭より安かったのも事実
そりゃあな、出来たてなのにボロボロじゃあ嫌だわな。後に鉄銭を基準に一文としてるな。
で、四文銭が量目は少なくともちゃんと通用したことも事実な。
>記録が残る最後の時期は、価値が初期の紙幣1貫に対して7%まで下落してるね
>25年前と比べても26.66%に下がり、総発行額も約3倍になってるけど
そうか。正直中国のほうの通貨はよくわからん。
銭の為替みたいな兌換券みたいなもんだったようだし、あっちの銭需要もどうだったやら。
>実際にある時期まで特定規格の地金が、通貨として判金との相場を形成してたから仕方ない
だからさ、それじゃ通貨とは言えんのよ。地金という価値あるもの、なわけ。
967 :
世界@名無史さん:2012/10/11(木) 02:19:10.67 0
>>959 すまん何が言いたいのかわかんないんだが。
968 :
世界@名無史さん:2012/10/11(木) 02:23:42.47 0
ああそうか、両替商も蔵屋敷も銀行みたいなもん! だから米も通貨だ、って言いたいのか。
なわけあるかい。
この二人のために、隔離スレを立てるしか無いかな。
お互いに相手の隙を攻撃しているだけで、全く読む気がしない。
人に読んでもらおうという気が全く無い書き方。
970 :
世界@名無史さん:2012/10/11(木) 02:32:21.34 0
>>969 悪い悪い。
もし次スレ立っても、俺はもう来ないことにするわ。
どうせ平行線だろうしな。
>>962 現在の当座預金(決済口座)には、利息は付かないものだけれど・・・・・・
念のために言っとくけれど、札差や蔵屋敷はクリアリングハウスだからね。
札差の方は、先に支払って(貸して)、それを録米で取ってるから、利息米だなw
>>967 わからなくていいよw
ただ、オツムがその程度だという自覚は持てよwwww
>>970 で。あんたは、引用厨の方かい? それとも「米君」と呼ばれてる側の一人かい?
>>971 ですから札差や蔵屋敷に「口座」などというものが設けられたという話を聞かないわけでして
担保を利息というのであれば、質流れの品物も利息ということになりますが
(なお札差は米を金銭に「両替」する仕事をしていたわけですが、その手数料は金貨銀貨なわけで)
>>973 ageているので米の人じゃない方だと思います
>>974 御用商人が春に貸米、秋に利息を付けて返させる商売は何所の地方にもあったよ。
預り物や隠し物、蔵預りは口座と言えるだろうし
>>974 プライベートバンクみたいなものだしなあ。そういうのも口座っちゃあ口座だけれど
言わないよなあ。
>>975 春に貸すということは種籾か食料としてのレンタルでしょうか、いずれにせよ通貨を貸してるとは言えないでしょう
(秋に貸すのなら年貢や俸禄用ということで、限定的な通貨とも言えますが)
いずれにせよ札差とも蔵屋敷とも関係のない話ですね
蔵預り切手などはたしかに一種の通貨ではありますが、あくまで金貨銀貨の代用ですし、担保の所有権を持つことを口座を作るとは
普通言わないと思います
あと当然貸し金庫や貸し倉庫のことを口座とも言いません
>>977 残念ながら当時は本物の口座そのものが存在していません。
種籾や食料としての貸米は事業資金や運転資金ということで
明確に通貨貸付と言えるでしょうね
>>978 冗談のつもりですか?それとも「米通過派」をちゃかして
いるんですか?
いずれにせよ、不謹慎ですね。
980 :
世界@名無史さん:2012/10/12(金) 01:59:31.80 0
981 :
世界@名無史さん:2012/10/12(金) 02:03:53.70 0
米君の通貨の定義がよくわからないんだよなあ。
品物の価値でもって勝手に流通してた、だから通貨だ、ってことだと、
米の他にも豆やら綿やら砂糖やら、多様なもんがやり取りされてたが、
米君はそれらは通貨だとは言わないし。
金銀銭貨は幕府が通貨として使用するという目的のためだけに鋳造して流通したもの。
米は違う。通貨として使うために作っているわけでも流通したわけでもない。
そして今度は米を貸して利子を取ってたから通貨だとか言い出したが、
利子ってのは何かを貸してもらったことに対する対価であってな、
通貨の貸し借りにのみ利子が発生するってもんじゃないんだよ。
金貨だろうが米だろうが味噌だろうが、何を貸そうが何で利子を支払おうが、
通貨かどうかとは関係がないんだ。
貸し借りして利子をとったら通貨だなんて屁理屈。
>>978 蒔いたり食べたりするものを「資金」とは言わないと思いますが
>>981 多分、「米が通貨だとみなしうる定義」が「通貨の定義」なのでは
通貨以外でも色々とマイ定義を使用しているようですし
まあ大阪では、うどんライスを注文してから、
うどんを平らげたあとにご飯を丼半分残して「ごちそうさん」とする取引が日常的だったそうですし
これは米が貨幣だったという証拠でもありましょう
>>982 鋳潰して大仏にしたり鐘にしたり、将又装飾品や食器にする物を
資金とは言わないであろう、人は其れを原材料という
>>981 納める時は木材・紙・漆・金・鉄など、使い勝手が良い品での物納を許しても
本年貢高の割当は石を単位とする、永楽銭ではなく
あああと、蔵米やら利子がどうこうやら話を俺は始めてないからね
勝手に俺認定しないこと。まあ預り米や貸借による利子の受取が
通貨を媒介した遣り取りと非常に類似するので、まさに米は通貨である
という主張には概ね同意するけどな
そこが単なる地金と、勝手に鑄潰すことができなかった小判や丁銀などとの違いだね。
>>980 常識を云々するなら、読み書きくらいマトモにしような。
>>983 大阪とその近郊に合わせて30年くらい住んでるけれど・・・・・・
「うどんライス」なるもの聞いたことも見たことも無い。
御飯を丼半分残して〜とかこれまた意味不明。
皮肉を交えた冗談なんじゃねーの?残飯を貨幣とかさ。
年貢米って食い残しを徴発してたんですか
はあ?もしかして、生ごめを食べている人?
コメは炊いてご飯にしたほうが、価値が上がるでしょうが
税を取る側からすれば、当然、価値の高い方が良いわけで、
年貢は飯に炊いてから納めさせたわけですね?
炊くと体積が増えてしまい、水分で保管場所が湿気るので違うと思う
米貨幣説の欠点
通貨には退蔵するという機能も必要だが、米はしまっておくと減る。
(農薬のない時代)
金のいいところ
比重が圧倒的に大きい。
たいていの金属はいわゆる銀色で、黄色っぽいのは青銅とか真鍮とか。
鉛で偽造しても、色が違う。
退蔵って、市場流通しなくなるということだよ。経済圏から消えて無くなるのと同じだよ。
重いのダメじゃん。
重くていいならタングステンとか劣化ウランの硬貨だってできるじゃん。
タングステン偽造しにくいぞー。融点高いし削りにくいし。
劣化ウランも夜光特性があるからこれまた偽造しにくい。安価な天然元素で一番重い。
でもコインにしないだろ。重くて不便だから
>>994 蓄えられる≠消える
貯金箱の中のコインは(少なくとも十年百年では)消えてなくなったりしません
タングステンは圧倒的に加工しづらいですし、見栄えは大して特徴的でもありませんし
劣化ウランは
とりあえず次スレでは「米は通貨か?」はNG話題ということにしといたほうがいいかと
半両銭や鉄銭は重くて嫌われたから、重いのは駄目でしょ
米は体積当たりの価値が低いのが駄目
997 :
993:2012/10/12(金) 22:32:48.95 0
言葉足らずでした。
金は重くて色が変わっているので、金で通貨を作ると贋金を作りにくい。と言いたかった。
んで、通貨は次のような段階を経てできあがったと思ってる。
1 秤量貨幣としていちいち重さを測る。
2 大商人とか国とかが重さを保証するって意味で、打刻をする。
でも磨耗して量が減ったら価値が下がる。(保証しているはずの額面ではなく現物の価値で評価。)
3 磨耗とかしてても額面で通用するようになる。
という順序でお金ができて、 3の段階になると贋金をつくる事に意味がでてくる。
3の段階において、
金(Au)で通貨を作ると偽者を作るのが難しいのでAuでお金をつくったんじゃあないかなと。
998 :
世界@名無史さん:2012/10/13(土) 01:28:20.73 0
>>982 米が通貨だ、って最初に決め付けて、それにこじつけてるだけだよなあ。
なぜそこまで米にこだわるんだかわからんわ。
>>984 >鋳潰して大仏にしたり鐘にしたり、将又装飾品や食器にする物を
>資金とは言わないであろう、人は其れを原材料という
また屁理屈を。金銀銭貨は原材料じゃありません。
地金と通貨を無理矢理混同する屁理屈詐欺、いい加減やめなさい。
>納める時は木材・紙・漆・金・鉄など、使い勝手が良い品での物納を許しても
>本年貢高の割当は石を単位とする、永楽銭ではなく
俺が聞きたいのは、年貢のことじゃなくて通貨のことなんだよなあ。
年貢高が石換算だとなんだというんだ? 農産物への課税を、収穫量から算定してるだけじゃないの。
米君にとっては税が通貨の定義なのか?
じゃあ貫高制が広く行われた戦国時代には通貨は銭だったんだな?
冥加金は現金だから金銀銭貨も通貨になるのか? 夫役もあったから、労働力も通貨?
近代以前の社会では納税方法も算定方法も多様だ。なんでもかんでも通貨になっちゃうだろ。
こんなんばっかだな米君。
国なりなんなりが民間から徴収するもんは現金だろうが現物だろうが無形の労働力だろうが、
それら全部税ってだけのことだ。税と通貨とは別の概念なんだから。
現代国家では基本的に税は通貨で算定して通貨で納めるようになってるが、
現代日本で税は円で算定して納めるから円は通貨なのだ、とは言えない。
単に税を円で納めるように規定されてるだけのことだ。
>>995 百年間も経済に寄与してない、百年間消えてる ということだね。
意味合いは同じ。
1000 :
世界@名無史さん:2012/10/13(土) 01:30:50.17 0
>>984 >あああと、蔵米やら利子がどうこうやら話を俺は始めてないからね
>勝手に俺認定しないこと。まあ預り米や貸借による利子の受取が
>通貨を媒介した遣り取りと非常に類似するので、まさに米は通貨である
>という主張には概ね同意するけどな
利子どうたらの話は米君じゃない別の米君で、でも米君はその別の米君と同意見だってわけだ。
じゃあ米君でいいだろ。意見が同じなんだしな。名無しじゃ区別しにくいし。
貸し借りや利子の有無は通貨かどうかとは関係がないぞ。
てゆうか、通貨と類似するから通貨だ???
その通貨ってのはなんなのかを聞いてるんだろうが。
上で米君は税が米だから米が通貨だって言ったが、だったら、米が通貨と類似する、なんておかしいだろ。
米君理論ではまず最初に米が通貨ってことになってるはずなんだからな。
>>986 だからよー、出鱈目や屁理屈を常人は理解しにくいって言ったろ。まず屁理屈を直せよな。
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。