・騎士は鎧の重さで転んだら自力で起きられない ・王侯貴族でもほぼ全員文盲 ・入浴の習慣が皆無 ・魔女狩りや異端審問の全盛期 ほかにある?
・医学は全てアラビアより遅れていた
・古典古代の知識は完全に失われていた ・知識人も含めて地球は平らだと思っていた ・天動説は太陽が空を動いてるから考えられたアホな説
・携帯電話はまだ普及してなかった
5 :
世界@名無史さん :2010/09/10(金) 02:52:25 O
>>1 脳滲透やら打撲やらするから、重い鎧を付けて落馬したらすぐには起き上がれない。
王候貴族と坊主と商人以外はほぼ文盲。識字率1割未満
入浴の習慣は皆無ではないが少数派。
異端諮問は全盛期ではないにしろ大々的にやった。
6 :
世界@名無史さん :2010/09/10(金) 05:33:32 0
・都市は糞尿まみれ、不衛生極まりない感染症の巣
・農民は農奴として虐げられ、近代革命まで惨めな生活だった。 ・中世は初期からルネッサンス前まで何の変化も無く、同じ時代が続いていた。
>>2 違うの?
実際にはどうだったのか説明してよ。
>>9 十字軍スレの過去ログより。その部分の日本語訳。
359 名前: >356の続き 投稿日: 2005/08/30(火) 16:13:04 0
しかしながら私は、それとはきわめて異なる彼らの治療の例を見たのだった。
フランク人の王の会計官にベルナルドという騎士がいて、その男は(彼の上に神の呪いあれ!)フランク人の中で
もっとも憎むべき、邪悪な人物の一人であった。一頭の馬が彼の脚を蹴り、そこから病気に感染して四十箇所もの
別々の場所に傷口が開いてしまった。一箇所の傷口がふさがるたび、別の箇所で別の傷口が開く有様であった。
その間ずっと私は彼の堕地獄を祈っていた。そこで彼のところへフランク人の医者がやってきて、脚に塗られて
いた膏薬をすべて落とし、きつい酢で脚を洗いはじめた。この処置によって傷はすべて治り彼は再び元気になった。
彼は再び起き上がって悪魔のようになった。彼らの面白い治療をあきらかにする別の例は次のごとくである。
シャイザールにアブー・アル・ファトフという職人がいて、彼の息子は首にできた瘰癧に苦しんでいた。それの
一部がふさがるたび、決まって別の部分が開くのであった。この男はたまたま私用があり、息子とアンティオキア
にいった。一人のフランク人が少年を見て、父親にその子のことを尋ねた。アブー・アル・ファトフは「私の息子
だ」と答えた。フランク人は彼にいった。「汝は汝の宗教にかけて誓うか。もし汝の子を治す処方を教えても、
汝はそれを教えることによって何びとからも謝礼を取らぬと? そうすれば、その子を治す処方を教えてやろう」
男は誓いをたてたのでフランク人はこういった。
つぶしていないアツケシソウの葉を燃やし、灰をオリーブ油と強い酢に漬けろ。それで瘰癧を手当てすると、そこに
できていた吹き出物が消える。そこで燃やした鉛をギー油に漬けてそれで彼を手当てしろ。そうすれば治るだろう。
父親はその通りに少年を手当てし、少年は治癒した。傷はふさがり少年は元の健康な状態に戻ったのだった。
私自身、この処方でそのような病に冒された大勢の人々を治療し、病因を取り除くのに成功したのである。
・教皇に「破門するぞ!」といわれたら誰でもひれ伏す
>>5 こんなのもあったね
武士は戦いにおいて強靱振りを示した。
徒歩の下級武士は、全身に重い甲冑を着け、恐るべき早さで野山を駆け走りあるいは駆け登った。
騎馬侍という一ランク上の階級も馬術に長けているばかりでなく、体躯そのものが強靱であり、
脆弱な我々ヨーロッパ人と違い落馬してもそれで滅多に死ぬことはなかった。
また、敵に、一旦は馬から引き摺り落されても、掠り傷もせず再び騎乗し直すことができた。
刀で斬られても、あるいは槍で突かれても、傷が致命的な深手でない場合、その傷は直ぐに治り、それは不思議なくらいであった。
ルイス・フロイス
こんなにびっくりするぐらいだから少なくともここで示されている人々よりは鎧着た西洋戦士は動き鈍そうだな
ヨーロッパの医者は近代になっても全然信用ならないイメージがある ゴーゴリの最期とか悲惨すぎてもうね…
近代のヨーロッパ医学は世界で最高峰 それ以外はもっとひどかったってことだ
・キリスト教会が絶対的な権力を握った
>>5 >>王候貴族と坊主と商人以外はほぼ文盲。識字率1割未満
それはどこの世界も同じ
>>入浴の習慣は皆無ではないが少数派
ペスト以前は入浴が大流行した、それ以後は感染症の恐れで廃れる
だから時代によって違うので少数派というのは不適切
>>異端諮問は全盛期ではないにしろ大々的にやった。
カタリ派掃滅の時期以外は大体的というほどでもない
宗教改革以降の方がひどい
>>12 大航海時代のフルプレートアーマーを中世の騎士が使ってたわけじゃない。
騎士物語は騎士の没落したルネッサンスから近代になってから回顧的に語られたから、
アーサー王の騎士だのカール大帝の騎士だのがフルプレートアーマーを着ていたような誤解があるが、
ほとんどの時代、もっと軽いホーバークやチェーンメイルを使っていて、
八艘飛びとは言わないが、それなりに飛んだり跳ねたりできる。
誤解を生んだ理由の一つに、トーナメントアーマーと言うものがある。
これはいわゆるスポーツとしての馬上試合の為の装備で、落ちて負けが決まった後、
急いで立ち上がる必要も無く、逆に落馬などによる衝撃で無駄に怪我をしないように
スポーツ専用の鎧として作られたもの。
上記の理由で落ちたら立ち上がれない鎧になっているが、試合専用装備なので問題ない。
基本的に5は誤解している人間だよ
18 :
世界@名無史さん :2010/09/10(金) 12:28:27 0
勘違い君の恥晒しスレというわけか
19 :
世界@名無史さん :2010/09/10(金) 12:42:22 0
>>12 2chで頻繁に捏造記述書かれちゃう有名なフロイスさんですね
テルシオの兵卒見てみ
知ってて間違ったフリするのか本当に知らないだけなのかどちらかだね
知恵袋に「中世の暗黒イメージは18世紀の左翼がキリスト教を悪者にするために作ったフィクション」 とか書いてあるけど、「近世=輝かしい古代の復興」と称揚するために 中世に暗黒のイメージを与えたっていうのが普通の理解じゃないのか
21 :
世界@名無史さん :2010/09/10(金) 13:09:56 0
>>14 俺には「一つの病気を治して二つの病気を罹患させる」のが
欧州の医学だと思う。
22 :
世界@名無史さん :2010/09/10(金) 13:11:31 0
それに比べると「そもそも病気など一つ治せばまた一つ生まれると いった調子でいたちごっこだ。それならすでに罹ってしまった病気を 治すことに知恵を注ぐより、そもそも人が病気にかからないように すればよいのだ」って考える支那の医学の方が優れていると思う。
23 :
世界@名無史さん :2010/09/10(金) 13:15:18 0
中国ですら結局は西洋医学を受け入れざる終えなくなってしまったけどね
>>20 その方が一般的だな。
ペトラルカとかが言い始めたというのが普通。
でも18世紀の左翼なんてフランスの共和派やジャコバン派くらいだから
王党派と同時に僧侶も邪魔だったのは事実だし、王や貴族や僧侶が居た昔は悪い時代という宣伝を
やってたのは不思議な事じゃない。
もっと後になっても、「フランス大革命」を書いたマチエみたいに、
フランス共産党の指導者であり、ロシアの十月革命にも関わった立派な左翼が
色々捏造して暗黒の中世論を押し付けたりしてた例もある。
左翼にとっても暗黒時代からの革命による解放というイメージは重要だろうね。
25 :
世界@名無史さん :2010/09/10(金) 13:53:44 0
>>22 しかしそれだけでコレラやペストが防げるわけでもなし、
対処療法としての西洋医学じゃないと駄目な場合も多い。
そもそも蘭学でなぜ日本人が医学にとびついたか考えろよ 漢方は外科が壊滅的にだめ
18世紀の啓蒙主義者が前時代を封建的な暗黒時代としたら 17世紀が暗黒中世のイメージになってしまったでござる
むしろ中世で先進的な場所なんて中国江南とバグダート周辺くらいだろ
最終的にモンゴルに占領されちまったが杭州はスゲーよ。
30 :
世界@名無史さん :2010/09/10(金) 15:30:50 0
>>25 コレラやペストが治ってエイズや抗生物質が効かない病気が蔓延した。
>>12 いや、「全身に重い甲冑を着け、恐るべき早さで」といっても
フロイス自身が「われわれの武装具はきわめて重い。日本人のものはとても軽い」
「われわれの間では完全に武装具を着けなければ戦に赴くこととは見えない。
日本では武装したというには、首に首当を着けただけで十分である」
と断言してるし。
ヨーロッパ人も落馬したら全員即死なんてしてませんよw
中世では突撃中に馬を弓矢で射られてもそのまま徒歩で斬り込んだり
逃げたりしてるし。そもそも落馬即死なら後から従者が替え馬に
乗ってついてくる意味がない。
フロイスのいた頃のポルトガルではどうだか知らないけど、プレート
アーマーが普及した頃のイギリスでは、騎士見習いの訓練では
甲冑を着たまま走ったりジャンプしたり、泳いだりさえしてた。
馬に飛び乗ることも可能だったそうです。
ちなみに15世紀後半のイギリスのプレートアーマー一式の重量は
最大で60ポンド(約27.2キロ)に達し、重いので有名な大鎧に
匹敵する。
>・魔女狩りや異端審問の全盛期 漫画のベルセルクあたりでそういうイメージが助長されてるな
西ローマ崩壊直後が一番悲惨じゃないかな ある意味ベルセルクの世界観に等しい状況・・・
正直アベラールの去勢のエピソードには引いた
>・魔女狩りや異端審問の全盛期 これは単に歴史認識が浅すぎて中世と近世の区別がついてないだけでは 2chのニュー速あたりのいわゆる「歴史スレ」みたいなのだとこういう人が本当に多い 中世は暗黒、ルネサンス以降は開明というイメージに当てはめて語ってるわけですね
ベルセルクは30年戦争だな 衣装や建物も16世紀、17世紀あたり 拷問器具や拷問やってるあのカラスの面もその時代だし
>>30 統計を取ると、看護士の数が多い地区が有意にガンで死ぬ人の割合が高いんだよな。
だからといって、看護婦を減らせばよいというかというと…それは違うわけで…。
要するに、医療が普及している地区は、ガン以外の病気は大抵治しちゃうからそういう一見妙な統計も
出るわけだよな。
39 :
世界@名無史さん :2010/09/10(金) 20:00:08 0
フランス革命以前の貴族の特権には、 狩りの際、農民の腹の中に足を入れて暖をとるというものがあった。
>>37 ミッドランドに侵攻してくる異民族もオスマントルコと
ムガール帝国混ぜたようなルックスだしな。
オスプレイメンアットアームズの「オスマントルコ帝国の軍隊」
のイラストそのまんまの奴までいるのはちょっと待てと
言いたくなったけどw
>>40 >>39 はマチエの「フランス大革命」に革命前の説明でサラッと書いてあったから。
ロベスピエールあたりがぶったプロパガンダならありそうな話だ 気違い度ではあいつらのほうが上だしな
領主が初夜権をもってたとかいう話はどうなん?
>>44 もってたから、モーツァルトのオペラのネタにもなってるわけで。
>>44 名目上は存在したが基本的には金で買い戻すという体裁での事実上の結婚税。
本当に行使した奴はそうそういないらしい。
まあ、ドブスな花嫁もらった新郎が「買い戻せないので初夜は差し上げます」とか言ったときにどうしてたのかは知らん。
>>45-46 それってローマ帝国時代からあったんだろうか?
それともゲルマン系の伝統?
独身税とるくらい少子化で困ってたローマでそれはないわ
49 :
世界@名無史さん :2010/09/10(金) 23:05:51 0
ローマと近代がすごすぎなんだよな 中世も、イスラムに比べれば互角以上なんだが、前後がすごいので相対的に暗黒に感じる
ローマも過大評価されてるような気がするけどな
中世の後退は明らかに宗教原理主義のくびき いまの中東見りゃわかんだろ
もともと西欧が貧しい地域だったからじゃね?
そう単純じゃないと思うが アラビア科学や近世の科学の発展は宗教と密接な関係があったし 宗教臭くない中国より発展しちゃってるしね それに中世は思われてるほど宗教絶対ってわけでもない 封建諸侯は教会に対してそこまで従順じゃないし
ローマ時代の水道橋を見てこんなものを人間が作れるはずがない、悪魔が作ったものだ と言ったくらいだからな 学問、芸術面では完全に後退してる 蛮族に荒らされ、あるいは人間そのものが蛮族と入れ替わり、 教会によって古代学問を異端視されたら、そりゃ文明も崩壊する
ローマ時代の西欧はイタリア以外はろくな文化もない土田舎だしな そこが中世を通して発展して今のヨーロッパを作ったと考えた方がいいかもね
神学なら進歩したろ、科学より神学が大事ってだけ 宗教のせいというのはそういうこと 人は科学や技術で便利に暮らす必要はない、祈って畑耕して従順に暮らしていればいい 中世、とくに中世前期の、純度が高い封建社会とはまったくこういう世界
12,3世紀になると古代を凌駕するって感じかね まずこの時代には古典古代の学問を吸収してるし、それだけじゃなくアラビアやインドの上乗せ分の知識もある あと技術面の発展、冶金技術や武器の発達、築城術、旋盤技術、紙などなど
科学ってのは近代以前には現実には全く役に立たない知識だよ 技術は役にたつけどね ちなみに中世で発達したのは化学、代数、光学、アラビア数字と0の概念の導入、複式簿記 それとデカルトの座標幾何学、ガリレオの物質の運動法則、コペルニクスの地動説 こういったものの基本となる知識は中世末期に準備されてる
>>ローマ時代の水道橋を見てこんなものを人間が作れるはずがない、悪魔が作ったものだ 魔橋はフォークロアの一種で、その大半は中世期に作られた橋なんだが。 知ったかぶってんじゃねえよw
・板金鎧に身を固めた装甲騎兵は銃火器の出現で戦場から駆逐された
>>53 >アラビア科学や近世の科学の発展は宗教と密接な関係があったし
>宗教臭くない中国より発展しちゃってるしね
あんま関係ないがアッバース朝盛期の文人アル・ジャーヒズに言わせると
「ギリシャは科学、中国は技術、アラブは詩と宗教」だそうだw
中国は宗教否定するために抽象概念の否定に向かったから。 思想として純化してくると王充などのように、諫言のための方便として作られた天人相関説や図讖などすら含めてあらゆる盲信の否定に向かう。 それと意外と法家が特にダメなんだよな。 白馬論に嘲笑を浴びせちゃってるし。
>>60 胸甲騎兵とかかなり後の時期まで生き残ってるけどな。
軍の主力から引いたのは結局調達コストが高すぎるからだろうが。
それでもナポレオンの頃までは活躍してたな。
>>63 中国は医術に陰陽五行説持ち込むとか
宗教やオカルトもどっぷりだったんだが。
むしろ日本の漢方医の方がと実際的だったりする。
英国艦隊にババアのケツ並べて撃退しようとしたりなw
68 :
世界@名無史さん :2010/09/11(土) 09:48:02 0
まあ鉄の鎧がそれなりに生き延びてたってのは事実だろうけど。 胸甲騎兵とフルプレート騎士を一緒にしていいものか。
71 :
世界@名無史さん :2010/09/11(土) 14:26:19 0
>>53 アラビア科学ってそんなにすごいか?
中国の4大発明のほうがはるかに上だろ?
ローマ帝国が崩壊して退化したんじゃない。 もともと貧しい後進地域だった西欧は、帝国が崩壊すると恩恵を受けられなくなって元の貧しい地域に戻っただけ。 もともと豊かだったイタリアは中世も豊かだったじゃん、貿易も盛んだし大学とかもあったじゃん。
・西洋剣は日本刀より滅茶苦茶重くて鈍器のように使われていた
>>74 へーそうなんだ。ブロードソードって鎧の上から叩き殺すための棍棒みたいなもんだと思ってた。
ちゃんと切り殺すの?
76 :
世界@名無史さん :2010/09/11(土) 19:18:40 0
まあ単に叩き殺すだけならシャルルマルテルみたいに金槌もったほうがいいぢゃん。
>>76 シャルルマーニュなのかカールマルテルなのかはっきりさせろ。
>>75 武器としてはむしろ日本刀のほうが無駄だし
戦争用では信頼性第一だから、スグ刃こぼれしたり曲がったりは困る
戦国期には実戦では少し刃を潰して強度を増した上で使ったくらい
それでもそれなりに斬れる、逆に言えばカミソリ並に研ぐのは平時のただの自己満足
>>75 ルネサンス頃の武術書で甲冑を着た同士の両手剣での戦法を見ると
装甲の隙間を狙って攻撃する技が基本で日本の介者剣術に近い。
5ミリ厚の鉄板でも運動エネルギーが十分なら人体は両断される 叩き切るのであればそれで充分
>>79 >武器としてはむしろ日本刀のほうが無駄だし
それは鈴木説とか鵜呑みにし過ぎ。
打刀と太刀の違いとか分かってるよね?
戦国時代すら日本刀より槍や火縄銃のほうが遥かに利用され効果あったからな 中国の刀剣も斬るというより砕くことがメイン
>中国の刀剣も斬るというより砕くことがメイン それなら剣と同じ形で刃だけない鉄鞭のような打撃具が生まれる理由がない。
実際風呂ってどれぐらい入ってたの?
重量だって刃渡りが同じ長さなら殆ど無い。 ツヴァイハンダーの様な最大級の剣でも、2kgちょっとの重さだ。 というか刀剣である以上、同じ鋼で出来てるんだから重量に大きな差があるわけないだろ。
87 :
世界@名無史さん :2010/09/11(土) 23:10:04 0
>>43 プロパガンタというけど
ロベスピエールたちが中世はそれほど悪い時代ではなかったと言うことを
知っていたとは思えないけれど。
>>66 宗教の概念がまず違う。
黄河文明中心で、人間の力によっていろんなコトを成しえるというのが前提の中国では
天意みたいなものをもちこむにしたところで
全てをゆだねるべき超越的絶対者としての神みたいな概念は出てこない
他の「宗教」と同列にくくってしまってはダメだよ。
>>82 厳密には日本刀には打刀と太刀含まれるんだろうが、
普通日本刀っていったら打刀を意図する人が大半だと思う。
打刀と太刀をごっちゃにして、軽くて硬くて良く切れてみたいなオーパーツ・スーパーカタナをイメージする人も多いだろうけど。
日本刀vs銃とかいうので刀が弾丸真っ二つにしたってのがそれに拍車をかけてる。
日本
92 :
世界@名無史さん :2010/09/12(日) 10:18:42 0
>>1そういやホーキング博士が神だ、仏だ、宇宙だといって 波紋を広げているが、中世でもホーキング博士みたいなことを言っても 処刑するところはヨーロッパくらいしかないだろう。 中国や日本だと、公的機関が言論活動のみではいちいち処刑にまで 乗り出さないよな、 税金を払って、時の権力者に頭を下げたらお咎めなしだろう インドでもおそらくそうではなかったかな イスラムでもあんがい処刑しなかったのではないかな。
93 :
世界@名無史さん :2010/09/12(日) 11:46:59 0
をいをい 文字の獄で人を殺しまくったのは中国だろ 洪武帝や要請帝を知らんのか
近代以前はどこも専制国家なんだから思想統制は当たり前 当時の支配者の支配権の正統性をおびやかすような思想が蔓延したらたまらないからな 昔は哲学、科学なども政治思想と結びついてるから取締りの対象になるのは当たり前だ
キリスト教の異端排撃はローマのテオドシウス帝の時代までさかのぼる 異端、異教を公式に死罪と定めたのはテオドシウスだ 宗派対立を収め帝国内を統一するために、カトリック以外の宗教宗派を強行に排除した 宗派対立はどこでもどの宗教でも起こる、世俗の沽券に関わる問題だからだ 本来人間の数だけ存在する宗教解釈によって起こる争いを収めようと思えば、 正統をひとつ決めてほかを叩き潰すしかない
96 :
世界@名無史さん :2010/09/12(日) 14:46:27 0
>>87 プロパガンタ、うそをまき散らしたということは
嘘を言った連中や嘘を聴く側の、一般民衆も
中世は暗黒時代ではなかったということを知っていたことになるな。
中世暗黒時代がみんな知っていたとしたら、わざわざそんなプロパガンタを
言う必要ない。
どういう理屈だよ 「知っていた」の逆は「知らなかった」だろ 事実を知る人間が少ないからプロパガンダは有効なんだ 実際の中世がどうだったかなんて関係ない、革命政府はただ貴族を悪に仕立て上げたいだけだ
98 :
世界@名無史さん :2010/09/12(日) 15:01:01 0
>>93 >>94 宇宙がどうのこうのといったレベルでは殺していないだろう。
禿とか、皇帝の悪口、政府がおかしい、天命が尽きたとの
レベルでないと殺していないだろう。
>>12 ヨーロッパは道が強靭だもん。
日本湿潤地帯の日本ではフカフカの土にこれまたフカフカの落ち葉が積もった道だよ、んなもの怪我する方がおかしい。
しかも、馬は、洋風にいえばポニーのサイズだ。
ローマ時代に人の身の丈ほどもある石を縦に打ち込んで舗装した道路だよ。五尺の深さの畳石だよ。
んなところで背の高い洋馬で落馬すれば、そりゃ死ぬわな。
>>89 で、銃弾を真っ二つに断つのは、太刀なの? 打刀なの?
101 :
世界@名無史さん :2010/09/12(日) 15:18:58 0
>>98 革命政府は貴族は悪ではない、中世は暗黒ではないと思っていたわけか
102 :
世界@名無史さん :2010/09/12(日) 15:20:38 0
>>98 革命政府は貴族は悪ではない、中世は暗黒ではないと思っていたわけか
思っていたが、民衆に宣伝するためにあえて悪く言ったわけか。
>革命政府は貴族は悪ではない、中世は暗黒ではないと思っていたわけか だから、なんでそうなるんだ? お前の頭はどうなってるんだ 漫画の読みすぎじゃないか? まずその二元論をなんとかしろ
>>98 逆に言うと宇宙がどうのこうのを政治問題化する程
科学にはまってたんだろ
王侯の存在自体が革命思想にとって悪だったのは間違いない しかし、大多数の民衆は大層な革命思想なんて理解できない そこでプロパガンダを打つ、王や貴族は残虐で淫蕩な悪魔と宣伝して民衆の憎悪を煽る もちろん、前提として民衆はある程度上流に対して不満を抱くだけの要素はあるわけだが
弾丸と同じ速度で剣を振れれば斬れるだろうけど まあなあ
>>99 お前、モノ知らなさすぎ…。特に馬関連、鈴木信者か?
そもそも軍人じゃないフロイスの軍事関連の証言って、信頼できるのか?
>>99 いやだからヨーロッパでも落馬したら全員死んだり戦闘不能に
なってた訳じゃないって。百年戦争の会戦とか調べてみてよ。
大体戦争って常に道路の上でするもんじゃないだろw
111 :
世界@名無史さん :2010/09/12(日) 17:44:14 0
ジャンヌ・ダルクは裾ひっぱられて落馬して捕虜になったらしいが即死してはいないな。
ローマ街道があっても中世の間に放置されて草ぼうぼうになってないか? そしてラインとドナウの向こう側にはローマ街道なんぞない
馬上槍試合だって頻繁に落馬するが、死んだりはしないよな。
打ち所が悪ければ、年増狂いのフランス王みたくなるだろ
戦国時代でも落馬して死んだ武将なんて数多くいるだろ
116 :
世界@名無史さん :2010/09/12(日) 20:00:02 Q
日本の中世ってのは、鎌倉から安土桃山までの約400年間でしょ? ヨーロッパの中世ってのは、どの期間を指すの? ローマ帝国崩壊から宗教改革あたりまで?
基本は西ローマ崩壊から東ローマの滅亡までの約1000年。 東ローマの滅亡=百年戦争集結から三十年戦争あたりまでの扱いは色々。
キリスト教が国教になった時点のほうがしっくりくる 古代文化、宗教、学問、芸術がことごとく打ち壊され投げ捨てられるようになるのはそこからだからな 古代世界はあそこで死んだ
キリスト教の害悪性は至る所に見られるな 本当に邪教の極みだよ
古代なんてどうでもいい
122 :
世界@名無史さん :2010/09/12(日) 22:25:44 0
ルネサンス>古代>中世
科学も技術も中世>古代 だけどな
中世前期と後期の区別くらいつけてくださいよクソムシ
石像破壊だけは許し難い 偶像崇拝禁止なんて余計な文言があったせいで…
バーミヤンのことですね
鼻が欠けてる彫刻が多いのはそのせいなのかね
鼻は落ちやすいからだろ ちなみにスフィンクスの鼻は熱狂的なイスラム教徒がぶっ壊したって話が伝わってる
結局アブラハムの宗教で一番マトモなのはユダヤ教かもな
ユダヤも偶像崇拝禁止だろ
キリスト教も二千年近い時を経てずいぶんまともになったんじゃない
嘘らしいけどスフィンクスの鼻をナポレオンが大砲で吹っ飛ばしたという噂もあるね
彫像の鼻は確実にローマ帝国末期に潰されたもんだよ もっと繊細な部分が残ってても、鼻だけ削られた像とか山ほどある ああいうのは、壊したくないけどやらなきゃならないから、っていうんで最小限ということだろう
>>132 それは作り話だよ
そもそもスフィンクスは地表に顔だけ出てたから
誰でも簡単に近づけた
つか彫像の鼻とかなんで古代の話してんだよ
>>115 落馬して踏まれればそりゃ死ぬよ。
ちっこい日本の在来馬でも300キロくらいあるし、その目方を汁椀よりも小さいくらいの蹄が支えてる。
日本の馬は江戸期に大分小さくなってるしな
138 :
世界@名無史さん :2010/09/14(火) 00:03:06 0
頼朝も落馬でしんだね!
フリードリヒ・バルバロッサも追加。
落馬しておぼれて死んだって話、以前から疑問だったんだけど周りの家臣は何で助けなかったん?
フリードリヒは落馬じゃなくて溺死でしょ
それが、契約社会だし。 自滅事故とか病気とかは、封建関係とき関係ねーし。 ということだろう。
>>140 一人で沐浴しに行ったので誰も見ていなかったという話。
144 :
世界@名無史さん :2010/09/14(火) 06:53:33 0
か
145 :
世界@名無史さん :2010/09/14(火) 10:35:36 0
>>12 >刀で斬られても、あるいは槍で突かれても、傷が致命的な深手でない場合、その傷は直ぐに治り、それは不思議なくらいであった。
傷口を焼酎で消毒するとかで、西洋と比べて、治りが早かったとかなのかな
西洋の場合、破傷風菌が多いから傷口で体全体が腐るケースが多かったんだよ だから外科も発達したけどな
ちなみに中世の時点でアルコールや薬草を用いた消毒は行われていた 風土による病原菌の差だろう 例えば日本では結核菌が多いが西洋ではそれほどでもないからね
10にもあるが、酢で洗うと言うのはあった。
>>145 戦国時代、焼酎は日本の多くの地域で存在していない。戦国時代中〜後期の
16世紀前半〜中盤にかけて、南九州を中心に広まったけど。
薬草をアルコールにひたして傷口にはった
まぁ薬草だけでも消毒作用はあるものはある ラベンダーとかセージとか ぬり薬なんて薬草すりつぶして油やらなんやらいれたもんだし それは東洋でも同じでしょ
>>146 兵士もちょっとした手当ては自分らでやったようだけど
昔の外科医の本なんかには「焼灼や洗浄もせずにすぐに傷口を塞いだ
バカな騎士がいて壊疽を起こして死んだ」などとあったりするらしい。
キリスト教が道徳だからな。 入信式の洗礼以外体を洗うことを禁ずる、とかいうものだし。
>入信式の洗礼以外体を洗うことを禁ずる んな戒律あったっけ? ドイツの風呂屋とか北欧のサウナが取り締まられたのは 売春や混浴など風紀紊乱のためだったと思うが
それとペストによる感染のおそれだな
つか155って適当に思いついたこと書いてるだろ
だいたい入浴と消毒は全く関係ないだろ 傷口開いた体で風呂に入ったら危ないわw 殺菌効果のあるションベンぶっかけた方がよっぽど効果ある
あまり外見を気にしすぎるのは虚栄の罪にあたるという発想はあったらしく イングランド史料でデーン人が毎日髪を梳り毎週風呂に入るというので 非難されている例があるそうだ。 ちなみに13世紀のジョン欠地王の例だと全身浴は三週間に一回。
確かにキリスト教圏では娯楽としての風呂には拒否感があったが カール大帝は風呂好きで百人ぐらい呼んで一緒に入ったらしい 後日本も平安時代は洗髪は一年に一回とか結構いい加減
>娯楽としての風呂 なんで西欧の風呂屋って湯女つきなんだろうなあ。ローマ時代からそうだっけ? ローマ浴場を受け継いだイスラム圏だとごついオサーンの三助なのにw
それと昔の公共浴場は衛生面に問題もあった 水や薪が貴重だし、同じ水を何度も使った 日本の銭湯でも汚水をろ過して使った、公共浴場はざくろ口といって半分サウナのようなもん 湯気で周り見えないので、混浴で娼婦が集まり性行為も行われたし、赤ん坊が糞尿垂れ流しても見えない 幕府も何度も混浴禁止令だしてる
ハンマームも水を替えるのは年に一回ぐらいだったらしいな。 バキュームみたいので垢とかを吸い集める技術があったらしいが。
中世では衛生によいとされてアルコール飲料ばっかり飲んでたらしい
俺も風邪引いたときにアルコール消毒のためにタンカレー飲むぞ。
ビエラリンク
だれも牛舌を炊いたカレーライスとは思わないから。
171 :
世界@名無史さん :2010/09/19(日) 18:05:36 0
>>1 入浴の習慣が皆無というのはほんとだ。
中世はおろか、20世紀初頭のパリにおいても風呂付のアパートなんてほぼないし、
現代でさえ、一年ぐらい入浴しない奴も結構ザラだと思う。
調べたわけじゃないが、明らかに臭いからw
だからこそ、股間だけをあらうビデなんてものが普及したわけだ。
173 :
世界@名無史さん :2010/09/19(日) 18:12:10 0
ない。 パリに行って好事家にでも聞けばすぐわかる。
>>171 中世に入浴の習慣が無かったという話なのになんで現在の経験で話してるの
175 :
世界@名無史さん :2010/09/19(日) 18:27:41 0
過去の延長に現代があるからw
現代のパリ人は入浴をしない(ソースはなし) ↓ よって中世の人間も入浴をしなかった(ソースなし) 馬鹿じゃね?
177 :
世界@名無史さん :2010/09/19(日) 18:34:50 0
>現代のパリ人は入浴をしない(ソースはなし) え?どこにそんなこと書いてあるの?
日本の中世(江戸時代ではない)も普及してたのかどうか
実際には中世に有った入浴の習慣はペストを契機に無くなった。 それ以降近代までのヨーロッパは入浴が失われた社会になったが、 そういう事を知らない人間が近代にそうだから中世もそうだろうという偏見で言う。 そういう典型的な無知の例が1なわけだが、 無知の代表がこのスレに書き込んだわけだ。
180 :
世界@名無史さん :2010/09/19(日) 19:03:56 0
1954年の風呂普及率 1954年180000世帯(16%)が部屋の外の各階で、30000世帯(3%)が中庭で、2800世帯が(ポンプや給水所などの)別のところで水をくんでいた。 フランス全体でも52%しか水道を引いていなかった。 風呂かシャワーがあるのは19%の世帯。(フランス全体では10%) 14世紀の黒死病の大流行で、公衆浴場は激減。後に閉鎖禁令発布。 中世に、一体どうすれば風呂に入れるのか・・・
馬鹿すぎる それならローマ時代はもっと無理だな
>>181 なんで共同浴場が禁止されたかわかってないでしょ
中世に風呂がペストの感染源と疑われたからだよ?
それに、帝国時代の首都ローマと中世パリの水道普及率は比較にならないレベルだから。
歴史発展段階説に従って中世は近代より劣ってるに違いない
とか言ってるのがまだ存在してるのか
>>182 お前は何を言ってるのだ
それが判ってないのが上げ厨だろ
>>183 だからさ〜
中世に入浴が廃れたのは、毛穴が開いてペスト性の蒸気が滲入するという誤解が元なの。
なのに、「ローマ時代はもっと無理」とか意味不明のゴリ押ししてるからこちらも一言言いたくなる。
反論したいんなら根拠を挙げて相手の意見を覆してやればいいだけ。
歴史発展段階説だの、上げ厨だのでギャアギャア騒いでるだけじゃなあ
ローマ時代に造りまくった水道は、4世紀からゴットランド人が壊して回ったからなあ。
ローマ時代の水道橋を見て中世の人々は、 悪魔が一晩で作った「悪魔の橋」なんて言ってたらしいからな。 どうやって造ったか想像できなかったんだろう
近代以前なら水源用の小川がどこにでもあるはずだから、夏場は行水ぐらいしないの?
なんかキリスト教的なトチ狂った言説なんだけど、 水は、身体を道徳的に退廃させるだけでなく、 身体に湿り気を与えて柔らかくし、不健康な空気や病気に対する抵抗力を奪う、 的な話が大手を振ってまかり通ってたみたいだからね。 どうやら水に対する考え方が清潔と言う概念と真逆に受け止められていたようだ。
水に関しては当時の医学の見解で
キリスト教とは直接関係ない
むしろルネサンス以前の方が入浴が盛ん
>>186 建築技術は古代より中世盛期の方が上だけどな
>>186 >59
そして上でも言われてるように、建築技術は中世の方が発達している。
パンテオンとノートルダム大聖堂を比べれば一目瞭然。
慢性的なペストと梅毒の流行で入浴の習慣が消えた つまり16世紀〜18世紀だな それに湿り気>冷え>風邪だし 皮膚にある無数の毛穴から感染ってのも 別に非科学的なこと言ってるわけじゃない ただ当時の医学は未熟だから極端な方向行っただけ
その未熟な医学もキリスト教云々というよりアリストテレスやガレノス等の古代の権威を盲信した結果だしな。 これは科学にも言える事だが。
一概にゴシック建築が古典建築を超えてるっていうのも抵抗感があるが
ペスト流行その他の理由によって風呂が廃れ始めるのは14世紀頃からだけど、 普通中世っていったら14世紀以降よりも以前の方が長いよな。
>>189 「むしろルネサンス以前の方が入浴が盛ん」とか意味解らんな。
ローマ時代は非常に入浴や香料の使用が盛んだったわけだが、
キリスト教の侵入し、初期のキリスト教は、香料を神々に捧げることを偶像崇拝だとして非難した。
そして香料の個人的使用や、入浴までも、官能に身を任せる異教徒的な行為であるとして戒めた。
しまいには、汗や脂の臭いを大いに発散してこそ神の子の証であるとまで考えるようになり中世に至る。
以上のように、キリスト教と入浴が廃れた理由は関係が深い。
>建築技術は古代より中世盛期の方が上だけどな
技術のベクトルが違うものを、上とか下とか一概にいうのもおかしな言い方だな。
まあ少なくとも、水利用システムに関して中世がローマ時代に勝ってたとは言えないだろう。
>>195 なぜ中世のパリやロンドンには大量の風呂屋があったんだ?
大抵の都市に石鹸屋のギルドがあったのはなぜ?
>水に関しては当時の医学の見解でキリスト教とは直接関係ない これめちゃくちゃ。 西欧科学の存在自体がキリスト教を母体として生まれ発展してきた。 宗教と科学が切り離されるのは後々の話。 それに当然だが、技術に関しては一長一短だ。 城壁や宗教施設は中世の都市が圧倒的だが、市民の生活水準に益する施設はローマの都市が優る。 コロッセオや下水道の完備に依る衛生状態は中世の都市とは比らぶべくもない。 技術は中世盛期が断然上!って一概にいえんのかって話よ?
199 :
世界@名無史さん :2010/09/19(日) 23:41:03 0
中世初期のユスティニアヌス時代にペストが初めて流行してる 地震でアンティオキアが壊滅したりと大変な時代だった
技術は中世の方が断然上 短剣しか作れないローマ人www 機械時計も火砲もないwwww 単なる人海戦術ででっかい劇場作ってるだけ エジプトのピラミッドと変わらんw
>なぜ中世のパリやロンドンには大量の風呂屋があったんだ? >大抵の都市に石鹸屋のギルドがあったのはなぜ? 勘違いしてるようだけど、キリスト教以降入浴が完全に廃れたとは書いてない。 キリスト教が根本的に入浴を悪徳であり異教徒的であると考えていた歴史があり、 ペストの脅威に対して入浴が有害であると言う発想は非常にキリスト教的発想で、 科学と宗教が無関係なんて無教養も甚だしいぞという論旨。
わかったよコペルニクスもメンデルも聖職者だから すべからくキリスト教のおかげだな
>>203 もしかして、単純に宗教が科学の発展を阻害したという考え方をしてるとしたら、完全に時代遅れだよ。
当時の世界で科学を最も熱心に追及し、弾圧もしたのが教会だから。
だからそんな極論は的外れ。
ペストの脅威に対して有害 「人間の無数の皮膚の穴に蒸気のせいで有害物質が入って感染する」 1、人間の皮膚には無数の穴がある(科学的に正しい) 2、風呂に入ると風邪をひく可能性が高くなる(これも正しい) つまり風呂と感染の間に何か関連がある 風呂の水気が皮膚の穴に入って感染するのでは?となる 感染経路がはっきりわかるようになるのは19世紀でかなり高度な医学が必要 他の地域は知らんがヨーロッパに関して感染に対する予防策をとるようになったのは中世 ちなみに古代人は接触によって感染するという統一的な見解がなかった とシンガーウッド「医学の歴史」P87に書いてある
ヒストリーチャンネルの予告で 実は瀉血って意外と効果あったんですよ ってのをやるってやってた。
>>198 母体?
切り離されてなけりゃ母体なの?
ここのバカどもは、本当に中世前期後期、ルネサンス期とその他の区別を 全くつけずに聞きかじりを吐き散らすよな おかげでめまいがするほどむちゃくちゃ言いやがる
だいたい中世盛期から後期、11〜14世紀を念頭に書いてるんだが そんぐらいわかるだろ 火薬も紙、印刷(木版)、火器、機械時計もこの時代には既に存在する
なんでその時代をもってくるのか理解不能なんだが 古代文明の崩壊から600年以上経ってるんだぞ、猿でも立ち上がって歩くわ 古代と中世の間の文明の落差の有無を比べるなら古代文明の崩壊前後を見りゃいいだろうが
12世紀は既に初期ルネサンスに入っちまうからな 古代復興と無関係とは言えない 中世たる中世は10世紀以前だろう
>>208 お前の脳内では中世は一時代なのか
11世紀から14世紀と言えば、まさに中世の蒙昧から西欧が目覚めてゆく課程の時代じゃないか
じゃ11世紀からルネサンスなのか知らんかった
お前ら単に中世いじめしてローマ最強言いたいだけだろ 中世盛期以降もってくるとローマ負けるからw 一般的にいって中世のイメージは12.3世紀だし その時代を中心に話が進む 10世紀以前は史料が少なくてよくわかってないのが現状だろ そんなに10世紀以前なら話題を提供してほしいわローマ信者さんたち メロヴィング家あたりからテオドリック大王とかさ
そもそも「中世」と十把一絡げに呼ばれている期間が長すぎるわな。 とは言え、中世なんてどこを切り取っても大体同じという発想自体が 中世にたいする偏見と呼べなくもないか。
ほっとていも10世紀以前の話題はほとんど出ないし 誰もくいつかないだろう
西ローマ帝国の消滅から東ローマ帝国消滅までの断代史
>中世盛期以降もってくるとローマ負けるからw そういうスレじゃないだろw
古代と現代の間は全部中世
近世は?
220 :
世界@名無史さん :2010/09/20(月) 16:23:11 0
んなものはない
スレタイの「中世ヨーロッパへの偏見」って、 1が言うようにこんな偏見(実際と違って)があるよという意味なのか
223 :
世界@名無史さん :2010/09/20(月) 22:23:27 0
伝説のアーサー王とかいた時代に、古代に作られた水道橋やローマンバスが残っているんだよな 彼ら中世人は、これらの高度な遺跡を見て、どう思ったのか興味がある
224 :
世界@名無史さん :2010/09/20(月) 22:48:39 0
レムリア大陸みたいに思ってたのかもな
伝説のアーサー王は伝説であって実在しないけどな。アーサー王に関する古い記録では5、6世紀の人物とされ、 少なくともその頃にはまだローマの栄光の記憶が残っていた様だ。
どころか、ブリタニア撤退直後の残留ローマ人がアーサー王の元じゃないかって説があるくらい
古代ローマの建築技術の評価は高いけど、そのローマでも、 ゴシック建築の技術には及ばないところが多いし、 橋梁の橋脚部分も体してすごくない。
228 :
世界@名無史さん :2010/09/21(火) 00:04:45 0
ローマはアーチ橋を大いに広めた(注:アーチ橋の技術はオリエント発祥)し、 それは優れた功績だけど、より後代から見るとアーチの径間が短いし、キーストーンの 上にも分厚く部材を使ったりしてて結構野暮ったい。 日本の眼鏡橋とかの方がより洗練されたアーチ橋になってる(ま、あれは中国から学んだけど)
破壊を受けさえしなければ2000年残るという事実以上に必要なもんがあるのかね
Ottoman Fortificationsって本によると オスマン帝国ではローマ式導水橋を維持したどころか 新しいのを建造までしてたそうだ。 ビザンツ帝国にそういう技術が残ってたんだろう。
帝国が崩壊して小邦が乱立→大規模な工事とか行われない→後の人「中世だせぇwww」 きっとこうだ。
232 :
世界@名無史さん :2010/09/21(火) 19:38:43 0
なんか中世のパツキンお姫様の体臭が臭かったとか思いたくないんだよね。 風呂に入らない日でも侍女に体拭かせていたとか思いたい。
いや、体は拭くし水浴びくらいならするよ? なんにもしないと本当に垢ダルマになるから
現代日本人が中世へ行ったら、そりゃ臭いだろうな けどそれは日本人が異常に無臭に拘るからで、 あちらの感覚では体臭は人間の当然の匂いであって臭いものではない 香水も臭いをごまかすものではなく、体臭とブレンドして香りを演出するためのもの
>>232 むしろその臭いがたまらんのだよ。
中世ではないけど、ナポレオンが戦地から妻に、
「もうすぐかえるから体を洗わずに、特に大事な所は絶対に洗わず待っとけ」
的な手紙をだしていたというのは結構有名。
>>234 前半は正しいけど、後半は極論
やはりある程度をこえると不快というのはあり、
>香水も臭いをごまかすものではなく、体臭とブレンドして香りを演出するためのもの
後者の要素もあるだろうけど、当然前者の要素もある
だから垢ダルマになったのは近世だっての
>>190 パンテオンは近代だろ。ごてごてゴシック建築と比べれば豪華さに欠けるが見劣りするほどのものか?
>>208 キリスト教がもたらしたものでもなくて、韃靼人がもたらしたものだけれどな。
手は一日五回ぐらい洗っていたそうだ。 顔や足もよく洗う。
>>238 wikipediaから引用。
「2代目のパンテオンは118年から128年に掛けて、ローマ皇帝ハドリアヌスによって再建された。
現在、ローマで見ることが出来るのはこの再建されたパンテオンであるが、」
そもそも大理石と列柱に至美を見出だす古代地中海と現代じゃ美意識が違う ギリシャ人やローマ人がゴシック建築見ても、暑苦しいとしか思わないだろ 閉鎖構造もキリスト教教会からの造りだしな
美意識どうこう以前に古代は技術がしょぼいんだよ 特に冶金技術の差が決定的だから 細かい武器や機械仕掛けなものにどうしても不利で 大雑把なものしか作れない ローマのドンくさい鎧と中世の鎖帷子比べればよくわかる
また妄想かよ
>>195 >技術のベクトルが違うものを、上とか下とか一概にいうのもおかしな言い方だな。
だから一概に中世が劣っていたとか言う奴もおかしいって事じゃね?
まぁ細かいこと言い出すと、中世ヨーロッパって 中世でひとくくりにするのも無茶なら、ヨーロッパでひとくくりにするのも無茶なんだよな。 沿岸部と内陸部では交易のしやすさが違うから、都市の形態も変わってくるし。
250 :
世界@名無史さん :2010/09/22(水) 13:53:35 0
ローマ最強 ローマの技術は近世と同レベルw
反応してる時点でお前もアウトだろ これがローマの現実
>>279 画像はセグメンタータ
柔らかく弾性の強い板金によって軽さと耐久を兼ね備えた鎧で、
単なる重装鎧とは思想からして違う
中世騎士のように普段は従者2,3人に武具を担がせるのと違って、
ローマ軍は各自が装備を持っていく仕組みであり、
また広大な帝国領内を移動する必要のため行軍の機動性を重視した装備になっている
ちなみにローマ時代にも鎖帷子はちゃんとあって、ロリカスクアマタとかロリカハマタとか言われる
それと、中世のその手の甲冑というのは現代で言えば戦車並の超高級装備で、 数十万と居たローマ兵の標準装備とするのは現実的ではない 中世でも、大諸侯が所領の経営を傾ける勢いで金を搾り出してようやく 数百から数千人分が用意できるかどうかといったところ
なるほど〜 プロの傭兵と市民兵の装備を比較して、何かを証明できると思うなんてどうかしてますな。
セグメンタータは五賢帝の時代から登場した装備で、その頃のローマ兵は市民兵ではなく職業軍人だが どっちにしろ万単位の兵が着るには高すぎるには違いないな 中世も後期になると質より量の時代となり、装備は貧弱でも頭数は揃えられる軽歩兵が幅を利かせるようになる
ローマの兵力動員ってなんかナポレオン以降と近い感じだな。 やっぱ中世って暗黒なのかw
暗黒は少し言い過ぎかもしれない 薄暮とか黄昏ぐらいで
なるほどね。 じゃあお昼寝で
>>257 けど、市民兵時代のローマ兵の在り方は「市民」と言いながらも中世騎士のほうに近い
装備を自前で調達できる裕福な市民が重装歩兵や騎兵として参戦する義務を負った
力のある人間が国防を担い民を守るというのは、自然な発想なんだろう
これが市民兵から常設の国軍になり、装備調達も国庫が負うようになると
兵士のメイン階級は下層へ移る
ナポレオンの国民皆兵を髣髴とさせるな
>>259 いいな、中世お昼寝期。
いっきにイメージが明るくなったw
民も王侯もただ神を信じ、俗世のことは教皇司教の指示に従い対処すればいい というのが教皇庁の示す中世の在るべき秩序で、 現に叙任権闘争のような問題が表面化するまでカトリック圏はおおむねその通りだったから、 中世は妄信の睡みの中にあったというのはよく言われる表現
>>253 .254
じゃなんだ当時のローマの技術力でも中世の騎士と同じような装備ができたとでも言うわけか?
無茶いうなよ古代の冶金技術は未熟で鉄が折れやすいから
グラディエイターが使うような刀身の太い短剣しか作れないんだぜ
そんなしょぼい冶金技術で高度な武器作れるわけないだろ
しかも上に出てくるイスラムも中世騎士も鎖帷子だけで動きやすい軽装なんだが
さらに装備もてる市民は限られるっていうなら
中世の騎士と変わんねーじゃん
グラディウスは近接用のサブウェポンとしての実用性を突き詰めた結果だアホ 長剣ならはるか以前からある
中世ローマへの偏見 対 古代ローマへの偏見スレ
古代から中世にかけて冶金技術が進歩したという脳内設定にあわせて無茶苦茶言いやがるな 残念ながら、製鉄の方法は全く変わってない 炉の形状が少々変わって生産性が向上したくらいだ
>>262 叙任権闘争以前は俗権の方が強かったんだがな
思いつきで語ってねーか
教会権力の絶頂期は12.3世紀で商業、農業、文化の大発展期だぜ
叙任権闘争以前の10世紀以前はバイキングや遊牧民の侵入、封建領主はやりたい放題でメチャクチャな状態だぜ
教会の一存による専制支配なんてそんな統制のとれた組織的な社会は存在しない
そもそも教会も有力者に取り入ってた立場だからな
教会は全ヨーロッパにネットワークをはって情報もってたから有力者にとっても便利だった
立場的にいえば皇帝や王権の方が教皇より強かったね
>>266 じゃなぜ旋盤技術は中世に誕生したんだよ
旋盤って機械部品の工作に使うんだぞ、知ってるか? 剣や鎧のどこに使うってんだ
旋盤技術がある=冶金技術の発達=武器の向上 当然だろ、精巧なものを作れるようになってんだからな
製鉄と金属加工や金属細工の区別がついてないな、話にならん
272 :
世界@名無史さん :2010/09/22(水) 22:19:43 0
>>268 >じゃなぜ旋盤技術は中世に誕生したんだよ
旋盤が誕生したのは紀元前のエジプトだぞw
ダマスカス鋼みたいなファンタジーは別にしても、 直接製鉄では原理的に強度に大きな差は出ない 革新的な進歩が起こるのは近代を待たなければならない もしくは日本刀みたいに何枚も鉄板を重ねるか
>>272 グラディウス導入以前のローマ軍の正規装備は長剣です
>>271 じゃ具体的に説明してくれよ無知な俺に
機械時計や大砲は13世紀あたりに作られたけど
冶金技術の発展は製鉄、金属加工、金属細工
全くお互い関係なく発展するわけか?
長剣なんてガリア人さえ使ってるようなもんだから 別に自慢するようなもんじゃない
>>276 そうだって言ってるだろ
技術的にまったく別分野だ
彫金技術ではエトルリア人がずば抜けてて オーパーツ並の装飾が残ってたな
>>279 じゃ大砲作る時はどうよ
金属加工と製鉄の技術は絡まるんじゃねーの
ローマ帝國を滅ぼし 中世の暗黒を招いた キリスト狂
>>281 ???
だからなに?
古代から中世で製鉄の原理がほとんど変わってない事実とどう関係があるの?
>>273 旋盤が一般的に使われるのは中世後期からだろうが
水車で古代にもあったが一般的に動力源として使われるようになったのは中世後期からだろ
何を思って、旋盤とか、大砲とか言い出したのかわからんが、 とりあえず旋盤と剣は直接関係ないからな。 もうねれ
>>283 おいおい逃げるなよ
もっと詳しく教えてくれないとな
大砲作る時に関わってくるものって何
製鉄と金属加工を全く関連せずに作られるのか?
>>284 君は「じゃなぜ旋盤技術は中世に誕生したんだよ」って言ったんだぞ?
明らかな事実誤認じゃないの?
>>286 そうだって言ってるだろ
いいか、ここで問題にしてるのは生成される鉄の強度について進歩があったかどうかだ
製鉄に関しては古代、それも紀元前の時点で既に鋼鉄、軟鉄を作り分けるほどに完成してる
大砲にとって必要なのは必要な部分ごとに鋼材を選ぶことだけで、
強度に関する製鉄技術そのものは進歩なんかしちゃいない
>>288 知らなかっただけだよ
けど実際機械類が一般的なったのは中世後期からだからな
13,4世紀辺りから製鉄技術が飛躍的に伸びるんじゃなかったか
伸びてない、終了
お互い、根拠を提示しながら話せばいいんじゃないか?
大砲って青銅で作ってた気が
飛躍的に進歩したのは強度ではなく生産効率 中世末期に発明された木炭高炉によって、増大する砲弾の需要も賄えるようになる
じゃ技術的には日本刀もグラディエイターも変わらんってことか その間になんの技術も発展もないと なんだつまんねーの
砂鉄から生成して錬鉄するやり方でやる以上、強度はさほど変わらんよ 産地によって不純物の比率が変わり、それによって奇跡的に高強度の合金が作られることはあるけど ダマスカス鋼なんかその典型
中世「末期」か、それまではどうしてたんだろ 十字軍の時代に大砲とか銃火器はないよね
砲弾に石を使ってたんだよ 14世紀あたりまでは
もとい、15世紀半ばまでは石弾を使ってた記録があるな
製鉄炉は12世紀頃にも一度進歩してる ドイツは鉄鋼資源の埋蔵量とあわせて、これで中世後期の鉄の一大生産地になってる 鉄と言えばドイツ、フルプレートなんかが作れるようになるのも これで多少製鉄コストが下がったことが関係してるかもね
発明品の質の善し悪しが必ずしも技術の高低につながる訳じゃないでしょう。 積み重ねと必要があっての発明だろ。
結局鉄の大量生産がリッチな装備を可能にしたわけか イスラム側も軽装とはいえ全身鎖帷子で覆われていてリッチだし これって世界的な傾向なのかね
>>302 間違い認めたんだから今さら蒸し返すなよ
嫌な野郎だな
304 :
世界@名無史さん :2010/09/22(水) 23:30:41 0
>>282 つまり、ディオクレティアヌス最強ってことですね
>>276 (1)ガキが背伸びしてわかったようなことを得意げに語る
(2)いろいろつっこまれる
(3)意地になっていろいろ反論
(4)余計つっこまれる
(5)開き直って逆ギレ気味に問い返す ←ここまできましたね
けどローマは長い間青銅製の武具使ってたから 未だにどの程度か疑問はあるがね
>>305 そんなことわざわざ読んでたわけ?
暇だね
>>308 共和制中期?後期のローマ兵は青銅の兜,脛当,青銅製・鉄製の胸当てか,鎖帷子と大盾を装備
帝政期のローマ兵は青銅か鉄の兜,鉄製の板金鎧か鎖帷子と大盾を装備
ローマ時代自体が過渡期なんだな
ブレートアーマー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC >>古代ローマの末期には、可動性においてさらに優れた鎖帷子が登場する。
>>当初は製作にも手間がかかったために、ごく一部の将軍や上級指揮官のみが着用した。
>>しかし、中世において鎖の量産技術が確立したため、以降は鎖帷子が主流となる。
>>古代から中世の鎧は、より動きやすく、より防御面積を増やす形式へと発展していったのである
>>しかし動きやすさよりも防御力が重要視されるようになるのは、十字軍以降である
>>異郷での異教徒との戦いは、欧州内での戦闘よりも遥かに過酷なものであり
>>自らの命を守るためにより安全な甲冑が求められたのである
>>その後、ニュルンベルクやミラノでプレートアーマーは発展していったが、こうした鎧は完全オーダーメイドであることから
>>非常に高価で、身につけられるのは上流階級に位置する貴族、騎士のみであり一種のステータスシンボルでもあった
>>しかし、水力ハンマーや足ふみ研磨機などの工業化が進み、様々な異なるサイズを量産することが出来るようになった。
>>その結果、兵士身分でもプレートアーマーを着ることが出来た
クソ暑い中東にまで鉄板焼きになりに行ったのか
>>310 それで「未だにどの程度か疑問はあるがね」は何を意味してるのか?
>>312 聖地十字軍の頃はプレートアーマーはまだない。
>>241 ノートルダムと比較だから、パリのパンテオンではないの?
>>315 だとしたら
>>238 の勝手な解釈、だと思う。古代と中世を比べる流れの中でパンテオンが出てパリの方と
考えるのは不自然でしょ。
>>190 がどっちのつもりかは本人しか知らないけど。
ゴシック建築で、径40メートルの柱の無いドームなんて無いからなあ。古代のパンテオンの方が技術的に優れてるわな。
柱がないと優れてるってことになんのかね
なる。
つーか前面に柱あるし パンテオンはドーム型だろ ゴシック建築みたいに入り組んだ形なら柱なしで立たないぞ
つーか仮に中世の建築法の方が優れているにしても、 それで中世のあらゆる技術・思想が古代に勝ると言うことにはならんだろ。 なにやらその路線で頑張ってる人間約一名が居るみたいだけど。
極論に走る人間は議論にならんからね
>>321 その柱の並んでる径が約40メートル。その上に乗ってるドーム部分は径40メートルの物が補助の柱に
支えられる事無しに建ってる事になる。
中世のゴシック建築は柱だらけで、屋根の下に直径43メートルの間に障害のない空間なんか作れなかったろ。
だからドームの円蓋の下に柱なんて立たないし ゴシック建築はリブ・ヴォールトという古代にない新しい建築技法で作ってるから 古代人じゃ作れないしな
そもそもパンテオンは構造自体は単純だから 権力が巨大だから巨大なものを作れたってこと 古代のピラミッドと変わらん
http://poyoland.jugem.jp/?page=1&cid=13 実際パンテオンの作り方みるといたってシンプルで莫大なコストのかかる物量作戦だな
それに比べるとフィレンツェ大聖堂はドームの規模はパンテオンより大きく、高さは2倍以上、作り方もずっと低コスト
さらにこの垂直的な高さはゴシック建築のリブ・ヴォールト方式
ドーム作ったブルネレスキは時計職人(機械時計は中世最大の発明の一つ)
一商業都市にすぎないフィレンツェがローマと同様の巨大なドームを作るためには相当技術革新して低コスト化しないと無理だね
329 :
世界@名無史さん :2010/09/24(金) 12:05:08 0
>>328 外形はフィレンツェの方が大きいけれど、内側は狭い。
しかも、フィレンツェのは、五分尖頭形で円蓋ですらない。
シンプルな円蓋ができないから、尖り屋根の内側に丸天井もどきをこさえた
安普請だ。
そもそもゴシック建築はリブ・ヴォールト方式により 天井を安定させ垂直的な高さを実現したもの だから窓を作ってステンドグラスでちりばめることもできる パンテオンとは設計思想からして全然違う
説明読めばわかるがパンテオンは技術的にはシンプルだよ 上部の軽量化と横への圧力のため基礎や横をガッチンガチンに補強するというコテコテの正攻法だからね 作業は半端なく大変だけど アヤ・ソフィアに関していうと最大のドームは、直径はパンテオンの4分の3だが 眼窓がないし円蓋の底部に窓がならんでいて、また複数のドームがある点でいうとパンテオンに負けないね どっちも異常にぶ厚い建物で、古代の強大な皇帝権がないと建てられる代物じゃないわ
>>330 長い棒でも長い板でもいいから、持ってみてごらんよ。
上に向けて真っ直ぐ持つのと、真横に向けて持つのと、どっちが支えているのがしんどいか。
斜めに持つにしていも、高く掲げた方が楽で、低く翳す方がずっと力が要るだろ。
それと同じことだ。円蓋の頂部には大きな力がかかり、設計や施工の精度が問われる。
尖り屋根なら相互に寄っかかる構造で安定、角度が尖っているほど材にかかる力は小さい。
高さを稼いでるもなにも、技術力の落ちた中世では広い空間を作るために屋根を高くせざるを得なかっただけだ。
広い空間作るなら高く作るより低い平屋の方がいいだろw 棒を横にした典型的な建物は平屋だが一番安定してるだろうがw むしろ円方式の方が上からの圧力の重みに強いんだが だから東京ドームは円構造だろ ドーム式構造なんて原始時代からあるっての
つーかローマ人(まぁローマ人に限らず)が見た目の綺麗さのためだけに ドームやアーチ式橋を作ってると思ったら恥ずかしいよな 大体知識なくても円構造の方が圧力に強そうなのは見た目でなんとなくわかるだろ普通
ちなみに、ローマのドームは天井が開いてる 地中海気候ではそれで問題なく、逆に明り取りとして利用したんだな これを塞いだのはキリスト教の台頭以降、バジリカは閉鎖空間でなければならないから 同時に、ドーム頂部の重量のために建造が困難になった 中世後期までは、ごく軽い木造で辛うじて天井を埋めていたものを 全て石造りにできるようになるのはルネサンスを待たなければならない
重量と圧力を減らすためにあけたんだがな
>>中世後期までは、ごく軽い木造で辛うじて天井を埋めていたものを ソースは?ちなみにローマも上部には水に浮かぶような軽い石を使ったって上に書いてあるよね
339 :
世界@名無史さん :2010/09/25(土) 18:38:53 0
おいおいアヤソフィアは天井に穴あいてないぞ
当たり前だろ、キリスト教の聖堂なんだから
中世ヨーロッパといえば板金鎧とか思ってる奴がいまだ多いな 49 名前:世界@名無史さん :2010/09/29(水) 23:27:05 0 モンゴルが強かったのは他の文化を 取り入れまくったせいだろ。 中国の火薬とかイスラムの投石器とか ヨーロッパの甲冑鎧とか そりゃ強いわ
342 :
世界@名無史さん :2010/10/02(土) 18:50:36 0
どっちかってったらプレートより鎖帷子って感じじゃね?
>>1 中世には風呂あったよ
ウィーンのシュトゥーベリンクは風呂屋街のあったところだ
十字軍に参加した負傷した兵士などは湯治を勧められていた
しかし風呂街では飲食街や娼婦街が併設されており
湯を作るのには金がかかるため、風呂屋代も高めだった
金を使い果たす者も少なくなかったらしい
近世に入り持ち込まれた梅毒で打撃を受け、16世紀に入ると衰退した
(同時期に江戸に初の風呂屋ができた)
風呂屋街は衰退したが、今度は老若男女問わずドナウ川で沐浴する者が出始めるとともに
それを覗くデバ亀も現れ、溺死する者も少なくなく、当局は幾度か禁止令を出したが、効果なかった
18世紀には当局は折れて沐浴場を設置した
ヨーロッパ人て冷たい水を浴びるのが好きなんではないの? 気温12・3度くらいしかないのに、川とか湖とか入って水遊びしてるし、 アメリカのディズニーランドのアトラクションとか水のあるヤツはぬれ放題だが 苦情が出たりしないそうだし、モスクワなんか冬至祭で鋸まで使って氷結した 川に飛び込んでるし。
>>295 鋼鉄の強度は、マルテンサイト変態とか言われる相変異によるので不純物は別の話。
官営八幡製鉄所の鉄が、マンガンが不純物として入る関係で、輸入したくず鉄に溶融させていたので、そっちと混ざったのかしらん。
>>344 ヨーロッパ人と言っても広い範囲にいるのだが。
アンダルシアあたりなら冷たい水に入るのも快適だろうが、ラップランドにいたらあまり楽しくないだろう。
モスクワの祭りの例を出すのなら、スペインではトマトを投げるのが好きと言っているようではないか。
フィンランド人は冬に湖に飛び込むのは大好きじゃないか
それはサウナの後の水風呂としてじゃないのか?
氷がはってて痛いんじゃないだろうか
350 :
世界@名無史さん :2010/10/03(日) 11:43:06 0
だから中世とかヨーロッパとかを一元的に語ろうとするのが大間違いだろ。 >入浴の習慣が皆無 これは中世のある時期に限られた範囲で事実。つまり偏見ではない。終了。
勇者じゃのう
フィンランド人は我慢比べ的なものが結構好きだよ 逆に犯罪で、我慢して我慢してついに切れちゃったみたいなのも多い
水なしでサウナに何時間いられるかとか 酒たらふく飲んでオシッコ我慢大会とか どうせ白夜でヒマなんで何日間寝ないでいられるかとか そういう感じ?
355 :
世界@名無史さん :2010/10/03(日) 16:01:24 0
白人の耐寒能力を我々日本人と一緒にしてはいかん。 彼らは明らかに寒地適応人種。実際、汗腺の数とかが黒人、アジア人と比べて一番少ない し、体格も大型化している。 日本人がセーター着込んで登るような高山に半袖短パンの白人がトレッキングしてたとか、 その手の目撃談は観光地ではざらにある(当方、北海道在住)。 ヨーロッパに出張した人の話では部屋の気温が18℃以下の設定で、クーラー効き過ぎでかなり 寒かったが、みんな半袖一枚だったとか。一方、日本から行った人間は全員長袖でないと耐え きれなかったそうだ(長袖でも寒かったとか)
いやエスキモーが一番だろう
何しろゲルマン民族が裸で暮らしてる事は古代ローマのタキトゥスも「ゲルマニア」に書き残してるからな。
今年のサウナ我慢大会では死者が出たな・・・死んだのはロシア人だが おしっこ我慢大会はアメリカで行われてやっぱり死者が出たな 「Wiiの為におしっこ(Weeを我慢できるか)」と言う駄洒落な名前の大会だった フィンランドの我慢大会といえば 「車内泊我慢大会」52日間15時間で23歳の女性が優勝 いやむしろ我慢大会より変な大会の国フィンランド 「48時間耐久オウル氷上穴釣りマラソン」「アヴァント(氷穴)水泳世界大会」ここらは我慢大会っぽい 「蚊叩き世界大会」「蟻塚座り世界」ここらは間違った方向に我慢してる気がする 「国際雪合戦大会」「アクア・ジョギング(水中走)世界大会」「携帯電話投げ世界大会」 「奥様運び世界大会」「泥んこサッカー世界大会」「泥バレーボール世界大会」 「国際雪合戦大会」「ゴム長靴投げ世界大会」「ベリー詰み世界大会」 世の中には知らない方が良い世界もある
359 :
世界@名無史さん :2010/10/03(日) 18:17:26 0
>>355 白人コーカソイドが寒冷地適応というのは俗説です。
本来、乾地適応した人種です。
確かにコーカソイドは高緯度地域に住んでますが、インドやアラブにもコーカソイドは住んでいます。
大型化を指摘されてましたが、ベルクマンの法則によれば、
体表面積を減らしたいなら手足はもっと短く、顔はより扁平であるはずです。
つまり、大型化を寒冷地適応の根拠にするのは無理があります。
白人が大柄なのは食生活が原因だと考えるのが自然です。
ちなみに、寒冷地適応はモンゴロイドだというのが一般的理解です。
>>350 >>入浴の習慣が皆無
>これは中世のある時期に限られた範囲で事実。つまり偏見ではない。終了。
いつ頃ですか? 黒死病直後?
例外が存在する事と、それが全体に共通する要素との区別ができない奴をつつくとすぐに荒らし始めるぞ
>>359 地中海人種やアラビア系のコーカソイドはゲルマン系よりずっと小さい
というか、ゲルマン人が異常にでかい
Aは絶対Bなのだ、オレは知ってる と断言する人を突っつく時はリスクを覚悟しろということですね、わかります。
ゲルマン人は古代からでけーのが、他種族とその差が一向に埋まらないもんなあ フランス人なんかいまだに小さいってのに
365 :
エビちゃん親衛隊 :2010/10/03(日) 21:26:08 0
古代・中世ではガタイがデカいゲルマン・スラブ人が 自分達よりちっこい地中海人種に捕らえられて売り飛ばされ、 スラブ人が自分達よりちっこいモンゴロイドに支配されていた世界史の謎 かつてユーラシアでは、巨人が小人に捕らえられていたのだ。
366 :
世界@名無史さん :2010/10/03(日) 22:09:48 0
モンゴルはあとでおそロシアに散々な目にあわされたけどな
北欧の人たちの、あの手足のひょろ長さは、異形の域に入る直前だと思う。 あれはどういう進化なんだろうなぁ。
>>365 スラブ人はあんまし大きくないような……
あの手足のひょろ長さは放熱のための進化らしい
寒冷地の厚着に対応した進化だろ。 手足が短いと、着膨れしたときに身動きとれないし。
北欧やロシアの寒中水泳は、気温より水温のほうが高いからって聞いたことがあるが
>>372 そりゃさー、流れてる水は、真水なら0度、海水は氷点下3度くらいまでだから、
気温よりは温度が高いけれどよー、熱伝導率とかあるじゃん。
裸で風に吹かれるよりは水中の方が暖かいというのと、 暖かい屋内から出てわざわざ寒中水泳するというのでは違うわな
んでヨーロッパで入浴の習慣が皆無だったのはいつ頃?
16世紀後半から17世紀ぐらいじゃね ペストで下火になって16世紀の梅毒の流行でトドメさされたから
379 :
世界@名無史さん :2010/10/04(月) 19:45:08 O
中世盛時にはすでにイスラムと互角 中世後期はイスラムより文化、科学の点で優位に立っていた
でも、ルネサンスの頃でもイスラムの医学、科学、天文学などへの憧憬は残っていたよね。
残ってねーよ
アヴィケンナもアベロエスもアルハゼンもフワーリズミーも12世紀の時点でとっくに取り入れてる とっくに取り入れたものになんで憧れる必要があるんだ だいたいルネサンスの頃は中世のアラビア語訳からギリシャ語原典訳に大体的に変更する時期だし 「アラビア語はもういらん」って時代
中世のシチリア王国はキリスト教の王が支配するイスラム文化の国
つーかルネサンスより宗教戦争が一段落した17世紀後半以降の方が東洋趣味は盛んだよ チューリップ、コーヒー、ベリー・ダンス、ハーレム、少年愛
>>384 少年愛は、ローマ時代以前から盛んだったろ。
386 :
世界@名無史さん :2010/10/05(火) 08:36:45 O
ハーレムはあこがれたが、昔から女王や女帝がいるようなお国柄じゃあ無理じゃね?
キリスト教の戒律のため正妻が一人しか持てないだけで お盛んな人は公然と愛妾とか囲って庶子とか作りまくってますよ。
>>377 知ってる範囲だと、ヘンリー8世やエリザベス女王の時代のイギリスでは
ウィンザー城やハンプトンコートやホワイトホールに豪華な浴室があった
入浴が皆無とまではいえないんじゃ?
というかまあ近世なんだけど
北欧やロシアではその辺の村でもサウナ小屋建ってたし
地域によっても差があるんだろうな
>>385 中世の頃は禁忌で、イスラムみたいに男性売春宿などない
実際には修道院などで問題が起こったらしいが、共通してんのは女性に接する機会が少ないところ
>>387 とはいえ後宮みたいなものは存在しないし、正妻以外の子は後継げなかったからな
だからよく断絶する
つーかハーレムも少年愛もあくまで知識として入ってきただけで実際にやるにはイスラム圏行かないと無理
あくまで絵画などに反映されただけだよ
>>387 ローマ教皇やカトリック高位者が作った子供を
実家の兄弟の子供とした例もあるらしいしな
その程度ならなれるだろうが王家の後継ぎは妾の子じゃ絶対なれんよ
>>389 サウナ小屋が純然たるサウナ小屋になるのは、それこそ、近代以降なんだけど。
もともとは燻製小屋で、燻製を作ったあと熾きを燃やしての余熱で一汗、というのものが起源だ。
>>391 中世の頃は風紀が乱れまくっていて、そこらの宿屋でなんぼでも男だって買えた。
結構、甥ッ子だの、産褥死だの、あったからね。
王妃は隣国のお姫様で、子が無いからと庶子を後継にしようとすると戦争になったりするものだから、
タイミングよくあの世に行ってもらうわけだよ。
>>394 北欧は知らんがロシアではキエフ公国時代の年代記にも
すでにバーニャについて書かれてるぞ。
メジャー国で庶子で王になったやつなんていたっけ? チェーザレ・ボルジアは王でもなんでもないし
まあ、そもそも中世ヨーロッパの王権は選挙王制が基本なんだが。 もちろん血統は重要なポイントではあったが。 東フランク王アルヌルフとかもいるわな。
ロシアをキリスト教に改宗させたウラジーミル大公も 内戦で勝ち抜いて即位する前は奴隷の子と蔑まれたそうで
>>399 それを言ったら、徳川時代の将軍も、選挙だわな。
関が原の総大将に選ばれたのも選挙、征夷大将軍・内大臣宣下も選挙、家光を三代目に選んだのも選挙だな。
有権者が偏ってたり一人一票でなかったりするけれど。
>>399 基本ではないし、時代や地方により非常に大きな差があるよ
同じ時代でも西フランクの後継と東フランクの後継じゃ雲泥の差だろう
↓こういうの見るとやはり中世より近世のイメージが流布してるような
267 :世界@名無史さん:2010/10/05(火) 05:33:39 0
>>265 騎士道精神にそんな条項ないが、お前の妄想か?
宗教戦争で殺し合い農奴から重税を搾取し冤罪だらけの魔女狩り、それが中世欧州の歴史だ
一般庶民の生活はフランス革命の頃まで中世と大して変わらんかったから 17世紀も中世でOK
>>403 それはあるね。
どういうわけか、中世というと近世の社会をイメージするケースが多い。
じゃあ古代をイメージしたら中世っぽくなるのかというと、
これは普通にローマだったり、ヘレニズムだったりと、古代のイメージ。
中世のイメージだけすっぽり抜けちゃっているのは、さすが暗黒期w
存在自体がよく見えない時代なんだぜw
>>405 以前ニコ動で「中世の戦争」みたいなタイトルの動画を観たら
「グラディエーター」や「トロイ」の戦闘シーンまで入っていた。
普通に古代と区別がついてない奴もいるらしい。
407 :
世界@名無史さん :2010/10/06(水) 17:11:23 O
>>404 ラノベとか漫画でも完全に中世と近世
ごっちゃになってるしな。
408 :
世界@名無史さん :2010/10/06(水) 17:34:44 0
そんなもん読む方がバカだ
一般的な王様のイメージが絶対王政なところが歪みの源だと思うん
それはあるかも。 あと中世って、なんか泥臭いというか、田舎くさいというか、洗練されていないというか ドラマティックさに欠けるイメージがあって、フィクションの題材として向かないんだろう。 やっぱ中央集権社会が構築されてからの方が、ドラマティックな感じがするというか。 一方で、それを近世と銘打ってしまうと、なんか近代とごっちゃになる感じがする。 ……って、アレ? これ中世の問題じゃなくて、近世と近代が名前的にややこしいせいじゃね?
>あと中世って、なんか泥臭いというか、田舎くさいというか、洗練されていないというか >ドラマティックさに欠けるイメージがあって、フィクションの題材として向かないんだろう。 逆に外国映画なんかで「中世」っていう部分を強調したいときは そういう泥臭さを前面に出してるような。
フランス王と言うよりパリ伯だからブルゴーニュ公の方が強い なんて事があるのが中世だからな。 国で王様が一番強いという単純な構造を想像すると近世社会になってしまう。
そこが中世の面白さなんだがな
近世でも、ドイツ圏で最大規模の軍事力を身の回りに集積しながら 結局皇帝の威光に負けて破滅したヴェレンシュタインとか逆の意味で面白いけどね
>>412 エンペラーや摂政・関白よりも、内大臣兼将軍のがずっと権勢家だった、日本のようなところもあるし……
>>412 そもそも一般の人が持つ国とか王という言葉のイメージが
中世に合ってないからな
>>391 少年売春について情報がなかったかどうか「中世の裏社会」
を読み返してみたが、「聖ベルナルディーノが噂に聞いた」
程度の話しかなかった。
ちなみにその噂は
「「頬を染め、自分の男色を言い触らし、金銭のためにそれを行う」
よこしまな少年(彼らにとって「へそまでしか届かない上衣を作ることは
大罪であり、前と後ろに小さな布切れをつけるだけで自分のはだかを見せ、
男色者であることを示す者たち」)」
だそうである。
少年売春はイスラム程おおぴらっじゃないけどな イスラムは少年売春に関する文献多すぎ
イスラム文学に男色は避けて通れないテーマだし 中世から近世にかけてイスラム圏は男色に関して質量ともに世界最先進地域だな
>へそまでしか届かない上衣を作ることは >大罪であり、前と後ろに小さな布切れをつけるだけで自分のはだかを見せ、 >男色者であることを示す者たち 退廃が進んでるなw
グレートウォリアーズ・欲望の剣って映画おもしろかったな 中世ヨーロッパのノスタルジーな世界観好きだ。
422 :
世界@名無史さん :2010/10/09(土) 07:58:59 O
イスラムというと、ハーレムや奴隷制が最強だった 以外に中世ではヨーロッパは奴隷はほとんどなかった
キリスト教徒の奴隷は禁止されてたからな。黒人奴隷が少々って所だろ。 ただ、イタリアの海洋都市国家はイスラムとの奴隷の仲介貿易で大儲け してたが
424 :
世界@名無史さん :2010/10/09(土) 12:13:07 0
奴隷はないけど農奴ってもんがあったような
農奴と奴隷って比較する対象か
似たようなもんだな
現代のワープアだって農奴みたいなものというかそれ以下
私有財産が認めらてるからその点で違うな そもそもserfdom=農奴って訳が適切じゃない 従属農民ぐらいが適当
ヨーロッパの歴史って知れば知るほど血みどろの争いに争いを兼ねた歴史だったんだな・・・
430 :
世界@名無史さん :2010/10/09(土) 13:50:45 O
血みどろって程じゃなくね? 日本でいう室町中期頃の状況がずっと続いた感じか?
王朝が変わるたびに人口が半減する中国に比べたら大したことないけど
432 :
世界@名無史さん :2010/10/09(土) 14:03:32 0
>>431 中国の場合、実際に人口が半減しているわけじゃなくて、
新王朝が課税対象の戸籍を再把握するのに時間がかかってるだけだから。
日本じゃ王朝交代が無かったからそういうのが理解しにくいけど。
433 :
世界@名無史さん :2010/10/09(土) 14:07:22 O
中国の虐殺は実はひどいんだよな 人口半減は実際のところで、戸籍上8割減とかざら
いや半減してるケース絶対あるよ 三国時代とモンゴル襲来時の華北
三国時代は戸籍が最盛期の10分の一になってる 実際には半減かそれ以上だろうが、 当時の記録でも「人が全然いなくなった」とかあるからな
436 :
世界@名無史さん :2010/10/09(土) 14:14:05 0
>>433 ははは、そりゃ誤解だよ。
王朝が変わるごとにそんなに死んでいたら、
中国は今みたいな人口大国にはならないね。
ぶっちゃけ中国の歴代政府は民の人口を
全部把握しきれたことがない。
現代でさえ実際は公式統計より1億多いとか
言われてるし。
>>423 >キリスト教徒の奴隷は禁止されてたからな。黒人奴隷が少々って所だろ。
中世後期にはヴェネチアやジェノヴァの商人がギリシャ人等の東方正教徒を
奴隷として売買していて、教皇庁に抗議されたりしている。
カタロニア傭兵団がビザンツ帝国を荒らし回ったときは、各地で得た捕虜を
ヴェネチアの勢力圏のネグロポンテ辺りから売り飛ばしまくった。
ジェノヴァ人はクリミアの植民地を拠点に奴隷狩りまでやっていたらしく、
イタリアに輸送された奴隷には当時あの辺を支配していたタタール人まで
多く含まれていた。
三国時代で人口希薄地帯ができて 異民族が漢族の地に大量移住して5胡16国の原因になったともいわれてるな
中世後期のレヴァントにはロードス島を拠点としたホスピタル騎士団の 海賊船も活動していたが、捕虜の扱いは イスラム教徒・・・成人男性は全員処刑、女子供は奴隷化 ギリシャ正教徒・・・全員奴隷化 だったそうだ。
そういえばスラブ人も奴隷化してたな ただそれでも西洋の場合奴隷は少なかったけどね スラブ人もイスラム圏に売るための商品だしな
441 :
世界@名無史さん :2010/10/09(土) 14:54:27 0
日本では、例えば戦国時代、捕虜を奴隷にするって事がなかったのかな?
>>440 こんなのがあった。
人のねだん
ttp://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/A008.htm ● ヨーロッパ 14世紀
14世紀後半、イタリアの商人ダティーニさんが購入した奴隷:
○タタール人の少年アントネット 47 フィオリーノ
○10または12歳の少女 50 ドゥカート(+物品税5ドゥカート)
○大人の女バルトロメア 47 フィオリーノ
○大人の女ジョヴァンナ 60 フィオリーノ
フィオリーノはフィレンツの金貨、ドゥカートはヴェネチアの金貨で共に3.53gの純金。 このころの女中さんの給料は年10〜12フィオリーノだったので、奴隷を買っても5〜6年で元がとれたらしいです。
このころの奴隷にはスラブ人が多く、スラブ(Slav)は奴隷(Slave)の語源になっています。
イタリアでは結構奴隷が普通だったんかね
444 :
世界@名無史さん :2010/10/09(土) 15:44:15 0
こうみると奴隷って単なる労働力のスカウト制度にも見えなくないな。 現在のガイジンの非正規雇用となんら変わらん。
445 :
世界@名無史さん :2010/10/09(土) 15:57:17 O
>>439 イスラームって今でこそキリスト教に弾圧された犠牲者みたいな顔してるけど、
実際残虐さではキリスト教に負けてないよな。
>>440 >>442 やはり美女に定評があったから奴隷商売が繁盛したのかな?>所謂色白金髪蒼眼のスラブ女
ブスだったら商売が成り立たないわけで需要もないわけだよね?
北欧女が奴隷として高値がつかなかったのかな・・・
>>443 これは奴隷狩り業者から購入した時の価格で、これをさらにイスラム圏に売る
女奴隷は家庭内労働力かハーレム行きが主な用途で、高値がついてるのは当然上玉
449 :
世界@名無史さん :2010/10/09(土) 18:21:10 0
>>447 アルジェの奴隷社会や、モロッコの奴隷王なんかとんでもないからな
アメリカ奴隷制度がかわいく見えるぐらいだ
外圧で武力により制圧されるまで奴隷制は捨てなかった
>>488 やっぱり中世ヨーロッパじゃあ奴隷は売れないんかね?
イスラム圏は奴隷社会にどっぷりつかってるな
例えば、貴族やなんかの家付きで代々使われている召使いなんかは見方によっては奴隷なんだが、 異民族異教徒を買ってきてこれにするというようなことは西欧ではやらなかったな 同じ神を信じるものを奴隷にしてはならない、というのはキリスト教もイスラム教も同じだが、 異教徒を嫌って側にも置きたくない、という感覚は西欧のほうが強いから、これも関係はあると思う イタリアの金持ちなんかは奴隷を使ったりもしたけど、 これは自分のとこで扱ってる商品をちょっと自分の家にも飾ってみる、程度のものでしかなかった
>>450 イスラム教徒は「異教徒を嫌って側にも置きたくない、という感覚」は
少なくともキリスト教徒に比べてあんまりなかったってことかな。
当時のイスラム教徒は、寛容というより無頓着なのかも知れない。
中東は金があるけど慢性的に人手不足だったてのもあるんじゃないか とくに砂漠地帯なんて
453 :
世界@名無史さん :2010/10/09(土) 21:07:23 0
>>451 異教徒は虐殺して奴隷扱いするのがイスラム
異教徒はただ単に追放するのが中世欧州ってことか
そうでもない 虐殺ぶりで言えば、中世西欧純粋培養の十字軍はイスラム真っ青の暴れようだったし、 ビザンチンから切り取った小アジアなんかは、イスラム圏と言っても実体はキリスト教徒のほうが多いくらい 基本的には双方共存する気なんかない、いなくなってくれればそれに越したことはないが 様々な状況がそれを許さず、それぞれの環境が互いに対する接し方を決めているような感じ
「ヨーロッパ文明の源流」のギリシャローマが奴隷制度で成り立ってたのに ヨーロッパにそれ程拒否感は無いだろう。 ただ中世のヨーロッパは後進国で奴隷を輸出する側だっただけ。 軍事力をつけたらすぐにアフリカやアジアで奴隷を買う側になった。
少年十字軍もキリスト教徒によるキリスト教徒の奴隷売買の一つだろうな。 キリスト教徒はキリスト教徒をイスラム教徒に売り、代わりに東方の贅沢品を手に入れていた。
けど十字軍の時、イスラム教徒は腹いせに現地のキリスト教徒迫害しまくった おかげでマグレブのキリスト教団は絶滅したらしいな コプト教徒涙目
>>455 新大陸の労働力確保のためだろ
ヨーロッパに奴隷はほとんどつれて来なかった
中世ヨーロッパでも12世紀の頃にはもうイスラムと大差ないからな
12世紀でヨーロッパとイスラムじゃまだ差は大きい 追いつくのは16世紀か17世紀くらいじゃないか?
>>458 ヨーロッパには奴隷並の下層白人がごろごろしてたからな
そういう奴らも徐々に新大陸に流れていくわけだが
またオスマン厨か
16〜17世紀とか言ってのは もしかしてペルシャの人ですか?
ギリシア以来アジアがヨーロッパに勝った事などないのに
>>463 誰某
ブローデルも読んだ事がないんだろうな
>>442 お題:
ジョヴァンナとバルトロメアの値段の差の理由をなるべくたくさん考えて挙げよ
中世に魔女狩りが起こってたイメージって 日本で村八分は江戸時代に起こっていたイメージに似た何かを感じるよな。 実際はその末期から、次の時代にかけて行われていたわけだけれど。
>>467 そもそも何が教義として正しいか分かってないと
魔女かどうか識別のしようがないんだよね。
カタリ派みたいに極端なのだと別だが、個別の家で行われてる民間治療が
教義に照らしてどうかという知識を持ってる人自体が少なかったろう。
>>448 >これは奴隷狩り業者から購入した時の価格で、これをさらにイスラム圏に売る
ジェノヴァやフィレンツェではそのまま家内奴隷として使用していた。
たまにたちの悪い奴隷主もいたらしく、ジェノヴァでは奴隷に売春をさせる
ことにたいする禁令まで出ている。
ヴェネチアや他の都市でも同様だったのではないか?
マルコ・ポーロか誰かの生家にクマン人の奴隷がいたとか何かで読んだが。
>>453 >異教徒は虐殺して奴隷扱いするのがイスラム
>教徒はただ単に追放するのが中世欧州ってことか
>>439 のホスピタル騎士団のような例もあるが、プロイセンのドイツ騎士団は
キリスト教布教の名目でバルト海東部の多神教徒と戦っていたが、捕虜にした
異教徒は虐殺するか奴隷にするのが普通だった。
>>447 >やはり美女に定評があったから奴隷商売が繁盛したのかな?>所謂色白金髪蒼眼のスラブ女
アンダルシアのイスラム王朝あたりではスラヴ人奴隷は兵士としてよく使われていた。
群雄割拠のタイファ時代になると地方の支配者になるスラヴ奴隷軍人まで出てくる。
なんでイスラムは奴隷を軍人にするんだろ スイス傭兵みたいなもんか? 比較的主人に忠実とか
イスラム王朝だと軍事力は遊牧部族兵や軍事貴族が中心で 君主がそういう連中に対抗するには辺境の蛮族を買ってきて 忠実でよく訓練された部隊を作ることが多かった。 欧州や中国や日本のような定住民の余剰人口が多いところでは 傭兵、雑兵から常備軍へという流れが多いけど。
ヨーロッパのスイス辺りの山岳地帯に日本並の温泉地帯がたくさんあったら ヨーロッパ人は日本人みたいに風呂好きになった?乾燥してても寒いから冬になれば入るかも?
ヨーロッパでも温泉の出る所は何処もスパリゾートとして流行ってるんじゃね。
476 :
世界@名無史さん :2010/10/10(日) 18:41:26 0
>>472 親も子もない人間には忠誠を誓う相手がいないからな。
477 :
世界@名無史さん :2010/10/10(日) 21:11:50 0
イギリスにローマンバスがいまだにあるが、中世はどうだったんだろ
478 :
世界@名無史さん :2010/10/10(日) 21:34:11 O
1520年ドイツのマルティン・ルターは法王庁の贖宥状の販売に抗議 それを原因として、やがてブロテスタントが誕生する。 しかし法王庁はブロテスタント弾圧に乗り出し1529年・帝国会議はブロテスタントの弾圧を支持、時の皇帝カール五世はブロテスタント弾圧に動き出す。 まさにその時、帝国の首都ウィーンにオスマン・トルコが攻めよせて来た。 皇帝は直ちにブロテスタントと和解、オスマン・トルコとの戦いに入った。 これは、はたして偶然だろうか? 時のトルコ皇帝は、オスマン・トルコ史上最高の名君とされるスレイマン大帝 彼はヨーロッパのキリスト教勢力を分断するために、あえてまさにこの時を狙ってウィーンを攻撃したのではないだろうか? だとしたらブロテスタントにとってオスマン・トルコは命の恩人だ。 オスマン・トルコがウィーンを攻めなければブロテスタントは初期の段階で潰されていたろう。
479 :
世界@名無史さん :2010/10/10(日) 21:37:02 O
>478 皆さんどう思いますか? 反対意見を含めてご意見をお聞かせ下さい。 ただし論理的な理由を添えて
「ブ」ロテスタントって何ですか?
恩人も何も単に裏で手を組んでただけだろ それもカール5の敵対するプロテスタント側とではなく 表面上カール5と味方であるはずのカトリック勢力からもちかけられて。 ドロドロやね
基本的に戦争後にキリスト教徒奴隷を解放したってのが多いよな レパントなんかそうだ モハーチやコソヴォではその逆はなかったな
485 :
エビちゃん親衛隊 :2010/10/11(月) 11:48:18 0
>>1 ・魔女狩りや異端審問
14世紀〜18世紀まで、つまり近代の直前まであった。
魔女狩り・異端審問の全盛期は中世の中でも一番近代に近い時代になる。
1000年以上続いた時代なので、一つの時代として捉える事には無理があるし、
4期くらいに分けないといかんだろう。
ローマ帝国崩壊直後と近代直前では、もう全ての前提自体が変わってしまっている。
最末期になると大戦争はあっても、もう新たな遊牧民族の移動というのはない訳で、
民族の境界線が近代並みに固定してきているから、
それだけでも古代に近い時代とは全然違う。
一つの時代としての中世はない。
古中世、中中世、近中世、亜近世という風に分けるべきだろう。
486 :
世界@名無史さん :2010/10/11(月) 12:31:02 0
中世はイスラムより後進国だったとのことだが いつごろまでのことだろう。 近中世のころにはもう互角だったわけ?
>>485 一応こういう区分があるみたい。
【初期 Early 5-10c】
【盛期 High 11-13c】
【後期 Last 14-15c】
中世ヨーロッパの暮らしスレにもうちょい細かいのがあったと思うが
(確か初期が更に二つに分かれてたと思う)
誰か過去ログ持ってないのかな。
>>486 そういうのはジャンルによるとしか言いようがない。
経済的な豊かさはどうだか知らんが
(一説によると古代ローマの水準に追いついたのが18世紀とか)
医療は少なくとも十字軍くらいまでイスラム世界の方が上だったろうし
軍事なんかヨーロッパで常備軍整備が本格的に始まったのは
17世紀になってからだし。
古代・中世は常備軍がある方が強いとは限らんけどね
>最末期になると大戦争はあっても、もう新たな遊牧民族の移動というのはない訳で、 カルムイク人とか17世紀になってから西進してますけど
490 :
世界@名無史さん :2010/10/11(月) 15:10:35 0
>>487 中世盛時でイスラムより優れていた分野ってあるの?
軍事力ぐらい?
優れてるわけでもないが格別劣ってるわけでもないな イスラムの知識は中世盛時でのきなみ取り入れてるし
劣ってたら征服されてるだろうしな。
>>492 イベリア半島とかな
単純に技術で劣っているというより、政治や社会の制度が未熟だった
当時イスラムで主流のイクター制も半分封建制みたいなもんだし 結構にてるところがあって面白い
中世ヨーロッパって憧れる。タイムマシンがあるなら一番逝って見たい時代
>>495 辿り着いたとしても文字通り逝けるかもなww
伝染病、追剥、蛮族、奴隷商人、餓死・・・・・・・
>>496 追剥と餓死以外は場所と時代を選べば割と避けられそうな
伝染病は避けがたいだろ。せいぜい、人里はなれた修道院で祈るくらいしか方法がない。
過去の人間が未来へタイムスリップしたら免疫のない未知の病原体にやられるけど 未来の人間が過去へいっても病原菌には掛からないでしょ。既に免疫があるのだから
んなことはない 既に死滅した病気の抗体はないし、ペストだって現代人は普通にかかる
>>498 しかし黒死病とかが大流行してたのは中世全体から見れば一時期だぞ
近世のオスマン帝国では比較的頻繁に流行したらしいが
30代半ば以下は種痘もしていないからかなり危険だね。
当時の衛生環境考えればとても現代人の体質では耐えられないと思う
タイムマシンで中世に行くなら、検疫を厳重にしなければね。 古代から天然痘や黒死病を持ち帰る恐れもあれば、 現代人が古代にエボラ、エイズ、新型インフル、梅毒を持ち込むかもしれん。
無菌過ぎて耐性が無くなった現代人が色んなものにアレルギー反応を起こしてる現代 昔の衛生状態では生きていけるとは思えない。 俺は天然痘に罹らないと言える人間がどれだけ居るよ。 ましてや問題なのは寄生虫。 寄生虫は現代では細菌以上に駆逐されてるが、病気の原因としては危険だぞ。
506 :
世界@名無史さん :2010/10/12(火) 05:15:47 0
>>441 大坂落城の際に、大量の大阪市民が人間狩りにあって奴隷にされたというし、
それ以前もけっこうありそう。
そういや小説の『ドゥームズデイ・ブック』はタイムマシンで14世紀のイングランドを 調査に行ったら、操作ミスで黒死病真っ只中に送り込まれちゃう話だったな。
508 :
世界@名無史さん :2010/10/12(火) 16:31:14 0
クライトンのタイムラインもそんなかんじ
>>508 「タイムライン」は14世紀初頭
最後の方にちょっとだけ黒死病の時代が出てくるけど
喧嘩なら楽に勝てそうだな。中世の人ってチビらしいから
栄養が悪くて体格は悪いかもしれないが、 何だかんだで体動かしてて荒事にも慣れてるんじゃないか ちょっとした事で森に逃げ込んでロビンフッドみたいな生活始めるぞ、あいつら
タイムマシンで行くならプレビュー機能付がいいな。ちょっと違うだけで雲泥の差がでそうだし。 あとどこでもドアみたいなテレポート機能も。いちいちヨーロッパにマシン持って行くのめんどうだし。 しかしどうせなら行くなら中世より中生代だな。
中世(に限らず近代までだけど)だと生水飲めないから、喉が渇けば いつもワインだのビールだのか?これは耐えられない。
かなりうっすい味だったみたいだけど。
>>511 >ちょっとした事で森に逃げ込んでロビンフッドみたいな生活始めるぞ、あいつら
イアン・モーティマーって人が書いた「タイムトラヴェラーのための中世イギリスガイド」
って本で
「この頃(14世紀)には狼もほとんど絶滅していた。森林地帯で出会うおそれのある
一番危険な生物はたぶん人間だろう」
とか書いてあって笑ったw
>>516 その頃のイギリスは熊も絶滅してたの?ロビン・フッドと熊のイメージは
ないしね。熊いじめって遊びは、ずっと後まであったみたいだけど。
外国から連れてきたのかな。
イングランの熊は12世紀にケント州のPenshurst Placeという場所で捕獲されたのが最後の記録とか スコットランド辺りではもう少しいたとしても狼がイングランドで15世紀、スコットランドで18世紀に絶滅しているので 同様に3世紀ほど生き延びたとして15世紀。 熊いじめは17世紀あたりが盛んだった見たいだし、輸入だろうね。 輸入物を熊牧場みたいなところで増やしてたのかもしれないけど。
熊を いじめるなよ
ヨーロッパって自然が美しいと誤解されてるけど、実は開発し尽くされた自然なんだよな あのスイスでさえ自然遺産が1個ぐらいしかなかったはず 日本はヒグマの数は減ったけど、本州熊は残ってるしまだマシだよな
狼は絶滅しちゃったけどな。 この2種は森の獣の中でも凶暴な分、狩られて絶滅しやすいね。
一方山形ではまた熊に人が襲われていた
>>422 自前で使うほど豊かでないし、どちらかというと、資源に対して人が余ってる状態だし、
ぬっちゃけて言えば、イスラム圏から財貨を買う支払をするのにめぼしい産品が無い
ものだから、フランク人やスラブ人の奴隷が盛んにイスラム圏に輸出されていた。
>>432 日本では、殿様が代わるたびに検地をするんだけれど、その検地が命がけ。
納税対象者とその保有・耕作可能な農地を調べるんだけれど、下手すると大規模な反乱(一揆)に
つながるから。
しかし九州ではツキノワグマが絶滅したし、四国でも絶滅の危機 ほんま島の肉食獣は生きづらいでぇ
528 :
世界@名無史さん :2010/10/13(水) 11:01:29 O
毛織物、毛皮、鉱物など輸出してたじゃん 逆にイスラム圏に魅力ある商品がないな、皆インド産だ
あそこは砂漠だらけだからね イスラムは商売上手で昔から金はあるが産業が育たないよね
>>450 イギリスにいる結構な数のインド系や、オランダのマレー系の住民って、植民地時代に安価に調達できる
召使として連れて来ていたものの末裔が少なくない割合でいるんだがなあ。
コロンブスが西インドから最初に持ち帰った手土産も、インド人(カリブ海方面の原住民)の奴隷だし。
>>451 異教徒を教化してイスラム化する、奴隷を解放する、というのはコーランに載ってる善行だったりするし、
イスマイル(アラビア人の始祖)からして妾腹の生まれだから、むしろ、積極的に使って、お節介にも、
信仰を強制していた。
キリスト教も奴隷解放はよいこととされたよ だから中世にはほとんど奴隷がいなくなる 一般的にヨーロッパの場合あまり家内奴隷はいないな
532 :
世界@名無史さん :2010/10/13(水) 14:01:14 0
>>450 でも浚って売り飛ばすのは結構やってなかったか?
東欧でもアフリカでも。
キリスト教国以外に売るか、家内奴隷以外にしてたってことかな。
近世になるがプロシアのフリードリヒ大王とその姉の幼少期の肖像画に黒人の少年がいたり、
フランスでは黒人の子供をペットのように愛玩するのが流行ったって話があったけど
そういう子供は改宗済だったのかな。
中世の話なのになに言ってるの
>>529 順番が逆だと思う。
砂漠が多く、産業を育てようがないから、商売がうまくなったというか。
アラビア半島や内陸部はともかく、エジプト・シリア・アナトリア・イラクは「肥沃な三日月地帯」のはずだが。 アケメネス朝からアッバース朝まで、イラク地方の農業収入だけで税収の4分の1ぐらい占めてる。
その割に人口が少ないんだよね 一部の肥沃な耕地に人口が集中してんだなきっと
イスラムが砂漠ばかりと言うのは現代の話だよ、中世は現代と同じ自然環境だった訳じゃない。 ヨーロッパが買ってた絹も中国産だけじゃなくてシリア産も多いし、 中世の最上の鉄と言えばダマスカス鋼がヨーロッパでも有名だった。 当然ながら製鉄には木材が必要。 ダマスカスは他にもダマスカスローズやダマスク織などもヨーロッパに知られる名品を生み出している。 イスラムの扱う香辛料はインドや東南アジア産だけじゃなく、コリアンダー、ガーリック(にんにく)、ジンジャー(しょうが)など 中東や北アフリカで栽培されている物も多かった。 だんだん乾燥化して行ったとはいえ、チュニジアの小麦は中世初期はヨーロッパ側に輸出されていたし、 アウグスティヌスはチュニジアの緑の沃野を褒め称えている。 それに砂漠しかないならハイレディン達がアルジェで暴れるほどの船を建設する木材がどこから来たと思っているのか。
155 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/10/13(水) 10:24:53 ID:MtfkSDZv0
>>113 十字軍時代のイスラム国は捕らえた修道女やヨーロッパ国の姫を暴行していた
そもそもイスラム教徒だから大丈夫というわけではない
↑これてほんと?
ウソ
姫は知らんが現地のキリスト教徒の迫害は過熱してた
>>537 誰も全てが砂漠とは言ってない
ただ中世最盛期のフランス人口(1600万)はイラン、エジプト、アナトリアを合わせた人口とほぼ同等
面積が広い割りに人が住める場所は少なかったのは確かだろ
実際大規模な産業には不向きだと思うぜ 水と木がどうしても不足する
まあ、フランスは西欧でもさらに桁外れに豊かなんだがね 国土全てが農地なんてのはフランスだけだ
神聖ローマ帝国全部あわせればフランスより多いんだよね
ナポレオンが欧州全土に喧嘩売れるわけだ・・・
>>532 家内奴隷は、少なくとも中世後期イタリアの都市では使われてます。
イングランドでも、奴隷制の衰退がたしか10世紀か11世紀ごろ
だったはず。家内奴隷もいたでしょう。
ロシアでは、いわゆる農奴制の確立は16〜17世紀とかなり遅いのですが
キエフ・ルーシ時代から王侯貴族の家内スタッフは執事などの重役含め
ホロープ(奴隷)でした。兵士として戦う軍事ホロープというのもいた。
ドイツのミニステリアーレンとか、あれは元々奴隷なんですかね?
>>538 みたいなイスラム対キリストでレイプ劇みたいのが盛んだったのって、やっぱりイベリア半島なのかな?
中世のイベリア半島いいなあー。まばゆい太陽と平らな大地が延々と続く荒野、ぞくぞくする。
ムワッヒド朝はキリスト教、ユダヤ教をメッタクソ迫害したからな
白人とやりたい
まぁアラブ人も白人と大して変わらんけどな
>中世のイベリア半島いいなあー。まばゆい太陽と平らな大地が延々と続く荒野、ぞくぞくする。 意外とスペインを通じて西部劇的な世界と繋がったりしてるんだよね。 カウボーイの乗馬スタイルは元々ムーア人のヒネーテから発展したものだし スペイン領ではイスラム風の楯とか装備した騎兵隊がアパッチ族と 戦ったりしてた。
>>518 アナグマいじめ、ではないの?
犬をけしかけて、咬み殺させる。そのもだえ苦しむ様子がアングロ人にとっては
愉快なんだとか。
今でも結構盛んに、キツネとかアナグマとかに犬をけしかけて咬み殺させている。
>>528 カトリックや東方教会の祭礼で必要な乳香、
薬として用いられたアスファルト。
>>547 その10世紀頃の時代、イングランドからもノルマン人に盛んに掻っ拐われて奴隷にされてるし。
アイスランドを開拓するにあたって、特に好んでアイルランドやスコットランドから農民を拐ってきていて、
農民は「テューレ」に連れて行かれることを非常に恐れていた。
ゲール語では、
>>92 今でも、テューレに相当する単語でアイスランドを呼んでいる。
>>548 レイプ合戦はずっと続いてるんだろ。
つい10年やそこら前の、ユーゴスラビア瓦解の際の内戦とか。
ブリテン島と本州(近世までの日本の主要な勢力園)はほとんど面積も同じで条件は一緒だからなあ>熊全滅 むしろ日本のが人口過密でフリだったにも関わらずブリテン島はヒグマ全滅
557 :
世界@名無史さん :2010/10/14(木) 13:23:53 O
まあ、イギリスは400年以上も世界最先進国だったからな
558 :
世界@名無史さん :2010/10/14(木) 13:43:14 0
>>557 それもあるけど、イギリスは森林の再生速度が遅いから、 日本列島だと、特に西方だとアスファルト舗装していても、 30年も放置していれば、マジで草原か雑木林になっている。
山少ないし牧畜が盛んだし
ヨーロッパの森林は、日本と植生が違って、下生えの木々が少ないとどこかに書いてあったな。 日本は世話をしないと森の中を歩けないが、ヨーロッパでは森の中に住む人々も多かったようですね。
そんなことはないだろう 原生林と植樹林の違いじゃないのか
イギリスにも熊っていたんだな。 そいうやアーサー王の名前もケルト語の熊が語源だっけ。
ウルスス みたいなのはラテン語じゃね?
>>555 スペイン人=ゲルマン人(キリスト教徒)×アラブ人(イスラム教徒)×ラテン人(ローマ人)のレイプ合戦の混血児か?
肌は浅黒いけど美形が多いよな。特に女
古イベリア人+フェニキア人+ケルト人+ギリシャ人+ローマ人 +ゲルマン人+スラヴ人+ベルベル人+アラブ人+フランス人 その他もろもろ
ローマ時代の非市民の年季兵の除隊が、最終任地で田畑を貰って現地解散だった。 反乱勢力になることをおそれて、召集地(原住地)から離れたところへ赴任・除隊、一箇所に 同一地域の出身者が固まらないようにしていた。 素の喋りはバラバラ。お互い通じる言葉はラテン語だけ。まがりなりにも参政権もちの自作農家 なので現地で嫁さんもらって、数世代のうちにローマ領内の各地の出身者のごちゃ混ぜ混血に なったことだろうよ。
>>538 修道女って処女らしいね。20歳前後の成熟した金髪蒼眼の白人女がトルコ系の浅黒いむさいアラブ男に処女奪われるの超興奮する。
でも、絶対昔はあったんだろうなあ、だって俺が男だとしてもやるもんw
イスラム勢力が入り込んだイベリア半島や、東ローマのバルカン半島、東欧のロシアもモンゴル辺りでこういう事件が起きてそう。
キリスト教も厳禁な宗教だよな、危ない時代にリスクを見す見す高めるなんてw
中東って今でも人身売買が盛んらしいじゃん ずっと前の行方不明になったイギリスの少女も中東で売られたんじゃないかと噂になったし 日本人でも行方不明になってるやつの何人かはサウジアラビアの金持ちに囲われててもおかしくない こぇえー
>>568 その辺の村でうろうろしてるよりは、
修道院に引きこもってた方がよっぽど安全だろ。
570 :
世界@名無史さん :2010/10/15(金) 19:02:49 0
http://www.daishodai.ac.jp/~shimosan/slavery/jinshin.html 〔日本の人身売買〕日本でも古代から最近に至るまで、さまざまな形で人身売買が行われてきた。古代の奴隷については、『魏志(ギシ)』倭人伝(ワジンデン)の「生口(セイコウ)」や『古事記』『日本書紀』の「奴(ヌ)」の記述によって
知ることができる。大化改新の律令(リツリヨウ)文書に、奴婢(ヌヒ)の制度に関する規定があり、当時稲1000束で奴隷を売買した記録が残っている。この奴婢は、荘園(シヨウエン)時代には農奴に転化した。戦乱、飢饉(キキン)、
重税に苦しんで逃亡奴隷が続出し、他方では婦女子を略取・誘拐して売り飛ばす人さらいや人買が横行した。また、人身を抵当にして金銭の貸借が行われて、返済できない場合、人質を奴隷化することも生じた。
江戸時代になると、幕府は人身売買を禁じたが、年貢上納のための娘の身売りは認め、性奴隷である遊女奉公が広がった。また、前借金に縛られ人身の拘束を受けて労働や家事に従事する年季奉公制度が確立した。
明治政府は、1870年(明治3)児童を中国人に売ることを禁止し、72年娼妓(シヨウギ)解放令を出すなど、幾度も人身売買に関する禁令を出した。しかし、人身売買的な芸娼妓契約や、養子に仮装した人身売買契約などの
形で古い慣行が続けられていた。製糸・紡績業が発達するに伴い、農村の年少女子が、わずかの前借金によって奴隷的状態に置かれ、搾取されるようになった。労働時間は十数時間で、牢獄(ロウゴク)のような寄宿舎での
生活を強制され、逃亡者は残虐なリンチを受けた。過酷な労働・生活条件のため、結核などで病死する女工が続出した。このような状態の女子・年少労働者を保護するため、1911年(明治44)工場法が制定されたが、
その効果は容易にはあがらなかった。
>トルコ系の浅黒いむさいアラブ男
>>567 の頭の中では中東のムスリムはどんな言語や文化を持ってても
全員アラブ人ということになってるらしいw
フランク人と同じ用法だな。ザクセン人だろうが、ブルグント人だろうがまとめてフランク人と。
アラブ語とトルコ語じゃ、フランス語とハンガリー語ぐらい違う気がする
トルコ人なんて見た目ギリシャ人と変わらんし
ドイツ人もフランス人もイタリア人もみんな元はフランク人だった筈なのに容姿や国民性に違いがありすぎるのは何故?
>>576 まず同じフランク人というくくりがアバウトすぎる。
勢力範囲に置いたら自動的に全住人がフランク族に変化するわけじゃないわけで、
極端に言えばゲルマニア属州とメソポタミア属州は同じローマの属州なのに容姿や国民性が違うのは何故?と言ってるようなもので
まずその時代においてだけでもかなり容姿や文化に差異がある
次に、その後の1000年以上の歴史の中での交流史もまた全然違う
578 :
世界@名無史さん :2010/10/15(金) 23:47:23 0
フランク人に侵略された方にとっては全員同じく鬼畜にうつる。 ヨーロッパ厨はそういう人の痛みには鈍感。 被害者が被害を感じたと感じればそれは暴力認定されるとしれ。
579 :
世界@名無史さん :2010/10/16(土) 00:00:36 0
>>576 イタリアは南のうはスペインに似ているとも聞くが、これはスペイン支配の影響かね。
>>558 日本も昔は禿山が所々あったというが今はこれだもんな
江戸の頃には禿山だらけだったとどっかで読んだな 安土桃山から江戸初期の築城ラッシュでかなりの木が伐採されたとか もちろん植林してるけどね
583 :
世界@名無史さん :2010/10/16(土) 15:51:32 O
まあ湿度が高くて雨降りやすいから植物がよく育つんだろ。 東南アジアだってそうなんじゃない?
ローマ教皇やカトリック教会って、昔から権力者と一緒になってかなーり悪いことしてた連中なのに知らぬ顔してるのなんで? 過去に存在した共産主義の独裁者などは批判されるのに。この人たちは何故批判の矛先すら向かないんだろ? めちゃくちゃな理由でジャンヌダルク処刑したりしたくせに、どの面下げて聖職者ぶってんの? この偽善的な組織に白人たちは何も思わないのかな・・・
そんな悪い事してたっけ? 権力が嫌いなら貴方の主張は間違いではないだろうが
>>585 変なレッテル貼ろうと必死ですね
ここは歴史に疎い狂信者のための板じゃありません
ナチとの繋がりとかバチカン銀行とか、色々と黒い一面があるのは確かだな ただ流石にジャンヌ・ダルクの話は昔過ぎんだろ
アンブロシアーノ銀行とかありましたしねぇ
>>584 権力者と一緒になって、じゃなくて、昔はカトリック教会が権力そのもの
だったんだから、悪いことするの当たり前じゃね?
今も昔も批判されてるじゃん。特に最近は。
当時は悪い事していない連中を見つける方が難しい
591 :
世界@名無史さん :2010/10/16(土) 17:56:24 0
まぁ聖職者も人間だから
議論の前提がおかしくない? 教皇は無謬なんだから、悪いことをするわけ無いだろ。
それで面白いこと言ったつもり?
善とか悪とか歴史に持ち込むなよアホくさい
悪いことしない人間が好きなら銅像と友達になればいい
教皇の「甥」や「姪」は無視ですかそうですか
中世の頃のローマ教皇ってやっぱり若い修道女に体を強要して、 拒まれると「私を拒むと天国へいけんぞ!」みたいな層化カルトの大将みたいなことやってたのかな? 悪いことやってるのに、女癖が悪くないわけがないよね?
598 :
世界@名無史さん :2010/10/17(日) 00:18:48 0
おまえちょっとボルジア家ぐらい調べてから書き込め 1から説明するの面倒だから。
>>597 それはない。
イタリア人はもっとうまく口説く。
600 :
世界@名無史さん :2010/10/17(日) 00:26:34 0
>>589 聖職者の性的虐待で遺憾の意の表明だか何だかやってたね。
十字軍とかキリスト教とじゃない外国人からみるとかなり酷いんだが、
西洋では今でも十字軍を肯定的に例えに使うことがあるとかなんとか。
まぁカトリックの人間にすりゃ
>>592 が正しいんじゃね?
プロテスタントや正教会からは散々批判されている。
そんなにひどいか十字軍、カオスでむしろ面白いが イスラムだってイベリア占領してるし ぶっちゃけ十字軍は失敗したからいろいろ言われてるだけで 成功してシリア・パレスチナをキリスト教化すれば誰も文句言わんよ
603 :
世界@名無史さん :2010/10/17(日) 00:50:46 0
時々で良いから、東ローマ帝国のことも思い出してあげて下さい
>>603 東ローマ?
ああ、腐りきったギリシャ人のことか
>584 先日ネットサーフィン(死語)を楽しんでいたら海外のアニメ掲示板で「狼と香辛料」が話あわれていた その中の一人がこのアニメでの教会の扱われ方が気に入らないようで>584とは逆の不平を発言していた 曰く「教会は神の産物なのだから悪事に関わるはずがない」だそうだ 周囲はそんなことは無いと色色認識の誤りを正そうとしていたが最終的には「これは日本のアニメだ」ということで納得させていた 異なる文化圏では神や宗教の認識の軌を一にするのは中中に難しいようだ
>>605 海外版ドラクエが教会に関する台詞なんかがかえられてたの思い出した。
聖書からとったっぽい名前も変えられていたり。
日本では教会や聖職者がヤバイ漫画湯ゲームは結構ある気がするけど、
海外はそういうの少ないんだろうか?
>>606 >>日本では教会や聖職者がヤバイ
ああ、本願寺光佐とその一派が鬼のように強いあのゲームね
608 :
世界@名無史さん :2010/10/17(日) 01:59:19 0
>606 >海外はそういうの少ないんだろうか? 70〜80年代制作の中南米が舞台の映画にはそういうのがけっこうあった気ガス ブラックラグーンってアニメの教会が作者の趣味か↑テイスト まぁこのアニメもタイ近辺が主な舞台だから欧州でなきゃ問題無いんじゃねぃ? 狼と香辛料は中世ヨーロッパ風の世界が舞台だから向こうの連中も受け止め方が違うと思われ そういやベルセルクスレはあったのに狼と香辛料スレは立ってないね
異教信仰がうっすらと残っている中世ヨーロッパって萌える。
ペイガン
西ローマ崩壊ぐらいが一番悲惨だろうな というか豊かなフランスの収穫量が蛮族侵入、割拠の混乱期からローマ帝国下で平和だった頃くらいに戻ったのっていつぐらいなんだろ
614 :
世界@名無史さん :2010/10/17(日) 08:59:04 0
>>601 それに対して、ヒトラーとフロイトは
こういって茶化していたなぁ
「教皇は過ちを絶対に認めない、黙って取り下げるだけだ」
だから2000年間組織を保つことが出来たと
>>613 カール大帝の治世にはむしろローマ時代より生産力が回復した
616 :
世界@名無史さん :2010/10/17(日) 09:34:27 0
>>606 ピルグリム・イェーガーをローマでみたぞ
617 :
世界@名無史さん :2010/10/17(日) 09:42:22 O
カール大帝の時代はイスラムと比較してどうかな 都市の人口はローマ時代からしても衰えてるだろ
フランク王国なんて名だけは立派だけど 実態は蛮族どもが農民を搾取しながら国を治めてただけw
>>613 西ローマの頃なんて人口少ないから大したことないよ
>>613 ロンドン(ロンディウム)、パリ、ウィーン、その他ローマ帝国が築いた都市が無かったら
今の西欧の基盤ってどれぐらい発展が遅れてたかな?
他の場所を都市にしてたと思う つーか都市って人の集まりやすい場所がなるだけだから
交通の要衝=戦略的要衝だから人が集まるんだ そうなるのは必然
ライン・ドナウで明確に線引いてたにしてもあの広い地域で100年以上まとめてたローマすげぇな
当時は国境警備兵とか一杯居たの?ゲルマン人が入ってこないように
ラインとドナウが境界線。ゲルマニア侵攻作戦も有ったけどうまく行かなかった。 国境警備兵っていうか、何処やらの拠点になる所に駐屯してたと思った。
万里の長城(ルビでリーメス)
>>624 ローマ市民の正規兵と属州民の補助兵で構成された軍団がウィーンやらケルンやらブタペスト
なんかの大河沿いの都市に駐屯して蛮族に目を光らせていたよ
ハドリアヌスの長城
国境を越えてゲルマニアの森へ突入して金髪女を捕らえたいな。捕らえた女を公衆浴場へ連れていき 綺麗に洗った後に妻にする
俺らなんかよりよっぽど強そうなんですが
そりゃ強いよ。体も大きいし、男たちを死にものぐるいで戦わせるように、戦場まで同行する奴らだぜ。
しかも戦闘後は男と一緒になって略奪に精を出すような女たちだぞ
明らかに脂肪率10%を切るな。すばらしくスマートな体型ではないか。
女なのに精を出すとは… 前の晩のが残ってたのか
635 :
世界@名無史さん :2010/10/20(水) 12:30:27 0
しかし、教養がないとなぁ いくら女は馬鹿なほうがいいと言っても程度というのがあるだろう。 せめて読み書き程度はww 日本だと意外と上流階級だと平安時代に源氏物語を書くくらいだから そこそこ期待できるにしても、 ヨーロッパだと>>629のゲルマニアの時代は論外にしても、 かなり時代が下ったジャンヌダルクの時代でも期待できないだろう。 この間のアメリカの選挙だとペイリンみたいなキリストおばさんや ティーパーティの女性候補みたいに魔女を公言する人が でてくるところからして、金髪ねーちゃんのレベルには頭を抱えて いるのだ。
平安時代の全国民の平均的な識字率を見れば、男も女も大差ないと思うがねぇ。
>>636 そりゃそうだろw
上流階級なんて一握りなんだから
ジャンヌ・ダルクあたりの時代なら商人の識字率が結構上がってくる頃じゃなかったか? と思って調べてみたら同時期、識字率が一番高いとされているフィレンツェで最低28%の男性人口が読み書きができたらしい。 で、女性についてはフィレンツェの教育プログラムから外されていてやはり男性よりはだいぶ低そう ただ、BBCが幾年か前にやってた番組によると、同時期のイギリスでは商人の娘や奥さんが文字の読み書きができることは珍しくなかったそうだ。 イギリスの商人人口がどの程度のものかは知らないが、一握り以上はいるんじゃないかな?
そもそも文字の読み書きというのが 手紙などで使われる俗語で良いのか、公文書で使われるラテン語も含むのかで 違ってくると思うぞ。 日本の平安時代辺りにおけるひらがなと漢文との差より大きいと思う。
>>638 フィレンツェなんて当時ヨーロッパ最先端を引き合いに出してどうする
まだドンレミ村の小娘基準にしたほうが平均に近いんじゃねーか?
ヴァイキング時代の北欧で現存している書簡(ルーン文字?)の類には どっかの人妻が不倫の相手に向けて書いた手紙というのもあるそうだ。
>>605 周囲が色々認識の誤りを正そうとしてたのに、文化圏の問題になっちゃうの?
その人個人の問題じゃないか?
平安貴族との対比ならむしろフィレンツェは緩すぎるんじゃないかと思うが。 ともあれ、13世紀頃から商業が盛んになって、帳簿をつける関係上商人には読み書き計算のスキルは必須になった。 仕事を手伝う奥さんにも同様のスキルを求められることは多かったと思う。 貿易商あたりだとラテン語も使えたのでは。
識字率よりエリート層、金持ちがどんだけいるかの方が重要だ 実際日本は識字率が異常に高かったけど世界史では常に脇役だし
「脇役」かどうかは、知識や金の問題じゃないでしょ。 教科書世界史での主流は西洋中心主義・大国主義の賜。 封建日本やインカは世界有数の金持ち国家だったが、研究数は必ずしも多くない。 アメリカだって世界史の「主役」となるのはWWIごろから。 他の国との関係や影響力を考えたときの地理上の位置も重要だろうね。
>>645 実際、世界システムの中心だった大英帝国の庶民の生活は劣悪だったからな。
資本家の搾取もそうだが、強い国家を戴くということはそれだけ税金をむしりとられるということ。
一方、亡国のポーランド貴族は高い教養をもっていたため、どこの国でも重用されている。
実際日本が西洋やイスラムの近くにあったら結構な驚異だよな 人口と資源(金)を考えると
>>647 湿気の高い東アジア〜南アジアは米作が主流。総じて人口が多い。それだけのことだ。
>>645 西洋中心主義関係なく、イスラム、インド、中国、他のアジア諸国も識字率は大して高くないだろ
エリート主義なのが普通だよ、ちなみに西欧で一番識字率高かったのは印刷が盛んだったドイツ
識字率よりもジェントリ(地主)や資本家といった裕福な中産階級の拡大の方が近代化には重要だと思うね
まぁもちろん識字率が高いことはいいことだけどな ただ日本って昔から平均レベルは高いけど突出した天才が少ないって感じはするね
中国人はその反対らしい。 個人の能力は高いが、みなで協力することができない。
>>649 近代化をどう定義づけるかによるとも思うが、
少なくとも初等教育程度の識字率があるとないとでは
近代化の進行速度が違うと思う。特に工業化に関しては影響が強い。
あと重要なのは初等教育で学ぶ言語の選択。
オーストリアはマリア・テレジアの頃には初等教育を大規模に導入してたが、
母国語を学ばせたから民族意識が顕在化した部分もあると思う。
「違う言葉を書く」というのは「違う共同体に属している」ことを意識させやすい。
19世紀後半の富国強兵と識字率は関連するね けどそれ以前の産業革命とは関連しないんだよな
性奴隷にするんだから識字率なんか関係ない!ワシは金髪のゲルマン人の女がほしいんじゃ!
656 :
世界@名無史さん :2010/10/23(土) 00:35:51 0
身分のあるゲルマン女は、捕虜になるくらいなら自殺してしまうので希少価値はあった。
657 :
世界@名無史さん :2010/10/23(土) 00:38:17 0
滅ぼされてほかのゲルマン部族王の妻にされた姫が、ベッドで寝首をかいたことも。
金髪の奴隷は高く売れたらしいな
659 :
世界@名無史さん :2010/10/23(土) 09:39:53 0
>>655 いくら性奴隷にするといっても、犬や猫じゃあるまいし
いらなくなったら、そのへんに捨てて解決というわけにも行かないだろう。
それにS○Xだけだと、すぐ飽きるじゃないかww
やはり会話がないとww
そんな時にペイリンみたいな、キリスト命の女とか
ティーパーティーの魔女公言の女なんかと話が合うと思うかww
奴隷がいた時代なら、家電品がなかったから
ほかにも使い道があったかもしれんが、
ビザンツ、東方=ナウい 西欧・イギリス、フランス=ダサい、臭い。白い野蛮人w うんこ臭い 石作りのボロ屋に篭って 腐肉を喰らっていた劣等民族。 好戦的で、周辺国家に分裂し、小競り合いばかりしていた。
661 :
世界@名無史さん :2010/10/23(土) 12:20:34 0
ただ逆に、東方はナウい現在もいつかは過去になることを忘れていた。 中世西欧はバカで貧しくて弱くて分裂しまくってたけど、 その下では粛々と農業技術や化学、物理学を発展させていた。
>>660 イギリスやフランスで腐肉を食べていたというソースは?
フン族は食ってたな それを見てローマ人がドン引きしてたから、ゲルマンはそこまではやらなかったんだろう
腐肉ってまさか人間の肉じゃないよな・・・
>>662 偏見を書くスレだから。
いや、そういう偏見があるソースは?と聞いてるのかもしれないが
>>658 >金髪の奴隷は高く売れたらしいな
アッバース朝時代のバグダードで書かれた奴隷購入の手引書によると
金髪より黒髪、青い眼より黒い眼のほうが値段が高くついたそうだ。
>>650 儒教に毒されていたヤツらが政治を握っていたからね。
或る意味、信長・秀吉の時代よりも発想が後退している。
>>662 秋に飼葉が少なくなってきたら一斉に家畜を間引いて、それを塩をまぶして木樽に詰めたり、
干したり、虫がつきにくいように煙で焚き染めたり……したようなもので春まで食いつないだ。
中世ヨーロッパの社会史関連の本読んでたとき 「悪くなった肉は粘つく」とかそんな感じの話がでてきて気分悪くなった覚えがある
>>661 というか、ナウい奴らは、基本的に新しい改革に乗り遅れて、ナウくなくなるのが歴史の流れ。
ナウくなるとみんな、リスクのない現状維持に走り出す。
そうすると、新しい革新的な技術や体制を取り入れようとはしなくなる。
ナウくない奴らは、どんなものでも取り入れなきゃやっていけないから
どんどん新しいものを取り入れ、そのうち『当たり』を引き当て、次の時代を制する。
以前ナウかった奴らは、こうして置いて行かれてナウではなくなる。
思うんだがゲルマン人らの生活スタイルや食生活って女真族と似ているんじゃないかな? 森林地帯で移動生活送りながら狩猟・農耕・牧畜・漁業・栽培などあらゆる方法で食料確保して 首長制の共同体で暮らしていて有力な酋長が現れたら文明国へ侵略する
>>673 日持ちはするが、ある程度時間が経てば腐る
まぁ確かに発酵食品は腐ってるよな
腐敗はしてないけどな
腐っていても人間が食べれるもの発酵食品なんだと聞いた そういう意味でいうとアルコール飲料も腐ったものなんだよね
腐敗とは腐敗菌によって引き起こされる発酵。
ただし分解によって、人間に都合のよい物質が生じる場合は発酵といわれる
ドイツって近世になるまでフランスやイギリススペインに比べて パッとしなかったのはなんでだろう? ドイツ=神聖ローマだけど、神聖ローマ=オーストリアってイメージが強くてドイツ人って感じしないんだよな なんか、フランスやイギリスに比べてバラバラになってる印象があるしなんで? オーストリアと分かれずに一緒にくっついてたほうが領土も広くて色々よかったんじゃないの?
むしろ30年戦争まではパッとしてたんだけどね 神聖ローマは一見バラバラにみえてひとつのまとまりだった
中世の頃の政治の中心はフランスと神聖ローマ 当時のイギリスやイベリアは辺境だよ
当時のドイツを表現するなら・・・応仁の乱後の室町幕府みたいな状態がずっと続いていたような状態かな 都市国家で構成されてたイタリアも同じような感じ ちょうどヨーロッパの中央部であるドイツ・イタリアはこういう状況で 西の英仏はお互い何時も争ってて東のハンガリーやらポーランドはアジアからの外敵と争い 北のスカンディナビアは海賊行為を繰り広げてて南のバルカンではビザンツ帝国がローマ帝国復興を夢見て頑張ってるみたいな感じ
684 :
世界@名無史さん :2010/10/24(日) 07:58:38 0
>>682 おいおい中世イベリアはイスラム勢力が支配していて
先進地域だぞ
だから政治の中心と言ってる 15世紀まではイベリアは常に脇役だよ 神聖ローマは帝国議会があり諸侯・貴族の連合国家みたいな感じ、で皇帝が首長、 イタリアよりは一体感があった 30年戦争で崩れたけその後も諸侯は連携してるし、そうじゃなきゃとっくに弱小諸侯はフランスに併呑されてた
>>683 ヨーロッパ全体でローマ帝国の再統一を賭けた天下取りをしていたのが、中世だろ。
ウェストファリア条約で諦めたところで国家とか主権とかの概念が明確になって近代が始また。
中世ドイツがずーっと分裂状態だった、というのも偏見の一つに入るのでは?
>>684 イスラームに飲み込まれる以前は西ゴートの宮廷があったしな。
西ゴート王国が脇役なわけはない
だから旧フランク王国圏中心に周ってるのが中世なんだって
つまりカロリング朝以前は中世ではない、と言いたいんですね
何を言おうとイベリアは中心じゃないね だいたいメロヴィングの後半あたりあからフランク中心に周ってるし それ以前はイタリアとビザンツだろ
一般的な中世の定義を否定してまでイベリアを周辺だと主張することに意味があるとは思えないんだが。 正直よくわからんな。なんかイベリア半島に個人的恨みでもあるのかね
お前だってなんでそこまでイベリアに固執すんだよ そんなにイベリアが好きか どの本でも中世イベリアが政治的中心なんてありえん
中世なんて政治的分裂が特色の時代に 「政治的中心は〜」なんて言い切るからいけないじゃないの?
まずもっとも富裕な西フランク、神聖ローマの帝権と北イタリア そこに周辺諸国の思惑が絡むのが基本的な流れだろ
意地はってるねえ
キモッ
中世ヨーロッパ世界では、イベリアのキリスト教諸国はあらゆる意味で辺境だ 11世紀に後ウマイヤ朝が滅んでから、ようやくレコンキスタが本格化する 後ウマイヤ朝は非常に先進的で豊かで大人口を抱え、途中からカリフを称してもいたが、 アンダルスやマグリブの中心とはいえるものの、キリスト教世界でもイスラーム世界でも中心ではない
12世紀ルネサンスの中心地の一つがイベリアだった気がするけど違ったっけ
違うだろ
>>697 12世-13世紀におけるアラビア語文献の翻訳の中心地の一つはトレド。もう一つはシチリア。
アリストテレスやヒッポクラテス、イブン・シーナーなどはトレドの翻訳学校を経由してヨーロッパに伝わった。
「あらゆる意味で」というのはさすがに言い過ぎかと。
中世ヨーロッパの辺境というと、イベリア半島よりは東スラヴ世界のほうを先にイメージするな。
シチリアと並び、西欧へイスラムの先進文明を導きいれる窓口ではあるな まあ先端でも中心でもいいけど
シチリアやイベリアは中心というよりは中継地点だな 中世盛期の状況だと 哲学・神学など思想の中心はパリ・オックスフォード、法学・医学・会計などの実学はボローニャなど北イタリア 騎士道文学はフランス・ドイツ・イギリス、吟遊詩人はドイツ・フランス、音楽もフランス、 建築でもロマネスクはイタリア、ゴシックは北仏、 製鉄業などはドイツ、経済の中心は北イタリアとフランドル
>>700 辺境というのは文化レベルじゃなくて単に地理的な意味だよ
実際スペイン、オーストリア、ブランデンブルクは辺境伯の名前もらってるし
はずれているから中継地点になりえた
シチリアも地中海世界でいえば確かに中心ではあるけど フリードリヒ2世やシャルル・ダンジュー以後はあまりパッとしないなぁ でも辺境いいじゃない、異なる文明の接点で最先端地域ってことだぜ 東スラヴも内陸ユーラシアへ広く開かれてるし、北欧とビザンツ・アラブの中継地でもある
なんでかしらんけど、このスレには中世前期を華麗にスルーする人がいるな。
中世前期がマイナーなのも偏見ですか?
じゃ中世前期の話ふってよ
ドイツ:アラマンニ、ザクセンなど フランス:メロヴィング朝 イタリア:東ゴート、ランゴバルド イベリア:ヴァンダル・西ゴート・スエビ ブリテン:アーサー王〜七王国
>>708 そう言う問題ではない
中世全体の傾向を述べる時に中世前期を考慮にいれてない点において
おかしさを指摘されてるだけであって
中世前期自体を話題にしたいかどうかとは別問題
そもそも中世前期は史料が少なくてどういう状態かよくわからん
中世前期というと、ゲルマン部族長がトーガ来てた時代か
トーガ着てたのはローマに手懐けられた一部の部族だけだろ
>>711 五胡十六国時代みたいな感じと、言っても余計分かりずらいか・・
762 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2010/08/31(火) 01:27:41 ID:qYbMYLH0
>>761 国際的な立ち位置(国際的に重要な国として認識されているにも関わらず
日本の様にUNの負担が多いわけではないなど)、金持ちをうまく取り込んでの
商売、彼らの生活様式なんかを見るとうらやまし部分は確かに多いね。ただ、
第二次大戦前までは今の東欧諸国のようにヨーロッパの貧しい国の一つに
過ぎなかったそうで今みたいな豊かな国になったのはそんなに遠くない昔なんだ
そうな。旅行者にとってスイスの景観は何処も綺麗でいいけど住んでしばらく
経って慣れちゃうと綺麗ではあるけど世界一とまでは思わないなあ。
↑これってマジ?スイスって貧乏国家だったの?似たような土地柄のオーストリアは常に超大国だったのに何故?
中世スイスは山ん中の国でろくな産業がなかったんです。 だから傭兵やって他国に出稼ぎするしかなかったわけ。 オーストリアはハプスブルク家の本拠地だったから栄えてたわけで、 土地が豊かだったから栄えてたわけじゃありません。
中世スイスは牧畜か傭兵やるしか仕事がない オーストリアも最初から超大国だったわけではないし、 チェコやハンガリーやバルカン諸国を切り離せば今のような小国に過ぎない
中世前期って本当に暗黒時代だったのだろうか?
古代から生活水準とかインフラはそんなに変わらんだろうけど やはり西ローマ帝国崩壊という精神的柱を失ったショックは大きいだろうね だから皆キリスト教に帰順していった
中世前期はそこまで暗黒時代ではなく、ルネッサンス時代の史観により貶められたってのを読んだ気がするがソースを忘れてしまった
ゴート戦役〜ロンゴバルド侵入時のイタリアの荒れっぷりは正に暗黒だけどな
寒冷で痩せた土地のゲルマニアから侵入してきた者に取ってはウハウハの時代かも?
ゲルマン民族大移動以降のガリアってどこまでローマ帝国の支配下にあったんだろうか。 何かその付近から中央の統制受けなくなって自立していったような印象。
>>722 ゲルマニアの土地は痩せてたの?でもドイツとかチェコとかって結構農業も盛んで自給率も高いじゃん?
昔は今より寒かったから食料が取れなかったから相対的に”痩せてた”ってなるだけ?
>>716 スラブ圏・南欧圏・ゲルマン圏の接点ら辺にあって、ドナウとラインの接するところ、
アルプス越えの入り口だから、繁栄すべくして繁栄しているだろ。
ハプスブルク家が本拠地とした、或いは、ここを確保したからハプスブルク家の覇権があった
という面で、地勢的に豊かな土地だろ。
>>724 あのゲルマニアの深い森を開墾する技術も文化的基盤も当時のゲルマン人には無かったの
>>724 ドイツの食料自給率を支えているのは中世には存在しなかった
ジャガイモということをお忘れなきよう。
中世でも12.3世紀になるとドイツの人口は1000万ぐらいだ
農業技術が上がって開墾地が増えたことが人口増加の要因
ところで西ローマ帝国崩壊した時に イタリアに住んでた人々はみんな東ローマ領に逃亡したの?
732 :
世界@名無史さん :2010/10/25(月) 20:01:40 0
そんなわけないだろ。 滅んだことを気にしなかったの、皇帝いないけどそのうち誰かがなるだろうぐらい。 ゴートや東ローマ(ロンゴバルド付)にチョッカイ出されてやっと気づくんだよ。 西ローマって滅んでたんだってね。
西ローマ崩壊うんぬんはともかく、侵入して荒らしまくるゲルマンに対して 東方へ高飛びできたのは富裕層だけ 金がなけりゃ遠くへは逃げられない、平地の街を捨てて山に逃げたり そのまま殺されたり被支配者になったりした
スイス生意気だな。小さな国のくせに。 まだオランダ辺りのが同じような境遇なのに苦労して実力で存在感と地位を勝ち取ったというのに
スイス傭兵も知らないとはどんな初心者?
>>732 その辺りをもっと詳しく知りたいなー
中国で永嘉の乱が起きた後の情勢とも比較したい
スイス ってぇと、 酪農 契約は絶対に守る傭兵の血と汗 時計作り ってイメージだな、やっぱり。
何よりも先に山が思いつく俺は異端?
>>736 西ローマ軍の傭兵隊長のオドアケルが「土地くれよ」とローマ進軍
↓
皇帝廃位、オドアケルが指導者に。ビザンツの臣下の立場を要求するも無視される
↓
軍事ゲルマン人、行政ローマ人みたいに住み分け。「パクス・バルバリカ」
↓
ゴートの王、テオドリックがオドアケルを破り、イタリア制覇
↓
しかしゲルマン軍事、ローマ行政の体制を引き継いだので一応の平和は続く
↓
ユスティアヌスが旧西ローマ制覇業開始、ヴァンダルとか滅ぼす
↓
しかし寡兵だったためイタリア制覇にてこずる。プロコビウスによれば18年間かかる
↓
戦役は長引きイタリア荒れに荒れる。この頃西ローマ元老院消滅
↓
結局ゴートを滅ぼし制覇するも、ロンゴバルドも侵入。 荒廃の中、群雄割拠が始まる
てな感じ
ユスティニアヌスが余計だったな 東ローマも無理な軍事活動で衰退するし
742 :
世界@名無史さん :2010/10/25(月) 23:12:03 0
数年前。 沖縄料理店で飲んでいたら隣の沖縄人が 「沖縄は平和を愛する永世中立国だ。それにくらべてヤマトは!」 などと絡んでくるので 「じゃあ徴兵制を布かなければいけませんね。家ごとに自動小銃を配備して、 一年分の食料を溜め込んで。スイスはそれだけの備えをして、やっと永世中立国を名乗れるんです」 などと言い返したものだから、危うく喧嘩になりかけました。 平和を愛するはずの人間が、周囲の人間と仲良くすることもできない・・・
ユスティニアヌスは相当無理したんだってな。古代ローマ帝国の再興って理想自体はカッコいいけど。 死んだときには戦争のしすぎで国庫が空になってたという
>>739 都市国家が興隆するにしたって統一は19世紀までならないんだから長い割拠だよなほんと
端から聞いてると喧嘩両成敗って感じだな。
売り言葉に買い言葉じゃ、そりゃ喧嘩にもなりかける。
>>737 スウォッチの価値っていつごろから高く評価されるようになったんだろう。
他二つに比べると当然新しい文化だよな。
746 :
世界@名無史さん :2010/10/25(月) 23:22:51 0
西ゴートやランゴバルドって金髪青目のドイツ人みたいのだったの? イスラム帝国とアヴァールのモンゴル系に征服されて強姦されちゃったのかな
ランゴバルドは最終的にカール大帝に滅ぼされた アヴァールも大帝に屠られ全滅した
アヴァールやマジャール、フンあたりは中央アジア出身でも ヨーロッパにつくあたりにはほとんどコーカソイド化してる トルコも同じ
まあ滅ぼされたっつってもゲルマン人がまるごと半島から追い出された訳でもないし。 北部はランゴバルド族の定住によりできたロンバルディア。皇帝と教皇の綱引きに諸都市の利害が絡む複雑な地域 中部はフランク王小ピピンが旧ビザンツ・ラヴェンナ総督領を教皇に寄進→ローマ教皇領の成立 南部はゲルマン、アラブ、ビザンツの小国乱立みつどもえ状態→12世紀にノルマン人が統一、両シチリア王国 こんな感じでごちゃごちゃしてるうちに吸収されちゃったといったほうが正しい
やっぱ海から侵略してくるイスラムやらノルマンは怖いな 半島全体が射程圏内で好きなところから上陸できる
メリットもあり、デメリットもありやろ。
その立地だからこそのヴェネチア、ジェノヴァ、ピサ、アマルフィだったんでしょう
754 :
世界@名無史さん :2010/10/26(火) 08:15:15 0
ランゴバルドの子孫には、トスカーナ出身の貴族ブォナパルテ家があり、 この子孫が、皇帝ナポレオン。
>>744 ローマ帝国という存在がなかったら「イタリア」という概念そのものがなかったかも知れない。
そんな気さえする。
いまでも北伊と南伊は別の国だけどな
>>749 だから、金髪青目のゲルマン女を強姦したんでしょ?
遊牧民の通り道にゲルマン女はいないし金髪もあまり多くないよ
それと遊牧民は強い勢力が出現するとすぐそこに集まる傾向があるんで 強い勢力が移動すればすぐ現地勢力を取り込めるし なんでもかんでも征服して勢力を大きくしていくわけでもない 強姦で白人化したというよりほとんどの人間はもともと現地に住んでいた白人ってのが正解だな
つーかゲルマン人=金髪碧眼ってのは偏見
>>758 なるほど、金髪青目のノルマン人の女はつよーいバイキングたちに長年守られていたのか。
どうりで北欧は金髪美人が多いとされるわけだ。異民族に凌辱されたことがないから。
そういや、北欧っていつの時代も強者の立場であることが多いな。
あのアングロサクソンすら平伏す恐ろしさだったらしい。
>>757 金髪碧眼のゲルマン女はいるが、ゲルマン女がみな金髪碧眼なわけではない。
君は少数派に憧れているだけ。
しかも強姦という行為になにやらロマンチックな憧れをいだいていると見える。
そんな憧れは現実を見ればすぐに消えてしまうのだが。w
逆に強姦されたりして 美女ならいいが大概性欲の強いババァだからな
童貞の妄想にはつきあいきれん
男女間の関係を、セクースだけでしか考えられないってのぁ、たしかに童貞の発想だぁな。 あ、男男、女女の関係もセクースだけでしか考るってのも、立派な童貞の発想だろうけど。w
>>757 逆に遊牧民の女達がフランクの大男達に強姦された
レイプから始まる恋もあるだろ。
エロ漫画の読みすぎ
北欧というと金髪碧眼をイメージする奴が多いようだが レジス・ボワイエ『ヴァイキングの暮らしと文化』によると 実際は茶色の髪や黒い眼が多かったという。
中世の北欧と現代の北欧とじゃイメージがえらい違いだよな
フン族がゴートと通婚を繰り返してたからアッチラは実はイケメンだったって説もあるなw
現在の北欧だって金髪ばっかなわけないんだけどなw あくまで相対的に金髪が多いってだけ。あと一番金髪が多いのは実はリトアニアだったと思う
そうそう北欧の妖精キーラ・コルピちゃんだって実は染めてるからな
まず中世は暗黒と言うよりまともに人がいねぇー いったい当時の推定人口幾つだよローマ時代の10分の1くらいだろどうせ
メロヴィング朝の初期に古いローマの軍法を知ってる将軍が持て囃されたってのは本当なのかな
>>775 ベリサリウスなんかは自分の才能でも発想でもなく
既にローマ時代からある戦略を参考にしている、と本人が言ってるしな―
ローマ時代が誇張されすぎなんじゃないかなと思う時がある それでもアウグストゥスの時代でヨーロッパの人口が推定3000万でカール大帝時代でも3000万。 ローマの治世で増えた分がユスティニアヌスの黒死病でキャンセル食らったと考えればまぁ納得のいく数だと思うが。
ほぼ横ばいか 農業生産性が全く進歩しなかった証拠だな あーでも蛮族は農業なんかしなくても動物ひっ捕まえて賄ってたんだろう
どーなんだろ。古代も中世も人口なんてあてにならんしなー 人口で比べるのは難しいんじゃないか?じゃあ何で比べるんだよと言われても困るけど
確かに推定人口ほどインチキなものはない
>>777 14世紀黒死病の直前の人口はどれ位だろ?
中世のピークだと思うけど
まぁねw 中世前期なんて少数の取られたデータからの推測でしかないし、古代なんて当時の歴史家の言い値と当時の農業生産で養える人口の逆算でしかないからね 中世後期になれば人口統計の記録もかなり残ってるからかなり正確な数が割り出せるんだがな
>>781 そうすると、結局文化的な成果がアテになる。
文化が興隆するということは、文化人・芸術家を養うだけの余剰生産を社会が抱えていたことの証明になる。
>>782 1000万
このころになると税収の記録とかが残ってるんで(地域差も大きいが)結構正確になる
1000万ってどこがソースだよ 俺は5つぐらいの学者の推定値で 最低が7300万、最高が9000万までの開きがあった ちなみに古いほど推定値が低かったりする
Power and Profit The Merchant In Medieval Europeって本
連レスだが、ごめん、1000万じゃなくて一億だわ。 100Million
やっぱりそうか
14世紀ともなるとルネサンスが花開き三圃式農業が普及した時代か、もはや中世とは言いにくい時代かな
世間一般でイメージされている百年戦争とかって絶対7〜8世紀くらいと思っている人多いよね? 実際俺もそうだったし、初めて14〜15世紀くらいの出来事と知って驚いた だって大航海時代のちょっと前だぜ?
焼きたてジャパンのナレーションに愕然とした
イングランドのキリスト教受容は日本の仏教受容より遅い
な、なんだってー! ローマ時代には伝わってなかったの?
何を持ってキリスト教受容というかによる キリスト教自体は属州時代に入ってる。 でも正式に国教として認められるのはエグバードとかアルフレッドとか、そのぐらい。9世紀。 異教が残ってた時代となると中世後期、いやもっとあとぐらいまでじゃないかな しかしイングランドのキリスト教受容と日本の仏教受容なんて比べたことなかったわ
>>793 中世ヨーロッパに絡む話ってあったっけ?
現代ヨーロッパのうんちくは多かったけど。
>>792 えー、ツールポワティエの戦いが8世紀(732年)で、まだフランク王国だからフランスは存在しないし、
ノルマンコンクエストでイングランドが征服されるのが11世紀(1066年)なんだから百年戦争は
もっと後に決まってるじゃん。
>>792 のような誤解は初めて見た。
多分大多数の人の共感は得られない誤解。
>>799 発言内容からして
よほど脳内の「世間」がせまいんだろうね。
自分がこうなら他人も同じだと思ってしまうような
小中学生程度の知能なのかもしれん
いやまだ歴史なんて全く知らなかった小学生くらいの話さ なんとなく百年戦争と言う単語自体は知ってて それで頭ん中で時系列を勝手に勘違いしてたってこと 空気悪くしてスマンな
一般人はそもそも百年戦争なんて事件があったことすらほとんど憶えてないのでは トゥールポワティエなんて言わずもがな
義務教育では世界史をそこまで教えないからな…
年代詳しくなくても800年カール戴冠位は知ってるだろう。 フランクが最盛期を迎える頃じゃないか。
歴史に興味ない知り合いや家族に聞いてみるのが一番手っ取り早いでしょ。 多分カール大帝の名前ぐらいは覚えてるかもしれんけど、年号までは忘れてると思う。 つーか、学校によっては世界史履修してない人もいるらしいし
百年戦争後の英仏両国の歴史の流れを知ってたら
>>792 はないだろ
だって全くつながらないもん
>>807 アホか? それヴァンダル族のガイセリックのローマ略奪の絵じゃないか。
バリバリの白人のゲルマン系がラテン系のローマ女を奪ってる図だ。
歴史捏造レイシスト乙
>>807 urlにGenseric sacking Romeって書いてあるじゃん
ゲルマン人によるローマ略奪だ
無知にも程がある
と言うより無恥だろ
>>801 百年戦争を知るのが他の歴史知るより早すぎた、ちょっと特殊な例かも。
自分が小学生くらいの時は知らなかった。
小学生低学年なら触れる機会も無いしな。 たまたまジャンヌダルクの映画が流行ったとかならともかく。 小学校中学年の時児童向けのローランの歌読んだけど 時代背景とか解らなかったな。
ロランの歌はチュルパン大司教のキャラの濃さが印象に残ってる
813 :
世界@名無史さん :2010/10/27(水) 19:17:06 0
中世の騎士はみんななんば歩きをしていた
マイケル・クライトンの「タイムライン」で主人公の考古学生が ウォール街の株屋に百年戦争の話をしたら 「イギリスとフランスが戦争してたなんて嘘だろ?」 とか言われる場面があったな。
>>814 フレンチインディアン戦争とかルイジアナ割譲の経緯とか知らないのかな
>>815 ギャグだよね?
たのむよ、ここは歴史板。ギャグだと言ってよね!
818 :
世界@名無史さん :2010/10/27(水) 23:34:30 0
>>814 二回も百年戦争をしたのにねぇ。
まあ、歴史なんて興味がない人にとってはそんなものだろう。
真の一般人は中世ヨーロッパの事件なんか何も知らんよ。 パレスチナ問題との絡みで十字軍知ってりゃいいうち。 うちの親がそうだから。 下手すりゃベルサイユのばら辺りが中世末期と思ってる。
ただの想像絵じゃん ゲピデ族に敗北した事実は変わらんしなー
>>820 バカを晒す自虐ギャグも
繰り返すと面白味は一気に失せるよ
むしろ中世と言えばマジャール人なんかの方が話題に上がってもいい頃だな
北からノルマン 南からイスラム 東からマジャール
>>820 「Roman villa in Gaul sacked by the hordes of Attila the Hun. 」
とあるだろが。ガリアの村か別荘を略奪してる絵だ。
やっぱゲルマン関係ないな。
ラテンもガリアもゲルマンも区別できんのだから、どんどん恥晒すだけだ
しこっちも飽きるな。
826 :
825 :2010/10/28(木) 06:38:22 0
追加。 しかも、それ1910年のイラストだろうが。20世紀の想像図を証拠と持ち出す 頭が理解不能だ。
>>49 電波飛ばしすぎだな
農業、医学、政治、行政、冶金、建築、文学、学問、紡績、何もかも見劣りする
勝っていたのは信仰心の強さと困窮耐性くらい
そういえば中東は中世の間に人口が減少してんだよね 原因は遊牧によって砂漠化がすすんだとか
それ気候変動による乾燥化が原因なんだよね
ぶっちゃけ文明の興亡って人間関係ないよね 気候変化が主問題であって、王様が優秀とかバカとか全然影響ない
>>830 文明興亡理解度の低いジャップは
未だ独裁者のリーダーシップを過信してるからな
スターリンやチャーチルや毛沢東が死んでも似たような人間が祭り上げられるだけ
現代国家の未来は1人の首じゃ変わらない
まぁ民族大移動や小氷河期みたいなひろーい範囲で見るならそうだけど。 百年戦争や三十年戦争、直近の世界大戦なんかは、まさしく人災によって人口が激減した例だと思うぞ。 「文明」の興亡にまで関わったかどうかは、諸説あるだろうが。
>>832 とりあえず第二次世界大戦で死んだ人間って当時の世界人口の5%ぐらいだと思うんだが激減ってほどか?
>>830 でもな、限られた資源を何も考えないで使い尽くすとどんな文明でも滅ぶんだ。
835 :
世界@名無史さん :2010/10/28(木) 17:27:20 O
中世イスラムは資源を吸い尽くして滅亡か 石油が中世に使えたらよかったのに
そしたら今はもう世界の文明が荒廃してるかもな
>>834 同じ方法論でも場所によって結果が違う
中東で中世西欧の粗野な農業や資源利用の仕方してたら
とうの昔に不毛の大地になってたよ
もう不毛の大地になってただろw
だいたい中世に開発された三圃制はローマ時代の二圃制をより進化させたものだしな
アメリカの文明を亡ぼしたのは やっぱり気候よりも人間だと思うけどね
アメリカの文明は弱小すぎたからな
842 :
世界@名無史さん :2010/10/28(木) 20:49:00 0
なんで北米のインディアンは、 白人がやってくるまでアワワワワ状態に停滞してたんだろう?
人類20万年の歴史から見ればそれぐらいは誤差の範囲内なんじゃないの
>>842 新大陸全般に言えることだが、今、北米のインディアンはもっと大規模な社会で独特の生活
をおくっていたという説が出ている。
旧大陸の人間の持ち込んだ伝染病がヨーロッパ人がその地に来る前に伝染して人口が激減して
しまったために、ヨーロッパ人が内陸部にやってきたときには森林も手入れされず、生活レベ
ルも後退してしまっていたというな。
>>833 それは数字のマジックって奴でしょ。
ドイツ人口三割減の三十年戦争や欧州人口三割減の小氷河期に比べたら大したことなさそうだけど、
総数で比べたら比較にならんわけで。
重要なのは実数じゃなくて割合だろ、なに言ってんだ
>>844 それは初耳。
そう言えばミシシッピー流域で文明らしきものが発生してないのは何でだろうとか
個人的に疑問に思ってた時期があった。
旧大陸なら古代文明成立しててもいいレベルの大河だと思うんだ。
文明の発生条件が大河・気候だけじゃないってことだろう 高度に蓄積可能なイネ科の穀物とかが必要なんじゃないかな トウモロコシもイネ科だったと思うが扱い勝手は相当違うだろうから 社会構造の大規模化・複雑化を招くまでには至らなかったんだろう
ローマ時代のゲルマニアは蛮族の棲息する蛮地で 西ローマ滅亡以降14世紀頃までのドイツも野蛮人の住む未開の地だったしな
>>847 チャ−ルズ・C・マン「1491―先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見 」に
その辺詳しい。ヨーロッパ人達が到達したときの北米の森林は実は人がいなくなった
ために手入れもされずに広がっただけで、本来は北米の人間が植生を選択して作った
人工環境だったという説だな。他にもミシシッピ河上流の大規模遺跡も紹介されてる。
かなり大きなマウンドを作った定住集落の遺跡が意外にあるぞ。
ただ、まだ文明というレベルじゃないけどな。
http://amzn.to/9Kk9RS >>848 文明の発生条件が大河とは限らないのは同意だが、メソアメリカ文明はトウモロコシで
大規模・複雑な社会構造作ってること忘れるなよ。
古代文明の域は出ないだろ
>古代文明の域は出ないだろ それがどうかしたか?
でも、ゲルマン女はモテモテ
>>852 さも発達した文明があったかのように言いたげだったからな
>>855 スレチで悪いが、
「文明というレベルじゃない」と断ってるだろうが。
メソアメリカ文明のほうだと言うなら、大規模・複雑な社会構造作ってるから
文明と言えるんだろうが。
ただ単に環境や歴史、文化や生活のあり方が違うだけで文明というレベルには
変わりない。俺は普通に常識的なことしか書いてないぞ?
悪いがお前さんの連想した「発達した文明」とやらのイメージのほうがさっぱ
り分からん。
>>850 縄文期の三内丸山遺跡みたいな話だね。
あそこも栗を大量に植えて栽培していた。Wikipedia見たらゴボウとかマメも
栽培していたと書いてあるな。
ゲルマンやスラヴにそういう例はないのかな。
農業とまでは行かなくても、比較的大規模な集落において植物の栽培や
人間に害をなす植物の選択的伐採が行われていた例。
・・・そもそも栽培と農業の違いって何だろう?
特に古代において。
858 :
世界@名無史さん :2010/10/29(金) 22:55:21 0
>856 855のいう発達した文明って「銀タイツ着て宇宙進出してチューブに入った食事している」なんだろw
ゲルマンもスラブも普通に半農半牧、つまり酪農だよ 蛮族連呼するからまるで原始人みたいな生活してたと思ってるやつが多いけど ある程度高度に組織化された社会じゃないとまず戦争すらできない 遊牧民だってそうだろ 紀元前4000年か3000年ぐらいまでにはヨーロッパ全土に農業は広まってる
>>859 タキトゥスによれば農業は女子供の仕事だがな。ゲルマニアの男は戦争しかしない。
戦争が無い時は飲んで喧嘩して。
何かどうしても話が古代へと戻っちゃうね、そりゃ情報源ないのは分かるけどさぁー これぞ中世欧州クオリティw
タキトゥスの場合ちょっと偏見入ってるだろうけど 遊牧民的な傾向が強かったみたいね
中世後期なら本も情報もたくさんあるけどね
偏見も何も無くてゲルマン族の記述は実態そのままでしょ ただ遊牧民というより半農半牧の森林地域に住む部族だろうけど 植生気候風土習俗は中華王朝に対する鮮卑とか女真辺りとそっくり
だって
>>859 が「紀元前4000年か3000年ぐらいまでには」って言うから。
>>857 も「特に古代において。」と言ってるから良いんじゃね。
それから、ゲルマニアの風土では牧畜しか出来なかったともどっかで聞いた。
>>865 紀元前4000年か3000年ww
見落としてたわ‥しかし、ありえねーw電波飛ばし過ぎだろ
>>859 >>866 縄文人と同じ程度には農業してただろうな
何が電波だよこの電波野郎はw
それはケルト以前にリビアからジブラルタル海峡を渡り イベリアからブリテン島まで渡ったとされてる集団の遺跡な フランス以東じゃ今のところ痕跡を確認されてない、はいやり直し
ソースは? 農耕が発祥したのはアナトリアだからヨーロッパのすぐ近く 一万年ぐらい前から中東の農耕民のヨーロッパへの拡散がはじまったから かなり早い時期で農耕がはじまったのは常識だよ だいたいリビアで農耕がはじまったのはバルカンより遅いでしょ バルカンで農耕がはじまったのはBC7000ぐらいだし
ナイルでBC6000って書いてあるから確定だな
>>871 常識
農耕の発祥はシリアからエジプト
バルカンで農耕の痕跡が出土してるのはBC5000頃が最古
エジプトがBC9500頃、リビアがBC6500頃
>>872 ナイル流域の農耕は遅くともBC8000で比定されてる
869をみると小規模な農耕がBC7000にエジプトとインドで起こる エジプトで中規模な農耕がBC6000とある BC5000からメソポタミア下流で大規模な農耕技術が発展とあるな スレチだからここまで
ローマ人がパンではなく米食を主食にしてたら、もっと人口増えてもっと繁栄してただろうか? ヨーロッパの3大失敗 ・パン食 ・キリスト教 ・王制復古
米がイタリアで栽培できるものか。 ちっとは考えろ。 その他の項目も、書く前に胸の中で百数えてよく考えてから書け。
イタリアではポー川流域で米が栽培されてるけどな。 まあ主食にするほどはないだろうけど。
いや? 南伊は米を主食として食うぞ この場合の主食というのは米ばっかりという意味じゃないからな
>>879 水田面積20万ha超えてるって話だから人口考えたら結構なもんだろう。
>>875 バルカンからブリテンにかけてじゃあなく
イベリアからブリテン島にかけて、と、アナトリアからバルカン・エジブトからギリシャ南伊にかけての東西2ルートで農耕・牧畜が伝播した
典拠無しで議論しようとするなよ
>>883 常識だろ常識、というより
>>875 にはちゃんとリビア→イベリアとエジプト→ギリシャのルートが図示されてる、所詮wikiだけどw
それに縄文人もBC2000頃(記憶曖昧)から農業やってる、ただ栗を植えて採取していただけで
一般人がそれを農業ととるかは別だけどね
はいはい
>>857 同じ時代にすぐ隣に居てしばしば戦闘をして和解交渉なんかもやった人が、
ゲルマン人とケルト人とよく区別ついてなかったりするしなー。
イタリア半島の付根ら辺ももともとケルト人の領域だったが、カエサルの時代には
ローマに本国編入されたりしている。
自国にもケルト出自の人がそれなりに居るにも拘わらず、よく区別できない。
後の時代の人が、農耕の跡をみて、これはケルト人の痕跡、これはゲルマン人の……
ってことは容易ではないわな。
>>869 5500年のアイルランドは大陸と地続ではなくなっているが……
>>877 気候条件的に無理。
稲作は、単位面積あたりの収量は多いけれど、それは、高温で、日射が多く、且つ、水が豊富な場合のみ。
使った水と得られる穀物の比率でいうと、効率はとても悪い。
アルプス以北では稲作に十分な温度と日射が得られず、地中海岸では夏季の温度と日射は十分でも、
夏季に乾燥する気候なので、こんどは水が不足する。
地中海岸で池でも作って冬の間に水を貯めて夏に稲作をすればいい……とかいうふうにはならない。
同じ水の量なら麦類の方がよっぽど沢山の穀物になるので、冬場に雨を使って小麦を作る方がよほど
効率が良い。
結局のところ、ヨーロッパ手稲作ができるのが高山に冬場貯まった雪が春〜夏に流れてくる一部の地域のみ。
イタリアのポー川か、スペインのエブロ川かしかない。
>>889 それを言ったら日本でも関東以北では、稲作は困難であるわけでw
もし、中世ヨーロッパに植民したのが大和民族だったら、
おそらく、フランス中部からドイツ南部くらいまでの低地では、本気で稲作を行ったと思われる。
オルレアンとミュンヘンを結ぶ線より南くらいで、なんとか成功したのではないだろうか。
梅雨がない分、6月から7月の気候は比較的安定しており、
しかも気温上昇時期が早いので(日本列島は、北半球温帯ではサンフランシスコ周辺に次いで夏が遅い地域)
ここで積算温度と日照を必死で稼ぐ農法は、案外出来るのではないかと思われる。
イタリア半島では、冬雨をどう溜めて夏に灌漑するかが問題となるが、
冬雨自体は非常に豊富なので、やってやれないことはない。
それに、中世後期の欧州は古典期以来の高温期で、地中海植生がフランス中部まで北上している。
地中海植生(常緑の樫が育つ)なら稲作は潜在的に可能なので、
今ならリヨンが限界だろうが、オルレアンと大きく出たのは、この部分の考慮があるから。
逆に言えば、日本に植民したのが西ヨーロッパ人だったら、台地や丘陵地を悉く小麦畑と牧場に開拓し、
余りにも夏雨が多い九州四国紀伊半島あたり以外では、
ちょうど今のNZのような風景が広がっていたと思われる。
現実には谷地田と屋敷林の広がる関東平野など、牧場と小麦畑のパッチワークになっていただろう。
>>890 文意を読めよ……
ほとんど陸続きで…………海も穏やかだから……伝播しやすいってことだ……
895 :
世界@名無史さん :2010/10/31(日) 20:48:08 0
当方女子大生ですが、 ロミオとジュリエットの世界観というか 中世ヨーロッパって物凄く素敵な時代 だったと思えるんですが・・・ むしろ偏見なんて全くないですよ?
896 :
世界@名無史さん :2010/10/31(日) 20:53:05 0
俺の中で中世ヨーロッパといえば学生の頃のパンキョウのテキストだった ホイジンガ「中世の秋」のイメージ。
>物凄く素敵な時代だったと思えるんですが・・・
価値観は人それぞれだから何を以て素敵とするかも人それぞれではあるが…
にしても
>>895 はすごい偏見はいってると思うなぁ
>>895 夢を壊して悪いんだけど、ロミオとジュリエットの時代は近代。早くてもルネサンス。
中世ではないよ。
中世に関する偏見って言うと、暗黒時代とか遅れた社会体制って事かな。
そのへんの時代的な考え方は、ルネサンスでもそんなに違いはないからなぁ。
釣りすぎるだろ
まぁまぁ お前らJDの言うように、近世のヨーロッパはステキだったと 思うかい?
JDって何? まさか女子大学生のつもり?
西洋でも気候の関係で麦が作れない場所では、雑穀パンや蕎麦の薄焼きを食べていたよね。 しかし日本に牧畜文化が無かったのは残念だ。 おかげで内陸部の住民は慢性的なタンパク質不足に陥り、 貧弱な体格に甘んじていたのだから。
日本への大豆伝来っていつごろ?
904 :
世界@名無史さん :2010/10/31(日) 21:53:42 0
DDだけど吟遊詩人のように美しいJDに囲まれながら永遠の愛を歌ってます。
オオゲツヒメが殺された時、その遺体から大豆も生えました。
ルネッサンス時代ってある意味、所謂暗黒時代より野蛮だと思う。 中世と近世の悪いところを両方持ってる感じ。
>>898 いや一応時代背景としてはゲルフvsギベリンの頃のもんだったと思うが。
まあ、劇の内容は時代考証もへったくれもないからシェークスピアの生きた時代のもんだろうが
>>906 あの辺から戦争が大規模で徹底的になってきたよね
騎士の時代はプロレスみたいなものでなんとなくお互いに手加減みたいなのがあった気がする
>>902 米のアミノ酸スコアが高すぎて、たんぱく不足にはなっても欠乏症になかなかならないから、
肉食や乳製品摂取の確保が喫緊の課題にならないんだよな。
おかげで、おそらく縄文時代以来の、
「狩った動物を食べることにはそれほどの抵抗は無いが、飼った動物を殺して食べることはなぜか嫌がる」
という(実は狩猟民族的)伝統が、明治年間まで残ってしまった。
麦作地帯では、肉や乳が確保できないと、あっという間に子どものたんぱく質欠乏症が蔓延する。
だから肉とチーズの確保は、貧困家庭でも最重要課題になる。
>>903 その解明は困難を極める。というのは、大豆の原種であるツルマメが、
日本在来のごく普通に道端に生える雑草なので、花粉解析が困難だから。
今のところ有力説ではないが、かつて「大豆の日本起源説」すらあった。
状況は稗とよく似ている。
稗も、日本在来の原種がありふれた雑草になっているので、栽培の起源が良く分からない。
ほう、それは深い 文献上などで分かる範囲での最古は?
>>908 戦争のやりかたも「ルネッサンス」してしまったからなw
古代の戦争は、実は「都市の完全殲滅戦」がデフォ。
これを緩めるところから、イタリアの「ローマ都市連合=ローマ帝国の広域母体」が生まれるので、
ルネッサンスの北伊が真似しても、古代オリエントや古代中国のようなひどいことにはなっていないが、
それでも、中世の「騎士のゲーム」的な戦争とは全く種類が異なる。
ルネッサンスが復活させた「市民皆兵」と「殲滅戦的発想」は、近代になっても根強く残るわけで、
ナポレオンの国民皆兵・1945年までの近代国家に普通に見られる国家総動員体制に結実して、
最終的にヨーロッパは焦土化する全面戦争を二回やることになる。
>>908 By Sword And Fire(Sean McGlynn)をおすすめしておく。
人口上昇により戦争が大規模になったのと身代金目当ての手加減があった事はある程度は認めるけど
「騎士の戦争がスポーツマンシップ的なものを持っていた」
ってのはけっこう覆されてきてると思う。
>>911 古代オリエントや古代中国の政策は穏健柔和、共和制ローマに比べるとね
しかし、ルネサンスが18世紀末に始まったとは知らなかったよw
914 :
世界@名無史さん :2010/10/31(日) 23:41:24 0
>909 薩摩や琉球はやはり別民族なのかね?
マキャベリは市民皆兵を復活させようとして失敗したが むしろ復活したのは傭兵による常備軍だ
ただ、17世紀前半頃までは常備兵は主力じゃ無いんだよな 戦いを始める数ヶ月前くらいから募兵を始める
>>909 食物スレでは、米食いは土人で粉食こそ栄養溢れる王者の食とかいってる奴が居たよ?
名物になってる問題児をここでとりあげてどうするんだ 何の参考にもならん
919 :
世界@名無史さん :2010/11/01(月) 02:00:41 0
あの御仁は「芋と豚こそ最高」とか言ってなかったか?
沖縄人?ソーキソバってくどいよな
>>916 だね、マスケットも伝来品なんで西欧諸王国だと大量配備されてたと思われてるけど
普及の速度はむしろ日本より遅くて、火砲重視
日本のマスケットは猟銃だったけどな
西欧のマスケットは日曜大工品だったけどな
マスケットまでは中世、フリンントロックは近世…、 は流石に無理があるか。
>>921-922 マスケット=火縄銃一般か?
戦国時代とそれ以降の日本でいう「鉄砲」はアルケブスで
アルケブスより後に登場したより大型のマスケットに
対応するのは「大筒」では?
>>924 マスケットにはマッチロックもフリントロックもありますが
大筒は大砲をさす場合と大型火縄銃をさす場合がある。
>>892 実際に関東地方の弥生時代の開始は、西日本から何百年も遅れているし。
弥生時代が始まったら水田が関東・東北に急速に普及するけれど、それは、温暖化した時期と重なる。
再び寒冷化すると稲作も行わなくなる。
徳川時代に米穀本位の通貨制度になると東北でも無理して稲作をやっていたようだが、しばしば飢饉に
襲われていた。
>>892 地中海の樫は、常緑ではないよ。
訳がおかしくて、oak = 樫になっているけれども、日本の常緑の樫をイメージするなよ。
どっちかというと水楢とか柏餅の柏に良く似た落葉樹だ。
>>909 稲作の副産物があるじゃん。
イナゴ。
害虫退治が蛋白質の確保と同時にできる。
ついでに、湿田には鮒とかドジョウとかいっぱいいるし。
水を惜しんで冬場でも水を落とさない湿田だと、こういう蛋白源は楽に確保できる。
米穀至上主義の戦後〜高度成長期に収量のあが乾田にしたためにイナゴも
ドジョウもあまりいなくなったが、本来は、田んぼは虫や魚がいっぱいいた。
あいつらのためにわざわざ餌を用意する=飼育 じゃなくて 餌になる場所だから、勝手に寄ってきたって感覚なんじゃなかろうか。
餌っつうか、一家でやる労働集約的な稲作が創る環境自体が 色々な生き物の繁殖に向いてたよねっていう
934 :
世界@名無史さん :2010/11/02(火) 23:23:47 0
>931 普通に麦や芋栽培していても他の生物は寄ってくるのだが。それを食うかどうかは別にして。
>>930 それはquercus robus。俺が「地中海植生」として言っているのは、quercus ilex。
これ(quercus ilex)は正真正銘の常緑オークで、
日本語で言えば、誰がどうみても「樫」であって、「楢」でも「柏」でもない。
見た目は、日本の植物でいえば、ウバメガシにそっくり。
地中海沿岸の極相林としては、
日本語でいえばまさに「カシ林」そのものの、常緑オーク林が存在する。
再生力が弱く、遷移が遅いので、大陸にはほとんど残っておらず、
まともなものはアゾレス諸島にしかないが、
いわゆる硬葉樹林であって、アジア東岸の照葉樹林と対をなすもの。
quercus robusもquercus ilexもイタリアにはあって混在するが、
これは、関東以西でもコナラやアベマキと、アラカシやシラカシが普通に混在するのと全く同じ。
古代ギリシア文学が、「オークの森広がるイタリア」と言う場合、
これがカシなのかナラなのかは分からない。本当にカシ=常緑オークかもしれない。
伝統的なイギリス文学で「オーク」を「カシ」と訳すのは誤訳。
ところが、昨今の気温上昇で、なんとブリテン島南岸にもquecus ilexが上陸してジワジワ進出しているそうな。
最近イギリスではブドウの栽培が可能になっていて、これも中世と同じ。
常緑カシは、西ヨーロッパをかなり北上していたと思われる。
ロシアが干ばつで蕎麦が取れないので、蕎麦の国際価格が上がっていると ニュースでやっていたが、日本人以外で蕎麦を食べるとは知らなかった。
ブルターニュのソバ粉料理とか有名じゃね?
ネパールの人が蕎麦食うよ
ソバアレルギーって外国にもいるのかな
ソバって米も小麦も取れない痩せた土地の貧乏人が食べるモノなのに、 大穀倉地帯を持つロシア人が食べるとは意外な。
ソバの実のカーシャは有名じゃねー?
モスクワ周辺って降水量が多いから植生は豊かだけど 土地そのものは痩せてるし
>>940 > ソバって米も小麦も取れない痩せた土地の貧乏人が食べるモノなのに、
無知故の偏見でしかないが。
>土壌が痩せていて、かつ、寒冷地でも容易に生育することから、救荒作物として5世紀頃から栽培されていた。 って言うから、あながち間違いとも思えないけど・・・・・・ 貧乏人っていうのが癇に障ったとか?
>>931 稲作の水郷地帯ならばそれでいいかも知らんが、
畑作地帯はそうもいかないだろう。
農文協の「日本の食生活全集」読んでも、内陸の畑作地帯の食生活が一番貧しかったな。
タンパク質といえば、味噌汁かたまに作る豆腐、あるいは祭りの日の卵くらい。
このスレ楽しいからパート2の次スレ立ててね
>>945 そりゃ現代日本で農業やってるからであって、昔なら
もちろん人口密度は低いけど、その反面牧畜や手間が少ない天水農業が可能だったから
蛋白源に困ったりはしてないでしょ
山林の村々にしても、かなり土地柄によるけど昔は林業収入が豊かで、ってこれは室町後期以降限定か‥
>>935 硬葉樹のオークは、そんなに数ねぇじゃん。カシ林になるほど生えてないし、植えてもいない。
>>940 ロシアでも貧乏人が食べるカーシャは、蕎麦の実で作る。
大穀倉地帯を持っているのはウクライナで、ロシアは寒冷地でもともとそれほど豊かではない。
大体日本人のイメージするロシア料理はウクライナ料理だし。
日本の東北地方で最適な作物って何だろう? 小麦? 蕎麦?
それは昔の話、いまは米だろうがなんだろうが問題無く育つし
954 :
世界@名無史さん :2010/11/03(水) 10:09:58 0
ジャガイモ
>>954 ジャガイモのおかげで近世以降の欧州の庶民の
食糧事情は改善されたのは大きいね
むしろ個々の困窮の度合いは高まってるんだが。
その分人口が増えたからな 新大陸の食物による人口増加は全世界的におきてたけどね
>>949 そりゃあんたが、開発し尽くされた今の南欧の貧弱な森林に騙されているだけ。
西南日本だって、もし神社神道に「鎮守の森」を残す宗教思想が無かったら、
西南日本の現植生が照葉樹林だったことすら、忘れ去られていただろう。
二次植生自体がいきなり照葉樹林になる九州以外では、
まともな照葉樹林は、日本にだってほとんど全く残っていない。
実際、植物学の知識が普及し、中尾佐助の「照葉樹林文化論」が一世を風靡する前は、
西日本の代表的植生は、「白砂青松」つまりマツの林であるとされていた。
関東でさえ、国木田独歩の文学作品にあるように、コナラやクヌギの落葉樹林が代表的植生と理解されていた。
地中海性気候は、樹木の生育期である夏に乾燥するので、稚樹の生育に厳しく、
なかなか遷移が進まない傾向がある。
こういうところでは、灌木林になるか、葉を落とすことを厭わない落葉樹が卓越する。
(同様の現象は、穏やかなものではあるが瀬戸内海沿岸でも見られる。岡山ではなかなか照葉樹林が成立しない。)
真の地中海植生は、こんなもの。フランス語版のwikiが一番良くできている。
写真だけでもじっくり眺めてみてほしい。
http://fr.wikipedia.org/wiki/For%C3%AAts,_bois_et_broussailles_m%C3%A9diterran%C3%A9ens 中世には、フランス中部までこんな感じだっただろう。
>>951 本来は稗だろうね。稗と堅果(どんぐり類。栗なども含む)が炭水化物源というのが、
東北の、特に太平洋側では一番安定した食糧確保形態。
雑穀の中でも稗がベストで、(実際、稗は日本唯一の「原種が自生する穀物」である。エノコログサは史前帰化説がある)
粟、黍など、他の雑穀はいまひとつ。
粟は、むしろ華北平原に最も適する穀物で、前漢末にはこれで華北の人口は驚異的に増大した。
(清の人口爆発に至るまで空前絶後の数字だったらしい)
華北は冬から春先に雨が降らないので、小麦には向かない。
ジャガイモは、実は東北では「温暖すぎて、持続可能な農業ができない」らしい。
昭和初期の岩手で、ジャガイモの栽培が奨励されたが、
種イモの自給が出来ず、結局農家は窮乏するばかりだったそうな。
ドイツくらい寒くないと難しいんだろうね。
>>945 既に指摘されてるけどスズメバチとかの昆虫食はそういう地域で盛ん。
961 :
世界@名無史さん :2010/11/03(水) 19:53:02 0
というか、ジャガイモを多く作っても、江戸時代にはあまり売れなかったでしょ。
962 :
世界@名無史さん :2010/11/03(水) 20:29:10 0
岩手は蕎麦と南部せんべいがあれば大丈夫。
米があるのにわざわざジャガイモ食う意味無いもんな
収穫できればそれなりに利用されていくと思うけどな
ジャガイモが普及したら和食の幅ももうちょいだけ広がったな ジャガイモ豆腐とか
ジャガイモの芋もちは好きだ 肉じゃがは生まれなかったかもしれないが、魚とジャガイモを醤油とみりんでとかなら生まれたかも
967 :
世界@名無史さん :2010/11/03(水) 21:46:29 0
江戸前ピッツア
968 :
世界@名無史さん :2010/11/03(水) 23:45:56 0
>>961 そうでもなかったと思うぞ ジャガイモは醤油にあうから、
969 :
世界@名無史さん :2010/11/03(水) 23:49:47 0
>961 食えるものなら何でも食ってた時代に売れないことはないだろ。まして芋は年貢取られないんだから。
サツマイモ…
芋も年貢取られるし、町人はともかく農民や職民や商民は何でも食ってたわけじゃないけどな どんだけ暗黒史観に染まってるんだっていう
972 :
世界@名無史さん :2010/11/04(木) 01:20:50 0
>971 芋に年貢ってどれだけ困窮した藩だよw
芋でも何でも、再調査した時に植えてあったら交渉次第になるよ 屋敷地の柿や村有地の竹林に生える筍なんかも、年毎に収めてるし 米じゃないから年貢とは呼ばれなかったけど、網料や何かと一緒で毎年定納
974 :
世界@名無史さん :2010/11/04(木) 05:01:25 0
>>945 うろ覚えだけど岩手の北上高地だと山菜やきのこの利用すら少なかったってあった。
山間部だと農耕にある程度見切りを付けて、山の幸も精一杯利用しようとする地域が多いようだけど、ここはそうではなかったんだな。
ちなみに同じ本で秋田県境の村は狩猟・採集・漁労も農業と合わせてよく行っていたという記述を記憶している。
スレ違いだけど一番このシリーズで印象的なのは宮城のどこかの犬食と、今や東京のベッドタウンの相模原が日本の中でも貧しいほうの食生活だったこと
それはあくまで現代の話、前近代の日本とは何の関係も無い
976 :
世界@名無史さん :2010/11/04(木) 07:32:35 0
狩猟しなかった、山の幸も精一杯利用しようとしなかった連中というのは、「山の民」ではなく、平地から戦乱・貧困を逃れてきて歴史の浅い連中の系譜だったのかもしれない。
>>973 ウチの地元じゃ殿様とその家臣の草鞋を千足納めていたな。
欧州中世が奥州中世になって、今や江戸時代の考察かにゃ。
中国中世なら、市定たんがおもしろおかしく入門本を書き残してくれたから
マジで話しがやりやすいのだが……
>>974 いやいや、結構百姓はつらいもんだべさ?殿さんとかそう言うのはあんまし苦労はせんが
お天道様だけはどうにもならんのでな。
979 :
世界@名無史さん :2010/11/04(木) 21:22:37 0
ヨーロッパの年貢はどうだったのかね? ジャガイモ伝来後は芋で年貢とかありそうだが。
>>958 古代以来ずっと都会だった難波・大阪からすぐ近くの箕面や能勢のようなところにすら、
傾斜地を面倒がって手を入れてこなかった山林があるのに?
吉野・熊野だって神域だから残ってたわけではなく、伐り出して運ぶことの難度の高い
ところはずーっと放置されて杉も檜も植えられてなかった。
中国山地も瀬戸内海から見える範囲は塩田のために切り出されて荒れたところに赤松が
生えているけれど、そこを越えたら、もう熊の出るようなところだし。
>>972 田畑何畝に米穀ナンボという取り方しているから、芋を植えて量的に確保しても
年貢のために米に換えなきゃあならんだろ。
>>979 ジャガイモは毎年同じ畑に作ることが出来ない。
豆だの麦だのと交互に作るから、ジャガイモを沢山作ってるようなところは、
地域全体としては他の作物も相応に出来てる。
そもそも、芋は日持ちがしないから、租税には向かない。
ジャガイモは大航海以後だからもう貨幣納税になってて 物納はしてないと思う
戦前の徴兵検査では、漁村出身者に甲種合格が多かったということだ。 良質のタンパク質やカルシウムを豊富に摂取し、日々の労働で鍛えられていたから。
甲種通らないのなんてよっぽどの虚弱体質か伝染病持ちくらいだぞ
東北出身者や農村出身者も甲種合格が多かったよ、貧弱なのは都市民w
>>983 銭納なら銭納で換金せんにゃあならんだろ。
甲種なんてなかなか通らないので、甲種になると評判になったそうだが。
明治から昭和にかけて、甲種合格率はどんどん上がった 最終的には少々の病弱くらいなら当たり前に甲種と判定された
991 :
世界@名無史さん :2010/11/05(金) 13:29:53 0
それでも不合格になった三島由紀夫って・・。
三島は肺病を疑われたからな 徴兵検査で最も神経質にハネたのが肺の故障 結核なんか撒き散らされたら一部隊が壊滅しかねない
津山三十人殺しの人も、肺病で徴兵にはねられて悔しがっていたとか。 これは整体の知識らしいので、ちっとも科学的ではないのだが 六種体癖という戦場に行きたがるような気質の人は 気管支炎や喘息や肺病を患いやすいらしい。 チェ・ゲバラもこれ系で、喘息持ちだとかなんとか。
んでも三島由紀夫なんて徴兵されてたら即前線送りで死んでただろうけどね 無駄に勇ましいだけの奴は扱い辛いんだそうだ 軍も官僚組織だから、お役所的に淡々と職務をこなすタイプのほうがよほどいいとか
だからヒトラーと軍部の間に冷たい風が吹いてたわけか
あれだな。 やる気がない無能者は、王か兵にしておけ。 やる気がない有能な者は、指揮官にしておけ。 やる気がある有能な者は、参謀にしておけ。 やる気がある無能者は、殺すしかない。 とかなんとかいうやつ。
軍隊はこの世に在る組織の内で最も現実的で世俗的なのだから当然っちゃ当然 稀に現実無視して暴走する帝国軍もあるけどw
我らが伍長殿は消化器系が弱いが呼吸器系は問題ない ナポレオンも同じ 自分はハンニバルの生まれ変わりとか言ってたパットンは元気すぎてトラブル起こすほどだった
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