487 名前: イタセンパラ(中部地方)[sage] 投稿日:2010/07/04(日) 15:39:41.17 ID:KB4+OuMq [2/2] 民主党といえば、石井紘基の暗殺事件も全く闇に葬られたままだよな。 石井紘基といえば政府役人の不正・税金のおかしな流れを追っていた人。 ある日、ついに何かを突き止めたみたいで、国会でこれを質問すれば与党がひっくり返る!と 周囲に語っていたが、質問日当日になって自宅前で在日に殺される。質問関連の書類が 入っていたと思われるカバンだけが盗まれた。(カバンを盗むためにわざわざ指まで切断していた) オウムの村井刺殺事件もそうだし、なにかってーと暗殺の鉄砲玉にされるのが在日の右翼団体構成員なのは なんでなんだ?お決まりのパターン過ぎて気持ち悪いんだが・・。 真相はなんでしょうか?
しかるべき板へ行け
袁世凱の死から、北洋軍閥の内紛、蒋介石の北伐、日中戦争、国共内戦までの流れがカオスすぎて分かりません。 何がどうなって、袁世凱死後の長い混乱が国共内戦の終結で一気に片付いたのでしょう?
一気に片がついてないけど、まぁそういうことにしておくか。。
とりあえず中国をカオスにした元凶である軍閥は一掃されたっしょ?
内陸のほうは旗色を変更してそのまま温存してたりする 西北の馬家軍みたいに解体しちゃったわけではない
じゃあ、北洋軍閥や地方軍閥をルーツとする軍閥が消えて、 人民解放軍にとってかわられたのはいつ?
>>9 1949年
揚子江両岸を取られて一気に大勢決着
これで地方軍閥が旗の付け替えをしてしまい蒋介石涙目
>>西北の馬家軍 オリンピックで大活躍してたよな。
ばかぐん?
ウガンダには国から認められた部族の王様がいて、それらは90年代に復活したものらしいけど、 どういった経緯で復活したんだろうか
14 :
世界@名無史さん :2010/07/06(火) 14:45:12 0
>>9 軍閥は消えていない。人民解放軍の軍管区と名前を変えて今も健在。
「軍閥」という言葉自体、明治日本から輸出・転用されたネガティブイメージのある用語だしなあ 他に呼びようがないけど
マレーシアにスルタンが残っているのはどんな理由ですか? 植民地支配やその後の独立の際に淘汰されなかったんですか?
どうして、古今東西で皇帝の親衛隊が、皇帝を廃立するほどの権力を持ったり、 地方の軍司令官が軍閥化して軍権と行政権の両方を掌握して、半独立国家を築いたりするような事が、 懲りもせずに繰り返されるんでしょう?こういう軍の暴走に歯止めをかけるシステムは、 近代以前の帝国や王国では無理だったんでしょうか?
明清では初期と末期以外起きてない気がする
そもそも、肯定が自分を護るには親衛隊とか近衛部隊とかのたぐいに十分な兵力を用意して その指揮官に権限を与えねばならず、 親衛隊の兵力・権限が増大すれば、とってかわられてしまう危険がある これは根本的な矛盾なのだから、抜本的にはどうしようもない
>>17 軍事力が国家権力の正統性を担保する根源だから。
>>19 皇帝自身が近衛軍の指揮官をかねていれば良いじゃん。
近現代だって軍の暴走に歯止めをかけるのは難しいんだけどな
ソ連のスターリンなんかさ 赤軍の有能な将校はみんなシベリア送りにしたんだよ/ これこそシベリアンコントロール
えーと、期待されてるんかなあ、こういうのを うあー寒ぅ〜
南米のフエゴ島はなんでアルゼンチンとチリに分割統治されてるの? Wikipediaを見ても理由が書いてなかった。
>>21 この皇帝の言うこときくの嫌だ、といわれとオシマイよ。
結局、複数候補者があれば、従うに足ると親衛隊に評価された人が皇帝になるから、
親衛隊が廃位だの擁立だのを決めるということと同じじゃん。
カール5世が領土を二分して、スペイン・ハプスブルク家とドイツ・ハプスブルク家に分けた理由は何ですか?
>>17 そもそも親衛隊や宮廷軍が弱いと国内の豪族とか大貴族に対抗できないし
他国や蛮族が攻めてくる辺境の軍団は強大な戦力を持たざるを得ない。
イスラム王朝では前者のウェイトが大きく中華王朝では後者のウェイトが大きいような。
>>28 しかし、強大な戦力を持つのと、統制が効かないぐらい強大な権力をもつのは違う。
強大な戦力を持っていても、統制が効いていれば君主権力を脅かす事は無い。
>>30 フランスがいるなら、なおさらスペインとドイツとその他を合わせた広大な領土による国力で、
フランスを圧倒すべきと思うんですが。
オスマントルコとかルターが出てきてフランスを攻める暇 がなかったとか 書きながらわかった フランスとオスマントルコ仲がいいから(カピチュレーションのからみ) いやわからんけどね
33 :
世界@名無史さん :2010/07/07(水) 19:10:38 O
必見!創価自民日本壊滅テロ組織の悪行を知って下さい。 永らくの自公連立政権で法律を改悪し、宗教無課税を悪用、 同和在日特権で陰で国から金を吸い上げまくり、金持ち日本を極貧日本に陥れた巨大な寄生虫。 たった一年足らずの民主政権の揚げ足取りは凄まじい。 テレビ雑誌ネット噂話あらゆる情報網に創価自民会員を配置して権力をダシして敵対者のケアレスミスを徹底的にあげつらって騒ぎ 自分達の犯している数え切れない凶悪犯罪は闇へと葬るか敵対者に罪を着せる。 外国人参政権は隠れ創価自民の小沢の民主破壊案。 口蹄疫は創価自民のバイオテロ。多額の保証金を国から奪い国債を激減し消費税upを工作。 民主政権支持率を激減させる計画。騙されないで下さい。
しかるべき板へ行け
>>27 単純な相続問題だな。神聖ローマ帝国はカールの弟フェルディナントの影響力が強い。しかも彼の妻は
ハンガリー王女である。帝国を彼に与えなければ大騒動が起きるのは間違いない。
しかし彼に全部やってしまっては息子のフェリペをどうするの?弟(フェルディナント)に臣従すればそれで良い
と思う人はあまりいない。スペインはフェリペにやるのが自然だろう。
>>32 フランスとオスマン朝の仲がよかったのはハプスブルクに挟まれて脅威を感じたフランスがオスマン側に接近したからなわけで、君の理解は因果がひっくり返ってるよ。
37 :
世界@名無史さん :2010/07/07(水) 21:11:23 0
「敵の敵は味方也」
スペインに行ったりドイツに行ったりが大変だったからだろ。
「敵の敵も敵!」 この世界に味方なんどおらぬ。おらぬのじゃ。
自分が一番の敵だからな
ローマ時代は文化的にかなり高度なレベルまで発展していたのに、西ヨーロッパ帝国崩壊後は 一気に文明が衰退したのはなぜですか? ローマ時代の湯沸かし器付き風呂を作るほどの技術力は中世ヨーロッパにも引き継がれていたのでしょうか
42 :
世界@名無史さん :2010/07/08(木) 09:45:54 0
軍人皇帝時代には既に衰退が始まってたよ 衰退の最大原因としてよく言われるのは市民が働かなくなったから
>>41 キリスト教のような怪しげな宗教が蔓延し、知的レベルが落ちたから。
黒死病が流行るまでは一応西欧の都市部にも公衆浴場はあった かつてのテルマエよりだいぶ質は劣るが
45 :
世界@名無史さん :2010/07/08(木) 15:26:11 0
>>41 劣化金貨ばかりで国の金庫が底を尽いたから
>>43 長い太平とともに怪しげな宗教がはびこるのは世の常だな
19世紀の七つの海を支配した超大国イギリスが、 20世紀に入って急速に衰退し、支配力と影響力を失い、 アメリカにとって代わられたのはなぜでしょうか?
二度の世界大戦での総力戦と大恐慌でぼろぼろに疲弊したから。
>>47 それはさすがに自分で調べれる感じがするけど
>>45 人間(市民)腐敗したからだと思う。
より強い刺激を求める→舞台装置や剣闘士の試合の費用が増える→
ハンニバル戦争前の個々の市民が、畑を持って自立していれば素朴で根が強い国家
であったと思う。 スパルタ人もペルシャ人も始まりはそんな感じで強かった。
>>48 では、同じく二度の世界大戦に参戦し、大恐慌の影響が大きかったアメリカが次世代の覇者になったのは?
52 :
世界@名無史さん :2010/07/08(木) 20:16:46 0
戦場にならずにすんで戦後の世界への工業製品農業生産物を一手に引き受けたから
53 :
世界@名無史さん :2010/07/08(木) 21:46:37 0
すみませんが、馬鹿すぎる質問をさせていただきます。 明を破ってできた清は、漢民族もある程度政治に参加させていたようですが、辮髪などを強要していましたよね。 ではもし、秀吉が明を征服できていたら、どのような支配体制を築いたのでしょうか? 秀吉は天皇を北京だかどっかに住ませて、自分も移り住むことを計画していたようですが、まさか日本の髷を強要したりはしませんよね…… 皆さんは、秀吉はどのような構想をもっていたと思いますか?
>>53 このスレでは歴史上のIFには答えられません。
実際に起きた事についてしか答えられません。
スレ違いです。
>>50 市民兵制で兵員と農民とが同じだと、農閑期にしか戦争できないよ。
人間の密度が低いポエニ戦争の時代なら、冬場の農繁期には兵隊さんがみんな我が家の畑が
気になって帰りたがって戦争にならないから自然休戦とかにもできたけれど、人間の密度が高いと
畑仕事が忙しくても戦争できてしまうし、冬場にヒマな北方系ゴットランド人やフンガリア人みたい
なのが攻めてきだしたらそうも言ってられないよ。
ちなみに、地中海圏は、冬場が農繁期で、春夏はヒマだよ。
56 :
世界@名無史さん :2010/07/09(金) 11:21:55 O
めちゃくちゃ言ってるな、古代地中海の農閑期と自然休戦は関係ねえよ 冬期は普通に戦争なんかやりたかねえんだ、寒いから ローマみたいな中部イタリアでさえ冬の野営は辛い ましてガリア以北なんて正気じゃない 海上も冬期は荒れるから、フェニキア人もアテネ人も休戦する 基本としてこの気分があるから、兵役も物資も自然これをベースに回すようになったんだ ローマが徴兵から常備軍に制度移行した後も、自然休戦はそのまま残る ただ、前線警備は季節を問わないし 蛮族の侵入は食料が底を突く冬に活発だから冬営はするようになったが
ローマ帝国の常備軍も純粋な兵員ではなくて屯田兵的な性格があって、 やっぱり田畑が気になるから冬場は戦争したなくないわな。
はあ? 常設化後のローマ兵は完全に職業軍人だぞ? 正規で25年、補助で30年軍隊一筋でやってるのに畑もクソもあるか
農作業って基本奴隷の仕事じゃねーの?
農業は基本的に農民の仕事で、小作人や奴隷も使う 大規模農業になるほど小作人・奴隷の数と比率があがるが、 ローマ人が大農場経営者ばかりだったわけではなく、中小農民も大勢いた
日本の部落の人ってヨーロッパで言う奴隷なんかな やっぱりインドでいう不可触民なんかな
常備軍のローマ兵は長い兵役を務めあげてから、 退職金代わりに土地を与えられて農民になれるんだよね。 ていうことは、ローマでは兵士<自作農? 兵士の社会的地位って低かったのかな?
>>61 部落民は奴隷と言うよりインドの賎民に近い。
賤業に従事しているから、賤しい身分として扱われた。
小規模農業従事者というのが、拡大期以降のローマで激減したのは史実だ これは、そもそもイタリア本国の耕地が比較的貧弱なこと、シチリア獲得により安価良質な作物が大量に流入したこと などによる小規模農家の没落に、元老院議員の保有船舶に関するクラウディウス法(事実上の商業従事禁止) により、元老院階級の資本が農地買い占めに流れたことが拍車をかけた 前2世紀以降、ローマの農業といえば資産家による大規模農業と言ってもほぼ間違いはない それ以外では小作農とコローニア入植者(退役軍人)による開耕地くらいだ
奴隷は戦争や商売などで得られる家畜としての人間だが、 賎民は社会の中で形成された非差別職能民(の集団)。 奴隷に触るとケガレるとかの迷信はないし、 賎民も差別はされたがいろいろ特権はあった。
ローマ軍団兵は、ローマ市民権を持ち、厳しい任務と訓練に耐え、 命を張ってパクス・ロマーナとインフラを維持し、手に職もある中産階級。 農民や商人が平穏に暮らせるのも、軍の活躍あってこそ。 軍役期間中は給料も(多くはないが)出るし、衣食住も退職金も保障されている。 16歳から軍団兵になったとして、20年勤め上げれば36歳。健康ならばあと20年以上は生きられるだろう。 退職金や入植地でもらえる農地は、「第二の人生」を始めるための資本金ですよ。 そういってガイウスさん(38歳)は笑った。
>>66 じゃあ、貧民が食うためにローマ軍に入って、20年勤めあげて土地貰って自作農になるという、
プチ・サクセスストーリーはありえないのか?
殖民先で開拓や土木業やったり、軍団基地で店を開いてみたりするのもいいんじゃないかな。 もと軍団兵だったなら市民としての箔もつくし、市民権はあるからいろいろ優遇されるよ。 百人隊長クラスだったら地方の市会議員にも立候補できそうだ。 それに軍団も戦闘要員だけじゃなくて、医者、床屋、パン焼き、鍛冶屋なんかもいる組織だから、 そのまま定住させても暮らしていくのに不便はないんだ。
>>67 土地といっても、ヒスパニアの都市のそばのどこそこ、という感じで、
要するに田舎村の百姓をやれるというだけのこと
軍務中に現地妻を作って、そこで土地ももらって幸せに暮らす退役兵もいるが、
さっさと売り払って商売の元手にする場合もある
どちらにせよ、大した土地ではない
>>69 田舎町の百姓ってのは、軍団兵を20年間勤め上げた報酬としては十分なものではないのか?
>>70 無産階級にしてみればまあまあ、という程度だな
今の感覚で言えば給与退職金あわせて1000万もらえる程度か
軍団兵てのは名誉もあったんじゃないかな? それと横のつながりね。
>>67 「食うために軍に入る」のはマリウスによる軍制改革以降なら普通にありうる。
徴兵制(ただし一定以上の資産を持っている市民に限る)が志願制になったからね。
そういや海外ドラマで百人隊長が退役後、政治家に転向してカエサルの側近になる話があったな。 ああいうのは、実例があることなのかな? 奥さんを寝取られたり、主人のカエサルが暗殺されたりとかなりドラマチックな生涯だったが。
>>58 常設化前の王国時代共和国時代のローマでも、指揮官は専業だよ。
一城市国家で公職が持ちまわり制やクジ引制だった時代にも、軍を組織して
指揮する段での最上位指揮官は選挙制、選挙で選んだ指揮官が下位の指揮官を
指名するということをしていた。自ずと、指揮官は専業化する。
兵隊は皆兵だから、大多数は農民。
帝国時代の志願制の常備軍にしても、兵員は平時は辺境警備を兼ねて入植開墾が
主な仕事で、最終任地の農地を貰って定住する、屯田兵っちゃあ屯田兵だ。
なにトンチンカンなこと言ってるんだ、畑が心配で戦ができないなんてことがあるわけないって話だろ
>>74 制度上、財務官か護民官を務めないと議席は貰えない
キャリア無視でいきなり元老院議員になるのは異例というかありえないが、
カエサルがそれをやったのは史実
議員定数を倍増して、ガリアの部族長やら配下の百人隊長やらを大量に議員にした
ヴォレヌスはガリア戦記に登場する人で、元老院議員になった記録はないが
似たような人物はいたということだな
こちらでいいのかどうかわかりませんが質問します。 アレクサンデル6世(ロドリゴ・ボルジア)のような「実子のいる教皇」は他にいたのでしょうか。
>>76 ローマから2千年位後の第二次世界大戦の頃にもあったんだが。
日本の話だぞ、赤紙は田植えの時期過ぎてからにしてくれと農村部の役場から嘆願が出たり、
農繁期に徴兵すると士気が下がるからなるべく農閑期に徴用しろと軍部に指令が出ていたり、
兵員の手紙や日記を検閲したら、田畑が心配だというようなことが決まって書かれていたとか、
よく知られている話だろ。
>>79 ねえ、本気でバカなの?
マリウス以降のローマ兵は職業軍人だって言ってるだろが、ドン百姓の徴収兵じゃねえんだよ
アレクサンデル6世の先代インノケンティウス8世も大勢の庶子をもうけている。 ネポティズム(親族登用)とシモニア(聖職売買)、魔女狩りと異端審問を活発に行い、ルネサンス教皇の中でも特に悪名高い。 他にも庶子のいる教皇はたくさんいたが、庶子の中でもチェーザレほど有名なのはいない。
>>80 志願制だけど、屯田兵みたいなものだよ。
辺地を開墾しながら自活してんだし。
してねえって。 ローマの軍団基地の周囲には農村があり、人が集まり商業もやり、現在に繋がる都市に発展した。 土木作業は業務の一環だから兵士もやるが、訓練が忙しくて農業やってる暇はない。 農業するのは現役兵じゃなくて、入植した「退役」兵や、周辺の地元農民など。 帝政末期に軍事費が増大して兵士の給料が払えなくなると、自活させるために辺境の兵士は屯田兵にした。
だいたい自慢のローマ街道で兵糧や軍需物資ぐらい輸送できるだろ
ローマは初期の時点から、兵が畑を気にして戦にならないなんてバカな事態に陥ったことはない そうならないために実際に軍務に就くのは兵役適用対象の一部、それも原則1年任期で交代という制度になっていて、 しかも1年の軍役さえ生活の負担になるプロレターリは徴兵対象外としている 嫌がる百姓を根こそぎ畑から引き剥がして兵隊に仕立てる支那とは根本から異なる
ローマの軍団兵は志願兵で、末期は傭兵でしたが、 その後継国家たる東ローマ帝国の軍団兵もまた志願兵だったのでしょうか? それとも傭兵でしょうか?徴兵でしょうか? 時代によって変わっていったとしたら、その変遷も教えていただけると助かります。
でもあれだよ。 退役兵って固まって屯田してたらしいし、いざとなれば昔とったなんとやらで武器をとって駆けつけたりもしたんだろ? とくに内乱のときなんかさ、一緒に生死や寝食をともにしたこの将軍に皇帝になってもらわなきゃ!みたいなのはあったでしょ?
>>74 百人隊長ってのはノンキャリア組のトップだろ?
一平卒からの叩き上げ。
当然出自も低い。
軍曹みたいなやつらだぞ。
当然政界進出はまずありえない〜
カエサルの部下、たとえばクリオとかアントニウス、ラビエヌスとかってのはそんなに家柄はよくないかもしれないがど平民ではない。
幹部候補生としてカエサル軍団に入隊してるんだぜ?
会計官とか。
いきなり少尉とかで軍隊生活開始なんだよ。
だからカエサルの子分として政界進出してゆけるんだ。
今の政界でも秘書が地盤やカバンをもらって政界進出はありえる。 でも選挙のときに街頭でちらし配ってるやつが政治家にはなれません。 百人隊長は百人隊長でしかないのだ!
まあ百人隊長から叩き上げて軍団長になる奴はいたけどな 軍人のコースは基本的にこっち、帝政ではさらにここから皇帝になったりもした
>>90 トラキスとかプロブスか!!
あんなのローマ帝国崩壊寸前の皇帝じゃん!
百人隊長は基本的に出世しちゃまずいんだよ 前線指揮官と司令官は仕事が違う、現代でも小隊長、中隊長クラスと大隊長クラスでは職務が隔絶してる 偉くなくても兵レベルで軍団を掌握しているのは百人隊長で、彼らがいなきゃ戦争はできない
>>88 確かに百人隊長上がりの元老院議員はいないね。
どんなに出世して軍団長にまでなっても、
そこまでいけば相当な高齢だから、多額の退職金貰って引退するのが普通。
>>91 いや、皇帝にまではなれなくても、帝政が安定してる時期にも、
百人隊長上がりの軍団長はいたよ。だいたいそこで引退だけど。
コマンドー上がりがカリフォルニア州知事になっているたのしい例もあるけどな
>>92 そんなことはない。百人隊長の間でも序列があって、上位の百人隊長は下位の百人隊長を指揮して、
多くの兵力を指揮できた。その中で最上位ともなると、貴族の幕僚と共に作戦会議に参加するレベル。
それがさらに出世すると軍団長。まあ、物凄く狭い門だけど。
そもそも百人隊長は死亡率が異常に高く、畳の上では死ねないのだ。
カエサルの部下についていうとさ。 カエサルがかっこいいんだよな。 家柄がいいのに冒険して戦場で先頭に立って。 そりゃあこがれるよ、若者達。 で良家の子女がどんどんカエサル軍団に入って子分になった。 危険だからやめて!っていう母親の手をふりきって家出するみたいにカエサルのもとにね。 あれですよ。カエサルは矢沢ですよ、尾崎ですよ、たけしですよ。
かっこいいというなら、ポンペイウスもいい勝負な気が。 20代で凱旋式やった軍事の天才だし。
クリオなんかかカエサルの嫁さんの間男だったんだぞ。 それをカエサルはかわいがって えぇ話や。。
一方カエサルはポンペイウスの嫁を寝取った
カエサルとポンペイウスが完全な盟友になって、 二人で分担して征服していけば、ローマはどこまで広がったんだろうな? カエサルは西欧から中欧まで、ポンペイウスはパルティア征服とかできたんだろうか?
領土は拡大したかもしれんが、その後が続かん 共和制の制度疲労は限界だったし、広がった領土を防衛維持するだけの軍事力も難しい マケドニアやモンゴルのように、絶対指導者が死ぬとともに分裂するのが関の山だったろう
>>103 そ、そんなのうそだぁ!!
不潔だ!
そんなの!!
ネロは女装したり、女装させて愛人にしたり
カエサルは若い頃ビテュニアッー王とアッーな関係にあったという噂だし オクタヴィアヌスのアヌスをどうこうしていたという噂も
めんどい
ギリシャやらローマやらでは、ホモは普通なの。どっちもイケる人が多数派なの。 女だけ好きな男は、どっちかというと、変わり者。 ホモ恋愛が大マジで、結婚して嫁さんと寝るのは家のためにしゃあことなしに、 という人も結構な割合で居た。
ローマの百人隊長と言うのは、兵士が昇進してなるものですか? それともある程度の身分と教育がある人がなるものですか? それとも、その二つのルートが混在してるのですか?
軍団兵が昇進して百人隊長になる。 その下には、上から副隊長、連絡士官、十人隊長、軍団兵がいる。 百人隊長が出世すると、下から中隊長、大隊長、筆頭大隊長、陣営長官になる。 このへんまでがノンキャリアの限界だが、筆頭大隊長が退役するとエクィテス(騎士)身分が保障された。 軍の一番上には皇帝/総司令官(インペラトール)がいる。 元老院議員は将軍(ドゥクス)、軍団指揮官(レガトゥス)、兵団長/幕僚(トリブヌス)を勤めた。 駆け出しの元老院議員は幹部候補生として兵団長見習いをやり、指揮官としての軍務経験を積んだ。 エクィテスは中間管理職の騎兵隊長や幕僚などをやり、功績を立てて元老院入りを目指す。
庶民から騎士身分って結構な出世だな。まあ、狭き門なんだろうけど。 騎兵隊長と中隊長・大隊長・筆頭大隊長ってどっちが偉いの? 騎士身分が中隊長・大隊長・筆頭大隊長になることってないの?
別に、明確な身分差があるわけじゃない 騎士階級は財界人 一定資産(騎兵供出義務基準)を持つ市民を騎士階級と呼び、 資産家ゆえ当然ローマでは、元老院階級に次ぐ発言権を持つ これが帝政に入ってしばらく経つと、皇帝直下の官僚として使われるようになり 皇帝の側近(になれる有資格者)という意味合いが出てくる
>騎兵隊長と中隊長・大隊長・筆頭大隊長ってどっちが偉いの? ローマの騎兵隊長はただの騎兵隊の隊長ではない 執政官(軍総司令)の補佐、幕僚であり、軍団長と同格あるいはやや上 百人隊長クラスとは比較にならない、元老院階級がこの任務に就く >騎士身分が中隊長・大隊長・筆頭大隊長になることってないの? 騎士階級は原則重装騎兵か軍団付幕僚を担う 以上はマリウス以前の徴兵制下のことで、志願制以降後は騎士階級が軍務に就くケースは少なくなる これは、例えばGMやIBMの経営者が軍に入ることがほとんどないのと同じ 一方、公職に携わるにはローマでは軍務経験が必須であり、元老院階級は変わらず軍指揮の中核を担い続ける
中世や近世のポーランドは食糧の輸出国として潤っていたらしいですが、 逆に言えば中世や近世のポーランドの周辺諸国は食糧を輸入しなければならないぐらい、 農業がうまくいってなかったのでしょうか?ドイツあたりなら、食糧自給できそうな気もしますが。 ポーランドの農業技術と農業経営形態と、周辺諸国のそれに大きな差があったのでしょうか?
食糧の輸出を何十年とか続ければ、 完璧に「飢餓輸出」になるんだよ。 外国債務の返済のために半世紀間黙々と小麦の輸出をして 国内は飢餓状態が常態という国もあったんよ。 19世紀前半のアイルランドとかの例も参考にしてちょ!
117 :
古代ギリシャ文明はうそ :2010/07/12(月) 19:19:53 0
116 :起源の捏造 1/2:2010/05/27(木) 02:20:21 0 例えば 『形而上学』の原文、ギリシャ古註、中世ラテン訳と 近代訳を幾つか比べてみれば 近現代のある時期まであった、ギリシャ起源を無理にでっち上げようとする傾向が 簡単に、具体的に分かるんだけどね ■アリストテレス 原文の文脈は『形而上学』第一巻第一章冒頭の有名な 「すべての人間は生まれつき知ることを欲する」に続く一連の話 ある意味で知識社会学的な記述 人間にとって重要な二種類の知についての記述が続く ・ひとつは個別なものに付いての知であり、習慣に基づいた経験empeiria ・もうひとつは原因の知に基づく、普遍的な知である技芸知 techne(ars) 後者は原因を知る知であるがゆえに、他者にも伝達しうる学問的知識である つまり、技芸知とは学問的知識epistemeであり、単なる経験ではない ところで、技芸知にも、必要を満たすものと、そうではないもの(=純粋な学問的探求としての技芸知)がある 後者の方が、より叡智的なものである 後者は、有用性のための技芸知が一通り完成して、人々が余暇を有する(esckolasan)に至った土地でうまれた 「そうしたわけで、エジプトにおいて、最初にproton数学の諸技芸知hai mathematikai technaiが起こったのである。 というのも、そこでは僧侶階級に余暇を持つことskholazeinが許されていたからである」
118 :
古代ギリシャ文明はうそ2 :2010/07/12(月) 19:22:10 0
119 :起源の捏造 2/2:2010/05/27(木) 02:27:14 0 ■トリコ訳(1953年) このアリストテレスの文章に対し 例えばトリコは20世紀の半ばに 「ギリシャが絶対的な起源であるという視点は、近年の研究に基づき捨てる必要がある」と述べた後で 「しかし、東方で生まれた学問は、有用性と経験に基づくものに過ぎなかった(!)のであり、 理論的抽象的知識になったのは、ギリシャにおいてであると言うことも可能かも知れない(!)」と アリストテレスの記述を完全にねじ曲げる注をつけ さらにアリストテレスの文章を次のようにバイアスのかかった形で翻訳する 「たとえば、エジプトは数学の諸技芸知の揺りかごberceauであった。というのも(…)」 つまり、アリストテレスは、はっきりと「最初にエジプトにおいて、有用性から切り離された、 普遍的なものに関わる学問的知識と技芸知が形成された」という話をしていたのに それは、揺りかごに過ぎなかったというニュアンスの文章へとねじまげられる これに対して、例えば2003年のツェクル訳は、エジプトに学問の起源がある、と、アリストテレスを素直に訳す ■古註、中世ラテン訳 ちなみに古註(アリストテレスへの古い時代の註釈)として、たとえばアフロディシアスのアレクサンドロス(2〜3世紀)は 同箇所への註釈で、エジプトに置いてhai mathematikai epistemai(もろもろの数学の学問的知識)がうまれたとした上で 単なる空の観察から天文学が、実用的な測量などから幾何学が「学問的知識として」「エジプトで」生まれたという過程を記述している 中世のメルベケのギョームによる改訂ラテン訳は Vnde circa Egyptum mathematice artes primum constiteruntと素直に訳してますな
>>116 じゃあ、それが数世紀続いて、ポーランドがヨーロッパの穀倉になってたってことは、
ポーランドの農民は数世紀にわたって飢餓状態にあったのでしょうか?
タイやベトナムのように灌漑インフラがあるところで インディカ米作っているわけでないから 小麦ばかり連作してたら飢餓になるんじゃね?
南京米みたいな例もあるからなぁ
通常は穀倉地帯ってとこはたらふく食ってる印象が有るよな
ポーランドは搾取がひどかったから、たらふく食ってる印象はない。
でもあれだよね。 わざわざ食料をポーランドから運び出すくらいなら押し掛けていって食えばいいのに。。 そうか、だからポーランド分割か
>>115 買う国はいくらでもあった。
近代化、都市化を遂げつつあった西欧諸国が穀物を必要としていた。
ポーランドもロシアもプロイセンも経済は大して違わない。
大貴族が集約的に農業を経営し、莫大な利益を出していた。
ポーランド農民は稗粥すすってたらしいぞ
つかソバ粥とかソバのクレープとかくってたんだぜ。
そりゃ日本の農民だって米は年貢なり、商品として売るなりして、自分らは雑穀を食べていたさ。 その米は大坂の蔵屋敷に運ばれ、全国の都市に流通したのだよ。 鎖国時代だから日本の米が海外に売られることは無かったが、都市と農村の関係なんてどこもかわらん。 近代になると、日本は朝鮮から米を輸入するようになる。それであっちの親日派は潤ったんだな。
ウクライナはスキタイの昔から輸出用農産物生産地として搾取されてたけどな
そういやそんな名前のアイドルもいたよな
穀倉さゆり
132 :
世界@名無史さん :2010/07/13(火) 09:11:51 0
からくらさゆり?
イギリスはなぜ長年続けてきた大陸への勢力均衡策をやめて、 フランスやロシアに肩入れするようになったのですか?
134 :
世界@名無史さん :2010/07/13(火) 18:51:44 0
俗に「フランス人の自慢とイギリス人の命名を真に受けるな」といわれますが、
>>133 の「均衡政策」なんて採ってません。そんな力は英国にないからです。つまり
「一生懸命欧州大陸で覇権を行いたかったが、できず、結果としていつまでも
大陸に大勢力が残り、まったく制すことが出来なかった」のが「英国の偉大な大陸均衡政策」の正体で
あります。
日本人はバカだから、日本人に歴史を学ばない方がいい。
と、日本人(?)が申しております
○「フランス人の自慢とイギリス人の命名と中国人の歴史を真に受けるな」 だな。実情は中華どころか長らく従属国だったのにね。
137 :
世界@名無史さん :2010/07/13(火) 19:05:58 0
世界で最初の「広告」てどんなものですかね? それと商業が盛んだった古代中国にも現代のような 大きな宣伝看板、購買意欲を煽るような商標などが盛り込まれた 表紙が貼ってある製品などはなかったのでしょうか?
中国人自体は、日本人と呉越の長江下流域のかかわりを否定しまくっている。 中国人学者は、日本の土器と仰韶・竜山の土器の比較ばかりやっている。 鋤が日本に普及していないので、長江下流域と日本は絶対無関係とまで言い切る。 上海は日本人のことがお嫌いなようだ。
>>134 イギリスは欧州での覇権は100年戦争の時にあきらめてるが。
それ以後は、欧州に超大国ができて自国を脅かさないように、
超大国ができそうになったらちょっかいを出して邪魔する。
それが勢力均衡策。
140 :
世界@名無史さん :2010/07/13(火) 19:37:15 0
>>139 ほいじゃ日本も唐・元・明・清と大陸に巨大な勢力が出来ないように
ちょっかい出しては戦略的敗北を喫して「均衡政策」でも採っておったんかいな?
だから歴史を語るなっていっただろ、バカの日本人が。
てめえらはせいぜい白人に土下座してケツにサツマイモでも入れて
やわらかくしてろよ。ホモ白人に掘られるのが得意なんだろが。ゴミ。
>>137 俺の記憶の範囲では古代ギリシャの頃に、サンダルの裏をスタンプの様にしたのが有ったとか。
内容は一説に人類最古の職業ともいわれる娼婦のもの。
>>133 あんたがいいたいのは英国が『栄光ある孤立』といわれていた超然外交をすてて三国協商という特定の同盟国をもったことを言ってるんだろ?
そりゃ、英国のみでは新興ドイツの植民地再分配要求を封じ込めることができなかったからだ。
英仏は「持てる国」だもんな。
既得権益を守りたい物同士の同盟ですよ
看板の方が先かな。
146 :
世界@名無史さん :2010/07/13(火) 20:07:11 0
「英国は世界征服できたけどわざとしなかったんだよ!」 な、なんだってー!!(AA略
147 :
世界@名無史さん :2010/07/13(火) 20:08:54 0
「英国は欧州を征服できたけどしなかったんだよ、ウソじゃない、本当だ!」 最近の英国は被害妄想と妙な右派思想がはやってるよな。
>>137 羊頭狗肉という言葉があってだな・・・。
媒体を限定しなけりゃ、いくらでも遡れるんじゃないか?
でも英国は世界の海を征服してたもんね!ふん!!
150 :
世界@名無史さん :2010/07/13(火) 20:15:06 0
ま、日本人ってのは人種差別に凝り固まっていたころの白人に「文明」を 習ったからな。自分の頭で考えるより先に白人が出した結論を覚えようとするんだよな。 こんなことだといつまでたっても植民地から脱することはできないよ? バカが歴史を習うと必ず「教科書の暗誦・暗記」とその「提示」を始めるんだよ、 自分の頭で考えることができないから。何が言いたいのかというと、江戸後の 日本人はみんな死ねばいいよ。
151 :
世界@名無史さん :2010/07/13(火) 20:17:49 0
>>149 あっちこっちに欧州や日本の租界からなる軍港・貿易港があっても
「海を征服」したといえるのか?
第二次世界大戦で日本海軍に「英国の無敵艦隊」が瞬殺されるものなのか?
つうかそんな英国のバカな与太話を信じてるのはジャップだけだっつーの。
もとは晏子が主君を諌めた「牛頭馬肉」だったことはあまり知られていない
英国は衰退したが「紳士」をのこした。 日本も衰退するが「サムライ」を残した。 中国は何を残す予定? 韓国は何を残す予定?
あーあ、変なの沸いちゃったね。どれ、次。
かっこいい日本のわたす。
世界最古の広告はラスコーの洞窟広告だよ。
158 :
世界@名無史さん :2010/07/13(火) 21:11:56 0
日本は明治維新後や敗戦後に漢字廃止、ローマ字採用の意見があったのに、 なんで韓国・北朝鮮やベトナムのように漢字廃止が実現しなかったのだろうか? とくに敗戦後はGHQの強い後押しもあったというのに。
>>158 実現しなかったから戦後の高度経済成長が有るんだから良かったじゃない。
中国も真剣にローマ字採用を審議したよね。
根本的に日本人は漢字マニアやわ
162 :
世界@名無史さん :2010/07/13(火) 21:18:06 0
常用漢字が改訂されて、学校で教えたり、公文書や新聞に使用できる漢字が増えるそうだが、 それって時代に逆行してないか?
>>158 調べればすぐ分かる事なぜいちいち書き込むんだろ
分からないフリしてるだけの奴多過ぎ
>>162 してない。例えば「誘事件」の拐はこれまで新聞で使えなかった。「誘かい事件」じゃ格好わるいし、いかにも頭悪そうだろ。
漢字ってえらい手間やわ。 でも賢くなるわ。
>>158 日本は識字率が高かったから、漢字廃止、ローマ字採用すると混乱が大きすぎると言う理由で見送られたんだよ。
>>166 オレは物知りやが何でも知ってるわけやない。
自分でしらべろ〜
そしてオレにもおしえろ〜
>>166 スペインについてのみ返答。王政復古派だったフランコが長い間独裁を敷いていたが、
王位継承者がフランコ体制を支持していなかったから、長い間王政復古が実現せず。
王位継承者が代替わりして、王政復古への障害が無くなったので、フランコの死後王政復古。
ローマ字を国語にしなくても正解だよな どこかのあほの国は漢字をできるだけなくして ハングルにしたんでどんどん語学力が低下してきている
171 :
世界@名無史さん :2010/07/13(火) 21:40:43 0
>>158 Nippon wa Meiji-ishin-go ya haisen-go ni Kanji-haishi, Roma-ji saiyou no iken ga attanoni,
nande Kankoku Kita-Chousen ya Viet-nam no-youni Kanji haishi ga jitugen shinakatta-nodarouka?
Tokuni haisen-go ha GHQ no tuyoi atooshi mo atta-to-iunoni.
ベトナムは声調アクセントの表記と熟語の多用により 意味を取り違えるようなことが少ないのだよ
>>172 よかったな
そんなおまえが日本語というすばらしい言葉の恩恵に預かれて
語学力だけは本国よりも上なんだから
なんの語学力だよ、どういう基準? 言語に優劣付けて何の参考になるのか もしかして文系脳?
>>162 パソコンや携帯で、難しい字も簡単に変換できるようになり、使う人が多くなったからこそ、
難しい字も常用漢字に加えられたのであって、逆行ではなく、むしろそれが時代の流れ
理系脳はえらい 文系脳はばか
>>166 少なくともベルサイユの時代には、(貴族でない)市民も宮殿に自由に入れた
格式ある格好とかは要求されたろうから、市民といっても実質的には、経済的に豊かな人間に
限られただろうけど
イギリスにアジアが民主化されるまで足し算も引き算も知らなかったのに 威張りすぎ=アジア人
荒らしはスルーすべきだってことはわかってはいるのだが、
>>179 がなぜそんなアホな発想をするに到ったのかには興味がある
商業のある世界なら、四則演算がないなどということはありえないのに
イギリスが来るまでアジアに足し算引き算もなかったという妄言のその根拠をぜひ聞きたい
ブリテン島がローマに征服されるまで足し算も引き算も知らなかったのに 威張りすぎ=イギリス人
182 :
世界@名無史さん :2010/07/14(水) 01:13:27 0
子供が群衆からたたっと駆けだしたのがきっかけで成功した革命(たしか無血です)ってなんでしょうか? 20世紀に入ってからの物だったと思います。 その子供は、あとで探しても見つからなかったみたいな不思議話もありました。
イギリスがアジアを民主化するまでアジアになかったもの 1、数学(四則計算) 2、科学(それ以前は経験則) 3、民主主義(王が搾取してた) 4、人権(シナ人などは人肉として食われてた) 5、文字(漢字は経験則なので文字とはいえない) 6、音楽(経験則の世界なので勝手にそのときどきで気分にあわせて歌ってた) 7、機械 8、白色火薬(黒色火薬は経験則で生み出された花火程度のシロモノ) 9、文化(マージャンはトランプが起源) 10、幾何学
ちなみに科学を発見したのは万学の祖であるアリストテレス。 その後イギリス人が方程式を発見し、近代科学の起源となる。 そのときアジア人は足し算も引き算も知らず、何と定規や コンパスもなかった。建築物等は全部勘と手作業で建てていた。 清代にチャンコロ共和国を訪れたドイツ人は「チャンコロは3000年前の 人が住んでいる遅れたバカな国」と評した。ちなみにイギリス人は 「チャンコロは民主化すればマシになる」と言ってた(だから香港 を最後まで手放さなかった) アジア人って生きてる意味あるの?
せめてアラブも「アジア」の一部だってことくらい思い出せよ
アフリカの諸国は独立後にいろいろな国づくりをしましたが軒並み失敗していますがなんで成功しなかったのですか?
188 :
世界@名無史さん :2010/07/14(水) 09:09:19 0
>>186 なにをもって「軒並み失敗」なの?
確かに内戦やクーデターなど政情不安な国は多いけど、すべての国が失敗というわけじゃない
たとえば、リビアは、カダフィの独裁国家なのでイメージは悪いかもしれないが、経済的には
国をそれなりに発展させている
他にも、モロッコ王国とか、ケニアとか、アフリカにもそれなりに発展してる国はある
マリ、セネガル、カメルーンそれなりに発展だ
貧しいアフリカ悲惨なアフリカ、誰も彼もアフリカでひとくくりにするからそーなる
世界の歴史において、人の命の値段が高くなったのはいつ頃からでしょうか? 具体的には民間人数人の命を救うために、国が多額の国費と人員を投入したり、 社会保障に大金ぶち込んだり、人を国のために使い捨てにする政策が忌み嫌われるようになったり、 人道支援とかでわざわざ他の国の死にそうな人間を助けに行ったりする事が、 いつ頃から始まったかと言う事です。
社会保障は範疇が違って経済史で取り扱う内容だ。 そこで挙げているものとは、かなり毛色が違うものだから 一緒くたに論じない。
194 :
世界@名無史さん :2010/07/14(水) 18:38:55 0
マムルークって、奴隷市場で半裸で鎖につながれてるのを、 主人が吟味して買っていくのかな。
>>194 いや、マムルークの場合は奴隷商人の方から売り込みに来る。
そんでもって主人と商人がいろいろ交渉して買ってく。
マムルークは市場で半裸で売られているという感じではないはず。 捕虜とかそういう感じでしょ?古代ローマのように鞭でぴちぴち叩かれて酷使されているのとは違うよ
んじゃ、なんでインドの奴隷王朝だけど奴隷が王朝をたてることができたの?
198 :
世界@名無史さん :2010/07/14(水) 18:53:02 0
黒人奴隷はアフリカから新大陸に連れて行かれる途中、何割かが死亡したそうですが、 貴重な商品がたくさん死んでしまって、奴隷商人は利益があがったのでしょうか? タダで買い付けたわけでもないでしょうし。
>>197 遠征軍であるマムルーク軍団が主人の弱体化に目をつけてデリーで独立王朝をたてた。
マムルークは本来は武術に優れたエリートであるから実力はある。
>>197 中央アジアのイスラム王朝が奴隷軍人を司令官にしてインドに攻め込む。あるいは統治させる。
そして、本国が衰えるか滅亡するかしたら、奴隷軍人がインドで自立して王朝建設。
あと、勘違いしちゃいけないが奴隷軍人は支配階級。
インド・マムルーク朝とかデリー・マムルーク朝にすれば分かりやすい(?)のにな
まぁ、あれだw 日本には奴隷制なんてなかったから勝ち組だな。 いつの時代も世界のトップを走ってきた日本だよ。
>>202 日本には戦国時代まで奴隷制度があったよ。海外にも輸出してた。
江戸時代に廃止されたけど、債務で縛りつける事実上の奴隷制度は残った。
日本から完全に奴隷制度が無くなるのは昭和時代。
>>202 さらに古代には奴婢なんてものもあったし、後漢書には日本から中国に生口が皇帝に献上された話は有名。
205 :
世界@名無史さん :2010/07/14(水) 19:38:09 0
マムルークってエリート戦士って言われるけど、所詮は奴隷でしょ。 好きなところ住んだり、いつでも好きな行動とることができず、 主人の前では半裸で卑屈にはいつくばってるんでしょ。 で、主人からはムチでビシビシ叩かれても文句言えない立場なのでは?
17世紀のヨーロッパの金融の中心だったアムステルダムは、 いつの間に金融の中心の座から転落したのでしょう?
>>205 マムルークは文武に優れたエリートだよ。
それを私有したいから奴隷身分にして教育を与えて子飼いにするわけで。
だから、ある程度の自由も認められてたし、主人もマムルークを尊重した。
軍事や政治の重職にあるマムルークをムチでビシビシ叩いたりなんかするような粗末な扱いをするバカはいません。
オスマン帝国などは皇帝以外は全員奴隷だが、 マムルーク政権の場合はスルタンといえども武家の棟梁みたいなもので、 前の同僚に寝首をかかれたりするのは日常茶飯事 だから自分に忠誠を誓う子飼いの部下(マムルーク)を買い集め、手なずける 部下は親分が死ねば後ろ盾がなくなるから裏切らないが、 死後の勢力争いでうまく立ち回って覇権を握ればスルタンにもなれる
ヤクザの組長みたいだな
ヤクザ組織は権力構造としては原始的だから歴史上のあちこちに類型が見られる
>>202 山椒大夫という文学にまでなってるじゃないか。
>>197 なんで「インドだけ」なんだ?
世界史板に出入りする人間なら、エジプトのマムルーク朝ぐらい知っておけ
他の人たちも言っているように、イスラム世界のマムルークは、奴隷とは言っても、
軍事エリート
カリフやスルタンの廃立をも左右してきた存在だ
>>205 マムルークのリーダーに対してそんなことすれば、鞭打った主人は、カリフであれ
スルタンであれ、翌日には死体になってるよ
軍事力を持ってるやつが強いんだ
でも中国の盲妹とかって。。 ひどすぎるやろ。。
そういうことするから王朝が倒れるんだよ。。。
>>212 エジプトのマムルーク朝を知っていてもインドに興味があるんだろう。
別に奴隷の王朝だからってマムルーク朝を出さなきゃいけないわけでもないし。
短絡的なものの見方しか出来ないなんてお前こそ世界史板にふさわしくない。
マムルークってのはどうやって奴隷になったの? 捕虜? それとも子供奴隷を買ってきて鍛え上げるの? それともさらってくんの? 自分でみうり? どのパターン??
実際マムルーク時代のカイロなんかじゃ、 ヤクザの抗争よろしく市内を矢玉が飛び交うのが日常茶飯事だったりする
>>215 >>197 本人乙
「んじゃ、なんでインドの奴隷王朝だけど奴隷が王朝をたてることができたの? 」
この文章のどこをどう解析すれば、エジプトのマムルーク朝を知ってることになるんだ?
百歩譲って、
>>197 にインドに興味があるのだとしても、「インドの奴隷王朝『だけ』ど奴隷が王朝を」と
あたかもインドだけにあったかのように強調する理由は?
ついでに『ど奴隷』って何?
219 :
215 :2010/07/14(水) 21:22:49 0
>>218 残念ながら俺は197じゃないよw
「インドの/奴隷王朝/だけど/奴隷が/王朝を〜」じゃないのか?
○○だけど△△という分の流れじゃないの?
「奴隷王朝だけ/ど奴隷/」で切って日本語できないのかなぁ〜?w
220 :
215 :2010/07/14(水) 21:23:36 0
という分× という文○
ど奴隷か。 ど百姓とかど根性とかと同じ様なもんだろう。
日本語ではいい文献が無いけど、オスマン治下のエジプト史って マムルーク軍団が割拠して抗争しあっていて面白そうだな。 日本語でいい文献は無いかな?
>>216 中央アジアのテュルク系民族、カフカス系民族の少年奴隷を奴隷商人から買ってエリート教育。
>>219 だとしたら、「なんで」ではじめた文の後に「だけど」をつけるのは、日本語の文章としておかしいよ
いいから、日本語を勉強しなおしておいで
少年奴隷を買い付けて調教か 戦国大名みたいにアッーなこともしてたんだろうなあ
227 :
215 :2010/07/14(水) 22:21:19 0
>>224 「なんで」は「なぜ」でしょうがw
口語ならおかしくないだろう。
歴史の前に日本語勉強してきなよ。ど奴隷とか言っちゃってw
230 :
197 :2010/07/14(水) 22:36:37 0
>>197 だけどなんか僕の発言のせいで荒れてしまってすいませんでした。
どどど ど奴隷ちゃうわ! ししし 失礼な!
>>229 歴史的に見るとむしろ少年愛がないほうが人間的に不自然のような気がしてくる
>>230 気にしなくていいよ、日本語ができないバカが顔を真っ赤にしているだけだよ。
>>216 『アンクルトムの小屋』のような、欧米の近代奴隷を想像したら駄目だよ。どちらかというと、
今で言う、雇用に近い。参政権や固有資産が無いから奴隷身分なだけで、身体的に不自由
な身分という意味ではない。
家族単位・部族単位で丸ごと招聘してくるのがトルコマン、若いのを単身とか地域で何十人とかで
募集してくるのがマムルークだが、厳密な区分は無い。
騎馬兵力とか機動力とかを期待されて雇われる。寧ろ、兵員や徴税官といったふうな支配側に
組み込まれていて、奴隷というよりは、日本の幕藩体制時代に喩えると、殿様がアラビア人や
ペルシャ人の王侯貴族、その他士分がマムルークやトルコマンで、これが、商人を兼ねる、
農・工がオアシス定住民で王侯貴族と同じアラビア人やペルシャ人という具合だ。
235 :
世界@名無史さん :2010/07/14(水) 22:46:24 0
科学の起源 1、アリストテレスの記述が科学の起源である 2、数学も古代ギリシャ人が編み出した思考方法である 3、幾何学は古代ギリシャ人のピュタゴラスとユークリドが起源 4、機械を史上初めて製作したのは古代ギリシャ人のアルキメデス 5、哲学という分野を創設したのは古代ギリシャ人のソクラテス 6、物理法則を発見したのは古代ギリシャ人のプラトーン 7、自然から理論を導くという考え方を初めて行ったのはピュタゴラス 8、地球が球体だと知ったのも古代ギリシャ人 9、蒸気機関も古代ギリシャ人が発明していた 10、人工的に電気を生み出したのも古代ギリシャ人である アジアのバカが作った定理ってなに?
236 :
世界@名無史さん :2010/07/14(水) 22:48:54 0
その他にネジ、バネ、歯車、シャフト、設計図、建築技法、 測量法、天秤なども古代ギリシャ起源である。古代ギリシャスレで 暴れてるバカがいるんで 皆で論破してきてください。
革命前夜のフランスは第一身分、第二身分、第三身分と分かれていましたが 他のヨーロッパ諸国でもこのように分かれていたのですか?この第一第二というのは フランス固有のものなのですか?
マムルーク少年たちの引き締まった体に囲まれる(;´Д`) 想像しただけだ勃起した
エジプトに攻め込んだナポレオン率いるフランス兵の捕虜は掘られました
242 :
世界@名無史さん :2010/07/15(木) 07:25:04 0
コーカサスやトルコ系の少年奴隷って、 奴隷商人の小屋に半裸で鎖にしばりつけられてて、 その状態で主人のもとに売られてきたんだろ? 買われてからはエリート教育受けたかもしれないけど、 奴隷商人のもとではムチでビシビシはあっただろうな。
>>237 違います。第一身分も第二身分も第三身分も普段は使用されない言葉でいた。
三部会の時のみ使用される専門用語のようなものです。
>>342 マムルークを扱う奴隷商人と言うのは、宮廷に出入りする関係上、
教養と礼儀作法に富んだ紳士ばかりでした。そしてまた、非常に計算高い人々でした。
彼らは「マムルークを売る」という行為によって金を儲けると同時に、
マムルークの主とコネを作り、売ったマムルークと関係を作って将来の顧客にしようとしました。
一隻三鳥狙いです。そういうわけで奴隷商人は売り物のマムルークをとても大事にしました。
将来のお客様であり、出世すれば自分も利益を得るのですから。
奴隷商人はマムルークを大事にしたので、
中には奴隷商人に恩を感じて大臣に取り立てるマムルーク出身のスルタンすらいました
14世紀にマムルークとなったバルクークは、自分を買い取った奴隷商人であるウスマーン・アルアスディーを終生敬愛し、 自らバルクーク・アルウスマーニー(ウスマーンのバルクーク)と名乗っていた のち彼はブルジー・マムルーク朝の初代スルタンとなるが、 即位前にウスマーンが死んだので「親父殿に晴れ姿を見てもらえなかった」と多くの涙を流した スルタンにとって、子飼いのマムルークを養成することは政権維持のための必須の手段であったから、 奴隷商人にはさまざまな特権を賦与して優秀なマムルークの供給を義務づけた 彼らは一定の距離ごとに馬やラクダを配した駅伝(バリード)の使用を認められたばかりでなく、 その功績に応じて私有地の授与や免税措置の恩恵を享受することができた また、奴隷商人が旅先で優秀なマムルークを数多く集めるためには、 諸国の王の性格や生活習慣に通じているばかりでなく、弁舌もさわやかであり、なおかつ判断力にも優れていることが要求された ある奴隷商人はエジプトの外交官として活躍し、粘り強い交渉の結果、 敵対関係にあったマムルーク朝とイルハン朝(フレグ・ウルス)の平和条約を成立させている
オランダは英蘭戦争の敗北だけが理由で没落したのでしょうか? 海戦を何度もやっただけで、ヨーロッパ一の経済大国が没落するとも思えないのですが。
海洋国家が制海権を失くしたらどうしようもないだろ 敗戦はただの敗戦ではない、以降海上で英国に太刀打ちできないことが確定したんだ 占有していた商業航路も閉ざされ経済は壊滅する
248 :
世界@名無史さん :2010/07/15(木) 18:03:58 0
イメージ的には宦官というより花魁の太夫みたいなもんだな>マムルーク
>>248 ビザンツの宦官が近いかな。
人権はあるし、聖職にも官職にも就けるし、重用もされる。
250 :
世界@名無史さん :2010/07/15(木) 18:20:40 0
ある意味、江戸時代の主持ちの武士はみんな奴隷戦士みたいなもんじゃないかな?
奴隷の中でもホワイトカラーとブルーカラーでは雲泥の違いがあるということね
>>251 そりゃそうさ。単純労働に従事する奴隷と、頭脳労働に従事したり、公職に就いている奴隷では身分が違う。
奴隷になるってのは一種の災害だからな。人を選ばないし、 逆に巻き込む人を選ばない奴隷っていう「職業」は 「就業者」の人品について何も保証しない。 古代ローマではギリシャ人奴隷を良家の子女の家庭教師に当てたし、 また子息のそば仕えの奴隷はのちに一生彼を主人とし、秘書として有能な片腕として 活躍することも間々あった。戦時には死を共にすることもあったという
世界史スレの人は博学だが、どれくらいの時間勉強してるんですか? あとどんな感じで研究してるの? 例えば、時代別、地域別、人物別、政治別、宗教別、先輩に勧められた等 人それぞれだと思いますが、参考に教えてください。
めんどい
257 :
世界@名無史さん :2010/07/15(木) 20:57:59 0
高校の世界史の先生が面白いキャラだったのが世界史好きを加速させた。 教科書を講談調で読む先生だった。 指名されて生徒が読まされるときも、一年を終える頃は何となく講談調に・・・
258 :
世界@名無史さん :2010/07/15(木) 20:59:40 0
訂正 指名されて生徒が読まされるときも、クラスの中には一年を終える頃は何となく講談調で読む者も・・・
>>255 ちゃんとわかってるじゃないか
そんなことは「人それぞれ」だ
「趣味」であって「勉強」じゃない つまみ食いで本とかwebサイトとか読んでるだけだ
>>257 俺の先生は講談調ではなかったが゙見てきたように゙言う先生だったなぁ
スナックとかで「桑田も清原もワシが育てた」とか言う酔っ払いみたいな感じだったけど
教科書とか受験に関係のない話ばっかしだったw
>>257 >>261 個性的な先生でいいなぁ
俺が高校の時の世界史教師は、真面目な人だったけど、授業はぜんぜん面白くなかった
うちの先生はインドオタで世界史の授業は1/3くらいインド史だったな…
うちの先生はおふざけ一切無しだけど、身振り手振りで熱意が伝わってきて、内容も判り易くてよかった。 もう25年以上になるなぁ。
日ソ基本条約、治安維持法、普通選挙法の関係ってなんでしょうか。
日本史板か中高生用質問スレへどうぞ。
>>242 今のプロ野球の仕組に割と近い。
フロントが王侯貴族。
ダン野村のような人が奴隷商人。
選手が奴隷兵。意に沿わないまま無理やり連れてこられるわけではなく、野球選手に
なりたくて、体を鍛えてスカウトマンの目に留まるよう精進している。
近代の兵隊でも、英軍のグルカ兵なんかが、マムルークの制度に近い。グルカ兵になり
たくて体を鍛えてる青少年を、元グルカ兵や英軍の上級退役将官スカウトしにくる。
>>255 単に世界史関連の本ばかり読んでるだけ。
気になるところは年表を作ってみたり。
269 :
世界@名無史さん :2010/07/16(金) 07:40:18 0
世界史の場合、日本史とちがって内容が膨大すぎるから、 あらゆる時代、あらゆる地域、あらゆる分野に精通している人はいないだろう。 受験用の世界史は、表層的なものを広く浅くやってるにすぎない。 趣味で世界史が好きな人は、中国史とか西洋史とかローマ史とかに特化している。
だから偏ってる変な子がいるんだよ 日本史ばっかりやって日本人を世界一優秀な民族だと思い込んじゃうのと基本かわらん ひとつ地域一点集中は駄目だ
ひとつ国に注目すればそれが世界一に見えるのは仕方のないこと 興隆する民族はその時はなにかしらすぐれてるもんだ 素晴らしく合理的なシステム、繁栄という熱狂に身も心も捧げ生きる迷いない人々 興る国の隣には大抵衰える国あり、物語の当て馬のように、 老体をのたうたせ若い国に貪られる 人事を尽くして天命さえ味方する国家の興隆ははた目にも小気味良い、だから本にもなる しかし、一国を興した同じ民族が、盛期を過ぎると嘘のように衰えてしまう 信じられないほど愚劣な集団と化してしまう これは歴史の宿命であり、ためにどの国どの民族が絶対的に優れているとかいう論は愚かしい 強いて比べるなら、全盛をどれだけ長く維持できたかを見るべきだろう
なるほど参考になりました。 個人的には、史記とか作者が熱いもの持って書いている著作とか好きです。 塩婆さんの著作もそれに近い熱いものを感じて好きですが、中立的な観点で 学ぶ事が苦手です。だってそれだとつまんないじゃないですか(笑)
ここって朝鮮史の専門の人っているの? アジア各国史でも朝鮮半島は隣国だから なじみがあると思いきや案外盲点なんだね。 出版事情を見てもしっかりまとまった朝鮮史の本は少ないし。
ハングル板か東亜板には多そうだがなあ
このスレ、よく分解すると中世ヨーロッパ、近代ヨーロッパ、古代ローマが群を抜いて多い。 次位として中世中国かな。それ以外の地域はそんなに多くないと思う。
イスラーム世界や内陸ユーラシアはもっと注目されるべき
アフリカ、オセアニアは日本語で目る文献が無いから 勉強している人も少ないし答えられる人も少ないんだろうな。
チンギス・ハン、アレクサンドロスに比べて世界三大大王のもう一人 キュロスU世はあんまり知られてないしな
フリードリヒ大王の方が有名だな。
ヨーロッパ規模で見たらシャルルマーニュもフリードリヒも大王だろうけど ユーラシア規模で見たらねえ…
中南米の話題も少ないよな
282 :
世界@名無史さん :2010/07/16(金) 17:34:22 0
>>278 「世宗大王が入るべき」という声が・・・
オスマンが他のイスラム世界諸国に先んじて、 騎射を武器とするトルコ系遊牧騎兵から、 火器を装備した歩兵に主力を転換したのはなぜでしょう?
>>278 キュロスってすごいいいやつだったらしいな。
よくもセジョン程度で『大王』だなんて名乗れたよなぁwwwwww 日本でいうならせいぜい二宮金次郎クラスなのにな。
>>282 どの王朝の世宗だよ?
前漢の世宗武帝、明の世宗嘉靖帝、清の世宗雍正帝は、十分、大帝国の君主だろ
まあ、さすがに前涼の世宗張重華とか、南燕の世宗献武帝とかは小者と言われても
しょうがないけどさ
>>285 小国の名君が大王と呼ばれるのは良くある事。タイやハワイにだって大王はいる。
カメハメハ大王は大王にふさわしい人物だったぞ!
オスマン朝も、最初はテュルク系の騎馬軍団が主戦力 しかしオスマン朝の君主が自分の権力を維持するための兵力として選んだのは、 旧ビザンツ帝国領やバルカン半島で獲得したキリスト教徒の捕虜や奴隷たちだった 彼らはもとが農民や牧畜民だから、テュルク人のようには馬には慣れていない しかし数は得られるし、尊大なマムルーク騎兵に比べれば扱いやすい そこで集団戦闘の訓練をして精鋭歩兵としたが、これがイェニチェリ(新軍団) この頃、銃砲がちょうど欧州で流行を始め、重装騎士でもびしばし倒せるようになる イェニチェリは歩兵軍団だから、周辺諸国の騎兵に勝つにはこれを採用しない手はない またアンカラの戦いでは、アナトリアの諸侯が裏切ったためティムールに大敗したので、 ますます君主の権力と実力を絶対的なものにしなければならなかった こうして復興したオスマン帝国は、同時代の欧州諸国とは比べ物にならん専制国家となり、 大規模に銃器や大砲を運用して戦うことができた
>>283 鉄砲自体とそれを活用した戦術は、16世紀のヨーロッパで急速に発達する
実際に戦場で有効なのだから、日本で信長が鉄砲を大量に購入したように、各国がそれを
導入しようとするのは当然な話
イスラム世界で真っ先に取り入れたのが、ヨーロッパに一番近くて、実際にヨーロッパ諸国と
直接戦うこともあったオスマン・トルコなのは、ごく自然な話でしょ
291 :
世界@名無史さん :2010/07/16(金) 20:50:39 0
>>289 オスマン朝の君主って、いつ頃まで中央アジアのモンゴロイド系の容姿を保ってたんだろう?
ジュチの子孫のキプチャク・ハン国の君主は、かなりあとまでモンゴル系貴族と縁組してたようだが。
容姿なんて遺体がない限り調べられないから
第1次大戦まで続いた王朝なんだから、末期のスルタンは写真ぐらい残ってるんじゃね?
初期から既に原トルコ人の面影はなかったはずだぞ オスマンのハレムに入るのはことごとく奴隷、トルコ人は奴隷になるはずがないからな 連れてこられるのは美形で鳴るカフカス人をはじめにスラヴ人、ギリシャ人に、海賊が拉致した西欧地中海沿岸の人々
16世紀どころか、15世紀初頭からフス派が銃火器で騎士をがんがん倒してたな
テュルク=モンゴロイドとか テュルク=コーカソイドとかではない テュルクとは人種混成の言語集団に過ぎないのだ
ちゅっちゅ!ちゅっちゅ!いうな。
テュー・テュー・テュー テュー・テュー・テュルル テュー・テュー・テュー テュー・テュー・テュルル
突厥でもまあまあ通じるかな?
丁零とチュルクがおなじもんやといわれてもな〜 伝言ゲームかよ
カルト・ハダシュトがカルケドンやカルタゴになるぐらいだし
>>288 小国乱立・自給農耕だから日本で言うと弥生時代レベルのところを、一気に明治維新くらいに
もって行った人だからねー。
>>290 トルコ人だから、中央アジアで騎馬民族している頃から既に胡面ではなかったのか?
>>291 中央アジア? なに言ってんだ、トルコ人はアナトリアの民族だぞ
小アジアと混同してるのか?
トルコ人はモンゴロイドじゃねーよ
>>303 それは、ソグド人に関する記述で、突厥や鉄勒に関してはそうは書かれていない。
カザフ人やキルギス人みたいな中央アジアのモンゴロイドだと考えていい。
鉄勒の末裔の一つが、中国の裕固族。
裕固族の末裔がゆうこりん!
「トルコ民族」とは近代にケマルが以下略
昔から、ある国の中で支配民族が他の民族に優越した地位を持つってことは普通にあったけど、 民族単位で自分の国家を持とうという考えが一般化してきたのはいつ頃からですかね? アジア、ヨーロッパの両方のそれぞれについて教えてもらえるとありがたいです。
アジアには民族単位ごとの国家は、韓国と北朝鮮ぐらいしかないのだが。。。 他の国家は、全て複数民族によるちゃんぽん国家だよ。 日本もアイヌ民族とちゃんぽんぽん。
アジアと言っても東アジアだけじゃないでしょ? 東南アジアもあれば、中央アジアもあれば、中近東もある。
トルコみたいなことやると、クルド民族が抹殺されちゃうじゃん。
トルコ鼻って鷲みたい鼻があるよね。
話を変えてすいません。 革命とクーデターはどう違うのですか? 同じ王制が崩壊したケースでもフランスの場合は革命で ギリシアやアフリカの諸国のように王制が崩れたケースは クーデターとなっています。 この違いはなんですか?
>>314 クーデター=支配勢力の中での権力移動
革命=被支配者が支配者を打倒。
>>315 に当てはめるとフランス革命は平民による王室貴族妥当だから=被支配者が支配者を打倒=革命
アフリカ諸国のケースは軍によるものがほとんど。権力が王→軍に移動=支配勢力の中での権力移動=クーデター
と、いうことになるかな?
かぁ〜!!くぅ〜うめぇ〜!! くぅ〜!!でたぁ〜!!!
クーデターには正義が無い。 革命には正義がある!うふん!
そういうのは政治スレでやれ
rー、 ´ ̄`lー) \ T¨L |_/⌒/ ┏┓ ┏━━┓ `レ ̄`ヽ〈 ┏━┓┏━┓ ┏━┛┗━┓┃┏┓┃ | i.__1 ┃ ┃┃ ┃ ┗━┓┏━┛┃┗┛┃┏━_ゝ_/ .ノ ━━━━━━┓┃ ┃┃ ┃ ┏━┛┗━┓┃┏┓┃┃ L__jイ´_ .) ┃┃ ┃┃ ┃ ┗━┓┏━┛┗┛┃┃┗━ | イ ━━━━━━┛┗━┛┗━┛ ┃┃ ┃┃ | ノ--、 ┏━┓┏━┓ ┗┛ ┗┛ ゝ、___ノ二7 ┗━┛┗━┛ |ーi | l_/ _〉 {
テレビや新聞などのマスコミの使い分けとしては、
>>315 が言うように
その政権の中の軍人や政治家、官僚が起こしたら「クーデター」で、
民衆、市民が起こした場合は「革命」
実際には、軍人が起こしていても民衆が参加したり、その逆だったりで
複雑だけどね
ゴメンナサイ 誤爆です
下克上
シルクロードと海の道では、どっちが東西貿易の主要ルートだったんでしょうか?
何をもって「主要な」とするのか?交易物の量?往来の頻度?移動距離? 「海のシルクロード」ともいうし、答えはどちらも、といわざるを得ない インダス文明とシュメル文明は海路と陸路で繋がれていたが、当時シナまでの航路はなかっただろう まあ陸路は戦争などで遮られやすいのに対し、海路は遮りようがなく運べる物資も多いという面はあるが、 だからって海路が主要だったとはいいがたい また、いわゆる「シルクロード」は、シナと西洋だけをつないでおったんではない 陸路では中央アジアとイラン・インドを南北にもつないでいたし、 オアシスを点々とつなぐよりも、天山の北を遊牧民が駆け抜けていく方がはるかに速い
どっちが主要ってものでもない 交易路の歴史は関税の歴史で、要衝や中継港を押さえた国が欲をかいて税を釣り上げれば、 商人たちは陸海を選ばずより低コストのルートを使った 商路はいくつもあり、いくつもの商人個人あるいは組合が競ってより安上がりの販路を開拓した コストは末端価格に跳ね返り、価格競争は消費地のシェアに反映するからだ
一本しか道がないより、複数の選択肢があればより便利
かのマルコポーロだってゆきはシルクロード。 帰りは海の道だったもんな。
>>324 そもそも、陸路と海路のどちらが主要かと問うこと自体に意味がない
じゃあ、現代の日本とアメリカ合衆国を結ぶのは、空路と海路、どっちが主要だ?
人の移動なら空路の方が多いだろうし、大量の物資の輸出入には海路の方が
大事で、どっちもなくてはならない、重要なものだろ?
>>325 が言っているように、何をもって「主要な」というかによるし、どちらもなくては
ならない主要なルートだ
「マルコ・ポーロ」なる人物が実在したか、 あるいは実際にシナまで行ったかにも疑問があるというが… イブン・バットゥータは海の道でシナへ行ったとされるが、 実際に行ったのはインドあたりまでらしいし
実在したかとか実際に行ったのかはどうだっていい。 あの時代にそういうことが可能であって、そういう経路をたどった旅行体験があり得る話として認知されていた、というだけで資料として充分じゃないか。
大航海時代になって、ヴァネツィアやジェノヴァなどのイタリアの海洋商業国家が衰退したのはなぜでしょう? これまでの海洋貿易のノウハウや航海技術を生かして、 積極的に新大陸やアジアとの交易に乗り出すだけのポテンシャルはあったと思うのですが。
いわゆる「大航海時代」が直接のきっかけでイタリア諸国が衰退したわけではない が、ジェノヴァはこの頃、国としての独立が失われていたのでどうしようもなかった でもコロンブスはジェノヴァ人だし、個人としてイタリア諸国の人々が新航路を開拓した場合も多い ヴェネツィアは、リスキーな大西洋航路進出などせずとも、東方との地中海貿易で充分に利益を得られた また海上国家であるヴェネツィアの支配方法は港湾を拠点として押さえ、航路をつないでいくというやり方 だがやがてオスマン帝国や西欧諸国など、大型・大人口の大陸国には物理的にかなわなくなっていく 彼らは植民地を「面」で支配し、農産物や鉱山生産物をがっつり搾取するという統治形式をとった そしてヴェネツィアは、オスマン帝国とオーストリアの二大国に挟まれるという危険な位置にあり 特にオスマン帝国によって地中海の重要な拠点基地をじりじり奪われていった イタリアから大西洋へ出ようにもジブラルタル海峡を抜けねば行けず、海外植民地を「面」で奪取するほどの軍事力や人口はない スエズ運河もないので地中海からインド洋へは船では抜けられない こうして、もはやヴェネツィアは相対的に二流国へ転落するしかなかった
航路が開拓されて、直接アジアや新大陸と交易できるようになって、 古くからの東西貿易のルートの重要性が落ちても、 まだ地中海貿易って儲かったの?
ドイツとフランスは大不況期に保護貿易主義に復帰したが、 イギリスは20世紀初頭にいたってもなお 自由貿易主義を固持しつづけようとした理由はなんでしょうか?
安全で安定して商品が手に入る古くからの定期的なルートと、 危険で不安定で商品が盗賊に襲われる場合も多い新しいルートと、どっちが儲かると思う? あと新しいルートで手に入る商品には、王様がかなり高い関税かけて毎年の軍事費に回すけど ちなみに「新航路」はアメリカと旧大陸を結ぶだけで、 アジア方面での航路は古くからのルートをパクっただけな
>>334 すでにそのルートに既得権益や人脈がある業者は、その利益が落ちてきたからといって、そのルート自体を捨てて
新しいルートに転換するってことはやりにくいんだよ
新規参入業者のポルトガルやスペインは、そういうしがらみがないから、大胆に新しいルートを開拓できたのであっ
て、もし彼らにも地中海方面に権益があったら、わざわざ新ルートなんて開拓はしなかったろう
いわゆる大航海時代といわれる毛唐の大虐殺・大略奪がなければ 世界はもっとすばらしい形で発展したのは間違いない。
世界中イスラム世界になっとるかもな。 誰がスルタンを名乗っておるかわからんけど。
>>335 アフリカの南端を回って延々買い付けに出るのと、
既に買い付けてカイロかベイルートまで回教徒が運んできているのを
買うのと、どっちがお徳かは、そのときによるよなあ。
ベイルートはフランス領だけどな
なんかアンカーミスでごっちゃになってるぞ
ロンメルって何やった人ですか?
345 :
世界@名無史さん :2010/07/19(月) 14:52:45 0
神権政治というのはどんな政治体制ですか?またその例を教えてください。 古代天皇制、神聖ローマ帝国、教皇国家、現チベットなどは神権政治と言えるのでしょうか?
香辛料が「足りなかった」からポルトガルが新ルートを開拓したのではない すでにヴェネツィア経由で値段の安定した香辛料が欧州へもたらされていた ポルトガルは喜望峰回りでインドに到達し、さらにアデンやホルムズを軍事制圧することでこのルートを抑えようとした エジプトのマムルーク朝はヴェネツィアの支援を受けて対抗するが失敗する しかしちょうどオスマン帝国がシリア・エジプト・アラビアを大征服し、ポルトガルはオスマンと敵対するサファヴィー朝と結ぶ だが足元を見られて多くをホルムズへ荷揚げせねばならなくなり、 商品はホルムズからシリア、地中海へ抜け、結局ヴェネツィアへ向かうことになる またポルトガルはヴェネツィア人ほど商売に長けておらず、暴利を貪ることしか考えていなかった 安価で安定した香辛料が再びヴェネツィアから来るようになれば、各国商人から見放された こうしてポルトガルは16世紀末には衰退し、スペインに併合されてしまった そのスペインもイギリスに敗北し、17世紀にはオランダとイギリスが海洋帝国を築き上げる 彼らは通商路は絶たなかったが、香辛料の産出地そのものを植民地にしてしまった それでも巨大市場であるオリエントの重要性は充分にあり、ヴェネツィアはこの権益を手放すことはできなかった ヴェネツィアからの工業製品の輸出先でもあったからだ
神権政治は王権神授説と被るので定義が難しいのう。 神官が政治家を兼任するのか、政治家が神懸りになるのかにもよるし イスラム法治は神権政治なのか議論が分かれるところ。
ようするに ポルトガのおうさまは くろこしょうが だいこうぶつ だったんだよ
神権政治(神政政体、テオクラシー)というのは、特定宗教の指導者たちが国家の統治者でもある状態。 彼らは「神の代理人」として君臨し、その宗教の教義に基づいて国を治める。 古代ユダヤやバチカンなどがその最たるもの。初期のイスラーム国家や革命後のイラン、タリバン政権などもそうといえようか。 15世紀末にはフィレンツェで聖職者サヴォナローラが政権を掌握し、一時的に神権政治を行ったこともあるし、 スイスでは宗教改革期にツヴィングリがそれをやろうとして戦死した。 一神教では革命的で厳格なものにならざるを得ないのだろうか。 権力者が「神によって建てられた」としたり、ある程度の宗教的聖性を持つのはよくあることだが、 その政府の統治機関が特定の宗教団体から独立して存在していれば、神権政治とはいえない。 だから神聖ローマ帝国は(聖職者が政治に関与することは多かったが)神政政体ではない。 また英国王は国教会の首長だが、同じ理由で神政政体ではない。
古代天皇の場合は微妙だが、当時は「神道」に確たる宗教的教義があったわけではなく、 アニミズム的な宗教権威によるものであるから「祭政一致体制」と呼んだりする。 ローマの皇帝が、ローマ的多神教の「最高神祇官」でもあったのと似ていなくもない。 明治以後の国家神道だの現人神だのはあるが、別に神祇官が宰相をやってたわけではないし。 現代のチベットは中華人民共和国に占領されているが、ではそれ以前の政体を何と呼ぶべきか。 転生活仏という非科学的な存在が君臨していたとか、大寺院や貴族が農奴を支配する封建制・奴隷制だったとか言われるが、 仏教は無神論だし、ブッダはある種の理想的共和政体(サンガ)を説いているとの説もある。 あんまり大作や大川UFOみたいなのに支配されたくはないが。
宋代の都市の繁栄と経済制度の成熟は何によってもたらされたのですか? 国策によるものですか?それとも民間の活力によるものですか?
民活ももちろんだが、政府&軍隊という巨大市場を抜きにして大きな商売はできん 銭を作ったりするのは政府だし、軍隊では大量の軍需物資を必要とする
政府と軍隊はいつの時代でもあるじゃない? それなのになんで宋だけ繁栄してんの?
農業生産量の飛躍的な拡大。
それまでは農村内で自給自足して完結してたのが、 市場が各地にできて農村同士がつながったという構造変化があったらしい
>>346 別に貿易上の失敗で国力が衰退してスペインに併合されたわけでは無いよ。
坊さんになっていたのを無理やり還俗させた王様が跡継ぎを残さなかったために、縁続きで有力者のカスティリア王
フェリペ2世がポルトガル王位を相続した。
で、建前上は、併合はしていない。合同はしない、としている。外交条約もそれぞれ別、行政の予算も別、スペインの
法律はポルトガルで適用しない、という約束でポルトガルの王様を兼任している。
>>351 五代十国期に突厥沙陀族とかユダヤ教徒の流入がありました。
宋の時代にはいろいろ彼等から知恵を拝借したと考えられ
石炭燃料が各地に流通しはじめたという記録があるのです。
359 :
世界@名無史さん :2010/07/20(火) 16:39:39 0
世界史によく出てくる言葉、革命と革新はどう違うの?
イメージだが 革命は現体制がひっくり返る 革新は体制側が自主的に改革を行うもの 革命は強烈だが革新はぬるま湯 日本の政治家も二言目には改革だの革新だの言うが実践しないし 革命とは間違っても言わないね
寛政と天保の改革は、財政緊縮・デフレ政策ばかりで 元文改鋳のような積極策が見られないので 農本主義回帰の側面が強い
国民が帝国を見限って起こしたはずのロシア革命後、 成立したソビエト国内において、赤軍と白軍に分かれて激しい内戦が起きたのはなぜでしょう? 旧支配階級も民衆の支持が無くては、国を割るような内戦は起こせないと思うのですが、 民衆の中にも旧体制を支持する動きがあったのですか? それとも、革命政府の政策に反発して旧体制側に付いたのですか?
白軍というのは「反赤軍=反ボリシェヴィキ」というぐらいのくくりで、 帝政復活を望んだ者もいるが、多くは共和政への移行を望んでいた すべてが帝政復活を望んだ反革命の反動主義者だというのはプロパガンダに過ぎない というか、ボリシェヴィキにより「生産手段を自前で持つあらゆる階級」は人民の敵とみなされたから、 彼らも無償で人民とやらのために生命や財産を投げ出すわけにもいかんだろう
人民解放軍(中国共産党)を赤軍、国民党系などの様々な軍閥を白軍とすればそんな感じ
中国はそうでもないよ。 内蒙古のホロンバイルなどに別の共産主義者がいて、同時並行で政権奪取があり 自分達は別に中国共産党の支部じゃねーよという感覚で事を進めておったよ。 独自の共産党組織があったのは西康省なんかも該当する。 建国後に、ホロンバイルや西康省では指導者が粛清されていくわけだが。。。 ロシアも、グルジアやアゼルバイジャンの動きが見落とされがち。 ロシアも戦時共産主義の直後は、ネップ政策でしばらく行くはずだったが そこいらへんの文書がみんな焼かれているので、よくわかんねーんだ。
資料集からの問題なんだけど ナポレオンの戴冠式でナポレオンが奥さん に戴冠してるけどあれなんでなんですかね? あと月桂樹?はローマ皇帝を模してるのですか?
367 :
世界@名無史さん :2010/07/20(火) 21:18:21 0
旧ソ連において、市民には選挙権は無かったということですが、崩壊直前にはその点は何か変化したのでしょうか?
>>366 カトリック圏において君主を戴冠する人はローマ教皇なので
教皇ではなく自らの手で妻に戴冠することで
「俺はローマ教皇より偉い(or同じくらい偉い)んだぜ」ということを知らしめた。
>>367 旧ソ連では普通に市民の選挙権は認められてたし、選挙がおこなわれてましたが、何か?
ただ、共産党一党独裁下の翼賛選挙だっただけで。
370 :
世界@名無史さん :2010/07/20(火) 21:51:49 0
>>369 つまり、ほぼ選挙が機能していなかったということですね
ありがとうございます
>>368 ありがとうw
あともう一つ願います
プロセインのヴィルフェルム1世の戴冠式が
ベルサイユ宮殿なのは嫌がらせってことですよね?
フランスじゃなくてドイツが皇帝ってことのアピール?
>>371 嫌がらせとフランスコンプの両面。
プロイセンも頑張って綺麗な宮殿や城を建てたけど
ベルリンなんてド辺境で「ドイツ皇帝でござい」をやっても
「プw、ドイツ土人必死だなw」ぐらいにしか思われんので
ベルサイユ宮殿でやったともとれる
ヴィルヘルム1世がドイツ帝国の皇帝になったのは 普仏戦争の勝利のためだから。 しかもそのフランスはナポレオン3世の「帝国」だったから それを降して自分が皇帝になった!というアピールでもある。
>>368 でも、嫁さんには頭が上がらない、ということか。
>>375 何でそうなるの?ローマ教皇が戴冠するのは教皇の権威が皇帝より上という事で、
嫁に戴冠してる自分は嫁より上だよ。
前に習っていた数学の先生の口癖が 問題を解いていてあとちょっとの所まできた時に 「ここまできたら崩壊寸前の○○や、○○知らない人は世界史勉強してな」 だったんですけど○○に入りそうな言葉ってなんですか?
ベルリンの壁
>>376 教皇の手で戴冠するというこは、王権を教皇の権威が保証しているということだろ。
教皇の権威の後ろ楯があって、初めて王様の地位が確立する。
破門されると王様が虜囚のナリをして詫びに向かうとか、そういうことは度々あったろ。
教皇の手で戴冠された君主なら、教皇の方が権威が上じゃん。
誰の手で載せても同じ冠なら、大臣なり小姓なりにやらせるだろ。
でも、そうではなくて、わざわざ教皇の手を借りるのは、教皇の権威が絶大だったからだ。
なにせ、中世〜近世絶対王政期は、王権神授説だし、教皇は神様の名代だしな。
絵の中の教皇が不機嫌そうなのも注目すべきでは
ナポレオンは戴冠式に教皇を呼び、聖油をかけて聖別されたが そのあとで「教皇に背を向けて自ら月桂冠を戴き」、さらに「自らジョゼフィーヌに冠を被せた」 古代ローマ皇帝は教皇により戴冠されるものではなく、元老院と市民から第一人者として推戴されていたので、 ナポレオンも「フランス人民の皇帝」を意識して行動したもの
スターリン批判をして、その政策を否定したフルシチョフは、 なぜ東側諸国に対する強権的な政策は踏襲したのでしょうか?
そのへんはチェコが記録をいぱーい残しているよ
そのうちハンガリー動乱の記録が発掘再構成されてくるので 真相がわかってくると思うぞ 2006年から1956年の公文書が閲覧フリーになっているので そろそろわかってくることがゾロゾロと
フルシチョフは別に平和人道主義者だったわけではない スターリン体制が時代に合わなくなってきたから変えようとしただけだ ソ連が共産主義国に対する覇権国家であることまで放棄はしてない
>>380 通常はそうだが、ナポレオンはそれを否定して自分で戴冠したんだろ?
>>382 氏も書いてるがナポレオンは教皇による戴冠ではなく、市民に推戴される形を望んだ。
シルクロードの西域南道と天山北路と天山南路の中で一番交易量が多かったのはどれですか?
時と場合によるんじゃね?
玄奘三蔵の絲綢之路 玉門関-楼蘭-高昌故城-亀茲-阿克蘇-喀什 こんなルートだったと思う
>>388 でも、かかぁ殿下をおおっぴにしてしまうハメに
>>392 だーかーらー。冠を授ける方が立場が上だっての。かかぁ殿下じゃぁ、ねぇ。
同じ事を書かせるな!
>>381 ジョゼフィーヌの侍女たちの物欲しそうな顔にも注目してほしいです
教皇に失礼だよな!
殿下統一!
ナポレオンってただケンカが強かっただけで 新しい世界や価値を生み出したわけじゃない。
ジョゼフィーヌ今宵はもうよいぞ(w
ナポレオン法典をしらないのか
じゃあマレンゴ風チキンをしらないのか
ナポレオンフィッシュ
1世は缶詰を作り、3世はマーガリンを作った
近代的な軍隊を創造したというだけですごいとは思う またフランス革命の理念や司法・行政、メートル法などを欧州全土に普及させ、 古い秩序の多くをぶち壊して諸民族の自立を促した ナポレオンが全てを作ったのではないが、彼が戦争に勝ち続けていなければできなかった 是非善悪はともかく痛快なことではある
>>404 天下取り(ローマ帝国の旧領の回復)は叶わなかったわけで。
>>404 近代徴兵軍の創造はカルノーの功績、
ヨーロッパでのメートル法の普及は1875年のメートル条約、
フランス革命の理念の輸出はフランス革命戦争において、既に行われていた。
フランス革命の司法・行政は各国政府は採用しなかった。
大陸封鎖令食らうと、普通は貿易立国、輸入大国のイギリスが困ると思うのですが、 なぜ大陸諸国の方が困るのでしょう?イギリス製品が入って来ないなら、 フランスなど別の国の製品を買えばいいのに。また、大陸諸国だってイギリスしか市場が無いわけでもないし。
408 :
世界@名無史さん :2010/07/22(木) 19:12:57 0
少々変な質問ですが、よろしくお願いします。 かつて植民地政策を実行した国のうち、もっとも過酷な統治を行ったのは どの国であり、どの地域に対するそれでしょうか? 何を基準に「過酷」と判断するのか難しいところですが、 まぁ経済的搾取や独立した後の後遺症の酷さなどを判断基準として。 フランスのインドシナ統治がかなりひどいのかなと思ったのですが、 アフリカの方がもっと悲惨なのでしょうかね?
クリスマス島,タヒチ,マーシャル諸島etc 核実験はチト次元が違うだろうな 超えてはいけない一線だと思うよ
>>408 ベルギー王の私領地コンゴ自由国。現コンゴ民主共和国。
耕作地も全てが国王の所有となり、住民は象牙やゴムの採集を強制された。
規定の量に到達できないと手足を切断するという残虐な刑罰が情け容赦なく科され、
前代未聞の圧制と搾取が行われていた。
クトゥルー神話系小説では、虐待されて手足を失ったコンゴ人たちが 絶望の末にある邪神を崇めていたというネタにすらされている
>>393 かかぁが冠を授ければ、かかぁが立場上じゃねくね?
413 :
世界@名無史さん :2010/07/22(木) 20:32:45 0
模擬試験の記述問題で「アメリカ独立革命がフランス革命に与えた影響を書け」というのがあったのですがその影響とはなんですか?
415 :
世界@名無史さん :2010/07/22(木) 20:40:12 0
つーか未だに厨房工房がここで質問しているのかw
416 :
世界@名無史さん :2010/07/22(木) 20:40:17 0
前漢以前の二王之後について詳しい方いらっしゃいますか? 天子存二代之後、猶尊賢也。尊賢不過二代。 とあるんですがこれはどういった意味でしょうか?
>>412 お前は何を言ってるんだ?冠を授けてるのはナポレオンで、それを受けてるのがジョゼフィーヌだぞ。
かかぁが冠を授けるなんて何処から出てくんだ?
>>407 どちらか一方ではなく、お互いに困る。フランスのような後進国ではイギリスの代わりにはならなかった。
現代において中国製品の粗悪ぶりに驚いてボイコットしようとすると、何も買う事が出来なくてビックリ
するのに似ている。
>>419 結局あの王冠を嫁にかぶしたのはなんでなんですか?
>>420 皇帝ナポレオンの権威の元にジョジェフィーヌを皇妃として戴冠する、ということ。ナポレオンの権威に
基づいてるからこれを廃后するのもナポレオンの自由。
離婚しただけで廃后してないんだけどねw ジョセフィーヌの子オルタンスは、ナポレオン三世の母だよ。
>>422 そんな事が可能だとは思わなかったよ。しかもオルタンスはジョセフィーヌの連れ子なのね。
424 :
世界@名無史さん :2010/07/22(木) 23:52:21 0
>>409 核実験を行ったのは米国ですが
それらの地域は植民地だったといえるのでしょうか?
>>410 ベルギーひどっ・・・
植民地ってレベルを超えてますね・・・
ベルギー政府は謝罪とか賠償とかしたんでしょうかね
神様は白人 天使も白人 当然黒人は家畜。そういう感覚だろ アメリカ様が逆らう倭人を火炎放射器でバーベキューにしたり、空からアトミックボム落として 何十万人屠殺するのと同じ感覚だよね。 むしろ彼らにしたら、聖書に全ての生き物は人間様(ただし白人に限る)に奉仕するために生まれたと あるから信仰的には善行なんだ。 それが世の中の真実だよ大人になれよw
ばかだなあ核実験は対人の被害度みないと意味ねーだろ 空からBBQでゲラゲラわらうのが白色帝国の兵士だろ やつらに何をきたいしてんの? 正義(笑)とかw 色が白いと勝ち組 黒いとか黄色いのは搾取対象これ常識だから。
中国は、新疆生産建設兵団を入植させた場所で核実験やって 漢族とウイグル族両方の被爆データをとっていたりする。
チャンコロは部族社会だ。 幇とか閥とかが違えば、同格の人間ではない、食っても構わない。本当に食人するよ。
ここまでのまとめ 世界は野蛮に満ちています。 だから民主朝鮮が核武装する理由は打倒でしょう。 私のオモニやアボジも日本軍に強制連行されて 私自身通名を名乗っています。 朝鮮のみんなが幸福に暮らせるようになるといいな・・・。 その為には米帝や下朝鮮の傀儡政権を打倒し、共和国を強盛大国にするべきでしょうね。
阿部謹也の世間論が嫌いです。でも歴史家としては好きです。 『西洋中世の男と女 - 聖性の呪縛の下で』 という本は世間を扱っていますか?
>>424 この程度の支配なんて近代以前じゃ沢山あったろ
お前がただ単に生温い歴史しか知らないだけだろ
日本の朝鮮支配も過酷を極めた 鉄道が敷かれたり、学校ができたりで
435 :
世界@名無史さん :2010/07/23(金) 09:21:05 0
>>424 >ベルギー政府は謝罪とか賠償とかしたんでしょうかね
国王の海外私有地だから政府の管轄外。
436 :
世界@名無史さん :2010/07/23(金) 11:01:50 O
>>430 きみの言葉、あまりにも不謹慎だ。もっと実のある言葉で批判なりし給え。我々日本人の品格を自ら貶めるな!
437 :
世界@名無史さん :2010/07/23(金) 11:34:24 0
日本軍はひどいことしてきたからね。 夏休みのテーマに相応しい命題だよ
439 :
世界@名無史さん :2010/07/23(金) 16:48:18 0
【アイゴー!ウリは謝罪と賠償を要求するニダァアア!】 日帝支配のせいで、半島の人口が2倍に増えて24歳だった平均寿命が30年以上伸ばされて、 人口の30%を占めてた奴隷が解放されて、幼児売春や幼児売買が禁止されて、 家父長制が制限されて、家畜扱いの朝鮮女性に名前がつけられるようになって、 度量衡が統一され、8つあった言語が統合されて、標準朝鮮語がつくられて、 朝鮮語教育のための教科書・教材が大量に作成されて持込まれ、 5200校以上の小学校がつくられ、師範学校や高等学校が合計1000以上つくられ、 239万人が就学して識字率が4%から61%に上がって、 大学や病院が造られてカルト呪術医療が禁止されて、上下水道が整備されて、 泥水啜って下水垂流しの生活が出来なくなって、日本人は徴兵で大量に死んだのに、 朝鮮人は終戦の間近の一年しか徴兵されず、内地の勤労動員だけで済まされ、 志願兵朝鮮人が戦死したら日本人と同じく英霊として祀られてしまって、 3800キロもの鉄道が引かれ、港が造られて、電気が引かれ、 会社が作られるようになって物々交換から貨幣経済に転換して、 二階建て以上の家屋が造られるようになって、入浴するように指導されて、 禿山に6億本の樹木が植林され、 ため池がつくられて今あるため池の半分もいまだに日本製で、 川や橋が整備されて耕作地を2倍にされて、 近代農業を教えられたせいで1反辺りの収穫量が3倍になってしまって、 糞を喰ったり乳を出したりして生活するのが恥ずかしくなって、 朝鮮人の自尊心がいたく傷ついてしまったニダ! 日本人賠償しろ! 土下座しろニダ! ゜。∧_∧。゜ 〃,<;∩Д´> アイゴーアイゴーアイゴー /(_ノ ィ \ ⊂こ_)_)`ヽつ
ヨーロッパにおいて傭兵軍が戦場の花形だった時代、 非ヨーロッパ人の傭兵もいたんですか?アラブ人とかペルシャ人とかチュルク人とか キプチャク人とかカフカス人とかベルベル人とか。
キリスト教圏で有名なのはイタリア半島の先っちょあたりに15Cぐらいまではアラブ人コミュニティがあって そこが兵をだしていたのは知ってる。 今で言う傭兵なのか、付課として義務でだしていたのかまではしらんが。 レコンキスタ以前のイベリア半島ではムーア人傭兵が結構いたはずつかイベリア攻略の中核の一翼をなしていた。 ベルベル人もそんな感じかな。
>>434 日帝のせいで学校ができて毎日がエブリデイじゃなくなったニダ
謝罪と賠償を(ry
地政学的に朝鮮は悲惨だと思うよ 北は半農半猟の野蛮人が人をさらっていくし 南は半裸の野蛮人が襲ってくる
444 :
世界@名無史さん :2010/07/23(金) 19:43:44 0
朝鮮ネタに便乗するわけではないが、歴史板にふさわしい質問をひとつ。 日本領時代の朝鮮の各道の知事は、日本人も朝鮮人も任命されていたそうだ。 ウィキによると、いくつもの道で朝鮮人知事の名前が多くみられる。 ただ、京城のある京畿道と釜山のある慶尚南道の歴代知事は全て日本人であり、 北朝鮮の平安南北・咸鏡南北各道の知事も日本人が多い。 一方、その他の各道の知事は太平洋戦争中でも朝鮮人知事が多い。 なぜ、このような状況が生まれたのだろう? また、併合後の日本領時代でも朝鮮人官吏が知事になれたのが意外だ。
445 :
世界@名無史さん :2010/07/23(金) 19:51:42 0
太平洋戦争中の例として、 慶尚南道(釜山がある)の場合 西岡芳次郎 1941年11月19日 - 1943年3月27日 大野季夫 1943年3月27日 - 1945年3月28日 信原聖 1945年3月28日 - 日本統治下最後の知事 慶尚北道(新羅の古都、慶州がある)の場合 高尾甚造 1941年11月19日 - 1943年9月30日 武永憲樹(厳昌燮) 1943年9月30日 - 1944年8月17日 李昌根 1944年8月17日 - 1945年6月16日 金大羽 1945年6月16日 - 日本統治下最後の知事 忠清南道(百済の古都、扶余がある) 松村基弘(李基枋) 1941年5月31日 - 1942年10月23日 山木文憲(宋文憲) 1942年10月23日 - 1945年6月26日 増永弘(朴在弘) 1945年6月26日 - 日本統治下最後の知事
446 :
世界@名無史さん :2010/07/23(金) 19:56:28 0
京畿道(総督府がある)の場合 松沢竜雄 1941年11月19日 - 1942年4月7日 丹下郁太郎 1942年4月7日 - 1942年6月2日 高安彦 1942年6月2日 - 1943年12月1日 瀬戸道一 1943年12月1日 - 1945年6月16日 生田清三郎 1945年6月16日 - 日本統治下最後の知事 江原道(京畿道の右側、日本海側)の場合 柳生繁雄 1941年11月19日 - 1943年12月1日 中原鴻洵(劉鴻洵) 1943年12月1日 - 1945年6月16日 孫永穆 1945年6月16日 - 日本統治下最後の知事 平安北道(日満国境に接する)の場合 白石光治郎 1941年11月19日 - 1943年7月17日 信原聖 1943年7月17日 - 1945年3月28日 山地靖之 1945年3月28日 - 日本統治下最後の知事
>>444 別に日本にも朝鮮人の議員や高級官僚や高級軍人がいたんだから、
朝鮮にいたって不思議じゃないだろ。
>>440 ビザンティン帝国は、伝統的に夷をもって夷を征する政策だったので、非ヨーロッパ人傭兵も
(ヨーロッパ人傭兵も)よく使った
末期のパレオロガス朝は、内紛のためにトルコ人を傭兵軍としてアジア側からヨーロッパ側
にガンガン招き入れたので、気がついたら国土の大半をオスマン帝国にのっとられた
449 :
世界@名無史さん :2010/07/23(金) 20:17:04 0
日本領時代の朝鮮人知事って、解放後はどうなったんだろう?
ボク世紀さんもだろ
>>449 偉い奴はたいてい日本かアメリカに逃げた。
>>448 どこでも同じじゃね。「夷をもって夷を征する」なら日本も十八番だった。
大陸進出も相手勢力に対抗勢力や親日派を作り出して分断して
浸透していくのが主。
半島の併合の対日協力者は言うに及ばず独立派の弾圧も現地の下っ端が
よく働いた。台湾も蕃を味方と敵に分けて討たせてたし、内蒙古の独立運動
中国本土は言うに及ばず、日露の共産支援や対米戦争での黒人扇動まで至る。
454 :
世界@名無史さん :2010/07/23(金) 21:05:35 0
朴重陽 明治43年(1910) 忠清南道知事 大正3年(1915)中枢院参議 大正10年(1921) 黄海道知事 大正12年(1923) 忠清北道知事 中略 昭和16年(1941) 中枢院顧問 昭和18年(1943)中枢院副議長 昭和24年(1949) 逮捕拘束 昭和30年(1955) 死亡
まあ標的に真正面からぶちあたるよりは 分断・寝返りで弱体化させるほうが確実だわな ローマもシナもモンゴルも家康もイギリスもやった戦略 …いや、夷を以って夷を制するったって ビザンチンの傭兵やマムルークは対外征服が主ではないし 内側からのっとられたら「軒先を貸して母屋を取られる」だが
>>455 イスラム圏の王たちが貴族や自由身分の戦士を使わず、
奴隷身分のマムルークを重用したのが不思議だわ。
アラビア貴族や自由身分の戦士「俺ら勝ち組だから、もう戦争したくねー。都会生活サイコー」 一般のアラビア人・ペルシア人「戦争なんてまっぴらごめんです」 ベドウィン・クルド人「略奪は先祖代々の生業ですがなにか?」 改宗したトルコ人「戦争サイコー!異教徒ぶち殺すのが天国への近道っすよね」
・トトロは死神で、トトロに出会った人は死が近い、もしくは既に死んでいる。 ・サツキとメイは途中で死んでしまい、父親が想像の世界の中で生きている二人の姿を書いた。 ・お母さんが入院しているのは子供を亡くしたショックから。 ・メイは、冥という意味。 ・メイが行方不明になり池でサンダルが見つかったが、既にメイは水死していた。 ・人間には見えないネコバスは魂を運ぶ乗り物であり、サツキは自らそれに乗ってメイの元へ向かった。 ・ネコバスの行先表示のひとつに「墓道」がある。 ・メイが行方不明になった後、メイの影がなくなっている。 ・サツキとメイがネコバスで病院の母親を見舞うが、 母親は二人が松の木のところで笑ったような気がしただけである。 さらに両親に会わずにトウモロコシを置いて帰ったのは、二人が既に死んでいるから。 ・最後のエンディングでは、全員が不自然に若返っているが、実は生前の昔の出来事をハッピーエンド風にしただけ。
山羊→八木→代打の神様→神様 神様がメイにこれ以上行ってはいけないと警告 警告を無視してメイは行く そして変質者(サツキと会話したオッサン)にレイプして殺され沼に沈められる メイのサンダルだったが現実を見たくないのでサツキには違うサンダルに見えた メイに会う為に死神(トトロ)に頼み、自ら死を選び冥界への渡し舟・猫バスに乗り込む(墓道が伏線) メイ、死者が集う地蔵の元で待っている サツキは死亡したためメイに会えた 死んだ2人の魂は無念さを晴らすためトウモ殺しを母に届け成仏 最後のババアに再会したシーンからEDの映像はもしも2人が死んでいなければ・・・というアナザーストーリー
それでもいいじゃないか
殺気と冥なのか
462 :
世界@名無史さん :2010/07/24(土) 07:15:56 0
学校で五賢帝の話が出ましたがネルヴァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニウス・ピウス、マルクス・アウレリウスの中で アントニウス・ピウスだけスルーされて説明されて先生に聞いたらアントニウス・ピウスは覚えなくてよいと言われました。 このアントニウス・ピウスはどんな皇帝だったのですか?
五賢帝で一番のやり手 やり手すぎて統治中にこれといった事件が起きなかったので 先生も話すことが何も無い アンちゃんの時代は平和な時代であったのだ
その一方で、外敵対策は疎かだったね。まぁ長城を建てたけど。
確かに弱腰外交だった
ネルヴァはトラヤヌスを次の皇帝に選んだ中継ぎ選手 トラヤヌスはダキアやパルティアを叩いてローマ帝国領土を最大に拡げ ハドリアヌスは帝国内を巡回してそれを整備し(ついでにユダヤを潰し) ピウスはイタリアにとどまって長期の平和と安寧をもたらしたが話題になるようなことはせず マルクスのときにそれまで溜まっていた問題が噴出し始めた
ピウスは哲人皇帝だろ?
ピウスとくればヒゲ。
明の時代には大量に銃や大砲などの火器を装備した部隊がいたそうですが、 中国において銃や大砲などの火器の大量運用が行われたのはいつ頃からでしょうか?
>>456 それが中世だわな。
ローマ帝国末期
野蛮人の生まれでも25年間兵役を勤め上げたら、田畑を支給してローマ市民にしてやるよ。
脱走や途中退役は死刑だからね。 → 実質的な奴隷兵、25年も生き残る兵員は極めて少い割合。
封建キリスト教時代ヨーロッパ
兵員は専ら傭兵。少々の支度金と戦勝時の褒章は貰えるが、国籍も参政権も身分保障も無い。
負け戦では戦地で放置されてしまう。
日本 院政〜源平合戦
官位官職氏姓持ちの貴族に隷属。
日本 中世封建時代
古代の大族の系譜を僭称する上級武士が、浪人・足軽などの戦闘員を消耗。
「詰め腹を切らせる」等、罪を祓う際の生贄要員として生命を軽視する。
>>440 モンゴル帝国の系譜の政権から離反してポーランドに協力した、回教徒トルコ人のタタール・リプカ兵。
戦功によって郷紳待遇の処遇を得た人もあった。
ハンガリー王国が黒海北岸・東岸から招聘した、パローツやセイケイ等。辺境警備のため、元の社会構造を
維持したまま呼びつけて定住させているところは、回教圏のトルコマンと似ている。
両シチリア王国オートヴィル王朝。ノルマン系王侯貴族が圧倒的多数のラテン人を支配するため、陸戦力や
徴税官としてアラビア人兵員を導入。文官としての才覚も優れ、統治中枢にも深く食い込む。
近現代の兵士は奴隷的ではないと?
>>473 は奴隷の意味をわかってない。
物として売り買いされる身分を奴隷というのであって、待遇うんぬんの話ではない。
イスラムの奴隷軍人は身分こそ奴隷であったが、待遇が悪かったわけではない。
オスマン帝国では奴隷出身でも総理大臣になれたからな
なんか話題がループしてる
479 :
世界@名無史さん :2010/07/25(日) 17:15:33 0
ヨーロッパがアジア、アメリカに進出して与えた影響とその影響を受けたアジア、アメリカに共通する部分と、違ってる部分をB4のサイズにまとめなければいけないんですけど、全然わかりません。どなたか助けてください!
480 :
世界@名無史さん :2010/07/25(日) 17:24:33 0
ニュース速報:2010/07/25(日) 14:41:29 HOST:cdu02c40.cncm.ne.jp 「スクープ!!国民総背番号制!!!!!導入か? 政府が発表!!!国民ひとりひとりに番号がつけられる!!」 政府が税と社会保障の共通番号制度の導入(どうにゅう) にむけ原案を公表した。 共通番号があれば、個人の所得情報などが把握(はあく) しやすくなり、 所得に応じた手当(てあて)の支給や社会保障サービスに活用できる。 一方で個人情報がもれてプライバシーを 侵害(しんがい)するリスクもある。 使う番号は、プライバシー保護(ほご)や導入(どうにゅう)コスト などの面から、住民票コードをもとにあらたな番号をつけることが のぞましいとしている。 (西日本新聞記事より)
>>479 一般的な大学ノートのサイズがB5で、B4はその倍のサイズだよ
19世紀末のアジア・アフリカ分割において、 列強はなぜ地政学的要衝でも無くて、 生産物にも資源にも市場としての価値にも乏しくて、 人が住んでるってだけの土地まで、 必死で植民地にしようとしたのでしょう?
>>479 質問が漠然としてて分かりにくいな。
学部の授業か何かだろうけど、授業中に先生が板書したことや
話したこととかノートに書き写してない?
先生はそういうことをレポートに期待してるのでは?
まあ、そういうの無視で簡単に考え付いたところをまとめると
共通点
世界システムとの一体化
相違点
アメリカ→現地文明の崩壊
現住民族の粛清、民族浄化
アジア→現地文明の存続
後代まで交易や経済的支配が主で民族浄化等はあまり行われなかった
インドで英語が通じるように洗脳活動をいぱーいやったよ
486 :
483 :2010/07/25(日) 18:02:35 0
×世界システムとの一体化 ○世界システムとの結合、周辺化
フィリピン人やインド人は、英語ができることにより グローバル化による時差ビジネスでアドバンテージを得た。 災い転じて福を為すになるかもしれない。
488 :
世界@名無史さん :2010/07/25(日) 18:31:03 0
483さんありがとうございます!!授業はちゃんとでてノートにメモってるんですけど、自分でメモった字が読めないとゆう悲惨な事態に陥りました。 B4なんて絶対無理だ・・・・
>>487 でもな、英語ってローカル英語が何種類もあって、
そのうちの一つ話せるってだけじゃ、通用しないんだよ。
今時B4サイズを使うなんて珍しい
491 :
世界@名無史さん :2010/07/25(日) 18:53:30 0
B5のノートの見開き状態をB4って言ってるんじゃないの? B4の西洋紙1枚分ってことでしょ。
ペタン元帥ってかわいそうじゃね?
>>492 わずかな間とは言え、ヒトラーの後ろ盾で独裁権力振るえたんだから、
悪くない晩年だったんじゃね?
495 :
世界@名無史さん :2010/07/25(日) 21:03:25 0
だが、王政復古はしなかったんだよな。 ペタン自身を独裁者とする権威主義体制。いわばペタン制だな。
>>492 完全に売国奴だよ
ギロチン行きにならなかっただけでも幸福な方だろ
ハンガリーのホルティ提督とかブルガリアのツァンコフ教授とか戦後も生き長らえた奴も結構いるから、 ムショで死んだペタンは不運な部類だよ。
>>476 物として売り買いされるのは、それこそ、都市国家時代の初期か、16世紀以降の近代奴隷だけ。
売り買いされたのは雇用権のみ、自由が無いのは参政権や固定資産を持つ権利等。
身体的自由まで無いような奴隷のいた時代はそれほど長くいんだよ。
たとえば、ローマ時代の基準なんかで言うと、剣闘士奴隷の制度と、今のプロ野球やなんかの
選手の保有制度とが、殆ど同じだから。
ロシア・東欧に19世紀までいた農奴と、日本の農民、特に、村の自治に参与しない小作農と、
置かれた立場は全く同じだ。
日本はそうなっていないけれど、現代の人材派遣や職業紹介を規制する法律、大抵の国では
奴隷禁止に関する法だしな。
雇用と奴隷とが境界が低いからほかならなわけだよ。
基本的人権なんて概念がないから、「自由」というものは「特権、権利」なんだよなあ
>>498 ローマの奴隷はモノ扱いだろjk
現代のプロ野球と同じような剣闘士って市民が志願した奴だろ
501 :
世界@名無史さん :2010/07/26(月) 00:25:26 O
ロシアスレ大杉だれ なんたんだよこれ
お前の日本語がおかしいw
>>500 モノ扱いすることが、即ち「蔑む」ということではない
おまいさんだって500マンで新車買ったら大事にするだろ
奴隷を使うことは決して安い買い物ではなかったから、
それはそれで丁寧に扱われたんだ
>>500 当時の記録でも剣闘士は奴隷だけど、花形になると莫大な報酬もらって
豪邸に住み、高貴な女性が競って寝床に誘ったとすら言われる。
ギリシャのヘタエラ(酒の席で酌をする女性)も奴隷身分だったけど、
一流になると莫大な報酬を得て、酒の席でつかんだ裏情報を握り、王侯貴族
に勝るとも劣らない権勢を誇ったという話もある。
もちろんそこまでいくのは全体のごく一握りだけど、そういった「奴隷」も
実際に存在したのは確かなんだよ。
>>498 ロシアの農奴と日本の小作農が同じってのは極論だろ
明治以降の日本の農民は、別の職業に転職することは、一応、自由だったぞ
じゃあ江戸時代はずっとずっと奴隷かぁ 話すりかえるのうまいね。 明治以前の数百年を虫するネトウヨスゲエ
507 :
世界@名無史さん :2010/07/26(月) 05:53:55 0
508 :
世界@名無史さん :2010/07/26(月) 06:02:30 0
「奴隷制度下のアメリカで、奴隷を鞭打つと傷付けて値段が下がってしまうので、 奴隷の体に傷が残らないように鞭替わりに使われた道具は何だ?」 という問題を友人に出されたのですが、いくらぐぐっても答えに辿りつけません…! この問題の答えがおわかりになる方はいらっしゃいますか? もしもスレ違いだったらすみません。
>>503 ローマの法制度では、家長が家族を殺すのは自由、あくまでも家の中の問題。
勿論、他者を殺すと厳に罰せられる。
これは、市民が市民もしくは市民を殺した場合でも、市民が自己の保有する奴隷を殺した場合でも、
市民が他者り保有する奴隷を殺した場合でも、殺人罪として厳に罰せられた。
>>505 自由じゃあねぇぞ。
大抵の藩でも天領でも、農民の逃散(耕作拒否)は、死罪だぜ。
逃げなければ無問題だろ
>>510 18世紀前半には耕作拒否でも金銭納税によって「郷商」になるキャリアパスが登場している。
19世紀前半の化政時代に再びこのやり方が増えている。
途中でいろいろ幕府の政策方針が変わるので一貫した政策で通っていたわけではない。
共産党シンパの江戸暗黒厨なんか相手にするなよ 素人は黙って俺たち国士についてこい。
>>512 年貢米は買って納めるから別に耕さなくてもいいだろう、ということをすると、百姓の領分を越えるとして
手打ちにされてた。
小作人雇ってテキトーにやらせておけばバレないんだけどな
江戸幕府は荒廃期の寛政年間でも、人足寄場を作ってむやみやたらと刑罰を加えてないよ。
まさに地上の楽園 韓国人とサヨク大敗北w
518 :
世界@名無史さん :2010/07/26(月) 13:51:18 0
約10年間も創価学会=公明党が政権の座にありました。 一宗教団体が政権を握るという大変危険な状態が現代日本において あったわけですが、世界史に目を写した場合、このような宗教団体が 政権を握るなどという危険な状態におかれたことって他にあるのでしょうか?
池田先生は日蓮の生まれ変わりなんだが・・・・。
日蓮が現代に復活したら学会員にぼこぼこにされるだろうなw
福祉の党、庶民の味方、平和の党といいながら後期高齢者医療制度、PKO法イラク法、自立支援法。。。 公明党のというか創価の正義なんて所詮はその程度。要するに池田が日本を牛耳りたかっただけ。 古代から見ても特定の個人のエゴで政権が握られたなんてことは歴史上ない。日本国民は創価に惑わされ 公明党に投票し自公政権を10年も存続させたんだから世界史上類まれな愚民だと思う。世界史上こんな例は無い。
ここは何スレですか?
個人エゴ政権のような公明党と南北朝の南朝を語るのですか?
>>516 江戸時代は過度の重農主義でにっちもさっちもいかん状態に。
その洗脳は、二十世紀中盤の食糧難時代に更に強化されてるがなあ。
公明党は別としてどこの国も地域も宗教即政治で政治史=宗教史と 言っても過言ではないくらい宗教と政治は結びつきが強かったと思う。
聖職叙任権闘争はどのようにして決着が付いたのでしょうか? また、神聖ローマ帝国以外での聖職叙任権はどうなったのでしょうか?
日本の国教は創価学会で決まりでしょう。
>>528 叙任権は教皇、教会の土地財産に関する権利は領主(皇帝)に帰属するという話で決着
531 :
世界@名無史さん :2010/07/26(月) 20:52:13 0
三島由紀夫が自衛隊に立てこもって騒ぎ起こした時、森田が斬りおとした首が 転がっている写真を掲載した週刊誌か何かがあったね。一刀で落としたのかしら?
>>531 森田は三島の介錯したけど、下手過ぎて何度も失敗。三島苦しむ。
剣術の達人に代わってもらって、ようやく介錯成功。
>>530 フランスとかスペインとかポーランドとかの他のカトリック国での聖職叙任権はどうなったの?
534 :
世界@名無史さん :2010/07/26(月) 20:57:31 0
>>533 フランスでは王権は小さく諸侯の権力のが大きくドイツのように国王と教会が争う余裕はなかった。
したがって国王と教皇の両方に叙任権がありました。
そもそも叙任権はあくまでも皇帝と教皇の権力闘争でドイツイタリアでの勢力拡大を狙う両者においては
必然的にぶつかる問題だった。
536 :
世界@名無史さん :2010/07/26(月) 21:40:04 0
聖職叙任権について何も知らない奴が回答するな
537 :
世界@名無史さん :2010/07/26(月) 21:44:48 0
つーか聖職叙任権ってあくまでも神聖ローマ皇帝と教皇の対立軸の話であってスペインとかフランスとかは関係ないんじゃね?
↑ リアルばか
いや、スペインやフランスにも聖界諸侯はいるし、聖職者もいるでしょ? その叙任権は誰が握ってたの?
>>538 がいいたいことは、叙任権闘争と言う歴史用語は神聖ローマ皇帝とローマ教皇間で
司教や修道院長の任命権を争ったことを指し示すって言いたいだけで、それ以外の国に聖職者はいないとは言ってないだろ
イングランドでも、カンタベリー司教アンセルムスらと国王との間で30年にわたる叙任権闘争があった
イングランドは1107年のロンドン協約で叙任権放棄してますね。 フランスはちと忘れましたが、近い時期に、似たような形式で放棄してたかと。 ただ>535が言うように、当時のフランス王権はまだ微弱で、直接支配できた教会領が少なく、 結果ドイツほど叙任権問題が重大化しなかったようです。 そもそもフランス全体での司教領や修道院領の数がドイツよりかなり少ないことも要因ですね。 スペインは、叙任権闘争期にキリスト教国ではないので、比較のしようが無いかと。 レコンキスタの頃には、すでに教会のほうがグダグダになった後なので、叙任権を争う必要すら無かったでしょう。 ドイツは大規模な司教領や修道院領が多く、帝国支配の為には、それら聖界諸侯との関係は重大事です。 そのため、イングランドやフランスのような妥協で、安易に叙任権を放棄するわけにいきませんでした。
中国の統一王朝でも、二代くらいで崩壊してしまうのと、 数百年続くのがありますが、いったい何が明暗を分けるのでしょう?
>>544 そんなの語りだしたら一つスレができるくらいだ
一般的には、その二代目がしっかりしているか、また、その二代目を支えるシステムを確立できたか ってところだろうな 王朝を興す初代は、たいてい強烈な個性と指導力を持つ人間だから、その初代が死んだ時が 正念場になる とはいえ、二代目がボンクラでも続いた王朝もあるし、一概には言えないのも確かだな
>>544 日本海渡った向こう側にそんな王朝があるからみてりゃわかるかもよ
秦:始皇帝はがんばったが統一自体始めてなので無理も生じ、次が馬鹿の語源 新:王莽の政策が無理・無茶・無謀すぎた 西晋:初代は女色に耽り、次がアホの恵帝 隋:煬帝が屋台骨を思いっきり傾けた 大元:クビライ&テムルの後は宮中が相続争いで修羅場と化し、黒死病など天災が相次ぐ 前漢:劉邦と功臣が基盤を固め、次の恵帝たちはボンクラ・幼少だが呂后が実権を握り安定政権に(匈奴の庇護もある) 後漢:光武帝と明帝は有能だったが、その後は外戚と宦官が幼少皇帝を担いで抗争、それでも200年もつ 唐:初代より二代目(太宗)の方が有能。則天武后に簒奪されたりはしたがどうにか長期政権に 北宋:皇帝はそこそこ有能、北方異民族との和平条約(貢納)で平和を買う 明清:皇帝独裁の恐怖政治で一応国内がまとまる
ドラキュラ伯爵って伯爵ですが主君は誰ですか?
怪物くん
>>549 ドラキュラ伯爵は実在の人物ではありません。
モデルとなったヴラド大公は、独立公国ワラキア大公国の君主です。
そのヴラド大公の主君は誰なんですか?
>>553 ワラキアは独立公国なので、主君はいません。
556 :
世界@名無史さん :2010/07/27(火) 20:31:43 0
すっごい単純な質問で申し訳ないですが、 ヨーロッパの王と皇帝ってどう違うんですか?
>>555 ヴラドの時代はワラキアはハンガリーから独立してたはずだが。
>>544 秦や隋は2代目がだめな例の典型例。
蜀だと蜀漢はじめ、3代続かないとよく言われたもの。
他地域に比べて国力人口等々が不利で常に征服される側。
南北の比較でいえば統一できたのは明と北伐できた中華民国しか
南側では統一の実績なし ま専用スレたてて論じたほうがいいかもね
>>556 知ってる皇帝の名前をいくつかあげてごらんよ。
>>556 王は血によって継承されるものだが
皇帝は公的に選出されるという意味を含む
あくまでヨーロッパね
あと、ローマ帝国の後継者である、みたいな意気込みがないとあかんのやろ?
皇帝のほうがえらい。
>>556 単純に言えば、王というのはある1つの国や地域、あるいは民族などの君主
皇帝は本来は、(ヨーロッパの大半の地域、多くの民族を支配した)ローマ帝国の君主
西ローマ滅亡後、長いこと、東ローマ帝国のギリシア人が自分たちこそローマ帝国と自認して
君主は皇帝を称していた
そのうち、ローマ教皇が、シャルルマーニュやオットー1世など自分たちに都合のよい世俗君主に
皇帝の位を与えるようになる(名目上は、彼らはローマ帝国の後継と認められたことになる)
そしていつしか、オーストリアのハプスブルク家が皇帝位を独占が
するようになった
これが神聖ローマ帝国で、ローマじゃないのに神聖ローマ帝国なのはそのため
一方、ビザンティン帝国(東ローマ帝国)が滅亡し、皇帝の姪を妃にしていたモスクワ大公が
ツァー(皇帝)を称するようになるが、これも、ローマ帝国の後継を自認してのこと
やがて、時代もくだってくると、だんだんローマ帝国は関係なくなってきて、オーストリアやロシア
程度の君主が皇帝なら、それより強い俺だって皇帝だ、とナポレオン1世がフランス皇帝位を勝手
にでっちあげて、教皇に認めさせてしまう
こうなってしまうと、皇帝という位も価値が下がってくる
ナポレオン3世を普仏戦争で倒したヴィルヘルム1世も皇帝を名乗るし、インドのムガール帝国を
滅ぼしたイギリスのヴィクトリア女王も(イギリスでは女王だが)インド皇帝として戴冠する
こうして皇帝がインフレして、国の君主として割とありふれた称号になってしまい、日本の天皇の
英訳もエンペラーにされたり、中央アフリカ共和国の独裁者が皇帝を名乗ったりと、価値が下がり
まくり、単なる王と大差ないように思えてしまうようになってしまったが、本来は王よりも権威ある
存在だ
欧州での皇帝という地位を辿ればローマ帝国に行き着く 中国での皇帝という地位を辿れば秦王朝に行き着く・・
565 :
世界@名無史さん :2010/07/27(火) 22:52:26 0
みなさん御回答ありがとうございました。 井沢元彦さん著逆説の日本史で「世界史の授業ではヨーロッパの王と皇帝の違いすら教えない」とありまして、 そういや王と皇帝の違いか‥考えたことないなぁ‥なんとなく皇帝の方が権威ありげだけど具体的には何が違うんだ? と思いまして質問させていただきました。 今まで漠然と宗教(カトリック)的権威が伴っている君主を皇帝と呼ぶのかと思っていました。 起源がローマ帝国でありその帝権を継承する君主を皇帝(飽くまで日本語として)と呼ぶんですね。 ところでもうひとつ質問なんですが、ドイツ第三帝国と言う日本語がありますが、 これはローマ、東ローマの次に来る3番目の(正統な)帝国って意味でしょうか? ヒトラーとしてはローマ教皇が与えた帝権の系譜なんかカンケーねーよ、的な。
>>565 神聖ローマ帝国、ドイツ帝国に続く、第三のドイツ人の帝国という意味。
しかし、ヒトラーは公式には第三帝国という呼称は使用しなかった。
単に帝国とのみ称していた。
東西ドイツが統一されるときには第四帝国の誕生などと言われた
568 :
世界@名無史さん :2010/07/27(火) 23:25:42 0
>>566 ドイツ人限定なんですか。
ヨーロッパ全域を支配する大義名分的な呼称かと思っていました。
ヒトラーって案外器が小さかったのか、大義名分を必要としなかったのか。
あるいはひょっとして、ドイツ「人」の、だからユダヤ人の次は‥的なオソロシイ意味合いがあるのか‥
>>568 スラブ人は劣等人種なので放逐して、そこをドイツ人の土地にすべきだと
当然公言してたよ
井沢元彦なんか読んでもネトウヨになるだけ
神聖ローマ帝国のドイツ語名は、「Heiliges Romisches Reich(神聖なローマ人のライヒ)」。 19世紀に成立したドイツ帝国は、正式な国名を「Deutsches Reich(ドイツ人のライヒ)」という。 しばしば「Kaiserreich(皇帝のライヒ)」と呼ぶのは、いわゆるナチスの「Das Dritte Reich(第三のライヒ)」と分けるため。 Dritteには「第三の」、また過去・現在に次ぐ「未来の国、神の国、千年王国」というニュアンスがあったという。 しかし帝政が崩壊して共和政になっても、ナチスが政権をとっても、正式な国名は変えていない。 ライヒReichは英語のregion(地域)と同じで、LandやStaatなど「分国、州・県」の上位にある「国、全国」というほどの意味。 語源はラテン語のrexや梵語のraja、フランス語のroiなどと同じく「王、指導者」だが、別に王政や帝政でなくてもReichと呼ぶ。 ドイツ語では今もフランスはFrank-reichだし、オーストリアはOster-reich。 帝政の国家ならKaiserreich、王政国家ならKonigreich、天国ならHimmelreichだ。 「ドイツ全国」を支配したとしても、多民族・多人種・多宗教を包含する「帝国、覇権国(empire)」であったとはいいがたい。 ナチス政権が滅んで東西ドイツになり、ようやくライヒの語は国名から外れた。
>>565 そりゃ王と皇帝に違いはあるけど、所詮ユーラシアの最果ての政治事情に過ぎないでしょ。
中学生や高校生がどうしても知らなければいけない常識というほどではない。
「帝国」という漢語はシナにはなく、明治期の日本で訳語として作られたもの。 皇帝や天皇は、建前としては「煌々たる天帝」の化身、天子として天下全てを治める存在で、 その領域を「国(漢字の原意は『都市国家』)」など限定することはできないはず。 ただ実際問題として、皇帝の権威の及ぶ範囲は広大ではあっても限られていたし、 大明国とか大清国、日本国という呼び方は以前からあったから、 皇帝や天皇が存在・統治する国家は「帝国」としか訳しようがなかった。 シナの皇帝と、欧州のエンペラー、カイザー、ツァーリなどは、同じく最高位の君主のように見えるが起源が違う。 しかしエンペラーやカイザーやツァーリなどを「皇帝」と訳せば、その国は「帝国」と訳さざるを得ない。 だから建前上は最後まで共和政だったローマも、アウグストゥス以後を「ローマ帝国」と呼ぶ。
なんでこの話題がこんなに人気があるんだろう? 王侯の称号や肩書きにいまだに魅了されてる奴がいるわけか。 共和主義者の俺としては「王侯くそくらえ!」って刺青いれたい気分だな
共和政や民主政になっても、独裁者が出たり寡頭政・衆愚政になったり、 資産の多寡による制限選挙だったりするしなあ 赤い貴族なんて言葉もあるし
稲作って、東アジアとそこに近いところくらいしか広まってないイメージなのですが、 実際のところ稲作はどこまで広まってるのでしょうか。
王様ペンギンと皇帝ペンギンのちがいを
税金食いの池沼が次の女帝になるぐらいなら皇室廃止して いらねーよ
アフリカ大陸やイタリア北部、カリフォルニアにも稲作地帯があるぞ。
パエリアとかあるけどイベリア半島にはつくられてねえの?
>>575 あと軍隊な。軍隊の統制という点では民主制、共和制は君主制に及ばない気がする。
経済的苦境、政治的混乱に直面すると軍部が政治に介入するパターンは共和制にありがち。
南アジア、中央アジア、ラテンアメリカでも作られているな(インディカ米だけど) 中近東には紀元前からピラフがあり、アラブ人からイベリアに伝わってパエリアになったらしい …夜中なのにチャーハン食いたくなってきた
太るぞ
やつらドングリで豚を肥やして、ソーセージにして食う生活を何百年としてたからな。 稲作とか二毛作とか夢のような世界だよな。
イランもカスピ海側が稲作地帯だ
稲は高温多湿の気候の方が向いてる。 中国でも南方の方が稲作が盛んで北方は小麦が主食になっている。 ヨーロッパでは米は主食というほど作られず、意識としては野菜に準じる食材という感覚。
>>589 なるほど。そういえばタイとか東南アジアでも稲作はありますね。
温暖で湿潤なところでないと稲作は難しいということですか。
ありがとうございました。
592 :
世界@名無史さん :2010/07/28(水) 07:20:30 0
イタリアとかスペインで白人が田植えしてる光景が想像できん。 白人に稲作は似合わない。
黄色人種は小麦と言い換え出来そうな
>>592 直まきという方法をとるので、田植えはしません
595 :
世界@名無史さん :2010/07/28(水) 13:08:30 0
映画「苦い米」は出稼ぎ田植え女の物語だけどな
イタリアのは、アフガニスタンとやり方が似ているな。
598 :
世界@名無史さん :2010/07/28(水) 18:35:04 0
アケメネス朝ペルシャの都、ペルセポリス、スサについて 祭儀→ペルセポリス 行政→スサ というのはわかるのですが 「首都」と問われたときはどちらが正しいのでしょうか? 用語集を読んでもよくわかりません
砂漠とか、極地とか、高山とか、密林とか、 人間は生きるのに過酷な環境にも平気で順応しますが、 そういう地域にかつて大きな国が生まれた事ってあるんでしょうか?
多民族国家であるアケメネス朝の「首都」はいくつかあった。 春はスサ(エラムの首都)、夏は涼しきエクバタナ(メディアの首都)、秋と冬にはバビロン(カルデアの首都)に住む。 なにしろ「諸王の王」なので、帝王は自分から各地の領国へ移動して統治した。 一応スサには官僚が集まり、主要な行政機構が整備されていたが。 本国ペルシア地域は主要な街道から外れた後進国だったが、 ダレイオス1世が帝国を再建したのち、新たな中心地として建設したのがペルセポリス。 半世紀ぐらいはここで儀式も行政も行われていたが、次第にスサやバビロンに比重が移っていく。 それでも重要な「首都」のひとつではあり続け、わざわざアレクサンドロスが訪れるだけの価値はあった。 ペルセポリスで略奪された財宝も、スサより3倍は多かったという。
>>598 そもそも、「首都」の都市が決まっていて、そこから国を治る(そこからしか国を治められない)っていう
固定観念を捨てろ
君主の統治する時代には、その時にその君主のいるところが国の首都だ
古代や中世には、国内を移動し続けながら統治した君主だっている
もし試験でアケメネス朝の首都はどこかなんて問題出す先生がいたとしたら、そんな悪問を出す先生の
方が間違ってる
>>599 面積がでかい・人口も1億4000万人いる国ならすぐ近くにあるじゃないか?
砂漠・極地・高山・密林・泥沼・蚊の大群・竜巻・洪水 全部あるよ
>>599 どこまでを砂漠その他の地域とするかにもよるが
砂漠:古代エジプト諸王朝、ウマイヤ朝、アッバース朝、ファーティマ朝、アイユーブ朝、
マムルーク朝、ティムール朝など
高山:チベット、グルカ、インカ帝国など
密林:クメール王国、マヤ文明など
大帝国を築いたモンゴルとかロシアとかも過酷な土地だなあ アメリカには砂漠もアラスカもあるし、カナダには大森林も北極圏もあるし ブラジルにはアマゾンがあるなあ
オリエント一帯を砂漠扱いするのはどうかと
>>603 南詔〜大理国も小型ながら自然環境は非常に豊富。
大理国終盤には、青蔵高原の南辺からサルウィン川河口あたりまで統治。
その高低差6250m。本当は6740mなんだけどそっちは登ってはいけない山だから除外。
607 :
606 :2010/07/28(水) 20:23:33 0
唐や宋に朝貢していたのは内緒だよw そこは、政治の世界だから、突っ込んだら嫌 (゚∀゚ )
少なくともアラビア半島はほとんど砂漠じゃね?
ハトシェプスト女王の頃は既に沿岸伝いの海路だものな
アルゼンチンやチリも亜熱帯から寒帯まで幅広い 先住民や他国との戦争でみなごろしにして勢力を拡大したんだけどね。
611 :
世界@名無史さん :2010/07/29(木) 07:43:33 0
日本の院政についてなんですけど この制度は日本固有のものだと思っているのですが 世界史的に見て院政の例ってあるのでしょうか?
新たな皇帝、国王が幼少で 誰かが後見になるって例なら幾らでもあるが 日本みたく皇位交代しておきながら親父が権力振るいまくるってのは珍しいかもね
いわゆるキングメーカーって奴が近い立場かな。 とはいえ一個人が完全に掌握してるって例はさすがに無いが
614 :
世界@名無史さん :2010/07/29(木) 08:31:51 0
院政なる制度あることを知っていたら「これはいい!」とヒザポンの君主たち、多いだろうなー 国事行為や宮中祭礼など煩わしいと思う君主は多いだろうし
615 :
世界@名無史さん :2010/07/29(木) 08:33:52 0
父ちゃんじゃないけど母ちゃんが実質権力をふるうケースは中国には比較的多かったような気がする。
616 :
世界@名無史さん :2010/07/29(木) 10:02:04 0
>>615 それは制度ではなく、父ちゃんや息子が権力を行使できない状態のため運用上そうしていたのである。
日本の上皇による院政は、その前の藤原摂関政治時代の 「若い(幼い)天皇を担ぎ上げて、藤原一族が摂政・関白として 実験を握り、天皇が反抗できるような年齢になったら廃して 新たに幼い天皇にすげ替える」っていう政治手法に対向して 誕生したような政治制度なので、外国には類例が無いかも 中国なんかでも、実権を握った宦官が若い皇帝を無視して 政治を専横したりする実例は多かったけど、皇帝が成長して 政治に口出しするようになったら、帝位から廃されるだけじゃなく 暗殺されてたので、上皇というような存在にはなり得なかった
>>615 西洋でも多いじゃん。
王様が早逝したときに生母が摂政をやるというのが。
夫の王様が生きてるうちから、生家の後ろ楯で好き放題やっていた有名な
マリア・テレジア・フォンパプスブルグとか、お妃だったものが帝位までモノに
したロシア・ロマノフ王朝の二人のエカテリーナ女帝とか、あるじゃん。
エカテリーナ一世の娘でこれまた女帝のエリザベータは、エカテリーナ二世の
子(パウエル一世)を養育して或る種の院政のような状態だったし。
>>616 それを言った院政も同じだ。親や伯父や祖父に逆らえないのをいいことに
名目上引退したも前元首が好き勝手。
619 :
世界@名無史さん :2010/07/29(木) 11:21:24 0
いまでも院政つづいているよ。 今法皇といえば小沢さん。 民主党の政治が成熟していて眩しすぎる。
622 :
世界@名無史さん :2010/07/29(木) 11:55:00 0
メキシコの麻薬戦争における抗争の残虐性というものは なにを起因としているのであろうか。考えられないくらいに 残酷な殺し方をしている。殺し方に民族性、文化というものがあれば ご教授ねがいたい
623 :
世界@名無史さん :2010/07/29(木) 12:00:09 0
小沢一郎が院庁を設けて院宣など出しているか?
ベトナムに院政のようなものなかったか
日本の場合、院政は天皇家だけじゃなくて 似た形態の政治形態を武士階級でもやっている 例えば、織田信長は本能寺の変で光秀に討たれる 6年も前に家督を信忠に譲っているし、徳川家康も 将軍職を秀忠に譲り、鎌倉に隠居して大御所になってる (足利義満とかもそんな感じだった希ガス) 名義上の家長を息子に譲りながらも、実権は引退した 親父が引き続き握っているってのは日本独特なのかもな
626 :
世界@名無史さん :2010/07/29(木) 12:33:13 P
昨日池上の番組見て質問 1、台湾は中国内の争いで負けた軍が移住したらしいけど、移住した中に国民も沢山いたの? 2、台湾人も移住した中国人なはずなのになんで中国人とちょっと見た感じ違うの? 3、台湾島には元々先住民がいたの?こいつらは台湾って言われる前は何人って言われてたの?
台湾は、化外の地であった時代が長いのです。 その後に普通に渡航できるようになった時代が来て、そのまた後に日本の植民地になって そのまた後の後に、中国内の争いで負けた軍が来るといった具合で漢人自体も重層的なのです。 化外の地の時代に来た人達は、先住民と親戚付き合いしてたのではないでしょうか?
628 :
世界@名無史さん :2010/07/29(木) 13:12:40 0
質問とは関係ないけど、国民党は台湾に逃げる時に北京の故宮博物院の宝物の中から特に 優れた物をごっそり持っていったので、超一級品は北京には無い。台北に有る。
今、朱蒙を見終わったのですが世界史で朝鮮史は扱われないのはなぜですか? このスレには朝鮮史に詳しい人とかいないのですか?
扱われないっていうのが何を指してるのかが判らんな。 メジャーかマイナーかで言えばマイナーとは思うが。
学校や入試の中での朝鮮史は @武帝の漢四郡設置 A元寇 B東アジア史としての江華島事件から朝鮮戦争 だけ覚えていればよい。それ以外は出てこない。
>>632 だけど
>>630 の世界史って科目名じゃなくて一般の世界史を指しているのか?
だとしても
>>632 だな。朝鮮史は固有の長い歴史があるけど、世界史のスケールからしたらマイナー。
634 :
世界@名無史さん :2010/07/29(木) 15:04:47 0
>>629 もっと前から。
日中戦争が激しくなってきて、「日本軍の略奪から守るため」と称して、持ち運べるものを持ち出し、
南京や重慶に運び歩いて、時々売って軍資金にしているうちに終戦。
で、共産党に追い出された際に台湾にそれまでの残りを持って逃げた。
それが今の台北の故宮博物館の収蔵品。
635 :
世界@名無史さん :2010/07/29(木) 15:11:39 0
>>630 「なぜガーナ帝国が世界史で扱われないのですか?」と同じような質問だわなw
636 :
630 :2010/07/29(木) 15:16:48 0
>>635 ガーナ帝国をはじめとするアフリカ諸国なんて古代からの歴史は無いけど
朝鮮には古代からの歴史があるし日本とかかわりが深いのに学校では扱われないのが
疑問だということです。
637 :
世界@名無史さん :2010/07/29(木) 15:31:27 0
それ、世界史A?
638 :
世界@名無史さん :2010/07/29(木) 15:35:42 0
学校の世界史は一つの基軸があってそれに沿って勉強していくもの。 アジアの軸は中国、西洋は古代はアテナイ・ローマ→フランク→中世封建制→絶対王制。 絶対君主制の講義が終わるか終らないか辺りから東葉西洋と別々だったものが、少しずつ くっついてくる。絶対王政→真の意味での世界史。
それでも台湾の故宮は物が多すぎて展示しきれないんだろ? どんだけ持っていったんだろう
>>636 ガーナに対して失礼だな
紀元前2000年にはキンタンポ文化が存在し、2世紀には製鉄だって行っていた、
古代のアフリカ大陸では先進地域の一つだぞ
朝鮮の歴史は、越南や遊牧民と同様に東洋史の「周辺諸国・属国」扱い。 確かに独特の文化や長い歴史はあるが、学校の授業時間には限りがあるので、 今の日本でやる「世界史」では東洋史(シナ史)と西洋史(欧州諸国史)を教えれば終わってしまう。 あとは「東西文明の交流」と称してシルクロードとかイラン、イスラームをちらっとやるぐらいか。 日本史でも、古代や蒙古襲来、近代史あたりでは朝鮮半島と関わるが、 朝鮮の歴史について詳細に説明するような時間はないのが実情。より詳しく知りたければ自分で調べてごらん、という程度だろう。 そりゃ韓国や北朝鮮では「我が国の歴史」として妄想混ざりに詳しく教え込むだろうけど。
642 :
世界@名無史さん :2010/07/29(木) 18:35:57 0
つーかなんで学生がこのスレいるの?
3月とかも学生さん多かったよ なぜか3月は昼間にレスがいっぱいついていた世界史板の怪
資源も農業生産力も人口も乏しいスウェーデンが、 近世において北欧最大の強国だった理由はなんでしょうか?
>>644 鉄砲の発達・普及に合わせて、軍組織や戦術を、いち早く近代化できたから
>資源も農業生産力も人口も乏しいスウェーデン そんなことは無いだろう。バルト海の覇権を握っていたしドイツ・ポーランドにも 領土を持っていたし。
いや、人口はかなり少ないし耕作できる土地も相当乏しいよ
フィンランド人兵士がタタールに匹敵するほど勇猛だったらしい
資源も農業生産力も人口も乏しい匈奴や突厥やモンゴルが 当時最大の強国だったのと同じ理由だわな
その頃は、スウェーデン以外のヨーロッパのその辺りの国(北欧だけでなく、ドイツやポーランドやロシア なども含めて)だって農業生産力はたいしたことはないから、相対的にはそんなに不利な立場ってわけでも なかろう ドイツはちょうど30年戦争でボロボロで人口激減してたし
古代から近代まで外部からインドに攻め込んだ勢力は数多くあるのに、 インドから外部に攻め込んだ勢力がほとんど無いのはなぜですか?
インド史に出てくる王朝≠今のインド領 ほとんどモザイク調だよ
周囲がヒマラヤ&チベット&カラコルム&パミール&ヒンズークシ&アフガン&タール砂漠で、 亜熱帯のインド人が攻め込んでいくと剽悍な遊牧民に包囲されて即死できる。 東へ行くとジャングルと湿地帯と高地が広がり、虎や毒蛇や山岳民がうようよいる。
>>636 アフリカ史も勉強しましょうね
教育されている範囲内だけの世界史じゃつまんないよ
アフリカ史って日本語で読める適当な書籍って少ないよな。最近増えてきているけど。
ヴェーダの宗教的にインドの外は穢れてるから出ていかなかったというのもあるな
インドは北西から色々と侵入してくるよね 近代になると南からも来たが
北西に攻め込む事は出来なかったのかな? 中央アジアより、インドの方が軍事力も経済力も圧倒的だろ。
南宋にモンゴル高原へ遠征しろってぐらい無理
>>639 単にたくさん持っていったんじゃなくて、
上等のものを選りすぐって持っていった。
だから北京には残りかすしかない、って言われてる。
台湾の故宮博物院は山のふもとに作られてるけど
その山を掘って保管庫にしてる。
戦争をくぐり抜けて持ってきただけに、
また何かあったときのために安全な保管場所として選ばれた。
なぜ返還について話合いをしないかって? 二つの中国という状態をお互いに認めてないからだよ。
>>656 東欧・アフリカ・オセアニア(ハワイ除く)は今ひとつマイナーさが抜けきれんな
>>659 ムガール朝がやってるよ >北西に攻め込む
まあ、もともとムガール朝自体がアフガニスタン方面で興って、北インドを制圧したわけだが、その後
その発祥の地であるアフガニスタンは、反乱や、サファヴィー朝ペルシャの介入やらで失陥して、
取り返すために何度もインドから出兵している
>>663 あと中東中南米も追加だろうな。
アルゼンチンの通史を読みたくて探したら日本語で
アルゼンチンの歴史の本は出ていないのに驚いた。
サッカー、エビータ、タンゴ、移民など日本とかかわりが深いのに。
どんだけマイナーなんだよと思った。
中東もイスラエルも古代史と現代史はあっても通史はつい最近までなかったし
イラクもメソポタミア関連や現代イラクはあるけど通史もつい最近までは無かった。
専門家がいるかどうかが関係あるのかな
日本とかかわりが深い地域は通史の需要があるから そのうち出てくると思うよ
橋爪大三郎氏という人が、「王政と共和政は矛盾するが、帝政と共和政は矛盾しない。フランス共和国においても、ナポレオンが皇帝になっている」と言ってるのですが、この理解は正しいですか? 私は、ナポレオン1世(と3世)が皇帝の間、フランスは共和政じゃなかったと理解していたのですが。
669 :
世界@名無史さん :2010/07/30(金) 13:43:45 0
>>665 そんなこと言いだしたらきりがないよ。
インド史だってろくなものは日本語ではない。
世界歴史大系の南アジアくらいかな?
>>668 もともとがローマ共和政での称号なんだから矛盾しないってことだろ
そうすると近世のポーランドなんかどうなるんだろうねえ
>>668 当て推量でアレコレ言う事は出来るけど、どうかねぇ。そういう見方も可能(かも知れない)、
くらいに思っといた方が良いんじゃね。
673 :
世界@名無史さん :2010/07/30(金) 17:38:59 0
>>668 ナポレオン1世は即位してしばらくの間は、
フランス共和国皇帝というスタンスだったという。
「共和国」を称しているが実質的には独裁の国家なんて、現代にだってゴロゴロしてるしね
〜〜の乱 〜〜の反乱 って必ず失敗しているんでしょうか? 成功したものって〜〜革命と呼ばれている気がするのですが
>>675 成功して国乗っ取っちゃう〜の乱、〜の反乱なんてゴロゴロある。
逆に成功しても革命と呼ばれない例の方が多い。
対立する両派の融和を試みたものの、実現できずに殺された歴史上の人物をたくさん教えてください。 坂本竜馬やガンジーみたいな人です。
>>676 気のせいでしたか
ありがとうございました
植民地の初期段階は冒険であり、財宝を探しに旅立ったのが主な理由でした。 ところがイギリスのインド植民地の産業が発達し大英帝国の富の源泉となった時 多くの西洋諸国はこれに憧れて様々な国をインド式植民地化していきました。 植民地を発展させて搾取しまくろうという腹です。 ところがどっこい、未開の地にインフラの整備やらを行っても ちっとも黒字になりません、むしろ本国の財産を食い潰してしまう赤字の不良債権になりました。 これはインドが特別であり、ほかの国では富は生まれなかった。 19世紀の経済学者アダムスミスは名著「国富論」で植民地は宗主国の自尊心のための アクセサリーだからとっとと捨ててしまえと書いています。 が、しかし意地なのか見栄なのか、この言葉に耳を傾けませんでした。 日本国も明治維新後は列強に習い、植民地を経営いたしましたが、 いずれも赤字。昭和の財界人かつ総理大臣の石橋は満州等は赤字だから手放せと書いていました。 戦後植民地がなくなった日本が経済成長したのも、戦前の不良債権に 金を捨てず国内に回したからだとも言われています。植民地は残酷で非道なイメージがありますが、 支配されたことにより人口は増え、寿命が延び、経済は上向きでした。 という話を聞いたんですがこれって本当なんですかね?
植民地経営の大半が赤字というのはその通り イギリスだけが上手くいってたように書いてあるがイギリスだって赤字だよ
>>648 タタール人に200年以上も搾り取られてたロシア人に、モスクワからノウゴロドからペテルブルグら辺から
獲られまくってんじゃん。
>>680 ありがとうございます。
じゃあさ、もしかして植民地になってた国々は自分達で戦って独立を勝ち取ったなんて言い方
してるけど実際は単にメリットがなくなったから西洋諸国が引き上げただけってことになるのかな?
>>683 いくらなんでも、英国はインドの南ではないだろ
>>682 スリランカのことか?
英語名のセイロンって最近聞かないな
>>684 大戦で疲弊したからでしょ
国力が続く限りはメリットがあろうが無かろうが持つよ
お茶みたいに正しい。 という表現を聞くのですがどうしてなんでしょうか?
カーディシアがベイジョーを手放したのはなぜなんですか
なんだそれ
19世紀から20世紀にかけての南米の大国は、 ブラジルとアルゼンチンという認識でよろしいでしょうか? この2国は欧米の大国並みの国力を持っていたんでしょうか?
>>689 そんなことはSF板で訊けよ、トレッキー
その時代の国力と言ったらほぼ工業生産力を指すから 南米諸国はイマイチ
>>679 >>684 単純に、植民地を統治することによる直接的な利益(税収等)よりも、その植民地に投下せねばならない国家予算
(たとえば、官僚機構の整備や、治安維持のために駐留させる軍の費用)などの方がでかくて、一般に植民地経営
は赤字だが、その赤字を出してでも押さえておくメリットはあった
1つには、その地を資源の供給地として、また、本国製品を輸出する市場として確保できること
世界大恐慌時には特に、ブロック経済という形で、その強みが発揮された
つまり、統治そのものは赤字でも、それによって商業で民間では利益が上がっていた
(そして、往々にして、その利権の受益者が政府にも強い発言力を持っていた)
また1つには、本国で不満を持つ人々の新天地、移住先としての植民地(植民地とは本来、入植する土地だ)として
意義があった
開拓時代のアメリカ西部がフロンティアとして人々を惹きつけたのと同じように、植民地は、一攫千金を夢見る人々
の希望の土地だった
本国で不満を鬱屈させている貧民や失業者をどんどん植民地に送り込んで開拓に従事させれば、本国では不満
分子が減る
日本の傀儡国家満州国も、そういった、日本の開拓地としての要素があった
旧宗主国が独立を認めるようになったのは、大戦での疲弊や、本国でも民族の平等を唱える人道主義者の知識人
たちによる批判が高まったこと、かつては一部の活動家やゲリラのものだった独立運動が民族全体に拡大してきて
押さえきれなくなったこと、など、さまざまな要素があって、単純にメリットがなくなったから、というものではない
>>695 歴史に詳しくても経済学にうといということがよくわかるレスだな
>>668 皇帝をたてた時点で共和制とは言わんだろうに
それともその帝国では皇帝が選挙で選ばれてんのかねw
まるで朝鮮民主主義人民共和国を本気で民主主義国だと言い張るようなもんだわなw
神聖ローマ帝国の皇帝は選帝侯による選挙で選ばれていたが
699 :
世界@名無史さん :2010/07/31(土) 06:23:34 0
国主が推挙によって選ばれる場合、元首制という言い方をすることが多い
701 :
世界@名無史さん :2010/07/31(土) 07:12:37 0
元首政というのは古代ローマ
702 :
世界@名無史さん :2010/07/31(土) 08:33:00 0
韓国からの留学生が「元寇は元のいいなりで日本を攻めたのではなく高麗が主体的に独自の意思で持って日本を攻めた」 と言うのですがどうなんでしょうか?これも韓国人特有の歴史捏造なんでしょうか?韓国で出版されている歴史図書では そう書かれているのですか?また、韓国の歴史の授業ではそう教えているのでしょうか?
共和制と君主制の違いは 元首の任期が法律で決まっているかいないかの違い 世襲だろうが選挙で選ばれようが 終身か、なんかやらかして退位させられない限りその地位にいられるなら その政体は君主制
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87#.E9.AB.98.E9.BA.97.E3.81.AE.E9.96.A2.E4.B8.8E 『高麗史』によると1272年に、高麗の王世子のェ(しん、後の忠烈王)[31]が、大元朝のクビライ皇帝に「惟んみるに、
日本は未だに聖化を蒙らず。故に詔使を発し、軍容を継耀かし、戦艦兵糧まさに、須いる所あらん、もし此事を以っ
て臣に委ねなば、勉めて心力を尽くして 小しく王師を助くるに庶幾(ちか)からん」[32]と具申したとある。また「元史」
によると、元寇の発端は、高麗王の忠烈王が「元の皇帝に執拗に、東征して日本を属国にするよう勧めた」との記述
がある[13]。これに対して忠烈王の発言の所以を高麗の国内事情に求める向きもある。高麗はモンゴルの侵攻前は
武臣が王を傀儡化して政権を執っており、王はモンゴルの兵力を借りることによって王権を奪い返した。それ以後、
高麗王はほとんどモンゴルと一体化し、モンゴル名を貰い、モンゴル皇帝の娘を王妃にしモンゴル皇帝であるクビラ
イ王家の娘婿(キュレゲン、グレゲン)となる姻族、「?馬高麗国王家」となっていた[33]。これに反対する勢力は反乱
を起こし、モンゴルにより鎮圧されるが、一部はなお激しい抵抗を続けていた。これが三別抄である。忠烈王の発言は
王権を保つためにクビライの意を迎えようとしたとする見解がある。上述の3策のうち、高麗ルートを選ばせたのもモ
ンゴル兵力が高麗から離れてしまうことを恐れたためとも考えられる。
Wikipediaによるとこんな感じだわねぇ
705 :
世界@名無史さん :2010/07/31(土) 09:36:36 0
>>697 共和制 → 元首を互選
皇帝 → 対外的にエンペラー格の元首
矛盾しないじゃん。
世襲君主の皇帝が多かったけれど、ローマ帝国なんかは血縁は必須ではなく、
元老院とか民会の推戴・承認だったろ。
708 :
世界@名無史さん :2010/07/31(土) 12:32:59 0
ナポレオン1世が即位してまもない頃の銀貨を見たが、 片面はナポレオンの横顔に「皇帝ナポレオン」とあるのに、 片面は「フランス共和国」とあった。
709 :
世界@名無史さん :2010/07/31(土) 12:34:19 0
>>703 マレーシアの互選国王とか、サモアの大首長などは任期制だが。
国王のような元首、皇帝のような大統領、逆に現代の基準では大統領以外のなにものでもない皇帝 等々、政体上はこれといった区分を規定するのは難しい 強いて言うなら「国家は誰のものか」ということか 君主制では国家は君主の所有物であり、共和制では元首は国家に仕えるものだろう
ローマ皇帝は、ディオクレティアヌス以前は建前上は「市民の第一人者(プリンケプス)」で 国家(レス・プブリカ、人々の共有物)を私有財産として所有しているわけではない 人々の私有財産を保護するため、主権者である元老院と市民(特に軍)から多くの権力を委任された存在 市民のための政治をせず、主権者にそっぽを向かれた皇帝は排除された
だから元首政なんだろ
自国の元首がだれだか判らないとかいう、なさけない国もあるがなあ。 一応、元首だといって差し支えないということを、行政の実権を持つ内閣の一部署が、国の最高機関たる 国会で言及したことはあるんだけれど、その国がスポンサーになっている上級官僚を育成することが目的の 大学の教員・研究者が否定的に言っていたりする。 首都も公式には判らない、事実上の首都が一地方自治体であり、実質的に且つ特別扱いされていたりとか いう変な国だしな。 ・一応、天皇が元首ということになるらしい。君主大権として法律・予算の消極的な方法での拒否権もある。 ・内閣法制局が度々、「……であるとして認識されている」「……と言って差し支えない」 ・一方、政治学等では、首相が元首であるというのが、主流派 ・遷宮遷座の詔勅が無いまま、実質的に、東京で今上天皇の即位式典を含む祭祀等が行われている。
714 :
世界@名無史さん :2010/07/31(土) 18:17:01 0
フランス最後の王、ルイ・フィリップは「フランス国王」ではなく「フランス国民の王」としか名乗れなかった
715 :
世界@名無史さん :2010/07/31(土) 18:19:39 0
戦争には必ず原因がありますよね 日本の大東亜戦争もペリーの開国要求から始まったようなものです そうやってあらゆる戦争、人間のルーツを辿っていくと どうやっても宇宙人につながっちゃうんですけど、こういう考えは一般的でしょうか? WW2 ↓ WW1 ↓ 大英帝国海賊時代 ↓ 人間の文明を授けた者 ↓ 宇宙人
あと人間の歴史以上に行き続けている人間もどきが必ずいると思うんです 地球が安定した時期から何十万年と行き続けた知能生命体が そいつが自分と同じような姿、人間を大量に作って隠れているみたいな感じで
718 :
世界@名無史さん :2010/07/31(土) 18:26:14 0
それを一生涯かけての研究テーマにしてください。 学士院会員を目指して。
宇宙人の話はスルーするとして 戦争の原因が一点に求められるケースなんてほとんどない 大抵は経済利害や地勢、民族宗教等の要因が、しかも当事国間だけでなく 周辺国まで含めた均衡の崩れによって起こる なにが原因とか誰が悪いとか、そういう単眼的な史観は結局 当人の頭の中で世界を一方向から歪めて見てひとり納得しているだけのこと
まあ暑いからね…
>>719 ですから、本当の始まりはなんだったのかと聞いているのですが
善悪というチープな概念ではありません
例えば宇宙人が他の惑星からやってきて、地球のサルを人間にまで改造したとする
こう考えれば、人間の全ての紛争原因はその宇宙人になると思うのですが
人間はどこから来たのか、なぜ他の動植物と比べて知能があるのか、文明はいつの間にどうやって築いたのか
これらがすべてミッシングリンクとなっているんです。全大陸に満遍なく、知能型人間がいつの間にか増殖していたというのはおかしいです
そして、どんな経済利害、地域、民族、人種、宗教、戦争であれ必ず原因があるんですから
これらをとことんまで敷き詰めて、原点を辿っていけばやはり宇宙人しかないと思うのですが
あなた方は、(大衆を洗脳するための)常識にとらわれすぎて、
私が【宇宙人】と言っただけで鼻で笑い、思考停止しているだけだと思います
他にこれ以上にらしい解答できますか?
この板ってNG登録って出来んの?
ミッシングリンクとか言ってたのって50年くらい前だろ とっくの昔に人類考古学がホモサピエンスについて思考停止してる時代じゃねえよ
もし仮に、宇宙人がサルを人間に進化させたという
>>721 のくだらない妄想を正しいと仮定してもだ、
サルだって、またアリやハチのような社会性昆虫ですら戦争をする
故に、戦争が宇宙人のせいという彼の結論は明らかに誤りだ
そうな 動物の場合、毎度殺しあってたんじゃ個体数が維持できないから 儀礼闘争になってることが多いが、なんにしろ個あるいは集団間の利害が存在する限り 必ず何らかの形で優劣の決着をつけなければならんからな 知的物的ひっくるめてあらゆる財が偏在なく無限にあれば、あらゆる生物にとっての闘争は回避されるだろう しかしそんなことはありえない
>>726 鯨とか海狗類とかは、人の介在しない死因で一番多いのが、雄の性闘争かそれに巻き込まれる
形での負傷だけれど。
海狗類????
729 :
世界@名無史さん :2010/08/01(日) 09:04:23 0
争いを回避する最高の方法は、ホカホカ
730 :
世界@名無史さん :2010/08/01(日) 09:42:58 0
。。。。る
海豹?
脳内新種か
うみいぬ
734 :
世界@名無史さん :2010/08/01(日) 12:37:51 0
チャーチルは下院議員として組閣した文民首相なのに、 ヤルタとかポツダムとかの記念写真では軍服を着ている。 なんで?
文民じゃねーよ、英軍に籍あったはずだぞ 参謀長として
736 :
世界@名無史さん :2010/08/01(日) 15:18:48 0
ロシア正教の教会はなんであの玉ねぎ形のイスラムモスクのような形をしたものが就いているんですか?イスラムと関係があるのですか?
737 :
世界@名無史さん :2010/08/01(日) 15:29:29 0
今度大学の経営史概論という科目のテストでアメリカ合衆国で、巨大法人企業が出没するにいたって 「市場」と「信用」の秩序をめぐり大きな問題が発生した。 Q、その問題とは何で、問題解決のためにどのような制度が設けられたか。 という問題がでるんですがこの内容で400〜500文字もかけますかね? ここでの市場は大企業の独占問題、信用は中央銀行の問題という意味らしいです
レポートは自分でやれ 人にやらせるな。
739 :
世界@名無史さん :2010/08/01(日) 15:51:58 0
20世紀の経済とか経営の話題は、歴史オタより経済厨に聞け。
ちっ つかえねーな。 経済板いくわw
741 :
世界@名無史さん :2010/08/01(日) 16:02:52 0
今度大学の経営史概論という科目のテストでアメリカ合衆国で、巨大法人企業が出没するにいたって 「市場」と「信用」の秩序をめぐり大きな問題が発生した。 Q、その問題とは何で、問題解決のためにどのような制度が設けられたか。 という問題がでるんですがこの内容で400〜500文字もかけますかね? ここでの市場は大企業の独占問題、信用は中央銀行の問題という意味らしいです
>>741 会社は誰のものか?という問題は昔から経営学でなされてる話で
産業革命初期では、例えば肉屋なら株主はそこの肉屋のオッサンだし、経営してるのもオッサンなのだが
時代が進むにつれ徐々に資本家という層が力を持ち始めたために
資本家が出資して株主になり、肉屋のオッサンは経営に専念するという形が増えた
特に初期においては資本家は100%出資する事が多かったから
所有(株主)と経営の分離は明確だったんだけど
さらに時代が進んでいくと会社の規模が大きくなっちゃって資本家一人では資本を全額カバーできず
多数の株主によって株を持ち合いするというスタイルが増えてきた
こうなると意見集約が容易でないから、自然と経営者が資本家に代わり会社そのものを
所有しているかのような、そういった形態が増えて現代に至るという話
一応年代で書くと19世紀前半までが株主(肉屋のオッサン)=経営者(肉屋のオッサン)
19世紀中ごろ〜19世紀末が株主(資本家)≠経営者(経営者)
20世紀頃からが株主(分散して所有)≠経営者(実質的な会社の所有者)
で、質問に沿った答えとしては
大企業が出現してしまうのは、それは独占したほうが利益を上げやすいから
経済学的に書くと、自由競争下では価格
743 :
世界@名無史さん :2010/08/01(日) 16:31:36 0
この「信用」の中央銀行の問題がどうしてもわからないんですよね
途中で送信してしまった 経済学的に書くと、完全競争市場では商品価格=限界生産価格になるまで生産して利益を出すが 独占企業の場合は数量を調整して、商品価格を好きに変えることが出来てしまうので 完全競争よりずっと利益を出しやすく、一方で消費者にとっては値段が高くなってしまい また国家にとっても総合的な利益が一部失われるため社会問題となった それで19世紀末くらいに米国とドイツでカルテル(連合型)が増えだした事を受け独占禁止法が施行 で、禁止されたので今度はトラスト(合同型)が増えるようになり、やっぱり社会問題になったので シャーマン法、クレイトン法などの反トラスト法によって規制された(禁止ではない) とここまで書いたけど中央銀行の問題ってのがよく分からん 本当に「中央」銀行なのか? それならマネタリストを信用してたくさんお金刷って大失敗したって話くらいしか無いけど 20世紀後半の話になるし、あんまり関連ないような・・・
世界史オタ的に一番熱いというか信者の多いのって何時代のどこの国の歴史なんでしょうか? 日本史でいう戦国時代みたいな
746 :
世界@名無史さん :2010/08/01(日) 16:51:28 0
>>743 ひょっとしてアメリカの中央銀行が独占企業化したって言いたいのかな
FRBは一応政府が関与してない機関だからね
748 :
世界@名無史さん :2010/08/01(日) 16:52:09 0
749 :
世界@名無史さん :2010/08/01(日) 17:29:38 0
750 :
世界@名無史さん :2010/08/01(日) 17:33:13 0
つーか経済の話はスレチじゃねーの?いい加減よそでやってほしいわ
経済、流通だって世界史に関係あるだろ
わかったから他所でやれよカス
755 :
世界@名無史さん :2010/08/01(日) 18:06:17 0
世界史板で経済史系の専門スレが立ったら、 たいてい時事ネタの長文コピペやニュースコピペに埋め尽くされるんだが、 正直、あれウザイよな。 自分の言葉で語れないテーマなら、はじめからスレ立てるなよと言いたい。 経済厨や時事ネタ厨は、嫌韓・嫌中やアンチ民主の政治厨なみにウザイ。
イスラムドームもロシアンドームもルーツはいっしょなのかぁ むしろおれは仏教の擬宝珠との関連が有るのかどうかだれかおしえてほしい
>>745 古代ローマもマニアが多い。
塩婆のせい。
あと、このスレにはイスラムマニアがひとり居るんだけどな
さまよえるポーランドオタクもいるな
やっぱローマだろ。 ルーマニアっていうくらいだから
>>745 俺はアメリカ史が専門だな。専門と言っても大学生とかじゃないけどw
中世〜近世のヨーロッパ史もけっこうファンが多いと思うんだが
自分は高校生だけど朝鮮史が好きだな。次点としては東南アジアチベットモンゴル。 つまり中国と中国周辺国ファン。
朝鮮史はいいよな。 なぜなら朝鮮の歴史を勉強することは自ずと漢や神功皇后や煬帝や唐や元や倭冦や秀吉や清。といった周辺の偉大な国家の歴史を学ぶことに成るからだ
高校生で朝鮮史とか目の付けどころがいいね。 極めると面白いよ。既に承知かと思うけど 日本語で朝鮮史の本はいろいろ出ているから。
チャングムだけでじゅうぶんじゃね?
つーかなんでこのスレに工房がいるんだよ
俺はアフリカ史とか好きだな。日本語の文献は少ないから洋書文献あたるけど
>>764 (;´∀`) 漢語や梵語に頼りすぎ。新疆はどうなっちゃうの?
>>745 です
たくさんのレスありがとうございました
趣味としてちょっと読み物的な感じで歴史を学ぼうと思ってたのですが三国志は嗜む程度に触れたので
ちょっと中世ヨーロッパに手を出してみようと思います
高校時代は似たような名前とか地名ばっかで全然頭にはいってこなかったなぁ・・
・福田首相は中国講演で歴史認識について村山談話をかみくだいて語った。 ・だがそれは、日本人に向かって言ったのでも、日本人が聞いていたわけでもない。 ・こういう大事なことは、日本に向かってこそ語りかけるべきだ。
>>772 おもしろくないぞ。
中世ユアロップなんて。
面白い歴史はあるのだが日本人に紹介される様ないい本がでてないのな
そもそも中世は史料が少なくて伝説で補完されてる部分が少なくない 妄想と現実の区別がつかない人にはお勧めできない
中世欧州、というとどのへんかな 英仏独伊だけが欧州じゃないし、西ローマが滅んでからの「中世」は1000年間も続く フランク王国やヴァイキングの時代はガチで暗黒時代 十字軍時代やルネサンス、百年戦争なんかは一見華やかだが血みどろだ 中世欧州「風」ファンタジーが好きな人は多いから、それなりに資料は転がってるがね
中世後期から近世なら史料も充実してる、13世紀以降だな 10世紀以前だとマジでわからない
メッカ巡礼のついでに金バラまきまくって、 インフレ引き起こしたほど大繁栄したマリ王国が滅んだのはなぜですか? あの立地と資源の豊富さを考えると、簡単に滅びそうにはありませんが。
黄金の「産出地」をおさえてたからバラまくことができたんであって、 国王が悪政をしいて求心力を失い、各地で従属国の反乱が起きるとマリ帝国は瓦解した。 マリの前身であるガーナ王国は、北方のムラービト朝に攻め滅ぼされているから、外敵の侵入がなかったわけではない。 このマリを保護国として領地を受け継いだソンガイ帝国は、ニジェール川の水上交通を掌中におさめ、 さらにベルベル系遊牧民の騎馬兵力も操るなどして、16世紀末まで200年以上も繁栄した。 しかし王位継承争いで国内が混乱しているすきに、モロッコのサアド朝に征服されてしまった。 また16〜17世紀には西欧諸国による大西洋交易がさかんになり、マグリブや西アフリカの経済圏は変調・衰退していく。
欧州じゃ暗黒の中世と言われてるしその通りだと思うけど 魔女として処刑された人数は近代に入った17世紀が一番多いんだよ。
>>778 金を持ってたから富裕とは限らん
イスラム商人が何を売って取引してたか知ってる?
サハラ砂漠の岩塩ですよ
マリの庭先で取ってきた岩塩をマリ人が黄金で買ってた訳だ
滑稽な話じゃろがい
17世紀の欧州って近代なのか
昔は貴金属の重量が貨幣価値だったから、黄金が豊富だった地域では、そうでない地域より黄金の価値は低い 金はなくても死にはしないが、塩はないと死ぬので世界中で取引の具になりえた もちろんそれが希少な地域へ持っていけば高く売れる、これ商売の基本 まあ銅塊や宝貝も通貨となっていたが、それがその地域で通用すれば問題ない またガーナ・マリ・ソンガイは、単に黄金が産出されたから富裕だったわけではない ニジェール川流域は肥沃で農産物や家畜もよく育ち、 サハラ交易の十字路だからアフリカ中の富が集まり、取引税をとることで大いに儲かった その都市は広大かつ富裕で治安もよく、学問や芸術が保護され、イスラーム的な福祉政策もさかんだった それを報告したマグリブのムスリムたちが一様に驚いているほどだ
マリとセネガルは、ムリッド教団とマイクロファイナンスで有名だな。 セネガルのほうが本場にあたるみたいだが。
セネガルとソンガイって関係あるのかなあ
唐の一時期、元号の数え方を「年」から「載」にしてたのはなんだったの?
>>781 野蛮な騎馬民族(乗ってるのは駱駝だけれど)のいる乾燥地帯にまで出向くの嫌だよ。
毎日水浴びしないと気持ち悪いよ。
塩なんかほっときゃあ騎馬民族が掘って運んでくるんだから、それを金の削り屑とでも
換えてやればいじゃないか。
とか思ってんだろうよ。
騎ラクダ民族
日本人の祖先ってより快適な地を求めて日本を見つけたのですか?それとも追い出されて住む場所をなくした人がたどりついた地なのですか?
20000年前ぐらいの旧石器時代には、追い出し・追い出されの関係はないと思われ。 6000年前位から大陸のほうが騒がしくなってくるので 追い出し・追い出されの関係があるとしたらそのあたり以降かな?
791 :
世界@名無史さん :2010/08/03(火) 18:50:29 0
節度使が完全に藩鎮としての実権を失うのはいつごろでしょう? 南宋の頃にはまだ藩鎮としての実質があったようですが。
793 :
世界@名無史さん :2010/08/03(火) 22:12:04 0
ヘンリ8世がカトリックと決別してイギリス国教会を定めたそうですが、 その時、国民に対しては信仰の強制はあったのですか?
>> 時代は中世だぞ、人民は無知蒙昧、王様とか権力者に逆らえば命が無い。 従う従わないなんて選択肢は無いんだよ。
ヘンリー8世は国教会を作り、修道院を破壊して財産を奪い、トマス・モアなど逆らうものは処刑した だが奇妙なことにヘンリー自身の信条はカトリックで、教皇の支配は嫌ったもののプロテスタントではなかった 彼は専制君主として、自分の好きなように振舞い、懐を肥やしたかったなのだけだろう ヘンリーの子エドワード6世はプロテスタント的改革を進めたが、 次のメアリー女王の時代には、逆にカトリック以外は弾圧・処刑された エリザベス女王は国教会を整備しつつ、プロテスタントとカトリックの共存を目指したが ジェームズ1世は国教会を強化し、プロテスタントやカトリックの恨みを買う かくも宗教的に揺れ動く英国では、さまざまなセクトや教団、秘密結社が乱立して混沌の様相を呈し のちの清教徒革命につながっていく
>>794-795 回答ありがとうございます。
ステュアート時代に市民革命が起きた一因に国教の強制と教科書にあったので、
それ以前は信仰を強いることはないのかと思ったのですが、
確かに時代を考えれば794の言う通り選択肢があったとは考えにくいですね。
ありがとうございました。
権力者に強制されて表面的に従うけど、裏ではもとの信仰を捨てなかったり 公然と信仰の強制に従わず追放・処刑されたり、大陸へ亡命したり新大陸へ逃げたり 信仰の違う者同士が利害関係で同盟したり裏切ったり殺しあったり 信仰を名目にして戦争や略奪や犯罪行為にふけったり反乱を起こしたり 信仰なんかどうでもよくて、生き残りやすく儲かりそうな方へついたり 神だか悪魔だかの声を脳内で聞いて世界の終末は近いと叫んだり 魔女狩りがさかんに行われて罪もない連中が焼き殺されたり沈められたり ユダヤ人やジプシーや貧民が民衆にリンチで殺されて略奪されたり そんなすばらしい時代です
現代と何も変わらないな
古代ローマに孤児院ってあった?
>>799 ねぇよ。
古代は、資源が余っていて人が不足している状態、人が多ければそれだけ資源を資産に換えられる時代だ。
人が落ちてたら、喜んで拾って使う。
トラヤヌス時代から育英基金はあったけどな
ローマにはコルメン・ラクティウス(colmn lacteus、「乳の出る柱」)というのがあって そこへ子供を捨てると国費で雇われた乳母が拾って育てたとか 成長した子供は奴隷や遊女にされたというが定かでない
アントニヌス・ピウスも女子孤児院とか作ってたな
なんにせよ、市民権所有者に関しては福祉はきちんとしてる プロレタリアの孤児であろうと、小麦法の受給資格だってあるはずだ
>>800 それは違法
ただし、ヤクザのような組織があって子供をさらって奴隷にするようなことはあった
映画「あげまん」をみると、捨て子だった主人公は養父母に売られて芸者にされてていたな。 京人の人非人ぶり半端じゃないな。
戦後、開発独裁→民主化の流れがアジアで成功して、 アフリカでなかなか成功しないのはなぜでしょうか?
アフリカ関連は具体的な国地域名をつけておながいします
では、サハラ以南、中央アフリカから南アフリカ以外のアフリカ南部とします。
とある問題集に「ユーラシア大陸で大部分を占める州は?」「A,アジア州」 ってあるんだけど、欧州じゃないの?ロシアがあるからアジアよりヨーロッパの方がでかくないですか?
>>810 中近東とアラビア半島とペルシャと中央アジアとインドと東南アジアとモンゴル高原と中国の広さを舐めるな。
>>810 ロシアという国はヨーロッパとアジアにまたがる国なんだよ
たとえば、今でも、太平洋にフランス領の島とかあるけど、フランス領だからってその島はヨーロッパと言えるかい?
シベリアもそれ同じ
ロシア領だからといって、シベリアはヨーロッパとは言えない
ロシアのウラル山脈以東はアジアなんだよ
なぜかというと、とりあえず、ヨーロッパとアジアを地形的にはっきりと区分する境界がそれしかないから
また、地理学が近代的な学問として確立し始めた時代には、まだロシアの勢力はウラル以西にはそれほど浸透
していなかったため
といった事情から、ヨーロッパはウラル以西、アジアはウラル以東と定義されてしまったのさ
>>810 ロシアはヨーロッパとアジアに跨る国でウラル山脈が境。
アジア部分の方が面積は広い。
>>805 奴隷といっても、古代の奴隷だからな。17世紀〜19世紀の新大陸の奴隷のイメージで語るなよ。
816 :
812 :2010/08/05(木) 00:09:13 0
訂正 すまん、8行目の「ウラル以西」は、「ウラル以東」の間違い
王族や貴族が礼服着用時に肩からかけるタスキみたいなの あれって何なの?
>>815 古代奴隷といえば前々から大した知識もなくて気になってたんだけど、
イギリスの執事(バトラー)ってやっぱり起源は奴隷の一種なんですかね?
古代社会には家内奴隷がおり、彼らを統括する奴隷長もいた が、中世以後の欧州では奴隷制度があまり一般的でなくなり、農奴や召使も身分上は「年季奉公人」だった 上級使用人ともなると教養も必要で、行儀見習いとして貴族や郷紳の子弟が奉公し、いざ鎌倉となると武装して戦力に加わった 近代英国の「使用人」は、そうした封建秩序からも外れた、単なる「雇われ労働者」に過ぎない
>>817 勲章の一部で、勲章メダル本体をぶらさげる飾り帯。
英語ではサッシュとかリボンといい、日本では「綬(じゅ)」という。
「○○大綬章」とかいうときの綬。大綬は幅が広くて長いので肩にかける。
>>819 まあ、使用人が事実上の家の所有物、すなわち奴隷であることは
とくに中世では珍しいことじゃない
建前としてキリスト教徒はキリスト教徒を奴隷にできないことになってるからそう呼ばないだけで
社会の変動で雇用者と使用人の関係も変化していったが、
起源と言えばやはり古代からの奴隷労働関係の続きと言えるんでないか
>>814 アフリカでそこそこ安定して発展している国はイスラム・スーフィズムが流行している国が多い。
セネガルなんかはその典型で、マレーシアやカザフスタンみたいな「異端」のイスラム教。
中国・台湾が先頭ランナーとしてアフリカ進出していて
それに東南アジア諸国が追従しているのが現在の形。
アジア人達がイスラム・スーフィズムを現地に持ち込むことによって、微妙な軋轢が発生している。
一方、イスラム原理主義傾向を持つ国家は産油国でない限り破綻国家のオンパレード。
アラブ・イラン系のイスラム原理主義とアジア系のイスラム・スーフィズムの対立が
アフリカで将来起こる可能性がなくもない。
これにトルコがイスラム・スーフィズムを支援して、緊張状態になるシナリオが最悪のパターン。
朱蒙みたけどありゃ、国策ドラマだなw 朝鮮の小国が漢に勝てるはずがない。というか漢はそんなに弱体化していたのか?
ちょうど王莽にのっとられてたような
ドラマはともかく、大国には大国の悩みがある 国力を全て投入できれば、それは小国なんてひとひねりかもしれないが 実際には、長大な国境で隣接する幾多の周辺国と よほど外交が上手くいってなければそんなことはできない 一方に戦力を集中すれば、他方から足元を掬われかねないからだ 結局は小国相手でも、投入できる戦力というのは相応のものにならざるをえず、 結果小国がはるかな大国を首尾よく撃退した、というような事例は歴史上いくらでもある 大国のアドバンテージと言えば、大国ゆえの文明技術の成熟度に裏打ちされた 先進的な軍備と、長期戦に耐えうる後方備蓄の豊富さくらいのものだ
隋も高句麗遠征に失敗して崩壊したからなぁ
フランスには宮廷貴族と地方貴族と法服貴族の三種類の貴族がいましたが、 他のヨーロッパの国々でも、やはり何種類かの貴族がいたのでしょうか?
828 :
世界@名無史さん :2010/08/05(木) 21:54:50 0
還流ドラマのことは知らないけど学校の先生が言うには中国は常に安泰な大帝国というわけではなく近隣諸国諸民族に のど元を狙われていつもひやひやしていた状態だってね
何度も華北や中華全体が征服されて言語がアルタイ化するわ、漢族の風俗自体も モンゴルや満州族によって絶滅したの一杯あるぞ。
830 :
世界@名無史さん :2010/08/05(木) 23:10:17 0
周辺民族どころか、帝室の縁戚・分家貴族とか建国の功臣とかの身内から簒奪されてんじゃん。
モンゴルなんかより五胡十六国のほうがディープな影響を残しているんじゃね?
言語のアルタイ化については五胡十六国の時の塞外民族の流入・混血の影響大だけど、 漢族の習俗が元・清で大きく断絶しているのは両民族による禁が大きいから。 実際、中華民族が血縁を尊び他の地域の漢族や民族を信用しない傾向は元・清時代の 影響がデカイ
宋や明は?
漢族の王朝が漢族の習俗禁止する必要性ないだろ
明の朱元璋は徹底して南方習俗を禁止して 呉服の廃止とか瓜皮帽の強制とかモンゴル並みの強権発動しとるがな。
元朝は科挙を一時廃止したが、末期に復活させた。 清朝は辮髪と満服を強制したが、科挙は残した。 纏足は南唐から始まって宋代に広まり、元末明初に盛んになった。 清朝は纏足禁止令を出したが、あまり効果がなかったという。
837 :
世界@名無史さん :2010/08/06(金) 00:10:20 0
ポエニ戦争の剣闘士の徴用について詳しく書かれてる文献ありませんかね?
辮髪強制は金の時代からやってるぞ それ以来華北では辮髪がトレンドになって、蒙古時代も漢人(旧金人)は辮髪 蛮子(旧南宋人)にも強制したかは定かでないが、出世のために変えた奴はいたかも 高麗の王などは蒙古にへつらって自発的に蒙古名を名乗り、国内に胡服辮髪令を出したが、 逆に「祖先の礼法を勝手に変えるな」と叱責されたりした
江戸時代の本多髷みたいに辮髪にもおしゃれや流行はあったのかな
太平天国の頃の湖南省とか微妙に違う感じがする
841 :
世界@名無史さん :2010/08/06(金) 01:40:33 0
韓国が15日ネットユーザー大量に送り込んでくるようです
なんで中国にはユダヤ人はいないんですか?
>>842 いるよ。少数民族認定が「回族」というだけだから。
突厥系の出自を持つ漢人という立ち位置で、イスラム教徒ということになる。
時期的には、五代十国の頃に、河南省開封へ到着している。族長の氏姓は李。
儀礼的に、五品官に叙せられている可能性がある。族長の官職名として何かあったに違いないから。
彼等の使うクルアーンは巻数的に途中までしかなく、アブラハムのところで終わっている。・・・らしい。
日本にはユダヤ人っているの?
中国でユダヤ人というのは ユダヤ教を信仰していれば ユダヤ人ということになるから 血統は全く関係ないみたいだね
>>842 中国奥地にユダヤ教徒の集落が見つかって失われた10氏族の一つかと話題になったことがあるらしい
そこはミャンマーの奥地でもあるからな。 イスラエルへ移住した人もいるとかいないとか。
>>823 確かに国策大河ドラマだなw
歴史捏造の本場韓国らしいっちゃらしいなw
850 :
世界@名無史さん :2010/08/06(金) 13:56:54 0
漢も大国とは言え扶余なんかに負けるのかな?逆に漢と当時の倭がやったら倭は勝てたかな?
勝利条件をどう設定するかによる。 ベトナムのハノイ政権 vs 米軍 → ワシントンDC陥落・制圧に設定したら勝っていないだろ
俺は西欧史専だから細かいことは知らないけど中国は 周辺諸国から常にのど元を狙われている感じがした。 ローマ帝国もゲルマン民族に苦しんだし、ビザンツも ブルガリアやスラブ人に苦しめられた。オスマントルコも 小国モンテネグロは潰せなかったしルーマニア諸公を つぶすことはできなかったしわからんよ。
周:犬戎に滅ぼされ、弱体化して東へ移る 秦:北胡(匈奴など)に対抗するため長城を建設 漢:劉邦以来匈奴に頭があがらず、武帝一代で半世紀にわたる大戦争をやらかす 晋:山西匈奴の劉淵に滅ぼされ、江南へ逃れる 隋:突厥帝国を策略で分裂させるが、高句麗遠征に失敗して崩壊 唐:胡人の安禄山の大反乱で藩鎮が割拠し、皇帝もウイグルに頭が上がらなくなる 宋:契丹や西夏に貢納して平和を買うが、金に北半分を奪われ、次いで蒙古に滅ぼされる 明:永楽帝まではイケイケだったが、その後は北虜南倭に悩まされ、一時は皇帝が捕虜になる 清:19世紀にはロシア・フランス・英国・日本などに囲まれ、半植民地状態に
高校時代世界史の教師が 「漢民族は陝西や甘粛四川省といった内陸部と長江下流域の沿海部、黒龍江などの東北と広東雲南省方面の南方で顔立ちがかなり違う」と言ってたけど いくら広い大陸といえ同じ民族で外見的特徴はそんなにはっきりと異なるものなの?
「民族」ってくくり自体が眉唾だから
陝西甘粛四川の内陸部: どこ見ているかわからないような眼力(めじから)の弱さが表情の特徴 壁の陰からこっち(余所者)の様子を伺うような用心深さがある。 沿海部の漢民族とはかなりカルチャーが違うと思われる。
黒龍江などの東北: 美男美女の集積地 湖南省や貴州省東部も同じように美男美女の集積地
広東雲南省方面の南方: 桂林や柳州は開放的というか客人歓待をしてくれる。 でも、酔わせて人肉食うという話もあるので。。。 表情からいうと眼力(めじから)が強いね。
>>854 民族というのは文化的区分だ
どこまでを文化と定義するかはまた難しいが、漢族としてくくれるだけの文化共有はたしかにある
さらに言えば、民族の枠組には副次的な要素として血統が付随する なぜなら文化継承の最小単位が家、家系だからだ 同じ家で暮らした親と子は文化を共有する同一民族に違いない 一方で、ある民族が固有の文化を喪失した上で別の民族に取り込まれ消滅してしまった例もある この場合、取り込んだ側も取り込まれた側も血統としての純度は損なわれるが、 民族としては取り込んだ側の実体のみが残る
漢民族には上海人とか福建人とか下位区分があり さらに県単位ぐらいまでのグルーピングがある。 江蘇省なんか違う県へ行けば言葉が微妙に違っていて 筆談しないと細かいところまで意思疎通できなかったそうだ。
遼寧省とか吉林省はほとんど標準語で通じてしまうので、これまた不思議。
西欧だとラテン語で筆談してたのかな?
そもそも文字が分からない人が多そうだ
>>850 武帝の頃でさえ匈奴との戦争は終わりがなかったのだが。
日本が中国に非武装無防備都市になるヒントが隠されている。
>>863 文献や文書はラテン語、実会話では場にマルチリンガルが最低1人はいたようだよ
印欧語同士、相互に習得は難しくはないんだろう
パラグアイは19世紀にブラジル・アルゼンチン・ウルグアイの三国と戦って、 壊滅的な打撃を受けましたが、この戦争以前のパラグアイは、 ウルグアイはともかく、ブラジルやアルゼンチンなどの南米の地域大国相手でも、 単独なら戦えるぐらいの強国だったのでしょうか?
パラグアイは政治的には安定していたが強国ではなかった。 アルゼンチンとウルグアイは自国の問題で離脱して最後はブラジルに敗れた。
869 :
世界@名無史さん :2010/08/06(金) 21:54:55 0
南米各国史ではブラジル・ベネズエラ・チリ・ペルー・ウルグアイはある。 ボリビアの歴史は創土社で年末か年明けに出る予定。 なのでパラグアイ・アルゼンチン・コロンビアの歴史をどこかの出版社で出してほしい。
ところで19世紀から20世紀前半までの南米諸国の国力の順位ってどんなもん? ブラジルとアルゼンチンが二強ってのは分かるんだけど、 後は良く分からん。
>>869 ボリビアの歴史が出るってマジ!?こりゃ買いだなw
872 :
世界@名無史さん :2010/08/06(金) 22:11:51 0
>>870 パラグアイは馬鹿に出来ないかもな。
3国戦争に負けてその直後にボリビアとやって勝っているからな。
>>872 ていうか、ボリビアって戦争に勝ったことあんの?
戦うたびに負けて国土がどんどん狭くなってるイメージしかないんだけど。
1836年にペルーと戦って併合した。 3年後にチリに攻め込まれて崩壊したが。
875 :
世界@名無史さん :2010/08/07(土) 00:23:19 0
俺の真の祖国である韓国も戦勝国だよ。
朝鮮戦争はまだ終わっていないはずだが。
日本に対して実質戦勝国だよ 日本人。 大人にならないとな。菅談話もまもなく出るだろうし、 韓日新時代を切り開く誠意のこもった談話を期待したいね。 まず外国人参政権と韓国優先一千万人移民と韓国に対する個人賠償の充実を実現すべきでしょう。
釣れますか?
でも韓国が戦勝国と思ってるのはガチだろう 以前外国人だらけの討論番組で韓国は戦争に勝ったことが無いって中国人が言ったら いや抗日戦線で勝ってるって韓国人が反論してた
中国がそろそろ韓国に侵入すんじゃないの 妙に反韓感情煽ってるしありえるかもな
882 :
世界@名無史さん :2010/08/07(土) 02:36:06 0
やっちまえ中国 世界の代弁者!
韓国人が抵抗するから犠牲がでかいんじゃないのか? 国民が奴隷のように扱われていて 前線の部隊に実弾を渡せば政権側に撃ってくる 北朝鮮のような国を狙うのが先じゃろw
>>881 反発しているウチは大丈夫。
ダマンスキー島侵攻にてもスプラトリー不法侵入にしてもベトナム“懲罰”侵攻にしても、
友好だの対話だの恒久平和だのを言った直後に騙まし討ち侵略しているから。
次
世界史というか世界情勢に近いのかもしれませんが戦後の謝罪や賠償って今の日本に対する韓国みたいに いつまでもネチネチするのって多数派なんですか? もっとひどい関係のとこもあるのでしょうか?(絶賛戦争中の2国間は除く
オランダという国があってな…
世界情勢系の板へ逝け ロシア、東欧、ヤミ炭坑なども探るべし
次
弟子「先生、処女を貴重だと思う男は多いです」 孔子「その通りだ」 弟子「しかし逆に童貞は女に気持ち悪がられます」 孔子「確かに」 弟子「おかしいじゃないですか、何故このような意識の違いが生まれるのですか」 孔子「それは一度も侵入を許していない砦は頼もしく、一度も侵入に成功しない兵士は頼りないからだ」 弟子2「でも先生、30歳・40歳になってまだ処女である場合も かえって気味悪がられるのでは?それほど強固な砦なのに」 孔子「それは、その砦にそもそも戦略的価値がないということだ」
ナタール首都の出現場所が(400|400)で固定になっていて、 そこに開拓した人がいると隣に出現する
スレ間違えた 削除依頼出します
ローマの兵士の給料は塩で支払われていて、 それがサラリーの語源になったそうですが、 当時のローマは普通に貨幣発行してますよね? なんで貨幣じゃなくて塩で給料払ったんでしょう?
>>894 塩で給料支払ってたのは古代ローマらしいよ
初期のころなんじゃね?
マルコ・ポーロが元を旅したとき紙幣を見て こりゃ便利だと驚いた逸話があったな。
>>894 兵士の給料は塩じゃない
初期には無給、後に最低経費として銅貨数枚、マリウス以降でようやくきちんと給与をもらうようになる
サラリーは塩取引に使う貨幣という意味で、物々交換が基本の最初期のローマにあって
唯一対外輸出品だった塩の売買に使ったことから、労賃のことをサラリーと言うようになったんだ
898 :
世界@名無史さん :2010/08/08(日) 11:54:36 0
日ユ同祖論は本当なのですか?
95 名前: 風俗嬢(東京都)[sage] 投稿日:2010/08/07(土) 23:48:32.36 ID:yV2TFme6 イスラム教徒も「日本まで神様見てないから」とか言いながら豚骨ラーメン食ってるしなw
次
大東亜戦争は解放戦争ですよね? なお、在日朝鮮人は答えないでください(笑)
日本が勝ってたら解放してないだろうけどね
ポエニ戦争で剣闘士が徴用されたって聞きましたが興行師にいくらくらい金払って徴用できたんですか それとも有無も言わさずに剣闘士を奪ったのですかね ローマはカルタゴに対して剣闘士を徴用するほどに苦戦した原因はなんでしょうか?
>>901 意義、思想の点で聞いてるなら、本気でそう信じていた日本人は高級軍人にさえ大勢いた
実体の点で聞いてるなら、お笑いのひと言
>>903 朝鮮人が天下無双の働きしたから自衛隊なんて怖く無いですよ。
ガハハ
次
>>903 たしか普通にファイティングマネーと同額を払ってた気がするが
強かったけど高コストすぎたとかなんとか
生粋のソウルっ子ですけれど我が民族が世界一強いと思うよ。
>>903 剣闘士を法的に軍に組み入れるには3通りある
ひとつは市民として徴用すること、剣闘士の中には普通にローマ市民もいたから
これは要請によってローマ軍に編入できる
ただし大半は無産階級なので、実際にはほとんどない
次に、フリーランスの剣闘士と取引する
ローマ市民ではない属州民の剣闘士を、報酬と引き換えに雇用する
最後に、奴隷の剣闘士を買い上げる
奴隷は奴隷であるため当然値段があり、それに従って国が買い上げる
後の2つは、条件として剣闘士に市民権を与えることを約束していて現に与えている
>>907 ,909
すごい勉強になりました
そのことについて書かれた書籍など覚えていましたら教えてください
中国史において、南から天下を統一した王朝はほとんどなく、 北や西から天下を統一した王朝がほとんどなのはなぜですか? 経済力では南の方が上と思うのですが。
>>913 そしたら、北の騎馬主体の勢力は、絶対に南の水軍主体の勢力を倒せないことになるし、
逆に南の水軍主体の勢力も北の騎馬主体の勢力を倒せないことになるが、
実際は何回も北の騎馬主体の勢力が南の水軍主体の勢力を倒して統一してるわな。
そんなもん、現地人を寝返らせれば終わりだろw それだと、南のほうが不平不満を持っているやつが多かったとしか言えんけどな。 戦わずして勝つのが上策。現地人は現地人に統治を任せる。 白蓮教とか太平天国とか変な宗教が流行しないように、監視させるというのが基本じゃろ。
しかし、中国が南北に分裂した時は、だいたい北が政変や内乱続きで南の方が安定していると言う。
917 :
913 :2010/08/08(日) 22:42:36 0
>>912 明は南から北を征服したけどね
一般に、経済力が高いと、文化が発達する
経済力と文化が発達すると、人々の生活が安定して、娯楽産業が発達する
「ローマ市民はパンとサーカスしか求めない」と詩人が嘆いたように、パン(安定した生活)とサーカス(娯楽)
に慣れた人々は、戦いなんて求めない
ローマも、ビザンツも、漢や南朝諸王朝や唐や宋も、戦後の日本も、文化が発展すればするほど兵士は弱く
なり、軍は弱体化し、軍事を異民族に頼らねばならなくなったり、貢納金で平和をあがなったりするようになる
そして、その民族の強大化を招くことになる
というわけで、経済力の高かった南中国の方が、軍事的には北中国より弱いのは別に不思議じゃない
明と中華民国だけじゃん南からいって全土制圧できたのは。 918は天邪鬼すぎる。
別に、文明国がそれ以外より弱いってわけじゃない 蛮国が大国を蹂躙した例より、その逆のほうが断じて多いんだからな ただそれは防衛戦だから実に地味であえて歴史に記述されることは少ないんだが
文明国はその豊かさゆえに、常に外部からの侵入圧力に晒されている 侵入されるということは、その国の国情や制度自体が疲弊し圧力に耐え切れなくなった結果に過ぎない 中華王朝の場合、その圧力が南蛮より北夷のほうがはるかに強いが これは地理、気候条件だろう モンゴルから中原北部の平原は騎馬のためにあるような土地で、 この土地で騎馬の突進力を抑えるのは容易でなく、黄河を超えられればもはや止める手立てがない
明の場合、モンゴル帝国支配下の漢人居住地域(キタイとシナ)を内紛に乗じて奪い取ったという形 モンゴルの本体(大元)は高原に帰ったが、そもそもあれは「中華王朝」ですらない異質な国 英国が支配していたインドで現地人の反乱が起き、英国人勢力が追い出されたみたいな感じ クビライ皇統こそ絶えたものの、後継者は大元可汗(ダヤン・ハーン)と称している
924 :
世界@名無史さん :2010/08/09(月) 14:05:09 0
聖書ではイエスキリストは王と言われていますがどこの王になったのですか?ユダヤ人の王ですか? あと中高生専用スレが過疎っているのでここに質問しました。
ソロモン王の末裔らしいから王なの
924ですがありがとうございました
928 :
世界@名無史さん :2010/08/09(月) 20:25:52 0
池田大作は庶民の王なのですか?
929 :
世界@名無史さん :2010/08/09(月) 20:31:44 O
アッシリアのオリエント統一とアケメネス朝のオリエント統一の違いを教えて下さい
統一した国の違い 以上 はい、次
池田大作は庶民の王なのですか? 世界史的に見て池田大作のような偉人はいますか?
張角…かな
ヨーロッパの近世から近代にかけて、 政治的な功績や軍事的な功績で下級貴族から一代で公爵や侯爵の称号を得る人物が たびたびいましたが、彼らは実際に高い爵位に見合った領地を与えられたのでしょうか? それとも爵位が高く冷遇はされるけど領地なしの名誉貴族?
>>933 >それとも爵位が高く冷遇はされるけど
冷遇されちゃうのかよ。
はい、そうです。 以上 では、次どうぞ
936 :
世界@名無史さん :2010/08/09(月) 21:54:38 0
池田大作は庶民の王なのですか? 世界史的に見て池田大作のような偉人はいますか?
董卓かな
ジムジョーンズかな
もう世界史の分野に入ると思うので、ここで質問させてください。 ゴルバチョフは保守派への傾斜を強めていたのに、 なぜその保守派がクーデターを起こしたのですか? また、内務省と軍とKGBを掌握したクーデター陣営が敗北した理由は何ですか?
日本がなぜJapanとよばれるに到ったのか仮説をたててみました
>>940 12世紀〜13世紀頃の漢字の読み方の契丹訛
>>941 うわあ
俺すんごい事に気づいちゃったっ!!
って興奮してたのに
違うかったんか
どうもありがとう
943 :
世界@名無史さん :2010/08/09(月) 22:44:57 0
自演するなゴミクズ
>>933 爵位とか門地名が実質を伴うのは、洋の東西問わず、最初だけだよ。
946 :
世界@名無史さん :2010/08/09(月) 23:11:18 0
>>940 フランスにフランスパンがあるように、日本には焼きたてジャぱんがあったから
VIPでやれ
949 :
世界@名無史さん :2010/08/10(火) 07:20:33 0
一神教が多神教に対して、いわゆる(適当な言葉が見つからず、一神教徒の方に申し訳ございませんが)「感染力」が高いのはなぜなのでしょうか? 逆に、多神教が一神教を駆逐した例はあるのでしょうか?
>>949 一神教に戒律があり連帯感のようなものが生まれ自分たちが特別のように感じ易く
さらには布教するようにと言うような教えもあるので多神教は一神教に駆逐されやすいのではないでしょうか
多神教には布教というようなものは存在しないため広がりは見せないように思います。
ネタ本と思われがちですが『完全教祖マニュアル』などが参考になると思います。
ヒンドゥー教は戒律があるので例外かもしれないが多神教では戒律がある場合が少ないと思われる
戒律が全くない宗教というのは少ないのだが。
北欧神話とかギリシャ神話とか北欧神話とかケルト神話といったものには戒律があったのかな あったとしたら間違いでした。でも一神教の戒律は多神教と比べて厳しいように思います。
>>949 多神教宗教を信仰している人々にとって、神はたくさんいるのだから、外国の人々が信仰している神様に対しても
「ああ、そういう神様もいるんだね」と受け入れることが比較的容易だ
だから、他宗教の教徒の宗教行為や布教活動に対しても比較的寛容なことが多い
それに対し、唯一神以外の神の存在を認めないのが一神教だ
多神教宗教信者に一神教を浸透させる方が、その逆よりもずっと容易なのは当然だろう?
>>949 寛容なものと、不寛容なものとがごっちゃにされたら、
不寛容なものだけになってしまうだろ。
矛盾するようだけれど、寛容さを維持するには、寛容なものは、不寛容なものだけには寛容さを見せてはならないんだよ。
>>951 記紀には8つの天津掟(高天原から持ち越した戒律)と13の国津掟(人間が自ら定めた戒律)と載ってるが、
これは日本神道の戒律ではないのか?
道教には風水のような方位・位置・色彩に関する規定、儒教には喪や婚姻の規定が事細かに存在する。
仏教にしたって、入信についての行為が「受戒」「授戒」だし、そもそも、戒律・法律なんて用語が仏教用語だし。
>>956 仏教は多神教ではないよ
日本人は9000万人が神道ってことになってるけど戒律なんかないような
多分時代と共に薄れていくんだろうな
>>949 その点に関して一神教と多神教で比較すると見誤る
重要なのは死後救済だ
国荒れ税重く、戦乱続き官は権を恣にす
そういう中で現世に絶望した民に対して
死後の安息や来世の幸福を約束すると、
その宗教は強力な浸透力をもって流布する
死後のことは結局は誰も知らないから、これを否定することは誰にもできない
現世がいかに辛くとも、それは神の与え給うた試練であり、
過酷であればあるほど天国の指定席は磐石となる
対して現世救済や加護利益を約束する宗教は、常に信徒を裏切る
いくら神に祈ろうと、病は治らないし災厄は起こるし商売は繁盛しない
それでも神に縋る一種の鷹揚な道徳、宗教観がなければ、信じ続けることはできない
959 :
世界@名無史さん :2010/08/10(火) 10:49:36 0
イスラムの六信五行のうち、五行のひとつである「信仰告白」がよくわからん。 「わたしは神を信じてます」って、みんなの前で宣言するの?
「神のほかに神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒なり」 とアラビア語で、導師などの立会いのもとに唱える。
>>958 それは逆でしょう
現世が辛いからこそ、病気が治らないからこそ、災厄が起こるからこそ、商売が繁盛しないからこそ、
それらを人の力ではどうすることもできないからこそ、人は、なんとかしてくださいと神様に祈る
いつの世でも、人々が欲しているのはむしろ、現世利益
それで叶うならいいが、叶わないのが問題なんだ 叶わなければ神などあてにならないと考える 純朴な信徒でも、神は我を見捨て給うたと考える しかし死後を約する神は、少なくとも生きているうちは決して裏切らない それどころか、信じねば不信心を起こせば地獄へ行くと脅しさえする どちらが強く信徒を押さえつけるかは言うまでもない
せめて半々でも叶えば現世利益の宗教は求心力を維持できるな 人がバタバタ死んだりどうしようもない貧困のどん底だったり民族差別を受けてたりすると もう人は来世に期待をかけるしかなくなる
>>959 信仰の告白はキリスト教でも重視される。
>>962 裏切られたといっても、多額の献金をしたのに無駄になった、というような現世での損があったのでなければ、
願いがかなわなくてもまたいくらでも、むしろなおいっそう、現世利益のために祈るさ
死後のために祈る人間よりも、現世利益のために祈る人間の方が断然多いだろ
君の説によると、じゃあこれはどう説明する?
北欧神話では、勇ましい戦士の死後の世界はヴァルハラだ
そこでは飲み放題、食べ放題、(彼らは好きだった)戦いはし放題、きれいな女性と遊び放題
北欧の人たちは、なぜ、そんなバラ色の死後の世界が約束されている信仰を捨てて、肉体的な快楽を享受
することを否定するキリスト教の清浄な天国を選んで改宗したんだい?
中世の人々にとっては、ヴァルハラの方が魅力的だと思うが
966 :
世界@名無史さん :2010/08/10(火) 11:44:03 0
中国の科挙について質問なのですが、 歴代の政権は頭のいい科挙を重用し、その制度のおかげもあり中国はおおいに興隆した。 という理解なのですが、科挙による反乱のことは千年以上もの間想定されなかったのでしょうか。 貴族階級でない一般市民から超インテリを抽出して政府高官に付けるということは 当然、一般市民を虐げる政権(中国の歴史上何度もあったと思います)に産まれた科挙は政府を恨んでいるわけで、 個人的には反乱・革命を始めるにうってつけの集団のように思われ、 歴代皇帝の中には科挙を疎んじる皇帝がいてもおかしくないと思うのですが、その辺どうなのでしょう。
967 :
世界@名無史さん :2010/08/10(火) 11:47:50 0
皇帝にしてみれば、皇室よりも家柄のいい門閥貴族が威張っていたり、 軍閥連中が絶え間ない抗争を繰り返してる状況の方が望ましくないから。 それに、民衆はよほど追いつめられない限り大反乱をおこすことはない。
968 :
世界@名無史さん :2010/08/10(火) 11:56:45 0
科挙官僚を輩出した平民地主層(いわゆる郷紳)は、むしろ皇帝専制政治の基盤だろう。 清の最末期になって彼らが清を見捨てた背景としては、 ・科挙の廃止によって、郷紳層から政府高官への正規の人材供給ルートが絶たれた ・科挙に代わるものとして立憲制以降と議会開設が公約されたが、その権限は小さかった ・さらに満州貴族中心の「親貴内閣」がつくられ、漢人実力者の排除が進んだ などの事情があった。 逆に言うと、地主層をうまく懐柔し、権力に取り込むことは皇帝にとって不可欠だった。
>>957 創価学会は仏教ではないので、創価学会の現人神一神教で考えてもなー
>>965 ローマ人の持っている文化や物資が優れていたから
>>965 現世に希望をもてるのは恵まれた国だけ、
自爆テロに志願する人間は現世利益なんてはなから望まない
北欧の人間が皆戦士というわけじゃない
弱者がいる、女子供がいる、彼らは救われない
日本人だって厄除けとか安産祈願とは100%信じてるわけじゃないだろ やらないよりはやっといたほうがマシかなって程度 生の絶望から生まれる死の救済には太刀打ちできない
973 :
世界@名無史さん :2010/08/10(火) 13:19:12 0
>>967-968 回答ありがとうございます。
なるほど、小作層ではなく元々懐柔されるべき地主層から出ているものだったのですね。
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絶対王政時代の貴族について質問なのですが、
絶対王政の国にあっては、国王が絶対の権力を握っているわけですが、
貴族の立場はどのようなものであったのでしょうか?
日本の江戸時代における大名的な存在だったのだと想像しているのですが、
ヨーロッパの公爵あたりの大貴族であっても王(徳川家将軍)に改易、減封的な処置をされることはあったのでしょうか。
また、群雄割拠的な様相を呈していた中世暗黒時代から、王族がどのようにして権力集中を成し遂げたのか知りたいです。
974 :
世界@名無史さん :2010/08/10(火) 14:25:35 0
南京大虐殺はあったという説となかったという説の2つがありますがどうなのでしょうか?
このスレは近現代史に造詣の深い人はあまりいないと思うよ。 中世ヨーロッパとかそんなのばかり
なんで日本はことあるごとに核廃絶・唯一の被爆国とか言いながら、 ハーグ条約違反としてアメリカを非難しないの? 少なくとも、 22条 無差別攻撃の禁止 23条 1 毒を施した兵器の禁止 4 助命拒否の禁止 5 不必要な苦痛を与える機器・物質の禁止 7 非軍事的・非戦略的 資産の破壊の禁止 25条 住宅等破壊の禁止 26条 宗教的・文化的・福祉的目的の施設の破壊の禁止 には抵触するし、交戦者の資格の無い者を多数巻き添えに死傷しる目的で用いたことを以って 1〜2嬢にも違反する。
977 :
世界@名無史さん :2010/08/10(火) 14:39:58 0
近現代史の造詣ねぇ〜。 俺が厨房工房の時は日本史も世界史も近現代は時間切れでやらなかったな。
978 :
世界@名無史さん :2010/08/10(火) 14:44:11 0
>>976 つ風船爆弾
つ重慶爆撃
批判の矛先が自らにも帰ってくるから
>>977 俺の時の日本史の先生は爺だったけど「俺は戦争の話がしたいんだ」とか言って
古代から江戸時代まで1学期で終わらせて2学期と3学期かけて明治から昭和をじっくりやった。
おかげで古代中世の歴史は概略しか知識がつかなかった。
>>976 嘘をつくな
>22
22条は無差別攻撃の禁止ではなく、交戦者の攻撃手段に関する規定だ
ハーグ陸戦協定はただ交戦者を規定するのみで、一般市民に対する攻撃を禁止するものではない
一般市民の扱いに関しては国際人道法が根拠となるが、
これは軍需関連施設や防空兵装を住宅地と渾然させていた日本側にも責任がある
>2の1
原子爆弾によって飛散する放射能の毒性は当時まだ十分に研究されていなかったし
そもそも放射線障害を目的とした兵器ではなく、化学兵器として扱われない
>2の4
日本政府が降伏と除名嘆願をアメリカに申し入れた事実はない
>2の5
不必要な苦痛に関する明確な定義はなく、それが使用されてからでなければ判断のしようがない
>2の7
日本の主要各都市は、非軍事的とも非戦略的とも言えない
>25
「防御されていない」という但し書きを意図的に無視している
対空戦力を備える都市の破壊は正当な作戦理由となりえる
>26
「可能な限り破壊を避けねばならない」という努力目標である上に、
攻撃を受ける側はそれが明瞭に判別のつくよう措置を取らなければならない
また、アメリカは京都、東京などの重文施設に対する攻撃は相当に差し控えている
>>979 でも、そういう先生っていい先生だと思うよ。
近現代の不幸な歴史を知らないのは良くないよ。
明治以降の歴史は様々な分野で応用きくしね
近代史教育は日教組の干渉を甚だしく受けるから 良識ある教師はやりたくないんだよ
>>971 地獄のような戦場の国でも、自爆テロに志願する人間より、したがらない人間の方が圧倒的に多いと思うぞ
狂信的に宗教にのめりこむ人間よりそうでない人間のほうが圧倒的に多いだろ
キリスト教の宣教師がゲルマン人のもとへ布教に行った。 「キリスト教を信じない者は地獄行きです」というと、ゲルマン人は聞いた。 「わしらのご先祖様はキリスト教を信じていなかったが、彼らも地獄にいるのか?」 宣教師が「そうです」と答えると、彼らは「ご先祖様と同じところに行けないなら地獄行きでいい」と言った。
イイハナシダナー
>>971 自爆テロ犯の大多数は貧民ではなくてインテリ層っていうが
嘘だけどな キリストを知らん人間は、教義では辺獄へゆき 最終的には資格あるものは救済されるとされてる
ユダヤ教徒の皆さんは、4000年経っても(異教徒を皆殺しにして、真の神の王国を建ててくださる)救い主をよこしてくださらないヤハウェをいつまで信仰し続けるんだろうね。
何言ってんの。神のご加護によって2000年ぶりに建国出来たんだから救世主もそのうち来ると思ってるだろうさ。
聖書に書かれていないので、プロテスタントや東方正教では辺獄を認めてない カトリックでも辺獄は公式な教義ではなく、「神学上の仮説」とされている
うー、リンボッ!!
ハンガリー王マーチャーシュが、オスマンとまともに戦わないで、 神聖ローマ帝国とばかり戦ってたのはなぜですか?
ワラキアに野心があったからオスマンに攻めさせてたんだろ 神聖ローマ側へももちろん拡大する気あり この頃のハンガリーはえげつない
そういう因果が巡ってくるのもまた欧州の政治だな。
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