陸軍長官スティムソンと国務次官グルーは、日本に降伏を勧告するときだと大統領トルーマンに何回も説き、
日本側が受け入れることができるように、天皇の地位保全を約束すべきだと主張した。それでも日本が降伏
を拒否するのであれば、そのときこそ原爆の投下を警告すべきだと説いたのである。
海軍長官フォレスタル、陸軍参謀総長マーシャル、海軍軍令部総長キングもまた、警告なしに日本の都市
に原爆を投下することには反対の立場であった。
ところが、トルーマンと彼のただ一人の協力者である国務長官バーンズは、日本に降伏を勧告する
スティムソンの草案から天皇の地位保全を認める条項を削ってしまう。
また、スティムソンの草案では共同提案国にソ連の名前が入っていたが、トルーマンとバーンズは、
日本がソ連に和平の仲介を依頼していることを日本外務省とモスクワの日本大使館との間の往復電報から
知り、ソ連の名前を削り、重慶の国民党政府に差し替えたのである。日本にソ連への期待を持ち続けさせ、
降伏勧告を無視させようとしてのことだった。
さらに、その降伏勧告をホワイトハウス、国務省からではなく、宣伝機関の戦時情報局から発表させた。
日本側をして宣伝文書と思わせるようにしたのである。
「原爆投下が米兵百万人救う」アメリカの大ウソ
http://kaz19100.hp.infoseek.co.jp/siryo/genbak.htm 歴史家・鳥居民、自著を語る | 話題の本 | 書籍案内 | 草思社
http://www.soshisha.com/book_wadai/06torii/
5:人種蔑視に基づく残虐行為
http://homepage3.nifty.com/yoshihito/genbaku-1a.htm#zangyaku 連合国側がおこなった非戦闘員の無差別大量虐殺、戦場における捕虜の虐殺や
戦闘能力を失った者に対する虐殺以外にも、戦死者の遺体に加えた冒涜行為などは
日本人の宗教的感覚とは相容れないものであり、その実態は彼等の残虐行為を戦場
で体験し、目撃した者が書いた以下の著作にあります。
その中には米軍兵士の残虐行為を目撃した米国人のものも、数多くありました。
昭和二十年(1945年)四月七日沖縄への海上特攻に赴いた戦艦大和をはじめ巡洋艦矢矧(やはぎ)
など二隻、駆逐艦三隻が敵の空襲を受けて沈没しました。
「現場の海面で浮遊物につかまり漂流中の無抵抗な乗組員に対して、空母を飛び立った米軍戦闘機
の群が執拗に来襲しては情け容赦もなく機関銃を撃ちまくり殺戮した。」(矢矧の原艦長の証言)
「この悲惨な状況をあざ笑うかのように、米軍機は何時間にもわたって、無抵抗の漂流者に執拗な
機銃掃射を加え続けた。」(著書、「伊藤整一」、大和と運命を共にした第二艦隊司令長官)
同様な残虐行為はニューギニア近海でもおこなわれました。昭和18年3月3日に起きたビスマルク海戦
(空襲)の結果、陸軍の兵士を乗せた輸送船八隻と駆逐艦四隻が敵機の攻撃により沈められましたが、
沈没した日本の艦船からボートや筏で逃れ、浮遊物につかまり漂流中の千名の兵士達に対して、
アメリカとオーストラリア軍の飛行機が低空から機銃掃射をおこない、機関銃の弾を撃ち尽くすと基地に
戻り弾を補給し、映画撮影のカメラマンまで乗せて何度も弾の補給に往復しては攻撃を続けました。
「決して男らしいやり方ではなかった」と第五爆撃隊のある少佐は戦闘記録の中で報告していました。
「隊員の中には気分が悪くなる者もいた」。
救命ボートやその周辺を文字どおり血の海に変えたその殺戮の様子を、機上から撮影した実写フィルム
が十年ほど前にオーストラリアのテレビ局から放映されて、国民に大きなショックを与えました。
「我々はフェアーな戦をしたと思っていたのに.....と」。(容赦なき戦い、ジョン・ダワー著)
ちなみに日本海軍では漂流者に対する攻撃を禁止していました。
終戦直後ある米陸軍大尉が公表した記事には、第四十一師団、捕虜を取らずという堂々たる見出しが
付けられていた。この師団が例外的に日本兵を捕虜にしたのは、軍事情報の収集のために捕虜が
必要な場合だけであった。(容赦なき戦争、副題太平洋戦争における人種差別、カリフォルニア大学教授
ジョン・ダワー著)
病院に対する爆撃
昭和十九年(1944年)五月二十四日にブーゲンビル島ラバウル基地にあった第八海軍病院が、
米軍機による攻撃を受けて、患者、看護婦、医師ら千四百名が死傷した。病院の屋根には国際法の
定めに従い、上空からよく見えるように赤十字の標識を大きく塗装していたにもかかわらず、それを
無視して病院の建物に対して爆撃や銃撃を加えるという国際法違反の非人道的攻撃をおこなった。
それ以後日本軍は病院施設に対する国際法違反の攻撃を防ぐために、地下壕や洞窟内部に病院
を設営することにした。
フィリピンのラグナラ州カランバには日本兵を収容するルソン第一捕虜収容所があったが、ここは
フィヒリピンにおける最大規模の収容所であった。米軍の発表によれば収容された捕虜のうち、
戦争が既に終了した昭和二十年(1945年)末までに、栄養失調で死亡した日本兵捕虜は
一万二千人にものぼった。
もし日本側の捕虜収容所がこのような米兵の大量死を起こしていたら、原因や経過はどうであれ、
B C 級戦犯裁判に掛けられて多数の責任者、兵隊が絞首刑になったことは間違いない。しかし
ここの米軍責任者は誰も罪を問われなかった。
太平洋戦争中の米国による日本人に対する残虐行為は、人種差別に根ざすものだと
英国人ジャーナリストのラッセル・スーパーは述べています。
「アメリカ人は絶望的になっている敵国人を殺戮することに、気がとがめなかった。彼らは太平洋
において人種戦争を常に派手に戦ってきた。新聞の大見出しになる種を探しているアメリカの
高官連中は公然と、日本人を殺すことはシラミを殺すよりも悪いことではないと言明した。
この残虐性は四ヶ月後に広島でその頂点に達することになる。」 (著書、戦艦大和の運命)
1:アメリカによる残虐行為
http://homepage3.nifty.com/yoshihito/genbaku-2.htm#zangyaku-1 (1)、実験の項目に分類、二度の人体実験
米国のニューメキシコ州ロスアラモスにある米国最大のロスアラモス国立研究所の原爆に関する公文書によれば、
二回目の投下実験として、ウラン235を原料とした広島に投下した原爆が、三回目の投下実験として、それよりも
二倍の威力を持つプルトニュウム239を原料とした長崎に投下した原爆が、それぞれ実験という項目に分類されて、
被害の惨状全てが記録されています。
(2)、大統領が犯した戦争犯罪
戦場の異常な状況、特に生死の境に追いつめられた極限状態の中で兵士が殺人などの違法行為をするのは、
倫理的に許されるものではありませんが、心理的にはある程度の理解が可能です。
しかし戦場から何千キロも遠く離れたホワイトハウス、国防総省やロスアラモス研究所の事務机の上で、
女性子供を含む人口密集都市への投下により生じる人的被害の程度を冷静に計算し、予測し、その上で
計画を遂行した原爆投下の残虐行為に至っては、その計画者、承認者、投下命令者の悪魔的人間性を
物語る以外の何ものでもありませんでした。
この行為は大量のユダヤ人をガス室において殺害したナチス・ドイツが行った犯罪と、その残虐性、
その計画性においては同等です。彼等はその犯罪の故に死刑に処せられました。
(3)、投下に関する米国の世論調査
原爆投下から一ヶ月後の、昭和二十年九月におこなわれたギャラップ社の世論調査によれば、
原爆の使用について五十四パーセントがそれを是認していましたが、更に二十三パーセントが、
「日本が降伏の機会をつかまえないうちに、この爆弾をもっと落とすべきだった」と答えていました。
日本人は人間以下の、「ねずみ」や、「野蛮人」だという、ハルゼー提督(前述)が公言していた意見
と同じような考えを、多くのアメリカ人は持っていました。
原爆投下計画
ヨーロッパ戦線での帰趨がまだはっきりしない昭和18年の時点で、アメリカは既に日本に対する原爆使用
を決め開発に着手していた。
原爆計画委員会の科学者顧問団は、原爆実験について下記のように答申した。
1、原爆は日本に対し出来るだけ早く使用すべきである。
2、原爆は日本政府に無条件降伏の最後の決断をさせる
よう、一大軍事施設に投下すべきである。
3、原爆は事前に予告せず軍事的に使用すべきである。
原子爆弾の使用される目標がドイツではなく日本であった理由は、黄色人種に対する人種差別以外の
何物でもない。
昭和20年5月、アメリカの目標選定委員会は原子爆弾の投下目標都市を選出した。
[AA級目標]…京都、広島 [A級目標]…横浜、小倉 [B級目標]…新潟
戦争中、京都が爆撃を受けなかったのは、アメリカが京都の文化財を守るために空襲しなかったからだ、
と信じている人が多い。しかし、これはまったくの誤解で京都が残ったのは原爆の目標として温存された
結果だった。そもそも、なぜ京都がAA級に選ばれたのだろう。
原爆投下地の選定基準
大きな都市地域に存在する重要目標であること
爆風により効果的に破壊出来る地形であること
八月までに空襲を受けていない都市であること
正確に原子爆弾の威力を測定するため、通常爆弾との被害の違いを区別できることが必要条件った。
京都はこれを満たす理想的な目標だった。原爆投下の照準点は京都駅に近い梅小路機関車庫に定められ
京都に対する通常爆撃の禁止命令が出され、古都の街並は原爆投下用にキープされた。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kusyu-atmic.htm
無防備の市民の上に
投下目標の広島上空の気象観測をし、原爆を目視投下できることを確認したB29が立ち去ったので、
原爆が投下されたとき空襲警報は解除されたばかりでした。一般市民約28万人と市外から通勤・通学
で広島に入った人たちは月曜日の生活を始めていました。広島にいた兵隊は4万3千人でした。
何千人もの中学生や女学生たちは、空襲で建物が延焼するのを防ぐために家々を強制的に取り壊す
「建物疎開」の作業をしていました。
エノラ・ゲイには、原爆の爆発力を測定し、原爆の爆発を記録するために2機のB29が随伴して
いました。随伴機は原爆投下直前に3つのパラシュートに測定装置を付けて投下し、無線で測定結果
を観測機に送るようにしていました。空襲警報が発令されていなかったので、B29とパラシュートに
気付いた中学生や女学生も沢山いて、避難しないまま空を見上げていました。
http://www10.plala.or.jp/antiatom/html/j_07/DcmntLvrry/Basics/jsawa-21.htm 投下時刻は通勤通学時間帯の08:15(今日ではNHK朝ドラがスタートする象徴的な時刻)
B29は反転して逃避することで一旦空襲警報を解除させ市民を“安心”させることで被害の最大化を図る。
●広島大学の名誉教授である芝田進午氏は、原爆の対日使用は「人体実験」だった
として、1994年に次のように述べている。
「広島・長崎への原爆攻撃の目的は何だったのか。1つには戦後世界でのアメリカの
覇権確立である。そしてもう1つは、原爆の効果を知るための無数の人間への『人体
実験』である。
だからこそ、占領後にアメリカ軍が行なったことは、
第1に、原爆の惨状についての報道を禁止し、『人体実験』についての情報を独占す
ることだった。
第2に、史上前例のない火傷、放射能障害の治療方法を必死に工夫していた広島・
長崎の医者たちに治療方法の発表と交流を禁止するとともに、死没被爆者のケロイド
の皮膚や臓器や生存被爆者の血液やカルテを没収することだった。
第3に、日本政府をして国際赤十字からの医薬品の支援申し出を拒否させることだ
った。たしかに、『実験動物』を治療するのでは『実験』にならない。そこでアメリカ軍
は全力を尽くして被爆治療を妨害したのである。
第4に、被爆者を『治療』せず『実験動物』のように観察するABCC(原爆障害調査委
員会と訳されたアメリカ軍施設)を広島・長崎に設置することであった。加害者が被
害者を観察するというその目的自体が被爆者への人権蹂躙ではなかったか。」
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html
「戦争早期終結論」の虚構
●一般のアメリカ人に、なぜアメリカが広島と長崎に原爆を落としたのかを尋ねれば、
たいていの人はこう答えるであろう。
「アメリカ軍の日本上陸により、多くの犠牲者を出すことを避けるためであった。原爆
を落とさなければもっと大きな悲劇を生んでいたであろう」と。
●しかし、この言説を鵜呑みにしてはならない。「当時、原爆投下以外にも日本への本
土上陸を阻止する方法があったことは識者の間ではすでに常識となっており、トルーマ
ンも彼の顧問もそれを知っていた」という事実があるからである。これは、アメリカ原
子力規制委員会の主任歴史家であるサミュエル・ウォーカーの言葉である。
●1946年実施の戦略投爆調査の結論も、「原爆が投下されなくても、またソ連が宣戦布
告しなかったとしても、さらには日本上陸を考えなくとも、1945年12月31日までには確
実に、そしておそらく1945年11月1日までには、日本は降伏していたであろう」として、
先の歴史家サミュエル・ウォーカーと同じ結論を示している。
●1989年に公開された、陸軍省諜報部による1946年の最高機密調査では、「日本の降伏
に原爆はほとんど関係がなかった」という大胆な結論が出されている。そして第二次世
界大戦終結の決定的要因はソ連の宣戦布告であったとされ、アメリカの大規模な日本侵
略が行なわれることはなかったであろうと記されている。
つまり、「日本を降伏に追い込んだのは、原爆の使用ではなく、ソ連の参戦であるとい
っても過言ではない」というのが同調査の結論であった。
●また、スタンフォード大学の歴史家バートン・バーンスタイン教授によれば、統合参
謀本部の諮問グループ、統合戦争計画委員会は当時、ソ連が宣戦布告しない場合でも、
九州への上陸だけで戦争を終結できるであろうと結論づけていたのだ。
●原爆投下の決定を聞かされたアメリカ軍部の指導者の中には、嫌悪を催した者もいた。
ヨーロッパのアメリカ軍司令官アイゼンハワー将軍は、スチムソン陸軍長官から計画を
報告された時のことをこう記している。
「彼の報告を聞いているうちに、暗い気持ちになった。私は彼に深い不安を伝えた。まず、
日本はすでに敗北しており、原爆は全く必要ないということ、次にアメリカ人の命を救う
手段として、もはや不要ともいえる兵器を使用することで国際世論に衝撃を与えることは
避けるべきだと伝えた。」
アイゼンハワーの見解は「日本はできる限り体面を損なわない降伏の方法を模索している。
恐ろしい兵器で日本に打撃を与える必要はもはやない」というものであったのだ。
1945年7月20日に、彼は「日本に対し原爆投下は不必要」とトルーマン大統領に進言していた。
●現在では、原爆は恐らく戦争を長引かせ、アメリカ兵の命を救うどころか、奪ったと信
じる歴史家もいる。
なぜなら、国務次官ジョセフ・グルーは、1945年5月には降伏条件を変えるだけで戦争は
終結すると大統領に進言しており、また大統領は原爆が完成するまで明らかにそれを引き
延ばしたからである。
タフツ大学の歴史家マーティン・シャーウィンは、「トルーマン大統領がジョセフ・グルー
の助言を受けていれば、アメリカ兵、日本人の犠牲者の数は大幅に削減されたことであろう」
と語っている。
●アメリカ極東軍司令官だったダグラス・マッカーサーは、1961年の書簡で次のように証言
している。
「私は原爆使用については相談を受けなかった。もし相談を受けていたとすれば、それは
不要である、日本はすでに降伏の準備をしている、との見解を表明していたであろう。」
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html
こちらは「原爆投下決断の内幕」にも関わる別書の書評。
評者はあのマルコポーロ事件の西岡昌紀氏だ。
原爆投下への道 (単行本) 荒井 信一 (著) 東京大学出版会
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4130230336 数年前の事であるが、現代史の研究に携わる、或る若い研究者が、私に、原爆は何故投下されたのか?
と言ふ問いに対する本当の答えは、結局、永久に得られないでしょう、と言ふ意味のメールをくれた事が有る。
原爆投下決定に至るまでのアメリカ政府内部の動きの多くは、今も解明されておらず、今後も、明らかには
成らないだろう、と言ふ意味である。彼のこの言葉は、一次史料と格闘して、現代史の研究に取り組んで
居る研究者の言葉であるだけに、ショックであったが、彼の言葉は、原爆投下に関する、当時のアメリカ
政府内部での討論についての文書が、今も、十分公開されて居ない事を指摘した物であった事は、明らかである。
既に公開された資料からも、原爆投下が、戦争終結の目的で為された物ではなかった事は明らか
であり、「戦争終結を早める」と言ふ口実で行なはれた人体実験であった事は間違いの無い事実であるが、
それでも、今日なお、公開されない文書が有る事は、原爆投下を巡る、アメリカの闇の深さを物語る物である。
本書は、その原爆投下に関する一書である。本書は、その題名(「原爆投下への道」)の通り、アメリカが、
広島と長崎への原爆投下を決定、実行するまでの過程を、一次資料に遡って検証した一書であり、
その内容は、非常に客観的で、読み易い。本書は、戦後40年に当たる1985年(昭和60年)に初版が
出版され、2003年(平成15年)に第2刷が出版されて居る。戦後50年目の年に出版されたアメリカの
歴史家ガー・アルペロヴィッツ(Gar Alperovitz)の大著『原爆投下決断の内幕』(上下・ほるぷ出版・1995年)
を読んでしまふと、この本が読み劣りしてしまふのは仕方の無い事であるが、著者(荒井信一氏)の記述は、
豊富な一次資料からの引用と相まって、密度が濃い。
(以下略
(西岡昌紀・内科医/広島と長崎に原爆が投下されて60年目の秋に)
西尾幹二のインターネット日録
http://nishiokanji.com/blog/2006/08/2_4.html <戦時中の米国の対日行為>
以下は本で知った話です。戦時中米国のグラフ雑誌の表紙に、少女が前線の兵士に手紙を書く場面が
写されていますが、そこに前線の兵士から送られた、死んだ日本兵の"しゃれこうべ"が置かれていたの
です。これは戦時中日本で報道され、"鬼畜米英"のフローガンの原点になったらしいが、こんなことの
報道は勿論占領期間中は厳禁されています。ですから、今の日本人には戦時中の"鬼畜米英"のスローガン
は、人道的な米軍の実態とはかけ離れた、日本の軍国主義の宣伝に国民が嫌々従ったものと理解されて
いるのです。日本の民間人の集団自決が日本軍の命令によるものであるかのように伝えられ、自決せず
とも"人道的な"米軍に助けられたと言う風に思われているようです。でもグラフ雑誌でアメリカ人の本性
を知っていた戦時中の日本人は本当に"鬼畜米英"と思っていたはずです。
戦争中には、聯合国による戦争犯罪行為もかなりあったことは、インバール作戦などの戦記にも負傷
した日本軍将兵にガソリンをかけて焼き殺した光景が遠くから見えたとの記述に残されていたと記憶します。
その最大の残虐行為は非戦闘員に対する原子爆弾による無差別殺傷です。
<原爆被害写真>
検閲、言論統制が厳格に守られたのは広島・長崎の原子爆弾の被害写真でした。小学校時代5年生の時、
サンフランシスコ平和条約が発効した昭和27年ですが、我々は初めて、アサヒグラフで原子爆弾の凄惨な
写真に戦慄したのです。
これは占領期間中は絶対に報道されませんでした。仮にポツダム宣言による報道、言論の自由が確保
されていれば、戦後直ぐにこの写真は公表されていた筈です。その場合に果たして、聯合国が極東軍事裁判
が「平和に対する罪」「人道に対する罪」で日本の指導者だけを裁くことが出来たでしょうか。原爆被害写真
が公表されるのは「閉ざされた言語空間」の中で日本人が、占領軍が与える材料と統制、管理の結果、
米国が望むような戦争観、米国観を日本人が抱くように出来上がってからのことなのです。つまり、
原爆被害写真を見ても、日本人は、米国には無害化されていたのです。
『原爆投下』も慰霊碑に刻まれた『過ちは 繰返しませぬから』も
アメリカからの視点であり、またはアメリカに配慮したものだ。
日本人は負け犬根性の洗脳状態を断ち切り、
アメリカによる心の占領下から自由にならなければいけない。
『原爆の日』?『原爆記念日』?
実際はアメリカによる民間人大虐殺、皆殺しの企てだ。
しかもこれは降伏間近の日本に遊び半分で行われた『実験』だった。
紛れも無く、原爆による『広島大虐殺』『長崎大虐殺』だろう。
日本人はもっと怒らなければならない。
日本人は『核兵器廃絶』の連呼にもっと怒りを込めなければ、
その叫びは世界の多数派とは成り得ない。
『原爆を落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない』
パール(極東国際軍事裁判判事)
週刊文春 090903号 仏頂面日記 148 宮崎哲弥
◆改めて推奨したい、第一級の正戦論の書
・八月十七日(日)
六十四回目の敗戦の日に因んで、立て続けにマイケル・ウォルツァーの『正しい戦争と不正な戦争』(風紀社)
を紹介した(産経新聞コラム「断層」欄、読売テレビ系『たかじんのそこまで言って委員会』)。
本欄では邦訳板行直後の昨年の十二月、詳しく触れたが、いま一つの反響だった。然るに、今回は時節柄もあって
か上々の手応え。
繰り返しておくと、ウォルツァーのこの本は正戦論(戦争倫理学)の古典とされており、アメリカの士官学校において
教科書として採用されているほどの権威のある書物だ。
ところがそこにポツダム宣言や原爆投下に対する明確な批判が書き込まれていることはあまり知られていない。
本書は古今東西の戦争行為の理非を倫理学の視点から分析しているものだが、先の大戦の終結に関し
「日本のケースはドイツは十分に異なり、無条件降伏など要求すべきではなかったのだ。日本の統治者たちはより
一般的な種類の軍事的拡張を行ったのであって、道徳的に必要だったのは、彼らが敗北しなければならない
ということであって、彼らが征服され完全に打倒されるべきであるということではなかった」と指摘され、その不要な
無条件降伏を目的とした原爆投下は、不正な戦争行為に他ならなかったと断じている。
「千九百四十五年の夏において、勝利を目前にしたアメリカには日本国民に交渉を試みる責任があった。こうした
試みすらもなく原子爆弾を使用し民間人を殺害し恐怖せしめることは、二重の犯罪であった」
これ以外にもウォルツァーは日本国憲法をアメリカの不当な「押し付け」であるとする一方で、しかし、日本国民には
その押し付けられた憲法の内容を議論し、自らの意思で変更することが可能であり、それこそが日本の民主主義の
可能性であると示唆している。
21 :
20:2010/02/17(水) 13:23:37 0
8月7日(日)午後2時放送「ザ・スクープスペシャル」
ザ・スクープスペシャル 終戦60周年特別企画
「検証!核兵器の真実 〜それは人体実験だった〜」
<第1部> 第五福竜丸51年目の真実
広島、長崎に続く第三の被曝者は太平洋で操業中のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員たちであった。
彼らは「死の灰」を浴びたのである。
1954年3月1日、マーシャル諸島を地獄絵と変えた水爆「ブラボー」。
火の玉の直径は40km、爆発の威力は15メガトン。
それは、広島型原爆の約1000倍に上る20世紀最大の地球環境汚染であった。
「西から太陽がはい上がってきた」「雨に混じって白い粉が降り積もった」
水爆の放射能は、第五福竜丸乗組員やマーシャル島民を襲い、被曝の苦しみは21世紀の今も、
子孫の世代に渡って続いている。
一体、なぜ彼らは被曝しなければならなかったのか?
そして、なぜ被曝という事実そのものさえ隠蔽されたのか?
あれから半世紀、情報公開されたアメリカの極秘文書や日本の外交史料が恐るべき真相を語り始めた。
「マーシャル島民は被曝者の最も完全なデータセット」であり、 「ある種の不幸な実験が第五福竜丸乗組員
に対して行われた」と・・・
24 :
23:2010/02/17(水) 13:29:04 0
<第2部> 知られざるヒバクシャたち
米国立公文書館で発見された1952年の機密文書にこんな記述がある。
「米軍医療委員会は核戦争の調査に人体を利用する事を満場一致で承認した」
そして、放射能の影響を調べる「実験材料」は福竜丸乗組員やマーシャル島民ばかりではなかった。
核開発競争の中で、アメリカは自国民の被曝さえも厭わなかったのだ!
長崎原爆に使われたプルトニウムが製造されたワシントン州ハンフォードでは水蒸気に混ぜた放射能が
町中に散布された。墓地には乳児用の小さな墓標が数百並んでいる。
1956年にビキニなどで行われた水爆実験「レッドウィング作戦」では 米空軍パイロットがキノコ雲の中を
横断飛行し、ネバダ州の核実験場で8回にわたって行われた「砂漠の岩作戦」では、核爆発直後に爆心に
向かって部隊を進攻させた。
人体にプルトニウムを注射する実験を指揮していたフリーデル博士は、 原爆投下直後の広島に入り、
被曝者の生物学的反応などを徹底調査している。 米軍の科学者たちにとっては、広島や長崎さえも
「人間が死に至る放射線量」のデータを収集する千載一遇の実験場に過ぎなかったのである。
http://www.asyura.com/0505/war72/msg/986.html
2008-08-07 23:56:36
アメリカの原爆投下はやはり人体実験
http://ameblo.jp/campanera/entry-10124826574.html 【社会】アメリカが放射線の危険性を知った上で原爆を投下し、その威力のデータを収集していたことを示す公文書を発見
米極秘文書入手、原爆投下の真実
長崎は間もなく63回目の「原爆の日」を迎えます。アメリカが放射線の危険性を知った上で原爆を投下し、
その威力のデータを収集していたことを示す公文書が見つかり、JNNが入手しました。
原爆の強烈な爆風と放射線。その威力と影響をアメリカはどこまで知っていたのか。その疑問に答える文書を
JNNがこのほどアメリカ国立公文書館から入手しました。
原爆投下のおよそ3か月前。原爆を開発した科学者のリーダー、オッペンハイマー博士が軍部のために作成
しました。
原爆の放射線の危険性を詳しく説明しており、爆心地から1キロ以内では死亡するとしています。その上で、
原爆を投下する飛行機の乗組員が注意すべきことを記載しています。
「飛行機は放射線を避けるため、原爆の爆発地点から4キロ以上離れること」「爆発後、数時間以内に上空に
入る飛行機は放射能を帯びた雲に近づくな」としています。
原爆を投下する前、アメリカが放射線の人体への影響について、どの程度知識を持っていたか、これまで
はっきりしていませんでした。
しかし、放射線医学の専門家は、発見された文書はアメリカが放射線の危険性についてかなり知識を持った上で
原爆を投下したことを示していると指摘します。
「放射線がどのくらいあったのか、計算されていたなんてことが如実に分かる手紙ですね、これは。1895年の
レントゲン博士のX線の発見。それ以来、放射線と人体の関係は当時で50年経っているんですから。全て計算
していたと」(長崎大学医学部 朝長万佐男 教授)
26 :
25:2010/02/17(水) 13:31:15 0
爆風の威力については、実践のさなか調査が行われていました。長崎市の原爆資料館には、アメリカが原爆の
威力を測定した装置が保存されています。この装置は、飛行機が長崎上空から原爆投下にあわせて落としました。
私たちは長崎と広島の上空で、この測定装置を使って原爆の威力を調査した科学者を以前、取材しました。
ラリー・ジョンストン博士は、パラシュートに取りつけた装置で原爆の威力を測定したのです。
「原爆が爆発した時、測定器が爆風のすさまじさを示した」(ラリー・ジョンストン博士)
この文書は長崎への原爆投下の3日後、ジョンストン博士が測定したデータをもとに、別の科学者が原爆の威力
を推定したものです。
広島原爆は爆風の圧力などからTNT火薬に換算すると15キロトンに相当するとしています。
一方、長崎原爆は爆風の威力が広島のおよそ2倍でTNT火薬30キロトンに相当すると推定していました。
アメリカで原爆の威力を測定したデータの文書が見つかったのはこれが初めてで、核問題の研究者は「文書は
アメリカが原爆のデータを収集しようとしたことを示している」と言います。
「原爆を落とした効果がどれくらいあったのかっていうことを、キチッと調べると。それは次のステップに使える
ということを前提とした調査ではないか、ということが分かりますよね」(長崎大学工学部 岡林隆敏 教授)
原爆の人体への影響を知った上で投下し、その威力のデータを収集しようとしたアメリカ。発見された文書からは、
戦争と核兵器開発の非情な論理が浮かび上がってきます。(07日18:15)
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/20080807/20080807-00000058-jnn-soci.html
8月6日エノラ・ゲイは二度舞った−広島原爆投下の新事実を追う
◆ 広島市、米国、原子爆弾、B29エノラ・ゲイ、飛行コース
AERA(2009/08/10), 頁:29
2009年8月3日
広島 原爆投下から64年〜なぜ警戒警報は鳴らなかったのか…
http://www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/feature/detail.php?news_id=7038 今から64年前、1945年8月6日。広島では、前夜から夜通し何度も鳴り響いた警戒・空襲警報も7時31分には
解除され、人々は生活の営みを開始した。その40分後、3機の米軍機が来襲し、8時15分、広島に原爆を落とした。
この時だけはなぜか警戒警報は鳴らなかった。世界で初めて使われた原子爆弾は人々が無防備な中、投下された。
(略
いち早く原爆の開発を行い、世界をリードしようとしていたアメリカは、その威力と効果をライバル国ソ連などに見せ
付ける必要があったという。「原爆の視覚的効果や破壊力を最大限に引き出したかった。だから(投下の際)、
工場や軍事施設、一般住宅など区別しなかった」とスタンフォード大学のバーンスタイン教授は指摘する。
エノラ・ゲイの一団3機は、テニアン島からほぼ一直線にやってきたと言われているのに、なぜ日本側の発見は
遅れたのか。雑誌AERAの長谷川煕記者は、その疑問を長年抱き続けていた。そういった中、長谷川記者は、
エノラ・ゲイが一度、広島上空を通り過ぎ、警戒警報が解かれた隙に舞い戻って来たのではないかという、原爆の
研究家の説があることを知る。
(略
2009-08-05 エノラ・ゲイ反転疑惑
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20090805 8月6日、広島。警戒・空襲警報が《7時31分には解除され、人々は生活の営みを開始した。その40分後、3機の
米軍機が来襲し、8時15分、広島に原爆を落とした。この時だけはなぜか警戒警報は鳴らなかった。世界で初めて
使われた原子爆弾は人々が無防備な中、投下された。》
もし、警戒警報が鳴っていたら、多くの人が防空壕に避難し、直撃は避けられて生き延びただろうという。なぜ鳴ら
なかったのか。ここに恐ろしい仮説がある。
あの日、三機のB29はいったん広島上空を旋回し東の方に飛び去った。もう大丈夫と警報が解かれたのを
わかった上で、爆撃機「エノラ・ゲイ」は反転して広島に引き返し原爆を投下した。それは《無防備の中で地上に
出ていた大人口を丸ごと被爆させ、原爆の影響を測る「人体実験」の効果を最高度に上げた》。こう言うのは、
原爆投下直後に海軍による被爆調査に参加した若木重敏氏だ。
(略
長谷川さんによると、この問題は、秦郁彦『昭和史の謎を追う』にも取上げられていたという。出てすぐ買ったのに
本棚の奥にツンドク状態だったこの本を取り出してみると、「下巻」の「原爆機 広島へ−反転爆撃への疑惑」
という章に書いてあった。
長谷川さんは日本側のさまざまな記録を調べ、証人に会い、「報道ステーション」ではアメリカにまで行って
エノラ・ゲイの航空記録を書いた乗組員など関係者にインタビューする。最終的には確実な証拠は見つからない
のだが、「反転」疑惑は非常に濃厚だと思われる。
たとえば、原爆投下の2ヶ月余前、45年5月29日付で米陸軍航空隊参謀長は投下任務を受けるエノラ・ゲイの
部隊にあてて指示を出していた。そこには《このプロジェクトの性格は実験である》こと、《この兵器の今後の発展
のために、最大限の成果と情報を獲得しなければならない》ことが書かれてあるという。(アエラより)
(略
【社会】『ゲンは被爆の生き証人』 漫画「はだしのゲン」全十巻の英訳版が完成 米国の読者は被爆者の苦難に衝撃★2
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1251620010/ ニュージャージー州で夫と保険代理業を営むメリー・キャロルさん(50)は漫画を読んで、
がくぜんとした。「学校では日本の一般市民の苦しみは何一つ学んでこなかった」からだ。
「われわれ米国人は、恐るべき核の破壊力を教えられていない。ヒロシマ、ナガサキの惨劇がまた
繰り返されるかも、と思うと恐ろしい」
米国での出版を引き受けたサンフランシスコの出版社ラスト・ギャスプによると、最近は
「はだしのゲン」を教材に取り入れる高校や大学が出てきた。
サンフランシスコ郊外にあるディアブロ・バレー・カレッジ英語学部のアダム・ベッシー助教授(29)
は教材で取り上げた一人だ。「ゲンは被爆体験を世代や文化を超えて伝える力を持っている。学生は
ゲンに触発され、さまざまな社会や政治の問題を深く考えるようになった」。ベッシー助教授のクラスを
受講した大学生キール・パウエルさん(24)は「原爆の熱線で溶けた人の顔を漫画で初めて見て、
あまりのショックで口を閉じるのも忘れてしまった。敗戦国の人たちが負った心の傷を、これまで考えも
しなかった」と語る。
【映画】「アバター」のジェームズ・キャメロン監督、広島と長崎への原爆投下を映画化へ
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1262951199/ 最新作「アバター」が全世界で大ヒット中のジェームズ・キャメロン監督が、広島と長崎への
原爆投下を題材にしたノンフィクションの映画化権を獲得したことが明らかになった。
英エンパイア誌によると、同書は1月19日に刊行されるチャールズ・ペレグリーノによる
ノンフィクション「The Last Train from Hiroshima: The Survivors Look Back」。
著者のペレグリーノは、純古生物学や天文学を研究する科学者で作家。
小説「ダスト」やノンフィクション「キリストの棺」といった著書が邦訳されている。
また、キャメロン監督の「タイタニック」や「アバター」に科学コンサルタントとして
参加していることでも知られる。
同書は、被爆者と米軍パイロットへの綿密な取材をもとに、広島と長崎に原爆が
投下されたあとの2日間を科学的なアプローチで再構築したノンフィクション。
なかでも、1月4日に93歳で亡くなった、広島と長崎の両方で被爆した二重被爆者の
山口彊(つとむ)さんの体験が作品の重要な部分を占めているという。
実は、「アバター」のプロモーションで昨年12月に来日したキャメロン監督は、
ペレグリーノ氏とともに長崎の病院に入院中だった山口さんを訪問していた。
その際山口さんから、自分の体験と核廃絶のメッセージを世界中の人々に
伝えてほしいという願いを託されたそうで、そのことは欧米の映画サイトでも広く報じられた。
原爆テーマの映画制作へ アカデミー賞監督が来日
http://www.47news.jp/CN/201002/CN2010021301000428.html 米アカデミー賞ドキュメンタリー部門受賞監督のマルコム・クラークさん(55)がこのほど、広島市の原爆資料館
をテーマにしたドキュメンタリー映画「戦争のない世界へ(仮題)」の制作準備のため来日した。
14日に広島入りし、同資料館などを視察する。
映画では、原爆資料館を訪れたことのある政治家や平和活動家、俳優などの著名人にインタビューし、
どんな影響を受けたかを語ってもらうことで「世界平和について考える手掛かりを示したい」という。
映画は約90分の予定で、被爆者への取材も計画しており、年内に撮影を開始。来年夏ごろに公開したいという。
「初めて(ポーランドの)アウシュビッツ強制収容所を訪れたとき、展示物などがあまりにも恐ろしく、頭をハンマー
で殴られたような衝撃を受けた」と振り返ったクラーク監督。「原爆資料館も同様に、何が起きたのかを実際に
見せることで見学者の意識を変化させ、『二度とあってはならない』と思わせる触媒になり得る」と指摘した。
クラーク監督は英国出身でカナダ在住。1989年、悪性リンパ腫と闘う男児のドキュメンタリー映画
で米アカデミー賞を受賞した。
38 :
世界@名無史さん:2010/02/22(月) 02:26:56 0
39 :
世界@名無史さん:2010/02/23(火) 03:56:39 0
ライオンはウサギを屠るにも全力を尽くす
40 :
※ドイツ降伏は1945年5月7日:2010/02/28(日) 02:49:39 0
>原爆が完成した暁には、熟慮の後、おそらく日本に対して使用されることになるであろう。
http://www.antiatom.org/GSKY/jp/Rcrd/Basics/jsawa-13.htm ハイドパーク協定
1944年9月18日、ハドソン河畔のハイドパークで行われた米英首脳会談における
秘密の覚書「ハイドパーク協定」は次のような内容でした。
1.原子力の管理と使用に関する国際協定を目指すために、これを世界に公表すべきとい
う提案は、受け入れることができず、極秘にしておくべきである。しかし、原爆が完成し
た暁には、熟慮の後、おそらく日本に対して使用されることになるであろう。その際、日
本に対して、降伏するまでこのような爆弾による攻撃がくり返される旨の事前の警告を与
えるべきである。
2.原子力を軍事目的と商業目的のために開発することを目指す英米両国政府間の完全な
協力は、合意によって停止されない限り継続される。
3.ボーア教授の活動を調査し、同教授が情報を特にソ連にもたらさないことを保障する
ための措置を講ずる。(原文では、「原子力」はすべて、英国の原爆開発の暗号名「チ
ューブ・アロイズ(合金管)」となっています。)
この協定は、ボーアの提案を真っ向から否定するものでした。原爆が国際関係の基礎を
変えるものとなるので、戦後の核兵器競争をさけるためにソ連と交渉すべきだというボー
アの提案は葬り去られ、戦後半世紀にわたる米ソ核対決の時代につながる決定でした。リ
チャード・ローズは、ピューリッツア賞を受賞した著書『原子爆弾の誕生』の中で「その
9月に世界がどれほどのものを失ったかはかり知れない」と書いています。ボーアの提案
を受け入れていたら戦後の世界はまったく違ったものになったでしょう。
41 :
世界@名無史さん:2010/02/28(日) 02:52:51 0
■オサマ・ビン・ラディン原爆関連の発言
「アメリカとイスラエルはムスリム世界やその他の場所で、無力な男性、女性、子供を殺している。(略)
忘れてはならないのは、子供、老人、女性ばかりの都市に、意図的かつ計画的に原爆が投下された件である。
これは、広島と長崎で起きたことだ」
1996年11月、インタビュー記事より
「オサマ・ビン・ラディン発言」ブルース・ローレンス著 河出書房新社 P80
「どう見ても、アメリカこそ世界で発生するテロおよび犯罪の指導者である。アメリカは、数千マイルかなたの
人びとに原爆を投下することをテロ行為とは考えないが、そんな爆弾で兵士だけを攻撃するのは不可能だ。
そんな爆弾は女性、子供、老人を含むあらゆる人びとに影響し、日本には今日も原爆の爪あとが残っている」
1997年3月、CNN記者ピーター・アーネットのインタビューより 同上 P93
「(xi)人類史上アメリカが際立っているのは、歴史上のどの国よりも大勢の人を武力を用いて死に追いやった点である。
それは正義や価値観を守るためではなく、利権、利益を急ぎ確保するためだった。アメリカは、日本が終戦交渉を
準備していたのに、日本に原爆を投下した」
アメリカ人へ2002年10月6日 同上 P244
【社会】長崎訪問したイラン国会議長が原爆投下を批判 「原爆資料館はアメリカの非人道的な犯罪を永遠に伝える」
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1267268636/ 長崎を訪れたイランの国会議長が、アメリカの原爆投下を批判しました。
「原爆資料館はアメリカの非人道的な犯罪を永遠に伝える」(イラン・ラリジャニ国会議長)
イランのラリジャニ国会議長は、イランの核兵器開発疑惑が強まる中、被爆地長崎を訪問。
原爆中心碑に献花しました。
ラリジャニ議長はこの後、原爆資料館を見学し、アメリカの原爆投下を厳しく批判。
イランの核開発への圧力を強めるアメリカをけん制しました。その上で、イランは核は保有
しないと語りました。
【広島原爆】広島長崎の悲劇の日本史【長崎原爆】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1217855020/より 121 名前:日本@名無史さん 投稿日:2009/12/01(火) 21:42:45
まぁ、実験だったのは明白だし、それを知っていたアメリカ人は、(´・ω・) カワイソス。
外国人被爆者 アメリカ人(第一巻 P71〜)
昭和二十年七月二十六日、来襲したコンソリデーテッドB 24 四機のうち、一機が佐伯郡八幡村の山中に墜落、
二人の搭乗員がパラシュートで脱出した。このとき、歩兵第一補充隊(二部隊)から約二〇人の武装兵がトラックで
降下現場に駆けつけ、警防団に捕えられていた二人を、その日の夕方、同隊に連れて帰った。この時、出動した兵士
の一人である同隊医務室勤務の増本春男衛生上等兵は、その二人の捕虜の食事(米飯・ふかしジャガイモ・みそ汁)
を運んだが、その時、腕などの擦過傷の手当(ヨーチン塗布)もした。捕虜の二人は、航空兵とは思われないような
青みがかった簡単な作業服を着ており、頭髪は茶褐色で短い兵隊隊刈り、一人は二〇歳くらい、他の一人は二六、
七歳の若い兵隊で、何かおびえており、「おそろしい、おそろしい」と言う。通訳の見習士官が、「捕虜になったか
ら恐ろしいのか?」とたずねると、「いや、ここにいたら死ぬるのだ。近いうちに広島が全滅するような爆弾が投下
される。ここにいては死ぬる。」と答えた。捕虜二人は二日間、同部隊にいて、その後は憲兵隊に渡されたようであ
る(増本春男談)。
また、今堀誠二著「原水爆時代(上)」には、被爆の翌七日午前十一時頃、毎日新聞の重富芳衛記者が、相生橋を
東に渡って、護国神社付近にさしかかったとき、前方の紙屋町の方角から、裸に近い服装の背の高いアメリカ人が、
電車通りにそって駈け足でやって来た。ちょうどその頃、相生橋の橋畔では芸備線の奥地から出動した警防団の一
隊が、被爆により埋もれた道路の啓開作業に当っていたが、アメリカ人を見つけると、トビグチやシャベルなどを
取って、行く手をこばみ、うしろ手にしばりあげた。縄などない焼跡のことで、路上に落ちている切れた電線を使
い、アメリカ兵をうつ伏せに押しつけたうえ、路傍に倒れていた電柱に手錠代りの電線じりを結びつけた。早朝来、
同胞の凄惨な屍体を何千となく見てきた警防団員は、「この仇を討て」とばかり、口々に罵倒したり、なぐったり蹴
ったりして、闘志を燃やした。ということが記述されているが、重富記者の感違いか、柳田博の談話と、経過がや
や異なっている。
【国際】「真のホロコーストだ」イラン議長が長崎訪問報告
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1267359068/ イランのラリジャニ国会議長は28日、日本訪問中に長崎市の原爆資料館を見学した感想について
イラン国会で演説し、第2次大戦中のナチス・ドイツのユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)になぞらえ
「原爆投下こそが米国が引き起こした真のホロコーストだ」と述べた。
イランのメディアが報じた。
27日の長崎初訪問についてラリジャニ氏は「日本にとって最も悲しい出来事の一端を知る機会だった」とした。
その上で「広島に原爆を投下して核兵器の影響の大きさを知りながら、長崎にも落とした」と米国を批判。
ホロコーストよりも、米国の核兵器使用を問題にするべきだと指摘した。
イランの核開発をめぐっては国際原子力機関(IAEA)が核弾頭開発疑惑を指摘しているが、
同国は発電目的だと説明。
昨年12月には核交渉責任者のジャリリ最高安全保障委員会事務局長が広島を訪れ
原爆ドームなどを視察、イランは核兵器に反対する立場だと主張している。(共同)
>>35 【映画】ジェームズ・キャメロン監督が映画化に動いた広島・長崎の原爆体験記「ザ・ラスト・トレイン・フロム・ヒロシマ」の出版が中止に
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1267531207/ [eiga.com 映画ニュース]「アバター」が全世界で大ヒット中のジェームズ・キャメロン監督が、
1月に映画化権を獲得していた広島と長崎への原爆投下にまつわるノンフィクション本 「ザ・ラスト・
トレイン・フロム・ヒロシマ(原題)」の出版が中止された。
出版を予定していたホルト・ヘンリー社によれば、中止の理由は「文中に登場する人物が実在したか
どうかなどの問いに、ペレグリーノが答えられないから」だという。
ペレグリーノは、1週間前に「広島に原爆を投下したB29爆撃機エノラ・ゲイに乗っていた」と証言して
インタビューを受けた男性が、ウソをついていたことを認めていた。同社は、その部分を改訂して出版
するとしていたが、その後の調査で別の2人の登場人物が実在していたかどうかも疑わしいことが分かった。
さらに、ペレグリーノの経歴詐称疑惑も浮上。ペレグリーノは、ニュージーランドのビクトリア大学で
博士号を取得したと自身のウェブサイトにも明記しているが、AP通信が同校に問い合わせたところ、
そのような事実はないという。
49 :
世界@名無史さん:2010/04/02(金) 06:21:40 0
【米国】「アニメは、原爆2個では十分ではなかったことの最たる証拠だ」 下院議員の発言に反発の声★5
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1270103422/ 【ニューヨーク=田中光】米北東部ニューハンプシャー州のニコラス・ラバッサー州下院議員(26)=民主党=が
インターネットの交流サービス「フェースブック」の自分のページで、
「アニメは、原爆2個では十分ではなかったことの最たる証拠だ」とコメントし、猛反発を買った。
同議員はすぐ謝罪し、ページは削除された。議員は特にアニメ批判などで知られているわけではなく、
どういう文脈での発言か不明だが、ネット上では、米アニメファンらの怒りが広まっている。
地元テレビ局の報道などによると、ラバッサー議員がコメントしたのは24日。保守系のサイトも
「アニメを見たくないという理由だけでもっと日本人を殺すべきだと言っているようなもの」と批判した。
同議員は「コメントの無神経さに深く謝罪したい。公私を問わず適切な発言ではなかった」と謝罪したが、
米アニメファンのブログなどでは「人種差別だ」
「アニメのことを本当に分かっているのか」といった反発の声があがっている。
ラバッサー議員は、地元の州立大学在学中の2006年に初当選。現在、2期目。
ttp://www.asahi.com/international/update/0330/TKY201003300232.html
51 :
世界@名無史さん:2010/04/10(土) 18:41:43 0
許せない
52 :
世界@名無史さん:2010/04/11(日) 05:04:40 0
第二次大戦期間、日本人は日本のためにみなが一致団結した。
結果としては負けたけど、日本の挙国一致と統制経済はアメリカやイギリスやフランスやドイツと全く同質のもの。
ところが、同じ期間、中国人のほとんどは戦争も国際政治も全く無知なまま、
共産軍に搾取され、各地の軍閥にも徹底的に屠られ続けて、何千万人もが餓死している。
文盲がほとんどだったから、これはやむを得ない宿命だったといえようが、
それでも中国人の死に方は人間の尊厳も意気も全くないぶざまきわまるもの。
53 :
世界@名無史さん:2010/04/11(日) 17:15:07 0
ジーン・ディクソンの予言
1962年2月5日、中東にうまれた子供は、まちがいなく
世界革命をひきおこすことでしょう。
彼はみずからの「全能の力」によって、新しい「キリスト教」を
つくりあげますが、それは神の御子キリストの生き方とその教えとは
ほど遠い方向に人をあやまって導くものです。
彼はあまりにもキリストの誕生と生涯そっくりの点を数多くもっています。
しかし、この「東洋の子」が生まれた環境や彼の成長にともなって
あらわれる事件をみると、彼はキリスト(マイトレーヤ)の
再来ではありません。
それどころか、キリストそっくりのこの人物こそ、
やがて魔王サタンの勝利をめざして世界をあざむく
反キリスト(黙示録の獣)であることはまちがいありません・・・・
54 :
世界@名無史さん:2010/04/14(水) 10:15:23 0
55 :
世界@名無史さん:2010/04/14(水) 15:43:13 O
第二次世界大戦に参加するために日本を真珠湾攻撃に誘ったメリカンどう思う?
いつも途中参加だよ
ベトナム戦争といい
アメリカが日本の見方なら世界は変わってたのにな
56 :
世界@名無史さん:2010/06/04(金) 14:38:49 0
原爆投下は愛のムチ
おかげさまで日本はよい国になれた
愛のムチを受けた日本は幸せものである
戦前のDQNな日本と比べれば
戦後のハト派な日本の方が遥かにマシ
57 :
世界@名無史さん:2010/06/04(金) 14:39:57 0
戦前の日本はかなりDQNだぜ
戦前の日本人に対して愛のムチを振るい
よい日本人だけを残してくれたアメリカには
感謝してもしきれないご恩がある
原爆投下は愛のムチである
58 :
世界@名無史さん:2010/06/05(土) 02:54:04 0
アメリカや中国に仕返ししてやりたい
イスラム教の国だと「殴られたら殴り返す」「盗まれたら盗み返す」っていうじゃない
そしてアメリカや中国から仕返しされる
>>58のような愚かさが世界を滅ぼす
60 :
世界@名無史さん:2010/06/05(土) 15:13:22 0
>>58 まじでこういう奴をCIAか中国公安に引き渡して処刑してもらいたい
【ドラマ】トム・ハンクス激白「米兵が日本人にしたこと知るべき」・・・日本が負けた戦争を描いた「ザ・パシフィック」を沖縄で試写上映
http://live28.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1276179692/ http://www.cinematoday.jp/page/N0024946 エクゼプティブプロデューサーにトム・ハンクスとスティーヴン・スピルバーグが名を連ね、
総製作費200億円を掛け太平洋戦争での米兵と日本兵を客観的に描くドラマ
「ザ・パシフィック」が、6月11日に沖縄で試写会上映される。
「ザ・パシフィック」は3人のアメリカ海兵隊員の物語をベースに描かれるが、
驚くことにアメリカ人が描いたドラマであるにもかかわらず、アメリカ兵の残酷な行いがリアルに描写されている。
アメリカ軍にとって日本軍は「夜に攻撃してくる。
また、降伏をしない得体の知れない存在」とされ、
その恐怖ゆえの裏返しで、アメリカ兵が日本人に後に行った仕打ちは日本人として目を覆いたくなる描写だ。
日本兵の生き残りを調べているときに見つけた日本兵を銃で撃ってもてあそんだり、
兵士か一般人かわからない少年を銃殺したりとあまりにもむごい。
アメリカ人がアメリカ兵を英雄としてではなく、
まるで悪人のように描く映画を作ることはタブーであったはずだが、
トム・ハンクスとスティーヴン・スピルバーグというメジャーな二人がこの物語の陣頭指揮をとっていることに驚く。
トムはこの物語に関して「太平洋戦線で戦ったアメリカ兵たちの勇敢さを称えたい気持ちはある。
しかし同時に、アメリカ兵が日本の人々に何をしたか、ということも知ってもらいたい」と」コメントしている。
「ザ・パシフィック」は全10話の大作ドラマで7月18日より、
WOWOWにて放映されることが決まっており、今回の試写会はそのプロモーションの一環でもある。
制作費は高額であるがエンターテインメント性に特化しただけのドラマではなく、
「戦争がいかに人間性を奪ってしまうのか」に物語のテーマが絞られており、
敗戦国の日本人として深く考えさせられる内容だ。
また、今回アメリカ軍の基地問題に翻弄され続けている沖縄で試写上映することは物議を醸しそうだ。
「ザ・パシフィック」はWOWOWにて7月18日(日)より毎週日曜日22:00〜日本初放送(了)
63 :
世界@名無史さん:2010/07/30(金) 02:31:56 0
37 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2010/07/30(金) 00:12:48 ID:2kfYvjj10
戦局的な観点から日本への原爆投下はほとんど必要なかったとされる。
そんな中、広島にリトルボーイが投下されたのが1945年8月6日。
長崎のファットマンは三日後の8月9日。
なぜ、アメリカはたった三日の間に2つもの原爆を投下したのか?
答えは簡単。最初の投下から1週間以上猶予をおくとその間に
日本が全面降伏してしまい、ファットマンを投下できなくなる可能性がある。
要するに、アメリカは種類の異なる二つの原爆を投下してイエロージャップを
モルモットに人体実験を行ったというわけだ。
事実、アメリカは戦後ABCC(Atomic Bomb Casualty Commission)なる
機関を設けて被爆者から詳細なデータを採取している。
戦後、我々日本人は「アメリカによる原爆投下は戦争を終結させるための
やむを得ない手段であり、侵略国日本を更生させるため正義の名のもとに
行われた」と教育されてきた。
だが、それは勿論GHQによる言論統制がそうさせたのであり、反米感情を
抑えるためのプロパガンダであることに疑いを挟む余地はない。
アメリカによる二度の原爆投下はナチのユダヤ人大虐殺にも匹敵する
世界史上最も残虐な行為である。
にも関わらず、アメリカは今日に至るまで原爆投下が過ちであったとする
見解を公にしたことはない。
彼のオバマ大統領も選挙戦において、ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下は
正当な戦闘行為であったと名言している。
世界で唯一の被爆国民である我々は、今後もアメリカのこういった欺瞞を
受け入れ続けなければならないのだろうか?
主権国家の民として・・
64 :
世界@名無史さん:2010/08/06(金) 19:05:43 0
NHKスペシャル
2010年8月6日(金) 午後10時00分〜10時54分
総合テレビ
封印された原爆報告書
アメリカ国立公文書館のGHQ機密資料の中に、181冊、1万ページに及ぶ原爆被害の調査報告書が眠っている。
子供たちが学校のどこで、どのように亡くなったのか詳しく調べたもの。200人を超す被爆者を解剖し、
放射線による影響を分析したもの…。いずれも原爆被害の実態を生々しく伝える内容だ。
報告書をまとめたのは、総勢1300人に上る日本の調査団。国を代表する医師や科学者らが参加した。
調査は、終戦直後から2年にわたって行われたが、その結果はすべて、原爆の“効果”を知りたがっていたアメリカ
へと渡されていたのだ。
なぜ貴重な資料が、被爆者のために活かされることなく、長年、封印されていたのか? 被爆から65年、
NHKでは初めて181冊の報告書すべてを入手。調査にあたった関係者などへの取材から、
その背後にある日米の知られざる思惑が浮かび上がってきた。
番組では報告書に埋もれていた原爆被害の実相に迫るとともに、戦後、日本がどのように被爆の現実と
向き合ってきたのか検証する。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/100806.html
トルーマンが語ったこと、そしてスティムソンが戦後に述べた説明のみを歴史の案内人
にして、自分の推理、考察をおろそかにすれば、事実からかけ離れたまったくの憶測や
想像を叙述するだけで終わることになる。
そのような嘘や誤魔化しがそのまま流通して、今日までだれもが知っている伝説が二つある。
ひとつは、百万人のアメリカ兵の生命を救うために、原爆を投下したのだといった
トルーマンの口上である。多くのアメリカ人がきまってこれを主張してきた。
ルソン島と硫黄島と沖縄の戦いのアメリカ兵の戦死者の総計は二万七千人ほどで
あろう。本土の戦いで百万人という数字は、戦傷者を加えてのことだとしても、桁外れに多い。
原爆を投下する前の四カ月のあいだ、日本本土上陸作戦で予想される犠牲者の数に
懸念を表明する陸軍軍人はいなかった。ましてや海軍の首脳たちがそんな数字を挙げる
はずもなかった。陸軍参謀総長ジョージ・マーシャルが百万という数字を語ることは
なかったし、九州に強襲上陸を予定していた太平洋方面陸軍司令官ダグラス・マッカーサー
もそんな数字を挙げたことはなかった。戦死者だけであれば、一万人以下という推定で
あり、アメリカの軍首脳がだれひとり論じることもなければ、考えもしなかった百万人の
犠牲者という数字が登場したのは、戦後になってからの創作なのである。
http://www.soshisha.com/book_read/htm/1408.html
67 :
世界@名無史さん:2010/08/09(月) 03:27:09 0
原爆同盟
ヘンリー・スチムソン陸軍長官:「マンハッタン計画」の最高責任者。広島と長崎への
原爆使用を決定した彼は、日系アメリカ人を強制収容所に送った最高責任者でもある。
戦後は、原爆投下に対する批判を抑えるための「原爆神話」を生み出した。
戦争が終わると、スチムソンは、原爆投下に対する批判を抑えるために、
「原爆投下によって、戦争を早く終わらせ、100万人のアメリカ兵の生命が救われた」と
発言(1947年2月)。
これが原爆使用正当化の定説となった。(「原爆神話」の誕生)。
71 :
70:2010/08/17(火) 18:53:28 0
74 :
73:2010/08/17(火) 21:58:34 0
アンカー ( >> 27 ) は取り消し
75 :
73:2010/08/17(火) 21:59:21 0
>>47 【映画】ジェームズ・キャメロン監督の原爆映画「JIGOKU」の製作止まる
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1282200143/ タイタニック、アバター…キャメロン監督の原爆映画「地獄」製作止まる
米ハリウッドの巨匠でカナダ出身のジェームズ・キャメロン監督が計画中の米軍による
広島・長崎への原爆投下が題材の映画「JIGOKU(地獄=仮題)」の製作が止まっている。
ハリウッドの映画会社が、商業性の低さを理由にイラク戦争のような政治的な題材から
距離を置く傾向を強めているうえ、映画の原作本が事実誤認などを理由に絶版の憂き目に
あったためとみられる。
(略
■日本人(モンゴロイド)が差別される理由〜人種差別の本質は容姿差別〜
皆さんはダウン症をご存知でしょうか?染色体異常が原因と思われる病気で、身体、
知能の発達が著しく低くなります。この病気は世界中で見られるのですが、とても奇妙な、
そして興味深い特徴があるのです。それは、この病気を持って産まれた人はいかなる人種でも、
皆同じ顔をしていると言う事です。そして、その顔とはまさにモンゴロイドそのものなのです。
欧米でも中東でもアフリカでもモンゴロイドの顔をした人がしばしば産まれているのです。
そのため、外人はモンゴロイド顔にとても敏感なのです。
勿論、周りの人はそれが遺伝子に異常を持って産まれたであろう事を知っていますが…
これは同じモンゴロイド顔をした日本人同士が議論していても決して理解できる物ではありません。
■「ダウン症候群」=「Mongolism(蒙古人症)」または「mongolian idiocy(蒙古痴呆症)」
ダウン症は、1866年に英国の医師ジョン・ラングドン・ハイドン・ダウンが初めてその存在を発表しました。
ダウン医師は発達の遅れを持つ子供の中に両親は違っていても、兄弟のようによく似た子供達が
いることを発見しました。ダウン症の特徴は、モンゴリアン(蒙古人)の特徴とよく似ていることから、
ダウン医師はヨーロッパ人の中で能力の劣った蒙古系の人種が生まれてきたと考えました。
そしてモンゴリズム(蒙古症)という名を付けたのです。その後、1965年にWHOによって
ダウン医師の名前から「ダウン症候群」を正式な名称とすることが決定されました。
■ダウン症の特徴はモンゴロイドの特徴
ダウン症の容貌の特徴に短頭・首が太く短い・低身長・短い手足・凸凹してない平面顔・筋緊張低下
内眼角贅皮(蒙古ひだ)・厚いまぶた・平坦な鼻根・あごが未発達・エラなし・直毛…
全ての特徴が現れる訳ではありませんが、モンゴロイドはダウン症の特徴が多く集まっています。
コーカソイドでも、この病気を持って生まれてくるとモンゴロイドのような顔になります。