20世紀に入って絶対王制国家が激減し、 民主主義国家や民主主義国家の体裁をとった独裁国家が激増した理由を教えてください。 絶対王政や部族制から植民地になって独立した国家でも、 旧王朝や部族制支配制度が復活せず、絶対王政や部族制にならず、 ほとんど民主主義国家やその体裁をとった独裁国家として独立しています。 また、王政国家でも多くが権力を議会に委譲して、立憲君主制として事実上民主主義国家になっていますね。 これはどのような理由なのでしょうか? 民主主義の体裁を整えることがなぜ20世紀のスタンダードになったのでしょうか?
流行だったから
4 :
世界@名無史さん :2010/02/10(水) 20:12:20 0
>>2 いわゆる民主主義国家の方が、国全体としての効率がよいから。
中央の裁量指示で動く独裁国家はどうしても、全体の効率、生産性を長期間
よい状態に維持するすることがむずかしい。
その結果、相対的経済力低下→産業力低下→強力兵器の開発も輸入も隣国に劣る
→戦争に負ける、隣国ににらみたおされる、他国への人口流出→ますます弱国化
なんで隋って、科挙を設置して官僚を選抜する必要があったの?
7 :
世界@名無史さん :2010/02/10(水) 20:24:33 0
矛盾の話は
「ローマの民主性(というか民意政)が世界最高の統治制度だったとしたら、ローマが
滅びるわけないじゃないか」
というようなことを最強の盾と最強の矛の逸話で示した。
>>5 を見ると人類って進化してないね。
共和政 ノットイコール 民主政
9 :
世界@名無史さん :2010/02/10(水) 22:30:40 0
肌の色が薄い人がやってる政治は全部民主主義。 ロシア人と肌の色が濃い人がやってる政治は全部独裁かテロリスト。 ここテストにでますよ。 あと産業革命と科学は肌の色の薄い人固有の文明です。 肌の色が濃い人たちは経験則と迷信に縛られていました。 この記述問の配点は10点ですからね。
10 :
世界@名無史さん :2010/02/10(水) 22:38:26 0
人類が経験則から科学を見つけたのは古代ギリシャ人の出現を待たないといけません。 彼らのIQは最低20000、最高で500000あり、EQは65535ありました。 古代ギリシャ人以前を「迷信と経験則に覆われた暗黒世界」とし、アレクサンドロス大将軍が 世界に民主主義と文明を伝えた後は「科学と証明の文明化された世界」とします。 アジア人は破壊しかしませんでした。その証拠にモンゴル帝国は偉大な人物を一人も出しませんでした。 いいですか、白人は神様です。これからも彼らを大切にしましょう。
>>6 貴族の力が強過ぎたので、皇帝個人に忠実な能力のある官僚が欲しかった。
まあ、貴族が強過ぎて、科挙出身者は要職には就けなかったけど。
この状況は唐の時代に則天武后が貴族を排除して科挙出身者を要職に登用するまで続く。
12 :
世界@名無史さん :2010/02/10(水) 22:54:12 0
スペイン人とポルトガル人は、イギリス人、ドイツ人、フランス人などの西欧人から、 南蛮人とバカにされ、二等白人の扱いを受けています。 そこで思ったのですが、何故イベリア半島は統一されなかったんですか? イベリア半島に統一国家ができていれば、イベリア半島人は、 西欧人にバカにされなかったと思いますが。
なぜイタリア半島とブリテン島は統一されなかったんですか? イタリア人は現代でもヘタリア呼ばわりされてるし、 アングル人の飯はまずいし変態でライミーです。 それにシャルルマーニュもナポレオンも神聖ローマ帝国も、 1000年経っても古代ローマ帝国領を統一できませんでしたよね。
16死んでやる
まてまてIQ50000000あるイギリス人の歴史家が答えをだしてくれるから
19 :
世界@名無史さん :2010/02/10(水) 23:57:40 0
>>12 スペインが統一されたのもアラゴンとカスティーリャの結婚→同君連合がたまたま上手くいった結果じゃん。
イザベル1世が男だったら今も別の国だった可能性もある。
つーか現代の情勢を見ても、スペインとポルトガルが統合したところでヨーロッパのお荷物な事実は変わらんと思うが
>>19 スペインとポルトガルがヨーロッパのお荷物ってのは初耳
その話の詳細を教えてください
21 :
世界@名無史さん :2010/02/11(木) 00:05:42 0
うんこの美味しい食べ方を教えてください。
>>12 統一されてないままでもヨーロッパ最強国としてスペインが君臨してた時代があるんだがね。
この時代は片割れのポルトガルも大植民地帝国として繁栄してた。
スペインは最強の座から転がり落ちても、しばらくの間は欧州列強として各国から一目置かれていた。
イベリア半島2国は統一されないままでも長いこと誰にも馬鹿にされない一等国だったんだよ。
それが落ちぶれたのは19世紀以降、近代化に失敗したから。
統一されずとも立派にやってこれた歴史が長かったから、統一されなかったんだよ。
>>22 30年くらい国力や生活水準に格差が続くと、バカにされる始めるもんだ。仕方ない。
ドイツも、英仏に見下されていたが、ビスマルクがドイツ系小諸国を統合した後、追いついた。
スペインも最近急速に経済が拡大し、日本と一人当たりGDPが同じくらいになった。
日本はアジアを見下していたが、とうとうシンガポールに抜かれたし、20年後はどうなっているのやら。
>>20 EU圏内で見れば西側のくせに明らかに底辺でしょ
EU東側に比べたら、まだマシだと思うが…
西側なのにこの程度(笑) ヨーロッパ人なのにこの程度(笑) って思われてんじゃね?
イングランド人はヨーロッパ人じゃなくて神だからな。疫病神だが。
>>21 発酵させて堆肥に変え、畑に混ぜる。そこで野菜を育ておいしくいただく
フランス革命前のブルボン朝のフランスの社会的様子から、普仏戦争のパリ・コミューン辺りまでの流れを詳細に書いている本で、皆さんのおすすめを知りたいのですが、よろしくお願いします
モンゴル史について知りたいのですが ドーソンのモンゴル帝国史はどんな感じでしょうか?
32 :
世界@名無史さん :2010/02/11(木) 09:54:55 0
>>29 殿様「この菜っ葉、あまりうまくはないな」
家来「それは育てるのに下肥が足りなかったものと存じます」
殿様「そうか。それではこの菜っ葉にその下肥とやらをかけてくれ」
近代化、とか産業革命なんて用語が通用するのなら、アメリカによって世界は 民主化したという「民主化革命」だの白人によって科学が生まれたという「科学革命」だのといった 用語も 作ればいいのに
>>35 世界の民主化とアメリカはあまり関係ない。
アメリカ、独裁政権はあちこちに作ったけど、民主政権はあまり作ってない。
民主化は個々の国の国民が頑張って独裁政権や王制を倒しすか、
独裁政権や王制が自滅した権力の空白で民主化勢力が政権を握ったから。
あとまあ、科学はコーカソイドもモンゴロイドも古代から高度なの持っていたよな。
白人が科学を大進歩させたのは事実だが、白人が科学を産んだ訳じゃないぞ。
現在入試でそのことについて聞かれた時は産業革命て用語を使うと正解なの? それとも別な用語を使うの。
>>37 入試の事は大学受験板で聞いてください。
どんな用語を使えば正解なのかは、大学が決めます。
現在の歴史学的に見て適当じゃない場合でも、
学校教育に現在の歴史学の研究結果が反映されるのは遅いので、
教科書に載ってたり、受験で正解とされることは多々あります。
>>38 なんとなく、教科書や受験的には「産業革命」なのはわかりました。
ありがとうございました。
40 :
世界@名無史さん :2010/02/11(木) 19:47:11 0
「モンゴロイドが生んだのは破壊と売春だけだ」とはイギリス人のありがたいお言葉。 「アジアは3000年前の人が住んでいる未開な地域」とはドイツ人の言葉。 「科学を生んだのは古代ギリシャ人で、それ以前は経験則であった」とはイギリス人科学者の言葉。 「証明と弁証法を発明したのも古代ギリシャ人」とはおフランス人の哲学者の言葉。 そしてそれをすべて信じているのが日本人。
>>40 誰もそんな戯言信じるどころか、聞いたことすらないと思うが。
お前が信じてるからって、みんな信じてると思うのは短絡的だぞ。
42 :
世界@名無史さん :2010/02/11(木) 21:25:41 0
そもそも一般の日本人はギリシャなんて国があることすら知らんよ
43 :
世界@名無史さん :2010/02/11(木) 21:26:45 0
>>40 素晴らしい!君のおかげで白人どもの洗脳が解けた!
君はおそらく世界史板ナンバー1の論者だ!
君の活動を白人どもに洗脳されたイエローキャブどもに知らしめる為に
コテハンを名乗ることをオススメする!
44 :
世界@名無史さん :2010/02/11(木) 21:33:53 0
白人は特亜人に比べればマシと云う感じ もっともそれでも日本民族と比べると民度が低いのは犯罪率などから良くわかるが
ギリシャってあの赤字のEUのお荷物のあの国・・・・
おまえら隔離病棟に帰れよ
>>45 あれ見ると、ニッポンも明日は我が国だよなあ、っていうか
そろそろ同じルートに突入してるよな
白人の悪口を言うとチョソ認定される
50 :
世界@名無史さん :2010/02/11(木) 22:12:43 0
これまで悪口いっても認定されたことは無いなw むしろ白人マンセーが認定されてるようなwww
ネトウヨのほうがわかりやすくてまだいいわ。 この嫌白厨はどうしたものか。
>>48 しかし、ギリシャは対外債務で、
日本は国内向け国債の債務が大半だからなあ。
ギリシャはデフォルトしていきなり国がアボーンする危険があるが、
日本はジリ貧は続くけど、国がアボーンする可能性は低い。
ネトウヨからするとわが国以外は全て仮想敵国なのに 特定の安置は理解できんわ
右翼って共産主義国が敵で資本主義酷が味方だと思ってたんだけど違うのか?
>>54 いや人によりさまざま。
ネトウヨは嫌韓、嫌中が多い。割と親米的かもしんない。
>>54 どこの国の右翼も隣国や歴史的敵国にかみつき、
他の民族を排斥します。
資本主義国でも共産主義国でも自国の友好国なら味方だし、
隣国や歴史的敵国なら敵です。
チャーチル「わが国以外は全て仮想敵国である」 マキャべり「隣国を援助する国は滅びる」 孫子「近攻遠交が外交の基本」
チャーチルはまあ、明らかに右翼だわな。 マキャベリと孫子は…、その当時には右翼も左翼もないか。
イギリスは労働党政権だったがイラク戦争やったし オバマもリベラルなのに悪を討つためには戦争が必要と言ってるな 要するに日本の左翼だけがおかしいんだろうか?
日本の左翼は革新じゃなくて隠れ売国奴だから。 実は在日韓国人というのならまだマシだが、親ソ連派とか無茶苦茶だったからな
>>57 どうでもいいが遠交近攻の出典は史記だったはず
日本の左翼だけがおかしいと言い張る、頭のおかしな日本人がいるから、 その電波を受信したのだろう。 他国にだってあらゆる戦争行為に対し、脊髄反射的に反対するおかしな連中がいる。 日本だけが特別だと信じたいだけの無知なんぞ論ずるに値しないところだが、 得てしてそうした輩の妄説を信じたくて、わざと偏った情報収集をする奴がいるんだな。
古代から中世まで東西で続いてきた遊牧民の騎兵の農耕民の歩兵に対する軍事的優位が、 近世になって逆転し、遊牧国家が軍事強国から転落したり、 大国に従っている遊牧騎兵が主力から外れて行き、歩兵にとって変わられた理由を教えてください。 遊牧民も交易で銃を手に入れ武装しているし、機動力は明らかに遊牧騎兵の方が上なので、 銃の有無だけでこの逆転が起こったとは考えにくいのですが。
時代の変遷です 騎馬編成が中心でなくなれば、それはもう遊牧国家じゃないということです 最後の遊牧国家ジュンガルは、清朝の大兵力の前に磨り潰されました 清軍には騎馬兵も多かったけど、火器も多かった 結局どうあっても、重火器は馬に乗って運用することは無理でした
長期間長距離遠征を支えられる充実した国力があったということにつきるんじゃないの。 産業、農業が発達し、人口と経済力がそれ以前に比べ、大幅に増えた。
遊牧国家の相対的地位が下落した要因としてはそれでいいかもしれないが、 全世界的に騎馬兵が軍の主力から外れていった点については、 他の側面からの理解も必要になるのではなかろうか
>>65 >遊牧民も交易で銃を手に入れ武装しているし
敵味方とも銃で武装していて射撃戦となるなら、騎兵は歩兵と違って防御構造や遮蔽物をあまり有効に活用できないし
価値のある馬に被害が出るから、射撃主体の戦場では騎兵より歩兵の方がいいに決まっている
>機動力は明らかに遊牧騎兵の方が上なので
騎兵にいくら機動力があっても、多数の銃をそろえた歩兵部隊を攻撃しようとする場合には、騎兵が銃に弱いことに
かわりはないよ
一般的な大河ドラマ等で描かれる長篠の戦い(実際にはあれは史実とはかなり違い、武田騎馬隊なんてものは
そもそも存在しなかったのだけど)を思い出してごらん
>>69 長篠は鉄砲の威力よりも、
野戦築城陣地の中に籠った倍の兵力と長槍が猛威をふるった戦い。
騎兵対銃を装備した歩兵がガチ勝負して、銃を装備した歩兵が勝った戦いをあげるなら、
オスマン歩兵とペルシャ騎兵が正面衝突して、
オスマン歩兵が勝ったチャルディラーンの方が妥当じゃない?
織田信長が鉄砲隊を相手に騎馬隊で押し潰そうとして(騎馬隊中心の軍編成ではなかったが、信長は騎乗していた) 危うく戦死しそうになった雑賀攻めとか
フス戦争とか。
>>69 銃の外に、重火器も考えた方がいいのでは、
大砲って、ナポレオン時代、すでに主力兵器だったが
中央アジアではいつごろから使われ始めたんでしょう。
大阪夏の陣でも、使われたらしい。
74 :
世界@名無史さん :2010/02/12(金) 18:29:37 0
ぶっちゃけ騎兵って移動手段以外にあんま使えんと思うが 馬なんてどうみても的になりやすいし
大砲は海軍の兵器でもあるね。 遊牧国家の衰えは、海洋国家の繁栄の裏返しとも考えられる。 内陸の交易路が独占していたユーラシアの貿易を、海洋交易が奪っていった。
76 :
世界@名無史さん :2010/02/12(金) 19:14:17 0
>>73 信長も海戦で使ってるよ、もっとも当事はたいした威力も無かったらしいが
日本で大砲を本格的に導入した勢力は、九州の群雄・大友家あたりから。 その大友も、鉄砲の運用方法を先進的に研究していた島津家に、かなり敗れた。
欧州列強は近世になってから近代にいたるまで、 植民地獲得に奔走してきましたが、 19世紀以降の植民地運営はほとんど赤字だったと聞きます。 大航海時代から近世にかけての植民地運営は儲かったようですが、 なぜ近代になってから儲からなくなったのでしょうか? 市場や原材料の確保など、メリットはあるのでしょうが、 それを抜きにしても列強はなぜ赤字覚悟で植民地を確保し、 資本を投下し続けたのでしょうか?
>>78 まず、「儲からなくなった」が妥当かどうか考えよう。
政府部門と民間部門があるが、
近代になってもおおよそ民間部門では大儲けだ。
そこんとこ勘違いしないよーに。
16世紀後半から17世紀前半は、 日本は世界最強の軍事力を持っていたから、 もしも当時の日本と欧州が隣接していたら、 日本は全欧州を制圧できたんでしょうか?
>>80 そういう可能性もゼロではないでしょう。
しかし当時の欧はすでに中南米をはじめとする植民地があり、
裕福で総合力は日本より上だったため、
もし隣接していると日本の軍事力が成長するより前に、
欧に侵略され虫食い状態になっていた可能性が高い。
当時の日本が強国になれたのは、攻められる隣国がなく、国内戦で
勝ち上がればよかったから。
82 :
世界@名無史さん :2010/02/12(金) 20:16:28 0
半島すら制圧できなかったのに?
>>78 >>79 のいうところの政府部門について限定して言ってみる
まず、基本的に、どこの植民地でも、支配者たる西洋人は現地人に比べれば圧倒的に少数だ
近世には、銃、砲などの進んだ兵器やそれらを使った戦術を知らない現地人を制圧・支配するのは、
少数の西洋人でも比較的簡単だった
だから現地人を奴隷同然にこき使うなど、ひたすら力任せに経済的な搾取ができた
だが、長く植民地支配をされて西洋人と接触していれば(あるいは、近くにそんな支配をされている
植民地があれば)、現地人も近代兵器、近代戦術を覚えてしまう
こうなると、反乱を起こされたら、人口や、遠い本国からの補給の困難という点で西洋人は不利になる
だから植民地を維持するためには、経済的な搾取よりも、きちんと統治することに力を入れざるをえない
より多くの兵士も駐留させなければならないし、インフラも整備せねばならない
当然、金がかかって、植民地経営は赤字化する
それでも資本を投下し続けたのは、一つには、
>>79 の言う民間部門は儲かっているので、その商人たち
の圧力があったろうし、また一つには、未開の地に恩恵をもたらし野蛮人を導いてあげるのが自分たち
に課せられたノブリース・オブリージ(高貴な者の義務)だという(西洋人の思い上がった)発想があった
からだ
84 :
世界@名無史さん :2010/02/12(金) 20:42:43 0
実はやる気があれば当時の白豚の銃火器くらいは撃退できた(薩英戦争で 卑劣・英国に損害が多かったのもその証拠)。 だが長らく続く腐敗、バカボン血筋による保守政治・アジア人のやる気のなさ(当時の白豚がアジア人は 怠け者であると酷評している)が拍車をかけ、現在に続く奴隷・肉便器地域に アジアは化してしまった。
>>84 現代に蘇った攘夷論者。
夜郎自大とはまさにこのことよ。
>>80 どういう根拠で世界最強と決める?
明やオスマンより強かったのか?
当時の日本には大砲や騎兵部隊がほとんど無かったというのに。
>>84 清王朝とか徳川幕府とかロクな政権じゃありませんでしたからね
徳川幕府とか江戸時代って、英語ではどういいますか? 徳川王朝でもないし、徳川政府? gov of tokugawa?
>>79 >>83 なるほど。民間部分では儲かってたんですね。
植民地経営が赤字化したことについても分かりやすい説明ありがとうございました。
では、民間部分が儲かっていたのに、なぜ第二次大戦後列強は相次いで植民地を手放したんですか?
抵抗運動が強くて軍事費がかさんだから撤退した地域も多いと思いますが、
自発的に手放した地域も多いですよね?どうしてですか?
大戦での打撃が大きすぎて、政府部門が植民地経営のコストに耐えられなくなったからですか?
自発的に独占的市場と原材料の供給先を手放すことについて、民間からの圧力は無かったんですか?
>>88 徳川幕府 Tokugawa shogunate
江戸時代 Edo period
wikipediaより
>>88 Shogunate
西洋的分類ができない政治体制には君主の称号に-ateをつける
スルタン国ならSultanate,汗国ならKhanate
>>86 騎兵隊を増やすのに何十年も掛かると思ってんの?
イベリア半島、イタリア半島、ガリアくらいは楽に手に入るでしょう。
大砲も鉄砲と同じようにすぐに作れるようになる。
>>90 >>91 ありがとうございます。
shogunate 初めて見る英単語でした。 英語弱者
>>92 >騎兵隊を増やすのに何十年も掛かると思ってんの?
>大砲も鉄砲と同じようにすぐに作れるようになる。
そんなこと言い出したらどこだって条件は同じ。
質問です。 シナ王朝は朝貢の貢物に対してその何倍もの価値の下賜品を与えたそう ですが、その比率には決まったレートのようなものがあったのでしょうか。 遠距離や海や砂漠を越えるなど交通が困難なところから来た使者のほうが 受け取る下賜品のレートが高いということはあるのでしょうか。
96 :
世界@名無史さん :2010/02/12(金) 23:37:36 0
>>85 アヘン戦争も清軍は殆ど動かなかったし、江戸も結局そうだよ。「命を懸けて
奮戦してギリギリの勝利をしたとしても、結局自分に利があるのか?」は何百年もたった血筋による支配政権では
ごく当たり前にある話。特に外様大名としてイジメられてた関西勢に江戸を守る
なんて意識があるわけがなく、白豚との闇取引で大もうけしてた支那の買弁も
清を守る意識なんてあるわけなく・・軍事力のスペックだけで戦争が分かるとおもったら
大間違いだ。
97 :
世界@名無史さん :2010/02/12(金) 23:42:23 0
今、お前たちに仮に宇宙人からなる宇宙船がやってきて、先遣隊が日本にやってきた。 最初の勝負は自衛隊の奮戦によりいいところで撃退できた。で、その後大挙して やってきて「欧米戦勝国の政治的首都」をやつらは落とそうとしていた。 戦勝国と敗戦国の両者が力を合わせればもしや撃退できるかもしれない。だがこの段階で よっぽどのバカでない限り命を投げ出してまで戦勝国連合の首都を助けようとする やつはいない。こういったことが当時アジア各地で起きていたのさ。当然卑劣な 英帝国などは内部で内乱を起こさせて全部のっとる戦略にでたけどね。
南北アメリカ大陸が白人に制圧されたのも、 原住民同士で連携を取っていなかったからね。 近代的に統一されていない組織が無い勢力は脆弱。
>>95 レートは特にない。その時々によって変わる。
下賜品の多さは王朝にとっての政治的重要度で決まるので、
遠くから来たから特別に多くもらえるとかそういうことは無い。
むしろ、政治的関わりの深い近隣の力のある友好国の方がたくさんもらえる。
>>89 >自発的に手放した地域も多いですよね?どうしてですか?
例えばどこよ?
ケースは各国各地域まちまちで一概には言えない。
大要は、大戦後は先進国側の政治家・知識人・大衆の間で植民地領有自体に反対する考えが
より強くなった(こういう考えは当然その前よりあった)。
現地では独立運動(平和的なものも多くは含む)が以前より盛んになってもきた。
世界的な世論の非難を受け、統治のコストの増加(民生と場合によっては軍事費や治安維持費の増加含む)
で政府部門で儲けはない。
んで、経済的利権と邦人保護とある程度の政治的影響力を保持できれば、
軍事・経済的紛争になるのを防止するためもしくはそれを終結させるために平和的に手放すということを
目端の利く政治家(ドゴールなど)とブルジョワは目論む。
独立したけど、経済は旧宗主国に握られ続けて貧乏のままであったり、それを覆そうとする
急進的政治が行われたりその後は色々。
101 :
95 :2010/02/13(土) 00:25:06 0
>>92 騎兵隊を編成するのに必要な馬上戦闘ができるほどの騎乗技術のある人員と、
戦場でも戦える訓練を施された馬を揃えるノウハウ自体が日本にはないんだがな。
ノウハウを自力で作るのには何十年もの試行錯誤が必要だし、
その間にしっかりした質と経験を積んだ騎兵隊を既にそろえているヨーロッパ勢に負けまくるだろうな。
イベリア半島にもフランスにも最新の銃を持った精鋭の歩兵と
性能のいい大砲と強力な騎兵をたくさん抱えてる強国が既に存在してるし、
イタリア半島も分裂してはいるものの、大砲も鉄砲もたくさんあるから、
にわか作りの騎兵隊と性能の低い鉄砲とにわか作りの大砲と
大名家の手勢の集まりで統率の取りにくい日本軍では勝てないだろうよ。
実際、日本よりはるかに兵器の質が劣り弱兵の朝鮮すら征服できなかったんだから。
アホに構うなっていうのに
104 :
世界@名無史さん :2010/02/13(土) 00:28:48 0
書道のように文字を書くことが芸術に発展したのは、 日本や中国など東アジア圏だけなのでしょうか?
105 :
95 :2010/02/13(土) 00:34:35 0
>>104 モスクでは偶像が禁止されている代わりに
コーランの文字を装飾のように使っているとか。
清では、金よりも田黄(田石)の方が価値があったんですよね。 しかし何故、田黄で皇帝の印を作らず、 もっぱら金印を使い続けたのでしょうか?
そんじょそこらで建物の外壁の装飾まで字で埋め尽くされてたりすることを考えれば 漢字書道以上にアラビア書道の方が繁栄してると言えるかもしれない。
108 :
世界@名無史さん :2010/02/13(土) 00:58:37 0
>>83 > 近世には、銃、砲などの進んだ兵器やそれらを使った戦術を知らない現地人を制圧・支配するのは、
> 少数の西洋人でも比較的簡単だった
違う違う。そんなのじゃ絶対持たない。インカ帝国滅ぼしたときとかごくごく一時期のレアケース。
現地人も一枚岩じゃないから、対立してるグループやライバル国と手を組んだり、頭だけ潰して
その下の中ボス・小ボスクラスは利権を保証するなど懐柔して体制の中に取り込むの。
>>106 皇帝の印は玉印だよ。
金印はワンランク格が落ちる、蛮族の王にくれてやるためのハンコだ
現代ではロゴデザインなんてものが必要とされる機会が多いから 世界中のあらゆる文字が芸術の対象になるんじゃないかね。
>>110 へぇ〜
で、玉印の材質は?
日本の天皇が使ってる印はどうなの?
玉とはヒスイのこと
>>前スレ956 トルコ人が37人殺され、イタリア人やノルウェー人は重症を負わされました >>前スレ362 エチオピアとは言っても現在のエチオピアを指すのではなく、漠然とアフリカ辺り、もしくはフェニキアを指すと言われています
>>112 御璽は昔は銅製でしたが、明治以来現在まで金製です。
ヒスイをああまで珍重するのはそもそも中国独自の文化なので そもそも張り合いようがない
118 :
世界@名無史さん :2010/02/13(土) 04:18:33 0
そもそも中国皇帝のシルシは玉璽だが、天皇のシルシは剣璽(剣と勾玉)。 判子はどうでもよい。
南アフリカを除くサハラ以南のアフリカ諸国の経済や政治が独立以来 ほとんど混乱するか、内戦で荒廃するか、独裁政権下で腐敗するかで、 今に至るまで経済発展せず、貧しいままなのはなぜですか? 植民地化されるまではそこそこ繁栄していた国もあり、 潜在生産力的にも資源的にもかなり恵まれた地域と思うのですが? 独立以降の歴史に問題があったのですか? それとも、植民地時代に受けた打撃から立ち直れないのですか? 植民地化以前の歴史から構造的な問題があったのですか
アメリカがワン・オブ・ゼムでなく、今みたいに一人勝ちの超大国となった道の分基点はどこにあるのでしょうか? なんだか13州が独立した時点で、 西部に拡大→人口と資源を獲得→自然と欧州諸国を圧倒して超大国に というレールが引かれていたかのように考えてしまうのですが。 今のところのインドみたいに、「田舎の大国」で終わる歴史もありえたのでしょうか。
資源うんぬんは前提として、明確な飛躍の瞬間は二度の世界大戦。
>>120 部族社会だから。誰も国民という意識を持てないし、国というものを信用していない。
際限の無い部族抗争を終わらせるための国家という基本原理が成立していないのだ。
白人の植民地化の都合で、白人によって定められた国境だから、自分の国だという意識を持てないのです。
独立して国となった歴史よりも、部族社会だった歴史の方がはるかに長いのだ。
本来、国家建設に向かうべきエネルギーが独立後も部族抗争に使われてしまっているということだ。
124 :
世界@名無史さん :2010/02/13(土) 16:54:23 0
>>121 既に書かれてるように二度の大戦。二度目の時は国民は参戦したくなかった。
参戦しなかったら戦後の影響力も無かったね。
南北戦争のときに分裂するとか、そうでなくても対立を解消出来ないまま二等国
に甘んじるシナリオもあったかもね。
>>124 そうなると、あの広大な土地と資源を持てあましたままの二等国という立場が
どんな影響を周囲に与えるか考えるのも面白いな
126 :
世界@名無史さん :2010/02/13(土) 18:26:22 0
古代中国とかヨーロッパでもいいのですが 地図を作る特に 完全にそれぞれの国の版図が線で区切られていますが あれってちゃんと国境ってあったのでしょうか? たとえば唐とか明とかの西の部分とか ちゃんと線が引かれてる部分ってどういう基準なんでしょうか? 当然相手側があれば、そこはうちの影響下だしとか思いそうですが
>>120 多くのアフリカ諸国では、全体的に教育が十分ではなく、識字率も低い
国民が技術を学ばなければ近代産業は発展しない
せっかく資源があっても、それに基づく産業は旧宗主国や先進諸国の技術と資本に頼らざるをえない
だから、経済的なうまみは、それらの国々にもっていかれる
また、識字率が低くて国民が新聞や政治的パンフレットも読めないようでは、真の意味で民主共和制が
根付くものでもない
である以上、政界も腐敗しやすい
そうすると、なんとかしなきゃいけないと感じた軍人がクーデターで政権とって軍事独裁になる
しかし、産業が未発達なのは軍事力ではどうしようもないので、結局、国家運営はうまくいかない
国家運営がうまくいかないから、別の軍人がまたクーデターを起こす、その繰り返し
まあ、一口にアフリカ諸国と行ってもそれぞれ国によって事情はいろいろなので、全部がそうというわけ
じゃないだろうけど、一般的にはそんな感じ
128 :
世界@名無史さん :2010/02/13(土) 18:37:31 0
つ『遊牧民から見た世界史―民族も国境もこえて』
>>126 資料が残ってるもん勝ちってのはあるよな
例えば古代インドではアショカ王が「ここまで遠征しました」って
いった(建築物が残ってる)とこまでがマウリヤ朝判図になってた…はず
>>126 >そこはうちの影響下だしとか思いそうですが
実際、そういう当事国間の見解の相違から、古代から現代に至るまで、国境紛争が絶えない
>>127 なるほど。資源と農業生産力があっても、
教育を受けた国民と産業が無ければうまくいかないのですね。
では、独立時はアフリカと似たような条件だったASEAN諸国は、
どうして自前の産業と資本を育成することに成功して、
曲がりなりにも世界的には中ぐらいの豊かな地域になったのでしょうか?
ASEANはフィリピン以外は元々から歴史のある文明圏だった。 土人の国ではない。
というかフィリピン史の貧弱さは異常・・・・ どうしてこうなった?
アフリカももともとはそれなりの国が多数あった、 ソンガイ帝国、マプングヴエ王国など、アフリカ史参照。 しかし植民地化で、もともとあった共同体、経済がずたずたに破壊されてしまった。 中南米、インドなども同じで、自立できない、混乱している国というのはみんな 同じ事情で、欧米が原因を作った。 そうなると、普通の国に戻るのに百年以上の時間が必要、今はその過程にある。
アフリカはとりあえず国を民族別に再編成することから始めるべきだ。
>>133 どうしてこうなったもなにも
元々文明以前の未開の島だったんだからしかたないだろ。
>>132 フィリピンも東南アジアや中国との交易で繁栄して、
イスラム化した小王国がそれなりに存在する文明圏だったんだがね。
イスパニアじゃ、イスパニアの仕業じゃ!
>>136 フィリピンはやたら島が多くて広い地域だから、
未開の地域もあれば、国家が存在して文明化されて海の向こうと交易してる地域もあったよ。
フィリピンは戦後もGNPは韓国とかより上だったよ。 韓国がフィリピンを抜くのは、日本の援助とベトナム戦争の特需以降。
ウバイド文化のウバイドという単語は何に由来するのでしょう?
>>140 怒る人もいるだろうが
韓国、台湾の発展は、日本時代の教育整備によるところが多い、
韓国人、台湾人も優秀だしね
143 :
世界@名無史さん :2010/02/14(日) 00:13:48 0
アフリカ大陸は一度イスラムの商人によってインフラ整備が進んだ。だが その後来たキチガイ白人によってズッタズタ。 なぜ「人種差別」という話が今も話題になるのか、 白人の肉便器・アジアは考えるべきだぜ。 ま、アジア人は喜んでるけどねw
144 :
世界@名無史さん :2010/02/14(日) 10:30:53 0
東西ドイツの統一、というか実質的な西による東の吸収ですけど、 たとえば東の国民を再教育キャンプにおくりこんだり、役人を派遣して東の軍隊やら選挙区を解体して西の制度で再編成したりといった苦労はあったのでしょうか? 東が西を(北が南を)吸収するなら、そりゃあ軍事力に物を言わせればなにも問題は無いと歴史が証明していますが。。。。
再教育キャンプ(笑)
146 :
世界@名無史さん :2010/02/14(日) 14:52:38 0
戦前はフィリピンの方が日本より経済的に豊かだったそうですが、本当ですか?
>>144 映画「グッバイレーニン」観るとなんとなく雰囲気分かるよ
ドイツ人が作った映画だからそう無茶な嘘はないだろう
魏晋南北朝時代に 魏からはじまった九品中正という制度がありますが、 なぜ曹操は不正がでるとわかっていながら このような制度をとったんですか?
>>144 >東の国民を再教育キャンプにおくりこんだり、役人を派遣して東の軍隊やら選挙区を解体して西の制度で再編成したり
そんなことする国だったら東と変わらない。
西がそんな国だったら東に比べて優位性なんて無いだろう。
>>148 九品中正法を採用したのは曹操じゃなくて曹丕です。
地方の有力者に官僚候補の推薦権を握られていた人事制度を改めを、
中央が官僚候補の推薦権を掌握するために採用されました。
魏の時代はちゃんと機能していましたが、
やがて地方の有力者や中央の有力者に媚びて取りこもうとする意図から、
政権を握った司馬氏が九品中正法を改悪し、
地方の有力者や中央の有力者が官僚候補の推薦権に介入し、
豪族や中央の有力者の子弟が官僚の地位を世襲するための制度になりました。
九品中正法の理念が生きていて、まともに運用されていた頃は、
ちゃんと有能な人物を政府主導で抜擢する制度として機能していましたが、
途中で権力者による改悪によって、世襲官僚貴族制の元となったのです。
採用された時点では、九品中正法は地方の有力者による不正を排除する優れた制度でした。
>>144 の「軍事力に物を言わせればなにも問題は無いと歴史が証明しています」にも
ツッコミを入れるべきだろうか?
>>149 俺も気になってたんだが、ドイツ統一の時、東の法律は無効になったよな。
統治機構も消滅したよな?行政区分とか公務員の身分はどうなったんだ?
強力な東ドイツ軍はどこへ消えたんだ?連邦軍に吸収されたか?
西の統治機構をどうやって持ちこんで機能させたんだ?
>>154 行政区分については、統一直前に東側で州を復活させて、西側の制度に
合わせた上で、各州が西側に参加する、という形式を取った。
というのは、西の憲法(ドイツ基本法)では、州ごとに連邦への参加を
要請するっつー規定があったからなんだけどね。
統治機構や軍は基本的にはいったんそのままで西側に組み込まれて、
その後時間をかけて西側の制度に合わせて移行した。
ま、組織の吸収合併って例えば企業買収とかでも普通同じように
やるでしょ。
さすがにシュタージは即刻解散だよね?
>>123 日本も部族社会だったのに、内戦の無い平和な統一国家になれたのはどうしてですか?
日本って部族社会かね? 部族って日本でいったら熊襲、隼人、蝦夷とかだろ? まぁ、そういう民族の異端?を早めにぶっ潰しておくことができたこと 宗教・道徳等に地域色があったとしても大きな違いがないこと それらを皇室という柱で支えることで、特に争いも無い平和な統一国家になれたと思うな
159 :
世界@名無史さん :2010/02/15(月) 08:28:53 0
>特に争いも無い平和な統一国家になれたと思うな え?正気?
160 :
世界@名無史さん :2010/02/15(月) 09:20:30 0
>>158 おいおい、ボンクラハヤト血統ここに居るぞ。まだ祭りもやってる。
大和言葉喋れねぇお前は何者だよ。
>>159 え?現在の日本は国内において、武力を伴った紛争とかないだろ?
もちろん公安や警察が監視してる団体はあるけど、十分に平和では?
>>160 いや、政治的な意味合いで・・・
不快感を持たれたなら申し訳ないです
>>161 すまん。南(みなみ)の事をハエとも言うね。この謎が解ければ東シナ海が
見えてくる。
確かにぶっ潰すべき異端なのかも知れんw
163 :
世界@名無史さん :2010/02/15(月) 12:46:33 0
>>162 ハエは南風じゃないのか?ちなみに東風はコチだ。
あがれ、いり、「はい」か?すまん記憶があいまいで。
165 :
世界@名無史さん :2010/02/15(月) 12:57:17 0
>>161 158は神話時代〜平安初期のことを言ってるように読めるんだが?
オスマントルコやムガル帝国、清など近世に 大量の火器と強力な騎兵とたくさんの練度の高い歩兵など強大な軍事力を有しで、 しかも西欧諸国とは比べ物にならないぐらいの富と領土と国力のあった超大国が、 なぜ近代になって西欧諸国の草刈り場になってしまったのでしょうか? トルコやムガル、清の軍事力と国力と技術力なら、 政治が乱れたり分裂したり内乱があったりしてもなお、 西欧諸国より圧倒的だと思うのですが。
欧だけみればそうですが、 まず中南米収奪で、次にアフリカ収奪による富で、産業規模が拡大していた。 いわばてこの原理、 最初 スペインが中南米を 次に欧+中南米でアフリカを 次に欧+中南米+アフリカの富でインド、アジアを 最後に欧+中南米+アフリカ+インド、アジアで中国を 最後の中国で欧の内紛、中国が巨大過ぎた、遠すぎたなどで止まってしまった。 今は逆回転で中国→インド→アフリカの順に回復中
チッチッ、大事なことを見落としてるねキミィ 帝国の瓦解の理由はいつの時代も、「財政難」だよ
169 :
世界@名無史さん :2010/02/15(月) 20:36:14 O
何故オタク民族は、自分たちの国を持たず、 固有の風俗、宗教、言語、文化を失い、 日本国で日本民族に弾圧されながら細々としてるんですか? また、オタク民族が、自分たちの独立国家を持ったり、 失われた固有の風俗、宗教、言語、文化を復活させる可能性はありますか?
>>169 ヌクヌクとオタクをやるのには日本国ほどいい環境もないんでね
2次を弾圧すれば秋葉辺りに行政特区位は築くかもなw
>>169 財政が比較的安定しているからだよ
財政規模のことじゃないぞ
英連邦って一体何のためにあるんですか? 構成国は同君連合という形で英国女王陛下を頂いてるとのことですが 英国から独立した各国が、未だに英国国王に忠誠を誓っているということが良く分かりません 経済的共同体? 軍事同盟? インドとかも入ってるようですし、何のメリットがあるんでしょうか?
173 :
世界@名無史さん :2010/02/16(火) 11:43:17 0
鎌倉時代から戦国まで日本は世界最強だった、隣にあったら軽くヨーロッパ全土を占領できた
まあ中国も占領できなかったんだけどね
>>173 妄想乙
まあ、清も明の混乱に乗じて満州から発進したのだから、
そういう可能性もゼロではなかっただろうが、
隣にあれば、秦の時代以降、常時中国側からの侵入、支配もあったわけで
今の日本は様変わりしていたというか、日本は成立していない。
176 :
世界@名無史さん :2010/02/16(火) 13:00:04 0
>>174 は?中国は全ヨーロッパを合わせた国土と超える人口を持つ大国でしたが?
>>173 大陸とつながってる日本。そりゃ日本じゃなくて朝鮮かベトナムの間違いだ。
日本ってのはずっと島国で、弱いとか強いとかの競争に参加してねえんだな。
>>172 まず先に言うと、現在の正式名称は「Commonwealth of Nations」で英の冠詞は無いです。
「英連邦王国」のことを言いたいのなら、現在のインドは所属してません。
当然、英国女王に忠誠を誓ってるインド人など、まずいません。
また「英連邦王国」に所属する国であっても、『英』国王に忠誠を誓ってるわけじゃなありません。勘違いしないように。
なんにせよ、忠誠云々はそれぞれの国の歴史、伝統、宗教に絡むことであり、植民地と宗主国の関係だけで理解しようとしても無理です。
連邦に参加するメリットはたくさんあります。
特に冷戦期にCommonwealth of Nationsに属することは、アメリカと間接的に結びつくことを意味しました。
インドを例にするなら、現代でも中国と対立してるインドにとって、西欧諸国及びアメリカと結びつくメリットは計り知れません。
他、有形無形含め、メリットありすぎてここでは書ききれません。
確かに昔に比べれば政治、経済面での影響力は低下してます。
ですが、仮にメリットが無くてもデメリットも無いなら、とりあえず仲良くしておくほうがいいでしょう。
仲良く出来る、それだけでも充分なメリットです。
>>172 連邦王国と英連邦(コモンウェルス)は別のもの。
前者は同君連合として英国王を奉ずるが後者は特に規定はない。インドを含む多くの元英植民地は後者。
連邦構成国同士のインドとパキスタンが普通に戦争して除名食らうわけでもない程度の繋がりしかない。
ヨーロッパって昔は超弱かったのに、なぜかアレキサンダーやカエサルみたいのが最近過大評価されてるのはなぜ? 塩野や映画の影響か? アレキサンダーが戦ったペルシア軍は20万とか言われてたが、近年はせいぜい5万程度が実態と言われてるし、カエサルも実際は自軍より投入できる兵力が劣るガリア相手に勝っただけ。 三国志演義が正史として語られてるレベルの世界史。
181 :
世界@名無史さん :2010/02/16(火) 13:38:18 0
>>172 英国王に忠誠を誓うのはブリティッシュコモンウェルスがコモンウェルスに転換したときに削除されたよ
どんだけ知識が遅れてるんだよ
コモンウェルスは平等な緩い連合で特に直接的な政治的強制力はない
英国にしてみれば文化面での交流がまわりまわって英国の利益になるという考え
>>180 何百年も宣伝したおかげ
継続力のたまもの
日本はやってないね自国の偉大さの宣伝
だから今から一生懸命やっても日本史が同等の憧れを持って見られるまで何世紀もかかるわけ
でも日本は、やらない
韓国は、はじめた
日本史が憧れられる時代なんて1000年経ってもこねーから安心しろw
サムラーイー、ニンジャーと異様に美化されてます サムラーイは弾丸より早く動き、何でも真っ二つにするサムライソードを持ち ニンジャーは分身をしたりマジックを用います
>>178 >>179 英国が旧植民地諸国と西欧、米国との架け橋になっているんですね
英連邦を通じて西欧、米国と結ばれるというのは経済的にも軍事的にもメリットですね
インドが未だに入ってるのも納得できました
レスありがとうございました
>>180 学問としての歴史と趣味、娯楽としての読み物を一緒にするなよ。
個人の嗜好はあれ、学問の分野でアレキサンダーやカエサルの過大評価は、現在はあまりない。
むしろ評価は下がりぎみ。
何より>180自身が「近年はせいぜい5万程度が実態」と書いてるじゃないか。
近年にその実態が証されたのなら、近年では過大評価されてない証でもあるんじゃないかね?
上記二人がもっとも過大評価されてたのは近世末から近代にかけて。現代も多少その空気が残ってる。
最近のフランスなんかでは、ケルト文化の人気も高いらしい。
個人的には両者とも好き。
アレキサンダーが最高の名将とか過大評価されてるのはむしろ近年の日本だろ? 西洋の本を読んだ時、アレキサンダーの冒険は驚嘆すべきものだったがそれだけだった、死んだら何も残らなかった見たいな感じに書いてた。
いったい何読んだんだ。仏像を通して日本にも影響してるヘレニズム文化は何処行った?
具体的に、どのへんが過大評価なんだ? ギリシアの辺境の国の王が、アケメネス朝ペルシア(たとえ5万程度の軍まで弱体化 していたにしても)に勝って、はるばるインドまで攻め込んだんだから、そのことは高く 評価したってぜんぜん問題ないと思うが 文化史的にも、それによってヘレニズム文化が形成されたわけだし
攻め込むの凄いってまさに厨房感覚だよな
攻め込んで勝利を重ねた成功者だからな そういう人は妬まれて異常なアンチが発生するのも世の常
>>169 オタク民族は見ても分かるとおり、対人コミュ能力が低く、
各部族間同士の近親嫌悪もあって民族全体で団結するということが無かった。
また、生殖にあまり関心が無く民族全体の繁殖力が弱かったし、
故郷を離れて勢力を伸ばして行こうとする意欲も無かった。
それにより、大和との覇権争いに敗れた。
そういう感覚は紀元前時代にすらないよ 政治目的のために戦争するというのが古代からの戦争 武をもてあそんだ者は匹夫としか扱われない
>>169 今後、オタク民族の数が増えたり、日本政府や社会によるオタク民族に対する弾圧や規制が増えれば、
独立運動が活発になる可能性はあるでしょう。
ただ、新しい風俗、宗教、言語、文化を作り出す可能性はあっても、
一度失われた風俗、宗教、言語、文化は二度と復活しない。
アレクサンダーの戦争は、父の代から計画されていたペルシャ遠征は ギリシャ世界と敵対するペルシャの脅威を排除すると言う目的があったからともかく、 あとは政治的意義も軍事的意義もまったく無い、完全に趣味の戦争だからな。 純軍事的には金字塔と言ってよい偉業で、文化面でも業績多大だけど、 アレクサンダーの私戦に地の果てまで付きあわされたマケドニア人やギリシャ人が嫌がったのも良く分かる。 あのままアレクサンダーが長生きしてたらどうなったかな? 東南アジアや中国、ヨーロッパまで攻め込んで世界の支配者になっていたか、 それとも広すぎる領土を統治できずに帝国が自壊したか?
>>195 アレクサンドロスが「地の果てを目指した」ってことになってることこそ、
>>180 が言うところの「三国志演義が
正史として語られてるレベル」のことで、実際は、アケメネス朝から奪った領土の東の端までを掌握するつい
でに、その先のインドも試しに手を出してみたってだけのこと
いずれにせよ、長い遠征で将兵に厭戦気分が蔓延したからこそ、それ以上の遠征をやめたのであって、
アレクサンドロスが長生きしたとしても、それ以上の再度の遠征をしたとは思えない
>>196 ギリシャ人の感覚からすれば地の果てだろ。
あの大遠征を計画するのは良くも悪くも正常な感覚ではないだろ
ようするに戦争基地だったわけだな
>>197 それはどうかな?
現代人の、他国への軍事遠征はイコール悪いこと、って感覚で古代人の心理、特に軍人、兵士の心理を
類推しちゃいけない
戦場に大量の銃器や大砲が登場するより以前、軍人、兵士にとって、戦争は出世と(略奪による)金儲け
の大チャンスだ
負け戦はもちろん嫌だが、勝ちさえすれば問題ないことで、遠征自体は、兵士にとって大いに結構なこと
アレクサンドロスの遠征の場合には、それがあまりに長く続いて故郷になかなか帰れなかったからようやく
「もう十分だよ」って厭戦気分になったのであって、大遠征の計画をしたこと自体は、当時としてはけっして
異常な感覚じゃない
本当に異常な遠征だったのなら、その前か途中で反乱が起こっていたはずだ
>>196 アレクサンドロスは死の直前まで、
アケメネス朝の旧領土ではないアラビア半島の征服を計画していたが。
あと、アケメネス朝を滅ぼしたからと言って、
わざわざその広大すぎて手に負えない領土全てを掌握する必要は無かったはず。
まともな統治者なら、アケメネス朝の領土の主要部分だけ掌握して、
その他の部分は放置したのではないか?
全部征服して統治するにはあらゆる意味で負担が大きすぎる。
ダリウスを殺してアケメネス朝の再起の芽を摘めば、
あとは旧領土が小国に分裂するに任せて、
マケドニアの脅威にならないようにした方が効率的だし。
>>199 遠征は悪いことではないし、勝って領土と戦利品と名誉が手に入れば将兵も国民も満足するだろうが、
みんな満足するだけの戦果を得ても、なお遠征を続けたから耐え切れなくなったんだよ。
あと、反乱計画は何度か未然に防いだけどあったし、
途中で将軍を何人も粛清して軍の上層部をイエスマンで固めてるし、
マケドニアやギリシャから連れてきた将兵が不穏な動きを見せたから、
そいつらを本国に送還して、現地人兵士と入れ替えたりして、
反乱を起こされないように努力し続けたから、実際に反乱が起きなかったんだ。
異常な遠征だったけどうまく反乱の芽をつぶしてたにすぎない。
アケメネス朝が何代もかけて征服した領土をわすか数年で全占領し、インドにも手を出すとか、
異常にもほどがある。
そこらへんのおっさんでも「シーザー」は知ってるわけで、 ところがカエサルと言うと「誰?」だったりする。
そこであえてチェーザレ……と言ったらボルジアのことかと思われるか。
フランス大統領になる前のシラクと東洋史の大学教授の会話 教授「ヨーロッパは方言ごとに国が生まれてきた経緯があるが、 中国は言語も文化も異なる地域を、強引に一まとめにして 国家を形成している。 無理やりにつくった国だ。」 シラク「じゃ、中国はどうすればよかったんだ?」 教授「欧州のように、文化や言語ごとにそれぞれが 小さな国であるべきだった」 シラク「やめてくれよ、日本がいくつ出来ると思うんだい?」
>>203 のジョークにはどういう意味が含まれているんですか?
kwskお願いします。
仮に中国が無くても、日本が増えたりしないと思うのですが。
>>190 厨房でも判るレベルの凄さなのに理解できないのか?
>>200 >わざわざその広大すぎて手に負えない領土全てを掌握する必要は無かったはず。
手に負えないかどうかやってみないで判るのか?アケメネス朝はやってたのに?
>>204 遠い東洋の日本でさえ脅威で恐ろしく頭痛の種なのに、
身近に日本並みの国がボコボコできたら堪らんって事。
図体だけ大きいものに組み込まれてその他一つになるか、
もしくは部分的な長所を殺してしまうぐらいの方が安心だって事。
本当に頭の悪い人は比喩なんて理解できない。
>>203 マルチ乙
最低限のマナーが理解出来るまでROMりましょう
>>205 アケメネス朝は何世代もかけて試行錯誤して統治機構を整備したから統治できたんだよ。
それでも後期になると中央の力が弱まってうまく統治できなくなったがな。
それを数年で遠くからやってきて征服した奴が簡単に掌握できるかよ?
210 :
世界@名無史さん :2010/02/16(火) 22:51:29 0
アレクサンドロスってアラビア半島目指してたんだ。マジでエノクになろうとしていたんだな。
>>203 氏はマルチじゃなさそうだが。
言い回しは似ているがこれだけではマルチと同一人物とはできない。
疑わしきはなんとやら。
そもそも同時に複数のスレで聞くのがマルチ。
あるスレでスレ違いと言われて回答を断られたため、別のスレで聞くのはマルチではないだろう。
ところで
>>206 の答えは微妙にずれていないか?
、
要は中国は地方ごとに分かれたほうがホントは強いよってこと。
ちょうどいい大きさの国にまとまれば互いに切磋琢磨し日本や台湾、韓国のように工業化を遂げてしまうだろう。
さらにいえば、ヨーロッパがまっさきに近代化を遂げた理由も分裂にあると暗に述べているわけ。
むしろこっちが真意かもしれない。
>>213 韓国や台湾は日本とは言えないだろ。
韓国は所詮、半万年間支那畜の奴隷だったチョウセンヒトモドキの国だし、
台湾は、中華民国に侵略され併合されてるし。
仮に戦後、もしも台湾が中華民国に侵略されず、そのまま独立していれば、
もしかしたらシラク大統領が言う、第二の日本になれたかも知れない。
○朝鮮依存症は『病気』です!○ ・気がついたら朝鮮の情報ばかり探している。 ・朝鮮のことを絡めないと書き込みが出来ない。 ・朝鮮のことを書き込めばみんなが面白がると思っている。 これらの「病状」が現れたら、すぐに最寄りのカウンセラーに相談しましょう。 手遅れになってからでは、遅いのです!
>>214 うんうん。君みたいなカキコをする人がいると思ったよw
教授の中国分割論。
自尊心をくすぐる親日家シラクの日本評。
それを喜々とコピペする酷使様。
そう、このジョークのミソは、ネトウヨ酷使様のお気に入りってとこなんだよw
>>213 似たような規模としてベトナムがあるが
そう大した事ないし、台湾や韓国は日本の存在が大きいし。
中国は一人当たりのGNPも戦前から日本に負けてたし、
烏合の利点である無限の人民が期待できないとなると、
北てきや日本や欧米に完全に支配されて、何個分かの省は確実に消滅してそうだな。
誰か通訳を
分裂と競争で発達、という思想はギリシアに始まるのかな。
>>219 春秋の中国人も似たようなこと思いつきそうだが。
221 :
世界@名無史さん :2010/02/18(木) 01:48:50 0
識字率低い中国じゃ無理
すいません。軍事板の質問スレでも聞いたのですが、 誰からも答えがいただけなかったので、ここで質問させていただきます。 ある作家が、ナチスを題材にした政治小説を書いたところ、 その小説にナチスの幹部しか知らないような人事の機密が書いてあったため、 ナチスに拉致をされてしまった。 ところが尋問してみると、その作家はただの一般人で、機密と思われた部分は、 新聞記事や一般の刊行物を元に想像したフィクションのつもりだったことが判明した、 ……という事件があったという話をどこかで聞いたことがあるのですが、 これは本当でしょうか? もし本当なら、作家の名前など詳細を教えていただけませんか? よろしくお願いします。
>>223 なぜ軍板で聞いたの?さすがにお門違いだろ・・・
>>223 ノルマンディー上陸作戦に絡んだ話じゃないよね。
「フルシチョフは豚だ!」 「逮捕する!」 「何故だ!」 「国家機密漏洩罪だ!」 でもないよね
>>224 第二次世界大戦中の話だったので、軍事板かなあと。
何でも知ってそうなイメージがあったので。確かに板違いでしたね。
>>225 うーん、違ったと思います。
>>226 そういうジョークの類ではなく、実際にあったエピソードとしてどこかで読んだはずなんですが……。
某世界史コンテンツだったかな。
>>223 ナチス側ではなく、連合国側であったという話なら、私も何かで読んだことがある
>>225 が言うように、ノルマンディー上陸作戦に絡んだ話で、オマハ(上陸する海岸の一つ)など
作戦に関係した地名が作品中に出てきたため、スパイが上陸作戦の情報をドイツに伝えるために
書いたのだと疑われ、取り調べを受けたが、偶然と判明した
ということだったはず
むかしは塩って高価だったの?
>>230 高価だった。一度に作れる量が少なくて希少価値が高かったので、
通貨代わりに使われたり、国家が専売して国家の主要な財源になったり、
塩の売買で大儲けする奴がいるぐらい貴重な商品だった。
最初にフェラチオを考案したのは男性ですか?女性ですか? あるいはボノボですか?
233 :
世界@名無史さん :2010/02/18(木) 19:20:41 0
地球外知的生命体との接触事件と 重大さで釣り合う既存の歴史事件はなんですか?
>>235 人類が二足歩行を初めて、道具を使う始めた子とかな?
>>235 さあ?
新大陸発見が、宇宙人との接触というフィクションのモデルなっているとは思うが、重大であったかはわからん。
日本が大陸に進出した頃はソウルに遷都する案があったってのを聞きましたが、 実際史実に残るところで他国の首都に遷都して先祖の都を捨てた例ってのはあlったんでしょうか?
>>239 オスマントルコ。滅ぼした東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルに遷都。
まあ、その前からも占領した都市に遷都を繰り返してた国だけど。
>>235 隕石から地球外由来のバクテリアを発見した事も
「地球外生命体との接触」のうちに含めていい?
いや、トルコなんてそもそも故郷から遠く離れた所に国があるわけだし。 アラビア半島以外のアラブ諸国も全部そうだろ。
元、明、清はみんな故地を離れ他国の首都に遷都したといえるか。
そんなこと言ったら漢だって秦だって。
先祖の都とかいっても、江戸も遷都?みたいなもんだし、 東京も200年も無いしな。 まあ京城でも新しく近辺に首都を作るつもり だったそうだが。
>>239 や
>>243 は
他国というより他民族の都ね。
分裂していた地域の統合で地方勢力が
中央に乗り込んでくるという例はいくらでもある。
>>217 優秀な民族や人材が、長年の戦乱と歴代王朝の圧政でほとんど数を失ったのも大きい。
中国も戦争や圧政が無くてそういった人材が豊富なら、十分、
日本や欧米に対抗できる勢力育ったことでしょう。
249 :
世界@名無史さん :2010/02/19(金) 00:51:56 0
日本が成功したのは単一民族の国だから アイヌがいる?そんなのほんのちょぴっとやんw
250 :
世界@名無史さん :2010/02/19(金) 00:55:20 0
251 :
235 :2010/02/19(金) 01:29:37 0
隼人キレていいぞ
>>248 アイヌは、元々樺太・千島列島に住んでた人種だ。
それが、北海道に入植して、北海道原住民の縄文人と混血したりした。
アイヌが先住民だとかいうけど、実はアイヌ文化の成立は13世紀くらいなんだよね 邪馬台国どころか大和政権よりはるかに新しい 北海道には何派かの先住民族が存在したらしいが オホーツク人などはいまだに人種系統も、どこへ消えてしまったかも明らかでない
255 :
世界@名無史さん :2010/02/19(金) 06:51:28 0
ヨーロッパ人って農耕民族ですか?
>>255 ヨーロッパ人なんて大雑把にくくられても困るが、単純な農耕民族とはいえない。
農耕・牧畜・狩猟・漁労・略奪・交易、全部混じっていてどれも単独では食べていけない民族だ。
時代・地域・民族をもっと絞らないと、これ以上のことはいえないが、総じて自給自足が難しい経済だったといえる。
こんな小話が 1944年6月、連合軍のヨーロッパ進攻計画の機密保持を担当するイギリス軍情報局MI-5の将校たちが、 『デイリー・テレグラフ』紙のクロスワード・パズルを前に頭を痛めていた。史上最大の規模の作戦に つけられた暗号名を、パズルのヒントが暴露しているのではないかと、青くなっていたのである。 たとえば、「アメリカ合衆国の州」というヒントに対する答えは。「ユタ」と「オマハ」。 これは米軍の上陸予定地だった。中でもとりわけ怪しいのは「ある大物」というヒントで、それに 応ずる答えは「オーバーロード」だったが、この言葉は作戦全体を指す暗号だったのである。 MI-5は慌てた。ドイツ軍に密告するために、テレグラフ紙のクロスワード・パズルが利用されたの だろうか。究明のために、ロンドン南部のサリーにあるレザーヘッドへ将校2名が派遣された。 彼らはそこで、パズルを作った教師レナード・ドーと会見した。 なぜ答えにあの5つを選んだのか、と将校たちはたずねた。なぜあの言葉じゃいけないんですか、 とドー氏は訊き返した。彼がとぼけているのではないことを、MI-5も結局認めざるをえなかった。 ドー氏は、これから行われる進攻について何も知らなかったのである。 彼のクロスワード・パズルの答えは、時折起きる偶然の一例なのだ。
アステカ人が先住民だとかいうけど、実はアステカ文明の成立は14世紀くらいなんだよね 地中海文明どころか後ウマイヤ朝よりはるかに新しい メヒコの地には何派かの先住民族が存在したらしいが オルメカ文化を築いた民族などはいまだに人種系統も、どこへ消えてしまったかも明らかでない
>>252 少しは脳みそかき混ぜろw
神武もテロリスト土人の近くから良く旅立つよ。でぇアルカイダ土人に
宮廷を警護させたと?なんかの冗談だろw
>>258 実は歴史の浅い先住民文化って世界中にいっぱいあるよな。
古代からの文化は、大抵どこかで系譜が途絶えてる。
261 :
世界@名無史さん :2010/02/19(金) 22:41:42 0
インド独立の時に ヒンズー教とイスラム教で分裂したけど なんでこの二つは仲が悪いの? それぞれの宗教の教えでは、決して相容れない内容なの? イスラムとキリストは歴史的な経緯があるからわかるんだけど
ヒンドゥー教はめちゃくちゃ多神教でおもいっきり偶像崇拝だから アブラハムの宗教的にはどう見ても邪教だろ
>>256 ヨーロッパ人じゃなくて世界中どこでもそうだよな。
この辺無視して「農耕、狩猟ナントカ」みたいな議論って
自分の偏見や文化的な優越感、劣等感が現れてるだけ。
「もとは一生懸命労働して働いてきた民族、しかし新自由主義がどうのこうの」
も同じだよな。汗水たらなさない管理上位階層、金融いくらでもいたのに、
その辺無視した乱暴で恣意的な議論というか。
というか狩猟と農耕って 狩猟採集生活の次の段階に、農耕or牧畜がくるとかそういう感じだよな。
電気代の安いおすすめのヒーターありますか?
>>262 放っておくとアッラーやムハンマドやイーサーやムーサまで
神として祀りそうな勢いだからな。ヒンドゥーは。
実際にそんなの祀ってるヒンドゥー寺院もあるかもしれん。
そりゃあ一神教の立場から見れば容認できんよ。
267 :
世界@名無史さん :2010/02/20(土) 00:14:12 0
インド独立時のヒンズー教とイスラム教の割合ってどんなもの? イスラム教はどこの国でもいたと思うが あとインドにとってのジンナー パキスタンにとってのネルー、ガンジーってどんな扱いなの?
>>261 ヒンズー教は古くからのインド人の宗教
イスラムはアフガン方面から攻めてきて、インドで王朝を建てた支配者の宗教
ヒンズー寺院をつぶしてモスクを建てたりもした。
インドの実際の社会生活上、カーストの中に自身の居場所を 認めるか認めないかでヒンズーとイスラムに分かれるケースが 多いんだろうね。
封建社会で、妻の一族を暗殺して、その一族の領土を合法的に奪った(と噂される)人物っています?
271 :
世界@名無史さん :2010/02/20(土) 02:27:03 0
中国とはてっきり国のことだと思っていました しかし以下のような記述に会いました 960年 趙匡胤中国を統一、宋を建国し太祖となる この記述からすると中国は地域のように感じられるのですが、そうしますとどこからどこまでが中国か、という決まりがあるのでしょうか? また、それは時代によって変わるのでしょうか? 変な質問ですが、どのように考えたらよいのでしょうか
仮性包茎を含むあらゆる包茎の人が生息する地域はすべて中国
ガチの狩猟民族ってそれこそアフリカのブッシュマンとか 統一前の女真族とか
275 :
世界@名無史さん :2010/02/20(土) 08:33:13 0
>>271 そんなのはない。現在の支那あたりで「俺がこの辺で一番びっとしてる」と
宣言したやつの、命令を聞く土地までが「中国」。それは広がったり滅んだり様々。
歴史的に説明すればかつての周の睨みのきく範囲を「九州」とか「中国」とか「中原」
などと周の人間が自称した(黄河流域)。それが「歴史的に」その広大な土地の
なかで大勢力を築いたものたちの「称号」や「尊称」のようになり今に至る。
キリスト教圏とかイスラム教圏といった語感に近いかもしれない。
>>271 そのあたりは、かなり大ざっぱなんじゃないかな
「ヨーロッパ」という地域名が「ウラル山脈まで」などと決まっているのと違って、
「ローマ帝国」と言った時に指す範囲に近いと思う
「ローマ帝国」は、ポエニ戦争以前の範囲を指すこともあれば、五賢帝時代の範囲を
指すことも、末期の範囲を指すこともあるでしょ
だから中国の場合は、統一王朝のある時代ならその勢力圏、また、戦乱の時代なら
各勢力の勢力圏をあわせた範囲ってことになるかな
>>271 中華人民共和国の略としての中国(大韓民国略して韓国みたいな)と
歴史的に漢人その他が皇帝を戴いていた地域の名称としての中国は違う
後者は曖昧だが、その記述で示されているのは後者
便宜上後者を「シナ」として話を進めるが、シナにおいては皇帝は全土の中心にあって、
近代的な領土を表す地図というものは建前上は意味をもたない。蛮土も含めて全てが皇帝の地だから。
清末のロシア南下や西洋文物の取り入れによって領土を線引く必要が発生し、その時の領土を固有の領土と決めた。
(無論それまでも勢力を接する地域ではその地で線引きはされてたが)
現在の中国はそれに従い清時の最大版図を中国の領土と主張している。(奪還するしないは度外視)
ついでに言えば「中華人民共和国」は漢字圏から見れば「世界の中心である」「人民の共和国」だが
英語訳としてはPeople's Republic of China 「シナ地域の」「人民の共和国」であり中華、という挑戦的な意味は隠されている
漢字で言えば中国は地域名の入らない特殊な国名で、共和国だの帝国だのを含まない地域名だけの「日本国」とは真逆
まとめれば
・清以前は建前上全土はシナ皇帝の土地、実際は隣国の状態によって国境は変わった
・中華人民共和国の領土は建前上は清の最大版図
・中国という地域もChinaという地域も各人の頭の中だけに存在する
いやアイグン条約のラインと蒙古などがあるから 中華人民共和国の領土(主張)≠清の最大版図
ミドルフラワー人民共和国
アイグン+北京条約としておくか一応
281 :
世界@名無史さん :2010/02/20(土) 12:43:48 0
中華に世界の中心なんて意味はないです
282 :
世界@名無史さん :2010/02/20(土) 13:01:50 0
>>260 いや、15世紀でも、アステカは古代だろ。
283 :
世界@名無史さん :2010/02/20(土) 13:22:21 0
>>277 たとえば、インドの国号の自称は、Bharata Ganarajya だけど、Bharata は「地面」とか「この世」とか「世界」とか
いう意味だよ。Ganarajyaは「合議による」くらいの意味だから、共和国に相当。やっぱし地域名入って無い。
所謂「神聖ローマー帝国」も時期によっては「Sacrum Imperium」(神聖帝国)だったり、単に「Imperium」(帝国)
だったりしている。
エジプトも、今ではエジプトを自称しているけれど、古代エジプトの時期には、単に、王の国、神の国、黒い土地(湿った土)、
河畔と漠然と読んでいた。エジプトという語自体、ギリシャ語によるものがもとになっている。
正式名称ではなく、口語でだけれど、StatesとかUSとかUnited Statesとかアメリカ人が自国を指して言う、イギリス人が
自国を指してUKとかKingdomとか言う、北朝鮮の連中が北朝鮮のことを「共和国」と略せと言うし、日本人だって、たとえば
外国に仕事で駐在させられてる人が集まって酒飲んでいう愚痴は「国に帰りたい」「移動は国内ならどこでもいい」だから
別に、自国にことさら固有名称を使わないのは当たり前なんではないかな。
284 :
世界@名無史さん :2010/02/20(土) 13:41:26 0
>>274 女真人は統一前も定住農耕やってるよ。狩猟農耕民。
>>277 インドの自称はBharata Ganarajyaというのか。
Bharataは日本語の「天下」と意味が近いね
286 :
世界@名無史さん :2010/02/20(土) 14:53:58 0
天下共和国ってか?
ヴェーダ時代のバーラタ族から来てるんじゃなかったっけ
わが国では、在位中の天皇に元号付けて呼ぶのはタブーとなっており、 国民は、今上と添えてと呼ぶようになっていますが、 (注:↑この議論がしたい訳ではない) 中国では(特に明〜清)は、在位中の皇帝は、どう呼ばれていたので しょうか? やはり、諱なのでしょうか? また、西欧との接触が多くなる中、列強諸国は中国の在位中の皇帝を どう呼んだのでしょうか? 逆に列強の場合、君主と同じ名前の人間、ルイだのフランツだのは、 一般人にもいっくらでもいるので、諱の感覚が違う気がしますが。 よろしゅう教えて下さい。
どう呼ばれたって、誰から? 国内の民草から? 「天子」で通用してたよ 一時代に一人しかいないから、それで問題なかった
外国の使節からは、それぞれの言語における「皇帝」相当の言葉で
291 :
世界@名無史さん :2010/02/20(土) 19:48:15 0
そういや朝鮮って百済も新羅も高麗も李朝も公式には天皇の事を一貫して皇は認めないから 日王って言ってるんだっけ?
292 :
世界@名無史さん :2010/02/20(土) 20:37:52 0
将軍を昔は日王とよんでたな
>>288 >やはり、諱なのでしょうか?
昔の中国王朝で皇帝の諱を呼ぶなんて、とんでもない不敬
へたすりゃ、それだけで首がとびかねない
現代日本だって、たとえば、ある会社の社長が鈴木一郎という名前だったとして、平社員がその社長を
「一郎」って呼んだら、場合にもよるけど普通は失礼にあたるでしょ?
普通は役職で「社長」と呼んだり、「鈴木社長」って呼ぶよね
「一郎」って呼んでいいのは、親や親友など、目上か少なくとも対等で、かつ非常に親しい人だけだ
それと同じで、というか、それ以上に、昔の中国で大の大人を諱で呼ぶのは失礼なことで、そんなことを
しても許されるのは、親とか目上の親族とか師とか、とにかく親しくて目上の人だけ
さっきの例で「社長」と呼ぶように、高い地位の役職のある人はその役職で呼ぶのが無難
だから皇帝は「皇帝陛下」とか「天子」と呼ぶ
>>289 も言うように、天皇とか皇帝というのは、原則としてその国にただ1人の存在(南北朝時代とかの
例外はあるけど)だから、陛下とか天子と言えばそれで通じる
ただ、故人の皇帝は複数いるので、故人の天皇や皇帝はただ天子と言うと誰のことだかわからないので、
死後には彼らを区別するために名前をつける必要がある
つまり、それが「煬帝」とか「昭和天皇」などの諡号
これは死んだ後につけられる名前だから、まだ生きている皇帝や天皇をたとえば「平成天皇」などと呼ぶ
のは、もう死んだものとして扱っていることになり、とても失礼な行為なわけ
おわかりかな?
>>289 ありがとうございます。
で、少し踏み込んで聞きます。
で、前の天子はどう呼んだか、
清朝で例えば、雍正治下では雍正帝とは呼ばず、天子で良いのは解る。
日本での昭和天皇と同じように、前の天子は康煕帝と呼ぶものだったのか?
さすがに前天子(康煕帝)、前々天子(順治帝)みたいには呼ばないような。
これが、朝貢国以外の外国から、どう呼ばれていたものかも。
>>290 くどくてすんませんが、お答え頂ければありがい。
>>289 ありがとうございます。
で、少し踏み込んで聞きます。
で、前の天子はどう呼んだか、
清朝で例えば、雍正治下では雍正帝とは呼ばず、天子で良いのは解る。
日本での昭和天皇と同じように、前の天子は康煕帝と呼ぶものだったのか?
さすがに前天子(康煕帝)、前々天子(順治帝)みたいには呼ばないような。
これが、朝貢国以外の外国から、どう呼ばれていたものかも。
>>290 くどくてすんませんが、お答え頂ければありがい。
あ、解答済みになってました。
>>293 ありがとうございます。
しかし、君主を名前で呼ぶヨーロッパとは真逆ですなぁ。 そりゃ、臣下が君主に対し名で呼ぶ事は無いとしても、外国からは フランツ2世、ナポレオン1世(イギリスはボナパルト将軍呼ばわりだけど)等の名前で呼ばれるので。
298 :
世界@名無史さん :2010/02/21(日) 00:59:26 O
既出だったらすみません。19世紀頃、イギリスはなぜオランダの植民地を奪わなかったのですか?オランダに恩を売って言うことを聞かせるためですか?
世界史に疎い人間(多分中学以下レベル)が唐突に世界史に興味を持ち始めました。 なんとなく学ぶと面白そうって程度ですが。 そんな人間にオススメの本とかありますか? 中学の教科書並の概要でいいので、普通に読んでて面白いものがいいです。 面白いっていっても漫画で読みやすい、とかではなくてさらに歴史に興味がわくような内容がいい。
300 :
世界@名無史さん :2010/02/21(日) 02:32:50 0
セイロンや南アメリカは奪われてるよ。
直接なら「陛下」とか「皇上」とか呼んでたんじゃ。 先代以前は諡号があるからそれで呼ぶ。
303 :
世界@名無史さん :2010/02/21(日) 09:21:04 0
>>294-295 現行皇帝に対しては、「今上(きんじょう)皇帝」「当今(とうぎん)」「主上」など
前皇帝にたいしては、「太上(だじょう)皇帝」
>>298 19世紀頃、ということは、1811年のジャワ占領などのことでしょうか?
その時の敵はオランダそのものではなく、オランダを占領し、弟をオランダ王にしていたフランスの
ナポレオンでした
ナポレオン没落後、ウィーン会議で、ヨーロッパは以前の状態に戻すのが基本方針となり、それに
基づいて、1816年にジャワはオランダに返還されました
まあ、
>>300 の言うように、ちゃっかりそのまま英国植民地にしたところもありましたけどね
戦略上の重要地のアフリカのケープタウン(1806年に占領)とか
なお、南米の英領ギアナ(現ガイアナ)は1815年に、300万ポンドでオランダから正式に購入した
ものです
305 :
世界@名無史さん :2010/02/21(日) 11:05:46 0
ポーランドとハンガリーは仲が良いといいますが、どうしてなのでしょうか。
世界最古の「記号を使った方程式」はどの文明が行っていた思考方法なのでしょうか?
倭寇って、北虜南倭と称してモンゴルと同レベルの悩みだったみたいだけど、 海禁政策をとっていた明なら海上貿易を阻害されることが悩みだったわけではないだろうし、 何に対して困ってたの?
>>307 まさか、海賊は船しか襲ってこないと思ってる?
沿岸の集落や、時には大都市も襲撃し略奪したんだよ
>>304 >>300 英蘭二ヶ国間というよりは、ウイーン会議で決まったことだったのですね。
ありがとうございます!
>>304 なんというか、ジョンブルらしいやり方だぜ
>>306 古代メソポタミアにおいて、既に、
一次、連立、二次方程式が考案されている
312 :
世界@名無史さん :2010/02/21(日) 15:15:54 0
東ローマ帝国の人々は、トルコ軍によるコンスタンティノープル征服の頃まで、 ずっと古代ローマ人みたいな布きれまきつけた半裸みたいな服装だったんですか? 古代ローマ兵みたいな軍装だったんですか?
古代ローマの布切れ半裸(トーガ)装束は そもそもローマ帝政初期に既に廃れてしまっている
ちなみに、誤解を招かぬよう言っておくが、 トーガは裸身の上にまとうもんじゃなく、 あの下に肌着をつけるのが普通だ
>>311 方程式ってルネサンスのときに発明されたんじゃなかったっけ?
ルネサンス時代に発明された方程式もあるかもしれないけど 一次方程式なんかまったく問題にならない遥かに高度な方程式だと思うよ
古代メソポタミア・エジプト・インド→シナ・ギリシア・ローマ→イスラム世界→ルネサンス欧州
むしろ
>>315 が言うような珍説がどこに載っていたのか興味がそそられる
俺も古代メソポタミア・エジプトの記号だの方程式だのはみたこともないな。 ふつう世界史ではルネサンスがその起源として習うよ
メソポタミアの方程式なんて高校世界史レベルでは習わんかもしれんが 数学史をちゃんと辿ればそのように解説される。
>>321 それはエジプトの、最古の数学“書”だよ。
メソポタミアのやつはもっと古くて、粘土板に書いてある
現代使用される数学記号そのものが揃ったと言えるのは デカルトの著述(1637年)で、そのことを言っているのだろうか? それ以前の数学研究者たちは、現在とは異なるまちまちな記号を使っていた。 つまり、もっと古くから記号を用いて数学的思考が行われていたことが判る。 中世のフワーリズミーも、インドに古くからある数学で記号を用いていることに言及してますな。
324 :
世界@名無史さん :2010/02/21(日) 16:51:52 0
今使われている数学記号の多くは、錬金術師たちが使っていたもの。
それを整理統一したのがデカルトなんじゃないのか。知らんけど。
326 :
世界@名無史さん :2010/02/21(日) 17:14:25 0
金角湾のトルコ軍船の山越えの話を描いた子供向けのマンガか読み物を見たことあるけど、 その中でのビザンツ兵は古代ローマ兵の姿で描かれていた。 これは時代考証的にどうなんだろう?
>>323 なんでそんな地獄のように大切なことを世界史で教えないんだろ?
この国はおかしいよ。
>>321 ありがとうございます。俺は数式や方程式も白人が発見したものだと
思ってました
>>323 日本や、中国、イスラムはなかったの
和算という言葉があるけど
うろ覚えで具体的な情報が何も無くて申し訳ないんですが、 世界の果てだと思われていた海域の先に大陸があるとわかって、 人々が、地図に書かれていた"この先はない"みたいな英文の imだったかを消した、みたいな逸話を知っている方いないでしょうか?
>>323 方法序説だな
揃ったというか整理したが正しいだろう。数学記号なんで毎年のように新しく生まれて消えていくんだぞ
方法序説以外にも数学記号の統一を目指した著書はいくつかあるけど、
そのなかで生き残ったのはフランス語で書いたから一般人に読まれたことが大きい
等号が「=」じゃなくて「∝」の左右逆だったり、xの2乗をxxと表記したり(3乗以上は現在と同じ)、現在と違うものも多いけど
>>331 近代ヨーロッパの数学はそもそもイスラム圏(中東)からの輸入品
16世紀くらいまではイスラムや中国のほうが科学的には先進国だったわけだし
独自の記号はあったけど、もう現在はヨーロッパ式(とその改造版)が使われている
和算にも独自の記号があった。基本的に全部漢字だがw
変数は「法」、2乗は初廉、3乗は二廉
単純な計算だと黒文字がプラス、赤文字がマイナスを意味していたり
狭い国だし、流派もあったから記号もわりと統一されてたみたい
>>332 そんなに大昔から数学が発展してたなんて驚きでした。
古代ギリシャ人が数学を発見したんじゃなかったんですね。
>>334 世界史の教科書に「欧州はイスラム科学の影響を受けた」なんて
記述はないのはどういうわけなんでしょうか?それと和算の記号があったなんてのも初めて知りました。
今でも123456とか「アラビア数字」を使うし、0がインド発祥というのは有名だしなあ
>>336 >世界史の教科書に「欧州はイスラム科学の影響を受けた」なんて記述はない
その教科書を窓から投げ捨てろw
科学はローマ・ギリシアから中東に伝わり、再度ヨーロッパに伝わったから、
最近の本だとそこを評価して逆輸入とか復活とか発掘なんて表現が使われてる本もあるかも
>>333 古来、地中海の出口にあたるジブラルタル海峡には「ヘラクレスの柱」というものが立っており、
それにラテン語で「ネク(またはノン)・プルス・ウルトラ」=「この先には何も無い」と記されていた。
コロンブスたちが大西洋の先にアメリカ大陸を発見して以来、それは書き換えられて「プルス・ウルトラ(もっと先へ!)」となった。
これが16世紀にはスペイン国王カルロス1世の、またスペインという国のモットー(座右の銘)になったという。
>>319 >ふつう世界史ではルネサンスがその起源として習うよ
習うか?よっぽど古いとか偏ってる本か?
世界史は駆け足でメジャーなの中心だから、細かいマニアックな所
までは資料に載ってるか、あるいはおざなりにされがちってだけだろ。
だから和算だってほとんど触れない。
しかし専門の数学史や大学の講座ならちゃんと載ってるし、習うってだけで。
反白人みたいな感情でガチガチになって偏って見てるだけじゃね。
白人コンプ君はいったいどこでどんな教育を受けてきたんだろうね ヒトラーユーゲントか?
こんけつの気持ちを察しようぜ
>>333 調べてみたらそれのようでした。
ありがとうございます!
ギリシアで数学は技術を越えて 趣味や宗教的探求の対象になった、ということかな?
http://www.geocities.jp/ja1zmi/index.html http://www.geocities.jp/ja1zmi/pejiputo.html 「ここに、快楽を目指してのでもないが、しかし、生活の必要のためでもないところの認識(すなわち諸学)が見いだされた。
最も早くそうした暇のある生活を送り始めた人々の地方において最初に数学的諸技術がおこったのである。
というのは、そこではその祭司階級のあいだに暇な生活をする余裕が恵まれたのだからである」 ――アリストテレス「形而上学」
「自由民はこれらの諸学科について、少なくともエジプトでひじょうに多くの子供たちが
読み書きとともに学ぶ程度のものは、学ぶべきだといわなければなりません。
まず算数に関して、文字どおり子供たちのために遊び楽しみながら学ぶように工夫された勉強があります。
たとえば一定数の林檎(玩具の羊)や花冠を、多くの数の子供たちや少ない数の子供たちに分けることや…」 ――プラトン「法律」
白人とか混血とか言ってるコンプ野郎って気持ち悪い。 世界史板にはくるなって感じ。
347 :
世界@名無史さん :2010/02/22(月) 03:52:00 0
今、フランス革命の本読んでて思ったんだけど いまいちジョルジュ・ダントン(山岳派)の性格が分からないんだ。 庶民よりも自由市場の獲得に熱心だったブルジョワジーの利権を優先させた 政治を担ってたらしいんだけど、なんでダントン派は「寛容派」って言われてるの? ブルジョワジーに対して「寛容」ってこと? ダントンとしては一連の革命をブルジョワジーの一人勝ちっていう 流れで終わらせたかったのかな。
ダントンははじめ、もっともラディカルな革命指導者のひとりだったんだけど 途中で日和って穏健派に鞍替えし、ロベスピエールに粛清された。 その理由は……昔読んだ本だと、ジロンド派の女に惚れたからってことになってたな。 一応小説ではないはずなんだけど真偽のほどは保障しかねる
「厳格」な恐怖政治に対する「寛容」なダントンってことでは
日本に鉄砲を持ち込んだのは、ポルトガル系中国人によって構成された倭寇って説があるけど 中国に鉄砲が伝来したのはいつだったの?
いったいどこから伝来するんだよ。 発祥地に伝来もなにもないだろ。
352 :
世界@名無史さん :2010/02/22(月) 09:59:26 O
350が言いたいのはマッチロック銃のことだと察しようぜ 実際よくわかってないらしいが
>>332 サンキュー。
>>331 和算が発展したのは江戸時代。西洋の影響ではなく独自に発達して微積分の一歩手前までいった。
西洋では数学は物理を始めとする科学の道具として重要視されていくが和算は全くの趣味だったとこ
ろが凄い。
和算はゲーム
>>350 詳しくは知らないけど、たぶん、1513年にマカオにやってきたポルトガル人が持ってたんじゃないか?
和算はロステク
>>353 いや待て、和算は中国の数学書やイスラムの数学書(の中国語訳)、オランダ経由のヨーロッパの数学書の影響も受けてる
358 :
世界@名無史さん :2010/02/22(月) 13:50:14 0
>>338 科学は古代エジプトから世界に伝わった。白人のウソにだまされてるんじゃねーぞ
古代ギリシア人には行動力のある人もいて、 メソポタミア地方やエジプト地方に行き、 学術成果や技術を持ち帰る者が多かった。 日本語で読める書物では、それら持ち帰った知識を 何故か報告者本人が発見したかのような書き方がされている。 翻訳に翻訳を重ねているうちに、どこかで発生した誤訳が定着したのだろうか?
360 :
世界@名無史さん :2010/02/22(月) 15:32:00 0
古代ギリシャ文明というか単なる翻訳だろ
361 :
世界@名無史さん :2010/02/22(月) 15:39:43 0
「日本語で読める書物では、」をカットすると意味が通じるんだが、そうしていいのか?
362 :
世界@名無史さん :2010/02/22(月) 16:00:56 0
翻訳を「オリジナル」にしたのが「古代ギリシャ文明」
まったく、あの半島の国は、なんでも自分の国が起源だと主張するから困る
古代ギリシア人は「持ち帰った知識ですよ」と言っていたが、 ルネサンス以後のヨーロッパ人は 「古代ギリシア人すげえ」 「俺たちはその文明を受け継いだからすげえ」 と考えるようになった。
365 :
世界@名無史さん :2010/02/22(月) 17:33:14 0
じゃあ、我々日本人も古代ギリシア文明以来のご相伴にあずかっているから、すげぇってことか
江戸時代の日本がアポロ計画を成功させることのできた確率はどのくらいありますか?
日本語で桶
369 :
世界@名無史さん :2010/02/22(月) 18:10:03 0
気分です
ゼノビア「女王」という呼び方が定着してしまい(女帝だと美女イメージが崩れる) 辻褄を合わせるため なんちて
アルサケス朝パルティアだって、君主の称号はペルシア帝国同様「諸王の王」なのに 「パルティア王国」と呼ばれるしなあ
太平洋戦争のときの日本が鎌倉時代だったら 何週間でアメリカを倒せましたか?
アルゴンキン語で桶
なんで中国共産党は北京に首都を設置したの? 南京だと台湾に近くて危ないから?
スタートレックの惑星連邦が日本軍だったとしても ボーグの侵攻を防ぐことはできましたか?
377 :
世界@名無史さん :2010/02/22(月) 21:12:35 0
アッティラが率いていた軍はモンゴロイドだったの?それとも アッティラとその親友だけがモンゴロイド?
アッティラ自体もモンゴロイドかどうか判明してませんよ
379 :
世界@名無史さん :2010/02/22(月) 21:27:39 0
何故、パプア・ニューギニアは、 西ニューギニア奪還の為に、 インドネシアに対して攻撃しないんですか? 自分たちの土地の半分をよそ者に占拠されていて恥ずかしくないんですか?
丁髷や辮髪って、戦う時に頭が蒸れたり前髪が邪魔になるからそり落とすところから、生まれた髪形らしいけど なんで西洋には髪の一部を完全にそりあげる風習はついに生まれなかったの? 十字軍の時代の鎧なんか凄く蒸れそうだし、WW2の時代のドイツ兵やフランス兵は日本兵みたいに丸刈りではなかったし…
>>379 逆に訊こう
ニューギニア島の西部に昔から住んでる人たちにとって、なぜ島の東部が「自分たちの土地」ってことになるのだ?
陸続きだと、自分たちの土地なのか?
じゃあ、ブルネイ人は、カリマンタン島のブルネイ以外の部分を「自分たちの土地」と言っていいのか?
カナダ人は、北米大陸のUSAやメキシコの領土を「自分たちの土地」と言っていいのか?
バチカン市国は、バチカン以外のユーラシア大陸の全土を「よそ者に占拠されて恥ずかしくないんですか」?
382 :
世界@名無史さん :2010/02/22(月) 22:12:48 0
>>380 ポーランドやウクライナの方では、トルコ風の辮髪を真似るのが流行った。
17世紀頃の辮髪姿の王侯貴族の肖像画が残ってる。
383 :
世界@名無史さん :2010/02/22(月) 22:24:51 0
>>381 東部と西部では、異なる人種・民族が住んでるんですか?
384 :
世界@名無史さん :2010/02/22(月) 22:28:40 0
ガウタマ=シッダールタが解脱の道を解き、「 」を否定してすべての人間平等であると主張した という問題があって、ヴァルナと書いたのですが答えはカーストでした ヴァルナとカーストは同じ意味だったと思うのですが この場合カーストじゃなきゃいけないんでしょうか
>>383 現代では、西部はインドネシアやマレーからの移民が多数派
アメリカにおける白人と原住民のようなもんで、今さら、原住民中心の国にすることはまず不可能
>>383 そもそも人種が異なっても「よそもの」とは限らないし、
異民族が同じ国民同士であるのならありふれてる。
一民族一国家みたいな発想自体が近代のごく新しいもの。
>>380 辮髪まで行かなくても、海兵隊カットみたいに軍人が
スキンヘッドやそれに近い短髪は結構あるよ。
髪をつかまれないようにするせいもあるらしいけど。
388 :
世界@名無史さん :2010/02/23(火) 01:10:42 0
質問です。李氏朝鮮は日清戦争後、「大韓帝国」と国号を改めますが、 なぜ「韓」なのでしょうか? 「朝鮮」はもしかすると明に決めてもらった名前なので嫌ったのかもしれませんが、 韓というのも三韓時代まで1500年以上さかのぼる古い名前で、 20世紀初頭の朝鮮人になじみのあった名前とは思えないのですが、 どういう経緯で「大韓帝国」という国号に決まったのでしょうか?
389 :
世界@名無史さん :2010/02/23(火) 02:19:25 0
これは本当ですか?
(京都35歳男)
日本はアジアを侵略したんです。
その後、韓国の人が強制的に日本に連れてこられました。
今でも、強制的に帰国ができない状態です。
http://jyousyoukannsai.blogspot.com/2010/01/blog-post_13.html コメントにこんなん付いてましたが・・・
在日韓国人の人たちは税金を日本人より多く払っているのに選挙権が無いのはおかしいです。
天皇陛下(外国では王様と言うのははじめて知りました)が日本の悪いところをちゃんと謝れば、韓国や中国の人たちと仲良くなれるんじゃないかな?って思います。
池田先生はよく読み売り新聞の広告で見ますが、良い事をされている人なんですね。
390 :
世界@名無史さん :2010/02/23(火) 02:27:34 0
>>379 >>383 ニューギニアの原住民は、主にパプア系の多数の部族
それぞれの部族が、小さい範囲を自分たちのテリトリーにして、かなり原始的な生活をしていた
その中の1つの部族がニューギニア全土を統一したこともない
ということは、ニューギニア島全体を「自分の国」と認識するような部族は存在しない
>>384 単に質問者が想定した知識レベルがそのレベルだっただけでしょう。何かの問題集?
393 :
世界@名無史さん :2010/02/23(火) 16:19:24 0
高校時代の世界史の先生がナポレオン三世を「暗君」として 扱ってたけど実際どうなんだろ? インドシナ連邦とかパリ大改造とか繁栄した治世前期に反して 後期が負け戦続きだったから「暗君」扱いされたのかな?
今日のテストで「貞観の治を実現した皇帝は誰か」って問題があったんですけど、これは李世民でもいいんですよね??太宗と書かなければいけないんですか??
397 :
世界@名無史さん :2010/02/23(火) 18:10:21 0
先生の気分次第
普仏戦争戦争での敗北のせいでナポレオン三世にはあまりパッとしない印象があるが。 しかし、「文化と芸術の国おフランス」や「花のキパリ」のイメージはこの時代に作られたものだし。
399 :
世界@名無史さん :2010/02/23(火) 18:38:42 0
>>395 太宗と呼ばれた皇帝は宋や清にもいたから李世民のほうがよさそうな気がする
もっとも俺は世界史専攻じゃなかったから断言はできないけど
400 :
世界@名無史さん :2010/02/23(火) 18:48:09 0
神聖ローマ帝国=ドイツ王国(東フランク)でいいんでしょうか?
文脈によってはイコールでもいい場合もあるかもしれないとしか言い様がないな それらは決して同一の概念ではないが、話し手が何のつもりで神聖ローマ帝国を指しているのか 読み取る必要がある
>>400 分けるとすれば、
東フランク:ヴェルダン条約(843)〜オットー1世の戴冠(962)
神聖ローマ:オットー1世の戴冠〜ライン同盟結成(1806)
となります。
>>401 にあるように文脈によって定義が変わる場合もあるので注意。
みんなが言ように、文脈によるね 「ドイツ王」と、「神聖ローマ皇帝」は、まったく別の称号(タイトル)なので、その意味ではドイツと神聖ローマ帝国は別物だけど たとえば、ある人物が、ドイツ王に即位したからといって、その時点で、そのドイツ王が神聖ローマ皇帝ってわけじゃない 中世では、まずドイツ王になってから、ローマに出向いて、ローマ教皇から、ローマ皇帝として戴冠してもらうパターンが多い だから、ローマの教皇や枢機卿たちの動向しだいでは、たとえばフランス王とかスペイン王に神聖ローマ皇帝の位が与えられる ことも理論上はありえた(実際、カルロス1世の時などは、もめた)
404 :
世界@名無史さん :2010/02/23(火) 23:19:51 0
神聖ローマ帝国って面倒くさいね
405 :
世界@名無史さん :2010/02/24(水) 00:22:08 0
>>400 個人的には、神聖ローマ=ローマ・カトリック連邦君主国だ。
稀にシャルルマーニュの支配国を神聖ローマと称することもある あまり一般的ではないが、完全に誤りとするのも難しいし
407 :
世界@名無史さん :2010/02/24(水) 12:06:41 0
>>403 ならば、ローマ王というのはなんなのですか?
>>403 たしかポーランド王のジグムント3世もローマ皇帝位をオファーされてるよね
それとも息子のヴワディスワフ4世だったかな?
>>391 強力な部族が全島を統一した、ブリテン島や日本列島とは異なった歴史を歩んでるな。
スコットランドとウェールズがアップをはじめました
隼人と出雲と熊襲と蝦夷がアップをはじめました
>>407 封建貴族のタイトルと違って、王号は本来は土地ではなく民族に結びついていた。
というわけで、ローマ王というのは「ローマ人の王」という意味。
皇・・・神に選ばれし者 帝・・・その地の最高権力者 王・・・その民族の長
明王朝の明って国号って、マニ教の中国名称である明教から取ったって本当ですか? 確かに呉とか漢みたいに、歴代王朝では一度も使われたことのない国号だけど…
単に、縁起のいい字をとっただけ 宋以前は、初代の皇帝が皇帝になる前に封じられたり、根拠地としたりした土地の名を国号としたり、あるいは かつて自分と同じ姓の皇帝がいた王朝と同じ国号にしたりする(劉姓の者が国を興すと、たいてい国号を漢にした) というのが原則だったが、モンゴル人の征服王朝はそういう土地や先の王朝がなかったので、原則を無視して、 縁起のいい漢字を選んで「元」王朝とした 元の次の明も、貧民出身の朱元璋が興したので、やはりそういう土地はなく、同じように縁起のいい漢字から国号を 明にした 次の清も、火徳の王朝である明にかわるものという気概を込めて、さんずいのついた漢字を国号にした 太平天国にいたっては、もう漢字1文字の国号ですらなく、趣味で国名をつけている とにかく、元が前例を示して以降は、国号は好きにつけてよくなったといっていい
中華民国や中華人民共和国は?
漢以降、劉姓の漢って三国時代の蜀漢のほかになにがある? 五胡十六国辺りに一つあったらしいけどうろ覚えだわ
逆に、劉姓で皇帝になって 「きっと高祖劉邦の末裔でいらっしゃのです、 国号は漢にいたしましょう」って進言されたけど 呵呵大笑して 「いや俺遊牧民の子孫だから。絶対ねーし」 と言い放ち、あえて漢を用いなかったというのもいた。誰か忘れたが
劉姓だと前趙も最初は漢だったし、宦官王国で有名な五代十国の漢もあるな。
匈奴は代々漢の皇女を娶っていたから、 「漢」の劉淵は、400年続いた匈奴(虚連題氏)と漢朝(劉氏)の血統を引く。 草履売りや地侍の親分、宦官の孫やその部下の子孫など及びもつかない貴種だ。 しかも若い頃は儒学を修め、友人の漢人の助言で武術にも励み、文武両道に秀でたという。
422 :
世界@名無史さん :2010/02/25(木) 13:47:41 0
>>419 劉裕だお
国号は宋だったわな
晋の将軍として実績を挙げている間に宋王に封じられたから、
それが国号の元になったのかな
>>418 ・
>>420 の文の前半、
>>421 で挙げられている五胡十六国時代の漢
創始者は劉淵。別名は趙漢
・五代十国時代の北方の漢
創始者は劉知遠。別名は後漢
・五代十国時代の北方、もう一つの漢
創始者は劉崇(劉知遠の弟)。別名は北漢
・五代十国時代の南方の漢。
>>420 の文の後半、
>>422 が挙げているところ
創始者は劉隠。別名は南漢
南朝宋の劉裕は下級役人の子で幼名は寄奴。母親は産褥熱で死亡。 あまりにも貧乏だったので父親に口減らしのため絞め殺されかけた。 のちに偉くなってからは劉邦の弟劉交の末裔を称したが、本姓は項だったともいう。
漢と号さなかった劉姓は劉裕だけ?
428 :
世界@名無史さん :2010/02/25(木) 18:26:03 0
ビスマルクとヴィルヘルム二世 対立→決別の原因がいまいちわからん。 ビスマルクのバランス重視の保守政治に若いヴィルヘルム二世が 同意できなかったって聞いたけどそうなの?
すいません、どなたか
>>388 解る方おられませんでしょうか・・・
資料がないからよう分からんが、たぶん 「朝鮮」はシナの皇帝から賜った国号だからやめよう →日本では昔わが国を「韓」と呼んでたらしいし、シナの戦国七雄にも韓があった →大明も大清も「大○」という国号で、日本も大日本帝国とか号している →じゃあ「大韓帝国」で行こうじゃないか みたいな流れだったんじゃないかなあ ベトナムも大越とか大南とか自分で称してるな
431 :
世界@名無史さん :2010/02/25(木) 19:51:37 0
7世紀の新羅の将軍金ユ信は、金官加羅の王家の直系子孫で、 金官加羅は継体か欽明大王の時代まで倭国の支配下にあった任那諸国の一つなのに、 なんで金ユ信は倭国に味方せず、新羅に忠誠を尽くしたのだろう? 倭国と結んで加羅を再興しようとか思わなかったのだろうか?
432 :
世界@名無史さん :2010/02/25(木) 20:31:58 0
イギリスは「1066年以来戦争に負けたことがない」と自負していますが、 1800年代の一連の英米戦争は敗北にならないのでしょうか?
>>428 ビスマルクはプロイセンのためにドイツ帝国を作った。
ビスマルクの政策は全て欧州の列強にプロイセンが伍していくためのもの。
ところが、ヴィルヘルム2世はプロイセン王としてよりドイツ皇帝として、
世界に冠たる大国の君主として振舞いたかった。
まあおおよそそんなところです。
で、ビスマルク罷免後、ヴィルヘルム2世はビスマルクの均衡政策を捨てて
「世界政策」とかいう帝国主義膨張政策を推進し、第一次大戦に向かっていく
わけだ。
バノックバーンの戦いでスコットランドに負けてるじゃねえか
>>434 イギリスでは内戦と数えられているのかも
百年戦争は英国的には引き分けという解釈なのか
シェークスピアシンドロームというのがあってだな…
「1066年」以来ってことは外敵の侵入で征服されたことがないって 話なんじゃないか?
>>403 >中世では、まずドイツ王になってから、ローマに出向いて、ローマ教皇から、ローマ皇帝として戴冠してもらうパターンが多い
日本も同じようなものだった、
徳川の将軍はみんな、京都に行って天皇の勅っていうのか、形式的な承認を受けてたと思う。
鎌倉、室町幕府も同様だったんじゃないかな。
中国も秦の前までは、各国は周王室の形式的任命を受けていた。
秦は、周囲を征服する過程の都合で周をつぶしてしまってそれができなかった。
それ以後中国では、前王朝を抹殺するのが通常になった。
>>440 んなわけがない。
鎌倉時代には将軍宣下の手順すら定まっていなかった。
室町時代には将軍は朝廷から普通に宣下を受けていた。
江戸時代には家康は京都で宣下を受けたが、秀忠以後は勅使は江戸(慶喜は大坂)に下って宣下を受けた。
ちなみに4代家綱から13代家定までの10名の将軍は将軍在任中に一度も上洛しなかった。
世界の歴史みてると、異民族出身だったり混血してる君主って少なくない、というより多くないですか?
>>442 たしかに多いが、近代ナショナリズム前の時代には
よほど外見が違うのでもないかぎり異民族出身なんていう区別も無意味だったんじゃないだろうか。
そんなことよりも高貴な血筋か卑しい出身かのほうがよほど大きかっただろう。
あるいは異教徒とか。
>>445 その知恵袋の回答を読んだ上で何が疑問なの?
447 :
世界@名無史さん :2010/02/26(金) 10:23:26 0
東南アジアって著名な歴史家がいないよな。タキトゥスとか司馬遷みたいな。 諸王朝間で活躍した将軍とか諸王朝間の政策の違いとかラプ・ラプとか 知りたいのに当時を記録した書物が少なすぎるー。
>>431 そもそも、カヤ諸国が日本の支配下だった云々の言説自体が1970年代までの通説だしなー。
>>441 あ、専門家だ。
フォローありがとうございます。
450 :
世界@名無史さん :2010/02/26(金) 14:57:40 0
451 :
世界@名無史さん :2010/02/26(金) 17:47:35 0
>>447 ベトナムには「大越史記全書」とか「大南寔録」みたいな正史があるけど。
452 :
世界@名無史さん :2010/02/26(金) 18:11:52 0
宋書倭国伝によると、451年に宋は倭王済(允恭大王)に 「使持節都督・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事」の号を授け、 478年には、倭王武(雄略大王)に 「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」の号を授けた。 金官加羅の王家の子孫である金ユ信の行動は、倭国に対する裏切りではないのか?
200年前のことを持ち出してもなあ しかもそれを7世紀の倭国王が持ってるか?
>>452 その記述の捉え方も戦前と、戦後の冷静な歴史学界では大分違ってるよなー。NHKの特集でも説明されてたね。
455 :
世界@名無史さん :2010/02/26(金) 19:21:17 O
>>444 近代国民国家の目線で語るのは禁物ってことですね
近代ナショナリズムの視点で過去を見る人が多いね。 歴史を誤解する元だ。
459 :
世界@名無史さん :2010/02/27(土) 00:43:58 O
網野善彦の聖徳太子は日本人ではない発言思い出したわw
461 :
世界@名無史さん :2010/02/27(土) 02:26:36 0
wikipediaより バノックバーンの戦い(Battle of Bannockburn、ゲール語:Blàr Allt a' Bhonnaich )は、 1314年6月24日にスコットランドとイングランドの間で行われた戦争。 スコットランドに侵攻したエドワード2世率いるイングランド軍が、スターリング近郊で ロバート1世とスコットランド軍と戦い、大敗した。 ほんとだwこれは内戦になるのかな?
>>461 当時のイングランドとスコットランドはまったく別の国家なんだから
その両国間の戦いを内戦と言うのは無理がありすぎるだろ
463 :
世界@名無史さん :2010/02/27(土) 02:39:28 0
米英戦争は英国の勝利だね。米国の勝利目標であるカナダの奪取をくじいたのだから。 しかもアメリカは首都まで陥落しているw
464 :
世界@名無史さん :2010/02/27(土) 02:41:04 0
しかし英国は戦死する人数が膨大だよな。それでも必ず勝つのは生産力で 勝るからだろう。だからアメリカが生産力を強めた後は戦う前からゴマすってる国にw
465 :
世界@名無史さん :2010/02/27(土) 04:41:41 0
いいか、よく聞けよ。 一番大事なことは、歴史的事実がどうであったかということではなく、 日本にとって望ましい歴史とはどうあるべきかってことだ。 愛国心のある日本人なら、そこんとこわかるだろ。 問題なのは事実がどうだったかってことじゃない。 日本人にふさわしい日本に誇りを持てる歴史を書くってこと。
アホ
>>465 そんなこといったら半万年の歴史がどうたらとか自家撞着してるあの国とどう違うんだ?
469 :
世界@名無史さん :2010/02/27(土) 08:45:46 0
>>462 当時の認識は現代とは違う。
ロバート1世と被る時代に生き、イングランドへの抵抗戦を指導したウィリアム・ウォレスは
イングランドに捕まって処刑されたが、
その罪状は「イングランド王に対する謀叛」だった。
スコットランドの地はイングランドの領土、スコットランド人はイングランドの領民という認識が
イングランド中枢にはあった。
472 :
世界@名無史さん :2010/02/27(土) 10:42:54 O
アメリカ大陸の先住民の多くは、ヨーロッパ人が持ってきた疫病に殺されたと 言われていますが、逆にヨーロッパ人が世界進出したために、 ヨーロッパに疫病が入って流行したことは無かったのでしょうか?
475 :
世界@名無史さん :2010/02/27(土) 13:56:28 0
>>465 が歴史を知らないことはよ〜く分かった
なんで専門板にいるんだよ
最近こういう手合いがやたらと増えたな
sage忘れスマソ
>>475 違う
最近減っていただけで、実は歴史というのはえてしてこういうもの
>>465 が馬鹿で既知害イなのも事実だけど
>>474 有名なところでは、まず、梅毒
もともとは新大陸の性病だったが、コロンブス一行によってヨーロッパにもたらされ、わずかその20年後には
世界の反対側の日本の長崎でも記録されるほど世界中に大流行
状況は違うが、14世紀に大流行したペストもヨーロッパ在来の病気ではなく、モンゴル人がアジア方面から
クリミア半島に持ち込んだもの
そのクリミア半島のカッファと交易していたジェノヴァ人が持ち帰って広めてしまったので、ヨーロッパ人の
世界進出によって入ってきたと言えなくもない
梅毒は、コロンブスの最初の”新大陸”到達よりも先に、地中海の東から広まってますな。 コロンブス艦隊が持ち帰ったというのは俗説で、こんなトンデモが俗説になったということで有名になった一例。 実際はシベリア経由で広まったらしい。
>>480 が言ってるのは、どうも旧ソ連時代に、
ソ連の御用学者が西洋中心史観に対抗するために作り出した話らしい
コロンブス説は決定的な証拠があるわけじゃないけど
もっとも有力な説としての力は失ってないので、念のため
482 :
474 :2010/02/27(土) 15:00:16 0
>>479-481 ありがとうございました。
諸説あるようですが、侵略側もそれなりに損害を受けたようですね。
絵を描こうと思い至った場合、まず写実的になるのが当然だと思うのです。 それが一番素直な考えだと思うのです。 しかしヨーロッパ以外では写実を極める以前に抽象化に向かってきます。 これはなぜなのでしょうか? 自分の想像ですと、絵の具の質が悪くて抽象的な様式に行かざるを得なかった という気がするのですが、それにしたって、遠近法すらないというのは 変な気がします。
最古の絵画である洞窟壁画は棒人間とかだぞ。ヨーロッパでも。
>絵を描こうと思い至った場合、まず写実的になるのが当然だと思うのです。 >それが一番素直な考えだと思うのです。 断言する根拠は? 突拍子がなさすぎる >ヨーロッパ以外では写実を極める以前に抽象化に向かってきます 意味不明 >遠近法すらないというのは あんたの認識不足。レオナルドが解析したのは透視図法と言い、遠近法の一つであるが、 逆に言えば、透視図法以外の遠近法があったということ 芸術史の知識不足を披露するより先に、まずは最低限の基礎知識を得てから考えような いきなり「当然だと思う」ようなぶっ飛び方をせずに
>>479 梅毒以前に、ペストなんかも
東方遊牧民との接触で
>>479 あ、ペストは下段に書いたのか、すまんw
>>483 >ヨーロッパ以外では写実を極める以前に抽象化に向かってきます
具象を極める技術がなかったから
>>485 根拠と言われてもね。素直な疑問ですよ。
小学生に同じ質問をされて、美術史をグタグタ語るんですか?
それぐらいの素人なんであなたの知っている範囲で語ってくださいよ。
>>489 >>485 じゃないけど、小学生に質問されたら、じゃ写真みたいに描いてみって言ってみる
んで、無理だべ?どうしてもそういう風に描いたら逆に汚くなるべ?だから昔のひともシンプルにやってみた
で、やってるうちに今度は写真みたいに描くやり方が少しずつわかってきてできるようになってきた
だから抽象的な描き方のほうが最初に来る
ヨーロッパ白人以外は馬鹿だったからできませんでした という答えを期待してるんだろ?
>>483 彫刻はギリシア、ローマで水準に達しているのに、絵のクォリティが並走してるとは思えない。
というなら判らなく無いです。
絵画のクォリティがギリシア、ローマレベルに達するのは、ルネッサンス期は精度はイマイチ。
ミケランジェロ、ダヴィンチの絵はペタンとしてる。
追いつくのは、バロック期というのでしょうか、絵画はフェルメール、レンブラント、ベラスケ
スクラス。
彫刻ではベルニーニの登場で更に精度が増す。
だいたいこのあたりで技術は頭打ちといった感じでしょうか。
いわゆるアンシャンレジームの功績というのか。
しかし、19世紀〜20世紀の、いわゆる芸術家の作品というのは、まったく糞だね。ここらで
ガックンとクォリテイが落ちる。
ただし、写実力というなら、現代の美術予備校クラスで身に付ける事が出来るのという話。
10代で昔でいう神童クラスなんてゴロゴロといる。(勿論下手糞、勘違いな奴はそれの数万倍)
“要は、そういう美術の技術を教えるところの有無の話じゃないかと”
ローマ時代終焉でも色んな技術が断絶する訳だし。
道具といえば、良い絵具、鉛筆でなくても、木炭で十分再現できる。
ただし、それら道具を削り精度を出すナイフなどは文明の成せる業。
答えになっとるかなあ。 返事もらえると助かるぞ。
パノフスキー嫁
なんか頭ごなしに否定してから入る人多いね 堪えるのめんどくさいなら態々憎まれ口叩かないで「ググれ」の一言ですむじゃん
堪える→答える
>>494 この質問者の聞き方は白人優越主義者の論題の立て方に近いから
琴線に触れた人がいたと思われ
琴線じゃなかった、逆鱗ね
質問を装った荒らしはスルーしろと
なんで清代末期の中国人は、義和団の乱とか色々な教案事件でキリスト教に対する嫌悪感を 露にしてたのに、太平天国の乱の時は「自分はキリストの兄弟で、儒教は邪教である」とかいって反乱を おこした基地外の軍に身を投じて、10年以上も戦えたの?
>>500 キリスト云々は建前。本音は清朝打倒したかったから。
清の西太后の悪行は後世の創作が多いと言うのは本当ですか。 特に共産党の創作がひどいとか。 満州民族の彼女は共産党の漢民族に目の敵にされてたとか。
>>500 >本音は清朝打倒
これも建前。 寄って集って暴力を使える名目が得られれば何んでも良い。
>>499 太平天国軍の通過した土地では、村落が破壊され、物資も奪われた
住民は家も食料も失い、男も女も太平天国軍についていく以外に生きる道がない
こうして太平天国軍は、通過する土地の住民を吸収し、移動していくにつれて雪だるま式に巨大な軍勢に
ふくれあがっていった
兵士たちやその家族にしてみれば、別にキリスト教思想に共鳴したわけでもなんでもなく、そうする以外に
食うすべがないから、しかたなく太平天国に身を投じただけ
これは太平天国に限らず、中華では、王朝に対する民衆反乱軍によくあるパターン
>>502 海軍の予算を流用した話があるけどそれは共産党の捏造で実際は海軍の費用の名目で金を集めたらしい。
その話を読んで俺が思ったのは五十歩百歩だな、ということ。つまり言われてる通りとは限らないけど悪行はある。
506 :
世界@名無史さん :2010/02/27(土) 21:13:26 0
世界史板は、どうして過疎ってるんだい?教えて下さい。
一番最初に梅毒になった人はなにがきっかけでなったんですか? 性病の始まりってよく分からないです
508 :
世界@名無史さん :2010/02/27(土) 21:26:20 0
>>507 それを一生涯かけての研究テーマにしてください。
学士院会員を目指して。
>>499 1858年の天津条約の項目の一つがキリスト教布教の自由を認めることだった。
つまり太平天国の乱の頃は表立ってキリスト教は布教されていなかったということです。
だから中国人民にも反宣教師感情も無かったのです。
反宣教師感情が醸成されたのは天津条約後に特権を得た宣教師が中国内陸部に進出し、
横暴を極めるようになってからのことです。
>>508 これ、解明できたら多分学士院どころじゃなく
ノーベル生理学・医学賞だと思う
>>507 伝染病の病原体の中には、もともと人間以外の動物に常在している、その動物自体には
無害なウィルスや細菌というものがある
人がその動物と接して感染すると、人間には有害な病原体となり、広がるわけだ
インフルエンザウィルスもエイズウィルスもそう
梅毒スピロヘータも元々何かの動物の常在菌だったのかもしれないな
もしそうだとすれば……あとは言わなくてもわかるな?
傷口からも感染するぞ
ま、人間の生殖部に棲むからといって、元の動物のどこに寄生していたかは 不明ですから^^
史学畑でも医学賞とか貰えるのかね?
どうやって史学的研究で梅毒の起源を割り出すんだよ
妻を梅毒にするために、まず自身が感染した人って誰でしたっけ?
517 :
世界@名無史さん :2010/02/28(日) 06:37:29 0
その人は横根さん?
飛行機の発明が誰によるものかほどどうでもいいことって珍しくない? アメリカと日本ではライト兄弟を発明者ということにしているけど、 ライト兄弟以前には、より不完全な飛行があり、 ライト兄弟以後には、より完全な飛行があって、 どこからを「成功」と看做すかの線引きの問題でしかないでは?
519 :
世界@名無史さん :2010/02/28(日) 12:11:59 0
線引きはちゃんとあるよ。うろ覚えだけど、ライト兄弟の作った飛行機は、 「動力を用いた空気より重い物体が、人により制御され、 離陸した場所と同高度または高高度に着陸することができる機械」 という定義を満たす人類初の機械であったことは確実。 詳しくは国際航空連盟のホームページ(英語)にあった気がするから探してみ
>>519 それが「ライト兄弟を飛行機の発明者にする目的に沿う定義」
どうでもいいんならライト兄弟でもいいだろ どうでもよくないからこそ「うちの国のだれそれこそ最初の有人飛行の成功者」 とか主張する流れがあるわけであって 政治とか見栄とか経済的事情とかその他もろもろの都合があるんだよ
522 :
世界@名無史さん :2010/02/28(日) 13:34:36 0
”発明品の定義”は”その発明をした者”がするは当然では? 誰が定義付けすればいいんだよ。 例えば、携帯型音楽プレイヤーを世界で初めて発明したのはソニーだけど、 あなたはそれについても 「いやいや、それはソニーを発明者にする目的に沿う定義だ。 携帯可能な蓄音機はそれ以前にアメリカで発明されているじゃないか。線引き次第に過ぎない」 っていうのかい? 要は発明者が、これはこれこれの定義でこの分野初の発明ですと宣言し、 それが世間に認められるか否かだよ
飛行機の場合、概念そのものは古くから提唱されていたからね ライト兄弟が複葉機の発明者であるのは確実だろうが 最初のFlying Machineの発明者であるかとなると厄介な問題になるのは当然だ
飛行機の発明者という大雑把な決め方がどうでもいいよな 飛行機の種類や発達段階の線引きごとに考えないと んで 「飛行機」の発明者がライト兄弟って言ってる人がいるの?
「B君が当競技において、初めて107.3ポイントを越え、107.4の記録を叩き出した。 人類史上、107.3オーバーに初めて到達した偉業として名を残すだろう」 「その前にA氏が105ポイントを出したとき、初めて100の大台を越えましたね? その成果は、今回の記録よりも価値が低い? そもそも、なぜ107.3という半端な基準が設けられるのです?」 「107.3をもって、新しい世界が開けたと言えるからだ。 105では、107.3の基準を満たしたとは言えない」 「B氏の直後に、C氏が202ポイントの新記録を出しましたね。 いきなりの大幅更新となって、当競技はC氏のスタイルが模範とされそうな流れですが」 「B君が107.3を越える方が、C君の200越えよりも僅かに早かった。 従って最初の107.3到達として、B君の偉業に価値がある」
そうまでしてライト兄弟ディスりたい自分の胸に手をあててみれば なぜ「飛行機の発明者」と認定されることがそうまで重要なのか逆接的に理解できると思うよ
527 :
世界@名無史さん :2010/02/28(日) 18:27:48 0
つうか欧米白人の定義は「神と同等になった白人」という前提があるから簡単に「無から 生み出した発見者(起源)」が生まれる。だから現在のありとあらゆるものはその前後の 流れ、人々の知恵と工夫の蓄積を無視して白人が起源となってしまいやすい。飛行機に「上空を 飛ぶもの」という意味でいいのなら、人が乗った飛行機なら古代支那の気球が最初だろう。 それと大昔墨子が「3年研究し木で作った鳶を3日飛ばした」という記述がある。
528 :
世界@名無史さん :2010/02/28(日) 18:28:33 0
>>525 それ俺が以前言った「産業革命の詭弁」じゃないかw
529 :
世界@名無史さん :2010/02/28(日) 19:01:48 0
>>527 シナ起源の発明が一番胡散臭い
文献や資料だけで断定できるならもう何でもアリだな
近代以降の発明家と同列に語ること自体無理がある
530 :
世界@名無史さん :2010/02/28(日) 19:43:25 0
俺も白人だからチャンコロなんて信じないよ。
次
ライト兄弟の存在が無ければ第一次大戦での空からの攻撃は無かったか? 無論、当時、他の何某がやっていたかも知れない。 飛行機はかなり早く実用(乗馬のようなステイタス、スタイリッシュにもなり)、 なおかつ実戦用に繋がった訳で、これが発明の歴史的意味とする所以ではないかと。 新しい物を正しく見て貰うには、何より時代のタイミングもあるが、酔狂、奇天烈 な感じにならないのが重要だと思うなあ。 コレが非常に難しい! そういった点がクリアーだったのでライト兄弟(若しくは取り巻きの尽力)は発明 者、偉人と列記されるに至ったのではないかなと思う。 違うか。
533 :
世界@名無史さん :2010/02/28(日) 19:46:13 0
白人は紀元前にバルカン半島で無からすべてを発明した(古代ギリシャ文明) その後ビザンツで古代ギリシャを研究し、 ルネサンスを経て 近代の科学革命と産業革命を起こし、IQ20くらいの有色人種を滅亡させ、 売春しかとりえのない日本を文明化させてやった。
534 :
532 :2010/02/28(日) 19:46:23 0
そうだね 次だ次。(W
>>527 墨子のそれは、よく言ってもグライダーであって、飛行機(動力付き)じゃない
しかも離陸地点より高く上がることは無かったというシロモノで、
どちらかと言えば落下傘に相当する概念じゃなかったか
気球は飛行機どころか、重航空機の範疇にも入らないから、論点の対象じゃない
古代支那の気球理論は模型までで、人が乗せて浮いたとは初耳だが、
出典は何?
科学的に説明つかない話なら、ラーマーヤナの飛行機械が最初でもいいだろう、もう
536 :
世界@名無史さん :2010/02/28(日) 21:03:45 0
うんうんそうだねそうだね「白人が名づけたもの以外は迷信で科学ではなく 経験則の錬金術である」と唱えていればいいよ。
537 :
世界@名無史さん :2010/02/28(日) 21:06:00 0
白人はモノの定義まで作れる、まさに唯一神だなw
>>527 無茶苦茶だ。気球と飛行機は明らかに違う。
539 :
世界@名無史さん :2010/02/28(日) 21:11:30 0
人々が古来より蓄積し、継承し、工夫し、発展させてきたものを白人の手にかかれば「現在 最もそれを発達させた者が起源」となるのだからすごいよな。ライト兄弟以前に確かに 現在の飛行機と定義されているものはなかった。だがそれが「つまりその後もそれに 繋がるものはなく、その努力もなく、その形跡もなく、無からいきなりライト兄弟が 飛行機を生み出した」ということになるのだから。まるで創造主になったみたいに。 本当に情報工作が得意だよなあ、彼らは。
540 :
世界@名無史さん :2010/02/28(日) 21:13:25 0
「墨子の飛行機は現在のとは違う。つまり飛行機じゃない」 「気球だって?現在のとは違う。つまり飛行機じゃない」 「ライト兄弟だって?ああ、彼らから飛行機が定義された」 ←ココ重要 「ジェット航空機?ああ、ライト兄弟を継承した飛行機といえるね」 「宇宙船?ああ、あれもライト兄弟が起源の飛行機だろうね」 この詭弁に気づかない限り有色人種に未来はないよ。
541 :
世界@名無史さん :2010/02/28(日) 21:13:29 0
次の質問どうぞ
542 :
世界@名無史さん :2010/02/28(日) 21:16:49 0
ところでここの白人崇拝者が好きなアメリカの技術史紹介か何かの 記事に「空の歴史」があって、そこで「古代支那の気球は当時の空を 利用する発明において群を抜いたものである」と紹介されてたよ( 英語版のwikiだったと思う)。それでもここの人たちは「それは 飛行機じゃないし、定義もないし、飛行の定理もないし、彼らの名前は ライト兄弟じゃなかったし、つまり無意味」というんだ?
>>540 技術的側面から言われてるのを
人種でしか見れないバカは氏んでいいよ。
544 :
世界@名無史さん :2010/02/28(日) 21:22:31 0
>>543 その前提からして間違ってるんだよおバカさん。時代が時代なら
あんたは植民地で買弁としてひと財産を築けただろう。
次
間抜けは「一ドル360円の固定相場制の範囲内でがんばろうとする」 しかし利口な奴は「固定相場を打破するのにがんばろうとする」 いったい独自の定義をせずに誰かが定義したものを以って物事をはかる者は その者にすべてを制せられてしまう。人間とはなにか?幸せとはなにか? すべて他人(ここでは白人)が定義した内容を信じてしまう。そしてその 信者となって他のものを見下そうとする。虎の前を歩く狐みたいに。 歴史はこういうことを考える学問なんだ、決して暗記じゃない。
この恐るべき「定義と起源の詭弁」はアジア世界とかみんなだまされたからなあ。
>>546 明らかに1ドル100円より1ドル360円の方が日本の輸出業には有利なんだが?
>>544 気球と飛行機の区別もつかないおバカさんが、何を言うか!
?? 君根本的にバカそうだからレスしてくれなくていいよ^^;
ここは議論スレじゃなく質問スレだろ・・・
>>549 何だよ。固定相場打破しないで1ドル360円の方が日本は儲かった。
アメリカがこれではたまらんと打破してきたんだろ。
>>539 >人々が古来より蓄積し、継承し、工夫し、発展させてきたもの
別に白人マンセーする気は毛頭ないが、墨子の飛行機なるものは、あきらかに
「蓄積」「継承」「発展させて」きてはいないぞ
そりゃそうだろ。有色人種は「経験則と勘」しか持ってないのだから。
554 :
世界@名無史さん :2010/03/01(月) 00:22:02 0
ライト兄弟が達成した偉業により後の航空開発が促進されたのは言うまでもなく その遥か昔にあったとされる謎の気球?wwなんぞよりかは人類の進歩に大きく貢献しただろう
>>544 墨子や西洋のも含めた有象無象の話で言ってるのに、
人種がどうのこうの言ってるバカは氏ねよ。
明の皇帝が封禅を行っていないのは何故なんでしょうか?
封禅やってる皇帝の方が少ないぐらいだが、 明代の宮中は明教やラマ教や道教が強くて儒教祭祀は流行らなかったんじゃないかなあ 洪武帝も永楽帝も忙しくてやる暇がなかったのかもしれんし、他の皇帝はボンクラばっかりだし
>>372 近代と中世とが戦争して、中世が勝てるはず無いだろ。
鎌倉なんて瞬殺される。
基準による。 よさこいよさこい
綱吉ねぇ…… 高く評価する人もいるし、実際、一種の理想主義者ではあったと思うが 結果的に庶民を苦しめたわけだし、幕府財政も彼ぐらいの頃から どんどん悪化していくし 個人的には、名君とは呼べないと思うけどね つーか、日本史板できいた方がいいんじゃね?
562 :
世界@名無史さん :2010/03/01(月) 09:03:42 0
白人白人逝ってる奴は、本国無しのハーフかなんかか? 日本人が韓国だの中国の功績を、一緒にして誇るようなものだろう。 ドイツ人が白人だとフランスの功績を誇るか?
563 :
世界@名無史さん :2010/03/01(月) 11:59:51 0
当方、一応は世界史を専門としている地歴の講師ですが、 神聖ローマ帝国とバルカン半島の歴史に関してあまり記憶を整理できておりません。 そこでネットで本を探していたところ、河出書房から出ている『ふくろうの本』シリーズ に目が留まったのですが、これは記憶を整理するためにも買っておいて損はないでしょうか? 或いはここのスレの方で「もっといい本あるよ!」があればご教授くださいませ
>ライト兄弟が達成した偉業により後の航空開発が促進されたのは言うまでもなく ねーって ライトフライヤーよりも後に登場して、なおかつはるかに洗練されたブレリオ11型が 航空開発に劇的な影響を与えた
てすと
すごい、生きてる もうダメなのかと思った
清って、どうやったら辮髪と満州服を漢民族全体に強要できたの? 圧倒的な火器がある現代ですら他民族に文化を強制することは困難なのに、しかも満州族なんて 漢民族の何百分の一ぐらいのマイノリティーじゃないですか。 歴代異民族王朝は自身が漢化するのに、どうして清だけ満州文化を漢民族に定着させることができたの?
>>567 もちろん従わないものは全員斬首
全員に強要じゃなくて、役人とか支配階層だけだと思うけど
>何百分の一
そんなに少なくない、1/20じゃない?
さらにその下に征服過程で吸収した何倍もの漢族の兵がいる。
>>559 明治政府が自らの正当性確保のため過去の将軍を暗君に仕立て上げたという
側面は有る。
>>568 清末の写真見てると、辮髪じゃないやついないぞ。
手入れせずにボサボサのやつはいるけど。
胡服弁髪を免除されたのは仏僧だけ。
>>567 >清って、どうやったら辮髪と満州服を漢民族全体に強要できたの?
みんなも言っているように、弁髪を押しつけた当初は、「髪をとどめる者は首をとどめず」といって
実際に見せしめに首を切っていた
そういう状況で、もし君なら、弁髪にせずに意地を通せる?
>歴代異民族王朝は自身が漢化するのに、どうして清だけ
弁髪と服以外は、清もメチャメチャ漢化している
清こそ、一番漢化した異民族王朝言っていいぐらい
漢文化にそれほどかぶれなかった異民族王朝って、元ぐらいのものだな
歴史上綱吉を一番高く評価している人物はたぶん吉宗 吉宗の伝記の中に出てくる綱吉だけはめっちゃ名君の風格になる
メイドさんと風呂エッチしたはずみで出来た要らない子だったものを、 一応、名目だけとはいえ、大名に取り立ててもらってるからね。 越前葛野、表石三万、実高五千八百石という。
乱行が祟って改易されそうだった吉宗を 「若くて結構なことじゃ、ほっほっほ」の一言で不問に付したのも綱吉 吉宗は臨終に際して綱吉廟への合祀を命じているほどだ 半分の理由は「新しい墓なんぞ無駄だから作るな」ではあるが
577 :
世界@名無史さん :2010/03/03(水) 08:12:29 0
>>572 その通りだと思います。支那は明の法家に偏る支配体制により文明の発展が
とまり、清になると「過去の支那」を中原に押し付け、またも文明の進歩が止まりました。
578 :
世界@名無史さん :2010/03/03(水) 09:00:43 0
官従而民不従 男従而女不従 生従而死不従 : :
579 :
世界@名無史さん :2010/03/03(水) 18:34:48 0
アラブ系の国だと思うのですが、クネクネ踊るダンスをしてる女の人の動画見たのですが おそらくイスラム教の国っぽいような気がするのですがどこの国かわかりますか? 顔も隠してなくて欧米の歌手のコンサートみたいでした
580 :
世界@名無史さん :2010/03/03(水) 18:40:32 0
何故 あの古代ローマもフランクも領土は ライン川、ドナウ川止まりなのでしょうか? その向こうはそんなに強かったのですか?
581 :
世界@名無史さん :2010/03/03(水) 19:11:07 0
同じ都市国家でアテネとローマでローマは地中海を制覇する大帝国になれたのに なんでギリシアのポリスはそのようにならなかったのですか? せめて、ギリシアを統一するくらいまでになれなかったのでしょうか? デロス同盟なんてありましたがあれは、アテネを中心とした軍事同盟ですよね?
ローマはゲルマンの征服よりもガリアのローマ化を優先したため。 川や山といった地形が防衛線を構築するのに適しているのは今も昔も同じ。 下手に侵攻して版図にするよりも、国防費を安く済ませる方法を考えたほうが為政者としては賢いだろう。 初代皇帝アウグストゥスはエルベ・ドナウ川を防衛線にしようとしていたようだが、 トイトブルクの戦いで大敗北して、再遠征を計画中に死去。 二代皇帝ティベリウスが遠征計画を中止にして、ライン・ドナウで固定された。 仮に、後先考えずに侵略しまくれば、現在のポーランドあたりまでの征服は可能だったと思う。 ローマ人はヴィスワ川くらいまでの地形は知っていた。 フランク王国の場合、カール大帝のときにドナウ川もエルベ川も越えた版図を持ってたような気がするんだが?w 一応、当時はアジア系遊牧民やらスラヴ人やらが押し寄せてきていて、 討伐してもきりがないという状態ではあった。
>>483 >>492 スーパー遅レスだが、古代ギリシアの絵画(フレスコ・テンペラ)作品はあまり残ってないので(よく見られるのはモザイク画だったり芸術作品ではなかったり)
実際のところどの程度すごかったのかはわかっていない。大プリニウス曰く「ものすごい写実」ってのを皆鵜呑みにしてるだけ。
ルネサンス期というのは古代芸術の復興なのだから、写実性において彫刻に優越されているのはある意味当然だろう。
ちなみに、14〜15世紀というのは建築VS彫刻VS絵画のどれが最も優れた芸術ジャンルか、という不毛な議論を延々としていた時代だった。「パラゴーネ」でぐぐれ。
あとは大体
>>490 で正解。写真も鏡もろくなものがない時代に写実的な絵画を求めるほうが無理。
ただし、中世ヨーロッパやイスラーム世界ではそもそも写実的な絵画が宗教上の理由で嫌われていた、という事情はぜひとも加味しておいてほしい。
東洋ではそんなに写実から離れていってたわけでもない。
中国では独自の遠近法が発明されていて、北宋期にはすでに確立されている。これも「三遠法」でぐぐれ。
ついでに言えば、
>>485 は間違い。
線的遠近法を発見したのはよりルネサンス初期のブルネレスキに帰せされる。
レオナルドが発見したのは空気遠近法、通称スフマート。
584 :
世界@名無史さん :2010/03/03(水) 19:52:34 0
日本でもあちこちに教える教室がある。
586 :
世界@名無史さん :2010/03/03(水) 20:25:05 0
NHKで上原多香子のベリーダンス紀行を扱った番組が放送以来大人気。 もう10回は放送してるw またそのうち放送すると思う。
587 :
世界@名無史さん :2010/03/03(水) 20:35:49 0
絵画の話題に便乗して質問。 中世の西アジア(イランあたり)の細密画に描かれているキャラの姿が、 ナヨナヨした柳腰で、薄味しょうゆ顔のモンゴロイド風の人物が多いのはどうしたわけだろう? なんで西アジアなのに、ゴツい毛むくじゃらのマッチョなアラブ人やトルコ人ではなく、 中国人風のチャラいナヨナヨした奴ばっかりなんだろう?
それ、昔のトルコ人て、まさにそんな風貌の傾向が強かったのだが
>>581 ギリシア人は純血主義で、ポリスの市民権をほいほい異邦人には与えなかった。
デロス同盟も、所属する各ポリスはアテネの属州ではなく独立国のまま。
またペルシア帝国はギリシア全体よりはるかに巨大で、スパルタなどに資金援助して統一を妨げていた。
ポリスの内部にもさまざまな政党があり、これが外国と結んだりして混乱をあおった。
しかも西地中海にはシラクサやカルタゴがあり、アテネ程度の国力で対抗できる相手ではなかった。
それにローマだって一気に大帝国になったわけではなく、建国からイタリア統一まで五百年もかかっている。
外国人留学生を奈良や京都に案内したのですがこう聞かれました。 「この京都文明や奈良文明は何故滅んだのですか?」 何と答えればよいのでしょうか?(応仁の乱で滅んだ、まだ滅んでない、その他) イタリア人は古代ローマ文明が滅んだとは考えない。 ギリシャ人は古代ギリシャ・・・以下同文。 エジプト 以下略 ってのは本当でしょうか。
>>587 モンゴルのイル・ハン朝が支那から絵師を連れてきてたんで
ああなった。
592 :
世界@名無史さん :2010/03/03(水) 21:22:19 0
「時の権力者がその都を移したのです」 というひとこと。
>>587 イスラーム美術は専門じゃないのと、中世はいつを指しているのかが不明瞭なので答えづらいが……
イスラーム文化圏は徹底的に偶像崇拝を禁止したので、人物描写はおろか絵画・彫刻が発展しなかった。
代わりに発展したのがアラベスクに代表される文様・デザインと陶芸、ガラス器、金銀細工等の工芸品。
ゆえに、イスラーム絵画の本格的な発展は北宋以降の中国絵画が海路を通じて流れ込んできてから、というのが通説。
それをまねて描いたから人物はオリジナリティが薄く、どうしても中国風になった、というのが大きな理由だと思う。
この流れはモンゴル帝国、ティムール朝、ムガル帝国の流れに受け継がれたので、延々と中国風のままだったりする。
それ以前の話だとしても、やはり唐からの中国絵画がシルクロードで(ry、としか答えようがない。
それでも、そういうのを描いたのは大体イラン人かインド人で、イスラーム以前から絵画素養があった民族や地域。
というか、ガラスも陶芸も金銀細工も、イラン人の得意技だわなぁ。
便乗の断り書きを付け足してるけど、587の質問はコピペ。
595 :
世界@名無史さん :2010/03/03(水) 21:57:47 0
いや、前にも別のところで同じような質問はしたが、 文章自体は今日考えた、オリジナルの文章だ。
>>590 そもそも「奈良文明」「京都文明」ってのが間違いと指摘する。
>>580 タキトゥスによればゲルマン人は自由を好んで、征服されてもおとなしく従う気が
無かったらしく、すぐに反乱を起こす。
597 :
世界@名無史さん :2010/03/03(水) 23:01:27 0
>>590 その外国人留学生ってのはどこの国の人だ。
>>587 支配階級はモンゴル、元以来、チムールも含めモンゴル系だったからじゃないの?
ペルシャって大体、中央アジアの軍団に支配されていることが多かったような気がする。
(気がするだけです、そうでなかったかもしれません)
>>590 サムライとニンジャによって皆殺しにされました、と言っとけ
ルネサンス文明が滅んだような感じで滅びました。 その後は日本マニエリスム文明、日本バロック文明、日本ロココ文明などが栄えました。
>>590 天皇が都を移した、というのがまず正解。
奈良(平城京)の宮殿などは都を移した後、人が住まなくなったので朽ち果てた。
京都はかつての御所がちゃんと保存されている。
そして天皇は今東京にいる。
そして奈良も京都もお寺は現在もほとんど現役で信仰の場になっているので
滅んでいはいない。
シナの征服王朝はなぜ漢民族をそれなりに優遇したのですか? また、漢民族の文化が、影響力の点において征服王朝のそれに圧倒されなかった理由は何ですか?
人口が莫大だから。
文化って風土や産業の影響が大きいよね。 中原を征服しても他所の風土で成立した文化は そのまま中原で通用はしないのだろう。
>>603 南北朝の北朝では、北方の遊牧民にとって漢文化は憧れだった。
それに征服したといっても、自分たちは少数の支配層として存在していて
その下は多くが漢民族なので、それを無視するわけにはいかない。
ただしモンゴルは漢民族を優遇してない。漢化もしていない。
607 :
世界@名無史さん :2010/03/04(木) 01:51:21 0
中国による朝鮮の植民地時代ってどの時代??
植民地時代なんて無いだろ。 もしあったなら植民した人たちはその後帰ったのかすれとも現地に同化したのか。
609 :
世界@名無史さん :2010/03/04(木) 01:59:18 0
じゃあずっと属国だったのか。
中国には植民という概念そのものがないからね 楽浪郡が植民地であるというならそうかもしれんけどさ
611 :
世界@名無史さん :2010/03/04(木) 02:17:19 0
なるほど。ありがとうございまーす!
植民しない植民地とはこれいかに?
>>603 >また、漢民族の文化が、影響力の点において征服王朝のそれに圧倒されなかった理由は何ですか?
たとえば、(新大陸原産の食材がまだないことをのぞけば)ほぼ現代と同じレベルに達していた中華料理
を食べていた漢人たちが、それまで厳しい自然の中で生きてきた騎馬民族の、素朴で質素な食事を
見たとしよう
自分たちを征服した人たちの食べ物だから、明日からは食事はその騎馬民族風にしよう、などと彼らは
思うだろうか?
多少はその料理も取り入れるかもしれないが、毎日食べたいとは、けっして思わないはずだ
食事だけでなく、万事がそう
当時、中華は東アジアで最先進地域だったんだよ
自分たちよりもはるかに劣る遅れた(と彼らには思えた)文化をわざわざまねる必要はなかったのさ
>>606 モンゴル支配によって、漢民族の文化にモンゴル文化の痕跡は深く残ったのでしょうか?
東ローマ帝国の人たちって、 アッティラや十字軍やトルコによるコンスタンティノープル陥落の時代になっても、、 シーザーやアントニーみたいな半裸に布を巻き付けたような格好だったの? ベンハーとかに出てくるローマ兵みたいな軍装だったの?
ローマ人といえば何でもトーガと思われがちだが、 実は帝政前半くらいの詩人の作品で 「トーガを着るのはもう死んだ人間だけ」というくだりがあり、 ほぼ一般の服装としては死に絶えていたことが分かっている。 あれ、ああ見えて着るのがものすごく不便なので、 もっと簡単な服に駆逐されてしまったのだ。 名作「テルマエ・ロマエ」の描写も実は間違いなんだよね。 面白いからあれでいいけど。
617 :
世界@名無史さん :2010/03/04(木) 11:37:51 0
アヘン戦争が始まる前の、中国の対英貿易について調べたいんですけどどうすればいいですか?
>>615 とりあえず、ラヴェンナのサン・ヴィターレ教会にある、ユスティニアヌス1世と廷臣たち、
テオドラと侍従たちのモザイク画を見なさい
ググれば簡単に見つかるはずだ
>>583 気分良く語っているところ申し訳ないが、
レオナルドが発見したという話がどこにあって、否定してるの?
曹操が孫子を研究したという話題になっているところへ
得意気に「曹操が孫子を著したというのは間違い。孫武または孫ピンが書いた」
と説いて回っちゃう人ですか?
ギリシア人の誰それが何々を研究しました、という話が「発見した」という話に すり替わるなんてことがあるのか疑問だったが、 いかにもありそうな気がしてきた
孫文率いる革命党の中に、明王朝の末裔を推戴して立憲君主国家を作るって案があったそうなんですが これは本当ですか?
>>619 確かにレオナルドも線的遠近法の研究は熱心にしてた。
勝手に研究を発見と読んだのは確かに悪いと思う。
でも
>>485 の書き方で空気遠近法に言及しないのは片手落ちだろう……
いかにも勘違いしているように見えた。
個々の専門に関わる技術内容はそれ用の板で聞いてくんねーかな。 医学だの美術だの数学だの、プロパーじゃねーだろ世界史板は。
空気遠近法なら北宋とか、ヨーロッパルネサンスと無関係な文化圏にも出現してるしな わざわざレオナルドで挙げるようなことでもないよな
美術「史学」disってんのかメーン?w
一応主要な大学では史学科に設置されてるし、
近代歴史学では十分歴史学の範疇として扱われてるんだが、
イマイチ歴史学扱いされないんだよな。
まあ2chは別だろという話をされると確かに美術鑑賞板があるわけだが、
あそこにそんな質問スレねーし、そもそも過疎りすぎてて(ry
>>624 西欧の話をしてるからレオナルドを出したわけで、
わざわざ彼の業績を否定する必要もない気がする。
そもそも
>>583 ではちゃんと三遠法出してるぞ?(あれは空気遠近法とも違う気がするが)
それで空気遠近法を指しているなら、知らないな。
少なくとも中華文明圏以外では聞いたことがない。
あおりでもなんでもなく素で教えてほしいんだが。
よく、朝鮮王国を中国の属国といいう表現がありますが、同じく中国に朝貢していたベトナムは中国の属国じゃなかったんですか?
質問です。 武帝とか文帝とかは「諡号」です。 高祖とか太宗とか神宗とかは「廟号」です。 では永楽帝とか乾隆帝のように元号+帝で呼ぶこの『呼び方』に名前はありますか?
>>626 高麗の王子は、王位につくまで元の朝廷に人質にとられ元で成人するまで育てられました。
ベトナムでは、陳朝が同様にモンゴルの侵攻を受けましたが、陳朝は全て撃退しました。
漠然と朝鮮、中国、ベトナムと呼んでも仕方が無い。
具体的にどの王朝がどの王朝の属国だったかを論じないと意味がない。
さてベトナムには中国に人質を出した王朝があっただろうか。
一世一元の制が明で確立してから年号が帝号になったんだよね。なんでそれまで廟号で名前がよばれるようになっていたかって言うと、 諡号がDQNも真っ青な長さになったから。 例 永楽帝「啓天弘道高明肇運聖武神功純仁至孝文皇帝」 乾隆帝「法天隆運至誠先覚体元立極敷文奮武欽明孝慈神聖純皇帝」 いったい、いつから「武帝」とか「文帝」じゃなくてこんな長さになったんだろう?
前王朝からずっと遡れよ
隋や南朝ではそんなに長くないので、唐代から長くなり始めたみたい。 唐の高祖が神尭大聖大光孝皇帝、太宗が文武大聖大広孝皇帝。 北宋の太祖が啓運立極英武皇帝睿文神徳聖功至明大孝皇帝。お経のようだ。
古代インダス文明が滅んだのは 旧説 アーリア人の侵略 最近の説 インド大陸の北上による地殻変動で川の流れが変わり生活基盤が維持できなくなった。 こんな感じで良いでしょうか。
光緒帝が死ななければ清王朝は存続できましたか? あるいは、日本軍に担ぎ出されて満州帝国の皇帝になっていた可能性はありますか?
634 :
世界@名無史さん :2010/03/05(金) 01:48:35 0
>>617 羽田正『 東インド会社とアジアの海』やCambridge History of Chinaのその部分に関する参考文献を読む。
635 :
世界@名無史さん :2010/03/05(金) 05:52:52 0
>>629-631 北魏に長くなる兆しはあった。
太祖道武帝 太宗明元帝 世祖太武帝 高宗文成帝 顕祖献文帝 高祖孝文帝 世祖宣武帝 粛宗孝明帝 敬宗孝荘帝
636 :
世界@名無史さん :2010/03/05(金) 06:16:57 0
>>587 当時の絵画技術じゃ風貌や顔立ちなんて明確に表せすこなんてできやしない
だいたい世間で知られてる中世の人物像なんて殆どがルネサンス期以降に描かれたものばかり
>>633 光緒帝が生きてて西太后が失脚すれば清朝は10年くらい延命したかもしれないが
清朝が延命したって好い事なんか何も無い。
清朝の延命よりも平和的な近代化ができてたかもしれないからそっちの方が重要だ。
どちらにせよそんなif話しで満洲帝国だの日本軍だの持ち出すのはナンセンスだ。
そのif歴史で満洲帝国だの日本軍だのが出てくるとは限らないだろう。
中国で民主化は無理。あんな広い国で中央集権体制を築くには、独裁的な行政機関が必要なのは歴史的に明らか。 なにせ中華「民国」ですら選挙をしたことがないんだから。台湾みたいな小国家になってやっとできるようになったけど。 もしも台湾が共産党に取って代わっても、選挙はやらなくなるだろうね。
639 :
世界@名無史さん :2010/03/05(金) 13:34:22 0
白人だったら民主化できたんだよな?で古代ギリシャ人が純血種集団で、 世界を文明化するんだろ?
宇宙韓国起源説
641 :
世界@名無史さん :2010/03/05(金) 14:15:04 0
そこで梅棹忠夫:文明の生態史観ですよ
2世紀に張衡が動力を導入した天球儀って、どういうもの? 水力で作動するみたいだけど いわゆる現代の赤道儀みたいに、リアルタイムに回転して 地表の特定位置から見える天体を割り出すことができるもの?
643 :
世界@名無史さん :2010/03/05(金) 18:02:08 0
国の分類で 公国はありますが伯国はなく 伯領となっています これはどういうことでしょうか?
644 :
世界@名無史さん :2010/03/05(金) 18:31:44 0
いや、十字軍がシリアやレバノンのあたりに建国した国家には、 トリポリ伯国(County of Tripoli)とかエデッサ伯国(County of Edessa)とかあるんだが。 「County」の日本語表記が「伯国」なのか「伯領」なのかは、あくまで訳語の問題だろ。
さすがに子国とか男国とかはないな
646 :
世界@名無史さん :2010/03/05(金) 19:54:15 0
ダメだ・・・もう我慢の限界・・・なにこの糞スレ・・・・ もうね、金融工学を学んでる自分からすると馬鹿馬鹿しくて観てられないのね・・・ 高卒とか文系の人は楽しめるかも知れないけど、自分は無理っすわ・・・ っつーことで落ちるわw あとは高卒&文系の諸君で楽しんでくれやノシ
どうぞ。
>>645 その辺は、字面のために、誤解を招きかねないからじゃないかな
子領、男領とも言わずに、子爵領、男爵領っていうし
649 :
世界@名無史さん :2010/03/05(金) 20:50:19 0
中国で皇帝位が定着した後も「王朝」って使うのはなぜですか?
650 :
世界@名無史さん :2010/03/05(金) 20:52:27 0
言いやすいから 「皇朝」ってのは日本天皇家に限定使用
>>628 ベトナムは人質云々以前に国自体が存在せず、中国の領土だった時期が長いだろ(朝鮮でいうと楽浪郡の時代)。
遅くとも11世紀以後には独立してますが。
>>650 ということは、王朝 と言うのは日本語で
中国にはない言葉ですか
「王化」なんて語法もあるし 皇帝は王の一種なんだろ、中国語のニュアンス的に
あくまで仮定の話で、日本史ともかぶさるんですが2つばかり質問してもよろしいですか? 1、元がもし日本への出兵で勝利した場合は統治しようという腹づもりだったんですか? それとも朝貢関係のようなものをもとめるつもりだったんですか? 2、戦国時代の日本に統治するほどの価値があった上での話しですが、西洋諸国、スペイン、ポルトガルなどの国力で侵略は果たして可能だと思いますか? 日本はフィリピンなどと違い、一応国としての力を持っていたと思うので不可能だと思うのですが。 無知ですみませんが、教えてくださるとうれしいです。
656 :
世界@名無史さん :2010/03/06(土) 09:20:19 0
英語の「dynasty」は帝国か王国かを区別していないがな
>>654 「王家」の間違い?
657 :
世界@名無史さん :2010/03/06(土) 09:53:23 O
高麗みたいに天皇にモンゴル王女を嫁がせるのかな?しかし、この頃の朝廷は畿内に外国人が入ってくることすら嫌がるほど排外意識強かったが。
658 :
世界@名無史さん :2010/03/06(土) 10:01:44 0
イギリスのウスターソースって植民地インドの「チャツネ」を不法にパクった やつですか?
>>655 1.高麗と同じでしょう。高麗の王子は人質としてとられて元の朝廷で育てられた。
そうしてすっかり元の人間になった人物が高麗王に即位していたのだ。
間接統治というか傀儡統治というか。
2.国力なんて関係ない。大航海時代は帝国主義の時代とは違います。
母国に関係なく海外に飛び出した冒険者(山賊、海賊の類)が手勢を引き連れて勝手に
アジア、アフリカ、新大陸を侵略していったのです。国を挙げて侵略戦争をしていたのではない。
そして、戦国時代の日本は実際に侵略されていたのです。それに気づいた豊臣秀吉が大事に
なるまえに手を打ったからフィリピンのようにはならなかった。彼らは元寇のように大船団で正面から
戦争を仕掛けるなんてやり方はしません。日本人て戦争=侵略という馬鹿な思い込みをしている人が
多いけど、ほとんどの侵略は戦争なんて馬鹿なやり方はしません。それは最終的な手段に過ぎないんです。
さらに戦争だからといって侵略とも限らないのだ。ついでにいえば、スペインもポルトガルも統治などしてない。
現地人を鉱山やプランテーションで強制労働させただけだ。
660 :
世界@名無史さん :2010/03/06(土) 10:57:25 O
元の宮廷でそだってたら国際的な感覚を身に付け、朝廷を改革して幕府(東日本で生き延びる)に負けない政府にできたかもな。
661 :
世界@名無史さん :2010/03/06(土) 11:04:58 0
>>659 その時代、衰微する支那とその周辺とは違って日本列島は
西洋の下劣な帝国と同じかそれ以上の技術力を持っていた。
だが江戸の惰眠が・・
なんというか敵が居ないと国ってダメになりやすいよね。かといって
アメリカみたいなのは嫌だけど。
662 :
世界@名無史さん :2010/03/06(土) 11:42:20 0
組織は敵に対応するため生まれるんだろw 一人じゃ無理だから
>>657 皇室に元の女子を送り込むことはありえたかもしれんが、公主が来るかどうかは…
高麗王室に元の公主が来たのは忠烈王からだが、これも忠烈王自身がさんざん頼み込んでのことだし
何でかと言えば分朝させられた瀋陽王があり、国内じゃ反元勢力がいたりと自身の権威強化に躍起だったんで
元皇帝の身内になってその武力を背景にしたかったから
日本遠征のための征東行省設置と高麗王のその長官就任もそのため
忠烈王以降、王族の結婚によるベッタリ路線が続くが、果たして日本にそこまでする意義があったかどうか
日本の使い道としては馬の放牧地にするためとか南宋の不穏分子を植民させるためとか、色々説があるが
まず三別抄を討った様に、幕府か朝廷かどっちかを潰して政府の一本化はさせるだろうが、その後がうまくいくかどうか…
「侵略」などという近代社会特有のイデオロギー臭い用語を
前近代の歴史に持ち込むのはいかがなものか。
前近代の話しで唐突に「侵略」などという用語を持ち出して来る
>>655 は
質問のふりをしてるが実は何かのイデオロギープロパガンダをしたいのではないかと疑いたくなる。
>>664 そこまで言うとむしろこっちからイデオロギーな匂いがする・・
ロシア云云とかバカなスレ乱発してんのはCIA工作員か?マメなんだよな。
こんなところで工作するほどCIAは暇じゃないよ
>>660 「国際的な感覚」というのが内実の無い文学的ヨタ。
そんなものとは無関係に大陸のような天皇親政を狙った
後醍醐天皇がどうなったのかを思い出すべき。
>>667 ところがCIAは2ちゃんを重要な情報媒体として工作してるんだな、これが。
天皇は政治に関わらないから長生きできた。 政治に関わってたら政変で廃絶するだろう。
南朝は廃絶してるがな
673 :
世界@名無史さん :2010/03/06(土) 17:52:45 0
>>670 天皇(上皇含む)も政治には参加していた。
古代は大王として君臨し中世においては
将軍の承認をしている。
古代ギリシャ人は混血せずにそのままアングロ・サクソンになったって 話を聞いたのですが本当ですか?
675 :
世界@名無史さん :2010/03/06(土) 18:29:57 0
ユーグ・カペー以降を 西フランク王国→フランス王国と呼ぶらしいですが カペーはカロリング宗家の分家だから 血はつながってると考えていいのですか?
676 :
世界@名無史さん :2010/03/06(土) 18:36:06 0
>>675 いいです。
西フランク王ロベール1世の孫がユーグ・カペーにあたるから。
677 :
世界@名無史さん :2010/03/06(土) 19:16:32 0
カペーの宗家はアリストテレスらしい
678 :
世界@名無史さん :2010/03/06(土) 20:46:24 0
春秋時代に諸侯が周を潰そうとせずに周王室を尊んだのはなぜですか?
>>678 周を滅ぼす力はあってもその後、それを口実に諸候が連合して敵対してきたときに
それを破るだけの力が無かったから。
そのバランスの下、諸侯は周王の権威を利用しながら戦う道を選んだ。
>>678 諸侯は周王室を敬えって言うのは建前です。周王室を祭りあげてその権威を利用して
自身の力を伸ばそうとした。だけども、書く諸侯の力が巨大化していくうちに下剋上の
時代に入り本格的な戦国時代に入る。
682 :
世界@名無史さん :2010/03/06(土) 22:09:27 0
【審議中】 ∧,,∧ ∧,,∧ ∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧ ( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` ) | U ( ´・) (・` ) と ノ u-u (l ) ( ノu-u `u-u'. `u-u'
684 :
世界@名無史さん :2010/03/06(土) 22:50:10 0
>>678 異民族対策のための諸侯間の社会契約かな。
当時の中国はギリシアみたいに、普段はバラバラでも異民族が中原に攻めてきた時だけ
漢族(←この概念も微妙だが)で一致団結して共通の利益を守る体制を取ってた。
まあそもそも、それから数百年後の秦でも統一で無理が出たんだから
西周や春秋時代に実質統一なんて統治技術的に到底不可能だし。
だから現実な方法として周王を中心とした連邦制のようなものがとられていた。
そして、異民族対策で音頭を取る(べきだった)のが周王。
日本史で幕末に「尊王攘夷」という単語が出てくるが元々はこの時代の単語。
中原というは地続きで異民族と接していたから異民族流入の危険は差し迫った脅威だったし。
要するに周王尊重は一種の社会契約だったともいえる。
それと、周朝の諸候は周王家の親戚や功臣が封じられてた場合が多いから
一族郎党でいがみ合うのはよくないし、本家に従おうという考えかたもあった。
>>684 当時漢族なんて概念は無いだろう。
中夏という概念ならあったが。
李氏朝鮮では商人が卑しまれたっていいますけど、戦国時代以前から対日貿易は結構重要でしたよね? 朝鮮で対外貿易に従事していた商人ってのはどんな階層の人たちなんですか?
>>685 > 中夏という概念ならあったが。
夏→中夏→中華
ということですか?
>>686 中人か常民。つまり両班の下で賤民の上。商人だからといって卑しまれたというほどでもない。
農業、工業と同列です。
殷王朝が制圧を試みて失敗した東方諸国って今で言うドコでしょうか? まさか日本?
当時の日本に国は無いはずだが。 殷なんて都市国家の盟主で、現代の感覚で国と言えるほどの規模じゃないし。
山東省とか江蘇省とかあそこらへん。
イギリスの産業革命後、近代市民社会の基本原理により団結禁止法が制定されたとはどういうことですか? 基本原理は契約自由の原則、利潤追求の自由などですが、逆に基本原理に反しているのではないですか? 文献などを読んでも詳しい説明がなく、矛盾のように感じてしまいます。
>>689 中国の王朝が日本を認識したのは秦王朝以降だと思うが。
徐福が日本に渡ったという逸話も有るし。
確実なのは魏。
>>692 近代市民社会といっても、その初期には、たとえば選挙権も誰にでもあったわけじゃなく
一定以上の税を納めている、富裕階級のみのもの
つまり初期に近代市民社会なるものを支えた市民は、たとえば英国ならジェントルマン
という、資本家階級だったわけ
資本家だから、自分たちが契約する自由や利潤を追求する自由は認める
でも、労働者たちが団結して自分たち経営者に刃向かってくるのは、困る
矛盾しているのも当然で、もともとダブルスタンダードなのだ
>>693 >確実なのは魏。
確実なのは、奴に金印を授けた後漢でしょ
後漢書東夷伝以前に確実な日本列島についての史料ってないの?
神武=徐福説は意外と馬鹿に出来ないと思ったのですが。 あとずっと後だけど古墳時代の到来は先進兵器と文化を所持した 渡来人による王朝交替だった説も。
やはり両方とも有り得ない事でしょうか。 とくにイデオロギープロパガンダではないです。
史料的根拠のまったくない、素人の空想だけに基づく推論というのは、 学術的に論破することも必然的に不可能ですもので
始皇帝に気に入られて日本に旅立ったんなら、徐福だっていい年いってるはずだし 弥生初期の半未開地の集団とはいえ、外来人の徐福がそこの長となってある程度の王権を築くのは難しいだろう。 日本と接触があったとするなら、現地の豪族の客分等になって大陸の文明を伝えたとかそんな程度だろう。 あるいは朝鮮の役の薩摩藩みたいに、渡来人による職人村を作ったとか。 徐福一代で外国である日本に王権を築いたなんて、ある意味劉邦や朱元璋以上の奇蹟。 よって徐福=神武天皇説はなりたたない。
>>693 徐福が渡ったのは仙人が住むという蓬莱島であって日本かどうかは判らない。
俺の意見では資金だけもらって逃げた可能性が高いと思う。
それまで渤海湾のどっか、と思われてた徐福の行き先が日本列島になったのは 960年頃(五代の後周)義楚六帖が初出でしょ(蓬莱=富士だと書いてる) その後11世紀の欧陽脩が徐福は日本に行って薬草取ってる、と言い 北条時宗に招かれた無学禅師は紀州は熊野に徐福の祠があると言っている 害がないから関係する二国がお互いに史実だったかもねーって空想を否定してこなかっただけで 本来はただの伝説だろ 日韓の素人が王仁を渡来集団の記号でなくたった一人のスーパーマンにして 伝説を史実にしようとしてんのと同じようなもんだ どっちも一部にイデオロギー利用しようとするのがいるからめんどくさいが
703 :
世界@名無史さん :2010/03/07(日) 13:11:05 0
徐福が神武天皇だとかいう説もあるし良く分かっていない。
>>694 すごくスッキリしました。
当たり前のように労働者=市民だと思っていましたが、市民とは資本家たちのことを指していたんですね。
分かりやすい説明本当に感謝します。
705 :
世界@名無史さん :2010/03/07(日) 14:17:03 0
パンパンの子孫の癖にイギリスさまに興味をもつんじゃねえ
>>704 “ブルジョア革命”でぐぐれば、も少しスッキリするかもよ。
707 :
世界@名無史さん :2010/03/07(日) 15:11:47 0
>>669 情報媒体まででやめておけばいいのに
工作してるとか言い出しててワロタwwwwwwwwwww
708 :
世界@名無史さん :2010/03/07(日) 15:20:53 0
アメリカ大使館のwiki工作は明るみに出たのになあ
709 :
世界@名無史さん :2010/03/07(日) 15:41:59 0
古代のエジプトやギリシア・ローマの人々は、高い文明を持っていたのに、 なんで半裸に近い服装だったんですか?
半裸だと文明的ではないとでも? ハリウッドスターのドレスはほとんど半裸だと思うのだが
711 :
世界@名無史さん :2010/03/07(日) 15:48:35 0
「海水浴場の風景は野蛮そのもの」w
肌を隠しているのが文明的ならエスキモーは高度な文明人だな(差別的発言)
713 :
世界@名無史さん :2010/03/07(日) 16:03:07 0
古代エジプトの王様なんて、装身具はつけててもほとんど裸だよな。 まるで土人の酋長だ。 ギリシアの哲学者や科学者も、裸に布きれ巻き付けただけみたいな格好だ。 ローマのシーザーも(ry
・福田首相は中国講演で歴史認識について村山談話をかみくだいて語った。 ・だがそれは、日本人に向かって言ったのでも、日本人が聞いていたわけでもない。 ・こういう大事なことは、日本に向かってこそ語りかけるべきだ。
715 :
世界@名無史さん :2010/03/07(日) 17:06:39 0
ダビデなんか全裸で・・・
エスキモー民族 漢民族 満州民族 モンゴル民族 テュルク民族 この中で一番日本人に近いのはどの民族ですか?
717 :
世界@名無史さん :2010/03/07(日) 17:26:32 0
>>709 決して半裸な格好ではないと思うが。エジプトは気候的なものもあるんじゃね?
718 :
世界@名無史さん :2010/03/07(日) 17:26:57 0
蛮族よばわりされてるゲルマン人の方が、ローマ人よりまともな服着てるような・・・
エスキモーは冬は暖かい共同住居の中で半裸で乱交パーチーですよ
質問者、フルボッコなわけだが 肌を見せることをはしたない、ひいては野蛮と思う発想の源流は何だろう?
日本じゃ文明開化から。
晋の文公は放浪中に裸見られたからって帰国後に曹をしばいたらしい
>>721 そうかな?
江戸時代だって着流しと羽織袴ってもんがあるじゃん。
724 :
世界@名無史さん :2010/03/07(日) 18:00:42 0
インドは何故 統一よりも分裂(群雄割拠)の歴史が長いのでしょうか? 特に中部、南部
725 :
世界@名無史さん :2010/03/07(日) 18:05:03 0
>>724 1、領土が巨大
2、東西南北で文化、言語、宗教が違う
726 :
世界@名無史さん :2010/03/07(日) 18:12:59 0
インド亜大陸を、はじめて政治的に統一したのは英領インド帝国の時代。 ムガル帝国全盛期の統一なんて瞬間風速みたいなもの。
>>709 の考えが啓蒙思想で止まってるだけでレヴィ・ストロースを知らないんだろう
統一がいかに難しいのか、歴史かじってるならわからんものかな。 島国ならいざ知らず、何より、どこまでが統一なんて後世からしか冷静に見れないし、 グレーな緩衝地帯だって必要だ。 地図上で統一してると見える国だって色々問題ある。
>>723 江戸時代はもちろん、明治でも、庶民、特に肉体労働系の男たちは、人前でも平気で
ふんどし一丁で働いていたよ
幕末や明治に日本を訪れた欧米人が、日本の風俗としてそのあたりの記録を残してる
>>724 インドはなぜ統一よりも分裂の歴史が長いのでしょうか、という質問は、
ヨーロッパはなぜ統一よりも分裂の歴史が長いのでしょうか、と訊くようなもの
若い女が平気でおっぱい放り出して歩いてたりね。 文明開化でかなり変わった。 完全に今ほど厳しくなるのはそれこそ昭和の後半からとかなんだけど。
732 :
世界@名無史さん :2010/03/07(日) 19:12:15 0
太平洋のマリアナ・ミクロネシアあたりの島々は日本・ドイツ以前は スペインが領有していたようですが、電信や蒸気船がない時代に、 あの広大な海域にちらばる無数の小諸島をどうやって管理していたのでしょうか?
733 :
世界@名無史さん :2010/03/07(日) 19:30:02 0
>>732 通信用の快速船じゃないか?小型のやつ。
まあ、本国から細かい指示を出したりするのは難しいから
統治や管理は基本的に現地の総督や領事に丸投げだが。
時代は下るが、オランダ東インド会社もアジア貿易や基地の統治は
アジア支社の総督が行って、本国の取締役会は総督選出するぐらいしかできなかった。
スペインの時代は言わずもがなかと
どこかで聞いたで気になっているのですがVanessa de Verdetという人は実在していますか?
735 :
世界@名無史さん :2010/03/07(日) 19:42:12 0
スペインがミクロネシアの島を領有したのは、中南米からフィリピンまでの航路の確保、 寄港地の確保くらいの意味しかないから、実質的な統治はほとんどしてないんじゃないの?
サラゴサ条約とかで適当にスペイン領になっていたのを 何の魅力もないので何処の国もわざわざ奪い取ろうとしなかった、 ってところじゃない?
>>718 タキトゥスによればゲルマン人はほとんど裸に近いのが好みだぞ。ただしゲルマンの地は
寒いので冬でも裸でいられるのは有力者だけの様だが。
>>697 です。いろんな意見まりがと。
>>700 一代で完成じゃなくて勢力の祖になったって意味ね。
>>703 さんありがうございます。やはりそうですよね。
自分もそれが言いたかったです。
では失礼します。
経済力で下回る側が勝った戦争は数あれど、 制空権を奪われた側が勝った戦争があれば教えて下さい。
インドシナ戦争 ベトナム戦争 ともに戦略目的の達成でヴェトナム勢の勝利 ※ただし、制空権とはいっても戦闘機や地対空ミサイルなどによって 局地的限定的には反撃可能。大局的全般的に航空優勢を得ていたのは仏・米軍という意味。
チンチン対食うミサイル
>>581 排他的な集団は大きくなれない。
スパルタは例外的に大きな領地を持っていたが(それでも日本の県レベルの広さ)、
政治参与・武装を少数のラコニア人にのみ許していた。
アテネは他のポリスに親族のあるものを政治参与・武装から排除した。
古代ギリシャのどのポリスも似たり寄ったりの排他性があった。要は田舎者ばかりで
国づくりに向かなかった。
例外的に、アレクサンドロス三世王のような傑物の出たマケドニアがあるくらい。
アレクサンドロス三世王は、ペルシャ人、エジプト人、バビロニア人等との通婚を
奨励した。
ローマは初期から、戦争の敗者の自由民を自国民に編入して国を大きくした。
天文学の起源は占星術ではなく農業暦の研究というのは本当でしょうか? 化学は錬金術の副産物らしいですが。
>>744 自由民って、
昔の日本でいえば、小豪族相当と思えばいいんですか?
747 :
世界@名無史さん :2010/03/08(月) 22:46:35 0
化学者のラボアジェとジャコバン派のマラーについての質問です。 wikipediaによると、 「かつて化学者であったジャン=ポール・マラーの論文審査を学会から依頼され行ったが、 その論文が実験もせず憶測の内容であったため、ラヴォアジエは承認しなかった。 その逆恨みで後に過激な革命家に転じたマラーがラヴォアジエを処刑したと云われ、〜」 となっています。しかし、ラヴォアジェが処刑された1794年5月8日の約10カ月前に、 マラーはすでに暗殺されています(793年7月13日:wikipediaより)。 これはどういうことなのでしょうか?何らかの方法で、死後もマラーの意図が生かされて ラヴォアジェが処刑されたということでしょうか?
このような話(マラーがラヴォアジエを処刑)はただの俗説、って言いたいんだと思うが
>>745 そもそも占星術の起源が農業暦の研究でしょう。
>>746 ローマが拡大期に市民権を与えたような階層は、まあ、そんなもんだろうね。
「昔の日本でいえば」ってのは引っかかるが。
家の子郎党を抱えてるような階層には市民権を与えて、氏族のトップは元老院にご招待、って感じ。
751 :
世界@名無史さん :2010/03/09(火) 00:42:24 0
>>744 逆だローマが強かったのはクソ田舎の蛮族だったから
都会化して惰弱になり最後は蛮族にやられ滅んだ
日本でも源氏、三河、薩摩が天下を取ってる
都会者が田舎者にしてやられるのが歴史の宿命
752 :
世界@名無史さん :2010/03/09(火) 02:20:24 0
世界史とはちょっと違いますが、他に適当な板がないのでここで質問させてください。 世界各国の国旗を見ると約200カ国のうち50カ国以上が三色旗(およびその類型)ですが、 なぜこんなに三色旗が多いのでしょうか?何か「国旗といえば三色旗」と思わせるような きっかけがあったのでしょうか?
>>752 三という数がバランスが良く安定感のある数だということだ。だから人々に受け入れられやすい。
だから三蔵法師は孫悟空、猪八戒、沙悟浄を供にし、桃太郎は犬、雉、猿を連れて鬼が島だ。
三に関係する慣用句、ことわざも非常に多い。
「三人寄れば文殊の知恵」「女、三界に家なし」「三遍回ってワンと云え」「石の上にも三年」
「仏の顔も三度まで」「三度目の正直」「三顧の礼」・・・
それに対し、四、五となると途端に激減してしまうのです。
歴史でいえば三国同盟、三国協商、三国干渉、三帝同盟、三国志、三国時代、三国軍事同盟、バルト三国、三帝会談。
孫文は五族共和を唱えて中華民国の国旗を五色旗にしたが、中華民国は軍閥割拠、国共内戦、日中戦争で全然安定しなかった。
麻雀ではメンタンピン三色というぐらいにとにかく三は落ち着く数なのだ。これは人類普遍の真理です。
>>752 ヨーロッパじゃ十字や二色なんてのもあり、三色はちらほら程度だった
ところが「自由・平等・博愛」のフランス革命が起きると
「フランスカコイイ!」「やっぱ三色旗だよな」って事でパクる国続出
その後、国旗を作る時にメジャーでデザインし易い三色旗を候補に入れる国も多くなり今に至る
755 :
世界@名無史さん :2010/03/09(火) 09:42:38 O
明清の皇帝を在位中の元号で呼ぶのって日本だけ? 中国では廟号だけ? ウィキペディアなんかでは 「日本では、在位中の元号をとって〇〇帝と呼ぶのが一般的である」 てなってるが。 あと欧米じゃ明清の皇帝なんていうんだろ
>>755 ウィキペディアの「康熙帝」の項目を各国語比較してみること。
757 :
世界@名無史さん :2010/03/09(火) 13:49:35 0
ローマ帝国(軍)はなんでゲルマン人には弱かったの?
文明化して弱くなった説 いつも勝つのは西側だよ説 なんて俗説はある 具体的には個々の状況毎に判断するしかない
そもそもローマ軍は強かったのかという疑問
そりゃ、地中海世界を統一するくらいだからそれなりには強かっただろう。 ただ軍人皇帝時代の混乱、バガウダエ運動などで内部外部から国力を 衰えさせる原因はあったと思うけど。
761 :
世界@名無史さん :2010/03/09(火) 14:37:49 0
バガウダエ運動の話が出て来たから触れるけど、ローマ帝国は これの鎮圧のためにゲルマン人を使っていて封土も与えている。 これは、逆に言えばローマ帝国側がゲルマン人側に餌を与えている ことになるじゃないのか?
762 :
世界@名無史さん :2010/03/09(火) 18:25:01 0
763 :
世界@名無史さん :2010/03/09(火) 18:37:15 0
中世イタリア王国っていつできていつ無くなったのですか?
764 :
世界@名無史さん :2010/03/09(火) 19:16:30 0
ローマ軍が強かったのは、軍隊が無い烏合の蛮族相手だからと 共和制ローマ人の勇敢さにある 両方失い滅んだ
765 :
世界@名無史さん :2010/03/09(火) 20:01:38 0
グルカ兵と日本兵が白兵戦でガチに戦ったら、強いのはどっち? やはり日本兵はグルカの蛮刀に屠られる者多数なんだろうか?
チラシの裏でどうぞ
まったく同じ条件(武器、経験、人数など)で戦えば、隊の規律や白兵戦術、 体格等の差は出るんじゃないの。
ライオンとトラがガチで戦ったらどっちが強いの? ティラノサウルスとアロサウルスが戦ったらどっちが強いの?
じゃあ自分で集めて戦わせてみてから書き込めやクソ間抜け。
770 :
世界@名無史さん :2010/03/09(火) 21:37:38 0
>>765 ショーン・コネリー主演の「王になろうとした男」という映画の中でグルカ兵がいたが、
お世辞にも精強な戦士とは言えなかった。
映画のラスト近くで、コネリー演じる英国人を守るため、現地人の群れに突っ込んでいったが、
ろくに戦わないうちに捕まって一方的にリンチみたいになぶりごろしにされ、
血まみれの上半身をボールみたいに何度も何度も空中に放り投げられてた。
グルカ兵って、こんなに弱かったのか?
>>770 白兵戦術に長けているというより
ゲリラ的にいつ襲ってくるかわからないから兵からすれば怖いということと
勇敢であまり逃げないから手強かったという話だから。
そうかその話がしたかっただけか。ハイハイオモチロイデチュネー
>ゲリラ的にいつ襲ってくるかわからないから 東南アジアのジャングルでグルカ兵に喉笛かき切られた日本兵が、 大量にその骸をさらしたってことか。
英軍は戦争序盤にビルマで日本兵に対抗できなかったことを 日本軍の浸透襲撃による包囲や補給の遮断の有効さにあると分析して 後半からはその浸透襲撃を真似て日本軍にやり返すという作戦を多用するようになった。 その浸透役には戦意の高いグルカ兵が向いていたという面があった。
黄色人種同士が殺し合うってのは、哀しいものがあるな。
776 :
世界@名無史さん :2010/03/09(火) 22:22:45 0
強い軍隊とは風林火山の武田軍 速き事風の如く⇒兵の移動速度の速さ 静かなる事林の如く⇒乱れず騒がず統率が取れている 侵略する事火の如く⇒突撃する時は火のように燃え上がるよう一気に攻め立てる 動かざる事山の如く⇒苦境だろうと一切動かず留まれる
777 :
世界@名無史さん :2010/03/09(火) 22:25:16 0
西ローマ帝国はどうして短命だったのですか?
ルネサンス期のイタリアについて二つ質問です。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007326218 >フランスのように中央集権国家の確立によって政治的統一が達成されていた国とは違い,
>イタリアはそうした統一が政治的要因によって阻まれていたとはいえ,イタリア人には同じ文化を共有しているという意識はあった.
>だからこそ共通語としてのイタリア語を求めたのである.
とあるんですが、この時期の文化人はイタリアの範囲をどこまでだと考えていたんでしょうか?
また、こうした意識はいつ頃から生まれたんでしょうか?
>>777 オクタヴィアヌスがアウグストゥスの称号を受けたのがBC27で、
西ローマのロムルス・アウグストゥルスが廃位されたのはAD476
500年も続いた国を、短命とは言わない
世界史上の国としては、むしろ長命な方
テオドシウスの東西分割からロムルスまでならまあ短いな。 定義しても何の意味もないが。
>>777 は東と比べてなぜ短く終わったのか聞きたいんだろ。
文脈をよめないあほ
一行レスに文脈もなにも・・・
ガリア人って今もいるんですか?
784 :
世界@名無史さん :2010/03/10(水) 08:40:56 0
>>781 に則るのなら、オドアケルにぶち壊されたから。
>>778 ラテン語の影響が強い言語を、イタリア語の亜流とみなせる
どこに境界線を設けるかは任意ぽいのだが
786 :
世界@名無史さん :2010/03/10(水) 16:08:12 0
>>777 東の場合、アジア側の領土にまではゲルマン人がやってこなかった。
黒海とボスフォラス・ダーダネルス海峡に阻まれてるから、アジア側の領土は
コンスタンティノープルが陥落しない限り大丈夫だったし、実際陥落しなかった。
アジア側にはササン朝がいたにせよ、向こうも内紛だったりエフタルと戦ってたりで、
ビザンツばかり気にかけていたわけでもない。
ゆえに外圧による国内の混乱が比較的小さく、国力も維持できた。
西の場合、ライン川越えられたらアルプス山脈以外天然の要害がない。
だからあっという間にイタリア半島以外の国土を失ったし、
その「本土」も衰微した国力では防衛しきれなかった。
ローマは何度も陥落・劫掠の憂き目にあっている。
そもそも分裂の時点で、東のほうに経済力が偏重していたという要素もある。
788 :
世界@名無史さん :2010/03/10(水) 19:00:06 0
最後の西ローマ皇帝のロムルス・アウグストゥルスの名前なんだけど、 初代の王のロムルスと初代皇帝アウグストゥスを合体させたような名前なのは、 やはりこれで最後だから最初と最後を合わせようという意識がはたらいたから?
韓国の歴史学では自国史が5000年あるという主張がまかり通っているのでしょうか?
791 :
世界@名無史さん :2010/03/10(水) 20:11:10 0
なんで、フランスのカペー朝は長期政権になれてんですか?
792 :
世界@名無史さん :2010/03/10(水) 20:28:40 0
神様のなせる技です
ちゃんと直系男子が生存しててお家騒動が比較的少なそうだからとかじゃ。 どこかの騎士団潰すまでは。
>>788 単なる偶然の一致
ロムルス・アウグストゥス(アウグストゥルスは、小アウグストゥスぐらいのあだ名)は本名
彼を擁立して帝位につけた人と、廃位した人は別人(帝位につけたのはオレステスで、
廃位したのはオドアケル)なので、廃位する予定だからわざわざその名前のやつを選んで
帝位につけたってわけでもない
やっぱり北京原人は中国語を話していたんですか?
>>787 そもそも、当時の人々が「分裂」と捉えていたかどうかも怪しい。
単に東西分割統治なだけで、西の統治機構が崩壊しちゃったよ、ってなもんで。
オドアケルも東の皇帝から代官に任命されてるし。
>>753-754 ありがとうございました。ではきっかけはフランス革命ということでしょうか。
798 :
世界@名無史さん :2010/03/11(木) 09:25:31 0
近代のギリシャ王国には貴族制度はあったのですか
>>798 確認しないで無責任なことを書くけど、たいていの王国や帝国には、あるんじゃない?
貴族がいないと、今の日本の皇室みたいに、婚姻の相手を探すのに苦労することになる
まあ、日本とちがって、ヨーロッパじゃ、国内に貴族がいなくても、外国の王室や貴族と
婚姻すればいいのかもしれないけど
昔の話で、異能の者たちを大勢雇っていた人がいて、 その中でニワトリの鳴き真似というヘンな特技の持ち主がいて、 あるとき、その特技が役に立ったとのことだけど どこを調べれば元ネタを読めますか?
「鶏鳴狗盗」でググれ
802 :
世界@名無史さん :2010/03/11(木) 16:19:50 0
(*´ェ`*)はぁはぁ
>>801 thx
元ネタは「史記」らしいですね
「十八史略」でも採り上げれたような記事もありました
>>796 それはその通り。
当時の人がどう思ってたのかと、
後世の人間がどう捉えるは全く別問題。
ヴェネツィアとか見てても、けっこう境界あいまいだったみたいだしねぇ。
まあ、ひねくれずに真っ当に答えてみただけなのでした。
米西戦争って、学校教育現場のレベルでは、アメリカ・スペイン・キューバのそれぞれが全く異なった解釈で教えていそうな気がするのですが、各国の通俗的解釈はそれぞれどんなものかご存じでしょうか?
>>796 でも、めっちゃくっちゃ仲悪いぞ?東西ローマ帝国。
少なくとも東西ドイツの比じゃない足の引っ張り合い
アジアにおいて、隣国間関係が良好・円滑であるという事例はいったいあるのでしょうか?
>>804 国境でガタガタいいだしたのは近世以後だから
それ以前なんて国境付近の連中は自己の都合でどっちにも頭下げたし。
そのおかげで韓国人が「対馬は日本領」だと電波を飛ばせる歴史学的には無意味な根拠を……。
809 :
808 :2010/03/12(金) 07:59:13 0
「対馬は日本領」× 勿論、 「対馬は韓国領」○ の間違い
沖縄、さらに言えば台湾もそうだな。国境というより辺境と見られていたもんな
日本は文字という概念を独自に発明したんですか?
いいえ 表意文字を輸入して使ったり、それを改良して表音文字にしたものを使ったりしました
813 :
世界@名無史さん :2010/03/12(金) 19:03:08 0
>811の質問の目的がわからん
神代文字の存在を主張したい人なのでしょう。
ローマついでに、共和制〜帝政初期の名前と、後期あたりからか、 コンスタンティヌス、マグネンティウス、ウァレンティニアヌスなどといったように、風合が変わっ ているような気がします。 無論、時代の移り変わりや流行、〜世など付けるクリスチャンネームが確立する前だからなのでしょ うけど、彫像など技術の劣化と同じ速度のようなので、名前ものんべんだらりんと劣化してる印象で す。 同じように感じられる方いらしたら幸いですが。 考えられる事は何でしょうか?
816 :
世界@名無史さん :2010/03/12(金) 22:42:12 0
中国の人口について、戦乱のたびに激減するという統計データ(三国時代前後で10分の1に減ったとか)がありますが、 これは「本当にそれだけの死者が飢饉や疫病、戦乱の結果として発生した」のでしょうか? それとも「前者の要素もあるが、多くは新王朝が国民を掌握し切れなかったことによる」のでしょうか? 教科書などの記述によると後者っぽく思えるのですが、いろいろな逸話を聞くと冗談抜きに前者じゃないかと寒気が走ってくるのですが……。
>>815 名前の劣化、って、思ったこともなかったな。
ローマ文化圏の外、つまり、かつて蛮族と言われていたような集団からの登場だからじゃないかねえ。
>>807 何を以って良好・円滑とするか知らんが
例えばシナ王朝とそれにとっての「野蛮人」の間にある緩衝国家は概ねシナ王朝とは友好的だろう
対倭、対女真としての朝鮮半島王朝や、対吐蕃時代の吐谷渾とか
今と同じで、よりでかい国に対する安全保障の問題があれば一時的にはそれなりに結びつくもの
元寇でベトナムとチャンパーが組んだみたいに
いくら代が変わってもずっと友好国ってのはありえん。どこでも。
>>816 両方でしょ
どちらがどれだけの割合かってのは
時代によっても研究者によっても諸説ある
>>816 基本的に後者。戸籍人口が激減しただけ。
前近代においては戸籍の把握が困難な場合が多かった。
都市の人口は数えやすいが、農村人口はどこに隠れてるかわからない。
戦乱や疫病が発生すると前近代の都市は簡単に崩壊する。
だから、戸籍人口や都市人口はすぐに増減するけど、
実は全体としてはそれほど変わっていないという。
少なくとも、1/10まで減るようなことはまずない。
ウァレンティニアヌスに限ればウァレンティウスが変化していった結果じゃないの それはいいとして名前の数が増えるのは共和政末期からの傾向で 兄弟に同じ個人名をつけて違う姓をつけることで区別するってのは帝政初期からの傾向で 属州人が中央に登場するってのも帝政中期には普通のことだから このへんを組み合わせれば帝政後期にはいろんな名前が登場する理由になるんじゃないの
>>754 欧州が三色旗だらけの状態な中、
日の丸に目を付けたフランスがデザインを日本から買おうとして断られたって逸話は実話?デマ?
あるわけねーだろバカ
バングラデシュのパクりは露骨だよな
古代ローマ人は白人ですか?
白人という概念が存在しなかった時代だぞ
ディオクレティアヌスは本名ディオクレス(ギリシア語)だったが、 ラテン語の名前っぽくするためにディオクレティアヌスにしたとか。
>>822 明治の時に、当時の額で500万円でフランス(イギリス・オランダ説あり)
から打診があったと聞いた事があるので軽く探してみた
わからなかった
話はあったかもしれないが、正式な文書などはないらしい
つまりガセの可能性も捨てきれない
勝手な推測だが、駐日外交官あたりが
「美しく識別しやすい日の丸が羨ましいですな」
「我がフランスが500万円で買い取りたいくらいだ」
てな冗談を飛ばした程度じゃなかろうか
829 :
世界@名無史さん :2010/03/13(土) 13:37:52 0
未回収のイタリアであるトリエステと、 ダヌンツィオが占領したフィウメという都市は、 同じ場所なの?
聞いたことがある → わからなかった この展開で「ガセの可能性も捨てきれない」って評価が出るのかすごいなw
ちがう そんなもんwikiでもわかるんじゃね?
832 :
世界@名無史さん :2010/03/13(土) 14:00:11 0
古代エジプト人は黒人 黒人文明が歴史上ただ一度世界の頂点に上った訳だ
834 :
世界@名無史さん :2010/03/13(土) 14:37:59 0
ギボンは、コンスタンス、コンスタンティウス、コンスタンティヌスの兄弟の名前を紛らわしいと書いてる。 初めそんなにわかりにくいかなーと思ったが、考えてみりゃカタカナでは結構区別が付くけど、 Constans Constantius Constantinus だったら確かに区別しにくいかも。
>>833 古代エジプトのなにが世界の頂点なんだよ。猫に対する愛くらいだ
836 :
世界@名無史さん :2010/03/13(土) 15:40:11 0
古代エジプトは黒人というよりはセムハム系だから中東系か褐色くらいじゃね?
語族の話じゃなくて人種の話をしてるんだろ くだらねーネタだと思うが
838 :
世界@名無史さん :2010/03/13(土) 18:16:20 0
帝国と皇国の違いは何でしょうか?
帝国は世俗的な権力者(武家・軍人の家系だったりする)である 皇帝をトップに据える機構 皇国は宗教的な権力者(聖職者)である 教皇をトップに据える機構
ん?
841 :
世界@名無史さん :2010/03/13(土) 19:20:32 0
そして皇帝には帝国が必要でも帝国には皇帝は必要ではない
843 :
815 :2010/03/13(土) 19:35:47 0
変な問いにどうもでした。ペコ ついでに、フランスの三色旗が大革命当時は色の並びが逆だったりいい加減だったと知って 面白かった。
「帝国主義」と旧来の拡張主義の違いがあまり理解できなかったが 拡張主義+資本主義=帝国主義という大まかな考え方でいいんでしょうか 仮に、モンゴル帝国が旧大陸全土を支配したところで 支配は現地人任せで、モンゴル資本による経済支配が行われる訳ではないので 帝国主義とは呼ばない 帝国主義戦争を否定しながら 自分達は周辺への軍事侵略を繰り返したソビエト連邦、中共も 市場の拡大が目的では無い以上、只の拡張主義であってあくまで帝国主義ではない、という感じで
845 :
世界@名無史さん :2010/03/13(土) 20:52:46 0
アレキサンダー大王はわずか10年足らずの間に アナトリアからエジプト、ペルシア、北インドにいたる土地を征服しましたが、 どうやってこれだけの広大な領域を経営していたのでしょうか? まともな統治機構はあったのでしょうか?留守にしてるマケドニアの政治は? 本人は前線司令官として各地を転戦していたから、 自分で行政をやるヒマがあったとは思えないんですが。
>>844 そういう定義ばった理解の仕方はどうなんだろう・・・
>>844 そもそも主義ってなんやねんと思い
折れは(あいつは)菜食主義者、共産主義者、実存主義者、封建主義者、個人主義者、拝金主義者。 とは言うけど、
折れは(あいつは)帝国主義者。 という言い方はないよーな気がした。
関係ないか。
民族と同じで自称と他称がある 多分に流動的なものと考えたほうがいい
>>845 昔はどこでも家や氏族を単位とした自治的組織がしっかりしてて、中央政府が
なくてもなんとなくそれなりに機能してたんです。
まあ、あんまり放っておいたら完全に自立しちゃうんだけど、王様が空前絶後の
大英雄なんだから、10年程度ではそこまで行かなかった、ということでしょうね。
欧州において、国王と皇帝はどう違うんですか? 王政と帝政の国ではどう違ったんですか? 皇帝≧国王だとして 仮に近代欧州の君主が一堂に会した場合 英国国王は国王を名乗っている以上 国力が上であっても、ドイツやオーストリアやロシア皇帝に上座を譲ることになるんですか?
ヒトラーは菜食主義者で肉は食べなかったそうですが、魚は食べていたのでしょうか?
>>850 >英国国王は国王を名乗っている以上
>国力が上であっても、ドイツやオーストリアやロシア皇帝に上座を譲ることになるんですか?
実際そうだったから、ヴィクトリア女王は帝位にこだわって、1876年4月に、首相のディズレイリに
無理を言って王室称号法案を通させ、インド女帝の称号獲得を実現したのです
854 :
世界@名無史さん :2010/03/14(日) 10:11:18 0
>>851 人殺しを認め、革のオーバーコート、革靴、革のベルトを着用する菜食主義者はあり得ない
独身主義者だったのに最後の最後で結婚しちゃうしなぁ
856 :
世界@名無史さん :2010/03/14(日) 10:45:56 0
>>851 ベルリン戦の地下壕に入って現在まで生きてる最後の証言者の
ローフス・ミシュ著「ヒトラーの死を見とどけた男 地下壕最後の生き残りの証言」
によると、ヒトラーは大きな戦果が報告された日などは、ソーセージなどを食べていたそうな。
完全な菜食主義者ってわけじゃなかったみたいね
>>854 人殺しはともかく、革靴その他皮革製品を平気で使ってる菜食主義者はいるだろ
特に欧米には
>>850 現代は基本的には君主は称号如何に関わらず同格
招いたホスト国の君主が上座で、
それ以外は在位時期などを鑑みる
現在君主でない皇太子と王太子は同列に国王よりは下位
それ以前は3人以上の君主が会合することは稀だったが
そういう場合の席次も国によって格付けが違ったようだ
859 :
世界@名無史さん :2010/03/14(日) 14:54:50 0
段祺瑞って一発で変換できるんだけど、毛沢東とか蒋介石みたいに一発変換できる他の中国人ほど 日本に影響与えたっけ?票国章とか女性賞とかいった大物軍閥は変換できないのに…
日本語には「主義」と響きが似た「趣味」という言葉があるんだから 皮革製品を使うような生温い菜食野郎は「菜食趣味者」と呼んでやろう
864 :
浪人生 :2010/03/14(日) 20:48:19 0
今年、浪人が決まり、代ゼミに通う予定の者です。 参考書のことについてなんですが、自分は山川の一問一答レベル3(スタンダード)をやっていまして、今年はセンター8割、法政経済9割、日大法7割でした。 来年の志望大学は、マーチ法学です。 そこで質問ですが、山川をやる場合は、レベル3(スタンダード)orレベル4(チャレンジ)どっちがいいですか? また、東進の一問一答はどうですか? 回答よろしくお願いします。
受験の相談は受験・学校カテゴリでどうぞ
英語と国語をやった方がいいんじゃないかな
これから1年勉強漬けか。大変だなあ。頑張ってね。スレ違いだけど。 受験の世界史なんて、週に1,2日、合わせて1時間くらいやって 記憶だけ維持しておいて、後は実際の試験の1ヶ月前くらいから 真面目に取り組む程度で十分だよ。
868 :
世界@名無史さん :2010/03/14(日) 21:25:58 0
でも、受験世界史ってつまんないよね。 中国史も西欧史も本当は面白いのに つまらなくしている。
>>861 菜を食う主義と言ってるだけなのに
なんで不殺生主義を包含させられなければならないのだ。
話の順序が逆だ。
870 :
浪人生 :2010/03/14(日) 21:28:16 0
天皇は地球の元首ということでよろしいのですよね?
いいえ、ちがいます
874 :
世界@名無史さん :2010/03/14(日) 21:55:16 0
いや、だって本当につまんないじゃん<受験世界史 俺は世界史だけは偏差値60超えていたけど 授業で学んだのではなくて図書館で好きな歴史の本を 読んでそこまで来たって感じ。
てめえの日記にでも書いとけ
受験世界史って実は上澄みの部分しか教えてないんだよな。 中国史、いや朝鮮史でもいいけど朝鮮史なんて日本より歴史が 古いんだからまともに勉強しようとしたら1年はかかる
上澄みというか文字列の羅列だけだろ。歴史の構図を教えればいいだけなのに 非常に無駄だと思う。
ID表示してくんねーかなあ
一応受験産業に従事してる人間だけど、 実際のところ無味乾燥な部分が多いよ、高校世界史。 国公立二次で論述扱うようなレベルまで行くと話は別なんだけどねぇ。 あれはちゃんとおもしろい。 あと、教科書に不満がある人間は山川と実教以外を手に取ってみるべし。 世の中には単なる単語の羅列ではない教科書も一応あるので。 昨今の山川教科書ブームはどうも納得が行かないところが…… いや、山川や実教にも良いところはあるんだけど。
めがねが発明される近世以前、近視だった人はどうやって生活してたの? もしかして近視って現代ほどいなかった?
ロシアとプロシアって、その名称になんか関係あるの?
882 :
世界@名無史さん :2010/03/15(月) 11:57:11 0
>>879 論述なんて言っても政府の見解を長く引き伸ばすだけだろが。そういうのを「結論ありきの
ゴミ産業」っていうんだよ。科挙の「政策提言」となんら変わらん。くだらねえ、死ねばいい。
おそらく日本の世界史の記述は100年くらい前の見解を書いてる。 これに白人の人種差別と戦勝国連合正当化記述と歴史家のオナニー汁を 容器に入れてグルグルかき混ぜたようなのが山川世界史。 こんなのに学ぶことなんて一_もねえよ
で不毛な会話をいつまで続ける
学校教育を必死で否定するのは劣等生か中学生w
バルト語や西スラヴ語で、ロシア(ルス)に「近い(ポ)」、または「向かっていく(ポ)」方角にあるからプ・ロシア(ポ・ルス)。 あるいはバルト語で「湿地」を意味する「ブル/ボル」と関係があるともいう。 もともとプロシア地方にはバルト語系の先住民がいたが、ドイツ人に絶滅同化させられて地名しか残ってない。
887 :
世界@名無史さん :2010/03/15(月) 18:53:09 0
よくネット上で言われている朝鮮人=ワイ族説はいかなる根拠があるのですか?
>>880 老眼や遠視ならいたろうけど、近視が現代ほど多くなかったのは間違いない
近世以前は識字率が低く、大半の庶民はそもそも文字など読まないし、もちろんテレビもゲーム機も
ないのだから、近視になることはほとんどなかったと言っていい
細かい細工をする職人とか、全体から見ればごく少数の知識人階級で本をよく読む学者や書記官等
の、ごく限られた職種の人たちぐらいでしょ
近視は伝染病で、ジョン万次郎が日本に帰ってきてから流行が始まった んだよ。眼鏡というのは対処療法で、本当は近視の人の隔離・検疫が正解 だね。
遮光器のような細いスリットや、小さめの穴を通して見ると 遠くがよく見えない人の状況がいくらか改善されることは知られていたけど、 極度の近視は障害者の一種として、各コミュニティでフォローしてたんやないか
>>889 これって森鴎外の提唱した脚気菌みたいに、有名な誤解の一つか何か?
892 :
世界@名無史さん :2010/03/15(月) 20:45:41 0
中国なんかには近視のやつが相当いたぞ。科挙受けるために夜なべしてるやつとか。 蝋燭じゃ照明にも限りがあるし、官僚や商人といった知識人の近視は現代よりもひどかったんじゃないか? まぁ、そういう人はメガネ買ってたろうけど。
893 :
世界@名無史さん :2010/03/15(月) 20:50:05 0
視力が0.1とかメガネがなかったら、テレビやPCの画面もよく見えないし、 本も読めないから、メガネの普及する以前の時代なら「障害者」だよなあ。
>>892 中国でメガネっていったら、
裁判官とか政府高官がかけてるような度なし黒メガネを連想するな
北京政府の大総統って、民選を想定して作られた職位なの? 歴代の総統は一度も選挙で選ばれてない気が…
>>895 北京政府は北洋軍閥政府ともいう。要は軍閥の権力闘争の勝者が大総統に就任した。
袁世凱の死後、北洋軍閥は分裂して分派した軍閥の泥沼の抗争となっていく。
なんにせよ北京政府は袁世凱が孫文を騙して政権を詐取した反革命・反共和政の政府であって、民選なんかするわけがない。
エジプトの古いファラオの像や絵の顔を見ると少なくとも白人には見えません。 でも地中海文明というか、ギリシャや様々な小国が栄えた紀元前数百年頃の話 に時々エジプト人が賢者として登場したりします。 その頃の人々の人種に対する認識はどういったものだったのでしょうか?
898 :
世界@名無史さん :2010/03/15(月) 23:43:51 0
紀元前数百年頃のギリシャなら、人種がどうこうというよりギリシャ人意外は白人も黒人も皆バルバロイという認識だったような ちなみにギリシャ神話では黒人(エチオピア人)は元々肌が白かったがある事件で肌が焼け黒くなったことになっている
>>881 「プロシア」は英語。現地語では「プロイセン」だから
「ロシア」との類似は単なる偶然。
そういやバルカンのボスニアとバルトのボスニア湾とか昔なんか関係あるのかと思ってた。
901 :
世界@名無史さん :2010/03/16(火) 00:23:43 0
国際連盟の欠陥として、「全会一致制」だったことがよく指摘されるが、 満州事変の際には日本の反対にもかかわらず、日本への非難勧告案を決議している。 これは「全会一致」ではなく、「多数決」で決議しているのではないのか?
別に全会一致と決まっているわけじゃない。 アメリカの都合に合わせて全会一致になったり多数決になったりしていた。
バルカンのはスラヴ語でBosnia/Bosna、「ボスナ川の地」。 バルト海のは北欧語でBothnia/Bottniska、「どんづまり、奥底(英語でいうbottom)」。
>>899 現地語(プロイセン人の言葉)ではプルーサだ。
オーストリア 東の土地 オーストラリア 南の土地 って意味だという与太話は本当でしょうか?
>>905 wikipediaで見る分にはその通りぽいけど。
オーストリア ドイツ語の「東の国」
オーストラリア ラテン語の「テラ・アウストラリス (南の地)」が由来。
ドイツ語で、「オーストリアに駝鳥はいません」と書くと、駄洒落になるそうだ。 で、ウイーンの動物園では、「オーストリアにも駝鳥がいます」という文面の 文字の書かれたシャツがお土産に売られてるそうな。 ドイツ語わからんから、どんな文面になるか想像がつかないんだが。
いずれにしろ、日本で着てたら誰も気にしないどころかファッションとして成立するだろう
909 :
世界@名無史さん :2010/03/16(火) 06:23:10 0
駝鳥はOstrich
910 :
世界@名無史さん :2010/03/16(火) 06:26:20 0
>>902 アメリカ合衆国は国際連盟に加盟していない
おそらく
>>902 がいってるのは国際連盟規約を決める時の話だろうな
>>895 民選を現代先進国の「民主制」とイメージするからそう思うだけ。
正式大総統になるためには国会(相当機関)によって承認・選出されなければならない。
名目上は民意を得ているということになる。
当時の状況から見れば、間接選挙的な制度が現実的と言えば現実的。
オーストリアの定番土産の一つに「オーストリアにカンガルーはいません」Tシャツがある。 オーストラリアと間違われるのは言語を問わない。中国語でどうなるかは知らんが。
島根県の定番土産の一つに「島根は鳥取の左側です」Tシャツがある。
オーストリアのシェーンブルン動物園(世界最古の動物園)には カンガルーはいる だから、そこでは「ダチョウはいません」っていうグッズを売ってる 普通のウィーン市内の土産屋では「カンガルーはいません」っていうのを売ってる っていうのが正しいはず
ヨーロッパは昔からアジア人(黄色人種)もアフリカ人(黒人)もすぐ側に居て、 白人も、交易、学問、戦争、で常に優位な立場だったわけでもないと思うのですが、 それがなぜ大航海時代に”白人以外は人間ではない”という発想になってしまったんでしょうか? 何百年かヨーロッパから出ない間に彼らのことを忘れてしまったのですか? それとも宗教の影響でしょうか?
>>916 >それがなぜ大航海時代に”白人以外は人間ではない”という発想になってしまったんでしょうか?
そんな事実はない。キリスト教の布教によってキリスト教徒以外は人間ではないという発想だった。
そういう思想を吹き込んで勢力を拡大したのがローマ教会です。
918 :
世界@名無史さん :2010/03/16(火) 14:54:26 0
新大陸で新たに「発見」されたインディオについては ・人間である ・人間ではない ・人間だが、ヨーロッパ人よりは劣った人間である という風に意見がわかれていたと思う それと黄色人種も黒人もすぐ側にいたというのはおかしいな ヨーロッパと接していた北アフリカは人種的にはコーカソイドが多数派だったはずだし 黄色人種と常に接していたのは蒙古人に支配されたロシアだけだったんじゃないの?
>>916 アラブ人も、黒人奴隷や白人奴隷を使っていた
自分たちと違う外見の者を見下したのは、別にヨーロッパ人に限った話じゃない
それを言うと奴隷の定義がまた問題になるな 奴隷が将軍の国だってあるんだし
921 :
世界@名無史さん :2010/03/16(火) 15:13:06 0
実際アラブ人はイラクの農場で黒人奴隷を酷使してたよ
インドの奴隷王朝、エジプトのマムルーク朝
時代時代によって定義が変わる・・・と
マクロな話にミクロな話ぶつけて偉そうにする奴が居るな
神聖ローマ帝国のハプスブルク家は慢性的な金欠だったようですが、 なぜ、双子とも言えるスペインハプスブルク家に無心を行わなかったので しょうか。15世紀以降のスペインは新大陸からもたらされる銀で国庫が 潤っていたと思うのですが
>>925 スペインは新大陸の経営とヨーロッパでの戦争に多額の金をぶち込んでたから、
新大陸から莫大な銀が入ってきても財政は火の車だった。何度も破産してるし。
日の沈まない帝国の維持費に苦しんでたってところだな。
スペインもまた、慢性的な金欠だったのよ。
927 :
世界@名無史さん :2010/03/16(火) 18:28:21 0
スペイン、ポルトガルは大量の人材が半端じゃ無いレベルで新大陸へ流出してしまって 足下である国家・社会の経営に大いに支障をきたしたんだっけね
928 :
世界@名無史さん :2010/03/16(火) 18:44:58 0
社会主義崩壊後、民主化した東欧諸国の国章を見ていると、 ロシアをはじめとしてハンガリー、ブルガリア、セルビア、モンテネグロなど、 王冠や王笏をあしらった君主国と見まごうような紋章が多いのはなぜ?
929 :
世界@名無史さん :2010/03/16(火) 18:49:41 0
930 :
世界@名無史さん :2010/03/16(火) 18:55:38 0
あと、面倒なのでいちいち貼らないが、 ポーランドは王冠をかぶったワシ、 ハンガリーは歴代ハンガリー国王のシンボルの聖イシュトバーンの王冠、 チェコも王冠をかぶったワシやライオンをあしらった紋章。 なんで共和国なのに、王国みたいな紋章ばっかりなんだ?
社会主義国じゃないから。 それにまあ、君主国時代が国家としては栄光の時代だったりしたし。
というか、フランスやソビエトみたいに 直接「人民が君主政を打倒して共和政になった」国じゃないしな
>>918 インディアンは19世紀〜大戦前まで野蛮人、
大戦後は悲劇の自然愛護者と極端な描かれ方をしたが
中世まで森林破壊・動物狩りで自らの首を絞め
転じて自然保護を唱え出すも部族間の戦争は止まず
白人にホイホイ土地を売ったり
白人から買った銃で調子乗って部族戦争激化させて自滅っていう
大陸人とさほど功罪変わらない人種だったな
>>925 カール5世(カルロス1世)の時には、スペインの富をハプスブルク家が活用していたよ
自分が皇帝になるために選帝侯会議に莫大な金をバラまかねばならなかったが、その金は
とりあえず金融業者フッガー家から借りて、スペインの国家収入はその借金返済に使われた
935 :
世界@名無史さん :2010/03/16(火) 19:26:15 0
しかし、ロシアやセルビアやブルガリアの紋章見てると、 おまえら本当に共和制国家の国民なのかって言いたくなるな。 ロシアなんて帝政時代の双頭の鷲の紋章だし。
アルバニアの国旗が格好良過ぎる あれ双頭龍に見える
ロシアみたいな旧共産圏では、とにかく共産国家のイメージを払拭したかったんじゃね? それには、共産化する以前の王制をイメージさせるのが一番だったってことで
今風だと、 ポケモンとか、ドラえもん入りの国旗もよさそうだ どっかの国で採用しないかな
939 :
世界@名無史さん :2010/03/16(火) 20:02:29 0
日本は正式の国章がない。 菊花紋章は皇室の紋章であって、準国章にすぎない。 この際、ヨロイ武者や竜や麒麟をあしらった和テイストの紋章を作っては?
>>939 桐の紋はどういう位置づけなんでしょうか?
942 :
世界@名無史さん :2010/03/16(火) 20:46:42 0
>>929 双頭の鷲のルーツである東ローマ帝国では、一応元老院を擁いており、あくまで
皇帝もそれによって推挙された存在である共和制国家であるというのが建前になっていた。
944 :
世界@名無史さん :2010/03/16(火) 22:19:09 0
国章が無いで思い出したが、中国の国花を何にするか論争って決着ついたの?
>>942 ありがとう!
これって秀吉の家紋ですよね?
葵に対抗するために使い始めたんでしょうか?
>>947 おま・・・w
桐も皇室由来だ。
これ以上は板違い。
秀吉は農民出身で家紋がないから関白(=天皇代理)になったのを いいことに桐紋を家紋代わりに使ってたとどこかで聞いた気が・・・
秀吉が桐紋を使用したなんて言うまでもないことだ。
皇室の権威標章を秀吉が利用。
>>947 が・・・なのは
>葵に対抗するために使い始めたんでしょうか?
の部分だろ、常考。
五七桐。皇室から拝領と記憶していたが、wikipediaによると足利尊氏なども拝領していて、 政権担当者の紋と認識されるようになったために内閣なんかも使ってるらしい。
桐紋が皇室由来だと知らなかった・・・ 皇室=菊とばかり思ってたので・・・ てっきり太閤さんが使い始めたとばかりに・・・ 日本人やり直すわ どうもありがとうございました('A`|||)
953 :
世界@名無史さん :2010/03/17(水) 04:22:23 0
>>953 それファイルのTalk欄を見ればわかると思うけどKingj123っていうチョンが主導して作ってる
「日本は紺色で韓国と台湾は緑でしょ」とか「朝鮮半島は当時は日本領だったじゃねーか」って突っ込みは華麗にスルーしてる
日本は欧米の肉便器植民地だけど、欧米はユダヤ教徒の植民地だわさ。
956 :
世界@名無史さん :2010/03/17(水) 07:38:50 0
韓国は西洋(欧米)の植民地ではないから。 日本の場合は、やっぱり戦後7年間のGHQ(米国)による統治は、 外から見たら事実上の植民地なんだろうな。 委任統治なんかと同じ感じの。
957 :
世界@名無史さん :2010/03/17(水) 07:42:29 0
>>954 単に地図のことだけで言うなら、これは「ウエスタン・コロニー」の地図、
つまり「西洋の植民地」地図だから、日本領朝鮮が出てこないのは当然では?
>>953 ノートのディスカッションを見てみたら
日本を植民地に含むべきか、含むなら朝鮮も米ソに占領されていたから
同じじゃないかと議論が交わされていた。
しかしkingi123という韓国人と思しきユーザーが
日本は植民地だ、韓国は違うと力説しているようだ。
よくみたらKingj123の名前は既出か。すまんかった
これがディスインフォメーションってやつだな
963 :
世界@名無史さん :2010/03/17(水) 12:26:24 0
>>960 しかも、日本は政府がちゃんと継続して存在したけど、半島は一時期無政府状態に・・・
964 :
世界@名無史さん :2010/03/17(水) 12:42:29 0
>>899 阿呆、偶然なわけあるか
もともとプロイセンなんて呼び方はない
プルシPrusy(単数形プルスPrus)が正しい
これはポ・ルス(po rus)の変化したもの(oが抜けただけ)
ポ・ルスとはポーランドあたりのスラブ語で「ロスケの手前」と言う意味
したがってプロシアとロシアは名前では大いに関係アリ
プロイセンはプルシをドイツ人が訛って発音してるだけ
965 :
世界@名無史さん :2010/03/17(水) 12:45:07 0
と、いう説もある
966 :
世界@名無史さん :2010/03/17(水) 12:46:32 0
ポ・ルスpo Rusは「ロスケに向かって(いく方角の)」だな poは英語のforと同じだからfor Rusという意味だ 意訳すれば「ロスケの手前」になる ポメラニア/ポンメルンの本当の名称はポモージェPomorzeというが これはポ・モージェpo morzeから poは英語のforにあたり、morzeはラテン語などで使用されるmoreと同じく「海」 つまり「海に向かっていく方角の(地方)」「海の手前」という意味 これとプロシアは全く同じ構造の語源だ
要するにポンメルンもプロイセンもポーランド語が起源
お前らすごいなw古プロイセン語なんてどこで習ったんだw
中世のポーランドが大国だった名残か・・・
970 :
世界@名無史さん :2010/03/17(水) 12:53:29 0
プルシは自称ではなく、昔のポーランド人がこいつらをそう呼んだ、いわゆる他称が固定化したもの プルシは多くの部族があって、ポメサン族、ルバブ族、ポゲサン族、バルム族などの自称があった ポーランド人が、別のバルト族のヤトビンガ族を分けるのに、 便宜上これらポメサンとかポゲサンとかを全部ひっくるめてプルシ人(ロスケの手前に住んでる連中)と呼んだ
当時のポーランド人もポラン族とゴプラン族のレフ連合部族国家
古ポーランド史に詳しい人が稀な出番でエンジン点火したみたいだ
印欧語族だから前置詞po=forも名詞morze=moreも似てるんだな
嵐のように乱入して嵐のように去っていった 昼休みだったのかな
>>972 いつもボラック?とか言ってポーランド関連スレを荒らすキティが
いるからなこの板w
まともなポーランドスレで知識全開して欲しいよ→ポーランド史に詳しい人。
ヤトビンガ族は同じバルト人なのにどうしてプルシと分けて認識されたの?
977 :
世界@名無史さん :2010/03/17(水) 17:55:58 0
>>963 政府は続いていても、天皇はGHQの「従属の下に置かれる」という間接統治で、
実際、GHQに思いっきり内政干渉されまくりだった。
土着の君主や政府が存続しつつ、宗主国の占領下で内政干渉されまくりだった保護国、
たとえば仏印の安南とかカンボジアとか、英保護国のエジプトとかと変わらない。
むろん、日本の敗戦後、無政府状態で直接、米ソの軍政下に置かれた韓国・北朝鮮も、
米ソの事実上の植民地と言ってかまわない。
なんで江戸時代ってイギリスに先んじて先物取引市場とか形成してたのに、武士の給料を米で支払う 奇妙な風習は止まらなかったの?
>>953 > File:Western Colony.PNG
ていうかこの画像を使っている記事がないようなんだが、朝鮮人がオナニーのために用途もなくWikipediaにアップロードしたのか?
>>970 外国は、**族 というのに、日本は
**人(縄文人、弥生人、海人、、)というのは何故なんでしょう、
縄文人も外国語に訳すと、縄文族みたいになるのかな
ありとあらゆる気候、地形の場所で無敵を誇り、 オゴタイ時代にはユーラシア全土を席巻したモンゴル帝国が、 それ以降はどうして膨張できなくなったんだろう? 元は中国全土を征服したけど、東南アジアや日本は征服できなかったし、 イル=ハン国はシリアより先に進めなかったし、 キプチャク=ハン国はロシアより西には進もうとしなかったし。 急激に膨張したから地盤が脆弱でこれ以上の膨張ができなかったのかな? それとも何らかの理由で急激にモンゴル軍が弱体化したのか?
倭人 ゲルマン人 ケルト人 出雲族 テウトネス族 アルウェルニ族
>>978 江戸時代は農民には基本的に税を米で納めさせていたから。
農民からの税で食ってる領主階級である武士は、
必然的に米を収入として得ることになる。
ヨーロッパだってアジアだって、農民は領主に農作物を納めていただろ?
税として得たものをそのまま受け取ってただけで、特に奇妙な風習ではない。
中期頃からは米価が低下し、物の値段の方が高くなって 大名相手の金貸しが大儲けすることになった
>>978 逆に税が米だったからこそ、政治的な要因で米価が動く可能性もあり、そうしたリスクを避けるために先物市場が始まったのでは?
清朝が崩壊してから中国全土に発生した軍閥が、革命勢力や北洋軍の支流の系譜を 引いていたのにも関わらず、なんで満州だけ元馬賊の小汚いおっさんが大軍閥の長になれたわけ? しかも軍閥の中じゃ最強クラスだし・・・
>>986 そんなことを「なんで」って言われても
じゃあ、元末の動乱で中国全土に発生した軍閥が、紅巾党や闇塩密売組織の系譜を引いていたのにも
関わらず、なんで明だけ元貧乏托鉢僧の小汚いおっさんが大軍閥の長になれたわけ?
当人にそれだけの能力、組織の中でのし上がる才能があったからとしか言いようがない
>>978 奇妙な風習といわれりゃ、そうかも知れないが、江戸時代は米が基軸通貨なのです。
なにもかも米、米、米です。だから米の価格が安定することが重要でした。
そのために堂島米会所に先物取引を許したのです。農民は逆に米価は切実ではない。
値上がりしようが値下がりしようが、年貢で持ってかれることには代わりがない。
自分の食べる分の米が残るかどうかが問題なだけです。だけど年貢を徴収する側の武士は
価格変動リスクをもろかぶりです。米価が値下がりすることは給料が減ることと同じだからです。
価格変動リスクとは、思わぬ米価の値下がりで、大名が工事費用として商人からした借金の
返済期限が来ても返済不能になるということです。会社でいえば不渡り・倒産です。
実際は大名は倒産できないので、商人に借りができて見返りに山林伐採権などの利権を譲渡せざるを
得なくなったりして、段々頭が上がらなくなってくる。
金やプラチナのような貴金属の先物取引市場と同じように江戸時代では米の先物取引市場があった。
博打場ではないのだ。幕府にとって米価を安定させることが重要な政策課題だったのだ。
それで価格変動リスクをかぶりたくない大名は、現金で年貢を納める制度に改めて
価格変動リスクを農民に転嫁させた例もある。しかしそれが百姓一揆の原因になる。
とにかく米が基軸通貨だったという日本の特殊事情が日本が世界初の先物取引を生んだ理由です。
経済学が発展していたあなんて話では全然ない。
経験則と商人が先物取引を生んだ日本に対して、金融工学と経済学者が先物取引を生んだ欧米は
全く違う社会であった。
>>986 満州は広大でかつ人口密度が低かった。しかもロシアやモンゴルとの国境が長くて平坦であやふや。
馬賊や匪賊を追い掛け回しても全然つかまらない。そんな馬賊や匪賊に荒らされた農民が逆に
馬賊や匪賊に加わっていく。この悪循環で治安は悪化の一途を辿る。
農民は自警団として馬賊や匪賊を雇って略奪に対抗しようとする。
この自警団が発展したのが張軍閥である。軍閥といってもチンピラの寄せ集めです。
いくら数が多くてもチンピラは所詮チンピラですから、近代装備の関東軍とはまともな戦争にはなりっこない。
あれ?何の話してたっけ。張作霖はチンピラを取りまとめる才能があったということだ。
>>986 官による宣撫工作で帰順したから、馬賊上がりだけど
立派に官軍の幹部になっている。
それを利用して政治勢力の拡張・軍備の拡充に努めた。
官途への道が北洋か馬賊かの違いでしかない。
こういった方法によって民国において軍閥になった者は他にもいるし、
賊を工作で官側に取り込むのは中華では良くあること。
有名なのは架空だけど、水滸伝の宋江。
>>976 ヤトビンガ族がプルシと分けて見られたのは、
当初ポラン族・ゴプラン族連合(レフ人=ポーランド人)と同盟していたから
ガリアの部族なのにローマと同盟していたハエドゥイ族のようなもの
ヤトビンガ族の別名はスドヴォヴィエ族といい、プトレマイオスの地誌にスディノイ人として出てくる
のちにポーランドがカトリック化するとおそらく自分たちもカトリック化するべきかどうかで内部で揉めたせいで、
彼らは攘夷派と親ポーランド派の2つに政治的に分裂
ドイツ騎士団がやってくると攘夷派はこれと戦って徹底的に絶滅された(一部は落ち武者となって
リトアニアに逃げのびたともいわれている)、
親ポーランド派は騎士団と戦って勝利し司令官フリードリヒ・フォン・フォーレを殺害したが、
騎士団からの報復を恐れて、故地を捨ててみんなでポーランドのクラクフ公国に亡命した
親ポーランド派のその後の消息は明らかになっていないが中世欧州の常識と
ポーランドの習慣を合わせて判断すると、
シュラフタになってポーランド化した可能性が高い
ヤトビンガ人の領地は報復としてドイツ騎士団が農地を滅茶苦茶に荒らしたので全部森になってしまい、
長い間王国と騎士団と大公国の狩猟地とする程度にしか利用できなかった
いまのスヴァウキ市とその周辺
この地方にはクルガンと呼ばれる古墳がたくさんあり、リトアニアの考古学者のギンブタスがこれを見て
インド・ヨーロッパ語族のクルガン人仮説を着想した
スヴァウキは有名な映画監督アンジェイ・ワイダの故郷でもある
>>989 今のソマリアみたい
そのうちだれか、藤吉郎みたいな才能のやつがのし上がるのかな
攘夷派と開国派と薩英戦争みたいな話だなw 薩摩が英国に滅ぼされていたとしたらヤトビンガ人と同じか
994 :
世界@名無史さん :2010/03/18(木) 04:09:19 0
なぜ有色人種は科学を発見できなかったのでしょう? 50文字くらいで答えて。
995 :
世界@名無史さん :2010/03/18(木) 06:01:58 0
>>994 それを一生涯かけての研究テーマにしてください。
学士院会員を目指して。
>>994 西欧でローマ教会が腐敗を極めたからです。そのお陰でさすがの西欧人も騙されていることに気づいた。
何が神の代理人だ。お前ら嘘ばかりぶちかましやがって。
こうして西欧人は疑うことを知った。その「疑う」ことが科学の方法論であって、それが科学の出発点だった。
西欧人は科学を確立したことでようやくローマ教会を妄信していた時代を脱した。
それがデカルトの方法論序説である。
ところが、日本を含めて西欧以外のどの国にもローマ教会に相当するものが存在しなかった。
だから日本人は疑うことを知らないまま、ここまで来てしまった。
日本人はいまだに科学とは疑うことであることを知らない。ほとんどの人は科学は信じるものだと思っている。
だから学者をあたかも司教か教皇だと思っている。過去形ではない、現在形だ。
まだ科学を発見できていないのだ。
>>994 「有色人種は科学を発見できなかった」というのがそもそもおかしい
最終的に近代科学を確立したのは確かにヨーロッパの白人たちだが、エジプト、インド、中国など、有色人種の
世界にも科学はあった
たとえば、数学の「ゼロ」の概念を発見したのは? インド人だ(マヤ人も独自に発見している)
火薬を作りだしたのは? 中国人だ(まさか、何の目的もなくたまたま硝石と硫黄と黒炭をちょうどよい割合で混合
した人がいて、偶然火薬ができたわけではあるまい。火攻め用の兵器として使う目的で、燃えやすい物質の調合を
いろいろ試して作り出した人がいたはずで、その合理的な研究は立派な科学だ)
そのほか、天文学(暦を作る必要上から)、医学、建築学、地理学、農学など実用的な学問は、世界のあちこちで
それぞれ(むろん、互いの影響も受けながらだし、時に間違っていたりもするが)発展している
998 :
世界@名無史さん :2010/03/18(木) 08:05:09 0
>>994 はたまにこのスレに来ては暴れてる屑だろ
スルーでおk
999 :
世界@名無史さん :2010/03/18(木) 08:13:53 0
1000 :
世界@名無史さん :2010/03/18(木) 08:23:00 0
5963(ごくろうさん)
1001 :
1001 :
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