>>55 トルクメニスタンアフガンあたりでは帝政ロシアの影響力が拡大するまで
通りかかるロシア人を奴隷としていた。帝政ロシアの南下はその奴隷解放
をひとつの名目としている。おそらくハン国の時代からの風習だから、奴隷の
から碧眼の遺伝子が広まっていたとしてもなんの不思議もない。
そもそもロシア人自身がスウェーデン等との戦争で得た捕虜を
中央アジアに売ったりしてたんだから不当ないいがかりだ
中東や北アフリカは砂漠化で人口が少なくなってたから
海賊がヨーロッパから人をさらうのは結構重要な目的だったらしいね
砂漠側に住んでるトゥアレグ遊牧民やサバンナのイスラム王朝は
多神教徒の黒人を奴隷狩りが基本だったらしいけど。
奴隷解放したなどと言っているけれど、奴隷はいつの時代でも必要とされている。
アメリカで黒人奴隷を解放した後中国人労働者がその役割を担うこととなった。
今でも移民が奴隷の役割を引き受けている。
74 :
世界@名無史さん:2009/07/04(土) 02:43:37 0
以前マグリブの中世あたりの歴史をちらっと読んで疑問に思ったんですけど
アラブ人とベルベル人って戦闘スタイルに何か違いはあったんですか?
75 :
::2009/07/04(土) 07:07:29 0
アラブ人は黒人を誘拐して無理やりイスラム教に改宗させてる
って本当ですか?
>>75 それはむしろ奴隷狩りであって、奴隷のイスラム化は副次的効果
エジプトのムハンマド・アリー王朝は、日本よりも早く近代化政策に取り組んだが、
結局失敗に終わった。その理由としては、
(1)第二次シリア戦役の際、ヨーロッパ列強の出方、とくに英国の強硬姿勢を
読みきれなかった。
(2)近代化資金の調達のため、外債に頼った
(3)政治体制が専制のままであり、議会や民権政党、マスコミなどの批判勢力が
存在しなかった
(4)エジプトは日本と違ってインド・ルートの要、スエズ運河を擁するという
戦略的要衝であり、通商面でも綿産業への原料供給地として重要性が増した。
幕末・明治初期の日本の価値は基本的には遠洋航海の薪炭や水の補給地に留まり、
通商面でも、当時の日本には生糸以外さしたる輸出産品もなく、列強にとっては
大市場である中国に次ぐ、あくまでも副次的な存在にすぎなかった。
(5)日本が主として中下級武士が主導した明治維新によって国民国家として
生まれ変わったのに対し、ムハンマド・アリー朝は地場のアラブ系エジプト人に
とってはあくまでも「輸入王朝」であり、近代化政策も基本的にはこれら外国人
支配層「上からの改革」に留まっていた。
(6)エジプトの人口の少なさ。1872年の日本の人口が3480万人だったのに対し、
エジプトは1820年代前半で251万人、1870年代前半でも520万人にすぎなかった。
(7)日本が江戸時代を通じて識字率が向上し、武士や富裕な商工業者、豪農などを
社会を担う中産階級が育成されていたのに対し、オスマン帝国とマムルークの
支配下、長らく中世の沈滞の中にあったエジプトには急速な近代を支えるに足る
十分な人材が育成されていなかった。
※とくに(4)と(6)は日本では見過ごされがちな要素だと思う。オラービー革命の
挫折後、セイロン島へ流刑にされたアフマド・オラービーも、日本の地理的な
好条件を羨んだとか。
79 :
世界@名無史さん:2009/07/10(金) 10:33:21 0
80 :
世界@名無史さん:2009/07/10(金) 23:33:56 0
モロッコのリフ地方のベルベル人はブロンドベルベル人と言われている。
>>15 >アラブから独立したベルベル人王朝が成立してほしかった
ムラービト、ムワッヒドなどは違うの?
تنشأ الجمجمة
في جنين
الفقاريات عل
ى خط أو نموذج واحد
مكونة من جزأين
83 :
世界@名無史さん:2009/07/26(日) 16:48:16 0
>>77-78 人口が少なすぎて発展しようもなかったってところは、確かに盲点だったりするよね。
第三世界の人口爆発は20世紀の半ば以降で、それまでは先進国の方が人口大国だった
ことって本当に見過ごされてると思う。
変な話、国制が全然近代的じゃなかった清やオスマンは人口大国だったから、
19世紀末頃までなんとか国威を維持できたところがあったけど、
人口でフランスは愚かエジプトにすら届かないチュニジアやモロッコが、
近代化を達成して独立を維持できる可能性なんてほとんど思い浮かばない。
途中まで上手くいっても、結局はパラグアイみたいに自滅する可能性が大というか。
>>81 確かにベルベル人政権だけど、あの時代にベルベルのアラブ化が進んだからなあ。
スワヒリ地域のように、タマズィグトを共通語にするぐらいのインパクトを求めてるのでは
モロッコって経済的に見れば結構良いんじゃないの?なのにわざ
わざ危ない橋渡ってまで欧州に密入国するのは何故?所得の差?
それだけじゃないような気がするんですけど...。目と鼻の先が
豊かな欧州なのは分かるが、自国もそう捨てたモンじゃないと思
うんだ。
>>84 色々と不自由なんじゃないかな。西サハラ紛争とか言論統制とか、
最近じゃイスラーム主義と王制の軋轢なんかが住んでるときつくなるのでは。
それに良いって言っても、すぐ北とのスペインとの賃金格差は5-10倍ぐらいあるし、
10年ぐらい欧州で働けば家でも車でも手に入るだろうから、
軽い気持ちで「よーし、パパ、出稼ぎしちゃうぞー」って言って悲惨な目に遭うってのが大多数なのでは。
87 :
世界@名無史さん:2009/08/02(日) 16:04:10 0
新ティフィナグが制定されたのはベルベル民族運動的な一環?
アラビア文字を用いずあえて古代文字を復活させたのはいかなる訳が…
>>87 きっとアラブに同化されるのが嫌だったんだよ。
モロッコじゃそうでもないけど、アルジェリアじゃここ30年ぐらい
アラブvsベルベルの対立(これはアラビア語話者とフランス語話者の対立でもある)
がずっと争点になってるぐらいだから、誇り高いベルベルはクルアーンと日常会話以外の
ベルベル語をアラビア文字で書きたくないに違いない。
かといってアルファベ導入しちゃうとフランスの言いなりみたいで情けないので、
トゥアレグから新ティフナグ文字持ってきたと。
でもこれでマグレブ人はアルファベとアラビア文字とティフナグの三文字に加え、
アラビア語口語方言とフスハーとベルベル諸語とフラ語と英語ってめちゃ言語学習大変だね…
89 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 20:28:31 0
ttp://islam-field.hp.infoseek.co.jp/watanabe.htm アルジェリアの人口の20%を占めると言われるベルベル人であるが、アラブ・
イスラーム国家としての独立アルジェリアは長い間、アルジェリアのベルベル性を
積極的に認めてこなかった。こうした中で、独立後に公用語となった正則アラビア語の
教養を持つ、アラボフォンのエリートと、実用面で今も強い影響力を持つフランス語
教育を受けた、フランコフォンのエリートの対立が、深刻な文化・社会問題と
して顕在化した。ベルベル語話者のうち、アルジェリア北東部のカビリー山地に
起源を持つカビール人は、植民地時代の分割統治政策によって早くからフランス語が
推進されたため、フランスへの大量移民による比較的高い経済力も相まって、
フランコフォンのエリートを多く輩出してきた。フランコフォンのエリートも
ほとんどがムスリムであるが、その教育ゆえに、フランス的な共和主義や
共産主義など、世俗的な価値に共感する者が多いとされている。その結果、
「イスラームに重きを置くアラボフォン」対「世俗主義的なフランコフォン
(彼らの重要な部分をカビールなどベルベル人が占める)」という図式が現れた。
90 :
世界@名無史さん:2009/08/08(土) 11:48:12 i
アラボフォンのイスラーム主義とフランコフォンの社会主義、
どっちを選択するかってニ択なのがアルジェリアの辛いところ。
イスラーム主義の狂暴さに比べればまだ社会主義の現体制の方が良いような気もするけど
でもどっちも嫌だなあ
91 :
世界@名無史さん:2009/08/19(水) 00:52:17 i
ハッサン5世は名君
異論は認めない
92 :
世界@名無史さん:2009/09/07(月) 22:49:43 0
「北西アフリカの最後のキリスト教徒」をよんでみて下さい。
THE LAST CHRISTIANS OF NORTH-WEST AFRICA:
SOME LESSONS FOR ORTHODOX TODAY
http://www.orthodoxengland.org.uk/maghreb.htm ドナトゥス派異端ではない正統キリスト教徒の多くは、土着ベルベル系ではなくローマ植民者系であったので、イスラームの征服後ヨーロッパに立ち去って激減したらしい。
1073~1076年ごろが、ローマ法王庁とマグレブのキリスト教徒(ドナトゥス派異端ではない教会だったはず)との最後の連絡になったらしい。
15世紀初期までチュニジア南部で生きのこっていたキリスト教徒(カトリックからは離れてしまったグループ)が最後らしい。
93 :
世界@名無史さん:2009/09/07(月) 22:50:58 0
94 :
世界@名無史さん:2009/09/09(水) 11:11:21 0
マグリブのキリスト教滅亡の原因は?
95 :
世界@名無史さん:2009/09/09(水) 12:10:20 0
アルジェリアのアブデルカーデルがかっこいい。
96 :
世界@名無史さん:2009/09/11(金) 12:39:06 0
>>94 土着民が、ビザンチン、ローマ双方の教会を嫌ったからでは
97 :
世界@名無史さん:2009/09/12(土) 15:58:24 0
考えてみればシリアやイラクやパレスチナでさえキリスト教が生き残ってるのに、
北アフリカでだけ絶滅したってのは不思議だな
98 :
世界@名無史さん:2009/09/15(火) 21:32:55 0
考えてみれば鎖国日本でさえ隠れキリスト教が生き残ってるのに、
北アフリカでだけ絶滅したってのは不思議だな
99 :
世界@名無史さん:2009/09/15(火) 22:07:25 0
「チュニジアのカイラワン(ケルワン)のキリスト教会は1046年に、戦闘的イスラム教徒の勝利により歴史から姿を消した。」
>>92 とあるが、
それは、
11世紀の中ごろ、エジプトのシーア派王朝である(チュニジアの地から勃興したくせに)ファーティマ朝が、
スンニ派に寝返って離反したチュニジア地方に拠るズィール朝を討伐させるため、
エジプトにいたベドウィンのヒラール族、スライム族を扇動してこの地方を侵略させ、彼らの侵略によってカイラワーンは徹底的に破壊されたことを指すのだろうか?。
正確な年代がわからないのでなんともいえないが。
100 :
世界@名無史さん:2009/09/27(日) 15:08:51 0
フランスは植民地時代に、カビール人の先祖はローマ人キリスト教徒、あるいは
ガリア人キリスト教徒であるという「神話」を創り上げた。
実際は単にアラブ侵入以前からアルジェリアに住んでいたベルベル系の民族である。
しかしこの「分断統治」政策のおかげで、アラブ・ムスリムの間には「世俗主義と
反アラブのカビール人」イメージを生み出すことになった。
101 :
世界@名無史さん:2009/09/29(火) 01:07:46 0
現地のベルベル諸語、マグリブ・アラブ語にラテン語、ギリシャ語、ポエニ語、ヴァンダル語からの借用語は残っていないのであろうか?
102 :
世界@名無史さん:2009/10/13(火) 20:05:01 0
103 :
世界@名無史さん:2009/10/15(木) 11:29:01 0
蒼き狼と白き雌鹿Ⅳ
マリーン朝・ハフス朝・ムワッヒド朝で遊べる唯一のゲーム。
104 :
世界@名無史さん:2009/10/18(日) 14:17:52 0
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2007/03/post_ec21.html 黒人差別がいちばんひどいのはサウジアラビア
今日のマレーシア紙NSTにセネガル人ジャーナリスト(黒人ムスリム)の評論が
載っていて、イスラム圏アフリカの人種問題(黒人差別)を論じていた。
この人が世界各地を旅行した中でいちばん差別がひどかったのがサウジアラビア
だったという。オストラサイズされたという。
北アフリカのイスラム圏も黒人差別がひどく、同時にヨーロッパに媚びる姿勢が
強いようである。スーダンのアラブ系支配層による黒人弾圧についてはよく
報じられる。
モロッコなども人種差別がひどいという。これはツーリストからも聞くことがある。
これらの北アフリカ諸国はできればEUに入りたいという色気があり、アフリカ連合には
決して参加しようとしないという。
>>104 いやアフリカ連合には入っているでしょ。モロッコは西サハラ問題で脱退しているけど。
西サハラってスペイン語通じますか?
107 :
世界@名無史さん:2009/11/09(月) 22:24:09 0
もともとの住民(サハラウィ)がモロッコからの移民と入れ替わってるから難しいのでは?
108 :
世界@名無史さん:2009/12/16(水) 16:52:47 0
109 :
世界@名無史さん:2009/12/16(水) 19:05:31 0
>>104 >スーダンのアラブ系支配層による黒人弾圧についてはよく
>報じられる。
だが、写真や映像で見る限り、スーダンの「アラブ人」は、どう見ても真っ黒けのニガーなんだが。
110 :
世界@名無史さん:2009/12/18(金) 00:39:48 0
>>109 アラビア語を話し、自らを「アラブ人」だとイメージしていれば肌が黒かろうとアラブ人だよ。
マグリブのアラブ人はベルベル人と見分けがつかないし。
111 :
世界@名無史さん:2010/03/25(木) 12:51:10 0
112 :
世界@名無史さん:2010/03/25(木) 14:43:49 0
113 :
世界@名無史さん:2010/04/13(火) 21:39:50 0
>>109 スーダンのアラブ人は黒人とエジプトから南下してきたアラブ人の混血やアラブ化した黒人だから。
114 :
世界@名無史さん:2010/05/08(土) 06:47:06 0
日本で出ているモロッコに関する本は、異国趣味を満足させるようなものが
ほとんどで、アラウィー朝の三代の君主による近代化政策、植民地時代の産業開発、
ヨーロッパ人入植者による土地取得、西サハラ問題、モロッコがEU加盟を
希望していること、モロッコの地域間格差などについてくわしく書いている
書物はほとんどない。
やっぱりモロッコ料理や雑貨、フェズやマラケシュ、砂漠やラクダについて
とりあげたほうが一般人には受けがいいのか。
>>114 日本が世界を意識するようになってから長らくモロッコには主権がなかったし、
独立後もハサン2世の国王専制体制が確立してたから、研究者も一般人も
そこからわざわざ何かを学ぼうって気力が起きなかったんだろうね。
非同盟運動が盛んだった頃は、アルジェリアやエジプト、パレスチナに
関する研究や文化交流はそれなりにあったし、
非同盟運動凋落後は入れ替わるように湾岸の産油国に目が向かうようなったから
アラブ圏に対して向かう日本人のエネルギーは全部そっちに流れてったんだろう。
特にアルジェリアに関して思うことは、あの国が独立後「地中海の日本」を目指すぐらいに、
ヨーロッパや合衆国に対して強く反発しながらも、一方でアラブや第三世界全体で見ても
かなり親日的な国になったのは、今で言えば「お花畑平和主義者」や「反日左翼」と
呼ばれかねない宇都宮徳馬や、全学連日本代表が掲げた「連帯」(古い言葉だ)が
アルジェリア側に評価さ能にした、今はれたということは間違いなくあった。
僕は左派なので、所謂「親日国」が「反日左翼」によって形成されてきた部分が少なからずある部分と、
そういった「連帯」を可もう死んでしまったイデオロギー的基盤について、
マトモな保守なら考え直してみてもいいんではないかな、と思う。
何も日本側だけでなく、アラブ側も今支配的になっている感のある、
普遍性の見えないイスラーム主義(所謂「原理主義」)
に被れるよりは、もう一度『資本論』を読んでみよう、ぐらいのゆとりがあればいいなーと。
化石左翼の戯言ですが。
×アルジェリア側に評価さ能にした、今はれたということは間違いなくあった。
○アルジェリア側に評価されたということは間違いなくあった。
やべやべ。ゲバラのアルジェ演説でも読み直してくるか。
アルジェリアがかつて、北ベトナムやキューバと並び、政治的・経済的に
開発途上国におけるモデル国家的な存在だったことはほとんど忘れ去られている…
ブーメディエンと、彼が行った重化学開発路線、高水準の投資を通しての
高度経済成長政策なんて、今の若い人たちは知らないだろうね。
あの頃はエジェレ油田、ハシメサウド油田などが次々と発見されて、
さらに文化面でも「アルジェリア人のアルジェリア」というスローガンのもと、
学校教育をアラビア語化して、フランス語を中学で初めて習う外国語にした。
ラジオやテレビの放送もアラビア語の番組を増やし、フランス語の道路標識も
アラビア語に変えた。
その国が90年代に入って、GIAによる凄惨なテロに悩まされる国に
なろうとは…