2 :
世界@名無史さん:2009/05/20(水) 18:37:23 0 BE:3263466299-2BP(1001)
2
エジプトは入んないのか?
3 :
世界@名無史さん:2009/05/20(水) 19:35:52 0
>>2 「マグリブ」といったときエジプトは入れないのが普通だが、話の流れに
よっては語ってもいいのでは。
1830年に始まったフランスのアルジェリアへの侵攻は、全軍隊の3分の1に
あたる10万余りの大軍を投じて、41年後の1871年、ようやく全土の
平定を終えた。
この間フランス遠征軍は、頑強な民衆の抵抗に苛立ち、非戦闘員に対しても
残虐行為を繰り返した。村々を焼き尽くす焦土戦術を採用した略奪者たちは、
切られた手首についたままの腕輪や、肉片のぶら下がった首飾りを市場で
陳列して売ったといわれる。
>>1乙!
「・・・これを宣言するのに、世界で最も英雄的な自由の首都である
アルジェ以上に象徴的な場所はない。・・・」 1965年2月24日 チェ・ゲバラ
(甲斐美都里訳『ゲバラ世界を語る』中央公論新社 2008より)
明石書店から『アルジェリアを知るための〜章』も出ましたし、
フランスのマグリブ系文化の話(音楽ぐらいしか知らないけど)
やベルベル人の話題が収集できたら幸いですね。
リビア、モロッコ、アルジェリアと来たんだから早く『チュニジアを知るための〜章』も出てほしいなあ
歴史難民板のこちらのスレも忘れずに
チュニジア、アルジェリア、モロッコの歴史【マグリブ】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1234016730/l50
7 :
ウーゴ ◆eaYqa3SeLE :2009/05/21(木) 15:40:31 0
8 :
世界@名無史さん:2009/05/21(木) 21:10:01 O
モロッコの識字率低すぎワラタ
>>8 にしても統計でハイチ以下の識字率(実際にはハイチの方が酷いだろうけど)
は確かに笑え過ぎてヤヴァイ。
あれは女性の識字率の低さが平均を押し下げてる感じだけど、
あれも国王専制みたいな体制に起因するのかねえ
10 :
ウーゴ ◆eaYqa3SeLE :2009/05/21(木) 22:23:33 O
いや、でも字が読めなくても食べてける状況が生き残ってると考えれば、
それはそれで豊かだな。モロッコの農村生活が自給出来てるならとやかく言うことじゃないか
11 :
世界@名無史さん:2009/05/21(木) 22:53:49 0
>>11 だってチュニジア方言やアルジェリア方言と、仏語やベルベル語を併用してる
他のマグリブの方が、識字率(標準アラビア語)が高いんだもん!
なんでモロッコだけ?って疑問湧いて出てきちゃう
13 :
世界@名無史さん:2009/05/21(木) 22:58:30 0
チュニジアのフサイン朝のサドク・ベイは先見の明あったよなあ
オスマン帝国から完全に独立してなかったから、
どれだけうまく行っても結局はムハンマド・アリーと同じ轍を踏んだんだろうけど、
隣のアルジェリアの反乱軍が結局主権概念を導入しただけなのに比べるとあれだけの主導権を持てたのが凄い
オスマン帝国がやってこなきゃもっと歴史も違ったんだろうけどなあ。
アラブから独立したベルベル人王朝が成立してほしかった
>アラブから独立したベルベル人王朝が成立してほしかった
スライム族とかが攻めてきた時点でもう難しいのでは
『アメリカのデモクラシー』の著者、アレクシス・ド・トクヴィルは、アルジェリア
征服戦争をマンセーして、
「征服というこの大きな暴力を犯した瞬間から、征服を打ち固めるために
絶対に必要な小さな暴力を前にしてたじろいではならない」
と書いた。
彼はイスラームの政教一致についても、
「ムハンマドがもたらした聖権と俗権の集中と融合は一方では紛れもなく善を
生み出したにしても,他方で宗教と世俗の両権力の融合は,ムスリム国民の
間で一般的に見られる専制や,とくに社会的な停滞の主な原因である。また,
この融合は,二つの権力が分離する正反対の体制を奉じた国民の前に,最終的に
ムスリム国民を屈服させる原因にもなっている」
と批判している。
>>17 イスラーム観に関しては今でも欧米はそう言う見方をしてるな。
トクヴィルの主張は、すべてが間違っているわけではないからよけいに
始末が悪い。
政教分離しなければイスラーム社会は西欧式の「自由」を導入できない。
しかしチュニジアでブルギバがかなり強引なライシテ政策を採ったが、その
反動でMITのような組織が出てきたし、この辺の舵取りはけっこう難しいな。
20 :
世界@名無史さん:2009/05/24(日) 03:39:54 O
ムハンマド6世万歳!サハラアラブ共和国など存在しない!
21 :
世界@名無史さん:2009/05/25(月) 09:10:18 0
モロッコと西サハラの住民は、民族・人種的にどんな違いがあるの?
22 :
::2009/05/25(月) 11:35:50 0
西サハラは実質的にモロッコが支配してると聞いたのですが、
公用語はアラビア語とスペイン語でよろしかったですか?
23 :
世界@名無史さん:2009/05/25(月) 18:58:31 0
>>22 ハッサニアと呼ばれるアラビア語の方言+スペイン語
ポリサリオ解放戦線が出てきた小説といえば、船戸与一の「砂のクロニクル」
南米モノでも有名な著者の出世作。
25 :
::2009/05/25(月) 19:38:27 0
>>23 そうなんですかぁ。以前インタビューで西サハラの方が流暢な
スペイン語を話されていたので、気になってました。人種的に
はマグレブ系+黒人という認識でよろしいんですか?
26 :
世界@名無史さん:2009/05/25(月) 19:54:27 0
>>25 ベルベル人、アラブ人、少数の黒人だと思う。
もっともスーダンの例でもわかるように、あの辺はかなり混血しているから
明確な線引きは難しいらしいけど。
ベルベル人も金髪碧眼だったりするのかしら
ヴァンダル人の血が混じっているヤシらもいるだろうからな。
29 :
::2009/05/26(火) 19:20:26 0
ヴァンダル人は北欧?を起源に持つ民族でしたっけ。現在の
北アフリカ一帯にヴァンダル王国を築き、ローマ帝国の脅威
となる存在だった。覇王ガイゼリック率いるヴァンダル軍は
各地で暴威を揮い、略奪の限りを行う蛮族というイメージを
持たれていた。ヴァンダリズムの語源にもなったほどである。
>覇王ガイゼリック率いるヴァンダル軍は
劇画風でいいな
32 :
::2009/05/27(水) 20:04:50 0
そいえば、ジダンもベルベル人(アルジェリア系フランス人)
でしたっけ。あの綺麗な瞳の色が印象的でやんすねぇ。
33 :
世界@名無史さん:2009/05/27(水) 22:38:28 i
ベルベル人はおそらくもとから金髪碧眼だった
34 :
世界@名無史さん:2009/05/27(水) 22:48:34 0
ベルベル人の一部はヨーロッパ人に酷似している。
それが何故すはもう少し時間が必要。
それと、グアンチェ人についても研究が必要だが、
もう純粋のグアンチェ人は残っていないらしい。
クロマニヨン人を彷彿とさせる外見的特徴とのこと。
碧眼金髪というのは、白人種の中で、一定程度存在するものらしい。
西はモロッコ人から東はタジク人までみかけられる。
ウイグル人にもいるようだ。
ただダークブロンドだけどね。
後ウマイヤ朝の始祖、アブド・アッラフマーン1世は、ベルベル人の母に似て
金髪碧眼だったそうな。
37 :
世界@名無史さん:2009/05/28(木) 09:35:39 0
38 :
世界@名無史さん:2009/05/29(金) 06:37:42 0
ベルベル人でアラビア語話者となったのが北アフリカのアラブ人。
これはヴァロワの時代から確認されている。
問題はエジプト人、イベリア半島人との関係。
遺伝子上ではそれほど深い関係にはない。
しかし、外見上は似ている。これをどう説明するか。
同様のことがR1a、R1bにもいえる。
R1a、R1bは近縁だから似てて当然、それでも差はあるが
ただ遺伝的に差があるといっても同じコーカソイド内の話だからな
実際髪の毛金髪に染めた色白のアラブ人は
遺伝子的差異が結構あってもヨーロッパ人に見えるからね
それと遺伝子は男性系のY染色体だけなく女性系のMTDNA両方見ないとダメだし
後、環境要因もあるな
ただモロッコ人の顔ってメソポタミア辺りとはちょっと違うなとは思う
それとスペイン人は中近東顔もいるが北方系ヨーロッパの顔も多い
40 :
世界@名無史さん:2009/05/29(金) 15:01:21 0
遺伝的な近さと外見・形質はあんまり関係ないよ
外見・形質は気候に適応した結果だから、その土地の気候が似てれば遺伝的に遠くても外見は似る
イベリア人とマグリブ人は遺伝的には近くないけど外見が似てるのは似たような気候に適応したから
恐らく日光が弱かったため肌が黒い必要がなく比較的白くなって、
乾燥地帯だったから鼻から吸った空気を湿らせるため鼻が高くなったのだろう
この前NHKの松任谷由美がでたフランメンコのルーツを探る番組があったが
モロッコ人とスペイン人は結構差があるよ
そりゃ個人レベルでは互い似てるのもいるけど
集団としてみればモロッコは明らかに南方系、スペインは北方系って感じはした
ベルベル系の人ってメソポタミアに比べるとややあっさりした顔してると個人的に思った
エジプト人との差はよくわからん
42 :
世界@名無史さん:2009/05/29(金) 16:04:43 0
フラメンコってインド系のジプシーがやってるんじゃないの
それもやった
44 :
世界@名無史さん:2009/05/29(金) 19:28:58 0
>イベリア人とマグリブ人は遺伝的には近くないけど外見が似てるのは
似たような気候に適応したから
それがあるんだよな。
金髪碧眼が北欧南部を中心に同心円的に分布しているというのは、
数千年前の出自が異なっていたとしても、同じ気象環境にいたためと思う。
マグレブの白人的な人たちとイベリア半島・イタリア半島南部の人たちは、
確かに外見的には似通っている。
遺伝子が異なっても、外見的に似ているということは、
人種の環境決定説を裏付けることになる。
例えば、ブロンド現象はここ2〜3千年間の間に急速に進んだと言われる。
ギリシャ人とトルコ人の方が似てる
あっちは遺伝子も非常に近いし
先史時代中東の農耕民がヨーロッパに移住したが
アナトリアからバルカンに入るのが主要ルートで
ジブラルタルやチュニジアからイベリア、イタリアに入るルートがマイナーなのは
遺伝子からもわかる
46 :
世界@名無史さん:2009/05/29(金) 21:58:12 0
そのとおり。
遺伝子的には、意外とイベリア半島とマグレブには違いがある。
しかしながら、外見的な差は一部白人的マグレブ人とイベリア半島人には
あまり差はない。このあたりの解剖を学会にはお願いしたい。
それは俺も思ったけど
ある程度は混血してるし
それと同じコーカソイド同士だから似たような人がいてもおかしくないんじゃない
ベルベルに限らず、メソポタミア地域でも色白でヨーロッパ的な顔の人はいるからね
ちょっと苦しいけど
48 :
::2009/05/30(土) 08:01:32 0
でもトルコ人とギリシャ人は犬猿の仲なんだよね。
ここはいつから人類学板になったのか
モロッコの識字率を馬鹿にしてたけど、
逆にアラビア語が読み書きできない人が多いからこそ、
つい最近まで文字がなかったベルベル語がモロッコのみで大規模に生き残ってる
理由だと考えると、一概にバカにできないな。
モロッコの皆さん。国王さん。ごめんなさい。
>>11 www.ethnologue.com、うさんくせー
たとえば、日本語類のところ。
Northern Amami-Okinawan
奄美大島の北と南、徳之島とで、別の言語だってよー。
島言葉の素で話通じるっちゅうに。
とりあえず、本土は1言語にしてあって「大阪弁は別言語」とかになっていないが、
おまぃら、弘前弁や津軽弁や都城弁で素で喋られて、東京や大阪やらの人と言葉が
通じるか? 言葉が通じるどころか単語レベルで聞き取りができないよ。
それでも1言語だとよ。
何、この恣意性は。
>>44 普通の考え方だと、同心円状に分布しているということは、その中心付近で発祥し
周囲に伝わったと考えるものだろ?
出自に関係なく気象条件によって数千年で変わるというなら、世界中のあちこちの
似た気象条件のところで金髪が北欧系の人種と関係なく存在していなけりゃおかしい。
北欧南部の気象条件なんちゃあ珍しもなんともない、西岸海洋性気候か冷帯湿潤気候だ。
バルト海側と大西洋側、海岸の西か東かで降雨の条件は割と違うから、北欧南部に共通し
気温も日照条件も湿度も他の冷帯・温帯と性質を特に異にするようなところは無い。
気象条件で云々するのは無理がありすぎだ。
53 :
世界@名無史さん:2009/05/31(日) 09:18:18 0
ただ環境を否定すると、人類が何故黒色人種からスタートして、
脱色素化して諸人種を生み出したのか説明出来ない。
やはりブロンド現象は北西ヨーロッパ適応型と見るのが妥当。
ところが世界のあちこちの白色人種にもそれなりの割合で見られるので、
なかなか理解するのが難しいとする所以だ。
北欧で発生し、白くても生きていける土地だから生き残り、爆発的な征服戦争の
勝者の一員であったから、だろ。
55 :
世界@名無史さん:2009/06/01(月) 20:57:55 0
たとえば、碧眼や緑眼は、東はインド・パキスタンにも稀に見られる。
アフガン人やペルシャ人だと5〜10%のくらいの割合になる。
これらは印欧語族南下前の形質を現在も維持しているということになる。
それでしか説明がつかない。
やはり原印欧語族は白人それも今のウクライナ人あたりと大差ない
外見的特徴だったと考えざるを得ないのだが。
アレキサンダー王が攻めて取って、ギリシャ世界では北夷とされていたマケドニア人が
いっぱい入ってきたからね。
中世には、サラセンがスラブ人やフランク人の奴隷を買っては紅海・ペルシャ湾方面へ
連れて行っては売っていたし、東から攻め込んだ勢力が、今のベラルーシ国やポーランドの
境ら辺まで、ポロベツ、クン、ハザール、モンゴル、タタールやらが頻繁に攻め込んだり
数百年も支配したりしていた。
ウクライナ平原とカイハル峠やアラル海と両方支配した勢力なんか歴史上いくつもある。
数百年来一つの政治勢力の支配下にあれば、人も往来しようし血も混じろうよ。
スラブ人の勢力も回教徒教徒も戦争で勝てば強姦だからな。近代になっても、だ。
ソビエト兵の満州占領とか、もっと後の、ユーゴスラビア崩壊の一連の紛争なんか、強姦
しまくりだったろ。モメるたび混血だ。
イランやアフガニスタンの碧眼も、19世紀以降のロシア・ソビエトの侵攻の置き土産だったり
してな。
58 :
::2009/06/05(金) 07:02:55 0
モロッコではスペイン語は通じるんですか?フランス語は
第二公用語だったと思いますが、元植民地の関係でスペイ
ン語も通じるかなぁと、ふと思いやした。
>>58 北部モロッコではスペイン語が通じるそうでつ。
61 :
::2009/06/07(日) 05:46:01 0
セウタやメリリャは意外と栄えてるんですかね?動画には
結構高層ビルとか映ってたんですが。
62 :
世界@名無史さん:2009/06/12(金) 00:48:41 0
セウタやメリリャは密入国取り締まったら衰退した。
63 :
世界@名無史さん:2009/06/19(金) 19:07:45 0
西サハラの住民、サハラウィは数十の氏族にわかれて生活していたが、全体を
支配するような権力者はおらず、代表者を集めて開催する「四十人集会」に
よって様々な問題を討議していた。氏族はそれぞれ「戦士氏族」「庶民氏族」
「聖職氏族」「奴隷氏族」といった、カーストのような肩書きをもって社会的な
分業をしていたようである。
1767年、モロッコ(アラウィー朝)とスペインが条約を結んだ際にスペイン側から
西サハラに基地を設けたいという申し出がなされたが、モロッコ側はその地域には
自分の権威が及んでいないので安全の保障は出来ないと返答した。つまり、
少なくともその頃の西サハラはモロッコの支配を全く受けていなかったということである。
64 :
::2009/06/20(土) 07:59:08 0
>>63 なのに何故今モロッコが西サハラを実効支配してるんでしょうか?
>>64 独立後、モロッコは「大モロッコ主義」を唱えてスペインが支配していた
西アフリカの領有を主張した。
これは16世紀以降にモロッコが支配してきた地域はみな現在のモロッコ王国に
統合されるべきであるとの考えで、スペイン領西アフリカだけでなく、モーリタニア、
マリの北西部・アルジェリア西部までをも含んでいた。
それらの地域の中には、確かに一時期だけモロッコに支配されていた地域も
含まれてはいるが、そんなもので現在の国境を決めること自体無茶な話だし、
そもそも名目だけで実質的にはモロッコの歴代王朝の支配が及んでいなかった
地域も多い。
大モロッコ主義を15世紀に、としたら、スペインとポルトガルの全部が
モロッコ領になってしまうわな。
67 :
世界@名無史さん:2009/06/29(月) 19:44:20 0
グアンチェ族はベルベル系、そして金髪碧眼高身長。
この特徴はベルベルのごく一部にも引き継がれている。
中世、イベリアが回教政権に支配されていた時期、ヨーロッパから回教圏へ
輸出されていた最大の商品は、フランク人やスラブ人の奴隷。
その前のローマ時代には、属州民が市民権を得るために20年〜25年の軍役を
要した。属州の兵員は、叛乱や逃亡を防ぐため、召集した地域からなるべく
離れた任地に送られ、大抵、最終任地で農地と家を与えられた。
ガリアで応募すると、アナトリアやマウリタニアに送られ、アフリカで応募
するとブリタニアやラインに送られるという具合。
これで混血しないわきゃあないな。
>>55 トルクメニスタンアフガンあたりでは帝政ロシアの影響力が拡大するまで
通りかかるロシア人を奴隷としていた。帝政ロシアの南下はその奴隷解放
をひとつの名目としている。おそらくハン国の時代からの風習だから、奴隷の
から碧眼の遺伝子が広まっていたとしてもなんの不思議もない。
そもそもロシア人自身がスウェーデン等との戦争で得た捕虜を
中央アジアに売ったりしてたんだから不当ないいがかりだ
中東や北アフリカは砂漠化で人口が少なくなってたから
海賊がヨーロッパから人をさらうのは結構重要な目的だったらしいね
砂漠側に住んでるトゥアレグ遊牧民やサバンナのイスラム王朝は
多神教徒の黒人を奴隷狩りが基本だったらしいけど。
奴隷解放したなどと言っているけれど、奴隷はいつの時代でも必要とされている。
アメリカで黒人奴隷を解放した後中国人労働者がその役割を担うこととなった。
今でも移民が奴隷の役割を引き受けている。
74 :
世界@名無史さん:2009/07/04(土) 02:43:37 0
以前マグリブの中世あたりの歴史をちらっと読んで疑問に思ったんですけど
アラブ人とベルベル人って戦闘スタイルに何か違いはあったんですか?
75 :
::2009/07/04(土) 07:07:29 0
アラブ人は黒人を誘拐して無理やりイスラム教に改宗させてる
って本当ですか?
>>75 それはむしろ奴隷狩りであって、奴隷のイスラム化は副次的効果
エジプトのムハンマド・アリー王朝は、日本よりも早く近代化政策に取り組んだが、
結局失敗に終わった。その理由としては、
(1)第二次シリア戦役の際、ヨーロッパ列強の出方、とくに英国の強硬姿勢を
読みきれなかった。
(2)近代化資金の調達のため、外債に頼った
(3)政治体制が専制のままであり、議会や民権政党、マスコミなどの批判勢力が
存在しなかった
(4)エジプトは日本と違ってインド・ルートの要、スエズ運河を擁するという
戦略的要衝であり、通商面でも綿産業への原料供給地として重要性が増した。
幕末・明治初期の日本の価値は基本的には遠洋航海の薪炭や水の補給地に留まり、
通商面でも、当時の日本には生糸以外さしたる輸出産品もなく、列強にとっては
大市場である中国に次ぐ、あくまでも副次的な存在にすぎなかった。
(5)日本が主として中下級武士が主導した明治維新によって国民国家として
生まれ変わったのに対し、ムハンマド・アリー朝は地場のアラブ系エジプト人に
とってはあくまでも「輸入王朝」であり、近代化政策も基本的にはこれら外国人
支配層「上からの改革」に留まっていた。
(6)エジプトの人口の少なさ。1872年の日本の人口が3480万人だったのに対し、
エジプトは1820年代前半で251万人、1870年代前半でも520万人にすぎなかった。
(7)日本が江戸時代を通じて識字率が向上し、武士や富裕な商工業者、豪農などを
社会を担う中産階級が育成されていたのに対し、オスマン帝国とマムルークの
支配下、長らく中世の沈滞の中にあったエジプトには急速な近代を支えるに足る
十分な人材が育成されていなかった。
※とくに(4)と(6)は日本では見過ごされがちな要素だと思う。オラービー革命の
挫折後、セイロン島へ流刑にされたアフマド・オラービーも、日本の地理的な
好条件を羨んだとか。
79 :
世界@名無史さん:2009/07/10(金) 10:33:21 0
80 :
世界@名無史さん:2009/07/10(金) 23:33:56 0
モロッコのリフ地方のベルベル人はブロンドベルベル人と言われている。
>>15 >アラブから独立したベルベル人王朝が成立してほしかった
ムラービト、ムワッヒドなどは違うの?
تنشأ الجمجمة
في جنين
الفقاريات عل
ى خط أو نموذج واحد
مكونة من جزأين
83 :
世界@名無史さん:2009/07/26(日) 16:48:16 0
>>77-78 人口が少なすぎて発展しようもなかったってところは、確かに盲点だったりするよね。
第三世界の人口爆発は20世紀の半ば以降で、それまでは先進国の方が人口大国だった
ことって本当に見過ごされてると思う。
変な話、国制が全然近代的じゃなかった清やオスマンは人口大国だったから、
19世紀末頃までなんとか国威を維持できたところがあったけど、
人口でフランスは愚かエジプトにすら届かないチュニジアやモロッコが、
近代化を達成して独立を維持できる可能性なんてほとんど思い浮かばない。
途中まで上手くいっても、結局はパラグアイみたいに自滅する可能性が大というか。
>>81 確かにベルベル人政権だけど、あの時代にベルベルのアラブ化が進んだからなあ。
スワヒリ地域のように、タマズィグトを共通語にするぐらいのインパクトを求めてるのでは
モロッコって経済的に見れば結構良いんじゃないの?なのにわざ
わざ危ない橋渡ってまで欧州に密入国するのは何故?所得の差?
それだけじゃないような気がするんですけど...。目と鼻の先が
豊かな欧州なのは分かるが、自国もそう捨てたモンじゃないと思
うんだ。
>>84 色々と不自由なんじゃないかな。西サハラ紛争とか言論統制とか、
最近じゃイスラーム主義と王制の軋轢なんかが住んでるときつくなるのでは。
それに良いって言っても、すぐ北とのスペインとの賃金格差は5-10倍ぐらいあるし、
10年ぐらい欧州で働けば家でも車でも手に入るだろうから、
軽い気持ちで「よーし、パパ、出稼ぎしちゃうぞー」って言って悲惨な目に遭うってのが大多数なのでは。
87 :
世界@名無史さん:2009/08/02(日) 16:04:10 0
新ティフィナグが制定されたのはベルベル民族運動的な一環?
アラビア文字を用いずあえて古代文字を復活させたのはいかなる訳が…
>>87 きっとアラブに同化されるのが嫌だったんだよ。
モロッコじゃそうでもないけど、アルジェリアじゃここ30年ぐらい
アラブvsベルベルの対立(これはアラビア語話者とフランス語話者の対立でもある)
がずっと争点になってるぐらいだから、誇り高いベルベルはクルアーンと日常会話以外の
ベルベル語をアラビア文字で書きたくないに違いない。
かといってアルファベ導入しちゃうとフランスの言いなりみたいで情けないので、
トゥアレグから新ティフナグ文字持ってきたと。
でもこれでマグレブ人はアルファベとアラビア文字とティフナグの三文字に加え、
アラビア語口語方言とフスハーとベルベル諸語とフラ語と英語ってめちゃ言語学習大変だね…
89 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 20:28:31 0
ttp://islam-field.hp.infoseek.co.jp/watanabe.htm アルジェリアの人口の20%を占めると言われるベルベル人であるが、アラブ・
イスラーム国家としての独立アルジェリアは長い間、アルジェリアのベルベル性を
積極的に認めてこなかった。こうした中で、独立後に公用語となった正則アラビア語の
教養を持つ、アラボフォンのエリートと、実用面で今も強い影響力を持つフランス語
教育を受けた、フランコフォンのエリートの対立が、深刻な文化・社会問題と
して顕在化した。ベルベル語話者のうち、アルジェリア北東部のカビリー山地に
起源を持つカビール人は、植民地時代の分割統治政策によって早くからフランス語が
推進されたため、フランスへの大量移民による比較的高い経済力も相まって、
フランコフォンのエリートを多く輩出してきた。フランコフォンのエリートも
ほとんどがムスリムであるが、その教育ゆえに、フランス的な共和主義や
共産主義など、世俗的な価値に共感する者が多いとされている。その結果、
「イスラームに重きを置くアラボフォン」対「世俗主義的なフランコフォン
(彼らの重要な部分をカビールなどベルベル人が占める)」という図式が現れた。
90 :
世界@名無史さん:2009/08/08(土) 11:48:12 i
アラボフォンのイスラーム主義とフランコフォンの社会主義、
どっちを選択するかってニ択なのがアルジェリアの辛いところ。
イスラーム主義の狂暴さに比べればまだ社会主義の現体制の方が良いような気もするけど
でもどっちも嫌だなあ
91 :
世界@名無史さん:2009/08/19(水) 00:52:17 i
ハッサン5世は名君
異論は認めない
92 :
世界@名無史さん:2009/09/07(月) 22:49:43 0
「北西アフリカの最後のキリスト教徒」をよんでみて下さい。
THE LAST CHRISTIANS OF NORTH-WEST AFRICA:
SOME LESSONS FOR ORTHODOX TODAY
http://www.orthodoxengland.org.uk/maghreb.htm ドナトゥス派異端ではない正統キリスト教徒の多くは、土着ベルベル系ではなくローマ植民者系であったので、イスラームの征服後ヨーロッパに立ち去って激減したらしい。
1073〜1076年ごろが、ローマ法王庁とマグレブのキリスト教徒(ドナトゥス派異端ではない教会だったはず)との最後の連絡になったらしい。
15世紀初期までチュニジア南部で生きのこっていたキリスト教徒(カトリックからは離れてしまったグループ)が最後らしい。
93 :
世界@名無史さん:2009/09/07(月) 22:50:58 0
94 :
世界@名無史さん:2009/09/09(水) 11:11:21 0
マグリブのキリスト教滅亡の原因は?
95 :
世界@名無史さん:2009/09/09(水) 12:10:20 0
アルジェリアのアブデルカーデルがかっこいい。
96 :
世界@名無史さん:2009/09/11(金) 12:39:06 0
>>94 土着民が、ビザンチン、ローマ双方の教会を嫌ったからでは
97 :
世界@名無史さん:2009/09/12(土) 15:58:24 0
考えてみればシリアやイラクやパレスチナでさえキリスト教が生き残ってるのに、
北アフリカでだけ絶滅したってのは不思議だな
98 :
世界@名無史さん:2009/09/15(火) 21:32:55 0
考えてみれば鎖国日本でさえ隠れキリスト教が生き残ってるのに、
北アフリカでだけ絶滅したってのは不思議だな
99 :
世界@名無史さん:2009/09/15(火) 22:07:25 0
「チュニジアのカイラワン(ケルワン)のキリスト教会は1046年に、戦闘的イスラム教徒の勝利により歴史から姿を消した。」
>>92 とあるが、
それは、
11世紀の中ごろ、エジプトのシーア派王朝である(チュニジアの地から勃興したくせに)ファーティマ朝が、
スンニ派に寝返って離反したチュニジア地方に拠るズィール朝を討伐させるため、
エジプトにいたベドウィンのヒラール族、スライム族を扇動してこの地方を侵略させ、彼らの侵略によってカイラワーンは徹底的に破壊されたことを指すのだろうか?。
正確な年代がわからないのでなんともいえないが。
100 :
世界@名無史さん:2009/09/27(日) 15:08:51 0
フランスは植民地時代に、カビール人の先祖はローマ人キリスト教徒、あるいは
ガリア人キリスト教徒であるという「神話」を創り上げた。
実際は単にアラブ侵入以前からアルジェリアに住んでいたベルベル系の民族である。
しかしこの「分断統治」政策のおかげで、アラブ・ムスリムの間には「世俗主義と
反アラブのカビール人」イメージを生み出すことになった。
101 :
世界@名無史さん:2009/09/29(火) 01:07:46 0
現地のベルベル諸語、マグリブ・アラブ語にラテン語、ギリシャ語、ポエニ語、ヴァンダル語からの借用語は残っていないのであろうか?
102 :
世界@名無史さん:2009/10/13(火) 20:05:01 0
103 :
世界@名無史さん:2009/10/15(木) 11:29:01 0
蒼き狼と白き雌鹿W
マリーン朝・ハフス朝・ムワッヒド朝で遊べる唯一のゲーム。
104 :
世界@名無史さん:2009/10/18(日) 14:17:52 0
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2007/03/post_ec21.html 黒人差別がいちばんひどいのはサウジアラビア
今日のマレーシア紙NSTにセネガル人ジャーナリスト(黒人ムスリム)の評論が
載っていて、イスラム圏アフリカの人種問題(黒人差別)を論じていた。
この人が世界各地を旅行した中でいちばん差別がひどかったのがサウジアラビア
だったという。オストラサイズされたという。
北アフリカのイスラム圏も黒人差別がひどく、同時にヨーロッパに媚びる姿勢が
強いようである。スーダンのアラブ系支配層による黒人弾圧についてはよく
報じられる。
モロッコなども人種差別がひどいという。これはツーリストからも聞くことがある。
これらの北アフリカ諸国はできればEUに入りたいという色気があり、アフリカ連合には
決して参加しようとしないという。
>>104 いやアフリカ連合には入っているでしょ。モロッコは西サハラ問題で脱退しているけど。
西サハラってスペイン語通じますか?
107 :
世界@名無史さん:2009/11/09(月) 22:24:09 0
もともとの住民(サハラウィ)がモロッコからの移民と入れ替わってるから難しいのでは?
108 :
世界@名無史さん:2009/12/16(水) 16:52:47 0
109 :
世界@名無史さん:2009/12/16(水) 19:05:31 0
>>104 >スーダンのアラブ系支配層による黒人弾圧についてはよく
>報じられる。
だが、写真や映像で見る限り、スーダンの「アラブ人」は、どう見ても真っ黒けのニガーなんだが。
110 :
世界@名無史さん:2009/12/18(金) 00:39:48 0
>>109 アラビア語を話し、自らを「アラブ人」だとイメージしていれば肌が黒かろうとアラブ人だよ。
マグリブのアラブ人はベルベル人と見分けがつかないし。
111 :
世界@名無史さん:2010/03/25(木) 12:51:10 0
112 :
世界@名無史さん:2010/03/25(木) 14:43:49 0
113 :
世界@名無史さん:2010/04/13(火) 21:39:50 0
>>109 スーダンのアラブ人は黒人とエジプトから南下してきたアラブ人の混血やアラブ化した黒人だから。
114 :
世界@名無史さん:2010/05/08(土) 06:47:06 0
日本で出ているモロッコに関する本は、異国趣味を満足させるようなものが
ほとんどで、アラウィー朝の三代の君主による近代化政策、植民地時代の産業開発、
ヨーロッパ人入植者による土地取得、西サハラ問題、モロッコがEU加盟を
希望していること、モロッコの地域間格差などについてくわしく書いている
書物はほとんどない。
やっぱりモロッコ料理や雑貨、フェズやマラケシュ、砂漠やラクダについて
とりあげたほうが一般人には受けがいいのか。
>>114 日本が世界を意識するようになってから長らくモロッコには主権がなかったし、
独立後もハサン2世の国王専制体制が確立してたから、研究者も一般人も
そこからわざわざ何かを学ぼうって気力が起きなかったんだろうね。
非同盟運動が盛んだった頃は、アルジェリアやエジプト、パレスチナに
関する研究や文化交流はそれなりにあったし、
非同盟運動凋落後は入れ替わるように湾岸の産油国に目が向かうようなったから
アラブ圏に対して向かう日本人のエネルギーは全部そっちに流れてったんだろう。
特にアルジェリアに関して思うことは、あの国が独立後「地中海の日本」を目指すぐらいに、
ヨーロッパや合衆国に対して強く反発しながらも、一方でアラブや第三世界全体で見ても
かなり親日的な国になったのは、今で言えば「お花畑平和主義者」や「反日左翼」と
呼ばれかねない宇都宮徳馬や、全学連日本代表が掲げた「連帯」(古い言葉だ)が
アルジェリア側に評価さ能にした、今はれたということは間違いなくあった。
僕は左派なので、所謂「親日国」が「反日左翼」によって形成されてきた部分が少なからずある部分と、
そういった「連帯」を可もう死んでしまったイデオロギー的基盤について、
マトモな保守なら考え直してみてもいいんではないかな、と思う。
何も日本側だけでなく、アラブ側も今支配的になっている感のある、
普遍性の見えないイスラーム主義(所謂「原理主義」)
に被れるよりは、もう一度『資本論』を読んでみよう、ぐらいのゆとりがあればいいなーと。
化石左翼の戯言ですが。
×アルジェリア側に評価さ能にした、今はれたということは間違いなくあった。
○アルジェリア側に評価されたということは間違いなくあった。
やべやべ。ゲバラのアルジェ演説でも読み直してくるか。
アルジェリアがかつて、北ベトナムやキューバと並び、政治的・経済的に
開発途上国におけるモデル国家的な存在だったことはほとんど忘れ去られている…
ブーメディエンと、彼が行った重化学開発路線、高水準の投資を通しての
高度経済成長政策なんて、今の若い人たちは知らないだろうね。
あの頃はエジェレ油田、ハシメサウド油田などが次々と発見されて、
さらに文化面でも「アルジェリア人のアルジェリア」というスローガンのもと、
学校教育をアラビア語化して、フランス語を中学で初めて習う外国語にした。
ラジオやテレビの放送もアラビア語の番組を増やし、フランス語の道路標識も
アラビア語に変えた。
その国が90年代に入って、GIAによる凄惨なテロに悩まされる国に
なろうとは…