16世紀にはヨーロッパ最大の多民族国家として栄えたポーランドと
織田軍が戦争したらどっちが勝つ?
戦場想定
1 平野
2 森林
3 山岳
2 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 16:49:05 0
ポーランド王国在住民族
ポーランド人
リトアニア人
ドイツ人
チェコ人
アルメニア人
他多数
3 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 17:14:59 0
ポーランドの騎馬隊は欧州最強と言われていた
しかし、世界最強は無敵の武田の騎馬軍団
5 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 18:54:49 0
騎馬隊といえるほど
まとまった部隊は
当時の日本にいない
戦国時代では騎馬武者達も多くが
戦闘では馬を下りて陣の馬置き場において
徒歩で戦ってたみたいだしな。
西洋でいう下馬騎兵ってやつか。
7 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 19:00:49 0
つーか信長の時代は、世界規模で騎馬隊が重んじられなくなる時期
後に復活するのはナポレオン時代から
いや馬にのって戦うものもいたが
それほど数は多くなかったということ
馬からおりるかどうかは
ケース・バイ・ケースでしょ
モンゴル軍だって金との戦いで
下馬して戦ったことがある
10 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 19:06:06 0
火器や槍の発達で世界的に騎馬隊はほとんど廃れる
義経が行った騎兵だけによる騎兵だけの集団による機動を生かした、長距離の奇襲という戦術が確立されるまで騎兵は廃れる
まあ全員とはいわないが、戦国時代では
結構馬を下りるやつが多かったのは事実らしい。
宣教師も日本の騎馬武者が馬を下りて戦うのを驚いている。
甲陽軍鑑でも「一部隊の中で馬に乗って戦うのは7、8人で残りは馬を下りて
後ろに引かせて徒歩で戦った」と書いてある。
信長公記でも桶狭間で信長が馬を下りて徒歩で槍を取って戦った事が書いてある。
>>10 こりゃ見事な司馬歴史。
実際は西洋ではグスタフ・アドルフの30年戦争の時は騎兵が
多用されてる。
武田に勝つために信長は鉄砲隊を作ったわけだが、
ポーランド騎兵のフサリア(ユサール)は、軽騎兵である他国のユサールと違って重装騎兵で、
主に大量に鉄砲を持ってる敵にそのまま突撃するようにできているから、
長篠の戦みたいになったら信長はまったく一たまりもないだろう。
特にフサリアは自軍が数的に圧倒的な劣勢のときに特に効果を発揮する。
ロシアとの戦争では敵と自軍の比が5:1という状態でも圧勝した。
ただし谷底などの隘路におびき寄せる事ができれば、フサリアはランスチャージができないから、
信長も勝つチャンスがあるだろう。
フサリアの弱点も知ってるポーランド側がそんな地形の場所に出て行くわけないだろうけれど。
フサリアはその200年の歴史のなかで一度だけ大惨敗した戦いがある。
ウクライナのボグダン・フメリニツキーの乱のときのウクライナ南部ゾフティヴォディの戦い。
フメリニツキー側はどうしたかというと非常に単純で、フサリアが突撃攻撃の準備ができないよう、
タタール人に遊撃させた。
14 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 19:10:42 0
>>12 その時はたまたまでしょ、現に日本の戦国時代でも馬上突撃は廃れ馬は移動用になってる
ナオレオンも騎兵突撃多様してんじゃん。
16 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 19:14:42 0
>>13 おいおいどんなに重装備でも馬が撃たれたらおしまいだぞ
騎兵は正面からの攻撃にはもろい
発見されるとほとんど皆殺しにされる
>>15 ナポレオンの騎兵突撃の騎兵ユサールは軽騎兵で、混戦の中でサーベルを振り回したり銃を撃ったりして戦う。
ポーランドのフサリアのような、重装備の甲冑を着て巨大なランスを持って敵陣に高速でチャージするのとは違う。
下馬して戦ったというのも通説を正そうとするあまり
偏ってしまったフライング史観だよな。
>>14 いや、日本の場合はもともと地形的に騎兵が使いずらいから。
グスタフ・アドルフの30年戦争では騎兵が多様されてるよ。
それ以前にも銃騎兵と重装備騎兵の2種類があって多用されてたし。
グスタフも戦争前には重装備騎兵を用意しようとしたができなくて
簡単な装備の騎兵で汎用的に使ったのが近代歩兵の先駆になってる。
20 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 19:18:52 0
日本近代騎兵の父である秋山好古は陸大で「騎兵とはこうだ」と言ってガラスを拳で叩き割った
>>16 ところが実際馬にも正面に重装備の甲冑を付けていた上に、
当時の銃では有効射程距離が100メートルほどしかない。
この100メートルをほんの数秒で駆け抜けて敵陣に到達するから、
敵の鉄砲隊はほとんど何もできなかったのが現実。
だからこそこの重装騎兵突撃の戦術が16世紀初頭から200年も使われた。
鉄砲はその前からあったが、フサリアの時代が終わったのは鉄砲の有効射程距離が
大幅に伸びてから。それが18世紀のこと。
>>20 司馬小説だねえ。
まあ近現代になって銃器の性能が飛躍的に上がってしまった時代だと
確かにそうなんだけどさ。
中近世なら鉄砲の威力もそこまでじゃないから鎧を厚く装備した
銃装備騎兵とかなら距離をある程度開ければ防げるんだよ。
騎兵突撃が廃れたのはあれか、機関銃からか?
>>23 第一次世界大戦では普通に騎兵突撃やって
機関銃にやられてるな。
第2次大戦ではその戦争教訓から戦車が各国で開発される。
ポーランドは伝統の騎兵を増強してドイツに完敗したw
25 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 19:24:13 0
歩兵の対騎兵戦術が整備されるとともに、戦場での騎士の重要度はしだいに減少した。
近世になると火縄銃や大砲などの火器が、動きの鈍い重騎兵の脅威となった。
重騎兵の胸甲をマスケット銃が貫通できるようになると全身甲冑はもはや無意味なものとなった。
重騎兵の伝統は胸甲騎兵(装甲は胸甲に限られるが全身甲冑より厚く重い鉄板を用いる)に受け継がれたが、近代の銃器の発達により軽騎兵に吸収される形で次第に消滅した。
ポーランドは同じ理由で二度大きな敵に負けている。
一つは対スウェーデンで、フサリアはまず一箇所に集まってそこから直線的にチャージする必要があるが、
あまりにあちこちに敵がいたのでそういう準備ができなかった。
もう一つは対ナチスドイツで、もうフサリアの時代ではなかったが、自軍を集中してそこから
乾坤一擲の突撃をする方法をとらず、国内全土に広く兵を配置してしまった。
後者はピウスツキのやりかたと全く逆。ピウスツキはいつも自軍を集中させて敵の中央を一気に叩くやり方。
対ソ連戦争のヴィスワの奇跡の戦いはこのやりかただった。信長の桶狭間と同じだ。
これは当時のフランスの軍事顧問団が「あまりに無謀」だとして反対し、実行したピウスツキを非難した。
対ナチスドイツ戦ではピウスツキ亡き後の軍がフランス人の意見を聞き入れて非常に拙い「散開」をしてしまった。
28 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 19:28:15 0
日本近代騎兵の父である秋山好古は陸大で「騎兵とはこうだ」と言ってガラスを拳で叩き割った
やはり秋山が言うとおり、近代騎兵戦術では義経戦法こそ本質というわけだ
>>13 長篠の時は信長の勝因は鉄砲というより
野戦陣地。
空堀を2重にはりめぐらし、さらに天然の川を堀に使った合計3重の堀と
土塁・柵を組み合わせた野戦陣地にこもって攻めてくる武田を迎え撃った。
そして鉄砲だけでなく、弓・歩兵も組み合わせて武田軍を8時間にわたって消耗させて
勝利してる。騎兵だけで突っ込むのは危険と思う。
>>24 それは全くの誤解。
完敗した事は完敗したが、その理由はナチスドイツの戦車でなく、
あまりに大量のドイツ軍の野砲と爆撃機、ポーランド軍の拙い散開戦術、
そして9/17のソ連によるポーランド侵攻、この3つ。
ナチスドイツの当時の戦車軍団にポーランド騎兵は勝てるし、
実際に戦闘で何度も勝っている。
なぜなら当時のポーランド騎兵はすでに単なる馬上騎兵ではなく、
歩兵、野砲、戦車砲、機関銃、戦車を持っていたから。
それより彼我の物量の差の方が問題だった。
>>25 戦国後期の武者具足見てみな。
思いっきり重装備だから。
>>30 >>歩兵、野砲、戦車砲、機関銃、戦車を持っていたから。
これを持ってるって「騎兵」じゃないんじゃ。
師団のような構成部隊が「騎兵」という名前だったって事?
ナチスドイツでのポーランド騎兵の戦闘法は、
まず野砲をや対戦車砲を使用し、敵歩兵との銃撃戦に持ち込み、
戦車も使用し、そして敵が退却し始めたところで、騎兵が突撃して掃討、
敵兵を包囲し武装解除させる。
馬とサーベルで戦車に突撃なんかしない。
>>31 >師団のような構成部隊が「騎兵」という名前だったって事?
そう。騎兵聨隊。機動歩兵の位置づけ。
だが書いたようにその中にちゃんと騎兵はいたことはいた。
>>33 なるほどー。
勉強になった。ありがとう。
36 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 19:38:46 0
>>31 歩兵は重装備といっても鉄砲や複合弓はじけるわけじゃないだろ
>>36 とりあえず足軽の着ていた胴丸は
50メートルくらいの鉄砲の弾は防げるそうだが。
騎馬武者がつけるような甲冑になれば尚の事。
騎馬武者の甲冑を火縄銃で貫通するには30メートル以内に入らないと無理らしい。
>>35 感動した。
凄くいいものをみせてもらったよ。ありがとう。
後、足軽の対鉄砲装備といえば竹束の楯である竹把が有名だな。
>>37 つまりその頃の鉄砲の有効射程距離というのはたいしたことはない。
だからこそポーランド騎兵の突撃が長い間効果的だった。
馬で高速で突っ込めば有効者的距離に入ってから数秒で相手の陣に到達するのだから、
それで危ないから嫌だとか何とかグダグダ言ってたら臆病者のそしりを免れない。
でどっちが勝つの?
>>馬とサーベルで戦車に突撃なんかしない。
これうそだったの?
ポーランド軍の後進性を表しているんじゃなく
ポーランド軍がいかに勇敢だったかを
ものがたるエピソードとして肯定的に
雑誌で紹介されていたんだが
>>38 いつかこういうショーを見に行きたいな。
いくら言葉でいろいろ説明されるより、こうやって直接やってみせてくれたほうが解りやすいから。
俺も最初はポーランド騎兵がドイツの戦車に突撃って馬鹿じゃね?と思ってたし。
ポーランド軍楽勝で勝負あり。
>>40 うん。ポーランド騎兵が強力なのは知ってる。
けど
>>29みたいな野戦陣地相手だとどうだろうか?
騎兵の天敵では。
>>42 嘘。この話はナチスがイタリアの新聞記者に書かせたのが最初。
その後スターリンがこのネタをパクってポーランド人は馬鹿だと喧伝した。
47 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 19:49:39 0
>>37 重騎兵は歩兵と違い一旦突撃すると簡単に止まれないんだぞ
しかも的が広い
鉄砲や長槍は相手を引き付けて用いるんだし、貫けなくても衝撃が来る
>>44 いやいや、まだまだですぞ。そう急ぎなさるな若人よ。
>>俺も最初はポーランド騎兵がドイツの戦車に突撃って馬鹿じゃね?と思ってたし。
俺は逆にこれを聞いて感動した
ポーランド軍はなんと勇敢だったんだろうと
>>45 できるだけそういうところには近づかないと思う。
あるいは敵がそういう準備をする前に戦闘を開始する。
信長の場合日本が山がちだから敵の武田が戦術的に前進するときに通行可能なルートは限られる。
だからそういう陣地を作ることができた。
東欧の大平原(ヨーロッパ−ロシア平原)となるとルートがいくらでも取れるから、
そういう陣地を作る戦術を取ると、作らなくてはならない陣地が大規模かつ多数になるので、
コストがかかりすぎる。
>>47 だから広い平野のある西洋ではポーランド騎兵みたいに
一気に敵陣まで突撃して歩兵を蹂躙する戦法が有効だった。
一方日本では騎兵を使うような平野があまりなかったため
騎馬武者達は下りて戦うことが多かった。
それだけのこと。
>>42 逆にナチスはポーランド軍の騎馬部隊を
とても恐れていた。
というかドイツ軍部はポーランドに勝てるかどうか微妙とみていた
なお「ポーランドが騎馬で馬鹿見たいに戦車に突撃した
話を宣伝したのはナチス」というのは俗説
戦場での一エピソードが広まっただけ
イタリア軍の砂漠でパスタとおなじ
武田騎馬軍といってもランスチャージするわけじゃないからね
>>50 つまり戦場がどちらのホームグラウンドか、で勝敗が決するって事か。
まあ順当な話だね。
ポーランド軍は大砲をどれぐらい装備していたの?
57 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 19:59:16 0
>>51 戦国時代の騎馬武者も当初は騎乗突撃をもって敵陣に突入していた様である(この時、若党は後続させていたが敵陣との距離は火縄銃の射程を考慮すれば100m以下であるので、追い付くのは容易であろう)。
しかし足軽の増大と彼らが繰り出す対騎馬隊戦法(騎馬武者に対する長槍による槍衾、鉄砲隊による射撃は双方とも馬を狙う事が肝要とされている)により、先ず西国から、後には全国的に馬から降りて徒歩で突撃する様になった。
日本も歩兵の対騎馬戦術と火器の発達だぞ。
>>52 防衛一途の散開的な配置を提唱したフランスの軍事顧問団とそれを鵜呑みにしたポーランド軍上層部がアホだった。
当時のポーランド軍上層部の多くはフランスで教育を受けていたからフランスのやり方で戦争しようとした。
ポーランドにはポーランドのやり方があるはずだし、実際にピウスツキはそうしてソ連に勝利した。
ピウスツキはオーストリアで軍事教育を受けたので、彼の後のアホ世代とは考えが違っていた。
ポーランド軍は物量からしても圧倒的に不利だったのだから伝統の突撃戦法のほうが有効で、
あんな配置をするよりは一転に集中してベルリンまで直線的に攻撃したほうがよかった。
ワルシャワ→ポズナニ(ポーゼン)→ベルリンのルートはほぼまっすぐに鉄道が通っているほど恐ろしく平坦。
>>55 いつのポーランド軍?
ナチスのポーランド侵攻時のなら
>>56の記事の英語版のところに表で出ている。
ナチス時代とかどうでもいいでしょ。VS信長スレなんだから
>>57 歩兵の増大が騎兵を降りさせたというのはまあ間違っちゃいない。
ただそれはもう南北朝の時代にすでにみられる。
戦国時代初期の時点ですでに騎馬武者と歩兵の比率は歩兵が圧倒的に上だし、
鉄砲が普及する以前から下馬戦闘はメジャーになってる。
信長が桶狭間で下馬して戦ってるのも1560年。宣教師が日本の下馬戦闘に驚いてるのはそれより前。
長篠以前の三方ヶ原でも騎馬して戦うのはほとんどいなかったとの事。
>>59 16世紀の頃だよ
このスレは戦国時代の日本とポーランドの話でしょ
二次大戦は全く関係ない
>>57 いや、武田はじめ当時の日本の騎馬武者の戦法は敵陣地に到達したら
そこで刀や薙刀などを振り回して混戦する。
同時代のポーランドの騎馬軍団フサリアは、ランスを持って敵陣に直線的に突入して
敵兵を串刺しにしたり蹴散らしたりしてできるだけ向こう側へ抜けて、
また戻ってきて、自分の陣地で折れたランスを新品と交換してまた突撃。それを何重にも行い繰り返す。
たまたま敵陣内に取り残されたら、刀を振り回して脱出、そして自軍へ戻る。
映画ファイアー&ソードのポーランド騎兵の突撃の描写は間違いが多い。
なぜポーランド軍なんだよ
マイナー過ぎるw
やはり鉄砲の火力でまさる日本が有利なのでは?
むろん雨とか降ったり
遮蔽物が多い森林での戦いとかだったら話は別だが
66 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 20:08:08 0
騎兵戦術って
包囲殲滅戦(ハンニバル)、追激戦(チンギス、ナポレオン)、電撃戦(義経、チンギス)
こんな感じかね、年代が進むにつれて電撃戦しか使えなくなる
>>65 東欧の平野が舞台ならどうだろうか?
日本で戦うなら日本が有利そうだけど。
16世紀ポーランドの動員兵力は誰か知らない?
さすがに日本の半分も持ってない信長といえど、
20万くらいは持ってる。全てを遠征に出せるわけではないだろうが。
68 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 20:11:02 0
>>59 砲兵もいたのでかなり持っていたが、
それぞれの戦いで違うからwikiのそれぞれの戦の記事でも読んでみるとするか
ってかポーランド軍だって火縄銃戦術くらいできるだろ。
オスマンスレと違っていい勝負になりそうなスレだ。
>>56 作り話の項目を書いたのは日本人か?
ずいぶんポーランドびいきだな
気持ちはわかるが
>>65 遮蔽物の多い地形こそ戦国勢の真骨頂。
戦国日本は野戦陣地を築いた防衛戦がうまい。
>>67 選挙王政になってからのポーランドは常備軍は小さく、それより各地の大貴族が軍閥として軍を構成し、
それらが王に従う形を取った。彼らが直接ぶつかりあうような派手な内戦がなかったのが不思議。
ソビエスキ王も大貴族だから自分の軍隊を持っていて、その上でさらに他の大貴族の軍も
総司令官として束ねて指揮していた。
それぞれの戦闘では1-5万程度の動員をしているが、方面ごとに違う兵員を使っているから、
やっぱり10万-20万程度?よくわからないけど。
ウィーンの戦いのときは、ザクセン人やバイエルン人やオーストリア人やフランス人も含めて
ソビエスキ王が総大将として指揮したのは全部で8万(トルコは15万)。
>>71 英語の記事からの翻訳。記事の履歴のずっと前の方に書いてある。
オスマン軍と互角に戦って軍隊だぞポーランド軍は
>>73 ウィーンの戦いではソビエスキ王はヨーロッパ連合軍の総帥として
指揮を執っていたのでは。
となるとポーランド軍だけならその半分程度かな?
信長は雑賀攻めに13万動員したのが最大らしい。
>>72 むしろ近世日本が得意なのは築城だな。ポーランド軍にはこの戦術はなかった。
もちろんポーランドにも城や要塞は何千もあるが、近世のものは少なく、多くは中世のもので、
しかも日本の大城ほど大きくはない。
クラクフ郊外にあるコシチューシコの要塞はかなり大きいほうだが、日本の城のようなものではない。
>>75 オスマンVS信長で問題になったのは
質以前に兵力が違い過ぎるという話だった。
ポーランドがオスマンほどの兵力がないのだから
ここで兵の数と戦法、戦闘条件が問題になってくる。
>>78 オスマンと闘うとなると
日本全国を統一した江戸幕府もってこないとな
80 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 20:23:06 0
>>76 ポーランドでは広大な領土を常に警備する必要があるから一つの戦闘に何十万という大きな動員は無理では?
そっちに行ってる間にロシアやスウェーデンが攻めてきたら大変だろ?
信長軍の相手はせめて十字軍あたりにしてくれ
ポーランドはどう見ても顔じゃないよ
>>79 豊臣政権でもいいんだけどね。
それでもやっぱり兵力はオスマンのが大きいんだよなあ。
>>77の話だが、何千はないかw調子に乗ってしまった。
ただし数百あるそうだよ。
中世の城だから廃墟が多い。
>>81 モスクワを陥落させて数年間占領した時代のポーランドならどうだ?1600年ごろ。
ああ…なんか
兵力を多くそろえた方が勝ち
という展開になりそう
>>80 やっぱりここでも問題になるのは戦闘条件だなあ。
どっちがどこに攻め込むのか。
87 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 20:27:41 0
>>76 だけどそしたら信長、秀吉、家康も諸大名を動員してるから同じことでは?
88 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 20:27:50 0
>>82 明だって質はともかく純粋な兵力は日本より多いぞ
90 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 20:28:32 0
じゃ明最強で終了
この当時のポーランド軍に
日本の忍者のような
情報かく乱や収集を行う
部隊ってあったの?
>>87 一応全国政権として他の大名を動員できるようになるのは
秀吉以降。信長の場合はまだそこまで行ってないから自力の動員しかない。
雑賀攻めの時は普段はよそに回してる方面軍勢まで動員して13万集めたそうだ。
94 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 20:30:25 0
>>89 日本での世界史ってヨーロッパだけ見ても地域が偏りすぎだよなあ
世界史が教育科目として確立した時代の声の大きかった連中の国ばっかり
事実上日本での世界史はドイツ史観、それも帝国時代のドイツ史観でしょ
>>88 さすがに100万近いオスマンよりはましだろ。
>>94 大航海で海外進出→植民地主義
という風にあきらかに西欧のことが中心だからね
ドイツというよりはイギリス、フランス、ハプスブルク史観では?
97 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 20:33:46 0
秀吉が明進行の際は肥前に30万近く軍勢を用意してある。
日本の世界史はやたらとイギリスの事やらされるから
イギリス史観なんじゃないかと感じる。
>>91 とても良い質問。あった。
山の人(グラル人)、義賊のハイドゥク、タタール人、コサック人たちが斥候や謀略を行うことが多かった。
グラル人は山岳地帯であるポドハレ地方のスラヴ人。彼らはポーランド、チェコ、スロバキア、ウクライナに亘る
独特のコミュニティーを持っていたという。サンカではない。
ポーランド語の強い訛りを話すが家屋の形やバグパイプの文化など、ケルトっぽい感じを持っている。
古代彼らの先祖はケルト人だった?
100 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 20:36:09 0
秀吉が攻めた時の明は1億近い人口がいた
>>98 イギリスのアン・ブーリンについて詳しく知ってても、
ポーランドのキンガ姫がどういう重要なことをやったか日本人で知ってる人は稀。
>>97 >>100 明の皇帝の墓というのを北京旅行で見てきたことがあるけど、カネかかってるな。馬鹿みたいに。
>>98 名誉革命だの、百年戦争だのな
まあイギリスというか
アメリカと関係のある国々や事柄に
重点が置いているんだろうけど
>>タタール人、コサック人
ああ、ウクライナの匂いが
>>104 当時はポーランド・リトアニア連合の国民だったウクライナ・コサックの
ヘットマンであるボグダン・フメリニツキーとポーランドがトラブルになって
ポーランド・リトアニア連合の内戦(フメリニツキーの乱)になった。
106 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 20:43:18 0
信長軍がノコノコと東欧に出向いたらあっという間にケチョンケチョンにされるし、
ポーランド軍が日本に出向いたら・・・て日本に行く理由がないなw
>>106 それ言ったら信長軍が東欧行く理由もないぞw
まずは日本統一しろよ信長様w
108 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 20:47:20 0
わかんねーよ信長はマジキチだから
黄金を求めてやってくるのだよ
秀吉の時代に天正少年使節団というのがヨーロッパへ行ったが、
そのうちの誰かが聖書を日本語訳して筆で手書きしてポーランド人司教に直接プレゼントしたものが、
5年ぐらい前にポーランドの古都クラクフの古い書庫から発見されたw
やはりここは「英雄大戦」のシステムで行くしかないのか?
両方の軍勢がいきなりランダムで選択された戦場に召喚されて
戦いあうという。
補給とか戦略といった要素がまるで絡まない戦いになりそうだ。
112 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 20:50:59 0
>補給とか戦略といった要素がまるで絡まない戦い
それじゃつまんねーよ
日本を統一した秀吉軍より
本能寺前の信長軍の方が強そうな気がする
114 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 20:52:08 0
115 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 20:52:32 0
>>112 てかそれじゃ「戦争」じゃないよな。
>>113 さすがにそれはない。
日本全国持ってる秀吉勢のほうがどう見ても信長勢より兵も財も上。
117 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 20:53:42 0
119 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 20:57:18 0
>>118 >現在は非公開。
うぉ見てえ!!!!!!!!
良スレだな
ポーランドスレはどこにも悪質な荒らしが来るが、その前に核心的な部分が終わっててよかった
121 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 21:16:23 0
信長軍には明智、柴田、滝川などがいる
秀吉軍には毛利、島津などがいる
信長軍は全方位に同時に各方面軍で分散して、秀吉軍は全軍を集中して一地域にドバっと物量で、って違いはあるな
あ、ヤン3世王がソビエスキ王なのか、初めて知ったw
>>99 ガリチアというぐらいだから、ボヘミアと同じくケルト人の居住地だったのだろう。
信長公は天才だ
127 :
世界@名無史さん:2009/01/11(日) 21:56:23 0
フサリアっていつ頃からいるの?
フッサールはトルコと戦っていた中世セルビアが発祥。その戦法が
同様にトルコと戦っていたハンガリーに伝わり、それがステファン・バートリの治世にポーランドにも広がって、
巨大な羽と長大なランス(シャブラ)を持つ究極の重装騎兵ポーリッシュ・ウイングド・フッサールへ発展した。
シャブラは後方の歩兵部隊が荷車に大量のスペアを積んで控えているから
何本折れてもかまわない。
オーストリアの哲学者にエトムント・フッサールてのがいるが、なんか関係あるのかしら
、....,,_
、-‐'" __ ヽー- 、}ヽ
,/´/ / , _,. _/ ノ レi
_,// / /{ i ー' ノ
/ // / / .i l l! ー<
/ / //!/ ヽ ヾ l 〉ヾ,
!/! イ === ==ヾ、 }
|」l ! ,:==:、 , ,:==:、 l /
f r| !| ´ ' ヽ ` | l/
.l ヾハ ( ,-、_,-、) l/l!
\ _j _,, -―-ー-、_ l /
l l ヽ =エエエ=7 /´
`l丶 `ー---‐'´ イ┐
l \ / 」、 _ ,,.
「ヾ、__,>ー‐- ′_/ r―-- `ゝ
l イ /  ̄ ̄ ヽ
!_ _,.. i | / ヽ
/ !.| ,/
131 :
世界@名無史さん:2009/01/11(日) 22:51:51 0
>>128 信長軍とフッサールを戦わすとなると
信長VSバートリってことになるな。
フサリアは究極の香車だな
将棋だって普通に金から歩まで並べるより、自陣3列全部香車で埋めて次々と敵に突っ込んだらさぞ強かろうw
それは将棋じゃねえw
ロシアのストレリツィの一斉射撃に敗れたフサリア
動乱時代の1605年にDobrinichi村の戦いでモスクワの銃兵隊がポーランド騎兵の突撃を破った例がある。
"Armies of Ivan the Terrible: Russian Armies 1505-1700"によると
「目撃者の証言によれば、ストレリツィ(銃兵隊)が一斉射撃を行ったときポーランド騎兵は彼らの戦列から
まだ遠く離れていたが、それに続けて二度目の斉射をくわえ、敵の隊列を完全に崩壊させた。多くの騎兵は
恐怖に駆られて逃げ出し、他の反乱軍兵もその後を追って退却をはじめた。政府軍の騎兵がこれを追撃し、
敵の砲をすべて鹵獲した。この勝利は限定的な重要性しかもたなかったが、マスケット銃で武装した歩兵
戦列の有効性を示すものだった。これ以降ロシアのストレリツィやコサックは、地面に掘ったタコ壺、塹壕、
壕の背後、また野戦陣地を通過する敵部隊の背後から攻撃するための隠れ穴、などから射撃する訓練を
行うようになった」
>>135 偽ドミトリーのときはまだ対火器装備をしていない時代
まだあのときは例のウイングド・フッサールではなくハンガリー型のフッサール
この後対火器装備を充実させポーランド独特の重装騎兵となって連戦勝利を重ね、モスクワを陥落させていく
>>136 1605年は対ロシア戦の最初の年
ポーランド側も有効な戦術について試行錯誤
そのドブリニチの戦いを教訓にポーランドは騎兵の装備を改良、ついに史上最強の騎士軍団となってモスクワを占領する
信長軍の勝利
140 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 00:32:30 0
織田軍の勝ち
んーと、織田信長側が元亀・天正のころ、1570〜82年か。桶狭間以降も含めると1560〜82年が信長の活躍した時代。
姉川の合戦(1570)・一乗谷の戦い(1573)・石山戦争(1570〜80)・長篠の戦い(1575)など。
武田・上杉・本願寺をはじめ多くの強敵と戦った。
ちょうどこの頃ポーランドはリヴォニア戦争(1558〜83)の真っ最中。
スウェーデンと婚姻同盟(1562年)、リトアニアとルブリン合同(1569年)してロシア帝国のイヴァン雷帝(在位1533〜84)に対抗。
1571年にはポーランドと結んだクリミア・ハン国がモスクワに侵攻し焼き払う。
ヤゲウォ朝断絶後、1573年からポーランドは選挙王制・士族共和国に。ヘンリク(アンリ)王がフランスに帰ってしまったので、
トランシルヴァニア公ステファン・バートリが即位(在位1575〜86)。軍制を改革してフサリアやコサックを導入。
内外に活躍して「ポーランド史上最も有能な王」と称される。
バートリ没後はスウェーデン王家のジグムント3世が即位(在位1587〜1632)。しかしがちがちのカトリックであったためスウェーデンと決裂。
1605〜18年にはロシアの大動乱につけ込んでモスクワを征服するが撤退。
晩年にはスウェーデンとの戦争も勃発して、ポーランドは衰退し始める。
>>137 >偽ドミトリーのときはまだ対火器装備をしていない時代
>まだあのときは例のウイングド・フッサールではなくハンガリー型のフッサール
>この後対火器装備を充実させポーランド独特の重装騎兵となって連戦勝利を重ね、モスクワを陥落させていく
↓以前はこんなこと書いてなかったっけ?
21 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/01/10(土) 19:19:26 0
>>16 ところが実際馬にも正面に重装備の甲冑を付けていた上に、
当時の銃では有効射程距離が100メートルほどしかない。
この100メートルをほんの数秒で駆け抜けて敵陣に到達するから、
敵の鉄砲隊はほとんど何もできなかったのが現実。
だからこそこの重装騎兵突撃の戦術が16世紀初頭から200年も使われた。
鉄砲はその前からあったが、フサリアの時代が終わったのは鉄砲の有効射程距離が
大幅に伸びてから。それが18世紀のこと。
>敵の鉄砲隊はほとんど何もできなかったのが現実。
現実には突撃中に一斉射撃をくらった
>だからこそこの重装騎兵突撃の戦術が16世紀初頭から200年も使われた。
ロシアの動乱時代は17世紀初頭だよな
>>143 >>「ポーランド史上最も有能な王」
これはカシミール大王じゃないの?
>カシミール大王
何で英語読み?
しかし信長とか雷帝とか危ない人が多い時期だな
ステファン・バートリの姪なんか吸血殺人鬼のバートリ・エリザベート様だし
>>147 いや、そっちのが通りがいいんで。
カジミェシュ3世でもいいんだけどさ。
実際どうなの?ステファン・バートリとどっちが上?
ステファン・バートリが長生きしてたらな。
在位11年はやっぱ短いよ。
秀吉はクソ
>>146-149 大王は軍事ではなく、内政と経済と外交の天才
軍事行動をできるだけ避けて国家間の紛争は外交で解決し、
商工業や鉱業(塩生産)を振興、減税しながら税収そのものは大幅に上げて財政を豊かにし、
これを使って全国で街づくりの公共事業を行い、木造建築が多かった各都市で石造りの家屋を建設、
初のスラヴ人創設大学であるクラクフ大学(プラハ大学は創設時はドイツ人大学)を作って
身分や民族出自に関わらず教育をほどこし学問を広く振興した
ただし彼には男子がいなかったために、ピャスト家最後の王となってしまった
バートリは軍事面で活躍し、軍事と経済のミックスポリシーで王国を発展させた
方向性が違うので一概に比べられない
2人とも、ミェシコ、ボレスワフ勇敢王、ヴワディスワフ1世、ヤドヴィガ、ヤン・ソビエスキ、と並んで
ポーランドでは最も好評価され人気のある君主
選挙王政期ではこのハンガリー人とヤン・ソビエスキ王の2人が人気
>>150 ポーランド史は、○○がもっと長生きしていたら、とか○○に子供がいたら、とか
悔やまれるようなことが特に多い
だからこそああいう激動の歴史が続くのだが
ピウスツキがもっと長生きしたらポーランドの現代史もかなり違っていただろう
154 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 19:47:27 0
はいはい
>>153氏、ありがとう!初めて知ることばかりです
ポーランド文化は濃厚ですねー、急に興味を持ちました
日本で広く知られないのはポーランドが現代史における列強ではなかったせいでしょうか
どっちが勝つの、という結論だが…まあいい勝負なんじゃないの、という感じだな
鉄砲隊で破ったロシアより銃の品質も保有量も戦国日本がはるかに上だから
普通に日本の圧勝なんでない?
バートリ時代から、偽ドミトリーに騎兵を貸していた時までなら信長軍の勝ち
その後(翌年から)はすぐにポーランドが対火器戦術を工夫してしまったからポーランドの勝ち
対火器戦術って?
長篠の戦いは武田軍は織田軍の陣地の状況を知っていたが体面を考えて織田軍に突撃するという愚を犯した。
こういう状況を体面と関連付けて考えないポーランド軍ならば織田陣地は迂回して素通りしてしまうだろう。
したがって、長篠のような決戦は起こりえない。
起こりうるのは信長軍がポーランド軍の移動に合わせて長距離の移動をさせられ疲弊して、
簡素にしか作れなかった陣地、疲労困憊した兵、ポーランド軍の度重なる遊撃による自軍の武器弾薬の枯渇、等々の
状況で決戦に持ち込まれ、あっという間に壊滅しただろう。
地形と状況によりけりだろうなあ
広大なポーランドの大平原で戦うのと山がちな日本で戦うんじゃお互い勝手が違う
それならロシアの陣地も迂回できたんじゃね?
偽ドミトリーのドブリニチにおける戦いではドミトリーの戦術ミス、兵装が改良前であったと同時に、
ポーランド騎兵たちもドミトリーと共に戦いたくなかった。
またなぜ戦ったのかというと、対ロシア戦では出発点が遷都したばかりの新首都であるワルシャワ、
目標地点がモスクワ。日本とは距離のスケールがだいぶ違う。
相手の大軍を後ろに置くと兵站の問題が出てくる。
じゃあ何で信長とやる場合だけ兵站の問題を無視する?
モスクワ攻略と信長相手じゃ移動のスケールが違うだろって。
まぁまぁ。
で、信長軍に鉄砲と兵糧が潤沢にあり、前もって野戦築城してれば勝てるのか?
んだからその場合は長篠のケースだろ?だから
>>161にループ。
>>167 ポーランド軍がどこからスタートして織田軍がどこで戦うのかもはっきりしてないのに何を言ってるんだこいつ
ロシア戦と比較もしようがないだろうが
なんでキレてるんだよ?学問板に感情は不要。
というか軍事板でやれって気もするな
ローマ軍団と暴走族ほど戦力差があるわけでなし
>>171 文体でなくレスの内容について反論はないの?
176 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 21:31:04 0
>>171 必ず急にキレ出すキャラがいてスレが荒らされて終了するのはいつもの事
>>175 両軍の距離や位置関係すら定かでない「信長相手」が
モスクワ遠征より「移動のスケールが違う」と何で言い切れるのかという至極当然の話だよ
>>1を読み直すとだ
戦場想定
1 平野:少々の火縄銃兵なら野戦築城でもしない限り重装騎兵の突撃で蹴散らせる
2 森林:騎兵の運用がしにくいので誘い込めば勝機
3 山岳:2に同じ
>>177 織田軍がポーランド騎兵に勝つ唯一の方法は、守りを厳重に固めた陣地を作ること。
これが必要条件。これ以外の方法では勝てない。
ところがポーランド騎兵が闇雲に戦闘を開始するわけがないだろ。
自軍の有利な状況に持っていってそこで攻撃を開始する。
武田軍が長篠で信長軍に負けたのは「体面」という日本独特の事情があって正面攻撃をする必要があった上に、
さらに仮に百歩譲って迂回するとしても他大名の国に勝手に入るわけにもいかないという、これも日本独特の事情が。
ポーランド軍には戦闘以前のこういう日本独特の条件は適用できない。
よってたとえば
>>178の「誘い込めば」の部分にまず大きな無理がある。
さらに譲って、ポーランド軍が織田の陣地と対峙した場合でも、織田側を陣地から誘い出す方法を採る。
これは14世紀からタタール人の役割で、ポーランドの得意な戦術でもある。
>>161 迂回して何処に行くんだ?
つまり武田軍(ポーランド軍)は城を落とせず敗北ということになるんだが。
ポーランド軍って戦場に陣地も作らずに戦うの?
迂回して、その野戦陣地ないし城から誘い出すってことでしょうな。
それともモンゴル帝国みたいに投石砲でもかますか? あ、大砲があるか。
>>180 勝手に勝利条件を決めて、それをしないから敗北ってw
なにもいま城を落さなくても良いのでは?勝頼の驕りにポーランド人がわざわざ付き合う必要はないね。
というよりなんで信長が騎馬武者が入れないように馬防柵で固めた陣地に突撃しないといけないのか?
そういうことはしない。
>>179 なんかのらりくらりと話をそらされてる気がするな。
もし迂回路が第3国のテリトリーだとしたらポーランド軍も勝手に入れないのは同じだろうに。
また周囲の諸勢力とポーランド軍、信長軍との関係如何で戦略も左右されるだろうから
それを無視して「ポーランド軍には戦闘以前のこういう日本独特の条件は適用できない」
などと言っても無意味だろう。
基本的な誤解があるような気がする。
ポーランド軍はフサリア重騎兵が華やかで目立つが、銃兵や砲兵も大量に抱えていて、
重層的な軍隊だったんだが。
騎兵をやっていたのはポーランド貴族(シュラフタ)たち。
歩兵は農民や商工民で、スラヴ系やリトアニア系のほかドイツ系ポーランド人の商家の子弟も多い。
スレの趣旨として「戦争したらどっちが勝つ」であって「戦闘したらどっちが勝つ」じゃないから、
長期戦も持久戦も諜報戦も籠城戦も国際戦略もありですよね?
……海戦はまあ、どっしょもないけど。
188 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 22:04:26 0
>>184 長篠の条件をどうしても適用したいようだが、そもそも適用できないのだからその考えは無理がありすぎ
>>183 長篠の戦いは徳川の城・長篠城を武田が攻めてきたことが発端だから、
長篠を迂回するってことはつまり武田の負けだろう。迂回して何処に行くんだ?
ポーランド軍が攻城中の城に敵援軍が来たから、迂回すればいいって言ってるようなもんだよ
>>189 長篠の戦いはやる必要がなかったそうだが?
家臣団も反対したんだろ?
そこを勝頼が押し切ってしまった、と。
ならば長篠城を攻めないことがイコール敗北になるわけがない。
勝手に勝敗を定義されても困る。
いやあのセンセ、ここで戦ってるのは長篠の戦いじゃないし、武田軍でもないんですが。
まあ落ち着いてくれ。
>>188 違うよ。さっきから言いたいのはドブリニチ村の条件を何で適用できないのかって話だ
193 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 22:12:17 0
長篠の戦はその後の戦国における戦争方法として当たり前になってる
秀吉と家康が戦った時も野戦築城してにらみ合い、秀吉の北条攻めのときは野に城まで作ってる
なにもいま城を出なくても良いのでは?ポーランド人の戦術に織田軍がわざわざ付き合う必要はないね。
というよりなんで信長が騎馬武者が入れないように馬防柵で固めた陣地から出ないといけないのか? 必要条件なのに。
そういうことはしない。
って事だろ。
マウリッツ公の三段撃ち
196 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 22:18:28 0
せっかく良スレなんだから落ち着いて語りませう
>>192 ドブリニチの戦いはロシア人同士の戦いであって、ポーランドはフサリア騎兵しか貸与していない。
ロシア人総大将(偽ドミトリー)の指揮下にあるポーランド騎兵のいるロシア人騎兵中心の軍隊の敗北をもって
ポーランド軍の敗北と呼ぶのは詭弁すぎでしょう。
そもそもこれはポーランド軍じゃないのだから。
198 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 22:22:23 0
>>194 もうそれでは話にならないだろ?
ただ単に議論の相手に体面だけでも負けたくないと、ただそれだけの
意地で食い下がってるだけであって不毛
両軍が戦ううちにカトリックつながりで友情が芽生え、モスクワ目指して進撃開始。
>>194 その考えは完全に間違い。
なにがなんでも城を攻略しなければという動機がなければ城というのは攻略する必要はないのだから。
自分が攻められていて戦いを強いられているわけではない。選択肢は攻める側にある。
ヒットラーがスターリングラードに固執してドイツ軍を総崩れにしたのは、勝頼と同じ考えから。
ひとえに傲慢から。
軍事の天才であるバートリ王やソビエスキ王がそんなことをするわけがないし、しなかった。
201 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 22:28:20 0
>>199 実際、信長でも秀吉でもポーランドと連絡を取ってロシア攻略をすればよかったのにw
>>190 あのね城攻め中の軍団が迂回するって意味がまずわからん。
包囲を解くってことなら、城攻め失敗・敗北ってことだよ。
織田は戦わずに勝ち。これはわかるよね。
で迂回してどうするの?行軍隊形中を襲ってもらうの?
203 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 22:31:58 0
>>202 いくらポーランドでも槍騎兵で城攻めはしないってw
>>202 「城は攻めなければ敗北」ということですか。
そんな勝敗の定義あったっけ?
「攻めて攻め切れなかったら敗北」ならまだわかる。
しかし「攻めないなら敗北」の考えはどうしても理解できない。
205 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 22:35:16 0
「挑発に乗らなければ敗北」www
>>197 「ドブリニチの戦いを教訓にポーランドは騎兵の装備を改良」とか苦しい言い訳をしてた割に
今頃になって「そもそもこれはポーランド軍じゃない」w
それはともかく、「ドブリニチ村の条件を何で適用できないのか」といったのは
きみが
>>165で「相手の大軍を後ろに置くと兵站の問題が出てくる」といったのに
>>161では「信長の陣地は迂回して素通りすればいい」とか言い切ってる点についてだ。
アッララララーーーーイ!! ってか。あれは重装歩兵だな。
いやだからね、城攻めは攻め手がよっぽど大兵力でないと攻め落とすのは難しいの。
力づくでの城攻めを無理に行わずに「兵糧攻め」「水攻め」「調略」で落とした人が日本にもいたでしょ。秀吉さん。
それにああた、偽って包囲を解いて撤退したら城から敵兵が攻め出てきましたって、
それ野戦で殲滅してくれってなもんでしょ。素人でも分かるでしょ。
>>206 しつこいね。揚げ足を取るのが楽しいの?
実際ドブリニチの戦いを契機としてポーランド軍は鉄砲隊に突撃できるように改良している。
どういうことかというとそれまで軽騎兵であった騎士の甲冑を重装化して重装騎兵にして、
これがいわゆるポーランド独特のフサリアになっていく。
ただ議論に負けたくないから事実をいろいろ歪曲したり曲解したりして変な方向に持っていっても、
事実は変わらないのだから不毛だよ?しつこいよ?
210 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 22:42:54 0
長篠以後
秀吉vs柴田→両軍が野戦陣地を作りにらみ合い、秀吉の居ない隙を突き柴田軍が先に動き秀吉軍に奇襲を仕掛けるも猛スピードで帰ってきた秀吉軍に陣地が乱れた所を攻められ柴田敗北
秀吉vs家康→両軍が野戦陣地を作りにらみ合い、秀吉側が痺れを切らし、別軍で家康の本拠地を突こうとするも家康側に察知され別軍は壊滅させられる、その後家康はすぐに陣地に戻りまた両軍にらみ合い
秀吉vs北条→秀吉側が20万を超える大軍を擁し城にこもる北条側を包囲、野に城や街を建設し城にこもる北条川を兵糧攻め
>>207 全部をつなぐ論文でも書かないと納得しそうにないね。
では納得しないままいてもらって結構。
君は議論に勝った。それでいい。私にとってここでのレスは議論ではなく教えているだけであり、
勝敗は関係ない。だが事実とは全く関係ないところで君は勝った勝ったと満足していればそれでよかろう?
歴史の事実に関係なく私には勝った。おめでとう。
それこそ「南蛮具足」とか、同時代の火縄銃でも防げるからなあ
終了
>>204 あのね、まず長篠城を攻城中なの。
まず城攻め中なの。
そこへ敵の援軍がやってきたの。
で城攻め中だけど迂回すれば良いっていってるの。
おかしいのわかるよね。
逆に織田軍が攻め込んだでもいいよ。で野戦築城した。
迂回すればいいって言うの?
戦わないの?自国の城落とされちゃうよ。
焦土作戦なの?
216 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 22:50:40 0
信長の時代の火縄銃は射程距離は90メートルと言われている
有効射程距離はそれより短い
また、鎧も日本の武士のは金属製ではない
ならば普通に考えて、馬にも装甲がついているポーランドの重装騎兵が
秒速10m(時速35km)で突撃してきたとき、彼らを仕留めることができる時間は何秒だろう?
馬防柵や塹壕があれば突撃を止めることができるかもしれないが、そもそも
そういう仕掛けのある敵陣地にポーランド騎兵はいきなり突撃するか?
217 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 22:51:13 0
>秒速10m(時速35km)で突撃してきたとき、彼らを仕留めることができる時間は何秒だろう?
5秒ぐらい?
これは恐いwww
219 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 22:55:46 0
>>218 しかし逃げる時間はない
ランスによる串刺しは確実だ
220 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 22:58:20 0
火縄銃
有効射程距離 500m
殺傷距離 200m
確実殺傷距離 50m
>>216 きみの議論にものすごい穴があるのに今気づいた。
信長の時代はドブリニチ村の戦いの半世紀前だから、その頃のフサリアの装備では鉄砲玉を防げないw
野戦築城した戦国兵を遠巻きに見るか迂回するしかないポーランド軍
敵を迂回したから負けてないという軍隊。
どうなの
半世紀前ではないな。それでも本能寺の変が20年近く前。
224 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:05:50 0
加速しすぎだろこのスレ
226 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:11:21 0
227 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:14:43 0
さてと、このスレを消滅させてしまうようなショッキングな事実を紹介しよう
・信長軍の物量と鉄砲戦術の記述は誇張
・3000丁はウソ
・三段撃ちも陸軍の創作
・鉄砲で武田騎馬が壊滅したというのさえ信長公記の誇張
・武田に西洋の騎士のような騎馬突撃をする騎馬隊は存在しなかった
近年はそういうことになっている・・・
228 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:16:38 0
>>226 500メートルwww
ねーよwww
戦国期は30メートルぐらいだ
230 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:19:59 0
>>221 余裕で防げるよ
その頃の火縄銃なんてショボいから
231 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:21:48 0
>>227 ・なにが誇張?
・3000丁はありえる話、最低1500丁でそれ以上あったとも考えられる
・また誇張?
・騎馬突撃が廃れたのは鉄砲や足軽の長槍攻撃の為
232 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:25:02 0
233 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:25:14 0
>>228 弓ですら50M以上飛ぶんだけど?
30Mや90Mなんて記述ないけど
234 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:26:35 0
火縄銃の記述探すとほぼ500Mが多い
90Mはwikiの記述にしかない
235 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:27:23 0
>>233 弓は音がしないから相手が怯まない
殺傷力は当時は弓の方がはるかに上
当時の射程距離は20間
実際に殺傷できるのはせいぜい30メートル以下
伝説を信じてはいけません
まるでそれではウリナラファンタジーと同じじゃないかw
やめろよみっともない
236 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:28:24 0
>>234 500メートルは本当にないぞそんなの
完全な間違いだ
信じてるんだな
もうこれは宗教かw
>>230 「対火器装備前」なのに?
>>137ではドブリニチ以前は「例のウイングド・フッサールではなくハンガリー型のフッサール 」
とか書いてたけど、ハンガリー型のフサールって調べてみると槍と盾だけで突撃してたそうだがw
武田騎兵以下だな。
239 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:35:16 0
240 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:36:55 0
>>237 >「対火器装備前」なのに?
当然
危ないのは30メートルだからな
>武田騎兵以下だな
正確には武田のは騎馬武者なんだなこれが
ポニーのような小さな馬をフラフラさせて移動、馬上で刀を振り回すのも難しい
実際は降りて戦う
ポーランドのような槍突撃は不可能
241 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:38:00 0
>>238-239 必死でググるググるw
有効射程は30メートルが結論
それ以外のは完全に間違い
どんなにググっても駄目なものは駄目
242 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:39:10 0
日本の騎馬武者が金属の甲冑を着ていなかったのは馬がショボいせいだろ
243 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:40:26 0
幕末期の輸入火縄銃は水平撃ちで100メートル飛んだかもしれないらしいな
幕末期の最新式のでこれだ
244 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:41:41 0
鉄砲の数について。
「千挺計」は、佐々成政、前田利家、野々村正成、福富秀勝、塙直政の5人の奉行に配備したと書かれているのであって、この5人の武将以外の部隊の鉄砲の数には言及されていない。
また、信長はこの合戦の直前、参陣しない細川藤孝や筒井順慶などへ鉄砲隊を供出するよう命じており、細川は100人、筒井は50人を供出している。
恐らく他の武将からも鉄砲隊供出は行われたものと思われる。
つまり、大田は全体の正確な鉄砲数を把握していなかったといえ、1500丁は考えうる最低数の数といえる。
当時の織田家が鉄砲をどのくらい集めることができたかを考えた場合、これより6年後の天正9年(1581年)に定められた明智光秀家中の軍法によれば、一千石取りで軍役32人、そのうち鉄砲5挺を用意すべき旨定めている。
鉄砲は高価で貴重な兵器であったため、軍役として鉄砲を用意するよう義務付けられるのはある程度大身の者であることを考慮すると、この軍役率はそのまま参考にはならない。
しかし、長篠合戦に参戦した織田軍の兵力を通説に従って3万、また先述のように参戦しない武将にも鉄砲隊を供出させた史実を考えれば、数千挺ほど用意出来た可能性はある。
245 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:42:14 0
246 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:43:14 0
>>241 30メートルが結論ってどこに書いてるの?
>>231 >>227の人じゃないけど
・織田徳川軍は長篠では3万数千といわれてきたが、
地形から見て1万4千〜8千というやや半数が妥当と言われる。
武田勢も1万5千ではなく7千程度といわれている。
・とりあえず信長公記では武田を迎撃するために信長は千丁の鉄砲を
5人の奉行に任せて武田勢を迎え撃ったとある。
・実際は鉄砲だけでなく、弓も使い、足軽達も繰り出しての8時間に及ぶ消耗戦だったとされる。
武田勢もやられっぱなしだったわけではなく、果敢に戦っており
信長の勝因は通常兵力と鉄砲・弓による遠距離攻撃と野戦陣地の組み合わせによる消耗戦。
・とりあえず長篠のはるか昔から戦国時代では長槍はよく使われてるし、鉄砲もそう。
武田も三方ヶ原でもすでに騎馬突撃なんてするものはほとんどいなかったとの事。
248 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:44:09 0
249 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:45:14 0
で、野戦築城してる相手にどうするんだ?
突撃するのか?重騎兵が柵を飛び越えるのか?
まず歩兵が接近して柵を取り除くことから始めないといけないんじゃないか?
だいたい騎兵なんて、火力の援護がないと突撃なんて出来ないんじゃないの?
まあwikipediaもこの手の引用資料としてあんまり信用ならんわな
252 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:46:16 0
>>240 >危ないのは30メートルだからな
きみがいってたのは「撃たれる前に敵戦列にたどりつく」じゃなくて
当時の火縄銃の弾を受けても「余裕で防げる」
>>230ってことだよね?
軽装備のハンガリー式だったはずのフサールが
254 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:46:49 0
>>250 長篠城を無視して尾張へ向かう
織田兵が城から出てきたら得意の重騎兵突撃で壊滅する
256 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:48:37 0
>>253 信長のペッポコ火縄銃が恐くて突撃なんかできるかw
16世紀の火縄銃の話をするときに19世紀の火縄銃を出してくるトンチンカンが湧いてるスレ
長篠の戦いで有効だったのは火縄銃の音だったようですね
殺傷力じゃなくて
武田方が大量の火縄銃の音を聞いたのはこれが初めてで怯んだ
259 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:52:43 0
>>257 どこに19世紀の火縄銃と書いてるの?w
260 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:54:00 0
>>259 戦国時代の火縄銃の殺傷距離は約20-30メートルで、
幕末の火縄銃の殺傷距離が約100メートルだから
262 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:55:14 0
>>260 だからどこに書いてんだよ猿
ソース出せよ
>>247を書いたものだが、
長篠で信長が構築した野戦陣地は半要塞といっていい重厚なもの。
このスレのずっと上のほうでも書いたが、
空堀を2重に掘り、さらに天然の川をも堀とした合計三重の堀。
さらに土を積み上げて土塁を構築し、柵を張り巡らした重厚なものだ。
ここに千丁の鉄砲と多量の弓が配備され、長槍足軽をはじめとする歩兵が大量に
立てこもっている。ちょっとやそっとじゃ抜けない代物だろう。
>>254 道を塞いでる信長軍をどうやって越えて尾張までいくの?
つまり戦うってことだよ。
勝頼とおんなじです。
>>256 火縄銃が怖いかどうかって話じゃなくてさ
きみは装甲なしの人馬がもし銃弾をくらっても大丈夫っていってるわけだよね?
>>230で
267 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:58:07 0
幕末は既に輸入銃の時代。
エンフィールド(英・前装式) 1,300m
スナイドル(英・後装式金属薬莢) 1,400m
シャスポー(仏・ボルトアクション後装) 1,200m
スペンサー(米・レバーアクション後装式連発) 900m
三ツバンドミニエー(各国・国別で口径が違う) 820m
>>265 知らんよ
当時ヨーロッパ最強軍だったポーランド軍ならやれるだろう
信長の家来を口説いて寝返りさせ、信長を討つ
あれ?家康?w
269 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:59:18 0
ポーランド派と信長派は論争したらどっちが勝つの?
270 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:59:19 0
271 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:59:20 0
>>270 在日扱いすんなクズ
伝説に過ぎない信長の話を鵜呑みにしてるおまえは
李舜臣の伝説を信じてる韓国人とどう違うんだ?
>>271 137 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/01/12(月) 00:22:11 0
>>135 偽ドミトリーのときはまだ対火器装備をしていない時代
まだあのときは例のウイングド・フッサールではなくハンガリー型のフッサール
この後対火器装備を充実させポーランド独特の重装騎兵となって連戦勝利を重ね、モスクワを陥落させていく
221 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/01/12(月) 22:58:51 0
>>216 きみの議論にものすごい穴があるのに今気づいた。
信長の時代はドブリニチ村の戦いの半世紀前だから、その頃のフサリアの装備では鉄砲玉を防げないw
230 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2009/01/12(月) 23:19:59 0
>>221 余裕で防げるよ
その頃の火縄銃なんてショボいから
275 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 00:02:48 0
>>272 伝説はお前の脳な、ソースも貼らんでこんな事書いてるレベルでw
260 :世界@名無史さん:2009/01/12(月) 23:54:00 0
>>259 戦国時代の火縄銃の殺傷距離は約20-30メートルで、
幕末の火縄銃の殺傷距離が約100メートルだから
276 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 00:03:17 0
>>273 だから殺傷距離30メートルの鉄砲玉は歯や指で受け止めるんだよ馬鹿だろおまえw
>>275 だからしねよ
なんでしなないのおまえ
しねって
はいはい、釣りバカ日誌
279 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 00:04:34 0
朝までやるか?
朝になってもやる、この信長馬鹿がしぬまでこのスレでやってやる
>>276 そんな事が可能ならそもそも戦争に銃が使われてないだろうな
お利口さん自慢はよそでやってくれ。
ここは平和に戦争するスレなので。
283 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 00:06:14 0
>>281 でも実際ポーランド騎兵は足の指の股で信長の鉄砲玉を受け止めて潰したからな
284 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 00:06:47 0
>>277 お前を生んだ両親は哀れだな、どうせ親もクズだろうけど
285 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 00:07:00 0
いい加減にしろ。
騎兵が崩れてない槍を持った歩兵陣地に突撃しても騎兵がやられるだけじゃないの?
その前にせめて陣地を崩して下さい。
ポーランド騎兵なら騎兵だけで、崩しちゃうのかな?
ポーランドの勝ちだろ。
スレ読むと信長派は条件を絞りすぎ。戦争がそんなうまい具合にいくわけない。
288 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 00:08:51 0
いいスレだったが、この板でやることに無理があったようだ。
悲しいことであった。
>>286 普通に考えてポーランド軍が騎兵だけということはないだろう?
291 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 00:10:13 0
まぁ信長軍の鉄砲で勝ちだろうな
>>291 ポーランド軍も大量に鉄砲持ってるんだが?
>>286 F−16持ってるんじゃ信長軍じゃ勝てないよo(><)o
ポーランド軍の勝ちだね
わかった。このスレで信長が勝つと思ってる派はポーランド軍が馬と槍と弓矢しか持ってないと思ってるんだ。
295 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 00:13:31 0
>>293 あたりまえだろ
あれも持ってんぞ、レオパレス2A5
296 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 00:14:19 0
この板なんでID出ないの?
ああなるほど、確かにw
ポーランド軍はいまもあるが信長軍はもうないw
298 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 00:15:03 0
>>294 とりあえず俺は長篠と同じ条件の野戦陣地なら
ポーランド軍といえど破るのは厳しいと思う。
実際騎兵突撃主体ではなく鉄砲も多く持っていた武田が
部隊を次々に繰り出しあの手この手を尽くして非常に果敢に戦い8時間近く戦って
ついに破れなかったのだし。まあ兵力半分ではあったけど。
ポーランド軍が騎兵主体でくるなら三重の堀と土塁と柵の前に
えらいことになりそうだ。
信
長
302 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 00:18:25 0
シナと在日居るとあれるなぁ〜
303 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 00:18:28 0
>>299 ポーランドは大砲持ってんぞ大砲
織田の城も陣地も猛烈に砲撃されておしまいだろ
軍
の
勝
ち
終
309 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 00:21:22 0
了
>>303 1500年代にかい?
とりあえず朝鮮出兵では日本軍は
大砲を配備してる明も相手にしてるけど健闘してる。
地形と障害物を組み合わせて敵が踏み込めない状況を作る日本式野戦築城は
なかなか馬鹿にできたものではない。
すでに大砲の時代に入っていたヨーロッパの軍隊に
火縄銃が入ってきたばっかりの日本の大名が勝てるわけがない。
魔
王
野戦築城までされた敵陣相手に騎兵がどうこうはナンセンスだね。
それに長篠の戦いは陣地付近よりも、追撃戦で討ち取られてる方が多いんじゃなかったかな?
当たり前っちゃ当たり前なんだけど。
>>312 実は日本の火縄銃のほうが射程と命中率はよかったりする。
これは平野で主に使うヨーロッパと複雑な地形で使う日本の違いでもあるんだけど。
>>311 ポーランドでは1400年代初頭には既に大砲を使っていて、
信長と同時代ではカノン砲の時代だよ。
17世紀にかけて陸戦の砲術では最先端の国がポーランドだった。
城が相手ならそれなりの戦術を採るだろうね。この大砲で。
当然大砲も日本に伝わってきてる。
が効果は火繩銃の方がよかった。
だから火繩銃が普及した。
319 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 00:30:03 0
つか信長も普通に大砲使ってるけどな〜
>>315 将の討ち死には追撃戦での死亡が多い。
(それでも山県をはじめとして追撃戦で死んでるのも何人も。)
ただ戦闘経過を見ると兵員は追撃以前の8時間近い戦いで随分消耗してる。
だからこそ追撃戦で多くの将がやられたわけで。
武田は部隊を次々に繰り出し、柵を引き倒し、陣外に出てきた織田徳川勢を陣地内に追い込み、
竹束の盾で防ぎながら前進し、無勢ながらも奮戦し、とかなり壮絶に戦ってる。
それでも兵力と陣地と遠距離攻撃のコンビネーションに力尽きた。
>>318 当時の大砲というのは対人攻撃よりも、城攻めに使う。
しかもヨーロッパは既に大口径の滑空砲で城を一気にブッ潰す時代。
信長は一たまりもないよ。
>>317 >>17世紀にかけて陸戦の砲術では最先端の国がポーランドだった
グスタフ・アドルフに負けてるじゃん。30年戦争以前に。
323 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 00:33:32 0
当事は鉄砲>大砲
>>321 実際その使い方をした明が日本式築城を破れてない。
大砲を使おうとしても射程外まで障害物を張り巡らし
障害物を乗り越えてもたもた大砲を設置しようとしたら
城方の妨害攻撃が降り注ぐ。
>>322 また話を広げる。スウェーデンも最先端の国だが、ポーランドが負けたのはまた他に大きな理由が複数あったから。
要するにポーランドを知らなすぎだから拡散するんだろ。
何故かスキタイスレから来ましたw
>>221 >信長の時代はドブリニチ村の戦いの半世紀前だから、その頃のフサリアの装備では鉄砲玉を防げないw
ttp://www.jasinski.co.uk/wojna/comp/comp06.htm シュラフタ共和政期のポーランド軍を紹介してるPolish Renaissance Warfareってサイトだけど
このページによるとフサールが甲冑を着るようになったのは十六世紀前半で
信長と同時代人のステファン・バートリ王はフサールの速度を維持するために
行き過ぎた重装甲化に歯止めをかけなければならなかったようだ。
とりあえず信長の頃には装甲騎兵だったと考えていいのではなかろうか。
>>324 当時の中国の大砲というのは砲身の短いものでヨーロッパでは15世紀には廃れたタイプだろ。
大砲は世界中で同時代で同じなのか?馬鹿馬鹿しい!
>>326 バートリの時代には全身甲冑になってしまった。
>>327 ヨーロッパもこの時代はまだ炸裂弾じゃないんだから
そこまで絶対的な威力はないよ。
明もこの戦いで鉄砲や大砲を世界から集めて性能テストとかやってたはず。
>>323 野戦ではそう。しかし城攻めにはまず大砲。そのためにヨーロッパでは大砲が急速に進化した。
>>330 そのヨーロッパでの要塞の大砲対策の第一はそれ以前は深く堀を掘るのだったが
堀を浅くても長く張り巡らし、射程に持ち込ませない、
もしくは有効攻撃距離から遠ざける、だったはずでは。
日本式築城とコンセプトが同じ。
>>326 じゃあドブリニチの戦いではフル装甲のウィングド・フサールが
ロシア兵の銃撃を受けて敗れたと考えていいんだね?
>>331 実際炸裂弾の大砲ができるのは近代になってからでは。
335 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 00:46:17 0
長篠の戦いの武田軍をポーランド軍に置き換えてシナリオを作ると
1.陣地と城が砲弾による猛攻撃を受ける
2.たまらず出てきた信長軍に銃兵が一斉掃射を浴びせる
3.フッサール突撃!信長軍大混乱の中、主な家臣が串刺しにされ討ち死に
4.敗走する信長軍を、フッサールが槍を捨てて剣と短銃で追撃、信長討ち死に
こんなところだろう
336 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 00:49:19 0
>>333 違います
ポーランドのフッサールはその場にいたが実は戦闘にはほとんど関わっていない
偽ドミトリーに協力する気はないから、正面突破の命令が出たときにとっとと戦場から離脱
ポーランド王ジグムント3世は偽ドミトリーへの協力を確約するのを拒否していた
なのでフッサールはほとんど撃たれていない
撃たれたのはロシア騎士
>>335 とりあえず三重に張り巡らせた堀の中でどうやって大砲を設置するかだね。
大砲を有効に打てる距離の地点をまず確保しないと。
砲兵だけ前進させて設置しようとしたらやられるから
歩兵騎兵を前進させてまず地点確保だ。そこを織田勢に狙い撃ちされそう。
>>334 17世紀初頭。ポーランド人兵法家による砲術書が17世紀半ばに出版されている。
>>338 砲術書があるのは別に不思議じゃないがそれは炸裂弾なのかい?
>>339 炸裂弾の砲術がちゃんと言及されている。
城塞攻撃用の機械式多段式ロケット弾も。これも炸裂弾。
毒ガス攻撃法も。
アムステルダムにて出版。
ポーランド軍はオスマントルコとの戦闘でこのロケット炸裂弾を使い勝利している。
純粋な野戦ならポーランド>戦国勢
戦国勢が野戦築城で迎え撃てば戦国勢>ポーランド
じゃないかな。
まあ防衛戦は防衛する側が有利なもんだからえばれたもんじゃないけど。
炸裂弾の射程と炸裂してくれる確率は?16世紀後半でどれくらいなの?
17世紀はともかく
343 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 01:01:57 0
>>340 毒ガス使ってたのか!
やっぱり硫化水素とかか?
>>343 この兵法家は毒ガスは卑怯であるから使うべきではないと言っている。
>>336 関わってないわりに対火器装備のきっかけになったとか書いてたよな
というか
>>326氏によるとそれ以前から重装甲だったそうだけど?
>>340 実際問題として炸裂弾と貫徹弾の要塞に対していずれが有用かは
日露戦争辺りまで決着がつかなかったくらいだし、
その炸裂弾とロケット弾はそこまでのもの?
>>340 その炸裂弾とロケット弾はその後もポーランド軍の
常設装備になったの?
>>345 シシャクや分厚い胸甲はつけていない。
おまえは俺が風呂に入る前からいるやつだな。
何も知らないのに矛盾を突いたつもりで軽々しくレスするのはまずやめたらどうだ?
まずはポーランド史とポーランド軍事史に詳しくなってからだな。
>>347 いやそれはわからない。個々の戦闘全てまでは知らないから。
ホチムの戦いはこのシェミェモヴィチュ式新型ロケット弾が大きな役割を
果たしたことであまりにも有名だから知っているだけ。
当然ほかの戦闘にも使われただろうが、どの戦闘か、いつまでこの使われたのかは知らない。
この兵法家はリトアニア出身のポーランド貴族(シュラフタ)。
リトアニア人にとっては英雄だな。
>>320訂正
(それでも山県をはじめとして追撃戦で死んでるのも何人も。) ×
(それでも山県をはじめとして追撃戦以前で死んでるのも何人も。)○
常設にならず一時期だけ使われたって事は
何か欠点とかあったのだろうか。
>>333 >>336 D. Nicolle "Armies of Ivan the Terrible: Russian Troops 1505-1700"によると
「偽帝の騎兵は二列からなり、前列はポーランド人の7個大隊、後列はロシア人の8個大隊だった。
それらが政府軍の右側面に対して進むと、ムスチスラフスキーの騎兵がそれに対抗するために
動いた。彼が雇っていた西欧人傭兵は前進するのが早すぎて、撃破されて退却をはじめた。
ポーランド人たちは賢明にも敗走する騎兵を追うことはしなかったが、橇を並べて守られていた
ロシア人の歩兵戦列の右翼に向かった。目撃者の証言によれば、ストレリツィが一斉射撃を行ったとき
ポーランド騎兵は彼らの戦列からまだ遠く離れていたが、それに続けて二度目の斉射をくわえ、
敵の隊列を完全に崩壊させた。多くの騎兵は恐怖に駆られて逃げ出し、他の反乱軍兵もその後を追って
退却をはじめた。政府軍の騎兵がこれを追撃し、敵の砲をすべて鹵獲した」
当時のロシアの勤務士族の騎兵はオスマントルコのスィパーヒーのような
鎖帷子と板金を組み合わせた鎧を着ていたので、より重装甲のポーランド騎兵を
前に出す方が合理的だったのだろう。
射撃の距離など不明な点が多いが、ポーランド騎兵が真っ先に銃弾を浴びたと思われる。
353 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 01:25:04 0
>>352 だからそれが離脱だよ
仕方なくやってきたんだから士気なんかはじめからないんだよ
被害が出ないうちに退却
相手方のロシア人から見れば銃撃で敗走したということになるな
>>351 ロケット弾は第二次大戦までは非常に危険な代物。
ソ連のカチューシャはしょっちゅう大事故を起こしていた。
355 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 01:29:13 0
356 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 01:31:05 0
>ポーランドのフッサールはその場にいたが実は戦闘にはほとんど関わっていない
>偽ドミトリーに協力する気はないから、正面突破の命令が出たときにとっとと戦場から離脱
>ポーランド王ジグムント3世は偽ドミトリーへの協力を確約するのを拒否していた
>なのでフッサールはほとんど撃たれていない
>撃たれたのはロシア騎士
戦闘に思いっきり関わってるし、命令が出た時点で離脱してないし撃たれてるじゃねえかw
本当に言うことがコロコロ変わるな
同じ人が言ってるのか違う人が言ってるのか分からなくなってきた…
ポーランド側なのか反ポーランド側なのかさえ……
これが乱世か
反日と愛国だろ
359 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 02:20:41 0
>>351 榴弾砲が出てきて、より命中精度が高いのでロケット弾に取って代ったらしい
360 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 02:22:00 0
>>356 おまえまさか本気で状況が理解できてないんじゃないだろうな?
ここまでのまとめ
信長軍 足軽多数、鉄砲1000-3000丁、
優秀な野戦陣地(長篠の戦い根拠)、優秀な弓兵 総兵力10-50万
ポーランド軍 強力な重装騎兵、槍兵、少数の大砲(10台以下、毒ガス弾有)
、貧弱な鉄砲≠皆無(Smolenskの戦いにおいて170丁) 総兵力 5-15万
その他の情報など
・信長は武田騎馬隊を破った(騎兵隊の規模、装備の違い)
・Dobrnichiの戦いにおいてポーランド軍は銃撃を受け敗走している(戦術的戦線離脱との意見あり)
・火縄銃の射程と威力(30-500m、鎧を貫通できるか)
・ポーランドの騎兵は森林、山岳での運用を想定されていない逆に信長は東欧平原での戦いを経験してない
・槍兵に騎兵は無意味(正面から攻撃する訳ではない)
参考程度に。
個人的に言えば、足軽がポーランドでもある程度はある最強武将「冬将軍」に勝てる気がしません
ポーランド騎兵は離脱してたとして、だから何?
戦えない軍隊率いてどうやって勝つの?
まったく油断している敵を発見して、それに突撃するしかないんじゃ
ダメダメじゃん
364 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 09:52:45 0
槍兵の槍って長さどれぐらい?
織
田
信
成
は
飲
酒
運
373 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 10:20:15 0
Klushinoの戦い
<ロシア側連合軍>
・総数48000人以上(戦闘に参加した者35000人以上)
・司令官Dmitry Shuisky、Andrew Golicyn、Danilo Mezecki
・うちJacob De La Gardie率いるスウェーデン・フィンランド・フランス・ドイツ・イギリス連合軍5000-10000人
・野砲11門
・目的はスモレンスク要塞に向けて進軍
<ポーランド=リトアニア軍>
・総数6800人
・総大将Stanislaw Zolkiewski(ポーランド語特殊文字は通常のラテン文字で表記)
・うち、ウイングド・フッサール5556人、少数のロシア兵
・野砲4門
・目的はロシア連合軍のスモレンスクへの進軍を阻止すること
<結果>
・ポーランド=リトアニア軍の圧勝(ロシア軍野砲11門を全て鹵獲)
・その後スモレンスク要塞を奪還、モスクワ入城
<死傷者等>
・ポーランド側死傷者400人
・ロシア連合軍側死傷者5000人以上
・スウェーデン軍のほぼ100%は死傷者あるいは捕虜
374 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 10:23:20 0
途中で送信してしまったw
Klushinoの戦い
<ロシア側連合軍>
・総数48000人以上(戦闘に参加した者35000人以上)
・司令官Dmitry Shuisky、Andrew Golicyn、Danilo Mezecki
・うちスウェーデン武将Jacob De La Gardie率いるスウェーデン・フィンランド・フランス・ドイツ・イギリス連合軍5000-10000人
・野砲11門
・目的は自軍の守るスモレンスク要塞へ向けて進軍
(スモレンスク要塞攻防戦におけるロシア軍守備隊5000人、大砲200門、総大将Mikhail Borisovich Sein)
<ポーランド=リトアニア軍>
・総数6800人
・総大将Stanislaw Zolkiewski(ポーランド語特殊文字は通常のラテン文字で表記)
・うち、ウイングド・フッサール5556人、残りの大半は歩兵、ロシア兵少数
・野砲4門
・目的はロシア連合軍のスモレンスクへの進軍を足止めし、自軍本体の城攻めを援護
(スモレンスク要塞攻防戦はポーランド軍22000人、野砲30門、総大将ジグムント3世)
<結果>
・ポーランド=リトアニア軍の圧勝(ロシア軍壊滅、ロシア軍野砲11門を全て鹵獲)
・その後すぐスモレンスク要塞を奪還、そのままモスクワ入城
<死傷者等>
・ポーランド側死傷者400人
・ロシア連合軍側死傷者5000人以上
・スウェーデン軍のほぼ100%は死傷者あるいは捕虜
日本の戦国時代は農民なども足軽として巻き込んだ総力戦
ポーランドなどの国は主に貴族同士(ウクライナ・コサック含む)の戦争で歩兵も貴族、一部に商工民の義勇兵
ただしポーランドの場合はポーランド人・ユダヤ人・ドイツ人商工民階級の常備軍(プロイセン連合軍など?)がいたらしい
>>361 日本の半分も持ってない信長じゃ兵力20万が精々だろ。
当時のポーランド軍に挑むのはたとえ信長でもかなり無理があるんじゃ?
>>1 お前、本当に暇だな。
日本史版で相手にされなくなったのか?
381 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 13:48:16 0
もういい加減飽きたよね。
なんで世界史版に信長が出てくるのかわからんし。
世界史版の住民に信長の話したって意味ないよ。
信長はもちろん日本史に興味ないから世界史版いるんだし。
これ削除対象だと思うけどね。
戦国厨はキチガイだらけ
早く死ね
戦国厨はキチガイだらけ
早く死ね
戦国厨はキチガイだらけ
早く死ね
戦国厨はキチガイだらけ
早く死ね
戦国厨はキチガイだらけ
早く死ね
戦国厨はキチガイだらけ
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戦国厨はキチガイだらけ
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早く死ね
戦国厨はキチガイだらけ
早く死ね
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早く死ね
392 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 14:33:43 0
相変わらずポーランドとかローマとかのひとつの国家と、信長とかいう一個人の成立しない比較をしたがる馬鹿がいるんだな。
百歩譲って、比べるならヤンジェシカの軍とかスヴォーロフ軍とかだろ。
それでも意味がないことには変わりないが・・。
もう信長とどっかのプロレスラーとの戦力比較でいいんじゃね。
スポーツ版いけよ。
ヤン・ソビエスキと織田信長が素手で喧嘩したらどっちが勝つの?
ポーランド人ってけっこう体格でかいよね
ソビエスキは巨漢で有名な王様だろ
397 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 19:41:08 0
まぁ信長軍の勝ちだろうね、日本兵1人で明兵10人分の差があったように
日本武士は世界一強いし、ヨーロッパは歴史的に戦が弱いし
398 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 19:59:05 0
>>397 そうだな、俺もヤンと相撲とったら、信長が勝ったと思う。
俺は朝青龍が強いと思うけどな。
>>397 信長と中国人の話じゃねーよ。
要は信長とソビエスキが戦ったらどちらが勝つかだ。
やっぱソビエスキの巨漢にはかなわないんじゃないか?
402 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 20:55:11 0
まぁ信長軍の勝ちだろうね、日本兵1人で明兵10人分の差があったように
日本武士は世界一強いし、ヨーロッパは歴史的に戦が弱いし
光栄のランペルールってソフト買ったんですけれど、ナポレオンについてはざっくりとした事しか分かりません。
少し勉強しようと思うので、ナポレオンが主人公の面白い小説があれば教えてください。
404 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 21:17:12 0
>>403 ベルサイユの薔薇の作者が書いた漫画が面白いぞ。
405 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 21:21:28 0
406 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 21:25:52 0
信長公は天才だ
ミシェル・ネイとルイ・ニコラス・ダブーが素敵。
ポニャトフスキは嫌い。
409 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 21:34:38 0
____ 1492
/__.))ノヽ
.|ミ.l _ ._ i.)
(^'ミ/.´・ .〈・ リ
.しi r、_) | アメリカはわしが発見した
| `ニニ' /
ノ `ー―i´
411 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 23:17:46 0
412 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 23:24:36 0
素手で喧嘩なら信長と同年齢のバートリ王の方がいいだろう。
>>348 >シシャクや分厚い胸甲はつけていない。
>>326で紹介したページによると
Their armour, after Batory's reorganisation, consisted of light zischage helmets,
breast and back plates and arm protection, either mail sleeves or, later, pauldrons
and forearm guards. The total weight of armour was light, being around 15kg, so
allowing the horses to charge at full gallop speed. The armour was quite simple,
covering only the most vulnerable parts of the body and not hindering the wearers'
movement in melee. The breastplate was 5 to 7mm thick and was arquebus-shot proof.
だそうだ。
「バートリの再編成ののち」だとすると、信長の存命中にはすでにシシャク兜や
銃弾を防げるブレストプレートを装備するようになってたのでは。
>>376 ポーランドの農民もなかなか侮れんよ。
1667年にタタール人3万とコサック2万が攻めてきたときに、ヤン・ソビエスキが
Podhajceという所に陣地を築いてたった9千の兵で持ちこたえて撤退させたが、
そのうち6千は武装した農民だったそうだ。
プスコフ共和国
14世紀までの間、プスコフの街は事実上の共和国であるプスコフ公国の首都として栄えた。
共和国はヴェチェ(вече)という民衆による集会により運営されたが、
中で最も強大な勢力はプスコフをハンザ同盟に加盟させた商人階層であった。
プスコフの独立はノヴゴロド公国により1348年に承認された。
また、この数年後にプスコフのヴェチェが発布した法典(プスコフ憲章と呼ばれる)は、
1497年に作られた全ロシアの法典の原型の一つとなった。
ロシアにとってプスコフはヨーロッパへの架け橋であり、ヨーロッパにとってプスコフはロシアの最西端の前哨で攻撃対象でもあった。
プスコフのクレムリン(要塞)は15世紀だけでも26回も包囲されているがこれらすべてを撃退している。
クレムリン(要塞)は石を積んだ城壁で5重に囲まれており難攻不落であった。
1510年、プスコフはついにモスクワ大公国の大軍の前に陥落した。
モスクワ大公国の第2の都市であったプスコフは西からの攻撃を受け続けた。
特にリヴォニア戦争(1581年〜1582年)の最後にはプスコフはポーランド王国の軍勢5万人に包囲されたが持ちこたえている。
ポーランド王ステファン・バートリはプスコフへの攻撃を31回も指揮したが防衛する市民に撃退された。
市の城壁の一つが崩れた時も、プスコフ市民は素早く崩れた部分を修理して攻撃をしのいだ。
大動乱期の1615年にはスウェーデン軍に包囲されたがこれにも持ちこたえた。
プスコフでのバートリは焦りすぎ
これがハンガリー人兵法の限界か
スモレンスクを陥落させたジグムント3世のように
しっかりと兵糧攻めと猛砲撃とトンネル爆破をやること
トンネル爆破を除けば大阪冬の陣と同じやり方
バトゥもやってるよ>ロシア征服
>>433 んじゃ、「ロシア征服に成功した、歴史上たった一人のヨーロッパ人」
こいつポーランドスレで9年間にわたって下品なAAを貼ってるやつだよ
他の板でもポラックとかポラヲタとかポラキチとか、そういう言い方をするからすぐわかるぞこいう
NGしてるからなんにも見えないお
NGにしてなくても何にも見えない。
何かAA貼ってあるの?
>>435 ヤロスラフ賢公時代のキエフを占領したボレスワフ1世のこともたまには思い出してやってください。
>>433 策略でモスクワを開城させたトクタミシュ汗のこともたまには思い出してやってください。
今のロシアよりずっと小さいモスクワ大公国
465 :
世界@名無史さん:2009/01/15(木) 20:33:14 0
信長軍の圧勝
なんでポーランド軍?
ポーランドが信長に勝つ所が想像つかないんだが。
ポーランド騎兵をなめてるだけだなそれは
信長軍対十字軍の方がしっくりくる
>>468 「タンネンベルクの戦い」を知らんのか?
>>468 ポーランド軍は1410年に十字軍を完膚なきまでに粉砕してるんだが
空白貼ってるのってこのスレの1?
暇なのか
>>492 でなくて、ポーランド関連スレに下品な巨大AAを9年間毎日毎日貼りつづける有名人
522 :
世界@名無史さん:2009/01/18(日) 01:25:02 0
こうしてこのスレは世界史板有数の勢いを保持することができたという。
いやー、何とも荒涼たる光景ですな
>>534 ポーランド関係のスレはどの板でもこうなる
荒らし報告すれば?
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562 :
世界@名無史さん:2009/01/18(日) 19:52:04 0
朝から晩まで貼りついてんのかな
なんでポーランドが嫌いなの?
ケツでもレイプされたの?
寝食を忘れていそしんでおりますな
2009/01/18(日)
00:32:43 00:34:22 00:36:05 00:48:43 00:52:00
01:10:05 01:20:40 01:26:06 01:27:09 01:27:37 01:27:58
01:29:48 01:30:27 01:31:43 01:35:06 03:05:51 03:13:44 03:19:49
(睡眠)
(起床)
10:58:46 11:02:32 11:09:15 11:11:18 11:20:24 11:22:09 11:27:55 11:59:12 12:05:39
(昼食)
13:18:32 13:27:37 13:40:19 13:49:38
14:30:54 14:35:45 14:52:52 14:56:43
(間食)
15:53:54 16:10:34
(夕食?)
19:18:52 19:31:27 19:31:50 19:46:35 19:46:59 …
いやー、勤勉ですなぁ
なんかのスクリプトでないんならだけど
575 :
世界@名無史さん:2009/01/18(日) 21:22:08 0
コピペスレ
碌なもんじゃねえ〜〜〜〜!!
ピイピイピイ、 ピイピイピイ・・・
俺も
梅
623 :
世界@名無史さん:2009/01/22(木) 13:43:04 0
>>622 ねーねー、9年間も毎日毎日巨大AAを貼って荒らして、何が楽しいの?
そんだけポーランドが大好きなんだよ
よく分からんが荒らしを9年間もヲチしてる
>>623が怖い