その他参考文献、参考サイト等あったら適宜ヨロ
| ┃彡 , -.―――--.、
| ┃彡 ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;ヽ
| ┃ .i;}' "ミ;;;;:}
| ┃ |} ,,..、_、 , _,,,.. |;;;:|
| ┃彡 |} ,_tュ,〈 ヒ''tュ_ i;;;;|
| ┃ | ー' | ` - ト'{
| ┃ .「| イ_i _ >、 }〉} _________
| ┃彡 `{| _;;iill|||;|||llii;;,>.!-' /
バンッ!! | ┃ | ='" | <話はすべて聞かせてもらった。
| ┃ i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { \シベリア送りだ。
| ┃ 丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ \
| ┃ 彡'" ̄ヽ \、_;;,..-" _,i`ー-  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ |
☆
そういやグルジアも割とビザンツの文化的影響受けてたような
>>4 だってモロに正教国家だし。
いまのグルジア国旗も、パレオロゴス朝初期のビザンツの旗のパクりにしかみえ
ない。
北のオセチアも正教圏ですな。
ビザンツ軍にアラン人兵とかいたよね。
アンゲロスブラザーズマダー
8 :
世界@名無史さん:2008/03/04(火) 23:33:54 O
>>1 乙
>>7 >>3はセンスないよねw
ビザンツスレなら、極悪非道アンゲロスブラザーズじゃなきゃ
非道って言うか無能だけど
アルメニアとの関係もかなり深いな
バシレイオス2世などマケドニア朝はもとはマケドニアに移住したアルメニア人
の王朝だし
そういやビザンツで流刑地ってあったんですか?
強制移住があったのは知ってるけど。
15 :
世界@名無史さん:2008/03/07(金) 13:30:38 0
387 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2008/03/07(金) 00:22:08 0
今、後半の東ローマ篇読んでるんだが、ひたすら
陰惨でたるい。躍動感が無いんだもん。
ギボンの偏見もあるだろうが、ギリシア人は
迷信深く臆病で、戦闘も実にチンケなもんばっか。
しかも奴隷根性が染み付いてて、面白みの無い
人物ばかり。
48章は、やむをえないと思う。前半の大帝国の
崩壊という巨大なスケールに比べて、ビザンチン奴隷民族の
ローカル国家のチマチマぶりには、ギボンも早く
終わらしたかったんだろう。
388 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/03/07(金) 00:27:55 0
チマチマしたローカル国家にもそれなりのドラマがあったと思うけどね。
記述のつまらなさは、資料の不足とギボンの偏見にすぎない。
389 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2008/03/07(金) 00:31:37 0
>>283 違うよ。ギボンは、ビザンチン帝国を、「臆病惰弱な奴隷
の国家でありながら、地中海全域を支配したかつての帝国を
僭称する不届き者」とまで書いてる。
だからこその48章なんだよ。とにかく、ギボンはビザンチンが
嫌い。ギボンの見解でも、ローマは西帝国の消滅で終わりだよ。
塩野七生は、思想面で弱いわな。多神教のおおらかさとか
強調してるけど、肝心なこと忘れてる。ゲルマン民族も多神教
だったけど、おおらかさなんてどこにも無かったし、聖人システムを
導入して多神教化したはずのカトリックは、実に頑迷だった。
ギボン「ローマ帝国衰亡史」を語る
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1105454419/
>>15 今時ギボンなんか読んでビザンツ分かったつもりになるなんて、痛すぎるな。
生き残った帝国ビザンティン復刊まで後三日
さっき、黄金のなんとかの魔女とかいう小説を見つけたんだけど、主人公がテオドシウス帝のころの東ローマの軍人なんだ。それで肩書きが近衛騎兵らいしいんだ。
東ローマ帝国って近衛騎兵部隊とかいたっけ?
>>18 逆にこの当時、近衛の騎兵隊の無い国なんてあるのか?
当時イスラム教圏にもヴァリャーギのような大斧をもった親衛兵を従えた
カリフやアミールがいたとかいうのは聞いたことがある。
24 :
世界@名無史さん:2008/03/08(土) 13:48:49 0
ビザンツ、ビザンティンとかいっているやつはフランク人のスパイ
西欧は十字軍のころに東帝国と対立したから
(それ以前からか?)
悪く書くのは当然。
そして西欧人の(中世暗黒時代史観全盛期の)
ギボンが悪く書くのも当然。
>>10 ただしアルメニアと東ローマは敵対国だった
アイルランドとイングランドに似ている
>>バシレイオス2世などマケドニア朝はもとはマケドニアに移住したアルメニア人
そいつらはアルメニア系ローマ人としたほうがいいだろう
アイゼンハワーをアメリカに移住したドイツ人とはいわないでしょ
>>25 そもそも古代ローマを攻撃して
西ローマ帝国滅ぼしたのは西欧人の先祖だし
>>26 現代を中世に当てはめてどうする
近世以前のエトノスと現代の民族意識は違いが大きいだろう
オストロゴルスキーが、ギボンを批判するなんて時代遅れだと書いていた。
そして、今ではオストロゴルスキーを批判するのは時代遅れになっている。
オストロゴルスキー ビザンツ帝国史
史料が語るビザンツ世界 和田 廣
Warfare, State and Society in the Byzantine World, 565-1204 (Warfare and History) (ペーパーバック)
John F. Haldon (著)
これが読みたいぞ。ビザンツ帝国史なんてどこで読めるんだ?
History of the Byzantine State
Georgije Ostrogorski
英語訳で読むというのはどうなんだ?
>>30 上二つは俺の家にあるw
『史料が語る…』は、まだ書店にも置いてあるし!
>>26 アルメニア史の本を読んだら、マケドニア朝はみずからの祖国アルメニアに親近感を持っていたと書いてあった。
読んだ時、嘘臭いと感じた…‥
>>33 コンスタンティノス7世は、バシレイオス1世の出自を「アルサケス朝アル
メニアの末裔」って嘘書いてたくらいだから、そういう意味でアルメニア
の出自っていうことへのこだわりはあったかもね。
もっとも、「バシレイオス1世の母はコンスタンティヌス1世の末裔」とぶ
ち上げて、古代ローマとの継続性も主張してるけど。
実質値上げか。
38 :
世界@名無史さん:2008/03/12(水) 01:39:08 0
橋口倫介「中世のコンスタンティノープル」講談社学術文庫も復刊してくれ。
39 :
世界@名無史さん:2008/03/12(水) 15:11:04 0
>>13 ケルソンってウクライナのヘルソン?
クリミアにテマがあったというのは聞いたことがあるが、ドニエプル河口あたりはビザンツ領だったんでしょうか
>>39 ケルソンはクリミア半島
とりあえず概説書でビザンツの版図を確認しる
>>28 生まれも育ちもアルメニアじゃなく
帝国領ないでしょ
アルメニア語も話せなかっただろうし
アルメニア人とはいえないでしょ
ビザンツなんて国は存在しない
ビザンティンという国名は
中世の東ローマ帝国を貶めた学者たちが
でっちあげた国名
>>42 「東ローマ帝国」なんて国名も存在しない訳だが。
東西に分裂したときにはあったんじゃないの?
何で今のマケドニア程度の領土しかなかった
サムイルの帝国をつぶすのに三十年もかかってんの?
バシレイオスってジェーコフのように数をそろえて
ごり押しするしか能がなかったの?
>>45 ハンガリーとかに時々助けてもらってたから
>>42 ローマなんて古代からくそ国家だろ
初代皇帝(みたいなもん)のカエサルも
クーデター起こした国家反逆者兼独裁者兼虐殺者だ
しかも最後は身内に殺されているし
ナポレオンやヒトラーなんてこいつの影響もろうけてるだろ
ローマとかってファシズムの原型
どっちにせよ正式な国号は「ローマ元老院と市民(SPQR)」だし。
つーか、いわゆる「東西分裂」にしたってそれ以前からあった共同皇帝による統治の一形態でしか無いし。
首都としてのローマが東西両方とも放棄したのと、西側があっという間に滅亡したので特別に見られているだけで。
ローマ帝国の後継者だったことより、
スラブ人やグルジア人の文化的宗主だったことの方が
はるかに重要だと思う。
スラブ人でもスロベニア、チェコ、ロシアは西欧の影響のほうが
>>51 ロシアに西欧の影響が来たのなんてピョートル大抵以後のことじゃ無いか。
あとスラブで一番西欧の影響受けたのはポーランドだろ。
基本的にスラブでも、西欧の影響の深いのはカトリック、ビザンツの影響の深いのが正教、と考えて
ほぼ間違いない。
53 :
世界@名無史さん:2008/03/12(水) 19:46:17 0
>さらに東ローマから進んだビザンツ文化を次々と取り入れた。
このことから
>>52は間違いであるといいたいのであろう
最初はポーランドも正教だったが
神聖ローマ帝国のご機嫌をとるため
カトリックに変えた
スラブ人でカトリックな国は
大抵神聖ローマ帝国の脅威にさらされたところ
>>45 またその話か。馬鹿の一つ覚えみたいに。
>>50 どっちが重要とか、そういう問題じゃない
ビザンツの野戦機動軍(タグマ。複数形タグマタ)は騎兵2万と歩兵10万強で
編成されていたという資料がありますが、
これ以外に地方軍であるテマの軍は歩兵が中心です。
(実体が農民徴募軍であることを考えれば当然のことです)
ビザンツとは言え、歩兵に頼っていた面は大きいのです。
(歩兵が主体とは言いませんが、カタフラクテス主体ではありません。
騎兵のうちかなりの部分がフン族の傭兵やトルコ系の弓騎兵だからです。)
ギリシアの火は対ブルガリア戦役など陸戦でも使われましたが、
これを使っていたのは歩兵ですし。
http://mentai.2ch.net/whis/kako/972/972097432.html 中央軍の総数12万て多すぎないか?
死んだら神様になるんだろうな
>>59 どう考えても多すぎ。
タグマ4軍団で6,000っていう説もあるくらいなのに。
>>60 意味不明
相変らず東欧史以上には発展はしないなw
ついにねんがんのいきのこったていこくびざんてぃんをてにいれたぞ!
散り際がコレほど美しい国も珍しい
>>66 最後の瞬間は確かにそうだけど
それまで数十年さんざんオスマン帝国の後継者争いに手を突っ込みつづけて延命して
結局乗りそこなった勝ち馬から恨まれた結果ってのもあるし
>>67 逆に、そこで数十年も時間稼ぎ出来たことがすごい
最終皇帝コンスタンティノス11世は有能だったが
皇帝「だけ」が有能では時代の風に乗れないという典型
マヌエル2世やコンスタンティノス11世はよく頑張ったと思うが、
それまでの肉親同士やカンタクゼノス家とのグダグダが酷すぎる。
ミカエル8世の残虐な纂奪がいけなかったんだな…ラスカリス朝ニケーア帝国が頑張ったのに。
政治はともかく、13世紀に入ってからのビザンツの文化的伸長は著しい
マキシモス・プラヌデスらのヘレニズム時代の古典文献の復興もあるが
西欧のスコラ哲学の影響も否定できない
井上先生の復刊版「生き残った帝国…」、アンゲロスブラザーズの兄と弟が逆に
変わってるな。イサキオスの方が弟だったのか。
>71
ミカエルは良くも悪くもマキャベリストの先駆みたいな存在だったからな。
でももっと悪党に思えるシャルル・ダンジューのおかげでそんなに…。
これは・・・w
温かい目で見守ってやるしかないな・・・
ビザンツを学べば複雑なバルカンの歴史も理解できるようになるのか?
>>78 ビザンツだけでは分からないが、ビザンツが理解できてないと
絶対に分からないことだけは確か。
スラヴ人侵入からセルビアやモレア滅亡あたりまでの興亡を一通り見てると
別に複雑にも思えなくなるような
その後のオスマンとかハプスブルクが入ると複雑になる
>>78はただ「バルカンの歴史」としか言ってないからな。
でもよく旧ユーゴ問題とかのコメンテーターで「複雑怪奇なバルカン史」とか
決まり文句のようにいう人がいるけど、少なくとも言語(スラヴ、ギリシャ、
アルバニア、ロマンス、テュルクetc.)と宗教(正教、カトリック、イスラムetc.)
の分布域の重なり合いが頭に入っていればそこまで突き放した形容はしないんじゃないか?
と思う。
とりあえずビザンティウム中心史観wでものすごい単純化すれば、コンスタンティノープル周辺の
コアなビザンツ領を中心にしてそれにブルガリアとセルビア、ペロポネソス半島がくっついて
まるでハンガリーに食いつくような形で正教圏ができてると。
で、そこへトルコ人に後ろからアッー!されてイスラムが入ってくると。
その形が頭に入ってればだいぶ分かりやすくなるんじゃないかな?
>>82 ファクターがそれだけあるだけで普通の人には充分複雑だろうよ
ニュース系の板の中東関係とか見てると、
ユダヤVSイスラム、シーア派VSスンニ派まではなんとか把握してても、
民族(ペルシャ、アラブ、クルド、トルコ等)とか
反米アラブと親米アラブの違いとかまで広げると、
頭がパンクする人が多いみたい。
まあたしかに自分も「ルーマニアはなんでロマンス語でギリシャ正教の国なの?」といきなり聞かれたら
どこから説明していいのか分からなくなる罠
>>84 ルーマニアはなんでロマンス語でギリシャ正教の国なの?
他のスラブの田舎もんと一緒さすんでねえ。
オラのしゃべってる言葉さスラブ語じゃねえ。
そりゃちょっとはスラブ訛さあるけんど、オラの言葉はイタリアやなんかと一緒だべ。
ちょっとイタリアっぽい訛さあるスラブ語なんかじゃねえど。
オ〜ラ〜はバルカン〜で一番〜♪
モボだ〜と言われ〜た国民〜♪
>>87 ルーマニア語は確かにロマンス語だろ
何でこけにしているの?
>>90 小国を見下すのは2ちゃんねるではよくあること
でちょっと外国から悪口を言われると
「偉大な大日本の悪口言うんじゃねー」
と反日デモ時の中国人並みに切れる(笑)
>>マヌエル2世やコンスタンティノス11世
無能の働き者という
182 :世界@名無史さん:2006/10/26(木) 23:42:15 O
しかしコンスタンティノス十二世といい、
スカンデルベグといい、ヴラド三世といい
メフメト二世の敵って当代一級の英雄ばかりだな
185 :世界@名無史さん:2006/10/28(土) 13:00:13 0
>182
コンスタンティヌスって英雄なのか・・・?
186 :世界@名無史さん:2006/10/28(土) 15:19:30 0
イギリスのジョン王みたいなものじゃね?
やる気はあるがやる事為す事全て裏目という。
>>59 コンスタンティノス5世のブルガリア遠征の人数は
まさか一万を超えたことがなかったのか?
>>92 そうかぁ?確かに結果は出なかったが結局あの状況じゃ誰がやっても同じような
有能無能に時代の運まで含めて考えるならそうかもしれないが
漏れはあんまり納得したくないな
イスラム教徒だけど
アルバニアとも関連が深いでしょ
というかもと領土
97 :
世界@名無史さん:2008/03/18(火) 19:40:42 0
すっごぉ〜いッ!
何回も失策しながらも皇帝をやめないッ、イサキオスーッ!
なんという低脳 なんという浅知恵 まるで猿ですッ!
飛び出したのは…アレクシオス!
ぬけたァーッ、単独走ですッ!
華麗だ、相変わらず華麗な裏切りっぷりッ!
滅亡!
やったァー、コンスタンティノポリスを滅亡させましたァーッ!!
アレクシオス「やったなイサキオス、またまた僕らのコンビで勝負を決めたな!」
イサキオス「うん! アレクシオス、見事だったよ、君の謀反は!!」
アレクシオス「ありがとう! だがイサキオス、君の愚策あっての滅亡さ!!」
イサキオスはアレクシオス5世によって殺される予定!
かたやアレクシオスは依然として生き続け娘婿の足をひっぱり続けます!
この東ローマ帝国崩壊ももこの二人あっての快挙!
まさに我が国の汚点!! カリギュラより最悪です!!
神聖ローマ帝国に金を払うために墓も開くとは
シチリアを滅ぼしたハインリヒがそんなに怖かったのか?
>>97 そんなのはいらんから、極悪非道アンゲロスブラザーズAAを出せ
100 :
世界@名無史さん:2008/03/18(火) 19:56:53 0
>>96 同士ホッジャのおかげか
アルバニアは世俗的
101 :
世界@名無史さん:2008/03/18(火) 20:05:46 0
>>90 「確かにロマンス語」かどうかが問題なんだろう。
「現代のルーマニア語」はロマンス語だが、それは18世紀に民族主義が勃興し、
アイデンティティーの確立のため、ルーマニアはスラブではなくラテン系と言う為に作り上げた
言わば人造言語だ。
ルーマニア語は元々キリル文字を使っていたのに、19世紀にラテン文字に変更された。
単語も18世紀以後にスラブ語やギリシア語、トルコ語系の単語を
ラテン語やイタリア語、フランス語の単語に置き換えた。
それでも20%位がまだスラブ語系の単語だ。
それ以外にももっと古い時代の言葉もある。
ルーマニア語の「山」「森」「木」のような基本的な単語はダキア語が語源。
そしてアルバニア語と共通する単語でもある。
つまりトラキア・ダキア語からルーマニア語とアルバニア語が派生したという考えもある。
歴史スレなんだから現代の基準で言えるもんじゃない。
言語は全て自然発生的に生まれて自然に変化したという物ばかりではないから。
古代 ダキア・ロマンス語→ 中世 スラヴ系の語呂が増える→
近代 言語浄化によりスラヴ系の単語が再びロマンス系に変えられる
ルーマニア語はロマンス系は別に間違っちゃいない
>>94 そうなんじゃないの?
まあこの人の遠征って
人数や敵の兵力はおろか
遠征結果もろくにわかっていないし(笑)
>>98 ハインリヒが早死にしていなかったら
東ローマは征服されていただろうな
>>92 無能な働き者は
マヌエルの1世のほうだろ
>>105 それはそれでフレデリック2世がコンスタンティノープルの皇帝になれるからなあ。
まあローマ教皇からも大主教からも破門されてあぼんぬされるかもしれんが。
自演かわからんだろ
パレオロゴス朝の内部争いは
見てて気が滅入る
>>112 井上先生も[「惨めな姿をさらけ出してるパライオロゴス王朝時代には、
なるべくのところ触れたくはないのである」って書いてるしね。
かつては帝位争いも支配者層の新陳代謝を促す要素になっていたが、
この時代は同じ家の中での争いだからな。もうちっぽけな領土しか残っ
てないのに一族でグダグダやってるのは見ていて悲しくなってくる。
114 :
世界@名無史さん:2008/03/19(水) 04:10:52 0
俺はじーさんに反抗したアンドロニコス3世なんか好きだけどなぁ
ところでユスティニアヌス王朝のティベリウス2世って
ティベリウス1世のが正しいと思うんだよな
古代ローマ時代の皇帝って通称みたいなところがあるではないですか
クラウディウス帝も下の名前はティベリウスなんだし、
そういうとこ飛ばしてティベリウスを1世に数えて
ユスティニアヌス王朝の方を2世に数えるのはいかがなものかと
チラ裏でした
>>114 本によっては1世にしてるのもある。
ただ1世にすると、それはそれで紛らわしい。
過小評価と無関心と偏見に晒されるビザンツ主義者にとってオスマン帝国とは?
>>116 「遅く来すぎた終末」じゃねえ?
正直ビザンツは100年前に滅ぶべきだった。
>>113 14世紀の歴史に興味があるのでもちろん当時のパレオロゴス朝は大好きだ
ベネチアに滅ぼされた、って言われるよりは
オスマンに滅ぼされた、って言われた方がまだ面目が立つ。
実態はどちらも自壊だったとしても。
121 :
梵阿弥:2008/03/20(木) 18:28:06 0
>>5 ゲオルギアなのでゲオルギウス十字なのだろうとしか考えてませんでした。
>パレオロゴス朝初期のビザンツの旗
は、どの様な意匠なのでしょうか。言葉では描き辛いかもしれませんが、
宜しければお願いします
>>121 ウィキペディアの「東ローマ帝国」の記事に出てるよ。
123 :
世界@名無史さん:2008/03/22(土) 21:53:05 0
125 :
世界@名無史さん:2008/03/22(土) 22:30:15 0
2008年3月10日 第1刷発行
本書の原本は、1990年12月、小社(講談社)から刊行されました。
>>125 というか、このスレでとっくに話題になってるのに何を今更?
在庫僅少のところを偶々本屋で買えたんで自慢したいんでしょ。
>>120 ベネチアは自壊としても
オスマンは違うだろ
129 :
世界@名無史さん:2008/03/24(月) 14:35:21 0
イサキオス 〜その高貴なる血筋〜
子 アレクシオス4世
第4回十字軍に対する献金のために重税を貸したため
住民に反感を持たれクーデターをおこされて殺害される
なおエンリコ・ダンドロとも仲が悪かったらしい
「肥溜めの中から助けてやったのは誰だと思っている!?」byエンリコ
ひ孫 アルフォンソ10世 (カスティーリャ王)
歴史書、試作などや文化面で功績を残したが
軍事面政治面では失策が多く
レコンキスタを進めようとしたが逆にマリーン朝にイベリアを攻め込まれる
最後は息子との内乱に負けて幽閉される
ひ孫 オタカル2世 (ボヘミア王)
当初はダルマチアやイタリアにも勢力を広げ
神聖ローマ皇帝の候補にもなったが
「法衣を纏った乞食」ことルドルフ1世の皇帝即位に不満を持ち
彼に戦争を仕掛けるが連敗して逆にオーストリアを失う
ハプスブルク家のかませ犬になってしまった。
130 :
世界@名無史さん:2008/03/24(月) 14:52:03 0
レオーン3世はファビウスやスキピオ並に称えられてもいい
イコノクラスムの悪名だけが有名なのは
坊主共が悪く書いた文献だけが残っているからか?
133 :
世界@名無史さん:2008/03/24(月) 15:54:34 0
>>131 アラブ側に何か記録が残っていないのかね?
>>131 イコノクラスム派の書物は、異端の書物として破棄されちやったからね
135 :
世界@名無史さん:2008/03/26(水) 00:53:46 O
福田首相はイサキオスの生まれ変わり
イサキオス2世に失礼だろうwww
137 :
世界@名無史さん:2008/03/26(水) 20:52:53 0
「お、おにいちゃん、大漁だった?」
「ああ、大漁だったよ」
「あぁぁぁあぁすごいいいぃいぃ!、、な、なにが、、ハァハァなにが捕れたの?」
乳首を舌でやさしく舐めながらオレは答えた
「…鯛とか、、、ヒラメがいっぱい捕れたよ」
セリフを聞き、オジサンはびくんびくんと身体をひきつらせた
「はっ!はぁぁぁあんっ!イ、イサキは?イサキは、と、取れたの??」
チンコをしごく
「ああ。でかいイサキが取れたよ。今年一番の大漁だ。」
「大漁っ!!イサキぃぃ!!おにいちゃんかっこいいいいぃぃぃい ぃくううううう!」
>>135 偉大なるローマ人の支配者をフフンなどと一緒にするとは失礼なw
ローマはどうか知らんが、ビザンツはちっとも偉大ではない
>>139 春厨乙
どうせロクに知りもしないで書いてるんだろ
福田の偉大さを?
もちろんそうよ
そうかもだ
フフンなど!
天使兄弟(誤訳)より下かもだ。
ビザンツマニアは蒼き狼Wのシナリオ4(ヨハネス5世)でオスマントルコ滅ぼして
歴史を根底から覆してくださいな。
もしくはシナリオ2(ミカエル8世)で宿敵シャルル1世の両シチリア王国を
武力で滅ぼすとか。
馬鹿野郎!
M2TWでロシア滅ぼして正教唯一の国に
→カトリック・イスラム諸国に虐殺の嵐の方が熱いじゃねえか!
パリとロンドンを廃都にしてガリア・ブリタニアに改名するのもお勧め。
しかしつい最近復刊して買った『生き残った帝国』読むと
マヌエル2世の項で頑固にフランス・イギリスを旧ローマ時代の呼び名で
書いていたのには微苦笑。
しかしマヌエル2世も苦難スレの主人公にピッタリのような
>>149 というか、今でもギリシャ語ではフランスは「ガリア」、ドイツは「ゲルマニア
」ですが何か?
ちなみにアテネ五輪開会式のときは、フランス、ドイツが続いて入場していた。
>>151 正確な現代ギリシャ語発音では違うんだろうけど、綴りを見た感じではほぼそん
な感じ。
どちらにしろ援軍くれなかったフランス(ガリア)も
神聖ローマ(ゲルマニア)もイギリス(ブリタニア)も
薄情者なことに変わりは無い。
アンカラの戦いでオスマンが空白地になった時に来てくれれば
せめてバルカン半島は回復できた。
154 :
世界@名無史さん:2008/03/27(木) 19:56:32 0
>>151 古代ギリシャ人は西欧方面はよく知らなかったので、
ローマ時代のギリシャ人がラテン語の地名をそのまま取り入れたんでは?
でも考えてみれば英語でも「ゲルマニア→ジャーマニー」だよなあ。
>>149 フランス・ブルゴーニュ・ハンガリーの連合軍がバヤジット雷帝に壊滅させられた後に
「ニコポリスで打ち倒された大軍――というのはパンノニア、ケルト、西ガラティアから
集められた軍勢のことだが、そういった野蛮な名前は聞くだけで寒気を覚える」
とか書いてるんだよな>マヌエル
わざわざ援軍に来た連中をそんな風に言うのがいかにもビザンツ人
ゲームといえばParadoxのクルセイダーキングス日本語版が明日発売だな。
ビザンティオン皇帝、テサロニキ王子の出番だ!
昔civilization3買って結局やらないまま置いてあるけどこれビザンツ出てくる?
158 :
世界@名無史さん:2008/03/28(金) 00:00:03 O
文明として選択できたほか、拡張パックつきなら中世シナリオがあったはず。
>>158 サンクス。拡張パックはないな。
ゲームやらなくなって久しいけど面白いのかな。
「生き残った帝国ビザンティン」を読んでビザンツに興味を持ちました。
ビザンツに関する他の本も読んでみたいのですが、
ビザンツ初心者(世界史の基本知識は高校世界史を履修した程度です)でも読めるような本はありますか?
>>161 Crusader Kings 1.05 1066年シナリオのビザンツ。
セルジューク朝の大侵攻に直面するビザンツを率いるのは
絶望的な能力値のコンスタンティノス10世ドゥーカス。
大動員をかけて諸侯の忠誠にひびが入ったところで皇帝が崩御、
これまた悲惨な能力値のミカエル7世ドゥーカスが即位、
代替わりで動揺する諸侯にはセルジューク朝との戦争を
そっちのけで帝国からの独立を試みる者も現れ、
発生率2倍の「内乱」イベントが病める帝国に止めをさす!
ちなみに、ゲーム自体は血統にハァハァできる人向け。
わざわざ援軍にきたとか
薄情者とか
春ですね
クルセイダーキングスは正直お勧めできない
ゲーム時間の半分を婚姻に使うから
>>155の春厨ぶりには呆れた
ビザンツにとって自分達以外は全部蛮族なんだから当たり前だろ、そんなもん
Total Warで重騎兵カタフラクトやヴァリャーギ近衛隊、
さらには拡張パック・Kingdomでギリシャの火使って
正教無双やるのもまた良し。
MedievalUTotalWarはなあ…カトリック・イスラムに比べて脇役というか、
説明とか読むといかにも狡い国というイメージがあるな。
戦闘で敵を仲違いさせるだの、(いつも宮廷陰謀やってるから)
スパイや暗殺者の能力が高いだの、いかにも十字軍史観のゲームやね。
ナイツ・オブ・オナーだと正教徒の国は士気低くてすぐ負けるとかあるしw
>>165 だから「いかにもビザンツ人」と付け足したわけだが?
>>168 だから春厨なんだよ。そんな分かりきったことわざわざ書くから
>>160 >>170は中央公論新社のやつね。著者は同じだが、これは読むべし。
最低でも井上先生のこの2冊を読まずして、ビザンツを語っちゃいけないくらい重要。
172 :
160:2008/03/29(土) 11:40:24 0
ビザンツは厨房を惹きつける魅力にあふれてるからな。
177 :
梵阿弥:2008/03/30(日) 18:12:08 0
<<122
赤地に黄(金?)十字で飾り付き、の部分はどういう意味なのでしょうか
>>177 飾り?あの「Β」のこと?
あれなら「バシレウス・バシレオーン(諸王の王)」の略だよ
179 :
梵阿弥:2008/03/30(日) 18:49:47 0
ベータでしたか。有難う御座います
>>178 ビザンツ軍歩兵の再現イラストで盾にXとPを組み合わせた意匠が描かれている
ことがありますが、あれはキリストと関係あるんでしたっけ?
>>180 あれはギリシャ語で「イエス・キリスト」の略。
正しくは I X P の3文字の組み合わせな
I が「イエス」
「生き残った帝国ビザンティン」学校で読んでいたら
先生に「ビザンツ史なんて受験に出ないから読むだけ無駄だ」と言われた。
確かに1453年の滅亡くらいしか出ないけど何か悲しいものを感じた。
ちなみに今年でビザンツ滅亡555周年なんだなと気付く。
>>155 実際には他民族から嫁を迎え入れたり嫁を送ったり
アッバースの皇帝には金を支払って頭を下げたりと
全部を蛮族扱いしていたわけではない。
というか東帝国の人間が全て蛮族扱いしていたわけではない
>>181 ありがとうございます。
>>183 プセルロスの年代記の英訳の序文で
「50年前はビザンツ帝国に興味を示した子供は叱責を受けたものだった・・・」
とか書いてたなあ。
そんな暇があったら古典ギリシャか古代ローマを勉強しろ!ってことらしい。
ちなみにイギリスの話。
>>139 こういうのが出てくるから
ビザンツなんて国号はやく消えてほしいんだよな
元々近代の学者たちが古代とは関係のない国であると
見せかけるために作った国号であるが
関連といえば
テマがあった時代と
プロノイア制度が誕生したコムネノス朝
とかって別の国といっていいほど
政治制度が変わっているな
>>188 テマ制もプロノイア制も古代の制度を改造、変革したもの
という意見もあるんだがな
>>153 十字軍とかって援軍のはずだったんだが
結局キリスト教同士の内ゲバ引き起こしただけだったな
>>183 「先生に質問したりしないから大丈夫ですよ。」と言って安心させてあげるといい。
ちなみにビザンツ帝国は入試に出るみたいだぞ。
googleでも 入試問題 ビザンツ帝国 の検索結果 約 1,200 件
まあ受験や授業と無関係にやる歴史が面白いわけだが。
パレオロゴス朝などただ老醜をさらけだしただけ
ミカエル8世のあとは
ヴェネツィア人かセルビア人あたりがさっさと滅ぼしてくれたらよかったのに
>>189 そうなのか?初耳だ…
プロノイアなんて古代の制度を魔改造しないとできないだろ…
主張してるのは、国内の研究者じゃないよね?
超あてずっぽうだけど古代の大土地所有制と予想してみる
自警団作るやつらも多かったらしいし
>>192 ウロシュ4世とかって長生きしてほしかったね
皇帝が君臨する独裁国家なんてさっさと滅んでしかるべき
byキケロ
古代の皇帝乱立時代のほうが
よほど激しい内紛や権力闘争が起こっている
>>183 ビザンツ帝国史を理解しないでどうヨーロッパ史を体系的に理解できるって言うんだそのバカ教師は
んなこともわからない低能教師が歴史を教える資格なんてないぜ
>>201 ロシア史もオスマン帝国史も理解できないしな。
ダメ教師決定。
>>183氏が早慶なんて絶対受けないレベルの高校の生徒ということも考えられる。
ぶっちゃけ受験に関係ないことは一切やらせないのが「有能な教師」であり、
+αの勉強は時間の浪費、非効率だとされる教育制度というか社会に問題がある。
教師もくたびれてるんだよ
まぁ、受験にでたからビザンツ史が好きってわけでもあるまいし。許してやろうや
早慶クラスって言っても、私立の歴史教科は変にマニアックな問題が出てくるから、
普通に高校世界史を勉強していて国立を目指すような人にとっては必要ないような知識であることも多いよ。
だから、
>>183は受験に限っていうのであれば、まんざらおかしな発言でもないと思う。
ただ、歴史を職業とするものの発言として「無駄」というのは寂しい発言ではあるけどね・・・
207 :
世界@名無史さん:2008/04/01(火) 09:31:40 0
重複スレが立ってしまったので、上げます
208 :
世界@名無史さん:2008/04/01(火) 09:43:38 i
まったく、こっちはもう3スレ目だっていうのに。
これだから春休みは…
>>183 俺と世界史教師との会話
俺 マヌエル1世っていいですよね。
教師 たしかマヌエル1世は何かしてたはずだよ。
210 :
世界@名無史さん:2008/04/01(火) 12:35:43 0
まあビザンツ詳しい人は少ないかもね
その世界史教師もナポレオン戦争を語らせたら朝まで付き合わされるかもしれない
ローマ帝国の幻影も追えない程度の認識の教師にナポレオンを語れるとは思えないけどな
>>211 そもそも、受験出る出ないが基準な時点でクズ教師決定。
>>212 ナポレオンの戴冠の情景を見ればそのヒントは隠されている
カール1世の戴冠と比較すれば、ナポレオンの「帝国」の幻想も見えてくるぞ
ちなみにナポレオンはアレクサンドロス大王とカエサルを非常に尊敬していた
彼を見るだけでもヨーロッパ人の考える「皇帝」の正体がわかるはずだ
ヨーロッパ人にとって、皇帝とはすなわち「ローマ皇帝」のことだからね。
>>211 ビザンツに幻想抱きすぎじゃね?日本じゃマイナーなんだぜ
>>216 それはそうだけど、「受験に必要ないから」は教育者として失格だよな。
予備校の教師ならそれで良いが
>>216 幻想を抱いてるのはビザンツ帝国にじゃなくて古代ローマ帝国に対して
ローマ帝国に幻想を抱いたのはビザンツ帝国もナポレオンも同様
現実的利用価値があるからこそ両者ともこの幻想を追ったんだろうけどね
受験に必要ないからと必修科目の世界史をスルーしていた学校が大量に存在するご時世ですよ
教師も医者も自衛官も介護士も弁護士も、もうただのサラリーマンでしかない。
変な幻想を持たないほうがいいよ
>>220 むしろただのサラリーマンで無い方が気持ち悪い。
変な一方的情熱や思想を押し付けられるのは迷惑この上ない。
>>221 でも「受験に出ないものはいらない」も思想の押し付けだよね
受験に出ない範囲を自分で勉強するのは生徒の自由だよ
学校教師は文科省や県や市の教育委員会や個々の学校の方針に沿って教えるのが仕事、
学校によっては余計なことをさせず受験に集中するよう生徒に指導しろと、教師を指導するだろうな。
世界史に限らないが、もう少し別のところに力を入れてもらいたいのに
難しすぎる本を読んで、見ていて心配になる生徒はいる。
>>183がそうだというわけではないが
頭に血が昇りすぎのレスがちらほらと・・・
逆に「試験にも出ないのに偉い」と冗談めかして励まされたのが伝わらなかった可能性だってあるぞ
ビザンツ帝国は優秀な官僚機構を持っていたけど、受験とかってあったのかな?
今、受験勉強が話題だからさ
イタリアはほっときゃよかったのに
お前らのせいでメチャクチャだぞ
塩婆絡みの底の浅いビザンツ批判かと思われ
なんか一人、被害妄想全開でビザンツへの批判や批評を受け入れない奴がいるな。
>>231 そんなの居たか?
バカ教師の話は批判とか批評以前の問題だし。
まあ、批評・批判はいいんだが、この板だと得てしてロクに知りもしないで
言ってくる奴ばっかりだからな。理解してて批評・批判するなら別にいいん
だが。事実を知りもしないで言われても、ねぇ
カルタゴのヴァンダル王国の征服が簡単になされたのが驕りに繋がったような気ガス
ところでイタリア、カルタゴのその後は有名だけど、
ユスティニアヌス帝の再征服で得たイベリア半島の領土って
最後、どうなったんだ?
俺は高校時代にビザンツに嵌ったおかげで世界史の成績が大幅にアップしたぞ。
特に中東や東欧関係が完璧になると受験に強い。
センターでも世界史Bは90点取ったしな。
まあ何が言いたいかというと、世界史のどの時代・場所を好きになっても
ムダになることは絶対ないってこと。
>>234 ユスティニアヌスの次代ユスティヌス2世の時代に西ゴートに再び侵攻された。
当時は東方やイタリアで手一杯なのでまともに反撃できず、
ユスティヌスの後継者ティベリウス2世の時代には完全に奪い取られた・・・確か。
センター世界史で90って威張るようなことか?
俺も思ったw
70点台だったぞ
よりは信用できる
239 :
世界@名無史さん:2008/04/03(木) 16:24:10 0
へ?
この板ってセンターレベルならせいぜい「あ?一問ミスったかな?」
ぐらいのヲタの集まりじゃないの?
>>239 他はだめでも専門史にはやたら詳しい人もいるのでそうとは言えない。
241 :
世界@名無史さん:2008/04/03(木) 19:11:17 O
>>234 ヘラクレイオス時代にサーサーン朝と闘ってるどさくさに紛れて、西ゴートに奪
回された、だった希ガス
セルビアやオスマンに領土を侵食されながらも
骨肉の皇位争いにうつつを抜かすパライオロゴス朝哀れ。
十字軍スレでこんな事書かれてたな。
594 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2006/10/23(月) 09:58:55 0
パレオロゴス朝軍の半分はトルコ兵
残りの半分はセルビア兵でできています
244 :
世界@名無史さん:2008/04/03(木) 21:02:22 0
「パレオログス」か「パライオロゴス」かのどちらかを使え!
日本語表記にガタガタいうんじゃねえよw
>>234 【その後のヒスパニア・ロマーナ(ビザンツ領ヒスパニア)】
西ゴート王国は568年にLeovigild(Liuvigild)王(568-586)が即位し混乱期を脱し体
制を建て直した
当時のヒスパニアは中央部の西ゴート王国、北東にスエビ王国、南西にビザンツ領、ピレネー山脈
西端部にバスク人の独立勢力があった
570〜571年,西ゴート、ビザンツ領からメディナ、シドニア奪回、マラガを包囲
572年,西ゴート、ビザンツ領からコルドバ奪回
573年,西ゴート、スエビ王国を攻撃、王国南部サバリア地方制圧
574年,西ゴート、バスク勢力を攻撃、勢力南部アスビディウス地方を制圧
577年,西ゴート、ビザンツ領からオロスペダ地方制圧(ビザンツ領の大半制圧)
Leovigild王、ケルティベリア地方に自分の息子の名Reccaredを冠したReccopolis建築
583年、西ゴート、スエビ王国滅ぼす
586年Leovigild王没
612〜21年、Sisebut王治世時、ビザンツ領攻撃し、アルガルヴェ地方へ追い込む
624年、Suinthila王アルガルヴェ地方を制圧(ビザンツ、ヒスパニアから最終的に駆逐される)
>>246 ありがとう。とにかく西ゴートは文献が少なくてね。
その後も、ビザンツはかなり遅い時期までマジョルカ諸島を支配してたように
書かれてる時があるけど、ホントなのかな、あれ。
シチリアとか北アフリカも結構持ちこたえてるから、有り得なくもないけど。
>>247 確かにそうですね
先程の
>>246も英語文献からです
1.『The Goths』Peter Heather
2.『THE VISIGOTHS FROM THE MIGRATION PERIOD TO THE SEVENTH CENTURY AN ETHN
OGRAPHIC PERSPECIVE』Peter Heather他
の2冊から引用しました
前者はゴート人の通史、後者はHeather他研究者の論文やディスカッション中心で図表や
地図も多く、最新の研究に基づいています
他にゴートとローマ/ビザンツ関係が描かれているもので自分が現時点で所有しているの
では
3.『History of the Goths』Herwig Wolfram
4.『ROME'S GOTHIC WARS』Michael Kulikowski
5.『THE OSTROGOTHS FROM THE MIGRATION PERIOD TO SIXTH CENTURY』Sam J.Bar
nish and Federico Marazzi
6.『A HISTORY OF THE OSTROGOTHS』Thomas S.Burns
3.は書かれた年代が80年代でまだ西欧人の東欧圏での現地発掘研究等が許されな
い時代のもので古く、2.の本で史料批判されてます
4.は軍事史中心
5.は東ゴート史でボリュームがありますが、図表地図が少なく、テオドリック大王以降
の歴史中心
6.は東ゴート史でインディアナ大学で出版されてますが、内容が陳腐でお勧めできませ
ん
>>244 パレオログスなんて表記初めて見た。
>>248 やっぱりね。西ゴートは日本語だと全然文献ないんだよね。
もしかして研究している人いない…訳は無いよな幾ら何でも。
英語読める人はいいなー
>>249 いるかも知れないが
ほとんどアマチュアか自分みたいに趣味の人じゃないかな
あまりにマイナー過ぎて
自分の持ってるビザンツ関係の英語文献は3冊で全てOSPREY
今、ビザンツで興味のあるのはペラゴニアの戦い前後のニカイア、エペイロス、アケーア、ラテン、シチリア各
王国、公国の関係
特にシチリア国王マンフレディとエペイロス専制公国、ニカイアのミカエル8世の軋轢が面白そうだ
あとビザンツでは13〜14世紀でのモレアを中心とする異常な程の文化的進歩に興味が
ありますね
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
今日も未来はないのに帝位争いしてやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
>>248 ビザンツその他の英語文献も紹介してください。
>>251 オスプレイならHungary and the Fall of Eastern Europeは読んだ?
>>255 横からすいません、再三出てくるオスプレイってなんですか?
オスプレイは絵みてるだけでたのしい
アンゲロス兄弟の無能は疑いないけど
クジ引きとニカイア初代のラスカリス兄弟は有能だったの?
兄はともかく弟のテオドロスは有能だろ
彼が居なかったらビザンツはあの時点で終わってたかもしれん
| ┃彡 , -.―――--.、
| ┃彡 ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;ヽ
| ┃ .i;}' "ミ;;;;:}
| ┃ |} ,,..、_、 , _,,,.. |;;;:|
| ┃彡 |} ,_tュ,〈 ヒ''tュ_ i;;;;|
| ┃ | ー' | ` - ト'{
| ┃ .「| イ_i _ >、 }〉} _________
| ┃彡 `{| _;;iill|||;|||llii;;,>.!-' /
>>252 バンッ!! | ┃ | ='" | <話はすべて聞かせてもらった。
| ┃ i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { \グルジアの火で火炙りの刑だ。
| ┃ 丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ \
| ┃ 彡'" ̄ヽ \、_;;,..-" _,i`ー-  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ |
☆
俺ら極悪非道のパレオロゴスブラザーズ!
もう帝都は陥落したのに専制公位争いしてやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
263 :
248:2008/04/06(日) 21:55:32 O
>>253 ビザンツに関しては前述の通り私はOSPREYしか持っていません
ビザンツに関してはむしろ『ビザンツ帝国史』(東海大学出版会)や『ビザンツ
幻影の世界帝国』など優れた著作が日本で出版されているし、世界的にも著名な
井上先生もいらっしゃるのでわざわざ高価な洋書を取り寄せる必要はないかも知
れませんよ
ちなみに持っているOSPREYは
1.『Byzantium at War AD600-1453』
2.『Romano-Byzantne Armies 4th-9th Centuries』
3.『Byzantine Armies 886-1118』
の3冊、ビザンツ関係では他に『Byzantine Armies 1118-1461』があるそうです
が未入手です
ビザンツとの関連でササン朝の
4.『Sassanian Elite Cavalry AD224-642』
を持ってます
とりわけてどれかいいものがあるというわけでないですが
1.は軍の行軍、戦闘における展開図があることと4.は軍の戦術展開図があること
はある意味新鮮でしたが
264 :
248:2008/04/06(日) 22:03:44 O
>>265 そうですね
和訳される前に購入していたものです(まさかビザンツものが和訳されると思い
ませんでした)
>>266 他の三つも和訳してくれないかなぁと思うんですが、難しいでしょうね…
>>267 かなりキツいでしょう
ただまだ良質な日本語本の出ているビザンツはいい方でしょう
前述のゴートなんか日本では良質な本は出ていない
というか有名なゴート人歴史家ヨルダネスの著作すら和訳されない(どういう訳
かゴート語辞典が出ているのは笑いだけど)
ゴート以外にもビザンツと関係の深いササン朝、セルビア、ブルガリア、アヴァ
ール、セルジューク、ルーム・テュルクの単独の歴史和訳本は望み薄でしょうね
「東ゴート興亡史」なんかは?
"The Goths in the Crimea"読みたいけど自分の住んでる所では国立大にすら置いてない・・・
# ゲオルク・オストロゴルスキー『ビザンツ帝国史』(和田廣訳、恒文社)
# 尚樹啓太郎『ビザンツ帝国史』(東海大学出版会)
読むとしたらこの二つのうちどれがいいの?
研究が進み、オストロゴルスキーの本の誤った部分も明らかになってきたという
文をどこかで読んだような気がしたけれど、どのような点?
>>271 オストロゴルスキーの帝国史は、良くも悪くもマルクス主義の立場にたって書かれている。
だから、階級闘争とか封建論争的なニュアンスが強く感じられたりする。しかし、読みごたえがあり、歴史書としてすばらしいできだと思う。
尚樹さんの帝国史は、読み物としてより、辞典としての価値があると言っていいぐらい網羅的。
ただし、最新の研究成果を反映したわけでもないところもある。
初期と後期はどうかしらないけど、中期はそうだった。
あと、何故か人気ナイ。
ベストはどっちも読んで、さらに井上先生のビザンツ帝国も読むことだ。
>>273 尚樹先生の場合、やっぱ中世ギリシャ語表記がネックになってる気がする。
コーンスターチのプール
【外信コラム】赤の広場で (ラス)プーチンの正体
国営ロシア・テレビが放映したドキュメンタリー番組「帝国の滅亡−ビザンツの教訓」。ロシアが
正教を受容したビザンツ帝国(395〜1453年)のゆかりの地をたどり、創作映像を交えて、
その滅亡の原因を探るという内容だ。この番組の監修と進行役は、プーチン大統領の懺悔
聴聞僧とうわさされる「プーチンのラスプーチン」こと、チホン・シェフクノフ僧侶である。
全編を貫くのは、「ビザンツとその後継国家(ロシア)への遺伝子レベルの憎悪を今日まで抱く
西側(西欧)」との対立構図だ。僧侶いわく「最初の失敗は西欧を信用し、交易などの権限を
譲り渡したこと」「西欧流の改革を進めるほど国家は非効率になった」。
現代ロシアの政治用語も巧みに使われている。「『オリガルヒ(新興寡占資本家)』が外国への
譲歩と政治危機を招いた」というくだりが、それだ。これはエリツィン前政権への批判か。
“賢帝”バシレイオス2世(963〜1025年)が、「『安定化基金』を創設しオリガルヒと戦った」と
いうあたりは、この基金を立ち上げたプーチン大統領への礼賛だろう。
だが、ロシアが最も発展したのは「西」に窓を開いた時代で、ビザンツは「東」のオスマン・
トルコに敗れたのではなかったか。(遠藤良介)
2008.4.11 03:37
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/080411/erp0804110339002-n1.htm
>>276 情報乙です!
プーチンってバシレイオス2世とタイプが似てるよね
278 :
世界@名無史さん:2008/04/12(土) 05:46:19 O
自民ポチの産経ごときがビザンツを語るとは…
まあ塩婆とか好きそうだしな
279 :
世界@名無史さん:2008/04/12(土) 13:19:30 0
>>276 最後の文はどうかと思うな
ロシアの政治体制を批判しているつもりだろうが
280 :
世界@名無史さん:2008/04/12(土) 17:42:50 0
コンスタンティノポリスの皇帝の居住する宮殿はどうしてあんなに移動しているんだ?
離宮が皇帝のお気に入りとなって、本宮殿になっていったのかな?
特に、末期の宮殿の場所なんて城壁近くの僻地もいい所じゃないか。
>>276 バシレイオス2世が「賢帝」って何だよ。
しょせんは産経だな
>>280 市民の反乱が嫌で、コムネノス朝の時代に逃げた
どんな新聞でも朝日よりは百倍マシだろうて…。
>>282 ビザンツの扱いに関してはどっちもどっち
ビザンツ美術を文化欄に載せた日経が一番マシか
つーか、産経もそうだが、自称ビザンツの後継者の、ロシアのビザンツ認識も酷いもんだ。
まったくだ。古代ギリシャ文化を全然受け継いでないくせに。
ビザンツは「ローマ法、正教会、古代ギリシャ文化」で1セットなのに。
286 :
280:2008/04/12(土) 20:54:01 0
>>281 返答ありがとう。
じゃあマケドニア朝の頃までは大宮殿に居住してのか。
資料を見るに、類まれに壮麗な宮殿だったそうだが、勿体ない。
>>285 あとロシアには、元老院もなければ「市民」も存在しない。未だに。
>>287 いや、いちおう「元老院」はピョートルの時に作った。
それに推されるという形態をとって「インペラートル」を称した。
まあ、実体は何もないけどね。
>>286 コムネノス朝時代も使ってなかったわけじゃないみたいだけどね。
ブルケラナエの方が市内の喧騒から離れられるので、普段はそっちに居たらしい。
>>288 ピョートル以降の皇帝も、その「元老院」に推挙されたの?
>>290 そこまでは俺も知らない。
ただ、クレムリンには元老院の建物がある。いまはロシアの大統領府が入ってるが。
>>291 クレムリンはそういう魑魅魍魎がたまりすぎてるな。本気で近代化するなら、マジに遷都すべきだと思う。
>>289 そういえば、ミカエル3世も離宮で酔っ払ってるときに殺されてますね。
元老院議事堂は大宮殿や聖ソフィアと一緒に建っていたけど、
皇居の移転に伴って政治の中枢も移動したのかな?
そういや、今日はフランク人による帝都攻略804周年の日。
>>293 元老院は、コンスタンティヌスのフォルムにも議事堂があった。
>少なくとも総主教はハギア・ソフィアに戻ったに違いない。
苦労して府主教を誘致したりしてたかつてのモスクワ公たちが聞いたら何と思うだろうな
>>298 ロシアの総主教座は別に動かないよ
戻るとすれば、ハギア・ソフィアを追い出されたコンスタンティノポリス総主教座だよ
>>299 ああそうか、そっちの総主教ですね。失礼しましたw
>>297 当時のギリシャの宰相ヴェニゼロスのビザンツ再興の野望から出た話だろ
たとえ実現したとしてもそれは過去のビザンツでなく、単なるギリシャの傀儡国
家に過ぎないと思うね
>>297 ビザンツ再興はギリシャから追い出された国王オソンが言い出したこと
ついでにヴェニゼロスは再興なんて考えてなかったよ
ただ単に列強のアナトリア分割に加わっただけだよ
>>297 ロイドジョージの傀儡国家だろ
普通に考えて
案外亡命ロシア人の受け入れ先になっていたかもしれない
中世でも刀剣をグラディウスと呼んでいたのだろうか
時代によって違いが出るだろうが
テマとタグマの時代は弓矢と槍が主力で
刀剣類はあまり使用されてなかったのでは
肉厚、両刃形式のグラディウスは古代ですたれますた
ワリャーグ親衛隊はおそらく
ハルバードを使っていた
309 :
世界@名無史さん:2008/04/15(火) 19:48:01 0
ところで帝政ローマは滅ぼされるべきだと思う
byカトー
マラズギルトの戦いですっきりと滅亡していたら
十字軍と対立して後の歴史家に悪くかかれることもなかったんじゃないかと
最近思えてきた。
ヨハネス2世以降の皇帝や王朝があまりにもグダグダなもんで
(ニカイア皇帝は案外優秀だが)
コンスタンティノープル陥落まで、ローマ帝国時代の服装だったの?
他スレで聞いても、はかばかしい返答がなかったんで。
なわけがない。
>>310 ニカイアは案外じゃないだろ。
あれが優秀だったから再興できたんだから。
あと、マヌエル1世やアンドロニコス1世は別にグダグダではない。
グダグダなのはアンゲロスブラザーズからだ。
>>312 そんな訳は無い。
詳しくは創元社「黄金のビザンティン帝国」を見るといいよ。
あれは図像が豊富だから。どんなのを着てたか、すぐにわかる。
マヌエル1世はぐだぐだだろ
無能な働き者の典型例
>>317 それは「幻影の世界帝国」を読んだ上での発言か?
>>310 歴史家に悪く書かれたのは十字軍と対立したからだろ
>.>319
ホントかよぉw
まあ、無能な働き者っていうのは、能力無いのに2回もブルガリア遠征に
行っちゃったイサキオス2世みたいなのを指すのかと。
ま、中途半端に有能で迷惑なタイプではあるが。
宗教に寛容で多民族国家であり
おまけに公用語がラテン語である
シチリア王国あたりと統合でもしたほうが
よかったのじゃないかと思う。
____
/__.))ノヽ
.|ミ.l _ ._ i.)
(^'ミ/.´・ .〈・ リ
.しi r、_) | アンゲロスプラザースはわしが育てた
| `ニニ' /
ノ `ー―i´
マヌエル1世は行動力はあるんだよね
行動に結果が伴えばよかったんだがね
パレオロゴス朝がグダグダだと
セルビアやオスマンも加わった壮大な帝位争いだぞ
>>326 パレオロゴス朝は、もう完全なグダグダだね。
最後の3人は頑張った方だけど、いかんせん遅すぎた。
それでもトルコ人やフランク人がいなければなぁ。
英独仏だとグダグダの内戦でさんざん疲弊する事もあったのに、
そこに強力な異民族が雪崩込んできたりしなかったから、
しばらく経てばきちんと建て直しているという。
外的要因についてグダグダ行ってもしょうがないだろ・・・
このスレもグダグダになってきたw
____
/__.))ノヽ
.|ミ.l _ ._ i.)
(^'ミ/.´・ .〈・ リ
.しi r、_) | パレオロゴス朝はわしが育てた
| `ニニ' /
ノ `ー―i´
コンスタンティノープルの市民って、普段どんな物食って飲んでいたんだろ?
貴族にせよ庶民にせよ、その辺の生活感みたいな物が今一わからん。
誰かの本に、夏にはピクルスを漬けていた酢を水で割って飲んだ、と書かれていたのを目にして
なぜか無性に飲みたくなって試したんだけど
まあ、アリかな。
>>335 主食はパン(無酵母)と海産物。
ご馳走に家畜の肉(牛とか)
飲み物はワインだと思われるけどリュートプラントの記録からだと
石灰臭いギリシャワイン(自分は飲んだ事は無いが)か普通の葡萄酒だろう。
>>338 ローマ時代の麦粥はさすがに食ってないのかw
そういえばローマ時代に使っていたって言う魚醤はつかわれてたのかな?
あと、ワインもやっぱり水や海水で割って飲んでいたのだろうか?
質問ばっかりでスマン。
中世にちゃんと自前のフォーク、ナイフを使ってたのはローマ帝国だけだったはず。
ヴェネツィア総督がそれを見て、「変わった習慣だ」とか言ってたな。
>>339 ガルムは食ってたらしいよ、
リュートプラントは食い物についての記述が多いよね
ところで、ワインって海水で割って飲むの?
リュートプラントにもそんなことが書いてあったような、なかったような…
>>341 > ところで、ワインって海水で割って飲むの?
古代のギリシアやローマでは割と普通に海水でワイン割って飲んでたらしいよ。
ヒュー・ジョンソンのワイン物語って本に出てた。
このスレで人気がある時代ってやっぱ中期と後期なの? ユスティニアヌス大帝とかはあまり話題にならないよね
>>343 初期はキリスト教化ローマ帝国の素直な延長であんまり独自性がないから漏れは面白みは感じない
当時の住人にとってはその後の激動の時代より楽だったんだろうけど
古代の国家の最後の輝きである一方で、ローマ法大全など中世の基礎が生まれた時代
そう考えると面白いかもよ。
表向き忠実な秘書官が裏で「秘史」を書いてるとか、「ビザンツ人らしい」話題もあったり。
>>345 秘史のような皇帝を非難する文学作品が良く残ったね。処罰とかされなかったのだろうか
「文学作品」と言うのは
何かをほのめかそうとしてるのか?
文学じゃなくて記録だもんなぁ、一応。
351 :
世界@名無史さん:2008/04/24(木) 17:51:22 0
秘史の日本語訳が読みたいのですが
岩波辺りで発売していないのですか?
353 :
世界@名無史さん:2008/04/25(金) 00:38:11 O
日本ではビザンツ史は学問としての歴史よりゲームに支えられてるのが
現状…
そして、そのゲームは最盛期のマケドニア朝前半を使えないゲームばっかり
ローマトータルウォーは西ローマ滅亡前夜、
クルセイダーキングスとミディーバル2トータルウォーはコムネノス朝、
蒼き狼はアンゲロスブラザーズからマヌイル8世、
ヨーロッパユニバーサリス2はパライオロゴス朝末期が開始の舞台っスね。
ユスティニアヌスからヘラクレイオス、バシレイオスとか全部抜けてるな…
356 :
世界@名無史さん:2008/04/25(金) 01:59:13 0
最盛期のビザンツ帝国を使えるような時代設定にしたら、
ビザンツとササン朝orイスラム帝国がどつき合うゲームにしかならん気がする。
ブルガリアもあるよ
というかビザンツの最盛期にはササン朝もないし、イスラム帝国は分裂してたろ
358 :
世界@名無史さん:2008/04/26(土) 14:25:36 0
ビザンツ人の著作でデモクラシーという言葉は衆愚政治とか無政府状態のような
ネガティブな意味合いで使われることが多いんでしょうか?
というかビザンツの時代にデモクラシーって言葉がビザンツで使われてたの?
>>359 "The Early Medieval Balkans"って本にあったプロコピオスの著作の引用(言うまでもなく英訳)
「彼ら(スラヴ人)は一人の人間に支配されることなく、古の時代より"democracy"の中で生きている」
で、スラヴ諸国の歴史学者にはこの既述をやたらと肯定的に解釈して
自分たちの先祖を持ち上げる連中がいるとのこと。
"democracy"が原語で何という言葉なのかは知らない。
井上先生の生き残った帝国でもデーモス長ってあったな。
>>359 あの、デモクラシーの語源は、デーモス(民衆の)クラティア(権力)というギリシャ語
なんですけど。
>>360 そこがデモクラシーの語源であるギリシャ語のデーモスクラティって書いてあったかど
うかだけど…別に王がいないというだけで今で言う民主制だったかどうかは別問題だよ
な。
>>361 それこそが、古代の都市の市民団体が力を失ってただ「市民によって推戴された皇帝」
を演出するだけの役になった官職。9世紀の宮廷の序列では58番目が「青」、59番目が
「緑」の長官になってる。
「デーモスクラティア」なんてギリシア語はないよ
>>363 多分、デモクラティア(δημοκρατ?α))間違えたんだろう。
瑣末なこと得意げに書きやがって
得意げに間違うよりはいいかもね
> あの、デモクラシーの語源は、デーモス(民衆の)クラティア(権力)というギリシャ語
> なんですけど。
こんなひけらかしのためだけのレスで
肝心の単語を間違うのは瑣末どころか致命的だろ
>>366 そこは井上先生の『生き残った帝国ビザンティン』の、
民主主義(デモクラシー)と言う言葉が、ギリシア語のデーモス(民衆・市民)と
クラティア(権力)の合成語であることはよく知られているが
のほとんど引用じゃないか?
そういうのは「引用」とは言わん、「誤読」と言う
「ほとんど引用」じゃまるで井上先生がほとんど間違ってるみたいじゃないか
>>368 確かに「合成語」っていう部分抜いちゃってるからね
ビザンツはローマに比べると何か妙に地味だよな。
アンゲロスブラザーズはネロやカリグラほど突き抜けてないし、
ヤルムークやマンツィケルトの戦い、十字軍による帝都占領とか派手な敗戦は有名でも
ザマやアレシアの戦いみたいな派手な快勝の戦闘記録は少ない感じ
(ササン朝やウマイヤ朝に対する帝都防衛戦くらいか?)。
マケドニア朝のブルガリア・ロシア・イスラムに対する勝ち戦も
パライオロゴス朝のモレアの回復戦も詳細が伝えられてないし。
ザマやアレシアといった戦いも、
ネロやカリグラのような皇帝も全てビザンツの歴史の一部なんですが。
ローマ帝国の歴史の一時期としてのビザンツという意味なら、
単に貴方がビザンツ時代を知らないだけでしょう。
>>371 ビザンツって言葉には、「コンスタンティノープルを首都としたキリスト教ドグマによる皇帝専制国家」
って意味合いが付加されてるだろ。
おまえら的にはビザンツの開始時期はいつからだ?
俺はヘラクレイオス以後だな
>>373 というか、そもそもいつから、って決められるもんでもないと。
>>373 オレ的にはコンスタンティノープルに遷都(330年)から。
井上氏の復活版の本買ったぜ。
あの本には「ポルフュロゲネトスの宮殿」を、「コンスタンティノス7世の宮殿」と書いてあるが、
あれはコンスタンティノス7世時代に作られたわけじゃないんだろ?
あのあだ名がついた皇帝は何人もいたから、どのコンスタンティノスか
わからないんじゃなかろうか。
ヘラクレイオスはカッコいいから英雄でいいと思うんだ
たのむよ井上先生、英雄だと言ってくれ
>>377 何をいまさら
実は先生も「…と呼ばれているが、ずっと後期の」みたいなことを他で書いてる。
>>378 先生の英雄の基準は厳しいからね。
ヘラクレイオスは結果としては+-ゼロ、あるいはそれ以下になっちゃったからな。
俺も好きな皇帝ではあるが。
380 :
世界@名無史さん:2008/05/01(木) 01:00:10 0
つーかこの時代の食生活と生活レベルってどのていどだったの?
物の価値が違いすぎて単純に比較できないよ。
ビザンチン皇帝は立派な宮殿に住んで宝石なんかも沢山持ってたけど、
食事の食材の豊富さは現代の我々のスーパーより下だし、新鮮さでも負ける。
エアコンどころかまともな冷暖房器具はないしサッシもないから気温を保てない。
服は金糸などをふんだんに使った豪奢な服だけど、現代の一般の服のほうが着心地は上。
当時は人をふんだんに使う事はできるけど、現代の機械でやる方が良い場合も多い。
一見昔の生活をしてるように見える現代の未開部族だって、
実は現代の製品は色々流れ込んでるし、大災害、疫病などが起きれば国際的な支援も受けられる。
単純に言って、人口が増える事がなかった時代というだけで、
それなりに抑制があったと考えるべきだと思うけど。
>>370 偉大だった帝国の滅び行く姿に涙するのが
正しいビザンツオタなんじゃね?
ローマが陥落しても1000年がんばって、それでも
コンスタンチノープルで壮絶な滅亡を遂げる国家!
たまらんな
ビザンツの後継者を自認するロシア周辺が
今でも微妙に後進地域なのも泣ける
>>371 そりゃいくらなんでもビザンツの肩を持ちすぎだろw
383 :
世界@名無史さん:2008/05/01(木) 02:10:20 0
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
今日も未来はないのに帝位争いしてやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
384 :
世界@名無史さん:2008/05/02(金) 11:27:38 O
アンゲロスブラザーズとか屑だから。
フフン
「結婚について」の著者であるマヌエル二世て四十まで独身だったのね。
386 :
世界@名無史さん:2008/05/03(土) 00:55:38 O
マヌイル1世コムネノス=小泉
コムネノス朝のラストエンペラー=安倍
イサキ=福田
パレオロゴス朝って単純に末期末期ていうけど、192年もあったんだよね。
よくあれで200年近くも持ったよな。
「帝国」自体は大分前に崩壊してしまったけどね。
>>388 ↓こいつらが出てきた時点で「帝国」としては終わってたな
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
今日も未来はないのに帝位争いしてやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
ミカエル八世の時点では小さいながらもちゃんとした帝国の体裁を…
帝国の主産業って絹織物以外になんかあったの?
>>391 農業w
ほかに貿易もあったし、貴金属の加工技術もあった
>>390 あれは無理に昔と同じ体裁とろうとして、かえって失敗した気が…
ミカエル8世が帝都奪回してわずか半世紀後ぐらいに
ニケーア帝国のお膝元でオスマン朝が台頭するっていう
無理に帝都奪還しなかった方が長生きできたんじゃ…でも帝都のおかげで長生きしたしなあ
ミカエル8世はむしろ前王朝をサン奪したのが良くなかった気がする。
つーか帝都奪回でかえって旧首都のニカイアに対する関心が無くなったのが一番だが
ミカエルは悪党っぽかったけど
シャルル=ダンジューという大悪党のおかげで
相対的にそれほど悪い人には見えないよな。
>>398 シャルル・ダンジュー→野心家の悪党
ミカエル8世→冷徹で老獪な君主
401 :
世界@名無史さん:2008/05/11(日) 09:35:05 0
アンナ・コムネナ→ファザコン
402 :
世界@名無史さん:2008/05/11(日) 19:06:52 O
今、アマゾンの洋書のアンナ・コムネナで抜いてきた。ハァハァ
>>399 詳しくは分からないけど、エルトゥールルの時代だとミカエル8世の
治世なはず。
ミカエル8世の治世下ではアナトリアの国境線が後退したからソユトも
セルジューク領になったのでは?
もしくは、国境地帯の帰属不明瞭な所領の防衛の為にエルトゥールルに
与えられたのかも。
ミカエル8世は西方にかかりっきりで、アナトリア防衛に積極的でなかったから…
>>402 俺はテオドラタンのモザイク画で抜いたことがある。
お、アマゾンでオストロゴルスキーの中古\39,800じゃん。
>>409 実物で抜いたということはやっぱり
>>404は勇者だったわけだ。
彼が末期ビザンツ帝国に生まれていれば帝国はあと100年はもっただろうな。
近所の大学の図書館にプロコピオスの
「秘史」「建築」「戦史」が英訳で全部揃ってることに今更気づいた。
でもユスティニアヌス帝の時代に興味ない(´・ω・`)
↑
だれか邦訳頼むわ
誰か「byzantium 1200」の本の邦訳版出してくれんかなあ。
英語で読めんことはないが、面倒だ。
414 :
世界@名無史さん:2008/05/16(金) 22:03:56 0
カール大帝(フランク)が女帝イレーネ(ギリシア)に求婚したあたりの話なんか面白いフィクションが作れそうに思う。
それよりアンア・コムネナの「なにこのいい男、でも父上にはかなわないわ」だろ
>>415 それよりも、テオファノとヨハネス・ツィミスケスとで
「ちっ、あの叔父め。俺に軍の指揮権よこさねぇ」
「どう?あんなジジイ殺してあなたが皇帝になるのは」
だな。
やはり生真面目男ユスティニアヌスと元遊女テオドラの
「首都から逃げよう」
「あなた、私は皇帝にふさわしい棺を見つけましたわ」
ではないだろうか
いや、やっぱりこのスレ的には
「すまん、イサキオス。やっぱり今日からお前が皇帝だ」
だな。
それは↓これだけで終わっちゃうだろw
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
今日も未来はないのに帝位争いしてやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
>>419 wwww
でも、このスレのマスコットなんだぜ、無能兄弟w
この国は強烈キャラの宝庫だなw
422 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 20:42:43 0
マルチすまんが、
ユスティニアヌス法典がラテン語とギリシア語で書かれた理由
これで正しい??
@東方世界の公用語がラテン語だったから。
Aギリシア語がそれに準ずる、それよりも下位の言語だったから。
>>422 東方世界の公用語がラテン語からギリシア語に変わりつつある時期だったから。
それ以前に編纂された法典は大体ラテン語で書かれてる。
424 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 21:46:19 0
>>423 ということは、東方世界ではラテン語が通用したの?
俺はてっきりギリシア語だと思ってたんだが?
>>424 一般民衆レベルでは通用してない。
でも「ローマ帝国」は本来ラテン語という観念だけはあって、公用文書はラテン
語が正だった。
この「本来はラテン語」という観念は相当後まで残ってて、9世紀とかになっても
皇帝の結婚の儀式とかではラテン語で歓呼したりしてるし、コンスタンティノス
7世は『帝国統治論』というタイトルをラテン語でつけてる。
あとユスティニアヌス自身はラテン化したイリュリア人で、母語はラテン語。
426 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 21:59:41 0
>>425 ローマ市周辺がラテン語圏だってのは分るんだ。
でも、アンティオキアとかエルサレムとかでラテン語が通用したとは思えない。
東方でも、行政文書とか公布用の碑文とかがラテン語で書かれていたんだろうけど、それは箔付けのためでしょ?
だから、ローマ帝国の行政文書がラテン語だったからといって、ローマ帝国領全土がラテン語圏だったとは言えないよね?
>>426 いや、だから一般民衆レベルは使ってないと言ってる訳で
428 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 22:08:41 0
>>427 東方をラテン語文化圏に組み入れるのはどう?
>>428 それは無理があるでしょ、というか文化的に違ってたのが
東西分割統治が「分裂」になっちゃった原因の一つなんだし。
430 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 22:19:29 0
>>429 なんでこれを質問したかというと、心宗教板で
西方教会が、ラテン文化という、東方教会とは別の文化的特色を持っているかどうかが話題になってね。
つまり、東方との対立関係の背景に、潜在的な文化的相違があったんじゃないかと。
まあ、常識といえば常識だけどさ。
431 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 22:22:21 0
常識って。。。。頭悪いなぁ
432 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 22:22:57 0
で、ローマ帝国はラテン語公用語だったから、
全体がラテン語世界で、
西をラテン語圏、東をギリシア語圏と分けるのは間違い、という人がいた。
その根拠が
>東西どっちも 政治的公用語=ラテン語 文化的共通語=ギリシア語マスターしてるからね
433 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 22:24:51 0
>>431 ごめんごめん
「東西は文化的に同質」に訂正した方が良いかな?
434 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 22:27:10 0
>>432 教会に関してはそうだよ
分裂は実質政治的動機だろ
ラテン語なんてローマ最盛期でも、イタリア半島以外じゃ使っていたのは移住したローマ人か
ローマとつながりのある地域の上流階級くらいだ。
地中海地帯の国際語はローマの時代を通じてギリシア語。
436 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 22:37:21 0
地域の上流階級だけじゃなくて中流の実務層も使ってるよ。
そしてそれだけで十分公用語として分布していたといえる。
スレ違いだからここら辺で。
>>436 別にいいじゃないか。これといって話題もないんだしさ。
438 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 22:40:17 0
>>435 俺はそう学んだ。
コンスタンチノープルの言語的な推移ってどうなんだろ?
コンスタンティヌスの遷都の時、公式文書はギリシア語?
>>438 ヘラクレイオスまでは帝国の公用語はラテン語。これはいちおう基本知識。
ただし、勅令や碑文などはギリシャ語版も出してる。
440 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 22:55:17 0
>>439 東におけるその公用語変化って、東の教会に何か影響与えた?
>>440 って言われても元々教会はギリシャ語だし。
新約聖書は原典がギリシャ語なんだから。
東方ではラテン語は、法律・行政用語や軍隊の命令用語。
442 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 23:02:17 0
>>441 なるへそなるへそ
教会用語がラテン語なのはやぱ西方教会だわね?
となると、西方教会がラテン世界との癒着を意識し始めてラテン語を使ったと見ても構わなそうだね。
教会とラテン語が結びつくのは、なにか恣意的な感じがする
>>442 結びつくというか、西方ではギリシャ語の教育が段々行われなくなっていった。
アウグスティヌスは学校で教えられたギリシャ語が嫌で、結局ホメロスなんかも
ラテン語訳版を読んでいた。
逆に東側のラテン語教育も段々衰退した。
東西分裂までのローマ帝国時代、いわゆる西ヨーロッパ部分以外は
政治・行政用語:ラテン語
商業・日用語:ギリシア語、アラム語
こんな感じ
445 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 23:10:51 0
>>442 ラテン世界との癒着って。。。。教会はインターナショナルだぞ
446 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 23:13:03 0
>>443 西方ではギリシア語が衰退、ラテン語へ
東方ではラテン語が衰退し、ギリシア語へ。
この変化の要因は帝国の政局変化が大きいのかな?
それとも、それ以前からの根強い文化的基礎によるのかな?
俺は後者の要因が強いと思う。
東方にラテン語が定着する素地はなかったと思う。
447 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 23:14:23 0
448 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 23:18:43 0
>>447 資料を挙げられたら「思う」とは書かないよ。
そこまでしないとここに書き込めないの?
だから、政局変化かそれとも文化的素地なのか「?」にしてる。
東方はもともろアレクサンドロス以降のギリシア語文化に置かれてたから、やはり国際語はギリシア語だったと思う。
だからパレスチナ、シリアでは新約がギリシア語で書かれた。
ローマ(中央政府)発行の政府文書以外でラテン語が使われるのは稀だったんじゃ?
じゃあ、ちゃんと資料から引用してみようか、
ギリシア人はギリシア語とその文学を至上のものとして、ラテン的西方の
人々を野卑であるとみなし、ラテン的なものを軽蔑した。東方ではラテン語
が正規のカリキュラムとなることがなく、ラテン文学は世俗的にも宗教的に
も読まれることはなかった。しかし、ギリシア人が実質的な利益を求めてラ
テン語を学ぶということはあった。
尚樹啓太郎『ビザンツ帝国史』P272
450 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 23:20:46 0
>>448 人の書き込み、読んでから書けって。。。。
451 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 23:22:21 0
>>450 なんでそんなに噛み付くの?
何か失礼なこと言った?
452 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 23:22:42 0
>>452 これは第四章「初期ビザンツの社会と文化」 ユスティニアヌス朝まで
454 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 23:25:50 0
455 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 23:26:54 0
アッティカ系ギリシア語への回帰運動もあったらしいね
>>454 あのさ、資料挙げてるんだから読まずにあてずっぽうで言うのはやめなよ
こっちは手元の資料見て書いてるんだから。恥かくだけだよ。
>>455 回帰も何も、7世紀に公用語になったのはヘレニズム時代のアッティカ方言。
えーと、これは尚樹本のP654ね。
458 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 23:30:02 0
>>453 ギリシア人自体はローマ人と接触した時期から優越感を持っていたから当然の反応だな。
しかし帝国の機能が古代を継承している限り、ラテン語には実利があるしそれなりに
学ばれることもある。
ようするに先のレスと同じだよな。
459 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 23:30:42 0
>>456 いや、その時代にソフィスト系の哲学者がアッティカ系ギリシア語で文書書いていると聞いたもんでね。
そういう現象の背景に、ギリシア語優位の思想があったのではと思っただけ。
気分がしたらごめんなさいね。
>>458 と言うか、先のレスもそれ読んで書いてるから当たり前なんだけどねw
これが中世になると古いギリシャ語を公用語にしながら、自分達を「ローマ人」っ
て言う様になるから不思議なんだけどね。
461 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 23:43:38 0
もし、アレクサンドロス以降、東方がギリシア文化に浸っていたら、
東方はラテン世界とはほど遠かったでしょ。
そこにローマ市発の文化(言語も含む)がどこまで浸透できたか?
もし、東方文化の中からキリスト教が湧き出たとするなら、
キリスト教は元来ギリシア的であるということになる。
西方教会が東方から離脱したのは、そういう東方圏からの独立をも意味したのではないか?
こう推測することは可能かな?
462 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 23:46:27 0
>>461 まったく頼りにならなかった東方の皇帝権からの離脱が正解だと思うぞ。
463 :
世界@名無史さん:2008/05/20(火) 23:48:33 0
>>462 つまり政治的意図だという意見ね。
西方教会がその後、ラテン世界で覇を確立したことで、東方との間に教義面でも分断が生じたということは考えられる?
というか文化面、政治面両方と言うのが正解
使用言語が違うのでお互いに解釈が少しずつ変わっていったという
面もあるし。どちらか一方を理由にするのはおかしい。
ラテン文字でギリシャ語の命令書を…とかもあったんかいな。
>>465 ないだろ。
ギリシャ語の方が文化言語としての普及は先なんだし。
じゃあ、ギリシア文字で記されたラテン語の…はありそうだな。
>>467 何でそんな意味のない話にこだわるんだ?
>>468 まあ、西欧の言う「ビザンティン的」な話だなw
マケドニア朝をプレイできるゲームきぼんあげ
名はマケドニア朝でも実際はアルメニア人の皇帝
そんなの常識
476 :
世界@名無史さん:2008/06/02(月) 01:11:21 0
ビザンツ帝国をモデルにした国が登場するファンタジー物ってどんなのがある?
そもそも存在するのか?w
TRPGの架空国家を作ってプレイしたときはビザンツベースの国を自作したが…
公式なものでビザンツベースは見たことないなあ。
しいて言うならロマサガ2のバレンヌ帝国…
479 :
世界@名無史さん:2008/06/02(月) 20:42:58 O
ゲド戦記の舞台がビザンツらしいってのは聞いたことあるけど見たことない
ビザンツがモデルになった国(設定)ってどんなものなのか逆に気になるところ。
良いイメージの国じゃないんだろうなとは想像できるが…。
>>480 ビザンツにあまり深い知識がなければ、古くから続く文化の発展した帝国、くらいのもんじゃね?
482 :
世界@名無史さん:2008/06/02(月) 22:17:14 0
ゲド戦記(映画)の衣装デザインは
ビザンツのそれを参考にしたという話だが
>>481 知っててもそれで良いだろ。
知識が深いと人は、こういう奴が出てこないと満足しないとでも?
↓
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
今日も未来はないのに帝位争いしてやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
テオドロスがニカイア帝国建国しないでそのままトルコと西欧に
飲み込まれてたら今頃アンゲロスブラザーズの再評価とかされてたかもな。
劉禅とかみたいにさ。
>>483 あんまり深く知ってると、その国の人間は全員面従腹背で言っていることと考えてることとやっていることが
全部別、って言う国になるぞw
>>487 いやそう言う話じゃないから。「ビザンツ的」ってものの内容。
>>488 逆に深く知ってる人は「フランクの蛮族どもが貼ったレッテル」になるww
>>489 いやあ、ビザンツ人は口で褒めちぎっていた人間を日記とかでぼろくそにやってたり、
生きてる間もてはやしてても、その人物が死んだとたん手のひら返す、なんてのがやたら多いわけで。
確かアラブでも、ビザンツ人(ルーム)といえば「嘘つき」ってものの代名詞になってたはず。
>>490 だってそんなのビザンツ好きには常識だし。
だいたい、ビザンツだけ特殊扱いするけど、今の世の中、どこの国
でもやってることじゃん。そんなの。
今じゃなくても、藤原実資が『小右記』で道長の悪口書きまくってた
りとかしてるし。バルバロイどものネガティブイメージを真に受けすぎw
492 :
世界@名無史さん:2008/06/03(火) 08:56:56 0
>>490 代名詞になってたかは知らんが、イスラム圏の奴隷購入のアドバイスなんかでは
そういう記述はある。
あげてしまった、失礼
494 :
世界@名無史さん:2008/06/03(火) 12:08:02 0
ビザンツの発明品といえば?
>>490 直接の関係者がいないし大昔だしで角が立たないからクローズアップされてるだけで
そんなのは実のところ世界中・全時代共通だと思うようになった
496 :
世界@名無史さん:2008/06/03(火) 17:17:25 0
しかしプロコピウスという人のことを知ってからは
やっぱりビザンツ人はなんか一味も二味も違う……と思うようになった。
>>495 だから、事実どうこうじゃなくて、ビザンツという国家の「キャラクター」について、だろ?
ビザンツ=狡猾とはいっても
「褒め言葉」と嘯けないことも無いレベルだよな?
>ビザンツ人は口で褒めちぎっていた人間を日記とかでぼろくそにやってたり
イギリス人のことかと思ったw
>>499 イギリス人なんて、腹黒、狡猾のオンパレードだもんな
おかげで世界中紛争だらけ。
>>500 ひどい事言うな!
・・・ちょっとアラブ人とユダヤ人に同じ約束しただけじゃないか。
>>501 しかも両方守る気なしw
イギリスはかなり悪質だな
このスレの
ビザンツのマイナスイメージを書き込まれる
→「そんなことない他の国だって○▲◆×☆!!!」
って幼稚な流れは何とかならんのか。
確かに幼稚ではあるけど実際そうなんだもん
>>504 そう言う反応が幼稚なんだよ。
しかられた子供が「○○ちゃんも同じ事やってるもん〜」って言うのと同じ。
てか嘘つきでも腹黒でもいいじゃん、
文明国の嗜みなんだから。
騙されるほど間抜けなフランク人やサラセン人が悪い。
このスレではコンスタンティヌス5世なんか人気無さそうですね。
>>506 んだから「いい悪い」じゃなくて、歴史的なキャラクターとしてのビザンツ、についてだろ?
それを「そうじゃない、○○人のほうが〜」とかわけのわからんことを言い出す奴がいるからおかしくなる。
文句があるならタイムマシンでビザンツの時代に行って、当のビザンツ人の人間性を
記録しているイタリア人やフランクやアラブに言え。
今、このスレにはリュートプラントが紛れ込んでいますね。
ニケフォロス2世があんなにぞんざいな扱いをするのがな。
実際その前のイタリア王の使者としての訪問のときはご満悦だったんだろ。
ニケフォロス2世の時は神聖ローマ皇帝の使者だからな
人一倍面子にこだわるビザンツからしたら
「はあ?なめた事ぬかしてんじゃねぞこの蛮族風情が
せめてもの土産に絹織物くれてやるからとっとと失せろ」という反応だったのだな。
>>511 んで帰り際に「おい、その絹織物勝手に持ち出すなよ。没収な」
イスラムに媚びまくるくせに西欧に対してはメチャクチャ高慢ってのは
今の時代から見ると信じられんモノがあるな。
世界中がモンゴルにはいつくばってた時代もあるがな。
>>503 ビザンツが狡猾な外交に長けた国であったことは確かだが、世界史上
いくらでも見られる事例であって特殊ではない、リュートプラントなんか
の書いたイメージにとらわれすぎ、ステレオタイプに見過ぎという説明
だろ。
むしろ
>>503の単純さを何とかして欲しい。
>>515 だーからー
ビザンツがその「ステレオタイプのイメージ」を、今に至るまで持たれている、って話だろ。
君は日本語の読めないアホなの?
>>516 だーかーらー
そのステレオタイプに囚われ過ぎだ、って話だろ。
君は日本語の読めないアホなの?
>>517 そう言う反応をするから幼稚と呼ばれるんだよ?
囚われるとかそう言うことじゃなくて、「ビザンツのステレオタイプイメージはそう言うものだ」って説明が
そんなにわからない?
それとも解りたくないだけか?
もしくは真性の馬鹿なのか?
>>518 つーか、一般的なイメージになってるのはわかってるけど、ってことだろ?
そもそも話の出発点がおかしい。ステレオタイプはそうだけど、それが一面的だと
>>517は言いたいんだ
ろ?
ステレオタイプになってること自体は誰も否定してない。
どういう読解力してるんだ?
ビザンツは狡猾(ステレイオタイプ)→でも、他でも同じようなことやってるよなw
これだけの話なのだが?
誰がステレイオタイプを否定したんだ?
お前らまとめてマンツィケルトの戦場に草刈り鎌だけで従軍してこいw
不死部隊ですね。
わかります。
マンジケルトの敗戦は結構有名だけど
その後のミリオケファロンの戦いって何で負けたんですかね。
>>524 山間部の隘路で隊列が伸びたところに、待ち伏せてたセルジューク軍が上から攻撃してきたから。
見動きが取れないまま矢の雨を浴びて、逃げることも進む事できずに壊滅。
なるほど。ハンガリー軍がワラキア人に全滅させられた時みたいですね。
>>527 ネタだの宝庫の長文だね。笑える。
50年在位した皇帝がいたこととかも、全く無視だし、だいたい今時西欧の中世史の
研究でさえ「暗黒」「停滞と迷信」じゃなかったって言われてるのに、どんだけ遅れて
るんだかw
>>528 あ、今のは前後のレスも見ての感想ね。
とりあえず暇つぶしのネタとしては面白いわ
中期ビザンツの知識がないのがバレバレで
まあ、俺もビザンツに興味無かった頃はローマ帝国の残り半分が年々目減りして行って
最後首都だけになって終了、程度の感覚だったからなあ。
>>530 まあ、一般人の感覚ならそれで良いんだけどね。
あれだけ上から目線で物を言ってて、あのレベルじゃネタとしか思えない罠w
一人が延々と悦に入った独り言を書き込んでる…
↑能無しコピペ厨ktkr
534 :
世界@名無史さん:2008/06/10(火) 19:14:55 O
本スレage
ビザンツって呼ぶな
ローマまたは東ローマだオラッ
>>535 俺的にはヘラクレイオスのシリア・エジプト失陥後をビザンツと呼び
それ以前を東ローマ帝国と呼ぶ事にしている。
やはりヤルムークの敗戦は痛かったよね。
その時期の前後でテマが成立したり穀物配給廃止とかがあったんだっけか
>>536 そうは言ってもあいつらは自分たちのことビザンツ人だなんて思っちゃいねーぞ
自分たちのことローマ人って言ってたみたいだがな
>>538 しかし時代が下るにつれ「ギリシア人」という意識のほうが強くなる。
マヌエル2世の頃には西欧から「ギリシャ人の皇帝」呼ばわりされても
言い返せなかったからな。
そういやステファン・ドゥシャンが皇帝を称したときは
「セルビア人とギリシャ人のツァーリ」でしたな。
アウトクラトールとも名乗った筈。
>アウトクラトール
スラヴ語ではサモジェルジェツ、だったかな?
古代から一応断絶せずに存続していたから、ローマ帝国には違いない。
だけど、古代ローマよりもビザンツ時代の方が好きになると、
ローマの一言で一緒くたにされるのが逆に嫌になるんだよ。
だから最近はローマ帝国よりむしろ、ビザンツ帝国のほうがしっくりくる。
>>544 ただ「ウチはローマ帝国だぞ!」って言って頑張ってるのがビザンツの魅力の一つでもある
ドナルド・M・ニコルって人の本を読んだらステファン・ドゥシャンは
「セルビア人とローマ人の皇帝」と名乗ったと書いてあった。
どっちなんだろう。
>>546 井上先生とかの著作でもそうなってるね
原語の一次資料が何だか分からんからなぁ
「ギリシャ人の」って名乗ってもコンスタンティノープルの皇帝に対して挑戦した
ことにはならない気もするのだが
しかし古今東西これほど好かれた国があったかな?
同じ大帝国でも、モンゴル帝国や大英帝国の継承者を名乗る国家はほとんどないが、
ローマ帝国だけはそこら中の国が名乗りまくり。
60年前まで「ローマ帝国復活」とか言ってる奴がいたからな。
そういやふと思ったんだがヨハネス5世と6世が共同統治していた頃は
ブルガリアとセルビアのも合わせてバルカン半島に4人もの皇帝がいたことになるのか?
>>548 ドゥーチェもローマ帝国の系譜で良いのか・・・このスレ的に・・・
モンゴル帝国の系譜は各汗国にチムールからムガール帝国まで数はローマ帝国の系譜並にあると思うが。
>>550 満洲族の清なんかも、自らをモンゴル帝国を受け継ぐものと意識していたそうだ
清はモンゴル征服したときに元朝の玉璽貰ったってのは本当の話なの?
モンゴル人向けにはハーン名乗ってたらしいけど。
つか、ヴェニゼロス以外でビザンツ帝国の再建を唱えた奴って
近現代ギリシャにいたっけ?
どうも近現代ギリシャってビザンツ帝国の後継者って感じがしないんだが。
ロシアもツァガンハン国としての面をもってまーす
イヴァン雷帝がジュチ裔のシメオンに譲位してとか色々と面倒な事をやったりもしている
>>552 イプシランディスとかはどうだろう?
>>552 近代ギリシャが西欧からの援助を得るためには「古代ギリシャの継承者」という
方を強調しておく必要があっただろうからね
ビザンツも古代ギリシャ文化の紛れも無い継承者だが、大きな違いは「キリスト
教世界全域を支配する帝国」という理念っていうか建前の有無だろう。
>>553 「ツァガン・ハン」の話はあちこちで聞くがどういう史料をソースにしているのだろう。
コンスタンティノープルを維持していない国がビザンツの後継国家な訳無いだろ。
そういえばオスマントルコもビザンツの後継を称してたね
血統云々言い出したらコンスタンティヌス11世の姪を娶った
モスクワ大公国が正統なビザンツの継承者になるがな。
んな事言ったらオスマンなんてモスクワなんぞ比べ物にならないくらいビザンツとの婚姻たくさんやってるわけで。
>>556 ローマを維持してない国家が元老院と市民からなるローマな訳ないだろ。
お前らそんなにニカイア帝国をディスらないでください…
コンスタンティノープル=新ローマという概念すら知らない人が
このスレに出入りしてるとはな。
>>566 ローマという都市を維持してなくても、新しいローマを首都とし、
ローマ市民権を持つ人々がいて、形だけだが
元老院があった国、それが中世の「ローマ帝国」。
>>562がそれをわかってないから、バカにされてるだけだろう。
そしてモスクワ=新コンスタン(ry
実際モスクワは「第3のローマ」とか「第2のコンスタンティノープル」とかいう呼び名もあるな。
リューリク朝からツァーリ(カエサル)を名乗り始めたが、
元老院を作り、元老院からインペラートルに推戴されるという
ローマ帝国の形式をとりはじめたのはロマノフ朝から。
ビサンツみたいな「市民という名の役人」までは作らなかったが。
>>555 良くは知らないけど、17〜18世紀のモンゴル語年代記に「オロスのチャガン・ハン」
みたいな言い方をされていたと思う。(ガルダン・ハーンのロシア皇帝宛書簡だったか
清朝皇帝に宛てた書簡でのロシア皇帝についての言及部分だったか忘れたけど)
『アルタン・ハーン伝』以下のモンゴル語年代記は強烈にチベット仏教的世界観に基づいて
編纂されたもので、チベット仏教の色相方位説だと西の色は中国のものと同じ「白」が
対応されているから、「オロスの白い(チャガン)ハン」って言い方もそれと関係した
ものっぽい感じがするんだけど、そこら辺どうなんだろうか。
(どうも単に「オロスの西方の帝王」程度の意味な気がするけど・・)
>>570 そのネタはそこまでにしる
バルバロイどもの話は完全にスレ違いだ
モンゴルがブルガリアとルームセルジューク朝弱体させたから
ビザンツ(ニカイア帝国)は生き残れたんだよね。
モンゴルはビザンツの恩人です。
>>572 さらにモンゴルの後裔であるティムールがオスマン叩いてくれたおかげでしばらく生きながらえることも出来た。
でもティムールがオスマンを瀕死の重傷に追い込んだときにはそれ以上に瀕死だったという…
>>576 > でもそれで小アジアの西側にガージーが集まってきたんでは・・・
(蒙古)<そこまで面倒見れんがな
ビザンツとモンゴルの関係と言えば、イル・カン国のアバカに嫁いだマリア
この人がアバカを正教に改宗させ、イル・カン国を正教国にすることが出来ていたら、
その後のビザンツの歴史も随分変わっていたかもな
十字軍をはじめとしてヨーロッパ全体の歴史が変わるな。
中東の歴史が変わるんじゃないか
歴史を変えてはいけない。どんなに汚れ、血塗られ、歪み、腐った歴史でも
その果てに今日の我々がいる。タイムパトロール隊出動せよ!
マリアのアバカ改宗計画を阻止するのだ。
マジレスするとイルハン朝の君主にそこまでする権力はない。
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
今日も未来はないのに帝位争いしてやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
584 :
世界@名無史さん:2008/06/21(土) 20:20:44 0
836 :世界@名無史さん:2008/06/20(金) 14:19:04 0
オスプレイのByzantine Infantrymanって本を読んでるけど
ビザンツの歩兵は十字軍の頃でも長槍を装備して
ファランクス組んで戦う訓練してたんですね。
亀甲隊形も訓練してたらしい。
盾はノルマン人みたいなカイトシールドになってたけど。
↑
このオスプレイの本、信用していいですか?
585 :
世界@名無史さん:2008/06/22(日) 21:21:57 O
ビザンツ軍のピンの部分は昔のローマやギリシャの兵法に沿った訓練してたかもね。
大部分のキリは鎌一本とかだったと思うが。
ヴァリャーギ親衛隊とかなんで斧の装備だったのかな…
スカンジナヴィアとかにいたころの名残じゃね?>斧
スキティコンが馬乗ってトルコ弓射るのと同じじゃないですか
近所の古本屋で学術文庫版の生き残った帝国500円で売っていたのでゲット
久しぶりにいい買い物をした。
>>578 トルイの第一正妃でフレグや兄弟のモンケ、クビライらの母親であるソルコクタニはケレイト王国の
オン・ハンの姪っ子で、当然彼女もネストリウス派だったことが知られているけど、もうひとり、
トルイ家にはトオリルの孫娘で、イルハン朝の始祖フレグに第一正妃として嫁いだドクズ・ハトンって
いう有名な人が居た。
彼女も熱心なネストリウス派のキリスト教徒だったそうで、フレグ陣営での彼女の宮廷では毎日定時に
鐘を鳴らしていたそうだ。フレグの息子のアバカは仏教徒らしかったけど、アルグンはキリスト教徒
だったそうで、アバカの弟テグデル・アフマドはイスラム教徒に改宗しちゃったけど、もともと
ニコラウスって洗礼名を持っていたネストリウス派のキリスト教徒だったらしい。
フレグ、アバカ、アルグン在位中はイラン〜イラク〜アナトリア周辺のネストリウス派やアルメニア教会
なんかにも多大な寄進していたとか。モンゴル勢力のイスラム化の過程はまだ良く分からない部分も
あるが、イルハン朝などはガザンが即位するまでモンゴル王侯内部ではキリスト教(ネストリウス派)は
割と多数派に属していたみたいだ。(特に妃たちがネストリウス派を信奉していたって話が多い)
西洋人にはミカエル八世の皇女マリアの名前が有名だけど、元々モンゴル帝国周辺では帝国創建以前から
ケレイト、ナイマン、オングトといったモンゴル高原のテュルク・モンゴル系の有力諸部族の王侯に
ネストリウス派が広く信奉されていたし、イルハン朝の領土であるシリアやイラン西北部・イラクはその
ネストリウス派の根拠地でもある。マリアの属すコンスタンティノポリス総主教を頂く正教会は完璧に
アウェイで、ネストリウス派にとっては完璧にホームになる。
(モンゴル帝国の王侯たちに50年以上前から信奉されているし)
>>589の続き。
アバカあたりにマリアを通じてビザンツ帝国の正教会に改宗させようとしても、チンギス・カンが
覇権を握る前後から財政や外交でモンゴル宮廷内外で主導的に活躍していたウイグル人などの仏教徒や、
イランのホラーサーン地方やマーワラーアンナフル出身のイスラム教徒勢力などと比べ、それまで全く
モンゴル王族との繋がりがなかったビザンツの正教会には圧倒的に過ぎるくらいに不利な状況だ。
モンゴル皇帝モンケをカトリックに改宗させようとしたルブルックのギヨーム修道士くらい、とまでは
行かなくてもけっこう無謀な計画だ。(13世紀全般を通じて、モンゴル王族たちは大体は母親の信奉する
宗教に影響されるけど、その時の政治状況によったり宗教関係者との個人的な繋がりにもよるんだが、
成長してから自分で信仰を選んでいる場合が多い)
>>590の続き。
『集史』「アバカ・ハン紀」によると、マリアは宮廷では「デスピナ・ハトン」と呼ばれ、アバカから
最も寵愛を受けたという第2正妃・大ブルガン・ハトンの地位を継いだ、ミリテイ・ハトンの後宮にいて、
ミリテイに次ぐ地位にあったらしい。(『集史』によると「トレビゾンドの皇女」という誤った認識を
されていたようだけど) マリアも一応正妃(ハトン)の扱いを受けた高貴な人物だが、はっきり言うと
それも末席扱い。アバカが死んだ後は里に帰って修道院で生涯を終えたらしいが、ただ、アバカとの子供を
儲けていればまた随分違った展開だったんではないか。アバカの長男だったとはいえアルグンでさえ、
母親はカミシュ・エゲチという出自もよく分からない身分の低い側室の子供だ。
それでも、イルハン朝は立地上の関係もあってイスラム教徒かネストリウス派やアルメニア教会の勢力圏の
ど真ん中なので、ビザンツ帝国がイルハン朝に吸収されでもしない限りアバカとマリアの子供が成長しても、
ビザンツの正教会がモンゴル宮廷に勢力を食い込ませることはまず不可能に近い。
よしんばマリアの息子が仮にイルハン朝の当主になったとしても、そもそも宮廷内部では最弱クラスの
勢力だから、支持を集めるためにイルハン朝領内のキリスト教諸派の調停止まりで終わり、直接に
支援してくれる勢力も少ないだろうから、アバカが没してからガザンが即位するまでの間に、バイドゥや
ゲイハトゥのように早々に引きずり下ろされて殺害される可能性の方が圧倒的に大きいと思う。
そういや関係ないが、マムルーク朝がキプチャク汗国に送った使節が
コンスタンティノープルで勾留されたので、バイバルスがエジプト在住の
正教の高位聖職者を集めてミカエル8世への破門を宣告させたという
面白い事件がその当時あったそうな。
ミカエル本人は破門なんて屁とも思ってなさそうだな。
あ、でも皇帝即位の際に罪があるから、まず免罪してから、って言われたのはミカエルだっけ?
>>594 総主教アルセニオスは帝位簒奪を怒って破門したんだけど、
結局ミカエルに罷免された。
嘘吐きギリシャ人どものエセローマ帝国め!
ローマ人(笑)第二のローマ(笑)我らの皇帝万歳(笑)
皇帝陛下は外国人を金でなく、剣で従えるのだ(笑)
まーたバルバロイが騒いでいるな
また神聖(笑)ローマ(笑)帝国(笑)っすか。
それとも一流指導者下の三流国民っスか?
東ローマ皇帝ないし帝国がキリスト教と完全に一体化したからこそ
「ローマ教皇が西ローマ皇帝を任命出来る」なんて「トンデモ」が
それなりの説得力を持ったわけだが。
まあ、この板の場合アンチは無知ばっかりだからな
>>597 偉大なるローマ帝国ですよ。
野蛮なギリシャ人の自称ローマとは違います。
>>599 コンスタンティヌス大帝が聖下に西帝国の統治権を譲ったのです。
東のギリシャ人なんて知ったことではありません。
>>601 もったいぶって渡しときながら、取り上げたんです。
>>602 リュートプラント乙
偽寄進状信じちゃってるよwww
>>602 つまらないからネタでやってるならどっか行ってくれ
606 :
世界@名無史さん:2008/07/04(金) 20:53:38 0
>>606 「シャリフ教」がイスラームね。
ためし読みしてみたけど、きちんと勉強して書いているのがわかるね。
これは侮れない。
>>606-607 皇帝以下の人名、踊り子上がりの皇妃、ビザンツ史をある程度知らないとわからない設定だな。これは侮れん。
フォスカスは、総主教フォティオスあたりがモデルか?
つかよくもった方
イルハーンからよくも身を守れたな
>イルハーンからよくも身を守れたな
コンスタンティノープル攻撃してる間にマムルーク朝にアゼルバイジャンとか荒らされそう
>>606 エイレーネたんが息子の両目を潰して聖人になったところまでは読んだ
アゼルバイジャンを荒らすのは、どちらかといえばキプチャク汗国。
613 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 21:43:07 0
最新の『史林』に載ってる小林功氏の研究ノートを読んだんだが、
バシレイオス1世の権力基盤ってあんなにも脆かったんだ?
小アジアに強いやつが影響力を伸ばしていったってのは当時の状況からしてよくわかるが。
614 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 21:49:38 0
>>611 マジレスすると、このファンタジーの作者はその史実知ってたよ。
後書きで言及している。でエイレーネ女帝が
聖人扱いされているのには「・・・・・。」
でも主人公が
宗教の違う二国の平和の為に奔走するってとこから
「エイレーネ」と名付けたらしい。
現在に残るビザンツ帝国領はアトス山地域たけか?
616 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 23:11:38 0
本来ならビザンツ史ってもっと評価されてしかるべきなのに、ものすごく影が薄いのはやっぱり直接的な後継国家を残さず、その多大な影響も目に見える形で残さなかったからかね
火薬、羅針盤、活版印刷が(西)ヨーロッパの3大発明と言い切っちゃう歴史で見てるからじゃないかな。
ビザンツからは世界(ヨーロッパ、中東、内陸アジア)の歴史が見える、
と言っても過言ではあるまい
619 :
世界@名無史さん:2008/07/10(木) 00:25:00 O
つか、この国を(ローマ帝国ではない)「ビザンツ帝国」と名付けたのが
帝政ドイツの人じゃなかったっけ?
彼等にしてみればその当時の仮想敵だった帝政ロシアに文明を教えたビザンツ帝国は糞
という考えがあったんじゃね?
あと、オスマン帝国の擁護もあったろうが。
そういう西欧史観を通して見るとやっぱりパッとしないんだろうな。
第一次大戦でブルガリアが連合国につけばビザンツ再興も夢でなかったかもしれないが…
620 :
世界@名無史さん:2008/07/10(木) 00:42:27 0
>>619 むしろギリシャがもう少し賢かったら・・・
>>619 それ以前に、ドイツ人は「ローマ帝国」を称して張り合った相手だからな
↓これって本当?
407 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/07/09(水) 13:20:28 0
>>395 >でも、今、ギリシャに住んでる「ギリシャ人」って本当は
>大部分は人種的には南下してきた南スラブ人がその正体で
>古代ギリシャ人とは同一ではないらしいですけどね。
正確に言うと、ペロポネソスの農村地帯をスラヴ人が占拠した後
ビザンツ帝国の政策でアナトリアからギリシャ系住民を移住させて
スラヴ人の独立国を作られるのを無理やり阻止したそうだ。
だから古代ギリシャ人とは断絶している。
アナトリアからギリシャ系住民を移住させたなら、断絶してないのだと思うけど。
つーか皆殺しにでもしないと断絶ってありえないだろ
>>622 アナトリアや南イタリアへ逃げていたギリシャ系住民を、ニケフォロス1世の時代に
移住させて戻した。
スラヴ系と混血はしてるだろうけど、そんなこと言い出したら世界の大半の民族は古代と断絶しとる。
古代のギリシャ人と断絶云々は、19世紀のドイツ人とかが言い出したことで、それをまだ真に受けて
る阿呆がいるとはね。
トラキア人はスラヴ人の波に飲み込まれた?
626 :
世界@名無史さん:2008/07/10(木) 14:21:58 0
>>624 そもそも現在の民族なんて全部自称だしな
現代のギリシャと、古代のギリシャ人はつながりは意識しても全く同じ概念ではない
だからって断絶なんてしてるわけがないわけで。同じ土地に住んでいる限り。
そもそも、民族を血統で考えるのは不可能。
重要なのは文化と言語と自覚だろ。
ビザンツ史読むと、どうしても正教会のミサを見物してみたいが
近所にある教会は皆、カトリックばかりで鬱。
629 :
627:2008/07/10(木) 18:16:57 0
>>628 提供感謝!
やはり荘厳な感じがしていいですね。
携帯やら何やらで撮りまくってるなあw
そういえば現代マケドニア人に古代マケドニア人の血は流れてないとかギリシャは言ってるけど
なんつーか。
不毛な水掛け論だな>民族の血統断絶云々
633 :
世界@名無史さん:2008/07/11(金) 08:28:41 O
ベリサリウス単独スレがたったのかよ
>>624 しかしスラヴ人はその再移住に抵抗しなかったのか
ブルガリアや旧ユーゴあたりのスラヴ人は帝国に対して
かなり頑強に抵抗してるが
635 :
世界@名無史さん:2008/07/16(水) 18:42:23 0
過疎化しているな。
ベリサリウススレに引っ越したのか皆?
ゲド戦記見たが、冒頭がビザンツ風で満足。
剣もスパタだったし。
>>635 あの時代で満足してるようじゃ、ビザンツヲタとは呼べんなw
スパティオンとスパタって何か違うの?
言語
アンナ!アンナ!アンナ!アンナぅぅうううわぁああああああああああああああああああああああん!!!
あぁああああ…ああ…あっあっー!あぁああああああ!!!アンナアンナアンナぅううぁわぁああああ!!!
あぁクンカクンカ!クンカクンカ!スーハースーハー!スーハースーハー!いい匂いだなぁ…くんくん
んはぁっ!アンナ・コムネナたんの緑の黒髪をクンカクンカしたいお!クンカクンカ!あぁあ!!
間違えた!モフモフしたいお!モフモフ!モフモフ!髪髪モフモフ!カリカリモフモフ…きゅんきゅんきゅい!!
玉座のアンナたんかわいかったよぅ!!あぁぁああ…あああ…あっあぁああああ!!ふぁぁあああんんっ!!
皇位継承順位1位で良かったねアンナたん!あぁあああああ!かわいい!アンナたん!かわいい!あっああぁああ!
女帝になれて嬉し…いやぁああああああ!!!にゃああああああああん!!ぎゃああああああああ!!
ぐあああああああああああ!!!女帝なんて現実じゃない!!!!あ…玉座も継承権もよく考えたら…
ア ン ナ ち ゃ ん は 皇帝 じ ゃ な い?にゃあああああああああああああん!!うぁああああああああああ!!
そんなぁああああああ!!いやぁぁぁあああああああああ!!はぁああああああん!!ヨハネスぅうううう!!
この!ちきしょー!やめてやる!!現実なんかやめ…て…え!?見…てる?表紙絵のアンナちゃんが僕を見てる?
表紙絵のアンナちゃんが僕を見てるぞ!アンナちゃんが僕を見てるぞ!挿絵のアンナちゃんが僕を見てるぞ!!
モザイク画のアンナちゃんが僕に話しかけてるぞ!!!よかった…世の中まだまだ捨てたモンじゃないんだねっ!
いやっほぉおおおおおおお!!!僕にはアンナちゃんがいる!!やったよマリア!!ひとりでできるもん!!!
あ、修道院のアンナちゃああああああああああああああん!!いやぁあああああああああああああああ!!!!
あっあんああっああんあアン様ぁあ!!シ、シスター!!テオドラぁああああああ!!!エイレーネぇえええ!!
ううっうぅうう!!俺の想いよアンナへ届け!!ビザンツのアンナへ届け!
642 :
世界@名無史さん:2008/07/17(木) 18:17:16 0
643 :
世界@名無史さん:2008/07/17(木) 23:40:04 0
>>636 >剣もスパタだったし。
ああ、それは気づかなかった。
ネットでは「チンコソード」とか「キンタマブレード」とか言われてたが
>>635 現在、異民族の進入とネタ切れでスレを支えていた土地保有農民兵が離散しています。
成り上がるなら今がチャンスだぞ!
>ネットでは「チンコソード」とか「キンタマブレード」とか言われてたが
未見だがアラブの「カーフィルクーフ」みたいなものだろうか
647 :
世界@名無史さん:2008/07/19(土) 00:54:21 0
ビザンツ皇帝は鬼畜プレー大好き
バシリスクス 447年 牢獄で飢死
ゼノン 491 生き埋め
マウリキウス 602 斬首
フォーカス 610 八つ裂き
ヘラクレオナス 641 四肢切断
コンスタンティノス3世 641 毒殺
コンスタンス2世 668 入浴中に撲殺
レオンティウス 705 斬首
ティベリウス3世 705 斬首
ユスティニアヌス2世 711 斬首
フィリピクス 713 目潰し
レオ5世 820 刺殺後斬首
コンスタンティノス7世 959 毒殺
ロマノス2世 963 毒殺
ニケフォルス2世969 刺殺後斬首
ヨハネス1世 967 毒殺
ロマノス3世 1034 毒を盛られ溺死
ミカエル5世 1042 目潰し
ロマノス4世 1071 毒を盛られ失明
アレクシオス2世 1183 絞殺後斬首
アンドロニコス1世 1185 四肢切断&拷問
イサキオス2世 1193 目潰し(@∀@ )П
アレクシオス4世 1204 撲殺
アンドロニコス4世 1374 目潰し
TIME LIFE HISTORY :BYZANTIUMより
>>647 どうでもいいけど、ラテン語とギリシャ語が混じってて表記メチャクチャだな
あと、コンスタンティノス7世、ロマノス2世毒殺説はあくまでも噂の域を出ない
ってか、なんでミカエル3世とかヨハネス4世が出てこねぇんだよ
これもなきゃダメだろ
コンスタンティノス6世 797 母親によって目潰し
>>648 >コンスタンティノス7世、ロマノス2世毒殺説はあくまでも噂の域を出ない
テオファノって人気あるねw
ローマ皇帝だって相当悲惨だったんだ、逆に大帝国の性だと思えば。
古代ローマ時代だってカリグラだのクラウディウスだのなんだの、殺された皇
帝は多いんだけどな。
652 :
世界@名無史さん:2008/07/19(土) 15:19:34 0
ビザンティンは、ただ単に“坊主と宦官、そして女どもが引き起こす情事、毒殺事件、陰謀、当たり前のことのよに行われる忘恩行為、ひっきりなしに起こる兄弟殺し(fratricide)が延々と続く退屈な物語である”
by William Leckie
653 :
世界@名無史さん:2008/07/19(土) 17:42:44 0
>>634 南下したスラブ人の数が少なくて同化されちゃんじゃないの?
現在のギリシャ人が古代と連続してるかどうかはわからないけど
外貌はどこから見ても地中海人種だよ
>>652 どこの国の人か知らないけど
古代中世の宮廷なんて世界中そんなもん
>>652 西洋の偏見そのものだな
イングランドだって、下らない争いしかしてないくせに
>>652 ウィリアムっつーとブリテンの人か?イングランド王国だって情事・毒殺何でもござれじゃないか。
国王吊し上げまでやったしなー
アヴァール人とスラヴ人の関係とは??
>>658 おまいは下に書いてある注記も読めんのかと
>>658-660 6世紀後半から7世紀始めにかけて大暴れしてた頃のアヴァール
は東欧に大帝国を形成し、その地のスラヴ人は支配下に入った。
そしてそれらがビザンティンに向かって押し寄せたので混同された
のかな?。
今のギリシャ-スラヴ言語境界線はオリーブ生産北限ラインに近い。
東欧の農業技術を持ち込みにくい地域ではスラヴ人の定着が
弱かったのかもしれない。
http://homepage.mac.com/nikephoros/oha/monemvasia.html なお、上記を読むとペロポネソス西部のスラヴ人は805年に
スクレロス一族の遠征で完全に抹殺されたとある。
まー完全な抹殺なんて本当かという疑いからスラヴ人を同化した
のでは?とも考えられるわけだが、一方でスラヴ人がヘラスを駆逐
して占拠したというのも本当か、支配が外れたけど結構残ってた
のでは?とも考えられる。
中途半端に考えれば6世紀後半からのごたごたやその後の
長い歴史で現ギリシャ人話者の先祖の一部はスラヴ語話者
だったろうてなものか。
そーいえば北欧人種だのアルプス人種だの地中海人種だの
といった分布はゲルマンとかラテンとかスラヴとかいった言語
分布とは大きく異なっている。血がすっかり入れ替わるほどの
移動というのはあんまり無いのかも。
現ギリシャ人話者の先祖なんていったらアナトリアに住んでた連中がいっぱいいるだろう・・・
アヴァールに限らず、ブルガリアといいセルビア、クロアチアといい
南スラヴ人は遊牧部族起源の名で呼ばれるのが多いな。
テオファネスがあげる「ニケフォロス帝の悪行」のひとつに
「キリスト教徒をスクラヴィニア(スラヴ人の土地)に強制移住させた」
というのがあってペロポネソスの再移住と関係あるのかもしれないが
「どこの」スクラヴィニアだか書いてないので断言は出来ないそうです。
666 :
世界@名無史さん:2008/07/22(火) 00:29:43 0
ビザンツの輝ける文化人オールスター大賞!!!!
修辞学 マクシモス・プラヌデス
古典文学 フォティオス
小説 ダマスクスのヨハネ
説教文学 ニコメディアのゲオルギオス
聖人伝 ヨハネス・モスコス
神秘主義 テオドロス・ストゥディテス
地理学 ヒエロクレス
医学 トラレスのアレクサンドロス
668 :
世界@名無史さん:2008/07/22(火) 00:41:42 0
歴史と伝記
プロコピオス、コンスタンティノス7世、アンナ・コムネナとか
有名すぎるか
669 :
世界@名無史さん:2008/07/22(火) 20:56:22 0
東ローマ帝国って本当に栄光の文明帝国だよな。
そりゃ宮廷では陰謀姦計が渦巻いていたが、
西欧の宮廷だって無垢なものではないだろ。
相手が異教徒だ異端だとすぐ武力に訴える西欧の方が
まさしくバルバロイ。
670 :
世界@名無史さん:2008/07/22(火) 22:42:52 0
>>669 光が明るければ、影もまた濃い
という格言(?)を思い出した。
671 :
世界@名無史さん:2008/07/23(水) 00:26:47 0
「ギリシャの火」の秘密は、帝国滅亡まで守られたのですか?
>>671 最後の最後まで使ってたらしいって話は、どこかで読んだけどなぁ
十字軍時代には様々な焼夷兵器がその名で呼ばれていた。
>>671 マルタ島攻防戦でマルタ騎士団側がオスマン軍に対し使用しているし
あと11世紀頃、コーカサスの小国でも作られ使われていたよ
へぇマルタ騎士団使ったのかー
西欧に製法伝えてくれればよかったのに
ルイ9世の十字軍に対して当時のアイユーブ朝軍も
同様の火炎放射器使ってるよ。
アイユーブ朝はスラブ人の血が濃いカリフがたくさんいたんだよね
>>676 聖王ルイの十字軍に対して用いられた「ギリシャ火」は
投石器で発射する「火の玉」のようなものだった。
おそらくムスリムの側では「ナフト」と呼んでいたかもしれない。
679 :
世界@名無史さん:2008/07/24(木) 22:39:21 0
『コンスタンティノープル千年 革命劇場』って本面白いね。
参考文献がないのが残念。
>>675 その当事は西欧では知られていたよ
ただ使える状況が限定されているため、使いづらかっただけ
マルタのバレッタ要塞のような三方が海の防衛戦だとギリシア火は効果的な威力を発揮した
相手が木造船だとまだ命中率の悪い当時の初期的火砲より高い確率で敵船を炎上
させる事が出来るからね
結局イェ二チェリを含むオスマン軍4万はそれより少数のマルタ騎士団らに敗れた
絶頂期のオスマン軍を破った西欧はかなりの自信を得たと思う
681 :
世界@名無史さん:2008/07/27(日) 19:39:49 0
>>679 ずいぶん前だけど、その本の最後にある「あるビザンツ人からのメッセージ」を
本屋で立ち読みしてからビザンツ帝国のことが気になっていた。
ややこしく面倒な国、面白い国だなとずっと思っていた。
最近になってビザンツ帝国の本を読み始めました。
>>647 アッパース朝歴代カリフも負けずにすごい
第10代ムタワッキル 斬殺
第11代ムンタシル 毒殺
第12代ムスタイーン 暗殺
第13代ムウタッズ 炎天下にさらされ冷水を飲まされ絶息
第14代ムフタディー 拷問のうえ殺害
第17代ムクタディール黒人に首を斬られ死体は数日の間晒される
第19代カーヒル 両眼くり抜かれ後乞食として死去
第21代ムッタキー 両眼を潰され投獄
第22代ムスタクフィー同じく両眼を潰され投獄
>>682 つまりは、珍しくもなんとも無いんだよね
オスマンにいたっては、スルタンに即位した時点で他の兄弟皆殺しなんて時期もあったし
中国の歴代皇帝とか、イングランド王とかも並べてみると結構アレだし
中世の君主なんてなるもんじゃないな
ヴァリャーギ ビザンツの北欧人親衛隊って本が出ているけど、読んだ人いますか?
>>685 ハラルド・ハルドラーダの活動とかに詳しいのかな? wktk
688 :
世界@名無史さん:2008/08/02(土) 12:07:28 0
ニケフォロス2世フォカスって最高の名君だな。
飢饉につけこんで小麦の値段上げて国庫増収upって、並大抵の君主じゃねーぞw
原油価格上がってる今ガソリン税上げて国の借金返済とかそんなもんだろw
>>688 ただ、最期が嫁に裏切られて暗殺だけどな
「今までの皇帝は金で問題を解決したが、ニケフォロス帝は武力で解決する」とか役人がリュートプラントに言ったらしいな。
691 :
世界@名無史さん:2008/08/03(日) 01:05:29 0
お前らオススメのビザンツ本おしえてよ
英語かドイツ語で
>>691 英語だったらプロコピオスとかアンナ・コムネナの本の英訳があるから、それ読めば?
693 :
世界@名無史さん:2008/08/03(日) 01:17:16 0
英語のビザンツ史概略の本って、美術関係に偏ってたり妙な袋小路に突っ込んでて
まるで通史になってない本が多いと思うのは俺だけ?
>>693 そこでオストロゴルスキーですよ。ドイツ語だけど。
米アマゾンだとWarren Treadgoldのビザンツ通史が高評価のようです
根津先生大口の研究費当たったのかな?中身はよく分からないけど凄そう。
これで個人蔵書かよ・・・さすが本物のビザンツ人は違う・・・
漏れの蔵書なんて古本屋に売っても5千円にもなるまい・・・orz
>本物のビザンツ人
イコノミデス教授が?
701 :
世界@名無史さん:2008/08/03(日) 22:26:57 0
691です。みなさん親切にありがとうございます
えふはりすと
>>647 3代・4代ぐらい、まともに皇帝が代わって、前任者が殺されずにすんだ例が何度かあるだけで
遥かに当時としてはまともな気が<ビザンツ
分裂以前のローマ帝国なんて、五賢帝時代(ルキウス=ウェルス含めて6代)
以外、3代続けて、暗殺も戦死も自殺もせずに皇位が続いたケースが一度も無いのに
>>703 そうそう。帝政初期でさえ、カリグラからウィテリウスまで全員まともな
まともな死に方してないし。
ビザンツだけを陰惨とか何とか言うのは、明らかに西洋の誇張だね。
まあドロドロの宮廷っていうのも魅力的だがなw
しかし本当に素晴らしい国だな。
エーゲ海の形とか、ドナウ川の流れ。
あの辺りの地形は本当に絶妙だ。
急にスレの流れが止まったな。
皆、夏休みの宿題で忙しいのだろうか?
707 :
世界@名無史さん:2008/08/21(木) 21:37:53 0
前に出たビザンツ風架空帝国のライトノベル
続編出して欲しい。
「ビザンツ的専制」という用語を作るべき。
>>682 イスラームは正統カリフ時代から暗殺が多い気が
710 :
世界@名無史さん:2008/08/22(金) 19:38:41 0
ビザンツってよく考えれば不幸な立ち居地だよな、現在
ヨーロッパ(あくまで西欧中心の現在の話だけど)でもなくイスラム圏でもない
だからマイナーなんだろうなぁ
ものすごく重要な国だと思うんだけどね
711 :
世界@名無史さん:2008/08/22(金) 21:12:53 0
ビザンツと言う国は滅んでも、文化や宗教はロシアやイスラムに引き継がれた
んだからいいんじゃない
712 :
世界@名無史さん:2008/08/22(金) 21:18:26 0
トルコやギリシャにも引き継がれた
音楽も料理も
逆にビザンツ帝国の崩壊と同時に途絶えたものってなんでしょう
714 :
世界@名無史さん:2008/08/22(金) 23:16:52 0
ローマ帝国の真の継承者>途絶えたもの
同じようなものだけど、ローマ人って概念とか
つーか、ビザンツ時代って人種差別的なことってあったんだろうか
どうも帝国臣民であれば何民族だろうとローマ人だった気がするんだけど
バルバロイに対しては差別的と言えないこともない。
味方の傭兵でも悪口を言っている。
トルコ人の同盟者だったヨハネス6世の回教反駁論は
生で見たトルコ人についての知識が盛り込んであって面白いらしいが
一部引用しか読んだことがない。
ローマ人って概念と民族は別のところにあるんじゃないかなぁ
ビザンツが滅亡した時に失われた物…ギリシアの火
もしオスマンがビザンツ攻略失敗しても近いうちに滅んでいたのかねぇ
1453年に守りきれても時間の問題だっただろうね
オスマンの領土の真ん中にコンスタンティノープルがあるって状態だったから
721 :
世界@名無史さん:2008/08/27(水) 12:37:44 0
ティムールにオスマン帝国が敗れたときに何かしら打開策を行えてたら良かったんだけどね
あそこで何も出来なかった時点で帝国の滅亡は決定していたようなものなのかも
最後のチャンスだったろうし
何かする力さえなかったわけで…
ティムールが去った後オスマン朝が体勢を立て直したのはバルカン半島側だったというのが全てを物語ってる気がする。
アナトリアではトルコ系ベイリクが次々と独立したというのに。
724 :
世界@名無史さん:2008/08/27(水) 22:16:30 0
結局、十字軍に一度滅ぼされた時点で命運は決まっていたのかもね
725 :
世界@名無史さん:2008/08/27(水) 22:46:09 0
むしろオスマン帝国のおかげで、
コンスタンティノープルのギリシャ人官僚は、権力中枢のポジションを保持できたといえる。
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
【ローマ】西ローマ帝国が滅びるのをそっと見守るスレ【陥落】[ローマ]
ユスティニアヌスとテオドラは無能[ちくり裏事情]
ベリサリウス>>>ナポレオン、カエサル、アレクサンドロス、チンギスハーン [ビザンツ]
マンジケルトの戦い、どうすれば勝てたか?[ビザンツ]
コンスタンティノス11世ですが首都が陥落しそうです[世界史実況]
ギコナビだったのにIEで確認しちまったじゃねーか
【ローマ】西ローマ帝国が滅びるのをそっと見守るスレ【陥落】
1 :ホノリウス:04/01/11 14:28
見守ろうじゃないか
2 :世界@名無史さん:04/01/11 14:34
お前が見守ってどうする
3 :世界@名無史さん:04/01/11 15:13
いい加減ラヴェンナから動いてください
4 :世界@名無史さん:04/01/11 15:23
氏ねよ
5 :世界@名無史さん:04/01/11 18:43
【ローマ】【陥落】じゃねえよ、アホか
6 :アラリック1世:04/01/11 18:49
西ゴート王だけど何か質問ある?
7 :レオ1世:04/01/12 01:10
>>6 早く出てけ
730 :
世界@名無史さん:2008/08/28(木) 21:32:31 0
マケドニア朝のゾエ女帝が争乱に巻き込まれそうになった時
群衆が「父も皇帝、祖父も皇帝だった!」と叫んだとか聞いたけど
これは世襲王朝を積極的に肯定するという意味なのかな。
731 :
世界@名無史さん:2008/08/28(木) 21:34:15 0
ホノリウス帝の「ローマが陥落しました!」との報告を受けての
「何?朕の鶏が死んだ?」と言うのは嘘なの?
733 :
世界@名無史さん:2008/08/29(金) 01:01:38 O
>>731 国名や首都名をペットにつけた例って聞いたことないし、
創作じゃね?
ところで何かの本(塩野のチェーザレボルジアかな?)で読んだんだけど
ビザンツ帝国のパレオロゴス帝に近かった(親戚かな?)都市国家が
イタリアにあったって読んだんだけどあれって本当なのかな?
イタリアといえばストラディオト軽騎兵隊
カタフラクトと重装歩兵とギリシア火がビザンツ軍の主力?
カタフラクトみたいなのが主力だった時期ってどのくらいあっただろうか…
ギリシア火が主力というのも頷けない
海軍力を無視しすぎ
中期以降の法学ってどうなってたんだろう?
12世紀頃、西方ではボローニャでローマ法が再興して今に伝わってるけど、
ビザンツ発祥で現在に伝わった法理論って・・・
まあ元首政期の法学者が偉大すぎて
市民法大全を作成するときにすら、上っ面を理解するのがやっとだったとかきくけど。
740 :
世界@名無史さん:2008/08/29(金) 20:28:50 0
>>707 割と珍しいと思われる
ビザンツ帝国がモデルのライトノベル
小田菜摘『そして花嫁は恋を知る』(集英社コバルト文庫)。
続刊が10月に出るそうな。めでたい。
742 :
世界@名無史さん:2008/08/29(金) 23:25:51 0
>>736 ビザンツって言うと外交で戦争回避していざ戦争には傭兵戦力大量投入という国というイメージがあるな・・・
>>742 つーか、近代に入るまで、特にイスラームも含めた西方世界は、傭兵が軍の主体だよ。
>>742 一応バシレイオス2世のころまではテマ制もまだ機能していたし、傭兵依存はさほどじゃなかったかと。
とはいえ当時でも万単位の傭兵を動かしてたみたいだけど。
マンツィケルトの頃にはテマ軍は貧弱な装備のお荷物状態だったようだが。
>>739 その、ボローニャで復興したローマ法自体、どこから持ってきたのかと(ry
>>742 千年もあるんだぞ、日本で言えば古墳時代から室町時代、中国で言えば五個十六国から明までだぞ。
その間にどれだけ変わったと思ってるのかね。
>>743 ヨーロッパはよく知らんが、中近東イスラム圏で傭兵が軍の主力になるのはむしろ近世からで
しかもオスマン朝や後期マムルーク朝など一部の国
遊牧部族兵や采邑地の収入によって装備など自弁する軍人層が
とくにアッバース朝衰退後は主力となった
コンスタンティノポリス陥落時の状況…文化水準は高いのに内憂外患と僅かな領土、
>>742の外交手段、外国の傭兵主力の防衛……。
あれ?今の日本も………
>>747 今頃気づいたのかい?www
我々はパレオロゴス朝を生きているのだよw
ただし、日本は外交のテクニックが全然ないけどね。
そこが大きな違い。
プレトンなんかは訓練された市民軍による国土防衛を提唱していたようだが
そのアイデアがモレアスの命運を左右した気配はない。
むしろイタリアのマキャベリあたりに影響したのかもしれん。
ビザンツ帝国には三重城壁があったが日本にはない。
お、イサキオスが退任しやがったぞ!
Aytokratorike Froura
Tagma Thrakes
タグマ・トラキスは分かるけど上が分からん
誰か教えてくれないか?
なら次の首相争いは中国ロシアにアメリカも加わった大争奪戦だなw
で、勝者を支援した国が内政干渉してくると。
そういや、パレオロゴス朝初期の領土と今の日本領土は面積同じくらいじゃね?
最後は中国の次期首席を日本の首相が勝手に擁立してブチ切れた中国が日本を巨大ミサイルと10万の大軍で包囲しそう
……で、艦隊の山越えは何に例えれるんだ?
755 :
世界@名無史さん:2008/09/02(火) 20:42:47 0
オスプレインメンアットアームの、アレクサンダー、ビザンツ、オスマンを
見ていてふと思ったんですが、なぜアレクサンダーの時だけ軽装なんですか?
装備ではなく服装が。
概ね同じ地域が中心で、戦争した地域もかなり共通しているのですが。
紀元前と中世以降はそんなに気候が違ってきたんでしょうか?
>>755 こっちで聞くことじゃないだろ
だいたい中世は古代と違って騎兵中心だから一概に比較できないし
>オスプレインメンアットアーム
「ビザンティン帝国の軍隊」の著者のイアン・ヒースは同じシリーズで後期ビザンツ軍を扱ったのも出してるが
15世紀のビザンツ騎兵のイラストとかほとんどトルコ人みたいな風体になってたな。
AOCで言うカタフラクト、近衛騎士、らくだ騎兵、ハサーの組み合わせはリアルのビザンツにあったのか?
とあるゲームでビザンツが現代まで続くファンタジーシナリオを作ろうとしたけど
艦船の名前や地名なんかですごく苦労したな
>>759 Paradoxのゲームですね。わかります。
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
あなたとは違うんです!
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
762 :
世界@名無史さん:2008/09/04(木) 15:19:00 0
エルサレムで第二神殿時代とビザンチン帝国時代の城壁を発掘
【9月4日 AFP】イスラエル考古学庁(Israel Antiquities Authority)は3日、エルサレム(Jerusalem)旧市街の
はずれにあるシオン山(Mount Zion)から、2100年以上前の第二神殿(Jewish Second Temple)時代の城壁、
およびビザンチン帝国時代(西暦4-7世紀)の城壁の一部を発掘したと発表した。
第二神殿時代の城壁は、紀元前2世紀のハスモン王朝時代に建設された、高さ3.2メートルの塔および
城壁の一部。西暦70年、ローマによりエルサレムの第二神殿とともに破壊された。現在のエルサレムの城壁は、
16世紀のオスマン帝国時代に建設されたものだ。
同庁の考古学チームのYehiel Zelinger氏は記者会見で、「エルサレムは第二神殿時代とビザンチン
帝国時代に最も栄華を極めた。第二神殿時代には、世界中のユダヤ教徒が神殿めざしてエルサレムに巡礼し、
ビザンチン時代にはキリスト教徒の巡礼地になった」と話した。
19世紀末にもパレスチナ探査基金(Palestine Exploration Fund)の英考古学チームが同じ場所で発掘を
行っている。今回、再発掘するにあたり場所が特定できなかったため、当時の地図と最新の地図とを比較して、
場所を特定したという。発掘では、当時の発掘隊の「置きみやげ」である靴、ガスライト、ビール瓶や
ワインボトルの破片も見つかっている。(c)AFP
http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2513322/3287275
>>760 よく分かったね
CK持ってないから小アジアの地名の変更に苦労したのなんのって
未だにカラマンとかビザンツ時代になんて呼ばれていたのか分からんし
大変だったよ
>>758 ラクダ騎兵が役に立ちそうな領土なんてせいぜいシリア(それも初期ビザンツだけ)ぐらいだし
別な使い道として考えられる隊商の護衛なんてしないで商人勝手にしてだし
わざわざ持ってたとは思えないけど
765 :
世界@名無史さん:2008/09/05(金) 16:40:18 0
塩婆の文庫本読んでて248年のローマ千年祭のところ読んで、二千年祭ってやったのかなあって
思ったのだけど、どうなの?
ニケーア亡命帝国の頃だけどひっそりやったりしてないの?
ミカエル[世って評判悪いけど
俺大好きなんだよなぁ
この人のおかげでビザンツの歴史に興味を持ったよ
>>766 むしろビザンツ好きなら惹かれる奴は多いだろ
本当に評判が悪いのはこいつらだ↓
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
あなたとは違うんです!
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
ゲロ兄弟も憎いけど
マンツィケルトで裏切った貴族共も晒し首にしたいね
アンゲロス朝だとパレオロゴス朝中盤あたりからの内戦に比べれば亡国感が少ない
ビザンティン料理とビザンティン音楽の資料って全くないよな。
11世紀頃にジプシー音楽が伝わったって話はあるけど
しかしギリシャ人は今でも東ローマの生き残りだって自負してるみたいだな
こないだのテレビ番組でギリシャ人のおっさんおばちゃんがアヤソフィアで聖歌歌いながら泣いてたぞ
ここがイスラム教国のものだなんて絶対に認めないとか言いながら
772 :
世界@名無史さん:2008/09/06(土) 09:41:27 0
未だに自称がヘレネスじゃなくロマイオイの人も結構いるらしいからな
トルコとギリシャじゃ魅力が段違いだなぁ
嗚呼、ビザンツ帝国とまではいわないまでも、せめてセーヴル条約さえ履行されていたら・・・
774 :
世界@名無史さん:2008/09/06(土) 11:37:58 0
元々、現ギリシャはコンスタンティノープルを首都にして独立しようとしてたんだから。
>トルコとギリシャじゃ魅力が段違いだなぁ
何故?
トルコ人の女の子のほうが格段にかわいい気がする
>>776 そりゃ突厥くずれと欧州のゆりかごじゃ魅力に差があるさ
仮にコンスタンティノープルとアナトリア西部を奪回したとして、
国名はどうするんだ?
ローマ共和国だとイタリアの国と間違えそうだし、ロマニアは既にルーマニアが使ってるし、
ギリシャのままじゃしっくりこない。
黒海沿岸はポントス共和国で決まりなんだが・・・。
ヴェ二ゼロスあたりはコンスタンティノープル奪回の暁には自分がローマ皇帝に・・・
とか考えてたりして。まあ無いか。
名前は難しいよなぁ
自称はあくまでローマ帝国だったし、西洋人が作ったビザンツは使わないだろうし、だからといってローマの後継を名乗るならギリシャは使わないだろうし
Basileia t?n R?mai?nだったんだからRepublic of Romaionでロマイオン共和国とか?
(ギリシャ語は詳しくないからおかしいかもしれん)
いっそEast Romanian Empireでよくね?
普通にギリシャ王国でいいんじゃないの
784 :
世界@名無史さん:2008/09/06(土) 18:03:13 O
大ヘラス共和国
ヘレネスなら独立した都市国家のゆるい連合体でなければならない
>>779 しかし
>>773はセーヴル条約なんかを問題にしている所から見て
近代国家のトルコとギリシャについての話をしているようだが?
両国のナショナリストがそれぞれ自分らの遺産と考えてるものの中から
適当に取捨選択していいのなら、「ムスリム・オスマンルとその旧帝国の
辺境のクレフトと叛徒の吹き溜まり」という組み合わせも可能になるよw
(後者はあながち間違いでもないから困る)
>>786 779も773も両方とも俺なんだ
IDが無いからわかり辛いね
そうでしたか。失礼。
789 :
世界@名無史さん:2008/09/06(土) 20:11:24 O
マグナ・グラエキアでOK
コンスタンティノープル自由国で。
いっそのことローマ帝国で
そしてイタリアと大喧嘩
しょっぱい国同士w
そしてイタリアもローマ帝国を名乗り始め・・・
西ローマ帝国と東ローマ帝国と欧米から呼ばれるんですね
さらにドイツとロシアも・・・
くわえてフランスとスペインも・・・
EUがローマ連邦を名乗るんですね、わかりません。
神聖ローマ帝国とガリア・ローマ帝国と自称第3のローマ帝国
スペインはなんだろう?
ガリア帝国だからスペイン込みって考えたとか?
>>799 いや、スペインをローマにこじつけた場合の名前にするとどうなるかなと
イスパニア・ローマとかかな
>>775 よくご存知で
>>800 いいんじゃないの
どうせ話題なんて大してないんだしさ
というか自分も話に乗ってきてるじゃないか
東ローマ帝国→ギリシャ
西ローマ帝国→イタリア
第三ローマ帝国→ロシア
神聖ローマ帝国→ドイツ
ガリア・ローマ帝国→フランス
イスパニア・ローマ帝国→スペイン
ルシタニア・ローマ帝国→ポルトガル
オリンピックの入場式はとんでもないことに。
カルタゴ・ローマ帝国(チュニジア)
ヌミディア・マウレタニア・ローマ帝国(アルジェリア)
カレドニア・ローマ帝国(イングランド)
も忘れないでね!
ギリシアがローマを名乗るのに対抗して、
イタリアは大ギリシア(マグナグレキア)を名乗るんだよ
マグナ・グレキア
略してマグレ
「偶然だぞ!」
もしもビザンツが強国として近代まで存在していたらマケドニア人ってどうなったんだろう
領土は今のギリシャ+トルコ+マケドノア+アルバニアくらい?
冷戦時のソ連との関係が気になるな。
東欧のボス面するのが気に食わなくて西側に入るか、
ソ連と一緒に東側を牛耳るか。
ギリシャ・トルコは西側だったから、前者かな。
そもそもロシアがそんなに強国になれなかったかも。
コンスタンティノープルが陥落してコンスタンティノス11世の姪がモスクワに嫁いだからロシアが大きくなったんだよな
>>810 色々あってのオーストリア並みの大国としてWW1を迎えて
枕を並べて二国仲良く崩壊
>>813 それが最も現実的か。民族主義が勃興してくると持たない罠
「天皇とコンスタンティノス16世が晩餐会」とか見てみたいな
>>814 100年後、そこには欧州連盟議員として仲良く議会に
参加するカールさんとコンスタンティノスさんの姿が!
オーストリアだと位置的に大国として生き残れてたら仲悪そうだと思ったが・・・
ドイツとオーストリアの例もあるかw
つーか
ローマ・ブルガリア二重帝国なんてものが妄想されたw
>>817 確かにそうだけど
ウィーン会議でロシアも含めて三帝同盟成立→ロシアが汎スラヴ主義に走り同盟崩壊
そのままWW1へ・・・なんて流れを妄想してみました
>>804 >カレドニア・ローマ帝国(イングランド)
それをいうならブリタンニアじゃないのか?
カレドニアってピクトとかスコットだよな?
ローマにとっちゃ化外の地だろ
>>812 意味不明。
当時のモスクワ大公国はすでにリトアニア領を除くルーシでは圧倒的な勢力だったし
世界列強の一つになるのはまだまだ先のこと。
821 :
世界@名無史さん:2008/09/08(月) 03:49:07 0
コンスタンティノープルを君府と訳したのは名訳だと思う
ツァーリグラードだな。
直訳なら帝都かもしれんが。
823 :
世界@名無史さん:2008/09/08(月) 15:18:18 0
東ローマの「初代」皇帝はアルカディウス帝ということでいいの?
君棲担帝納府留
>>823 ローマ帝国と連続してるから初代皇帝はアウグストゥス(オクタウィアヌス)厳密に東ローマで分けることは無理。
というかいわゆる「東ローマ(ビザンツ)」って中世のローマ帝国の事だから。
色々屁理屈捏ねられる罠。
初代ローマ皇帝アウグストゥス、遷都したコンスタンティヌス
コンスタンティノープルに居着いたテオドシウス
東西分割後の東帝アルカディウス
東ローマ帝国じゃなくて本来はローマ帝国東部管轄区みたいな感じだし。
でも、西が滅亡して東方に発展したわけだから東ローマ帝国でもいいし、
首都から名前を取ってビザンツ帝国や新ローマ帝国でもいい。
一番いいのは、「キリスト教化されたギリシャ人のローマ帝国」。
トルコの大統領がアルメニア訪問したらしいね
時代は変わるもんだ
831 :
考える名無し:2008/09/11(木) 16:03:43 0
東京財団仮想制度研究所(VCASI/
http://www.vcasi.org/)公開研究会「社会のルールについてV」のお知らせ
日時:9月30日(火)13:00〜18:30(18:30〜懇親会)
場所:日本財団ビル2階第1会議室(
http://www.vcasi.org/access.html)
13:00-14:30
源河達史先生(新潟大学)
「テクストのヒエラルヒー,権威のヒエラルヒー---制度としての教皇権の確立(12世紀半ば)---」
14:40-16:10
岡崎哲二先生(東京大学)
"Role of courts in economic development: A case of prewar Japan" (with Masaki Nakabayashi)
16:30-18:00
中林真幸先生(東京大学)
"Physical, standard, or firm specific human capital? Transition of wage system in Japanese steel industry."(仮)
18:00-18:30
全体討論
---------
お忙しい中恐縮ですが、ご都合のつく方はぜひご参加いただければと思います。ご参加可能の方は
[email protected] にお知らせ下さい。多くの皆様のご参加をお待ちしております。
832 :
世界@名無史さん:2008/09/12(金) 14:26:09 O
今ギリシャ人はイスタンブールをどう思うんだろうか?俺なら取り返したいと強く願う
取り返してもトルコ人どうするよ? まさか民族浄化?
ちなみにトルコ人はギリシャ人ファックらしい。悲しいことだ。
トルコ人の中には先祖は同じギリシャ正教徒だった人もいるだろうに。
全員にローマ市民権を与えて解決
最早、取り返しの付かないくらいイスラムにレイプされてるからなぁ。>コンスタンティノープル
ギリシャが奪回してもモレアス専制公領の二の舞にしかならん希ガス。
何よりEUや欧米が支持するのかね?
イスタンブールにはコンスタンディヌーポリ総主教庁があるじゃないか!
でも取り返すのはムリだろうね
昔はイスラム教徒とキリスト教徒はそれなりに仲良くやってたと思うんだが
そもそも十字軍が(ry
839 :
世界@名無史さん:2008/09/13(土) 07:49:05 O
第一次世界大戦のどさくさに紛れて攻めこんだことがあったよね。トルコにあの英雄がいなかったらなあ
みんなギリシャによるコンスタンティノープル奪還の話ばかりするが
ケマリズムこそローマ皇帝に通じるものを俺は感じるが。
成功したパレオロゴス朝皇帝って感じがする。
>>840 政教分離じゃローマ後期〜ビザンツと逆だもん
政教分離が時代の要請ならば政教分離をすることで
帝国の命脈を保つ柔軟性こそビザンツの真髄だと思う
>>842 どうなんだろう。
そこは「神の代理人である皇帝による統治、最後の審判まで続く帝国」は帝国のレーゾン・デートルに関わる
それを失くした国家はもう近代の国家であって、中世ローマ帝国たるビザンツではないわな。
そうなったら「ローマ帝国」である!ってことで押し通すしかないか。
まあ、ローマ帝国というものの内実も、何度も変遷しているわけで。
このうえ変化してもそれはそれでかまわんだろ。
いくらギリシアがEU加盟国だからって国力的にはトルコ>>ギリシアだからなぁ…。
トルコに内乱でも起きない限りコンスタンティノープル奪回は難しいな
ましてやイスラム政権が与党な今、奪回しても内乱激しそう
どうなんだろう、東ローマ帝国をローマ帝国と認められるのは
ローマ帝国から途切れなかった政体だったからで
今更復興されてもソレはローマじゃ無いよ。
そもそも、東ローマを認めないローマヲタが言うには
SPQRも公衆浴場もパンとサーカスも写実的な美術も消滅したローマはローマじゃないなんだから。
元老院と軍隊に推薦され、ローマ市民によって承認された皇帝というアイデンティティはどうだ?
フランスじゃ王党派は、「王のいないフランスなどフランスではない」みたいなこと言ってたなあ
東ローマの皇帝ってロムルスが建国したローマの系譜っていう自覚あったんかね?
あったとしたら、4月21日の建国祭は東ローマになってもやってたのかな
>>850 おまいはどうしてそういうすっとぼけたレスが出来るのかと
852 :
世界@名無史さん:2008/09/17(水) 13:55:20 0
?疑問に思っただけですよ
>東ローマの皇帝ってロムルスが建国したローマの系譜っていう自覚あったんかね?
これ笑うところね。というかそれを自覚してなきゃローマ皇帝じゃないだろ
パレオロゴス朝あたりの皇帝が本音ではどう思ってたかはぁゃιぃけどね
ビザンツの6世紀以降のファッションや料理、音楽の資料が全く無いのな
パレオロゴス朝のコンスタンティノープルは西欧と変わらない町並みだったのかしら
>>855 末期はあちこち荒れ果ててたらしい。競馬場も大宮殿も半ば放棄されてたみたいだし
ガラタ地区はジェノヴァとかが使ってたから西欧風になってるだろうけど
かつて50万とも100万とも言われた人口も14,15世紀ごろはいいとこ7万程度だったらしいから、
街並みも荒れ果て、かなりの部分が廃墟や草むらと化してただろうな…。
>>858 7万でも当時の西欧の諸都市の規模から考えるとデカいんだけどな。
マヌエル2世の時代に「新旧ローマの比較」っていう文章を書いた人がいて、
それが和田先生の『史料が語るビザンツ世界』に載ってるが、そこではさも
反映している大都市のように描かれている。
おそらくは、その時の現在のではなく、史料に残っていたコムネノス朝以前
の黄金時代の記録から引用してるんだろうけど。
中世西欧で七万オーバーなんてイタリア諸都市に少しとパリくらいか。
861 :
世界@名無史さん:2008/09/20(土) 10:36:47 0
コンスタンティノス11世ってまだ有能な存在だったよな。
崩壊直前に臣下に謝罪したっていうのも。
パライオロゴス朝末期は結構有能なのがいたっぽい。もう如何ともしがたい状況ではあったが
863 :
世界@名無史さん:2008/09/20(土) 14:09:31 O
パライオロゴス朝はむしろ前期がダメすぎる。
初代がまるっきりのサン奪者なのも痛い。
>>863 それを言うならマケドニア朝の初代も…
パレオロゴス朝は皇室内部の争いが多すぎたのが、致命的。
あのままニケーアであと百年ほど落ち着いて国力上げてたら
オスマンの芽を早いうちに摘み取れたかもな。
あ、ティムールとガチで激突するだろうから結局はアレかな。
>>863 とは言ってもそれ以前からパレオロゴス家は帝室の傍流ではあったじゃん
まったく無関係のところから乗っ取られたわけではない
>>か866
コムネノス朝以降は、コムネノス・ドゥーカス一門からしか皇帝は出てないからな。
異教徒の旗、デジタル処理によってカイセリ要塞に掲げられることに
2008年09月20日付 Hurriyet紙
アナトリア文明を取り上げた「アナトリア」というドキュメンタリー制作中に、カイセリ要塞に掲げられ、
一部のカイセリ住民を激昂させたビザンツの旗が、再びデジタル処理によってカイセリ要塞に
掲げられることになった。
ドキュメンタリー撮影は四日ぶりに再開された。歴史的な時計塔の前での撮影を多くの人々が見物していた。
しかしカイセリ要塞の城壁には、十字架の描かれたビザンツの旗の代わりに、トルコ国旗とアタテュルクの
ポスターが掲げられた。監督のタンヨラチュ・テュルクベンは、カイセリ要塞での撮影は取りやめて、旗を
デジタル処理し、合成する予定であると語った。
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20080920_152438.html ビザンツなんてもうとっくに過去の歴史の上の出来事なのに、当事者には旗一つ掲げるのも
色々厄介なのですなあ。
>>868 現代ギリシャと重なって見えるんじゃない?
こっちから見ると後継国家なの?だけど
>>869 旗がビザンツだからということよりも十字架なことに憤ってるんじゃないの。
トルコの大学生にビザンツ帝国について意見を聞いたことがあるんだけど、
そんなに詳しくないからわかんないなんてそっけない返事が返ってきたくらいだからな。
おそらく、双頭の鷲の旗なら誰も怒らなかったんじゃなかろうか。
871 :
世界@名無史さん:2008/09/28(日) 15:04:17 0
youtubeでトルコとギリシャを検索すると、さながらネット上での
戦争みたいになっている。相当仲が悪いと思っていいのでは。
872 :
エビちゃんファン:2008/09/28(日) 16:04:16 0
ギリシャ人からすればトルコは不快な存在でしょうね。
何せ東ローマ帝国の首都を落とした後、改名して現在まで領土じゃん。
エフェソスもトロイも二ケーアもアンテオキアも現在はトルコ領でしょ。
ギリシャ人は小アジアまで基本的にはテリトリーだったけど、
アジアのテリトリーを全部取られた上に、
まだイスタンブールと改名されたコンスタンティノープルを含む
東トラキアまでトルコ領なんだ。
しかも、エフェソス、トロイなどのギリシャ時代の建築物はトルコの観光資源でもある。
決してイスラム・トルコ時代でないから破壊したという訳ではない。
ギリシャ人がトルコでギリシャ時代の建築物を観光するのは、良い気がしないだろう。
最終的に20世紀初頭に小アジアのギリシャ人はほとんどトルコ政府に追放されて、
そこが主要な観光名所の一つとなっているのだ。
このギリシャ人が追放された当時の小アジアは
トルコ人、ギリシャ人、アルメニア人、クルド人がそれぞれ襲撃し合い、
全て武装せざるを得ないひどい状況だった。
この状況でギリシャ人はペロポネソスとマケドニアに追放され、
ユダヤ人は欧米かパレスチナに多くが逃げたと思う。
ギリシャ人がレコンキスタをするとなれば、
当然トルコ人を小アジアから中央アジアに追放する運動になるだろう。(今時あり得ないが)
そうなれば、トルコは存在できないから仲が悪いのは当然なんだ。
ちなみにギリシャ人からすれば、ビザンツ皇帝を追放してラテン王国を建てたバチカンと西欧人は
イスラム勢力に侵食されたギリシャ人を見殺しにして中東を乗っ取ろうとした奴等に見えると思う。
これでイスラエルで中心となっているアシュケナジー・ユダヤの祖先が
突厥つまりトルコ系だとすると思いは益々複雑になるだろう。
一見時系列で離れすぎているように見えても、
西洋の方ではフェニキア系、ギリシャ系、ユダヤ系、アルメニア系、ローマ系、ゲルマン系、
ケルト(=欧州先住民)系、スラブ(=白人奴隷)系の古代からの怨念が極東とは比較できないくらい強く残り、
複雑な国際政治に反映していると思う。
873 :
世界@名無史さん:2008/09/28(日) 16:09:47 0
アンダルスがムスリムに征服されたり
イスタンブルや小アジアがギリシアに征服されたりすることもあるかもしれんね
874 :
世界@名無史さん:2008/09/29(月) 00:38:56 0
ケカウメノスのストラテギコンの翻訳でないかな。
とにかく読んでみたいんだが。。。
>>871 ヨーロッパの旧オスマン領はだいたいそんな感じだね。
まあバルカンの方が酷いw
876 :
世界@名無史さん:2008/10/01(水) 12:24:41 0
>>857-859 アステカを侵略した香具師の中に、コンスタンティノープルに滞在経験のあったやつがいたそうだが
コンスタンティノープルよりアステカの首都の方が凄かったという証言がある訳で。
>>876 滞在した時期は、ちょうどビザンツ末期の荒廃期からオスマン初期だろ。
そりゃテノチティトランの方がすごく見えるだろ。
テノティティトランもコンスタンティノープル同様
ヲタに人気がある街だね。
テノチティトランは最盛期で人口30万とか言うから、
確かにビザンツ末期〜オスマン朝初期より栄えてそうだな。
15世紀末のコンスタンチノープルは数十万→数万へ減少した廃墟から復活しつつある状態だし。
880 :
世界@名無史さん:2008/10/01(水) 19:58:02 0
ビザンツ帝国がモデルのライトノベル、続篇が出た。
今度も帝国の皇女が主人公だが、年代は前作の500年後。
哀れ黄金の都は異教徒の大軍に包囲され、帝国自体も
都と僅かに島嶼部を残すのみというパレオロガス朝末期状態。
嘗ての栄華は今何処、皇女とてろくに侍女も無く
自ら身繕いをせざるを得ない有様。
で、北のモスクワ大公国がモデルの国に皇女が援軍を要請しにいくのだが・・
というお話。
丁度、マヌエル2世が自らフランスやイギリスに援軍要請した辺りか。
え、500年ってエイレーネ生きてないじゃん。
とか思ったら表紙みて納得。黒髪のお姫様じゃないか。
トホホ、エイレーネはもう出てこないのね。
883 :
世界@名無史さん:2008/10/01(水) 20:31:48 0
>エイレーネ
それは俺も残念だった。
是非とも前作の文字通りの続き、
王妃になったエイレーネ皇女やアルファディル王、グラケィア女帝たちの
物語を書いてほしかったよ。
ただ新作も新作で面白い。
tes
何この宣伝レスw
886 :
世界@名無史さん:2008/10/04(土) 11:39:16 0
図書館で「ビザンティン建築」って本を借りたんだが、
「ビザンティン建築とは外からながめるものではなく、
内部でモザイク画と装飾を鑑賞するのが本来の在り方なんだよ!」
「な、なんだっt(ry」
とまとめてあって、ものすごく納得しました。
外からながめるのを主眼に置いた、ロシア建築と比べると、
ものすげーよくわかる。
>>886 そりゃ教会は中の祈りの空間、天国や神の世界を体感する空間の方が大事だろ。
だからこそのドームなのであって。
そのモザイクを漆喰で塗り潰した馬鹿な国があったなぁ。
逆にソレが保存になったってのも皮肉な話だが。
引っぺがすのは流石に気が引けたので、封印した…とも解釈出来るな。
元恋人の写真を燃やそうと思ったが、結局出来ずに穴に埋めた…みたいな。
経験談乙w
>>888 よくそれぐらいですんだと思う
現代に世界遺産の石仏爆破した政権があったぐらいだもん
逆に中世には西欧もいろいろうやってる
西欧ってせいぜいメスキータくらいのもんだろ。
つか、メスキータ自体が元々教会なんだから取り戻したって言うほうが正しいし
保存状態は悪くないし。
オスマントルコは聖ソフィア大聖堂をフルコピーしたりと、
世界史的に見ればそんなに悪いほうでもなさげだがな
>>892 南アメリカでマヤ文字の本ガンガン燃やしましたが何か?
>>893 あれは完全な蛮行だからな。
あれでメソアメリカに伝えられてきた、文化・文明は破壊されてしまった。
それに比べりゃオスマンは確かにマシだ。
イベリア人以外なら少しはマシだったかもね。
西欧はイベリアのイスラム・ユダヤを完全に追放してるからな。
十字軍も酷いし
あくまで主導権を握るだけで他の経典宗教の存在自体は許したイスラムとは排他度が段違い。
まあイスラムも経典宗教以外の宗派に対しては威圧的だが
でもイスラム教はオスマンの時代から進歩して無い様に思える
むしろ退化してるかな
オスマンの時代つったっていつごろのオスマンよ
トルコは寛容なんてアルメニア人の前で言ったら大変なことになろうに。
そもそも寛容な宗教は聖墳墓教会を破壊(これは大昔だが)したり、エルサレム神殿が再建不可能な立地条件に
わざとモスクを作ったりはしない。
>>900みたいなのが「自称寛容なイスラム教徒」です。
エルサレムが邪教徒の手に落ちたのは東ローマの責任だがな。
ペルシアと連戦ではなぁ…仕方ない。
トルコは確実に退化してるな
クルド人やアルメニア人の扱い見てると
アレクサンドロス大王が復活しないかしら
>>904 異端の単性論者どもが裏切ったからですw
>>905 サーサーン朝も東ローマも、戦争で疲弊しきってるところにアラブ人が来たからな。
むしろあの時点で良くイスラムに消されずに持ったよな。
>>906 というより、普遍的な帝国の時代とナショナリズムが勃興した後の時代は別だろ。
トルコ人もオスマン朝時代前半は「トルコ人」より「オスマンの臣民」意識の方が強かったらしいじゃない。
元が突厥もどきの蛮族だもの
910 :
世界@名無史さん:2008/10/09(木) 06:32:01 0
突厥をバカにするな!
>>899 「あの」キリスト教に比べたらさすがに寛容って話だろ
今現在はともかく、キリスト教徒の勢力圏内でイスラムを始めとする他宗教は存在すら許されなかった
唯一ユダヤ教はボッコボコのストレス解消用のサンドバッグとして存在を認められたが
それに比べれば自勢力圏内の教会の一つや二つ破壊なんてかわいいもんだといえる
あくまで相対的にだがな
ああこのキリスト教徒ってのは主に西欧カトリックのことね
ビザンツはまた一味違うと思ってる
たかがローマ司教ごときが偉そうに、とか思ってるのかな>ギリシャ人
日本だとキリスト教=カトリックなイメージになってるな。
ニュー速のとあるスレで偉そうにキリスト教を語ってた奴がいたが、全てカトリックのことだった。
逆にプロテスタントは小さなセクトに分散しすぎて、これだと言うイメージを抱きにくいのがあるかも知れんな。
正教にいたっては存在を知らない人すら多いだろうし。
イスラム教はなんか今が中世暗黒時代って感じ
マヌエル2世の演説は名演説だと思う。
しかし、ソレを今のローマ教皇が引用するのは如何なものかとも思う。
>>913アトス山のスレが立ってた時にカトリックの話ばっかで吹いた。
>>912 コンスタンティノポリスノはモスクがあったりしたからね。
「ローマ人とサラセン人は世界を照らす二つのかがり火」って書いてる総主教もいたくらいだし。
>>913 まあ、日本はカトリックだけ歴史が長いから仕方ない罠。
ロシアのせいで、あまり正教自体のイメージも良くないし。というか、そもそも知られてないし。
>>917 マヌエル2世の場合は、今にもイスラム教国に滅ぼされそうな状態での演説だからね。
919 :
世界@名無史さん:2008/10/10(金) 23:41:48 0
歴史を塗り替える大発見 イスタンブルの歴史は8500年前までさかのぼる Hurriyet紙
http://www.hurriyet.com.tr/gundem/10027341.asp?gid=229&sz=673 イェニカプで4年間続いているマルマライと地下鉄駅における発掘調査で、
イスタンブルの歴史を塗り替えるまったく新しい発見がなされた。歴史や
考古学のコミュニティーで大きな興奮を生み出している発見によると、
イスタンブルの歴史はこれまで知られているのとは異なり、2700年前
ではなく8500年前までさかのぼる。
マルマライ地下鉄工事の一環としてイェニカプで行われている考古学
発掘調査では、今日までにテオドシウス港が白日の下にさらされ、
33隻の船、ビザンツ時代にイスタンブルに建造された最古の市壁、
ビザンツ教会堂、そして何千にものぼる遺物が発掘されていた。
しかし最近実施された発掘では、まったく予想されておらず、また期待も
されていなかった歴史的発見がなされた。テオドシウス港の下層で紀元前
6500年代に属すると推測される4人の骸骨と木製の防衛武器、木製の
調度品と(船の)オールが見つかった。
■イスタンブルで最初の農民
ヴァタン新聞のビュレント・ギュナル氏によると、イスタンブル考古学博物
館長兼マルマラ発掘調査隊長のイスマイル・カラムト博士は、イェニカプ
での発掘調査では4年間で58000平方メートルの場所を発掘したと述べた。
「4年間で大変重要な発見、出土品に到達しました。33隻の船が発掘されま
した。しかし2ヵ月前に私たちの誰も予想していなかった発見に直面しました。
海抜マイナス6メートル地点、テオドシウス港の下層で4人の骸骨が発見され
たのです。この骸骨は紀元前6000年〜6500年のものであり、これはすばら
しい発見です。なぜなら、我々はイスタンブルの歴史を書き直さなければ
ならない状況に直面しているからです!
920 :
世界@名無史さん:2008/10/10(金) 23:43:40 0
イスタンブル周辺では新石器時代の遺物が発見されたことがありますが、
イスタンブル歴史地区では史上初めてこのような遺物が出土しました。
発掘では木製の調度品と防衛のための武器も発見しました。発掘を行った
地域はリコス川がマルマラ海と交わる地点です。今から8000〜8500年前に
その地域に村があり、村人たちが牧畜と農業を営んでいたことは明らかです」
■チャタルホユックと同じ陶器の破片
マルマライ発掘調査と共に発見された村は我々に胸を躍らせるものである。
その村はイスタンブルにおける最初の集住地だったのか?という問いに
カラムト博士は「そうです、その可能性はあります」と答えた。マルマライ
発掘調査での最近の出土品が新石器時代のものだということはどのように
断定したのか?カラムト博士の見解は次の通り。
「人類が狩猟採集から定住生活、そして農耕社会に入った時代、つまり
新石器時代に使っていた道具を我々は知っています。イェニカプで発見
された道具、特に陶器の破片は、そこからの出土品が新石器時代のもの
であることを示しています。実際、アナトリアにおけるこの時代の出土品と
マルマライ発掘調査で出土した遺物を比較しました。発掘調査隊所属で、
新石器時代の専門家であるメフメト・オズドアン博士は、イェニカプで発見
された陶器の破片とチャタルホユック出土の新石器時代の陶器の破片の
間には多くの類似性があることを突き止めました」
トルコがいくら遺跡を発掘しても自国の歴史にならないのがなんかこっけいだね
>>921 そりゃトルコ人自身が移動してきた民族だってわかってるだろ
何でも自国の歴史にしちゃう極東の捏造半島人とは違うべ