最近のネトウヨは反ネトウヨをネトウヨ扱いするらしい。 と、書けばネトウヨ自身が同じ事を言い出す。 みんな、気を付けろ。
444 :
世界@名無史さん :2010/05/10(月) 11:59:42 0
ウィキペディア-
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%88%90%E6%A1%82 女真人説 [編集]
池内宏[8]や山内弘一[4]らは李成桂が女真人或いは女真人の血を引いている可能性を指摘している。
状況証拠としては次のことが挙げられる。
李一族の出身地の咸鏡道は15世紀までは女真人の地だったこと。
李一族は女真人の配下を多数抱え李一族が頭角を現したのはかれらの助けが大きかったこと。
のちに15世紀になって編纂された王朝創建の偉業を称えた『龍飛御天歌』によると、李一族は全羅道の全州出身で古くは新羅に仕えたがやがて咸鏡道に移住した、と書かれているが、後世に潤色されて書かれているため信憑性が疑わしいこと。
モンゴル語で書かれた李家の家系図から、李一族の女直名は完全に記載されているが朝鮮名は不完全にしか書かれいないこと。
ダルガチは原則としてモンゴル人であり、稀に女真人や色目人が任命される事があるが、被支配民族の漢人、ましてや漢人の子分の高麗人が任命されることは非常に不自然であること。
千戸として女真人の統治を行っていたこと。
姓を李氏と言ってはいるが、祖先が元朝の家来で、元の開元路出身であることは明らかであり、モンゴル名を持っていること。(ただし、当時は高麗人貴族もモンゴル名を持っているから、これだけでは女真人とはいえない)
445 :
世界@名無史さん :2010/05/10(月) 12:03:34 0
岡田英弘と宮脇淳子は13世紀モンゴル時代の朝鮮半島と大陸の関係と李氏朝鮮勃興を概説し、 朝鮮の太祖李成桂女真人説について次のように論証している[9]。 その上で史料証拠として『李朝実録』の冒頭『太祖実録』の内容[10]を用いて次のことを挙げている[9]。 『李朝太祖実録』冒頭には「太祖康獻至仁啓運聖文神武大王、姓李氏、諱旦、字君晋、古諱成桂、號松軒、全州大姓也」とあり、本貫が全州李氏であること、新羅の司空李翰を始祖として、以下21代を経て李成桂に至ったとするが、 第16代まではほとんど名だけが知られるにすぎず、第17代(李成桂4代の祖)からやや詳しい伝記がある。その第17代以後の祖先の活動舞台と居住地を通観すると、 前16代につなげるために全羅北道全州(完山)を出発点として、東海岸の三陟から豆満江畔にわたり、 そのほぼ中央に位置する咸興をもって活動の根拠地としたように書いてある。すなわち、全州李氏の出身だというのは後世の捏造で、その証拠に、李氏朝鮮王室で、全州李氏の誰一人として祖先として祀られた人はいない[9]。 『李朝太祖実録』巻一、九頁下、には次のような記事がある。「初三海陽(今吉州)達魯花赤金方卦、娶度祖女、生三善三介、於太祖、為外兄弟也。生長女真、膂力過人、善騎射、聚悪少、横行北邊、畏太祖、不敢肆。」 これを訳すると、「三海陽(咸鏡北道の吉州)にいた元のダルガチだった金方卦(女真人と思われる)が、度祖(モンゴル名ブヤンテムル、三頁下、李子春の父)の娘を娶って生まれたのが三善三介で、太祖の外兄弟(姓が違う兄弟)である。 彼は女真で育ち(女真の族長になった)、腕の力が人並み外れて強く、騎射をよくし、悪い奴らを集めて、北辺に横行したが、太祖を畏れて、敢えてほしいままにしなかった」というのである。 これによると、太祖も女真族としか考えられない。なぜなら、遊牧民や狩猟民は族外婚制をとり、姓の違う集団と結婚関係を結ぶのを習慣とする。 女真族の族長である三善三介が太祖李成桂の外兄弟であるというならば、太祖自身も女真族であったと考えるのが自然である。 『李朝実録』は、朝鮮時代になってからの正史であるから、朝鮮王の家系について、なるべく高麗との関係を重んじるような書き方をしているが、どうしても書き残さざるを得なかったのが、この「三善三介」についての記事である[9]。
日本で客死した直系の養子に入ったのが現当主だろ イヘウォンとその支持者がそれに文句つけてるだけで
ずっと気になってたんだが 伊藤博文の墓に桜と一緒にムクゲが植えてあるんだがあるんだが 当時の韓国の国花ってスモモ(李朝の花)って聞いたんだが なぜムクゲ・・・ それとも日本と似たような感じで 菊は皇室の花だったのに対し桜は民間に親しまれてたように あくまでも当時の朝鮮で民間に一番親しまれてた花がムクゲだったのかな? 北朝鮮とかでもムクゲは親しまれてるのか気になるし (北朝鮮の国花はモクレン)
中国でも国の花はあいまいで 清朝の牡丹がそのまま放置されとるから 細けぇことはいいんだよ。
450 :
世界@名無史さん :2010/05/17(月) 18:04:08 0
中国は人が住む所全部に共通に育つ植物というのは無いのだから、国の花というのはそもそも無理
河北省のサンザシ、広東省のライチー わざわざ遠くから長安に運んできて、陝西省のキィウィと並べて出す それが、最高の贅沢だったんよ
>>448 そもそも大韓民国以前の半島国家で公式に使う国花なんて決まってないだろ
王族(皇族)が個々に使う御徴ぐらいはあったかもしれんが
日本だって欧米諸国と付き合うようになってからもずっと国花を法制化しようなんて気は起こしてないし
ムクゲが民間で親しまれてたってのは確か
古くからムクゲの国と自称したりしてる
北朝鮮は金日成が好んだことを理由に木蘭にしてるそうね
朝鮮半島の歴史を通じて紋章といえるものは全州李氏の李花紋だけ? 他に紋章はないのかね。
454 :
世界@名無史さん :2010/05/19(水) 08:19:02 0
「済州島人は標準語もしゃべれない野蛮人」といわれてますが 耽羅(Tamla)というのは、どんな民族だったのでしようか?
455 :
世界@名無史さん :2010/05/19(水) 17:30:23 0
坂上田村麻呂
琉球人のうち山下洞人や港川人といわれる古いの系統に、耽羅国の住民の形質は近く 剃髪をしていたといわれておる。 言語は、韓国語とは違っていて、ひょっとしたらオーストロネシア語族かもしれない。 済州語と韓国語との差は、韓国と北朝鮮のことばよりも差異が大きくて、何かとのクレオール言語をひきずっているともいわれる。 その何かとは、台湾のカオシャン族のオーストロネシア語族であるとしても、まだ立証できていない。 耽羅は、15世紀に高麗王朝の支配下に入っているので、その時がクレオール化が開始とみるべきか。 耽羅とは、魏志東夷伝のころの名は、州胡であり みしはせ=粛慎とは全然違う南方系の集団であったといわれる根拠は、済州語クレオール言語説由来。
>>456 高麗は1392年に滅んだんじゃなかったっけ?
>>456 そもそも朝鮮語自体がハングル成立以前にさかのぼれないじゃん。
今の朝鮮民族がどこからいつ来たかも分かっていない。
少なくとも、高麗までの言語とは違うだろ?
郷歌、吏読なんかを見ても…
郷歌は新羅・高麗で作られたが、李朝になってその伝統は途絶えた。 吏読は19世紀まで残ったが、その読みは元の漢字と全く異なっている。 郷歌も強引に朝鮮語で読み下しているが、その読みは元の漢字と全く異なっている。 要するに、新羅・高麗と李朝には深い断絶がある。
新羅は梁書に「其言語名物有似中國人」とあるとおり、早くから中国語を取り入れ、 クレオール化していた可能性がある。高麗もその言語を引き継いでいたと思われる。
>>456 済州島は倭人の文化圏だったって話を昔聞いたことがある
宗教も韓国本土の儒教・仏教と違って
元々の宗教はアミニズム(日本の神道に近い)だったとか
昔の日本のように海女(韓国には居ない)がいたり
昔の済州島の風習は日本の和歌山県のある地域に近かいとか
>>460 これとか見ると漢字の音読みは一部、中国の外来語が日本風に訛った可能性もあるのかな?
なんて考えた
463 :
世界@名無史さん :2010/06/03(木) 08:46:39 0
>中国の外来語が日本風に訛った可能性もあるのかな? 可能性もなにもそのとおりなのだが。 昔の漢字の発音を研究する学者はそのために日本や南方の少数民族の漢字の読み方も研究し参考にしてるそうだ。
>>460 南北朝時代に日本に入ってきた漢字の音読みは呉音と言われる。
唐時代以降に日本に入ってきた漢字の音読みは漢音と言われる。
音読みが複数あることもある理由のひとつ。
>>460 ところで、高麗語と朝鮮語が違う、という件についてまったく知らなかった。
詳しく教えてくれると助かる。
全く違うというわけでもないし、万葉仮名は 接している歴代シナの帝国の漢字読みに依存する。 多分、宋・金・元の遼寧省あたりの音を復元しないと 高麗語は、よくわからないと思われ。 大昔になれば、燕とかそのあたりまで遡る必要あり。 吉林省や黒龍江省の音とかは、清にならないとわからないので そっちは無視していいや。燕国の影響が及んでないし。
時調は?
468 :
世界@名無史さん :2010/06/03(木) 19:11:56 O
李朝より前は本土でもアニミズム強くないか? 最近出た神社の新書にもそんなことが書いてあった。
平凡社新書の「原始の神社をもとめて―日本・琉球・済州島」だ。
カタカナみたいのが有ったようだが、朝鮮語は音数が多いため、 あまり使われなかったようだね。
吏読ねw
高麗くらいにハングルがあったら書物も多く残っていたろうに。
ハングルは複雑だったから仕方ないか
>>464 上古音、中古音、呉音、漢音で読んでも、まったく違うんだよ。
だから、万葉集が朝鮮語で読めるとかなんとかとんでもないこと言い出したわけで…
>>473 別言語だからハングルは使えないと思う。
あと全く話題にならないが、高麗時代の人と李朝以降とではDNAも違うらしい。 韓国政府は調査してるはずだが、まったく情報が出てこないな。
>>464 郷歌25首しか残ってないので、高麗以前の言語の解明は極めて困難。
以下、wikiより引用
郷札の資料は極めて限られており、郷歌25首が主たる資料である。その内訳は、『三国遺事』(1281年)に
収められた新羅時代の郷歌14首、『均如伝』(1075年)に収められた高麗時代の郷歌11首である。
その他に高麗睿宗の「悼二将歌」1首、『郷薬救急方』(1236年)に現れる薬の朝鮮語名なども郷札の資料
となる。
479 :
世界@名無史さん :2010/06/03(木) 23:41:08 O
李氏朝鮮と高麗の言葉が全く違うと言うのはなんか根拠有るのか?韓国でそんな主張してる学者とかいるのだろうか?断絶してたら吏読とか受け継がれないような気が。
>>479 吏読だって漢字の音と読みが、かけ離れてるじゃん。
中国では現在の漢族はほとんどが古代中国人と縁もゆかりもない。 大陸では民族入れ替わりなどごく当たり前のこと。 朝鮮半島が例外だったとは思えない。
482 :
世界@名無史さん :2010/06/04(金) 00:20:33 O
京都の朝廷が滅びてそれ以降の文化活動が全て鎌倉などの関東で行われるようになり、 表される言葉も全て関東語に。
確かに客家など南下していった集団があるから もとの位置に昔の集団がいるとは限らないわな。
>>481 あまりに極端な意見だが、誰がそんなこと言ってるんだ?
>>484 崎谷満(分子生物学)だろ。
専門外の言語学や気象学や歴史・民俗学や法医学まで踏み込んで
トンデモ本書いている人。
>>484 誰って?俺だけど?w
もう、現代朝鮮人はエヴェンキ族の子孫って文化人類学的に確定してて、
いつ半島に来たかって言うのが話題の中心。
アリランなんかエヴェンキ族の歌だし民話もそっくりだし、それほど昔ではないことが分かってる。
487 :
世界@名無史さん :2010/06/04(金) 01:26:26 O
高句麗や扶余の影響かもしれないし、共通点があるからといっていきなり民族全滅にもっていくとか発想が少し変じゃない?
488 :
世界@名無史さん :2010/06/04(金) 02:19:21 0
そもそも朝鮮半島および扶余系諸族は粛慎・ユウ婁・勿吉・靺鞨・女真・満洲と 有史以来、常にツングース系(エヴェンキもツングース系)と隣接し続けたわけで そりゃ近いんではなかろうか。
「民族」に絶対の定義がない以上、主張する奴の主観に過ぎんが 例えばナチスのユダヤ強制隔離とかソ連の強制移住とか 強権保持者が根気良く徹底的にやらない限り 特定地域の住民を丸ごと入れ替えるなんて不可能だろう 社会的要因や遺伝病で絶滅したってんならともかく、 住人が存在し続けていたなら必ず新旧の交雑は起こる 受胎できないほど遺伝子の異なる別の人類でない限り
文字などで情報伝達ができるようになってから、疫病で全滅というのも 少なくなっているのではないかな? ペストでもいくらかは、生き残ってどこかで生きているようなってきているみたい。 モンゴル帝国でも、タルバガン食うのやめろとか情報伝達している形跡があって ペストで人口がかなり減っても、モンゴル人は絶滅していない。
491 :
世界@名無史さん :2010/06/04(金) 12:12:48 O
492 :
世界@名無史さん :2010/06/04(金) 18:20:25 O
縄文人も弥生人に絶滅させられたわけじゃないしな(数の上で劣勢にはなったが)。 民族全滅したなら金だの朴だのも消える。
493 :
世界@名無史さん :2010/06/05(土) 00:23:13 O
高句麗や扶余や渤海からアリランが伝わった可能性もあると。
>>489-493 何を言ってるの?
高麗と李朝は全く別の国だし、成立した場所が同じだというだけじゃん。
文化も言語も断絶してるし、血がつながってるかどうかも怪しい。
要するに民族的同一性の証拠が何もない。
あるというなら証拠を出せよ。
495 :
世界@名無史さん :2010/06/05(土) 02:24:39 0
釣りか
文献が残ってないと何を言われても反論できない、か。 わが国は古事記と万葉集が残っててよかった。
再度書くが、 >新羅は梁書に「其言語名物有似中國人」とあるとおり、早くから中国語を取り入れ、 >クレオール化していた可能性がある。 中世朝鮮語とは全く違うだろ? 文化的にも全く違うし、共通点は何もないだろ?
498 :
世界@名無史さん :2010/06/05(土) 02:41:07 0
必死だな
499 :
世界@名無史さん :2010/06/05(土) 02:54:22 O
辰韓の中に中国人コロニーがあったことを記している、ということじゃ駄目なの?新羅語の漢文はいわゆるウラルアルタイ語の語順らしいが。
>>497 逆に、新羅後と中期朝鮮語が違うと言うはっきりした証拠も無い
現代の朝鮮語の語彙自体も、かなりの割合で漢字語が入り込んでるよね
「其言語名物有似中國人」って、そういう意味でないの?
>>500 話がループしてるw
>逆に、新羅後と中期朝鮮語が違うと言うはっきりした証拠
郷歌
502 :
世界@名無史さん :2010/06/05(土) 10:45:18 O
なんせ、日本にも中国人のすむ王国があったらしいからなあ。隋時代だったか? あと具体的に断絶の根拠をあげてくれ。
郷札なんて末音まで今んとこわかってて、後は研究中ってだけだろ 実際の発音がわからないから「時代によって別の発音をしたかもしれない」 ならば「時代によって言語が多少変化した可能性がある」 これが在野の史家(笑)とか鵜呑みバカにかかると「言語が完全に別物だったのだ」になる 「中世以前における民衆言語の実際の発音」なんて完全に再現した国がどこにあるんだよ 日本だってまともな学者なら「以前はそう発音した・読んだ可能性がある」としか言わんわ 統一新羅と後高句麗が意思の疎通に通訳が必要だったという記述があるのか? 高麗から李朝は内部から次の王朝創始者が出てるんだが、 そいつやそれに従った連中は古巣の人間とは別の言語を使ってたのか? 王朝が変わったら庶民も一気にその別言語を使うようになったのか? それとも元朝や清朝のように支配者言語と被支配者言語を併記して地方統治を行ったのか? それとも別言語を使ってた連中を皆殺して民族浄化したのか?
504 :
世界@名無史さん :2010/06/05(土) 11:53:41 O
奈良時代の畿内の言葉と、鎌倉時代の関東の言葉を、それぞれの時代の万葉仮名で記された数首の短歌をもとに比較するようなものか。(実際は音数が多い朝鮮語ゆえさらに条件は悪化。)
>>503 >日本だってまともな学者なら「以前はそう発音した・読んだ可能性がある」としか言わんわ
「其言語名物有似中國人」
>そいつやそれに従った連中は古巣の人間とは別の言語を使ってたのか?
李成桂はツングース系女真族の出身だ。
要するに外国人に国を乗っ取られたんだよ。
しかし、国内は外国人だらけだったという。
それが今の朝鮮民族だな。
>>503 >それとも別言語を使ってた連中を皆殺して民族浄化したのか?
李成桂による王氏(高麗王家)一族の皆殺し、仏教弾圧。
少しは自分の国(?)の歴史を学んだら?
在日くん?
>>506 その前に、高麗王家や貴族が江華島に閉じこもって、元に抵抗した際に、
元がジェノサイド(民族殲滅)してるね。
そりゃ、アイヌ人やネイティブアメリカン並に、生き残ってた先住民もいるかもしれないが、 だからといって 「民族は入れ替わってないニダー!!」 ってファビョられても困るよなあw
>>505 は、その程度の一文で、言い切ってしまうということは、「梁書」に
「百濟亦據有遼西、晉平二郡地矣、自置百濟郡」と書いてあるだけで、
百済が今の遼寧省西部と山東省を百済が統治していた、との説に賛同する
わけね。
また、李成桂は、女真の血が入っている可能性が高いが、女真族と証明された
わけではない。で、「しかし、国内は外国人だらけだったという。 」という典拠を教えて。
>>507 その論法だと、GHQに占領され、いまだに4万以上もの軍隊が駐留し、日本国内の基地の
場所さえ、国民の声より米国の言いなりな、属国は、既に米国人ということですか。
なんか、504くらいまではいい感じで議論が進んできたのに、505以降、急に中学生レベルになったな。
李氏朝鮮って安倍氏や清原氏みたいなもんか。
女真語と朝鮮語ってかなり違わないか?しかし中国史書には「誇張」とか「間違い」はないのかな
>>511 >中国史書には「誇張」とか「間違い」はないのかな
いくらでもありますがな。日本でも歴史がはっきりしている明史などの日本伝を読めばわかる。
政治的に意図して歪曲することもあるしね。
まあ中国人コロニーくらいはあったとしても変ではない。
女真=満州人 でしょ 今の朝鮮語と満州語って全然違うじゃん 李成桂は女真人で、李氏朝鮮成立後の朝鮮語=女真語だとしたら 辻褄が合わないだろさw
李成桂は高麗の武官として出世したのであって、女真族が清を征服した のとは事情が違うのだが。。。しかもその清代でも中国語はあまり変わらなかった (何故なら明代の口語の白話文学が現存してるから)。 そういうわけで、女真の血が入った李成桂が王朝を簒奪した程度では、 国民の言語が変わったとするには無理がある。
516 :
世界@名無史さん :2010/06/05(土) 19:36:00 O
安倍貞任あたりが朝廷の武官になり、最終的に天皇家を殺して奈良あたりで自分が天皇になったようなもんか。
>>516 李成桂は混血だと言われてるから、安倍貞任というより、藤原清衡じゃないw
満洲民族の顔立ちは今の朝鮮半島に住んでいる方々と似ても似つかない
519 :
世界@名無史さん :2010/06/05(土) 20:12:51 0
>>518 似てるも糞も見分ける特徴なんてあるのかよww
民族によってそんなハッキリと顔立ちなんて変わるもんじゃねーよ
ましてや陸続きで人間の移動も激しければ尚更
520 :
世界@名無史さん :2010/06/06(日) 00:30:02 O
朝鮮の北の方ではやはり元々女真で後で朝鮮に同化したのか?生活スタイルや文化に名残は有るかな? まあ日本でも東北地方は縄文人の遺伝子濃いし。
高麗にしろ李朝にしろ満洲へ拡大はしてないんだよな、少数の農民が越境して住み着いたくらいで 白頭山を越えるのは大変だったのだろうか
大同江-元山ライン(新羅)から鴨緑江-白頭山-豆満江(李朝初期) までは膨張したけど遼-金-元-明は強大じゃからな。
>>518 >>519 満州族は比較的ほそおもてで美形だと言われてるね
だから、朝鮮人・日本人に似てる見たいだよ
李朝=民族交代説(このスレだけみたいだけどw)のようなとんでも説は置いといて
女真=扶余ラインで朝鮮・日本と血筋や言語の流れはあるんじゃないの?
遺伝子的なものはシベリア、満州、朝鮮、日本とあまり変わりがないんだよな。 中国の海南島の民族間の違いのほうがデカい。
>>521 満洲は半島から逃げなきゃ死ぬくらいでなければ行くような土地じゃない女真の土地だし
清朝時代は皇帝の出身地ということで漢族すら出入りを禁止されてたくらいだ
それが末期に目が行き届かなくなって、現在の領土問題(間島)になってるけど
間島が吉林省か両江道かを争そっている当事者が 大韓民国という奇異にうつるのだが
>>526 そら北は中国様の属国だからな。
宗主国様のご機嫌損ねてロシアやベトナムのように国境でドンパチされたくあるまい。
まぁ最近はあまり言うこと聞かないようだが。
528 :
世界@名無史さん :2010/06/09(水) 05:25:19 0
529 :
世界@名無史さん :2010/06/09(水) 09:48:36 0
>>528 おー、ブリヤート人、色白でとても可愛いデス。
お父さんもお母さんも色白なんだろうなぁ (*´Д`)
ボキ、こういう子めちゃくちゃ好みデス。
こんな子が日本にいたら、略奪したいぐらいデス。(願望ネ)
ボキは、日本の街中歩いていると、浅黒くて背が低いので
ときどきタイ人とかラオス人と間違われマス。
北朝五胡族、ようこそ日本へいらっしゃいましたw ツングースの人達もいらしてたんですね。 えっ、イラン系の子は全然いはらへんの?
532 :
世界@名無史さん :2010/06/09(水) 12:31:10 0
>>529 美意識歪み過ぎだろ
こんなダウン症女の何処が可愛いんだよww
モンゴル軍兵士のように逆に襲われて犯されそうだわ
533 :
世界@名無史さん :2010/06/09(水) 12:52:44 0
しかし、アリランがエヴェンキ族の歌だったことは決定的だったな。 そんな歌なんか残ってるなんて、かなり近世に来たとしか思えない。 ひょっとしたら、李朝になってから今の朝鮮人の先祖が来たのかもな。 なにせ民話が「トラがまだたばこを吸っていた頃」だしなw
535 :
世界@名無史さん :2010/06/10(木) 03:27:20 0
う、ヤバ イリーナたんが夢に出てきて、夢精しちゃった・・・。
こういう記事を見つけた。似ているだけで断定していて、2chレベルの「論証」と変わらないと 思うのだが。 もう少し学術的な観点からのソースを教えてくれ。 -------------------------------------------------- 朝鮮民族とツングース系の代表民族であるエベンキ、エベン族とは共通風習、歌、言葉などから、 「朝鮮民族」とは同じ流れと分かる。 馬を持たなかったエベンキ族の代表的な歌は、遠くの人々を懐かしむ 「アリラン(迎える)・スーリ(感じとる)」。 朝鮮のアリランには 「アーリアリラン、スールスーリラン」とそっくりな言葉が続く。節回しも酷似している。 アリランという言葉、スーリも意味不明と言ってるが、エベンキの言葉では意味はハッキリしているw 朝鮮とエベンキ、ワイ族には、棒を立てたソッテ、トーテムポールのチャンスンが共通。 朝鮮の神社にあたるものであるソッテって、こんなものなんだよねw いずれにしても、森を大事にする神社とは似ても似つかぬもの。 -----------------------------------------------------
モンゴリアンでも西のほうのオイラート部族はツングース型のC3c なぜかトルコ系民族にもツングース型のC3cがいるよ
Wikiに下記記載がある。 >咸鏡道地方の農民歌であったが、1926年日韓併合下に公開の映画「アリラン」の主題歌として全土に広まったものと考えられる 咸鏡道は朝鮮に併合される前は女真の地だ。朝鮮民族とは異民族の歌である可能性は 高いし、それが広まったのも日本占領下であることを考えれば、李氏朝鮮になって 民族が交代・大きく変質した、という説には無理がある。
540 :
世界@名無史さん :2010/06/10(木) 13:12:21 0
>539 満州族うざい by 韓国人 ・・・ なんて反応かな。「東北工程」の満韓-代理論争を2ちゃんでやってどうすんのよw
541 :
世界@名無史さん :2010/06/10(木) 13:22:08 0
Wikiの日本語版に、韓国人が書いたり、中国籍の満洲族が上書きしたりいろいろ忙しいのう。
>>537 見た目の話になるけど、モンゴル人って見た目、コーカソイドの血 若干入ってるよね?
ちょっとほりが深かったり二重だったりするもんね
トルコ系になるとは更にコーカソイドの血が濃くなるだろうけど(トルコ半島の民族は究極的にw)
>>539 エヴェンキと、満州=女真って近いの?
>>543 これこれ、北京烤鴨(ペキンダック)が食いたくなるではないか・・・
>>539 おいおいWikipediaなんて信用するなよ。w
朝鮮紀行にもアリランは楽譜付きで紹介されてるよ。
朝鮮の代表的な民謡として。
ちなみに、朝鮮紀行の著者、イザベラ・バードが朝鮮を旅行したのは、1894〜97 年。
>>541 Wikipediaに俺も引用した資料名付きでいろいろ書いた事もあるんだが、「POVだ」とか「主観的記述」とか
いちゃもん付けられて全部消されてやる気なくしたよ。
まあ、現代史は難しいねw
朝鮮民族自信は、自民族がエヴェンキなどのツングースが起源だと言う説には肯定的なの?
高句麗の夫余族研究次第じゃないの?
三韓にいた民族って、ツングース系の民族じゃないの?
高句麗の言葉は日本語に似てるらしいね。
>>548 半万年同一民族って言ってるからとうてい受け入れられないだろうな。
いずれにせよ、高麗と李朝の間の文化的断絶をどう説明するだろ? 共通点って、中国の属国ということと同じ朝鮮半島に存在した国って事ぐらいじゃないのか?
そもそも、今の朝鮮民族がずっと海の近くにいたとは、とても思えないんだよね。
塩の作り方も知らなくて、外国から輸入してたし、
漁業も李朝末期でさえ非常にお粗末だった。
http://www.city.akune.kagoshima.jp/rekisi/m_meiji.html 先きにも述べたが、漁民たちが対州(対馬のこと)近海で操業に夢中になっていると、潮の流れにのって、いつの間にか朝鮮南岸に近づいていた。
すると、朝鮮の漁民たちが、近くで漁獲しているのに出会った。
当時、朝鮮の漁業は非常に貧弱で、日本の小舟より一層小さい小舟で操業しており、日本舟の操業には、驚いて目を見張っていた。
漁獲も沿岸の小魚で少なく、日本舟に出会うと彼らの方から必ず手を挙げて招いた。朝鮮は日本に併合される前で立派な外国であったが、言葉は通じなくても、手真似、身振りで意思は充分通じ合っていた。
>>554 漁業の話と、製塩の話は全く違うんじゃないの
朝鮮で製塩が行えなかったのは、気候的な問題と、海岸が岩場が多く製塩に適した海浜があまりなかったからじゃないの
だから、日本でも製塩が行われている地方は限られている(瀬戸内とか、南九州や沖縄なんか)
そうだと思うんだけどね
>>555 自給自足なら藻を焼くだけで簡単にとれる。
日本でも奈良時代ぐらいまでそうやって塩を取っていた。
大量に塩田で取るなら確かに地形によるが、そもそもお金も都市部でしか流通してなかった
李朝で、そんな大量に塩を作る必要があったのか?
少なくとも採鹹煎熬による製塩は全羅道・慶尚道南部の沿岸部で行ってたが 開港後に安価な日本塩が流入して危機に瀕したが、 日清・日露で日本政府が塩は国家の生命線と判断したため日本塩の値段は高騰、朝鮮塩は持ち直した しかしその後更に安価な中国塩の流入と、統監府から効率の良い日本式の製塩法が導入されたので 昔ながらの製塩法というのはもうないはず
話を元に戻すが、 高麗と李朝って連続した王朝とみなして良いの? イタリアを支配し、東ローマ帝国に滅ぼされた東ゴート族のように、新羅・高麗を建国した民族は 異民族に滅ぼされたの?
李朝って文明的に新羅以下なイメージがあるけど気のせいだよね?
前に出てきた郷歌もなぜ作られなくなったのか? 新羅・高麗と続いてきた伝統がぷっつり切れた理由は? 日本の和歌は今でも作られているだろ? なんでだ? 李朝で仏教を禁止したから? 内容は仏教と関係ないぞ?
>>539 風俗、民話などが、エヴェンキと共通してるのは、咸鏡道地方だけじゃないんじゃ?
アリランだけだったらそういう事もあるかもしれないが…
エヴェンキ自体が、蒙古族に同化されて絶滅危惧種けどな。 母系がエヴェンキだけの家は殆どなく、蒙古媽媽ばかりだ。 蒙古族のほうも、エヴェンキ媽媽が増えて、境界線がなくなってきとるのよ。 こういう状況で、フィールドワークをやると、アリランは内蒙古の歌とか勘違いするよ。 ロシアでエヴェンキと呼ばれているのは、オロッキのことで頭がこんがらがるよ。
○オロチョン ×オロッキ
つか、なんで李朝は仏教を弾圧したの? 「腐敗してたから」なんて本には書いてあるが、その考え方自体が異教徒の考え方だ。「 「異民族の宗教だから」っていうなら非常に分かりやすいし、そういう理由で宗教弾圧は 今も世界中で行われているが。
ちなみに、李朝成立時の宗主国の明は仏教を保護してる。 日本だって仏教を弾圧してた時代じゃない。 謎だ。
566 :
世界@名無史さん :2010/06/13(日) 00:02:37 0
だいたい、儒教って宗教じゃない、疑似宗教みたいなもんでしょ? 説いてることも、統治原理とか道徳とかさ、一般的、普遍的な事。 そんなんで、他宗教や共産主義みたいに仏教否定する考えがでて来ないだろ? 実際、李朝の民衆は原始的なアミニズムみたいな事信じてて、エヴェンキ族の トーテムポールそっくりなもの作ってたりしたんだろ? つーことはさあ、新羅・高麗時代に根付いたはずの仏教信仰ってどこいっちゃったの? 仏教禁止したら、あんな変な迷信もどきの宗教が自然に普及したの? そんなこと、ありえないんじゃないの?
日本には道徳だの知徳だのの一部分しか導入されて無いけれど、 本質は宗教で、葬式のやり方だの喪の日数や物忌のやり方だの 祭礼での親族の席次だの婚姻の忌避ルールだのの宗教の部分の 方が本質。
>>567 そんなものは論語に書いていないし、本質ではない。
喪の日数は書いてあるな。 孔子は3年だけど、弟子の宰我が一年にして孔子が怒ったとか、 そういう話はあったような気がする。 だけど、朝鮮の民衆はあの土着的なシャーマニズムの原始宗教を信じてたわけで、 仏教も儒教も関係ないな。
儒教は為政者側の原理。 仏教は広く民衆へ布教した宗教で、もちろん王族や貴族もその中には含まれていた。 だから、中国でも日本でも矛盾してなかったわけで、儒教を元に仏教を弾圧したなんて 事は起きていない。 朝鮮半島でだけ、王族・貴族にだけ布教して民衆に布教しなかったのか?
だいたいさあ、儒教が朝鮮半島に普及したって言うなら、半島中、孔子廟だらけなんじゃないの?w 見たことないけど。
>>571 今ないのは壊されたからだろう。
朝鮮では李朝以来朱子学が思想の主流となったため、孔子廟が多く建てられた。 ...
>>572 ふーん、そうなんだ。
でも、朝鮮紀行を読む限り、民衆に普及していたとは言い難い。
だから、キリスト教が簡単に布教できたと思う。
>>566 >説いてることも、統治原理とか道徳とかさ、一般的、普遍的な事。
そう言う理屈でいくとイスラム教も疑似宗教か?
>>574 孔子は「怪力、乱神を語らず」。
要するに、オカルトや宗教に興味がなかったのさ。極めて現実志向が強い。
西洋的に見たら「無神論者」みたいなもんだ。
>>573 国が儒教に従って法律を定めてるんだから、普及も何もないだろ
男尊女卑(孔子はそんなこと言ってない、というが)の常識化なんてまさしく
男女席を同じうせずが浸透して常民以上は同じ家でも男女が別れて暮らしたし、
高麗まであった寡婦の再婚や女子相続についてもなくなる
親への「孝」が厳格化されて服喪期間の長期化や祭祀(○回忌)の浸透
親の犯罪を告発した子は処罰され、出戻り女は娼婦になるしかない
孔子廟がなくても倭乱・胡乱で敵を殺した○○を祀る忠武祠はそこらにあるぞ
朝鮮でのキリスト教の普及については、儒教が宗教でないのもあるが、
朝鮮伝統の「天(ハヌル)」を絶対視する風俗があり(諺「夫は天」とか)、
天=キリスト・唯一神というのがすんなり受け入れられたから
だから韓国の教会だと絶対である天=神に気に入らない○○を罰してくれ、と来る信者も普通
>>560 スタイルの話なら、郷歌を短縮したのが時調と言われているが
高麗時代の士大夫が始めて朝鮮時代にはそっちが主流になった
かつての長歌が漢詩の影響を受けて短歌になり、和歌=短歌になったように
>>564 桓武天皇が平安京に遷都した理由の一つは
平城京が坊主どもとくっつきすぎてウザかったからだし
織田信長が延暦寺焼き討ちしたのも法親王つながりで朝廷と組みつつ
庶民に号令する叡山がウザかったからだろ
高麗は元に支配されてたから、
「国難」にあたって祈祷する坊主がハバきかせて上も下もどっぷりだった
貴族が元の風俗を真似、王妃が元皇室の出だったこともあってチベット仏教も持ち込まれた
そんな旧習打破を目論んで「祈祷なんか結局役に立たなかっただろう」と弾圧し、支配しやすい儒教を導入
まあ崇儒排仏が主流になるのは4代世宗の時期で、李成桂も晩年は念仏三昧だったけど
>>578 >郷歌を短縮したのが時調
時調は三四調、四四調で郷歌と全く違うぞ?
ちなみに日本の短歌は万葉集の時代から五七五七七であり、全く変わってない。
>桓武天皇
>織田信長
両者とも仏教を禁教にしたわけでも、弾圧したわけでもない。
>>578 チベット仏教が伝来した形跡は全くない。
高麗に伝わっているのは、禅と天台の思想であり、寺院は
曹渓宗という宗派である。
宗教に関しては、元朝の影響は全くないよ。
>>579 李朝だって仏教の「禁教」や「弾圧」なんてやってないぞ。
後宮や両班、庶民が仏を崇敬したり寺に行くのは自由だったし、
僧や尼を還俗させたり殺したりしたわけでもない。都にある寺院をぶっ壊しただけ。
山奥へ移転したから参詣するには骨が折れたが、都にいなけりゃ良かったから
茶文化や仏典なんかが細々と残るわけ。
李朝がずーっと禁教弾圧なんかやってたら今も現役の寺があるわけないじゃん。
抜け道があったってことよ。
あと
>>578 じゃないけど時調については本読むのが嫌ならネットでいいから少しは調べなよ。
郷歌→時調の「諸説」を知ってれば「全く違う」で切るのが無知の傲慢だってわかるはず。
>>580 ハングルはパスパ文字がルーツの一つってのは韓国での研究でも認めてるし、
ttp://japanese.joins.com/article/article.html?aid=107430&servcode=400§code=400 (元人はパスパ文字が書けたわけじゃないので、チベット僧から直接・間接に影響されなければこんな類似はない)
「タンカ」という仏画=チベット曼荼羅が高麗末期に流入し、高麗でも作られている。
元の痕跡排除ってことでこれこそ弾圧・処分されて今では希少。
日本にも併合期に流出したものがあるが、連中から返還要求が起きない珍しいものw
>>581 >郷歌→時調の「諸説」
どのあたりが同じ?
郷歌は未解読なんだぜ?
漢字の音と全く違う読みを当てはめて、「解読した」と称してるだけ。
漢字だから字面だけ見て意味はだいたい分かるが…
>>581 >李朝だって仏教の「禁教」や「弾圧」なんてやってないぞ。
だったら日本もキリスト教を弾圧してないってことになるな。
踏み絵さえ踏めればお咎めなしだったし、各地に隠れキリシタンの寺は残っていたし…
みたいな話になるから、見苦しい弁護はやめれ。
実際は坊主を奴婢と同じ賤民の地位に落として、苦役させてたりしたよね?
弾圧じゃなかったらなんて言えばいいの?
>無知の傲慢
自己紹介?
>>581 僧侶を派遣したならば、派遣した側の西寧市の塔爾寺に
記録があってしかるべきだが・・・
塔爾寺がモンゴル人の僧侶養成所であるから
そこで高麗関係の資料が見つかればそうなるのだが、未検証だな。
高麗の曼荼羅は熱貢の様式だから、高麗人が作ったのかよくわかんね。
>>581 で、三四調、四四調で書かれた郷歌なんかあるのか?
これ宿題ね。
韓国を旅すると旅行ガイドに『わが国に古い寺院が少ないのは秀吉軍に破壊されたためです』と説明されるらしい。 日本人観光客は贖罪意識を感じて居たたまれなくなるようだ。しかしこれほど明白な歴史歪曲があるだろうか。 李氏朝鮮は仏教を大弾圧し、1万以上あったといわれる寺院は、秀吉軍が朝鮮に入った時にはわずか36ヵ寺に まで減らされていたのだ。
>>584 塔爾寺は一度廃れて、1560年に再興しているから古い時代の記録は無いと思われ。
文化大革命で破壊されて、甘粛夏河のラプラン寺に僧侶養成所が移転しているので
この先も謎だろう。
まあ、仏教を弾圧したかどうかなんて、実はどうだって良い。 問題は、仏教が廃れた後に流行ったと思われるシャーマニズムに、 一切、仏教の影響が見られないことだ。 全国に1万以上も寺があり、仏教を国教としていた高麗と同じ民族とは とても思えない。
589 :
世界@名無史さん :2010/06/15(火) 00:24:30 0
高麗の仏教はそんなに民間に根付いていたの?日本の奈良・平安の ように政府の仏教だったように思うんだけど。中国では民間宗教の道教が しぶとく残って現在は最大の宗教勢力だし、日本も神仏混合してしまい、 日本独特の民間宗教のようになった。李朝のシャーマニズムも同じような ものだと思うんだけど。
「宮」っていう李朝が今も続いてる設定の漫画がそこそこ人気だったらしいが、 李朝が現代にも残ってる設定の創作って他にもあんの? ウリナラ歴史好きの韓国人はそういうの結構作ってそうだけど。
結局590には誰も回答できないわけね。大した論拠も無いのに 高麗=李朝説を唱えるのは終わりにしよう。
>>781 >
>>675 > 遅レスだが、読んできた感想をひとつ
> 最近でてきた傾向を持つ嫌韓嵐チームなのでは?
>
> 彼らの特徴は、百済を神聖な領域とみなす。
>
> 今の韓国とは古代の百済は違う民族であると、Q.E.Dしたい動機が高い。
> しかも、比較的史料が揃っている高麗〜李朝のところで手っ取り早く断絶証明をしたい。
> 史板住民を釣って史料をゲットして、脳内でチラ裏教義を作りたい。
> しかし、地道な研究が必要な古代の新羅や高句麗のところは、頭を使いたくないので避ける傾向がある。
↑?誤爆?
>>592 ”高麗=李朝説”なんて誰が言ったの?(スレを最初から見てないからわからないけど)
ところで、今も李朝の末裔って居るんでしょう?
今どんな扱いを受けてるんだろう?
596 :
世界@名無史さん :2010/06/17(木) 02:17:08 0
>>596 JPEGにおとして、UPすればいいんじゃないの?
>>594 誤爆です。やりなおし。
結局
>>590 には誰も回答できないわけね。大した論拠も無いのに
高麗と李朝で民族入れ替わり説を唱えるのは終わりにしよう。
民族入れ替わりってのはないよねw 百済だって、支配層と被支配層が民族違ったらしいって言う説はあっても、 全く言語風習が変わってしまったって事はないだろうから、 もっと規模の大きい半島全体で民族が交代したなんて事はちょっと考えられないでしょw 李朝の初期で高麗王族を皆殺しにしたというのは、謀反を恐れてのようだし、 仏教を弾圧し、儒教を国教化たのは、やはり前王朝を断ち切るためなのだろう 日本でも源平合戦で、最終的には平家(清盛の血筋)は皆殺しにされてる訳だし (まあ、最終的には平氏系の北条に実権は握られてしまうのだけど、清盛とは無縁だし)
600 :
世界@名無史さん :2010/06/19(土) 00:52:23 0
>>598 結局
>>589 には誰も回答できないわけね。大した論拠も無いのに
高麗と李朝で民族入れ替わり説を唱えるのは終わりにしよう。
ところで、イサベラ・バードの「朝鮮紀行」講談社版p320に、
済物浦の、日清戦争で戦死した日本軍人墓地の写真があるけど、今どうなってるの?
ネットで検索してもでてこない。
ひょっとして反日韓国人に破壊されて無くなってしまっているのだろうか?
今も現存していれば、日本人が慰霊を訪問していてもおかしくないと
思うんだけど。
601 :
名無しさん :2010/06/19(土) 05:54:19 0
清の使者が来る度に国王が土下座する惨めな王朝だったよね?
test
>>600 じゃあ聞くが、今の半島にいるエヴェンキの子孫はいつ半島に来たんだ?
中国人、倭人、?人の混血で中国語もどきの言葉を使ってた新羅の人達はどこへ行っちゃったの?
あと、郷歌から判明している助詞、助動詞、接続詞などが中世朝鮮語と 大幅に乖離していることだな。
>>581 に 「郷歌は未解読なんだぜ? 」と書いてありますが。。。。
>>603 高麗の領土の北は女真人の住まいで、朝鮮になって併合されたんだし、
現北朝鮮内に渤海や高句麗領があり、そこにもツングース系が居住していた。
北方人が入ってくるなどいくらでも可能性はある。
また、エヴェンキの子孫が半島に居住していることと、李朝になって
民族が交代したことになんの関係があるんだ?質問の意図不明
>>603 朝鮮にエヴェンキの子孫なんているの?w
ツングース系の女真の子孫はいるだろうけど混血してるだろうし 言語的にまったく韓系と同化していると思われる
誤爆
>>608 粛慎が本貫の家系なんてあるんだね
本貫って地名の事じゃないんだ?
粛慎○氏とかじゃないよ 咸鏡のXX○氏の由来がツングースとか 済州のYY□氏の由来が耽羅とかいった感じ
結局、北鮮の辺境辺りは、かなりの率でツングース系の住民が混在して住んでたって事ね? 本貫の由来が、ツングースって根拠はどんなものがあるの?
北鮮って、通用しない用語だからヤメレ。 北鮮卑とまぎらわしい。 東アジアのレベルで民族の動き追う話題の場合は、 鮮卑と朝鮮が紛らわしいので、略語は絶対禁止。
段部鮮卑とかツングースっぽくて、粛慎はツングースほぼ確定で 何か名称的に紛らわしいな。 漢字の字面で、朝鮮と鮮卑を混同して阿呆なこと書いているやつもいそうだなーーw
止まってる…
617 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2010/07/10(土) 12:22:58 0
李成桂のオヤジの女真名って何? あと、李成桂も女真名あるの?
モンゴル名じゃなかったっけ?
李朝時代ならダワドルジ・ドルゴルスレンみたなサンスクリット語源のやつかな?
”ダグワドルジ…”って名前、サンスクリット語源なの?
そうだよ。ラマ教がハルハモンゴルに布教にきて 子供にホーリーネームをつけるようになった。 朝青龍はハルハ・モンゴル族なんだよ。
ブリアート・モンゴル族ならロシア人みたいに アレクサンドルとかイワンとかニコライとか名乗っているし いろいろあるわな。
>>619 >>620 朝青龍の本名の「ダグワドルジ」は、サンスクリット語由来ではなくてチベット語由来。
ダグワは「月」で、ドルジは「金剛石、金剛杵」。
チベット文化圏では、生まれ曜日にちなんだ命名を行うことがよくあるので、
おそらく朝青龍は月曜日の生まれだろう。
「月金剛」の名も、なんだかそのまま四股名にできそうだな。
モンゴル語式の「ダグワドルジ」をチベット語ラサ方言式に言うと、
「ダワードルジェ」になるはず。
サンスクリット語では、月は「チャンドラ」、金剛石、金剛杵は「ヴァジュラ」。
モンゴル語圏の人の名で「オチル」が付けば、それが「ヴァジュラ」のモンゴル語転訛。
ごめん
>>623 で間違えた。
「ダグワ」は「月、月曜日」じゃないようだ。
モンゴル語式転訛でも「月、月曜日」は「ダワー」だ。
「ダグワ」の由来はまだよく分からない。申し訳ない。
625 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2010/07/10(土) 22:10:53 0
626 :
世界@名無史さん :2010/08/18(水) 20:31:29 O
>>85 武臣たちは日本やヨーロッパみたいに地名を家名にし始めていたんだろうか?
武臣政権時代のことがさっぱりわからん。
627 :
世界@名無史さん :2010/08/18(水) 20:37:12 O
>>93 できれば倭乱胡乱は起きない方向で。社会に変動を起こすボヤ程度で。
しかし、後金、順、南明、朝鮮が鼎立するようになった方が進歩はしそうだ。
正祖が長命だったらどうなっていたんでしょうかね?
629 :
世界@名無史さん :2010/08/19(木) 00:04:06 O
ちょっと最近すぎるような。 もっと早くに身分変動が起これば実学とかを重んじる空気になったのではないかと。その流れでハングルの正書法とかも定められたかも。
630 :
世界@名無史さん :2010/08/19(木) 00:26:35 O
李朝の衣服や美術品生活用品を扱った本とかないかな。 2ちゃんでは朝鮮ネタ多いが九割がカスだから困る。
2ちゃんだけでなく、Googleも日本語で検索するとカスなのばかりが上位にくる。
【“朝鮮半島の2000年史”の歴史は朝鮮人の歴史ではなかった!!】 1 檀君朝鮮はまったくの神話、中国のどの歴史書にも登場しない 2 箕子朝鮮は伝説上の国、中国人の箕子が建国した中国人の国家。『史記』巻38宋微子世家「武王既克殷、 訪問箕子、於是武王乃封箕子於朝鮮」 3 衛氏朝鮮は考古学的に証明できる朝鮮の最初の国家で、燕王盧綰の部将であった、衛満が朝鮮に亡命し建てた亡命政権 4 もちろん衛氏朝鮮の王も朝鮮人ではない『史記』朝鮮列伝「朝鮮王滿者、故燕人也(朝鮮王、満は燕国人である)」 5 衛氏朝鮮もBC108年に前漢の武帝に滅ぼされ、故地に楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡の漢四郡が設置され朝鮮半島中北部は400年間中国の植民地 6 『後漢書』に「初、朝鮮王準為衛滿所破、乃將其餘衆數千人走入海、攻馬韓、破之、自立為韓王。」とあり、 箕子朝鮮の最後の王、準王が馬韓で韓王となり馬韓を支配し、その馬韓が百済になった 7 百済は扶余系民族だから言語的にも民族的にも今の韓国人は殆ど関係ない 8 高句麗と渤海はツングース民族で、同じツングース民族の満州族系 「高句麗→金国→後金国=清国(女真族のご先祖)」
9 濱田耕策「夫余、高句麗、沃沮を構成したツングース系の諸族(Yahoo!百科事典)」、黄文雄「遼東や北満の地は、か つて高句麗人、渤海人などの(中略)ツングース系諸民族が活躍した地である(黄文雄著『韓国は日本人がつくった』)」 「高句麗の主要民族は満州族の一種(中略)高句麗人と共に渤海建国の民族である靺鞨はツングース系で、現在の中国の少数 民族の一つ、満州族の祖先である(黄文雄著『満州国は日本の植民地ではなかった』)」、鳥越憲三郎「高句麗は紀元前1世 紀末、ツングース系の?族によって建国(鳥越憲三郎著『古代朝鮮と倭族』)」、山川出版社『世界史用語集』「【高句麗】 中国東北地方東部のツングース系貊族の夫余族の国」、護雅夫「高句麗は東北アジア、満州にいたツングース系民族であり、 4世紀から6世紀の初めにかけての最盛期には朝鮮半島の大半と南満州とを勢力圏に収めた(Yahoo!百科事典)」、森安孝夫 「【渤海】現在の中国東北地方、ロシア連邦の沿海州、北朝鮮の北部にまたがる広い範囲を領有して栄えた満州ツングース系 の民族国家(Yahoo!百科事典)」、藤本和貴夫「7〜10世紀には極東地方から満州、朝鮮北部にツングース系の渤海国が建て られた(Yahoo!百科事典)」、広辞苑「【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙の建国という」、 大辞泉「【高句麗】紀元前後にツングース系の扶余族の朱蒙が建国」「【渤海】698年、ツングース系靺鞨族の首長大祚栄が建国」 10 新羅は古くは辰韓=秦韓と呼ばれ、秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦人の国 11 『北史』新羅伝「新羅者、其先本辰韓種也。地在高麗東南、居漢時樂浪地。辰韓亦曰秦韓。相傳言秦世亡人避役來適、 馬韓割其東界居之、以秦人、故名之曰秦韓。其言語名物、有似中國人。」「新羅とは、その先は元の辰韓の苗裔なり。領地 は高麗の東南に在り、前漢時代の楽浪郡の故地に居を置く。辰韓または秦韓ともいう。相伝では、秦時代に苦役を避けて到来 した逃亡者であり、馬韓が東界を割譲し、ここに秦人を居住させた故に名を秦韓と言う。その言語や名称は中国人に似ている」
12 『後漢書』辰韓伝 「辰韓、耆老自言秦之亡人、避苦役、適韓國、馬韓割東界地與之。其名國為邦、弓為弧、賊為寇、 行酒為行觴、相呼為徒、有似秦語、故或名之為秦韓。」「辰韓、古老は秦の逃亡者で、苦役を避けて韓国に往き、馬韓は東界 の地を彼らに割譲したのだと自称する。そこでは国を邦、弓を弧、賊を寇、行酒を行觴(酒杯を廻すこと)と称し、互いを徒と 呼び、秦語に相似している故に、これを秦韓とも呼んでいる。」 13 唐が高句麗・百済を滅ぼし、旧高句麗領を安東都護府、旧百済領を熊津都督府、新羅を鶏林大都督府とした為、朝鮮半島全域が一時期中国領となった 14 結論として朝鮮民族は新羅が直接のご先祖。でも・・・悲しいことに 15 その新羅も王は朝鮮人ではありません、日本人でした。 金氏王統の始祖瓠公は日本人 (瓠公は新羅の3王統の始祖の全てに関わる、新羅の建国時代の重要人物) 『三国史記』新羅本紀 「瓠公者、未詳其族姓。本倭人。初以瓠繋腰、度海而来。故称瓠公。」 (瓠公は、その族と姓は未詳。本は倭人。 初めは腰に瓢箪をぶらさげて海を渡って来たことから、瓠公と称される。) 昔氏初代の昔脱解(第4代脱解尼師今)は日本人 『三国史記』新羅本紀 「脱解本多婆那國所生也。其國在倭國東北一千里。」 (脱解、本来は多婆那国で生まれた。その国は倭国の東北一千里に在る。)
16 それもそのはず古代において半島南部は日本の属国でした 『隋書倭人伝』 新羅 百濟皆以倭為大國 多珎物 並敬仰之 恒通使往來 (新羅と百済は倭国を大国で珍しい物が多い国だとしており、ともに倭国を大国として 敬い仰ぎ、つねに使いを送り、往来している。) 広開土王碑文 百殘新羅舊是屬民由来朝貢而倭以耒卯年来渡海破百殘■■新羅以爲臣民 そもそも新羅・百残は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。 しかし、倭が辛卯の年(391年)に海を渡り、百残・■■新羅を破り、臣民となしてしまった。 17 ちなみに弥生人は朝鮮人ではない1999年3月18日に、すでに江南人骨日中共同調査団が 「長江下流域の古人骨と北部九州・山口の渡来系弥生人骨のミトコンドリアDNAが一致した」と発表している。 18 高麗を征服した元は朝鮮半島北西部に東寧府、双城総管府の植民地を設置 19 1259年、高麗の太子(のちの元宗王)がフビライに降り、その息子忠烈王は、1260年に大ハーンに即位したフビライ の娘婿となった。これ以来、代々の高麗王の世子(世継ぎの太子)はモンゴル皇族の婿となって元朝の宮廷で暮らし、 父の死後、高麗王の位を継ぐのが習慣となった。高麗王の母は、みなモンゴル人になったの 20 李氏朝鮮も実は、朝鮮人王朝では無く、女真族王朝だったの。なのに女真族ををオランケと呼び差別していた 21 15世紀の李氏朝鮮の世宗の時代に侵略して併合し、朝鮮の領土に組み込むまでは、李成桂の出身地の咸鏡道を含む 朝鮮半島北部(咸鏡道、平安道)は女真族居住地域であり、女真族の領土だったの 22 李成桂は女真族の酋長の李之蘭と義兄弟の契りを結ぶなど、李一族は女真族の配下を多数抱えていたの
23 女真族はモンゴル名を持っており、父李子春は吾魯思不花というモンゴル名を持っており、さらに祖父李椿は孛顔帖木兒、 李子春の同母兄李子興は塔思不花、李子春の兄弟も完者不花、那海などモンゴル名を持っており、モンゴル語で書かれた 一族の家系図から、李一族のモンゴル名は完全に記載されているが朝鮮名は不完全にしか書かれていないの 24 元に仕える行政長官ダルガチは、原則としてモンゴル人か色目人が任用されたが、元初期には一部の南人や契丹人、 女真族が、モンゴル名を持つことでモンゴル人とみなされ任用されたが、李成桂の四代前の高祖父李安社はダルガチだったの 25 千戸長として女真族の統治を行っていたの 26 『李朝太祖実録』巻一、九頁下、には「初三海陽(今吉州)達魯花赤金方卦、娶度祖女、生三善三介、於太祖、為外兄弟也。 生長女真、膂力過人、善騎射、聚悪少、横行北邊、畏太祖、不敢肆。(三海陽にいた元のダルガチだった金方卦(女真人と思われる)が、 度祖(李子春の父)の娘を娶って生まれたのが三善三介で、太祖の外兄弟である。彼は女真で育ち(女真の族長になった)、 腕の力が人並み外れて強く、騎射をよくし、悪い奴らを集めて、北辺に横行したが、太祖を畏れて、敢えてほしいままにしなかった)」 という記事があり、女真族の族長である三善三介が太祖李成桂の外兄弟であるならば、太祖自身も女真族であったと考えるのが自然なの ※朝鮮民族が建てた朝鮮民族による朝鮮民族の為の国家は有史以来存在しません。 箕子朝鮮は中国の殷の中国人箕子の国で、衛氏朝鮮は中国の燕の中国人衛満の国で、 箕子朝鮮の準王が馬韓で韓王となり馬韓を支配し、馬韓が百済となり、その後は楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡の漢四郡が設置され、 朝鮮半島中北部は400年間中国の植民地で、高句麗と渤海はツングース民族で同じツングース民族の満州族と同系で、 新羅は『後漢書』『三国志』『晋書』『北史』によると、秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦人の国で、 その後、唐が旧高句麗領を安東都護府、旧百済領を熊津都督府、新羅を鶏林大都督府として朝鮮半島全域を支配して、 高麗王朝時代には朝鮮半島北西部は東寧府、双城総管府の植民地となり、忠烈王以後のの高麗王はモンゴル人で、 李氏朝鮮の創始者で朝鮮王の李成桂は女真族。
637 :
世界@名無史さん :2010/08/20(金) 14:41:36 0
638 :
世界@名無史さん :2010/08/20(金) 19:12:14 O
>>627 「巨大な単一の権威」が存在しなくなるから、
中国にも朝鮮にも満州族にも良さそうだ。
639 :
世界@名無史さん :2010/08/21(土) 04:34:19 0
ウィキペディア-WikiScanner
http://ja.wikipedia.org/wiki/WikiScanner 駐日アメリカ合衆国大使館から接続のIPユーザーが朝鮮の歴史の朝鮮近代史の項目を削除し、「朝鮮に歴史なし 昔から中国、日本、偏狭蛮族の属国」と書き込む
ウィキペディア-朝鮮半島を中国とみなす記述
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E3%82%92%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%BF%E3%81%AA%E3%81%99%E8%A8%98%E8%BF%B0 スペインの有力紙『エル・ムンド』(El mundo) は、朝鮮は建国時点である紀元前2333年から日清戦争の1895年までの4228年
間にわたって中国の植民地だったと紹介した。『エル・ムンド』は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に
1895年まで属していたが、1910年の韓国併合までの15年間にわたって独立を味わったりもした」と報じた。
CNNは韓国が元々中国植民地だったと報道し、ヒストリーチャンネルは平壌を中国植民地だと報道した。
台湾政府の外郭団体である中国語ネットワーク教育センターは、ホームページ上に「歴史的に、韓国は中国の植民地だった」と
掲載している。
ヒストリーチャンネルはウェブサイトで韓国の全体の歴史が「日本と中国の従属国」だったと紹介し、「韓国は韓国の全ての歴史
をひっくるめて中国と日本から強力な影響を受けた国家(Chinese and Japanese influences have been strong throughout
Korean history)」と叙述し、また「韓国を最初に建国したのは中国の学者箕子で、韓国は中国の植民地から最初の国家が始ま
った中国の植民地国家だった」と叙述した。また、丙子胡乱以後は中国の植民地になり、外国との接触を絶って「隠遁の王国」
に転落したと紹介した。
1478年から現在まで、アメリカをはじめ、日本、カナダ、中国など世界約50か国で教科書を出版しているオックスフォード大学の
出版社が制作している中学校課程教科書は、古代中国の領土を表記した「古代の世界」の1ページで、朝鮮半島全体を中国領
土に含ませている。
640 :
世界@名無史さん :2010/08/21(土) 04:36:27 0
外国教育機関、百科事典、博物館、図書館などで中国の漢、元、清などの歴史を紹介する世界地図が朝鮮半島全体を中国領 と表記している。例えば、中国の国営放送CCTVのサイトは元の時期の世界地図に朝鮮半島全体を中国の土地として紹介し、 米国のミネアポリス美術館のサイトも元の時代の朝鮮半島を中国の領土と表記している。また百科事典「グロリア」と歴史サイト 「ハウ・ツー・フットワーク」、図書館サイト「アイビブリオ」は清の時代に朝鮮半島を中国の土地と同じ色で塗り、百科事典「ニュ ー・ワールド・エンサイクロペディア」をはじめとして学術機関「カルチャー・チャイナ」「ピッツバーグ大学」「ミネソタ州立大学」等 のサイトは漢江北側を、中国紹介サイト「スーパートレース」と「NEN」などは全羅北道北側地域まで中国領としている。 世界銀行、イギリス公共放送局チャンネル4を含めた外国教育機関、教科書出版社、ポータルサイト、百科事典など34の機関 の世界地図で韓国を中国領として表記している。例えば世界的なファーストフード会社のバーガーキングは自社のホームペー ジで朝鮮半島を中国領として表記している他、アメリカの有名旅行情報サイトのゲート1トラベルは北朝鮮を中国領として表記し ている。また、ニュージーランドの茶販売会社ベル・ティー・カンパニーは、自社サイトで韓国を中国領としている。 バロンズ社が発行しているアメリカの大学進学適性試験の教材は、新羅を朝鮮半島で初の国家と表記している。 Yahoo!シンガポールはアジア地図で韓国を中国の領土と表記していた。 2006年にCIAが国家情報報告において、「韓国は1000年間独立国家だったが、日露戦争により日本が占領した」と紹介した。 これに対してVANKは、「これは西暦1000年以前は独立国家ではなかったという意味だ」と批判している。 世界の1億人を対象にした教科書を出版しているピアソン・エデュケーションは、韓国を中国の属国に定義付ける世界史の試験 問題を出題している。 アメリカの世界史教科書では万里の長城が鴨緑江近隣までのびている地図が掲載され、「1640年代に韓国は中国・清王朝の 属国になった」と記述されている。
641 :
世界@名無史さん :2010/08/21(土) 04:37:10 0
アルゼンチンの教科書には「韓国は中国語使用地域」と書かれている。 「朝鮮は近代に至るまで、その国内での抵抗にかかわらず、中国と日本の属国だった」(オーストラリアの教科書) 「朝鮮は、その歴史の大部分で中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。日本は自由な新しい秩序を樹 立することによって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」(フィリピンの教科書) 「朝鮮は中国の支配下に入り、これが19世紀まで続いた」(タイの教科書) 「朝鮮は中国の従属国」(アメリカの教科書) 「朝鮮は、数百年間中国の属国」(カナダの教科書) 「朝鮮は永らく中国の属国だった」(インドの教科書) 「紀元1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」(ポーランドの教科書) 「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀のことだった。その後300年、日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、 唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」 (ドイツの教科書) 「朝鮮を中国の属国」と記し、「朝鮮の文化と芸術は中国・モンゴル・日本文化の影響を受けた」「朝鮮は言論・宗教の自由が制 約を受ける国」「北部はロシアが、南部はアメリカが占領している」(インドネシアの教科書) 「(日清戦争で)日本の勝利となり、下関条約が結ばれ朝鮮の独立が認められた」(『中等世界史』 韓国・英志文化社 1959年) 「朝鮮は清の半属国だった(『高等世界史』 韓国・教友社 1962年)」
642 :
世界@名無史さん :2010/08/21(土) 04:39:00 0
黄文雄は、著書で「これまで清国の伝統的な属国であったベトナムはフランスに横取されてしまったが、残る伝統的属国の朝 鮮は、もう誰にも渡すわけにはいかない。(略)そこで、新疆や台湾のように、朝鮮も中国の属領から正式な領土にするため「朝 鮮省」を設立し、郡県制とする断行案を検討した。そうすることで、列強諸国に対して朝鮮は清国の絶対不可分で永久割譲の固 有領土だとアピールした。(略)呉長慶は、この反乱をうまく鎮圧できれば、「遼東三省と左堤右挈し、実に東方の一大塀障」、つ まり中国の遼東三省と朝鮮半島で守りを固めれば怖いものなし、と考えていたのである。(略)なかでも有名なのは、科挙状元 出身のエリートで、呉長慶の幕下に身を投じて積極的な対外政策を論じてきた張謇の『朝鮮善後六策』である。それについて は、田保橋潔氏(京城帝国大学教授)が大要をまとめているので、ここで引用したい。『1.漢四郡建置の例に従ひ、朝鮮国王を 廃し、其地を清の一省とする。2.朝鮮国王を存置するとしても、周の例に従ひ、監国を置く。3.有力なる軍隊を派遣して。其海港 を清の監理の下に置く。4.朝鮮の内政革新を断行する』これ以外にも、張謇は『六策』で次のようなことを言っている。「あるいは 内政の自己改革と新軍の訓練を、我が東三省とつらねて、一気と為す」。清国の東三省から朝鮮省をも含めて「東四省」とし、 (略)張謇が提案した、清国が李朝国王を廃して監国にする、つまり、属藩扱いにするという政策は、清朝以前の早い時期にも あった。明の太祖朱元璋が、李氏朝鮮をつくった李成桂に対して監国の地位だけを下賜あい、国王の地位を与えなかったのも そのためだ。中国人からすれば、朝鮮は漢の時代から中国の一部なのだ。中国の歴代王朝の封国といえば、漢時代の「呉楚 七国の乱」で知られる呉や楚が挙げられるが、それよりもさらに一段下の外藩、つまり外様大名ていどしか見なされていなかっ た。そもそも、朝鮮をつくったのは中国の箕子だと、中国人は主張するほどなのだから。そのため、張謇の『朝鮮善後六策』のよ うな考え方は、中国人の一般的な伝統的朝鮮属国観なのだ。中国が中華民国になった近現代でも、この中国人の朝鮮版図観
643 :
世界@名無史さん :2010/08/21(土) 04:41:20 0
はたいして変わっていない。たとえば、蒋介石は、太平洋戦争後の対日処理を協議した1943年11月のカイロ会談に出席した当 時、船上にてルーズベルト大統領に高麗の返還を要求している。もちろん、ルーズベルト大統領は、このとんでもない要求を拒 んでいる。朝鮮人も属国であることにマヒしているため、「朝鮮省」の設置をむしろ、「小中華」から「大中華」への昇格だと喜び、 中国を恨むどころか、恩恵と謝恩を感じるべきだと思っていた。とくに、これまで大中国人やら大中華人になりたくてもなれなか った支那人かぶれの両班にとっては、願ってもない恩寵なのである」「モンゴル人が明によって万里の長城の外まで追われ ると、朝鮮朝の太祖である李成桂は高麗朝から政権を奪い、モンゴル人を叩いて事大の対象を元から明へと鞍替えした。明が 遼東半島に進出していたころ、朝鮮人は明の先頭を切って満州人を征伐したため満州人から恨まれた。そのため、満州人の朝 鮮人に対する大規模な逆襲である丁卯胡乱と丙子胡乱が起こり、朝鮮は清の属国となった。明から清に主人を替えた後の朝 鮮人はじつにおとなしく、清の軍隊召集に馳せ参じ、2回の羅禅遠征と明の征伐に従軍した。父として明を敬っていたはずなの に、新しい父を迎えた途端、明に対して残酷無情な態度を取った。(略)満州八旗軍はかなり軍紀正しい軍隊であったが、盟友 のモンゴル八旗軍の朝鮮蹂躙には、かなり悩まされていた。しかし、朝鮮軍が満州人の軍門に下り清軍に召集されると、今度 は朝鮮軍が旧宗主国の明征伐を通して漢人への凄まじい虐殺と略奪を行ったのだ。(略)明は300年近く朝鮮を保護し、李氏朝 鮮は宗主国である明から国号を下賜された。しかし、いざ明が弱勢になると、朝鮮はすぐさま清に乗り換えて逆に明を逆襲し、 明人を虐殺した」「長城外の夷狄だけでなく、西南のチベット系民族吐蕃でさえ中華世界を一度は征服するか、都を占領し 脅威を与えているのに、朝鮮だけは中華の脅威になったことすらありません。朝鮮は大中華に君臣の礼、君父に忠のみだった のです。『四夷八蛮が皆中原に入ったのにただただ朝鮮だけできずにいる。こんな情けない国に長生きしていてもどうにもなら ない』と嘆きつつ亡くなった林白湖という儒者がいるほどです」と書いている。
644 :
世界@名無史さん :2010/08/21(土) 09:12:52 O
マジで気持ち悪いんだけど… 在特会かどっかのアルバイト? それで生計たててるのならしかたないか。
645 :
世界@名無史さん :2010/08/21(土) 09:18:30 O
>>630 見たことあるな。でかい本屋で探せば。
服も帽子もアクセサリーも技術は高そうだがなんか「地味」。このあたり両班の好みか。
646 :
世界@名無史さん :2010/08/21(土) 14:22:48 0
>>644 満族の東北工程だろ
吉林省政府と遼寧省政府から資金が流れているんじゃね?
647 :
世界@名無史さん :2010/08/21(土) 14:26:24 O
頭悪い政府だ。 思いっ切りキモがられるだけなのに。
648 :
世界@名無史さん :2010/08/21(土) 14:30:03 0
中共もこのごろ地方政府の暴走を見てみぬ振りするようになったようだな
李朝というと白いチョゴリにスケスケのシルクハットみたいな黒い帽子だな
>>649 あの黒い帽子はシルクじゃなくて、馬の尾の毛を編んで作るんだそうだよ。
韓国語では「カッ(意訳すれば『笠』)」というんだよ。
西洋式の帽子は室内では脱ぐ慣わしになってるけど、
カッは室内でもずっと被ったままにする慣わしだったようだね。
カッを被るようになったのは李朝以降のことで、
それ以前は、頭巾を被るのが一般的だったみたいだね。
李朝って新羅に普通に負けそうな国だよな。
653 :
世界@名無史さん :
2010/09/02(木) 01:57:16 0 「中世の寺社勢力と境内都市」って本に 「一説には幕末に朝鮮半島南部に熊野神社があったという(滝川政次郎氏の伝聞)。 熊野海民の活動範囲から見てありえないことではない」 と書いてあったんですが、詳しい情報お持ちの方いらっしゃいます?