まあ秀吉もさ南半分だけでもあれだけ厄介な連中相手によくやったと思うよ。
正確には北半分も突き抜けて兀良哈まで行っちゃったけどな。
野人女直との戦闘がどんな感じだったか気になる
5 :
世界@名無史さん:2007/09/05(水) 10:46:32 0
台湾方面を攻略したほうが良かったのではないかと思うのだが。
7 :
世界@名無史さん:2007/09/09(日) 20:39:46 0
age
>>2 そうか?勝てる戦いで勝てなかった秀吉はベトナム戦争でのアメリカ以下だと思うぞ
9 :
世界@名無史さん:2007/09/14(金) 08:20:18 0
10 :
世界@名無史さん:2007/09/14(金) 08:42:37 O
相手が弱すぎて、進軍スピードに補給が追いついてなかったんだろう
補給が及ぶ範囲でならガンガン進撃すべきだけど、その範囲を越えて進撃するのはマズイ。
それでも敵の補給戦引き伸ばし作戦とかにしてやられたってんならまだしも、
文禄の役の場合はヘタレ相手に調子に乗りすぎて自爆しただけだから恥ずかしい。
「敵を知り己を知れば」って有名な格言があるけど、この場合は己を知らずして危うくなったからなあ…
12 :
世界@名無史さん:2007/09/14(金) 20:17:47 O
違うんだな。
文禄でも慶長でも、進撃している間は補給は及んでいたわけだ。
13 :
李舜臣:2007/09/14(金) 20:32:33 0
14 :
世界@名無史さん:2007/09/14(金) 20:59:11 O
>>13 チンケなハンドルだから、朝鮮役の戦局と補給情勢を知らなかったり、クレフェルトの「補給戦」を読んでないのかね?
15 :
世界@名無史さん:2007/09/14(金) 22:25:36 0
>>李舜臣
ヴァッカでぇー。
文禄の役の補給事情についてkwsk
>>14 クレフェルトの「補給戦」については俺も知らん。どんな内容か教えてくれよ。
実際に読んでて内容知ってるんならググれとか逃げ打たないでちゃんと説明できる筈。
>>11 半分正解・半分不正解
緒戦に補給線が延び切って飢えたり諸将の連携不足で漢城を占領してから進捗状況が停滞しだした
ここまでは「己を知らなかった」事でミスしたのはお前さんの言うとおり
でも後には補給線を途切れさすような失態はほぼなくなった
>>12 半分正解・半分不正解
文禄では緒戦の快進撃の時期には補給線は伸びきった
それが補給不測の一因だと知った日本側は前線と輜重が乖離しないように務めた
その反省あって以降の戦役と慶長の役では補給線が途絶えた事がなくなったのはお前さんの言う通り
>>13 李舜臣は序盤はシーレーン圧迫の効果を上げてたけど
後に日本側が築いた各地の海砦の攻略ができなかったのでだんだん成果を上げられなくなった
なので実際にはシーレーンを遮断できてはいない
なのにシーレーンを遮断したってイメージが流布してるのは
恐らく秀吉死去により本土に引き上げる日本側の撤兵の阻害をした事にあるのかも知れん
まあその撤兵阻害の海戦(しかも本軍の命令無視)で李舜臣は戦死してるんだけどな
20 :
世界@名無史さん:2007/09/15(土) 06:51:09 0
>>17 第一次世界大戦の前ぐらいまでの戦争では消費が激しくなく、
大規模遠征軍は本国からの補給線というような近代戦とは
異なる前提の戦争をしていた。
特に食糧とか水は現地調達が基本、それは現代戦でも調達コスト
(品質・価格・輸送)が満足されれば現地調達を利用している。
今でも水なんかは現地調達のほうが多いよね。
文禄慶長では武器弾薬の輸送不全は食糧に比べて訴えられていないよね。
ナポレオンの時代だって大規模遠征軍は現地の余剰食糧を
消費しつつ進撃して居るんだ。ロシア進撃中に一番辛かったのは
距離に比例ではなく悪路で貧しいポーランドで事で、比較的豊かな
ロシアへ出ると補給は良化した。
ただし、進撃を止めて現地調達で現地食糧を消費してくると
軍も住民も飢えてくる。これが問題。
だから、そこそこの食糧生産をしている地域を軍が移動している間は
それほど飢える事はない。止まった時が問題である。
このようなことが書かれている。
また、ヨーロッパ中世の戦争では河川輸送により軍の移動が
制限されていたと言うようなことが書かれている。
しかし、これを朝鮮役で海洋輸送をしていたら、という論理で
当てはめるには海岸制圧と航海能力へのコストから不当であると思う。
低生産・高人口・統治脆弱で簡単に焦土になる朝鮮では日明鮮軍の大軍を
投入することは、敵味方関係なく軍民共に大きな負担であり、大きな消耗を
強いられたというの朝鮮役のポイント。
21 :
世界@名無史さん:2007/09/15(土) 07:06:40 0
>>19 文禄の役でも慶長の役でも、進撃して居る間は輜重は本体に随伴しており、
落とした食料備蓄などから補給不足は起きていないよ。
手持ち、敵備蓄の接収、住民からの徴集(税や購入、最後は略奪)、
根拠地からの輸送・・・長期滞在でこれらの方法が上手く行かなくなった
時に補給不全が起きている。
朝鮮が日本や明ぐらい豊かであり、巡撫による統治が容易であれば長期滞在も可能だったろうね。
朝鮮は貧しく、人が多く、自己救済に繋がる日鮮の統治に回復しない阿呆さ加減が
民衆自体も滞在した日明鮮軍も消耗させたのです。
シーレーンという概念をどこに当てはめるのか定義が必要だと思うが、物資や情報の流通をしていたのは
国内−名護屋−壱岐−対馬−釜山−半島内と言うライン。
李舜臣が攻撃した唯一のシーレーンはたった一回一過の釜山攻撃のみ。
それ以外の攻撃は内陸の日本軍への輸送部隊でもないので別にシーレーン攻撃じゃないよ。
だから仮に李舜臣攻撃が一切無かったとしても補給は良化しない。
>>21 その状況を簡単に言うと、
補給が及ぶ範囲でならガンガン進撃すべきだけど、その範囲を越えて進撃するのはマズイ。
ってことになると思うが。
23 :
世界@名無史さん:2007/09/15(土) 10:33:08 0
>>22 近代的な大量消費と本国からの長距離補給を想定したかのような概念で
簡単に語るのは良くないよね?
占領地で住民を還農して再生産を行う事が出来るかどうか、
開墾やインフラ整備による生産量がどの程度確保出来るか、
時間がないと結果が出ないからね。
特に朝鮮は日本の武将も明将も想像を絶した生産性と
農民の生産能力だっだんだろう。
そこに来て農民が阿呆だから畑に帰らずに飢えて
味方同士食糧の奪い合い、死んで元々軍隊の食糧を奪いに来る。
朝鮮人の生む混乱によって実に戦争のしにくい土地だったのは
後になってから分かったこと。
元々、日本側は戦闘力を見せつける事によって交渉で降伏させようと
していた訳ですが、結果としてはいくら兵士や民衆が死んでも
ワカランチンの朝鮮政府や明の派遣指導部とは徹底的に戦うべき
だったかも知れないね。これが異文化戦争の恐いところ。
補給面だけ見たら、朝鮮よりは蝦夷で戦争していた方がもっと
マシだったかもしれない。この比喩が全てを表していると思う。
無駄か?
近代的な大量消費と本国からの長距離補給なんて、
誰も言っていないことをいきなり持ち出したり、勝手に長くしているだけ。
要するに当時の朝鮮が貧しくて住民も馬鹿だったから、補給が上手くいかなかった。
と言いたいだけでしょう。
それだけ言えばそれで済むこと。
27 :
世界@名無史さん:2007/09/15(土) 18:56:09 O
補給以上に生産とか治安とか統治全般だべ。
簡単に補給限界が・・・とか言って勘違いしている奴多いと思うぞ。
>>27 だからその理由が、貧しくて住民が馬鹿だからと言っているだけでしょう。
理由まで含めて3行ですむことじゃあないか。
そんな単純な言い方は語弊があるのではないか?
他にも要因があったしな。
そんな議論になる以前に知ったかで本国から前線まで絶えず補給が必要であったと誤認したり、その補給線が海上にあって李舜臣に切断されたと思い込んでいる奴は今でも多いみたいだね。
30 :
世界@名無史さん:2007/09/16(日) 15:50:16 O
貧しくて馬鹿に育てたのが質悪い。
先の大戦での代敗北の一因として補給の軽視というのが語られることの多い影響か
逆に補給を過大に重視してしまいがちではあるかもしれず
32 :
世界@名無史さん:2007/09/16(日) 20:07:56 O
知ったか韓国人と同じレベルにはなりたくないよね。
とりあえず知ったかじゃない自信があって長文用いずに要点を簡潔に説明できる者は
日本側の補給輜重の問題点・解決手段・成果について箇条書きかなんかで書いてくれんか。
無駄に長すぎる文章は読む気が起こらん。
日本の補給問題は明朝鮮の補給問題と同じなわけ。
35 :
世界@名無史さん:2007/09/18(火) 06:56:41 O
明軍も朝鮮軍も補給不全でガタガタ、朝鮮民衆も低生産と過剰搾取で飢えていたからね。
過剰搾取ってだいたい七公三民ぐらいですか(当てずっぽう)
37 :
世界@名無史さん:2007/09/18(火) 08:58:32 O
>>36平時が毎春農民餓死者が出るくらい。戦時は援軍を含めた軍隊と王朝が維持できるぐらい。搾取。
過剰な気もするけど、韓国人の被害見積もりでは七年間で人口3文の1と言われるときもある。
(政権の把握する徴税耕地面積の減少を根拠)
>>34-35 要は過去レスにもある通り朝鮮半島が貧しすぎて現地調達がアテにできなかったって事でFA?
39 :
世界@名無史さん:2007/09/19(水) 07:08:21 O
>>38 単に貧しいだけじゃなく、
全体としてその貧困人口が多い、
為政者のインフラ投資と整備が無く生産性が低い、
搾取されすぎて生産意欲が低い。
これに加えて自治が脆弱のため、戦乱や敵味方からの略奪で畑を捨てた農民が大量に餓えた流民となり、
食糧を求めて死んで元々のゲリラ攻撃を敵味方の備蓄や輸送を狙って繰り返した。
敵も味方も環農政策を実施したが、人口の3分の2(実際はそれほど死んでないと思うが)が死に絶える混乱を生んだ。
朝鮮半島って昔からどうしようもなかったのな
賎民を教化しようだなんて明治政府も植民地経営の方法を誤ったもんだよ
41 :
世界@名無史さん:2007/09/19(水) 20:13:11 O
現在の意図や無意識のアジア主義者もな。
>>40 でも台湾行政は上手くいってたぜ
まあ唐入りには関係ない話題だけどな
最初から台湾と樺太に攻め入っていればよかったのにな。
樺太は16世紀当時には多分旨味はないだろうし(近代以降だと工業資源やエネルギー算出で旨味が出てくる)
台湾だと現地住民・オランダ勢力を相手にせにゃならんからなぁ
でも海外貿易の事を考えれば沖縄・台湾は便利な出頭機関を置けるって利点も捨てがたい
もし秀吉が大名への恩賞を知行地ではなく貿易などで得た金銭や宝物の下賜って方向性にしてたら
明征服とかではなく東南アジアへの交易路の開拓に乗り出していたかも知れないな
そして武力は商売敵との抗争や敵対関係にある交易港湾都市攻略にこそ使われた可能性も高い
課題としては先進造船技術のすみやかな導入だな
46 :
世界@名無史さん:2007/09/22(土) 13:22:08 0
東郷平八郎が李舜臣を尊敬すると発言した
47 :
世界@名無史さん:2007/09/22(土) 14:04:59 0
東郷が李発言をした記録は皆無。
48 :
世界@名無史さん:2007/09/22(土) 14:05:16 0
49 :
世界@名無史さん:2007/09/22(土) 14:36:41 0
元ネタは小説。
それも言ったのは東郷じゃない。
51 :
世界@名無史さん:2007/09/22(土) 17:00:33 0
52 :
世界@名無史さん:2007/09/24(月) 17:22:27 O
出典のない伝聞情報が垂れ流すされた、ようはデマ。
>>47 記録じゃなくて史料だろ?
一次史料は発見されていない。
二次史料はあるが信じるのは難しい。
55 :
世界@名無史さん:2007/09/27(木) 13:46:43 O
すげえ
57 :
世界@名無史さん:2007/10/03(水) 11:31:36 O
明から見たらどんな感じ?
58 :
世界@名無史さん:2007/10/10(水) 20:12:33 O
とんだ迷惑
59 :
世界@名無史さん:2007/10/10(水) 20:18:56 O
蛮族が騒いでるけど、朝鮮人じゃ抑えられそうもないし、北京まで進軍してくるとやっかいだ
てか、朝鮮征伐といいつつ、日本は明と講和してる
つまり朝鮮征伐は日明戦争
日清戦争と同じだな
朝鮮半島は日本と中国との戦争の戦場になっただけ
実際、日本にとって半島は大軍団の遠距離渡海が出来なかったがゆえの
苦肉の策としての陸路でしかなかったからな
もし歴史のイタズラで16世紀後半に英蘭新教徒勢が来日してたら
旧教徒勢へのあてつけに秀吉に渡海用の軍船の売り込みとかしてたかもな
そうすれば朝鮮半島を経由しない中国大陸への直接上陸もありえたかも知れん
とはいえ、リサーチ不足や総司令官と外交官の不在といった諸問題を解決しなければ結果は変わらん気もする
61 :
世界@名無史さん:2007/10/22(月) 18:50:30 0
まあ、秀吉も明の臣下って自覚はあったけどな。
61
釣れますか?
まあ小西に騙される知障はスルーしておこう
あー、でもageてるからやっぱ知障じゃなくて釣りか?
>>62 お前、秀吉が当時書いた一次史料である豊臣秀吉日記知らないの?
豊臣秀吉日記に自分は明の臣下になりたいと書いているぞ、。
まったく、馬鹿はこんな常識も知らないから困る
65 :
◆nJEtVNN5i. :2007/10/22(月) 23:59:50 0
ちっ
66 :
◆nJEtVNN5i. :2007/10/23(火) 00:07:20 0
豊臣秀吉日記なんてねーよwwばーかww
だまされたなwwwwww
ばーかwばーかw
67 :
世界@名無史さん:2007/10/23(火) 18:45:33 0
冗談はさておき、勘合貿易復活の条項は小西にだまされるとか関係なしに、
名護屋城で秀吉本人が発表した対明講和条件にあがってるわけだが。
勘合貿易=朝貢貿易
コテ消したところでageてばっかりじゃ説得力ゼロどころかマイナスだぜ
sageてるからといってそいつがまともな事を言ってるとは限らんが
ageてる連中はほとんどイカれてるのが2ちゃんってもんだからな
69 :
世界@名無史さん:2007/10/23(火) 21:49:21 0
あげとかさげにこだわる理由がわからん。
勘合貿易復活要求は、まぎれもなく秀吉自身の意志で要求している講和条件であって、
小西のペテンはそのあとの話。
中公旧版などの通史レベルの本でも、マトモな学者がちゃんと書いてるんだが。
久々にスレがあがってると思ったら前スレの馬鹿がまたファビョってんのか
侵略がの成果があがらないだけで本土が蹂躙されたわけでもないのに交戦相手に頭下げるアホがいるわけねーだろ、常考
だいたい義満ら足利将軍も臣従はウスノロをおだてるだけのタテマエ、ポーズでしかないってのに、実際に侵略した秀吉に臣従の意思なんてないわな
勘合貿易が対等の国同士の貿易ではなく中国への臣従も意味する事を秀吉に教えなかったんだから、小西のペテンは前々からだろう
明の皇帝がお詫びに自分の娘と朝鮮の一部をやるって返事を期待してたのが、日本国王にしてやるって内容じゃあ秀吉が激怒するのも当然
>>70 合理的に考えれば、
貿易できるなら日本国王でもおkだろう。
貿易できないから激怒
>>71 たかが貿易で頭を下げる事こそ不合理。
南蛮人のいない室町前中期と南蛮人が来るようになった室町後期では明との貿易の重要性は低い。
そもそも秀吉の本来の目的は明征服であって、貿易利権はそのオマケでしかない
貿易の価値が低いとは思わんが、征服と比べれば明らかに軽いのは確かだな
それに貿易も明皇女や朝鮮領の要求と一緒くたの、一時的な休戦の手打ちにすぎないし
小西行長も対馬の宗氏も交渉する両者にウソつきまくりだけど、
同じ儒教圏でも日本と大陸の思考思想はそれだけ隔たりがあるんだな。
仏教も日本と日本以外の地域ではまるで別物だし。
成る程、日本国王云々に拘るのは、まさに朝鮮民族の思考パターンだなw
>>70 史実を自分の都合のよいように解釈する日本ヲタ丸出しの思考だな。
>>74 つーか「対等」という概念がない本場儒教の方が全世界的に見て異常
>>76 史実を自分の都合のよいように解釈するのは支那の方だろう
チョンはこれに捏造まで加わるから迷惑な事このうえない
>>79 どこが観念的が具体的にいってみろよwww
観念的ってべんりなことばだね
>「対等」という概念がない
中国や朝鮮が近代化で大きく遅れるわけだ。
ヴェトナムは皮肉にもフランスの植民地だったせいで東洋の悪習が結構払拭されたようだけど。
過去レスでもあったけど、
もし日本が大軍渡海の航海技術と船団があったら明の完全征服は無理だとしても、
本土を蹂躙された明の側は北宋時代みたく、領土の割譲と相手を対等と見なす条約の締結を結んだかも知れん。
そうなると清の明征服も10〜20年は早まったかも知れないし、
大陸に領土を得た日本が清とどんな外交をするかも興味がある。
はたして日本は更なる領土拡大を狙って清と組むのか、
清を警戒もしくは明に恩を売るべく明と組むのか…
いずれにせよ明の未来は暗いし、日本と清の衝突も時間の問題だな
85 :
世界@名無史さん:2007/10/24(水) 22:13:50 0
浦和レッズ、朝鮮を見事征伐
>>85 スマン、サッカーは興味ないんでどういった試合なのかわからん、つかスレチだろうw
中国本土における日本VS清だと、補給路が長い日本側が不利だな
>>80 金よりも、面子なんてありえん。
秀吉はどんだけ観念的な戦国武将なんだ^^
でも兵の経験値も銃火器の充実度も当時の日本はダントツだからな
清と衝突する頃に大陸での戦術戦略の新ドクトリンが確立されてれば
中国大陸の覇権はどう転ぶかわからんぞ
秀吉もしくは秀頼が天皇を超えた帝になれるのは
最低でも日本本土以上の石高か貫高を大陸で獲得してからになるんかね?
>>90 皇帝を名乗るだけならそんなに領土はいらんだろうけど、
天皇を超える権威となるとやっぱり本土よりは上の領土は必要だろうね。
>>88 既に金持ちの秀吉が次に欲しがるのはメンツだろバーカw
メンツだけで金のなかった源氏嫡流や足利氏と混同すんなっての
>>89 遠征軍が大陸式の戦法を修得するまでに占領地を維持できるかな?そこが疑問に思う
>>92 レス乞食なんか構っちゃダメ
過去レスでもあるけど統帥権の不明瞭さをなんとかしないことにはねぇ・・・
朝鮮の情報収集を二枚舌の宗氏におまかせ状態だったけど、
海外の情報収集ってそんなに大変なもんかねぇ。
まぁ日本人と大陸儒教徒の思考の差に気づけなかったのは確かだけど。
小西行長といい対馬の宗一族といい、人たらしの秀吉も唯一外交官にだけは恵まれなかったようだな。
>>92 秀吉がそんなに、非合理な人間とはとても思えん。
戦国武将はみんなとにかく金を集めることに必死だし。
秀吉以外でもそんな面子とやらにこだわり、
朝貢するのが嫌だから貿易しないなんて武将なんてそうはいないと思うんだが。
>>96 今まで呑気に貿易&密貿易してたのがいきなり戦争じゃあ多少なりとも面食らうのも仕方ないか
99 :
世界@名無史さん:2007/10/26(金) 20:32:21 O
小西は裏切り者だろ?
100 :
世界@名無史さん:2007/10/26(金) 20:42:44 0
100get!
>>97 東方より西方までに至る君たるべき人と言って、
スペインにも高圧的な姿勢を示した人が、
貿易の利潤のことしか頭になかったとは思えんな
>>97 No.1の武力権力財力を得て、唯一足りない権威(アンタのいうメンツ)を、
欲しがるのは人間としては自然な欲求であり、不合理でもなんでもない。
元々武権財力のない人間、勢力が武権財力を得る為に権威の切り売りをする事はあっても、
既に武権財力を得た人間、勢力が更なる武権財力を得る為に権威を切り売りする事はない。
>>97 サルにとって大陸侵略、領土獲得は6ケタもの足軽達の雇用対策でもあり
ちょうど今話のタネにもなってる新君主(天皇でも皇帝でもいいけど)になるためのモノだ
名目上でもトップに立つ事や足軽に分け与える領土に比べれば貿易なんてセコイセコイ
104 :
103:2007/10/26(金) 21:27:20 0
あ、かぶった
>>99 結果的にはそうなってしまったけど、最初から秀吉の意に逆らうつもりはなかったんじゃないかな?
それにしてもここは釣りにマジレスしてくれるナイスガイズの集まりですな…
小西は最初は積極的にやる気だったのかそれとも嫌々やってたのか気になるな。
>>106 石田三成も小西行長も内心では反対してたぞ。
彼等は明側の交渉人と勝手に手打ちを画策して
秀吉の逆鱗に触れてるし。
三成はプータロー侍の問題をどう解決するつもりだったんだろうな
あんまり良い案はなかったとオモ
江戸幕府だって由比正雪の反乱を防ぐまでは放置してたもん
中世ヨーロッパなんか戦時の傭兵は平時の山賊だったからなあ
武器を持った無職は危険きわまりない
こうして見ると成否の如何にかかわらず出兵した事は当時の日本の国是にかなってたんだな
112 :
世界@名無史さん:2007/10/31(水) 20:23:11 O
>>111 そうなんだよな。執政の理に適った出兵だった。
世界史の観点でいけば大帝国の統一者やその2世3世なんかは
国家設立からそんな遠くない時期に外征をしてる例が多いもんね
始皇帝、武帝、煬帝、永楽帝
チンギス・ハーン〜フビライ・ハーン、チムール
ダレイオス1世〜クセルクセス1世
アレクサンドロス3世
etc
ヌルハチ〜乾隆帝
他にロシア皇帝とか
オスマンのスルタンとか
>>113-115 あとは内乱の鎮定者もこれに加わるかな。
こうしてみると秀吉の行動は日本史的には異常でも世界史的には正常だったんだね。
鎌倉幕府は武家の土地争いの利害調停機関でしかなかったし、
室町幕府も権力が弱くて国家統治機構としてはろくに機能してなかったから、
武家による国家統治機構の成立は実は豊臣政権と江戸幕府だけなのかも。
117 :
世界@名無史さん:2007/11/02(金) 19:08:37 O
118 :
世界@名無史さん:2007/11/02(金) 19:29:20 0
m9。゚<ヽ゚`Д´゚>゚。プギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒーーーーー
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(( < >
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(_)^ヽ__)
∧,_∧ ♪
(( < >
♪ / ) )) ♪ ほすほすほすほす♪
(( ( ( 〈 サヨ歓喜♪
(_)^ヽ__)
119 :
世界@名無史さん:2007/11/03(土) 16:56:23 O
爆笑倭軍敗退
ニヤニヤ( ・∀・)
121 :
世界@名無史さん:2007/11/14(水) 19:43:56 0
本能寺の変の後、光秀が毛利に送った密使が秀吉軍に捕えられなかったら、
秀吉は討たれていただろう。その後も、柴田勝家らによる暗殺の危機など、
賤ヶ岳の戦いの前に秀吉が討たれる歴史のIFが何度かあった。
もし秀吉が討たれていたら、天下統一はなく、形ばかりの足利幕府が再生し、
日本は8つ程度の大名による分国体制になり、欧州のような状態になっただろう。
そして、各大名がそれぞれ自由に領国を経営し、海外貿易にも乗り出す。
その場合、九州を制圧した島津は、琉球を支配し、台湾に植民し、南蛮貿易に
邁進して、欧州とも交易して発展。
キリスト教に入信していた可能性が高い伊達政宗は、支倉常長の遣欧使節船派遣に
みられるように、西洋との交流を深め、蝦夷地開発に乗り出しただろう。
そして、ジャガイモ栽培など、西洋の文化・科学技術をいち早く導入して人口が急増し、
漁業その他資源豊富な北海道、樺太、千島、カムチャッカ、アラスカに植民していったこと
だろう。オホーツク海沿岸のシベリアの一部にも進出。そしてロシアとの慢性的紛争勃発。
その後、日本は北方、南方での西洋諸国との抗争の中で統一するが、その頃には、
西欧化した伊達を筆頭に、人口、科学・工業技術、経済力で史実を遥かに上回っており、
日露戦争ではバイカル湖まで、あるいは、クズネツク工業地帯の資源を狙って
エニセイ川あたりまで占領・領有できただろう。
この場合、日韓併合、満州制圧の必要性はない。
もっとも、米国の満州進出を受け入れ、満鉄日米共同経営となり、米国の働きかけに
よって、満州国が建国(全世界が承認)され、日本領東シベリアと中国の間に
緩衝地帯が設けられる可能性もある。
アラスカの油田もあることだし、豪州も日本領土になっていた可能性が高く、資源封鎖は
ありえず、日本は第二次大戦に巻き込まれることなく、その状態をキープして今日に至る。
秀吉、おまえは徳川政権に道を開いただけの、日本史の余計者だった。
>>121 秀吉が毛利返しできずに消えても単に家康の幕府成立が早まるだけじゃないか?
信長が天下統一のガイドラインを発表した以上は、
あとは誰がそのガイドラインを最初に有効活用できるかってだけだと思う。
123 :
世界@名無史さん:2007/11/15(木) 02:12:13 0
>>122 柴田勝家は、足利幕府再興派だったから、毛嫌いしていた秀吉を討ってくれた
毛利と和解して、足利義昭を京に戻して、幕府を復活させれば、もう天下統一に
乗り出せる大名はいまい。
>>123 信孝と信雄の不和がある以上、油断はできない。家康がどっちかに肩入れして、
義昭のいる側につけば義昭を奪い、義昭のいない側なら殺すなり廃嫡するってオプションも考えられる。
将軍を担けるのは大きいアドバンテージだけど、絶対ではないから付け入る隙がないわけでもない。
もちろん、この引っ掻き回す役が家康だけとも限らないし。
125 :
世界@名無史さん:2007/11/15(木) 18:44:44 0
>>124 勝家が信孝を担ぎ、家康が信雄を担いで織田家分裂となり、濃尾平野付近の織田領を
徳川が分捕る可能性大だが、全然OK。
現在の地域区分における九州が島津、毛利は秀吉征伐後さらに東に勢力を拡大して、
現在の中国地方を制圧、四国は長宗我部、近畿は織田、北陸は上杉、徳川は中部地方、
関東は北条、東北が織田。
徳川は北条と同盟、勝家が実権を握る織田は、毛利と手を握って、勢力圏内に足利幕府
を囲う。毛利はもともと天下を狙う気はなくて将軍家と関係密。上杉は将軍への忠誠心厚く、
島津、長宗我部は秦氏系だから、朝廷・幕府と関係は良好。
したがって、もはや、8大大名体制で安定しただろう。
126 :
世界@名無史さん:2007/11/15(木) 20:04:23 0
127 :
世界@名無史さん:2007/11/16(金) 23:39:08 0
128 :
世界@名無史さん:2007/11/19(月) 21:43:39 0
秀吉じゃなくてその後の家康というか
江戸の徳川体制だろう
東国が覇者となった事で停滞・国内安定路線が決まったようなもの
西国が中心地なら誰が支配者でも海外重視の政策になったんじゃないか
東国西国うんぬんというよりは家康個人の性格もあるんじゃないかな?
勤勉で同じミスは二度繰り返さないってのは手堅い性格ならではだと思う
それに家康自身は貿易推奨のスタンスだったしね
130 :
世界@名無史さん:2007/11/19(月) 23:28:36 0
天下統一した大名が他大名を弱体化するのは必然。
蝦夷地とかへの植民なんて起きなくなる。
日本を支配したら、「日本最高!」で終わり。
食料、塩、香辛料、木材、鉱物など生活必需品を貿易に頼っている欧州諸国と違い、
日本、朝鮮、中国、ベトナム、シャムなど東アジアの国は国内で経済が完結しているからね。
貿易を求めてきたヨーロッパの国に対して「我が国が外国から欲しいものは何もない」と
言ったのは清の乾隆帝だったかな。
江戸時代、日本は清やオランダと貿易していたが、相手国が金銀銅を欲しがったが、
日本は替わりに欲しいものが特にないので、書物や装飾品とか、どーでもいいものを
輸入していたもんな。
そういうのもあるかもしれんが
東国が政権の本拠地だと
海外と自由に交易を許すと
どうしても西国が富んで強くなってやっかいになって
やがて体制を覆されたからだと思うよ
実際幕末はそうなったんだし
133 :
世界@名無史さん:2007/11/20(火) 15:13:11 0
>>131 江戸後期はともかく初期は大量の生糸を輸入していたよ
あと砂糖とかも
輸出も後期になると俵物と言われる海産物の乾物を中国向けに大量に輸出したりしていた
>>132 もし秀忠や綱吉みたくリーダーシップを発揮するタイプでなおかつ田沼みたいな重商主義者な人間が
早い時期に将軍職に就いてたら大阪遷都もありえたかも知れない。
そして江戸に水戸家を封じて室町幕府における関東公方に近いポジションにしてたかも。
135 :
世界@名無史さん:2007/11/21(水) 20:14:08 0
まあ、秀吉も家康も明の臣下という自覚はあったけどな。
136 :
世界@名無史さん:2007/11/21(水) 21:22:04 0
全くだ。
138 :
137:2007/11/21(水) 21:24:50 0
>>137-138 いつもあげてる奴はどうやらただの秀吉アンチらしいな。
あんたもいちいちまともに相手しなさんな。
140 :
世界@名無史さん:2007/11/26(月) 11:05:51 O
割地や降嫁は華夷秩序的に受け入れできない要求。
141 :
世界@名無史さん:2007/11/26(月) 11:11:16 0
アンチ秀吉は在日。
142 :
世界@名無史さん:2007/12/01(土) 20:52:11 O
日本は攻めたくて攻めた。
朝鮮は党争を維持して腐り続けた。
明は朝鮮に頼られて衰弱。
秀吉が攻めてきた当初、住民大喜びって言うのも笑えるよなw
何処の国の住民が攻められて喜ぶんだよw
日本で明に朝貢していたって言うのあるけど、
実際、中国の影響範囲外だから、利益優先しただけでしょ。
出島のオランダ人が将軍に臣下の礼したからって、遠い異国で利益優先させただけだし。
朝鮮の朝貢とは意味が違う。
出島のオランダ人、対馬宗氏、九州大友氏、全部同じレベル。
145 :
世界@名無史さん:2007/12/02(日) 04:53:27 0
何故か前田利家や、徳川家康と言った日本で一番軍事力を出せるところが出してないしね。
秀吉自身も渡海してない。
直接、指揮執ればよかったのに。
146 :
世界@名無史さん:2007/12/02(日) 06:34:40 O
渡海してたらどうなの?
徳川あたりがクーデター
>>143 思いつくところではカラキタイ王朝とか?
>>143 住民じゃなくて奴隷が大喜びなんとちゃうん?
150 :
世界@名無史さん:2007/12/02(日) 14:26:54 O
>>143 それだけ当時の政権に不満タラタラだったんじゃね?
実際に城が落とされるとドサクサに紛れて身分証だったか借金の証文を破いたり燃やしたりしてたし
>143
長く続いた王朝が権力腐敗で民衆から憎まれてた、ってのは
どこの地域・国にもあること。
新興国は、そういう不満を解消してる例が多いという、
中国特有の(?)事情から、その影響下の朝鮮でも新興国歓迎的発想があったんだろ。
現王朝の腐敗を一掃して、善政を敷いてくれると夢想する、
おめでたい人が数多くいたから、当初は日本軍を歓迎した。
その後の推移で、夢から覚めて、対日抗戦を始めたわけだ。
>149
そういう側面はあるかもな。
底辺に位置する人間ほど、現体制への不満が強く蓄積してるし、
体制崩壊への期待を強く持つからな。
そういうときに限って、戦争が起きることを除く世論が強くなったりする(近代の場合)ともいうしな。
ところで今日のNHKでの「朝鮮通信使」特番、
秀吉「朝鮮の役」での奴隷狩りを
あたかも、北朝鮮による拉致と同類のように扱ってるような雰囲気があったけど、
ひょっとして、北朝鮮政策と対米交渉について、何か含むところがあったのかね。
154 :
世界@名無史さん:2008/01/01(火) 21:34:13 0
age
155 :
世界@名無史さん:2008/01/04(金) 09:54:23 O
大多数は日本に残ったようだな。朝鮮で飢えるよりはましか。
156 :
世界@名無史さん:2008/01/04(金) 14:06:38 0
>>145 おまえら、少しぐらい調べてから書けよ。
157 :
名無しの権瓶:2008/01/05(土) 23:49:25 0
秀吉も老骨に鞭うって、自分で出兵すべきだった。
そうすれば現地の状況は把握できるし、輸送問題ももう少しなんとかできたと
思うし。
秀吉渡海で、文治派と武断派の対立を緩和できればいいことあるかもね。
秀吉が死んじゃった後だけども。
159 :
世界@名無史さん:2008/01/08(火) 01:20:11 0
>>145 >>157-158 家康や政宗ら東国大名は後詰め。
秀吉は九州にキリシタン大名を集めて、彼らを先鋒として出兵させ、
さらに、朝鮮征服後に、彼らの領国を九州から朝鮮に配置換えにして、
日本から追い出そうとしていたんだ。
秀吉は、その後、東国大名を引き連れて渡海する予定だったが、
朝鮮水軍の活躍のために周囲から反対されていったん中止。
その後、また渡海しようとすると、九州の小大名が、朝鮮出兵の陰に隠れて
国取り合戦みたいなのをやらかしたので、そいつを成敗するために、またも渡海中止。
その後、もう一度、渡海しようとしたが、母が病に倒れたので、見舞いのために中止。
そうして、渡海の機を逸した。
160 :
世界@名無史さん:2008/01/08(火) 07:59:58 0
チョン半島の歴史で知りたいのは新羅かな
でも領土が最大だったころの画像があまり出回ってないね
ほとんどは任那・百済・高句麗があったころの画像だけ
>でも領土が最大だったころ
元末に北進したあたりか
新羅の時代に元なんか無いよ
163 :
世界@名無史さん:2008/01/10(木) 03:33:48 0
日本兵の場合は第二次大戦と同じく、
戦死者数よりも餓死者や気候で死んだ人数の方が多いのが妙に納得できてアレだな
しかし14万も死者が出るか?関ヶ原で東西合わせた兵員約16万に匹敵するぞ
165 :
世界@名無史さん:2008/01/10(木) 05:59:11 0
明が来た当たりで負けだしてきているから不思議でもなんでない
特に北部は下手するとロシア並の気候なので
寒さに慣れないとかなり死ぬ
朝鮮出兵で14万も死者を出しながら撤収からわずか2年後の関ヶ原まで16万に回復するとはとても思えんな
戦場となった朝鮮側なら死者に民衆も加わるからわかるんだが、
侵略してる日本側が輜重隊込みでもそんなに死人が出たとは信じられん
もともと数千万の人口大国だしなんともいえん
関ヶ原は東軍が主力で西軍の兵力は確かに目減りしているし
まあ、資料みてみると
明軍きてからはそうとうに苦戦していた事実はあるみたいだが
英語wikiにあるのは14万は死者じゃなくて死傷者でしょ
14万というのは死者じゃなくて死傷者でしょ?
まあ負傷者もカタワになったりして実質戦闘不能になる人もいるが
傷が回復すれば関ヶ原でまたたたかうってことは可能かと
だいたい犠牲者数の内訳って死者一人当たりに負傷者二人って感覚だから
実際の死者は五万で、負傷者が9万あたりかと
白村江合戦
上古(新羅) vs 上古(百済)
新羅側に唐(古代)、百済側に日本(上古)が直接派兵介入
元寇
中世(蒙古) vs 中世(日本)
※ この時期の蒙古側尖兵の高麗の文明レベルは古代
朝鮮征伐
中世(日本) vs 古代(朝鮮・明)
日清戦争
近代(日本) vs 古代(清)
※ 主戦場の朝鮮は清支配下で文明レベル古代
日露戦争
近代(日本) vs 近代(ロシア)
大体、文明レベルが優っている方が勝っているけれど、太閤さんときだけ逆だな。
170 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 03:58:07 0
朝鮮古代は否定しないが
明が古代ってのはさすがに勉強が足りないぞ
世界一の大砲を所有してかつそれを組織的に運用できたのは
当時明だけだろ。それで日本も金も潰走させているんだから
あれはりっぱに中世の軍ないしは日本と互角かそれ以上でしょ
171 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 04:01:30 0
>>163 犠牲者も日本13万死傷者だしたのに
明はわずか3万
大軍もってきた明の方が食料事情はきつかったはず。
あの当時の明は、ヌルハチすらおっぱらっているからとりあえず日本以上に強かったとしていい
明の犠牲が3マンと言うのはない、しせんのたたかいで薩摩と戦った時だけでも数万〜8万の犠牲者がでてる
173 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 04:35:54 0
それって明の誇張数字だろ
いわゆる南京30万、ww25000万死亡と一緒
実態は日本は敗走つづきで
中国は圧倒的に有利な追撃戦だったんだから
3万はあり得る話
174 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 04:40:39 0
大量虐殺兵器も無い時代に
一日の追撃戦で3万も8万もやれるかよ。ここは三戦板じゃねーんだ
機関銃でも島津軍がもってりゃ別だが
島津の誇張数字当てにするなよ。せいぜい多く見積もって3000前後じゃね?
いくら大軍の明軍でも、3000人も死ねば十分壊滅クラスだし
175 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 04:42:28 0
薩摩川の記録だけでも犠牲者3万超えてる、明側だと8万となってる
176 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 04:47:24 0
中華お得意の水増し数字と薩摩の誇張だろう
どうみてもその数字
英語wikiが絶対正しいとはいわんけど
とりあえず資料を疑う目は必要ですね
長篠の死傷者でさえ2000人前後
関ヶ原でさえ5000人よ
3万以上殺すには島津軍に機関銃があるか、サイヤ人一人は欲しいところでしょう
177 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 04:48:30 0
178 :
176:2008/01/12(土) 04:49:30 0
ちなみに長篠2000人、関ヶ原5000人は「死傷者」ね
死人になるともっと少なくなる。
179 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 04:51:23 0
>>177 日本語版wikiは当てにならないよ
世界史板だと常識なんだが、
英語版wikiは辛うじて信用に値するが
その記述は無いよね?
180 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 04:54:42 0
日本語板wikiは三戦板と変わらん内容がそのままだからな。
戦国ドラマと史実がごっちゃになっているやつが編集するつーのも
181 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 04:55:36 0
>>179 英語版のほうがあてにならんだろ記録正式な記録がないんだし
薩摩の記録だけでも3万以上の死者、明の記録だけでも8万
しかもぶざまに敗戦した明将が本国に送ってんだからもっと被害が大だった可能性がある
182 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 04:58:31 0
じゃあ、一日でどうやって8万の命奪えるの?
機関銃無しで?
ww1の初期レベルの犠牲者数じゃん
機関銃相手に突撃していくころの
おしえてね。論理的に
183 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 04:59:08 0
薩摩側が7000程度の兵で明側が公称20万、公称20万と言う事はもっと少ないだろうが
10万以上はいたと予測される
184 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 05:01:00 0
で、どうやって3から8万殺せるか説明してよ
185 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 05:01:14 0
>>182 読めばわかるでしょ火薬庫が爆破され木っ端微塵になってる時切り込まれた
186 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 05:03:36 0
>>181 公式資料であってもあまりに疑わしい資料は採用しない
学問として当然のスタンス
三国志で曹操軍100万とか
公式資料にあるからってそのまま採用するの?
あほ?
187 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 05:06:13 0
>>185 8万もころせる火薬とはスゲエww
長崎の原爆と同レベルの威力を持った火薬庫なんだww
島津軍の新兵器だな
関ヶ原でも使えば良かったのにね
188 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 05:06:37 0
関ヶ原とかは戦う前に既に調略で勝負決まった政略戦だから死傷者がでないのは当たり前
大阪夏の陣や冬の陣での犠牲者が圧倒的に多いのは殲滅戦だったから
189 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 05:07:50 0
泗川の戦い
wikiが日本語だけか
英語版や中国版の資料が無いと
ただの戦国オタの落書きにしか見えないよ
190 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 05:08:15 0
>>186 三国志演義と正式な記録をごっちゃにするアホはお前www
曹操軍が100万とか言うのはあれは演技の話
191 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 05:11:49 0
調略で勝負決まった政略戦
>はあ? ガチで闘っているだろ? 関ヶ原も長篠も?
調略戦というのは、例えば九州征伐や小田原征伐のことをさすんだぜ?
理解しようね?
>冬の陣
そんな犠牲者だしてない
夏の陣
>殲滅戦でもなんでもない
落ち武者がリの追求はかなり厳しかったが即日犠牲者をだしたわけじゃない
192 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 05:11:53 0
>>189 中国側の記録が8万って書いたろアホがw
英語版こそあてにならん東洋の記録なんてしらんだろうしw
欧米が日本なんか紹介するときかなりデタラメだしな
193 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 05:15:15 0
>>191 関ヶ原を勉強しましょうねwww
あの時ほとんどの武将が日和見か東軍への寝返りが決まっていて戦う前に勝負はきまってました
西軍で全力で戦ったのは石田三成隊とか一部だけです
194 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 05:17:07 0
195 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 05:18:45 0
で、一日に3万、8万どうやってころせるの?
196 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 05:24:26 0
せいぜい5000前後じゃないか?
明軍10万いたとしても5000人も死ねば壊滅といっていい損害だし。
たしかに3万はありえない。
戦争一つの中で3万死んだというのならわかるけど
そういう死傷者がでるような戦争なんて同時代の欧州や中東見ている限りでは
あまりにも現実味が薄い数字だよね
197 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 05:26:49 0
一日に3万も実際に殺せるような戦いをしていたのなら
いくら欧州がアジアに興味が無いとはいっても研究されるだろ
日本語版wiki以外無いのは注目されてない証拠
数字に懐疑的な学者が多いという事
198 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 05:27:05 0
>>195 謙信と信玄が戦った川中島の戦いでは、両軍の4分の1の兵が死んでる
ちなみにこれは両軍が引き分けの戦いでどっちかが敗れていたらさらに戦死者は出てる
199 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 05:30:03 0
川中島って実際は殆ど睨み合いだってあれか
まあいいけど
どうやって3万殺せるの
200 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 05:35:28 0
大量殺戮兵器の無い時代に中世のご時世に8万死亡だぜ?
軍事研究史にもっと注目されていい戦いじゃね?
なぜ外国の歴史家や軍事研究家にネグレクトされているの?
はよ一日で武装している集団8万殺せるやり方教えてよ
201 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 05:35:53 0
>>199 お前少しは勉強しろよw
謙信と信玄の最後の川中島の戦いでは激戦してんだよハゲ
あれは両軍が致命的なミスしないにもかかわらず、両軍が4分の1の損害だしてんだよ
退却できない崩れた軍の兵を殺すなんて柿をもぐより簡単なんだよ
202 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 05:39:11 0
おいおい
川中島1/4とやらを俺が信用していることが前提かよ
困ったなあ
当時の土豪連合が1/4も死んで戦争継続できるかよ
長篠何ぞは8%の死者で武田軍潰走なのに
203 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 05:41:35 0
戦闘での死傷者が少ないなんてのは
・政治的な勝利が目的で戦闘における殲滅戦が目的ではない
・両者とも戦闘に敗れても退却ができる状態
このどちらかが含まれてる場合
204 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 05:45:52 0
ハンニバルに負けたローマ軍だって7〜8万の軍を率いて、死傷者60000万人近く出してる
これはお互いが和睦や政略で崩したりすることもできず、両軍が引く事もできない状況だから
205 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 05:47:07 0
しせんの戦いは両者とも含まれているだろ。
むしろ長篠なんて執拗に織田軍の追撃があってせいぜい1500人前後
執拗に追撃できない立場の日本軍が一日で3万から8万もやれるか?
206 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 05:56:00 0
>>205 流しの正式な死者は知らんが、織田徳川連合は6000人の損害となっている
武田側は12000人の損害70%以上の戦力がつかいものにならなくなった
207 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 05:58:13 0
しかし、英語and中国wikiの明軍3万しか死んでないというのは疑問だな。
日本よりは少ないだろうというのは認めるけどさ。
あれだけの長期戦で負傷者含めて3万だというのもなあ。
病死とかだけでも普通に結構行くだろうに
208 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 06:02:28 0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E7%AF%A0%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84 [編集] 織田軍・武田軍の兵力数
高柳光寿の「長篠之戦」では、織田1万2,000〜1万3,000・徳川4,000〜5,000、武田8,000〜1万・内設楽原へ布陣した兵数が6,000〜7,000という数字を唱えている。
織田徳川連合軍1万6,000〜1万8,000、武田6,000〜7,000で、連合軍の兵力はおよそ武田軍の2.5〜3倍程度であり、
通説の織田徳川連合軍3万5,000、武田1万3,000〜1万5,000と同程度である。
前者の数字を支持する理由に、設楽原の地形の峡さを挙げることが多い。
また武田軍の損害を1万〜1万2,000、連合軍6,000とするよりも、
【武田軍の損害1,000、連合軍の損害600という数字の方がより現実的である。】
日本語版wikiでわるいけど
こちらはきちんと資料丸呑みしないで死傷者算定しているだろ
俺もね明軍3万の死傷者というのは日本と比してあまりにも少ないとは思うけど
中世の戦争なんて実数の死者は大した事が無い場合が多いんだ
209 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 06:04:55 0
長篠の資料が実数の1/10なら
しせんも3万の1/10で3000人の死者。これでもおよらく明軍は潰走するから
島津軍は逃げられるはず。
210 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 06:13:12 0
長篠の戦いの正式な損害は知らんが、あれは両軍が正陣を布いて戦った戦いだろ
一方が奇襲で快勝した戦いでない
信長はその後武田の対し殲滅戦をせず、何年も調略をかけてじわりじわり滅ぼしてるしね
211 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 06:18:22 0
長篠は織田軍の追撃の方がむしろ武田軍に損害を与えている
長篠で殲滅できなかったからこそ
調略を用いている訳で
長篠の戦いで武田を殲滅する気だったからこそ
おびき寄せたりしているんでは?
212 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 06:18:45 0
第四次川中島の戦いでは
信玄側が20000人で戦闘における死者だけで4000人以上
謙信は13000人で3000以上に死者
213 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 06:22:40 0
>>211 だから信長は政治的に勝つのが目的で殲滅戦が目的ではない
自分が勝利したという結果が目的で、それをテコに武田家を調略し弱らせた
なぜなら天下で弱いといわれた信長軍が最強といわれた武田軍を殲滅なんてできないしね
>>170 大砲の有無で古代と中世を区切るの?
ヨーロッパの6世紀から14世紀は古代なの?
日本の鎌倉時代・室町時代は古代なの?
軍の組織的運用で古代と中世を区切るなら、
日本の室町時代はまだ古代で、三次にわたるローマ対カルタゴのポエニ戦争は
中世国家どうしの争いで、アレキサンドロス王のエーゲ統一・中近東征服は
中世の出来事なの?
215 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 13:54:50 0
そもそも中世と古代の区別がわからん
古代でもローマの軍勢なら中世の日本軍より強いだろうし
つまりあえて区切る必要が無いってことだろう
朝鮮の役は大砲を有用活用した明が
日本軍を寄せ付けずかなり犠牲を出した。そっちの方が重要
216 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 14:03:36 0
古代ローマなら中世ヨーロッパの軍勢より強いからな
古代の軍隊だからよわいっていうのはおかしいか
217 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 14:34:46 0
>>215 >古代でもローマの軍勢なら中世の日本軍より強いだろうし
>古代でもローマの軍勢なら中世の日本軍より強いだろうし
>古代でもローマの軍勢なら中世の日本軍より強いだろうし
(´ゝ`)・・・・・(笑)
上代
・地縁・血縁による小国家群
古代
・中央集権的広域国家
・政祭一致、神権政治
・卑民制、奴隷制
中世
・軍事政権の階層的割拠
・広域宗教と、勢力圏の小さな世俗政権の割拠支配
219 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 14:42:01 0
世界最強の武将は上杉謙信公だよ。
14歳で合戦を指揮し一糸乱れず兵を統率し勝利を挙げ、以来常に相手より少ない兵で戦い生涯不敗。
ワシに8000の兵があれば、いかなる大軍をも駆け乱して見せようと言いその通りの生涯を歩む。
220 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 16:36:57 0
>>217 鉄砲があるような時代ならともかく
室町や戦国前期の雑兵が古代ローマの歩兵に勝てるとは俺も思わん
根拠0
日本の戦国武士、ローマ兵、マケドニア兵、マムルーク兵……と
強い兵団はみんなホモだ。
武器の歴史てのもあるはずで、そうなれば大砲の有無で時代を区切るのも
別に可笑しい事じゃないだろう。
まあ大砲の有無で中世てのはどうかと思うが。
火薬を使うかどうかてのはあるんじゃないか?
>>215 古代は大帝国(ローマ、ペルシャ、インド、秦漢)
巨大な権力で周囲が征服される
中世は古代帝国が遊牧民に滅ぼされて、
遊牧民も宗教で抱き込んで宗教が単位になる
(ヨーロッパ、イスラム、唐)
権力も宗教秩序を尊重した軍事政権になる
これに国家がお金の経済で回りだすのが近世と考えると
だいたいすべての世界にあてはまる
225 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 20:31:52 0
ナポレオン時代の大砲ってたいした威力じゃ精度じゃないでしょ
226 :
世界@名無史さん:2008/01/13(日) 00:24:31 0
万単位の軍隊で
それなりの数をそろえれば
多分にどこ頭にあたる
ヌルハチは明軍の大砲が当たって
死んだともきくしなー
矢の雨を降らせるとか弾幕を張るってヤツだね
大集団が大集団に飛び道具を撃てば下手な鉄砲も〜って感じで確率的に当てやすくなるからなぁ
228 :
世界@名無史さん:2008/01/13(日) 20:08:17 O
日本軍も最終的に四万人ちかい損害をだしている
帰還後も戦傷が原因で死んだものもいただろう
七年の戦は厳しい戦いだったに違いない
229 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 02:43:44 0
>>224 日本はどうなるよ?
差し渡し2800キロを征服した朝廷は巨大な権力だろうが、
平将門や木曽義仲は遊牧民ではないぞ。
杓子定規に受け取る必要ないから
231 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 02:46:27 0
関東というフロンティアを開拓した武家が独立した
232 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 04:42:38 0
つーか
近代と前近代の二分訳でいいと思うけどな
世界史まで大化の改新の次はハルノートのネトウヨ二分訳史観持ち出すなよ
異民族を制圧する路線から宗教で統合しようとする路線への転換が古代から中世への転換
宗教権威はひっくりかえせないから軍事政権は覇権を握っても権威を保護する展開になる
これはどこでも同じ。
民族と宗教と国家はそういう関係になってるってことだよ。
日本でも摂関期から院政期に東北にも仏教が広めたあたりから中世がはじまってる。
島国だから遊牧民に滅ぼされなかっただけで、だいたいあてはまるだろう。
>>230 本来そうだろうけど、
>だいたいすべての世界にあてはまる
なんて大風呂敷広げちゃっているからね…
>>234 エジプト・インド・中国・マヤ・アステカそれから日本も、
むしろ古代の方が宗教の影響は大きいと思いますけどね。
237 :
世界@名無史さん:2008/01/17(木) 11:08:32 0
いや、どれも普通に宗教で統合する路線だったと思うが。
日本で言えば軍事政権でもひっくり返せない、宗教的権威の最大のものは天皇となるが、
天皇を神格化しその下で列島を統合したのは正に古代。
中国の天子・天命・易姓革命といった、その後も重視される思想の成立も古代、
ファラオの神格化も、バラモンの権威確立も古代。
239 :
世界@名無史さん:2008/01/19(土) 18:47:51 0
台湾人を叩く奴は全部チョン
台湾に悪い事は全部チョンのせい
李登輝を日本の総理大臣にしよう
日本人は台湾人が大好き
日本人は台湾が好き!朝鮮嫌い!
日本に来る台湾人歓迎!朝鮮人出て行け!
台湾人はマジでかわいい
ヴィック・チョウは日本女性に大人気
日本人種は在日チョン用語
金美齢は絶世の美女
240 :
世界@名無史さん:2008/01/19(土) 21:32:48 0
明の大砲なんてたいしたもんじゃないだろ。
現在の炸裂弾ではなくただの玉が数百メートル飛ぶだけだし、乾煎りで大砲が有効に作用したなんてあんまり聞いたことが無い。
近世の頃の大砲は破城or艦船撃沈用途か轟音による脅しが主な効用だったしねぇ
「世界銃砲史」で唐入りの時に日本兵が立てこもったどっかの城に
爆裂砲弾が撃ち込まれた話が載ってたような気がするけど
243 :
世界@名無史さん:2008/01/20(日) 00:20:48 0
脅しで十分だろうな
闘っている途中で隣の兵士の上半身が消えてなくなっているのを想像してみろ
当時は大砲なんて未知のものだから、その時点で士気が崩壊するわ
ヌルハチも大砲を運用する明軍には敗走を重ねていたな
最終的に明の内部崩壊につけこめたけど
>>243 砲撃による怪我がもとで亡くなったと言われているだけで、
サルフの会戦とか相手が大砲を使っていた場合も普通に勝っていますが。
245 :
世界@名無史さん:2008/01/20(日) 01:17:54 0
ヌルハチ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8C%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%81 1626年(天命十一年)
連戦連勝のヌルハチは明の領内に攻め入るために山海関を陥落させようとする。
ところがその手前の寧遠城(現在の興城県城)に、名将袁崇煥がポルトガル製の紅夷大砲を大量に並べて満州軍を迎え撃った。
紅夷大砲の威力に満州軍は散々に討ち減らされ退却した。清の記録ではこの敗北の数日後にヌルハチは病死したとされるが、ヌルハチが大砲で傷を負い、
これが原因で死去したとも推測されている。遺体は遼寧省瀋陽市東の郊外の福陵に葬られた。
袁崇煥
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%81%E5%B4%87%E7%85%A5 天啓二年(1622年)に、兵部職方主事に任じられた。このとき、変装して一人で敵陣営に行き、情報収集をして、
寧遠城設置(あるいは改修)の戦略的重要性を強く感じたため、
帰国後、女真族との国境地帯である遼東地方の防衛をすることを志願した。山海関の外郭として、
城壁の高さは10.2m、城壁の厚さは基底部で約9.6m、上部で約7.7mあり、ほぼ方形で、4つの門をもつ寧遠城(現在の興城県城)を築城し、
群臣の反対を押し切って、ポルトガルから最新式の大砲(紅夷砲)を取り寄せ、城に設置して、充分に兵を訓練した。
天啓六年(1626年)1月、攻め寄せてきたヌルハチの後金軍を撃退した(寧遠城の戦い)。この功績で兵部侍郎、遼東巡撫、主持関外軍事に任じられた。
翌年、寧遠城と錦州城で、ホンタイジも撃退したため、
崇禎元年(1628年)には兵部尚書、右副都御史となった。
ホンタイジは長城を遠回りして北京を攻めることに方針を変え、明国内に間諜(スパイ)を送り、宦官を買収し、袁崇煥が謀反をくわだてているという噂を流すと、猜疑心の強い崇禎帝は、いとも簡単にその噂を信じて、北京防衛のために急いで駆けつけた袁崇煥を、
246 :
世界@名無史さん:2008/01/22(火) 19:39:27 O
天正二十年の役
247 :
世界@名無史さん:2008/01/30(水) 07:44:36 O
保守ぞな
248 :
世界@名無史さん:2008/02/03(日) 12:59:17 0
黒田かんべいは朝鮮になぜ行かなかったの?
こいつが総司令官ならもっと統制も取れて、士気も上がったんじゃないの?
この二回の遠征は結局、現地で方面軍を統括する人物がいなかったことだろ?
黒田官兵衛に大軍の指揮権なんか与えたら
秀吉にとってかわってやろうとか考えかねないからな
と秀吉が考えたからじゃないの
250 :
世界@名無史さん:2008/02/03(日) 18:51:13 0
台湾人を叩く奴は全部チョン
台湾に悪い事は全部チョンのせい
李登輝を日本の総理大臣にしよう
日本人は台湾人が大好き
日本人は台湾が好き!朝鮮嫌い!
日本に来る台湾人歓迎!朝鮮人出て行け!
台湾人はマジでかわいい
ヴィック・チョウは日本女性に大人気
日本人種は在日チョン用語
金美齢は絶世の美女
>>248 梃子入れしに朝鮮へ行きましたが、何か?
252 :
世界@名無史さん:2008/02/09(土) 07:03:28 0
まあ、秀吉にも明の臣下って自覚はあったけどな。
詳しい方にお聞きしたいんですが、李舜臣の活躍によって補給ができなかったため撤退せざるをえなかった、
と言われてますがこれは正しいのでしょうか?
254 :
世界@名無史さん:2008/02/09(土) 08:36:33 0
嘘
補給がつまっていたのは陸路で
撤退は補給、環境、疫病、明の大軍の四点でせざるえなかった
なるほど。どうもありがとうございました。
日本の軍は人員の全てが戦闘員じゃないのが問題。
戦闘員以外が多すぎ。
257 :
世界@名無史さん:2008/02/09(土) 10:30:21 0
よくわからんけど朝貢よりも多くのお土産もらったのは史実だろ。
259 :
世界@名無史さん:2008/02/09(土) 11:25:32 0
ふざけたこと書いとるな。
260 :
世界@名無史さん:2008/02/09(土) 16:51:22 0
>>258 国によって違う。
インド北部やシャムの方は、中華の国力を見せ付ける為に
あえて下賜品を多くしたけど、朝鮮にはすずめの涙程度で
まさしく搾取そのものだった。
261 :
世界@名無史さん:2008/02/09(土) 19:38:07 0
台湾人を叩く奴は全部チョン
台湾に悪い事は全部チョンのせい
李登輝を日本の総理大臣にしよう
日本人は台湾人が大好き
日本人は台湾が好き!朝鮮嫌い!
日本に来る台湾人歓迎!朝鮮人出て行け!
台湾人はマジでかわいい
ヴィック・チョウは日本女性に大人気
日本人種は在日チョン用語
金美齢は絶世の美女
朝鮮征伐において朝鮮、明ともに銃と日本刀が脅威だったと書いているというのは本当でしょうか?
鉄砲の装備率は高かったし、
大陸の槍は穂先付近を鉄板等での補強をしてないうえに、
鎧の方も日本や西洋のそれと比べて脆い材質/製法だったからね
加藤清正の抜刀隊も大陸兵士の鎧の脆さについて「生竹を斬るよりも易し」と言ってる
日本軍の銃の明軍へのインパクトについて書かれた論文が以前あったけど
装備率というより明軍の鳥銃は銃身が青銅製で連射に耐えられず
射程も短かったらしい。フロイスも(小西行長あたりから聞いたのかと思うが)
明軍の銃は何発発射しても一人の死者も出なかったと書いている。
明兵の装甲については、下瀬七兵衛の渡海日記には「刀にて少しもきれず
矢も立たず」といった記述がある。またフロイスも「従来知られていた中では
最優秀な日本の刀や槍が通用しなかった」と書いていた。
明末の「出警図」に描かれているような装甲騎兵だろうか?
加藤清正の抜刀隊も大陸兵士の鎧の脆さについて「生竹を斬るよりも易し」と言ってる
下瀬七兵衛の渡海日記には「刀にて少しもきれず
矢も立たず」
どっちよ。
>>265 戦国時代に刀はメインウェポンじゃなかったとかいう説がある割に
大陸では日本刀を用いる剣士の脅威を封じるために
そのためのフォーメーションまで編み出してるんだよな。
>>266 兵種によって装備が違うんじゃない?
「倭寇図巻」とか見ても大多数の歩兵は制服しか着てないけど
少数の騎兵は全身ラメラーアーマーで装甲したやつとかいるし。
(なんかモンゴル時代とほとんど変わらないような鎧だったけど)
明や朝鮮側からの資料での言及はないのかな。
269 :
世界@名無史さん:2008/02/10(日) 18:54:36 0
>>266 「刀折れ矢尽き」と同じで戦況を語る単なる修辞句でしょ?
戦況というより碧蹄館でこんな奴らと出会いましたみたいな文脈だね。
大明國しゆこしらへの事面には赤きとろめんを仕り候て裏にはくろかねを二寸四方ほとに切り候て
くさり付候ながき道服のやうに候甲もくろかねを白くみかき候て着候小手もくろかねにて矢も不立候
刀共にて候少もきれず候武具の事候鐵砲玉口三ッ明にて筒三ッを一ッにはり合わせ候一度にも
三度にも自由にはなし申候半弓も朝鮮のよりははりつ能く矢の箙木にて候叉刀は三尺はかりのも
二尺四五寸ものありさきは剣のやうに仕候馬の大きさけしからず候男もけしからず大き候上衆も
けしからずおぢ被入にや日本にてもかはとの働は稀成よし其沙汰候何も武邊つよき唐人かと上衆も
手ををかれ候や
272 :
世界@名無史さん:2008/02/11(月) 06:16:13 0
273 :
世界@名無史さん:2008/02/11(月) 15:38:18 0
とはいえ朝鮮の役で日本軍は30万も死者を出したと。
大砲で負けてたからな
30万?
それは兵士の総数じゃないの
275 :
世界@名無史さん:2008/02/12(火) 02:46:52 0
日本の死傷者は13万じゃなかった?
中朝側はどんくらいだったんだろ
276 :
世界@名無史さん:2008/02/12(火) 03:35:58 0
朝鮮側が30万死亡
明側が3万死亡
明3万てちょっと少なくない?
島津が氾川の戦いで37000人ぐらいヤッたって書いてた気がするが。
278 :
世界@名無史さん:2008/02/12(火) 05:02:49 0
かなり朝鮮兵がはいってたっこったろ
江戸前期まで日本の方が明清帝国より人口が上だったという価値観を念頭に入れて億と
この戦争の見方も大分変わる
それは俗説。実際はもっといる
281 :
世界@名無史さん:2008/02/12(火) 07:07:30 0
たしかに明の戸籍などはいい加減なので
日本より上かもしれんが、でも大差ある程ではなかったとは思う
たしか江戸中期ぐらいに日本の人口が大幅に増加して
その現象について納得のいく説明はいまだなされてないとか・・・
283 :
世界@名無史さん:2008/02/12(火) 11:38:30 0
色々調べてみたが
兵力はどちらかといえば日本軍が多勢
明朝鮮20万が多勢に見えるのは朝鮮の現地徴用兵がおおいからであって
明の本軍はせいぜい六万くらいらしいよ
また日本軍が装備で優れていたというのは誇張がありすぎる
明は例えば我々が朝鮮戦争でイメージするような人海戦術がとれるほど人口の多い国ではなく
むしろ東シナ海を我が海とした経済力にものを言わせた国であることを認識しなきゃならんと思う
他の日本軍相手なら、明の方がやや装備で上だったという事
鳥銃が効果を発揮できたのは朝鮮兵や序盤の明軍くらいで
後半は明軍御得意の大砲絨毯爆撃によりむしろ日本軍が敗退続きであった
明の将軍李如松は「(日本軍は)鳥銃をたよりにしているがこちらには大砲がある」と豪語していますし
碧蹄館の戦いでも、火器を装備しない明軍騎兵部隊の危機を火軍が救ったという記事がある。
平壌では4万強の明軍の前に1万五千の小西行長軍が敗れるのは当然としても、
防戦一日で城を破られ退却を強いられているし(恐らく砲で負けている事を悟って早期撤退したと思われる)
大砲では常に明・朝鮮側が優位で、
1発で500名が死傷したような事例もあったようで
大軍同士のぶつかり合いだとかなり大砲を使った集団戦術が効果を発揮しているようだ
恐らく大砲の優れた国が小銃の優れた国を散々に打ち負かす
近代ヨーロッパの戦いをかなり先取りした戦かもしれんな
のちに荻生徂徠はこの明軍の戦術を高く評価し研究して明の軍法の重要性に気づいたらしい
ま、太平の世だったから軍事の改革なんてしなかったけど
284 :
世界@名無史さん:2008/02/12(火) 11:41:52 0
明軍3万の犠牲が少ないという人もいるが明軍そのものが数が多い訳でなく
記録にある死者はほぼ朝鮮兵とみてよさそうだ
285 :
世界@名無史さん:2008/02/12(火) 11:46:26 0
ちなみに一人当たりのGDPも江戸初期まで、明清帝国>日本らすい。
でも泗川の戦いだけでも明の記録で戦死者約8万でしょ。
なんかおかしくない?
287 :
世界@名無史さん:2008/02/12(火) 15:18:24 0
日本語wikiは誇張が多いので通常は信じないを基本姿勢とするほうがいいですね。
大体、明軍参加が30000しかないのに80000死亡というのはありえないんじゃ…
その辺の疑問が軽く思いつかないとだめだよー
明軍3万の根拠は?
誇張と言うか8万は明側の資料て書いてありますが。
圧倒的優位なはずだった蔚山の包囲戦だけでも明軍は2万人の犠牲出してる。
これも明の記録だが。
謎だね
つまり明側犠牲者の中に朝鮮兵が相当入っているってことだね
294 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 04:28:22 0
あいつら所詮捨て石だもんねw
295 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 06:49:41 0
>>290 史記の数字がいかに鵜呑みにできないかは歴史学をかじっていれば常識なんだが
お前南京30万虐殺や日中戦争4000万の犠牲も鵜呑みにすんの?
今も昔もあの国の数字はウソばっか
>>288もそうだが
基本的に明史は清が編集してるので
「明ようぇぇぇ」の前提から成立してる。
だから明の8万を鵜呑みにしている研究者はいない
日本軍の二万四千をそのまま引用して
内訳は朝鮮の捨て駒が8割くらいいると思うからせいぜい6000くらいじゃね
内訳はいい加減な予測だがチョンの兵なんて弾よけくらいしかつかえんだろうし
島津によると殺した数が3万7千人だから、全部でその倍の7万人以上いた可能性は高い。
そうすると明側の8万と言う数字にも近くなってきて信憑性が出るね。
297 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 07:02:55 0
逆だな
島津が戦功を課題に報告していい加減な数字を並べている可能性の方が高い
英語wiki見りゃわかるけど(Japanese counts)とある
つまりこれすら怪しい数字な訳
長篠の戦いでは武田軍が総崩れしても織田軍が6000人討取ったって記録があっても
実際死んだのは1000人前後という研究もあるしな
同じ基準で考えたら1/6で4000人か? さらに8割チョンで500人くらいが実質犠牲か
なんてこともあるわけね
確かに日本軍は撤退途中だし、二万四千も確認する時間は無さそうだな。
日本側のソースが3万7千で明側が8万なわけだ。明側のが日本側のソースより多いんだよね。
この数字が逆だったら怪しなってくるが、そうじゃないからね。これらの数字がいい加減だという根拠もないし。
あと英語のwikiでは朝鮮人は2000人だけど、8割が朝鮮人だったというソースはあるの?
ソースに基づかない話はナンセンス。
>>264 明軍の鎧はかなり兵種によっては異なるみたい
ガチガチのプレートアーマーみたいな兵士もいるし、軽武装の軽騎兵や歩兵もいる。
>>266どちらも真実だと思う。
慶長の役では日本軍のマスケットに対抗して、防弾対策の鎧も作っていた。
明軍は調べていくと結構面白いな
日本刀対策、鉄砲対策をしてくるし。
環境に合わせて、手榴弾や発煙筒も
日本では見られない重騎兵、軽騎兵
弓はクロスボウが主流。歩兵は重歩兵
それでもってキャノン砲の集中運用
一方日本は
火力は、鉄砲の集中運用
弓は長弓、日本刀や長槍を中心とした軽歩兵中心
全く対極な軍事システムをとった両国のぶつかり合いといえるわな。
撤退といっても他の軍隊がせまっていたわけではないから、死体を数える暇はあったであろう。
302 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 08:14:56 0
>>299 問題は、明史の数字をあそのまま採用している学者が皆無という点
だろうな。くやしいが8万説を取っているのが日本のwikiのみだ。
そもそも明軍が朝鮮援軍に8万も出したか、その点すら疑問視されている
303 :
科学者達が求めた自由の学園:2008/02/13(水) 08:15:25 0
明史と島津側のソース以外に、この戦いの人数を知りえるソースがあるのかな?
恐らく犠牲者は
明と日本の戸籍や貢納関係の帳簿や資料を使って計算しての推定で出しているんだろう。
英語wikiを見ると中国は全時期を通して六万以上朝鮮に兵を維持してないとあるが
前期43000 後期10万てかいてあるよ
308 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 09:18:31 0
3.6万死んでるなら逃げたのはもっといただろうね。
やっぱ全部で8万以上いたのかな。
>>307 The Chinese aid during the war could not have made up for the difference in numbers
since they never maintained more than 60,000 troops in Korea at any point of the war,[71]
while the Japanese used a total of 500,000 troops throughout the entire war.[57]
311 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 09:24:35 0
>>309 よく見ろ
その墓
朝鮮の役「全体」で3万死亡と判断している
312 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 09:27:21 0
>>309 結論でたね。
戦役全体で明の犠牲はせいぜい三万六千
日本がぶっころしていたのは、明軍本体じゃなくて
ほとんどチョン兵だってこった
こっちは30万死んでるしな
>>310 ソースがちがうみたいねTurnbull, Stephenさんによると10万
30万てどこからきた数字?
315 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 09:33:54 0
ソースが違うと言うか
その英文みりゃわかるが
戦役全体で動員10万で維持してたのが6万つーことだろ
要するに四万交代させたりしていると思われる
日本軍も50万動員したが、実際維持してたのは15万
それと同様
>>314これも英語wiki
ちょん兵 30万死亡
明兵 3万死亡
日本兵 13万死亡
>>316 ああ。朝鮮人が30万死んだってことね。
>>313 最近オスプレイのGeneral Historyで出してた本か?
319 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 09:51:15 0
まあ。明軍弱い、人海戦術という認識は確かに改めた方がいいだろう
オランダだかの学者もいっていたが、後の清に貶められているはいるが世界高水準の軍隊
ヌルハチも大砲でぶっ殺しているし。
滅んだのは皇帝の浪費と内乱、分裂、外国の軍隊を招き入れて滅亡
歴代支那王朝の崩壊パターンと一緒。
>>319 でも朱元璋が設立した衛所軍はこの頃は完全にザコでしょ。
明軍全体なら圧倒的多数はそいつらだろうし。
辺将の軍隊なら、騎兵はたぶんオスマントルコの主力であるスィパーヒーとも
タメ張れるんじゃないかと思うが、銃・砲の性能や攻城戦になると・・・
>>315 the Korean forces and 100,000 Chinese soldiers began to retake castles on the coastal areas.
100000人維持してるように見えるが。
攻城戦はそれなりでは? 四万あったとはいえ
城に立てこもっている小西一万五千をわずか一日で破っている
大砲でボコボコににされたと記載があるが
323 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 10:18:49 0
そのセクションで書いてるのはみんなソースが違うのね。
325 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 10:29:05 0
でも加藤清正が蔚山に立てこもっていたときは、明軍は最初砲撃をおこなっていたが
城壁からの銃撃のために砲を接近させられず、城壁の破壊をあきらめて
人海戦術で攻城はしごを用いる戦法に切り替えている。
火縄銃の射程まで入らないと効果が発揮できない砲ってのもどうかと思うが・・・
オスマントルコならジグザグの塹壕を掘って接近したり、坑道爆破とか
もっと工夫すると思う。
(でもイランあたりだと人海戦術で攻城はしごってのは18世紀の
ナーディル・シャーの頃までやってたりするが)
327 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 10:30:27 0
328 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 10:32:34 0
当時の日本と明は世界最強の二大国でしょ
329 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 10:36:54 0
17世紀の経済の中心地は東シナ海だった。
地中海は完全に寂れている
そしてその東シナ海を我が海としていたのが明
支那と言うと鎖国型大陸国家のイメージが強いが
明時代は海洋国家だった。日本の方が人口も多く大陸国家のイメージが強い
日本も明もそれでいて欧州全ての人口を上回っていて
オスマン、欧州以上の富も武器もある。
330 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 10:48:01 0
海戦の方も
英語wikiだと
キャノン砲で優位に立っていた明ちょん連合が
距離をとりながら砲撃しまくっていたので
日本軍は手も足も出なかったとある
日本は昔ながらの敵船に乗り込む戦いかたがまだ主流だった
海戦は大砲の性能がもろに出るから確かに不利だな
333 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 10:57:45 0
基本的に日本語wikiは信用しない方がいいよん
英語の練習になるし英語のwikiを見る習慣をつけよう
秀吉の死亡日時間違ってるな。英語のwikiも当てにならん。
一番争点だった明犠牲者が
戦役全体で3万6000死亡と結論でたしな。
つまり日本wikiが捏造誇張だらけ
「泗川の戦いで8万死亡!!いやそれ以上かも!!」
↑三戦板の書き込みレベル
だから肝心な日本人が英語wikiの方に逃げちゃうんだよ
墓ったって400年後に建てられたものでしょ。しかも朝鮮人含んでるし。
正確な数は分かってない証拠だよ。
337 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 11:13:13 0
朝鮮含んだら3万じゃすまないぞ
一応朝鮮に敬意を表してかいただけでは?
338 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 11:25:35 0
世界の富と人口をもっていた二つの国が
全く異なる軍事システムでガチ戦争をしていたという事実は面白い
しかも、マスケットとキャノンの集団運用は
欧州やオスマンでも当時は全然まだ無理だろうし
動員定数が1500人にもかかわらず、9000人の死者が出たと書いちゃう英wikiクオリティ。
340 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 12:32:27 0
どこ
>>338 当時大砲を集団運用できたのは明だけだろうね。
オスマンですら無理な芸当だろう
怪物じみた経済力のなせる技だな
343 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 12:48:16 0
>>341 まあ要出典ってあるしな まだスルーすればいいだろ
そこは韓国wiki
より良心的だろ
韓国とくらべちゃだめだろw
345 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 12:51:54 0
要出典ならスルーしとけ
>しかも、マスケットとキャノンの集団運用は
>欧州やオスマンでも当時は全然まだ無理だろうし
そんな馬鹿な。16世紀末だぞ?
347 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 13:08:54 0
>>341 まあ、俺もちょんが英語wikiで工作をしまくっているのをしらないわけじゃない
だから当然英語wikiが怪しいと思ったら他のソースを調べたり、日本語版をで確認するときもあるよ
w
とくに朝鮮出兵の問題は虚実が錯綜しやすいから
情報リテラシーは必要だろうな。言うまでもなく9000はありえんと思った。
>>346 日本や明ほどに可能な国ってあったけ
何かスレが伸びてるから在日でも湧いたかとオモタw
在日じゃないが確かに日語wikiは捏造が酷いと俺も思う……
中国、朝鮮関係は特に
旧陸軍の資料では
泗川の戦いの明軍死者は8000人以下
351 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 21:05:59 0
実態は明軍が日本軍の1/3の軍勢で、4:1のキルレートの一方的な殺戮ゲームだったということだな
352 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 22:30:59 0
>>326 >火縄銃の射程まで入らないと効果が発揮できない砲ってのもどうかと思うが・・・
日本の火縄銃の有効射程は150mともいわれている
明軍の大砲は旧式が多く性能もまちまちがそれでも有効射程は600m
ちなみにヌルハチを葬った赤夷砲は4000m ww
李如松も「倭奴の阻む所、ただ鉄砲あるのみ。我が軍は大砲を放ち五町、六町もの遠隔地までとばせる。
倭奴の如きは人ひねりだ」と馬鹿にされているしな。まあ後で足下救われるけどw
>城壁からの銃撃のために砲を接近させられず、城壁の破壊をあきらめて
>人海戦術で攻城はしごを用いる戦法に切り替えている。
日本軍より数が少なく装備がいい明軍がゴキブリのような人海戦術を取れる訳がない。常識内で考えろ
まあ、そんなことよりこれ見りゃ納得だろww
↓
http://up2.viploader.net/upphp/src/vlphp138922.jpg 赤線に注目
>>347 >ちょんの工作
実際は殆どないと思うよ?
朝鮮の役に関しては英wikiも日本にある一般的な関連書と変わらない主張している
日wikiが特殊すぎるよ。あんな特殊な歴史観から見たら英wikiすら韓国よりに見えてしまうのは当たり前
日明の兵力はどれくらいなの?
当時の人口差はどれくらい?
明の兵力は80万くらいらしいが
日本全体の総兵力だいたい同じくらいでは
でも背後の心配をせずに全軍投入できる日本と違って
明は国境線が広いからな
結局援兵でだせたのは選りすぐりの10万だすのが精一杯だった
356 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 04:33:20 0
その10万に惨敗したのが日本と
最近の欧米の研究家も戦国日本軍の過大過ぎる評価の見直しと
あまりにも貶められすぎている末期明軍の見直しの傾向が強いよ
358 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 05:29:37 0
>>354 1600年の推定人口は
明 4000万
日本 1200万
総石高
明 二億石
日本 1000万石
いや、明の人口はもっと多い。一億はいっているはず。
明に関しては妥当。数が互角以上でも勝ててない。
朝鮮人のがよっぽどそういう意味では強いよ。13倍の兵の数の差にもかかわらず日本軍を撃退してるしね。
明なんか5倍以上兵が多いにもかかわらず負けてる。
見直しっても定説を覆す新たな資料でも出てこない限りそう変わらないだろうね。
>>358 太閤検地の時に
1800石だったかな。日本は
ま、明を滅ぼしたのは秀吉でもヌルハチでもなく李自成
明が衰退期なのは事実としても基本的に外から何とかなる勢力ではない
日本も清も明の半分以下の兵力で壊滅させられていることを考えると
弱兵ではなかったと考える方がいいよね。
363 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 06:38:20 0
>>159 明の人口一億で、日本と同じ総兵力って少なすぎじゃないか
辺境の警備にとられてたんじゃないの
>>360 なんだ?
どこの戦いのことを言っているんだ?
ちょん兵が自力で日本軍に勝った事はないし、
むしろ明軍の足を引っ張っていたというのが現実だろ
明が五倍以上って? 明は平壌を除けば常に数においては日本軍より多勢に無勢の状態。
負けたのは油断から生じた奇襲攻撃によるものが多く正面対決ではほぼ全勝。
しかも相手は戦国をくぐり抜けた精強の日本軍。
明を再評価しなきゃおかしいと思う
>>363 衰退期だったから軍縮進行だったのかね。
だが全国民職業軍人の日本が異常すぎるだけかもしれん。
民間は私貿易商人が東シナ海を席巻してたとおり
大いに繁栄していたはずだがな。明政府に実入りがあったかどうかは知らないけど
>>365 泗川の合戦
蔚山城の戦いでも兵の数で上回ってたのに結局日本軍に撃退されてる
368 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 07:06:25 0
>>365 明軍来援以降、碧蹄館の戦いを除けばほぼ全勝だった明軍
意気揚々、鋭気進取の状態で
早く漢城に進撃し朝鮮全土を回復せよという将校の意見を李如松逆に抑えるのが大変だったらしい。
日本軍はすでに1/3くらいまで減少していたが、それでも「敵衆我寡」の状態にあっため。
うかつな進撃は危険と踏んでいたようだ。
明軍オタがいるようだな
370 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 07:10:47 0
明軍を褒める事で、それに負けた日本軍もよくやったと結論づけたい軍オタかも
371 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 07:20:27 0
>>367 蔚山城の戦い
http://en.wikipedia.org/wiki/Siege_of_Ulsan 日本軍
16000+増援60000
vs
明軍
36000
どこが?
有利な防衛戦で増援七万。兵力差三倍でようやく撃退できるってこと?
泗川の合戦はつりの伏せの奇襲だよね。しかも明軍が油断して追撃してきたその機を見計らって
もちろん、奇襲を成功させた島津はすごいと思う
正面からがちでゃった戦闘じゃない
もう8万説がくずれたしねw どうでもいい。今は日本陸軍の8000説が有力
372 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 07:24:32 0
>>369 >>370 当時世界で一番、マスケットと白兵戦、兵力に優れた軍事大国は日本だと思う。
同様に日本と互角の勝負を演じた明は装備、キャノンともに世界レベルだった。
欧州も近世レベルでなければこんな戦いはできない
こういう世界の二大国がガチでやり合った戦争だしね。
明軍を褒めれば日本軍の価値も上がる。
373 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 07:24:40 0
>>371 最初16000人のときでも勝てて無いじゃん。兵糧もほとんど無かったし。
だいたい正面からって言ってる時点でおかしいよ。そこまでいうなら兵一人一人の技量で比べるべきだね。
374 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 07:28:45 0
>>373 それは増援無しでいってくれないと
増援がきたから撤退しただけ
もちろん戦略でいえば城を守りきった加藤の勝利だが
兵力はどちらが多かったかと言えば、そりゃ増援含めて日本だろう
まあ増援が来るまでに落とせなかった明軍の負けですな。
376 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 07:37:45 0
377 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 07:44:01 0
海戦も殆どの場面で明軍の圧勝
チョン兵に大砲の材料や作り方
軍隊の指導をしてやったのは明軍らしい
李舜臣というちょんも所詮は明軍教官の訓練と明軍の大砲で勝ってなにすぎない
指揮官は言うまでもなく明海軍だしね
378 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 07:45:38 0
まあ勘合貿易さえ認められてれば、秀吉も冊封を受けておとなしくなってたけどな。
順義王に冊封されたアルタン・ハンのように。
379 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 07:48:08 0
これもまた
「鄭和以降の明は解禁政策によって明の造船技術と航海技術は全て失われてしまった」
という定説を覆す根拠だな
考えてみれば私商人はたくさん航海してたし
日本海軍を圧倒できるくらいの大砲船を途絶えてしまったとされる造船技術で作り直す事に成功しているのだから
また作ってしまうのだから
朝鮮征伐の末期明の底力はさすが腐っても鯛という感じだが
鄭和の頃と比べると明らかに造船技術は落ちているのは否めないし。
国力も宋の時代より落ちてきている事実は見直しようがない。
なんか辺なのが住み着いちゃったな。
>>352の絵を見ると
蔚山城の戦い
の城攻め主力は明軍ではないよな。
明なら大砲を使うはずなのに、朝鮮兵はウジ虫のように群がっているだけだし
ああ、なるほど。これじゃ負けるわww
>>381 日wikiの捏造を見破ってくれたことと
朝鮮征伐の新しい視点を入れてくれたのには感謝しているけどな
384 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 08:05:14 0
今までの朝鮮征伐は日本vs朝鮮ばっかで飽きてた。
日本vs明という観点は面白いね。
近世ヨーロッパばりの銃と大砲の戦い。
この時代にこういう規模の火器を使った戦争ってないと思う
386 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 08:12:35 0
>>383 日wikiが捏造だらけなのはすでに周知の事実だよ
387 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 08:16:22 0
388 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 08:20:50 0
日wikiに注文つけるなら
戦果とかの苦しい言い訳や自己弁護の言い回しをやめてほしい
きちんと戦果や犠牲者の数をのせてほしい。他の言語では普通にあるだろ
意図的にのせてないだろ
あと英wikiのように詳細にソース示してほしい。
>>377 亀甲船は朝鮮が作ったんだろ?
明水軍てほとんど活躍してないような。ほとんど朝鮮水軍だよ。
390 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 08:28:53 0
>>387 先にも出たが
泗川の戦い
の8万以上殺した。いやそれ以上かもって部分とか
まあ、陸軍引用だが
8万は論外として
島津家に斬首38700とあるが、明らかに誇張された記載である
来航した明・朝鮮軍より200人も多く残首したとは思えない……
明軍の死者は多く見積もっても一万人には及ばない……
とある
少し考えればだれでもだせる結論だろ?
なんで明や朝鮮の合計より首取った数が多いんだ
島津は誇張だろとな
391 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 08:30:30 0
>>389 トータルシップは信じてない
いや、まあ原型みたいのはあったが多くは誇張だと思っているが
仮に作れたとしてもちょんが作れる分けないから明軍が作ったか指導したものだろ
>>391 信じる信じないじゃなくて。資料を元に批判してくれ
393 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 08:37:43 0
>>390 8万は一応明側の資料としてしてだしてるんでしょう。
そして島津側の資料として3万8千と言う数字も出してる。
すくなくともソースに基づいて出した数字ではあるよ。
人数の不自然さに注釈をつけるべきだとは思うけど。
394 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 08:43:35 0
資料出すのはいいが読めない漢字が多いんだよ
ちょんの造った船などどうでもいい←どうせ明の技術供与あつてこそだろうし
海軍の主力は明軍だよ
明史に
ちょんに威続光の「記?新書」で兵を訓練したのは李如松
ちょんに剣術を教えたのは明将軍?尚志
朝鮮水軍に砲手、射手、操縦手の三手を教えたのも明教官
日本軍を圧倒する大砲船の原料、作り方、供与に至るまで明が全部やってる
395 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 08:48:49 0
で、その明史によると8万の死者が・・・。
396 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 08:56:53 0
明史は数字が怪しいんだよ
いわゆるチャイナ水増し
397 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 08:59:15 0
都合のいいものだけを取捨選択するより、両論併記のがまだいいな。
398 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 09:01:00 0
8万死者なんて論はないよ
大体、明は8万も出してないで確定しているじゃん
わかっててやっているなら捏造行為だよ
399 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 09:03:37 0
>>397 そうだな。有利な数字しかならべてこないのは捏造と一緒だな
400 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 09:04:30 0
陸軍分析の8000と、明軍総兵力は常に六万以下
こちらも記載すべき
401 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 09:14:29 0
あんまり関係無いが
戦果について、辛勝とか圧勝とか壊滅的敗北とか、小西を逃がしたから勝利とか
厨房丸出しの恥ずかしい記載はやめてほしいね。
日露戦争、日清戦争とかはわりと冷静なんだが
朝鮮出兵に関してはなぜか熱いゆね。英wikiに逃げたくなる理由としてバッチリだ
明 8万
島津 3万8千
陸軍分析 8000
こうすればいい
403 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 09:25:02 0
戦争全体としてみたら
日本軍は30万出して半数くらい死亡
明軍は15万出してわずか3万の犠牲で防衛している
この戦いは全体的に見れば
日本の方が「壊滅的敗北」
明の「圧勝」だな
朝鮮人のおかげだろ
正規軍だけでなくゲリラや義兵も多かったからね。
明軍が単独で日本を打ち負かしたことってないのでは?
405 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 09:30:34 0
おいおい
ちょんなんて戦力にならないよ
主力の福島や加藤、小早川、宇喜多なんか関ヶ原で活躍してんのに?
407 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 09:32:46 0
明軍オタはスルー
408 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 09:34:25 0
>>404 それはギャグで言っているの?
ちょん兵は捨て駒としか見てないし
だいたいうあれは日本軍にもついているおまけだろ
明史には五割くらいチョンの首があったと嘆いているし
義兵は明兵もおそっていたから条件は一緒。悪路も同様
李如松も常に明軍は数の上では劣勢だったからこそ
圧勝してても積極的に攻勢に出れなかったと言っているし
対等に戦って勝てなかったんだよ
409 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 09:38:11 0
実際、加藤や小西は1/3くらいやられたから
西国大名は関ヶ原では殆ど兵力減らしまくっている
勝ったら明軍のおかげで負けたら朝鮮軍のせいですか。
朝鮮軍は13倍の兵力差にもかかわらず日本軍に勝ったけど、明は5倍の兵力差があるにもかかわらず負けてる。
411 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 09:42:23 0
朝鮮の13倍って戦いって海戦の事だろ
あれは明の訓練と明の造船技術のお陰
朝鮮の海軍は明が指導するまで
昔ながらの敵船に乗り込んで切り合うという戦法だった。
日本も主流はそれだが
明軍はその朝鮮に大砲を与え、距離を取って射撃して沈ませると言う
近代的な戦法を教えた
413 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 09:45:10 0
関ヶ原って家康本隊到着する前に決着ついたから秀吉軍内部の戦争だろ?
大半が朝鮮渡ってるような
415 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 09:53:07 0
>>406 いや、元々の勢力から見たら
ものすごく目減りしているよ
徳に先鋒隊は2/3は死んだからね
元々加藤は朝鮮だと二万だしてたのに関ヶ原ではわずか2000
鍋島も立花も福島も島津も朝鮮じゃ万単位なのに関ヶ原では数千あればいい程度だよね
あれだけさかえていた西国大名の面影も残ってない
あと小早川はあんまり前線出てないからw
416 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 09:59:28 0
>>413 ちがうよ
明の援助がなければ何もできなかったのがちょん海軍の実態だし史実だ
なのにあたかも自分で海軍を作ったとか、李舜臣なる英雄を讃えるちょんがそれ以上に嫌いなだけ
こんど在日がきたら、いってやりなよ
お前の所の李舜臣は、明の船に乗って明の訓練を受けていた。明の操り人形か捨て駒だと
ぜったいぶひょっておもしろくなるよww
417 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 10:12:15 0
日本などすぐにひとひねりだと豪語した李如松が明軍来援したのは
1593年の正月
そこから各地で日本軍は敗戦を重ねて1593年 3月
漢城付近まで追いつめられる
漢城で連署された報告書には
小西・宗 18700→6692人
加藤 10000→6629人
鍋島 12000→7644人
大友 6000→2052人
まで減っている
息子を殺された小西は明軍を甘く見てた。桁違いだと漏らしているし
大友は士気壊滅で勝手に戦線離脱→改易
それを見てた最上義光は明日は我が身だ。せめて死ぬなら祖国の土の上でと漏らしている
418 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 10:13:42 0
ごらんのとおり明軍到来からわずか二ヶ月でこの減り様
決して明軍が数が少ないからといって生やしい相手ではなかった事がわかる
>>416 どうでもいいけどちょっとは嫌韓感情隠したら
連戦連敗って碧蹄館の戦いで勝ってるでしょ。
いい加減なことばっか書くなよ
421 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 10:28:30 0
碧蹄館の戦いは勝っているよ
でもそれだけだろ?
しかも戦略的に転換できてないなら意味ないじゃん
大きく取り上げる理由もわからん。対した意味はなかったけど日本がはじめて明に一勝したから大きく取り上げるのか?
ちなみに碧蹄館の戦いで一番の功績をあげた高橋もまた
京城の河(仁川)が三途の川にみえる
と漏らしていることからも三戦廚を喜ばす戦ではあっても、当時の日本軍を喜ばす戦ではなかったようだぞ
もっとも明軍諸候には、日本軍侮り難しという印象を与えたのは事実だろうけどね
それも幸州山城攻防戦とかで消耗してるしなあ。
やっぱり朝鮮人の働きも大きいよ。
423 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 10:43:45 0
ちょんは明軍の足引っ張ってただけだろ
あんなのが味方でもよくたたかったよ明軍は
李如松は数に入れてなかったからね。ちょん兵を
>>412ってみたけど損害unknowmで日本軍がどこまでへったのかわからんよ
424 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 10:47:38 0
>>416 同じことは日本海海戦のときの日本とイギリスの関係にも言えるんだけどね。
425 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 10:47:59 0
だいたいチョン兵は日本軍の味方もしてて、首を調べたら半数はちょん兵だったとらしいし
義兵は援軍と日本軍を区別できてんかったって話だけどな
>>424 いや、もうそういうレベルじゃない
日本は船と技術はイギリス供与でもタイマンでやってたし
海軍だって明も援軍出してたしね
この戦いは日本とちょんじゃなくて
調べれば調べる程完全に日明戦争だよ
チョンは関係無いいらない
火力と火力のぶつかり合い。当時の欧州にはそういう戦はなかったでしょ
疑いはない
朝鮮単独の時のほうが同盟軍よりいい働きしてるよ。
単独の場合は10倍の敵にも勝ってるが、明と組んだときは5倍の兵力差にもかかわらず負けてる。
429 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 11:00:43 0
おいおい
おまえ、いくらなんでもそこまでほめると在日認定されかねんぞ
俺は真面目に議論したいからウリナラマンセーは別の所でな
最初明が来る前に北まで突き切られていただろ
30万もごみのように死んだだけだろ
430 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 11:03:21 0
wikiをみていると明軍の装備が面白いよな
大砲だけじゃなくて防弾アーマーとか発煙筒とか、手榴弾とか、クロスボウとか
アメリカ軍のように種類が豊富だ。環境によって臨機応変に対応できる兵隊なんだろうな
確かに英wikiの方が確かに充実しているなw
日韓中wikiより詳しい。こっちは装備とか触れてないし
編集した人、かなりのマニアと見たw
433 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 11:19:34 0
明が来る前はほとんど無抵抗だったけどな
つーか明が来なきゃ絶対負けてた
明軍に軽く蹴散らされた小西一人すら止められない
文禄元年(1592年)からの文禄の役にも参陣している。碧蹄館の戦いでは、鉄砲の速射や奇襲戦を活用し、数で誇る明軍を撃破。
小早川隆景が「立花家の3千は他家の1万に匹敵する」と評するほどの獅子奮迅の活躍により、秀吉からも感状を拝領した。
また第二次晋州城攻防戦では、明将劉?が星州一帶に数万の明・朝鮮軍を集結させ、配下の琳虎に4万騎を与え、
晉州城を攻撃しようとした。宗茂は小早川秀包とともに4千の兵でこれを撃退している。
更に慶長の役の時、第一次蔚山城の戦いでは、明将高策率いる明軍5万は日本軍本陣の釜山を強襲する。
宗茂は8百の兵を率いて高策2万2千の兵を夜襲と火計を使い撃破、700の首を取った戦功を挙げ、史では般丹の戦いを称えたという。
これどうなんだろうね。
此処何で急に活発に成ったの?
どっかの住人の議論が流れて来たとか?
中国人と朝鮮人が来ただけ。
437 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 13:40:11 O
七年間の損耗は兵員人夫を含めて
日本 5万人
明 10万人
朝鮮 400万人ぐらい。
病死が半分以上。
438 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 14:53:37 0
>>437 一応、ソースほしい。脳内妄想では困る
病死とかは明軍も条件一緒
つーか、明軍も行軍が遅く勝っている我に士気が低いのは当然病気もある
439 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 15:05:01 0
犠牲者については英wikiのままでいいよ。
墓で明軍犠牲者が3万で確定してるしな。他の死者は病気とかもあるし多分合ってる。
数に置いて劣勢だった明軍が日本軍と語学以上に戦えた理由は何だろう?
朝鮮人が奮闘したとかいう理由はもちろん抜きで
装備? 大砲? 連度?
明軍が数で劣勢だったのって碧蹄館の戦いぐらいでしょ。
>>417 はすごい減り方だ。今までのイメージが一気に吹っ飛んだ
さすがに、これは俺も、かなり劣勢だったのが窺えるな。
てか、大友吉統は脱走して改易されたんだね……
>>441 それが実態は明軍は4万から6万しか駐留させてなかったらしい。
つまり数で多いというのは、朝鮮の徴用兵で水増ししてただけ
当然これがあてにならないことは言うまでもない訳でね…
らしいって言われても困る。英wikiによると駐留は10万。
>>440 やはり大砲でしょ
いくら小銃の性能が良くても大砲が悪いと勝てないというのは
晋仏戦争などヨーロッパの陸戦に置いても実証されている。
兵の訓練度は日本の高かったと思う。
>>444 英wikiに同じ文で
動員10万、しかし、六万以上朝鮮に駐留してた時期がないと書いている。
それに10万も後期の話で、前期は最初の李如松の4万だけだしな
>>446 その4万でさえ平壌を攻撃したとき日本軍より多かったよ。
448 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 15:37:34 0
文禄の役では
明軍統帥部は「我が軍は常に「敵衆我寡」であり、おまけに日本軍は結構強いから
増援が欲しい」と、朝廷に何度も使者を送っている。
ほとんど朝廷の連中に握りつぶされていたが
>>447 でもその城に立て篭った1万五千がわずか一日で壊滅状態で敗走と言うのは
あまりにもほめられたたたかいではないだろう。
>>449 朝鮮の城がどこまで信用できるものかが怪しいが
明軍の大砲集中砲火で城壁があっさり崩されたらしい。
一日で落城というのはむしろ当然の結果では?
451 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 15:45:20 0
倭城はたしか一回も落ちてないはずだよね。
戦闘用の城とでは強度が全然違うんでしょう。
>>442 一月から三月までの北朝鮮だから気候の問題はあると思う。
ナポレオンのロシア遠征軍の30万も、生きて帰れたのは一万足らず
冬期の退却戦がいかに厳しいものであったは想像してあまりある
453 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 15:48:55 0
>>452 気候の問題は大きいだろうね。
日本軍は凍傷と脚気でかなり死んだんじゃなかったっけ。
古代中国の洛陽や長安が都ならともかく北京なら上手くいけば十分攻略できる距離だろ
それでも物資量や兵力から見れば圧倒的に日本はきついだろうが
まあ少数の満州やモンゴルでも制圧できたから可能性も無くは無いんじゃないかな
そういやなんで海戦で鉄甲船使わなかったんだろうか
言われてるほどそこまで実用的じゃなかったのかな
455 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 15:56:11 0
鉄甲船は瀬戸内海専用だからな
ただ、火矢に火薬玉といった毛利水軍とは違って
明海軍は大砲が主力だから大砲の的にしかならんと思う
所詮日本や朝鮮じゃ当時の超大国明とは装備のレベルからして違ったってことだな
458 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 16:06:21 0
>>456 軍事スタイルの問題だろう。
マスケット銃の性能に関しては日本軍が一日の長をもっていたし
高く評価されている日本刀もある。
明軍は大砲や騎兵で上だったけど
459 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 16:16:33 0
>>456 その後、明朝の最重要拠点・山海関には、
小銃(火縄銃)は、日本製。
大砲は、ヨーロッパ製が配備されてる。
460 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 16:17:09 0
日本軍が勝っていたもの
兵力、小銃、刀
明軍が勝っていたもの
大砲、その他火器、船、騎馬
鎧は意見がわかれるが明有利
防弾で小銃の威力を分散させる防弾アーマーは日本も明軍も開発していたが
当然、日本からしてみればそれはあくまで内戦用で大砲には効果ないしな
>>459 末期明は超大国というよりも老大国と言うイメージだが
さすが大明だな
明を滅ぼしたのは李自成。基本的に明は外から何とかなる国じゃない。
唐入りは無謀。秀吉も清がそうしたように内部崩壊とか狡猾な策略を用いれば良かった
唐入りを九州征伐や小田原征伐の延長ぐらいにしか考えてなかった
世界情勢に疎い秀吉にはそんなの無理
信長の武将時代とは全然違うよな
むしろ得意ジャンルだったのに
465 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 16:52:29 0
当時の明朝がすぐに動かせる直参兵力は10万程度で
他は地方に分散され、各軍閥の私兵と化していたのも多かったので
山海関を抜けば中国の制圧は可能だった。
明朝は案外脆い。
秀吉があと10歳若かったら・・・・。
467 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 16:55:59 0
それはわかる
明の総兵力は80万だが実情は
>>465のとおり
明は10万しかださなかったというよりは
10万しか出せなかったという実情が近い。
しかし日本軍はその10万にすら勝てなかったのだから話にならない
468 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 16:59:05 0
大して日本は国境を接する国がないから
全兵力明に突撃する事も可能だった訳だしな
一番の問題が補給線だったのだから、朝鮮を味方につければ明征伐も可能だったろうけど。
朝鮮を味方につけるのは限りなく不可能だろうね。
そういや女真と同盟する話もあったらしいな
それで北京落とせてもその後どうなるか知らんがw
471 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 17:09:00 0
>>469 ちょんはいらんだろ
義兵はたいしかにウザかったが明と日本の行軍を直接妨げるものではなかったはず
朝鮮は信長レベルの焦土化して完全に日本の拠点にしない限りそのまま勢いで明にはいけんだろ
473 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 17:12:36 0
その義兵とやらも明と日本の区別無しで襲ってきているのだから
やくにたたんww
474 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 17:15:26 0
>>472 焦土化するまでなく快勝続きで平壌まで行ってる
旗色が急転するのは明本軍来援以降。
明もちょん兵を水増しくらいで使ったけどほとんど役に立ってない
朝鮮と同盟はしてもしなくても同じ
バカウヨ乙
朝鮮義兵 >>>>>>>>>>> 低学歴ニート右翼
釜山-漢城ラインは朝鮮ゲリラまたは義兵によって妨げられていたんだよ。
だから平糧に困っていた。
478 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 17:17:29 0
宇宙の起源は韓国
快進撃しても補給線確保してなきゃそのうち退却せざるをえないだろう。
480 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 17:18:53 0
南大門は朝鮮出兵でも焼けなかったのに、チョン自身が焼いた。
しかも腹いせの放火!
やばい、在日が来襲w
朝鮮と同盟とかw
明のこと天朝とか行って明に王族みんな逃げようとしたやつらが
日本と同盟結ぶわけないだろw
全羅道とか無視してひたすら北上したのは不味かったな
徹底的に時間かけてじわじわ日本の領土化して行った方がよかった
485 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 17:25:31 0
ちよんと同盟とかいっているのは在日だろ
あれはむしろ明の足を引っ張った存在。
せっかく明と日本だけの話になっていい流れだったんだからスルーしようぜ
486 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 17:27:18 0
なんか変なスレになってしまったな。中国人と朝鮮人に占領され取る。
487 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 17:32:36 0
今、明軍マンセーは日本人だろ
明をマンセーすることで日本軍マンセーに結びつけて
これは世界最大規模の戦いとか主張したいだけ。
そしてそれを戦い抜いた日本軍をマンセーするのが目的と思われる
中国人だろ。さっきから史実を無視して明軍マンセーしかしてない。
489 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 17:37:52 0
実際、当時の戦争では最大規模だろ
日本はヨーロッパ全土合わせても3000万いかないが
日本は一国だけで兵力1500万、明は不明だがそれより多いのは確実
日本の兵力と鉄砲はヨーロッパ全土合わせたよりも上
で、当時の経済の中心地だったのは東シナ海
地中海は東西に分割されて廃れた。
そしてその経済の中心にいたのが支那人と日本人
世界の殆どの富を独占していた明と空前の軍事大国日本
その両者ががちでぶつかった戦いが朝鮮征伐であり
日明戦争に呼称を改めるべき
490 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 17:40:46 0
>>488 全部英wikiとちゃんとした資料に基づいた分析だが?
おまえこそ、日wikiしかソース出してない有様じゃん
あと俺は日本弁護もしているよ
実は明も叩いている場合もある。
明は兵力不足、小銃は旧式と言い出しっぺはおれだし
一方で明史をだしておきながら一方で明史を否定する。
都合のいい取捨選択はやめるべきだね。
アジア人は野蛮で人命軽視だから平気で大量に兵士を集められるんだよね
それに比べてヨーロッパは洗練されてるなあ
戦争ですら芸術の域に達しているといえる
493 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 17:45:07 0
日本については
国境を面している国が少ない
空前の軍事国家でありその兵力と鉄砲数は世界一
動員可能兵力は明の五倍。人海戦術も可能
武将も優秀・兵も優秀で経験豊富
>>491 おっと明史を否定したのは一回だけだろ
その時は、中国の墓とか別のソースをだして否定した。
士気と言えど間違っている部分はあるからたんに間違っている部分を否定しただけ
>>492 日明戦争程
大砲や鉄砲がつかわれた戦争は当時にはないよ
日本や明ほどに重火器を大量に運用できなかった国は他の地域には存在してない
>>492 ヨーロッパを焦土とかえた二つの大戦に人権なんて感じられない
ヨーロッパなんか産業革命前まではただの僻地
>>494 5割は朝鮮人の首とかは?
墓なんてソースにならないよ。当時建てられたわけでもないし、朝鮮人も含んでて詳細は分からないし。
あと明史否定しないんだったら蔚山城の戦いも明軍の死者2万でいいの?
とりあえず明の悪い点
経済力とは裏腹に腐敗しつつある宮廷
皇帝が馬鹿
人口の割に兵が少なく、さらにうごかせる兵も少ない
鳥銃が旧式
「あの法則」により元から不利w
日本軍以外の外敵も多い
明軍は陸戦では平壌取ったとき以外日本軍に勝利してないんだよな
>>498 あのな旧陸軍の「朝鮮役研究」でも
明史の「数字」だけは悉く否定しているの
史記それ自体に誇張が多いのでな。だから数字については
自分は学者の意見をそのまま採用している
学者は膨大な研究資料と研究で近似値をあててきているからな
俺もお前等も及ばない資料と頭脳をかき集めて数字を出してきている訳だ
だからさ、墓もそうだが
お前が学者の代わりに正しい数字を持ってきてくれ
史記の数字「兵力云々」を信じている学者は一人もいない。賭けてもいい
502 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 18:12:07 0
>>500 まあその平壌でほぼ精鋭が壊滅して
あとは追撃されるだけ脱化等な〜
一応明(朝鮮軍のおまけがいる場合も含む)陸戦の勝利あげて置くぞ
・幸州山城の戦いで全羅道巡察師権慄の明ちょん軍一万が日本軍宇喜多秀家、吉川、石田、前野3万余を撃破
あともうしこし調べてくるから時間くれ
だったら5割の首は朝鮮人なんていうなよ
505 :
明vs日本 三戦目:2008/02/14(木) 18:17:46 0
1593年8/6日
倭城を造り防衛を固める日本軍と明軍が対陣
正面から戦っては勝てないと悟った加藤と毛利吉成
数千人は慶州を奇襲
vs
明軍
王必?・呉唯ら1000人
日本軍は累々たる死体を残し敗戦
>>504 明軍の支援無しにちょん兵が勝てる訳がないだろ
ちょん兵はだから水増しの捨て駒兵。本体は明の将官や兵達
507 :
505:2008/02/14(木) 18:20:38 0
日本の弱点
秀吉がボケ始めてる
諸大名の統制がとれない
官僚と実戦部隊が機能してない現場を把握してない
秀吉が行けないのが1番痛い
ボスがいるのといないのでは豊臣軍は‥‥
>>506 もう言ってることがめちゃくちゃだな。もっと公平な視点で頼むよ。
>>505 ソース何?
1593年4月1日に講和してるんだけど。
明軍18000と日本軍43000の対陣
明将
劉?、呉唯忠、王必?、?尚志
日本将
加藤、黒田、毛利秀元、鍋島、小早川、島津、脇坂、小西
の間で
九月 熊川安民嶺戦役 明の勝利
10月 永善戦役 明の勝利
11月 安康戦役 明の勝利
ちなみに出典はすべて
旧陸軍の朝鮮役研究
511 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 18:32:01 0
>>509 全部講和中の軍事衝突だよ
もしかして戦ってないと思っている?
明軍は一部引き上げたけど(明軍の李如松と3万の兵は引き上げた)
当然残っているやつは戦っている
512 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 18:37:51 0
一応調べやすいように正式名いっとくか
出典は
参謀本部「日本戦史・朝鮮役」
513 :
明vs日本 7戦:2008/02/14(木) 19:02:43 0
慶長の役
1597年 9/3
?山付近の戦い
黒田5000vs 明ちょん連合 兵解生 8000(半分以上がチョン兵と推測)
明の勝利 黒田軍壊滅
この戦いを機に
日本軍は攻勢から守勢へ
514 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 19:17:10 0
まあこんなところか
取るに足らない小さい城攻めは兵力差がありすぎて参考にならんだろうしな
515 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 19:21:18 0
で、お前等の妄想では
日本軍は明軍に一度も負けてないというが
え?どんな話かね?
ちなみに?付近戦いは
最初は黒田だけだったけど最期の方で毛利の本体がでてきてともに敗走している
慶長の役の「関ヶ原」として評価されているらしいな
516 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 19:24:40 0
思ったより負けが少ないな。
追撃される一方だったからまともに戦う以前に兵力を減らされたということかね。
明軍が意外と強いというのはまあ認める。
518 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 19:30:34 0
ちなみに?山の感じは
イネ辺に思
久
装備は明軍が上だったからだろ
521 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 19:38:26 0
>>417で細かい小競り合い含めたらもっと負けているのは確かだろうな
キルレートは明1;日4だしww
どうしてみうなってしまったかは装備が上だったからとかで完結しないで
研究の余地があるだろう。
もちろんチョン臭い意見は抜きで語ろうww
稷山の戦いは引き分けだな。
>>417見た感じだと
平壌でほぼ勝敗は決したという感じかね。
どっちかというとこっちの損害率が想像以上だったから……
独ソ戦で言えば、スターリングラード
って感じかな。
補給船が伸びきった所で、
新規の軍を迎え撃つという最悪のケースも一緒だな
後の戦いは勝ちにしろ負けにしろ戦局を覆すものじゃない。どうでもいい内容。
所々で日本が攻勢に出る場面もあるが、大局は徐々に日本軍が押されていくだけ。
524 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 19:49:40 0
>>522 負けだろ
黒田軍はほぼ全滅
明軍はちょん兵がしんだだけで殆ど犠牲がない
なにより日本軍の大攻勢がここで打ち砕かれたのは事実だ
いちいちちょんと言ってるのは同じ人?
526 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 19:52:56 0
>>523 俺もその意見には同意だな
この戦いで一気に日本軍は後退しているし
527 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 19:54:06 0
>>525 朝鮮よりちょんの方がタイプがらくだし
ちょん嫌いな人は俺以外にもいるでしょ
528 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 19:57:18 O
明マンセーは英ウィキがソースとか狂ってるな。韓国人工作の巣窟だし。
原文読みなよ。
平壌で小西の子供が戦死とか嘘吐くなや。
漢城の点呼兵員も後置部隊は無視ですかそうですか。
もともと定数居ない大名とか、半数前後は人足などの非戦闘員なのもしらんの?
幸州山城戦の把握も間違ってるよな?それと朝鮮が勝ったと言う割に維持できずに城を廃棄したのもな。
529 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 19:59:43 0
>>528 >明マンセーは英ウィキがソースとか狂ってるな。韓国人工作の巣窟だし。
おいおい。韓国が明を持ち上げるはずないだろ
あいつら捨て駒だし
てか、日wikiの方が捏造が多いのは
争点。明兵の犠牲者数3万oの論点で終わったはずだけどな
過去レスみてみな
>>521 病死や凍傷で戦闘不能のも含まれとる
>>523 日本軍が撤退したのは主に寒さと補給線が確保できなかったから。
慶長の役でも同じことが起こってる。漢城の前まではまたすぐ征服したがその後後退している。
>>528 原文も全部読んでいるが
韓国人の工作は言われている程多くはないとは思った。
日wiki、韓wikiは信頼に足らないが
ソースや出典元が多い英wikiはまあまあの造り
やっぱり、ネイティブでないとwiki改竄は難しい。韓国人も滅多にできないと思うよ。
また、出典元やソースも英語書籍が多いから韓国人工作ではないと言って見るテスト
なによの韓国wikiと全然違う内容だしな。もし韓国人が作り替えたら韓国wikiそのままになるよ。
532 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 20:06:46 0
>>530 病死や凍傷は重要な要素だな
だが明軍もこれで悩まされている点は公平に考えてほしい
まあ大軍であった日本の方が数で言えば損害もおおいだろうが
533 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 20:09:02 0
>韓国wikiと全然違う内容だしな。もし韓国人が作り替えたら韓国wikiそのままになるよ。
ま、wikiの中では一番まともな造りだなw
装備とかこと細かい分析もあるし、読んでくと面白い
前近代の戦いだし
むしろ戦死より病死が多い事はいわずもがなだな
明3万の犠牲もほとんど病死と言える訳だが
535 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 20:14:10 0
補給に困ったのも明も一緒だな
兵が少ないから助かる部分はあるが
裏を返せば日本軍が退いても積極攻勢にでられないのも事実だ
つーか。
世界の二大国力だった国が、世界で一番未開な地で戦争するのだから
皮肉なもんだなww
世界一未開な地はオーストラリアとかじゃないの
明軍が兵量が足りなくて後退したことってあんの?
朝鮮軍がいる分まだましなんじゃないか。
半島はいわば峠やトンネルだからな
重要な交通路ではあるが、それ以外の利用価値がない
本当に墓があるのかな?
あっても墓の無い死者が数倍居たり現地召集の損失を無視していそう。
540 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 20:31:00 0
平壌で死んだのは小西与七郎 弟
541 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 20:32:04 O
韓国人は都合の良い数字だけは盛んに拾うよ。日本のものでもな。
特に水増しや欺瞞報告の多い明の記録はよく採用する。
んで都合が悪いと無視。
543 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 20:35:42 0
まあ墓はあてにならんわな
もうすでに
>>308で
論争は終わったはずだ
>>308付近読み返せ
以上論点はこんな感じ
日wiki派
「明軍3万の犠牲者は少なすぎだ。明史にかいてある数字を採用しろ。
もっと死んだ。
>>539 >>308付近読み返せ
以上論点はこんな感じ
日wiki派
明軍3万の犠牲者は少なすぎだ。
明史に海当てある数字を採用しろ。
もっと死んだ。泗川の戦いでは8万、いやそれ以上だ
全体なら軽く10万は死んだはず
8万いやそれ以上だ
英wiki派
いや、明史は誇張あり過ぎの感有り。旧陸軍の研究では泗川の戦いは8000と分析されている
そもそも明軍は多くて最大で10万。10万以上の死者はありえない
これらの意見が論争して
最期
>>308(通称「墓」)で一応結論が出た。 英wiki側の方の30000万説が有力
明の死者について一番資料がある国の分析だからな
ああ、「墓」ってそういう墓かww
あい。わかったww
「経略復国要編」によると
明側の状態も結構悲惨らしい
「倭奴が開城などの周りの野草をすっかり焼き払い、われ措置をとり得ず
故に馬が多く死んで、我が兵士は氷雪の生活を送りながら、死んだ馬の肉をくらい
冷害や疫病がはやり、相次いで?毒が広まって、多くの兵士が死に至り、我々はどんどん疲労していった」
↑みてのとおり李朝の困窮に困ったのは明も一緒
連戦連勝で極めて士気が高かった明がいつのまにか和平に乗り気だったのは
とうぜん半島が悲惨な地であったことからくる不幸中の幸い
明軍は日本軍と違って兵の人数の詳細が分からんのよね。
本当は全部で10万以上いたのかもしれない。
549 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 20:57:42 0
明の犠牲はせいぜい3から3.7万で決着ついたろ
大半が疫病なら、戦役の戦死者は多く見積もっても一万弱
日本軍がころしていた大半は残念ながらチョン兵
今ですら正解な総人口がわからないから
北京と北朝鮮は近いしもっと送ってるよきっと
北朝鮮までくると結構やばいし
>>548 vs清とか末期明の戦いっぷりを見ると
逆にもっと少なかったかもしれないという意見の方が多かろう。
3.7万も多く見積もっているのかもな
>>551 英wikiでも下手すれば最大で六万と記述があったしな。
少ない事はあっても多くはないだろうという感じか。
553 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 21:03:31 0
犠牲者数は本当のところはわからんやね
明軍の死者の数は日本側のソースが一番ましだからなあ。後はみんな推測でしかない。
554 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 21:07:31 0
>明軍の死者の数は日本側のソースが一番ましだからなあ。後はみんな推測でしかない。
10万以上説を取るのが
日wikiのソースだけwwwwwwwwwwwww
日wikiが糞なのは、日本軍擁護派の俺でも認めざる得ない。
それ以前に日wikiは明の犠牲者についてははぐらかしているけど
556 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 21:10:41 0
ひとり遊び
557 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 21:12:10 0
>>308の墓により、3.7万
他の言語wikiも出典先つけて30000説採用だし
もうあきらめろよww
大体、最大で100000の明軍がどうやって10万以上死ぬんですか??
こたえてくれやww
死体が細胞分裂でもすんの?
日本側って島津とかの第一次資料のことだよ。明史よりはましでしょ。
あでも朝鮮のもあるか。
明末期の政府って
密貿易をまるで止められなかったあたりから推察して
そうとうに力の弱い政府だった事が窺えるな。
反面、貿易で経済力があった(政府に実入りがどこまであったかは知らない)
だからキャノン連隊を導入できたと思うけど、vs清、vs日本も殆ど寡兵で戦っているという印象だね。
装備だけ一流だった。
560 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 21:18:52 0
>>558 その一級資料を用いた旧陸軍の分析は、せいぜい8000だけどな。
当たり前だが、この手の手柄を誇張するためにウソの数字を並べるのは当然とされている
中華の墓なんか信用できるの?
島津家記
来攻した明軍より200人も殺せる分けないって旧陸から否定されているよ
じゃあ、お前、34000の軍隊からどうやって37000の首をあげれるか
説明してくれww
首が分裂すんの??
何度同じ話題を繰り返すんだ
564 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 21:21:28 0
>>561 明の資料を正確に分析できるのはいうまでもなくあの国だしな
それに墓で死亡人数を過小評価するのは、あまりに考えられない。
原爆記念碑のように多少過大にするくらいなら有ると思うが
明はわりと冷静だよ。日韓と違って当事者意識が薄いし
戦勝国だからいちいち改竄よしようとする意識がないのだろう。
>>562 でどうやって8000ていう数字出したか、といったら推測でしょ。
ついでにその全体34000てのも推測。日本軍みたく詳細が分かってるわけじゃない。
それでも明よりはましってことだろ
ま、結局小競り合い程度ってわけかもね
本気でやるなら徳川とか東北の大名も連れていってるかも
568 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 21:25:44 0
>>561 当時建てられたものじゃないし、朝鮮軍もはいってる数字だからまったく当てにならないよ。
569 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 21:27:06 0
明が3.7(恐らく過大評価)
英ソースが3万説
旧陸分析も3万前後
日wikiだけが便り
それより首がどうして分裂するのか教えてほしいな
>>568 朝鮮はほとんど入ってないんじゃ?
そんなのいれたら3万じゃすまないだろう
もっと人数がいたと思えばいいんじゃないの。
明軍の総兵力より多い首をあげる島津家について一言
明軍の総兵力より多い死者を算定する日wikiについて一言お願いします
総兵力がもっと多かったって考えればいいじゃない。
575 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 21:33:40 0
まあ、日wikiもウソかくわけにはいかないから
文禄・慶長に関する犠牲者の表は置いてないけどな
後ろめたい事があるからだろう?
他の言語圏がかいてある事を知らないはずはないと思うが
577 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 21:35:59 0
明の資料じゃなくて
陸軍と支那王朝と外国研究者の分析だろ
どちらかというと明の資料は島津の戦果を誇張しすぎているくらいだよ
信用しないと言うなら俺は全然構わん
578 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 21:36:41 0
明軍の総兵力より多い首をあげる島津家について一言
明軍の総兵力より多い死者を算定する日wikiについて一言お願いします
ウルサンの戦いでも日本の記録だと約1万。明史だと2万なんだよね。
580 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 21:37:30 0
581 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 21:39:11 0
明史の数字があてにならない事は確か
しかし、明史の数字は八万死亡とある
お前等の味方だぞw?
さっきまで執拗に固執してたくせにぷひょったかww
582 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 21:41:59 0
長篠の戦いも織田の記録では武田家6000の首をあげたとあるが
今の研究ではせいぜい1000人くらいの死者と見積もられている
この手の数字はあてにしない事だ
実質的な研究が必要
583 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 21:43:15 0
神のみぞ知る
で、実証的な研究をした結果が
旧陸研究や中国、欧米の戦史家の分析の30000から37000なわけだ
泗川の戦いで明軍八万死亡!! いやそれ以上だ!!
なんていう日wikは三戦板の書き込みそのままだ
墓じゃなくて慰霊碑じゃん、阿呆。明史の「喪師數十萬」のほうがなんぼもまし。
ちなみに島津が高野山に立てた慰霊碑には「泗川表大明人八万余撃亡畢」と書いてある。
チミ達は泗川の戦いだけで明兵が3万人ぐらい死んでるってこと?
長期にわたって抗争したわりには少なく感じるのはベトナム戦や世界大戦の読みすぎってことか
588 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 21:55:52 0
まあ勘合貿易さえ認められてれば、秀吉も冊封を受けておとなしくなってたけどな。
順義王に冊封されたアルタン・ハンのように。
589 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 22:00:21 0
色々調べてみたが 、とりあえず第一に明の認識改革が必要
兵力はどちらかといえば日本軍が多勢
日本軍は20万近く派兵したのに対して
明はせいぜい4〜10万
明朝鮮連合が多勢に見えるのは朝鮮の現地徴用兵がおおいからであって 明の本軍はだいたい六万くらいだということだ。
日本はつい最近まで戦国時代を当時世界一の軍事大国で総兵力は100万はあったと思うが、明は衰退期で総兵力は80万前後
そのうち、国境警備兵を除くとまともに動かせる兵はせいぜい10万じゃないかな?
つまり、明は例えば我々が朝鮮戦争でイメージするような人海戦術がとれるほど人口の多い国ではなく
むしろ当時世界の中心であった東シナ海を我が海とした経済力にものを言わせた国であることを認識しなきゃならんと思う 。
当時の明はそれほど人口も多くに勝ったし
一人当たりのGDPは江戸初期まで明清帝国>日本だったという計算もある。
今の支那と違って明はむしろシーパワーの性格を有した国だったということもいえるかもしれない。むしろ兵力が多い日本軍の方がランドパワーという性格に近い。つまり大陸と列島が逆転してたと考えると面白い
590 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 22:05:17 0
引用しているのって泗川市が近代になってから立てた「朝中連合軍戦没慰霊碑」の紹介記事。
で、碑文とは別に1598年に総勢14万人で日本陣地の三カ所に攻勢を掛けて、
そのうち泗川に行った部隊の3万人死んだらしいと言うこと。
碑文自体の紹介でも何でもないが、なにか?
それじゃあ朝鮮が頑張ったっていうのか
その割には明衰退の要因になってるわけなんだが
十万動員して三万死ぬと国が傾くほどの国力か
まあ、日本相手ばかりじゃないが
593 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 22:12:49 0
島津の八万は自称。
泗川で取って確認した首の数は38717個+その他切り捨ては数知れず。
594 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 22:13:21 0
装備については当然経済力のあった明の方がややで上だったという事 。
鳥銃が効果を発揮できたのは朝鮮兵や序盤の明軍くらいで
後半は球の威力をはじく鎧などを開発してきっちり対策を練られている。
明の将軍李如松は「(日本軍は)鳥銃をたよりにしているがこちらには大砲がある」と豪語している。
碧蹄館の戦いでも、火器を装備しない明軍騎兵部隊の危機を火軍が救ったという記事がある。
平壌では4万強の明軍の前に1万五千の小西行長軍が敗れるのは当然としても、
防戦一日で大砲の砲撃に耐えられず城を破られ退却を強いられているのは、明軍が当時驚くべき程大砲を運用していたからだろう。
大砲では常に明・朝鮮側が優位で、
1発で500名が死傷したような事例もあったようで
大軍同士のぶつかり合いだとかなり大砲を使った集団戦術が効果を発揮しているようだ
また海戦では、日本軍は敵の船に乗り込んで接近戦をとるという旧来の海戦のやり方が主流ではあったが、明朝鮮海軍は距離を取って優位な大砲で沈めるとい戦法を取っていた。
明軍の兵種は面白い。数は少ないが
マスケット、キャノン、軽騎兵、重騎兵、クロスボウ、手榴弾、発煙筒など種類が豊富。かなり状況の変化に対応できる軍隊だったと思われる。
装備に関しては
日本が
兵力、マスケット、刀槍、軽兵で優れているとすれば
明は
キャノン、その他火器、船、騎馬、重歩兵で優れていた。
こうも両極端な軍事システムを採用した国がぶつかり合った戦争というのは他にないかもしれない。
ちなみに、荻生徂徠はこの明軍の戦術を高く評価し研究して明の軍法の重要性に気づいたらしい
ま、太平の世だったから軍事の改革なんてしなかったけど
595 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 22:15:19 0
今日一日のレスの伸び様は異常だな。
どいつもこいつも長文でレスしすぎ。お前ら、もっと落ち着け。
596 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 22:17:22 0
島津家に斬首38700とあるが、明らかに誇張された記載である
来航した明・朝鮮軍より200人も多く残首したとは思えない……
明朝鮮軍の死者は多く見積もっても一万人には及ばない……
by 旧陸分析
>>592 金も使ったし直轄10万のうち3万死亡はかなり痛手でわ?
>>591 >そのうち泗川に行った部隊の3万人死んだらしいと言うこと。
じゃあ全体なら3万以上死んでるってことだね。
599 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 22:21:45 0
>>598 そうだとすると島津の数字も信憑性が出てくるな。
日本が14万やられて傾むかなかったのは何故だろ
食い詰め浪人対策かな
日本も惨敗と言う割には大して有力武将死んで無いしな
まともなの来島ぐらいか
ほんとだ14万て書いてあるな。
6万ウルサン 4万順天 4万泗川ってとこかな。
604 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 22:35:54 0
>>601 秀吉政権は滅んだけどな
てか、むしろ李朝が傾かないことの方が特筆すべきじゃねw?
明が滅んだのは自壊といっていいからな
てか、万歴帝の散財、内部崩壊、粛清、反乱
そして最期に外国の軍隊を招き入れて滅亡という支那王朝のパターンだろ。
日本軍を追い払った後も
赤夷砲射程3000mという化け物砲を14門作って城壁立てまくってたし
ヌルハチもきっちり殺している。
清だけでは滅亡まではいかなかったと思う
>>603 でも殆ど朝鮮兵ってオチじゃね?
まあ、散々お前等が言ってきた明と韓国の数字があてにならんという言葉が
そのままかえってきそうだがな
606 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 22:38:50 0
ほとんどちょん兵だろ
あいつらはやたらに死ぬのだけが取り柄。
まあう、元々捨て駒だけど
607 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 22:40:09 0
>>605 もちろん。支那や韓国の数字があてにならないという立場は変える気はない
608 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 22:41:34 0
しなちょんの碑文よりか島津家記を分析した参謀本部と欧米の歴史学者の方がマシ
14万も死んだら有力大名の一人や二人は死んでそうなもんだけど
結局小競り合いで朝鮮も日本も過大かも
>>601 被害あったの西国大名ばっかで東国は徳川や伊達とか無傷だしな
>>605 英wikiによると朝鮮人は
蔚山11500 泗川2000
だからほとんど朝鮮人ということはないだろう。
612 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 22:50:11 0
613 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 22:58:59 0
蔚山の死者はほとんどちょん兵だろ
>>613 それはなんの証拠にもならん。写真ならともかく。
一応、明が派兵した10万は倭冦討伐で名を挙げた選りすぐりの精鋭らしいな
617 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 23:06:19 0
>>615 ちょん兵に決まっているだろ
みんな蟻のように群れる人海戦術をとれるのは総兵力37万のちょん兵だけ
俺が指揮官ならチョンだけにやらせるよ。
明将兵もちょんを奴隷としてみてないだろうから
ちょんにやらせるのが普通だと思う
618 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 23:10:44 0
人権なんて無きに等しい時代だろうしね。
この手の城攻めでは奴隷兵がつかわれるのが常だろうな
ウルサンの戦いは明軍ほぼ犠牲0なんてこともありえないわけじゃない
>>378 三成とかが秀吉には朝鮮や明の使節を
帰順や和議交渉とごまかして報告してるし
冊封なんて意識ないから、勘合貿易復活ぐらいでおさまるかは疑問。
620 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 23:31:33 0
>>613 朝鮮軍陣屏風ってかいてあるな。
勘違いしただけだろ。
621 :
一部指摘があったので訂正:2008/02/14(木) 23:35:06 0
417 :世界@名無史さん:2008/02/14(木) 10:12:15 0
日本などすぐにひとひねりだと豪語した李如松が明軍来援したのは
1593年の正月
そこから各地で日本軍は敗戦を重ねて1593年 3月
漢城付近まで追いつめられる
漢城で連署された報告書には
小西・宗 18700→6692人
加藤 10000→6629人
鍋島 12000→7644人
大友 6000→2052人
まで減っている
弟を殺された小西は明軍を甘く見てた。桁違いだとフロイスに手紙を書いているし
大友は士気壊滅で勝手に脱走→改易
それを見てた最上義光は明日は我が身だ。坊主になっても生きながらえたい。せめて死ぬなら祖国の土の上でと手紙を残す
622 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 23:36:37 0
>>613 なんとなくちょん兵な気がするな。
奴隷兵にお似合いの構図だw
なんか朝鮮人民が可哀相になってきた
支配階層は金正日みたいなのばかりだし外国特に中華には虫けら扱い
ガンガレ
624 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 23:39:00 0
>>613は説明がなくても言い切れるぞww
蔚 山 に 張 り 付 いて い る の は 朝 鮮 人
明兵は一人もいない。賭けてもいい
やらせているだけ
張り付く言うなw
宣祖実録によると篭城日本軍2000 明軍27000 朝鮮軍2500
明軍の死者1万
確実に明軍もダメージを受けてることになる。
627 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 23:51:41 0
明軍の兵力も文禄の役に関しては最初の李如松の四万だけというのはすでに確定しているけどな
この時点で日本より犠牲者が少なくなることは明らか。日本軍は30万
連れてきている。疫病で同じ割合で死ぬとしたら?
って言うまでもない。
>>明兵は一人もいない。賭けてもいい
やらせているだけ
蔚山では明軍の上級指揮官が相次いで負傷してるんだが・・・
30万の内分けとかない?
>>604 清に滅亡させられた明が自壊や内部崩壊とするなら、
豊臣政権の方がよっぽど内部崩壊だろ。
跡目の勢力争いの結果で、別に直接明によって滅ぼされたわけでもないし。
631 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 23:59:41 0
>>628 しかし、普通この場合ちょん兵に張り付かせるだろ
普通チョン兵が全滅したら明軍が張り付く方が普通だろうし
負傷は城攻め以外の可能性もある
632 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 00:01:07 0
例えば上級将兵の誰が負傷したか教えてくれると
こちらも調べられる
おしえて
柳成龍馳啓曰: “本月二十五日, 軍官具懷愼回自蔚山。 天兵與我軍, 攻打倭賊內城, 城甚堅險, 大砲不能撞破。
賊從城上孔穴, 多放鳥銃, 天兵、我軍頗有損傷, 經理鳴金止攻。 陳遊擊乘夜, 先登攻城, 右臀中丸, 以調病事, 昨昏輿出慶州, 自朝廷似當別爲問慰。
二十五日, 天氣微陰, 昨日未末, 東風連吹, 雨勢漸多, 軍士露處原野, 極爲可慮。 軍糧則時方連續輸入。”
令人望見, 則 天將所住, 處處起火, 皆是燒藥之氣, 而疲病之留陣者, 叫呼之聲動地, 然後始知天將之退兵,
先將步軍流出, 自領騎兵, 殿後而退。 箭灘把守浙江步兵及騎兵, 亦不知其將之已退, 終乃蒼黃顚倒而走, 山頂之賊,
魚貫而下, 一時廝殺, 步軍生還者無多, 而騎兵之被死者, 亦不知其幾, 或棄甲卸冑, 赤身而出, 我軍死傷者亦衆。
堂堂大勢, 頃刻摧折, 已死之賊, 反肆兇毒, 誠可痛哭。 臣等以都體察使分付, 據住慶州待變, 而一道之中, 可當一隅者,
慶、蔚數邑之兵, 而盡死於柴牌之戰, 責出軍糧者, 安東等六七邑之民, 而力竭於輸輓之役。 後日之事, 無復可望, 罔知所措事。”
啓下備邊司
634 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 00:14:03 0
せっかく世界最高峰の火力同士の国のぶつかり合いなのに
ちょん兵が邪魔
635 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 00:18:34 0
英wikiには慶長の役も実働六万とある。
3万って妥当な数字だよな
半分死んだんだし
10万説をとってもかなり寡兵なのは間違いない
日本軍は倍以上の兵力だしな
まして、文永は明軍四万しかいない訳だろ?
それであのキルレート差は何倍も明が上なんだからねえ
637 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 00:25:26 0
10万もない明軍に10万以上の死者を算定する日wiki
首の数が200個多いぞと島津家記
>>308によると14万。明軍について一番資料がある国の分析だからな
639 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 00:26:35 0
日本人的には明と闘ったイメージだよね
641 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 00:27:43 0
おまけに日wikiは
それより多い八万死亡説を主張している低能ぶり
23000の兵しかいないのに首八万ww
642 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 00:30:02 0
>>639 その逆にもっと少なかった可能性もな
慶長四万しかだしてない国が、負けてた訳でもないのに
次でいっきに10万以上だしてくるとは思えん
朝鮮的には少ない援軍で撃退したとしたいのかな
また推測か。
645 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 00:32:28 0
>>561 >>564だと
所詮は碑文
信用できないとなる。
大人しく軍史家の分析にしたがうべきじゃね?
でも明軍について一番資料がある国の分析だからな
647 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 00:34:48 0
>>643 いや、ちょん兵は全く戦力外だろ
明軍の足を引っ張っていた
だからむしろ少数で、しかもお荷物の朝鮮人を抱えていた明軍ってすごいかもな
「あの法則」が発動しているし
正月初六日成貼經理接伴使李コ馨馳啓:
“將官則陳遊擊寅、楊遊擊萬金、陳遊擊愚沖, 竝中鐵丸。
初四日捲退時, 箭灘掩殺浙兵及祖承訓馬兵, 則時未査實數。
我兵前後死傷, 則臣分付各陣諸將,
上の文を読めば判るように、蔚山で明軍は遊擊だけでも
3人が負傷している。
649 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 00:36:30 0
>>646 よくみたら碑文たてたのチョンだし、ちょんの分析だよ
日本陸軍とチョンの分析どちらが信用になるかという話
>>648 やっぱ無傷なんてありえんよね。1万ぐらい明軍は失ったのだろう
>>648 どっちにしろ内訳がわからん以上
大部分を占めて、多分に最前線に立たされているちょん兵の死者が殆どだろうけどな
653 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 00:45:15 0
>>613の資料は
画風と鍋島云々とあるから日本でかかれた絵だよね?
大半は朝鮮兵じゃないの?
あと英wikiはせいぜい8000の死亡とある
ほとんど朝鮮人奴隷兵の死者だとしたらせいぜい2000くらいが穏当な結論じゃないかな
654 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 00:47:07 0
絵の方は日本でかかれているのなら
多分誇張であろう大陸書物よか信憑性があるな
絵を見ている限りは城にへばりついているのはちょん兵
明兵は恐らく後詰めだと思う
日本の資料というのは大きいよ
655 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 00:49:06 0
いや日本で書かれてるなら朝鮮人と中国人の見分けはつかんだろう。
まあいつ誰によってかかれたか分からないものはなんの根拠にもならないけどな。
656 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 00:50:41 0
>>654 日本人が「俺たちの戦ったのは朝鮮兵だ」と言っているようなものだしな
朝鮮兵と明兵を間違えることは恐らくないだろう
こっちの方がわかりやすいね。
>>633にある通り、蔚山戦闘で箭灘を守備していた明軍の浙江兵は
壊滅に近い被害を受けたけどな
658 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 00:51:38 0
659 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 00:53:42 0
>>657 だから何度も言っているだろ
チョン兵が混ざっているから多く見えるだけだと
もし明軍の浙江兵が壊滅しても朝鮮兵が何割か入っているだけとか
あるいは殆ど朝鮮兵とか考えないといかんよ
660 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 00:55:05 0
明軍の主力(少なくとも数の上では)
現地徴収兵。
662 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 00:57:30 0
663 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 01:04:10 0
>>661 おいおい。軍服がなかった時代に乞食と普通の兵士の区別は着るものでつくだろ
蔚山城の戦いの戦いは日本軍の方も損害を出した
少なくとも明側が勝ち戦だと思っていた。
667 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 01:18:20 0
日本は守将も死んでるしな。
相良良頼も討たれた。
668 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 01:20:46 0
基本的に史記の数字があてにならないことは歴史学をかじっている人は常識だな…
曹操軍100万とかそのまま鵜呑みにするクチ
>>664 明軍もいるのに「朝鮮軍陣屏風」だからなあ
区別ついてないだろう。
>>663 朝鮮日日記は六万の援軍ってとこだけだろ?
>>669 朝鮮軍メインで戦ってたから「朝鮮軍陣屏風」なんだろ
区別ついているじゃん。
672 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 01:28:46 0
しかし島津の戦歴すげえな
>>672 ほかのwiki見てみな。細かく注釈つけてる
日本wikiは注すらないな
>>671 明軍と区別がつかないからみんな朝鮮人と勘違いしたんだろ。
是時, 東路天兵二萬四千, 我兵五千五百十四名;
中路天兵二萬六千八百, 我兵二千二百十五名;
西路天兵二萬一千九百, 我兵五千九百二十八名;
水路天兵一萬九千四百, 我兵七千三百二十八名, 共計十餘萬。
資糧、器械稱是, 而三路之兵, 蕩然俱潰, 人心恟懼, 荷擔而立
上の文は1598年の明・朝鮮連合軍の秋季攻勢に動員された兵力と結果を
説明しているけど、要するに返り討ち食らって十万に達する軍勢が消えて
しまったと嘆いている
678 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 01:37:59 0
679 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 01:39:49 0
>>677 お前、南京事件の30万犠牲や日中戦争の4000万死亡とか信じるクチ??
中国の史記の「数字」を信じる学者の数字を鵜呑みにしない方がいいよ
あの国は100万で攻めて8割型しんだとかめちゃくちゃ
やっぱ十万か
681 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 01:42:11 0
肝心な食い違いは
…軍史家、歴史家の計算を重要視するか
or
…史記の数字を鵜呑みにするか
だろ
お前等、こっちから議論すべきじゃないか
>>682 意外とこの戦いを研究する学者は多いみたいだね
アジア圏だけでなく、欧米からも軍事評論家が集まって
集まってフォーラムひらいてこの戦争を研究したりしているらしいよ
>>677に出ている兵力の中で水路軍の被害はそれなりに抑えているけど
残りの三路軍は実際に壊滅と呼んでもいいくらいの被害を受けている
後、上の文は後世の史家のものではなく戦場からの報告を朝鮮王室の
公式記録官がまとめたものだが
>>681 史記を鵜呑みする奴は馬鹿
なんでもそのまま真実という保証があるなら
それこそ歴史家なんて不要だろ。
特に史記の場合数字の捏造が酷い、兵力100万だとか。100万戦死だとか
秦の時代から水増しが始まっている
688 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 01:56:00 0
>>685 >朝鮮王室の公式記録官がまとめたものだが
>朝鮮王室の公式記録官がまとめたものだが
>朝鮮王室の公式記録官がまとめたものだが
この資料を信じるのは大変危険な臭いがする
てか明軍10万のなのに10万死んだら全滅だよな
むしろ
水路群(俺たち)だけはしっかりやったんだみたいな李舜臣伝説のための後世の捏造とかな
689 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 01:58:28 0
なんだ朝鮮の史記か
ますます怪しいじゃん
李も死んでるよな
評価したのは日本海軍みたいだぞ
それまでは忘れられてた
しかし秋の攻勢だけで10万か。やっぱり明軍は全部で十万以上いたんじゃね。
>>688 そのとおり
その資料の上で李舜臣がマンセーされている
693 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 02:02:57 0
李氏朝鮮の史記を信用するか
or
学者の意見を信用するか
になってきたねー
694 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 02:04:01 0
>>692 それじゃあんまり信用しない方がいいね。
俺寝るよ。皆後は頑張って
当時の明って何十万も動員できる兵力あったの?
文禄でわずか四万の兵力しか出せなかった国が急に何十万も出せるの?
>>695 そういった明の諸々の経済事情を踏まえて
後世の歴史家が実際の近似値を出すのがわかってないのよ。
というか、朝鮮の史記に頼るまで落ちぶれるとは思わなかった
まあ、実際ベトナム戦争みたいな感じかな
金兵器船を供給して朝鮮に戦わせる
>>689 少なくとも朝鮮王朝実録は東アジア史を扱う上では1級の史料として
認定されている
実録を書く連中はその日の内にあった出来事を
王室会議に入ってくる報告を含めて機械的に書くだけだよ
たとえ、それが国王や国家の権威を甚だしく傷つけるにしてもね。
もちろん下から嘘の報告が来た場合には当然、実録にも嘘の情報が
書かれるけど上の文の場合、嘘の戦果報告ならともかく嘘の被害報告をする
必要がどこにある?
699 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 02:18:54 0
水軍だけ低く抑えたのは
明弱い。李朝強いの価値観があるからだろうね
日wikiすら李朝の資料は使ってない
もちろん10万死亡なんて書いてないよ
700 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 02:24:41 0
>>698 >1級の史料
どこの国で?
あと一応言っておくても鵜呑みが許されるわけでないことも付記しておこう
島津家記や中国の史記もあれはあれで一応一等の史記だ
いわんや、朝鮮人の史記なんてどうおもう?
その資料を使って朝鮮人が李舜臣がマンセーしている事実をしらないわけではあるまい
>>699 いや、実際に秋季攻勢で水軍は殆ど包囲ばっかりで
大掛かりな戦闘をしていないから被害がすくないんだが
>>698 中国人は相手にしなくていいよ
そうすると泗川の戦いは明軍最初約5万で生き残ったのは7700人てことになるのかな?
島津の記録と整合性はあるね。
703 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 02:31:09 0
参謀本部の意見とは食い違うがな
>>701 その資料を信じるとなれば李舜臣伝説も真になっちゃう
705 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 02:37:11 0
>>703 史記を鵜呑みするか、研究者の弾いた数字を信用するかで意見がわかれるからな
資料派の数字に全部従っていけば
ここで10万、シセンで8万、蔚山で4万……半分は疫病として×2
明軍40万位いくなww
いずれ破綻するよ
706 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 02:41:40 0
泗川で5万から7700人に、順天で4万から1万3千人だ。
全体だと9万から2万に減ってる。
707 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 02:44:58 0
朝鮮王朝実録は
http://www.seapower.jp/loginuser/news3_104.html これが一等資料ね…
公開された図は「朝鮮王朝実録」に18世紀半ばの朝鮮王朝の戦艦として記録されている「海鶻船」の姿を描いたものであるという。
船体の大きさについては「本板(床)の長さは7把(1把=10尺)5尺、後部の長さは9把3尺、幅は2把5尺、高さは2把1尺」と記されており、
「丁卯年(1747年と推定)3月○日に建造に着手し、費用はコメ80石6斗5合」と記されている。
708 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 02:54:24 0
旧陸の資料ではこんな感じ
明軍
東路軍 24000
中路軍 13500
西路軍 13600
水軍 13200
全部足しても10万いかない
はい。ちょん実録完敗
709 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 02:58:39 0
>>705 お前、資料を読んだこともないだろう?
泗川の戦いで投入されたのは中路軍29,015名だよ
>>702 韓国ではこの中路軍の兵力数を根拠に島津の戦果を否定するけど
実は、この数字には盲点がある
これはあくまでも攻勢に投入された正規軍の数字であって
現地で徴発されたであろう百姓については考慮していない
現地で徴発された百姓はだいたい陣地工事や兵站輸送に使われるけど
泗川では明軍が総崩れを起こした時に現地動員の百姓たちも逃げ遅れて
大勢が死んだとしてもおかしくはないからね
711 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 03:07:51 0
実録を信じるならば海鶻船も信じなきゃいけなくなるなww
>現地で徴発されたであろう百姓については考慮していない
それに現地徴収兵がいるのは知ってるよ
でもそれは明兵じゃない。水増しのチョン兵
学者が明兵の犠牲を30000と低く見積もっているのは
お前が言うとおり、現地の徴収兵が多く、戦場になれてないが故に
たくさん死にやすいことを踏まえている
>>707 そこの絵画は朝鮮王朝実録のものじゃなくて
公開した人が所蔵していたものだけどね
713 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 03:09:07 0
つまり
>>710の主張は実は俺の意見を補完している
ちょん兵が死んでいることは30万死亡であきらかなのでどうでもいい
714 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 03:19:09 0
朝鮮王朝実録調べてみたが、日本軍の虐殺とかまで捏造しているし
こりゃだめじゃん…
715 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 03:20:01 0
海鴨船にありがちな虐殺捏造
どうみても童話だな
716 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 03:30:59 0
>>710はまさに俺の言いたいことだった。。
ありがとう。要するに死んだのはほとんど朝鮮兵つーこったね
ほんとちょん兵は足を引っ張るな…
それなら明兵3万もなっとくいくね
明兵が負けた戦いは奇襲関係が多いから、明軍が混乱すれば
逃げ遅れやすいのはチョン兵だもんね
つーか。ようやく明軍犠牲3万でなっとくしてくれそうだね
ありがとう
>>708 それ見た感じだとすでに慶長の役で導入されている明軍は7万前後?
睨み合いが多かったとはいえ多少目別しているとしても
10万超えるとは思えないよね。
となると慶長の役は明軍は日本軍の半分で戦線を支えていたということになるが
これについても議論したいな
718 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 03:39:56 0
ま、チョン兵は役に立たないから半分の兵としても差し支えはないな
719 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 03:45:03 0
明軍 日本軍
文役 四万 20万から30万
慶長 八万 14万
これくらいが妥当のようだな
つーか。文役がすごいな
これにくらべれば慶長の方はむしろよくやっていると賞賛すべきかもね
720 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 03:57:52 0
文禄はとにもかくにも平壌の一戦が不味かったぽい。
補給が伸びきった最悪の場面で明軍に衝突して精鋭壊滅したからね。
そういう不幸がなければ数で圧倒できてたから
負けることはなかったと思うなあ。
721 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 06:49:57 O
史料を読まないタンブルの阿呆やそれを書き写した英ウィキを権威化して信仰する阿呆がいるのはこのスレですか?
秋の攻勢で2割りちょいしか生き残ってないのか。ものすごいやられようだな。
秋の攻勢の総兵力が仮に明軍約六万として、朝鮮軍が全部死んだとしても4万は明軍も死んでるな。
それに対して日本軍の総兵力はだいたい3万人か。
朝鮮人の記録を丸々鵜呑みにすればだけどね。
陸軍研究派だけど
泗川の戦いで明将茅國器の兵なんて3000人から50〜60人に減ってる
明軍が相当やられたのは間違いない。
茅國器じゃなくて彭信古だ。
729 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 12:30:18 0
陸軍研究では
明将茅國器3000人は600から700失ったとあるが。
50人、60人しか残っていないというのはいささか誇張され過ぎではあるな
明史に「明の東征軍は朝鮮守備に二万の軍兵を除いて、大部分は帰国した。
1600年には明国兵部の命令で全て帰国した。」
とあるが、これが事実ならほとんど総勢7万の明兵の大部分は残っていたということになるな。
>>730 実録ならほぼ明軍全滅だから、這々の体で明国に帰国しているはずだが
やっぱり余力残しているようだね〜
732 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 12:41:26 0
■日本
・なんで朝鮮征伐?
・なんで明国に勝てると思ってんの?
・なんで三成は補給を回してくれないの?
・なんで大安宅なの?小船なら普通に勝てるのに
・ていうかグズグズすんなよ太閤、お前が発案したんだろ
■明
・軍自体が色々と腐敗してるアル
・最近戦争してないアル、戦争めんどいアル
・朝鮮なんて嫌アル、早く我等の中華に帰りたいアル(´・ω・`)
■朝鮮
・王朝はすぐ降伏するニダ、犠牲は最小限ニダ
・こうなったら民衆に頑張ってもらうニダ、今は耐えるニダ
・ゲリラ戦術でジワジワと攻めるニダ、朝鮮半島は渡さないニダ
・日本水軍は馬鹿ニダ、内海・沿岸向けの和船ではジャンクに勝てないニダ
・でも肝心の李舜臣が馬鹿だったニダ、そのせいで島津とやらに負けたニダ
>>730-731 七万を派遣したとして、その七万を一度に戦わせる事は出来ないしね
物資が限られてるならいずれ現地調達になるから軍を分散させなきゃ賄い切れないし
そもそも半島の北側は山地だから数万単位の行軍は殆ど不可能。なんとか工夫して
一箇所に戦力を集中させて攻勢に出た所を日本側に突かれれば士気は最悪だろうし
なんかもう明そのものがダメだったんじゃないかと思う。どんな賢帝でも立て直せない程に。
実際はもっといたのだろうね
735 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 12:53:53 0
>>730 その言い回しだと終戦時の明軍は6万くらいは残ってたと見て良さそうだな
やはり朝鮮側の資料がおかしかったのか
736 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 12:54:33 0
六万以上はのこってたつーことだな
737 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 13:02:48 0
>>733 衰退期とはいえ文禄の役ではわすが四万で
何倍もの日本軍相手に奮戦してたな。
実際相手したのは小西の1万5千
>>732 日本
やる気ねーこの辺りで戦線止めようぜ
あ、太閤にチクられた
三成史ね
島津はガンガルヨ
明
思ったよりツヨス
海賊相手はぶち殺したんだけどね
負けそう逃亡すっか
鬼石曼子逃げろー
740 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 13:15:01 0
大友も開城まで騎馬隊の追撃うけてたけどな
幸州でも3万の日本軍が負けてたし
小西、宗、大友壊滅
宇喜多、吉川、石川、前野負傷
他の部隊の追撃受けて漢城に退却した頃に日本軍は半分以下まで兵が落ちてる
>>740 それ、短期で落とせないから引いただけな。
>>621や犠牲者数、負傷者数見る限りは
損害が多くて退いたにしか見えないが
あるいは明軍の追撃をもろにうけていたか
ちなみに幸山の朝鮮兵はは明水軍によって火砲などの援助を受けていたことを付記しておこう
まあ史書が捏造やらなんやら言っても
そんなこと言うとあんなもんどれも科学的じゃないし
いくらでも自分側有利に書けるし何もかも信じれなくなるのな
746 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 15:39:14 0
ふと思ったのだが、朝鮮本土で無駄に戦うより、済州島や鬱陵島のような離島を占領したほうが、
確実に確保して完全な日本領にできたんじゃないかな。
蝦夷や琉球みたいに、今頃、日本の済州県や鬱陵県になってたかもよ。
>>749 日本人は「日本の領土を広げる」事を「他国の領土を”日本”にする」みたいに考えるけど
実際はそうじゃない。大東亜が失敗したのもそういう「甘さ」が原因だと思う。
「他国の領土を侵略・占領する」ってのはイコール「身内に爆弾を抱える」事と一緒だし、
一次大戦以前の帝政オーストリアの実情とかを考えれば、その危険性は分かる筈。
少なくとも「朝鮮民族」がいる土地を支配し続けるのは殆ど不可能。
ていうか、秀吉にしたら朝鮮は「明への通り道」でか無かったんだよ?大して魅力のある土地でもないし。
>>730 同じ明史には戦役期間中に十万の将帥を失ったという記録も載っているけどね
それと朝鮮の記録では文禄・慶長の役で朝鮮に入って来た明軍の総兵力は
合わせて22万1500名なんだから十万を失ったとしても
まだまだ大量の兵力が残っているわけで戦役が終わった後に
大規模の撤収が行なわれたとしても矛盾する記録ではない
749 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 16:26:46 0
だが、済州や鬱陵だったら400年もあれば完全に内地化できたと思う。
中華帝国って確か史書を書くのは一つ前の王朝なんだろ?
って事は明史を書いたのは清になってからなわけで、
「いかに明が腐敗していたか」を表すためには数値改竄(10万死んだとか)するんじゃね?
>>749 秀吉は別に朝鮮なんか欲しくなかったし、
ただの「通り道」としてしか見てなかったんだよ
752 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 17:22:27 0
済州と鬱陵が日本領でないのは、画竜点晴を欠く感がある。
秀吉は北京に天皇の御所を移して
東アジア全体の統治者になって、天竺まで討ち入るつもりだったんだから
その辺で満足するわけないだろ。
754 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 17:59:49 O
>>743 幸州山城戦は朝鮮軍のみ参加。
日本軍が後巻の戦力を大きく見積もったから早めに切り上げた。
相手も少ないし戦闘規模は大きくはない。
>>744 幸州山城戦で日本軍の被害報告で多いのは石傷。
碧蹄館で蹴散らされて消極的になった明軍は城を放棄の方針で朝鮮軍の守備には支援を与えていない。
元々、幸州山城に籠城していたのは明軍と合流前の全羅道から北上してきた朝鮮軍の部隊だよ。
100年で内地化?
馬鹿いっちゃいけないぜ
こいつはエルザス・ロートリンゲンの例も知らんのか
757 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 18:31:34 0
鬱陵島は江戸時代、空島化政策で無人島だったから日本が占領すれば内地化しただろう。
済州島も朝鮮半島から離れすぎてるし、半島人から差別されてたから内地化は十分可能だ。
758 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 21:33:15 0
>>748 明史や朝鮮史の数字を信じてはいけないということだな
されじゃ歴史家の戦史のとおり明軍3万、総兵力10万程度あたりが妥当だろうね
759 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 21:35:38 0
>>754 これは多少人種差別的ではあるが
朝鮮兵だけで精強な日本軍を撃退できたとはおもえない
明の援助があったとおもう方が自然ではないか
日本軍の兵が半減しているのも事実だろうし
760 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 21:38:37 0
>>759 幸州の兵士は鉄砲や大砲持っていたよ
明の横流しがあったのは事実かと
当時の朝鮮が大砲や鉄砲を持っていたとは考えにくいしね
761 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 21:44:07 0
信用度
日本の戦史研究>明史>>>>ちょん史
>>755 >幸州山城戦で日本軍の被害報告で多いのは石傷。
お前朝鮮人だろww
それって朝鮮の民話だか童話、「幸州のスカート」が題材になっているあれが元ネタじゃねえかwww
籠城側の大砲や鉄砲は宣伝ほどには撃たれたはずの日本側の反応はいまいちだね。
落石による防御と援軍が撤退原因。日本側はそんなに被害を出してないでしょ?
>>730 >明史に「明の東征軍は朝鮮守備に二万の軍兵を除いて、大部分は帰国した
これかな?
明史
[萬曆 二十七年(1599)]五月, 玠條陳東征善後事宜十事.
一, 留戍兵, 馬步水陸共計三萬四千有奇, 馬三千匹.
残した兵力が三萬四千有だから総兵力が3万てことわないわな。
[萬曆二十六年(1598)]十一月
自倭亂朝鮮七載, 喪師數十萬, 糜餉數百萬,
中朝與屬國迄無勝算, 至關白死而禍始息.
>中朝與屬國迄無勝算
あちらさんも大変だったようね。
766 :
世界@名無史さん:2008/02/16(土) 02:53:38 0
>>764 病死は明側も同じだろうし
平壌の戦い前では小西・宗はほぼ満タンで兵もっていたけどな
767 :
世界@名無史さん:2008/02/16(土) 02:57:44 0
>>763 石による防御については朝鮮側の資料ではなく
普通のソースが欲しい。
盛んに宣伝されているのは
なんとかのスカートで朝鮮兵の奮闘ぶりや投石の方じゃね?
歴史学者はほとんど無視しているのが現状で
むしろ朝鮮兵が明製火器を持っていたことが注目されているよ
>>765 研究書の類いだと二万前後残していると推定されているようだね。
他は殆ど帰国
>>766 たしかにそうだな。
結局、幸州も記録にはないがなんらかの明軍の援護があったと考える方が自然か
770 :
世界@名無史さん:2008/02/16(土) 03:18:39 0
幸州は朝鮮側の誇張が酷いからな。
てか、今まで短期で落ちていたのに急に粘り強く戦えるというのは
考えにくい。大部分は明兵かなんかじゃないの?
幸州山の明支援説は確かにある‥
772 :
世界@名無史さん:2008/02/16(土) 03:59:14 0
てか、火器の供与と軍事指導員の派遣は確実だろ
実際にあるんだし
773 :
世界@名無史さん:2008/02/16(土) 04:26:09 0
843 名前:日本@名無史さん :2008/02/15(金) 18:11:48
世界史板、馬鹿来たりて大荒れ。
戦死者厨のことだなwww
774 :
世界@名無史さん:2008/02/16(土) 04:28:56 0
とはいえきっちり資料出してくるから
間違っている訳じゃないんだよな
従来の朝鮮中心史観でなく日明戦争史観で理論を展開しようとしている点が奇抜だけど
面白い内容だし。
馬鹿なのは朝鮮中心主義者だろ
日明戦争こそ当時世界最強の二石がガチでぶつかり合った戦争
一番病死したのは朝鮮軍民だけどね。
幸州で明軍が戦ってないのは確か。記録に無いことを想像で書いちゃ遺憾。
778 :
世界@名無史さん:2008/02/16(土) 09:24:30 O
>>774 きちっと出した資料って・・・最近建てた一合戦の慰霊碑の報道を引用して「明の戦争の全死者数だけはガチ」とかワケわかんないことを主張している奴のことか?
そんでよく見たら朝鮮で建てられたものだから無効とかいってたなw
ただのチャンコロだろ。
780 :
世界@名無史さん:2008/02/16(土) 09:37:23 0
慰霊碑じゃなくて
>>621ね
つーか。この減り過ぎにショック受けた人は少なないのじゃないかな
それを明軍はわずか二ヶ月と日本軍の1/5の軍でやり遂げている
もちろん諸々の悪条件や明軍の装備の問題もあっただろうが
実は日本軍は朝鮮に敗れた訳じゃなくて明に敗れたようなものだと主張したいんだな
782 :
世界@名無史さん:2008/02/16(土) 09:59:55 0
月曜の夜の書き込みあたりから過疎ってたスレが急激に活性化してるな。
木曜あたりの書き込みの多さはバカかキチガイとしか想えない。
チョンチョンさわいでた奴ね
784 :
世界@名無史さん:2008/02/16(土) 11:27:48 0
わずか数日でこのレスの伸びようは、世界史板としては異常。
おまえら、もっと落ち着け。
でも、実際膠着状態で負けてなくないか
朝鮮戦争とかぶる
秀吉死んだ帰ろっか的だし、死んでも秀頼が東国武士集めて戦線維持させれば豊臣安泰だったかも
客観的に見れば
ちょん30万ころした日本の勝利、次に殺した明
ちょん一人負け
朝鮮戦争は38度線維持したアメリカの勝利でいいが
自分で攻めて追い返されて南半分割譲できなくて損害出しまくった場合となると
何とも言えんなあ
787 :
世界@名無史さん:2008/02/16(土) 12:33:54 0
ちょんとの戦争には勝ったが、明には負けた
明は今のアメリカみたいな国だしな。戦国日本はさしずめソ連
俺はそう認識している
>>785 南朝鮮に倭城作ってじっくり攻めてたらいけてたかもね。明は碧蹄館の戦いの後はやる気うせてたし。
秀吉が生きてたらの話だけどね。
789 :
世界@名無史さん:2008/02/16(土) 13:21:27 0
落ち着けと言われても、まだやってるのか。おまえら、アホやな。
790 :
世界@名無史さん:2008/02/16(土) 16:13:45 0
明は碧蹄館の戦いでやる気なくしたんじゃなくて
補給や疫病の問題でやる気失せていたんだけどな
朝鮮戦争でアメリカが勝ったというなら、日本も明に敗れたわけではないことになるだろう。
攻め入る前と戦後で双方、領土は変わらん。
先に仕掛けたほうが負けになるなら、日本が負けとなるが、そんな勝手な解釈されてもな。
日本は相手が勝手にやってる中華秩序から離脱して、その後に実質的な中華と対等な貿易体制が築けたことに意味がある。
貿易のために朝貢してたのを根拠に属国だと主張し始める後の中国にその根拠を与えなかった、それだけで十分なんだよ。
792 :
世界@名無史さん:2008/02/16(土) 16:23:59 0
アメリカは北朝鮮の侵略を守って38度線を維持しようという戦略目的を達したから
一応勝ちでいいでしょ
日本は戦略目的の唐入りも割譲も、勘合貿易の復活も果たしてない。
明は半島回復を達成した。目的は達成。
ただし、日本軍は李朝に関しては圧倒的なキルレートで殺しまくれたから
李朝に対しては勝利。明に対しては負けってとこじゃない?
勝ちというなら明・朝鮮の同盟軍の勝ちというべきだし、負けだとしても同様に同盟軍の負けだろう。
切り離しては語れんよ。
戦略目的は西国の武士を弱くすることだと思うけど
>>791 結局6、7年かけて「対馬と朝鮮半島が日中の境界線」てことを再確認したってことだねw
明に名護屋になんて当然無理として、
対馬、壱岐にすら追撃を送る気も力も残ってなかったんだから。
戦後処理として家康は大陸政権と「朝貢」という手続きを踏まなくて良い交易を考えて
対馬→朝鮮ルートの修復と、新たに薩摩→琉球ルートを急いで確立するわけだ。
秀吉もこれやればよかったのにねw
秀吉軍の戦略目標は本来、天竺までの制覇(本当かどうかはしらないが)だから、そら無理だわ。
戦略目標達成したか否かで判断すれば負けに決まってる。
だが、結果的に明滅亡の遠因になったし、実質、貿易は再開してる(滅亡は秀吉政権でもいえるが)。
その貿易形態に後の政権も特に不満はないようだから、朝鮮出兵はある意味で成功したというべき。
勘合貿易自体が華夷秩序への同意を必要とし、それを根幹から否定してるので復活の是非自体ありえない。
当初考えられる最善の結果ではないし、次善、次々善でもないかもしれないが、出兵前の状態よりよくなれば、それでよし。
797 :
世界@名無史さん:2008/02/16(土) 18:01:36 0
まだ、やってるよ。落ち着け。
明滅亡の原因なんて他にも一杯あるんだけどな。まして遠因なんて。
朝鮮兵死にすぎなんだけど当時の朝鮮にこんな大規模な動員力あったの?
不思議でならん
800 :
世界@名無史さん:2008/02/16(土) 19:20:43 0
それにしても30万て
半分は生き残るとして60万は動員してんだよな?
802 :
世界@名無史さん:2008/02/16(土) 19:31:13 0
バカか敗者の日本が一番大犠牲だったので逃げ帰った
一番殺されたのは日本なのバカ
死者の数から
朝鮮中国軍約70万くらいいたわけだろ。それも勝ち切れてない
これを七年維持してたら財政苦しくなるよな
そんなに兵隊に取られたら朝鮮経済破綻だろうし
もう五年続けてたら勝ってたな
近代に満州国の時に溥儀が皇帝と王の違いにこだわってたのに、
日本側にはどうでもよかったのと同じで、
冊封体制なんてお互いの了解があってはじめて成り立つもんだしな。
アジアでも文化圏がちょっとずれるとお互いの一方的な理解の一人相撲で終わってしまう。
それが綺麗になりたってたのは、朝貢秩序の優等生だった朝鮮相手ぐらい。
秀吉にとっては貿易もルソンや南蛮相手と同じで、儲かるからやりたがってただけ。
頭は一から十までずっと国内の戦国のロジックで動いてる。
定期的に嫌韓厨が沸くスレッド
806 :
世界@名無史さん:2008/02/16(土) 22:30:09 O
807 :
世界@名無史さん:2008/02/16(土) 23:11:58 0
まあ、王朝の滅亡が負けと言うなら
その後、500年続いた李朝がだんとつで勝ちだな
馬鹿が一人いなくなっただけで平穏化。
半島が死ぬほど貧しくて現地調達が出来ないから引き上げざるを得なかったんだろ?
砂漠じゃ戦は出来ない。
なぜ日本軍は1/4の明軍にこてんぱんにやられたんだろう。
装備の違いかな。
7年間で明にコテンパンにやられたことなんか無いだろ?
軍板を荒らすな、明マンセーよ。
812 :
世界@名無史さん:2008/02/25(月) 00:04:33 0
13万の犠牲者だしてこてんぱんじゃないと?
ほとんどは病気や寒さによるもの
確かに出陣した大名の殆どが帰ってきてるんだよな。
あれだけ大名がいたんだから、戦闘で討ち死がいくつもあってよさそうなものなのに。
個々の大名の家臣はそれなりに死んでるが、その死亡要因では大抵、病だと書いてるしな。
北陸や東北の大名を遠征させた方がよかったんじゃないか、西国の人間と違い豪雪地帯に領国があるから寒さにも強いだろうし
816 :
世界@名無史さん:2008/02/25(月) 13:48:13 0
>>814 そりゃ、大名は優先して暖をとれるからな。
暖をとれれば病気にもならない。
ナポレオン遠征もほとんどの部隊全滅しても将校は生きて帰っている。
その一方で名もなき兵士は
暖もとれず氷点下の中軽装備で行軍を課せられる
このような心理的精神的状態ではちょっと風邪に掛かっただけでも命を取られる
大将に取っては楽々でも、13万の兵士のことは考えないと駄目なんじゃね
平壌での敗戦がなければなあ
牟田口閣下も生還なさいました!
部下もほとんどは病死か餓死です!
だからこてんぱんではありません!負けじゃない!
牟田口と違って前線で戦った大名に謝れ
インパール作戦後積極的な軍事活動できなかった日本軍
関ヶ原みたく内戦できた豊臣家
東西で朝鮮渡ったのが活躍してんだよな
そうでもない
朝鮮いって前線で戦ってとんでもない損害を出して戻ってきた大名は
すべからく関ヶ原でまともな行動をおこせてない。
島津なんかは大損害のあまり関ヶ原ほとんど軍出せてないしな
戦後は、過酷な領民の取り立てで領民の逃散が相次ぎ地獄絵図になっている
出兵前はあれほど栄えていた九州の大名があれだけ栄えていたのにだぞ。
で、最期は朝鮮に渡ってない大名が天下を取った
822 :
世界@名無史さん:2008/02/25(月) 15:28:11 0
豊後国の資料には
朝鮮出兵後の見地だと
42%が空き屋になってて
30%が失人になってたらしい。
酷い村になると
75%の耕地が失人になってたため荒涼とした荒れ地が広がっていたとか。
「国空け散々」といわれる大規模な逃散がでた。
しかも九州はみんなこんな傾向。
前線やってた小西はもっと酷い
戦後は二公一民という増税と「給人1/3」という過酷な過役で
農民の多くが餓死かあるいは逃散した
明に取って朝鮮の役は滅亡の一つの遠因に過ぎないが
豊臣政権に取っては致命傷になりえた
そうかなあ
宇喜多毛利は健在だし
秀吉生きてれば加藤や福島前田は味方だろ
825 :
世界@名無史さん:2008/02/25(月) 15:40:40 0
加藤福島前田は皆徳川だしな。
毛利は健在と言っても毛利だけで無傷の徳川はとめられない
何年も戦争やってりゃ経済的にダメージがでかいのは当たり前。
文役と慶長で東西分けて出陣させればまだ違ったろうにね。
え?
徳川?
結構悲惨な戦争だったというのはわかった。
秀吉があと5年生きて現地で指揮をとってればまた違ったろうな。
831 :
世界@名無史さん:2008/02/25(月) 16:06:54 0
単なる長生きだけじゃなくて
10年くらい頭の方もわかくしてもらわんとw
総大将を決めてそいつに権限委譲すればね
あと、いきなり北朝鮮までいくんじゃなく南半分の補給を整えてからいけばよかった
ワルシャワ蜂起で近くまできていたソ連が手をださないように
大陸で戦うというのはそういうことかも
833 :
世界@名無史さん:2008/02/25(月) 18:20:10 O
なんだよ、これじゃあ秀吉がもっと長生きしても補給が完全でも無理だったのか。
明は強かったんだな。
834 :
世界@名無史さん:2008/02/25(月) 18:22:19 0
明は当時世界最強国だよwwwwww
なんで極東の弱小国が勝てるだよ
少しは洞察力を磨こうよwwwww
835 :
世界@名無史さん:2008/02/25(月) 18:25:42 0
ちなみに無識たちに訓示してやる
日本が中華と肩を並べたのは中華が欧州に徹底的に戦って消耗した後のたったの数年間の話だ
しかも太平洋戦争で壊滅した後は再び中華が世界のリーダーに返り咲き
日本は中華から米国の冊封国となる
貧乏リーダーだな
>>823 豊臣政権滅亡の原因は、秀頼が赤ん坊のうちに秀吉が死んじゃったこと事だろ。
>>810 朝鮮征伐失敗の原因は、
ただでさえ貧しい地域に日明の何十万もの余計な人数が殴りこんだから補給が持たなかったって
話がすでに出てるじゃないの。
参謀本部はソースにならねえ。
841 :
世界@名無史さん:2008/02/25(月) 23:39:07 0
陸軍参謀本部といえば当時の超エリートが膨大な資料をかき集めて作った計算やデータだろうに
お前等戦国オタの妄想とどちらを信じるかなんて聞かれるまでもなかろう
> 作った計算やデータ
本当に「作っちゃってる」ところがダメダメなんだけどなw
843 :
世界@名無史さん:2008/02/26(火) 02:04:40 0
本当に作っているのは明史だけどな
あれは創作
検地帳調べればすぐ数字は出るんだがな
>>822みたく
九州の荒廃ぶりみりゃ
13万の犠牲はあながちウソでもないっぽいな
845 :
世界@名無史さん:2008/02/26(火) 05:05:13 0
試しに 李如松 四万三千
で検索したら結構ヒットした
でたらめな数字じゃないんだな。
そうなると明軍犠牲三万っていうのも信憑性高いね。ありがとう。
>>846 つ日本側犠牲者
第1次朝鮮役の末期に朝鮮南部に終結した日本軍を軍目付けが調べた数字によると、
朝鮮に侵入した1〜7軍の総数13万7300人あまりの軍兵は、
実数で7万3214人にまで激減していた。
死者総数は6万4086人。
生き残った者の割合は53%。実に47%、
約半数の軍兵が死んだのである。最も奥地に進んで激戦を演じた第1軍小西軍の被害は甚大で軍兵の実に60%が死んでいる。
第2軍の加藤清正軍は被害が37%、鍋島軍も36%であった。3軍の黒田軍は被害が54%、4軍島津軍は60%。5軍も40%、6軍は44%。
最もしんがりを務めた7軍の毛利軍で43%であった。
完敗と言えよう。こうして明軍が来るまで圧勝していたにも関らず日本軍は侵入から一年後には釜山周辺に押し戻され、明との間で講和交渉に活路を見出すこととなる。
847 :
世界@名無史さん:2008/02/26(火) 05:36:54 0
しかし明軍がきた瞬間に形勢が一気に変わったのは何でだろ?
明軍は日本軍の1/4しかないのにね。
フロイスの記載では
「明軍の大砲で一発で小西隊数百人が吹き飛んだ」とあるけど
火力が違いすぎた感が否めないな。
小西隊は明軍衝突から篭城して一日も持たず半分も殺された。武将もたくさん討取られているし
>>843 なら、それを否定する明軍の兵力や犠牲者数はどの一次史料に拠ってるんだ?
849 :
世界@名無史さん:2008/02/26(火) 07:33:42 O
主戦線の漢城にいた人数だけが動員した人数ではない。
また初期に動員定数を満たしていたのかどうか検討できない阿呆は学問板から去れ。
>>847 平壌の攻撃のときは明軍のほうが3倍くらい数が多かった。
あと慶長の役では明軍が最初からいたにもかかわらず、すぐに漢城手前まで侵攻されてる。
そこからは膠着状態で秀吉の死で撤退してる。
豊臣のが寡兵だろ
北朝鮮だけで朝鮮兵そんなに動員できるわけないし
>>821 兄・義久が本国の薩摩にいたため、義弘には本国の島津軍を動かす決定権が無く、大坂にあった少数の兵士しか動かせなかった。
>>852 それは建前じゃね
馬鹿正直に国が荒廃しているからなんてことはおおっぴらに言えないし。
でも戦後の島津の駆け引きは上手かったよな。余力があるようにみせて領土安堵
>849
妄想
それなら回復したというソースの方見せて
ちなみにナポレオン戦争では、敗走中に脱走or脱落した兵士は殆ど帰ってこなかった
ロシアの農民や残党狩りみたいなやつにほぼ処刑されているかのたれ死んでる。
一度軍から外れればほぼ生存は絶望的だろ。朝鮮の治安は最悪に近いし
>850
>あと慶長の役では明軍が最初からいたにもかかわらず、すぐに漢城手前まで侵攻されてる。
そうだな明軍は常に少なかったな
慶長の始まりは
日本軍三道軍15万vs明軍(わずかな城兵のみ )
序盤は寡兵だった城を落としまくったが
忠清道稷山の戦いにおいて明軍・朝鮮軍の主力と激突して敗北→頓挫
そしてじりじり後退
秀吉が死ぬのはもうちょっと後
大勢は決まっている段階だな
ついでにいうと明軍の慶長で総兵力は7万前後
残念だが日本の半分しかない
>848
参謀本部にきいてくれ。
日本もそうだが、軍役帳や戦後の検地で兵力と犠牲者だしているんだろ
明は戦後日本のように半分空き屋にはならなかったということだな
とはいえ、中国の明史の数字が当てにならない
九州の諸地域を諸大名に分け与えた秀吉は、島津氏に対しても旧領を四人兄弟に分封して、その勢力を削ごうとした。
これが意見の統一を欠くという島津藩の奇妙な行動の始まりとなり、義久は国元に、義弘は大坂に居てその意見は
まとまらず、その後の島津家にとって大きな影響を与えている。
実際朝鮮征伐で義久らの非協力で国元から軍船が来なかった為、賃船で細々
と渡海していったが、「日本一の遅陣」としてその面目は大いに失われた。
>>846 しかし、明軍到来以降日本軍が死にまくってるのは疑問だな
平壌やその周辺で明軍と戦っていた連中や殿の毛利はわかるとしても
他の連中もすごい減少だ。
疫病なら短期間で減るってわけじゃなくて、逓減していくはずなのに
明軍到来以降激減するのは、疫病だったとしたら明軍は細菌兵器でも使ったのだろうか
ほとんど寒さと病気だろう。
日本の将はほとんどいくさで討ち取られてないし。
>>858 つロシア遠征
つインパール
実際の戦闘や追撃よりも
敗走中に死んだ人数が多い。死因は病死、餓死、凍死
主要戦没者(武将・高官・要人)
●戦死大名 日本
1597.9.16 鳴梁の海戦
来島通総(伊予鹿島1.4万石動員700人)
1592.10.24 陽智にて狩猟中に襲撃受け死亡
中川秀政(播磨三木14.0万石動員3000人)
●戦死属将・家臣 日本
1592.06.05 唐項浦の海戦
森 村春(蜂須賀家政家臣、3000石)
1592.06.14 大同江渡河前の戦い
木村智清(宗義智家臣侍大将)、黒田次郎兵衛(黒田家)
1592.06.? 順安城攻撃
志佐純高(松浦鎮信家臣志佐純意の嫡子)
1592.07.07 閑山島の海戦
脇坂左兵衛(脇坂安治家臣)、渡辺七右衛門(脇坂安治家臣)、
真鍋左馬允(脇坂安治家臣)
1592.07.17 平壌城守備
日高喜(松浦鎮信家臣甲斐守)、松浦源次郎(松浦家臣)、
1592.09.29 咸鏡道
西村半右衛門(鍋島家臣)
1592.10.上旬 咸鏡道
江口与左衛門(鍋島家臣)、三浦左右衛門允(鍋島家臣)
1592.12.?
竹内吉兵衛(小西家臣、講和使を明軍が処刑)
1592.? 阿波
光富権助(長曽我部元親家臣戦傷が元で阿波で死亡)
1593.01.08 平壌城の戦い
小西ルイス?(小西行長の弟?)、小西アントニオ(小西行長の従兄弟?)、
日比谷アゴスト(小西家臣日比谷了珪の孫)、
小野木又六(小野木重勝家臣重勝の弟)、太田弾正(五島家臣)、
太田江十郎(五島家臣)、青方新八(五島家臣)
1593.01.26 碧蹄館の会戦
十時連久(伝右衛門、立花宗茂家臣)、池辺永晟(龍右衛門、立花宗茂家臣)、
安東常久(善右衛門、立花宗茂家臣)、 小串成重(忠左衛門、立花宗茂家臣)、
小野成幸(立花宗茂家臣)、 横山景義(小早川秀包家臣)
1593.01.28 吉州城の戦い
山口与三右衛門(加藤清正家臣)
1592-1593○ 咸鏡道撤退までに陣没した鍋島家家臣
諸岡彦右衛門、永田源左衛門、横尾十五左衛門、
中島九郎兵衛(病死)、納富六郎、武藤主嘉允、
馬渡相右衛門、武藤新九郎、乙咸五兵衛、
高木内蔵助、姉川平右衛門(中務大輔)、水町平右衛門(丹後守)、
鹿江太郎左衛門、公文六郎兵衛、緒方牛之介、
1593.02.12 幸州山城攻め
明石与右衛門(宇喜多家臣)、戸崎彦右衛門尉(毛利家家臣)
1593.03.12 京城の西三里の戦い
中屋善四郎(毛利家家臣青原尾中山城主)、
1593.06.22-29 第二次晋州城攻め
△松井興之(細川忠興家臣、重臣松井康之の嫡男)
戦傷が元で1593.06.29死亡
1593.?熊川?
桑名親勝(長曽我部成親家臣1200石)
1597.02.22 蔚山
柳生久三郎(浅野幸長家臣厳勝の長男宗厳の嫡孫500石)
1597.09.16 鳴梁の海戦
得居通年(来島通之,伊予風早3000石,来島通総の兄)
菅正蔭(菅達長の第四子)
1597.12.27 蔚山籠城戦
冷泉元満(毛利輝元家臣)、阿曽沼元秀(毛利輝元家臣)、
都野家頼(毛利輝元家臣)、
原田信種(加藤清正家臣病死説有り)、貴田統治(加藤家臣孫兵衛)
和田頼国(堀内氏善家臣、勘之丞、数十人を率いた水軍の将)
未分類の武将or不明
●戦死−病死 未分類 日本
1592明石右近(宇喜多秀家重臣、明石全登の子?)
1592梶佐古道尋(長曽我部成親家臣柳瀬五郎兵衛の三男)
△1593加藤重正(加藤清正家臣加藤可重[清左衛門、右馬允]の嫡男)
△1594吉見元頼(毛利輝元重臣、吉見広頼の嫡男)
1597土持久綱(高橋元種家臣土持久綱の嫡男)
1597須佐美甚太郎(加藤清正家臣須佐美紀伊守の養子)
1599? 平田宗正(島津義弘家臣重臣平田豊前守宗祇の子)
文禄? 木付直清(大友吉統家臣木付統直の嫡男鎮直の孫)
? 江上家種(鍋島家臣竜造寺隆信の二男蓮池城主)
? 小原信忠(宇喜多家臣)
? 牧源之丞(宇喜多家臣江原親次の義父)
? 深水頼蔵(加藤清正家臣西生浦?)
865 :
意外と少ない明の戦死武将:2008/02/26(火) 12:22:49 0
●明 page top
●明軍戦死
1592.07.17平壌の戦い
載朝弁(参将)、史儒(遊撃)、
張国忠(?)、馬世隆(?)、
1598.01.04第一次蔚山城の戦い
廬継忠(参将)、楊万金(遊撃)、
1598.04.20 茂朱の戦い(咸陽沙斥駅)
李寧(副総兵)
1598.10.01 泗川の戦い
李寧(参将)、廬徳功(遊撃)、
1598.11.18露梁海戦戦死者
?子龍(明水軍副将),陶明宰(中軍)
↑こんだけ
866 :
世界@名無史さん:2008/02/26(火) 12:24:49 0
>>865 もっと下位の者はいないの?
日本の武将レベルの。
>>866 しらん。ネット引っ張っただけ
しかも晒されているこいつらが下位の人物か上位の人物かもわからんしな
水軍副将とかいうやつはそれなりに身分高そうだが。これでも下位も含まれているかもな
明は殆ど犠牲出してないし
日本武将も結構殺されてますね
位の低い奴ばっかだね
870 :
世界@名無史さん:2008/02/26(火) 12:35:53 0
信憑性低いな〜〜
ま、それでも
病死凍死の方が深刻だったとは思うがな
明側の資料が使えなさすぎで比較ができないんだよなぁ。
873 :
世界@名無史さん:2008/02/26(火) 13:06:29 0
日本軍13万死亡は日本の資料だから安心していいよ^^
しつこい中国猿は去ね。こいつがくると異常にスレが伸びる。
日明戦争は世界最大の戦争だったと言っているんだけどな
中国だけほめているわけじゃないし
明を褒めればそれと互角に戦った日本もまた優秀だったという訳で
明を弱小とすれば
日本も大した事無いとなり
この戦いはただの地域紛争と言う評価を与えられてしまうのを懸念するわけ
スポーツマンシップみたいのがあるだけだな
明も寡兵でよくやったのは事実だし
おまー互角なんていってなかったろ。いい加減にしろ
言ってるぞ
日本もしばしば弁護するが、お前がそれを別の書き込みだとおもっているからでは
879 :
世界@名無史さん:2008/02/26(火) 18:11:34 O
馬鹿は軍板に来るな
元軍が日本領で戦ったときより、秀吉軍が同じように海外遠征をしたほうが、はるかに健闘したということでいいじゃないか。
>>856 話にならないな。
何の裏づけも無いじゃないか。
>>872 勝手に使えないと決め付けてるだけじゃないか。
明側の史料を否定する他の一次史料を出してみな。