†††キリスト教総合スレ3†††

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166世界@名無史さん
マザーテレサの遺品から信仰を否定する書簡がザクザク! 西側諸国騒然!!
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8e/MotherTeresa_090.jpg

 ノーベル平和賞受賞者であり、ローマ・カトリック教会の修道会「神の愛の宣教者会」の
創設者、マザー・テレサが亡くなって十年を迎えたが、ここにきてマザー・テレサの生前の
書簡内容が明らかになった。それによると、コルカタで死に行く貧者の救済に生涯をささげた
マザー・テレサが「神の沈黙と不在」に絶望し、「孤独な日々」を過ごしていたことが浮き
彫りになっている。「貧者の天使」と呼ばれたマザー・テレサの告白は世界に大きな衝撃を
投げ掛けている。

 その修道女テレサが亡くなって五日で十年目を迎えたが、それに先立ち、テレサの生前
の書簡内容が明らかになった。それによると、修道女テレサは「私はイエスを探すが
見いだせず、イエスの声を求めるが、聞けない」「自分の中の神は空虚だ」「神は自分を
望んでいない」といった苦悶を告白し、「自分は孤独であり、暗闇の中に生きている」と嘆いている。

 「貧者の天使」の告白に衝撃を受けた西側メディアは「テレサ、信仰への懐疑」などと
センセーショナルな見出しを付けて報じた。彼女は生前、その書簡を燃やしてほしいと
願っていたが、どのような経緯からか燃やされず、このように彼女の内面の声が明らかになったわけだ。

 マザー・テレサの告白で彼女の神聖に疑問を投げ掛けることは、もちろんできない。しかし、
修道女テレサの苦悩が、「神の不在」に関する現代キリスト教神学の不十分さを痛感させる
一方、結婚と家庭を断念して修道院で神を求める信仰生活が神の願いであるか、という
問い掛けを内包していることだけは確かだろう。
ttp://www.worldtimes.co.jp/w/eu/eu2/kr070918.html
167世界@名無史さん:2007/09/19(水) 18:53:41 0
>>162
>例えば人を殺して罪悪感を抱くというのは、実は人類普遍の感覚ではないからね。
>人のものを盗んで罪悪感を抱くとなると、さらに普遍性は小さくなる。

詳しく。
168世界@名無史さん:2007/09/19(水) 18:56:01 0
神の存在・死後の世界に関する見方(2000年)
http://www.uploda.org/uporg1025620.gif

日本は中道くらいだな。
169世界@名無史さん:2007/09/19(水) 19:46:27 0
不信心でオカルト好きな典型的な日本人だけど、神の存在という概念自体ぴんと来ない。
おそらく一神教の神のようなものを差していると思われるが、日本には八百万の神々という
概念がある。けれど八百万の神々をもって「神が存在する」と言えるのかと言われると、どう
も違う気がする。
宗教とは別に、宇宙を支配する法則あるいは存在は存在してもおかしくないと思うけど。
でも、宇宙を支配する存在とか法則という概念自体一神教がかっていて違和感もある。
一神教多神教宇宙そんなものを超越したところに真理があるんじゃないか。
それが人間が理解できるものなのか分からないが。
170世界@名無史さん:2007/09/19(水) 20:09:03 0
>>169
>宇宙を支配する法則

科学者はそれを探求しているのでは?
171世界@名無史さん:2007/09/19(水) 21:26:09 0
>>170
そうだけど、人間が理解できる範囲を超えてると思うんだよね。
宇宙がひとつだけとは思えないし、宇宙の外で物理法則なんて
通用しないと思うし。統一理論が仮にあったとしても、それは宇宙の
中だけの話とかね。
星が何億個も集まった銀河がさらに数え切れないほど存在するんだから、
宇宙が数え切れないほどあったとしても不思議ではない。
172世界@名無史さん:2007/09/19(水) 21:33:25 0
173KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/20(木) 00:21:13 0
>>166>>172
問題の、マザー・テレサの手記については、先月のニューズウィーク誌でも取り上げられていました。
同誌によれば、この手記は、彼女の聖人の適性調査の過程で浮かび上がったものだそうです。
ニューズウィークのその記事は、クリストファー・ヒッチェンズ(コラムニスト・作家)という人が書いているのですが、
彼はそこで、「私の行き過ぎた分析かもしれないが…」という前置きをして、マザー・テレサの「過剰な献身」とも言えるケバケバしい活動を、彼女の信仰の喪失から説明しようとしています。

例えば、テレサを有名にした、彼女の“善行”は、彼女の内面を苦しめていた惨めさを宥めるためだったのではないか。
あるいは、彼女の、誤解を生む疑惑のある振る舞い(注1)や、度を越えた中絶反対運動も、神の不在への恐怖をやわらげるための行動ではなかったか。
この記事には、信仰の闇に苦悩し続けた一人の老女を利用して、人々に軽信を勧めた教会への皮肉のメッセージも込められています。

長らく、マザー・テレサの振る舞いは、キリスト教への信仰が成せる業だと説明されてきました。
彼女の行動は、キリストの愛のメッセージへの応答の結果だと…。
それは、十字軍や魔女狩りといった教会の“負の歴史”の対極に置かれ、教会の“正の歴史”として宣伝・弁明されてきました。
しかし、>>86の繰り返しになりますが、彼女が示したような人道主義は、元来、キリスト教の文脈を離れても十分成立し得るものです。
キリスト教や聖書がなくても、人は、彼女のような人助けをすることができます。
今回の一件は、そのことを端的に示しているような気がします。
彼女は、キリストや神への信仰を失いつつも、人道活動を展開することができたのです。
「隣人のために行動せよ!」とのメッセージは、キリスト教の専売特許ではないのです。

注1)マザー・テレサの“黒い繋がり”については、www.hpo.net/users/hhhptdai/motherteresa.htm 参照。
ここでは、彼女の手記については触れられておらず、彼女の疑惑は、狂信と貪欲とによって説明されています。
ただし、やや、こき下ろし過ぎの感はあります…。
偶然にも、クリストファー・ヒッチェンズの著作を参考にして作られているサイトのようです。